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7/1'20
[IUJ]
(生活)

 IUJですが,これまでブロッコリーとかを絞ってた分を粉末で置き換えて,水を50mlくらい足せばほぼほぼ同じ感じになりました.

 もちろん,手間がかからず楽になったのですが,問題は栄養面とかはどうなのかってことです.結果は,体調とか自分の体で判断ってことなんですが,物理的に考えるとどうでしょうか?

 そもそもは,ブロッコリーを1週間以上経って生で絞るのがちょっと...ということが動機だったわけです.つまりは,めんどくさいからではなく,楽で時短になるのは副産物ということなんですが,それ以外には,絞った残りの部分は半分くらいは自作R-1に混ぜて食べてたんですが,半分は廃棄です(夏場は,2, 3日経つと臭くなるので,消臭などの対策をしていたが,それでもゴミ箱の蓋を開ける一瞬匂うのが嫌だったけど,IUJだとこれも回避される).

 実際,ブロッコリー80g,キャベツ80g(はかなりの量)で絞られた量は,せいぜい50mlくらいで,水分を除けば,ほんの僅かだと思うんですよね(むしろ,絞った残りの部分に大事なものが含まれてる感じすらする).

 でもIUJの場合は,全部丸ごと摂れるわけです.問題は栄養の欠損ですが,石臼なので,粉砕する際の熱の発生による欠損は抑えられるということで(これはSJJも同じ).問題は乾燥させるときどうしてるかですが,書いてないのでよくわからないです.でも,粉砕する際の熱の発生による欠損は抑えるために石臼でひいてるのに,高温の熱風で乾燥なんてことはしてないと思うんですけどね.でも,多少の熱風を使ったとしても,炒めるとかの高温とかとは全然違うかな.

 ということで,よくわからないので,自分の体で結果で判断ってことですかね.というか,この場合,原理的にどうでも結果が全てというところはあるわけですからね.

 ちなみに,SJJはどうだったかと言うと,明らかに体調はよくなりました.でも,添加物ほぼ完全排除とかも同時に始めているので,詳細な因果関係はわからないのですが,今回の変更点は,SJJ→IUJだけなので,わかりやすいかもしれません.

 ちなみに(忘れないようにメモ代わりに書いておくと),粉末と実物の重量比は15倍くらいみたいです.つまり,ブロッコリー80gを粉末で摂ろうとすると5g強ということですね.小さなスプーン1杯で2gくらいなので,ブロッコリーなら山盛り2杯(あるいはプロテインのスプーン1杯が10gなのでその半分)ってことで,今はこれにゴーヤとほうれん草とキャベツを小スプーン1杯(2g)ずつにしています(キャベツは石臼のものがないし割高なので今回きりにして実物で摂る).

 でも,当然のことですが,実物も食べることは必要でしょうね.キャベツもそうですが,まな板と包丁が要らないものもたくさんあります.一時期,ブロッコリースーパースプラウトとかも使ってたんですが,品切れのことが多くて定期的に摂れなかったんですが,最近はどうなのかな?

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 ちょっと調べてみました.VCが熱で壊れるというわけではなく,むしろ粉砕するときの粉砕の仕方の問題みたいです.ということで,買い物のときに緑系の野菜ジュースの栄養成分を見てみました.

 ○ゴメの○実野菜とかは添加物がいっぱい入ってるので,どのみちだめなんですが,成分表を見ても非常に寂しい限りですね.対照的に○藤園の青汁は結構残ってる感じで,でも原料を見ると添加物は当然として,粉末を溶かしたものでした.

 てことは,IUJにも結構残ってるし(添加物もなし),問題は石臼というやり方がどれだけVCなどの残存に寄与しているかですが,これはわからないので「実験」なんですが,少なくとも青汁よりは全然いいんじゃないですかね.

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[大変なことになりそうだから]

 この話に関係するのかもしれませんが,将来に対して明るいイメージをもつのではなく,めんどくさく大変なことになりそうだというイメージをもつのも「悪くない」感じがしています.

 もちろん,そういうイメージをもつだけじゃなくて,めんどくさく大変なことになりそうだから,しっかり準備して行かないいけないと思うことが「悪くない」ということです.

 例えば,成長期をどう過ごすかですが,自分で食べ行かないといけないからしっかり準備して行かなきゃと思ってそれなりに頑張るわけで,これって悪くないと思うんですよね.

 私の経験からしても,ただ楽しくてやってたこともあったんですが,そうでもないとき,例えば,昇進前の1年間は,昇進したらめんどくさく大変なことになりそうだから今のうちに論文書いとかなきゃとなったわけですし,今も似たような状況なわけです.

 もう少し長期的には,リタイアしたらやりたいことを思う存分できるという明るいイメージよりは,仕事を失ってやることが減るから今のうちに何とかしとかなきゃと思って準備するとか,いつ死ぬかわからないから,そうなってもいいようにちゃんとしておくとかでしょうか.

 他にも,経済危機が来そうだからしっかり準備しておくとか,いつ引っ越さないといけないかもしれないから,いつでも引っ越せる状態にしておかなきゃと思って荷物を整理していたら,日常生活が快適に送れるとかもそうですね.

 今のこういう状況だって,そういう状況だからどうすれば快適に過ごせるかを創意工夫して行けば,デメリットよりむしろメリットの方が多いくらいで,外的なものとか他人のせいにするのではなく,自分がどうするかだと思うんですよね.

 そして,死ぬ直前までずっと「将来」はあるわけで,そういう将来を蜃気楼のように季節が巡るように死ぬまで追いかけて行けば,結構楽しく退屈しのぎできるような気がします.

 これって多分本能的なもので,人類に限らず動物は外敵とか天変地異とかと対峙してきたわけで,現代社会では,更に世の中的に外敵というか,めんどくさく大変なことに溢れてきてしまってるわけで,逆に言えば,「そういう材料」には事欠かないってことですかね(何て前向き(笑)).

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[作曲家]
(音楽)

 朝ドラでやってるのかなんか知りませんが,最近「作曲家」という単語をよく聞きます.よく耳にする有名な曲を作曲した日本を代表する作曲家みたいな.でも,そういう人達って作曲家なんですかね?

 いや,曲を作るのが作曲家なら作曲家なんでしょう.ですから,?KBとかの曲を作ってる人も,何でもいいから曲を作る人なら作曲家ってことですよね.何か「アーティスト」みたいだなあ(商業主義).

 作曲家ということでは,バッハもベートーヴェンもシェーンベルクも作曲家なんですが,同じ作曲家でも全然違うわけで,要は,今までにない新しい音楽を作ったかどうかなんですが,同じ「作曲家」というくくりにされると違和感を感じますね.

 でもまあ,研究者とか専門家とか言っても,その実,全然違うわけだから,まあしょうがないんでしょうが,そういうところに素養というか教養が見えてきてしまうので,注意した方がいいかもですね.

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7/2'20
[寂しくもなく退屈でもない]

 こういう状況なんですが,快適に過ごしております.会議でも講義でも打ち合わせでもオンラインで済むものはそれでいいわけで,こういう状況がずっと続いて欲しいと思うくらいです.

 もちろん,直接会って話をしたい場合もありますが,そういうのって「時々」でいいと思うんですよね.どんなに愛し合っていてもずっといっしょにいるとおかしくなってくるわけですから(笑).

 もっと言えば,「時々」でなくても「会おうと思えばいつでも会えるのならずっと会わない」でも行ける感じがしてきました(ちょっと言い過ぎか).

 でも実際のところ,ほとんど誰とも会わずに一人で過ごしていても,寂しくもなく退屈でもないんですよ.これは,こういう状況になる前からそうなんですが,こういう状況になって,益々そういうことになって,益々快適になって,そういうことを再確認できたということでしょうか.

 てことは,一種の理想形である「一人でも大丈夫」になったのかと言うと,そういうわけではなくて,直接会わなくてもいろんな人と繋がってるってことだと思うんですよね.実際,毎日やりとりするメールは相変わらず半端ない量ですし,このサイトで勝手に人との繋がりを感じながら書いてる文章の量も相当なものです.

 でも,それで行けるというか,少なくとも私にとっては「丁度いい」というか快適で,もちろん,実際のところは「ずっと会わないでOK」はありえないと思うのですが,「一人時々みんな」の「一人」がベースだとは思うんですよね.

 逆に言えば,人との繋がりはやはり重要ということでしょう.つまりは,「一人でも大丈夫」にはまだまだ程遠いということで,リタイアして仕事を埋めるものを模索する準備は続くわけです.

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 準備とも関係すると思うのですが,こういう状況になって,世の中にとって何が必要で何が要らないかが残酷に露呈したと書きましたが,「退屈しのぎ」もそういう側面があって,要は,何が「退屈しのぎ」として「無敵」かというようなことでしょうか.

 今の世の中,退屈しのぎには事欠かないわけで,生活して行くのに必要な分を仕事で稼いだら,余計なものに散財しないで,やりたいこと,やる価値があると思うことをやって行けばいい(更には仕事とやりたいことをある程度重ねられたら高効率)と何度か書きましたが,やりたいことが海外旅行とかキャバクラ,ホストクラブ通いとかだとお金がかかるので,そのために身を粉にして働いてということになってしまって,まさに目先の経済を回して金儲けしたい奴の餌食になってるわけです.

 そして,今回のことで,更にフィルターがかかったというか,こういう状況になってできないことは,少なくとも「無敵」ではないということになります.

 具体的には,「出かけて行って人が集まるもの」ですね.例えば,ライブとかフェスとかスポーツ観戦とかに行って密集して盛り上がるとか,パーティーとかがそうですね.海外旅行とか,キャバクラ・ホストクラブもアウトです(つまり二重にアウト).

 そこまで行かなくても,例えば,宝塚とかディズニーみたいなものにはまる場合だと,お金的にはそんなに大したことないので,それが大きな楽しみになるなら一種の幸せな状態で,全然ありだと思いますが,今のような状況になると厳しいわけで,少なくとも無敵ではないということになりますね.

 そういう意味では,スポーツもそうですね.特に人と人が接触する格闘技とかは厳しいでしょう.逆に人と人が近づかないでもできる種目を探せばという感じもします.例えば,ゴルフとかスキーなら問題ないでしょう.

 バドミントンならダブルスはだめだけど,シングルならOK? でも,ネット前のヘアピン勝負になるとアウト(笑)? じゃあ,例えば,コートの広さを前はショートサービスラインまでにしたらいい(笑)?(近づかないためにラインを踏んだらフォルトにする.それじゃあ狭いということなら,バックバウンダリーラインを少し下げてコートを後ろに広くする)

 そういう意味では,芸術系は無敵に近いと思います.もちろん,これも種目による(オケとか合唱とか合わせるものはアウト)のですが,美術とかピアノとかなら家で一人でやってればいいわけですからね.いやいや,ピアノは人前で弾いてなんぼと言う人は,種目の問題というよりは,取り組み方の問題だと思うんですよね(内的熟達>人との繋がり>報酬).

 学術系は,更に無敵ですね.学会で集まって口頭発表とかはできませんが,活動のほとんどは発表ではなく研究活動なのは,芸術やスポーツ(なら発表ではなく試合)と同じですが,発表についても論文出してるのに発表する必要があるのかとか,口頭発表もオンラインで充分とか,その辺のことが抜本的に見直されたらとは思いますが,意外と旧態依然としたところなので,状況が収まったら元に戻る気がします.まあ「時々」直接会いたいという意味では,年に1回くらいは学会で集まって,夜わいわいやるのがいいとは思いますからまあいっか.

 仕事という面でも,人を集めないといけないものはアウトということになるので,演奏会もそうですが,講演は(かなり単価が高いので効率はいい)アウトですが,執筆活動か運保とかは全く問題ありません.YouTuberも行けるか.

 こうして見ると,世の中,退屈しのぎで溢れてはいるけど,逆にいろいろあって選べないということなら,お金がそんなにかからないということに加えで,こういう状況でもOKというフィルターをかけてその中から選んでいくというのもありで,そしてこれは,まさに「一人でもできること」に近くて,「準備」の一環になるかもしれません.

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 そう言えばですが,前はショートサービスラインまでという奴ですが,その昔,早坂(総合ベスト8)と打った時,やったことを思い出しました(いい思い出).その時の感覚だと,バドミントンが変わるというか,全然違う感じがしました.

 具体的には,ヘアピンは,相手コートのできるだけ手前に落として上げさせようとするのですが,ショートサービスラインまで打たないといけないので,ネット前が「全然変わる」んですね.

 でも,どうなんですかね? 特にシングルは,組み立てとかが全然変わると思うのですが,それでバドミントンがつまらなくなるかと言うとそうでもない気がします.ネットインは全部「アウト」になるので,そういう偶然性も排除できますしね(でも,桃田みたいに狙ってネットインさせる技術をもってる場合は不利になる).

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[結婚相手としていい?]

 とあるZoom飲み会で,私が結婚相手としてどうかという話になりました(余計なお世話(笑)).その中で,私が結婚相手としていいとは思わないと言う奴がいて,それももっともだなと思いました.

 そもそも,「結婚相手としていい」ってどういうことでしょうね? 大金持ちで家事も何もしなくてよくて遊んで暮らして行ければ「結婚相手としていい」と思う人もいるでしょう.そこまで行かなくても,そこそこ稼ぎがあって尻に敷けて言うことをきいてくれれば「結婚相手としていい」と考える人は結構いる気がします.

 そういう点からすると,私は「結婚相手としていい」とは思えないですよね(笑).

 でも,まさにその人次第で,例えば,何かやりたいことがあって,自分の食いぶちくらい自分で稼ぐから自由にやらせて欲しいという人にとっては,私は「結婚相手としていい」と思います.でも,そうでない人にとってはそうでもないでしょう.

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(世の中)

 緊急事態宣言を解除して(予想通り)感染者数が増えて,でも,国も都も緊急事態宣言を出すような状況ではないと言ってますが,別にいいんじゃないですかね.医療崩壊が起こらなければ,勝手に行動して勝手に感染する分には問題ないというか,まさに自己責任ということですからね(そいつらからうつされないように(手洗いうがいマスクとかではなく)しっかり防御しましょう).

 でも,こんな感じだとなかなか収束はしないでしょうね.個人的には,今の状況が続くのは何の問題もないというか,むしろ望むところですが,経済が低迷したままだと困る人はいっぱいいるでしょう.

 でも,一時しのぎではもたないということになるので,それはそれでOKというか,真に必要なものだけが残るわけで,それもそれで悪くないかもしれません.

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 とか書いていたら,今日,東京の感染者数が一気に100人を越えたそうです.でも,やばいぞと口で言うだけで休業要請とかはしないでしょうね.

 でも,驚いたのは,東京ではもう普通に会社とかの夜の飲み会をやってるっていうことです.○カじゃないの? これじゃあ,感染が再拡大するのは当たり前のことです.

 ウィズ何とか,というような用語にしてしまうと思考停止に陥ってよくないんですが,結局,何度も書いているように,自分のケツは自分で拭けってことですよ.飲み会やるのもキャバクラ行くのも勝手ですが,全部自分に返ってくるということです(こういう奴らに人に迷惑をかけてはだめとか言ってもだめ).

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 経済が低迷してるのに株価が戻したということは,株価が将来の経済の鏡なのなら,経済も近い将来戻すってことなんじゃないの?と言う人もいるかもしれません.

 うーん,どうですかね.ただはっきり言えるのは,株価暴落前と戻した今とでは状況が全然違うということです.具体的には,新型コロナ対策で常軌を逸した金融緩和が行われて,ジャブジャブになってるってことです.

 平たく言えば,インフレみたいなことになってるってことですね.株も含めて,ものの量が変わらないところに,お金がたくさん出回れば,相対的にものの値段が上がるのは当然のことです.

 つまりは,株価が戻して将来の経済がどうなるかと言うと,ものの値段が上がって,ものを売る人が儲かるということですね.まさに目先の経済が回ってる状態ですが,それで儲かる人もいれば,ものを買う人にとっては損というか苦しくなるわけで,株が戻したから自分の懐具合も戻ると思ったら大間違いということです.

 問題はここで言う「もの」とは何かということです.それが単純に「もの」ではないことは明らかでしょう.具体的には,どういう「もの」を扱っている会社の株価が上がっているかを見ればわかると思います.

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[粉の密度]
(理科)

 理科っぽい(笑)?話です.粉末は小スプーン1杯で2gと書きましたが,もちろん,粉末が何かによって違います.ていうか,かなり違います.

 一つは,結構驚いたんですが,同じプロテインでもホエイかソイかで全然違うんですね.1.5倍くらい違うんじゃないかな.具体的には,ホエイの方が全然密度が低いので,ホエイなら添付の計量3杯のところ,ソイなら2杯です.野菜粉末も同じで,突出して密度が高いのはたまねぎです.

 でも,計量すべきはスプーンで何杯か(体積)ではなく重量なので,粉末が何かによってスプーンで何杯かを変えないといけないことになります.

 問題は,粉末の密度の違いは何に依存するかです.単純に考えれば,もちろん,粒子自体の密度もありますが,粉末が微細なほど隙間がなくなって密度が高くなる気がします.ホエイとソイはそんな感じです.でも,そうでもないものもあるんですよね.

 具体的には,たまねぎ粉末は,そんなに微細な感じはしません.一方,石臼シリーズはめっちゃ微細ですが,密度がそんなに高いわけでもなく,少なくともたまねぎよりは低いです.

 となると粒の形? でもまあ粉末ごとにこれはスプーンでどのくらいというのを覚えておけばいいだけなので現実的に問題はありません.

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 ちょっと調べてみました.どうやら付着とか凝縮性とかが関係してるみたいです.

 考えてみたら,微細なほど隙間がなくなるというのは変ですよね.形が同じなら(例えば,粒子が球なら)「相似」ですからね(形に依存するということならわかりますが).でも,微細な方が吸着性が高い感じはするので,そういうことなんですかね.

 でも,付着とか凝縮性ということは,どれだけ隙間ができやすいかということなので,なるほどそうだろうなって感じですが(確かにホエイはさらさらで,ソイは粘っこい),そうすると物理的にはあんまり面白くないですね(おそらく化学的な話).

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7/3'20
[またしくった?]
(運保)

 VIXですが,またしくったというかスルーしていました(本来なら6/30に買い決済).今朝手仕舞ったのですが,今回は,結果的に益は増えました.でも,やっぱりよくないですね.

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[相性の問題?]

 この件ですが,結局,どっちが優位に立つかの問題,女性からすると尻に敷けたらラッキーで,その場合は,男は尻に敷かれて惨めな人生を送るのかってことになりそうですが,そういうことじゃないと思うんですよね.

 私は嫌ですが,尻に敷かれたいという男もいるわけで,逆に尻に敷きたいという女性ばかりじゃなくて,尽くしたいというか,相手に何かしてあげたい,自分より相手を大事にしたいという人もいるわけで,それは男も同じで,尻に敷かれたいというのは,そういうことがあるんでしょう.

 ですから,要は相性の問題で(と書いておけば丸く収まる(笑)),尻に敷きたい女と敷かれたい男なら相性ばっちりで,それはそれで幸せなんでしょう.でも,尻に敷きたい,言うことをきかせたい同志だとうまく行くわけなくて,逆にお互いに相手のことを大事にしようとするのなら,うまく行かないわけがありません.

 でも,そういうことってなかなか微妙で,ちょっとでもバランスが崩れるとおかしなことになるわけで,それは,ある意味,お互いに依存しあってるからで(家族の幸せのために身を粉にして働くというのも相手に依存した状態),そういう意味では,まずはお互い独立というのが楽というか,ある意味,簡単だとも思うんですよね.

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[一番最初に書いたことに]
(世の中)

 新型コロナの感染が再拡大して,でももう休業要請(補助金の支給)はできないし,経済も止められないってことなんですが,結局,このサイトで一番最初に書いたことに(ようやく今頃)なったってことだと思います.

 具体的には,別に新型コロナが特別なんじゃなくて,インフルエンザ(もコロナウィルス)も含めていろんな感染症は常に蔓延していて,実際,季節性インフルエンザで年間何千人も死んでるわけで,そういうリスクはずっとあったわけです.

 じゃあ,みんなずっと家にいるかというとそういうわけにも行かなくて,つまり,しっかり感染防止対策をして(経済)活動するということでいいというか,そうするしかないんだと思います.

 じゃあ,この何か月もの間,家に籠ってストレス溜めて,国や自治体は100兆を超える大借金を抱え込ん一体何してたんだ?ってことなんですが,結局,自分で考えることもできず,かと言って,ルールを守ることもできない一部(多く)の人達のために莫大な犠牲を払ったってことでしょうね.

 何とも民度が低い話だと思うのですが,諸外国に比べれば,これでもまだましだというのですから,ほんとに一体どうなってんだ?と思いますね.

 しかも,これでもう定常状態というか,医療機関で対応できる範囲に感染拡大をある程度抑えつつという状態になったかと言うと,まだまだ予断は許さないわけなんですが,もう休業要請はできないでしょうし,そういう中でやるしかないというか,自己責任ということですね(そういう意味では,個人的には,今の状態がずっと続いても何の問題もないです).

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 この件ですが,もっと言ってしまえば,本能というか人類の繁栄的には,男は所詮種馬で,種付けをしたら女と子供のために身を粉にして働くというようにDNA的にプログラムされてるんでしょうね.ですから,それでいいというか,それに従った方が楽ということはあるでしょう.

 でも,これって何度もこのサイトで書いている「人類繁栄のプログラム」の話で,人類からすると,個を犠牲にしてでも集合体としての人類が存続,繁栄すればOKなので,人類の繁栄は,必ずしも個人の幸福に繋がらないわけで,やはり注意が必要です.

 でも,逆に言えば,そういう本能に逆らうのも難しくて,どうしても流されるというか,その方がストレスレスだったりもするのですが,一方では,みんな同じだと何かあったときに生き残る確率的には危なくて,多様性も人類の繁栄というか存続に繋がると考えると,結局,自分の思うようにやって行くのがいい(ただし,相手との相性次第)ということでしょうか.

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[金の使い途]
(経済)

 ?BSでやってましたが,給付金10万円の使い途ですが,1位は生活費,2位は貯金,3位は旅行や娯楽で4位が何と投資だそうです.実際,ネット証券の新規口座開設数は前年比で2〜3倍にもなっていて,若い人を中心に投信などの投資を始める人が急速に増えてるんだそうです.

 いいんじゃないですかね.個人的には,カモが増えるのは歓迎しますよ(悪).

 でも,何度も書きますが,証券会社とか専門家が薦める株とか投信を買って長期保有すれば儲かるというような甘い世界では断じてありません.まさしく究極のゼロサムの世界で,みんな仲良く儲かるなんてことはないわけで,じゃあ儲かってる人はどのくらいかと言うとせいぜい1割ですし,その中には,24時間相場のことを考えてる人間やインサイダーまがいの情報をもつ人間も含まれてるわけです.

 でも,キャバクラとか飲んだくれるとかブランド品とかに散財するよりはいいんじゃないですかね.散財すれば0になりますが,投資は空売りとかしなければ0になることは,まずないでしょうからね(でも,リスクをとらなければリターンもないんですが).

 お金を使って散財することでも経済は回りますが,株を買うことは資金調達したい会社に資金を提供すること(既に上場してる場合は買えば株価が上がることで同様の効果がある)なので,散財することより遥かに高効率に経済を回すことになりますからね.

 でも,そんなことより自分が儲かりたいのなら安易に手を出さない方がいいと思いますし,やるなら相当研究しないと勝つことは難しいと思います.だって,研究した人間に勝たないといけないのですから.

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7/4'20
[顧客はカモ]
(経済)

 自分で研究するのは厳しいけど,研究した人間,つまりは,投資のプロに手数料を払って頼む,具体的には,投信を買うのはありなんじゃないの?という人もいるでしょう.でも,そこが落とし穴だと思うんですよね.

 投信とかファンドってどういうビジネスモデルかと言うと「手数料で稼ぐ」なんですよ.つまりは,自分のところの投信とかファンドを買ってもらえばいいわけで,価格が上昇して顧客が儲かろうが損しようが関係ないんですね.取次手数料が高かったかつての証券会社も同じです.

