先日,体調が悪くて横になっていたとき(高熱でダウンしているときではなく,その前の,津波警報が出たときです),Cローズアップ現代で瀬戸内寂聴さんが出ていたので見ていました.老いがテーマということでかなり身を乗り出して(^^;見ていたのですが,この点に関しては,「人間は老いるものと見切りをつけたときから人間は老いるもの」という何というか別に普通?のことだったのでちょっとがっかりしました.
まあ私もそう思っていたのですが,そうとばかりも言ってられないことは最近しみじみ感じます.むしろ人間は老いるという自然の流れに逆らわず,老いとうまくつき合っていくことかなと思っています.
ただ,老いといっても体とか頭脳とか精神とかによって違いはありますよね.瀬戸内さんは頭脳とか精神のことを言われていたのかもしれません.私が最近感じている老いはもちろん体のことであって,頭脳や精神の老いは(まだ)全く感じていません.彼女は今,栄華を極めた後,佐渡に島流しになり,しかしそういう状況下でも効力感を全く失わなかった世阿弥を題材とした小説を準備しているそうです.
それで,その肝心?の話に入る前に,彼女が文化勲章を受賞したことで彼女が「こういう賞をもらいたいとかもらおうと思って小説を書いたことはないけど,もらってみると周りが喜んでくれたりしてよかったなと思います」というようなことをおっしゃっていました.
これはまさに「報酬と評価」の違いだと思います.報酬って一番効力感に繋がらないものですし,そんなものを目当てで頑張ってもつまんないし,いい結果も得られないでしょう.でも頑張った結果を評価してもらえたり,結果が出たりしたらやっぱり嬉しいですよね.そこんとこの差がびみょーというか大きいです.「結果を気にせず頑張ります」というのは,何かとてもプロトタイプなセリフですが,そういう意味もあると思います.
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私の好きな曲のベートーヴェンを書いた頃,リストが編曲したベートーヴェンの交響曲を何か,まあ,7番あたりを弾いてみようかなと思って,銀座のヤマハと山野になんかのついでに例の春秋社のやつを買いに行ったのですが,第2巻(6〜9番)しかなくて,両方いっしょに欲しかったので買うのをやめてしまいました(でもあとで調べたら第1巻は品切れのようですね).まあそのうち買えばいいやと思っていたのですが...「のだめカンタービレ」です(T_T).
やばいなーと思いつつも,先日,修猷ブラス(高校のクラブ)の同期で集まったとき,1次会が銀座だったので山野に寄ってみたのですが...「のだめカンタービレコーナー」とかできていて(^^;,リスト編のベートーヴェンの交響曲は,跡形もなくなくなっていました.ネットで注文したのですがあっさり品切れ.あーいい迷惑.
よく使うSheet Music Achiveには,3番と5番しかありませんでした.でもロハなので5番はしっかりダウンロードして一通り弾いてみました.でもあんまり面白くなかったですねー.
つーことで,ネット上で血眼になって(でもないけど(^^;)探したらここにありました(^^)V.只ではないのですが,$4ぽっきりですぐダウンロードできました.
ちょっと弾いてみましたが,やっぱりこっちの方が弾いてて気持ちいいですねー.でも交響曲なんでやっぱ長いー(^^;.
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嫌いとかあんまりネガティブなことは書きたくないのですが...体調が悪いときなどになんとなくテレビを見ていることがあるのですが,見るに(聞くに)耐えられなくて思わずチャンネルを変えてしまうコマーシャルがいくつかあります.EーザイとN*VAのことは以前書きましたが,最近はそういうものがなぜかとても多いです.
一番耐えられないのは音楽がひどいものです.いろいろありますが,Mずほ銀行の「ハッピーバンクデーーー」,TウンページでI原都知事の息子が下手な歌を歌うものなどいろいろあります.「ハッピーバンクデーーー」もそうですが,明るい未来?を全面に押し出したものは白々しくて見るに耐えません.保険会社とかの「家族愛ほのぼの系」もそうですね.
Kリンの生茶のCMもなぜか見るに耐えません.M嶋菜々子がうっとりしながら「苦い恋より甘い濃い(恋)」とつぶやくものですが,うーーん,見るに耐えない.この女優さんはどちらかと言うと好きな女優さんですが,このCMだけはだめですね.生茶自体も発売になった頃は苦くてとても美味しかったのですが,最近はほんとにあまくなってしまって全く買っていません.だいたい,伊藤園の「お〜いお茶濃い味」ですね.でも「お〜いお茶」というネーミングは最悪だと思います.
既に書いたN*VAの今流れてるコマーシャルもひどいですねー.外国人の男の人がジャングルジムの下敷きになって助けを求める英語の意味がわからず,ほったらかしてN*VAに駆け込むというものですが,ジャングルジムの下敷きになって助けを求めている時点で英語がききとれる以前のコミュニケーションの問題でしょう.この英会話学校はコミュニケーションの基本がわかってないのだな,と思いました.以前の「学校の英語の先生も駅前留学で頑張っている」というのも英語教師をあまりにばかにしていてひどいものでしたが(でも英語が喋れないから仕方ない?)この学校のCMはひどいですね.よかったのは一番最初の頃の「農婆」くらいですかね(^^;.
ということで,久しぶりに?毒を吐きました(^^;.「あー,すっきりした\(^^)/.」
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薬が効いているのか,まだ平熱ではないですが熱もようやく下がり,普通に日常生活をしていますが,なんかみょーな感じです.体調が完全には戻っていないというのもありますが,精神的な調子の方がなかなか戻りません.絶不調ということはないのですが,どうにも効力感とか幸福感が感じられません.体の方が全快するまではだめなんですかね?でも3ヶ月ということなので先は結構長いです.やはりしばらく休めということなのでしょうか?
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昨日からどうも体がだるいと思っていたら,再び発熱してものすごい下痢も始まりました.数日前から家族が同じ症状でまたうつされたのかもしれません.筑波メディカルセンターに行ったところ胃腸炎ということだそうです.今つくばで猛烈に流行っているようです.
ということでたった1週間でまた体調を崩してしまいました.ていうか前のは治っていないので2重に体調を崩したことになりますね.こんなことはもちろん初めてです.もうなんかぼろぼろですね.でも明日は東京で講演の仕事があるので這ってでも行かなければなりません.もちろん準備もこれからです.
