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5/1'22
[どうして防災研に来たんですか?]
(大学)

 そっか,GW中ということであまり気にしてなかったんですが,5月になったんですね.このサイトは,一月を一つのファイルにしていて(そうしないと,巨大な一つのファイルになって読み込みに時間がかかる),月が変わるとファイルを変えないといけないのがちょっとめんどくさいです(もういろいろめんどくさい).

 先日,防災研の建築系の先生達と飲んだときに,ある先生にどうして防災研に来たんですか?というようなことをきかれました.ていうか,これって,いろんな人からきかれた質問なんですけどね.もちろん,質問の意図はいろいろで,その都度答えを使い分けてるようなところはあるんですが,声がかかったとか,研究者としてはより研究できそうなところに移るのは当然とか,まあいろいろあるんですが,簡単に言えば,断るという選択肢はなかったわけで,それなら来るしかない,来ればそこで頑張るしかないわけです.

 でも,例えば,研究者としてはより研究できそうなところに移るのは当然とは思いますが,防災研が前任地より研究できるかどうかは微妙です.確かに授業とか学務的なことの負担は少ないですが,防災研は防災研でいろいろ大変なことは多いですし,それは,前前任地の地震研も同様でしたからね.つまりは,そういうことはわかっていたわけで,ということは,より研究できそうだから移ってきたというのは,違うってことですね.

 じゃあ,何かと言うと,気分転換ですかね.何度か書いたように一つの職場には10年くらいが限界だと思っていて,10年するといろいろ煮詰まってくる(正しくない使い方)ところはありますからね.でも,10年ごとというのは無理でしたが,10年+αくらいで大学を移ることができたのは,やっぱり,ラッキーでしたかね.逆に言うと,同じところに何十年もいる人はすごいと思いますね.

 と思ったんですが,別にどこにいたって,やることは変わらないというか,やることは変えていいというか,そういうことがしっかりしていれば,関係ないですよね.ですから,私も声がかからなかったら,(筑波大のときも今回も)わざわざ自分から出ようとは思わなかったと思うんですよね.

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 話は少しずれますが,ここに来た時は,定年まで10年はなくて,来た時は,もう少し早く来られていたらとも思ったんですが,今はそうは思ってなくて,というのは,やっぱり,いろいろ大変というか,10年以上いたらいろんなことに巻き込まれて大変になってしんどかったかなーと思うからです.

 私は,東大,筑波大,京大と3つの大学にいたことになるんですが,じゃあ,どこが一番よかったか(正確には,どこの大学のどの時期か)と言われると,それは,はっきり答えることができます.もちろん,それは,私がどういうことをして行きたいかによるので,そういうのは人それぞれだとは思いますが,私にとってはそうだということです.

 とは言え,京大というか防災研は,もう3年度目ということで,だいたい様子はわかってきたんですが,まだ定年まで○年弱はあるので,ここでどういう仕事をしていくかは重要ですし,更に言えば,その後のことにうまく繋げられるかということはあると思います.とか考えるとしんどくなるので,できる範囲でできることをやります.

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[片付けるにはもってこい]
(生活)

 2020年のちょうど今頃の記事を読んでるんですが「片付けてます」.理由は,もちろん,記事には書いてないですが,京都に引っ越す準備です.でも,この時点ではまだどうなるかわからないわけで,つまりは,実際に京都に引っ越すかどうかは関係ないというか,そういうことが起こりうるということも想定して,という感じで,もしそういうことが起こらなかったとしても片付けは必要で,つまり,いいきっかけをもらったということですね.実際,必要か廃棄するかの判断で「これ,京都までもっていく?」というのは,非常にわかりやすい判断基準でしたからね.

 で,実際に,相当片付けることができたと思うんですが,今の研究室はどういう状態かと言うと,組立解体できるスチール棚が8連という感じで,まだまだだと思うんですよね.感覚的には,今の半分くらいにはできる感じでしょうか.

 ということで,定年までにそこまでもって行ければと思うのですが,一つのことに気づきました.それは,今の研究室はとても広いということです.前任地の3倍くらいはあるんじゃないですかね.つまりは,バッファがあるわけで,片付けるにはもってこいってことですね.

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[成功する人の条件の一つ]

 成功する人の条件は,いろいろあると思うのですが,そのうちの一つとして,あまり深く考えずに今やってることをやるというのがあるのではないかと思いました.

 例えば,受験勉強をしていて,こんなことやってどうすんだ?とあまり深く考えないというのもそうですし,就職して仕事が決まったら,他にもっと自分に合った仕事があるんじゃないかとか考えずに,ある意味,愚直に今の仕事を続けるというのもそうでしょうか.