 もちろん,自己売買部門はありますが,顧客から預かった資金で運用する分には,顧客がどんなに儲かっても損しても彼らには関係ないわけで,そういう状況で彼らがどうするかを考えれば容易にわかることでしょう.

 もちろん,成績がよくないと買ってもらえないので,成績を上げようとはするんですが,自分達の資金を運用してるわけではないし,価格が下がっても損するのは顧客なわけで,そんな状況でそんなに必死こいて研究するかってこともありますし,彼らの目的は彼らの利益の最大化であって,顧客の利益の最大化ではないわけで,それは商売なら当たり前で慈善事業ではないわけですから,要は彼らにとって顧客はカモということです(そんなことは口が裂けてもそんなことを言わないのは,芸能人やプロスポーツ選手がファンが大事と言うのと同じ).

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[それはそれで]

 この件ですが,もっと言えば,別にやりたいことなんかなくても,例えば,勉強していい大学行って,そこそこいい給料もらえて仕事もそんなに嫌じゃない会社に就職して,いい人見つけて子供を作って家族のために一生懸命働いて,最後はぬれ落ち葉になるという人生でも何の問題もないというか,それが本能というかそれはそれで幸せな人生というか人類の繁栄に貢献しているということでしょう.

 むしろ問題なのは,何かやりたいこと,成し遂げたいことを見つけちゃった場合かもしれませんね.

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 もっと言ってしまえば,結局,誰にも必要とされなかったということなんでしょうね.そうすると,自分でやることとかやりたいことを見つけないといけないわけですからね.

 何だかなあって感じもしますが,自業自得というか,しょうがないってことでそういう中でやって行くしかないですが,これはこれで悪くないのでまあいいですかね.

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[旧帝大vs東京近郊の大学]
(大学)

 最近,この手の話題が多い?ですが,旧帝大vs東京近郊の(東大,京大以外の旧帝大に準ずるレベルの)大学ってどうなんでしょうか? 具体的には,横国,筑波,お茶の水,都立,千葉,早慶とかですかね(どこか忘れてないかな(笑).ちなみに,東工,一橋,医科歯科は,東大,京大以外の旧帝大より格上なので対象外).

 どういうことかと言うと,非常に具体的に言えば,私が博士を卒業するときは,地方の旧帝大ではなく,レベル的には同等か少し下でも東京近郊の大学に就職したかったわけですし,筑波に来たのも首都圏にあるということが大きかったわけで,それが何なのかってことでしょうか(でも,博士卒業時は筑波はTXもなく遠かったので,行きたかったのは,横国とか都立とか千葉でしたかね),

 理由としては,単純に東京(近郊)にいたかったということなんですが,それはもちろん仕事の面が一番大きいですし,友人とか知り合いもほとんど東京にいましたが,今から考えると何だか変な気もするんですよね.

 普通に考えれば,地方の旧帝大には,その地方のトップレベルの学生が来るわけですし,彼ら自身もそういう自負があるわけで,それは大きいと思うんですよね.

 でも,当時はそういうことはあまり考えなかったですかね.学生の意識というよりは,自分次第というか,もっと言えば,自分がどういう大学に所属しているかよりは,その大学がどこにあるかとか,研究環境とかが大事みたいな.

 具体的には,地方に行けば,中央の趨勢から後れを取るという意識は明確にありました.でも,それは当時の話であって,今はもう全然違うわけで,それこそインターネットで繋がっているのでどこにいても関係ない気もしますし,地方の方がいろいろめんどくさい中央の仕事から免れられる感じもします(でもこれもインターネットで追っかけてくるか).

 そういうことなんですかね.だとすれば,大学に限らず地方復権というか,地方の(京大以外の)旧帝大のレベルが上がってくるということになってくるということでしょうか.実際,インターネットが普及し始めた2000年くらいから,東大,京大とそれ以外の旧帝大との差は徐々に縮まってる感じはしますよね.

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7/5'20
[ぼろい話]
(世の中)

 そこまでは言い過ぎという人もいるかもしれません.

 プロスポーツ選手や芸能人なら見る人に楽しんでももらって,多少?のお金を稼げれば,お互いにメリットがあるとこともあるんでしょうし,だったら投信も然りなのではないかということです.

 そもそも,仕事というのはものとかサービスとかを提供して,それに対してお金を払う人がいることで成立するもので,仕事をするというのは,そういう要求にしっかり応えるということなんですが,たとえ騙されていてもそういう関係が成立するのなら仕事として成立するということが問題なわけです.

 でも,芸人なら見て面白いかとか,プロスポーツ選手なら結果が全てなわけですが,投信とかファンドは,それが極めて曖昧です.過去の実績は,過去の実績に過ぎず,将来の実績を保証するものではありませんし,もし失敗したとしても彼らは全く責任をとらない仕組みになってて,こんなぼろい話あるのかってことです.

 投資は自己責任で,というのはその通りですが,だったら投信なんか買わずに,自己責任で銘柄や売買のタイミングを決めるべきなんですが,それは非常に難しいわけで,だったら,プロ(後述)に任せた方がいいという考えが安易というか,そういうところにある意味見事につけ込まれている,つまり,カモにされているということです.

 そもそも,契約そのものがおかしいわけで,本来的には,手数料とか信託報酬ではなく成功報酬,失敗したら損失を被るのが筋ですよね(法的に可能かどうかは置いておいて).それを成功しようが失敗しようが一定の手数料や報酬だけいただくなんてそんな虫のいい話(投信を買う方からするとぼられる話)はないでしょう.

 もっと言えば,世の中全体がそうなってて,とにかく目先の経済を回して,景気をよくして,右肩上がりで経済成長?して行くのを是としていて,あろうことか,N銀のETF買いとかNISAとかイデコとか国までそれを後押ししているわけで,でも,現実には,目先株価は上がっては暴落を繰り返し,その度に,税金という手数料だけとって仕事をするどころか莫大な借金が積み上がっていくわけで,ほんとにひどい世の中なんですが,問題はそういう中でどうするかで,その中に飲み込まれて搾取されるのではなく,騙されずにちゃんと考えてやって行きましょうということですかね.

 もちろん,それは簡単な話ではないのですが,そんなの当たり前で(だって簡単ならみんなできちゃうわけですからね),実質もう経済成長しないというかできない世の中でサバイブするのは大変だけど,何事も研究というか,そういうことを楽しめばいいと思うんですよね.

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[プロ]
(世の中)

 プロ(プロフェッショナルの略)という用語が何度か出てきましたが(どこかで書いたと思いますが),その定義は明確です.それはそれで飯が食える,お金を払ってくれる人がいる,ただそれだけです.

 Pロフェッショナルという番組であなたにとってプロフェッショナルとは何かというわけのわからない質問がありますが,まさにわけのわからない質問ということです.

 つまりは,プロだからレベルが高いとかすごいってことは全然関係ないわけで,うまいこと騙くらかして金を得ても立派なプロなわけで,手数料を稼ぐ投信会社も立派なプロということになります.

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[肝に銘じろ]
(世の中)

 こういう状況で仕事がなくなって,相変わらず,音楽とかの芸術やスポーツとかは,世の中に必要なものだと言う人がいます.まず言えるのは,そういうことを言ってるのは,そういうもので飯を食ってる(食ってた)人達なので,自分の身を守るためにそういうことを言うということはあるでしょう.

 もちろん,必要かどうかは人それぞれですが,少なくとも食料や住む家のように,ないと物理的に生きて行けないというものではないので,生きて行くのに余裕がなくなれば,そういうものから削られていくのは仕方ありません.

 それでもどうしても必要だと思う人がいれば,そういう人が支えるでしょうから,クラウドファンディングでも何でもすればいい話ですし,それが資本主義経済の市場原理です(昔は貴族や大金持ちなどのパトロンが支えた).

 こういう状況でも大学でのうのうと給料もらってるお前が言うなということに関しては,既に書きました.研究も芸術と同じで,どうしても世の中にとって必要なものではないですが,教育は(例えば,建築系なら人が住む家を造る人を育てないといけないので)必要なもので,給料をもらえているのはそういうことがあるわけです.

 逆に言うと,というか,私が一番言いたいのは,学術や芸術やスポーツが要らないということではなく,そういうことをやらせてもらってること,ましてやそれで飯が食えてることがいかにありがたくラッキーなのかを肝に銘じろということで,そういうことがちゃんとわかっていれば,人の心を動かすから音楽やスポーツは必要なものだなんてことは,少なくとも公共の電波では言えないでしょう.

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[いい感じはしない]
(世の中)

 何かでちらっと見ただけですが,今の若い人達の虫歯率ってどのくらいだと思いますか?

 私が若い頃は9割以上だったと思いますが,今は何と3割なんだそうです.理由としては,予防歯科というか口腔ケアが進んだからということですが,少子化と合わせると歯医者さんは厳しいですね.

 でも,だから目先の経済を回すように虫歯になりましょうとはならないわけで(でも虫歯じゃない多くの場合,実質そういうことになってるんですが),結構な話なわけです.

 じゃあ,医者はどうなんですかね? 具体的には,予防医学が進んでいれば,医者も仕事が減って然るべきですよね.医学が進んだおかげで長生きするようになって,昔は癌になる前に死んでたけど,長生きすることで癌になる人が増えて医者の仕事が増えたというのは詭弁というか,そもそも,ここ30年でそんなに劇的に寿命が伸びてるわけではありませんからね.

 これ以上は書きませんが,人間ドックといい,病気を見つけるというか,ある意味,病気にするというか,いろいろ抜かりないというか,あまりいい感じはしないですかね.

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7/6'20
[ずれてる]

 誰だったか名前も忘れてた感じですが,?OZOを売ったM澤さんがSNS?でやりたいことやったら(仕事にしたら)いいじゃん,ということを言ったら,そんな甘いもんじゃないと叩かれて,自分がいかに世間知らずなのかわかりましたと言ったそうです.

 ほんとこの人「ずれて」ますよね.やりたいことやったらいいじゃんは全く間違ってないわけで,でもそういう一番大事なところはあっさり引き下がるのに,どーでもいいしょーもないことには拘るわけで,まさに世間知らずというか,ずれまくってるわけです.

 じゃあ,どうしてそんな人が巨万の富を築くに至ったかですが,逆に言えば,巨万の富を築くというのがその程度のことということです.ましてや,巨万の富を築くことを目指して築けない人は,(巨万の富を築くことにどういう意味があるのかよく考えて)自分の生き方を根本から見直した方がいいでしょう.

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[一都三県]
(地理)

 新型コロナ関係で,東京圏というような意味で一都三県という用語をよくきくようになりました.でも,一都三県は広すぎますよね.埼玉なら京浜東北線ならせいぜいさいたま市,それも大宮より手前まででしょうし(所沢はかなり遠い),神奈川ならこれも横浜までで,横浜も南とか西の方は遠いです.千葉はどこまでかなあ.総武線,東西線なら船橋くらい? 実際,千葉まで行くとかなり遠いです.東京だって,中央線なら吉祥寺や三鷹,京王線なら調布を過ぎると遠い感じがしてきます.

 こうして見ると,東京圏って意外と狭いことがわかります.せいぜい都心から20〜30km程度ってところでしょうか.

 そういう意味では,むしろ,近畿の方が少し広いかもしれません.具体的には,梅田からだと西は神戸,南は大阪市内(というか堺とか南の方には行ったことがないのでよくわからない),北東に京都まででしょうか.でも,東京圏と違って,神戸−大阪−京都を結ぶ「線状」に分布しているので,人口は東京圏の方が多いですかね.

 まあこれは結局,近畿には,大阪,神戸,京都というちゃんとした都市があったということで,関東の場合は,そういうのは横浜くらいで,さいたま(浦和,大宮)も川崎も千葉も無理矢理作ったというか,元々そんなにちゃんとした都市でも歴史があるところでもないですからね.

 こうしてみると,関東というか東京近郊って何だか変なところですね.

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[東京と関西]
(世の中)

 そもそも,関西の人達って東京のことをどう思ってるんでしょうか.

 日本の中心は(今は)東京ということで対抗意識みたいなものがある人もいるのかもしれませんが(でもそんな人に直接会ったことはないけど),今はそうかもしれないけど,昔は違ったというか,歴史とか文化とかの積み重ねたものが違うというか,そういう意識もあるんじゃないですかね.

 たとえて言うなら,ヨーロッパの人がアメリカのことをどう思ってるかというか,新興勢力的な感じがするというか,そういうこともあるんじゃないですかね.

 そうすると,仕事で東京に出てきて住んでるとしても,それは一時的なものというか,そういうことはないんですかね.だとすると,仕事を終えてリタイアした後,帰る人が多いような気もしますが,実際はどうなんでしょうか.

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 話を敷衍すると,仕事の都合で自分が生まれ育ったところでないところ,住みたいところではないところで暮らすことは多いわけで,しかも,仕事をしている間,ということは,20代から50代という重要かつ長い時間をそこで過ごすわけですよね(どこかで書きましたが,東京はまさに「仕事をするところ」であって,それ以上のところではないのかも).

 もちろん,生まれ育ったところ=住みたいところとは限らないのですが(こんな田舎さっさと出てってやるみたいな),そう考えると,やっぱり,「人生は旅」という感じがしてきます(そして,それは悪くない).

 てことは,生まれ育った後,ずっと旅をして,いつかどこかに帰るということなのでしょうか.

 でも,何度か書いていますが,私は「いつかどこかに帰る」という感覚は全くないです(何年か前までは東京に帰るという感覚はあったけど,それももうなくなった).でも,旅をしているという感じはします.つまり,どこか旅先で生き倒れるということですかね(これも悪くない).

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[よく出てくる]

 水害もそうですが,災害で犠牲者が出る場合,特養というか老人ホームがよく出てきます.もちろん,要介護の人が多くて,自分で避難できないということはあるでしょうが,そういう施設が川沿いとか崖下とか危ないところに多いってことはないのでしょうか.

 いずれにしても,あまりいい感じはしませんし,何度か書いてますが,要介護にならずに自活できることがやはり重要だと思いますね.

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[あまり意味がない]
(防災)

 毎年のように水害がひどいんですが,今の技術で線状降水帯がどこに発生するか,どれだけの雨が降るかを予測するのは不可能と言ってます.でも,防災的には,大雨を予測することも,大雨特別警報を出すこともあまり意味がない気がします(雨が降ったところに水害が起こるわけではない).

 意味があるのは水害や崖崩れの予測で,水害は気象予測ではなく水位計をモニターしていればいいわけですし,崖崩れは,崖地と降水量のかけ算で,どちらも災害が起こるのは「雨が降った後」なので,どこがやばいかは(地震発生直後の地震計の記録からどこでどのくらい被害が出ているかわかるように),かなり正確に計算できて,ピンポイントに避難命令を出せる(市町村単位で何十万人という人に避難勧告をしても実質的な意味はない)と思うのですがどうなんでしょうか.

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7/7'20
[歯科病院]
(世の中)

 (厳しくなってきた)歯医者ですが,そもそもどうして「病院」じゃなくて,(個人経営)の「医院」がほとんどなんでしょうか.もちろん,「医」のようにいろんな科が必要ないってことはありますが,現状,歯科医院が乱立して,経営が厳しいところもあって,非常に非効率だと思うんですよね.

 歯科医は,患者が来なければ商売あがったりですが,来れば時給はかなりいいので,設備やシフトなどをまとめて「歯科病院」のようなものにして,そこに勤務する形にすれば,効率も給料も上がる(子供に歯科医院を継がせないといけないってこともない)と思うのですがどうなんでしょうか?(職人に近くて自分の技術の高さで勝負したいと思う人が多い?)

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[藤井寺球場]
(地理)

 大阪は大阪市より南に行ったことないと書きましたが,行ったことありました.それは,神戸でAIJ大会があったとき,たまたまライオンズの優勝が決まるタイミングで,藤井寺球場まで試合を見に行ったときのことでした.

 もう大分前のことなのでよく憶えてませんが,道中も結構な街だったと思うので,大阪市より少し南のあたりまでは大阪圏ということですかね.

 その藤井寺球場ですが,近鉄が消滅したのでなくなったと思いますが,Google Mapで行ってみたら,藤井寺球場跡という石碑?が建ってました(笑).

 ちなみに大阪第2の都市である堺も長崎とか尾鷲とかと同様,行ったことないけど(長崎は行ったことあるけど)何となく気になるところです.人口マニアだった小学生のときは当然マークしてましたしね(笑).

 でも行ってみたら,普通のところなんでしょうね.古墳も近くで見たら「ただの森」でしょうからね.

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 「行って」みました.予想通り(笑).

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 尾鷲にも「行って」みました.実際に行くと(ていうか行ってないけど(笑))がっかりするかと思ったのですが(駅周辺をぶらぶらしただけですが),ある意味,イメージ通りというか,イメージ?が壊れなくてよかったです.

 じゃあ,実際に行くとどうなのかなと思って調べてみたら,津まで2〜3時間かかるみたいでかなり遠いですね.東京までだと5〜6時間かかるし,近くに飛行場もないし,秘境とは言いませんが,やっぱり遠くて,でもそれがいい(笑)というか,これもイメージ通りです.

 ちなみに,日本で東京から一番遠いところは,陸路移動距離では島根の江津市,移動時間では高知の土佐清水らしいです.でも,どちらも実際の移動は空路を使うでしょうから,紀伊半島の南の方は秘境感(笑)があっていいですね.

 じゃあ,紀伊半島南端の串本ならどうかと言うと,飛行場(南紀白浜)があるので,尾鷲より全然近い(東京まで短い時間で行ける)です.新宮でもこのルートが早いので,尾鷲の秘境感が増しますね.

 ちなみに土佐清水には鉄道が来てないので,宿毛からだと東京まで高知空港経由で6時間といったところで,そうすると,尾鷲とそんなに変わりません.

 土佐清水にも「行って」みたんですが,場所的にはすごいところなのに町的にはふつーで(足摺岬まで行けば別ですが)やっぱり尾鷲の方がいいですね.

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 こういうところに一種の憧れはありますが,住むには厳しいわけで,でも,(何度か書いてますが)秘境まで行かなくても,田園風景が広がるようなところで,でも,車で10分くらいのところに駅があって,そこから東京まで1時間以内というのがいいと思うんですよね.

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7/9'20
[過去最大]
(世の中)

 新型コロナの東京の感染者数が一気に200人を超え,過去最大になったとの報道です.でも,検査数が増えてるわけですから,単純に感染者数を見ても実態を反映しているとは言えません.

 まさに「基準化の問題」(数ではなく率の問題)ですし,もっと言えば,重要なのは,感染者数はおろか感染者率でもなく,医療のひっ迫度,つまりは,重症者数や治療体制なわけですからね.更には,かなりノウハウが蓄積されてきて,重症化するのもかなり防げているという話もききます.

 ですから,もはや感染者数という指標は当てにならなくて,何か簡単な指標はないかということなら,死者数でしょう.そういう意味では,死者数は低く抑えられていますが,時系列的には,感染者数というか重症者数が増えてしばらくして死者数が増えるのでそこは注意が必要です.

 でも,こういう数字を出して怖がらせて,(休業要請をせずに)人々の行動を抑えることができるのなら作戦としてはいいんじゃないですかね.

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[金儲け]
(世の中)

 大戸屋vsコロワイドですが,今度は,コロワイドがTOB(株式公開買付)だそうです.それで,大戸屋の株価は暴騰してるみたいなんですが,まさに株が上がるとか金儲けが何かってことがよくわかりますね.

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7/10'20
[旧帝大のランキングの固定化]
(大学)

 この手の話題が多いのですが,旧帝大の東大>京大>阪大>東北大>名大>九大>北大(と敢えて書いちゃう)というランキングの固定化(そして,その中に筑波大が割り込めなかったこと)が気になってきました.もちろん,これらはあくまで「大学のランキング」であって,そこに所属している学生や研究者のランキングは全く別なんですが,そういう「イメージ的なもの」が受験時の学生に影響を与えることにはなります.

 で,このランキングの固定化ですが,当たり前のような気もしてきました.東京は日本の首都ですし,東大の前身である東京帝国大学が最初に設立されたわけですから,圧倒的に有利なのは当然です.じゃあ,設立順はどうなってるかと言うと,東大>京大>東北大>九大>北大>阪大>名大らしいです.

 つまりは,阪大と名大が設立から躍進したことになりますが,これもある意味当然で,それは,これらは大都市にあって志願する学生が多いからです.逆に東北大,九大,北大は,抜かれたことになりますが,これもある意味当然で,それは東京からの距離でしょう.東北大は今は近いですが,東北新幹線が開通する前(東京まで繋がったのは僅か30年前)は遠くて(陸奥),実際,私が受験する頃は,東北大はランキング的には今より下だったと思いますが,東北新幹線の開通で躍進というか,本来の位置に戻ったということかもしれません.

 つまりは,設立順,その大学がある都市の人口,そして,東京からの(時間的)距離で決まるわけで,ということは,よほどのことがない限りランキングが動くことはないわけです(繰り返しになりますが,大学全体の話で,個別の研究者のレベルは全く別ですが,優秀な学生がどのくらい集まるかということ,特に意識の問題は重要).

 なんだかなあという感じもしてきますが,気になるのは,筑波大はどうなのかということでしょうか.設立順はもう圧倒的に不利です.実際,設立当初は,旧帝大より明らかに格下でした.大学がある場所も全然大都市ではないし,TXが来るまでは陸の孤島でしたが(設立当初よりは,大分上がったとは言えるが)TXの開通が躍進に繋がるかと期待したのですが,大したことなかったですね.

 これがどういうことなのか,具体的には,偏差値の取組的には,首都圏の学生なら,北大,九大より筑波大を選ぶ学生が多いようですが,東北大に流れる学生は引っ張って来れてないわけで,結局は,旧帝大かそうでないかのイメージ(設立順)の問題ってことですかね(文科省の枠組みでは筑波大が旧帝大と同じ分類になってることを知ってる人なんかほとんどいない).

 もう一つ気になる大学があって,それは横国です.設立は名大より少し後みたいですが,横浜という大都市にありますし,東京からの距離も近いです.ただ,特殊事情としては,共通一次が始まった1979年より前は,二期校だったということがあります(医科歯科も).つまり,東大と併願できたんですね.

 つまり,東大に受かれば東大に行っちゃうわけで,じゃあ,九大とか北大とかと併願していた人がどのくらいいたのか,両方受かったらどっちに行ったのかってことなんですが,そんなにいなかった気がしますし,実際,時の運で東大に落ちて横国に行った優秀な人材を引き受けることでレベルを保っていたと言えます.

 しかし,この状況は,1979年以降崩れるわけで,じゃあ,その後,横国がどうなったかですが,当時のレベルを保っているというか,(東大,京大以外の)旧帝大と同格かそれ以上と言われていた時期もあったと思います(今はよく知らない).実際,二期校時代と同様,出身者に優秀な人は多いですからね.

 ただ,横国も筑波大と同様,東京から近いんですが,大学のある場所はびみょーで,相鉄線の駅から山を登って行く(笑)か,横浜駅からバスかタクシーみたいな感じで結構不便で,それが最近最寄り駅ができたとのことで,それで何かが変わるか変わらないかですかね(でもあまり関係ない気がする).

 不便さという点では,筑波大もつくば駅から結構距離があって,それが首都圏からの通学のネックになってるとは思いますが,それなら東北大だって,地下鉄が来る前は,仙台駅から行くのは結構大変だったですからね.つまりは,通えるほと近くなくても,東京から新幹線で2時間くらいの距離で,親元離れても住む場所が都会の方がいいってことですかね.

 ということで,こういうランキングが変動することは基本的にないってことですね(東北大の躍進は例外とも言えるが,今後,新幹線の開通というようなことはもうない.中央リニアが開通して名大が躍進する感じもしない).でも,私個人的には自分がいい研究さえすればいいんですが,学生の意識だけは何とかならないものかと思いますね.でも,(東大や東工大がある)首都圏にある以上,どうしようもないってことかもしれませんね(⇔旧帝大なら地元の優秀な学生やその地域に思い入れがある学生が集まる).

