10/7'04
近現代音楽 いまむかし(桃源・東大ピアノの会創立30周年記念誌原稿)

 私が大学時代に在籍していた東大ピアノの会が30周年ということで記念誌が出ることになり,その原稿を書いたのですが,折角沢山(^^;書いたのでホームページにも載せとこと思います(こっちの方が人目に触れる機会が多かったりして(^^;).※少し補筆しました.

近現代音楽 いまむかし

1982年入学 境有紀

 東大ピアノの会が30周年ということで,記念誌の執筆依頼のメールが来てあらためて私が在籍した20年ほど前(1982〜1988年くらい)を懐かしく思い出しています.丸山さんから「ストロングスタイルでぶちかましてもらいたい」というリクエストがあったこともあり(^^;,東大ピアノの会の当時と今の近現代音楽の置かれた状況?や,その他諸々の最近思うことなどについて歯に衣着せずに書いてみたいと思います.実は,私は普段非常に筆まめでして(自分で言うのも何だが)毎日大量のメールをいろんな人に書いているので,この文章もとても長く,かつ,顔文字が頻繁に現れるメールのような文章になることをどうぞお許しくださいm(_ _)m.でも顔文字って誰が発明?したのか知りませんけど,文章だけではきつくなってしまう表現を絶妙に緩和してくれる秀逸なものだと私は思うのですが,どうでしょうか?

・私が東大ピアノの会にいた頃の近現代音楽(に対する目)

 私が東大ピアノの会に入ったのは,五月祭が終わった大学1年(1982年)の6月初めだったと思います.なぜ4月の入学当初ではなかったかというと,はっきり言ってびびっていたからです(^^;.東大ピアノの会は当時から非常に有名で,例えば山本直純のテレビ番組「オーケストラがやって来た」(だったかな?)などで玄人はだしの演奏を披露したりして,その名はかなり世間にとどろいていました(そういう意味では今以上か?).東大ピアノの会に入るために東大に入ったという強者もいたくらいです.入会後も学外のピアノを弾く人と話をすると,東大ピアノの会のことを知らない人はほとんどいないほどでした.

 私はもちろん入学当初から入会の意志はもっていましたが,そのあまりの知名度の高さから自分の力量では門前払いを食らうかもしれないとびびっていたわけです.そこで五月祭の演奏会を聴いてからどうするか決めることにしました.そして,確かに上手い人もいるがそうでない人もいる(^^;ことがわかり少し安心して会室の門を叩くことになります.

 そうすると当然ちょっと弾いてみろ,となります.いわゆる新「観」です(今でもやってるのでしょうか?).当時の会室は駒場寮の1室にグランドピアノ1台とアップライトピアノ2台が置いてあり,毎週土曜日の午後例会があってそこに人がわっと集まって満員電車の中のようになり,そういう雰囲気の中でピアノを弾くわけです.一足遅れて入会した私はそこで一身に?注目を集めることになってしまったわけです.

 私が弾いたのはプロコフィエフのピアノソナタ第6番の第1楽章でした.譜面を譜面台に乗せた瞬間にちょっとした?どよめきが起こったのを憶えています.そして曲がりなりにも何とか弾き終え一目置かれたという感触はありました.当時の(今も(^^;)私の技量はてんで大したことなかったのですが,どういうわけか普通の?人が難しくて弾けないという近現代ものを私は何とか弾くことができました.理由はよくわかりませんが,正当な教育を受けていないからかもしれません(^^;.その代わり?誰でも弾けるショパンのワルツや幻想即興曲みたいな曲が未だにうまく弾けません(そんなにちゃんと練習したわけでもないですが).そう言えばリストの編曲ものなどをバリバリ弾いていた増子さんも当時左手のCの下りのスケールが弾けないと豪語(^^;していました.

 そして,東大ピアノの会における自分の存在意義のようなものに何となく気がついたのだと思います.当時は,深津さん,小野さん,河合さんや同期では阿原のようにとにかくうまい人はごろごろいましたが,その一方で,リストなどのバリバリの編曲もの(げてもの?)を得意とする増子さんや,コードだけで自在に即興演奏をする安永さんなどそれぞれ存在価値がある個性的な人達がたくさんいました.私も近現代ものをやることで認めてもらえる,存在価値があると(勝手に)思ったわけです.

