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3/3'08
[東京六大学OB・OGリーグ 駒場周辺散策 昔住んでいたところに行ってみました]

 先週末は,東京六大学OB・OGリーグというのでした.去年は,明大で行われたのですが,今年は東大が主管ということで,東大の駒場で,即ち,私が20年以上前,東大バドミントン部時代練習していた体育館で行われたわけです.主管ということは,他大学の皆さんを迎えるわけで,その準備,当日の運営など,会長のK丸さん,OBのK林さん,そして,監督のA浜君,現役の皆さんがとても頑張ってくれて(最後の成績発表でポイントを間違えて法政優勝のところを早稲田優勝と発表したのはご愛敬?)とてもしっかり運営していただいたと思います.

 私が20年以上前,東大バドミントン部時代練習していた体育館で行われたと言っても,ここに来たのはもちろん20年以上ぶりということはなく,東大バドミントン部では,現役,OBOGを交えたシングル選手権,ダブルス選手権というのが毎年行われていて,つい数年前まで私はシングル選手権にはだいたい毎年出ていた(しかも現役のレギュラーと当たる一部にずっと出ていた)ので,数年ぶりという感じでした.でも駒場キャンパスは,数年見ないうちに大分雰囲気が変わってる感じでした.

 試合の方は,今年は東大からは多くの人が参加してくださり,かなり手薄だった40代も30代から若手が上がってきたりしてかなり人数が多く,だいたい1人2,3試合という感じで,1日いる割には物足りない試合数でした.ということで,もちろん他の人の応援をしつつ,合間を見て駒場キャンパスやその周辺,そして,昔住んでいたところに行ってみました.

※ここからは写真がいっぱいあって重くなったので別のファイルに分けました.

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3/4'08
[日記]

 先週(多分)風邪を引いて体調を崩してからどーも調子がよくありません.風邪は(多分)もう治ったと思うのですが体調も心調もかなり悪いです.こういうときはやっぱ休んだ方がいいんですかねー.先週末,無理して東京六大学OB・OGリーグに行ったのもよくなかったかなー.

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04b
[つくばに来て5年]

 そうそう,またうっかり忘れてましたが,3/1でつくばに来て5年になりました.今年の年賀状にも書いたのですが,いろんな意味でいろんな状況が収束してきた感はあります.問題はそれを変えるのか変えないのかなわけです.まあ去年も書いたのですが,変える変えないというよりは,自然とどうかなるということでしょう.自分で変えないとどうしようもなくなれば変えるでしょうし,自分の意志とは関係なく変わってしまうこともあるでしょう.

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3/7'08
[くじ引き]

 大分回復してきました.でもまだ今一ですかねー.でも調子が悪いと書くと回復することが多い気がします.でもそれは偶然ではなく,最悪のときはそういうことを書く気にもならず,少し回復してくると書く気になるわけです.つまり,書くときは回復し始めたときなので,書けば回復する(ように見える)ということですかね.

 今日,「くじ引き」がありました.どういうくじ引きかと言うと,大学での居室のくじ引きです.私が今居る部屋は,赴任時,つまり5年前に「お前の部屋はここだ」と一方的に与えられたもので全く選択の余地はありませんでした.まあ住めば都でそこそこ気に入ってはいて,1階の入口に近いので出入りは便利なのですが人通りが多く少し騒がしいということはあります.

 で,もっと静かな部屋に移りたいとずっと思っていたのですが,なかなかそういう機会がなく(退官される先生の部屋は空いているはずなのにどういうわけかアナウンスもなくいつの間にか新任の先生がそこに入っているような感じだった),今回はちゃんとアナウンスがあったので,「応募」したのですが,私以外にもう1人希望者がいてくじ引きとなったわけです.

 で,もう1人の希望者のS原先生とくじ引きにしましょうという話になって,どうやってくじ引きするかが問題?となりました.じゃんけんじゃなんかがきっぽいし,あみだじゃ,線が2本だと横棒の本数で決まっちゃいますよね.第三者がいればいいのですが,皆さんお忙しい中,わざわざお願いするのも申し訳ない,ということで,2人でできて角も立たず,公平性の高いくじ引きの方法を2人で考えました.

 どういうものかというと,「今日の日経225の終値の第一位が奇数か偶数か」というものです.日経225がいくら以上とかいくら以下とかなら,莫大な資金があればコントロールすることが可能ですが,第一位(例えば,12,345.67なら5)をコントロールするのは無理です.

 ということで,久しぶりにちょっとドキドキしました(^^;.結果(日経225の終値)は,12,782.80となり,第一位は2(偶数)となって,私が当選と相成りました.落選されてしまったS原先生も「市場のせいにできるので、あとくされなくて良い感じがします。今後も使いたいですね。」と言っていただいてちょっとほっとしました.「くじ引き」をどうするかでお悩み?の方はご検討ください(^^;.

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07b
[既得権益]

 今回の居室の件で思ったんですけど,教員の全ての部屋が条件が同じでないとするとやはり不公平感は感じます.公平性ということを考えると5年に一度くらいは「席替え(^^;」をすべきなのでしょう.でも引越が大変だからなどということでないがしろにされている.世の中の既得権益というものも実はそういうもの,つまり,既得権益をもつものがそれにしがみついているということもあるかもしれませんが,変えられない(変えにくい)という状況がそれを守っているのでしょう.

 落選したら落選したで引越しなくていいからそれもいいかなとも思っていたのですが,当選したので引越をしなければならなくなりました.でも,150億年前から決まっていたのでしょうからこれに従うしかありません.まあ,ここに来て5年経って少し煮詰まりかけていたのでいい気分転換にはなるかもしれませんし,荷物を整理するいいきっかけにもなるでしょう.私の理想の整理状態は「いつでも引っ越しできる状態」です.実際には理想には程遠いですけど(^^;.

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3/9'08
[名古屋国際女子マラソン]

 高橋尚子さん残念でしたね.彼女は「諦めなければ夢は叶うことを証明したい」と言ってましたが,「諦めなくても夢が叶わないこともある」ことを証明することになってしまいました.でも考えてみればそれは当たり前のことです.目標がオリンピックに出るとか優勝するとか他人との相対関係で決まるものである以上,勝者と敗者がいるわけで,諦めなければみんな勝者になれるなどということは原理的にあり得ません.しかも,勝者はごくごくごく一部です.で,諦めたから敗者になったのかというとそういうわけではなく,最後まで諦めなくても敗者になってしまうこともあるわけです.

 成功するまで諦めなければ必ず成功するとは思いますが,目指しているのが何かによってある程度「時間制限」のようなものは出てきます.特にスポーツは,種目にもよりますが,トップレベルであれば40が限界でしょう.40を過ぎてトップレベルで頑張ってる人はごく少数ながらいますが,彼らは若いときにもっと上のレベルにいた人達ばかりで,そういう意味では諦める時期はもっと早い段階で来ることになります.

 高橋さん自身も2000年のシドニーオリンピックで金メダルを獲得し,その翌年,ベルリンマラソンで世界最高記録をマークしました.しかしその後は,2005年の東京国際女子で一度だけ優勝したものの,いつも期待されながらもぱっとしません.

 彼女は,ご存じのように2005年からそれまで指導を受けてきた小出監督の元を離れ,チームQとして独立しました.つまり,その段階でようやく「自分で考えるプレーヤー」になったわけです.しかし皮肉にも,ほぼそれを境に成績は下降線です.「気づく」頃にはフィジカルは衰えていくということです.このままでは,シドニーオリンピックの金も世界最高記録も小出監督のおかげで彼女はただ「体だけを提供」しただけということになってしまいます.だからこそ,彼女は独立したのでしょうし,自分でやってみたかったんじゃないかと思います.

 今日の結果を受けて,大方の人は引退と思ったでしょうが,彼女はまだまだやりたいことがあるから陸上競技は続けると言いました.彼女はレース前にこれで自分がやってきたことが正しかったのかどうかがわかる,玉手箱を開ける前のようなドキドキ,ワクワクした気持ちと言っていました.今回のままでは自分がやってきたことが正しくなかったことになってしまいますからね.

 モーグルの上村さんはすごいですね.なんとワールドカップ4連勝で,シーズンチャンピオンも決めたようです.滑りを見てもほんと上手い!これがモーグルですよ.なんで,最初からこれを目指さなかったんですかねー(ってもちろん本人の責任ですけど).問題はやっぱバンクーバまでもつかですかね...って,まあこれも何度も書いてるようにオリンピックが特別ということはないと思いますけど.

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3/12'08
[欲しいPCも人それぞれ?]