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 言い方を変えると,東大に落ちて早慶とか,かつての横国に行くみたいな方がいいと思うんですよね.実際,前期で東大に落ちて,後期で筑波大に来た学生は,意識の高さも含めてとても優秀です.でも,自分はこの程度だと勝手に思って筑波大に来ちゃうと,ほんとはもっとできるのに勿体ない感じがしてしまいます.

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 結局,当たり前の話というか,やはり,既得権というか既にもっているものの優位性はものすごくて,それが旧態依然とした学歴社会の根源ともなれば尚更のことでしょう.

 要は,日本の首都が東京で,あとは,東京からの距離と都市の大きさで決まるわけで,設立順もほぼほぼそれに従ってるわけです.

 そういう意味では,東京の次が京都だったのは今の感覚だと不思議な感じがしますが,時は明治で,ちょっと前までは京都が首都だったわけですから,これもそういうことかなという感じはしますかね.

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[太る一方]
(片付け)

 片付けですが,淡々と続けているのですが,捨てても捨てても要らないものが出てくる感じです.これじゃあ一体いつ終わるのかという感じもしますが,そういうことは考えず,(遠くを見ずに近くを見て)日々淡々とやるということなのでしょう.

 で,思ったんですが,これって一種の収入と支出ですよね.つまり,ダイエットというか体重のコントロールと似ているわけで,支出する(運動する)のではなく,収入(食べること)をコントロールする方が簡単なんですが(経済感覚は逆で,収入を増やすことより支出をコントロールする方が簡単),これは既にやっていて,具体的には,ものを買うことはもうほとんどありません.

 でも,片付けには「基礎代謝」がないので,何もしないと体重は減っていかない,つまりは,ものを買ったりもらったりして増えた分捨てて行かないとどんどん太る一方なんですね.そしてそれは,何十年にも渡る蓄積で,それを数年やそこらで元に戻すのは容易ではないということなのでしょう.

 あとは,若い時は将来があるので,とっておこうとなりますが,歳をとるとそういうことがなくなるということもありますが,時代の違いもありますね.具体的には,昔は紙ベースのものが多いですが,今は電子媒体になってるものが多いということもありますし,そもそも,今はもので溢れすぎていて,若い人でも物欲がない人は多いですからね.

 私も若い時から物欲はなかった方だと思いますが,それでもこんな感じですから(でもいろんなことをしてきたので,関係するものは結構多い),他の人達は一体どうなってんだろうと思うと想像もつかないくらいですが,実際,引越が大変過ぎて死にそうになった(笑)という人は多いみたいですからね.

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[昼?寝]
(日記)

 体調は悪くないですし,こういう状況で余計な仕事(というか余計な移動とか,○○な会議がオンラインになったとか)が減って講義も効率化して快適に過ごせているのですが,寝てから4.5時間で一度目が覚めるというのはなかなか治らないというか,もう定着してきてしまった感じです.

 朝早く目が覚めるのはもう歳ってことなんだよと言う人もいるんでしょうが,私の場合,そこで起きるのはしんどくて,起きるのは,寝てから6時間とか7.5時間とかになってしまう(ので歳だからなのかどうかわからない)のですが,充分寝られた感じはあまりしなくて,疲れると夕飯の後,横になってしまって寝る時間が遅くなるという悪循環です.

 それで,昼寝をすることにしたんですが,昼寝と言っても昼寝ではなくて夕方です.そうすると,夕飯後,疲れが出て横にならないといけないということはなくなります.本来的には,起きてから8時間くらいのときに昼寝するのがいいんですが,それだと夕食後にしんどくなるのが回避できない感じなんですね.

 あるいは,(しんどいけど)4.5時間のときに起きてしまえば,お昼くらいが起きてから8時間くらいだからちょうどいい? そういう意味では,今昼?寝してる時間は,結果的に起きてから8時間くらいに近い状態になってる?

 つまりは,数時間後ろに体内時計がずれてるってことですかね.でも,体内時計は後ろにはずらせても前にずらすのは難しいですからね.

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[どこの大学の人?]
(大学)

 最近この手の話題,具体的には,大学ランキングというか,旧帝大と筑波大の位置関係というか,そういうことが気になってるんですが,きっかけは,最先端の研究をしているのにそういう意識が足りない学生を見てて勿体ないというか,何とかならないかということなんですが,それは学生の話であって,お前は違うだろと言う人もいるかもしれません.

 でも,気づいたんですが,私のアイデンティティーもいつの間にか筑波大になって来てしまった感じがするんですね.そりゃあ20年近くもいれば当たり前ってことかもしれませんが,私自身は,出身は東大で,東大にも20年以上いました.

 そもそも,私は「どこの大学の人」なんでしょうか? 筑波大にいるから筑波大の人? でも,東大卒で企業とか官公庁に就職した人は「大学はどこ?」ってきかれると東大って答えるんですよね? だったら私も同じになります.でも,就職先というか,今いるのが大学で,しかも出身大学と違う大学に所属しているから「そこの大学の人」になっちゃう? 何か変ですね.

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 でも,じゃあ,私の中のアイデンティティーが筑波大で,東大のアイデンティティーはなくなったのかというと,それは全然なくて,はっきり言えば,東大に行ってなかったら,今の私になっていないとは断言できます.

 それは,東大出身だから何かが有利に働くとかそんなことではなく,というか,そういうことは,ある意味,全て放棄して飛び出したわけで,じゃあ,何かというと,それは,まさに東大に20年いたということでしょう.半分は学生として,半分は職員としていましたが,どちらも重要で必要だったと思います.

 学生時代は,クラスや部活やサークルでいろんな奴と出会い,こんなに優秀な奴もいるのかと思う一方,日本のトップ校ということは,それより上はほぼいないわけで,自分ならどうすれば,どこかの分野で最先端まで行けるかを具体的に考えられたということはあります.

 実際,青山先生と小谷先生の研究室に入ってからは,ここで研究していれば,世界の最先端だったわけで,それってやっぱりでかいんですよ(結局,上で書いた話に繋がる).それは,東大に就職してからも同様だったんですが,日々の仕事に追われて,いつの間にかそういう意識が変な方向に行ってしまったというか,どうしたらいいかわからなくなったことは何度も書きましたが,そこから今やってることに至るわけで,今にして思えば,得がたい経験だったと思います.

 でも,言えるのは,もっと単純なことで,やりたいことを見つけてとことんやるというか,とことんやることを見つけるというか,そういうことだと思うんですね.だから,東大に行って,トップレベルの頭脳がどうで,自分がどうするかとかじゃなくて,成功してもしなくても,最先端まで行けても行けなくても,どっちでもよかったのかもしれません.

 やりたいことより得意なことをやるべしとはよく言われるのですが,やりたくないことはやりたくないですし,どんなに得意なことでもとことんやらなければ,絶対にものにはなりませんし,私の場合,そういうものをほんとにたまたま見つけられたのですが,それは,東大に行ったから,そして,進振りで(物理ではなく)建築に行ったから,そして,青山先生と小谷先生の研究室に行ったから,そして,地震研に行ったから,そして,そこで迷走して今やってることに辿り着いたからで,こうして書いてみると,偶然が重なりすぎてて,ほんとに運がよかっただけだと思いますね.

 でも,何度も書いているように,過去のことはどうでもよくて,問題はこれからです.つまり,これまでは危ない橋を何本も渡りながら何とか今のところに来ることができたけど,これからどうなるかはわからないわけで,でも,もうここまで来ればもう何でもありな感じもするので,何とかうまくやって行きたいと思いますね.

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7/11'20

 ↑と書いたのですが,違和感ありますね.寝る前に書いたので,寝ている間中ずっと変な感じだったような感じです.

 一番違和感があったのは「東大に行ってなかったら,今の私になっていないとは断言できます」ってところですかね.ほんとにそうなのかな? 確かに近道だったとは思いますが,必須ではなかったような気もするんですよね.

 確かに,東大に行くことで「相場がわかった」ということはあったと思います.例えば,地元で飛びぬけて野球が上手くても,プロを目指して野球強豪校に行ったり,全国大会で強豪校と対戦したりすると,自分より上手い奴がゴロゴロいて打ちのめされるわけですよね.そして,東大に入ってそういうことを言う人は多いです.でも,私はあんまりそんな感じはしなかったですかね(理由は後述).

 だって,そういうことは,東大に入る前の受験でもあるわけで,全国模試があれば,全国のトップはとんでもないレベルなわけで,地元でトップクラスくらいでは,とてもじゃない手が届かないレベルだと思うものです.

 で,ここで気づいたんですが,私の場合,現役時代はそんな感じだったと思うのですが,浪人したときは,全国のトップレベルまで行きましたし,何かの模試で全国1位になったこともありました.そりゃあ浪人したんだから当たり前じゃん,ほんとのトップレベルは,現役時代にそこまで行くんだよというのは,その通りですが,時間はかかったけど,そこまで行ったのは大きかったんじゃないかと今気がつきました.

 現役と浪人(のトップレベル)の違いは何かと言うと,高校の現役時代にそこまで頑張れたか頑張れなかったかなわけで,私の場合,その気になるのに時間がかかっただけの話というか,どんなに勉強してもそこまで行ける人は僅かだとは思うわけで,もし運よく現役で滑り込んでいたら,違ったことになってた気がしてきました.

 話がずれてきたので元に戻すと,実際に東大に入ると,そういう全国トップレベルの人間がそこら辺にうようよいて,勉強ができるという点ではすごい奴はいっぱいいるんですが,いろんな人といろんな話をするうちに,勉強ができるできないというのは,そんなに大したことじゃなくて,真のトップレベルに行くにはもっと違うものが重要ということがわかってくるわけで,それが大きかったと思うんですよね.

 問題は,東大に行ったからそれがわかったのか,行かなくてもわかったのかってことでしょうか.これは,行かなかった人生を歩んでいないのでわからないのですが,確かに行く方が手っ取り早いとは思いますが,そういうことがわかる人は,行かなくてもわかると思うんですよね.

 じゃあ,私の場合はどうだったかと言うと,うーん,やっぱり,よくわからないですが,行ってなかったらもっと時間がかかった気はします.でも,私の場合,ほんとに怠け者というか,その気になるのに時間がかかるというか,その気にならないときに自分を律して頑張ることができないので,どのみち時間がかかった(たどり着いたのは結局40間近になってから)んですけどね(笑).

 ですから,結局,私が言いたいのは,東大とか筑波大とか,そんなことは大したことではなくて,要は,自分が最先端のことができているのか,そういうところを目指しているのか,そういう意識があるのかということなわけです.

 でも,人間,とかく自分が所属する大学とかでそういうことを判断しがちで,筑波大で研究していると,東大はもっとすごいことやってるとか勝手に思ってしまう学生もいるわけで,でも,実際はそんなの全然関係ないわけで,それが何とも歯がゆいというか,もっと意識を高くもってやれよと思ってしまうんですね.

 ことあるごとにうざいくらいにそういうことは話すんですが,どうも反応が鈍いというか,何なんでしょうね? 何度も書きましたが,私が大学4年の春,研究室に入って,卒論のテーマが決まって,小谷先生に「どれも最先端のテーマなのでしっかり頑張るように」と言われたときは,体中に電流が走ったというか,めちゃめちゃその気になったというか,今にして思えば,ここで私の人生が大きく変わったと思うんですけどね.

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[最先端の研究]
(研究)

 最先端という用語がよく出てきますが,そもそも,最先端ってどういうことでしょうね?(既にどこかで書いた気もするけどまあいいや)

 東大でやってる研究が最先端? ノーベル賞をもらうような研究が最先端? 世界で認められ社会から高く評価されてメディアでも取り上げられるような研究が最先端?

 研究の中身がわからない人はそういうことをよりどころにするしかないんでしょうが,そういうのはそんなに関係なくて,結局は,中身の問題です.

 じゃあ,中身は何かと言うと,割と簡単で,それは「まだ誰もやってないこと」「まだ誰もわかってないこと」ということです.

 なーんだそんなことかと思う人もいると思いますが,「まだ誰もやってないこと」「まだ誰もわかってないこと」を見つけ出すのは至難ですよ.面白いこと思いついたなと思っても,考えることはみんなだいたい同じで,大概既に誰かがやってるものです.

 つまり,研究のよしあしは,この研究テーマ選びでほぼ決まるわけで,それが私の最も重要な仕事ということになります.ですから,うちの研究室の学生達は,後は頑張りさえすれば,最先端の研究ができるんですけどね.

 もちろん,研究テーマを決めるだけでは,研究はまだ何も始まってなくて,そこからデータを集めたり実験したり調査したり解析したりして,いろんな試行錯誤や論理構築をし,更には,論文という形にすることで研究になるんですが,これが問題解決能力やプレゼンテーション能力を養うという最高の教育であることは何度も書いた通りです.

 もっと重要な能力は,研究テーマを探すこと,即ち,問題発見能力なんですが,うちの研究室では,そういうこともやってもらうようにしていて,研究を進める中で何か問題が生じて,それが逆に新しい研究テーマに繋がることも多いですし,それは,おそらくビジネスの世界でもどこでも同じで,社会に出て活躍できるものすごく汎用的な能力を養えると思うんですよね.

 あと,もう1つ付け加えるのなら「センス」ですかね.とか言うと身も蓋もない感じがしますが,同じような研究テーマでもどう問題解決したか,物理的に論理的に解決したか,シンプルなのか無理矢理なのか,論文の書き方はどうか,結局はそこに哲学があるかで全然違ってくるんですが,そこまでは至難ですし,そこまで行かなくても研究者としてやって行けるとは思います.

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 でも,まだ誰もやってない最先端のこと,まだ誰も解明していないことを解明したいという人なんかほとんどいないってことなんでしょうね.もちろん,人生人それぞれで,のんびり楽しく過ごして行けばいいという考えもありますからね(そして,その実,私もそうだったりする).

 最先端の研究でも何でも,やりたいことが見つかれば,人生もっと楽しくなると思いますが,そういうのが特に見つからなくても,それなりに楽しくはやって行けるでしょうからね.

 そういう場合,私だったらどうするかと言うと,何度か書いているようにパターン3ということになるんですが,支出をしっかり制御して余計なものに散財せず,必要な分だけ働けばいいって感じですかね.でも,誰でもできる単純な仕事はつまらないし,時給が低いとその分たくさん働かないといけないので,時給が高い仕事,例えば,フリーでデータ解析の仕事を請け合うとか,高度な能力は要するけど自分のペースで仕事ができる会社(なんかあるのかな?)に就職するとかですかね.

 そして,そのために必要なのは,問題解決能力とかの要は「仕事ができる」ってことで,それが養えるのが大学院時代の研究室での最先端の研究なので,まずはこれを頑張るってことだと思うんですよね.

 でも,こうして書いてみると,高度な能力は要するけど時給が高くて自分のペースで仕事ができる会社というか,そういう仕事っ何かなって考えると,それって実は大学の教員じゃんってなったりします.

 問題は,なるのに少し時間がかかるってことですが,そこさえ乗り越えられれば(でも,研究が楽しければ,大学院時代くらい楽しい時代はそうそうないと思いますけど)やっぱお買い得だと思いますね.

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7/12'20
[矛盾する?]

 なんか自分の話になっちゃうんですが,事実として,私は「まだ誰もやってない最先端のこと,まだ誰も解明していないことを解明したい」んですが,その一方で,「のんびり楽しく過ごして行けばいい」と思ってるわけです.これって矛盾する?

 どうしてこの世界に入ったかは何度か書きました.小さい頃,父親が楽しそうに仕事をするのを見て,そんなに楽しいのなら私も大学の先生になりたいと思ったのがきっかけです.ただ,父は近代文学が専門でしたが,私はその分野には興味がなかったので,自分が興味がもてる何か他の分野を探す必要があって,最初は何となく理系,そして,力学,理論物理,建築構造に至るわけですが,その旅?はそこで終わらず,30代後半まで続いたわけです.

 それはいいとして,若い頃の私の中の考えとしては,「まだ誰もやってない最先端のこと,まだ誰も解明していないことを解明したい」というよりは,「のんびり楽しく過ごして行けばいい」というか,(お金とかじゃなくて)やりたいことを仕事にしたい,そうすれば,人生の中で多くを過ごす仕事という時間を楽しく過ごせるということでした.

 つまりは,「何か仕事をしないと食べて行けない」ということが前提にあって,「仕事として食べ行ける」ものの中からやりたいことを選んだに過ぎないということにもなるんですが,じゃあ,家が大金持ちというか一生働かないでも食べて行ける状態なら仕事なんかしないで音楽とかスポーツとかやりたいことだけやって生きて行くかというとそうはならない気がするんですよね.

 それは,そもそも働かないでも食べて行けるという状態じゃないので,そんなこと考えてもしょうがないということもありますが,想像力を働かせて考えると,それでも何か仕事をするというか,世の中と繋がっているというか,何らかの形で社会に貢献するというか役割を果たすというかそういうことかもしれません.

 でも,それってやる気三要素的には低位的な考えて,そんなものなくても内的熟達的に究めて行ければ,働いて報酬を得るとか社会と繋がってるとか無用なわけです.

 そこで出てくるのが「まだ誰もやってない最先端のこと,まだ誰も解明していないことを解明したい」なわけで,もっと言えば,まだ誰もやってないとか,まだ誰も解明していないとかいうことも超越して,とにかくやりたいことを究められればいいわけです.

 問題は,これが「のんびり楽しく過ごして行けばいい」と矛盾するかですが,やりたいことをやってるだけなんで,のんびりかどうかはともかく,楽しく過ごして行ってることにはなるでしょう.もちろん,いつもやりたいわけじゃないし,究めるにはいろいろ大変なこともありますが,そういうことも含めてというか,そういうことを全て飲み込んでもやりたいのかってことで,そうでなければやめればいいいだけの話でしょう.

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[対策は万全?]
(世の中)

 国や自治体は(一瞬にして金がなくなって),感染防止と経済を回すことを両立させると宣言したと言えばきこえはいいですが,要は,投げ出したわけで,でも,自己責任社会ではないですが,それ自体は悪くないと思いますよ(でも,それなら小さな政府ということになるので,国会議員の定削とか歳費カットとかばんばんやらないといけない).

 そうすると,どうなるかと言うと,感染者が出るか,クラスターが発生するかは,店とかイベント主催者側の責任になるわけで,もしそういうことになれば,客が来なくなって経営が行き詰るということで,これも一種の市場原理でしょうか(でも,ホストクラブとかは,そういう原理が全く働いてなくて,まさに騙されているというか洗脳されているというか,まるで新興宗教).

 具体的には,入口にアルコールを置いて,検温して,マスクを着用してもらって,アクリル板で仕切って,対策は万全です,みたいな感じですが,何度も書いているようにそこが落とし穴なんですよ.

 国や自治体が示す指針に従ってるんだから万全でしょということなんでしょうが,それを守って感染者が出ても国や自治体は責任をとってくれないわけで,つまり,そんなことを形だけやっても意味ないわけです.具体的には,例えば,検温なんかしたって,潜伏期間だったり,軽症だったりしたらすり抜けちゃうわけですからね.

 じゃあ,どうしたらいいかですが,対策をするのは,店とかイベント主催者側ではなく,消費者というか自分達自身ということになります.そして,これも国や自治体が示す指針に従ってるんだから大丈夫ってわけじゃないことは同じで,もっと実質的な対策をする(例えば,粘膜を触らないとか)ことでしょう.

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[50代-30代=10年]

 気づいたらこんな歳で愕然ってことなんですが,要は「単調増加」じゃないってことなんでしょうね.

 20代はまだ将来があるし,社会の中でもペーペーです.30代ものその延長上って感じですかね.

 でも,50代になると途端に状況が一変します.社会的なものも付いてくるし,気づいたらもうすぐ定年というか人生の終盤というか(第一の)人生が終わってるわけです.

 そして,30代と50代の差は20年ではなく10年です.つまり,40代の10年間で一変するんですね.

 この40代という10年間をどう過ごすかが重要ということでしょうか.

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 そういう意味では,私は40代は(20代と同様に,少なくとも,10代とか30代よりは)それなりに過ごせたとは思います.それでも,違和感を感じるわけで,これってどういうことでしょうね.

 もし40代を何をするでもなくだらだら過ごしたらもっと違和感を感じた? あるいは,逆に違和感を感じなかった? あるいはそんなの関係ない?

 いずれにしても30代と50代が自分の意識の中で大きく違うことは間違いなくて,それは,40代をどう過ごしたかも社会的なことも関係ないのかもしれません.

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7/13'20
[見事に明らかに]
(世の中, 経済)

 ずっと以前から書いてることですが,今回のことで今の社会システムとか経済の仕組みがいかに脆弱で危ういものかが見事に明らかになったと思うんですよね.たった数週間,人の動きの一部を止めただけで,国は100兆以上を一瞬にして散財して莫大な借金を抱えてしまい,「経済を止めることはできない」とか言ってるわけですから(まさに自転車操業).

 でも,実際のところは,ほとんどの人には住む家はあって,食料はスーパーに行けば売ってるし,別段そんなに困らないわけで,じゃあ,どうして「経済を止めることはできない」とか言ってるかですが,それはイベントやったり,夜の街に繰り出したり,海外旅行に行ったりみたいな(そんなに)必要のないものが経済の多くを占めるようになってしまってるからです.

 もちろん,何かの店を経営するのも,東京五輪で海外から観光客がいっぱい来ると目論んでいろんなビジネスを展開するのは自由ですが,目論見がはずれたのはリスクをとった人間の責任で,それを国民の血税で休業補償するのは筋が違います.喩えて言えば,博打ですってんてんになったので国民の皆さん助けてくださいと言ってるようなものです.

 とは言え,博打と違うのは,それが少数ではなく多数になってしまったということでしょう(中身の問題ではなく数の問題ということ).どこかで博打で失敗して首をくくる人間がいてもほっとかれるけど,それが何万人,何百万人にもなれば,国が何とかしないといけない,つまり,国民の多くが博打を打ってるという驚くべきことになってるわけです(いや,うちの会社やお店は違うということなら,国や自治体に休業補償なんかしてもらわなくてもクラウドファンディングでも何でもすれば助けてくれる人がいるはずですよね).

 つまりは,何百万人,あるいは,何千万人という人間が(そんなに)必要のない余計なもので目先の経済を回すことで食べて行っているというとんでもないことになっていて,経済が非常に危うい状態になっているのは当然のことです.

 じゃあ,どうしたらいいかですが,簡単に言えば,そういうことをやめることですが,そうはならないでしょう.でも,これは資本主義の大原則ですが,会社が倒産しても出資した人間が被るだけなわけで,全て自己責任ってことです.

 つまりは,失敗しても国が助けてくれると思うなということですが,これは,もう実質そうなってきていて,今回のことで莫大な借金を抱える以前から,バブルの崩壊以降,国が経済対策をすることで既に莫大な借金が積みあがってるわけで,実質,国は何もできないというか,今回のように何かするたびに自分達の首を絞めて行くことになるわけで,これが続けば必ずどこかで破綻することになります.

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 とは言え,食べて寝るだけではつまらないわけで,それ以外にいろんなことをするわけですが,そこにそんなに金がかかるのかってことなんですが,そこで経済が回ってるってことは,かけてる人が多いってことですよね.

 いやいや,そんなつもりはない? ほんとですか?

 これがまさに「経済感覚」で,多くの人がそれができてないから,いろんな余計なものに散財するんですが,目先の経済を回して金儲けする方は騙して散財させようと必死なわけです(いやいや,自分で稼いだ金で散財して何が悪いと言うのなら,こういう状況で国や自治体に泣きつくのはやめましょう).

 もうほんとこんなばかなことやめた方がいいと思いますが,構図としては,振り込め詐欺がなくならないのと同じで,しかも合法どころか,世の中の役に立ってるとまで言ってる(下手したらほんとにそう思ってる)わけで,じゃあ,どうしたらいいかですが,これも結局,騙されない,即ち,それだけの価値があるのかよく考えることでしょう.

 そして,今回のことでそういう余計なことが半強制的にできないことで,なんだ別に要らないどころか快適じゃんと思った人は目を覚ますチャンスだと思いますし,しんどいだけで何とも思わなかった人は,これからもずっと騙されたまま散財するために奴隷のように働かされる人生が続くことになります.

