体調が悪いということもあるのだとは思いますが,モチベーションのコントロールにとても苦しんでいます(こんなこと堂々と?書いていいのかな).この文章書くのもしんどいくらいです.でもどんなにしんどくてもやることはやらないといけないので,そと見には普段と全く変わらないと思いますが,実際はとてもしんどいです.
この問題は,今に始まったことではありません.やる気にならずとても苦しんできたことはこのコーナーのあちこちで書いている通りです.このコーナーを読んでくださっている方にはわかっていただけてると思うのですが,そうでない私の周りの多くの方々は私のことをとても精力的にばりばり仕事してるし,仕事以外のこともいろいろ積極的に取り組んでると思ってくださってると思います.もちろんそういうときもあるのですが,実際にはモチベーションを上げるのにとても苦しんでいます.
このコーナーでもいろんなところでやる気やモチベーションについて考えてきたように,モチベーションが下がるのにはいろんな理由があっていろんな対策法があります(例えば,やる気3要素やモチベーションのコントロールなど).でも今回はそういった「どう考えればいいか?」というような問題ではどうしても解決しません.第一モチベーションが下がりすぎると何か対策をとろうという気すらなくなってきます.
何か直接的な原因があるわけでもありません.周りのいろんな「状況」を考えても特に思い当たる節はありません.確かに怪我をして運動できていませんが,それは思ったより平気です(それはそれでちょっと問題だが).衝撃的な「告白」の件も,解決はしていないのですが,その後頻繁に連絡を取り合うようになり,ファミーユにも来てくれて直接会っていろいろ話をして大分落ち着きました(大きな心の支えを失ったことには変わりないですが).卒論もようやく結果がどんどん出てきて大分いい感じになってきました.今日もちょっとしたことですがいくつか「いいこと」がありました.ですから幸不幸的に言えば悪くない気分です.でもとにかく効力感がありません.
つまり,幸不幸が状況に依存しないように,モチベーションの高低も状況に依存しないもっと本質的なものがあるように思います.幸不幸がセロトニンならやる気はドーパミンということでしょうか.結局人間もロボットということですかね.それならそれで話は単純でわかりやすいのですが.そう言えば,最近また油断してアミノ酸を摂取していなかったので,摂取してみます.そんなことしないとモチベーションがキープできないというのも面倒な話です(うまく行くとも限らないし).まあ普通?の人より「やること」が多い(多すぎる?)のが最大の原因でしょうか.やはり幸不幸と同じように無理せず「普通」にやれってことですかね.
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「やりたいこと(仕事)と恋愛(結婚)」ですが,どっちかということじゃないとだめなの?という質問?がありました.全くその通りですね.世間に仕事か結婚かどっちかという固定観念があるんだと思います.主たる原因は結婚したら女性は仕事しないと思っている理解のない男性ですが,見過ごされがちなのは結婚すれば仕事しなくていいという既得権に固執する女性です.ですから,「仕事と恋愛とどっちを選びますか?」と言われたら,私なら「両方」です.でもこう書いてみて,気がついたのですが,こういう質問は男性に対してすることはないと思います.女性,それも結婚せずに仕事ややりたいことに打ち込んでる女性に対してしかしない質問ですよね.岡崎朋美さんもそうです.もうそれ自体男女差別があると思います.
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少し回復してきました.というか,次々に降ってくる仕事に対応しているという感じでしょうか.やはり,とにかくやり始めれば側座核が刺激されてやる気が出てくるということでしょうかね.逆に言えば,こういうとき何もせずに過ごせてしまえば,モチベーションが上がる機会がないわけですから,どんどん無気力になっていってしまうということになります.地震研時代は今に比べれば時間がありましたから無気力になる要因はあったとも言えます.つまり忙しいことも,まあ悪いことばかりではないと言うことになります(これもどこかに書きましたね.でももうどこに書いたか探せない...早く整理しないと).今の世の中を見るとどんどん便利になって「食べていくためにしなければならない仕事」はどんどん減っているわけですから,方向性としては無気力化ということになります.そうすると人間は労働をすると快感を感じるようにプログラムされているわけですから,どんどん不幸になっていってしまうことにもなります.
