今日は3/1ということで,つくばに来て7年が経ちました.と言っても,もう別に特にこれと言って書くことは...去年なんか完全に忘れてますしね.だからもう,ある意味,完全に「収束」したってことですね.そういうことは,既に2年前に書いています.問題はそれがどういうことか,それでいいのかだめなのか,ということでしょうね.
私の場合,同じところにずっといるとおかしくなる,10年くらいが限界か,とはどこかで書きました(同じところに何十年もいる人ってほんとすごいと思います).でもまだ大丈夫ですかね.というか,「いろんな意味で」,今の職場はとても恵まれているので,これ以上のところは望むべくもないでしょう.ですから,ここに来た頃は,10年経ったらどこでもいいから(^^;,移ることを考えようと思っていたのですが,今の心境としては,自分からわざわざ何かの行動を起こすとは考えにくいです.まあこれも再三書いてるように,自然の流れに身を任せる,ということですね.
でも,定年までずっとここにいるとはちょっと想像できないです.単に想像力がないだけ?というか,これもどこかで書きましたが,将来のことが考えられるのって5年がせいぜいですからね.
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職場については,上で書いた通りですが,住むところは別の話です.内的熟達的に生きればどこに住むかは(あまり)関係ないのですが,心身ともにいつも好調というわけではありませんから,気分転換できる環境はやっぱり大事ですよね.職場の場所は非常に限定されますが,住む場所はほとんど自由に選ぶことができます.大学教員は労働裁量制なので,別にどこで仕事をしても構いません.
これもどこかで書いたと思うのですが,私は,平均すると週2回は東京で仕事なので,週末を入れれば,東京に住んだ方が効率がいいわけです.そう思って,いろいろ住むところ探しをしたこともあったのですが...なかなかここだ,というところは...本郷近辺に20年くらい住んでいてとても快適だったので,ここかとも思ったのですが,今はもう少し違和感を感じます,
私が好きなのは街中です.好きというよりは,便利というか,仕事で煮詰まったときに気分転換できるところがたくさんあります.食事にも困りません.つくば,大学周辺にはそういうところがほとんどありません.そういう風に考えて行くと,本郷に住んでたとき,気分転換できた上野,御茶ノ水,神田,秋葉原エリアはどうかと考え始めました.例えば,TX沿線の新御徒町とか浅草付近とか.
そう言えば,同じ専攻のK村先生がTX浅草駅の近くに引っ越したらしく,TX浅草駅は,いわゆる浅草からは少し離れていて,家賃も少し安いしいいですよ,と言っていました.本郷から上野,御茶ノ水,神田,秋葉原に出かけるときは自転車なんですが,本郷は高台なので,帰りは坂道を登らないといけなかったのですが,この辺なら同じ高さですいすいです.上野が近ければ電車でスキーに行くのにはベスポジでしょう.隅田川も近くて街中という以外にも気分転換になりそうです.
でも,地震動予測地図を見るとこのエリアは...でもこれは微地形区分などから推定したせん断波速度を基にして表層地盤の増幅を評価しているので(と書いても普通の人はわからんか(^^;),少し調べてみる必要はあるでしょうね.まあT村さんの関東地震の被害分布を見れば一発でしょうけど.
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京都に行くときに,ほんと久しぶりに富士山が全部綺麗に見えた(typePでぱちぱちこの文章を書いていたら,携帯のシャッター音があちこちで聞こえたので気づいた)のですが...うーん,富士山ってどうですか?なんかあまりに造形的に綺麗に出来過ぎてて自然と言うよりは,造形物みたいな感じが私はします.大きさの割に迫力もあんまり感じません(大きすぎるから?).迫力と言えば,地震学会で鹿児島に行ったとき見た開聞岳の方が全然すごかったですよ.筑波山もどーんと見えるところに行くとかなり迫力があります.
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私は新幹線の席を予約するときは必ず通路側にします.飛行機もそうですね.だって窓側って窮屈じゃないですか?閉所恐怖症ってこと?でもいつからか東海道新幹線の窓側にコンセントがついたので(のぞみだけ?)乗ってる間ずっとノートPCで作業することを考えると窓側というのもありかな,という感じがしてきました(と忘れないようにここでメモしておく).
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先日,sportだったと思うのですが,プロ野球の現役選手が選ぶ上手い外野手,内野手というような特集をやってました.中身はよく憶えていないのですが,内野手No.1に選ばれたのは中日の井端だったかな.で,彼がそれをきいて「嬉しい.ほんと嬉しい.何よりも嬉しい」というようなことを言っていたのがとても印象的でした.
評価がどうあるべきかについては,このサイトで度々書いてきました.例えば,プロ野球選手が年俸にあんなに拘るのもそれが1つの評価だから,というようなことも書きました.でもこれって球団がある査定方法に従ってマニュアル的に決めるものですよね.研究者の「研究業績」とか「昇進」とか「賞」なんていうのも似たようなものです.そんなものより,数字なんかには表れない,それこそ同じトップレベルの選手にしかわからないすごさってあるでしょう.それは研究者もそうです.
つまり,トップレベルの研究者の中で認められてなんぼということでしょうね.それは,私もひしひしと感じますし,そういうようなことを言われたときはとても嬉しいです.でも,研究の場合は,もっと突き抜けていれば,誰にもわからない,という領域もあるとは思うんですよね(野球はそういうことはちょっと考えられない).そんなところまで行ける人なんかそうそういないでしょうけど.
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久しぶりの京大防災研でした.入倉先生に呼んでいただいて,しゃべりに行ったとき以来でしょうからもう大分前ですね.手前におうばくプラザという立派な施設ができていて,研究集会もそこで行われました.でもやっぱり今回もとんぼ返りになってしまいました.
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日本選手の今回のオリンピックにおける評価ですが,もちろんそんなにちゃんと見てるわけではないですが,前回トリノの惨敗から回復して長野を除けばリレハンメルに匹敵する成果,というような概ね好意的なものが多いようです.まだ終わったばかりからそういう評価なのかもしれませんが,まあこれでいいならいいんじゃないですかね?
でも,メダル数は5つでも金は1つもありませんから,前回より好成績とは言えないでしょう.でもトリノの金も大本命が獲ったというよりは,大本命がミスして獲った「奇跡の金」に近いものはありましたけどね.それに「金1個は銀10個より上」というメダルランキングで見ても,メダル総数で見てもランキング自体はさほど変わりません(15〜20位程度).
国 金 銀 銅問題はこれをどうするのか,どうしないのか,ということでしょうが,「スポーツは文化である」的に考えれば,強い選手だけを強化するとか,どこかの国のようにメダルが獲れそうな種目を強化する,なんてことはやめて欲しいです.
じゃあどうしたらいいかですが,こういう言い方をすると少し語弊があるかもしれませんが,冬のスポーツというのは,冬になると雪や氷で閉ざされる地方の数少ない楽しみとしての存在意義があると思います.つまり,そういう地方の活性化に繋がるということですね.例えば,カーリングが盛んな常呂町とか青森の取り組みがヒントになるかもしれません.スピードスケートが強いのも,1993年釧路沖地震のとき釧路に被害調査に行ったときに,小学校の運動場がスケートリンクになってるのを見てなるほどなと思いました.
ここで思うのは,日本ではこれだけスキーが盛んなのにそれがベースになってるアルペン競技がなんでこんなに弱いのか?ということです.これについては,昔から議論になっているのですが,1つは「基礎スキー」に流れてしまうからではないか,と言われています.例えば,バブルの頃は,アルペンの選手になんかなるより全日本のデモンストレーターになった方が何倍も収入があるというような状態でした.競技で夢破れた選手が基礎スキーに入ってきて技術選の上位を占めるというようなこともありました.
でもどうなんですかね?「基礎スキー」は,毎日のように滑れるわけではない都市部の人達がどうやって滑れるようになるかを考えたスキー理論という役割もあり,スキーの底辺を広げるのに機能している思います.私はいろんなスポーツを経験しましたが,そういう「教育システム」がスキーほど整っているスポーツはそんなにありません.スキー場に行けば,必ずスキー学校があるわけですからね.
ですから,基礎スキーが問題なのではなくて,それをベースにある程度,滑れるようになって,もっと上手くなりたいと思ったときにどこを目指すのか,そういう受け皿があるのか,ということでしょう.少なくとも現状では,アルペンの選手になりたい,と思わせるような状況にはありません.そこが,アルベルト・トンバのようなアルペンの選手が大スターであるヨーロッパと大きな違いがあります.そう思わせる唯一の機会であるオリンピックがこの惨状ですからね.
基礎スキーを国際的なものにしようということも試みられたこともありましたが,最近はあんまりききません.世界的に普及しないということは,それそのものに「競技としての」魅力が(さほど)ないからでしょう.
ですから,まず強い選手を強化してスター選手を作るということになってしまうのでしょうか?つまり,鶏と卵の関係のようなことになってしまう?
要は,やっぱりカナダにおけるアイスホッケーのように,日本人が愛するウィンタースポーツが何かということでしょうね.スキー,スノボはかなり普及していますが,それがトップレベルの選手を生み出すということには繋がっていません(若くしてプロになれるように,スキーよりスノボの方がまだそういう道ができている).
もちろん,スキーやスノボに限らず,いろんな人がいろんなスポーツをやればいいので(支えるという意味では見るだけでもいい),そういうものを楽しむ心の豊かさがどのくらいあるのか,ということですね.別に全国民をあげてやるとか見るという必要は全然なくて(ていうかそういうのは逆に気持ち悪い),それぞれの種目でそれが好きな人がやったり見たりすればいいわけで,それがむしろ健全な姿でしょう.地方活性化的にも,うちはカーリング,うちはアルペンスキー,うちはノルディックの距離競技,という風に多様にやりたいことをやればいいわけです.そして,それぞれの種目についてそれがやりたい人がやればいいということは,冬のスポーツに限らず,スポーツ全般,あるいは,もっと広い意味では,学術とか芸術とか何でもそうですね.
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眠りが浅く,夢をはっきり見る傾向がずっと続いています.でもこれは昼間体を動かしていないので当然ですね.山低ければ谷低しということです.早くいつもの生活に戻りたいです.
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武田先生の葬儀の道すがらT大のS原先生と話したときに,彼がコンピュータの計算性能についてもうすぐブレークスルーが起こるかもしれないような状況が近い(微妙な表現(^^;)というようなことを言っていてずっと気になっています.どういうことかというと,今の計算機の何倍とかいうオーダーではなく,何百万倍?(後述する量子コンピュータなら理論上は数兆倍?)とかいう全く別次元のことが起こるかもしれない,というようなことです.S都大のK山先生のHPにもそういうことが紹介してありました(S原先生が量子コンピュータのことを言っていたのかどうかはわからない.よく憶えていないが,S原先生の話ではハードではなくソフト的にという感じだった)
そうすると,どういう状況になるかというと「とんでもないこと」になります.例えば,地震応答解析とか強震動予測というようなシミュレーションは全く意味がなくなります(後で書きますが,実際はそんなことないでしょうが).シミュレーションを行う際は,何らかの「モデル化」が必要となり,それが研究の神髄であり,そこにどういう力学を持ち込むかということに知的能力が要求されるわけですが,それが全く不要になるというのです.
どういうことかというと,コンピュータで「それそのもの」を作ってしまうことが可能になる,ということらしいです.なかなかイメージが湧かないと思いますが,例えば,地震応答解析や強震動予測で悩ましいものに減衰をどう設定するかということがあるのですが,こういうものも「自動的に決まる」ということです.つまり,実験と解析の境目がなくなり,実験という概念がなくなり,人間は(知的作業的には)何もしなくてよくなるわけです.以前から,T大J研のH先生が都市をそのまま作ってしまうとか,数値振動台とかいうのはこれのことだったんでしょうかねー.ただ,この話をめっちゃへびいな強震動シミュレーションをバリバリやってる人ばかり今回の研究集会でも出してみたのですが,反応は今一で,そういうことを認識している人はあんまりいないようでした.
これってどう思います?何でも実験できて,今まで解析できなかったことがどんどん「実験」できて,世の中は圧倒的に便利になるからハッピーですか?なんかつまらなくないですか?
研究のネタや面白さは「制限」にある,ということは既に書きましたが,何でも簡単にできてしまえば,研究的にはつまらないです.コンピュータの性能アップで解決できるということなら研究そのものがコンピュータの性能をあげることに注力されてしまいます.今まで知恵を絞っていたものをコンピュータでハード的に解決してしまうのは,金にものを言わせる的な横暴さすら感じます.ただでさえ肩で風切るIT業界がますますのさばりそうです.
とか,考えていたのですが,この文章を書いてるうちになんか大丈夫な気がしてきました(^^;.そうなったらそうなったで,やることはいくらでも考え出せるでしょう.それだけの知能が人間にはあると思います.実際,コンピュータがこの世に出現したときも,ものすごいブレークスルーで,これでパラメータを変えて何でも解析できるから実験しなくてもよくなる,と考えた人も当初はいたようですが,実際には全然そんなことはありませんでした.
