3/01'06
時間の「量」から言うと99%は不幸?

 何回か登場してる昔よくいっしょにスキーに行った(白い巨塔の最終回を無理矢理見せてくれた(^^;)友人が正指に合格しました.おめでとう!本人もとても喜んでいてほんとによかったと思います.でも彼女は今シーズン絶不調で,シーズン中もお悩みメールや泣き言メール(^^;を何度も送ってくれて(でもそういうメールを送ってくれるということは相談相手?になっているのでしょうから嫌な気分ではありません),直前も落ちたらどうしようというメールが毎日のように来たのですが(^^;,それだけに合格した喜びはひとしおのようです.やはり幸不幸は時間的に相対的なもの,ということですね.

 でも彼女にもメールしたんですけど,時間の「量」から言うと99%は不幸なんですよね.合格して嬉しい時間なんて全体の1%くらいのもんでしょう.1%の幸せのために99%不幸があるということでしょうか.例えば,多くのブラジル人が年に1回のカーニバルを楽しみにそれ以外の1年の大半を我慢して暮らしてる,という話があります.カーニバルに限らずお祭りってそういうところがありますよね.幸せなお休み(^^;とか,例えば休みに海外旅行とか行く場合だって(私は旅行はあまり好きではないのですが),休みや旅行そのものよりは,それを楽しみしている時が楽しいんですよね.サッカーがあれだけ人気があるのは,まあいろんな要素はあると思いますけど,1つにはやはり得点シーンが一瞬だからじゃないでしょうか.それ以外は,ずっとただひたすら(でもわくわくしながら)耐えています.でも点が入ったときには爆発的に喜ぶ.なんか人生の縮図みたいなところがあります.

 スポーツのプレーヤーサイドからも同じことが言えます.試合で勝って嬉しいのなんか一瞬で大半は苦しい練習してます.でもその一瞬のために頑張ってるわけです.スポーツに限らず世の中の大半のこと,仕事や研究なんかもそんなもんでしょう.でもそれでいいんだと思います.たとえ結果が出なくてもです.目標は達成するものではなくて目指すものですから.ちまたでは目標は目指すものではなくて,達成するものと言われてますけど私は逆だと思います.目標が達成できなかったら頑張れる目標が残ったことになるので,その目標を目指してまた頑張ればいいのです.問題は99%の「不幸」なときに将来来るであろう幸せを想像できるかどうか,それが自分の努力によって実現する可能性が上がると感じられるかどうかです.そして,たとえ幻でも将来の幸せを想像できて頑張れればそれが幸せでしょう.

 逆に目標を達成した後の方が精神的には難しいです.幸不幸相対論的にも幸せの後には不幸がやってくるものです.まあよく言われることですけど次の目標を設定するということになるんでしょうけど,上に行けば行くほど厳しくなってくるし,世界一になったらもう上がないですから,やはり内的熟達的な奥深さを追求するということになるのだと思います.

 もしそういうのがなくて,つまり,不幸もないけど幸せもないような平板な人生だったらどうかと言うと,ずっと幸せでも不幸でもないかというとそうではなくて「自然落下」的に不幸になります.私の30代は小さい頃からの夢を叶えてとても幸せなはずだったのですが,それ以上の目標設定ができず(というかそれ以上はもう欲しいものは別になかった),「自然落下」的にどんどん不幸になっていきました.「平凡な日常」に幸せを感じられる人もいると思いますけど(ほんと羨ましいです),私にはとても無理のようです.

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3/04'06

 準指検定が終わりました.手応えは...今一ですかねー.ただ大きな失敗はなかったと思います.でもそんな感じで東京であと少しというところで落ちてますからねー.やっぱ怪我による一ヵ月のブランクは大きかったかもしれません.それまでは結構調子よかったんですけどねー.ビデオをいっぱい撮ってチェックするとか,DVD買ってきて研究するとか,こういう風にしようとか思っていたこともほとんどできませんでした.あー,でもとにかくちゃんと受検できただけでもほんとよかったです.怪我もありましたけど,私の場合,被害地震が起こってしまうとその時点でアウトですから...

 でもバーンのコンディションは良かったと思います.あーでもちょっと固かったですかねー.それで夜サポートの方が撮ってくれたビデオを見たんですけど,割と手応えがあったトップコントロール系が今一で,手応えが今一だった指導系は割といい感じで,その辺の感覚が合っていないというのもまだまだですね.ただまあこのコーナーで書いているように,受かっても受からなくても結果自体は大した問題ではないので,そういうことは気にせずに今自分ができる滑りをしようということはできたと思います.緊張することもほとんどありませんでした.これもそのうち書こうと思ってますが,私にはいろいろ「本番」があって,その中ではピアノが一番しんどいというか緊張するのでそれに比べればどうってことはありません(^^;.明日の朝11時に発表です.

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3/05'06

 合格しました(^^).滑るときはほとんど緊張しなかったのですが,発表前が一番緊張しました(^^;.でもやっと準指です.茨城では一発合格ですけど,東京で何回か受けてるんで長い道のりだったと思います.ていうかほんとしんどかった.筑波研究学園SC,そして,東京時代のWINSの皆さんに本当にお世話になったと思います.ありがとうございました.これでようやく「ただの1級」から卒業です.でも昨日ビデオで自分の滑りを見たんですけど,ほんとまだまだだと思います.「スキーは上手いか下手かのどっちか」と書きましたが,まだ「下手」だと思います.ということでこれからも修行は続きます.

 でも頑張っていればいいことってやっぱりあるもんですね.ほんとずっといいことないなーって思ってたんですけど,振り返ってみたら,志望大学に受かって,大学院出てこの道で食べていくという小さい頃からの夢が叶えられて,自分が好きになった人と結婚できて,台湾の地震で自分が取り組んで行くべき研究テーマに巡り会えて,筑波大の公募に受かって,準指に受かったわけですから,幸せだ,恵まれていると思わないといけないですね.これからもいいことあるといいですね.でもそれにはやっぱり頑張らないといけませんね.

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3/06'06
準指受検そして合格記

 忘れないうちに?「準指受検そして合格記」を書いとこと思います.まあ途中経過?はこのコーナーでずっと書いてきたのでそれを振り返るという感じでしょうか.

 よくご存じでない人も多いでしょうから簡単に説明しておくと,準指(じゅんし)というのは,準指導員の略で1級を取得した人が次に目指す資格ということになります.1級はただの検定ですが,準指は「資格」となります.しかし,準指は後述するようにとても大変(^^;ですし,1級と準指の間には相当のレベルの差があるので,実際には1級止まりという人がとても多いです.1級までは1本道ですが,その上は準指,正指(指導員)という指導系とテクニカル,クラウンという技術系の2つに分かります.技術系は1級と同じように事前講習を受けて検定に受かれば受かるのでこっちを目指す人も多いですが,難しさという点では準指より上なので実質1級の次は準指ということになります.でも指導系と技術系は求められているものが違うので向き不向きもあると思います.実際,クラウンをもっているのに指導系の種目ができなくて準指に受からないという人もいます.

 そもそもなんで準指なんか(^^;受けることになったかなどはこちらにあります.結局,東京では合格に至らず,筑波大に移籍してつくばに移り住んでクラブ(筑波研究学園スキークラブ)にはすぐ入ったのですが,その年はSAJの登録をしておらず,茨城県は前年からSAJの登録をしていないと受けられないので,やっと3年目の今年受検となったわけです.

 まず最初は学科を中心とした第1回養成講習が11月に丸々1泊2日あります.東京都とは対照的に茨城県の受検者数十人(ちょうど一桁違う(^^;)というのにも驚きましたが,何と泊まりがけ(缶詰)で学科講習,そして,エアロビクスというのにも驚きました(^^;.2日目の翌日から京都で地震工学会大会で,しかも初日の朝一から実行委員+座長+発表だったので,講習が終わると同時に家に戻り,ほとんどその足で京都に向かいました.宿に着いたときは23時くらいになっていました.

 次が実技の第2回養成講習が12月に2泊3日であります.場所は丸沼でした.今年は雪が多いのはよかったのですが,とにかく寒かったー.しかも講師の話がとても長く(^^;足先指先まで冷え切りました.

 その次が実技の第3回養成講習が1月に1泊2日で米沢であります.前日に三木で実大RCの振動実験だったので,三木から夜中につくばに戻り,翌日早朝に米沢というまたまた強行日程になってしまいました(T_T).でもこのときは講師が素晴らしくとてもいい講習になりました.でも1日目は雨になり,2日目はそれががりがりに凍ってアイスバーンになってコンディション的にはとても辛かったです.でも滑り自体はここまでは順調でした.理由はよくわからないのですが,準指受検ということで今年マテリアルを総とっかえして特に板との相性がよかったのかとても好調で,講習中にもほとんど駄目出しはされませんでした.これは受かるな,そんな感触がありました.

