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1/1'23
[年賀状]

 あけましておめでとうございます.今年の年賀状です.

 写真は,去年撮った写真とか,このサイトに載せたものから選ぶんですが,去年は,琵琶湖が見えるスキー場(びわ湖バレー)からの写真で,結構,評判がよかったんですが,今年は,これはというものがなくて,リゲティのエチュードの題材になった実在する無限柱の画像で(カリン塔(笑)?),「絵になる」ものがこれしかなかったというか,特に意味はありません(笑).

 年賀状は,去年からメールアドレスがわかる人はメールにしていて,でも全体の7割くらいで,葉書の人にもアドレス教えてと書いて教えてくれた人もいますが,反応なし(葉書では来る)の人が多くて,でも,アドレスを教えたくないというよりは,ちゃんと見てないんでしょうね.

 あるいは,メールにすると,自分もメールにしないといけなくて,葉書とメールの両方になって,めんどくさいと思ってるのかもしれませんが,「私が」メールにするだけで,先方は,葉書にしたい人はそれで全然いいのですが,そうは思わないのかもしれません.

 でも,私の方としては,葉書の枚数は,3割になったので,それは大分楽です.メールの方は,去年書きましたが,一斉送信ではなく,ちゃんと宛先を入れて,一人一人,コメントを入れて(サンダーバードのMail Mergeを使って)送っていますが,Mail Mergeが秀逸で,これもそんなに手間ではないです.

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 今年の抱負とかはないんですが,去年何度も書いたように,ニュートラルというか,ベースラインが基準で,あとは+αというか,(やらないといけないことをやった上で)やりたいことをやりたい時にやって,その日その日を淡々と過ごして行くということですね.

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[「若い」とか「変わらない」とか]
(自分)

 最近というか,去年くらいから「若い」とか「変わらない」とか言われるようになりました.鏡の中の自分を見ても,若返ったとは言いませんが,?0過ぎの年寄りってこんな感じだっけ?という感じですかね.20年くらい前に60くらいの松本幸四郎(今の松本白鸚)を見て若いなと思ったんですが,何となくその時のような感じというのは思い過ごしだと思いますが,鏡の中はそうですが,zoomで映ったのとか写真は,そうでもなくてどっちがほんとなんですかね?

 40代の頃は,さすがに歳とったねと言う人はいませんでしたが(あーでも,研究室の同期の坂本に歳とったなと言われたかな(笑)),痩せた?とかやつれたとはよく言われました.なので,その頃,歳をとって,でも,そこからは(外見は)あんまり歳をとってないってことなんですかね? でも,重要なのは,見かけより,中身というか,体と脳がどうかなんですけどね.

 理由としては,40代の頃のこのサイトの記事を読むとわかりますが,めちゃめちゃ大変というか,そりゃー疲弊して歳もとるわなって感じです(笑).あとは,食事というか,添加物非摂取生活は関係あると思います.実際,体調も悪くないというか,あの頃に比べれば全然いいですしね.

 でも,実際は,もう若くないわけですから,とにかく無理せずということですかね(これが一番大きな要因かも).

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[弾けるか弾けないかのマネージメント]
(ピアノ)

 結局,またピアノの話ですが,弾きたい時弾きたいと思う曲だけ弾く,弾けないのなら人前では弾かないということでいいと思うのですが,人前で弾くのなら適当にやればいいとは行きません.それは,そんな状態で弾いても楽しくないし気分が悪いからです(去年のシューベルトのOp.120とジャワ組曲の第3集を弾いた時は,当日ピアノを触った瞬間に全く弾ける気がしなくなって,会場で弾くのがとにかく苦痛だった).

 じゃあ,そのために必要なことは何かと言うと,弾けるか弾けないかのマネージメントだと思うんですよね.具体的には,ある曲を弾こうと思った時,その曲を演奏会で出すことを想定するのなら,どのくらい練習したら人前に出せるくらいまで弾けるようになるのか,それが現実的に(やる気のなさも含めて)可能なのかで,かつ,それを日々追っていって演奏会まで外挿して,もしそこまで行かないのであれば,どこかで弾かないという決断をする必要があるわけです.

 そういうことをこれまでずっといい加減というか,感覚的に何となくやってきたわけで,それで何とかなった?こともあったかもしれませんが,去年もそうですが,明らかに破綻というか失敗することも出てきました.去年は,特にひどかったんですが,確かにピアノのタッチの違いに異常に戸惑ったということはありますが,じゃあちゃんと弾ける状態でのぞんだかというと全然だったと思いますし,去年は,技術的にそんなに難しくないということで(でも,その実,激ムズだったんですが)輪をかけていい加減だったと思います.

 そういう意味では,思い出すのは,ジャワ組曲の第1, 2集をやったときで,この時は,まともな練習はしなかったというか,やる気なしでできなかったというか,要は,「ただ通しで1回弾く」を続けただけだったんですが,逆にどのくらい弾けるかを毎回記録を付けて追っていって演奏会まで外挿してというのをやってましたし,それで効力感を高めてたということもあります.

 毎回記録を付けるというのは,やり過ぎかもしれませんが,そういう意識はやはり大事で,要は,もっとちゃんとやれってことですかね.それなら,もっとちゃんと練習しろってことなんでしょうが,これは,私の場合,練習しないとと思うとだめなのでどうしようもないのですが,少なくとも,ジャワ組曲の第1, 2集の時のように「ただ通しで弾くことしかできない」というよりは少しは練習する気になってきた感じはします.

 一方で,物理的に指が動かなくなってきてる,脳的には,なぜか譜読みは速くなってるんですが,飛ぶというかわからなくなることは増えてて,やはり,体的にも脳的にも衰えてるのは事実だと思います.もちろん,そういう中で弾ける曲を弾ける範囲で弾くのでもいいんですが,それだとどんどん衰えて行くわけで,やはり,指的にも脳的にも無理しない範囲で少し頑張るというか鍛えるというか,そういう意識も必要でしょう.

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1/2'23
[その気のマネージメント]

 でも,その気になったとしてもそれが持続するわけではないし,下手すると全く興味を失ってしまうかもしれない.ほんとに厄介なんですが,これもやっぱりマネージメントなんでしょうね,

 若い頃は,その気になったらそれを抑えることはできなかったし,それは今でもそうなんですが,今にして思えば,そういう時期はそんなに続かなかったわけで,歳をとれば,なおさらで,それなら,それを何とか抑えて持続させる方が結果最大になるのかもしれません.

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[一体何が大変だった?]

 40代の頃のこのサイトの記事を見て,その大車輪度がすごいというか,よーそんな大変なことやってたなと思うんですが,一体何が大変だったんですかね.

 研究以外の仕事は,もちろん,いろいろありましたが,昇進するまでは,昇進後に比べれば全然だったと思います.授業負荷もそうですかね.研究については,10人以上の学生がいましたから,その一人一人にテーマを与えて指導するのは,やっぱり,大変でしたかね.学外の仕事も今より全然多かったと思います.週2, 3回は東京って感じでしたからね.でも,今(京都にいて)そんな感じだとしたら完全にアウトですね.

 あとは,仕事以外にやってることが結構大変だったかな.ピアノは,そんなに弾いてませんでしたが,バドミントンは,筑波大バドミントン部で練習してたこともありますし,スキーは,準指を受けてた時期もありますからね.実際,学会で地方から戻ってきて,その足で養成講習会とかに行ってましたしね.

 こうして書いてみると確かに大変だったような気もしますが,今とそんなに変わらない気もしてきて,なんなん?って感じですが,やっぱり,今の方が処理能力が上がってるような気もしますし,受け流すというか,いっぱいいっぱいにならずにうまくできるようになってる感じもしますかね.

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[めんどくさいと思うから助かってる]

 しきりにめんどくさいと書いていますが,めんどくさいと思うから助かってる気もするんですよね.

 もしめんどくさくなくて,あれもやりたいこれもやりたいって感じでやりたいことをやってたら,40代のときのように体調がよくなかったり,挙げ句の果てには,体を壊してたかもしれません.

 つまりは,めんどくさいと思う,やりたくないと思うのは,何かそういうセンサーが働いていて,無理させないようにしている可能性はあって,やりたいことをやりたくなった時だけやると言うとめっちゃ自堕落な感じですが,理にかなってるのかもしれません.

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[もういいやの人生]

 でも,やりたいことをやりたくなった時だけやるでは,大したことにはならないというのは,その通りです.若い頃は,何かのスイッチが入っているのかもしれませんが,別に大したことにならなくてもいいと思えばそれだけの話なわけです.

 つまりは,何かのスイッチが入ってるかどうかはともかくとして,なんとかしたいというのと,もういいやと思うののせめぎ合いというか,どこで折り合いをつけるのかってことでしょうか.そして,歳をとるにつれて,バランス的にもういいやの方が増えて行って,どこかで「もういいやの人生」になるんですかね.

 と書いてみたものの,私の場合は,あまりそういうことがなくて,単にやりたいかそうでないか,その気になるかそうでないかが大きかった気がします.逆に言えば,なんとかしたいと思ってもその気にならなければ(受験とか30代のように)どうしようもなくて,逆に,別段なんとかしようとか思わなくても,なんかしらんけどその気になってやりたくなってやってたら,結果的に結果も出てたってことが多いですかね.

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[そうするしかないのならそうするしかない]

 ベースライン+αでやって行くということでいい,というか,そうするしかないと思うんですが,なんかすっきりしないというか,これでいいんか?という感じもしてしまいます.やっぱり,まだまだそこまで悟りきれないというか,あきらめ切れない何かがあるのでしょうか? でも,これも(余計な)本能なんでしょうか?

 でも,そうするしかないのならそうするしかないってことですよね.もちろん,できる範囲でできることはしますが,それを超える(めんどくさい)ことまでするのは,逆効果なわけですからね.

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[裏切れない]

 幼なじみとか,中学高校とかで付き合ってそのまま結婚すると最初から家族のようなものじゃないかと書きました.私はそうではないので,よくわからないと書きましたが,わかるところはあって,それは,家族のようなものなんだから,その人以外は考えられないというか,家族ならその人しかいないわけで,もし仮に,他の人を好きになってしまったとしても裏切れないというか,どうにもならないというか,そういうことは考えられないと思いますし,それは,私もそうでしたからね.

 でも,逆に言えば,私はそうでも相手はそうではないとしたら全然そうはならないわけで,更に言えば,そういうことに突然気づくこともあるわけで,ほんと何があるかわからないもんだなあと思います.

 でも,ここまでこの人しかいないと思ってやってこられたのは,やはり,幸運でありがたいことだったと思います.そして,この期に及んで,とはあまり思わなくて,というのは,もうこれからは,「一人,時々,みんな」でやって行けばいいので,そういうことは関係ないわけで,でも,「一人,時々,みんな」というのは,これまでも(だいたい)そうだったわけで,つまりは,これまでが幸運というか,都合がよすぎたんでしょうね.

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[もてるもてないはまさに他者評価]

 「もてる」って,結局,そういうことってことですが,要は,もてるもてないはまさに他者評価ってことですよね.

 つまりは,もてる人の多くは,(外見のことはおいておいて)もてるように(他者評価を基準に)行動してるってことですが,そうでもない人,つまりは,そんなこと意に介さず,自己評価を基準に行動していてももてる人はもてるわけです.

 これって,まさに他者評価より自己評価(が重要)ってことなんですが,もてるにはどうしたらいいかは,割と単純なので,他者評価が結構通用する領域だとは思います.

 でも,逆に言えば,もてることは,いいことばかりではないですし,もてるもてないに関わらず,他者評価が通用することにそういうこと(成功してもいいことばかりではないこと)が多い気がしますが,これは当然のことですかね.

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[なんかいいことないかなあ]

 漠然となんかいいことないかなあと考えることはあるわけですよね.でも,全ては一長一短なわけですから,いいことはいいこととは限らないわけです.でも,何かの外部要因で心が動くことはあるわけで,そういうことに逆らうことは難しいと思います.

 でも,個人的には,これからはもう外部要因的なことは,そんなに起こらないでしょうし,自分で何か事を起こすこともなさそうで,そうすると,ベースライン+αということになるんですが,それでいいと思えればそれでいいわけですし,「一人,時々,みんな」で楽しく退屈しのぎして行ければ,それ以上望むものなんかないわけですからね.

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1/3'23
[(何となく)やりたいことをやるのではだめ]

 ほんと今更なんですが,(何となく)やりたいことをやるのではだめような気がしてきました.

 具体的には,ピアノなら,弾きたい曲を見つけて弾くとか練習するだけではだめということでしょうか.もちろん,それで何とかなるのならそれでも行けるんでしょうが,それだと弾きたいと思った曲もそのうち弾きたいと思わなくなるわけで,今のモチベーションを考えると,繊細で微妙なマネージメントが必須という気がしてきました.

 逆に言えば,研究は,何となくとは言いませんが,そんな感じでやってきたんですが,と書いて思ったのは,研究テーマを考える時,めちゃめちゃ考えるわけで,そういう意味では,弾く曲を選ぶ時,あんまり考えてない気もするんですね.

 と言っても,何年か前までは,そもそも弾く気になる曲がなかったので,弾く気になる曲を探すのに必死だったんですが,逆に言えば,そういう曲を必死で探したってことですよね.そして,最終的にある程度弾けるようになるかも一応考えていたと思います.いや,今にして思えば,やっぱり,何となくですかね.つまりは,ただ弾きたい曲を弾いてるだけだったということでしょうか.

 でも,ここ数年は,何か変調というか,おかしなことが起こり始めていて,でも,だからこそ創意工夫はやっていて,例えば,ある一定数の曲群を用意して,食事のメニューのようにぐるぐる回すというのもそうですが,うまく行きませんでした(今はもう全然弾いてない).

 昨年だったか,それと平行して,メトネルのソナタにちょっとはまって,悲劇的を練習して,これを30分ずつ弾いていくだけで半永久的に行ける感じがしたとしても,ものの数ヶ月しか続かなかったわけです.

 そんなどうしようもない感じで,もうこうなったら弾きたい曲を弾く気になったときだけ弾くしかないと開き直ったりもしたのですが,結果としては,昨年のピアノプロジェの大惨事なわけです.

 つまりは,何とかして弾く気になる曲を見つけて弾き始めたら,そのモチベーションを維持することに相当気を配らないといけないということですかね.

 変調という意味では,指が物理的に動かないとか,脳的に突然わからなくなるようなことも出てきて,状況としては,絶望的なんですが,弾いていくのなら,何とかするというか,何とかしようとすることに逆にモチベーションを見出すこともできるとも思うんですよね.

 バドミントンやスキーについても,ただ練習に行くのがめんどくさいのを頑張って行くのではなく,そういうことをもっと考えることも必要ということでしょう.

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[「一人,時々,みんな」の「時々」の頻度はどのくらいがいいか]

 「一人,時々,みんな」ですが,具体的に「時々」の頻度がどのくらいかがいいかってことはありますよね.

 具体的には,ピアノは,演奏会で弾くのは,今は年に1回です.その後,出演者で飲むんですが,春頃にミーティングもあるので,「みんな」は年2回ですかね.そして,ピアノについては,今の私は,(日頃の練習の成果を披露する?というか人前で弾くのは)年一くらいでちょうどいいです(その程度のその気度ということ).

 バドミントンの練習の頻度は,週一とか二ならもっと多いですが,(練習の成果を試す)試合は,今は全然出てないですし,出るとしても,これも年一か二くらいでいい気がします.スキーやゴルフも普段練習して,その成果を試すというか,ゴルフならコースに出るのは,年に数回くらいでも行ける気がします.

 あとは,高校や大学時代の同期とか,それ以外にもいろんな集まりがあって,でも,そういうので飲むのも,だいたい年一ですし,研究室のOBOG会とかもそうですね.

 学会とかもだいたい年一ですし,そういうのがいくつかあれば,年数回ということでしょうか.定年で大学をやめてそういうところに顔を出さなくなったとしても,年一で論文を書けば,社会と繋がる(ような気分になる)とは言えますかね.

 そして,そういうのがいろいろあって,例えば,全部で12個あるなら,毎月になるわけですし,付き合いがある人とは,もっと頻繁に会うわけですし,委員会とかも結構ありますし,そういうのが集まれば,かなりの数になって,全部会わせるとあっという間に,相当の頻度になるような気がします.

 つまりは,合計する前の段階のそれぞれ個別に戻ると,年一か,せいぜい数回くらいでもそれが積み重なるかなりの頻度になるわけで,「時々」としては,そのくらいでも充分な気もしてきます.

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[単に気分というかメンタリティーの問題]
(ピアノ)

 そもそも,どういう曲を弾く気になるかですが,単に気分というかメンタリティーの問題という気もしてきます.今は技巧的でバリバリ弾くような曲はしんどいですし,ロマンもあまり弾く気にならないですね.そういう意味では,シューベルトのOp.120は,(2年前は弾く気になったのですが)今は弾く気にならないのに弾いてしまった(ので弾けなかった)ということはありますし,メトネルの悲劇的は,(後期)ロマンで技巧的でバリバリ系でもありますからね.

 じゃあ何なら弾く気になるかというと,古典か近現代ですかね.古典もベートーヴェンは熱情とかワルトシュタインとかはもうちょっとしんどいです.そうすると,古典だとバッハとかモーツァルトとかになるんですが,こういうメジャーな曲を演奏会で弾くということはないですかね.

 近現代は,古典のようなかっちりしてシンプルなものなら弾く気になりますかね(カプースチンは複雑でもうしんどい).でも,難曲というかバリバリ系が多いので弾く気になる曲を探すのは大変です.バルトークは,ちょっと弾く気になって一通り弾いてみたんですが,(今は)しんどかったです.

 持続的に弾いていくためには,やはり,弾く気になる曲を弾くことでしょう.

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1/4'23

 ぐだぐだ書いてますが,結局,(演奏会でちゃんと弾きたいと思うのなら)ちゃんと準備するということですよね(なんて当たり前の話).

 でも,ちゃんと準備というか練習しないといけないと思っても練習する気にならないわけで,でも,そういう時に,弾く気にならないのを我慢してやるのではなく,弾く気になるような創意工夫が必要で,例えば,ジャワ組曲の1, 2集を弾いた時は,練習する気にならなくて,週に何回か通しで弾くだけだったんですが,どのくらい弾けるかを毎回記録を付けて追っていって演奏会まで外挿してというのをやってたわけですからね.

 そして,これは,ピアノに限った話ではないのは言うまでもありません.

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[単純に練習して弾けるようになっていく,そういう過程をゲームのように楽しむ]
(ピアノ)

 持続的に弾いていくためには,やはり,弾く気になる曲を弾くってことですが,全く別の考えとして,単純に練習して弾けるようになっていく,そういう過程をゲームのように楽しむことができれば,弾く曲は何でもいいとも言えます.「ゲーム」という言い方は,低俗的ですが,そういう要素はどういうことにもあるわけで,未解明のことを解明していく学術研究も,練習やトレーニングを積んで競技力を上げていくスポーツも同じわけですからね.