 先日のくじ引きで私の部屋に来られたS原先生がもう使ってなくて無造作に放置された(^^;Y2を発見されて,「私もこれ買いましたよ.すごくいいですよねー」とおっしゃいました.彼はこれまで2.5kg!のIBMのノートPCを持ち歩いておられたようで,1.5kg以下のノートPCというともうそれだけで天国のようだそうです.私はY2を常磐線の電車の中で広げるのが苦痛でもっと小さくて軽いR3を買い足したくらいですから,まさに幸不幸は相対的なものってことですね(^^;.彼は買い物を頼まれて,スーパー(ホームセンター?)でなんとY2を広げて歩き回ったそうです.でもおそらくこの軽さに慣れると私のように(^^;もっと軽くて小さいものが欲しくなるんでしょーねー.

 と思ったのですが,ちょっと意外なことが...このYの最大の売りは,この重量と大きさにして1400x1050という高精細を実現したことで,最初に発売された5年前に私は飛びつきました.でもS原先生がYを買った理由はどうも違うらしいのです.というのは,彼は何とYを横1024ドットにして使っていると言うのです.えーーー!なんてもったいないことを...

 私はW(12インチ)の大きさで横1280ドット以上のものが欲しいくらいですけど,彼は高精細よりとにかく「大きさ」が欲しいのだそうです.Yを選んだのも画面が大きくて軽いものということだそうです.ですからMac Airなんかも候補になりうるという感じでした.なんで「大きさ」が必要なのかというと,字が小さいと見えない,ということだそうです.でも彼はおそらく私より5つ以上年下だと思うんですけど...そう言えば,ずっと前,VAIOのtype Uが出たときもこういう話をして,私は画面は問題ないけどキーボードが使いものにならんと言ったら,彼はそれ以前に字が小さくて見えないと言っていました.ということで,欲しいPCも人それぞれということでしょうか.

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12b
[プロの研究者?]

 情熱大陸の理論天文学者,小久保英一郎さん(1/20放送)を見ました.相変わらず,ものすごいタイムラグが...(^^;.でも,情熱大陸は日曜の夜ということもあってリアルタイムで見ることが多いのですが,この回,しかも,いろんな意味でかなり興味がある人が対象なのに(研究者という職種が同じというだけでなく,私は小さい頃,天文学者になりたかったし,大学にはいるまでは理論物理学者になりたかった)なんで今まで見なかったんだろう...

 もちろんとても面白かったのですが,一番印象に残ったのは,彼の海と人生の師匠である水中カメラマンの須賀次郎さんと渋谷から海へ向かう車の中での会話でした.須賀さんがこう言います.「プロっていうのはね,それじゃなきゃ生きていかれない奴がプロなんだよね.それを取り去っちゃたらね,もうその人それで生きていかれないの.」これはまさに専門家の定義ですね.これに対して,小久保さんはこう言います.「僕生きていけますね.やばいな.」その時点で私も小久保さんに禿同です(^^;.しかし,須賀さんはこう続けます.「でも研究者であること,君が研究者であるというスタンスを捨てたら生きていかれないよ.」これに対して小久保さんは「そうかもしれませんね.好きなものを調べるというか勉強するのが好き.」そして,須賀さん: 「天文学からもしかしたら海洋学に転向するかもしれないよね.でも研究者を辞めたら多分生きていかれないと思う.」これに対して小久保さん: 「そうでしょうね.それは僕もそう思いますね.」須賀さん: 「それがプロフェッショナルなんだよ.」小久保さん「良かった.」

 うーーん,これをきいて私もかなりすっきりしました(^^).そうなんですよ.私も研究者であることに間違いはありません.そして,その対象が今は(たまたま?)地震防災ですが,別に他に興味があるものが出てくれば地震防災でなくても構わないわけです.仕事以外にやってるいろんなことも,全て研究対象なんですよ.ピアノもバドミントンもスキーもゴルフもどうやったら上手くなるか研究してますし,音楽はまさに音学(科学を科楽と言ってる人がいますが,むしろ逆で,科学は科学ですし,音楽は音学と言うべきでしょう)です.このコーナー「人生や世の中などいろんなことについて考えること」だって,人生とは何か,気分よく生きていくにはどうしたらいいかについて研究しているわけです.そういう意味では,私は「研究者であるこというスタンスを捨てたら生きていかれない」と思います.やられたー.おかげでかなりすっきりしましたし,私もプロの研究者ということになって(^^;?めでたしめでたし?です.ありがとうと言いたいくらいです.ということで,より面白そうなもの,興味がもてるものを求めて行こうと思います.それが研究者の特権でもあるわけですしね.もちろん,研究者というスタンスは変えませんし,変えられないと思います.

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12c
[研究対象としての面白さ]

 上の話とも関連することです.今日,とある研究集会がありました.それは,例えば,既存不適格建物の耐震補強が一向に進まない,津波警報が出ても避難しない,というように正常化の偏見,正常性バイアスと言われる「なぜか自分だけは大丈夫と思ってしまう」人間心理が働いてしまうのを何とかならないか,防災分野に心理学的なものを持ち込めないか,ということを対象としたもので,私も地震防災をやってる以上はこれが当面の大きな課題だと思っていて,このテーマにも取り組んで行こうと考えてます.この研究集会は,筑波大と某国立研究所の包括的連携の一環という形でも催されたもので,この分野の第一人者であるK應大のK川先生の講演はとても勉強になりました.

 そして,防災分野を対象とした心理学が1980年くらいを最後にあまり研究されなくなってきたこと,もういいところまで来てしまっているという事実を知ります.それは,前回の研究集会でU本先生も言われていたことで,要は,正常化の偏見,というところに来るとそこで止まってしまう,ということです.そういうことがあるのはわかっているがじゃあどうするかということになるとなかなか心理学的対処が難しい.これに関しては私なりに考えていることがあって,そういう観点からちょっとやってみようと思っていました.

 それで,K川先生の講演とその後の研究集会が終わり,K川先生としばらく話していたのですが,なるほど,と思うに至りました.なぜ防災分野を対象とした心理学があまり研究されなくなってきたかと言うと,平たく言えば「あまり面白くない」らしいのです.それはよくわかります.研究者って何のために研究してるかって言うと「面白い」からです.地球科学,地震,建築,土木,都市工学と多岐に渡る地震防災に関係した研究者の中に本気で地震被害を減らしたいと考えている研究者がどのくらいいるでしょうか?もちろん,地震災害軽減に結びつけばいいなとは思ってるでしょうが,ほとんどの研究者は研究対象が面白いからというのが一番の理由でしょう.

 そういう意味では,私は,地震防災に関係した研究者の中では,相当,地震被害を減らしたいと考えている方の研究者だと思います(多分(^^;)が,やはり面白くないもの興味がないものはやりたくないですし,やる気も起こりません.ただ,国の公的機関となるとそうも行かず,今日の研究集会で某国立研究所の人達はかなり熱心にK川先生に,ハザードマップは作ったんだけど住民の人達が使ってくれない,どうすればいいでしょうか?などときいてらっしゃいました.そして,私もK川先生に既存不適格建物の耐震補強を進めるにはどうしたらいいでしょうか?ときいてみたのですが,自分できいておいて,ものすごい違和感を感じました.

 ということで,なんかもやもやしたものをずっともっていて,仕事をする気にもならず,撮り溜めたVでも見るかと思って,上記の小久保さんの情熱大陸を見たわけです.で,思いがけず(またものすごい偶然にも)そこに答えがあったわけです.

 つまり,「私」の目的は,地震被害を減らすことであってはならないのです(ものすごーーく誤解を与えそうな文ですが).上で書いたように私は生粋の研究者です(そこまで言い切るか).つまり,研究することが仕事であって,地震災害を減らすことではないのです(うーーん,やっぱり誤解を与えてしまいそうだ.でもわかってくれる人はわかってくれると思ってあえてそう言い切ることにします).で,正常化の偏見をやってみようかなと思ったのは,それが地震防災に繋がるからということもありますが,やっぱり面白そうと思ったからなんですよね.要は人間心理に関わることなので,それを突破口にして,ずっと興味をもっているもっと広い意味での「人間の心のメカニズム」といったものに繋がるかもしれないと思ったこともあります.ですから何はともあれ,ちょっとやってみようとは思います.そして,面白そうだったらやるし,つまんなそうだったらやらない(^^;と思います.

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3/16'08
[教育]

 いきなりでかいテーマですが,私も一応人を教育する立場にあるので,こういうこと,つまり,教育はどうあるべきかなどはよく考えます.ただ,全てを「教育」とひとくくりにしてしまうことはできないので,ここではいくつかに分けて考えることにします.というか,それが結局「教育の問題」なのかもしれません.

 最近よくモラルハザードとか格差社会とか社会問題として取り上げられていることのほとんどは教育の問題に起因しています.モラルハザード(というのは正式?には変な用語だが)は言うまでもないですが,格差社会も実は教育の問題が大きいということはここで既に書きました.つまりは,人として生まれてきた以上はちゃんと一人前に生きていく資格があるし,そういう教育を受ける権利があるということです.にも関わらず,それが果たされず,競争社会という大義名分?の下に圧倒的に不利な条件に置かれるのは,不公平とも言えるもので,教育の問題の根幹はここにあると思います.

