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2/1'23
[普段は弾きにくいピアノで練習しておくのがいい?]
(ピアノ)

 私の家にあるグランドピアノで練習しても全然だめってことですが,一体,何が起こってるんですかね.

 2018年以降のピアノプロジェでの会場のピアノが弾きにくい可能性はないこともないです.実際,そう言う人もいました.でも,ちゃんと弾いてる人は弾いてるし,そもそも,本番でどういうピアノになるかわからないわけで,ある程度,対応できるようにしておくことは,必要でしょう.

 昔を振り返ってみると,福岡にいた頃は,家にあるのはアップライトピアノで,時々,学校などでグランドピアノを弾くと,めちゃめちゃ弾きやすいと思いましたし,グランドピアノで弾いてから家のピアノを弾くと弾きにくいと思いました.

 大学に入って,東大ピアノの会に入ると,会室にグランドが一台,アップライトが二台あって,グランドは,G3で,今私がもってるピアノと同じ型で,実際,タッチもよく似ていました(重くてやや硬い).そして,やはり,アップライトよりグランドの方が断然弾きやすかったです.本番のピアノは,硬めで鳴らない感じのことが多かったので,ちょっと弾きにくいとは思ってましたが,全然弾けないというようなことはなかったです.

 社会人になって,ファミーユのピアノは,東京文化の視聴覚室の小ホールのおさがりのスタインウェイのフルコンだったんですが,弾きやすかったです.でも,軽くてぼよんぼよんしてて,今のピアノプロジェのピアノと似てましたね.時々,会場が変わって,ひどいときは,アップライトのときもあったんですが,めっちゃ弾きにくかったです.

 ここまで書いてみて思うのは,やはり,今のプロジェで使ってるピアノが弾きにくいとは考えにくいということで,そうすると,問題は,私にあることになります.ファミーユの東京文化では,弾きやすかったので,その時と何が違うかと言うと,加齢はあるかもしれません.

 でも,それでは,話が終わってしまうので,何とかしないといけないことになります.一つ考えられるのは,歳をとったのが私ではなく家のピアノの可能性もあるわけで,ピアノが老朽化して,世の中のピアノのタッチとどんどん乖離していったのかもということです.でも,現実問題,ちょっとそこまでは考えられないですかね.

 いずれにしても,ピアノも含めて,私サイドに問題があるということは,私が何か対応をしないといけないということで,すぐにでもできることは,ピアノを変えることです.さすがにスタインウェイは,ということなら,タッチが軽くてスタインウェイに近いC3とかでもいいんじゃないですかね.

 あるいは,逆の発想として,タッチが軽い電子ピアノにしちゃうことです.そこまで極端でなくても,電子ピアノを買って,今のグランドと併用しながら様子を見ることもできますね.

 電子ピアノと言ってもいろいろで,10kgくらいで5万円くらいで持ち運びできるものもありますし,タッチをグランドピアノに近づけた30万くらいのものもあります.問題は,両者にどのくらいの差があるかですが,どのみち,グランドピアノには程遠いでしょうから,だったら,5万円のものでもいい気はします.

 いずれにしても,「本番のピアノの方が弾きにくい」という状況は避けたいです.だって,弾けてたものが弾けなくなるわけですからね.つまりは,家のピアノは,実は,とても「弾きやすい」のかもしれず,そうだとすると,いい条件で弾けるようになっても,条件が変わると途端に弾けなくなるのは,本番のことを考えるとよくないですよね.

 逆転の発想としては,普段は「弾きにくい」ピアノで練習しておいて,そこで弾けるのなら,弾きやすい本番のピアノではもっと弾けるという方が理にかなってるわけで,そういうことなら,5万円の電子ピアノでOKというか,むしろ,弾きにくい方がいいということになります.

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[万定フルーツパーラー]
(昔話)

 都立大の北山先生のサイトに「万定フルーツパーラー」のことが書いてありました(でも,実際は,万定フルーツパーラーのことというよりは,立原道造が設計した「或る果実店」のことなんですが).

 まず思ったのは「懐かしい」ということです.「懐かしい」という感覚がなくなったと書きましたが,今回は「懐かしい」と思ったので,「懐かしい」という感覚はなくなってないのだと思いました.

 万定は,東大正門のすぐ向かいにあって,果物屋は,私が学生の頃からやってなかったと思いますが(本屋さんはやってた.よく漫画を立ち読みしてた),カレー屋はやっていて,私はそこのカレーが好きでした.学生時代はもちろん,地震研に就職してからも週一で行ってたんじゃないかな.普通だと気づかないというか,入ろうとは思わない風の店(笑)なんですが,最初に連れて行ってくれたのは,確か,学生時代の研究室で助手をしておられた横国の田才先生だったと思います.

 これは,どこかで書いたと思いますが,本郷で昼飯でカレーを食いに行こうとなったとき,万定派とルオー派に二分されるんですが(東大生産研の中埜先生がルオー派だったのはよく憶えています),私は万定派でした.でも,万定は,自分一人でも行くので(笑),みんなで行く時は,ルオーが多かったですかね.

 で,思ったのは,北山先生のサイトには,「万さだ」と書いてあるのですが,私の中の認識は,ずっと「万定」なんですよ.で,検索すると万定で出てきます.ていうか,まだやってるんですね(でも,食べログ3.5か.まあ,普通のカレーと大分違うというか独特ですからね).今度,本郷に行くことがあれば行きたいです(でも,もう大分長い間,本郷近辺には行ってないですね).

 あ,いや,2019年から休業中とありますね.とすると,あの味が永遠に失われた可能性があるということでしょうか.残念ですが,しょうがないってことですかね.

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[やはり,「懐かしい」という感覚はなくなっている]

 「懐かしい」という感覚はなくなってないと書いたのですが,そうではない気がしてきました.具体的には,今,本郷に行って,(実際はもうやってないみたいですが)万定でカレーを食べたとしても,「懐かしい」とは思わないということでしょうか.

 じゃあ,どういう感じかと言うと,40年前と同じように,「いつものように」万定に行ってカレーを食べるという感じになりそうで,これは,先日,こっちに来て,初めて2年以上ぶりにつくばに行った時も,久しぶりに野沢にスキーに行ったときもそうでした.こっちに来た時も,新天地に来たという感覚はなかったわけで,日常と非日常の境目や昔と今の境目がなくなってる感じです.実際,40年以上前と言っても,ついこの間のような感じがするわけですからね.

 この現象?は,ここ数年のことで,最近,大学受験の頃のことや小中高のことを思い出すことも多くて,それが何なのかはわかりませんが,走馬燈のように,ではないですが,人生が終盤にさしかかっていることと関係があるのかもしれません.

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[私の中では「日常」]

 いや,全く逆かもしれませんね.だって,どこに行っても懐かしさを感じないということは,久しぶりに全国のどこに行ってもそれが日常ということですし,40年以上前がついこの間ということは,感覚的に40年以上前,つまり,20代と変わらないってことですからね.

 実際,私の中で歳をとったという感覚はないですし,自分がもうこんな歳だという客観的事実にものすごい違和感を感じるとは何度も書いてる通りです.

 でも,久しぶりに全国のどこに行ってもそれが日常というのは,ちょっと不思議なことで,実際は,この数年は,新型コロナで出かけずに内的熟達的な生活をしていたわけで,それでいて,そういう感覚になるというのは,面白いですね.

 きっかけとして考えられるのは,数年前に京都に来たことで,話があった時は,(何度か書いてるように)めんどくさいなと思ったんですが,断るという選択肢はなかったので,だったら行くしかないし,そこで腹をくくったということはあったかもしれません.

 そして,その心境は今も変わらなくて,今のところを定年でクビになって(あるいは,クビになる前でも)研究していけるところがあれば,どこでも行くと思いますし,それは,私の中では「日常」なんだと思います.

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[VIX指数先物 一転して取扱再開]
(運保)

 VIX指数先物の取扱をやめると言っていたIG証券ですが,一転して取扱を再開するんだそうです.多数のご要望に応えてってことらしいです.

 てことで,すったもんだありましたが,元の鞘に収まるってことなんですかね(でも,また資金移動しないといけないのはめんどくさい).でも,試しにETF(1552)とかGMOとかLINE証券とかで取引してみたので,そっちがよければそれでもいいってことにはなると思います.

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 上の上の記事の今のところを定年でクビになって(あるいは,クビになる前でも)研究していけるところがあれば,どこでも行というのは変ですね.もう何とか食べては行けるわけですし,研究したければ,自分で勝手にすればいいわけですからね.

 なので,若い人達を指導して育てながら研究活動ができるところということなんでしょうが,それはそれで大変なことも多いですし,研究以外のいろんなことをやらないといけないかもしれないわけで,これもニュートラルというかどっちでもOKってことでしょう.

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2/2'23

 ↑というのもちょっと変な話で,じゃあ,もうさっさと大学なんかやめて,一人で勝手に研究して行けばいいじゃんとなるわけですが,そうはしないわけです.なので,少なくとも定年,あるいは,その1, 2年前までは,今の大学にいる「方がいい」とは思ってるってことですね.

 じゃあ,どうして大学にいる「方がいい」と思ってるかですが,一つは「慣性の法則」というか,引っ越しが面倒なように現状を変えるのがめんどくさいということはあるでしょう.しかも,私の場合,数年前に大学を移ってしまったので,それは現実的に益々難しくなりました.

