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6/1'20
[循環]

 結局は,内的と外的の組み合わせというかバランスというか循環なんでしょうね.やる気三要素的に言えば,内的熟達と人との繋がりですが,「一人,時々,みんな」というのもそういうことですね.

 面白いこと,やりたいこと,やり甲斐があると思うことを見つけてやっていても,それを高い強度で何十年も持続することは難しいわけで,そうなったときに,誰かから必要とされて,それがめんどくさいことを押し付けることではなく,評価されて私にしかできないことならしょうがないけどやったるかという気になったりするってことでしょうか.

 そして,そういう相互作用がうまく循環するのがいいというか,そうでないと持続的にやって行くことは難しくて,でも当然のことながら何もしていなければ評価されることはないし,評価されたと思って仕事していても,その実,その仕事何なん?ということもあるわけで,つまり,そういうのってものすごく微妙で,循環ですから好循環もあれば悪循環もあるわけで,難しいというか,運任せってところはあるんですが,原点に返れば,やっぱり,どういう状況でもやるべきことを淡々とやるってことだと思うんですよね.

 そして,うまく循環しないというか,やっても結果を出しても評価されないとしても,基本的にはやりたいことをやれてるんだし,めんどくさいことに巻き込まれずに済んだんだからそれでいいじゃんと考えればいいわけで,でもそうやって過ごしてると結果的に循環するというか,少なくとも結果が出ないとか評価されないとか言ってやらなくなるよりは百倍いいと思うんですよね.

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[違和感]
(世の中)

 相変わらず,辛くて厳しいこの難局を我慢して頑張ってみんなで乗り切って行きましょう的なことが言われてるんですが,違和感ないですか? もちろん,大変な人達もいるでしょうが,そうでもない人も多いと思いますし,私は別に辛くもないし我慢もしてませんし,むしろ,快適に過ごしているくらいです.

 メディアの言うことは嘘ばっかりってことなんですが,震災のときと似てますが,市中の人々も表面的にはそういう感じで,でも,賢い人は,実際はそうでもないことがわかってて,要は,まさに世の中の縮図というか,多くの人が騙されて何かを搾取されてるってことでしょう.

 つまりは,歯が浮くような耳障りのいいことを聞くたびに,逆に世の中の汚い面があらわになるわけで,そういうことが見えるか見えないかの違いは大きいと思うんですよね.

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[meからweへ]
(世の中, 経済)

 今朝のモーサテで,資本主義はmeからweへと言ってる人がいました(渋沢栄一の子孫らしい).

 どういうことかと言うと,これまでの資本主義は自分のためにというmeだったけど,これからは社会のためにというweということらしいです.例えば,寄付とかはそうだけど,投資もそうだと言ってました.

 投資もそうだというのは,アイデアと行動力はあるけどお金がない人にお金を貸したり,株式を買うという形で資本金を提供して株価の値上がりや配当で回収することが投資ということなんでしょうが,儲かるかどうかではなく,社会に貢献しているかで判断する(いわゆるESG)ということらしいです.

 でも,それで儲からないと投資なんかしないわけで,でも,そういうことが儲かるとは限らないではなく,社会的に持続性のあることなら,長期的には利益は付いてくるということでした.

 うーん,どうなんですかね? 世の中には自分だけが儲かればいいという人間で溢れている中でそんな具合に行きますかね? ていうか,それじゃあ資本主義じゃなくて社会主義?

 でも,そもそも重要なのは,人口が増えない状態で,持続的本質的に経済成長して行けるかということですよね.つまり,技術革新などによって,生産性が上がったとしたら,人はどうするかってことです.少ない時間で生活に必要な分を充分に稼げたら,あるいはBIもらえたら,残りの時間はのんびりするよって人を騙して金を使わせて消費させて,では,これまでと変わらず目先の経済を回してるだけで,大事なのは,そういう見かけだけ経済成長することではなく,より多くの人が幸せになることで,それは,消費を増やして経済成長することではないと思うんですよね.

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6/2'20
[産業医科大学]
(自分)

 北九州でクラスターが発生したと報道されている産業医科大学ですが,何か引っかかるというか自分と関りがあるということで思い出したことがあります.

 もうこれ以上浪人できない一方,共通一次(今のセンター試験)で9割5分もとってしまったことで,迷いが生じたということはないのですが,当時は共通一次の配点が多い大学が多く,唯一東大だけは1:4で(当時は京大も今より共通一次の比率は高かったと思う),私の回りの理系で成績最上位の連中は,九大医学部志望が圧倒的に多かったわけで,共通一次でそれだけとれたらふつー九大医学部受けるだろと散々言われたことはどこかで書きました.

 私としてはそんなの関係ないんですが,もうこれ以上浪人できない中で不安はあったわけです.それで産業医大のことがあったことを思い出しました.

 産業医大というのは,私立なんですが,実質は違うというか,自治医大みたいに卒業後,ある職(産業医大だから産業医?)に就けば授業料は免除みたいな感じで,まだ設立直後だったんですが,レベル的には地元では九大医学部の次というか,そういう学生が行っていて,しかも,二次募集みたいなのをやってたんですね.それが確か共通一次の点でほぼ決まるということで,東大落ちたら産業医大があるというのは,心のどこかにあったと思います.

 事情はともかく,東大に行って理論物理やろうと思ってる人間が滑り止めに医学部というのは,まさにあるまじきことなんですが(ちなみに早稲田の建築と慶応の理工には受かっていて,早稲田には入学予約金18万も払い込んでいた),それくらい追い詰められていたというか,食べて行くにはなりふり構ってられないというか,東大にも入れないくらいなら研究者になんかになれるわけないと思っていたわけで,でも結果的には,何とか滑り込んだわけで,ある意味,産業医大の存在に助けられたというか,その名前をきくとどこかで「ありがとうございました」という気持ちになるのです.

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 でもまさに結果論なんですが,逆に言えば,産業医大に行ってたかもしれないわけですよね.もちろん,行ってからやっぱり違うと思いなおして辞めて東大を受けなおすということだったかもしれないんですが,そのまま医者になったかもしれないわけで(もちろん,それまで自分が気づいてなかった魅力に気づいてということも含めて),人生わかんないというか,それ以降もそういう岐路はいっぱいあったわけで,でも,その一方で,なるようになってるというか,でも結果は「ただ一つ」なので,そう思ってるだけってことかもしれないけど,そう思えればいいというか,やっぱり人生って面白いというか不思議ですね.

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[天は自ら助くる者を助く]

 この話とも関係するんですが,今の状況が辛くていろいろ不満を言ったり,国とか組織とかにあーして欲しいこーして欲しいという人がいます.もちろん,どうしようもないときは助けを求めることは大事なことですが,その一方で,もらえるもんはもらっとこうというか,ダメ元で言っとけという人もいるわけです.

 震災の時とよく似てると何度か書いていますが,仮設住宅のお風呂に追い炊き機能が付いていないので付けて欲しいという要望が出て,善処しますという国会答弁が行われていたのは今でも鮮明に覚えています.

 被災者はどんどんぜいたくになると言った人がいましたが,現状に不満をもってそれを誰かに言うと何とかしてくれるかもしれないという状況は,被害者意識がどんどん大きくなってしまうわけで,それは,助ける側にとっても助けられる側にとってもいいことはないでしょう.

 要は,「天は自ら助くる者を助く」なわけで,まずは自分で何とかしようとするのが基本だと思います.

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[めでたしめでたし?]
(経済)

 株がどんどん上がってて,もう新型コロナで暴落した分は戻したんじゃないですかね?(ご馳走様です) でも実態経済は悲惨なわけで,違和感を感じると言う人が多いんですが,何度も書いてるように株価は将来の経済の鏡ですから,そんなの関係なくて,株が上がるということは,将来経済は戻すということで,だとしたらめでたしめでたし?

 ていうか,日本だけでなく世界的にこれだけ莫大な借金をしてじゃぶじゃぶにしたら目先そうなるのは当たり前です.でも,それは目先の話で,借金はどこかで返さないといけないわけです.

 つまり,平たく言えば,バブルってことです.ただでさえバブルだったのに,新型コロナでこういうことになって,益々そういうことになってしまったわけで,でも,バブルですから必ず崩壊しますし,山高ければ谷深しです.

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6/4'20
[経済を優先するはずが]
(世の中, 経済)

 緊急事態宣言が解除されたと思ったら,感染者が増えてきて,今度は東京アラートというよくわからないものが出て,ってことで,経済を優先すると言えばきこえはいいですが,要は,国も自治体ももう面倒見る気はないってことですよね.休業要請をしなければ,補償金を払う必要もないわけですからね.

 つまりは,各企業とか組織とかお店とかが責任をもってやるってことで,もしそこで感染者やクラスターが発生したら,自分達に返ってくるってことで,既にどこかで書きましたが,それはそれでいいんじゃないですかね.

 でも,そうすると,ずるずると感染は収束しなくて,却って経済活動は元に戻らずってことなんでしょうが,それは旧態依然とした商売の話で,人と人が直接接しなくてもできることはいくらでもあって,これを機にそこでボロ儲けする人間がいる一方,対応できないとか,いつまでもバブル(だったんですよ.新型コロナの前までは)にしがみついていれば,野垂れ死になわけで,結果,ものすごい格差になって現れるんじゃないですかね.

 いずれにしても,早く収束してくれないかなという他力本願では話にならないでしょう.

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6/5'20
[芸は見て盗め]
(大学)

 大学の授業は,原則全てオンラインなんですが,学生実験はそういうわけに行かず,でも,いつになったら収束するかわからないという状況で,何とかしないといけないということで,実験もオンラインでできないかということが議論になっています.

 でも,実験本来の目的は,まさに「実」際に経「験」することですから,オンラインは一番なじまないというか,だからこそ,オンラインで授業をやってなかったわけですが,こういう状況で何とかしないといけないのなら何とかしないといけないわけです.

 それで,その昔は「芸は見て盗め」と言われていたことを思い出しました.弟子入りとかしても雑用をやらされるだけで芸なんか教えてもらえなくて,でも,師匠の芸を間近で見て必死で盗んで覚えたわけです.今からするとそんな時代遅れな,ということなんでしょうが,手取り足取り教えてくれるのではなく,芸を盗もうと必死で観察して自分のものにしようとすることは大事なことだとは思うんですよね.実際,外科手術を横で見ていたら自分にもできるような気がしてやってみたらできたなんて逸話もあるくらいですからね.

 そこまでは極端だとしても,現代だとYouTubeを見て自分でやり方をマスターして,なんて話はいくらでもあります.つまりは,あたかも自分が実験をやっているかのようなわかりやすい動画を作れるかが肝というか,やらないといけないのならできる範囲でやるしかないということですし,とかく受け身の今の学生の行動を変えるきっかけになるかもしれませんし,しっかり想像力を働かせて動画を見ることは,YouTube世代の今の学生には意外とはまるのかもしれません.

 でも,先端?IT技術でオンラインになることで,昔の「芸は見て盗め」に戻るとしたら,それはそれでちょっと興味深いですし,今でも昔でも,従来のやり方に縛られずにより効果的で効率のいいやり方を考えるということでしょう.

 そもそも,学生実験の目的は,「実」際に経「験」することというよりは,将来,学生達が社会に出て,ほんとの実験をすることになったとき,実験装置の扱い方とかデータの取り方,分析の仕方が身に付いていることなので,それには,何となく受け身で「実」際に経「験」するより,想像力を働かせて能動的に動画を見ることの方が効果があったりするのかもしれません.

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(日記)

 夏の甲子園が中止になったことで,未だに何とかかならないかとかいろいろ言ってる芸能人みたいな人がいます.自分の好感度を上げるのが目的なのなら何をか況んやですが,夏の甲子園をやるのなら,当然のことながらインターハイもやるべきで,野球を依怙贔屓するのは,それ以外のスポーツをやっている高校生を傷つけているということがわからないとしたらほんとにどうしようもないですね.

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[引っ越しは大変]
(生活)

 この時期,ピアノプロジェでミーティングをやってるのですが(でも私は最近は行ってないけど),今年はこんな状況なのでZoomでやることになったのですが,I東さんが最近引っ越したらしく,そしたらM田もそうみたいで,引っ越しのことが話題になってます.

 みんな異口同音に言うのは,引っ越しは大変ってことなんですが(T久先生は引っ越しの後,半年くらい体調が悪かったらしい),それは私も同感で,4年前はほんとに大変でした.それで,我々ももういい歳(笑)ってことで,今がもう限界とか,もう引っ越すつもりはない的なことを言う人もいて,そっか,そういうつもりで家を買う人も多いんだなと思った次第です.

 私個人的には,何度も書いているように,家は買うより借りるという考えなんですが,理由はいろいろあって,経済的に(長期的に不動産価格が値上がりして行かないのなら)借りた方が得ってこともあるのですが,一番の理由は,いつ引っ越すことになるかわからないというか,そういうつもりというか,具体的には,研究者である以上,今いるところよりもっと研究環境がいいところから話があったときに,それを少しでも阻害する要因は排除しておきたいということがあります.

 リタイアして研究者でなくなったとしても,何かはするわけで(そういう意味では,死ぬまで研究者であるとは思うので,大学の教員でなくなったら,ですかね)そうすると,そのときの状況に合わせて最も快適な場所に住みたいわけで,どこかに定住するというのはリスクが大きいと思ってしまいます.

 実際,5年くらい前までは,東京に帰りたい,東京に住みたいと思っていましたが,今はむしろ東京には住みたくないわけで,例えば,10年前に東京に永住するつもりで引っ越してたら,今はしまったと思っても多分めんどくさくて引っ越そうとは思わないわけで,そうするとそういう状況で何十年も住み続けることになるわけで,それはあんまりいい状況ではないと思うんですよね.

 でも,現実問題としては,引っ越しは大変なわけで,それは歳をとれば益々そうなわけで,だとしたら,まだ体が動くうちに「いつでも引っ越しできる状態」にしておくしかないわけです.それは,普段の日常生活を快適にするということもあるんですが,荷物をできるだけ減らして,あまり使わないものは,どこに何があるかわかるようにして,ダンボールに入れてスチール棚に収納しておくというのは,普段の生活を快適にするというよりは,「いつでも引っ越しできる」ことの方を優先しているとも言えますが,それでもその方が普段の日常生活が快適になると思うんですよね.

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6/6'20
[拘らない]
(生活)

 でも,例えば,「研究者である以上,今いるところよりもっと研究環境がいいところから話があったときに,それを少しでも阻害する要因は排除しておきたい」ということだと,それはそれでわかるけど,そんなあるかどうかもわかんないことを想定するより,今の生活というか,家で過ごす時間を少しでも快適にした方がいいんじゃない?という人もいると思います.

 そうですね.でも,これも私の場合なんですが,「家で過ごす時間」の比重が低いというか,極端な話,帰ってご飯作って食べてお風呂入って寝るだけ(+ピアノが夜遅くまで弾けて,ノートPCで作業ができればいい)に近いというか,他にやることがあるってことですかね.

 でも,家族がいる人はそうも行かないんでしょうね.でも,パートナーも同じような考えというか,やることというか,何か成し遂げたいことがあるような人なら,家がどうこういうことに拘らないと思うんですよね.

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[変わってきた]
(ピアノ)

 ピアノはまあ何とか弾いてはいるんですが,相変わらずモチベーションの問題というか,手を変え品を変えではないですが,どうにかしてピアノに向かうように創意工夫?的なことをしています.

 今の時期は,まだ演奏会まで時間があるので,いろんな曲を食い散らかすというか,それこそ,弾く気になる曲を弾くって感じなんですが,何を弾くかに変化が現れ始めた気がしています.

