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2/2'08
[やる気再考]

 人はどういうときにやる気になるのでしょうか?やる気に関してはやる気3要素などを始めとしてここで散々議論してきましたが,ここでは少し違った視点で考えてみたいと思います.つまり,やる気3要素的に言えば,人はどういうときにやる気になるかと言うと,それそのものが面白いと思ったとき(内的熟達),人との繋がりが感じられるとき,そして,報酬です.3つ目の報酬は逆効果のこともあるので注意が必要ということも何度も書いてきましたが,やる気になる要素が多ければ多いに越したことはないので,ここではこの報酬について,少し解釈を広げて考えてみます.

 つまり,報酬というとお金とか地位とか低俗的なイメージがありますが,自分が何かすると「未来に」何かいいことがある(かもしれない)ことと範囲を広げて考えてみるということです.これもここで散々書いてきたように,問題なのは,「何かいいこと」が何かがよくわからないということなんですが,「何かいいこと」が比較的明確なものもあります.

 例えば,気分が悪いよりいい方がいいし,苦しいより楽しい方がいいし,体調が悪いよりいい方がいいし,不健康より健康の方がいいでしょう.普遍度を少し落としても,勉強ができないよりはできた方がいい,大学に落ちるよりは受かる方がいい,ピアノやスキーやゴルフは下手よりは上手い方がいい,バドミントンは弱いよりは強い方がいい,あたりまでは私はそんなに違和感はありません.でも,お金は少ないよりは多いほうがいい,偉くならないより偉くなった方がいい,立派な業績をあげて研究者としての名声を得た方がいい,あたりになると大分雲行きが怪しくなってきます.つまり,その辺になると,少なくとも私は効力感に繋がらない,ということになります.ですから,どの辺までが自分にとって「いいこと」かをしっかり見極めることが必要なわけです.

 ということで,私は仕事に効力感を得るために内的熟達と人との繋がりを求めてきたわけですし,「広義の報酬」としては,仕事をすると気分がよくなることも「利用」しているわけです.でもどうですか?どの辺までが自分にとって「いいこと」か見極めると言ったって,それが実はよくわからない,ということだってありますよね.

 上で「お金は少ないよりは多いほうがいい,偉くならないより偉くなった方がいい,立派な業績をあげて研究者としての名声を得る,あたりになると大分雲行きが怪し」いと書きましたが,ということは逆に言えばこの辺がグレーゾーンでよくわからないわけです(ただ,これらが効力感に繋がらないことは間違いないが).わからないときはどうしましょうか?

 いきなり話は飛びますが,トレーニングを変えて2週間くらい経ちました.もちろんトレーニングしたからと言ってすぐに効果が現れるものでもないですが,明らかに何かが違う感じはします.というか,「トレーニングしたからと言ってすぐに効果が現れるものでもない」と書きましたが,「何らかの違い」をすぐに感じられないトレーニングは効果がないと思っています.そういう意味では効果があるのかもしれません.いずれにしてもまだ2週間ですので,もう少しは続けてみようと思っています.

 それで,トレーニングを室内でできるようになったので,溜まったDVDを見ながらやっています.見ているのはいろいろですが,プロフェッショナルなどの最先端で頑張っている人を取り上げた番組群が多いです.で,続けてみていると共通する何かがいろいろ見えてきます.その中の1つに「とにかく続けること」と言っている人がとても多いことに気がつきました.でも「とにかく続けること」ってどういうことでしょうか?

 まあ,字面をそのまま読めば単に「継続は力なり」ということでしょうが,問題はどうやったら続けるための効力感が得られるかということなわけです.もちろん,やってて面白かったり,自分が成長していくのが実感できたり(内的熟達),人から感謝されたり,人といっしょに仕事することが楽しかったり(人との繋がり)すれば,続くでしょうが,いつもそんなにうまいこと行くわけはありません.で,そういうときにどうやって続けるか,なわけです.

 で,ここから先は,私が勝手に考えた(^^;ことなんですが,そういうときってもちろん,面白さを「見出す」ことや好きになる努力をすること,人との繋がりを感じられる環境を作ることなどは既に書いたのですが,ここで議論している「広義の報酬」的なことをあげると,ちょっと漠然としてますが,「続けていれば何かいいことがあるかもしれない」と勝手に思い込むことかなあ,という感じがしています.

 例えば,私の場合,地震防災の研究することは,それそのものが面白いということ,それを通して学生達をスキルアップさせることができること,地震被害を減らすことに繋がる(かもしれない)ことはもちろんあるのですが,それ以外の「広義の報酬」的に言えば,仕事をすると(なぜか)気分がよくなる,ということに加えて,続けていると「何かいいことがあるかもしれない」ということもあるかもしれないわけです.その「何かいいこと」が何かはわからないのですが,それは続けてみないとわからないわけで,それが何かを確かめるために続けてみるということで,それそのものが効力感に繋がるのでは?ということです.ちょっと(かなり?)漠然としてるんですが,わかります(^^;?

 でもこれが使えるのは(私の場合は)やっぱ5年くらいが限度ですかね.つまり,5年続けてみて何もいいことがなければ,やっぱだめじゃん,てなことになるわけです(^^;.でも5年もすればその間にいろいろ考えてまた違う考えをもってるでしょうし,ほんとに5年続けたらほんとに何かいいことがあるかもしれませんしね(ていうか,そう思えることが「何かいいことがあるかもしれない」と思えることが効力感に繋がるということですから).

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[真人間]

 ちらっとしか見たことがないのですが,MANINGEN(真人間)という深夜番組があります.20くらいの質問(例えば,賞味期限が2日過ぎた食品を食べますか?とか.ちなみにこの場合は確か「食べる」が90%だった.これが食品偽装の現実)を用意して最も回答が多数派を選んだ人を「真人間」と定義し,最後まで残った人,即ち,常に多数派の回答をした人に賞金を出すというものです.何万人という人が参加して最後に残るのは数人あるいは0ということもあるようです.これはどういうことかというと「真人間は真人間ではない」ということで番組自身が破綻しています.

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[シンガポールオープン]

 昨年のシンガポールオープンの女子シングル準決勝の張(世界ランク2位)と廣瀬(世界ランク12位,日本ランク1位)の試合を見ました.厳しかったですねー.2ゲームとも12点くらいでした.内容的にも点数くらいの差があったと思います.この位のランキングの差でこの差ですからねー.バドミントンってほんとシビアなスポーツだと思います.

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2/3'08
[やる気再考(のつづき)]

 昨日,テレビで爆問学問という番組の新年会?という,過去に出演した5,6人の主として大学の先生(多くは東大か京大の先生)と爆笑問題が現代のいくつかの問題について飲みながら話すというのをやっていました.面白そうなのでちょっと見ていたのですが,そのときは仕事をしていたので,とりあえず録画だけしておいて,今日,あらためて見ました.

 まず思ったのは,みんなとても「まとも」だ,ということです.大学の先生というと専門バカとか世間知らずというイメージがある(^^;と思うのですが,少なくともここに出ていた人達は,専門バカなどではなく,世の中全体のことをとてもよく考えているし,そういう意味では,とてもほっとしました.

 そして,今の世の中,若者がなんで将来に希望をもてないのか?という話題で,確か哲学の野矢先生だったと思うのですが,生きてりゃ何かいいことがあるんじゃないかなと漠然と思えることが大事なんじゃないか,と言われたのにちょっとびっくりしました.昨日,私が書いたこととほとんど同じことだったからです.