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T横インが条例違反をして身障者施設を無断で撤去した件ですが,その後の状況にかなり失望しています.神戸の新しくオープンするホテルが条例違反のまま営業を始めてしまったことです.もちろん条例違反したままオープンしたということもあるのですが,私ががっかりしたのは,その理由が「予約でいっぱいだったので」ということでした.信じられない...
今回のニュースを見て,あの社長の会見を見て多くの人はどう思ったのでしょうか?私はT横インは何回か利用したことがありますが,今後一切,少なくとも当分は利用するつもりはありません.そんな気にすらならない.あれだけ非社会的なことをしたのだから,キャンセルが殺到するのが「まともな社会」だと私は思いました.こんな状況では日本もまだまだ「後進国」と言わざるを得ません.経済大国などと言って金だけ持っていて心は貧乏だなんてある意味最悪とも言えます.
「情けは人のためならず」という言葉があります.よく意味を間違えて使われる言葉ですが,正確な意味は,「他人に情けをかけておけば,巡り巡っていつかは自分に返ってくる」です.つまり,身体障害者に「情け」をかけるのは,同情とか慈悲ではなく,「我々自身のため」なのです.ここで書いたように,私を含めた健常者もいつ病気や怪我で身体障害者になるかわかりません.万が一不幸にしてそうなってしまったときでも,気分よく生きていける社会にしておくことは健常者にとっても重要なことであり,保険のようなものなのです.
そして,そういう「心のゆとり」をもつこと,他人を思いやる気持ちをもつことがとても暮らしやすい社会を作るし,ひいては自分自身にとっても大きなメリットとなって返ってくるのです.そんなこと言われても自分のことしか考えられない,他人のことまで考える余裕なんかない,という人は,もっと自己中心的になって自分のことばかり考えましょう.究極的に自己中心であれば,他人に優しくなるはずです.だって「情けは人のためならず」なんですから.
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名工大の市之瀬先生のホームページを見ていたら(助手のことも書いてありますね(^^;)
研究目標:コンクリート構造の耐震設計理論をシンプル&ビジュアルに体系化する。 (一生かかってもできそうにないのですが) |
と書いてありました.うーん,素晴らしい.そうなんですよね.ちょっとじーんときちゃいました.そういう一生かかってもできそうもない目標のようなものをもつことがとても重要なことだし効力感に繋がるんですよねー.私にとってそういう目標は何でしょうか?「地震による構造物被害に伴う人命の損失を減らす」ことでしょうか?まあそうなんですが,市之瀬先生の目標と比べるととても漠然としてるし,「内的熟達」による効力感に繋がらないような気がします.人との繋がりには関係してきますが,内的熟達にはかなわないと思います.仕事に対する効力感を維持するのにとても大事なことなのでちょっと考えてみます.
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一応構成を変えました.といってもとりあえずは内容別目次にちょちょっとコメントを付けただけです(^^;.これをベースに「ちょっと思ったこと」へのリンクなどを徐々に付け加えていきたいと思います.
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時間を見つけてぼちぼち構成を変えながら「ちょっと思ったこと」へのリンクを貼っています.それにしてもなんか殺伐とした世の中になってきましたねー.HューザーのK嶋社長やT横インのN田社長の会見を見ていると,私の目にも反省なんか全くしていないのがはっきりわかります.ていうのかそもそも何が悪いのかが全然わかっていない.だから反省なんかするわけありません.そういう人には当然モラルなんかありませんから,そういう行動をやめさせるには,法令強化をして罰するしかないんですかねー.世の中の大多数は「善良な市民」だと思っていたのですが違うのでしょうか.彼らは一応会社のトップに立って多くの人を率いてきた人間です.資本主義社会の歪というだけでは済まされなくなってくるかもしれません.
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内容別リンクですがぼちぼちやってます(^^;.でもこれまで「書き散らかして」いたものを内容別に整理するとやはり「考え」も整理されてきますね.もっと早くやっときゃよかった.整理しながら思ったことはやはり「セロトニンよりドーパミン」ということです.つまり自分が幸せだと感じても何も始まらず,始めるには行動を起こすことでそれにはやはりドーパミンということです.この「考えを整理するために内容別リンクを作る」ということにすらある程度の「やる気」が必要なわけですから.