 でも,そういう要因を取り除いたとしても,大学にいるメリットとしては,学生がいて,彼らを指導し成長させながら研究活動ができること,一人で勝手にやるより研究する環境に恵まれていること,給料がもらえることがあり,デメリットとしては,研究以外のめんどくさい仕事があること,学生の研究指導もいろいろ大変なこともあることがあって,トータルバランスとしては,大学にいる方が勝ってるってことですかね.

 つまりは,定年後,あるいは,定年の1, 2年前でも,それからどうするかもそういうトータルバランスで決めるってことなんでしょうが,実際のところは,そんな細かい計算するわけじゃなくて,直感的に行く行かないって感じなんだと思います(実際,これまでもそんな感じだった).

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[世の中にいいこと,役に立つことをしてるとかしたいとか言う奴は]
(世の中)

 世の中にいいこと,役に立つことをしてるとかしたいとか言う奴は○○だと言ってる人がいました.

 その通りだと思いますね(このサイトでも何度も書いてますが).そんなの当たり前の話なわけで,でも,そういうことをわざわざ言うということは,何かよからぬ企みがあるのは明らかでしょう.地球温暖化とかSDGsとか言う奴もまさにそうですからね.

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[妄想してみたけど]
(昔話)

 ほんとどーでもいい話なんですが,妄想シリーズ?第○段?ということで,これまでの人生を振り返って,充分満足してますし,80点以上はあげられると思いますが,100点じゃないというか,いろいろ大きな失敗もしたわけで,でも,100点の人生はつまらないし気持ち悪いし,失敗したから面白かったとも思うのですが,100点というか,あの時,こうしていたら(というのは実はないんですが)というのは,どういう人生かなと考えて(妄想して)みました.

 小中高については,勉強については,進学塾なんかに行かずにもっとてきとーにやってもよかったと思いますね.とは言え,勉強しないということではなく,自分が勉強したいという気持ちにまかせればよかった,というか,結局,そういうのがなければ,私はやらないわけですからね.

 でも,研究者(大学の先生)になりたい,そして,そのために東大に行きたいと思ったわけですから,そんな感じで,最低ライン(という言い方も失礼だが)の修猷に入れたかですが,まあ何とかなったと思いますし,そこで失敗したら,それ以外の高校に行って,それこそ目の色変えて勉強すればよかった気もしますからね.でも,それは,修猷に入った場合も同じで,高二まで遊び呆けて高三で目の色を変えて勉強しないといけなかったんですが,それができなかったわけで,じゃあ,結局,同じか(笑).

 まあでも妄想なんで(笑),そこは置いておいて,勉強以外のことですが,ピアノというか音楽やスポーツをもっとちゃんとやっておきたかったとは思いますね.と言ってもピアノや音楽は,しこたまやったので,スポーツですかね.種目は何でもいいと思いますが,例えば,バドミントンなら,ちゃんとしたクラブに入って,ちゃんと練習してインハイくらいには出たかったですね.でも,どこかで書きましたが,私が行った中高にはバドミントン部はなかったですし,地域にクラブもなかったのですが,バドミントン以外なら,とも思ったのですが,部活はブラスに入ったので,両方は(ピアノもあるし)さすがに無理ですかね.

 そういう意味では,ブラスはどうするのがよかったんでしょうね.高校は途中でやめてしまったんですが,当時のメンツとは今でも付き合いが続いていて,ブラスに入らなかったというのは,ちょっと考えられないですかね.でも,そうすると,練習は結構大変で(練習後帰ってきて疲れて寝てるのを見た父親にブラスかピアノかどちらか選べと言われてピアノを選んでブラスをやめた),ピアノもあるし,スポーツや勉強どころじゃないですね(笑).

 ここまで来て,既にもう破綻しかかってるのですが(笑),結局,妄想は妄想というか,逆に言えば,いろいろ失敗はしたけど,それなりにやって来たってことですかね.

 そう言えば,思い出したこととして,中学の時に(ブラスに入っていたのに)運動部に入って運動したくなって,バスケ部の大平にいろいろ話をきいたことを思い出しました.でも,週3くらいで進学塾にも行ってるわけで,全く以て無謀というか,でも,当時は,そういうことを無謀とは思ってなかったですかね(今でも?).

 スポーツに関して言えば,大学に入ったら絶対運動部に入ろうと思ってバドミントン部に入りましたし,ピアノも東大ピアノの会に入ったわけで,まさに(勉強そっちのけで)大車輪だったわけで,それは,大学卒業後も続き(しかも,大学卒業時にスキーを始めて,大学院修了後は,相場研究も始めた),勉強というか,本業としても,大学4年に研究室に入った時,研究というものに出会って全てが変わったわけで,卒業後,何をしていいかわからなくなったこともあったんですが,何とかやるべきことに辿り着いて現在に至るわけですからね.

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 全く別の現実的な妄想としては,中学は各校のトップがしのぎを削るような進学塾になんか行かずに,のんびり修猷に入って,というところまではいいとして,部活はブラスにも運動部にも入らず(ブラスの連中と繋がれなかったのは残念ですが),でも,音楽はピアノを中心に自分でやって,帰宅部でしっかり勉強するというのは,ありだったかもしれませんね.

 帰宅部だとしても,私には,ピアノや音楽があったわけですし,いろんな本も読んでて,勉強だけには程遠かったでしょうし,それが現実的だった気もします.スポーツだって,毎日,遅くまで練習がある部活ではなく,週に何回か近くで練習がある地域のクラブがあれば,できたような気もするんですね.

 ここで気づくのは,中高の部活ってちょっと異常というか,授業の後,毎日遅くまで練習するってやり過ぎなんじゃないですかね(最近はそうでもないのかな).

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 そもそも,どうしてブラスに入ったというか,クラリネットをやることになったんでしょうね.ブラスは,中学から入ったんですが,既にピアノはやっていたわけで,スキーをやるからスノボはやらない的には,余計なことしない方がいいですよね(勉強もしないといけないし).

 きっかけは,よく憶えてないのですが,小学校の高学年くらいだったか,父親から何か管楽器をやってみるかという感じで,でも楽器は,最初からなぜかクラリネットだったような気がします.今でもよく憶えているのは,小学校を卒業するくらいの時,楽器店に行ってクラリネットだけではなくいろんな楽器を見るのがすごい好きで,それだけのためによく天神の日本楽器(ヤマハ)に行ってました.

 クラリネットを買ってもらったのは,いつだったかな.中学でブラスに入る時は,既にもってたと思うので,それ以前だと思いますが,じゃあ,どこかに習いに行くということはなくて,そのままになってた感じでしょうか.そうそう,フルートも買ってもらいましたが,これもクラリネット同様,買ってもらっただけでしたかね.

 で,中学でブラスに入るのですが,小4のときに仲よくなった早田がいて,彼は,楽器はトランペットなんですが,小学校の時からちゃんとレッスンを受けてたみたいで,中学入学時点で既に「レギュラー」でした.でも,私は,その時点では,まだ「初心者」だったわけで,なんだかなー感はありましたね.

 でも,中学3年間,それなりに練習して,高校でブラスに入る時点では,私も「レギュラー」だったと思います.でも,私以外の1年生は,確か全員初心者で,しかも女子で,そういう状況だったので?,高校でブラスに入らないという選択肢はなかったような気がします.早田もいっしょでしたし,山本も入りました.

 こうしてみると,元々の犯人?は,父親ですかね.あとは,早田がいたのも大きかったですね.

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[みんなやめてしまったのに]

 でも,中高とクラリネットやったのに,それ以降は,全然やってないわけで,ブラスのメンツと繋がれたのはよかったですが,私の中の技能的には,全く無駄だったとは言いませんが,なんだかなあ感はありますかね.でも,そんなこと言ったら,ブラスのメンツで当時の楽器を続けてるのなんかほとんどいないんじゃないですかね.

 ピアノだって,ずっと続けてるって人はそんなに多くはないでしょうし,学生時代,運動部でも,それを社会人になっても続けたという人もそんなにいないでしょうし,昔よくいっしょにスキーに行った人達ももう滑ってないって人が多いです.

 そう考えると,私は,ピアノはずっと続けてますし,バドミントンも大学を卒業しても(松井さんのおかげで)続けて,しかも,この歳になってもまだやってるなんてのはほんとどうかしてるって感じでしょうし,スキーだってまだやってますからね.

 どういうことでしょうね? まあ単にやりたいからやってるってことなんでしょうが(遊び人),これって,実は,めちゃめちゃラッキーなことなんじゃないですかね.

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2/3'23

 ラッキーだと話が終わるので,じゃあ,どういうことかというと,多くの人は,大人というか,仕事が忙しくなってくると,ピアノとかバドミントンとかスキーとかして遊んでる場合じゃない,そんなことよりちゃんと仕事しなきゃと思うんじゃないですかね.

 つまりは,私は,いつまで経っても子供ってことですね.でも,それって,やっぱり,ラッキー?

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[やってることは...]
(世の中)

 今朝のMーサテなんとか塾は,日本電産の永守さん,星野リゾートの星野さんに続いて,JR九州の唐池さんでした.民営化して大赤字だった会社を豪華列車をヒットさせるなどして上場まで導いたということなんですが,どう思いますか?

