3/26'05
ライブドアvsフジテレビ

 ニッポン放送の新株予約権発行が高裁でも差し止められ,ようやく事実上この件に関しては決着?がつきました.ソフトバンクが絡んでくる(また後出しじゃんけん?)などまだこれからどうなるかはわかりませんが,これまでの件については,私は,マスコミとか評論家の方々が勝敗の行方は,とか,勝算は五分五分とか言ってるのが全く理解できませんでした.ライブドアは法の範囲内でルールにのっとってやってるのに,フジテレビのやろうとしていることは明らかにルール違反です.もしフジテレビ勝訴なんてことになればもうほんとやりたい放題で,既得権もってるもん勝ちということになり,これから世の中をよくして行こうという人達の意欲が大いに削がれることにもなりかねず,日本の将来に重大な影響を与えると思っていたので少しほっとしています.また,最終判断が裁判所という法のエキスパートではありますがごく一部の人の判断によってなされるということも(これは今回の件に限ったことではないですが)あらためて不思議な感じがしました.最終的には司法の判断?そもそも三権分立って何なのでしょう?私の勉強不足?

 ライブドアがニッポン放送を買収して何がやりたいのかわからないとか,堀江氏が何をしたいのか見えない,と言われているのも理解できません.インターネットをちょっとでも知っている人から見ればライブドアが何をやりたいのかは明らかだと思うのですがどうでしょうか?まあ彼もアイデアをべらべらしゃべるわけにも行かないので仕方ないところもありますが,マネーゲーム(これを出せば全てこれで片づくと思われている魔法の言葉です(^^;)ではないか?と揚げ足を取られてしまいます.

 例えば,時系列で番組を「放送」するなんてかったるいことやらずに好きなときに好きな番組をインターネットでゲットできれば全然便利ですよね.それも1週間分とかじゃなくて過去何十年分も,それこそ放送が始まってからありとあらゆるものが自由にゲットできたらとても魅力的(^^)です.私には昔見た番組でもう一度(何度も)見たいものが沢山あります(例えば,トムとジェリーとかイカ天とか(^^;).そうなればうっかり録画し忘れて悔しい思いをすることもありませんし,第一,自分でビデオとかDVDなどの「録画装置」を持つ必要すらなくなります.インターネットを使えばそれらをサーバーにがばっと置いておけば済むことです.端末も「テレビ」とか「パソコン」ではなく,もっとユーザーフレンドリーでかつ使い勝手がいいものが考えられるでしょう.携帯電話が進化したような携帯性が優れたものも考えられます.

 重要なのはやはりコンテンツです.放送局の「番組」だけではなく,出版物,音楽,映画,写真,映像,ビデオなど電子情報になりうるものは全てが対象となり,フジサンケイグループにはそれが一通り揃っているわけです.ライブドアはそのコンテンツが欲しいのだと思います.そしてそれをどう配信するかという技術はライブドアが提供する.インターネットはセキュリティやマネー決済などが問題となりますが,その辺はぬかりなく様々な金融系の会社も買収しています.フジサンケイグループには通販会社もあるので,電子情報にならないものも対象になるでしょう.堀江氏が「世界一のメディアファイナンシャルグループを作りたい」と言っているのは,そういう全てを1つでまかなえる一大企業グループを作りたい,ということなのでしょう.

 要は,買い物,決済,資産管理,投資,情報取得,エンターテインメントなど電子情報になるものに関しては「生活」の全てのことがいつでもどこでもできるようになる,ということを目指しているのでしょう.家にいるときはもちろん,電車の中で思い立ったら,見たい番組や映画,聴きたい音楽,読みたい本がすぐその場で得られて楽しめるわけです.そしてそれは大容量高速データ転送インターネット網(当面はおそらく,有線と無線の2本立てになるでしょう)が実現すれば可能なことで,ということは確実に実現するということです.私も10年後にテレビは無くなると思います.もし無くなっていなければ,既得権にしがみつく「抵抗勢力」が抵抗したからでしょう.フジテレビ以外の他局はおもしろおかしく報道している向きもありますが,ライブドアがフジテレビを乗っ取ってそういうこと始めれば大わらわになるので全く他人事ではないと思います.

 しかし,世の中「便利」になれば人は幸せになるかというとそうでもありません(実は私がこの文章で言いたいのはこの辺からです).むしろ逆でしょう.便利になればなるほど人間は「やらなければならないこと」がなくなり,それこそ椅子の上にふんぞり返っていれば何でもできてしまうことになります.そうなれば確かに楽になりますが,「幸せ」になるとは思えません.選択肢が増えるほど自由になるほど人は不幸になる,という法則があります.いつでもどこでも,例えば,電車の中で思い立ったら,見たい番組や映画,聴きたい音楽,読みたい本がすぐその場で得られて楽しめるようになったら,いつでもいいやと思って何もせずぼーっとしているような気もします.

 理由はいろいろ考えられますが,一言で言えば「ありがたみがなくなる」ということでしょうか.幸せは便利とか金持ちとか偉くなるとかそういう「状況」で決まるものではなく,その状況をどう感じるか,幸せと感じるかどうかなので,どんなに状況がよくても端から見て幸せそうでもそれを本人が幸せと思わなければ幸せではありません.便利になることは状況はよくなりますが,その状況を幸せと感じにくくなるということだと思います.