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一生かかってもできそうもない内的熟達的目標を考えているのですが,私の場合は,やはり「地震動の性質と建物被害の関係を探求してそれを地震災害軽減に結びつけること」ということになるのかな,と思います.地震動の性質と建物被害の関係は,大まかにはだいたいわかってきたのかなという気がしてきていたのですが,詳しく見ていけばもちろんそんなことはありません.不幸にして被害地震が起こってしまったらデータを収集するために被害調査を行う必要もあります.強震観測網の充実により多くの貴重なデータが得られるようになりましたが,M8クラスの海洋地震や長周期地震動などまだ「強震記録+被害データ」が得られていない性質の地震動も沢山あります.地震動の性質を知るためには,それを作り出す震源,伝搬,表層地盤,相互作用など様々な要因についても探求していく必要があります.建物サイドも様々な課題があり,特に木造は未解明な部分が多々あります.木造は崩壊すれば人命の損失に繋がるので地震災害軽減の観点からも重要です.そしてこれらをどう地震被害軽減に結びつけていくかというのも様々なアプローチがあり(例えば,震度などの地震動の破壊力指標,リアルタイム被害予測,リスク評価,耐震補強の促進など)どれもほんとこれからというものばかりです.
こう考えると逆にほんとに一生かかっても「とても」できそうもない感じが逆にしてきてしまうので(^^;,5年スパンくらいでプライオリティをしっかり考えて今やるべきことを研究室のメンバーといっしょにやっていこうと思います.5年スパンというのは地震防災工学は日進月歩で,5年くらい経つと様相が一変してしまうからです.それこそ大きな被害地震が起こってしまえば,根底から考え直さないといけないことにもなりかねません.それに人間って将来のことを具体的に考えられるのってだいたい5年くらいが限界だと思いませんか?
ということで一生かかってもできそうもない内的熟達的目標とはむしろ相反する結論?となってしまったのですが,まあやる気になればなんでもいいんで(^^;,こう考えることでどうなるのかちょっとやってみようと思います.実は過去にこういう風に考えたことはあったと思うのですが,考えただけでこういう文章のように形にしておかないと忘れてしまうんですよね(^^;.参照して読み返して思い出せるようにちゃんと内容別リンクを作っておくことも大事ですよね.
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人を好きになるってどういうことですかね.まず「好き」について考えてみます.「好き」というのは別に対象は人とは限りません.ラーメンが好きとかコーヒーが好きとか.これは純粋に好みの問題です(まあこれも議論し出すといろいろあるのでしょうけど).ただ対象が「人」になると随分様相が変わってきます.それはその人がどういう人かすぐにはなかなか「わからない」からです.ラーメンの味はは食べればわかりますが,その人がどういう人かはなかなかわかりません.でも割とすぐわかる部分もあります.外見はすぐわかりますよね.話をすればその人がどういう人なのか少しはわかります.問題はここからです.つまりその時点でその人のことをどう思うかです.
まず「一目惚れ」という言葉がありますが,これは外見とかその人のちょっとした言動で好きになってしまうことで,「好き」というのは当人の問題ですからまあそういう人もいるのかもしれませんが,まあ普通は少なくとも今の私はそういうことはありません.ただここで問題となるのは,この段階ではその人のことがよくわからないので,その人のことをもっとよく知りたいと思ってしまった場合です.
実はこれを以て「人を好きになる」という人もいます.その人のことが「気になっている」ことには違いないわけですからね.「つき合ってみたい」と思うのも「好き」だからというよりは,その人のことが知りたいからでしょう.問題はなんでその人のことを知りたいと思うかですが,それはやはり「よくわからない」からでしょう.つまり,考えていること,発言,行動が,自分あるいはこれまで自分が接してきた他人から類推できないのでなんでだ?ということになるのだと思います.私の場合はその人が自分が思いつかなかったようなある意味高度なことを考えている場合はとてもポイントが高い(^^;です.
もし幸運にもつき合うことができて,話をしたりいっしょに行動をする中でそういうところを再確認できたらどんどん好きになって行くでしょう.一方,予想に反してそうでもなかったら幻滅するかもしれません.まあ幻滅すればつき合うのをやめればいいだけの話ですが.ただ,ここでまた問題が生じます.ここまで述べてきたことが正しいとすると,人は「自分と違う」人を好きになるということです.「自分と違う」の「違い」は,多くの場合,優れている方向に「違う」というケースですが,中には劣っている方向に「違う」という場合(例えば,この人は私がいないとだめだ,とか)もあるでしょう.