 経営者としては,評価されてると思うのですが,やってることは...金儲けしたければ,貧乏人ではなく金持ちからむしりとった方が儲かるわけで,それを地で行ったようなもので,たまたま(2010年代は)景気がよかったからいいようなもののってことじゃないですかね.

 でも,会社のトップになったら,社会全体ではなく,その会社を儲けさせることを考えないといけないし,長期的にどうかより,自分の在任中で評価されるわけで,仕方ないとは思いますが,私は,そういう仕事はしたくないですかね.

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[日常のなんでもないことの方が大事]
(体)

 このサイトの記事ですが,今は,2011から12年あたりを読んでるのですが,仕事が大変そうというのは,書きましたが,バドミントンもしんどそうで,でも,その頃の記事を読むと,わかってないねーという感じがしますかね.

 もちろん,フィジカルはあった方がいいですが,歳をとるとそうも行かないわけで,じゃあ,何が重要かというと,やっぱり,「そういう風に動く」というか「動きを洗練する」ことじゃないですかね.

 そのために重要なのは,フィジカルというより,「体が整っている」ことで,要は,日常生活が大事ということです.運動するとかいうよりも(毎日1時間運動しても,残り23時間がだめなら意味なし),座り続けないとか,座り続けた時に体をほぐすとか,ちょっとした負荷を頻繁に与えるとか,なんでもないことの方が大事な気がします(でも,それが意外と難しいんですけどね).

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2/5'23
[テンポで弾いてるつもりでも,実際は,その2割減とかになってしまってる]
(ピアノ)

 どこかでカプースチンの曲が動きが複雑で,テンポで弾いてるつもりでも,実際は,その2割減とかになってしまってると書いたと思いますが,カプースチンに限らない感じがしてきました.どういうことでしょうね?

 歳をとると無意識に動きが緩慢になると言われているんですが,以前からそう(テンポで弾いてるつもりでも,実際は,2割減になってしまってる)なってた?

 最近,メトロノームで定量的に速度評価をするようになってそういうことに気づいたんですが(てことは,これまでそういうことは,ほとんどしてこなかったということ),ジャワ組曲の第1, 2集を弾いた時(2017年)は,演奏時間を測ってたので,(結果的に)定量的評価をしてたことになります.

 その時の結果を見ると,演奏時間2割増,つまり,テンポは2割減ってとこですね.もっとも,この時は,弾けない状態で弾いてたわけですが(でも,そんなこと言ったらずっとそうだけど),2割減というのは,かなりゆっくりで,でも,そこまでの意識はなかったと思うので,この頃からそうだったということですかね.でも,感覚的に,今の2割増のテンポで弾かないといけないとすると,どんな曲でも弾けるどころか,弾ける曲は,ほとんどない気がしてきます.

 どうしましょうかね? でも,テンポで弾いてるつもり,つまり,テンポの8割で弾いても弾けないのをテンポで弾いても弾けるわけないので,どうしようもないですね.昔(若い頃)は,弾けないのにテンポとかテンポより速い速度で弾いてたわけで(ヴィラ=ロボスの野性の詩を15分で弾いた),でも,テンポで弾けないくらいなら少しゆっくりでもちゃんと弾いた方がいい的には,今の方がいいというか,無理して速く弾くことはないというか,しっかり,弾けるテンポで弾いて,それで,客観的に見て,そのテンポで弾いたらあかんやろというテンポなら「弾けない」ということなので,人前では弾かなければいいだけってことですかね.

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 ちょっと補足をすると,テンポで弾かないといけないというか,そもそも,どういうテンポで弾くべきかはずっと議論があるところで,私は,現代の演奏の多くは,速く弾きすぎだと思っていて,テンポで弾かないといけないとは思ってませんし,現代の演奏の多くより,少しゆっくり弾くべきだと思っています.

 でも,2割減というのは,かなり遅いので,そこのところの感覚のずれは,やはり,あるような気がします.

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[できてるつもりでも実際はできなくなってる]

 でも,これってピアノに限らないというか,要は,「できてるつもりでも実際はできなくなってる」ってことかもしれません.バドミントン,スキーは言うに及ばず,仕事だってそうなのかもしれません.最近,バドミントンは,練習しないのに割と動けてるつもりでも,自分でそういうつもりなだけなのかもしれません.

 だって,「自分の中」での話ですからね.そして,「自分の中」でそうなら,割と気分よくできるもので,ピアノだって,2割減のテンポでテンポで弾けてるつもりなのなら,「自分の中」では,弾けてるってことですよね.

 でも,仕事はそうは行かないですし,他人と関わることも迷惑がかかってしまう可能性があります.ピアノだって,人前で弾けば,「お耳汚し」になるかもしれませんし,バドミントンも「相手をしてもらう」ことになってしまいます.

 でも,具体的に定量的にどのくらいできなくなってるかは,なかなかわからないし,だからこそ気づかないわけですが,ピアノのテンポが「2割減」という形で,それが如実に定量的に顕在化したということかもしれません.

 なんだかなあという気分になってくるんですが,しょうがないんですかね.でも,じゃあ,どうやって行くかについて言えば,上で書いたように,「自分の中」でできていれば,できてるつもりなわけで,それはそれでやって行けるとも言えます.でも,他人が関わると迷惑がかかる可能性があるので,「自分一人でできること」をやって行く必要がありますね.つまり,ここでも「一人でも大丈夫が無敵」ってことですかね.

 せめて「一人,時々,みんな」ということなら,ピアノなら2割増のテンポでも弾ける曲を選ぶとか,バドミントンなら相手になる人と打つとかするってことですかね.

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 でも,何か変ですね.ピアノなら,テンポで弾けてるつもりでも実際は2割減ってことは,じゃあ,録音して聴いてみたらめっちゃゆっくりってこと? いや,弾きながら聴いてるわけで,さすがに自分でわかるはずですよね.

 バドミントンだって,相手と打ってるわけですから,自分が打ててないのなら相手は楽勝でとれるはずですし,そもそも,自分が打ったショットは自分で見えるわけで,それは,相手が打ったショットがとれるかも同様ですし,動けなければ,物理的に球に届かないわけですからね.

 仕事はなおさらで,仕事や研究ができなくなってるのなら,そもそも研究は進まないわけですし,学生の研究指導なんかできるわけありません.

 ということで,よくわからなくなってきました.ていうか,「実害」があるのは,今のところピアノだけで,これが何なのかってことですが,ピアノだって,弾けるテンポで弾けばいいだけの話だし,練習論的には,若い頃のように暴走しないのは,悪くないことなので,「何か気になる」ってだけで,(とりあえず)現状でいいってことなんですかね.

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2/6'23

 何か変というのも変というか,やっぱり,自分の中での感覚の問題ですよね.

 つまりは,8割のテンポで弾いたとしても,それがしっくり来るのなら,それが自分の表現したい音楽なわけですからね.

 じゃあ,テンポの8割の演奏がゆっくりに聞こえるのはなぜかと言うと,具体的には,カプースチン自身によるカプースチンのエチュードを0.8倍の速度で再生するとめっちゃゆっくりに聞こえるんですが,考えてみたら,「動画を0.8倍で再生する」のと「0.8倍のテンポで弾く」のは,全然違いますよね.

 というのは,0.8倍のテンポで演奏するのなら,「そのテンポでの音楽」になるわけですが,0.8倍の速度での動画の再生は,テンポでの演奏を0.8倍で再生しているに過ぎず,打鍵による音の立ち上がりや終息,音が鳴っている時間と鳴っていない時間の比率が変わるのにそのままになっていて,音楽にならないのは,当たり前だからです.

 ということで,そんなに気にすることでもない気がしてきました.

 あと,細かい話ですが,演奏時間が1.2倍ならテンポは0.8倍ではなく,正確には,0.833倍ですね(演奏時間が1.25倍ならテンポは0.8倍).

 あと,動画再生で気づいたこととしては,0.8倍は,めっちゃ遅いというか違和感を感じるのですが,0.9倍では,ほとんどそう感じなかったことです.これって何なんですかね?

 漸化式的に言えば,0.8倍は0.9倍の(約)0.9倍で,0.9倍で違和感を感じないのなら0.8でも違和感を感じないはずなんですが,そんなわけはないわけで(これを続けて行くと0.9の10乗の0.34倍でも違和感を感じないことになってしまう),1割ずつ2割といきなり2割の差というか,その辺に何かあるのかもしれません.

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 でも,自分の中での感覚が大事というのは,そうなんですが,それはそれで難しいわけで,これは,いつも書いてる,自己評価と他者評価のことですよね.他者評価より自己評価ではあるんですが,自己評価はしっかりしないといけないわけで,それが疎かになると,老害とかになってしまうわけです.

 でも,疎かにしてるつもりはなくても,能力が低下してしまうこともある.そして,能力が低下すると,評価する能力も低下してしまうわけで,やっぱり,難しいし,だからこそ老害も生じるということでしょう.

 でも,「一人でも大丈夫」ならそういうことも起こらないわけで,目指すところはそこなんでしょうが,認知症的な危険性もあるわけで,やっぱり,「一人,時々,みんな」というか,自己評価,時々,他者評価というか(ピアノならメトロノームでチェックするなどの)客観的評価も必要ということですかね(そういう意味では,バドミントンは,人と打つので,それが他者評価になってるとも言える).

