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5/2'08
(PC)

 ドコモから出る新しいスマートフォンですが,iPhoneのようにタッチパネルで感覚的な?操作が可能というのが売りのようです.うーーん,違ーーう.少なくとも私が欲しいものとは全然違います.私が欲しいのは再三書いているようにPCとデータを連動して,モバイルで3台目のPC(1台目がデスクトップで2台目がノートなので)の役割を果たしてくれることです.ですから,入力のしやすさは重要で,入力のしやすさでキーボードに勝るものはありません.ここの動画で写真や動画をしゃっしゃっ(^^;とiPhoneのように操作した後,ワードとエクセルも使える,入力もテンキーや液晶に出てきたキーボードとタッチペンでできる,となって,がくっ,って感じです.つまり,少なくとも親指2本で入力できるフルキーボードが付いてないと話にならないわけです.

 例えば,電車の中とか,立った状態で片手で入力しないといけない場合もあるので,普通の携帯のように片手でつり革につかまって操作できることも必要です.でも,内蔵のペンでソフトキーボードでは両手が必要ですよね.それなら,両手で親指2本入力の方が早いですし,片手でテンキーでも入力できますよ,ということなら,それこそ携帯電話と変わらないわけです.そういう意味で,一番理想に近づいた(と思った)のは,ノキアのE61でした.

でも実物を見ると意外と小さくて,両手で親指2本入力は厳しそうでしたでした.それにキャリアがソフトバンクじゃあねー(その時点でPCとの連携については調べず).ソフトバンクだとどうしても地方に行ったときに繋がりにくいことが多いんですよ.922SHも面白いと思うんですけど,ソフトバンクなんですよねー.

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5/3'08
[typeTの使用感](PC)

 注文してたtypeTが来ました.ぱっと見た感じはとにかく平ぺったくてうすーーい.マックエアーを小さくしたような感じです(↓左がtypeTで右がレッツノートW5).

それで,OSがVistaなので,使えないソフトがあったり,Orchisのように使えてもXPの設定ファイルが使えなかったり,XPとのファイル構造の不一致などで少々時間がかかりましたが,一応使える状態になりました.LOOX Uでみられた不具合も今のところ全くありません.それで使い勝手ですが...

 予想通りすごいかも...(^^).横幅1366ドットはやはりちょー快適です.使用感はレッツノートYとほぼ同じです(Yは横幅1400ドット).でもYより全然小さくてコンパクト.ですからあり得ないことが起こっているようなとても不思議な感じです.どこかで書いたかもしれませんが,横幅1024ドットのレッツノートWで無理矢理2画面並べていたため解像度が足りず文字がつぶれ気味だったものがとてもくっきり鮮明になって,例えるなら,視力が急によくなったような感じです.プライバシーフィルタ(は電車の中で仕事をするのに必須)もメーカー純正(^^;(だって,このサイズの横長のフィルタはさすがにないでしょうからね)なので,LOOX Uのときのように縞縞になったりせず,相性もばっちりです.

 でもまだ使い始めたばかりで,いいことばかりでもないでしょうから,使いながらぼちぼち対策をして行こうと思います.少なくともこの大きさこの重さでこの解像度のものは他にないわけですからね.

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03b

(日記,世の中)

 つくばセンターのQ't前(車のCMでも使われたおしゃれな(と世の中の人は思うと自動車メーカーは思う)場所)ですが,ここは放置自転車がものすごくて,でも当然駐輪禁止で,でもただ禁止と言うだけではだめでいっそのこと駐輪場にしたらいいと思っていたのですが,ようやく駐輪場になりました↓.料金は1回150円で24時間駐められるようですが,駐輪場があるのに放置する人はさすがに(今のところは)いないないようです.

 数えたら1つの機械で60台を制御しているようですから,1日3台フル稼働で回すとすると1年で1000万!も稼ぐことになります.1日3台フル稼働できるかどうかですが,上の写真のようにいつもほとんど埋まってる状態です.つまり,1日3台行けるかどうかはともかく,最低1日1台はフル稼働ということになります.それでも300万以上です.この機械がいくらするのかわかりませんが,そもそも自転車駐めるのに1回150円というのが私の感覚では高い気がします.1ヶ月毎日駐めれば4500円ですからね.でもそれでも駐める人がいるからフル稼働なわけですから,需要と供給の関係から行けばまだ高くても行けるということでしょうか.ということは,これで相当「儲ける」ことができるんじゃないですかね.でも儲けるのは自治体なので,その分,市民に還元するのが筋だとは思いますけど.

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5/4'08
[typeTの使用感のつづき](PC)

 typeTの使用感の続報?でが,一言で言えば,今のところ快適そのものです.まず計算スピードですが,テストプログラムを走らせてみたところ80〜90と,W5の170の倍くらいとなり,予想以上にスピードアップです.

 オーダーメイドなので正確にわからなかった重量ですが,秤で量ってみると,本体が920g,軽量バッテリ(3.5〜6時間駆動)が185gで,計1105gでした.普段(家と大学を往復)はこの状態で使うことになります.標準バッテリ(7〜12時間駆動,東京に行くときや出張などのときはこれを使う)は320gなので計1240gとなり,レッツノートWとほぼ同じになります.ワイヤレスWANを付けてハードディスクを2.5型の250GBにしたので,だいたい予想通りです.まあ,重要なのは大きさ(≒鞄から取り出す気になりやすさ+狭いところでの開きやすさ)であって重量ではないですからね(500mlのペットボトル1個で500gですし(^^;).

 問題点があるとしたら,タッチパッドがレッツノートの丸いのに慣れていたせいもあって,スクロールが丸いの(はぐるぐるやってスクロールする)ほどうまくできないことでしょうか.でももう,大分慣れてきました.スクロールは右手の親指で行うので,レッツノートの場合キー1個分くらいホームポジションから左にシフトする癖がついていて(typeTだとホームの位置でそのままスクロールできる),気づくといつの間にか右手が左の方にあったりします(^^;.まあこれは慣れの問題もあると思うのでもう少し使ってみます.ただスクロールに関しては,「盛り替え」が必要ない丸い方がいいような気がします.

 あとは,液晶があまりに薄くてぺらぺら(^^;なので,揺れが激しい(^^;関鉄のバスの中ではちょっと揺れやすい?ことですかね.あと,カバーを閉じると自動的にスリープに入るのはレッツノートと同じですが,開けるときに自動的に立ち上がらず電源ボタンを押す必要があります.でもこれも慣れの問題でしょうし,レッツノートだとカバーを開くのを認識させるためにカバーのロックのボタンを押さないといけないので(これが実は手探りで結構面倒.typeTにはそういうのはない),その代わりに電源ボタンを押せばいいわけで手間は同じです.ちなみに電源ボタンはバッテリの脇のとても押しやすいところにあって,大きさも大きいです.

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04b
[無駄な道路](世の中)

 道路財源や年金問題で,メディアは盛んに要らない道路や箱物を取り上げ,なんでそんな税金の無駄遣いをするんだ?と(ずっと昔から)言ってますが,理由は明白です.土建業者の数がとにかく多いのです.つまり「無駄な道路」を作らないと何百万人という人の仕事がなくなるわけです.これはとりもなおさずワーキングプアと同じ教育の問題です.土建業の中にはスーパーゼネコンと言われる超知的集団もありますが,そんなのは極々一部に過ぎず,土建業に関わる人の多くは下請け孫請け業者の下で働く日雇い労働者など,自分の体を動かして,つまり,何か身につけたスキルで能力を発揮するのではなく,ただ自分の「肉体」を提供するだけでしか働くことができない人達で,残念ながら日本のような国でもそういう人がまだまだ多いと言うことなのでしょう.そしてそれは,そういう人達の責任というよりは,教育システムの問題というのはワーキングプアで書いたとおりです.

 教育というと子供の教育と考えがちですが,大人も同じことです.20くらいで就職して65でリタイアするまで45年もあるわけで,その間に産業構造が大きく変化することは大いにあり得る,というか実際に必ず起こるわけで,そういうときに就労人口を再配分する,即ち,45年の間に多くの人が職を変えなければならないのはどうしても必要なことです.最近は,会社自身が人間のようにやることを考えて変えていくこともありますが,人間一人一人が終身雇用制に拘らず自由に会社を移動でき,そのために新しいスキルを身につけるシステムがやはり必要でしょう.

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04c

[後継者]

 このコーナーで何度が後継者について書いてきました.人間の本能なのかもしれませんが(だとすれば抗わない方がいいし,考えるのもやめた方がいいのですが(^^;),私も歳をとるに従って,自分がやっている仕事の後継者というか,要は,研究者を育てておきたいと思うようになってきました.「おきたい」というと,単なるわがままのようですが,「おきたい」というよりは「おかなければならない」という使命感のようなものの方が強いです(でも最終的にはやっぱりわがままだということになるんですが(^^;).

 でもなぜそう感じるのでしょうか?まず全ての仕事は社会的分業を担っていて誰かがやらないと社会が機能しなくなるものです.そして,それが非常に高度な技能や能力を必要とするものなら尚更です.私がやっていることは(一応)最先端の研究テーマですので,誰でもおいそれとすぐにできるものではないでしょう.