まあ違うタイプの人間同士が惹かれ合いつき合ってお互いに影響し合いながら双方とも成長していくというのはとてもいいことですし,何の問題もありません.そういう友人を沢山もてたらほんとに幸せなことですよね.違うというのは,何でもかんでも違うというのではなく,何か1つでもそういうところがあればいいですし,それだけで強く惹かれる場合もあります.
ただ問題となるのは,それが恋愛とか結婚ということになってくるときです.なお,恋愛は同性の間にもあると思いますが,結婚は(法律上)異性間にしかありません.そういうことになれば,普通は多くの時間をいっしょに過ごすわけですから,違うタイプの人間だとなかなか厳しいと思います.例えば,一方が休みの日は家でのんびりしたいと思っていて,もう一方が外に遊びに行くものだと思っていたらなかなかうまく行かないでしょう.
とても陳腐な言葉に「好きと結婚は別」というものがあります.私は好きでない人と結婚なんかできないし,そんなばかなとずっと思っていました.小さい頃から結婚するなら自分が好きになった人としたいとずっと思ってきて,実際その通りになってそれはとてもよかったと思っていますし,そういう人に巡り会えたことに感謝しています.ですが,上で書いたようなことが正しいとすると,好きになった人といっしょに生活するのはなかなか難しいということになってしまいます.悩ましいですねー.
実は,自分と違うタイプの人を好きになるというのも人類繁栄のために遺伝子にプログラムされていることなのでしょう.人間(に限らずほとんどの動物が)男と女に別れているのも違う遺伝子を混ぜることによって,遺伝子の非均質化を促し,確率的に生き残る数を確保しようというものです.違うタイプの男女が惹かれ合って子供を作れば,遺伝子の非均質化は更に進みます.
私はこのコーナーのあちこちで「プログラム」には逆らわない方がいいと書いてきましたが,果たしてどうなんですかね.現代社会では,プログラム通りに自然に生きていけなくなっているのでそうとばかりも言えないかもしれません.労働による退屈しのぎができなくなってきてるのもそうですし,食べたいなら食べたいだけ食べる,セックスしたければしたいだけするのでは肥満やエイズなどの問題を引き起こすのは周知の通りです.
でも,結婚ということにこだわらなければ深く考える必要はないのかもしれません.そもそも結婚は「制度」なのでそれそのものにそんなに意味はないと思います.実際,有能な女性は社会に出て男性と同等に働いて自分の食いぶちは自分で稼ぐようになり,結婚して養ってもらう必要がなくなったので結婚する女性が減るのは当たり前のことです.男性も一度一人暮らしをしてみれば,一人暮らしの快適さ,自分の身の回りのことくらい自分でできることに気づくでしょう.
ですから結婚という「形態」にこだわらずに,この人とつき合いたいという人と自然につき合って行けばいいのだと思います.これは別に夫婦などの「パートナー」に限った話ではなく,いわゆる友人関係についてもそうでしょう.結婚にはこだわる必要は全くないと思いますが,人間は,少なくとも私は,絶対に1人では生きていけません.これまでも「話のできる」友人達に随分助けられてきました.この人とは一生つき合って行くんだろうなという人も男女を問わず既に何人かいます.もちろん妻もその中に含まれます.特定の唯一無二の伴侶を得ることも素晴らしいですが,そういう人の輪を作っていくこともとても重要なことだと思います.
ただ結婚に意味があるとすれば,それはやはり遺伝子を残す(子供を作る)ことでしょう.子供を作るのであれば,育てるのは当然共同作業ですからいっしょに住み生活していく必要があります.母親と父親には違った役割があるので,子供のためにも両親が揃っているに越したことはありません(もちろんそうでないといい子が育たないという意味ではありません).そこのところは私の場合は,幸か不幸かまだ子供を作る決心がどうしてもつかないので今のところペンディングという状態です.しかし,タイムリミットが迫っているのは事実なのでどちらになるにしろ,近々「決断」をしないといけないことになると思います.この問題はもちろん自分だけではなく相手も含めてのことです.