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 何か変というのも変と書いたのですが,何か変というのも変というのも変な感じがしてきました(二転三転).動画を0.8倍で再生しても0.8倍のテンポで演奏したことにはならないとしても,「打鍵による音の立ち上がりや終息,音が鳴っている時間と鳴っていない時間の比率が変わるのにそのままになっていて,音楽にならない」というほど違うものでもないですよね.

 で,あらためていくつかの曲について,0.8倍速で聴いてみたんですが,最初は遅いと思うんですが,しばらく聴いてると違和感がなくなってくる感じもありますし,最初からそんなに違和感がない曲もあります.

 なので,やっぱり,それぞれの曲について,自分の中で適正なテンポがあって,それより速いか遅いかというだけの話のような気もしてきました.というか,自分の中の適正なテンポがあるわけで,それに従って弾けばいいし,そうするしかないし,そのテンポで弾けなければ,単に弾けないってだけの話ってことですかね.

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[メトロノームの使い方]
(ピアノ)

 でも,最近思ったことというか,やってることとしては,メトロノームの使い方というか,メトロノームは,これまでほとんど使って来なかったんですが,最近は使ってて,でも,使い方としては,先にテンポを決めるのではなく,自分が弾いてるテンポを「測る」という使い方です.

 で,それがテンポより遅いと違和感を感じるのですが,気にしなければいいというか,自分の中のテンポと違う上に,弾けてないのに無理矢理テンポを上げるのはよくないので,これもこれでいいってことですかね.

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[単に弾けてなかっただけかも]
(ピアノ)

 私ではなく,世界のピアニストの話ですが,私が中高大の頃は,ポリーニやアルゲリッチが出てきて一世を風靡して,ミケランジェリやグールドが一番油が乗ってる頃で,ブレンデルがどんどん円熟味を増していく一方で,ケンプとかルービンシュタインとかホロヴィッツとか巨匠のような人もいて,個性豊かで活気に溢れていたし,演奏を聴けば,誰の演奏かすぐわかったけど,今はそういうことがないとどこかで書きました.でも...

 みんな上手くなったってことかもしれませんね.つまり,究極の演奏に近づくほど差がなくなるわけで,その昔,「個性」だと思ってたものは,単に「弾けてなかった」だけで,その弾けてない具合の出現の仕方が人によって異なってただけかもしれません(とふと思いました).

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2/7'23
[がっかり]
(日記)

 なんだかとてもがっかりしています.でも,やっぱりというか,当然そうなるわなとも思います.でも,私にはどうしようもないとも思うんですよね,

 どうしましょうかね.いくつか道はあると思います.

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2/8'23

 まあでも,何度も書いてますが,まずは現状を受け入れるってことで,つまりは,自分で何とかなるのなら何とかするとしても,自分ではどうしようもないものは,とにかくまずは受け入れて,そこからどうするかなわけですからね.

 更に言えば,自分で何とかなると言っても,自分のその気にも限界はあるわけですし,もっと言えば,あるべき論的なこともあるわけで,その一方で,自分ではどうしようもないと言っても,ある程度,やりようがあるわけで,そういう中で,できる範囲でやって行けばいいのでしょう.

 でも,副産物には,自分が大学を辞めた後,どうして行くのがいいかがかなり明確に見えて来た感じはしました.というか,これって,起こった事象の副産物ではありますが,自分の中では,まさに主産物ですよね.

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[公平ではない]
(世の中)

 何度か書いた話題ですが,例えば,RシアのUクライナ侵攻から1年ということで,現地の人が話したりしてるんですが,だいたい英語でしゃべってますよね.大学には,多くの留学生が来てますし,いろんなセミナーとかがあるんですが,だいたい英語です.論文も英語で書きますし,国際学会で使われるのも英語です.英語が国際標準語だから当たり前?

 でも,おかしな話ですよね.英語が国際標準語なのではなく,アメリカを中心としたアングロサクソンが力にものを言わせて「むりくりそういうことにした」だけの話ですよね.一番の問題は「公平ではない」ということです.だって,彼らは,英語の勉強をする必要がないんですから.

 とは言え,現実の世の中は,変わりませんから,ある程度,対応する必要はあります.でも,ちゃんと英語を勉強する気にならないのは,そんなに使う機会がないということもありますが(使う機会が多いのなら勉強なんかしなくても使いながら憶えるもの),やっぱり,そういう不公平感というか,理不尽さがあるような気がします(でも,ほとんどの人は,そんなこと考えもしないんでしょうね).

 自動翻訳でそういうことが少しは改善されますかね? でも,彼らがそういう既得権というかアドヴァンテージを手放すとは思えませんけどね.

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2/9'23

 英語は国際標準語で,受験科目にもなってるし,勉強するのが当たり前みたいなことっていろいろありますよね.そして,その多くは(というか全部は)誰かが自分の都合で決めてることです.大学に行くとかいい会社に入りたいのだってそうですし,金持ちになりたい,有名になりたいとかいうのも,その実,「はめられてる」わけです.

 でも,そういう(歪んだ)社会の中で生きて行かないといけないので,ある程度は,適応しないといけないのですが,逆に言えば,騙されず,はめられず,ある程度距離をとることができれば,ある程度自由に生きて行けるとも言えます.

 でも更に逆に,そういうことがわかった上で,騙されるというか,逆に利用するってこともあって,例えば,英語を勉強するのを楽しめれば,大いに楽しめばいいわけですし,要は,何なら楽しめるか,面白いと思えるかってことですかね.

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[何かを表現しようとはしてた]
(ピアノ)

 昔のピアニストは,単に弾けてなかっただけかもと書きましたが,確かに今はみんな上手いというか弾けてるんですが(YouTubeに自分で動画をあげてる名もないピアニストのような人も上手いというか,これだけ弾けたらもう充分って人が多い),何か足りないとは思うわけで,そういう意味では,昔のピアニストは,何かを表現しようとはしてたとは思うんですよね.今のピアニストには,そういうのがなぜかあまり感じられないんですが,弾けちゃうとシーケンサーみたいで,なんかそういう感じがするってことはあるんですかね.

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(日記)

 何だか疲れてきました.でも,10年くらい前の記事を読んでると,もっと疲れてるというか体調も悪いし,その頃と比べると全然いいというか,「何だか疲れてきた」というのも久しぶりな感じはします.でも,やっぱり,何だか疲れてきました.

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 でも,10年前と違うのは,10年前は,まだまだ先が長い感じでしたが,今はそうではないということです.でも,これがどっちに転ぶかはわかりませんね.あと少しと思って頑張れるというのもある一方で,もう(今いる学生をちゃんと卒業させて)やめちゃうこともできる,そうしたとしても1, 2年やめるのが早くなるだけですからね.

 そういう意味では,学生が来てくれてしっかり研究するのなら頑張れるというか,大いに頑張りたいと思いますが,そうでないのなら,大学にいる意味はもうない気がします.

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 いや,学生が来ないなら来ないで,自分のやりたい研究をして行けばいいわけで(学生が来ても研究しないのなら意味ないし),大学をやめた場合も同じで,だったら,給料がもらえる分,大学にいた方がいいのかもしれませんね.

 つまりは,これまたどっちもOKってことですね.ていうか,何でもそうなんですね.

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2/10'23
[「社会」ってそもそも何か変]
(世の中)

 どういう状況になっても,まずはそれを受け入れてどうするかだし,どういう状況だとしても一長一短なので,それはそれでいいわけです.

 でも,信念というか考え方みたいなものはありますかね.信念というと大袈裟というか,遍く通用するような感じですが,そうではなく「好み」みたいなものかもしれません.

 世の中がおかしいと思ってもそれに迎合してでもうまくやって行きたいと思う人もいるでしょうし,そういう世の中を変えたいと思う人もいるでしょうからね.でも,私はどっちとも違っていて,何度か書いていますが,そういう世の中とは(できるだけ)関わらないということですかね.

 それは,「好み」ということでいいんですが,背景的なものがあるとすると,ふと今頃になって思ったんですが,「社会」って,そもそも何か変いう気がしてきたんですよね.?

 人間本来的に言えば,愛する家族とその周辺ぐらいで協力し合いながら楽しく幸せに暮らしていけばよかったものの,それが地域,国,世界という不特定多数に広がって社会というものができてしまったわけで,それで物質的に便利になったところはある一方で,いろいろおかしなことにもなったわけです.

 つまり,本来の生身の人間は,そういう風にはできてなくて,全国や世界を飛び回ったり,ビジネスやメディアやインターネットを通じてものすごい不特定多数の人間を相手にすることは,本来的ではないというか,実は,ものすごくストレスフルなことなんじゃないかということです.

 とは言え,私自身,これまでは,そういうことをしてきたわけで,それはそれで楽しかったですが,何か変なスイッチが入っていた感じがしてきていて,でも,もうすぐ「本来の状態」に戻れるということですかね.

 とは言え,原始時代に戻るわけには行かないわけで,でも,いいとこどりはできるというか,それは,世の中のおかしなところとは,できるだけ関わらず,「一人,時々,みんな」で付き合いたい人とだけ付き合っていくということだと思いますし,それは,これからもそうですし,これまでもある程度はできてきたんじゃないかとは思います.