 ここ20年くらいは,どういう風に過ごしてきたかというと,年の前半くらいは,いろんな曲を食い散らかすというか,その時弾く気になる曲を弾くって感じなんですが,結局,ものになることはないというか,演奏会でも出せないしレパートリー的なものにもならないという感じで,年の後半というか,I東さんから催促の連絡が来ると演奏会で弾く曲を何とかひねり出すという感じだったと思います.

 そして,振り返ってみると,演奏会で出したものは,それなりに弾けるようにはなってるのですが,それっきりというか,次の年は,また「新曲」に向かうってことで,これは,ここ20年に限った話ではなく,それこそピアノを弾き始めてずっとそうだったと思うんですよね.

 でも,それがどうよ?と思い始めたということです.

 具体的に言えば,どこかで書いたと思いますが,レパートリー的というか,いつでも弾けるということもありますが,そんなことより,半年とか数か月取り組んで一度演奏会で出したらそれっきりというのが勿体ないというか,もっとずっと付き合って行きたいというか,そういう曲を見出したいってことですかね.

 そういう曲にはいろんな条件があって,もちろん,自分が弾きたいと思う自分がいいと思う曲ってこともありますが,長い曲だと毎日は極端としてもしょっちゅう弾くことは難しいでしょうし,単純に弾いていて気持ちがいいとか,毎日のように弾くのに耐える奥深さとか,どうせ弾くのなら練習になる曲がいいとか,でも激しくて難しい曲はもうしんどい(笑)とか,いろいろ厳しい条件が付いてくるんですね.

 で,今は,そういう条件を満たすものをいろいろ弾いているというか,食い散らかしているってことなんですが,そういう短い曲は,演奏会で出すことはないと思います.でも,演奏会で出すと,そこで終わりになるので,逆にずっと弾いて行ける感じもしていて,短くて毎日にように弾いていたら,暗譜もしてレパートリーにもなるでしょうし,99.9%は,日常の練習なので,そこでどういう曲をどう弾くかはとても重要で,そこで自分の中でいろんな条件を満たした曲を絞り込んでいくというか,そういうこと足りうる曲を探していくのもいいんじゃないかと思うんですよね.

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[先にやったもん勝ち]
(音楽)

 話は上の続きなんですが,話題が変わるので違う記事にしました.

 それで,そういう曲を探していると,ことごとくバッハに行き当たることに気づきました.どういうこと?

 バッハは言うまでもなく,今の音楽の創始者とも言える存在ですが,その後,モーツァルトとかベートーヴェンとか,ショパンとかのロマン派とか,ドビュッシーとかの印象派とか,近現代とか,いろんな音楽が生まれましたが,結局,バッハは超えられないというか,やっぱ,バッハすげえ感は拭えないわけです.

 どうしてでしょうか? 単にバッハが偉大過ぎた?

 それはあるでしょうが,やっぱり,「先にやったもん勝ち」的なところはあるんじゃないですかね.実際,「ほとんどバッハがやっちゃってる」とはよく言われることですからね.

 売れればOKの商業音楽ではなく,それこそ学術研究というレベルの音楽というか曲を作ろうと思うのなら,必須条件は「まだ誰もやってない」という独創性です.つまり,バッハなどの先人がまだやってないことをやらないと芸術としては価値がないんですよ.

 でも,それはやっぱり非常に難しくて,現代においては,新しい音楽を産み出すのはもう不可能とさえ思えるほどです(商業音楽が繁栄する背景の一つとも言える).

 でも,既にあるなら,そして,それが何度も繰り返し聴いたり演奏したりするのに耐えうるものならそれでいいじゃん的な考えもあるわけで,そういう観点でいろんな曲を見て行くと,最終的にはバッハにたどり着いてしまうのは,当然の帰結なのかもしれません.

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[いい商品]
(世の中)

 上の記事もそうですが,このサイトで,商業音楽とか商業文学とか商業芸術のことを批判的に書いています.でも,売れてるわけですから商品としてはよくできてて,中には「いい商品」もあると思います.でも,それをアートとか芸術とかいうのは違うと思いますし,売れたからと言って(巧みな戦略で騙してはめて大した価値のないものを売るというやり方もあるので)「いい商品」とも限りません.

 ただ,注意を要するのは,売れたから価値がないとは限らないことで,真に価値あるものが評論家などの適切な啓蒙によって売れることはあるからです.でも,そういう場合,最初は,わけもわからずってことが多いんですけどね.

 そして,これは,売れる売れないだけではなく,いいねとか再生回数とかフォロワー数とかもそうですし,広くは社会的評価自体がそうなのは何度も書いている通りです.

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[具体的には]
(ピアノ)

 じゃあ,具体的にはどうなるかと言うと,極端に言えば,絞り込んだ限られた曲を毎日繰り返し弾くということで,逆に言えば,そういうこと足りうる曲でないといけないということです.そして,そういう条件を満たす曲はバッハに多いということでしょうか.

 どこかで中学の頃,老後は毎日一曲ずつベートーヴェンのピアノソナタを弾いて過ごすよと友人に話したことを書きましたが,そんなイメージでしょうか.つまりは,演奏会で人前で弾くことは想定せず,日々内的熟達的にピアノを弾くということで「準備」の一環とも言えます.

 でも,現実的には,ピアノプロジェは出るでしょうから「新曲」もやるとは思いますが,それはあくまで副次的ということですかね.理想としては,それが重なるというか,再発見的に「新曲」を弾いて,その中から絞り込んだ限られた曲に加わっていくものがあるということなんでしょうが,バッハを演奏会で弾くことはないかなあ.

 ですから,更に現実的には,しばらくは,絞り込まれた曲と新曲の二本立てということですかね.そして,徐々に前者に傾いていって,最終的にはそれだけになるってことですかね.

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6/7'20

 そっか,確かに住むところに拘りがないというのはそうですが,つくばに来た時は(最初からそういうことはないのにどういうわけか)そのうち東京に帰ろうと思っていたということですね.でも,そうこうするうちに15年以上経ってしまったわけです.でも,東京に帰りたいのなら,大学を定年で辞めたらそうすればいいんですが,いつの間にか東京に帰りたいとも思わなくなった.でも,大学を辞めたらつくばにいる気はないので,高崎線沿線とかを考えていたのでした.

 つくばに来る前はどうだったですかね.バークレーから帰ってきて,西片の家に住んだときは賃貸で,でもそのときは,まだ30代前半で,ずっと東大にいるとも限らなかったし,家を買うということは考えたこともないというか,そもそも,バブルが崩壊して不動産価格は下がっていくと思いましたし,実際,その通りになりましたからね.

 まあどのみち,家を買う気はないってことですかね.

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6/8'20
[「住み」やすかった街]
(生活)

 これまで私が住んでいたのは,大牟田→福岡→東京(駒場)→(本郷)→バークレー→東京(西片)→つくば という感じで,そんなに多くのところに住んだことはないのですが,出張でいろんなところに行きますし,何日か「住む」と何となくわかることはあります.

 そこで,これまで行って数日過ごした中で,地方の大都市とか中核都市の中心地でかなり記憶が鮮明に残っている札幌,仙台,静岡,名古屋,新潟,長野,富山,金沢,京都,大阪,神戸,岡山,広島,福岡,宮崎でどこが「住み」やすかったかなあとつらつら考えてみました.

 答えはすぐ出たんですが,それは大阪です.何回か「住んだ」ことがあるんですが,梅田から少し南の日本橋か難波あたりのホテルに泊まった時は,周辺に私が生活するのに必要なものが何でも揃っていてとても気分がよかったですし,雰囲気も好きでした.

 意外?ですよね.それ以外はどこか物足りないというか,何かが足りないというか,じゃあ,東京はどうやということなんですが,例えば,新宿,渋谷,池袋,品川,東京駅,上野,どこをとってもあのとき感じた難波?周辺の心地よさには遥かに及びません.というか,こんなに都会なのにどうしてこんなに必要なものがないの?と思うくらいです.

 じゃあ,大阪の中心から少し南あたりに住むかというと,もちろん,そうはならないと思いますが,どこだったかはっきり覚えていないので確認するという意味でも,機会があればまた行ってみたいとは思いますね.

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 気になったので,ちょっと調べてみました.確か近大でAIJ大会があったときなので2005年ですね(もう15年前).日にちは9月初めですが,周辺,あるいは,宿を予約するあたりのメールを探してみましたが(当時は,まだインターネットで予約して自動返信メールが届くような感じではなかったのか),場所を特定するには至りませんでした.

 でも,だとすると,現地に行ってどこか探すのは大変かも.まあ,長崎とか尾鷲みたいに夢は夢のままにしておくって手もありますが(笑).

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[完全リタイアして年金生活]

 同世代の人で,もうあと数年したら完全リタイアして年金生活と言ってる人がいました.

 そうですね.我々ももうそういう歳ですよね.多くの人は60が定年ですし,延長しても65かもう少しといったところでしょうか.

 正直ちょっと羨ましいというか,私ももう(やりたくない)仕事なんかしたくないし,仕事しなくても支出を制御すれば何とかやって行けると思いますが,私の場合,大学を辞めるとやりたいこと(研究)もできなくなるので,人質にとられているようなものとは何度も書いている通りです.

 でも,考えてみたら,仕事は(やらずに済むのなら)ずっとやりたくなかった(笑)というか,やりたいこと(研究)をするためにやっていたわけですから,これはもうすぐリタイアとかいうこととは関係ないってことですかね.

 まあ,いずれにしても,やりたいことがあって,やりたいことが何とかできるのならまあよしってことですかね.

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[何も変わってなかった?]
(音楽, ピアノ)

 やっぱ,バッハすげえってことで,私の中で何かが変わり始めている,具体的には,この歳になってやっと?バッハのよさがわかるようになったのかと思っていろいろ聴いてみました.でも...

 例えば,フランス組曲とかをストリーミング的に聴いていても何も「引っかからない」というか(5番のアルマンドはちょっとおっと思ったけど),いいと思ったのは,やっぱりここで書いた曲(と書き忘れたけど平均律のいくつか)で,何も変わってなかったということになります.つまりは,ことごとくバッハにたどり着くと言っても私の中では,バッハの中でここで書いた曲にたどり着くということなわけです.

 でも,それでもロマンでも印象派でも近現代でもなくバッハというのは,やっぱり,何かが変わり始めてるのかもしれません.だって,同じ作曲家の中で,ある特定の曲しか引っかからないというのは,バッハに限った話ではなくて,例えば,シューベルトのピアノソナタなら,D.960,D.894, Op.120には,強く惹きつけられる何かを感じますが,それ以外は何とも思わないですし,他の作曲家もそういうところはありますからね.

 ちなみに,父がよく言っていたのは(誰かの受け売りかもしれませんが),バッハのよさがわからない奴は幸せだ,なぜなら,膨大な量の楽しみがまだ残っているから,ということで,だとすると,私にもまだ膨大な量の楽しみが残っているということにはなるでしょうか.

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 そっか,バッハ以外の作曲家の作品で,強く惹きつけられるのは極一部だとしてもそれを全部集めれば膨大な量なわけで,一生かかっても全部弾くことは不可能でしょうし,まだまだ膨大な量の楽しみが残っているってことですね(どこかで書いたと思うけどすぐ忘れる).

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[マスク]
(生活)

 マスクなんですが,相変わらず私はほとんどしてません.するのは,大学の事務室に行く時とスーパーに買い物に行く時くらいで,研究室に1枚,車の中に1枚置いておいて,大学の事務室なら数分,スーパーなら買い物中10分くらい付けるだけで,それ以外に人に近づくことも対面でしゃべることもないですからね(ほとんどオンライン).

 何度も書きますが,マスクにウィルス感染防止効果はほとんどありませんし,意味があるとしたら,大きな声でしゃべったり咳やくしゃみをしたとき,自分の飛沫が相手にかかるのを防ぐってことなんですが,咳が出そうになったら袖で押さえればいいだけの話ですが(でも今はもう半袖なのでちょっと難しいか),そういうことがわかってない奴らに変な目で見られるのもめんどくさいですし,1日数分だけならいいかと思ってしてます.

 でも,外を一人で歩いているのに,この暑いのにマスクしてる人いますよね.この時期にまだ花粉症?

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[Google meeting]
(PC)

 いつの間にかgmailに「Meet」(Google meeting)というのが使えるようになっていて,「会議を開始」をクリックすると自動的に任意のアルファベット7文字の付いたurlが自動生成されて,それを送ればクリックするだけでZoomと同じことができるみたいで,会議ごとにurlが設定されるのでセキュリティ的にもこっちの方がいいじゃんと思って,試しに研究室の学生に繋いでもらったのですが,Googleのアカウントがないとだめみたいです.

 要は,Googleのアカウントを取得させるための戦略ってことでしょうが,使えないものは使えないってことですかね.

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[大事な仕事?]
(仕事)

 もう(やりたくない)仕事なんかしたくないんですが,そういう仕事ほど誰かがやらないといけないというか,大事な仕事だったりするわけで(でもほんとのほんとのところはそんなことないと思うけど),そうすると責任感というか,放ってはおけないというか,結果,やってしまうというか,なかなか厄介なんですが,これも本能的なものなんですかね.

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6/10'20
[人生一本道]

 人生一本道(岐路はあるけど,どちらかにしか進めないし,どちらに進むかは決まってる感じがする)なので仮の話は存在しないのですが,あとから考えるとあのときはこう思ってこうしたけど,思ったことが違ってたんじゃないかと後になって気づくことはあります.

 さっき,ふと思ったこととしては,南先生の葬儀の次の日のことは既に書いたと思いますが,○○大で募集してるから応募するようにと○○先生に言われて,推薦状までもらったのにどうしても応募できず,これで「終わった」と思ったときのことです.

 そのときは「見放された」と思ったんですが,そうではなく,そこに行って頑張って成果を出したら帰っておいでということだったのかもしれません(そうではなく,やはり,ほんとに見放されたのかもしれません).

 だとしたら,素直に言うことをきいて言うとおりにしておくべきだった?

 でも,○○大に行ったとしたらそれはRCの世界の話で,私がそこで成果を出せたかどうか,そこにどのくらいエネルギーを注ぎ込めたかはわからないと思うんですよね.

 南先生の葬儀のときということは1999年で,まさに1999年台湾集集地震が起こったときです.つまり,まだ台湾には行ってないわけで,今のようなやりたいこと,やるべきことを見出す前ということです.

 その後,1999年台湾集集地震,そして,そこに着想を得て,日本の強震観測点回りのデータと強震記録の分析を基に被害を説明できる指標として1-2秒応答を提唱するのですが,あのとき○○大に行ってRCの研究を続けていたら,1-2秒応答は生まれなかったかもしれないわけです.

 それはないとしても,極論としては,ちゃんと言うことをきいて東大に帰ってくるのと,1-2秒応答という「一仕事できた」と思えるような成果を残すのと,どっちを選ぶかと言われれば,答えは明らかだと思うんですよね(でも,そうじゃないという人が多いのかな?).

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 こうしてみると,○○大に行かなかったということもありますが,その後,公募に応募してここに来た時点で,もうそういう可能性はなかったことに気づかされます.そもそも,ここの公募に応募しようとしたときも止められたわけで,一度ならずも二度も言うことをきかなかったわけですからね.

 こんな感じで,よくここまでやって来られたもんだと呆れるくらいですが,私個人的には,やりたいことというか,やるべきと思うことができてよかったんですが,やっぱり,どこか後ろめたいというか,先生方には申し訳なかったとも思うんですが,今更そんなこと言ってもどうしようもないわけですし,やはり人生一本道なので,なるようにしかなってないということなのでしょう.

