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11/1'08
[結果には必ず原因がある]
(仕事, 日記)

 学生を指導するときに昔からよく言っている「結果には必ず原因がある」ということですが,何か公開中?の某映画のキャッチフレーズになってるようですね(^^;(「全ての現象には必ず原因がある」だったかな?).その程度のことなのかなあ?でもただ「結果には必ず原因がある」というだけでは,その真意がわからない人はわからないと思いますけどね.

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01b
[あきらめが肝心]
(生き方, 日記)

 生きていく上での心の闇や人生の寂寥感について書きました.そのときのトーンとしては,これらは「負」的なものでこれらとどうつき合っていくかというような感じで書きました.でも最近またちょっと違う感覚になってきたような気がしています.というか,本質は同じだと思うのですが.

 文章で書くのはちょっと難しいのですが,平たく言えば「負」ではなく「正」の側面が見えてきたということでしょうか.心の闇や寂寥感を感じるとき,それが幸福感とまでは行かないまでも充実感(のようなもの)や本質感(という日本語はないと思うが)のようなものを感じるときが時々あります.例えば,昼ご飯を食べた後に,天気のいい日に大学構内の自然(のようなもの)の中を外の空気に当たりながら散歩しているときとか.ちょっと違うかもしれませんが,何か目標を達成したとき,あるいは,達成できなくても何かが終わったときに,ほっとすると同時に寂しさも感じますよね.それに近い感覚でしょうか.

 目標を達成したときはそうなのですが,目標を達成できなくて,次頑張ろうと思えなくて「あきらめた」ときもそう感じるのではないでしょうか.つまり,そういう点でもここで何度も書いているように目標を達成するかしないかは大した問題ではないわけです.あきらめなければいつかは成功する,とどこかで書きましたし,それは確かにそうなのですが,人は最終的に死ぬということに代表されるようにあきらめなければならないことも厳然としてあります.あきらめないでやり続けても成功するする前に死ねば成功することはできません.でもそれでいいんじゃないの,ということでしょうか.

 別に死ぬことに限らず,そういうことっていろいろあると思うんですよね.でもそれを受け入れるというか,そういうことが愛おしく思えるというか,そういう感覚が少し出てくるようになりました.要はいろんな意味であきらめ始めているということでしょうかね.

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11/3'08
[本考 おひとりさまの老後 その3]
(日記)

 おひとりさまの老後ですが,ようやく読み終わりました.大学にの行き帰りだけ(それも10分くらい)ですから1週間くらいかかったことになりますね.で,気づいたことがあります.それは,本ってやっぱりアクセス性と常時性(について後述)が抜群なんですよ.

 例えば,なんか思いついて文章を書こうとするとノートPCを取り出すことになるんですが,やっぱり「敷居の高さ」は否めません.今ではバスに乗ってる10分くらいなら楽勝で取り出せるようになりましたが,バスが来るまでの2,3分(くらいは遅れることがある)ともなると厳しいですし,そもそも立って入力するのは効率がよくありません.でも本ならさっと取り出せて,立った状態でも楽勝で読めます.どうしてPDAが普及せず未だに手帳を使う人が多いのかは,このアクセス性が一番の理由です.

 じゃあ,なんかアイデアを思いついたときのように手帳を取り出せばいいじゃん,ということになりますが,アイデアっていつも思いつくわけじゃありませんよね.ここが(上で書いた)本の「常時性」です.つまり,本ならいつでも栞を挟んだところから読み始めればいいので,2,3分という時間も有効に使うことができます.あと飛行機の離着陸時などはIT機器が使えないときはそれこそ本や新聞を読むくらいしかすることがありません.

 で,「おひとりさまの老後」ですが,共感できるところも多かったのですが,もちろん「ん?」と思うことも結構ありました.つまり,本を読むということは「他人の考えをきく」というだけではなく,それを基に「自分で考える」ということでもあるわけで,単なる考えるきっかけと考えればいいわけです(当たり前の話だが).

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03b
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(体調, 日記)

 その後の体調ですが,そんなに悪くないかな.でも相変わらず休日の体調は今一です.一応「とにかく動く」ようにはしてます.で,1週間くらい前(10/28)からまた,とあることを始めました.まあ「とにかく動く」の一環でしょうか.何をしているかは,1ヶ月経ったら(1ヶ月続いたら(^^;)ご報告します.ヒント?は,眞鍋かをりさんも同じようなことをやっている(と一般人に目撃された)と言っているのをきいたような気がします.目的は彼女と全然違うのですが,彼女がその理由について話したときは,「なるほど.この人面白いな」と思いました.

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11/4'08
[本考 その2]
(日記)

 上の上の続きです.ですから,常に「何かしらの本を読んでいる(読みかけている)」状態にしておくことは,時間の有効利用という観点からもいいと思うのですが,問題は「読む本」があるかどうかですね.そもそも人はどうやって「読む本」を選んでいるのでしょう?他の人はともかく私は「売れている」とか「ベストセラー」という理由で本を選ぶことは一切ありません.というか,そういう本は敢えて読みません(とは度々書いてきた).

 今回読んだ「おひとりさまの老後」は,上野千鶴子さんが話されていることをきいて印象を受けてでした.でもそういう機会ってそうそうないと思うんですよね.文学ものは昔は(小さい頃は)相当沢山読み(読まされ)ましたが(何せ文学者だった父の遺言が1万冊の本を読め,ですからね)そういうものは,少なくとも今は読もうとは(あまり)思いません.ですから,本屋にぶらっと立ち寄ってぱらぱら中を見て「自分が考えるきっかけ」になりそうなものということになりますかね?それはそれで1つ楽しみが増えた(今更(^^;?).あー,でもそうするとやっぱりつくばにでかい本屋がないのはやっぱり痛いなー.でもなかなか「おひとりさまの老後」の本題に入らないな(^^;.

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05b
[本考 その3]
(日記)

 ,ちょうど?仙台で学会で,会場の1階が丸善だったりして,本屋があるとぶらっと入って,ぱらぱらと見て,という感じで『「自分が考えるきっかけ」になりそうなもの』はないかなと思って探してみたのですが...なかなかないものですねー(なぜか今ベストセラーになってるカラマーゾフの兄弟も平積みされてました(^^;).もちろんいろんな種類の本を見たんですが,ジャンル?としては「新書」かなー,とは思いました.でも読んでみたいと思う本はなかなかないです(でも,武村さんが出された「地震と防災」(中公新書)は,一般向けに書かれたものですが一応読んでおかないといけないのかなーとは思いました.って,私の専門が関係する地震動と被害のようなところだけはぱらぱらと読みましたが,「一般向け」だとやっぱりあーいう感じになるんでしょうかね?)

 ということで,「本を読む」ことにはやっぱりあんまりならなそうです(^^;.「読む」(インプット)より「書く」(アウトプット)方の欲求が少なくとも今は強いです.

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11/7'08
[おひとりさまの老後 その4]
(生き方, 日記)

 で,(やっと(^^;)「おひとりさまの老後」の本題ですが(でも読み終わってしまうとここに書こうというモチベーションが落ちるもんです),最初に書いたように「最後はみんなおひとりさまになる」のはその通りだと思いますし,結局,死ぬとき人間は一人というのもそうだと思います.つまり,人間みな「長生きしてしまうリスク」をもっている以上,「老後がおひとりさま」になる可能性はみんなあるわけです.そしてそれは,子供や孫や配偶者がいようがいまいが関係ありません.むしろ人間関係を家族中心にしてしまうと,それ以外の人間関係を排斥してしまうこともあるので(あいつ結婚してからつき合い悪くなったよなー,とかいうのはそうですね),「ほんとに寂しいおひとりさま」になってしまうリスクは大きくなります.

