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6/1'22
[歳をとって筋力が衰える理由]
(体)

 歳をとって筋力が衰える,特に脚力が衰えて歩けなく原因は2つあって,1つは体が硬くなって筋肉を使わなくなること,そして,もう1つは,逆に使い過ぎだと言ってる人がいました.

 そうですね.前者は,運動不足というか,体を動かさないことが原因ですが,後者は,全く逆で,運動とかトレーニングとかすると逆効果ってことで(特にスクワットのし過ぎがよくないとその人は言っていた),まさにバランスの問題ということですね.

 それは,このサイトでもずっと書いて来たことで,でも,そのバランスが難しいんですが,少なくとも言えるのは,もうこの歳になって,やりたくないのに頑張って体を動かすことはないってことですかね.そして,それは,怠け者でものぐさな私にとっては朗報です.つまりは,結局,自分(の心と体)にきけってことですね.

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6/2'22
(世の中)

 山口県阿武町の新型コロナ給付金4630万円の誤送金問題ですが,その9割以上が決済代行会社から返金されたということで,そんなにちゃんと見てるわけではないのですが,その後,急速に取り上げられなくなったような気がします.つまりは,メディアとしては,給付金が返ってくることが焦点だった,ひいては,(視聴率がとれるとれない的に)広く国民の関心事はそこだったということなのでしょうか?

 全く以てひどい話というか,(メディアも国民も)一体何を考えてるんでしょうか.こんなことがまかり通るのなら,間違って自分の口座にお金が振り込まれたら,直ちにオンラインカジノで一か八かの大勝負しろってことじゃないですか.

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[私が最初に出会った近現代音楽]
(音楽)

 私が最初に出会った近現代音楽は何かな?と考えました.弾く的には,高校時代,NHK教育でアレクセーエフが弾いていたプロコフィエフの6番のピアノソナタだったと思いますが,中学時代,ロマン派を開拓しているとき,シューマンの3番のピアノソナタを聴くために買ったホロヴィッツのRCA移籍第一弾のLPにスクリアビンの5番のピアノソナタが入っていて,出だしのドカドカドカドカというトレモロにおどろおどろしさは感じだけど,特に興味はもたなかったことはどこかで書きました.

 つまり,この頃は,近現代曲を聴いても何とも思わなかったってことですが,それ以前に何かあったかなと思って,そっか,バルトークの2台のピアノと打楽器のためのソナタだと思い出しました.

YouTubeで見るをクリック↓

 どこで聴いたかというと,何と小学校の音楽の授業です.それは,その時の音楽の先生が先進的だったわけではなく,これまた何と教科書に載ってたんですよ(同世代で同じ教科書を使っていた人もいる?).解説も憶えていて,ソナタなので,第一主題と第二主題があるのですが,第一主題が「これが主題?」と思ったのも憶えています.

 そっか,プロコフィエフのピーターと狼も時代的には近現代かな.でも,音楽的には,近現代ではないですかね.

 でも,このバルトークの2台のピアノと打楽器のためのソナタですが,あらためて聴いてみると,なかなかすごい曲ですね.でも,今更ながら,ピアノと打楽器という斬新な組み合わせがそんなにはまってない感じがちょっとしてしまいました.

 そういう意味では,「弦チェレ」(弦楽器と打楽器とチェレスタのための音楽)の方がはまってるというか,個人的には好きですかね.この曲に出会ったのは,高校時代,隔週でFMfanを買ってFMでいろんな曲を集めていたときだったと思いますが,バルトークの2台のピアノと打楽器のためのソナタも弦チェレもあらためて聴くと,当時のことを思い出して懐かしいんですが,やっぱり,ついこの間のような感じがしてしまいます.

YouTubeで見るをクリック↓

当時の印象だと第1楽章のチェレスタが出てくるところが天から光が降り注ぐような感じで印象的だったんですが,今聴くと(あるいは,この演奏が)あんまりそんな感じはしませんね.

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[左小指のその後]
(体)

 何年か前,左小指を痛めて,当時は,痛くてピアノが弾けなかったので,左小指を使わずに弾いてたんですが(ピアノプロジェも),その後,痛くて弾けないということはなくなったのですが,ある程度以上,曲がらなくなって,それ以上曲げようとすると痛いとどこかで書きました.

 その後ですが,症状的には,変わらないのですが,うまく動かせなくなってる感じがします.ピアノもそうですが,明らかに影響が大きいのが,PCのキーボードです.それも,左小指だけではなく,左手全体がこわばるというか,結合のような現象が出てしまいます(今,この文章を打ってるときもそうで,「さ」とか「せ」とか「た」とか「だ」とか「ら」が打ちにくい).右は何ともありません.

 何だかなあという感じですが,ピアノよりPCのキーボードの方が支障がありますかね.でも,ピアノの時は,なぜか1と5だけを使うときに234を「畳む」ようになってしまいますし(オクターブではなぜかならない),キーボードのときも第3関節が落ちて手が反るようになるとそうなってしまうので,そうならないようにするんですが,どうしてもそうなってしまう感じです.

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6/3'22

 私が最初に出会った近現代音楽は,バルトークの2台のピアノと打楽器のためのソナタで,小学校の音楽の授業と書いたのですが,ちょっと自信がなくなってきました(こういうのは早田が一番憶えてると思うけど,5, 6年生だと金山小に行った後だからその場にはいなかったか).ひょっとして,中学だった?(それなら,早田が憶えてるはず) でも,視覚的イメージが小学校の最上階の一番奥の音楽室と重なるような感じがするんですが,小学校の音楽の教科書でこの曲を取り上げて,第一主題とか第二主題がどうとかやる?

 でも,中学だとしても,この曲が最初ですかね.いや,中学ならスクリアビンの5番とどっちが先? でも,そういう意味では,やっぱり,この曲が先な気がするので,やっぱり,小学校?

 まあいいです.ついでに思い出話をすると,小学校時代,そして,ピアノの先生につくのをやめた中二までは,先生が決めた曲をやってただけなんですが,いつか弾きたい的な憧れの曲はあって,憶えてるのは,ショパンのポロネーズ,中でも英雄ポロネーズでした(まだまだ子供ですねー).きっかけは,これもどこかで聴いたんだと思いますが,CBSの有名なホロヴィッツのLP(英雄ポロネーズの他に,幻想ポロネーズのライブ録音や黒鍵のエチュードが入ってるの)の他に全集というか1〜7番が入ったLPも買ってきて,楽譜も全音のものを買ってきたので,これだけ古い楽譜のままずっと存在していました(400円とかだった).

 その後,ドビュッシーを開拓したとき,プレリュードの第2集の譜面だけどういうわけか,昔の古いのが楽譜屋に残っていて(これも400円),これもこれだけ古い感じで残ってて,でも,京都に来る前に電子化したので,ものはもうありません(けど,データはあるので,ここに表紙だけ掲載).

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(運保)

 細かいというか,どうでもいい話ですが,個短の銘柄を1888から8111に変更したと書きましたが,更に,8473に変更しました(まだ玉は建ってないので影響なし).ついで?に,売買履歴のファイルの順番も変更しました.

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[日芸って日大?]
(大学)

 不祥事が続いた日大の新理事長に作家の林真理子さんが,との報道です.彼女,日芸だったんですね.それで,自分の出身校の不祥事を見てられなくて,ってことらしいんですが,日芸って日大なんですかね?

 そりゃあ,日本大学芸術学部なんだから日大でしょってことなんでしょうが,私の中のイメージとしては,日芸は別格というか,日芸が日大と言われて,そっか,そう言えばそうなのかって感じです(筑波大の体専と似てて,筑波大の中で体専だけ東大みたいな感じだけど.芸専はそんな感じじゃないかな).

 もちろん,日芸と言っても,よーわからん学科もあるんですが,少なくとも,音楽学科は「音大」だと思うんですよね.で,思ったのは,音大ランキング的に日芸ってどうなん?ってことです(考えたことなかった).インターネットで調べても,偏差値を基にしたものとか,ゴミのような情報しか出てこないですね(でも,それは,一般大学もそうか).

 もちろん,音大ランキングの上位はわかっていて,トップはやっぱ芸大ですかね.桐朋は芸大と同格という感じではあるんですが,喩えるなら,芸大が東大なら桐朋は京大ってとこですかね(微妙な表現).どこかで書きましたが,ピアノでは,東京音大が躍進してたんですが,最近はどうなんでしょうか.

 つまり,芸大,桐朋のツートップに続くのが,国立や東京音大や武蔵野音大ってことで,この辺は,異論ないと思うのですが,その次あたりがよく知らないんですよね.時々きくのは,昭和音大とか洗足あたりですが,日芸もその辺なのか,もっと上なのかよくわかりません(高久先生にきけばわかるか).

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[残り時間と満足度の関係]

 最近はあまり書いてませんが,一頃は,よく「ソフトランディング」と書いてました.主として,リタイア前後のソフトランディングというか,スムーズな移行をどうするかということなんですが,「究極のソフトランディング」は,やはり,人生のソフトランディングですよね.つまりは,いかに心穏やかに苦しまずに死ぬかってことなんですが,ここでは,ちょっと違う側面というか,それは,残り時間と満足度の関係といったものでしょうか.

 具体的には,「まだ死にたくない」と「満足したのでもう死んでもいい」のバランスってことですかね.若い頃は,残り時間なんか考えないし,満足してもう死んでもいいとも思わないでしょうが,歳をとると両者がバランスするようにというか,そのバランスが大事になってくる気がします.

 私の場合,30代の頃,残り時間が長すぎる感じがしてしんどくなったことは何度か書きました.40代になると,そういうしんどさはなくなったんですが,折しも折り返し地点で,残り時間を意識するようになりました.と思ったら,50を過ぎていきなり実質人生が終わったと思ったんですね.

 と同時に,それまでの人生に満足することができたので,それはそれで何とかバランスした感じでしょうか.その状態は,今でも続いているのですが,これから残り時間が徐々になくなって行くわけで,それと満足度がバランスして行くようにというか,何となくバランスするような感じはするんですよね.

 そして,これは,実は,若い頃からずっとそうで,若い頃は,残り時間は無限にあると思ってるけど,全く満足はしてなくて,でも,歳をとるにつれて,残り時間が減っていくとともに満足度が上がってきて,最期の最期に帳尻が合うという感じでしょうが,人間,いつ死ぬかはわからないので,とにかく,できるだけ早い段階で「一応もう満足」というところに達しておけば,気が楽かもしれませんね.

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6/4'22
[定年退職前より楽しくてしょうがない]

 今日は,筑波大バドミントン部の総会でした.こっちに来た後も,まだメンバーになっていて,総会や教職員会議などは,新型コロナの状況が続いているのでずっとオンライン開催なので参加できてるということもあります(今日は,ハイブリッド開催で私はオンライン参加).

 状況が落ち着いて対面開催になったら参加は難しくなるかなと思っていたのですが,今日は,教育実習とかいろんな理由で,オンライン参加の部員や教職員も結構いて,ハイブリッド開催は意外と続いて行くのかもしれませんね.でも,最近は,発言が求められることはそんなになくなって来てるので(自分から発言させろということはない),総会とかに出る意味がなくなってきてる感じはしますかね.

 それで,その中で印象に残ったこととしては,今日は,筑羽会(筑波大バドミントン部のOBOG会,名前の付け方が駒羽会(東大バドミントン部のOBOG会)と似てるけど,筑羽会は,つくばね会なのに対し,駒羽会は,駒場と同じこまば会と読む)の会長をされているK沢先生の話があって,彼は既にM渓学園を定年退職をされてるんですが,その後,非常勤講師で週12時間数学の授業されてて,定年退職前より楽しくてしょうがないと言っておられたことです.わかるような気もするのですが,これってどういうことでしょうね?

 授業をすること自体は,定年退職する前と後では,変わらないわけで,本人の感じ方の問題ってことなんでしょうか? つまり,一度,定年でやめて,あらためて授業することの楽しさや喜びを感じられたってことでしょうか? だとすれば,私も定年で大学をクビになって,また,どこかの大学で雇ってもらえれば,仕事が楽してしょうがなくなる?

 うーん,どうなんでしょうか.もちろん,研究させてもらえるのならホイホイ行くと思いますが,それ以外の仕事はもういいですかね.つまりは,K沢先生にとっての授業は,私にとっての研究に対応するもので,でも,中学や高校の先生なら定年前は授業以外のいろんな仕事があるわけで,それが定年を過ぎて授業だけになったのなら,私で言えば,研究だけになったってことで,だったら,楽しくてしょうがないとなるってことですかね.

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 でも,そうすると,問題は,定年後も雇ってくれるところがあるかってことで,研究なら勝手にやって行けばいいけど,授業だとそうは行かないし,いつまでもってわけにも行かない? 研究だって,一人でしこしこやっても,頑張って論文書いても反応がなければ,つまんない?

 でも,授業なら,面白くてわかりやすい授業ができるということなら,動画に撮ってYouTubeにアップするというやり方もあるかもしれません.でも,研究はそうは行かない? いや,それが論文を書くということ? だったら,授業のYouTubeだって再生回数が伸びなければ,論文書いて反応がないのと同様につまんなくなっちゃう?

 とまあ,またまた堂々巡りになるんですが,結局は,「やりたいことをやりたいときにやりたいようにやればいい」ってことですね.つまりは,給料がもらえるとか,あなたが必要だというような報酬や人との繋がりではなく,やはり,内的熟達的に考えればいいということでしょうか.

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[個運と個短]
(運保)

 個運と個短が始まって感じることとしては,とにかく値動きが大きいということです.値動きが大きい銘柄を選んでいるので,当然のことかもしれませんが,そもそも,日運や短運は,値動きが大きい非大手証券株を選んだわけで,でも,現状,非大手証券株より個運と個短の対象銘柄の方が値動きが全然大きいです.

 問題は,これが何を意味するのかですね.もう非大手証券株は死んだってこと? だったら,日運や短運なんかやめて,個運や個短に乗り換えるべき?

 じゃあ,どうして,非大手証券株が(死んだとしたら)死んだのかですが,既に書きましたが,手数料収入で稼げなくなって,株式相場との強い連動性が薄れてしまったということなのでしょうか?

 その可能性はありますが,まだ何とも言えないというか,少なくとも証券会社なわけですから,(株を買う人はいるけど空売りする人はそんなにいない以上)株が上がれば儲かるし,下がれば儲からないという明確な因果関係はあるわけで,それに,個運や個短の玉は,日運や短運くらいは建ってるので,まあしばらくは,どれもやるというか,これもどこかで書きましたが,収益が上がれば資金も増えるし,逆なら逆ということで,自然となるようになっていくということですかね(実際は,短運の玉は,そうでもないですが,日運の玉は大分減ってる).

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[社会からも誰からも必要とされないことを前提に考える]

 やはり,社会からも誰からも必要とされないことを前提に考えるということですかね.もし,社会や誰かから必要とされることがあれば喜んで,ということなんでしょうが,そんなの全く以てあてにならないわけで,だったら,変な期待などせず,社会からも誰からも必要とされないことを前提に,つまりは,潔く全てを諦めてしまえば,それはそれで気が楽というか,じゃあ,どうすれば,ということで,次に進めるような気がします.

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[「学年が基準」から「年齢が基準」へ]
(世の中)

 いつの頃か気づいたんですが,浪人して大学に入って以降は,「学年が基準」だったと思います(ただし,小中高の同期とかは別).でも,いつの間にか,学年ではなく「年齢が基準」になったと思うんですね.

 最初にそれを感じたのは,筑波大で教授になって,教授会で配られる「年度表」を見たときです.年度表というのは,上から年齢順に教員の名前が並んでいて,要は,誰があと何年で定年になるとか,准教授や助教の誰が何歳で,昇進や将来的なことを議論するときに使われるわけです.で,それが(学年順ではなく)年齢順になってたわけです(先日,教授会で京大建築のものを見たときも年齢順だった).

 定年を基準に考えるとそうなるのですが,私事的には,昇進のことになったとき,その時突然,学年から年齢になったわけです.具体的に言えば,浪人していれば,その分,学年は下なんですが,それがチャラになったというと変ですが,でも,そうなったんですよね.具体的には,私と同い年くらいの人が何人かいたんですが,昇進は私が一番早くて,でも,歳が同じくらいの中から一番早かったのではなく,実質,飛び級のようなことだったわけです.というのは,学年順なら私が下だったわけで,年度表がそういう順番だったら,「飛び級」になったかどうかはわからないと思うんですよね.

 それは(早く昇進したいのなら)得だったのかもしれませんが(でも,私が昇進した直後,昇進のシステムがものすごいめんどくさいことになって,人事自体も停滞したので,それは,やはり,ラッキーだったか),最後(定年)は,きっちり年齢通りなわけで,なんだ結局,元に戻ったのかよ,と思ったんですが,定年は年齢なので,学年が年齢になって,そのまんまなわけで,元に戻ったわけじゃないですね.いや,学年から年齢になったとき,元に戻ったってことか.

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[社会の縮図]
(社会)

 少し前に大学ラグビーで9連覇した帝京の落ちた罠みたいな記事が出てました.連覇をしていた頃はどうだったかというと,4年が神様で1年は奴隷というような旧態依然とした上下関係をひっくり返して,逆に雑用は4年がやって,1年が練習できるというシステムを作ったってことですが,それが続くとそれが当たり前になって,1年はただ怠けるだけみたいになってしまったとのことです.

 でも,そんなの当たり前の話ですよね.導入当初,ショック療法的に上下をひっくり返すというのは,斬新だったかもしれませんが,このサイトで何度も書いてますが,「人間関係に上下はない」が基本でしょう.つまり,学年とかレギュラーイレギュラーとか関係なく,みんなで分担してやる,その中でやりたいとか得意とかいうことを考慮して最適化できればなおよしってことで,まさに社会の縮図ってことですね.

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[いまむかしから更にいまむかし]
(音楽)

 ちょっと参照したいことがあって,近現代音楽 いまむかし(桃源・東大ピアノの会創立30周年記念誌原稿)を久しぶりに読みました.もう20年近く前の記事です.そして.思ったのは,「いまむかし」から20年経って,更に「いまむかし」になってるってことです.

 具体的に言えば,その時の「むかし」は,知られざる近現代曲を開拓するのに音源がなくて大変で,でも,そのときの「いま」は,(今はもうないけど)秋葉の石丸電気の輸入CDコーナーで廃盤になる前に,今は音源がいっぱいあって昔と比べると楽だなあとか思いながら,まとめ買いをしていた,とあるんですが,今の「いま」は,それどころか,YouTubeで検索すれば,ざくざく出てくるし,譜面付きのもあるわけで,まさに隔世の感ということですかね(20年前は,廃盤になって聴けなかったカプースチン自身の演奏によるエチュードも今は譜面付きで聴けるし).

 で,思うのは,こんなに動画がアップされてて,レコード会社(レコードじゃないけど)は,どうやって食ってんの?ってことなんですが,なんとレコード会社自身(正確には代理者)がアップしてるんですよ.どういうことかと言うと,CDを焼いて売るより,YouTubeにアップして広告費稼いだ方が儲かるってことなんですかね.クラシックの,それも,近現代曲のCDなんてそんなに売れるわけないですから,それはあり得ることかもしれませんし,これまた,隔世の感ですかね.

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[帰納と演繹]
(日記)

 昨日は,長嶋先生(なんと高校の後輩)の昇進祝いで防災研の建築系教員でいわゆる鴨川の納涼床(+二次会)で飲んだんですが,いつもながら和気あいあいというか,みんな言いたいことを言う感じで楽しいのですが,話題がシビアなことになるともうちょっとしんどい感じですかね(最近は,たわいもない話の方が好き).

 もちろん,論破されるわけには行かないので,議論するんですが,そういうのがなんかもうめんどくさいんですよね.具体的には,新型コロナの話になって,Vクチンを打っても罹患率が変わらないという驚くべきデータを今頃,厚労省が公開したというとんでもないことが起こってると言った人がいて,そんなの始めからわかってた話じゃないですかと私が言うと,なになにー,その根拠はなんだとなるわけです.

 めんどくさいので,直感です,とか言うと,研究者としてアウトだということになって,いやいや,研究は全然別の話と言うと,研究者なんだから,研究以外でも論理性が必要ということになって,この辺からめんどくさくなるんですが,直感というのは,要は,帰納的な考え方で,論理というのは,演繹的な考え方で,帰納的な考え方にほんとの意味での論理があるわけではないとか言うんですが,結局,どうなったかは,憶えてません.

 でも,思ったのは,多くの判断は,きっちり演繹的な論理があるわけではなく,状況証拠を積み重ねて推論した帰納的なものですよね.最近だと,新型コロナやVクチンもそうですが,どうして,RシアがUクライナに侵攻したかがまさにそうなわけで,でも,ちゃんと考えれば,そうなった理由は(メディアで言われてることとは全然違うことは)明らかなんですが,論理的証拠があるわけではないわけです.

