1/1'06

 年が明けましたね.今年もよろしくお願いします.ただ新年早々何ですが(^^;,大晦日と正月の境目って人が作った「人為的」なものですよね.まあ時間を肌で感じるのはなかなか難しいので,1年を振り返ったり,気持ちを新たにしたりするためにそういう区切りを人為的に作るのは悪いことではないと思います.そういう意味では,時間の単位はいろいろありますが,人為的でないものは,地球の自転と公転で決まる「日」と「年」だけですよね.「日」は夜明け,日暮れなど一応境目があり,何より人間は睡眠をとるので(時々取らないこともありますが(^^;)明確な区切りがありますが,「年」にはありません.

 「月」も一応月が地球を一周する時間ですから,人為的なものではないですが,月の満ち欠けで時間を感じる余裕は現代社会にはとてもないですね.ただ,月の引力の影響は人体に微妙に影響を与えるようで,女性の生理もそうですが,それ以外にもいろいろあるようです.記録をつけた人がいて,例えばいつも月の前半は調子いいが後半は悪いとかいう傾向があったそうです.でもやはり女性の方が敏感でしょうねー.

 自然現象から決まった日,月,年という時間の単位と比較すると異質?なのはやはり「週」でしょう.その由来についてはここにありますが,ややこじつけに近く(Wikipediaがではなく,週の作り方が),まあ7日に1回お休み,ということなんでしょう.そして,それは我々の休みたくなる感覚的なものと上手い具合?に調和していて,実はこの「週」という単位に我々はかなり依存しています.私の場合は,講義や学生実験がある日は何曜日の何限とか,バドミントンの練習に行く日は何曜とかいう感じです.ただ土日が「安息日」でないのが...(^^;.

 ですからほんと?の意味での時間の単位と言えるのは「日」だけかもしれません.よく「その日その日をしっかり生きる」とか言ってる人がいますけど,それはとてもよくわかりますし,そういう風にやっていけたらほんとに充実した日々が送れるでしょう.私もそれが目標ですが,目標には遥かに及びません(T_T).どこかで書いたかと思いますが,私は「今日の調子」をずっと記録しているのですが,「今日はいい日だったな」という日はごくたまーにで,一方「今日はだめだった」という日もありますが,大部分は「まあしょうがないか」という日(だいたい「自分のやりたい仕事」でない仕事で終わってしまった日)です.

 でもほんと今日はよく仕事して充実した一日だったなー,と思って夜布団に入るときは至福の時です.そういう日はほぼ例外なく「自分のやりたい仕事」ができた日です.人間は労働をすると快感を感じるようにプログラムされている(「純粋な喜びの一つは勤労後の休息である」(カント))からですね.私が卒論,大学院生時代とても幸せだったのは,毎日「自分のやりたい仕事」が思う存分できていたからでしょう.ですから今,卒論や大学院で頑張ってる人は,一番頑張れるときですし,思う存分「自分のやりたい仕事」をやって欲しいです.

 確か亡くなった小渕元首相の座右の銘?が「一日一生」だったと思います.彼は別に特段尊敬していたとか注目していたとかいう人ではないのですが(^^;,この座右の銘?は不思議と頭に残っています.まさにその日その日を一度限りしかない人生だと思って一生懸命生きたんでしょうね.でもいくらなんでもそれではちょっとしんどすぎる気もしないでもないです(それが理由で亡くなられたというわけではないでしょうが).私の目標は上で書いたように「その日その日を充実した日にする」ことですが,目標はあくまで目標なので(^^;,記録をつけて時々振り返って「まあこんなもんかな」とか「まあいっか」とか思えるくらいならよしとすべきでしょう(実は私の座右の銘?の1つは「まあいっか」です(^^;).もちろん目標は高い方がいいのは確かですが,目標があまりに達成できないことで気分が悪いのは嫌ですし,そういうことはパフォーマンスの低下に繋がってしまいます.要はできる範囲でできることをやる,つまり自分がどこまでできるかを把握し,「その範囲で限界までやる」ということですね.でも最近は「まあいっか」というレベルにも達していないのでせめて「ほんとに」「まあいっか」と思えるような年に今年はしたいです.

 でも,一日を一生と思って,ではないですが,ほんと今日はよく仕事して充実した一日だったなー,と思って夜布団に入るときに至福を感じるように,死ぬとき自分の一生を振り返ってそんな風に,つまり,充実したいい人生だったなーと思いながら死ねたらいいでしょうねー.まあそれが人生の目標のようなものかもしれません.そのためにはやはり日々の積み重ねということになります.眠ることはまあ一度死ぬようなこと?だし(逆に言えば一生を終えて死ぬことは一日が終わって眠るようなこととも言えます),ひょっとしたら目が覚めずほんとに死んでしまうかもしれないし(30代の苦しかったときはほんとに毎晩どうか目が覚めませんようにと思いながら寝ていました),その日その日をしっかり,でもあまりしんどくなりすぎない程度に生きていけたらいいですね.ということで,なんとなく書き始めた文章でしたが,いつの間にか(^^;年頭にふさわしい?内容になってしまいました(^^;.

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01b

 広島大の神野が東京に来てて(帰ってて),ちょっと飲みませんか,ということで上野で飲んできました.彼の実家(蒲田)とつくばの(時間的)中間地点を調べると何と上野でした.東京にいた頃は正月はだいたいスキー場にいたので,久しぶりの正月の東京でしたが,人がちょっと少ないかな,というくらいで別段いつもと変わった感じではなかったですね(^^;.彼は震度算定法の共同研究者の1人でその研究打ち合わせも兼ねていましたが,それはさっさと片づけて(^^;有益な情報交換?に移りました(^^;.

 ということで今日は別段何か仕事をするというわけでもなく一日が終了してしまいました(が正月くらい「まあいっか」(^^;).昼間ちらちらテレビを見ていたらお笑い芸人全開ですねー.今,お笑いブームって言われていますけど,「お笑い」ってブームにしていいんですかね?「笑う門には福来る」と言われるように笑うことはとても大事なことで,文化まで行くかどうかはともかく少なくとも「芸能」の中で一翼を常に担い続けるだけの価値のあるものだと思います.それをブームだと言って必要以上に煽ってしまって,「お笑い」ではなく「お笑い芸人」に飽きてしまうことで急速に熱が冷めてしまうのは勿体ない話です.1990年代のイカ天を契機としたバンドブームがそうでした.イカ天は深夜枠で細々とでいいですから続けて欲しかったです.そういう意味では今のお笑いブーム?も必要以上にお笑い芸人を登場させるのではなく,「エンタの神様」だけでもいいですから細々とでも続けてもらいたいですね.でもお笑い芸人が本来のお笑いではなく,歌を歌ったり,フィーリングカップル5対5とかやってるのを見るとちょっとやばい雰囲気を感じます.まあお笑いブーム?は1980年代にもありましたから,同じ轍を踏むかどうかの学習能力が問われるところです.

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1/3'06

 気がついたら明日からもう仕事始めですね.まあ私は年末年始もだいたいずっと仕事してたのであんまり関係ないですが(^^;.でも思ったほど進まずちょっとやばいですねー.来週からは手帳(実際はパソコン上の1つのファイル)真っ黒なんで(T_T),今週中になんとかしないとまた来年?てことはいくらなんでもないでしょうが,ちょっとやばいです.

 今日は父の命日でもあります.亡くなったのは,私が高校2年の1979年でしたから,27年も経ったことになりますね.ここでも書きましたが,だんだん父が亡くなった年齢(48)に近づいてきたなーと思います.思い返してみれば,父は私の年齢のときは,既に何度か吐血をして胃を何分の1かに切っていて,でも私はまだどこも何ともないのでそれはほんとに感謝しないといけないことです.でも昨日初打ちでいきなりシングル5ゲームもやったら今日はさすがに腰が痛いです(T_T).

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 駅伝って日本で生まれた競技って言われてますけど,なんかいつ見ても悲壮感漂います.「1つの襷をみんなで繋ぐ」って言われてますけど,実際には全く逆で,究極の引き算(実際には掛け算)ですよね.だって普通の団体戦は誰かが失敗しても誰かがカバーすることができますが,駅伝は誰か1人がブレーキ(律速段階)になってしまうとそれでほとんど負けが確定する(掛け算だと誰か1人が0だと他がどんなに頑張っても全体では0)からです.そういう場面を何回も見てきましたし,今日もありましたね.とても見てられないですし,そういう立場になってしまった人のことを考えるといたたまれないです.

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 私は今,職場から車で10分くらいのところに官舎に住んでいます.世の中には満員電車で通勤しておられる人も多いでしょうから,格段に恵まれた環境だと言えますが,実は大学に入って東京に来てから20数年の中では今一番通勤(通学)時間がかかっています(^^;.大学時代は駒場に,大学院時代は本郷に,地震研時代は本郷,西片に住んでいましたから,自転車でだいたい2,3分,一番近かった大学院時代は正門から120歩(^^;くらいだったので,自転車に乗る必要もないほどの距離でした.ですから今は通勤が結構苦痛(^^;です.

 とかいうとほんと怒られそうですが(^^;,何が苦痛かというとつくばでは東京のように大学のすぐ近くに夕飯が食べられるところがあまりないので,夕飯を食べに一度家に帰ります.そこで一息つくとまた学校に出てくるのが結構億劫なのです.もちろんだいたいの仕事はノートパソコン1台あればできますし,自宅にはADSLを引いていてインターネットにも繋がるので夕飯後自宅でも仕事はできるのですが,何か資料や文献が必要になることもあり能率的に今一です.というか,夕食後どうするか,また学校に出てくるか,そのまま自宅で仕事をするか「決まっていない」というのがどーにも落ち着きません.

 ということで,当分の間,夕食後また大学に出てくることにしようと思います.自宅にADSLを引くまではだいたいそうしていました.別にここで「宣言」してもしょうがないのですが(^^;,「決まっていない」のがどーにも落ち着かないので「決めて」みて落ち着くかどうか試してみるということですかね.そもそも今年は卒論がみんなほんとやばいので,そうせざるを得ないということもあります.

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1/4'06
気分の悪さ

 理由もなく憂鬱になることはないですか?例えば,嫌なことがあったとか,借金で首が回らないとか,明日から仕事とか,失恋したとか,そういう思い当たるふしが「何もない」のに,ただとても気分が落ち込む,というような...私は時々そういう「気分の悪さ」に悩まされます.人生の空しさや無意味さを感じるのもそういうときです.そういうときは,自分にとって様々な「人生薔薇色」の状況をどんなに思い描いても心が全く動かずただ空しさを感じるだけです.

 こういう状態になるのは,思い当たるふしというか原因がないので(実はあるんですが(^^;),そういう「気分の悪さ」を解消する手だてがなく,ただじっと時が過ぎてそういう状態が解消するのを待つしかありません.もしいくら待ってもそういう状態が解消されなければ鬱病ということになるのでしょう(私は幸いそこまでは行ってませんが).人が「特に理由もない」のに自らの命を絶つときってそういうときなのではないかという気がします.

 そういう「気分の悪さ」は,嫌なことがあったとか,借金で首が回らないとか,明日から仕事とか,失恋したとかの「外部要因」が原因ではなく,脳内物質セロトニンが不足しているという「内部要因」が原因です.ですからほんとに「人生が無意味」なのではなく(でもある意味そうですが(^^;),有意義に感じられなくなっているというだけ,ということがわかっているので,そこでほんとに人生に絶望することは何とか思いとどまることができます.

 どういうときにそういう状態になるかはだいたい傾向があって,まず,時間帯は早朝(早起きしたとき,あるいは,夜遅く(朝早く)まで仕事したとき)です(私が早起きが苦手なのはそういうことが理由なのかもしれません).そして最近ちょっと頑張り過ぎたかな,と思うときですね.「気分の悪さ」以外の特徴としては,睡眠欲,食欲,性欲の「三大(本能)欲」が減退することです.私は普段どんなこと(外部要因)があっても,これらの「三大(本能)欲」がなくなることはほとんどないので,これらの「三大(本能)欲」が減退すると「あー来たな」とすぐわかります.

 そういう「気分の悪い」状態になるのには,ちゃんと理由があって,これ以上頑張ると体を壊すので,頑張れないように気分を落ち込ませるというメカニズムが働いているという説もあります.ですからまあ自然なこととも言えます.でもこの「気分の悪さ」はとても辛いので,できれば感じたくないものです.ということで,私はできるだけ頑張りすぎないように気をつけています.でも〆切の嵐でやらなくてはいけないというときも当然ありますので,そういうときはほんと辛いですねー.そしてそれが続くとそういう状態から回復できなくなり,鬱病などを発病してしまうのかもしれません.

 実は昨日(正確には今朝),ちょっと頑張りすぎて,溜まっていた仕事(自分がやりたい仕事ではなく,いわゆる「頼まれ仕事」)を一気に片づけて,早朝3時頃車で家に帰ってくるときに久々にそういう感情に襲われました.車を運転しているときにそうなるのはちょっと危ないですねー.東京にいたころもそれこそ夜中の3時頃,車が通り過ぎる横を自転車で帰宅しているときも同様の「危険」を感じました.

 こういう「気分の悪さ」を回避する方法ですが,まず,そういう状態になって人生に絶望してしまったら,それは一時的にそう思うだけだと言い聞かせてしばらくじっと耐えるしかないですね.間違ってもそこで命を絶ってはいけません.そして休めれば休むに越したことはありません.

 もしそういう状態になってしまったらじっと耐えるしかないですが,そうならないようにできればそれに越したことはありません.それにはやはり上で書いたように頑張りすぎない,ということでしょう(これがなかなか難しいんですけどね).あとは,セロトニンの前段階物質であるトリプトファン(アミノ酸)などを摂取することですかね.これは効果のほどは今一確信がもてないのですが,気がついてみたら最近イタリア出張で懲りて取り始めたアミノ酸を摂っていないことに気がつきました.ただアミノ酸の摂取は空腹時が原則なので,摂るタイミングを逃しやすく,それが結構厄介なんですよねー.

 私の場合は,仕事以外にもいろんなことを結構まじにやっているので,気分転換にはなっているが,「休息」にはなっていないということもあるかもしれません.ですから,ほんと心休まる趣味探し,あるいは,心休まる「何か」が必要かもしれませんね.

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 ここで書いたように,10日ぶりにまた(^^;T大バドミントン部の同期(+1つ下1名)で飲んできました.昨日からあんまり精神的に調子がよくないので結構気が重かったのですが,M田曰く(^^;「朋あり遠方より来る」ではないですが,今ブラジルにいるK野が2年ぶりに一時帰国するということで,頑張って(後で反動が来なければいいが...)行きました.遠方という意味ではブラジルより遠方って地球上には存在しませんよね(^^;.飛行機に乗ってる時間だけで24時間くらいかかるそうです.

 住友三角ビルの50階でしたが(住友三角ビルって中が空洞になっているので「笛」として「鳴って」るんですよ(^^;.もちろん人間の耳には聞こえない「低音」ですけど.),TXの新御徒町で乗り換えると大江戸線が都庁前まで行ってくれるので結構楽ちんでした(^^).でも地上200mの展望レストランって,S造なのでT=0.03Hだと周期6秒なんで,関東平野で発生する長周期地震動の周期とだいたい同じじゃん(^^;.でも行く前は気が重くても行けば話も合いますし,楽しいものです.

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1/9'06

 ご無沙汰(4日ぶりなのでそうでもないか(^^;)しております.無理がたたったのか?(そんなに無理してるつもりもないのですが),一部の方が心配してくださったように(ありがとうございますm(_ _)m),今回も調子を崩してしまいました(T_T).今度は精神的なものに始まってとうとう体調まで崩してしまうという逆パターンでした.明日から講義というのに声がまともに出ません(T_T).なんかここんとここんなんばっかですねー.確かにハードスケジュールの連続ではありますが,そのくらいはものともせず(とまではいかないか(^^;まあなんとか)やってきたつもりなのですが,もう無理がきかなくなってるのでしょうか?精神的なものと同様に体調を崩すのもそれ以上頑張ると病気になるので休みなさいと体が指令を出しているということもあるのですが,調子を崩そうが体調を崩そうが休んでなんかいられないのがしんどいところです.年末年始も結局大したことはできず,明日からまた新学期とともにハードスケジュールの日々が始まりますし,卒論の方もかなり心配になってきました.