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 でもまあ,いろいろ書いてますが,知ったこっちゃないというのが正直なところですかね.好き勝手しておいて自分のケツも拭けない奴らに血税が注ぎ込まれて後世に莫大な借金に積み上がっていくのは腹立たしい限りですが,そういう奴らは,その分ひどい目にも会ってるわけで,まあ武士の情けと言ったところですかね.

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7/14'20
[釈然としない]
(世の中)

 世の中に対して批判的なことを書くことが多いのですが,私自身は,世の中を変えてやろうとは思わないというか,それは無理というか(私には無理というより誰も無理),そうすべきでもないというところもあって,じゃあ,そういう世の中でどうやって生きて行くかということで,そういう意味では,割とうまくやって行けてると思いますし,それは,高みの見物で好き勝手にやってるというよりは,社会の中で私がやるべきこともそれなりにできてると思うので,まあいいんですが,やっぱり,何となく釈然としないというか,何とかならないものかと思ってしまうのは何なんでしょうね?

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[謙虚に考えるべき]

 水害がひどいんですが,これも新型コロナと似たような側面があるというか,もちろん,発災直後は困っている人を助けることが最優先ですが,それだけでは同じことの繰り返しになってしまいます.

 何度も書いていますが,防災というよりは,川とか崖の近くとかの住んではいけないところに住んでしまっている,人口が爆発していた頃はともかくこれから人口は減って行くわけですし,いろんな事情でそういうところに住まざるを得ないのなら,人的なことについては,(津波警報もそうですが)10回中9回の空振りがあっても避難する仕組み,家などの物的なものについては保険などの枠組みを考えるべきでしょう(でも現実的には,過疎化が進んで自然消滅するまで野ざらし,つまりは,まさに自己責任状態になってるってこと).

 それを地球温暖化のせいにしても,ましてや何の根拠もない人類が排出する二酸化炭素のせいにしても何も解決しませんし,地球環境は,例えば,氷河期のようにもっとドラスティックに気候は変動してきたわけで,今の状況も然りということです.

 つまりは,新型コロナと同様に,自然というかそういうものが教えてくれていると謙虚に考えるべきだと思います.

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[看護師問題]
(世の中)

 とある大学病院で,新型コロナ対応で病院の収入が減り,ボーナスがカットされて大量の看護師が退職すると言ってるそうです.ここは,以前からいろいろごたごたがあるところなんですが,普通に考えれば,こういう状況で頑張ってくれているのにボーナスはカットはないだろ,こういうところにこそ国は補助金を出すべきだということなのでしょう.

 まあそれはそうなんですが,それ以上のいろんなことを考えてしまいますね.

 まずぱっと思ったのは,彼らはお金のために働いてたんだなということでしょうか.こんな状況でいつもより大変な思いをして働いてるのにボーナスがないのが不満なのはわかりますが,病気を治すとか命を救うことの一助となりたい,パンデミックという状況で自分達が最後の砦になってるという責任感ではなかったんですかね.

 あとは,看護師はそうなっても医者はそうならないということでしょうか.つまりは,結局は,看護師は医者のサポートをするだけで,主役はあくまで医者ってことなんですかね.そもそも,看護師ってどう思います?

 世の中一般にとっては,看護師って「白衣の天使」なんですよね.でも,実情はかなり違うというか,いろいろ難しい問題は昔からあります(いつかの研究室の飲み会で,学生が合コンで看護師と知り合って,看護師なんだから性格いいに決まってるみたいなこと言うので注意した方がいいと忠告).

 その根本にあるのは,医者になるのは超難関だけど,看護師はそうでもないってことがあります.平たく言えば,偏差値を見ればわかりますよね.ていうか,看護師ってどうやってなるのか知ってます?

 そういう「全然違う世界にいた」人間が一緒に仕事をするわけです.しかも,(どういうわけか)医者の多くは男で看護師の多くは女なわけです(ついこの間までは看護師ではなく看護婦と呼んでいた).これが大きな問題で,どういうことか,そして,どうなるかわかりますよね?

 病気になった人を治す,人の命を救うために看護師になったと言う人が多いでしょうが,実際は,あわよくば高学歴で高収入の医者をゲットするために看護師になったというのも結構いて,それは,実際にそうなってることが多いことからも明らかです(そういう意味では,医者からしても「看護師には気をつけろ」となる).

 この「看護師問題」は,ずっと昔から,というか,昔の方が医療界の大問題というかタブーなんですが,解決はなかなか難しいようです.実際,病気や怪我を治療するのに医者だけで絶対に無理で,看護師が重要な役割を果たしているのは事実ですし,不純な動機とか人の命を預かるほどの責任感も能力もない人がかなりいる一方で,非常に優れたちゃんとした人もたくさんいますからね.つまりは,医者と看護師というだけではなく,看護師の中も玉石混交になってしまってる問題もあるわけです.

 背景的には,こういうことが昔からあるわけで,看護学校ではなく看護大学とか,(医者をゲットして目的を達成して)働かなくなった看護師を働かせるにはとか,いろいろなことがやられてきたとは思うのですが,あまりうまく行ってる感じはしません.

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[GoTo何とか]
(世の中)

 GoTo何とかというキャンペーン,ほんとにやるんですか? ○カじゃないの?(口悪)

 国が煽動するというのもひどい話ですが,予約や問い合わせが殺到しているというのですから,まさにこの国民にしてこの政治家ありということでしょうか.

 今の経済の多くは「そんなに必要のないもの」で回っていると再三書いていますが,観光はまさにそうです.そんなもので経済の多くを回すことがいかに危ういかが今回のことでいやというほどわかったんじゃないですか?(わかってないとしたらほんとに○カ)

 そもそも,旅行に行くという非日常がないと息が詰まると言う人は,日常を何とかすることを考えましょう.つまりは,生き方そのものを見直した方がいいということですし,今回のことでそれがわからない,早く元に戻って欲しいと思うだけでは,将来は明るくないと思いますよ.

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[永遠に続いても大丈夫なように]

 これって結局,いつも書いている「まず現状を受け入れる」ってことですよね.今の状態が辛いから早く収束して欲しい,では現状が全く受け入れられていないわけで,そもそも,今の状態がいつか収束するという保証なんか全くありませんし,それこそ永遠に続くかもしれないわけで,そうなっても大丈夫なようにするということです(私は大丈夫です).

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[時間の問題]

 歳をとっても要介護にならずにずっと自活できたらと思うのですが,現実には難しいのかもしれませんね.というか,例えば,90とか100までできたとしても,じゃあ,その先も行けるのかということはあるわけで,要は「時間の問題」なのかもしれません.

 ある日突然ぽっくり逝けたら最高なんでしょうが,一人で暮らしていたらそれはそれで問題はあるわけで,どこかでそういうところに入った方がいいのかもしれません.

 でも,年寄りといっしょにお遊戯とかまじ勘弁だし,でも,そういうところばかりじゃないでしょうし,例えば,昼間は,仕事場とか自宅とかに出かけて(ピアノもそこに置いてそこで弾けばいい),夕方帰ってきて少し時間を過ごして寝るだけとか,朝と夕ご飯だけ食べられるとか,そういうのならありかもしれませんね(デイサービスの逆(笑)).

 夜寝ているときに何かあれば対応してくれるでしょうし,昼間出かけてるときに何かあって帰ってこなかったとしても同様に対応してくれるでしょうからね.

 いずれにしても,要介護にならないってことは必要で,でも,別にぴんぴん動き回れなくても,食事と排泄とシャワーが自分でできて,脳がちゃんとしてれば,やることはいくらでもあるし,楽しく退屈しのぎしていけるとは思うんですよね.

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[捨てても捨てても]
(片付け)

 片付けですが,まだ捨てても捨てても捨てるものが出てくる感じなんですが,少しずつですが確実に進んでるとは思いますし,だんだん収束してくる感じもしてきました.

 もちろん,捨てるだけではなくて,ある程度分類して収納する(そして,すぐにダンボール詰めできる状態で収納,あるいは,あまり使わないものはダンボールに収納しておけば,いつでも引っ越しできる状態)ことも平行してやってるんですが,この収納と廃棄に相互作用があって,わかりやすい例としては,分類して同じ種類のものが集まって,ハサミが10本出てきたら(笑)そんなに要らないわけですし,そういうことはさすがにないとしても,整理収納が進むと要らないもののハードルが下がる感じがします.

 実は,これが捨てても捨てても捨てるものが出てくる原因の一つなんですが,要らないものは捨てるに越したことはないので,とにかくばんばん捨てていこうと思います.

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7/15'20

 あとやっぱり思うのは,どこに何があるかわからない状態になっているものが結構ある(掘り出すとどんどん出てくる(笑))ということと,あらためて取り出して並べてみることで要らないことに気づくというか,ただ何となくとっといてるものが大量にあるということでしょうか.

 つまり,引越に時間がかかる最大の要因は,ついでに荷物の整理をすることで,そのとき要るか要らないかの判断をするのに時間がかかるということなんですが,そこまで行ってない,つまり,要るか要らないかの判断すらされていない荷物が大量にあって,かつ,そのほとんどは要らないという驚くべきことになってるわけですね.

 とは言え,要らないと即断だとしても,荷物は大量にあるなので,時間がかかるわけで,それを引越の「ついで」にするのは不可能だと思います(ということで,実際は,途中であきらめて要らないものもとりあえず詰めて運んでしまってどこに何があるかわからなくなる).つまり,日々少しずつやるしかないわけで,ライフワーク的なことにもなりますし,そうすれば「いつでも引っ越しできる状態」に近づくでしょう.

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[行き過ぎ]
(世の中)

 観光ですが,もちろん,観光も旅行もするなというわけではありません.私も(仕事のついでですが),日本や世界のいろんなところに行きました.でも,観光地に行けば人で溢れ返っている今(正確には新型コロナ前)の状況は明らかに行き過ぎです.

 これは観光に限った話ではなくて,朝夕の満員電車然りですし,それがこういう状況になって閑散ではなく,これが普通というか(でも満員電車は既に復活したらしい),これで経済を回して行けるようにすべきなんじゃないですか.

 他にも行き過ぎというか無駄なものはいっぱいあって,オンラインでできるものをわざわざ資源を消費して労力をかけて移動したりもそうですし,毎年,同じような講義をするのなら動画でいいじゃん,それどころか,世界にいくつかあればいいじゃんというのもそうです.

 でも,講義の例を見ればわかるように,そんなことしたら教師の仕事がなくなるわけで,いやいややっぱ対面授業が必要なんですよ,とか言ってるのは,自分の既得権を守ってるに過ぎないわけで,それは,観光でも何の仕事でも同じなわけです.

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[ようやくスタート]
(研究)

 研究室のページの整理を始めたのですが(とにかくシンプルにわかりやすくする),研究成果の公表というページを作って,ここ数年来の懸案だった「研究成果のウェブ公開」がようやくスタートしました.

 もちろん,できるだけ査読論文も書いていきますが,これで基本的には,大会でもどこでもとにかくどこかに論文を出したら(盗用されることはないので),ウェブ公開できて,より本質的本音的なことも書けますし,「ここを見れば全部わかる」ようにしたいと思います.

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[いなくなってる]
(世の中)

 GoTo何とか(トラベルじゃなくてトラブルじゃないかと言う人もいてナイスです(笑))キャンペーンですが,地方自治体の長は懸念を示している一方で,経済団体はイケイケのようです.

 そんなところだろなとは思うのですが,私が思ったのは「大所高所」から物事を冷静に判断できる人がいなくなってるということです.つまりは,全ての「長」が単なる「利益代表」になってしまってるんですね(しょうがないところもあるので,やっぱり「長」にはなりたくない).

 今回の件では,地方自治体の長の懸念はもっともですが,それは地方の利益の代表でしょう.一方,経済団体はわかりやすいですが,名だたる大企業の代表ともあろう人が人の命より経済が大事ではしょぼ過ぎませんか.

 そういう「言った方が自分達は得だから言っとけ」というのは,もうほんとやめた方がいいと思うのですが,それが難しいなら大所高所から公正な立場で仲介やとりまとめをするのが国だったはずです.でも,ここが衆愚政治に終始してどうしようもなくなってるのが最大の問題で,だったら,自分達の利益だけを考えるのではなく,ちゃんと全体の利益を考えるようにしないと世の中どんどんぐだぐだになって行くだけです.

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7/15'20
[クレジットカード]
(生活)

 もう10年以上前だと思いますが,ちょっとクレジットカードを研究して還元率が高いカード(当時の名前は漢方スタイルで還元率1.8%)にしました(それまでは楽天カード).基本これ一本で行きたいのですが,これ以外に,スイカが付いてるビッグカメラスイカカードとnanacoとのポイント二重取りができるリクルートカードとガソリンを入れるときに割引になるエネオスにETCを付けての4枚ですかね(後は大学の法人カード).

 漢方スタイルは,その後,還元率が減ったんですが,このカードが楽なのは,ポイントでそのままクレカの支払いができることです(ポイントが失効する前に時々(と言っても年一くらいか)手続きをしないといけないのがちょっと面倒だが,毎月利用明細のメールが来て不正使用がないかチェックするので,そのときにポイントの有効期限も見ればまあ大丈夫).

 スイカカードもそのままスイカにチャージできたと思いますが,年に1回くらい手続きが必要だったかな(これも月一連絡が来るからそのときチェックすればOK).nanacoはポンタに変換できて,大戸屋とかゴルフとかで使えたんですが,大戸屋が楽天ポイントに移行しやがって使えなくなって,ゴルフにも行かなくなったので,どうしたものかと思ってさっき調べたら,いつも買ってる無洗発芽米がモールで買えるみたいなのでこれでOKですかね.

 こんな感じで,最近はあまり研究してなかったというか,そんなこといちいちやってられないのですが,昨日,ちらっと見ただけですが,何と還元率3%のカードがあるということだったんですが,来年4月までの限定ということでした.

 でも,10年以上も経つといろいろ事情も変わってるでしょうから,ちょっと調べてみたんですが,びっくりしました.ほんとごみのような情報しか出てこない...おすすめカードとか還元率ランキングとかで上位に出てくるのは,基本還元率1%程度で,初年度とか期間限定とかで3%とかになるものが上位を占めてそれをがんがん「お勧め」してくるわけです.

 旧漢方スタイルは,還元率大分減ったんですが,1%よりも高いわけで,でも全然出てこないわけで,ひどい世の中になってきたというか,これも悪しき流れの一つですかね.

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7/16'20
[これって結果的にこれになってる]

 そっか,これって結果的にこれになってるんじゃないですかね.

 つまりは,自宅と仕事場の切り換えが,施設に入ることで自宅が仕事場みたいになって実現するということでしょうか.面白いですね.

 問題は,じゃあいつ施設に入るかでしょうか.要介護になったら否応なしでしょうが,施設に入る理由は要介護になったからというよりは,何かあったときのことを考えてということなので,そういう意味では,いつでも(今でも?)OKってことですかね.

 一人暮らしをしていれば,何かあってもすぐに対応できない可能性は老若関係なくあるわけですし,仕事をしていれば無断欠勤をすれば,職場の人が気づくということはあるでしょうが,今の私の場合,職場で誰かといっしょに仕事してるわけではないので,あんまり関係ない気がします(数日くらいして学生がおかしいと気づくくらいか).

 じゃあ,今すぐ施設に入るかというとさすがにそれはないでしょうし,大学をやめてすぐってのもどうかなあ.要は,何か自分の健康に不安を感じることがあるとかがきっかけになるんですかね.そういう意味では,今は全く不安はないですが,突然心臓発作とか起こす可能性はあるわけで,でもそれは若くても同じですからね.

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[絶対に無理]
(生活)

 片付けですが,「いつでも引っ越しできる状態」にしたいってこともありますが,そうでなくても,実際引っ越すときに片付けをするわけですから,結局,片付けというのは引越の準備をしているってことですよね.逆に言えば,少しずつではありますが,もう何年もかかってる(ていうかもはやライフワーク?)ことをいざ引っ越すとなったときに一度にやろうとしても「絶対に無理」(結局片付かずに引っ越してどこに何があるかわからないものが出てくる)ってことです.

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[人生が終わった その後]

 人生が(実質)終わったと何度か書いてきました.時期的には50になったときくらいで,つくばに来て10年くらい経ったときでしょうか.突然「はい終わりー」って「鐘が鳴った」感じがして,ずっと前から言ってる人生50年説(20代で子供を何人か作って育てたらお役御免)というかDNAにそう書いてあるんだなとも思いましたし,社会的には,小さい頃からの「成功する競争」が終わったというか,もうほぼほぼ結果が出た時期でもあったわけです.

 前者については,その通りだと思いますが,後者については,私個人的には,やりたいことを見つけてそれを仕事にして食べて行ければよかったので(でも,やりたいことが研究なのでそれを究めようとするのは当然のこと)「成功する競争」に参画したつもりはなかったのですが,回りはそうは見ないわけで,でも,何とか一仕事できたし評価もされたと思うので,まあいっかって感じだったでしょうか.

 でもそういうことがあるとすれば「東京に帰りたい」ということでした.理由はよくわかりませんが,東京が自分がいるべき場所という感じがしたというか,東京で暮らした20年が楽しかったんですかね.今はそういう気持ちはなくなってしまいましたが(むしろ東京には住みたくない),つくばに来てから10年くらいは,ずっとそう思ってたと思いますし,研究するのはもちろん研究そのもののためですが,研究成果を出して認められたら東京に帰れるかもしれないとも考えていたと思います(でも始めからそういうことはなかったんですけどね).

 そして,東京に帰れる可能性がなくなったのもちょうどその頃だったような気がします.もしそういうことがあるとしたら,10年がリミットだと思ってましたし,年齢的にも50を過ぎて大学を移ることはほとんどないですからね.

 更には,その頃は,昇進して数年経ったくらいで,いろんな面倒な仕事が殺到している頃で,もう研究できないと思って絶望的になっていて,しかも,いろんな人にそういうことを話でも,そういうもんだよと全然取り合ってくれない感じで,まさにどうしようもない状況でした(いろいろ思い出してきた).

 つまり,人生が終わったと思う要因がいくつも重なったわけで,そりゃあ,人生終わったと思うよな(笑)という感じでしょうか.

 問題は私がその後どうなったです.

 確かに調子はよくなかったと思います.数年くらいだめだったかな.体調も悪かったし(最悪だったのは,2013年8月で,何と20日以上このサイトを更新することもできなかった).でも,そういう中でもやるべきことは一応何とかやってたとは思います.というか,人生が(実質)終わっても生きてる以上は退屈しのぎはして行かないといけないし,社会的には一仕事できたとは思えましたし,そもそも研究に社会的云々は関係ないですからね.

 今は絶好調ということはないですが,何の問題もなく快適に過ごしています.体調もあの頃と比べると全然いいです.当時はリタイアすると考えるまで追い込まれていましたが(でも,そう考えることで道を見出すということでしたが),結果的にもう4年以上経ちました(まだリタイアしてません(笑)).

 ですから,どういう状況でもとにかくできる範囲でやるべきことを退屈しのぎでもいいからやるってことですかね.

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[上毛高原]
(生活)

 東京じゃなかったら,じゃあ,将来どこに住むかですが,籠原とか熊谷とか小山とか桶川とかいろいろ候補はあるのですが,群馬の山奥にちょっと興味が出てきました.尾瀬もそうですが,何か雰囲気がいい感じがするんですね.東京に電車で1時間くらいとなると新幹線の上毛高原と安中榛名になります(軽井沢はちょっと...).

 安中榛名は通り過ぎたことしかないですが,上毛高原は一度だけ降りたことがあります.地震研時代,壁谷澤研や工藤研の学生達とよくスキーに行きましたが,12月初めのまだ雪がない頃,天神平に行く時ここから行ったと思います.朝,東京駅に着いたら小野が泣きそうな顔してて,どうした?ってきいたら,板がなんちゃらかんちゃらで,要は自分の板を何かの手違いでもって来られなかったということでした(なんだそんなことか).あの頃は楽しかったですねー(でも今の方がもっといいけど).

 話がそれましたが,だから上毛高原がどういうところが知ってるってわけじゃなくて,だから関係ないんですが(笑),どのみち周辺はなーんもありません(安中榛名も).でも,それがいいってことですよね.

 スキーに関しては,天神平もありますが,苗場は車で40分くらいだし,尾瀬岩鞍も1時間くらいだし,そんなことより越後湯沢まで電車で10分ちょい(笑)です.ほんと笑っちゃいますよね.

 物件はさすがにあんまりないんですが,あることはあるみたいです.でも,結局,沼田ってことみたいで,それじゃあ山奥じゃないので,じゃあ,土地はどうかというと駅から15km(車で15分)で345平米で200万というのがありました(笑).

 もちろん,崖とか川の近くとか「住んではいけないところ」かどうかとかいろいろあるとは思いますが,確実に言えるのは,土地を買って家を建てても全然大したことないってことでしょう.群馬の山奥ですからね(笑).

 あーでも,一番近い町は沼田で,普段の買い物とかはそこまで行くとすると(上毛高原から車で10分くらい),沼田の近くで山奥というか回りに何もないところならそれでもOKですかね.

 ちなみに沼田はスキーでしょっちゅう通りますが,インターがあるのは東の方で,西にある沼田駅で下車というか乗車したこともあります.大学院時代のバドミントンのサークル合宿がこの辺であって,帰りは沼田から電車で帰ってきたような気がするな.沼田駅の周辺とか駅舎の中の様子とか何となく覚えてるんですよね.確か沼田って利根川の河岸段丘の上の方にあるんですよね.

 そっか,あとは「施設」から通える(これも車で10分くらいか)というのもありますね.そういうことからすると「施設」は沼田かな.

 まあ,先の話ですし,気が変わるかもしんないし,候補の一つとしておきますか.でも,いろいろ考えたり調べたりするのは楽しいですが,結局,その通りにはならないんですけどね(笑).

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[元に戻ってるだけ?]
(生活)

 片付けて要らないものをばんばん捨てていくのは気持ちいいんですが,単に「元に戻ってるだけ」という気がしてきました.

 私はそんなに物欲がある方ではないですが,これは必要とか,あったら便利とか思って買ったり,これは役に立ちそうだからとっておこうとか,若いときはどこかに行ったら何か買ったり写真をとったりとかもしていたと思います.実際,今ならこんなもの絶対買わないというものも結構ありますからね(あと結構厄介なのはもらったもの).そして,それが何十年も積み重なって今の惨状があるわけです.

 じゃあ,それらは必要だったか,便利だったか,役に立ったかと言うと,敢えて言えば,ほとんどのものはそうではなかったと思います.もちろん,消費したというか使い倒したものもありますし,まだ使っているものもありますが,そういうものは極僅かですし,最終的にはそういうものだけにして「いつでも引っ越しできる状態」にしたいのですが,だったら,始めからそんなもの買わなければ,とっておかなければよかっただけ,つまりは,元に戻ってるだけって気もするんですね.

 そうすると,少なくとも「もの」に関して言えば,私の人生一体何だったんだ?ってことなわけで,教訓としては,いつも書いてることですが,余計で要らないものは買わないということです.この(余計なものに散財しない)私ですらそうなのですからね.

 でも,もちろん,始めからちゃんとやっておけばよかったのですが,長年積み重なっても大したことないものはあって,例えば,写真ですが,いろんなところに散在していたんですが,一箇所に集めると存外大した量ではありません(ので捨てても大したことにならない).年賀状もFBで4つくらいですかね.

 ですから,片付けに話を戻すと,基本は整理と廃棄で,まずは要らないものをどんどん廃棄する一方で,整理ができてくるとあらたに廃棄するものが出てきて,一方で廃棄する必要がないものもわかってきて,そんな感じで進んでいくってことですかね.

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7/16'20
10回に1回

 水害がひどいんですが,今の技術では10回に1回しか豪雨を予測できないと言っています.つまりは,10回中9回は空振りってことですが,これって津波警報と同じですよね.

 つまりは,そういう情報が出ても10回中9回は何事もなくて避難しなくても大丈夫とオオカミ少年になり,10回目で大きな被害になってしまうという悪循環なわけです.

 もちろん,予測精度を上げることができればいいですが急には無理でしょう.だとすれば,現状でできることをするしかありません.つまり,ここで書いたように10回中9回を「避難訓練」だと思って避難するということです.