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体調は思うように回復せず,でも今日は東京で講演の仕事だったので穴を空けるわけには行かず,それこそ這ってでも行きました.でもほんとしんどかった.でもなんとか無事役目を果たすことができました.先方も相当気を使ってくれて,帰りはつくばまで車を準備してくれました.さすがにそこまでは申し訳ないと思ったのですが,実はほんとに助かりました.
なんか最近体調を崩しっぱなしで,泣き言の連続という感じですが,それでもやらなければならない仕事はやらなければならない.そういうのって,この文章を読んでおられる方々はどういう風に思われてるんですかね?大変そうで可哀想だなー,って感じでしょうか?
まあもちろん体調を崩すのはいいことは何もないのですが(たまーにであれば健康のありがたみが感じられる?),体調を崩しても誰かが代わりに仕事をしてくれるという状態は,まあ確かに楽かもしれませんが,自分の代わりはいくらでもいる=自分はいなくてもいい,ということで,それってさびしくないですか?
例えば,今日の仕事なんかは私の代わりができる人は間違いなく誰もいなかったわけですし,もし私が穴を空ければものすごい数の人に迷惑をかけたわけで,ですから這ってでも行ったわけです.それ自体はとてもしんどかったのですが,そういう状態,即ち,自分にしかできない仕事があるのっていうのは,やっぱりとてもありがたいことですし,幸せなことですよね.
ですから,体は確かにしんどいですけど,気分としてはそんなに悪くはないです(そんなによくもないが(^^;).というか,そういう気持ちがなければ乗り切れませんよね.(私の場合)基本的に「楽だけどつまんない」か「大変だけど楽しい」のどちらかしか選択できませんから.でも,体調管理=無理しすぎないはやっぱり大事ですかねー.
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昨日,このときの病院にその後の経過の検査に行って,ついでに?今回の胃腸炎の薬ももらってきて,そのおかげか?熱も下がり下痢もおさまって食欲も少し出てきて今日はまたようやく普通かややそれ以下くらいのペースで生活できました.でもまだ油断はできないですねー.ていうか今回のようなことはもう懲り懲りです.でも当然ですが,仕事溜まりまくりです(T_T).でもまた体調を崩したらそれこそもたないので(もう相当消耗している)うまくコントロールしてやって行くしかないですね.
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よくCDを秋葉で買ってきたり,ネットで注文したりします.だいたいがばっと10枚くらいは買うのですが,そのうち必ず1枚くらいは今持っているCDプレーヤーでうまくかからないものがあります.交換してもらうとだいたいかかるようになるのですが,交換してもかからず返品してしまったものもあります.例えば秋葉のI丸電気で買ったものなどは店員さんが店にあるプレーヤーでかけてみてかかることもあるのですが,私にとっては「私の」プレーヤーでかからなければ意味がありません.CDを買うとまずちゃんとかかるかどうかをチェックしなければならず,とても負担になっています.
でもよく考えてみると変ですよね.世の中のCDの1割くらいは不良品なのでしょうか?それがほんとだとしたらいくらなんでもひどすぎます.というかほんとにそうならそれこそ問題になるはずですよね.
ということで私が使っているCDプレーヤーの問題では?と考えるように(ようやく)なりました.考えてみれば私のCDプレーヤーは,1台は98ノートを買ったときに同時に買ったものなのでもう20年近く,もう1台も10年以上になります.冷静になって考えてみればちゃんと動いている方が不思議ですよね.そこで,今回注文してうまくかからなかったCDを家族が最近購入したミニコンポでかけてみました.あっさりかかりました.
今まではどういうわけかちゃんと動くのが当たり前だとずっと思ってきました.このコーナーで何回か書いているように20年くらい,あるいはもっと時間が経っても状況は変わらない,人は,少なくとも自分は老いないし,機械も壊れないのが当然のように思っているところが私にはあります.ついこの間まで,20年前と,即ち,20代と体力はほとんど変わらないとほんとに思ってましたし,同窓会なんかでみんなに会うと全く20年前と同じ感覚になります.今私は教員という立場ですが,妙に実感が湧かないことも度々あります.でも私も最近歳を感じざるを得なくなったように,CDプレーヤーも壊れるし,周りの状況も大きく変化しているのでしょう.
ちなみに私が20年愛用しているCDプレーヤーですが,Panasonicのもので,お店で何十台と音を聴き比べてダントツによかったので購入したのですが,その5年後くらいに妻に出会い,彼女も全く同じものをもっていたのには驚きました.妻もこれがダントツに音がよかったので買ったと言っていました.でも彼女のものはとっくに壊れてしまいました.当然のことながら同じ製品はもう売ってないし,この世にほとんど存在すらしていないでしょう.ということで新しいコンポを注文しました.必要な機能がついているものでよかったので(別に内蔵HDDなんか要らない)たったの3万円でした.
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コンポを見に行ったとき,ふと気づいたらここで紹介した最軽量のフルサイズの電子ピアノが置いてあったので弾いてみました.思ったよりタッチはしっかりしてましたねー.これの上位機種も横にあったので弾いてみましたが,これが一番いいと思います.でも持ち運べるというだけで買うのもなー.持ち運んで演奏する機会がそんなにあるとも思えんし...でも今家にあるもっと本格的なKORGの奴と入れ替えてもいいかなー.誰かKORGの電子ピアノ↓要りませんか(^^;?
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懸念されていた?サッカーワールドカップアジア枠削減ですが,現状維持の4.5となったようです.しかし,次回から決勝トーナメントに進出したオーストラリアがアジア枠に入ってきます.しかししかし,アジア5位は北中米カリブ4位ではなく,オーストラリアが抜けたオセアニア1位とプレーオフということになります.つまり,オーストラリアは行く(マイナス要因),オセアニアには負けない(プラス要因)とすると行けるのはアジアで残り4となり,4.5→4でやっぱり実質削減ですね.
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注文したコンポが早速届きました(はやっ(^^;).
価格.comで一番安い店に発注して,送料,代引き手数料全部込みで3万円からお釣りが来ました.ちょっと聴いてみましたがこれで充分ですね.ていうか,5CDも要らないし,SDカードもまあほとんど使うことはないかな.