ですから,今はむしろ楽しみになってきました.でも少なくともそういうブレークスルーにどれだけ迅速かつ的確に対応できるかということで研究者の能力がものすごく問われることにはなりそうです.そして,研究分野だけではなく世の中的にも,計算処理時間がネックになっている膨大な問題は一気に全て解決され,産業革命,IT革命といったことが起こり,世の中は劇的に変わるのかもしれません(意外と変わらないかもしれません(^^;).
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西日本は東日本より危ない?のつづきです.今回の研究集会で何人かの研究者と(もちろんT美さんとも)話してみました.ここで書いていたことにはいくつか仮定があったので,それをまず確認しました.まず,横ずれ断層と逆断層で短周期レベルがどうとかパルスが出やすいかどうかは何とも言えないようです.ただ,言えるのは,これは当然のことですが,逆断層は揺れが一定レベル以上の領域が局所的になるのに対して,横ずれ断層は広い範囲になるということです.つまり,単純に「そういうこと」なのではないか,ということです.これは,2004年新潟県中越地震で川口町周辺という非常に限られた領域でですが,1-2秒のやや短周期が卓越した地震動が発生したこととも整合します.
で,確認してみました.何を確認したかというと,東日本の内陸直下地震が起こっていて,なおかつ,死者がさほど出ていないのか,ということです.下の一覧は,濃尾地震から20世紀の間に死者を出したM7.0以上の内陸直下地震の一覧です.
年 地震 死者数 M全ての地震について断層メカニズムや震源の位置を確認したわけではないですが,「そういう傾向」は確かに見られます.ですから,西日本は東日本より危ない?ことには変わりない?
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大変なことになってきたトヨタですが,豊田(トヨタではなくトヨダであることを今回の件で知った人も多いのでは?)社長が火消しに躍起のようですが,どうも要領を得ない感じがしてしまうのは私だけでしょうか?奥田さんだったら全然違ってたような気がしないでもないです.そもそも彼が社長就任時に,このピンチを乗り切るために創業家から社長を出したという論理?も全く意味不明でした.
彼が(未だに)こんなことを言っていました.「事故を引き起こした現象がどうしても再現しない,設計上は大丈夫になってる.」これってどう思います?去年,いろんなメーカーに散々振り回された話はしましたが,似たような感じでした.どういうことかというと,不具合が起こったのは事実で,でもそれをメーカーに伝えても「そんなはずはない」という感じなんですよ.これってどういうことだと思います?お客様目線とかそういう問題でしょうか?もっと本質的なもっと深刻な問題だと思います.
それは,メーカーもわからない,つまり,誰もわからないってことなんですよ.エレベータ事故のときも書きましたが,制御システム,プログラムの全てを把握してる人なんかこの世に存在しないのです.それくらい「技術のブラックボックス化」が進んでしまっているのです.そして,そういうものに人の命を左右する車のみならず世の中全体がどんどん依存してしまっているわけです.怖くないですか?ある日突然,「大爆発」が起こるかもしれませんね.
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とか書いていたらさっきWBSでやってましたね.こういうことってあるんだよなー.でもスパコンがノートPC程度では「とんでもないこと」というほどのことはありませんね.
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T村さんの関東地震の詳細震度分布を見てみました.意外だったのは,浅草の隅田川沿いの震度がそんなに高くなかったことですね.これは,地震動予測地図とも対応しています.TX浅草駅周辺もそんなに高くありません.これに対して隅田川の対岸の震度はかなり高いです.上野,秋葉,神田,御茶ノ水といった「ゴールデンエリア」は意外と低いです.へー.ちょっと検討してみますかー.でも,やっぱり首都直下地震が来るまでは...
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卓球の福原愛さんが早稲田を辞めるようですね.つまり,(やっぱり)文武両道でも何でもなかったわけです.でも別にいいんじゃないですかね.気づくのが遅すぎたというのはありますけど.
「勉強ができる」ということ自体はほんとに大したことではありません.研究者やエンジニア,あるいは,例えば,弁護士や医者になるのにその分野の「勉強もできない」のでは話になりませんが,卓球選手が「お勉強」してもしょうがありません.他に大事なことはもっとあります.それが競技力だけではないことはこのサイトで何度も書いている通りです.そして,そういうことは「大学でお勉強」したり,人から教えてもらったりするものではなく,自分でしっかり考えて身につけていくべきものです.
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スピードスケートの清水宏保さんが引退会見で,スケートを33年間やってきたけど,短かった,と言っていたのが印象的でした.いろんなことがやりたい私からすれば,これから新しい人生が始まるという面もあるとも思うのですが,もし自分にはこれしかない,これに一生打ち込みたいというものだとすると...やはり辛いでしょうね.もちろん,指導者としての道もあるとは思うのですが,自分の体を使っての試行錯誤や実験はもうできないわけです.
自分にはこれしかない,これに一生打ち込みたいというものに出会えたことは幸せなことだと思いますけど,それが「たまたま」スポーツだと,そういうことが宿命づけられているわけです.なんか切ないですね.
でもスポーツでなくても,定年がある仕事は定年が来れば終わりですし,定年がない仕事でも仕事以外のことでも自分の思うように体や頭が動かなくなれば終わりですから,長い短いの問題かもしれません.そして,長い人生が短い人生に勝るということもありません.清水さんの33年間のスピードスケート人生は短かったのかもしれませんが,素晴らしいものだったことは間違いないでしょう.
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ライオンズに入った雄星君ですが,ちぎっては投げちぎっては投げという感じだった甲子園のときとは対照的に,フォームがどんどん縮こまってきてるような気がしますねー.でも,どんなに球が速くても高校の時のままで通用するわけありません.つまり結局は,プロで通用するかどうかは変化球次第ということです.松坂さんが高卒ルーキーでいきなり通用したのもあのスライダーがあったからです.雄星君もスライダーのコントロール次第でしょう.ですから,しょうがないというか,通るべき道ということですね.
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体調ですが,こんな状態で行って大丈夫かとも思ったのですが,何とか大丈夫でした.というか,久しぶりに体調の良さを感じました(ほんと久しぶりだった).環境を変えるというか,どこかに出かけるというのはいいのかもしれませんね.
ただ,こっちに戻ってきてからは可もなく不可もなくといった感じです.でも,行く前は体調悪悪でしたから,これでも大分回復したことになります.呼んでくれたK瀬先生とM島先生に感謝ですね.H大のS谷先生にも「ご卒業」おめでとうございます,と言うことができました.
股関節の方も,大分痛みが減ってきました.投薬前を10とすると10日して5になり,今は3くらいです.かなり大股を広げなければ普段はほとんど痛みを感じなくなりました.あと3日で投薬の2クール目が終了しますが,それで投薬は終わりそうな気がします.問題は,そこからどうするか,ですが...(運動していいのか,まだ安静は続くのか).
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と書いたのですが,違うような気もしてきました.一生打ち込みたいなら体が動くうちは打ち込めばいいじゃないですか.もちろん,肉体的にはどんどん衰えていきますから,若い頃のようなプレーはできません.プロ選手ならそれで食べていくこともできないでしょう.でも働きながらそういう条件下でプレーを続けて行くことはできますし,それはそれで創意工夫の場にもなるでしょう.
もちろん,トップレベルでやってきた選手なら,そこまでして,無様な?姿をさらしてまで続けるのは我慢できないし意味も見出せない,むしろ,後進の選手を育てることでトップを目指す,ということもあるでしょう.それはそれでありだとは思いますが,自分の体を使って試行錯誤していくことに拘るのであれば,続けていくことはできるということです.そして,それだけの魅力がスポーツにはあると思います.若者だけのものにしておくのは勿体ないです.
でも,例えば,バドミントンの全日本総合で優勝したような選手が全日本シニアで優勝することにモチベーションを見出すのは難しいでしょうね.でも,シニアにはシニアの世界がありますし,若い頃のようにただきついトレーニングをすればいいというものでもありませんから,現役時代に強ければシニアなんて楽勝というわけにも行かないと思いますよ.だからこそ,現役時代はさほどでもなくてもシニアでは名選手ということがあるわけです.
いや,トップレベルでやってきたからもう体がボロボロで,これ以上は,きつい練習は続けられないとしたら,それは,太く短く生きた,ということで,それでスポーツ人生が終わった,ということですから,それはそれで仕方ありません.でもスポーツ人生が終わっても,人生はまだまだ続きます.生きていくのなら何かしないと「退屈しのぎ」できません.そして,どうせ「退屈しのぎ」するのなら,やりたいことをやることはできるということです.もちろん,やりたいことではなく,やるべきことをやるというのもありです.
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東大、創立以来初の博士号取り消し 助教の盗用で |
という記事が出ていたのは気づいていました.別に気にも留めてなかったのですが...とある人からメールが来て,建築でのこと,ということを知りました.で,どこの研究室かちょっと調べてみたんですが...大変なことになってきましたね...
でも,耐震偽装事件のときもそうでしたが,こういうとんでもない悪意をもった人間がいる,ということを前提に社会のシステムを考えて行かないといけないとすると,それこそとんでもないどうしようもない社会になるのは目に見えています.
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またまた,びみょーな話題になので,研究室のページではなく,ここに書いておきます.T村さんの(大正)関東地震の詳細震度分布では確かに「対象エリア」の震度は低いです.しかも,大正関東地震や元禄関東地震の再現期間は短くて200年ということですから,少なくとも我々が生きてる間は関係なさそうです.
では,今後30年で発生確率が70%!と言われ,メディアでよく使われる「首都直下地震」とは何なのでしょうか?これは実は相模トラフなどの特定の断層を想定したものではなく,南関東エリアで起こる(過去に起こった)大地震を総称しているということらしいです.
では,関東地震以外にどういうものがあるのでしょうか?ちゃんと記録が残るようになった1700年以降,関東で発生した大地震は以下の4つとされています.
年 地震 死者数 M 震源メカニズムつまり,1703年から1923年までの220年の間に4回大地震が起こっているので,その再現期間をざっくり計算すると220/3=73年となります.1923+73=1996年ですから,もういつ起こってもおかしくない,被害がさほどでもなかった明治東京を除いたとしても発生間隔は110年ですから,1923+110=2033年となり,今後30年を考えると,その発生確率は非常に高いとなるわけです.
もう少し遡れば,詳しい資料は少ないのですが,1649年慶安江戸,1615年慶長江戸とM7クラスと思われる直下地震が起こっており,資料が残っている1595年〜1975年の380年で震度VI相当の被害があったのは,上の4地震と合わせて6地震となり(宇佐美, 1976),再現期間は,380/6=63年となります.なお,河角の,818年以来,震度Vの地震が69±13年の周期で記録されている,というのは鎌倉の古文書によるものの話で東京にはそのまま当てはまりません.
でも,地震が周期的に起こるのは,主として断層運動によるものですから,相模トラフのプレート間で起こる関東地震ならわかりますが,メカニズムがよくわかっていない安政江戸地震を引っくるめて議論するのは,少し乱暴かもしれません.
ここまで来ればもうおわかりだと思いますが,関東地震は(おそらく我々には)関係ないのですから,要は,安政江戸地震がどうなのよ?ということです.そして,安政江戸地震については,その震源位置や深さ,メカニズムなどには諸説あり,再現期間もよくわかっていないというのが現状です.ネットだと限られるのですが,私が知る,信頼できる研究者のものをいくつかあげておきます.
産総研 遠田さん
東大地震研: 古村先生
東大 宇佐美先生
鹿島 引田さん
ただ,少なくとも言えるのは,宇佐美先生がまとめられた資料による安政江戸地震の「対象エリア」の実際の被害はかなり大きいです.「揺れやすさ(表層地盤,推定Vs30や武村さんの関東地震の詳細震度分布)」から言えば,このエリアは大きくはないですから(もちろん小さくもないが),要は,震源が近かったと考えるべきでしょう.そして,発生からもう150年以上経過しているわけです.やっぱり,自分から進んで引っ越そうという気には...ちょっとならないですかねー.これもそういう「直感」に従え,ということでしょうか.
ただ,言えるのは,普段はつくばに住んでいるとしても,週2回,仕事で東京に行っているときに地震が起こることもありうるということです.そうなれば(都内某所に自転車を置いているという話はどこかでしましたが),つくばに戻るのは大変です.そういう意味では,都内に拠点があるのは悪いことばかりでもありません(私の場合,被害調査もありますしね).要は,東京での仕事がこれから増えるのか,変わらないのかということでしょうか(減ることはないと思う...).
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この件ですが,メディアへの公表を受けて,同じ専攻の先生から経緯説明みたいな形で連絡が来たのですが,昨年末から大変だったみたいですね(でも,メディアでは意外と取り上げられていない.少なくともテレビではやってない?なにかコントロールされている?).S某のやったことは,もちろん断じて許されることではありませんし,今後このようなことが起こることは絶対にないようにしなければなりません.仕事ができようができまいがとにかくまず人間としてちゃんとしていることは大前提です.しかしながら,ここでも書きましたが,こういうとんでもない悪意をもった人間がいる,ということを前提にシステムを作るのは効率が悪すぎます.