 しかし,その後バドミントンの練習で左足の肉離れを起こしてしまいました.まともに歩けないほどでした.かなり精神的に大きなダメージを受ける出来事もあってほんとあの頃は身も心もぼろぼろでしたね(今も状況は変わっていない?).でもそんな中でも「心の余裕」のようなものだけは無理矢理持ち続けました.2月にも実技の第4回養成講習があるのですが,卒論提出の直前で,今年はほんとやばかったのでさすがに行くのは断念しました.実技の養成講習は3回中2回出れば何とか受検資格は得られます.でも「最終チェック」が1月ではいくら何でも不安なのでほんとは行きたかったです.

 それで2月中旬から復帰しましたが,明らかに調子を落としていました.そりゃー1ヶ月も空けば当然のことです.なんとか調整して,1週間前にクラブのO仲さんやK藤ちゃんに見てもらってほんとやっとなんとか帳尻を合わせた感じでした.でもとにかく今自分ができる滑りをするしかないと開き直りました.

 準指検定は米沢スキー場で3日間あるのですが,まず1日目の午前に学科です.結局,全く勉強する時間がなく,教程も変わっていて東京時代の知識もほとんど役に立たず,勉強するための資料だけ何とか作って現地入りしました.NTT DATA SCのF井さんが問題集を作って送って下さって,それでほんとに助かりました.そして,前日2,3時間だけ勉強しました.最近歳を感じていて(^^;もの凄い量の情報を短時間で憶えられるか不安だったのですが,自分でも驚く(^^;ほどの記憶力で逆にびっくりしました.なんでだろ?アミノ酸摂ってるせい?火事場の馬鹿力?試験も易しかったせいもありますが,1時間半のところ10分くらいで終わってしまいました(^^;.

 1日目午後からいよいよ実技です.まずはトップコントロールの大回りです.私の班は女性と一緒だったのですが,みんな結構おっかなびっくり滑っていたので,私はがんがん漕いでがんがん行きました.手応えありました.サポートしてくださったG味さんもOKのサインを出してくれました.こりゃ行けるかも.

 2種目目はプルークターン(トップ&テールコントロール)です.これはかなり得意な種目で養講でもばっちりと言われていたのですが,1ヶ月のブランクの後上手く滑れなくなっていて,1週間前O仲さんに見てもらって,ターン後半でスキーを走らせる意識に注意して滑りました.でも手応えは今一でした.

 3種目目はトップコントロールの中回りです.素速い切り換えと移動,そして,とにかく姿勢を低くして滑るというK海さんのアドバイスを意識して滑りました.これも大回りと同様がんがん行きましたが,大回りほどの手応えはなかったですかね.

 4種目目はテールコントロールのプルークボーゲンです.これは滑り始めた瞬間にバーンがかなり固く下にどんどん落とされるのを押さえるのに必死でした(本来下に外に落とす種目ですが).1週間前にK藤ちゃん(全日本技術選出場!)に言われたプルークポジションの維持(山足の内膝を入れる)を意識しました.

 5種目目はシュテムターン(テールコントロール)です.コースが閉めてあって横幅がかなり狭くなっていて,みんな狭い狭いと騒いでいましたが私はあまり気になりませんでした.テールコントロールですが,テールコントロール(ずれずれ)になりすぎないように注意しました.これはまあ得意種目ですし手応えもありました.

 1日目最後の6種目目はテールコントロール小回りです.急斜面ですが,朝滑ったときはとてもバーンの状態がよくてラッキー!と思ったのですが,検定の時はもう4時を過ぎていて固かったー.まあ,前の順番で滑ってる人の音を聴けばわかりますけど(^^;.テールコントロールなので,とにかくしっかり板を回し込んでスピードコントロールするのに必死でした.私はスタンスが広く,小回りはスタンスが狭い方が見映えがするのでそれを意識しようとしたのですが,そんな余裕はありませんでした.

 その後,2日目の朝一の不整地小回り(トップ&テールコントロール)のコブ作りで何度か検定バーンを滑りました.でも下はもうがりがりでコブはなかなかできませんでした.これはひょっとしてラッキーかも...

 1日目はこれで終了です.ていうか午後だけで6種目!もやったことになります.東京では考えられませんね.9種目中6種目が半日で終わってしまうので,大分気が楽になりました.でも全体によっしゃ!というほどの手応えはありませんでした.

 2日目は,朝一で不整地小回り(トップ&テールコントロール)です.私の苦手種目で最大の難所です.でも予想通りコブの大きさはさほどでもありません.もっとでかくするから滑ってくれと言われて事前に滑ることもできました.でも...がりっがりっです(T_T).やばい.エッジ研いどくんだった...ローテーションの関係で女子の後,私は男子の最初です.予想通り,女性は3コースあるうちのほとんどがコブがない端のコースを滑っています.でも不整地の種目なんですから,それじゃあ評価されないと思いました(女性はいわゆる「女性点」があるのでそれでもいいかもしれませんけど).ということで,開き直って真ん中をがんがん行きました.2種目落とせるので万が一転んでも他がOKなら受かります.女性でたった1人だけ真ん中を滑ってくれた人がいたのも助かりました(それで滑るコースどりがだいたいわかった).とにかく暴走していないように見せるのに必死でしたね.苦手種目の割には手応えがありました.後できいたのですが,男性でも真ん中を滑った人はほとんどいなかったそうです.

 次は,急斜面でトップ&テールコントロールの大回りです.もう最後の方ですし,得意種目でもあるので気持ちよーく滑りました(^^;.あー,でも気持ちよく滑りすぎて失敗した経験もあるので気をつけましたが,やっぱり気持ちよーく滑ってしまいました(^^;.

 そして最後にポールです.まあこれは問題なかったと思います.とにかく,ポールを引っかけずに確実にでももちろん遅くなりすぎないように気をつけて滑りました.11時頃には全種目終わったと思います.つまり,実技は実質1日で9種目やったことになります.精神的には東京での検定に比べて大分楽でした.

 その日の午後からは県のデモ選(K藤ちゃん出場)をやっていたのでそれを見ながらのんびり滑っていました.でも指導系がみんな下手!なのにびっくりしました.デモ選は県の技術選上位者(男性はだいたい50位以上)しか出られないのにです.ブロック技術員の人達もこれじゃあ半分は準指落ちるな,とか言っていたほどです.でも技術系,特に,急斜面小回りはみんな上手かったー(^^;.あーいうの見るとスキーが上手いって何だろ?って考えちゃいますねー.

 その日の夜は,サポートしてくださったK原さんが撮ってくれたビデオをO場さん,N口さんの3人と他のクラブの人も何人か巻き込んで(^^;見ました.既述したように,割と手応えがあったトップコントロール系が今一で,今一と思った指導系が割といい感じでした.でも全体的には,まだまだですねー.O仲さんに「境スタンス」と言われた(^^;スタンスの広さも小回りではやはり気になります.得意のシュテムもスタンスが広いのではっきり開き出していないようにも見えます.うーん,こりゃ厳しいかな(検定が終わった時点での感想).

 3日目も発表まではデモ選を見ながらちんたら滑ってました.そして発表の11時に赤浜に行きます.まず講評から入るのですが,コンディションはかなりよかったのに予想外?に厳しい雰囲気です.合格率をきいたときは,意外に低くて「覚悟」しました.まあ落ちたらまた来年やればいいんだし,それはそれでしょうがないか.あー,でも東京で何度も経験してますけど,あの「がっくし」というのはやっぱ嫌だなー.いよいよ発表ということになり,一旦全員外に出されて,赤浜の内側から窓に番号が貼り出されます.そして,貼り出されました.23, 23, 23....あ,あった...受かっちゃったよ...そんな感じでした.でもやっぱり嬉しかったです.クラブで受けた5人のうち4人合格でした.もう1人も2種目落とせるところを3種目落とし,ということでとても惜しかったです.1班(年寄り班(^^;)の合格者はたったの3人(+女性1人)でした.

 養講の行き帰りなど行動の多くを伴にしていたS総研のO場さんも受かりました.よかった(^^).どっちかが落ちる,あるいは,どっちも落ちても帰りの車の中の雰囲気(^^;がとても心配だったのですが,2人とも受かって最高の結果になりました.クラウンもってて技術選の常に上位にいるK海さんも当然のように受かりました.でも受かって当然という中で結構大変だったと思います.N口さんも今シーズンみるみる上手くなって私もびっくりしました.相当滑り込んだんだと思います.その日の夜,桜土浦インター近くのサイゼリア(^^;でクラブの皆さんがお祝いをしてくれました.ありがとうございましたm(_ _)m(合格した時点での感想).

 私の方は,忙しすぎる上に怪我もあって検定まで結局15日くらいしか行けませんでした.それで合格できたのはラッキーとしか言いようがありません.実際,ビデオで自分の滑りを見てもまだまだです.ということで修行はまだまだ続きます.でも「最大の山」と言われる準指はこれで終了しました.東京時代から数えると随分長かったのでまだちょっと信じられない気分です.これから正指を受けるにしろ,技術系を目指すにしろ,競技に走るにしろ(競技には結構興味があります),準指ほどの悲壮感(^^;はないので,大きな山を越えたことは間違いないです.

