今回は,ワルツ(円舞曲)です.ワルツなので3拍子です(^^;.どこかできいたことのあるようなポピュラーなものは,
・第1番「華麗なる大円舞曲」, Op.18でしょうか.この3曲は,かなりポピュラーなので,おそらくどこかで耳にされたことがあると思います.
・第4番, Op.34の3は,それほどポピュラーではない(なかった)のですが,1985年にブーニンがショパンコンクールで優勝したとき,これを弾いて有名になった?かもしれません.当時のショパンコンクールの様子はNHKで放映され,日本でのブーニン人気が爆発しました.それは異常とも言えるほどのもので,若手の登竜門に過ぎないたかがコンクールに優勝したくらいで,世界一のピアニストという騒ぎようでした.彼のその時の演奏は,まさに機関銃を乱射するようなものすごいもの(対照的に中間部のはずむような装飾音が印象的)で,東大ピアノの会では,「ブーニン弾き」と呼ばれて「ものまね」もはやりました(^^;(ものまねできるだけでも大したもんですけどね(^^;).後で紹介するルービンシュタインの演奏と比較すると同じ曲?と思えるほどものすごいです.まあ,ある意味新しい解釈を与えた?と言えないこともないですが.
・第9番, Op.69の1(遺作)も,それほどポピュラーではないかもしれませんが,「告別のワルツ」と呼ばれていて,お葬式で時々耳にします.
これ以外の曲では,第2番, Op.34の1がとてもピアニスティックな作品です.最後の方に出てくる一節がトムとジェリーでも使われています.対照的に第3番, Op.34の2は,とてもメランコリーでこれにはホロヴィッツの演奏があったと思います.第5番は,Op.42と単独の作品番号がついていて,かなり大規模で本格的なものです.第14番(遺作)も弾かれることが多いです.
演奏は誰のがお勧めなのかよくわからない(^^;ので(midiでしたらここにいくつかあります),私が中学時代毎月の小遣いでこつこつ買っていったルービンシュタインをあげておきますか.彼の演奏は,一言でいえば「標準的なもの」と言われていて,まあ癖がないので,曲を知るのにはいいかもしれません.ルービンシュタインは,エチュード以外のほぼ全ての主だったショパンの曲を録音しています.ですから,ルービンシュタインのショパン全集(エチュードは入ってないのでほんとは全集じゃないが(^^;)を買ってしまえば,後は,エチュードを買えば(例えばポリーニのものとか),ほぼショパンのピアノ曲は全て揃うことになります.3つの遺作のエチュードもルービンシュタインの全集に入っています.
いくらくらいするのかな?と思ってHMVのホームページを見たら...なんと!11CDで4629円!(税込(^^;)でした.まじ?30年くらい前,私がこつこつLPを1枚ずつ買っていた頃は1枚2800円くらいはしたでしょうから(RCAは少し高かった),全部で3万円くらいしたはずです(当時は消費税はありませんでしたが(^^;).そんなー(T_T).でもLPだと,もうなかなか引っぱり出して聴かないし...ていうんで,私はいきなり注文しちゃいました(^^;.今,キャンペーンのようなのでお急ぎください(^^;(ここです).
ルービンシュタインと対照的?に,ルバートかけまくり(^^;のフランソワの演奏も結構好きで,LPも何枚かもっているので,それのCDも調べると...こちらも10CDで4601円!ですね(ここ).うーん,こういう名演が今はこんなお手軽価格で入手できるんですねー.素晴らしい!(これも注文しちゃいました(^^;).私が普段購入するCDは,曲探しのための超マイナーな近現代ものばかりで,1枚普通に?2000円(ほとんど輸入盤なので少しは安い)とかで買っているので,こんなことになってるとは全然知りませんでした(^^;.
ちなみに,ほんとうの意味での全集と言えるものには,アシュケナージのものがあります.ショパンのピアノ曲の中には,初期のものなど普段はほとんど弾かれないものも結構あるのですが,アシュケナージの全集にはそういうものもほとんど含まれています.こちらは13CDで1万円ちょっとですが,それでも格安ですね.少しお金に余裕のある人,完璧主義者(^^;?の方は,こちらを求められるといいかもしれません.