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オリンピックが始まったようですね.「モーグルがおかしい...」で書いた女子モーグルを初っぱなからやるようです.前回のソルトレークのときはスキー場にいたので生では見られませんでしたが(ていうか多分夜中だった),今回は来週月曜が卒論の〆切でしかもかなりやばいんで準指の養成講習も(とっくに)キャンセルしてつくばにいるので見ることができるかもしれません.長野の時は生で見ていましたが,里谷の後続の有力選手が次々に失敗して里谷が金メダルを獲ったのは,何かがとりついているようでまさに神懸かり的なものでした(^^;.
ここで書いた上村ですが,会見などを見ていると精神的なコントロールにとても苦しんでいるのがわかって見ていてもほんと辛そうです.うまくいってくれればいいのですが.対照的に里谷はいつものように,しかも今回はだめもと?で淡々としてますね.オリンピックって4年に1度でしかも競技している時間なんて何十秒くらいですから,オリンピックの成績が全てだとしたらあまりに過酷で残酷です.でもここでも書きましたが,4年に1度の何十秒なんかよりこの4年間,あるいはもっと長い間やってきたこと,それを通して得たものの方が遥かに重要なわけですし,まあその成果を試すくらいのつもりでやればいいんだと思います.
別にオリンピックで金メダル取ったって,ノーベル賞もらったってそれ自体はどうってことないことです.でも自分が頑張ってきてその成果を「確認」できたら嬉しいですよね.でも一発勝負なんで失敗するかもしれない.勝負は時の運と言われています.でも実は150億年前から決まっています.だからほんと「結果」なんか気にせずに滑ればいいんだと思います.人生所詮退屈しのぎなんですし(^^;.でもなかなか難しいことですよね.
幸不幸相対論的にも上村が苦しんでるのがわかることでこういうことがありました.確かどこかのスキー場で小学生と話をしていて,「いつからモーグルやってるの?」とか上村がきいて,「そっか,小学生からモーグルやってんのか,いいなー.」ってほんと羨まそうに言ってました.上村って確か高校くらいからモーグル始めて1,2年でいきなり日本代表になってみたいな感じでしたよね.まあ当時はモーグル自体がオリンピックの正式種目に採用されたばかりであまりメジャーじゃなかったというのもありますが,上村がモーグルやってる小学生を羨ましいと思ったのはよくわかります.でもほんとは,逆に小学生,それも将来を目指して一生懸命モーグルやってる小学生からしたら上村なんかまさに憧れの存在でしょうし,そんな人から羨ましいとか言われて,何言ってんの!羨ましいのはこっちの方だよ!てなもんでしょう.
でもそんなもんなんですよねー.私も研究者になって大学に職を得てその道でなんとか食べていくという小さい頃からのささやかな夢?を何とか実現できて,大学の研究者を目指している大学院生,あるいは,もし大学院生時代の私が目の前にいたら,私のことを羨ましいと思ってくれるのかもしれませんが,私は自分のやりたい研究を思う存分できる大学院時代が一番幸せでしたし,彼らが羨ましいです.でも時間を遡ることはできないですし,大学院時代に頑張ったからこそ今があるのでしょうし,昔はよかったなーとか思っても何も始まらないですし,今は今で違ったよさがあるのは事実ですし,今は今の状況の中で頑張っていこうと思っています.でも少なくとも大学院生には2度と戻ることのない時間を大事にして欲しいと思います.
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女子モーグル予選を仕事をしながら(^^;見ました.うーん,今のところ私の予言通り?になってますねー.やっぱりモーグルはターンなんですよ!上村はエアで3Dを決めて高得点を出しましたが,上位選手と比べるとやはりターン点が出ていません.ソルトレークの時もそうだったんですが,特に第2エアの後,ちゃんとターンできていないように見えます.まあ予選なんで抑えて滑ったのかもしれませんので決勝に期待しましょう.少なくとも3Dを決める「だけ」では勝てないのは間違いないのでやはりターン勝負です.でも決勝3時からですね.うーん,ちょっと見るの厳しいな.でも全体をちゃんと見たのは長野以来(^^;ですが,全体にめちゃめちゃレベル上がってますね.驚きました(数人を除いて(^^;).バックフリップはみんな普通に(^^;飛んでますし,何よりターンが安定しています.吸収動作の後スキーのトップを落とすのが一瞬でしっかりコブの向こう側を「削って」ます.逆に言うとちょっと失敗するともうアウトという感じで厳しいですねー.