社会全体ならともかく,学術研究という知的レベルもモラルも(おそらく)高いと思われる集団が対象となると,極一部のそういう人間のためにほとんどのまともな人達が多大な迷惑を被ることになります.何年か前,極一部の人間の科研費の不正使用が問題となって,手続きがとても面倒になったのですが,うっとうしくて仕方ありません.耐震偽装事件が起きたとき,まさか基準法を意図的に破る人間がいるとは夢にも思わなかったということがよく言われていましたが,その後のシステム変更に伴う社会的混乱はとんでもないものでした.
S某は,間違いなくとんでもない人間ということでしょうが,指導した教員,即ち,博士論文の主査を行った教員の責任も重大ということになるでしょうね.ただ,M村先生は,私の学生時代の研究室が隣の(正確には1フロア1研究室なので1つ下の階の)研究室だったので,彼がPDだったもう20年以上前から知っていますが,不正をするような人とは思えません.これは全くの想像ですが,一言で言えば,とにかく忙しすぎた,ということなのでしょう.
東大の先生は,とにかく忙しすぎます.言葉はどうかと思いますが,学生の面倒を見てる暇なんかないでしょう.これをきいて,大学の教員が学生の面倒を見ないなんてなんたることだ,と思われるかもしれません.でも,悪いことばかりではありません.少なくとも,博士課程に来て,研究者になろうというほどの人間が,教員の指導がなければ研究できないようでは,研究者になんかなれるわけありません.
東大の先生が忙しすぎて学生の面倒をみれない,というのは,確かに問題もありますが,学生側からしても,ほったらかしてくれれば,自分の好きなように研究を進めることもできるわけです.私も学生時代,かなり自由にやらせてもらって,とても感謝しています.でも,これは,誰にでも通用する方法ではないことは言うまでもありません.実際,ほったらかされると何もできなくなる人がほとんどでしょう.研究者になれる人は極一握りですから当たり前と言えば当たり前です.
東大の先生は,忙しすぎて学生の面倒はみれない,でも,学生は,東大に来てるほどの優秀な人間なのでほったらかしておいても大丈夫,むしろ,それがいい方向で回転していた,ということでしょう.でもこういう状態は,「たまたま」そうなってるという非常に危ういものであることは間違いありません.そして,今回の事件が起こってしまったということでしょう.
少なくとも言えるのは,教員に悪意がなくても,学生がとんでもないことをすれば,それが教員に降りかかってくるということです.これは東大の先生に限らず,全ての教員にとってとても憂鬱なことです.M村先生は,少なくとも研究の中身においてはS某を信頼していた(というか,そういうことをやりたければやれば?というスタンス?)のにそれを裏切られた,ということでしょう.メディアの追求?がさほどでもないのもそういう事件の真相と関係があるのかもしれません(メディアにも良心はありますしバカではないですから).
私の研究室にも10人以上の学生がいますが,その一人一人にテーマを与え,研究指導をするのは,並大抵のことではありません.もちろん,何かおかしなことをしてないか,間違えていないか,細心の注意を払ってチェックしています.学生達にも,何か間違いをした状態で結果を社会に公表してしまったら大変なことになる,地震防災なので人命を奪うことにもなりかねない,社会的責任の重さを自覚して日々の研究に取り組むようにいつも口酸っぱいくらい言っています.単なる間違いだったとしてもデータ偽造という誹りを受けるのが現状でしょう.でも,さすがに学生がコーディングしたプログラムのデバッグまではできませんし,数の数え間違いまでチェックすることもできません.
ただ,今回の事件は,論文盗用や経歴詐称であって明らかに意図的行為なので,やはり本質的に違うものです.ですから,それを見抜けなかったM村先生の責任はやはり大きいということになるでしょうね.S某の専門が宇宙構造物?ということで,M村先生の専門外だったということなら,少なくとも博士論文の副査にそういう分野の人を入れておくべきでした.
でも,教員は研究室に入りたいという学生を拒否することはできませんから,今回のようにとんでもないのが入ってきて悪さをしでかせば,身を滅ぼされる,なんてことにもなりかねません.本来やるべきは研究活動なのに,学生が何かしでかさないか監視するのに精力をさかれる,論文審査をするときに,盗用がないか,古今東西,全世界の論文を全てチェックするなんてことは,非生産的なこと甚だしいです.私の研究室にはそんな奴は来ないと信じていますが,これでまたいろいろめんどうなことになるかと思うと,やっぱり憂鬱な話ですねー.
研究以外のところでも,私は今3年生の担任をしていて,成績不振者の面談なんかほんともう大変なんですが(でもこれもどこかで書きましたが担任になったのも何かの縁だし,できるだけのことはしたいと思っています),小学校の担任とは全然違って,別に彼らと毎日接して監視しているわけはありません.でも,彼らの誰かが何か問題を起こせば責任を問われることになるのでしょうか?
やっぱり考えさせられますねー.大学や学校で何か問題が起こったとき,社員が何か不祥事を起こしたとき,学長や校長や社長がテレビカメラの前で頭を下げる,という場面をよく見ますよね.有名になりたくない,偉くなりたくない,と散々このサイトで書いてきましたが,ほんとそう思います.余計な面倒なことはほんと疲弊しますし,とにかくそういうことにはできるだけ関わりたくないです.研究がしたいから研究者になった,だから研究していたい,じゃだめですか?
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整形外科に行ってきました.診断は予想通り,投薬は今日で終わるということでした.で,これからどうするかですが,今月いっぱいは,日常生活で必要な分以外はできるだけ動かさない,それで痛みがなくなれば,来月頭から少しずつ,ウォーキングくらいなら動かしてもいい,今月末でまだ痛みがあるなら,再来院する,バドミントンはまだその先とのことでした.つまり,運動という運動ができるのはまだずっと先ということです.まあしょうがないですかね.
でも,こんなに長い間運動しないということで,心配なのは体調管理です.何年か前,バドミントンをやめていたときもずっと走っていましたし,私の場合,基本的に運動しないでは体調管理したことがありません.食べる量を減らすのを続けるのは必須ですが,それだけでOKというわけではありません.どうしましょうか?
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鈴木成文先生が亡くなったようです.彼の専門は建築計画で,構造志望だった私は学部時代,彼の講義に出たことは(多分)なかったと思います.でも,研究室に入って,研究室のチームで野球の試合をやり,「成文研」とも何度も対戦しました.そして,成文研のピッチャーは...なんと成文先生でした(当時もう還暦に近かったと思います).
試合が終わった後の懇親会で,いつどこで練習してるんですか?ときいたら,暗くなってから近くの公園で壁にボールを投げて練習してるんだよ,とおっしゃって,おったまげたのを憶えています.
その後,お話しする機会はなかなかなかったと思いますが,このとき,鈴木博之先生(先日,ブラタモリに出ておられましたね)が成文先生の文文日記のことを紹介してくださいました.そのとき,もちろん見させていただいたのですが,訃報を受けて,また覗いてみました.
驚きました.亡くなったのは3/7の午前1時,つまり,実質3/6ということですが,文文日記は,なんと3/4まで書かれていて,まさに,それこそ死ぬ直前までライフワークを全うされたということです(ちなみに,先月,白馬でスキーもされたそうです.宿は青研の常宿と同じでほんとに飯が旨いニポポ).私も指先さえ動けば,死ぬ直前までこのサイトを更新し続けるんだと思います.でも,文文日記が更新されることはもうないんですね.
※連絡が来ました.急逝だったようです.
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どうしましょうかね? 痛みは確かに減ってきてはいますが,深く曲げればまだ痛いですし,動かせばまたすぐに痛くなりそうな気がします.選択肢はいくつかあります.
1. 医者の言う通りに今月いっぱいはとにかく安静にする股関節に限らず,今までいろんなところを怪我しましたが,医者に行っても治るわけでもなく,騙し騙し運動しているうちにいつの間にか治る?という感じでした.今回も1ヶ月くらいはそんな感じでやっていたのですが,どうにも痛くて医者に行き,という流れでした.
一応,「復習」しておきます.
(12/15)最初に痛めたときこうしてまとめてみると経緯や(予想される)因果関係がよくわかりますね.動かしている限りは痛みは減らない,動かさないでいたら痛みは減ってきているわけですから,少なくとも運動を再開するという選択肢はなさそうです.とすると,問題はやはりその間の体調管理ですね.股関節を動かせないと全く運動できないのが最大の問題です.股関節を動かさないでもできる運動ってないですかね?
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ほんとどうしようか,いっそのこともうバドミントン再開するか,とも思ったのですが,冷静?になって,分析?して,思いとどまることにしました(というのは私にしては珍しい.もう歳をとったってことか).センター⇔自宅を歩いたり走ったりしないように(^^;,定期を購入してきました.ということで,あと1ヶ月は安静が決定です.やっぱり,問題は体調管理ですね.股関節動かさないでできる運動ってほんとない,即ち,股関節が運動するにあたっていかに大事か,ってことですね.
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私は映画はほとんど見ないのでアカデミー賞がどうなったとか別に興味もないのですが,公開1ヶ月で世界興行収入記録を更新したアバターがアカデミー賞で惨敗したことに疑問を投げかける意見があるようです.でもそんなの当たり前じゃないですか.売れた,即ち,万人に受け入れられたということは,それだけ価値が低いということです.もしアバターが選ばれるようなことがあれば,アカデミー賞は単なるベストテン番組にすぎず,映画も芸術というには程遠いものということになります.でも結果的にそうはならなかったのですから,むしろ何とか面目を保ったということでしょう.
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茨城空港のことは,もう2年前くらいから関鉄バスにでかでかと広告が貼られていたので随分前から認識していました.そのときは,ひどい話だなー,と思っていました.そして,今日,開港ということで,やはり批判的な報道が多いようです.JAL破綻の大きな原因の1つとなったとされる,地方に無駄な空港を作ってそこに無理矢理就航させられた(でもほんとの理由はまだ他にいーっぱいあるんですけどね)という状況の中ですから,まさに最悪?のタイミングとなってしまったわけです.実際,就航が決まっているのは,国内線,国際線それぞれ僅かに1便ずつという有様です.でも...
茨城空港って地方空港なんですかね?少なくともJALが撤退を表明したS岡空港やM本空港とは本質的に違うでしょう.茨城空港のコンセプト?としては,首都圏の空港ということのようです.羽田と成田があるのになんで茨城に空港がいるんや?という人もいるようですが,羽田,成田はいっぱいいっぱいですし,とても高コストの空港ですから,首都圏に格安の空港があれば,利用する人はいると思います.
駐車場は(まだ)ロハのようですから,別に茨城県民でなくても,東京近郊なら下の図で赤丸の東京北東部,千葉北西部あたりに住んでいる人が海外に行こうと思ったら,車で常磐道をびーっと行って何日でも駐めっぱなしにしておけるわけです.地方に行くのだって,東京のど真ん中を通り抜けて羽田に行くこと考えたら,この辺に住んでる人だったら茨城空港の方が楽でしょう.常磐線と上手く繋げば電車でも行けますし,主要なところからの空港連絡バスも計画されているようです.東京からの距離も成田とそんなに変わりません.
でも,まず「便」がなければ話になりません.でも,「便」さえあって,羽田,成田発着,あるいは,JRと同程度か安くて,ある程度時間が合えば,使う人はかなりいると思います.少なくとも,私は使います.
つまり,「条件は揃ってる」わけで,この空港が今後どうなるのか,観察(に値するので観察)していこうと思います.ほんとに必要なもので,存在価値があるものなら,やって行けるはずですし,航空会社も便を就航させるはずです.
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既に気づかれた方もいらっしゃるかもしれませんが,このサイトのある種の話題を削除しました.実は,先日,あることが判明し,事の真相はともかく,とにかく「気をつけた方がいい」と判断しました.世の中には,悪いことする奴やしょーもないことする奴(両者が同一人物かどうかは不明)がいるんですねー.周りにそんなことする奴がいるとは信じたくないんですけどねー.でも,あまりに非常識な人間がいたことは残念で仕方ありません.
救いだったのは,しょーもないことする奴を告発する人間もちゃんといたということです.少なくとも,この周辺では,そういうことをしてもブレーキがかかるようにはなっているわけです.そもそも,しょーもないことすれば,自分がそういうことをしたことをわざわざ周りに知らせているようなもので,必ず自分に返ってくるものです.
気になるのは,もう削除しましたが,3/9の記事が出たというタイミングだったことです(偶然かもしれませんが).つまり,告発も単なる告発ではない可能性もあるということです(もちろんそうでないことを望みますが).悪いことする奴の狙いが何かはわかりませんが,「ある種の話題」絡みであることは考えられます.でも,そんなことしても何もわからないようになってますし,3/9の記事で書いたようにそんなうまい話もあるわけありません.
さすがに気分が悪いですが,これも1つの警告と受け止めようと思っています.あまりに非常識なことをした者もこれを機会に改心してくれるものと信じています.私も生身の人間なのでいろいろありますが,見られてやましいことは何もありません.ですからそんなことしても,結局,損するのはそういうことをする人間自身ということに気づいて欲しいです.いずれにしても,このサイトは誰でも見られるものですので,そういう意味では,気をつけた方がいいですね.