 もちろん私が近現代ものをやる一番の理由は,そういう曲が好きだということが第一の理由です.好きだというよりは「感覚に合っている」と言った方がいいかもしれません.古典やロマン派ももちろん大好きで,カタログに載っているような曲はほとんど聴いていますし,それらがより長い年月を経てなお残っているわけで曲の質としては正直上でしょう.でもやはりどこか「時代錯誤」な感じがしてしまいます.そういうところがいいという人も多いと思いますが,私は音楽に限らず絵画もカンディンスキーやクレーなどの近代ものが好きですし,建築も昔の何とか様式なんかよりは(建築出身なのに何とかが出てこない(^^;),ル・コルビジェやライト以降の近代建築が好きなのです.まあ単なる好みの問題ということでしょうか.

 しかしそういう人は数としては少ないのでそうすると役割分担的には希少価値があるわけですし,社会的分業的には半ば義務感,使命感のようなものもあるわけです(ちょっと大袈裟か).逆に,ショパンやベートーヴェンのようなものはそれこそ一流のピアニストの演奏がごろごろあるわけですから,アマチュアが頑張ってどんなに上手く弾いても自ずと存在価値的には限界があるわけです.

 ということで,物理をやりたいと胸膨らませて東大に入ったにもかかわらず,当時の田無の宇宙線研究所での最初のゼミで現代物理がばりばりの実験系であることにひどく失望して(別に実験が嫌いというわけではなく,単に理論物理にあこがれていたというだけの話です)将来を見失った私は,ピアノとバドミントン(運動会(東大ではいわゆる体育会のことを運動会と呼びます))に明け暮れる日々を送ることになるわけです.ちなみに進路は当時もっていた物理のイメージに最も近かった分野を工学の建築構造に見出し何とか現在に至っています.

 とにかく曲探しです.民音の音楽資料館(当時は大久保にあった),東京文化会館の資料室などに通い詰める日々が続きます.意外と掘り出し物があったのは文京区立図書館(特に小石川図書館)でした.ラウタヴァーラなどの北欧ものの多くはそこで開拓しました.林光ピアノ曲全集(^^;なんてのもありました.大学を卒業して探求熱が大分冷めてしまった後も10年以上東大に勤めていて文京区に住んでいたので,時々は文京区の図書館でCDを物色していました.近現代もののCDはあまり売れないので(^^;そういう公共施設に只で多く提供されるのかなという感じがしました.

 ただ,当時はインターネットも当然ないですし,資料も非常に少なかったです.だから逆に開拓しがいもあったと言えるかもしれません.私がとりあえずより所としたのは,音友の最新名曲解説全集の17巻 独奏曲IVとレコード(当時はまだほとんどLP)の総カタログでした.しばらくしてこれも有名なクラシック音楽作品名事典が発刊になったのでそれも使いました.今では大概の人がもってる有名なピアノ・レパートリー事典なんてものは当時は当然ありませんでした.

 しかしその頃は譜面はなんとかあっても今と比べると音源は非常に少なかったと思います.当時普及しだしたパソコン(NECのPC-8001)にシーケンサーを繋いで,ジョリヴェのピアノソナタを打ち込んだりもしていました(あ,そう言えば安永さんから借りたジョリヴェのピアノソナタのLP,借りっぱなしでした(^^;).レコード屋で知らない,かつ20世紀生まれの作曲家のLPを見つけると,中身に関わらずとにかく買って来て聴いてみました.しかし当然のことながらそんなにいい曲がごろごろあるはずもなく,おかげで一度聴いてもう二度と聴かれることのないゴミのような(失礼!)LPを大量に抱え込むことになってしまいました.