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1/24に怪我をして以来,まともに運動できていません.もう2週間以上になります.こんなに長い間運動しないのはバークレーにいたとき以来でしょう.バークレーにいたときも2週間以上何の運動もしなかったことはほとんどなかったでしょうから,こんなことは大学入学以来?ということになりますかね.でも体を動かせずにストレス溜まりまくりになるかと思いきや,それはそうでもないです.つまり,「運動しない生活」もやろうと思えばできるんですね(^^;.まあ別にストレス解消にスポーツしてるわけじゃありませんからね.でも怪我して仕事が忙しくてスポーツやめていく人はこんな感じでやめちゃうんでしょーねー.
大分よくなってきたし,ほんとはぼちぼち始めたいのですが,また痛めると準指に響きそうなのでバドミントンはちょっと怖いですねー.でも準指の方も1ヶ月切ったのでちょっとやばいです.2月の養成講習も行けなかったし(今やってる(^^;),学科もまだなーんにも勉強してないし.もう検定までにシーズン累計20日はとても無理ですね.養成講習ではほとんどだめ出しはされないので,普通に滑れれば受かるとは思うんですけどねー.でもシーズン始め調子よくても後半ぼろぼろなんてことはよくあるので,調整は絶対必要です.でも今はとにかく卒論をなんとか無事に乗り切る(乗り切らせる)ことですね.とにかくそれからです.
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女子モーグル決勝見ちゃいました(^^;.うーん,結果は残念でしたね.でも上村はずっと取り組んできた3Dは決めましたし,もてるものは出し切ったと思います.上村より上位の4人のターン技術は明らかに上村より上でした.ていうか全然レベルが違うし,ほんとにすごい.繰り返しになりますが,やっぱりモーグルはターンなんですよ!マスコミがエアばかり取り上げるので,モーグルがおかしいのでは?とも思ったのですが,全然おかしくなっていないのである意味安心もしました.でもここで書いた「嫌な予感」は見事に的中してしまいましたね.まあターン技術を磨くのは大変ですし,エアの新技に挑戦するという「戦略」で頑張ってきたのでしょうから,それはそれで仕方ないことです.
上村はどういう心境なんでしょうか(まだ競技が終わったばかりでコメントがない.まあどっちにしろ本心を語るとは限りませんけど)?少なくとも目標に届かなかったとは思っているでしょう.でも私はこれが今の彼女の実力だと思います.上位選手のターン技術とは大分差があります.だから今回はメンタルがどうとか,そういう問題ではなく,ほんとによくやったと思います.取り組んできた3Dも決めたわけですし世界で5番ですから大したもんです.でもこれより上に行くには3Dではなくて,やはりターン技術の向上だと思いますし,それこそが「モーグル」です.
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それにしてもどうしてオリンピックって「特別」なんですかね?各種目の世界トップレベルの選手が集まるからでしょうか?でもそれだったら世界選手権もありますし,シーズンを通して戦うワールドカップもあります.一発勝負のオリンピックなんかよりそっちのチャンピオンの方が真の世界一と言えるでしょう.バドミントンだったらオリンピックなんかよりトマス杯・ユーバー杯や全英オープンなどの方が遥かに「格上」です.
4年に一度という頻度の少なさでしょうか?それはあるでしょうね.でもやはりオリンピックが「特別」な理由は「テレビで放送されて世間から注目される」からでしょう.同じようなものに春夏と甲子園で行われる高校野球があります.大会自体は高校生の野球というある種目の全国大会に過ぎません.でも某国営放送によって全ての試合が放送されるので世間の注目を浴びます.これ以外の高校野球の全国大会もいくつかあるのですが全く注目されません.大相撲だって放送がなくなったらどうなるかわかったものではありません.つまりオリンピックも高校野球も「テレビでやるから特別」なわけです.