 利己的な遺伝子的な,自分の遺伝子を残しておきたいという,それこそ本能的なものだとしても,そういう希少?な遺伝子を残すことが人類全体の繁栄(^^;に繋がるのでしょうし,動物の世界では,強い遺伝子が残る(そういうオスがメスを獲得する)ような仕組みになっているわけです.

 先日も定年まであと数年となってきた同じ専攻のS先生が後継者がいないから何とかして後継者を育てておきたいと思うようになってきたとおっしゃってましたし,同じく同じ専攻のK先生は,そのためには,ただ自分が懸命に仕事をしていくだけじゃだめで,自分がやっていることがいかに面白いかを(例えば学生に)とうとうと説いていかないといけないとおっしゃっていました.

 でもよく考えてみると変な話だと思いませんか?だって,自分がやっていることが社会的にとても重要で誰かが引き継がないと社会がおかしくなる,なんてことは(多分)ないでしょうし,そうだとしたら,そう判断した人が必ず(結果的に)引き継いでやっていくものだからです.ですから,今自分がやっていることが重要だと(自分自身ではなく)社会が社会の誰かが判断すれば誰かが必ず手を挙げるはずですし,手を挙げなければそれは社会にとって必要ないものでしょうから,別に後継者なんか要らないわけです.

 もちろん,やっていることを知ることができなければそれが面白いのか,やりがいがあるのか,社会にとって必要なのか判断のしようがありません.ただ幸いなことに,研究者は,やってることを論文として公にすることができます.論文だと読む人が限られるということなら,ホームページでわかりやすく全世界に向けて発信することもできるわけです.

 ですから,一応の結論としては,私のすべきことは,やはり,自分がやるべきと思う仕事をしっかりとやっていくこと,そして,それを発信していくことだと思います.それで,私もやりたい,と思う人がいなければそれはそれで仕方ありません.

 ただ,「一応の」結論と書いたのには,続きがあります.つまり,「仕事」という枠組みだけで考えていいのか,ということです.もちろん仕事は私の中で多くの部分を占めていますが,それが全てではありません.つまり,「後継者」と言ったときには,自分の仕事の後継者ということもあるのですが,それだけではなく,そういうことも含めてどう生きていくかとか,自分の考えることを伝えておきたいということがあるわけで,だからこそ,ここでこういう文章を書いているわけです.もちろん,伝えておきたいという私のわがままもあるのですが,伝えることによって,特に次の世代に人達が気分よく生きていくための考え方やヒントになってもらえればという思いがあります.

 これはとても重要で,例えば,この文章の上の方に「自分がやっていることが社会的にとても重要で誰かが引き継がないと社会がおかしくなる,なんてことは(多分)ないでしょうし,そうだとしたら,そう判断した人が必ず(結果的に)引き継いでやっていくもの」とありますが,そういう判断をすることがまず必要だからです.

 これもどこかで書きましたが,私は今地震防災を対象とした研究をしていますが,ただ,我田引水的に,近い将来大地震が来るから地震防災が重要だ,と声を大にして言っても説得力はあまりなく,ほんとに重要ならそう判断する根拠を,まず地震防災ありきではなく,社会全体の中でのプライオリティとして考え直さなければならず,もし,改めて再評価してこれ以上やる必要がなかれば潔く撤退することも必要なわけです.

 ですから,私が「後継者を育てたい」と言うときには,単に,地震防災の研究者という枠に留まらず,もっと広い意味で,社会全体のことを考えて大局的に物事の判断ができる人,あるいは,研究者,即ち,一言で言えば,「考えられる人」を育てたいということです.しかし,これも,上の「地震防災の研究者としての後継者」と同様,自分の考えを他人に押しつけるつもりは毛頭ないですから,「地震防災の研究者としての後継者」に対する一応の結論「自分がやるべきと思う仕事をしっかりとやっていくこと,そして,それを発信していくこと」と同様に,自分自身がやるべきことが何かを考えてしっかりと生きていくこと,そして,それをこのコーナーや飲んだりして(^^;話をしたときなどで「私はこう思う」と一応伝えていくことだと思います.

 ただ,これも教育で書いたように,そんなレベルの人は,勝手に育つものなので,結局は,私がどうこうするまでもないことです.ですから,そういう人が日本の,あるいは,世界のどこかにいてくれればそれでよくて,心配しなくてもそういう人は必ず育ってくるのだと思います.ですから結局は,そういう人を自分の手で育てるとまでは行かなくても,いろんな話をしたり議論をしたりして少しは私にできることをしたいし,そういう形で関わって,子供なら血が繋がっているように,何らかの形で繋がっていたいというわがまま(本能?)で,勝手に後は任せたと思えて,心おきなく死ぬことができれば本望(結局わがまま)なわけです.

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5/5'08
[9月にもGW(T_T)]

 今年のGWも明日の試合を残して何事もなく終わりそうでちょっとほっとしています(^^;.それで,5/6(火)が何の振替休日かですが,5/4を国民の祝日からみどりの日にするのと同時に振替の振替を行う法律が通ったそうです.しかも,9月にもゴールデンウィークが出現するらしい...具体的には,ハッピーマンデー(^^;の敬老の日(9月の第3月曜日)と秋分の日が1日を挟むとその日がオセロのように休日になるそうです.ちなみに来年の2009年はそういう巡り合わせになって,土曜から水曜までの5連休になるそうです.なんか今から憂鬱になってきました(ってほどじゃないか).私の場合,1週間の中でリズムを作っているので,祝日があるとリズムが崩れないようにするのがほんと大変です.

 でも,日本って,なんでこんなにどんどん休日を増やすんですかね?世界的に見てどうなんでしょうか?他の国のことはよく知りませんが,アメリカには1年くらい住んでいたのでわかるんですが,土日以外の休日ってThanksgivingとかほんと数えるくらいしかなかったと思います.

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05b
[自分にはこれしかない]

 昨日の情熱大陸は,競歩の山崎勇喜さん(彼もゆうき君ですね(^^;.でも「ゆうき」は男の子の名前の読み方No.1の座からついに転落したようです)でした.自分から競歩を取ったら何も残らない,競歩の結果で人生が変わる,だから,競歩は人生そのものと言っていたのがとても印象的でした.まさに自分にはこれしかないですね.そういうものに巡り会えたのは相当のラッキーでしょう.羨ましいです.

 でもそう思う一方で,ここでも書いたように私にはそういう生き方はとてもできそうもありませんし,したくもありません.ある1つのことに打ち込み,そのことには類い希なる才能を発揮するが,それ以外のことはほとんど何もできないというのは,羨ましくも微笑ましくもあり人間的魅力すら感じますが,少なくとも私はそうなれないし,なりたくもないし,私の身の回りの自分に近い人達,例えば,研究室の学生達や筑波大バドミントン部の選手達にもそうなって欲しいとは思いません.

 山崎さんは,競歩の練習メニューや食事など身の回りのことをすべて監督に委ねているようで,競技に集中するにはそれが最も効率がいいのかもしれません.でも人生の中で競技者でいられる時間は僅かですし,選手を引退した後の方がはるかに長い人生が待っているわけです.でもオリンピックでメダルを獲るにはそうした方が手っ取り早い.つまり,彼は,日本陸連のある意味,犠牲者になってしまっているのではないかと危惧するわけです.

 実際,彼は去年行われた大阪の世界陸上の誘導ミスで入賞を逃しています.もちろん,誘導した係員のミスですが,自分でしっかり周回を把握していておかしいと思ったときにおかしいと主張できる人間だったらそういうことは起こらなかったかもしれません.でも皮肉にもそれをきっかけに彼が注目されるようになったわけですが(^^;(でなければ多分情熱大陸にも取り上げられていない.でも注目されメディアに取り上げられることが彼にとってよかったかどうかも甚だ疑問).

 でもまあ人それぞれですし,別に山崎さんのやり方を批判しているわけでもなく,彼は彼のやり方で自己責任でやって行けばいいのだと思います.そういう人は,傍らから見ている分には羨ましく清々しさすら感じますし,正直私はそういう人が結構好きです(^^;.ただ,私はそうなりたくないし,私が関わる自分の周りの人達にもそうなって欲しくないということです.つまり,これも人それぞれに社会の中で果たすべき役割があって,私は自分のことは自分で考えられる人でありたいし,そういう人を育てていきたいし,関わっていきたいということです.

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05c
[工学研究者]

 世の中の状況が変化すれば多くの人が職を変えなければならないと書きましたが,研究者,それも工学の分野の研究者も同じ,というか,更にシビアです.何がシビアかというと何をやるべきかを世の中の変化に対して対処して考えるのではなく,世の中の変化を先取りしそれを促して行くくらいのレベルで考えて行かないといけないからです.

 もちろん,食べていくだけなら大学の先生は,一旦なってしまえばクビになりませんから,何をやっていても,あまり深く考えずに今やっていることを何となくやっていてもいいのですが,私の場合は,そんな人生はつまらないですし,研究者になった意味もありません.

