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研究者に対する評価

 2004年1月30日に青色発光ダイオードの発明者として知られるカリフォルニア大学サンタバーバラ校の中村修二さんがその対価を求めて日亜化学工業を相手に起こしていた訴訟の判決がありました.その内容は,何と200億円の支払いを求めるものでした.判決では対価は600億円以上としており,中村さんは200億円からの上積みを検討しているそうです.

 判決に対して中村さんは,日本という国にほっとした,これで研究者や技術者もプロ野球選手や芸能人と同じように正当に対価をお金で評価されるようになる,子供達も夢を持てるので科学技術を志そうとする人が増えるんじゃないか,とおっしゃっていました.

 私も研究者の端くれなので,いろいろ思うことをつらつらと書いてみたいと思います.なお,ここでは研究者に対する評価がテーマなので,今回の判決がもたらす,会社という組織と研究者の関係,即ち,生活ができる給料を会社が用意し,研究設備の投資というリスクを会社が負担して社員が得た成果をどう会社と社員に配分するか,そのための契約をどうするか,といったことは一応対象外にしています.

 私も日本の研究者や技術者は不当に評価されているというのには同感ですし,今のままでいいとは全く思っていません.会社などの組織の上層部にとっては,会社が利益をあげることが大事なのですから,考えの浅い経営者は,技術者の社員をいかに安い給料でいかにたくさん働かせて,あわよくば大きな成果を挙げさせようと考えてしまうかもしれません.

 しかし経営者と社員という前に,人間対人間なのですから,それではおかしい,嫌だ,と技術者が声をあげるのも当然と言えます.中村さんは実際に行動を起こしたわけです.ですから,その結果冒頭のような判決が出たのは,歓迎すべきことだと思います.ただ,研究の成果をお金で評価することにはやはり抵抗を感じてしまいます.少なくとも私はお金が欲しくて研究してるわけではありませんし,お金が欲しいのなら仕事を変えます.

 中村さんもおそらくお金が欲しいのではないのだろうと思います.お金って沢山もってみればわかりますが(私が沢山もってるというわけではありません(^^;),必要以上にあっても仕方ないものです.こういう話があります.昔,多分明治の頃,ある日貧乏な学生がお金持ちのおじさんに天丼をご馳走してもらいました.彼は,この世にこんなに旨いものがあるのか,と感動したそうです.そして彼は心に誓うのです.よし頑張ってお金持ちになって,天丼を腹一杯食べられるように「2杯」注文できるようになるぞ,と.そして時は流れ,彼はほんとに頑張ってお金持ちになり,その昔貧乏な学生だった頃連れてきてもらったお店に感慨深げにやってきます.そして天丼を注文します.もちろん「2杯」です.ところが...1杯目はおいしく食べたのですが,2杯目は満腹になってしまって食べられませんでした.そして彼は悟るのです.天丼2杯食べられるお金はいらないんだ,だって天丼は2杯食べられないんだから.

 まあ,ちょっと極端というか,世の中そんな単純なもんではありませんが,なかなかいい喩えだと私は思います.私もつくづく必要以上のお金はいらないと実感しています.中村さんも(おそらく)お金が欲しくて訴訟を起こしているのではないのだと思います(100年に1度というノーベル賞級の発明をした人がそんな守銭奴のような人ではないだろう,という願望も入っています).プロ野球選手が契約更改であんなに年俸の額にこだわるのも,お金が欲しいというだけではなく(そういう人もいるでしょうけど),自分の評価が年俸という形でなされるからだと思います.

 だとするとなぜ中村さんは訴訟を起こしたのでしょうか.テレビを通しての彼の発言をきいていると,「正当な対価」という言葉が出てきます.「正当な評価」とも言えるかもしれません.100年に1度というノーベル賞級の発明なんだから正当な評価をして欲しい,ということだと思います.それはすごくよくわかります.ただ,評価が「お金」になってしまうのは,やはり悲しいというか寂しい気がしてしまいます.今の世の中の資本主義社会というシステムを変えない限りはしょうがないのでしょうか?

 私は,お金以外の形での評価が必要だと感じています.ノーベル賞のようなもの,出世して偉くなることなども1つの答えかもしれませんが,どうもしっくり来ません.私はお金のために研究しているわけではないことは既に述べましたが,何かの賞を取るとか,偉くなるとか,そういうことを目的に研究しているわけではありません.

