年が明けましたね.今年もよろしくお願いします(いつもと同じフレーズ).
今年の年賀状です.
巳は,図案がなかなか難しいのですが,「蛇の目」模様にしてみました(どの位の人が気づくだろうか?).あとは,いつもは,仕事関係,友人関係,ピアノ関係,バドミントン関係,スキー関係などに分類?して,それぞれ違った文章を用意していたのですが(細かく分けると20〜30パターンくらいになる),今年は,(大分長くなってしまったが)全部同じにしました.
今私が思うこと,伝えなければならないことって,誰に対しても,結局,これなんじゃないかと思ったこともありますし,いろいろ変えるのがちょっとめんどくさく(^^;なったこともあります.
でも,出してから気づいたのですが,例えば,今の震度算定法にかかわった先生方とか,この人にこの文章は,ちょっとまずかったかなー,とも思いました.でも,これも「こうなること」になっていたんだと思います.それで,どうなるかは,わかりませんし,なるようになるんでしょう.
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昨日寝るとき,朝まで生討論とかいうのをやっていたのですが(ちょっと見てすぐ寝たけど),そこに出ていた人(よく憶えていないが,ローソンの新浪さんとか勝間さんとか森永卓郎さんとか宋文洲さんとか竹中平蔵さんとかがいたと思う)のほとんどがメディアの報道は嘘ばっかりでひどいと言っていました.ふーん,やっぱり,わかっている人はわかっているということでしょうか.
でも,だとしたら,何でそんなことになるんですかね? 要は,何度も書いたようにメディアが視聴率を獲るためにシナリオを設定し,それに都合のいいデータだけをよく調べもしないで使うということなんですが,やっぱり,メディアもメディアなら,騙される国民も国民ということでしょうか.
でも,思うのは,政界にいい人材が集まらなくなっているとは,再三書きましたが,それは,メディアも同じなんだと思います.だって,視聴率至上主義ということは,普通の凡人達の評価が全てなわけで,そんなのちょーつまんないじゃないですか.
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正月やGWにいつも思うのは,やっぱり,このままじゃまずいなーということです.もちろん,今は仕事があるので,仕事をすればいいんですが,再三書いているように,私の今の仕事は,基本的に定年までで終わりです.そうすると,定年後の膨大な時間を何して過ごすかは,ほんとに重大な問題だと思うのです.
旅行したり散歩したりゴルフしたり,テレビや映画を見たり,本を読んだり音楽を聴いたりしてのんびり過ごせばいいんじゃない?と言う人は,想像力がないと思います.いや,そうできる人もいるかもしれませんが,少なくとも私には,無理だと思います.つまり,今の仕事に代わる何かが必要だと思うのです.でも,そんなものあるのでしょうか?
1つのヒントとしては,どこかで書きましたが,私は,本質的に「研究者」である,ということです.どういうことかと言うと,研究対象は,何でもいいんですよ.今は,「地震動の性質と建物被害の関係を探求し,それを地震災害軽減に結びつける」研究をしていて,(自分で言うのも何だが)相当のレベルに来ているので,それで飯が食えているわけですが,定年後であれば,それで飯が食える必要はありません.
でも,どうですか? いくら飯が食えなくてもいいと言っても,定年でクビになってから始めたんでは,てんで大したレベルには行かないですよね.そもそも,仕事に代わるものとして,必須の条件は,やはり,社会との接点でしょう.つまり,研究であれば,研究成果を発信する必要があるわけです.でも,それには,相当のレベルの高さが必要なのは言うまでもありません.
発信媒体としては,インターネットがあります.このサイトもまさにインターネットを通じて発信しています.別に論文とか本なんかにしなくても(お金にならなくてもいいので),インターネットで発信すれば充分で,こういう媒体がこの世に出現して,ほんとによかったなーと思います.問題は,何を発信するかです.
1つは,「地震動の性質と建物被害の関係を探求し,それを地震災害軽減に結びつける研究」を続けるというのは,ありでしょうね.ただし,大がかりな実験などはできないので,パソコンがあれば,続けて行けるようなテーマを見つけていくことでしょうね.でも,これも既に書きましたが,私の研究テーマは,研究費が必要だと研究費を獲るのが仕事みたいになって,ミイラ取りがミイラにならないように,敢えてできるだけ研究費をかけないものを選んで来たので,対応可能だと思います.あとは,このサイト,即ち,人生や世の中のことも研究テーマになるでしょうね.
でも,ここまで書いて,ここまでは,もう既にどこかで書いたような気がします.つまり,これらだけじゃだめなんじゃないか,ということです.そして,それを探していくことが喫緊の課題だと思います.そんなの定年になってから,あるいは,定年が近づいてからで大丈夫なんじゃないの?というのでは,全然間に合わない気がします.それは,上で書いたように,定年後,へたしたら数十年に渡って,社会と接点をもてるほど高いレベルで(ただし金になる必要はない)やって行かないといけないものだからです.
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年頭と言うことで,今年の抱負というわけではないですが,やはり,すぐ上で書いた「何か」を追求して行きたいと思っています.あとは,新生活を軌道に乗せることですかね.これは,定年後の生活とも密接に関係していることです.
もちろん,今やっていることを仕事も含めて,しっかりやって行くことは,何より重要なことでしょう.そういう中から,定年後もずっと続けられる「何か」が見つけられれば,理想的ではあるのですが...
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定年後のことなんですが,そんなに真剣に真面目に考えなくてもいいのかもしれません.これから稼いで食べていかないといけない20代,30代と違って,もうここまで来たら何でもありですからね.もともと,怠け者の私ですし,やりたいことをやりたいときにやる,特に何もやらずに自堕落に生きるということさえありということでしょうか.
今から定年後のことをあれこれ考えるより,今やるべきことをやるべしということでしょうか.でも,それってふつーーですよね.で,ふつーーの人は,定年後は,楽しく充実して過ごしているんでしょうか? そうは思えませんけどね.
ただ,それが何かは書きませんが,定年後に備えて,というわけではないですが,定年後の生活に多大な影響を与えるであろうあることを,仕事とか仕事以外にやっていること以外にやっています.意外とこれがこれからの大きな柱の1つになるのかもしれません.
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これから定年まで今の仕事をするとして,何をどうやって行くかということなんですが,基本的には「地震動の性質と建物被害の関係を探求し,それを地震災害軽減に結びつける研究」なんだと思います.前半の部分は,これから大学のいろんな雑事的な仕事にどのくらい巻き込まれるか次第ですが,これを何とか処理できれば,何とかできるでしょう.逆に言えば,これさえできなくなるのなら,大学にいても意味がないので辞めるのでしょう.
問題は,後者です.これは,再三書いているように,社会からの要請がなければ話になりません.と,書いてきたのですが,そうなのでしょうか?
例えば,村上太一さんは,世の中の不便さを見つけて,これを解消するために起業して,苦労に苦労を重ねてそれを実現したわけですよね.私にもそういうことができるでしょうか? というか,やるべきなのでしょうか?
例えば,震度算定法を勝手に改正して(これはもうやってると言えるかも),それを基に地震直後にどこでどれだけの被害が生じているかを瞬時に推定するシステムを勝手に作って,ホームページに公開したとして(これももうやってるけど),それを自治体や消防の人が見て,これを手がかりに救助活動を行うことがありえるでしょうか? やっぱりオーソライズしたものしか使われない?
よくわからなくなってきました.もちろん,気象庁や内閣府から正式に依頼があって,責任をもってちゃんとしたものを作るのが理想ですが,別にそんなことはどうでもよくて,我々の研究室で「地震直後にどこでどれだけの被害が生じているかを瞬時に推定するシステム」を作る能力があって,それができるのが我々の研究室以外にないのなら,やっぱり,責務なのかもしれません.
でも,一方では,要請もなく必要ともされていないのに,出しゃばって?までそんな余計?なことまでするのもどうなのか?とも思うわけです(もう若いときのように気象庁長官に直談判するなんてことはやりません).
1つの考え方としては,研究なんてものは,世の中の役に立つなんてことは,どうでもよくて,というと語弊はありますが,再三書いてるように,そういうことを第一義に考えていたのでは,いい研究はできませんから,純粋に「地震動の性質と建物被害の関係を探求し」,それを基に「地震発生直後に被害推定を行うシステムの開発」を内的熟達的に続けて行けばいいのかもしれません.
ただし,これができる環境がどんどん脅かされているのは,事実なので,そういう意味での「これからどうするか」は,引き続き考えて行かなくてはなりません.
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年末年始で主要なマーケットは閉まってるのですが,米議会が「財政の崖」を回避したことで,開いているところは大きく動いています.例えば,SGX日経225先物は,もう10700円を突破しましたから,昨年末の大納会から既に300円以上上昇していることになります.日本の主要マーケットが開くのは,1/4の大発会ですが,どうなりますかね? 年末年始のテレビでもAベノミクスでこれからどうなるのか,景気はよくなるのかという特集がさかんに行われていました.
これもどこかで書きましたが,景気というのは,結局,気分の問題ですから,疑心暗鬼にならずにみんなで一斉にお金を使えばよくなります.ですから,これから(嘘でも)景気よくなりますよー,と言って,みんな(騙されて)お金を使えば,いいわけです.周期的にもそういうタイミングです.
でも,景気がよくなっても,賃金を払うのは企業ですから,企業だけが儲かって賃金を上げずに内部留保を増やして株や不動産だけが上がるというシナリオもありうるわけです.対策をしときましょうね,というのは,そういうことです.
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もう一応結論が出たモバイル通信なんですが,Xiスマホのテザリングの1つの問題点として,テザリングをするときに端末(スマホ)を開いてテザリングのところにチェックを入れないといけないんですよ.もちろん,入れっぱなしにもできるんですが,そうすると電波が飛ばしっぱなしになるので,電池の減りが早いそうです.
テザリングの最大のメリットとしては,スマホに全く触ることなくPCから操作する(ブルートゥースで繋ぐ)だけというのがあったのですが,これだとそのメリットがなくなる,というか,スイッチを入れるだけのwifiよりもめんどくさいことになります.
でも,私の場合,Xiを使うとしてもドコモのスマホは使わず,今もってるSIMロックフリーのiPhoneを使うでしょうから,これは,関係ないですね(と書いてから気づいた).
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なんかつまんないなー,って思うことないですか? 私はしょっちゅうです.何かをやっていて(やらされていて),やっていることがつまんないと思うこともありますし,そもそも,人生そのものがつまんない,生きていてもつまんないなー,と思うこともあります.でも,誰でもそういうことってありますよね?(ない?) そういうときってどうしますか?
再三書いているように,そもそも人生ってつまらないのがデフォルトです.それを人生って素晴らしいとか,ほんと無責任に言う奴ばっかりだからみんな苦しくなるわけです.人生とは退屈でつまらないものである,というのは,(人生について最も真剣に専門的に考えている)哲学の世界ではもう常識なのです.
じゃあ,どうしたらいいかですが,楽しくするしかありません.つまり,人生を楽しくするのには,労力が必要で,大変なことなのです.再三書いている「楽しむ」というのは,そういうことです.
問題は,人生を楽しくするのは,大変なことなので,そのハードルが乗り越えられないときでしょう.具体的には,疲れているときです.肉体的に疲れていることもあるでしょうし,精神的に疲れて心のエネルギーが足りなくなっているときもあります.そういうときは,休むしかありません.
でも,休みたくても休めないときもありますよね.でも,そういうときに休まないと肉体的に壊れて病気になったり,精神的に参って欝病になったりします.そこのところは,うまくマネージメントすることがやっぱり重要なんだと思います.
あとは,「なんかつまんないなー」と思ったとき,休むべきか,単に怠けたくなっているかの判断も難しいです.これは,自分の中での分岐点を自分の経験から見つけるしかないですね.でも,人間だいたい怠け者ですから「ちょっと頑張る」くらいでちょうどいいような気がします.でも,私の場合,その分岐点がどんどん休む方向に来ていて(そうした方が結果的にパフォーマンスが上がる),それは,やっぱり加齢のせいだと思います,つまり,自分の加齢に伴う衰えを素直に認めて,しっかりマネージメントすることも肝要ということでしょう.
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A倍発言で雰囲気が一変し,株価が急激な上昇を続けていて,しかも,米議会の財政の崖回避で年初から海外マーケットが暴騰していることで(年初強含むとは思いますが),今年の株価予想なるものが氾濫しています.でも,そんなのわかるわけありません.明日株価が上がるかどうかは,明日,明日から上がると思う人が下がると思う人より多いかどうかです.
でも,そんなことわかりますか? つまり,未来において,赤の他人がどう思うか,がわかりますか? わかるわけないですよね.だから,みんなてきとーなことを言って,いろんな人がいろんなこと言って,たまたま当たる人もいる,というだけの話でしょう.
わかるとしたら,「今」上がると思う人が多いか下がると思う人が多いか(これもかなり難しい)でしょうし,過去のデータに照らし合わせて,その割合がどう変化してきて,それが今どういう状況にあるか,くらいでしょう.
そして,それがわかったとしても,数日したら,すぐに反転するかもしれない.だから,百発百中なんてことはありえないわけで,上がるか下がるかという限りなく1勝1敗に近い勝率を少しでも上げて機会を増やして複利で回すしかないと思います.
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責務?の続きですが,例えば,絶世の美女,あるいは,美男子がいたとします.あるいは,自分がたまたまそうだったとします.それは,ある意味,ラッキーでもアンラッキーでもあるのですが,自分が芸能界にデビューして,多くの人に鑑賞してもらうことで,多くの人を幸せにできるとしても,そうするかどうかは,かなり???ですよね.
ちょっと,例が極端だったので,例えば,歌とかピアノとか野球がめちゃくちゃうまいとして,歌手とかピアニストとかプロ野球選手になるか,というか,なるのが責務かと言うと,そんなことはないでしょうし,そうしてない人もいっぱいいると思います(特に芸能界の場合).
でも,周りはかなり焚きつけるでしょうね.真偽のほどはともかく,家族や友人が勝手に葉書を出したのが芸能界デビューのきっかけという話はよくききます.
だから,私も自分が楽しめているのなら,別に出しゃばって?社会に還元とか余計なことしなくてもいいんじゃないか,とも思うわけです.
でも,ここまで書いてきて,私の場合は(自分で言うのもおこがましいが),地震直後にどこでどの程度の被害が生じているかのシステムを作れるのは,他にいないとも思っていて,そうだとすれば,それで地震で亡くなる人が減るのなら,それは,やっぱり責務かも,とも思うわけです.
でも,ここから先は,私の性格の問題ですが,そんなのめんどくせーとも思うわけです(もし,私が絶世の美男子だったといても,絶対に芸能界デビューなんかしないでしょうからね.でも,美男かどうかは好みの問題もあるし,他に代わりもいるでしょうからちょっと違うかもしれません).
だから,結局,私が自分からどうこうすることは,やっぱりないんだと思います.でも,どこかでおかしなことが起こったりすると,黙ってられないことはあるでしょうから,まあ,これもそのときどきの状況というか,自然の流れに従うということでしょうね.
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メディアの報道は,嘘ばっかりと書きましたが,もちろん,全部嘘ということではありません.中には,ちゃんと信頼できる情報を流している番組もたくさんあります.
要は,インターネットと同じで,どれが本当でどれが嘘かを見抜ける力が必要ということです.でも,これは,今更何を当たり前のことを,ということですね.
でも,思うのは,やはり視聴率を獲るために事実をねじ曲げる視聴率至上主義の弊害で,視聴率を獲ることにそれほど拘らなくてもいい国営放送の存在意義は,やはり大きいと思います.もう,最後の砦となりつつあるので,ここには,ほんと頑張ってもらいたいと思っています.
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ピアノプロジェのT村君からメールが来て気づいたんですが,パリで春祭(ストラヴィンスキーのバレエ音楽「春の祭典」)の公演が行われて(大騒ぎになって)から100年だそうです.そっか,その手があったか...
T大ピアノの会時代にピアノソロにこの曲を編曲して弾いたことは,既に書きました.ベートーヴェンの32番の第2楽章がどうしても弾けないとすると,これをやる手はあるかもしれません.
でも,当然のことながら大変な曲ですし,編曲もやり直したくなるでしょうし,そこまでエネルギーがあるかどうか...というか,そもそも,こういう曲を「今」弾く気になるかどうか...でも,春祭100年は,今年しかありません.
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年賀状の中に,このサイトを読んでくれて,研究することと大学で「偉く」なることについて言及してあったものがありました(迷惑がかかるといけないので誰とは言いませんが).ほんとにねー.どうしてこんなことになってしまったのでしょうか.
何度も書いているように,私がやりたいのは,研究(とその成果の社会への還元)です.いや,大学は教育機関なんだから,そんな奴は,大学になんか来るべきじゃないってことでしょうか? じゃあ,どこに行けば...
これについては,既に書きました.例えば,国の研究所なら大学での教育の代わりに行政の仕事がありますし,民間の研究所ならお金になることもやらなくてはいけません.つまり,これでも大学が一番研究できるんですよ.だから,大学に来たわけですし.
要は,どこにいるかということより,歳をとって偉くなったんだから,研究なんかしないでマネージメント的な仕事をしろ,ということなんでしょう.でも,そういうことがどうして,歳とか偉いとかに関係するのでしょうか.いや,偉いというのは,そういうことでしょうから,要は,(昇進して)偉くなってはいけなかったってこと?
でも,今更自ら降格を願い出るわけにも行かないでしょうから,とにかく今の状況で何とかやって行くしかありません.いざとなったら,辞めることもできるわけで,だったら,ある意味,怖い物なしでしょう.
