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2/1'13
[歳をとって衰えて行く中で生きていく]
(生き方)

 やっぱり,歳をとって衰えて行く中で生きていくというのは,「すごい」こと,とてもとても「特殊」なことという気がしています.「練習すれば上手くなる」といったこれまで当たり前だったことが全く逆転することもあるわけですからね.多くの人は,アンチエイジングとか言って歳をとることに逆らっているように見えますが,それだと逆にどんどん歳をとって衰えて行くことを加速してしまうような気がします.

 不思議なのは,みんな経験して行くのに,多くは,「歳をとると思うから歳をとるんだよ」みたいなアンチエイジング的なものばかりで,先人達の歳をとることに対処した「生き方」のようなものがほとんど聞こえてこないことです.上野さんが言うように,そういう生き方をした人は,社会的に「成功」していないので,えらそーに本を書いたり発言したりしないということでしょうか.でも,再三書いているように,「成功」ってなんだ?というか,そもそも「成功」するのがいいのかどうかも甚だ疑問です.

 最近思うのは,どう生きようがその人の勝手なんですが,やっぱり周りに迷惑をかけてはいけない,かけたくないということです.そういう意味で,歳をとって衰えて行くのに社会的地位が上がり,周りをどんどん巻き込んでしまう可能性が高くなるのは,やはり,まずいと思います.裸の王様には,なりたくありません.

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01b
[ちょー久しぶりの]
(ゴルフ)

 なんか愚痴ばっかりになってる感じがするので,全然違う話題を...

 ゴルフはもう全然やってなかったのですが,私にゴルフの手ほどきをしてくれて,1年くらいいっしょにコースに行ってたけど,福岡に帰ってしまって,それで私も全然やらなくなって,その彼がLCC利用して遊びに来ることになりました.で,久しぶりにちょっと行こうかということになりました.

 で,調べてみたんですが,もう2年以上,練習場にも行ってなかったです.コース出るのにこれじゃまずいと思って,2年以上ぶりに練習場に恐る恐る行ってみました.こんだけブランクがあるわけですから,全然当たらなくなってるんじゃないかと思ったのですが...

 当たる当たる,ていうか,絶好調? ほんと不思議です.こんなことなら,練習場なんか行かない方がいいってこと? でも,不思議で終わらせてしまっては,話になりません.全ての結果には,必ず原因がありますからね.

 1つには,やっぱり「感覚の慣れ」がとれていることはあると思います.つまり,練習しすぎてもだめってことですね.つまり,この位のレベルを維持するには,この位の練習量という最適値があるわけで,それを探っていくのは必要かもしれません.感覚的には2週間に1回以下という感じですが,まあ要は,そのくらいのレベルってことですかね.具体的には,どこかで書きましたが,距離を抑えて真っ直ぐ飛ばしてアプローチ勝負で,90くらいは行けるんではないか,という程度のレベルってことです.

 あとは,ゴルフは全然やってなかったのですが,何となくこうしたら(練習しないでも)上手く行くんじゃないかと考えていたことがあって,具体的には,下半身を完全に固定して全く体重移動しないでプレーンが寝ることを意識して打つというものです.下半身を固定するのは,意外と難しいのですが,とにかくスタンスを広くがに股に開けばできます(格好悪いけど).玉に近づくのもメリットです(ライ角が変わることに注意).要は,難しいライから打つときの打ち方で常に打つということですね.

 腰はほとんど回さないので,ハーフスイングになりますし,フォロースルーもとらないので,パンチショットみたいになります.これで,飛ぶんかい?と思われるかもしれませんが,結構,飛びます.ていうか,却って飛ぶような気がします.と言っても,キャリーでドライバーで220〜230y,6Iで150yってところですが,距離を抑えてアプローチ勝負なら,このくらい飛べば充分でしょう.

 これでちょっとやってみようと思います.と言っても,感覚の慣れを作らないように,あまり練習しないことも肝要なんですが...でも,アプローチ勝負なんで,アプローチの練習は,した方がいいかなー.

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01c
[動きを洗練する]
(スポーツ)

 仕事以外の話題(バドミントン,スキー,ゴルフ)ついでに,最近思ったことなんですが,やっぱり,「動きを洗練する」ということに尽きるのかなあという気がしています.スキーだったら,力学的真上に乗ること,そのために,力学的真上からはずれやすい切り換えを素速く正確にやること(+舵取り)をひたすら繰り返し練習してそれを記憶するわけです.

 バドミントンは,どこかでゲーム中にそんなこと意識なんかしてられっか,と書いたと思うんですが,やっぱり,これなんだと思います.つまり,ゲームという形でしか練習できなければ,ゲームの中でこれをやればいいわけです.

 実は,最近,あることに気がついてやってるんですが,考えてみたらとてもとても基本的なことで,でも,やっぱり忘れてるんですねー.忘れるということもわかってたはずなんですが,忘れるということも忘れてる.

 でも,そうしたらいいということは,よく言われているのですが,どうして,そうしたらいいのかは,あまり言われていないと思います.そのどうしてが,(力学的に)わかったということはあるかもしれません.

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2/2'13
[無知]
(地震防災)

 どこの誰とは言いませんが,東日本大震災で建物被害が少なかった理由として,東北地方は,過去に多くの地震を経験していて,耐震対策が進んでいるため,と言う人がいます.土木・建築関係者にそういうことを言う人はとても多いです.構造物の研究ばかりしていて,地震の揺れのことを知らなさすぎます.耐震の「震」って何ですか?

 おそらく,現場にも入らず数字を見てるだけなんでしょう.あるいは,誰かに被害を受けた建物のところに連れて行ってもらってその建物だけを見てるんでしょう.町の中に行って,老朽化した古い木造家屋ですら,何ともなくぴんぴんしている,人々は普段と変わらず日常生活を送っているのを見たら,阪神・淡路大震災とは,地震の揺れが全然違うことは一目瞭然です.

 そもそも,「東北地方は,過去多くの地震を経験していて,耐震対策が進んでいる」というのに何か根拠があるのでしょうか? おそらくこういうことなんじゃないかという想像でものを言ってるだけですよね.そんな非科学的なことでいいわけありません.

 地震の揺れについては,強震記録という厳然たるデータがあります.そして,東日本大震災と阪神・淡路大震災では,揺れの性質が全く違います

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02b
[AKB48]
(芸能)

 AKB48ってどうですか? レコ大を二連覇して,もう押しも押されぬ日本のトップアイドルですか? そうかもしれませんが,私の中では,やっぱりまだ,というか,おそらく永遠にAKB48は,ヲタクのもの,つまり,全国民的アイドルではなく,一部のマニアのものです.

 でも,彼女達の立場に立てば,テレビには引っ張りだこで,CDは飛ぶように売れ,行くところ行くところ大勢のファンが押し寄せ,みんなが彼女達のことを知っているというように勘違いしてしまうかもしれません.でも実情は,こういうことです.レコ大とか言ったって,誰かがもらうわけで,多様化するいろんな分野の中で,どんどんパイが縮小するたった一つの分野でその年一番だったというだけの話です.

 でも,それでいいんだと思います.つまりもう,「全国民的アイドル」なんてものは,出現しないし,それぞれの分野でそれぞれの人が頑張ればいいだけの話です.イチローだって,香川だって本田だって,知らない人は知らないし,一国のリーダーであるべき日本の首相が今誰かときかれて,答えられない人だっていっぱいいるでしょう.

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02c
[絶好調?]
()

 最近の調子ですが,結果を見る限り,絶好調?です(昨年のものに1月分を付け足したもの↓).

 でも,確かに体調は悪くないですし,新生活が始まって,きちんと生活できてるとは思いますが,全然絶好調って感じはしません.要は,単に忙しすぎるってことですかね.ですから,これまでのグラフを見るとわかるように,こんな状態がずっと続くはずもなく,必ず反動が来ますから,そっちの方が心配です.つまり,意図的にペースダウンしないとあとが怖いです.

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02d
[つまらなくてもいい]
(生き方)

 つまんないときはどうするかですが,別につまんなくてもいいじゃん,という気もしてきました.人生楽しい方がいい,充実した方がいいというのもかなり怪しげで,別に楽しくなくてもいいし,どこかで書きましたが,周りに迷惑さえかけなければ,自堕落でいい加減で自分勝手に生きていってもいいわけです.

 でも,これは,私がこれまであまりに「つまんなくない」人生を送ってきたからかもしれません.大変でしたが,ほんと最高に楽しかったですからね.つまり,つまんなくない人生は満喫したから,これからは違った人生,つまんない人生というのもありかもということです.

 もちろん,つまんない人生がつまんなくなったら,また,つまんなくない人生に戻りたくなるでしょう.でも,つまんない人生を経験してみなければわからないかもしれないし,つまんない人生がつまんなくなくなるかもしれません.

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02e
[全く弾かなくなりました]
(ピアノ)

 スポーツ以外の仕事以外ですが,ピアノは,全く弾かなくなりました.この日以来,全く弾いてませんから1ヶ月くらいですね.ベートーヴェンの32番の第2楽章も春祭ピアノソロ版も今は全然弾きたいと思いません.理由はよくわかりません.

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02f
[「決断」するとき]
(大学)

 また愚痴になってしまうのですが,今,主専攻主任というのをやってるのですが,ほんとに突然,それこそ明日とか来週とかに会議がばんばん入ります.私は,大学の職員で,大学から給料をもらっているので,学内業務を最優先すべきなのは,当然なのですが,これでは,学外の仕事の予定が全く入れられません.

 学外の仕事はするなということなんでしょうか.でも,私の中で最重要なのは,再三書いているように,「地震動の性質と建物被害の関係を探求し,それを地震災害軽減に結びつけて社会に還元する」ことで,特に後半の社会に還元することにおいて,学外の仕事はとても重要です.対照的に,学内の仕事は,学生の研究指導以外は,もうほとんどこれと関係ありません.そんなことになるのなら,「つまんない人生」の方がまだましにさえ思えてきます.

 「決断」するときは,意外に早くやって来るかもしれません.

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02g
[やっぱり何か変]
(生き方)

 何か変だとずっと書いてきました.それで,先月からのこのサイトの記事を読み返してみたんですが(それにしてもすごい量だ.でも,やっぱり書くより読む方がしんどい),やっぱり,何か変ですね.自分で自分のことを変だと気づくことは難しいと思うのですが,過去に書いた記事を読むとそういうことが客観的に見られるということにも気づきました.

 でも変なんですが,何が変なのか,どうしたらいいのかは,わかりません.そう,どうしたらいいのかわからなくなってるんだと思います.

 自分にとって一番大事なことができなくのなら大学を辞めると言っても,実際に辞めたら益々できなるなるでしょう.つまり,大学を辞めるのなら,別の道を考えることが必要なわけで,自分にとって今一番大事なことを捨てないといけないということですね.

 それができるかできないか,なんですが,定年のときは,どのみち捨てないといけないので,時間の問題という気もしないでもないですが,逆に言えば,10年でも長くできるのなら享受すべきとも言えます.うーん,やっぱりわからない.

 いずれにしても,10年前と同じように,もう相当煮詰まってる(本来と違う使い方)のは,間違いないでしょう.実際,10年前も相当変だったと思いますし,実際,大学を辞めることも考えていました.そして,どうにもならなくて,ここに移籍してきました(そして,それは大正解だった).

 今回がどういう形になるかはわかりませんが,やっぱり,ここ4年(5年からもう1年減った)のうちに確実に何かが起こる(起こす)んだと思います.