 ですから結局,ここで書いたように「ちゃんとした人間関係」を構築しておくことが大事なんだと思います.それは家族でも家族でなくてもいいわけで,リスクヘッジ的に言えば家族以外の方が大事ということもあるわけです.でもこうやって書いてみるとどうなのかなあ?人間関係ってそういうことが目的で構築するものでもないしなー.

 こう考えてくると一番リスクが小さいのは,「ほんとにひとり」でも楽しく気分よく生きていけることかなー,という気もしてきます.それができたらほんとに「無敵」だと思いますけどやっぱりそれは無理かなあ.

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 上の続きです.

 この本の言わんとすることは,要はみんな,特に女性は,男性より長生きするので最後は「おひとりさま」になる可能性が高いわけだから,しっかり準備しておきましょうということで,それは全く同感です.ただ,少しネガティブなことを書くと,女性を対象としているためか,彼女の職業柄?か,記述が女性本位になっているのはちょっとどうかと思いました.例えば,一番最後の

不安とは,おそれの対象がなにか,よくわからないときに起きる感情だ.ひとつひとつ不安の原因をとりのぞいていけば,あれもこれも,自分で解決できることがらだとわかる.もしできなければ,最後の女の武器がある.「お願い,助けて」と言えばよい.
なに,男はどうすればいいか,ですって?
そんなこと,知ったこっちゃない.
せいぜい女に愛されるよう,かわいげのある男になることね.

ということろは,前半はいいのですが,後半は普通は女性に対して言われることを敢えて男性に対して言うことによる痛烈な皮肉?ということなんでしょうが,私はここで何度も書いているように「男とか女とか言う前に同じ人間」と思っているので,強い違和感を感じてしまいます.女性解放と同時に男性解放も進めなければ,つまり,男性も素直に「お願い,助けて」と言えるようにしなければ,女性解放も絶対に進まないと思います.おそらく彼女もそういう意味をこめて敢えて逆説的に書かれたのだとは思いますが.

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11/8'08
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(野球, 日記)

 日本シリーズが大詰めですね.ほんと久しぶりにちょこちょこ,でも結構まともに試合を見させてもらっています.で,気づいたんですが,ライオンズのユニフォームに「30」というワッペンのようなものが貼られてますよね.多分,「西武」ライオンズ球団設立30周年ということなんだと思います.

 思えば,ライオンズが「所沢に行ってしまった」年は,私は高校生で,朝学校に来ると「ライオンズまた負けたったい」とか「序盤はリードしとっても必ず終盤でひっくり返されるけんねー」とか話していたのを憶えています(この年は最下位).2年目はよく憶えてませんが,3年目は浪人していて,予備校でいっしょだったT尾君とこれまた朝予備校に来たらまず前日のライオンズの試合の話をしてました.確か,この年はもうAクラスに入るかどうかというところまで来ていて,次の年,私も無事?大学に受かって東京に行き,ライオンズも優勝して日本一になりました.

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11/9'08
[おひとりさまの老後 その5]
(生き方, 日記)

 既に書いたように,この本の主眼は,最後は「おひとりさま」になる可能性が高いわけだから,しっかり準備しておきましょうということで,じゃあどう準備するかについて,いろいろ示唆に富んだ指摘がありますので,ここにいくつか引用しておきます.

障害者用ソフトは高齢者の強〜い味方

なるほどと思いました.「情けは人のためならず」で書いたように,誰しも事故や病気で障害者になる可能性はあるというだけではなく,長生きすれば誰でも100%高齢者になるわけです.

病気になっても寝たきりになっても,その状態で生きつづけていられることこそ文明の恩恵

上とも関連しますが,世の中を「これ以上」便利にするのはもうそろそろにして,こういう技術開発をどんどんやったらいいと思います.

"あなたの居場所"とは「ひとりっきりでいても淋しくない場所」のこと

そうだと思います.人間,少なくとも私はひとりでは生きていけませんが,それでも人間やはり基本はひとりだと思います.

老後にもキャッシュフローを

これもその通りですね.宝くじで3億円当てることより,月20万稼げることの方が(月20万だと40年働いてもトータルで1億にも届きませんが)遙かに重要です.

ひとりで死ぬのはぜんぜんオーライ
1. 生を受けた者は死を待っている人。よって独居者は急変の際早期発見されるよう万策尽くすべし。
2. 皆に看取られる死が最上とは限らない。死は所詮ひとりで成し遂げるものである。
3. 孤独を恐れるなかれ。たくさんの経験を重ねてきた老人は大なり小なり個性的である。自分のために生きると決意したら世の目は気にするな。
4. 巷にあふれる「孤独死」にいわれなき恐怖を感じるなかれ。実際の死は苦しくないし、孤独も感じない。
5. 健康法などを頼るな。

これは,監察医である小島原将直さんの「孤独死」に関する講演録からの引用です.「生き方,そして,死に方」については,このコーナーでも何度も書いてきましたが,まさに普段私が考えていること,このコーナーに既に書いたことだと感じ,胸のすく思いがしました.

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09b
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(野球, 日記)

 やったーーーーー!勝ちました(^^)V.やっぱり嬉しいもんです.日本一になった瞬間を見たのは何年ぶりだろ?前回(って書いて変換すると全壊って出てくるんですけど(^^;)の2004年は新潟県中越地震で被害調査中で,その前は3回シリーズで負けているのでなんと1992年以来です.

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11/10'08
[おひとりさまの老後 その6]
(生き方, 日記)

老後にもキャッシュフローを

 あらためて「考える機会」をもらったのであらためて考えてみます.これに関しては,「定年」や「定年がない仕事」に関することでいくつか既に書いています(仕事と「仕事」の区別に注意).基本的な考えは変わらないのですが,例えば,定年がない仕事 の続きで書いた「何とか食べていくことができれば」という条件を満たすには,やはりキャッシュフローが必要だと感じます(「財産」ではだめです).

 キャッシュフローには2つの意味があります.1つは単純に「定期的な収入」があること,そして,もう1つは「定期的な収入」があるということは(普通は)それに見合った「社会的繋がり」をもっている,ということです.『「財産」ではだめ』というのは,そういう意味もあります.そのためには準備が必要です.「おひとりさまの老後」にこんな記述があります.

「モデル退職者」ともいうべき幸せなポスト定年ライフを送っている男性退職者だちを,関西の大企業の依頼で調査したことがあるが,彼らに共通しているのは,40代から早めに助走をはじめて,定年後にソフトランディングしていることだった.うらがえせば,人生半ばにして会社とは距離を置いて仕事と半身でつきあい,地域活動や趣味に「もうひとりの自分」を見いだしてきたのである.その結果として,あるいはそれが原因かもしれないが,彼らは職場でたいして出世していないこともわかった.

 うーん,考えさせられますねー.もちろん,「モデル退職者」とは何ぞや,ということはあると思いますが,それは置いておいて(準備が必要なことは間違いないので),私は確かに出世欲といったものはないですが,やるべきことはちゃんとやっているのに不当な扱いは受けたくはありません.つまり,これもどこかに書きましたが,これは私の特殊ケースだと思うのですが,何かを犠牲にして何かを取る,ということが私にはどうしてもできないんですよ(どうしても二兎も三兎も四兎も五兎も追ってしまう).