 そんなある日,なんとなくつけていたFMから聴いたことのない,しかも明らかに近現代ものとわかる,とても力強く,適度にデフォルメしていて,かつ民俗的で独特の曲が流れてきました.とにかくかっこよかった.なんだかんだ言っても私が近現代ものが好きなのは簡単に言ってしまえば「かっこいい」からかもしれません.親しみやすいメロディー(私にとって(^^;)と適度に混じる不協和音,第1楽章の独特の変拍子,終楽章のずしりと響く重低音,そしてコーダの爆発的な盛り上がり.そして何より演奏自体がセンスに溢れ秀逸でした.曲が終わり何という曲か聞き耳を立てていると,「ヒナステラのピアノソナタ,演奏はテレンス・ジャッド」と言っています.ヒナステラ?テレンス・ジャッド?どちらも知らない名前でした(当時は).と同時に,近現代ものにはまだまだいくらでも知られざる名曲があるもんだと実感しました.

 FMでかかるんだからレコードがあるに違いないとその足で渋谷のヤマハに行ったと思います(当時は駒場に住んでいました).レコードはすぐに見つかりました.オムニバスものだったので,LPの総カタログでは見つけきれなかったのだと思います.そしてもう一度ちゃんと聴いてみました.自分が探し求めていた曲にやっと出会えた気がしました.曲もそうですが何回聴いても演奏も凄かったです.その後,多分10種類以上のヒナステラのピアノソナタの演奏を生も含めて聴きましたが,未だにジャッドの演奏以上のものには遭遇していません.

 楽譜も渋谷のヤマハですぐに注文しました.でも2〜3ヶ月はかかります,とのことでした(今では考えられませんね).多分,そのとき既に7月くらいだったと思うので,来るのは9〜10月か...11月の駒場祭の演奏会には間に合わないな.どうしよう...当時何か弾くものは決めて練習も始めていたと思いますが,何だったかは思い出せません.とにかくヒナステラのピアノソナタは諦めざるを得ない状況だったと思います.

 そうこうしているうちに東大ピアノの会の部屋をうろうろしていて棚の中に無造作に置かれているきたなーい(多分足跡とか付いてた(^^;)楽譜が目に止まります.何気なく手に取ると「Ginastera Piano Sonata」と書いてあります.まさか!...早速そこにいた誰か(名村さんだったかな?)にきくと,「ああ,それ?田上君のじゃないかな?」えーー!実は田上さんは別名「日野捨郎(ひなすてら)」と名乗っているほどのヒナステラフリークなのでした.そんな人がいるとは...やはり東大ピアノの会はすごい...

 早速,田上さんに頼んでコピーさせてもらいました.もちろん既に楽譜は注文していたのでその後ちゃんと購入しました.でも田上さんの楽譜には「Piano Sonata」としか書いてなかったのですが,私が買った楽譜には「Piano Sonata No.1」となっていて少し残念でした.前年の1981年にピアノソナタの2番が既に出版されたからです.ちなみにヒナステラはピアノソナタを3曲(3番は1982年)に書いていますが,2,3番は私はあまり好きではありません.

 実は田上さんもこの曲(ピアノソナタ第1番)を駒場祭の演奏会で弾くことを考えておられたのですが,私が弾きたいと言うとその情熱に負けて?快く譲ってくれました.でも今考えたら随分わがままなことをしたもんだと思います.田上さん申し訳ありませんでした.そしてありがとうございましたm(_ _)m.すぐにでも練習を開始したいところでしたが,確かその直後にバドミントン部が夏合宿に入ってしまったのですぐに練習することはできず,検見川の合宿所に譜面のコピーとテープを持っていって練習の合間に聴きながら,合宿が終わったら実家に帰って練習するのを楽しみにしながら辛い辛い合宿を乗り切ったことを憶えています.

 これは全くの余談(というかちょっとした自慢?(^^;)ですが,私がヒナステラのピアノソナタを弾いた次の年にこの曲の日本初演が行われました.つまり私の演奏が日本初演だったわけです!?その後,この曲はとてもメジャーになり(だってほんとにいい曲ですから),いろんなコンクールで近現代ものとしてもよく取り上げられるようになりました.出版が1952年なので1950年以降のものの中では比較的聴きやすい,というのもよく取り上げられる理由の1つかもしれません.