でもスポーツってそんなもんなんですかね.私はもっと奥深いものだと思っています.少なくとも世間やマスコミに騒がれてなんぼという類のものではないです.でも悲しいかなスポーツをすることによって「飯が食える」ものはほとんどないんですよね.オリンピックが放送されるのは見る人がいるからで,視聴率が稼げなければスポンサーもつかず放送もできません.でも金にならないという点では研究だってそうでしょう.金にならないけど大切なものは沢山ある.それが学問や文化だと思います.
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上村のコメントがきけました.3Dが決まったのはよかった,でもまだまだということですね,というようなことを言っていたと思います.とてもよかったと思います.彼女自身よくわかっていると思いました※.そうなんですよ,「まだまだ」なんですよ.もし金メダルを獲っても「まだまだ」なんです.そう思えたら,どんなに高いレベルに到達しても「まだまだ」だ,そう思えたら,一生そう思えたらほんとに幸せだと思います.
※別のコメントをきいたら,なぜ勝てないのか謎とか言ってますね.やっぱりわかってないのかな(^^;.
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なんとか無事?卒論提出が終わりました.ふう.去年と同様,分単位の勝負(^^;となりましたが,少しでもよりよいものに近づくためにぎりぎりまで頑張るのは,最先端の研究をする者としては当然のことでしょう.でも今年はちょっとやばかった.もっと早くから尻を叩くべきでしたかね.私の研究室は「完全成果主義」で成果さえ出せば,いつ研究するかは全くの自由ということにしているのですが(私自身もそうですから),ある程度は「勤務時間」を決める必要もあるかもしれません.来年からようやくフルメンバーになるので研究室全体で定期的に成果を発表する場も設けようと思っています.でも結果的に3つとも非常に興味深い結果が出てきてとてもよかったと思います.1つは,ここに概要を書いています.超縮小モデルのフレーム実験も地震応答解析の解析仮定を根本から考え直さないといけないような問題提起も出てきたりして,今後の展開も広がってきました.
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父が生きているときのことですから,私がまだ中学生の頃の話です.父の母(私の祖母)が父がまだ小さい頃,父にこう言ったそうです.「人と同じことしとったらでけん.人と違うことばせんといかん.」筑後弁なので通訳すると(^^;意味は,何かを成し遂げるには,他人と同じことをしていたらだめで,他人と違うことをしなければならない,というまあ当たり前?のことです.父は祖母のその言葉をずっと心に留めていたようで,そういう気持ちで頑張ってきたのだと思います.父は登山をしていたのですが,みんな下山している中を自分1人だけがただ黙々と登っているという夢をよく見たそうです.
父はそういう祖母を母としてもったことを誇りにも思っていたようで,私にちょっと嬉しそうに話してくれました.でも私はとても意外で驚きました.というのは,私の両親は2人とも働いていましたので,大牟田に住んでいた小学校2年までは祖母に面倒を見てもらうことが多く,その時の祖母はひたすら私のことを可愛がってくれて,その祖母が父がまだ子供の頃にそういうことを言ったというのはとても想像できなかったからです.
そこで,祖母に「お父さんがこげんこと言いよったけど,ほんとに言いよったとね」と直接きいてみました.そしたら,なんと「なんば言いよっとね.人と違うことしたらでけん.人と同じようにせんといかん」との答えでした.まあ答えは当時の祖母の印象そのままだったのですが,父の発言と食い違う(^^;ので,まだ子供だった私はこのことをそのまま父に話してしまいました.父は「そうねー.そげんこと言いよったとねー」と,とてもがっかりしていました.その瞬間,しまった,話すんじゃなかった,と思ったのを今でも憶えています.
それで話はいきなり現在に飛ぶのですが,今度は私の母に同じことをきいてみました.母ももう70を過ぎていますので,当時の祖母と同じくらいの歳でしょうか.私の母は別に私に「人と同じことしとったらでけん」と言ったわけではないですが,私が子供の頃はとても「教育熱心」な母親でした.そして祖母もおそらくそうだったのでしょう.答えは何と昔の祖母と同じ「人と同じことばせんとね」でした.そして私も父と同様?にがっかりしてしまいました.
しかしよくよく考えてみると「人と同じことをする」というのにも一理あります.確かに人に先んじて何かを成し遂げるのでしたら,人とは違う逆転の発想が必要でしょうし,人並みの努力では大したことはできないでしょう.しかしそれがどれほどのことなのでしょう.