 でもそういう中での「配分」はあるわけで,ちょっと考えてみます.定年を65と考えるともう20年ありません.そして,平均寿命(平均余命)+σ(がどのくらいかはよくわからないが)くらいまで生きる(生きてしまう)とすると定年から20年くらいあるわけです.つまり,私に残された人生に占める現在やってる仕事の割合は半分以下なわけです.これを半分弱もあると考えるのか,半分以下しかないのかと考えるのは難しい問題ですが,少なくとも現在の立場で仕事をできるのは,残された時間の半分以下なのは確実なわけです.

 と,計算してみたのですが,だから仕事はそこそこにして定年後の準備を始めよう,とは(なぜか)思いませんねー.なんでだろ?単に無計画?

 やっぱりこれも何度も書いてることですが「自然の流れ」に任せるしかないし,なるようにしかならないと思うんですよねー.一番大きなところは自分が「世の中に必要とされているか」ということでしょう.もし必要とされているのなら自分の人生なんか(ある程度)犠牲にしてもいいと思いますし(でもほんとは「犠牲」じゃなくて「自分のため」なんですけどね),必要とされていないのであれば,それはそれでOKで,真に価値あると信じるものを頑なにやり続けてもいいですし,のんびり「観客」としてやらせてもらってもいいわけです.そして,「世の中に必要とされているか」かどうかを決めるのはもちろん私ではなく「世の中」なので,自分ではどうしようもないわけです.

 と書いておきながら,仕事以外にいろんなことをやってる私は図らずも?着々と準備ができているのかも,とも考え始めました.だから「たいして出世していない」(^^;?でも大学の場合,やるべきことをちゃんとやってれば昇進は年功序列(一定の業績を上げないと昇進できないことはあるが,著しい業績を上げたら特進ということはほとんどない)なんですけどね.

 ですからこれまで通り「やりたいこと探し」を続けていけばいいのかな,とは思います.そしてそれは一生続くでしょう.ただ,キャッシュフローを得るための仕事(「仕事」ではない)については,やはり準備をする必要があるでしょうね.「仕事」があるのであれば,仕事は相場師でもパチプロでもいいのかな(^^;?でもそれじゃあいくらなんでも...なので,これも「やりたいこと探し」の一環として探していこうと思います.一応,仕事と「仕事」の違いについてもう1回書いておきます.

※仕事は文字通りそれで食べて行ける仕事(≒職業)を指し,「仕事」も本来的には仕事足りうるものですが,世の中の役に立っている,存在価値があるとしても(資本主義社会のひずみによって?)お金にはならないかもしれない,でもとても重要なもの(例えば,学術研究や芸術文化活動やボランティア活動など)というやや広い意味で使っています.

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10b
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(野球, 日記)

 今回の日本シリーズですが,力が拮抗していてなかなか面白かったです.先発投手はライオンズの方がよかったですが,力的には中継ぎ投手が安定しているジャイアンツが少し上だったような気もします.ただ,渡辺監督の方が迷いがなかったかなー.迷いがなかったというより「最初から決めていた」ような気がします.いろいろ取りざたされた最終戦の西口先発もかなり前から決めていたようですし,同じく最終戦でエース級のピッチャーを2イニングずつ打席が回ってくれば交代,というのも実に明快でした.対照的にジャイアンツの方は,決勝打を打たれた越智の交代は遅れてしまったと思います.でもほんと紙一重の差で天国と地獄ですからやはりスポーツの世界は厳しい.

 人間の判断って実はとても不安定で,「その場」になると必ず希望や不安が邪魔をします.相場ではそういうことを人智判断と言ってネガティブな意味で使われるということもどこかで書きました.ですから,決めておくとか機械的に判断するというのは1つのやり方だと思います.

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11/17'08
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(日記)

 先週末,いろんな用事であっち行ったりこっち行ったりしていたら5日も空いてしまいました.でもノートPCはいつも持ち歩いてるので書くことがあれば(書きたくなれば)いつでもどこでも書いてアップできるので,要は書くことがなかったってことですかね.今も特に書くことはありません(^^;.貯めてる(溜まってる)ネタはいくらでもあるのですが,「書く」というところまでモチベーションが上がりません.

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17b
[景気]
(経済, 世の中)

 後でプログラムで処理することを想定して,実験的?に[仮タイトル]と(分類)を付けてきたのですが(分類)に日記を入れるのは意味がない気がしてきたので(ということもやってみないとわからない(からやってみた))のでやめることにしました.つーか,最近「記事」的なものがほとんどなくなって単なる「日記」的なものばかりになってきたということですかね?

 ニュースで6年ぶりに景気後退局面に入ったと言ってました.報道の仕方としては,世の中くらーくなってどうしよう(T_T)という感じですが,これも何度もここで書いてきたことですが,景気がいい=いいこと,という風潮は辟易します.そういう「波」は必ずあるものだし,別に景気なんて悪くたって,あるいは,ある意味悪いほど(例えば,環境問題)幸せに生きていけると思います.景気がよくないと成り立たない仕事というのは,極言すれば「なくてもいい」ものです.「景気がいい」を基準に考えて,景気が悪くなると国に景気対策をやれと言う,あるいは,国が景気対策をやるというのは,いい加減もうやめた方がいいでしょう.

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11/18'08
[いいときが基準]
(生き方, 経済)

 上で書いた景気もそうですが,人間「いいとき」のことが忘れられず,どうしてもそのときのことを「基準」にしてしまう(悪い)癖があるように思います.例えば,プロ野球でピッチャーの調子が今一のとき,解説者がよく「今日は,彼本来のピッチングではないですねー」とか言ってます.つまり,調子がいいときが「本来」という認識なのでしょう.でも調子がいいときは「いいとき」なわけで,「本来」ではありません.選手自身もいいときのことが忘れられず,調子が落ちてくると俺の実力はこんなもんじゃないと思いがちです(もちろんここでは将来本来の力そのものが伸びる「成長」は含まれていません).

 スポーツならいいときのことが忘れられず,それが「本来」だと思い込んで頑張れればそれはそれで悪くないとは思いますが(でも頑張りすぎると普通は後から揺り戻しが来るものです.私がその日の「調子」や「成果」や「体調」を点数化してずっと記録しているのも「いいときが基準」にならないように,つまり,ある意味頑張りすぎないようにするためです),会社の経営はそうは行きません.なぜなら景気は会社にとっては「外部要因」だからです.頑張ってどんなにいいと思うものを作っても景気が悪くなれば売れる絶対量は減ります.商売には損益分岐がありますから,売れる量が減れば損をすることもあり,場合によっては倒産するでしょう.つまり,「いいとき」を基準にするのは問題外で,「平均」でもあぶない,むしろ「悪いとき」を基準にするくらいでもいいわけです.だって,会社の倒産は人間で言えば死ぬことで,倒産すれば少なくともその会社はリカバー不能で全てが終わってしまうわけですからね.

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11/19'08
[パッション]
(生き方)

 このコーナーで繰り返し,人生所詮退屈しのぎであり,でも退屈(がデフォルト)な人生を楽しく気分よく生きていくためには,やりたいこと探し,と書いてきました.でも「やりたいこと探し」というと少し範囲が狭いかもしれません.やりたくなくてもやらなければいけないこともやる価値があることもあるでしょうからね.つまり「やりたいこと探し」ではなく「やること探し」なわけです.もちろん,探さなくてもやることがあるなら無理して探す必要はありません.例えば,生きていくための,あるいは,家族を養うための生活費を稼ぐのに精一杯なら「やりたいこと探し」なんかしてる余裕はないでしょう.それは一種幸せな状態で,でも今の世の中,だんだんそうではなくなってきてしまっていることも再三ここで書いたとおりです.