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6/11'20

 また余計なこと(正直に)書いてしまったと思うんですが,やっぱり,こういうのって難しいですよね.

 当時の私としては,自分が何をすべきか思い悩んでいたということはありますが,RCの研究室出身ということで,恩は返すというか,その中で活動していたわけで,でも,なかなか成果が出ないというか,認めてもらえないというか,そういう中で南先生が亡くなって,古い言い方ですが親分がいなくなってしまって,でも,頼れる先生はたくさんいらしゃったので,これからどうして行けばというようなことを相談というか泣きついたりもしたんですが,私の不徳の致すところだとは思うのですが,結構突き放された感じがして,とどめが葬儀の翌日のことで,もう完全に見放されたと思ってしまいました.

 でも,今から思えば,そんなことはなかったんだと思いますが,当時の私はそう思ってしまって,そうするともう自分で何とかするしかないわけで,何とかなるものは何かと必死で考えていたところに1999年台湾集集地震が起こり,被害データと強震記録の分析に至って,結果としてRCの世界から出て行くことになったということでしょうか.

 そして,あくまで結果的にですが,自分としては何とか一仕事できたことにはなって,それはよかったと思うのですが,そんなんでいいのかってことはあるわけで,でも今更どうしようもないですし,あの時に戻ってやり直せるとしても,結局,同じ道を辿ると思いますし,しょうがないというか申し訳ありませんでしたということでしょうか.

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6/12'20
(運保)

 ものすごい勢いで上げてきたNY株が暴落して驚いたと言ってた人がいますが,別に驚くようなことじゃないでしょう(それが相場です).

 個人的には,短運でかなりとれましたが(というか含み益が増えただけなので最終的にどうなるかはまだわからない),日運は玉が建ってないので影響ないですし.Nasdaq100先物は益がほんのちょっと減っただけって感じですが,これも明日はどうなるかわかりません(判断は今日の終値でまたする必要あり).

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[経済が回らないと生きて行けない?]
(世の中, 経済)

 何ちゃらアラートが解除されて,経済が回らないと生きて行けないからと言ってる人もいますが,経済が回るって何ですか? 食料品とか生活必需品の物流が止まったり,住む家を建てることができなくなること? 文化的?な生活をするために旅行したり,ライブとかコンサートとかスポーツ観戦に行ったりすること? 街中に人が溢れて,生きて行くのに必要のないものを買いまくったり,飲んだくれたり,キャバクラとかホストクラブでシャンパンコールとかすること?

 何をかいわんやですが,無用に目先の経済を回して楽して金儲けしたい連中は,一度吸ったうまい汁の味が忘れられないので,「経済が回らないと生きて行けない」とか言うわけです.楽なんかしてないというのなら,もっと世の中にとって必要なほんとに楽じゃない仕事はいくらでもありますし,ものすごい人手不足ですから,さっさと転職しましょう.

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[とっくにオンライン]

 今回のことを機にオンライン化が進むとさかんに言ってますが,考えてみたら,もうとっくに多くのものがオンラインなんじゃないですかね.

 ネット通販然りですが,テレビとかインターネットとかだってそうだし,ライブとかスポーツ観戦とか映画鑑賞とかだって,CDとかDVDとか配信とか中継とかで充分楽しめるどころかむしろ快適なわけで,でも,それでは儲からないので,ライブの臨場感とか,スタジアムで大声張り上げて(グッズも買って)応援しようとか,映画館の大きなスクリーンでご覧くださいとか言って騙すわけです.

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[報道するから]

 昨日のWBSで新型コロナの致死率は,通常のインフルエンザと変わらないと言ってる人(医学の研究者)がいました.ポイントは感染者数で,公表されているデータより多いのは確実で,それを正確に見積もると少なくとも日本ではそういう数字になるということらしいです.

 どこかで書いたと思いますが,私もそうだと思います.つまり,実際はそんなもんってことなんですが,じゃあ何でこんなに騒いでるのかと言うと「報道するから」でしょう.実際のところは,日本でこれまでの通常のインフルエンザで新型コロナを遥かに超える人が亡くなってるんですが(流行した年は1万人以上),そんなことは全然報道されない一方,それより遥かに死者数が少ない新型(千人以下)は大々的に報道するわけです.

 それは未知のウィルスなので過剰に怖がるというか,何が起こるかわからないところはあるので,過剰に怖がらせてものすごい手前に安全率を引いているということもあるのですが,それは大衆がちゃんと行動できないことが前提になっていて,逆に言えば,ちゃんと行動できる人は,そんなに恐れるものではないということです(それでも感染して死亡する確率は0ではないが,そんなこと言ったら,ずっと家に引きこもることになる).

 ただ一つ問題があるとすれば,新型コロナは,治療薬がないので人工呼吸器というかICUという設備が必要になって,それが医療崩壊を招くということでしょう(それにしてもそういう設備があまりに少ないのに驚いたのは既に書いた通り).つまりは,評価して制御すべきアウトプットは,感染者数とかじゃなくて,この一点ということだと思います.

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[工学部]
(大学)

 工学部ってどうよ?人気なくない?と言ってる人がいました.そもそも工学って何ですかね? 理学などのサイエンスを使って,ものを作ったり世の中の役に立つもの開発したりすること?

 工学部の成り立ちはよく知りませんが,産業革命以後の工業の発展に寄与するために作られたのは明らかでしょう.○○工業大学なんて大学もありますしね.でも,この「工業」というのがイメージよくなくない?ってことらしいです.確かに高度成長期の重工業を連想させますよね.

 ○○工業大学を英語で言うと○○institute of Technologyですが,これは,○○工業大学というよりは,○○工科大学だと思いますが(MITやCaltechはマサチューセッツ工業大学とかカリフォルニア工業大学とは言わない),変な大学?に名前をとられて改名できないというか,そもそも名前を変えるのは(夫婦別姓同様)ご法度ですからね.ちなみに東工大はMITにならって作られたというのをきいたことがありますが,略称が?ITではなくTitechとなってる理由は...(笑)

 でも,私個人的には,工学部≒工業というイメージはあまりありません.というのは,今いるところ(大学院)は,エネルギー,防災,材料,宇宙,電気,機械の集合体ですし,学類(学部)まで入れると,これにコンピュータ,ロボット,情報処理とかが加わるわけで,というか,現状としては,工学部≒engineering(Faculty of engineeringであって,Faculty of industryではない)なんじゃないですかね.

 そして,IT,コンピュータ,ロボット,データ解析など,現代社会の中枢技術の根幹は全てengineering,即ち,工学部で学ぶことが基礎になってるわけで,人気がないどころか,一番ホットなところなわけです.

 ただ一つの問題として,高校教師のことがあげられていて,彼らの多くは,理学部とか文学部出身らしく,工学部→IT,コンピュータ,ロボット,データ解析という発想にはならなくて,進路指導に問題がということらしいです(みんながそうではないとは思うけど).

 でも,今の世の中,そういう情報はいくらでもありますから,自分で調べようと思えばいくらでも調べられるわけですし,これも結局,人からしてもらうのか,自分で考えて動くのかってことでしょう.

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[一番のリスクマネージメント]
(生活)

 この話の続きになるのかな.確かに引っ越しは大変で,だとしたら,もう歳だし,終の棲家というか,もうずっとここにいるつもりで家とかマンションを買って,というのもわからないでもないです.

 でも,それで最後まで行けますかね? おそらくは行けるとは思うのですが,行けないこともあるというか,今と状況が変わることもありうると思うんですよね.

 例えば,1時間に1本来ていた路線バスが廃線になるかもしんないし,回りに人が少なくなって近くのスーパーが閉店するかもしんないし,何か災害が起こるかもしれないし,今想定していないことが起こるかもしれません.

 そうなったときにもう歳で動けないとなったら,お金がいっぱいあったら,お任せパックで引っ越せばとか言っても,20年とかしたら人手不足で姥捨て山状態というか,お金なんかいくら積んでもだめかもしんないし,だとしたら,何とか自分の体が動いて,自分でも何とか引っ越せるような荷物の状態にしておくことが一番のリスクマネージメントだし,そういう状態で生活することが気分もいいと思うんですよね.

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[その人の写真]

 人は歳をとって行って,顔とかの外見もどんどん「変化」して行くわけですよね.それってよく考えたら不思議というか難しい問題で,一生を終えたとき,「その人の写真」を1枚選ぶとしたら,何歳のときがいいのか,例えば,歴史に名を残すような人物の写真だったらどうなのかという問題?が生じるわけです.

 例えば,著名な音楽家の写真はよく見るんですが,若くして亡くなってる場合は問題なくて,逆に,そこそこ長生きしたリストとかだと,若い頃の格好いい時の写真がよく出てくるんですが,晩年の写真もよく見ますよね.

 普通の人でも,お葬式のときには,写真が掲げられるわけで,例えば,90とか100で死んで外見はもうよぼよぼ?だったら,もうちょっと若い70とか80とか,お葬式に来てくれる人達のイメージに近いものを選ぶような気がします.だとしたら,50とか60の方がいい?てなことになると30とか40とかならどう?みたいによくわからなくなって来ますよね.

 でも一つ言えるのは,長生きしたら,おそらく,亡くなる直前(へたしたらというか数十年?)の写真は使われないわけで,まさに「老後」ってことなんでしょうが,逆に言えば,そういう社会との接点がなくなる時期をどう過ごすかは重要というか,それはそれで楽しめばいいというか,まさにそのために準備が必要ってことですかね(準備などせず,ぼーっと過ごすのも悪くないけど,自分が自分でなくなるのはやはり避けたい).

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[壊れていく]
(世の中)

 震災の後,世の中がどんどんおかしくなって行くと何度も書きましたが,今回は,おかしくなって行くということもありますが,世の中がどんどん「壊れていく」という感じがしています.しかも,日本だけではなく世界的にです.

 それは,新型コロナウィルスの仕業ではなく,それに対応できない人間の問題で,人の命より経済を優先して,衆愚的に莫大な借金を次の時代につけ回すという無責任,それに便乗する「被災者」,もう滅茶苦茶です.

 思い返せば,震災の後も,震災のせいではなく,今回の新型コロナと同様に,リーマンショックで目先の経済を回すことの愚かさに警鐘が鳴らされたにも関わらず,バブル経済へと驀進し,そして,今回の体たらくです.

 間違いなく近い将来,大変なことが起きると思いますが(今回のことで気づくかとも思ったのですが,だめっぽいです),そういう中で何とかサバイブすることを考えなければなりません.世の中を変えることはもうできないので,いかにして自分や回りの人間がサバイブするかということです.

 それとも,スクラップ&ビルドではないですが,再生するには一度壊れないといけないということでしょうか.いずれにしても,大変なことが起きるのは避けられないので,そこをくぐり抜けることは必要です.

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[変わり方が変わる]
(世の中)

 ちらっと見えただけですが,バックトゥーザフューチャー(カタカナ表記がよくわからん)やってましたね.私は映画はほとんど観ないのですが,この映画がどういう映画かくらいは知っています.

 この映画の設定は1985年ということですから,私が大学生のときですね.そう言えば,何となくその頃やってた感じはするかな.確か30年前の1955年に戻るんですよね.で,「2」では,30年後の2015年に行くんだっけ?

 それで,ちらっと見えただけなんですが,(1985年から)30年後の世界ですが,車が空を飛ぶようなことになってて,でも,実際は,そんなことには程遠かったわけで,何度か書きましたが,30年経ってもそんなに変わらないってことで,ということは,今から30年後もそんなに期待はできないってことですかね.

 それは,何度も書いているように,いろんなことが「もういいところまで来た」ってことなんですが,車は空を飛ばないけど,人は働かなくてよくなるとか,地味?に,でも,本質的には劇的に変わるかもしれないというか,そういう意味では,30年前は,こうやってパソコンでぱちぱち文章を書いて,それを一瞬で全世界に公開することもできなかったわけで,変わり方が変わるってことですかね.

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6/14'20
[長期投資が基本?]
(経済)

 長期投資が基本と言われています.どうしてだかわかりますか? 投資の神様?のバフェットが言ったから?

 何をかいわんやですが,そういうことにしないと困る人がいっぱいいるからです.つまりは,投資をする人にとってではなく,投資をしてもらう人の都合ということで,つまりは,それを信じて投資する人は最終的に損をするということです.

 NISAとかは,そういうことをベースに設計されてますし,ましてや積立NISAなんてものはとんでもない代物というのは何度も書いた通りです.そもそも,誰かに運用を任せるという発想がどうかしてます.

 でも,過去100年のアメリカ株を見れば,いろいろあったけど,右肩上がりで来たじゃないかという人がいます.でも,これと同じことが日本のバブル期にも言われてたのですが,その後,日本株は30年低迷したわけで,過去に起こったことがそのまま未来に果てはまらないのは当然のことです.

 じゃあ,日本やアメリカの将来の株価というか経済というか世の中がどうなって行くかってことですよね.楽観的になれますか? 長期投資をしたり,なんちゃらNISAをやってる人は,これからの株価や経済や世の中に楽観的な見通しをもってるってことになります.それがその人の見通しとか相場観ならいい(自業自得)ですが,そうでないのなら,自分の考えと違った行動をしてしまってることになって,それは本意じゃないんじゃないですかね.

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[株価と人口]
(経済)

 そもそも,どうして株価は上がるのでしょうか? 会社が頑張って儲かって,そういうことが集積して社会全体が経済成長するから?

 という風に一般には考えられてますが,経済成長って何ですか? 目先の経済を回すことも経済成長,しかもその7割は消費ということは,消費する人間がいなければ,経済成長はしないのです.

 つまりは,人口が増えるのかってことですね.実際,過去100年,人口爆発が起こったわけで,高度経済成長期の日本もそうだったし,日本のバブルの崩壊以降,日本株とアメリカ株を明暗を分けた大きな原因の一つは,アメリカは人口が増え続けたということがあります.

 それは,国内の人口もありますが,資源とかものを作って輸出して売っても儲かるので,売る先がの人口がどうだったかということもあります.一番わかりやすいのは,リーマンショック以降のバブル経済でしょう.中国が劇的に経済成長したおかげでリーマンショックから世界経済は回復できたということになってますが,要は,中国の(実際の人口ではなく消費する)人口が劇的に「増えた」ということです.

 じゃあ,これから,そういう「人口」が増えて行くのかということです.日本は減って行きますし,先進国は厳しいでしょう.インドとか東南アジアとか南米とかアフリカとかが中国の次のターゲットになってると思いますが,いろいろ社会的問題があって思うように行ってないということもありますが,もっと大きな問題は,資源などのリソースが足りないということです.

 つまり,人口が増えて経済成長したとしてもそれはそれで野垂れ死にで,もう野放図に人口を増やせないわけで,どん詰まりなわけです.

 じゃあ,未来に希望がないかと言うとそんなことはなくて,それは経済成長しない定常状態でやって行けばいいってことなんですが,今の経済の仕組みはそうなってないので,余計で無駄なことをして目先の経済を回して,莫大な借金をどんどん将来に付け回してるわけです.

 ということで,これから株価がどうなって行くかですが,目先の経済を回すことでバブルは何度も起こって株価が上昇する局面はあっても,バブルは崩壊して,長期的に株価が上昇して行くとは思えないということですかね.

 問題は莫大に積みあがった借金をどうするかですが,もはやどうにもしないという選択肢しか残ってなくて,これはどういうことかと言うと,半永久的にゼロ金利(金利が付くと莫大な利払いが生じる)で行くしかない,つまり,経済成長しないという選択肢しかないわけです.