 こういうことってあるんですよねー.というか,実は結構あったりします.しばらくこれで行きますか.野矢先生は,確か,生きてりゃ何かいいことがあるんじゃないかなと漠然と思えることが大事なんじゃないか,ではなく,若者にそう思わせることが必要,ということを言われたと思うのですが,それには,まずその上の世代の我々がそう思うことが必要なわけですからね.

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2/3'08
[関東地方で大雪]

 メディアでは関東地方で大雪と大騒ぎしていますが,つくば(も関東地方)は,ほとんど積もってもないし,別にどうってことはありません.要は,世の中,東京中心てことですね.

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2/7'08
[修論発表]

 修論発表が終わりました.3人ともよく頑張ってくれたと思います.でも,いつものこと?ながらぎりぎりいっぱいいっぱいなのはしんどいなー.せめて,年が明けてから実験するのとかは...まあ,これで段取り,マネージメントの重要さを身に浸みてわかってもらえればよしとしますか.来週は卒論の〆切と発表です.こっちもぎりぎりいっぱいいっぱい...

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[ノートPC再考]

 さて,超小型PC with Vistaのつづきのつづきですが,VistaはSP1が出るようですが,ドライバーの相性によっては動かずというとんでもない代物で(そんなのサービスパックと言えるのか?)LOOX UはVistaがまともになるまでお蔵入り,ということになりそうです.でも,よくよく考えると,フリーズしまくり,そして,ファイル喪失というのはどう考えても尋常ではありません.ということで,どーせお蔵入りならということで,修理・点検に出しました.付属のリカバリCDで再インストールしてから特におかしくなったので,ディスクもいっしょに.

 という次第で,デスクトップ+W5というふつーーのPC環境に戻ってしまいました.一応,W5は持ち歩いているのですが,これをバスの中で鞄の中から取り出す気にはなりませんねー.それで,理想的?なノートPCについてあらためて考えてみることにしました.

 まず,候補となった,工人舎のこれですが,あまりにCPUのパワーがないようです.まあこれだけ安けりゃねー.で,いろいろ調べてはいるんですが,やっぱレッツノートなんですよねー.シェアNo.1なのはよくわかりますし,私の周りも圧倒的にレッツノートです(でもこうして書いてみると名前がしょぼいな(^^;).

 実際,私自身もずっとレッツノートで今はW5を1年くらい使っています.その前はY2とR3の両刀使い(^^;でした.その前はTなので,もう10年くらいレッツノートですね.そのまたずっと前のトラックボール時代のレッツノートも使ってました.

 じゃあ,今使ってるW5は完璧かというと,そうわけではありません(でなけりゃここでノートPCについてあらためて考えたりしない).私はよく,2つのウィンドウを並べて作業をすることが多いのですが,W5(1024x768)だとやっぱり少し横幅が足りなくて仕方なくウィンドウを少しラップさせています.それ自体ストレスが溜まりますし,その大きさのウィンドウ幅だと,例えば,多くのブラウジングで画面をいちいち最大化する必要があります.

 Yなら横幅1400ですからノートPCとしては充分ですが,やっぱりでかい(それでも1.5kgなのはすごいですが).W5ですら,バスの中で取り出す気にならないのですから,ましてやYだと全く無理でしょうね.実際,つくばに来るときTを買って,それから1年くらいしてY2が出てこれに飛びついたのですが,仕事で東京に行くとき(当時はまだ)常磐線の中で仕事する用に1年くらいしてR3を買い足したくらいですから.

 でもR3だとモバイルPCとしてはいいのですが,これを家での仕事で使うのは長時間はやっぱりちょっとしんどいものがあります.で,両者の中間をとってW5となったわけですが,上記のように画面が狭い...

 そう!他のメーカーと比べてレッツノートの最大の弱点は横の解像度が1024ドットということなんですよ(と,今頃気づいた(^^;).もちろんYは1400ありますが,WもTもRも横が1024ドットなんですよねー.解像度の問題なので,フォントを小さくして横に2つウィンドウが並ぶようにはできるのですが,かなり字が潰れた感じになります.

 WやTと同じくらいの大きさ,重さ,スペックの他のメーカーを調べてみると,例えば,ダイナブックSSのRXシリーズ富士通のLOOX Rは,いずれもWXGA(1280x800)です.うーん,でもそれだけのために買い換えるというのも...でも普段いかにストレスなく作業ができるか,というのはお金に変えられるものではないですからねー.

 やはり,対抗馬は,ダイナブックSSのRXシリーズになるでしょうね(XPへのダウンロード権もついてるし).SSD搭載のT9Eはとても魅力的(^^)ですが,めっちゃ高いし,バッテリ駆動時間をT7E,S7Eと同じになるようにラージバッテリ付けたら重量変わんないし(^^;.W5を1年使ってみてわかったのですが,私の場合,DVDドライブはほとんど使いません.だからS7Eで充分ですね.これが家での作業に耐えて(少なくともW5よりは快適と考えられる),なおかつ,移動中にどのくらい鞄から取り出す気になるかですね.まあ買う買わないは別にして検討するのは面白いし(^^;,一度ヨドバシで触ってみようと思います.でも買うならほんとXPへのダウンロード権がついてるうちですからねー.

 値段は20万ちょいという感じでしょうか.やっぱ高いな.あ,1つ前のS7Aというのもあるんですね.これだと15万くらいか.違いはCPUとメモリーですかね.あ,S7AにはXPへのダウンロード権が付いてないな.じゃあやっぱりS7Eですかね.

 あ,VAIOがありましたね.すっかり忘れてた(^^;.最近はそのくらい影が薄い...そう言えば,レッツノートのTの前はVAIOを使ってました(ということも忘れてた).でもメモリースティックなんだろな(^^;.対応するのはtype Tでしょうかね.これもWXGA,しかも,1366×768ですね.しかもしかも,11.1インチかー.横幅がちっちゃいのかな?でも横幅277mmですから,Wの272mm,S7Eの283mm(いずれもディスプレイは12.1インチ)と変わらないですね.つまり,縁がでかいだけ?(後述するように縦が短いためでした.液晶サイズは対角線の長さなので).あ,SDも付いてた(でもメモリースティックも付いてる(^^;).悪くないじゃないですか.少し横の解像度も高いし.なんかレッツノートが1番と思っていたのですが,調べるといろいろ出てきますね.確かに数年前まではあらゆる点でレッツノートが抜けていたのですが,いつの間にか,そうでもなくなってきてる気がしてきました.

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2/8'08
[この歳になったからできる]

 法華津寛さんが日本至上最年長(67歳)でオリンピック出場ということが話題になってる(のかな?)ようですね(でも,最初名前をきいたとき「補欠?」と聞こえたのは私だけー?).もちろんすごいことですし,彼は「この歳になってもやれることを示して,じじの星になる」と言ってたそうなんです.でもどうですか?「この歳になってもできる」じゃなくて「この歳になったからできる」というのがもっとすごいし理想だと思いませんか?

 このコーナーで,定年がある仕事はつまらないとか,死ぬまで成長していけるような仕事がしたいというようなこと,その一方で,歳を取って衰えを隠せなくなっていることも書いてきました.そういう状況下で死ぬまで成長して行けるものと考えると,スポーツなどの肉体が大きなウェイトを占めるものは現実的には無理でしょう.でも,スポーツの運動メカニズムとかそういうものは研究対象としていくらでも追求して行けそうです.そして追求したことを指導者として実際の競技に還元することもできます.私も研究者ですから(大学は定年でクビになっても),研究そのものは死ぬまで追求し続けることができるものです.

 でも,これも既に書きましたが,追求していくということと,自分が成長していくということはやっぱりどこか違うんですよねー.それに研究って実は結構体力勝負で,やっぱり若くて体力がある方がいいし,それは頭脳労働的に言ってもそうです.実際,多くの優れた研究は,若い頃にされたものが多いです.