 もっと言えば,帰納的推論が直感なわけではなくて,ほんとの直感もあるわけですよね.具体的に言えば,筑波大やQ大や京大の話があったとき,どうするかいろいろ考えるんですが,それ以前に,直感的に,行く行かないは,即断だったような気がしますし,この人と結婚するのかどうかとか,この音楽は優れているのかそうではないのかとか,株式相場の流れが今,売りと買いとどっちに流れているかとか,そういうことはいろいろあるし,研究者だからそういうことも論理的に決めないといけないということはないでしょう.

 まあでも,議論にありがちなことですが,結局は「言葉の定義の問題」ってことが多いです.直感とは何かもそうですし,ここで使ってる,帰納とか演繹という言葉も,一般に使われている意味とは違うと思います.一般的には,帰納法も論理の一種ですからね(でも,私はそうは思わない).

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6/5'22

 更に言えば,研究にも「直感」は重要でしょう.具体的には,直感的にこうなりそうな気がするということで仮説を立てて,それを検証していくのが研究で,重要なのは,最初のテーマ設定ですからね.

 でも,これも言葉の定義の問題ですが,直感というとてきとーな感じがしますが,実際はそんなことはなくて,帰納的思考が背景にあると思うんですよね.いや,帰納的思考なら右脳か左脳かで言えば,(多少)論理があるから(演繹的思考と同様)左脳で,直感は右脳的だとすると,やっぱり,ちょっと違うか.

 でも,そういう背景的なことは(個人的には)どうでもいいんですよね.

 ただ,研究の場合は,「何となくそんな感じがする」では話にならないんですが,Vクチンを打つかどうかは,個人の勝手なので,国とかメディアは,こう言ってるけど,どう考えても怪しいので打たないというのは自由でしょう(それに,国とかメディアがもっともらしいことを言って国民を洗脳することが危なすぎる).

 そういう意味では,防災研の建築系の飲み会で,そういう話になったときも受け流せば(そんなの始めからわかってた話じゃないですかと突っ込まなければ)よかったってことですかね.

 何度もこのサイトに書いてますが,私自身は,自分はこう考えるというのは明確にありますが,それを人に押しつけるつもりはさらさらなくて(このサイトは,話してるわけでもメールでもないので,嫌なら読まなければいいだけの話),つまりは,話をふられたり,きかれたりすれば答えますが,自分からあーだこーだ言う気はないんですよね.

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 ただ,「論より証拠」ってことはあるわけで,例えば,1-2秒応答のことを言い出したときは,全く信用されませんでしたが,その後の地震被害が見事に1-2秒応答で説明できて認められたわけで,「Vクチンを打っても罹患率が変わらないという驚くべきデータを今頃,厚労省が公開したというとんでもないことが起こってる」というのも,まさに私の判断が正しかったということですよね.

 これ以外にも,地球温暖化やゼロカーボンの嘘とか経済破綻とか家を買わないとか人間ドックに行かないとか食品添加物とか姥捨て山とか,ふつーの人が「ほんとかよ?」と思うことをいろいろ予言しているので,いずれも「論より証拠」となりますかね?(もう大分なりかかってるものが多いけど)

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[バルトークの2台のピアノと打楽器のためのソナタの演奏動画]
(音楽)

 バルトークの2台のピアノと打楽器のためのソナタの演奏動画がありました.こっちの方が楽しめますね.2台ピアノだと,普通は向かい合わせになるんですが,パーカッションとも向かい合わせになるには,こうなるしかないか.

 でも,絵的には,ピアノは,観客に背を向けてて,パーカッションが正面を向いてることもあって,パーカッションが主役に見えますね.あと,気づいたのは,ティンパニーは,ずっとティンパニーを叩いてるのかと思ってたんですが,時々,お手伝い(笑)?みたいに上体を伸ばしてスネアドラムも叩いていて,つまり,スネアドラムが真ん中に置いてあって,それを左右から時と場合によって違う人が叩いているのが面白かったです.

 でも,演奏動画が面白いのは珍しいですかね.ピアノは,指が見えるということはあるんですが,いつも見えてるわけじゃないし,最近は,あまり参考にはしてないし(若い頃は,生の演奏会に行って,前の方の少し左の指が見える席を取って,かじりつくように見ていた),オケも演奏しているのが「見える」のは意外と意味ないですよね(それより譜面がどうなってるのかの方が気になる).

 そういう意味では,パーカッションの動画は,見栄えがするかもしれませんね.パーカッション曲については,高校時代にいろいろ開拓しているときにちょっとはまったことがあって(吉原すみれさんの演奏とか),そういうのをちょっと探してみますか.

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 探してみたんですが,吉原すみれさんの演奏は,動画はほとんどないですね(もう何十年も前なので当たり前か).で,クセナキスのプサファで検索したら,こういうのが出てきて,

これは,既ににチェック済みでした.こういうのも出てきたけど,

こっちの方が見やすいですかね.でも,当時の聴いていたパーカッションソロのアルバム(LP)の中にいろいろ入っていて,もっと面白い曲もあったと思うんですが,曲名を憶えてるのがクセナキスのプサファだけなんですよね.ダンボールの中のLPを引っ張り出せばわかると思うのですが,めんどくさいですね.

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 いろいろ検索して思い出してきたんですが,吉原すみれさんのアルバムではなく,シルヴィオ・グァルダですね(カーターのティンパニー曲が入っていたと思うので).でも,だとすると,何が「もっと面白い曲」だったのかよくわからないですね.

 でも,パーカッションの演奏動画はいくつか出てきたんですが(なぜか女性演奏者が多い),見ても意外とそんなに面白くないので,なんかもういいです.

 ※プサファの譜面がありました.たいへーん(笑).

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[生前に葬式]

 死に方(心穏やかに苦しまずに死ねるか)も大事ですが,その後のことも気になってきました.何度か書いたように人間死ねば,単なる物体というか,生ゴミになるようなものなので,それこそゴミに出してくれればいいとも思うのですが,法的にはそうは行かないので,燃やして灰はどこかに捨ててもらえればと思うのですが,自分ではどうすることもできません.

 あとは,葬式ですね.葬式は,死んだ人のためのものではなく,残された人がお別れをするためのものということなので,残された人がしたいようにしてもらえばいいとは思うのですが,勝手にいろいろされるのは,なんか気持ち悪いですかね.

 それで,そう言えば,生前に葬式をしてる人いたなと思いました.確か,野球の仰木監督がやってたな.でも,主旨としては,自分が死んでいろんな人が葬式に来てくれても,死んでてわかんないから,死ぬ前にやるってことですよね.でも,葬式は「お別れの会」なので,それ以降はもう誰とも会わないってこと? それならわかりますが,そうじゃなければ,どういう面して会うの?

 まあいいです.いずれにしても,自分が生きてるうちにちゃんとこっちからもお別れを言って,そこからはもう会わないというか,実質死んだように生きるってことなんですかね? でも,誰にも会わずに生きられますかね? ていうか,退職記念パーティー的な感じもしてきて,だとしたらパスですかね.

 うーん,やっぱり,死ぬのっていろいろめんどくさいですね.猫のように死ぬとわかったら誰もいないところに行ってこっそり死ねたら,そして,死んだかどうかもわからずいつの間にかいなくなったって感じがいいと思うんですけどね.

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6/6'22
[クセナキスのピアノ曲]
(ピアノ)

 クセナキスがでてきたので,たいへーん(笑)繋がりというか,代表するピアノ曲を貼っておきます.大分前に,紹介したことはあったと思いますが,その後,YouTube環境が整って,譜面付きの演奏がアップされたということもあります.

ヘルマ↓

以前紹介したのは,高橋悠治さんの演奏でしたが(その時の動画もまだあったので貼っておきます↓),今回は譜面付きです.超難曲として有名ですが,ほんととんでもない曲ですね.


エヴリアリ↓

以前,紹介したときは,多段譜で,とても譜読みなんかできない(笑)状況でした.

ミスツ↓

これは譜面付きで既紹介だと思いますが,一応貼っておきます.

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[ケージのプリペアドピアノのためのソナタとインターリュード]
(音楽)

 あっ,ケージのプリペアドピアノのためのソナタとインターリュードの全曲のライブ演奏がアップされてました.


プリペアする様子もここ↓で見られます(13分あたりから).


 この曲を聴いていたのも高校時代ですね.これも高橋悠治さんのLPだったかな.ボルトをピアノの弦に仕込むのは,厳しかったのですが,これもどこかで紹介した甲斐説宗のピアノのための音楽のプリペアは,消しゴムだったので,アップライトピアノの弦の間に仕込んで弾いてました(笑).

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6/7'22
[甲斐説宗のピアノのための音楽]
(ピアノ)

 甲斐説宗のピアノのための音楽も譜面付きでありました(「YouTubeライブラリ」どんどん充実しますね).どこかで書きましたが,表題には,「ピアノのための音楽I」とありますが,当時は,まだIIが出てなかったので,「ピアノのための音楽」と呼ばれていたと思います.そして,譜面は,なんと全音のピアノピースでした.

 きっかけは,FMの高橋アキさんの演奏で,動画のものと同じだと思います.そして,これも書きましたが,わけのわからない現代音楽の中で,この曲は,聴きやすいというか,どうしてこの音がそこに置かれているかが(勝手に)わかった感じがして,自分で弾いてみようという気になりました(譜面も簡単に手に入ったし).そういう意味では,自分が弾いた最初の現代音楽かもしれませんね.

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[一柳慧のタイムシークエンスとピアノメディア]

 全音のピアノピース繋がり?で,一柳慧のピアノメディアの譜面付き動画も探したのですが,これは(まだ)ありませんでしたが,タイムシークエンス(コンセプト的にピアノメディアと似ている)がありました.



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[石井真木のブラックインテンションIIIと彼方へ]

 更に全音のピアノピース繋がり?で,石井真木のブラックインテンションIIIの動画もありました.演奏する前にしばらく間があるのは,一フレーズ一呼吸という指示があるので,それを確認しているところを見せているのかもしれません.中盤以降にプリペアドピアノ(この曲の場合は,木片かな)もあります.


 ちなみにプリペアド(ピアノ)というのは,ピアノの弦にボルトや木片やラバーなどを挟んで音色を変えておくことで,ケージのソナタとインターリュードのように弾く音全てをプリペアする場合と甲斐説宗のピアノのための音楽や石井真木のブラックインテンションIIIのように一部の音だけをそうする場合があります.

 「彼方へ」の動画もありました(これも全音ピアノピース).この曲は,東大ピアノの会当時,新曲というか,出版されたばかりで(1980年),練習して演奏会で出せる状態になっていたと思いますが(要は,弾きやすかったということ),実際に弾くことはなかったです.

 でも,今聴くと,こんな曲だっけ?というか,アルペジオが続くところは憶えてますが,それ以外はよく憶えてないですね.

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[サイのブラックアース]

 甲斐説宗のピアノのための音楽や石井真木のブラックインテンションIIIもそうですが,通常のピアノとプリペアドピアノが混じる場合,プリペアドされた音は,プリペアドされた音しか出せないので,弾き分けというか,音の「棲み分け」をしないといけません(一つのピアノの88個の鍵盤を通常のピアノとプリペアドピアノの2つの楽器に分離するイメージ).そういう意味では,サイのブラックアースは,その場でプリペアするので(その場なのでプリペアじゃないけど)その点は大丈夫です.

 でもこの演奏,あんまりよくないな.こっち↓の方がいいかな.

 やっぱり,CDのもの↓が一番いいですかね(サイもまだ若い(笑)).

 ちなみに,この曲なら(グランドピアノがあれば)いつでもどこでも弾けると思います.あーでも,プリペアドのところでどこを押さえないといけないのかの確認がちょっと面倒ですかね(ピアノによってフレームの位置が違う).プリペアドしなくても曲としては成立するので,そうやって弾いてもいいんですけどね.

 そう言えば,自分の演奏も公開していました.もう15年以上前のものですが...

 家の防音室での録画なので,音がライブというか,ダイナミックレンジも狭い(フォルテとピアノの差があまりない)ですね.ていうか,録音レベルの設定の問題かな(いわゆる,家庭用ビデオカメラで撮影).あと言い訳的には,練習して2週間くらいの演奏?だったと思います.

 この時は,あらかじめ内部のフレームに付箋を貼って,プリペアする音がどの弦かわかるようにして,そこだけを押さえていたんですが,サイの演奏動画を見ると,「だいたいこの辺」って感じでアバウトに押さえてるみたいで,それだったら,いきなりでもできますかね(やったことないのでわからないけど).

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[善戦?]
(サッカー)

 昨日のブラジル戦ですが,(韓国が1-5とやられたのに対して)0-1ということで「善戦した」との報道が多いですが,そりゃああれだけ守備的にやればねー.実際,日本に点が入る雰囲気は全くなかったですし,試合開始早々のポール直撃のシュートが入っていたら...でも,吉田の「これに慢心することなく」というコメントはひどいな.負けて慢心?

 でも,WCのグループリーグ突破を目指してるのなら,(既に書きましたが),スペインかドイツのどちらかと0-0で引き分けて,もう一方に0-1と惜敗して,残り1チームに圧勝というのが現実的なシナリオでしょうから,そのシミュレーションをしたということならありなんじゃないですかね.

 何度も書いてますが,日本はとにかく格下チームなんですから,とにかくしっかり守ってカウンターしかないでしょう.

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[カプースチンの24のプレリュード]
(ピアノ)

 カプースチンの24のプレリュードの譜面付きの動画が遂に?アップされました.


 冒頭の1番は(単純に格好いいので)少し練習しました.でも,このテンポでミスタッチしないでは,弾けないですかねー.

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[好きな人がいて,その人と会える状態のとき]

 ふと,これまでで幸せだったのは,いつだったかなと考えました.

 まず,ぱっと浮かんだのは,(なんと)浪人時代ですね.授業という形で一日の多くを机と椅子に縛り付けられる生活から解放されて自由になったと思いましたからね.

 あとは,中二とか(父が亡くなる前までの)高二とか,(大学4年から博士3年までの)研究室時代もそうでしたし,30代は,仕事は迷走しましたが,それ以外のことは楽しかったですし,でも,この辺までは,既に書いたので,別の観点というか,違う幸せという意味では,「好きな人がいて,その人と会える状態のとき」ですかね.

 好きな人というのは文字通りですが,別に付き合ってないといけないってことはなくて,というか,むしろ,片思いというか,相手がどう思ってるかはわからないというか,そういうことは関係なくて,でも,その人と(時々というか何らかの形で定期的に)会えるというか,見えるというか,そういう状態のときは幸せだったと思います.

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[生涯現役]

 ここで書いたソニーにいた出井さんですが(書いたばっかりなのに)亡くなったんですね.生涯現役とは言っても,それは,非常に難しいということなんでしょうか.彼の場合,いわゆるソニーショックもありましたし,現役時代,心身ともに相当削られたと思いますし,歳とってからも最前線で働くことが心身にいいとは思えませんからね.

 定年で大学をクビになった後どうするかいろいろ考えるんですが,こういうことがあると(生涯現役とか)「やめとけ」って言われてるような気がしますね.私個人的には,生涯現役でないと,とは思ってないし,そもそもめんどくさい仕事はしたくないし,大学をクビになった後も楽しく退屈しのぎしていければ,何でもいいんですけどね.

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 いや,84まで働いて死んだのなら,まさに生涯現役ってこと? でも,だったら,48で(働きすぎて)死んだ私の父も生涯現役ってことになります.

 じゃあ,生涯現役かどうかではなく,長生きしたかどうかってこと? でも,別に長生きしたいわけじゃないですよね.

 つまりは,心穏やかに死ねるかってことですかね.出井さんの場合は,病気ということなので,そういうことにはならなかったのではないかと思ったってことでしょうか.

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[そこで判断というか勝負しないといけない]

 この記事を書いて思ったんですが,私の中の論理は「演繹」で,でも,「考える」ことの多くは「帰納」ですよね.でも,この場合,こうでこうでこうだからこうと断定はできない.でも,,「考える」ことの多くは「帰納」ということは,そこで判断というか勝負しないといけないことがほとんどなんだと思います.

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6/8'22
[ほんとに好きな曲]
(音楽)

 ブルックナーの6番にはまっていて毎日聴いている人がいるということを書きました.そして,それはまだ続いているそうです(CDはなんと19枚).驚くべきことですが,ほんとに好きというか,心底,その曲に価値を見出せていて,聴く度に新しい価値を見出せるわけで,そういう曲に出会えただけで幸せなことですよね(でも,そういう曲の存在だけではなく,その曲の価値に気づける当人の能力が大きい).

 で,考えたのは,私がほんとに一番好きな曲は何かってことです.もう16年前ですが,私が好きな曲というシリーズを書いたので,その中のどれか? ぱっと思いつくものとしては,ストラヴィンスキーの春の祭典とか,プロコフィエフのピアノソナタの7番とか,古典なら,ベートーヴェンのピアノソナタの23番とかですかね(でも,こうして書いてみると,好きというよりは,作品としての完成度というか,どれくらいすごい作品かって感じですかね).

 でも,私の場合,ピアノを弾くのでそういう「フィルタ」がかかってると思うんですよね.つまりは,ただ純粋に好きというだけではなく,弾いてどうかってことで,演奏効果のようなこともあるわけです.じゃあ,ピアノ曲だけではなく,オケ曲も含めたらってことですが,ストラヴィンスキーの春祭をピアノソロに編曲して弾いちゃうわけですから,そういう条件解除だけではだめというか,そもそも,弾きたい曲と聴きたい曲って,かなり違う気がします.

 私の場合,(最近はそうでもないけど)近現代曲が多くて,それは,知られざる近現代曲の紹介という意味合いが強かったわけで,それらを毎日のように聴きたいかと言うとそういうわけじゃないですからね.

 じゃあ,毎日のように聴きたい曲というか,それに耐えうる曲ということになると,また条件が変わってきます.上で書きましたが,聴く度に新しい発見があるというようなことなら,単純な曲よりは,より複雑というか精緻で作り込まれた曲ということになるかもしれませんし,そうすると,ブルックナーとかマーラーとかの大規模編成で長大なオケ曲というか,シンフォニーは,その条件を満たしてます.

 でも,逆に音楽の作りはシンプルだけど,ものすごくよくできてるようなものもありかもしれません.具体的には,古典,それも,バッハですかね.で,ぱっと浮かんだのは,ゴールトベルクですかね.でも,この曲が一番好きかと言われるとどうですかね.

 ということで,よくわからないですね.でも,わからなくてもいいかな(聴きたいときに聴きたい曲を聴けばいいんで(笑)).

 むしろ,わかりたいというか,絞り込みたいこととしては,弾く方で,それは,ここ数年の記事でもずっと探究してきたんですが,練習時間が限られる中で,繰り返し弾くに耐えるレパートリー的なものをということで,そうすると,好きな曲かとか,弾きたい曲かとかだけではなく,現実的に弾けるかとか,演奏効果とか,メカニック的に効力感を感じられて,毎日のように弾けるか(練習になるか)とか,有名曲よりは近現代の方がとか,繰り返し弾くには短い曲の方がとか,いろんな要素が関係してくるんですよね.

 例えば,1年くらい前によく弾いていたショパンのOp.25-8の6度のエチュードですが,最近はあまり弾いてなくて,この曲は,めっちゃ練習になるし,メカニック的にも弾いてて効力感を感じるし,弾いててそんなにしんどい感じでもないし,曲とてもすごくよくできてるんですが,むずい(Op.25では,6番,11番の次に難しい)割には演奏効果的には今一だし(実際,ショパンコンクールとかでこの曲を弾く人はほとんどいない),それでもショパンなんで,有名曲だし,みたいな感じで,全ての条件を満たす曲はなかなかないのが現実です.


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[今が一番いい時代]
(世の中)

 何度か書いたように,私は大河はほとんど見ないのですが,ちらっと見えたというか,今年は鎌倉のようで,頼朝と義経の確執のところがちらっと見えたので,見たんですが,いやー,ほんとにひどい話というか,ひどい世の中というか,Uクライナに侵攻しているPーチンがかわいく見えるくらいで,まあ,時代なんでしょうが,何度か書いたように,(こんなにひどい世の中なんですが)これまでの中で今が一番いい時代なのは間違いないでしょう.

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6/9'22
[「好き」ってなんなん?]

 ほんとに好きな曲ですが,やっぱり,ストラヴィンスキーの春の祭典とか,プロコフィエフのピアノソナタの7番とか,ベートーヴェンのピアノソナタの23番とかだと思うのですが,あることに気づきました.それは,これらの曲をもう何十年もほとんど聴いても弾いてもいないってことです.ベートーヴェンのピアノソナタの23番は,高校から大学くらいにはよく弾いてましたし,春祭は,大学時代,ピアノソロに編曲したときは弾きましたが,それ以降は,ほどんど弾いても聴いてもいないし,プロコフィエフのピアノソナタの7番に至っては(いつか弾こうとは思ってますが),3楽章をちょっとかじった以外は,ほとんど練習したこともありません.どういうこと?

