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6/1'07
会議

 いろんな会議がありますよね(ほんとに(^^;).みなさん,どのようなスタンス(^^;?でのぞんでおられます?もちろん会議と言っても重要な会議,つまんない会議,議論が白熱する会議などいろいろですが,ここで対象とするのは(大部分の)どちらかというとつまらない(^^;会議です.舛添要一さんが,つまらない会議が多すぎると言って東大を辞めたのは有名?な話ですが,ほんと何とかならないのかと思う会議も確かにありますよねー.

 でも「何でも楽しんじゃおう」的な考えに立てば,ある一定の時間は物理的に拘束されるわけですし,どうせならその時間を有意義に過ごしたいわけですから,積極的に議論に参加する,ということになります.どんなにつまらない(つまらなく見える)ものに対しても面白さは見いだせるものです.しかし,つまらないものは早く終わって欲しいのも事実です.早く終わって欲しいのなら積極的に議論に参加しない方がさくさくと議事が進んで会議も早く終わるでしょう.そこのところの「見極め」が重要だと思います.

 しかし,私は会議のもっと本質的なことが気になっています.一言で言えば議論する内容と会議に参加する人数の関係です.会議の人数はもちろん様々で少ないものは数人,多いものだと100人近いものもあります.会議の人数はそれに関わる人がどれだけいるかで決まるものですが,議論する内容はそれとは無関係です.つまり,議論する内容と会議に参加する人数のバランスがとれていない会議が結構あるということです.

 例えば,1人1人が発言すべきちゃんとした議論を要するような用件を100人近い会議で取り上げたらどうなるでしょうか?発言できるのは100回に1回です.そんなんでは議論になるわけがありません.そういう風に考えてくるとまともな議論ができる人数はできれば数人多くても10人以下であることがわかります.朝まで生テレビが今一(と私は思う)なのは,あれでも人数が多く,発言を司会者が仕切るからでしょう.

 ということで,私は基本的には「何でも楽しんじゃおう」という考えですが,人数が多い,参加者が十数人を越えるような会議では基本的に発言しないことにしています.まあそれでも言わずにはおれないときは発言してしまうものですが(^^;,面白さを無理に見出してまでは発言しないということです.

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ワーキングプア

 格差社会の中でワーキングプアという言葉もよくきかれますよね.どんなに働いても豊かにならない,それは働く本人ではなく,社会が悪い,ということらしいです.格差社会で書いたことを繰り返せば,本人の努力によって格差が生じるのは仕方がない,しかし,本人の努力によってどうしようもない格差は是正しなくてはならない,ということになります.

 しかし,「本人の努力によってどうしようもない格差」かどうかはなかなか難しい問題です.会社をリストラされたのは本人の努力不足もあるかもしれませんし,そんな会社に就職したのも本人の責任と言えなくもないです.努力不足なら本人の責任という色合いが濃いですが,能力不足ならどうでしょうか?本人の責任でしょうか?社会の責任でしょうか?

 まあ普通に考えれば努力不足は本人の責任でしょうが,能力不足はなかなか難しいです.例えば,ワーキングプアの主たる論点になっている最低賃金ですが,だいたい月にすると14万だそうです.これではとても生活していけないということらしいです.しかし,トイレ共同風呂なし家賃3万のアパート暮らしで書いたように月14万で生活していけない,なんてことは私から見れば「ありえません」.私だったら月10万以下でも楽勝で生活していく自信があります(^^;.

 じゃあなぜ彼らは月14万で生活していけないのでしょうか?単に贅沢なだけ?周りと比べてしまうから?そういうこともあると思いますが,私は能力不足,もっと端的に言うと生活力不足だと思います.例えば,とても印象に残っていることとして,路上生活者の方が「今日はこれ一食なんですよー(T_T)」と言いながらカップ焼きそばを食べていたのが忘れられません.カップ焼きそばっていくらするかご存じですよね.とてもとても「高価」なものです.同じカロリーで見ればお米の10倍はするんじゃないですかね?そんな状況でそんな「贅沢」をしていては路上生活者から抜け出すのは難しいでしょう.漫喫ができる前は礼金敷金が払えないと言ってカプセルホテルに寝泊まりしている人もたくさんいたそうです.でもちゃんと計算すればいかに無駄なお金を使っているかは明白です.そういうお金の計算とか計画性,端的に言えば生活していく能力が著しく欠けている気がします.