 死ぬまで成長していけることにどういうものがあるかというと,これも既に書きましたが,例えば,芸術や職人などの技能的なものがあります.要は,歳を取ると衰えていく体や頭脳労働的なもの(脳の活動の中で単純な記憶などの「労働」的なもの)ではなくて,経験の積み重ねや人間の精神世界に関わるようなものでしょうか.そういうものであれば,それこそ「人生の終盤」,いや,死ぬ直前までにどれだけのレベルに達することができるかの1点なので,ある目標を達成したら,その次の目標を設定してというようなことではなく,それこそ死ぬまで1つの大きな目標のようなものを持ち続けることができるわけです.やること探しはまだまだ続きそうですね.

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[死ぬまで追求していく1つの大きな目標]

 上で書いた死ぬまで追求していく1つの大きな目標ですが,やはり「人生とは何か」でしょうかね.そういうことを仕事を通して追求できるのであれば,ひたすら仕事に打ち込むというのもありですが,私にはできそうもないし,それはそれでしんどそうなので,やはりこのコーナーで考えていくということですね.ですから,日記こそがライフワークなわけですし,このコーナーがとても重要ということになりますね.でも,もちろんただパソコンの画面に向かって文章を書いているだけで「人生とは何か」なんてわかるわけがありません.ですから,仕事をしたり,仕事以外のことをしたり,いろんな人と話をしたり,それらを通していろんなことを考える,つまり,「ちゃんと生きていく」ということですね.

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2/9'08
[プレゼンテーション]

 ここのところ,卒論,修論提出,発表の季節?ということで,連日のように論文チェック,発表練習の日々です.「発表」は成果を口頭で発表するプレゼンテーションですが,論文も相手に読んでわかってもらうのが目的ですからこれもプレゼンテーションです.そういう中で,私が学生に言っているのは,もちろん,いろいろ技術的なことや細かいこともあるのですが,とにかく「聴く側,読む側の立場になる」ということです.そして,結局その1点に尽きると思います.

 研究そのものがどんなに素晴らしいものでも相手に伝わらなければ意味がない(厳密にはそうではないが)わけですから,プレゼンテーション能力は,問題解決能力とともに(できれば問題発見能力まで)研究室にいる間に学生達にスキルアップして欲しいものです.でも上記のように(「聴く側,読む側の立場になる」1点に尽きる)考えると,それ以上の意味があることがわかります.

 就職して会社に入れば,色んな人といっしょに仕事をして行くでしょう.そういうときに,例えば,会議や打ち合わせで何か発言するときなどに,まずそれを聴く人の立場に立って考えてみることはとても重要です.いっしょに仕事をする相手でなくても,例えば,マーケティングであれば,いかに買う人の立場に立てるかですし,経営者であれば,会社のことだけではなく,従業員の立場になって考えることはとても重要です.そう考えると,研究活動というとても専門的で限定的に見えるものでも,実はとても汎用性が高いものなわけです.そして,究極的には生きていくことそのものがプレゼンテーションであり,人生は自己表現,自己実現なわけです.それは,まず中身が大事で,見せかけだけでは話にならない点も同様です.

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[コツコツ]

 ここで書いた「とにかく続けること」ですが,もちろん,言葉の意味は単純ですがなかなか奥深いですよね.つまり,「続ける」ことが他のどんなことよりも大事なら「続ける」ためにいろんな工夫をしないといけないわけです.つまり,頑張りすぎないことも必要になるわけですね.わかりやすい例としては,マラソンのようなものでしょうか.完走できるペースで,でもぎりぎり完走できるペースで走ることがベストタイムを産むことになるわけです.

 でも,私は少なくとも仕事に関してはこれまではそういうやり方はしてきませんでした.研究ですから,面白いこと思いついたとき,ナイスアイデアが浮かんだとき,その気になったときにとにかく爆発的に仕事をして,実際,それなりに成果もあげてきた?と思います.年末年始の1週間くらいで,査読論文を3本書いたこともあります.

 でも,冷静になって振り返ってみると,均してみれば,毎日少しずつコツコツやった方がいいのかもしれないという感じがしてきました(歳のせいもあるか).研究のような一種の「爆発力」や「突破力」が必要なものですらです.自分のことはともかく,学生を見ているとそういう感じもしてきます.

 これも既に書きましたが,私の研究室では,時間的な拘束はほとんどなく,週に1回の研究室会議と,これも週に1回報告に来る以外は,自分でマネージメントをして仕事をすれば,時間をどう使うかは全くの自由という方針でやってきました.そうすると,学生の中でも当然時間の使い方に差が出てきます.毎日コツコツ仕事をする者もいれば,集中的に頑張って成果をあげるものもいます.でも彼らを客観的に見ていると,やはり,毎日コツコツ仕事をする者の方が結局成果も出てくるという印象をもっています.だから結局,普通の会社のように?ある程度勤務時間のような形で拘束した方がいいのかもしれません.

 でもこれは成果をあげる,それも,全体として平均的に成果をあげるのなら,ということでしょうかね.やはり何かが生まれるときは,やらずにはおれないという衝動にかられて打ち込むような「爆発的」なものが必要な気はします.でももちろんしょっちゅう「爆発」していたのでは体も精神ももちません.やはりなかなか奥深いものですね.

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[ノートPCをどうするか?]

 4年生がなかなか卒論のチェックに来ないので(提出間際にもってきても直す暇ないよー),今のうちに(おそらく明後日の祝日は発表練習),ノートPCを見てきました.結論から言うとVAIOのtype Tにかなり惹かれました.まずぱっと見小さい.横幅はW5とだいたい同じなのですが,縦が短い.寸法にすると1.5cm短いだけなのですが,広げれば3cm違うことになります.電車やバスの中で広げる気になるかどうかの目安は重さではなく,大きさと書きましたが,もちろん,横幅もありますが,縦が短いことが大きいです.特にバスの場合は前との座席との距離がかなり短いですからね.逆に横幅が短いと,R3のときに問題となっていたように,鞄があるときは鞄の上に乗せればいいですが,例えば,出張で新幹線とかに乗ると荷物は上に乗せてPCは直接膝の上に乗せることになるので,内股(^^;になってしまうということもあります.

 で,type Tですが,それでいて,ディスプレイの解像度は1366x768です.つまり,横の解像度はレッツノートのY並ということになります.Yは1.5kgくらいあるのに対してtype Tは1kgそこそこです.しかもYより全然小さいし,Wよりも更に小さい!Yがこの世に出たときは感動すらして,これだー!と思った飛びついて買ったのですが,それと同程度のディスプレイのスペックをWとRの中間くらいのサイズで実現させたことになります.

 ただ,縦が短いということは,ディスプレーが横長ということです.私はいわゆるワイド画面はあまり好きではなくて,というのは,作業するために開くウィンドウはだいたい縦長だからです.でもよく考えてみたら,既述したように,ほとんどの場合,ウィンドウは2つ開いて並べて作業しているわけです.だとすれば,横長で横の解像度があった方がいいわけです.今,この文章も左にブラウザ,右にエディタを開いて作業していますが,横の解像度が足りないため仕方なくウィンドウを少しラップさせているので,どちらかのウィンドウを見るにはいちいちクリックしてウィンドウをアクティブにしないといけません(カーソルを動かすだけでアクティブにできるソフトはあるがその場合もカーソルを動かさないといけないという点は同じ).両方同時に見えていれば,少なくとも編集の必要がない場合は,視線を移すだけです.

