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3/1'12
[つくばに来て9年]
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 3/1になりました.ということは,つくばに来てちょうど9年ということになります.去年は,特に感慨なしという感じだったのですが,今年はちょっと違いますかね.つまり,これからどうするかを何となくではなく具体的に考える必要があると考えるようになりました.

 1つの選択肢としては,定年までずっとここにいるということがあります.どこからか話があっても断ればいいのですから,私が決断さえすれば,これは即座に「決定」します.そしてそれも「あり」だと思います.実際,どこかに移るにしても,ここ以上のところは,ほとんどないでしょうしね.

 でも,これは何となくですが,ずっとこのままここにいていいのかなあ,というようなみょーな落ち着きのなさは,ずっと感じています(でも,腰に根が生えるのではなく,そういう感覚をもつことは悪いことばかりじゃないんですけどね).それで,どこかからいい話が来れば,動くだろうと思っていたのですが,昨年,とてもいい話があったにも関わらず,いろんなことがかみ合わず,結局,断ることになりました.これは,自分でも意外でした.

 ですから,結局,その時々で,その時の自然の流れに従うということなんですが,時が過ぎるに従い,「発生確率」は上がっていくので,なんか地震と似てますね.ただ,地震と違うのは,地震の場合,発生しない限り確率は上がり続けますが,このケースは,たとえ「発生」しなくても,ある時期を過ぎるともう「発生」しなくなるということでしょう.それがあと5年くらいのような気がするんですが,これも5年経つとどうなるかはわからないですね.

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3/2'12
[残り時間が少なくなってきた]
(生き方)

 最近よく思うのは,「残り時間が少なくなってきた」ということです.死ぬまでというよりは,定年,つまり「社会活動」できる残り時間でしょうか.

 と言っても,仕事のことではありません.仕事について言えば,まだまだやることはあるし,これからも頑張って行きたいと思いますが(でもどのくらい研究というか防災に関係した仕事ができるかは大問題ですが),これは非常に幸運なことですが,一応一仕事はできたとは思っていて,今死んだとしても仕事についてはそうなったらそれでOK?ということは,何度かこのサイトで書いてきました.

 むしろ,仕事以外について,まだやり残した感があります.ピアノ,バドミントン,スキーといったことは,「そういうレベル」でやっているに過ぎないので,やるだけやって結果が出たところまで,という感じですが,人生や世の中などいろんなことについて考えること,特に生き方に関しては,ずっと考え続けていて,その時点で「こうなんだろうな」と思いつつも,それこそ実際に生きてみないとわからないのですから,実際に生きて「確かめる」必要があるわけです.そして,その検証時間,かつ,「どう生きたかの評価対象」が残り少なくなって来ていると感じるのです.

 仕事以外にやってることは,ここに書いていること以外にもあって,それは結果が出るのにある程度の時間がかかります.そして,その時間も残り少なくなってきたとも感じています.というか,定年が期限ならもうリミットだと思います.

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3/5'12
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(生き方)

 と書いて思ったのですが,あらためて,私ってどうしたい,っていうか,どうありたいんでしょうか? このサイトでずっと書いてるように,そういうことは,基本的に「よくわからない」のですが,やっぱり,よくわからないです.よく「自分に正直に」とか言いますけど,どうしたいかがわからないのですから何に対して正直になればいいかもわからないわけです.

 いくつかヒントはあると思います.1つは自分がした仕事に対してもうある程度満足しているということです.これってどういうことでしょうか? なかなか解釈が難しいです.満足したと言うことは,充分やったのでもう飽きたと考えられる一方で,いろんな状況からもう(研究や防災に関わる仕事が)できないと諦めかけているとも考えられ,後者の場合は,本心としては,研究や防災に関わる仕事がしたいわけですから,前者と後者は,正反対です.

 ここから先は,想像力の勝負です.じゃあ,例えば,もし,思う存分研究や防災の仕事ができるところからオファーがあったとしたらどうでしょうか? 飛んでいくでしょうね(^^;(想像するまでない).でも,そこにいろんな条件がついたらどうでしょうか? 例えば,思う存分,研究や防災の仕事ができるが,それ以外のことができなくなるとか.

 こうなると,途端にもう相当難しいです.これは,どういうことかと言うと,私にとって研究や防災の仕事は,極めて重要だが,それが全てではないんだな,ということにあらためて気づかされます.つまり,私って何かをとるために何かを捨てるということは,できないということです.これは,再三書いて来ましたし,既にわかってることです.

 つまり,私は「どうしたい」「どうありたい」というのがないということではなく,「そうありたい」とは思ってるんですね.人生を気分よく過ごして行きたいとは思ってるし,そのためには,地震動と構造物被害の関係は追求して行きたいし,それを通して人材を育てたり,研究成果を防災に結びつけて社会の役に立ちたいと思ってるし,ここで文章を書いていきたいと思ってるし,定年までには***したいと思ってるし,ピアノももっと上手くなりたいし,バドミントンももっと強くなりたいし,スキーももっと上手くなりたいと思っています.

 そして,仕事以外にやってることを全て犠牲にして全てを仕事に捧げるということはできないと思いますし,逆もそうです.普通に考えれば,これでは成功しないでしょうし,成功したいとも思ってません.基本的に怠け者ですしね(それでよくここまで来られたもんだと不思議なくらい).

 というか,私にとっての「成功」は,人生を気分よく過ごして行くこと(何度も同じことを書きますが,これは自分さえよければいいとうこととは違います.社会の役に立てることも「自分」の気分のよさに繋がります)で,それは,例えば,仕事という「ある1つのこと」の成功ではない,ということなんだと思います.