 よくわからないですね.でも,聴きたければ聴く,弾きたければ弾くでしょうから,好きな曲だけど,聴きたくも弾きたくもないってことなんですかね.

 で,思ったのは,好きな曲がそうなら好きな人はどうなん?ってことです.喩えて言うと,好き好きでしょうがないけど,会いたくはないってこと? でも,そんなことある?

 「好き」ってなんなんでしょうね?

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 そっか,どこかで書きましたが,人の場合は,好きというのは,「この人どういう人なんだろう?」ってことでしたよね.これを曲に戻すと,どういう曲?ってことになるので,散々聴いて,どういう曲がわかった(と勝手に思った)らもう聴かなくなるということはあるでしょう.逆に言えば,聴く度に新しい発見があれば,聞き続けることになりますかね.

 じゃあ,人はどうかですが,いつまで経ってもどういう人かわからないってことですかね.で,ここで気づくのは,曲はずっと変わらないけど,人は変わるってことですし,そもそも,人の内面とか考えなんか,いつまで経ってもわからないというか,どれだけそういう面をもってるかってことですかね.

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[言うことをきかなかった]

 振り返ってみて,割とうまく行った人生だったと何度か書いてますが,違和感というか,実際「うまく行った」ことなんかなかったとも思うんですよね.

 「うまく行く」というのは,2つの意味があって,1つはラッキーってことで,もう1つは,ちゃんとやってうまく行ったということでしょう.後者について言えば,まあ最低限アウトにならないギリギリくらいのことはやったとは思いますが,うまく行くというほどやってないのは,明らかで,でも,これは私の不徳の致すところなので,しょうがないことです.

 実際,小さい頃とか,小学校時代とかは,わがままで自分勝手でやるべきこともやらないのにうまく行くはずがありませんし,中高大についても,ほんの一瞬その気になったようなこともありましたが,基本的には変わらなかったと思います.

 じゃあ,なんでうまく行ったんですかね? 前者のラッキーだったってこと?

 まあ,そうなんでしょうが,それでは話が終わってしまうので,敢えて言えば,何かなと考えたとき,ずっと一貫して人と違うこととしては,言うことをきかなかったってことですかね.

 なんだ,結局,わがまま勝手ってことじゃんってことですが,まあ,そういうことですかね.でも,それがぶれることはなかったというか,やりたいことをやったということはあるわけで,でも,これは,そうすればうまく行くということではないので,やっぱり,ラッキーだったってことですかね.

 でも,やりたいことがやれれば,うまく行かなくてもいいじゃんって思いませんか? そして,そう思ってやっていたら,結果的にうまく行っちゃう感じはするんですよね.

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[複利のマジックのマジック]
(経済)

 複利のマジックについて何度か書きました.要は,年利26%で回せば,10年で10倍,20年で100倍ってことです(そこまでは難しいとしても,年利7%でも10年で2倍).でも,それ以上のマジックがあるような気がしてきました(どこかで書いたような気もするけどまあいいや).

 株で儲かって,あるいは,競馬で万馬券を当てて100万ゲットしたら,あるいは,宝くじで1億当たったらどうしますか? 欲しいもの買っちゃう? ○カですねー(口悪(笑)).

 それだと,まさに元の木阿弥なわけです.でも,複利で回すのなら,利益を原資に回さないといけないので,散財することはできません.

 そう,どんなに儲かっても(極端な話)一銭も使うことができないのです.

 そんなの意味ない? でも,そうやって,複利で回せば,雪だるま式にどんどん儲かりますよ.いや,使えないのなら儲かっても意味がない?

 ここがポイントですかね.つまり,ここでも何度か出てくる「未来に視点」の話になるわけです.今の少々のメリットより,将来の莫大なメリットの方がいいイメージがもてるわけで,お金についても,莫大な額になって初めてできることもあると思うんですよね.

 そして,これも何度も書いてるように,必要以上のお金は要らないわけで,つまり,余計な散財をしなくて済むとも言えるわけで,まさに,複利のマジックのマジックでしょうか.

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[ほーら,言った通りになったやろ,と(あまり)思わない]
(経済)

 そっか,円安とかインフレで大変なことになってきたとか言ってますが,これって何年か前からこのサイトでそうなるぞと言ってたことで,口だけじゃなくて形にする的には,資保で大量に買った商品先物や外貨が爆上がりしてるわけですからね.

 でも,ほーら,言った通りになったやろ,と(あまり)思わないのは,どういうことですかね? まだまだ,こんなもんじゃないってことなのか,あるいは,どこかで反転するのかってことですが,そんなことはわかりません.でも,少なくとも今は風はその向きに吹いています.

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 関連するのかもしれませんが,もちろん,早く戦争なんか終わって欲しいと思いますが,今の円安とかインフレが戦争のせいという風潮が気になります.

 でも,そんなの関係ないというか,具体的には,明日戦争が終わったとしても,Rシアへの制裁は終わらないわけで,つまり,状況は変わらないわけですからね.

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[女は恋なんかしない]

 反感をかいそうなタイトルですが,女と男は,女と男という以前に同じ人間であり,女だからこう,男だからこうだというのは,全くのナンセンスで,男女差別の根幹は,そこにあって,女と男は同じ人間と考えるのなら,男女差別なんか起きようがないとは再三書いてる通りです.

 でも,唯一,女と男が違うところがあります.それは,子供を産めるか産めないかです.そして,それに伴って,派生的にいろんな差も出てきてしまいます.具体的に言えば,本能的なこと,DNAにどう書いてあるかですね.

 人間も他の動物と同様に,人類という種の保存と繁栄を是とするようにプログラムされている以上,それに逆らうことは容易ではありません.具体的には,女は,有能な男を見つけてその遺伝子をもった有能な子供を産むようにDNAに書いてあるということです.

 そうすると,どうなるかというと,女は恋なんかしないということになります.なぜなら,イケメンとか格好いいから有能ということではないからです.有能というのは,昔は,力が強いとかサバイバル能力が高いということだったでしょうが,現代においては,そんなことより頭がよくて(学歴は関係ない)仕事ができるということでしょう.

 昔,好きな人の条件に「優しい」というのがあって,そんなアホな,そんなことが「好き」の条件であるわけがないと言われていましたが,子供を作って家庭円満で育てて行くには,必要な条件とも言えるわけで,でも,逆に言えば,ここにも「女は恋なんかしない」ということが現れています.

 でも,実際はどうでしょうか? 女も恋をしているようにも見えるわけで,それは,イケメンとか格好いいのが好きという単純な話でもないわけです(でも,頭がよくて仕事ができる人が好きというのは,上で書いたようなことで説明できる).でも,単純な好き嫌いはあって,格好悪いよりは格好いい方が,話が合う方がいいでしょうし,生理的にだめということもあるでしょうから,ただ単にそういうことかもしれません.

 でも,もっとわからないのは,既に書きましたが,どうして男が(かわいい)女に恋をするのかです.「かわいい」というフィルタが人類の繁栄にとって何か意味があるようには思えませんからね.でも,有能な遺伝子を集めないといけないという意味では,何らかのフィルタは必要で,ただそれだけのことかも,というのは,既にどこかで書きました.

 (子供が)かわいければ,かわいがられるということはあるでしょうが,それ以前に「かわいいが是」というのがあるわけですからね.でも,この辺の話になると「美とは何か」というもっと根幹?的なことになってきますかね.つまりは,美という芸術的なことが,その実,人類の繁栄という社会的というか世俗的なことに繋がっているということなのでしょうか.

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 でも,やっぱり,女と男が同じ人間ということだとそういうことにはなりませんよね.

 確かに産むのは女ですが,女と男の子供なわけですから,有能な子供を残したいということなら,男も有能な女の遺伝子をゲットして有能な子供を残したいと思うはずですし,男はかわいい女に恋するのなら,女だって格好いい男に恋するはずですからね.

 ですから,恋と子供を残すことは違うってことですかね.でも,じゃあ,恋ってなんなんでしょうね? 異性とくっついて子供を残すということなら,恋と子供を残すことは違うとはならないわけですからね.

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 どうして,そう思ったかと言うと,子供の頃,父親にどうして母親と結婚したのかときいたとき,この人と子供を作れば,賢い子供ができると思ったから,と言っていたことを思い出したからです.実際に,賢い子供ができたかどうかはともかく(笑),彼の中のプライオリティはそういうことだったわけで,もちろん,子供の前で,母親が美人だったからとは言わないでしょうし,実際に産まれた子供に対して言ったことなので,本心はわからないのですが,割と即答だったと思いますし,それが本心だとすれば,今更ながら,ちょっと面白いというか,当時の考え方としては,珍しかったんじゃないですかね.

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[せっせと「死ぬ準備」をしています]

 理由はよくわからないのですが,最近,割とせっせと「死ぬ準備」をしています.もちろん,もうすぐ死ぬと思ってるってことではなくて,でも,そういうことはいつ起こってもおかしくないわけで,そういう準備をしておかないといけないと思うんですよね.

 そして,実際にそうなったときに,回りにできるだけ迷惑をかけないようにということもありますが,私自身にとって不都合というようなこともあるわけで,でも,その実,全然準備できてなかったことに今頃気づいたというか,突然,実感が湧いたというようなことでしょうか.

 そして,そういうことって,他にもいろいろあるような気がします.でも,おそらく「死ぬ準備」以上のことではないわけで,てことは,やっぱり,「死ぬ準備」しとかなきゃってことですかね.

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 でも,なんとなくですが,死ぬという実感はあるんですよね.例えば,先日,このサイトに書きましたが,寝ているときに一度死んでるような感じがするというか,目が覚めたとき,三途の川のほとりから帰ってきた?というか,最近の傾向として,夢の中と現実の世界のギャップがものすごいんですよね.

 でも,死ぬという実感はあるんですが,死にたくないというか,死に対する恐怖みたいなことはなくて,でも,もちろん,死にたいってこともなくて,つまりは,全くのニュートラルで,でも,今死んだらいろいろ不都合があるので,しっかり「死ぬ準備」をしておかないと,ということでしょうか.

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[リゲティのピアノ曲]
(ピアノ)

 現代を代表する作曲家のクセナキスが出てきたので,リゲティのピアノ曲も貼っておきますかね.でも,私が現代音楽を聴き始めた頃は,リゲティは,まだそんなに有名じゃなかったというか,私がそんなに知らなかったというか,私が大学時代に聴いていたのは,コンタルスキー兄弟による現代ピアノ曲集の中の3つの小品ですかね.

 でも,この曲より,同じアルバムのツィンマーマンの曲の中で,バッハとかドビュッシーの花火とかベートーヴェンのハンマークラヴィアとかが出てきて,そんなのあり?と思った印象の方が強いですかね(でも,こうして今譜面見てみると,どっちもすごい曲で,かなり楽しめます).

 じゃあ,何あたりで注目されるようになったというか,私が注目するようになったのは,やはり,エチュードですかね.

 第1巻が出た時,弾いてみようと思って,ヤマハに行って,譜面を手に取ったら,まだ手書きのコピーで,(ただでさえ譜読みが困難を極めるのに)こんなんじゃ譜読みできんと思ったのを憶えています.

 でも,その後,ちゃんとした?譜面も出て,音源もいくつか手に入れたんですが,弾いてみようと思った曲はないですかね.試み的には,いろいろ面白い要素が多いのですが,個人的になんか音楽的にしっくり来ないんですよね(技術的に至難ということもありますが).

 技術的に平易ということだと,これも既に紹介しましたが,ムジカ・リチェルカータは弾きやすいです(これも一つにまとまった譜面付きの動画がアップされた↓).

 コンセプトは,音の数が最初は1つ(Aだけ.ただし,最後で突然Dが鳴る)で,それがだんだん増えていくというものです.

 この曲は,嫌いではないですが,やっぱり,ちょっと安易ですかねー.ていうか,好きでもないし.

 じゃあ,好きな曲は何かというと,ピアノではなくチェンバロの曲ですが,ハンガリアンロックですかね.

 この曲は,格好いいし,人気曲みたいで,いろんな楽器で演奏されてるみたいです.でも,ピアノによる(普通の)演奏は聴いたことないですね.

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[しっかり準備しておかないと]

 とか書いていたら若い人の孤独死が増えてると言ってました.だからー,孤独死するのに年齢は関係なくて,一人暮らしをしていれば,誰でもあり得ることですよ.

 そして,若い人ほど,「準備」はできてないんじゃないですかね.孤独死自体は,死に方としては悪くないと私は思いますが,しっかり準備しておかないと,回りも含めていろいろ不都合はあると思います.

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 そっか,今死にたいとは思いませんが,死ぬ時は,死ぬことに対してニュートラルの時に死にたいですし,今は,まさにそうなので,条件は満たしていることになりますね.だって,死にたくないと思って死ぬのも,死にたいと思って死ぬのも嫌じゃないですか.

 つまりは,今の(いい)状態を何とか死ぬまでキープできればということですが,何十年も先だとそれはそれで大変な気がしてきて,それは,あまりよくないですね(でも,もう大分前からずっとそういう状態ではありますが).なので,それをキープしないといけないと考えるのではなく,自然とそうなるというか,そういう生き方をしていくということですかね.

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6/10'22
[いくつか補遺]

 いくつか補遺を.

 曲はずっと変わらないけど(人は変わる)と書きましたが,曲そのものは変わらなくても,演奏によってかなり変わりますよね.つまり,(作曲と同様に)今までにない新しい魅力を示した演奏がいい演奏ってことですね.

 あと,何度か寝ているときに一度死んでるような感じがすると書いてますが,なんか違う感じがしてきました.目が覚めたとき,夢の中と現実の世界のギャップがものすごい,というのは,そうなんですが,夢をはっきり見るので,それと現実のギャップの大きさを感じるというだけのような気もしてきました.

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[個運の銘柄入れ替え]
(運保)

 運保の中の個運と個短ですが,さすがに混乱してきました.その大きな原因は,銘柄の一部が重なっていることで,玉を建てたとき,どっちの判断で建てたのか区別が難しいですし,それは手仕舞うときも同じで,しかも,両建て状態になることもあって,脳トレというか認知症防止にはいいんでしょうが,間違えるとしゃれにならないので,見直す,即ち,銘柄の重なりをなくすことにしました.

 具体的には,個短はそのままにして,個運から重なった銘柄を削除し,補充を行う,つまり,銘柄の入れ替えを行うことにしました.できれば,来週からそうしたいと思っています.

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6/11'22
[ウレーン]
(ピアノ)

 リゲティのエチュードですが,あらためて譜面を見ながら聴いてみると面白いというか,すごい曲ですね.でも,好きな曲かというとそういうわけじゃないし,ましてや弾いてみたいとは全く思いません.つまりは,「好き」と「すごいと思う」というのは,全く別の話ってことですかね(でも,ストラヴィンスキーの春の祭典とか,プロコフィエフのピアノソナタの7番とか,ベートーヴェンのピアノソナタの23番とかは,すごい曲だと思って好きなんですけどね).

 ていうか,どうみても弾くのは大変すぎます.それは,技術的にどうこうという以前に脳的な問題で,でも,高橋悠治さんがクセナキスのヘルマの動画の中で言ってましたが,とにかくゆっくり弾くところから地道に練習して行けば,弾けるようになるのかもしれませんが,今はもうそういう気力もその気もありません.

 で,この動画の演奏,ウレーンなんですね.ウレーンと言えば,どこかで紹介したかもしれませんが(検索したらここにありました),ソラブジの100の超絶技巧練習曲の全曲録音を遂に完成させたということですが,おそらく,「世界で一番ピアノが上手い」アムラン以上というか,驚かされるのは,技術的なことより譜読み力というか,脳的なところですかね.そして,もっと驚くのは,本職が(ピアニストではなく)なんと医者ということなんですが,それは,逆に納得するところでもあります.

 そう言えば,ウレーンは,「世界で一番難しい曲」と言われるフィニッシーのEnglish Country tunesはやってないと思いますが,なんとなくわかるというか,「そういう雰囲気で弾く」ということには興味がないんじゃないですかね.

 ちなみに,リゲティのエチュードの14番目に「無限柱」という曲があって,

実在する「無限柱」という彫刻↓から来ているらしいのですが,ドラゴンボールのカリン塔を思い出しました(笑).

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6/11'22
[ライヒとミニマルミュージック]
(ピアノ, 音楽)

 折に触れて現代(ピアノ)音楽を紹介していっているのですが,次はケージかなと思ったのですが,ちょっと異色なところで,ライヒです.つまりは,ミニマルミュージックですね.ミニマルミュージックというのは,平たく言うと,短い音型の繰り返しで音楽を作るということなんですが,ライヒは,その代表的な作曲家ということでしょうか.

 で,ライヒの代表曲ですが,やっぱり,ピアノフェイズですかね.

 でも,この動画を聴いただけだとよくわかんないというか,ただ同じフレーズを繰り返してるだけのように見えるけど,何か変というか不思議な感じがしますよね(でも,耳がいい人はすぐにわかったはず).

 種明かしをすると,同じフレーズを弾く二人の演奏者の演奏が少しずつずれて行ってるんですね.それをヴィジュアラズしたものがいくつかあります.

 1つ目の動画は「いきなり一音」ずれて行きますが,2つ目の動画は,少しずつずれているのがわかります.そして,この「ずれがずれてる」ところがいいと(個人的には)思うんですよね.

 実際の演奏は,こんな感じです.「ずれがずれてる」ところもわかりますよね.

 で,思いつく人は思いつくわけで,これって一人でできんじゃね?ということで,一人で弾いた演奏です.

 モー大変,と言いたいところですが,練習したら弾けそうな気もします.でも,二台のピアノを準備してこういう風に並べるのは大変ですし,ミスタッチも許されないし,若い頃ならともかく,本番の集中力がもうないですね.でも,こういうのって,やっぱり,「最初に思いついて実行した」人が一番すごいし,そうでなければ,あまり価値はないと思うんですよね.

 そして,この演奏を聴いて思ったこととしては,一人の演奏の方が「ずれのずれ」がはっきりわかると思いませんか? ていうか,そういう風に弾いた方がずれて行くところが弾きやすいということもあると思いますし,そういう形で「ずれのずれ」を敢えてはっきりみせることもできるわけですよね.

 つまり,この曲は,シーケンサーで演奏するのは簡単なんでしょうが,やっぱり,人が演奏することに意味があると思いました.

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 思ったのは,一人でピアノ一台で弾けないのかということです.

 弾けるんじゃないですかね.そういう風に譜面を作っちゃえばいいわけですからね.でも,一番の難関は,ずれがずれるところではなくて,重なってるところがずれるところ,つまり,一番最初から少ししたところが(一台だと)同一鍵盤連打になるところですかね.

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[これからがある生き方とない生き方]

 これからがある生き方とない生き方があると思うんですよね.そして,(私の場合)それが一気に切りかわったのが,人生が実質終わったと思った50くらいというころでしょうか.

 とか書くと,これからがない生き方よりこれからがある生き方をしたいと思いますか? 具体的には,これから(将来)に希望がもって生きて行きたい? でも,これから(将来)に希望がもてなかったら? もしそうなら,これからがある生き方はしんどくないですか? 実際,私は30代はそんな感じでしんどかったです.

 だったら,(若くて,まだまだこれからあるとしても)これからがある生き方ではなく,これからがない生き方をすればいいと思うんですよね.これからがない生き方というと身も蓋もないような感じですが,そうではなく,平たく言えば,「今を生きる」というか,その日その日を過ごしていくということですかね.そして,そういう生き方は,結構,気分がいいものです.

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[若い人用の見守りサービス]

 何度か書いているように,孤独死自体は,死に方としては悪くないと思いますが,死んだ後,長い間発見されずに,周りに迷惑をかけるのは避けたいです.で,見守りサービスというのがあるんですが,(一人暮らしをしていれば若くても孤独死する可能性はあるのに)そういうサービスは年寄り向けのものばかりで,若い人用のものがないということだったんですが,そういうものを作った人がいて,でも,何と個人が一人でやってるらしいです.

 つまり,若くて一人暮らしの人にもそういう需要があるということで,でも,一人暮らしをしていれば若くても孤独死する可能性はあるので,そういうものに入るのは,別におかしな話じゃなくて,極々真っ当な考えだと思いますけどね.でも,個人が一人でやってるってことは,その人がいなくなったら終わりじゃん(見守る人に見守りサービスが必要).

 で,どうするかについては,既に何度か書いたと思いますが,別にいっしょに住んでなくても,毎日(のように)連絡を取り合う人がいればいいってことですよね.短いメール一本でもいいと思いますが,事務的なことじゃなくて,短いメールでも,毎日(のように)連絡を取り合う人がいるということ自体,悪くないですよね.ちなみに,私には,今は,そういう人はいないです(そういう人がいたことはありました).

 そっか,SNSとかで「常時接続」してる人って,そういう心配がないんですね.でも,SNSとかで「常時接続」は,さすがにやり過ぎというか,私はパスですかね.でも,このサイトを毎日(のように)更新することならできる? ていうか,毎日(のように)更新してるし(笑).