 債券で金利が付かなければ,株に流れるということも考えられますが,経済成長しないのに株が上がればバブルなわけで,まさにマネーゲームとなって,バブルの形成,崩壊を繰り返し,しかもその度に借金が増えるわけで,そういうどうしようもない状態が続くんですが,見方を変えると,これは一種の(経済成長しない)定常状態(だけどリーマンショックのようなことはしょっちゅう起きる)ということにもなります.でも,株価が長期的に上昇しては行かないという点では同じですね.

 こういうどうしようもない状態でも,それでずっと行ければいいんでしょうが,そうは行かなくなる,例えば,日本国債の格付けが下がって金利が付くと大変なことになって,それは,何度も書いている経済破綻になります.具体的には,日本国債を大量に保有している日本の金融機関がどんどん潰れて,あなたの預金がぱあになるけど,日本の借金と相殺してチャラ(日本の個人資産額(1800兆)はまだ何とか日本の借金(1100兆)より多い)ってことですかね.

 それで済むのならまだしも(自分には貯金なんかないから関係ないとは行かず),ものすごい円安になって,インフレになって,お札が紙くずになって,日々の生活に困窮することになります.そうすると戦争みたいなことになるかもしれませんが,それは何としても避けないといけないので,経済成長しない定常状態を守って行くしかない,そうすると,株価が長期的に上昇して行くことはないということになるわけです.

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 どうして株価は上がるかをもっとわかりやすく言うと,売る人より買う人の方が多いからです.それはその人の相場観に基づくんですが,そういう短期的な変動要因を排除すると,人口が増えれば,その分,買う人が増えるわけで,これは,人口が増えると不動産価格が上がって行くのと同じです.

 つまり,長期的に人口が増えて行かない,リソースのことを考えると増やして行けないと考えれば,株も不動産価格も長期的には上昇して行かないということになります.

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 じゃあ,このゼロ金利でどうすりゃいいのよ?ってことでしょうが,この世界で勝ちたければ,長期ではなく短期で自分の相場観を信じて買いだけではなく売りもやりながら運用する(あるいは,こんな状況でも長期的に成長して行く超希少銘柄を発見する)しかないでしょう.そんなこととてもとてもということなら,NISAとかイデコ(確定拠出年金)も含めて素人は手を出さないのが得策だと思います(特にNISAとかイデコは買わせて長期保有するように仕向けていて極めて悪質).

 ただ,経済破綻のリスクには備えないといけないので,現金のみに資産を集中するのは危険で,分散させる,同じ現金でも一部を外貨にしておくとか,一部を不動産とか金(ゴールド)とかの「もの」 に変えておくとかなんでしょうが,これはリスクヘッジなので,儲かるとは限らないというか,不動産とかはむしろ損すると思いますが,経済破綻したときに野垂れ死にしないために保険金を払うと思って割り切るってことですかね.

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6/16'20
[技術革新との競争]
(世の中,経済)

 こういう状況というか,こういう状況とか関係なく,世の中がどうなって行くかですが,元に戻るか戻らないかってことなんですが,元に戻らないと言っても2つあって,低迷して行くか,逆に技術革新的なことが一気に進むかでしょうか.あるいは,経済がV字回復して,これだけじゃぶじゃぶになってるわけですから,壮絶なバブルになるかもしれません.

 一番ありそうなシナリオは,バブルになって崩壊してを繰り返してどこかで行き詰るってことなんですが,技術革新との競争というか,そういうことが救世主になるかもしれないとは既に書きました.具体的に言えば,ロボットが石油とかの資源を掘って運んで食料を生産して運んで配って,ロボット自身のエネルギー供給も自分で行うとか,いろんな形での太陽光のエネルギーの自動化が完了して人間が働かなくてよくなれば,経済破綻は起こらないというか,起こっても食べて生きては行けるわけですからね.

 その一方で,人間が働かなくてよくなったらどうなってしまうのか,精神的に破綻しないのかという問題はあって,そういうことが有形無形となって世の中の変化を阻む可能性もあります.

 そうすると,退屈しのぎの開拓が必要なんですが,今の世の中退屈しのぎには事欠かない感じもしますし,素養が高い人は学術,芸術,スポーツのようなものに打ち込めばいいと思いますし,金儲けをしたい人はすればいい(例えば,上で書いたロボットを使った自動システムを作った会社は巨万の富を得ることになる)と思いますが,労働というか奉仕というか,そういうものは,例えば,ボランティアみたいな形で残るでしょうし,それで精神的なものは満足できるのかもしれません.

 こうして書いてみると,将来はそんなに暗くない感じもしますが,そううまく事が運ばない感じがするというか,そうだとするとそれは何かと言うと,現状を変えたくない,責任をとりたくない抵抗勢力(特に金持ち)ということになるわけで,敵は自分達自身の中にいるということでしょう.

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[変動が少ない]
(世の中,経済)

 もう少し現実的なことだと「変動が少ない」ことが重要なんだと思います.何度か定常状態という用語を使っていますが,今回の新型コロナによる急激な落ち込みもそうですが,やはり,バブルが問題です.

 具体的に言えば,外国人観光客が押し寄せるようになって,それに便乗してビジネスを広げるから今回のようなことが起こるわけです.

 つまり,欲をかかずに身の丈に合った経営をすべきということですし,それがバブルを防ぐんですが,まあこれは無理かな.

 ということで,バブルの形成と崩壊を繰り返すんですが,問題はその度に政府が財政出動して莫大な借金を作ることで(特に今回はひどい.バブルに便乗して一か八かの博打のような経営をしていたところは潰すべき),それを何回か繰り返せば財政破綻ということになります.

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[どうでもいい]
(世の中)

 いろいろ書いてますが,私個人的にはどうでもいいというか,基本的には現状を全て受け入れるというか,(おかしな)世の中とは距離をとって高みの見物でやって行こうと思ってますし,それでやって行けると思うので,とやかく言うことはないです.

 つまりは,ただ,書きたいことを書いてるというだけの話で,だからどうこうしようということは全くありません.

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[大学は遅れている]
(大学)

 仕事がオンラインになって,郊外とか地方に移住する人がでてきているとのことです.いいんじゃないですかね.

 大学も講義も会議もオンラインでできるし,オフラインでやる必要があるのは実験くらいで,大学に来るのは週一くらいで全然行けると思うのですが,事態が収束したら元に戻すんでしょう.こうしてみると大学は遅れていると思いますね.

 どこかで書きましたが,講義がオンラインになったら限られた秀逸な動画があればいいわけで,大学教員なんか要らねーじゃんってなるから結局自分達を守ってるってことなんですよね.でも研究指導があるわけで,これは何にも増して最高の教育ですからそれで行けばいいと思うんですけどね.

 話を戻すと,大学に来るのが週一でよければ,私はどうするかですが,熊谷とかの高崎線沿線は遠いけど,小山なら何とか行ける(車で1時間)わけで,さっさと最適地?に移住するかと言うと,そうはならないというか,やっぱり,毎日大学に来るというか,今の状況でも来てるわけで,そういう意味では,現状でOKなんですが,講義と会議はオンラインのままにして欲しいです.

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 授業はオンラインでも,学生達は大学に来ていろんな施設や設備を活用したりして学生生活を満喫すればいいと思いますし,教員も研究室には来てるわけです.でも,講義と会議はオンラインでいいわけで,じゃあ,どうするかと言うと,例えば,一日一定時間を教員が空けて,学生が自由に来られるようにしたらいいんじゃないですかね.講義の質問でもいいですし,研究の話でもいいでしょう.

 あとは,講義がオンラインになったら教員というか「教え屋」は要らないんですが,単位認定はしないといけないので,例えば,2限続きの授業なら1限目はオンラインの講義で2限目は小テストにして,テストはオンラインだと(カンニング防止が)厳しいので,これをオフラインでやればいいし,1限目の授業も実際はオンラインなので事前に「予習」というか,そこに時間と労力をかけるほど小テストに反映されるわけで,その方が学生も頑張ると思うんですよね(ていうか,今はそうしてる.ただし,小テストもオンラインなので問題をいくつか準備しないといけない).

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(運保)

 6/12とは対照的に今日の暴騰はすごかったですね.ていうか,たった4日,ていうか,土日をはさんでるので実質2日しか経ってないんですけど...

 こんな感じだと変動が少ないには程遠いんですが,個人的には全然OKで,今回は短運では売り玉が建ってて,利益は,結局,ピーク時の半分くらいになっちゃったんですが,それでも十分とれたと思いますしね.

 つまりは,定常状態どころか大変動状態で,そういうことを見越しているってことですかね.

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[夢から覚めたときのような]
(日記)

 バックトゥーザフューチャーじゃないですが,荷物の整理をしているとアルバムとか昔のものに遭遇して過去に帰ったような気分になります.さっきは,高一の時の日記が出てきて,随分正直に書いてるんですが,生意気というか大したことないというか...

 でも,過去に帰るというよりは,過去に帰って,ふと我に返って現在に戻った時のギャップというか,何とも言えない気持ちの方が大きいですかね.何度か書いていますが,そんな大した奴でもないのに,よくここまで来られたというか,なんでこんなところにいるんだろというか,まるで夢から覚めたときのような現実感というか,安堵感というか,でもどこか違和感というか,そんな感じです.

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 小さい頃というか,高校のときの夢としては,(物理かその周辺のことで)やりたいことを見つけて,それで研究者というか大学の先生になって飯を食っていくということだったわけで,そのために東大に行ったわけですし,その頃のイメージとしては,例えば,九大の先生なんか雲の上の存在で(高二で父が亡くなった時,九大の先生(E老井先生)も来てくださってて,憧れというか,すごいなあと思いましたもん),でも,博士出るときは九大には行かなかったわけで,それは単純に首都圏にいたかったというだけだったんですが,もうその時点で高校時代とはものすごいギャップがあるわけです.

 どこで何がどうなったんでしょうね? 全くわからない(笑)んですが,言えるのは,やりたいことを見つけてやってきたというか,ただそれだけだと思うんですよね.

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[前提?]

 いろんな人が話しているのをきいてると,歳をとればいずれ介護を受けるのが前提というか当たり前と思ってる感じがするんですよね.ていうか,実際の数字的にはそんなんでしょうが,私は(何度も書いているように)そんなつもりはさらさらありません.もちろん,事故とかでそうなることはあるかもしれませんが,それは歳をとらなくても起こりうることですからね.

 そんなこと言っても,実際にどうなるかはわからないのですが,少なくとも言えるのは,それが当たり前と思って過ごすのか,そうでないのかで(確率的にではありますが)結果が全然違ってくるのは当然のことだと思うんですよね.

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6/18'20
[人生が旅と違うところ]

 人生は旅のようなものと何度か書きました.要は終着があるってことなんですが,大学時代,新幹線で東京から博多まで帰っていたことと重なるとも書きました.

 でも人生が旅と違うところがあるとすれば,歳をとって行くということでしょう.それは,大きく成長期,活動期,老後の3つに分けられるとも書きましたが,成長とか老化とかで自分が変わるというよりは,状況が変わるということが大きい気がします.大人になるまでの成長期はいろんなものの保護下に置かれてままらないですし,社会に出てからも職場,あるいは,家庭をもてばそれはそれでいろんな制約があると思うんですよね.

 制約ということもありますが,偉くなったり,親になったりすれば,責任を伴うわけで,そういうことが人を成長させるという面もありつつ,人を変えてしまうというところもあるわけです.

 そして,仕事をリタイアしたら晴れて自由の身かと思えば,(砂山に捉えられた男のように)いつの間にか自由の身であることに苦痛を感じるように飼い慣らされてるということでしょうか.

 自分自身はどうだったかと言うと,成長期はそれなりに制約があったと思いますが,大学院くらいからはかなり自由になって,驚いたことに今もそのときからそんなに変わってない感じがするんですよね(なので,自分がこういう歳になっていることに驚くし違和感を感じる).親にもなってないし,多少偉くはなったけど,そういうことを意に介さないというか(責任というのは偉くなったから生じるものではないと思うので),大したことしてこなかったってことかもしれませんけどね.

 問題はこれからというか,仕事をやめても今のような状況を続けられるかってことなんですが,それが「準備」ってことなんでしょうが,ずっと変わってないのなら,これからも変わらないってことにはなりませんかね?

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6/19'20
[上に(かなり鋭い)凸]

 (人生の)岐路とか生きて行く上でのバランスポイントとか,1か0とは言いませんが,どっちに行くか,バランスポイントを少しはずれるかどうかが大きな違いとなって現れると思うんですよね.喩えて言えば,上に(かなり鋭い)凸という感じでしょうか.

 下に凸ならバランスしてそこで落ち着くんでしょうが,実際は上に凸なので,それを維持するのは難しくて,ちょっと油断するとたちまち奈落の底へという感じでしょうか.岐路についても右か左かで全然違ってきたりするわけです.

 最近,特にそういうことを強く感じているというか,実際,岐路に立ってると思うのですが,まさに右に行くか左に行くかというか,自分が選択するというよりは,何かが決めるというか,そういうことで,天国と地獄とは言いませんが,状況は全く違ってくると思うのです.

 でも,じゃあ,ほんとに天国か地獄かと言うと,そんなことはなくて,確かに結果というか状況は全く違うというか正反対だと思うのですが,自分的にはどっちもありというか,世の中や社会から必要とされて身を粉にして働くのか,世の中や社会から必要とされずにのんびり過ごしていくかは,まさに一長一短で,そうすると自分では決められなくて,誰かに決めてもらうしかないわけで,自然の流れに従うというのはそういうことです.

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 でも普通は,世の中や社会から必要とされなければ貧困にあえぐということで,世の中や社会から必要とされて身を粉にして働くのが是とされてるわけですよね.でも,何度も書いているように,そうやって騙してこき使うという側面はあるわけで,騙されずに無駄で余計なものに浪費しなければ,世の中や社会から必要とされずにのんびり過ごしていくことはできると思うんですよね.

 でも,そういうことに気づいている人や実行できる人は数少ないわけで,ていうか,それだけの素養があれば,だいたい成功してるわけで,実際にそういう人はほとんどいないってことなんでしょうが,やればできるのならやるって選択肢はあると思いますし,途中で離脱することもできるでしょう.

 じゃあ,お前はどうするんや?ってことなんですが,上で書いたように自分では決められないというか決めないというか,世の中や社会から必要とされる(ただし,体よくこき使われるのかどうか判断することは必要)以上は身を粉にして働きたいと思います.でも,そうでないのなら,それはそれでOKです.

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[考えない]
(世の中)

 学食に行くとアルコール液が置いてあって,消毒してくださいとあります.素直に従って手を消毒して...ペンをとり食券に番号を書いて..ってもうアウトじゃん(食券に番号を書いてから消毒しても,番号札をもって待ってないといけないのでどのみちアウト).こういうのいっぱいありますよね.

 現金の授受でトレーを使うことが新型コロナ対策ができてる何ちゃらポイントになると言われてますが,現金そのものにウィルスが付着しているので,ほとんど意味がありません.マスクをしていれば大丈夫,三密にならなければ大丈夫,手洗いうがいをしていれば大丈夫,ソーシャルディスタンスをとっていれば大丈夫,手袋をしていれば大丈夫,消毒をしていれば大丈夫,こういうのはみんなそうで,要は,何も考えずに言われたことを守ってるだけなのは全部アウトで,やってるから大丈夫と思って却って感染を拡大させます.

 こんな感じでは,収束するのにかなりの時間がかかると思いますが,じゃあ,どうすればいいかですが,考えることです(でも,実際のところは,それができる人はほとんどいないってことなんですが).

 でも,考えればわかることとしては,何度も書いているように,とにかく自分の手にはウィルスが付着していることを前提に行動すること,具体的には,唇や目や鼻の中などの粘膜を触らないことが最も重要なことです.