 ですから,そういう「性分」には逆らわないということだと思うのですが,これだけいろんなことを手広く,かつ,それなりのレベルでやってる人は,ほとんどいないでしょうから,これは,私の特殊事情でしょうね.ですから,ほんとんどの人の参考にはならないと思うのですが,それが私の性分でもあり,大いなる?特質でもあるわけですから,それを貫くことで唯一無二の何かが産まれるかもしれない(あるいは,単なる器用貧乏に終わる)と思うしかないですね.

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05b
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(バドミントン)

 先週末,東京六大学OBOG大会に久しぶりに行ってきました.3年ぶりですかね.一昨年は,股関節を痛めていて,去年は,地震(ニュージーランドクライストチャーチ)でそれどころじゃなかったです.ちなみに股関節ですが,最近は,プレー中に痛くなって動けなくなるということはなくなってきたと思うのですが,練習した夜は,寝てる間,股関節が痛いーという状態です(でも朝起きたときはだいたいもう大丈夫).

 さて,東京六大学OBOG大会ですが,今年は,立教が主管でした(来年は明治だそうで,私個人的には,これで「一周」しました).場所は新座で,私は武蔵野線の新座から行ったのですが,都心を通らず,TXの南流山で1回乗り換えで行けるので,便利でした(でも帰りはもうスクールバスが終わっていて,新座駅まで20分歩いた).こういう形で他大学のキャンパスの中が見られるのも面白いです.

 現役のトップレベルのプレーヤー(と言っても関東リーグ1部の法政,早稲田あたりは,レギュラーの選手はほとんど来てないでしょうが)が間近で見られるというのは,私の場合,筑波大バドミントン部に行けばいつでも見られるのでそんなに有り難みはないのですが(でも最近は体育館には全然行ってないけど),往年の名選手のプレーは,参考になりますねー.昨日も早稲田→ユニシスのY田さん(元オリンピック選手)が来ていて(多分,帰りの電車に乗るときも会った),あんまり打ってない感じなんですが,やっぱり全然違います.一言で言うと,とてもよく「溜まって」るんですよ.

 で,私の試合の方ですが,あんまり面白くなかったですかねー.朝から夕方まででダブルスが3ゲームだけ(6大学なので5試合あるが東大はメンバーが多いのでそうなる)というのもいかにももの足りません.空いてる時間に空いてるコートでN澤君(社会人1年目)と半面シングルやったのが一番面白かったですかね.

 とにかく私の調子が悪すぎました.年初くらいから,ほんとにちょっとしたことですが,軽く体を動かすようにしていて,効果が見られたと思ったこともあったのですが,ここ1,2週間は,だめだめになってきました.効果がないとやる気も失せてきます.とにかく,こんなんでは,全日本に出て勝ち上がるなんてとてもとても...

 で,どうするかですが,やっぱり,現環境下でできるだけのことをするしかないですね.もちろん,単に頑張るということではなく,創意工夫が必要です.

 上で書いたように,私はいろんなことをやってるのですが,どれもまあこのくらいできればなんとかというくらいはできてるかなという中で,唯一,そういうレベルに全然届いていないのがバドミントンです.もちろん「まあこのくらいできればなんとか」というのがどのくらいかが種目によって全然違うので一概に比較はできないですが,レベル的に全然不満足なのは,圧倒的にバドミントンなんですよ.

 もちろん,加齢による衰えが一番激しいものではあるのですが,シニアの世界だとそれは関係ないですよね.少なくとも今のプレーだと,シニアの世界でも全日本に行けば全然だめです.40になった頃は,何とかなっていたと思うので,加齢という以上に競技力が衰えていると思います.いろいろ試みたりもしているのですが,因果関係が感じられず,精神的にもしんどいです.こんなんでよく続けてるなと思うほどです.

 理由はいろいろあると思うのですが,言えるのは,やっぱりバドミントンが一番よくわかってないんですよ.他のものは,どれも「あーこういうことなんだろな」というのがあって,そうやればできるようになるという確信のようなものがあります(実際にやるかどうかはともかく).スキーは,バドミントンよりは,レベル的には下だとは思うのですが,そういう中でこうやればという基本的なものはあります(単に想定レベルが違うということかもしれませんが).

 でも,よくわからないからこそ,そういうバドミントンの本質が知りたいということもあります.最近,それが少し見えたと感じることもあったのですが,やっぱり,まだまだですね.少なくとも言えるのは,やはりフィジカルが基本ということです.練習やトレーニングしないで強くなることはありえません.

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05c
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(スポーツ)

 相変わらず迷走する男子マラソンのオリンピック選考ですが,オリンピックで勝負できる人をと言いながら,日本人1位とか2位とか言ってるのは,変な話です.例えば,昨日のびわ湖毎日で日本人1位になることを目指すのなら,先頭集団になんか付いていかずにイーブンペースを守った方が得策でしょう.そして,実際,そういう結果になりました.川内さんも頑張ってるとは思いますが,先頭集団には付いていけず,あとから挽回するというレース運びですよね.

 でも,そんな戦い方では,(川内さん自身も言っているように)オリンピックに出場はできても勝負することなんか程遠いでしょう.世界選手権で7位に入り,昨日も最後まで先頭集団に食らいついて,結果的に負けた堀端さんがどう評価されるか,でしょうか.

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3/6'12
[やっぱりフィジカル]
(バドミントン)

 どうやったらバドミントンが強くなるかあらためて考えているんですが(でも,仕事山積でそんなことしてる場合じゃないですけど),やっぱりフィジカルだと思うんですよね.どんなにすごい技術をもっていても,相手の球を100%読めたとしても,相手が打つ球に届かなければ,届いたとしても甘い球しか返せなければ,話になりません.フェイントがかけられるのは,技術もありますが,早く球の所に行けるのが大前提ですし,そこで余裕をもってしっかり溜められるフィジカルが不可欠です.もっと単純に言えば,スマッシュは,遅いより速い方がいいに決まってますし,速いスマッシュをとるのにも速いスイングスピードが必要です.