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1/10'06

 声がほとんど出なくなってしまいました.こんなことは初めてです.でも声が出ないとこんなに不便だとは...まず講義です.教室に入ると学生がなんかにやにやしていて,どうやら私のホームページを見たらしくラーメンがどうだこうだ言っています.いつもなら「そんなとこじゃなくてちゃんと研究のところも見ろよ」とか言って談笑?するのですが,声が出ないのでそんな気にもなりません(ていうかそもそもできないし).ていうかそんなことより,講義そのものが...一応始めてはみたもののほとんど声が出ず,学生も唖然としています.まじで代講も考えましたが,予定が詰まりすぎていてそれもとても無理なので無理矢理できるところまでやると言って始めました.そして無理矢理やりました.でもほんとしんどかった...声が出ないのでいつも感じで言うと大声で叫び続けてる状態でしゃべり続けることになるからです(それでもいつもの1/3くらいしか声が出ない).そして叫べば叫ぶほど喉を痛めて声も逆に出なくなってきます.

 3限と4限の間の束の間の休息中には電話がかかってきます.今度は某FテレビのARAR大事典で建物の桁行方向と梁間方向で揺れが違うのをデモンストレーションしたいということでしたが,最初相手の意図がわからず何度かやりとりしていてこれもしんどかった.でもこれって結構いいところに目を付けたなと思ったのですが,実際にはなかなか難しいでしょうね.なぜなら普通に模型を作ってしまうと,本来と逆の梁間方向の方が揺れるようになってしまうからです.また,桁行方向は揺れるから家具が倒れる方向を梁間方向にしましょうと言われても,やっぱり壁に沿って家具を置くのが普通なので地震という希にしか起こらない事象に対して,家具の配置を変えさせるのはきびしいでしょうねー.ということで,今回もあんまり乗り気ではないです...

 何とか講義も終わり,こんなんじゃほんとどうにもならないんで(今日は学生にはっぱかけようと思っていたのですがそれすらできません),病院に電話すると声が出ない...向こうは「もしもし.もしもし.」と連呼してます.必死の思いで時間をきいてとにかく病院に行くことにしました.でもほんとここんとこ体調崩しまくりで(健康だけ?が取り柄でこんなことは今まで全然なかった),ちょっと考えた方がいいですかねー.

 でもこんな状態でもやらなきゃいけないことはやらなきゃいけないわけで,ほんとしんどいです.しんどいときは何か「心の支え」が必要になります.「心の支え」にはこのコーナーでも書いているようにいろいろあるのですが(頑張ってるのは自分だけじゃないとか,社会の役に立ってる(かもしれない)とか),自分が愛する人以上のものはないでしょう.私の心の支えはもちろん妻ですが,最近ほんと会えなくてだんだん「エネルギー」がなくなってきました.実はこれは妻自身が言っていたことで,自分が相手のことをどんなに愛していてもそれだけでは燃料なしに飛行機が飛べないようにだんだん愛せなくなってくる,というものでした.というかそもそも私は妻の「心の支え」になっているのでしょうか?あー,いかんいかん気分も体調も落ちてくるとろくなこと考えませんね.ていうかこんなことここに書くべきではないのかもしれません.でも声が出ないとほんと表現する手段が「書くこと」だけになってしまうので,余計なことまで書いてしまうようです(あとで読み返して削除するかもしれません).

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 病院に行って来ました.大したことはなさそうです.でも熱はないと思っていたのに病院で測ってみると微熱がありました.それにしても去年の夏からもう3回も病院に行ったことになります.こんなことはもちろん生まれて初めてのことです.病院に行きながら,あるいは,待合室などでつらつら考えていたのですが,上で書いた「心の支え」ですが,誰かが自分の「心の支え」ってどういうことですかね?なんか違うような気がしてきました.誰かが心の支えになってくれるのではなくて,自分のことを心の支えにしてくれているということが自分の「心の支え」になるんじゃないですかね.私が妻のことを心の支えにできなくなってきたと感じてしまったのは,私の妻に対する気持ちがどうこういうことではなく,私が妻の「心の支え」になれていないのではないか,ということに気がついてしまった,ということのような気がします.そもそも私は誰かの「心の支え」になってるのでしょうか?

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 なんか悪いこと?ばかり書いているので(^^;,頑張っていいことも書くことにします.先日,このコーナーでプレーのことで再三登場している脇田から年賀状が来て(でも実は私は今年は喪中だったのですが(^^;),もちろんそれ自体も嬉しかったのですが,直筆でコメントが書いてあってその内容がとてもしっかりしていて嬉しかったです.そしてなぜ脇田が頑張れるかがわかったような気がしました.彼女は今の環境をとても恵まれていると認識していて(これがとても大事なことなんですよねー),そしてそれにとても感謝していて(これもとても大事なことです),なんとかその恩返しをしたいという強い気持ちをもっている,というようなことが書いてあったと思います(勝手にここに書いてごめん(^^;>脇田.でもとてもいいことだからいいよね).人間そういう気持ちになれたらほんと頑張れると思います.

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 決めたことなので,仕事をしようと大学に戻ってきたのですが,声が出ないので学生と話しもできませんし,「声を失ってしまった」ためか書くことに対する執着がいつもより強いようで,しかも,調子や体調が悪くとてもストレスを感じているので,いつもにもまして「饒舌」というか筆が止まらなくなってしまいそうです(このコーナーは私のストレス解消でもあるので(^^;).

 「声を失って」しまって,どういう感じがしているかというともちろん不便で仕方ないというのはあるのですが,「自分の声」という唯一無二のものを失ったという残念な気持ちは不思議とありません.もちろん回復するでしょうから永遠に失ったわけではないというのもあるでしょうが,やはり私は「自分の声」があまり好きではない,ということもあると思います.でも声って実はとても大事ですよね.そもそも声が出ないのですが,かろうじて出る声もいつもの自分の声とは全然違うのでなんだか自分が違う人間になってしまったような気すらします.

 声の重要性ですが,まさに歌を歌う場合は楽器そのものです.オペラ歌手は作られるものではなく,見つけるものだと言われています(短距離走者と同じ).実際,イタリアでは町中で声がいい人を探して声をかけて「オペラ歌手になりませんか?」とスカウトしているそうです.

 私が知っている一般?人で声がいい人で真っ先に浮かぶのはT大S研のM黒先生ですね(再三このコーナーに登場しているのになぜかここではイニシャル(^^;).あとは,T橋技科大のK本先生ですかね(あと何人かいたと思うがぱっと思い出せない).彼らに共通するのはやはり「歌が上手い」ということです.私は音楽をかなりやっていて小中高と音楽の成績は常にトップで評価も常に最高ランク(5段階なら5,10段階なら10,細かく項目に分かれていても全て最高ランク)で,ほんと数学とか英語なんかより音楽の方が数段得意だった(^^;くらいで,カラオケに行けば95点とか叩き出しますけど(^^;,声がいい人には絶対に勝てません.実際,私とカラオケに行ったことがある人で私のことを「歌が上手い」と思ってる人はそんなにいないでしょう(そこそこ上手いと思ってるくらいの人はいるでしょうけど(^^;).ですから自分の声にはかなりコンプレックスがあります.

 話は飛びますが,男性と女性の違いって何ですかね.もちろん体とか顔とか性格とかいろいろあるでしょうけど,私は男性と女性の最大の違いは声なんじゃないかと密かに(別に秘密にする必要はないですけど(^^;)思っています.体は女性でも男性並に鍛えている人もいますし,逆に男性でとても綺麗にしていて女性より綺麗なんて人もいっぱいいます.でも声だけはどうしようもないと思いませんか?とても綺麗な男の人が綺麗に化粧をして女装すればほんとにそんじょそこら(^^;?の女性より綺麗になりますけど,声だけはどうしようもないですし,女性でどんなに低い声が出せる人も男性ほど低い声を出せる人はきいたことがないです.男性で「ソプラニスタ」と呼ばれる岡本知高さんは相当すごいですが,でもやはり私からするとやはり男性の声です.

 ということで,声にコンプレックスをもっている私は「いい声」にとても憧れます.でも男性のいい声になりたいとはあまり思いません.それより女性の綺麗な声に遥かに憧れます.女性に対する憧れの中でも声に対する憧れがとても強いです.ですから声が綺麗な女性がとても好きです.妻の声も相当好きです.でも男性の場合はいい声かどうかって割とはっきりしますけど,女性の場合は男性ほどはっきりしませんよね.好みによって分かれるような気もします.私が好きな女性の声はなんとも説明が難しいですが,高くて透き通っていてちょっと甘みがある声です(説明になってないか).

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 何か,今日何度も書いている「心の支え」が気になってきました.そういうことは既にこのコーナーのあちこちで書いてますよね.例えば,私がまだバドミントンをプレーをしている心の支えの1つに松井さんの存在がありますし,去年の夏からまたプーナに行くようになって,T中AちゃんやO本さんやN嶋君が未だに頑張ってプレーしているのもとても支えになっています.

 なんかいきなりバドミントンをプレーする心の支えというのもなんなので(^^;,やはり仕事をする心の支えについて書いてみます.既に今日上の方で書いたように頑張ってるのは自分だけじゃないとか,社会の役に立ってる(かもしれない)とかはもちろんありますけど,ここんとこ,それこそここ半年くらいで新たに出現?した心の支えがあって,それはこれもこのコーナーで何度か(勝手に)書いたのですが,中学の時に1995年兵庫県南部地震に衝撃を受けて地震防災の道に入ることを決意し,実際その道に入って今大学院で頑張っているという人の存在です.実はその後そんな人が他にもいるに違いないと期待をもっていろんな機会で調査(^^;したのですが,彼女ほどの人は他には見つかりませんでした.それはそれでちょっと残念だったのですが,そういう人が1人でもいるのは私にとってとても大きな「心の支え」になります.そして,私もしっかりしなくては,という気持ちになることもできます.彼女にもほんとに頑張って欲しいです.

 しかしながら私は彼女に(ちゃんと)会ったことすらありません(^^;.メールのやりとりは何回かあって,地震被害を減らすために頑張りたいという気持ちは痛いほど伝わってきましたが,去年の建築学会大会で通りすがり?的に声をかけてもらってちょっと会釈のようなものをしただけで話をしたこともありません(とても興味があるのでいろいろ話をしてみたいのですが...).ですから,私が勝手に「心の支え」にしているだけであってそんなことは彼女は知る由もないでしょう.でもここで書いているようにそれはそれでいいのだと思います.そもそも「心の支え」ってそういうものですよね.

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 今日の夜7時のNHKニュースで耐震偽装事件を受けてのアンケート結果が報道されていました.なんと半数以上の人が自分の家は大丈夫と思っていて,耐震診断を受けたいという人は非常に少数でした.これらの結果はこれまでの調査結果の通りですが,残念というというか驚いたのは,耐震偽装事件が地震災害に対する危機意識に全く寄与しておらず,つまり,この事件が他人ごとというか対岸の火事としか受け止められていないということです.まさにこういう危機意識のなさが大きな地震被害に結びついてしまうわけです.ここでも書いていますが,耐震偽装されたマンションと同程度の耐震性能しかもたない既存不適格建物は日本全国に何百万棟もあります.

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 「心の支え」の続きですけど(執着しすぎ(^^;?),今年は喪中だったので年賀状がほとんど来なかったのはちょっと痛かったですねー.というのは,年賀状はもちろん印刷したものを形式的に出す人も多いですけど,直筆でコメントを書いてくれる人も結構多くて(私も必ずそうしています),その中に昔から私のことをよく知っている人が,「最近いい仕事してるよね」とか,「頑張ってるね」みたいな感じのことを書いてくれるととても嬉しくてそれこそ「心の支え」になるのです.

 年賀状のようなものがないとそんなことは普通は面と向かっては言わないものですよね.あー,でも去年の建築学会大会で,PDのパネラーを途中で抜け出して自分の発表に向かうときエレベーターでS大学東京のY村先生に「最近すごい頑張ってるね」と声をかけてもらったのも相当嬉しかったです.テレビとか新聞によく出るから活躍してるということではなく,ほんとにいい研究がどういうものかがわかる同業のしかもとても優秀な研究者からそういうことを言われたり,年賀状などにコメントしてくれたりするとほんと心の支えになります.しんどいときはそれを机の前に額に入れて飾っておきたいくらいです(^^;.それが今年はなかった.まあ去年大した仕事もしてない?からあんまり期待もできなかった?でしょうけど.

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1/13'06

 E-ディフェンス(正式にはこう書くらしい)の(およそ)実大の鉄筋コンクリート造建物の振動実験を見に行ってきました.ほんとは学生達をみんな連れていきたかったのですが,卒論がやばくてとてもそんな状況ではありませんでした.場所はとても不便なところにあって,でも地図好き(^^;の私はいつものように?無謀にも押部谷の駅から地図を頼りにハイキング気分で?歩いていってみることにしました.新潟大の中村先生もいっしょでした.でも今回は失敗でしたね.まず道が一本道で面白くないですし,車しか通らないような道なので歩いていても危ないし,第一「普段と違う異空間」としてつまらなかったです.ていうか道間違えた!左に曲がるべきところを右に行ってしまって,三木霊苑の方に行ってしまい,まあいつもならそれはそれで面白いのですが,加振時間に間に合わないとしゃれにならないので,霊苑でタクシーを呼んでもらおうとしたら,なんと霊苑の方が親切に車でE-ディフェンスまで送って下さいました(ありがとうございましたm(_ _)m).以前行ったときはまだ工事中で,E-ディフェンスの周りは何もなかったのですが,もうすっかり防災「公園」になっていました.

 無事?着いたらもうすごい人が(800人くらい来たらしい)わーっと周りを取り囲んでいて3階(建物の高さで言うと5階くらい)に上がるように言われて,そこにもわーっと人がいて,でも壊れるのは1階なので,一生懸命下の方ばかり見ていました(^^;.去年(だったかな?)大林の技研でこれのプレテスト(のようなもの?)があったときもそうだったのですが,東工大の山田先生と会って,昔はよくいっしょにスキーに行ったよね,私はまだ行ってるよ,みたいな話を加振が始まるまでしていました.彼はもうスキーは全然やってない(ていうかできない?)そうです.

 実験の方はやはりビデオやWEB中継で見るのとは大違いで,まさにそこにほぼ実大の建物が「建ってる」わけで,全然迫力が違います.今回は腰壁も付いてますし,まさに現実に存在する建物により近いものになっていると思います.そして実験もほぼ想定した通りに壊れてうまく行ったようでよかったです.でも想定通りというのはまあ目出度いことではあるのですが,逆に言えばRCは研究レベルでわからないことやこれからやらないといけないことがだんだんなくなりつつあるのかな,というのも感じました.それにしても神戸JMAは同じ震度7相当でも葺合や鷹取に比べてやっぱり破壊力ないですねー.実際周辺で大した被害は生じてないですし(木造家屋全壊率にしてわすかに3%⇔鷹取は59%).

 実は今日はスケジュール的にかなりきびしかったのですが(まあいつものこと?),ほぼ実大の建物が最終破壊状態に至るのを目の前で見られるのはまたとない貴重な機会で,木造の方はとても行きたかったのにどうしても行けなかったので,小谷先生還暦出版の打ち合わせも塩原先生にお願いしてパスさせてもらって半ば無理矢理(^^;行きました(新幹線の中から編集作業結果を送りました(^^;).でも壁先生の原稿のタイトルがまだで,きいておいてとメールが塩原先生から来たのですが,とてもそんな余裕はなかったですねー(^^;.ちなみに松森さんも(まだ)原稿不提出です(^^;.実験の後,2人並んで記者会見が行われていました.耐震偽装事件が起こったばかりなので,それに絡んだような質問も結構ありましたね.

 ほんとは懇親会や日曜の台上見学会や月曜の最終加振も見たかったのですが,土日準指の養成講習で,月曜は自分が幹事の委員会なので後ろ髪引かれる思いで帰ってきました.そして,なんと明日の早朝までに米沢まで移動です(T_T).こんなハードスケジュールで(まだ体調も回復してないのに)大丈夫ですかね?

 そう言えば,以前E-ディフェンスに,正確にはEDMに講演に行って,そのついで?にまだ工事中のE-ディフェンスを見せてもらったとき,翌日,1995年兵庫県南部地震の強震観測点を回ってきて(1995年兵庫県南部地震発生当時は強震観測点周辺を調査するという「概念」すらなかった),写真を撮ってきて,ただ私のパソコンに眠っているのも勿体ないので引っぱり出して公開しようと思います(と忘れないうちにここに書いておく).