 この教育に対応するのは,まず家庭,そして,初等教育です.あるいは,近所付き合いとか街中で悪いことしたらちゃんと大人が叱ってくれるというような社会全体とも言えます.これも既に書いたように,教育と言うとすぐに学校ということになって,全ての責任を教師に押しつけるのは,お門違いも甚だしいし,そういう姿勢こそが家庭教育がなってないことを暴露しているわけです.ですが,狭義の学校教育という枠組みを考えたとき,やはり,初等教育はとても重要だと思います.「五体不満足」の著者の乙武さんが自分がやるべきことは何なのか模索し,スポーツライターなど紆余曲折を経て,小学校の先生になることを選んだのもとてもよくわかります.

 ですから,職業に貴賤なしですが,小中学校の先生の社会的役割はとても大きいと思います.お医者さんにありがとうと言いたいくらいと書きましたが,小中学校の先生にもありがとう,あるいは,よろしくお願いします,と言いたいくらいです.人間教育もそうですが,やはり,基礎的な学力,基本的な考える力を養うこと,そもそも考えるということを身につけさせることはとてもとても重要です.それが不充分な人がいることが,ワーキングプアを生んでしまうような様々な大きな社会問題の根元となっているわけです.

 初等教育に関しては,生徒の能力のばらつきの大きさは問題になります.つまり,上に合わせるのか下に合わせるのかということです.もちろん,効率から行けば能力別編成の方がいいに決まってますが,そんなことするとがたがた言い出す人が必ずいますし,私は初等教育は下に合わせる今の?やり方でいいと思っています.それは,1つには,初等教育の目的が上で書いたようなことであるということ,そして,上の方の生徒はほっといても大丈夫だからです(これに関しては後の方で出てくる高等教育でも同じようなことが言えます).

 私自身,小中学校時代,特に,中学時代は,学校の授業などおとなしくまともにきいていたなんてことはありませんでしたし,怒られてばかりいました.先生にしてみれば,言うことをきかず扱いづらいとても生意気な生徒だったと思います.いつだったか,大学の若手教員の飲み会でもそんな話になりましたが,皆さん,大なり小なり私と同じような小中学校時代を過ごしてきたようです(^^;.M田A先生は,ロナウジーニョなどの世界のトッププレーヤーは,幼少時代,例外なく言うことをきかない「使いものにならない」選手だったという例を紹介してくださいました.ですから,初等教育は上の方はほっといて(^^;,やはりしっかり学力の底辺の底上げをするというやり方でいいのだと思いますし,それこそが社会から求められているのだと思います.

 では,高等教育はどうでしょうか?大学は研究をするところであると同時に教育するところでもあります.しかし,大学の教員のほとんどは研究するためになった人でしょうし,小中学校の先生のように教育するために大学教授になろうと思った人はほとんどいないと思います.実際,小中高の教師には教員免許が必要ですが大学は全く必要ありません.さすがに私の大学にはいませんが(多分),講義を雑用といって憚らない人もいるようです.

 ですが,そういうつもりで大学の教員になっても,ごくごく一部を除けば,講義をしたり,研究室をもって学生を指導していかなければならないことになるわけです.かく言う私も幸い(だったかどうかは今となってはかなり疑問)なことに大学院の博士課程を修了(大学院は卒業ではなく修了と言う)した後に,その「ごくごく一部」のほとんど教育に携わらなくていい,いわゆる大学の研究所に就職することができました.その間,とても恵まれた環境にいたわけですが,いつの頃からか,ただ自分で研究するだけでは物足りなくなってきました.

 もちろん,どんな分野であるにしろ,研究そのものは一生をかけて追求していくものですし,それだけの価値あるものだと思うのですが,これも何度も書いているように人間の本能というか,30を過ぎると人は自分のためだけには頑張れなくなるように,人を育てたいと思うようになるんですよね.

 そんなこともあって,私は現在の大学に移ることにしたわけです.そして,5年の月日が流れ,今では現在の大学では枠一杯に近い10人くらいの学生を抱えるようになりました.彼らに対しては,これもここで何度も書いているように,最先端の研究という格好の材料を使って,問題解決能力,プレゼン能力など単なる研究という枠に留まらず,社会に出てからいろんな仕事をしていく上で必要となるスキルを身につけてもらうよう指導しています.そして,もちろん何もかもうまく行ってるというわけではないのですが,上で書いたような点に関してはある程度は成果を上げていると思います.

 ただ,5年経った今,ちょっと違うというか違和感のようなものも感じるようになってきました.それは後継者というわけではないのですが,この分野の研究者として身を立てようという人材をまだ育てられていないということです.これはもちろん,私が育てられるかどうかと言う以前に少なくとも研究者として身を立てたいという学生が現れなければ話にならないわけで,筑波大というところは,修士課程の進学率はとても高い(多分東大以上?)のですが,博士課程の進学率になると極端に低くなるという事情もあります.でも私も一応,地震防災の研究者として他の研究者が取り組めてない独自の分野を切り開いた?以上は,誰かに後を継いで欲しいという思いは正直ある,とはどこかで書きました.でもそれは,私の単なるわがままであって,そんなことを学生に強要するわけには行かないので,そういう人物が自然と現れるのをじっと待つしかないのですが,この分野,あるいは,この分野にとどまらず,何が世の中にとって必要かまで含めてしっかり考えられる人材を育てることは責務とも言えるものでしょう.ただ,そう考える一方で,そんなレベルの人材は「育てる」とかというものではないのは明らかです.

 もう随分前になってしまったのですが,元大関の栃東さんを取り上げたバース・デーで,中身は彼が怪我や病気と闘ってきたというドキュメンタリー的などうということはないものだったのですが(と言うのは失礼か),最後の方のナレーションで,「彼はこれから彼自身を越える力士を育てることを目標とした親方として...」というありがちな何気ない?コメントが引っかかりました.果たして「自分を越える人材を育てる」なんてことができるのでしょうか?

 スポーツの世界では,例えば,大関止まりだった朝潮(汐)さん(高砂親方)が朝青龍を育てた?ように,弟子が師匠を超えるというような現象が見られますが,ほんとに高砂親方なくして朝青龍なしなのかと言えば,はっきり言ってそんなことはないでしょうし,だからこそ朝青龍は師匠の言うことをきかないわけです.

 ですから,私も私を超える人材を育てようなどとは毛頭思ってませんし,できるはずもありません.ですから,後は任せたと勝手に思えるような人材が出てきてどこかで頑張ってくれればいいわけです.もちろん,彼(彼女)が,たまたま私の研究室の門を叩いてくれれればもちろんこの上ない喜びです.そんな学生が現れれば,私がもっているものを全てあげるくらいの気持ちはありますが,そんなレベルの学生であれば,そんなことするまでもなく自分でどんどん成長していくものでしょう.

 ただ,世の中のいろんな研究室を見ていると,それこそ綺羅星のごとく後継者を次々に排出する研究室とそうでないところがあります.私の研究分野では,かつての東大の青山・小谷研,京大の入倉研などがそうですね.もちろん,東大,京大なので優秀な人材が集まるということはあるでしょうけど,東大,京大でも(そんなに)後継者が育ってない研究室もいっぱいありますし,筑波大にも優秀な学生はいますから,そういう研究室には何かがあるのだと思います.

 最大の「教育」は,懸命に仕事をしている(研究している)後姿を見せること,とはよく言われます.私も父のそういう姿を見て大学の先生になりたいと思いました.ですから,やっぱり教育云々という以前に,私自身がしっかり仕事をして行く,ちゃんと生きていく,ということだと思います.

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3/19'08
[休まなくていい?]

 先週末は,野沢でした(と言ってすぐにスキーだとわかる人がどのくらいいるのだろーか(^^;?).メンバー的には,東京時代によくいっしょに滑ったメンツで,気心が知れていて,なおかつ,上手い人達(正指1人に準指が2人,もう1人は2級だが1級受ければ受かると思う.なぜか彼女は頑なに?1級受けようとしないんですよねー)とコブ斜面をがんがん滑れてほんと楽しかったです.

 私はおととし準指をとってからはそんなに滑れてなくて(去年も今年もシーズン10日ちょっとくらい),でも私なりの練習論的なことを考えながら滑っていて自分の中ではかなり「力学的真上」に乗ることができるようになってきたと思っていたのですが(先日ブーツ忘れたのもよかったかも(^^;),正指もってるI田さんに「数年前と比べると別次元の滑りだよ」と言ってもらって正直ほんと嬉しかったです.彼女の滑りを見る目は相当確かですからねー.

 野沢は私が大学を卒業するとき,研究室のツアーで初めてスキーをしたスキー場ですし,急斜面やコブ斜面が多くてとても好きなスキー場の1つで,それこそ何十回も行ってると思うのですが,1つ大きな謎?があって,それはいつぞやI田さんが送ってきてくれた写メで,上の平の真ん中に道路標識がどーーんとある,というものです.