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02h
リタイア
(生き方)

 また変なことを書いてしまうことになると思うのですが,4年後リタイアすることを前提に考えて行こうと思っています.とにかく今の状態では,暗澹たる未来しか思い描けず,元気が出ません(そういう状態で活動度的には絶好調?というのは,一体どういうことだ?).つまり,どう考えたら元気が出るかと考えたとき,そう考えたら少し元気が出ることに気がついたということです.

 もちろん,それまでに「地震動の性質と建物被害の関係を探求し,それを地震災害軽減に結びつけて社会に還元する」ことをやらせてくれるところがあれば,喜んで行きますが,そんな話があるとは限らないので,それならば,そういう話がないことを前提に「準備」しておく必要があるということです.

 既に書きましたが,今の仕事ができるのは,どのみち定年までの話なので,4年後リタイアするとしても定年が10年早くなるという単なる「時間の問題」ですし,長い老後になるかもしれないことを考えれば,その長い老後を充実させるために早めに準備しておく方がいい面もあるでしょう.

 具体的には,やはりまずお金ということになります.4年後というのは,今いる,あるいは,これから来たいと言ってくれてる学生達を責任もって卒業させられるということと,私が就職して25年,つまり,年金受給資格が得られるということがあります(大学院博士課程まで行ってから就職したので普通の人より大分遅い.でも1年計算を間違えていたので,正確には,あと3年で受給資格は得られる).

 最低限必要なお金は,衣食住ですが,衣は,仕事をしないのであれば,ちゃんとした服を着る必要もないですし何とかなるでしょう.最近の服はほんと「もつ」ようになってきていて,私が今着ている服も,へたしたら10年くらい着ているものもあります.

 住については,リタイアしたときに「終の棲家」を購入すればいいでしょう.どのくらいの家をどこに買うかは,リタイアしたときの蓄えと退職金次第ですが,下は東京近郊でも500〜1000万くらいからあるようですから,これも大丈夫でしょう.問題は,Aベノミクスでインフレが起こってしまった場合ですが,これは,一応,対策を打ちました.

 最大の問題は,やはり食ですね.既に書きましたが,家を買っておくというように事前にまとめて買っておくことができません.キャッシュフローが重要というのもそういうことです.つまり,年金がもらえるまでの10年間の食費をどうするかですね.もちろん,食べるだけでは生きて行けませんから,食も含めて人間的な生活をしていくのに最低限必要なお金ということですね.細かい話ですが,家を買えば,固定資産税もかかりますし.

 でも,どうでしょうか? 住む家があれば,月10万円もあれば,何とかなるのではないでしょうか? 10年だと10x12x10=1200万円です.その位なら,家を買っても残ってるでしょうし,心配なのは,やはりインフレですが,これも上で書いた対策を打っておくことである程度リスクマネージメントできそうです.

 そもそも,体が動けば,足りない分は,働くこともできますから,やっぱり,重要なのは,健康ということですね.病気になれば,膨大な費用もかかります.そういう意味では,ストレスで体を壊す前にリタイアするというのは,とても理にかなっています

 つまり,経済破綻とか首都直下地震で首都圏壊滅とかいう事態が起きなければ,お金はなんとかなりそうということです.そういう計算は,既にしたことがあるのですが,40ではまだ全然だめだけど,50を過ぎてやっと可能になったということで,やはり,「50」という節目はいろんな意味で大きいものなんだなあとあらためて思います.

 あとは,仕事に代わる「退屈しのぎ」ですね.これが最大の問題だと思っていたのですが,どのみち定年が来れば,生じる問題なので,これも時間の問題,つまり,考えて解決しないといけないことなので,早めに対処しておく方がいいでしょう.

 考える時間も4年ありますし,何となくですが,何とかなりそうな気もしてきました.新生活を始めて思うのですが,身の回りのことをしっかりやるのは,存外大変で時間もとられますし,でも,その分,充実感もありますし,お金の節約にもなります

 そして,ここで,人生や世の中のことを考えて文章を書くことは,仕事がなくなれば,ネタは1つ減りますが,それこそ生きている限りは,ネタは尽きないでしょうし,仕事以外にやってることも含めて,充分楽しんで行けそうです.

 ということで,こうして整理して書いてみて,何とかなりそうな気がして,少し元気が出てきました.もちろん,定年まででも「地震動の性質と建物被害の関係を探求し,それを地震災害軽減に結びつけて社会に還元する」ことができれば,それに越したことはないですが,それができなければ,というか,このままではできなくなるので,4年後リタイアしようと思えばできるようにしっかり準備しながら行動して行こうということです.

 繰り返しになりますが,「地震動の性質と建物被害の関係を探求し,それを地震災害軽減に結びつけて社会に還元する」ことができるようなことがあれば,もちろん,喜んでやりますが,それは,超ラッキーなことで,でも,運に委ねるわけには行かないので,そうでなくても大丈夫なようにしっかり準備しておこうということです.

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02i
[被害があるかどうかの簡単な見方]
(地震防災)

 さっき,北海道で最大震度5強の地震がありました.研究室では,地震発生直後にどこでどのくらいの被害が出ているかを推定するシステムの開発を行っているのですが,被害の面的分布を計算するのに30分くらいはかかります.そこで,簡単に,それこそ数分で被害があるかどうかがわかる方法を紹介しておきます.

 地震が起こると防災科学技術研究所のK-NET即時公開サイトにすぐにデータは,公開されます.該当する地震を選択すると,上から地動最大加速度や計測震度が大きい順に観測点が並んでいるので,上の方の震度が大きい波形を選ぶと右に波形や応答スペクトルが描画されます.

 今回だと,K-NET厚床とK-NET浦幌が震度5強ですね.この二記録のスペクトルがこうなっていて(上がK-NET厚床で下がK-NET浦幌で,それぞれの中で上が速度で下が加速度)↓

 

 

※防災科学技術研究所のK-NET即時公開サイトから掲載したものです

 1-1.5秒震度の算定式

 I1-1.5=1.29*log(A1-1.5)+2.02
  ここで,A1-1.5は,1-1.5秒の5%減衰の加速度応答

に代入すると,だいたい,1-1.5秒加速度応答と1-1.5秒震度の対応が

 5.5=1.29*log(500)+2.02
 6.0=1.29*log(1200)+2.02
 6.5=1.29*log(3000)+2.02

なので,上の加速度応答スペクトルの1-1.5秒の範囲を見て,だいたいどのくらいかを読み取ればいいわけです(厳密には,水平2方向ベクトル和なので,少し大きめに見積もる必要があるが,まあNSとEWの大きい方でいいでしょう).

 今回の場合は,K-NET厚床が100cm/s/s以下,K-NET浦幌が300〜400cm/s/s程度なので,1-1.5秒震度で5.5以下,つまり,木造家屋が全壊するレベルではないことがわかります.ここの値が500を越えると被害が出ている可能性があり,1000くらいになるとかなり被害が出ているかも,ということになります.

 ちなみに,1995年兵庫県南部地震(阪神・淡路大震災)のJR鷹取でこの値は2000程度で,震度7を記録した2011年東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)のK-NET築館は,500以下でした.

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2/3'13
そういう生き方
(生き方)

 4年後にリタイアする,正確にはリタイアせざるを得なくなったときリタイアできるようにしっかり準備しておくと考えると少しは元気が出たのですが,まあ「少し」ですかね.でもこれから何か新しいことを始めるってわけでもないですから,仕方のないことでしょう.

 もちろん,リタイアせざるを得なくなったときリタイアできるようにしっかり準備しておけば,何か新しいことを始めることもできるわけですが,基本的には「そういう流れ」なんだと思います.それは,やはり歳をとって衰えて行くことをしっかり受け止めて準備しておく必要があるということです.もっと,端的に言ってしまえば,世の中から必要とされなくなって行くことをちゃんと自覚すべきということです.これができずにしがみつく年寄りは,「偉くなってしまった」人にとても多いです.

 私も,地震被害で亡くなる人を減らすのに自分にしかできないことがあると思っているのですが,そんなことはおそらく思い上がりなのでしょう.ですから,社会的要請があればいくらでもやりますが,それがないのに,自分からしゃしゃり出て行って何かしようと言うのは,若い頃はやりましたが,今はもう違う気がします.逆に言えば,若い人は,若気の至りで,どんどんやって欲しいと思います.

 もっと,範囲を広げれば,世の中全体を見ていると,どんどんおかしな方向に進んでいます.それはもう確信に近いものですが,私に何ができるわけでもない.それこそ,このサイトに書くくらいのことでしょう.

 世の中が進むべき方向に進んで欲しいという思いは,非常に強いのですが,もう誰にも止められない状況を見ると,自己防衛も必要になってきて,逆にそれに乗っかることも重要になってきてしまいます.大いなる自己矛盾が生じてしまうのですが,やり直しがきかない人生の終盤を迎えるに当たって,それも仕方のないことなのでしょう

 そして,それは,地震防災についても同じことなんでしょう.ですから,私が正しいと思うことは,発信し続けて行きますが,それ以上のことは,社会的要請がなければ,やることはありません.

 冒頭で,元気が出たけど「少し」と書きましたが,それでいいんだと思います.これからは,今までのように何かに取り憑かれたように全力で走り続けるのではなく,社会的要請(社会全体の利益に繋がること,即ち,地震動の性質と建物被害の関係を探求し,それを地震災害軽減に結びつけて社会に還元するようなことができること)がなければ,自分が世の中から必要とされていないことを素直に受け入れてリタイアすることも念頭において,クルージングするように生きていけばいいのだと思います.

 「そういう生き方」もできるようになっておくことが究極の「準備」かもしれません(特にある程度成功した人にとっては).定年でいきなりクビになってからでは,ハードランディング過ぎて間に合わないと思います.

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03b
お金を運用する力
(経済)

 ここ数年,50という節目を過ぎて,いろんなことに関して考え方が激変することが多いのですが,その1つにお金があります.もちろん,お金なんか必要以上にあってもしょうがないとか,基本的な考え方は,変わらないのですが,もう少なくとも自分が死ぬまでは,今の世の中は変わらないと思うと,ある程度,現在の歪んだ資本主義社会に対応して,もっと言えば,乗っかって利用して行くことも必要になります.

 これまでずっと,どんなに少なくてもキャッシュフローが大事,そのためには,世の中の役にも立ってキャッシュフローが得られて究極の退屈しのぎになる仕事をすることと書いてきました.でも,これから歳をとり衰えて行くことを考えると,仕事をしてキャッシュフローを得ることは,とても難しくなります.そこで,重要なのは,お金を運用する力なのかなあという気がしています.

 何度も書きますが,貯蓄ではだめです.それは,経済状況が変化するからです.つまり,そういう経済状況の変化に対応できることがお金を運用する力ということになります.最近は,あなたの大事な資金を運用しますという信託銀行のCMもよく見ますが,自分の大事な財産を誰かに預けられますか?

 考えてみたら,例えば,スポーツ選手なんかは,その世界で成功して巨万の富を築いても,そこから先のお金の運用はとても大事なことです.普通の人だって,働ける間は,稼ぐことはできても,歳をとって働けなくなった後,稼いだお金をどう運用するかは,これだけ平均寿命が伸びてる中で,とても重要でしょう.もちろん,年金はありますが,これも相手が国というだけで,誰かに資金運用を任せていることには,変わりありません.