 そんな感じで五月祭,駒場祭と半年サイクルで何か知られざる?近現代ものの名曲(と私が思うもの)を探し出してきては演奏する,という充実したピアノ演奏ライフ?を送ることになります.ピアノも会室での練習だけではままならず,アップライトの打弦式の電気ピアノ(電子ピアノではない)を買ってしまいました(しかしそのピアノは最近つくばに引っ越す際にとうとう処分してしまいました(T_T)).そうやって苦労して(でも楽しい(^^))探し出してきた近現代ものの掘り出し物を五月祭や駒場祭の演奏会で披露することが生き甲斐?のようにさえ感じていました.

 しかし,客観的に見ればそういう近現代ものは東大ピアノの会のようなある意味非常にレベルの高い?一部の人には受け入れられましたが,一般の人には全く受けつけられないものだったと思います.事実,東大ピアノの会の中でも自分の知らない曲に対する開拓意欲のない,ただ古典やロマン派の「名曲」を弾いているだけという大部分の人には全く受けてなかったと思います.名指しで不気味と言われたり,挙げ句の果ては人間性まで不気味だとさえ言われました(^^;.

 私の学年では,近現代ものをやるのは私と高久,宮田の3人くらいしかいませんでしたが,でもまあ,近現代ものをやる変わり者?が1学年に3人もいたというのも当時としてはすごいというか,さすがは東大ピアノの会?という感じもしますね(^^;.

 弾いていた曲目は上述のヒナステラのピアノソナタ第1番,ヴィラ=ロボスの野性の詩,佐藤聡明のリタニア,ジェフスキの4つの小品,後述するストラヴィンスキーの春祭といった感じなのでいわゆる前衛的なものは1つもありません.当時から最近までどういうものを弾いているかは私のホームページ(ここにURLを紹介してもいいのですが,アルファベットをかちゃかちゃ打ち込むより検索サイトで「境有紀」と入力した方が楽だと思うので(^^;)にありますので,もしご興味があればご覧ください.実際,私が好んだのは十二音やセリー系の無調のものではなく,適度にデフォルメしたどちらかというと親しみやすいもの(のはず)なのですが,そういうものですら,多くの普通?の人々には聴くに耐えないものだったようです.

 当時はそういう迫害や弾圧?を受けていた近現代ものですが,唯一注目を集めたことがありました.ストラヴィンスキーの春の祭典,いわゆる「春祭」をピアノソロで編曲して演奏したときのことです.春祭のピアノ版はストラヴィンスキー自身の連弾あるいは2台ピアノのものが有名ですが,定木さんがピアノソロ版の演奏を見つけてきて聴かせてくれました.普通は2人で弾くものをソロで弾くという発想自体に驚くと同時にその演奏(確かアタミアンか誰か)を聴いて,もっといい編曲ができる!と直観的に思いました.

 定木さんと河合さんが2人で第2部をやるということで,第1部の連弾は高溝さんと村岡さんが前の年に弾かれたばかりだったこともあり,じゃあ第1部をソロでやろうと決意して編曲の作業に入りました.大学2年(1983年)の春か夏くらいだったと思います.当時はまだMIDIもなくひたすら手作業でした.もちろん前述のシーケンサーはありましたが,数字を延々と打ち込んでいくもので試行錯誤を繰り返す編曲にはとても使えませんでした.ストラヴィンスキー自身の連弾用はオケ版から大分音が抜けていることがわかり,オケのフルスコアを買ってきて丹念に音を拾って行きました.今思えばよくあんな大変な作業をしかも進振り前の大事な時期にやったもんだなあと感心するやら今更呆れてしまいます.

 その年(1983年)の駒場祭で第1部をやり,第2部も4年(1985年)の五月祭で編曲演奏しました.編曲も演奏も出来としては第2部の方が満足のいくものでした(第1部はどうしても音が全部取れないところが何ヶ所かあった).春祭の特徴はとにかくいろんなところでいろんなリズムでいろんな音が重なるのでその雰囲気を出すのに大分苦労しました.その後,いくつもの春祭のピアノソロ版が世に出ましたが自分のものよりよくできてる(=音が多い(^^;)ものはないと自負しています.卒業演奏会では春祭のソロ版を全曲弾きました.演奏後は鍵盤のあちこちに血が付いていました(^^;.その日のトリだったので私の後にピアノを弾く人がいなくてよかったですが,もしいたらご迷惑をおかけするところでした.