 でも,何でもいいだと逆に決まらないので,それなら弾きたい曲を弾けばいいわけです.つまりは,持続的に弾いていくためには,弾く気になる曲を選ばないといけない とは考えないというか(そう考えると弾く気がなくなった時に対処できない),順番が 違うということでしょうか.

 つまりは,これも「ベースライン+α」で,ベースラインが,単純に練習して弾けるようになっていく過程を楽しむ,+αが弾きたい曲を弾くということですかね.

 そして,これはピアノに限らないことは,上で書いた通りで,研究でもバドミントンでもスキーでもゴルフでも同じで,研究ならその対象は無限なわけで,とにかくそういう過程を楽しめれば,やることも無限にあるってことですね.

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1/5'23
[もっとも効力感を見出せる「意識」を選択する]

 でも,そんなの当たり前の話ですよね.でも,その当たり前のことを忘れているというか,いつの間にか意識が希薄になっているわけです.

 具体的には,内的熟達と言ってもいろいろあるわけで,一つは,自分の中で内的に熟達していくということですが,それとは別に熟達しなくても,単純にやってるだけで楽しいということもあるわけです.

 例えば,バドミントンは,基本的に内的熟達でやってきたと思うのですが,30代は,割と順調で,内的に熟達したと思ったら試合に出て確かめたいとは思うわけですし,いろんな人と練習するのが楽しかったですし,40になったら全日本に出ることを目標にしていたということは,内的熟達だけではなかったとも言えます.でも,40過ぎから練習やトレーニングをしても熟達しなくなり,年齢別の試合でも結果が出ないということは,単に加齢の問題ではなくてしんどかったんですが,最近は,そういうことに拘らなくなって,ただ単純にプレーすることに効力感を見出せるようになってきて,結果としてパフォーマンスも悪くないと思います.

 スキーは,単純に自分がスキーに働きかけてターンをコントロールする快感はあるのですが,準指を受けてた頃は,やっぱり,しんどくて,受かった後も低迷したのですが,一時期,単純に動きを洗練してパフォーマンスが上がること自体に効力感を見出せてたこともありました.それは,今も変わらないと思うのですが,行くこと自体にめんどくささを感じるようになり,何か対策が必要な気がしています.

 ピアノも内的熟達と言ってもいろいろで,単純に自分が指を動かすことで音楽を生み出すこと,練習することによって曲が弾けるようになって行くこと,練習することによって上達して行くこと(この2つの熟達が別個に存在するのがピアノの大きな特徴の1つであることは既に書きました),自分の中にある音楽を表現できることなどがあって,人との繋がりとしては,人前でそれを披露することなどがあるわけですが,最近思うのは,これらは,どれも必要ということでしょうか.

 具体的には,ある曲の練習を始めた段階では,練習することによって弾けるようになって行くことでいけると思うのですが,弾けるようになる度合いが頭打ちになってくると,しんどくなってきます.それを演奏会があるからという理由で弾きたくないのを我慢して練習したくはないわけです.

 そうすると,頭打ちでもほんの少しずつでも弾けるようになってることがわかるように定量的な分析をするとかもありますし,その段階で,単純に自分が指を動かすことで音楽を生み出せること,自分の中にある音楽を表現できることに意識が行けば理想的かもしれません.

 でも,実際は,なかなかそううまくは行かないわけで,具体的には,それなら既にある程度弾ける過去に弾いた曲を弾けばいいってことになって,そういうことを試したこともあったんですが(弾く曲リスト)うまく行きませんでした.

 なので,結局,種目やその場その時の状況に応じて,もっとも効力感を見出せる「意識」を選択するということなのかもしれません.

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[自分が今どこにいる感]

 「自分が今どこにいる感」が重要と書きました.「どこ」というのは,具体的な場所で住んでる場所と言ってもいいです.

 まず,仕事をしている間は,職場の近くで(私の場合は)問題ありません.実際,東京に住んでる間は何の違和感もなかったですし,それは今(京都)もそうです.でも,つくばに住んでる間は,ずっと違和感はありました.それが何なのかはよくわかりませんが,そういうことをいろいろ考えて,今(そのとき)は,つくばに職場があるのだからそれでいいと思っていました(直感的には違和感があるけど,冷静に考えるとつくばに住むのがいいとなるという感じ).

 でも,過去のことはどうでもいいので,問題は定年後なんですが,まず,もし,仕事を続けることができるのなら,これまでと変わらずで職場の近くで問題ないでしょう(でも,次も定年があるのなら,家をどうするかとかの問題はある).

 問題は,そういう条件がはずれたときで,ここからは,想像力の勝負なんですが,単純に自分が定年で大学をクビになって,どこかに住んでる状況を想像してみました.

 まず,思ったのは,東京の都心は,(今はもう)違和感があります.そもそも,東京は,仕事をするために住む街なので,仕事もないのに高い住居費を払って東京に住む意味がありません.でも,そういうことを除外しても住む街として違和感があるんですよね.

 で,今のところ,一番違和感がなかったのは,やはり,東京郊外で都心から電車で1時間くらいのところですかね.具体的には,大宮近郊よりは,もっと田舎の熊谷とかで,しかも,駅近ではなく,車で5分くらいの割と広々としたようなところです.あくまで直感というか感覚なので,実際どうなるかはわかりませんが.

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[自分の中のテンポと実際のテンポのずれ]
(ピアノ)

 どこかで少し書いたと思いますが,ここ数年,ピアノを弾いてて感じる違和感として,自分の中でのテンポと実際のテンポのずれがあります.

 具体的には,既に書いたと思いますが,非常に動きが複雑なカプースチンの曲,例えば,エチュードを弾いてて,この位のテンポ,例えば,M.M.144くらいで弾いてるつもりが,実際は,M.M.120くらいでしか弾けてないというようなことです.つまりは,M.M.144で弾こうと思ったら,自分の中では,M.M.160くらいの感覚で弾かないといけないわけで,そうすると弾けないとなるわけです.

 この傾向は,全体に言えることですが,曲によってかなり違いはありますし,そういうテンポのずれをあまり感じない曲もあります.これを「何を弾くか」にフィードバックすると,そういうテンポのずれをあまり感じない曲を弾くべしということなのかもしれません.

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[脱力]
(ピアノ, PC)

 ピアノの話題が多いのですが,物理的に指が動かなくなってきたと書きました.特に左がそうなんですが,手がこわばったような状態になってしまって,コンピュータのキーボード入力でもそうなります.

 それを解除するには,手がこわばらないように脱力するということなわけで,ということは,ピアノの練習のときもそうですが,普段のキーボード入力でそういうことを意識する(この文章を書いている今もそう)ことが「ピアノの練習になる」ということで(当然,キーボード入力も速くなる),この1ヶ月くらいそういうことを意識してきたんですが,少し効果が見られるようになってきました.

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[ほんとかなあ]

 最近というか,去年くらいから「若い」とか「変わらない」とか言われるようになったってことですが,ほんとかなあという気がしてきました.

 実際は,歳をとってるのは間違いないわけですし,鏡を見るとこんなもんかとは思うのですが(40代は,鏡の中を見てもやつれたなーとかくたびれたなーとか思ってました.実際,しんどかったし),写真とかを見ると鏡の中の印象とは大分違います.

 でも,外見が若いとか歳くってるとかは,どうでもよくて,問題は中身というか体調なので,そこだけ考えていけばいいと思います.

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1/6'23
[そろそろ一旦終わりというか,一応の結論?]
(ピアノ)

 ピアノの記事が多いのですが,そろそろ一旦終わりというか,一応の結論というかまとめておいた方がいい気がします.

 きっかけは,昨年のピアノプロジェでの失敗なんですが,それ以前にどうやったらピアノを弾く気になるか,弾く気になる曲があったとしてもどうやってそれを持続かするかなわけです.

 これについては,弾く気になった曲を弾く気になったときだけ弾けばいいってことだったんですが,それでは,人前で弾くところまでは仕上がらないわけで,なので失敗したとも言えます.もちろん,失敗しても平気なのなら(お耳汚しにはなりますが)それでもいいのかもしれませんが「失敗した」と思ってるのですから,それではまずいと思ってるということでしょう.

 じゃあ,弾きたくないのを我慢して弾くかとはならないわけで(やらないといけないことではないやりたくないことをやる意味はないので),そこをどうするかなわけです.

 論理的に考えれば,まず最初の選択は,ピアノプロジェ(人前)で弾くかどうかです.そこで弾かないのであれば,弾く気になった曲を弾く気になったときだけ弾けばいいので,そこで選択終了となり,それはそれで問題ないでしょう.

 でも,弾くのであれば,そして,無様な醜態を晒すのが嫌なのなら,ある程度は,練習しないといけないわけで,そうすると,弾きたくないのを我慢して弾くことはないので,どうやったら練習する気になるかを考えるということになります.そして,それについていろいろ考えてだらだら書いて来たということですかね.そして,ただ何となく漫然と弾くのではなく,そうすることがいいような気もします.

 でも,やはり,その気になるように,それを持続できるようにいろんなことをしっかりマネージメントするってことで,これはピアノに限らず一般的に言えることでしょう.

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 別の見方として,どうして昨年は失敗したかですが,ピアノの違いに対応できなかったということもありますが(そういう意味では,電子ピアノは導入したいと思っています),やはり,準備不足でしょう.2年前から弾いてたとは言え,月に1回程度ですし,3ヶ月前くらいから週に何回か通しで弾いてはいたのですが,弾く気はもうなくかけてるし,技術的にそんなに難しい曲ではないし,まあ何とかなるやろと高をくくってたところはありますかね.でも,実際のところは,ちゃんと弾けてたかというと,そういうわけでもなくて,それでどうして何とかなるやろと思ってしまったかですね.

 そういう意味では,ちゃんとそれなりに弾けてるかを客観的に判断する何かが必要で,それは,一応考えました.そして,それに照らし合わせると,Op.120は弾けてなかったと思います.

 問題は,その判断をいつするかですが,直前というわけには行かないですし,エントリーする3ヶ月前だと厳しいので,3ヶ月前の段階での具体的な基準も必要で,それも一応考えました.

 あとは,練習とその成果をちゃんと管理することも大事で,それは,今回全くできてなかったというか,何とかなるやろ的に全然やらなかったのは問題でした.とても音楽的な曲なのでそういうことがなじまないと思ったこともありますが,音が並ばなければ話になりませんからね.

 そして,やはり重要なのは,ちゃんと弾くってことですかね.当たり前のことなんですが,こんな感じでいいやと思って弾いてると,練習論的には,「こんな感じ」で定着してしまうわけで,でも,こんな感じでいいわけないというか,練習する以上は,今より弾けるようにならないと練習する意味はないわけですからね.

 ということで,結局,まただらだら書いてしまいましたが,私の中では,何となく何かに収斂しつつはありますし,だらだら書く的には,考え続けて行くことも大事なんだと思います.

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 昨年から練習記録を付けるようになったので,どういう曲を練習して,そして,弾く気がなくなって弾かなくなったかを見てみました(こういう分析ができるのも記録を付けているからで,やはり,マネージメントは大事ってことですね).

 それを見ると,曲の長さにもよりますが,通しで弾きながらうまく弾けないところを何回か繰り返して練習するという感じ(が今の私の精一杯)だと,早くて1ヶ月,長くても3ヶ月が限界でした.逆に言えば,そのくらい時間が経ったら,限界なので(一度)放り出してもいいというか,それ以上は,無理ってことで,そこで何とか弾ける状態にならなければ,弾けるようにはならないと思って潔くあきらめるのも大事ってことですかね.

 例外的なものとしては,「ぐるぐるリスト」を作った時は,もっと長い期間(半年とか)同じ曲を弾いてたんですが,その後,1ヶ月にも渡って,全くピアノを触る気にもならなくなったわけで,やはり,その気のマネージメントは重要ってことですね(今はとにかく持続するように無理しないように気をつけています).

 あとは,記録はないので感触なんですが,通しで弾きながらうまく弾けないところを何回か繰り返して練習するよりは,うまく弾けないところの練習に集中した方が格段に仕上がるとは思いました.ただ,それで弾く気がなくなっては元も子もないので,うまく使い分けることでしょうか.

 あとは,これも記録はないのですが,感覚として,短い曲より長い曲の方が「もつ」感じはしています.単純に長い曲の方が曲の中でのヴァリエーションがあるってことはあるのかもしれません.

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[人生の縮図]

 ほんとだらだら書いていますが,ピアノ一つとっても人生の縮図というか,やりたいことがあったとしても,それを持続的に効力感をもってやって行くことは容易なことではなくて,でも,そういうことも含めて,いろいろ検討して楽しめばいいと思うんですよね.

 むしろ,やりたい気持ちが何となく持続して,ただ何となく続けているよりは,楽しめるのかもしれませんし,結果も出るのかもしれません.そして,そういうものがいろいろあれば,もー大変なんですが,それもまた楽しめばいいってことでしょうか.

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1/7'23
[歳をとるほど脱力]
(体, 何でも)

 やっぱり,脱力なんじゃないかと思います.

 ピアノというか,PCのキーボード入力もそうですが,左手がこわばって指がうまく動かないということですが,うまく動かないから動かそうとして余計な力が入って益々こわばって動かなくなるわけで,でも,脱力を意識すると大分動く感じがします.

 思い返すと,40代の頃,バドミントンのフットワークというか,とにかく動けなくなって行ったときも,動けないのを動かそうとして余計な力が入ってしまって,却って動けなくなっていたんじゃないかと思います.

 じゃあ,どうして,手がこわばったり,動けなくなったりするのかですが,やはり,加齢に伴うフィジカルや柔軟性の低下でしょう.でも,そのためにトレーニングとかすると却って体を痛めてしまうわけです.

 じゃあ,どうしたらいいのよってことなんでしょうが,まずはそれを受け入れて,その中でできる範囲で(できる最大限で)余計な力を入れずに脱力してパフォームすることじゃないですかね.

 これは,体全般に言えることで,歳をとって体が思うように動かなく原因は,フィジカルの衰えそのものではなく,衰えたことを何とかしようとする,例えば,転ばないようにゆっくり歩くとか,動作そのものが遅くなることで余計な力が入って,筋肉に負荷がかかって却って衰えると同時に,どんどん硬直化して行くことだと言う人もいます.

 そして,更には,広く生き方的にも言えることで,歳をとって衰えることに抗うのではなく,それを受け入れて,余計な力が入って力んだりせずに自然体で,できる範囲でやって行けばいいし,結果として,その方が歳をとらないというか,結果も付いてくるような気がしますし,これは,加齢に関係なく,若い時もというか,人生そのものじゃないですかね(人生所詮退屈しのぎ).

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[社会的なこと]

 いろんな人といろんな話をするのは楽しいのですが,考え方は人それぞれで,そういう考えもあるのか面白いなと思うこともあれば,その人はそう考えるのか,自分はそう考えないけど,と思うこともあります.

 私の回りには,お金の話をする人はあまりいないのですが,社会的なことを話す人はいます.要は,社会的に成功することが是というようなことでしょうか.具体的には,いい大学や企業に行って出世して偉くなった方がいい,研究者なら研究成果を出すだけではなく,大学や学界の中で偉くなった方がいい,そのためにどんどん情報発信やアピールをして行かないといけないというようなことでしょうか.

 私個人的には,そういうことは望んでいないというか,順番が逆だと思っています.つまり,いい仕事をするのが先で,というか,私の場合,それしか考えてなくて,社会的なことには興味がないし,でも,いい仕事をした結果,評価されて社会的なことに繋がるとしても,それは,あくまで結果であって,目的ではありません.

 社会的に評価されることは,○長になって欲しいとか,学界や業界のいろんなところに引っ張り出されるとか,余計なことに巻き込まれて,そういうことがしたい人はそれでいいと思いますが,私の場合,そういうことは,いい仕事をすることに繋がらないことが多くて,いい仕事をしたい自分としては,もうこれ以上,偉くなりたくないと思ってしまいます.充分評価していただきましたし,社会的なことはもう充分でしょう.

 いやいや,そういう自分勝手ではなくて,社会的な役割を果たせと言う人もいるんですが,私が果たすべき社会的役割はなんでしょうか? 自分の研究をアピールして名前を売ることではなく,被害と対応するように震度算定法を変えるとか,大地震発生直後,あるいは,将来発生する大地震を想定した面的被害推定の精度を上げる,そのために研究することだと思うんですよね.

 でも,偉くなって,今以上に有名になって,今よりいろんな人に知られるようになったら,(今でも結構大変なのに今よりもっと)引っ張りだこになって,そういうやるべきことができなくなってしまいます.研究しないで震度算定法や面的被害推定システムは変えられないと言うと,いやいや,研究するだけではだめでもっとアピールしないと社会実装できないと言う人もいるんでしょうが,アピールして研究が疎かになるのは本末転倒ですし,私の研究は,既に気象庁や内閣府には認知はされてるわけですから,私がこれ以上アピールする意味はないと思うのです.

 なので,私は,自分をことさらアピールしたりすることはないですし(そういうことは全然してないのにここまで評価してもらって,それはほんとにありがたいことだと思ってますが),そんなことするより,しっかり,研究して行きたいと思っています.

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[議論してもしょうがない]

 いろんな人といろんな話をするのは楽しいですし,若い頃は,侃侃諤諤の議論もしたと思いますが,何度か書いているように,「俺の話をきけー」とか全然思わないですし(最近は,自分の話をするより人の話をききたい),議論して論破してもしょうがないと思ってしまいます.

 論破王じゃないですが,それで飯を食ってる人はそうは行かないんでしょうが,論破して相手を凹ませて気分がいいってことはないですし,でも,自分が論破されるわけには行かないので売られた喧嘩は買わないといけないのでしょうが,正直,めんどくさいし議論してもしょうがないと思ってしまいます.

 学生とか若い人なら,私から見て考えが未熟で変な方向に行こうとしていて,相手のことを思って諭すようなことはないこともないかもしれませんが,相手にしてみれば余計なお世話としか思わないかもしれませんし,研究とかどうやって仕事をしていくかということでなければ,いろいろ余計なことを言ってもしょうがないと思ってしまいます.

 でも,「俺の話をきけー」とか全然思わないのですが,私はこう考えるということは,このサイトで書いてますし,私としてはそれで充分で,私が考えることに興味がない人は,このサイトを読まなければいい話というのは,何度も書いている通りです.

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[好きになる要素なんかない]

 そんなに数は多くないですが,ある一定数の女性からは,もてたというか,アプローチはあったと書きましたが,考えてみたら,一体私のどこがよかったんですかね.こんなにつまんないというか,好きになる要素なんかないというか,それでもそういう人がいたというだけでありがたい話だったということですかね.