これもどこかで書きましたが,1つは,無能なふりをすることでしょうか.少なくとも,こいつには,大事なマネージメントの仕事は任せられない,みたいな.まあ,それは,やればできると思いますが(明らかにやってる人もいますからね),そういうことをすることは,人の道に反するというか,やっぱり,やるべきじゃないし,私にはできないような気がします.
でも,人の道ということに関して言えば,もし,私にそういう仕事が回ってくるとしたら,明らかに私より先にやるべき人がいるわけで,著しい不公平感は,感じます.それが通りますかね? 通らないとしたら,私の問題というよりは,今いる組織の問題ですから,私のわがままということにはならないと思います(こんなこと書いていいのかなー.でも,ある意味,確信犯的に書いてる?).
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余計なことついでに?余計なこと書くと,自堕落に生きるというのに加えて,ドロップアウトというか破滅的人生みたいなのにも憧れみたいのがあります.いや,憧れというとちょっと違うかもしれません.もっと,現実的に,そうなるんじゃないか,という期待というと変ですが,そうなりそうな気がどこかでずっとしてます.
でも実際には,それと違う方向にどんどん行っていて,強烈とまでは行かないですが,このまますーっと行ってしまうことに対する違和感があるんですよ.私が若い頃は,もっと危なっかしくて尖ってましたし,実際,ドロップアウトも何回もしてると思います.
でも,そこから蘇ると,と言うと,ちょっと格好良すぎますが(^^;,そういうのを乗り越えると次に何かぱーっと開けるみたいな感じでした.でも,最近,そういうのが全然ない.確かに歳をとって丸くなった,というか,つき合い方がうまくなったんだとは思いますが,私の中は,そういうのは,全然消えてないし,いつ爆発?してもおかしくない気はしてます.
とか言うと,脅かすみたいですが,やっぱり,感覚的には,このまますーっと行く気はしなくて,もし,そうなってしまうとしたら,もう自分から壊すしかないような気もするのです.もちろん,壊しっぱなしではだめで,そこからまた「蘇ら」なければならないのですが,この歳になると,もう厳しいような気もします.でも,だから,このまますーっと行くというのもやっぱり違う気がしてしまいます.
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これからどうして行くかずっと考えているのですが,ちょっと閃きました(閃くのは,だいたい朝のトイレの中).キーワードとしては,死ぬまで働く,今やっている「地震動の性質と建物被害の関係を探求し,それを地震災害軽減に結びつける研究」も死ぬまで続ける,そして,人との繋がり,特に次世代,あるいは,次々世代を育てることでしょうか.でも,これを実現するには,(残念ながら)今の世の中,資本主義社会なので,相当のお金が必要です.
でも何でも楽しんじゃえばいいわけで,お金が必要なのなら,それも動機付けになるというか,お金を稼ぐことも楽しめばいいわけです.むしろ,再三書いているように,生活に必要以上のお金なんかあっても仕方ないですから,生活に必要以上のお金(が作れればですが)の使い途が見つかった,くらいに考えればいいことでしょう.
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年賀状ではないのですが,卒業してあまり連絡がなかった元学生の一人から年始のメールがありました.彼が今やってる仕事は,研究室でやってたこととは,全然違うのですが,頑張ってるみたいで,研究室時代に私から言われたこと,やるように言われたこと,例えば,毎週プレゼンをしたことや,会議で必ず質問をするようにしたことが社会に出てこんなに役に立つとは思わなかった,今になってようやく重要性に気づいたということでした.
こういうメールはやっぱり嬉しいですね.近況を知らせてくれるだけでも嬉しいのですが,私がよかれと思ってしたこと,どういう仕事にでも繋がるようにと指導していることが実際に役に立ってるわけですしね.でも,できれば,学生時代にそれに気づいてくれていたらもっと嬉しいし,もっともっとスキルアップできるし,仕事ができる人間になれると思うんですよねー(と彼自身も言っていました).
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T村君がピアノプロジェの演奏を送ってくれたので(いつもありがとうございますm(_ _)m),一応,貼っときます.去年のじゃなくて,一昨年のモソロフの第2ソナタの第1楽章です.
こうして聴いてみると一応ちゃんと弾いてるんですが,タッチが甘くてやっぱり素人だなーと思いますね(でもこれは,今の練習量では絶対無理で,少なくとも今の何倍もの練習量が必要).ピアノもあんまりよくないです.
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今日も株価は大幅に上げ,一昨年の震災前に戻った(いろんな節目があるもんだ)との報道です.でも,窓を開けての陽線がこれだけ続くのは,やっぱりすごい勢いです.
日経平均やTOPIXは,3%くらいの上昇率ですが,証券セクタは,それを遥かに超えるパフォーマンスとなっています.中には上昇率20%を越えるものも...去年の1〜2月もすごかったですが,今回は,それ以上です.建設株は,地震リスクヘッジ用ですから,まあ,ぼちぼちでしょうか.
テレビでは,また,12000円とか13000円とかてきとーなこと言ってる人もいるみたいですが(中には,バブル最高値の38915円の頂が見えたという奴も),ここから更に上がるかどうかなんて誰にも分かりませんし,もし分かったら,誰でも買うわけですから,株価は理論上一気に無限大まで(実際はストップ高があるのでそうはならないが)上がることになります.でも,上がるともっと上がりそうな気がする,下がるともっと下がりそうな気がするのが人間心理です.逆張りではなく順張りが鉄則と言われる所以です.
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そうそう,今日は,仕事始めで,実際には,仕事は1/7からという人が多いと思うのですが,私個人的には,鬱陶しい年末年始がさっさと終わってほっとしています.明日明後日とまた休みなんですが,単なる週末と思えばいいわけですからね.変ですかね?
でも,正月の何かの番組で,成功した社長達がしょーもない若者達を説教するというのをやっていたんですが,社長達にしてみれば,仕事より楽しいことはなくて仕事がレジャーなんだそうです.全くそう思いますね.楽しくてお金にもなるわけで,仕事やらない手はないと思います.問題は,そういうことを仕事にする,ってことなんですが(私はそうだったが,だんだん雲行きが怪しくなってきた).
新生活は,基本的に身の回りのことは全部自分でやるんでやっぱり大変ですねー.でも,そういうことも効率化して楽しんで行けたらと思っています.
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春祭ピアノソロ版ですが,譜面を引っ張り出してちょっと弾いてみました.でも,まあ予想してはいたのですが,こんなのもうとてもとても...ていうか,よくこんなの編曲までして弾いたもんだと感心しました.若さのパワーというか若気の至り?
そもそも,ちゃんと譜面になっているのは,一部で,多くは,オケから音を拾って譜面にするのが面倒で,頭で憶えて弾いていたのを思い出しました(譜面には,メモ書き程度).
でも,このまま永遠に?埋もれるかと思うと,ちょっと勿体ない気もします.いつか,また掘り出す気になる日が来るのでしょうか?
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若かったというのもありますが,やっぱり,春祭をピアノソロで弾くという大胆なことを思いつき,やれるという目論見や自信があって,編曲しながら原曲の雰囲気が出たときの感動というか「わくわく」のようなものが爆発的なエネルギーを産んだんだと思います.
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時々,55vs11というのをやっています.何のことかというと,詳しいデータによると,55歳と11歳の体力がほぼ同じということで,両者が対決するというものです.55歳になったおじさん達が母校の運動会に参加するというのが恒例行事になっている小学校もあるようですし,両年齢のトップレベル同士が真剣勝負をするという企画も時々見ます.どう思いますか?
11歳というとまだ小学生ですよね.私は,55歳まではもう少しありますが,あと何年かすると小学生並みの体力になってしまうということなんでしょうか.もちろん個人差はあるし,自分次第とは思いますが,なんか相当がっかりですね.
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どうでもいいことかもしれませんが,春祭ピアノソロ版とベートーヴェンの32番のどちらを弾くべきか考えてみました.
単純に弾きたいのは,ベートーヴェンの32番です(弾けないけど).だから,弾けなくても,単純に自己満足的にはベートーヴェンの32番でしょう.でも,自分はよくても聴く人の立場になれば,有名ピアニストの演奏がゴロゴロある有名曲の弾けてもいない演奏を聴かされても,って感じかもしれません.
一方の春祭ピアノソロ版ですが,おそらく,この世にただ一つの演奏でしょうし(でもそれはベートーヴェンの32番もそうか),あの複雑極まる春祭をたった一台のピアノでたった一人で弾くというだけで驚きでしょうから,存在意義的には,こちらを弾くべきなのかもしれません.受けるのも間違いなく春祭ピアノソロ版ですよね.
実際,T大ピアノの会時代も含めて,私が近現代物をやってきたのは,近現代物が弾きたいということもありましたが,そういう存在意義的な意味が大きかったです.
でも,ちょっとネット検索してみたのですが,30年前とは違って,もう,ソロ版の譜面もあるみたいですね(どういう編曲かはわからないけど).30年前と言えば,Rベック姉妹のしょーもない(失礼)連弾の演奏が評判になるくらいのレベルでしたからね.
でも,こうして考えてみると,どっちを弾くべきかは,やっぱりちょっとわからないです.でも,確実に言えるのは,弾けないものは弾けないし,弾く気にならないものは,弾けないということです.
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東大が秋入学にすると宣言して,他大学や民間企業も追随すると言われていたのですが,誰もついて来ないそうで,春入学秋始業に軌道修正した,と定食屋に置いてあった新聞に書いてありました.
ふーーん,そんなもんですかね? 世界中のほとんどの国は,秋入学ですから,日本から,あるいは,日本へ留学する人達のことを考えたら,秋入学にした方がいいに決まってますが(また面倒な仕事にはなるが),やっぱり,みんなめんどくさいのは嫌なんですかね?
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春祭ピアノソロ版なんですが,インターネット上にもいくつか(譜面も動画も)転がってますね.アタミアンとサイのものは,紹介しましたが,それ以外にもいくつかあります.一通りざっと聴いてみたんですが(みんな上手いんですが),どれも今一...やっぱやるしかない? でも,あらためて30年前の自分の編曲を見てみると,これも編曲と言うには,ちょっと...
30年前に考えたことは,とにかくオケの雰囲気に近づけること(できるだけ音を拾うこと)でしたが,それでは,編曲とは言えません.でも,ちゃんと勉強したわけでもない私が編曲で勝負するのは(例えば,チャイコフスキー−フェインベルクの悲愴みたいのを目の前にすると),あまりに無謀過ぎます(30年前は若気の至りで許された?).
でも,今更勉強から始めるわけにも行きません.でも,少なくともコンセプトというか,「どうしたいのか」は重要でしょう.そういう意味では,30年前もそれはそれで明確でした.でも,少なくとも「ピアノ曲」には,しなければなりません.
と書いたのですが,それは,私には多分無理ですね.それに,30年前と同じようにできるだけ音を拾うと言っても,どうやっても指(腕)が足りないところは,いくらでもあります(逆に,全体の半分くらいは,誰が編曲してもこうなるというところ).そういうところをどうするかですね.
インターネットに転がってる演奏は,ほとんどストラヴィンスキー自身の四手の譜面を元にしていて,指(腕)が足りないところは,あっさりあきらめて「骨格部分」だけにしている感じです.でも,それが私にはどうにも気に入らない.アタミアンは,頑張って作りかえてるんですが,そのアレンジも私はあんまり好きじゃない.
結局,私の中に春祭があって,具体的には,ブーレーズのクリーブランドとの最初の録音があって,それをできるだけ再現したい,ってことなんですが,もちろん,それだけじゃなくて,ここは,ピアノの特性を活かして,こういう風に作りかえるというところもあるわけです.
と,書いてきて,だんだんその気になって来た気もします.昨日,またちょっと弾いてみたんですが,結構弾ける,というか,譜面にしていないところもかなり憶えていて自分でもびっくりしています.
まあ,ベートーヴェンのピアノソナタ第32番(の第2楽章)にしろ春祭にしろ,弾きたいなら勝手に両方弾けばいいじゃん,てなもんですが,両方同時には,絶対に無理です.というのは,私の中でのベートーヴェンのピアノソナタ第32番(の第2楽章)は,人生が終わることの二面性を表現したものであり,春祭(をピアノソロで弾くということ)とは,対極にあるからです.
と,書いて気づいたのですが,要は,私の中の心境が,人生が終わるのではなく,まだまだ続くというように,変わり始めているのかもしれません.思い当たる節としては,この辺のことが関係してるような気もします.私の中に心残りがあるとすれば,子供を作らなかったことですが,もしこれが実現するのなら,子供を作らなくても大丈夫とさえ思えます.
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ここで書いたことなんですが,要は,今,大学の研究室でやっているようなことをずっと続けて行きたいということです.具体的には,「地震動の性質と建物被害の関係を探求し,それを地震災害軽減に結びつける研究」を通して,学生(研究員)達に,仕事ができる的にも人間的にも成長してもらい,社会を先導できるような人材になってもらうということです.これってほんとに楽しいし,学生達の成長を見るのは,何物にも代え難い喜びがあります.
子供を育てるのも,同じような大きな喜びがあるとは,思うのですが,仕事ができるようにするとか問題解決能力を養わせるとか,そういう「高等」な部分についての教育に携われるのは,ある意味,「いいとこ取り」で,でも,小さな子供を躾けることより私の能力を発揮できるところではあるので,人を育てる的にも適材適所になってると思うのです.
今は,学生達が授業料を払ってる立場ですが,大学を(定年のときになるか定年前かはわからないが)辞めれば,(会社のようなものを作って)逆にこっちが給料を出して雇うということになると思います.相当のお金が必要というのは,そういうことです.
実際に会社として利益を出していくような仕事をする,ということも考えられますが,再三書いているように,そんなことをしていたらいい研究はできないので,それは度外視したいと思っていて,そうすると,多額のお金が必要になるわけです(本来的には,社会的にも非常に価値あることをしてるはずなのですが,逆にお金が必要というのは,やっぱり,資本主義社会のひずみを感じてしまいますが).
でも,これが実現すれば,今大学でやってる研究以外のお仕事は全くする必要がありませんし,それこそ夢のような話です.
問題は,そういうよくわからない会社(のようなところ)にどのくらい人が来てくれるかでしょうか.でも,今,私が研究室でやっていることは,学生達にとって,上で書いたように非常にメリットがあるもので(気づいている学生はどのくらいいるかわからないし,社会に出てから気づくことも多いみたいですけど),それを授業料を払うのではなく,給料までもらえるのなら(その実態さえわかれば),来るはずだとは思います.
もし誰も来なくても,逆求人はいくらでもありますから,条件さえよければ,人は来るでしょう.別に「地震動の性質と建物被害の関係を探求し,それを地震災害軽減に結びつける研究」が専門でなくても全然大丈夫です.そもそも研究テーマもこれに拘ってませんし,最大の目的は,最先端の研究を通して,成長してもらうこと,この研究テーマ以外にも通用する汎用的な能力を養ってもらうことです(今の研究室もそういう風に指導しています).学力的には,一通りの数学と物理とコンピュータができる理工系の大卒と同等の基礎学力があれば大丈夫ですが,現実的には,やはり,ポスドクあたりがターゲットになるでしょうか.
でも,必要となるのは,やはりお金です.私がやってる研究は,設備や研究費は,そんなにかからないですが,額がかかるのは人件費ですし,これ以外に事務所などの箱やランニングコストもかかるでしょうからね(年俸400万で5人雇って,都心に家賃50万のオフィスを借りてランニングコストも合わせると,年間3000万くらいは必要).多分,似たようなことを考える大学の先生は,いっぱいいると思うんですけど,実現できないのは,やっぱりここがネックなのかもしれません.
でも,何と言うか,こんな私にもちょっとした「夢」みたいなもの(は,再三書いているように必要はないんですが)ができました.ただし,必要なのは「先立つもの」で,それに向けて頑張ることは,別に夢に向かって頑張ることでも何でもないんですが,これはこれで楽しめそうですし,そんなことより,重要なのは,私が「ここに来たい」「この人に就いてみたい」と思われるだけのものをもっていることで,それには,やっぱり,研究していくことが重要なわけです.
でもまあ,夢ですから,実現するとは限りません.かなり多額のお金が必要で,定年というタイムリミットまでにその額に達しなければ(実際は,定年前から準備も必要でしょうし),絵に描いた餅に終わるでしょうし,そもそも,そうこうしているうちにその気がなくなるかもしれません(^^;.でも,そういうかなり具体的なイメージをもつだけで,「人生が終わった」わけでもないかな,とか,金も稼いだろかな,とも思えるわけで,やっぱり,夢をもつことは,大事ということなのでしょうか(ここのところに関しては,あんまり気分がよくない(^^;).
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こうして考えてみると,世の中,やっぱりお金なのかなあ,という気がしますか? 先日の筑波大バドミントン部の納会で,「お金が欲しい人」ってきいたら,OBOGも含めてほとんどの人が手を挙げていました.でも,お金が欲しいか?ときかれて,要らないという人はいないか.
再三,このサイトで書いているように,(私は)必要以上のお金は要りません.でも,お金がないとできないことはあるし,お金で解決できる問題もいくらでもあります(実際,自殺者の多くは,借金苦が原因ですから).
でも,確実に言えるのは,お金は手段でしかないということです.つまり,お金があっても,そのお金で何するの?ということです.金儲けしても何もすることがなくて,遊んで暮らしたり,豪邸や外車やブランド物なんか買ってもしょうがありません.