 ウィンドウを2つ開く理由は,相互に参照する必要があるからです.では,同じウインドウの上下方向はどうでしょうか?もちろん,例えば,論文を書いて図を貼ってレイアウトなんかを見るときはより広い上下の範囲が見えた方がいいですが,文章を書いたり編集したりという,より緻密で頭を使う作業のときにストレスが小さい方がいいでしょう.そういう場合は,今書いているところの前後が重要で,あまり上下に離れたところを参照することは(少なくとも同時に開いているもう1つのウィンドウを参照するよりは)ないような気がします.

 そもそも,PCのあらゆるコンテンツは,上下方向には無限に広がっているものですから,どのみち上下方向にスクロールする必要はあるわけで,その中で一度に見える範囲の大小は,縦の解像度にアナログに比例しますが,横の解像度に関しては,文字や画像ををストレスなく認識できる大きさにしたとき,横に入らなければ,ウィンドウをラップさせるか,もしくは,横スクロールが必要となるわけで,でも実際には,横スクロールしながら作業をするなんてことはありえないので,結局,ウィンドウが2つ入るか入らないかというデジタルで,横幅1024と1280の間(というか1280でぎりぎり?)にその境目があるわけです.

 ていうか,今使っている(今まさにこの文章を書いている)W5の解像度は1024x768ですから,これと縦の解像度は同じ訳です.つまり,type Tのディスプレイは,W5の縦をそのままに横に広げたわけですから,この点に関して何も劣るものはないわけです.もちろん,ディスプレイの大きさは少し小さくなりますから,それだけドットの大きさが小さくなるわけです.でも,それは私の場合は問題ありません.というか,実際見てみるとドットがきめ細かくてとても綺麗でした.それに縦に短いということは,それだけ自然と画面に近づくわけですから,その分小さくても見えるわけです.

 あとは,ソニーだけあって,デザインもいいですねー.ただ,パンタグラフ式でないあのキーボードはチープ感は否めません.でも,機能的には問題なさそうです.最大の問題は,WindowsがVista(XPへのダウンロードに対応していない)ということですね.

 もう1つの候補だったダイナブックSSのRXシリーズ(のS7E)も触ってみました.これは大きさ的にはW5と変わらないです(でもW5と比べてかなり薄い.それはtype Tも同様).ですから,鞄から取り出すハードルが結構高そうです.ただ,解像度は1280x800ですから,W5よりは縦にも横にも広いです.こちらはキーボードはパンタグラフなのですが,銀色でなんかこれもチープ感が...でもこちらはXPへのダウングレードに対応しているのが大きいです.

 ということで,大きさを考えれば,type T,XPを選べることを考えるとS7Eということになりますね.重量はどちらも1kgそこそこです.でも,最初に書いたようにtype Tの方に興味があります.とすると,Vistaを何とかしないといけないことになりますね.まあ,いずれはVistaになるのでしょうから,いつかは何とかしないといけないのでしょうけど.その辺に関しては,修理・点検に出したLOOX Uの何が問題だったのか,VistaなのかそれともLOOX Uそのものなのかで少し展望が開けるかもしれませんね(まあそんなにすぐ返ってくるとは思えないが).

 あー,type Tは,PCカードスロットじゃなくてExpressカードなんですねー.すると,コンパクトフラッシュは使えないし,ドコモから乗り換えようと思ってるauのW05Kも使えないですねー.メモリスティックなんかに拘ってるから...やっぱだめかな.

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2/10'08
[データ通信をどうするか?]

 なかなか,卒論が来ません...〆切は明後日だし,明日は発表練習をやらないといけないので,今日中に来ないとチェックできません.そういう逆算をして,ちゃんとマネージメントすることが大事なのですが,これを通して,そういうことを学んでもらえれば,ということで,ここは我慢するしかないですね.

 で,しょーがないので,昨日の続きの検討?ですが,このまま行くと,ダイナブックSSのRXシリーズ(のS7E)てことになりそうです.でもVAIOのtype Tの小ささ,横の解像度の高さは捨てがたいです.Vistaはなんとかするとしても(さすがに解決不能な致命的な欠陥はないでしょうから),問題はExpressカードですね.ハギワラシスコムからアダプタは出ているようですが,auのW05Kに乗り換える理由の1つは,挿しっぱなしにできるということで,アダプタを介すればめっちゃ出っ張るのは目に見えていて,とても挿しっぱなしにはできないでしょう.

 ドコモにも定額制のデータ通信はある(というかドコモが先だった)のですが,USBのものは意外とでかくて挿しっぱなしにはできません.Express対応のものも出るようですが,それなら,type Tでは,ワイヤレスWANを選べるのでこれにすればいいわけです.問題は料金ですね.

 auは基本料2000円強ですが,ドコモは無料通信分,プロバイダ代など込みで5000円くらいで(ここに比較記事).無料通信分を差し引けばそんなに変わらないのかもしれませんが,私の場合,使うのは出張のときくらいでヘビーユーザーではないので(多くは大学かADSLが繋がっている家で作業するので),毎月,無料通信分を使い切るとは限りません.ただし,被害調査になれば,ものすごい量を使うことになります.2004年新潟県中越地震のときは3日で10万くらい使いました.

 最近は,ホテルにLANがあるところが多いので,そういう宿をとるようにしていますが,被災地だし必ず取れるとは限らないし,そういう時の「保険」として,頭打ちがある定額制のデータ通信にしようと思っているわけです.ですから,普段それほど使うわけではありません.でも東京に行くときはちょこちょこ使う.その辺のバランスを考えてどうするかですね.でも金に糸目を付けなければ,type TにワイヤレスWANが一番スマートですね.そう.ソニーって考えることが一番スマートなんですよ.でもスマートすぎて,先走っちゃって,下々(^^;が付いて来れなくて商売的に失敗することが結構あるんですよね(^^;.対照的なのが松下ですかね.

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[タスクバー]

 今回の検討?で1つ気づいたことがあります.私は横長のディスプレイを少しでも効率的に使うために普通は下に横長に置くタスクバーを左に縦長に置いていました.でも,上記のウィンドウの横幅がある方がいい論によれば,タスクバーは下に横長に置いて,少しでもディスプレイを横いっぱいに使った方がいいことになります.ということで,さっきからタスクバーを(普通やるように)下に横長に置いてます(^^;.もう10年くらい左に縦長に置いていたのでめっちゃ違和感がありますが,しばらくこれでやってみます.でもノートはタッチパッドなので関係ないですが,マウスの場合は横に振れば左右に動くのでやはり左にあった方がぱっと動けますね.

 でも,LOOX UでVistaを使ってみて気づいたのですが,Vistaのタスクバーって縦長に置くと,どうしても幅が広くなってしまうんですよ(XPでは横長に置いたときと同じくらいの幅で置けた).ですから,言い方を変えると,タスクバーを横長に置くのであれば,その問題は解決されることになりますね.

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2/12'08

 どーも体調がよくないです.気分の方もよくない.それに何か変な感じ.感覚としてはこの日のような感じです.でもピアノがばりばり弾けるようなプラスの感覚はありません.昨日も,何十回も乗っているバスの時間を間違えました.しかも2回も.単に疲れている?

 卒論の方は,今日提出でしたが,結局充分なチェックはできませんでした.もちろん,3人ともとてもよく頑張ってると思うし,大学院生も一生懸命サポートしてくれているのですが,毎年のように〆切間際になるとこんな感じになります.こういう経験を通して自分がどのくらい頑張るとどのくらいできるかなどを把握してマネージメントすることを学んで欲しいと思っているのですが,こっちがもたないかも...