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 あともう一つあるとすれば,他人からの飛沫を直接自分の粘膜に付着させないことでしょう.マスクはその点で効果がありますが,目が露出しているのでは片手落ちで,眼鏡のようなものをすることで大分防げるかもしれません.でも,これは人と対面するときや極端に密閉された空間に高密度で人がいるときの話です.

 でも,20分に1回のうがいや嚥下が効果があるのなら,付着したとしてもすぐに洗い流すなどすれば大丈夫ということになりますし,そういう意味では,一人で外食することのリスクはほとんどないことになります.食べ物にウィルスが付着していても通過するだけですし,それこそ食事の後,唇を洗ったり,お茶を飲んだりすればいいことでしょう.

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[全ては紙一重]
(世の中)

 この話と関連するのかもしれませんが,そういうことは,たくさんあるというか,世の中で起こってること全てがそうなんじゃないかと思うんですよね.

 例えば,相場の動きを見ていて,ここをこっちに行くかそっちに行くかものすごく微妙なことがあります.そして,そういうときほど,ほんのちょっとしたことでどっちに動くとその後ものすごく動くことが多い気がします.もっと大きくは,今までの歴史を見てもそんな感じがしますよね.

 ゴルフとかだと,ピンが端に切ってあって,ベタピンに乗せるか,すぐ横にバンカーに転落するかは紙一重ですし,バドミントンでネットインさせるか引っかけるかもそうですし,スポーツはなんでもそうというか,そう設計されていて,それはそういうものが世の中とか人生の縮図だからでしょう.

 じゃあどうするか,一か八かリスクをとって狙うのか,安全に行くのかってことですが,それこそまさにバランスで,バランスのバランスということでしょうか.だから難しいんですが,更にじゃあどうするかなんですが,あまり深く細かく考えないことも大事で,バランスのバランスのバランス(笑)ってことでしょうか.

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[関係ない]
(世の中)

 今日から県をまたいでの移動が解禁になり,プロ野球も開幕しました.私は当分電車に乗るつもりはないですが,プロ野球はやるのなら見るかな.と言っても,スポーツニュースで結果を見るのとライオンズの中継があって見られるときは見るといったところで,一銭もお金は使わないわけで,それはこれまでと変わりません.

 自粛モードが開けたら何がしたいかとか言う人も多いんですが,私は全然関係ないです.だって,やりたいことはずっとやってるし,それは自粛モードだろうが関係ないからです.「準備」ができてるかどうかはともかく,実は既に結構「無敵」になってるのかもしれません.

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 バドミントンは,練習が始まったら行くと思います.でも,早く始まらないか待ち遠しいってことは全然なくて,何なら今のままでも大丈夫です.変な言い方ですが,行かないでいいお墨付きをもらってるみたいなところもあります.

 一応,1日1, 2回,5分くらい軽く体を動かしてるだけですが,体調は悪くありませんし,なんなら体が少し動くようになった感じすらします.

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6/20'20

 それが何かは書けないのですが,疲れるというか疲弊するようなことがあって,でもそれは仕方ないのですが,理由というか原因もわかっていて,問題はそれが何なんだということです.

 理由というか原因は何かと言うと,「他人に合わせること」です.評価には自己評価と他者評価があって,自己評価が重要と再三書いていますし,私は基本的にそう行動していますが,それで全て通せるわけではなくて,時と場合によっては,他者評価も考えないといけないときがあります.

 例えば,論文の査読は(非常に問題があると再三書いていますが)査読者が圧倒的有利な戦いというか,そういう関係にあるので,基本的には言うことをきかないといけません.もちろん,ここは譲れないということころは反論しますが,それで不採用になるリスクもあります.

 そして,査読者の指摘通りに論文を修正すると,だいたい「つまらなく」なります.もちろん,もっともな指摘もありますし,よくなることもあるので一概には言えませんが,大概はそうなります.

 今起こってることもそれに近いことだと思うのですが,これも似たようなことになっていて,「相手に合わせる」必要があって,不本意ながらそういうことをするのですが,結果としては,おかしなことになって行くわけで,それが私もそうですが,相手もわかっているというか,全く以て何やってんだか状態になってるんですね.

 結局,問題は,立場に上下というか,有利不利があることが元凶なんですが,これも組織というか社会というか,そういうことの弊害でしょうか.

 じゃあどうするかというか,こんなことならやめときゃよかったというか,だんだん憂鬱にもなってくるのですが,こんなことならやめときゃよかったとはなりません.

 人生一本道で引き返すことはできないわけですし,何度か書いてますが,あのときああすればよかったと後になって思うことがあったとしても,じゃあそこに戻ってやり直せるとしたらやり直すかと言うと,そうはならないわけで,だとしたら前に進むしかありません.

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 でも,あらためて思うのは,やはり「自己評価」の重要性です.今回の件も,それを貫き通せばよかったというだけの話かもしれなくて,だとしたら,ドツボにはまったのは私に問題があったということになります.

 自己評価が重要ということがわかっていると思っている私でさえそうなるというのがかなり意外というか難しいということでしょうか.あるいは,私自身,意外と他者評価が大事とどこかで思ってるってことなのでしょうか?

 そんなことはないと思いますが,言えるのは,やはり,自己評価というか,自分が正しいと思うことを信じることで,これをもっと肝に銘じてやって行くべきということですね.

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6/21'20
[それはもう大丈夫]

 また別の話というか,共通するところもあるのですが,自分がないがしろにされるというか,充分に評価されないとか,必要とされないとかいうことも時々あって,でも,それはもう大丈夫というか,だったら,勝手にやらせてもらいますという感じです.

 相手側に問題があることもあるのですが,私が軽く見られるとしたら,(ほんとにそうかはともかく)私にそれだけの価値がないと思われてるということですし,それはそれで受け入れるべきだし,他者評価なので私が目くじら立てるようなことでもなく,むしろ,余計な仕事が減ったり,変なことに巻き込まれずに済んでラッキーなところもありますし,私の中でそういう人の比重が下がって人間関係的に整理して行けばいいので,そういうのはもう大丈夫です(でも結構怖いこと書いてるなと思いますけどね).

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 どこかで書いたと思うのですが,私が評価され(押しつけ仕事ではなく)必要とされているのなら(私にしかできないことなら),その気になるのなら喜んで,あんまりその気にならなくても応分の負担をすべきとかしょうがないやってやるかと思えばやるけど,必要とされてないのに私からしゃしゃり出てやらせろということはないということなのでした.

 「私が評価され」というのは,評価されたいということではなく,評価されないのなら(他者評価より自己評価が重要なので)それはそれでOKで,勝手にやらせてもらいますということと繋がっています.

 ここのところ,それでずっとやってきたと思うのですが,時々忘れるというか,まだまだだなあと思うので,忘れないようにここで書いておくわけです.

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6/21'20
[藤森先生]

 今日のJ熱大陸は藤森先生でしたね.でも,私の中では,彼が「建築家」という認識はなくて,学生時代と卒業してしばらくまでの記憶では,生産研の建築史の先生で,建物探訪とかちょっと面白いこともしてるみたいな感じのままだったわけです.

 あの頃から時は流れ,彼は大学ももうやめられて,70を過ぎてるんですが,楽しそうでしたね.でも,私はああいうことがしたいとは思わないし,彼の建築も正直あんまり好きじゃないんですが(ごめんなさい),まさに人それぞれで,自分がどういうことをしたいか,どういう風に生きて行きたいかということなんだと思います.

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[これで「一生」行けそう]
(生活)

 研究対象というか,柱の一つというか,生活向上の一環というか,食事なんですが,高くて美味いものを食べたいというのはなくて,でも,食べるのは人生の最大の楽しみの一つとは思ってて,そのために重要なのは,その時食べたいものを食べることとは,どこかで書いたと思います.

 大概は自炊なんですが,仕事して疲れて帰ってくると面倒と思うことも多いですし,朝は朝で毎日SJJ作るのも面倒ということはないのですが(もう2年近く続いている),夕食は15分くらいで作ってるのに対して,朝食作るのに30分かかってるのはどうよという気もしてきました(気がしてくるのが遅い?).

 SJJの材料は,リンゴ,ブロッコリー,キャベツ,(熱処理しても残る脂溶性ビタミン主体の)人参中心の緑黄色野菜の無添加ジュース,VCが残っている(と成分表に書いてあるかなり高い)オレンジジュース,アマニ油,黒酢,プロテイン,たまねぎ粉末,すった白ごま,クエン酸少々という感じなのですが(味的にはこれで激旨になる.朝食はこれ以外に自作のR-1とにぼしと海苔1枚とレーズンの入った牛乳1:1のコーヒーと粉末緑茶),ブロッコリーは,生活クラブで低農薬のものを買ってるんですが,配達が週一なので,へたすると一週間後のものを生で食べてることになるんですよね.

 キャベツも2週間で1個使い切る感じですし,リンゴは夏場はちゃんとしたものが手に入らないし,朝食作るのにも30分くらいかかるし,ジューサー洗うのも少し時間かかるし,もっとお手軽で時短でできる方法はないかと考え始めました.

 それでいろいろ検索してみたんですが,野菜を粉末にしたものはだいたい熱風で乾かしてるのでアウトなんですが,石臼でひいてますというのを見つけました.ブロッコリーとかゴーヤとかほうれん草とかあったので注文してみました.キャベツはなかったんですが,これも別のメーカーのものを発注してみました.

 これなら,粉を混ぜるだけなのであっという間にできそうです.でも,後で気づいたんですが,ブロッコリーは,来た時に小分けにして冷凍すれば,いいのかもしれませんし,だったら,最初から冷凍のものを使えばいいということはありますね(冷凍野菜は生より栄養価が高い).ていうか,最初はそうしてましたし.

 朝食時のSJJに限らず,昼食も夕食もたんぱく質と野菜というかビタミン,ミネラルをしっかりとれば,あとは炭水化物でカロリーを補充すればいいので,そのとき食べたい,肉とか魚とか卵とか乳製品とか大豆製品とか野菜系とか炭水化物でお手軽にとれるものを「開発」していくということで,そういうものは,生活クラブの冷凍食品にいろいろありますし,何だかこれで「一生」行けそうな感じもしてきました.

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[体重のその後]
(日記)

 減量?のその後ですが,順調に減り続けて一応の目安と思っていた68kgを切りました.体脂肪率もどんどん減ってます.私の大学時代(バドミントン部時代)の体重は63kgで,どうして憶えてるかと言うと,当時全日本チャンピオンだった長谷川さんと身長(179cm)も体重も同じだったからですが(笑),20代は65kgくらいだったと思いますから,少なくとも30代の体重には戻ったことになりますね.

 70kgを生まれて初めて越えたときのことは憶えていて,それは,1999年台湾集集地震の被害調査に行ったとき(30代後半)です.東京都の調査団に同行したんですが,夜は毎日中華料理だったんで...(笑).でも,人生最大でも72kgくらいなので,若い頃とそんなに変わらないというか,歳をとったら少し体重が増えるのが自然なので,70kgくらいでも全然OKだと思うんですが,ちょっと面白い?というか,体脂肪率も減ってるので,もう少し続けてみますか.ちなみに,ぱっと見た感じだと顔はそんなにやつれた感じはしないかなあ(と言っても数kg減っただけですが).

 でも思うんですが,いろんなダイエット方法があって,みんな苦労してるみたいですが,一体何に苦労してるんですかね? こんなに簡単じゃん.要は,食べる量を全体のバランスを壊さずにというか,炭水化物を中心に少しだけ減らせばいいだけなんですが,それができないってことなんですかね.

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6/22'20
[そう思うことにします]

 なんだかいろいろもやもやしてきました.(ほんとに)必要とされれば引き受ける,そうでなければ自由にやりたいことやる,でいいと思うのですが,どっちかはっきりして欲しいのにはっきりしないというか,なんかもやもやしてるんですよね.

 じゃあ,実際のところはどうなんや?ということなんですが,「必要とされてない」というのが現実なんだと思います.というか,そう思うことにします.もちろん,私が必要とされてなくても,私がやりたいとか,生きて行くのにお金が必要だから働かないといけないとか,私が誰かにやって欲しいことがあるとか,社会との繋がりが欲しいとかなら,ボランティアでも何でもすがりついてでもやるしかないですが,私がやりたい以外のことはもうそんなにないと思うんですよね.

 つまりは,そういう信念?というか,不確定な外的要因に振り回されずに,自分の考えに従って粛々とやって行けばいいんだと思います.というか,そういう風にやってたんですが,外的にいろいろあるとそれが乱されるわけで,まだまだ修行が足りないってことですかね.

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[これから起こることについても]

 うーん,何か違うような気もしてきました.やりたいことをやりたいと書いてますが,そういうわけではないというか,もちろん,その気になるかならないかはありますし,こんなことやってどうすんだ?みたいな仕事に忙殺されて仕事以外にやってることができないような生活は嫌ですが,仕事というか基本というか活動の中心として何をするかは,自分が決めるというよりは,自然の流れの中でしっかり役割を果たすというか,やるべきと思うことをやるということだと思うんですよね.

 もちろん,仕事というか,活動の中心に来るようなことを選ぶときは,興味がないことは選ばないでしょうし,自分の能力が発揮できるものを選ぶと思うのですが,一度選んだらよほどのことがない限りは方向転換はしないと思いますが,人生で何度か岐路というか,ひょっとしたら方向転換的なことが起こるわけで,その時は,自分が選ぶのではなく,まさに「起こる」ことで,重要なのは,そういうことに対処できるようにしておくことだと思うんですよね.

 それは,自分が必要とされてるかとかそういう感情論的なことではなく,どうするかは否応なしで,つまり,運命には逆らえないわけで,だとしたら,前に進むしかなくて,そういうことに対処できるようにしておくというのは,そういうことだと思うのです.

 なんか抽象的な感じですが,運命には逆らえないということなので,全ては137億年前に決まっているに繋がる話で,起こったことを受け入れるというだけでなく,これから起こることについても然りということで,これもあきらめが肝心というか,全てを受け入れて前に進むということですかね.

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6/23'20
[自分からあきらめたかそうでないかの違い]

 何度か大学間格差のことについて書いてきました(最近だとこの辺か).大学ランキングとかいうことは別にどうでもいいんですが,重要なのは,やはりここでも書いたように学生の意識です.

 実際は,最先端の研究をしてるのにそういう意識が低い学生がいるってことなんですが,背景にあるのが大学間格差ということです.大学間格差というのは,平たく言えば,入学時の偏差値ランキングで,実際に彼らは,そういうものでふるいにかけられて入学してきているので,仕方ない面もあるわけです.

 実際にはどんな感じかと言うと,筑波大の場合,首都圏の学生だと,東工大とか東北大に行きたかったけど,成績が足りずにここに来たというケースが多いです.そんなの入学時の話で,今は最先端のことをばりばりやってるから関係ねーと思えればいいんですが,そう思えない学生もいるってことでしょうか.

 実際の世の中を見れば,日本のトップ研究者がみんな東大や京大の先生ってわけではないのは明らかなんですが,中身ではなく外見的なことで判断してしまう人が多いってことなんですかね(しょぼいな).

 もちろん,筑波大の学生もいろいろで,どこかで書きましたが,前期で東大に落ちて,後期で入った学生もいるわけで,彼らは優秀ですし意識も高いわけで,その理由は明らかで,東大に(時の運で)落ちたってことは,そこに意識が向いていたってことですよね.つまり,最初からそんなの無理と思ってるのとは大きな違いがあるわけです.