 随分思い出話が長くなってしまいました.でも,こうして振り返ってみると開拓したと言っておきながらヒナステラといい,春祭といい,よく考えるとどれも他人のふんどしで相撲を取ってたようなもんだなとつくづく思います.

 ・東大ピアノの会を卒業してから

 卒業後は大学院に進学し,ヒナステラのソナタやヴィラ=ロボスの野性の詩をもう一度弾いたりしていましたが,学部時代のようなエネルギーはもうありませんでした.本業(研究)にはまっていったということもあります.ただ,大学院の研究室が五月祭の演奏会が行われる工学部11号館にあったので夜中に同期の青木とこっそり忍び込んで練習していたのを懐かしく思い出します.普通に演奏すると20分以上はかかるヴィラ=ロボスの野性の詩を15分と申告し(確か制限時間が15分だった),おそらく先輩なので気を使ってくれて20分としてくれたところをこっそり15分と書き換えたりしました(^^;(そしてほんとに15分で弾きました).青木とは芸大にもよくいっしょに行って(忍び込んで)練習していました.そう言えば,江古田の武蔵野音大に忍び込んで春祭を練習していたときも,たまたま同じ行動?をとっておられた(^^;高久先生に見つかって「そんなん弾いてたらばれちゃうよー」って怒られました.

 そんな感じで私と東大ピアノの会の関わりはなんとなーくいつの間にか近現代ものの開拓意欲とともにフェードアウトするように終わっていきました.それ以降は,東大ピアノの会の五月祭,駒場祭演奏会という「成果」を発表する機会を失ってしまったこともあり,時々思い出したようにピアノを弾く程度だったと思います(実はよく憶えていない(^^;).人前でピアノを弾く機会があると,ハチャトゥリアンのトッカータという,グラナドスの演奏会用アレグロ,バルトークのルーマニア民俗舞曲とともに近現代もの三大安直(演奏効果は高いが弾くのはすごく簡単(^^;)とピアノの会で言われていたものの1つで急場を凌いでいました.ちなみにハチャトゥリアンのトッカータはほんとに弾きやすく,しかも結構演奏効果も高く,未だにいつでもどこでも暗譜で弾けるのはこの曲だけです(^^;.

 でもピアノを弾きたい,それも東大ピアノの会のような近現代ものを弾くと評価してくれる人が数は少ないけどいるようなある意味「レベルの高い」ところで,そういう「人の輪」の中で弾きたい,という気持ちはずっともっていました.東大ピアノの会という存在がいかに貴重で自分の意欲を駆り立て,育ててくれたところかということを痛感しました.社会人のサークルも少し探してみましたが,なかなかこれはというところはなかったように思います(まあ意欲自体が減退しているのでそれほど一生懸命探さなかったということもありますが).

 実はこの時期は世間で言ういわゆる「失われた10年」(1990年代)で,それは私にとってもまさにそうだったと思います.大学院を卒業し,無事大学に職を得ることができて,ほっとしたのか(人間ほんとほっとしたときが一番あぶないですよね),あるいは当時結婚しようとしていた人との話がだめになったり,人生のある意味「無意味さ?」のようなものに気がついたりして,随分長い間,無気力な日々を過ごしてしまったと思います.そういうところは実は今でも続いていますが,何か身の上話というか哲学論議みたいなことになるので話を元に戻します(もしその辺にご興味がある方はこれも私のホームページに少しずつ書いていますのでよろしければご覧ください).

 その間,東大ピアノの会の創立20周年(今から10年前ですから1994年ですね)のときに同期の宮田に誘われてピアノ・プロジェという獨協大学出身の田村君が主催する演奏会には何回か出ました.東大ピアノの会OBでは宮田の他に同期で会長だった多賀谷や高久先生も出演していました.その時は,プロコフィエフ,ブロッホ,コープランド,ラウタヴァーラ,ジョリヴェ,プーランクなどを弾きました.高久とはどういうわけか学生時代からお互い先生と呼び合っていて,結果的に2人ともほんとに先生になってしまいました(^^;.高久先生の音楽評論家としての活躍ぶりは皆さんご存じの通りです.私は未だにレアものの譜面をもらったりして大変お世話になっていますm(_ _)m.獨協大学のメンバーも個性派揃いでメシアンの鳥のカタログのどれがどうだなどという東大ピアノの会を彷彿とさせる楽しい会話が出来るのも久しぶりでした.