 問題は,どうやってフィジカルを鍛えるかです.もちろん,練習,トレーニングしかないのですが,ただやみくもに練習,トレーニングするのではなく,そこに創意工夫の余地があるわけで,それこそが私がスポーツをする理由です.

 そう言えば,東京マラソンで2位に入った藤原さんですが,彼は,実業団を辞め,更にスポンサーもなくなって,無職のランナーということらしいですが,おかげで自分でいろいろ考えて練習やトレーニングをするようになり,これをやったらだめだった,これをやったら上手く行った,そういう試行錯誤がとても楽しいと言っていました.だからこそ結果が出たんじゃないかと思います.

 去年の筑波大バドミントン部の納会のときにもそういう話をしたんですが,ここにバドミントンが強くなる全く無害で合法的な薬があったら飲むか?ときいたら,ほとんどの学生が手を挙げていました.でもそれじゃあ,スポーツしてる意味がないと思いませんか?(という話をしましたが,どのくらい伝わったかは...) もっと単純に言えば,創意工夫すれば,効率のいい練習ができるということもありますし,自分で創意工夫すれば楽しいからもっと練習するということなんですが,究極的には,もちろん,人生をいかに楽しく過ごして行くか,ということです.

 要は,楽しめ,ということです(でもこれがなかなか伝わらない).辛く苦しいだけの練習をしてバドミントンが強くなっても,人生の大半は練習なのですから,大半は辛い人生ということになってしまいます.つまり,練習が楽しい方が人生の大半が楽しくなるわけです.そして,練習が楽しければ,結果的に,バドミントンも強くなるのです.練習で泣いて試合で笑えじゃなくて,練習で笑って試合でも笑え,です.

 でも,それを証明するには,私が創意工夫をして(結果的に)バドミントンが強くなる必要がありますね.つまり,学生の前でえらそーなこと言って,自分はどうなんだ?ということです.

 こういうことをまた考え始めたのは,最近の不調もあるのですが(そういう意味では,不調もまた考える機会を与えてくれるわけで楽しませてくれるわけです),やっぱり六大学に行ったことがきっかけかもしれません.Y田さんのプレーを見たのもそうですし,試合が終わっていろんな人と話していたのですが,東大の現役のK山さんがOBの人達のプレーはすごい,私は女子でフィジカルが足りないから,そういう球回しの技術とかを身につけたいと言っていて(もちろんお世辞もあるでしょうが),でも,私は,そんなことよりまずフィジカルを強くすることを考えろと言って,回内回外のトレーニング方法を紹介しました.

 そして,そう言っておきながら,自分自身も気づいたのです(そういうことってありますよね).女子だからという理由でフィジカルを諦めるべきではないのら,年寄りだからという理由でフィジカルを諦めるべきではないのも同じことです.

 ちょっとまた思いついたことがあるので,しばらくこれでやってみようと思います.もちろん,これで上手く行くかどうかはわかりませんが,上手く行かなかったらまた考えればいいことです.そして,そういう試行錯誤,創意工夫がやっぱり楽しいのですし,それがスポーツをする目的です.そして,これは,スポーツに限らず,全てに言えることで,要は,人生をいかに楽しんでいくかということです.

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3/7'12
[忘れる]
(バドミントン)

 ↑と書いて思ったのですが,人間ってやっぱり忘れるんだなーと思います.バドミントンが結局フィジカルなんてことは,とっくの昔にわかっていることです.でもプレーや練習をして行く上で,そういう意識が何となくどこかへ行ってしまっている.

 つまり,忘れるというのは,あの人の名前を忘れるというような記憶のことではなくて,意識的なことです.そして,これがやっぱり厄介で,ほとんどの人はこれができないからなかなか強くならないし成長もしないわけです.そういうことがないように私はここでわざわざ文章に書いたりしているのですが,やっぱり難しいです.

 それで,上で書いた「ちょっと思いついたこと」ですが,昨日からやってるんですが,明らかに違います.ていうか効果絶大? 私はこれまでいろんな創意工夫や試行錯誤をしてきましたが,基本的には,効果がすぐに感じられない,あるいは,すぐには無理でも効果があると確信というか因果関係がないものはだめだと思っています.

 でも,効果があったと感じられたことは,過去にも何度もあって,でも,結局は,強くなれていないのですから,やはり,これも「忘れないように」しないといけないということです.あとは,やはり,「感覚の慣れ」の問題があります.最初は,効果があってもそのうち何でもなくなることが必ずと言っていいほどあります.これは未だによくわかりません.でも,そういうことも含めて試行錯誤,創意工夫ということになります.

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07b
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(経済)

 急ピッチで上げてきた株価ですが,急ブレーキがかかって来ました.たった1ヶ月半ですから,早かったですねー.もっとも,その間の上昇率はすごかったですが.

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07c
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(世の中, 経済)

 AIJ(日本建築学会ではないよ(^^;)投資顧問の厚生年金の運用資金の大半が喪失したことがいろいろ言われてるようですが,投資するんだったらそんなことが起こるのは当たり前の話です.金融庁は,信託銀行に管理義務とかリスクの説明とかうんたらかんたら言ってますが,そんな問題ではありません(形の上でやってるだけ).リスクが怖いのなら,大事な資金の運用を他人に任せてはいけません.相場を張るのなら資金が0になってもいい(減ってもいいではない)という覚悟が必要ですし,それは,他人に運用を任せる場合もそうです.ここ20年の株式相場は,基本的に右肩下がりですから,こういう例は,まだまだごろごろ出てくると思いますよ.