高校とか大学の頃はオーディオにもそれなりに凝ったりしていたのですが,デジタルになってから,つまり,CDになってからはもうこだわりはほとんどなくなりました.もちろん何十万,何百万もかければ違ってくるでしょうけど,少なくとも今まで使っていた10万以上したコンポとは大きな差は感じられません.まあそもそもこれもどこかで書きましたが,私が音楽を聴くのは「音楽鑑賞」が目的ではなく,「自分の弾く曲探し」ですから,どういう曲がわかればそれで充分なわけです.今回買ったのは大学にもってきたので,家用にもう1台買うかな.
と思って,同じ店のHPに行ったら...もう売り切れ!他の店に行ったら,もうこの値段(\27500)で買えるところはないんですねー(1軒だけ同じ値段のところがあったが,注文は電話でと書いてあった(^^;).何日か様子を見てみますか.
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コースデビュー(ゴルフというスポーツ)で書いたことをスポーツの単純な楽しさに照らし合わせてみると,やはりドライバーなどのショットで芯を食ったときの何とも言えない快感はありますね.そういう意味では,ボーリングはゴルフに近いと書きましたが,確かにボーリングでものすごいピンアクションでストライクをとったときは気持ちいいですけど,スキーの「シュイーン」とかバドミントンでのシャトルのインパクトなどの自分が運動することによって「直接」感じられる何とも言えない感覚はないですね.ゴルフにはそれがあります.そして比較的初期段階からそれを経験することができるのがゴルフの最大?の特質です.スキーやバドミントンではそれはあり得ないことは既に書いたとおりです.
ただ,パッティングはショットとは全く別物という気がしています.ていうか違うスポーツ(^^;?パッティングはビリヤード?しかもグリーンはうねうねしてるし(^^;.私はまだパッティングはほとんど経験していませんが,ラインを読んでこの向きにこのくらいの強さでと思って,「コンッ」って当たる手応えも何とも言えないものがありますね.そういう感覚こそスポーツの醍醐味の1つでしょう.加速度センサー(^^;を仕込んで実際の感覚に近づいた?と言われている最新のゲーム機ではそれは絶対に感じられません.
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リストによるベートーヴェンの交響曲ピアノ独奏版のカツァリスの演奏を改めて聴いているのですが,編曲がはまっているものとそうでもない(^^;ものがあって面白いですね.弾いて一番受けるのは,やはり5番(運命)の1楽章でしょう.編曲もはまっています.ていうか,これは誰が編曲してもこうなる?あとは,今話題?の7番ですかね.7番の1楽章もかなりはまっていると思います(3,4楽章は今一).そして弾いてて気持ちいいです.私が弾く曲を選ぶときはいろんな要素が絡まります.好きな曲であること,いい曲であること,弾けそうであること(昔は弾けそうもない超難曲に敢えて挑んだりしていたが今はもうそういうことはない),メジャー度(あまりメジャーではないものを選ぶことが多い)などですが,弾いて気持ちいいかどうかはかなり重要です.でもこういう要素と全く関係なく衝動的に曲を選ぶこともよくあります(^^;.
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昨日,今日と丸沼で研修会(+クリニック)でした.研修会とゆーのは,準指(+C級検定員)の資格を維持するために,最低2年に一度出ないといけないものです.丸沼は今年は雪不足ということでしたが,予想してたより雪はあって,一応昔の一番上のシングルリフトのところまで滑れました.でも混んでましたねー.私の中ではここ10年で一番混んでたかな.
研修会自体は...まああんなもんですかね.今年のテーマは「踏ん張らずにニャー」だそうです.でもこれで「今シーズン」が始まりました.今年はどの位行けるかな?
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2台目のコンポですが,送料込みで\28200でゲットできました.全く同じものです.つまり,このくらいの値段の「指値」でようやく注文が通ったわけです.なんかスキーの板といい,「同じもの2つ」づいてますね(^^;.
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今日はどうもこのコーナーへのアクセスが多いなーと思っていたのですが,とある人生相談系のサイトにこのコーナーが紹介されたようです.何度も書いてますように,このコーナーは私が書きたいことを勝手に書いてるわけですが,独り言やブログなどではなく「誰か」に話しているようなつもりで書いているので,読んでくれる人がいるのは嬉しいことです.ましてや読んでくれて参考にしてくれたり,元気になってくれたりしたらそれはもうほんと望外の喜びです.人生や生きていくことに悩みをもつのは,ちゃんと生きていこうとしている人なら当たり前のことだと思いますし,そういう人が自分だけではないということがわかるだけでも大きな心の支えになります.
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今日は筑波大バドミントン部の納会+女子団体インカレ連覇の祝勝会でした.村松と柴村から連絡が来てみんなの前で話をしてくださいということで行ったのですが...もうバドミントンやめちゃったし,ということは,彼らともずっと顔を合わせていないし.でも呼んでもらえることは嬉しいことだし,行って一応話はしてきました.
彼らがどう思ったかはわからないのですが,私がバドミントンをやめたこと,その経緯も話しました.もちろん何の疑問もなくバドミントンを続けられるのであればそれはそれで悪くはないのですが,いろいろ考えることはあると思うし,そういうことを考えた方がバドミントンに対する気持ちも強くなるし人間的にも成長できると私は思います(よく「バカ」になれ,という人がいますが私は彼らには「バカ」にはなって欲しくないです).そしてやはりバドミントンに限らず強い気持ちを持って取り組んで行けるものがあることはそれだけでもうとても幸せなことなので感謝の気持ちを忘れないで欲しいです.苦しくなったときそういうことを思い起こせれば,苦しい状況も乗り越えられると思います(というようなことを話しました).
でもどうなんですかねー.もちろん私自身はプレーはやめてもこのページで度々コメント?しているように彼らのことはずっと気にかけてるし応援していますが,なんか私と筑波大バドミントン部との関わりも益々中途半端になってきた気がします.少なくとも何かの会があるときだけえらそーに出てきてつまんない話をするようにだけはなりたくないのですが...ということで今日も昨年と同様にかなり自己嫌悪な夜になってしまいました.やっぱりプレーするしかないですかねー(でもとりあえず3ヶ月は安静ですが(T_T)).