 こんな例もあります.ワーキングプアを体験してみよう,という企画があって,参加した人は最低賃金の14万から家賃,光熱費など必要経費を差し引くと2万数千円になってしまい,1ヶ月その2万数千円で生活して,ワーキングプアの悲惨さがわかったと言っていました.でも,私なら月14万で生活しろ,と言われたら家賃7,8万するワンルームマンションには絶対に住みません(^^;.

 じゃあ,ワーキングプアと呼ばれる人達が最低賃金で生活していけないのは彼らの能力不足だから仕方ないのでしょうか?社会に責任はないのでしょうか?そこが一番の問題です.

 先日,能登半島地震の取材で某通信社の記者の方が来られたのですが,話は既存不適格建物,そして,既存不適格建物に住んでいる人は低所得者層が多く耐震補強も進まないというところから話がワーキングプアまで及びました.彼女は以前,そういう取材もした経験があって,その実情を詳しく話してくださいました.その話をきいてこの問題の実情,そして,本質がどこにあるのかがわかり愕然としました.

 彼女は給食費が払えない(昨今の払わない,ではなくほんとに払えない)母子家庭の若い母親の話をしてくださったのですが,その内容はかなり衝撃的でした.そんな状況で住んでいるのが生活費が高い東京の杉並区というのも驚きですが,そもそも経済力がないのになぜ子供を作ってしまったか,なぜ避妊をしなかったのかときいてみると,答えは何と避妊というものを知らなかった,ということだそうです.これはほんの一端で,生活全般に渡って生きていくための能力が極端に低いのは明らかでした.

 ここまで来ると,母親の責任とまでは言えない,即ち,日本の教育事情の問題という気がしてきます.記者の方もおっしゃっていたのですが,母親はともかく,彼女の子供はそういう母親に育てられてしまうわけで,当然のことながら子供は母親と同様かそれ以上に極端に生活力がない状態に育てられてしまう可能性が高いわけです.つまり,そういう「負の連鎖」は続いてしまうもので,母親はともかく子供は何とか「救出」してそういう負の連鎖を断ち切る必要があるのではないか,と私も感じました.そういう人は全国に200万人いると言われているそうです.

 でも具体的にどうするかは難しい問題ですね.教育というとすぐ学校ということになってしまいますが,少なくとも今の学校はそういうことを教える教育システムにはなっていません.先生がどうこうということではなく,そういうシステムになっていないということです.そういう教育はこれまでは地域や学校以外の人との繋がりで培われてきたと思うのですが,そういうことがどんどん希薄になっているのは周知の通りです.

 最低賃金を引き上げるなんてことは何の解決にもならないと私は思います.そういう人達は根本的に生活力がないので,少し余計にお金をもらっても少し余計に浪費するだけです.しかし,彼らを生活力がないと切り捨てるのはあまりにも無責任な社会だと思います.

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早起きすれば学校が楽しい?

 早起きする小学生は,学校が楽しいと思っている,その一方で,早起きしない小学生は学校が楽しいと思ってない,従って,早起きすることが学校が楽しくなるコツですよ,みたいな記事が少し前に出ていました.この手の調査はよくあるのですが,ちょっと考えれば変な話ですよね.だって,学校が楽しい小学生は早起きするから学校が楽しいのではなくて,学校が楽しいから早起きするんじゃないか,学校が楽しくない小学生は学校が楽しくないから早起きしないんじゃないかということです.そりゃそーだ,ってなもんです(^^;.

 でももう少し考えてみるとそうでもない気もしてきます.要は「学校が楽しい」と「早起きする」のどっちが「ハードルが高いか」ということです.もし,両者に因果関係があり,「早起きする」方が「学校が楽しい」よりハードルが低ければ,難しい「学校が楽しい」よりまずできそうな「早起きする」からやってみる,というのはありだと思います.つまり,まずできることからやってみよう,ということですね.でも調査された方もそういうことが言いたかったのだと思いますが,少なくとも記事から直接そういう風には読みとれませんでしたねー(^^;.