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3/9'12
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 昨日は,親和会(というのは,システム情報系の知能機能システム,構造エネルギー工学,リスク工学の機能工学分野に対応する教職員の組織で,学類で言うと工学システム学類に対応するもの)の退職記念パーティでした.退職される先生方は,晴れ晴れとしている人もいれば,まだまだやり足りないという人もいて様々ですが,定年については,このサイトでいろいろ書いてきましたが,やっぱり考えさせられますねー.

 そもそも,私個人的には,他人から何かを強制されるというのがどうしても気に入りません.自分に能力がなくてクビになるならしょうがないでしょうが,そうでなければ,辞めるか辞めないかは自分で決めるし,辞めさせられるくらいだったら,自分からさっさと辞めようと思います.とにかく,他人と違ったことがしたいし,周りの人と同じというのがだめですからね.

 とは言え,現行では,少なくとも,私が退職するくらいまでは,ルールが変わることはなさそうですから,どうにかしなければなりません.そのためには,退職するときではなく,もう準備を始める必要があります.もちろん,既にいろいろ考え始めてますし,行動を起こしていることもあります.私が具体的に考えてることは置いておいて,一般的なことから考えてみましょう.

 まず,大学の教員には定年があるが,研究者には,定年はないという考えはあります.これは,既にこのサイトでも書きました.要は,大学はクビになっても,自分で勝手に研究していけばいいってことですね.でも,これってどうなんでしょうか.

 実際のところは,なかなか厳しいと思います.実際,退職されても在職時代と同じように研究を続け,論文を発表し続けてる人はほとんどいらっしゃいません.やはり,現職というか,要は,面倒を見ないといけない学生がいて,そのために頑張んなきゃいけない,会社なら,食べさせていかない社員がいるから,みたいな状況が必要なんだと思います.

 ただ研究してるのが好きというほど研究が好きならそれでもやって行けるのでしょうが,やる気三要素的に言っても,やっぱり,社会や人との繋がりも必要ということでしょうね.

 では,そのような状況を大学退職後も続けるには,どうしたらいいでしょうか? 人や社会との繋がりがあるというのは,どういうことかと言うと,平たく言えば,「金になる」ということです.つまり,人がお金を出してもいいという価値があるかということです.大学の教員が給料をもらっているのも,研究なんかではなく,やっぱり教育でしょう.研究は,本質的には価値あるものですが,金にはなりません.金になる研究もありますが,それは,本質的に研究活動と目的を異にするものです.

 ただ,人や社会との繋がりをもつ,平たく言えば「稼ぐ」ために,大学における教育の代わりに「金になる」研究をする,あるいは,研究とは別に研究成果を生かしたそういう活動をすることは考えられます.私がやっていることは,地震防災という(たまたま)社会の役に立つことで,本来的には,「金になる」というよりは,もっと公共の利益に供するものですが,「金になる」こともその気になればできるでしょう.

 うーん,でもこれもどうですかね? そういうことをするために研究してるわけではないですからねー.ただ,人や社会との繋がりは,やはり必要で,それが何なのか,自分の今の仕事を生かすのか,それとは別の全く違うものなのかということですかね.あるいは,そんなものなくても平気なように,自分をどんどん「退化」させる(あるいは,そうなってしまう)というのもありでしょうか.

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09b
[]
(経済)

 と書いたのですが,あっという間に盛り返しました.まだ行くんですかね? 日本株はまだまだ上昇余地があると思いますが,欧米株がピークアウトしかかってるのがやっぱり気がかりですねー.

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3/10'12
[]
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 を書いてからずっと考えてるのですが,定年とゆーのが気に入らないということもありますが,このまま定年を迎えるというのが想像できない,というか,現状ではだめと思っている,何とかしなくてはと思ってるんだと思います.

 でも,その一方で,そんなに気張らなくてもこのままやって行くこともできるし,それもありか,とも思い始めてる.だから,自分でどうこうするというよりは,何度も書いているように自然の流れに従うということですね.そして,それが何事もないのなら,それはそれに従うしかありません.

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10b
[授業]
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 親和会のときに,いろんな人が壇上で話をしたのですが,学類長のH先生の話がずっと頭に残っています.彼は,20年くらい前,本屋でノーベル賞受賞者が書いた本を手に取り,読んだり買ったりはしなかったんですが,ぱらぱらと見て,その本に書いてあったことが印象に残って,それにずっと支えられてきたというのです.

 それは,どういう言葉かというと,本の著者は,ずっと研究成果が出ず,自分は世の中の役に立ってるんだろうかと悶々としていた,でも,自分には,授業があるじゃないか,と思った,というものです.

 最近,このサイトでも書きましたが,研究って,成果が出ようが出まいが,基本的には,世の中の役になんか立たないものです(それを役に立つかどうかでなんか評価するからおかしくなるし,研究のレベルがどんどん下がる).じゃあ,大学の教員が世の中の何の役に立ってるかというと,既に書いたように,やっぱり,教育なんだと思いますし,給料もそれで貰ってるんでしょう.

 H先生が,その言葉を退職される先生方に送ったというのは,ある意味「すごい」ことなんですが,その言葉そのものは,どう思いますか? 私は,最初,「授業」という言葉がちゃんと聴き取れなかったということもありますが,彼の説明をきくまでは,言ってる意味がわからなかったほどです.

 私は,大学の教員である以上は,授業はするのは当たり前だし,どうせするのであれば,有意義なものにしたいと思ってやっています.でも,これも既に書いたように,私にしかできないことではないと思うんですよねー.それは,担当している講義が,構造力学とか力学といった,自分の専門とは,かけ離れたものだからかもしれません(でも,大学院の振動学特論は,やや近いし,耐震工学特論は,「私にしかできない」講義をしているとは思う.でも,自分の研究内容とはやはり違う).