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 ここで書いているように,このコーナーが収拾のつかない?ことになってきて,自分でももうどこに何があるかわからなくなってきました(T_T).このコーナーは単なる日記ではなく,考えること,考えたことを書き留めて,しんどくなってきたとき読み返して,「あーそういう風に考えればいいのか」とか,「あのときはそういう風に考えて乗り切ったのか」とかいう風に使うことも想定しています.実際そういう風に「使わせてもらってます」と言ってくれる人やそういうメールをくれた人もいます.ということで内容別目次に続いて「ちょっと思うこと」を整理しました.と言ってもいくつかにファイルをまとめただけですが,リンクがあるのでこれが結構面倒だった(ひょっとしたらリンクが切れてるところがあるかもしれませんので気づかれた方は教えてくださいm(_ _)m).それで内容から逆引きできるように簡単なタイトルをつけてリンクを作ろうと思います.

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 まだ仮にですが,内容で引けるようにちょっと思ったことの索引を作りました.こっちは,帰りの新幹線の中でだーーーっと割と簡単に作ることができました.最終的には,「1つのテーマに絞って書いたもの」を含めて,ある程度内容別にして,しんどくなったときここを見て,あーこういうことあったなとか,あーそう考えればいいんだ,とかいう風に「使える」ものにしたいと思います.あーでも明日4時起きなのにこんなことやってないでさっさと寝なきゃ(もう0時過ぎた).でもいつもだとまだ全然起きてる時間なんで(ていうか研究室にいる時間なんで),布団に入っても寝れないのわかってるんですよねー.

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 今,同じ専攻の松田先生からメールが来て気がついたんですが,私の研究室で去年の夏,世界「最小」規模の振動実験(これはこれでかなり大変だった)を防災科技研の松森さんや建研の福山さん,諏訪田さんと共同でやったのですが,防災科技研の松森さんは,今日のE-ディフェンスの世界「最大」規模の振動実験を東大地震研の壁谷澤先生らと中心になってやったわけですから,つまり,彼は1年で世界「最大」規模と世界「最小」規模の振動実験をやったことになるんですね.ある意味,すごいかも(^^;.

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1/15'06

 準指の養成講習から戻りました.講習はとても充実したもので,前回感じた「辛さ」はほとんど感じませんでした.講師の指導系種目のポイントの説明がとてもわかりやすく自分なりに明確なイメージをもつことができました.ただ指導系はもともと得意なのですが,技術系のトップコントロール2種目(中回りと大回り)が逆にわからなくなってきました.東京で受けていたときとは滑り方がもう違うようです(骨盤の傾きをしっかり出すように言われた).ここ数年のスキー技術の変化はものすごいものがあります.プルークターンも数年前とはもうかなり違っています.

 講習は充実していたのですが,1日目は雨も降って,2日目はそれががりがりに凍ってコンディションは厳しかったです.そんで,出発前ほとんど寝る時間がなかったので,1日目の晩は爆睡しました.でもメールチェックしたら学生から質問が来ていたので夜中に起きて返事を書きました.でも一時は1日で東京→三木→東京→(恐怖の)夜行バスで米沢という強行日程も考えたのですが,何とか乗り切りましたかね(あとでまたどっと疲れが出ないかちょっと心配ですが).やはり同じクラブのO場さんとうまく日程があっていっしょに行けたのが大きかったです.彼とは話しも合いますし,車の中でも全く退屈しません.彼はS総研の研究員で,ほんと偶然なんですが,私と同じ研究科の連携大学院の教員でもあるのです.

 でもほんと疲れた.こんな疲労感は久しぶりです.心地よい疲労感は満足感や充足感に繋がるものですが,今日はちょっと通り越してますね.明日は昼から東京で委員会で,しかも今手帳(のパソコンのファイル)を見たら,明日中に大学の事務に出さないといけない書類が2つもあって明日朝一で大学行って書類作って東京です.三木に行く前にやっておくべきでしたね.移動が連続した直後に何か〆切があると「その日までにやらないといけないことの把握」を間違えるので気をつけないといけません.ただ講義が今週で終わり(そうだ問題作らなきゃ),来週から少しは楽になると思うので,卒論の尻たたき?(尻はもうたたいてるか(^^;)や年末年始終わらなかったことをやりたいと思います.今日はほんとに疲れたのでもう寝ます.家にいるときこんなに早く寝るのは久しぶりです(といってももう0時過ぎてるが(^^;).でも今日は久しぶりに?ただの日記(^^;になっちゃいましたね.

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1/16'06

 このコーナーそのもののことですが,私にとっては「精神安定剤」というかなくてはならないものになりつつあります.日記をつけると気持ちが落ち着くから眠れない人は(私はそんなことはほとんどありませんが(^^;)寝る前に日記をつけるとぐっすり眠れるとは確か千葉大におられた多湖輝さんが言われていたと思います.

 多湖輝さんと言えば「頭の体操」の著者として有名ですが,私はおそらく第一集が出たときから,つまり小さい頃からとても愛読?していて,第二集,第三集と新しいものが出るたびに,楽しみにして買い足していきました.今はよく知らないのですが,第十何集くらいまで行ったところまでは憶えています.

 話を「日記」に戻しますと,私は父が文学者であったにもかかわらず?小さい頃,というか高校の途中まで,いわゆる「国語」が大の苦手で,文章を書くのも大嫌いでした.中学,高校のときなんか,数学,英語,理科ができても,国語が足を引っ張ってしまって上位に行けなかったほどです.そんな私を見てかどうかはわかりませんが,まだ私が小学生だったころ,父は原稿用紙が印刷されてびしっと製本された日記帳(本?)を買ってきて,私に毎日日記をつけるよう命じました.嫌で嫌でしょうがなかったのですが,なんとか最低1ページは埋めて父に見せていました.父はそれにいろいろ赤を入れてくれました.そのときは苦しくて日記をつけることが心の安らぎに繋がることは全くなかったのですが,その「本」が全部埋まって読み返したときはなぜか他人が書いた本を読むときよりものめり込んで引き込まれて一気に読んでしまったことは憶えています.

 そんな感じで国語が大の苦手だった私ですが,ある日突然,大得意になりました.それは私が高校2年の冬に父が亡くなった直後からでした.足を引っ張りまくっていた国語がそれから一転ポイントゲッターにすらなり,東大は理系でも2次試験で国語の試験があったので(そんな大学は東大くらい?),とてもラッキーでした.しかし,なぜ父が亡くなった直後から国語ができるようになったのかは未だに謎です.ほんとタイミング的にぴったりで(父が亡くなった直後の実力試験から国語の成績が急上昇した),父が私に乗り移った気すらするほどです.まあそんなことはないでしょうから,無理矢理日記をつけさせられたり,子供がこんな本読むか?みたいな本を読まされたりした成果?がちょうどそのタイミングで出たということですかね?でもあまりにすごいタイミングでした.

 ただ,大学入試を突破してしまうと得意の国語能力?を発揮する機会はほとんどなくなりました.あるとすれば,大学を卒業して大学院に入って論文を書くようになってからでしょうか.ただ,確かに論文や研究費の申請書を書くことは得意ではありますが,割と書き方が決まったものではあるので,国語力というほどのことはないかもしれません.そういう意味では国語力が最も発揮されている?のはこのコーナーですかね(^^;?思ったことを文章にするスピードはタイピングのスピードも含めてかなり自信はあります.この文章も今日東京に行く電車のなかでほとんど書きました.先週,神戸からの帰りの新幹線の中でざっと読み返しながら内容別索引を作ったのですが,いつの間にかものすごい量になってますね(^^;.自分で言うのもなんですが,このくそ忙しい中でよくこんなに沢山の文章を書いたものだと自分でも感心します.まあくそ忙しいほどこういう文章を書きたくなってしまうものなんですけどね.

 さて日記をつけることが(このページは日記ではないのですが)なぜ心の安定に繋がるかですが,実はよくわかりません(^^;.思っていることを吐き出したり,人に話をきいてもらうと落ち着くのは確かで,ブログがこれだけ爆発的?に広がったのもそういうことだと思いますがなぜそうなのかはよくわかりません.このコーナーはブログではありませんし,あえてわかりにくい階層の奥の方にしたので不特定多数というよりは,割と私に近い人達,あるいは,そうでないとしても私という人間やその考えに興味や共感をもってくれた人達が読んでくれているんだろうとは思いますし,1日50アクセスくらいはあるようなので「読んでもらっている」という感覚はあります(ありがとうございますm(_ _)m).ですから自分の考えをとにかく吐き出すという自己満足だけではなく,やはり話をきいてもらっている,という「人との繋がり」も感じられます.

 こういうことがなぜ心の安定に繋がるかは専門的に分析している研究者がおそらくいるのでしょうが,よくわからないことは本能に近いことなのかもしれません.例えば,なぜ異性に惹かれるか(人類の繁栄のためという答えはだめですよ),なぜお腹が空いてご飯を食べるとおいしいのか(生きていくためには食べて栄養やエネルギーを補給しないといけないから,という答えももちろんだめですよ)などは本能なのでよくわかりません.睡眠なんかもっとわかりませんよね(大昔は夜は真っ暗で何もできなかったからという答えもだめですよ).

 よくわからないことは,そのように「決まっている」と考えれば,わかりはしませんが,納得はできます.「決まっている」というのはそう「プログラム」されているとも言えます.プログラムされていたらそれに従うのが自然なことですし,気持ちいいでしょう.ですから,このコーナーに限らず,私はそういう本能というか欲求にできるだけ逆らわないようにしています.ということで,このコーナーも私がどんなにくそ忙しいにもかかわらず(しばらくは)更新され続けるのだと思います.でも全ての欲求に答えるのはほんと大変です.

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 東京の委員会で,今日は3人の幹事が持ち回りで担当している議事録の番だったので(だから今日三木に行くという選択肢がなくなり,金曜に日帰りで三木に行って,土日に米沢に養成講習という強行日程になったわけです(T_T)),ノートパソコンをずっと開いて議事録をとっていたら次世代震度ネットワークで議論が白熱したりして委員会が終わる頃にはノートパソコンのバッテリが無くなってしまいました.別にどうってことないように思われるかもしれませんが,私はノートパソコンがないと電車に乗っている間の「退屈しのぎ」ができません(ほんとは帰りの電車の中で議事録を片づけたかった).ということで,帰りの電車の中で読む本を買うことにしました.トップコントロールの大回りがわからなくなったことやイメージトレーニングするためにスキーのDVDを買って帰るついでもありました(一気に10枚くらい買っちゃいました(^^;).

 別になんでもよかったのですが(それこそコミックでも),なかなかこれといったものが見つからずうろうろしていたら,森博嗣さんの「大学の話をしましょうか」というのが目に止まりました.こういう本があるのはきいて知っていて,ぱらぱらとめくるとまあ普段考えているようなことが書いてあってどうしようかとも思ったのですが,他に特に見つからなかったので仕方なく?(新書で安いし,電車の中で全部読めるだろうし)買って帰りの電車の中で読みました.

 書いてあることはぱらぱら見たときと同じで,私が普段考えていることというか,まあ共感できることがほとんでしたね.ていうか多くの(まともな)大学の教員はこう考えているのではないでしょうか?少なくとも私の周りはそんな感じがします.でも森さんやインタビュアははこういう考え方をマイナと認識しているようでした.まあ彼自身が言っているように「賢い人は思っていても言わない」ということですかね.私も会議などでは思ったことを言ってしまう方ですが,賢いのかどうかはともかく,めんどくさいことになりそうなものはあえて黙っています(^^;.でも我慢できずに言ってしまうこともありますね(^^;.今仲良く(仲良くという言葉はあまり好きではないのですが...これも父の影響ですかね.父は「仲良きことは素晴らしきかな」と言った武者小路実篤をくそびそに言ってましたから(^^;)させてもらってる同じ専攻の松田先生が年度始めに新任で来られて学内の会議でいっしょになって最初の私の印象が「何て忌憚のない意見を言う人だ!」ですからね(^^;,まあ,空気を察して適当に収めるようにはしますけど.ほんとに言いたいことは「ここ」に書いて,こっそり,でも話がわかる人にきいてもらうことで発散しているのかもしれません.

 でもこの本にも書いてありましたが,大学の「雑事」の多さはほんとなんとかならないものかと思います.私ももうまともに研究できる気はしなくなってきました(T_T).まともに研究できるのは来てせいぜい2,3年ですよ!今のうち思い切り研究しましょう!>松田先生.でも私もやりたいことはまだまだ沢山あるのでなんとかしたいです.全ての欲求(自分がやりたいことをやるという欲求)に答えるには,ひたすら頑張るしかないのでしょうか.まあやりたいことをできないくらいならそのくらいどうってないってことですかね.でも頑張りすぎると後が怖いです...

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1/19'06

 1月17日(おととい)は,1995年兵庫県南部地震から11年の日でした.震災の恐ろしさとその認識があまりに低いことなどをあらためて考えました.去年の同じ日にはそういうことをしたためた文章を公開したのですが,今年はとてもそんな余裕がありませんでした.上で書いているように大学の内外の「雑事」の多さに閉口しています.くしくも,1年前の1月17日と比べることで「雑事」の急増ぶりを思い知ることになりました.

 そう言えば,東大地震研時代も同じ思いをしたのを思い出しました.大変幸運なことにこの道で食べていけるようになった喜びを噛みしめるような日々を送っていましたが,その後,学外の仕事が急増し「いったい誰からなんの名目で給料もらってるんだろう?」とか考えるようになり,いろんなことがあったりして,どんどん無気力になっていきました(ここここここ).ちょっと心配になってきました.同じ轍は二度と踏みたくないです.

 しかし学外はともかく学内の「雑事」は仕事なので断ることはできません.大学の教員は研究するな,ということですかね.森博嗣さんの「大学の話をしましょうか」は共感できることが多かったのですが,一番共感できたのは,「大学の教員は研究者であり,真摯に研究している姿を見せることが一番の教育だ」というところでした.勉強は教えてもらうのものではなく,自ら学ぶもので,そっちの方が数倍楽しいし効率もいいし身にも付く,大学はまさにそういうことを教えるところだ(った)と思います.私の研究室では多少時間はかかってもそういう方針で学生に勉強,研究してもらうようにしています.

 大学の教育のあり方は再考を要すると思います.先日の学類会議でもほんとに初歩的な数学や物理ができない学生をどうするかということが議論されました.私は材料力学と構造力学を教えていますが,片持ち梁の曲げモーメント図を描かせると,自由端に曲げモーメントが生じるような図を描くような学生が少数ですが後を絶ちません.そういう学生の「面倒を見る」ことが最先端の研究をしている研究者の仕事なのでしょうか?初歩的な数学や物理を教えるだけなら,最先端の研究者なんかよりもっと長けている人はいくらでもいると思います.大学院重点化ってなんでしょう?実質は逆行してます.教育ならまだしも,それ以外の業務?がそれ以上にはるかに膨大です.これらが最先端の研究者が本来すべきものかどうかも大いに疑問です.

 じゃあ再考するから委員会を立ち上げる,とかなると逆にまた仕事が増えてしまいます.ほんと悪循環です.ですから「賢い人は黙ってる」のだと思います.私もほんとに言いたいことはこのコーナーでこっそり書くか(まあこのコーナーはわざとわかりにくいところに置いていますが,一応全世界に(^^;公開しているので本音の半分くらいですかね),話がわかる人にしか話しません.

 じゃあ大学の教員をやめて例えば独立行政法人の研究所とかに行けばいいじゃん,という人もいるかもしれませんが,独法研究所というのがまた「雑事の嵐」です.彼らは教育は(ほとんど)しませんが,半分役人(官僚)なので,その方面の仕事が山のようにあります.例えばつくばの研究所だと職場に来るのは週に1,2度で,ほとんどは東京で委員会です.民間の研究所も利潤を追求する会社の下部組織なので,研究だけしていればいいなどというところは当然ありません.そう考えると大学が一番「まし」だとは思いますが,一番ましなところでこんな状態です.

 このように考えると,今の日本に思い切り最先端の研究ができるところはほとんどないことがわかります.最先端の研究者が世の中から必要とされていないということでしょうか?この10年の地震工学,耐震工学の著しい発展は何だったのでしょうか?研究者のボランティア活動?独りよがりの趣味?今のままでは日本の研究レベルがどんどん低下していくのは目に見えています.