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女王

 キッチンマカロニを書いたときに気がついたのですが,「女王」って何て読みます?「じょうおう」って発音しません?テレビでアナウンサーとかが正式?に発音しているのを何度聞いても「じょうおう」にしか聞こえません.でも女は「じょ」だから「じょおう」ですよね?実際女王とPCで書こうとして「じょうおう」と入力して変換してもATOKでは承応とか貞応しか出てきません(^^;.どういうことー?

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6/7'07

 年金が(正確には社保庁が)大変なことになってますね.誰のかわからない年金が5000万件なんていうのはもちろんとんでもない話ですが,マスコミではこのままでは20年後には年金支給が75歳からなってしまってこの世の終わりだ,みたいな報道の仕方ですが,年金75歳からで別にいいじゃないですか(^^;.

 定年(停年)で書いたように,高齢化社会自体は別に何の問題もないと思います.だって,元気で長生きする人が増えたから高齢化社会になってるんですから.まだ働ける人には働いてもらえばいいだけの話です.もちろん仕事は大変な面もありますが,仕事こそが生き甲斐だと思いますし,体が動くのなら(仕事によっては体は動かなくても体の一部か脳が動くのなら),ただ遊んでいたってそのうち飽きるしつまらないでしょう.何らかの形で社会と繋がっているとか,世の中(の一部)の役に立ってると思えなければ,そうそう気分よく生きていけるもんではないと思います.

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練習について
はじめに

 練習について書いていたのですが,途方もない長文になってきました.このコーナーは,もちろんインターネットで公開しているわけですから誰かに読んでいただくことを前提としていますが,自分の考えを整理するために書くというところも大きいです.考えがうまくまとまらない状態で書き始めて,書いていくうちに新しいアイデアが浮かんだり考えがどんどん整理されてきたり,ということはよくあります.しかし練習に関しては,どんどん発散してきたような気がします.

 ということで,このコーナーでは新しい?やり方(でもこのコーナー以外ではよくやられるやり方)ですが,プログラミングで言えばサブルーチンのように練習に関することを全体の構成を考えずに書いていってある程度サブルーチンが出揃ってきてから全体の構成,即ち,練習とは何か,どうすればいい練習ができるのか,という順序立てて書いてみようと思います.

 初回は,「はじめに」ということで,これまで練習について書いたことも含めて練習の本質というか注意点,問題点について一通りまとめておこうと思います.ここで少し書いていますが,要は,練習とは記憶であるということです.

 練習の目的は何かというと一言で言えば上手くなること,強くなること,具体的に言うと「できないことをできるようになる」でしょう.つまり,上手くできたときのことを記憶してそれを再現できるように練習するわけです.でも冷静に考えてみれば上手くできないから練習するのであって,上手くできなければ練習しようがないわけです.普通にやったんではできないことはできないわけでそこに練習の難しさ,注意点,問題点があるわけです.できない状態をいくら繰り返してもできるようにならないどころができない記憶をどんどん定着させてしまい,練習すればするほど下手になるわけです.

 そこのところをどうやって練習していくかについて,これから具体例で考えていこうと思います.私の場合だと,ピアノ,バドミントン,スキー,ゴルフということになると思います.ただ,練習というと,スポーツや楽器演奏などの技能系というイメージがありますが,要は,できないことをできるようになるのが目的ですから技能系以外にも適用できるかもしれません.今回は(も?)最終結論に達していない状態で書き始めていますので,どうなるかはわかりませんが,トレーニングや勉強や仕事みたいなものにも適用可能かもしれません(適用不能かもしれません(^^;).

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 こういうのもあるんですねー.でも500g近くであれば,ブラインドタッチが(おそらく)可能なこっちの方に軍配があがりますねー(詳しくはここ).早く実物を触ってみたいです.もう予約受付は始まってまするがさすがに実物を触らないで注文はできません.秋葉を通るたびにヨドバシを覗いていますがまだ展示されてないようです.

