研究者としてのこれまで(とこれから)
(4) 就職活動?そして地震研に行った頃

 大学院の博士を修了すると就職ということになるのですが,うまく大学のポストというか就職先があればいいのですが,そんな具合に行くとは限りません.実際,大学院入試を受ける前に小谷先生に博士まで行きたいと言った時は,それはいいけど就職先があるとは限らないよとはっきり言われました.

 今のご時世,博士を出てポストがないなんてけしからんという風潮なんですが,そういうことじゃないと思うんですよね.研究なんか好きでやるもので,それで飯が食えるなんて夢のような話なわけで,博士出ても仕事があるかどうかわかんないからやめとこうと思う程度ならやめとけってことです.小谷先生が就職先があるとは限らないと言われたのも,それでも来たいと思うのなら来いということなわけで,そうでなければ,とても研究なんかやって行けないということです.で,私は全く動じることなく,はい,それでも行きますと言って行ったわけです.

 で,実際どうなったかですが,D3の7月くらいにいい話が来ました.とある地方の旧帝大の助手(今で言うところの助教)で,青山先生に呼ばれて話をきいたのですが,あろうことか,私はそれに難色を示したのです.とんでもない奴ですね.

 私の希望としては,首都圏の大学に行きたかったということがありました.具体的には,横国とか都立大とか千葉とかだったら最高でしたね.学生時代からいろんな委員会に出させていただいてたということもあって,とにかく東京の近くにいないと最前線から取り残されてしまうと思ってましたし,何となく横国の壁先生のところの助手のポストが空きそうだというのはきいていたので,もうすっかりそこに行けるものだと勝手に思っていた節もあって,その旧帝大の話がきたときは面食らったというか,変な話,見限られて地方に飛ばされると思ってしまいました.

 その大学は,私の地元の大学なのですが(もうそれでどこかわかっちゃうけど),頑張って東大に受かって東京に出てきて博士まで行って,地元に帰るというのは(実際は全然違ったとしても)夢破れて地元に帰るみたいなイメージもあったと思います.

 それ以外にも東京に9年いて,友人とか知り合いとかもいっぱいできて,もう地元ではなく東京が「ホーム」という感じで,ずっと東京近郊で暮らしていきたいというのもありましたし,これはまあおまけ的なことですが,九州に行っちゃうとスキーができないというのもマイナスポイントでしたかね.

 でも,当時はまだ母親が地元にいましたし,先生からしたら地元に帰って親孝行してあげなさいという親心もあったとは思うのですが,母親は私に福岡に帰ってきて欲しいなんて人じゃ全然なかったですし,こういうのって意外とかみ合わないことが多いというか,難しいですよね.

 でも,じゃあ横国にということにはならず,それ以降ずっと,それこそ博論提出間際まで何の話もありませんでした.もちろん,追加の拘束コンクリートの中心圧縮実験とか博論執筆とかで大変だったこともありますが,年末近くになるとさすがに不安になったというか,やっぱりもう見捨てられたのかとか思ったりもしました.

 そういうときに,地震研の南先生から研究室に電話がかかってきます.呼ばれて電話に出ると「境,おめーまだ就職決まってねーんだってな」「はい,そうなんですよ(泣)」「ちょっと,一杯やるか」

 こんな感じでほんとに一杯やって(笑)(まず先生の部屋に行って一杯やって,その後,八重垣に行って),うちに来ないかと言われたときは嬉しかったですね.そして,小さい頃からの夢というか,やりたいことを見つけてそれを仕事にする,大学の教員だった父が楽しそうに仕事をするのを見て,私もやりたいことを見つけて大学の先生になるということが実現した瞬間でもありました.

 ちなみに,タイトルに就職活動?とありますが,これが私の就職活動というか,就活なんかしなかったわけで,学生が就活してるのを見るとほんと大変だなあというか,もうちょっと何とかならないものかと思ってしまいます.

 ちなみに今の博士の就職の状況はどうなってるかですが,私の頃のように一本釣りというわけには行かず,公募が出てそこに応募して競争を勝ち抜く必要があります.でも,最近は建築構造はかなりポストはあって,ちゃんと研究して黄表紙を何本か書いていれば,行くところがないということはないと思います.

 あとは,私の頃は,助手はいきなりパーマネントの職で,つまり,その時点で一生食いっぱぐれなし,しかも,国家公務員でもあったわけです(今は国立大学法人の職員ですが実質的にはほぼ公務員).ちなみに給料は1年目で年収450万といったところで,それは今もそんなに変わらないと思いますが,当時はゼネコンとか官僚とかメーカーとかの同期よりいい給料だったと思います(今も?).やりたいことを仕事にしてこれだけ給料もらえて,もうそれで充分じゃないですか?

 今はテニュアトラック制なんですが,これも5年くらいの間に普通にちゃんと研究して論文書いていれば,問題なくテニュアはとれますし,こんないい仕事そうそうないと思いますけどね.

 こうして無事,地震研に就職して,ほんとに幸せというか夢のような日々を送っていました.もちろん,仕事はあるんですが,研究所の助手なので授業はないし(2年に1回,半期だけ南先生の大学院の授業の補助をするくらい),学会とかの南先生の仕事を手伝ったりはするのですが,それも研究活動の一つですし,基本的には,研究をしてればいいわけです.

 ほんとに夢のような日々だったんですが,それがずっと続くことはありませんでした(つづく).

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