 で,その「言い方」ですが,やりたいこと,好きなこと,面白いと思うこと,興味があること,やり甲斐を感じること,効力感を感じることなど様々です.もちろん,やらなければならないことも含まれます.で,なんでこういうことを考えてるかというと,それらに共通するものは何か?ということです.

 で,先日なんかの番組,確か,プロフェッショナルだったか,女の人だったのですが,彼女が「とにかくパッション(情熱)を感じるものを見つけてそれを一生懸命やることに尽きる」と言っていたのが印象に残りました.情熱というとちょっと気恥ずかしい(^^;表現ですが,なるほどと思いました.

 私は研究者が仕事ですし,仕事以外のことも研究することが好きなので,面白いとか好きとかやりたいこと,という表現になりがちですが,そんなものより,例えば,発展途上国で飢餓や病気で苦しんでいる人達を助けたいと思う人もいるでしょうし,出世して偉くなりたい人もいるでしょうし,金儲けして大金持ちになって豪邸に住んでブランド品を買いあさって高級車を乗り回したいという人もいるでしょう.あんまり大それたことは考えてなくて,小さな家庭をもって普通に平穏に暮らしていきたい,そのためにとにかく働いてる,という人もいるでしょう.つまり,何にパッションを感じるかは人それぞれなので,自分がパッションを感じるものを見つければいいわけです.確かに今の世の中はそれを見つけることがとても難しいのですが,見つからなければ,それを探し続けること(にパッションを見出すの)かなと思います.

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11/20'08
20b
[レパートリー]
(ピアノ)

 何度かレパートリーについて書きました(例えば,ここ).レパートリーとは何ぞや?ということもありますが,私のイメージとしては,ひょんなことでそこにピアノがあって,ちょっと弾いてみてと言われてなんとかその場で弾ける曲でしょうか.そこまで突然ではなくても,1日さらえば何とか出すことができるくらいでもいいです.でも実際には,そういう場合,レパートリーというよりは,今練習している曲,あるいは演奏会で弾いたばかりの曲を弾くことになってしまうことが多いです.そして,それがたまたまバリバリの現代物だったりすると...(^^;(最近はあんまりそういうのは弾かないが).

 ということで,何曲か「レパートリー」をもっとこうということになるわけです.で,何曲くらいあればいいでしょうか?聴き手が素人ならポピュラーなものがいいでしょうし,逆に玄人なら,近現代物で誤魔化す(^^;ということが考えられます.ピアノじゃなくてキーボード(^^;だったら,中音域だけで弾けるバッハや近現代物ならバルトークのミクロコスモスの中のブルガリアのリズムによる6つの舞曲みたいなものももっておいた方がいいですね.要は,いろんなタイプのものをレパートリーとしてもっておくことが必要ということですね.

 そんなことを考えていたら,先日,これもプロフェッショナルだったか,落語家の柳家小三治師匠が出てきていて,彼のレパートリーは百数十だそうですが,最近は,20くらいを使い回してる(^^;とおっしゃってました.つまり,今や落語界の第一人者とも言われる人のレパートリーがそのくらいということです.

 20くらい,なかなかいい線かもしれません.それでも,バロック,古典,ロマン,印象派,近現代の5つにカテゴライズするとそれぞれ4曲ずつになっちゃいますけど.ちょっと考えてみようと思います.でも20くらいを常時暗譜でいつも弾けるようにしておくのはなかなか難儀だとは思いますけどね.ちなみに今すぐに出せるのは,

リスト/超絶技巧練習曲より第6曲「幻影」
ハチャトゥリアン/トッカータ
サイ/ブラックアース(黒い大地)

1日,いや数日(^^;さらえば出せそうなのは,

バッハ/イギリス組曲第4番よりプレリュード
ショパン/エチュードOp.10-12
ドビュッシー/プレリュード第1集より第5曲「アナカプリの丘」
ドビュッシー/プレリュード第1集より第10曲「沈める寺」
ラフマニノフ/幻想小曲集Op.3よりプレリュード
バルトーク/ブルガリアのリズムによる6つの舞曲より第2曲
プロコフィエフ/ピアノソナタ第6番Op.82より第1楽章
プーランク/15の即興曲より第15曲
ラウタヴァーラ/ピアノソナタ第2番Op.64「火の説法」より第1楽章
カプースチン/10のバガデルから第3番

くらいでしょうか(もちろん「演奏会」に出せるレベルではなくて「ちょっと弾いてみて」というレベルです.でももっと短いものならあと数曲はあると思います).こうして書き出してみると結構ありますね(^^).でもやっぱ近現代が多いし(半分以上),短い曲が少ない古典(モーツァルト,ベートーヴェン)も入ってないしバランスが悪いですね.バリバリ?の現代物も入ってないし.そもそも弾けても「レパートリーにしときたい」と思えるかどうかが重要です.さすがに月に1回くらいは弾いとかないと(弾く気にならないと)キープできないでしょうからね(でもどういうわけかハチャトゥリアンのトッカータなら全く弾いてなくてもいきなり何とか弾けますけど).

 ということで,これもぼちぼち考えて体系的に(^^;?練習していこうと思います.そしてこういうことを考えるのも楽しいものです.まずはやはりベートーヴェンを何にするかですね.当然32曲あるピアノソナタのどれかになるでしょうが,全曲だと長いのでどの曲というよりはどの曲の楽章かということですね.あ,交響曲第7番第1楽章(の短縮版)というのもありましたね(^^;.ちなみに短縮版そのものは一応完成?しています.

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11/21'08
[交響曲第7番第1楽章の短縮版]
(ピアノ)

 上の続きです.交響曲第7番第1楽章の短縮版ですが,具体的には,提示部の第2主題が終わってしばらく行って小休止したようなところ

から,再現部の対応するところ

に飛びます.つまり,そこでいきなり転調(正確には本来の転調と違う)するわけですが,しばらく弾いてたらいつの間にか違和感なくなりました(^^;.でも短縮版でも6〜7分かかっちゃうんですよねー(フルで提示部の繰り返しを入れれば14分以上).一般向けとしては5分くらいが限界ですからねー.でもアイアンメイデンの長いものよりは短いか(^^;.

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11/22'08
[バリバリの現代物]
(ピアノ)

※記事?を書きながら,やっぱ現代音楽なんか聴いたことない人も多いだろから,一応有名曲だけでもリンク貼っとくか,という感じで貼っていったらリンクだらけになってしまいましたが,見方を変えるとちょっとした現代音楽の入門紹介になってるような気もしてきましたので,そういう点でもお楽しみください(^^;?

 何度か「バリバリの現代物」と書いたのですが,「バリバリの現代物」って具体的に何でしょうかね?単に「現代」ということなら,カプースチンのピアノ曲は1980年以降の作品がほとんどですし,ブラックアースも1999年作曲ということになっています.でも「バリバリの現代物」かと言うと全然違いますよね.現代音楽の最も有名な作曲家の1人であるケージの代表作であるプリペアードピアノのためのソナタとインタリュードにしても,弦にボルトやゴムを挟み込むという手法は前衛的ですが,音楽そのものはとてもポピュラーなものです.現代の少し前の近代ということに関しても,例えば,ラフマニノフは,範疇は近現代だが中身は近現代ではないと書きました.