 資金運用というと,何か金の亡者みたいな感じが(私は)してしまいますが,体が動かなくなっていく年寄り,あるいは,体は動かなくてもまだまだ脳力はある,でも定年が来たらクビになってしまうという今の社会システムの中で,脳力がある年寄りが対抗していけるほとんど唯一の手段がお金を運用する力かもしれません(もっと言えば,そういうものがあってよかったと逆に歪んだ資本主義社会に感謝するくらい?)そういう意味では,体が健康であることに加えて,脳力をキープすることもとてもとても重要ですね.

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03c
最後は結局,生活する力
(生き方)

 まあ,世の中でどんなに成功しても,何かの分野で第一人者となったとしても,最後は,結局,生活する力,もっとシンプルに生きる力がものを言うということなんでしょう.どんなに大きな会社の社長だったとしても,ある分野の第一人者だったとしても,リタイアしてしまえば,ただの老人です.

 そこから物を言うのは,そんな過去の栄光ではなく,生活していく,生きていくというもっと根幹的な,でも平凡な力なんだと思います.女性が長生きなのは,生物学的なこともあるでしょうが,そういう生活力が圧倒的に男性よりあるからなのでは,とは,どこかで書きました.

 もちろん,成功して財をなしていれば,ある程度お金で解決もできますが,お金にものを言わせるのは,やっぱり格好悪いし,最後の最後は,結局人も付いてこないし,あまりお金がなくてもたくましく自分の力で生きている生活力がある方がやっぱり強いと思います.私がずっと感じてきた「たった1つのことに打ち込む」強烈な違和感もそういうことだったのかもしれません.

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03d
教育
(世の中)

 教育って何ですか? この先生に習って言われる通りに勉強したら東大に入れること? この監督に教えてもらって言われる通りにトレーニングして練習したらオリンピックで金メダルとれること? んなわきゃないでしょ.そんなのロボットと同じで.先生や監督がいなくなったら,自分では何もできない人間にしか育ちません.

 教育とは,自分で考える力を養わせることであり,そのためには,まず,自分で考えるということを教え,自分で考える機会を与えることです.つまり,教えないことも必要なのです.

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2/4'13
[春祭ソロ版]
(ピアノ)

 ピアノなんですが,ちょっと弾いてみました.弾いたのは,インターネットで転がっていた春祭ソロ版です.

 驚きました.というか,愕然としました.私が30年くらい前に編曲したものとほとんどとは言いませんが,9割方は,変わりません.つまり,編曲としては,これで充分でしょう.

 当然のことですが,もう全く弾く気がなくなりました.

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04b
[あら]
(大学)

 今,法人カードというか,会計上のことで困ったことがあって,事務の人といろいろ相談しているのですが,あれもだめこれもだめというお役所対応で,要は,全然,相談になんか乗ってくれません.

 でも,ここにいるのもあと何年とか思うと,まあ「許せる」ものです.ずっといるしかないなら,今いるところを肯定しようとするものですが,そうでなければ,どんどんいろんな「あら」が見えてくるものです.そして,それは,自分の置かれている環境とか専攻とか大学も同じです.

 人生所詮退屈しのぎじゃないですが,やっぱり,一度全てをリセットして,一番下の最低ラインからものを見るというのは,大事なんだなーと実感した次第です.

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04c
[その後]
(経済)

 その後どうなったかですが,予想通り,大きく上に動いてきました.日経225やTOPIXは,大したことないですが,中小証券(+連動する金融セクタ)の値動きはやはり半端ないです.でも,やっぱり,みずほFGの値動きが何でこんなに軽いのか不思議です.でも最近に限って言えば,三菱UFJFGや三井住友FGもかなり動いてるみたいですね.

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04d
[じゃあ]
(ピアノ, 生き方)

 じゃあ,ベートーヴェンの32番のソナタの第2楽章は,どうかと言うと...これも全く弾く気がなくなりました.そりゃー,弾きたけりゃ弾きますから,全然.弾いていないってことは,弾く気になれないってことですよね.

 ということで,弾く曲がなくなってしまったんですが,人生が終わることを表現した(と私が勝手に解釈している)ベートーヴェンの32番のソナタの第2楽章を弾く気がなくなったということは,やはり,人生がまだまだ続くと思い始めているということなんでしょう.

 確かに,ここのところ,ずっとこれからどうして行くかを考えていて,社会的要請がなければ,4年後にリタイアできるように準備しておくという結論に到達して,現実的に考えれば,社会的要請なんてない可能性の方が高いわけで,そうすると,リタイアすることになるんですが,それはそれで,新しい何かが始まる,つまり,人生は,まだまだ続く感じはします.

 でも,へたしたら,超長い老後になるかもしれず,30代のときに感じたしんどさも感じないでもないですかね.でも,一度経験したことですから,今度は,うまくやれればと思います.

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04e
[考え続ければ結論は出る]
(生き方)

 あと思うのは,「考え続ければ結論は出る」ということでしょうか.ここ数ヶ月,あるいは,数年,相当迷走したと思うんですが,それなりの結論に到達することができました.もちろん,これがいいのかどうかは誰にもわかりません.でも,全ては137億年前的には,どうなっても唯一無二の一本道ですし,結論ということは,それなりに納得しているということです.

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2/5'13
[受け入れる覚悟]
(生き方)

 もちろん,どうなるかはわからないのですが,「決断」しただけで,いつも見ている大学内の風景やつくばの街がもう違って見えます.でも,やっぱり,「やってやろうじゃないの」というまでの元気は出てきませんね.いくら,定年になれば同じこと,つまり,時間の問題とは言え,自分が社会から必要とされないというのを受け入れる(ことになるのかどうかは,わからないが,そうであることを思い知らされることになるかもしれない)のは,辛いものです.

 でも,やっぱり,時間の問題なんだと思います.それを何年かかけて徐々に受け入れていく,覚悟をしていくということでしょうか.

 定年間際ってこういう心境なんでしょうか.みんなすごいなー.やっぱり,歳をとって衰えて行く中で生きていくって,とても大変なことなんだと思います.

 繰り返しになりますが,今いる学生達,これから来ようとしている人達には,全く何の影響もないようにしますから,全く何の心配も要りません.むしろ,面倒を見なければいけない学生達がいるということが心の支えと言ってもいいくらいです.そもそも,リタイアできる「準備」をしておく,受け入れる覚悟をして行くということで,リタイアすると決まったわけではありませんからね.

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 というように考えていると,さすがにブルーになるのですが,考えてみたら,社会全体から必要とされている人なんて,どのくらいいるんでしょうか? ほとんどいないんじゃないですかね.ていうか,究極的には一人もいないでしょう.だから,みんな程度の差こそあれ,既得権にしがみついてるんだと思います.

 逆に言えば,私が一組織ではなく社会から必要とされず,リタイアすることになったとしても,別にそれが普通というか,むしろ,既得権にしがみつかず,リタイアできる「準備」ができていたと誇れることかもしれません.

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05b
[ゼロベース]
(生き方)

 4年後リタイアしようと思えばできるように準備しておこうと覚悟を決めると,いわば,ゼロベースで物事を考えることになるので,いろんなことに気づかされます.例えば,これもどこかで書いたと思うのですが,今研究していることは,これで飯が食えるからやってるけど,じゃあ,これで飯を食う必要がなくなってもやるか,とか.

 もちろんやる,と言いたいところですが,なかなか微妙かもしれません.それは,それで飯が食えないくらいならやらないという程度にしか興味をもっていない,ということではなく,やっぱり,単なる興味という以上に,社会と繋がってるからだと思います.研究成果が実際に地震で亡くなる人の数を減らすことに繋がるかもしれないし,ていうか,そういうつもりでやってるし,私が単なる興味でやるより,最先端の研究という格好の材料を使って,学生達が大きくスキルアップしてもらう方が遥かに社会にとってプラスでしょう.

 ですから,今の環境は,やはり貴重で,それを+10年でもキープできるのなら,やるべきなのかもしれません.でも,現状では,どんどんそれができなくなっている.つまり,八方塞がりなのですが,塞がっているのなら,風穴を空けないといけませんよね.そのために,リタイアもできるように準備することで,ゼロベースで考えてみる,あるいは,実際にリタイアできる状況になっていれば,おそらく,怖い物なしですから,思い切った行動がとれるかもしれない,少なくとも可能性は広がるんだと思います.

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2/6'13
[ゼロベース(つづき)]
(生き方)

 ゼロベースで考えると,いろんなことが見えてくるのですが,やっぱり,4年後であれ,14年後であれ,仕事という最高の「退屈しのぎ」なしに,何をして「退屈しのぎ」をして生きていくかは重大な問題です.もちろん,仕事を続けるという考え方もありますが,現実的に考えれば,多少の「延長戦」は,あっても,死ぬ直前まで続けるのは,非常に難しいでしょう.

 そうすると,食べて行くために働かなくてもいい,というゼロベースで,何をやるか,やりたいか,やらなければならないかを考えることになります.言い方を変えれば,やりたいことは(そんなにお金がかからないのであれば)何でもできる,ということです.

 でも,人間,自由になればなるほど不自由になりますから,何でもできるという条件下では,逆に何をやるか決めるのは難しいでしょう.それに,今と10年前の状況や体の具合などを考えるとわかるのですが,今はこれがやりたいと思っていても,10年後,20年後には,もう状況も体の具合も違いますから,思うようには行かないでしょうね.

 でも4年,あるいは,14年かけて,ある意味ゆっくり(1年に1%歳をとる≒衰えると言われている)変化していくので,その中で判断していけばいいのでしょう.逆に,その変化に無頓着でいて,ある日突然,10歳としをとったとならないように気をつけることですね.

 そういう意味では,もう準備を始める,何をするか,どうやって生きていくかを考え始めるのは,やはり,重要なことだと思います.

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06b
[ある日突然]
(生き方)

 上で書いたことと矛盾するかもしれませんが,やはり,「ある日突然歳をとった」ような錯覚?というか違和感がものすごくあります.私の中というか気分としては,ずっと30代のままなんですが,気づいたら50過ぎみたいな感じです.

 でも,これは,多分,30代以降,必死で走ってきた,それだけ頑張って来たからなんだと思います.でも,こう書くと,そんなに頑張った気もしない,楽しくやりたいように好き勝手やってきただけのような気もする.やっぱり,何とも不思議な感覚です.

 でもやっぱり,ある日突然,定年を迎えて,一体今まで何をしてきたんだろう,というようにはなりたくないですね.

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06c
[踏み上げ]
(経済)

 その後ですが,更に大きく上げてきました.踏み上げ相場が始まったのかもしれません(もちろん,これからどうなるかはわかりません).でもやっぱり,みずほFGの値動きは,中小証券並みに軽い...

 踏み上げ相場というのは,どこかで書いたと思いますが,相場は,売り手と買い手の戦いで,玉がなくなると背に腹は変えられず借金(信用取引)してまで玉を補給するわけです.でも,それでも形勢が変わらず,もうこれ以上借金できないとなると,相場観にかかわらず,手仕舞いをしなければならなくなります.手仕舞いは,相場観と逆の行為ですから,売っていた人が買いたくないのに買わないといけないので,売り手も買う,買い手も買うとなって,ものすごい上昇になるわけです.

 ですから,売り手と買い手の戦いの雌雄を決するのは,結局は,資金量ということになり,関ヶ原ではないですが,結局,ほとんどの人は,勝ち馬に乗ることが全てということになります.

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06d
[年度内会計処理]
(大学, 経済)

 この件ですが,事務方が方策を考えていただいて対処していただきました.基本的には,私のミスだったので,対応していただいて,ありがとうございました,お手数おかけしました,と言う以外ありません.