 私の場合の身近な例としては,ピアノである曲を練習していて,どんどん弾けるようになってる時はいいんですが,弾けるようになる度合いが頭打ちになってくると同時に曲自体に飽きてくると,すぐに放り出して他の曲を弾いたりするわけです.

 そう,私って,明らかにこの条件を満たしてないわけで,だから大して成功しなかったと思うんですよね.でも,受験勉強には集中できませんでしたが,仕事を転々としたかと言うと,そういうわけじゃなくて,研究は何とかずっと続けてきましたし,そういう意味では,研究者をやめて他の仕事とか,研究以外でもっと自分が成功できることがあるかも,とか考えたことは全くなかったですね.

 そして,そういうものは,他にもいくつかありますし,成功したかどうかはともかく,そういうものは,結果もある程度出ていることに今更ながら気づきました.逆に,ピアノもそうですが,バドミントンとかスキーとかが成功しなかったのは,当たり前ってことですかね.いや,バドミントンなら30代の時はそれなりに継続的にやってて,40になったときにそれなりの結果も出たし,結局は,そういうことってことですかね.

 つまりは,継続的にできる(やりたい)ことをやるべしってことなんでしょうが,これだと「既に何度も書いてる話」になってしまうので,そうではなくて,そんなにやりたくなくても,他に面白いことがあるんじゃないかとか考えずに,今やってることをとりあえず続けるってことなんですが,それは,あくまで成功したいならの話で,成功なんかどうでもいいから,とにかくその時やりたいことをやるでもいいと思いますし,私は,そのパターンですかね(だから,やっぱり,成功しない).

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 関連するのかどうかわかりませんが,どんなに高度なことにも単調な作業は伴いますよね.具体的には,絵とか彫刻とかの美術なんかとてつもない単調な作業の繰り返しなわけですし,ピアノの練習だってそうで,スポーツにおける練習やトレーニングもそうです.研究は,アイデア勝負ではあるんですが,実験や調査は,単調な作業で,でも,そういう単調な作業を我慢してやるのではなく,それそのものに効力感を見出せるというか,そういうことを「やること」として選ぶべしということなわけです.

 で,私なんですが,単調作業は,そんなに嫌いではなかったりします.具体的には,バドミントンならしんどいパターン練習は大好きですし(でも,やる環境がない),スキーは,ターンという単純な運動をひたすら洗練することに効力感を見出したこともありました.

 で,思ったのは,どうしてピアノはそういう単調な作業,つまりは,練習することができないんだろうってことです.でも,逆に言えば,そこのところのちょっとした意識の問題かもしれませんね.

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5/2'22
[バブル時代と今の類似点と相違点]
(経済, 世の中)

 バブルとその崩壊(1986年〜1990年)のことをやってる番組を見ました.その頃,私は大学院生で,そういう世の中の酔狂とは全く関わりのない生活をしていたのですが,当時のことはよく憶えていますし,番組の中身も特に目新しいことはなかったですかね.

 でも,あたらめて思ったのは,世界の時価総額上位50社のうち30社以上が日本企業だったとか,山手線内の地価でアメリカ全土が買えたとか,世界の株式時価総額の4割を占めたとか,ものすごいというか,異常というか,どこかで書きましたが,古代エジプト,ギリシャ,ローマ帝国,イスラム帝国,オスマントルコ,モンゴル帝国,スペインやオランダの興隆,大英帝国,アメリカ,ソ連と様々な国が世界のNo.1に君臨し(そして,衰退し)てきた中で,日本が一瞬,その位置に来た(たった5年でしたけど(笑))ということなんでしょうか.

 いや,単なるバブルでしょ,つまりは,地上げ屋に代表されるようにお金をぐるぐる回してマネーゲームをしてただけでしょ,というのは,そうなんですが,日本国内でそんなことをやってるだけなら,井の中の蛙状態ですが,山手線内の地価でアメリカ全土が買えたとか,世界の株式時価総額の4割を占めたというのは,そういうわけでもなくて,つまりは,円高でもあったわけで,当時の日本人は,よく働いてばんばん輸出して外貨を稼いでいたわけです.

 でも,円高と言っても,1985年のプラザ合意前の1ドル360円からどんどん円高になって120円くらいまで行ったということですから,水準としては,今とそんなに変わりません.