-----------------------------------あとは,ポピュラーなものは曲の種類によって分けるほどはないので,その他ということで...まずは,
・ピアノソナタ第2番, Op.35より第3楽章「葬送行進曲」でしょうか.これは原曲は聴いたことがなくても,そのメロディーを知らない人はいないでしょう(ちゃーん,ちゃーんちゃ,ちゃーん,ちゃーんちゃ,ちゃーんちゃ,ちゃーんちゃ,ちゃーん)
次は,ポロネーズですかね.ポロネーズは,ポーランド独特の堂々とした行進曲風の舞曲で,マズルカとともにショパンらしさを象徴する曲といわれています.ポピュラーなものは,
・ポロネーズ第3番(軍隊ポロネーズ), Op.40の1ですかね.第1番, Op.26の1もそこそこポピュラーです.第7番のPolonaise-Fantasyは,それほどポピュラーではないと思いますが,ショパン晩年の最高傑作といわれています.ポロネーズとファンタジー(幻想曲)の融合という発想,そしてそれを見事に体現していて素晴らしいです.演奏は,全集のルービンシュタインのものでいいと思いますが(実はまだ聴いたことない(^^;),私がもっているものの中から,再びポリーニをあげておきます.ポリーニは,ポロネーズの第5番, Op.44を得意としていて,この曲は,とても長くかつ難曲なので,それほど弾かれる曲ではなかったのですが,ポリーニの演奏によって日の目を見たと言えるかもしれません.この曲は私が好きなショパンの曲の1つです(昔はよく弾いていた.久しぶりに弾いてみるかな).とてもポロネーズらしく堂々としていて,そして,中間部はなんとマズルカになっています.第6番,第7番には,エチュードであげたホロヴィッツの名演もあります.
あとポピュラーなものは,
・幻想即興曲, Op.66くらいですかね.即興曲(アンプロンプチュ)は,全部で4曲あって,幻想即興曲は,Op.66という作品番号がついていて4番目という位置づけですが,実際に作曲されたのは,第1番より前の初期です.これはかなりポピュラーでよく聴かれます.中村紘子氏が昔CMでも弾いていました.この間,某バラエティー?で青木さやかも弾いていました(^^;.難しそうにきこえる?割には数あるショパンの曲の中ではかなり弾きやすいといわれています.プレリュードであげた,第7番イ長調(太田胃散(^^;)を主題としたモンポウのヴァリエーションの中で,突如この幻想即興曲の中間部のメロディーが出現します.ノクターンOp.9の2もとてもポピュラーです.ショパンはノクターン(夜想曲)を全部で20曲くらい書いていて,この作品はOp.9なのでごく初期のものです.演奏は,まあこれもどちらもルービンシュタインでいいんじゃないでしょーか?(投げやり(^^;.midiでしたらここにいくつかあります.)
-----------------------------------日本建築学会東北支部の招待講演ということで,久しぶりに山形に向かっています.いつもは,地方や東京でしゃべったりする仕事があると,だいたい行きの電車の中でパワポの準備をするという超自転車操業(^^;なのですが(でもPCやプロジェクタなどのIT技術の進歩でそのようなことが可能になるわけですが(^^;),今回は珍しくもう準備ができたので(^^)v,来週〆切の福岡県西方沖地震の原稿を書きながら,それに疲れたら気分転換にという感じで,こうやって日記?を書いています.最初は,なんと日帰りで!ということだったのですが,連絡が来て前日から泊まってください,とのことなので,前日の今日,山形に向かっているわけです.日帰りでも朝5時くらいの高速バスに乗れば行けないことはないですが,首都高が事故渋滞とかになったらもうアウトだし,土浦回りでは早すぎて路線バスがないのです.月曜の委員会の後,東北大の大野先生に「今週末いらっしゃるんですよね.」ときかれて(1週間先の予定も手帳を見ないとわからない自転車操業なので一瞬何のことかわからなかったのですが(^^;),「日帰りなんですよー.」って言ったので,ひょっとしたら事務局に伝えてくださったのでしょうか.でも考えてみたら,仙台,新潟,長野や名古屋,近畿など新幹線で2〜3時間の距離から東京に仕事で来られている先生は大概日帰りなわけですから,その逆の場合も日帰りで別におかしくはないわけです.