 でも思うのは,年度内会計処理とか,いろいろ意味のないお上のルールが多すぎる気はします.でも,予算を年度をまたいで持ち越すと,景気に悪?影響はあるでしょうね.そもそも,予算を消化しないと必要ないと判断されて予算が減らされるのでむりくり使うというのも変な話です.

 でも,これがあるから,景気がもっているという側面もありますし,だから公共事業が景気回復に効くみたいなこともあるんですかね.何度も同じことを書きますが,経済とか景気って,結局,どんだけ無駄なことをするかという側面はありますからね.

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2/7'13
必要以上のお金は要らない
(生き方)

 最近,これからの生き方の根幹に関わるような議論になってきたので,タイトル付きの記事が続いてしまうのですが...(もちろん,私個人的な事情であって,読む人の知ったこっちゃない話ですが)

 必要以上のお金は要らないと再三書いて来ました.でも,「必要」ってどういうこと?とか考えてみたらよくわからない話ですよね.

 もちろん,いくら必要かは人それぞれでしょう.例えば,家は狭いよりは広い方がいいとか,通勤が1時間かかるよりは30分で済む方がいい,具体的には,田舎より都心がいい,更には,国産の中古車より新車の外車に乗りたいとかブランド物のバッグが欲しいとか考えると,お金があるのならいくらでもあった方がいいってなりますよね.

 ですから,もちろん,人それぞれなんですが,私にとっては,ここまでは,必要だけど,これ以上は要らないというのが,割と明確なんですよ.そして,そういう人は,結構いるんじゃないかと思っています.

 例えば,家は広ければ広いほどいいとは全然思っていません.もちろん,極論を言えば,例えば,100億円あってそれを家を買うことに使わなければいけないとなれば,家の中にみんなが集まれる小さなホールを作ってグランドピアノを置くとか,トレーニングができるバドミントン一面分のコートを作ってしまうとか,ゴルフの練習場を作ってしまうとかできますけど,別にそこまでは要らないし,だからこそ,公共の施設があるわけですよね.車だって,国産の中古車で充分だし,ブランド物なんか全く興味ありません.

 家なら,一人暮らしなら,60平米もあれば充分じゃないですか? 私の場合,グランドピアノがなければ,40平米,あるいは,極端な話,ワンルームでも全然OKです.広くても掃除が大変だし光熱費もばかになりません.もちろん,お金が腐るほどあるのなら,関係ないかもしれませんが,家の中にお手伝いさんとか業者が入ってくるというのが私は嫌だし,そもそもずっと書いてるように,自分の身の回りのことくらい自分でしっかりやるのが気持ちいいし当たり前だと思うんですよね.

 食べ物だって,高いお金出して高級料理を食べたいとか全然思いません.食材は,そこら辺で普通に売ってるもので充分で,外食だって,ちょっと旨い定食屋の定食以上に旨い飯なんてあるのでしょうか? あるのだとしたら,その人の体がおかしく(不健康に)なってるんじゃないかと思います(そこまで書くこともないか).そもそも,健康で腹が減れば何でも旨いっていうのが最高ですよね.

 飲み代は,私は,普段全く飲まないので,基本的に不要で,月に数回くらい,話ができてわかり合える友人達と飲んでしゃべれれば,充分です.でもこれは,月数万円必要ですかね.

 あとは,何だろ? これも既に書きましたが,海外旅行(国内旅行も)に行きたいとも全然思いません(ただし,これは,出張で相当いろんなところに行ったし,外国で生活したこともあるので,それで満足しているってことかも).

 コンサートとかも昔は行ってましたが,最近は,ほとんど行かなくなりました.本もCDももうほとんど買いません.私は,「音楽鑑賞」という趣味はなくて,曲を聴くのは自分が弾く曲探しですから,最近は,インターネットがあれば,ほとんど事足ります.

 ですから,PCとインターネット回線は,必要ですね.これは,去年散々検討してきてWiMAXとbmobileの併用で,携帯代も含めて月4000円以下で済みます.PCとインターネット回線は,私の精神活動で最も重要な「アウトプット」に,必須のものですからね.あとは,とーきどき服を買って,光熱費,交通費,食費以外の生活必需品,保険(は全労済で格安)や年金もらえるまでの保険料くらいでしょうか.

 こうして書いてみると,なんてお安い(^^;と思われるかもしれませんが,こんな私にもこだわるところは,いくつかあって,1つは,できれば,都心に住みたいということです.でも,調べてみればわかりますが,そんなに広くなくてよくて,東京のど真ん中でなければ,リーズナブルな物件(新耐震以降で耐震性が高い低層建物で家賃7,8万以下で)はいくらでもあります.

 後は,今は,週何回かバドミントンができて,年に*日くらいスキーに行けるのと,いっしょに行く人がいればゴルフも年に何回か行ければいいかな.スキーの道具は,昔,準指を受けていた頃は,1年おきとかに買い換えていましたが,今はもう10年くらい使ってます(^^;.今は防音室付きのグランドピアノを家に置いているので,できればこれもキープしたいですが,正直もうそんなに弾いてないので,高性能?の電気ピアノでもいいです.車はあってもいいですが,なくてもいいです(使うときはレンタカーで充分).

 こうして書いてみると,ちゃんと計算したわけではないのですが,月20万もあれば,充分やって行けるんじゃないかと思っています.でも,今私がもらってる月給は,これを遥かに超えます(とか書かない方がいいと思いますが,まあわかりますよね).

 そうすると,私がもらってる月給−20万のお金は,必要以上のお金ということになります.だったら,何のために働いてんの?ってことになりますよね.少なくとも,生活費を稼ぐためでないことは明らかです.

 それは,研究するため,具体的には,地震動の性質と建物被害の関係を探求し,それを地震災害軽減に結びつけて社会に還元するため,そのことを通して,学生を研究指導して,彼らを成長させて社会に送り出すためです.つまり,これができないのなら,大学にいる意味はないことになります.

 でも,大学を辞めてしまえば,いきなり収入が0になりますから,必要な20万を稼ぐことができません.ですから,再三,給料半分,1/4でいいから,研究以外の仕事も半分,1/4ってとこはないかなと書いてるわけですが,現実的にそういうところはないでしょうね(全くないことはないようだが).

 つまり,1か0という選択しかないことになって,八方塞がりになるのですが,実は,ここに来て,それ以外の「解」もあることになってきました.それは,歳をとって,生い先短くなると,それなりに貯蓄もあるので,仕事を辞めても,それで死ぬまで食っていけないか,ということです.

 単純計算で月20万で,平均寿命のあと30年生きるとすると,必要な額は,20x12x30=7200万です.今の蓄え,退職金,年金を合わせるともう何とかなるところまで来ていることに気づかされます.もちろん,インフレなどの経済リスクはありますが,普通の人よりは,何とかそれに対処する能力は養ってきました.また,あと30年で死ねるとは限らず,長生きしてしまうリスクもあるのですが,そのためにあるのが年金ということになります(なんだかんだ言って,年金の意義は大きいし,だからこそしっかり信頼あるものにしないといけないと思います).

 ですから,もうやりたいこと(≒私がやるべきと思うこと,私にしかできないこと)ができないのなら,リタイアしてしまうということも現実的には可能になって来ているということです.もちろん,実際にリタイアするかどうかは,別問題ですが,そういう選択肢もあるということです.

 理想は,私がやりたいこと,即ち,地震動の性質と建物被害の関係を探求し,それを地震災害軽減に結びつけて社会に還元することができるということです.でも,これができなくて,必要以上のお金を稼ぐために,やりたくないこと,私でなくてもできることをやることには,もう全く意味はないと思っています.

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07b
[ようわからん]
(生き方)

 ↑という風に考えると,講義などの研究以外の,私でなくてもできる仕事が途端に苦痛に感じてきて,今日の講義がもう嫌で嫌で仕方なかったのですが,そう開き直ると,不思議と口もなめらかというか(でもいっぱい間違えたみたいだけど),ふっきれたような感じもするのです.ようわからん.

 昨日も,学生の研究指導に関して,非常に辛い思いをすることがあって,こんな思いをするくらいなら,学生の研究指導も離れて,大学を辞めることも本気で考えようとも思ったのですが,今日,研究室会議になると,学生達に伝えたいことは山のようにあるし,やっぱり楽しいんですよね.ようわからん.

 だから,こういう風に「変動」はあっても,楽しいと思えることがあれば,まだ何とかやって行けるんだと思います.変動なく,あるいは,変動はあっても楽しいと思えることがなくなったとき,なりそうなときが大学を辞めるときでしょう.

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2/9'13
[次のステージ]
(生き方)

 「リタイア」なんですが,別に人生から引退して隠居生活をするわけじゃなくて,私が大学とか専攻とかいう1つの組織ではなく,もっと広い意味での社会から必要とされていないのなら(それはそれでラッキーなので),今の仕事を辞めて,人生の次のステージに少し早めに移行するというだけの話です.

 ですから,ある意味,前向きというか,楽しみなことでもあります.ふつーと全然違うということでも,個人的には,ちょっと満足(^^;です.

 このサイトで書いてきましたが,多くの人と同じように,このまま今いる大学ですーっと定年まで行くということにずっと違和感を感じていました.私って,何の波風もなく順風満帆っていうのが性に合わないというか,実際,何度もドロップアウトしましたし,少なくとも,これまでそんな生き方はして来ませんでした.

 ちょっと危ない言い方かもしれませんが,もっと言うと,上手く行くとか成功するということにちょっと違うんじゃないかという思いもあるのです.一般的には,ほんとに楽しくていい人生だったと思って死ねたら最高だと思うのですが,そんなに楽しくていい人生だったら,やっぱり死にたくないわけですよね.でも,辛くてつまんなくて退屈な人生だったら,つまんない人生ともこれでおさらばって思えて,ちょっとほっとしますよね.

 つまり,再三,人生を終えることの二面性について書いてきましたが,成功し過ぎてもいいことばっかりでもだめなんですよ.だから,難しいこと大変なこと辛いこともウェルカムで,でもそうやって敢えて茨の道に入っていくと,結果的には,うまく行って成功しちゃうんですけど...だから,うまく行ってると,うまく行かなくなる,おかしくなることが本能的にわかっていて,敢えてそれを壊しにかかるということかもしれません.

 でも,何をやるにしても,私でなくてもできることとか,こんなのやってて意味あるのか?ということとか,やり甲斐なくてつまんないこととか興味ないことをやることで,辛い思いや大変な思いをしたいとは思わないです.

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09b
[MIT白熱教室2]
(大学)

 MIT白熱教室ですが,まだやってるんですね.でも,やっと意図がわかってきたというか,要は,内容的にどうこうということじゃなくて,目の前でいろいろ工夫した実験をやってみせる「名物講義」ってことなんですね.

 それはそれでわかるし,こういうのが面白いと思う人はいるのでしょうが,私は,こういうのを見ても別に面白いとは思わないし,こういう講義をして,学生を喜ばせたいとも思いません.でも,こうして考えて行くと,私が何がやりたいか,何をやるべきと思っていることがわかってきます.要は,やっぱり,大学で講義をすること,人にはできないような面白くてわかりやすい講義をすることは,私がやりたいことやるべきことの一番には来ないということです.