カプースチン/8つの演奏会用エチュードより第1曲プレリュード

サイ/ブラックアース(サイ自身の演奏初めて見ました.でもこんなに身を乗り出さなくてももっと普通に内部の弦は押さえられますよ(^^;)

ケージ/プリペアードピアノのためのソナタとインタリュードからソナタ第5番

 ですから,実際いつ作られたかではなく音楽そのものがどうか,ということが問題なわけです.イメージとしては十二音音楽とその延長上にあるセリー系ということでしょうか.そういう意味では,例えば,シェーンベルクの組曲Op.25は1923年の作品ですが,カプースチンやブラックアースよりは遙かに現代っぽく聞こえるのは当然のことです.でも「十二音」や「セリー」に限定してしまうと,それこそ有名どころでは,新ウィーン学派,ブーレーズくらいになってしまいます.

シェーンベルク/組曲Op.25より第1曲

プーレーズ/ピアノソナタ第1番(ほんとは2番があればよかったがネットにはなかった)

 「無調」となるとその範囲は格段に広がります.でも,例えば,スクリアビンの後期作品は無調ですが「バリバリの現代物」ではないですよね.一方,例えば,シュトックハウゼンはさすがに無調としても,メシアンはもちろんのこと,クセナキス(ヘルマはともかくエヴリアリは)やリゲティが完全に無調かと言うと違いますよね.

スクリャービン/ピアノソナタ第7番

シュトックハウゼン/ピアノ曲X

クセナキス/ヘルマ

クセナキス/エヴリアリ

クセナキス/ミスツ

リゲティ/エチュード集より悪魔の階段

リゲティ/エチュード集よりワルシャワの秋

 あとは,これは私の勝手なイメージだと思うのですが,現代音楽にはある種の激しさを伴っているイメージがあります.ですから,十二音音楽でも,例えば,(古いが)ウェーンベルクのヴァリエーションや前掲のケージのエチュード・オーストラルズのような非常に点描的な曲は「バリバリの現代物」という感じは(私は)しません.ていうか,こういう曲は決定的に受けない(^^;でしょう.

ウェーンベルク/ヴァリエーション第1楽章
第2楽章
第3楽章

ケージ/エチュード・オーストラルズ

 「激しさ」といえば,現代的な演奏手法で,拳や腕を使って鍵盤をぶったたく「クラスター」というのがあるんですが,これを創始したと言われる(と書いてから思ったのですが,アイヴズのピアノソナタの2番,いわゆるコンコードソナタでものさしで鍵盤を押さえるのが先?と思って調べてみたら,確かに微妙のようですね)カウエルも確かに「クラスターばしばし」ですが,あんまり「バリバリの現代物」って感じはしませんね.でも受けることは受けるでしょうが...

アイヴズ/ピアノソナタ第2番より第2楽章"Hawthorne"(ものさしを当てるところが映っているのを探したがなかった.でもアムランやっぱめちゃうま...)

カウエル/Dynamic motionへのencoreから第3曲Advertisement(思いっきりぶったたけるように?長手袋をしてかなり気合いが入っていて?笑えます(^^;.しかも最初の普通に弾く部分を考慮して指先は出ている)

 こうやって考えてくると私の中での「バリバリの現代物」というのも実はかなり限定的なものであることに気づかされます.そして,そういうものをレパートリーの中に入れられたらと思っています.具体的には何でしょうね?十二音音楽の原点に近くて好きな曲であるシェーンベルクの組曲Op.25あたりからスタートとしてみましょうか.この中で何か弾くとしたら一番激しいシェーンベルク/組曲Op.25から第5曲ジーグになるでしょうか(つづく).

シェーンベルク/組曲Op.25から第5曲ジーグ

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11/23'08
[政治家の失言]
(世の中, 政治)

 首相の失言が話題になっている?ようですね.おそらく今に始まったことではなく,ずっとそういうことを言ってきたのが,首相になって急に取り上げられるようになったということでしょう.ですからこういうことを言うとどういう人がどういう思いをするのかという想像力が元々ない人ということですね.そしてそういう人が首相になるくらいですから,おそらく彼に限ったことではないのでしょう.つまり,何度もここに書いているようにもう政界に有能な人材が集まらなくなっているのだと思います.私が望むのはただ1つ,ずっと書いてますが,徹底的に小さな政府になってもらうことです.

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23b
[バリバリの現代物 つづき 十二音系で行くと]
(ピアノ)

 いくら十二音音楽と言っても,さすがにシェーンベルクが現代物というわけには行きません.その流れをくむとなると,とても限定されるのは既に書いたとおりですが,ブーレーズなら間違いなく「バリバリの現代物」と言えるでしょう.ソナタ1番はちょっと地味ですが,2番は結構派手で私も好きです(高校の時出だしを目覚まし代わりにしてたくらいですから(^^;).でもちょーー難しいし長い.ですからやるとしたら短い3楽章かなーと思ったことはあります.一応候補としておきましょう.でも譜面はまだ見たことはないので(T大ピアノの会にいたとき現代曲が得意だったO田さんが練習していて,ちらっと見たことはあるが),今度ヤマハかどっかで見てみることにします(こういうとき本郷に住んでいたときはちょろっとちゃりんこでアカデミアに行けたんですけどねー).でもおそらく見た瞬間にやめる可能性大でしょーねー(やってやれないことはないだろうが,そこまで頑張るパワーはもうないと思うので).

 少し(大分?)遡れば十二音の流れで行くと,アイスラーがいますね(でもアイスラーとか出てくるともう入門とは言えませんね).ピアノ曲は全集でCD1枚に収まるくらいですが,結構好きです.特にソナタの3番は,大学時代にLPで聴いて譜面も入手してちょっと練習しました.デフォルメ具合もちょうどいいですし(ブーレーズだとデフォルメしすぎていて一般の人には厳しすぎる?),技術的にもそんなに難しくないです(紹介したいが音源はさすがにネットにはなかった).ですから,これも候補ですね.ただ,ブーレーズのピアノソナタ2番にしてもアイスラーのピアノソナタ3番にしても,よし練習しよう,と思うまでの決め手はないですかねー(あったら既に練習してるでしょうしね)

 これ以外の十二音系,例えば,クシェネック,ダルラピッコラ,ベリオなどは(おそらくピアノ曲は全部聴いてると思うが),一般の人という以前に私にとっても厳しい(^^;です.というか,やっぱり現代曲と言ってもほんといろいろなんですよ(どれも同じようにしか聞こえないという人もいるでしょうが(^^;).結局,その中から気に入った曲を探し出すということなんだと思います.

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23c
[バリバリの現代物 つづき どこからが現代音楽?]
(ピアノ)

 十二音に拘らなければ,範囲はぐっと広がることは既に書きました.でも,議論?が前後するとは思うのですが,どの辺からが「現代物」と言えるでしょうかね?もちろん,既に書いたように,時期の問題ではなく中身の問題です.

 例えば,既に紹介したスクリャービン,ラフマニノフ,シェーンベルク,バルトーク,ストラヴィンスキー,プロコフィエフ,ショスタコービッチ,メシアンだと,ショスタコービッチとメシアンくらいですかね?でも中身的には,ショスタコービッチは,ピアノソナタ1番のような「バリバリの現代曲」を書いていた頃もありますが,全体としてはとても聴きやすいです.

ショスタコービッチ/ピアノソナタ1番

ショスタコービッチ/交響曲第7番

ついで?に,好きと書いた交響曲第10番の第2楽章のスケルツォも置いときます.格好良くて(^^;普通に聴けませんか?