 でも目標を達成すれば目標を失う目標を達成したときが一番危ないと書きましたが,私の目標は準指に受かることではなく,スキーが上手くなることなので目標達成はまだまだです.でも自分の滑りがある一定の客観的な評価を受けたことは正直嬉しいです.でも嬉しいのはやはり一瞬ですね.今日はもうどうってことありません(^^;.やはり時間の「量」から言うと99%は不幸?ということでしょう.問題は99%の不幸を実りある充実した不幸にできるかどうかだと思います.幸せは基本的に「現状に満足すること」で,何も産み出しません.幸せだー,と思うのは死ぬ前の一瞬でいいです.もう幸せになるのは諦めました.でも「自己破滅」的生き方ですねー(^^;.くたばったら誰か骨くらい拾ってくださいね(^^;.

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3/08'06
つくばに来て3年

 準指受検やそれに伴う仕事へのしわ寄せ(〆切の集中化(^^;)などでばたばたしていたのですが,気がついたらつくばに来て3年が過ぎてました(3月1日採用なので).感じ?としては,つくばに来て2年に書いたこととそんなに変わらないですね(^^;.去年の8月にTXが開通して東京に大分楽に出られるようになった(今も仕事でTXで東京に行く電車の中)のはとても大きかったですが,つくばの街自体は本質的にはほとんど変わりません.外見上?は駅周辺にマンションがばんばん建って(全て完売だそうです),新しいショッピングセンターもできたりしたのですが,うーん,なんかやっぱ違和感が...

 この1年を振り返ると仕事でやはり一番大きかったのは「雑事」の急増ぶりでした.論文,報告書は全部で10本以上出ましたが,純粋な査読論文と言えるのは,3月に出る黄表紙1本だけです(T_T).書くネタはいくらでもあるのに...被害調査に行ったのは,去年3月の福岡,8月の宮城の2回ですが,後半は比較的平穏だったにもかかわらずです.ほんとちょっとやばい.しかもこの事態はこれから益々悪化しそうです.抜本的に対策を考え直します(とずっと言ってるような気もするが).

 仕事以外では,やはり一番大きかったのはこのコーナーがブレイク(^^;したことでしょうか?ちょうど1年前,この「人生や世の中などいろんなことについて考えること」に「ちょっと考えること」というコーナーを作って(最初に書いたのが,つくばに来て2年でした),徐々に更新の頻度が多くなり,秋くらいからほぼ毎日更新(^^;状態となりました.最近はちょっとペースが鈍ってきて1日おきくらいですかね?これは既に書いたように仕事の忙しさと関係があります.つまり,暇だからこういう文章を書いているのではなくて,忙しすぎてたまるストレスをここで発散しているとも言えます.

 あとは,TXの開通に伴って,東京までまたプーナやファミーユに出かけるようになりました.ピアノはファミーユに行く(=人前で弾く)ということでまたちょっと練習するようになりましたかね.先日,このコーナーでとうとう?自分の演奏も初公開(^^;しちゃいました.バドミントンも去年の11月くらいにSカパーで日本のトップレベルのプレーをふんだんに見られるようになって,いろいろ考えるようになってこれもちょっと変化があったかもしれません.でも1月に怪我してしまってまた元の木阿弥ですが(T_T).スキーも準指を受けていたというのもありますが,TXを使えば越後湯沢まで3時間くらいで行けるようになりましたから,去年一昨年よりは大分行くことができました.そして準指に合格することができました.

 ということで,こうして振り返ってみると結構いろいろ変化があった1年でしたかね?でも問題はこれからですよね.とりあえずはこの1年です.仕事の方も研究室がほぼフルメンバーになりましたし,やること満載ですからとにかくやるしかないですね.超縮小モデルの方もなかなかでかい外部資金が当たらず(数百万単位の科研はちまちま(^^;当てていますが)本格的なスタートができなかったのですが,昨日,同じ専攻の固体力学・材料工学系の先生と話していてちょっと見通しが出てきました.とりあえずは,5月〆切の地震工学シンポでしょうか(大学院生には全員書いてもらうつもりでいます).私の方も今年こそは溜まりに溜まったネタを一気に査読論文に吐き出したいと思います(決意表明?).後半は講義や雑事も多いですからやはり前半が勝負ですね.

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3/10'06

 昨日,このコーナーで何回か言及している「他大学のある学生さん」(先方の都合もあると思うので一応匿名)が大学の研究室まで来てくれました.修論のプレゼンをしてもらって,その後,いろいろ話をしました.昼の3時に来てくれたのですが,気がつくともう夜の7時になっていて,その後,つくばセンターでお店が閉まるまでずっと飲みながら話していました.つまり7時間くらいずっと話し続けていたことになります(^^;.でもまだまだ話したいことやききたいことがあるような感じです.

 話ができる人で話していてとても楽しかったです.話した内容はとてもここで書ききれるものではないですし,ここには書けない(^^;ようなことももちろんありますが「私にとって」いくつか印象に残ったことでここに書けることを忘れないうちに書いておこうと思います(彼女もこのコーナーを見ているようなので,怒られないかちょっと心配ですが(^^;).

 私が一番興味があったのは,やはり「中学の時に1995年兵庫県南部地震の惨状を目にして大きな衝撃を受け,それをきっかけに地震防災の道に入ることを決意し,そして今実際に木造家屋の耐震性について大学院で研究している」というところで,彼女自身もそこの「原点」にものすごく執着があって,なんでそこまで惹きつけられるかわからないというほどなのですが,私が興味があったのは,それがどう「効力感」に繋がっているのか,というところでした.私の推論では「神戸が原点」ということは,彼女は「地震被害を減らしたい」と思っていて,それが効力感に繋がっている,つまり,やる気3要素で言うと,社会に貢献したいという「人との繋がり」という要因だと思っていたのですが,実際にいろいろ話をきいてみると,どーもそうではないようです.

 彼女の言葉を借りれば「神戸という自分をここまで惹きつけてくれたものに誠実でありたい」ということで,人との繋がりというよりは,内的熟達だと思いました.でも私にとっての内的熟達は「それそのものが面白い」ということなので,あーそういう「内的熟達」もあるのか,ととても新しい発見になりました.いただき!とも思ったのですが,自分にとっての「原点」って何だろうと逆に考え込んでしまいました(T_T).そういう意味では彼女はとても大きな「強み」をもっていると思いました.ですからこれだけ頑張れるのだと思います.実際,無気力になったことはないのか?ときいたところ,逆に無気力ってどういう状態ですか?ときき返されたほどです(^^;.こうこうこういう状態と説明した後もしばらく考えて「ありません」との明確な回答でした(^^;.

 しかし,やはり精神的にかなりしんどいのは確かなようで,頑張り過ぎなのではないか(私も人のことは言えませんが(^^;)とちょっと心配にもなってきました.自信がなくて不安でしょうがない,だから頑張ると言っていました.頑張ることが心の支えのような感じすらしました.あまりに「誠実」で「上」とも相当ぶつかってるようでした(まあ私もこれまで相当「上」とぶつかって来ましたけど(^^;).でも「上」とぶつかると通常の2〜3倍の結果を出さないといけないので大変なんですよねー.

 このコーナーを読んで私のことを「とても自信をもっている人だ」と思ったらしく,それも結構意外でした.うーん,自信もってますかねー.「なんとかなるさ」(というか「なるようにしかならない」)とは思ってますが...(^^;.単に楽観的なだけ?

 いずれにしても「いっしょに頑張っていく」(と勝手にこっちが思える)人をまた1人見つけた感じがして私にとってはとてもよかったです.まあそれは既にそうなのですが(^^;,実際に会って話をするのとしないのではやっぱり全然違います.彼女はこれまでずっと基本的に「1人で」頑張ってきたようなのでどうなのかはわかりませんが.ただ,今回ほど親のありがたさが身にしみたことはなかったと言っていて,それが結婚とか子供といったことに対する考え方にもびみょーに影響を与えているようでした.私も親のありがたさが身にしみれば子供を作りたいと思えるようになるんですかねー.

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 久しぶりのバドミントンでした.1/24に怪我して以来だから1ヶ月半ぶりですね.こんなに(激しい)運動をしない時間が続いたのはほんと久しぶりです.スキーは行ってましたが「激しい」とは言えないので.でも予想通り何の問題もなく普通に動けました.怪我の方ももう何ともありません(そりゃー1ヶ月半も休めば...).久しぶりにやるときって疲れもとれてるし結構調子いいんですよねー.でも予想通り筋持久力が落ちているのでだんだんショットやフットワークにスピードがなくなってきます(まあこれは私の場合いつものことでもあるのですが).問題は普段通り疲れが溜まってくる来週あたりですね.ということで,また激しい運動をする生活が始まりました.

