研究者としてのこれまで(とこれから)
(1) 研究室に入るまで

 どこから書いたらいいか難しいですが,小さい頃のことからざっくり書いておくと,勉強はそこそこできたと思いますし,ごくたまに非常に興味をもって勉強したときは,成績が跳ね上がったりしましたが,概してぱっとせず,やらないといけないと思うとだめなので受験もうまく行かなかったと思います.

 そういう中で興味をもったのは,何となく理系で,父が大学の教員(専門は近代文学)をしていて,とても楽しそうに仕事をしていたので,そんなに楽しいのなら私も自分のやりたいことを見つけて大学の先生になりたいと思っていました.

 興味があったのは,理科というか宇宙とか天文とか科学でしたが,中二の時に英語に興味をもって勉強したこともあったんですが,これは,英語だとどう表現するかというシステムが面白かっただけで,それがだいたいわかるとすぐに飽きてしまったと思います.

 次の興味をもったのは,高二の時の力学でした.F=maというたった一つの式であらゆる運動が記述できることに驚き,はまりました.そして,結果的にこの時の感触が「正解」だったんだと思います.

 大学は,小さい頃,上述のようなことで大学の先生になりたいと父に言ったら,東大に行けと言われたので東大志望でした(地元は福岡).父は九大出身なのですが,当時九大の先生はみんな東大出身でいろいろ苦労したということがあったのかもしれません.

 肝心のやりたいことですが,当時はそんなに思い悩むことはなくて,力学→物理という連想から,理論物理がやりたいと思っていて,すんなり東大理一志望をしました.でも,高校時代は勉強しなかったですね.

 中学時代は,有名な進学塾に行ってかなり勉強した(させられた)のですが,高校に入ってもその貯金で食ってるようなものでした.でも,成績はラストスパートをかければ滑り込めるかなという位置にはいたと思います.

 高校時代は(正確には高二の冬までは)楽しかったですが,そうして時間が過ぎる中,高二の冬に父が亡くなってしまいます.冬休みでまさにラストスパートをかけ始めた頃でしたかね.突然のことでかなり大きなショックを受けてしまって,それから数年もの間,やる気のようなものを失ってしまった感じでした.

 もちろん,そういうことは言い訳にも何もならないのですが,やらないといけないと思うけどやれないというか,その時はまだ気づいてなかったと思うのですが,私の場合,興味をもてばがんがんやるけど,やらないといけないと思うとだめで,まさにその泥沼にはまった感じでしたかね.

 当然のように成績は上がらず,というか,どんどん落ちて行って,大学受験にも失敗します.でも,結果的にですが,自己採点では,かなり惜しいところまで行っていたので,成績なんか関係ないんだなとは思いました.

 大学は浪人して何とか滑り込むのですが,合格した年は,やりたいとかやりたくないとか関係なく自分を律して勉強することができましたし(そういうことは,人生の中でこのときと博士論文を書いた時の2回しかありません),全国でもトップ近くまで行きました(でもほんとのトップは現役で受かってるので何の自慢にもならいんですけどね).

 大学に入ると,理論物理志望ということで,入学早々,当時田無(今の西東京)にあった宇宙線研究所のゼミに喜び勇んで行くんですが,それがとにかくつまらなくて(すみません)ショックを受けます.これが自分がやりたいこと?

 F=maのようなシンプルな物理則とは対照的に,現代の素粒子物理は複雑怪奇で,理想と現実ではないですが,とにかく失望しました.実験物理もスーパーカミオカンデの例を見ればわかるように,物理というよりは,いかにして素粒子を観測するかということなわけで,私がやりたいことではないと思いました.

 ゼミが終わって外に出たら,もう真っ暗で,やりたいと思っていたことを失って,まさにお先真っ暗で,これからどうしよう?と呆然としながら西武線に乗ってトボトボ帰ってきました.

 でも,何となくですが,予感はあったんだと思います.中学高校時代にブルーバックスのような本は読んでいて,その中に南部先生の「クォーク」もありましたからね.ですから,理論物理一本というよりは,大まかに理工系という選択ができる東大理一を受けたというか,実際,そのシステムに救われることになります.

 東大は1, 2年次の成績で進学先が決まるのですが(いわゆる進振り),志望先が決まらない中,勉強にも身が入らないわけで,授業にもあまり出ず,東大ピアノの会に入って,ピアノを弾いているか,部活(バドミントン部)の練習に出てるかという感じでした.

 そうこうするうちに志望先を決めないといけなくなって,いろいろ調べたりしていたのですが,「東京大学工学部紀要」(だったかな?)という黒い本をぱらぱら見ているときに,建築に構造という分野があることを知り,その瞬間にこれだ!と思いました.

 私が興味をもったのは,物理というよりは力学で,でも,力学なんかもう過去の学問なんですが,力学を使っていろんなものが作られてるわけです.その対象は様々で,機械とか土木とか建築がある中で,建築が一番格好いい(笑)と思いました.

 こうして無事進振りを突破して建築学科に進学しましたが,構造志望なので,とにかく製図が大変でした.回りはほぼ全員建築家志望の猛者ばかりですからね.でも,最初の駒場製図のとき,広部先生が「この中でアーキテクト志望の人は?」ときいて,ほぼ全員が手を上げる中,私は「アーキテクト」の意味すらわかりませんでしたが(笑),「もろた!」と思いました.だって,競争相手がいないんですから.

 ただ,バドミントン部の練習が駒場であるので,4年の冬まで駒場に住み続けたこととかピアノも弾いてましたから,構造関係以外の授業にはほとんど出なかったと思います.でも,それはみんなそうで,授業になんか出ずに一日中製図室に泊まり込みで製図してるわけですから,相対評価?で成績はほとんど優だったと思います.

 そして,4年の春,研究室をどこにするかということになります.最初に考えたのは,秋山先生の研究室だったんですが,当時,彼が総合試験所に出向?になられていて人がいなくて寂しい感じでした.次に考えたのが青山・小谷研究室で,人がいっぱいいて賑やかで楽しそうで,研究室が11号館の7階にあって,そこから見える東大構内の緑が綺麗で,仲が良かった坂本といっしょにそこにしました.

 そして,卒論のテーマを決めるのですが,小谷先生の「どれも世界最先端のテーマなのでしっかりやるように」という一言で突然スイッチが入ったと思います.まさに生まれて初めての感覚でした.

 実際に研究を進めて行く中で,こんなに面白いことが世の中にあったということに驚くとともに,ようやくやりたいこと,探し求めていたものに出会えたと思いました(つづく).

※大分,はしょって書いてるのですが,やはり予想通り?長くなりそうです.

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