 でも,これまでで一番長くて3週間くらい更新しなかったことはあったんですが(2013年の8月),その時は,特に何もなかったというか,安心してほっとかれた感じだったと思います(まあ,大学には何とか行ってたってことはありましたが).

 なので,そういうことにするのなら,「このサイトが○日更新されなかったら死んだと思ってください」と宣言する必要があるということですかね.

 うーん,どうなんだろ.今は大学に来てるし,まだ,そこまでは大丈夫? でも,そういうやり方より,毎日ように連絡を取り合う人が(何人か)いるというのが理想?

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[30代は実は楽しかった]

 30代はしんどかったと何度か書いてますが,実は楽しかったんじゃないかと思うようになってきました.確かに仕事は何をやっていいのかわからなくなって迷走したということはあったんですが,仕事以外のことでは,いろんな人といろんなことして楽しかったですし,つくばに行って10年くらいは,東京に帰りたいと思っていたことは,そういうことがあったわけですからね(ということは既に書きました).

 でも,それだけじゃなくて,何となく今と重なるというか,もちろん,今は仕事は何をしていいのかわからないということはないですし,一方,仕事以外のいろんなことをいろんな人といっしょにやってということもないので,状況としては,全然違うんですが,何か今と重なるんですよね.そして,今は,悪くないわけで,それは,仕事はいろいろ大変だけど,そういう中でやりたいことはできるというか,そういうところが,今と30代は重なるような気がしてきました.

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[「英語問題」何かが変わろうとしてる?]
(世の中)

 このサイトで何度か書いている「英語問題」ですが,曲がり角というか,何かが変わろうとしてると思うのですが,どうでしょうか.

 英語問題というのは,日本人はどうして英語がだめか,いつまで経ってもその状況が変わらないのはなぜか,英語の勉強はどうするのがいいか,そもそも,英語なんて(ほとんどの日本人は必要ないのに)やる必要があるのか,英語なんかよりまず母国語(日本語)をしっかりやれ,というようなことですが,そういうことが全部チャラになるような気もしてきたんですよね.

 それは,自動翻訳の著しい進歩です.何年か前に翻訳すらまともにできないのに何がAIやと書いたと思うのですが,その進歩は,目覚ましいものがあります.もちろん,ちょっと変な翻訳もまだあるんですが,意味は通じます(でも,ちゃんとした日本語を入力するとほぼほぼちゃんとした翻訳になる.そういう意味では,日本語力はやはり大事).

 そう,意味が通じれば,それでいいじゃないですか.ネイティブ並みに英語ができるというのは,一部のマニアの世界でよくて,英語を情報伝達の道具として使う分には,意味が通じれば充分でしょう.

 そうすると,何が起こるでしょうか.私の周辺で言うと,英語の論文なんか書かなくてよくなります.んなアホな? でも,黄表紙とかの日本語の論文を自動翻訳にぶちこんで,意味が通じるのなら,わざわざ英語の論文なんか書く必要ないですし,有能な外国人研究者なら,そうやって日本語の(日本が最先端の)地震工学や耐震工学の論文を読んでるんじゃないですかね(やってないとしたら,それだけで有能な研究者とは言えない).

 読み書きだけではなく,聴いたり話したりするのだって,時間の問題じゃないですかね.もちろん,情報伝達だけではなく,マニアまで行かなくても,外国人と友達になりたいとか,英語自体に興味があるとかいう人は,英語の勉強をすればいいと思いますが,英語が単なる情報伝達の手段としてしか考えない人は,もう英語の勉強なんかする必要なくなるかもしれません.

 でも,英語の勉強なんか,ほんとはする必要なくなるのと,実際に英語の勉強なんかしなくてよくなるかは別問題です.なぜなら,そうなると不都合な人が妨害するからです.意味はわかりますよね.

 英語が世界の共通言語みたいになってるのは,アングロサクソンの既得権なわけで,彼らがそれをみすみす手放すとは思えませんし,実際,彼ら以外に英語の勉強という余計なことをさせるという足かせをはめて,自分達が有利になるようにしてるわけですからね.

 ということで,残念ながら,英語をやらなくてよくなるというのは,幻想なのでしょう.でも,多くの人にとって,英語は必要ないもので,そんなものを勉強する暇があったら,しっかり,母国語の勉強をした方がいいのは,明らかです.なぜなら,「考えることは,言語を介してしかできない」からです(この文章も書きながら考えている).

 つまりは,英語はおろか,母国語もちゃんとできない人は「考えられない人」ということになります.

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[ちゃんと順調?にそうなっていたら,どうだったかな]

 東大も京大もそうですが,卒業して母校に就職してずっとそのままいる人は少ないです(昔はそれが多かったが,今はほとんどいない).具体的には,卒業した後,他大学や研究機関に就職して,そこで成果を出して,母校に呼び戻されるようなケースが多いですね.

 私の場合は,母校に就職したんですが,何年かしたときに一度外に出た方がいいとは言われました.でも,結局,そういうことにはならず,ずるずるいてしまった感じはするのですが,(たらればはないんですが)ちゃんと順調?にそうなっていたら,どうだったかなと考えました.

 ていうか,やることを見失っていたわけですから,「そこで成果を出して」とはならなかったわけで,呼び戻されることはなかったということですよね.いや,1999年台湾集集地震は起こったわけですから,そこで道は開けた? でも,地震研にいたから纐纈先生に誘ってもらったわけで,外にいたら被害調査に行ったかどうかなんかわからないと思うんですよね.

 ていうか,そういう分野で成果を出しても,声がかからないのは,そういうポストがないからなわけで,どのみち,同じことだったということでしょう.

 じゃあ,ちゃんとポストに見合うようなことをするのと,今やっているようなことをやるのとどっちを選ぶかと言われれば,答えは明らかで,結局,やっぱり,なるようになってるってことですかね.

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6/12'22
[やることを見失って迷走した?]

 何度か書いてる話題ですが,仕事というか研究は,30代にやることを見失って迷走したの件?です.でも,そうなのかな?と思い始めました(読んでる人はどーでもいい話でしょうが).

 「やることを見失って迷走した」と書くと漠然としているので,具体的なことをいくつか書くと,まず,博論の成果を黄表紙とかに書いたらどうかと言われたことがありました.と書いたんですが,これはどうしてそうならなかったのかはよく憶えてないですね.地震研に行ったんだから,地震動のことをやらないといけないんじゃないか(実験もできないし)と思ったこともあったとは思いますが,博論の成果は,JCIやPCEEには出してましたし,既にあるものを査読論文に出すということにあまりその気にならなかったんですかね.

 もう1つの事象としては,1993年北海道南西沖地震の余震で,工藤先生などが乙部町で大加速度地震動を観測されて,でも,その脇にあった小学校建物は,ほとんど無被害でそれを分析して黄表紙に出したらどうかと言われたときですかね.そのとき,その記録を欲しいと民間企業に人から言われていて,彼らより先に私に記録を渡すので,とまで言っていただきました.

 でも,結局,まともに論文を書くことはなく(数ある地震動の中の一つとして,大会や日本地震工学シンポ(は当時は一応査読論文)では書きました),しばらく待っていただいた後,もう渡すからねと言われて,その後,その民間企業の人が細かい分析をして黄表紙を出していました.

 こういうケースは,はっきりは憶えてないですが,他にもいくつかあったような気がします.そして,あらためて振り返ってみると,せっかくいいネタを提供してもらってるのにそれを活かせないというか,ほんとどうしようもない奴だなって感じですが,私の場合,ネタを提供してもらうというより,自分でネタを掘り当てたいという気持ちが強かった感じはします.

 でも,そんなの超至難なことで,だから,迷走したってことなんですかね.いや,非常に単純に言えば,ネタを提供してもらっても,あるいは,自分で掘り当てても,その気になるかならないかの差が激しすぎるというか,その気にならないとやらないというか,やっぱり,どうしようもない奴ですね.

 具体的に言えば,乙部町のケースでは,小学校をモデル化して,観測された記録を入力して,無被害を再現できるかどうかという分析は,やればできるわけで,でも,そういう一つの事象より,もっと地震動の性質と被害の関係の本質というか,一事象だけではなく,どういう場合にも通用する「法則」のようなものを見出したかったということはあると思います(実際,荒削りながら,乙部町の記録も含めた分析は,日本地震工学シンポに出してるわけですからね).

 うーん,でも,どうなんだろ? 当時のことを思い出すと,そこまで美化できる感じではなくて,研究以外のことに興味をもったということもありますし,研究自体への熱のようなものは,少なくとも今よりは低くかったと思います.

 なので,結局,よくわからないんですが,言えるのは,私がどうしようもない奴だったってことですかね.そして,それは,基本的に今でも変わらないわけで,やっぱり,非常に危ういというか,こんなんでよくやってこられたもんだなと思いますね.

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[人の言うことをきいた方がいいのか]

 言うことをきかなかったですが,繰り返しになりますが,言うことをきかなければうまく行くということではありません.というか,ほとんどの場合,うまく行かないでしょう.

 何度か書きましたが,甲子園で優勝投手になり,東京六大学でも活躍してNハムに行ったS藤さんの評判(の悪さ)というか,要は,コーチの言うことをきかなかったってことですが,そういう結果になったわけですし,同じNハムのK宮もそんな感じで鳴かず飛ばずになりそうとは言われています.

 じゃあ,素直に言うことをきいた方がいいのかってことですが,そうとも言えません.じゃあ,どっちよ?ってことですが,そんなの自分で考えろってことですかね.

 でも,言うことをきかないのなら,結果出せよってことなわけで,でも,ほとんどの人は,結果が出せないわけで,だったら,言うことをきいた方がいいってことでしょう.

 でも,コーチとか先生とか人生の先輩とかのアドヴァイスをきいて,その通りだと思うのなら受け入れればいいし,でも,それは違うと思うのなら,自分が正しいと思う道を行けばいいと思いますし,それで失敗しても自己責任というか,自分が正しいと思うことにチャレンジできたんだから,それはそれでありでしょう.

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[そう考えれば辻褄が合う]

 考えることの多くは,帰納的なものであって,多くの判断をそれに基づいてすることになるってことですが,わかりやすい例だと,投資用のマンションを買いませんかと電話がかかってきた時,いやいや,ほんとに投資用のマンションを買って儲かるのなら,他人に勧めずに自分で買うやろというのは,考えれば,すぐわかるのですが,「そう考えれば辻褄が合う」というようなことで,証拠はありませんよね.

 こういう例は,ものすごい数あって,経済の専門家?がこれから株が上がりますよと言ってるのも,株が上がれば,その専門家?が儲かるわけですし,これ以外にも,Vクチンとか,地球温暖化(が人間が排出するCO2のせい)とか,これからは貯蓄ではなく投資とか,経済を活性化してインフレにしましょうとか,タワマンに住んでる人はセレブだとか,高級車は格好いいとか,家賃を払うより家やマンションを買った方が得とか,オリンピックとかプロスポーツで活躍する選手やノーベル賞とった人は偉いとか,年収300万以下はワーキングプアとか,被災者は可哀想とか,食品添加物は安全とか,人間ドックに行きましょうとか,素直に人の言うことをききましょうとか,Uクライナ頑張れとか,あなたのことが必要だとか,評価するシステムとか,よくやったさすが君だとこき使いとか,判断を要することのほとんどと言っていいほどです(こうして書いてみると,ほんとにやばい世の中だ).

 でも,証拠がないと論文はかけませんが,判断はできるわけで,そこは使い分けが重要というか,そういうところが大きな差となって現れるんじゃないですかね.

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[うちの夫が]
(世の中)

 世界的にジェンダーギャップランキングで最下位近くに沈む日本ですが,ジェンダーギャップランキングとかカタカナにするとかわいいもんですが,要は,男女差別ランキングってことなわけです.そして,一番厄介なのは,多くの人がそれが当たり前と思ってることでしょう.

 例えば,うちの夫が○○○○で,どうして男の人ってそうなんですかね?と言ってる女の人がいたんですが,いやいや,男の人がそうなんじゃなくて,あなたの夫がそうなだけでしょ.

 つまりは,男に限らず,女も,男はこう,女はこうという非常に根深い刷り込みがあるわけで,でも,それに全く気づいてないわけで,これを変えるのは,並大抵のことではないと思いますよ.

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[仮想地理クイズ]
(地理)

 私は地理好きというか,地図好きですが,そんなに詳しいわけではありません(一般教養というか常識の範囲).でも,それを逆手にとって,仮想地理クイズみたいなことはできます.

 例えば,日本の島の面積が広いランキングはどうでしょうか?

 さすがに本州,北海道,九州,四国まではいいですよね.その次が,北方領土の択捉と国後で(でも,どっちが大きいかは微妙),沖縄本島,佐渡島あたりまでは問題ないでしょう.問題はそこから先です.大きな島と言って思い浮かぶのは,淡路島,奄美大島,天草とかで,屋久島,種子島もそこそこでかい感じはします.

 というあたりで答え合わせです.意外だったのは,淡路島がそんなに大きくない(奄美大島や対馬の方がでかい)ことでしょうか(でも,そう言われてみれば,奄美大島は淡路島よりでかい気がする).ていうか,対馬って上下で2つに分かれていると思っていたんですが,繋がっていて1つの島なんですね(これは常識不足か).そっか,五島の福江島があったな.択捉と国後は微妙と思ったけど,択捉の方が全然大きいんですね.とかいう感じでしょうか.

 島はちょっとマニアックかもしれませんが,都道府県の面積ならもっと簡単? でも,そうでもないですよね.北海道,岩手までは,憶えていますが,その次は,もう怪しいです.でかそうなのは,福島,新潟,長野あたりで,青森,秋田,鹿児島もそこそこでかそう.小さい方では,大阪,香川までは,憶えていますが,これもその次は怪しいです.まさか東京ってことはないよな.奈良とか佐賀とかは小さそう.そっか,沖縄も小さいな.

 というあたりで答え合わせをすると,上位は,だいたいあってましたが,福島が3位というところまでは,憶えてませんでしたし,岐阜もそこそこでかいとは思いましたが,青森よりでかいのは意外でした.小さい方では,やっぱり,東京が下から3番目でした.そっか,最下位は香川で,昔は,大阪が最下位でしたが,埋め立てとかして最下位を脱出したんでしたね.神奈川も小さいとは思いましたが,下から5番目というのは意外ですかね.

 でも,こういうのは,クイズ研究会みたいに憶えてもしょうがないわけで,あくまで一般教養というか,頭の中で思い浮かべる的なことの方が楽しい感じがします.

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 対馬ですが,地図を拡大してみると,やっぱり,上下に分かれてますね.で,調べてみると,もともとは1つの島で,分かれて見えるのは,江戸時代から明治にかけて人工的に運河を掘ったからだそうです.ふーん.じゃあ,逆に埋め立てて繋いでも,一つの島にはならないってことですね.でも,大阪のように埋め立てて面積が増えるのはありってことか.

 

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6/13'22
[割に合わない]

 先日の防災研の建築系の飲み会で,結婚する目的は,妻に家のことをやってもらうことと堂々と言ってる先生がいて,そんなことだからお前は結婚できないんやと総攻撃(笑)を受けていたのですが,よくよく話をきいてみると彼には彼なりの考えがあるわけです.

 男はこう女はこうでないといけないとか,男女差別的な考えがあるわけではなく,家のことを妻に任せて,その代わり経済的な面倒をみて,自分はバリバリ仕事したいということなわけで,相手もそれを希望して,両者の間にちゃんと同意が成立すればOKで,そういう人を探せばいいわけです.

 でも,実際のところは,そういう同意というか,組み合わせが成立することは,非常に稀で,それは,女も男も家のことをやるより仕事をしたい人が多いからで,逆に言えば,女が家のことをやって,男が外で働くというのが男女差別というわけではありません.なぜなら,何度も書いているように,女とか男とかである前に同じ人間という考えに立てば,男が家のことをやって,女が外で働くというのでも,男同士,あるいは,女同士で,片方が家のことやって,もう片方がバリバリ仕事して,もう片方の経済的な面倒をみるということも成立するわけで,女と男とか関係なく,それ以前の同じ人間という考えで「行ける」ことになりますからね.

 でも,事実上は,「片方が家のことやって,もう片方がバリバリ仕事して,もう片方の経済的な面倒をみる」という組み合わせは(多くの人が仕事したいので)非常に難しいわけで,結局,そういう考えの人は結婚は難しい,結婚してもうまく行かないということになるんですが,私は,何度か書いているように,また違った考えをしていて,それは,「片方が家のことやって,もう片方がバリバリ仕事して,もう片方の経済的な面倒をみる」のは,双方にとって割に合わないということです.

 何度か書いているので,詳しくは繰り返しませんが,自分の身の回りのことくらい自分でできますし,それ自体が(誰かに依存してるわけではなく)気分がいいですし(食べたいときに食べたいものが食べられるとかメリットも多いし),そのくらいのことで,自分の収入の半分(以上?)をもって行かれるのは割に合わないし,一方で,家のことをする方は,自分ではなく他人の身の回りのことをするということ自体がハードルが上がりますし,(配偶者の浮気とか)何かあったときに経済的にどうするかということもありますし,家のことは,ちゃんとやって当たり前で評価を受けにくいし,「経済的に面倒みてもらってる」感も気分がよくないですよね.

 じゃあ,結婚なんか意味ないじゃんってことですが,(再三書いてますが)その通りです(単なる社会制度).でも,お互いに惹かれ合うのなら,結婚というか,付き合うというか,いっしょに生活することもできると思いますし,その場合は,経済的にも身の回りのことも,「自分のことは自分でやる」で行けばいいわけですし,その原則の上で,いっしょにできることはいっしょにするとかすれば,うまく行かないわけがないと思います.

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[アメリカ株が売りに]
(運保)

 ここに記録があるので,個別のことは,いちいちここに書いてはいないのですが,大きな流れの変化として,アメリカ株(Nasdaq100先物)が遂に売りにな(ったと判断し)ました.ピークからそこそこ下げてるので,正直,今更感はあるのですが,長期で見れば,ものすごい高値圏にありますし,過去は問題ではなく,「これからどうなるか」なわけで,ここから更に下に行きそう(と私は思った)ということでしょうか.

 でも,アメリカ株(Nasdaq100先物)が買いになった(と判断した)のは,2020年の4月6日で,そこから4割くらいは上がった水準なので,まあまあですかね.ちなみに,VIX指数先物は逆張りなので,コンセプト的には変化なしですが,アメリカ株が売りなのに売り玉をもってるわけには行かないので(VIX指数は相場と反対の動きをする),こちらも手仕舞いました.短運や個短は,既に売りですし,全体としても売り越しになってきたと思います.

 でも,一般の人は,空売りなんてハイリスクなことはやめておいた方がいいでしょう.例えば,毎月一定額を淡々と買って行って,老後に配当暮らしを目指すのなら,今月は,大バーゲンセールでいっぱい買えるということですし,そこから更に下げたら,またまた大バーゲンセールの叩き売りです.

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 ちなみに,例によって?資保が始まった20年半ばからの推移です(でも,縦軸は秘密だけど).

今のところ(まだ)順調に推移してますし,今年に入ってからもその傾向は続いています.もちろん,これからも同様という保証は全くないのですが,まあなるようになるというか,別に儲からないといけないというわけでもないし,世の中とか経済の流れを注視しながら,これまた日々淡々と,ということですかね.

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[リゲティのエチュードに]
(ピアノ)

 久しぶりにリゲティのエチュードを聴いて,ちょっとはまりかけてます(笑).

 喩えて言うなら,去年,メトネルのソナタを久しぶりに聴いて,しばらくはまっていたような感じですかね(ご飯を食べるときとか,折に触れて譜面を見ながら聴いている).

 でも,メトネルのときと違うのは,リゲティのエチュードは,弾いてみようという気にならないことですかね.難しすぎるというか,相当地道な練習が必要になって私にはムリーということもありますが,弾いてて気持ちよさそうに思えないということがありますかね.

 でも,譜面を見ながら聴いてるとめっちゃ楽しいし,めっちゃ複雑で作り込まれているので,何度も聴いてみたくなる.でも,好きな音楽ではないし,弾いてみたいとは思わない.なんか面白いですね.

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[誰かから必要とされ依存されたい]

 他人に依存するのは怖いのですが,逆に誰かから必要とされ依存されたいという本能があるんでしょうね.めんどくさいと思っても必要とされればその気になることもあるわけですからね.

 わかりやすい例としては,子供でしょう.子供は親がいなければ生きて行けないわけで,つまり,親からすれば,子供に依存されてるから,つまり,自分がいないとだめだからかわいいんでしょうしね.

 それは,配偶者というか,パートナーも同じで,自分が相手を必要としているというよりは,必要とされ依存されたいのでしょう.でも,それも一種の依存状態なわけで,本能というのは厄介なんですが,本能を満たせば気分がいいわけで,何とも厄介な話です.

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6/14'22
[死ぬ準備は一種の片付け]

 死ぬ準備と言い方はどうかとは思いますが,せっせとやっています.でも,結構大変です.やっぱ,死ぬのはいろいろめんどくさいなあ.

