9/01'09
本能で防災してはいけない

 今日は防災の日ということで,いろんなところで防災訓練が行われているようです.災害は滅多に来ないので,そういう形で訓練も兼ねて災害が来ることをしっかり意識してもらうのはいいことだと思います.地震災害に限らず,災害は滅多に来ない.でも来たらとんでもないことになる,という対処が非常に難しいものです.

 人間は,滅多に来ない非常に大きな恐怖を無視しようとするという性質があることが心理学的にわかっています.「正常化の偏見」とか「正常化のバイアス」という用語をきいたことがある人もいらっしゃるかと思います.例えば,津波警報が発令されても自分の家「だけ」は大丈夫と思って避難しない,火災報知器が鳴ってもどうせまた訓練か機械の故障だと思って避難しないのがそうです.

 人間がそういう性質をもつことはわかっているのですが,なぜそういう性質をもつようになったか解明されているのかどうかは(専門外なので)私はよく知りません.でもこういうことなんじゃないかと考えています.生きていく上でほとんどを占める日常生活を心穏やかに過ごしていくためではないか.

 例えば,人間の最大?の恐怖として,死があります.人間は必ず死にます(現時点では).でも,日頃生活していく上で常に死を意識していたのではさすがに気が滅入りますよね.そういう恐怖「感」(恐怖そのものではなく恐怖「感」です)から本能的に逃れるように脳がプログラムされているのだと思います.

 でも,怖いものにただ目をつぶっていたのでは,突然災害のようなものがやってきたときに甚大な被害を被ってしまいます.それこそ命を落とす場合もあるでしょう.でも,人間の脳は,その人がサバイブするように,ではなく,人類全体がサバイブするようにプログラムされている(遺伝子に書いてある)のだと思います.つまり,災害などで「その人」が命を落としても,残りの大部分の人類が生き残れば,人類としてはOKなわけです.

 火災報知器が鳴っているのに大丈夫と思ってその人が焼死しても,大地震が来れば倒壊するとわかっている古い木造家屋に住んでいても,津波が来て何百人あるいは何万人という命が奪われても,人類全体からすればごく一部です.どんなに大きな災害でも,人類全体が危険にさらされるようなものは滅多にあるものではありません.実際,人類が誕生して今日までの何百万年もの間,人類は(人類全体としては)生き延びてきました.

 でも,人類としてはそれでOKでも,その人,即ち,個々の人間としての我々自身はそうは行きません.人類がサバイブすればいいというのは,人類という得体の知れない化け物の身勝手な考えであり,人の命は地球より重いものです.では,どうすればいいでしょうか?

 少なくとも人の命より人類のサバイブを優先するようにプログラムされた「滅多に来ない非常に大きな恐怖を無視しようとする」本能に逆らって行動するしかありません.本能に逆らうのですから,かなり大きなエネルギーがいると思います.防災というのはそういうものなのです.でも,本能に逆らえるのが高度な知能をもった人間でもあります.

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