ですが今日は,筑波大バドミントン部の新歓だったので,そちらには出られなくなってしまいました.普段は,筑波大バドミントン部で練習しているのですが,最近は,なかなか思うように練習に出られなくて学生や吹田先生と話す機会もあまりなくて,新歓は楽しみにしていたのでちょっと残念です.でも明日日帰りで行ったとしても朝まで飲んでるので(^^;どっちみちちょっときびしかったですねー.去年は,次の日がつくば市のバドミントンの団体戦(筑波大の職員のチームで出ている)だったので,かなりしんどかったです.
筑波大バドミントン部は,春のリーグ戦で男子は残念ながら関東リーグ1部から降格となってしまいました.やはり早坂の抜けた穴は大きく,ここ数年推薦で入らなくなっているので状況はかなり厳しいです.来年は,西浦,山浦,宮崎という推薦で入った3人に加えて田澤も抜けてしまうのでもっと厳しくなります.対照的に脇田が復帰した女子は2部,そして入れ替え戦と圧勝で勝ち上がり,まじで関東リーグ1部優勝,そしてインカレ制覇も狙えると思います.脇田,村松,磯下に加えて新加入の柴村は,最近になって見たんですが(最近あまり練習に来てなかったので(^^;),バネがあっていわゆるプレロードを使った動きがすごくよくできていて驚きました.脇田の天才的なプレー,フィジカルの強さがすごい村松のプレーは,ある意味自分のプレーの参考にならない(^^;?ので,しばらくは柴村を観察しようと思います.あー,でもそういう意味でも早坂のプレーが間近で見られなくなったのは痛いです.
実は私は旅行があまり好きでなくて,というか,基本的に「出不精」なので,自分のお金で自分で計画して旅行に出かけることは皆無なのですが(スキーを除いて(^^;),こういう講演のような仕事や学会,調査,国際会議などで地方や海外にはかなり出かけています.海外にもかなりいろんなところに行っていますが,全て学会や国際会議などで出かけたものです.ですから,いつもの生活とは違う「空間」へ出かけたい,という要求を仕事である程度満たされてしまっているのかもしれません.実際仕事とはいえ,こうやって普段は行かないところへ出かけるのは,移動中も含めてどこかわくわくするものです.それはどんなに近場でも行ったことがなければそうです.私は地理や地図がとても好きなので(小さい頃行っていた父の友人だった働先生の絵の教室で毎回地図を描きたい,と駄々をこねて絵の先生を閉口させていたくらいですから),どこかに出かけた後は,その場所やそこまでの移動などを必ず行く前や後になって地図で確かめます.
昨日,最近よくいっしょに練習している筑波大の技官の和所さんに今日のことをきかれて,「土日に仕事って大変ですねー.代休とかはないんですか?」と言われて思ったのですが,やはり大学の先生というのは普通の仕事と比べるとかなり特殊なのかもしれません.サラリーマンではありますが,その業態は自営業あるいは会社経営に近いと思います.ただ,一般の自営業や会社経営と決定的に違うのは,仕事をすればするほど儲かる(給料が増える)ものではない,ということです.ここにも書いていますが,大学の教員の仕事の大きな比重を占める「研究」には基本的にobligationはありません.ですから,ここにも書いていますが,今回のような学外の仕事も全て断って,論文も書かず,ただ,講義と学内の必要最低限の業務をするだけでもクビにはならないわけです.実際は講義と学内の業務だけでも結構大変ですが,研究も学外の仕事も全くしないとすると,給料や社会的地位の割にこんなに「いい商売」はないでしょうし,他大学の話をきくと実際にそうしている人も少数ですがいるようです.