ショスタコービッチ/交響曲第10番から第2楽章 こっちの方が迫力はあるが

ショスタコービッチ/交響曲第10番から第2楽章 こっち(なんとアシュケナージ指揮のN響(多分))の方が上手い

 メシアンにしても,例えば,4つのエチュードは,現代曲っぽいですが,まなざしやアーメンの幻影やトゥーランガリラ交響曲あたりは,かなり聴きやすいと思います.

メシアン/4つのエチュードより火の島I,火の島II

メシアン/トゥーランガリラ交響曲から第1楽章「序」

メシアン/トゥーランガリラ交響曲から第5楽章「星たちの血の喜び」

ですから,ショスタコービッチやメシアンが「バリバリの現代物」かと言うと...違うかもしれませんね(この辺になると大分主観的になってくる).

 ここで紹介できなかったこの他の近現代の作曲家,例えば,ミヨー,プーランク,オーリック,オネゲル,フランセ,ヒンデミット,ハチャトゥリアン,カバレフスキーあたりだと現代物というよりは近代物という印象です.時期的にもそうですが中身的にもです.

ハチャトゥリアン/ヴァイオリン協奏曲

ハチャトゥリアン/バレエ「ガイーヌ」より剣の舞

トッカータも載せようと思って検索したら動画自体はいっぱいあるのですが,自分で弾いてるせいかどれも酷い演奏に聞こえてしまってやめました(私なんかが言うのもなんですが(^^;).

ハチャトゥリアン シフラ編/バレエ「ガイーヌ」より剣の舞 頑張って弾いてますね(^^;という感じですが,跳躍のすごさがわかりやすいので敢えてこの動画にしました

ハチャトゥリアン シフラ編/バレエ「ガイーヌ」より剣の舞 譜面付きもありました.

リムスキー・コルサコフ シフラ編/熊ん蜂の飛行 ついでに同系統?の...(^^;

デュティユーくらいまで来ると時期的にも現代物と言ってもいいかもしれませんが,中身的には微妙です.

ディティユー/ピアノソナタから第3楽章「コラールとヴァリエイション」 第2変奏の右の分散和音が独特でほんとに美しいがこの演奏は今一...

 そういう中で(私の中で)現代的な響きがすると思うのはジョリヴェです.ただ,変な言い方になってしまいますが,ピアノソロの曲の中にジョリヴェ的な曲はあまりないんですよねー.室内楽にはそういうものが結構あるし,ピアノコンチェルト(赤道)は,「ジョリヴェ的」でかなり好きです.そういう中で私が一番ジョリヴェ的だと思うのは,既に弾きましたが5つの典礼舞曲の第2曲「英雄の踊り」です(赤道も5つの典礼舞曲もさすがにネットに音源はなかった...当然か...(^^;).ですから,これをもう一度ちゃんとさらうという手もあるかもしれません.でも作曲は1939年ですから現代物と言うには...

 年代に拘らずに「激しさ」を伴い無機質で現代ぽい響きがするものと言ったらモソロフなんかいいですねー.

モソロフ/ピアノソナタ第2番から第3楽章

モソロフ/ピアノソナタ第2番から第3楽章 譜面付き 演奏は上のものの方が歯切れがいいです

モソロフ/ピアノソナタ第2番から第1楽章

 やっぱ好きかも(^^).でも,20年前なら間違いなく練習して演奏会で弾いたでしょうけど,もうこういう曲をやるほど若くないかなー(^^;.それに作曲年は1923年なんで,やっぱり「バリバリの現代物」じゃないですよね.

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23d
[]
(野球)

 WBCで中日の選手全員が辞退したことが物議を醸してるようですが,もう「お国のため」という時代でもないんだし,別に騒ぐほどのことでもないんじゃないですかね?

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23e
[]
(日記)

 この3連休は久しぶりに時間があるので,仕事をしながら合間に現代音楽の記事を書いて,という感じで過ごしています.この記事は,私が好きな曲を書いたときのようにいい「復習」になって,書いていても楽しいです.でも驚いたのは,有名曲であれば,ネットに音源が沢山転がってることですね.私が好きな曲に音源へのリンクを付けたもの,あるいは,これ以外にも「こういういい曲や面白い曲があるよ」的な記事が書けそうな気がしてきました.そういうのを作っておけば,自分にとってもクリック1つで聴きたい曲にアクセスできるのでとても便利です.

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11/25'08
[ポピュラー?な近現代曲 補遺]
(音楽)

 ここで,私が好きな曲で紹介しなかった近現代でポピュラーな曲として,剣の舞などを紹介したので,ついでに他にいくつかポピュラー?な近現代曲を紹介しとこと思います.剣の舞を紹介したので(でもほんとはシフラ編を紹介するのが主目的だったんだが),ハチャトゥリアン節が来ればカバレフスキー節ということで,道化師のギャロップです.普通の演奏を紹介しても面白くない?ので,こういうのはどうでしょう?

カバレフスキー/組曲「道化師」より第2曲「道化師のギャロップ」

運動会とかでよく聴きませんか?後ろを平然と自転車とかが走っていくのが笑えます.次は「のだめ」で有名?になった

ストラヴィンスキー/ペトルーシュカから3つの楽章

です.この曲はバレエ「ペトルーシュカ」から3つの部分を取り出してピアノソロに編曲したものですが,原曲も

ストラヴィンスキー/バレエ「ペトルーシュカ」

こんな感じで始まってとても聴きやすいです.でも,ペトルーシュカの振り付け初めて見ましたけど,もちろんいろんな振り付けがあるんでしょうが,音楽は至ってノーマルなのに振り付けが前衛的でなんか違和感ありますよねー.ネットでは見つけられなかったのですが(そんなに一生懸命探してもいないが),連弾のピアノ編曲(こっちは全曲版)もあります.

 次は,ソフトバンクのCMでとみに?有名になった,ここでも紹介した,

プロコフィエフ/バレエ「ロミオとジュリエット」からモンタギュー家とキャピュレット家

です.ピアノ版もあります.

プロコフィエフ/「ロミオとジュリエット」からの10の小品, Op.75からモンタギュー家とキャピュレット家

技術的にとても平易なのですが,実際に弾いてみると意外と弾きにくいです.ポピュラーと言えるのはこのくらいですかね?でもどれも近現代音楽って感じじゃないですよね.ポピュラーというほどではないですが,どこかで聴いたようなものとしてフランスものをいくつか紹介しておきます.

ミヨー/スカラムーシュ

ミヨー/屋根の上の牛(オケ版)

ミヨー/屋根の上の牛(ピアノ連弾(はこんなんしかなかった...))

プーランク/15の即興曲より第15番「エディット・ピアフを讃えて」

スカラムーシュは3楽章あって,3楽章も(6'50"すぎくらい)結構のりのりで聴きやすいですよ.プーランクはまだ東京にいた頃,ジョリヴェといっしょに弾きました.いずれにしてもどれもとても聴きやすくて親しみやすくて近現代って感じじゃありませんよね.

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11/26'08
[誰が最初?近現代音楽]
(音楽)

 「バリバリの現代物」からどんどん離れていくような気もするのですが,現代物というか,音楽を最初にデフォルメというか,純粋な調性音楽からある意味「崩し」だしたのは誰なのか,というのは,ずっと前からなんとなく気になっています.1つの境目は,完全な十二音で最初に書かれたシェーンベルクの5つのピアノ曲, Op.23の第5曲「ワルツ」でしょうが,この曲は1923年のものなので,単に調性音楽からの乖離と言うことなら,例えば,ストラヴィンスキーの春祭の初演は,1913年ですし,アイヴズがそういう音楽を書いていたのは,春祭よりも早い段階です(でも彼の作品は生前はほとんど演奏されませんでしたが).年代から言うと1900年前後くらいということですが,これよりも前にそういう雰囲気の曲は,ぱっと思いつくだけでもいくつかあります.