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3/11'06

 昨日の夜から兆候はあったのですが,朝起きたら体がぼろぼろというか「ばらばら」です(T_T)(まあこれも予想通りですが(^^;).もちろん筋肉痛もありますが,とにかく関節が痛い.特に肩が痛くてあがらない.右足の親指の爪もいきなり死にました.普段如何に「激しい」運動をしているか思い知りますね.ほんと「スポーツは体に悪い」.こんな運動を続けていっていいんですかねー(ってやめる気はさらさらないですけど).やっぱ自己破滅的な生き方ですね.あ,今メールが来て午後から筑バドやるみたいだから,ちょっと体動かしておいた方がいいかな.久しぶりに彼らのプレーも見たいし.

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 やっぱり筑バド行くのやめました(^^;.あまりに体が痛くてぼろぼろ過ぎる(T_T).

 昨日書いた「他大学のある学生さん」「面白さではない内的熟達」についてずっと考えています.そして何となくわかってきました.しかもかなり「使えそう(^^)」です.言葉で表現するのはちょっと難しいですが,単純に言うと「ちゃんと生きていく」ということでしょうか.「ちゃんと生きていく」こと自体が効力感に繋がるし「ちゃんと生きてい」けばそれだけで気持ちいい.だから「ちゃんと生きていく」.彼女自身のほんとのところは少し違うのかもしれませんが,まあ私にとっては(^^;気分よく生きていければそれでいいんで,勝手に都合のいい違う解釈をしているのかもしれません.実は彼女から何回かメールが来たとき,まだ学生なのにこんなに頑張っている人がいるんだから私も頑張らなくちゃと思ったのですが,その時の感覚に似ています.つまり彼女は私を2度に渡って助けてくれたことになります.とにかくしばらくこれでやってみようと思います.効果のほど?は後ほど報告(^^;します.

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 中学高校とずっといっしょでH田とともに一番仲が良かったY本と10年ぶりくらいに会って飲みました.彼は2,3年前から行方不明?になってしまって,探していたのですが,今週T井さんから見つかりました,最近東京に来たようです,との連絡があって(彼の叔父さんが事務局に彼の居所を連絡してそこからT井さんに情報が行ったらしい)すぐに連絡を取り合い,早速今日会ったわけです.いやー,懐かしくて全然変わってなくて嬉しかったですねー.行方不明?になったのはそれなりの訳があってその間いろいろあったようです.その辺の話も詳しく聞き出しました.

 ひとしきり話をした後,博多ラーメンの話になりました.私の予想通り,彼によればしばらくのラーメンは代替わりして味ががくんと落ちたそうです.しかも福岡の本場のラーメン自体が豚骨ラーメンブームのあおりを食ってしまって,もはや本物の博多ラーメンが食べられる所は福岡にもない,とのことでした.実は,2005年福岡県西方沖地震の被害調査の時,東大地震研の纐纈先生といっしょに通りすがりのラーメン屋に入ったのですが,そこのラーメンがいわゆる東京のどこにでもあるあっさり系のラーメンで嫌な予感がしていたのですが,それが的中してしまったことになります.

 そういう話をしていたら,東京にも本場の博多ラーメンが食べられる所はないけど,私が知る範囲で一番それに近いところ(福のれん)はあるよ,と言ったら,彼はまだ福のれんを知らないみたいで,じゃあこれから行こう!ということになりました.飲んでいたのは北千住(彼は北越谷で私がつくばなので北千住にした)なので,千代田線で行けば神田の店はやってるんじゃないかということで,早速行きました.が,閉まってました(T_T).ネットで調べると土曜日は18:00閉店でした(T_T).ていうか,北千住の店を出る前にちゃんと調べればよかった.

 しかしこんなことでめげる我々ではありません.じゃあ他の店を探せ!ということでその場でノートパソコン開いて福のれんの八重洲や本郷や日本橋の店などを調べたのですが(そう言えば何年か前,修猷のブラスのメンバーで飲んだときも東京の八重洲で同じことやったな(^^;),どこも土曜18:00閉店か,22:00閉店でした(T_T)(その時点でもう22:00近くになってた).うー,諦めるのしかないのか?と思った瞬間,唯一飯田橋店は24:00までやってることがわかりました.こうなったらもう行くしかありません.で,地下鉄のホームでノートパソコン広げて地図で場所を検索しながら行きました(^^;.

 私もつくばにTXが来てからは,帰りに高速バスに乗る前に八重洲の店で寄る機会が減ったために福のれんに行くのは久しぶりでした.そして...やっぱり旨かった.Y本も今のしばらくより全然旨いと言って,スープも全部飲んでくれました.行ってよかった(^^).でも帰りは終電ぎりぎりで結構危なかった.ということで,平和でほのぼのとした気分です.でも明日は某テレビ局の取材が研究室に来るので(日曜なのに!)「出勤」です.

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3/12'06

 某テレビ局(のプロダクション)から取材に来られました.放送はまだ先だし,最終的に私がどのくらい関わるかまだ不透明なので内容についてはここでは書けませんが,今まで取材に来られたいろんなところと比べると,とてもよく勉強なさっていて研究熱心で感心しました.こっちに丸投げとか,もっとちゃんと勉強してこいよーとか,内容が決まっていてそれが明らかに間違ってる場合も結構あって,そういうのは全て断っているのですが,今回はとても好印象です.予備実験のVTRを送ってくださって,これはこういうことが考えられるからこういう条件にしてやってみたらどうかと言ったら早速やってみるとのことでした.こういうことがあるとやっぱり「人と人」なのかなー,と思っちゃいますね.

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3/13'06

 おととい山本と話したとき私の提唱する?人生10年周期説?が話題になりました.山本はそう言われて(私のホームページを見て)自分の人生をグラフ化してみたらきれーに(^^;10年周期で上下していることに気がついたそうです.私も全くそうです.10代は暗く辛かったと思いますし,対照的に20代はとても明るく希望に満ちていました.そして更に対照的に30代はまさに暗黒でどん底でした.40代はまだ途中ですがどうでしょうか?少なくとも30代よりは充実した時間が過ごせていると思います.

 これらの好転暗転は「状況」にもある程度依存しますが,それとは無関係な自分内部の精神状態のようなものが大きいと思います.幸不幸は時間的変化率なので,それなりに幸せを(もちろん不幸も)感じられるような人生を送ってきたのかなとも思います.そしてこれは私に限らず誰でもそうなのではないでしょうか.だから10年後は事態が一変することもあるわけですし,10年周期というのは,10年周期で緩やかに(サイン波のように(^^;)変化するということで,つまり,今どん底でも5年位すれば事態が好転してくるということですから,今苦しくてもあと5年と思ってとりあえず頑張ってみることかな,と思います.実際,「将来」としてイメージできるのはどんなに長くてもせいぜい5年までという気がします.

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3/14'06

 ドラゴン桜効果なのか?今年は東大の志願者が増えたようで,しかも合格発表があって例年以上に「東大合格者にきく」みたいな放送がいっぱいありますね.でも今って受験番号だけなんですね.私の時は名前も掲示されていました.確か数年前まではそうだったと思います.少なくとも地震研時代にいっしょだったK先生の息子さんが合格された5,6年前?は見に行って(^^;憶えているのでそうでした.

 でもここでも書いているのですが,どーも何か変というか,ただ東大目指したり,一生懸命勉強したりしてどうするんでしょうかね?普通は何かやりたいことがあって,そのために東大に行く必要があるなら行く,勉強する必要があるのならするということだと思うのですが.まあ入ってみればわかりますが,東大に入ったからと言って別にどうということはありません.どうということはないことを確認しにいくようなものでしょう(それはそれで結構でかいが).

 まあ何していいかわからなくてぶらぶらしているくらいなら一念発起?して勉強して東大目指すのも仕方ないかもしれませんね.とりあえず留学する(^^;というのとちょっと似てますね.入ってどうってことないことに愕然としてまた0から考え直すのも悪くないです.まあ何もしないよりはとにかく何か行動を起こすということなのでしょう.逆に言えば別に他にやりたいことがあれば別に東大に行かなくても全然構わないのは言うまでもありません.

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3/15'06

 今日は卒論の打ち上げと(大分時期がずれ込んだので)卒業するI村君の追いコンなのですが,飲むということでバスで来たので,さっきバスの時刻表をバス停まで見に行ったら,バスを待っている人があざらしが何ちゃらかんちゃら,という話をしていて,「こんなことやっていていいんですかねー」「いーじゃない,こんなことやってて給料がもらえるんだから」とゆーような会話が聞こえてきました.

 そうなんですよねー.大学の先生って本来的?にそういうものだったはずなのです.自分の好きなことをやらせてもらってる,それで飯が食っていけるなんて何て幸せで恵まれているんだ,と.今の私は...そんな感じではないですね.工学なので役に立たないことやるわけに行かないですしねー.もちろん仕事は嫌いではないですしやり甲斐もありますが,「これをやっていればそれだけで幸せ」てことはないです.仕事以外にもそんなものはないですねー.セロトニン不足ですかねー.