 ここでも,いわゆる「やる気3要素」が参考になります.やる気3要素とは,1.内的熟達,2.人とのつながり,3.報酬,の3つで,この3つは,1>2>3の順にやる気につながるとされ,3はむしろ逆効果のこともある,というのが定説です.お金はもとより,出世するとか,ノーベル賞をもらうなどは全て3.報酬 に当たります.

 私が研究しててよかったと思うのは,やはり1.2.に関わることで,今まで説明できなかった現象を説明できる理論(という大袈裟なもんでもないが)を見つけたときや,それを学会などで発表して大きな反響があったとき,あるいは,いろんな人と共同研究などを行って,あーでもないこーでもないなどと議論できるようなとき,あるいは,そういうところで知り合って仲良くなって夜飲みながら馬鹿話をしたり,哲学論議をしたりするときです.

 果たして,大発明をすると何百億という大金が手に入る,というのが子供達にとっての「夢」となり,やる気につながるのでしょうか?子供達はお金持ちになれるからというだけでプロ野球選手を目指しているのでしょうか?

 プロ野球選手を見ていても成功した人,例えばマリナーズのイチローなどを見ていると,お金のためというよりは,いかに自分の技術を磨くか(1.内的熟達)ということに集中しているように見えます.2.人とのつながりも大事で首位打者を何回とっても一向に神戸のスタジアムが埋まらないのを悲観している,という話はきいたことがあります.大観衆の中でプレーして,素晴らしいプレーができたときの快感は何ものにも代え難いでしょう.しかし3.報酬が全く要らないということもないとは思います.要はバランスの問題ということでしょうか.

 ただ,「お金で釣る」ことにはいろいろ弊害もあります.例えば今の世の中,医者になれば(正確には医者になって金儲けをしようと思えば)金持ちになれると思っている人が多いので,お金持ちになれるからという理由で医学部を目指す人が出てきてしまい,金儲けしか考えない倫理観,モラルに欠けた医者を生み出してしまっているのは自明です(もちろんそんな医者は一部だとは思いますが).他の学部に比べて格段に難関なので,ほんとになりたい人なるべき人がなれないということもあるでしょう.逆に科学者や技術者は冷遇されているので,ほんとに科学や技術が好きな人がなってると言えるかもしれません.

 医者もそうですが,科学,特に工学は,社会との繋がりが深く,倫理的あるいは,哲学的なことすら考えることがとても重要で(というか工学に限らずどの分野もそうでしょうが),ただお金が欲しいからというのはもとより,ただ勉強ができるだけ,頭がいいというだけ,という人が医者や研究者になるのは問題だと思います.倫理観に欠けた科学者が原爆を作ってしまったのはその典型例です.哲学的な例をあげると,工学は一言で言うと科学技術を利用して世の中を便利にすることが目的ですが,今の世の中便利になりすぎて,逆に人の心がおかしくなり始めているのは明白です.これについては稿を改めて書きたいと思っています(ライブドアvsフジテレビに少し書きました). .

 ではどうすれば子供達に「夢」を与えられるでしょうか?やる気3要素に照らし合わせてみればやはり科学のおもしろさ,奥深さ(1.内的熟達)を教える,ということになるでしょう.自分のことばかり考えずに社会に役立つことをしましょう,そうすることが自分の幸せにもつながるのですよ(2.人とのつながり)という教育をすることも必要だと思います.でもなかなか難しいですね.確かに子供にとっては「お金持ちになれる」は単純でわかりやすいかもしれません.

 子供はともかく大人はどうでしょうか?研究開発などの仕事に携わってる人は「まあ好きなことができて社会にも少しは貢献できて生活に必要なお金が貰えるのだからまあいいか」という感じでしょうか.ですがそれほど大きくはないですが「成果に対する不当な評価」に対する不満はくすぶっていると思います.「成果に対する不当な評価」の「成果」があまりに大きくてくすぶっている不満が爆発したのが中村さんだと言えるかもしれません.

 お金で「評価」するのも1つの方法でしょうが,私はそれ以外の「何かの形」が必要だと痛感しています.「何かの形」が「何か」が何かについては「尊敬」とか「賞賛」とか「感謝」のようなものだと思いますが,明確な答えは見つかっていません.しかし,やはり「正当な評価」ということになってくると思います.お金ではないとは思うのですが(必要以上あってもしょうがないですし(^^;),資本主義社会という枠組みを変えない限りは残念ながらお金ということになってしまうかもしれません.「評価」は確かに必要ですが,やる気3要素に照らしてみれば「評価」が「報酬」にならないように,「報酬が動機付けにならないように」注意する必要があると思います.

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