筑波大バドミントン部の納会で,「お金が欲しい人」ってきいたら,OBOGも含めてほとんどの人が手を挙げたのも,例えば,お金があったら,シャトルももっと使えるし,バイトなんかせずにその分トレーニングできるということでしょうし,研究費があったらもっと研究ができるということでしょう.
それはそうなんですが,いくらお金があっても,バドミントンが強くなるかどうかは自分次第ですし,研究だって同じです.お金で解決できる問題はいくらでもありますが,お金で解決できない問題の方が圧倒的に多いし,それこそが真に価値あることでしょう.
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夢?ですが,ざっと計算しただけでも年間3000万,20年続ければ6億の運営費がかかるわけですから普通に考えれば,荒唐無稽というか現実離れしてるかもしれませんね(だから夢なんでしょうけど).
子供を育てる場合はどうでしょうか.一般的には,一人3000万かかると言われていますが,当然のことながらこれに人件費は含まれていません.人件費は,なかなか算定が難しいですが,主婦(だけが子育てするわけじゃないけど)の家事労働を年収に換算すると1000万になるという説もありますが,まあ半掛けで,更に家事の半分を育児に費やすとすると年間250万,つまり,20年で5000万となり,二人育てれば1億で,上の3000万x2を足すと1.6億となります.二人いっぺんに育てることによる省力化(お下がりとか)を考えても1.2億くらいはかかることになります.でも,人間の生涯賃金は,3億と言われてますから,1.2億/2=6000万の投資で3億返ってくるのなら,社会的に見れば,やっぱり,産めよ育てよということでしょうか.
これと「夢?」を比較すると,一人頭にして,子供6000万くらいに対して,夢?は,1人2年で50人の人材を育てるとしても1人1200万かかるわけで,この中に「私」の人件費は入ってませんし,やっぱり,ちょっとお金がかかり過ぎですかね.それとも,子供の1/5の額で済むと考えるべき?
いずれにしても,莫大な額には違いないので,あまり,現実的には考えない方がよさそうです(それこそ夢?).少なくとも,このために汗水垂らして働いてお金を貯めるということまではやらないでしょうからね(だから,そんなにどうしてもやりたいってわけじゃない?).あるいは,定年時,あるいは,定年前のある時点での資産状況に応じて,できる範囲でできることをやればいいってことですかね.
そうすると,いきなりもう夢でもなんでもなくなるのですが,要は,今やっているようなことを続けて行くには,どうしたらいいかを考えて行くということでしょう.その中で,お金で解決できないことを中心に考えるのは,言うまでもないですが,お金で解決できるものは,お金で解決するということですかね.
ていうか,結局最後は,残りの人生がどれだけあるかはわからなけど,与えられた条件下で,できるだけのことをして,とにかく楽しく充実した人生を送っていくことを考えるということでしょう.
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昨日,今日とさすがに急ブレーキがかかって来ました.でも暴騰しているときは,高みの見物で何もすることがないですから,問題はここからということでしょうか.ただ,昨日,今日と証券セクタが大きく下げる一方で,建設株は,急伸していて,組み合わせというかポートフォリオとして(結果的に),なかなかうまくできてるような気もします.
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Mツコデラックスさんの勢いが止まりませんね.彼女(彼)がとても賢くて(ほどほどに)知的なのは,言うまでもないですが(時々ボロが出そうになるが,うまくごまかせているし,自分のテリトリーもよくわかってる),芸能界がどういうものか,要は,自分を晒し者にして恥をかくことを銭にする,という本質がよくわかっていて,それに徹してると思います.
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ドコモのXiが予想より速くなかったことに加えて,時々不安定になることがあって,きいてみたら,XiとFOMAが切りかわるところで一度通信が切れるそうです.Xiのエリアはそんなに広くないですから,これもマイナス要因です.
ということで,WiMAXのURoad-SS10(プロバイダはNifty)を発注して,今日届きました.箱を開けた瞬間めっちゃ小さい.で,このwifiは,強電波対応ということですが,確かに繋がります.室内で窓側ではなく机の上に置いても繋がることも多いです.使わないときは,手元でまめにオンオフできるので,これはでかいです.ただ机の上の場合,スピードは少し落ちるみたいですが,メールやブラウジングは何の問題もありません.
あとは,バッテリのもちですね.普通に使っても9時間行けるとのことですが,通信をしないと自動でウェイティング状態になって,20時間使えるそうです.更に,休止ボタンというのがあって,これを使えば250時間行けるとのことです.で,この休止ボタンですが,休止にしてもすぐ復帰するのでかなり使えます.これで,月1800円です.すげーぞSS10.
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年末年始練習がなくて,今日は,久しぶりの練習だったのですが,練習してないとやっぱり全然だめですね.とにかく体が動かないし,すぐ疲れるし,筋力もすぐ落ちて,体のあちこあちが痛くもなります(がたがた).歳なのか,単に練習不足ということなのか.でもとにかく,体は正直ということですね.
新生活の方は,身の回りのこととか全部自分でやらないといけないので大変なのですが,大分慣れてきたというか軌道に乗ってきて,楽しめるようになってきました.喪失感とか寂しさももう全然大丈夫です.ていうか,別に何かを失ったわけではないですからね.
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今日は,昨日の練習の疲れで,体中が痛いし,一日中疲労困憊というか体調悪悪でした.やっぱり,定期的に体を(かなりの強度で)動かす必要がありますね(バドミントンを続けて行くのなら).
夢?なんですが,逆に,今(まで)がいかに恵まれていたか思い知らされますね.莫大なコストがかかるどころか,研究以外のお仕事をすれば,給料までもらえるわけですからね.でも,今「まで」の話ですし,定年が来れば終わりです.でも,莫大な費用はかかりますが,「お金で解決できる問題」ということかもしれません.もちろん,もっと重要なのは,「お金で解決できない問題」,即ち,私が研究のレベルの高さを維持して,なおかつ,若い人を育てられるかなのは,言うまでもありません.
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非常に誤解を招く表現かもしれませんが,とりあえず,お金持ちになっとこうかなと思っています(後述するように,実際になれるかどうかは別問題).理由はいろいろあるのですが,やはり,定年で仕事をやめるといろいろお金がかかりそうだな,ということがあります.
夢?のようなことがしたければ,実際,お金がかかるわけですし,具体的に何をするにしても,遊んで暮らすにしても,仕事という最大の退屈しのぎを奪われるのと同時に,(年金以外の)キャッシュフローもなくなり,逆に,莫大な時間が生じ,体力も脳力も衰えていく中で,退屈しのぎをするのは,やはり大変だと思うのです.
もちろん,再三書いて来たように,必要以上のお金は要りませんから,お金持ちになってもしょうがないんですが,夢?のように,「お金で解決できない問題」は解決できるのに,「お金で解決できる問題」を解決できないために,「お金で解決できない問題」が解決できないのは,やっぱりちょっと悔しいですよね.
じゃあ,どうするかと言うと,別に何か勝算があるわけではありません.つまり,再三書いているように,たかが金儲けのために,汗水垂らして貴重な時間を無駄にすることはやりません.だから,「お金持ちになりたい」ではなく,「お金持ちになっとこうかな」という,ちょーいい加減な軽い表現になってるわけです.
なめるな,そんな軽い気持ちでお金持ちになんかなれるわけない,と言われれば,その通りですが,だったら,別にならなくてもいいわけです(お金持ちになること自体には,その程度の価値しか見出していないということ).まあ,宝くじを買って(もちろん,実際に宝くじを買うわけではない)当たったら儲け,くらいな感じでしょうか.
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朝ドラですが,大きく出ましたねー.見てない人に解説?すると,生きる希望を失って自殺しようとした人に対して,主人公が生きる希望とは何か教えてやる,と言った(ところで今日は終わった)ということです.次の番組のU働さんも,そんなものあるんだったら私が教えて欲しいって言ってました(^^;.
でもどうせ大した答えなんかないと思いますけどね(例えば,希望はあるものじゃなくてもつものとか?).だって,再三このサイトで書いているようにそんなものは,本質的にありませんからね.そういう本質的なところからスタートしよう,というのが私の考えです.そうすれば,全て薔薇色に見えてくるはずです.
だって,部屋に閉じこもって自殺しようとした人だって,宿泊費は払ってるようですから,雨露をしのぐ屋根はあるわけですし,三度の食事は,おいしいはずです(おいしくなければ病気なので治療する必要があるし,逆に言えば,治療すればいいということです).仕事だって何でもよければ見つからないはずはありません.退屈しのぎができる仕事があって(≒社会の役に立って),それで食べていけて,帰って雨露や寒さをしのげる家がある,それで充分と言えば充分じゃないですか.
今の日本は,元気を失って閉塞感に満ちていると言ったって,別にみんな普通にちゃんと暮らしてるじゃないですか.いやいや,困窮して大変ですか? ほんとですか? 携帯代いくら払ってますか? 携帯がないと生きて行けませんか? 元気があった高度成長期に戻りたいですか? その頃に携帯なんかありませんでしたよ.単にみんな贅沢になってるだけじゃないですか?
話を朝ドラに戻すと,退屈しのぎができる仕事があって(≒社会の役に立って),それで食べていけて,雨露や寒さをしのげる家がある,それで充分だと思うのですが,あとは,人との繋がりが欲しいといったところでしょう.でも,仕事をして社会と繋がっていれば,(自分の殻に閉じこもりさえしなければ)そういう何かは必ずあるはずです.
今は,少子化対策で,家族愛ばかりが強調されていますが,人との繋がりは,もっと幅広いものですし,家族愛ばかりに拘るとそれ以外の人との繋がりを排除してしまうことにもなるので(例えば,結婚してつき合いが悪くなったなーとか),注意が必要です(頑張って子供を育てたって,子供は独立していなくなるし,奥さんがいないと何もできない旦那が奥さんに先立たれたときの末路とか).
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これは,ずっと前から考えてるんですが,みんなが気軽に集まれる「たまり場」みたいのが提供できたらいいなあとは思っています.夢?がこんなにお金がかかるのなら,そっちの方が,断然実現性が高いでしょう.要は,立地的には,都心でみんなすぐに来られるところに,そういう場所があったらいいんじゃないかということです.
具体的には,お金があったら,私が都心に住んで,その一角をそういう場所として提供できたらということなんですが,問題は,私のプライバシーを確保することですね.ほんとに私が住んでいるところの一角で,毎日のように押しかけられたらそれこそ大変ですからね.でも逆に場所は作ったけど,誰も来てくれなかったら寂しいし(^^;.そこんところがうまくできたらいいじゃないかと思いますし,それがお金で解決できるのなら(お金があるのなら)お金で解決すればいいわけです.
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生きる希望ですが,まあ予想されたことですが,どうやら子供ということになりそうですね(少子化対策).
これも再三書いて来ましたが(例えば,人生50年),生物学的には,人間は子供を産んで育てるために生きているわけです.ですから,そういう本能に従うというのは,幸せに生きていくためにもっとも手っ取り早いんですが,これはとても危ういということも再三書いて来ました.そういう本能は,一人の人間ではなく,人類が存続繁栄するためにプログラムされたものなので,人類は幸せになってもその人は,不幸になることも多いからです(例えばこれ).
でも,それでも自分が犠牲になって人類が繁栄すれば,それで幸せ(そういう映画いっぱいありますよねー.これもそう)と思えるのならそれでもいいのでしょうし,それが本能とかプログラムなんでしょう.実際,子供のためなら自分の命も惜しくないと考える親は多いでしょうし(そうプログラムされてますから),それに乗っかるのもいいのかもしれません(少子化対策).
ただ,私には(少なくともこれまでは)どうしても乗っかることができませんでした.理由もいくつか書いてきましたが,直感的に何か(自分も子供もだめになるというような)恐怖のようなものを感じるんですよ.
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A倍政権が打ち出した経済対策ですが,A倍さん自身は,これまでのものとは全然違うと言っていますが,実際は,これまでのものと何の違いもありません.でも,財界は評価すると言っているし,要は,「そういうことにして」,人々の気持ちを変えて(騙して)景気をよくしようということでしょう.メディアがどれだけ乗っかるかですが,今のところ,乗っかってるような感じです.
そんなんでいいんですかねー.もちろん,いいわきゃありませんが,再三書いているようにもうやるしかないでしょうね.景気がよくなると思えば(人々はお金を使い)景気はよくなるということはありますからね.インフレになった場合も(値段が上がる前に買おうとするから)同じです.
つまり,経済ってそんなもんなんだと思います.物理的に言えば,人間心理の揺らぎというか「振動」で,(再三書いているように)周期的にもそろそろというタイミングではあります.問題は,個人個人がどう対処するかでリターンが大きく変わってくるということでしょうか.乗っかりますか.
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夢?なんですが,要は,これだけお金とか手間をかけてでもやりたいと思うか,なんでしょうね.そう考えると,なんだか面倒にもなってきます(やっぱり怠け者(^^;).
今(まで)の状況は,とても楽しかったしやり甲斐もありました.できれば,死ぬまで続けたい.でも,その状況を自分で作るとなると大変なわけで,やっぱり,今(まで)が恵まれ過ぎてたんだと思います.
でもまあ,どうなるかはわかりませんが,とにかく楽しく退屈しのぎはしないといけませんから,いろいろ考えては行きたいと思います.
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具体的には書けませんが,今いる組織が大変なことになっていて,思うのは,大学の先生と言ってもねー,ということでしょうか.大学教授のサラリーマン化については,既に書きましたが,どんどん「いい商売」ではなくなってきてるのは否めません.大学の数がこれだけ増えて,一方で子供の数は減って,学生の質は下がり,ほんとに「余計な仕事」はどんどん増えています.
前からずっと思ってるのですが,大学の教員の給料ってどうしてこんなに横並びなんでしょうか.大学と言ってもほんとピンきりなんですが,偏差値80の大学も30の大学も基本的に給料は変わりません.もちろん,偏差値が高ければ,それだけ優秀な学生が来るわけで,それは,給料を補って余りあるものなのですが,どんなにいい研究やいい教育をしても資本主義社会の枠組みの中での評価が同じでいいはずはありません.
私立大学は,多少は,経営努力的なものが反映されてるのかもしれませんが,国立大学だって,もっと自由にできるようにすべきではないでしょうか.というか,このままだとほんとじり貧で,どんどんしょぼいことになって行くのは間違いありません.
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生きる希望ですが,結論?としては,「大切な人を思い続ければ,生きる希望は必ず見つかる」でした.基本的には,だいたい予想通りですが,なかなかいい結論?だと思いました.やっぱり,このドラマ(主人公がうざすぎという話もありますが)ちょっと違う感じがします.
やっぱり,愛されるより愛するなんだと思います.愛されるのは,難しいし相手次第ですが,愛するのは勝手に愛せばいいわけですしね.親の子に対する愛もまさにそうでしょう.私が今やってることを続けて行きたい,自分のことよりは,次や次の次の世代を育てたいと思うのも勝手にそう思うだけの話で,でもそれで逆に私が助けられてる面も多々あるわけです.
でも,愛するだけで全く愛されないというのだと,ちょっとしんどいかもしれません.どんなに親が子を愛しても子が親に対して永遠に憎しみしか感じないのでは,辛いでしょうからね.子供が幼い間も,向こうからの反応もあまりなくて(それを補ってあまりあるかわいさはありますが)しんどいと思う人も多いようです.私が学生達に愛情を感じて何とか成長させようと思えるのも,私の研究室の門を叩いてくれたからであって,その辺をうろついている学生をひっつかまえてまでやろうとは思いませんからね.
でも,これも人類が繁栄するためのプログラム(本能)であることには違いはありません.ですから,基本的には乗っかるのですが,注意が必要ということです.
あと,「愛する大切な人」がいることは,とても大事なのですが,それは,危うい幸福であることにも注意が必要です.つまり,「愛する大切な人」をもつという幸福があれば,それを失う不幸もあるわけです.
実は,そういう可能性があることを思い知らされることが昨日あって,頭が真っ白になりました.先日感じた大きな喪失感のようなものも感じました.一応,普通に行動はしているのですが,何か全てが非現実的な感じで自分が何をしているのかわからずに行動しているような感じです.でも,不思議なのは,落ち込んでじっとしているのではなく,一応,普通に行動はしているということです.
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上のことと関係するかどうかわかりませんが,新生活が始まって,要は,身の回りのことを全部自分でするようになって,確かに大変なのですが,生活感というか,ちゃんと生活して生きていってるという実感があって,とてもいいです.
今週は,ゴミ置き場の掃除当番なのですが,昨日が燃えるゴミの日で,カラスが突っついて,ゴミが散乱してしまった(ネットをかけて重しとかはしてる)のを今朝片付けに行ったのですが,確かに面倒なのですが,小さいほうきがあったらもっと効率よく掃除できるから買っておこうとか思って,なんかこういうのって悪くないです.
身の回りの世話をしてくれる人がいたら,それはありがたいし楽なのですが,どこか不安というか,人生の大事な何かが欠落しているというか,そういう何とも言えない気持ち悪さがあるんですよ.身の回りの世話をしてくれる人がいなくなったら自分では何もできないのは情けないとか不安ということもあるのですが,もっと本質的なことかもしれません.
もちろん,世の中,社会的分業が進んでいて,何でもかんでも自分でできるわけではありませんが,それでも現代社会という枠組みの中で,自分でできることは自分でやるのが普通というか自然な感じがします.
山の中に籠もって,自給自足の生活をする人がいますが,そういう人達は,現代社会の人間関係に疲れたとかそういうことじゃなくて(そういうこともあるかもしれませんが),そういう本来?の人間の生活がしたいというもっと本質的なことなのかもしれません.
