9/12'03
2003年全日本教職員バドミントン大会(於宮崎)

 8/8〜11と全日本教職員バドミントン大会に行ってきました.結果は惨敗(T_T)でしたが,いろいろ思うこともあったので,忘れないうちに文章にしておこうと思います.

 所属が東京から茨城に移ったので,春先にまず連絡先を探すことから始まりました.去年は甲府だったのでなんとか東京から通ったのですが(でも3時間かかるのでそれはそれで大変でしたが),今年は宮崎なので,どうしようかな,とも思ったのですが...

 連絡先を調べてみると常総の監督の木内先生でした.かなりびびった(^^;のは言うまでもありません.バドミントンをやっている人で知らない人はいないと思いますが,常総学院のバドミントン部は,インターハイなどで何度も全国優勝をしていて,茨城県代表には20年近く連続でなっている(そういう意味では今年甲子園で優勝した野球部より全然上です)というバドミントンでは超名門校です.

 しかし意を決して(というほどでもないが(^^;),電話するととても気さくな方で,申し込み,登録,宿や航空機の手配など全てやってくださり,大変お世話になりました.その後,送られてきた茨城県チームの名簿を見ると私と同い年でした.

 3月につくばに来てからは,最初はつくば市内のいろんな社会人のサークルを回りましたが,これといったところがなく(結構強い人もいるのですが,練習がほとんどダブルスでしかもゲームなんですよねー),5月くらいから意を決して筑波大バドミントン部(関東リーグ1部!)の練習に参加させてもらって練習してきました.練習は,はっきり言ってきついです.特に最初はトレーニング中心だったのでほんといっぱいいっぱいでした(^^;.でもさすがにめちゃめちゃ練習になります.

 しかし,一時期,肘を壊したりして,なかなか調子は上がりません.バドミントンは練習してから成果が出るまでとても時間がかかるのです.それにしてもなぜか,つくばに来てからずっとだめで,今日は調子いいな,という日がほとんどありません.どうしたんだろう?そうこうするうちに,試合が近づいてきました.相変わらず,なかなか調子が上がらず,地震が頻発して被害調査に行ったりしていて,今年はだめかなあ,などと考えているうちにトーナメント表が送ってきました.

 去年ベスト16に入ったので,今年は少しはシードされると思っていましたが,トーナメント表を見ると全くシードされていません.そうか,所属が東京から茨城に移ったので,同一人物と見なされていないのか,去年の実績は全く考慮されていないようです.でもまあ去年もシード下に入ってシードに勝って勝ち上がったのだからまあ勝ちゃあいいか.でも去年はうまく調整できたけど,今年はちょっときびしいかなあ...

 そうこうするうちに,宮崎に行く日が近づいてきました.調子は一向に上がりません.どうしよっかなあ.おまけに台風が九州を直撃していて,飛行機が飛ばないという可能性が出てきました.でも常総の木内先生には,いろいろお世話になったし,行かないわけには行きません.私が出るシングルの試合は8/10なので8/9に行けばいいのですが,茨城県チームは8/8の団体戦のみの出場で8/9にはほとんどみんな帰ってしまわれるので,木内先生には一度直接お目にかかってお礼を言いたいし,8/8に行くことにしていました.でもそのおかげ?で8/8の小谷先生のシンポジウムとパーティの打ち合わせに出られず,欠席裁判でパーティーの司会をやらされるはめになりました(T_T).

 そして出発当日(8/8),不安的中,台風が宮崎直撃となりました.しかし飛行機は欠航かと思いきや,なかなか欠航になりません.仕方ないのでとにかく東京に向かうことにしました.常磐線の中でノートパソコンのインターネットでチェックし続けましたが,なかなか欠航になりません.こりゃ飛ぶのか?ところが,山手線に乗り換えて秋葉原あたりでやっと?欠航となりました.なんだよー,欠航にするなら早くしてよー.

 割引チケットだったので,大黒屋に電話すると,羽田まで行って欠航証明書をもらってきてください,とのこと.えー,羽田まで行くの?仕方なく羽田に向かいますが,モノレールへの乗換の浜松町にカウンタがあったので,きいてみると,あっさりここで発行できます,とのこと.なんだよー.

 東京駅まで戻り,仕方ないので新幹線で行こうとしますが,博多行きのぞみは全て満席です.8/8なのでもう帰省ラッシュが始まりかけています.うーん,どうしよう.小倉まで立って行くのはさすがに避けたいです.新大阪行きのぞみはなんとか空席があります.とりあえず大阪まで行くか.でもその先が...そこでカウンタでお姉さんにうまく接続している新幹線を調べてもらうと,うまい具合に5分くらいでレールスターっていう普通車でもグリーンと同じ1列4席のひかりに接続していました.

 ということで,小倉までは比較的順調?にやってきました.しかしそこからが長かった(^^;.小倉から宮崎までは日豊本線で行くのですが,ソニックで大分あたりまで行って(ソニックって車内が「部屋」みたいになっていて,結構気に入りました),そこからにちりんに乗り換えます.ダイヤ通りでも5時間くらいはかかります.うーん,今日中に着けるかな?

 とりあえずソニックで別府まで行き,にちりんを待ちます.すると,台風のため1時間以上遅れるとの表示(T_T).仕方ないので待っていると,今度はにちりんは別府発ではなく大分発になるので,各停で大分まで行ってくれ,とのこと.で,大分まで行き,そこでまた1時間位待たされて,まあなんとか宮崎に着いた時は午前1時くらいでした(しかし後述するようにもっとすごいことになってる人がいました(^^;).途中何度か木内先生と連絡を取り,私が着くまで待ってるとおっしゃってくださったのですが,試合でみんな疲れているだろうし,先に休んでくださいとお願いしました.ちなみに茨城県チームは団体戦で優勝しました.だってメンバー見るとインターハイの個人戦チャンピオンはいるし,木内先生の教え子が名を連ねたすごいメンバーなんだもん.