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09c
[バドミントン再考]
(バドミントン)

 バドミントンですが,一応やってるんですが,一応やってるだけという感じでしょうか.もちろん,いろいろ考えてやってはいるんですが,やっぱり体が動かないと話になりません.つまり,ある程度のトレーニングが必要ということなんですが(当たり前),正直,週2回の練習に行くのがやっとですね.ていうか,今のこの状況で,よく週2回の練習に行けてるなというか,とにかく,必死でそれだけはキープしているということでしょうか.

 それに,最近特になんですが,とにかく疲れます.練習の最初は,体が動かず,少し動き出したと思ったらもう疲れて動けなくなって,練習の翌日は,一日体がだるいような状態です.

 そんなただ疲れるだけという感じで,とにかく続けるということに何か意味があるのだろうかと考え始めました.健康のためなら,こんな激しいスポーツやめた方がいいし,これまでは,健康とか度外視して,競技力を向上させて全日本でも勝ち上がれるようにと思って,やっていましたが,今の練習量とトレーニング量(ていうか全くトレーニングしてないし)では,全日本なんてとてもとても...

 つまり,健康のために体を動かすのが目的なら,他のやり方があるのでしょうし,こんなに体に負担をかけるものではなく,技術を磨くことで競技力の向上を目指すことができるスポーツもあるのではないかと考え始めました.

 すぐに思いつくのは,ゴルフですね.これは,また年数回くらい行けることになりそうなので,ぼちぼちやろうと思ってます.あまり練習してもいけないのがちょっと厄介ですが,現状考えると丁度いいくらいかもしれません.スキーもまだまだ上手くなれそうです.これもあまり行けてないんですが,こちらもそのくらいがちょうどいいのかもしれません.

 と書いて,はっと気づいたのですが,そもそも競技力の向上を目指す必要があるのでしょうか? これまでは,それが当然と思ってやってきたのですが,そういうことを考えるとDNAがまったをかけるという妙な感覚を最近感じるようになってきました.それなら,それこそ健康のためにジョギングでも早歩きでも簡単な室内トレーニングでも何でもいいんですよね.

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2/10'13
[退職金とか年金]
(大学)

 4年後リタイアを前提ということで,退職金とか年金とかいろいろ調べているのですが,もうびっくりというか愕然とすることばかりです.そういうような話はそれとなくきいていましたが,いつの間にこんなことになってしまったんでしょうか.これじゃあ,定年まで勤めても,ほんとに「必要最低限」の生活しかできないんじゃないでしょうか.みんなちゃんと調べて準備してるんでしょうか?

 でも,こういう惨状に気づけたのも,4年後リタイアを前提に行動し始めたからでしょう.でも,ほんともう「準備」しないとまじでやばいと思います.それこそ仕事なんてしてる場合じゃない?

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10b
[居酒屋数軒で年収1億]
(世の中)

 ここで書いてる必要最低限必要なお金ですが,月20万の中で,突出してるなーと思ったのは,月に数回飲みに行って数万円,というところです.やっぱおかしいですよね.

 普段,外食しても1000円以下で済むものを,高級料理でもないのに,いきなりその5倍以上も払うわけです.飲み代5000円なら普通でしょうが,普通に食事して5000円払うことなんか滅多にありませんからね.つまり,飲み屋がいかに「ぼっ」ているかということです.どこかの居酒屋チェーンの社長が,居酒屋数軒成功させたら年収1億って言ってましたからね.

 もちろん,これも需要と供給の関係ではないですが,その値段でも払う人がいるから成り立っているわけです.つまり,みんな「騙されてる」わけですが,必要以上に仕事しすぎて,ストレス溜めて,それを酒で洗い流しているわけで,アクセルとブレーキを同時に踏んでるようなものなわけです.なんて効率の悪い社会なのでしょうか.

 でも,それでも,また,世の中は,バブルを作ろうとしています.水商売大繁盛ですね.ほんとに賢くないなーと思いますね.

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10c
[音を立てて壊れていく]
(世の中)

 4年後リタイアを前提でいろいろ調べていると,いろんなことが見えてきて,それこそ怖いくらいです.なんかこれまでのいろんなものが音を立てて壊れていくような感じすらします.一体何だったんでしょうか? 今までがあまりにも世間知らず過ぎた? と言うか,お金に無頓着過ぎた?

 もちろん,お金が全てではないですが,世の中,(残念ながら)資本主義社会なので,お金がなければ生きて行けませんし,人間,ただ,食べるだけでも生きては行けません.もうきれいごとなんか言ってないで,あくどく自分勝手に戦っていかないと,あくどく自分勝手にボロ儲けしてる奴らの食い物になるだけです.

 でも,人の心配してる場合じゃないのですが,国立大学の教職員ですらこんなだとすると,世の中の多くの人は大丈夫なんでしょうか? そりゃ,学校の先生が退職金削られる前に早期退職するのも当たり前? 年金をちゃんとフルに納めていても老後資金が3000万は足りないと言われているようですが,みんなそんなにちゃんと準備できてるのでしょうか? ていうか,今の若い人達の将来はどうなるのでしょうか? やっぱり,なんかどんどん殺伐とした世の中になって来ましたね.

 ほんとちゃんとやらないとそのうちとんでもないことになりそうな気がします.国債乱発して大借金してバブル作ってる場合じゃないでしょう.でももう誰にも止められないから戦うしかないのでしょう.

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2/11'13
[暗澹たる気持ち]
(世の中)

 さすがに暗澹たる気持ちになってきました.

 私は,やりたいこと好きなことを仕事にしたいと思って成長期を過ごしてきました.そして,やりたいことを見つけ,それを仕事にすることができました.とても幸せでした.

 しかし,その直後から,いろいろおかしくなってきます.目標を達成してしまったということもありますが,やりたいことがわからくなり,人生や世の中のことについて考え始め,いろんなことに「気づいて」しまったんだと思います.

 10年くらい迷走を続けた挙げ句(でも既に書きましたが,この10年は,決して無駄ではありませんでした),ようやくやりたいことやるべきことに辿り着き,移籍もして,この10年は,自分なりに頑張って来たと思います.ただ,自分がやりたい興味があるというだけではなく,地震災害を減らすために世の中の役に立ちたいと思ってやってきました.

 そして,今の状況です.私の何が悪かったのでしょうか? 私がやっていることは,研究と教育ですが,いくら歪んだ資本主義社会の中とは言え,こんなに評価に値しないことなのでしょうか?

 私は,人の評価を基準に行動することはないと再三書いて来ました.それは,今でも変わりません.でも,不当に評価されることには,到底納得できません.そして,いろいろ調べる中で,正直,今そう感じています.

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11b
[じゃあどうするか]
(世の中)

 でもこういう状況の中で,じゃあどうするかと言うと,しょうがないから泣き寝入り,とは,なりません.私は,人と争うのは嫌いですが,売られた喧嘩は,買わなければ,ぼこぼこにされて終わりです.

 つまり,(DNA的にどうしてもブレーキがかかるので)ちょっとですが「やってやろうじゃないの」という気にもなってきました.

 でも思うのは,20くらいのとき,30くらいのとき,40くらいのときと,だいたい10年おきに,現状に絶望して暗澹たる気持ちになってきました.でも,そのたびに人生の大転換というと大袈裟ですが,「何かが起こって」きました.だから,今はそういう時期なんだと思います.つまり,これはこれで,結構楽しんでるってことです(でも,20, 30, 40くらいのときは,とても楽しめてるという心境ではなかったです).さてさて,どうなるでしょうか?(結構他人事)

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11c
[矛盾を抱えた社会]
(世の中)

 こうして考えてみると,今の世の中,ただ単に歪んだ資本主義社会というだけではなく,人の善意とか好意とか使命感とか興味とか,そういう目に見えないものに相当依存していることは明らかです.つまり,資本主義社会と言っておきながら,全然,そうなってないってことで,ものすごい矛盾を抱えた社会なわけです.

 道は二つ,もっと徹底したドライな本物?の資本主義社会になるのか,お金に換えられないものを大事にする社会を目指すのか.

 今の動きを見ていると(残念ながら),明らかに前者に向かっています.大きな理由の1つは,みんなから少しずつ税金を集めて,すぐにはお金にならないけど大事なものにお金を分配するという役割を果たすべき政府が無能だからでしょう.つまり,どんどん無政府状態になっているわけです.

 もちろん,世の中をよくできれば一番いい.でも,もう当面は,少なくとも,次の周期である30年は,バブルを作って崩壊させるという1980年〜2010年と同じ過ちを繰り返して,下の世代に莫大な負の遺産を残すんだと思います.

 無政府状態(Aベノミクスというと,きこえはいいですが,要は,もう制御はしませんよと宣言したようなものです)ということは,誰も守ってくれない,つまり,自分の身は自分で守るしかないということです.

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2/14'13
[多くを語らず]
(生き方)

 いろいろ考えて,このサイトにアップしようといろいろ書いてもいるんですが,なかなか考えがまとまらず,まとまらないまでも考えた過程として,いつもはアップしちゃうこともあるのですが,今回は,なぜかそういう気にもなりません.でも,もちろん,何でもこのサイトで書くわけではないのですが,余計なことごちゃごちゃ書かずに,多くを語らず,ということでもいいのではないかと思います.

 ただ,1つ気づいたのは,やる気三要素で考えれば,だいたい説明がつくということでしょうか.つまり,これからどうやって生きていくかというと,やってて楽しいこと面白いことをやりたい(内的熟達),社会の役に立つことややり甲斐のあることをやりたい(人との繋がり),そして,生活していくのにお金もある程度は必要だし,あまりに評価されないのもしんどい(報酬)ということでしょうか.つまり,この三要素のバランスが大事で,少なくとも,面白くも楽しくもなく,こんなことやってどうするのというようなやり甲斐もなく,見返りもないことはやらない,ということでしょう.

 確実に言えるのは,ここ数年,遅くても4,5年の間に「何かが起こる」,何も起こらなければ,自ら「何かを起こす」ということでしょうね.現実的には,「地震動の性質と建物被害の関係を探求し,それを地震災害軽減に結びつけて社会に還元すること」ができるところを探していくということでしょうが,そういうところがなければ(生活していくお金が何とかなれば),リタイアということになるのでしょう.

 でも,50を過ぎて,突然目の前の風景が変わったと書きましたが,ここまで大転換?することになるとは,思いもしませんでした.でも,20くらいのときに,将来の進路でいろいろ思い悩んだように,また,将来に向かって,これからどうして行こうかと,人生の終盤にさしかかって,また考えることができるのは,何だかちょっと嬉しいような妙な気分です.

 そして,思うのは,20のときより選択の幅が格段に広がっていることです.20のときは,「それで飯が食っていける」ことの中から選ばなければなりませんでしたが,今回は,ほぼ「ゼロベース」で考えることができます.つまり,自分がほんとはどうしたいのかどうありたいのかがわかるかもしれないということです.極端な話,ドロップアウトして自堕落に生きていくことも可能なわけで,そうだとしたら,やっぱり,私って怠け者だったということでしょうかね(^^;.

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2/15'13
[治安]
(世の中)

 グアムで起こった凄惨な事件ですが,どうしてこんなに治安のいいところで? という報道が気になります.こういう事件は,治安なんか関係ないでしょう.実際,世界で最も治安がいいと言われる日本の秋葉原で同様の事件が起こっています.

 つまり,何年か前,コンプライアンスのことについて書いたときと同じですが,悪いことをしたら捕まるからやらない,というのは,究極的な抑止力になんかならないということです.人間,死ぬ気になったら何でもやりますし,とんでもないことをしようと思えば,治安がいいとされているところの方が警戒度が低いので,却って危険とも言えます.