幸せになりたいのだったらそんなに無理せずに,多くの人と同じように,ふつーに結婚してふつーに子供作ってふつーに歳とってふつーに孫が生まれて,というように普通に生きていくのが早道だと思います.幸せは平凡な日常の中にあるものです.私が30代にあんなに苦しい思いをしたのも「人と違うこと」ををしようとしたからかもしれません(今もそうか(^^;).ふつーに結婚してふつーに子供ができてという30代であったのなら,父と同じように子供のためにも頑張ろう(でもこれって実は自分のためなんですけどね(^^;)と思えて頑張れたのかもしれません.もちろん,人ができないことをやるということは究極の幸せで,うまく行かなくても目指しているだけである程度幸せになれますが,当然のことながらなかなかうまくは行かないですし,あまりに結果が出ないと逆に不幸になってしまうのも事実です.
話を祖母と母のことに戻すと,彼女達も若くて頑張っていた頃は,「人と同じことばしとったらでけん」と思って頑張ってきたのでしょうし,祖母が父にそう言ったのも事実でしょう.でも,歳を取って一種の悟りを開いて?「人と同じことばせんとね」と思うようになった,ということだと思います.そういう発言をしたとき,彼女達はもうリタイアしているわけですから,「これから」何かを成し遂げようとしているわけではないので,幸せになるにはそれが唯一の道だと思います.
私はどうなるかわかりませんが,できれば,リタイアしてからも今と同じ気持ちで頑張れたら(ってそしたらリタイアって言わないか(^^;)とは思っています.でも残念ながら今の仕事は定年があるので,何か他のものを探さないといけないですね.まあ仕事以外にやってることだけでもそれなりに退屈しのぎはできそうですが,何か他にあるような気もします.でもそうすると悲しいかな幸せになるのは難しいってことですね.まあどっちにしても人がどうこういうことではなくて,自分がやりたいこと,やるべきと思うことを流れに任せてやっていくしかないですね.それで幸せになれるかどうかはわかりませんが,少なくとも私にとって人生の目標が幸せでないことは間違いなさそうです.
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男子モーグルを見ました.女子のレベルアップにも驚きましたが,男子はもう唖然(^^;ですね.やはりスキーは切り換えの素早さです.抱え込んだ瞬間にもう切り換えが完了しています.もうここまで来るとターンではほとんど差がつかないような気もします.差をつけるんだったらもっと斜度を急にするとかコブをでかくするということも考えられますが,金メダルを獲ったオーストラリアのベッグスミスのターンの滑らかさ,安定感,そして安定感の中でのスピードは別格でしたね.
でもちょっと気がついたんですが,当然みんなヘルメット被ってるのですが,何人か,例えば,銅メダル獲ったアメリカのドーソンなんかが被ってるヘルメットなんですが,あれはどーー見ても私が被害調査に行くときに被ってるヘルメット(工事現場用)と同じような気がするんですけど(^^;.
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卒論の発表が無事終わりました.ふう.みんなよく頑張ってくれたと思います.頑張り始めるのがちょっと遅くて最後の方はほんとにいっぱいいっぱいになってしまったので.来年からはもっと早くから尻を叩こうと思います.来年は更にこれに修論が加わり,メンバーの数も5人から9人に増えるので相当大変になりそうです.
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卒論発表が終わってほっと一息ついたら,もう明後日が本番でした(T_T).今度はここで紹介したファジル・サイのBlack Earth(黒い大地)を弾きます.準備期間わずかに2週間!しかも1日3,40分程度.しかも「その場でプリペアド」があって(「その場で」だからプリペアドとは言わんか(^^;),ピアノが違う(いつも弾いてるのはヤマハだが本番はスタインウェイ)ので,ピアノのタッチもさることながら,プリペアドするときの目安?となるフレームが違うので,どうなることやら...その場で練習か?ということで,予行演習?を兼ねて試しにデジカメで録音(録画?)してみました.こっそり公開↓(^^;.「その場でプリペアド」や「ノートパソコンを使った譜めくり」などビジュアル的にも楽しめますよ(^^;.でも多分すぐに差し替えます(^^;.でもやっぱデジカメだと音は全然だめだなー.