 超有名曲としては,ムソルグスキーの展覧会の絵(1874年作曲,オリジナルのピアノ版は1886年出版)の中のいくつかにそういうものがあります.例えば,バーバヤーガの小屋や小人とか.卵の殻をつけた雛の踊りにも断片的にそういうフレーズが聴かれます.

 ムソルグスキー/展覧会の絵からプロムナード1,小人,プロムナード2,古城,プロムナード3,チュイルリーの庭

 ムソルグスキー/展覧会の絵からヴィドロ,プロムナード4,卵の殻をつけた雛の踊り,サムエル・ゴールデンベルクとシュムイレ,プロムナード5

 ムソルグスキー/展覧会の絵からリモージュの市場,カタコンブ

 ムソルグスキー/展覧会の絵からバーバヤーガの小屋,キエフの門

 この曲はラヴェルのオーケストラへの編曲で初めて日の目を見たのですが(ピアノ版は上でリンクを貼ったリヒテルの演奏までほとんど弾かれることはなかった),その中で唯一?ラヴェルが興味を示したと言われるバーバヤーガの小屋が一番そういう雰囲気があります.

 ムソルグスキー ラヴェル編/展覧会の絵からバーバヤーガの小屋,キエフの門

 ちなみにこの曲は今や超有名曲で,ELPや富田勲(シンセサイザー)の編曲など(他にも多分いろいろある)も有名です.ちなみに最後の曲「キエフの門」は,某深夜番組(珍百景)で使われています.でもどうなんですかね?単におどろおどろしい曲を書いたらこうなったみたいな感じもしないでもありません.

 ムソルグスキー/禿山の一夜

 ちなみにこの曲はオケの方がオリジナルですが,ピアノ編もあります.ベレゾフスキーも上手すぎ...

 ムソルグスキー ベレゾフスキー編/禿山の一夜

(つづく)

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27b
[誰が最初?近現代音楽 つづき]
(音楽)

 ムソルグスキーより前となるともうロマン派になります.ショパンのプレリュード集, Op.28は前衛的で実験的な要素が強いと書きました.全体の雰囲気もそうですが,個別にも,例えば,2番とか18番とか22番とか.

 ショパン/プレリュード集, Op.28より第2番

 ショパン/プレリュード集, Op.28より第18番

 ショパン/プレリュード集, Op.28より第22番

 この他には,ピアノソナタ第2番もそういう雰囲気があります.無窮動的な第4楽章もそうですが,第2楽章のスケルツォも独特の雰囲気でおどろおどろしいですよね.確か中学生のときだったと思いますが,ホロヴィッツの演奏するこの曲を聴きながら居眠りをしていたらほんとに死刑になる夢を見ました(^^;.

 ショパン/ピアノソナタ第2番より第2楽章スケルツォ

 ショパン/ピアノソナタ第2番より第4楽章

 ちなみにこの曲の第3楽章は,超有名な葬送行進曲です.

 ショパン/ピアノソナタ第2番より第3楽章「葬送行進曲」

第1楽章の出だしはベートーヴェンのピアノソナタ第32番の出だしの影響を受けたと言われていますが,もともと無調的な響きがあります.ということで,結局,ベートーヴェンまで来ちゃいました(^^;.ベートーヴェンの後期のソナタにその後の新しい音楽を予感させるようなものがいくつかあるとも既に書きました.

 ショパン/ピアノソナタ第2番より第1楽章

 ベートーヴェン/ピアノソナタ第32番より第1楽章

無調的な響きがあるのは,この曲の出だしだけなのですが,この話題とは関係ないのですが,第2楽章(ヴァリエーション)の第3変奏って,これってジャズ?と思う(この曲を最初に聴いた小学生のときからそう思ってる)のは私だけでしょうか?

 ベートーヴェン/ピアノソナタ第32番より第2楽章(前半)(第3変奏は6'50"くらいから))

 ベートーヴェン/ピアノソナタ第32番より第2楽章(後半)

 ベートーヴェンの後期の作品には,調性からの乖離も含めていろんな意味で新しい音楽を予感させるものがいっぱいあります.ということで,全ての音楽はベートーヴェンに集まり,ベートーヴェンから生まれていった,というのはちと言い過ぎかな?

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11/27'08
[首相の失言?]
(世の中, 政治)

 首相が,俺はちゃんと健康管理してるのに,そんなことせずにただ好き勝手に飲んで食って体壊した奴らの医療費をなんで俺が払わないといけないんだ?というような失言?をしたことが取り上げられているようです.保険制度をつかさどるトップの発言としては確かに問題ですが,私は一理あると思いますよ.そもそも保険料が一律に同じというのも変な話です.健康診断結果を点数化して保険料を決めたらどうですかね?

 でも本人に何の責任もない病気や事故もあるし,セイフティネットという考え方はよくわかるのですが,いざとなったら国が面倒見てくれるから自己管理なんか適当にやればいいや,では無駄な医療費は膨らむばかりでしょう(でも体を壊したときの辛さはお金では絶対解決しないと思いますけど).つまり,やっぱり自分の面倒は自分で見るという「小さな政府」になってもらうのがいいと私は思います.ていうか,そうしないともう財政的にもたないでしょう.

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11/28'08
[現代物 補遺]
(ピアノ)

 なんか,話題があっちゃこっちゃ行ってますが,初心に戻って?まだ紹介していない現代物を補遺しとこと思います.

 ジェフスキ(1938-, アメリカ)は,やや異色です.政治的背景がある曲も多いのですが,音楽的には,現代っぽいものと同時に民族音楽っぽいポピュラーなフレーズもしばしば現れます.一番有名なのは,「不屈の民(The United People Never Be Defeated! )変奏曲」でしょうか.ベートーヴェンのディアベリ変奏曲になぞらえられる?ほどの大曲ですが,使われているテーマはとてもポピュラーなものです.ジェフスキの自演による最初の部分

ジェフスキ/不屈の民変奏曲より

と最後の部分がありました.

ジェフスキ/不屈の民変奏曲より

 これ以外には,4つのノースアメリカンバラードの中のクラスターを多用した第4曲「ウィンスボロー・コットン・ミルズ・ブルース」も有名です.最初の方のクラスターを使ってガチャガチャ言ってるところは,コットンミルの機械の音を表現していて,しばらくするとブルースのポピュラーなフレーズが現れます.それがデフォルメされて現代音楽ぽいところが続いた後,また,ポピュラーな旋律が現れ,最後は,クラスターの機械音で終わります.

ジェフスキ/4つのノースアメリカンバラードより第4曲「ウィンスボロー・コットン・ミルズ・ブルース」

クラスターの部分の譜面はこんな感じです(^^;.


 第3曲の「ダウン・バイ・ザ・リバーサイド」も有名でポピュラーなのですが,ネットではジェフスキの音楽の解説?ビデオのようなものしかありませんでした.この中には,第4曲の「ウィンスボロー・コットン・ミルズ・ブルース」も紹介されています.