 しかし現状に不満をもっているだけでは何の解決にもなりません.現状を変えるべく行動を起こすことも考えられますが,そんなことやってるうちにミイラ取りがミイラになるのは目に見えています(ほんとは「偉い」先生方に頑張って欲しいのですが...).ということで,現状でできるだけのことをやるしかありません.いろんな話をきくとこれでも(^^;大学は研究をするのに一番「まし」なのは間違いないようですし,今の「恵まれた環境に感謝」して頑張るしかないですね.

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1/20'06

 ここに書くべきことではないし,書いてもおそらくどうしようもないのですが,全くどうしたらいいかわからず,でも今までここに書くことによって考えが整理されたり,気持ちが落ち着いたりすることが多々あったので,もしかしたら何かが動くかもしれず(でも今回は多分そういうことはないとは思いますが),とりあえず書き始めてみます.すぐに削除するかもしれません.ていうかアップロードもしないかもしれません.でもただ自分の中で考えるだけではどうしようもなく,今回の件は相談する相手が今のところちょっと見つからないので,「誰かに話をきいてもらってる」つもりになって書いてみます.

 昨日の晩,衝撃的な「告白」があり,でも当人はそれを今まで我慢してとても苦しんできたようなので,告白があったこと自体はよかったのではないか,と思っています.過去のことは済んだことで今更どうしようもないのでまあ仕方ないのですが,問題はこれからのことです.その告白がほんとだとすると,というかほんとなので,そうするとこれからどうしたらいいのか全くわかりません.昨日からずっと考えているのですが,解決法がどうしても見つかりません.いつものように事実を箇条書きにしてそれぞれがどういう関係にあるかを考えたのですが,そのいずれもが両立不可能なものばかりで全く八方塞がりです.右にも行けないし左にも行けない,前にも行けないし,後ろにも行けない.留まってもいられない...

 1つ思いつくのは,「解決しないことが解決法」ということです.でも今回はどうですかね?「解決しない」ということは,とりあえず現状を維持するということでしょうから,そうすると「告白の成果」は,当人が告白できないという苦しみから解放されたことと,その告白によって私は衝撃を受けたが事態を正しく認識した,ということだけに留まることになります.でもそれでは「解決する」ことにはなってないでしょう.相手の苦しみが少し私の方に「移動した」ということでしょうか.そういう意味では,相手の苦しみを少しでも分担できたことはよかったことかもしれません.

 さすがに「告白」の中身までは書くことはできないので,もし読んでくれている方がいらっしゃったらなんのことがさっぱりわからないと思います.ほんとにすみません.誰かに相談できるようなことではないので,でもただ私が自分の中で勝手に文章を書いているのではどうしようもなく,誰かに話しているという「つもり」になって考えを書いているというだけの話です.幸か不幸か明日,明後日とほぼ丸一日になにもできずに考えることしかできないような状況下に置かれてしまうので,これからどうするか考えてみます.でも私はこのコーナーのように文章を書きながら考えるので,うまくできるかどうかわかりません.頭の中で考えるだけだとただの堂々巡りになることが多いですから.だからこういう文章を書いたりして考えるんですよね.

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 こういう精神的に不安定なときは,行動せずにじっとしているのがいいのかもしれません.夕食後大学に戻ってきたのですが,車を運転するのもちょっと怖い感じです.ピアノを弾いていても仕事をしていても注意力が散漫になっているのがわかります.ここでこういう文章を書いてしまっているのもほんとはよくないかもしれませんね.でもほんとどうしましょうか?「解決」しなければこの状態を脱することができないとするとかなりまずいですねー.少し時間が経てば(解決できなくても)精神的には少し落ち着いてくるのでしょうか?明日からセンター試験ですが,太平洋側でも雪が降る予報が出てますね.どういうわけかセンター試験の日にそういう天気になることが多いような気がします.まあ時期的にそういう時期というだけですかね.

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健康ブームの弊害

 気分転換?に全然違う話題でも.先日,仕事で東京に行ったとき山手線でとても太った人が我が物顔で2人分の席を占有したので,頑張って(^^;その横に座りました.その人は大事そうに「これを飲めば大丈夫」みたいな感じで「Vタミンパーラー」というジュースをもっていました.昨今の健康ブームでサプリメントや健康食品が山のように巷に溢れていますが,そういうものを摂取していれば健康になると勘違いしている人がとても多いように思います.

 摂取するだけならさして弊害もないですが,摂取していることで安心して暴飲暴食をすれば当然逆効果です.上記の「とても太った人」も「とても太っている」という「結果」が全てを物語っていますよね.体が不健康というだけでなく,2人分の席を平気で占有して座っているのですから精神的にも明らかに不健康と言えます.

 摂取して安心して暴飲暴食をしなくても,そういうものを摂取しすぎればそれだけでも弊害があります.例えば,100%果汁ジュースは健康にいいというイメージがありますが,もちろん全然飲まないよりは飲んだ方がいいのでしょうが,飲み過ぎれば害の方が大きいです.なぜなら果汁には大量の果糖が含まれており,果汁に含まれている栄養分を除けばコーラを飲んでいるようなものだからです.コーラの350ml缶には,つまり,同じ量の果汁100%ジュースには,なんと角砂糖10個以上の糖が含まれています.

 スポーツにも似たようなところがあります.スポーツは体にいいと誤解している人がとても多くて,でも実際にはスポーツは体に悪いので,スポーツは体に良いと信じて安心してスポーツの後にビールをがばがば飲んでしまうのは,もう最悪です.確かに運動した後の一杯は旨いですが(^^;,飲み過ぎてはいけないということです.

 ということで,「これを飲めば大丈夫,これをやれば大丈夫」のような健康ブーム?は,却って健康を害する可能性が高いので注意しましょう.基本はやはりバランスのとれた食事と規則正しい生活です.でも私は前者は家族の協力もあってなんとかできていると思いますが,後者は全くできてないですね.まあ健康より大事なものもあるってことでしょうが,体調を崩すと健康より大事なものにも悪影響を及ぼすので,やっぱり健康第一(^^;ってことですかね.

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 しかしこうしてみるとこんとこ精神的にも肉体的にも,とても厳しい状況が続いています(T_T).大半は自分がまいた種なんでしょうけどさすがにしんどくなってきました.こういうときは「心の支え」なんですが,その肝心の「心の支え」が...明日の朝早いのでもう帰りますが(もう1時過ぎた),車の運転がちょっと怖いですねー.

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 何とか帰ってきました.でも怖かった...どうしても注意力が散漫になってしまいます.反応や動きもどうしても遅れる.でも怖いと思うのならまだ大丈夫ってことですかね.上で書いたことですが,肝心の「中身」について何も触れていないので,事実と全く違う憶測?をされてる人もいるようです(でも心配?していただいてありがとうございます).やっぱ書いて失敗したかなー.でもさすがに中身まで書くわけにはいかないし,読まれちゃったら今更引っ込めてももう遅いし...でも少しずつですが,どうすればいいのか(どうせざるを得ないのか)方向性のようなものは出てきました.

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1/21'06

 雪になりましたね.なんでセンター試験の日はよくこうなるんですかね.雪が降るといつもの通い慣れた?道なのに全く別の場所のようです.私の車はスキーに行けるように四駆のスタッドレスなので(でもTXができてほとんど新幹線で行くようになったので宝の持ち腐れ状態ですが(^^;)この程度の雪はなんてことないのですが周りが...大分早めに家を出たのですが,大学周辺は大渋滞でした.辿り着くルートはいくつかあるのですが,どれもだめ.行きだけではなく帰りの道も渋滞しています.ということは,おそらく受験生を送ってきている車で渋滞してるってことですね.雪で心配なのはわかりますが,「自分だけは」という気持ちが大渋滞を引き起こしてしまって自分で自分の首を絞めることになっています.まあ「受験」そのものが「自分だけは」ということですからね.でも競争社会の嫌な面を1つ見てしまった気がしました.

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 どとーに暇なのでパズルを1つ考えました.デジタル表示



の2桁の数字で左右対称の数字は88の他に何でしょう(制限時間30秒).答えは後ほど(^^;.

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 今日はずっと雪が降り続いていました.外を眺めていると見事な「等速運動」ですね.実は等速運動ってなかなか見られません.まあ雨はそうですがよく見えないし(^^;,乗り物なんかもびみょーに速度は変化してます.スポーツの球技では近いものがかなり見られますが,厳密には減速しています.そう思って考えていたら1つだけ等速運動する「球」がありました.バドミントンのシャトルです.例えば,ロングハイサービスやハイクリアを打って落ちてくるシャトルは等速運動です.打ち出された瞬間は時速200kmくらいあるものが一瞬にして止まり,静かに落ちてきます.なんか数あるスポーツの中でバドミントンを(たまたま)選んでよかったかな,とちょっと思いました.

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 2つ上の答えですが,まず制限時間30秒というのはちょっと短すぎた(^^;かもしれませんが,短いのには一応意味があります.例えば3分くらいあれば2桁の数字なんか10〜99の90個しかないですから,どどどと書いていけばできるでしょう.でもそれも1つの立派な解決法です.しかも確実です.でもここでは30秒しか時間がないので,違うアプローチが必要です.左右対称ということは,左右にひっくり返しても数字にならないといけません.そういう数字は0,8以外には2と5しかありません(1は厳密には位置が変わる).88は既に与えられているし,0では2桁の数字はできません(80→08となってしまう).そうすると2と5を2つ並べるしかありません.ですから答えは25と52です.これなら30秒でできるでしょう(^^).

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 今日で最大の難関?は突破したかなとちょっと(かなり?)ほっとしていますが,予想通りニュースでトラブル発生と報じてますね.まあこれに関しては明日全部終わってから書こうと思います.しかし何もしてないのに疲れるもんですねー.何もしないのが疲れるんだと思います.専攻のかなり重要な申請書類を数日中に書かないといけないんですけど,とてもそんな気力が...今日は雪で道路がやばいし,明日の朝も道が凍結して今日以上の大渋滞でしょうから早起きして行かないといけないし,久しぶりに研究室には戻らずに早く寝ることにします.

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 おとといの衝撃的な「告白」のことですが,予想通り日中はほとんど考えることができませんでした.書きながら考えないと考えられないというのもありますが,考えるとどんどん辛くなるので考えたくない,というのもあります.でも少し方向性が見えてきたというのもありますが,精神的には少し落ち着いてきました.雪道でもまあ普通に運転して帰って来られましたから.

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 ライブドアのことも一応コメントしておきますかね.私はライブドアを「ルールに乗っ取って」やってるのに叩かれるのはおかしいと支持までは行きませんが,一応弁護してきました.しかし今回の件は「ルール違反」の疑いが濃いわけで何をかいわんやです.

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1/22'06

 昨日大渋滞だったので今日は大分早めに出たらさほど渋滞はなく大分早く着きました(^^;.でも朝っぱらからとても不快な思いをしました.自分がこう言ったら相手がどう思うかということを考えて会話をするのは最低限の礼儀だと思います.メールもメッセも同じです.後者は一度書いて一旦読み返す時間があるのですから尚更です.会話はそれほどの時間はないわけですが,それでも一瞬そういうことを考えて発言するべきでしょう.

 会話をしている相手と自分の「関係」をちゃんと適切に把握して会話することも重要だと思います.お互い独立した対等な一人前の人間同士なのか,どっちかがどっちかに(どっちかがどっちにも)依存した夫婦なのか(そんなのは絶対嫌ですが),店員と客なのか.また,いずれの関係,立場にしても自分がまずするべきことをしてから頼んだり泣きついたりするのが礼儀というものだと思います.まあこれも当然私も気をつけないといけないことなので,以て他山の石ということですね.

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 今日は昨日と一転していい天気ですね.すること(できること)がないとやはりいろいろ考えて(思い出して)しまうものです.ということで,今日はいっぱい書くことになりそうです(^^;.お楽しみに(^^;?

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 はー,やっと終わりました.ちゃんと明記はしていませんでしたがセンター試験の試験監督です.でも終わってもこんなに達成感のない仕事はないですね(^^;.単に苦痛から解放されたというだけです.たまたま2次試験が当たることが多かったので,センター試験は久しぶりでしたが,以前より(無駄に?)科目数が増えて明らかに負荷が大きくなってます.最後の理科B(物理と地学)なんか私が担当した教室の受験者はたった6人ですよ(でも物理で受験者の男女比が1:1,つまり3人ずつだったのはちょっと嬉しかったです).今日はストレス溜まりまくり(^^;で,その間考えていたことを一気に「吐き出す」だけなのでがんがん行きますよ(^^;.さてとりあえず以前,一瞬公開してすぐに削除したものから...

 これは,ここに書いていて,まだ書かない方がいいんじゃないすかねー,という親切なご指摘があって,とりあえず削除したものです.でもセンター試験の英語リスニングの説明会をなんと11月上旬にやっていたんですねー.いかに英語リスニングに恐れおののいていたかわかります.

                 -----------以下復元(^^;-----------

 筑波大は,ほんと1年中入試をやってるところで試験監督は大変です.最低年2,3回は当たります.東大時代は2年に1回くらいでしたから雲泥の差です.大学入試がAC,推薦,センター,前期,後期,大学院が通常のものに加えて推薦,2月期という感じです(まだ他にもあったかもしれないが多すぎて把握してないかも(^^;).今年は大学院の通常の入試に続いて,センター試験が当たってしまいました.特に今年は英語のリスニングテストが始まるので大変です.今日はその説明会というか予行演習(^^;だったのですが,*****(もちろんここで中身について書くわけにはいきません).でも1時間くらいで終わるかなと思っていたのですが,なんと3時間にも及びました.私は英語のリスニングテストの実施自体は賛成です.ですから,いろんな難しい条件(例えばいかに全受験生を同じ条件にするか)があるにも関わらず,実施に漕ぎ着けたのには意義があると思います.これをきっかけに日本の英語教育が少しでも変わればいいのですが.そして,センター試験が何のトラブルもなく無事終わればいいのですが...

 いろんな(^^;入試監督の中で一番大変なのは,やはりセンター試験でしょう.2日丸々拘束されて,監督中は一切他のことはできません.ほんとその2日をどうやって乗り切ろうかと今から気が重いです(T_T).監督中一切他のことができないのは他の試験もそうですが,面接や採点の方が労働的には大変ですが,センター試験は,受験生が問題を解いている間はほんと手持ちぶさたなのでとても苦痛です.人間の最大の敵は退屈ですから.

 センター試験で他の試験にはない唯一のちょっとした楽しみ?があるとすれば女の子が多いことでしょうか(^^;.まだ東大にいた頃,こんなことがありました.試験会場は確か田無(今は西東京)の方の県立高校だったと思いますが,明らかに目を引くほど綺麗な女の子がいて,そこだけ光って見えるほど(^^;でした.下の名前が私の名前と同じ読み方だったので覚えていましたが,その1週間後くらいに明石家さんまが司会をする土曜夜の某番組の高校生スペシャルというのに出ていました(^^;.でも生で見るとあれほど輝いて?見えたのにテレビの画面で見るとまあかわいいかな,くらいでした.ということは,テレビの画面でとても綺麗に見える一流芸能人(^^;?を生で見るとほんとすごいレベルというのは想像に難くありません.ちなみに,その子は同番組の次年度のレギュラーとなって何とその年のMVPにまで選ばれました(この番組はかわいいからMVPになるわけでもない,というのがびみょーなところですが(^^;).

 ここで思ったのですが,漢字で「ゆうき」と書いて「ゆき」と読ませる女の子はいっぱいいましたが,漢字で「ゆうき」と書いて「ゆうき」と読む女の子はほとんどいなかったと書いたのですが,そうでもないですね(^^;.この子もそうですし,工藤夕貴や天海祐希もそうですね(^^;.

                 ------------復元終わり------------

 英語リスニングの懸案は大きく2つありました.1つは「全ての」プレーヤーがちゃんと動くかどうかです.全国で50万人近く受けるわけですから,信頼性が99.9999%(1万台に1台不良)としても50万乗すると信頼性はなんと60%になります.そして予想通り全国的に再テストの嵐となりました.

大学入試センターは事前に振動検査を行ったうえ、電池も新品を入れており、試験前は、「準備は万全。故障で音声が聞こえなくなる事態は考えられず、操作も単純なので間違いようがない」と自信を見せていた。

らしいのですが,11月の事前説明会ではちゃんと動かないプレーヤーが続出で(私に配られたのもちゃんと動かなかった),教員の間ではこれで大丈夫なのか?と相当危機感がありました.そして予想通りになりました.再テストはトラブルが生じたところからしか聴くことができないし,遡って解答できないので受験生の動揺は相当のものだと思います.