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[そんなに活躍したんですかね?]
(サッカー(批))

 まだサッカーWCの余韻じゃないですが,選手がメディアに出てきてうんちゃらかんちゃらやってます.よく出てくるのは,キーパーの権田(サバンナの高橋似(笑)だけど彼の方が男前)なんですが,彼ってそんなに活躍したんですかね? ていうか,所属チームはJ1から落ちるし,彼が日本で一番のキーパーなの?

 ドイツ戦では,man of the matchってことになってますが,ファールをおかして先制点をとられたわけですし,権田の18秒と言っても,そんなにスーパーなことをしてるわけじゃないし(マイアミの奇跡とかアジアカップの川口の方が遥かにすごくて神がかっていた),堂安の同点ゴールがごっつぁんゴールで,ロングパスからの浅野のトラップとディフェンダーを振り切るスピード(でもドイツのディフェンダーがなめくさってたのは明らか)と逆転ゴールは,素晴らしかったですが,途中出場だし,消去法的にman of the matchになっただけでは?

 スペイン戦では,伊東が高い位置からのディフェンスでマイボールにした後の堂安の同点ゴールは力強かったですし,三苫の1mmは,権田の18秒なんかより,まさに三苫の1mmでしたし,詰めてた田中の逆転ゴールも評価に値するでしょう.

 クロアチア戦のモドリッチのミドルシュートは,別にスーパーセイブというほどのことはないですし,PK戦では,全くいいところなくちんちんにやられたわけで,やっぱり,どうして彼がそんなに評価されているのかよくわかりません(正直).

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[一つの属性に過ぎない]

 かわいいとか綺麗な女の人っていますよね.男なら格好いいとかイケメンって感じでしょうか.

 でも,今更ながら思うのは,そういうのって背が高いとか低いとかのような一つの属性に過ぎなくて,かわいいから格好いいからもてるとか,ましてや好きになるっていうのも変な話だと思うんですよね.

 でも,めちゃめちゃかわいいとか格好いいとかなら芸能人とかになって稼げるから,仕事ができるというような内的能力の高さに匹敵するという人もいるかもしれません.そう,犯人は芸能界とかメディアじゃないですかね.彼らはそれで飯を食ってるわけで,そういうことにしないといけないわけですからね.でも,ブサイクだと人間の中身までブサイクであるかのような扱いは,ちょっと見るに堪えないですね.

 でも,付き合うとか結婚するとか,多くの時間,顔を付き合わせているのなら,ブサイクよりは,そうでない方がいいという人もいるでしょう.だとすると,そうでないというくらいで充分ということなんじゃないですかね.いや,どうせならそうでない以上ならそれに越したことはない?

 うーん,どうなんですかね.でも,かわいいとか綺麗とか格好いいとかイケメンとかいうだけでは,どうしようもないのは,はっきり言えることでしょう.

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[今年の年賀状の結果?]
(生活)

 年賀状を電子メール(と一部アドレスがわからない人は葉書)にして2年目ですが,だいたい今年の「結果」が出たような気がします.具体的には,今年出したのは,メール:葉書が7:3でしたが,来年出すものは,8.5:1.5くらいになりました.つまり,今年アドレスを知らせてくださった方が結構いたということです(ありがたや).

 でも,一方で,電子メールは出したけど返事がない人もいて,これは,来たのが電子メールなら返事をしないという人もいるでしょうし,葉書の年賀状なら出すけど,電子メールなら出さないという人もいるかもしれません.返事をくれた方の中にも,私が年賀状を電子メールにしたいというと,相手も電子メールで出さないといけないと思った人も結構いて,いやいや,年賀状を電子メールで出すのは,私の方の都合で,先方は,これまで通り葉書の年賀状でも全然構わないのですが,そうは思わなかった人も結構いるのかもしれません.

 でも,返事がないというのは,年賀状をやめたいという意志とも思いますので,一部の目上の人を除いては,返事がなければ,こちらから送るのもやめればいいんだと思います.そう思って,やめても突然来ることもあるんですが,電子メールならすぐに送れますし,アドレスがわからない人はもうそんなに多くないですし,正月を過ぎるとコンビニの無地の年賀状はもう売り切れで,手元にある官製葉書で出すしかなくて,でもそれなら年賀状を買いに行く必要もないので,そんなに手間でもありません.

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1/8'23
[フラットに考える]

 いろいろめんどくさいことがあっても,仕事なら定年までの話だし,そう思えば,定年も悪くないってことでしょう.人生に絶望したとしても死ぬまでの話で,そんなに死に急ぐこともありません.

 そう考えると,全ては一長一短というかフラットに考えるのがやっぱりいいですね.

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[ひねくれ者?]
(世の中)

 少し前の夜更かしだったか,日本中がサッカーのWCで盛り上がってるのに中継を見ていないひねくれ者にきいてみましたというのをやってました.でも,ひねくれ者なんですかね? ていうか,日本中がサッカーのWCで盛り上がってる?

 んなわけないですよね.視聴率30%としても大半の人は見てないわけですからね.

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[上ではなく下ばかり見ている]

 とあるその道で成功した人が目標をきかれて,そんなものは設定したことがない,目標なんかない,上ではなく下ばかり見ていると言ってました.

 このサイトでも何度も書いてますが,その通りだと思いますね.目標なんか設定するのは,目標を設定しないとできないってことで,そんなことでは,大したことはできないでしょう.

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[計算ができない人々]
(世の中)

 異次元の子育て支援をするんだそうです.でも,財源は必要なわけで,消費増税も視野に入れてとか発言した閣僚?もいて,メディアが飛びつくわけで,赤ちゃんをだっこした子育て世代の女性に街頭インタビューとかして,きかれた方は,いやーこれ以上消費税が上がると生活が苦しいとか言うわけです.

 この茶番は一体何なんですかね? 子育て支援で消費増税という話も出てますが,どう思いますか?ときかれたら,そう答えるに決まってる? ていうか,そう答えた人しか放送しない?

 普通に計算ができる人なら,子育て支援でもらえる額と消費増税で支出が増える額のどっちが多いかなわけで,消費税は広く万遍なくとるものですから,子育て世代は,差し引きで得になるに決まってるじゃないですか(単なる再配分).

 そんな計算もできないわけ? それともいつものようにどこかに抜かれてみんな損するようになってるってとこまで計算してる?(まさかね)

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[この人は自分がいなくても大丈夫なんだな]

 例の件(何の件?)ですが,この人は自分がいなくても大丈夫なんだなと思った瞬間に冷めるってことですよね.逆に言えば,私がこの人は自分がいなくても大丈夫だなと思われたら一瞬にして冷められるってことで,私を必要としてくれるような人がいないのは,当たり前ってことですよね.

 なので,そういうことは望むべくもないのですが,そういう関係ではなく,一対一の独立した関係の上で付き合って行くというのはないこともないと思うのですが,そういうこともないってことですかね.

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1/9'23
[Q大vs筑波大]
(大学)

 もう10年以上前の話なんですが,今でも時々,Q大の話を断ったことを言われます.と言ってもある特定の人からが多いんですが(笑),当時は,どうして断ったんだ?と結構な数の人に言われたので,普通は行くだろってことなんでしょうが,そうなんですかね?

 家族が反対したとか,昇進したばかりでタイミングが悪かったとか,個人的には,首都圏を離れたくないとか,地元に帰れるというよりは,夢破れて地元に帰る感じがしたとか,スキーができない(笑)とかいうこともあったんですが,そういうことを除いても,やっぱり,行かなかったような気がします.

 それは,単純に,そのまま筑波大にいるのとQ大に移るのと,どっちが研究できるかということなわけで,Q大に行った方が研究できるかもな,とは思えなかったってことですかね(そういう意味では,防災研は,行った方が研究できるかもなと思えたので,ほいほい移ってきた.あとは,これは,一部の人にしか話してないけど,誘われた時に同じ質問をして,その答えがQ大と防災研の時で全く違った).

 でも,多くの人は,筑波大にいてQ大の話があると,普通は移るだろと思うわけですよね.それって何なんですかね? Q大は旧帝大で筑波大より格上だから?

 でも,偏差値とかは変わらないですし,指定国立大学になったのも筑波大が先なので,これってQ大より筑波大が格上と文科省が認定したってことですよね.でも,世間の認知度が違う? でも,そんなこと言ったら,東工大の世間の認知度はとても低いですが,実際は東大京大に次ぐレベルなわけですし,でも,やっぱり,そんなことより,研究者なら研究できることが大事なのでは?

 そっか,世間の認知度じゃなくて,研究者の認知度が低いんですね.つまりは,ちゃんと実情がわかっている研究者の間では,筑波大の認知度というかイメージはまだ低くて,それは,筑波大の研究者の活躍が足りないってことですね.

 そう言われるとそんな感じもしてきました.私個人的には,筑波大時代に成果を出してきたと思いますが,大学の認知度を上げるには,私だけではだめというか,私にそういう話が来るということは,お前は活躍しているので,そんなところじゃなくて,もっと格が上の大学に行くべきだというありがたい話だったということなんですかね.

 うーん,でも,やっぱり,私個人的には,大学の格とかイメージより,研究できることの方が大事でしたかね(でも,これって普通じゃないんでしょうね).これは何度か書いてますが,私が筑波大のときに所属していた構造エネルギーというところは,いわゆる建築ではなくバリバリのエンジニアリングで,いわゆる意匠崩れではなく,第一志望で構造や私の研究室に優秀な学生が多く来てくれたことは大きかったですし,その点では,今いるところより恵まれていたとさえ思いますからね.

 あと,最近思ったこととしては,福岡はよく知ってるし住んだことがあるところなので,どうせだったら,まだ住んでないところに住んでみたいというのはありますかね.京都に来るのも何の抵抗もなかったですし,むしろ楽しみでしたしね.

 そういう意味では,京都の後,どこに行くかも,別に東京に帰りたいとか思わないですし,研究できるところならどこでも行くと思いますし,そんな感じで,一生旅というか,「旅先」のどこかで気持ちよくのたれ死にたいと思っています.

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[どうして結婚するのか]
(世の中)

 婚姻率は下がって来ているとは思いますが,それでも結婚する人の方が多いというか主流なわけで,じゃあ,どうして結婚するかですが,いい歳して結婚してないみたいな社会的圧力もあるでしょうが,家族というか味方が欲しいということはあるのかもしれません.

 でも,私はそういうことを考えたことはなかったですかね.仕事や仕事以外でいろんなことをして活動して行く中で,好きになった人がいて,その人からアプローチがあってということでしたからね.

 でも,結果として,その人は,私のことをよくわかってくれてたと思いますし,頭がよくて話をしても楽しくて,でも,それだけというか,家族という感じではなかったですし,でも,私はそれでよかったですかね(でも逆に,家族ではいられない事情が出てきたりしたんですが,家族でなかったのなら,それはそれで問題ない気もする).

 話を戻すと,社会的圧力云々ではなく,家族や味方が欲しいということで結婚したいとすると,単に好きになった人と結婚すればいいという話でもなくて,それでも,好きじゃない人とは結婚できないでしょうから,好きになった人と結婚するとしても,「家族になって行く」わけですから,そういう感情はそのうちなくなってしまうんですよね.

 私個人的には,そういうのも違和感ありますかね.結婚するしないはともかく,好きになったらそういう感情はずっと持ち続けたいというか,そういう感情があるから,付き合ったり結婚したりするわけですし,実際,これまでずっとそうだったと思いますからね.

 つまりは,そういう感情がなくなっても付き合ったりいっしょにいるのは考えられないというか,しんどくないんですかね.それが家族ってこと?

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[劣化曲線が上に凸なのか下に凸なのか]

 気づいたらもうこんな歳で,でも,そんなこと言ってもしょうがないというか,問題なのはこれからです.

 それで,例えば,20年後はどんな感じなのかなとか考えるわけですが,どう考えるかというと外挿なわけです.簡単に言えば,20年前と今を比較した結果を20年後に適用するということでしょうか.

 そこで重要になるのは,この20年でどう変化してきたかというか衰えて来たかで,その劣化曲線が上に凸なのか下に凸なのかということでしょうか.それは,20年前よりもっと前も含めてもよくて,要は,急速に墜落するように急降下しているのか,割となだらかにソフトランディングして来ているかってことですかね..

 で,感覚としては,後者なんですよね.そして,もしそうだとすると,20年前から今まで衰えたよりは,今から20年後は衰えていないということになります.もしそうなら,まだまだ研究できそうですし,ピアノもそうですが,バドミントンやスキーだってできるのかもしれません.

 でも,ほんとにそうなんですかね.実際は,回りを見ると80くらいを境に急速に衰える人が多いですし,それどころか,それ以前に亡くなる人も多いわけですからね.

 まあどのみちどうなるかはわからないわけですし,できるだけのことをしてどうなってもその結果を受け入れるしかないし,そうすればいいということでしょう.

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1/13'23

 でも,上に凸か下に凸かというよりは,あるラインを下回るとやばいというか,具体的には,脚力が衰えて起き上がれなくなったり,体が硬くなって自分で靴下がはけなくなったりしたら自活できなくなるわけです.

 そういう意味では,スキーができなくなるより,自分でブーツを履けなくなる方が早い気がしますし(リアエントリーにするって手もあるが),バドミントンはできるのに布団から立ち上がるのは,もう結構.よいしょって感じだし,スキーも転倒して起き上がるのもそれなりの脚力が要ります.

 じゃあ,スクワットとかして脚力を鍛えるべしかというと,なんかそれも違うというか,あまり効果を感じないんですよね.でも,こんな感じだと20年後は,やばい感じがするので,何か対策は必要ですかね.

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1/14'23
[日常的な基本動作の方が,実は,ハードルが高い]
(体)

 体的なことですが,やっぱり,今のままではまずい気がします.

 具体的には,80を過ぎてもバドミントンやスキーができるとしても,自分でシューズやブーツが履けなければ,転倒して自力で立ち上がれなければ,誰かの介助が必要で,それって要介護状態なわけですよね.

 つまりは,高度な運動やスポーツよりも日常的な基本動作の方が,実は,ハードルが高いというか,維持が難しいのかもしれません.なぜなら,運動やスポーツは,限られた動きしかしなくて,その動きは熟達できたとしても,日常的な基本動作,例えば,しゃがむ,寝た状態から(どこにもつかまらずに)立ち上がる,排泄後あそこを(後ろから)拭く,靴下を履く,足の指の爪を切るとか,いろいろあって,どれも,根幹的なフィジカルや柔軟性が必要なわけですからね.

 じゃあ,どうしたらいいかですが,まずは,これらの日常動作をしっかりやること,それができることを確認しつつ,それを維持するように心がけることだと思いますが,それだけでは厳しいと思います.走ったり,歩いたりというのも限られた動きしかしませんし(いくら歩いたり走ったりできてもしゃがめなければ床のものをとれない),どこかで書いたと思いますが,ある程度の負荷をかけて関節を大きくゆっくり動かすようなことが重要な気がします.

 太極拳のようなイメージですが,太極拳でなくても,そういう動きをすればいいということでしょうか.というか,そういうことはしているのですが,現状では,足りないということですかね.

 具体的に言えば,久しぶりにバドミントンの練習に行くようになって,意外と打てるし動けるので,現状で充分かと思ってしまったのですが,上で書いたように高度な運動やスポーツは,特定の動きしかしなわけで,でも,スポーツができることより一人でも日常生活が送れることの方が重要なわけで,対象をそこに設定しないといけないということですかね.そして,それは,存外大変な気がします.

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 と思ったんですが,ある程度の負荷をかけて関節を大きくゆっくり動かすようなことはやってて,でも,最近,ちょっと(大分)手を抜いていたような気がします.なので,やっぱり,ちゃんとやることですね.あとは,ちょっとそうなってもまずいなと気づくこと,つまりは,ちゃんとできてるかを「評価する」ことが大事ということですね.

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[ピアノメディアの高橋アキさんの演奏]
(ピアノ)

 そうそう,何度か紹介した一柳慧のピアノメディアですが,亡くなったことで取り上げられたのか,遂に?高橋アキさんの演奏がアップされたので貼っておきます.

 この曲は,人間がシーケンサーになることを命じられた曲とどこかで書きましたが,まさにシーケンサー(ピアノロール)によるものもあったので,これも貼っておきます.

 どう思いますか? そりゃあシーケンサーの方が正確無比なのは言うまでもありませんが,やはり,この曲は,人間が弾くことに意味があるのは明らかでしょう.

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[相場を動かしているのは]
(経済)

 また円高が進んでいるようです(ちなみにドル円はとっくに売り抜けました).N銀の金融引き締めを見込んで投資家が先行して動いているという(後付け)説明ですが,じゃあ,N銀が金利を上げて円高誘導をしてるってこと?

 んなわきゃありません.何度か書いたようにN銀は何もできないというか手立てがないわけで,じゃあ,何をしているのかと言うと,外国人がものすごい勢いで日本国債を売り叩いているのを金利が上がらないように必死で買い支えているだけです.

 昨年末,上限金利を0.25%から0.5%に引き上げたのだって,外国人の売り圧力に耐えられなくなって,半ば降参しただけの話で,つまりは,相場を動かしているのは,N銀ではなく,外国人を中心としたヘッジファンドなどの投資家?ということです.

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[子孫を残すことで命を繋いでいた]

 大河もそうですが,最近,なぜか歴史物を少し見るようになって(歳をとったってことか.でも,歳をとるとどうして歴史物とか時代劇を見るようになるのか? ちなみに私は時代劇には興味はない),思うのは,昔の人は,子孫を残すことで命を繋いでいたというか,そう考えていたんだなということです.

 例えば,戦国時代なら,自分が戦で命を落としても子供がいれば,命は繋がる(と考えていた)わけで,だからこそ,命をかけて戦えたし,子孫を残すことに執着したわけです.

 そして,子供がいる人は,現代においてもそうなんですかね.つまりは,子供がいて,成人して自立していれば,もういつ死んでもいいと思えるということなんでしょうか.でも,私には(まだ)子供はいませんが,子供がいないから死ねないってことはないかな.そもそも,命を繋ごうとも思ってないってこともあるとは思いますが.

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[いろんな感情を失ってきた]

 先日,久しぶりにつくばに行っても全く懐かしいと思わなかったと書きましたが,それは,つくばが懐かしくないのではなく,懐かしいという感情そのものがなくなった気がします.こっちに来た時も「新天地感」がなく,すぐそのままこれまで通りに過ごせたことにも通ずるものがあるのかもしれません.

 最近は,内的に生きて過ごしているので,外的なものの影響を受けなくなったということかもしれませんが,何か私の中で変化が起こっているような気もします.