 で,思ったんですが,これって一種の片付けですよね.つまり,いつでも引っ越しできるように,というのと同様に,いつ死んでも大丈夫なように,ということなわけで,それが整うと,普段を気分よく過ごして行けるってことですが,準備万端過ぎると不便になるわけで(全ての荷物がダンボールに入っていれば,いつでも引っ越しできるけど,それでは,普段の生活が不便),一人で死ぬのは嫌だからという理由「だけ」で誰かといっしょに住むのも本末転倒なわけです.

 片付けがライフワークってことなら,死ぬ準備も然りということで,何もかも一気にやるのではなく,できることから,そして,プライオリティの高いものから徐々にやって行くということですかね.でも,「死ぬ」準備が「ライフ」ワークってのもちょっと面白いですね.

 あとは,引っ越しは,ある日突然ってことはないですが,死ぬのは,それに近いというか,いつ死ぬかはわからないので,実は,こっちの方が優先度は高いのかもしれません.ということで,○年後に確実に来る引っ越しの準備は全然してないけど,死ぬ準備はせっせとしてるってことですかね.

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 どうしてそういう気になったのかということなんですが,そういうことが現実としてあり得ることを実感として感じられたんですが,今の状態でそういうことが起こるとまずいと思ったということですかね.

 年齢は関係ないと思います.なぜなら,どんなに若くても誰でもありうることだからです.そして,それは,一人暮らしか,誰かと生活しているかも関係ないです.つまり,みんなちゃんと準備できてるの?ってことでしょうか.

 でも,年齢は関係ないと思いますが,最近,起きるときに「起きたな」と思うんですよね.どういうことかと言うと,起きてるときに死ぬ時は,どんなに突然でも「死ぬな」と思うと思うんですが,寝てる時は,気づかないうちに死んでたってこともありうるわけですよね.そして,それは,理想の死に方なわけです.

 でも,理想の死に方でも,今のままだとちょっとまずい.つまり,ひょっとしたら,超ラッキーな理想の死に方をできるかもしれないのに,今はそれを生かし切れないわけで,そういうことがないように,準備しとかなくちゃ,ということでしょうか.

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 でも,実際は,なかなか難しいと思うんですよね.

 対象はいろいろあって,例えば,私は運保をしているので,ものすごい数の建玉があります.でも,「理想的な死に方」をしたら,どうなるでしょうか.死後何日かして発見されて,その時点で全ての玉を決済してもらうというのでもいいかと思っていたんですが,流れは日々変化してますし,中には売り玉もあるので,逆に大きく動けば損失無限大なわけで,もちろん,資金が0になるようなことがあれば,証券会社や取次会社で自動決済されるとは思いますが,自分の見通しや考えに従って売買しているのと違う形になってしまって,いなくなる自分はいいとしても,残される人に少しでも多くのものが残ればとは思いますよね.

 それで,考えたのは,毎日,ある操作をしないと全ての玉が自動決済されるようなシステム構築をしておくというようなことですが,かなり大変でしょうし,寝坊することはないとは思いますが(笑),操作し忘れたら,まだ生きてるのに自動決済されちゃうわけで,なんかちょっと毎日がプレッシャーですよね(3日操作しないと自動決済くらいならあり?).

 このサイトも年に1回,レンタルサーバの会社にクレジットカードの手続きをしないといけなくて,でも,タイミング悪くちょうどその時期にそういうことが起これば,あっという間にこのサイトは消えてなくなります.タイミングが悪くなくても,どこのレンタルサーバの会社で,IDやパスワードが何かとかをすぐわかるところに書いて残しておかないと消えてしまうのは同じです.

 とかいう感じで,そういうことが他にもいろいろあって,もちろん,ちゃんと対応して準備できることもありますが,いろいろ考えても妙案がまだないというか,難しい問題が結構あって,ちゃんとやろうとするとなかなか大変で,私が特にそうなのか,みんなちゃんと準備できてるの?とか思ってしまいます(あとは誰かが何とかしてくれるでは無責任過ぎるし,自分も気分がよくないでしょう?).

 でも,「具体的にどう準備するか」というのは各論的な話で,もっと根幹というか,重要なことは,自分がいつ死んでもおかしくない,そして,そういうこと(寝ているときにいつの間にか死んでる)のが起こるのは,実は,超ラッキーなことで,つまり,いつそういうことが起こってもいいようにしておくという心の準備というか,メンタリティーが大事なような気がして,そして,そういう心境になることができた(のが大きい)のかもということでしょうか.

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[元凶はアメリカのインフレ?]
(経済)

 アメリカ株やそれに伴う日本株の下落や円安になってる原因をW?Sで解説?してたのですが,元凶はアメリカのインフレにあって,それを抑え込むためにFRBが金利を上げようとしていて,それで株安,円安になってとかいう感じなんですが,じゃあ,どうして,アメリカがインフレになってるのかを説明しないと話にならないでしょう.

 それは,ジャブジャブの金融緩和をしたからで,株高やインフレになるのは当たり前だし,でも,今のインフレは行き過ぎということならコントロールに失敗したということなので,金利を上げるのは当たり前だし,そこで株が下がるのも当然の成り行きでしょう.

 それに,これからはRシア,そして,C国も経済の枠組みから締め出すんですよね? そうすると,その分,経済が萎むことになりますよ.戦争とか,ルールもないようなことをするより遥かにましだとは思いますが,その分,貧しくなることは受け入れないといけません.でも,貧しくなると言っても,必要のない余計なことをやめればいいだけの話だと思いますけどね.

 あと,円安を止めるためにN銀は,金融緩和をやめるべきと言ってる人がいましたが,何度も書きますが,N銀にはそれはできません(理由も何度も書きました).つまり,どんなに円安になっても,N銀は指を加えて見ているしかないってことなんですが,N銀は何もできなくても,我々にできることはあります.

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[実験]
(このサイト)

 これも死ぬ準備の一環です.実験なので,やめるかもしれませんが,毎日,このサイトを更新することにします.何も書くことがない日は,日付だけを入れます.もし,更新がなければ,少なくとも数日更新がなければ,何かあったと思ってください.

 今はまだ家族がいるので,家族が気づくとは思いますが,必ず気づくとは限りませんし,このサイトを読んでいる人で家族の連絡先を知ってる人もいるかもしれませんし,大学に連絡してもらっても,家族に連絡は行くと思います(毎日更新されてるサイトが数日更新されてないので,何かあったのかもということで念のため連絡したんですが,みたいなので構いません).

 もちろん,誰か毎日チェックしてくださいということではなく,気づいたときにあれ?と思ってもらえればということで,あれ?と思っても特に何もしないということでも,それは,その人の問題ではなく,私とその人との関係の問題,つまり,私の問題ということなので,それはそれで大丈夫です.

 とりあえず実験というか,そういうことにして,自分がどういう心境になるのか,回りに迷惑をかけることが回避される可能性が少しは高まって安心するのか,逆に息苦しくなってしまうのか確かめたいということがあります.やめるときは,「やめます」とここでまた書きます.

 「死ぬ準備」とか言うと,物騒というか,何かあったの?と思うかもしれませんが,そういうことは,一切ありません.でも,そういうことは,いつでも(誰でも)起こりうることで,回りに迷惑を(できるだけ)かけないように,できることはしておかないと,と思ったということです.

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6/15'22
[我々にできること]
(経済, 生活)

 円安になってインフレになってもN銀は何もできないけど,我々にできることはありますと書きましたが,それは何でしょうか.

 1つは外貨や商品を買っておくことです.それも資産の○割とか半分以上とかそういうレベルで,何年も前から書いて来たことです(そして,実際,こういう結果になりましたし,まだまだこんなもんでは済まないかもしれません).

 でも,そこまではちょっと..という人が大部分なんでしょうから(でも,そういうところで大きな差が付くんですけどね),現実的にはどうかと言うと,これも何度も書いていることですが,余計で無駄なことにお金を使わないことです.

 例えば,食料品や生活必需品が値上がりしたらどうしますか? スーパーのちらしを見て安いところに行くのもいいでしょう.でも,そんなことより,ほんとに必要なもの以外に余計なお金を使ってませんか?

 でも,みんながそんなことしたら,経済が停滞する? いいじゃないですか.目先の経済を回してバブリーなことになるよりも,地に足を付けてほんとに必要なことを仕事にして,ほんとに必要なものに消費してしっかり生活して行けばいいわけだし,みんながそういうことでやって行けば,変なことにはなりません.

 つまりは,給料が上がらなくてもインフレにならなければ,それでトントンなわけで(デフレにならなおよしだったが,そういう夢のような30年は終わった),別段そんなに悲観することもないと思いますよ.

 ただ,問題は世界というか,(浪費大国である)アメリカ経済の動向で,これに巻き込まれるとただでは済みません(とも何度も書いて来ました).そうすると,やはり「準備」は必要ということになりますかね.

 いつか,そういうことが起こるとずっと書いて来ましたが,とうとうそういうことになってきたのか,あるいは,どこかでまた持ち直すのかは,わかりませんが,持ち直しても一時的なもので,大きな流れは確実にその方向に向かっています.

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[いつでも死ねる準備]

 「いつでも死ねる準備」というと言葉が物騒だし(でも,実際にそうなんですけどね),ライフワークってことは,これからしばしばこのサイトに登場することになるので,運保みたいな何か他の(意味不明の?)用語を考えた方がいいですね.終活というのは,既にあるんですが,他人が作った用語は使いたくないし,そもそも,中身が本質的に違いますからね.

 で,既にいろいろ始めているんですが,「いつでも引っ越しできる準備」と同様に,行動を起こす前にシミュレーションというか,頭の中でいろいろ想像して段取りすることが重要なのは同じで,そして,やっぱり,いろいろ大変そうですが(つまり,終活とかそういう単純な話ではないということ),そこを頭を使って創意工夫で解決するというのも同じで,結構楽しめるかもしれません(何でも楽しんじゃえばいい).

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[PCのキーボードもピアノと同様「脱力」が重要]
(体, ピアノ)

 左手の345がこわばる件ですが,少し原因がわかって,要は「力が入っている」んですね.つまり,PCのキーボードもピアノと同様「脱力」が重要ということで,そういうことを意識すると,大分(以前のように)スムーズに打てるようになってきました.そして,これは,まさにピアノも同様ですね.

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(サッカー)

 昨日の試合は,チュニジア(WC出場国だが日本より世界ランクは下)相手に0-3の惨敗だったんですね.WCのグループリーグのシミュレーション的には,ドイツ,スペイン以外のチーム(昨日,コスタリカに決まった)に大勝だったんでしょうが,大勝どころか大敗だったわけです.

 そして,失点の原因は,(またまた)DFのY田です.これまで何度か書いてますが,彼って失点に繋がる致命的ミスを結構するんですよね.冨安がいるじゃないですか.まだ怪我が心配?

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[ケージ]
(ピアノ, 音楽)

 次はケージかなと書いたのですが,彼の代表曲って何ですかね? 一番有名なのは,やっぱ,4分33秒なんですかね.

 トリビアの泉にも登場(笑).

 プリペアドピアノのためのソナタとインターリュードは,既に紹介しましたし(プリペアドピアノ自体は斬新ですが,曲自体は,別段新しいわけではなくて,むしろ,聴きやすいですし,技術的にも難しくはありませんが,どうプリペアしてどういう音を出してそれを音楽の中でどう使うかの選択は秀逸)


 エチュード・オーストラルも既に紹介したと思います.

 これ以外に私が聴いたことがあるのは,ピアノだと,易の音楽(思い出的には,高校時代,FMで録音しながら聴いて,最後,90分テープの片面の47分くらいにぎりぎり入らなくてがっかりした)と後は何かな.

 In a Landscapeのような聴きやすい音楽も書いています.

 でも,ケージの場合,作曲家として,こういう曲を残したというよりは,音楽そのものを追究したというか,その1つの形というか,どん詰まりが「4分33秒」ということですかね.

 でも,この曲?は,ケージがまだ40くらいのときの作品で,そこで音楽が終わることはなかったわけで,行くところまで行って折り返しというか,その後も(新しいかどうかはともかく)音楽は生まれ続けたわけですからね.

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[今日も生きてる(笑)]

 ということで,ここで文章を書いているということは,今日も生きてる(笑)のですが,変なことを書いたというか始めたような気もするのですが,私の中で(また)何かが大きく変わって何かに近づいたことは間違いなですし,それは,悪い気分ではないです.

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[親戚のようなもの]

 どこかで書いたような気もするのですが,「親戚のようなもの」がいいと思うんですよね.イメージとしては,わかり合える人間が集まって,そういうものができるということでしょうか.

 家族(のようなもの)との違いは,幅広い世代に渡って,そこそこの大人数(数十人くらいか.でも,10人くらいでもいいかも)ということでしょうか.でも,「のようなもの」ということは,子供はできないので,(年寄りが死んで抜けるとともに)若い世代の人が入ってくる仕組みが必要ですかね.先日,若い人達の中で,(経済的な問題ではなく意思として)結婚したいという人がどんどん減ってるということだったので,それなりのニーズはある気はしますしね.親戚が盆と正月に集まるように,年に2回くらい集まれる人は集まってもいいでしょうしね.

 そっか,どこかで書いたような気がするというのは,会社のことですね.でも,会社だと稼がないといけないし,仕事をしてもらって給料を払うというgive&takeが成立するという制限があるわけで,でも,そんなものなくても,普段ゆるーく,でもしっかりと繋がっていて,時々顔を合わせるというくらいでいいと思うんですよね.そして,実際の親戚もそんな感じですよね.

 そして,親戚と違うのは,血縁がないということですが,そんなの関係ないと思いますし,むしろ,血が繋がっているだけで考え方が違うより,血が繋がってなくても考え方が近い方が話したり,何かいっしょにしたりする方が絶対楽しいと思いますからね.

 あとは,親戚と違うのは,財産分与的な話ですが(親戚という縛りも結局はお金の問題のことが多い),多分,法的には何とかなるんじゃないですかね.それこそ,形式的に会社という形をとってもいいかもしれませんしね.

 でも,そうやって具体的になってくると,めんどくさくもなってくるわけで,一番いいのは,自然といつの間にかそういうものができているということですかね.それに,別に「親戚のようなもの」のような集合体である必要はなくて,親戚のようにその中での横の繋がりはなくても,(私にとっては)私と誰かが繋がっていればいい気もするので,結局は,私自身の問題ですかね.

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[○備]

 いつでも死ねる準備の(意味不明の)名前をどうするかですが,「準備」に倣って○備ですかね(○に何が入るかは考え中).まあ名前はどうでもいいんですが,問題は中身というか,とにかく,○備を進めることです.でも,引っ越しの準備と同様に,いきなり行動を起こすのではなく,まずは,しっかり頭の中でシミュレーションをして段取りをすることでしょう.

 あとは,いきなり完全を目指すのではなく,まずはできる範囲でとりあえずやることですかね.つまりは,それこそ,いつ死ぬかわからないので,いつ死んでもいいように早い段階である程度の○備を整えて,然る後に完成度を上げていくということでしょうか.

 そして,これって何でもそうですよね.例えば,論文とか何かの〆切があるのなら,〆切ぴったりに向けて準備して行くのではなく,早い段階で最低ラインまで進めておいて,とりあえずはまずは提出はできる状態にして,残りの時間で完成度を高めていくということでしょう.もっとも,現実には,なかなかそうは行かないですが...

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 ○備(まだ○は決まらない.別に決めなくてもいいけど)ですが,年齢は関係ないと書きましたが,ある程度は,関係するような気がしてきました.それは,年齢を重ねると死が近づくというよりは,内面の変化があるということでしょうか.

 例えば,こっちに来る前の引っ越しの準備の時,荷物を大量に廃棄したんですが,それは,20年前からの内面の変化というか,20年前は必要でとっておこうと思ったものが全く不要に思えたというように,そういうことが変化したからだと思うんですよね.

 昨日挙げたものだと,例えば,運保なら,これから歳を重ねて行って,どこかの段階でもういいやと思ってやめるかもしれないわけですし,それは,このサイトも同様です.つまり,歳を重ねていくことで○備が必要なくなることもあり得るわけで,そして,それが自然のような気もしてきました.

 でも,そうすると,それこそ「枯れる」まで生きて,ほんとに生活に必要なものだけになるところまで行って,死んでも回りに迷惑をかけない状態になるのが理想かもしれなくて,逆に言えば,何らかの(物欲とかではなく,もっと広い意味での)欲があるうちは,死ねのは簡単なことではないというか,でも,それでもいつ死ぬはわからないので(とりあえずの)○備は必要ということでしょうか.

 でも,ほんとに生活に必要なものだけになるところまで行けたとしても,その時点でもいつ死ぬかはわからないので,そこからどうやって生きて行くかということはあるわけで,つまりは,結局,そういうところまで行けるかどうかは関係ないというか,やはり,○備をしていく必要はあるということですね.

 あとは,いろいろ考えると○備を整えるためには,賃貸よりは一軒家の方がやりやすいとは思いました.これについても,ほんとに生活に必要なものだけになるというところまで行ければ,賃貸でもいいと思いましたが,いつ死ぬはわからないので,とりあえずは一軒家の方がということにはなりますかね.

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[芸能界なんてそんなもん]
(世の中)

 韓国の世界的?アイドルグループが突然の活動停止ということで,衝撃が走っているとの報道です.でも,芸能界なんてそんなもんでしょう.

 一見派手な世界に見えますが,金儲けをしたい奴等が若い人達を利用してこき使ってるのが実態で,それはそれに乗っかるメディアも同じですし,プロスポーツの世界も多分にそういう側面があります.芸能界ではないですが,カリスマユーチューバーとか言っても,小金持たされせてこき使われてるのは同じで,一番儲かってるのはグーグルなわけです.

 そして,更にその背景にあるのは,個を犠牲にして人類を繁栄させるプログラムなわけで,だとするとそういう本能に逆らうのは容易ではないのですが,本能に従うことしかできないのなら動物と同じです.

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6/16'22

 何らかの(物欲とかではなく,もっと広い意味での)欲があるうちは,死ねのは簡単なことではないと書いたのですが,正確ではないですね.何度か書いているように,現時点では,「ニュートラル」なわけですから,そういう意味では,もう大丈夫なんだと思います.

 でも,まだ○備ができてないので,大丈夫じゃないってことなんですが,それって,結局,同じことやんという気もするので,だったら,とりあえずでもいいので,○備を整えたときに自分の心境がどうなるかを確かめたいってことなんですが,今がニュートラルなら,もう死にたくなっちゃうんですかね.

 いや,ニュートラルなのは,○備抜きの話なので,そうはならないか.つまりは,○備が整って初めてニュートラルなので,今はまだ死ぬわけにはいかないってことですね(今までニュートラルと言ってたのは,○備が整ってないという認識が足りなかったということ).

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[人生が終わったとはどういうことだったか]

 ○備とか言ってるってことは,50くらいになったときに実質が終わって以来,また大きな節目が来たような気がするのですが,そもそも,(50くらいになったときに)人生が終わったとはどういうことだったんだろうかと考えました.そして,それは,一言で言えば「何かを目的として何かをすることはなくなった」ということですかね.

 具体的には,食べて行くために働かないといけない,そして,仕事をするのなら,成果を出さないといけない,そして,それに伴って,ある程度の対価や評価が得られるということでしょうか.そして,50くらいになって,もう何とか食べて行くために無理して働く必要もなくなったし,対外的な評価についてもほぼほぼ結果が出たということでしょう.つまりは,人生が終わったというか,どういう人生が終わったのかというと,「社会的人生」が終わったというようなことですかね.

 そして,その結果は,社会的評価としては,Q大の話があったことも含めて旧帝大の教授程度ということだったんですが,今までにない分野を切り開いた割には大したことなかったなあと思う一方で(でも,今までにない分野なのでポストがないのは当たり前なんですけどね),そんなことより,やりたいことをやって今までにない分野を切り開いたという満足感の方が大きかったですし,社会的評価ではなく,もっと本質的なところでは高く評価をしてもらったと思いましたし,やりたいことをやらせてくれた筑波大の存在はありがたかった(今までにない分野なのでポストがない状況での唯一のポストとも言えた)わけで,つまりは,社会的人生が終わったと言っても,私自身は,社会的人生はほとんど送ってこなかったわけで,こうして振り返ってみると,実質的に大きな変化はなかった気がします.

 でも,社会的には大したことなかったという結果が出たり,一方で,社会的ではなく本質的なところでは満足できたとしても,何かが終わるのは,なかなかしんどいことで,それで「人生が実質終わった」ということになったわけです.

 じゃあ,何かが終わると何がしんどいのかというと,それは明らかで,次は何したらいいの?となるわけです.つまり,30代のときと状況は非常に似ていたことになります.

 でも,30代のときは,やりたいことを見つけてそれを仕事にするという旅が終わったのなら,じゃあ,そのやりたいこと(仕事)をすればよかったというだけの話ですが,そう簡単に事は運ばなかったわけで,それは,50代も同様だったんですが,それまで社会的人生はほとんど送ってこなかったのなら,それを継続すればいいだけの話だったと思うんですよね.