 これを見たときはまじで合成写真かと思ったくらいです.ていうか,実際こうしてまた見ても普通のスキー場の写真にペタっと青い看板の部分を貼ったような気がしませんか(^^;?それくらい見覚えがなくて,なおかつ,違和感を憶えたのですが,今回行ってしっかり確かめてきました.うーん,でもなんかまだ不思議というか,信じられない?ような妙な気分です(^^;.

 今回のツアーは,もちろんとても楽しかったし,普段かなり運動やトレーニングをしているので,コブ斜面をがんがん滑るくらいで体は(そんなに)疲れるはずもないのですが,なんだかとても疲れてしまいました.つまり,疲れたというのは,体ではなく心というか気力が,ということです.帰ってきた次の日は,なかなか仕事をする気力が湧かず***(まあ私の場合はそんなことは珍しくもないですが(^^;).週末にスキーというとそこで仕事のストレスを発散して(^^;英気を養って元気になって月曜から仕事するというのが普通なのかもしれませんが,私の場合は,今回に限らずいつもそんな感じではないのです.つまり,「休息」にはなってないんですね.

 まあ,ここで何度も書いているように「休み方が下手」ということになるのかもしれませんが,私の場合,仕事はもちろん,仕事以外にやってることも全て「休み」という感覚はありません.仕事以外にやってることは,仕事と比べるともちろんレベルは全然違いますが,下手くそでもいいとは全然思ってないし,私の場合,下手くそでもいいと思ったら全然つまらなくなるでしょう.このことは,仕事以外にやってることと同様に,いや,それ以上に仕事を楽しんでいるとも言えるのですが,いったいいつ休んでいるんだ?ということにもなるわけです.というか,実際,全然休んでいないんだと思います.それこそ,寝ているときだけかもしれません.

 でも,今回のツアーで夜飲んだときも話題になったのですが,先日,何かの番組で人間が本質的に休めるのは睡眠だけと誰か専門家の方が言っていたようで,そうだとすれば,やっぱり睡眠はとても大事だし,これさえしっかりとっていれば休まなくてもいいってことにもなりますよね.

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3/21'08
[日記]

 東京で委員会だったので,ヨドバシであらためてtypeTを見てきたんですけど,やっぱりいいなあ.とにかくディスプレーのドットがきめ細かくて綺麗です.で,明らかにW5より小さい.やっぱ買うかな.その後,神田のスキー街に行って買い物をして,久しぶりに神田の由○に行ったんですけど,替え玉3つまで無料とあります(一応,携帯で写真を撮ったのですが暗くてぼけぼけで全然わかりませんね(^^;.やっぱり携帯のカメラじゃだめだー).

 由○は福のれん時代から時々替え玉無料の日,というのがあるんですよ.やったー,ラッキー(^^),と思って,店員さんに,「今日は替え玉無料なんですねー.」と言ったら,「毎日無料ですよ.」との答え.えー!そりゃすげー!でも由○のラーメン食べたのは久しぶりでしたが,ラーメンが来たとき,ちょっと「白っぽい」感じがして,あれ?と思ったのですが,食べたらちゃんとコクがあるいつもの由○のラーメンでした.ただ,由○では麺の固さを指定したことはなかったのですが,少し軟らかい感じがして,替え玉は固めで注文したら,ちゃんと固め(例えば,風びの「粉落とし」より固い)にしてくれました.

 で,委員会が終わって帰りに,なんかテレビで見た封筒から出てくるPCのようなスキャナのような見覚えのある平ぺったいのが...マックユーザーのT北大のO野先生のでした.思ったより大きくないですね.で,もってみると予想通りずっしり(^^;という感じです.あの薄さにあの重量感は,中に鉛でもはいってるんじゃないのか?と思えるほどで一種異様な感じでした(^^;.やっぱり私も新しいノートPCが欲しくなってきました(^^;.

 帰りはTXではなくて高速バスで帰ってきたのですが金曜の夜ということもあってほぼ満員でした(一応,携帯で写真を撮ったのですが暗くてやっぱりぼけぼけですねー).

 TXが開通してからは,帰りもずっとTXだったのですが,最近はまた高速バスを使うことが多くなりました.だって,東京駅より南から帰るなら高速バスの方が速いことが多いし,自宅の近くの竹園2丁目まで行ってくれるからです(最近はつくばセンター行きではなくてほとんど筑波大学行きになってるんですが,まだ筑波大まで乗ったことはありません).それにいつもはこんなに混んではいないので,隣はだいたい空いていて,電車よりも楽ちんです.実は今日は「ほぼ」満員だったのですが,満員には1人だけ足りなくて,その1人というのが私の隣りの席でした.

 まあ,平均+σくらい(^^;以上の身長の男がでんと通路側に座っていたら(私は電車やバスや飛行機の座席に座るときは必ず通路側にします.窓側だととても窮屈だからです(閉所恐怖症?(^^;))普通は避けますよね.私自身,電車やバスに乗るときはできるだけ女性の横に座ります.それは女性が好き(なのは確かにそうですが)とかそういうことじゃなくて単に女性の方が体が小さいのでゆったり座れるからです.ですから別に若い女性でなくても(^^;構わないわけです.

 そうそう,行きは当然TXで行ったのですが,おとといのI井先生の退職記念パーティとH本先生,Y野先生の歓送会の後,2次会でDaysTownに行ったとき,たまたまTXの回数券のばら売り券売機があるのを発見して,試しに今日,少し時間があったので(ほんとバスとTXの接続が悪いんですよねー)時差回数券を買って来たんですが,やっぱりちょっと遠いな.センターからだと回数券を買う時間も含めて往復12,3分は見ておかないといけません.

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21b
[夢なんか要らない]

 友人から,「仕事をしていて夢がある?」「なきゃいけないの?」というようなメールが来て,あらためて「夢」について考えました.こういうメールは,そういう機会を与えてくれるので私にとってもとてもありがたいです.まあ,「夢」に関しては,ここここここで考察済み(^^;,だったので,メールの返事は「夢なんか要らないよ!」と即答だった(^^;のですが,先月に書いたいくつかの記事[やる気再考],[やる気再考(のつづき)],[この歳になったからできる],[死ぬまで追求していく1つの大きな目標],[コツコツ],[続けること],[リズムとは],[遠くを見ない],[再戦(^^;職人vs研究者]とも関連することで,あらためて考えを整理してみたわけです.

 要は,(私にとっての)楽しく生きていくための「素」は,やる気や気力であって,それを支えるのは,面白さや情熱のようなものです.ですから,そういうものがあれば,夢や目標なんか(私は)要りません.面白さや情熱を感じられなければ,夢や目標を設定しないとやって行けない,ということなのでしょうから,それは不幸だし辛いことでしょう.ですから,私は面白そうなこと,情熱を感じられるものを必死で(いつも)探しているわけです.

 しかしながら,かく言う私も夢や目標を設定したことが2回ありました.1回目は東大に入ること,2回目は大学の先生になる(好きなことをして飯が食えるようになる)ことでした.東大に入るという目標は,大学の先生になるためでしたから,2回と言っても実質は1回です.つまり,好きなことをして飯が食えるようになることが夢であり目標でした.そして,幸運にも夢を叶えることができました.それはほんとにラッキーだったと思いますが,それなりの苦労もしました.一番苦労したのは,「好きなことをして飯が食えるようになる」の「好きなこと」探しでした.その辺の紆余曲折については,ここで書きましたが,それ以外は,正直に言うと別に夢や目標に向かって努力したわけではありません

 受験勉強は嫌いではありませんでしたが,情熱を感じるほど面白いものではありませんでしたし,実際,東大に受かった最後の1年以外はそんなに勉強はしませんでした(でも参考書をいろいろ比べてたりして,どうやったら効率よく勉強できるかという研究はよくしてたかなー(^^;).逆に,大学4年になって研究室に入ってからは,研究というものがほんとに面白くて,大学の先生になる(好きなことをして飯が食えるようになる)ために研究していたのではなく,単純に面白いから研究していたということです.ですから,夢や目標を設定したことが2回あったと書きましたが,実際には,夢や目標を設定してもそれが頑張れるということには(私の場合は)結びついていなかったんですねー.

 これも,やる気3要素に照らし合わせてみれば,当たり前のことです.夢や目標は「報酬」ですから,ランク的には一番下,しかも,逆効果のこともあるという代物です.面白さや情熱は内的熟達ですから,やはり,追求すべきはこれということになります.ですから,これからもやりたいこと,面白いこと探しはずっと続けていきますし,今やってる仕事の中でもやりたいこと,面白いこと探しをして行こうと思います.それができるのが研究者の特権(自分が面白いと思えること,やりたいことがやれる)でもあるわけですしね.