ただ,彼女達自身に関しては,話をきいていると去年とはかなり違った気持ちをもっているようでそれはとてもよかったと思います.団体決勝のこれで勝負が決まるという最後のシングルで柴村が相手のN体大はお祭り騒ぎだったのに筑波大は落ち着いて応援してくれて自分も冷静にプレーできてよかった,筑波大の試合態度,応援姿勢が正しいことが証明できてよかった,と言っていたのは私も嬉しかったです.ただ,団体連覇はもちろんめでたいのですが,個人戦ではみんな満足行く結果は得られず相当悔しかったのがひしひしと伝わってきました.悔しいという気持ちがあればまだまだ頑張れると思います.私は...どうなんですかねー.
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出遅れたとか取り残されたと感じることはないですか?私はこれまでそんな思いを度々しながら生きてきたような気がします.そして今とてもそういう感じがしています.
最初にそう思ったのはいつですかね?やっぱり受験に失敗したときかな.私は小中高大と受験して一度も上手く行ったことはありません(勉強はあまり好きではなかったので(^^;).大学入試の時は浪人したので同級生の多くが先に大学生になるのを横目で見ながら取り残された感じがとてもしました.
大学に入り,建築学科に進学,そして大学院に進んだ頃は比較的順調だったと思いますが,大学院の博士課程まで行ったということは30近くまで学生だったわけで,その歳なら普通は社会に出ているわけですから,取り残されたと言えるかもしれません.でもこのときはあまりそういう感じはしませんでしたかね.
30くらいになると同級生も多くは結婚とかして行きます.でもこのときもあまり取り残された感じはしませんでした.その頃,結婚しようと思っていた人と結婚できなかったのはショックでしたが,まあ35くらいまでには結婚するんじゃないかなと何となく思っていました.そして33で結婚しました.この辺まではまあ人並みか少し出遅れるくらいでやって来られたとは思います(大卒男子の平均初婚年齢は30くらいだったと思う).
そして気がついたら結婚してもうすぐ12年経とうとしています.ふと周りを見渡すと,私と同じくらい,あるいは,少し年下の年回りの人達は子供が2人くらい居て普通?の家庭を築き上げていました.「取り残された」感じがとてもしています.
もちろん子供を(今のところ)作る気になれないことはこのコーナーで再三書いていますし,そういうつもりでやってきたのですが,「はっと気づくと」どうしてこういうことになってしまったんだろう?という思いも一方ではとても強く感じます.それと同時に30くらいまではあまり感じなかったこれからどうなるんだろう?という不安もとても強く感じます.仕事はまあ順調だと思うのですが,今のままの感じでずっと行っていいんでしょうか?やはり人と同じように生きるのがいいのでしょうか?
このまま?行くといったいどうなるのか,自分が60,70になったとき,自分がどういう生活をしているのか今は全く想像できません.ずっと今のままでいいとは全然思いません.そうすると何かを変えないといけないことになります.しかし,具体的に何をどうするかはいろいろ考えてはいるのですが...
でもまあ全ては150億年前に決まっているので自然の流れに任せてやっていくしかないんでしょう.ただ,自然の流れの中で何かが変わることがこれから何回かあるのでしょうから,そのときにしっかり流れに乗って「出遅れないように」することが必要ということですかね.
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昨日の取り残された?,このままの感じで行くのか,どうして今のような感じで生きていくことに得体の知れない不安を感じるのかについて考えているのですが,要は,人間は(というか私はですが)年齢によって生き方を変えていく(べきな)のか,ということなのでしょう.
最近このコーナーで再三書いているように人間歳をとって行きます.歳をとるということはもちろん単に老い衰えるということではなく,知識や経験を活かすような年回りに応じた役割を果たす(べき)ということもあるわけです.世代交代もその1つでしょう.仕事では,20代,30代,40代,50代それぞれ違った役回りがあると言われ,それは家庭でもそうなのでしょう.そしてそれが「普通の」生き方なわけです.人と同じような生き方をしていれば不安もないでしょうし,実際,大はずれもないでしょう.
私はそういう意味からすると「普通」とはかなり違う生き方をしてきたと思いますし,していると思います.でも30近くまで学生をやっていたときは,確かにちゃんと仕事にありつけるかといった不安はありましたが,「取り残された」感じはあまりありませんでした.単に脳天気(^^;だったからかもしれませんが,まあ,プロトタイプな言い方ですが,この道で食べて行くんだ,今は修行の時期なんだ,といった信念のようなものがあったと思います.結婚に関しても,この人といっしょに生きていきたいという人が現れなければ,別に結婚なんかしなくてもいいと思っていました.
今はどうでしょうか?基本的な生き方,あるいは,生活そのものも,実はその頃とほとんど変わっていません.つまり,私は今40代ですが,30代,40代と20代と同じような生き方,同じような生活をしてきて,今もそうしているわけです.違うとすれば,30代では「この道」で仕事にありつけたこと,40代では研究室をもち学生を指導する立場になったことでしょうか.でも感覚的には基本的に今も20代と変わらないんですよねー(体力的にもそうだったのですが,最近体の方はそうも言ってられなくなったのは,このコーナーで何度も書いているとおりです(T_T)).スポーツはもうとっくの昔に指導者となるべき年齢ですが,まだまだプレイヤーでありたいですし,研究の方もマネージメント的な仕事なんかするよりずっと一研究者であり続けたいのです.
20代はほんとに楽しくて充実していましたし,そういう生き方がずっとできれば幸せなのかもしれませんが,でも一方では,それでいいのだろうか?といった思いも当然あるわけです.40代,あるいは,これからやってくる50代は,それに見合った生き方をしないといけないのではないか?自分はともかくそういうことが周りからも要求されてくるのではないか,ということもあります.筑波大に来た理由がいろいろあることはこのコーナーで再三書いてきましたが,大きな理由の1つは,自分が研究するだけではなく,研究室をもち,学生に最先端の研究にたずさわることで成長して欲しい,そういう人材を育てたい,ということがありました.