 そして,50代と30代の違いは,それが何とかできたことで,それは,やはり,このサイトでいろいろ考えたからで,そこが50代と30代の大きな違いですかね.

 そして,また何かが終わったのだとすると,そういう節目がまた来たということなら,また(このサイトで)考えて行けばいいってことですかね.

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[目的化することの危険性]

 すぐ上で「30代のときは,やりたいことを見つけてそれを仕事にするという旅が終わったのなら,じゃあ,そのやりたいこと(仕事)をすればよかったというだけの話」と書いたのですが,今にして思えば,どうしてそんな当たり前のことができなかったんだろうかと考えました.

 つまりは,何度か書いている「目的化することの危険性」の罠にはまったってことじゃないですかね.「やりたいことを見つけてそれを仕事にする」ということが目的になってしまうと,その目的を達成すれば,目的を失うのは当然です.

 成果を出して昇進するとかの次の目的を設定するという人もいるとは思いますが,私は,そういうことにはあまり興味がなかったですし,次の目的を設定しても,それをまた達成すれば,結局,どこかで行き詰まります.

 でも,やる気三要素的には,やりたいことを見つけたんですから,やりたいことをやればいいだけの話だったわけで,生き方的に未熟だったということですかね.

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[刺さったり共感したりしてどうするんですか?]

 名言?とかが刺さったとか,歌詞に共感したとか言う人いますよね.でも,刺さったり共感したりしてどうするんですか?

 例えば,やりたくないことはいくらでもあるけど,やりたいことはそんなにないっていうのに共感した,やりたいことが見つからないと言ってた人がいて,でも,共感して,あなたはどうするの?ってことなわけです.

 やりたくないことはいくらでもあるのなら,論理的に考えれば,その補集合,つまり,やりたくなくはないことがやりたいこととはどうして考えないのですか?

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6/17'22
[そんな単純な話ではなかった]

 今にして思えば,どうしてそんな当たり前のことができなかったんだろうかと書きましたが,そんな単純な話ではなかったと思います.当時のことを思い出してみると...(でも,そんなことをして何の意味があるのかはわかりませんが)

 やりたいことを見つけてそれを仕事にすることができたんですが,更に言えば,私にとって,地震研は,最高の就職先だったと思います.RCの部材実験よりは,地震動に興味をもっていましたし,RCの世界で,RC建物の設計法や設計用入力地震動も含めて地震動が絡むようなことをやって行きたいと思ってましたからね.

 最初の頃は,南先生の仕事の手伝いやいろんな学外の仕事(いろんなプロジェクトに入って,自分で計算して報告書を書いて,毎回,委員会で説明というのが結構な数あった)をしながら,自分のテーマとしては,RC建物の設計法,具体的には,設計クライテリアが層間変形角なのに,それを耐力だけで制御しようということに違和感があって,具体的には,剛性という概念が必要で,そういうものを導入して,設計用入力地震動はもっと手薄で(El-Cetro 50kineで最大層間変形角が1/50というのが当時のクライテリア),ちゃんと地震動の性質や発生確率を勘案したRC建物の設計法を開発したいと思っていました.

 でも,何年かやって論文を書いたり,ワークショップとかいろんなところで発表したりしたんですが,反応は今一で,中にはあからさまにそんなことやってもしょうがないと言う人もいたりして,だんだんめげて行った感じはします(あと,学外の実働部隊としての仕事が多すぎたのと,地震が起こる度に被害調査に行かされたのもしんどかった).

 でも,やりたいことがやれるというだけでいいのなら,そんな社会的評価なんか気にせず,やりたいことをやればよかったと思うんですよね.実際,1-2秒応答を言い出したときも反応が今一なのは同じで,でも,なぜかこの時は,全然めげなかったわけで,今となっては,その差はどこから来るのかはわかりません.

 結果的に,30代のときは,認められなかったけど,40代のときは,認められたってことなんですが,じゃあ,中身的に,前者の方がつまらなかったかというと,そういうこともなきにもあらずですが,むしろ,後者のの方がわかりやすかったというか,結果が実際の被害状況という動かぬ証拠として出たってだけな気もするんですよね.

 そういう意味では,RC建物の設計法が今どういう状況なのかは詳しくは知りませんが,部材レベルではなく,フレームレベルでやるべきことはあると思いますし,それは,入力地震動の設定なら尚更で,でも,RCの場合,実際の被害データがほとんどなくて,全て「計算上の話」になってしまうので,「実験が全て」のRCの世界で受け入れられることはないんだと思います.

 そうすると,そういう状況でもやりたいことというか,自分が正しいと思うことを外的評価なんか関係なくやって行けるかってことになって,結局,私の内面の問題,具体的には,30代のときは,評価を受けないということに対してのメンタル不足というか,じゃあ,40代のときは,メンタルが強くなったかというとそういうわけじゃなくて,評価とかそういうことがどうでもよくなったというか,そんなことより,正しいことは正しいということの方が遥かに重要とより強く考えるようになったということですかね.

 こうしてみると,30代の頃は,まだまだ未熟で,評価して欲しくて,まだまだ社会的に生きていたってことですかね.でも,これはこれで仕方ない面はあって,なぜなら,そこからまだ長い人生を「この世界で」生きていかないといけなかったわけで,そのためには,評価される必要があったからです.それに東大にいたので,自分がやりたい好き勝手なことはできないというようなこともありましたかね.

 なので,まあしょうがないんですかね.でも,若いときから与えられた仕事をちゃんとしてちゃんと評価されている人もいるんですが,私の場合,それがだめというか,自分で何か新しいことをしたいというのが最大の問題というか,なので,やっぱり,しょうがないんですかね.

 でも,こうして振り返ってみると,今となっては,いい思い出というか,ちゃんと言うことをきいて順風満帆な人生を送るより面白かったと思うのですが,危ない場面は,何度もあったわけで,やっぱり,お薦めできるものではないですね.

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 「30代の頃は,そこからまだ長い人生を生きていかないといけないわけで,そのためには,評価される必要があった」と書いたのですが,もっと具体的に言えば,(RCという非常に大きな)学界や業界の中には,大先生方や大先輩方がものすごい数いらっしゃって,そういう中で,まさに社会的にやって行かないといけなかった,自分がやりたいことを好き勝手にやっていくわけには行かなかったってことですかね.

 でも,40あたりを境にRCとは違うことを始めて,そういう枠からはずれて,かつ,大学も東大を離れると,そういうプレッシャーというか,社会的なことが大分なくなって,やりたいことが(好き勝手に)できるようになったということはあったと思います.

 でも,もちろん,やりたいことを好き勝手にやってれば,それでいいってもんでもなくて,勝手に何か新しいことやるのなら結果出せよってことなわけで,私の場合,たまたま結果が出たってことなんでしょうが,やっぱり,危なかったと思うんですよね.でも,結果なんか出なくても,やりたいことやってれば,それでいいと思えばそれでもいいのですが,私の場合,そこまでは思えなかったというか,こうしてみると,結構,社会的というか,それなりにちゃんと要領よくやってきた感じもしてきます.

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 こうしてみると,まさにこれからがある生き方とない生き方の傾向がここにも如実に現れていて,つまりは,歳をとって人生の残り時間が少なくなってくる一方で,これから頑張っていかないと,ということはだんだんなくなって自由になってくるわけで,若い頃は,いろいろ不自由なことはありますが,まだまだ未熟で(有能な)年長者の意見をきくことも必要でしょう,無茶ぶりというか無理難題もエネルギーで乗り切ることもできますし,まさにニュートラルというか,釣り合っているというか,そういう風に生きて行ければいいですね,ってことでしょうか.

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6/18'22
(日記)

 特に書くことはないんですが,日記的なこととしては,昨日の夜が部門の歓送迎会で,今日がピアノプロジェのzoomミーティングでした.

 昨日の夜の部門の歓送迎会は,場所が宇治で(ここも宇治だけど),電車で宇治(のJRの駅)まで行ったのは初めてでしたが(車では何度も行ってますが),電車で行くと何か景色が違うというか,車で行ったときは,もっと田舎な感じでしたが,昨日は,結構街だなという印象でした.

 今日のピアノプロジェのミーティングで,バルトークの2台のピアノと打楽器のためのソナタのことについてきいてみましたが,私以外は憶えてないというか,該当しないみたいでした.インターネットで検索してもわからないのですが,高久先生が調べてみると言ってました.

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(野球)

 ライオンズまた(ソフトバンクの東浜に続いてオリックスの山本に)ノーヒットノーランやられたんですね.順位的には,首位と6ゲーム差の3位なんですが,1シーズンに2回もノーヒットノーランやられて優勝するなんてことあるんでしょうか.

 阪神は,何と気づいたら3位なんですが,こっちは,ヤクルトが強すぎる感じです(こっちは12.5ゲーム差).でも,3位に入っていれば,日本シリーズに出られる可能性はあるわけで,それはそれで何だかなあとは思いますね.

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6/19'22
(このサイト)

 昨日は,変な宣言?をしなかったら,更新するのを忘れたというか,更新しない日だったと思います.でも,変な宣言?をしたから(日付だけでもいいけど)何か書かなきゃみたいな.

 でも,ほとんど毎日更新してるので,労力的には,ほとんど変わらないんですが,何か書かなきゃ,っていうのは,あんまりよくないですね.ということで,一日のどこかで(多分,お昼くらいには)とりあえず日付だけでも入れることにします(今日は,この記事書いてるけど).

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[子供がいる人の話]

 私には(まだ)子供はいないのですが,子供がいる人の話はよくききます.そして,その度に思うのは,「ちょっと想像つかない」です.どういうこと?

 どういうことでしょうね.でも,それが第一印象というか,全てなんですよね.もし,私に子供がいたらどうだったかな,なんて想像もつかないし,てことは,子供がいたらよかったなとも思わないし,子供がいなくてよかったなとも思わない.そっか,これもニュートラルってことですかね.

 でも,言えるのは,かなり違った人生になったということでしょう.そうすると,これまでの人生には満足しているので,論理的というか確率的には,子供がいなくてよかったってことになりますかね.まあ,自分で選んだことですが.

 でも,これまではそうだけど,これからは違うでしょ,と言う人もいると思います.そうですね.でも,それもわからないというか,ニュートラルなんじゃないですかね.つまりは,どっちでもいいというか,どっちも受け入れるということですかね.

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(日記)

 好きな人の夢を見ました.ずっといっしょというか隣にいたような感じで,とても幸せでした.

 で,目が覚めたときは,夢かと思ったのですが,ここ最近起きたときに感じる「起きたということは生きてるってことだな」とは思いませんでした.意味することは...何でしょうね.

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[アスペルガー症候群]

 イーロン・マスクのことをやってる番組があって,別段興味もないので,さっと流し見をしたような感じですが,彼って,アスペルガー症候群らしくて(本人自身もそう言ってるらしい),何かに夢中になるとのめり込むらしいです.調べてみると,どうやら,自閉スペクトラム症のことのようで人付き合いとか社会的な障がいということらしいです.

 「何かに夢中になるとのめり込む」ときいたときは,ひょっとして自分も?と思ったんですが,ちゃんと調べると全然ちゃうやんと思ったんですが,思い返すと,小さい頃は,自閉症までは行かなくても生意気で自分勝手で問題児だったと思いますし,大人になってまともになった?としても,ちゃんと考えて振る舞っているようなところはあるわけで,当たらずといえども遠からずな感じはしてきたのですが,これまた,どーでもいいことですかね(何とか症候群とか名前を付けてどうこう言ってもしょうがないし,十把一絡げにできるわけでもないし,そういう条件下で,できることをやるしかないし,そうすればいいだけの話).

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[実質「3位に入ればOK」になっちゃった]
(野球)

 3位に入っていれば,日本シリーズに出られる可能性はあるわけで,それはそれで何だかなあとは思いますと書いたんですが,要は,ペナントレースは実質「3位に入ればOK」になっちゃったんだと思います.選手自身が優勝のことを「1位通過」とか言ってるくらいですからね.

 もちろん,リーグ優勝はリーグ優勝ですし,たかが数試合で決まるCS(クライマックスシリーズ)で勝つことより,140試合以上で決まるリーグ優勝の方が価値が高いのは明らかですが,喩えて言えば,シーズンを通して戦うスキーなどのWC(ワールドカップ)の総合優勝とかポイントが蓄積された形で評価される世界ランキングで1位になることにより,4年に1回のオリンピックという一発勝負で金メダルを獲る方が注目されるというのと同じってことですかね.

 背景にあるのは,もちろん,商業的なことですが,評価がそうなってしまったものは仕方ないというか,そういう一種の枠組みの中でやるしかないということでしょう.つまりは,ここでも「他者評価」ということがあるわけで,所詮そういう世界ってことですかね.

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 でも,そうすると戦略的なことは出てくるわけで,それは,CSや日本シリーズといった短期決戦対応ということで,具体的には,何度か書きましたが,そこそこのピッチャーを5枚揃えるのではだめで,勝てるピッチャーが2,3枚必要になるということです.

 あとは,ピーキング,即ち,シーズン終盤の戦い方というか,そこで疲弊しないことで,そういう意味では,優勝チーム,特に2位にゲーム差を付けた場合は,手を抜くこともできて,有利になるということはあるのでそれを最大限活用することでしょう.実際,最近,優勝チームがCSを抜けるケースが多い感じはしていますが,それができてないのがライオンズで,それは,上で書いた短期決戦対応もできてないし,優勝チームのアドヴァンテージを全く活かせていないってことですね.

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(日記)

 ○備ですが,全然進まないですね(引っ越しの準備と同じ).でも,いつ死ぬかわからないし,やらないとまずいんですが,これも正常化の偏見ですかね.

 でも,なぜかその気にならないときもあるけど,その気になるときもあるわけで,その気になったときにやればいいってことですかね.いや,いつ死ぬかわからないので,とりあえずのところまでは,さっさとやらないとまずいんですけどね.

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 最近の睡眠の状況はそんなに悪くないんですが,長く続けて眠れたから調子がいいというわけでもない気がしてきました.今日はそうだったんですが,あまり調子はよくなかったです.

 なので,気にせず,目が覚めたら起きて,しんどくなったら休む,で行けばいいってことですかね.

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6/20'22
[どうしてめんどくさい?]

 どうして「めんどくさい」んでしょうね?

 本能的なものなら,生きて行くためには食べないといけなくて,でも,食べるのがめんどくさいとは思わないし,種の保存のために性欲があるわけで,疲れたら休めなら睡眠があるわけですからね.

 もちろん,食べて行くためには,働かないといけない(原始的には,狩りに出たり農耕をしたり)ってことなんですが,それが「めんどくさい」わけです(勤労の後の幸福は「哲学」ということは,本能には程遠いってこと).

 つまり,メカニズム合理性から行くと,働くと気持ちいいというように本能にプログラムされていれば,めんどくさくなかったのにってことなんですが,問題は,どうして,そうプログラムされなかったのかってことですかね.

 そっか,動物の場合を考えてみると,お腹が空いて獲物を狩ることは,食事そのものだったわけで,食事と労働が一体化していたわけですね.でも,人間の場合,それらが農耕になり産業になって分離したのが問題ってことですね.

 めんどくさいですね.

 じゃあ,原始時代に戻るかというと,そうはならないわけで,まあしょうがないんですが,これも与えられた条件下で,ってことですかね.

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 少し,発展的に考えると,上げ膳据え膳はまずいってことですね.

 つまりは,食べるために狩りをするように,買い物に行ったり,料理をしたりするなどの多少の労力が必要で,それがなくなると,プログラム的におかしくなってしまうということがあるような気がします.

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6/21'22
[誰とやるか]

 やっぱり,誰とやるかなんでしょうかね.

 バドミントンの練習によく行ってた頃は,いっしょに打ってて楽しい人達と打ってましたし,スキーにもっと行ってた時は,平日にいっしょに行く人がいましたし,ゴルフもいっしょにコースに出る人がいなければ練習場にすら行かないわけです.

 ピアノは,基本的に一人で弾くものですが,やはり,人前で弾く機会は大事ってことですかね.そういう意味では,ピアノプロジェの存在は大きいのでしょうし,これも一番弾いてたのは,やはり,東大ピアノの会時代でしょうからね.

 研究だって,学生達や共同研究者がいるから楽しくやってるところはあるわけで,定年で大学をやめた後,一人でしこしこやって行くかと言うと...

 そして,人生に敷衍すれば,誰と生きて行くかということなのでしょうか.

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 その一方で,「一人」は,長い時代を経て,現代人がようやく獲得した権利だと言ってた人がいました.

 少し前(高度成長期)までは,大家族で,学校や会社はもちろん,家に帰ってきてもずっと「みんな」だったわけですからね.

 てことで,結局は,やはり,「一人,時々,みんな」ってことですかね.でも,なんとなくですが,ちょっと「みんな」不足な感じはしますし,定年で大学をやめた後は,なおさらでしょうか.

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6/22'22

 でも,(また堂々巡りになりそうですが)「みんな」は楽しいことも多いけどめんどくさいことも多い.そして,だんだん,楽しいことよりめんどくさくないことが勝つようになってきたということで,「一人でも大丈夫」を目指すようになったということなんですが,やっぱり,「一人でも大丈夫」はあり得ないので,「一人,時々,みんな」の「時々」のバランスポイントを少しずつ「一人」に動かして行くということなんでしょうね.

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[死んだらもう何も「自分に返ってくるものはない」ではない]

 ○備ですが(めんどくさくて)なかなかやらないってこともありますが,対象はいろんなものがあって,中には「なかなかパズルが解けない」ものもあるんですね.そして,そういうものの方が重要度が高かったりします.

 大きな要因としては,やはり,「死んだら何もできない」ってことですかね.つまりは,誰か信頼できる人にお願いしておくしかない,でも,その人も(私と同様)いつ死ぬかわからないわけですから,そういう人が複数人必要ってことですかね.

 でも,心境の変化的なこととしては,もちろん,(苦しまずに)突然死ぬのは,自分としてはラッキーなんですが,迷惑をかけることにならないようにってことなんですが,それだけでもないというか,私は他者評価は気にしないので,死んだらもう何も「自分に返ってくるものはない」と何となく思っていたんですが,そんなことはない感じもしてきたということでしょうか.

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 でも,こうしてみると,やはり,簡単に死ぬことはできないってことなんですかね.具体的には,もうやりたいことが何もなくなって枯れ果てるまで生きないといけないってことなのでしょうか.でもそんな状態で生きていてもしょうがないですよね.

 でも,そういうこととは別に(まだまだやりたいことがあるのに)その時が来ることもあるということで,やはり,○備は必要なわけで,でも,なかなか難しいところをパズルというか,創意工夫で何とかするってことですかね.

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[何となくのイメージの「人が住む街」]
(生活)

 何となくのイメージの「人が住む街」ってありますよね(ない?).

 もちろん,都会か田舎か,東京か地方かというのはあるんですが,何となくのイメージの「人が住む街」って,例えば,東京なら,都心ではなく郊外で,電車で30分か40分くらいのところで,最寄りの駅前もまあまあ賑やかで,普段は住んでるところから最寄りの駅くらいまでの範囲で生活できるけど,時々,何か用事があるときに電車に乗って都心に出るみたいな.

 もっと具体的には,何か特別な設定があるわけでないドラマとかアニメ(は私はほとんど見ないけど)の舞台,更に具体的に言うと,例えば,あだち充のコミックで出てくる街(笑)みたいな感じで,東京の場合は,北でも南でも東でもなく西でしょうか.よく知らないけど,宮崎アニメとかもそんな感じがするなあ.

 でも,そんな街,実在するんですかね? 具体的に考えると,中央線,京王線,小田急線のどこかって感じですが,どれも雰囲気も含めてだいたいわかりますが,具体的にイメージに合う街というか駅周辺ってちょっと思い当たらないですね.

 中央線だと,吉祥寺より手前は東京(杉並)だし,吉祥寺も結構都会だし,でも,吉祥寺を過ぎると途端に東京から離れる感じがしますし,京王線,小田急線もそんな感じ(京王線なら調布,小田急線なら多摩川を渡るあたりが境で,その手前は世田谷)ですかね.

 そっか,中央線,京王線,小田急線じゃなくて西武線?(確か,あだち充のコミックはそんな感じで,東京でも杉並や世田谷ではなく練馬ってこと?) でも,西武線だとちょっとイメージが...なので,京王線の調布のちょっと東京寄りあたりな感じもしますが,私自身がよく知らない(駅で降りて街に出たことがない)だけな感じもします.

 でも,こういう「イメージでしか存在しない街」ってありますよね.そして,それは(この場合は理想というわけじゃないけど)理想の街が存在しないというか,何度か書いている「将来住みたい街」というか,こういう街があったらいいなというのも幻想なのかもしれません.