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 一般的に言えば,世の中に騙されず余計なものに散財しなければ,お金はそんなに要らないわけで,金持ちになりたいとか偉くなりたいとかをやめればいいだけだと思うんですよね.そして,それが逆に成功に繋がったりするわけです.

 でも,敵も然る者というか,金持ちが金持ちでいるために大衆に余計で無駄なものを欲しがらせると同時に,貧困化をどんどん進めているわけで,そこでも必要なのは,やはり,考える力ってことなんですが,現状を見る限り,みんな騙されまくりで,それじゃあ,成功しないのは当然ですよね.

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[この非効率極まりない状態]
(世の中, 大学)

 今週のカンブリア宮殿はビズリーチでした.ビズリーチというのは,自分のプロフィールやキャリアを上げておいて,それを見た企業から直接連絡が来るというもので,どうしてこれまでそういうものがなかったのかと思うくらいです.世の中,いろんなビジネスがあるんですが,こういう世の中の仕組みを効率的にするものはいいんじゃないですかね.

 でも,私が思ったのは,大学です.大学の人事ってどんな感じかと言うと,例えば,誰かが定年でやめてポストが空くと公募で募集するんですが,まず空いたポストをどういう順番で埋めていくかを議論して,それが決まったらどういう人に来てもらうかを議論して,選考委員会を立ち上げて,公募案を考えてそれを教授会で議論して,認められたら公募を出して,何ヶ月も待って,来た書類を審査して,委員会で選考して候補を教授会で提示して議論して,その後,また日を置いて投票して,みたいな感じで,1年以上はかかって,その間,いろんな書類も作成しないといけないわけで,それを会社の人事部ではなく,教授がやらないといけないわけです.

 いっそのこと,大学も「ビズリーチ」にしたらどうですかね(笑).だって,どの人がいいかは,学会発表や論文を見ればわかるし,人間的なこともいっしょに仕事すればわかるし,その人にうち来ない?ってきいてOKならそれでOKというか,実質,そんな感じで決まるのに,上で書いた長大な手順を踏んでるわけです.もちろん,企業ではなく,国立大学ということはありますが,人事に限らず一事が万事そんな感じで,.,この非効率極まりない状態はなんなんですかね.

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[ホームランボールを空振り]
(大学)

 とある大学の先生のサイトに卒論の発表で「ホームランボールが来てしめた!と思ったのに、ちゃんと答えられなくてがっかりした」と書いて(正確には引用して)ありました.

 ほんとがっかりしますよね.でも,それがその学生の実力というか,評価ってことですかね.発表は何とかなっても,内容の本質に関わる質問をされると途端に化けの皮が剥がれるのでは,やっつけでやったことがばればれなわけです.

 でも,研究そのものが否定されるのは,心外なので,思わず私が答えたくなってしまうのですが,それはとにかく我慢ですかね.なぜなら,学生にそんなやっつけじゃだめなんだということをわかって欲しいからです.

 でも,こんなに忸怩たる思いで黙っているのに,そういうことにも気づかないとしたら,一体なんなんだとは思いますかね.

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[やりたくないことをやるとやりたいことをやりたくなくなる]

 やりたいことをやりたいより,やりたくないことをやりたくないの方が勝つようになってきたと何度か書いたと思います.でも,そういうことじゃないんじゃないかと思うようになりました.

 どういうことかと言うと,やりたくないこと,やり甲斐のないこと,こんなことやってどうすんだというようなことをやると「削られ」て,やりたいことをやりたくなくなる感じがしてきたんですよね.

 つまり,やりたくないことをやった上にやりたいこともできなくなってことで,これって,かなりまずいことなんじゃないですかね.じゃあ,どうしたらいいかですが,やりたくないこと,やり甲斐のないこと,こんなことやってどうすんだというようなことをやらないようにするってことですよね.

 そんなことしたら,やりたいことができなくなると思ってたんですが,全然そうじゃないってことなんじゃないですかね.

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2/11'23

 じゃあ,どうしたらいいかですが,道は2つ,大学をやめるかやめないかです.でも,今いる学生をちゃんと指導して卒業させるまではやめるわけに行かないですし,既に卒研生の募集をしているので,学生が来て大学院に行きたいと言えば,それが1年伸びるので(逆に言えば,もし,今年卒研生が来なかったら1年早くやめられるとも言える),そうすると,もうほとんど定年までいることになります.

 というか,学生が普通にちゃんと研究するのなら,学生の研究指導は,純粋に楽しいし(もっとがんがん研究指導しないといけないくらい研究して欲しいくらい),学生も研究活動を通して大きく成長するし,これをみすみす手放すことはありません.

 問題は,それ以外のいろんなお仕事で,それをやることでやりたいことがやりたくなくなるってことなんですが,そういう仕事で疲れてピアノを弾く気にならない,バドミントンの練習やスキーに行く気にならないとはなっても,研究や学生の研究指導をやりたくないとは,なりません.

 なので,現状,問題ない気もしてきますが,それだと,どんどん「仕事だけ」になっていくわけで,定年でそれらを一気に失うことを考えると,やっぱり,仕事だけになってしまうのは,問題です.

 そうすると,やりたくないこと,やり甲斐のないこと,こんなことやってどうすんだというようなことをできるだけやらないようにするってこともありますし,そういうことにも何とかやり甲斐を見出すということなんですが,それは,これまでもやってきたわけで,そうすると,やりたいことをやりたくなくなっても頑張ってやるということになってしまうのですが,それだと,やりたいことがほんとにやりたくなくなってしまう危険性があって非常にまずいと思うんですよね.

 ということで,なかなか難しいのですが,やっぱり,まずは現状を受け入れて,その中で,できる範囲でやって行くしかないってことですかね.

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 そう言えば,とある先生が定年より○年早く退職するという話をきいて,ちょっとびっくりしたんですが,講座制の場合は,ちゃんと准教授がいるのでそれが可能ってことですよね.そういう意味では,私のところも講座制ではあるのですが,専門が違うのでそういうわけには行きません.

 でも,どっちがいいかどうかは,これまた一長一短ですね.そういうわけに行かないから自分が責任をもって最後まで面倒を見ないといけないのは大変ではありますが,ちゃんと責任を全うできるとも言えるわけですからね.

 うーん,でも,その先生がどうかはわかりませんが,もし,定年より少し前に「いい話」が来たら,移りたいと思うかもしれませんね.

 そっか,私ってそうやって今の大学に移ってきたんですよね.そして,移った後も,前任地の大学の学生は,全員卒業するまでちゃんと面倒を見たわけですから,そういうやり方もあるということでしょうか.

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 うーん,でも,定年間際とそうでないのは,やっぱり,ちょっと違いますかね.そもそも,「いい話」ってどういう感じですかね.普通だと,今の大学より定年が先で,まだしばらく研究をして行けるところってことですかね.

 でも,どこかで書いたと思いますが,定年がちょっと延びても時間の問題って気もしますし,ずっと研究して行きたいと思うのなら,もっと持続性があるところがいいとは思います.

 具体的には,定年がないってことですが,それだと給料を払うのが大変ということなら,ほとんど無給でもよくて,でも,その分,オブリゲーションもないってことですかね.だったら,別に無所属でいいじゃんというのは,その通りなんですが,それだと論文が書きにくいってことはあるんですよね.

 名誉教授でもいいじゃんと言う人もいると思うのですが,私の場合,名誉教授になって大学を移ったので(正確には大学を移った直後に誉教授になった),今の大学をやめて前の大学の名誉教授というのも変な感じがするし,そもそも名誉教授は,単なる肩書きであって,現役ではないということで,論文を書く以上は,現役でないと,と思うんですよね.

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[VIX指数先物の買いのファンディングコスト]
(運保)

 VIX指数先物の買い建てですが,売りになって手仕舞ったので,買いのファンディングコストがだいたいわかりました.IG証券の場合,買いのファンディングコストはえぐいとどこかで書きました.

 まずは,GMOですが,だいたい予想通りですかね.つまり,IG証券同様,えぐいということです.CFDでそうならETFの1552は,もっとえぐいかと思ったのですが,そうでもなかったです.とは言え,ETFの場合は,価格にコストが反映されてるので,何とも言えないところはあります.

 そういう意味で,意外だったのは,LINE証券です.なんと(今のところ,というか,計算書を見ても)コストが全くかかってないんですよ.ほんとに? でも,LINE証券はスプレッドが大きいので,結果として,少しマイナスで,GMOは少しのプラス,そして,1552は,かなりのプラスとなりました.

 でも,LINE証券の買いのファンディングコストが0ってことは,売りも同様ってことで(売り建てたのでこれもじきにわかる),これは逆に問題ですね.でも,2/20からIG証券で取り扱いを再開するようなので,こっちを使えばいいってことですかね.

 でも,決済はほぼ同時なんですが,建玉の時間が微妙に違うので,これも何とも言えないところはあります.もう少し詳細に見た方がいいとは思いますが,1552がスプレッドは小さいし,意外といいのかもしれません.

 つまりは,(今のところ)売りはIG証券,買いは1552ってことですかね.

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 あーそっか,買いになった時に買える価格,具体的には,VIX指数先物なら始値(だいたい8時くらい),1552なら9時の寄付で基準化すればいいんですね(この辺の時間は,価格はほとんど動かない).そうすると,やはり,1552が一番好成績となりました.

 なので,売りはIG証券,買いは1552ってことですね.

