1/17'05
阪神・淡路大震災から10年 地震災害の3つの特質と問題点
境 有紀

1995年兵庫県南部地震,いわゆる阪神・淡路大震災からちょうど10年が経ちました.震災直後,新幹線,在来線と自転車を担いで乗り込み,東工大の山田先生や学生だった鄭さんといっしょに何時間も自転車を漕いで被災地に入り,三宮駅前の歩道橋の上から見た衝撃的な光景は今でも脳裏に焼き付いています.私は地震防災,耐震工学を仕事としていて,地震によって亡くなる方の数を1人でも減らせるように日々研究を続けていますので,ついこの間のことのように憶えていますし,被災された方々はこの比ではないでしょう.しかし,いろんな方々と話をすると,あれだけの大惨事であったにもかかわらず,たった10年で多くの人達から当時の悲惨な記憶が薄れつつあることに正直驚いています.

しかし,まさにこれこそが地震災害の抱える1つ目の特質と問題点だと思います.つまり,地震が甚大な被害を何度も繰り返してしまう最大の原因の1つは,地震が滅多に起きないからでしょう.よく言われることですが,「災害は忘れた頃にやってくる」です.昨年10月に新潟県中越地震が起こり,また,昨年末にスマトラ沖を震源とする地震による津波で甚大な被害が生じてしまいました.また,阪神・淡路大震災から10年ということで,テレビなどのメディアではいろんな特集番組が放送されています.どこかで被害地震が起きないと地震の恐ろしさが認識されないのは悲しいことですし,阪神・淡路大震災から10年のようなある意味節目で当時を振り返るために,メディアには特集番組などは是非ともこれからも毎年やっていただければと思います.しかし,それでも自分が地震で命を落とす,と考えている人がどのくらいいるでしょうか?

昨年末,中央防災会議の専門調査会で首都圏直下地震が発生した場合、12000人の死者が出るとの被害想定が発表されました.12000人というと阪神・淡路大震災の倍程度の数字ですが,東京都の人口だけでも1200万人程度ですから,東京とその近郊を考えれば,1000人に1人以下という計算になります.単純な確率から言えば,よっぽど運が悪ければ,ということになり,この数字を見て自分が地震で死ぬことはないだろうと考えるのは無理からぬことです.

地震災害とよく比較されるものに交通事故があります.最近は減る傾向にありますが,日本では交通事故でほぼ1年に1万人近くの方々が命を落としています.20世紀の日本の地震による犠牲者は,16万6千人あまりで,そのうち,14万人以上が関東大震災ですから,数や確率だけで言えば地震災害は非常に比重が低い災害と思われても仕方ないかもしれません.つまり,単純な確率だけを考えれば,自分が地震で命を落とすことはないだろう,と思うのはごく自然なことでしょう.しかし,単純な確率だけの問題ではありません.

例えば,航空機事故を考えてみます.航空機事故による死亡率を考えると航空機は数ある乗り物の中でも最も安全な乗り物だということはよく知られています.しかし,一旦事故が起こってしまえば一度に多くの人命が失われるという悲惨なものになってしまいます.だからこそ,航空機は自動車以上の安全性が要求されているわけですし,そうでなければ航空機に乗る人などいないでしょう.もし航空機事故で交通事故と同じ1年に1万人もの人が亡くなるとすると,単純計算で1回の事故で200人の方が亡くなるとすると1年に50回ですから,毎週日本のどこかで飛行機死亡事故が起こって200人の人が亡くなることになります.そんなことになれば,飛行機に乗る人など誰もいないでしょう.