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15b
[化けの皮が剥がれてきた?]
(経済)

 その後ですが,更に上昇した後,また,急ブレーキがかかってきました.今回はどうなんでしょうか? 雰囲気的にはいやーな感じもしないではないです.

 もうAベノミクスの化けの皮が剥がれてきた気はしますね.ここまでは,単なる期待感で上げてきただけですから,次々に何か出てこないとすぐ息切れしてしまうでしょう.でも,三本目の矢とか言ってますが,何か次があるんですかね?

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15c
[幸せ過ぎると怖い]
(生き方)

 成功しすぎてもだめと書きましたが,あんまり幸せ過ぎるのも怖くないですか? つまり,危うい幸福≒幸福は危ういということなんですが,私が子供を作らなかった(まだわからないが)のも(他にいろいろ理由があることは書きましたが),そういうこともあるかもと思いました.

 もし子供を得てそれを失うとしたら,(多分)もうこれ以上ないほどの不幸のどん底ですよね.でも始めから得ていなければ失うこともない.後ろ向き過ぎますかね? でも,想像しただけで恐怖に震えるほどです.精神的に弱くなってる?

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15d
[会社が金持ち]
(世の中)

 仕事で東京に来て,でかい立派なビルが建ち並ぶオフィス街を歩いていると,「会社が金持ち」だなあと思います.そりゃあもう立派な建物ばかりで,ばーんと受付があって,綺麗なお姉さんが受付している.でも,それって会社のもので,誰のものでもありませんよね.もちろん,その会社に勤めているうちは,そのメリット?を享受できるのかもしれませんが,それこそ一時的なことで,まさに,会社という巨大な化け物に人間が雇われ利用されこき使われているだけのようにも見えてしまいます.

 会社って何でしょうね.別に会社に限らず,大学とか組織なら何でもそうでしょう.組織とは,本来,人一人ではできないことをみんなで集まって頑張ろう,というものであったはずが,いつの間にか組織という得体の知れない化け物が人間を支配していて,でも人間は,そういう組織に従属することで安心してしまうのでしょう.でも,いつか必ずそういう組織を離れるわけで,そういうときに真に生きる力が問われるのかもしれません.

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2/16'13
[全然だめ]
(ゴルフ)

 先日,ちょー久しぶりにゴルフ練習場に行って,あまりに絶好調なので驚いたんですが,2週間くらい間隔を空けて恐る恐るもう1回行ってみました.そしたら...

 全然だめです.全く当たらない.何なんでしょうね? でもまあ予想された通りかな.要は,もう感覚の慣れがとれた状態がとれた,ってことですね.四角ヘッドのときもそうでした.

 ですから,「この方法」はだめってことですね.いや,2年に1回しか行かないのなら,それ以外は,全くやらないというのはありか.でも,それじゃあ,ただ2年に1回行くだけで,創意工夫して上手くなるという一番面白いところがありません.

 ですから,やっぱり普通?にある程度練習に行って,ある程度のレベルのパフォーマンスを出すようなやり方ってことですかね? でも,普通なのは,やっぱりちょっとつまらない...まあそれも含めて創意工夫ってことでしょうか.

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2/18'13
[言い張った]
(経済)

 金融緩和をやるのは,通貨安ではなく,デフレ克服が目的だとG20で言い張ったみたいですね.そんな誰でもわかる嘘というか詭弁が通用するのでしょうか? だとしたら,それはそれで驚きですけど.

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18b
[回避]
()

 大事なものを失う可能性ですが,回避されたようです.ほんとによかったです.

 でも,いろいろ考えさせられました.そして,考え方も大きく変わったと思います.もともとそういうものにはあまり興味がなかったのですが,いわゆるパワーゲーム的なものは,ほんとにもうどうでもよくなりました.

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2/21'13
[もう充分幸せ]
(生き方)

 幸せ過ぎると怖いというよりは,もう充分幸せで,大不幸になるリスクをとってまでこれ以上幸せになりたいとは思わないってことかもしれませんね.もし,今自分が不幸なら,一か八か?子供を作って幸せになろうとするかもしれませんからね(でもそんな超無責任な考えで子供を作ろうとは,やっぱり思わないですけどね).

 もっと上?の幸せがあるかもしれないのに目標が低いと言われるかもしれませんが,既に書きましたが,幸せになるのは,簡単なことで,現状に満足してしまえばいいわけです.つまり,幸せなんかは,目標にも何にもならないわけですし,そんなものは,目指してもいないということです.

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21b
[ピアノを弾きました]
(ピアノ)

 ピアノを弾きました.いつ以来だろ? 2/4に弾いたのは,2,3分で,その前の記事が2/2で,このとき1/5以来弾いてないと書いてありますから,実質,1/5以来ですかね.時々こういうことはあるし,1ヶ月以上弾いてなくても(不思議なことに)すぐに一通りは弾けます.

 で,何を弾いたかと言うと,最初は,春祭ソロ版を弾いてたんですが,途中で嫌になり,ベートーヴェンの32番は,全く弾く気にならず,どうしようかと思って,フランクのプレリュード,コラールとフーガを弾き始めたら,もう3ヶ月くらい全く弾いてないのに意外と弾けて,最後まで弾いてしまいました(最後の方は疲れてよたよただったけど).

 それで,思ったんですが,ここでも「感覚の慣れがとれてる」感じがすごくしました.つまり,ピアノプロジェの本番前に練習してたときは,とにかく「弾く」ことで頭がいっぱいで,でも,今弾くと「弾く」ことより,ちゃんと「音楽」をきくことができて,でも,技術的にもそこそこ弾けるので,テンポはかなりゆっくりで(本番前はゆっくり弾けなくなってくる),はっきり言って,ピアノプロジェの本番より遥かに「いい演奏」だったと思います.

 でも,やっぱり,弾けなくなってるところもあるし,指も動かなくなってるし,それで,練習したらまた「感覚の慣れ」が出てきてしまうんでしょうね.なかなか難しいものです.でも「こういうやり方」もあるかも,と思いました.

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2/23'13
これからどうやって生きていくか
(生き方)

 ここのところこのサイトでずっと書いているように,これからどうやって生きていくか,具体的には,今の仕事をリタイアして何十年も続くかもしれない「老後」をどうやって楽しく気分よく充実して生活していくかをずっと考えています.

 1つ言えるのは,これからどうやって行こうかと考えるのは,楽しいということです.人間やっぱり「未来」のことを考えると楽しくなるように脳に書いてあるということでしょうか.

 そして,どうしていくかもだんだん煮詰まってきた(正しい使い方)ような気がします.それは,

 1.歳をとり衰えて行くということを素直に受け入れて,それに逆らわないということ,
 2.自分の身の回りのことは自分でやってしっかり生活していくということ,
 3.そのためには,無理せず健康に留意するということ,そして,
 4.最大の問題である,仕事を失った後の退屈しのぎについては,歳をとり衰えて行くということを踏まえて,考えて行けばいいということ


です.

 1.は,随分苦しみましたが,ようやく少しずつできるようになってきたと思います.2.は,とある事情によりつい最近始めたばかりですが,こんなに楽しく気分がいいことだとは思いませんでした.3.は1.とも関係しますが,大分できるようになりました.

 最大の懸案である,4.ですが,上に書いてあるように何年かかけてじっくり考えて行けばいいと思います.思い返せば,理論物理学者を志して東大に入り,入学直後に田無の宇宙研までわくわくしてききに行った素粒子物理のゼミで大失望して進路を見失い,その後,やること探しをして建築構造に辿り着いたようなことをまたやればいいだけの話です.

 しかも,当時は,「それで食べて行けるもの」の中から選ばざるを得ませんでしたが,今回はそういう制限も全くありません.ですから,私が本当は何がやりたいのかがわかるのかもしれませんし,それはそれでとても楽しみなことです.

 もちろん,仕事(地震動の性質と建物被害の関係を探求し,それを地震災害軽減に結びつけて社会に還元すること)も含めて今やっていることを続けるということも考えられます.ただ,仕事以外については,1.を考えると,スポーツは,死ぬ間際までという具合には行かないでしょうね.そういう意味では,「人生や世の中などいろんなことについて考えること」,つまり,このサイトは,死ぬ間際まで続いていくんだと思います.

 そして,最終的には,体が動かなくなって行くことを考えると,やることは,やっぱり「研究」かなあという気がしています.研究対象は,パチンコや競馬でどうやって勝つかでも,これから株価がどう動くかでも何でもいいです.地震動の性質と建物被害の関係,人生や世の中のことは,既に研究対象として研究していることになります.ピアノならどうやって上手くなるか,スポーツなら,どうやったら強くなるか研究してるわけです.将来,どこに住むか,つまり,住みたい街を探しているとどこかに書きましたが,それも研究ですね.

 そうやって,やりたいこと,興味をもったことを次々に「研究」して行けばいいんだと思います.

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23b
[男おひとりさま道]
(生き方)

 上野千鶴子さんの「おひとりさまの老後」で気になる記述があって,具体的には,

「モデル退職者」ともいうべき幸せなポスト定年ライフを送っている男性退職者だちを,関西の大企業の依頼で調査したことがあるが,彼らに共通しているのは,40代から早めに助走をはじめて,定年後にソフトランディングしていることだった.うらがえせば,人生半ばにして会社とは距離を置いて仕事と半身でつきあい,地域活動や趣味に「もうひとりの自分」を見いだしてきたのである.その結果として,あるいはそれが原因かもしれないが,彼らは職場でたいして出世していないこともわかった.

というところです.それで,インターネットで調べていたら,「おひとりさまの老後」の続編?の「男おひとりさま道」という本があることがわかりました.

 私は,再三書いているように,本はもうほとんど読まないし,自分で自分のことをあんまり「男」と思っていない私としては,「『男』おひとりさま道」というタイトルもいやーな感じがしたのですが,既に文庫本になっていて,講演の仕事で謝礼とは別におまけにもらった図書カードがあったので,買って読んでみました(590円なり).

 結論から言うと,書いてあることは,私の中では,既に当たり前のことばかりで,これからどうやって生きていくかについて,特に何か新しい発見はありませんでした.言い方を変えると,書いてあることは,どれももっともなことだということです.ただ,在宅介護にいくらかかるかなどの具体的データは,参考になりました.上野さんは,金持ちより人持ちになろうと言っていましたが,むしろ,やはり必要なお金は必要という気がしてしまいました.

 それで,「モデル退職者」のところですが,p.100あたりから書いてあります(そこまで辿り着くのが長かった...ていうか,読み飛ばした.やっぱり「本」にするのに余計な部分が多すぎる).

 で,思ったのは,この人達は,私にとって「モデル退職者」ではないということです.要は,一般の人向けの最大公約数的なことが書いてあるということでしょう.つまり,本に書いてあることをそのまま鵜呑みにするのではなく,自分の頭でしっかり考えましょう,ということですね.

 でも,もしこの本に書いてあることが当たり前でない(らしい.ほとんどの男にとっては)としたら,大問題でしょうから,読んでみたらいいのではないかと思います.

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23c
[最終的には]
(生き方)

 「男おひとりさま道」は,歳をとりどんどん動けなくなって,最後は要介護者になるということが前提で,かわいげのある男になって女友達を作って面倒を見てもらいなさい,ということだったのですが,私はそうしようとは思いません.もちろん,人との繋がりは大事ですが,基本的には,一人で身の回りのことはちゃんとやって行きたいです.