 ここで考えるのは,現状(のバブル)との類似点と相違点です.バブルという点では同じですが,一番大きいのは,未だにこうやってバブルのことが言われるわけですから,今はバブル当時のことが頭にあるわけで,でも,当時は,そういうことは全くなくて,そういうバブルが永遠に続くと思ってた人が大半だったわけですからね.あとは,バブル時代の日本人は,よく働いてばんばん輸出して外貨を稼いでいたというのも今(は逆にどんどん円安になってる)とは違いますね.

 でも,やっぱり,類似点は多くて,バブルのとき,その恩恵を享受できたのは一部の人だったというのは今と同じですし,一番気になるのは,今のアメリカの状態が当時の日本のバブルに似ているってことでしょうか.当時は,株を買わないと損みたいな感じで,今も投資ブームになりかかっていて,日本株よりアメリカ株を買いましょうという雰囲気もよく似ています.でも,バブルの終盤の絶頂期というよりは,中盤くらいな感じでしょうか(でも,こればっかりは崩壊がいつなのかは後にならないとわからないので,そういう雰囲気があれば,とにかく何度でもしつこく売るしかない).

 番組では,バブルが壮絶に崩壊したとき,アメリカがものすごい売りを浴びせたと言っていたのですが,もちろん,そういうこともあったとは思いますが,ちょっと変な話で,つまりは,当時の日本は圧倒的な資金力があったわけで,そういう状態でどうして負けたのかってことです.

 ですから,アメリカの売りに負けたというよりは,一旦下がり始めると売りが売りを呼ぶというか,むりくり目先の経済を回して積み上がったバブルの自己崩壊ということでしょう.そして,それは,歴史上,栄華を極めた国の衰退に全て共通することで,そういう意味では,今はアメリカの一人勝ち状態で,これが半永久的に続くという雰囲気ですが,そんなことはないってことです.

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5/3'22
[どうして戦争なんかするのか]
(世の中)

 今回の戦争を受けて,Rシアもそうですが,C国とかK朝鮮とかの脅威に備えて,日本もUクライナのように侵略されることを考えて,軍備を増強したり,戦争ができるように憲法の見直しをというようなことが言われていますし,世論調査では,そういう方向の数字が出ているとの報道です.

 でも,思うのは,どうして戦争なんかするのかってことですよね.どこかで書きましたが,一昔前は,食うか食われるかというところはあったわけですが,今の世の中,他国を侵略しないと侵略されるとか,食べて行けないということはないわけで,戦争なんか仕掛けるのは「よっぽどのこと」でしょう.

 そこには,国民の意思とは乖離した国家元首の暴走もありますが,そもそも的なこととしては,「国」があるからですよね.国があるから国境があって,国境があるから侵略が起こるわけです.

 じゃあ,国とは何かと言うと,多くの場合は,同じ,あるいは近い民族が昔から住んでいたところに集まって暮らしてるということで,紆余曲折を経て現在の形になってるわけです.そして,国があると,それをまとめる人がいて,そいつらが戦争をするわけです.

 これを逆説的に考えれば,ずっと書いていますが,国や国境なんかなくなれば,戦争なんか起こらないことになります.もちろん,今はまだ経済格差があるので,無理ですが,新興国経済が先進国に追いつけば,いずれそうなるのがいいと思いますし,そうなると思います.

 でも,それと逆行するものがあって,それが国威発揚とか,国単位で物事を考えることで,わかりやすい例としては,オリンピックとかで日本頑張れとか,海外で日本人が活躍すると嬉しいとかいうのは,そういう考え方,つまりは,戦争に繋がることになります.

 何度も書いてますが,日本人がどうとか,そんなのどーでもよくないですか.日本人もそうでない人もみんな同じ人間ですよ.それがどうして,食べて行けないわけでもないのに,戦争なんかしないといけないんですか?

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 でも,理想と現実ではないですが,今の現状の中で,現実的にどうすべきかは,ちょっと違う話になります.それは,ここでは書きませんが,どうしてRシアがUクライナに侵攻したのか,その背景に何があるのかを考えればわかることです.

 少なくとも,メディアで言われてるようなこととは全然違うってことなんですが,どのみち,できることは限られるわけですから,結局は,自分に何ができるかということでしょうか.

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[極々当たり前のこと]

 人生所詮退屈しのぎと再三書いてるのですが,私の回りの話ができる人には,否定的な人が多いです.でも,逆に,私の回りにあまりいない,一般的というか普通というか,言葉はどうかと思いますが,何か才能があるわけでも得意なことがあるわけでもないし,夢とか目標とかもなくて,人生の成功なんかとっくにあきらめてしまったというような人にとっては,何を今更というか,極々当たり前のことなのかもしれず,そういう意味では,そういう人の方が「哲学者」なのかもしれません.