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3/23'08
[結局はモチベーション]

 今日のゴルフの女子ツアーで,最後の50cmのショートパットをはずしてプレーオフで負けてしまった横峯さくらさんですが,今年の目標が「1年間モチベーションを維持すること」だそうです.やはり,皆さん,モチベーションに苦しんでるんだと思います.ていうか,結局はモチベーションなんですよ.できるとかできないとか夢とか目標を叶えるとかそういうのは関係ありません.できるだけのことをやってできなきゃしょうがないわけですから.でも「できるだけのことをやる」のに必要なのがモチベーションです.そして,モチベーションに必要なのは断じて報酬などではありません.

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23b
[30年前からタイムスリップ?]

 なんか疲れて,リクライニングチェアーにごろっと座ってテレビをつけてチャンネルを回したら,ラヴェルのダフニスとクロエをやっていました.指揮者はもうよぼよぼで椅子に座って指揮しています.でも顔をよく見てみると...プレヴィン?

 私が音楽をよく聴いていた中学高校時代のプレヴィンは颯爽とした若手指揮者でした.指揮者ですから若手と言っても4,50くらいです.考えてみたらその頃から30年くらい経ったことになります.つまり,プレヴィンももう80近くでよぼよぼでも当然なわけですし,私も今は当時のプレヴィンくらいの歳なわけです.うーん,なんかついこの間のような気がするんですけどねー.この30年で何が変わったのだろう?何も変わってないような気もしますし,何もかも変わってしまったような気もします.30年前から突然タイムスリップしてしまったような気分です.

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3/26'08
[好きこそものの上手なれ つづき]

 好きこそものの上手なれですが,結局,この楽天の野村監督が出ていた回は途中で切れていたのですが,ここの部分については,「言質」がとれました.彼は確かこんな風に言っていました.「プロなんだからやる気があるとかないとかは問題外.やる気がない?はい,さよならー,ですよ.」

 なーんだ.がっかりだよー!(^^;やる気がある選手や学生だけを相手にすればいいのなら楽勝じゃないですか.結局はモチベーションなので,私が一番苦労しているのは(自分も含めて)いかにモチベーションを起こさせる(起こす)かなのです.そして(少なくとも私は)それさえ何とかなれば大概のことは何とかなると思っています.

 ただ,自分のことはさておいて,選手や学生の指導に関しては,モチベーションさえ起こさせれば何とかなるかというと,もちろんそんな具合に行くわきゃありません.ていうか,そこからがほんとの勝負です.つまり,最先端の研究テーマに取り組ませることによっていろんなことを学ばせて成長させるということです.でもどうかなあ.ほんとの勝負の前と後とどのくらいの比率になってるでしょうか.今の感じだと,半分以上は前半に割かれているような気がします.私も,正直,野村監督のように後半の「ほんとの勝負」だけがしたいです(特に学生相手).

 でも教育で書いたように「ほんとの勝負」の部分は教育の問題ではなく,結局は,本人の問題なわけですから,私にできることは研究テーマを考えて(これが一番重要で一番困難かつ高度なことですが)いかにモチベーションを起こさせるか,マネージメントをするか,ということになってしまうのでしょうか.だとすると,研究テーマを考えるということ以外は,研究者というよりは,会社の経営者みたいなもんですね.うーん,私のやりたいこととは違うかなー.

 モチベーションをいかに起こすかについては,ここでもいろいろ書いてきましたが(ていうかそれがここでの最大のテーマなわけですから),その点に関しては,「好きこそものの上手なれ」に異論はないです.でも,こういう短い言葉にしてしまうと,いろいろ誤解が生じると思います.

 まず「好きなこと」なんてそうそう簡単に見つかるものではありません.私も相当苦労しましたし,これからも苦労していくと思います.つまり,「人生やりたいこと探し」なんですよね.でも,これはこれで結構楽しいものです.「やりたいこと探し」というと,今やってること以外,という感じがしますが,今やってることの「中に」やりたいことを探すことも必要です.つまり,「面白さ」は感じるものではなくを見出すものだということです.そして,それこそがモチベーションの最大の課題である持続性に繋がってきます.

 「好きなこと」なんてそうそう簡単に見つかるものではないと書きましたが,面白そうなことはいくらでも見つかると思います.でもそのモチベーションを何十年と持続させることは並大抵のことではありません.でも逆にどんなことにも面白さがあるのも事実ですが,面白さを見出すのには労力と時間がかかるものです.

 つまり,面白そうなことを見つけたらまずやってみる.で,つまらなくなってきたらすぐに辞めるのではなく,とにかくしばらくは続けてみる,そして,面白さを見出す努力をする.そうすると,上のレベルの面白さが見えてきて持続する.また,しばらくすると飽きてくる.そうするとまた面白さを見出す努力をして,更に上のレベルの面白さが見えてきて持続する,ということをスパイラル状に繰り返していく,ということでしょうか.でもそのためには,好きなことやりたいことに「奥行き」が必要ということになりますし,時には,寄り道みたいに面白そうな他のことをやることも必要でしょう.寄り道のつもりがそっちが本業になるかもしれません(^^;.でも,面白さを「見出しやすい」好きなことを選ぶことはやはり重要です.自分が何が好きかは実はよくわからないことが多いのですが,人によって好き嫌い(得手不得手ではない)があるのは事実(DNAがいろいろなので)ですから.

 昨日,プロフェッショナルの時間帯に爆問学問の京大SPというのをやっていて,独創力がテーマで,まあ面白かったのですが,あんまりちゃんとした議論にはなってなかったと思います(理由は後述).でも,最後の独創力は育めるか,ということに対して天文学の小山先生が,私だけが真面目なことを言います(^^;と言われて,持続することの重要性,そして,持続するには好きなことでないといけない,つまり,自分の好きなことをいかにして探し出すか,ということを言われ,少し殺伐?とした議論になっていたところにちょっとそよ風が吹いたような気がしました(下に続く?).

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26b
[爆問学問(上から続く?)]

 ここで何度か登場している爆問学問ですが,何度かちらちら見たことはあるのですが,継続して,即ち,留守録してまで見ようと思うことはありません.この番組の趣旨は,学問の面白さを伝えることなのでしょうが,そんなことは,私にしてみれば,わかりきった話です.ただ,いろんな分野の最先端の研究者が話すことにはとても興味があります.でも,この番組の主人公は,最先端の研究者ではなく,太田光さんになってしまってる感じがとてもします.

 私は彼のことは好きですし,その規格はずれのボケ(とそれを的確に突っ込む田中さん)はほんとにすごいと思います.そして,太田さんは芸人という枠を越えて,爆問学問のようないろんな「知的」な番組活動もしています.ただ,彼はよく勉強しているし,よく考えてもいるとも思うのですが,彼がいろんな人と議論しているのを見ると,議論する中身が目的ではなく,彼自身を表現する,つまり,一種の彼の自己顕示が目的のように見えて仕方ありません.議論のテクニックの1つではあるのですが,議論が不利になるとわけのわからないことを敢えて言って議論にならなくするという場面が度々見られます(それを彼の頭のよさなどと言ってるようではまだまだですよ(^^;).

 そういう場面は,討論番組でよく見られるのですが,討論している方は面白いのでしょうが,それを第三者が見るのにあまり意味はありませんし面白くもありません.ただ,太田さんの場合は,彼はおそらくもともととても知的な人で,でも普段は芸人としてものすごいボケをかまさないといけないわけです.つまり,ボケを「演じて」いるわけで,彼の中で精神的にバランスをとるのがかなり難しいのだと思います.それを,解消するためにいろんな「知的」番組活動をしているのではないかと考えているのは私だけでしょうか?

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26c
[仕事は仕事と割り切ると仕事は趣味と割り切る(上から続く?)]

 好きこそものの上手なれではありますが,好きなことやりたいことだけやる,ということに固執しないことも大事かもしれません.私は世の中の働いてる人々の中で,好きでやりたいことがやれているという点では間違いなく最上位(^^;グループにいると思いますが,実際のところは,研究だけやっていればいいというものではありません.講義や学内外のいろんなお仕事がかなりあります.上で書いた学生の研究指導だって,純粋な研究指導よりは,彼らをどうマネージメントするか,といったことに多くの労力が割かれています.そして,それが相当の精神的負担になっています.でも,私にとっては,好きでやりたいことがやれる度が一番高いのは今の日本の職業の中では大学教員なわけですし,大学教員である以上は,研究以外にやらなければならないこともあるわけですから,これも「面白さは見出すもの」で対処して行くしかないのでしょうか.

 一方では,仕事は仕事と割り切るというやり方もあるとも書きました.つまり,純粋に自分がやりたいこと以外の「お仕事」には,面白さを敢えて見出さず,苦痛を甘んじて享受するということです.そして,苦痛を感じた後は解放感や達成感が待っています.これは幸福論で書きました.仕事は辛くなければいけない,という信念を持って敢えて辛いことを職業に選んでいる人もいるくらいです.私は,やりたいことを最優先に今の職業を選んだのですが,幸い?(それなりにあまり)やりたくないこともいっしょについてきてしまったわけです.

