スキー

 準指に合格しました

 いわゆる1級です.東京にいたころは,東京都スキー連盟所属のウィンズスキークラブに所属,つくばに来てからは,茨城県スキー連盟所属の筑波研究学園スキークラブに所属しています.東京都で何度か準指導員を受検しましたが,合格には至りませんでした(結構惜しいところまで行った年もあったが...).つくばに来て2年「お休み」したので,来年からまた行こうと思っています.

 極論ですが,私は,スキーは上手いか下手かのどっちかだと思っています.その境目は,スキーを始めた頃は,1級ぐらいだと思っていました.そして「生涯で」1級を取ることを何となく目標にしていました.ですから,自分が準指導員を受検するなどということは,考えもしませんでした.

 上手い下手は非常に抽象的な言葉ですが,私の中では割とはっきりしています.つまり,ある人の滑りを見てこの人は上手い,この人は下手だと割とはっきり言えます.少しわかりやすく表現すると「どんな斜面でも,安全に,速く,格好良く降りられる」とでもなりましょうか.「どんな斜面でも速く」は,かなり難しいので,これははずしてもいいです.「安全に」はかなり大事です.

 でも速く滑れれば安全にも滑れるわけで,格好いいというと,格好だけを気にしているようですが,理にかなった滑りをしていると格好いいものです.そして,私はそういう滑りを「格好いい」と思います.そしてそれが「上手い」ということです.つまり,安全に,速く,格好良く,は互いに非常に強い相関があります.

 しかし,1級を取ってみると,1級って「全然下手くそ」ということがわかりました(^^;.自分の滑りをビデオで見ても未だに「上手い」と思うことはほとんどありません(最近になってたまーーーに,おっ!と思うこともあるが).動きは緩慢(に見える)だし,第一ぱっと見,格好良くありません(これが一番大事(^^)).もちろん「格好いい」は,単なる見かけだけの話ではなく,上記のような意味です.

 この「上手下手」には「個人差」があるように思います.つまり,1級はもってないのに(受からないのに)上手い人もいますし,1級をもっていても下手くそな人(自分も含めて)もたくさんいます.「センス」のようなものかもしれません(これまた抽象的な言葉だが).1級を取ってなくても「上手い」人はセンスがあり,1級を取っても「上手くない」私はセンスがないのかもしれません.でも準指をもっていて下手くそな人は少ないです(全くいないというわけではないが).ですから,とりあえず自分は準指合格を目標としているわけです.

 つまり,準指導員という「資格」が欲しいのではなく,単にスキーがうまくなりたいということです.そして,準指は単なるその目安に過ぎない,ということです.準指を取っても「あれで準指か」と言われる滑りをしていては意味がありません.自分にとっての上手い下手の境目に達することを目標としている,そして,その境目が自分にとっては準指ぐらいだろう,と何となく思っている,というわけです.

 こんなこと言うと,指導員にあるまじき奴,と言われそうですが,私は上記のように理にかなった滑りが格好として現れる滑りを格好いいと思うので,格好よく滑れれば,理にかなっていることになり,従って,人にも上手に教えられるわけで,自分が上手くなることは,指導員としてのレベルの向上に繋がると思っています.

 でも準指が自分にとって上手下手の境目かどうかは,まだわからないですねー.今の状態のままで準指に受かるようなことがあれば,準指でもまだまだということになります(^^;.逆に言えば,上手くなれれば別に準指を取らなくてもいいわけです.

 以上,いろいろ書いてきましたが,やっぱり一番大事なのは,「楽しくスキーをすること」だと思います.苦しくても我慢して頑張って1級や準指に合格したものの,それを境にスキーから遠ざかってしまった人をたくさん見てきました.ですから,なかなか準指に受からなくても,スキーが嫌いにならないようにほどほどに「頑張らない」でやっていきたいと思っています(なかなか受からない負け惜しみでなく).でも,これはスキーに限らず,何でもそうですね.

■スキー歴

1986年大学4年の卒業時の研究室のスキー旅行で生まれて初めてスキーをする(生まれ育ちは九州の福岡).
1990年研究室に入ってきた卒論生(日比純一君,現在,鹿島)の影響を受け,SAJ2級を初めて受検.この頃から徐々に真面目?に取り組み始める.
1992年SAJ2級を取得(田代スキー場).
1994年東京都スキー連盟所属の内外スキークラブ(現,ウィンズスキークラブ)に入会.真面目?に取り組み始める.
1995年SAJ1級を取得(菅平高原スキー場).
1998年準指導員を初めて受検.10種目中ポールの1種目しか合格点が出ず,1級との大幅な格差を実感.
1999年準指導員受検2年目.あと2種目(10種目中)で合格というところまで行く(でもこれが運のつき?).
2000年この年から教程の変更に伴い,準指の受検種目が大幅に変わる.2月に奥利根でのポールトレーニング後,腰痛でゲレンデのど真ん中で1mmも動けなくなってしまう.生まれて初めて「ボート」に乗る.準指導員受検を断念.原因は前日のバドミントン?
2001年小回り(と言っても3種目あるが)以外は点が出る.小回りがどうしても点が出ない.実際苦手だし.
2002年予想よりあまりに点が出ておらず愕然とする.一からやり直し?スピードを押さえて安全に行きすぎたとと反省.基礎スキーもだんだん競技系の滑りに近づいているようです.
2003年東京都での準指受検の最後の年.筑波大への移籍やら引越やら運転免許取得(試験場一発)やら振動実験やら査読20編!やらで大変な思い?をしながら何とか受けるが,ポールでの大幅な加点を全て吐き出し,結局わずかに届かず(T_T).養成講習1班20人!受検者総数600人!という芋洗い状態にはもう耐えられそうにもなく,筑波大に移籍しつくば市に引っ越すのを機にクラブも茨城県に移籍し,捲土重来?を期すことにするが,諸事情により2年お休み(^^;.

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