 しかし,これは様々な分野の中でも工学研究者の1つの特徴かもしれません.例えば,ポアンカレ予想(は解けたことになるのでしょうか?)を解く,宇宙や地球の起源を探る,生命の仕組みを解き明かすといった当分は,少なくとも自分が生きてる間に解くことが難しい壮大なテーマであったり,スポーツ科学のように人と人が競技として争い,少しでも記録を伸ばして人類の限界に迫ろうとするもの,美しさのような際限がないものを追求していく芸術は,どこまで行ってもゴールがないわけで,もちろん細かいところではいろいろあるでしょうが,大きな意味で研究テーマを一生変えずにやっていくこともできるでしょう.しかし工学の場合はそうは行きません.

 例えば,30年弱くらい前,つまり,私が学生だった頃,人気学科の1つだった東大の原子力工学科は,その後の原子力産業の停滞によって(でも最近また盛り上がりそうな気配はありますね)今は,システム量子工学科(という名前)になっています.土木工学科も公共事業の激減で最近は人気がなく,社会基盤学科にというような感じです(まあ土木に関しては本来のcivil engineeringの訳に近づいたとも言えるか).

 私が今取り組んでいる地震防災が(少しは)注目されているのも最近被害地震が多いこと,近い将来大地震の発生が危惧されていることが背景にあると思いますが,研究が進み,それが世の中に還元されて対策が進んで,震度7の下限の計測震度6.5くらいでほとんど被害が生じない状態になれば,もうやることはない,というか,やることはもちろんいくらでもあるのですが,世の中の中でのプライオリティは相対的に下がってくると思います(それでもやり続けるのが研究者魂とも言えるか?).逆に,エネルギー問題が注目を浴びているのは,原油の高騰,そして,近い将来間違いなく化石燃料が枯渇してしまうということがあるわけですし,環境問題についても然りです.

 研究者個人個人もそうですが,私が所属する専攻がこれからどういう方向性でやっていくのかということはいつも議論になります.所属する教員それぞれが何をやっていくのかということもありますが,自分の専門を大きく変えられる人はそんなにはいないでしょうから,新しい人を取るときどういう分野の人を取るかということが主として議論されることになります.それは我々自身のためというよりは,これから研究者になって行こうとする人達のためという方が大きいです.そういうときに,もちろん大学ですから学生に来てもらわなければやっていけないのですが,単に今注目を集めているとか学生に人気があるという理由で方向性を決めるのでは,そのうち立ちゆかなくなるのが目に見えているのは,一番上で書いたとおりです.

 でもそうは思いつつも,世の中のことなんか考えずに(^^;自分のやりたいことを思う存分やりたいようにやれるのが大学の先生の特権ですし,そういう中からとんでもなくすごいものが生まれるのだと思います.私が今の仕事をしているのも地震被害を減らしたいということももちろんありますが,それ以前に,構造物の地震応答という物理現象に純粋に興味があるわけです.そういう狭間でうまく折り合いをつけてやって行くことが必要なのでしょう.ですから,結構大変なのですが,それが面白さの1つと言えるのかもしれません.

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5/11'08
[やらなくてもいいのにやる価値]

 工学研究者のつづきです.自分がこれからどうして行くかに関わる重要な問題という気がしてきました.自分がこれからどうして行くかということもありますが,もっと長いスパンで見ると後継者をどうするかということとも関係してきます.問題の本質は,自分がやってることがやるべきことかやらなくてもいいことか,と言うと語弊があるなら,やらなくてよくてもやる価値をもちうることなのかということなんだと思います.

 例えば,ポアンカレ予想を解く,宇宙や地球の起源を探る,生命の仕組みを解き明かすといったことはとても深遠で人類のテーマとも言えるものですが「やらないならやらないでもいいこと」です.芸術やスポーツもそうです.一方で,防災工学,環境工学,エネルギー工学,地球温暖化問題などは,「やらなければならないこと」(かどうかは実はよくわからないが)という位置づけです.同じ工学でも宇宙工学,ロボット工学などはとても夢がある分野ですが,環境問題,エネルギー問題,地球温暖化問題のようにやらないと地球や人類が危機に瀕するということはありません.

 でも,言い方を変えれば「やらなくてもいいこと」はやらなくてもいいのにやる価値が認められている,ということになります.一方,やらなければいけないことは,やらなければならないからやっているのなら,やらなくてもよくなったらやる意味がなくなるわけです.例えば,地震防災の研究は,建物の耐震化が進んで地震災害が(あまり)生じなくなったら,それ以前に,研究対象としてやることがなくなって後は政策の問題というところまで来れば,研究自体やる意味はなくなってくるでしょう(どうやって政策を実現するかということが研究対象になるということも考えられるが).あるいは,もっとプライオリティの高いものが出てきたらやることを変えるということも考えなければなりません.

 まあそれはそれでいろんなことができるので悪いことばかりでもないですが,やらなければならないとしても興味がわかないことは少なくとも私にはできません.できないことはないですが,モチベーションも上がらず大したことはできないでしょう.さてどうしましょうか?選択肢はいくつかあります.

1. 今やっていることを愚直に続ける
2. 今やっていることに,やらなくてもいいのにやる価値を見出す,あるいは,そういうことをやる
3. これからの世の中にとってプライオリティが高いことにシフトしていく
4. やらなくていいこと(やらなくていいことでもやる価値があること)にシフトする

 まず,1.は可能だと思います.やる意味がないのにやり続けることは(少なくとも私には)できませんので,まだやる意味があるということになります.実際,近い将来大きな被害を引き起こす大地震の発生が危惧されているにも関わらず,対策はほとんどできておらず,それ以前に,構造物の地震応答にはまだ不明な点が多いです.これからM8クラスの海洋地震,例えば,東海・東南海・南海地震が起きればこれまでにないタイプの地震動が発生するかもしれないし,実際に長周期地震動が発生したとき都市部の超高層建物や大規模構造が果たして本当に大丈夫かどうかも本当のところはわかりません.地震は何十年,何百年,何千年,何万年に1回という現象ですから,何世代にも渡って研究していく必要があります.それに,これからどうしていくかはともかく,これまで研究してきた蓄積はあるわけですから,それを社会に還元していくことは必要だし使命とも言えるものでしょう.ですから,結局,今やってることを完全にやめることは死ぬまでないわけです.

 ただ,私個人はそれでいいとしても,もっと長いスパンで考えれば,そんな単純には行きません.例えば,工学研究者で書いたように,後に続く人に私のやってることを単純に引き継がせるのは無責任とも言えます.私が研究室の学生に対して,ただ地震防災の研究をしてもらうのではなく,最先端の研究を通して,様々なスキルを磨いてもらい,何をやっても通用する人材になってもらえるように考えて指導しているのもそういうことが理由です.後継者を育てたいというときの後継者は,単に今私がやってることの後継者ということではなく,縁あって(これがとても重要なんですよねー)私と何らかの関わりをもつことになった学生などの私より下の世代の人達には,「自分で考えられる人」になって欲しいということなのです.

 ですから,そういう意味では,1.の今やっていることを愚直に続ける,でもいいのですが,これも私の希望というかわがままなのですが,いっしょに研究室を運営し,仕事をしていけるパートナーが欲しいとは思います.もちろん「欲しい」というのは,私が「欲しい」というよりは,いっしょに研究室を運営し仕事をしながら,私の考えていることやもっているものを伝えておきたい,おかねばならない,ということです.そして,そういう機会に恵まれたときに彼(彼女)と何をやるかが問題なわけです.

 彼(彼女)は,おそらく私より10〜20くらい年下でしょうから,単純に今私がやっているようなこと(に近いこと)でいいというわけには行きません.もちろん,地震防災は当面は重要な課題ですからしばらくはいっしょにそういうことに取り組んで,彼(彼女)が「自分で考えられる人」であれば,何十年か経ったら,今私がここで考えているようなことを考えて,やることをシフトして行ってもらえればいいのかもしれません.でもそれじゃあやっぱり何か釈然としませんよね.

 ということで,やっとここで,2.の話になります.つまり,私が今やっていることが「やらなくてもいいのにやる価値がある」のかということです.もしそうだとすれば,地震防災が社会の中でのプライオリティが下がってきてもやる価値があるわけです.

 ということで,上で1.〜4.と書いたのですが,この文章を書きながら3.4.を考える前に2.を考えるべきと思うようになりました.今やっていることが「やらなくてもいいのにやる価値がある」のであれば,3.4.のようにわざわざ他の分野にシフトする必要もないわけです.

 「やらなくてもいいのにやる価値」とは何でしょうか?それはやはり純粋な知的興味の対象となりうるかでしょう.そして実際,私が今の仕事をするようになったのは,「力学を使って目で見える自然現象を捉えそれを形のあるものに生かす」ことができるのが理由でした.ですから,これも結局,やる気3要素的に言えば,面白さを見出すということなのだと思います.そういう観点から見て今私がやっていることはどうでしょうか?

 で,あらためて考えてみると,震度算定法にしても縮小モデルにしても被害予測(をするための様々な研究)にしても建物群にしてもセンサー住宅にしても,役に立つか,地震防災に繋がるかということを取り除いても,我ながら(^^;面白いことやってると思いますよ(^^).ただ,最近は地震防災,つまり,地震被害を減らすということを考えすぎていて,学問本来の面白さや楽しむということを忘れかけていたような気がします.