じゃあなんで,研究するのか,土日をつぶしてもこういう学外の仕事をしているのかというと,やはり「何かが私を動かしている」という気がします.今日の仕事も,あなたのやっていることはおもしろくて話をききたいので,是非来てしゃべってください,と言われるのは,自分のやっていることが評価されているということでしょうし,もしそうであるのなら,興味をもってくれる人がいるのなら喜んで出かけていって話をしたい,という気になります.論文を書くのも,地震が起こると被害調査に出かけるのも,何か義務があるわけでもないですし,別に業績をあげるとか,人に先んじて何かの発明や発見をする,というよりも,もし何かの役に立つのなら,というところがとても強いです.やる気3要素的に言うと,「人との繋がり」だと思います.
山形に行くということで「つばさ」に乗っているのですが,つばさに乗るのは,何と山形新幹線が開業したとき,バドミントンサークル(東大のラブオール.東大のラブオールには,東大バドミントン部を卒業した後,大学院時代に練習に出ていました)の先輩でJR東日本の大口さんが蔵王のスキーツアーを企画してくださって出かけたとき以来ですから,何年ぶりだろ?10年くらい?この講演の仕事がこの時期ではなく,冬だったらよかったのに...蔵王にももう10年くらい行ってません.つばさは乗ったことがある人はわかるでしょうけど,車体の幅が在来線で,かつ,福島までは新幹線のスピードで走るのでものすごいスピード感(^^;です.ただ,今回は乗ってる途中でもう外が暗くなってしまったので,前回乗ったときほどスピード感は感じられませんでした.
ちなみに私は,旅行に出かけると(ほとんどが仕事でなので,正確には旅行ではなく出張ですが(^^;),観光名所とかに行くより,ただぶらぶら町並みを歩くのが好きです.それぞれの町にはそれぞれの独特の雰囲気があります.今回も雨が降っていて夜だったにもかかわらず山形駅を降りてホテルまで20分くらいずっと歩いてきました(タクシー代が勿体ないからではありません(^^;).以前,郡山に行ったときは夜遅くてがらーんとして寂しかったので,ちょっと不安だったのですが,山形はとてもきれいで適度に賑やかでいいところですね.つくばという人工的に造られたところに住んでいるので,こういう人が生活しているという匂いがするところを歩くとなんだかほっとします.
-----------------------------------これも方法論的幸福論ということでは,幸福論の1つということになります.つまり,幸せになるには幸せって何だろうなどと考えない,ということです.実際,既に幸せである人は,幸せとは何か?などと考えないでしょうし,このコーナーも読まない方がいいかもしれません(^^;.事実,あまり深く考えないことは幸せになる非常に有効な手段の1つです.そして,それで最後まで行ければ超ラッキー?でしょう.
実際,世の中には解決できない問題が山ほどあります.そういう問題に直面したとき人間はどうするでしょうか?例えば,幸せすぎて死にたくない人がいるとしたらどうでしょう?少なくとも現在の科学,医学の力ではどうすることもできません.そうするとどうするかというと,多くの人は「考えないように」しているのではないでしょうか?実際,日常生活は多忙で,普段からいつも「死」というものを意識しながら生活している人は少ないでしょう.
つまり,解決できない問題は考えずに先延ばしにすればよい,先延ばしにしているうちに人生が終わる,ということです.解決できない問題を解決しようとしないというのは,1つの有効な「解決法」であるのは事実で,死や幸福論以外のいろんなものに適用可能です.例えば,不治の病があるとしても,病気そのものは治癒することができなくても,その人の本来の寿命が来るまで病の進行を抑えれば,実質治したのと同じです.
ただ,「考えないようにする」というのは,実際のところなかなか難しいです.従って,方法論としては考える暇がないくらい忙しく仕事をするとか,何かに集中するということになるでしょう.何か没頭できるものを見つけることは幸せと書きましたが,それは幸せについて考えることがなくなる,という点でも幸せといえるかもしれません.日本の高度成長期がとても幸せだった,と言われるのは,国がどんどん発展しているから将来に希望がもてた,ということもあるでしょうが,みんなその日を生きていくのに必死で,ふと立ち止まって幸せってなんだろう,などと余計(^^;なことを考える暇がないほど忙しかった,ということが大きいと思います.