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3/16'06

 WBCは日本は韓国に負けて可能性的にはほとんど終わってしまいましたね(メキシコがアメリカに勝てば可能性はありますが).まあWBCは開催時期などいろいろ問題はありますが,1度ならまだしも2度も続けて負けたわけですから日本野球は韓国野球よりレベルが低いと言われても全く反論できないでしょう(実際はそんなことはないでしょうが).

 でも口は災いのもとではないですが,そもそもはイチローの「"30年は日本に手は出せないな"という勝ち方をしたい。」発言から嫌な雰囲気はありました.近鉄の加藤が1989年のジャイアンツとの日本シリーズで3連勝してヒーローインタビューで「ロッテより弱い」(今とは違ってロッテは当時とても弱かった(^^;)と言ってジャイアンツナインが怒って逆に4連敗したのを思い出します.

 「人間意地になったときが一番力が出る」とか「意地になったら損得勘定なし」とか言います.まあ確かにそうだと思うのですが,短い時間ならともかくそういうのでずっと頑張っていくのはしんどいですよね.私ならそんなんしてまでやらないといけないのなら,のんびり楽しく生きていきたいと思います.でもそう思っていても全然そうできないということは,やっぱり何か意地のようなものがあるんですかねー.

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 「他大学のある学生さん」(なんかちゃんと名前があるのにこんな書き方するのもちょっと抵抗ありますが)と話をしたときに「好きな街」とか「住みたい街」というのが話題に上りました.私はこのコーナーで何度も書いているようにできることなら東京のど真ん中,御茶ノ水とか秋葉とかに住みたいと思ってるくらいです.つくばに来る前は本郷に住んでいたのでかなりそれに近かったと思います.本郷なら上野,秋葉,神田,御茶ノ水は自転車で10分くらいでほんとにしょっちゅう出かけていました(全て坂を下るので行きは楽々,帰りは...でしたが(^^;).

 そういう話をしたら彼女は「えー信じられない!」という反応で(^^;,彼女は東京育ちらしいのですが,東京の東の方ではなくて西の方,ということを強調していて,東京の西の方が好きなのだそうです.つまり,東の下町のごみごみ?したところではなく,西の山の手のさわやか?な郊外が好きなんだそうで,今も1時間以上かけて大学に通ってるんだそうです.

 そう言われると確かに「東京の東と西とどっちの街が好きか?」ときかれれば,私もそうかもしれません.山手線から西の方のK王,O田急,D園都市線沿線は,よくドラマの舞台として使われていてとても絵になるところが多いです.学生の頃は確かにそういうところに住みたい,だから職場(大学)もそういうところにあるところがいいな,とか考えたこともありました.

 でも「好きな街」と「住みたい街」はちょっと違うような,好きだから住みたい,とは行かないような気がします.つまり,私が東京のど真ん中に住みたいのは,別に東京のど真ん中の街が好きだから,というわけではなく,まあ一言で言えば「便利だから」ということでしょう.住むということはそこで生活しているわけですから,生活するのに便利ということを優先しているということですね.実際,「住んでる」家では寝ているかご飯を食べてるかピアノを弾いているかだけですし(^^;.

 あとは「東京のど真ん中」だと「中心にいる」という安心感のようなものもありますかね.つくばはどうでしょうか?TXの開通によって東京郊外に成り上がった(^^;?ような気もしますが,まあそうだとしても「ど真ん中」にいる感じは全くしませんね.郊外だから緑が多くて街並みが整っていて気持ちいいかというと,これも何度も書いているように妙に人工的でどうも私はしっくり来ません.

 でもやはり一番きついのは,仕事(研究)をしていて行き詰まったときにぶらっと気分転換できるところがないことですね.それは「東京の西の方」でも同じ気がします.東京のど真ん中だと周りにいろいろあるので気分転換できるところは沢山あります.そういう意味では住むところと同時に職場がどこにあるかも重要ということになります.

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3/17'06

 奇跡が起こりましたね(^^).メキシコがアメリカに2点以上取って勝てば,ということが現実になりました.まあそれはそれでめでたい?のですが,私が興味があったのはメキシコのモチベーションです.メキシコにも準決勝進出の可能性があったかというと,これがあることにはあったのですが,確か延長13回くらいまで行って,サヨナラで3ラン(あるいは満塁から走者一掃)か満塁ホームランが出て3−0か4−0で勝てばいいという限りなく不可能(^^;な話ですからね.ですからメキシコはただとにかく可能性がほとんどない中で全力でプレーするということでアメリカに勝ってしまったわけです.でもそういうのって結構力が出るんじゃないかとも思います.結果を気にせずにとにかく目の前のことに集中するしかないですから.可能性がほとんどないからと言って試合放棄はさすがにできないでしょうし,どうせ試合しないといけないならいいプレーをして楽しんでそして勝てればということですよね.「人生所詮退屈しのぎ」と似てますね.

 でも日本−アメリカ戦の誤審といい,メキシコ−アメリカ戦でもメキシコのホームランを2塁打にするという誤審があったようですし,とても嫌な感じがしますね.無理矢理イラク戦争を始めたのと同じ雰囲気を感じてしまうのは私だけでしょうか?

 準決勝ということでまたまた韓国と対戦することになります.今度負けたらほんと日本の野球は韓国より下と言われても仕方ないでしょう.でもほんと一度死んだわけですから,その辺の精神状態がどう出るかにとても興味があります.でももし今度日本が勝ったら韓国に1勝2敗で決勝進出ですから韓国側も納得しないでしょうね(^^;.

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 昨日の夜なんですけど,ほんとに久しぶりに夕食後家にいる,という状態で,まあのんびり仕事でもしようという感じだったのですが,自分の部屋で椅子に座ってからほとんど動けなくなってしまいました.体調が悪いとかそういうことではなくて,全く動く気力がない,つまり無気力という状態です.そして私は時々いやしばしばそういう状態に襲われます.もちろん,人といっしょにいたり,人と仕事をしていたり,どうしてもやらないといけないことがあればそんな状態になってもやる気を振り絞って動きますが(ですからそういう状態の私を見た人は誰もいません),そうでないとき,つまり,昨日の夜のようにやらなければならないという切迫した状態でないときにそうなることがあります.

 なるのはどういう場合かだいたいわかっていて,ずっと頑張ってきてちょっと一息ついたときにそうなることが多いです.原因もだいたいわかっていて体と心のエネルギーのうち心のエネルギーがなくなった状態です.無気力となって現れることもありますし,気分の悪さとなって現れることもあります.そこでうまく心のエネルギーの充電ができればいいのですが,私はどうもそれが下手です.仕事以外にいろんなことをやっていますが,どれも「頑張ってる」ので,気分転換にはなっても休息にはなってません.ほんと心休まる趣味探し,あるいは,心休まる「何か」が必要かもしれませんね.

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3/18'06

 久しぶりにプーナに行ってきました.左足を怪我したり,スキーの準指検定があったりして,今年初めて(^^;でした.でもこの2ヶ月の間にいろいろあったようですね.私はバドミントン,スキー,ピアノなどいろんな社会人のクラブやサークルを見てきましたが,プーナほど雰囲気がいいところはなかなかないと思っていたのですが,やっぱり男と女がいるとそうもいかないんですかねー.

 バドミントンの方は全然駄目でした(T_T).まあ最近1ヶ月半ぶりに始めたばかりですし,昨日練習して二日連続だったのでしょうがないですが,じゃあまた0から頑張ろうか,というとちょっとしんどくなってきました.考えてみれば筑波大に来てから2年は筑波大バドミントン部の練習になんとかついて行っていたのですが,今じゃとても考えられません.体調を整えてやろうとすればできるのかもしれませんが,そんな気にならないというのが問題です.趣味や健康のためにバドミントンをやるつもりはないので,やめるかちゃんとトレーニングをするかどっちかですね.あーでもなんでこんなにしんどい方向しんどい方向に行こうとするんですかねー.

 練習の後飲んでいて,20代は自分のために頑張れる,30代は子供のために頑張れる,じゃあ40代は?という話になりました.しかも私は子供もいないので頑張れたのは20代だけです(T_T).うーん,きびしい.しかも40代でこんな感じだと50代,60代なんてどうなっちゃうんでしょうねー.まあその歳まで生きてたらの話ですが.

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3/19'06

 WBC準決勝快勝でしたね.同じ相手に3回負けられないということもあったとは思いますが,やはり一度死んだ人間は強いと思います.トイレ共同風呂なし家賃3万のアパート暮らしではないですが,私もそういう気持ちをもてればとは思っています.でも「今もっている」ものを自ら捨てることは非常に難しいです.少なくとも「そうなってしまった」ときはそういう気持ちを持てればと思います.