 そういう意味では,早慶とか,二期校時代の横国とか医科歯科にもそういう学生がいたわけで,そこの差は大きいと思うんですよね.要は,自分からあきらめたかそうでないかの違いということでしょうか.

 いつかの建築学会の夜に飲んだ時,九大の学生と話したことがあって,彼は確か岡山出身だったと思うのですが,どうして九大に来たの?ときいたら,ほんとは阪大に行きたかったけど,無理そうだったのでと言ったのが私としては結構ショックで,阪大と九大ならそんなに変わらないから頑張ればよかったじゃんとか言ったのですが,いや全然違うんですよ,と言うんですね.

 確かに旧帝大系の中のランキングが定着しつつあるとは書きましたが,少なくとも旧帝大は,その地方のトップ校なので,旧帝大系の中で差がつくのは,地方の差ということになって違和感があるというか,いや逆に,地方に差があるということになってしまうのかとかいろいろ考えてしまいます.

 でも,実際のところは,じゃあ全員東大とか京大を目指せということにはならないわけで,どこかであきらめて折り合いを付けるしかないってことなんですかね.でも,そうやって自分はトップではないと思ってやってきて,でも入った研究室がたまたまトップの最先端の研究室だったとき,どう思うかってことでしょうか.

 普通ならそんなラッキーなことはないわけで,千載一遇のチャンスと思って,頑張るんじゃないの? でも,実際はそういう学生は多くはないわけで,向上心がないというか,そんなもんなのかと思ってしまいますね.

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 あと思ったのは,自分からあきらめたかどうかってことなんですが,まず,東大,京大に行った人にそういう人はいないということですかね.偏差値的には,京大より東大の方が上ですが,東大が厳しいから京大に行ったって人はほとんどいないでしょうからね.むしろ,東工大とか一橋には,そういう人が多い気がします.

 もちろん,東大,京大ではなく,敢えて,東工大,一橋に行く人もいるでしょうし,東大,京大以外の旧帝大には,例えば,地元志向が強いとか,その地方に行きたいとか,単にまだ「そういうことに目覚めて」なくて行く人もいるでしょうから,東大,京大に行けないから行ったわけではないという人もかなりいると思うんですよね.そういう意味では,阪大は,京大に行ける人は京大に行くでしょうから,東工大とか一橋と似ている気がします.

 逆に,何度か書いているように,早慶には,東大,京大に時の運で落ちた人がいっぱいいるので,将来の可能性は大いにありますし,実際,出身者に優秀な人が多いです.

 こうして見ると,優秀な人は全国に散在していて,それはそれで悪くない気がしますが,問題は,筑波大にそういう学生がどのくらい来るかってことでしょうか.そういう意味では,東大の前期で落ちた学生をどれだけ拾えるかは大きいと思いますが,残念ながら戦略的にそういうことはあまりうまく行ってなくて,意識が高い学生が多くないのもうなずけるというか仕方ないってことなのでしょうか.

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6/24'20

 こんな感じではあるのですが,総じて言えるのは,筑波大生は優秀ということです.東大から移籍した時,正直,ちょっと心配していたのですが,そんなに遜色ないと思いますし,少なくとも東大生より遥かに素直で真面目です(笑).でも,そういうことがわからないというか知らないだけだと思うんですね.もちろん,東大生というか東大卒と言ってもいろいろで,ものすごく優秀な人もいますが,大したことない奴もいっぱいいますからね.

 こんな感じで,もっと高い意識をもって欲しいと思う学生も多いのですが,教員というか,所属している専攻は,ものすごくまともというか,私にとっては,居心地がよかったというか,思うような研究ができたと思います.

 東大とか京大みたいなトップ校にありがちなんですが,いろいろめんどくさいというか,変な人も結構いて(実は私がここに来てしばらくはここにもそういう人はちょっといたけど今はいなくなった),でもここはみんなまともで,そんなことしてる暇があったら,さっさと片付けて研究しようとか,学生のためになることしようという感じで,ほんとにストレスが少なかったと思います.

 ただ,少子化に伴う世の中全体の悪しき流れというか,世界的な大学ランキング的な「定量的」評価の弊害もあるのですが,〇〇の暴走とかローカルな事情もあって,そういう状況が失われつつあって,何とかならないものかと思いますが,少なくとも私にとっては,一番仕事ができる一番大事な時期に一番いいところにいたのかなとは思います.

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[めんどくさくないようにしておく]

 全ては137億年前に決まっているというか,全てを受け入れないといけないとしたら,必要なのは,やはり,準備ということになります.全ては決まっていても,これからどうなって行くかはわからないわけで,おそらくめんどくさいことも起こると思うんですよね.

 そうなったときにできるだけうまく対処できるようにするには,「めんどくさくないようにしておく」こと,つまり,準備しておくということになります.例えば,「いつでも引っ越しできる状態」というのはそういうことになります.

 これは「準備」という側面もありますが,三段論法的な話もあるわけで,やる気にならなかったら,無気力の状態で我慢してやりたくないことをやるより,まずどうやったらやる気になるかを考えて,やる気を(多少)起こしてからやる方が効率も気分もいいのと同じです.つまり,めんどくさいことをしないといけなかったら,それを我慢してやるのではなく,まずめんどくさくなくなるようにしてからやるのがいいと思いますし,事前にそれが準備できていればなおよしということです.

 そして,人生全てそういうものだと思うんですよね.今やりたいこと,やるべきことをやってるということがある一方で,将来起こることに対して何らかの準備をしていると言ってもいいでしょう.成長期は,大人になって食べて行けるようにするための準備をするのでしょうし,活動期は老後に備えるというか,悔いのない人生を送ったと思える準備をしているとも言えますし,老後は,ある意味,死ぬ準備(笑)をしていくということかもしれません.

 どこかで書きましたが,準備というのは,視線が未来に向かっているので,希望のようなものに繋がって(たとえそれが死でも)効力感を得やすいということがあるので,「手段」として有効ということもありますね.

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 極論的に言えば,準備したとしても,それが全くの徒労?に終わったとしても,それでもいいというか,充分楽しく退屈しのぎできていい人生が送れたのならそれでOKということでしょうか(だから徒労ではないということですね).

 例えば,いつか人前で弾くことがあるかもしれないと思って,ピアノの練習をしていて,でも,そういう状況が何十年も続いて,結局,生涯人前で弾くことはなかったとしても,そうやって将来のことを思い浮かべながら,ピアノを弾くことそのものを楽しみながら,生涯ピアノを弾いて行けたらそれでいいじゃんとも思うんですよね.

 いつでも引っ越せる状態にしておくことだって,そうやって片付けが進むわけですし,片付けば日常生活が快適になるわけで,そういう将来の状況を想像すれば,片付けも進もうというものです.

 仕事とかもっと中心的活動も多分同じで,何事か成し遂げたいというような将来的視点があるのがいいと思いますが,結果的に何事か成し遂げることができなかったとしても,何事か成し遂げようと思って,楽しくやって行ければそれでいいし,人生ってそういうものだと思うんですよね.

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 将来的視点というのは,別にいいことじゃなくてもよくて,将来よくないことが起こりそうだから今のうちやっておく,準備しておくというのも「使える」と思うんですよね(歳をとって体や脳が衰えそうだからとか,もうすぐ死にそうだからとか,経済危機が来そうだからとか).

 例えば,私が多くの論文を書いた時期は,学生時代を除くと2回あって,1回目は,筑波大に来て何年かしたときで,そのときは,単に結果がどんどん出て論文書いてたってだけだったんですが(1か月に3編黄表紙を書いたこともあった),もう1回は,どこかで書きましたが,昇進の話があって実際に昇進する前の1年で,別に昇進が嬉しかったわけではなくて,昇進するといろいろめんどくさい仕事が増えて論文書く時間が激減するだろうから今のうちに書いておかないとと思って書いたんですね(そして,実際そうなった).

 そういう意味では,リタイアすればおそらく研究できなくなるわけですから,今のうちにやっておかないとということもありますし,もっと言えば,死ねば生きられないから,生きてるうちに生きて(いろいろやって)おこうということはあるでしょう.

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[ただそれだけの人生]

 論文ということで思い出したというか,膨大な量の査読論文になってないけど査読論文にする価値のある成果がたまっていて,ぼちぼち査読論文に出していこうということで,始めていたんですが,頑張っていい結果を出してくれたし,卒業したばかりの去年のM2は書いてくれるだろうと思ったのですが,どうも芳しくありません.

 以前も似たようなことがあったんですが,就職して忙しいのはわかりますが,できないならそう言ってもらえればいいんですが,やりますと言っておきながらやらないのが一番困るんですよね.結局,彼らにしてみれば,そういうことはプライオリティーが低いというか,査読論文を出すメリットがないということなのでしょう.

 でも,目先の生活に必要な金を稼ぐ方が大事というのはわかりますが,そうすると「ただそれだけの人生」(やる気三要素で言うと報酬だけの人生)ってことになりかねないし,研究していたのも単に卒業するためだったってことだと,あまりいいことはないと思うんですよね.でも,彼らの問題というか,もう卒業して指導する立場にはないので,私があーだこーだ言うことではないってことですかね.

 でも実は,査読論文を出すメリットがないという点では私も同じ,つまり,この期に及んで査読論文を出して業績を積む必要もないわけで(むしろ,これから研究者としてやって行く若い人に書いてもらうのがいい),論文を出す本来の目的は読んで欲しい人に読んでもらうことですから,だったら,どんどん(盗用防止対策をして)ウェブ公開して行けばいいってことですかね.

 ウェブ公開に舵を切りますか.でも,何かまだ抵抗があるというか,どうもしっくり来ないんですよね.

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 そもそも,盗用防止対策というか,どこかに査読無し論文を出すということなんですが,実質,建築学会大会しかないというのが問題ですかね(著者全員会員でないといけない).今年は(WCEEをやる予定だったので)JAEE大会もないし.とにかく出せばいいので,発表付きでない方がいいんですけどね.

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[持続性が結果に]

 この話(ダイエット?)ですが,いやいや,ダイエットなんだから1週間で5kgとか1か月で10kgとか目に見えて効果がないとだめなんだよと言う人もいると思うんですが,だからだめなんですよ.

 そんなに急激に体重を減らして体にいいわけないし,そもそも持続性がないので(〇イザップのように)リバウンドするのは明らかでしょう.1か月で1kgしか減らなくても,持続可能なら1年で10kg以上減るわけですし,そもそも何十年もかけて何十kgも太ってきたのなら,何十年とは言いませんが,実行できる範囲で時間をかけて減らしていけばいいのです.

 もっと大きな視点から言えば,いつも書いているように「目先の結果を求めない」ことが大事で,それが持続性,ひいては結果につながるものです.

 そもそも,目的は体重を減らすことではなく,持続性のある生活習慣の改善なわけで,それがどうしてもできないとしたら仕事とか家庭のストレスでどうしても食べてしまうとか飲んでしまうとか原因は他にあって,まずそこを何とかするべしというのは,三段論法的手法と同じことでしょう.

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[考えられない人]

 これの逆?の話として,昨日ちらっとテレビで見えただけですが,消毒液を出すときポンプを押すけど,そこにウィルスが付いていたらだめじゃないですかと言ってる人がいました.○カですねー(口が悪い(笑)).

 ポンプを押した手を直後に消毒するので,この場合はOKなわけです.更に笑ったのは,それを3秒ルールと言っていた芸能人がいたんですが,それは全くとんちんかんで全然違うわけで,世の中には「考えられない」というか「自分で考える力がない」人が多いんだなと思った次第です(感染が広がるわけです).

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 でもその芸能人,間違いなく私の何倍もの年収があるわけですよね.歌手のY沢永吉(だったかな?)が東大卒の人間のことを指して,お前らの年収なんか俺の何百分の1やというようなことを言ったというのをどこかできいた気がしますが,それは,彼のやってることがそういう(万人受けする)商売ということに過ぎないわけで,そんなことまでして金儲けなんかしたくないというか,興味がないというか,金になんかならなくてもやりたいこと,やる価値があると思うことはあるわけで,それがわからないとしたら,これまたまさに「考えられない人」ってことで,成功しているように見えて実際はいろいろ大変な目に会ってるってことなんじゃないですかね.

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[しくった]
(運保)

 運保ですが,実はしくっていました.VIX先物ですが,本来なら6/11に売りになって今朝決済だったんですが,6/11に売りになったことを完全にスルーしてしまいました(数日前に気づいた).結果としてスルーしなければ20%とれたことになるんですが,どうしてスルーというか気づかなかったかですが,6/11というのがNasdaqが史上初めて1万を超えた日で,データがうまく取得できなかったんですが,取得し直して分析はしたと思うので,どうして気づかなかったのかは謎ですね.

 準備ができてませんね.

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[UNIVERSITY OF TOKYO 1986]

 相変わらず片付け中なんですが,「UNIVERSITY OF TOKYO 1986」という,どでかいアルバムが出てきて,中も見ずに捨てようと思ったんですが,個人情報があるとまずいので念のため中を見てみたら...卒業アルバムでした(笑).

 そんなのあったっけ? 全然忘れてたというか,卒業以来一度も見てない(笑)と思うのですが,卒アルなので,卒業生全員の写真とか部活の写真も載ってるので,これは一応とっておくのかなあ(でもでかいし重いなあ).

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[粛々淡々と]

 この話の続きなんですが,全て決まってる(けどわからないけど)ってことは,あーしたいこうしたいとか評価されないとか言わずに,自然の流れに従って,粛々淡々とやって行けばいいってことで,そう考えれば,そんなに思い悩むこともないというか,割と気分よく生きて行けると思うんですよね.

 思い返せば,私は普通とは大分違う人生を歩んできたとは思いますし,人生の岐路的なこともありましたが,結局,なるようになってるというか,その時その時の自然の流れに従ってきただけという気もするんですね.

 受験はあまりうまく行かなかったし,東大に入るときもすんなりとは行かなかったんですが,何となくそうなってる感じはしましたし,理論物理から建築構造に転向?したときはかなり際どかった気もしますが,これも然りですかね.筑波大に来た時も声がかかったときはどうしようかなとは思いましたが,直感的に行くんだろうなと思って,実際来ることになって,結果的に大正解でしたからね.

 そういう流れに逆らったことがあるとすれば,Q大の話を2回断ったことと,南先生が亡くなった後のことですが,体というか心かどうしても言うことをきかなかった感じで,ある意味,これまた自然の流れでしょうか.

 ですから,一般的なことに敷衍すれば,自分の能力とか適性とかそういうものに合わせて話が来るというか,どうしてもだめでなければ,社会というか世の中から与えられるものに粛々淡々と従って行けばいいのかもしれません.

 ただ,そういう中で,人生の中で選択の余地があるというか,自分で選ぶことがあるとすれば,大学進学時と就職でしょうか.つまり,たった5年くらいの間にそういうことが集中してるわけで,そこをどう過ごすかが重要なのは当たり前ってことですね.

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6/25'20
[バブルの定義]
(経済, 世の中)

 今朝のMーサテで,今の急激な株価上昇はバブルなのかということについて話している人がいました.その人によると,バブルとは,1.過度なロング(買い)ポジション,2.過度な楽観と強気 という2つの条件を満たすことが必要だが,現状は,ショート(売り)ポジションが積み上がってて,第二波の心配とか経済の回復に時間がかかりそうなのに買われ過ぎという悲観論に支配されている人が多く,全くバブルの条件を満たしていない(ので現状はバブルではない)とのことでした.

 私も基本的には同感で,例えば,総強気だった1980年代後半の日本のバブルのときとは明らかに違います.実際,世界的に異常な金融緩和で考えられないほどジャブジャブで低金利ですし,株が上がらない理由を探す方が難しいくらいで,ここで,ワクチンとか治療薬ができたなんてニュースが流れようものなら,売りポジションの踏み上げが起こって,壮絶な株価暴騰が起こるのは明らかでしょう.