ですが,高度経済成長が永遠に続くはずもなく,バブルの崩壊(ステレオタイプな表現ですが(^^;)とともに多くの人が立ち止まり,「考え始めて」しまったように思います.今の何とも言えない閉塞感というのは,年金がもらえないかもしれないなどという将来に対する漠然とした不安というよりは,人生所詮退屈しのぎに多くの人が気づき始めたのではないか,と思っています.
私も自分の場合に当てはめて考えてみると,「忙しさ」と「幸せ」にはかなり相関があるような気がします.大きな地震が起こって被害調査に出かけたりすると殺人的な忙しさになりますから,幸せって何だろう?などと考えている余裕は正直ありません(^^;.では,どういうときに幸せって何だろう?と考えるかというと,被害調査から帰ってきて一通りの報告などが終わった後や,何か大きな目標を達成したときとか,ちょっとほっとしたときなどにエアポケットに落ちるようにそういうことを考える場合が多いように思います.そういう一見幸福と思えることのすぐ先にそういう不幸?が待っていることは,幸福論で書いているとおりです.
人生の中でいつ「気づいて考え始める」かは人によって様々ですが,私は,大学の先生になってその道で食べていくという小さい頃からの大きな目標?を達成した30くらいのときでした.これが早いか遅いかは何とも言えないところでしょう.早い人はもう子供の頃からずっと考えているという強者?もいますし,上で書いたように,最後まで「考えずに済む」という超ラッキー?な人もいるでしょう.
私がまだ地震研にいたころ,当時学生だった人達と哲学論議や幸福論議をしていたとき,ぼそっと「やっぱ,考えないようにするってことですかねー.」と言ったのは,今新潟大にいる中村先生でした.それ以来,彼女は妻や名古屋工大の梅村先生などとともに私にとって「哲学論議ができる」とても貴重な存在となりました.ついでに(^^;,被害調査に行ったりとかいろんな仕事もいっしょにするようになりました.彼女は「考えないようにする」と考えたわけで,ということは,もうその時点で気がついていたわけです.
しかし,気がつくとその時はかなり落ち込むので,その時点では右往左往することになります.ひどい場合は最悪そこで自ら命を絶ってしまう人もいるかもしれません.実際,気がつくのが遅ければ遅いほどリカバリーする時間が残されていないので取り返しのつかないことになりかねません.高齢の自殺者が急増しているのは,気づくのが遅すぎたということがあるのかもしれません.妻や名古屋工大の梅村先生ともかなり哲学論議をしましたが,彼らはおそらく子供の頃に既に気づいていたように思います.その甲斐あって?彼らは今ではとても幸せです(と本人は言っています(^^;).
ですから,上で「考えないようにする」のは有効な手段の1つと書きましたが,それは確かにそうですが,それはなかなか難しいし,どうせ気づくのならリカバリーの効く早い方がいいでしょうから,私は,気がついたのなら「徹底的に考える」というのも1つの方法だと思っています.実際普通なら気がついたのなら,考えずにはおれないでしょう.幸い?まだ気がついていない人も,手遅れになるということがないように「保険」のために一度考えてみるといいかもしれません.「死」の問題も,解決できないから「考えないようにする」という「解決法?」ではなくて,一度ちゃんと向き合うことが必要なのではないか,と私は思っています.世の中に意味のないものはないですし,人間が死ぬのには理由があるわけです.「死」の問題については,私はもう物心がついた頃から考えていて,これはもう大分前から人間死ぬのが自然だと思うようになりました.
人生に絶望したら,自らの命を絶つのではなく一度冷静になって徹底的に考えてみる,ということだと思います.そして,考えること自体が生きていく活力にもなり得ます.実際,私もこういう余計な(^^;ことを考えてこういう文章を書くことでエネルギーをもらっています.そして,これこそが究極の「退屈しのぎ」とも言えます.
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