 でも,一方では,いろんなものをあきらめたり失ったりして,そういうことを悟るのか,成功というか,何かを生み出していく中で,そういうことを悟るのかは,やっぱり,どこか違っていて,でも,結局は,人生所詮退屈しのぎに変わりはないので,哲学的には,人生の成功とかは,あまり関係ないというか,まさにニュートラルということですかね.

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5/4'22
[いろいろやりようはある?]

 「一人でも大丈夫」を目指すんですが,それはおそらく無理で,現実的には「一人,時々,みんな」ってことで,実際,それがうまく行けば,それが一番いいと思うんですよね.でも,「時々,みんな」と言っても,自分からしゃしゃり出ることはしたくないし,ということは,声がかからなければ,はいそれまでよ,なので,「一人でも大丈夫」を目指すってことなんですが,自分からしゃしゃり出なくても,いろいろやりようはあるとは思うんですよね.

 例えば,ピアノなら,人前で弾きたくなったら,そういう場所はいくらでもあるでしょう.極端な話,ストリートピアノだってあるわけですしね.バドミントンなら,練習に行けばいいし,練習できるところもいくらでもあるし,エントリーして試合に出てもいいでしょう.そういう意味では,スキーはちょっと難しい気もしますが,スキークラブはあるわけですし,スキー学校とかレッスンとかで人と繋がるところはあります.ゴルフもそういうのがあるでしょう.

 でも,ピアノなら,そういうことを「想像」することはあっても,重い腰を上げることはなさそうな気がします.それは,スキーやゴルフも同様ですが,バドミントンは,一人ではできないので,これが一番考えられるかな.でも,やっぱり,単なる人との繋がりでは,ハードルが高くて,やっぱり,そこにどういう人達がいるか,具体的には,全く知らない人達のところに飛び込むのは,昔は全然平気だったんですが,今は考えちゃいますね.

 それは,私のメンタルの問題というよりは,例えば,バドミントンなら,若い頃は,どういうところに行っても「強い人来たな」という感じで歓迎されたと思うんですが,歳衰えた今は,もうそんな感じじゃないというか,若い人が多いところに場違いな年寄りが来たみたいな感じだと思うんですよね.つまりは,上の方で「自分からしゃしゃり出なくても,いろいろやりようはある」と書いたんですが,そうでもないってことですかね.

 そういう意味では,東京時代のクラブ(プーナ)なら,だいたい同じ世代でのメンバーがいて,今でもみんなプレーしてるみたいですから,そこなら行きやすい感じもするのですが,うーん,どうなんだろ,もう10年以上,いや,まだしばらくは京都にいるわけですから,20年くらいはご無沙汰してる状態で行ってもどうなんですかね? スキーも東京時代よくいっしょに行ったメンツともそんな感じです.

 ていうか,バドミントンなんかあとどのくらいプレーできるかわからないし,それは,同世代の人達もそうなわけで,ちゃんとプレーするのなら,若い人達の中に混じってもそれなりに相手になる競技力が必要だと思うわけで,でも,そう考えると,ハードルが上がってしまいます.

 ピアノは,バドミントンほど加齢による衰えはないとは思いますが,これもいきなり知らない人のところに行って弾くのなら,それなりの腕前がってことでしょうし,ピアノプロジェは,仲間内でやってるようなものなので,行くことにハードルはないのですが,これも20年後どうなってるかは何とも言えませんよね.

 ということで,いろいろやりようはあると思ったんですが,そうでもない感じになってきてしまいましたね.でも,それでも「想像」はできるというか,例えば,ピアノなら,実際には人前では弾かなくても,いつかそういうことがあることを想像というか,想定して(たとえ,そういうところまで弾けるようにならなくても)日々練習することはできますからね.

 でも,やっぱり,若い人達の中に混じっても,若い人達から見て違和感がないということがポイントで,でも,それは,非常に難しいと思うので,だったら,「一人でも大丈夫」を目指すってことですかね.

 でも,「一人でも大丈夫」(を目指す)というとおいおいという感じですが,要は,「内的熟達」ってことですよね.つまり,人との繋がりの中での腕前とか競技力とか関係なく,自分の中で腕前とか競技力を磨けばいいわけで,そういう意味では,ピアノはともかく,バドミントンは,相手が必要なのでちょっと厳しいですかね.それとも,これもそういうことを想定して,内的熟達的にやって行く方法を考える?