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2/15'08
[卒論発表終了]

 卒論発表が終わりました.これで,修論提出→修論発表→卒論提出→卒論発表という一連の山々が終わりました.みんなよく頑張ってくれたと思います.でも疲れたー.(私の研究室の)発表は午前で終わったのですが,午後はどっと疲れが出てほとんど何もまともに手につきませんでした.学生には直前になってばたばたしないようちゃんとマネージメントするようにと言っているのですが,学生にちゃんとマネージメントさせるマネージメント技術が私に必要ですね.

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2/20'08
[続けること]

 ここで書いたように,溜まったDVDを見ながらの週2,3回のトレーニング,というか,トレーニングをしながら溜まったDVDを見ているのですが,プロフェッショナルの去年のクリスマススペシャル(今頃(^^;?)というので,視聴者が選ぶ心に残ったベスト何とか(^^;,というのをやっていました.それで,第1位に選ばれたのが,私がここで何度か言及している棋士の羽生善治さんの「続けること」でした.うーーーん,でも視聴者の方々のコメントをきいていると何か違うかなー,ていうか,全然違ーーう.羽生さん自身もスタジオに呼ばれていろいろ話してらっしゃいましたが,とても戸惑っておられるような感じでした.つまり,彼の意図が伝わってないと思いました.「言葉に感動して中身が全然わかってない」典型ですね(もちろん,全ての視聴者がそうというわけではないでしょうが).

 彼の真の意図(と私が思うの)は,ここで何度も書いているので繰り返しませんが,とにかく我慢して頑張って続けること,ということではありません.もちろん,コツコツ続けられれば,抜きんでることはできるでしょうが,ものすごい忍耐力が要るわけで,まあ,ほとんどの人は挫折するでしょう.そういうずば抜けた忍耐力がある人が成功する,ということはあるとは思いますが,そうでないと成功しない,ということはないと思います.どんなに辛くてもコツコツ続けないと成功しないということになれば,今の世の中,成功なんかしなくても生きてはいけますから,そんな苦労や我慢するくらいなら成功しなくていいや,と考える人ばかりになるのは目に見えています.でもつまんない人生より(多少)大変でも面白くて楽しい人生の方がいいですよね.それには,要は,苦労を苦労と思わない情熱ややる気をどうコントロールして行くか,そういうものを感じるものを見つけていけるかが「続けること」のカギだと私は思います.

 しかしこれがなかなか難しいことは,これもここで何度も書いているとおりです.これだ!という思うものが見つけられた人はとてもラッキーです.私もとてもラッキーでした.でもそれでもそういう情熱を何十年にも渡って維持するのは並大抵のことではない.それは私もそうでしたし,羽生さんも同じなのだと思います.ただ,そういうことも含めて,情熱を感じるものを探求していくのが人生でしょう.情熱を感じるものを探求して行くというと,今やってること以外のものと考えがちですが(もちろんそれもありですが),今やっていることの中にも新たな情熱の種を見つけていくことはいくらでもできるでしょうし,それこそが「続けること」だと思います.

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[わかっ(たつもりになっ)てはいけない]

 上で書いたことともちょっと関係するのですが,卒論発表が終わってからここ数日とても調子が悪いです.もちろん,修論提出→修論発表→卒論提出→卒論発表という一連の山々が終わってほっとしているのもあるでしょうし,休むことも必要ですから(おかげ?で今日はもう大分いいです),それはそれでいいんですけど,死ぬまで追求していく1つの大きな目標がなんとなくわかっ(たつもりになっ)た,ということもあるかもしれません.もちろん,わかっ(たつもりになっ)たのは,目標なのでやるのはこれからなんですが,何というか,わかっ(たつもりにな)た,とか,目標そのものを達成した,とかいうのは,やっぱりよくないですねー.変な話,暗中模索というのがやっぱりいいです(変?).

 それに,頭で理解したとか,わかったとかいうのと,じゃあ,実際に気分がよくなってやる気になって体が動くかどうかというのは結構別問題ですからねー.ですから,深く考えずに漠然と「何かいいことがあるかも」というくらいがいいのかもしれません.あとはやっぱり体調と心の調子(体の調子を体調というので,これからこれを心調と呼ぶことにします(^^;),というか,これが最重要ですね.

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[リズムとは]

 上の「深く考えずに漠然と『何かいいことがあるかも』というくらい」というのがリズムということかもしれませんね.実際,何かが続いているときというのは,自然と何となく続いているものです.つまり,それが当たり前のようになる,続けることが当たり前になって苦労を苦労と感じなくなる,というか,リズムなので気持ちよくなってくる.問題は「リズムに乗るまで」でしょう.つまり,走り始めればリズムに乗って(ある程度)走れますから,いかにして走り出すか,あるいは,その前に着替えて走る準備をするかですかね(もちろん実際のランニングの話ではありません(^^;).

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[バスの中でW5]

 LOOX Uを修理に出してしまったので,デスクトップ+W5というふつーーのPC環境に戻ってしまったのですが,仕方なく無理矢理?バスの中でW5をよーーーこらしょ!と取り出しています.もちろん,別にバスに乗っているときくらいぼーっとしてたり,ノートPCを必要としないことをしてもいいのですが,私の場合,一度夕食をとりに家に帰るので1日2往復します.片道20分程度ですが,バスを待ってる時間とかもろもろ入れると1日2時間近くにもなり,ここをどう使うかはとても重要です.

 もちろん,夕食が済んだらそのまま家で仕事をするというのもありなんですが,やはり仕事は研究室でするものだし,そっちの方がいろんな意味で断然効率はいいし,でも,夕食後,もう一度大学へ向かうのはなかなか腰が重いし,往復の時間も勿体ない.ということで,バスに乗っている時間も「使える」という状況にしておけば(実際に使うかどうかは別にして),抵抗なく夕食後大学に戻れるわけです(これも1つのリズムか).ていうか,通勤中でも作業できるというのが車からバスに変えた大きな理由の1つですからね.そして,そういう細切れ時間ってやることが決まってさえいれば実は結構仕事もはかどったりするんですよね.

 で,問題はW5を取り出す気になるかどうかですが,まあ,当たり前のことですが,物理的に取り出すことはできるわけです(そりゃそーだ).で,取り出してしまえば,そりゃーキーボードが大きい方が打ちやすいに決まってます.

 ということで,これで結構行けるかも.ただ,やっぱりちょっと大きいですね.横は問題ないのですが,縦が液晶の部分が前の座席につっかかることがあります(関東鉄道のバスは座席がほとんど縦向き).そういう意味では,やはりtype Tがジャストサイズかもしれません(Rは家で作業するのに小さすぎる).ただ,今年度はもう予算がなくなってしまいました(T_T).まあまだVistaには不安がありますし,LOOX Uが返ってくればその辺をちゃんと確かめることができると思うので,しばらくは現状でやってみようと思います.

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[横に置いたタスクバー]

 横に置いたタスクバーですが,なかなかよいです.最初は普通に下に置いていたのですが,ウィンドウの操作ボタンのほとんどは上にあるので,マウスの移動距離を考えて今は上に置いています.少なくともW5では,少しだけですが確実にウィンドウ幅が広がりましたし,カーソルの移動距離もかなり短くなりました.でも,デスクトップも同じ環境にしているのですが(でないとノートとデスクトップで同じ感覚で操作できない),逆に横幅がありすぎて(^^;,タスクトレイが遠いーー.