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人間関係って何ですかね?このサイトで何度も書いていますが,人間は一人では生きていけません.山に籠もって自給自足の生活をすればできないことはないですが,それは,現代生活に慣れた我々にとって,非常に大変で不便なことなので(例えば,病気になっても医者にもかかれない),そこまでする人はほとんどいないでしょう.そうすると,多かれ少なかれ,何らかの人間関係の中で生きていかないといけません.
人間関係の基本は,助け合いだと思うのですが,(残念ながら)そううまく行くばかりでもないのが実情でしょうし,足の引っ張り合いをする場合もあるのでしょう.例えば,人間関係が嫌になって会社をやめた,とか.そんなことばかりあると,山に籠もって自給自足の生活まで行かなくても,それに近い選択をする人も出てくると思います.
私の場合は,職場に上下関係は一切ありません.上司に相当する人間はいないし,学生は,指導する立場にありますが,人間に上下関係はないと思っているので,私が彼らに命令するのではなく,私が司令塔になって研究室の目的にいっしょに向かっていく,そのことを通して彼ら自身が大きく成長するというメリットを享受して欲しいと思ってやっています.家族や友人達,仕事でつき合いのある人達,そして,仕事以外にいろんなことをやってるのでいろんな人間関係がありますが,みんなとても大人で分別のある人ばかりなので,とても気分よくつき合わせてもらってます.これは,とても幸運なことで感謝しないといけないことですが,そうあるために,いろんなことに精力をさいているのは言うまでもありません.ここがごたごたすると,大変なことになってきます.
自分に近いところの人間関係はとても重要ですが,その外側にもいろいろびみょーな人間関係があります.外側から行くと,まず,全く接することのない他人なら関係ありません(接しないのなら人間関係とは言えないか).そこよりも少し内側,例えば,買い物をするときの店員さん,食堂のおばさん,病気したときに診てくれるお医者さん,ノートPCを買うときのメーカーなど,生活していくために「ドライ」に接する場合も,時々,めんどうなことにはなることもありますが,基本的にそんなに問題ないでしょう.もちろん,赤の他人に事件や事故に巻き込まれることはありますが,それは,「人間関係」とは別の話ですからね.
びみょーなのは,そのもう少し内側でしょうか.例えば,ご近所とか,私の場合,講義を受けていたり,担任をしていたり,同じ専攻の学生とか.知ってるような知らないようなそれこそびみょーな関係です.もちろん,例えば,担任をしていて,成績不振者の面談をするのは,大変で面倒なことではありますが,私が担任になったのも何かの縁でしょうし,私ができることはしてあげたいと思っています.実際,会って話ができれば,話をきくこともできますし,私の考えを伝えることもできます.つまり,そこには「人間関係」が成立していることになります.
でも,そういうことがない限りは,基本的に「人間関係」というほどのものは,成立していません.でも,書類上は?繋がっているわけですから,何かあれば問題が生じる可能性があります.例えば,担任をしていても,一度も話したこともない学生が何か問題を起こせば,責任を問われないまでもいろいろ面倒なことになるわけです.研究室の学生については,上で書いたように同じ目的に向かっていっしょに頑張ってくれてるし,私の研究室の門を叩いて入ってきてくれた以上,できるだけのことをしてあげたいと思っていますが,それ以外の,例えば,講義を受けてる学生などは,向こうはこっちを見てるわけですが,私は,全員のことを把握しているわけではありませんし(できるだけ把握するようにはしていますが),全員と話をしてるわけでもありません(そこまではできません).
そういうびみょーな関係で問題が生じるのは,人間関係が成立していないのに(一応)人間関係?があるからなのでしょう.つまり,コミュニケーション不足ということです.教員対学生では,数が圧倒的に違いますし,さすがに,学生よりは教員の方が忙しいですから,そういうことになってしまうのは仕方ありません(それで責任があると言われても困ります).
私のやり方は「来る者は拒まず,去る者は追わず」です.研究室の学生についてはもちろんそうですが,「来る者」に対しては,私のできる範囲で,できるだけのことをしたいと思っています.でも「去る者(来ない者)」に対しては,何もすることができません.こちらから「行く」ことはさすがにできないです.
ですから,そういう中でいろんなことが起こるのでしょうし,それはそれで仕方のないことです.私がよく知らない学生が私のことをいろいろ面白おかしくしゃべってるなんてことはいくらでもあるでしょうから,そんなことは私の耳に入らなければそれで済むことですし,気にもしていません.でも理想はやっぱり向こうとこっちもないでしょう.そこまでは無理でも,少なくとも,私と何らかの関わりをもつ人に対しては,そう思いたいです.
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このサイトで再三書いているように,私は,「お金ってそんなに要らない」と思っています.もちろん,最低限,生活して行く分は必要ですが,やりたいことさえあれば,これくらいあれば生きてはいけます.生きていけないとしたら生活力の問題です.ただ,今の(資本主義経済の)世の中の評価の「1つ」がお金になってしまっているので,そういうものに見栄や拘りがついてくる場合もありますし,やりたいことに(ある程度)お金がかかる場合もあるでしょう.お金で何でも解決できるわけではありませんが,お金で解決できることが多いのも事実です.
例えば,苦労に苦労を重ねて自分探しをした結果やっと,あるいは,偶然でも,やりたいこと,これなら一生打ち込めるものを見つけたとします.これはすごいことで,それだけでもう人生に成功したと言ってもいいと思います.人生に成功するかどうかは,「成功する」ことではなく,そういうものを見つけられるかどうかで,そういうものが見つかれば,人生の退屈しのぎのタネをもらったということで,それに打ち込んで行けばいいのですから.もし,うまく行かず「成功」しなければ,じゃあどうしたらいいんだろうと試行錯誤を重ねることで,それこそ死ぬまで楽しめるでしょう.
そうなれば,例えば,こんな感じで何とか生計を立てながらやって行けばいいと思うのですが,もしお金があれば,例えば,宝くじに当たるとか,親の財産がたんまりあるとか,何らかの方法でお金を稼ぐ方法を発見?すれば,バイトなんかしなくてやりたいことにもっと時間もかけられるから,それに越したことはない,つまり,「やりたいことさえあれば」お金はあった方がいい,ということになります(もちろん「やりたいことさえあれば」です.やりたいこともなく,お金だけがあれば,ただ怠惰なつまらない人生を送ることになりますから).だから,やっぱりお金はあった方がいい?
例えば,最近は不況で,オリンピック選手でもスポンサー探しが大変みたいですが,お金さえあれば,生活面以外に練習環境も充実させて,思う存分競技に打ち込むことができます.音楽や美術,あるいは,芝居,お笑いなどに打ち込んで行きたい場合でも,お金が充分にあれば,生活していくためのバイトやお仕事をしないで済みます.何か学術的なことを研究していく場合も,研究費が必要な場合もあるでしょうし,大学の教員になんかならなくても,研究だけして行くこともできるでしょう.
うーん,でもどうですか?そうなると,やりたいことが(そんなに)やりたいことでなくなるような気がしないでもないです.つまり,恵まれていない方がいい?というようなことです.どうなんでしょうか?「恵まれること」くらいで,モチベーションが落ちるくらいなら,まだまだ,つまり,「やりたいこと」を見つけたってことになんかならないってことなんでしょうか?(つづく)
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今年の日本建築学会大会ですが,富山ということで,戦々恐々状態になっています.日本建築学会は,会員数3万人というマンモス学会で,大会に来るのも1万人と言われています.1万人というとぱっと想像できないかもしれませんが,一言で言えば,政令指定都市レベルでないと宿のキャパがありません.以前,彦根の滋賀県立大で大会があったときは,ほとんどの人は京都から通うはめになりました.富山は小さくはないですが,仙台でこの有様ですから,ちょっと厳しいでしょーねー.
ぼやぼやしてると金沢から通うはめになりそうです.もう宿を予約したという話もちらほらきこえてきます.ということで,私の研究室も数的にも10人近くいますし(大学院生は建築学会大会は「必修」),早々と予約しました.でも10人近くいると旅費が...
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その後の股関節ですが,小康状態,つまり,3/8からよくなってはいません.深く曲げるとまだ痛いです.これは,投薬をしていないこともあるでしょうね.ですから,やっぱりまだ時間がかかりそうです.とにかく,今月いっぱいは,できるだけ動かさないようにしようと思います.
あと,定期を買ったので,また,家と研究室がほぼdoor to doorなんですが,やっぱり楽ーー(^^).投薬時は,車だったのですが,(当たり前ですが)自分で運転しなければいけません.でも,バスはただ座っていればいいですし,バスの中でもノートPCで普通に作業できるので,研究室と家がシームレスになったようなものです(それはそうでどうかという意見もあるでしょうが).
でも「とにかく体を動かす」的には,あんまりよくないでしょうね(安静時はしょうがないが).どうするか,何かいい方法はないか考えようと思います.
あと,体重コントロールは,順調に推移しています.やってることは,食べる量を全体に少し減らしているだけです.簡単なことです.でも,とにかく全く運動ができない状態なので,筋肉量は間違いなく落ちてます(体脂肪率見ればわかる).
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長くなりそうなので,記事を変えました.恵まれていない方がいい?という側面があるのは確かにそうです.つまり,生まれつき金持ちとか極一部の人を除いては,やりたいことを好きなだけできる状況にはないわけで,ある意味「問題ない」わけです.そろそろ怪しくなってきた気はしますが,基本的に人間は働かなければ食べて行けないようになっています.これは社会のシステムがそうなってるということもありますが,これは,人間が知能をもっ(てしまっ)たので,「退屈しのぎ」が必要になり,自ら働いて生きていくのに必要な食物を得なければいけない仕組みにした,そして,そういうことに快感を感じるように脳もプログラムされた(「純粋な喜びの一つは勤労後の休息である(カント)」)のではないか,だから,プログラムに逆らわない方が気分よく生きていける,とは,どこかで既に書きました.
ですから,やりたいことがあっても,多くの人は,やりたいことをやらずに,あるいは,やりたいことをやるために働くことになります.それはそれでいいと思いますし,ある意味,幸せな人生が送れると思います.
これはこれでいいのですが,上で「そろそろ怪しくなってきた」と書きましたが,そのうち,人間は働かなくても食べて行ける(働く目的は食べていくためだけではないので,食べるために働く必要はなくなる,という意味です)ようになる(なってしまう)でしょうし,人間社会がどんどん発展?してきて,上で書いた労働に快感を憶えるプログラムがおかしくなってることも事実で,労働なんかしなくてもへっちゃらという人が出てきてもおかしくありません.そもそも,生殖のシステム上,遺伝子は多様になってますから,勤勉な人もいれば怠惰な人もいるわけです.
そういう人が「恵まれる」とどうなるでしょうか?恵まれていない方がいい?という側面なんか超越するほどやりたければ,やりたいことをがんがんやって行けばいいのでしょうか?でも,やりたいことは,別に「打ち込める」というような高尚?なものでなくても,パチンコでもネトゲでもいいわけです.そもそも,人生で成功することがなんぼのもんじゃ,というのはよくわかりますし,一生遊んで暮らして行ける人もいるでしょう.
そういう兆候は,既に出てきています.引きこもるのは引きこもっても食べて行けるからであり,ネトゲ廃人になるのも,それでも生きてはいけるからです.これをどうするか,つまんない人生と思うかどうかは本人次第ですし,別に誰に迷惑をかけないのであれば,まあいいんじゃない?と言う人もいるでしょう.ただ,これは問題が違うのでとりあえず横に置いておきます.
そういう兆候は,出てきてはいますが,派遣切りに見られるように,世の中,まだまだ(幸い)食べていくのは大変ということになっています.つまり,「まだ」働かないと食べて行けないということです.それは,働かないとお金が貰えない,お金がないと生きていくための衣食住が確保できないからです.これは,このサイトで度々出てくる資本主義社会というシステムになっているということで,まだ,学術・芸術・スポーツなどの文化の時代というところまでは(幸か不幸か)来ていないということです.
お金が貰えるということは,労働に対する対価ということです.世の中には,食べ物を作る,という以外に様々な産業があり,人間も現代社会において,たた食べるだけでは生きていけなくなってますから,それに伴う産業がどんどん出てきて,人々はそれに対してお金を払うわけです.
なんで,こんなことを言い出したのかというと,上の方で,「やりたいことがあっても,多くの人は,やりたいことをやらずに,あるいは,やりたいことをやるために働くことになります」と書きましたが,やりたいことを仕事にする,という選択肢もあるからです.例えば,野球がやりたい少年がプロ野球選手になる,ピアノが好きな女の子がピアニストになる,勉強が好きな男の子が学者さんになるとかです.
でもこれはなるのは大変です.プロ野球選手は説明の必要はないでしょうが,ピアノを弾くことだけで食べて行けるピアニストなんて一握りでしょうし,学者になることは,そうでもない(^^;気もしますが,考えてみたら,勉強は学校で一応みんなするわけですから,底辺の広さから行けば,勉強ができる度合いから言うとやっぱり大変なことなんでしょう(でも勉強ができることと研究することは実は全然違うんですけどね).もちろん,勉強ができても学者になんかならない人もいくらでもいますが,勉強ができるというくらいでは学者になんかとてもなれませんからね.