 構造動力学,特に,構造物の動的非線形挙動は,現象としてとても興味深いですし,よくわからないことがまだまだ沢山あります.動的非線形挙動は至る所にあり,対象も構造物に限りません.

 ですから,構造動力学本来の面白さを探究して行きつつ,その一方で,それに固執することなく,でも,世の中や社会の情勢に惑わされて3.のように自分のやることをシフトするのではなく,4.のように他に面白そうなことがあれば,やることを広げていきたいと思います.

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5/12'08
{薄さで勝負!}(PC)

 今日,東京での委員会でいっしょだったT北大のO野先生のマックブックエアーを見て「これは行ける」(薄さで勝負になる)と思って並べてみました(^^;.

 写真だとちょっとわかりにくいですが,充分勝負になりました(^^).ていうかほとんど変わらない?実際,O野先生も(H大のT井先生も)VAIOのtypeTを見てこれ何?って感じでしたしね.でもマックブックエアーの端っこが丸くなっているのは反則ですよね(^^;.VAIOの方は,今日は東京出張でラージバッテリを付けていますので,左の方が少し高くなっていますが,軽量バッテリが付いた状態だとほぼ平らです.ちなみに今日皆さんが持ってこられたノートPCがみょーに縦長で分厚く見えたのは言うまでもありません.ちなみにこの写真は携帯付きカメラで初めて撮ったものですが,綺麗に撮れてますね(^^).

 ちなみに,typeTの使用感のその後ですが,全く快適です.Vistaの問題点もほとんどありませんでした.ですからVistaではなくLOOX Uの問題だったんだと思います.XPで動くのにVistaでそのまま動かないソフトも結局Orchisだけで,これとファイル構成が変わったことを除けばXPと変わりません.というか,テーマをXPライクに設定しているので,まるでXPのように使っております(^^;.ですから逆にデスクトップの方もVistaにしなきゃというモチベーションがなくなって来ました(^^;.

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5/13'08
[人事]

 ほんとはこんなテーマで書かない方が私の身のため(^^;なのかもしれませんが...年度替わりの時期になると(と言ってもこの記事をぼちぼち書いているうちにもう1ヶ月くらい経ってしまったが)いろんな人事があります.一般的な人事というと昇進と異動でしょうが,異動というとほとんどの場合,昇進を含む場合が多く,それは大学も同じです.ですから,人事≒昇進ということになります.

 昇進すれば,給料や位(^^;が上がるわけですから,多くの人は昇進を望んでいるのだと思いますが,その分,責任や雑事(^^;も増えて研究できなくなるので,大学の教員(≒研究者)の中には昇進を望まない人も少なからずいます.助手でいる方が研究できるという理由で,一生助手を通す人もいるくらいです.ただ,私も一時期そう考えたこともあったのですが,研究してるだけでなく人を育てたいと思うようになったこと,そして,自分がどうしたいということではなくて,社会的責務を果たすという意味で,というより,単に自然の流れで(^^;筑波大に(昇進して)移って来ました.

 私の場合は公募でしたし,筑波大の少なくとも私が所属している専攻は,一教員一研究室でいわゆる講座制ではないので(つまり,私も含めて全ての教員に上司はいない)人事,即ち,昇進は,給料と位が少しだけ上がり,責任と雑事が増すという「ただの(^^;昇進」ですが,大学,あるいは,世の中一般の人事を見ているととてもそんな具合には行ってないように思います.世の中全体というとあまりに範囲が広いでしょうから,ここでは大学の人事に限って考察?してみようと思います(でも,その背景は世の中全体とほぼ同じという気がしています).

 まず言えるのは,人事というのは「上が下を引っ張り上げる」システムになっているということです.つまり,どんなに実力や業績(+人間力)があっても,上が引っ張り上げなければ自力では絶対に上がれません.大学以外の極端な例として,例えば,結果が如実に現れ,実力が全てと思われるスポーツの世界,例えば,プロ野球選手だって,監督やコーチが(気に入らなくて)使わなければ日の目を見ることはないわけです.

 つまり,実力や実績がある人が上に上がるのではなく,上に気に入られた人が上がるということです.そこで背景にあるのが利害関係です.つまり,「気に入る」の何が「気に入る」のかということです.もし利害関係がなければ,世の中,そんなに自分勝手な人ばかりではないでしょうから,素直に実力や業績,あるいは年功序列(^^;で上がっていくでしょう.でも利害関係があると,そう単純に行きません.

 まず,大学の例をあげると,最近はそんなにないのかもしれませんが,昔?よくあったパターンとしては,ある講座の教授が定年で辞めて,助教授が教授になって人事権をもったとき,どういう人を部下(助教授)にするかというと,自分の言うことをききそうな人を外から引っ張ってくる,あるいは,助手が言うことをききそうなら昇進させる,ということがありました.つまり,ここでは「気に入る」=「自分の言うことをきく」ということなわけです.もちろん,研究能力や研究業績がなければ話になりませんが,そういうことが優先されてきた側面もあったわけです(中には言うこときかない奴をわざわざ呼んだという見上げたところもありますが(^^;).

 一般?社会ではもっと極端でしょう.最近,問題となっていることに「名ばかり管理職」というのがありますが,これは管理職にすれば残業手当を払わなくて済むというのが理由です.つまり,仕事ができるから管理職にするのではなく,より安い給料で働かせるという上の都合が優先されているわけです.いわゆる出世に関しても,一蓮托生という言葉がありますが,まさに1本の糸に上から下までぶら下がっているというイメージですよね(^^;.

 話を大学に戻すと,最近は,言うことをきく奴を上げる(呼ぶ)というのはそんなにないのかもしれませんが(まだ結構あったりして(^^;),ある特定のお仕事(雑務(^^;)を任せたいとか,大きな研究費をとれる ※1 ,あるいは,もってるとか,学会で発言力があるとか(これは一理あるが実力と比例しないことも多い),その他にもいろいろありますが,少なくとも本来の実力や業績とは関係ないことが優先されることがあるのは相変わらずです.

 まあこれは一種のgive&takeが成り立っているのだからそれでいいじゃん,という考えもあります.つまり,助教授にしてもらう代わりに言うことをきくということです.でも,実際には,呼ばれた方の立場だと予想以上にこき使われたとか,呼んだ方の立場だと言うことをきくと思って呼んだけど(思うほど)言うことをきかなかった,やって欲しいと思ってたことをやってくれなかった,みたいな感じで,トラブルになることが多々あります.実際,講座制の研究室で,教授と助教授が仲が悪いところは枚挙にいとまないですし,うまく行ってるように見えるのは助教授が教授の言いなりになってるだけ,ということもあります(もちろんうまく行ってる研究室もたくさんあります).

 give&takeというとうまく収まる気がしますが,実際には,give&takeの等価交換の「等価」がgiveとtakeで違うことが多いので,後のトラブルの元になることが多いです.これは夫婦において男が働いて女が家事をするという「等価交換」がうまく行かないのと同じです.give&takeにおいては,誰しもgiveを過大評価,takeを過小評価することが多いのだと思います.

 で,そうなる最大の原因は上で書いたように,人事権がある人が公平性よりも自分の都合を考えるからです.つまり,give(助教授にしてやる)の価値がtake(言うことをきく)よりも過大視していまうということです.でもそれが人事というものなのでしょう.つまり,人事は(少なくとも正当な)評価ではないということになりますね.自分の力が評価されて,よりよい研究環境が用意されれば喜んで移っていくのが研究者ですが,評価なんかなくてもやっていけるのが(本来の)研究者ではありますけどね.でも研究者の評価って何だろう?とは考えます.少なくとも人事やノーベル賞でないのは確かですが,世の中にはそう(人事やノーベル賞=評価と)思ってる人が多いのでしょう.

 ただ,やっぱり世の中捨てたもんじゃない,というか,自分勝手な人はごく一部だと思いますし,社会を信じるというか,ちゃんとやることやってれば評価されると信じて頑張っていく,というのはとても大事なことだと思います.世の中を信じられなくなったらほんと終わりだと思いますしね.ただ,その「評価」が何なのか?人事なのか?人事になってしまうのか?というのは,研究者に対する評価同様,難しい問題(評価がどうあるべきかという意味で難しいということではなく,今の世の中の現状でどうなのかという意味で)だと思います.

※1 大きな研究費がとれる=優秀な研究者という風潮にも辟易しています.おかしな話だと思いませんか?だって,同じ成果が出せるのなら研究費使わない方がいいに決まってますよね.もちろんどうしても必要な経費はあるでしょうが,莫大な金使わなきゃいい研究ができない,研究費を沢山使った方が偉いなんて発想は,まるで道路特定財源と同じです.

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13b
(PC)

 MacBookAir vs VAIO typeTの薄さ対決ですが,まさかほんとに勝負になるとは思ってなかったので調べてなかったのですが,公称?値を見るとMacBookAirが4mm-19.4mm(4mmというのは端っこの丸くなってるところでしょうから,もちろん実質19.4mmです),typeTが22.5mmですからほんとにほとんど変わりませんね.MacBookAirのことはよく知らないのですが,薄くするためにいろいろ犠牲にしたものがあるという話です.でもtypeTは何も犠牲にしてないと思います(Expressスロットとか頑張りすぎてるところはありますけど).20万ぽっきりだしやっぱりすごいかも.なんで知られてないんですかね?(相変わらずレッツノートが多い)やっぱVistaだから(^^;?