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 コムスン問題もひどいですねー.このコーナーでずっと書いてきた「法に触れなければ(くぐり抜けられれば)何やってもいい」という悪しき風潮を強く感じます.そもそも福祉をビジネスにして金儲けしようということ自体胡散臭いこと甚だしいです.気の毒なのは現場で働いている人達,そして,介護サービスを受けている人達です.金儲けに失敗した本人や金儲けに便乗しようとした投資家が損するのは勝手ですが,現場で働いている人達,介護サービスを受けている人達まで巻き込んでしまうのはあってはならないですし,それを大義名分?にしてペナルティを逃れようとするのも絶対に許すべきではありません.

 これも何度も書いてきましたが,法だけで世の中をコントロールするのは絶対無理です.それをこれまではモラルや道義で補ってきたのですが破綻寸前のようですねー.モラルや道義で補ってきた,と書きましたが,モラルや道義こそが法よりも優先すべきことでしょう.和歌山県知事の仁坂吉伸さんの「道義に反することは絶対に認めない」という言葉はとても歯切れがよく気持ちよさすら感じました.是非そのように頑張って欲しいですし他の自治体も追従してもらいたいです.

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6/9'07

 その後のゴルフですが,一応月一ペースで行ってはいるのですが,始めて4ヶ月で1ヶ月ごとに140台→130台→120台→110台と10打ずつ縮めていった後は,ずーっと120台でうろうろしていて全くもってパッとしません.始めて半年経ってだれてきた(^^;というのもありますし,「感覚的に慣れてきた」というのもあると思います.*********(都合により伏せ字(^^;)というのもモチベーションの低下に繋がってますかねー.実際,バドミントンを再開したこともあるとは思いますが,始めて数ヶ月間ほどは練習場にも行けてません.まあ要は練習できてないってことですかね.

 でも「感覚的に慣れてきた」というのはあると思います.これは練習についてでそのうち書こうと思っていますが,始めて間もなくの頃は,いろんな意味で新鮮で,感覚的に自然に体が反応するものです.でも動きに慣れてくると逆に感覚が鈍くなり,感覚→動き→感覚→動きの修正というフィードバックがうまくできなくなります.実際,パッティングとかアプローチとか全く感覚で打っていた最初の数ヶ月の方が今より上手かったくらいです.

 でも全く感覚で打ってるようなレベルではどうしようもないので,どのみち通らなくてはいけない道だと思います.問題は,感覚→動き→感覚→動きの修正というフィードバックをどうやってやるかですね.普通はレッスンプロに見てもらうとかするのでしょうけど,これに関しては踏ん切りがつきません.そんな時間がないというのもありますが,やはり自分で創意工夫して上手くなることこそが楽しみだし,レッスンプロがこうしなさいと言って,わけもわからず言われるがままにやって上手く行ってもつまらないでしょう.とにかく勝つことが至上命題であるツアープロならそういうことも必要だと思いますが,逆に自分で創意工夫して上手くなるという楽しみを放棄していることになります.まあ仕事だから仕方ないってことですかね?でもどっちにしても,自分でない他人に何かを完全に預けてしまうというのは気分がいいものではありませんし,大きなリスクも伴います.実際,先生と合わなくて(人間的にも技術的なことに関しても)逆に下手になってしまった,という話はよくききます.

 ということで,やはり自分でいろいろ創意工夫しながらやって行ければと思います.それこそが楽しみですし,目的ですらあるわけです.つまり,ゴルフが上手くなることが目的ではなく,上手くなるために自分で創意工夫することを楽しむことが目的ということです.これはこのコーナーで再三書いてきていることで,ゴルフに限らず私の場合は仕事でもなんでもそうです.

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6/10'07
練習について
感覚の慣れ

 はじめにで宣言?していたように,練習とは記憶である,できないことを繰り返していると下手になる,意識と無意識,できるとできないのマトリクス,全ての練習には効果と弊害がある,練習とは脳を騙すことである,辛い練習はしないなどの私の練習論?の基本部分,いわば,メインプログラムではなく,いきなりサブルーチン(^^;です.過去に考えていたことを文章にするより,今考えていることを考えながら整理してここに書いておかないと忘れてしまうので(^^;.