 津波警報では,10回中1回しか津波は来ませんとは言えないでしょうが,大雨の警報は「10回に1回」しか当たりませんと公言してるわけで,だったらあとは,それを地元の自治体がどう運用するか,住民を「10回中9回は避難訓練」という意識にもって行けるかということでしょうか.

 「10回中9回」と言っても,年に1回あるかないかでしょうし,そのくらいの頻度で避難訓練はした方がいいですし,それは津波警報も同じです.

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[明るいニュース]
(世の中)

 夕飯の準備をしてる時だったかな,ニュースの中で速報が流れて,将棋の藤井さんが史上最年少でタイトルを獲得したとのことです.新型コロナとか豪雨災害とか暗いニュースの中で明るいニュースですねとアナウンサーが言っていました.

 そうだと思うのですが,どうして明るいニュースだと思うのかなと考え始めました.

 これは,例えば,日本人の誰かがノーベル賞をとったとか,金メダルをとったとかいうこととは違ってて(誰かが必ずノーベル賞はもらえるし金メダルもとれる),ウサイン・ボルトが世界記録を出したとか,貴乃花(当時はまだ貴花田)が史上最年少で優勝したような「スター誕生」みたいな感じでしょうか.

 問題?は,スターが誕生するとどうして人々は明るい気持ちになるかということです.

 だんだん,嫌な感じ(笑)がしてきましたが,非常に優れた極々少数の人間が出てくると,彼らが何かしてくれる,何とかしてくれると思うってことなんじゃないですかね.

 そう考えると,あんまり手放しで喜べる話じゃないですね.ていうか,誰かに何かしてもらうんじゃなくて,自分で何とかしてやると思ってる人なら,明るいニュースだとは思っても,だから何?って感じだと思いますけどね.

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[一概に言えない?]

 研究だから究めようとするのが当たり前と書きましたが,どういうことでしょうね?

 ていうか,わかりません.喩えて言えば,「山があるから登る」ってことでしょう.つまり(どこかで書きましたが)「何のためにがない」わけで,私にとってはどうしてか理由はわからないけど,研究とはそういうものということで,それは,山に登る人も同じでしょう.

 そして,そういうものを見つけられることが人生の成功だと思いますが,たとえ見つけられたとしても,それが何かは人それぞれで(例えば金儲けとか),まさに素養で決まるってことですし,それそのものよりは,付随するものに興味がある人もいるかもしれません(でも,やる気三要素的には,それではなかなか成功しない.ていうか,それならもはや「何のためにがない」じゃない).

 そう考えると,一概に「そういうものを見つけられることが人生の成功」とも言えない気もしてきますが,楽しければOKならそういうことなのかな.

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[どうして快適?]

 個人的には今の状況は快適で,ずっと続いて欲しいとすら思いますが,どういうことかな?と考え始めました.会議とか講義とかがオンラインになって非常に効率がよくなったのは事実ですし,これはずっと続いて欲しいです.

 研究室の学生との打ち合わせもオンラインなんですが,別段問題ないですね.時々顔を合わせたい気もしますが,思ったより大丈夫というか,それは,家族や友人もそうで,どこかで繋がってて,それで大丈夫というか,時々は会いたい気もするけど,そんなに会わなくても大丈夫みたいな.

 まあこれは,まだ数ヶ月やそこらなのでそうなのかもしれません.

 あとは,何度か書いてますが,もう2ヶ月くらいバドミントンしてませんが,これもまだ大丈夫ですかね.でも,東京ではもうやってるみたいですが,つくばはまだだめってどういうことですかね? ていうか,そんな感じだから感染が再拡大してるのか(飲み会も普通にやってるみたいだし).

 ということで,仕事が効率化した以外はよくわからない感じもしますが,「一人時々みんな」的には,一人の時間が増えて快適ってことで,だんだんそういう風になってきてるのかもしれませんね.

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7/17'20
[悪いことではない]
(世の中)

 GoToトラベルの東京除外ですが,もうほんとバタバタで,マスクと言い,給付金と言い,今の政府の無能さ爆発ですね(と書いて思ったのですが,新型コロナ対応に始まった話ではないのでまたかという感じ).

 そもそもの間違いは,GoToトラベルの立ち上げそのものでしょう.感染が収まった折には皆さんばんばん旅行に行きましょうってことなんですが,収まってないんだからあかんやろという以前に,明らかに夏には感染が収まってることを前提に立ち上げてるわけです.

 つまり,全く想像力がないというかリスクの想定ができてないわけですし,夏までに感染を封じ込めないと旅館や観光業がこの夏を乗り切れないから絶対にやらないといけないのなら,安易に警戒を緩めるべきではなかったとか,他にやることあっただろということになります.

 でも,ずっと書いてますが,政府は無能で,彼らが何とかしてくれると思うなってことですよ.今回のことで大変なことになるかもしれませんが,それを政府のせいにしても何も解決しない,彼らには何もできない,補助金出す金ももうないわけで(出すなら借金するしかないが国や経済の破綻に繋がる),つまり,自分のケツは自分で拭けってことなわけで,それは悪いことではないと思います.

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 あとは,ずっと書いてますが,対策が三密とかマスクとか,飛沫感染や空気感染を主体にしているのが気になります.感染の主体はどう考えても接触感染(ドアノブなど何かに触ってウィルスが付いた手で自分の唇などの粘膜を触ることで感染)ですよ.感染者の半数が感染ルートが不明というのもそうですし,感染ルートが判明しているのものも多くはそうだと思います.お前は専門家じゃないだろと言う人もいるでしょうが,物理的論理的にどう考えてもそうなるということです.

 これの対応策で今言われているのは手洗いですが,アルコールを手に付けてちょちょっとするだけの人が多いですし,手洗いしても「何かに触った」だけでもう「リセット」,つまり,何も触ることができないわけで,手洗いだけで感染を防ぐことはまず不可能でしょう.

 これに対する対策は,とにかく口や目や鼻の中やあそこなどの自分の粘膜を触らないこと(手にウィルスが付着していることを前提に行動すること)ですが,これもほとんどの人ができてない(人間,無意識に顔を触りまくる)ですし,そもそも,やれと言ってないのでやらないってこともあるでしょう.

 少し意識すればすぐにできるようになります.粘膜を触らなければ顔を触ってもOKですが,考えればわかりますが,マスクをずらすとマスクの内側にウィルスが付着して感染します(そういう意味では,マスクをするのも実は危ない).

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7/18'20
[いい機会]
(世の中)

 じゃあ,政府が面倒見てくれないとしたらどうしたらいいでしょうか.そんなの自分で考えろってことですが,とにかく,その仕事が世の中にとってどうしても必要なものなのかよく考えることでしょう.

 リーマンショックのときもそうでしたが,景気が悪くなったときに食べて行けないほど仕事が減る仕事は,本質的に必要のない仕事ということですし,今の経済において多くの仕事がそのようなものであることは再三書いてきました.

 それでも,景気がいいときにバブルに乗っかって儲かるとき儲けて機を見て手を引くとかいうことなら,そういうことをしっかり自覚すべきですし,こういうことが起こって失敗したと思っても自己責任ということです(でも,そういう奴に限ってお上に泣きつき駄々こねてとれるもんはとろうとする).

 研究とか芸術とかスポーツとか,世の中にとって必要でなくてもやりたいことも同じです.大学の教員をしている研究者なら,こういう状況になっても必要な教育という仕事を兼ねてるのですが,そういうのは稀(パターン1)で,多くの場合,パターン2(やりたいことで飯を食えないので,飯が食える最低限の仕事をして,多くの時間をやりたいことに費やす)でしょうから,「飯が食える最低限の仕事」をこういう状況になっても必要な仕事にすればいいだけの話でしょう.

 じゃあ,こういう状況になっても必要な仕事ですが,かなり限られると思います.最近,エッセンシャルワーカーという用語をよくききますが,それと対応しているようでしていないところもあります.

 でも,具体的に考えてればすぐわかることで,食料なら,バブリーなものではなく人が生きて行くのに必要な食料を提供する農家とか,スーパーとかの物流とか,生活必需品とかエネルギー,インフラ関係とか建設業とか,医療介護関係とか,人材を育成する教育関係とかでしょうか(政治行政も必要なものだが,最近の政治家の無能ぶりは目を覆うばかり).

 例えば,自動車は多くの人が従事していますが,単純再生産以上は必須とは言えませんし,今の自動車業界の状況がそれを如実に表していて,そういう体質を脱しないとこの国は厳しくなるというか既になってます.

 こうして書いてみると,ほんとに少ない,つまり,それ以外は,非常に危ういわけで,まさに「いい機会」なので,よく考えてみることでしょう.

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[ぼくは麻理のなか]

 ちょっと珍しい,でも,実はちょっと哲学的な話題です.自意識の問題かもしれません.

 ずっと前にやってたと思いますし,今も深夜にやってるんですが,「ぼくは麻理のなか」というドラマがあります.原作は漫画のようで,池田エライザが主演なのですが,どういう話かと言うと,女子高生の麻理(池田エライザ)がある日目を覚ますと(というか,ドラマ自体はちゃんと見てないので詳しい状況はわからない),麻理ではなく,しがないニートの男(小森)になってるというものです.つまり,「ぼくは麻理のなか」の「ぼく」は小森ということで,「意識」としては,「小森が麻理になった」ということになります.

 ドラマとしてはありそうな設定で,でも現実にそういうことが起こるわけがありません.でも,話が徐々に進んで行くと,ありうるかもという気がしてきました(ほんとに?(笑)).

 ちゃんと見てないのでわからないのですが,小森は麻理のことが好きでよく見ていたようですが,実は麻理も小森をよく見ていたらしく(この辺は,麻理の中身は小森なので,麻理がどう思っていたかは未知のところが多い),それどころか麻理は小森になりたいとさえ思っていたことがわかってきます.そして,麻理は小森の日記を読んだみたいなんですね.

 ここから先は私の想像というか,実際のドラマがどうなるかは関係ないんですが,誰かが誰かになりたいと思って,その人のことを調べ尽くして,その人以上にその人のことを知ってしまったら,(自意識とは記憶なので)もうその人そのものというか,まさにその人になっちゃうってことはないですかね?ということです.

 つまり,「ぼくは麻理のなか」は,小森が麻理になったのではなく,麻理が小森になりたくて彼のことを調べ尽くして彼以上に彼のことを知ってしまって,ある日,突然,麻理が小森になったということで,「ぼくは麻理のなか」ではなく「麻理が小森になった」ということです.

 で,次に考えたのは,私自身のことです.過去に好きになった人が何人かいると書きましたが,その中に「その人になりたい」と思った人もいました.もちろん,麻理のようにその人のことを調べ尽くすということはしなかったのですが(笑),その人のことばかり考えた挙句,その人になりたいと思ってその人のことを調べ尽くして知り尽くしたら,私がその人になるというか,自意識が入れ替わるようなことがあるのかもということです.

 何かちょっと怖い気もしてきますが,その人になりたいと思うくらい好きならその人になってしまうのは本望のような気もしてきて,単なるドラマなんですが,いろいろ考えさせてくれてちょっと面白いです.

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 一応,結末を調べてみました.小森が麻理になったのではなく,麻理が小森になったというのはそうでしたが,上で書いたこととは違ってて,麻理が現実逃避をするために小森に人格を明け渡した,つまり,麻理は麻理のままということみたいです.でも,そうだとすると,ドラマというか原作の漫画の中に論理的な矛盾点がありますが,麻理が小森になりたいと思ったことに変わりはないですし,そもそも,ドラマ自体に興味があるわけではありません.

 ですから,私の関心は,そういうところではなくて,誰かが誰かになりたいと思って,その人のことを調べ尽くして,その人以上にその人のことを知ってしまったら,もうその人そのものというか,まさにその人になっちゃう,自意識が入れ替わることがあるかってことですが,これも普通に考えたら,やっぱりなさそうですね(笑).

 一つの問題としては,自分の記憶を消さないといけないということでしょうか.でも,記憶喪失ということは現実に起こるみたいですし,麻理も何らかの強いストレスがかかってそういうことが起こったということみたいです(架空の話だが).

 でも,そうすると,そういういくつか重なることが起こると,やっぱり,ありうるってことですかね? つまり,自分がその人になりたいだけではなく,自分が自分でありたくないが重なって,なおかつ,それが記憶を失うほどってことでしょうか.

 でも,そうすると,ここで言うところの同一人物が二人存在することになりますね.それは,論理的にありえないということなんですが,ここまで書いてきたように考えると,確率は非常に低いけど,ありえない話じゃないってことになりますかね.

 でも,例えば,私が二人,あるいは,なりたいと思った人が二人いたとしても,お互いにお互いのことを知り尽くしてはいるけど,別の人間というか,普通に付き合って行ける気もして,やっぱり,ちょっと面白いですね(でも,見かけは違っても,中身が自分の人とは個人的にはあんまり付き合いたくないかなあ(笑)).

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[浅い?]
(このサイト)

 このサイトに書いてあることは,非常に多岐に渡ってると思いますし,基本的には,何かの引用とか勉強したことではなく,ほとんどが自分で考えたことです.でも,そんなに大したことない私という人間が一人で考えられることなんかたかが知れてるでしょうから,ここで書いてあることの多くは「浅い」んだと思います.

 でも,そうでもないかもと思うのは,それが「自分で考えたこと」ということです.そして,他人の言ったことなのか,自分の中から出てきたものなのかの違いは大きい,それを文章という形でアウトプットすることは更に大きいと思うんですよね.

 もっと言えば,自分の中から出てきたものしか「使いものにならない」でしょう.とにかく自分で考えろというのはそういうことです.更には,自分で考えたものでも他人に伝えることができなければ,まとまってないというか不完全な状態だと思います.

 そういう意味では,一概に浅いとも言えないと思うのですが,それは私にとってであって,このサイトを読んでる人にとっては,自分の中から出てきたものではないので,そうでもないってことに(論理的に)なりますね.

 ですから,結局,ここで文章を書くのは,私が私自身のために書いているということです.でも,公開はしているので(公開することで,読んでもわかるように書かないといけないので私の考えが整理される),読むこともできるというだけの話かもしれません(と言っても,実際のところは,ただ書きたいから書いてるだけなんですけどね(笑)).

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[よく考えればわかる]
(世の中)

 第二波とか感染再拡大とか言ってますが,何か違うと思うんですよね.世の中の多くの人は,早く収まらないかな,ワクチンや治療薬が開発されないかなと思ってるんでしょうが,そうじゃないと思うんですよね.

 こういう状態でやって行きなさいってことですよ.それは,ずっと家に閉じこもって自粛してろってことではなく,活動してもいいけど,まさに不要不急なことはもうやめましょう.余計で無駄なことして目先の経済を回すのはやめましょうということです.

 いやいや,何するかは自由で,余計で無駄なことして人を騙してでも金儲けしたいし,いろんなところに出かけたいというのなら勝手にすればいいと思いますが,そうそればするほど感染が広がって益々できなくなるってことですよ.

 よく考えればわかることですよね.

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 でもじゃあ,現実的にはどうしたらいいでしょうね.仕事は食べて行くためにやってるという人にとっては,仕事以外の楽しみが必要でしょうし,仕事が楽しくてやり甲斐を感じられたとしても仕事以外にやりたいこともあるでしょうからね.

 でも,これも考えればわかることで,移動も含めた人との接触がないものからそういうものを探せばいいってことですよね.今の世の中,探せばそういうものはいくらでもあると思いますし,お金もそんなにかからないものが多いです.別に一人でできることでなくても,家族とか数は少なくてもわかり合える友人と接するくらいなら(一連托生と思えれば)問題ないでしょう.

 逆に言えば,「移動も含めた人との接触があるもの」を提供することを仕事とするのは厳しいということです.そして,それは「そんなに必要のないもの」,あるいは,「リターンの割にお金がかかること」とほぼほぼ重なります.

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 上毛高原ですが,沼田まで行かなくても月夜野に巨大なスーパーとホームセンターがあるみたいで,普段必要なものはここで手に入るかな.周辺の雰囲気もいいし,水害とか崖崩れの心配もなさそうだし,月夜野インターも近いし,この辺に住んでもいいかも.でも.生活クラブは,群馬は高崎と前橋とかの南部だけみたいですね(そりゃそうか).

 もはや,生活クラブなしでは生きていけない(笑)感じなので,これは痛いというか何とかしないといけませんが(別に上毛高原周辺に住むと決まったわけじゃないけど(笑)),考えてみたら,無添加の安全な食材が手に入ればいいわけで,生活クラブも注文してから来るまで一週間かかるわけですし,インターネットを駆使すれば,何とかなるのかもしれませんし,そういうことをマネージメントするのも結構楽しいかもしれません.

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[もしも願いが叶うのなら]

 「もしも願いが叶うのなら」というフレーズがきこえました.ぱっと私が思ったのは,やってることに対して興味を失いませんように,です.もっと言えば,やってることでなくても何でもいいので,やりたいと思うことがありますように,でしょうか.

 と思って,そう言えば,この話題,既にどこかで書いた気がして検索してみたらありました.2011062720110822ですね.このときは「心身ともに健康」と書いてますね.

 思ったのは,やっぱり,この頃は体調が悪かったんだなということですかね.確かにその頃と比べると今は体調は全然いいです.そしてそれは,添加物排除生活を始めてからと対応しています.

 確かに「心身ともに健康」の方が大事ですね.逆に言えば,それは今はある程度獲得できているから願わなくてもいいってことでしょうか.でも,心が健康なら,何かしらやりたいことはあるでしょうから,一応繋がってるのかな.

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 どうせ願いが叶うのなら,よりよいことの方がいいですよね.だとすると,何でもいいのでやりたいと思うことがあるよりは,やりたいと思うことを選んだ方がいいでしょう(妄想の世界).

 だとすれば,やりたいことと得意なことを重ねるということになるんですかね.つまり,私が一番得意なことは何なんでしょうか? やっぱり,仕事というか研究? つまり,もっと研究に対してやりたいという気持ちをもたせて欲しいってことなんでしょうか?

 うーん,違う気がするな.もっと研究したいのなら,もっと研究する時間をください,つまり,余計な仕事を減らしてくださいですよね(いきなり現実的な話になって来た(笑)).

 でもそれなら,もう働かないでも何とか食べていけるなら,大学なんかさっさとやめればいいだけの話なわけで,でも,そうすると研究ができなくなるといういつもの話になってしまうわけです.

 でも,一人でしこしこ研究すればいいのなら,それもありってことですよね.

 ここで気づくのは,「一人でしこしこ」がキーワードということです.やりたいことが一人でしこしこできることならそれでOKってことですよね.例えば,一人でしこしこ一日中ピアノの練習してそれで幸せなら(それで何とか食べて行けるなら)それが無敵じゃないですかね.

 つまり,「もしも願いが叶うのなら」ピアノが弾きたいという気持ちを一日中,一生持続させてくださいかもしれません(もちろん,ピアノでなくても「一人でしこしこ」できるものなら何でもいいけど,遊んで暮らすとかではだめ).

 でも,ピアノはかなりの高齢まで弾けるんですが(80を過ぎても現役バリバリのピアニストもいっぱいいる.対して弦や管は厳しい),それなりに体を使うので,死ぬまでは厳しいかもしれません.だとすると,いろいろ考えてここで文章を書くことの方が脳がちゃんと動いていれば身体的にはハードルが低いでしょう.

 これですかね.でも,少なくとも今は,書きたくてこれだけ書いてて,それがもう20年くらい続いていて,研究とかピアノとかスポーツとかそれ以外のどんなことより持続性は高いと言えるので,だとすると「願うまでもない」,つまり,既に願いは叶ってるってことですかね.

 でも,これだけだと一日せいぜい1〜2時間くらいしか潰れないので,他にいろんなことが必要で,つまりは,いろんなことに興味をもつ必要があって,そのために必要なのはやはり「心身ともに健康」,あるいは,いろんなことに興味を持ち続けられますように,でしょうか.

 でも,こうして書いてみると,ほぼほぼ願いは叶ってる感じがしますね.そもそも,「もしも願いが叶うのなら」という状況そのものがありえないというか,願うんじゃなくてやれよってことですからね(それを言っちゃあおしまいですが(笑)).

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[ちゃんと憶えてるぞ]
(世の中)

 あれ? もう7月後半ですね.ほんと涼しい日が続いて助かるんですが,今年の夏は猛暑じゃなかったの?(ちゃんと憶えてるぞ) 地球温暖化ってことになってないと困る人がいっぱいいるんじゃないですかね.

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(世の中)

 新型コロナ対応で病院の収入が減って,医師や看護師の収入も減ってるところもあるみたいで,これはどう考えても不合理ですね.

 院内感染を恐れて,病院に来る人が減ったこともあるとは思うのですが,例えば,病床数を減らして新型コロナに対応するように国とか自治体から要請があったとき,病院は否応なしにそれに応じるしかなくて,補助金とかもないのでしょうか? だったら,ホストクラブに休業補償とか,GoTo何とかとかやるんじゃなくて,そういうことにこそ予算を使うべきでは?

 今の政府がやってることってとんちんかんというか,ほんと無能ですよね.

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 マスクをずらす人結構いますよね.でも,ドアノブとかどこかに触って手にウィルスがついて,その手で顔を触ったら顔にウィルスが付いて,そこにマスクをずらしたら,マスクの内側にウィルスが付いてあっという間に感染しますよ.

 予防のこと考えたら,マスクなんかしない方がいいんじゃないですかね.

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7/19'20
[登った山を下りている]

 元に戻ってるだけってわけはありませんよね.

 今は要らなくなりましたが,そのほとんどは,私が見たり聞いたり読んだり使ったり作ったり書いたりしたものですし,買ったり手に入れたりもらったりして何もせずにそのままになってるものはほとんどなくて,ということは,今の私の中の何かにはなってるわけです.むしろ,これだけ大量のものを見たり聞いたり読んだり使ったり作ったり書いたりしたことが驚きです.

 でも,感覚としては元に戻ってるというか,登った山を下りている感じはしますね.でも,結構高い山に登ったんでしょうから,登らなかったのとは全然違うのは明らかでしょう.

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[「いつでも引っ越せる状態」ではなく]
(生活)

 荷物というか,「いつでも引っ越せる状態」ってことなんですが,そう考えるようになったのはいつ頃かなと考え始めました.

 随分前のような気がします.自分で引っ越したのは,大学4年のときの駒場→本郷が最初で,その時は,大した荷物はなかったんですが(でも,引っ越し当日から準備をしたのでその日は大変だった),その次は,本郷のアパートを引き払って,荷物を当時相模大野の母親の一室に預かってもらってバークレーに行って,帰ってきて西片の家に住んで,そこからつくばに引っ越すんですが,そのときは,「いつでも引っ越せる状態」ということは考えていたような気がします.

 というのは,荷物を既にファイルボックスやダンボールに整理して入れていたからで,それは,研究室もそうでした.ですから,ほぼほぼ「そのまま」運べば引っ越しできたわけです.でも,そのとき既に大量の荷物があって,実際,研究室は部屋一杯天井までダンボールで埋まりました.

 こうして考えてみると,「いつでも引っ越せる状態」にするために,荷物を整理して「仕舞う」ことで荷物は「眠り続け」,要らなくなってもそのままで増え続けた気がします.つまりは,「いつでも引っ越せる状態」と荷物の多寡は関係ないわけで,実際,そう考えていた,つまり,荷物をある程度整理してファイルボックスやダンボールに入れておけば,荷物は多くても「いつでも引っ越せる状態」なわけです.

 でも,要らないものは要らないですよね.つまりは,ここ数年起こっていることは,「いつでも引っ越せる状態」にすることではなく,要らないものを捨てて荷物を減らすということで,それは,今までは一応とっておこうと思っていたものが急に不要になったというか,それは電子化とか,(第一の)人生が終わったとか,単にものに対する執着がなくなったとか,4年前引っ越した時にしばらく最低限の荷物で暮らして超気持ちよかったとか,だんだん定年が近づいて来たとか,そういうことがあるんだと思います.

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7/20'20
[あの頃の福岡]
(自分?)