 私はメールが来ると,タスクトレイにあるSpam Mail Killerが知らせてくれて(と同時にスパムメールを駆除してくれて),その後,メーラーで受信しています.つまり,タスクトレイのSpam Mail Killerをクリックしてメーラーの受信ボタンをクリックしないといけないのですが,WQXGA(横が2560ドット)だとタスクトレイがとにかく遠い...(なんせ,W5のウィンドウの2.5倍ですから(^^;).で,タスクトレイを含めたタスクバーをカスタマイズできるソフトはないかと探したのですが,これが意外とないんですよねー.せめて,タスクバーを横幅いっぱいじゃなくて途中でぶった切るだけでいいんですが...あとは,マウス操作を記憶して再現する方法ですかね.でもそうすると益々ものすごい数のソフトが常駐することになりますね(^^;.

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2/22'08
[遠くを見ない]

 死ぬまで追求していく1つの大きな目標が見つかったと書きました.でも,その後あまり調子がよくないとも書きました.調子がよくないのは,修論提出→修論発表→卒論提出→卒論発表という一連の山々が終わってほっとしているのもあるでしょう(自分が頑張ればいいのならまだしも,人に頑張らせるのはその3倍は疲れますからねー)が,もっと本質的な問題のような気がしてきました.頭でわかったというのと,実際に体が動くかどうかは別問題ということは,本質的に違うということです(と妻にも指摘されました.でも,死ぬまで追求していく1つの大きな目標そのものには禿同してくれました).

 で,深く考えずに漠然と「何かいいことがあるかも」と考えるようにしたら,大分気分もよくなってきました.疲れから回復してきたというのもあるのかもしれませんが,やっぱりこれなのかなー,とそれこそ漠然と考えるようになっていました.

 で,昨日トレーニングしたときに見たのがプロフェッショナル(がCMがなくて,放送時間もちょうどトレーニング時間と同じくらいなので,どうしてもこれから見ることになる)の歌舞伎女形の板東玉三郎さんだったのですが,驚きました.彼のモットー?は,「遠くを見ない.明日だけを見る」だそうです.まさにここ数日私が考えるようになったことでした.こういうことって(よく)あるんですよねー(って,つい先日も書いたばかり).

 死ぬまで追求していく1つの大きな目標が見つかったということは,まあ結構な話なのですが(^^;,とても遠くを見ることになるわけです.でも,そんな遠くを見ていたらそりゃーしんどくなりますよ.それに死ぬまで追求していく1つの大きな目標に向かって生きるということは,ある意味,死に向かって生きることで,もちろん,死というものから目を背けずしっかり受け止めて生きていくことはとても大事なことと書きましたが,それを踏まえた上で,日々それを敢えて意識しないことも必要なわけです.

 例えば,ある大きな仕事をしようとするとき,何か大きな作品を作るとき,ある大きな目標を達成しようとするとき,その全体像をしっかり把握した後は,全体(一生)のことばかり考えるのではなく,細部(1日1日)のじみーな手順を一歩一歩繰り返すことに集中することはとても重要です.もちろん時々全体を見渡して方向性や出来映えを確認することは必要です.でも,全体の99%は,やはり日々の積み重ねでしょう.ですから明日しか見ないというよりは,その日その日ということですね.これも何度も書いてる「人間のプログラム」的に言っても,人は(普通は)死ぬのは嫌でしょうから,そういうものを忘れてその日その日に集中することに快感や喜びが感じられるようになっているとも言えるでしょう.

 玉三郎さんは,踊れなくなることが怖い,負けず嫌いだから(^^;遠い目標だと達成できないのが悔しい,だから明日しか見ないとおっしゃっていたのですが,そういう1日1日の積み重ねで,いつの間にか気づいたら50年踊り続けていたそうです.何かを成し遂げるってそういうことかもしれません.

 忙しい毎日を送っていると確かに大変なのですが,あまり深く考えることがなくなって悪いことばかりではないとどこかで書きましたが,目の前のそれこそその日のことしか考えない,ということもあるでしょう.これもどこかで書きましたが,本質的な時間の「単位」って1日しかないと思うんですよねー.だからやっぱり1日1日を積み重ねることだと思います.そして,それが「ちゃんと生きていく」ということでしょう.

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[東京マラソン]

 もう1週間経った東京マラソンですが,まだメディアでやってますね(でも石原都知事肝いりなら,なんで東京マラソンじゃなくてマラソン東京(^^;にしなかったのかな?).日テレで朝の9時くらいから16時くらいまで生中継するという,「ありえない」企画だったのですが,芸能人や日テレのアナウンサーのような「ど素人」が沢山出ていて,彼らがマラソンを完走できるのか?みたいな感じでドキュメンタリーぽくやっていて,上記のようにこの日は卒論発表が終わってどっと疲れて家でぼーっとしていた(ことはないが,かなり活動度は落ちていた)のでちらちら見ていましたが,結構楽しめました(^^;.まあ一般の人にとってはマラソンを走るなんていうのは非日常の最たるものでしょうし,幸せを感じたければ,自発的に不幸を作り出すのが手っ取り早いですから,結構なことだと思いますけど,7時間で走?って完走って言えるんですかね?

 7時間が東京マラソンの「完走」の制限タイムらしいのですが,100mを何秒で走る(歩く?)と7時間でゴールできるかというと,ちょっと計算してみればわかりますが,ちょうど1分くらいです.つまり,1分で100m進むを420回くり返すと420分=7時間で42km進むわけです(195m足りないが(^^;.でも確か端数の195mって大会が開催された国,多分イギリスの王女かなんかの,ゴールが目の前で見たいとかいうわがままで伸びたんですよね(^^;).1分で100mというとどのくらいのスピードでしょうか?

 不動産の物件の説明で駅から徒歩5分,とかいう場合は,分速80mで計算されています.実際に測ってみるとわかりますが,分速80mというと,ほんとに歩くスピード,つまり,別に速く歩くでもなく遅く歩くでもなくというスピードです.分速100mというとそれよりほんの少し速いくらいです.ですから「少し速く歩く」という程度なわけです.そんなんで完「走」というのは...(^^;.

 でも,中継を見ていた人はわかると思いますが,6時間台で「完走」した人も走ってましたよね(^^;.なんでそうなるんでしょうか?それはランニングだと脚部に大きな負担がかかるからです.マラソンを走ったことがある人ならわかりますが,疲れは心肺系ではなく,脚部の筋持久力系に来て,とにかく脚が言うことをきかなくなります.だいたい膝がやられますね.ですから,「完走」が目的なら,走ってはいけない,というのが正解です.とにかくエキセントリック収縮が起こらないように,つまり,地面からできるだけ飛び上がらないようにして少し早めに歩きましょう.そうすれば,特にトレーニングをすることもなくぶっつけ本番でも(多分)東京マラソンなら「完走」できますよ.中継地点に用意されたおにぎりやバナナを食べながら普段は車しか走れない車道を東京の名所を巡りながらハイキングできます(^^).

 まあ,東京マラソン自体については,こんな程度の考察?くらいしかできませんが,少し無理矢理人生論に結びつける(^^;と,やっぱりペース配分,というか,コツコツなのかなあ,という気がしますね.コツコツ歩けば完走できるものを,ちょっと欲を出して走ったりするもんだから,脚を痛めて走れないどころか歩くことさえできなくなって完走すら危うくなってしまうわけです.まさに兎と亀ですね.いやちょっと違うか.

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[再戦(^^;職人vs研究者]

 職人と研究者で,技能がいくら高まってもゴールはなく,一生見果てぬ夢を追い続けられる職人,あるいは,そういう要素がある職業に対して,研究者は,内的熟達的要素(それそのものの面白さまで含めた広義の内的熟達ではなく,まさに技能のようなものが熟達する狭義の内的熟達です)はあまりないのでは?というようなことを書きました.まあそれは確かにそうなんですが,上で書いた「1日1日」ということを考えると,逆に大分研究者に分がある気がしてきました.