なんで,そういうことになってるかというと,プロ野球なら,それを観ることにお金を払う人とプレーする人とのバランスです.何万人もの観衆を魅了できるほど野球が上手ければそれで食べて行ける,感動するほど素晴らしい演奏ができれば,まだ誰もわからないことような未知のことを解明できれば,それで食べて行ける,ということです.そして,そのバランスは,資本主義社会の枠組みで決まってくるものです.スノーボードのショーン・ホワイトが年間7億も稼ぎ出すのも,彼のプレーにお金を払う人がいるからです.ゲームがどんなに上手くてもそのことにお金を出してくれる人がいなければ食べていくことはできません.
つまり,ある程度は,人の役に立たないと,つまり,やることに対して人がお金を払ってくれないと食べて行けない,ということになっていて,これは理にかなっているとも言えます.スポーツ,芸術,学術のどれをとっても,「人の役に立つ」という観点からすると,例えば,汗水垂らして,田畑を耕してくれる人達の足下にも及びません.でも,それが圧倒的にできれば,例えば,プロスポーツ選手くらいできれば,食べて行ける仕組みにはなっているということです.このサイトで,資本主義社会に対して,再三批判的なことを書いてきましたが,この点に関しては,評価できると思います.
なんか予想通り(^^;長くなってきたのでそろそろやめようと思いますが,要は,やりたいことがやれる,ということは,極めて幸運なことであると同時に,社会の役に立っているのか,という後ろめたさもあるということです.私もあります.でもそういうことって悪いことばかりじゃないんですよねー.
オリンピック選手が「夢や希望を与えられるように」とか,言っていて,何様と思ってるんだ?と感じる人もいるでしょうが,彼らは,そういうことで社会の役に立ちたいと思ってる(選手もいる)ということでしょう.そして,そういう選手だからこそ,オリンピックに出られるほどの選手になれたんだと思います(みんながみんなそういうわけじゃないでしょうけど(^^;).
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骨抜きになったと言われる公務員改革ですが,公務員改革に限らず,政治を官僚支配から取り戻すとか,政治家vs官僚という構図がメディアは,つまり,それで視聴率が獲れるということは,国民は好きなようです.でも,どう考えても政治家が官僚に勝てるわけありません.
理由は,いくつかあります.まず,政治家には選挙があります.選挙で選ばれた,というのは,政治家の最大の強みで,これを掲げれば,官僚は返す言葉もありませんが,選挙にかける労力は莫大です.金帰火来で地元のお祭りに出ている政治家がどんなに勉強しても,官僚以上の理論武装するのは,よほど頭脳明晰でない限り無理でしょう.
よほど頭脳明晰でないと,と書きましたが,政治家が官僚に勝てない理由は,ここにもあります.官僚はとにかく頭脳明晰です.政治家の中にも優秀な人は多いですが,二世議員がとても多いなど誰でもなれるわけではなく,試験にさえ受かれば,誰でもなれる官僚の方が正常な競争原理が働いてますから,より優秀な人が集まるに決まっています.
つまり,議論になれば,知識面,論理展開など,政治家が官僚に勝てる要素は何もありません.最近の官僚叩きはほんとにひどいですが,そういうことをして,官僚に優秀な人材が集まらないようにして,官僚に勝とうとしてるとすら思えます.
ただ,政治家が官僚に勝てる方法が1つだけあります.それは,議論をしないことです.つまり,選挙で選ばれた,つまり,国民の代表だから否応なし,ということですね.政治家がそこまで「バカ」になれるか,ということでしょうか.少なくとも,政治家が,自分たちの優秀さに拘ってるうちは,官僚には勝てないと思いますよ.
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地震がありましたね.つくばは,地震がとても多いのですが,揺れ方でどういう地震がだいたいわかります.一番多いのは,どどどどーという地鳴りがしてガタガタ揺れるものですが,これは大したことありません.今回は,しばらくゆっくり揺れたので,あー遠いところでかなり大きな地震があったかもしれないなー,やばいなー,という感じでした.2004年新潟県中越地震のときとよく似ていました.日曜の夕方だし...
カスミ(つくばに最も多いスーパー)にいたのですが,買い物をしてる人々は何事もない,という感じでした.帰ってきてテレビをつけると,福島県沖で最大震度5弱ということでした.ほっ(^^).これもどこかで書きましたが,遠くて大きくても,それが海の中なら,その分,揺れの大きさも被害も小さくなります.今回もそのケースでしたね.
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そう言えば,研究室のページにチリ中部の地震による津波に対する対応という記事を書いていました.大分,控えめに書いてあります.ほんとにひどかった.こんなに時間的猶予があるのに,津波が来るとわかっているのに,これでは,「来た」ときに確実に大惨事になります.その後の調査で,大津波警報が出ていた三陸地方でも避難した人は,全体の2割以下しかいなかったこともわかってきました.
当日は,東京マラソンをやっていて,津波警報が東京湾沿岸にも出ている日本地図をずっと映した状態で,Nテレが1日中,中継していました.ゴール地点の東京ビッグサイトは,もちろん,東京湾岸です.これじゃあ,津波警報なんか出ていても大丈夫と全国ネットで放送してるようなもんじゃないですか.
もちろん,東京マラソンを中止にするということになると,経済損失など大変なことになるのはわかります.でも,津波警報が出たとき,どう対処すべきかを知らしめる絶好の機会でした.それを逃したどころか,津波警報なんか出ていても大丈夫と全国ネットで放送した責任は重大です.それは,東京マラソンを主催した東京都なら尚更です.自治体が防災をやらないで誰がやるんですか?
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ここんとこの体調なんですが,そんなに悪くないです(ただ,相変わらず夢ははっきり見る).体重管理もできています.もう運動しないことに体が慣れた? だとすると,体調管理のために無理して運動することもないわけです.ていうか,そもそも運動する必要あるのか?とも考え始めました.
今,右股関節(周辺)を痛めて療養中ということなんですが,これは,あくまでバドミントンやスキーなどのスポーツをすることに向けての話です.日常生活をする分には,もう何の問題もありません.だとするとスポーツをしないのなら,ずっとこのままでもOK?
仕事以外にやってることについても,ピアノも相変わらずほとんど触っていません.ほとんど,というのは,この記事を書くときにちょっと触ったのですが,それ以外は全く触っていません.つまり,仕事とこのサイトの記事を書くこと以外は,ほとんど何もしてないってことです.でも,体調もそうですが,心調的にも全然大丈夫です(今のところは).こんなことは,今までの私では考えられないことです.私の中で何かが変わった,変わり始めているということなのでしょうか?
仕事とこのサイトと,あとはテレビを見たり家族と話をするくらいです.そんなのつまんない人生? でも普通はそんな感じなんですよね.私も今のところは別にこれでも全然大丈夫です.ていうか,運動して疲れないので体もとても楽です.なんか「こういう状態でいられる」こと自体に興味が湧いてきたので,これでどこまで行けるか,やってみたい気分にもなってきました.
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田児君,惜しかったですねー.いや,惜しかったというよりは,「すごすぎる」でしょう.準々で世界ランク4位のチェン・ジン,準決で6位のバオ・チュンライに勝って,決勝でも世界ランク1位のリー・チョンウェイ相手に19-21, 19-21ですからね.決勝もネットインとかかなり際どい場面もあったようです.
メディアは,これでロンドン(オリンピック)の期待の星が誕生(^^;という報道の仕方なんでしょうが,これも既に書いたと思いますが,オリンピックなんかより,全英オープンの方が全然格上ですよ(今回が100回記念大会).喩えて言うなら,ゴルフがリオからオリンピックの種目として採用されるようですが,そこで金メダル獲ることなんかより,全英オープンやマスターズで優勝することの方が遙かに格上なのと同じです.ですから,既にすごい実績を残したことになります.
これでもう世界のトッププレーヤーの仲間入り,と行きたいところですが,今回だけではまだ何とも言えません.つまり,安定して上位に入ることが世界のトッププレーヤーの仲間入りということです.そうなればトーナメントでもシードされます.そして,そういうところから優勝するチャンスも出てくると思います.4年に1回のオリンピックの一発勝負で結果を残すことなんかより,そっちの方が遙かに価値あることだと思います.
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情熱大陸の塾講師の高濱さんの回を見ました.とにかく飯が食える大人に.禿同です.これしかないでしょ.我々も会社もそのうち朽ち果てる.だから,子供達に命のバトンを,というのもよくわかります.私も人を残してなんぼだと思います.でも,それ「だけ」ではどうかと思うんですよねー.
例えば,彼のような素晴らしい教師がいたとします.彼を見た生徒は感動して,彼のような教育者になりたいと思う.今度は彼が教師になって次の世代を教育し,命のバトンを渡していてく.めでたしめでたし?ですか?何か足りなくないですか?そりゃそうですよね.教育だけでは世の中は成立しません.
まあ当たり前なんですが,教育は数ある人間の営みの中で最重要項目の1つですが,それだけじゃないってことです(そもそも,世の中を引っ張っていくような人材は,いわゆる「教育」からは生まれませんからね).要は,みんながちゃんと自分で飯が食えるようになって,それを楽しんで生きて行くということで,それは,人の役に立つこと(でなければ飯は食えない)であれば何でもいいわけで,高濱さんにとってそれがたまたま教育ということです.
番組の最後で,「飯が食える大人に.そんな使命感をもつ教師が世の中にどれだけいるだろうか?」というコメントがとてもとても気になりました.ほんとですか?そんなわけないでしょう.もしそうなら日本に明るい未来なんかあるわけありません.
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昼飯のときに(私は基本的に昼飯は1人で食べることにしているのですが,週1,2回くらいは学生といっしょに飯食うか,ということにしました),来年はどこですか?という話になりました.ちなみに,今年の富山ですが,さっきチェックしたらもうほとんど空きがなかったそうです.くわばらくわばら.
で,来年の大会ですが,建築学会員ならご存じでしょうが,全国をいくつかの地方に分けてぐるぐるローテーションで回ることになっています.つまり,過去のサイクルを見れば,来年どこかわかるということです.それで,ちょっと懐かしくもなったので,私が参加した過去の大会を調べてみました.こんな感じです.
1986 北海 北大これを見ると,来年は,名古屋近郊ってことですね.いや,北海道→近畿→関東→九州→中国→東北→北陸→東京→東海が正規のローテーションと考えると東京か?(2001年と2002年が入れ替わったわけ?は後述)
いろいろ思い出?はありますが,初回の北海道のときは,まだ学生だったので,大会が終わった後,T大S研のN埜先生,S都大のK山先生,Y上さんや同期のS本,Zさんなど(もちろんまだみんな学生)と車で2週間くらいかけて北海道一周してきました(^^;.これが一番の思い出?ですかねー.2001年はローテーションを崩して?のまさかの東大だったんですが,これは,21世紀最初の大会なんだから東大でというわけのわからない理由で東大ということになって?えらい目に合いました.
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「つまんない人生?」を送るかどうか,ですが,「つまんない人生?」がつまんなくないのなら,これもありだと思います.まあ,実験的に(^^;しばらくはこれも面白いかなとは思ってるのですが,ピアノもバドミントンもスキーも(自分で言うのも何だが)結構な腕前(^^;なので,ここで全くやめてしまうのはやっぱり勿体ないですかね.でも,もっと上手くなるためにピアノを毎日練習したり,もっと強くなるために週何回もバドミントンの練習をしたりトレーニングをしたり,というのは,やらないとします.とすると,どんな感じになるのでしょうか.
ピアノは,弾きたくなったら弾けばいいでしょうし,そんな感じでもそこそこ弾けると思います(多分).スキーは,シーズン何回か行くって感じでしょうか.でもこれって既にそんな感じなんですけどね.つまり,大人のスポーツ的にやればいいってことです.
問題はバドミントンですね.時々やりたくなったときにやる,ということをしたことがないので,どうなるか想像もつきません.でもこれは多分厳しいですね.間隔が空きすぎると,半年やめて復帰したときに素振り一発で肩を痛めたみたいなことになります.つまり,あんまり間を空けてはいけないってことですね.
何かで見たことがあるのですが,頻度としての最低ラインは2週間に1回ということでした.それ以下になると,「継続」してることにならない,つまり,どんどん衰えていく,ということです.でも,これってよく考えたら,キープするレベルによりますよね.筑波大バドミントン部の選手が2週間に1回の練習でキープできるわけありません.つまり,レジャーとしてスポーツを楽しんで行くのなら,ということでしょう.
うーん,いい線行ってるかもしれませんね.2週間に1回くらいなら,別に全然負担に感じることはないでしょうからね.でも,一番の問題は,そんな頻度でしか練習しないのでは,今までに輪をかけて衰えていくでしょうから,そういうことに耐えられるかどうかですね.うーん,これが一番難しいかなー.