 そのためには,3.が重要で,要介護者にならないこと,そのためには,老前に仕事をし過ぎて体を壊さないことも大事とは既に書きました.つまり,しっかり体のケアをして,どんなに歳をとっても自分一人で何とか生活して行けるようにすることを目指したいと思っています.一見すると1.に反するようですが,歳をとることに逆らうのではなく,うまくつき合うことでこそ可能になることでしょう.

 でも,最終的には,やっぱり体は動かなくなるでしょうね.でもどうでしょうか? 体が動かなくなると言っても,食べることと排泄することと移動することさえ自分でできれば,何とかなるのではないでしょうか.移動することは,歩けなくなっても車椅子なら何とかなりそうですし,今から2,30年したら,もっと便利な文明の利器ができてるかもしれません.つまり,これは,「男おひとりさま道」にも書いてあったのですが,食べることと排泄することが死ぬ間際まで自分でできれば,尊厳をもったまま死ねるのではないかと思いました.

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2/24'13
[モデル退職者]
(生き方)

 私にとって彼らがモデル退職者でない理由ですが,人との繋がりは大事にしつつも,最低限の自分の身の回りのことは最後まで自分でできることを目指したいということがあります.そして,私は,会社や組織で偉くなるとか,研究なら業績をあげてcitation indexがいくつとか,何とか賞をもらうとかいういわゆるパワーゲームには興味がないですが,研究者である以上は,研究対象について,とことん追求して行きたいです.それは,評価されるためではなく,純粋な知的興味からです(でもそう取り組むことで結果的にいい研究ができるとは再三書いている通り).

 そして,それが会社とか大学とかいう一組織ではなく,社会全体の公共の利益に繋がることがあるのなら,それこそ自分の身を削ってでもやりたいと思っています(でもそれは社会からの要請があってのことで,そういうことがなければ,しゃしゃり出てまではやらないことも再三書いている通り).

 実際,上野さん自身ももう今年で65歳ですし,おひとりさまの老後を実践しながらも,こういう本を書いて(社会のために)仕事をしておられるんですからね.

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24b
[最後の最後]
(生き方)

 最終的には食べることと排泄することだと思うのですが,そのためには,何が必要でしょうか.意外なことに,足腰は必要ないことがわかります.実際,下半身不随の方でちゃんと一人で日常生活をしておられる方はいくらでもいます.むしろ,食べ物を口に運ばないといけないので,上半身の不自由の方が厳しいでしょうね.そして,これも意外なのですが,歯は重要ですね.そして,噛むことや排泄するという機能を維持することも大事ですし,目が見えないのも,大変かもしれません.

 こうして考えてみると,上半身,特に,手が指先も含めて動くことが重要なことがわかります.あとは,何とか起き上がれてトイレまで移動できれば,何とかなるでしょうか.いざとなれば,ベッドの横に便器を置いてもいいですしね.

 でも,一番必要なのは,やはり「脳力」でしょうか.これさえあれば,手の代わりや移動をサポートしてくれる文明の利器があれば,尊厳をもって楽しく気分よく最後の時間を過ごせそうです.最後の最後は,脳力があって手が動けば,1つの狭い部屋の中にベッドとトイレ(+シャワー)と作業机があれば,いいってことですかね.食事や生活必需品は宅配で,手が動けば自分で便器の掃除もできますし,パソコンのキーボードも打てますからね.

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2/25'13
[騙されるな]
(生き方)

 テレビとかで,成功した人の半生みたいのを紹介しているとき,必ず出てくるのがその人がどれだけ苦労して苦しんで頑張ってここまでやって来たかというところです.そういうのを見て,これから人生を生きていこうと思っている若い人達は,どう思うでしょうか? よし私も頑張ろうと思うでしょうか?

 こんなに苦しくて苦労して頑張らなくちゃいけないのなら,別に成功なんかしなくてものんびりやって行けばいいやと思う人も多いんじゃないですかね? もちろん,それでも頑張るという人が成功するのですが,底上げ的に言えば,そういう傾向はあんまりよくないでしょう.

 でも言えるのは,それは「番組上の演出」ということです.楽しくていいことばっかで成功したら何だこいつ?ってなって視聴率が獲れませんよね.逆に人は(残念ながら)人の不幸や苦労を見て幸せになりますから,どうしてもそういう番組作りになってしまいます.

 でも,私も成功したと思うのでわかるのですが(もちろん,ここで「成功」というのは,社会的な成功というよりは,自分のやりたいことを見つけてそれを仕事にできて,それを大いに楽しんで,自分で勝手にそう思ってるだけかもしれないが,世界の中で自分にしかわかりえない領域まで来られたということ),実際は,もちろん大変なことはありましたが,楽しいことの方が圧倒的に多いですし,こんなに大変なのならこんな仕事するんじゃなかった,できれば,戻ってやり直したい,なんてことは,これっぽっちも思ったことはありません.

 そして,それは,成功した人は,みんなそうだと思います.例えば,スポーツ選手が日本代表になって,試合でものすごいプレッシャーで潰されそうで,逃げ出したいと思ったとしても,じゃあ,そのスポーツを始めたときまで時間を巻き戻して,やるのをやめるかとちゃんと想像できれば,そこまで来られたことが大大大ラッキーであることに気づくことができるでしょう.

 だから,テレビ番組とかのメディアの言うことに騙されないで欲しいと思います.人生所詮退屈しのぎ,でも,同じ退屈しのぎなら,平凡で退屈な人生を送るよりは,大変でも楽しく退屈しのぎした方が面白いと思いますよ.

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25b
[最後の最後の前]
(生き方)

 最後の最後は,食事と排泄+脳力と手が動くこと(+目が見えること)と書いたのですが,もちろん,最後の最後の話です.つまり,最後の最後の前の,おそらく,一番長く大きな比重を占める時間で重要なのは,やはり足腰でしょう.

 そして,食事と排泄+脳力と手が動くこと(+目が見えること)に足腰が加われば,生活するのに必要なものは,一通り揃っていることになります.もちろん,人との繋がりは大事ですが,人がいるところに行けなければ,それを作ることもできませんからね.

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25c
[怠け者]
(生き方)

 自分がほんとはどうしたいのかどうありたいのかがわかるかもしれないと書いたのですが,だめですね.そう考えると,何かしたい,どうありたいというのは,別にありません.つまり,生きていくのに生活費を稼がないといけないとか,社会の役に立つとか,そういうのがなければ,何かしたいとかどうありたいとかいうのは,特にありません.つまり,私ってやっぱり怠け者だったということでしょうか.それとも1〜2月とかなり活動的に過ごしてきたので,単に疲れているのでしょうか.

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2/26'13
[]
(経済)

 その後ですが,今日は朝方,イタリア議会選挙結果による欧州不安によるユーロ安による円高を受けて下げてる(風が吹くと,みたい)ようですが,全体的な傾向としては,また上向かい始めました.まだ行くんですかね? でも,イタリアもそうですが,やっぱり,次世代のことより今の自分達のことが大事なんですね.

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26b
[いい感じで歳をとってきてる]
(自分)

 先日,ある人に「いい感じで歳をとってきてる」と言われました.その人は,20年前から私のことを知ってるのですが,20年前と比べたら,話もしやすく「いい感じ」になってきてるんだそうです.

 そうですね.そう言われると,30過ぎくらいのときと今は,大分違うかもしれません.でも,そのときは,私という人間が大きく変わった直後で,そのときもそれ以前と比べて丸くなったとか言われましたが,そのときから更に丸くなったということでしょうか.

 私が若かった頃は,相当尖っていたと思います.それが歳とともにどんどん角がとれて丸くなってきたということですかね.

 でも「丸くなる」ってどうですか? 人当たり的には,いいんだとは思うのですが,要は,いろんなことをどんどんあきらめてきてるということでしょう.ですから,「いい感じで歳をとってきてる」と言われたとき,ちょっと複雑な心境になりました.

 でも,私の中にそういう尖ったものは,まだ残っています.石なら川を流れるのに従って丸くなるしかないですが,人間の内面ですから,流れに逆行して,また尖るということもあるかもしれません.

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26c
[新生活その後]
(生活)

 新生活,要は,自分で自分の身の回りのことはしっかりやりながら生活するということなんですが,そんな大したことはやっていません.昼食,夕食は,週数回は自分で作っていますが,基本的に外食中食です.ただ,朝食は,栄養のバランス,特に,野菜と蛋白質をしっかり摂るように,野菜と蛋白質の「貯金」を朝食でするくらいのつもりで自分で作っています.週末にご飯を3.5合(10回分)いっぺんに炊いて冷凍しているので,作る時間は15分くらいで済みます.

 昼夕は,だいたい外食中食なのですが,これまでは,朝夕と用意してくれていたので,昼食の栄養バランスは,あまり気にしていなかったのですが,今は,総菜などを足したり,野菜と蛋白質を摂れる食材を用意したりして,外食時にも野菜と蛋白質をしっかり摂るよう気をつけるようになりました.だから,逆に以前よりちゃんと栄養摂取できてるような気がします.実際,体調も悪くないです.

 買い物は,結構大変ですね.主に朝食用ですが,いろんな食材が次々になくなります.でも,練習日は,夕方に帰宅するので,そのときセンターのイオンによって(練習が火曜のときは,ちょうど火曜市やってる)くれば何とかなりますかね.あとは,週2,3回,主に練習日に合わせて洗濯するのと,週末には,シャツにアイロンをかける,ゴミが溜まったら出す,時々お掃除くらいでしょうか.

 こんな感じなので,別に全然無理はしてません.むしろ,手軽に野菜と蛋白質を摂取する方法を研究したりして結構楽しんでます.これに卓越すれば,外食中食がかなり使えます.昨日は,イオンでいろんなおかずが少しずつ入った弁当というのが236円!で売っていたので,ものは試しに食べてみましたが,結構行けたので,野菜と蛋白質をしっかり補充すれば,時々使ってもいいかもしれません(もちろん,いつもは,も少し値が張る,と言っても500円くらいはかかってる).

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26d
[農業]
(世の中)

 TPP交渉参加で揺れる農業ですが,新生活を始めて,野菜とか食料品をスーパーで買うようになって思うのは,農家は,ほんとにこんな値段でやって行けてるの?ということです.そのくらい「安い」と感じています.

 例えば,寒さで一時値上がりしていたキャベツですが,今は丸々一つで150円くらいです.てことは,原価は100円くらいってことですよね.玉葱なんか10円くらい.安すぎます...他の食料品も驚くほど安いです.なんかそれが当たり前という感じですが,冷静になって考えてみると,あまりに安すぎると思います.

 手間とか大変さとか,食料という人間が生きていくのに最重要なものを生産しているということを考えると,感覚的には,今の数倍以上はしてもいいでしょう.でも,そんなことになったら,高すぎる,食べて行けないとかみんなして騒ぎ出すわけですよね(ほんとですかー?).どうしましょうか?

 TPPもそうですが,輸入品にものすごい高い関税をかけるというのは,やり方がおかしいというか本筋ではないと思います.じゃあどうしたらいいかですが,税金を入れる,つまり,補助金という形で(所得補償ではなく)所得保証をするのが筋でしょう.

 私も大学で,研究という金にならないことをやらせてもらっています.それは,とてもありがたいことですが,金にならなくても絶対必要なものだし,だからこそ,入れてもらってる税金を何倍にもして社会にお返しするつもりでやってます.