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[寝食も忘れて]

 どうしてめんどくさい?で,食べるのがめんどくさいとは思わないとか,疲れたら休めなら睡眠があるとか書きましたが,もちろん,話を単純にするためにそう書いたわけで,実際のところは,食べるのがめんどくさいことも寝るのが勿体ないと思うことはかなりあります.

 いわゆる「寝食も忘れて」ということですが,そんなの若い時の話でしょってことじゃなくて,感覚的には,今も若い時も変わらないと思います.でも,物理的なところは違うので,結果最大になるように制御しているというか,それだけの話のような気がします.

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[選挙に行く意味]
(政治)

 もうすぐ(国政)選挙があるんですが,参院選(しかも,参院選なので半数)なので,政権選択選挙ではないわけで,じゃあ,何のためにやるの?何のために投票に行くの?ってことです.でも,J民党が参院選で惨敗して首相のH本さんが辞任に追い込まれたこともありましたし,与党が勝つとしても勝たせ方を変えることで,国民の意思を示すことはできるわけです.

 でも,K田内閣の支持率は,結構高いようで,結果はもう出てるようなものでしょう.結局,野党の体たらくがほんとどうしようもないってことですかね.物価高を何とかしますとか消費減税しますとか口当たりのいいことを言えば言うほど,こいつらには任せられない感が増すばかりだと思うんですけどね.

 おそらく,選挙対策のプロ?がいろいろ戦略を立ててるはずですが,そんなどうしようもないことが得票に繋がるってことなんですかね? もしそうだとしたら,国民は○ホだし,そうでないとしたら,政治家や選挙対策のプロ?が○ホってことで,どのみちどうしようもない話ですね.

 こんな状況では,とても野党に投票する気にならんし,それは与党も然りなわけで,どうせ与党が勝つなら選挙に行っても意味ないじゃんと考えますよね.でも,選挙に行く意味があるとすれば,上で書いたように,与党が勝つとしても勝たせ方を変えることで,国民の意思を示すことはできるわけで,どっちかましな方に投票する,だとどっちもだめだから投票に行く気にならないとなってしまうのですが,現状では,与党が評価され過ぎと思えば野党に,逆であれば与党に投票するという考え方はあると思います.

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[思い出しました]

 ○備がなかなか進まないと書いたのですが,あることをしてある人に伝えたことを思い出しました.もちろん,そのことは憶えていて,でも,それでは不充分というか,ちゃんとできてないと思っていたのですが,今日,あらためて見てみて...一応,ちゃんとそれなりにやってるとは思いました.なので,必要最低限のことはできてるってことですかね.

 でも,やっぱり,できてないこともありますし,不充分というか,抜け穴があるというか,うまく行くかどうかわからないこともあるので,○備は進めるというか,パズルを解いて行こうと思います.

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[自己啓発系YouTube]
(世の中)

 最近,YouTubeを結構見てて(と言っても,合計しても1日1時間にもならない),きっかけとしては,譜面付き近現代ピアノ音楽動画なんですが,これが粗方出尽くしたあたりで,旅系,鉄道系,地理系のことはどこかで書きましたが,数理系とかもあるんですが,ネット民のカリスマ?みたいな人(O田○○夫とか○ろゆきとか)が社会の中でどう生きて行くかみたいなことをしゃべったのを切り抜いて編集したものが結構出てきてちょこちょこ見てます.

 話もうまいし,見てる(でも2倍速で,かつ,飛ばしながら見る.字幕が付いてるのでそれができる)ってことは,面白いってことなんですが,いわゆる自己啓発系のものなので,役に立つことは一切ありません(たまに部分的各論的事実が参考になることはありますが).

 で,更に言えば,彼らというか,おそらく,ネット民の基準がそこにあるってことなんでしょうが,やっぱり,お金が基準なんですね.成功というキーワードがよく出てくるのですが,成功する=金持ちになるってことなわけで,もちろん,生きて行くのにお金は必要なんですが,必要以上に稼いでもしょうがないわけで,そういうことは,一切出てきません.

 でも,これは,何となくですが,ネット民というかニートというか,一般大衆に話を合わせている感じがします.つまり,相談に乗っているようで,その実,ほんとのことは言わないで,受けることを言って,再生回数や登録者数を稼いで商売をしてる,つまり,面白おかしく見るだけならともかく,ありがたがって一生懸命見ている民達は,まんまと騙されてるだけってことですかね.

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 仕組みというか,メカニズム的には,彼らは(たくさん見てもらえると儲かる)YouTubeで配信してるわけで,てことは,見てもらって儲けたいわけで,それには,見てもらえるようなことを言わないといけないわけで,その段階でもう「ほんとのこと」ではないわけで,投資用マンション買いませんか?という電話のマンションを買って儲からないことや,経済?関係者がいつも強気なのと同じことでしょう.

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6/23'22

 でも,そうではなく,彼らにとっても「成功=金持ち」なのかもしれませんね.だとすれば,何をか況んやですが,そうだとすれば,仕組みというか,メカニズム的には,益々「そういうこと」ということになります.

 でも,例えば,○ろゆきとかは,余計なものには一切お金は使わない感じで,経済感覚はちゃんとしてると思いますが,じゃあ,金稼いでどうすんのやということにもなるわけで,まあでも,結局,「ほんとのこと」を言わないのは,当たり前というか,「億万長者になれるという本が1000円で売ってる」という笑い話がありますが,YouTubeも同様ってことですかね.

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 でも,(多少のコストがかかる)出版物も含めて,全てのそういうものが大嘘かというとそういうわけでもないのですが,(でも,メディアの言うことは嘘ばっかりより多少はましという程度か),それを見分けるのは至難だし,コストをかければいいのかというとそういうわけではないし(大枚はたいて何とかセミナーに行くのは鴨ネギ),だったら,自分で考えた方が(自分で考えることで成長するので)早道という気がします(多くの人は考えられないのではなく考えてないだけ).

 それに,更にその先の話としては,それは,それがほんとのことだとしても,「共感するだけ」では何の役にも立たないし,(努力は必ず報われるとか言われても)実行できないことなら絵に描いた餅だし,更にその先のその先の話としては,そもそも,成功してどうすんの?とか,その人にとっての幸とは何かということになるわけで,結局,自分で考えるしかないし,それが唯一無二の道だと思いますけどね.

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6/24'22
[「その時代の中でどういう能力がある人間が成功するか」が変わりつつある]
(世の中)

 昨日は,(ようやく今頃)研究室の新歓だったのですが,その中で「その時代の中でどういう能力がある人間が成功するか」ということが話題になりました.そして,それが少し変化してきていると思うんですよね.

 「その時代の中で」というのがポイントで,要は,時代によってそういうものは変化していくということです.例えば,原始時代は,体力や運動能力があって,獲物を狩ったり外的から逃げたりできる人間が成功したと思うんですよね.でも,近代化に伴って,肉体的なことよりは,頭脳的なことが優位となり,今は,勉強とか事務処理能力,更には考える能力にたけた人間が仕事ができて成功する感じでしょうか.

 もちろん,社会的分業が進んだことで,どういう分野でもそこでトップレベルに行けば成功する,例えば,原始時代に優位だった運動能力については,スポーツがあるわけですし(でも,トップレベルの現代スポーツは,運動能力だけではだめで頭脳も必要ですが),将棋でも商売でも学術,芸術でも然りです(でも,学術,芸術の場合は,成功の意味合いが大分変わってくるけど).

 ですから,ここではそういう極々僅かの一握りの人のことではなく,もっと広く一般の人の場合ってことなんですが,それが勉強とか事務処理能力,更には考える能力から変わりつつあるということでしょうか.

 このサイトでも何度か書いていますが,30年前くらいは,有能な人の受け皿として,官僚やメーカーなどがあったんですが,そのいずれもがこの30年で没落し,有能な人の受け皿がなくなってきた,そして,理系の場合,医者になる人間が以前にも増して増えてきて,それじゃまずいんじゃないの?ってことなんですが,それがまた風向きが変わりつつあるということでしょうか.

 具体的に言えば,DX関係ということになりますかね.実際,工学系の偏差値的には,情報系の難度はうなぎ登りらしいです.つまりは,優秀な理系の受け皿が医学部からそういうところに変わりつつある(そして,文系は衰退の一途)ということでしょうか.

 でも,これも昨日議論になったんですが,DX関係に長けるのって,かなり特殊というか,喩えて言えば,将棋に強いみたいなことに近くて,いわゆる数学や物理ができるというのとは違うし,もっと言えば「頭がいい」というのとも違うんですよね.

 でも,そういうことに突出した能力をもった人の突出度合いは半端なくて,そういう人の中からいわゆる「トッププレーヤー」が出てくると思うのですが,ここで言ってるのは,そういう一握りの人ではなく,多くの一般人の話ですが,そういう人達の場合もある程度そういうことができないと食べて行けないというか,人並み以上の生活はできなくなるってことですかね.

 でも,世の中がそうなるならしょうがないんですが,そういう人達が世の中の上層部を占める世の中ってどうですかね.ヲタクの人達とは言いませんが,ちょっとバランス感覚的にどうなのかなあ.でも,そういう意味では,今の世の中は,高学歴の人達が上にいるんですが,それはそれで問題というところはありますよね.

 でも,東大とか京大にいるとわかるんですが,そういうところにいる人間って,小さい頃は(私も含めて)大概問題児で(笑),成人してからもそんな感じの人も少なからずいますが,私が知る範囲では,少なくとも成功した人は,非常にまともでバランス感覚に長けた人が多くて,だからこそ,今の世の中も何とか回ってると思いますが,上のようなことを考えると,これからどうなって行くのかなあとはちょっと考えますね.

 まあでも,そういう能力をもっていて,かつ,バランス感覚にたけた人が成功するってことですかね.つまりは,しっかり「考える力」をもった人が成功するというのは,どの時代も変わらなくて,原始時代だって,ただやみくもに体力や運動能力があるだけでは,獲物を狩ることも外的から逃げることもできなかったと思いますからね.

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 全く別の見方をすると,「将来が見えつつある」感じはしますね.具体的には,DXもありますが,エネルギー,環境問題もありますからね(そっか,筑波大の工シスってまさにそこをやってるんですね.すごい先見の明?).

 私自身は,30年前にやりたいことを見つけて,それを楽しくやってきただけなんですが,世の中全体を見ると,これから何やって行ったらいいんだ,どうして行ったらいいんだみたいな「閉塞感」に覆われていたと思うんですよね.

 つまりは,それでいいのかどうかはともかく,とにかくそういう「霧が晴れた」感じは何となくしますかね(少なくとも向こう30年くらいは).

 逆に言えば,ここ(DX)に対応できないとアウトということです.例えば,建設業は,世の中での必要度的になくなることはありませんが,現状の建設会社は安泰ってことはなくて,今のやり方でやってれば,間違いなく異業種に食われてしまうでしょう(3Dプリンタで建物が作れちゃうわけですからね).

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6/25'22
[そんなものを真に受けてるようでは]

 自己啓発系YouTubeの補足をしておくと,「成功する=金持ちになる」という感じがするのは,○ろゆきで(YouTube以外でしゃべってるのをきくとそんな感じ),O田○○夫の方は,働いて金なんか稼いだってしょーがねーじゃんみたいなことも言ってるので,「成功する=金持ちになる」ではない「と言ってる」ってことなんでしょうが,それは,ネット民に対して言ってることで,自分は違うというか,実際,YouTubeで稼いでるわけですからね.

 つまりは,YouTubeでも自己啓発本でもそういうものは何でもそうですが,売れないといけないものは,売れるようにしゃべったり書いたりするので,そんなものを真に受けてるようでは,ということでしょうか.

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 でも,フォローするなら,○ろゆきもO田○○夫も(社会的には)成功者ではあるわけで,しかも,ただ単に金儲けがうまい奴とは違うわけで,それは,自分で物事を考えられて自分で何とかできる人間だからで,でも,そういう人間は,全体の数%くらいしかいなくて,もちろん,成功と言ってもいろいろというか,各自が何を望むのかということによって大きく変わるのは当然なんですが,少なくとも「成功=金持ち」とかいう他者評価でプロトタイプの価値観しかもってない人間が成功したいけど,自分では考えられなくて,全体の数%の考えられる人間の話をきいて何とかしようと思ってるとしても,それじゃあ厳しいということでしょうか.

 だって,「成功=金持ち」という価値観と,他人の話をきいて何とかしようという「ダブル」で考えられてないわけで,まさに全体の数%の(敢えて言えば)搾取する側からしたら思うつぼでしょう.

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 でも,更にフォロー?すれば,世の中の大多数の人は,自分で考えられないわけで,自分で考えて何とかできる人なんか極僅かってことなんでしょう.だったら,さっさと諦めて搾取されてもそれなりにやって行けばいい?

 まあ,それはそれでしょうがないと思うんですが,それじゃだめだと思ったときに何が起こるかですね.ていうか,そう思った瞬間,何かが始まってるわけで,でも,それが「誰かの言うことをきく」のなら,益々ドツボにはまるだけってことでしょうか.

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 と書いて更に思うのは,ほんとに世の中の大多数の人は,自分で考えられないんでしょうか? もちろん,そういう人もいるでしょうが,そうでない人が数%ってことはないと思うんですよね.

 でも,競争をさせれば順位が付いて,勉強なら一流大学に行ける人間とそうでない人間が生まれるわけで,何度か書いているように,既得権者が既得権を守るためにそういう仕組みを作ってるってことじゃないですかね.

 もちろん,勉強みたいなことは,できる人間とできない人間の間にものすごい差が付くのは事実ですが,勉強みたいなことができなくてもできることはいくらでもあるわけですからね.

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[どーでもいい話]

 でも,いろいろ書いてますが,基本的には,どーでもいい話ですかね.もちろん,もっとちゃんとしたいい世の中になって欲しいと思いますが,そうはならないし,だとするとそういう中でやって行くしかないし,そもそも,私の場合,もう実質人生は終わっているので,そういうのはもう関係ないですし,若い人達に説教というかあーだこーだ言うつもりも全くないですからね.

 でも,何度も書きますが,もう実質人生は終わっているとか言うと,投げやりみたいですが,そうではなく,自由になって何でも受け入れるとも言えて,それがまさにそういう中でやって行くしかないということでしょう.

 それに,20代,30代ならまだまだ人生これからと言っても,2,30年したら実質終わるわけで,今いる学生だって,もう30年もないわけで,つまり,私がまだ生きてるうちに終わるかもしれなくて,だとしたら,若いとか年寄りとかいうのも大して変わらない感じもするんですよね.

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[大阪の進学校]
(大学)

 研究室の新歓の時の話ですが,どこ出身で高校はどこでみたいな話にもなるんですが,京大なんで,有名進学校出身者がほとんどなんですが,出身地は,半分が大阪って感じですかね.実際,東京に次ぐ大都会ですからね(市の人口は横浜が2位になったけど,面積が広くて(大阪の2倍)高度成長期に「ここ横浜?」ってところにも人がどんどん住むようになったから).

 それで,気づいたんですが,大阪の進学校って,東京に比べて数が少ないと思いませんか? ぱっと思いつくのは,北野,天王寺くらいで(私の頃は,阪教天とか国立出身者もいたが今はそんなにきかない),今は大阪星光というのがトップらしいですが(4年生の1人がそこ出身),私が知らないだけなんですかね.

 で,調べてみたんですが,やっぱり,そんなに多くないですね.でも,実際には,東大や京大に大量に来てるわけで,変な感じです.一つは,灘とか東大寺とか西大和とかの周辺に流れてるってことですかね.まあ,灘は別格ですが,奈良はそんなに人口がいるわけじゃないですからね.

 でも,あとは,甲陽学院とか京都の洛○(名前が似ててよーわからん.私の頃は,洛星が多かったが今は洛南が多いらしい)とかくらいで,周辺も含めてもそんなに多くないですね.一部の進学校に集中するより分散してるのか,逆に灘に集中しすぎてるのかってことなんですかね.

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[理一≒理二]
(大学)

 そうそう,そのとき,(聖光出身で東大に行く学生も多いので東大事情がわかる)4年生が言ってたんですが,今は,東大の理一と理二の差がほとんどなくなってるらしいです.理由としては,進振りの行く先にほとんど違いがなくなったからだそうです.

 具体的に言えば,私の頃は,工学部には,理一からしか行けなかったし,理二から行くのは,多くが農学部で,残りが,理学部や薬学部とかいう感じでしたからね(ただし,10人だけ医学部医学科に行けたので,そこの競争は激烈だった).

 でも,今は,理二からも工学部に行けるみたいで,それじゃあ,違いがなくなるのは当たり前だし,でも,年によって,理一と理二の合格ラインがコロコロ入れ替わるみたいで,進振りは,回数が2回になって博打度が下がったみたいですが,逆に入試が博打になっちゃった感じですね.

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[30年前も今も全然変わってないじゃん]
(世の中)

 でも,学生達や准教授の先生(もまだ30代と若い)と話してて思うのは,ある意味,昔も今も変わらないというか,例えば,小学校の授業が簡単すぎてつまらなすぎて,それが態度に出て先生に目を付けられてたとか,塾に行くようになったいきさつとか中学受験のいろんな事情とか,高校時代をどんな風に過ごしたかとか,30年前も今も全然変わってないじゃんって感じです.

 それは,個人的には,親近感というか,ジェネレーションギャップを感じないということはあるんですが,ほんとは,あまりいいことじゃなくて,相変わらず,出る杭は打たれるというか,学力が全然違う生徒が同じ教室で同じ授業を受けるのは非効率極まりないですし,そもそも,授業の中身自体,ほとんど変化はないし,何も考えずにこれまでと同じことをただ何となく繰り返してるだけのような気がします.

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[逃げ道がある]

 再三,もう実質人生が終わってると書いてますが,悪いことばかりじゃなくて,これまた正負両面あるわけです.で,もっと言えば,人生が終わるというか,いつか死ぬと思うと,「逃げ道がある」感じがするんですよね.

 本能的には,生きるということなので,死ぬのは,ネガティブなことなんでしょうが,生きていれば,もちろん,楽しいこともありますが,しんどくて大変なこともつまんないと思うこともあるし,でも,どんなにしんどくてもつまんなくても「死ぬまでの話」ですからね.

 もちろん,自ら死を選ぶことはないですが,いいことも悪いことも「死ぬまでの話」で,だったら,別にそんなに慌てて死ぬ必要もないし,いただけるものは,ありがたくいただいて,その時が来るまで,与えられた条件下でできるだけのことをして,楽しく退屈しのぎをして行けたらってことですかね.

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6/26'22

 東京に比べて人口の割に大阪に進学校が少ないわけですが,歴史的経緯?としては,東京は,学校群制度で(日比谷とかの)都立がトップ校ではなくなって,私立の進学校が台頭したということがあるんですかね.

 と思って調べてみたんですが,大阪も学校群制度は導入されていて,しかも,ものすごく細かく変化してますね.つまり,そういう中でも北野とかが生き残ったってことですかね.でも,北野も京大にはたくさん来てますが,東大にはそんなに来てる感じではないですかね.

 そっか,人口の割に進学校が少ないということなら,(既に書いたと思いますが)福岡(市)がまさにそうですね.実質,3学区のトップ校(修猷,福高,筑紫丘)の3つで私立はどこも滑り止めですからね(最近,西南がちょっと頑張ってるみたいですが).

 じゃあ,受け皿はどこかと言うと,ラサールと久留米付設なわけです.でも,両方とも遠いし,男子校なので,優秀な人間が全員抜けるわけでもなくて,それで修猷くらいは何とか一定水準をキープしてるって感じなんですかね.

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 あとは、地元に京大という全国トップレベルというか,東大と並ぶ大学があるってことはあるんじゃないですかね.具体的に言えば,わざわざ東大に行かなくても京大に行けばいいと思うのなら,大阪なら北野とかの地元の府立に行けばいいわけですからね.

 つまりは,東京の場合,やはり,学校群制度の影響は大きくて,昔,東大に行くんだったら,日比谷とかの都立のトップ校に行っておけばよかったというのが,大阪は,まだ残ってるってことですかね.

 福岡だって,九大に行こうと思うのなら,修猷や福高や筑紫丘とかの県立でいいわけで,でも,東大に行こうと思うのなら,福岡市内には,そういう受け皿はないわけで,他の多くの県と同様に,頑張って県立から行くか,親元を離れて全国レベルの進学校に行くかとなってしまうわけです.

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 とか考えると,大阪は受験環境が恵まれてる感じもしてくるのですが,逆に言うと,大学まで地元で過ごせちゃう(それは東京もそうだが,東京や東京近郊から東大に入るのは至難.感覚的には,大阪の2倍くらいは大変.理由は単純に人口が多いから)わけで,それは一長一短というか,具体的には,就職で東京となるパターンが多い気がします.

 つまりは,大学に入るときに上京するか,就職の時かってことですが,親元を離れるタイミングとしては,大学に入るときくらいがちょうどいい気がするので,個人的には,まあOKですかね.