 つまりそういう仕事は「仕事と割り切」り,一方で,やりたい「仕事は趣味と割り切る」ということもあると思います.つまり,私の本業である研究は趣味ということです(ちなみにここではほんとの意味ではなく,敢えて一般的に使われている意味で使っています).でも趣味で給料を,しかも,税金からもらっていたのでは申し訳ない.ですから,講義や学内外の様々な雑務などの「お仕事」があるわけです.給料は「お仕事」でもらっている.その残りの時間でやる研究は趣味.そう考えれば,こんなに好待遇な職業はないでしょう(^^).

 問題は,講義や学内外の様々な雑務,特に,後者ですね.「お仕事」の残りの時間で趣味の研究をやるには,時間が「残らないといけない」わけですからね.それが最大の問題かも.でも仕事以外にいろんなこと(無理矢理)やってるわけですから,「趣味の仕事」をやる時間も無理矢理やればいいわけです.つまり,結局は,どれだけ「趣味の仕事」をやりたいかというプライオリティの問題なわけです.

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26d
[なぜバドミントンは結局フィジカルなのか?]

 先日,インドネシアに行ってるK上が一時帰国するということで(ほんとは佐賀にいるK野が上京するときということだったが,彼が来られなくなり彼の分は来月にまた集まる,つまり,また?2回集まることになった)1年ちょっとぶりに東大バドミントン部の同期と飲んだのですが,そのとき(珍しく(^^;)バドミントンの話になって,と言っても私が質問されてしゃべってるような感じだったのですが,得てしてよくあることですが,自分がしゃべりながらなんでだろ?と思い始めて,そして,あとからいろいろ考えることになりました.

 要はバドミントンというスポーツがどういうものかということなんですが,今バドミントンが強いのは中国です.男子もそうですが女子は圧倒的です.でも中国が強いスポーツって,実は結構限られてますよね.どちらかというとマイナーなものが多くて(そういう意味ではバドミントンも確かにマイナーですが(^^;),マイナーで選手層も薄いというだけではなく,言い方に語弊はありますが,競技自体も割と単純でちょちょっと強化すれば手っ取り早くオリンピックでメダルがとれて数も稼げるものが多い気がします.でもここで再三書いているようにバドミントンというスポーツは,メジャーなものも含めて数あるスポーツの中で単純というには程遠いもので,むしろ,その運動要素の多様さ,競技中の選択肢の多さなど,複雑極まりないと言った方がいいくらいです.でも中国は強い.

 もちろん,そのときも出た話ですが,分母が10億以上ですから,その中から,しかも,幼少時代から選りすぐっていけば有能な選手が出てくるのは当然なのですが,だとすれば,野球やサッカーやテニスなどのメジャーなスポーツでもそれなりの成果が出てもよさそうなものですが,これらに関してはまだまだです.

 ですから,バドミントンって結局やっぱりフィジカルなんじゃないかということになるわけです.これは阿部先生も言われていたことですし,私もそう思うのですが,じゃあ,バドミントンほど複雑な競技がなぜ結局フィジカルなのか,ということに関して,あらためて考えてみました.今のところの私の結論はこうです.バドミントンがあまりに複雑だからなのでは? つまり,競技中はあまりに選択肢が多く,ショットのコース,種類,スピードの変化が多すぎて,ほとんどまともに判断する暇がない.そうするとどうなるかというと,結局,理屈でどうこういうよりは瞬間的に本能的に動くしかないわけです.そうなれば,もちろんセンスがあって相手の球を読んだり,相手に読まれない球を打ったりすることができる人はできるでしょうが,そうでなければ,こういうときはこうするというパターンを体に覚え込ませること(特にダブルス),そして,後はフィジカルの勝負です.実際,ここでなんでここにこのショットやねん?というプレーをする相手でも,とにかく速く動けて速いショットを打てるフィジカルが強い選手には(残念ながら)勝てませんからね.

 先日,東京六大学OB・OGリーグがあったときに,東大の主将のN澤君がとてもいいプレーをしていたので,筑波大の練習に来てみたら?と声をかけて,先週,東大バドミントン部のレギュラー6人くらい+監督のA浜君で来てもらいました.もちろんみんなとてもしっかりプレーしていたのですが,練習を見ていて,筑波大と東大の選手の差はやっぱりフィジカルの差という感じがしました.

 じゃあ,とにかくばりばりトレーニングすればいいのか,というともちろんそういうわけではありません.つまり,如何にフィジカルを強くするかというところで頭を使えばいいわけです.でも考えてばかりでは話になりません.やっぱり,多少効率は悪くても練習する人には勝てませんからね.そういう意味では,練習やトレーニングをしたらしただけの効果があるスポーツと言えるかもしれません.ですから,これもやっぱりモチベーションの問題ですね.

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26e
[何のために研究する?]

 これも東大バドミントン部の同期と飲んだときの話ですが,話が地震直後の被害把握のことになったとき,私が強震記録と建物群データがあれば,きめ細かい面的被害分布がわかる,建物群データは人口データからある程度わかる,という話をしたとき,国交省の役人であるK上が結構噛みついてきました.なんでも「そうそう」とだけ言うのではなく,異論があれば,ただ反対というのではなく理由をちゃんと説明して異議を唱えてくれる友人がいるのは幸せなことです.

 地震直後の被害状況を瞬時に把握することに関しては,今は,衛星からの航空写真の画像解析や街角にビデオなどを設置してモニターするというような手法を使うことが主流となりつつあります.JAXAの知人もそのための衛星打ち上げ計画があると言っていました.K上も役人だけあって?そういう確実と思える(実際に「見る」わけですから)ことが重要と考えていて,私のやり方のような一種の「理論」が必要なものに責任をもてるのか?と異議を唱えてきたわけです.ですから,彼の言うこともよくわかります.

 これに対して私は,彼は土木出身なので,家屋の全壊の判定は最大層間変形角が1/20程度,つまり,全壊かどうかを判定するには,階高6mとして30cmの精度が必要で,残留層間変形角はもっと小さくなる(0になることも多い)ため,今の技術では難しいということ,倒壊した家屋の判定も重要だが,全壊して余震で倒壊する可能性がある建物の判定がとても重要であること,つまり,倒壊した建物の下敷きになって失われてしまった命(兵庫県南部地震のデータによると,倒壊した家屋の下敷きになって亡くなってしまわれた方の90%以上はほとんど即死)と同様に,まだ失われていないが失われる可能性が高い命も重要であることを説明しました.

 まあ,この議論に関してはこの通りですが,その後,私が考えたことをここで書いておこうと思います.結局はここで書いたことになるのですが,何のために研究するか,ということだと思います.そりゃー,お金があり余ってるのなら,実際に見る方が確実でしょう(でもお金があり余ってるわけはないですし,現状では「見えない」のは上で書いた通りです).でも,それって研究って言えるんですかね?

 もちろん,システムを作る際にはいろんな「制限」,例えば,画像解析の問題などが出てくるでしょうから,そういうことは研究対象としては面白いと思いますし,現在,そういうテーマに取り組んでいる研究者もそういう「研究として面白い」ところをやってるんだと思います.でも,そういうことをすっ飛ばして,それを使う立場の国や省庁が,衛星から見れば見えるんだから,ただお金をかけてシステムを整備するだけでいい,画像の精度が足りないならもっと大きな望遠鏡をつければいいというくらいに考えるとしたら,それは「研究」ではないですよね.

 もちろん,国や省庁は,研究機関ではないですから,そういう立場をとるのはわかります.でも研究者である私は,やはりお金を使わず頭で勝負したいと強く思うんですよねー.つまり「制限」をお金で解決するのではなく,インテリジェンスで解決したいと思うわけです.そして,研究者である以上,それ自身に面白さを見い出せることがとても重要です.そして面白さを見出すには,お金を使ってとにかくやるのではなく,「理論」や「学問」のような知的要素(インテリジェンス)が(私にとっては)不可欠です.つまりは,研究者の「わがまま」なのかもしれません.でも論文として発表するということは,自信があるということですし,責任もあるということです.

 ですから,やはり,一研究者として,正しいと思うことを淡々とやっていって,淡々と発表していきたいと思います.もちろん,地震災害軽減につながればいいとは思いますが,それは,私の問題ではなく,つまり,私の理論が実際に使われるかどうかを決めるのは私ではなく,私でない他の誰かということです.もちろん選んでもらえれば嬉しいですが,選んでもらうことが目的やモチベーションになることはありません.でも問題は,選ぶ方も相当の勉強が必要ってことですかねー.

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26f
[日記]

 昨日は,卒業式,修了式,そして,研究室の追いコンだったのですが,ずっといっしょに仕事してきたのでやっぱり寂しいもんですね.去年ももちろんそうだったのですが,去年は,追いコンの前の日くらいに能登半島地震が起こってしまって,追いコンの次の日には現地でしたからそういう感慨に浸る暇もなかったという感じでした.ですから,今年はその分余計に?寂しさを感じてしまうのかもしれません.