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13c
[人事のつづき]

 人事ですが,考えてみれば,公平でなければならないとか,実力や実績がある有能な人が呼ばれる,昇進する,とかいうのも変な話ですよね.だって,例えば,ある人を呼ぶ,昇進させるのは,その人が有能だからじゃなくて,やっぱり呼ぶ方,昇進させる方に何かメリットがあるからです.会社だったら,ある人を引き抜く,昇進させるのは,有能だから,ではなく,仕事をして会社の利益に貢献してくれるんじゃないか,ってことでしょうし,大学なら,単に有能だから,ではなく,有能ゆえに,あるいは,(そんなに)有能でなくても,何かの仕事をしてくれるとか,予算を取れるとか,そういうことが目当てなわけです.ですから,人事って現状でいい(仕方ない)のかもしれませんね.人事は(正当な)評価ではない,ということには変わりありませんけど.でも会社はともかく,大学の人事は,やはり(ある程度は)実力主義と思いたいところなんですけどねー(少なくとも一般社会よりはそうだとは言えるか).でもこれ以上余計なこと書かない方がいいですかね(^^;.

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5/14'08
[練習しても強くならないとしたら](バドミントン)

 もう1週間経ってしまいましたが,先週の全日本予選のことも書いておきますか.結果から言うと,1勝するのがやっとという,数年前,バドミントンをやめる前と同じような状況でした.でも,見方を変えるとバドミントンをやめて再開した後,あるいは,やめる直前はもっとひどい状況でしたから数年前に戻った?と言えなくもありません.つまり,一番強かった40歳くらいを100とすると,つくばに来た頃が50くらい,やめる頃,再開直後が20くらいとすると今は30〜40くらいという感じでしょうか.

 ただ,この間,もう6年くらい経っていて,それはまさに今まで経験したことのない衰え方との戦いでした.もちろん,単に歳をとって衰えていったということもありますが,加齢による衰えにどう対処していいかわからなかった(今でもわからない)ということです.

 具体的にはどういうことかというと,普通に考えればもちろんやり方も重要ですが練習やトレーニングをすれば強くなるはずですよね.少なくとも40まではそうでしたし,スキーやゴルフ(はまだ初心者だから当然だが)は練習したら上手くなると今でもはっきり感じることができます.でもバドミントンに関しては,40を過ぎてからは,練習したら強くなるという因果関係が一向に実感できなくなりました.一念発起してハードな練習やトレーニングをしたこと,例えば,筑波大に来たときは,バドミントン部の練習に混ざったりしたこともあったのですが,練習しても一向に効果が感じられませんでした.むしろどんどん弱くなっていった.実際,練習した後の感覚としては,ただ疲れが残る,といったものです(もちろん,練習直後のアミノ酸の補給,食事などには最大限気をつけています).

 練習して強くなるのならほんと簡単なことですよ.だって,練習すればいいんですから.でも,練習しても強くならないのならどうしたらいいのでしょう?練習法,トレーニング法もいろいろ研究しています.でも40より前と後では,決定的に違う何かがあるような気がしてなりません.効果がないのなら当然モチベーションも落ちてきます.でもどんなスポーツでもそうですが,バドミントンは練習して結果が出るまでとても時間がかかりますから,我慢して練習を続けるのがとても重要です.でも私には4年が我慢の限界でした.それでバドミントンをやめてしまったのですが,いろんな理由から今また再開しています.そしてやるなら強くなりたいと思っています.でも,バドミントンが強くなることが目的ではなく,強くなるために日々練習することが目的です.そのためには,練習することによって強くなるという「因果関係」がどうしても必要です.だって,練習しない方が強くなるなら練習しないことになり,強くなるために日々練習する,という目的そのものがなくなってしまうからです.

 さて,どうしましょうか.上の目的に照らし合わせれば,練習することによって強くなる,ということがなければやる意味はありません.つまり,練習以外の方法でバドミントンが強くなるとしてもそれでは,バドミントンを続ける意味がないわけです.ということで,結局,練習,トレーニングするしかありません(もちろんどういう練習やトレーニングをするかはとても重要です).練習もそうですが,バドミントンはフィジカルですから,トレーニングがとても重要になります.それが強くなるという結果に結びつかなければ,少なくともバドミントンを続ける意味はなくなるわけで,2年前とは違うもっと根本的な意味においてバドミントンをやめる決心をしないといけないことになるかもしれません.とにかく,8月の全日本教職員までは,練習法,トレーニング法を研究しつつ頑張ってみるしかないですかね.

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14b
[四川省の大地震]

 中国四川省で発生した大地震にも言及しておかないといけないでしょうね.結論から言えば,今は情報を集めつつ静観するしかありません.これほどの大惨事になると,調査とか今後の対策をどうするかという以前にまずは1人でも多くの人の人命救助が最優先です.リミットは72時間です(これを過ぎるとサバイブする確率はほとんど0になる).今は地震や耐震工学の専門家が現地に入っても何の役にも立ちませんし,むしろ邪魔になるだけです.その後のことは少し落ち着いてから考えようと思いますが,自分がどうしたいかというより,どうすべきかということでしょうね.

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14c
[2008トマス杯・ユーバー杯](バドミントン)

 バドミントンのトマス杯・ユーバー杯をインドネシアのジャカルタでやってるんですが,見てきたと興奮混じりの連絡?がジャカルタにいるK上からありました.とにかくものすごいということで,何がものすごいかというと試合もそうですが,とにかく観客がものすごいということです.前々回の2004年もジャカルタ開催で,そのとき,筑波大バドミントン部監督の吹田先生が撮ってこられたビデオを見せてもらったことがあるんですが,ほんと観客(の騒ぎよう)がすごいんですよ.あれを生で体験できるとは,K上もインドネシアに赴任した甲斐があったというもんです(^^;(K上が送ってきた写真だけど勝手に載せちゃう(^^;↓).

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5/16'08
(PC)

 ソニーのVAIO type Tですが,20万ぽっきりと書いたのですが,それは,かなり高スペックにした場合です.そうでなければ何と15万以下です.

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5/18'08
[これからどうしていくかと後継者]

 「これからどうしていくか」と「後継者」ですが,中国四川省で発生した地震についてを書きながら思ったのですが,やはり狭義の後継者,即ち,今私がやっていることの後継者が必要と感じるようになってきました.理由はただ1つ,大地震が非常に低頻度(だが一旦起これば被害甚大)のものだからです.これまで集めた,人類の財産とも言うべき,被害データ(+強震記録)(ここに一部掲載)ですが,高々ここ20年の間に発生したものに過ぎません.ここでも書いたように,大地震は何十年,何百年,何千年,何万年に1回という現象ですから,何世代にも渡って研究していく必要があります.少なくとも東海・東南海・南海地震のような海洋地震の定量的な被害データ+強震記録はまだありませんし(2003年十勝沖地震では,強震観測点の周りに建物があまりなかった),超高層,免震建物,大規模構造の長周期地震動に対する影響もそうですが,都市部に多数存在する高層非木造建物がどういう地震動に対してどの程度の被害が生じるかもまだよくわかっていません.つまり,20世紀後半に耐震工学が飛躍的に発展したのは事実ですが「計算上はこうなる」ということに過ぎず,その上で,余剰耐力や安全率という非常に高度な工学的判断を要するというわかりにくいものになったままです.

 もちろん,私がこの世界にいる限り,命ある限りは取り組み続けていきますが,私が生きているうちにあらゆるタイプの地震動が発生するとは限りません.いや,発生することはないでしょう.ですから,やはり,後の世代の人にそのノウハウに留まらず,私の考える構造物の地震応答の本質を伝えておくことが必要です.そして,私自身がその肝心の構造物の地震応答の本質を追求し続けていかねばならないのは言うまでもありません.

 私の研究室に来てちゃんと真面目にやっていれば3年後(1年後ではちと厳しいか)には,数段「仕事ができる人間」になってると思いますし,今まではそういう「どこに行っても通用する人間」になってもらえるよう指導してきました.これからも基本的にそのやり方は変わりませんが(研究者である前にちゃんとした仕事のできる人間でなければならないと思うので),これからは,研究室内外問わず,もっと構造物の地震応答の本質,即ち,学問的な奥深さも追求し,伝えて行こうと思います.そして,そういう中から,自分もやってみたいという人が出てきてくれたら幸いです.モチベーションとしては,学問的興味でも世の中の役に立つことでもどちらでも構いません.そして,その両方を追求できるのが地震防災でもあります.

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18b
[人事のつづきのつづき]

 人事のつづきのつづき(もうやめた方がいい(^^;?)ですが,まあ書いたとおりなんですが,呼んだり,昇進させたりするということは,何かさせたいことがあるわけですから,呼ばれたり,昇進させてもらう方は,そのことをちゃんと認識する必要があるわけです.それがない(足りない)からここで書いたようにトラブルになるのかもしれません.いずれにしても,いいことばかりでないのは,言うまでもありません(いいことばかりと思ってるとおかしなことになる).