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3/20'06

 福岡県西方沖地震から1年ですね.この1年いろんなことがあったので,正直に言うと「まだ1年しか経ってないの?」という感じです.もう遠い昔のことのようだ.でも被災された方々はそんなことはないでしょう.玄界島の復興は全く進んでないようです.

 福岡は非常に地震活動度が低いとされているところで(地域係数0.8),そういう意味でも驚きましたが(多分地震関係者はみんな驚いたと思います),私は自分が生まれ育ったところでもあるので,そういう意味でも他のいろんな被害地震とは違う特別な感情がありました.ほんと久しぶりに福岡に行って,たまたま昔自分が住んでいたところを通りかかってその変貌ぶりに驚いて,その年の8月に祖母が亡くなって,昔住んでいたところまで足を伸ばしてみることになりました.車で通りかかっただけだと全く面影がなかったのですが,丁寧に自分の足で歩いてみるとそこかしこに30年前の面影が残っていてとても嬉しかったです.

 でも私と福岡の「関係」ってとても不思議な感じがします.もちろん,大学に入るまで20年近く暮らしたところですから私の出身地というか故郷に間違いはありません.でも福岡に対する郷愁とか福岡に帰りたいといった感情は全くありません.理由はよくわかりません.もちろん福岡が嫌いなのではありません.というか好きな街です.出張などで全国様々な都市に行きましたが,福岡ほど街自体が好きで暮らしやすいところはそうそうないと思います.

 歳とったら帰りたくなるよ,と言う人もいるのですが(ということはまだ歳とっていないってことか(^^;?)福岡に戻って福岡で暮らすことはないでしょうねー(スキーにも行けないし(^^;).一度東京で暮らしてみるとその便利さは何物にも変えがたいものがあります.「中心にいる」という安心感もあります.4年くらい前に移籍先を探していたとき,地方大学ではなく少しでも東京に近い筑波大にしたのもそういうことが理由の1つです.でも,つくばに住んで3年になりますが,なかなか違和感がとれないのは,つくばが人工的に造られた街ということもあるでしょうが,やっぱり中心から少しはずれている,ということもあるのかもしれません.

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好きなことをしてそれで食べて行ければそれでいい?(人生10年周期説)

 「好きなことをしてそれで食べて行ければそれでいい」ってよく言いますよね.私も全くその通りだと思います.私は仕事に関してはそれ以上は要りません.例えば,小さい頃野球が好きでプロ野球選手になりたいと思って実際になれてそれで食べて行ければ幸せ(なはず)ですよね.私もそれほど極端?ではないですが,研究者(≒大学の先生)になってその道で食べていくという小さい頃からの夢(のようなもの?)を実現できたので幸せだと思わないといけないのだと思います.でもそもそも「好きなこと」って何ですかね?

 「好きなこと」を「やりたいこと」と言い換えると(好きならやりたいでしょうから)問題点?が浮き彫りになります.つまり「やりたいこと」が何かがわかっていればそれに向けて頑張れるわけで,それがよくわからないからみんな苦しんでるんじゃないでしょうか?上で野球が好きでプロ野球選手になれれば幸せ(なはず)と書きましたが,その過程はそんな単純なものじゃないと思います.苦しい練習をしていてもうやめたいと何度も思うでしょうし(思わない人も中にはいるでしょうが),ほんとに自分は野球が好きなのか?と何度も自問自答すると思います.

 そして皮肉にもそれを自覚するのは,怪我をしたり,自由契約になったりして野球ができなくなったときです.そういうときに「自分がいかに野球が好きか,野球がやりたいのかがわかった」と言う野球選手はとても多いです.ですからそこから復活すれば,一度死んだ人間は強いですから今まで以上に精力的に野球に取り組み,今まで以上の成績を残すこともあります.つまり「好きなこと,やりたいことで食べて行けている」のが幸せなのではなくて「好きなこと,やりたいことがある」のが幸せなんではないでしょうか?「好きなこと,やりたいこと」さえあれば今の世の中何とか食べては行けると思います.

 私の場合はどうでしょうか?ここでも書いたとおり,今の仕事に辿り着くまではかなり紆余曲折がありました.つまり,ずっと「好きなこと,やりたいこと」探しをしてきて,大学4年の春にようやくそこに辿り着いた,ということです.ですから,こうして考えてみると私は、大学に職を得て、研究者として食べていくのが夢だったので、その日は私にとっても間違いなく人生最高の日となりましたと書きましたが,そうではなく,私にとって人生最高の日は,やりたいことが見つかった大学2年の進振り〆切当日(^^;,あるいは,実際に研究室に入ってそれが期待以上のものであることを確認した大学4年の春だったのだと思います.

 ですが,そこが人生最高の日ということは,そこからは下り坂ということです.しばらくは目新しいことばかりですし,興味をもって精力的に取り組むものです.大学4年+大学院の計6年間はとても充実していました.就職してから1,2年も大学に職を得て、研究者として食べていくという夢が実現できたことで,何とかもちこたえていました.ですが,ちょうどその頃,大失恋をしたり,何をやるべきか見えなくなってきたり,外の仕事があまりに増えていっぱいいっぱいになったりしたのきっかけに急激に仕事に対する興味を失っていきました.だいたい大学2年の進振り当日から10年くらいですね.つまり,20代の10年間はとても充実していたことになります.そして,対照的に30代はまさに暗黒の10年間でした.まさに人生10年周期ですね.どんなに面白いことも10年もやれば飽きるものです.しかも面白いと思って頑張れば相当のレベルにも達します.でも上の方のレベルに来れば対数関数的にどんどん頭打ちになってきて横軸の割にはなかなか上達もせず苦しいですし,そこから更に上のレベルに行くのは並大抵のことではありません.

 それを抜け出すきっかけになったのは(ていうか抜け出したのかな?),1999年に起こった台湾集集地震でした.この年の9月に私の上司であった南忠夫先生が亡くなり,茫然としているときに,纐纈先生が東京都の調査団から話が来ているからいっしょに被害調査に行かない?と誘ってくださいました.その頃は,日本でもようやく強震観測点網が整備され,台湾でも多くの強震記録が観測されて,地震動と実際の地震被害の対応性を検討できるデータが獲れ始めたばかりでした.これをきっかけに地震が起こっては強震観測点巡りをして周辺の被害調査を行うという調査スタイルを確立?して,その後たまたま地震が頻発するようになって,被害調査に奔走するようになりました.またそういうデータを活用して,地震動の性質と建物被害の関係について検討し,被害と対応する震度算定法を提案することになりました.

 ほぼ時期を同じくして高校からの友人である建研の福山君とJCIの大会の夜(確か宮崎だったか)で「折角同じ分野で仕事してるんだから何でもいいからいしょに仕事しよう」と話をして,そして,提案する震度算定法の基になる地震動の性質と建物被害の関係の概念を振動実験で証明するために必要な簡易振動実験を実現するための技術を福山君がもっていて,これについていっしょに共同研究をするようになりました.そして,筑波大の公募に応募して幸いにも採用されて現在に至る,です.人生10年周期説によると今の40代は充実した10年ということになります.というか,まだ半分も過ぎていないのでそうできるかどうかは私次第です.そしてそうできるだけの「材料」は充分に整っていると思います.暗黒の30代は,一言で言えば無気力だったのですが,なぜ無気力だったかというと「何をしていいのかわからない」からだったと思います.

 今は何をするべきかは割とはっきり見えていると思います(少なくともあと5年くらいは).でも「好きなこと」「やりたいこと」というのとはちょっと違うような気がします.「やるべきこと」と言った方がいいかもしれません.でも「やるべきこと」があるのはやはり幸運と言うべきでしょう.「こんなことやっていていいんですかねー」「いーじゃない,こんなことやってて給料がもらえるんだから」とゆーような会話をしていた人(おそらく筑波大の先生)も,好きなことをしてそれで食べて行けていてそれだけで幸せ,というわけではないからこそそういう会話が出てきたのだと思います.

 他に「やりたいこと」が見つかったら,今もっているものを全て放り出して,トイレ共同風呂なし家賃3万のアパート暮らしがしたいと書きましたが,少なくとも今取り組んでいる上記の2つの大きな研究テーマを一通り終えるまではやめるわけには行かないと思います.おそらくあと5年くらいはかかるでしょうから,そこでまた10年一区切りということになるのでしょう.人生10年周期説によると50代(があれば)は「負の10年」になってしまうのですが,そうならないように「次のやりたいこと」探しもしていこうと思います.というか,やっぱその前に40代をちゃんと「正の10年」にすることが先ですよね.