 農業だって同じでしょう.ソーラーパネルに補助金を出すのなら,人間が生きていくのに最重要な食料を作ってくれている農家に,公務員に給料を出すようにもっと手厚く所得保証をするべきだと思います.研究や農業のように,お金にはならないけど社会の中で重要な役割を果たすところに,みんなから集めた税金を再分配することこそが政治の役目でしょう.

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2/27'13
[そういうもの]
(経済)

 これからどうなるかは,もちろんわかりませんが,もしまだ上がっていくんだとすると,どういうことでしょうね? 何度も書いているように,A倍さんは大したことはしていません.でも株価は反応している.結局,何度も同じことを書いていますが,「経済とはそういうもの」(例えば,人の真理が単に(ある程度)周期的に変動するとか)ということでしょうか.

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27b
[評価というより]
(世の中)

 A倍政権をK泉政権になぞらえる人もいるようです.そうですね.よく似てると思います.K泉さんは,わかりやすくて威勢がよくて人気があって,株価も急上昇しました.でも実際にやった中身は惨憺たるもので,莫大な負の遺産を残しました.A倍さんがやろうとしていることも似たようなことです.

 でも,未だにK泉長期政権などと言って彼を評価する人がいることからわかるように,メディアも含めて多くの(バカな)国民は,そのときの人気取りに終始した人を評価するんでしょう.そういう意味では,ほんとは,N田さんこそ評価されてしかるべきだと思いますが,そんなことは,何十年も先か,あるいは,へたすれば,永久に埋もれてしまうのかもしれません.あのときもしこうしていたらこうだったということは,証明のしようがありません.何だかやるせないですね.

 翻って,私がやっていることですが,一応評価はされていると思います.少なくとも広く認知されるようにはなりました.多くの,いや,ほとんどの人の研究は,認知さえされずに終わるので,それは,ほんとに幸いなことだったのですが,ちゃんと評価されているかは,甚だ疑問です.というか,真意を理解している人はほとんどいないでしょうから,真の価値は,評価されてないんだと思います.

 でも,私は再三書いているように,評価とかそういうことは,別にいいです.でも,私がやっていることが社会の役に立つのなら,もうあまり時間がありません.もちろん,論文は書いていますし,後継者も育てていますが,真意を完全に理解しているのは,私だけでしょう.でも,私に残された時間は,実質もうあと僅かです.

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27c
[準備としての新生活]
(生活)

 263円の弁当のことを書いて,そんなにいっぱい(でもないけど)給料もらってるのに,何をそんなにケチってるの?と思った人もいるでしょう.でも再三書いているように,私は,お金がこれだけあるからこれだけ使う,という使い方は絶対にしません.つまり,263円の弁当が充分にうまくて,栄養も蛋白質と野菜を補充すれば充分ならこれでいいんですよ.

 じゃあ,余ったお金はどうするの?ということになるでしょうが,少なくとも言えるのは,お金のためだけに働くということなら仕事を辞めることができます.そしたら,仕事を辞めてどうするの?ということになりますが,少なくとも「お金になる」という制限を排した中から,自分がほんとうにやりたいこと,やるべきと思うことを選ぶことができます.

 つまり,とある事情によって始めた新生活ですが,お金のためにやりたくない仕事をするくらいなら仕事を辞めるという選択肢を増やすために,小入少出でやっていく準備というか研究をしているということにもなるわけです.

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27d
[モデル退職者2]
(生き方)

 あとは何でしょうね.どんなにすごい仕事をした人でもどんなに偉い人でも仕事を辞めたらただの老人というのは,既に書いた通りですが,その他大勢の一人にはなりたくないです.でも仕事をとったら何が残るの?という人はとても多いでしょう.玄人はだしの趣味があるとか言ったって,所詮趣味ですから,例えば,ピアノがどんなに上手くてもプロのピアニストの足元にも及ばないでしょうし,プロのピアニストだって,歳をとれば,腕前は衰えて行きます.スポーツなら老人がどんなに頑張っても若い人に勝つことは難しいでしょう.

 そう考えてくると,結局,「人生とか楽しく生きるということにどれだけ卓越しているか」ということになってくるんだと思います.仕事で成功した人の中にそういうことに無頓着で考えが浅い人が多いとは既に書きましたが,そうはなりたくないです.つまり,目指すは,人生の達人(^^;みたいなものでしょうか.具体的には,日々の日常生活をしっかり送ることと脳力を使った知的活動でしょうね.

 人との繋がりはもちろん大切ですが,多くの時間を一人で過ごすわけですから,人との繋がりの中でその他大勢の一人になるよりは,一人でも楽しく充実して生活していくことを目指したいです.つまり,これも既に書きましたが,一人時々みんな,ということですね.

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27e
[よぼよぼ歩いている老人達]
(生き方)

 50を過ぎて,いろんな考え方や見方ががらっと変わったと書きましたが,街中などでよぼよぼ歩いている老人達(失礼)を見て,これまでは,あまり実感はなかったのですが,急に身近というか,将来の自分と重なるようになってきました.

 それは,そのうち自分もそうなるということでもあるのですが,それ以上に,できるだけそうならないように,できるだけそうなるのを先に延ばせるように,しっかり体のケアをして行こうということです.歳をとって衰えて行くことを受け入れる,まず認めることから入ることで,歳をとらなくなる,歳をとるのを遅らせることができるというのは,そういうことです.

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27f
[問題の所在]
()

 このままじゃどんどん研究できなくなる,だとしたらここにいても意味がないとか書いてるんですが,問題の所在は,全く別のところにあるような気もしてきました.

 1つは,単にここに来て10年経って煮詰まってきた(正しくない使い方)ということはあると思います.実際,ここに来る前に前任地で感じていた閉塞感のようなものと気分的に酷似しています.

 ただ,前回と違うのは,次どこかに移る先があるのかということと,先が短くなったこととそれなりに「準備」もできてきたことで,どこにも行かずにリタイアしてしまうという選択肢もあるということでしょう.

 つまり,なんとなくですが,リタイアも含めて何か全く別の展開もあるんじゃないかということです.仕事はリタイアしたとしても別に隠居するわけではありませんからね.でも,隠居(ようなことになると)してもそれで楽しく充実して暮らして行けるのなら,それはそれでありですし,これからまだ何十年も続くかもしれない「老後」を考えると,そうできれば,ある意味,無敵でしょう.

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27g
[]
(日記)

 というか,急に体調も調子も悪くなってきました.1〜2月といろいろ大変でしたから疲れているのかもしれません.季節的にもこの時期は,修論卒論が終わってどっと疲れが出る時期でもあります.いろいろやらないといけないことはあるのですが,今日はもう寝ることにします.おやすみなさい.

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2/28'13
[]
(日記)

 少し回復したような気がします.やっぱり,人間,基本的に「眠る」ことでしか休むことはできないと感じます.つまり,眠れなくなると休めなくなるということで,それは,もう大変なことなんだと思います.

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28b
[少しずつ溜まっていく]
(生き方)

 茹でガエルじゃないですが,疲れが少しずつ溜まっていって気づかずにいると,ある日突然,どっと疲れが出る,あるいは,もっと気づかずにいると,体調を崩したり病気になったり,場合によって死んでしまうということがあるような気がします.

 疲れに限らず,そういうことってありますよね.歳をとるのも似ています.人間1年に1%歳をとると言われていて,0.999972**365≒0.99ですから(複利計算になることに注意.つまり,1年で1%歳をとっても100年で0にはならない),1日にすると僅か0.0028%歳をとるわけで,そんなことに気づく人はいないでしょう.でも,ふっと気づくといつの間にか,歳をとっている.

 だから,あんまり自分のセンサーを信用するのではなく(歳をとるとセンサー自体も衰える.例えば,水分が不足しているのに喉の乾きを感じないとか),何か客観的な指標で判断する必要があるでしょうね.

 私がつけている記録もそういうものとして付け始めたもので,グラフがびーーって上がってくると,「絶好調!」(じゃなくて単に忙しいだけということが多いんですが...)と思って調子に乗るのではなく,ある程度,セーブすることも必要ということですね.歳をとって衰えて行くということを受け入れて,でも,その中で最大限のパフォーマンスを発揮するというのは,そういうことでしょう.

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28c
[わからなくなった(朝ドラ)]
(生き方)

 あんまり見てなかったんですが,里や燃えちゃったんですね.まさにここまでやるかという感じですが,まあドラマなんで,何でもありなわけで,それが脚色,ひいては,わかりやすさというものでしょう.ていうか,おじいのホテルが取り壊されたときもそうでしたが,このまま里やで夢の国を作ったら,ドラマとしては,終わってしまいますからね.

 で,何をわからせようとしているかですが,純が「ほんとにやりたいこと,好きなことがわからなくなった」と言ってます.ほう,生きる希望といい,本質的なテーマがまた出てきましたね.

 このサイトでも既に何度も書きましたが,その通りだと思いますよ.これが好き,これがやりたいと思ってやっていても,ふとしたことをきっかけにそのことに自信がもてなくなることはよくあります.私も未だによくわからないと再三このサイトで書いてきました.これが好き,これがやりたいと言ったって,勝手にそう思い込んでるだけってことが多いし,「そういうことにして」とりあえずやってるうちに成功したり人生が終わったりするのでしょう.

 でも,これも既に書きましたが,これじゃない,これでもないとやることをころころ変えたってしょうがなくて,とにかく何でもいいから,とにかくとことんやることでしょう.そこで第一段階はクリアですし,それで人生を卒業できれば立派なものです.

 問題は,そこから先ですが,多くの人は,上で書いたように「そういうことにして」,つまり,折角ここまで頑張って来たんだからとか,新しいことを0から始めるのも大変だからとか,もう歳でやり直す時間がないからとか,やっぱり今やってることが好きだから(と思い込んで),ということで,今やってることをやり続けるのでしょうね.純は,まだ若いけど,苦労した分,もうそういうところに来たんだと思います.そして,多分,(ドラマ的には何回もフェイントをかけながら)ホテルの仕事に戻って行く,というのが普通のシナリオでしょうか.

 ただ,このドラマが普通でないとすると,どういうシナリオが考えられますかね? もちろん,そんなこと脚本家次第なんで,要は,脚本家が「わからせたい」自分の考えがどういうことかということなんですが,仕事なんかより家族愛が大事と考えるのなら,普通でないシナリオになるのかもしれません.あとは,「ドラマ」にしなきゃいけないってこともありますし,あと1ヶ月という放送時間のこともありますね.

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28d
[メガネ]
(世の中)

 メガネについて書いたことがありましたが,そもそもメガネってどう思います? 視力が落ちてもメガネという便利なものを発明してくれてありがとう,ですか? なんか,仕事でストレス溜まるけど,それを洗い流してくれるビールを発明してくれてありがとうって感じ?

 視力が落ちるのは,近視は(遺伝とかもありますが,基本的には),毛様体筋という筋肉が近くばかりを見続けることで緩まなくなり,遠視は(老化による筋力の衰えで)縮まなくなるからですよね.みなさん(でもないか),健康のために歩いたり運動したり,人によっては筋トレするのに,どうして,目の筋肉は,ほったらかしなのでしょうか? 視力が落ちたらメガネというのは,脚力が衰えたらすぐ車椅子というのと同じことで,毛様体筋も脚の筋肉も衰えるばかりでしょう.

 これも世の中的には,ビール業界や水商売と同様,メガネ業界というものがあって,それで飯を食ってる人が大勢いるということでしょうね.つまり,ここでも「騙されてはいけませんよ」となるわけです.

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