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このサイトで,再三,小沢一郎さんを最も評価する政治家だと書いてきました.それは今も変わらないのですが,なぜ彼を支持するのか,(ひょっとしたらどこかで既に書いたような気もするが)書いておこうと思います.
私が彼を支持する理由は,彼の政治理念です.国民が国民自身で考えて国や社会を造っていくという,一言で言えば,自己責任社会を目指す,という考え方です.この点に関して彼は一貫していて,全くぶれていないと思います.二大政党制を目指したのも国民が自らの意志で選べるようにということです.
メディアでは,彼が豪腕だとか,やり方がどうだとか,独裁的だとか,選挙に強いとかいうことばかり取り上げられますが,私にとってはそういうことは,どうでもいいし,大した意味はもちません.彼は彼の理念に確信をもっていて,それを実現するために彼が有効と思う手法をとっているのだと思います.でも,これに関してはあまりうまく行ってるようには思えませんけどね.
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研究室のページのコラムに震度6でも大丈夫?と津波警報が出ても大丈夫?という記事を書きました.
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えきねっとポイント有効期限のお知らせがまた来ました.つーことは,毎年のことなんですねー.めんどくせ.一応ざっと読んだのですが,状況は去年と変わっていないようです.ということで,また,オレンジカード(^^;!に交換となりました.ほんとしょぼいなー.
で,気づいたんですが,交換できるものは,商品券というのもあったんですが,これって使わないんですよねー.クレジットカードのポイントも他に交換に値するものがないのでいつもこれにしてるんですが,貯まる一方です.
これってどういうことかというと,デパートなんかで買い物なんかしない(日用品はスーパー,ドラッグストア,ホームセンターで買う),ということもあるのですが,そもそもお金ってそんなに使わないんですよ.それこそ,昼飯代と電車賃くらい?ですから,商品券よりはオレンジカードとなるわけです.あーでも,オレンジカードめんどくせ.
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今日,図書館で,ちょっと調べもので先週の新聞を見ていたときに,「モチベーション特集」みたいのが載ってました.これに私が食いつかないわけはないですが,どーせ大したことは...
そこには,アンケートによる調査結果が載っていました.ぱっと目に入ったものを見ただけですが,「あなたのモチベーションの源は何ですか?」という問いに対する答えで一番多かったのは,「給料などの収入」でした.あと,「モチベーションをあげるためにしていることは?」の一番は,これは予想通り(^^;,「目標を立てる」でした.みんなわかってませんねー.
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運動できないので,食べる量を全体に減らしているのですが,体調は悪くないです.これは前から思ってるんですが,「食べ物って毒」ですよね.食べ物に限らず,体内に入るものは,どんなもの,どんなに体にいいものでも活性酸素という毒に変わります.それは,呼吸して入る酸素ですらそうです.
ですから,必要最小限以上のものは,できるだけ摂らない,というのがいいんじゃないですかね?人類がこれまで何百万年と生きてきた時間の99.999%は,飢えていたわけですから,一世代やそこらで,体の仕組みがそんなに急に変わるわけありません.
実際,カロリー摂取量,あるいは,栄養別のカロリー摂取量がある一定値に達すると寿命が来る,というようなデータを見たような気がします.栄養別で最も設定値が低かったのは脂肪だったと思います.つまり,生まれてからの累積脂肪摂取量がある一定値に達すると死ぬ,ということですね.
収支バランス的には,運動すればその分食べないといけないので,やっぱり,スポーツは体に悪いということになります.でも,ストレスは食欲に繋がります.運動でストレスが解消できるのなら,トータルとして食べる量を減らせる可能性はあります.
もちろん,食べることは人生最大の楽しみですから,食べたいものを食べないのでは生きている意味がない,という人もいるでしょう.それは,私もそう思います.でも,別に長生きしたいとは思いませんが,体調不良ってやっぱりしんどいんですよねー.つまり,体調不良になってまで食べたいものを食べたいとは思わないってことですかね.これは,歳ということもあると思います.歳をとるに従って,基礎代謝は減るので収支的に食べる量は減って当然ですしね.
でも,別に絶食してるわけじゃありませんし,全体に少し量を減らしてるだけですから,欲を満たす的には,これで充分です.要は腹7分目に慣れればいいってことですかね.
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CAKAモスクワに移籍した本田圭佑さんがヨーロッパチャンピオンズリーグでベスト8進出を決める決勝ゴールを決めて,「日本人初とか興味ない」とか言ったみたいですね.いいじゃないですか.私もそんなの関係ないと思いますよ.
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ピアノなんですが,相変わらず弾く気にならず,でも,全くやめてしまうのもどうかと思うので,つらつら弾く気になる曲探しをしているのですが,別に生誕200年とかそういうことじゃなくて,なんかシューマンが気になるんですよねー.昔からそうなんですが,なんか「身につまされる」ような感じがします.
シューマンの中で私が一番好きなのは,ピアノソナタ第3番,Op.14の第4楽章なのですが,ホロヴィッツの演奏を見つけたのでリンクを貼っておきます.
うーん,でもこんな演奏だったかなー.私が「はまった」演奏とは違うような気がする.でも,有名?なのは,やっぱり第1楽章(の出だし)?
これも違うような気がするなー.でもこの曲,全曲弾くと30分近くかかるんですよねー.やっぱり,そこまでのパワーはないか.
でも,「弾く曲」探しをしていて気づいた?ことがあります.というか,以前から思ってるのですが,自分が好きな曲,弾きたい曲と「弾く曲」って,そんなに一致しないんですよね.ここのリスト見ても,もちろん,好きで弾きたくて弾いた曲もありますが,そうでもない(^^;曲も結構あります.だから,つらつらいろんな曲を探していて,「弾く曲」が見つかればいいな,と思います.
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バドミントンを2週に1回とかいう低頻度でやるとどうなるか,ですが,そうするとどんどん衰えていく,そういうことに耐えられないと書いたのですが,もう2ヶ月くらい全くプレーしていないのですから,これはクリアしてる,つまり,既にもう充分衰えてるわけです.つまり,復帰して初めて行くときが勝負ですね.そのときの状態を「普通」と思えれば,というか,そう思うようにして,無理に戻そうとしないようにできるか,ということでしょうか(もう強くなろうとしないとすればの話ですが).
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このサイトで度々体調不良のことを書いてきました.もちろん,体調が悪いよりいい方がいいに決まってますが,これってどうなんですかね?
健康診断結果なんか意に介すでもなくバリバリ仕事してる人ってすごいって思ってたんですけど,これって別に体調不良とは関係ないことが多いですよね.実際,どこか悪くてもほとんど自覚症状がないものも多いです.そうするとどうなるかっていうと,ある日,突然倒れる,なんてことになるわけです.
私の場合は,健康診断で悪い数値は全くありません.どうにも体調が悪くて,散々いろんな検査をしたときもそうでした.でも,40代半ばを過ぎたくらいから,時々(しょっちゅう?)体調が悪くなる.
いいように解釈すれば,体が「ここで休まないと,体が壊れるぞ」というサインを出している,ということでしょう.体が弱い(という表現はちょっと違うと思うが)とも言えますが,優れたセンサーをもっているとも言えるわけです.自分に近いDNAをもっている母もそんな感じで特に病気もせず80年近く生きてきました.
実際,体が強い人よりはそうでない人の方が長生きするとも言われます.別に長生きしたいとは思いませんが,病気で苦しむのはやっぱり辛いですからね.私は,若い頃は相当無茶もしましたし,体が強いか弱いかと言えば,そりゃあ強いと思います.でも,そういう意識ってやっぱり危ないんですよねー.若い頃はそれでもいいですが,やっぱり,歳をとるということをちゃんと意識することも大事ということですね.
ですから,体調が悪くても,それは,休みなさいというサインだと思って,(できるだけ)無理しないようにできればと思っています(実際にはなかなか難しいが).調子がいいときに頑張りすぎないことも重要です(これもほんとに難しいが).
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昨日のホロヴィッツによるシューマンのピアノソナタ3番の演奏ですが,やっぱり違いますね.少なくとも,1楽章の違う演奏がありました.
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そう言えば,こういう気分のとき?シューベルトの幻想を弾いたのを思い出しました.でも,同じ曲を弾く気には...ということで,いろいろ物色していたのですが,とある曲が耳にとまりました.もちろん,よく知ってる曲で既に何回も聴いているのですが,今聴くと,何というか,とても自然で純粋に美しく,とてもとても長い曲なのですが,そういう長さをほとんど感じないほどでした.技術的にもそんなに難しくありません.
それで,弾いてみました.とてもとても長く,最後の方は息切れ(^^;しましたが,一通り弾くことができました.1時間以上かかりました.でもすごい曲です.ここはこうでないといけないというようなところはないのに,(ここはこう行くか?という意外性があるということも含めて)自然でシンプルで美しいです.ある意味,シューベルト天才ですね.いや,こういうのを天才と言うのかもしれません(もうこれで何の曲かわかった人はわかったでしょう).
でも久しぶりだったので,とてもとても疲れました.バリバリに肩こりになって,腰も痛くなって,股関節まで痛くなってきました.この曲を練習するのかどうかはまだわかりませんが,とりあえず今日は弾きました.
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もう2週間前ですけど,情熱大陸の改善士の横田さんの回も面白かったですね.改善士という職業?があるのにもびっくりですが,でも,これって,何か問題があって,それをどうやって解決していくかということで,仕事の本質ですよね.
彼は,Function Engineeringという,要は,ものをその果たす機能で捉え,それが同じならOKということで,無駄なものを省いていくという技術を使って仕事をしているらしいですが,どうやらこれ自体はアメリカで学んだものらしいです.うーん,だとすると,もっと評価されるべきは,その技術を開発した人ということになりますし,目指すべきはそこだと思います.
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幸福については,このサイトが雑記帳となって,更新頻度が上がり始めた頃,議論をして,「幸せは目指すに値するものではないし,目指すべきものでもない」ということで,その後,あまり議論はしてきませんでした.というか,この考え自体,変わってはいないので,これ以上議論してもしょうがないのですが,ここでは,少し違った観点から(でも結局同じようなことになると思うが)議論をしてみたいと思います.
まず,いきなりですが,幸福になったとします.なってないのになったとしてどうするんだ?と言う人もいるかもしれませんが,あなたがそれを目指しているのなら,どうなれば幸福かは容易に答えられるはずです.もちろん人それぞれでしょうが,例えば,こんな感じでしょうか.お金持ちになれた,名誉や社会的地位を手に入れた,小さい頃からの夢を叶えた,やっていて面白くて楽しくて仕方ないもの,一生打ち込んで行けるものを見つけた.のみならず,それに自分がものすごい才能があった.自分が心底愛せる人に出会った.のみならず,そういう人と相思相愛になれた.結婚もできた.子供や孫ができて,かわいくてかわいくてしょうがない.
列挙した最初の方は,どうかと思いますが,それ以降は,どれも幸福の本質に近いもので,これらに異論を挟む人はあまりいないでしょう.で,そういう幸福な状態になったとします.どうですか?幸福ですか?高所恐怖症ではないですが,幸福すぎて何か怖くないですか?
面白い,楽しいと思っても,ある日突然興味を失うかもしれません.あるいは,例えば,それがスポーツだったら,ある年齢がくれば,少なくともトップレベルではプレーできなくなります.病気や事故で断念しないといけない場合もあるでしょう.スポーツでなくてもどんなものにも似たようなことはいくらでもあります.愛する人に対しても愛情を失うかもしれませんし,相手から裏切られるかもしれません.もしかわいくてしょうがない子供が不幸になったら,あるいは,病気や事故で自分より先に逝ってしまったら...
よくこんだけ悲観的に考えられるな,と思われるかもしれませんが,現実に起こるかどうかはともかく,起こる可能性はあります.つまり,幸福って本質的に危ういものなんですよ.タイトルは「危うい幸福」となっていますが,正確には(ここまでの議論では)「幸福は危うい」でしょう.
じゃあ,どうしましょうか?何でもそんなに悲観的に考えていたら,幸福になんかなれるわけよ,もっと楽観的に考えなきゃ,と言われるかもしれません.その通りです.その通りですが,ちょっと違うと私は考えています.
これは,既に書いたことなんですが,「幸不幸は状況によらない」ということです.上で列挙した幸福は,全て「状況によるもの」ですよね.自分が何かに打ち込めているという状況,相思相愛になっているという状況,子供や孫がかわいくてしょうがないという状況.状況ですから,失うこともあるわけです.
もちろん,状況が変えられるのであれば,状況を変えようとするのも1つの方法です.でも,変えられない状況もありますよね.歳をとる,病気になる,事故に会って体が不自由になる,最愛の人を失う.ある程度予防はできても,そうなったときそういう状況を変えるのは容易ではありません.そうすると,幸不幸は相対的なものですから,ものすごい不幸になります.つまり,上で列挙したものは「危うい幸福」ということです.じゃあどうすればいいでしょうか?