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3/21'06

 いやー,WBC勝ちましたね.WBCはいろんな言われ方をされてますがとにかく世界一です.でも少なくとも,これまでのあらゆる野球の世界大会の中でメジャーリーガーの初参加も含めて最もプロが多く参加していて,これまでの中で真の世界一を決める大会に最も近いものであることに間違いありません.でもほんとすごい試合でした.緊張感がひしひしと伝わってきました.向こうとこっち(観客と選手とどっちになる?)ではないですが,観客でよかった(^^;.でも選手は観客より100倍苦しいでしょうが,勝ったときの喜びも100倍大きいと思います.

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 昨日書いた好きなことをしてそれで食べて行ければそれでいい?(人生10年周期説)なんですが,書きながら,あるいは,書いた後もどうもすっきりしなくてその後ずっと考えています.私にとって「考えること」は「書くこと」です.もちろん頭の中だけで考えることもありますが,それでは堂々巡りになることが多いのでそういうときは「書きながら」考えます.つまり,この文章も考えがまとまってから書いているのではなくて,とりあえず書き始めています.書きながら考えている(考えながら書いている)うちに,考えがまとまってくることが多いです.でも昨日は結局,書きながらも書き終えてからもまとまらないままでした.このコーナーをずっとご覧になってる方の中には昨日の文章はいつもと違う印象をもたれた方もいらっしゃると思います(そう思った人は鋭い(^^;!).

 さて「好きなことをしてそれで食べて行ければそれでいい?」かですが,まあそれでやって行ければラッキーだと思いますが,なかなかそうも行かないという気がしています.私は今の仕事はそういう感じで始めましたし,最初は実際にそうでしたが,この世界に入って20年以上にもなるとそうも行かなくなってきます.やることをそれこそ10年ごとに変えて行ければいいのでしょうが,それだとまた0から修行になりますし,自分はそれで楽しいかもしれませんが,自分が楽しければそれでいいというものではありません.

 つまり,その辺の意識がやはり変化してきてしかるべきということだと思います.自分のために頑張れるのは30までですから,それを過ぎれば「好きなことをしてそれで食べて行ければそれでいい」ということはないのだと思います.今の私も,自分のことだけを考えれば,他に「やりたいこと」が見つかったら,今もっているものを全て放り出して,トイレ共同風呂なし家賃3万のアパート暮らしがしたい,とは思いますが,そんなことをすべきとは思えません.少なくとも20年はこの世界で仕事をしてきて,普通の人よりは地震被害を減らせる知識や能力をもっているわけですから,それを活かすことが私の「役回り」なのだと思います.

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 今日は筑波大バドミントン部の追いコンでした.私がつくばに来て筑波大バドミントン部の練習に出るようになって3回目の卒業生です.3回目と言うことは3年いっしょに練習してたわけでいろいろ思うこともあります.でもここ1年どんどん私と筑波大バドミントン部の関わりも少なくなってきて,こんなときだけ偉そーに話をするのも気が引けたのですが,20年前,私が追い出されるときに炭谷さんが一人一人に言葉をかけてくれてそれがとても印象が残ったので,私も去年同様一人一人に「贈る言葉」を贈りました.でも,うーん,なかなか難しいですねー.もうやめようかな.もちろん,人の意見は人の意見なので,一度耳を傾けて最終的にそれを聞き入れるかどうかは自分の判断,ということは付け加えましたが.まあやっても来年まででしょうね.

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3/25'06

 なんか忙しくてばたばたしていたら,少し更新が滞ってしまいました.特に当座の書くことがなかったということもありますが,貯めている書きたいことは沢山あるので,書く意欲が少し減退してきたのかもしれません.まあいずれにしても書きたければ書く,その気にならなければ書かない,で行こうと思います(^^;.

 それにしてもまだWBC騒ぎ?が続いていますね.もちろん日本が優勝したことに何の文句もつけようがないですが,冷静になって考えみると,とてもラッキーだったと思います.少なくとも韓国とキューバは普通にやれば勝てる相手ですから,メキシコがアメリカに勝った(でもやはりこれが大きかった)時点でほぼ優勝は見えていたことになります.決勝トーナメントで当たるとしたらドミニカ,プエルトリコ,ベネズエラ,アメリカの方が厳しかったと思います.ちなみに川崎が「神の右手」と言ってますが,使い方を間違っています.それだとほんとはアウトだったということになってしまいます(多分マラドーナの神の手に引っかけてるんですよね).

 でもやはり野球はピッチャーですね.韓国があれだけ好成績を残したのもピッチャーが頑張ったからです.日本の打撃陣ももちろん素晴らしいですが,上原,松坂の2人は世界でもトップレベルだと思います.ほんとにメジャーに行かせてあげたいです.WBCの優勝で野球を世界に広めるとか言っておきながら,結局はペナントが始まれば日本のプロ野球優先になってしまいます.制度で無理矢理縛ったり年俸で釣るのではなく,ここでプレーしたいという魅力あるチーム(含む観客や球場の雰囲気)にするのが本来の姿でしょう.それで引き留められないのなら潔く出すべきです.メジャーはレベルが高いということもありますが,球場や観客のの雰囲気が全然違います.アメリカは今回WBCで負けたし誤審騒動もありましたが,やはりベースボールの母国だと思います.

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3/26'06

 今週末はC級検定でした.C級検定は準指検定より更に説明が必要ですね(^^;.C級検定というのは,準指以上が受けることができる「検定するための資格」の検定です.これを取得するとバッジテストの級別テストの検定員をすることができます.つまり,1級を検定することができるわけです.個人的には別にそんなもん必要ない(^^;んですけど,クラブで「取っておくように」と言われたので(^^;.クラブ内でバッジテストをやることもありますし,第一,準指はクラブから受けさせてもらうものなのです.でもまあ一応普通は準指を取ったらすぐにC級を取っておくものです.C級の上にはB級,A級とあって,B級は正指に対応したもの,A級となると全日本技術選のジャッジというレベルです.普通はB級C級検定が同時に行われます.

 ただ,茨城ではもうやらないということで,栃木県連盟の主催する検定会まで行ってきました.でも場所はハンターなので米沢より全然近い(^^;.ていうか,ハンターってつくばから一番近いまともなスキー場で,しょっちゅう行ってるし.ただ,茨城から受けに来てたのは私だけでした.しかも「雪あり県」ということで,スキー学校の先生とかいっぱい来てるし,B級検定には全日本技術選に出たのとかいるし(^^;,私なんかがいるのは場違い?

 初日の午前はまた(^^;学科です.でもまあ準指同様勉強したのは1時間くらい?I田さんがB級の模擬問題集を送ってくれたので助かりました.でもI田さん!教程からは出ないって言ってた?けど半分は教程から出てたよ!茨城でいっしょに準指に受かったO場さんが準指受かって学科忘れないうちにC検取っておいた方が楽と言ってましたが(彼は実家が宮城なのでそっちで取ると言ってました),それに救われ?ました.でも6割なんでまあ楽勝でしたかね.

 午後から実技検定です.何をやるのかというと,実際に行われる検定会でジャッジングをします.そして,大雑把に言うと的中率が70%以上ならOKとなります.まずびっくりしたのは検定会はテク・クラでした(T_T).1,2級じゃないの?BC級いっしょにやるにはそうなるのかな.まあテクなら受けてる受検者は「1級」なのでまだわかりますが,クラウン受けてる受検者は...みんな上手いよー.しかも今回はレベルがかなり拮抗していて非常に難しかったと思います.主任検定員の方も「もう何十回もテク・クラやってるけど今日のが一番難しい」と言ってました.そんなー(T_T).

 でも見るとやっぱりわかりますね.テク受けてるのはみんな「1級」なんで,ほとんど「下手」です(^^;.特に大回りなんか,天気良くて雪が緩んでスピード出ないのに,外向傾作ってずらして滑ってくるのなんか何やってんの?って感じです.おっ,と思うのは1人2人だったでしょうか.でもさすがにクラウンはみんな上手かったですねー.やっぱり「上手い下手の境目」はこの辺にあるんでしょうかねー.でも並べてみると優劣はつきます.

 2日目は実技講習です.まあ普通の講習です.でも今までの準指の養成講習からいきなりレベルが上がってびびった(^^;.しかもみんな上手いし.でもとても勉強になりました.小回りを主体にやったのですが,内足トップで入って内足テールで抜けるというのをやって,講習が終わってしばらくそれで滑っていたらまた小回りの違う感覚が出てきました.そうそう(^^;.結果は合格でした.まあほとんど受かりますけどね.

 今回はハンターに日帰りではなく1泊(+前泊)で出かけるということで,試しに西那須野のビジネスホテルに泊まってみたのですが(ほんとは塩原温泉に泊まりたいけど1人で泊まれる宿がない),周りは結構町中で晩飯を食べられるところやコンビニもいっぱいあるしなかなか快適でした.来年からこのパターンも使おうと思います.スキー場的にはハンターはガーラ,石打より雪も固いし練習バーンが充実していて私は好きです.特にコブ斜面がコブがでかくて固くて,でも斜度はそんなになくてとても練習になります.来シーズンから何と!シニア券(45歳以上)とゆーのも使えます(^^;.来年からガーラ,石打よりこっちをメインにしようかなと思っています.