 でも,H先生の話をきいて,これまでももちろん,講義をよりよいものにするべくやってきたのですが,それ以上に「私にしかできない」講義にする,という考え方もあるのかな,と思うようになりました.

 うーん,でも,地震防災,例えば,地震被害推定システムを作るとか,他にもっと世の中の役に立つことがあると思うんですが,思い上がりですかねー?

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10c
[飲む]
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 私は,酒は強い方ではないのですが,飲みながらいろんな人と話すのは大好きですし,いろんな人とつき合いがあるので,飲む機会もいろいろあります.でも,去年ほどではないですが,今年も湿疹が出ていて,飲むと全身が痒くなって湿疹もひどくなるので,ここ数回は,飲みの席には,行くもののアルコールは飲まないということにしています.

 別にもう酒をやめたということではなく,湿疹が治まってきたらまた飲みたいと思ってるのですが,飲みの席で飲まずにいろんな人と話をするということを数回繰り返してわかったことがあります.それは,別に飲まなくてもいいってことです.

 もともと私は,そんなに飲むわけではないですし,飲んで人が変わるというほどではありません.少しテンションが上がるくらいです.でも,ここ数回飲まないで話していても,なんか飲んでるときみたいに普通にテンションが上がるんですよ.飲んでないのに飲んでるみたいな不思議な感じです.で,帰るときも飲んでないのに飲んだときのようにぐったり?してるんです.ほんと不思議.条件反射?

 だから,飲みの席に行っても飲まない,というのでいいかなと思い始めてるんですが,運動した後とか一仕事した後のビールってやっぱり美味いんで(でも普段は,私は,家では一切飲まないし,冷蔵庫にビールが入っていたことはない),そこは,ノンアルコールビールに期待ですかね.でも,最近のノンアルコールビールって,昔に比べると,格段にビールに近づいてる気がします.私は,ビールはスーパードライ派,つまり,ほんとのビール好きじゃないってことなんですが,スーパードライのノンアルコールが出たみたいなんで(外見がスーパードライに酷似しているということで物議をかもしてるみたいですが),1回試してみたいですね.でも,問題は,飲み屋にそういうものがちゃんと置いてあるかってことですね.

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10d
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(バドミントン)

 3月は,金曜日練習している小学校の体育館が使えないということで,今日は,ちょー久しぶりに?Lまで練習に行ってきました.でも,やっぱり新利根は遠いなー(片道30kmで車で45分.でも東京に行くよりは近いか).でも,ここは,ゲームに入る前に,ちゃんとしっかり練習するのでとてもいいです.つくばに来て,ここでずっとやっていたら違ってたのかなーとちょっと思ってしまいました.

 「ちょっと思いついたこと」のその後ですが,やはり,全然違います.でも,これをやると回内回外がかなり「使える」ので,肘に負担がかかって肘が痛くなってきました.でも,効果があるのは,間違いないので,とにかくこれで行きます.でも,怖いのは,やっぱり「感覚の慣れ」ですねー.

 でも,最近つくづく思うんですが,重要なのは,やっぱり体の使い方だと思います.バドミントンはフィジカルであることは間違いないんですが,それは,やみくもにきつい練習やトレーニングをすればいいというものではありません.

 まず,「使える」こと,そして,「使う」ためにトレーニングが必要ということでしょうか.あとは,やっぱり,普段の日常生活の中での体の「過ごし方」ですかね.

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3/11'12
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 あの日から1年が経ちました.研究室のページに

 
津波は怖くない
 誰を守ってる?

という2つの記事を書きました.

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3/15'12
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 就職関係,人事関係,自分の講義以外にも全体セミナーの成績とりまとめとか,これ以外にもいろいろあって,「お仕事」がもう大変なことになってますが,そういう中でも無理矢理,研究とか仕事以外のことも何とかやるようにしています.でも相当体に無理がかかってるような気がします.あとからしわ寄せが来ないといいのですが...(こう書いとくとなぜか来ないので書く).

 「ちょっと思いついたこと」ですが,もう効果がなくなって来ました(たった練習2回).でも,ここが正念場ですね.要は,「感覚の慣れ」なのか,というか,「感覚の慣れ」とは何なのかということでしょう.

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 1つ思うのは,だんだんやらなくなってるってことです.ただ,これは,ちゃんと続ければいいってことですが,それが意外と難しいです.特に,最初やったときの新鮮さはなくなるので(でもそれが感覚の慣れか),どういう感じでやってたかということを忘れないようにすることですね.あとは,続けるための創意工夫でしょうか.ただ,感覚の慣れ的には,やたら同じように続けない方がいいこともあるので,これもやっぱり創意工夫です.

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3/16'12
[新iPad]
(PC)

 新iPadですが,画面の解像度が上がったくらいで,大した変化は...という報道のようですが,これってすごいことですよ.解像度は,何と2048×1536です.つまり,フルHD以上です.iPadには,全く興味がなかったのですが,いきなり興味が出てきました.でもキーボードがないのは,やっぱりだめですかね.

 そう.この解像度をもった,ノートPC(+タブレット機能つき)が出ればいいんです.

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16b
[生活保護]
(世の中)

 生活保護受給者の急増が社会問題になっています.もちろん,受給を受けて然るべき人が受けるのには何の問題もないですが,不正受給は問題外としても,まともに働いているのに生活保護の受給額より給料が少ないよう状態は,問題です.