 懐かしいという感情もそうですが,これまでいろんな感情を失ってきた感じがします.具体的には,私は,元々人にどう思われるかそんなに気にしない方だと思いますが,40代のどこかで,一気にがくんとそういう感情がなくなった気がしました.具体的には,例えば,何か誤解されてそれを修正しないと自分の評価が下がるような場合,それまではそれなりに対応したと思いますが,なんかそういうことがめんどくさくなったというか,どうでもよくなった感じで,それからずっとそうですし,益々そうなってると思います.

 他にもそういうことがいろいろあった感じで,要は,どんどん達観して来たというか,拘りがなくなってきたというか,どうでもよくなってきたってことですかね.と書いて気づくのは,そりゃー,人生の残り時間がなくなって行けば,そんなの当たり前じゃんってことですよね.

 でも,別に投げやりとかそういうことではなくて,自分にとって何が大事かわかってきて,大事じゃなものをどんどん捨てているということなんでしょうね.

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1/15'23
[失われた3年?]
(世の中)

 新型コロナが始まって3年近くが経ち,失われた3年になったと言ってた人がいました.特に若い人達にとってそうで,小中高大のいろんな行事が流れ,部活なども制限されて,いろんな人とコミュニケーションする機会が失われ,大人がしっかりケアしないといけないとその人は言ってました.うーん,わかるんですが,どうなんですかね?

 一つの例を出すと,私の親の世代は,まさに小中高大という大事な時期に日本は戦争をしていたわけで,「失われたもの」は,新型コロナの比ではないでしょう.でも,その後,彼らがどうなったかですが,20世紀後半,ものすごい高度成長を遂げたわけですよね.

 対照的に私の世代(団塊の世代から団塊ジュニアまで)ですが,何度か書いているように,何事もなく(バブルの崩壊はありましたが,ほとんどのまともな人には関係なかったでしょう)やりたい放題だったわけで(でもそのうち帳尻が合うとは思いますが),そして,その結果が今の世の中の体たらくです.

 なので,新型コロナの3年が失われたので何とかしないといけないってことはないんじゃないですかね.実際,親の世代は,戦争に負けて世の中がひっくり返っていろいろ気づいたことはあったでしょうし,新型コロナの流行でわかったこともいろいろありますからね(新型コロナ前に戻そうとしても戻らないし,戻るようではどうしようもない).

 もちろん,ほんとに失われた3年を過ごしてしまった人もいるとは思いますが,結局,当人次第なわけで,これは,新型コロナ真っ直中の時も書きましたが,そういう状況を生かすも殺すも本人次第で,余計なことがなくなって,やりたいこと,やるべきことに打ち込めた人もいると思いますからね.

 つまり,これからその差がはっきり現れてくる,これまで以上に二極化して行くってことですかね.

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[ことさら特別扱いしてるだけ]
(世の中)

 最近,新型コロナによる死者数が過去最多とさかんに報道してますよね.でも「新型コロナによる死亡」ってなんなんですかね? 死者のほとんどは高齢者だし,何か他の病気で死んだんだけど,PCR検査して新型コロナ陽性だったら「新型コロナによる死亡」ってことになっちゃうだけの話では?

 もっと言えば,新型コロナ前から,肺炎は,癌,心疾患に次ぐ死因で,年間10万人以上が肺炎で亡くなっていて,でも,これも主たる死因は別なのに最終的に肺炎を発症して亡くなったケースが多いわけですし,風邪をこじらせて死ぬというのは,昔からよくきく話で,結局は,新型コロナをことさら特別扱いしてるだけのような感じです.

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[単なるエンターテインメント]
(世の中)

 サッカーWCの次は,野球のWBCを盛り上げようと必死ですね.でも,やっぱり,国と国が戦うというのは,なんかもう違和感がありますかね.

 選手が国民のために戦うとか言ってるのもそうですし,監督が国のために戦うと思うと国歌斉唱で泣きそうになるとか言ってたのも気持ち悪いです.

 単なるエンターテインメントですよ.そして,それはそれで,結構,楽しめます.でも,それだけの話です.

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[整ってきてる]

 感情もそうですが,欲や執着や拘りとかもなくなってきて,それに伴って,物質的なものもそうですし,いろんなものがどんどんそぎ落とされて,その一方で,何が大事かもわかってきて,そういうものはしっかり残るわけで,だんだん「整ってきてる」感じはします.

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[そういうこともあるかもしれない]

 そういうこともあるかもしれないと思ってることがあったとして,そういうことが起こることもありますし,起こらないこともあります.でも,実際は,起こらないことの方が多いわけで,それは,ちょっと残念なところもあるんですが,どこかほっとするところもあるわけです.

 なので,どっちもどっちというか,結果を受け入れればいいだけの話なんですが,そういうことがもう終わりつつあるというか,実際は,もうとっくに終わってるんですが,でも,もうほんとにほんとに終わるというか,そういうこともあるかもしれないとも思わなくなるってことが近づいてるってことですかね.

 そこまでは,まだちょっと想像がつかないですが,そういう状況でも何事もなく生きて行けたらまさに無敵ということでしょうか.

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1/16'23
[全ては決まっている]

 成功するとかしないとかはどうでもいいんですが,やっぱり,「全ては決まっている」と思うんですよね.

 今これやらないでどうする?という時でもその気にならないこともありますし,ようこんなめんどくて大変なことやる気になるよなというような時もあるわけで,でも,そういうことって「決まって」て,どうしようもない気がするんですよね.

 例えば,大谷翔平があそこまでのプレーヤーになったのって,彼のもつフィジカルと,野球をやりたい,うまくなりたいという気持ちと,それをどうやって実践して行くかなわけで,彼ほどのポテンシャルがあっても,野球に興味がなければ,何も始まらないわけですし,興味をもってやっていても,それが持続しないこともありますし,やりたくないのに我慢してやってても大したことにはならなかったでしょう.

 じゃあ,どうしたらいいか,ですが,どうしようもないのでどうしようもないってことですかね.逆に言えば,自分のその気に従えばいいわけで,何かに騙されて金持ちになりたいとか,有名になりたいとか,成功したいとか報酬に目がくらんで頑張っても苦しいだけで成功もしないしいいことはないでしょう.

 それでは,成功しないとしてもそんなのどうでもいいじゃないですか.やりたいことやればいいし,世のため人のために頑張りたい人はそうすればいい.でも,それが何かに騙されているのか,ほんとにそうなのか,つまりは,そう「決まって」いるのかは判断が難しいでしょうし,やりたいことも自分を犠牲にしてでもやらずにおれないことを見出せない人も多いでしょうしね.

 でも,それも「決まってる」ってことですかね.でも,やりたいことなんかなくても何かちょっとした楽しみくらいはあるでしょうし,そういうものがあれば,生活して行くのに必要な分だけ働いて,余計で無駄なものを欲しがらなければ,それなりに気分よく生きて行けると思いますし,そもそも,普通に生きて行けるだけで幸せなわけですし,そういうのも全部ひっくるめて受け入れて,ある意味,何もかもあきらめるところから何かが始まるかもしれないし,何も始まらなくても,全てを受け入れれば,それはそれでよくて,心穏やかに生きて行けると思うんですよね.

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[マスクには科学的根拠がない?]
(世の中)

 マスクをすることで感染を防げるという科学的根拠がないのに,このままでは,いつまで経っても未来永劫マスクをはずすことができない(のを何とかすべき)と言ってる人がいました.どう思いますか?

 マスクをすることで感染を防げるという科学的根拠がない,というのは,どういうことですかね? ていうか,科学的根拠って何?

 対面で話をする時に唾液が飛んで,唇などの粘膜に付着すれば,感染しますよね.マスクにそれを防ぐ効果があるのは明らかでしょう(科学的根拠以前の話).

 エアロゾルでどのくらい感染するのかは,私は怪しいというか,それより接触感染の方がやばいと思ってますが,もしそういうことがあるのなら,密集した室内や満員電車でマスクをすることは効果があるでしょう.

 新型コロナがいつ収まるかはわかりませんが,収まったとしても,インフルエンザなどが流行する冬はマスクをした方がいいと思いますし,新型コロナで「折角」普及した感染症対策(マスクや手指消毒など)は,ずっと(未来永劫)続けた方がいいと思います(でも人が密集していない屋外でマスクをするのは意味がありません).

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1/17'23
[モチベーションというか,やる気やその気を持続させる方法]

 モチベーションというか,やる気やその気を持続させる方法ですが,モチベーションというか,やる気やその気を持続させるにはどうしたらいいかという創意工夫を続けることじゃないですかね.

 例えば,ピアノだと,何とか弾く気になる曲が見つかったとして,譜読みをしてどんどん弾けるようになって行く最初の頃は,いいのですが,1ヶ月くらいすると,そこそこ弾けるようになるのと同時に,弾けるようになって行く度合いも頭打ちになってきて,最初の頃の新鮮味も薄れ,放り出すわけです.

 問題は,そういう段階になってからではもう手遅れで,最初の段階から,最終的にこのくらい弾けるようになるためにどういうステップを踏んで,どういうチェックをしながらどういう練習をして行くかをその場その場でいろいろ考えて創意工夫して行くことが必要な気がします.

 参考になるのは,やはり,ジャワ組曲第1,2集のときで,この時は,今にも増してやる気なしで,全く練習すらできず,「ただ通しで1回弾くだけ」だったんですが,毎回,記録を付けることで何とか弾いてたわけですからね.でも,この時は,毎回,創意工夫をしていたわけではないので,もっとやりようはあったということでしょうか.

 ていうか,「モチベーションというか,やる気やその気を持続させるにはどうしたらいいかという創意工夫を続けること」自体が実験で,それでうまく行くかどうかはわからないわけで,でも,それそのものが創意工夫とも言えるわけです

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[ここをこうしたいというような何かやることがあれば,何とかやって行ける]

 上の話とも関係すると思うのですが,ここをこうしたいというような何かやることがあれば,何とかやって行けるんじゃないですかね.

 状況としては,うまく行ってないとしても,じゃあ,うまく行くにはどうしたらいいか考えて,実行して,それでうまく行くとは限りませんが,そしたらまた考えて,という感じで,結構,楽しくやって行けそうな気がします.

 対照的に,うまく行ってるから何もすることがないとか,ただ何となく続けているということだと,どこかで行き詰まるでしょうし,あんまり楽しくないというか,生きててつまんない感じがします.

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[承認されたい]

 やっぱり,多くの人が承認されたいんでしょうね.

 金持ちになりたい,有名になりたい,出世して偉くなりたい,認められたいというのもそうですし,最近だと,ほめられて伸びるタイプとか,SNSでいいねが欲しいとか,バズりたいというのもそうですし,結婚だって,自分のことを第一に考えてくれる人が欲しいってことですよね.

 でも,そういうことの背景には,「よくやった,さすが君だとこき使い」ということがあるわけですし,もっと深くは,個を犠牲にして種を繁栄させるプログラムがあるわけです.それは本能なので,逆らうのは,容易ではないのですが,本能に身を任せるだけなら動物と同じなわけで,そういう呪縛から知的に逃れれば,いいことがある(かも)とも言えます.

 やる気三要素的には,報酬や評価には目もくれず,内的熟達的にやりたいことやったらいいってことなんですが,そうすると,結果的に結果が出て,あとから,報酬や評価が付いて来ちゃったりするわけで,それは,もてたいと必死になってる奴より,そんなことなんかに目もくれず,しっかり自分がやるべきことをやってる人の方が魅力的に見えるのも同様です.

 結局は,そういうことを目的化しないってことなんですが,報酬や評価なんか目もくれないということは,必要ないわけで,でも,必要ない人のところにそういうものは来ちゃうわけですし,逆に欲しいと必死になってる奴のところには,そういうものは来ないわけで,何とも皮肉な話なんですが,これまた「決まってる」のでどうしようもないのかもしれませんね.

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[シンプルに生きて行けばいい]

 関連するのかもしれませんが,シンプルに生きて行けばいいと思うんですよね.

 生きて行く以上は,食べて行くために働かないといけないのですが,逆に言えば,その分だけ働けばいいわけですし,その人の能力に応じて,社会的責務も果たした方がいいでしょう.

 もうそれだけで充分だと思いますが,何かやりたいことがあればやればいいし,それを仕事と重ねても重ねなくてもいいし,重ならないのなら,仕事は食べて行くのに必要な分だけにして,あとはやりたいことやればいいと思うんですよね.

 そして,それは,リタイア前も後も変わらなくて,でも,リタイア後の方がしがらみがないというか,否応なしなわけで,どこかで書いたと思いますが,社会的成功とかそういうことではなくて,気分よく生きて行く的には,リタイア後の方が大きな差が付く気がします.

 そして,リタイアすれば評価や人との繋がりなんかより威力を発揮するのは,やはり,一人でもどれだけ楽しく多くの時間を退屈しのぎできるかという「退屈しのぎ力」だと思いますし,それをリタイア前にどのくらい身につけられるかってことですかね.

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[1回死んだようなもの]
(このサイト)

 すぐ眠くなるので,なかなか進まないのですが,今は2011年の記事を読んでいます.そう,2011年東北地方太平洋沖地震,いわゆる東日本大震災が起こった年です.で,もー大変です.

 あの頃は,学外の仕事も今より全然多かったですし(震度検討会も真っ最中だった.でも,逆に言えば,昇進して学内の事が忙しくなって学外の仕事どころではなくなったとも言える),被害調査もそうですが,2011年東北地方太平洋沖地震関係で講演とか原稿執筆とかいろんな仕事もあって,しかも,自分の回りだけでなく,世の中的に変なやばい雰囲気で,全身に湿疹が出たりして,体調が悪いという記事がとても多いです.

 でも,体調はそれから更に悪くなっていくわけで,最悪だったのは,2013年の夏です.つまり,何年にも渡って体調が悪かったわけで,くそ忙しい中,よく頑張ったというか,あの頃は,しんどかったと言いたいところですが,確かに今と比べると明らかに体調は悪かったですが,そういう中で,それなりに楽しくやってたとも思うんですよね.

 年齢的には,だいたい父親が亡くなった歳で,つまり,そういう時期だったというか,私も死んでたかもしれないというか,1回死んだようなものというか,実際,その頃,実質人生は終わったわけですし,でも,1回死ぬと何かが変わるということはありますよね.実際,記事の中身もそういうものが散見されます

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(防災)

 今日は,1995年兵庫県南部地震が起こった日ですが,毎年,同じようなことを書いているので繰り返しませんが,要は,「忘れない」だけではだめということです.

 でも,こっちに来て3年目ですが,今頃気づいたこととして,1995年兵庫県南部地震のことを東京近郊にいた頃より(こっちのメディアでは)多く取り上げている気がします.でも,それは,こっち(関西)で起こったことですから当然でしょうか.

 逆に言えば,東京の方ではこっちより(もう)取り上げてないってことですよね.

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[たったこんだけで円安が止まって円高に行って]
(経済)

 N銀が別に利上げをしたわけでもなく,売り圧力に耐えられなくて,国債の買い取り上限金利を0.25%から0.5%にしただけで円安が止まって円高に行って,こんなことなら為替誘導なんか簡単なもん?

 と思いきや,莫大な量の国債を買ってるわけですよね(多分,史上最高額).いろいろ計算はしてるとは思いますが,大丈夫ですかね?

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 少し調べてみました.N銀が国債を買っている原資は,N銀の当座預金で,それは,主として国債を保有する銀行が預けたお金ということになります.つまり,銀行はN銀に国債を売って得たお金をN銀に預け,そのお金で国債を買ってるわけで,お金がぐるぐる回ってるだけということになりますが,国債には利回りがあるので,回る度に幾ばくかのお金が「溶けてる」ことになり,ひいては,国民の税負担となります.

 でも,これは,日本国内の銀行が国債を保有してる場合で,今は,外国人の保有比率が高まってますし,日本国債を売り叩いているのは,外国のヘッジファンドです.でも,外国のヘッジファンドが国債を売れば,外国人の保有比率は下がって上記のシナリオが成立することになりますし,外国のヘッジファンドもどこかで弾切れになります.

 つまりは,結局は,資金力や国債保有量の勝負なわけで,N銀もヘッジファンドも計算はしてるわけで,そこの戦いがどうなるかってことですね.確かに,かつて,イングランド銀行は,ソロス率いるファンドに負けましたが,こういう勝負で,N銀が負けたことはないと思いますし,株式のETF買いも,政府の為替介入も結果的に大きな「儲け」になってるわけで,まさに相場師という感じすらしますが,いわゆる逆張りということもありますし,過去うまく行ったから,これからも大丈夫とは限りません.

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[そんなもんでしょ]
(世の中)

 サッカーWCが盛り上がった?ってことなんですが(でも,再三書いてるように,一部の人だけでしょう),盛り上がった人にきいてみると,じゃあ,これから日本代表の試合を観るかというと,ほとんどの人は興味なしなんだそうです(次回のWCは楽しみということでしたが4年後ですからね).

 そんなもんでしょ.

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[興味がないことには興味がなくて,しかも,非常に移り気で,どうしようもない]
(自分)

 何度か書いた話ですが,私はいろんなことに興味があるのですが,何にでも興味があるわけではなくて,むしろ,非常に限定されていて,喩えて言えば,広大な平原にぽつんぽつんと興味のポイントが非常に広い範囲に散らばってるような感じです.

 例えば,高二の春に力学に興味をもったのですが,力学以外の物理には興味はなかったし,力学も高三の回転の力学には,そんなに興味はありませんでした.建築構造に興味をもってRCの研究室に入ったのですが,RCにはそんなに興味がなくて,興味があったのは,地震動や地震応答解析でした.

 ピアノだって,今弾いてる曲は,とりあえず弾く気になったので弾いてますが,それ以外の曲は,弾く気にならないですし,今弾いてる曲もいつ興味を失って放り出すかわかりません.

 つまり,興味がないことには興味がなくて,しかも,非常に移り気で,どうしようもないんですが,割と続いてるものもあって,研究というか,地震動の性質と建物被害の関係とそれを地震被害推定や予測に結びつけることは,もう大分長い間,興味を失わずにやってますし,ピアノだって,ピアノを弾くこと自体は,なんだかんだで続いてるわけですし,それは,このサイトや相場研究やバドミントンやスキーもそうですね.

 ということで,なんだかよくわからなくなってきたんですが,わからなくてもいいというか,できる範囲でその時その気になったことをやって行けばいいというか,そうできるようにいろんな条件を整えるってことですかね.

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1/18'23
[選択と集中が「できてる」?]

 と書いたんですが,どうなんですかね?

 例えば,実際にやってるスポーツは,限られてますが,それはほとんどの人がそうでしょうし,バドミントンやスキーやゴルフにしか興味がないってわけじゃなくて,スポーツとか体を動かすことは何でも興味はありますし,学生時代は,やってたと思います(野球とかサッカーとか陸上とか水泳とかバスケとかバレーとか卓球とかテニスとかボーリングとか).