 ピアノための4つの小品というのもあります.この中の第4曲は,大学3年くらいだったか,駒場祭で弾きました.この曲は,現代ぽい響きで始まって,途中でポピュラーなフレーズが現れ,また,現代ぽくなって,またポピュラーなフレーズが現れ,最後は現代ぽく終わるというパターンですね(何か解説?の書き方がだんだんいい加減(^^;になってきた).

ジェフスキ/ピアノための4つの小品から第4曲

冒頭だけですがジェフスキの自演もありました.

ジェフスキ/ピアノための4つの小品から第4曲(冒頭部分)

 他にはスクエアという描写的な作品もあります.民族音楽ぽいフレーズも出て来ず,ジェフスキのピアノ曲の中では一番現代ぽい響きがしますかね.

ジェフスキ/スクエアより第1曲「スコール」

ジェフスキ/スクエアより第2曲「ハイエナ」

 そして,びっくりなのは(「ダウン・バイ・ザ・リバーサイド」のビデオ,あるいは,上の譜面の写真で気づいた人もいると思いますが),これらの楽譜が全て全音という日本の出版社から出ていることです.ですから日本で最も譜面が手に入りやすい現代音楽作曲家?と言えなくもありません.


 この他に最近の作品もあります(中には「息」を使ったのとかもある(^^;).なんかジェフスキだけで結構長くなってしまったので,今日はこれでおしまい.

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28b
[クラブのワールドカップ?]
(サッカー)

 C・ロナウド擁するマンUが来るということで話題になってる?インターコンチネンタルカップ(トヨタカップ)が形を変えたクラブワールドカップ(ていうのかな?正式にはもっと長ったらしい多分)ですが,「クラブのワールドカップ」じゃないですよね(^^;.優勝チームはクラブ世界一と言っていいとは思いますが,これで3位になったからと言って「世界の3位」でないことは明らかでしょう(^^;.

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11/29'08
[気になる?CM]
()

 気になるというほどでもないのですが(^^;,みょーに懐かしい風景がたくさん出てくるCMがあります.「大分むぎ焼酎 二階堂」のCMです.でも「大分」ということなのですが,どー見ても有明海にしか見えないのもあってちょっと調べてみました.



 ここにありますね.撮影場所も書いてあります.大分ではなく,ほとんどが福岡と熊本なので,まさに私が小さい頃,連れて行ってもらったところのあたりということですね.

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29b
[]
(日記)

 最近あんまり調子がよくないです.一昨年も体調を崩しましたし,例年,今くらいの季節って,調子を落とすような気がします.と思って,過去の記録を調べてみました.結果は...全然そんなことありませんでした(^^;.こういう思い込みってあるんですねー.

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29c
[あること]
(日記)

 で,あることを始めて1ヶ月経ったので,そのあることは何かというと,別に大したことではないのですが,基本的に「移動するときは走る」ということです.眞鍋かをりさんはそうしてるらしいです.それも全力疾走らしい...(^^;.

 彼女がそうしている理由というのは,歩くと10分かかるところを走れば5分以下で済むわけで,その5分がもったいないんだそうです.一般の人?は,えー?という感じだと思うのですが,私はよくわかります.ただじっと待っていたり,歩いていたりって退屈なんですよねー.

 で,それが理由というわけではないのですが,私も1ヶ月くらい前から歩くと10分くらいかかる距離なら軽く走るようにしています.でも歩いて10分くらいの距離を移動する機会ってそんなにないので,具体的には,家からセンターまでということになります.

 私は夕食を食べに一度家に帰っているので1日2往復するわけで,で,最寄りのバス停からセンターまでの1往復分は,大学から通勤手当が出ていて(でも平日,しかも,回数券を買った場合の割引額しかくれない,つまり,定期代は出してくれていない(T_T)),それは普通に使わせてもらって,残り1往復分を軽く走っています.距離にすると片道1km弱,往復2km弱くらいです.時間にして片道6分くらいというペースです.このくらいなら息が上がるなんてことは全くありません.でもそれは今の季節になったからであって,真夏なら汗一つかかないということはないでしょうね.つまり,今現在,1日2kmは軽く走ってることになるわけです.

 まあ,とにかく動くの一環ということですが,特にこれと言った効果は...あまりに運動強度も量も低すぎる?ただ,僅かですが(^^;時間の節約にはなってますね.これを始める前は,1往復分は自転車を使っていたのですが,自転車置場に置いてバス停まで移動して,とかやってると軽く走った場合と時間的にはそんなに変わりません.このくらいのペースなら雨が降っていても傘をさして走れます.夜遅くなると自転車置場は閉められてしまうのですが,走れば関係ないので,終バスまで仕事できるようにもなりました.ということで,まだしばらく続けてみようと思います.

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29d
[骨盤の傾き?]
(スポーツ)

 動くこと,特に競技レベルのスポーツを行う際に素速く効率的に動くのに効果があることとして「骨盤の傾き」を紹介?しました.でも最近なんかまたよくわからなくなってきました.何がわからなくなってきたのかというと,骨盤を傾けるということがどういうことかということです.

 で,今日の帰りにバスを待っているときにバス停でそういう動作をしながら考えていたのですが,骨盤を傾ける(傾けるという動作をする)と体幹に力が入ることに気づきました.つまり,骨盤を傾けるというよりは,体幹に力を入れるということかもしれません.動き出すときには必ず体幹に力を入れないといけないのですが(もちろん体幹に力を入れなくても動けるが格段に遅くなる),体幹に力を入れてから動き出すのではなく,始めから体幹に力が入っていれば,ただ動き出すだけでいいわけですからね.

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29e
[わからない]
(生き方, 日記)

 不調ということもあると思うのですが,自分がどうありたいのか,何がしたいのか,何に関心があるのか,何にパッションを感じるのか,というようなことがわからなくなってきました.そういうものがなければ,何かしたいということがないわけで気力もわきません.もちろんやらなければならないことはいくらでもあるので,そういうことを淡々とこなしていけばいいのでしょうが,それだけではやっぱりつまらないですし,それだけでは「楽しく気分よく」生きて行けません.まあやるべきことをやりながら回復するのを待つしかないですかね.

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11/30'08
[やはりやるべきこと?]
(生き方, 日記)

 どーにも調子がよくないです.でも,やりたいこと,じゃなくて,やるべきことなんでしょうねー.やるべきことというとやはり仕事なのでしょうか?つまり,自分が一番「得意」なものに打ち込むということなのでしょうか?でもそれだと普通というか,他の人と変わらないんですよねー.もちろん,一芸に秀でるとかその分野でトップになる(という言い方はどうかと思うが)というのはそれだけですごいことだとは思うんですが...

 でも書きながら思ったのですが,「自分がどうありたいのか,何がしたいのか,何に関心があるのか,何にパッションを感じるのか」がわからなくなったら,やはり(とりあえず),やるべきことをやるしかないでしょうね.少なくともやりたいことよりはやるべきことの方が遙かに容易に判断できることは確かです.ていうか,そもそもやらないといけないわけですから.もちろん,やるべきことは仕事に限りません.

 そう言えば,父が亡くなったのは,年が明けて1月3日だったのですが,その数日前の12月30日くらいだったか,友人達と忘年会をしていて(高校2年のとき,春の文化祭で劇をやった仲間でいつも何かして遊んでいた.あの年はほんと楽しかった),その帰りに父が入院していた病院に寄って,そのとき言われたことが結局父が私に対して言ってくれた最後の言葉になったのですが,それが「やるべきことからやれ」でした.気がついたら,私が父がなくなった歳になるまでもう1年と少し(父が9月生まれで私が10月生まれで父は48で亡くなったので)になってきました.

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