論法的には,状況によらない幸福を手に入れればいいということになります.これってどういうことかというと,このサイトで散々お勧め?している「楽しむ」ということです(「楽しむ」という言葉はとても誤解されやすいから注意ということも再三書きました).つまり,与えられた条件のもとで,できるだけのことをして,その中で楽しんで行くということです.なんだ,散々もったいぶっておいて,結局これかよ,と思われるかもしれません.でも,結局そういうことなんだと思います.幸せはその人の心の中にある,というのは,そういうことです.
これができりゃー世話ないよ,ということなんでしょうが,方法論的には,いろいろあることも既にいくつか紹介しました.結局は,セロトニンというのもその1つです.
でも,これは,あくまで幸福になりたければ,の話です.幸福は,基本的に現状に満足することです.「幸せは目指すに値するものではないし,目指すべきものでもない」のはそういうことです.でも,まず現状を受け入れて(ある程度満足して)そこから始める,というのはありということも書きました.
なんで,突然,こんなことを書いたかというと,最近,なんか幸福なんですよ(^^;.え?何かいいことあったの?いや何にも(^^;.どっちかというと状況としては,嫌なことが多いような気がします.でも,気分としてはそうなんですよ.これってどう思います?「自分は幸せだと言い張る人間に勝てる者はいない」じゃないですが,これって無敵(^^;だと思いません?
もちろん,こんな状態が続くとはとても思えませんが,「幸不幸は状況によらない」ことを実感した次第です.そして,繰り返しになりますが,幸福だからって,別にどうということはない,というか,幸福自体は何も産み出さないので,最初の「幸せは目指すに値するものではないし,目指すべきものでもない」になるわけです.
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パリーグが開幕したんですね.でも,少なくとも関東ではどこも中継すらしてませんでした(多分).そんなもん?でもまあいいんじゃないですかね?プロ野球なんか観ないよ,って人にとっては何の関係もないことでしょう.
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ここんとこ,あらためて人生所詮退屈しのぎだなあと感じております.ん?なんか嫌なことでもあったの?ていうか,生きててつまんないの?いや別に.というか,そういうことは「特に関係ない」のは,危うい幸福で書いた通りです.
要は,楽しく気分よく(ただし,この言葉の意味に注意)過ごせて行ければいい,とすると,別に何でもありだとは思うんです.何が言いたいのかというと,やりたいこと,打ち込めること,情熱を感じるものが見つからなくても,そこまで行かなくても「退屈しのぎ」つまり積極的にやりたいわけでもないけど,やるのが(それほど)苦痛ではないくらいのものでも充分「楽しく」退屈しのぎして行けると思うんですよね.それが仕事なら生きていくためのお金も得られるわけですからね.
やりたいことが仕事以外なら,ちょっと辛くてもなんとか我慢して頑張れるくらいの仕事をしてちょっと不幸になれば,仕事をした後,幸不幸相対論的に幸福になれて,なおかつ,やりたいことをやればいいでしょう.不幸にも?働かなくていいくらいお金があれば,遊んで暮らして行けてそれで本人がよければそれでもOKでしょう.つまり,何でもありなわけです.
でも,どうせ何かやるのなら,できれば後から考えて何やってたんだろ?というようなことではなく,そのことを通して内的熟達が感じられて自分が成長できるようなこと,社会の役に立つことをやりたいと私は思う,私はその方が(なぜだか)気分がいいというだけの話です.
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最近なんか幸福と書きました.それはまあそうなんですが,そうするとどうなるかというと,だんだん無気力になってきます.今回に限らず過去においてもそうでした.え?なんで?と思われる人もいるかと思いますが,これは脳科学的には当然で,幸福感を感じさせるセロトニンが分泌されると方向的にはリラックス,休息に向かうからです.だから,「幸せは目指すに値するものではないし,目指すべきものでもない」になるわけです.
無気力になって,有意義な生活を過ごせなくなると(普通は)不幸になりますから,幸になれば不幸になるという時間的相対的幸不幸を繰り返す,ということになるわけです.逆に言えば,それはそれでいいわけで,実際,やる気満々で活動しっぱなしでは,体も心も壊れてしまいますから,休息することも必要ということです.問題は,休息しっぱなしだと(普通は)不幸になるので,そこからまた気力を出すにはどうしたらいいか,ということなのですが,それがドーパミンです.
つまり,交感神経をオンにして,ドーパミンを出してやる気になって活動する→副交感神経をオンにして,セロトニンを出して,達成感,満足感,幸福感を感じて休息する,を繰り返すのがいいということですね.それには,やる気を出すことも大事ですが,しっかり休息することも必要です.でも,達成感,満足感を感じるには,まず頑張らないといけない.何だか,鶏と卵みたいですが,まさにそうだと思います.つまり,まず頑張ってから休息,でなくても,先に休息(とは言わないか)してから頑張るというのもあると思いますし,私もそれを結構使い分けています.
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エンタの神様が打ち切りになるそうです.引っ張りに引っ張ったお笑いブームがとうとう終わるということでしょうか? ていうか,とうとう弾切れ? ていうか,お笑いってブームとかいう程度のものだったということなんでしょうか?
最後の番組で,始まってからの芸人を紹介してたのですが,すごいですね.ほとんど消えてます.おっと思うネタをやって1回は受けることはできても,売れ続けるのは大変です.でもお笑いの動機って,本来的には「売れること」ではなく,「おもろいこと思いついたんで見て笑ってよ」,だと思うんですよね.そういう意味では,一発でも受けた芸人は,ある意味それで本望でしょう.そして,一発も受けないまま消えていった膨大な数の芸人がいるわけです.
お笑いブームは終わるのかもしれませんが,世の中にとって悪いことばかりではないかもしれません.というのは,お笑いブームが終わると景気がよくなる,という法則?があるからです.これは,別に経験則ではなく,景気が悪くなると人々が笑いを求める,ということなんですけどね.つまり,ちゃんと因果関係があるわけです.
逆は必ずしも真ならずですが,景気は循環するものですから,景気回復の1つのサインかもしれません.でも,景気回復してどうすんの?とは,このサイトで散々書いていることではありますが.
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最近はどういう感じかというと,何か不思議な感じです.調子はどうかと言われれば悪くないです.体調も悪くない.体重は,ほぼ元に戻った状態で,体脂肪率は少し増えた状態で安定しています.でもやる気満々かというとそういうわけでもない.でも気分は悪くない.毎日,淡々とやるべきことをこなしてる感じでしょうか.ただ,運動も出かけることもできないので,仕事してる時間は多いです.そんなのつまんないかというとそんなことはなくて,充分楽しいし,これで充分と言えば充分です.
原因?としては,活動度を落としてその分食べる量を減らしてるということが考えられます.いわゆる収入も支出も少ない緊縮財政ですね.これってとても効率的でいいんじゃないですかね?何と言っても体調が悪くないのは大きいです.ただ,こんな感じで死ぬまで行くとはちょっと考えられません.その証拠?にピアノはこの曲をこの日から弾き始めて今日まで一応毎日弾いています(まだ5日目だが).運動は全然してないんですが,これは全く感覚的にですが,体調が悪くないので,いきなりやっても動けそうな感じがします(あくまで「感じ」です).「1つの生活パターン」として,時々「使う」のも面白いかもしれません.
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すぐ上の続きです.要はフル稼働しないで6割から8割くらいのペースで恒常的に使ってやるに近い状態なんじゃないかと思います.フル稼働ではないので,燃料(食料)も6割から8割くらいでいいわけで,逆に摂りすぎると不完全燃焼を起こすわけです.ただ,全く平坦なわけではなくて,ていうか,夜は寝るし,それは絶対無理なので,ある程度の波もあってしかるべきでしょう.
そんなこと考えていたら,今弾いてる曲がまさにそういう曲だということに気づきました.つまり,生活という全体だけではなくて,それを構成する要素にもそれが現れるということが起こっているわけです.
運動(スポーツも含めてもっと広い意味で体を動かすこと)もそういう風にできるでしょうか?少なくとも言えるのは,競技レベルでは無理だろうということです.いや,考えようによっては,シニアの世界ならトレーニングしすぎれば逆効果ということもあることを考えるとできないことはないかもしれません.
でも問題はやっぱり仕事ですよね.こんなのんびり?ペースで最先端の研究成果をあげていくことなんかできるはずありません.と,一般的には思われるでしょう.でもこれも案外わからない気がしています.というのは,今結構論文書いてるし,仕事も進んでるんですよ.つまり,「結果」は出ているわけです.
だとすれば,仕事に関してもこれもあり,ということになります.これはどういうことかというと,自分自身がどういう感じで仕事をしているのかと,周りからどういう感じに見えるのか,というのは全然違うということです.結果的に,ばんばん成果が出てくれば,周りから見ればバリバリ仕事をしているように見えるでしょう.実際,多くの時間を仕事に費やしています.
でも,本人は別に「バリバリ」やってるような感覚はない.つまり,本人の感覚の問題なわけですね.本人はのんびりやってるようなつもりでも,結果はバリバリやってるようなものが出てくる,なんてことがほんとにあれば,めっちゃいいと思いません?これって,どこかで書いたと思うのですが,苦労を苦労と思わない,努力を努力と思わない,ってことになるんでしょうか?
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要は,気持ちの持ちようということでしょうか.と書くと,とてもとてもプロトタイプな感じがしますが,そうではなく,というか,これも,言葉は単純でありきたりだが,その意味は深く,多くの人はその真意を理解していないものということかもしれません.
1つの方法として,無理矢理にでも心の余裕をもつというのはあるんですけど,少なくとも今は「無理矢理に」ということはありません.だから何か知らんがそういう風になってるということです.
何か知らんが,と書いたのですが,原因として考えられるのは,「少入少出」です.で,その結果として体調が整い,気持ちも落ち着いて来る.やっぱり,食べ物って超重要ということですね.「状況」は,人間の体に直接はいってくるものではないのに対して(脳が感じるもの?),食べ物や空気は体に直接吸収されるものですからね.
これを社会に当てはめると,やっぱり,景気回復なんかしてもいいことないよ,となります.問題は,入と出を大きくすることではなく,労働の再配分でしょう.
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おとといが研究室の追いコンで,昨日が卒業式と修了式でした.今年は,M2が4人修了(うち1人は博士課程進学),4年が3人卒業(うち2人が大学院進学,1人が他大学大学院進学)で,足し算引き算が...という感じですが,M2が3人,4年が1人の計4人が(追い出され)対象者ということになります.
やっぱり,ちょっと寂しいのは否めませんね.でも,一応1人ずつしゃべってもらったのですが,みんなこの研究室のやり方を理解していて,そこで得たものや自分の考えをちゃんと話してくれて嬉しかったです.そう,一番大事なのは,とにかく「自分の頭でしっかり考えること」です.
私が望むのはただ1つ,とにかくみんな元気で「楽しく」やって行ってくれることです.そこで,この研究室で学んだことが役に立てば言うことなしです.
↑これは修了式の日,M2と撮った写真
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最近,心身とも調子は悪くないのですが,つくづく人生所詮退屈しのぎだと感じています.つまり,何でもありだとは思うのですが,どうせなら,つまんない人生よりは楽しい人生の方がいい.それには,(何でもありだけど)何やるのか,ってことです.
やりたいこと,やるべきこと,やり甲斐を感じることがあればやればいいでしょう.そういうことをするために別途仕事をしないといけない場合も仕事をして,そういうことをやればいいでしょう.特にやりたいことがなくても,生きていくのに仕事をしないといけないのなら,やりたいまで行かなくても,そんなに嫌ではないものを仕事として消去法的に選んでもいいでしょう.仕事というのはそういうもの,つまり,好きとかやりたいとかいうよりも,そんなに苦痛でなく続けて行けるかどうかが重要だとある友人が言っていて,なるほど,その通りだと思いました.仕事が「そういう」仕事なら,仕事の後は,その解放感から余暇を思う存分楽しむことができるでしょう.
でも特にやりたいこともなく,例えば,お金持ちとかで,仕事もしなくてよかったらどうですか?なかなか厳しいですよね.実は,大学の教員ってのもそれに近くて,もちろんお金持ちじゃないんですけど(^^;,そこそこの給料はあって,ロクに仕事しなくてもクビにならない(のもいて非常に問題ということはそういうことな)ので,それに近い状況と言えます.いや,そんな(恵まれた?)人は一握りでしょうと言われるかもしれません.でも,世の中便利?になってどんどんそういう方向に向かって(しまって)いるのは何度もこのサイトで書いている通りです.
もちろん,遊んで暮らすような生活を何十年も続けて何の虚しさも感じないのであれば,これもある意味無敵です.でも(残念ながら)ほとんどの人間はそういう風にはプログラムされていません.私もそうです.そうすると,人間の最大の敵は退屈ですから(何もしないで何十年もぼーっとできる人もある意味無敵でしょうが,そんな人もそうそういないでしょう)「退屈しのぎ」に何かしないといけません.
で,どうせ何かやるのなら,少しでも面白さを感じること,少しでもやり甲斐を感じること,少しでも苦痛ではないこと,少しでも人や社会の役に立つこと,少しでも自分を成長させることができること,と考えて行けばいいわけで,私の場合は,結局,仕事(研究およびそれを通して人を育てること)になるんですよね.