 2つ目の懸案は「3人掛け」です.リスニングテスト中(30分くらい)は退席は認められていないのですが,万が一3人掛け,またはそれ以上の机で両端以外の受験生がトイレや気分が悪くなるなどで退席する場合,両端のどちらかの受験生は席を立たねばならず,その受験生も「巻き込まれて犠牲になって」試験を中断して再試験になります(との大学入試センターお達し).自分のせいではないのにそんなばかな話はありません.再テストは上述したようにトラブルが生じたところからしか聴くことができないし,遡って解答できないので相当不利になります.この件も11月の説明会でとんでもないということになって紛糾しました.監督要員を増やしてでも3人掛けをやめようと大学入試センターに掛け合ったそうですが却下されたそうです.

 こんな感じで英語リスニングの監督は相当の覚悟で臨むという感じでした.どうかトラブルが起こりませんよーにとお祈り(^^;するしかありませんでした.私はたまたま受験生といっしょに問題を聴きながら時間を測るという役割になったので,じっと聴きながら問題を解いていましたが(楽勝で全部できました.ほっ(^^;),残りの2人の先生(ほんとは小さい教室なので監督2人ですが,リスニングのときだけ助っ人でもう1人増やされた)はかなりびくびくしておられたと思います.でも私の教室は何事もなくほんとにほっとしました.何かトラブルがあったときの対策マニュアルみたいなものがあるのですが,その量が膨大(^^;で,とても瞬時に対応できるようなものではありませんでした.今NHKのニュースでやってたのですが,監督員がトラブル対処をうまくできずに日を改めて再テストになったところもあるようですね.

 ということで来年は是非「現場の声をきいてその立場になって」対策をしてもらいたいと思います.英語のリスニングの実施自体はとても高く評価していますので,くれずれもめげずに?続けてもらいたいと思います.ちなみに英語の問題はリスニング,筆記ともに,以前のいわゆる「受験英語」ではなく,だんだん「使える英語」になってきたかな,という印象をもちました.

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 センター試験の社会のなんかの科目のどこかに出てたと思うのですが,人間は自然を相手に研究してきて遂に自分自身の研究をするに至った,というようなことが書いてありました.まあそうなんですが,私はずっと以前から自然現象の真理を探究したり,世の中を便利にするような研究ばかりしてどうして人間は人間自身の研究をしないのだろう?と逆に不思議でした.先日,京都で宮田と飲んだとき,彼にそのことを振ってみると,コンピュータが発達してやっとそのことがごく最近になって可能になった,と言っていて納得しました.確かにヒトゲノムの解読なんてことは10年前の状況では不可能だったでしょう.そういう意味では,世の中を便利にしようとして作ったもので人間の解明ができる(かもしれない)という流れも面白いですね.

 確か10年くらい前か,ソフトバンクの孫正義さんが今のペースでコンピュータが発達し続ければ20年で人間が作れると言っていました.確かに10年前はパソコンのクロックが1年で2倍になるほどで,毎年買い換えていたほどでした.2を20乗すると何と100万倍以上になります.でも最近はそのペースは明らかに鈍ってますね.1年でクロックが倍なんてことには程遠いです.おかげで?パソコンも2,3年に一度しか買い換えずに済むようになりました(でも毎年学生が3人ずつ増えているので新たなパソコンを買い足していく必要がありますが...).

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 ノルディックスキーのジャンプですが,岡部孝信が調子を上げてきましたね.岡部孝信と言えば1998年長野オリンピックの団体ジャンプ金のメンバーとして有名?ですが,実はこの時日本が金メダルを獲れたのは,私の記憶が正しければ岡部孝信の貢献がダントツに大きかったと思います.

 船木は無難に2本まとめましたが原田は1本目大失敗しています.長野オリンピックの前の1994年リレハンメルオリンピックで原田は最後の自身2本目ジャンプで大失敗して金メダルを逃したことは有名で,一応世間ではその汚名?を次の1998年長野オリンピックで返上した,ということになっていますが,実態はリレハンメルの1本目成功,2本目失敗が長野では1本目失敗,2本目成功と順序が逆になっただけで貢献度は変わりません(^^;.それでもリレハンメルでできなかった優勝を長野でできたのは大ジャンプを2本揃えた岡部のおかげなのです.

 ですが,そんなことに気づいている人はほとんどおらず,みんな原田や船木をヒーロー扱いしています.ということで,岡部には頑張って欲しいです.

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大学ランキング

 あんまり適切(^^;なタイトルや内容ではないと思うのですが,センター試験なんかあるとこういうことをちょっと考えてしまいます.もちろん私の超個人的な見解なので軽く読み飛ばしてください.

 実はこういう下世話なことには特に関心もなかったのですが,今から4年ほど前,関心をもたざるを得ないというか,調べざるを得ない状況になりました.4年ほど前というのは筑波大の公募が出た頃です.当時,私は悶々としていてこのままではだめだ,この仕事をやめるか,もしくは少なくともどこかに移籍するなどしないとどうにもならなくなっていました.

 移籍するにしてもどこでもいいというわけにはいきません.当時は折しも少子化に伴う大学の危機やTOP30,「生き残る大学はどこか」などが盛んに世間を賑わせていましたので,移籍先の「ランキング」はとても重要でした.なぜなら「ランキング」というのは,ほんとはどうかとか私が見てどう思うかではなく,世間の人がどう思うかであり,その大学が生き残るかどうかというのは入学者が確保できるということですから,まさに世間の人が「大学ランキング」をどう見ているか,筑波大のランキングがどの位なのかを知る必要があったのです.私は当時東大に職を得ていましたから,まあ日本で一番潰れる可能性の低い大学だったので「大学ランキング」などということにはほとんど関心がなかったのですが,このような経緯でいろいろ調べざるを得なくなりました.でもまあ調べていろいろわかってくると結構楽しめるものです(^^;.例えば,大学格付け決定版(ただしこれはかなり関西贔屓(^^;)や入試難易ランキング表(ただし,毎年変動)や東邦大学なんでもランキング(やや古い(^^;)など.

 調べた結果は意外なことも多く,細かいびみょーなところもあって結構おもしろかったです.あえて批判を承知の上でここにいろんなところに載っていたランキングを総括的に書くと「東大→京大→東工大,一橋大→東大,京大以外の旧帝大(含む筑波大),横浜国大,早慶(「,」はほぼ同ランクという意味)」という感じでした.文科省の「格付け」というのもあって筑波大は旧帝大系というのに入れてもらっていました(七帝というと入りませんが).「,」はほぼ同ランクということですが,東大,京大以外の旧帝大の中にもびみょーにランキングがあって,例えば,阪大,東北大は上の方,北大,九大は下の方にランキングされていることが多かったです.筑波大は真ん中くらいでしょうか.

 私は福岡出身ですが,私が大学受験する頃の筑波大は開学間もなく,当時は九大に行けない人が筑波大を薦められているという状況でした.しかし現在の「ランキング」を調べてみると今はほぼ同じがむしろ逆転していてかなり驚きました.実際,筑波大に来てから九州出身の学生に話をきいても九大と筑波大を考えた学生が多く,親元離れたいから筑波大に来たとか,九大は地元で偉そうにしてるから嫌だ(^^;とかいう感じでした.つまり,筑波大はこの20年ほどでかなり躍進したことになります.

 躍進と言えば,東北大もそうではないでしょうか?これも私の受験時代のことになりますが,九大の工学部(学科は忘れた)を志望していた友人が九大は厳しいけど東北大なら行ける,と指導されていたのを憶えています.もちろん工学部(のある学科)の話ですが,当時の東北大のイメージは「陸奥(^^;」で,まだ新幹線も開通していませんでした.それが今では旧帝大系の東大,京大に継ぐ位置(という言い方もどうかと思うが(^^;)を阪大と争っているそうです.

 東北大の躍進の要因はいろいろあるでしょうけど,やはり東北新幹線の力は大きいのではないでしょうか?これも当時こういうことをいろいろ調べてわかったのですが,首都圏には人口の割に優秀な学生の受け皿が非常に少ないと思います(日本の人口の1/3が首都圏に住んでる).そうするとどうなるかというと,地方に流れます.流れるのは遠くよりは近く,しかも新幹線で行けるところです.そうすると仙台か名古屋ということになりますよね.名古屋も大都会なので,どちらかというと仙台に流れやすいような気がします.

 筑波大の躍進の要因はよくわかりませんが(^^;,やはり新しい大学なのでいろいろ自由に(文科省が?)やれたということはあるでしょう.文科省が作りたい理想の?大学を作ったとも言われてますからね(^^;.一応(^^;首都圏にあるということも大きいですね.ちなみに首都圏というのは関東+山梨県のことです.つまり関東より広いんですよ.イメージと違いますね.そして,今年TX(つくばエクスプレス)が開業しました.東北大新幹線躍進説が正しければ,来年から更に筑波大が躍進しなければならないことになります.さてさてどうなることか?少なくとも東北大に流れる首都圏の優秀な学生を奪い取るくらいのことがないと更なる躍進はないでしょう.ただその辺で後手後手に回ってる感は拭えません.わかりにくかった学群,学類再編が行われますが,TXの開業に合わせることはできませんでしたね.そして最大の問題は,つくばという街の住みやすさ(にくさ)でしょう.

 ということで,筑波大の「ランキング」が意外に(^^;高いことがわかったことも公募に応募しようかなと思う1つの理由にはなりました.もちろん,それは副次的なもので一番大きな理由は,一教官一研究室で何のしがらみもなく自分で0から研究室を立ち上げて自分の思うような研究ができそうということ(それはそれで大変でしたが),私がやっているような既存の枠組みに収まらない分野も受け入れてくれるという筑波大の自由な雰囲気でした.ただ「ランキング」が高ければ学生が優秀ということですから,そういう意味では「ランキング」も重要でした.そして,実際に来てみると学生は充分優秀と言えるものでした.あと,来てからわかったことなのですが,私がいるところの学生は工学システム学類というばりばりの工学系で「建築」ではないので,構造系にいわゆる「意匠崩れ」が来るということではなくちゃんと第一志望で来てくれるのも大きかったですねー.

 後は,やはり首都圏にある大学というのは大きかったですね.私は週2回くらいは東京で仕事なので地方はやはりちょっと厳しかったと思います.TXが2年半ほどで開通するということもわかっていました(でもその2年半はほんと長くてしんどかった(^^;).スキーに行けないところも避けたかったです(^^;.そういう意味では上述した「首都圏には人口の割に優秀な学生の受け皿が非常に少ない」ですが,大学の教員についても全く同じことが言えます.上のランキングで言うと理系なら東大,東工大の次だと筑波大,横浜国大,早慶ということになります.まあそういう意味では大学は「地方分権」が進んでいるということでしょうか.でも首都圏に東大はともかく東工大レベルの大学があと1つ位はあってもいいと思います.筑波大がそうなればとは思いますし,私もそれに貢献するくらいのつもりではやっています.

 こういうランキングはだいたいいわゆる大学受験偏差値,即ち,「入りにくさ」と比例関係にありますが,その大学のイメージのようなものも関係しているようです.例えば,ノーベル賞受賞者がいるかとか.上記の「上位校」の中では,ノーベル賞受賞者は東大,京大,東工大(筑波大の白川先生の出身校),東北大(島津製作所の田中耕一さんの出身校),筑波大,名古屋大の6大学からしか出ていません.そういう意味では阪大は上位校であるにもかかわらず,まだノーベル賞受賞者を出身者も在籍者も出しておらず焦っているという話はきいたことがあります.そういう政治的な話が大学には結構あるんですよねー.

 ただ注意しないといけないのはここでの「ランキング」は,偏差値的な要素が強いですから「合格最低ライン」ということになります.そうすると例えば北大,九大のような地方大学には少数かもしれませんが,東大に行けても地元,あるいは北海道や九州が好きだから行くという人もいるでしょう.逆に筑波大だとそういう人は東大に行ってしまうでしょう(研究学園都市つくばが好き,という変わり者?も中にはいますかね?).実際,地元?の土浦一高は,公立高校の東大合格者数のトップ争いをしているそうです.同じようなことでは,阪大は旧帝大系の中で上位にランキングされているようですが,京大に行ける人は京大に行っちゃうのではないでしょうか.ですから,上の方を比べるとまた違った「ランキング」になる可能性はあります.実際,筑波大はまだ歴史が浅いので仕方ない面もありますが,優秀な研究者の中に北大,九大出身という人はとても沢山います.ていうかそもそも「勉強ができる」のと「研究,仕事ができる」というのは全然違いますからね(^^;.

 こういう「ランキング」とは別に「知名度」ということになると大分様相は変わってきます.大学が「生き残る」という意味では知名度も重要でしょう.知名度ということになると早慶は大分上に来ますね(最近は早慶というより慶早と言った方がいいかも).東京六大学や日大などの私立も知名度は高いでしょう.逆に東工大,一橋大は知名度はがくんと落ちます.実際,世間一般(^^;でこれらの大学の名前すら知らない人がいることに唖然とすることもありました.九大も東京では驚くほど知名度は低いです(福大と間違える人が結構いる.もちろん世間一般のレベルですが).筑波大も知名度的には今一ですね.

 でもこういう「大学ひとくくり」でランキングするというのもほんとは変な話です.日本もまだまだ学歴社会ということですかね.アメリカなどにもこういうランキングはありますが,分野別になっています.例えば,私がバークレーにいたとき,Civilのランキングは1位がイリノイで2位がカリフォルニア大学バークレー校になっていて,私の周りの学生は49ersが負けたときと同じくらい怒っていました(^^;(当時はQBにモンタナを擁する49ersの全盛期).もっと極端に言えば,別に大学や学部や学科で集まって何か研究してるわけでもありませんから,教員(研究者)個人個人ということが重要なはずですよね.あの先生につきたいからその先生がいる大学に行く,みたいなことが本来の姿だと思います.

 そういう研究ではなくて学部レベルでいい教育を受けたいのであれば話は少し違ってきます.そういうものは学部や学科の教員が分担して講義を行いますから,個人ではなく分野別の学科などのランキングということになります.そして,そういう意味では筑波大はかなりいい教育をしていると思います.少なくとも私の出身校(^^;よりは遥かにいいです.教員の中にも研究→教育,ではなく研究と教育は2本柱,という認識をもっておられる方が多いです(まあそれが結構しんどいんですが(^^;).そしてみんな教育熱心で講義もうまい先生が多いです.それこそ予備校並(^^;(面倒見すぎ?).なんてったって教育系(旧東京教育大)ですからねー.

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 しめくくり?にまた入試監督の話ですけど,まあはっきり言ってしんどくて退屈なだけですけど,あえていいこと?を探すとすると一瞬「初心に返れる」気がするということでしょうか.センター試験や筑波大に来てからはそうでもありませんが,東大にいたときは,特に2次試験の監督をしているときは,さすがに自分が受験したときのことを思い出しましたね.受験生はみな東大志望者なわけで,そして自分はその志望校に合格したわけですし,更に,そこに職さえ得ているわけで,自分が受験したときから考えたら,ほんと夢のような話のはずです.でもそんなほんの少しの「効果」を消し去ってしまうくらい試験監督はしんどいものなわけです(T_T).

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1/23'06

 堀江社長逮捕へ,というニュースを見て母親が「天国から地獄やね」と言ったのがちょっとおもしろかったです.彼女は別にただそう思っただけで他意はないのでしょうし,私は別に堀江さんが天国にいたとは思いませんが(^^;,これを題材に幸せについて考えることができます.天国になんか行くから,行こうとするから地獄に堕ちるわけです.地上で平凡に暮らしていれば地獄に堕ちることはないのに(絶対ないとは言えませんが,天国にいるよりははるかに小さい確率です),天国になんか行くから,行こうとするから地獄に堕ちるわけです.そして,地上で平凡に暮らすことこそが幸せでしょう.私は天国に行きたいとは思いませんが,平凡に暮らすことはできそうもありません.ということで,私も幸せにはなれそうもありません(T_T).