 

 このサイトで何度も書いてきましたが,公共事業,要は,土建業の仕事が激減して体さえ動けばOKという仕事はどんどんなくなってきてるように,人間がする仕事はどんどん減ってきています.そういう中で,雇用をどう再配分するかは,重大な問題です.

 逆に,仕事ができる人間の労働負荷はどんどん高まってると思います.つまり,二極化が起こってしまってるんですね.人間に能力の差があるのなら(それがあるのかどうかはまた別の議論になるのでここで置いておく)ある程度は仕方ないことです.でも,仕事ができない能力が低い人も食べてはいかないといけない.

 そういう状況下で,生活保護をどう考えるかということになります.生活保護は,本来は,体が不自由であったりというような人が対象だったのですが,それを単に仕事がないという人まで広げるとどうなるかということです.要は,中国の暇人のような考え方です.

 ちょっと計算してみましょう.生活保護受給額は,もちろん,条件によっていろいろで,単身だと13万くらいになることもあり,4人世帯だと1人頭10万以下になることもありますが,まあざっくり1人10万としましょう.

 一方で,保護率ですが,上の図を見るとわかるように最近急増していて3%に届こうかとしています.つまり,1ヶ月10万の生活保護費を100人のうち3人が受け取っていて残りの97人が払うとすると,その額は,10万×3/97≒3000円ということになります.額的にはまあなんとかなる数字でしょう.ですから,中国の暇人的発想,というか,経済原理を優先させるのなら,能力がない奴は,養ってやるから世の中の隅っこでおとなしくしてろ,で充分やって行けることになります.

 でも,これってどうですか? これでいいわきゃありませんよね.本物?の暇人ならともかく,人間なら,仕事をすることで世の中の役に立ちたいし,それこそが生きていくということでしょう.生活保護は,やはり,体が不自由などの理由で働きたくても働けない人や一時的に働けなくなった人のためにあるべきものです.

 じゃあ,どうすればいいか,ですが,これも結局,このサイトで再三書いてるように教育の問題ということになります.つまり,みんな何らかの形で世の中の役に立つ仕事ができる人間になれるように教育するということです.そしてやっぱり,まず,一人一人が働くために技能を身につけようという意識をもつことです.でも,これもまずそういう教育ということになります.

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3/17'12
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 昨日は,東大地震研の都司嘉宣先生の退職記念祝賀会でした.

 定年退職について,いろいろ書いてきましたが,都司先生には,あまり関係なさそうです.そのくらい純粋に知的好奇心の赴くままに研究をされてきたのでしょうし,これからもそうなんだと思います.あらためて,お手本とすべき人かもと思い始めました.

 でも,知的好奇心なんてーものは,もつかもたないかであって,コントロールすることは難しい(「楽しむ」ことによってある程度はできるが)ですし,ましてや,一生それをキープするのは,極めて困難でしょう.つまり,都司先生は,津波という,そういうものをキープできるものに出会えた,ということですね.

 ただ,ここのところもほんとのところは,なかなかわからないです.都司先生は,当人をご存じの方は,わかると思いますが,とてもきさくで話しやすい人なんですが,ほんとのほんとのところは,結構,謎ですよね.

 いろんな人が壇上で話をされたのですが,NHKの記者の人が話させろと出てきて,何でも都司先生は,NHKに120回以上出られてるそうです.そう言えば,NHK以外では,ほとんど見かけませんかね.

 団塊の世代ということもあり,今年は,立て続けだったのですが(去年から今年,定年が63から64になって2年分まとまったのもあるか),これで,退職関係の行事は,終わりました(多分).

 やっぱり,いろいろ考えさせられるんですが,言えるのは,もう準備をしないと間に合わないということです.それは,今の仕事を疎かにするということではなく,今の仕事を続けていくために必要なことですし,今の仕事ではなく,別のことなら尚更です.

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17b
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(バドミントン)

 今日もBLまで練習に行ったのですが(今日もG藤は来てなかった),肘が痛い...ずっと痛いので,以前使っていた肘に巻くサポーターも持って行ったのですが,巻くと今はものすごく違和感を感じます.回内回外が使えても,これじゃあどうしようもないんで,またやり方を考えないとですね.

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3/18'12
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 肘が痛いです.曲げ伸ばししただけで痛いですし,持ち方によっては,軽い物を持っても痛みが走ります.股関節を痛めたときもそうでしたが,何かトレーニングのようなことをやるとこうなってしまいます.股関節も痛いです.普段はそうでもないですが,寝てるとき,痛くてうなされてるような感じです.もう歳だからやめとけってことでしょうか.

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18b
[利益代表]
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 いろいろ考えてるんですが,やっぱり,このままずっと行く,つまり,研究業績も充分にあげた,その結果,昇進もした,だから,あとは,大学のマネージメント的な仕事をする,というようにはどうしても考えられません.

 何が気に入らないかと言うと,やっぱり,「利益代表」にはなりたくないってことなんだと思います.ある大学のために働くということは,その大学の利益代表です.これは,会社で働く場合も同じです.

 私は,(おこがましいとは思いますが)ある組織のためではなく,世の中全体の利益のために,地震防災なら,単純に地震で亡くなる人を一人でも減らすために働きたいのです.これは,今に始まったことではなく,ずっと以前から,学生時代からそう思ってやってきました.

 でも,それが許されるのは,それだけのことができる極々一部の人でしょう.ですから,お前には,そんな能力も資格もないと言われれば,それまでです.でも,もしそうであるのなら,ある組織の利益代表ではなく,世の中の隅っこで,人様に迷惑をかけないようにひっそりと過ごしていきたいと思っています.

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18c
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(ピアノ)

 ピアノの方ですが,を越えた感じです.ていうか,大した練習なんかしてないんですが,ちんたらでも少しずつでも弾いてたら前に進むということですね.