 もっと「便利」になれば働かなくても生きていけるようになるでしょう.実際,もうそうなりかけています.社会問題化しているフリーターとかニートもそれで食べて行けてしまうから出てくることであって,日本で言えば戦後の高度成長期まではみなその日を生きていくのに必死で選択の余地はありませんでした.ただし,ニートはともかく何か他にやりたいことがあるのだけれどそれでは食べて行けないからフリーターでやっていくというのは悪くないと私は思いますが.

 今の世の中の「誰でも頑張ればお金持ちになれる」(^^;という自由競争社会は果たして人間の幸せをもたらすのかは大いに疑問ですし,日本では士農工商という全く選択の余地がなかった江戸時代が人々は最も幸せだった,という説もあります.戦後の高度成長期も皆生きていくのに必死で,ある意味幸せな時代だったと思います.余裕が出てくると人間「余計なこと」を考え出すものです(私が今この文章を書きながら考えていることもまさに「余計なこと」です(^^;).「余計なこと」を考える余裕が無いというのは一種の幸せな状態でしょう.例えば,人間みな死ぬわけですが,普段はそういうことは考えずに生きています.いや考えないようにして生きているとも言えるでしょう.「幸せ」になるには「考えない」ことだと言った人もいます.

 人間食べなければ生きていけません.そのためには,食料を調達するために狩や畜産をしたり,農作物を育てたりして労働しなければなりませんでした.近代化,経済の発展によって直接食料を調達することを仕事としている人は少なくなりましたが,仕事をして賃金を得て食料を調達する,という形でずっと労働を続けて来ました.人類は誕生して200万年(どこからを人類と考えるかによって諸説あるようですが),ずっとそうやって生きてきたのです.そして「人間を動かすプログラム」もそれに従っていて,それで精神のバランスがとれるようになっていたのです.

 「人生退屈しのぎ」であり,知能が発達した人間の最大の敵である「退屈」を,ほとんど労働,仕事をすることによって「しのいで」来たわけです.堀江氏自身が言っている「冒険中毒」も彼なりの退屈しのぎで人生を楽しんでいるのだと思います.それがごくごく最近,先進国の一部で労働をしなくても生きていけるようになってきてしまいました.つまり200万年という長きに渡り培われた「人間を動かすプログラム」がたったここ数十年の間に大幅に修正を余儀なくされたわけで,そんなことに対処できるわけがありません.最近の世の中の閉塞感,様々な社会的問題,信じられないような事件を見ていると,社会が「人間を動かすプログラム」に反する方向にどんどん「発展」しているような気がしてなりません.先進国が発展途上国を援助する,などというものも折角幸せに暮らしている人達を不幸の道に引きずり込むような気がしています.

 上で「人間食べなければ生きていけません」と書きましたが,仕事が忙しくてウィダーインゼリーを口にしながらパソコンに向かっているような情景を見ると,そのうち食べなくても生きていけるようになるのでしょう.しかし,人間の最大の欲は食欲であり,お腹が空いてご飯を食べたときに最も幸せを感じるように「プログラム」されています.食べなくても生きていけるほど「便利」になったらそれこそ何のために生きているのかわかりません.

 ある大食い選手権で,選手?の女性が「皆さんは生きて行くために食べてるのでしょうけど,私は食べるために生きているのです」と言っていましたが,それは食べるのが大好きな彼女に限らず人間みなそうなんだと思います.私はこれまで(今でも)精神的なバランスを取るのに随分苦労し,苦しんできましたが,幸い食欲と睡眠欲は何とか維持できたので生きてこられたと思います.逆に言えば食欲がなくなれば,食べ物をおいしいと思って食べることができなくなれば生きていけないと思います.実際,最近問題になってきた,うつ病も症状としては人間の根本的な欲である食欲,睡眠欲が失われます.

 つまり,世の中を便利にしようとして,よかれと思って頑張れば頑張るほど人類はどんどん不幸になっていく,という皮肉なことなっています.しかし,この「世の中がどんどん便利になる」という流れは絶対に止められないと思います.そうするとどういうことになるかというと,やはり,そういう人間内部の精神的な崩壊が根本的な原因となり,何かが引き金になって(残念ながら?)人類の滅亡ということになるのでしょうか.

 しかし,人類の繁栄などというのも地球,他の生態系を犠牲にした人類のエゴであり,地球環境を守るなどというのも宇宙全体から見れば地球自己中心主義と言えなくもありません.第一,人類自身にとって繁栄することが「幸せ」とも限りません.ものごとには始まりがあるように全て終わりがあるものですし,人類が誕生し繁栄?し,そして滅びるのはある意味自然な流れだし,人類自身にとっても「幸せ」なことかもしれません.まあ,どのみち全ては150億年前から決まっていることですから流れに身を任せて自然に生きて行くしかないですし,それが唯一無二の道なのですから,それが一番「幸せ」ということにもなるわけです.

次の月へ
上のページへ