 もちろんそういうgive&take?の人事ばかりではない(特に大学では今となっては一部であると信じたい)と思うのですが,そうであるのかそうでないのかの見極め?も大事と言うことでしょう.まあこれも自分の思い通りになるわけでもないし,自分のことだけ考えるべきでもないし,自然の流れに従うしかないということでしょう(結局はこれになる(^^;).

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5/21'08
(PC)

 HPから出たミニノートですが,このスペックで\79,800というのはすごいですね.例えば,ASUSのEee PCと比べると(ほぼ)フルスペックと言えるでしょう.液晶,HDD,メモリなどは本格ノート並です.特に解像度1280x768はすごい.でも8.9インチでWXGAじゃあ文字は豆粒でしょうね(^^;.ていうか,ものすごいドットピッチですよね(興味本位で実物見てみたい).でも...安いのには安い理由があります(そりゃそーだ).問題はCPUでしょうね.でもモバイル使用に限定すればなるほどという選択です(削るにはここしかない).でもモバイルならバッテリが重要ですが,これがしょぼいかなー.それに重量1.27kgじゃあMacBookAir並ですね.重いPCの喩えとしては不適切(^^;?なら,レッツノートW並ということになりますね.

 ですから要は「安さが魅力」ということでしょう.つまり,私も含めて快適さや作業性を買いたい人は買わないと思います,でも安さを魅力にするなら「ミニ」に拘らなくてもいいと思いますけどね.私は大丈夫ですが,40過ぎの人に8.9インチでWXGAは厳しいと思いますよ(^^;.それに多分入りきらなかったんだと思いますが,クリックボタンの位置がここだとまともにクリックできないでしょーねー.

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5/22'08
[モチベーションがスタート?]

 4/28のカンブリア宮殿ですが(ほぼ1ヶ月遅れ(^^;.でも大分追いついてきた?),兄弟で「成功」(カギ括弧の意味はわかりますよね?)した起業家がゲストで,モチベーションが主たるテーマで面白かったです.兄はエリート,弟は元ヤンキーで,兄は何とそのままずばり,社員のモチベーションを高めることを目的としたコンサルタント会社で,会社内部でも褒めて評価して社員をやる気にさせる,一方,弟はガテン系の塗装会社と一見正反対ながらどちらも社員のモチベーションを高めるのに成功している,というものです.

 でも私も村上さんと同様(^^;かなり違和感を感じました.一言で言えば,どっちもある意味真面目すぎるんですよねー.村上さんの言うように人間グータラした側面があって然るべきで,兄の芳央さんが言うように(私も再三ここで書いてるように)確かに今の世の中,とにかく食べ行くということではモチベーションはもてなくなっているので,それ以外のことにモチベーションを見出さないといけないのはそうなのですが,そこがスタートではないと思うんですよねー.食べて行けるのであれば,成功しなくていいという選択肢もあるわけですから.

 私の(私の思う)「スタート」は,やはり人生所詮退屈しのぎです.とても退廃的に見えるフレーズですが,そもそも何で成功しないといけないのかとか,何でモチベーションを高めないといけないのか,何で生きていかないといけないのかとか,どんどん人生の根幹的なものに戻っていくと,結局ここにたどり着きます.モチベーションがスタートだと,何でモチベーションを高めないといけないのか,となったときにそこで止まってしまいます.そんな頑張らなくてもいいじゃん,というのもやはり必要で,でもそこから,人生所詮退屈しのぎまで「降りて」行って,やっぱ頑張った方が面白いじゃん,ってなったときの方が頑張れると思うんですよねー.

 つまりは頑張れるときに頑張る,というのが私のやり方です.そういうやり方ができるのも大学の教員の特権ですが,職種によってはなかなかそういうわけにも行かないとは思います.でも毎日コツコツやるのも大事なことだし(自戒(^^;?),そっちの方が楽だったりしますからね.

 あと3月頃の同じ番組で,確か日清食品の社長さんだったと思うのですが,人生で「成功」するための条件として,「満足しないこと」と言われていたのも面白かったです.ここで何度も書いているように幸せとは広い意味での現状に「満足する」ことですから「成功」することは必ずしても幸せに結びつくものではない,ということを「成功」した人が吐露しているわけです.つまり幸せは「求める」ものではないということですね.

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5/23'08
[黒い恋人]

 先日,妻とお台場に行ったとき,土産物として有名な北海道の「白い恋人」のぱくりの「白いお台場」(^^;というのが置いてあって(↓の写真の下の方),白い恋人は,今や白い恋人じゃなくて黒い恋人じゃん,とか言ってたらほんとに「黒いお台場」というのが横に置いてありました(^^;(↓の写真の上の方).ナイスブラックジョーク?それとも単にホワイトチョコレートの代わりに普通のチョコレートを使っただけ?

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23b
(PC)

 typeTですが,液晶が1366x768のワイドなのでかなり横長です.で,ちょっと気がかりだったのが,プロジェクタに繋いだときどうなるのか,ということです.学生用に2,3年前に買ったノートPCもワイドなのですが,最初プロジェクタに映すと縦長になったりして結構すったもんだやってました(そう言えば,最近は普通に映ってるなー.ちゃんとしたプロジェクタ買ったから?)

 それで,今日,大学院の講義で使ってみたのですが,びっくり!接続コードを繋ぐだけで,なんとPCがプロジェクタを自動認識して,自動的に画面の縦横比を変えて映したのです.しかもFn+F3とか全く押さずにもう普通にスクリーンに映っています.で,コードをはずすとまた自動的にワイドに戻っていました.賢い(^^)!

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5/24'08
[日記]

 ライオンズが好調ですね.カブレラ,和田などの主力が抜けて攻撃力の低下が懸念されていたのですがわかんないもんですね.調子が良くても交流戦をきっかけにおかしくなることが多いのでそれがちょっと心配だったのですが,今のところなんとか勢いをキープしているようです.でも今年から「埼玉」西武ライオンズってなったのが...

 アメリカのマイナーでプレーしたこともあり,やっとブレークした感があるG.G.佐藤ですが,G.G.佐藤のG.G.って何だと思います?じじい(顔がじじいくさい)のG.G.なんですよ(^^;.今年から優勝チームのクライマックスシリーズの2ndステージでも1勝のアドバンテージが復活したので,優勝(1位通過ではないですよ)して欲しいもんです.

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24b
[日記]

 昨日の午後は,職員の健康診断でしたが,メディアで報道されているようにありましたよ,メタボ健診(^^;.要は腹囲(へそ周り)を測るというもので確か男性は85cm,女性は90cm以上がアウトというものだったと思います.でも,身長が違えば基準も変わるので一律に何cmというのでは大雑把すぎると思いますが,まあ目安としてわかりやすいものをということでしょーね(ズボンのベルトの穴の位置でわかる).

 メタボ健診は確か40歳以上が対象だったと思いますが,腹囲の前に身長と体重を測定してBMI(=体重(kg)/身長(m)^2)が20以下の人は免除だったようです.私は20をわずかに超えるくらいなのでしっかり腹囲を測られました(ちなみにBMIは22が標準値とされています).でも75cmくらいだったかな.でもBMIも筋肉量が多い人は身長に比して体重は重くなるのでアスリートはみんなアウトってことになってしまいます.つまりこの手の指標はどれもいい加減ということでしょう.体脂肪率(のいい加減さ)もどこかで書きました.

 腹囲は75cmだったのですが,少し前は78cmくらいだったと思います.実際,最近になってベルトの穴が腹囲が小さくなる方向に1つ動きました.もう穴がないのでベルトを切らないといけません.でも体重は減ってないんですよねー.久しぶりに会うと痩せた?と言われるのも相変わらずです.先日もつくば市の団体戦が近くなって(明日),筑波大職員の練習に久しぶりに来られたI山さんに痩せた?と言われました.なんなんでしょーねー?

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5/26'08
[]

 元TBSアナウンサー(現フリーアナウンサー)の川田亜子さんが自殺した,との報道が流れていました.自殺ですからよほどのことだったのでしょうし,周りが大きなショックを受けるのもよくわかります.私にとっても,これまでの数多く?の芸能人(私はアナウンサー,特に女子アナは,入社試験というオーディションがある芸能人だと思っています)の自殺の中では,少なからず衝撃がありました.

 それは,彼女が好きなアナウンサーの一人だった(今はそうでもないですが,5年くらい前,彼女を見るためにバク天を見ていたくらいですから)ということもありますが,報道された内容からすると,突発的,あるいは,失恋,借金,仕事というような理由ではなく,人生というものを思い詰め追い詰められて自殺してしまったような気がするからです.

 報道によれば,彼女のブログには,5月に入ってからそういう記述がたびたびなされていたそうです.私は他人のブログはあまり見ないのですが,さすがに気になってちょっと見てみました.彼女の苦悩が手に取るようにわかってさすがに読んでいて辛かったです.