 実は,今週の研究室会議で学生達にいろんな話をする中で気づいたのですが,研究のすごいところって「残る」ことなんですよね.例えば,某超大手ゼネコンが「地図に残る仕事」というCMを流していますが,立派な建物や橋や構造物を造っても,まあ100年もすればなくなってしまうわけです.もちろん芸術的価値がある作品とも言えるものなら保存されるでしょうが,研究なら,どんなにしょぼい(^^;論文でもそれこそ人類,あるいは,地球が滅亡するまで残るわけです(それはそれで怖いことだが).造形物のような形のあるものが残らず,研究のような一種無形のものが形となって残るのは,対照的でちょっと面白いです.

 もちろん,内的熟達を伴うもの,即ち,パフォーマンスを伴う技能系のものもいろんなものを残すことができます.例えば,芸術は作品を残せます.でも技能そのものはなかなか形として残すことができません.そして,作品は,技能そのものではなく,どちらかと言うと,研究における論文に近いものです.音楽,文学,彫刻,絵画などもそうですよね.実際,論文を書くという行為は作品を造ることととても似ています(少なくとも私はそういう感覚があります).

 究極の「残せるもの」は,遺伝子なのでは?ということも書きましたが,遺伝子なんで,自分が切磋琢磨して作り上げたものではなく,生まれつきもっているものですし,作ること自体は...(^^;(もちろん,育てるのは多分に創造的行為ですが).そして,自分が頑張って遺伝子を残しても,自分の子供が遺伝子を残さなければどのみちそこで終わってしまうもので,子供とはいえ,自分の制御外にある「自分でない人間」には違いないわけですしね(これは子供を残せなかった(とまだ決まったわけではないが)負け惜しみも多分のあるかなあ(^^;).

 まあ,「残すこと」自体がどういう意味があるのか?ということは,ありますが,このホームページを作ったときにどこかほっとした感覚があったように,「残すこと」自体が一種の「やりがい」に繋がることは間違いないと思います.どんなにしょぼい論文でも残るということは,逆にしょぼい論文は書けないということになりますし,当然しょぼくない論文を書こうとすることになります(こういうことを言うと論文を書かない,という行動に出る人も出てくるか...).そういう意味では,論文も一種の遺言を書いているようなものかもしれません(もちろんこのコーナーもそうです).

 そして,「作品を作る」という行為を考えたとき,それは,まさに1日1日の積み重ねでしょう.職人のような技能系も技を磨くのは1日1日の積み重ねでしょうが,こっちの方がしんどい気がします.作品は,もちろん試行錯誤や行ったり来たりはありますが,少しずつでも出来上がって行きます.そして,そういう中で閃きなどの輝く瞬間も少なからずあります.でも,技能系の方は1日1日進歩するのを実感するのは,かなり難しいでしょう.特に,技能が上がれば上がるほど成長曲線は対数的に頭打ちになっていきますしね.まあそういうことを敢えて気にしない(というとちょっと語弊はあるが)のが,「遠くを見ない」ということではあるのですが.

 ということで,やっぱり研究者も捨てたもんでもないですね.というか,やっぱり,なってよかったと思います.今日は久しぶりに幸せな気分です(全く脳天気ですねー(^^;).でも,幸不幸は表裏一体のものなので,そこは気をつけないといけません.今幸せな気分ということは,そこからは不幸になるだけってことですからね(^^;.まあ,幸せは別に目指してもいないので,それは構わないですが,そんなことより,1日1日積み重ねて作品を造らなくっちゃ(論文を書かなくっちゃ)ですね(^^;.

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[やっぱり想像力がない?]

 海上自衛隊のイージス艦が漁船に衝突した事故ですが,見張りとか衝突回避のシステムがどうこういう前に,自分たちの船の方がでかいんだからぶつかっても沈むのは向こうだぜ,と言った,非常に自分勝手というか自分本位なものを感じます.これもどこかで書きましたが,一般道をそれこそ我が物顔で,ぶつかるならぶつかってみろ,死ぬのはそっちだぞと言わんばかりに走っているトラックなどの大型車がとても多いです.でもぶつかって傷つくのは命を落とした方もそうですが,命を落とさせた方の心の傷はもっと大きいです(そうでなければ世も末ですね).つまり,相手を傷つけるということは,それと同じかそれ以上に自分も傷つくということをどうして想像できないんでしょうか?やっぱり想像力がない?

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2/23'08
[再々戦(^^;職人vs研究者]

 昨日,研究することは,1日1日積み重ねて作品を作るようなことと書きました.そして,そういう職業に就けたことの幸せを実感したのですが,これも昨日書いたように予想通り,今日はもう幸福感のようなものはありません.でもそれも想定内のことであり,幸福=満足であって,幸福自体は何も産み出さないのでそれはそれでいいわけです.問題は,じゃあ1日1日積み重ねていく気になるかどうかなわけで,つまり,セロトニンではなくてドーパミンなわけです.

 それで,再々戦(^^;職人(技能系)vs研究者というわけですが,確かに技能系の場合は,1日1日積み重ねるのはしんどい気がしますが,1日さぼると技能が低下する,だから,毎日毎日技を磨く,というところはあります.私も仕事以外で,ピアノ,バドミントン,スキーなどの技能系のものをやっていますが,さすがに毎日というわけには行きませんが,日にちが空くと多少無理してでも練習するように心がけています.ですから,どんなに忙しくても結果的にある程度はやることになります.

 一方,研究者としての仕事の方ですが,もちろん仕事ですから毎日やっているわけですが,例えば,自分が解析をしたり論文を書いたりということは,1日さぼると「腕が落ちる」ということはないので,学生の指導や雑務系のお仕事など,やらなければならない度が高いものからどうしてもやることになってしまい,気がつくと自分の研究の時間がほとんどとれていない,ということがよくあります.これはやっぱりちょっとまずいです.

 もちろん,学生が取り組んでいる研究テーマを考えたりアイデアを出したり,学生の研究指導はしているので,それはそれでいいのかもしれません.面白そうな研究テーマを思いついたら,私自身が取り組むより,時間はかかってもそれを通して大きく成長できる学生にやってもらった方が遥かに有益なのは確かです.でも,やっぱり私自身も一研究者であり続けたいんですよねー.

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[残すということ]

 なんで,人間は,いや,人間に限らず生物は,残すことに固執しようとするんですかね?かく言う私はこのホームページを作るまでは何か残したいと思ったことはなかったのですが,このページを作ってからは書いて残しておきたいと思うことが多くなりました.まあ,歳をとって自分の死期を悟ったというようなこともあるかもしれません.つまり,人間に限らず生物はいつか死ぬので,本能的に何かを残しておこうとするのでしょう.そして,その最たるものが子孫なわけです.ですから,これもここで何度も書いているように,そういう本能的なものには従うのが気分よく生きていくのにはいいと思います.ですから,研究成果を論文として残せる研究者は気分よく生きていけるということになるわけです.

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2/24'08
[ものすごい強風,そして...]

 この土日は強風がすごかったですね.まず土曜は,いつもいっしょに練習しているW所さんが体調を崩してしまって今週練習できなかったので,久しぶりに,というか,今年になって初めて(^^;東京までバドミントンの練習に行ったのですが,TXがトンネルから抜けてどこかの河川敷にさしかかったとき,何というか,霧がかかったような感じで,でも一面茶色くて,なんか変だな,なんだろ?と思っていたのですが,客の1人が「すごい砂嵐ですねー」と言っていました.しばらくして,アナウンスがあって電車は減速して一旦止まり,徐行して八潮まで移動して,そこで20分くらい止まっていました.次の日,スキーに行く予定だったので,帰りが心配だったのですが,ダイヤは乱れていたのですが,なんとか普通に帰れました.常磐線は完全に止まっているらしく,振替輸送がどうのこうのと言ってました.