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 なんでこんなに疲れているのでしょうか?昨日から体が鉛のように重いです.いくらセンター試験で丸二日拘束されたとしてもほとんど動いてないわけですし,肉体的に疲れる要因は何もありません.動かないということが疲れるんですかね?試験監督はこれまで何度もやってきたのに,こんなに苦痛に感じてこんなに疲れたのは初めての経験です.やはり精神的なものでしょうか.3日前の件は何も「解決」はしてません.その間,メールのやりとりはありましたが,結局,精神的ダメージを受けてどうしたらいいかわからないままです.ほんともうしんどい...

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1/24'06

 なんでこんな状態になってしまったのか,今年になってからのこのコーナーやその日のことを記録したメモなどを読みながら振り返ってみました.もう先週末,センター試験の試験監督をやったことすら忘れかけていました(^^;.うーん,よく乗り切ってきたもんだと半ば感心するやら呆れるやらですね.ちょっと考え直さないとほんともたないかもしれません.と言っても,具体的にどうしたらいいかはわかりません(T_T).まあなるようにしかならないし,なるようになるものですから(全ては150億年前に決まっている),やはり自分の本能?というか自然の流れにまかせてやっていくしかないですね.どんなに体調が悪くても精神的にしんどくても,やらなくちゃいけないからやる,やらずにおれないからやる,ということは,まあなんとかできるということでしょうからね.全く動けなくなったりしてほんとにできなくなるときが「ほんとにできなくなるとき」なんでしょう.

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 堀江さん逮捕ということで,「堀江貴文・ライブドア社長語録」のようなものが出てますね(なんか故人みたいですね).別にこれといったものはないですが,

僕には老人になるつもりがない。再生医療や臓器複製など、老化防止の技術はかなり進んできた。僕は楽観主義者だから、何とか最終電車に乗れると思っている。事業の対象としても考えている。いま興味あるのは、人体と宇宙だけ」(04年12月、週刊誌アエラのインタビュー)

というのがありました.これは実は私も最近気になっていることです.つまり「人間は死ななくなるんじゃないか」ということです.私の哲学?の多くは「人生はいつか必ず終わる」というのが前提になっています.例えば,人生所詮退屈しのぎなどはまさにそうです.これまでの哲学もそうでした.ですからそんなことになったらちょっと困ります(^^;.このことに関しても先日,京都で宮田と飲んだとき話題に上りました.彼も「人間が死なずに済むようになる可能性がある」と言っていました.うーん,どうですか?死なずに済んだら嬉しいですか?私はよくわかりません.ただ,ここで書いたように,自分が死ぬことはそんなに怖くはないですが,この世の人ともう会えなくなってしまう,と考えるとやはり寂しいのでちょっとは嬉しいかもしれません.最愛の人がいれば尚更でしょう.はー,最愛の人か...書いてものすごい寂しさを感じてしまいました.私の幻想だったんですかねー.

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 練習だったんですが,左のふくらはぎが痛くなりとうとう歩くのも難しい状態になってしまいました(T_T).実は先週の練習で痛めてその後何ともなくて忘れていたのですが,今日練習を始めたらいきなり痛くて,どんどん痛くなってきてそれ以上練習できなくなってしまいました.今週末,茨城総合の試合があるんですけど...だめかな...スキーもちょっときびしそうです.なんか身も心もぼろぼろという感じですね.ちょっと休めということでしょうか.

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1/24'06
大学の話をしましょうか

 森博嗣さんの「大学の話をしましょうか」(副題は意味不明(^^;なので削除!)ですが,ほんと何気なく手にとって東京からつくばへの帰りの電車の中で斜め読み?しただけですが,随所に共感できるところがありますし,これを題材(^^;に「考えること」を書いてみます.この本は新書で700円くらいで(^^;1時間くらいで読めますし,「大学の教員の現状」がとてもわかりやすく,かつ,「本音」が書かれていると思うので,大学の教員に興味がある人には一読をお勧めします.森さん自身は,この本の見解をマイナと認識しておられるようですが,私の感触だとこれがメジャーなものだと思います.ただ,みんな些末なめんどくさいことには関わり合いになりたくないので「賢い人は黙っている」のだと思います.

 なお,このページは,時々本をぱらぱらと見て気がついたところにコメントしていくという形をとるので,「ちょっと思ったこと」のように日々更新していくことにします.

「大学院に進学して何が良かったか?」ときかれれば,答は「大学院で勉強していた,そのとき,その瞬間が最高に楽しかった」と答えることにしているし,今でも,それが正解だと信じている.できることなら,もう一度,大学院生になりたい(p.70).

 全く同感です.この一節を読んだときこみ上げてくるものすらありました.ここでも書いているように,私にとっても大学院時代は「最高に楽しかった」です.ですから今大学院で勉強,研究している人達は2度と戻らない最高の時間を是非無駄にしないで頑張って欲しいと思います.ただ,私は「今は」また大学院生になりたいとは思いません.確かに研究できる時間は大学院時代が一番ありましたが,今は違った立場で違ったことができているし,しなければならないと思っています.でも人生を終えるときどこにもう一度どこに戻りたいかと言われたらそれは間違いなく大学院生時代だと思います.

メディアで注目を浴びる人のほとんどは自分から進んでメディアに売り込む人ですね.メディアに選択眼があれば,問題はないのですが(p8).

 私もそう思います.メディアによく出てくる「有名名物」大学教授の多くは,その分野の第一人者ではありません.ですからメディアに出ることは「恥ずかしい」という感覚があります.ただ分野によるとは思います.私は時々メディアに出ていますが,自分から売り込んだことは一度もありません.全て向こうから要請があったものです.しかも半分くらいは断っています.私の専門は地震防災であり,地震被害を減らすには,多くの人に正しい知識や認識をもってもらうことが不可欠で,ちょっと嫌な言い方ですが「啓蒙」がとても重要です.ですから私が正しいと思うことを多くの人に伝えられると思ったときは,できるだけ引き受けるようにしています.でもこれがなかなか正しく伝わってなくて,結構苦労してます(T_T)(例えば,こことかここ).私はともかく地震防災の分野に限っては,第一人者という人が結構出てきます.一方では,第一人者なのに全く出てこない人も沢山います.

人間の知的能力は,問題に答えることではなく,問題を見つけることである(p54).

 全く同感です.このことは私もこのコーナーのあちこちで書いています.研究者の仕事は研究テーマを見つけることです.それで大半は終わったようなものです.でもこれがほんと大変です.でもこれは研究に限らずどの分野でもそうなのであって,これこそが社会に出てから必要とされるものです.大学はまさに高校までの「問題に答える」から「問題を見つける」への大きな発想の転換をしてもらうところだったのですが,大学院はともかく学部教育はどんどん予備校化しています.大学院も授業の負荷が大きくなっています.そもそも高校までの教育だって「問題に答える」のではく「問題を見つける」教育をしていいはずです.これはひとえに「受験」という「問題に答える」試験制度の弊害ですね.大量の志願者を選定する(なんかこういう言い方は「もの」みたいでほんと嫌ですねー)ので仕方ない面もあるでしょう.ですから「最後の砦」である大学院教育だけは死守せねばなりません.そして是非大学院に進学して欲しいと思います.

私立大学に比べると国立大学の先生の給料はとても安いです.半分くらいだといっても良いくらいです(p106).

 うーん,どうなんでしょうか?そんなに違うとは思いませんが.例えば,朝日新聞社発行の『大学ランキング』によると私立大学の

助教授40歳(最短で昇格した場合のモデル賃金)で東女:561,7000円,神戸学院:547,600円、東京工芸:540,689円、中京:536,600円、四天王寺国際仏教:528,660円、岐阜経済:526,500円、駒澤:525,700円、近大:525,490円、阪南:525,300円、関学:524,500円、早大:523,870円、大商大・関大:520,700円、佛大:520,500円、亜細亜:516,700円、上智:515,536円、大阪経済:514,500円、獨協:513,700円、桃山学院:512,500円、東京経済:512,000円がベスト20,他の有名大では,慶應:509,100円(26位)、同志社:510,700円(22位)、立命:496,200円(41位)

だそうです(^^;.これらは上位なのでしょうから,まあ平均すると50万くらいということになるんですかね.そうだとするとそんなには変わらないと思いますが...(実は自分の給料をあんまりちゃんと憶えていない(^^;がそんなには違わなかったと思う...私の場合,「最短で昇格した場合」には程遠いですし(^^;.).いずれにしてもやってる仕事の割に安いことには違いないですが,まあ食べて行くには充分ですし,かなり副収入がある人もいますし,そもそも給料で大学の先生になったわけじゃないですからねー.

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1/25'06

 左足の痛みがとれず今日の予定もキャンセルして病院に行きます.なんか最近こんなんばっかりですねー(T_T).それにしてもいっせいに堀江叩き,ライブドア叩きになってますね.時代の寵児とかあれだけ持ち上げておいて変わり身早いですねー(^^;.もちろん彼らはルール違反をしたわけで,それだけで彼らがやってきたことが全て否定されるのは仕方ないでしょう.しかし,メールのやりとりから学生のバイトの延長でやってるようなもんだということがわかったとか,ホリエモンはそもそも世間知らずだとか,ベンチャーそのものを叩くような雰囲気は残念です.そもそも「人が失敗するのが嬉しい」とか「それ見たことか」のような感じが伝わってくるのはかなり嫌な感じがします.もちろん彼らは「犯罪を犯した」わけで,全てを失ってでも償うべきですし,私も彼らを全く擁護しません.

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いっぱいいっぱい

 ここんとこほんといっぱいいっぱいで,しんどいとかの泣き言の連続になってます.しかしこれは実は今に始まったことではありません.ていうかずっとこんな感じでやってきていると言った方がいいと思います.やってることがあまりに多いんで...しかもどれも中途半端にやるのはだめな性格なんで...

 でもほんとにいっぱいいっぱいならそんな状態でずっとやっていて「もつ」わけはありません.ほんとにいっぱいいっぱいならここにそんなこと書くはずもありませんし,書く余裕すらないでしょう.しかし,そこがまさに「いっぱいいっぱい」でもなんとかやってこれた理由ではないかと思っています.つまりものすごーく矛盾するように見えるかもしれませんが,いっぱいいっぱいになればなるほどどこかで「心の余裕」を(無理矢理にでも)持つように心がけてきました.ここにそういう文章を書いているのもそうです.

 「心の支え」について書いたとき,T大S研N先生のパペポTVの話を出しました.普通の人ならほんとにいっぱいいっぱいならそんな無駄?な時間を過ごさずにさっさと仕事に取りかかれ,と思うかもしれません.でも私は痛いほどN先生の気持ちがわかりました.そういう「余裕」を無理矢理にでも持たないと「もたない」のです.そして回り道に見えるかもしれませんが,結局そうした方が(多少)気分よく仕事できますし,結果的にもなんとかなります.実際そういうとき八方塞がりでどうにもならなかったような状況を打破するようなアイデアが浮かんだりします.

 例えば,どんなに忙しくても食事はちゃんととるように,しかも,「あーやっぱ腹減ってご飯食べるのが一番幸せだなー」とか思いながら(^^;食べるようにしています.パソコンに向かいながらサンドイッチをほおばるということは(できるだけ(^^;)しないようにしています.どんなに忙しくても週に1回は練習に行くようにしています(それで結果的に徹夜になったとしても).このページに文章を書くのもまさにそうです.ですから,忙しければ忙しいほど,仕事をしている量が多ければ多いほどこのページの更新が頻繁になるという奇妙な現象が生じます.ここ半年はものすごい更新更新ですが,それはもちろん暇なのではなくて(^^;,むしろ逆でそれだけ忙しくていっぱいいっぱいになってるということなのです(忙しいなんてことは恥ずかしくてあんまり大きな声で言うもんじゃないですけど(^^;).

 でもさすがにだんだん「ほんとに」しんどくなってきました.私の幻想だったのですが,大きな「心の支え」を実質失ってしまったのもかなりこたえています.ちょっと考え方を変える時期に来ているのかもしれません.でもこのコーナーに「しんどいしんどい」と書いているうちはなんとか大丈夫だと思います(多分).ここで泣き言を書くと心配してくださる方もいらっしゃる(それはとても嬉しいです.ありがとうございますm(_ _)m)のですが,ここに書けるうちは(多分)まだ大丈夫です.ほんとに「だめ」なときはここにも書けなくなるときだと思います(多分).

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 またまた(^^;「マネーゲーム」というこれを言えば全て説明できる?というお呪いがメディアに溢れていますね.だからー,それが資本主義経済なんですよ.マネーゲームをゲームというのなら,あなたがもっているお札も人生ゲームのおもちゃのお札と何ら変わりはありません.資本主義経済というのはそれほど架空のものです.株価が企業の価値を体現しているというのも全くの虚言であり,株価が上がると思う人がいるから買う人がいて株価が上がる,それだけのことです.その会社を応援しているから株式投資をしている,その会社の価値を正しく判断して相場を張っているという人は相場に負ける人でしょう.もちろん私は資本主義経済が素晴らしいものだとは全く思っていません.ただ(残念ながら)今の世の中はそれが「ルール」になっている,というだけのことです.

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 昨日の怪我は休めということだったと思って,今日は思いきってお休みにしました.もともとセンター試験の代休日でしたし(大学内業務でメールのやりとりとかしちゃいましたけど).でもまあ晩ご飯食べたら研究室に行くと思います(^^;.

 たまたまここで引き合いに出した「白い巨塔」の再放送やってたんでちらっと見ちゃいました.私は見たことはなかったんですが,当時結構見てる人がいて話はきいてましたし,昔よくいっしょにスキーに行ったI田さんにスキー宿で無理矢理最終回を見るのにつき合わされました(^^;.今日はちょうど財前五郎が第一外科の次期教授に選ばれるかどうかというクライマックス?でした.でも教授会の選挙で投票用紙が桐の箱みたいになっていてすごいですねー.先日,専攻長選挙の選挙管理委員を仰せつかって選挙をやったのですが,えらい違いに笑っちゃいました(^^;.でも1回目で過半数を取った人がおらず決選投票になったのは同じでした(^^;.

 いやーなんかこういうの見てるとほんとどこの世界の話?というかすごいですねー.私のことを「教授に昇進できるの?」と心配してくださる方がいらっしゃるのもわかります(^^;.まあ一昔前の話ではありますけどね.それに多大な利権が絡む?大学病院ですし.世間の人は大学をこんなところだと思ってるんでしょうかねー.まあそういう意味では「エンターテインメント」としてはよくできてますね.思わず見ちゃいますもん.私もみなさん?と同じように全く人ごととして楽しく見ることができました(^^;.でもまあ架空の話ですが,本人達は必死なわけでそれがほんとコップの中の嵐というか滑稽ですらあっておもしろいです.

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「医療ドラマ」大好き

 もう今日は1日お休みにすることにしました.明日は,今日保健センターの整形外科がやってなかったので朝一で診察に行って,その後,院試の会議,午後は教育COEの会議です(T_T).もうなんなんでしょうかねー.

 白い巨塔が出てきたんで,ついでに話をすると私は「医療ドラマ」が大好き(^^)です.白い巨塔は筋は知っていましたし,医療現場というよりは大学病院の内部抗争?の話なんで興味はなくて見てなかったのですが,例えば,もう大分昔になりますけど,「振り返れば奴がいる」とか「救命病棟24時」などは見ましたねー.最近はあんまりなくて寂しいです.「ER」は外国のドラマなのでなんか現実感がなくてあまり好きではありません.こういうのは実際の現場と比べてどうなのか?(白い巨塔なんかもそうですよね)というのがありますが,「振り返れば奴がいる」は当時大学病院の奴にきいたらかなり現実に近いと言ってました.チャゲアスの「YAH YAH YAH」がヒットした頃ですから1993年くらいでしょうか(もう10年以上前ですね(^^;).

 さてなぜ私が「医療ドラマ」が大好き(^^)かですが,心の支えに近い感覚ですかね.つまり,医療現場で医師達がほんとに大変な思いをして頑張っているのを見ると,私も頑張らなきゃと思えるというか,エネルギーをもらえるような気がします.しんどいときなんかほんと「バックグラウンドミュージック」として流しておきたいくらいです(^^;.「職業に貴賤なし」と書きましたが,そういうものがあるとすればやはり「人の命」を助ける仕事でしょう.なぜならあらゆるものの中で「人の命」だけはリカバリーできないからです(そうでもなさそうな予兆はありますが).