 音楽だってそうですね.やってる楽器は,今はピアノだけですが,クラリネットやサックスやフルートやリコーダーをやってたこともありますし,ハードロックにはまったこともありましたからね.

 なので,ある意味,選択と集中が「できてる」ということかもしれません.例えば,私はスキーはしますが,スノボはやりません.でも,興味がないわけではなくて,でも,スノボをやれば,その分,スキーが「減り」ますよね.音楽も同様で,何年か前にまたちょっとサックスをやろうかなと思って少し調べたこともありましたが,結局,(何となく)やめたんですが,これもその分ピアノが「減る」わけですからね.

 でも,これは,スポーツと音楽の場合ですかね.研究は,興味があることは何でもやりたいですし(でも,興味がないことは厳しい),今やってるテーマ以外を排除するという意識はありません.このサイトの対象は,ものすごく広範囲なんでしょうし,相場を張る対象もとんでもないことになっています.

 なので,結局,よくわからなくないんですが,別にわからなくていいというのは,上で書いた通りです.

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1/19'23
[人との繋がりをことさら重要視することの危険性]

 人との繋がりは,もちろん,とても大事なのですが,これをことさら重要視する危険性について,既に何度か書きました.

 一つは,人から助けられることも多いですが,足を引っ張られることも少なくなくて,有能な人ほど助けてもらうより足を引っ張られることが多い気がします.逆の場合として,仕事ができずに上司と軋轢を生むこともあるわけで,そうなると上司も部下もデメリットしかないわけで,それが進むと,人間関係に疲弊するというようなことも起こってきます.

 問題は,やはり,他人を制御することは難しい(できない)ってことでしょう.上司や指導者は,部下や学生のやる気を引き出すことが必要とまで言われるようになってきてしまいましたが,仕事の指導だけで大変なのに,なんでそんなことまでせにゃあかんねんとは思いますよね(仕事をしないのなら会社ならクビ,学生なら卒業させないのが筋).

 あとは,今朝,ふと思ったので,初めて書くと思いますが,人との繋がりは,他者評価になりやすいということがあると思います.部下なら上司に評価されるように仕事をすることが多いでしょうし,人との繋がりとか(資本主義)社会の中で仕事や仕事以外の活動をしていると,その中でどう評価されるかを優先すると,物事の本質を見失いやすいと思うんですよね.

 じゃあ,どうしたらいいかですが,やはり,内的熟達や自己評価を中心に考えるべきということでしょう.もちろん,独りよがりにならないようにはしないといけないですし,人との繋がりや他者評価も時には必要でしょう.

 つまり,ここでも「一人,時々,みんな」ってことですかね.

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 でも,一部の有能な人間が大部分のそうでない人間を食わせているという背景があることを考えると,有能でない人間は,人との繋がりを重要視した方が得となるわけで,そこでいろいろ問題が生じるわけです.

 そうすると,自分が有能なのかそうでないかを判断する必要が出てくるということになりそうですが,何だか変な話ですよね.自分が有能でないと思ったら,有能な人間にぶら下がろうとするのではなく,自分が有能になれよってことでしょう.

 いやいや,そんなの無理? でも,そうやってぶら下がってもいいことないというか,逆に有能な人間に搾取される場合も多いですし,そもそも,有能でなくても,誰でもできる仕事をきっちりやって,収入はそんなになくても,余計なものを欲しがらずに何かちょっとした(そんなにお金がかからない)楽しみを見出してやって行けば,充分幸せに暮らして行けるでしょう.

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[東大の出身高校ヒエラルキー]
(受験)

 久しぶりの受験ネタですが,東大に入るとどこの高校出身かということになるとよく言われるんですが(でも,そうなのかなあ.あまり実感はないけど),これっていわゆるヒエラルキーってことですよね.

 具体的には,灘,筑駒,開成,麻布,(当時は)武蔵,学芸大附属,筑附,栄光,ラサールとかなら勝ち組で,それに次ぐ,(当時は)駒東,桐朋,巣鴨,暁星,聖光,甲陽学院,久留米付設とかなら,敗者復活というか,少なくとも,いわゆるエリートコースじゃなかったのね,ってことでしょうか.

 そういう意味では,その地方でNo.1の県立高は,ヒエラルキー的には,それはそれであり感があるんですが(そういう意味では,(当時の)西とか青山とか戸山とかの都立のトップ校はどうなんでしょうね.筑駒,開成のようなトップ校に落ちて行く人が多い? それとも,敢えて都立に行く人も結構いる?),私の場合は,それがよくなかったことは,既に書きました.

 実際のところは,大したレベルの高校ではなくて,実質敗者復活しないといけないのに,地元ではNo.1の名門高なので,そういう意識がなくて,のほほーんと高校時代を過ごしてしまったってことですかね(高校生活は楽しかったですけど).

 まあでも,それも含めて私のしょぼさだったわけで,自業自得なのは言うまでもありません.でも,結果として,それがいい方向に出たわけで,何がどうなるかわからないことも既に書きました.

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[慣れの問題?]

 今日は,午後から20時過ぎまで会議で,ほとんど何もしてないのに,結構,疲れたし,20時過ぎると学食も閉まるので,家に帰って自分で作るしかないのですが,メニューをいろいろ思い浮かべて,一番食べたいと思ったものを(無添加の)冷凍食品とかいくつかの食材とかを使って,10分くらいでちょちょっと作って,という感じです.

 で,もし,晩ご飯を作ってくれる人がいたとしたらどうかなと考えました.

 もちろん,作ってくれたものならどんなものでも喜んで食べますが,非常に高い確率でその時一番食べたいものではないでしょうし,自分が外で働いて家族全員分の食いぶちを稼ぐので,家のことはやってねという「契約」なら,「(無添加の)冷凍食品とかいくつかの食材とかを使って,10分くらいでちょちょっと作っ」たものが出てきたら,うーん,と思ってしまうかもしれません(それでも,作ってくれたものならどんなものでも喜んで食べますが).

 でも,自分で作ったものなら「(無添加の)冷凍食品とかいくつかの食材とかを使って,10分くらいでちょちょっと作ったもの」でも全然平気というか,おいしいと思って食べるわけですし,他のこととしては,掃除をさぼって少々部屋が汚れていても全然平気ですが,これも「契約」があるのなら,うーん,と思ってしまうかもしれません.

 もっと言えば,疲れて家に帰ってきて,でも,誰も家に居なくて,電気も付いてなくて,自分でご飯作らないといけなくて,って書くと,家族がいる人からすると,なんて寂しいって感じなんでしょうが,実際は,全然そんなことないわけで,これって何なんでしょうね?

 結局は,慣れの問題? いや,何度か書いてるように,家族がいるのも,一人暮らしも一長一短で,得てして,短所の方を見がちなんですが,長所もあるわけで(一人暮らしなら,一人で気楽でめんどくさくないとか),そういうことなんですかね.

 いずれにしても,今の状況で全然問題ないので,これでいいってことですが.

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[意識がない]

 海外で日本人が大活躍とかいう報道があるとうざいというか,日本人とか日本人じゃないとか,どうでもいいと何度か書きました.で,思ったんですが,じゃあ,お前は自分が日本人という意識がないのか?と言われると,そうですね,ないですね.

 じゃあ,何人(なにじん)かと言われると,そういう意識がないんですよ.どこかで,自分が男という意識がない(もちろん,女という意識もない)と書きましたが,それと似てます.もっと言えば,自分が今何歳という意識もないですね(なので,実際の年齢を思い出す?と愕然とする).

 じゃあ,何かというと,単に一人の人間ってことですかね.つまりは,(犬や猫ではなく)人間とは思ってる(笑)ってことでしょうか.ていうか,何人(なにじん)とか男とか女とか歳がいくつとかどーでもいいじゃないですか.

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[東京科学大]
(大学)

 東工大と医科歯科の合併ですが,医工だけでは...(具体的には,一橋を巻き込めなかったということ)というのと,名称がどうなるか(いいのがなさそう)と思っていたのですが,何と東京科学大になったとのことです.どう思いますか?

 どこかで書きましたが,まさに東京○○大ってことなんですが,やっぱ,チープというか,都立大が首都大になった時のように,東京工業大,あるいは,東京医科歯科大という,伝統ある大学(名)が失われたと思うのは,私だけでしょうか?

 都立大が首都大になった時,全然浸透しなくて(今回もそうなりそう),学生が就活で(新設の私大と思われて)えらい苦労したという話がありますが,同じようなことが起こりませんかね?

 でも,都立大は,(無事)都立大に戻ったわけで,科学大(と略称まで決められた)も戻るってことはないですかね? ていうか,科学大になったってことは,一橋の(追加)合併はないってことですよね(大学名をコロコロ変えるわけにも行かないし).

 いずれにしても,東大京大に次ぐすごい大学ができそうって感じじゃなくて,なんだかぱっとしない話ですねー(まあ,人様のことなので,とやかく言うことはないですが).

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 これで10兆円ファンドの獲得を目指すとか言ってますね.そういうことが目的だったってこと?

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[もうそういう段階に入りつつある]
(大学)

 今日もそういう話をきいたのですが,定年を1, 2年前倒して大学をやめる人が結構います.理由は,定年まで今の大学にいるより長く働ける次の仕事の話が来たとか,もうほんとにやめちゃうとか,いろいろなんでしょうが,そういうのもありというか,私もそういう年齢が近づいてるとは思います.

 でも,私の場合は,自分がやめても後を託せる人がいるわけではなくて(講座制なら准教授がいれば,後を任せられますが,私がいる講座は,教授と准教授で専門が違うのでそうは行かない),突然辞めることはできないので,辞めるとすると,今いる学生をちゃんと卒業させてからということになるわけで,そうすると,逆にもうそういう段階に入りつつあるとも言えますね.

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[これまた「ニュートラル」]

 そっか,そういう意識がないっていうのも,これまた「ニュートラル」ってことですかね.全ては一長一短というのもそうですし,卑近な例としては,サッカーWCでも,日本が勝っても,負けてもそれはそれで批判的なことを書けばいいわけで,まさにどっちも何でもありってことでしょうか.

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1/20'23
[Fラン大ぽい]
(大学)

 東京科学大ですが,一夜明けて,予想通り,評判が悪いですね.中にはFラン大(受ければ入れる最低ランクの大学)ぽいと言う人までいて,まさに「どこかの訳のわからない新設私大」感満載って感じでしょうか.大学関係者って,ほんとセンスないですよね.「電通が入ってる」じゃないですが,その道のプロに任せた方が百倍ましなんじゃないですかね.

 大学関係者と言っても,センスがないのは,上層部で,大学職員の大部分の感覚はまともなので,もっと教職員からの意見をきくべきだったのでは? そうすれば,少なくとも,東京科学大はあかんやろとなったと思いますからね.ていうか,千葉科学大の存在や東京工業大が東京工科大と間違えられることが結構あるってことを上層部はどのくらい把握してたんですかね?

 大学関係者はともかく,心配なのは,学生への影響です.就活で,「新設の私立大学?」とかなって苦労する(少なくとも嫌な思いをする)ことはないですかね.そんなことより,こんなチープで安易な名前になって,志望を変える学生いませんかね?

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 でも,他大学で,出身校でもないのに,どうして気になるんですかね?(と考えました)

 それは,東工大や医科歯科がすごい大学ということが私はよくわかってるわけで,でも,それが評価する側の無知によって不当に評価されるのが看過できないんだと思います.

 何度か書きましたが,東工大は,元々,東大京大に次ぐ,あるいは,並ぶくらいの大学なのに,その知名度が低くて,今回は,それを変えるチャンスだったはずなのに,逆に知名度を落とすようなことになったら,ほんと何やってんの?と思ってしまいます.

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[地理と数学と物理の融合?]
(地理)

 先日,都立大の北山先生のサイトに「どこまで見えて何を見てるのか」という記事がアップされました.電車の中から北の方に白く輝く山峰がうっすらと見えたということで,調べたら,日光白根山と男体山とである(らしい)ということで,でも,方角的にはそうでも地球は丸いし,途中に山などの障害物があるかもしれないし,大気や天気の状態もあるし,ということで,そう簡単な話ではないわけで,これって地理と数学と物理の融合で,私の大好物な話題(笑)なわけです.

 で,私もずっと気になってる(というほどでもないですが思い出したこと)があって,つくば時代,ゴルフに行く時,朝,東大通り(やっぱり,とうだい通りにしか見えない.正しくは,ひがし大通り)を北上していると,何回かに1回かくらい,忽然とド正面に綺麗な台形というか円錐形の山がかなりの迫力をもって出現するんですね.

 家に帰って調べると,方角的には,(これまた)男体山で,見える形は,見事な円錐形というか台形で,そんな感じもするんですが,見えるものは,もっと勾配が急な感じもするし,かなりの迫力なので,距離的にどうなん?という感じで,結構,ミステリーなんですよ.

 そして,思ったのは,こういうのって,確かめようがないとも思うんですね.例えば,ストリートビューで見ても見えないし,車を運転しながら写真は撮れないし,あの時に見た光景は,再現しようがないわけで,変な話,まぼろしー(笑)かもしれないわけです.

 似た経験は,先日もあって,金沢回り(サンダーバード+北陸新幹線)で行けば,電車で飯山に意外と行きやすいことがわかって,久しぶりに野沢温泉にスキーに行ったんですが(このスキー場は,私が初めてスキーをしたスキー場だし,コブの急斜面が多くて好きで,その後,何回も,それこそ10回以上は,行ったスキー場で,でも,最近は,行ってなくて,久しぶりに行ったら懐かしいかと思ったら全然で,そういう感情がなくなった?のかもと書きました),毛無山の頂上からかなり近くに海っぽいものが全面に広がってるのが見えたんですね.感覚的には,びわ湖バレイから見た琵琶湖みたいな感じだったです.

 でも,野沢から海が見える,しかも,かなり近くに見えるという認識はないというか,これまで10回以上行って海が見えたと思ったことは一度もなかったですし,海のように見えるだけなんじゃないかと思いました.そしたら,いっしょに滑ってた人がネットで調べて,野沢から海見えるらしいですよと言います.ほんとにー?

 で,地図を見てみると,海は思ったより近くて,途中に高い山もないし,毛無山の標高を考えると,見えることはあり得るとは思いました.でも,あの時,遙か彼方ならともかく,かなり近くに全面に広がってるように見えた海(のようなもの)がほんとの海だったかどうかはわからないわけですよね.

 同じような経験はいろいろあって,例えば,新幹線から景色を見ていて,日没時とかにものすごく印象的な形の山のシルエットが見えて,何の山かなと思って,調べても該当するものが見つからないみたいな.

 ということで,地理と数学と物理の融合ということで,科学的な話になるかと思いきや,意外と人間心理というか,幻的な話になってしまいました(笑).

 でも,目の錯覚みたいなことはあるんでしょうね.月がものすごい迫力と大きさで見えることがあるのも,すぐ横に建物などがあるからそう見えるってことですからね.そう言えば,これもつくば時代,いつかの土浦の花火大会で,車で土浦学園線の花室を過ぎたあたりで,花火が突然大迫力の大パノラマで見えたのもそういうことがあったのかもしれません(そして,これまたもう再現不可能ということでしょうか).

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[もっと条件がいいところに引っ越せるチャンス]
(生活)

 定年後,家をどうするか考えるのがめんどくさいってことですが,ふと思ったんですが,既に家を買ったりして保有している人ってどんな感じかというと,どこかの時点で,定年まで今の職場に勤めることにして家を購入するって感じなんでしょうか(もし会社から転勤を言い渡されたら単身赴任).

 もちろん,定年後もそこで過ごすことも考えた上でということだと思いますが,よく考えてみると,定年後は,家を買った時に勤めていた職場に通わないといけないという条件がはずれるわけで,そうすると,もっと条件がいいところがあるかもしれないわけですよね.

 もちろん,引っ越すのは面倒なので,そのまま同じところに住んでればいいやというのはよくわかりますが,そこから何十年も住むかもしれないわけで,たった数日,準備を入れても数ヶ月程度の時間と労力をかければ,数十年が快適になるのならとは思います.

 何が言いたいかと言うと,私の場合は,家を買ってないし,それでかなりの経済的メリットがあったのですが,定年の時に引っ越さないといけなくて,なんかめんどくさいなあと思ってたんですが,職場が変わる(やめる)ことでもっと条件がいいところに引っ越せるチャンスととらえればいいってことですかね.

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(相撲)

 相撲が結構面白いですね.と言っても,実態は,白鵬が引退して,一時期,照ノ富士の天下だったんですが,やっぱり,膝の具合が厳しくて,大関は悲惨で,要は,どんぐりの背比べというか,力が拮抗していて,優勝や上位のチャンスが多くの力士にあるってことで,でも,幕内の8割くらいは好取組?というような状態です.今場所は,阿武咲,琴勝峰あたりがまだ優勝争いに残ってますね.どちらもずっと前から書いてる力士ですが,どうなりますかね.普通に行けば,やっぱ,貴景勝?

 でも,一番の注目は,十両の朝乃山らしく,連日,動画再生回数のトップに来ています.でも,大関というか,陥落した御嶽海や正代が悲惨で,一方の朝乃山は,快進撃?で,元大関に明暗というのは違うでしょう.

 言っても,朝乃山は,まだ十両なわけで,一方の御嶽海や正代は,幕内上位ですからね.ていうか,元大関が十両でもたもたしててどうすんの?って感じです.

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[単純なもの(ほど)面白い]

 そう言えば,スキーは,ただ斜面を降りてくるだけ(なのでつまらない),ターンとかしてないで直滑降でさっさと降りてこい(笑)みたいなことを言ってる人がいました.そうですね.私もスキーをする前は,そう思ってました.ていうか,わざわざリフトに乗って上に行って降りてきて,それをぐるぐる繰り返して何やってんの?って思ってましたし,まるで岩を山頂に運んでは転がり落ちることを繰り返すカミュのシーシュポスの神話じゃんと書いたこともありました.

 でも,実際やると面白いわけで,ターンとかしてないで直滑降でさっさと降りてこいと言っても,急斜面やコブ斜面を直滑降では降りれないわけで(それができたらすごいけど不可能),そういう斜面を降りる技術がターンなわけです.

 そういう意味では,ゴルフだって,止まってるボールを打って穴に入れるだけじゃん(笑)ってことになるわけで,でも,やってみると,これが面白いし難しいわけです.

 で,思ったんですが,単純なもの(ほど)面白いってことかもしれませんね.バドミントンは,複雑怪奇と何度も書いてますが,やることはシンプルで,相手のコートにシャトルを入れればいいだけの話ですからね.

 でも,単純なものほど難しいし,奥行きがあるというか,小宇宙(ミクロコスモス)というか,面白いってことですかね.