ですから,ずっと20代のように生きてきたと書きましたが,20代はただ自分が研究してるだけでしたから,明らかに心境の変化はあったわけで,それに伴って職場も変えたわけです.ですからまあそういう心境の変化がこれからあるとすれば,それに従って生き方も変えていけばいいということなのでしょう.ただ私の場合,そういう心境の変化にどうもタイムラグがあるようなので,「出遅れた」とか「取り残された」と思ってしまうのかも知れません.
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不安ということで思い出した,というか,気づいた?のですが,私がいろんなことをやっている理由の1つに「不安」があります.どういう不安かというと,ひょっとして私には才能があるのではないか?という不安です.ちょっと意味不明?だと思うので,具体的に説明すると,例えば,ゴルフをやったことがないとすると,ひょっとしたら私にはゴルフにものすごい才能があるかもしれない,という「不安」があるわけです.ものすごい才能があるのにやらないのはものすごくもったいないことで,でも才能があるかどうかはやってみないとわからない.だからやってみるわけです.で,やってみるとそこそこはできて面白くてはまるわけです.でもそこそこの才能はあっても「ものすごい才能」まであることは実際のところなかなかないですね(^^;.だからそういう不安はまあ杞憂なわけです(^^;.
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どう生きていくかにいろいろ考えてしまうのもまあちゃんと生きていこうとしているからでしょうね.ただ生きていくだけならもっと楽だと思います.でもそれじゃあ(私の場合)つまんない,というだけの話です.でも,ただ生きていくだけなら楽と書きましたが,それで充分と言えば充分ですしそれだけでも大変なことです.ですからこれから先,心境の変化があるかもしれないと書きましたが,こういうことも含めて,つまり,ただ生きて行くだけでいいや,と思うようになるかもしれないわけです.まあ私の場合,「一応真面目」だとは思うのですが「くそ真面目」というには程遠いし,結構いい加減(^^;なところもあるので,まあどこかでもういいやと思って「諦める」時期が来るのだと思います.ていうか,どこかで必ず,どんなに遅くても死ぬ直前には,そう思う瞬間が来るわけですよね.
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このコーナーで最近再三書いていることに歳を感じるようになったということがあります.しかし,一方ではまだ歳を感じないこともあります.
まず,歳をとったと思うことは,既に書いたように体調を崩すことが多くなったこと,体調が悪いと思うことが多くなったことがありますが,あとは,疲れやすくなったとも思います.髪の毛を見ると後退や薄くなったところはありませんが,白髪は増えてきたと思います.肌は体の方は全く衰えはないのですが,顔の表面はしみやしわが出てきましたが,これは多分スキーのせいですね(20代のころ,全く日焼け止めを使ってなかった).無気力になることがあるのは昔からなので歳のせいではないでしょう.あとは,トイレ(小さい方)に行く回数が増えた(夜トイレに起きることはほとんどないが,昼間は結構行く)のは歳のせいだと思っていたのですが,どうもそうではなさそうというのは,先日発熱してわかりました.でもこれも広い意味(体調を崩すことが多くなった)という意味では歳のせいと言えるかもしれませんね.
一方で,歳を感じないことは,体重や体つきは20代とほとんど変わらないこと,「その気になれば」体力的なこと(走る速さなど)も(そんなに)変わらないと思います.歳をとって久しぶりに運動すると,何日かして筋肉痛になるとよく言われますが,私はまだ当日の夜か翌日にちゃんと筋肉痛になります.あと,歳をとると朝早く目が覚めるようになると言いますが,私の場合はまだ相変わらず朝はとても苦手です(^^;.記憶力やプログラミングのスピードもそんなに衰えた感じはしません.
こうして書き出してみると,歳をとったと思うこともあると同時にまだ大丈夫?と思えることもあることに気づき,ちょっとはほっとします.でもこれも時間の問題?
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何をやるかのプライオリティで,私が仕事以外にいろんなことをやってるのは,人生を楽しむため,仕事だけの人生はつまらないと書きましたが,何か違う感じがずっとしていました.というか違うことはわかっていたのですが,ここに書かなかっただけです.
私が仕事以外にいろんなことをやってるのは,「仕事をするため」です.なんだかんだ言って私にとって仕事よりプライオリティーが高いものはありません.何をやるかのプライオリティで生きていくためには食べていかないといけないので,「優先順位1位は仕事」と書きましたが,「優先順位1位は仕事」には間違いないですが,それは,食べていかないといけないからではありません.仕事こそ人生最高の退屈しのぎと書きましたが,私にとって仕事こそ自分の能力が最大限に発揮できる場であり,社会に少しでも貢献できる(と勝手に思える)ことであり,最も自己実現を可能とするものです.
仕事以外にいろんなことをやってるのは,もちろんそれそのもを楽しんでひいては人生を楽しむためでもあるのですが,最大の目的はやはりそこでリフレッシュして仕事への活力を得ることです.実際,例えば練習の後,シャワーを浴びているときに解決できなかった問題が解けたり面白い研究テーマを思いついたり,なんてことはしょっちゅうあります.ですから仕事をより楽しく効率的にするために仕事以外のことをしているわけです.そして,私の今の仕事は地震防災の研究であり,それを通して人材を育てることです.
ただ,今はこの仕事が「仕事」ですが,10年先,20年先はわかりません.でもやるべきこと,やりたいことは山のようにありますし,当分はこの仕事を「仕事」としていくことに間違いありません.
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今年はいつもにも増して年末という気がしません.「幸不幸は変化率」なので,そういう「変化」は味わった方がいいんですけどねー.
いつもだと大学の講義などは先週で終わり,しばらくは自分の研究や論文書きができるのですが,今年はまだ今日,明後日と建研で1日中講義ですし,明日は午前中,3年生が卒研配属の話をききにきて,午後は研究室会議です.28日は某住宅メーカーが打ち合わせに来ます.ということで,普通の?会社員同様,28日が仕事納めになりそうです.ていうかそこからがほんとの仕事?
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「何でも楽しんじゃえシリーズ」第?段です.スキーのゴーグルなんですが,私はずっとダブルレンズ,かつ,ファン付きという,どんな状況でもまず曇らない無敵のゴーグルを使っています.これなら吹雪でフェースマスクをして顔面を全て覆っても曇りません.しかも,定価で買うと2万円以上するのを現品処分で3000円でゲットしました.でも買ったのはもう10年以上前で,本体は何ともないのですが,スポンジがもうぼろぼろになってきました↓.使用上は別に不自由はないのですが,着脱のたびにスポンジがぽろぽろ落ちてうっとーしいです.