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3/27'08
[ピアノ猫]

 私がメッセの表示アイコンで(勝手に)使ってるピアノを弾く猫ですが

超有名動画のようですね.バドミントンをする猫とかスキーをする猫とかも探したんですけど,さすがにないようですね(^^;.人生(猫生?)について考える猫とか地震被害調査をする猫なら尚更ですよね.

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27b
[講義で感動?]

 先日の爆問学問の京大SPで,壇上の先生にも会場の学生にも講義を受けて感動したと言っていた人が何人かいました.どのケースも文系だったと思うのですが,京大の文系ではそういう講義が行われているのでしょうか?だとしたらちょっと羨ましいです.それは京大がだからレベルがどうこうということではもちろんなくて,そういう「状況」にあるのが,ということです.

 私も大学の教員なのでいくつか講義をもっています.具体的には,構造力学,振動学,耐震工学などです.でも,どれも自分の専門とはかけ離れているとまでは言いませんが,少なくとも今自分がやっている最先端の研究とは全く違う非常に基本的なものです.ですから,とてもわかりやすい講義をすることはできても,学問の奥深さなどを構造力学のような講義で伝えるのは不可能に近いです(それでも,単に構造力学を教えるのではなく,力学の基本的考え方や実際の構造設計,エンジニアリングとは何かなどを織り交ぜてしゃべるようにはしていますが).私が大学生のときに受けた青山先生の構造力学の講義だって,とてもわかりやすくて受けていて面白かったですが,彼の専門とする鉄筋コンクリート構造とは全然違うものだったわけです.小谷先生の鉄筋コンクリート構造の講義だって,ほんとの基本の基本の基本の部分ですからね.

 実際,学部レベルの講義で大学の教員が今やっている最先端の研究の話をやり始めたら大学生は全く付いて来れないでしょう.つまり,理系は文系と比べて,最先端のテーマに取り組む前に「勉強」しないといけないことが膨大なわけです.で,学部レベルだとそこで終わってしまうわけです.ですから,理系の場合は,ほんとの面白さがわかるのは,研究室に入ってから,あるいは,大学院に進学してからということになるんでしょうし,それは私もそうでした.その傾向はどんどん加速していて,最近は,修士まででも到達せずに博士課程まで行ってようやく面白さがわかる,という感じになってきたような気すらします.

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3/28'08
[ボーリング(v.s.ゴルフ)]

 研究室の追いコンのときに,4年のH君が追いコンに来る前にボーリングに行ってたらしく,「先生はボーリングは得意ですか?」ときかれて「うん,まあ」と言ったのですが,私ってボーリング得意なんですかね(^^;?このコーナーでも何度かボーリングには言及しているのですが,どのくらいの腕前?かと言うと,アベレージで160くらいでハイスコアは236です.1回行って4,5ゲームは投げることが多いですが,そうすると1ゲームは200アップすると思います(自分に合ったハウスボールが見つかるかどうかがとても大きいですが).

 でも最近は全然やってません.アベレージ160くらい,1回行くと200アップというのも随分前の話です.でも,妻と何度か行ったことがありますから,ここ10年以内には,何度か行っていてその時もそんな感じでした.

 私が比較的今ちゃんとやってるスポーツはバドミントンとスキー(とゴルフも入るのかなあ?)ですが,バドミントンを始めたのは大学に入ってから,スキーは大学を卒業してからです.ゴルフに至っては,まだ1年ちょっとです.それと比べるとボーリングは年に数回という程度ですが,夏休みとかに祖母の家に遊びに行ったとき,祖母やおじさん(と言ってもTよし兄ちゃんと呼んでいて歳もまだ30くらいだったか)によく連れていってもらって小学校の低学年頃にはもうやってました(当時は中山律子さん,須田開代子さんが現役バリバリのいわゆるボーリング大ブームでした.そして,私は須田開代子さんの大ファンでした).ですから,私の中ではボーリングは,野球とかサッカーとか走ることとか泳ぐこととか自転車に乗ることと同じくらいの「歴史」があるわけです.

 そういうのって結構重要なのかもしれません.実際,バドミントンやスキーは,今は野球よりは得意(なはず)だと思うのですが,野球のような「何であんな速くてちっちゃい球にあんな細いバットが当たるかわからんのになぜか当たる」という感覚はあまりないです.そして,野球はもう10年以上全くやってないと思うのですが,ある日突然,野球をやるということになったとしても,打つのも投げるのも守るのもそこそこできるような気がします.ボーリングだって,私のプレースタイルはとにかくストレートボールでスペアを確実に取るというものですが,フックボールを投げるのならともかく,そうでないのなら球があっちゃこっちゃ行く気はあまりしません.3歳くらいからやってるピアノは,もちろん運動的要素だけではないですが,弾いていて「なんで弾けるのかわからんがなんでか弾ける」という感覚にはよくなります(だって普通に考えたら,右手と左手が別々に全く違う動きをあの精密度でできる方が不思議ですよね).

 実は運動理論で,小学校の低学年という時期でないと獲得できない運動要素,あるいは,神経伝達系の技術がある,ということをきいたことがあります.そうするとやっぱり「小さい頃からやってる」というのが重要ということになります.筑波大バドミントン部の柴村(インカレ3位)と話したときも,彼女は「今はもう小学校低学年からやってないと厳しいですねー」と言ってました.

 そうすると,今頃になって?ゴルフなんか始めるよりも小さい頃から少しでもやっていたボーリングをやった方が競技力的には「行ける」のかもしれません.うーん,どうしましょう?

 でもどうでしょうか?確かに競技力的なことを考えればそうかもしれませんが,ゴルフには他のスポーツにない様々なメリットがあります.まず,これはどこかで書いたと思いますが「1人でもできる」ということは大きいです.バドミントンはそもそも1人ではできませんし,ボーリングやスキーは,その気になれば1人でもできますが,ボーリング場やスキー場に1人で行って1人で練習するのってやっぱりかなり精神的なエネルギーが要りますよね.ゴルフもコースに出るのならそうですが,練習場にならほんと気軽に行くことができます.そういうスポーツってなかなか(ほとんど?)ないと思います.

 あとは,競技?人口が多いのでいっしょにやれる人が多いということはあるでしょうか.私がゴルフを始めたときも中学時代からの友人であるY本とまたいっしょに遊べる,というのはやはり大きかったです.屋外の(擬似的)自然の中でできるのも大きいですね.一番プレーすることが多いのはやはりバドミントンで室内なので,屋外でプレーするとやはり気持ちいいです.

 ということで,やっぱりしばらくは(バドミントンとスキー以外は)ゴルフをぼちぼちやって行こうかなと思ってます.まあ,いろんなことをぐだぐだ考えても,要は「今は何をやる気になっているか」ですしね.

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3/29'08
[汎用的なスポーツ]

 スポーツと言ってもいろんなものがありますよね.私が普段やってるスポーツは,バドミントン(週2回くらい)とそのためのトレーニング,スキー(ただし当たり前ですが冬だけ.シーズン10日〜15日程度),ゴルフ(は,週に2回くらい練習場.コースには月一くらいで行っていたが,パートナーが転勤になりもう半年くらい行ってない)でしょうか.普通の人に比べればいろんなスポーツをしていることになると思いますが,私自身「いろんなスポーツをしている」という感覚はあまりありません.

 もちろん,スポーツの種類は膨大で,何種目かやってると言ってもごくごく一部に過ぎない,ということもあるのですが,ゴルフはまだ始めたばかりなので置いておいて,バドミントンにしろスキーにしろ,レベルが上がってくるに連れてそのスポーツ特有の動きにどんどん特化していく必要があり,つまりは,どんどん純粋な「運動」としての汎用性がなくなって行くような気がするからです.これは,その種目での競技力を高めるためには当然必要なことなのですが,なんか違和感を感じるのも事実です.

 小中高時代は,どうだったかというと,「体育の時間」というのがあって,それこそありとあらゆるスポーツをしました.どれも面白かったし,どれもそこそこできたのですが,そういうのが「本来の運動」という気がするんですよねー.そして,できる奴はどんなスポーツでもできたと思います.ほんとに凄い奴は凄くてそういう目の当たりにすると,どうしようもない才能の違いを思い知らされたものです.でも,大学に入ってバドミントン部に入り,体育の時間はありましたが,学期ごとに種目を選ぶというものでした.研究室に入ってからは久しぶりに野球もやるようになりましたが,その辺から,スポーツの中でかなり限定した種目のみに取り組むようになってきたと思います.それは,いわゆるスポーツ選手の場合はもっとそうで,競技力の向上のために,ほんとに小さい頃から種目を限定して取り組んでいるわけです.そして,あるスポーツのトップレベルにいる選手でも他のスポーツをやらせると,てんで素人同然ということはよくあります.