 練習についていろいろ考えてきたのですが,最近思うのは感覚の慣れです.これはゴルフを始めて強く感じるようになりました.どういうことかというとここで書いたように動きが新鮮なうちは感覚が鋭くて,それこそ「感覚で」できていたことが,だんだん慣れるにつれて逆にできなくなってくることがあるからです.中期的(数ヶ月)にもそうですが,極短期的にも例えば,練習場で同じ番手で打っていて,最初の数球は上手く打てるけどだんだん当たらなくなってくるということがよくあります.コースに出ても最初はよくても途中から突然おかしくなることがしばしばです.

 感覚の慣れというと抽象的なのでどういうイメージが具体的に書くと,ゴルフの場合は,いかに同じ動きを再現するかなのですが,同じ動きをしていると同じ動きをしているかどうかがわからなくなるのです.なんか禅問答(^^;みたいですが,同じかどうかって違うものと比較しないとわかりませんよね?つまり,幸不幸相対論ではないですが(^^;,人間って「変化」しか感じることができないような気がします.そして,変化を感じることこそ感覚でしょう.

 ですから,練習論的に言うとどんなに効果的な練習でも同じ練習をずっと繰り返しているとだんだん効果はなくなってくると思います.まだ書いてませんが(^^;,同じ練習を繰り返すことは,「全ての練習には効果と弊害がある」にも反します.

 そういうことを考えていたら,過去にいろんな人が似たようなことを言っていたのを思い出します.ハンマー投げの室伏広治さんもあるやり方の練習に慣れたら練習法を変えると言っていたと思います.筑波大バドミントン部総監督の阿部先生も強くなりたかったら違和感を感じながら練習しろ,とおっしゃっていました.実際,最近はいっしょに練習していないのでよくわかりませんが,いっしょに練習やトレーニングをしていたときは,それこそ毎回違うメニュー,トレーニングが用意されていて,よくこんなに違う練習法を思いつくものだと感心したものです.そのときは,単に学生が飽きないように工夫されているのかとも思いましたが,感覚の慣れによる練習効果の低下ということが一番大きな理由だったような気がします.

 この「同じ練習法を繰り返さない」というのは,いろんなものに当てはまりますよね.ピアノならいろんな曲を練習すべきなのは当然だとしても,これもまだ書いてませんが(^^;,できないことをできるようにするのが練習で,でもできないことはできないわけだから条件を緩める必要があるのですが,その条件の緩め方をいろいろ変えることも必要でしょう.スキーなら斜度,雪質,バーンの状態が変わればかなり変わりますが,バリエーション的な練習法もいろいろ変える必要があるということです.結構難しいのはバドミントンですね.コートやシャトルなどのプレー環境はほとんど同じですからね.ゴルフもコースはいろいろですが,普段練習する練習場の環境は変化に乏しいです.ですから,これらは(まだ書いてませんが)練習の基本である「意識の持ち方」を変化させるということになると思います.それは,「意識と無意識,できるとできないのマトリクス」で書きたいと思います.

 でもこの同じことを繰り返すと感覚が慣れてしまうということは,別に練習に限らず,全てのことに当てはまる気がします.幸不幸もそうですし,普段の生活や勉強でも環境を変えること,いろんなことをやることが効果的だし,スポーツだってある1種目だけやるよりは,他のスポーツもやった方が効果があるかもしれません.要は人間は同じことをやってると飽きるし慣れるという性質があるのでそれにはまらずに逆に上手く利用するということですね.こういう風に考えてみるといろんなことをやってる私は,これをまさに実践しているってことになりますかね(^^;?でもあんまり手を広げすぎるのもやりすぎるのもしんどいのは確かなので,ほどほどにしとかないと,ですね(^^;.

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 もう大分前ですが,プーナの練習の後,いつもなら飲みに行くのですが,その時はたまたま飲みに行かずにつくばに帰ってきたのですが,もう夕方の6時だったのでどこかでご飯を食べて帰ろうと思ってうろうろして,たまたまとんこつラーメンの店を見つけました↓

 場所は,上野松坂屋のすぐ東側です↓

 ですから,「上野」松坂屋ですが,御徒町ですね(^^;.まあ最近はとんこつラーメンの店は多いですが,そのほとんどは「なんちゃって」とんこつなので期待もしてなかったのですが,お腹も空いていたし,新規開拓もしないといけない(^^;?ので入ってみました.ラーメン650円,替玉100円です.