まあ買い換えればいいのですが,ダブルレンズ,かつ,ファン付きでこの色のレンズ(とても明るい)でこの形のものってもうないんですよねー.それに本体は何ともないのにスポンジが痛んだだけで捨てるのももったいない話です.というかとても気に入っているのでできればこのまま使いたいです.とゆーことでスポンジの交換にチャレンジ?しました.ホームセンターで物色していたらいいのありました(^^).窓枠などに使う「すきま用テープ」です↓.
もちろんゴーグルの寸法を測ってぴったりサイズ(幅15mm,高さ10mm)のものを買ってきました.いろんなサイズのものが売っていました.値段はなんと88円!です.安っ(^^;.
まず,ぼりぼりスポンジを剥がします.なんか垢擦りみたいで(垢擦りってやったことないですけど(^^;)結構気持ちいいです.そして,「裸」になりました(^^;↓.
そして,うにょうにょやってすきまテープを貼っていきました.最初はうまく貼れるか心配(というほどでもないが(^^;)だったんですが,うまいこと行きましたよ(^^)↓.作業時間はスポンジを剥がすところから入れて全部でものの10分くらいのもんです.
ぱっと見,どこが「継ぎ目」かもわからないでしょ(^^)v.ということで,88円(実際には,すきまテープはまだいっぱい余っているので,10円くらい?)でゴーグルが生まれ変わりました(^^)V.まあこれも買い換えるお金が惜しいとかいうより,何でも楽しんじゃえ,ということです.でも使える本体が無駄にならず,出来映えもなかなかよくてちょっとした快感ですよ(^^).
問題は実際に使用しての耐久性ですね.ぼろぼろになったらまた貼り替えればいいわけですが,風雪に晒されて接着部分がすぐ剥がれないかがちょっと心配です.後ほどご報告します(^^;.
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年賀状を出して(今年は随分遅くなってしまった.ちゃんと元旦に届くかな?ちょっときびしいか?)今年中にやっておかなければならないことは一応終わりました(やらなきゃいけないことはいくらでもあるので,「今年中に」ということです).これから年末年始どうしましょうかね?
去年は,このコーナーに書いていたようにずっと(だらだらと?)仕事をしていました.自分が個人的に進めている解析とか論文を書くとかいうことはほとんどこの時期しかできないという感じなので,ここでやらなきゃという気持ちが強いのですが,結局ほとんど進みませんでした.ていうか,1年経った今現在と去年の今頃を比べてもほとんど進んでいないことに愕然とします.これではいけないと思って,暇を見つけては何度も解析のファイルや論文のファイルを開いたりするのですが,いつの間にか日常業務?の中に埋没してしまいます(T_T).
しかし,研究室レベルでは,研究は相当進んでいますし,論文も相当出しました.学生の数はどんどん増えてきて,基本的に1人に1つずつに研究テーマを考えて(これがめちゃめちゃ大変)やってもらっています.基本的に進捗状況を毎週報告してもらっていますし,10人近くもいるとそれをマネージメントするだけでももうほんと大変です.上で日常業務の中に埋没して,と書きましたが,学生の指導は,「日常業務」などではなく,今の私の中で最も優先させていることです.ですから,自分の研究よりは,学生の指導を優先させているということです.
でもそう考えると,これでいいのかもしれないとも思えてきました.もちろん私は研究者であり続けたいですが,研究テーマはいくらでもありますし,それらに私が直接取り組んでいけば,学生達にやってもらうよりは遥かに早く研究も進むかもしれませんが,多少時間がかかっても,学生達にそういう研究テーマを通していろんなことを学んで成長してもらえる方が,研究が進むなんてことよりも遥かに重要だと思います.
でも,あといくつか,具体的には,震度算定法のキャリブレーション,MM震度階への展開,つまり,一応の'Seicmic Intensity Measure'の完成まではなんとか論文を書きたいと思っています.そしたら後は,指導するのは大変だし時間もかかりますが,学生にどんどんやってもらって論文も書いてもらう方が彼らのためにもなるのでそうしようと思っています(ていうかそうしてます).
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プロとアマ(プロフェッショナルとアマチュア)という言葉,概念があります.趣味って何?で書きましたが,これは趣味か趣味でないかとはまた別の概念です.こっちの方が区別は明確(なはず)です.即ち,プロはそれを職業としてお金を稼ぐ,お金を稼げないのはアマということでしょう.と思っていたのですが,実際には微妙に違う意味で使われています.つまり,職業としているという本来?の意味の他に「趣味」と同様,上手い下手をこれで表現する使い方もされているようです.広辞苑にも次のように書いてあります.
プロフェッショナル【professional】 専門的。職業的。プロ。⇔アマチュア |
アマチュア【amateur】 @愛好者。好事家(コウズカ)。 Aしろうと。職業としてでなしに、趣味や余技として携わる人。アマ。「―無線」 ⇔プロフェッショナル |
広辞苑の趣味の定義はとても明確(要は下手くそということ)だったのですがプロフェッショナルの中には,専門的という熟達を表す言葉と職業的という別の概念が混在しています.アマチュアの中にも職業としないということと趣味という別の概念が混在しています.
これは厄介ですねー.実際,一般的?にも,趣味かどうかがお金を稼げるかどうか,プロかアマかが上手いか下手かというように,本来?的な意味と逆転しているようなところもあります.まあ上手ければそれを職業にできてお金が稼げるし,下手ならお金を払う人なんかいないでしょうから,もちろん相関はあるのですが,そういう相関が全く成り立っていないものもかなりたくさんあります.