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 「国家の品格」という本が売れているようですね.ベストセラーになったということは大したことは書いてないのでしょうから全く読む気はありませんが,著者の藤原正彦さんのエッセイは昔(中学生の頃くらいかな?)読んだことがあります.確か「数学者の言葉では」というタイトルでした.とても面白かったです.少なくとも当時はそう思いました.彼は新田次郎の息子だけあって?(確かこの本の中にそういうことも書いてあった)文章はとても上手いと思いました.

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 このコーナーを読んで,私のホリエモンに対する評価を誤解している人が何人かいるようなので,ここでもう一度ちゃんと?整理しておこうと思います.結論から言うと私は別に彼を逮捕前から評価もしていませんし,特段興味もありませんでした.ただ,フジテレビ騒動のときにルールを守っているのに非難されるのはおかしいと擁護しただけです.ここで言うルールとは資本主義経済です.そして私はこの資本主義経済自体を評価していません.でもルールはルール(悪法もまた法なり)ということです.更に逮捕されたのはそのルールすら守ってなかったわけですから何をかいわんやということです.彼の「お金で人の心は買える」という発言も,まあ彼なりの「わかりやすい」表現だったのでしょう.もちろん私は「お金で人の心は買える」とは全く思ってません.ただ「お金があればそれでいい」という人も世の中にはいるようですから,「お金で買える人の心もある」ということにはなるんでしょうね.

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3/27'06

 地震研時代はものすごい数のスパムメールが来ていたのですが,筑波大に来てメルアドが変わったのを機に気をつけていたのでずっとスパムメールが入らない平和な日々を送っていました.ところが!最近入りだしたので私のメルアドで検索をかけてみました.すると大学院のシラバスなどいくつかヒットしてしまいました(T_T).もちろんすぐに削除,あるいは削除してもらうように頼みました.あーでももう手遅れかもしれません.メルアドをウェブ上にテキストで載せている人がほんと多いですが,スパムメールを送って下さいと言ってるようなものですよ.自分は気をつけていても知らないうちに勝手に載せられている(地震研時代がそうだった)場合もあるので気をつけないといけません.

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 何人かの方から内容別リンクがわかりにくいということで整理しました.と言っても基本的に1行1タイトルにしただけですが(^^;.今までは1つの画面にできるだけ入るようにぎゅうぎゅうに詰めていたので却ってわかりにくくなっていたかもしれません.でも当然のことながら縦に長くなってしまいました.でも各ページの長さはこんなもんじゃないですから(^^;まあいいですかね.まだ月別ファイル(旧ちょっと思ったこと)へのリンクは貼り切れていないのでぼちぼち貼っていこうと思います.最終的にはこのページを見ると私が何を考えているかがわかるようにしたいと思っています.

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3/28'06

 小学5年生から英語を必修にするとか言ってますね.英語がしゃべれたらいいということに異論を挟む人はあまりいないでしょうから,問題は中学から始まる英語を2年前倒しすれば英語がしゃべれない日本人が英語がしゃべれるようになるのかということですが,私は全くそう思いません.つまり英語を勉強し始める時期の問題ではなく,日本の英語教育の問題だと思います.中学高校と6年間勉強して全くしゃべれないものを2年早く8年間勉強してしゃべれるようになるわけがありません.小学生でも楽しくできるく会話中心の授業をやれば,という意見もありますが,これもだめでしょうね.実は私は小学生のときそういう塾(のようなもの)に行っていましたが全く効果はありませんでした.先生は領事館に勤めておられる方で発音は完璧だったし先生の問題ではありません.楽しく遊びながら片手間?に勉強して英語がしゃべれるようになるほど甘いものではありません.語学は膨大な量の「記憶」なのですから.

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3/29'06

 今日は工藤先生の退官記念講演会,パーティーでした.参加者200人以上のものすごい盛会で,しかも日本の著名な強震動研究者がほとんど全員集合していて,ここに爆弾が落ちてきたら(^^;日本の,いや世界の強震動研究は20年は停滞するんじゃないかと思えるほどでした.私にはこの手の停年退官記念パーティーには苦い思い出もあるのですが,工藤先生が停年退官まで勤め上げられたことはやはりめでたいことだと思います.

 でもこういうパーティーって「怖い」ですね.というのは,その人のこれまでの業績が白日の下にさらされるわけです.工藤先生のように世界的な業績をあげられていれば堂々と胸を張っていいわけですが,そうでなければ逆に厳しいものがありますよね.

 パーティーのあと地震研時代のメンツで終電まで飲んでました.こういうメンツで集まれる機会ももうなかなかないかと思うとちょっと寂しい感じもします.地震研に行ってももう工藤先生がおられないというのもちょっとまだ信じられない気分です.明日,1日中地震研で工藤先生が委員長の地震工学会の特集号の論文編集委員会と強震データベースの委員会なんですが,それが地震研で工藤先生とお会いする最後ということになってしまいそうです.

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3/30'06

 久しぶりの地震研です.もう新館が完成していました.


 左が新館,右が旧?館です.地震研なので大地震時に災害拠点として重要ということで(それがそもそもの新館の建設動機にもなってる),免震かつ上部構造も免震による耐力の低減を行っていないという非常に耐震性の高いものになっています.ちなみに新館の左は東大球場です.私が学生だった頃,助手のH川さんが野球部のマネージャーとつてがあって(六大学野球のチケットがよく研究室の黒板にぶら下がっていました),ここで何回か野球の試合もやりました.人工芝球場で昔ここで筋肉番付(だったかな?)の収録が行われ,昔ライオンズにいたデストラーデやシカゴカブスのサミー・ソーサなどが来ました(もちろんカメラ片手に見に行きました(^^;).

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 昨日の工藤先生の退官記念講演会+パーティーですが,私にとってこれまでのそういうものとはどこか違う,というか,かなり違うような印象を受けました.中身はこれまでのものとさほど変わらないと思うので,印象を受ける私の側の変化かもしれません.どういう風に違うかというと,これまでは定年(停年)で書いたようにとてもネガティブな印象をもったのですが,昨日は何か違った.停年まで勤め上げられてすごい仕事を成し遂げられて,達成感や充足感を感じておられるように見受けられて,私も定年になるときに(そこまで勤め上げられればの話ですが)そういう気持ちになれればいいな,いや,そうでなければならない,少なくともやるだけのことはやったと思えないとあまりに虚しいのではないかと強く感じました.

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 「小学5年生から英語を必修にする」の続きですが,メディアでもやはり批判的な意見が多いようですね.確か山田吾郎さんだったと思うのですが,英語は道具であって,小学生が実際に英語を使う機会もないし必要もないのに上手くなるはずがない,という意見が出ていて私も全くそう思います(思っていました).ただ,この辺に関しては少し考え方が変わってきました.

 「使わない」という点に関しては,数学(算数)や理科,社会などの他の科目も同じですよね(^^;.じゃあなんでやるのかということになると別の議論になるのでそれはとりあえず置いておいて,やるならどうやったら英語が上手くなるのかという観点から考えると,「必要だから」よりは「それそのもが面白いから」というのがやる気3要素的には効果があることになります.つまり報酬(英語ができるようになる),あるいは,人との繋がり(10億人としゃべれる(^^;)ではなく,内的熟達(英語の勉強そのものが面白い)です.

 私も英語の勉強に「のめり込んだ」ときがありました.中学1,2年くらいの時です.何にのめり込んだかというと,「こういう表現は英語だとどうするのか」という純粋な興味で,次々に出てくる「新しい表現」が知りたくて知りたくて参考書を買ってきて自分でどんどん先の方まで勉強していました(学校の授業中に見つかって何度も怒られました).中学1年で中学で勉強するところは勝手に終わっていたと思います.そんなことしても試験にすら出てきませんから「報酬」は全くありません(一度,森田修学館で先生が間違えてまだやってないところを問題を出して,私だけができて驚かれて気持ちよかった(^^;ことはありましたが).でもほんと楽しかったし,当然のように英語は大得意科目でした.

 でも「のめり込んだ」時期は1年くらいしか続かなかったので(私の場合いつもそんな感じなんですよねー(^^;),別の例をあげると,「奇跡の英語」の著者である長崎玄弥さんという方をご存じの方も多いと思います.彼は全く海外に行くこともなく自分で勉強を重ねて英語を極めたという経歴?の持ち主で,まさに英語そのものの面白さにとりつかれて上達した例ではないかと思うのです.

 ですから,使わなくても,役に立たなくても(^^;それそのものが面白いと思えればそれがやっぱり一番楽しいし,上達の早道だと思います.ただそれがやっぱり難しいんですよね.ただ,面白さは面白いと「思う」ものではないので面白さを「見出す」ものなので,面白さを見出す努力をすべきということでしょう.もちろん「英語がしゃべれた方がいい」というのを前提とするのであれば,ですが.

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