 でも私は小さい頃から何になろうかといろいろ考えたとき,医者になるということはただの一度も考えたことがありませんでした.中学の時,周りがほとんど(^^;医学部志望だったり,浪人して土壇場で東大はC判定を食らって,かつ,共通1次(今のセンター試験)で9割5分も取ってしまって九大医学部受験を強く勧められたのにもびくともしませんでした.なぜかはよくわかりませんが(^^;,少なくとも私はそういう「役回り」ではなかったんだと思います.ですからお医者さんにはほんと頑張って欲しいし,ありがとうと言いたいくらいです.でも結果的に私もお医者さんに比べれば遥かに微力ですが,地震被害を少しでも減らして人の命を助けるような仕事に関われたのは幸いだったと思います.

 ですから,医者は金儲けばかりやってけしからんとか言う人もいますけど,私は彼らの給料が多いのには何の文句もありません.もっとあげてもいいくらいです.でもそういう風に人の命を救うために頑張ってる人ほど給料は安かったりするんですよねー.逆に私腹を肥やす医者もいたりして...そういう意味でもなんか大学の先生と似てますよね.まあこれも上で書いたこの世の中が資本主義経済の上に成り立っているということなのでしょう.

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 ワールドカップで2位に入った佐々木明の滑りを久しぶりに見ました.いやー,すごいですねー.彼自身が言ってるように(^^;天才ですね.あの切り換えの速さと移動量はとても考えられないです.しかもめちゃめちゃなめらかでスムーズです.準指受けてるんで,最近はDVDでトップデモの滑りなんかよく見てるんですが,もちろんトップデモの滑りもすごいんですが,全然次元が違うという感じすらします.

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1/26'06

 今,保健センターの待合室です.結構並んでて,10:00からの会議にちょっと間に合わないかもしれません(メール打っときました.念のため電話もしました).

 いきなりなんなんですが(^^;,いつも?このコーナーをご覧いただいてありがとうございますm(_ _)m.このコーナーはリニューアルを繰り返したため構成がわかりにくくなってしまい,最近はものすごい勢い?で更新されていて,自分でももうどこに何を書いたのかわからなくなってきました.何度か構成を変えてみましたが,全て「自分が記事を書くときにリンクを貼りやすいように(^^;」ということでした.

 それで,このコーナーのことを「読む人の立場」になって考えてみました.このコーナーをご覧になる方は大きく分けて「定期的に見てくださってる方」と「初めて,あるいは,時々読み物のように見てくださる方」に分かれると思います.前者の場合も時々昔?の記事を読み返してくださる場合もあるでしょう(含む私自身).ということで,「1つのテーマに絞って書いたもの」と「ちょっと思ったこと」をまとめてしまうことにしました.最近は「ちょっと思ったこと」にも「1つのテーマに絞って書いたもの」に近いものもかなりありますし,区別する意味はあんまりないですよね.

 ということで「最近の更新」にすぐ行けるところと,「過去の記事を内容別に辿れるところ」に分けようと思います.時系列にだーっと並べたものは1つ下の階層に残します.

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 診察が終わりました.女の先生でした.やっぱ「働く女性」は格好いい(^^).それもその人にしかできないような仕事ばりばりやってると...ほんと格好いい(^^).

 そんなことはともかく,診察結果は軽い肉離れということでした.まあなんとなく予想はしていましたが,捻挫と同様,肉離れしたことがなかったので,あーこれが肉離れかと確認しました(^^;.でも少し時間がかかるとのことです.圧迫してテーピングして動ければ運動してもいいということですが,まともに歩けないのにシングルなんかとてもとても(なんともなくても4,5試合もやると足が痙攣するくらいですから(^^;)という感じです(T_T).今週末の県大会はだめですかね.準指受けてるんですが,スキーもしばらくきびしいですかね.あーあ.

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 研究室の来年度の卒論の配属が決まったようです.筑波大の工学システム学類は,一教官(一研究室)あたり2人または3人の卒論生が配属されます.2人か3人かは事前の希望調査によって決まり,希望者が多いところは3人,それ以外は2人となります.私の研究室は幸い毎年希望者が多くずっと3人ずつ来てくれています.ですが3人を越える場合は,面接とか小論文とか成績とか希望テーマをきいたりとかして選ぶのですが,毎年これが大変というか,何人かに「ごめんなさい」と言わないといけないのでとても辛いです.今年も事前調査によって3人定員を確保できたのはとても嬉しかったのですが,ということは事前調査で3人を越えていたということで,またそういうしんどい思いをするのかと思うととても気が重かったのですが,本調査で学生側で調整してくれたようで結果的に3人ぴったりとなり,めでたしめでたしとなりました(^^).

 彼らは私の研究室の3期生となり(0期生というのもいます),これでようやくM2,M1,卒論と3学年揃って研究室がフル態勢になりました.内部はもちろん外部からの大学院生の募集も毎年行ってますので,「構造動力学を用いて大地震で亡くなる人の数を1人でも減らす」ことに興味がある人は是非来てください(ってここで宣伝してもしょうがないかな).

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1/27'06

 ホリエモン逮捕で予想通り?「道徳」とか「モラル」という言葉がメディアで飛び交っていますね.コンプライアンス(法令遵守)とモラル(道徳)は分けて考えなければなりません.というかそもそもモラル(道徳)に欠けた奴がいるから,社会の秩序,公平性を保つために法令があるわけですよね.ですから「法令を遵守するというモラル」なんていうのは日本語になってません.もちろんモラルや「人の道」を守ることがいかに大事なことか,それがひいては自分にとっても「得になる」ことを子供達にしっかり伝えていくことが重要なのは言うまでもありません.「法を守らないとホリエモンのようになるよ」ではあまりにひどい教育です.でも「道徳教育」(ちょっと嫌な言葉ですね)だけではごくごく一部の法の網をかいくぐる奴が出てきて社会の不公平感は逆に増します.ですから法令強化はやむを得ないでしょう.法の不備をモラルで何とかしようというのは絶対無理です.だって,モラルに欠けた奴ほど法の網をかいくぐろうとするわけですから.まあこれも資本主義経済と同様,今の世の中が「法治国家」である,ということと少し似てます(でも大分違いますけど(^^;).

 こういうときに必ず出てくるものに「性善説」と「性悪説」があります.「性善説」に立脚したものがモラル,「性悪説」に立脚したものが法令遵守ということになるのでしょう.人間をみな同じとしてひとくくりにするのは無理でしょうが,世の中の大多数は「善良な市民」だと思います.でも一部の「悪人」がいる.まあ「本物の悪人」はいないというのが「性善説」なんでしょうが,社会の秩序を保つために,「善良な市民」が不公平感を感じないように法令強化はやはり必要ということになるのでしょう.もちろん法令強化と規制緩和は全く別のもので,むしろ規制緩和するほど法令強化が必要ということになります.耐震偽装問題なんかもまさにそうですね.

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 今日は,モーツァルトが生まれて250年だそうです.このコーナーで「天才」という言葉が何回か出てきますが,いわゆる大作曲家の中で私が天才だと思っているのは,モーツァルトとラヴェルです.なんでそう思うかと言われるとちょっと困るのですが(^^;,この2人は他の大作曲家,例えば,バッハとかベートーヴェンとかショパンとかドビュッシーとかと比べても何か特別な「天賦の才能」をもっている気がします.モーツァルトは特にそうですね.ラヴェルは前期のものはそうでもないですが,後期のものはほんとになんでこんなものができたんだろう?と思うと,ラヴェルが天才だったとしか考えられません(^^;.

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 左足ふくらはぎの肉離れですが,なかなか痛みがとれず,というかそもそもまともに歩けず,明日の県大会は断念しました(T_T).まあ今回は全国大会の予選は兼ねていないのでまあそれはよかったのですが,最近いろいろ考えてやっていて調子も悪くなくて成果を試したかったので残念ですねー.怪我が治るのにどのくらいかかるかわからないのも不安です.長引けばまた「元の木阿弥」になりかねません.スキーの準指の方もありますしねー.そもそも「運動をしない生活」はここ20年以上していないので,体調や精神的なことも心配です.「いっぱいいっぱい」に拍車がかからなければいいのですが...

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 「いっぱいいっぱい」になっても無理矢理にでも余裕をもつようにしていると書きました.あとは,普通はいっぱいいっぱいになるとその人の本性が出てしまう(^^;とか言われているので,そういうことにも気をつけないといけないですよね.私は自分の本性にあんまり自信がないので(^^;そういうときはいつもにも増して気をつけるようにしています.でもそうすると不思議と逆に余裕が出てくるというか,自分がしんどいときほど人に優しくなれるような感じがするのは不思議ですよね.つまり,私がいつもにも増して?きげんよさそうとか優しい(^^)とか思ったら,逆にいっぱいいっぱいなのかもしれません(^^;.

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 明日試合じゃなくなったので(T_T),突然1日丸々予定が空きました.考えてみると新学期が始まって大学内外の「雑事」(森博嗣さんが使ってた単語でとても便利なので私も使わせてもらうことにします(^^;)や卒論の方に追われまくって全く自分の研究の方ができておらず,こうも間隔が空いてしまうと1日空いたくらいでは「感を取り戻す」くらいで終わってしまいそうです.ほんとやばい.どうするかは...とりあえず明日の朝,起きたときの気分で決めます(^^;.

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1/28'06

 「男なんだから泣くんじゃない!」とか言いますよね.どう思います?実は悲しかったり辛かったりするときに泣くことは,「ストレス解消」なのでとても体にいいのです.実際そういうときの涙の成分を調べると,ストレス成分満載(^^;で,逆に嬉し涙やドラマを見て泣くときの涙にはそういう成分は含まれてないそうです.ですから,悲しいときや辛いときはどんどん泣いた方が体にいいので,どんどん泣きましょう.

 でも男性は社会的にそういうことが許されていません.女性はそういうときに泣けるし,実際結構泣くのでかなり羨ましいです.男性は「男なんだから泣くんじゃない!」と教育されてきたので,そういうときに泣こうと思っても泣くことができなくなっています.ここでいう「できない」というのは,周りの目が気になるからとか,社会的なプレッシャーで「泣きたいのに我慢する」という意味ではなく,泣こう泣こうとどんなに頑張っても涙が出てこなくなっている,という意味です.

 よく男女差別とかいうと,女性が男性に対して差別されているという意味でよく使われていて,女性解放が叫ばれてますけど,男性が女性に対して差別されていることもかなり多いです.そして,まだまだではありますが,女性解放は少しずつ進んできているのに対して男性解放はほとんど進んでいません.泣くこともそうですし,家庭に入りたい男性(⇔社会に出たい女性)もそうですね.男だったらこうとか女だったらこうとかどうして枠にはめたがるんでしょうかね?男とか女とか言う前に,同じ人間だと思うのですが.

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 テレビ見てると保険会社,それも外資系の保険会社のコマーシャルの量がすごいですね.いったいどのくらいの広告費を投入しているのでしょうか?保険というのは「助け合い」,つまり,みんなで少しずつお金を出して,少数の大きな不幸やアクシデントがあった人を助ける(自分がそうなったら助けてもらう)システムです.そして,その仲介をするのが保険会社です.保険会社も食べて行かなくてはいけないわけでその分がマージンとして抜かれるわけですが,こういう広告費も当然マージンになるわけで,CMを見るたびに逆に大丈夫なのかな?と思ってしまいます(^^;.

 でも逆に言うと,そのくらいのことをしないとどんなに保険料が安くなるとしても今加入している保険からの乗り換えは進まないということなんでしょう.保険なんて別に特に自分で進んで加入する人なんかそんなにいないと思います.なんとなく不安だけどまあいいやみたいな.既存不適格建物の耐震補強と似てますね.実際,既存不適格建物の耐震補強は全く進んでいません.対照的に,保険の加入率はとても高いですよね.それってやっぱり「日生のおばちゃん」の力でしょう.やはり「営業」ということです.なんで営業するかというと,営業した側が(保険加入者ではなく)得になるからです.

 今,卒論生の1人に既存不適格建物の耐震補強の費用対効果を計算してもらってるのですが,思いの外「耐震補強をした方が得」という結果が出てきて驚いています.今までそんな結果ほとんど出てこなかったと思うので,それはそれですごいことだと思うのですが,それだけでは既存不適格建物の耐震補強の促進には不充分かもしれませんね.もちろんとても大きな材料にはなるでしょうけど.

 「日生のおばちゃん」に関しては,いろいろ問題視されてますし,結果的に保険会社が潤い,とても高い保険料を払わされている人もいるのでしょうが,そうやって無理矢理?加入させられて,結果的に不幸があって,それこそ命拾いした人も沢山いると思います.既存不適格建物の耐震補強もやはりそういう「無理矢理」が必要なのかもしれません.問題は誰が「無理強い」をするかですよね.国や行政にそれができるか,そうすべきなのか,というのも議論されてますし,地震保険もそうですよね.T大S研のM黒先生もとても苦労されてますが,仕組み作りも大切です.

 市場原理主義というわけじゃないですけど,そういうのって「日生のおばちゃん」というか,「商売人」が一番長けてるんじゃないですかね.「いいものを作れば売れる」わけじゃないですからね.問題は既存不適格建物の耐震補強が「商売」になるか,ということですね.

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 T横イン社長の呆れた弁解?に唖然としています.条例違反をして身障者施設を無断で撤去した件です.彼は「条例違反」したことにしか触れていません.これからは法定速度60kmのところをぴったり60kmで走るとか言っています.なんで身障者施設を設けるという条例があるのか,ということを全く考えていません.条例でそうなってるからそれを遵守しているというのでは子供と同じです.子供でもちゃんとわかる人はわかっているのでこういう言い方は子供に対しても失礼なくらいです.モラルとコンプライアンス以前の問題です.

 私も含めてこの世の誰もが病気や事故などに会っていつ身障者になるかわかりません.生まれつきそういう人もいます.そういう人を社会全体で少しでも支えていくのは当たり前のことです.それは当たり前のことなので,身障者の方もなんら卑屈に思うことはなく,堂々とそういうサービスを受ければいいと思います.

 バークレーにいたとき妻が話していたのですが,買い物をしているとき,車椅子の方が品物に手が届かなくて,妻に「ちょっとそれ取ってもらえますか?」となんの遠慮もなく堂々と申し出ていて,とても気持ちよかったと言っていました.手が届かない人と手が届く人がいて,手が届く人がちょっと手を伸ばして手が届かない人のために品物を取ってあげることはごく自然なことだと思います.

 それにしても雪印のときもそうだったのですが,会社のトップってこんなもんなんですかねー(もちろんトヨタの奥田さんのように尊敬できる人もいますが).ほんと悲しくなります.社員の方は尚更でしょう.会社は儲けてなんぼなので金儲けが上手い人,人事は「上が下を引っ張り上げる」ものなので,「上に気に入られる」人が「登り詰める」ということなんですかね.なんか会社って,組織は社長を頂点とするピラミッドになっているけど,実質的には下に行けば行くほど人材的には優秀という「逆ピラミッド」になっている,と言った人もいました.そうだとするとつまんない世界ですねー.まあ別に「位が上がって」偉くなることがその程度のこと,ということですよね.

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 やっと少し落ち着きました.朝からずっと体調が悪く,夜になって頭痛もしてきて10時過ぎにどうにも我慢できなくなって,頭痛薬を探したら見つからず深夜まで開いている薬局をインターネットでそれこそ血眼になって探して買ってきて飲んでようやく収まりました.

 今日は,怪我で試合に出れなくなって,それはとても残念だったのですが,丸一日空いたので,久しぶりに「自分の仕事」ができるかもと実はかなり楽しみにしていたのですが,全くできずに終わってしまいました(T_T).明日ほんと久しぶりに人前でピアノを弾くんですけど,その練習も全くできませんでした.

 ここんとこずっと「予定」に追われていて,で,今日はまあ休んでもよかったんですが,そういう感じで気合いを抜いてしまうと,どっと疲れが出てしまうのか逆に調子を崩してしまうような気もします.要は「休むな」ということなんですかねー.ていうかほんと休むのが下手ですよね.しかし最近ほんと調子(体調も精神的なものも)崩しっぱなしです(T_T).