例えば,バドミントンのトッププレーヤーは,間違いなくバドミントンが「上手い」(実は,バドミントンはとてもハードなスポーツなので上手いという表現は使わず「強い」と言います)わけですが,(残念ながら)彼らは,「アマチュア」です.ていうか,バドミントンに限らず野球やサッカーやゴルフなどごく一部のプロ選手が存在するスポーツを除いて,ほとんどのスポーツ選手は「アマチュア」,世界のトップレベルのオリンピック選手だってサッカーとか一部を除けばほとんど「アマチュア」なわけです.でも彼らのことをアマチュアと言ってしまうと,かなり違和感があります.それは,アマチュアの中に上の広辞苑で定義してあるような「下手くそ」という意味も含まれているからでしょう.プロって言葉はとても響きがいいし,これに対してアマという言葉は下手くそとなんかばかにしているような感じがします.
一方では,下手な歌を歌ったりしょーもない(^^;本を書いたりして売れてる(一部の)芸能人もいます.それでお金を稼いでいるので「プロ」ですが,技能的に上手いか下手かというとそりゃ「下手」でしょう(^^;.でも買う人がいるからどんなに下手でも「プロ」になれるわけです.その辺のところは,「売るプロがいる」ということをどこかで書きましたが,やはり釈然としないものはありますよね.確かに,例えば1980年代の歌が下手なアイドル歌手は,「売れて」いましたが,彼らを「プロ」と見ている人はいなかったと思います.
まあこれも何度も書いているように簡単に言ってしまえば,資本主義社会の弊害でしょう.ですからまあしょうがないんですけど,少なくとも私自身は,上手いか下手か,優れているか劣っているかで評価されるべきだと思いますし,少なくとも売れる売れないで評価される世界には身を置きたくありません.
言葉の定義,使われ方についても,まあ,プロとアマは,職業としているかどうかだけではなく,熟達の度合も表現する,という広辞苑の通りの使い方をされていると考えればいいわけです.言葉は定義されるものというよりは,イメージのようなものがとても強く出やすいし(個人差はあるでしょうが),それが本来的?な意味から乖離してくる場合も多いですが,そういう意味で使われたらそれが正しい使われ方になるのが言語ですからね.
ちなみに,プロとアマと対応した?日本語の玄人と素人は,より明確でこちらは,熟達の度合のみを表すもののようです.つまり,こっちは趣味の概念に近いということですね.
くろ‐うと【玄人】 @技芸などその道に熟達した人。専門家。 A芸妓・娼妓などの称。⇔素人(シロウト)。 |
しろ‐うと【素人】 (シロヒトの音便形。室町時代にはシラウト。「しろと」ともいう) @ある物事に経験のない人。その事を職業としない人。専門でない人。しらひと。風姿花伝「―の老人が…舞ひ奏(カナ)でんが如し」。「―らしからぬ技量」「ずぶの―」⇔玄人(クロウト)。 A素人女の略。⇔玄人(クロウト)。 B近世、京坂で私娼のこと。白人(ハクジン)。浄、油地獄「かくとはいかで―の田舎の客に揚げられて」 |
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月9の「のだめカンタービレ」が最終回だったようですね.実はほとんど見ていませんでした(^^;.まあ私は基本的にドラマは見ないし,今回は音大が舞台ですが,1,2回見てまあそんなに新しい発見もなさそうなので.でも最終回だけ話題に遅れないように?ちらっとチェックだけしました.
あ,そうそう,のだめのコンクールの決勝だけはちらっと見ました.確かシューマンのソナタ2番とストラヴィンスキーのペトルーシュカからの3つの断章でしたね.シューマンのソナタ2番は上手かった(もちろん使われた演奏が,です)ですが,ペトルーシュカは,途中で「今日の料理」を挿入する(めっちゃ受けましたー(^^;)ためか,「誰か」が弾いていて今一でしたねー(^^;.
野田恵って大川出身だったんですね(^^;.大川は私の母の生まれ故郷?なので何度も行ったことがあります.でもあんな感じだったかなー.もっと田舎だったよーな(^^;.まあ同じ大川でもいろいろでしょうからね.
特に思うことはなかったのですが,毎年膨大な数の優秀な若者が音大を卒業するが,プロオケに受かって好きな音楽で食べて行ける人はごく一握りで,音楽で食っていける人,音楽を続けられている人はほんとに幸せで恵まれているということをしっかり認識しないといけない,ということが言われていました.まあその通りですね.そういう意味では,私も自分が志した道で食べて行けてるのですから,ほんと感謝しないといけないですね.でも,音大を出たばかりでも優秀な学生を集めれば,プロオケ並の演奏ができるというのはいくらなんでも買いかぶりすぎです.そんなに甘いもんじゃありません.
ただ,最終回は,まあよくあることですが,ハードディスクレコーダに垂れ流していた予約録画を見たので,1時間,つまり,ベートーヴェンの7番の演奏の途中でぶちっと切れてしまいました.ドラマはいつもそうですが(ってそんなに見ないけど),最終回って時間延長するので,いつも一番最後の肝心?なところが見れないままなんですよ(毎週チェックするほど暇でもないので,後で思い出したように見る).電車男のときもそうでした.
やっぱ,ベートーヴェンの7番がこのドラマのテーマ曲だったんですかね?実はこっそり(ってここに書いてるからこっそりでもないか(^^;)練習してます.弾いたら受けますかね?(なんかだんだん単なる受け狙いになってきた?)このドラマがどのくらい世間的にヒットしたか,ベートーヴェンの7番の認知度がどの位上がったのかが今一よくわかりません.でも,1楽章だけでもちゃんと通して弾くと10分以上かかるので,やっぱ長いー.
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やらなきゃやらなきゃと思っていて,時間がなくてできなかった,「人生や世の中などいろんなことについて考えること」の内容別リンクを時系列とともに,とりあえずタイトルがついたもののみで更新しました.今までタイトルがついたものは,昔のものは個別ファイルになっていて,今年の1月以降は全て月別ファイルの中に埋まっていてわかりにくかったのですが(自分でも(^^;),これで一応同列に見られることになりました.まあ主たる目的は自分が読み返したり,リンクを貼ったりするときにわかりやすいようにってことです(^^;.
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先月購入したW5ですが,どうもパフォーマンスが芳しくなく,テストプログラムを作って,同じものを購入された同じ専攻のF野先生にテストしてもらいました.私のW5の値は370くらい(計算時間に対応.つまり,値が大きいほど遅い)でしたが,F野先生のテスト結果はなんと170前後ということでした.えーーー!?早速,パナソニックにメールを書き始めたのですが,ちょっと気になることがあって,それは,ウィンドウを制御するプログラムでCPUがかなり占有されていることです.そこで,このプログラムを停止してテストプログラムを走らせてみると...ちゃんと170前後になりました(^^;.そして,不思議なことに再びこのプログラムを走らせてテストしてみても値は170前後のままでした.?????