 音友の後ろの方にある「募る」という覧も時々見ていました.なかなかピアノのサークルというのはなかったのですが(確か関西の方にはあったように思いますが),ある日,室内楽のサークル「ファミーユ」というのを見つけました.演奏会のメイン会場が東京文化の視聴覚室なので(かつて通い詰めた資料室のすぐ隣りです)ちゃりんこで行けるし,スタインウェイのフルコンが弾けますという謳い文句もとても魅力的(^^;でした.そこには,室内楽のサークルなので弦や管の人もいるのですが,半分以上はピアノの人でした.芸大,桐朋,国立,東京音大のピアノ科を卒業したピアニストの卵のような人もたくさんいて,だいたい上野の文化会館での例会の後,上野の王将(^^;で飲むんですが,そういう一般の社会人のサークルに顔を出すような人達はそれまで私がもっていた音大卒の人達のイメージとはちょっと違うもので,新鮮な感覚がありました.また,当時私と女性との接点は社会人のバドミントンのサークルくらいでしたから,音大卒のお嬢様ぽい(^^;人達と飲むのは合コンを彷彿とさせる?久しぶりにとても華やかな雰囲気でした.

 そしてその中で一番ピアノが上手い人を好きになり(もちろんピアノが一番上手いから好きになったわけではありません(^^;),運良く向こうからアプローチがあり(プロポーズしてくれとプロポーズ?された.なるほどそういうやり方もあるのかとちょっと感心しました),結婚することになりました.当時の彼女は国内のコンクールで次々に入賞を果たし,海外のコンクールや国際コンクールに挑戦するというレベルでした.しかもただバリバリ弾くというタイプではなく,音楽を哲学と考え,ピアノを弾くことを自己表現と位置づけ,命を削ってピアノを弾いているような人でした.そういう第一線で頑張っている人がどういう練習をしているのかを間近でつぶさに見る機会を得たわけです.

 そして,音楽的には言うまでもなく,技術的にも自分がいかにただ本能に任せて弾いていたかを思い知ることになります.当時の私の演奏スタイルは,この文章の冒頭にもありますが,ひたすらストロングスタイルでぶちかますもので,今思うと随分ひどい弾き方をしていたと思います(今もさほど変わってない?).東大ピアノの会にいたときも会室のピアノの弦を何本も切ってしまって随分ご迷惑をおかけしましたm(_ _)m.

 ただ,最初は見ているだけでは,彼女の練習は特に変わったものではなく,練習量も驚くほどのものでした(まあ平たく言えばずっと弾いてる(^^;).ピアノが上手くなるのに近道はないのかな,私にはとても無理だなー,などと思ったりもしました.しかし,ただ練習しているのを見ているだけだといわゆる普通の練習方法とさほど変わらない(ように見える)のですが,ピアノを弾くということに関して彼女といろんな話をすると,そのどれもが新鮮で目から鱗が落ちるようなものばかりでした.****先生(都合によりネット上では伏せ字にしました.日本でも有数のピアニストの1人です)のレッスンで言われたことをそのままものまねをしながら(^^;教えてくれたりもしました.まあ今から考えるとどれも当たり前のようなものばかりですが,ピアノの練習というのは,その練習法だけではなく,いかに「意識」が重要なものか,そして,それだけで上達の仕方は全然違うものだということを実感しました.

 彼女と結婚して1年ほどアメリカのバークレーに行った(というかいっしょにバークレーに行くために結婚した?)間は,彼女のために(そして自分のために(^^;)家にグランドピアノを入れたので,久しぶりに思う存分グランドピアノで練習することができました.そして近現代ものの開拓も輸入盤が輸入盤でない(^^;こともあり,いろんな近現代もののCDを何百枚と買い集めました.当時はまだインターネットもそれほど普及しておらず,日本から輸入盤を注文すると来るのを何ヶ月も待つという状態でした.それがそこらへんのタワーレコードとかに普通にいっぱい置いてあるんですから.アメリカの店はとにかくでかいので店頭に驚くほどの数のCDが並んでいます.しかも当時は1ドル80〜90円の超円高で(おかげでグランドピアノを入れられる一軒家も借りることができたわけです),CD1枚だいたい15ドルくらいでしたから,もうそれこそ買いあさりました.