 福岡について時々書いています.福岡は,まさに私が生まれ育ったところ(正確には,小二の春まで大牟田で,そこから大学に受かるまで福岡)で,とても好きなところですが,いつか福岡に帰って故郷で暮らしたいと思ったことはありません(いわゆる鉄砲玉(笑)).

 理由は何度か書きましたが,よくわからないというのが正直なところです.ていうか,そもそも,いつか生まれ故郷とか育ったところに帰る(鮭?)というのが私にはよくわかりません(親は今は横浜).

 福岡は(私が離れてから)躍進を続け,今や全国の住みたい街上位の常連(一位というランキングもある)ですし,実際に住んだ人は口をそろえて福岡は暮らしやすいと言います.じゃあ,私が住んでいたあの頃の福岡はどうだったかと言うと,今とは全然とは言いませんが,かなり違うかな.平たく言うと,もっと暮らしにくい街だったと思います.

 私が暮らしたのは,福岡市西区(今は城南区)の福大の近く(父が福大の先生だったので)の新興住宅地でした.小学校のときは,片道2kmの山道を越えて田んぼの中を走って(笑)通学してましたし,学校から帰ってきたら,近所の米田君や千竃君や小迫君と裏の空き地で野球をして遊ぶ毎日でした(私の家を越えたらホームランなんですが,家のガラスを何枚割ったことか(笑)).

 ですから,「福岡の街」に出かけるのは,時々,バスに乗って天神に行く時くらいでしたかね.月に1回か2回くらいでしょうか.行くのは,金文堂とか積文館がある新天町とか,岩田屋とか,天神コアができてからは紀伊国屋とか,福ビルにある日本楽器(ヤマハ)とかそんな感じでしょうか.当時は,まだ地下鉄は走ってなくて,バスで4, 50分,渋滞がひどいときは1時間くらいかかったかもしれません.

 中学は,西新にある西南学院という私立の男子校に入ったので,そこまでバスで通い,週3回くらいは,放課後というか夜まで中一までは田島,中二からは六本松にある森田修学館に通うことになります.つまり,行動範囲が広がったわけで,西新の街もそうですが,西新から六本松に行く時は,当時はまだ城南線を市電が走ってたので,でも,バスの方が全然早いんですが,時々気分転換に市電にも乗ってました.

 この頃は,地下鉄の工事をかなりやっていて,201号線に出るところで263号線がものすごく渋滞して,脇山口まで乗らずにその1つ前のバス停で降りて走ったこともよくあって,そのときの情景は今でも夢に出ます.

 高校は,県立の修猷館に行きましたので,場所は同じ西新で,西新ではよく遊びましたが(西新パレスとか蜂楽饅頭とか),塾とかは行かなかったので,学校と家の往復になりましが,バスじゃなくて自転車の方が多かったかな(ぎりぎりに起きて朝食そこそこに自転車をぶっ飛ばして滑り込む夢もよく見る).最初はブラスに入っていたので,それでいろんなところに行きました(ぱっと思い出したのは,クラブで香椎花園に遊びに行ったときのことですかね).

 当時は,地下鉄はまだなかったので主たる交通手段はバスで(当時の福岡のバス路線網は日本一と言われていた),でも渋滞がひどくて,高速道路もまだなくて,移動は大変だったと思います.空港もどこか遠くにあるイメージでしたね.新幹線が博多まで来たのは中学のときだったと思います(東京の大学に単身で行ってた父が新幹線で帰ってきて,万年筆のキャップを立てても倒れなかった(くらい振動が少なかった)と話していたのを覚えている).

 野球は,私がいた頃は,ライオンズが地元の平和台にいましたが,西鉄は黄金期を過ぎて低迷していて,その後,西鉄→太平洋クラブ→クラウンライターと身売りが続き,私が高三のとき西武に買われて所沢に行ってしまいました.

 でも,しばらくは,福岡にはライオンズファンが多くて,年に数回平和台で試合をするときは,ものすごい応援で盛り上がった(そのとき,私は既に東京)んですが,ダイエーの中内さんが南海ホークスを買って福岡にフランチャイズを置くと(福岡ダイエーホークス)様子が変わってきます.

 ダイエーも最初は弱小チームだったんですが,徐々に力をつけて強豪になり,ソフトバンクの孫さんが買い取って今に至ります.

 ですから,私がいた頃は,当然,福岡ドームもなかったし,地下鉄も高速道路もなくて,今より格段に「暮らしにくい街」だったと思います.でも,全国からそんなに注目されることもなく,しばらくのラーメンも旨かったし,今より福岡らしかった感じもするんですよね.

 それが「私の中の福岡」のイメージで,今の福岡にあまり郷愁を感じないのはそういうこともある気もしますが,今の方が格段に暮らしやすいのですから,福岡に帰って住もうとは思わないこととはあまり関係ない気がします.

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 でも,上の文章をだーっと書いて,ふと我に返ると,つくばというよくわからないところにいて,ものすごい違和感を感じました.じゃあ,東京ならいいのかというと,もうそういうこともなくなってしまって,それならどこかならいいのかというと,よくわからないというか,「人生は旅」的に言えば,死ぬときにようやくどこかに帰るということかもしれませんね.

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[子供と大人]

 子供と大人の違いって何でしょうか? いろいろあるとは思うのですが,端的には「欲を制御できるかどうか」じゃないでしょうか.小さい駄々っ子は言わずもがなですが,年寄りがこういう状況なんだから出かけるなと若い人達に言っても大人が想像する以上に難しいことなんだと思います.

 私自身についても,今はお腹が空いても食べずにいることはできますが,若い時はできなかったと思いますし,何かがしたい遊びに行きたいという衝動を抑えることは難しかった,できたとしてもとても苦しかったと思います.

 こういう風に年寄りも自分の若い時の頃を思い出せば若い人達の気持ちもわかると思うのですが,忘れる人も多いんでしょうし,都合のいいように考えているのかもしれません.

 問題は,じゃあ「大人になった方がいいのか」でしょう.世間一般では「早く大人になれよ」というように大人になった方がいいんでしょうが,人間関係的に何とかやって行けるのであれば,大人になんかならない方が幸せな気がします.

 だって,(たとえそれが何でも)やりたいという衝動があるってことですからね.そして,そういう衝動が大人になってもどれだけ残ってるか(でも残り過ぎてると体を壊す),若い時,衝動を感じられるものを見つけられて,それが何だったか,やる価値があることだったか,実際にどれだけやれたかで,ほぼほぼ人生は決まると言えるでしょう.

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 逆に言えば,大人になって欲がなくなってくるといろいろ難しくなってくると思うんですよね.だって,欲がないってことはやりたいことがないってことで,食べて行けるのならやることがない,食べて行けないのなら食べて行くために働くだけってことですからね.

 どうして大人というか歳をとると欲がなくなるかですが,これも人生50年的に明らかで,生物学的には生きてる意味すらないわけですからね.でも,生きてる以上は何とか生きて行かないといけないし,できれば楽しく生きて行きたい.

 私は物欲とか金銭欲とか名誉欲とかは元々そんなにないですが,やりたいことに対する欲はかなりあって,でも若い時に比べるとやっぱり低下してきていると思います.研究はそうでもないですが,ピアノとかバドミントンとかスキーとかはそうですね.

 でも,このサイトは相変わらず頻繁に更新してるし,片付けとか生活の質の向上にも何とか効力感を感じます.ですから,そういうものを常に探して行くってことですかね.

 問題は,意欲が低下してきたものをどうするかですね.やめてしまうというのもありなんでしょうが,まだそこまでは行ってないと思うんですよね.でも,ピアノなら弾きたい時だけ弾くのなら演奏会とかで弾くところまでもっていくのはしんどいですかね.

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 それこそ,(歳をとったら)日本や世界を旅したり,豪華客船に乗って優雅に?過ごしたりするのが楽しければ,お金がそんなになければ,一日中テレビやインターネットや映画を見たり,ゲームをしたり,音楽を聴いたり,本を読んだり,何か手仕事的なことをしたりして過ごせれば,無敵なんですかね.

 というか,私もテレビやインターネットを見たりはしますから,そういうこともやって行けばいいってことですかね.

 うーん,何か違うかな.やっぱり,核は「知的好奇心」で,欲というよりは,何か興味があることがあるというか,それが調べればわかるのなら調べる,調べてもわからないことなら考える,研究するってことですかね.

 つまりは,知的好奇心を持ち続けられるかが最大のポイントで,でも,その対象は限られるし変化もするわけで,でも,何でもいいのでそういうものがあれば何とかやって行けるってことですかね.

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7/21'20

 じゃあ,知的好奇心をもてるように維持できるようにどうしたらいいかということになるんですが,少し前に議論したことがありました.でも,読み返してみたんですが,世の中には面白そうなもので溢れているとか,そういうことも含めて研究という感じでした.

 確かにここでこういう文章を書いているということは,知的好奇心をもてるように維持できるようにどうしたらいいかと考えているわけで,それは既に知的好奇心です.でもそういうことって意外と不安定で,興味があったのに気づいたらいつの間にか興味を失っていたりってありますよね.

 そういうメカニズムはよくわからないのですが,脳の問題であることは間違いないので脳内物質の原料であるタンパク質(アミノ酸)の摂取は必須でしょう.1回の食事でネット20g以上(肉や魚なら100g以上)はマスト(最低限)かな(運動する人はこれ以上).食事が大原則ですが,プロテイン(ザバスとかではなく無添加のものがよい)は大いに活用できると思います.アミノ酸を有効活用するビタミンやミネラルを含んだ野菜なども同様です.

 あとは,何でもいいから興味をもつということなんですが,世の中どういう面白いものが転がっているかわからないので,テレビやインターネットを見るというのは,意外と重要なのかもしれません.インターネットは自分が興味があるというフィルターがかかりますが,テレビを何となく見てると,興味がない(と思ってる)ものも自然と入ってきますからね.

 あとは,思考回路というか,考え方ですかねー.単にピアノを弾いたりバドミントンをしたりではなく,どうやったら弾けるようになるか,強くなるかを日々研究するということでしょうか.具体的には,考える→思いつく→試してみるの繰り返しってことですかね.

 でも,練習は結構単調で,でも,そういう中で実質的中身の変化が必要ってことですが,やっぱり難しいですよね.昨日は何か思いついてピアノが弾きたくなって弾いたけど,今日は特に何か思いつくでもなく弾く気にならないって感じでしょうか.単純にピアノが弾きたい,バドミントンがしたいのなら簡単な話ですが,そういうのはだんだんなくなって来たと思いますからね.

 やっぱり,「考えて行く」ということでしょうか.少なくとも,もうやる気にならないからやめよう,ではなく,何とかしないといけないとは思ってるわけで,そこのところの研究をするというところが「残っている」とは言えるわけですからね.

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[M主党]
(政治)

 現政府は失点続きで,またまた支持率がアウトになる前に解散総選挙でリセット(衆議院の任期伸ばし)という雰囲気で(もうほんとやってることが滅茶苦茶),立憲M主党と国民M主党が合流協議をしています.しかも,合流したらM主党になるとか言っています.

 なんでこんなに○ホなんでしょうね?(口悪) 国民を大失望させた「あの」M主党に戻ったら勝てるものも勝てないですし,どう考えても選挙協力(して勝てたら合流)の方が現実的です.

 でも,それが「実質」なんでしょうね.立憲M主党は,K池さんの失言を利用して国民をうまく騙せている状態ですから,これを利用するしか勝ち目はないのですが,結局,化けの皮が剥がれるってことですかね.

 でも,与党も与党なら野党も野党で,選挙になっても全く選択肢がない国民が一番不幸です(何度も書きますが,無能な政府はどんどん小さくなってもらって,国民は自己責任でやって行くしかない).

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[ファンを大切にする]
(世の中)

 芸能人とかプロスポーツ選手とかがファンを大切にすることをメディアが好意的に報道しています.でも,彼らがどうしてファンを大切にするかよく考えてみてください.

 自分のためですよ.だって,ファンがいなければ自分達の収入がなくなるわけですからね.それをいい人だとか言って礼賛するのは,ものの見事に騙されてるってことですし,メディアが礼賛するのも彼らがそういうことで飯を食うためです.

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(スポーツ)

 プロ野球は観客が入るようになって,でも上限5000人ということですが,うるさい変な応援もないし,いいプレーには自然に拍手が沸いて,とてもいい雰囲気です.相撲も入れる観客を1/4にして開催ということなんですがこっちも同じで,すし詰め状態で押し込むよりこれでいいじゃないですか.

 いやいや,それじゃあペイしないということなら,経営努力をしましょう.そもそも,選手や力士にそんなに法外な給料払う必要ありますか?

 ライオンズは,相変わらずピッチャーがだめで,打撃も今一でぱっとしないのですが,何とか上位と離されずに付いて行ってはいるでしょうか.

 相撲は,序二段から戻って来た照ノ富士とか,万能型で将来を期待されている琴勝峰とか,新大関の朝乃山とか炎鵬の相撲とか見どころは結構あります.

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(日記)

 単純に少し疲れてきたということかもしれません.活動度を見ると,4月が好調で5月に少し落ちた後,右肩上がりで割と好調に推移していますからね.だとすれば,単純に少し休めということでしょう.

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 やっぱり何か調子よくないですね.新型コロナでこういう状況なのはとても快適なんですが,逆に元に戻ったらどうしようというか,元には戻れない気がしてきました.このまま定年まで行ってもらえませんかね?

 もちろん,病気で亡くなる人はいない方がいいですが,目先の経済を回すために余計なことするのはやめた方がいいと思うし,満員電車も人混みもない方がいいし,私の回りで言えば,会議はオンラインで,講義は動画でいいと思うんですよね.

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 なんかニュースとか,世の中の様子を伝えるものを見ていると,(私が)世の中からどんどん乖離してきている気がします.そして,それは悪い気分ではありません.だって,ひどい世の中ですからね.それこそ,このまま定年後に突入できれば,うまくソフトランディングできるんじゃないですかね.

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 これからどうなるかはわからないのですが,新型コロナでこういう状況になって,余計なことから解放されて,定年前にもう一度じっくり研究できる環境を与えてもらったというか,せっかくそうなったので,それを活かさないといけないと思うんですよね.

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7/22'20
[インカレ中止]
(バドミントン)

 インカレ中止だそうです.さすがにショックですね.

 もちろん,みんな残念に決まってますが,ぱっと浮かんだのは,女子団体の連覇はチームなので来年以降も続きますが,香山は4年なので(3連覇できたのに)未来永劫それができなくなったことです.

 今の状況を考えれば仕方ないという人もいるんでしょうが,今の状況を作ったのは誰ですか?

 敷衍して考えれば,再三書いている「無責任社会」という言葉が浮かびます.強行して感染者を出すことが無責任? そうじゃないでしょ.感染者を出して責任を問われるのが嫌なだけでしょ.それこそ責任逃れの無責任というものです.

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 でも,知らせはショックでしたが,ある程度,予想されたことではあったわけで,世の中がどんなにしょぼくても,そういう中でやっていくしかないし,それがどのくらいできるかが大きな差になって現れます.

 試合がなくなるということは,練習の成果を試す場が(一つ)なくなるということなんですが,バドミントンができなくなるということではありません.

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[勿体ない]
(研究)

 こういう状況になって,せっかく研究できるようになってってことなんですが,やりたいことというか研究テーマはいくらでもありますし,それを私がやっていってもいいんですが,それだと「勿体ない」と思ってしまうんですよね.

 どういうことかと言うと,何度も書いているように,まだ誰も解明していない最先端のテーマは,問題解決能力,具体的には,文献調査などの調べる能力,数学や物理などの基礎学力,プログラミングや解析ツールを使う能力,論理的に考える能力,成果をまとめる能力,プレゼンテーション能力といったものを高めることができる格好の材料で,それを私がちょちょっとやってしまったら「勿体ない」です.

 私がやるべきことは,研究テーマを考えることや学生が出してくる結果を大所高所からマネージメントしたり,方向性を考えたり,問題点を指摘したり,アイデアを出したりすることで,学生が10人近くいれば,それだけで大変です.

 でも,今年は学生がかなり少ない(6人)ということもありますが,こういう状況ということもあるかもしれませんが,例年よりかなり低調というか,もっとどんどんもってこいよって感じで,せっかくのこういう状況を活かせてない感じがします.

 あとは,論文を書くことですかね.これは,できると思いますが,私が今更査読論文を書いてこれ以上業績積んでもしょうがないとは言いませんが,「多くの人に成果を知らせる」という本来の目的を考えると,査読論文に拘らず,成果をウェブ公開することを考えていて,研究室のサイトの整理をして(とにかくシンプルにした),とりあえず,「研究成果の公表」というポータルページを作りました.

 ほんとは,査読論文も学生やこれから業績を積んで行く必要がある若い人が書くのがいいんですが,現実にはなかなか書かないわけで,でも大会論文止まりになってるのは勿体ないというか,多くの人に知らせないといけない重要な成果が目白押しなので,こういう形をやってみようかなと思っています.自由にわかりやすく本音的というかより本質的に書きたいことを書ける気もするので,とりあえずやってみることにします.

 そして,最終的には,このサイトを見ると,私がやって来たことが全部わかるようにできたらと思います.

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7/23'20
[Nasdaq100]
(資保)

 最高値の更新が続いているアメリカのNasdaqですが,Nasdaq100はそれ以上で,先物を買ったのは3/27なので,大分益がのってはきてるんですが,CFDで買ってるのでファンディングコストが気になってきました.

 VIX先物はもっと頻繁に売買しますし,玉が建ってない時間も多くて,そもそも,実質CFDでしか取引できないのでしょうがないんですが,Nasdaq100の場合は,買いの玉をずっともってるわけですからね.

 ファンディングコストは,アメリカの金利によるんですが,だいたい年2〜3%といったところで,もちろん,今はそれを遥かに超える益ににはなっているんですが,決して無視できる大きさではないし,そもそも,もっと抑えられるのならそれに越したことはありません.

 まず考えたのは,先物を直接売買するということです.最低取引単位はかなり大きいのですが法外というほどでもありません.でも,証拠金をドルで差し入れなくてはいけなくて,なおかつ,買いの玉を建てるということは,そこでもドル円の玉を建てることになるので,二重にドルを買うことになります.

 為替はウォッチしていますが,今はドル円は買いではないので,そうするとその分ドル円を売らないといけなくて,そこで玉を建てないといけないことに加えてスワップ金利を払うことになって,という感じで,かなり余計な資金が必要になってしまいます.

 次に考えたのはETFです.具体的には,こういうの(1545)があります.投信を買うのは嫌なのですが,信託報酬は0.45%とあるので,CFDのファンディングコストより安いです.

 それで,データをダウンロードして,実際のNasdaq100との連動性を調べてみました.そしたら,この10年で20%!も価格が下落していて,年利にすれば2%以上の下落,つまり,信託報酬以上の額が「消えて」いるわけです.ブラックですねー.ほんと投信はやばい.

 でも,年利2%ならCFDと変わんねーじゃんというのはその通りなんですが,ちゃんとガラス張りで計算書を出してくるのと,価格を誤魔化してかすめとるETFとの違いは大きいです(でも,実際は,信託報酬以外にいろいろコストはかかるわけで,それを信託報酬と合わせて2%に抑えているとは言えるが価格に反映させるのはやはりまずい).

 あとは,Nasdaq100と連動するpfを組んで,株式を直接売買するってことですかね.構成銘柄と比率はここにありますが,構成比1%以上のアップル,マイクロソフト,インテル,エヌビディア,シスコ,アドビ,ペイパル,ブロードコム,テキサス・インスツルメンツ,クアルコム,フェイスブック,アルファベット クラスA,アルファベット クラスC,コムキャスト,ネットフリックス,ティーモバイル,チャーター・コミュニケーションズ,アマゾン,テスラ,アムジェン,ペプシコーラの21銘柄(こうして並べて見るとすごい銘柄群ですね)で70.21%を占めますからね.

 うーん,でも21銘柄かー.めんどくさいなー.連動性も調べないといけないし.でも,日運と短運を合わせるとそのくらいの数にはなるし,やってやれないことはないと思いますが,こういうのはその気になるかどうかですからね.

 あー1545ですが,分配金があるのか.0.62%とあるので(ここでは信託報酬は0.495%になってる),少なくともCFDよりはコストはかからないってことか.

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 あれ? ETF(1545)/Nasdaq100ですが,分母分子が逆ですね(単純ミス).つまり,20%下落ではなく20%上昇してることになります.でも,買いだけではなく売りもやるのでそれはそれで問題です.具体的なETF(1545)/Nasdaq100の推移を描くと以下のようになります.

 問題はこの変動が何かということです.それで何となく気になったこととしてドル円を見てみました.

 ほぼパラレルですね.でもこれってどういうことでしょうね?

 Nasdaq100を買うということは,もちろん,円をドルに換えてNasdaq100を買うということなので,その分が含まれているってことですね.

 例えば,Nasdaq100を1ドル100円で1000万円分買う場合,1000万円を10万ドルに換えないといけなくて,そこからNasdaq100が1割上がるとドルベースで1割上がるんですが,そこでドルが1割上がってると1.1x1.1=1.21倍なんですが,ドルが1割下がってると1.1/1.1=1.0倍なわけです.

 つまり,この変動は「問題ない」ことになりますね.もし為替ヘッジをしたいのなら,建玉と同じだけドル円を売ればばいい(売らなければならない)のは先物と同じです.むしろ,ETFなら日本株と同様に円をドルに換える必要なく買うことができるとも言えるわけです.

 だとすると,信託報酬0.495%に対して分配金が0.62%というのは「よくできてる」ってことになるんですかね.正確には,上の図の変動を下の図で基準化しないといけないのですが,ちょうどうまい具合に1ドル100円が1くらいになってて(そういう設定か),そうすると,ほぼほぼ「変動なし」,つまり,信託報酬が分配金で返ってきて,コストはほとんどかからない,少なくともCFDよりは小さくて済むということになりますかね.

 あーでも,ETFは日本の株式市場に上場してるわけですから,祝日で閉まってるときに対応できませんね.ほんとに日本の市場はしょぼいと思いますが,Nasdaq100はそんなに頻繁に売買するわけではないので,よほどのことがなければ大丈夫な気はしますかね(実際,日本株も売買してるわけですし)..

 あとは,やっぱり,CFDが差金決済というのは大きいですかね.具体的には,上で書いたようにETFがドル円に連動すると,指数が1.1倍になっても為替が1/1.1になれば差し引き0ですが,CFDの場合は,指数が1.1倍になれば0.1倍分に為替レートをかけるので「とれる」んですよね(先物も同じ.というか,ETFが現物を売買しているのに対して,CFDは先物を売買しているということ).

 そういうメリットは確かにあるわけで,問題はそこにコストがかかることをどのくらい受け入れるのかってことですかね.あとは,同じCFDでも取次会社によって,コストが違うこともあるので,それもありますかね.

 ということで,なかなか悩ましいことになってきました.

 そもそも,現物と先物とどっちがということもあるわけで,そういう意味では,ウォッチしているのは,先物ではなく現物なので,現物に連動するETFにアドヴァンテージはあるのですが,売買するのは指数(指数×ドル円ではない)なのでCFD,先物にもメリットがあります.

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[家賃で家が建つ?]
(世の中, 経済)

 何かのCMで「今払っている家賃で家が建ちます」と言ってました.

 何度も書いた話題ですね.つまり,家は借りた方が得なのか買った方が得なのかですが,どう考えても「借りた方が得」です.でも,世のほとんどの人は,家賃払っても何も残らないけど,それと同じ額を払って家が買えるのなら,家が残る分買った方が得じゃんと思って家を買うわけです.つまり,まんまと騙されているわけです.

 まず,経済以前の単純な論理ですが,金融機関や不動産屋や住宅メーカーは,「今払っている家賃で家が建ちます」と言ってさかんに家を建てることを勧めるわけですよね.もっとわかりやすい例は,マンション買いませんか?という怪しげな(じゃなくて真っ黒の)電話かかって来ますよね.

 つまり,得するのは家を買う人ではなく,家を売りつける人ということです.そして,ゼロサムの中で得する人がいれば損する人がいるのはすぐわかります.

 問題はゼロサムなのかということです.でも,バブルの崩壊を見ればわかるように,株や不動産が値上がりして経済成長してみんな仲良く儲かるというのが幻想なのは明らかでしょう.