昨日,とてもショックを受けることがあって頭の中が真っ白になったのですが,今朝は,当番でゴミ置き場を掃除しに行かなくちゃいけない,最大の幸福を失う最大の不幸があったとしても,日常は流れていくし,その中で,生活して行かないといけない,でも,逆にそういうことで助かってる気もしました.
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「一生かかって悟りを開く」というフレーズが聞こえました.そうですね.それしかないと思います.そして,それは,多分,見果てぬ夢で,結局,最後までわからないんだと思います.あるいは,死ぬ間際にわかった「ような気がして」死ねれば最高でしょうか.
それには,何か特別な修行をする必要があるということではなく(もちろん,そういうことをしてもいいとは思いますが),とにかく何かに打ち込むことは必須でしょう.仕事でもいいと思いますが,それは,やはり,「悟りを開く」ための手段でしかないと思います.でも,「たった1つのこと」にも打ち込めなければ,悟りを開くことなんかできないでしょう.
だから,中心に据えるべきものは,仕事ではなく,やはり,人生や哲学,つまり,生きていくということで,生きて行くには,人との繋がりは,欠かせないわけで,そうやって,いろんな人と関わりながら,あまり遠くを見ずに足元を見て,でも時々遠くを見て,日々を過ごしていく,生活していくということなんだと思います.
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「ハーバード白熱教室」の理系版?(MIT白熱教室)というのをやってました.思うのは,このときと同じですね.話は長いし,講義は1時間なのですが,このくらいの内容なら自分で勉強すれば15分もあれば充分でしょう.
で,驚いたことに,講義内容は,力学なんですが,これって高校の物理じゃないですか(大学なのに).MITってこんな(低)レベルの講義をしてるんですか? 実験とか多少凝ってはいるのですが,このくらいのことなら,教育テレビの高校講座(あるいは,やってみなくちゃわからないと言ってるけど,実際はやってみなくてもわかる大科学実験)でやっています.
でも,大学に入る時点までは,日本の方が圧倒的に進んでいても,日本では大学で遊んで,アメリカでは,必死で勉強しますから,最初はこういう講義もやるってこと? それとも,放送されたのは,一般の講義ではなく,市民講座のようなもの?
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050plusの使い勝手ですが,全く問題ないですね.050同士なら通話料もかかりません.つまり,携帯やめてこれでOKってことです.なんでみんなもっと使わないのでしょうか.
でも,携帯を完全にやめちゃうっていうのも...ほんとにごくたまにですが,携帯に電話してくる人もいて(ほとんどの人には,携帯は不携帯なので,連絡はメールでしてと言ってるんですけどね).それも何年ぶりとかに電話してくる人もいます.それに,携帯番号は,もう20年くらい使っていて,090の番号に愛着がないこともないです.更に,先日ドコモの人がXiの端末を無償で貸してくれたりしてとてもよくしてくれたんで,やめるのもしのびない(やっぱり,こういうのってきくんですよねー).
ということで,月1000円くらいですし,携帯も一応キープすることにしようと思います(更新月は6月なので,それまでに事情が変わるかもしれないが).問題は,iPhoneにドコモのFOMAとbmobleのFair(あるいはIIJ)のどちらをさすかということです.これが結構悩ましい
まず,ドコモのFOMAをさせば,iPhoneは,携帯として普通に使えます.しかし,ネットに繋ぐには,wifiでWiMAXに繋がないといけません.スマホを使うたびにwifiの電源を入れるのはさすがに面倒なので,これを可能にするには,WiMAXの電源が入りっぱなしで1日もつことで,これは,研究室にいるときは,ACに繋ぐとかすれば何とか行けそうですが,問題は,WiMAXの電波が入らない場合です.ハイパワー対応のSS10ならだいたい入るのですが,これは,まだ検証が必要です.でも,例えば,山の中に行けば確実に入りません.PCをインターネットに繋ぐことは必須で,そういうときにiPhoneのSIMをFairに差し替えるのは,やっぱり面倒です.
では,Fairをさした場合はどうでしょうか.iPhoneは,スマホやWiMAXの電波が入らないときにwifi(テザリング)としては普通に使えます.でも,050plusだと電話はかけることはできますが,090の携帯にかかってくる電話を受けることができません.
そこで,090にかかってきた電話を050plusに転送することを思いつきました.なんと無料で設定できます.ただし,転送通話料(要は,電話がかかってきて転送している間,090の携帯から050plusに電話をかけていることになる)はかかりますが,そんなにかかってこないし,無料通話分で充分でしょう(むしろ,これまで無料通話分すらほとんど使ってなかったくらいですから).
iPhoneをスマホとして使う頻度と携帯として使う頻度を比較したら,圧倒的に(と言ってもこれもそんなに使うわけじゃないけど)スマホでしょうから,普通に考えれば,Fairをさすのが妥当とも言えます.ということで,しばらくこれでやってみようと思います.
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一人で生きて行けたら無敵だとは思うのですが,やっぱり,人との繋がりなのかなあと思っています.でも,仕事もそうですが,いろんな人とつき合うと,いろいろ面倒なこともありますよね.そういう中で,数は少なくてもほんとにわかり合える関係はとても重要です.
「大切な人を思い続ければ,生きる希望は必ず見つかる」のは,確かにそうで,まさに人との繋がりでしょう.ここで,ポイントとなるのは,こっちから勝手に思っちゃえばいい,別にいつもいっしょにいなくてもいいってことです.
私は,一日の大半を一人で過ごしていますが(基本的に一人が好きなので.でも,ほんとに独りぼっちは,だめで,「一人時々みんながいい」とは既に書きました),寂しさを感じることはほとんどありません(時々はあるけど).それは,こっちが勝手に「思ってる」からなんだと思います.
家族もそうですし,研究室の学生達もそれに近いかな.このサイトの文章を書いているときだって,公開するのですから,読んでもらう人のことを「思い」ながら書いています.「読んでるよ」と言ってくれる人のことを思いながら書くことも多いです.ですから,読んでくれる人には,ほんとにありがとうと言いたいです.
カウンタを見ると一日に100〜200アクセスくらいはあるようで,「数は少なくてもほんとにわかり合える関係」的には,このくらいがちょうどいいです(だから,わざとわかりにくいところに置いている).不特定多数に近い一日何万アクセスもあったら,怖くて気持ち悪いですし,こんなに好き勝手(^^;なことは書けないでしょう.
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長寿社会ということで,「100歳にきく」みたいな番組がよく流れてます.その中で誰かが「天才とか秀才とかおったがみんな死んでしもうて,生き残ったのはわしだけで,わしの勝ちや」というよなことを言ってました.どう思いますか?
私は,生かされるのなら生きて天寿を全うするべきとは思っていますが,頑張って長生きしたいとはあまり思ってません.若くして亡くなるのは,周りが(多分)悲しむので避けたいですが,周りが残念がってくれるのは,それはそれで羨ましい気すらします.
でも,言えるのは,先に死ぬと「死人に口なし」で,冒頭に書いたように,まさに生き残った人間の言いたい放題なわけですよね.人生,別に勝ち負けではないですが,勝ち負けがあるとすれば,「成功」することなんかじゃなくて,単に長生きするというのは,一つの考えかもしれません.
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新生活が始まっていろいろ大変というのはあると思うのですが,結局,この日から全く弾いていません.だから,何かが変わったと思ったけどやっぱり変わってない? でも,春祭ピアノソロ版も弾いてませんが,ベートーヴェンの32番(の第2楽章)も弾いてませんから,そういうことでもない?
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雪ですね.センター試験のこの時期,雪になることが多いですが,そうならなくてよかったです(今週末またどうなるかはわからないが).
今までこのサイトで書いてきたことに反するのですが,状況的には,どんどん「お金が必要」になってきました.一つは,仕事の状況です.
これまでは,やりたいことを仕事にして,それでご飯が食べられれば充分でしたし,いろいろ雑事をこなしながらも何とかやってこれました.でも,これからのことを考えると,そうも言ってられなくなってきました.
今の状況は「ぎりぎり」に近いです.何がぎりぎりかと言うと,「やりたくない仕事をしてストレスで体を壊す」と「体を壊すくらいなら最低限の生活でも仕事をやめる」の境界ラインです.仕事なんだから,ストレスが溜まるのは当たり前と怒られそうですが,私は,これまでずっと,ほとんどストレスなく仕事をしてきたので,そういうことに非常に弱く,免疫が全くありません(ほんと半人前で,すみません.若い頃なら,耐えられた,というか,そういうことはいくらでもありましたが,歳をとった今は,明らかに体に変調をきたすのがわかります).
つまり,「やりたくない仕事をしてストレスで体を壊す」のではなく,「体を壊すくらいなら最低限の生活でも仕事をやめる」となります.大学を辞めると私が一番大事にしている学生の研究指導はできなくなりますが,体を壊しては元も子もありません.でも,そうすると,必要になるのは(残念ながら)お金です.
最低限ぎりぎりの生活をするなら,もう辞めても退職金を見込めば,年金がもらえるまで,何とか食いつなげるような気もしますが,ぎりぎりの生活にどれだけ耐えられるかわかりませんし,それで体を壊しても元も子もないですし,これからインフレになるかもしれないという状況で,キャッシュフローがなくなり,年金をもらえるようになっても蓄えが全くないのでは,非常に厳しいでしょう.状況がどうなるかは,私一人の問題ではなく,家族も含めての話にもなります.
あとは,自分が体力的にも脳力的にもこれから衰えて行くだろうということがあります.これまでは,自分が成長しスキルアップすることで,収入も増えるということを想定できましたが,これからはそうは行きません.自分の能力が下がっていくのに収入を維持,あるいは,増やすというのは,普通に考えれば生やさしい話ではなく,年功序列のメカニズムについては,既に書きましたが,既得権にしがみつく人が多いのもそういうことが背景にあるのでしょう.あるいは,ストレスを感じるようなめんどくさい責任のある仕事をするということで,高い給料をもらってると見ることもできます.
でも,私は,それと引き替えに体を壊してまでやりたくない仕事をやりたいとは思いません.そういう意味では,大学の教員は,これまでは,選んで大正解でしたが,定年があることに加えて,偉くなってしまってからは,研究ができなくなることを予想できなかったのは,大失敗だったかもしれません.でも,これは,会社でも同じなんでしょう.
ただ,これから体力的にも脳力的に衰えて行くと言っても,これまでの蓄えや経験や,何よりアイデアを生み出すスキル(問題発見能力)はありますから,研究者として仕事をすることに関しては,若い人達に負ける気は全くしません.ですから,研究さえさせてくれれば,せめて学生の研究指導さえできれば,これからも成果を出し続けて行けると思います.
でもそれができるかできないかのぎりぎりのところまで来て,これ以上,事態が悪化して,そういうことができなくなれば,これまで積み上げてきたものは,一体何だったのかと虚しくなってしまいます.
何より,上で書いたように,体を壊しては元も子もありませんから,大学を辞めるとすると,最後は結局は,お金の問題ということになってしまいます.それも,ただお金があればいいということではなく,これも既に書きましたが,必要なのは,額は少なくてもキャッシュフローです.つまり,お金は「蓄え」では,だめなのです.インフレなどの経済状況によって,お金の価値が変動するからです.どうしましょうか?
一言で言えば,体力や脳力が衰えてもキャッシュフローが得られる「何か技能のようなもの」を確立しておく,ということになります.非常な難題ですが,トライするしかありません.お金持ちになっとこうかなとか悠長なことは,言ってられないような気がしてきました.
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国立大学間給与格差はないと書きました.でも,上の記事を書くために大学の退職金がいくらくらいか調べていたらこんな記事がありました.
上位20法人ふーん,最上位と最下位だと2割以上ですから,そこそこの差が(今は)あるんですねー.偏差値との相関関係もそれなりにあるようで,私が所属する大学もそれなりに上位に来ているようです.あとは,物価の関係で,地方にあるか中央にあるかもあるでしょうか.名工大,給料いいんだね>U村先生.
でも,この程度じゃ,五十歩百歩ですね.
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「やりたくない仕事をしてストレスで体を壊す」のなら「最低限の生活でも仕事をやめる」と書いたのですが,違いますね.仕事なんだから,やりたくなくてもやりますよ.でも,(再三書いているように)それが私にしかできないことなのか,私がすべきことなのかということです.
今やっている仕事を,単にやりたくないとかということではなく,大地震の発生が目前に迫っていて,やるべきことがあるという状況で,それができないことにものすごいストレスを感じるんだと思います.
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でも,じゃあどうしたらいいかと言うと,これがなかなか難しいです.
体を壊すくらいなら仕事をやめるという判断は(お金があれば),間違っていないと思いますが,仕事をやめたら,やるべきことができるとも限りません.つまり,体を壊すかどうか以外に,やるべきことができるかどうかの「境界ライン」がここにもあるということですね.
でも,少なくとも言えるのは,現状ではだめで,現状を打開すべく,何かをしないといけないということです.でも,それはそれで大変ながらも,何か新しいことにチャレンジすることでもあるので,今の閉塞感を打破するには,いいと思います.
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体罰という言葉が氾濫しています.人一人の命が失われないと問題にならないというのは,ほんとにどうしようもないと思うのですが,体罰って何ですか? 暴力ですよね.いついかなる場面においても,暴力は,絶対に許されません.
そもそも,どういう状況であっても,人に暴力をふるうというのが私には,全くわかりませんし,そんなこと考えたことすらありません.つまり,人に暴力をふるうという考え方自体,全く頭にないのです.
私は運動部出身で,そりゃー練習はきつかったですが,体罰が加えられるなんて場面には,一度も遭遇したことはありません.全国トップレベルの筑波大バドミントン部の練習にも出ていましたが,もちろん,練習は更にきつかったですが,そんな場面は一度も見たことがありません.
ですから,一部で体罰は必要とか容認するようなことを言う人がいるのに,正直,驚いています.一体,どうなってるんでしょうか?
確かに私が小さい頃,暴力をふるう教師はいました(体罰を加える,じゃなくて,暴力をふるうと書くと全然違うでしょ.でも,実際そうなんですよ).親からもあります.でも,だから,暴力をふるっていい,ふるうべきってなるわけありません.
していいとかいけないとか,そういう次元の話じゃなくて,暴力をふるうなんてことは,そもそも絶対にありえないことです.
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一昨日の雪ですが,つくばは大したことなかったんですが,東京は,大変なことになったみたいです.天気予報がはずれて不意打ちだったことも理由の1つとされていますが,突然の大雪で車は動けなくなり,道路は,放置された車で溢れたそうです.
誰かがこんな日に首都直下地震が起こったらどうなるんでしょう?と言っていました.そしたら,もうほんと終わりだね,確率は低いと思うけど,と応えていました.
そうです.確率は低いかもしれませんが,起こりうることなのです.それは,まさに東日本大震災もそうでした.何も学習してないんじゃないですか?
今,東京オリンピック招致のために必死こいて誘致活動を行っていますが,ちゃんと考えていますか? それまでに首都直下地震が起こったらどうなりますか? あるいは,確率は低いかもしれませんが,開催期間中に起こったらどうなりますか?
そんなことは,確率が低いから無視ですか? そんなことが起こらないように神頼みですか? 何も学習してないんじゃないですか?
いや,そんなことまで考えていたら何もできなくなるよ,と言う人もいるかもしれません.それなら,東日本大震災は,「そういう災害」だった,ということになります.
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よくニュースで,「円安が進んだため株価は値上がりし」と報道されています.円安になれば,日本の主要産業である製造業にとって,輸出による代金が増えるというメリットがありますが,円安なら株高という単純な話なわけありません.
日経のサイトに,最強の連動性ということで,韓国ウォン/日本円と日本株の非常に強い連動性についても記事がありました.2007年以降,何と相関係数0.98というまさにものすごい相関関係です.理由もいくつか説明されていました.
でも,だから何なの? ということでしょうね.この性質を利用して,一儲けしようとしても,一緒に動いてしまえば,どうしようもありません(それこそ,タッチの差ということになる.最近は,それをシステムのスピードで競ってるらしい).もし,相関関係を100%信じて,そこから乖離したときに,片方を売って片方を買うということをするなら,これって,まさに裁定取引で,だったら,もっと高い連動性が保証された,株価指数先物と現物の裁定取引を行う方が確実でしょう.
裁定取引というのは,(どこかで書いたかもしれませんが)要は,理論的に同じ値段なのに価格差が生じたときに,その差を稼ぐもので,例えば,スーパーAとスーパーBでキャベツがそれぞれ100円,110円(今は寒さでもっと高いけど(^^;)で売っていたとき,スーパーAで100円で買って,それをスーパーBにもっていって110円で売れば10円儲かる,ということです.でも,これを繰り返していると,スーパーAではキャベツが買われ,スーパーBではキャベツが売られるわけですから,スーパーAでは値段が上がり,スーパーBでは値段が下がり,そうやって裁定取引により価格差は埋まっていくわけです.
ただ,株価指数先物と現物の裁定取引は,莫大な資金(株価指数先物は,大した額はかからないが,日経225の現物を売買するのは,大変)がかかりますから,手頃に行える「裁定取引」ということでしょうか.でも,そもそも,株価指数先物と現物のように,連動性が100%保証されたものでもありませんし,資金面なら,商品先物のさや取り(限月間の裁定取引のようなもの)の方がより確実でしょう.商品先物には,実需がありますからね.