 そして日本に帰国し,遂に,というかやっと私も自分のグランドピアノを購入することになります.もちろん彼女は自分のピアノをもっていますが,彼女のあまりに繊細で微妙なタッチはピアノの共有を許さず(T_T)(ていうか私のぶったたくタッチがひどすぎた)私専用のグランドピアノを購入することになったわけです.ピアノは彼女の人脈でとてもいい状態のものを格安で入手することができました.つまり,彼女は自分用レッスン用と2台グランドピアノをもっているので,我が家には現在合計3台!(実はアップライトも2台ある)のグランドピアノがあることになります(^^;.防音室は前述の音友の「譲る」のコーナーで20万という破格でゲットしました.しかしまあ,ありがちというか,いつか自分のグランドピアノを持ちたい,という「夢」が叶うと,得てして練習しなくなるものです.まあそんなに時間がとれないこともありますが,1日に1時間以上練習することはまずありません.

 ・最近のこと,そして最近の近現代音楽(に対する目)

 ようやく長い長い文章も現在に近づいてきました.ここまで読んで下さった方どうもありがとうございますm(_ _)m.もう一息です.タイトルが「いまむかし」なので「いま」のことも少しは書いておかねばなりません.というかどうしても書いておきたいことがあります.

 最近はと言うと,時々思いついたように秋葉原の石丸電気の輸入盤コーナーに行って,今は音源がいっぱいあって昔と比べると楽だなあ,とか思いながら,お,オハナの全集が出てるじゃん,クレーベもあるな,一応買っとくか,とかいう感じで,がばっと20枚くらいいっぺんに買ってきては(こういうレアものは見つけたときにとにかく買っとかないとすぐに廃盤になってしまうのです),やっぱなかなかいい曲ねーなー,と20年前と同じことを繰り返している?ような感じでしょうか(^^;.もちろん20年前ほどの情熱も時間もありません.それでも細々と開拓は続け,最近開拓?して演奏会で弾いたものにはボーエンやコリリアーノなどがあります.しかし,去年職場を東大から筑波大に移籍し,つくばに移り住んでからは,以前のように思い立ったらちゃりんこで文京区立図書館とか東京文化の資料室とか秋葉原とかアカデミアに行けるわけでもなくなり,前述のファミーユも遠くなってしまってすっかりご無沙汰になってしまいました(来年つくばにも電車が来るので大分状況が変わると思いますが).人前で弾く機会がないと人間なかなか練習しないものです.

 それでも2〜3年前でしょうか,まだ東京にいた頃ですが,どっか東大ピアノの会のようなところないかなー,と何となくインターネット検索しているとき,とあるそれらしきサイトに到達し(木下君や同期の高田などの東大ピアノの会のOBの名前も何人かありました.そう言えば,木下君とは何年か前のリベッタの演奏会で久しぶりに会えて嬉しかったです),そこでカプースチンという知らない作曲家の名前を発見します.更に検索を続けるとMIDIのファイルが置かれているサイトに辿り着きました.

 そして何気なく聴いてみたのですが,聴いた瞬間に衝撃が走りました.テレンス・ジャッドのヒナステラのピアノソナタを初めて聴いたとき以来,つまり20年以上ぶり(^^;の衝撃でした.早速CDを買いに走り(ライナーノートは高久先生が書かれていました),カプースチン自身のピアニストとしても超一流の演奏とも相まって久しぶりにそれこそすり切れるほど(でもないか)聴きました.特に気に入ったのは,8つの演奏会用練習曲とピアノソナタの1番でした.早速譜面の入手を手配しましたが,手元に来るのが待ちきれずに,MIDIのファイルをダウンロードしMIDIを譜面にするソフト(BがA#になったりしてしまいますが(^^;)を使って練習を始めるという反則技を使うほどはまりました.