 でも例外はあって,それは,例えば,日本の高度成長期です.人口が爆発し,物価がどんどん上がっていたときは,誰が見ても不動産価格が上がって行くのは明らかでした(そして,その終着がバブルの崩壊).

 そう,ポイントは(何度も書きましたが)不動産価格が上がって行くかどうかです.不動産価格が上がるのなら借りるより買った方が得です(当たり前).実は,この10年,つまり,リーマンショック以降はそういう状態でした.理由は,Aベノミクスで大規模な金融緩和が行われたからです.

 問題は,これからですよね.実は,新型コロナ対策でAベノミクス以上のジャブジャブになっている(ほんとにやばいレベル)のは何度も書きました.つまり,不況になって不動産価格は下がると言ってる人もいますが,まだまだ上がる,あるいは,高止まりする可能性もあって,それは,そういうことが理由です.

 でも,長期的に人口は減って行くわけですから,高度成長期のようなことはないですし,一時的にバブってもどこかで売り抜けなければならず,そういう相場を読むのは至難の業でしょう.どうしたらいいでしょうか?

 そうです.家を買わないことです.何度も書いていますが,家を買うということは,何千万という「買いの玉」を建てる,喩えて言えば,自分の財産の何倍もの額の株を買うようなもので,大博打行為なのです.

 家を買わずに借りるというのは,そういう大きなリスクを回避するということもあるのです.でも,わざわざ家を買うとかしなければ大きなリスクをとらないで済むのに,そうする人がたくさんいるというのは,ある意味,すごい世の中というか,騙す方も騙される方もってことでしょうか.

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 じゃあ,「家賃で家が建つ」のはどういうメカニズム(騙し)になっているかですが(既に書いたので,ここでは簡単に書いておくと),家は原価償却して行くということです.つまり,買った時,5000万の家も20年,30年経てば,上物の価値は0(土地だけ)になります.

 住宅価格と家賃の関係で「200か月の法則」がありますが,「家賃で家が建つ」と言ってる家賃は,新築時の家賃なので,家が原価償却して行くとともに家賃も下がって行きますが,それを計算に入れていないわけです.

 しかも,ローンを組む場合は金利も関係してきます.この計算はとても複雑で(複利でかつ元本も減って行く),ド素人は騙されてふーんそんなもんかと思ってしまいます.今は金利が安いからローン組んでも大したことないというのは大きな間違いで,金利が安いということは,景気が悪いということなので,不動産価格が下がって行く可能性が高いからです.

 でも,この10年は,Aベノミクスバブルで(目先の)景気がよくなってきたのに金利が低いという異常状態だったわけで,2010年くらいに家を買った人は,博打に勝ったようなものですが,これから先は,益々大博打なわけで,そんな危ないことはしない方が得だと思いますよ(私は怖くてできません).

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 でもまあ,ローン組むわけでもなく,死ぬまで住むところを現金一括で買えば,別段問題ないじゃんというのはそうだと思います.その場合は,例えば,今から10年くらいして,買った時は4000万だったけど,査定してもらったら1500万とかになってて,ちょっと(大分?)がっかりすればいいだけの話でしょう.

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[現物 vs 先物]
(資保)

 先物は差金決済なので為替が動いても「とれる」ってことなんですが,何か変な感じがしてきました.具体的に考えてみます.

 先物で1ドル100円で10000ポイントのとき買って11000ポイントで売れば,1000ポイント=1000ドルの益で,このとき1ドル110円になっていれば,益は9.1万円になります.

 現物の場合は,10000ポイントが11000ポイントに,1ドル110円になっているので,実質,12100ポイントになっているので,益は21万円になります.

 逆に1ドル90円になっていたら,先物の場合は,1000ドルで11.1万円の益ですが,現物の場合は,10000ポイントが11000x0.9=9900ポイントになっているので,100ポイント(ドル),9000円の損です.

 合計して両者を比較すると,先物が9.1+11.1=20.2万の益,現物が21-0.9=20.1万の益となり,同じですね.

 逆に,先物で1ドル100円で10000ポイントのとき買って,相場観がはずれて9000ポイントで売る場合はどうでしょうか.

 先物は,1000ポイントのマイナスで1ドル110円,90円になっている場合は,それぞれ,11万,9万の損です.

 一方,現物は,9000ポイントになってる時点で,1ドル110円,90円それぞれの場合の実質ポイントは,9900,8100なので,それぞれ1万,19万の損で,両者を比較するとどちらも合計20万の損なのでこれも同じですね.

 つまりは,先物は差金決済だから有利ということはないわけで,結局,指数の変動以外に為替の変動があるというだけの話なわけです.

 つまりは,先物は一種の為替ヘッジができてるということになるわけで,実際,ファンディングコストは円とドルの金利差なので,そのコストと見ることもできます.現物(ETF)で為替ヘッジをかけるには,購入額と同額のドル円を売らないといけなくて,スワップ金利の支払いが発生しますし,先物も証拠金をドルで差し入れないといけないので,レバレッジをかけなければ同じことをしないといけませんからね.

 でも,為替の変動は「ランダム」(それで損するときもあれば得するときもあるけどトータルではイーブン)と考えれば,コストが少ない現物(ETF)に分があることになってくるんですが,一方で,資保では為替もウォッチしているわけで,これと組み合わせることは考えられます.

 為替は外貨が買いになったと判断したときに買うことしかしてないのですが,売りもやるということでしょうか.具体的には,Nasdaq100を現物で買ってるときは,同時に同額のドル円も買ってることになるので,ドル円が買いの時は,ドル円を買わないということになります.これは問題ないですが,ドル円が売りの時は,Nasdaq100の2倍のドル円を売らないといけないことになります(今はこの状態).

 逆にNasdaq100を売ってるときは,ドル円が売りなら何もしなくてよくて,ドル円が買いならドル円をNasdaq100の2倍買わないといけないことになります.

 なかなか複雑ですが,為替が(日本売りという相場観に従って)外貨を買うことしかしないのもどうよという気もしてきました.確かに日本の状況はひどいですが,今回の対応もそうですが,海外もだんだん日本みたいになってきましたからね.

 でも,最初はCFDのファンディングコストが気になってきたということで,こうやっていろいろ検討したり,考えたりしてきたんですが,為替ヘッジのコストと考えるとちょっと納得したところはありました.

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7/24'20
[全部自分達に返ってくる]
(世の中)

 あれ? 日付が一日ずれてたようです.以前もそういうことがあって,メールしてくれた人がいたんですが,今回はそういうこともなく...まあいっか.

 テレビはそんなに見てるわけではないのですが,感染者がどんどん増えていて,でも,検査数が増えてるからとか,いやそうじゃないとか,一方では,国はGoToトラベルと言う一方で,知事は外出は自粛してとか警戒してとか,もう滅茶苦茶ですね.

 こんな感じでは国民はどうしたらいいかわからないと言ってるんですが,簡単な話で,自分で考えることです.考えてもわからない? それじゃあ,無能な政府と同じですね.

 そもそも,何度も書いているようにメディアの言うことは嘘ばっかりで,それは,政府も同じです.具体的には,大丈夫でもやばいと言って過剰に怖がらせることもあるわけですからね.

 じゃあ,実際はどうなのでしょうか?

 まず言えるのは(何度も書いていますが),新型コロナが訳も分からず感染することはない,ウィルスが「物理的に」人から人へ移動しなければ「絶対に」感染しません.そのルートはいくつかあって,一番大きいのは(ドアノブなどを介する)接触感染ですが,飛沫感染,空気感染も無視できないでしょう.

 前者は手洗いと消毒が言われてますが,それだけではだめです.とにかく粘膜を触らないことなんですが,これが全然できてないし,言われてもいないので感染が止まらないんだと思います.

 飛沫感染,空気感染については,三密を避けるとかこれがメインの感染ルートと言われてますが,よほどのことがなければ,これでは感染しないと思います.よほどのことというのは,1m以内で(マスクも仕切りもなしに)対面で話をするというようなことです.

 え? 1m以内で対面で話をするのがよほどのこと?

 考えればわかるでしょ? 近くで対面で話をすれば,つばが飛ぶし,それが相手の唇に付いたり目に入ったりすれば,ウィルスが「物理的に」移動します.でも,東京ではもう普通に飲み会とかやってるみたいですし,先日,食堂で何人かが大声でしゃべりながらご飯食べてました(学生ではないので多分職員).○カじゃないの?

 エアゾール感染とかも言われてますが,まさに密閉,密集,密接の三条件が重ならないとそんなことは起こらないでしょう.

 逆に言えば,そういったことをしなければ,感染は防げるのです.外出してもいいし,外を歩くのに,あるいは,室内でも近くに人がいなければ,いてもしゃべったりしなければ,マスクなんかしなくていいのです.簡単な話じゃないですか.(目先の経済を回すことには個人的には反対ですが),それだけのことをやればいいだけなら,ほとんど普通に経済は回せるはずです.

 例えば,スポーツ観戦とかライブなら,大声を出したりしなければ,飛沫が飛ぶことはなく,不意に咳などが出ることを考えてマスクをすれば問題ないですし(ただし,何度も書いているように接触感染,例えば,観客に感染者がいて,椅子とかトイレとかどこかに触ったところを触って,その手で自分の顔の粘膜などを触ると感染する),旅行も特に問題ないでしょう.

 でも,そんな簡単なことができないんですね.それは,国民を誘導する国や自治体が間違っているということも大きいのですが,結局は,国民自身の問題,つまりは,ちゃんとできれば,新型コロナはあっと言う間に収束するし,できなければ,そして,誰かが何とかしてくれる,早く収束しないかなでは,いつまで経っても収束しないということで,全部自分達に返ってくるのです.

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 もし人と会って話がしたいのならそれも全然OKです.ただし,ご飯を食べたり飲んだりしながらしゃべるのはだめです.つまり,いっしょにご飯を食べるのなら黙って食べて,その後,少し離れるかマスクとゴーグルをするなどしてしゃべればいいということになります(横並びでしゃべるのならマスクもゴーグルも要らないが,思わず横を向かないように注意)

 こうしてみると,食べたり飲んだりし「ながら」しゃべる,対面でしゃべるという「慣習」が大いなる障害になっていることに気づかされます.でも,考えてみたら,それらを同時にやらないといけない,対面でしゃべらないといけないということはないはずで,「別々」でも横並びでもできるはずというか,それが新しい生活様式というか慣習ということなんだと思います.

 これは新型コロナに限らず,インフルエンザも含めてあらゆる感染症について言えることなので,新型コロナが収束しても慣習を変えてしまうのがいい気もしますが,会えば顔を見て話したいし,実際はそこまでは難しいんですかね(そういう意味では,Zoomだとどこにいても「会って話ができる」ってこともありますが,相手の顔をちゃんと見て話せるってこともありますね).

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 でも,私個人的には,この状態がむしろ続いて欲しいわけで,じゃあどうして,ここでこんなこと書くんですかね?

 うーん,よくわからないですね.

 (ひどい)世の中を距離をとってやって行くとは言っていても,やっぱり,ちゃんとしたまともな世の中になって欲しいとは思ってるんですかね?

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[住みたいところがない]

 福岡を出てもう40年近くになりますが,福岡に帰って暮らしたいと思ったことはないし,つくばに来てからは東京に帰りたかったけど,そういう気持ちもなくなってしまったってことは,住みたいところがなくなったってことになるのかもしれません.

 もちろん,生活とかの利便性を考えて,東京から電車で1時間とかいうことはあるんですが,それは「住みたいところ」というのとは違うと思うんですよね.

 全国いろんなところに行きましたし,この街雰囲気いいなと思ったこともありますが,じゃあ,そこに住むかというとそういうことにもならないわけで,仕事をしている間は,単純に職場の近くということなんでしょうが,じゃあ,仕事をリタイアしたらどうなる?ってことですかね.

 というか,そもそも私の場合,ずっと「どこに住むか」は大した問題ではなかったのかもしれません.実際,ずっと大学や職場の近くに住んでるわけで,ただそれだけの話ってことで,やることがあれば,どこに住もうが関係ないですからね.

 そうすると,仕事をリタイアした後は,何が基準になるか,仕事に代わる何かがあるのか,それが何か,そして,それに従うとどこになるかってことでしょうか.

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[ならないといけない]

 いろいろめんどくさいので「一人でも大丈夫」になりたいとは思っているのですが,実際のところは,難しいんですかね?

 例えば,今のこの状況は,まさに「一人」のことが多くて,でも,全然平気というか快適そのものです.もちろん,ほんとに「一人」なわけではなくて,実際は,いろんな人と繋がってるってことがあるんでしょうが,直接顔を合わせるのは,時々でも行ける感じがするんですよね.

 でも,その一方で,何かを求めているというか,誰かにわかって欲しいというか,助けて欲しいと思うこともあるわけで,でも,実際は,誰もわかってくれないし助けてもくれないわけで,「一人でも大丈夫」になりたいのではなく,「一人でも大丈夫」にならないといけないってことで,でも,そう考えると,やるしかないわけで,それはそれで覚悟が決まるというか,何とかやって行かなくてはという気持ちにはなります.

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7/25'20
[やることがあるのか]

 要は「やることがあるのか」,具体的には,朝目が覚めたときに「今日はこれをやろうと思うことがあるのか」ってことですかね.もちろん,仕事があるなら仕事に行かないといけないのですが,行かないといけないから行くのではなく,やりたいからやることがあるのかってことでしょうか.ですから,「休日」の朝目が覚めたとき「今日はこれやろうと思うことがあるのか」と言ってもいいかもしれません.

 もちろん,やりたいことはいくらでもあるのですが,めんどくさいが勝ってしまうと(やらないといけないということでなければ)やらないと思うんですよね.そして,リタイアすれば,「毎日が休日」なわけです.

 もちろん,やりたいことばかりでなくても,多少はやらないといけないという要素があっていてもいいですし,それが現状でしょう.ご飯は食べてないといけないとか,生活して行く上でやらないといけないこともいくらでもあるわけですし,ピアノを弾いたり,スポーツをしたりするのも,練習をサボると技能や体力が落ちてやばいとかいうところがあります.

 ですから,「やりたいことなんかない,やらないといけないことがあるだけ」でもいいんですが,それだけだとしんどいし,リタイア後は,どんどんやらなくなる気がするんですよね.

 やらなくてもいいんだから,それでもいい気もしますが,体が動かなくなって要介護になったり,脳力が落ちて行くのは避けたいですからね.

 仕事を続けるというのだと,仕事がやりたいこと(無給でもやること)ならいいですが,そうでないのなら,私はやらないですかね.

 そもそも,どういう仕事かによりますが,どこかに雇われるということなら,「一人でも大丈夫」にはならなくて,いろいろ面倒なことに巻き込まれることになるでしょうからね.

 ですから,ここでも「一人でも大丈夫」がキーワードになってきて,体が動かなくなって要介護になったり,脳力が衰えたりしないということもそうですし,経済的にもそうですが,一人でも楽しんで行ける,朝起きたときにやろうと思うことがある状態ってことですかね.

 この「一人でも大丈夫」ですが,そういう状況的なことではなく,中身的に本質的には,やる気三要素における報酬や人との繋がりではなく,内的熟達一本でもやって行けるということでしょう.

 そして,その基になるのがやはり知的好奇心で,広い意味で研究というか,別に今やってる研究でなくても,それこそアウトプットでなくインプットでも,何でもいいからそういうものがあればやって行けると思うんですよね.

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[研究テーマを探す]

 言い方を変えると「研究テーマを探す」ってことかもしれません.

 私は研究者をしているので,常に研究テーマを探しています.現実問題として,毎年研究室の門を叩いてくれる学生達に研究テーマを提供しないといけませんし,それ以前に研究者としてやって行くのにどうしても必要なことです.

 つまり,そういうことをもっと敷衍して,生活して行くために生きて行くために「研究テーマを探す」「興味をもてることを探す」「やることを探す」というか,そういう意識をもつということでしょうか.

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 いろんなことをしていると,どれか引っかかるってことはありますかね.ですから,やることリストを作っておいて,その中からその日する気になることをするってことですが,これはもうやってることか.

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(世の中)

 接触確認アプリというのも訳が分からないですね.15分以上濃厚接触した人が感染した場合,お知らせが来るってことなんですが,15分以上濃厚接触したら自分でわかるやろ.いや,今のこの状況で,15分以上濃厚接触するのがどうかしてます.

 つまり,国は国民の多くが○ホだと思ってるわけなんですが,○ホな奴が国の言う通りにアプリをインストールすると思ってるとしたら,国も○ホってことですよね(結局は,他の国もやってるからやっとこかというだけで,本気で何とかしようと思っていないってこと).

 あと,どういうマスクがいいのかってことで,夏だから熱中症にならないようにって,マスクしないのがいいに決まってるやん.人と至近距離で対面でしゃべったりしなければ,マスクなんかする必要ありませんからね.

 つまり,必要がないとき(がほとんど)は,外せばいいんですが,外し方がみんな間違ってるんですよね.これも専門家云々じゃなくて,物理的に考えればわかるんですが,マスクの内側が絶対に何かに触れないようにしないといけないのはわかりますよね.

 もしマスクをあごの方にずらしたら,ドアノブを触った手で肘をついたらあごにウィルスが付着してるかもしれませんし,マスクを外してポケットに入れたりしたら,そのとき,マスクの内側に手が触れるかもしれません(マスクの外側にウィルスが付着してるかもしれないから触るなと言われてますが,手にウィルスが付着していることを前提として,顔などの粘膜に触らなければ大丈夫というか,内側が何かに触れるよりは百倍まし).

 でも,いろんな政治家が記者会見をするとき,マスクをはずすんですが,みんな滅茶苦茶です(私が見た限りでは,ちゃんとやってるのは,大阪府の吉村さんだけ.要は,机のようなものがあれば,耳かけだけをもってマスクの外側を下にして机の上にぽんと置くのが正解).これじゃあ感染が広がるのは当たり前です.

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 東京五輪まで1年というか,こういう状況でなかったら東京五輪が始まってたはずとさかんに報道してるのですが,うーん,あんまりそんな感じはしませんね.

 オリンピックについては,何度か書いてきましたが,世の中退屈しのぎで溢れている的に言えば楽しみの一つではあって,私もそれなりに見てきたと思います.でも,いろんな負の側面が出てくるようになって,東京五輪を招致するまで行われたひどいこと(例えば,ロンドン五輪の金も銅も同じとか)とか,その後のむりくり盛り上げようとする醜さとかをまざまざと見るにつけ,どんどん冷めてる感は否めません(やれば見ると思うけど).

 でも,所詮他人事なわけですから,別にいいんじゃないですかね.他人の応援してる暇があったら自分が頑張れってことですからね.

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(資保)

 Nasdaq100のETF(1545)をドル円で基準化して描いてみました.

 基本的には,1程度で推移しているのですが,5%程度の変動がありますね.日付的には,ETFは日本市場の終値(日本時間15:00)なのに対して,ドル円がアメリカ時間の終値というか,FXの日付切り替え時間(日本時間だと翌日の7:00)なので,そのずれはあるのですが,5%は大きいですね(1日ずらして計算しても大差なし).祝日でETFに値がない場合は,日本市場が開いた日の価格にしてるということもありますが,それだけでは説明できないかな.

 あとは,信託報酬が0.5%近くあるのに,全体としての傾きが正(年利にして0.11%)というのは大きいですね.年0.6%程度の分配金を加えるともっと傾きは大きくなるでしょうからね.

 つまり,このETFを買うのであれば悪くないということになりますが,売る場合は少し用心ということですかね.

 いずれにしても,為替をどう考えるかは,一つの考え方というか,信条的なものかもしれません.

 一番単純には,売りも買いもやるのだから,為替変動はトータルイーブンと考えるというものですが,一方で為替もウォッチしているわけですから,その目論見が正しかったのにみすみす益が減る,あるいは,損するのを指をくわえて見ていることはないでしょう(逆に動けば,為替の目論見がはずれたという自己責任の話).

 だとすると,為替も売り買い両方やることになるわけですが,スワップ金利がとれる外貨買いしかやらないというのは,日本売りという信条的なものはあるにしても,よく考えれば,これはおかしな話です.具体的には,金利が高い外貨を買うということは,値下がりのリスクをとるということ(理論上は金利の分だけ通貨は値下がりして行くので為替をとるのはそこからの乖離をとるということ)ですからね.

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7/26'20
[考えない]
(世の中)

 昨日,何かしながらちらちら相撲を見ていたのですが,阿炎が休場と言ってます.うん? どうしたのかな? 怪我とかしてそうな感じはしなかったけど,と思ってきいてると,相撲関係者以外の知り合いの人と会食に出かけて,ルールを破ったということで親方が休場にしたとのことです.もうびっくりです.

 この状況で会食に出かけたというまさに大馬鹿者で,ルールがどうこうという問題ではありません.相撲をとることは「超濃厚接触」なので,もし阿炎が感染して相撲をとったら大相撲界は大変なことになりますよ.

 つまりは,ルールを破ったから,例えば,集合時間に遅れたからとかいうのとは訳が違うのです.一夜明けて,ちょっと厳しすぎるんじゃないかというコメントもちらちらきかれるんですが,公共の電波でそんな○ホ丸出しのことを垂れ流すなんて,一体どうなってるんでしょうか? ちょっと考えればわかることでしょう.

 思うのは,みんな「考えない」ってことです.誰か偉くて賢い?人がルールを決めたらそれに従えばいい,マスク手洗いうがいをして三密を避けていればいい,では感染は広がりますよ.

 そして,得てして「優秀な人」にそういう人が多いです.いわゆる「お勉強」が得意な人達ですね.自分達は専門家じゃないんだから,専門家の話をきいて一生懸命勉強しようとするわけです.○ホじゃないの? 自分で考えりゃわかるでしょ.

 そして,これは,新型コロナに限った話ではなく,何でもそうです.専門家と称してもっともらしいことを言って○カな人達を騙して目先の経済を回すのなんかその典型です.

 ほんとひどい世の中になって来てるんですが,背景として,こういうこと(お勉強とか受験至上主義とか資本主義の歪とか)があるのかもしれません.こんな感じだと「専門家」が戦争した方がいいと言ったらそうなるんじゃないですかね?

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[東工大生の嘆き]
(大学)

 これもちらっと見ただけですが,大岡山の特集をしていて「東工大生の嘆き」というのをやってました(だいたい想像はつきますが(笑)).

 オタクっぽいとか,恋人にしたくない大学生No.1とか,いろいろ出てくるんですが(笑),このサイトでも何度か書きましたが,一番深刻?なのは,その知名度の低さでしょう.東工大(文系だと一橋)は,間違いなく東大,京大に次ぐレベルの大学です.つまり,東大,京大以外の旧帝大とか早慶より明らかに有意に上位校なのです.もっと具体的に書けば,東工大や一橋を受ける人は,その「滑り止め」に早慶を受けるのです.

 でも,ある女の子が東工大に合格しましたと言ったら,よかったね,もうちょっと頑張ったら明治とか行けたかもしれないのにね,と言われたというのは,衝撃というか実情なんですが,こういうのはまだましで,東工大とか一橋という大学が存在することさえ知らない人もいますからね.

 とか書いてますが,事情は筑波大も似たようなものでしょう.スポーツ選手を多数輩出しているので知名度は東工大よりはあるかもしれませんが,そのイメージは,(東大,京大以外の)旧帝大や早慶より下で国立大学と思ってない人も多いでしょうからね.

 でも,東工大にしても筑波大にしても,そんな世間一般(というか世間一般の中でも○ホな部類の人達)のイメージなんか気にすることないですよ.要は,「自分が何をしているか」ですから.

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7/26'20
[自分が気持ちがいいゾーン]

 これも何かの番組ですが,自分が気持ちがいいゾーンにいたら成長はないので,そこから踏み出すべきと言ってる人がいました.そうなんですが,今の時代,そんなこと言っても今の若い人達には(私にも)響かないんじゃないですかね.

 サッカーがうまくなりたい,勉強していい大学に入って給料が高くて安定した会社に入りたい,ビジネスを起こして成功したいと思わなければ,話は始まらないわけで,でも,今の世の中,そんなに苦労して無理して頑張らなくても,しっかり経済感覚を発揮して余計で無駄なものに支出しなければ食べて行けるし,充分楽しく過ごして行けますからね.