 問題は,資金移動をどうするかですが,1552は信用でも買えるので,というか,買いは長くは建てないので信用で買うので,資金は,基本,IGに置いておいても何とかなりますかね.てことは,LINEは撤退ですかね.

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 いや,LINEがほんとに買いコスト0なら(まだちょっと信じられないけど),今回は1552がよかったけど,いつもそうとは限らないわけで(LINEの売りコストがどうなるかもわからないが,売り建てたのでそれもじきわかる)もう少し詳細な検討が必要ですね.でも,LINEを残すと資金移動の問題が生じるわけで,うーん,いろいろめんどくさいですね.

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2/12'23
[学生の研究指導が純粋に楽しいのはなぜか?]
(大学)

 学生の研究指導は,純粋に楽しいと書きましたが,どうしてですかね?(どこかで書いたような気もするが,こういう場合,だいたい書いてない)

 自分がやりたい研究をやらせてるだけなんじゃないの?と言う人もいると思いますし,実際,そんな感じでやってる人もいるとは思いますが,私の場合,そういうことは,全然ないです.

 だって,自分がやりたい研究は自分でやった方が楽しいですし,学生にやらせるよりそっちの方が結果が出るのも早いですからね.研究業績的なことについても,ずっと書いてるように,そういうことには,元々興味はないし,この期に及んで,自分がこれ以上研究業績積んでもしょうがないですし,私はもう充分楽しんだので,若い人に楽しんで欲しいんですよね.

 そう,楽しんで欲しいのです.そして,学生が楽しそうに研究して,こんな結果出ましたとか言ってもってくるのが(私も)楽しいんですね.つまり,まさに,子供が楽しくしてるのが親も楽しいというのと同じってことですかね.なので,学生が相談したいと言えば,夜中だろうが週末だろうが対応しますし,それは,めんどくさいことを頑張ってやってるのではなく,純粋に楽しいからそうしてるわけです.

 でも,親の心子知らずじゃないですが,全然研究しなかったりすると,なんだかなあとなってしまいます.楽しいというところまで行かなくても,未解明の問題に対して自分が調査や分析や思考などすることでそれが解明されていくという経験は,社会に出て必ず役に立ちますし,そういうことに効力感を見出せなければ,仕事をしていてもつまらないしうまくも行かないわけで,せめて普通にちゃんと研究してくれれば,研究指導を通して,研究の面白さや,研究を通して得られるいろんなことが社会に出て劇的に役に立つとかいう話もできるのですが,研究しないとそこまで行かないわけで,なんだかなあとなってしまうわけです.

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2/14'23
[10年くらい前と今は全然違う]

 10年くらい前の記事を読んで思うのは,「今と全然違う」ということです.

 体調も違うし(今の方が全然いい),忙しさも違うし(今の方が忙しくないということはないけど,今の方が何とかうまく対処できてるとは思う),ものの考え方もかなり違いますね.で,思うのは,ほとんどあらゆる点で,今の方がいいというか,進化成長してるということです.これは,結構,びっくりかもしれないです.

 一番大きいのは,やはり,10年前より内的熟達的にやって行けるようになったことで(もちろん,話せる人と話すのは今でも好きですが),それは,内的なこともありますが,具体的な技術的なこともあると思うんですよね.一つのわかりやすい例は食事で,10年前は,一人暮らしを始めた頃ですが,食事のスキルが全然足りないというか,外食,中食なしでは,「埋まらなかった」と思いますが,今は,完全自炊でも大丈夫ですし,そっちの方が楽で充実してますし,生活力という点でも,リタイア後の準備としても,これは,純粋に著しい進歩だと思います.

 ものの考え方的にも今の方が格段に達観していて,いろんなことに対する「準備」ができてきたと思いますね.

 でも,10年前より今の方が○○かどうかは何とも言えません.というか,そういうことも含めていろんなものを受け入れて来ているというか,そうできるようになって来たとは言えると思いますが,それが○○かどうかは別の話ですかね.でも,ニュートラルというか,そういうものを10年前より超越できるようになってきた(どうでもよくなってきた)とは言えますかね.

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 でも,10年前と今の状況を比べると,10年前の方がいろいろ大変だったとは思いますが,今の方が明らかに状況はよくないです.

 どういうことかと言うと,もうすぐ仕事を失う,つまり,もうお前は社会に必要ないと言われるわけで,こんな過酷な状況はないですよね.他にもそういうことはいろいろあって,結局,誰かから必要とされることはなかったんだなと思います(それはそれで気が楽だが).

 でも,10年前よりいろんな意味で進化したからなんとかなってるとも言えるわけで,そうでなかったらほんとやばかったと思うんですよね.

 でも,進化というか,その実,単にあきらめただけ,自分が必要とされないのなら,それはそれで好き勝手にやらせてもらうと考えるようにしているだけかもしれなくて,でも,そう考えられるようになった,そして,ほんとにそっちの方がよくなってきた?というのが進化ということでしょうか.

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[退化したけど進化もした?]
(ピアノ)

 ピアノなんですが,やっぱり,弾けなくなってる気がします.

 具体的には,やっぱり,「テンポが8掛け」になってる感じです.つまり,テンポで弾いてるつもりが8掛けにしかなってないということで,メトロノームで確認して実際のテンポで弾こうとすると全く弾けないというかとてもじゃない感じです.

 いつからそうなったのかはわかりませんが,そうだとすると,進化どころか明らかに退化ですよね.でも,それでもいいやと思って楽しく弾けるのなら,(一人で家で弾いてる分には)退屈しのぎ力的には,一種の進化ということでしょうか.

 でも,人前で弾くのは厳しいですね.いや,それが自分のテンポというか,音楽なのなら,何と思われようがそれで弾けばいいってことですかね.でも,何と思われようがそれでいいと思って人前で弾くことに意味ありますかね.

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 そして,それは,ピアノに限らず,バドミントンもスキーも,ひょっとして仕事もそうなのかもしれません.でも,それでも楽しくやって行けるのならそれはそれでOK?

 でも,バドミントンやスキーは,それでもいいのかもしれませんが,仕事はそうは行きません.でも,ピアノもそうですが,どれも実際にそうなってるかはわかるものです(今のところは).そういう意味では,ピアノは,そういうことに気づいたわけで,それは気づかないよりは遥かにましなことでしょう.

 でも,仕事は,衰えてる感じは全くしません.でも,(それなのに)あと○年でクビになるわけですよね.

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 まあでも,何度も書いてるように,与えられた条件下で何とかするしかないわけですし,そういうことを見越して,いろいろ考えて準備して「進化」してきたおかげで,それはそれで気楽にのんびり楽しくやって行けそうというか,そうするしかないし,そうすればいいってことでしょう.

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2/15'23
[○○]

 10年前より今の方が○○かどうかは何とも言えませんと書きましたが,そうとも言えないですかね.○○は,何かというと別に伏せ字というわけではなく,「何となくそういうもの」という感じで使っています.

 イメージ的には「いい」とか「幸せ」とか「自由」とかいう感じですが,まず,「いい」については,今の方がいいです.というか,何度も書いてるように,基本的にずっと「過去より今の方がいい」わけで,それは,過去が既に過ぎ去ったものである,つまり,過去とは,今から振り返ることしかできないからそう感じるものかもしれないということも書きました.

 「自由」については,いろいろめんどくさいことはありますが,総体的には,今の方が自由かな.そして,あと○年すれば,もっと自由になるわけです.

 「幸せ」については,それこそ何とも言えないというか,単に内的な問題なので,幸せかどうかなんて考えても意味ないと思うのですが,何となく今の方が幸せ(的な)感じになることは多いですかね.

 でも,(外的)状況としては「過酷」なわけですから,やっぱり,うまくマインドコントロールできて来てる感じはします.でも,やり過ぎると,大学なんかさっさとやめて好き勝手したくなるので,ほどほどにしといた方がいいというか,微妙な調整が必要ですね.

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(ピアノ)

 テンポが8掛けになる.いつからそうなったのかはわからないと書きましたが,ひょっとしてずっと前からそうだったのかもしれませんね.

 でも,20代は違ったと思うので(客観的なデータ?としては,野性の詩を15分で弾いたように,東大ピアノの会は,演奏時間に制限があったし,こっちに来る時,荷物を整理していて昔のビデオを見つけて「弾けてる」と思った),ピアノプロジェの昔の演奏を聴けばわかりますかね.

 あーそっか,これもジャワ組曲第1, 2集のデータ?がありますね.なので,それ以降ということなので,やはり,ここ数年ということですかね.

 でも,だからどうしようということはなくて,弾ける曲を弾けるテンポで弾くしかないということでしょう(うーん,やっぱ「進化」してる?).

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2/16'23
[結局は自分が何にはまるか]

 結局は,自分が何にはまるかということなわけで,もちろん,はまるものを見出せればラッキーですが,はまるところまでは行かなくても,相対的に一番はまらなくはないことを消去法で見出すのでもいいでしょうし,それを仕事にするのかしないのかということもありますが,一番やばいのは,自分が何にはまるのかではなく,世間の尺度でそういうことを決めることだと思うんですよね.