 でも(ブログからは削除されてしまったらしいのですが)確かに母の日に母親に直接問いかける問いとしてはどうかとは思いますが,生きる意味があるのか?と考えるのは自然なことだと思いますし,私にはそんなこと考えもせずに脳天気に?生きている人より魅力的にすら映ります.だからこそ,彼女には,そういう状況を自殺せずに何とか乗り切って欲しかったのですが...

 ちゃんと真面目に生きていれば,体調不良や頑張りたくても元気が出ないことは誰でもあると思います.そういうときは何もかもが辛く,何も前向きに考えられないものですが,単に一時的にセロトニン,ドーパピンなどの脳内物質が不足してるだけ,つまり,風邪をひいたようなものということがほとんどなので,それらの原料となるアミノ酸などを食事などからしっかりとって休んでいれば次第に回復してくるものです.そういう状況で無理をしてしまうとそれこそ鬱病ということになってしまいます(おそらく彼女は鬱だった,ということになりそうですが).

 あとは,ブログのありがたさと同時に怖さも感じました.ありがたさについては,どうしても元気が出ないということで,彼女は,一度ブログをやめたようなのですが,自分の気持ちを伝えたいという理由で再開したようです.よくわかります.一方では,ブログには,自由にコメントを書くことができますから,彼女のことを心配したいろんな人がコメントを書いているのですが,頑張って,といったある意味無神経(というか無知)なコメントも目立ちます.これもどこかで書きましたが,私がブログという形をとらずホームページという形にしている理由の1つはそういうこともあります.

 彼女は自分のことを「ちっぽけな存在」と卑下していたようですが,アナウンサーという職業の難しさもあったでしょうね.立場上いろんな「すごい」人達と会う機会があると思うのですが,それを役得と考えられる人もいるでしょうが,その人達に比べると自分には何ができるんだろう?と考えていしまうと辛くなる人もいると思います.

 思うがままにいろいろ書いてきました,感じるのはやはり「彼女にとっての(29年という短い)人生が終わってしまった,つまり,彼女にとっては全てが終わってしまったんだな」ということです.これだけは動かしようがありません.既に書いたように取り返しのつかないことなど(ほとんど)ない中でほとんど唯一取り返しがつかないのが「人の死」です.とにかく自殺だけはしてはいけません.

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5/27'08
[エコ?]

 某最大手自動車メーカーのCMで「エコ替え」というのをやっていて,要は,燃費のいい車に買い換えるとCO2発生量を抑えられるのでエコになりますよ,ということらしいです.でも車を買い替えると今の車を売るか廃車にして新しい車を買うわけですから,新しい車の製造過程で,即ち,「買い換える」のに当然CO2が発生します.でもTヨタのことだからそのくらいのこともちゃんと計算に入れて,それでも,低燃費の車に買い換えた方がトータルのCO2発生量が減る,と言ってるのかと思って「エコ替え」でググってみたのですが...単に,低燃費の車に買い換えるとCO2発生量を抑えられるのでエコになりますよ,としか書いてありませんでした(ざっと見ただけですが,私がそういう情報に辿り着けなかったとしたらホームページの構成の問題でしょうね).要はエコを商売の道具(大義名分)にしてるだけってことですね.つまりエコでもなんでもないわけです.

 同じような例はいくらでもあります.例えば,確か森博嗣さんのブログに書いてあったと思うのですが,エコバッグもそうです.スーパーの買い物袋を使うのをやめるというのはわかるのですが,その代わりに新しくエコバッグを作ればそこでエネルギーを消費しCO2が発生します.

 そもそもエコを「商売」にしようという発想がどうかしてます.CO2の発生量は明らかに経済活動と連動しています.つまり,景気が悪くなって経済活動が停滞すればCO2の発生量は減るしエコになるわけです.もっと端的に言えば,ほんとにエコしたいのなら会社が会社として儲けたり繁栄したり発展したりすることをやめればいいわけです.そんな世の中ではつまらないという人もいるかもしれませんが,豊かさや幸せは経済活動とは連動してないのは言うまでもありません.これもここで何度も書いている資本主義社会のひずみですね.

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27b
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 ここ数ヶ月はとにかく(できるだけ)早く寝て早く起きるようにして結構体調もよかったのですが,先週くらいからどうも体調がよくありません.体もだるくとにかく疲れやすいです.

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5/28'08
[さいたま支店?]

 今日,久しぶりにセンターにある筑波学園郵便局に行ったのですが,ATMのドアに書いてある店の名前を見てあれ?と思いました.

つくば店の下に括弧書きで「さいたま支店つくば出張所」とかいてあります.つくばなのにさいたま?

つくば市はもちろん茨城県ですので,さいたまとは何の関係もありません(埼玉ではなくさいたまなのでさいたま市のことでしょう).で,気になってちょっと調べてみたんですが,郵便局名と同居するゆうちょ銀行の店名が異なる場合があるようです.でもつくば店のような例は珍しいですね.他には松戸店もさいたま支店松戸出張所になってる(松戸は千葉県)くらいですね.なんでそんなことになってんですかね?まあどーでもいいけど.

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28b
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 どうにも体調が悪く,今日は夕食後に大学に戻らず横になっていました.それでたまたま某国営放送のとある番組を見つけて(いつものように大学に戻っていたら気づいていない)見たのですが,かなり思い当たる節がありました.インターネットにも同様の記述がいくつかありました.でもこの手のものはもう何でも当てはまる気もするんですが...ただ,簡単な血液検査でわかるようなので,早速明日専門の病院に行ってこようと思います.

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5/29'08
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 今朝何とか起きて朝食を食べた後も体調が悪く,病院に行って血液検査(採取)をしてもらってきました.でも結果が出るのは1週間後だそうです.ですからとりあえず今の状態で何とかやっていくしかありません.まあここ数年はずっとこんな感じですから(ここ数ヶ月はそんなに調子は悪くなかったのですが)しょうがないですね.検査の結果はどうなるかわかりませんが,今回は異常なしとなったときの方が怖いです.

 そうなったら,今日行った病院の担当の先生は,とてもしっかりしてらっしゃったし,総合内科もやっておられるようなので,そこで相談するしかないですね.今日話した症状もとても歳のせいで片付けられるようなものではないとおっしゃってました.ひょっとしたらバドミントンがどんどん弱くなっているのもこれが原因かもしれません.ほんとこれが犯人だったらいいのにと思うくらいです.

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29b
[自分にとって不利になると思われることを書く理由]

 このホームページを読まれていて,誰かが私を「評価」するときに,不利になると思われること,例えば,人事のこと人生所詮退屈しのぎのような一見後ろ向きな発言(でもこれほんとは「バックスイング」みたいなもんで実は前向きなんですけどね),あるいは,心身の不調とか,そんなことまで書かなくていいのにというようなカミングアウト?などをなんでわざわざ書いているのか?と疑問をもっておられる人もおられるかと思います.理由は,一言で言えば書かずにはおれないということなんですが,要は,自分自身の損得勘定なんかより,言いたいことも言わずに自分を飾り偽るよりも自分に正直に直感的に思うがままに生きて行きたいということなんだと思います.

 別にそれを「書い」て「公開」までする必要はないわけですが,生きていくということは自分を表現することですから,その表現方法の1つということでしょう.研究は論文を書いたり学会で発表したりすることで自己表現できますし,スポーツのプレーや芸術のパフォーマンスや作品,金儲けなら儲かった金そのものずばりもそうです.でも,生き方や考えることそのものって実はなかなか直接的に表現できないですよね.ですから,ここで「文章」という形で表現しているわけです.「表現」自体には「見せる」ところまでは含まれないとは思うのですが,論文や学会発表やプレーやパフォーマンスや作品がそうであるように,ここで書いた文章も「見せる」ために公開しているわけです.

 でも,別に大々的に公開しているわけではないので,万人に知らせるということではなく,場所もわかりにくくて,私のことをよく知る一部の人にしか知らせてませんから,感覚としては「公開」というよりは,親しい友人たちと飲みながら話してるような感じです(しゃべるように書いているので多少?冗長になっているのはそういうわけ).でもホームページで誰でも見られるわけで,よければどなたでもご覧ください,ということなんですが,こういうことに興味がない人はちょっと見てなんだこりゃ?って素通りされるでしょうからそれはそれでいいわけです.もちろん,興味をもたれて読んでいただければ望外の喜びということになりますが,一方では,世の中いろんな人がいますから,この文章を読んで私の「評価」を下げる人もいるでしょう.

 そんな状況で,なんで自分に「不利」になることまで書くかということについては,簡単に言えば上で書いたとおりですが,あえて「分析」すれば,生き方や考えることが「何か」が「不利」になる「何か」より大事ということなのでしょう.でも自分にとって何が大事かやりたいこと?やるべきこと?で書いたように自分にとって何が何より大事かどうかってよくわからないものですが,これも直感的に判断してるってことですかね.