 ところが,かなり行ける!ランキング的には7点は充分あげられます.コクも感じられるので8点あげてもいいかもしれません.看板には「とんこつ革命たい!!」と書いてありますが,革命ではなく,本場の味をかなり忠実に再現したとんこつラーメンです.傾向としては,博多の長浜系というよりは,もっと南方系です(とんこつラーメンは南に行くほどどろどろ度が増すと言われています).半年くらい前ですが,中高の友人のA渡が大牟田のつるやのラーメンが通販やってるというのを教えてくれて早速取り寄せて食べてみたのですが,それに近いです.呑龍もこの傾向ですね.

 ただ,1回食べただけでは何とも言えないところなので,保留?にしていましたが,御徒町に用があったので今日また行ってきました.旨かったです.ネットで調べるとチェーン店で東京にいくつかあるようですね.王道ではないのですがもやしが結構入っているので栄養バランス的にもよいです(^^;.チャーシューもそこそこ旨い.ということで目出度くランキング入りです(^^).

 でもどっちか選べと言われたらやっぱり由○かなー.でも由○とは傾向が違うラーメンなので,これはこれで存在価値があると思います.場所が御徒町なので行く機会も多いと思います.お(^^),三田にもありますね.建築学会に行くときに寄ることになりそうです(^^;.

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 ライオンズとうとう最下位(T_T)ですね.もう30年以上ずっと応援してますですけど,所沢に行って優勝した1982年以降は最下位というのはちょっと記憶にないです.何が問題なんですかねー.シーズン始めは例の不正の問題があって,でも選手達はいいプレーをするしかないと逆に集中できてスタートダッシュに成功しました.でもそういう,何て言うのかな,本来的でないモチベーションって長続きしないし(日本シリーズみたいな短期決戦ならともかく),とても精神的に疲弊するんですよね.

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 なんか社保庁問題にしろ,コムシス問題にしろ私がコメントしたようにマスコミや世論や当局が動くので逆にちょっと気持ち悪くなってきました.ということで,ちょっと穿った見方をしてみようと思います(^^;.

 とりあえず社保庁問題ですが,社保庁だけが全て悪いんですかね?もちろん5000万件の入力エラーというのはとんでもない話ですが,5万件だったら許されるのでしょうか?人間ですからヒューマンエラーはありますよね.だから,ヒューマンエラーが生じてもリカバーできるようにしなければいけなかったと思います.少なくとも電子入力する時点で一度本人に確かめる必要があったでしょう.それは社保庁の責任もありますが,入力ミスは当然予想されたのにそれを傍観した方もうっかりしていたと言われても仕方ないでしょう.

 30年前の領収書もってこい,って言われてもあるわけないだろ,というのもちょっと脳天気過ぎませんか?少なくとも転職したりしたときは年金がどうなっているのかチェックすべきでしょう.ほんとに年金がもらいたいのなら,何十年もほったらかしにしておいて,不安にならない方が変です.生命保険証はちゃんと保管しているのに年金でそれに相当するものを保管していないというのもリスク管理ができてないと思います.生命保険会社のような民間会社は信用できないから保険証書をとっておくが,年金は国だから信用できる,っていうのも変な話です.別に「国」という実態があるわけでもなく,社保庁の人間もただの人間です.生命保険会社の人間より特別優れているとかいうわけがありません.

 私は領収書などで,あとからトラブルになりそうなもの(例えばクレジットカードの利用明細など)は基本的に捨てません.給与明細も捨てた憶えはありません.

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6/15'07

 ここで紹介した富士通の超小型PCですが,(私にとって)決定的な欠陥が...キーボードのAキーの左にキー(普通はCaps Lock)がない!

 私はキーカスタマイズしてPCを使うのでこれは致命的です.シグマリオンにはちゃんとついてました.うーん,残念.

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6/17'07
燃費とダイエット

 今は亡きAるAる大事典ではないですが,基礎代謝をあげ,太りにくい体を作ってダイエットしましょう,あなたは太りやすい「損な」体をしていませんか?とか言いますよね?でも何か変じゃないですか?スポーツ選手のように筋肉量が必要な場合はともかく,基礎代謝が高くて同じ量を食べても太らないのは「燃費が悪い」ということですよね.だからどう考えても基礎代謝が高い方が損なわけです.だって,より少ない食物で生きていけるのですから.