 で,これからもちんたら練習して,弾けるようになるところまでってことです.でも,ほんとに少しずつですが,まだ確実に昨日より今日,今日より明日弾けるようになっています.これが感じられるうちは,続けることができます.

 バドミントンは,なんでこんな具合に行かないんでしょうか? 才能の違い? 歳のせい? まだバドミントンがわかってない?

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3/20'12
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 研究以外の仕事ですが,計算したら思ったほどでもないと書いたのですが,プログラムを組んでその後ずっとチェックしていたのですが,あっという間に「思った以上」になってきました.もちろん,今大変なことになってるので,一時的なものだとは思いますが,もしこんな状態がずっと続くのなら,ほんとに何とかしないといけません.

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20b
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 自分がどうしたいのか,どうありたいのかわからないと何度も書いてきました.もちろん,そんなもんあるのかどうかも甚だ疑問だし,わからなくてもいいのですが,「記録」をつけていると,自分がどうしているかはわかります.で,そこから,自分がどうしたいのかがわかるのでは,と思い始めました.その結果は...

 意外なものでした.まあ,記録をつけるまでもなく何となくわかっていたことではあったのですが...これが自分がどうしたいのか,どうありたいのかの答えなのでしょうか?

 でもまあ,そうだとするのなら,それに逆らわずに思うように生きていきたいと思います.というか,思うようにしか生きられませんからね.

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20c
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 バドミントンがわかってないというか,強くならないといけないと思ってるってことでしょうね.だから,別に強くならなくても,全日本なんか出なくても,現状でできるプレーをできる範囲で楽しめばいいんでしょう.

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 肘に巻くサポーターですが,付け方が間違ってました.ちゃんと付けたら(肘ではなく前腕に付ける),これで大分紛れます.こうやって騙し騙しやるしかないですかね.まあ,シニアで頑張ってる人はみんな巻き巻きでやってますから,しょうがないですかね.

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3/22'12
[世の中全体の利益のために]
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 利益代表になりたくない,広く世の中全体の利益のために働きたいと書きました.世の中をよくしたいのなら,政治家になれば?と言う人もいるのですが,それは,(残念ながら)全然違います.政治家って,実は,利益代表そのものですよね.族議員は,言うに及ばず,選挙区から選ばれるのなら,その選挙区の利益代表です.

 じゃあ,日本の首相なら? これも日本という1つの国の利益代表です.じゃあ,世界のリーダー???(いつもより?が多い)のアメリカの大統領なら? これこそまさしくアメリカの利益代表以外の何者でもありません.人口13億をかかえる中国の国家主席なんかもまさにそうです.

 そう考えて行くと,偉くなればなるほど,上の立場になるほど,(皮肉なことに)世の中全体ではなく,ある特定の組織の利益代表的側面が強くなることがわかります.別に首相とか大統領とかまで行かなくても,例えば,所属する専攻の専攻長や大学の学長になれば,その専攻や大学の利益代表で,そうなった以上は,その組織の利益を優先(例えば,人員確保とか)しなければならないでしょう.じゃあ,どうすればいいでしょうか?

 例えば,地震で亡くなる人を一人でも減らすために研究することは,広く全世界の人々の利益に繋がることです.研究ではなくても,例えば,地震動の性質と構造物被害の関係についての研究成果を活かして,地震直後にどこでどのくらいの被害が発生しているかを迅速かつ正確に把握して,救助活動を効率化する地震被害推定システムを作るということもそうでしょう.私の場合は,そういうことがしたいということです.でも,こういうことは,誰しもができることではありません.

 でも,例えば,ラーメン屋でラーメンを作るとか,コンビニのレジに立つとかいうことは,ラーメン屋として,あるいは,企業として利益をあげなければなりませんが,誰かの利益代表というわけではありません.相手をするお客さんだけが対象なので,広くではないでしょうが,確実に世の中の役に立ってることです.

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 とか書くと,何だか聖人君子?みたいですが,もちろんそういうわけではありません.要は,右にあるものを左にもってくるみたいな全体の利益にならないことにエネルギーが労力を使いたくないという,これも一種の「自分勝手」です.

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22b
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(経済)

 「相場」が迷い始めましたね.ただし,迷ってるのは,あくまで「相場」です.

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3/23'12
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 今日は,修了式,そして,研究室の追いコンでした.毎年同じなんですが,やっぱりちょっと寂しいですかね.とにかく元気でやって行って欲しいです.それだけで充分です.

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3/25'12
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 昨日は,筑波大バドミントン部の追いコンでした.私はもうバドミントン部の練習には行ってないし,教職員のクラブも辞めたので横で練習を見ることも彼らと顔を合わせることもないので,1,2年生はほとんどわからないし,こういう私が行ってえらそーに何か話をしても,どういう意味があるのかとも思ったのですが,今年卒業する4年生やM2やD3はよく知ってるし,追いコンに出るのは,これが最後かもなと思って頑張って行きました.

 追いコン自体は,以前はよく出ていたのですが,以前より「普通の全国レベルの競技力をもったチームの追いコン」になってきた感じがしてしまいました.例えば,卒業生の写真などを集めた動画が作られていて,それ自体は労作で,笑いも満載でとてもよくできているのですが,そういうのって,まあ「普通」ですよね.

 阿部先生が来られなくなって,そういう傾向に歯止めをかけるべく私が呼ばれて話をするという側面もあるとは思うのですが,そういう中で,小難しい話をしても,逆に浮いてる感じがして,ちゃんと伝わってるのかわかりません.

