木造家屋の耐震補強における費用対効果

 構造物の倒壊に伴う人命の損失を減らすのに最も有効な対策は,既存不適格建物の耐震補強です.既存不適格建物とは,現在の耐震規定になる以前,特に1981年以前に建てられた現在の耐震規準を満たしていない建物です.その数は全国で1000万棟以上とも言われています.「現在の耐震規準を満たしていない」という点では,耐震偽装された建物と同じであり,実際耐震性能が同程度のものも多数あります.

 今や日本の建築技術は世界一とも言え,現在の耐震規定を満たしていれば震度7クラス(正確には震度7は青天井なので震度7の下限の計測震度6.5程度)の地震が来ても大きな被害を受けることはほとんどありません.実際,私はもう十数回地震被害調査に行きましたが,現在の耐震規定を満たしている建物はほとんど大きな被害を受けていません.1995年兵庫県南部地震や震度7を記録し20%の家屋が全壊した2004年新潟県中越地震の川口町川口ですらそうでした.しかし,既存不適格建物の耐震補強は一向に進んでいません

 その最大の理由は,大地震なんかほんとに来るかどうかわからないし,多額の費用(だいたい木造家屋で100〜200万)をかけて耐震補強したとしてもそれに見合った費用対効果があるのかどうかわからない,いや,耐震補強なんて「念のため」しておくものであって,それに見合った「リターン」なんかないものだ,と思っている人が多いからでしょう.

 そこで,木造家屋を対象として耐震補強は「損か得か」定量的に計算してみました.その際,必要な情報は主として次の5つです.

1.木造家屋が建つ地点での地震発生確率
2.木造家屋を耐震補強するのに費用がどの位かかるか
3.木造家屋が全壊するときの建物強さ(ベースシア係数)と地震動強さ(震度)の関係
4.木造家屋の耐震診断評点とベースシア係数の関係
5.木造家屋の老朽化による耐震性能の低下

 1.については,昨年(2005年)の春に推本で公開された「地震動予測地図」のハザードカーブ(30年超過確率)を使いました.

 2.については,筑波大学システム情報工学研究科の村尾先生の研究室で,まとめられた木造建物耐震診断の補強前,補強後の評点と費用の関係式を用いました.

 3.については,我々の研究室で提案している,被害と対応した震度(1-2秒震度)を用いて建物強さ(ベースシア係数)との関係式を導き,使用しました.「地震動予測地図」で使われている震度は計測震度ではなく,地動最大速度から換算した震度なので,我々の研究室で提案しているものに近いからです(相関係数0.92).「地震動予測地図」で使われている震度と1-2秒震度の関係式も導きました.

 4.については,我々の研究室で調査収集している強震観測点周辺の実際の建物被害と強震記録に基づいて検討した被害関数から耐力分布を求め,これが木造耐震診断データによる評点分布と一致するように決めました(評点1.0がベースシア係数0.39→0.55に対応するという結果になりました).また同時に木造建物が全壊するときの塑性率も決まります(塑性率7に対応するという結果になりました).

 5.については,木造建築物の耐久性向上技術(国土開発技術研究センター)の関数形を用い,建物強さ(ベースシア係数)が築年数に従って低下していくモデルを使用しました.

 結果は,予想外?に「耐震補強した方が得」となるケースが非常に多いことがわかりました.具体的には,東海・南海・東南海地震の被害が懸念されている太平洋側はもちろんのこと,首都圏でも東京湾岸沿いの人口が密集している地域も「耐震補強した方が得」となりました.具体的には,「地震危険度予測地図」の赤い部分全てとオレンジの一部です.面積的には1〜2割程度ですが,人口密集地域と重なっているためにものすごい数の木造家屋が「耐震補強した方が得」となることになります.

 なお,5.の木造建物の老朽化による耐震性能の低下モデルは,あくまでモデルであって,木造建物の老朽化によって実際に建物強さがどのくらい低下していくのかはまだ不明な点が多く,今後の研究が待たれます(我々の研究室でもやろうと思います).感度解析の結果,木造建物の老朽化による耐震性能の低下の影響はとても大きいので非常に重要な因子です.上で述べた「耐震補強をした方が得な地域」は,老朽化によってほとんど耐震性能が低下しないとした場合でもそうであり,実際には,老朽化によって耐震性能が低下していくので「耐震補強をした方が得な地域」は更に広がると考えられます.

詳しくは,

飯塚裕暁, 境有紀, 実際の建物被害と対応する地震動強さ指標を用いた既存不適格木造建物の耐震補強における費用対効果の検討, 第12回日本地震工学シンポジウム論文集, 2006.11.

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