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今のままではだめだ,これからどうして行こうかと考えているのですが,何か変な感じです.何か新しいことにチャレンジしようと考えると,どこかでそれにブレーキをかけるような何かが働いているような気がするのです.
具体的には,もう充分よくやったじゃないか,これ以上頑張ると体を壊すぞ,だから,もう無理せず,ゆっくりした方がいい,というような声が自分の中から聞こえて来るような感じです.どういうことなんでしょうか?
考えられるのは,再三書いているように,生物学的には,人生50年ですから,DNAにそう書いてあるのかもしれません.だったら,それに従った方がいいのでしょうか?
でも,現状では,社会のシステムは,そうなってません.少なくとも,あと15年は,働かなくてはいけないことになっています.でも,私の親の世代は,55で定年でしたから,だいたいそうなっていました.長生きするようになったと言ってもここ50年くらいの話ですから,DNAというか本能的なものは,そうそう変わるはずもありません.実際,体は,50年の耐用年限を過ぎているのに,仕事で無理をすれば,病気になってしまうのは,大いにありえることで,実際,そういう人は少なからずいますし,中には亡くなってしまう場合もあります.
このサイトで,昇進して研究しなくなる人が多くて,そういう人に批判的なことを書いたり,一方では,自分もそういう立場になって,あまりに雑事が増えて,同情?したりもしていたのですが,DNA的なメカニズム?もあるのかも,という気もしてきました.どうしましょうかね?
1つ言えるのは,そうすべきだとしても,現状では,そうも行かないということでしょう.まずは,やっぱり,お金的に何とかなるかどうかでしょう.年金もらえるまで食いつなぐためのお金がなければ,否応なしに働かなくてはなりません.
もし,お金が何とかなったとしても,リタイアして生じる膨大な時間をどう退屈しのぎするかは,更に深刻です.仕事は,お金がもらえることに加えて,最大の退屈しのぎとは,再三書いて来ました.
でも,お金が何とかなるかどうかはともかく,退屈しのぎに関しては,何とかなるような気もしてきました.というのは,新生活が始まって,身の回りのことを全部自分でするようになったんですが,これをちゃんとやるとやっぱり大変なんですよ.つまり,身の回りのことをきっちりちゃんとやれば,相当の時間が「潰れ」ます.女性が長生きなのは,こういうこともあるんじゃないかと思った次第です.
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では,お金と退屈しのぎが何とかなったとして,どうなんでしょうか?
もし,私があと5年くらいして仕事を辞めたら,一体どうしたんだ?みたいに,多くの人が驚くんでしょうね.でも,普通の人よりたかが10年早いだけの話です(宋文洲さんは,40ちょっとでリタイアした).つまり,五十歩百歩というか,単に時間の問題なわけです.ですから,これ自体は,大した問題でもありませんし,ふつーーのことが嫌いな私にしてみれば,してやったり?的なところもあります.
でも,私個人的には,何の問題もないとしても,気になるのは,自分はよくても周りはどうなのか?ということです.
今いる大学や学生達に対しては,迷惑がかからないようにちゃんと後片付けや引継をすれば,大丈夫でしょう.少なくとも,今いる,あるいは,これから来たいと言ってくれてる学生達を一人残らず社会に送り出すまでは,絶対に放り出すことはありません.
社会に対してはどうですかね? 自分が社会に対してできること,おそらく自分にしかできないことがあるのに,その使命を果たさないのは,無責任かもしれません.そういうことがあること,「そこまで来られた」ことは,ある意味,幸せなことだと思います.
でも,これも再三書いているように,そういうことは,自分からしゃしゃり出ることではなくて,社会から要請があれば応える,というものでしょう(私はそういう考えです).ですから,そういうことがなければ,本能に従って?リタイアをしてもいいのでしょうし,そういうことがあるのなら,本能に逆らって,命を削ってでもやるべしということでしょう.
どっちがいいのかは,正直わかりません.でも,運命というか自然の流れには,従うしかありません.つまり,どっちでもいいというか,どっちもありということです.
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最近,書く量が増えてる気がします.もちろん,暇なわけはなくていろいろ大変なのですが,そういうときこそ,ここで書いてバランスをとらないともたないということがあります.
それに,やっぱり,ここのところ,いろいろ考えることがあって,ただ,頭の中で考えるとぐるぐるしてくるので,書きながら考える,というのはあります.書きながら整理されることも多いですし,考えたことの「記録」も残ります.
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(あらためて)お金って何でしょうね.この世の中は,社会的分業が進んでいて,なおかつ,資本主義社会ですから,(必要最低限の)お金がなければ生きて行けません.いや,正確には,何らかの形で社会に対して役割を果たすことでお金をもらい,そのお金で生活していくということです.つまり,お金≒(資本主義)社会に対する貢献ということなのでしょうか.
でも,そーーでもないような場合もあります.例えば,何とかファンドみたいな「何も産み出さない」でお金だけを産む?ことに対して批判的なことを何度か書いてきました.これ以外にもいろいろあるでしょう.競馬とかパチンコで生計を立てるとかひもとか.
でも,広い視野?で考えると,株式市場や商品先物市場があるのは,資金を市井からから調達するとか将来に対する商品価格のヘッジをするとかいう役割があるわけで,そういう中で何とかファンドが相場を張るのは,市場を活性化させるというか,市場として存在させるのに役割を果たしていることになります.もしこれらの市場がなければ,経済は全く回らなくなってしまうでしょう.
競馬やパチンコで生計を立てる場合も,競馬とかパチンコという娯楽に生き甲斐とまでは行かなくても,仕事で溜まったストレスを発散している(逆に溜めていたりして)人もいるでしょうから,そういう人達を助けている競馬やパチンコを成り立たせているとも言えます.ひもだって,お金をもらう代わりに「何か」をもらう人に対してしているんだと思います.
スポーツ選手が社会に対して何をしているのか,というのも突き詰めれば同じことだし,実際,東日本大震災が起こったとき,そのことで多くの選手が悩んだと思いますし(でも悩んだのは,とてもまともなことだと思います),自分がプレーするというより,見ている人を元気にできるプレーをしたいと言う選手が多いのもそういうことでしょう.研究者だって,すぐに社会に役立つことばかりやってるわけじゃないし,そもそも再三書いているように,すぐに役に立つことをやるべきでもないし,同じことです.
ですから,少なくとも合法的なものなら,何も産み出さないように見える手段でお金を得るとしても,何らかの形で社会に何かをしていると考えていいのかもしれません.もちろん,いくら合法的でも,法の隙間をつくようなことはやるべきではありませんし,お金を得ているのであれば,それが何らかの形で社会と繋がっていて貢献もしていることになってるとは言え,得るお金の額が貢献度に比例していないのは,明らかでしょう.
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阪神・淡路大震災から18年が経ちました.もう18年も経ったのかと思うと,ちょっと信じられません.つい先日のことのように,歩道橋の上から見た三宮の惨状が目に浮かびます.
一昨年,東日本大震災が起こり,阪神・淡路大震災も記憶を風化させることなく,語り継ぐことが大事,と報道されています.それはそうなのですが,語り継ぐだけではだめです.対策をしなければ,同じ惨状が繰り返されます.そして,阪神・淡路大震災も東日本大震災も充分な対策はされていません.
東日本大震災については,揺れたら,津波警報が出たらとにかく高台へ避難,では,実際に津波が来るのは,10回に1回ですから,人々は,そのうち避難しなくなります.再三,ここで書いているように,10回に1回に備えて,残りの9回の無駄足を踏む,という意識,10回に1回という定量的で正しい情報を伝えることが不可欠でしょう.
阪神・淡路大震災について言えば,やはり,既存不適格建物の耐震補強です.耐震化率80%という数字は,とても「低い」ことを認識すべきです.首都直下地震が起こり,これも10回に1回の確率で1-2秒の成分が卓越して20%の建物が全壊したら3万人以上の方が亡くなります.つまり,10回中9回のケースである東日本大震災で,揺れによる被害が少なかったからと安心してると津波と同じことになるのです.
しかし,耐震補強は,なかなか進まないのが現状で,明日来るかもしれない大地震に対処するには,まずとにかく,地震直後にどこでどのくらい被害が生じているかを迅速かつ正確に把握するシステムの開発が急務でしょう.テレビで,阪神・淡路大震災が起こった前年に産まれた高校生が,地震防災に役立ちたいから消防士を目指していると言っていました.いいことだと思うのですが,地震が起こったとき,どこに救助に行ったらいいかわからないのでは,どうしようもありません.倒壊した建物の下敷きになった人は119番なんかできませんし,現地の自治体でも,どこに倒壊した建物があるのかしばらくわからない状況でした.
下敷きになって生きられるのは,72時間がリミットと言われています.地震は夜中や荒天の日に起こるかもしれません.人工衛星やヘリコプターで広大な土地を上から俯瞰しても被害分布の正確な把握は,非常に難しいと思います.
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自殺者の数が何年かぶりに3万人を切ったと報道されてました(でも,自殺者の多い都道府県は,東京,大阪で,低いのは,鳥取,島根というような報道はひどいです.数が母数に大きく依存するのは,当たり前です.でも,多分,率を出すとしゃれにならないという配慮?かもしれません.率でダントツなのは,秋田で,次いで青森,岩手です.理由は,日照率が低いため欝になる人が多いと言われています.つまり,引きこもってないで,外に出て太陽の光を浴びるのが大事ということです).
これまで詳しくは,調べていなかったのですが,原因で一番多いのは,健康問題で,年代で多いのは,60代だそうです.そして,女性より男性の方が圧倒的に多いです.ショックですねー.
欝病も病気ですから,健康問題の中に含まれるのですが,占める割合は半分くらいです.つまり,身体の病気が苦で自殺する60代の男性がとても多いということです.
体の具合が悪いのは,ほんとに辛いですよね.このサイトでも書いたことがありますが,ひどい頭痛が永遠に続くのならおそらく耐えられないと思います.頭痛でそうですから,もっとひどい病気になったら...
病気になる原因のダントツは,ストレスです.つまり,やりたくない,他にやるべきことがあると思うような仕事をしてストレスを溜めると病気になるということです.
人生50年.やりたくない,他にやるべきことがあると思うような仕事をするくらいなら,そろそろペースダウンして,ソフトランディングの準備をした方がいいのかもしれません.
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050plusですが,ほとんど問題なく使っています(と言っても携帯そのものをそんなに使わないのでそんなに使ってないけど).携帯の電話帳もあっさり移行できました(SDカードに*.VCFのファイルを書き出してメールの添付ファイルでiPhoneに送信して添付ファイルを開くだけ).
それで,050plusには,留守番電話機能が付いていてこれが使えると思っていました.何が使えるかと言うと,留守番電話が起動すると,メールしてくれるのです.しかも,メッセージをwavファイルで添付してくれます.メールを連絡の主体としている私としては,これは使えると思っていました.でも...留守番電話機能が起動するのは,
・電波の届かないところにいる時
・電源が入っていない時
・アプリが起動していない時
・「050 plus」や端末で話し中の時
なのです.つまり,普通に待ち受けで電話に出られないときは,留守電は,立ち上がらないのです.何じゃそらー.
しょうがないので,しばらくは「050plusを起動しない」で対処しようと思います.つまり「常に留守電」ということです.でも,メッセージを残してくれれば,きくことができますし,メッセージが残ってなくても番号が非通知でなければ,番号もメールされます.メールは,電話があった次の瞬間には,届きます.
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と思ったのですが,これもちょっと面倒です.普通に待ち受けで電話に出られないときは,留守電は,立ち上がらないのですが,履歴は残るので,誰から電話があったかは(iPhoneが電話帳を参照して表示してくれるので),すぐわかります.
でも,留守電のメールだと,番号しかわからないので,その番号が誰かを調べる必要があります.というのは,留守電が起動してメールが来るとiPhoneの050plusには履歴が残らないのです.
一応,電話帳ファイルから(Fortranでちょちょっとプログラム書いて)リストは作ったのですが,いちいちリストを参照するのもやっぱり面倒ですね.しょうがないので,やっぱり,待ち受けにしておいて,出られるときは出る,出られないときは,履歴を見て折り返す,ってやるしかないでしょうか.こういう使い勝手ってちゃんと考えて開発してるんですかね?
あー,PCではなくiPhoneメールの中の「折り返し電話をかける場合」のところのURLをタッチすると050plusを立ち上げよ,となって,キーパッドが出てくるようになってるんですね.うーん,やっぱりちょっと面倒だなー.
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1995年兵庫県南部地震から18年ということで,大地震が起こったとき,サバイブするには,というような番組が放送されていました.このことについては,このサイトでも何度か書いてきました.
1つは,車が使えるということ,具体的には,車は,都市部では移動手段としては使い物にならなくなるが,「発電機」なので,インバーターを使えば,電化製品が使え,冷暖房完備の簡易住宅にもなるということ(ただし,エコノミークラス症候群に注意),そして,お米は,究極の保存食である,ということです.
それで,あらためてちょっと考えたのですが,お米って炊かないといけません(当たり前).でも,炊飯器は,500Wくらいですから,一般に売ってるシガーに接続するインバーターだとアウトですね(ヒューズが飛ぶ,東日本大震災の被害調査の時,学生がヒューズを飛ばして,途方に暮れたことがある.そのときは,まだ早朝で,ディーラーは空いておらず,ガソリンスタンドに行って,ヒューズが飛んでることは確かめてもらったが,ヒューズがなかった.JAFを呼んだら,補助のヒューズを見つけてくれて,事なきを得た.さすがJAF!).
それで,ちょっと調べてみたんですが,1000Wを越えるようなインバーターもあるようです(エスティマ・ハイブリッドには,1500Wのコンセントが付いてるらしい).値段も数万円なので大したことありません.でも,これってバッテリ直結で,てことは,ボンネット開けて繋ぐってことですよね?(ようわからん).ということは,車を炊飯器のところに持ってくるか,炊飯器を車まで持って行かないといけません.ていうか,接続は慎重に,とかあるし,いざというとき,ちゃんと稼働しなければ意味ないし,そもそもなんかめんどうそうです.
それで,どうせなら,簡単な発電機を買っておいたらどうかと考えました.例えば,ホンダのEU16iなら10万ちょっとで,1000Wくらいまで行けるようです.燃料は,ガソリンですが,車で半分を切ったら満タンにするみたいな感じで,「備蓄」しておけばいいでしょう.発電機の燃料タンクは3.6リットルで,500Wなら5時間くらいは,使えそうですから,1回炊くのに30分として10回,ガソリンが40リットル入っているのなら,100回ちょっと,つまり,1ヶ月くらいは,ご飯が炊飯器で炊けることになります.
ここで,1ヶ月に必要なお米ですが,一合が150gで,私の場合,これで一日はもつので,5kgあれば,一ヶ月はもつことになります.水は一合180mlなので,1ヶ月分で6リットルで,お米,水とも充分に備蓄可能(常にこれだけキープしておいて,少しずつ使っては,補給していく)な量です.ちなみにお米は,冷蔵庫で保存するのが基本です(そういう意味でも5kgがいいところ).
地震で電気・ガス・水道などのライフラインが止まり,救援物資が届くのに3日と言われていましたが,東日本大震災では,もっと時間がかかったところもありましたし,首都直下や南海トラフだと事態はもっと深刻でしょうから,もっと長い時間サバイブできるようにしておく必要があるでしょう.でも,5kgのお米と6リットルの水は,常時キープできる量としていいところでしょうから,とりあえず1ヶ月を目安とすることにしました.
話を発電機に戻すと,1ヶ月ご飯を炊くのに10万円の発電機と40リットルのガソリンが必要ということになります(あと,発電機は,屋外で使用ってなってて,これも車にインバーター繋ぐのといっしょでもちょっとめんどうですよね).もちろん,一度にまとめて炊けばもっと少なくて済みますが,お米は,炊くと保存が利かなくなるので,そんなまとめては炊けませんし(冷凍して電子レンジで解凍するのにも電気が必要),そもそも米と水の備蓄が1ヶ月分しかありませんから,「単価」は,ほとんど下がりません.
でも,単純に考えて,5kgのお米を炊くのにそんなガソリンが必要なの?って思いますよね.つまり,「電気」って,やっぱり「高級」なエネルギーなんですよ.これもどこかで書きましたが,燃料燃やしてお湯沸かしてタービン回して発電した電気でお湯沸かすってなんなのよってことです.つまり,ご飯を炊く≒お湯を沸かすのなら燃料を直接燃やした方が高効率なのは,明らかです.
もちろん,飯ごうでもご飯は炊けますが,くべる薪とかがそんなにあるわけじゃないし,ガソリンなら車の中に50リットル備蓄できますが,もっと他の何かがあるんじゃないかと思いますよね.
で,実は,カセットコンロとカセットボンベをいざというときのために買い置きしています.1995年兵庫県南部地震のときからですから,もう18年になります.カセットボンベは,半永久的に使えるので,多分,今でも大丈夫だと思います(でも,時々使って動くのを確かめてボンベも買い換えた方がいいか).
それで,発電するのとカセットボンベとどっちが経済的か計算してみます.カセットボンベは,1本100円くらいで買えるようですし,60分使えるということで,ということは,50円で鍋でご飯を1回炊けるということです.一度に一合炊いて一日分とすると,1ヶ月50x30=1500円でOKということになります.カセットガスコンロは,既にもっていますが,買っても2〜3000円でしょう.
上の発電機と比較するとガソリン40リットルだとリッター120円(今は140円くらい)としても4800円ですから1/3ですね.しかも,発電機は,初期投資が10万以上だし.ただ,電気は電気で必要なので(例えば,PCとか通信機器とか),これはこれであった方がいいような気もしますが,PCとか通信機器ならシガー経由の数百Wのインバーターで使えますから,やっぱり,ガソリンをできるだけ満タン近くにしておく,ということでしょうか.