 でも,はまると言ってもいろいろで,単に面白い,やってて楽しいというのが最高だと(私は)思うのですが,そうではなく,世の中の役に立つとか,社会や組織の中でしっかり責任を果たして偉くなるとか,人がやりたがらない仕事を率先してやるとかいうことにはまる人もいるわけで,でも,それは,人それぞれなわけで,そういうものには,逆らわない方がいいし,はまらないことを無理してやっても疲弊するだけ(なのでいかにしてそれを回避するか)ということでしょうか.

 もちろん,単に面白くてやりたいことをやってる人間よりは,人がやりたがらない仕事を率先してやるような人の方が尊敬されて然るべきだとは思いますが,何度も書いているように,そういう人達は,そういうことが「やりたい」わけで,「やりたいことやったらいい」というのは,そういうことなわけです.

 でも,そういうことも全部引っくるめて,(人に迷惑をかけることでなければ)何やってもいいというか,やっぱり,やりたいようにやったらいいんじゃないですかね.

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 でも,最近思うのは,その持続性ですかね.具体的に言えば,多くのことは,歳をとるとできなくなります.定年がある仕事はそうですし,スポーツとか体を使うこともそうですね.

 そういうことまで考えて,若い時に仕事や仕事以外にやることを決めることは,そんなにないと思いますが,もちろん,何歳までどういう状態で生きるのかはわかりませんが,わからないからこそ,結構大変というか,それこそ,就職する時にどういう会社に入ってどういう仕事をするのかと同じくらい就活というか,○活が必要な気がします.

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2/17'23
[人生なんてあっという間]

 人生なんてあっという間だと思うのですが,それは,歳をとって昔を振り返るからそう思うってだけの話だと書きました(振り返るだけならあっという間にできるので).でも,ということは,逆に言えば,若い人が,人生なんてあっという間と思うことはないということになるんですが,どうなんでしょうか?

 確か,乃木坂の山下美月がドラマの中でそういうことを言っていたと思うのですが,言ってるのは,(まだ若い)山下美月や彼女が演じるそのドラマの登場人物ではなく,実質,(歳をとった)秋元康なわけです.

 若い人で,あるいは,歳をとった人でも若い頃から人生なんてあっという間だと思ってる人っているんでしょうか? もしそうならすごいことだと思いますけど.

 ちなみに,私が若い時は,全くそうは思わなかったですし,30代の頃は,逆に先が長そうでしんどくて,40代半ばくらいになって,ほぼほぼ折り返し地点に来て,これまでの時間からこれからの時間を想像することができるようになって,残り時間を意識するようになり,50を過ぎて,突然,実質,人生が終わって,人生なんてあっという間だったなと思いました.

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[別にうまく行かなくてもいいんじゃないか]

 やってて面白い,楽しいことがあれば,「一人でも大丈夫」だと思いますし,やってて面白い,楽しいこともいろいろあるのですが,それが持続しない,具体的には,例えば,ピアノを弾きたいと思ったとしても,一日何時間もは無理だし,弾きたくない(弾かない)日の方が多いし,それは,ピアノ以外の何でもそうです.

 そうすると,やはり,人との繋がり,報酬も必要ということになるんですかね.そして,それが得られるのがまさに仕事なわけで(しかも,私の場合,内的熟達も得られる),でも,それをあと○年で失うということで,内的熟達を中心に,やってて面白い,楽しいことで,「一人でも大丈夫」(現実的には「一人,時々,みんな」)を目指すということだったわけですが,なかなかうまく行かないってことですかね.

 と,ここまで書いて,別にうまく行かなくてもいいんじゃないかという気もしてきました.具体的には,いつもやってて面白い,楽しいことをやってなくてもいいわけですからね.

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2/18'23
[いろいろ使い分けて組み合わせる]

 とは言え,やはり,(定年後も)退屈でつまらないよりは,楽しく気分よく過ごして行きたいわけです.なので,結局,いろいろ使い分けて組み合わせるということですかね.

 (その時)やりたいことがあればやればいいし,人と(繋がって楽しければ)繋がればいいし,報酬は(定年後は),あまり使えなさそうですが,ある程度は稼がないといけないので,そういことが全くないことはないでしょう.

 そして,どれも引っかからないというか,しんどい時は,休めばいいし,そもそも,人生所詮退屈しのぎなわけで,そういう時は(定年後は)自堕落に過ごしてもいいわけで,これも活動だけではなく休息も組み合わせるとも言えるでしょうか.

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[いい大学行っていい会社に入っていい暮らしをする]

 昨日,?NKの何かの番組でFIRE(資産を形成して早期リタイアする)についてやっていて,背景にあるのは,仕事のしんどさ,時間を大事にしたい,そして,投資する環境になってきたということを言ってました.思ったのは,多くの人は,楽しく仕事をしてない(やめられるのならやめたい)んだなということと,投資で飯を食って行けるのは,極々一部で,ほとんどは,そのうちやられるってことでしょうか.

 ちなみに,解説で出てきたRクルートのF野さんですが,高校(修猷)の同級生ですね(大学も東大).で,彼が最後の方で言っていたんですが,(このサイトでも何度か書いてますが)「いい大学行っていい会社に入っていい暮らしをする」というイメージが描けなくなったということでしょう.

 これについては,2つの意味があると思っていて,1つはそのまんま,「いい大学行っていい会社に入っていい暮らしをする」ことが難しくなったということで,もう1つは,「いい大学行っていい会社に入っていい暮らしをする」ことに意味を感じられなくなったってこともあるんじゃないですかね.まあほとんど前者だと思いますが.

 でも,このサイトでも何度か「いい大学行っていい会社に入っていい暮らしをする」ことを批判的に書いたように,私はそういうことは考えたこともありませんでした.私が考えていたのは,とにかく,やりたいことを見つけてそれを仕事にすることで,「いい暮らし」をしたいとか考えたこともありません.でも,結果的に,充分いい暮らしをしてると思いますよ.

 これも彼が最後の方で言ってたんですが,結局,働く意味というか,何のために働くかということでしょう.もちろん,生きて行くため,生活のためということはあると思いますが,それだけではなく,やり甲斐とか,やってて楽しいとかがなければ,厳しいわけで,でも,その解決策がFIREということだと,単に遊んで暮らすということなわけで,投資もそうですが,そういう考えでうまく行くわけないと思いますけどね.

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2/19'23
[「いい大学行っていい会社に入っていい暮らしをしたい」のならどうするか]

 でも,世の中の大部分の人は,「いい大学行っていい会社に入っていい暮らしをする」的な考え,つまり,特に何かやりたいことはないけど,そこそこ頑張っていい暮らしはしたいみたいな考えなわけで,全く逆というか,学歴とか社会的地位とかいい暮らしなんかどうでもよくて,とにかくやりたいことを見つけてそれを仕事にして,何事かを成し遂げようなんて酔狂なことを考える人なんかほとんどいないわけですよね.

 私は「いい大学行っていい会社に入っていい暮らしをする」なんてことは,考えたこともないのですが,もし「いい大学行っていい会社に入っていい暮らしをする」的な考えだったらどうするかなあと考えてみました(全くの余計なお世話だとは思いますが).

 まあそれでも,ある程度は,自分はどういうことに興味があるか,どういうことはやりたくないか,何が得意かは考えますよね.具体的に言えば,高校の時,文系と理系に分かれるみたいな感じでしょうか.そして,成績というか自分の能力的なことと,どれだけ頑張る気があるかで志望校を決めるってことですかね.

 でも,成績がよくても,東大や京大を目指すというのは,やっぱり,かなり特殊で,普通なら地元の旧帝や筑波,横国,早慶くらいがちょうどいい気はします(そういう意味では,東工大や一橋もかなり特殊).いやいや,旧帝や早慶でも大変じゃんってことなら,その次の関関同立とかマーチでもいいんじゃないですかね.

 ていうか,最近の世の中の風潮を見てると,マーチという言い方もそうですが,「いい大学」の裾野が急拡大してる感じで,でも,実際は,18歳人口は半減で,「いい大学」の質の低下がすごいわけで,東大や京大だって,下半分は,ほんとひどい状態なわけですからね.

 裏を返せば,このくらいの大学に行っとけばいいんじゃない?ってのは,逆に悪くない気もします.だって,「いい大学」に行ったかどうかではなく,仕事ができるかどうかなわけですからね.

 でも,就活もそうですが,仕事ができるかどうかを評価するシステムが充分でないわけで,企業側もインターンとかSPIとかいろいろやってはいるんですが,やっぱ,出身大学のハンデは,まだ結構あるんですかね.

 で,思ったのは,やっぱり,人材の流動化ですかね.つまりは,とにかく雇って,実際に仕事をさせて評価する,雇われる側も実際の職場環境を体験して評価して,ここはあかんと思ったらもっといいところに自由に移っていくってことですかね.ていうか,これからはそういう流れなんですよね.

 じゃあ,そういう流れの中でどうするかですが,就職するか起業するかに関わらず,結局,「仕事ができるか」が全てになってくるわけで,そしたら,「いい大学」に行く意味なんかなくなってきて,受験勉強なんかしてる暇があったら,「仕事ができる」ことに繋がることをやった方がいいわけで,とは言え,現実的に「(裾野が拡大した)いい大学」くらいには行っとくってことですかね.

 あとは,やはり,「職場研究」ですかね.自由に移れるとしても,最初からいいところに行ければそれに越したことはないわけですし,それは,移る際も同様でしょうからね.