 そして何より嬉しかったのは,そのカプースチンの開拓が私の後輩にあたる(と勝手に言わせていただけるのなら)東大ピアノの会のOBの方が中心になってなされた,ということでした.その様子がホームページにも書かれていましたが,その意欲とエネルギーは私が大学時代にした苦労?とは比べものにならないものでした.そして,カプースチンが幅広い人達に受け入れられ,たくさんの人がはまっていく様子などもインターネットの様々なページで紹介されていて,また,カプースチンも含めてそれ以外の様々な近現代ものも普通に演奏会などで取り上げられている様子もわかり,私の頃と隔世の感?にとても嬉しく思ったのは言うまでもありません.

 それにしてもカプースチンの魅力は何とも説明が難しく不思議なものです.音楽的,即ち,学術的には新しい要素は特にありません.簡単に言ってしまえば,ジャズとクラシックの融合ということになるのかもしれませんが,そういう試みは,過去に様々な作曲家,例えばガーシュウィン,ラヴェル,コープランドなどが行っています.しかし,その響きは明らかに違います.でも新しくはない.新しくないのに妙に新鮮に聞こえる.

 しかし,カプースチンも多くのジャズ作曲家が辿ってしまう,単純化による行き詰まり?ような形跡がその後の作品では見られるのが少し残念です.実は8つの演奏会用練習曲やピアノソナタの1,2番,バガデルのいくつか以外にはそれほど魅力は感じていません.単なるジャズ?(こういう言い方はジャズに失礼ですが(^^;)というものも多いです.でもこの辺はまあ単なる私の好みもあるのでしょうけど.しかし,1980年頃のおそらく書きたい曲を好きに書いていた?時期のものは文句なしに私は好きです.

 もしカプースチンをそれも8つの演奏会用練習曲をまだ聴いたことがないという方がいらっしゃったら是非一度聴いてみて下さい.しかしよくあることですが,8つの演奏会用練習曲のカプースチン自身の演奏によるCDは廃盤になってしまったようです.その代わりと言っては何ですが,最近なんとあのアムランが8つの演奏会用練習曲などのカプースチンを録音したCDが発売されました.ですからそちらでしたら今すぐにでも入手できると思います.彼もカプースチンを結構気に入っているらしくレパートリーにもしているようです.

 そのアムランの弾くカプースチンですが,予想通りとにかく上手すぎです(^^;.なんであんなに簡単に弾けるんでしょうかねー.難曲揃いなんですけどねー.「ピアノが上手い」ということに関してはほんとに「世界一」という気すらします.なんであんなに「弾ける」のかほんと嫌になるくらいです.ですが,アムランのいろんな演奏を聴く度に思うのですが,あんなに上手すぎるのに何か足りない?と思うのは私だけでしょうか?もちろん,カプースチン自身の演奏と比べてもアムランの方が全然上手いですが,私はカプースチン自身の演奏の方が好きです.人間がピアノを弾くときにどうしても生じる微妙な揺らぎ(よたり?(^^;)がないと不自然と思うのは私だけでしょうか?上手く弾けないところを気合いでぶちかますようなところがある方が私は好きです(アムランには上手く弾けないところがないんでしょうけどねー).例えば,中村攝さんの弾くアルカンなんか,はっきり言って全然弾けてない(^^;んですが,私は結構好きでした.ですが,アルカンの短調エチュードの最初の曲「風のように」をMIDIで人間には絶対弾けない?テンポで聴いたときはあまりにすごくて思わず笑っちゃいましたけど(^^;.でもアムランならあのテンポで弾けたりするのかも...

 話が横道にそれました.とにもかくにもカプースチンと出会うことにより,昔ほどではないですが,ピアノに対する情熱のようなものがまた戻ってきたのは事実です.そして,カプースチンのみならず,いろんなところで近現代ものがレパートリーの一部として普通に取り上げられている現状を見て.とても嬉しく思うと同時に,近現代ものを世の中に紹介しなくては,という使命感(^^;のようなものが逆に薄らいできて,何かまた違うネタを考えんといかんなー,と思う今日この頃です(実は,現在新ネタを仕込みです(^^).まあ単なる受け狙い?といった類ですが.).

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