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1/29'06

 体調も悪くしんどかったのですが,頑張ってファミーユに行きました.弾いたのは,

トゥリーナ/セビリアよりオレンジの樹の下で
カプースチン/8つの演奏会用エチュードより第3曲「トッカーティーナ」

です.人前で弾くのは3年ぶり!でめちゃめちゃ緊張するかと思ったのですが,そうでもなかったです.でも自分がいつも弾いてるピアノとの違いにかなり戸惑いました.これまでの印象だとスタインウェイってとても弾きやすいんですけど,今日はぼよんぼよんしてて弾きにくかったですねー.最初にトゥリーナを弾いたんで,まあこの曲は技術的にはそんなに難しくないので,これで「キャリブレーション」ができたかなと思ったのですが,カプースチンを弾き始めたらその途端に,あーこれはだめだと思ってしまって,半ば諦めてそのまま最後まで弾いてしまいました(まあそうするしかないですけど).

 いつもだと演奏会が始まる前にピアノを触る時間があるんですけど,今日はプログラムが結構詰まっていてその時間がなかったのもちょっと痛かったです.でもまあ演奏の後すごくよかったとか,譜面見せてくれとか言っていただいたのでまあよしとしますか.ていうか実際は全然だめなんですけど,ピアノの違いも含めてとにかく場数をこなすしかないですね.少なくとも年に2,3回はこういう演奏会のようなもので弾く必要があると思います.ピアノって弦とか管と違って,弾く場所によって楽器も変わりますし,ホールの音響も全然違うのでほんと難しいです.

 スタインウェイって鍵盤の高さが他のピアノより低いみたいでそれもかなり厄介な問題ですねー.私はここ数年どんどん椅子の高さが低くなっていて,ホールに置いてある高さを調整できる椅子だともう一番低い位置でもかなりきびしくて,鍵盤の高さが低ければ尚更です.楽器はもち歩けないですけど,せめて椅子くらいはもち歩きますかね(^^;.

 ノートパソコンを使った譜めくりも試してみましたが,結構「受けて」ました(^^;.でもこれもまだいろいろ改善の余地がありそうです.まあいずれにしても3年ぶりにこのページの「過去の演奏曲目」を更新できます(^^).でも疲れました.

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 昨日テレビを見て,表参道の同潤会アパートが無くなったときいてちょっとショックを受けています.安藤忠雄さんが相当頑張ってくれたみたいなのですが,一部,それも復元という形でしか残らなかったようです.私は一応(じゃなくてちゃんと?)建築出身ですが,始めから構造をやろうと建築に行った超変わり種で,意匠にはそんなに興味はなかったんですけど,文化を愛する1人の人間として,経済を優先して文化を軽視する日本人の心の貧しさはとても寂しいです.どこかで書いたと思いますが,東京にいた頃,ヨーロッパに行って帰ってきて,スカイライナーの車窓から見える日本の「街並み」がヨーロッパの街並みとあまりにかけ離れているのに毎回がっかりしていたのを憶えています.

 「いっぱいいっぱい」でもどこかに心のゆとりをもとうとしていると書きましたが,いっぱいいっぱいであるほどそういう気持ちがないとほんとだめになってしまうと思います.街並みはその街そのものであり,街並みが変われば違う街になってしまいます.私にとって同潤会アパートがない表参道はもう表参道ではありません.

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1/30'06

 昨日体調不良にもかかわらず無理を押してファミーユに行ったのですが,やはり行ってよかったと思います.父もよく言っていたのですが,「ピアノは人前で弾いてなんぼ」ということですかね.昨日書いたように実際人前で弾くといろんな発見もあります.ピアノを弾いている時間の99%は1人寂しく?練習しているのでしょうが,その時に人前で弾く意識があるのとないのとでは大違いです.演奏会が終わるとしばらくピアノに触るのも嫌になるものだったのですが,昨日は帰ってきてとても疲れていたにも関わらず少し練習してしまいました(^^;.大学時代あれほどピアノに夢中になれたのも東大ピアノの会の一部のとてもレベルの高い聴き手の存在があったと思いますし,それはファミーユもそうです.

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 先日車で遠出したときに,いつものように「だだだー」と買ってきて溜まっているCDを次々聴きながら運転していったのですが,その中に久しぶりに「おっ」と思う曲がありました.ファジル・サイのBlack Earth(黒い大地)という曲です.彼は春祭を多重録音したりしていて,その筋では結構有名?ですが,オリジナルの曲を聴いたのは初めてでした.

 曲はとてもポピュラーで聴きやすく,かつ,少し民族的な独特な響きがあるものでした.プリペアードされた(ような)音もあって現代的な雰囲気もあります.ジャズも使われていて格好いい(^^;し結構演奏効果もあります.ポピュラーな中にも愛する者を失ったどうしようもない切なさが畳みかけるように表現されています.弾いてみたいな,と思ったのですが,譜面のことを考えるとまあ入手は非常に困難でしょうし,そもそも出版なんかされてないでしょう(ここで行動を起こすか起こさないかが学生時代とは違いますね(^^;).

 という感じでしばらく忘れていたのですが,Black Earthという単語がなんとなくどっかで引っかかっていました.なんかどっかで見たことあるような気がするなー.うーん,どこだったかなー.ひょっとして...そう思って,私が近現代音楽 いまむかしを書いた「桃源・東大ピアノの会創立30周年記念誌」を見たら,なんと譜面が載っていました(^^;.会員の方が採譜をされてそれを載せていたのでした(もちろん著作権のこともちゃんと書いてありました).いやー,相変わらずすごいですねー東大ピアノの会(^^).採譜するというエネルギーもすごいですが,Black Earthに注目した人が(やっぱり)いた,というのもとても嬉しいです.

 色々「種明かし」もしてあって,プリペアードされた(ような)音は,なんと「その場で」左手で弦を押さえて右手で弾くのだそうです.プリペアードピアノは高校の時,甲斐説宗のピアノのための音楽やケージの一連の作品を聴いて以来ずっと興味があって,でもさすがに何人かで共演する実際の演奏会でネジや消しゴムを挟み込むわけにも行かないのですが,これならできますよね.もちろんグランドピアノであることが条件ですが.

 ということで,ちょっと弾いてみようと思います.譜面を見ると思いの外弾きやすそうです.つまりコストパフォーマンスも高そうです(^^;.「お手軽プリペアード」も受けるでしょうね.あー,でもノートパソコンを使った譜めくりとの両立が難しそうです(譜面台を立てると内部の弦を押さえる手が入らない(^^;).

 それにしてもこういう偶然?ってあるんですよね.私がまだ大学生で東大ピアノの会にいた頃,佐藤聡明さんのリタニアに興味をもって,でも譜面が見つからなくてどうしたものかと思っていたのですが,実家に帰って何気なく古い雑誌を整理していたら,高校の時に一度だけ!買った音楽之友社の「音楽芸術」があって,なんとその付録がリタニアだったのです.

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 ファジル・サイのBlack Earth(黒い大地)ですが,ざっと譜読みしてみました.うーーーん,思ったより音の厚みも音楽的にも薄かった...ですかねー...うーん,でもあの音の薄さであそこまで音の厚みが感じられるというのはある意味すごいかもしれません.プリペアードの部分も思ったより弾きやすかったです(1ヶ所ブリッジを越えるところがあるのですが).でもダンパーに付箋でも貼っとかないとどこがどの音だかわかりませんね(^^;.すぐに弾けそうですし,まあ少なくとも一般受けはしそうですからとりあえず練習してみることにしましょうか.でも使われているテーマはポピュラーですがとても切なくて私は結構好きです.ヤナーチェクのピアノソナタ「1905年10月1日街頭で」の第一楽章の主題とちょっと似てます.なんか最近切ないことが多いので身につまされるのかもしれませんね.

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 ようやく卒論の結果がどんどん出てきて(今頃(^^;?),でもどれもとても興味深いものでやっと研究らしくなってきました.もっと早くから尻叩けばよかったですかね.まあ私が忙しすぎてそれができなかったというのもありますけど.興味深いというか,超縮小模型フレーム構造ですが,一番縮小率が大きい1/15模型がどーーしても合いません.変形で実大よりも地震応答解析よりも倍くらい大きいです.まあ実験やったときも感触としても応答が大きいなあとは思ったのですが.付加重量がんがん乗せてるし,剛床仮定もきびしいでしょうからねー.でもすんなり合っちゃうよりは研究としては面白いかもしれません.みんなでうんうん考えています.

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1/31'06
kud

 今日が〆切(^^;の,この3月で退官される東大地震研の工藤先生の記念文集の原稿を書いているのですが,書いているといろいろ思い出してしまって,なんだか切なさに拍車がかかってしまうような感じです.もし私が明日死ねば,私が考えていることは永久に消え去ってしまうので,これもできたところでここで先行公開(^^;しようと思います.

工藤先生との15年(工藤先生退官記念出版原稿)
境 有紀

 工藤先生に初めてお目にかかったのは,1991年(平成3年)に私が南忠夫先生の研究室の助手として採用されて,その日の夜,学生の部屋(確か今の211号室,つまり今の工藤先生のお部屋だったと思います)で歓迎会を開いてくださったときと記憶しています(以下,全て私自身の拙い記憶を頼りに書いていきますので,もし事実と異なるところがありましたらご容赦いただければ幸いです).ですから今から15年前ということになります.今東大生研におられる目黒先生もまだ学振の研究員として地震研におられて一升瓶持参で顔を出してくださいました.当時は足柄平野のブラインドプリディクションが行われた第1回ESG国際シンポジウムの前の年で,工藤先生はその準備等で多忙を極めておられたとき(それは今でもそうですが)でした.

 ですが私は地震研に行ったのはその時が初めてではなく,卒論を工学部建築学科の青山,小谷両先生の研究室から南先生のところに通うという形で書かせていただいて,学部4年生の夏くらいから卒論提出まで週に1回は地震研の南先生のお部屋にお邪魔していました.まだ何もわからない4年生ですから,南先生にはそれこそ手取り足取りのご指導と課題をもらってその進捗状況の報告などをしていました.その後は,当然のように「じゃあ一杯やるか」となり,しばらく南先生と2人でいろんな話をしながら飲んだ後,当時南研におられた長田さんや大堀さんを誘って根津界隈に繰り出していたのはよく憶えているのですが,どういうわけかそのとき工藤先生や坂上さんとごいっしょさせていただくことはなかったと思います.ですから工藤先生に初めてお目にかかったのは私が助手として地震研に赴任したときということになります.

 地震研に助手として来て,初めて工藤先生を拝見したときの印象は,南先生とは対照的(^^;にとても紳士的というか,飲みの席で南先生や目黒さんや田さんがぎゃんぎゃん吠えてる横で,それをほほえましく?ご覧になりながら飲んでおられるような感じでした.ただ,その後何度もそれこそ数え切れないくらい飲みの場に同席させていただきましたが(高岡での青葉城恋歌も),その後の印象はそうでもないです.南先生に食ってかかられてる場面も何度も見ましたし,お酒が入るとだんだん「絡みやすくなる」傾向があるようにお見受けしました(^^;.

 私は青山,小谷両先生の鉄筋コンクリート造の研究室出身だったので,ほんとに恥ずかしながらそれまでは工藤先生を存じ上げておらず,南先生から「強震観測センターの助手の工藤さんです」と紹介され,そのときはそうなのかと思っただけでした.しかしその後,工藤先生が地盤震動の分野でそれこそ世界的な業績をあげておられることや(田さんは工藤先生のことを「世界の工藤」と呼んでいました),それなのになぜ工藤先生が「助手」なのか,という話をきいたりして,いろいろ難しい「地震研の過去」のことも知るようになりました.地震研に就職した後,青山先生とお話しさせていただいたときも工藤先生が助手であることに驚いておられました.

 私が地震研に行ったのが1991年(平成3年)で,この原稿依頼とともに送られてきた工藤先生のご経歴を見ると「平成5年講師を経て,平成6年助教授」となっていますので,それから3年ほどして助教授になられたことになりますね.そのときは,工藤先生をほんとに慕う内輪の十数人くらいでお祝いを根津のちゃんこ料理屋でやりました.一部屋借り切って,部屋の真ん中に大きな水槽があって,「ほんとによかった」という雰囲気のとてもいい会でした.会の後,電中研の東さんが感極まって泣かれたのを今でもよく憶えています(勝手に書いてすみません>東さん).

 私と工藤先生の関係ですが,一言で言うとほんとにもうお世話になりっぱなしという感じです.強震記録や表層地盤のことで何かわからないことがあると,これ以上の先生はいないわけですから,工藤先生のところに行ってはいろいろ相談に乗ってもらっていました.研究以外でも,例えば,南先生が亡くなってしまわれたとき,私の身の振りのことについても,ほんとに真摯に相談に乗っていただきました.

 教えていただくばかりでなかなか工藤先生といっしょに仕事をさせていただくという感じではなかったのですが,私が筑波大に移籍する前に,壁谷澤先生が主査をされていた鉄筋コンクリート造建物の耐震性能評価指針の委員会で,表層地盤の増幅特性を簡便に評価するところを任せていただいて,工藤先生に相談に乗ってもらいながら進めたのですが,指針完成の少し前に黄表紙に工藤先生や壁谷澤先生や津野君との共著という形で投稿して掲載することができました.

 かなり工学的な手法を用いた論文で,工藤先生を「説得」するのに大分骨も折れましたがなんとか納得していただき,最後に工藤先生といっしょに仕事ができた「証」のようなものができて,そして,工藤先生にもそういうことを言っていただいてとても嬉しかったです.ただ,タイミングがいいのか悪いのか掲載がちょうど私が筑波大に移った2003年3月になってしまったので,筑波大での業績という形になってしまいましたが,工藤先生,壁谷澤先生,津野君との共同研究であることに違いはありません.

 あとは筑波大に移った直後から現在まで工藤先生が委員長をされている日本地震工学会強震動データの共有化及び活用法に関する研究委員会の幹事の1人としてほんとに微力だったと思いますがお手伝いできたことでしょうか.この委員会も一区切りということで,と同時に工藤先生もご退官ということで感慨深いものがあります.

 工藤先生が飲みの席でよく言われていたことで一番印象的だったのは,歳を取ってもいつまでも一研究者でありたい,ということでした.南先生が,歳取ったら研究なんかやらずに他にやることあるだろ,みたいなことを言われて(もちろん,それはそれで一理ありますが),それに何度も食ってかかっておられたのをよく憶えています.私もほんとにそうありたいと思っていますが,最近,森博嗣さんの言われるところの「雑事」がどんどん増えてきてしまって,何とかしなくてはと思い悩んでいる今日この頃です.

 伯野先生,太田先生が退官され,南先生が亡くなられてしまい,東原先生,そして,工藤先生が退官されるということで,私が地震研に来たときに旧六部(現在の地震火山災害部門)におられた先生方はこれで全て地震研からおられなくなってしまうことになります.最近は地震研にうかがわせていただく機会もめっきり減ってしまいましたが,今年の4月からは工藤先生の部屋にうかがっても,あの高く積まれた今にも倒れそうな書類の山の間から見える工藤先生の笑顔がもう見られないと思うとやはり寂しいですね.

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 なんか最近,「夢をもとう」とか「夢がもてるって素晴らしい」とか「夢さえあれば何でもできる」みたいな「夢をもつ=全てOK」みたいな風潮?があるような感じがしますが,どう思います?そんなこと言われても夢がもてないから苦しんでる人がいるんじゃないでしょうか?そもそも「夢」ってなんでしょうか?

 有名になること?お金持ちになること?出世すること?プロ野球選手になること?ノーベル賞をもらうこと?そんなものに夢がもてないことに多くの人がだんだん気がつき始めていると私は思います.少なくとも私はこれらのものには夢がもてません.もちろんやる気3要素的に言えば「その道を極める」とか「その分野の奥深さを知る」といったことが「夢」ということもあるでしょう.しかしそもそも夢をもつことがそんなに素晴らしいことなのでしょうか?

 現状に満足して,何事もなく平穏無事に暮らせればそれでいいという人もいるでしょう.現状に満足してなくても,「夢をもって」頑張っている人もいるでしょう.それはそれで問題はないと思います(今のところは).でもどこかでこのままではだめだと思っている人も多いと思います.そういう人はどうすればいいのでしょう.どうしたら「気分よく」生きていけるのでしょうか?それを探していくのがこのコーナーの目的でもあります.そして,それ自体が「気分よく」生きていく方法の1つと考えています.

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 スケートの岡崎朋美さんが「スケートと恋愛とどっちを選びますか?」と言われて,何の躊躇もなく「スケート」と答えていたのがとても清々しかったです.私もそうですし,そういう人でないと私も嫌です.でも,ということは,そういう人が好きだと言ってるようなものなので,自己矛盾ですね(^^;.

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