ということで,車のガソリンが半分を切ったら満タンにしておくことと,お米5kg,ミネラルウォーター6リットル,カセットボンベを15本(+カセットコンロ)(x人数分)を常備しておくというのが,一応の答え?でしょうか.こういうのは,「できること」であることが重要で,そういう意味では,このくらいなら何とかできそうですよね.あとは,水,特に飲料水は,とても貴重なので,川の水を飲料水にできるような浄水器もあった方がいいかもしれません(近くに川があることも重要?).
あとは,「化石燃料」は燃やせばなくなるので,ソーラーパネルの併用も考えた方がいいかもしれません.でも,これもちょっと調べてみて,10〜20万くらいでそこそこのシステムがあるようですが,これもいろいろあってちょっとめんどうそうです.
あとは,これは,私の特殊事情ですが,地震が起こったら現地に調査に行くのですが,被災地で食料が調達できないこともあるので,食料をもって行くのですが(東日本大震災はそうだった),日持ちのするものしかもって行けないので,米と水とカセットコンロ+ボンベ,浄水器をもっていくというのは,(いざというときのため)ありですね.
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さっき,定食屋さんのテレビでやっててちらっと見ただけですが,男か女か選べる島があるというのをやっていました.生き方を自由に選べるのがいい,というようなことを言っていたのですが...別に男か女か選ばなくてもいいじゃないですか.男とか女とかいう前に人間,それでいいじゃないですか.
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とか書くと(女とか男とか言う前に一人の人間,というところは,禿同していただける方も多いと思いますが),お前の「性」はどうなってるんだ?と言われる人もいるかもしれません.
これも既に書いたのですが,私に「性」の意識というのは,あまりありません.少なくとも「俺は男だ」とは全然思ってません.でも,女だと思ってるわけでもない.つまり,「性」の意識がないんです.
じゃあ,女性に性欲は感じないかというとそんなことはなくて,かわいくて綺麗な女の人がいたらいいなーと思いますし,性欲も感じます.でも,(自分が男だと思っていないのだから)男だから,じゃあないんですよねー(多分).
じゃあ,女の人から私を見るとどう見えるかですが,おそらく「男性的な魅力」はないんだと思います.でも,女性的ってわけでもないし,中性的ってわけでもない.
だから,結局,よくわかんないんですよ.でもまあこれも別にわかんなくてもいいけど.
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昨日の続きなんですが,細かい話ですが,お米は炊くとき洗わないといけないので,そのときにも水が要りますね.そういうことを考えると普段から無洗米を使っておくというのは考えられます.値段はそんなに高くないです.あるいは,洗った水を浄水器で再利用するか(被災時の水はそれほどに貴重).
あとは,お米だけだとさすがにしんどいでしょうから(でも,被災して食料がない状況なら何でも食べるでしょうし,そんな状況で,炊きたてのご飯なんか最高のご馳走だと思いますけどね),「ご飯の友」も必要ですね(だんだん話が細かくなってきた).でも,これは,保存が効くものに限ったとしても,ふりかけとかいくらでもあります.
更に,お米(白米)だと栄養のバランスが偏りますから,(普段から)玄米にしておくといいでしょう.お米が完全食品と言われるのは,もちろん,玄米の話です.玄米の無洗米というのもちゃんとあるようで,値段もそんなに高くないです.私は,普段から玄米ですが,おいしいですよ.むしろ,白米だと物足りない感じです.でも,これはどうしてかわからないんですが,家で白米を食べると物足りないんですが,外食のときは,白米で全然大丈夫で,充分おいしいです.
いずれにしても,蛋白質とビタミン・ミネラルは,必須ですから,サプリメントは,保存も効くし,こういうときこそ威力を発揮するでしょう.私はもうそんなに使ってないのですが,運動をするときだけ,アミノ酸のタブレットとビタミン・ミネラルのサプリメントを使っているので,それを普段少しストックしておく感じで充分でしょう.
野菜ジュースは,保存も効くし,貴重な水分も補給できるので,ミネラルウォーターと同様,これもある程度,ストックしておくといいと思います.もちろん,熱処理してあるので,ビタミンCなどは,減っていますが,主たる野菜ジュースである,人参系,トマト系の主たる栄養素であるベータカロテンやリコピンは,元の野菜とそんなに変わりません.
どんどん,細かい話になってきた感じはするのですが,こういうのって保険みたいなもので,普段から無理せずしっかりできる範囲で,ちゃんと備えておくと安心だし,そういうことをちゃんとすることが,「ちゃんと生きていく」という上で,とても重要な気がします.
これは,普段から身の回りのことを自分でやるということも同じで,要は,生活し生きていく上で,その根幹というか重要な部分を人任せにしたり,嫌なことや怖いことに蓋をするのではなく,しっかり,対処しておくということで,今,書きながら思ったのですが,このサイトで何度も書いている,死ということについて単に逃げるのではなく,向き合って対処するということとも同じなんだと思います.要は,「ちゃんと生きていく」ってことですかね.
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昨日,今日とセンター試験監督の「補助員」でした.補助員というのは,今までは英語のリスニングのときに導入されたのですが,何でも去年,問題の配付のトラブルがあったそうで,今年から,社会と理科のときにも導入されました.でも,社会と理科は,両日の朝一で,英語のリスニングは,一日目の夕方なので,二日中,一日半は拘束されます.
確かに社会と理科は,一科目選択と二科目選択の二通りあるとか,試験がどんどん複雑化しているのは,わかるのですが,100人くらいの会場に10人も教員の動員が必要なのでしょうか? ニュースでもやってたみたいで,おそらく大学入試センターのお達しだとは思うのですが,とにかくどんどん人を動員して労度を増やせばいいという考えはやめてもらいたいです.
もちろん,センター試験でのトラブルは,避けなければなりませんが,トラブルが起こるのを監督者のせいにして人海戦術で解決するのではなく,システム設計の問題という意識はあるのでしょうか? つまり,重要な入試であるからこそ,トラブルやミスが生じないような仕組みにすべきで,要は,「段取り八分」ということです.
試験監督中は,このサイトでも何度か書きましたが,内職などもってのほかで,基本的に何もすることができません(頭の中でいろんなことを考えてそれをメモする程度).私は,「早く時間が過ぎて欲しいと思う時間」は,ほとんどないのですが,入試試験監督中は,数少ない「早く時間が過ぎて欲しいと思」います.
で,思ったんですが,この「早く時間が過ぎて欲しいと思う時間」がどれだけあるかで,その人が普段どれだけ時間を有効に使っているか無駄にしているかがわかるような気がします.私は,入試監督中以外は,スキーのリフト待ち(は,平日ならほとんどないが)とリフトに乗っている時間(は,休息も兼ねているのである程度は必要)くらいでしょうか.評判とか他人の評価には興味がないので,行列に並ぶこともほとんどありません.あとは,自分で車を運転して移動しているときくらいですかね(電車ならノートPCがあれば全然大丈夫).
他の人はどうなんでしょうか? とにかく時間が過ぎれば,それで時給で給料がもらえるような仕事だと「早く時間が過ぎて欲しいと思う」かもしれませんね.でも,それだと,お金だけのために,生活していくだけのために働いていることになるので,やはり,あまり有効な時間の使い方とは,言えないでしょう.
私の仕事は,幸いそういう仕事ではないのですが,いろんな会議とか委員会とか,そういう仕事がどんどん増えてきて,一体何やってんだか感が増しているのは,再三,書いている通りです.
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試験監督してると,何もすることがなく,当然いろいろ考えるので,ここで書くこともいろいろ出てきます(それなりに有効な時間の使い方?).
今日は,老後について,あらためて考えていました.そもそも,老後って何でしょうか? 定年で仕事をやめて死ぬまでのこと?
でも何か変ですよね.そもそも,定年なんてものは,現在の(歪んだ)人口ピラミッド,即ち,人間社会の都合で勝手に決められたものです.昔は,定年が55でしたが,それは,平均65くらいで死んでた時代の話で,要は,仕事を辞めて年金もらうとすると,それから10年くらいで死んでもらわないと財政的に成り立たないということです.今は,定年65とすると75くらいで死んでもらわないといけなくて,平均年齢がそれより長生きなので,財政的に厳しくなってることもあるのでしょう.
人生50年と何度も書いてきましたが,栄養状態や医学などの進歩で急激に体だけが長生きになって,脳が対処できていないことは,既に書きましたし,それは,体の部分部分でもそうでしょう.がんなどの細胞異常も,人間が本来の耐用年限を越えて生きるようになって顕在化したものです.
ですから,「老後」の定義?は,仕事をリタイアしたとかそういう社会的なことではなく,50を過ぎたらもう老後なんだと思います.そうすると,幸か不幸かは別にして,(体が)長生きするようになったことも相まって,本来では考えられないほどとてもとても長い長い老後を過ごすことになるわけです.
これだけ老後が長いと,とにかくがむしゃらに働いて,燃え尽きて,残り10年くらいの老後を+αで過ごす,という具合には行きません.つまり,老後を充実して楽しく気分よく生きていくことがとても重要ということです.
何より重要なのは,健康でしょう.しかし,これが実はとても難しいと思います.だって,50年の耐用年限が過ぎてるわけですからね.実際,50過ぎてどこも何ともない人なんてほとんどいないでしょうし,若いときに仕事をし過ぎて,病気になって障害をかかえてしまった人も少なくないです.30年,40年という,「50年という老後前」に匹敵するとても長い老後をそういう状態で過ごすのは,辛いし苦しいと思います.ですから,「老後前」に気をとられすぎて老後が疎かにならないようにしないといけないのではないかと思い始めているわけです.心臓病なら,ポックリ行くからいいなんて脳天気なことを言う人もいますが,死に損なうと大きな障害が残ってしまいます.
上で書いたように,老後とは本来50過ぎのことだとすれば,巷で老後と言われている仕事をリタイアするしないは,関係ありません.つまり,(お金があれば)もういつリタイアしてもいいということです.言い方を変えれば(何度も書いていますが),若い人は,50を1つのゴールとして,それまでにしっかり結果を出すつもりで頑張って欲しいと思います.時間は思ったよりありませんよ.そして,50になったとき,やることはやったと思えて,老後に対する充分な準備ができていれば,ほんとにリタイアしてもいいでしょう.
で,私なんですが,もう老後なんですが(^^;,仕事をリタイアするかしないかは,関係ないのですから,もちろん,リタイアしないということもありです.でも,何度も書いていますが,私にしかできないことでなければ,やる意味はもうあまり感じませんし,そういう状態で仕事をすることがストレスがかかり,それこそ病気になって老後に障害を残すようなことになってしまうでしょう.逆に言えば,意気に感じる私にしかできない仕事なら,ストレスなど感じず,まだまだいくらでも働けると思います(多分).
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昨日,家のことをしながら何となくついていた番組で,「漂流する老人達」というのをやっていました.なんとなく聞き流していたのですが,その内容は,衝撃的なものでした.
「漂流する老人達」というのは,どういうことかというと,体が不自由になって要介護になってしまったけど,入れる施設がないので,一時的な施設を転転としている,ということです.ときいて,そりゃあ,そんな人もいるでしょ.ちゃんと働いて年金収めてないからそんなことになるんだよ,と思われるかもしれません.
でも,その人は,ちゃんと年金に加入していて,自宅もあって,しかも,80まで現役で職人として働いていたと言うのです.ショックじゃないですか?
まず,年金に関しては,基本的な国民健康保険だと月7万円くらいもらえるのですが,自宅があれば,これで充分生活して行けるでしょう.でも,その人は,仕事をやめた後,妻に先立たれ,自宅で倒れているところを発見され,要介護者になってしまったとのことです.そうすると,介護が受けられる特養に入る必要があるのですが,月7万円でも入れるところは,今は空きがないと言うのです.
結果として,彼は自宅を失い,それでも足りない分を生活保護という形で特養に入ったということです.自宅を売ったのなら,どうして生活保護を受ける必要があったのかなど,なんとなく聞き流していたので,詳しい経緯はわからなかったのですが,私がショックを受けたというか,はっとしたのは,老後に備えて,貯金しておくとか,自宅を購入しておくとかいうことではなく,やはり,重要なのは「健康」ということです.
何を今更当たり前のことをと思われるかもしれませんが,例えば,老後に備えてしっかり貯蓄をしておくために,体に負担をかけて働いて病気になってしまったら元も子もないってことです.みなさん,思い当たる節はありませんか? 仕事でストレスを溜めてそれが食事やお酒に行ってませんか? いくらお金があっても,要介護になって,介護費用に消えてしまうのでは,何のために働いているのかってなりますよね.
あと,私が一番ショックだったのは,この人が80まで現役バリバリで働いていたということです.再三書いているように,私は,まだまだ働けるのに定年でクビになることがとてもとても不満で,大学の教員というやりたいことを仕事にできたのは,大正解だったけど,定年がある職業を選んだのは,大失敗だったと書きました.でも,この人は,80まで働いたんですよね.それでも,仕事をやめるとこうなってしまった.
もちろん,死ぬ前の日まで働ければ,文句なしですが,そんな職業そうそうないでしょう.つまり,定年があってもなくても,65まで働くのか,80まで働くのかという単なる時間の問題なわけです.だとすると,いくらやり甲斐があったとしても,働いて体に負担をかけるより,老前の仕事中心モードから,老後は,まさにクルージングするようにモードを切り換えることが必要なのかもという気がしてきました.とてもとても長い長い老後になるのなら尚更です.
ここで,思い出されるのが,上野千鶴子さんが「おひとりさまの老後」で言っていたことです.リンクに飛ぶのがめんどくさい人のために再掲すると(でもクリックするだけなんですけどね)
「モデル退職者」ともいうべき幸せなポスト定年ライフを送っている男性退職者だちを,関西の大企業の依頼で調査したことがあるが,彼らに共通しているのは,40代から早めに助走をはじめて,定年後にソフトランディングしていることだった.うらがえせば,人生半ばにして会社とは距離を置いて仕事と半身でつきあい,地域活動や趣味に「もうひとりの自分」を見いだしてきたのである.その結果として,あるいはそれが原因かもしれないが,彼らは職場でたいして出世していないこともわかった. |
というところです.当時はふーんという感じだったのですが,まだ3年も経ってないのですが,今読むとはっとさせられます.私はそもそも出世なんてものには興味がないですが(でも結果的に一番上まで来てしまったが),いくら会社で出世しても,会社時代と同じくらい長く続くかもしれない人生の後半が悲惨なものになってしまったら元も子もなくないですか?
もちろん,気分よく老後を過ごすには,出世とかの結果はともかく,老前やるだけのことはやったという満足感は必要でしょう.そういう意味では,私はもうそれなりに満足しているし(もちろん,対象が研究なので,ほんとに満足ということはありえない.でも,逆に言うと,永遠にゴールすることはないので,どこかで後進を育てて譲ることの方が重要),出世に関してももう一番上まで来てしまったし(何とか長とかいうのは,行政上のとりまとめ役でめんどくさい仕事が増えるだけでみんなやりたがらない),リタイアするかどうかはともかく,条件は整ってきた感じはします.
整ってないとしたら,やっぱりお金ですかねー.単なるお金なら,支出を切り詰めればもう何とかなるところまでは来ていると思いますが,再三書いているように,いくら蓄えがあってもだめで,重要なのは,少額でも確実に得られるキャッシュフローです.そして,それが得られるのがやっぱり仕事なんですよねー.体が動きさえすれば,どんなに歳をとっても仕事はできるので,やはり重要なのは健康で,そのためには,老前仕事をし過ぎて体を壊さないことも必要なわけで,要は,マラソンを走るとして完走するには,前半飛ばしすぎないという当たり前のことなんですが,マラソンなら途中でリタイアできますが,人生はそうは行きません(体が不自由になって歩けなくなっても,リタイア(自殺)しない限りは,ゴールを目指さないといけない)
ほんと,給料は今の半分でいいから仕事も半分ってわけには行きませんかねー.50を過ぎたらもう「老後」なんですから,社会のシステムも50をピークに,徐々に仕事と給料を減らして行けば,若い人達の雇用も増えるしいいんじゃないかと思いますけどねー.
でも,社会は急には変わらないでしょうから,自分で何とかするしかないのでしょう.具体的なものも考えていますが,少なくとも,上野さんが言うように40代から早めに助走を始めることは,やはり必須だと思います.
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じゃあ,給料半分で仕事も半分で,残った時間何するかというと,私の場合は,やっぱり,研究とそれを通して後進を育てることでしょう.これ(やりたいこと,やるべきと思うこと)ができたら,いくら仕事してもストレスなんか溜まりませんし,体も全然大丈夫です(多分).だから,この研究者,そして,教育者としての仕事をもっとさせてくれたら(定年までは)それでいいんですよ.でも,給料半分でいいんですが,研究,そして,後進を育てることって,資本主義社会の中で,そんなに評価に値しないことなんでしょうか? 地震直後に正確かつ迅速にどこでどのくらい被害が生じているか,下敷きになって助けを求めている人がどこにいるかを把握するシステムを作ることって,一銭の価値もなく,大学の業務の合間に片手間にやるようなことなんでしょうか?
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最近,悩みや不満や考えることが全開(^^;で,書く量が増えてるけど,暇なわけはなくていろいろ大変なのだが,そういうときこそ,ここで書いてバランスをとらないともたないと書きましたが,やっぱり,ここでこれだけの量の文章書いてる暇があったら,雑務的な仕事ちゃっちゃとやれよ,と思われてるでしょう.でも...