 でも,それでも私は,既にバブルだと思います.それは,結局,バブルの定義ってことになるんですが,専門家が使う実体経済という用語は使いたくはないのですが,要はそういうことです.つまり,単にマネーゲームになってるのかどうかってことで,そういう意味では,既にマネーゲーム化していると言えます.言い方を変えると,既にバブルが始まってて,最初に出てきた2つの条件はバブルの終焉期のもので,これから相場が下げるかどうかの条件ということで,その人はまだまだ上がると言いたいのでしょうし,私もその可能性が高いとは思いますが,私は既にバブルだと思うので,下げる可能性もあると思います(日々流れを見て判断するしかない).

 でも,そんなこと言ったら,相場自体がマネーゲームじゃないかというのはその通りで,でも,株式相場は将来の経済の鏡ではあるので,相場が上がれば,将来,経済は上向くわけで,でもそれは,結局,目先の経済に過ぎないわけで,簡単に言ってしまえば,消費というか浪費が多くを占める今の経済自体がバブル化してるってことですね.

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[はたから見るほど]

 考えられない人ですが,これもどこかで書いたと思いますが,考えると言ってもいろいろで,ここでは主として「論理的」に考えるということを指しています.AがBなら(論理的に)CはDになるというようなことで,パズルに近いですし,数理能的なところはあるので,お金の計算というか,収入と支出のバランスとか生活力にも繋がってきます(そう言えば,昨日,K池T知事が握手じゃなくてグータッチをしてたのを見たけど,これもパズルができてない).

 でも,いくら万人受けする二流芸術(口悪)とは言え,多くの人の心を掴むのは(新興宗教の教祖と同様)常人離れした何かの非常に高い能力はあるわけです.極端な話,18m先の40cm角の中に時速170kmの球を投げ込めれば,あるいは,100mを9秒で走れれば,巨万の富が得られるわけですからね.

 それは,バラエティーで万人受けする気の利いたことが言えたり,○カを晒すことで笑いがとれたり(天然に勝るボケなしだが演じることもできるし制御できるので事故は起こらない),世の中で騙されて虐げられてる多くの人達の共感を呼ぶような歌を作って歌うのも同じなわけです.

 そして,ポイントとしては,そういう一芸に秀でた人の多くというか,おそらくほとんどは,考えて積み上げてそういうことができるようになったというより,最初から何となくできたというか,もちろん,何もしないでマラソンを2時間ちょいで走れるわけはないのですが,やはり,何か特殊な才能をもった人なのでしょう.

 でも,真に突出した才能は万人受けしないものなので,ほどほどのレベルってことなんですが(そういう意味では,スポーツの世界のトップは,ほぼほぼ真のトップなので,そこが芸術とは違う),そこは置いておいて,例えば,バドミントンならセンスがあってできちゃったとか,コーチの言う通りにやってるだけとかいう選手より,練習とかトレーニングとかをしっかり論理的に考えて実行して強くなった選手の方が価値があるというか,それは人間的なこともそうですし,将来的にどっちがいい指導者になれるかは明らかですし,考えられるかそうでないかということは,もっと広く人生を生きて行く上で全然違ってくると思うんですよね.

 実際,一芸に(そこそこ)秀でて巨万の富を得たとしても,自分で考えられない人はどうなるかと言うと,自ら身を亡ぼすことになったり,金儲けしたい奴らのターゲットになったりするわけで,運用どころか経済感覚も生活力もないわけですから,むしりとられるのが関の山ってことになりがちで,はたから見るほど華やかで輝かしい人生ではないと思いますけどね.

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[2ヶ月は長い]

 いつも見ているウェブサイトが2ヶ月更新がなくて,正直,ちょっと心配していたのですが,こういう状況で何か事情があるんじゃないかとは思っていました.それで,先日,2ヶ月ぶりに更新されて,さすがにほっとしたのですが,その「事情」が書いてあって,ずっと在宅勤務でアカウントのパスワードの有効期限が切れてリモート操作できなくなってたとのことです.

 そういうことかと思ったのですが,私が驚いたのは,その人は,2ヶ月間,ずっと在宅勤務だったということです.つまり,2ヶ月間「一度も」職場に行ってないんですね.2ヶ月は長いか短いかということですが,今の私からすると長いです.ていうか,こういう状況でもほとんど毎日(土日も)大学行ってるし.

 もし2ヶ月間,大学入構禁止になったらどうかなあ.今の私には無理かも.つまりは,まだまだ「準備」なんかできてなくて,その人の方がよっぽど準備ができてるってことかもしれません.

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[大戸屋vsコロワイド]
(世の中)

 大戸屋vsコロワイドですが,大戸屋が勝ったんですね.コロワイドは,経営効率化のために(ほとんどの外食チェーンで使用されている薬品付けの)カット野菜を使うと言ってましたから,大戸屋はそういう危機を回避したと言えるでしょうか.

 でも,それだと経営的には厳しいので,結局は,ユーザーの問題,つまりは,添加物まみれでも安ければいいのか,多少お金を出してもより安全なものの方がいいのかってことで,私はもちろん後者です.

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[全ては自分が悪い]

 まずは全てを(甘んじて)受け入れることと再三書いていますが,もっと進めて,全ては自分が悪いと考えるというのもありというか,そう考えられたら無敵だと思うんですよね.

 もちろん実際は,全ては自分が悪いわけではないと思います.でも,相手とか他人とか世の中が悪いと考えるとむかつく(笑)というか,むかついても何も変わらないことが多いわけで,これまたさっさと「あきらめる」ということでしょうか.

 それに,100%相手とか他人とか世の中が悪いかと言うとそこまででもなくて,1%とか10%くらいは自分に非があるとか,非はないにしても脇が甘いというか,もっとうまくやれたはずとか,そういうこともあるとは思うんですよね.

 もちろん,絶対に譲れないものもあるんですが,そうでもないものは,あきらめるというか,どこかで書きましたが「許す」という感覚も必要というか,そういう心の余裕があると,気分よく生きて行けるような気がします.

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6/26'20
[仕事ってそういうものじゃない]

 仕事についていろいろ書いてきました.やりたいことを仕事にすれば,やりたいことができて,生きて行くための生活費まで得られるというのは,一つの理想の人生でしょうし,私は(いろいろ考えて行動したし,紆余曲折もありましたが)幸いそれに近い人生が送れたと思います.

 でも,あらためて思うのは,仕事ってそういうものじゃないってことでしょうか.

 仕事というのは,もちろん,定義はいろいろでしょうが,基本的には,何かをしてそれに対してお金などの対価が発生するものです.つまり,お金を払う人がいないと成立しないわけで,社会的分業を考えれば,「相当多くの人」にお金を払ってもらわなければ食べては行けません.具体的には,どこかで書きましたが,ピアノを弾くことで食べて行くには,千人の人が1回5000円のコンサートを年に2回聴きに来てくれる必要があるわけです(5000x2x1000で1000万で半分が必要経費で500万ですが,実際千人に会場に足を運んでもらうには,その何倍ものファンを獲得する必要があるでしょう).

 もっと単価が低ければ(YouTubeなんか数円),対象は,何万人何十万人何百万人と広がるわけで,そうするとその他大勢,つまり「万人受けする」ことをやらなければ,人はお金を払ってくれないわけで,相手が欲していることに応えることが「仕事する」ってことで,そうすると,もうやりたいことでもなんでもなくなってくるわけで,まさに「お仕事」なわけです.

 これは何でもそうで,やりたいことを仕事にしたものとして,プロスポーツ選手がありますが,どこかで書きましたが,プロ野球選手なら年間百何十試合もしたくないでしょうし,テニスとかオリンピックレースとかで身も心も削って1年中海外を転戦する場合も同じです.

 研究者だって,給料がもらえているのは,大学の教員なら教育(例えば,建設系なら生きて行くのに必要な建物を建てる人材を育てる必要がある),国の研究所なら役人的な仕事なわけで,研究も芸術もスポーツも本来的には道楽なわけです(でも,道楽だけどやる価値があることこそ重要なのだが,その話はここでは置いておく).

 つまり,私はやりたいことを仕事にしたのではなく,研究というやりたいことをやるために大学の教員という仕事を選んだということなわけで,「フリーの研究者」というのが成立するのもそういうことです.

 でも,実際はそんな単純な話でもなくて,大学の人事評価は,教育ではなく,研究実績でなされるので,研究もして(論文を書いて)行かないといけません.つまり,研究にも仕事的な要素があるんですね(でもこれはやりたいからやってるので仕事だろうが仕事でなかろうがやるんだが,実際はそういうことがインセンティブになってる人もいると思う).

 更に言えば,学生の研究指導は,最高の教育ですから,そういう意味でも,研究にも仕事というか世の中の役に立つ的要素があって,いろんなことが入り混じってるってことで,そういうことを総合的に判断して職業とかやりたいことを選ぶということでしょうか.

 そういう意味では,私は「やりたいことを仕事にしたのではなく,研究というやりたいことをやるために大学の教員という仕事を選んだ」というのも正しくなくて,そういうことを総合的に判断して大学の教員というか研究者という仕事を選んだというのが正しいんだと思います.

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 つまりは,これもどこかで書きましたが,やりたいことを仕事にしたのではなく,食べて行けるもの(仕事とか職業)の中から一番やりたいことを選んだってことなんですが,じゃあ,研究のやりたい度はどの程度なのかってことです.

 例えば,私は仕事以外にいろんなことをやっていますが,それらは仕事ではないのにやるわけですから,まさにやりたいことだと思うのですが,それらと比べたらどうかということで,仕事をリタイアした後,そのことが(残酷に)問われるわけです.

 でも,よくわかんないですね.

 仮に私が大金持ちの家に生まれて全く働く必要がなかったとしたら,音楽とかスポーツとかだけして暮らしたかと言うと,そんなことはない気がしますし,じゃあ,勉強が好きだったかというとそんなこともないし,仮の話をしてもしょうがないというか,実際,大学などに所属しないと研究することは難しいわけですからね.

 逆に言えば,そういうことで「助かった」というか,ただ道楽で研究すればいいのではなく,大学のなどに所属して,教育もそうですが,研究業績を上げて行かないといけないという状況があったから,こんな怠け者の私でも少しは頑張れたということかもしれません.

 まあこの件に関しては,まさに架空の話をしても意味ないし,それが過去ならなおさらで,問題はこれからというか,リタイア後どうするのか,研究するのかってことなんですが,これもしたければする,したくてもそういう環境がなければしないというか,ほんとにしたければ,自分で環境を整えてでもやるでしょうから,そういうことに従って行けばいいのでしょう.

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[切り換え]

 この件がちょっと気になってきました.私は行かなくてもいいのにどうして(ほとんど)毎日大学の研究室に行くのかってことです.

 家より研究室の方が居心地がいいのなら,じゃあ,ずっと研究室にいるかと言うと,それはだめで,夜は家に帰ってのんびりしたいわけです.じゃあ,ずっと家にいるのがいいのかと言うとそれも厳しい.

 これって,何度か書いている「活動と休息」ですよね.つまり,ずっと活動でも,ずっと休息でもだめで,両方必要なわけです.

 問題はここでもやはりリタイア後ですね.何らかの活動は必要だと思いますが,じゃあ,場所を変える必要があるのかということです.

 家をそういう風にするのも一法ですが,場所を変えるのは,やはり「効果がある」と思います.活動と休息はまさに「切り換え」なので,場所というか環境を変えるのが手っとり早いからです.

 もちろん,そういう状況になれば渡りに船でしょうが,そうでなくてもそのくらいは自分で何とかなると思いますし,家をそういう風にするのならそういうことも含めてそのために準備して行くということですかね.

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6/27'20
[これでいいじゃないですか]
(野球, 世の中)

 プロ野球(NPB)が無観客で開幕して,ぼちぼち見てるのですが,これでいいじゃないですか.あのうるさい変な応援もないし,静かでいいです.西武球場だと,時々オルガンの演奏とか入るんですが全然OKで,こういう雰囲気,どこかであったなと思ったら,メジャー(MLB)がそうですね.でも,あのうるさい変な応援をわざわざ録音で流してるところもあるのは最悪で(〇ャイアンツとか),折角のいい雰囲気が台無しです.

 もちろん,これじゃあ収益的に厳しいってことなんでしょうが,何度も書いているように,3000円ずつ3万人を球場に集めるんじゃなくて,オンラインで300円ずつ30万人集めればいいわけですし(サザンが有料オンラインライブをやったようですが,これでいいじゃん.電気で音を増幅するなら音質は生と変わらないし),グッズとか交通費とか飯代とか,野球と関係ないところで金儲けしようってのがおかしいっていうか効率が悪いし.

 確かに球場の臨場感というか雰囲気というのはありますし,若い頃は,私も時々行ってたと思いますが,時々で充分ですし,臨場感というか野球を楽しみたいので,あのうるさい変な応援はやめてもらいたいです(でも今のライオンズの応援はそんなに嫌いではない.対照的に〇ャイアンツとか〇ークスのは最悪).

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 ちなみに今日の試合(対ホークス)ですが,中継が始まった3回裏の時点で,既に2-7と大きくリードされていて,またかよという感じだったのですが,その回に3点返し,終盤,山川の3ランで8-7と逆転しました.

 展開としては最高なんでしょうが,何度も書いてますが,野球はピッチャーで,こんな感じでは,レギュラーシーズンは何とか行けても,CSとか日本シリーズとかの短期決戦では厳しいと思うんですよね.

 でも,終盤に逆転できたのは,中盤,終盤とライオンズのピッチャーが頑張ったからなので,後はやっぱり先発ですかねー.5回と言わず4回とか3回まで何とかもつというか,そういう感じで行け!ってやるのはどうでしょうか.つまりは,先発も中継ぎと同等というか,2, 3回しか投げないという意識で行かせるというか,そうすると,先発に勝ち星は付かないんですが,先発と中盤をローテーションさせれば誰かに勝ち星が付くわけですからね.

 つまりは,エース格のピッチャーがいない(今のライオンズで計算できるのはニールくらい)ってことで,こうなったらもう総分業ローテーション制ってことです(終盤というか抑えはある程度固定するとして,それ以外の全てのピッチャーが2, 3日おきに,序盤,中盤の2, 3回を投げるイメージ).

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[オンライン]
(世の中)

 スポーツとかライブとか会議とか仕事とか,いろんなものがオンラインになって行くのか,やっぱり,オフラインなのかってことなんですが,オンラインでいいものはオンラインでいいってことでしょう.

 スポーツ観戦は,普段観るのは(私は)オンラインで充分です.若い頃は,年に1回くらい球場に行ったこともありましたが,今はもういいかな.

 ライブというかコンサートも,もうほとんど行かなくなりました.でも,音を電気で増幅させる軽音楽は,生で聴いてもあんまり意味ないというか,大音量でいっしょに騒ぐのが目的(野球とかサッカーで球場とか競技場で大声張り上げて応援するのも多分同じ目的)なんでしょうが,クラシックのような音を直接聴けるものは,生は全然違います.でも,音楽は聴くものではなく演奏するものだと思ってるので,聴くことはそんなにないですし(オンラインで聴くのは自分が弾く曲探し),これももうそんなに行かないですかね.

 会議については,オンラインでいいというか,基本的に未来永劫オンラインにして欲しいです.もちろん,どういう会議かによるんですが,会議のほとんどは,そういう会議ってことですね.