 でも,それだと(目先の)経済が回らないので,頭が固い悪い年寄り達は,いろいろ仕掛けるわけです.成功して稼いでタワマンに住んで高級車乗り回したくないか?みたいな(笑).でも,多くの若い人達には,もうそんな物欲ないでしょう(私には最初からありません).

 じゃあ,どう考えたらいいかですが,(何度か書いてますが),別にそんなに頑張らなくてもいいけど,やりたいことがあったらやりたいでしょってことです.で,そのやりたいことが自分の成長に繋がることなら,やりたいことやって自分も成長して,結果として成功するならそれはそれでよし,成功しなくても,やりたいことやって楽しく過ごせたんだから別にそれでいいんじゃね,ってことです.

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 で,実際に成功した人達を見ていると,その多くは「ただやりたいことをやっていただけ」という感じがします.その一方で,成功したくて頑張って成功した人もいるんですが,何かおかしいというか,変な感じがするというか,それで人生ほんとに楽しいの?と思ってしまいます.

 そう,成功することなんかよりどれだけ人生を楽しんだか(それこそ真の成功)ですし,やりたいことを見つけてやってれば成功すると思いますよ(何をやりたいと思うかという素養の問題はあるが).

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[ラッキー]
(片付け)

 片付けですが,大分進んできたとは思うのですが,まだいろいろ出て来ます.

 振り返ってみると,荷物が増える大きな原因の一つは「誰かといっしょに住む」ことですね.結婚した時も親と同居した時もそうでした.誰かといっしょに住むと,誰が何のために買うのかがはっきりしない,従って,どっちの所有物かわからないものが大量に発生して,どこかにしまっておくと今頃になって「これ何?」というものがゴロゴロ出てくるわけです.

 片付けるとき,整理処分するのに一番いいのは,どこか体育館みたいなところに分類して「全部広げて並べる」ことでしょう.でも,それは難しいので,ある程度整理しながら収納して行くのですが,収納する場所が足らなければ,とにかくまず要らないものを捨てるしかありません.

 そして,ある程度減ったところで,整理して収納していくと,重なりとか,分類の比較で,これがこんなにあるのはバランスがおかしいとかなって,更に捨てるものが出てきます.

 この片付けというか,「いつでも引越しできる状態」にすることですが,広い意味では昔からずっとやっているんですが,実際にはなかなか進まず,でも4年前の引越しを期に加速して,この1年,更に加速させることがありました.それが何かはここでは書けませんが,そういうきっかけをもらったことはラッキーでした.実際,そういうことがないとなかなかやらないですからね.

 逆に言えば,(少しずつですが)もう1年もやってるってことですし,1年やってもまだ終わらない(要らないものが出てくる)ということです.もしほんとに引越すことになったら,一体どうなるんだ?というか,それを数週間かそこらでやるのは絶対無理で,要らない余計なものを運んだり,ちゃんと整理できなくて必要なものが見つからなくなったり,下手したら体を壊したりするわけです.

 私はこれからまだ何回か引越しをすることになると思うので,「いつでも引越しできる状態」というか,段取り八分ではないですが,いろんなことをしっかり段取りしておこうと思います.そして,それは引越ししないといけないからアンラッキーなのではなく,引越ししないといけないから「いつでも引越しできる状態」にしておかなくていけなくてラッキー(そのおかげで普段の生活も快適になる)なんだと思います.

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[それはそれで快適]

 こういう状況で,多くの人は出かけたり人と会って飲んだりできずにしんどい思いをしている(とメディアは言ってけどほんとかなあ)のに,私はすこぶる快適に過ごしていると何度か書いています.それは,余計な仕事とか出かけないといけないことがなくなったということもありますが,もう大分前からの傾向として,出かけたり人と会ったりするのがだんだんめんどくさいというかしんどくなって来たんですね.

 とか書くと,およよって感じかもしれません.実際のところは,私は人と会って飲みながら話をするのが好きで,一昔前まではそういう誘いがあるとほいほい出かけましたし,新型コロナでこういう状況になる前までも出かけてはいろんな人と飲みながら話してたと思います.

 でも,いつ頃からでしょうか,何かそういうことがつまんないとは言いませんが,何か変調というか変化が出てきたんですね.それは,50を過ぎて(第一の)人生が終わったと思った頃と対応するのですが,私の視線はもうずっと先に行っているのに,飲みに行って話をすると,そんなことを考えている人はそんなにいなくて,相も変わらず俗世間というか「第一の人生」の話というか,そういう雰囲気というか,もちろん,話を合わせることはできますしそうするんですが,話を合わせて話をしてもつまんないとは言いませんが,それにどういう意味があるのかって感じで,そうすると,話を合わせるのもめんどくさくなり,自分が他人からどう思われるかもどうでもよくなってきて,だったら,わざわざ出かけて行くこともないかなとなってくるわけです.

 もちろん,そういう人ばかりではないですし,「第一の人生」の話とかいうことと関係ないたわいもない世間話もあるので,まあいいやとも思うんですが,だったらわざわざ出かけて行くこともないかな,それこそ年1回くらいでいいかなと思ってしまうわけです.

 ほんとは話ができる人と会って話がしたいし,自分のことをわかってくれるというか,お互いわかり合える人がいればとは思うのですが,そういう人がだんだんいなくなってくるというか,私がどんどん先に行き過ぎてるのかもしれませんが,それならそれで仕方ないというか,そうすると「一人でも大丈夫」にならないといけないってことですが,それはそれで快適ですし,これはこれでいいってことなんですかね(「一人でも大丈夫」というのはあくまで一人で「も」大丈夫ってことで,人と会うことを排除するわけではないですからね).

 でも,例えば,10年くらい前のことを考えると,こういう状態を快適に感じるなんて夢にも思わなかったですかね.これがいいのかそうではないのかはよくわかりませんが,他人とか回りに依存せずに内的熟達的に過ごせるようになってきたとは言えるでしょうから,悪いことではないと思うんですけどね.

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 もちろん,人との繋がりを排除したいわけではなくて,誘われれば乗ることも多いですし,面白そうだと思えば,出かけても行くんだと思います.でも,会いたい人話したい人連絡をとりたい人もいれば,そうでもない人もいるわけで,(ひどい)世の中と距離をとりたいように,そうでもない人と関わりたくないとは言いませんが,そういう人にわざわざ会わなくても,一人で過ごした方が楽というか,そういうことを優先するようになってきたってことですかね.

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7/27'20

 違いますね.「一人でも大丈夫」というのは,ほんとに一人でも大丈夫ということではなく,普段はそんなに(ほとんど)会えなくても,自分のことをわかってくれている,お互いわかり合えている人と繋がっていると思えるから大丈夫ということですよね.そうでない人からどう思われても関係ないというのもまさにそういうことでしょう.

 ほんとは時々会えた方がいいんでしょうが,そうも行かないし,それはそれでバランスがとれてるというか,そういう意味では,そんなにしょっちゅう会わなくても大丈夫になってきたとは言えるのかもしれません.

 究極的には,誰にもわかってもらえなくても「一人で大丈夫」になれたら無敵だとは思うのですが,今の私にはまだ難しそうです.

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[やりたいことをやるの意味]

 やりたいことをやったらいいと書いていますが(誤解がないように時々書いておくと),好き勝手やったらいいということではありません.

 まず,やりたいと思うことがほんとにやる価値があるかどうかをよく考えることなんですが,そんなの超越してとにかくやりたくてしょうがないのならやればいいと思います.でも,最終的に自分のケツは自分で拭かなければなりません.

 その一方で,やりたいことなんかに興味はなくて,世の中の役に立ちたいというような人もいると思いますが,それこそ「やりたいこと」でしょう.世の中の役に立つことを「やりたい」わけですからね.医者になって人の命を助けたい,ボランティア活動をライフワークとしてやって行きたいというのもまさにそうです.

 つまり,そういうことを忘れないことです.患者の命を助けたのに,ボランティア活動したのに感謝されなかったとしても,自分がやりたくてやってるのですから,何の問題もないはずです.そういう見返りを求めるとしたら,それはもう世の中の役に立つ以外の「何か他の目的がある」ということです.

 スポーツも同じで,自分がやりたくてやってることを忘れてはいけません.トッププレーヤーになって世の中を元気にするために頑張ってるとか言うのはメディア対応ということなんでしょうが,ほんとにそう思ってるとしたら思い上がりですし,そもそも,そう思って頑張れるのなら,それこそまさに「自分のため」,つまり,やりたいことをやらせてもらってるということです.

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[後の祭り]
(世の中)

 感染の再拡大で,また自粛モードになりそうという雰囲気です.個人的には,全く問題ないですが,困る人も多いんですよね.

 でも,既に書きましたが,国は何もできないわけで(自粛してとお願いするだけ),そうすると,自粛→収まる→自粛解除→再拡大を繰り返すだけで,まさに(国民が)自業自得状態ということでしょうか.そうこうするうちにワクチンや治療薬が開発されてって言っても,治療薬はともかくワクチンができてもそんなに効果があるでしょうか?

 何度か書いてますが,2週間,完全に人の動きを止める方が遥かに効率がよかったと思うんですが,今となっては後の祭りですかね.ほんとに今の政府は無能だと思いますが,法律でロックダウンはできなかったとしても,例えば,去年のGWは10連休だったわけで,やりようはあったと思うんですよね.

 ロックダウンをした海外でも感染が再拡大してるということは,ロックダウンでも足りなかったということでしょう.物理的に人の動きを止めることが必要で,2週間分の食料を備蓄して家に籠ってもらう必要があるからです.でも,2週間くらいなら何とかなるでしょう.でもこれも後の祭りですけどね.

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7/28'20
[とりあえずは大丈夫]

 普段はそんなに(ほとんど)会えなくても,自分のことをわかってくれている,お互いわかり合えている(と思える)人ですが,つらつら考えるといろんな人が思い浮かびます.

 それこそ,もう大分長い間,会っていない人もいますが,私はその人のことを考えるし,その人も私のことを(時々は)考えてくれてるんじゃないかと(私が勝手に)思うんですよね.

 それって,やっぱり大きな繋がりで,普段はそれでやって行けるような気もします.もちろん,時々会えたらとは思うのですが,未来永劫会えないのでなければ,会おうと思えば会えるというか,何となくそのうち会えるんじゃないかと思えれば,とりあえずは大丈夫な気がします.

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[消費を喚起する]
(世の中)

 日本もそうですが,感染が再拡大している国の特徴として,旅行とか観光を推進させるCMを流すとか,要は「消費を喚起する」ような政策をとったところということらしいです.

 そもそも,「消費を喚起する」ってどういうことですかね?

 「消費は美徳だ」と言った人もいましたが,GDPの6割とか7割が消費なわけですから,消費することによってしか経済成長しないわけで,だから,消費は美徳? じゃあ,そもそも経済成長って何ですか?

 そういう本質的なことを全然考えてないと思うんですよね.

 本質的に目指すべきものは,目先の経済を回して経済成長することなどではなく,世界中のできるだけ多くの人が幸せに暮らしていけること,経済的には,まずは食べることに困らないこと,そして,(技術の発達などによって)いろんな不便さから解放され,働くだけでなく何か楽しみをもって人生を過ごして行けることでしょう.

 それに消費が,お金を使うことが必要ですか?

 じゃあ,どうして「消費は美徳」とか言ってるかというと,金儲けしたい奴らがいるからです.そんな奴らに騙されてはいけません(でも,多くの人が騙されてるけど).楽しみが欲しいのなら自分で探せばいい話で,それを国や他人が面倒を見るのは余計なお世話というより,まさに「投資マンション買いませんか」と同じ話なわけです.

 新型コロナが最初に広がった時も書きましたが,感染の再拡大もそういう「大事なこと」を教えてくれてるんですよ.それでもまだわからないとしたら,ずっと騙され続け,大した価値もないものに浪費を続け,馬車馬のように一生こき使われる人生を送ることになります.

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[第一弾]
(研究)

 研究成果をウェブサイトで公表する試みですが,ようやく第一弾の記事をアップしました.中身は,津波警報が出て津波が来るのは8回に1回です.

 最初は「研究成果の公表」ということにしていたのですが,公表は論文でしているので,「研究成果の解説」というタイトルにして,論文の中身をそのまま書くのではなく,ウェブサイトの特性を活かして,よりわかりやすく,より本質的というか,論文では書けないことも書くようにしました.

 こういうことは,リタイア後の楽しみ?にとっておこうとも思ったのですが,「やりたいこと(やるべきこと)はすぐやる」ということもありますし,現実的に考えてみれば,リタイアして「社会的に何者でもなくなった人間」の記事を読んでくれる人はそんなにいない気がした(ほんとはそんなのおかしいと思うけど)ということもあります.

 だいたいこういう順番でこういうものを書いていきたいと考えていることはありますが,問題は「その気」がどのくらい続くかですね.実際,今日,記事を書いてアップしたんですが,思ったほど達成感は感じられませんでした(正直).

 でも,いつかはやらないといけないと思ってますし,「社会的に何者でもなくなる」前にやらないといけないとすると,急がないといけませんからね.

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[実態は全然違う]
(世の中)

 第二波というか感染が再拡大しているとメディアではさかんに報道しているのですが,何か変な気がしてきました.実際は違うというか,いろんなこととのギャップというか不整合を感じるんですよね.実際「メディアの言うことは嘘ばっかり」なんですが,よからぬ何かが何かを動かしているというか,実態は全然違うところにあるってことはないですかね.

 でも,私個人的には,そんなことは全く関係なくて,実際,私自身に何か(悪い)影響があるわけではないのでどうでもいいんですが(実際,何の関係もなくずっと同じ生活を続けている),そういうことに振り回されて右往左往している多くの人は,そういうよからぬ何かにまんまとはめられてるってことになりますね.

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7/29'20
[○○で一番]
(大学)

 例の大学の序列というか知名度の話というか,筑波大がどうかですが,「○○で一番」というところがないということかもしれませんね(繰り返しになりますが,大学のイメージの話,つまり,学生の意識の問題で,私自身はそんなの関係ない).

 東大なら日本で一番ということでしょうし,京大も西日本で一番,見方によっては東大より上というところもあるし(例えば,ノーベル賞受賞者数は実質的には東大より京大の方が多い),東大,京大以外の旧帝大ならその地方で一番なわけです.東工大,一橋,医科歯科,芸大は,それぞれ,理工系,文系,医学系,芸術系の大学の中で一番だし,早慶は,私立で一番(早稲田は慶応より上,慶応は早稲田より上だと思っている(笑)),都立大は公立で一番,かつての横国は二期校で一番だったわけです.

 筑波大にはそういう○○で一番というものがない,実際,最上層の学生は,前期で東大に落ちて後期で入った学生で,偏差値的には,東大京大以外の旧帝大と同程度ですが,前期でそういう大学で落ちて後期で来た学生もいます.

 東京教育大時代は教育系で一番でしたし,今でも「教育系」という用語は時々出てきますが,中身的にはもう教育系ではないし,実際,教員免許を取得する学生は工学系にはほとんどいません.

 敢えて言えば,茨城県で一番なのかもしれませんが,それなら全国に47校もあるわけですし,各県にあるトップ校という意味では,茨城県のトップ校は茨城大学でしょう.もちろん,茨城大より筑波大の方が大分格上ですが,じゃあ,全国レベルと言えるかというと,実際はそうだとしてもそういうイメージがなければ,入ってくる学生もそういうことになってしまいます.

 ただし,筑波大の中で一番と言える分野はあって,どこかと言うと体育系です.それは,全国レベルの選手を輩出しているということではなく(そういう意味では必ずしも一番とは言えない),スポーツ科学の研究機関として日本で一番ということです.実際,バドミントン部を通して,体育系の様子をいろいろうかがい知ることができるんですが,筑波大の中でここだけ東大だなと思いますもん.

 ということで,茶色い話になって来たんですが,やっぱり大事なのは,そういうイメージじゃなくて,自分が何をやってるかで,そういう意味では,学生達にはもっと自信をもってやって欲しいと思うんですよね.

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[左?]
(世の中, 経済)

 この記事もそうですが,目先の経済を回すことに再三批判的なことを書いていると,お前は共産主義者か?とまでは行かなくても,社会主義的とか左だと思う人もいるかもしれません.でも,もちろん,全くそういうわけではありません.技術革新はどんどん進めばいいと思いますからね.

 車が早く自動運転にならないかな,医工連携が進んで,歳をとって体が思うように動かなくなることが解決されたらいいな,もっとデジタル化が進んでいろんなものが効率化すればいいな,ノートPCがもっと薄く軽く高性能になったり通信速度がもっと上がったらいいな,AIは研究対象として全く興味ないけど,そういうものやそういうものを登載したロボットが人間の代わりに単純作業的なことをやるようになって多くの人々が労働から解放されたらいいな,医学が進んで人々が病気で苦しむことがなくなればいいな,とは思いますからね.

 百歩譲って,中央リニアもそういう技術を開発した以上,実際に作りたいというエンジニアの気持ちはわかりますし,それは,バブル期に本州四国にかけられた長大橋や超高層建物も然りです.

 でも,見かけが豪華なだけで性能はそんなに変わらない高級車とか,実際は安普請なのにタワマンと称して豪華に見せてるだけの建物とか,明らかに本質的価値が価格に比例しないブランド品とか,仕事でストレスを溜めて夜の街で散財するとか,ものすごい数の人間が石油を炊いて移動して観光するとか,豪華客船の旅とか,そういう「本質的に成長でない」もので,目先の経済を回すことはもうやめましょうということです.

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7/30'20

 でも最大の障害は,やはり,筑波という田舎に移転して東京教育大から名前が変わってまだそんなに時間が経ってないということでしょうか.例えば,都立大は首都大学東京という訳の分からない名前になったんですが,結局,元の名前に戻りました.夫婦別姓じゃないですが,実績があるのに名前を変えちゃだめですよ(名前を変えたいのは,実績のない過去を捨てたい人や大学ってことか).

 でも筑波大の場合,M部省的には名前が変わったのではなく,違う大学を作ったということで,そうするとまさに0からのスタートで,でももう50年近くにはなるんですが,筑波大という名前が市井の人々に定着するには,そのくらいの時間ではまだ足りないということでしょうし,実質的にも,卒業生が社会に出て活躍して実績を残すのにそのくらいの時間がかかりますからね.

 筑波大設立当初の時は,かなり大きく報道されましたから,私も(まだ小学生か中学生くらいだったと思いますが)覚えています.一番印象的だったのは,夫婦寮があることでしたが(笑).

 それから5年くらいして筑波大の偏差値的位置を何となく知ることになるんですが,私の記憶によると当時は,旧帝大よりは明らかに下で,九大に届かない学生が行っていたような気がします.東京教育大時代は,東工大,一橋と並んで,東京で東大に次ぐレベルの大学だったので(分野的にもちょうど補完し合っていた)かなりの凋落です.でも,そこから「社会的地位」を上げてきて,今はいろんな意味で東大京大以外の旧帝大と同レベルになってきたと思いますが,市井の人々のイメージは,未だに旧帝大より下なんでしょうね.

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 うーん,でもこうして考えて見ると,どうして「筑波大学」という名前にしたのかなと思ってしまいます(田舎で陸の孤島の筑波が全面に出過ぎ).やっぱり,スタートは大事ですからね.筑波研究学園都市を宣伝するのに利用されたってこともあると思いますが,大学の立場に立てば,学生が魅力を感じるというか,もっと違う名前もあったんじゃないかと思いますけど,地元の意向とかもあったんですかね.

 思ったのは,一橋が東京商科大から名前が変わったときはどうだったのかなってことでしょうか(戦後間もない頃のことなのでよくわからない).一橋の由来は,昔,神田の一ツ橋にあったということなんでしょうが,国立,小平に移転したのは,東京商大時代ですからね.でもそうすると当時「一ツ橋」にどういうイメージがあったかはわかりませんが,筑波大と違って,元の東京のど真ん中に戻ったというイメージアップだったのかもしれません.

 結局,名前も大事だけど,どこにあるかも重要ってことか.国立,小平は,結構,田舎というか,かなり遠いと思いますが(小平には東大バドミントン部時代に一橋戦で何度も行った.東京駅からだと今はつくばとそんなに変わらない),東京都ですし,茨城県にあるのとではイメージが大違いですかね.だとすると,どうしようもないですね(笑).

 でも,逆に言えば,筑波大の場合,中身よりもイメージが低くて入りやすいのなら「お得」なわけで,学生達にはそういうメリットを活かして頑張って欲しいと思うんですけどね.

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7/31'20
[ようやくここまで来た]
(大学)

 あーそっか,もし東京教育大が東京教育大としてそのまま存続していたら,工学系はそもそも存在しなかったことになりますね(笑).だからまさに0からのスタートだったということです.

 実際,筑波大に工学系ができたときは,まさに「純増」で,全国のいろんなところから教員を集めたわけですからね(南先生が筑波大に行かれたときもそんな感じだったようで,実験設備のセットアップなどのそのときの苦労を話してくださいました).

 理学部や文学部などの従来の学部,特に文系の多くの教員についても,筑波に行くことを拒否して他大学に移籍した人も多かったようですから,かなり大変なところからのスタートになったことは間違いなくて,50年近く経って,ようやくここまで来たということでしょうか.

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 じゃあ,そもそも,東京教育大を筑波大の母体とする必要があったのか,東京教育大は東京教育大で残して,筑波大を全く新しい大学として新設すればよかったんじゃないかということになるんですが,それは,当時のM部省がいろいろ問題があった東京教育大を潰したかったということはきいたことがあります.実際,筑波大に来てみて,どこの大学にもある○○がないなど,そういう痕跡も見られますからね.

 でも,それは置いておいて,筑波大が東京教育大の流れをくむ大学としてではなく,純然たる新設大学だったらどうなってたかですが,もちろん「道は一つ」しかないのでわからないのですが,あまり関係なかった気もするので,やはり,M部省が東京教育大を潰したかったんだろうなとは思いますね.

 今だとちょっと考えられないようなことですが,当時は,それだけ大学にも省庁にもエネルギーがあったというか,戦っていたというか,今は今でいろいろ問題はあるけど当時より平和というか,時代の違いは感じます.

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(世の中)

 世の中は,感染が再拡大していてかなりの騒ぎになっているようですが(でも,過去最大の感染者数とか言ってるけど,検査数が増えれば発見される感染者数が増えるのは当たり前だし,メディアが騒ぐほど世の中が騒いでるとも思えない),こういう事態を招いたのは,国や政治家の問題というよりは,こんな状況でも自分を制することができずに動き回った(というよりは正しく感染対策ができていない)国民自身で,まさに自業自得なわけです.

 私個人的には,こういう事態になる前と変わらずというか,余計な仕事が減ってむしろ快適に過ごしていますが,それは,たまたまオンラインでもできる仕事だった,世の中でどうしても必要な教育という仕事をしているということはあるかもしれませんが,そうでなかったとしても,飲みに出かけたり,GOTO何とかで旅行に行こうとは思わないし,飲みに行ったり旅行に出かけたりするお金があるのなら,休業補償なんかなくても食べて行けるはずなわけで,結局,お金をぐるぐる回して経済を回しているように見せかけているだけということなわけです.

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[本質的には変わらない]

 そっか,今日で7月は終わり,つまり,明日から(というか,24時過ぎたのでもう)8月なんですね.

 梅雨明けはまだみたいですし,涼しくていいんですが,季節感がないというよりは,いつもと変わらぬ同じような日々が淡々と流れていくというか,でも,それはそれで悪くないというか,そういう状況でも日々どう過ごせるかが大事ということでしょうか.

 でも,リタイアしたらこういう日々が続くんですよね.そして,こういう日々を悪くないと思うのなら,もう大分準備ができたってことなんですかね.

 でも,当然ですが,今は仕事をしているわけで,それはリタイア後との大きな違いなんですが,ということは,論理的には,大きな違いではないということになりますね.つまりは,仕事をしていようがいまいが,リタイアしていようがいまいが本質的には変わらない,結局,どう過ごして行くのか,どう過ごして行こうと思うのかということでしょうか.

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