 で,日曜のスキーですが,朝,出発したらいきなり行こうとしたスキー場(ハンターマウンテン)が強風で閉鎖との電話が入りました.いっしょに向かっていたY本とどうするか相談して,インターネットでだいくらはなんとかやってるということで,一応向かうことにしました.でも途中で何ヶ所か突発的にものすごい強風でした.バス停とか倒れまくって,木の枝とかいろんなものが道上に散乱していて台風の後のようでした.もしスキーがだめならゴルフにしようと一応キャディーバックも積み込んで来たのですが,こんな強風じゃゴルフもまともにできなかったでしょうね.

 だいくらはハンターから更に1時間くらい山奥にあるのですが,途中からかなりの雪道になりました.雪道を運転するのは久しぶりでしたが,まあ四駆にスタッドレスならどうってことありません(周りの車はかなりのろのろ運転でしたが).

 だいくらは,なんとかやっていました.でも...スキー場の駐車場に着いて茫然としました.ブーツ忘れた...もちろん,こんなことは生まれて初めてです.時々夢には見るのですが(^^;,実際に忘れたのはもちろん初めてです.最近,こういう,ぼっとして忘れるというか,今までだと考えられなかったようなミスをすることが時々あるようになりました.歳のせい?

 一瞬,マジで取りに帰ろうかとも思ったのですが,冷静になってみればそんな時間はあるはずもなく,レンタルして(ブーツだけなので1000円ぽっきり(^^;)滑ることにしました.20年ぶり?くらいに履いたリアエントリーですが,どう締めても「ゆるゆる」でした.つーか,サイズが1cm刻み(26cmの下は25.5cmではなく25cm)っていうのが...(^^;.

 いつものブーツのバックルを「全て」「完全に」はずして滑るような感じで,こんなんで滑れるのか?ととても不安でした.いつも履いてるフォーミングした自分のブーツの快適さ,すごさを確認することになりました.でも,しばらく滑ってると意外とちゃんと滑れました.ていうか,めっちゃ練習になったかも(ほんと転んでも只では起きない?).きれーにスキーの「力学的真上」に乗らないといけませんからね.時々ブーツを忘れる(こういう練習をする)のもいいかもしれません(^^;.

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[...ことは生きていくこと]

 今日の情熱大陸は作家の桜庭一樹さんでした.自分に正直に誠実に生きておられる人で見ていてとても気分がよかったです.彼女は「なんで小説を書くのか」ときかれて「なんで生きているのか」ときかれるようなものだと答えていたのですが,彼女にとって「小説を書くことは生きていくこと」で,これも何度もここで書いていますが,そういう生き方ができるのがとても羨ましく,でもとても大変で辛そうでもあり,考えさせられると同時にとても幸せな気分にもさせてもらいました.

 でも彼女は直木賞をもらって一応脚光を浴びたわけですが(もちろんそんなことは取るに足らないことですが,そのことを通じて自分の作品が多くの人に読まれることに彼女は意味を感じているようでしたし,だからこそ情熱大陸にも出たのでしょう),世の中には,彼女のようにそれこそ身を削るように仕事をしていてもなかなか脚光を浴びない人がものすごい数いると思います.彼らにとって仕事をすることは生きていくことそのものですから,桜庭さん自身も言っていたように,仕事が認められないことは,自分自身や自分の生き方を否定されるようなもので辛いものかもしれません.彼女自身の「小説は読まれることによって完成する」という言葉にもそのことが現れています.

 でも,そういう仕事はそれこそ人生の終盤にどれだけのものができてなんぼなわけですから,そこに向かって死ぬまで成長していけるのはやはり幸せなことだと思います.でも1日1日(遠くを見ない)ということを考えるとやっぱりしんどいですかね.いや,だからやっぱり1日1日ちゃんと生きていくことなのでしょう.

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2/26'08

 桜庭一樹さんの「小説は読まれることによって完成する」という言葉ですが,彼女は,自分がいなくなった未来の人にも読んでもらえるようにと考えるとものすごく努力できると言っていて,まさにそれが残すということですね.

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2/27'08
[模索中]

 昨日のプロフェッショナルは,ご要望に応えて(^^;の棋士の羽生善治さんの再放送でした.一度(いや2回見たかな)見てるし,録画してるのですが,なんかやっぱ見ちゃいました.でも,最初に見たときほどのインパクトはなかったですねー.つまり,単に「努力を継続できることが才能である」と言いたかっただけなのでしょうか?それだとヤンキースの松井さんの「努力できることが才能である」と大差ないですね.

 私が彼に禿同したのは,「情熱をもって取り組んでいくのは当たり前だと思ってました.でもこれが果てしなく難しいことなんですよ」という本音とも言える番組の中での一言でした.明らかにそこだけ何か確信をもっておっしゃってるように私にはきこえました.でもだからどうするのか,が問題なわけです.それが「努力を継続できることが才能である」では,ただ頑張れと言ってるだけですよね.

 おそらく,彼自身確信をもってるのは,「情熱をもって取り組んでいくのは当たり前だと思ってました.でもこれが果てしなく難しいことなんですよ」というところだけで,じゃあどうするかは,彼自身もまだ模索中なのだと思います.そしてそれは私もそうですし,おそらくみんなそうでしょう.でもそれが人生だしそれでいいんじゃないですかね.

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 三浦和義容疑者サイパンで逮捕ですが,もし罪を犯したのなら日本で無罪が確定していようが,逮捕されてしかるべきでしょう.そもそも殺人などの凶悪犯罪に時効があるのがどうかしています.でもこれでまたロス疑惑という略語が流行る?のかと思うと...

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[モーグル やっと気づいた?]

 女子モーグルのワールドカップで優勝した上村ですが,明らかにターンが安定していると思っていましたが,今日の報道ステーションでやってました.やっと得点が出ない原因がわかった,エアーに取り組みすぎてターンが疎かになっていたと...えーーー!?そんなことに今頃気づくんですかね?そんなことならとっくに私が(^^;指摘してるんですけど...トリノ五輪の時も全く予言通りでした.やっぱりわかってなかったんですねー.そして,今まではコーチの言いなりで,自分で考えることがなかった,今はノートをつけて自分で考えるようになった,これまでずっと子供だったんだ,とも言ってました.これも驚きです.

 でも,世界のトップレベルのアスリートとは言っても(残念ながら)そんなものなのかもしれません.これも何度も書いていますが,トップレベルとそれ以下の差って,結局,フィジカルの差ということが多いんですよね.もちろん,フィジカルがトップレベルで,なおかつ,自分で創意工夫できる人がほんとにトップに来るのでしょうけど,ただ,コーチの言うがままに「体だけを提供」してるケースも多いのでしょう.そんなのでは,自分で考え,創意工夫して競技力を高め,自己表現,自己実現に結びつけるというスポーツの最大の楽しみを全く放棄していることになってほんと勿体ないです.それに成功のカギは「いいコーチに巡り会えること」ではいくらなんでもしょぼすぎますし,リスクが大きいでしょう.少なくとも実際に競技するのは自分自身であり,世界のトップレベルなわけですから,自分にしかわからない感覚が絶対あるはずです.

 でも,上村もようやく「気づいた」のでしょうから,これからが楽しみではあります.でも,大人になって,成長して「気づく」頃には,残念ながら逆にフィジカルは衰えていくわけです.ですから,やはりどこで「気づく」か,どのくらい若い段階で「気づける」か,なのでしょう.バンクーバに間に合うといいですね.

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