 翌日の朝,木内先生をはじめ茨城県のメンバーとやっと顔を合わせ,この日は予定がないので,宮崎の町をぶらぶらします.せっかく九州に来たんだから,とんこつラーメンをと思い,近所の店に入りますが,結果は...しかし外は暑いし,だいたいは,デパートの中の座れる場所でノートパソコン開いて仕事してました(^^;.

 その日の夜は,茨城県チームで唯一個人戦にもエントリーしている吉澤先生と軽く飲みました.前述のすごいことになってる人とは,彼のことで,彼は8/8の団体戦に出るために8/7の夕方の飛行機で宮崎に入る予定でしたが,台風で宮崎行きが飛ぶかどうかあぶない,ということで,確実に飛ぶ大分行きでまず大分に入ったそうです.ところが,大分に着いたときは,宮崎へ行く電車はもうなく,タクシーを乗り継いで大分から宮崎まで移動したため5万円くらいかかり,着いたのは午前3時くらいだったそうです.でも団体戦優勝したんだから,それだけのことはあった,というもんです.

 彼は相当強いようで,しかも大学を卒業してから強くなったようです.筑波大バドミントン部の練習にも土日に時々顔を出している,と言っていました(私は土日以外に行くことが多いので顔を会わせたことはありませんでしたが).筑波大のレギュラークラスに対しても,一番強い早坂(オリンピック強化指定選手クラス)以外は何とかなる,という感じでしたから相当なもんです.

 試合当日は,吉澤先生とアップをしたのですが,予想通りかなり強くてかなり疲れました(^^;.そしていよいよ試合です.相手は宮崎,つまり地元の松岡さんという人でした.結果は,吉澤先生と打った疲れが残っている状態で,しかも調子もかなり悪い方でしたが,そんなこととは関係なく,とても勝てる相手ではありませんでした.どこにどういうタイミングでどういう球を打っても確実にきびしいところに返ってきます.繋いで消耗戦に持ち込もうとしてもこっちが先に消耗してしまいます.際どい球をジャッジするとほとんどオンラインでした.ラリーは結構長く続き,時間もそこそこかかったのですが,点数的にはぺんぺんでした.宮崎までしかも電車を乗り継いでやって来て,初戦負けかよ.こんなところまで何しに来たんだろう.

 負けた後はしばらく外で茫然と座り込んでいました.いくら調子が悪いとは言え,初戦負けするくらいの力しかないのだろうか?去年のベスト16はまぐれ,あるいは組み合わせに恵まれただけってこと?でも負けた相手が強いのなら,辻褄は合う.

 ということで,私が負けた松岡さんがその後どうなるのかを確かめる必要があると思い,気を取り直してアリーナに戻り,その後の経過を見ることにしました.今日ベスト4まで決まります.結果は,ベスト4まで全くあぶなげなくあっさり勝ち上がりました.つまり私が思ったとおり,私がとても勝てる相手ではなかったようです.インターネットで調べると3年前(2000年)に国体の宮崎代表になっているようでした.

 私の全日本教職員の目標はベスト8です.ですから,ベスト4クラスと当たれば負けるのは当然と言えば当然です.つまり,ベスト8入りするには,途中でベスト4クラスと当たらない,という「運」が必要なわけです.しかし,途中でベスト4クラスと当たることもあるので,全く試合にならないのでは,やはり力不足と言わざるを得ないでしょう.ということで,もっと強くならなくては,という思いを強くすることになりました.

 翌日の試合も初めて見に行きました.結構驚いたのは,みんな帰ってしまって閑古鳥が鳴いてると思いきや,まだ観客がかなり残っていて,結構盛り上がっていました.でも行ったときは,もう決勝のファイナルのチェンジエンドするところでした.決勝は江藤さんと高崎さんでやっていました.つまり松岡さんは準決勝で江藤さんに負けてしまったようです.試合は見られませんでしたが,点数を見るとぺんぺんでした.上には上がいる...

 決勝は江藤さんがファイナルで高崎さんに勝ちました.後でわかったのですが,江藤さんは全日本シニアのチャンピオンでした(ちなみに高崎さんも関東シニアのチャンピオン).つまり全日本教職員で優勝するには,40代で日本一でないといけない,ということです.そんなレベルは雲の上の話ですし(どの位のレベルかは東京にいたときに松井さん(当時全日本シニアチャンピオン)と打っていたのでわかります),目指してる場合でもありません(^^;.

 自分が負けた後,ずっと試合を見ていましたが,やはり自分の今の実力はせいぜいベスト16くらいかな,と思いました.ベスト8入りした人には頑張ってもう少し強くなればなんとかなる気もします.しかし,ベスト4クラスだとかなりきびしいですし,江藤さん,高崎さんクラスは,はっきり言って今の練習量では無理でしょう.

 筑波大に来て,幸いにも筑波大バドミントン部の練習に混ぜってもらっていて,練習環境にはとても恵まれています.筑波大バドミントン部は,関東リーグ1部校ではっきり言って最初は行くのがとても怖かった(^^;のですが,行ってみると練習の雰囲気はとても明るく,私のレベルでは足手まといであるにもかかわらず,阿部先生もコーチの吹田さんも学生のみなさんもとてもよくしてくれます.体育館にも研究室から歩いて2,3分なので,練習が終わってシャワーを浴びてまた2〜3時間仕事をすることができます.

 今回の初戦負けは相手が強かったとは言え,かなりショックでしたが,今の恵まれた環境で,しばらく頑張ってみるか,という思いで宮崎から帰ってきました.

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