 ただ,そういう情報ってあまり公開されてなくて,現状OBOG訪問とかして話をきくみたいな感じなんでしょうが,何とも前時代的というか,企業サイドももっとそういうことをオープンにした方がいい人材が集まるんじゃないですかね.でも,実際のところは,どこも結構ブラックで,ほんとのところは明かせなくて,うまい話をしてとにかく囲い込む的なことなんでしょうが,そういうのが変わっていくといいですね,というか,変わらないとだめでしょう.

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 でも,こうして書いてみると,私の場合,「いい大学行っていい会社に入っていい暮らしをしたい」とは全く考えてなくて,やりたいことを見つけてそれを仕事にしたいと思ってたんですが,実際の行動は,「いい大学行っていい会社に入っていい暮らしをしたい」と思った場合とほとんど変わらないと思いました.

 具体的には,私の場合,研究者になりたかったので,東大に行く必要があったわけですが(でも,今にして思えば,東大に行かなくても研究者には,なれたとは思いますが,小谷先生の魔法の言葉でスイッチが入ったのは事実なので,東大に行かなかったらどうなったかはわからない),受験勉強は,そんなにしなかったというか,東大に行くためというよりは,まさに研究対象だったわけで(でもそれで受験は失敗したけど),既にその頃から研究者として「仕事ができる」に繋がることをやってたんだと思いますし,職場研究についても,大学の教員がどういうものかは,父親をずっと見てきましたし,研究室に入れば,それはもろにわかるわけですからね.

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 見方を変えると,理系なら卒論,そして,多くの場合,大学院まで行って修論をやるわけで,研究がどういうものかもわかるわけですし(でも,これは,指導教員による,つまり,自分がやりたい研究を学生にやらせてるだけなら研究がどういうものかはわからない),大学教員という職業は,とても身近というか,ほとんど職場体験ができるようなものですよね.でも,大学教員になる人は,とても少ないわけです.

 博士まで行かないといけないとか,経済的事情とか,理由はいろいろだと思いますが,やっぱり,一番大きいのは,自分には(能力的に)無理って思うことなんでしょうか(でも,研究者や大学教員と言ってもピンキリですし,出身大学の先生になれることは極めて稀なので,自分の研究室の先生を基準にすると厳しいことになるとは思いますけど).まあそれならそれでしょうがないと思いますが,能力的なことというよりは,研究を面白いと思うか,そして,やっぱり,考える力だと思うんですよね.

 でも,仕事も,結局,研究なわけですし,考える力が必要なのは,大学教員に限った話じゃなくて,つまり,大学教員(研究者)が能力的に無理って思うのなら,企業とかに就職しても大して成功はしないってことなんじゃないですかね(営業とかなら足で稼ぐとか言ったって,そんなことより,どうやったら契約がとれるかを研究することでしょう).

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2/20'23
[何事かを成し遂げる]

 どこかで既に書いたような気もするのですが,「いい大学行っていい会社に入っていい暮らしをする」ではなく,「やりたいことを見つけて(それを仕事にして),何事かを成し遂げる」の「成し遂げる」ってどういうことですかね?

 それは,「いい大学行っていい会社に入っていい暮らしをする」と対極にあるようなことで,これは,既に書いたと思いますが,ビジネスの世界や社会の中で成功するとか,金持ちになるとか有名になるとかとも正反対で,でも,いい悪いということではなく,考え方の違いということはあります.

 具体的には,例えば,医者(臨床医)は,とても重要な仕事で,世の中に必要なものですが,何かを成し遂げるわけではないですよね.私は,医者になることは全く考えたことはなかったんですが,そういうことがあったのかもしれません.

 要は,長期的に(一生をかけて)何かに向かってそれに近づいていくというようなことでしょうか.研究なら真理に近づいていくわけですし,芸術は,漠然としてますが,何か美のようなものを追究してるわけですよね.スポーツなら,競技力を上げて日本一世界一になるなんてことは,単なる社会的成功に過ぎなくて,そんなことより運動や競技の本質に迫ること,つまり,研究的側面があれば「何かを成し遂げる」と言えるものでしょう.

 そう考えてみると,レベルはあまり関係ない気がしてきます.例えば,ピアノやバドミントンやスキーやゴルフなら自分の中で研究して創意工夫をして上達すれば,それはそれで「何かに向かってる」わけですからね.でも,「何かを成し遂げた」かと言うと,レベル的にもっと上手い人や強い人がいれば,全然そんなところまでは行ってないわけですし,自分の中で研究して創意工夫なんかするより誰かに指導してもらった方が上達するのならそれも同様です.

 でも,ピアノにしてもバドミントンやスキーやゴルフにしても,上達するのは自分なわけですから,自分にしかわからないところはあるわけで,自分の力や考えで,自分の中で最高の結果を得ることはできるでしょう.

 でも,研究の世界はそうは行きません.自分の中で最高の結果が出たとしても,それ以上に真理に迫った研究がどこかにあれば,全くの無価値なわけですからね.こうしてみると,非常に厳しい世界で,よくそんなところで,やって来たもんだと思ったんですが,研究者ではなく大学教員なら(数は少なくても一定のパイはあるわけで)何とかなる側面はあるわけです(職業研究者).

 でも,趣味でも研究はできるわけで,結局,何にしてもそれで飯が食えるレベルにあるかってだけの話か.いや,飯が食えるかどうかは,単なる社会的評価なので,飯が食えなくても「何事かを成し遂げた」かもしれないし,飯が食えても「何事も成し遂げてない」こともあるわけで,やはり,他者評価より自己評価ってことなんですが,自己満足ではだめなわけです..

 相場の世界や哲学的なことはどうでしょうね.相場の世界も非常にシビアなところで,極々一部の勝者と大部分の敗者という点ではスポーツと似ていますし,非常に限られても必ず勝者はいるというのも同様ですが,別に世界一になる必要はなくて,少しでも儲かれば,勝者とも言えます.

 哲学の世界というか,どう生きて行くかは,自分がどう考えるかなわけで,非常に明確なんですが,自分がどう考えるかがよくわからないことも多いですし,そもそも,そういうことを考えないというか,「いい大学行っていい会社に入っていい暮らしをする」のように(うまく話が戻った),自分ではなく世の中や他人の尺度で考えてしまうと,あまりいい生き方にはならない気がします.

 でも,そういうことも含めて,人それぞれなんでしょうね.なので,何度も書いてますが,私は,他人の生き方をどうこう言うつもりは全くなくて,私はこういう生き方をするというだけの話です.

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2/21'23
[何事かを成し遂げたのか]

 じゃあ,お前は「何事かを成し遂げた」のかと言われると,まあ一仕事できたとは思いますが,「何事かを成し遂げた」とは思ってないですかね.ていうか,「何事かを成し遂げ」ようというか,「何事かを成し遂げた」という状態になろうとも思ってないですかね.

 そもそも,「何事かを成し遂げた」の基準って何ですかね? ノーベル賞もらったら「何事かを成し遂げた」ことになる? んなわけないですよね.

 なので,「何事かを成し遂げ」ようと「何かに向かって」行きますが,「何事かを成し遂げる」ことはないし,そういうものこそ「何かに向かって」の向かう対象ということでしょう.

 とか言われても,という人が多いのかもしれませんが,それがまさに「何事かを成し遂げ」ようと思うのかそうでないかの違いで,でも,そんなに多くはないとは思いますが,わかってくれる人はわかってくれると思います.

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 でも,一方では,何でもかんでも何事かを成し遂げようと思ってるわけでもなくて,と書いて思ったんですが,それは単なる現実問題で,実際は,何でもかんでも何事かを成し遂げようと思ってるというか,何かに向かうようないろんなことを何かに向かってやってるってことなんですが,現実問題として,やりたくないことはやりたくない(やらない)し,その気になる範囲でやりたいことをやりたい時だけやってるだけなので,ほんと大したことないわけで,単なるメンタリティーというか気持ちの問題ですかね.

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2/25'23
(世の中)

 RシアのUクライナ侵攻から1年ということなんですが,ちらちら見てる感じだと,Pーチンが悪いとか,こんなに長引くとは,一体いつまで続くのか,戦争を終わらせるために我々にできることはないのかという感じですが,全く以てとんちんかんな話で,戦争を引き起こしたのも長引かせているのも○○○○なわけで,ある意味,計算通りに事は運んでいるとも言えるわけで,一番の犠牲者は,Uクライナの人達ですが,大統領を支持しているということは,彼が戦争の一因になってるとは思ってないんですかね.

 我々にできることはないのかということですが,何度も書いてるように,余計なことをして目先の経済を無駄に回すのをやめることで,でも,実際は,全く逆のことばかりしてるわけで,自分達がやってることが戦争を引き起こし,そして,長引かせているとは思わないんですかね(全く思ってないんでしょう).

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[そもそも,外食ってそういうもの]
(世の中)

 外食テロ?が止まらないみたいですが,もちろん,○ホなことしてSNSにアップする○ホな奴ってことなんですが,そもそも,外食ってそういうものですよね.外食産業でバイトすると,実情がわかって外食しなくなるという話をどこかで書きましたが,不特定多数の人間の前を寿司がぐるぐる回って,その間,子供が汚い手で触るとかいくらでもありそうな話で(SNSにアップしなければそれでOKですか?),外食なんかしないに越したことないでしょう.

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