つまり,地震災害も航空機事故に似ている側面があり,それは,滅多に起きないが,起きれば悲惨な事態になる,ということです.航空機には最新技術がどんどん導入されていますが,地震災害に対する私たちの備えはどうでしょうか?我が国の耐震技術は戦後飛躍的に進歩しました.今や世界一と言ってもいいでしょう.しかし残念ながらその成果が生かされているとは言えません.それは,耐震規定が変わり,建設技術が進歩してもそれ以前に建設された古い建物はそのまま放置されているからです.これが地震災害の2つ目の特質と問題点です.つまり,他の工業製品と比べて耐用年限が長いので,リプレースされるスピードが遅く,我々研究者がいくら最新の技術を開発してもそれがなかなか社会に還元されないのです.私が最近,建物の耐震というよりは,震度の算定法などの「構造物の被害を減らせなくても人命の損失は減らす」という研究を主として行うようになったのもそういうことが理由の1つです.

私は過去に10数回もの地震被害調査を行いましたが,大きな被害を受けた建物のほとんどが現在の耐震規定を満たしていない,いわゆる既存不適格建物でした.甚大な被害が生じた阪神・淡路大震災においてさえ,大きな被害を受けた建物の大半は1981年の新耐震設計法以前に建設されたもので,1981年以降に建設された建物で大きな被害を受けたものは1981年以前に比べて圧倒的に少ないのは有名な話です.昨年10月の新潟県中越地震で震度7を記録した川口町震度計周辺でも大きな被害を受けた建物は全て老朽化した木造家屋や1階を商店としていて1階が非常に剛性が低 くなっているものばかりでした.このことは,戦後著しく進歩した現在の日本の耐震技術,建設技術をもってすれば,地震被害は圧倒的に減るということを意味しています.にもかかわらず,既存不適格建物の耐震補強は一向に進みません.

私は,広島大の中田先生が,何年か前の地盤震動シンポジウムで「地震は人を殺さない.地震によって壊れる建物などの構造物が人を殺す」と言われていたのが忘れられません.全くその通りだと思います.もし震度7の地震動が発生した真っ直中に遭遇したとしても,建物の中にいなければ,例えば,周りに何もない運動場のような場所の真ん中にいたとしたら,立っていることは難しいと思いますが,しゃがんで長くても数分やり過ごせばどうってことはありません.運が悪くてもせいぜい尻餅をつくくらいでしょう.しかし,既存不適格建物の中にいれば,普段は雨露をしのいでくれる建物が一転凶器と化します.建物を充分に耐震的にできる建設技術があるのに,それを放置していることは地震が悪いというよりは,そこに住んでいる人の責任とも言えます.つまり,地震災害は自然災害と言うよりは人災なのです.

実際,阪神・淡路大震災で亡くなった方の8割が倒壊した建物の下敷きになったものでした.そして,そのような倒壊した建物の多くが現在の耐震規定を満たしていない既存不適格建物なのです.逆に言えば,このような既存不適格建物を現在の耐震規定を満たすように耐震補強すれば,地震被害が圧倒的に減るのは既に述べたとおりです.自分の家が現在の耐震規定を満たしているかどうか,即ち,既存不適格建物であるかどうかは,耐震診断をすればわかります.耐震診断は自治体によっては無料で行ってくれるところもあります.

しかし,既存不適格建物の耐震補強は一向に進んでいないのが現状です.例えば,横浜市では,木造住宅の耐震診断を無料で行っているのですが,それでも耐震診断の申し出はまだまだ少ないのが現状です.木造家屋の耐震補強工事はもちろん個別のケースにはよりますが,平均すると200万くらいだと思います.決して安い額ではありません.果たして自分が生きている間に遭遇するかどうかもわからない大地震に対してこれだけの額を投じて耐震補強をしようという気にならないというのもよくわかります.

しかし,200万というとだいたい国産の新車の値段です.車は車検が何回か来ると買い換える人が多いことを考えると,既存不適格建物の耐震補強もそれを進める何らかの枠組み,あるいは,車検のような「からくり」が必要だと思います.これからの世の中,基本的に自分のことは自分で責任をもつ,といういわゆる自己責任社会となっていくことも勘案しなければなりません.災害を減らすには,それに備えることが最も重要であり,震災に遭遇したら国が,あるいは誰かが助けてくれる,ということでは防災対策は一向に進みません.東大生産研の目黒先生は,そういう様々な要因を考慮した興味深い提案をされています.上で「地震災害は自然災害と言うよりは人災」と書きましたが,その責任は国や他人にあるのではなく,自分自身にあるのです.