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29c
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 なんでかよくわからないのですが,亡くなった川田亜子さんのことが気になって少し調べたりしています(と言っても情報源は主にインターネットですから大したことはわかりませんし,真偽のほども定かではないですが).報道指向でバラエティが嫌でTBSを辞めてフリーになった(と報道されていた)ことなどは知っていましたが,自殺の原因については,仕事とか恋愛とかいろんな説?が飛び交っているようです.予想通り鬱だったという精神科医のコメントもあるようですね.まあ,話は芸能界のことで,テレビ画面に出てくる人も情報も芸能界のごく表層なので(彼らの背後には彼らで食べている膨大な数の人達がいるので),以下はもしそうだったらという仮定の話ということになります.

 そういう中でちょっと気になったのは,自分の思うような仕事ができないという悩みを抱えていた(?)ということです.つまり,バラエティが嫌でフリーになったけど,報道のような思うような仕事があまりできていなかった,ということです.最近はそんなに見ていたわけではないですが,確かにフリーになってから出ている番組の種類がそんなに変わった感じはしませんでした.もし私が彼女の立場だったらどうでしょうか?

 私も自分のやりたいことがやりたいという理由で今の仕事を選びましたから,彼女の立場だったらとても苦しかったと思います.でも世の中でどれほどの人が自分の思うような仕事ができているでしょうか?もちろん他人のほんとのほんとのことはなかなかわかりませんが,大学の先生になる前にいろんな職業を客観的に比べて,大学の先生ほどやりたいことをやりたいようにやってる職業は他にないと思ってなったわけですから,少なくとも今の私よりやりたいことがやれている人は(私の判断が間違っていなければ)そんなに沢山はいないと思います.でもみんな(私なんかより(^^;)ちゃんと働いてますよね.そして,それこそが仕事というものでしょう.

 ですから,彼女の自殺の原因はいろいろあったにしても,根幹的な原因はやはり心身の不調だったんだろうと思います.今は思うようなやりたい仕事ができていなくても心身が健康なら何らかの希望を見つけてやっていくことができるでしょうし,例えば,転職など具体的な行動を起こすこともできます.実際,彼女は去年行動を起こしてフリーになったわけです.でも心身が不調だと,健康な人にはなんとか乗り越えられる障害も乗り越えられなくなることがあると思います.やはり(心身の)健康第一ですね.

 もちろん,どんなに体調が悪くてもバリバリ仕事をする,例えば,フロイトが癌に侵され何十回と手術を受けながらも精力的に仕事をしていたようなケースもありますが,私にはちょっと無理かなあ.そうできる(しなければならない,せずにはおれない)時はあるとは思うんですけど,数年が限界だと思います.

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29d
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 日ハムの多田野(投手)ですが,面白いですねー.あのぎこちない人を食ったような手投げのフォームはまるで私自身を見ているようです(^^;.一度一試合通して見てみたいです.彼は過去にスキャンダルもあったし,メジャーから帰ってきてVIP待遇で日ハムに入った後も転んで左手を骨折したりとか,スキャンダル以降はほんと波瀾万丈(どたばた?)の野球人生ですが,そんなことは置いておいて,ともかくあの投げ方でどのくらい実績を残すか注目しています.

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5/30'08
[心と体の調子]

 心と体の調子ですが,体の調子が悪ければ,例えば,病院に行って薬をもらって休んでいれば回復するとか,ひどい場合は手術をするとか,つまり,何らかの治療をすることによって回復すると思えれば,じっと我慢してその時期をなんとかやり過ごすことができると思います.でも,例えば,頭が割れるほど痛くて,それが一生治らないということになったら誰も生きてはいけませんよね.つまり,回復する(と思える)かどうかがポイントなわけです.

 では,心の調子が悪い場合はどうでしょうか?これも体調と同じように回復すると思えればなんとかやり過ごせると思うのですが,その回復すると思う主体である肝心の「心」が不調というのが最大の問題です.ですから,ここで何度も書いているように,そういう状態でも,例えば,体調と同じように脳内物質の関係で一時的にそういう状態になっているだけでじきに回復するものだ,とどのくらい思えるかにかかっていると思います.それにはやはり人の心のメカニズムを理解すること,即ち,心とは言っても神秘的なそれこそ精神的なものではなく,生理学的に説明できる物理的なものだと考えることだと思います.そして,実際そうだなんだと思います.

 あとは,心の調子と体の調子の相互作用にも注意する必要がありますね.体調が悪かっただけのはずなのに精神的にも参ってきたり,精神的にきついことがあると体調までおかしくなることがあります.両方やられるとかなりきついですよね.やはりどちらか片方のうちにしっかり休むこと,少なくとも無理しないことでしょうか.

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30b
[心の闇]

 また余計なことを書いてしまうことになるような気もするのですが...「心の闇」って言葉からどんなものを連想しますか?割と抽象的な言葉ですから,人それぞれでしょうが,私のイメージは,時々メディアなどで使われている「犯罪を引き起こす心の邪悪な部分」といった意味ではなく,物事を前向きにとらえられないとか,何をやってもつまらないとか,理由もなく将来に希望やいいイメージがもてないとか,あるいは,もっと漠然と気分が落ち込むといった,誰もがもっている(はずの)心の影の部分で,時々ふっと顔を出してはそういうものに苦しめられるというようなものです.中にはそんなものもってないと言う人もいるのかもしれませんが,人は皆最後には死ぬわけですし,普段はそういうものに蓋をして暮らしているというだけのことでしょう.

 問題はそういうものにずっと蓋をして生きていくのか,あるものはあるものとして認めてつきあっていくのかということですが,これもここで散々書いてきましたが,臭いもの?に蓋をするのではなく,そういう影の部分ももっていて,そういうものに時々苦しめられながらも懸命に生きている人の方が私は好きですし魅力的にすら映ります.自殺という行為は絶対に認められませんが,亡くなった川田さんのことが気になるのは,彼女にそういう雰囲気を感じるからかもしれません.

 でも一言で「つき合っていく」と言ってもなかなかしんどいことですよね.心や体の調子があまりに悪ければ乗り切れずに残念ながら自ら命を絶ってしまう人も出てきてしまうのかもしれません(でも自殺だけは絶対にだめですよ).

 私も,そういう心の闇にとーーきどきではありますが悩まされることがあります.苦しかった30代もそうでしたし,最近はそんなにはなかったんですけど,体調を崩して弱っているときに精神的にショックなことがあったりするとそういう心の闇が忍び寄ってきます.で,弱ってるときはなかなか物事が前向きに考えられなかったりするのですが,それは,これも何度も書いているように(すぐ上でも書いたように)脳内物質の関係で一時的にそういう状態になっているだけなので,しばらくやり過ごせばじきに回復します.ですからそういうときは,できれば休んでじっとしていること,でも現実にはなかなか休めないので,できるだけ活動度を抑えるなどしてとにかくやり過ごすことです.これもどこかで書きましたがそういう状態になるのは意味があって,体が疲れて体が動かなくなることと同じように,心が(脳が)疲れているからちょっと休みなさい,ということなのです.

 ただ,そういう状態だと休んでじっとしているのも辛いですよね.そこでそういう状態の時,心の闇とどうつき合うのか,どうやり過ごすのかということになります.例えば,音楽を聴くとしたらどんな音楽を聴きますか?気分が落ち込んでいるから明るい音楽を聴きますか?

 私の経験から言うと,それは効果がありません.というか,そもそもそんな気分にはならないですし,そういうときに無理に気分を盛り上げようとしたり頑張ろうとしたりすると心は更に疲れてどんどん深みにはまって行ってしまいます.そういうときに心を動かされる音楽は,むしろ,心の闇を表現したようなものだと思います.第1楽章の第1主題が「ため息」に聞こえるシューベルトの「幻想」が,どういうわけか気分が落ち込んでくると弾きたくなってしまうのもそういうことなんでしょう.実は先週,ドビュッシーのプレリュードの,とある明るい曲(これだけでどの曲かわかったら大したもん?でも消去法で行けばわかるか?)を練習しようと思って,譜面も作って少し指を付けて簡単なアナリーゼまでしたのですが,どうしても練習を始めることができませんでした(ので無理して練習するなどということはしませんでした).

 そんな感じでここ数日を過ごしていたのですが,今日,大学院の講義の1限と2限の間の休憩時間に何気なくテレビを付けたら,柳美里さんが知るを楽しむ「私のこだわり人物伝」という番組で色川武大の狂人日記を紹介しておられました.休憩時間なので自分の部屋に戻って5分くらいしてまた講義の部屋に戻らないといけないのですが,何かピンと来るものがあってとりあえず録画しておいて,講義が終わってから見てみました.その中で柳美里さんが「闇は闇でしか照らせない」と言っていて,まさにこのことだと思いました.そして今日のタイトルがまさに「闇を照らす闇」というものでした.

 もちろん,「闇は闇でしか照らせない」とか「闇を照らす闇」というのも抽象的な表現なので人によっていろんな受け取り方があると思いますが,私が思ったのは,まさにここで書いているような,心の闇に蓋をするのではなくその闇を照らすこと,そして,照らすものは光ではなく闇そのものである,ということです.特に,本来は主語が光に対してしか使わない「照らす」という言葉をあえて主語が闇の場合にも使っていることにその意味が込められているような気がします.そして,ここで心の闇という一見忌み嫌われるようなものを目を背けずにあえて取り上げて書くこと自体が闇で闇を照らすことになっているのだと思います(のであえて書きました).

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