私って(自分で言うのも何だが)驚異的に筆が速いんですよ.例えば,上の記事は,読み返すと相当の量ですが,移動中の電車の中で書いて,30〜40分くらいしかかかってないと思います.もちろん,考えながら書くときは,もう少し時間がかかりますが,いつもだいたいこのくらいのペースです.
なんでそんな速いかはわかりませんが,1つは考えたら即座に文章にできて(だから文章自体は相当荒削り),あとは,キーボード入力の速さでしょうか(しゃべるくらいのスピードで打てる).でもやっぱり,「書かずにおれない」ということが一番大きいですかね(雑務的仕事はそれが全くないのが最大の問題).
ですから,ここで大量の文章を書いてるから,暇だとは思わないでくださいね(^^;.むしろ逆ですから.
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最近,特に昇進してから,雑務の急増ぶりに辟易していると書いてきました.でもいろんな他大学の先生達と話をすると,これは,今いる大学に限った話ではありません.教授になったらもう研究なんかできないよ,と言われたこともあります.でもだからそれでいいということにはならないし,明らかに社会的分業的に適材適所になってないことが多すぎます.
でも,現状をすぐに変えることは難しいでしょうし,変えようとするとそれこそミイラ取りがミイラになってしまうでしょうから,現状で何とか対処するか,どうしてもだめなら,少しでも環境がいいところに異動する,あるいは,最終手段としては少し早めにリタイアするという考え方もあると書いてきました.
ここでは,そういう日本の大学が抱えている大きな問題点(ほんと大問題ですよ.このままでは,日本の研究レベルは,どんどん世界の最先端から取り残されます)は置いておいて,個人的事情というか,今いる大学というか組織がどうかについて書いておこうと思います(もちろん,内部のことをあんまり踏み込んでは書けませんが).
私が今いる大学は,いわゆる帝大系の大学で,いろんなランキングはありますが偏差値的には,帝大系の中位くらいで,どう低く見積もっても全国ベスト10には入るでしょう.実際,ここに来る前は,全国No.1と言われる大学にいたので,学生の質についてちょっと心配していたのですが,学生達は,充分優秀と言えるものでした.
ですから,こういう言い方はどうかと思いますがいわゆる不良学生対策は,他の多くの大学ほどしなくていいんだと思います(それでも最近かなり増えてきたが).でも,この大学って,とってもとっても学生の面倒見がいいんですよ.前任地とはほんとに対照的で,なんでこんなことまで教員がするのか?と思うほどです.
ですから,学生として,この大学に入るのなら,メリットが大きいと思います(でも,面倒見がよすぎるのが将来的に学生にとっていいことばかりではないと感じています.私の研究室に来た学生については,そこをとても気を使って指導しています).偏差値が高い大学は,教員の研究レベルも高く,ということは,教員はみんな研究したいので,学生の面倒見は,どちらかと言うと二の次ということは否めないのですが,この大学は,研究レベルと学生の面倒見の両方を兼ね備えている非常に貴重な存在だと思います.
でも,これは,裏を返すと,教員は,とてもとてもしんどいです.そして,ここに来たのは,10年前ですが,そのときよりその傾向は加速しているような気がします(もちろん,少子化に伴う学校間競争という全体の傾向もあるとは思いますが).
あとは,創立当初,文部省(当時は)が作った実験校的要素が強いので,他の大学にないいろんなことがかなり大変です.その1つに3学期制があったのですが,来年から2学期制にすると言うので,今年度は,カリキュラム再編に忙殺されました.
それで,ここから先は,更に私の個人事情的な話になるのですが,しんどいしんどいと言っても,私だけじゃなくみんなそうなら(ここにいるのなら)分相応に労度を負担するのは当然です(でもそれでOKとは行かないのは,冒頭で書いた通り).ただ,昇進すると同時に,就職委員長とかカリキュラム関係とか労度が集中した感は否めず,これは,タイミング的にたまたまなのなら,単にそういう時期だったということでしょう.
でも,たまたまでないとするのなら,著しい不公平感を感じます.ここ数年は,たまたまだったかもしれませんが,問題はこれからですね(文章がまた長くなってきたが,長く書くと読む人が減るという一種のフィルタ効果もある?).
これもこの大学の特殊性なのですが,組織が他の大学と違うので,何とか長というのも違います.一番上が大学(学長)なのは,同じですが,その下が4年生以下なら学群>学類>主専攻,大学院なら,研究科>専攻,更に教員が所属するのは,系>学域.となっています(ほんとややこしい).4年生以下の組織だと,大きさから言うと学群は,学部より大きいし,学類は,学科より大きい,つまり,学群>(学部)>学類>(学科)>主専攻となっています.となると,何とか長が回ってくる頻度も他の大学と変わってきます.
他の大学のいろんな話をきくと,学科長は,教授になれば,必ず回ってくるみたいで,これは,「分相応に労度を負担すべきこと」なので,やらなければいけないことでしょう.これに対応するのは,今いる組織では,主専攻主任で,これは,既に私のところにも回ってきたので今やっています(でもこれで2学期制対応で忙殺されるはめになった).
ところが,その上の学類長となると,やるのは,3人に1人くらいですかね.あるいは,もっと少ないかも.つまり,「選ばれた限られた」人がやるわけです.具体的には,研究業績もあって仕事ができる人,あるいは,大学行政に長けた人などが選挙で選ばれます.でも,最終的には選挙なんですが,実際は,紳士協定的に「話が来る」ような感じです.これにみんな戦々恐々としているわけです.
もちろん,なるのは,数人に一人ですから,こいつには,任せられないと判断されれば,回ってくることはありません.でも,回ってくれば,大変な仕事なので,それこそ研究どころではなくなるでしょう.
今いる組織は,一研究室一教員だったのですが,それだと他大学と戦っていけないということで,講座制のようなものを復活させることが行われてきました.具体的には,教授になった人の中から,講師や助教をとれる(実際は公募なので,その人が欲しいと思う分野で公募が出せる)ということで,最近の人事はされていて,そういうことが認められるのは,限られた教員です(でも,中には3人目を獲得した教員や,「認められた」というわけでもないのに結果的に2人目を獲得した教員もいて,もちろん,ルール違反ではないのですが,非常な不公平感は感じています).
そして,何とか長とかいう「話」が来るのもそういう一部の教授のところで,実際,何とか長になると大変なので,研究室の運営を任せられる准教授以下の教員がいる教授に話が来るというのは,理にかなっています.一方,私は,まだ下っ端なので,未だに助教もおらず,ずっと教員一人で研究室を運営しています(もうほんとそれだけで大変).そんな私に,今以上の労度が求められるような不公平なことはないと信じています.
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お金なんですが,お金が欲しいとかお金持ちになりたいとか,よく考えると何か変ですよね.だって,お金は単なる紙切れに過ぎず,必要なものに交換して初めて効力を発揮するわけで,お金という形の間は,いつ効力を失ってもおかしくありません.何度も同じことを書きますが,お金というのは,資本主義経済社会の中での「約束」の上に成立しているものですから,とても不安定なものなのです.
貯金ではなくキャッシュフローが重要と再三書いているのも,お金という単なる紙切れではなく,いろんなものに交換できる「何か」をもっていることが重要ということです.ですから,そういう「何か」をもっていないのに,何かの拍子にお金持ちになったら,さっさと「もの」に変えるというのが基本的には正解でしょう.財産をお金という形,即ち,貯金しておくというのは,とても危ないことで,将来が不安だから貯金しておくというのは,おかしな話なわけです.
逆に,お金という形で財産をもつことにリスクがあるということは,リターンもある(ことがある)ということです.でも今はデフレなので,たまたま時間とともにお金の価値が上がっているというリターンがあるのですが,インフレになれば,あっという間に逆転します.投資もハイリスクハイリターンということでは,同じことで,つまり,貯金は,投資ほどではないですが,そういう性格をもっているということです.
もちろん,お金がほんとに紙切れになるのは,経済が破綻するときですから,そんなことまで考えてられないよ,と言われるかもしれません.でも,そこまで行かなくても,政府は,2%のインフレターゲットをやると言っていますが,そんなにうまく行くわけありませんから,やはり,しっかり対処しておかないと大きな財産を失うことになりかねません.
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最近,お気づきかと思いますが,お金とか金儲けに関する記述が多くなっています.これまでそんなこと気にも留めなかったのですが,ここで書いているいろんな状況からそういうことを考えるようになってきました.
このサイトで,単なる金儲けにずっと批判的なことを書いてきました.基本的にその考え方は変わりません.これも再三書いて来たように,お金って必要以上にあってもしょうがないものです.でもこれは,裏を返せば,今の社会的分業が高度に進んだ(進みすぎた)現代社会において,自給自足の生活でもしない限りは,必要なお金は必要ということです.平たく言えば,必要最低限の生活をするためのお金ですね.
これを得るためにみんな仕事をするわけで,事情によってそれができない人は,生活保護という形で国が保証してくれます.更に(後述しますが),研究するのに研究費が必要といった具合に,必要最低限の生活をする以上のお金が必要になることもあります.でも,社会への貢献度とお金という形での報酬が比例していないのが,資本主義社会の問題点ということを再三書いて来ました.つまり,いくら合法でも,社会に大して貢献もしておらず,右にあるものを左に動かすだけで,莫大な金儲けをすることをよしとしないということです.
でも,最近,この辺のところを少し考え直し始めました.どんなことでもお金が得られるのなら,多少なりとも社会に貢献していることになっているのではないかというのもその1つです.でも,どうもすっきりしません.
そこで,金儲けするしないの問題ではなく,儲けた金をどうするかの問題ではないかと考えました.再三書いているように,今の歪んだ資本主義社会においては,社会への貢献度と得られる報酬は明らかに比例していません.
何とかファンドが究極のゼロサムの世界の中でボロ儲けすることを筆頭に,ゲームメーカーやパチンコメーカーなどが(多少の余興を提供していることは否定しませんが)利用者を中毒に陥らせてまで金をむしりとったり(パチンコメーカーの「遊びは文化である」という全くの議論のすりかえをしたCMを見るたびに辟易します),アメリカで銃乱射事件が起こるたびに,使用する側の問題という主張を繰り返す全米ライフル協会とか,もっと踏み込んで言えば,国民を総アルコール中毒にして,社会を危うくさえしているビールメーカーとか枚挙にいとまありません.
でも,彼らは,別に違法なことをしているわけではありませんし,巨万と富を得ているということは,現行の資本主義社会の中で,むしろ非常に「評価」を受けているということです.でも,問題は,上で書いたようにその儲けた金をどうしているかでしょう.儲けた金で豪邸や高級車を買ったり,儲けた金を種にまた金儲けをしているのなら,やはり,評価に値しないと私は思います.でも,今の歪んだ資本主義社会の中では評価されないが,知性をもった人間がやるべきこととして評価に値することに儲けたお金を使うとしたら,どうでしょうか?
例えば,大地震が起こったとき,構造物の下敷きになっている人がどこにいるかを瞬時に判定し,失われるかもしれない命を一人でも多く救出することに資するシステムを開発をすること,すぐに役には立たないかもしれないが,宇宙の起源や究極の物理の探究を行うこと,スポーツや芸術の世界で,自分の技術,表現力や哲学を磨き続けること,人生や世の中のことについて考えて行くこと,困った人達のためにボランティア活動を行うこと,これらは,いずれも今の歪んだ資本主義社会の中では評価されません(お金はもらえません)が,知性をもった人間がやるべきこととして評価に値することだと私は思います.
つまり,金儲けをしても儲けたお金を,こういう本来評価を受けるべき真に価値あることをやるために使うのであれば,正当化されるのではないかと思うわけです.実際,私が大学の教員をしているのは,講義や様々な大学の業務を行うことで,生活に必要なお金を稼いで(多少の)金儲けをし,それを研究に使っていると見なすこともできます.
あるいは,仮に,相場の世界で相場を張り,そこで金儲けをしたとしても,真に価値あることをするのにお金が必要で,そのお金を真に価値あることに使うのなら,金儲けが正当化されるだけではなく,金儲けをして遊んで暮らそうとしているようなしょーもない連中と合法的に戦って,彼らから金を巻き上げて,真に価値あることに使うのなら,大いに評価に値するのかも,とも思うわけです.
でも,注意すべきは,やはり,研究したいから研究費を稼がないといけなくて,研究費を稼いでいたら,研究することではなく,研究費を稼ぐことが仕事になったみたいなことなってしまうことでしょう.つまり,金儲けに労力をかけてはいけないということになるわけですが,そこを智恵で解決するのも知性をもった人間のとるべき行動の1つかもしれません.
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そうそう,もう1週間くらい経ちますが,来年度の第1回卒研配属調査が終わりました.今回は,無事,定員3名のところに3人来てくれることになりました.去年は不調だったので(でも理由はこういうことだったらしい),めでたしめでたしですね.
ただ,この学生は来るかなと思った学生が来なかったり,まあ,いろいろあるんでしょうが,私は基本的に「(来るものは拒まず)去る者は追わず」ですから,来てくれる学生に対して,私ができる最大限のことをするまでです.
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と書いたのですが,何か違うというか,やっぱりどうもすっきりしません.というか「正直」じゃない気がします(まあ,ここで正直に書く必要もないんですが).
私って,やっぱりそんなに真面目じゃないし,鼠小僧のように世の中の不届き者から金を巻き上げて,困った人達に配るみたいな正義の味方でもないし(でも,これは,おそらく誤った伝説で,そもそも窃盗は,法や道徳に反する),そういうことをしたいとも思ってません.つまり,再三書いているように,基本的に自分勝手な人間なのです.
でも,私が何か世の中の役に立つのなら,できることはしたいと思っています.でも,基本的に怠け者なんで,やっぱりめんどくさい(^^;し,地震防災とか,人を育てることも,とても大事なことなんですが,世の中を変えるために自分からしゃしゃり出てまでやろうとは思っていません(昔は,そういうことをしたこともありましたが,現状を変えたくない人達のものすごい抵抗にあって,ただただ疲弊したのがトラウマになっているのかも).もし,自分が動くとすれば「何か」が起こったときだと思いますが,ということは,「何も起こらなければ」何もしないことになるのでしょう.
ですから,正直,というよりは,自分はこうだから,こうするとかこうしたい,というような一貫性というか論理構築(のようなもの)を試みたけど,できなかった,というのが「正直」なところでしょうか.というか,そもそも,自分がどういう人間かすらわからないのですからね(自分勝手とか怠け者とか一応書いているが,実はそれもよくわからない).
つまり,結局,その場その場で,状況や自然の流れを見て,自分の頭で考えて,どうするか決めていくということなんですが,「何か」が起こったときは,おそらく直感的に(あまり考えずに)決めるんだと思います.
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急ブレーキがかかった株価ですが,明らかに一息つきました.つまり,買い方優勢でずっと上げてきて,ここに来てようやく買い方と売り方の力が均衡し,ここからまた仕切り直しということです.そもそも,政権が変わっても別に何か新しいことをやってるわけではなく,化けの皮が剥がれ出したということでしょう.
ここから上に行くか下に行くかは,まだわかりませんが,一息ついたので,ここから更に上に行くには,今のままではだめで,またそれ相応のエネルギーが必要でしょう.
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とは書きましたが,少なくとも遊んで暮らすのではなく,研究や芸術やスポーツなど,お金にならないけど知性をもった人間がやる価値があることをやるため,あるいは,そういうことに打ち込む人を支えるために必要なお金を稼ぐ,というのは,やはりありだと思います.
でもまあ,そもそも正当化する必要もないですし,基本的には,他の人に迷惑をかけなければ,何をどうしようが自由なわけですし,好きにしたらいいんだと思います(^^;.
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どうも最近何か変です.例えば,講義をしたり,人前でしゃべったりしていても,何か自分がしゃべってないような妙な非現実感があります.普段もそうです.新生活が始まって,ちゃんと生活していると実感があり,活動度も高い一方で,やっぱり何か自分が自分でないような気がするし,何か変なことを言ったり,このサイトで書いたりしているような感じがします.
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あとは,感覚的な違和感として,「脳力」がピークアウトしたような気もします.今までだったらできたアクロバティックな頭脳作業や手作業が今までのようにはできなくなってきたと感じますし,少なくとも単純なミスは確実に増えています(でも私は,若い頃は,とても単純ミスが多く,試験もそれでよく失敗していた).
もちろん,脳力はピークアウトしたとしても,これまでの経験や知識の蓄積はありますし,そもそも,この歳まで脳力が伸びてきていたというのが普通じゃないような気もしますが,40代のときに経験した著しい体力の衰えを50代で脳力でまた経験してしまうのか,相当不安になってきました.だって,脳力で飯を食ってるようなもんですからね.
少なくとも,体力と同様に,脳力についても,衰えて行くことを素直に認め受け入れた上で,それにしっかり対処することが必要な気がしてきました.
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と書いたのですが,また上へ動き出しました.どうなんでしょうか? 去年の3月も似たようなことありましたからねー.
でも,一度止まって動き出すとまた大きく動くことはあります.少なくとも,乗り遅れた人が乗っかるのにはいいタイミングかもしれません(もちろん責任はもちません).
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なんか,県の職員や教職員の退職金が年度末に引き下げられるということで,年度末を前に早期退職することが問題になってるみたいですね.特に,学校の先生がそういうことをするのはけしからんとか,それもわかるとか言ってるみたいですけど,そんな問題じゃないでしょう.