 もし飢饉や戦争などの非常事態になれば生き残るのは基礎代謝が低い「燃費のいい」人達でしょう.燃費こそがエコです,というホンダのCMではありませんが,燃費がいい基礎代謝が低い人こそ「地球にやさしい」と言えるでしょう.しかし,飽食状態の現代先進国では逆転現象が起きてるわけです.ストレスが食欲に向かうこともそれに拍車をかけています.昔はふくよかな女性がもてはやされていたのに対して,今はがりがりのモデル体型にあこがれてダイエットするわけです.やっぱり変な世の中ですよねー.

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6/21'07

 再開したバドミントンですが,週2くらいでまあぼちぼちやっております(^^;.とにかく当たりが悪くクリアが飛ばなくて困っていたのですが,最近少しずつ当たりだしました.まあ今年は試合にも一切出ず,リハビリのつもりでやります.でもやっぱりしんどい練習はもうしんどい(^^;ので「練習論」をいろいろ適用してみて楽して(^^;強くなることに挑戦してみようと思います.

 そうそう,NHKの趣味悠々という番組でなんと!中高年のための楽しいバドミントン入門というのが始まったようですね.普通は中高年になるとやめる(^^;スポーツを中高年を対象に,しかも,バドミントンという一見簡単そうで実は「一人前」になるのが非常に難しいスポーツをどうやって教えるのかと思って一応チェックしております(^^;.それにしてもこの番組の最初と最後に流れる音楽はなんとかならないものでしょうか?

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6/25'07

 NHKの趣味悠々中高年のための楽しいバドミントン入門ですが,一応見たんですが...やっぱり無謀(^^;だったようですねー.そりゃーいくらなんでも2,3週間でハイバックやカットが打てるほど甘いもんじゃないですよー.それにまだアンダーハンドもフットワークも全くやってないわけですから,たった8回で一通り打てるようになろうというのがそもそも無謀な試み?だったのかもしれません.

 まあ前から思っているんですけど,ストロークの種類1つとってみてもバドミントンほど「選択」の幅が広く変化に富んだスポーツはないでしょう.例えば,バック奥(コートの左手前)からシャトルを打つ場合,ショットの種類だけでもクリア,ドリヴンクリア,スマッシュ,ドライブ,カット,ドロップと6種類打ち分けられ,フォアハンドかバックハンドかもあってバックからはクリア,ドライブとドロップしか打てないとしても9通り,そして,コースがストレートもクロスもあるわけですから(スマッシュなら敢えて正面を狙う場合もある),単純に20種類くらいのショットがあるわけです.しかもスピードの差は初速300km/hからハエが止まる(^^;ようなものまであって,なによりしんどいのは,スピードが違うと同時に落下地点も変わるのでそこまで動いて取りに行かないといけないということです.

 ショットの種類もはっきり分かれているわけではなく微妙なスピードの差をつけてカットとスマッシュかわからないようなショットをそれもフェイントをかけて打ちます.ですから,レシーブ側は当然ある程度ショットを読んだり,相手に打つショットを限定させるような球回しも必要になってきます.フォア奥(右前),両サイド,バック前(左前),フォア前(右前)と場所が変わると打たれるショットの種類や組み合わせは当然変わってきます.四隅+両サイドの6方向へのフットワークも独特で6方向とも違う足運びをしないといけません.ショット,フットワークとこれだけ種類が多いと,それに伴うだけの技術があるわけですから,やはり一通り打てるようになるのにとても時間がかかってしまうのは致し方ないということになります.

 でもどうですかねー.競技としてではなく楽しく健康のためにバドミントンをやりたいという人がいたらどう指導したらいいですかね?なかなか難しい問題だと思います.もちろん,ただ打つだけならすぐにでもできます.でも相手を動かしてスペースを作ってそこに配球するというゲームの基本的なことをしようとするなら,やはりちゃんとストロークとフットワークはやらないとだめでしょうねー.それに技術だけではなく筋力も必要なのでやっぱりトレーニングも必要でしょう.やっぱりなかなか難しいスポーツですねー.

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