 そういう会議でない会議とか,会って話したい人間が集まって話す場合は,Zoomでは完全代替はやっぱり難しい感じでしょうか.一つは,既に書きましたが,人数的には,3人か4人くらいが限度ですかね.でも,どこにいてもすぐ「集まれる」というのはやっぱり大きいですね.

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[違和感]

 何度か書いてますが,気がついたらこんな歳で,一体どうなってる?というか,変な感覚というか違和感を感じます.

 歳は1年に1つずつとるので,今までの人生のどこかで,時々そういうことを感じてもよかったと思いますし,40とか50になったときは,思うことはありましたが,こういう違和感とは違っていたと思うんですよね.

 歳を重ねてきて,一応何とか一仕事できた感じもするし,いろんなことをしたり考えたりして,いろんなものが見えて来たような気もするけど,特に何も大したことはしてこなかったというか,何も変わらないというか,ただ歳だけとったような気もするんですね.

 つまり,こんな歳なのに,こんな歳という自覚がないというか,学生とか20代,30代の人達との差を感じない(能力の差ではなく年齢の差を感じない)というか,同じ人間じゃんみたいな,でも,実際は全然違うというか,向こうはそうは見ないわけですよね.

 なんか話が少しずれてきましたが,これからも歳をとり続けるわけで,この違和感は,益々拡大して行くような気がしていて,そうするとなかなか大変な気もするんですが,ずっと30代くらいの感じで行けるのか,それともどこかで帳尻が合ったりするのでしょうか.

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6/29'20
[自己責任]
(世の中)

 緊急事態宣言が解除され,予想通り感染者数が増えてきましたが,国も都も緊急事態宣言を出す状況ではないと言っています.ほーら,言ったとおりになって来たでしょ.つまり,国も都ももう面倒見ないってことですよ.だって,緊急事態宣言出しても(もうすっからかんで)補助金なんか出せませんからね.

 メディアとかでは,どうしたらいいの?とか言ってますが,まさに自己責任ということです.つまり,出かけるのも旅行するのも夜の街に行くのも飲んだくれるのも勝手だけど,感染したら自己責任,感染者が増えて医療崩壊が起こったら,野垂れ死にってことです.そして,それは,客も店にも言えることです.

 医療機関にしても,受け入れられなかったら受け入れられないでしょうがないわけですからね.つまりは,感染者数とかの指標はあまり意味なくて,感染しても医療体制が逼迫しないかどうかだけ考えればいいんじゃないですかね(勝手な行動をとって感染したら自己責任ということ).

 でも,何かあったらお上が助けてくれる,じゃなくて,自分や家族を守れるのは自分自身しかいないってことが少しでもわかったとしたら,それはその人にとって悪いことじゃないと思います.どうしたらいいかよく考えましょう.国とかメディアとか専門家?の言うことをきいて大丈夫と思って行動して感染しても誰も責任なんかとりませんよ.

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 別の見方としては,若い人達はあまり怖がってないというか,実際,重症化する確率は低いわけですからね.でも,年寄りにうつしたら大変なことになるわけで,でも,そういうこともそんなに気にしてないわけです.

 これって,再三書いて来た「姥捨て山」状態になってるってことなんじゃないですかね.年金払う人も減ってるみたいですし,年寄りがどんどん借金作って,次世代につけ回すのなら,年寄りの面倒なんか見ないぞって若い人が増えてくるのもしょうがない気がします.

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 院内感染を恐れて,病院に来る人が減って,経営がやばくなってる病院があるんだそうです.でも,それこそ不要不急ってことなんじゃないですか?

 医療費が膨らんで財政が破綻するとか言ってたわけですから,日課のように病院に通う年寄りが来なくなるのは結構な話のはずなのに,来なけりゃ来ないで困るというのは随分手前勝手な話なんですが,結局,これも変動の問題ってことですかね.

 じゃあ,どっちで変動を抑えるのがいいのかってことですが,余計で無駄なものはやめた方がいいに決まってますが,余計で無駄なことして目先の経済を回そうとするわけで,でも,まさに今の状況がそれがおかしいということを「教えてくれてる」とは思いませんか?

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[分断]
(世の中)

 国とか人種とか民族とか,いろんな局面で分断が進んでいる感じがしています.今に始まったことではないですが,状況が悪くなるとそういうことが露呈して,進行すると戦争ということになってしまいます.

 そもそも,どうしてそういうことが起こるんでしょうか? 分断の逆は何かというと協力というか結託というか仲間意識みたいなものですよね.同じ日本人なんだから,同じ国に住んでるんだから,とかがそうですが,家族とか親戚なんだからというのもそうです.仲間が大事だから(余裕がなくなると)それ以外を排除しようとするわけです.

 そんなの関係なくね.同じ人間じゃん.

 でも,人間なので,好き嫌いはあるでしょうし,付き合いたくない人間とは付き合いたくないでしょう.それはそれで仕方ないと思いますが,それは,住んでる国とか民族とか人種とか血がつながってるか(ってそもそも何?)とかは関係ないと思うんですよね.

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[そうだったらいいな順]

 やる気三要素ですが,内的熟達>人との繋がり>報酬と再三書いていますが,心理学的にこれらの順に効力感に繋がるということなんですが,私にとっては,そうだったらいいな順ということがあります.

 具体的には,やりたくないけど給料がもらえるから働く(報酬)より,仕事が楽しい(内的熟達)方が遥かに(私にとっては)いいわけですからね(金の亡者とか働くのは金のためとかいう人は逆なんでしょうけど).これは仕事に限った話ではないんですが,やりたくてやってることでもいつもやりたいわけじゃなくて,そうすると,内的熟達>人との繋がり>報酬と「降りて行く」わけです.

 具体的には,楽しければやるけど,そうでもないときは,人との繋がりというか,社会とか組織の中で役割を果たさないといけないという責任みたいなものがあって,それでも厳しくなると,食べて行くには仕方ない(報酬)まで凋落するわけです.

 でも,これが通用するのは仕事だけで,仕事以外のことは(嫌ならやめればいいだけなので)通用しませんし,リタイアしたら仕事も通用しなくなります(ていうか,仕事しなくなるし).

 つまり,内的熟達しか残らなくなるわけで,報酬とか人との繋がりがなくてもやりたいと思うことを開拓しておくことが必要というか準備ということになるわけです.

 もちろん,仕事を続けるというか,何か違うそういうことを始めれば,人との繋がりと報酬が発生しますが,そういうことに「降りて行」かなくて済むのならそれに越したことはないと思うんですよね.

 でも,仕事以外にについても,ピアノを弾くのが,バドミントンをするのが基本的には楽しいと思っていても,今日はやりたくないという日はいくらでもあるわけで,そうすると「降りて行って」うまく人前で弾けるとか練習に行くとか試合で勝てるとかの人との繋がりとか報酬も「利用する」ってことなのかもしれませんが,降りると登って来ないといけなくて,そうすると登って来なくなって,報酬だけになってしまうと一体何やってんだ?となると思うんですよね.

 内的熟達の中で閉じようとするのなら,今日はやりたくないけどサボるとやばいから頑張ってやるってことなんでしょうが,それだとどうしてもサボりがちになるんですが,手を変え品を変えじゃないですが,本質的な面白さを日々探して行くということですかね.

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 一つの考えとしては,あまり極めない方がいい,上手くならない方がいい,強くならない方がいいってことはあるでしょうね.バドミントンなら素人同士で昼休みに打ち合ってるくらいが楽しいでしょうからね.でも,ここまで来ちゃったものはどうしようもないかな(これは降りていくのが難しいパターン).

 でも,嫌ならやらなきゃいいわけで,それは仕事(研究)も(本質的には)同じなわけで,その道を究めようとするよりは,その本質に迫ろうとすることが内的熟達的には重要なのかもしれません.

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6/30'20
[本質に迫ろうとすることはできる]

 極めようとすることより本質に迫ろうとすることが重要というのはそうだと思いますが,あまり極めない方がいいというのは違うわけで,本質に迫れれば,結果的に極めることになると思うんですよね.

 研究に関しては,レベルが低いほど楽しいということは絶対にないし(世の中の誰も発見していないことを追求する研究より,既にわかっていることを勉強する方が楽しいとしたら単なる素養の問題),レベルが上がるというか真理に近づけば近づくほどしんどくなるということもありません.

 でも,量の問題はあると思うんですよね.例えば,ピアノなら極めようとするのなら1日1時間やそこらの練習量では絶対に無理だし,それはスポーツも同じです.これが極めるには「たった一つのこと」しかできないということなんですが,1日1時間でもやりたいのならやればいいとは思うんですよね.

 そうすると,当然大したことにはならないんですが,極めることはできなくても本質に迫ろうとすることはできると思うんですよね.結果,大したことにならなくても,本質に迫ろうとすることで楽しめればそれでいい気もします.

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[太田外氣晴先生]
(仕事)

 太田外氣晴先生が亡くなられていたとの連絡がきました.つい先日まで地域交流会などでお会いして元気なお姿を拝見していた印象なので突然という感じなのですが,85ということで,いつの間にか彼もそういう年齢だったのかと思った次第です(私も歳をとるわけです).

 彼の名前を最初に見たのは卒論の時で,そのときは鹿島におられたと思いますが,いろんな表層地盤を設定して地表動を計算してその破壊力の違いを検証するということをしようと思って,青山・小谷研の端にある,ずらーっと博士論文が並んだ移動式書庫の中で彼の博論を見つけて,ちょうど5つ(1種地盤は福島県双葉郡,つまり,福島第二原発サイトとか,3種(軟弱)地盤は浦安とか.2種地盤は椎名町だったかな)綺麗にまとめてあったので,ありがたく使わせてもらいました.

 その後,学会などでお会いするようになり,地震研にもよくいらっしゃってたのかな,地盤震動小委というか地域交流会とかでよくお会いしていたと思います.私が1-2秒応答を提案したあたりからは,この研究を(多分,まだあまり知られていない頃から)学会とかの発言でよく言及してくださってて,彼はものすごく発言される方なので,ありがたい話でしたし,筑波大に来てからは,あなたのような人が地震研にいないといけないというようなことも(会うたび毎回ように(笑))言ってくださいました.

 つまり,私というか私の研究を当初から評価してくださった,その重要性を理解してくださってた方を失ってしまったんだなと思った次第です.

 太田先生,ありがとうございました.

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 「彼の名前を最初に見たのは卒論の時で」と書きましたが,気になって調べてみたら,卒論ではなくて,じゃあ,修論かと思ったら,修論でもなくて,M2のときに書いたJCI(境有紀, 小谷俊介, 青山博之, 靭性に依存する鉄筋コンクリート造純フレームの設計用地震力スペクトル, コンクリート工学年次論文報告集第10巻第3号, 461-466, 1988.)で使われてました.ちなみにこの年は,青山先生に筆頭著者になっていただいて,梁曲げ降伏先行メカニズム確保のための柱応力の動的割増率でもう1編,つまり,同時に2編JCIを書きました(建築学会大会は小谷先生にも筆頭著者になっていただいて3編書きました).

 卒論,修論はいずれもモデル地盤で,現実に存在する「そういう表層地盤」を探して,太田先生の博論にたどり着いたんだと思います.ちなみに使われていた表層地盤を5つではなく4つで,もう一つは椎名町より柔らかめの2種地盤の王子でした(5つというのは,岩盤が露頭している場合も含めてということかな).

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[やり過ごせばいい]

 いいときもそうでもないときもあると思うんですよね.調子がいいときも悪い時も,体調がいいときも悪い時も,うまく行く時も行かない時も,やる気になるときもならないときもある.いいときは問題ないと思うのですが(でも調子に乗ってやらかさないように),問題はよくないときにどうするかってことなんですが,例えば,体調とか調子がよくないのなら休めばいいし(体調がよくないのに休めないことがずっと続くような職場ならやめちまえ),やる気にならないときは,無理してやらなくていいならやり過ごしてもいいし,まずはやる気を起こすにはどうしたらいいか考えてもいいし,うまく行かない時は,そういう時もあると思えばいいし,要は,基本的にやり過ごせばいいと思うんですよね.

 でも実際は,そうだとわかっていても難しいですよね.でも,練習したら上手くなるように,そういうことを何度も経験して学習して行くというか,同じところをぐるぐる回らないことだと思うんですよね.

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[戻ってくる]

 研究もそうですが,哲学的なことは特に,いろいろ考えていろいろやってきて,元に戻ってくるような感覚があります.このサイトを継続的に読んでくださってる方なら気づかれているかもしれません.

 なーんだ,そんなことなら,ばかな考え休みに似たりじゃん,とはなりません.

 元に戻ってはくるんですが,明らかに何かが違います.喩えれば,らせん階段を上って元の位置に戻って来たけど,一段上に上がって見えない景色が見えるようになった感じでしょうか.

 逆に言えば,ぐるっと回らずに近道して直接上には上がれないんだと思います.

 そうやって,ぐるぐる何回も回ってだんだん真理というか本質に近づいていければと思います.

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 でも,何と言うのかな,いろいろわかってきたけど,もう活かす機会がそんなにないというか,だから,書ける範囲でですが,ここでいろいろ余計なことを書いているのかもしれませんね.

 でもまあ,私の人生もまだ続くようですし,活かせる範囲で活かしていくというか,ずっと追究して行けばいいんでしょう.

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[SJJ終了?]
(生活)

 ようやくブロッコリーがなくなったので,石臼でひいてますというので作ってみました.味はそんなに変わらないんですが(色は泥水(笑)みたいだけど美味い.製品として売り出すには,これを何とか色素を使って綺麗な色にするからおかしなことになる.ちなみにゴーヤは,たくさん入れると苦みが増して大変),水分がない分,ドロドロまでは行かないですがめっちゃ濃厚です.少し水を足せばちょうどいいくらいになるかな.また「黄金比」目指していろいろ試してみます.

 時間的には,ジューサーを洗うのも含めて10〜15分くらいは短縮できる感じでしょうか.キャベツ粉末は(原料が安いので)割高なのですが,ブロッコリーは(原料が高いので)却って安いくらいです(粉末にするのに費用がかかっているということ).まあ,キャベツについては,日持ちもするし,ちぎって使えばいいので(もう切るのもめんどくさくなってきた),直接食べるようにすればいいですかね.

 そうすると,たくさんの粉末を溶かすことになるのですが,予め一定の割合で混ぜて置いたら更に時短になると思いますが,そういうのってあんまりよくないのかな.でも,相当均一に混ぜないとバランスが崩れるかもしれませんね.

 ちなみに(まだどうするかはわからないけど)SJJ(スロージューサージュース)ではなくなるので,名前はどうしますかね(どうでもいいけど(笑)).これだけで(アミノスコア100の)タンパク質,ビタミン,ミネラルがいっぺんにとれるのでAOJ(オールインワンジュース)? でも,それはSJJのときからそうだから,スロージューサーの代わりに石臼だからIUJ(笑)?

 ちなみに,まな板出して野菜を切るのももう面倒ということで,たまねぎとかピーマンとかは使わなくなってきたんですが,たまねぎは,粉末を毎日摂取してるし,もやしとかほうれん草とか小松菜とかナスとかミックスベジとかの冷凍野菜や大根とか木耳とかの乾燥野菜も使ってますが(ワカメとかきんぴらも),グリーンリーフレタスとかキャベツとか舞茸とかちぎるだけで使える野菜(そっか,ピーマンも日持ちするしちぎれるかも)というか素材を生活クラブの中で探して行きたいですね.

 ちなみに,生活クラブのタンパク質系の素材というか惣菜で電子レンジで温めるだけで済むものですが(炭水化物系はいっぱいありますし),チキンを加工した冷凍ものとか缶詰とかいっぱいありますね.

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