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[ジェフスキー]
(ピアノ)

 現代ピアノ音楽シリーズ?ですが,ケージの次は,ジェフスキーと思ったのですが,14年前に既に紹介してますね(先月も少し).でも,14年経って,動画も充実して,と思ったのですが,そうでもないですね.でも,一応貼っておきます(埋め込みコードが出るようになって,貼るのは楽になった).

不屈の民変奏曲↓
ノースアメリカンバラード↓
ノースアメリカンバラードの3, 4曲↓

 4つの小品は,譜面付きは相変わらずないですね(第4曲↓これは大学時代に弾いた)


スクエアの第1, 2曲↓
スクエアの第3, 4曲↓

 ここまでは既に紹介したと思いますが,これ以降も結構書いてると思います.譜面付きでYouTubeでヒットしたものとしては,バークレー時代に,向こうでCDを買ったときに聴いたものの中にspeaking pianistのための曲というのがあって,それが出てきました↓.

 speaking pianistということでは,昨年のピアノプロジェで高久先生が弾かれた日本語版の原曲?もアップされています↓.

 曲の最初は,聴けばすぐわかりますが,有名なショパンの遺作のノクターンです.

 あとは,nanosonatasというのもあるんですが↓,全曲は出てこないですかね.

 ということで,1990年以降は,未開拓のものもありそうというか,開拓したこともあったんですが,うーん,これは,というものに出会えそうな感じはあまりしませんかね(政治的なものやちょっと奇をてらった的なものも多いし).それより,不屈の民とかノースアメリカンバラードとかスクエアとかの方が弾く気になるんですが,もうそんなエネルギーがなくて,既に弾いた曲を弾く的には,4つの小品の第4曲ですかね.

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[何が楽しみで生きて行く?]

 これからの人生の最大の目標?は,心穏やかに死ぬことで,そのためには,長生きしてしまうことも受け入れないといけない(ピンピンコロリとは行かない),そのためには,体脳心の健全を維持して要介護にならず,その時が来るまで楽しく退屈しのぎをして行く,そして,回りに迷惑をかけないように○備が必要ということなんですが,考えてみたら,子供も孫もいないのに何が楽しみで生きて行くんですかね.

 いや,そのために内的熟達的に生きて行く準備をしている? でも,そんなんで何十年ももちますかね? でも,つまらない人生だとしても死ぬまでの話で行ける?

 でも,まさに人生所詮退屈しのぎで,それは,今に始まった話ではないので,これからも全てを受け入れて,これまでのようにやって行けばいいってことですかね.

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 ですから,まあそれでいいんですが,思ったのは,(結婚して)子供を作ると倍々ゲームで増えて,歳をとって孫とかひ孫までできるとすごい数になりますよね(盆とか正月に子供や孫やひ孫が集まるとものすごい数になるイメージ).

 昔は子供が多かったということもありますが,そうでなくても,一組の夫婦が二人の子供しか作らなければ,「人口」は増えないんですが,二人の子供がそれぞれ結婚して二人の子供(孫)を作ると4人,同様にひ孫は8人で,子供,孫,ひ孫を合計すると14人なわけです.

 どうしてこういうことが起こるかと言うと,結婚して,縁もゆかりもない家が繋がって子供や孫を「シェアする」ことになるわけです.自分から見て孫は4人いるとしても,孫から見ると,祖父や祖母も4人いるわけで,人口が増えないこととも対応しています(てことは,曾祖父や曾祖母は,8人もいるってことか).

 どうでもいい話ですが,(昔は)こうやって,「家」の勢力を広げていったんですね.

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[完全食品]
(生活)

 昔(30代から40代前半くらいまでか)は,サプリメントを摂っていましたが,今は全く摂っていません.それは,単純に食品から摂るようにしてるってことですが,あることをきっかけにサプリメントって何なん?と考えました.

 あることというのは,ベースフードという「完全食品」が出ているらしく,どーせパンやパスタにサプリメントみたいなものを練り込んだだけやろと思っていたのですが,調べてみると,小麦全粒粉を中心とした食品由来なんですね.似たようなものとして,昔からあるのは,カロリーメイトなんですが,調べたらこれも食品由来みたいです(ただし,ベースフードは,無添加に近いがカロリーメイトは香料が使われている).

 で,思ったのは,サプリメントって何なん?てことです.足りない栄養を補うものなんですが,ビタミンAとかBとかCとかカルシウムとか,ある特定の成分を「わざわざ取り出してる」んですよね(マルチビタミンに至って取りだして混ぜてる).でも,これってかなり労力がかかることで,でも,目的は栄養のバランスを整えることですから,ある特定の成分をわざわざ取り出さなくても,いくつかの食品をパズルのように組み合わせればいいわけで,これが「完全食品」の考え方でしょう.

 つまりは,この文章の冒頭でサプリメントを練り込むと書きましたが,そんなことしたら,却って余計な手間がかかって値段も高くなっちゃうってことです.

 で,ベースフードという完全食品ですが,食品由来で無添加に近いみたいで,思ったより値段も高くないですし,結構,使えるのかもしれません(味はどうなのかな?).でも,栄養的に「完全」でも,小麦全粒粉+αという限られた食材だけしか食べないのは,リスクが大きいので,使うとしてもあくまで補助的ですかね.それにIUJとか自ら開発?した完全食品もいくつかありますしね.

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6/27'22
[平坦というか波風のない人生というか生活]

 子供も孫もいないのに何が楽しみで生きて行く?と書いたのですが,それはそうなんですが,そういう楽しみがない分,いろいろめんどくさいこともないわけですよね.つまりは,子供や孫に限らず,何か楽しいことがあれば,それに伴うめんどくさいことも受け入れないといけないわけで,これまでは,まさにそういうことでやって来たんですが,いつの頃からか,めんどくさいというか大変なことがしんどくなってきたわけで,そうすると,めんどくさいこともない代わりに楽しいこともないということを受け入れるしかないということですね.

 つまりは,そういう平坦というか波風のない人生というか生活になって行くということなんですが,これまでいろいろ大変だったし,それはそれで悪くないかもしれません.ていうか,めんどくさく大変なことに耐えられないのなら仕方ないというかどうしようもないわけですからね.

 でも,与えられた条件下でできるだけのことをするしかない的には,何でもいいので,ちょっとした楽しみというか,何かそういうものがあれば,ということなんですが,内的熟達とか言ったって,所詮はその程度のことってことですかね.

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[少なくとも今日はできなかった]

 これからの人生の最大の目標?としては,苦しまずに心穏やかに死ぬってことなんですが,そこに至る過程としては,要介護にならずに回りに迷惑をかけない,そして,それは,死ぬ時も同様で,そのために必要なことが○備なわけで,上で書いた「平坦というか波風のない人生というか生活」とも繋がっているのでしょう.

 そして,気づくこととしては,これらの条件を満たしていれば(○備が整えば)もういつ死んでもいいってことで,それはそれで煩悩?とか欲のようなものがなくなったラッキーな状態なんでしょう.

 どこかで,最近,目が覚めたときに「生きてるな」と思うと書きましたが,それは,目が覚めたということは,少なくとも今日は,寝てる間に苦しまずに心穏やかに死ぬことができなかったなということなのかもしれません.

 でも,それは今日の話なので,将来,どうかはわからないのですが,そこに向けて,もちろん,生かされる間は,ありがたくそれを享受して,そういう中でこんな私でできることがあればできる範囲で対応して,そういうことがなくても,何とか楽しく退屈しのぎして行ければということでしょうか.

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[暑いのは嫌いではありません]
(生活)

 関東では,一昨日だったか,40度を越えたところがあったみたいで(確か,熊谷ではなく伊勢崎),何だか梅雨明け直後みたいだなと思っていたら,何と今日梅雨明けしたそうです(でも,梅雨明けとか言っても人間が勝手に決めてるだけですけどね).京都も1週間くらい前から暑くなってきたんですが,こっちもこのまま梅雨明けするんですかね.

 でも,個人的には,暑いのは嫌いではありません.というか,寒いのより全然いいかな.歳をとって?寒いのが堪えるようになったということはありますが,昔からそうだったような気がします.まあ,スポーツをしてる人間はだいたいそうだと思いますが.

 でも,エアコンがなくても平気とかいうことではなくて,でも,設定温度は,28度で充分です.

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6/28'22
[「一人,時々,みんな」ではなく「みんな,時々,一人」]

 何度も出てきますが,人生所詮退屈しのぎなわけですし,私の人生は,実質既に終わっていて,もう何でもありなわけですから,自分がもう必要とされないことを潔く受け入れて,多くを望まず,それこそ,雨露や暑さ寒さをしのげて休める家と食料があって,それに加えてほんのちょっとした楽しみを見出し,回りに迷惑をかけず,いつその時が来てもいいように準備をして,日々淡々と過ごして行けばいいのでしょう.

 そう考えると,逆に心が落ち着くところはあって,めんどくさく大変なことにもう耐えられないと書きましたが,少し余裕も出てくる感じもして,こんな私でできることがあれば,できる範囲でできるだけのことはしたいという気にもなってきます(が,そういう要請はないのが前提なので,そういう中でどうして行くかを考えるしかないということでしょう).

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 でも,逆に言えば,いっしょにいて楽しいというか,いっしょにいるだけでいいみたいな人がいたらほんと楽ですよね.つまりは,「一人,時々,みんな」じゃなくて,でも,一人の時間は必要でしょうから,「みんな,時々,一人」ってことなんでしょうか.

 でも,そうでなければ,何とかして一人でも退屈しのぎをしないといけない.ただ,それだけのことかもしれません.

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[変奏曲列伝]
(ピアノ音楽)

 ジェフスキーの不屈の民もそうですが,歴代の作曲家が長大な変奏曲を残していて,まさに変奏曲列伝といったところでしょうか.

 スタートは,やはり,バッハのゴールトベルクでしょうね.演奏は,やはり,グールド,それも1回目の録音が私は好きです.

 次は,ベートーヴェンのディアベリヴァリエーションですかね.

 ベートーヴェンのピアノ音楽は,32のピアノソナタが中心なのですが,最後の32番は,Op.111で,ディアベリヴァリエーションは,Op.120なので,実質,最後の大作のピアノ曲ということになりますね.

 次は,ブラームスですかね.有名どころでは,パガニーニとヘンデルがありますが,パガニーニヴァリエーションは,超難曲としても有名です.それも主題が提示された後,いきなり来ます.でも,この曲,昔は,弾くだけですごいというか,まともに弾ける人はそんなにいない感じでしたが,今は,もうコンクールとかで普通に弾いてて,弾くってだけなら技術の向上はすごいものがありますね.

 このパガニーニの主題ですが,これを使ったヴァリエーションはたくさんあります.リストもありますし,

 新しいところでは,ローゼンブラットも.

 アムランはマニアック過ぎるか(笑).でも,ベートーヴェンとかリストとかのフレーズが出てきます.

 ラフマニノフは,コンチェルトという形で書いています.

 ラフマニノフのピアノコンチェルトで有名なのは,2番と3番ですが,この曲もそれらの次くらいに演奏されるんじゃないですかね.

 パガニーニのこの主題が一番よく使われていると思いますが,ショパンのプレリュードもよく使われています.モンポウの7番(太田胃散)を主題としたヴァリエーションは,何年か前にピアノプロジェで弾きました.途中で,幻想即興曲の中間部が出てきます.

 あとは,20番ですかね.ブゾーニ↓ この曲は,ちょっと練習しました.主題の前にちょっとした前奏があるのが結構気に入ってました.

 この曲には,ちょっとした思い出があって,まだ大学院生くらいだったと思いますが,当時,音源が手に入らなくて,東京文化の視聴覚室でようやく見つけたのですが,音源は貸し出ししてなかったので,必死でその場で聴いて憶えようとしてました(笑).でも,今はこうやって譜面付きで一発検索で出てくるんですから,ほんと楽ですよね.

 ラフマニノフ↓

 でも,ラフマニノフのヴァリエーションならコレルリの方が有名なのかな.

 長大ではないですが,ちょっとマニアックで,かつ,超絶技巧物としは,アルカンの短調エチュードの最後の曲のイソップの饗宴は結構好きです.

 変奏曲列伝的ではないですが,モーツァルトのきらきら星変奏曲も有名ですかね(JR土浦駅の発車音(笑)).

 そっか,シューマンの交響的練習曲もヴァリエーションですから,範疇的には入るんですかね.実際,ヴァリエーションって練習曲的要素もありますからね.この曲は,いくつか弾いていて,7番は,高校時代によく弾いてました.でも,先日,ちょっと弾いたんですが,こういう腕を使う曲は,ちょっとしんどくなって来ましたね.

 ヴァリエーションという意味では,何度か弾いたリストの超絶技巧練習曲の6番もそうですね.

 こういうヴァリエーションとは言ってないけど,中身はヴァリエーションって曲,結構あります.

 あとは,レーガーもいくつか長大なヴァリエーションを書いてますね.

 で,最後にあらためてジェフスキーの不屈の民を貼っておきますか.

 ざっと思いついた感じだとこんなもんですかね(何か忘れてるような気もするけど).でも,こんなにいっぱい動画を貼ったのに,記事?を書いた時間,僅か30分(笑)で(動画を貼るのは,曲を思いついて検索するだけなのであっと言う間),つまり,超いい加減な記事ってことですね.

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[やっぱり,東京に帰りたかった]

 やっぱり,東京に帰りたかったんじゃないですかね.理由としては,近くの東京の街にしょっちゅう出かけてたということもありますが,東京に家族や友人達がたくさんいて,彼らと遊んだり飲んだり話をしたりした30代,仕事もあったけど,彼らとバドミントンをしたり,スキーに行ったり,ピアノを弾いたりしていた30代が楽しかったんだと思います.

 でも,仕事が大事ということで,つくばに行き,実際,しばらくは,ほんとに東京に帰りたかったというか,そのつもりだったんですが,いつしかその可能性がないことに気づいたというか,仕事(研究)が大事なのなら,そうすべきでないと考えたり,仕事でしょっちゅう東京には行くのですが「特に用事がない」ことに気づいたりして,東京に帰りたいという気持ちはなくなったのですが,あのまま東京にいたら,楽しかったと思いますし(もちろん,つくばはつくばで楽しかったですが),仕事なんかより,もっと大事なものがあったのかもしれませんね.

 ちなみに,じゃあ,定年で大学をやめてから帰ればいいじゃんというのは違うというのは,既にどこかで書きました.つまりは,何かと引き換えに何かを失ってしまったということですかね.

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 でも,つくばに行ったことで,仕事ができたということは,もちろんありますが,あのまま東京にいたとしたら,あるいは,東京に帰っていたら,出会えなかったいろんな人と出会えたわけで,特に研究室に来てくれた学生達の存在は,やはり,大きかったと思うので,何かと引き換えに何かを失ってしまった,というのは,違いますかね.

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[思い過ごし]

 うん? 何か変ですね.バドミントンにしろ,スキーにしろ,ピアノにしろ,つくばなら電車で1時間で(東京まで)行けちゃうわけで,行きたかったら行けばいいだけの話ですよね.実際,バドミントンは,TXが開通してからしばらくは時々練習に行って(そして飲んで)ましたからね.

 なので,そういう問題じゃないというか,バドミントンなら右股関節を故障して練習できなくなったり,藤原の相手をするようになったりで,行かないのには別の理由があったわけで,それは,スキーもピアノもそうでしょう.

 ですから,思い過ごしってことなんですが,京都に来て,電車で1時間というわけには行かなくなって,そうなって初めて,そういうことに気づいたというか,そう思ってしまったというようなことですかね.

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[結婚]
(世の中)

 結婚したいという若い人が激減してるって報道ですが,当然なんじゃないですかね.だって,結婚というのは,単なる社会の制度で,子供を産ませて国家や人類を繁栄させる仕組みですからね.

 多くの時間を誰かと過ごすよりは,一人の時間が大事という人も多いでしょうし,惹かれる人がいれば,付き合って,会いたいときに会えばいいわけで,別に結婚する必要はないでしょう.

 子供についても,ほんとは結婚なんかしなくても作れるはずですが,そこは,社会制度や慣習がかなり厳しくできてて,でも,それだって,そうしない人が増えてくれば,対応せざるを得なくなるんじゃないですかね.

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 もっと言えば,配偶者と友人の中間というか,すごく大事で深い付き合いの人が(親友のように)複数いたっていいと思うんですよね.そして,それは,異性と限らなくてもいいでしょう.

 でも,異性との間に子供を作るとなると,肉体関係をもつことになるので,現状では,難しいですかね.でも,そういう考え方自体がもう古いというか,そういう考えだから少子化が止まらないってことかもしれませんね.

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(日記)

 関西も梅雨明けしたんですね.てことは,長い夏になる? でも,鬱陶しい梅雨が続くよりはいいかな(どんなに暑くても一日のほとんどは空調が効いた部屋の中にいるわけだし).でも,長い冬は,ちょっと耐えられないですかね.

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6/29'22
[Vクチンとか反Vクチンとか]
(世の中)

 Vクチンとか反Vクチンとか言ってますが,おかしな話だと思うんですよね.

 例えば,原発,反原発なら,それで多くの人が影響を受けますが,Vクチンって個人の問題ですからね.

 いやいや,Vクチン打ってないと感染しやすくてウィルスをまき散らす? いやいや,Vクチンって重症化を防ぐもので,感染率は変わりませんからね.最近,厚労省でそういうデータが(こっそり)公表されて(メディアでは全く報道されず.ほんどひどい話だが,帰納的に考えるとこのことが意味することは明らか),話が違うと言ってた人もいましたが,最初から重症化を防ぐものということでした.

 つまりは,Vクチンは「自分のために」打つものであって,打たなくても人と対面で話をするときはマスクをするとかして他人に迷惑をかけないのなら打たないのは個人の自由だし,それをVクチンを打てとか打つなというのはおかしな話で,でも,個人より国の利益を優先する全体主義では,Vクチンを打てとなるわけで,それが戦前みたいで何とも気持ち悪くて,打ちたい人はどうぞ打ってください,でも,自分はちゃんと感染対策をするので,今後どういう副作用(副反応ではない)が出るかわからない得体の知れないものは体に入れたくないから打たないというのも自由ってことでしょう(痛いの嫌だし(笑)).

 でも,どこかのよく知らない人はともかく,自分にとって大事な人には,正直,打って欲しくないと思いますね.実際,事実として,高齢者でVクチンを打って具合が悪くなって亡くなった人はたくさんいますから.もちろん,感染してVクチンを打ってないことで重症化して亡くなることもあるのですが,しっかり感染対策できるのなら,打った方がリスクが低いとは言えないでしょう.

 同じようなものに食品添加物があって,これも個人の自由ですが,既に書きましたが,Vクチン同様,余計なものは入れないに越したことはないので(食品添加物を摂った方が「いい」ってことは100%ないので),できるだけ摂取しないというだけの話です.

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6/30'22
[レッテル張り]
(世の中)

 上の続きというか,補足としては,重症化したら,入院しないといけなくて医療を圧迫するということなら(でも,「さざ波」程度で医療崩壊するのは,日本の医療体制の大問題だし,それをどうすることもできなかったのは中央政府が無能ということ),入院しなければいいし,それで死ぬのなら,自己責任ということでそれを受け入れればいいだけの話でしょう(リスクとリターンの関係).

 でも,思うのは,こういうのを反Vクとか言って,レッテル張りをして,中には,陰謀論とかほんとに変な人もいるわけで,そういう奴と全部一緒くたにして,排除しようとするとすることで,これがまさに悪しき全体主義の典型でしょう.

 でも,繰り返しになりますが,(Vクチンは個人的な問題なので)私は,反Vクでも何でもありませんし,他人にVクチンを打つなと言ったことはありません.人によって事情は様々で,人と接する機会が多い人もいるでしょうから,リスクとリターンの関係から打った方がいいと思えば,(打たないのと同様に)自己責任で打てばいいと思います.

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[いつの間にか忘れ去られて,誰に迷惑をかけることもなく,人知れずひっそりと]

 いつものように寝て,翌朝,目が覚めなかったというのが理想的な死に方だと思っていたですが,そう簡単な話でもないわけで,例えば,今日寝て,明日の朝,目が覚めなければ,まだ○備もできてませんし,自分はよくても,回りに迷惑をかけるわけですからね.

 じゃあ,○備が万全に整えばOK? うーん,どうなんでしょうか.○備が必要ということは,まだやることがあるってことですよね.例えば,仕事をしていればそうですし,仕事以外にもいろんなことをやってますからね.

 じゃあ,仕事もやめて,仕事以外のこともやめてしまえば(○備も必要なくなるし)ってことですかね.でも,そうすると,そうなってから死ぬまで(いつ死ぬかわからないのに)どうやって過ごして行くかってことですよね.

 でも,いろんなことを畳んで行くことはできるかもしれません.そして,かろうじて生きているだけだけど,それでも退屈しないというか,日常の何でもないことにちょっとした楽しみを見出して,という感じで最期の時を過ごせればってことですかね.

 もしそれができれば,いつの間にか忘れ去られて,誰に迷惑をかけることもなく,人知れずひっそりと死ぬこともできるのかもしれません.

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