 あるスポーツ種目の特殊性と言うと,例えば,バドミントンはかなり多くの運動要素が入っているとは思いますが,同時に同一方向に動くのは最大でも5m程度です.つまり,極端な言い方ですが,50m走れなくても5m走れればできるわけです.スキーに至っては,複雑に変化する状況の中でではありますが,バランスを取りながらアイソメトリックという非常に特殊な運動をしているわけです.野球だって,例えば,パリーグのプロ野球のピッチャーなら(バッティングはしないので),その場で,1歩踏み出して投げるだけです.もちろん,競技力を高めるためにいろんなトレーニングはしますが,目的は競技力の向上なので,例えば,野球のピッチャーならトレーニングをしなくても150kmの球と120kmくらいの何かの変化球を同じフォームでコントロールして投げられればそれで充分過ぎるくらいなわけです.

 じゃあ,どういうスポーツが純粋な「運動」としての汎用性が高いかということになると,例えば,走ることなんかは,確かに運動の基本ではありますけど,走っている「だけ」では,絶対にバドミントンもスキーも野球も上手くはなりません.つまり,基本ではあるが,汎用的ではないということです.トレーニング系の運動もそうです.そういう風に考えていくと「汎用的なスポーツ」は,1つもないということになります.

 それは確かにそうなのですが,「汎用的なスポーツ」と言えるかどうはともかくとして,違う種目のスポーツ選手を集めて,その運動能力を,例えば,最大酸素摂取量とかの基礎的データレベルではなく,実際の競技レベルで競い合わせるといった試み?がなされているものがあります.TBSでやってるスポーツマンNo.1決定戦やサスケといったバラエティー番組です.

 と言っても,スポーツマンNo.1決定戦は,基礎的なフィジカルな強さが主体で,自分に対して相対的に動く物体に自分の身体をアジャストするといった主として球技に必要不可欠な要素がほとんどなく,汎用的とまでは言えません.実際,基礎的なフィジカルが一番ものを言う陸上選手が圧倒的に好成績を収めていると思います.いつだったか,忘れましたが,ハンマー投げの室伏さんが出てきたときは,話にならないくらいの圧勝だったと思います.

 一方のサスケは,スポーツ選手が対象ではないのですが,いろんな要素が入っていて面白いです.そして,ここでのチャンピオンがある意味,全てのスポーツとは言いませんが,いわゆる「運動」のチャンピオンに近いという気すらします.例えば,何年か前に完全制覇した漁師の長野誠さんなんか,間違いなく,「どうしようもなく運動ができる奴」の中の「どうしようもなく運動ができる奴」でしょう.とにかく身のこなしが鮮やかで格好いいです.まだ最後まで見てないのですが(だってファーストステージだけで3時間くらいかかってるんだもん),先日のサスケで,アメリカから来たエキストリームランニングのチャンピオンのパフォーマンスもほんと凄いです.各スポーツの種目でのトップレベルの選手はもちろんそうですが,彼らのようなスポーツ選手ではない,でも,もの凄い運動能力をもったアスリートもほんと凄いと思います.

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29b
[結婚したときの年齢]

 ヤンキースの松井さんが結婚されたそうですね.別にどうということはないですが,彼が今33で相手が8つ下の25ということで,私が結婚したときの私と妻と全く同じ年齢ということに気づきました.ただそれだけです(^^;.

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29c
[日記 今年のライオンズ]

 日本のプロ野球が開幕してますね.ここで何度も書いてるように私はもう40年くらいライオンズを応援してるのですが(ちなみにアンチジャイアンツは25年くらい),今年はどうしましょうかね?昨年の不祥事といい,もう卒業してもいい感じにはなってきてるのですが,何か本能的?に応援しちゃうんですよねー.監督は,黄金時代のキャッチャーだった伊東は昨年の25年ぶりBクラスという成績の責任をとって辞めたのですが,黄金時代のエースだった渡辺久信がやってますしねー(すっかりおじさんになってしまったが(^^;).でも実際のところ「ライオンズ」を感じさせる選手はもうそんなにいません.石井一久とか投げてるし...

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3/31'08
[1人でご飯 アイデアが浮かぶとき]

 私はだいたい1人で昼食を食べています.昼食もそうですが,夕食もなんかそんな感じです.もちろん学生を誘ってみんなで食べてもいいのですが,そうすることはほとんどないです.理由はいくつかあって,1つは,私にとってご飯を食べる時間は「考える時間」だからです.

 もちろん,考えるのなら,別にご飯を食べるときでなくてもいいのですが,ご飯を食べているときって結構アイデアが浮かぶことが多いんですよ.そして,そんな感じでいろんなことを考えながらじっくり味わってご飯を食べるのが好きなんですよね.

 実は,ご飯を食べるときにアイデアが浮かぶことが多いというのは,理由が(多分)わかっていて,それは食べ物を体に入れることによって体の状態が変化する(多分体温が上がる)からです.ですから,体の状態が変化するとき,例えば,排泄時,外に出たとき,運動したとき,運動してシャワーを浴びているとき,お風呂に入ったときなどは,アイデアが浮かぶことが多いです.そして,ただ「変化」するだけではなく,どちらかと言うと「リラックスするとき」,即ち,α波が出るときということになります.そういうときに,私は「考える」癖がついてますし,そういうときに必ずと言っていいほど何か思いつきます.

 あとは,1人でご飯を食べる理由としては,何かそれがもう普通になってるという感じはします.大学に入って一人暮らしをするようになってからはだいたいそうでしたし,就職してからもそうでした.じゃあ,その前はどうだったかというと,もちろん,夕食は家族で食べていたと思うのですが,家族4人(父,母,私,妹)揃って食べていたという記憶があまりない(情景が浮かばない)んですよねー.だから,家族揃ってが普通という感覚があまりありません.

 ただ,ずっと1人が好きかというとそういうわけではなくて,もちろん1人の時間は絶対必要ですが,時々,集まってみんな飲みながら(飲みながらでなくても)話をするのは大好きです.ですから,「1人でご飯を食べる」というのは,「普段はだいたいそう」というだけのことです.だから基本は1人で,時々1人じゃない,というのが好きということでしょうか.変ですかね?でも私の周り(大学だけではなく,仕事以外にやってること関係でも)を見ていると,そういう感じの人は結構いるような気がします.

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[地平線が見える場所]

 バス通勤にするようになってちょうど1年くらいですが,帰りに時々同じ専攻の先生方といっしょになり,いろんな話をします.今日は,I田先生と話していて,どこか行くとしたら観光地ではなく,オーロラが見えるところとかアメリカの国立公園とか大自然の方がいい,とか話していて,地平線が見える場所の話になりました.そこで思い出したのが,私がまだM1のとき,建築学会大会が札幌で,その後,10日くらいかけてS都大のK山先生やT大のN埜先生(もちろん彼らも当時は学生)や同級生のS本などと車で北海道を一周したのですが,そのとき,私個人的に(^^;ずっと地平線が見えるところを探していて,最後の最後の方でようやくそういうところに来たのを思い出しました.

 それで,「地平線が見える場所」を地理データや建物データなどから計算してマップにできないかと考えました.イメージとしては,「富士山が見える場所マップ」みたいなもんでしょうか.実は地平線って確か5kmくらい平ら(厳密には地球は丸いので「平ら」ではない.っていうか,ほんとに平らだと地平線は見えない(^^;)で何もないと見えるんですけど,例えば,360°のうち何度見えるかとかそういうのを「計算」してマップにしたら面白いじゃないかと考えたわけです.で,計算して実際に現地に確かめに行ってみるとか(^^;.まあ木とかデータにないものが結構あったりして現実には難しいとは思うんですけど.

 そういうしょーもないことを考えたのは,何のために研究する?で書いたように,研究ってそういうもんじゃないか,と思ったからです.別に何の役に立つわけでもない,でも,やったら何か面白そう(^^).んで,計算して実際に現場に行ってみる,というのもいいです.ただ,計算するだけじゃなくて,何か結果が出てうまく行ったかどうか確かめる,で,それが現場というかフィールドだったらとてもとてもよいです.

 ただし,ここでポイントとなるのは,「役立たない」ではなく,面白いということです.それも(これもI田先生と話したのですが)バウリンガルのようなイグノーベル賞的なものではなくて,「アカデミック」であることが重要です.つまりここで書いたように「理論的」ということですね.

 そういう風に考えてみると,私が今やってる仕事ってそれに近いことがわかります(まあそういう理由で今の仕事を選んだわけですけど).ただ,地震防災が対象なんで,役立たないわけではない一方で,ただ面白けりゃいいというわけにもいかない...でも,やっぱり,研究なので,そういう側面を忘れないようにしたいと思います.それがモチベーションに繋がり,精力的に仕事をすれば,結局その方が少しでも地震災害軽減に繋がって(だといいいのですが),そっちの方がいいわけですしね.

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