地震で命を落とす確率が小さいのは確かにそうですが,自宅が大きな被害を受けて住むところが無くなる確率は全く違います.例えば,阪神・淡路大震災で命を落とした方は6千人余りですが,全半壊家屋数は20万戸以上です.単純な計算ですが,神戸市およびその近郊の人口を200万とすると阪神・淡路大震災で亡くなった方は300人に1人ですが,住むところを失った人は,一世帯2.5人として4人に1人以上というとんでもない確率になってしまいます.かろうじて住むことはできても,電気,ガス,水道などのライフラインが使えなければ生活はできません.つまり,生活基盤を都市まるごと破壊してしまう,というのが地震災害の3つ目の特質と問題点です.建物の倒壊によって命を落とすことを免れたとしても,生活基盤を破壊されてしまうと,その日の暮らしにも困るのは言うまでもなく,自宅という大きな財産を失い,将来に対する不安,ものすごいストレスと絶望感,不自由な生活の中で命を落としてしまうようなケースも多々あります.

地震は滅多に起きない,と書きましたが,実はそうではありません.確かに我々の多くが生きてきた20世紀後半は日本は非常に地震の少ない時期でしたので,そういう印象をもっている人が多いのも無理もないと思います.実際1948年福井地震より後から1993年釧路沖地震までのほぼ50年の間で,地震によって亡くなった人の数は,合計で500人余りでそのほとんどが津波によるものでした.一度に亡くなった人の数で最も多いのは,1960年チリ地震の津波による142人,日本で起こった地震では1983年日本海中部地震のこれもほとんどが津波による104人です.しかし,1993年釧路沖地震以降,地震が頻発するようになり,活動期に入ったと言われています.

地震は50〜100年というある一定の周期で頻発しています.実際,20世紀後半は非常に地震が少なかったですが,20世紀前半の50年は,関東大震災,東南海,南海,福井地震など一度に1000人以上の死者を出してしまった大地震がなんと8回も起こっているのです.現代都市の人口,建物の集積度は戦前の比ではありませんから,もっと多くの人が犠牲になってしまう可能性は高いです.確かに耐震技術は進歩しましたが,それが生かされていないのは上で述べたとおりです.地震調査研究推進本部では,様々な地震の発生確率を定量的に評価し,公表しています.それを見ると,今後10年〜30年以内に発生する可能性が高い大地震がそれこそ目白押しです.

地震は地球といういわば生きものの営みであり,地球が生きている限りは地震は起こり続けます.地震が起こらなくなるということは地球が死ぬことを意味し,人類も生きてはいられないでしょう.つまり,我々は地震と共存するしかないのです.地震予知ができれば亡くなる人の数は圧倒的に減るでしょうが,直下地震で予知は不可能と言われていますし,可能(かもしれない)と言われている海洋地震についてもほんとに確実に予知できると断言できる人はいないでしょう.たとえ予知ができたとしても建物などの構造物が壊れることには変わりがないのですから,生活基盤は破壊されてしまいます.やはり,構造物をしっかり耐震的にする,即ち,既存不適格建物の耐震補強を進めることが一番の防災対策だと思います.

自宅の耐震補強が経済的な事情などで無理なら,できることからやることだと思います.寝ているすぐ横や真上に地震が来たら倒れそうな箪笥,本棚,落ちてきそうなテレビなどはありませんか?阪神・淡路大震災で倒壊した住宅の下敷きになって亡くなった方々の大半は,1階が潰れたことによるものでした.これは,逆に言うと2階にいればたとえ1階が潰れて倒壊しても命を落とす確率はかなり減ったということです.阪神・淡路大震災は未明に発生したため,1階に就寝中のまま亡くなった方も多いと思います.ですから,寝室を1階にしておられるのならせめてそれを2階にするだけでも,それで必ず大丈夫というわけではないですが,大地震が来て命を落とす確率はかなり下がると言えます.

トップページへ