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[自分を必要としてくれる人を求め続けている]

 結局,自分を必要としてくれる人を求め続けているってことなのかもしれませんね.

 人を好きになって,結婚とかするのもそうですし,子供を作るのも自分を必要としてくれる人を誕生させるとも言えますし,仕事をするのも社会や誰かが自分を必要としてると思いたいってことなんですかね.

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[全然別の話]
(世の中)

 新型コロナを5類から季節性インフルエンザと同じ2類へ,とのことです.いいんじゃないですかね.実際のところは,ことさら特別扱いしてるだけですからね.

 でも,じゃあ,これで人が密集した屋内でも満員電車でもマスクを「はずしていいことにします」というのは,全然別の話です.少なくとも,私は,人と対面で話すときには,マスクははずしませんし,マスクをはずした人とは対面では話しませんし,マスクをはずした人が密集しているところにも行きません.

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1/21'23
[卒業できそう?]

 自分を必要としてくれる人を求め続けているですが,逆に言えば,そこを「卒業」できれば,ということはあるのかもしれません.

 具体的には,これらは,全て,いわゆる「欲」と繋がっていて,「人を好きになって,結婚とかするのもそうですし,子供を作るのも自分を必要としてくれる人を誕生させる」は,性欲と繋がってますし,「仕事をするのも社会や誰かが自分を必要としてると思いたい」は,社会的な承認欲求でしょうからね.

 私に関して言えば,社会的な承認欲求は,そんなになかったと思いますが,性欲というか,愛し合いたいというようなことは,ずっとあったと思います.でも,これについても,そろそろ卒業できそうというか,そもそも,実質とっくにもうそういうことは起こらないわけですし,何となく(ようやく)あきらめがついてきた感じはしますし,そう思うと,めんどくさいこともなくなってそれはそれでありとも思うんですよね.

 思い返せば,50を過ぎて「人生が実質終わった」と思ったのも,社会的な承認欲求について(完全に)卒業できたということだったのような気もしてきて,ということは,「人生が実質終わる」こともまんざらではないわけで,それは,愛し合いたいというようなことが終わる(卒業する)ということもそうなのかもしれません.

 とは言え,付き合いたい人とは,付き合って行きたいというのは,これまで通り変わらなくて,でも,自分が必要とされたいとか,そういう人を求め続けるとかいうのは卒業というか,要は,そういう欲がなくなってきたということですかね.

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[IG証券のVIX指数先物取扱終了のその後]
(運保)

 (売り建てもできる)IG証券がVIX指数先物の取扱いをやめるということで(でも,その後,ほとんどの売り玉は建ったまま.でも,もう新規売りはできない),稼ぎ頭を失うことになって痛いと思っていたのですが,時々,取引できるところはないか探していたんですが,何とか一つ見つけて,口座開設をしました.まだ,実際に取引してないので何とも言えませんが,少し光が見えてきました.

 でも,口座開設にIDが必要ということで,不本意ながら????が開通することになってしまいました.

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1/22'23
[二極化]
(生活)

 定年後,どこに住むかですが,場所は,その時の状況によるというか,もしいい話が来ればどこでも行くのでわからないのですが,どういう家に住むか,要は,家を買うか賃貸かですが,現時点の考えは「二極化」して来た感じがします.

 一つは,家を建てて,家の中に体を動かせるスペースや防音室にグランドピアノも入れて,家の中で快適に過ごせるようにして,しかも,隣近所がいないような広々としたところに住む,もう一つは,荷物を減らして,グランドピアノと防音室も売り払って(グランドピアノに近い電子ピアノを何とか見つけて),都市近郊のURなどの賃貸に住むってことでしょうか.

 後者を考えるようになったのは,単純に身軽になりたいということや,私の(今の)力量や意欲でグランドピアノ+防音室なんかもう必要ないんじゃないかと思うようになったこともありますし,一軒家より集合住宅の方が住みやすいというか安心なところもあると思うからです.

 でも,都市近郊のURならそこそこ(10万以上)の家賃で,それでもトータルコストは,賃貸の方が安いんですが,家を買わない分の現金を何らかの形で運用しないといけないですし,持ち家の方が経済危機とか災害に備えて住むところやエネルギーを確保できるとか,居住空間を快適にカスタマイズできるとかもあるわけです.でも,最初に書いたように,まだどこかで仕事を続けるのなら,否応なしに賃貸になってしまうかもしれません.

 つまりは,包含関係的には,賃貸>家を買う なわけですから,(歳をとっても)賃貸でも行けるようにしておくことが必要で,そのためには,グランドピアノ+防音室の見直し(何とか行けそうな電子ピアノを探す),荷物をもっと減らしていつでも引っ越しできる状態にしておく,そして,しっかり運用できるようにしておくということですかね.

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[「人生はつまらない」ということを受け入れてしまう]

 再三出てくる人生の基本とも言うべき「人生所詮退屈しのぎ」ですが,楽しくやってるときはいいんでしょうが,問題は「つまらない」と思った時で,「人生所詮退屈しのぎ」と考えると,じゃあ,どうやって人生をつまらなくするかってことなんですが,もう一つの方法としては,「人生は退屈でつまらない」ということを受け入れてしまうことかもしれませんね.

 でも,問題は,そこで何かが始まるのかってことですかね.

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(相撲)

 相撲は,予想通り,貴景勝が優勝しました.琴勝峰は,あと一歩だったんですが,何度か書いたようにこれまで大器と言われる割にはぱっとしなくて,今場所は勝ってはいるんですが,凌いで何とか勝つみたいな相撲が多くて,でも,だんだんと形にはなってきた相撲も増えてきたのでこれからなんですかね.

 いずれにしても,どんぐりの何とかがずっと続くことはないというか,それではどうかと思うので,誰が出てくるかですかね.

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[退屈とつまらないは違う]

 この記事を書いて思ったんですが,退屈とつまらないは違いますよね.めちゃめちゃ忙しくても,こんなことやってどうすんだ?ということばかりだとつまらないですからね.

 ていうか,そもそも,退屈ってことあるんですかね? やらないといけないことはいくらでもあるわけですし,そうでなくても何もすることがないなんてことはないわけで,退屈という感覚になったとしたら,それは,(やらないといけないことは別にして)いろいろやることはあったとしても,やる気なしで,その時,やるというハードルを越えるほどやってつまらなくないことがないってことですよね.

 でも,それでも「退屈という感覚に助けられる」ではないですが,その中で相対的に一番つまらなくないことをすればいいわけですし(そういう意味では,やはり,「やることリスト」を作っておくことが重要),それでも何もする気がしない時は,疲れているということなんでしょうから休めばいいんだと思います.

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1/24'23
[どういうことをつまらないと思うか]

 退屈とつまらないは違うってことですが,じゃあ,(私は)どういうことをつまらないと思うかってことですね.

 まず,興味がないことはつまらないです.そして,これは,「決まっている」というか,どうしようもないのでどうしようもないですね.

 でも,興味がなくてやりたくないことでもやらないといけないことはいくらでもあります.日常生活の中にそういうものはたくさんありますし,必要な分だけの生活費を稼ぐための仕事も然りでしょう.そして,どうせやらないといけないことなら,楽しくやった方がいいに決まってますから,(そんなに)興味がなくても,どこかしら興味というか,楽しめるところがないかを探すことは必要なことで,私もそうしています.

 でも,そんなしてまでやらなくていいならやらないに越したことはないわけですし,50を過ぎたあたりから,そういうバランスが変化してくるというか,もう嫌ならやめちゃうこともできるようになるわけです.

 で,やらないといけないことでもやっててつまらないことですが,やっぱり,「こんなことやってどうすんだ?」ってことです.ていうか,どういうことが(私にとって)「こんなことやってどうすんだ?」ってことなのか,ですが,具体的に言えば,何度か書いているように(組織や個人の利益にはなっても)社会全体の利益にならないことですかね.

 そして,驚くべきことに,仕事のほとんどは,そういうものですよね.利益を追求する民間企業はそうですし,大学だって,研究以外の仕事の多くはそうで,少子化や国際競争の名の下にまさに「こんなことやってどうすんだ?」というものばかりで,学生のためになるのならまだしも,その実,悪しきサービス合戦のように全くそうなってないものばかりです.

 言い方を変えると,いわゆる「パワーゲーム」は(私は)つまらないってことですかね.出世競争然り,自分の学会や業界での社会的立場を上げる,自分の研究をことさらアピールする,世界の中で名を売って有名になる,いずれもそうですね(個人も組織や国の場合も).

 でも,世の多くの(私の世代の)人は,そういうことを是としてる人が多くて,でも,別段,私は,そういう人達を批判してるわけではなくて,むしろ,誰かがやらないといけないことをやってもらって,感謝してるくらいです.でも,私は,そういうことには,興味がないので,私もそういうことに興味があると思って(好意で)巻き込んだりしないでね,ってことでしょうか.

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[やっぱり脱力]
(体)

 ピアノやPCのキーボードの左の345が手がこわばったようになってうまく動かなくなってきたので,とにかく脱力ってことなんですが,少しずつできるようにはなってきてると思いますが,難しいですね.でも,脱力できれば,確実にパフォーマンスが上がるので,やっぱ,これなんだと思います.

 関連することとして,ここでも書きましたが,歳をとって,どうして筋力が衰えるか,歩けなくなるかですが,脱力ができなくなるからと言ってる人がいました.具体的には,筋力が衰える→力を入れる→筋力が疲労して更に衰える の悪循環なんだそうです.用心してゆっくり動くと却って力が入るのでよくないとのことです.

 そうだと思いますね.脚力が衰えないようにトレーニングしすぎたり,1日1万歩歩いたりしても却って逆効果ってことです.

 体は消耗品ですから,脱力してできるだけ負荷をかけないようにすること,それをトレーニングやウォーキングという極一部の時間ではなく,大部分を占める日常生活の中でしっかり意識することでしょう.

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[雪が降って積もると萌える要因]
(日記)

 夕方,家に帰ろうと思って,外に出ると...一面の雪景色で雪も降っています.で,傘をとりに部屋に戻る途中で池田先生に会って,桂から戻られたところだったんですが,桂は猛吹雪で,こっちより全然すごかったとのことでした.

 一度家に帰って戻ってくるつもりだったんですが,それをやめて家にいることにしたんですが,何度か書いたと思いますが,雪が降って積もるとちょっと萌えます(笑).家に帰っても誰もいないんですが,それでも暖かい家で暖をとれるというだけで充分幸せですかね.

 で,どうして雪が降って積もるとちょっと萌えるかですが,若い頃,例えば,福岡(は,結構,雪が降って積もる)にいた頃は,小学生の頃なら楽しくなって雪合戦って感じだったと思いますが,上で書いたように今はそういうのとは違ってて,暖かくして家にいられるという感じで,萌える要因が変わってきたことに気づいた次第です(どーでもいいけど).

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(運保)

 ようやく?VIX指数先物が買いになり,IG証券の売り玉を手仕舞って撤退しました.それで,買いなので買い玉を建てないといけないのですが,買いはGMOのCFDでもできるし,スプレッドも小さいのですが,ファンディングコストを調べるために開設したLINE証券でも建ててみました.

 でも,Nasdaq100も売りだし,VIXも買い(というのは,SP500が売りということ)というのは,何かあるんですかね?

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[事なかれ主義]
(世の中)

 私が住んでいる職員宿舎は,家族で住んでる人が多くて,子供も結構います.それで,時々,階段の出口のところにばーっとものを広げてままごと?みたいなことをしている子供がいます.何とか通れはするのですが,出口をほとんど塞いでいるので邪魔です.

 私としては,ここは出入口で住んでる人の邪魔になるから,他のところで,せめて少しずらしてやろうね,と言いたいところなんですが,もし言ったらめんどくさいことになりやしないかと考えてしまいます(ので言いません).

 具体的には,平気で出入口を塞いで遊んでるような子供なわけですから,家に帰って変な人に暴言を吐かれたと言うかもしれませんし,家を突きとめられていたずらのようなことをされるかもしれません.

 でも,こういう「事なかれ主義」がどんどん世の中をおかしく,そして,常識のない人達を生んでるのは間違いないですよね.じゃあ,どうしたらいいかですが,どうしようもないんじゃないですかね.

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[なぜ都立高校に進んだのか]

 都立大の北山先生のサイトに東大の出身高校ヒエラルキーのことが書いてありました.彼は,都立青山高校の出身で,都立高校のことも書いたので,何か反応があるかなとは,何となく思っていました.

 で,その記事を読むと,どうして彼が都立高校に行ったか,だいたい予想通りというか,私が地元の県立高校に行ったのとよく似ていました(男子校じゃなくて女の子がいる共学に行きたかったというのも(笑)).

 ただ違うところとしては,私は地方の県立高ですが,彼は東京なので,地元に(男子校だけど(笑))筑駒とか開成とかのトップ校があるわけで(共学がよければ(笑),筑附や学芸大附属も),でも,私の場合は,そういう進学校となると鹿児島のラサール(しかも男子校)まで行かないといけなくて,そういう違いはあったかもしれません.

 とは言え,何度か書いたように,私は,(父が単身赴任で東京の大学に勤めていたので)東京のトップ校の一つを受けて落ちたわけで,でも,それは,北山先生もそうだったみたいで,そういう点でもよく似てますね.

 さらに言えば,私の場合,地元の県立高である修猷に行くんですが,当時は,2〜30人は,東大に行ってましたから,ここからだって東大に行けるしと思ってましたし,それは,北山先生も同じような感じで,ここまでは,ほんとによく似てると思いました.

 でも,そこから先が違うというか,私は遊びほうけた高校時代を過ごしてしまったのに対して,北山先生は,ちゃんと(浪人しないで)東大に入られたわけで,その差を分けたのは何なんでしょうね?

 いやいや,それは,お前が怠け者なだけだろと言われれば,全く返す言葉もないというか,その通りなんですが,私だって,やらないといけないときに全く何もできないほどどうしようもない奴ではないとは思うんですよね.

 確かに高二まで遊びほうけても1年勉強すれば,何とかなると高をくくってるところに父が亡くなってやる気をなくしたというのはあるとは思いますが,とにかく,高三の1年を遊びほうけた高二まで以上に輪をかけて何もできない状態で過ごしてしまったのが一体何だったんだろうとは思うんですよね.

 でも,そんなこと言ったら,30代の多くもそういう状態だったわけですし,やっぱり,どうしようもない奴ってことですかね.

 でも,逆に言えば,何度か書いてますが,そんなどうしようもない奴でも,なんとかここまでやって来られたわけで,それがむしろ不思議な感じはするんですが,不思議というのでは全然説明になってないわけで,でも,じゃあ,説明したいかというと全然そんなことはないわけで(笑),今となってはどうでもいいとは言いませんが,過去のことよりこれからどうするかですからね.

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[これほど「効率がいい」ことはない]

 でも,折角の機会?なので,ちょっと考えてみることにしました.

 上の記事,あるいは,これまでの記事でわかるように,私は,私自身のことを「だめな奴」だと思っています.実際,過去のことを思い返しても,小学校受験も高校受験も大学受験も失敗してますし,折角,地震研に就職できたのに仕事しなくなったりという感じで,その時,どうだったかと言うと,時の運で失敗したのではなく,やらないといけないのにやる気にならずにやらずに失敗すべくして失敗してるんですね.

 でも,いつもだめかと言うと,そういうわけでもなくて,大学4年で研究室に入って研究というものに巡り会ったとき,生まれて初めてスイッチが入ったと思いますし,1999年台湾集集地震でやるべきことに辿り着いたときもそうでした.でも,それだけですかね.

 じゃあ,結局,ほとんどの場合,だめな奴じゃんってことで,それでは,話が終わってしまうんですが,1999年台湾集集地震の後,研究成果を出し始めて筑波大に移ってからは,まあ何とかちゃんとやってましたかね.ていうか,自分の研究室をもって学生の面倒を見ないといけないわけで否応なしでしたし,それは,いろんな大学の仕事も然りです.

 でも,「だめな奴」なのは,変えようがないわけで,でも,そういう中で,何とかちゃんとやってこられたというか,回りで私が「だめな奴」だと思ってる人なんかいなかったでしょうから,「何とか」ちゃんとではなく,(結果的にですが)「すごく」ちゃんとやってたんだと思います.

 なので,学生時代は,しょぼかったけど,大人になって,少なくとも,30代後半くらいからは,ちゃんとしてたんですかね? いや,胸に手を当てて考えてみると,そうとも言えないというか,なんだかんだで何とかうまく誤魔化してきたんですかね.そして,そうこうするうちにもう(仕事は)ゴールが目の前で,何とかうまいことだまくらかして,トンズラできそうってことでしょうか.

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 でも,それじゃあ,いくら何でもってことでしょうから,一つ思ったのは,私は,自分のことをだめな奴,要は,怠け者だと思うというか,認めることで何が起こったかですが,怠け者なんだから,その気になった時は,その数少ない絶好の機会を逃すまいと必死になったところはあったかもしれません.

 とは言え,そういう時は,絶好の機会を逃すまいと必死というよりは,その気になって,楽しくて面白くてやってるだけのような気もするわけで,結局は,その気になったときはやるけど,その気にならないときは(どうしてもやらないといけないことでなければ)やらないってことですかね.

 それで何とかなる(大学教員という)仕事だったのがよかったというか,そうでない民間企業や中央官庁だったらアウトだったと思いますし,実際,それでは何ともならない受験ではことごとく失敗してるわけですからね.でも,その気にならないときは(どうしてもやらないといけないことでなければ)やらないというと,ほんとどうしようもない奴って感じですが,考えてみたら,これほど「効率がいい」ことはないですし,やりたいときにやりたいことだけやって,いろいろ失敗もしましたが,楽しい人生だったとも思うんですよね.

 それは,結果的にうまく行ったからではなく,別にうまく行かなくても,(できるだけ)やりたいときにやりたいことだけやるというか,できる範囲でできるだけのことをするしかないし,そうすればいいわけで,結果がどうなるかなんか関係ないし,やりたいことやって人生を大いに楽しめばいいと思うんですよね.

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1/25'23
[全然うまくなんか行ってない]

 すぐ上の記事で「結果的にうまく行った」とか書いてますが,その実,全然うまくなんか行ってないですよね.だって,受験にはことごとく失敗し,たまたまうまく行った就職もその幸運を活かせなかったわけですからね.

 そして,それはまさにやりたい時にやりたいことをやった(やりたくないことを自分を律してやることができなかった)からでしょう.

 つまりは,実際のところは,うまく行ったもうまく行かなかったもないわけで,まさに身の丈通りってことなわけです.でも,そんなに成功はしなかったですが,やりたいことをやって楽しい人生でしたし,それこそが「うまく行った」ってことでしょう.

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(日記)

 こっちは昨日は大変な雪で,鉄道が止まりまくったみたいで,今朝もJR奈良線は止まってるみたいでした(京阪は動いてるぽかった).