 ただ,きらりと光るものはやっぱりあって,最後の卒業生の話では,みんなちゃんとしゃべっていて感心しました.奥井が最初にしゃべったんですが,彼女がいかに真剣に取り組んできたかが痛いほどわかったし,後述しますが,小出が(意外と)バドミントンという競技というか,生きていく上でどう考えるかについて本質的なことを言っていたのに驚きました.

 最後にD3の須藤がしゃべったんですが,彼がある物理学者(フェルミだったかな)がアメリカに研究費を出させる面接で,これができるとこの国を守ることに何の役に立つのかときかれて(なので,マンハッタン計画のことですかね),彼が何と答えたかというと,これができるとこの国が守る価値がある国になる,と言った,ということを紹介して,だから,この筑波大バドミントン部も守る価値があるクラブになって欲しいし,そうあるべきだ,と言ったのは,昨日の追いコンを見ていて,まさに私が感じていたことでした.

 何度も書いてますが,競技力がある全国レベルのバドミントン部は,他にいくらでもあります.でも,筑波大バドミントン部がそこと同じようになってしまっては,存在価値がないじゃないですか.

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25b
[競争]
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 上の続きになると思うのですが,競争って何でしょうね? よく言われることとしては,人間やっぱり怠け者だから,競争させないと頑張らないということなんでしょうか?

 今朝,たまたまテレビ番組の録画で,ジャイアンツの2軍を取り上げていて,ジャイアンツの不動のキャッチャーである阿部ももう30を過ぎて,後継者を育てないといけないという中で,二人の若手に期待が寄せられていて,彼らの競争心を煽って切磋琢磨させているというものでした.

 首脳陣としては,試合に勝たないといけない,だから,阿部の後継者になるような若手のキャッチャーを育てたい,だから,彼らに頑張らせるというのは,わかるのですが,それが競争をさせるってことなんでしょうか? 競争をさせれば,どちらかが勝ってどちらかが負けます.でも,結果として,有能なキャッチャーが育てばそれでOK?

 スポーツの素晴らしさは,このサイトでも再三書いて来ました.でも,いろんな問題があるのも事実です.若くしてピークを迎えてしまうということもそうですし,評価が「相対評価」になってしまうというのもそうです.みんな頑張って強くなったとしても,試合では冷酷に勝ち負けがついてしまいます.

 だから,競争というのは,わかるのですが,「勝者は一人」なので,ほんとにものすごい削り合いになってしまいます.昨日の追いコンでも,全国レベルでプレーしてる選手達は,この4年を振り返ってほんとに苦しかったと言っていて,でもそういう中で「楽しむ」ことが大事という私の言葉もどこか通り過ぎてしまう感があります.

 去年の納会で話したとき,ここに全く無害でドーピングに引っかからないバドミントンが強くなる魔法の薬があったら飲むか,ときいたら,ほとんど?の学生が手を挙げて,ちょっと(かなり)がっかりしたんですが,そんな安易な方法で強くなってもつまんないし,練習して強くなるという因果関係があることがスポーツの最大の面白さだと思うのですが,そういうものがあったら,藁にもすがる思いで手が出てしまうほど必死で練習してるってことなのかもな,とも思いました(と昨日も話しました).

 そういう中で,小出が言っていたことですが,彼は,バドミントンでは,結果は残せなかったけど,筑波大に来られたし,大学院に進んでこれからも活動を続けられるわけで,そうしたくてもそうできない人もいるから,そういう人のためにも頑張りたいと言っていて,私はここで頑張るから,あなたは,そこで頑張ってねという,ある意味,世の中の縮図というか,こうなれば世の中上手く行く,自分がどうしていけばいいのかが何となくわかってるんだな,と思いました.

 こんな感じで,昨日の追いコンは,消化不良というか,行って話して何か意味があったんだろうかとも思っていたのですが,最後の方で住田と話していて,フィジカルは,若い頃がピークだけど,それ以外の部分は,これからまだまだ成長していけるということ,それは,実はスポーツに限らないこと,その総体評価としての競技力がスポーツは,相対評価という形になってしまうから,それに耐えられずに辞めていく選手が多いけど,そうでない部分を追求して行って欲しいと伝えられた(彼女はその辺のところがわかってる感じがするので)のがちょと救いですかね.

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25c
どうでもいい
(生き方)

 なんか最近また,迷ったりいろいろ思い悩んだりしてるんですが,自分も含めて周りのこととか,なんかどうでもよくなってきました.とか書くとなんか投げやりな感じなんですが,そうではなくて,現状に不満があるとしても,まずそれを受け入れることからしか始まらないと思うんですよね.自分が思うような仕事ができない,適材適所になってないとかほざいたって,それが私に対する評価なのですからしょうがありません.仕事以外のこともそうですし,周りのことなら尚更です.

 で,そう考えると随分楽になるものです.幸い,人間何かしないと退屈で生きていけませんから,やれる範囲でやれるだけのことをやればいい,ただそれだけでいいんじゃないかと.

 でも,こんなこと書くと,また変な誤解する人もいるんでしょうね.まあ,それもどうでもいいってことですね.

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3/26'12
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 どうでもいい,っていうのは,表現がよくないかもしれませんが,要は,やるだけのことをやったら,結果は気にしない,どうでもいい,ということです.だって,やるだけのことやったら,もうそれ以上は,どうしようもありませんからね.つまり,問題は,やるだけのことやってんのか?ということです.

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3/28'12
[やるべきこと]
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 「お仕事」は,相変わらず大変なのですが,とある理由から3月中に出しとかないとということで,ほんと久しぶりに論文を書いています.で,さっき査読論文を2編投稿しました.

 論文書いてて思ったのは,やっぱりこれが「やるべきこと」ということです.そして,ずっとそうなんですが,研究したり論文書いてるときがとにかく単純に一番幸せです.理由はよくわかりません.

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