そもそも大バカなのは,こんな制度を作った政治サイドで,そんなことすれば,こうなることがわかってなかったとしたら,想像力がなさすぎて,ほんとどうしようもありません.一番の犠牲者は子供達ですが,学校側は,臨時雇いで対応するが,途中で担任の先生が変わってしまうのは問題とか言ってます.だったら,辞める先生をそのまま(安い給料で年度末まで)再雇用すればいいだけの話じゃないですか.そうすれば,子供達から見れば,何の変わりもありません.何でそんな智恵もないのでしょうか.
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いろいろ考えているのですが,世の中の役に立たなければいけないとか,若い人を育てないといけないとか,充実した楽しい人生を送らないといけないとか考えすぎで,もっと自分勝手に考えればいいのかもしれませんね.あれ?私って自分勝手な人間だったはずなんですけど...
自分が自分勝手だと思っているから,怠け者だと思っているから,それではいけないと考え過ぎてしまうってことでしょうか? いずれにしても,何度も同じことを書きますが,世の中の問題のほとんどは,大した問題ではありませんから,極言すれば,全ての問題は大した問題ではありませんから,もっと自由に好き勝手に考えればいいんだと思います.
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結果より結果に至る過程が大事って言いますよね.一方では,いやいや結果が全てだ,って言う人もいます.どう思いますか?
例えば,あなたが有名になりたかったら,お金持ちになりたかったら,偉くなりたかったら,ノーベル賞をもらいたかったら,オリンピックで金メダルを獲りたかったら,好きな人から好きと言われたかったら,幸せになりたかったら,これらを全て手に入れたらどうですか?
例えば,これら望むものを全て手に入れて,つまり,100%満足の行く結果が得られて,何て幸せな人生だったんだろうと思って死ぬ瞬間に今から瞬間移動したらどうですか? 満足ですか?
そんなのちょーつまんないですよね.つまり,成功しようがしまいが,結果に至る過程が全て,つまり,人生そのものであって,いきなり結果だけ手に入れても何の意味もないわけです.
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朝ドラなんですが,もう既にあんまり見てない(^^;んですが,思ったことがあります.純の二人のお兄さんってどう思いますか? ほんとどうしようもない奴らですよね.
でも,考えてみたら,上のお兄さんは,速水もこみちさんが演じてるんですよね.速水もこみちさんと言えば,間違いなく格好いいでしょう.でも,この兄が格好いいとは全く思いません.下の兄も俳優さんの名前は知りませんが美形です.でも,こいつもどうしようもない.だから,そう言えばよく見ると美形だが,これまで美形だなと思ったことは全然ありませんでした.
つまり,やっぱり見かけより中身なんだなあと(当たり前のことを)思った次第です.だって,速水もこみちさんは,素敵♪と思っても,純の兄や弟のことを素敵♪とは思わないでしょう? つまり,中身が違うと外見まで全然違って見えるってことです.
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2020年東京オリンピック招致に賛成する人がついに70%を越えたそうです.ロンドンオリンピックのときの「メダル数という新?指標」といい,みんな簡単に騙される(洗脳される)んですねー.やっぱり,危ない国民だなーと思います.でもこれなら,またバブルもあっさり作れそうですね.つけが返ってくるのは,もちろん,国民自身です.
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A倍さんの所信表明演説を(ちょっとだけ)きいて思ったんですが,大したことは言ってないんですが(でも,最後に国民に向けて,未来を切り開いていくのは,私たち自身だ,と言ったのはその通りですよ),リーダーに必要なものって何だろう,と考えました.
リーダーなので,難しい舵取りや将来を見抜く力,バランス感覚とか調整能力とか,桁外れのものすごい力が必要ということになりそうなんですが,ほんとはそういうんじゃなくて,単なる御輿でよくて,格好良くて威勢がよくて,口先だけではったりをかますみたいな単純でわかりやすい方が人気も支持率も上がって国民も付いてくるんでしょう.
思い起こせば,K泉さんもそうでした.人気も支持率もあって長期政権にもなったし,ちょっとしたバブルも起こりました.でも,その後,どうなったかは...だから,ほんとはそんなんじゃ全然だめなんですが,国民は,そういう人を望むってことなんでしょうね.ですから,やっぱり,目先の自分達のことしか考えてないってことですかね.
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東大が大学教員を目指す大学院生を対象に教え方を教える授業をやるそうです.背景には,大学が増えて大衆化が進んだことで,学力の低い学生にも対処できるようにということらしいです.どう思いますか?
こんなことするから,自分の頭で考えない人間がどんどん増えてしまうとはどうして考えないのでしょうか? 世の中を見ていると,わからないことがあったら,誰かに教えてもらう,上手くなりたかったら誰かに指導してもらうというような,自分の頭で考えようとしない人達があまりに多いです.
何度も同じことを書いている気がしますが,勉強も練習も,自分で獲得しに行くから楽しいし面白し身につくものであって,誰かにお膳立てしてもらって習うのでは,つまらないし身につかないし身についてもすぐ忘れます.
私は大学で教えていますが,教員免許なんかもってないし,教え方を誰かに習ったわけではありません.でも,教える内容が決まっていて,学生のレベルを把握したら,どうやるのがいいかを自分で考えて創意工夫するのが楽しいし,そうすることがいい授業にも繋がると思っています(もっと本音を言えば,授業なんかやらずに,学生自ら知識や技術を獲得しに行かせるような授業以外の形態の方がもっといい).現状では,大学の教員に教員免許は不要ですが,この流れだと大学の教員にも免許が必要となりそうで,ほんとにどんどん生きにくく,日本人総ロボット化みたいなしょぼすぎる社会になっていくでしょう.
研究室の学生達にも,とにかくいきなり最先端のテーマを与えて,必要な勉強が何かから考えさせます.でも,4年生,あるいは,他大学から大学院に入ってきた学生だとそれまで「お膳立てして教えてもらう」指導を受けてきているので,最初は,みんなパニックになります(でも最初からちゃんと自分で考えてできる学生もいる).でも,半年くらい経つと,みんなちゃんと自分で考えてできるようになりますよ.そして,そういう人間になって社会に出て行ったら,周りより圧倒的に仕事ができる人間になっているのは,間違いないでしょう.
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最近何か変と書きました.要は,脳力がピークを過ぎて衰え始めたことを感じていて,単純ミスも増えているということです.でも単純ミスは,若い頃からありますし,むしろ,若い頃の方がそういうことが多くて,試験もそれで失敗していますが,そのときとは,明らかに何かが違います.若い頃は,注意力が足りないというような,頭の使い方の問題だったんですが,今は,頭自体が働かなくなって,時々フリーズするような感じです.
自分がミスをして,自分が損をするのは,しょうがないと思うのですが,問題は,他人や周りに迷惑をかけてしまうことでしょう.例えば,組織の長になって,そういうミスをしたらどうなるでしょうか? ミスをしたら責任をとって辞めればいいなんて問題ではないでしょう.
迷惑をかける相手が教員(同僚)ならまだしも(ってことはもちろんないですが),将来ある学生だったどうでしょうか? 例えば,退学しないで済むような方策があったのに,それに気づかず学生を退学させてしまったりしたら...
将来ある学生の人生を変えてしまったかもしれないということ自体悔やんでも悔やみ切れないですし,そういうことに私自身が耐えられないと思います.思い返せば,就職委員長をしていたとき,もうそれはそれは大変な仕事だったのですが,就職ですから,学生達にとっては,それこそ人生を左右する大問題で,とにかく,学生達にとって,最良の結果が得られるように必死でした.
そして,何かの間違いや不測の事態が起こらないかという恐怖は,相当なものだったと思います.実際,危うい場面は何度もありました(ほとんどは,暴走した学生の始末ですが).
なんで,歳をとって脳力が衰えて行く人が組織の長になるという仕組みになっているのでしょうか? 生い先短いから責任をとらせやすいってこと? でも,上で書いたようにその人が責任とって辞めればいいって問題ではありません.
本来的には,人間の耐用年限は50年なのに,50を過ぎても働かないといけない.いろんな「事情」からそれは仕方ないとは思うのですが,そういう人が若い人達の人生を左右する組織の長に立つという仕組みはまずいんじゃないでしょうか.
これは,私の感触ですが,脳力が衰えた年寄りの組織の長が間違いを犯すということは,既にいろんな組織で,ものすごい量起こっているんだと思います.でも,責任とって辞めるのは,まだましな方で,ほとんどは誤魔化され隠蔽されて若い人達が犠牲になってるんだと思います.
歳をとって偉くなって,人の上に立って気分がよくなって,人を動かしてばりばり仕事をしようとする人は結構いるんですが,若い人達から見て,一体この人は,何をしてるんだ?というようなことは,よくあります.要は,裸の王様なんですが,そういうのも結局自分の脳力の衰えに気づいてないんですよね(気づいているのにやっていたら,それこそとんでもないこと).
何度も書いていますが,全ての人間関係に上下関係はあるべきではないし,分をわきまえ,自分の衰えを素直に認めて,分相応の仕事をすること(分相応の仕事しかしないこと),責任をもつこと(もたないこと)が本来あるべきことなのではないでしょうか.
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ターゲッティング広告,ほんとうっとうしいです.何度オプトアウトしてもいつの間にかオプトインしてるし,常にオプトアウトするプラグインをインストールしてもこれもまたいつの間にかオプトインしています.
何より腹立たしいのが,広告の出し方自体が大バカで,全っ然広告として機能してないことです.例えば,あるサイトであるものを買い物したら,同じものをしつこくしつこく勧めてきます.
バカじゃないの!? もう買ったんだから,その品物のことはもうわかってるし,そもそも,また同じものを買うわけないでしょ!
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私は,偉くなるとか昇進するとかそういうことに興味がないと度々書いてきました.でも,どうしてそうなのかについては,書いたことがなかったような気がします.というか,あんまり深く考えたことがありませんでした.だって,興味がないんですからね.
もちろん,自分の仕事が認められることは嬉しいんですが,それが昇進とか偉くなるという形しかないのか,あるいは,実際に昇進して,大きなものを失って,更に困ったことに,これ以上偉くなってしまうというリスクも考えなければならなくなってきました.少なくとも,これ以上大事なものは失いたくありません.
で,考えてみたんですが,もちろん,一番大きな理由は,やりたいこと,本来やるべきこと,具体的には,地震動の性質と建物被害の関係を探求し,それを地震災害軽減に結びつけて社会に還元することができなくなるということなんですが,理不尽に責任をとらされるのも嫌なんだと思います.
例えば,組織の長になって,教員,あるいは,学生が何かしでかしたら長の責任になるんですよね.でも,長と言ったって,全ての教員,更には,学生のとる全ての行動に責任なんかもてるわけありません.いや,長なら責任はあるでしょうから,実質自分の力ではどうにもならないのに責任をとらされるということでしょう.でも,自分の力ではどうにもならないのに責任をもつのは,それこそ無責任というものではないでしょうか.歳をとって衰えて行くのに責任が重い仕事を背負わされるのがおかしいというのも,分をわきまえて負うべきでない責任は負わないということですから,むしろ非常に責任ある態度でしょう.
就職委員長をしたときも,ちゃんとルールを守らない学生の不始末で何度も頭を下げるハメになりましたし,*********ために卒業できなかった学生や*********学生の親からのクレーム処理もしました.もちろん,誰かがやらないといけない仕事なんですが,明日大地震が来るかもしれないというのに,一体私は何をしてるんだ?と思いますよ.
自分が間違いをした場合や敬意を表すべき相手ならいくらでも頭を下げますが,自分の手が届かないところで間違いを犯す人間の責任をとらされるような立場の人間にはなりたくないのです.
「地位が人を作る」という言葉があって,昔からよくきかされていました.地位が上がるとそれだけ重要で難しい仕事をしないといけないので,その人の能力も自然と上がるということです.今の大学に来たときは,研究室をもち,学生達を指導して,彼らを成長させ,研究成果を上げるという非常に重要で大変な仕事をすることになり,私自身も大きく成長できたと思います.今にして思えば,まさに「地位が人を作る」だったかもしれません.
でも,数年前に昇進して,つまり,地位が上がって,私の何が成長したのでしょうか? 頭を下げるのがうまくなった? もし更に組織の長というように偉くなると何が人を作るのでしょうか?
地位が上がっていくのに従って,会社なら課→部→会社全体というように,自分の研究室→専攻や学類→大学と,より広い範囲を対象とした仕事をしないといけなくなる? そんなことなら,もうこの世界に入った20年以上前から,会社とか大学とかそんな狭い範囲ではなく,国あるいや世界全体の地震防災のことを考えて仕事をしてますよ.
ですから,私にとって大学の中で偉くなることは(地震動の性質と建物被害の関係を探求し,それを地震災害軽減に結びつけて社会に還元することができなくなるので),国や世界から大学,大学の中の一組織というように逆に仕事の範囲が狭まることになってしまうのです.だから,少なくとももうこれ以上は,大学の中で偉くなんかなりたくないのです.
でももう手遅れかもしれませんね.今の状態でももうぎりぎりですし(もうアウトかも),みんな嫌なら誰かがやらないといけないことでしょうからね.偉くなりたい,やってもいいって人がいてくれればほんとありがたいんですが...
少なくとも,このままではだめでしょう.私がやりたいこと,やるべきことは,何度も書いているように,地震動の性質と建物被害の関係を探求し,それを地震災害軽減に結びつけて社会に還元することなので,それができないのなら,ここにいてもしょうがありません.
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上の記事とも関連すると思うのですが,私って研究者なのでしょうか?教育者なのでしょうか?
そりゃあ,大学の教員なのだから教育者? でも,教員免許はもってませんし,人を教育するために何か勉強したり教育受けたりしたことは一度もありません.ですから,教育する資格なんて一切ないんですよ.でも教育してる.そこに最大の問題があるんだと思います.
つまり,言うまでもないんですが,私って教育者でもなんでもなく,一介の研究者に過ぎないんですよ.でも研究は,最先端のことをやってるし,そのことを通して,研究対象に留まらず,いろんな知見や見識はもっています.
研究というと,専門性の高いごくごく限られたことを対象としたもので,非常に汎用性が低いものと思われがちなのですが,事実は全く逆で,世の中の全ての仕事に通じること,スキルアップに繋がることが全て凝縮されていると思います.つまり,学生を仕事ができる人間として教育するのには,絶好の材料なんですよ.
ですから,学生を指導しながら研究していくのは,学生も成長するし私も楽しいし言うことなしです.どうしてそれだけじゃだめなんでしょうか?
具体的に言うと,研究をして,学生に研究指導をすることで教育もする大学院と,講義をする純然たる?教育機関である大学を分離する段階に来ているのではないでしょうか? 文科省が大学院大学というようなことを言い出したとき,そういうことを考えていたのかもしれませんが,実際は,大学院大学とは名ばかりで,大学の教員は,学部教育と研究活動の両方で忙殺されています.しかも,いわゆる教養部がなくなったため,1,2年生の数学や物理などの基礎科目まで教えなくてはならなくなりました.このままでは,日本の研究レベルは,世界からどんどん取り残されてしまうでしょう.
予算もないし人もいない? 予算なら(私は)今の給料が半分になってもいいですよ.そうすれば,「大学教授」になりたい人はいくらでもいるし,雇用も産まれるし,ちゃんと教育する教育を受けた人が講義やカリキュラムなどの学部教育をやって,研究者は,学生を研究指導しながら研究していく,少なくとも,トップレベルの大学くらいは,そういう風にしてもらえませんかね?
でも,今の流れを見ていると,明らかに大学は,研究大学院化ではなく,大衆教育大学化しています.早くこれではまずいと気づいて欲しいですが,気づいたとしても,私が大学にいる間は,もう間に合わないでしょうね.だから,自分で何とかするしかないんだと思います.
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先日の練習で,組んでいたI坂君が膝が痛いと言い出しました.
「(ビール飲みすぎて)体重なんじゃないの(^^;?」
「ビール飲むのやめるくらいならバドミントンやめますよ(^^;」
彼は,市役所の職員なんですが,何かいろいろストレスが溜まることもあるみたいです.私は,そういうのは,ずっと全然なかったんですが,最近は,かなりあります.
じゃあ,彼のストレス解消がビールだとすると,私のストレス解消は,何なんでしょうか?
と考えて気づいたのですが,このサイトに文章(愚痴?)を書くことですね(^^;.だから,何度も同じこと書きますが,別に暇だからとか,時間があるからじゃなくて,それこそ,ここで書かないとやってられないんですよ.
でも,体重も増えないし,体を傷つけることもないし,酔っぱらった後,仕事ができなくなることもないし,ものの30分とか長くても1時間くらいのもんだし,健康的?でこんな効率のいいストレス解消法はない?(でも,やっぱり読んで下さる皆さんのおかげですね(^^;.でも愚痴ばっかり書いてると,読んでもらえなくなるかもしれないので,もっと,有益?なことも書かないと,ですね)
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スポーツにおける暴行問題(体罰じゃないですよ)ですが,次々に問題が明るみに出てきますね.もちろん,いかなることがあっても暴力が許されないのは,言うまでもないことですが,そもそも,スポーツをする目的を完全にはき違えています.
何のためにスポーツやるんですか? 勝つため? オリンピックでメダルを獲るため? そんなわけないでしょう.勝つためではなく,勝つために創意工夫して鍛えて練習して人間として成長するためでしょう.勝つなんてことは,あくまで結果でしかありません.そして,そういう人が結果的に勝つのです.
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