 でも,昨日の夕方は一面の銀世界だったのですが,今日は朝から晴れてて,昼くらいには,道路の雪はだいたいなくなって,でも,それ以外の場所や車の上は雪が積もったままのような状態でした.

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[「ある程度」上位にいることは必要]
(受験)

 (人に迷惑をかけないできる範囲で)やりたいときにやりたいことをやるということで,(社会的)成功なんかしなくてもいいし,結果を甘んじて受け入れればいいんですが,いろいろ妄想するのは楽しいので,妄想してみます(笑).

 具体的には,将来(例えば,研究者になるために)東大に入ろうと思った時,どうするかってことです.更に具体的には,東大合格者を多数出している灘とか筑駒とかの中高一貫校に行くのがいいのかってことです.

 私の考えからすると,どこかで書きましたが,そういうトップ校から東大に入るより,地元の最上位の県立高から入った方が格好いい(笑)と思うんですよね(高校生活も楽しいし女の子もいるし).実際,東大の出身高校ヒエラルキー的なことを感じることは全くありませんでしたしね.

 でも,地元の最上位の県立高から東大に入るのは,簡単ではないわけで,でも,簡単ではないからやってやろうとも思うわけです(私はうまく行かなかったですが).

 東大に入ることをマラソンレースに喩えるのなら,私の学年は,150万人くらいいて,一斉にスタートして,そのうち上位3000番以内でゴールすればいいってことですよね(ちなみに今は,80万くらいと実に半分で,東大の定員は変わってないので2倍!入りやすくなってるってことで,それじゃあ東大生と言っても..ってなるのも当然).

 そして,マラソンなので,ペース配分が大事です.つまり,中高一貫のトップ校に入るということは,ある程度,スタートダッシュして逃げ切ろうってことですかね.でも,途中で息切れする可能性もありますし,実際,そういう人も少なからずいます.

 逆に,後ろからのんびり行こうとすると,もうどうやっても3000番まで届かないことも大いにあるわけで,「ある程度」上位にいることは必要でしょう.そして.その「ある程度」上位がどのくらいかと言うと,地元最上位の県立高や都立校ってとこじゃないですかね.

 ただ,何度も書きますが,私の場合は,うまく行きませんでした.で,ペース配分的なことを考えると,中学時代に福岡市内の各校のトップが集まってしのぎを削るような進学塾に行ったりして,高校時代より全然勉強してたと思いますが,そこでちょっと消耗したかもしれません.実際,中三の最後の方は,塾はドロップアウトしてしまいましたしね.

 とは言え,勉強したのは,中二の1年だけで,その時は,自分を律して勉強するというよりは,勉強するのが楽しかったですし,結果的にトップ近くまで行きましたが,私の場合,その気にならないとどうしようもないんですよね.そして,そういうことは,高校以降は,一度も訪れることもなく,何と大学4年の研究室配属まで行っちゃうんですが,そこでようやくスイッチが入ったということでしょうか.

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(運保)

 GMOのCFDですが,何と500枚までしか建てられないみたいです.ロスカットレートもうざいし,やっぱり素人仕様ですね.てことで,買いは,ETF(1552)を使うしかないですかね.こっちは,かなり出来てますし,刻みも細かいのでスプレッドも小さいです.でも,ETFなので中身が不明なところも多いんですが,買い玉はそんなに長くはもたないですし,ちょっと買ってみて様子見ですかね.

 あとは,LINEのファンディングコストがどうなるかですかね(買いもそうだけど,売りになったときも).

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 あ,GMOに米国VIベアETF,米国VIブルETFというのがあるんですね.てことは,米国VIベアETFを買えば,VIX指数先物を売ることになるのか.でも,これを売ったりすると,ただでさえ,VIXは値動きが逆なのにめっちゃ複雑になりそう.

 でも,レバレッジ5倍とありますが,実際の値動きは,全然そんな感じじゃないですね.ていうか,ETFのCFDってなんなん? ブラックボックスのブラックボックスみたいなもんですよね.

 てことで,まずは,LINEのCFDの米国VIを売りになった時に売ってみるってことですかね.

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[人に迷惑をかけない範囲で]

 再三(人に迷惑をかけない範囲で)やりたいときにやりたいことをやるということでいいんじゃないかと書いてますが,「人に迷惑をかけない範囲で」というのは,大分控えめかもしれません.

 当然のことですが,人に迷惑をかけなければ何してもいいってわけはなくて,いろんな人間関係の中で,やらないといけないことはやらないといけないですし,やるならいい仕事をしたいわけで,そうすると「人に迷惑をかけない範囲で」を大きく超えると思いますし,私もそういう感じで何とかやってきたんだと思います.

 つまりは,やりたくないと思っても,ここは自分がやらないといけないと思うことはやらないといけないわけで,そういう時は,腹をくくらないといけないんですが,そこのところの線引きが微妙というか難しいのも事実で,でも,それが重要なんだと思います.

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 でも,そうは書いてみたものの,世の中の仕事の多くは「その実,どうでもいいこと」で,そういうことから距離を置きたいと思うのも事実です.でも,実際のところは,なかなかそうも行かないのですが,そういう中でもやりようはあるわけで,でも,これも絶妙なバランス感覚が必要なので,簡単なことではないと思います.

 実際,私もその辺のことについても散々失敗してきましたし(ほんと失敗しまくり人生ですね),「終わった」と思ったことも何度もありましたが,「終わった」と思っても,その実,意外と大丈夫だった感じもしていて,まあ何とかなるもんです.

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1/26'23
[「世の中の仕事の多くは「その実,どうでもいいこと」」というのは,どういうこと?]
(世の中)

 でも,「世の中の仕事の多くは「その実,どうでもいいこと」」というのは,どういうことでしょうね? そりゃあ,お前のやってる仕事の話だろと言われれば,その通りかもしれません.

 最先端の研究をしていると言っても,研究なんか世の中の役に立たないことというのは,再三書いてる通りです.世の中の役に立ってることとしては,研究活動を通して人材育成するってことはあるんですが,それ以外のいろんなギョームは,そんなことやってどうすんの?ってことが多いです.

 もちろん,ほんとに必要な仕事はあって,例えば,生きて行くのに絶対必要な(高級品でない)食料を生産する農家とか,それを我々に届けてくれる物流とか,住む家やインフラを作って整備する建設業とか,エネルギーを供給するところとか,医者とか歯医者とか,ゴミ収集する人とかは,そうなんですが,そういう人は一部だし,そうでない人も(私も含めて)何らかの形で世の中にとって必要なことはしてるんですが,そうでない多くの部分が「その実,どうでもいいこと」なわけで,これが一体なんなん?ってことですよね.

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1/27'23
[レベル的にまあこのくらいできたらいいかな]
(仕事以外)

 私は,仕事以外にいろんなことをしてるのですが,それぞれについて,「レベル的にまあこのくらいできたらいいかな」という「想定レベル」がなんとなくあって,じゃあ,実際というか現状どのくらいのレベルにあるのかというようなことを大分前に書きました.

 その中で一番頭に残っているのは,そういう「想定レベル」に圧倒的に届いていないのは,バドミントンだったということです.それは,その記事を書いた時期が関係していて,おそらく40代後半あたりだったと思いますが,40になった時は,40代の全日本の試合に出ても勝ち上がる競技力があったところから凋落した状態でしたからね.

 そして,(突然)今ですが,なんと「まあこのくらいできたらいいかな」というのに近いと思います.どういうことですかね? もちろん,ろくに練習もトレーニングもしてないわけで,加齢もありますし,競技力レベルが上がってるわけがありません.

 そりゃあ,もうこんな歳なわけで,もうあきらめて「まあこのくらいできたらいいかな」というレベルががくんと落ちただけなんじゃないの? うーん,それもあるとは思いますが,それだけじゃないというか,じゃあ,40代後半と何が違うかと言うと,40代後半は,競技力が落ちていくことに対して,いろんなことをしたと思うのですが,なかなかうまく行かなかったんですね.でも,今は,それがなんとなくわかったということはあります.

 あとは,やっぱり「あきらめた」ってことですかね.あきらめたというとネガティブな印象がありますが,実際のところは,そうではなくて,あきらめて力が抜けて,結果に拘らなくなって,そうすると,却って結果が出たりするんですよね.

 と言っても,実際のところは,また?0代の全日本の試合に出て,40代より結果が出てるってわけじゃなくて,単に「自分の中」の感覚の話なんですが,当面は,それで充分ですし,もうずっとそれで充分かもしれません.

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 逆に,当時より「レベル的にまあこのくらいできたらいいかな」に遥かに届いてないと思うようになったのは,ピアノです.実際,多少フィジカル的に弾けなくなってるってところもあるんですが,そんなに圧倒的に衰えたってことはないと思います.

 でも,40代で全日本でどんどん勝てなくなっていったバドミントンのように,客観的結果が出なくなったということでは,ピアノプロジェで(ピアノが変わってから)うまく弾けなくなったということがあります.それは,ピアノの技量というよりは,練習の問題もあるわけで,練習できない(時間がなくてできないのではなく,練習する気にならない)ってことではあるんですが,そういうことまで含めて「ピアノの技量」であるのは,何度も書いた通りです.

 そして,そうなると,実際にほんとに弾けなくなるという感覚にもなってくるわけで,結構まずい状況なんじゃないかとも思うんですよね.でも一方で,これまで実際には弾けてないのに弾けてるつもりだっただけという感じもしてて,これをきっかけに何かが変わるかもしれないとも思ってます.

 で,どうするかですが,とにかく練習する気になるような創意工夫をしてるわけです.そして,これは,40代のバドミントンともよく似てますし,てことは,うまく行かないということも然りということでしょうか.

 もちろん,やめてしまうという選択肢もあるのですが,そこまでは思わないというのもバドミントンと似てますね.でも,バドミントンの経験を考えると,やっぱり,その気にならないのに無理してやるのはよくないわけで,無理しない範囲で続けて行く,そして,そういうことでやっていて,気づいたら全く弾かなくなっていたということなら,それはそれでしょうがないんだと思います.

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 スキーやゴルフについては,状況的には,そんなに変わらないですかね.スキーは,想定レベル(どんな斜面でも一定のスピードで降りてこられる)に届いてはいませんが,あと少しという感じもしますし,そのくらいの距離感がいい気もします.でも,いかんせん滑走日数が全然なわけで,創意工夫をするところは,そこですかね.

 そういう意味では,ゴルフは全くやってないわけで,コースに出るのはともかく,近くに練習場はあるので,何とかそこのハードルを越えたいとは思ってますが,まだだめですね.

 ゴルフの想定レベルは,非常に明確で「90±10」なんですが,もちろん,これも届いてません.でも,その気になってちゃんと練習すれば,すぐ行く感じもしてて,でも,練習しないんですから,お話しにもならないですね.

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 あとは,このサイトについては,ある意味,ずっと極めて順調?ってことですかね(今もこの記事だらだら書いてるし,書いてて楽しいし).これの一番の強みは,その気になったらやるけど,ならなかったらやらないってことですかね.でも,結果として,その気になるわけで,やっぱり,その気になったらやるけど,ならなかったらやらないという「メンタリティー」が重要な気がします.

 運保も続いているのですが,なかなか結果は出なかったんですが,ある時,あることに気づいてから結果が出るようになって,でも,結果には満足してなくて,それとは別に,何年か前に(このサイトで)資産を守るということについて研究して,それを実行に移してから大勝ちするようになったんですが,満足はしてないというか,まだまだ研究する余地はあるというか,そうしないと勝ち続けることはできないと思っています.

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 対象が仕事以外なので,仕事は対象外なんですが,仕事(研究)については,「レベル的にまあこのくらいできたらいいかな」というようなことは,考えたこともありません.研究なんですから「このくらいでいい」わけがありませんからね.

 でも,それは,仕事以外にやってることも同じですよね.実際,そういうことを仕事にしてる人もいるわけですからね.でも,私も場合は,仕事以外にやってることは,「レベル的にまあこのくらいできたらいいかな」ということがあるわけで,つまりは,私にとって,仕事と仕事以外にやってることは,「明らかに違う」ということです.

 しかしながら,仕事ができるのは,あと○年だけで,一方の仕事以外にやってることは,ずっと続けることができます.この激烈な矛盾は一体なんなんですかね? でも,世の中は変えられないので,そういう中でやって行くしかないってことなんですかね.

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[自分の能力を知る]

 人生をマラソンに喩えるとの話だとは思うのですが,ペース配分が重要ってことはありますが,それよりもっと重要なのは,「自分を能力を知る」ってことっですよね.人間の生まれつきの能力差があるとは思いますが,その差は,意外と大きくない気もしますし,差が付くとしたら,能力差よりも,それをどう発揮したか,運良くうまく発揮できることもありますが,そういうことをマネージメントすることも大事だと思うんですよね(それも一種の能力とも言えるが).

 自分にそれだけの走力がないのにマラソンを2時間で走ろうとしてもそれは無理な話で,じゃあ,何時間で走るのか,そして,その上で,ペース配分をどうするかってことでしょう.

 とは言え,これまた難しいわけで,私の場合は,自分の能力を知るとか関係なく,その気になると,とんでもない無謀なことをやろうとするわけで,でも,それでそれなりのことができた気もするわけです.

 でも,思い返してみると,例えば,中二の1年だけかなり勉強したものの,その後,大学4年まで(東大に受かる前の1年を除いて)勉強しなくなったとか,そういう意味では,30代に低迷したのも,(ただ研究が面白くてやってるだけでしたが)大学院時代に頑張り過ぎたのかもしれず(これまた今にして思えば,D2, D3でかなり大変な実験をしてちょっと消耗したかもしれません),40代に体調が悪かったのも仕事のし過ぎということはあったと思うんですよね.

 とは言え,その気になるとやりたい衝動は抑えられないので,どうしようもないですかね.でも,それだと,受験とか昇進とか,タイミングが合わなくて失敗することが往々にしてあるわけです.でも,これからは,そういうことはないでしょうし,ていうか,実質人生終わってるんで(笑),やりたいときにやりたいことをでいいと思うんですが,振り返って思うのは,その気になったら無茶なことでもやるというのは,マラソンで言えば,突然,ダッシュしたくなって走り出すみたいなことで,そういうことを制御できてたら,社会的にはもっと結果が出てた気もしますが,社会的な結果よりは,どれだけ楽しめたかなわけで,これはこれでOKってことですかね.

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 と書いたものの,中学から高校,そして,大学に入ってからも,音楽やピアノやいろんな本を読むのに夢中だったこともありますし(大学時代は,バドミントン部の練習もあったし),30代は,バドミントンやスキーや相場研究はかなりしてましたし,消耗したというよりは,違うものに興味の対象が移っただけかもしれません.でも,何か一つのことを集中してやると飽きるところはあるわけで,それも一種の「消耗」という見方もできるのかもしれません.

 でも,一つのことをずっとやり続けている人もいるわけで,そういう人は,すごいと思うのですが,何度か書いているように,私にはそれがどうしてもできなくて,でも,「自分の能力を知る」的には,そういうことがわかっているとも言えて,そうであれば,潔くあきらめることも必要ということでしょう.

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[単に寒いのが嫌]
(バドミントン, スキー)

 先月末(年末)から練習に行ってなくて,今日は,練習に行こうと思ってたんですが,雪降ってるし寒そうなんでやめました.無理せずやりたいときにやりたいことをやるということなので,これでいいっちゃいいんですが,やりたいやりたくないではなく,単に寒いのが嫌って感じがしてきました.

 考えてみると,スキーも行くのがおっくうというか,ハードルが高いのも朝の寒い時に出かけるのが嫌なだけのような気もしてきました.実際,先日,野沢に行った時は,前乗りしたので,朝一番寒い時に出かけなくてよくて,全くハードルの高さは感じませんでしたからね.

 でも,そうすると,バドミントンは,(練習は夜の寒い時間なので)冬はやらないってことになってしまいますね.でも,ちゃんと体を整えておけば,1年以上,空いてもそんなに問題なかったわけですから,冬は(スキーもあるし)やらないってことでもいいかもしれません(スキーは寒くても冬しかできない).

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[自分で勝手に勉強するのが楽しいという感覚]
(受験, 勉強)

 「ある程度」上位にいることは必要の続きの話題というか,理由はよくわからないのですが,最近,小中高や受験時代の過ごし方が気になってきて,でも,過去のことなので,正直,どうでもいいんですが,妄想することは楽しい(笑)ので,妄想すると...何とか地元最上位の高校に入れればということなら,全然違う小中高の過ごし方もあったような気がするんですね.

 小学校時代は,どんな感じだったかと言うと,勉強しなさいと言われて勉強してた感じで,勉強はそんなに好きではなかったですが,嫌でしょうがないというほどでもなくて,でも,学校の成績はよかったとは思いますが,めちゃめちゃできたというほどではなかったと思います.

 でも,「勉強が楽しい」と思うことがあって,それは,学校の授業でやってることではなく,もっと上のレベルの話で,(どこかで書いたと思いますが)小学3年生くらいのときにもっと上の学年の参考書(自由自在)を買ってもらって,自分で勝手に勉強するのは楽しかったです.

 思い返せば,中二というか,中一の終わりくらいから英語が面白くなって,中三までの参考書を買ってきて数ヶ月くらいで自分で勝手に勉強したときも楽しかったです(授業中内職していて先生に見つかって怒られた).

 いずれにしても,そんなことしてもテストになんか出ないし,何のメリットもないんですが,それでもやるというのは,まさにやりたいからやってるわけですよね.

 でも,一方では,小5か小6くらいから進学塾(森田)に行ったり,全教研のテストを受けたり,中学では,週三で毎晩,進学塾(森田)に行ってたんですが(それはそれで楽しかったですが),そんな余計なこと?しなくてよかったというか,中学までは,普通の公立で,自分がやりたいように勉強するくらいの感じでも,ある程度の上位の修猷くらいには全然入れたと思うんですよね.

 重要なのは,私の中にあった「自分で勝手に勉強するのが楽しい」という感覚で,それが一番楽しかったはずが,進学塾に行ったりすることで,いつの間にかやらされるというか,やらないといけない感じになってしまって,高校に入ってやる気がなくなったということはあったかもしれません.

 とか,今更言ってもどうしようもないんですが(と妄想から覚める),じゃあ,そんな感じで順調に東大に入ってたらどうなったでしょうね.「自分で勉強するのが楽しい」わけですから,自分で楽しく勉強して当初の予定通り?物理に行ったのかもしれません.でも,私の数理脳では,物理に行ってもてんで大したことにはならなかったでしょうから,結局,うまく行かなくてよかったというか,少なくとも,現状に満足していて今以上の結果は望むべくもないので,何がどう転ぶかはわからないってことですね.