ということで,???ですが,特に問題はなさそうです.でも,最新のデスクトップの値は50前後ですから,3倍以上の開きがあることになります.ちなみに,R3だと,200前後でした.つまり,ノートパソコンの(正確にはレッツノートの?)スピードはこの2年あまりで,1〜2割しか速くなっていないことになります.まあこのテストプログラムは単純な演算なので,アプリケーションのさくさく感だとまた違った値になるのかもしれません.でもそれもあんまり実感するほどではないですねー.唯一違いが感じられるのは,バックグラウンドで計算させているときの使用感(Y2とR3では,バックでヘビーな計算をさせているとそれだけでいっぱいいっぱいだったのが,W5では全く問題なく作業ができる)ですかね.
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大晦日ですね.こういうものは人間が勝手に作ったものですけど,まあいい機会なので今年1年を振り返ってみます.早速,昨日作った時系列リンクが威力を発揮します(^^;.
今年はほんとによく体調を崩したと思います.1月にもいきなり声が出なくなってますね.その後,何回病院に行ったかわかりません.これまでは病院に行くのなんか何年かに1回という感じだったので,えらい衰えようです(T_T).ということで急激に歳を感じるようになりました.体調を崩すまで行かなくてもしんどくて体調が悪いということもよくありました.
それと関係あるかどうはわかりませんが,というか,関係あるでしょうが,8月の全日本教職員であまりにふがいないプレーしかできず,大学入学以来20年以上ずっと続けていたバドミントンをとうとうやめてしまいました.あっけなかったですねー.ただ,体を動かすこと自体は続けるつもりで,その後,ほぼ毎日5kmは走っていましたが,それも3ヶ月経ったときに体調を崩してしまい,全治3ヶ月と診断されて,今も中断したままです.
その代わりというわけではないですが,ゴルフを始めました.ただ,ゴルフは予想通りとても面白いものだったのですが,その運動量の少なさは予想以上で,これで体調を管理するということは私には無理ですね.でも,ちゃんとした運動解禁になるまでは,ほんとゴルフくらいしかできないのでちょうどよかったかもしれません.
スポーツと言えば,3月にはスキーの準指に受かりました.茨城では一発合格でしたが,東京時代から受けていたので長い道のりだったと思います.やっぱり嬉しかったですねー.
なんか体調不良から始まって,仕事以外のことに話が展開してきたのでそっちを先に片づけますか.ピアノも久しぶりにファミーユに行きました.でも,結局1月と2月の1回ずつに終わってしまいました.一応細々と練習はしているので,来年はもう少しコンスタントに行きたいですねー.でも,会場が横浜とかだとやっぱ厳しいかなー.
そして,このコーナーですけど,このくそ忙しい中,相変わらずすごい勢い?での更新が続いたと我ながら思います(^^;.まあ1日30分くらいはどんなに忙しくてもなんとかなるものですし,そのくらいはなんとかするくらいの「心のゆとり(を無理矢理もつこと)」ができなくなったらもうほんと終わりだと思いますしね.
あとは,今年は同窓会とかいろいろあって,いろんな人と会うことが多くてそれは楽しかったですねー.しかし,20年以上ぶりに会ってあまりの変わり様(^^;に愕然とし,それは私も今年体調を崩すことが多く,歳を感じていたりして,人ごとではないと思って更に愕然としました.歳をとるということはどういうことか,それに伴ってこれからどう生きていったらいいのか考えるようにもなりました.人間関係と言えば,「例の件」(と書かれても全くわからないでしょうが)は全くそのままになっています.解決しないことが解決法?このまま行くしかない?でもそれでいいのかなー?
さて,最後に肝心の仕事ですが,まず特筆すべき?ことは,今年は被害調査に行かなかったことですね.2003年に筑波大に来て以来,2003年に3回(宮城県沖,宮城県北部,十勝沖),2004年に新潟県中越,2005年に2回(福岡県西方沖,宮城県沖)と毎年,被害調査に行ってましたからね.まあ,被害地震が起こらないのは結構な話なんですが,永久に起こらないことはあり得ず,既存不適格建物が大量に放置されている現状では,やや短周期にパワーがある地震動が都市部で発生すれば,兵庫県南部地震,いや,それ以上の地震被害となることも大いに考えられます.そうとわかっているのに有効な対策が打てないのはほんとに無力感を感じますが,まあこれもどこかで書きましたが,私は研究者なので,自分が正しいと思うことを淡々と,でもしっかりと主張していくしかないと思っています.それを使ってどうするかは,「誰か」が決めることで私の「役回り」ではありません(そう割り切らないと精神的にもたない).
研究一般?に関しては,結果を見ると(査読論文が6編,その他に11編),成果は出てますし,学内外のいろんな仕事が多い中,まあそこそこ頑張ったかなと思います.でも学生の数がもう10人に近づいてきて(来年はおそらく10人を越える),1人1人の仕事をマネージメントするのはほんと大変でした.そして,自分で解析をして自分で論文を書くということはもう限りなく困難になってきました.ここ1,2年はこれではいけないと気ばかりが焦るのですが,「やらなければいけない」仕事から片づけていると,いつの間にか時間だけが過ぎています.ほんとまずい.
でもこれに関しても,ほんの2日前に書いたように,これでいいのかもしれない,と考えるようになってきました.別に自分が論文書くなんてことより,学生にどんどん研究やって論文書いてもらって,それを通して彼らが成長くれることの方が数倍大事なことだと思うからです.つまり,何をやるかのプライオリティ的に言えば,学生の研究指導は優先順位1位に来るわけで,これだけはどんなに学内外の雑事が増えようとも死守していくつもりです.ただ,これも2日前に書いたように,あといくつか,せめて震度算定法の完成形?までは何とか国内外に論文を書いておきたいです.
と,書いたものの研究者である以上,やはり論文は書き続けていきたいです.それには,まず,上記の論文を書くことですね.
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