まあ,最初から,研究は面白い,研究と言ってもいろいろだけど,苦労して探しに探していろんな紆余曲折を経て,一番面白そうな今のテーマを見つけた,今のテーマに関しては,世界の中でその本質に一番近づいている(と勝手に思う),そういう状態で自分が今のテーマを放り出すことは,社会的責務に反する(と勝手に思う)からやる,でもいいんですが,どんなに深遠に思えることもだから何なの?感は拭いきれないわけです.だから,人生所詮退屈しのぎなわけで,でも,どうせ生きていくのなら,つまんない人生よりは楽しい人生の方がいい,となって,第2パラグラフに戻り,第5パラグラフの結論?を得るわけで,つまり,人生捨てたもんじゃないよ,というのが「人生所詮退屈しのぎ」論の本質なわけです.
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今日は,研究室が始まって初めてのOBOG会でした.つまり,この研究室もようやく?OBOG会ができるほど卒業生が増えてきたということになります.でも追いコンでも書きましたが,卒業したみんなが卒業後も元気で頑張ってくれることが全てなので,そういう姿を直接会って見ることができたのはほんとに嬉しかったです.
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昨日のOBOG会のときも話に出たのですが,学生の間で最近私が幸せそうだということになってるそうです(つーか,ここにそう書いてるし).で,何かいいことがあったんじゃないか,ということになってるらしいですが,別にいいことなんか何もありません(つーか,これもここにそう書いてるんだけど).もちろん,ちゃんと4人巣立ってくれたのはいいことですけど,寂しい面もありますからね.
再三このサイトで書いているように,幸せを感じるかどうかは,何かいいことがあるとかそういう外部要因ではなく,自分の中の問題です.もちろん,いいことがあれば嬉しいですが,それは一瞬のことです.ですから,自分がいかに「心身ともにいい状態でいられるか」に尽きるわけで,今は,単に心身ともに悪くない状態,ということに過ぎません.それが,「少入少出」が原因だとすると,これは大いなる成果で,これを頑張って続ける価値は大ありだと思いますが,調子には波があるので,単にそういうことかもしれません.
そして,何よりも,たとえ幸せだとしても,別にどうということはありません.これも再三書いているように,幸せは目標でも目指すべきものでもなく,そこからは何も産まれません.幸せは現状に満足することなので,そこで止まればむしろ後退することになりますし,そのうち不幸になるでしょう.
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情熱大陸で建築家の坂茂さんの回を見ました.一番印象的だったのは,「人生の目的は?」ときかれて,興味なさそーに「あんまり考えたことないね.よくわかんないし.やることいっぱいあるんで」と答えられたところですかね(そこかよ(^^;).でも,これもどこかで書きましたが,第一線でバリバリ仕事してる人ってだいたいそうなんじゃないですかね?幸せになるには考えないことという側面はありますからね.それで最後まで行ければそれはそれでいいと思いますよ.でも私には無理ですし,今はもう,できるものならそうしたいとも思いません.
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エンタもそうですが,これ以外のもジャンクとかプロフェッショナルとか私が普段見ているいろんな番組が終了になるようです.で,私個人としては,正直言うと...,嬉しいというかほっとするみたいなところがあります.やってなければ見る必要ないですからね.ここでも書いたのですが,どんなに為になるような?番組でも,誰でも見られるテレビのような情報源では,流せる内容がほんとに限られますし,そもそも「インプット」なんかいくらしても大したことはできません.ですから,「余暇」的要素(休んで「アウトプット」する仕事のエネルギーを蓄える)以上の意味は(あまり)もたないわけで,録画したDVDが貯まっていって見なきゃみたいなのは本末転倒な話なわけです.
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このサイトで,人生や生き方についていろいろ書いてきました.つまり,そういうことについてずっと考えているということなんですが,そういうことについて考える「メリット」って何でしょうかね?気分よく「楽しく」生きていきたいのなら,そんな余計なことなんか考えずに,バリバリ仕事したり,好きな人や家族と楽しく過ごした方がええんでないの?という人も多いのではないでしょうか?
まあ,メリットがどうだこうだ言う前に,考えずにおれないから考えるのですが,実は,こういうことについて考える「メリット」はとても大きいのではないかという気がしてきました.それは,人生何が起こるかわからないからです.
もし,今やってることが楽しくて,家族といることが幸せで,生きることが楽しくて,人生や生き方について考えることもなく,考える必要もないとします.でもこれって危うい幸福そのものですよね.つまり,いつそういう状態を失うかわからないわけです.そして,人生や生き方について何も考えていなければ,そういうときにどうしたらいいか全くわからないでしょう.別に何か病気とか事故とかに巻き込まれなくても,ある日突然,そういうことに「気づいて」しまって考え出すかもしれませんし,そのとき,実質人生のやり直しがもうできない時期になっているかもしれません.
そうなったらそのとき,自分でどうにかなるわけでもなし,と言ったところでしょうか.もちろん,それで最後まで行ければ超ラッキー?でしょうが,最後の最後まで,それで行くことはできません.それは,最後は人は皆(今のところ)死ぬからです.最後の直前まで,それで行けた人は,生きてるのが楽しくてしょうがないのでしょうから,そういう人は(できれば)死にたくないわけですよね?そうするとものすごい不幸が最後の最後に待っていることになります.
人生ずっとハッピーだったなら,最後の最後くらい不幸でもいいじゃんという考えもあるとは思うのですが,これもこのサイトで何度か書いたのですが,「死に方」って重要だと思うんですよね.少し大袈裟に言えば,「いい死に方」をするのが人生の目標と言えなくもありません.
つまり,人生とか生き方とか死とか死に方とかをちゃんと考えておく,というのは,「ちゃんと対処できるようにしておく」ということで,そうすれば,何かあったときにみっともなく右往左往することもないでしょうし,死ぬときですらそうです.私は,死ぬことは別に怖くないと何度も書いてきましたが,そう思うようになったのは,こういうことを考えるようになってからです.
幸せになりたければ,一度不幸になればいいと書きましたが,これって,実は,人生について考えることそのものですよね.外部要因で不幸になれば,自らそれを解除することは難しいですから,幸せになるには,自ら不幸に必要があるわけです.つまり,人生のはかなさや虚しさについて考えると不幸になる.でも,だからこそ生きていることの幸せも感じるわけです.人生所詮退屈しのぎもそう考えることによって,一旦不幸になり,でも,どうせ同じ退屈しのぎをするなら,楽しく気分よく生きていきたい,となるわけです.
と,偉そうなことを書いてきましたが,そういつもうまく行くわけでもないでしょうし,いつもそんなことばっかし考えていたら,ずっと不幸(^^;ですから,基本的には,足下をしっかり見て歩く,でも,時々遠くを見て,今いる位置,今行こうとしている方向を確認するということでしょうね.
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「少入少出」が原因かどうかはよくわからないのですが,再三書いているように,最近,心身ともに調子は悪くないです(とか書いていると悪くなったりするものだが).「少入少出」というのは,収入も支出も減らす,即ち,運動しない(今怪我しててできない)分,食べる量も減らすということなんですが,減らすと言っても,ごく僅かです.ただ,ご飯の時間の1時間前にお腹が空くので,1時間くらいは,お腹が空いた状態になるのですが,「あーお腹空いた」という感じで食べることになるので,これはこれでいい感じです.体重管理もできてます.でも体つきが...
ダビデ像かどうかはともかく,このまま行くとちょっと...要は,そういうことを自分の中で許容できるかどうかということでしょうか.というか,そもそもこのまま死ぬまで運動しないとはやっぱりちょっと考えられません.ピアノもまだ10日ですが,飲み会があった日以外は毎日弾いてます(でも曲が曲だけに運動で言えば軽く体を動かしているような感じ).
安静にしておく3月末も迫ってきたことですし,4月になったらぼちぼち動き始めようかとは思っています.ただ,股関節の状態ですが,まだ万全ではありません.というか,14日から変わっていません.よくならなかったら整形外科に行くということにはなってるんですが,少なくとも,3/8からは変わっていないわけで,ここで少し動くという実験をしてみるのもありかな,という気がしてきました.つまり,これも試行錯誤というか,研究対象なわけです.
でも,激しくトレーニングすることは(まだ)ないですし,「少入少出」も続けていきたいです.問題は,運動すれば「出」が増えるので,「入」をどう増やすかですね.「入」をこのままキープすると体重がどんどん減っていくのかな?
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今日,学生実験のテキストのことで業者さんが来られて,彼が「今いろんな先生のとこ回ってるんですけど,皆さん,今が一番研究できるっておっしゃってます」と言ってました.つまり,春休みで講義もなく,年度末なので,いろいろ余計な雑務もあまりないということでしょうか.そう言えば,S都大のK山先生のHPにもそんなことが書いてありました.実際,私もここんとこ,研究というか論文書きに割と時間がとれています.つまり,心身ともに調子が悪くないというより,単にそういうことなんでしょうか?
とも思ったんですが,心身の調子悪ければ,研究ははかどらないですし,担任関係でいろいろ仕事もあるので,そういうわけでもないでしょう.実際,体調は悪くないですからね.
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今日は少し暖かくなりましたが,ここんとこほんと寒いですよね.まるで真冬に戻ったようです.ただそれだけです.あとから読んだときこのときどうだったかを思い出すために,こういう単なる客観的事実も時々書いておくことにします.
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今日(も)ちょっと嫌なこと,というか,面倒なことがありました.私はバス通勤なのですが,センターから大学までは,通勤手当の代わりに身分証に貼るシールをもらってそれを運転手さんに見せています.それを毎年更新しないといけない(これも面倒)のですが,明日から新年度なのに,シールの配布が間に合わないというのです.4/10くらいまで更新中ですと運転手さんに言ってください,と言うのですが...
事務の不手際なのに,なんでそんなめんどくさいこと私がせにゃいかんのでしょうか?末端の運転手さんまで話が伝わってないなんてことは大いにありえますし,もし押し問答になったらどうするんでしょうか?下手したら無銭乗車で犯罪者です.ていうか,そういうことを考えるだけでも精神的負担です.
ということで,何か見せられる証明書のようなものを用意してくれとメールしたのですが(連絡はメールで来たので),夕方までなしのつぶて.で,直接話をしに行くと,関鉄に話はしてあるので大丈夫だと思うんですけど,って全然,何が問題なのかわかってません.で,上で書いたようなことや,運転手に運賃を払え言われて払ったら後で払い戻してもらえるのか?とかいうことを言うと,じゃあ話をしてきます,とようやく行ってくれて,あっさり,業務用利用者証というのをもってきてくれました.こういうものがあるのなら,最初からこれを渡すのが筋でしょう.
私がうるさく言わなかったら多分ほったらかしだったのでしょうから,こいつはうるさくて面倒だから利用者証を渡しとこうといったところかもしれません.でもそれはそれであんまりいい感じはしませんね.
何でこんな細かいことに私が拘ったのかというと,やっぱり「筋じゃない」ということです.人間ですからミスや不手際はありますが,その穴埋めを他人に押しつけてはいけません.つまり,ただ連絡するだけではなく,どんなに些細な形でもいいから不手際を自分で埋める労力を見せてくれたら問題なかったと思います.
でも1つまた発見がありました.嫌なことがあったので,一瞬かなり気分は悪くなったのですが,ただそれだけでした.それで私が不幸になるとか,ずっと気分が悪いままということにはなりませんでした.つまり,やっぱり,幸不幸は状況に依存しないということですね.
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今日で今年度が終わりです.ということで,とある事情により駆け込みでいくつか論文を出しました.年初に「今年は論文を書く」なーんて宣言?してしまったのですが,これでもう年初から査読論文を4編出したことになります.準備中のものが7編はありますし(瓦被害から地震動強さ指標分布を推定,建物内人口で被害推定,均し被害率と波形消失した観測点の地震動強さの推定,PDAを使った地震被害調査システム,全壊する震度と建物耐力の関係,Seismic Intensity Measure,鉄筋コンクリート造建物の耐力分布),結果が出てきてるものもありますし(単一簡易加速度センサで損傷度判定,めり込みのスケール効果を考慮に入れた木造縮小模型,木造建物の経年劣化,斜面崩壊と相関を持つ地震動の周期帯,地震被害推定システムの構築など),これから結果が出てくるもの(振り切れた広帯域地震計を用いて周期特性を推定,HPFRCCを用いた縮小模型)もありますから,このペースだと,査読論文だけで年内に10編以上は軽く行きそうです.大会などを入れればこの3倍くらいになるでしょうし,ここで書いたものは大会などで既発表のものだけで,これから始めるものは含まれていません(なんかついでにここに書いて整理しとこうと思って書きだしたら膨大な数になって自分でも驚いた).
あと,被害地震関係で「借金」がなくなりました(これでいつ地震が来ても大丈夫?).こんなことは多分初めてですね.いずれにしても,「仕事できるうちにしとかないと感」がますます現実味を帯びてきました.問題は今のペースがいつまで続くかですね.第三者から客観的に見れば明らかにオーバーペースですが,私自身はそういう感覚はありません.
次の月へ