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1/28'23

 でも,(失敗したことも含めて)運がよかった,結果オーライでは芸がないので,もう少し考えてみると,やっぱり,「勉強 vs 研究」ってことがあるんじゃないですかね.

 勉強と研究の違いについては,何度か書きましたが,勉強と研究は,似て非なるものというか,その実,正反対だと思うんですよね.だって,勉強は「既にわかってること」を勉強するのに対して,研究は「まだわかってないこと」を解明していくことで,考え方の方向性というか,頭の使い方が真逆なわけですから.

 そうすると,勉強が楽しい人は,研究が(そんなに)楽しくない可能性があって,実際,勉強はできるけど研究(仕事)はできない人は結構いますし,一方で,勉強は(そんなに)できないけど,研究(仕事)はできる人もいるわけです.

 もちろん,どちらもできる人もいるんですが(でも,実際のところはそういう人はほんとに少ない),研究って,やっぱり,特殊で,そこに突出した能力をもって,かつ,勉強もできるとはなかなか行かない気もします.

 で,私の場合ですが,小中高(研究室に入る前までの)大と順調に勉強ができて,そこに成功体験をもってしまったら,勉強が好きになって,研究にそんなに面白さを感じなかったかもしれないというか,研究も勉強的に取り組んで大したことにならなかった可能性は大いにあるわけで,(結局,結果論にはなるのですが),小中高(研究室に入る前までの)大とそんなに勉強が好きにならなくてよかった感じはするんですよね(いろいろ失敗や回り道はしたけど).

 でも,研究するのにある程度の勉強が必要なのは言うまでもなくて,つまり,そこのところの絶妙なバランス感覚が必要ってことで,やっぱり,非常に難しい話なんだと思います.

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[ChatGPT]
(世の中)

 ChatGPTというのが話題になってますね.OpenAIというところが開発したAIで,無料で公開していて,何か質問をすると非常に的確?な答えをしてくれるということで,これを使えば,人生相談や作詞や作問や小説を書くとかいろんなことができちゃうし,論文も書けるし大学の授業のレポートも楽勝なんだそうです.どう思いますか?

 いいんじゃないですかね.AIにできることはAIにやらせちゃえばいいんですから.つまりは,ChatGPTでできちゃうようなレポート課題を出すような大学の授業は意味ないってことです.

 でも,当然のことですが,AIですから「既にあるもの」を学習したに過ぎません.例えば,私が大学院で担当している授業のレポートをChatGPTでやると,計測震度を説明変数とした被害関数で地震被害推定をするというような既存の枠組みのレポートしかできなくて全然使いものにならないわけで,それは,未解明のテーマについて研究して論文を書くのなら尚更です(文系の読書感想文のような論文?なら書ける?).

 そう,これって,まさに「勉強」に対応したものですよね.つまり,ChatGPTが普及すれば,勉強(してそれを憶えたり身につけたり)すること自体に意味がなくなるわけで,既存のものを調べればできるような仕事(例えば,弁護士とか医者の診断とか,意外と社会的地位が高い知的な仕事)は,淘汰されていくという,大分前に書いたことの具現化が始まったってことですかね.

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[今更書くまでもないですが]

 今更言うまでもないですが,運がよかったとか,結果オーライとか,うまく行ったとかいうのは,研究業績をあげて,社会的に(少しは)成功したとかいうことではなく,やりたいことを見つけて楽しくやってこられた,仕事以外もいろんなことをやって楽しんだということです.

 更に言えば,それは,もう過去のことなので,どうでもよくて,問題はこれからなのも言うまでもありません.

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 でも,実際のところはどうなんですかね? 振り返れば,過去のことは楽しかったと思うだけのような気もしないでもないです.実際,昔に戻れと言われたらそれは勘弁して欲しいわけですからね.

 でも,それこそ,もう過去のことなんで,楽しかったとしてもそうでなかったとしてもどうでもいいわけで,問題は,これからというよりは,今が楽しいかですよね.

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1/29'23

 思い返してみれば,楽しかったと思いますし,まあまあうまく行った人生だったと思いますが,客観的に見れば,うまく行かなかったというか,もっとうまくやれたんじゃないかと思うこともあるわけです.

 でも,例えば,受験とか30代とかもうまく行って,ずっとうまく行ってたら,平坦というか,どこかがピークになってたら,あの時はよかったなあとか思うわけですよね.それは(私は)嫌かなあ.

 でも,そういう風には(あの時はよかったなあとは)全然思わないわけで,てことは,ずっと右肩上がりってことなんですかね.

 いや,大学院時代とか40代とか,うまく行ったというか,それなりに頑張れて成果を出せていた時もあるんですが,そこがピークとも,あの時に戻りたいとも思わないですかね.

 それは,今が今までの中で一番いいからで,でも,ずっと右肩上がりってわけではないんですよね.でも,今が一番自由というか,思うようにできてるとは思いますかね.そして,それは,過去のいかなる時点においても,その時が一番自由で思うようにできてたような気はします.なので,そういう意味では,右肩上がりってことなのかもしれません.

 そして,それはこれからもそうというか,そういう風にして行くってことですかね.

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1/30'23
[無理だと思いますよ]
(商業音楽)

 若手の(既に)売れてる(というか売ってもらった)バンドが,これまではいろんな人の(楽曲提供などの)サポートがあってやってこられたけど,それではだめで,これからは自分達の力で何とかやって行けるようにしないといけないと言ってました.

 わかるんですが,多分,無理だと思いますよ.だって「売ってもらって」やって来られたわけですからね.もちろん,万に一つの確率でたまたまそういうサポートがなくても売れる可能性もありますが,まさに万に一つ(もない)でしょう.

 しかも,それも「売れる売れない」というレベルの話なわけで,いい曲を書けばいいわけではなくて,それはしょーもないことではあるんですが,また別の才能なわけで,どういう曲を書けば売れるかは,まさに金儲けの世界で,そういうことに長けてその世界で生き残ってきた「大人」には勝てないと思いますからね.

 他にも自分で曲を書いて歌ったり演奏したりという「体」で売れてるアーティスト(商業音楽で飯を食う人)は,いっぱいいますが,ほとんどの場合,金儲けに長けた「大人」がしっかり付いてるというか,そういう形で利用されてるってことです(それを聴いて勇気をもらったとか感動したとか言ってるのはさらに滑稽).

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1/31'23
[世の活動のほとんどは,既にわかっていることをどう運用するかという(しょぼい)ことが白日の下にさらされた]
(世の中)

 ChatGPTの衝撃という報道が多いのですが,そんな話じゃないというか,もしほんとに衝撃なのなら,世の活動のほとんどは,既にわかっていることをどう運用するかという(しょぼい)ことが白日の下にさらされたってことですよね.

 いわゆる勉強とか受験は言うまでもないですし(実際,現状レベルのChatGPTでMBAがとれるらしい),ビジネスだって,星野リゾートの星野さんは,ビジネスに行き詰まると最新の経営の論文を読みあさってビジネスモデルを作って,現在の成功を収めたということですからね.私が担当している大学院の講義だって,計測震度ではなく,1-1.5秒震度を使えば,飛躍的に地震被害推定精度が向上するという論文は,既に書いて公表しているわけで,ChatGPTというかAIがそういう最新の論文まで学習すれば,これもレポートが書けちゃうことになります.

 でも,研究はそうは行きません.まだどこにも公表していないわけですし,そもそもその問題が解けるかどうかも,あるいは,何が問題なのかも不明なわけですからね(何が問題か不明ならChatGPTに質問はできない).

 つまりは,AIやロボットがどんどん進化していく中で,これから何をやって行くべきかの有益なヒントをくれてるんじゃないですかね.そして,それは,やはり,学術,芸術,スポーツでしょう.対照的に医者や弁護士は危ういですし,ビジネスも危ういですが,AIをどれだけ使いこなせるかというところが勝負になってくるとすると,経営センスとかいう文系の能力ではなく,理系のAIやロボット技術者がのさばることになります.

 でも,AIやロボットそのものを研究するのではなく,既にある技術をどう活用するかということも「既にあるものを運用する」ことに変わりありません.つまり,ビジネスというのは,所詮そういうものということですかね(でも,スポーツと同様,人と人が勝負をすることになるので,どういうレベルでも成立するとも言える).

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[何かが起こるか]
(ピアノ)

 久しぶり?のピアノの話ですが,理由はわからないのですが,「どんな曲も(それなりに)弾ける」というか「弾けないといけない」と思っていた節があります.冷静になって考えてみたら,そんなばかなってことなんでしょうが,いつの頃からか,具体的には,大学で東大ピアノの会に入って,いろんな曲を弾いていくうちに,4年の最後くらいにそういう感覚になって(リストの超絶技巧を弾いた頃),その感覚がずっと続いてるんですね.

 いや,ずっとということはなくて,一時期,むやみに難曲を弾くのではなく,ある程度,ちゃんと弾けるようになる難度の曲を弾いてた時期もありました.でも,ゴドフスキーのジャワ組曲を弾いたあたりから元に戻ったというか,そういうフィルタがはずれてしまった感じがするんですね.

 この時は,どういうわけか,この曲しか弾く気にならなかったので,しょうがなかったんですが,今はそういうわけではないので,だったら,ある程度ちゃんと弾けるようになる曲の中から選べばいいってことですよね.

 でも,実際のところは,練習する前に,最終的にある程度弾けるようになるかどうかの判断は,意外と難しかったりします.でも「初見である程度弾けない曲は最終的に弾けるようにはならない」ではないですが,確かにそういうところはあります.

 いずれにしても,割と初期の段階でそういう見極めが大事ということでしょう.

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 でも,一方では,無謀とも思える難曲に挑んできたことで,階段を登ってきたことは事実です.今にして思えば,高校の時に弾いたプロコフィエフの6番のソナタの第1楽章もそうですが,大学2年の五月祭でヴィラ=ロボスの野性の詩を弾いたのが大きな飛躍になったんじゃないですかね.とんでもない難曲ですが,どうしても弾きたくて,そう思って練習すると意外と弾けたりして,という感じでしたからね.あとは,同じく大学2年の駒場祭で弾いた(自分でソロ編曲をした)春祭ですかね.つまりは,大学2年の1年で「何かが起こった」ってことですかね.

 でも,この歳になって,もうそういうことは起こらないというか,そんな意欲もエネルギーもないですかね.

 と書いたものの,ピアノを弾くということ,弾けるようになるということ,上手くなるということがどういうことか考え続けていて,何かに近づきつつある感じもしているので,(意欲やエネルギーはないけど)そういうことで何かが起こるか,ですかね.

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[弾けない曲が練習すると弾けるようになるというのはどういうことか]
(ピアノ)

 そもそも,初見では弾けない曲が練習すると弾けるようになるというのは,どういうことですかね(音楽的にことは置いておいて).

 それは,「憶える」ということでしょう.初見の段階では,譜面を見てどの音をどの順番で押さえていくかを確認ながら弾いてるわけですが(でも,実際は,既にその段階である程度憶えて弾いている),どの音をどの順番で押さえていくかを憶えれば,憶えた通りに指を動かせばいいだけの話なわけです.暗譜しない場合も,譜面を見て「ほぼ瞬時に」どの音をどの順番で押さえていくかを把握してるわけですからね.つまりは,「練習」というのは,指を動かしながら(指の動きを)「憶える」という作業とも言えます.

 もちろん,どの音をどの順番で押さえていくかを憶えていても,指が思うように動かないこともあるわけで,ショパンの25-6のエチュードがテンポで弾けないのは,そういうことなわけです.でも,逆に言えば,ある程度指が動けば,大概の曲は,弾けることになるわけですが,実際はそうは行かないわけで,そこに何があるのかということです.

 具体的な練習法としては,テンポを落としてとか短く区切ってテンポで弾くとかあるのですが,どちらも極限までテンポを落とす,あるいは,極限まで短く区切れば(ものすごい跳躍がなければ),必ず弾けます.そして,そこから徐々にテンポを上げたり,区切りを長くしていけば,原理的にテンポで通しで弾けるようになるはずですが(私はそういう練習はほとんどしたことがないですが),そうは行かず,どこかで頭打ち現象が起きる,これがいわゆる「跳び箱理論」ですかね(1段から徐々に跳んでいって,15段まで跳べたとしても16段で突然世界が変わる).

 これって何かですが,結局,ショパンの25-6のエチュードの話になるのかもしれません.つまりは,「その時点で」弾けるようになる曲とならない曲があるということです.でも,ショパンの25-6は,弾けないとすぐわかっても,すぐには弾けないとわからない曲も多いというか,弾きたければ弾けるようになると思って弾いちゃうわけです(そういう意味では,ショパンの25-6のエチュードも弾きたいと思ったら弾くんだと思います.でも,弾きたいとは思わないけど).

 でも,そういう無謀な挑戦?をすることで,技能そのものが向上することはあって,それは,上の「「その時点で」弾けるようになる曲とならない曲がある」の「その時点」での技量が向上するということでしょう.

 ということで,ここまで書いて来て,特に新しい発見もない感じですが,逆に言えば,とにかく,弾けない状態を放置せず,ちゃんと丁寧に練習するってことですかね.とは言え,私の場合,そんなに練習しないわけですから,練習する気になるような創意工夫も必要ですし,これまでちゃんと丁寧に練習をしたことがないので,そういう練習をすれば,何かが変わるのかもしれません.

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[電子ピアニスト]
(ピアノ)

 ふと「電子ピアニスト」を目指すというのはどうかと思いました.

 どういうことかと言うと,(自分がもつ)電子ピアノに特化したピアニストになるということです.発想は,何年か前,「なんちゃってサックス」を探したことがあって,要は,いまさらちゃんとしたサックスをやっても大したことにはならないけど,「なんちゃってサックス」ならごまかしがきく(笑)というか,言い訳ができるというようなことでしょうか.

 電子ピアノも,「なんちゃってサックス」同様,ちゃんとしたグランドピアノに比べたら,全然表現力はないですが,そこを逆手にとるというか,そこを極めて特化することで,電子ピアノなら上手いというか,ごまかせる?というようなことで(喩えて言うと,スリッパ卓球の達人(笑)を目指すというようなこと?),加えて,いつも同じピアノで弾けるという大きなメリットもありますし(なので,持ち運べるものでないといけない),それなら普通の賃貸(UR)に住めるので家を建てなくてもいいということもあります.

 でも,さすがにピアノプロジェに電子ピアノを持ち込むというわけには行かないですかね.ということで,ふと思ったというレベルの話でしょうか.でも,どこかで書きましたが,ピアノが変わるとほんと全然弾けなくなるので,その対策用として,電子ピアノは購入したいと思っています.

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[どうしてピアノ(なんか)弾くんでしょうね]
(ピアノ)

 そもそもなんですが,どうしてピアノ(なんか)弾くんでしょうね.原点,即ち,「人生所詮退屈しのぎ」に立ち返れば,退屈しのぎということで,でも,どうせ退屈しのぎするのなら,楽しい方がいいってことなわけです.

 もちろん,仕事をしているうちは,仕事こそが最高の退屈しのぎなんですが,あと○年でクビになるわけで,そういう状況の中,仕事をクビになっても楽しく退屈しのぎできることをしっかり確保しておかないといけないわけです.

 じゃあ,ピアノが(楽しい)退屈しのぎとしてどのくらい有用かですが,既に書いたように,一人で家の中でできるということ(一人でできないと他人の都合に合わせないといけないし,家の中でできないと出かけないといけないのでハードルが上がる),弾けない曲が弾けるようになることで,日々自分の中で達成感を感じられるということ,それなりにやってきたということ,スポーツより高齢までできる可能性があること,その気になれば人前で弾くこともできるので,(時々は)人と繋がることもできるというようなことでしょうか(対抗できるものとしては,手芸や美術もありますが,私はそういうことはやらないので).

 私の中の歴史?を見ても,中高時代に受験に失敗するほどのめりこんだことを見ても,ピアノや音楽は,常に私の中にありましたし,やっぱり,仕事をクビになった後,大きな柱の一つになるんだと思います.

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[東急本店閉店]
(昔話)

 渋谷の東急本店が閉店したというニュースをやってました.あれ? もう閉店してたんじゃなかったでしたっけ? まあいいや.

 どこかで書いたような気もしますが,私は大学に入学してから,4年の冬まで駒場に住んでいました.2年の秋から建築学科に進学して,3年から通学先は本郷なのですが,バドミントン部の練習が駒場だったので,4年まで駒場に住んでいて,東急本店は,駒場から近い(渋谷駅からは遠い)ので,よく行きました.(渋谷駅からは遠いので)いつもガラガラでよかったですよ.

 なので,閉店ときいて,(40年以上前からガラガラだったのに)よくここまでもったなというのが正直なところです.

 懐かしいとか,もう一度行ってみたいとかは,全然ないのですが,40年以上前といっても,ついこの間のような感じですね.

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[私の家にあるグランドピアノで練習しても全然だめ]
(ピアノ)

 電子ピアニストの記事を書いて思ったんですが,普段,グランドピアノで練習した方がいいというのが変な感じがしてきました.

 グランドピアノで練習する理由としては,本番がグランドピアノとなることが多いということがあるわけですし,どうしてグランドピアノが置いてあるところが多いかというと,グランドピアノの方が表現力があるからです.でも,後者はともかく,前者についていえば,本番で電子ピアノで弾くことが多いのなら普段も電子ピアノで練習した「方がいい」わけですよね.

 いずれにしても,今の私の家にあるグランドピアノで練習して弾けるようになっても,本番のグランドピアノ(スタインウェイ)では,全く弾けなかったわけで,これって,少なくとも私の家にあるグランドピアノで練習しても全然だめってことですよね.

 家にスタインウェイを入れるというのが一番いいんでしょうが,そこまでしないとすると,必ずしも今の家のグランドピアノが一番ましであることはないというか,全然だめなわけで,ひょっとしたら,電子ピアノの方が「まし」なのかもしれない感じもしてきました.

 もちろん,電子ピアノは,返りがもらえないので,弾きやすくはないのですが,タッチの軽さは,少なくとも,今の家のグランドピアノよりは,スタインウェイに近いです.それがどっちに転ぶかはわからないのですが,言えるのは,とにかく,今の家のグランドピアノでは全然だめってことです.

 だとすると,早急に手を打たないといけないというか,今まで一体何をしてきたのかということでしょうか.

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 でも,冷静になって考えてみると,本番でピアノが(スタインウェイに)変わって全く弾けないと感じたのは,昨年(2022年)と2018年(からベヒシュタインから今のスタインウェイに変わった)の2回だけで,2019年は,弾きにくいとは思いましたが,全く弾けないというほどではありませんでした(2020年は,新型コロナで中止で,2021年は,仕事と重なって不参加).

 なので,最近の現象ではあるのですが,とにかく,家で弾けるようになっても本番のピアノでは全く弾けないので,少なくとも今のままではだめですね.

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