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 そっか,そういうことを考えて,今は体を整えているということでした.と言っても,実際は,今はてんで大したことはできてないんですが,それを徐々に拡大して行って,練習とかに行ってみようというところまで行ってからってことですかね.

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[家を買うタイムリミット]
(経済, 生活)

 この期に及んで家なんか買うか,ってことなんですが,そういう意味では,家を買うには,タイムリミットというか,定年で仕事をやめる前のどこかで決断をするってことですよね.具体的には,もう定年まで職場を変わらない,かつ,定年後もそこに住み続けるってことですよね.そう考えると,なかなかの決断だと思うのですが,どうなんでしょうか?

 私の場合だと,東京にいる時か,つくばにいる時のどちらかでそういう決断をしたかってことで,そう考えると,家を買うのか借りるのかということは置いておいてもあり得ないと思ってしまいます.

 でも,日本での持ち家比率は60%を超えてるということですから,一体,どういうことなんですかね? もちろん,家を買っても職場を移ったら売って引っ越すってことでも,誰かに貸すってことでもいいのかもしれませんが,ちゃんと売れるかも,どういう人が借りるかもわからないのに,みんなよくそういうことやるなあと思っちゃいます.

 でも,どうなのかなあ.つくばに行ったときは,そのうち東京に帰ろうと思ってましたし,東京に帰ろうと思わなくなってからも,つくばに一生住むつもりはなかったので,つくばに家を買うことはなかったと思いますが,東京にずっといたら,東京のどこかか郊外に家を買ったりすることもあり得たんでしょうか?

 でも,買うより借りる方が経済的に得なのはわかってましたし,バブルの崩壊以降,不動産価格は下がり続けていて,これから人口も減って行くし,家を買うという莫大な買いの玉を建てる気にはなりませんでしたね.

 そういう流れが変わったのは,2013年からのAベノミクスでしたが,どこかで息切れすると思ってましたし,その頃は,つくばにいて,しかも,ちょうどその頃,東京に帰りたいとは思わなくなりましたからね.

 つまりは,うまい具合にというか,ずっと家を買うという選択をしようがない状況にあったわけで,結果として,京都に行くという話が来たときも何の障害もなかったわけで,それはよかったんですが,気づいたら,定年後どうする?ってことなわけで,でもまあ,これもその時の状況で判断するってことですかね.家を買うお金はあるわけですから,買いたくなったらさくっと買っちゃえばいいだけの話かもしれません.

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[人の身の上話を聞くのは楽しい]

 今まであまりなかった最近の傾向なんですが,どこかで「人の身の上話を聞くのは楽しい」と書きましたが,なんかそんな感じなんですよね.人と話をするときもそうですし,(しょーもない)トーク番組みたいなものも結構見られたりします.

 そうだとすると,退屈しのぎ的には,対象が増えるというか楽になる? でも,これってアウトプットよりインプットってことで,一種の退化ってこと?

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5/5'22
[戦争が起こった原因をもっと根本的に考えるべき]
(世の中, 経済)

 今回,第3次世界大戦に繋がりかねないような戦争が起こって,多くの人はどう思ってるんですかね? 戦争が起こってるのは,遠くのことなので関係ないと思ってる人ばかりではないですよね.実際,Rシアは日本にとっても隣国ですし,C国やK朝鮮の脅威はずっとあるわけですからね.

 じゃあ,日本も侵略されないように軍備を増強したり,アメリカとの核シェアリングなどを検討すべき? もっと広くは,民主主義を標榜する「西側」の一員として,徹底的にRシアに制裁を加えるべき?

 なんかずれてませんか? つまりは,こういう戦争が起こった原因をもっと根本的に考えるべきでは?

 どうして,RシアがUクライナに侵攻したかですが,Pーチンが?ATOの東方拡大に頭に来て,ソ連のときのような妄想を描いて勢力拡大を図ったというのが主流?の考え方なんでしょうが(実際はもっと全然違う裏があるのですが,それは置いておいて),そもそも,軍事侵攻しようと思えばできる状況になったのはどうしてですか?

 それは,西側が経済を回して,エネルギーが必要になって,Rシアから石油や天然ガスなどの資源をいっぱい買ったからですよね.つまりは,経済を回すことが戦争に繋がっているとは,どうして考えないのでしょうか?

 もちろん,ある程度の経済を回すことは必要で,それは,どの位かと言うと,少なくともちゃんと食べては行けるくらいで,実際,そのような水準に達した20世紀後半から世界大戦に繋がるような戦争は起きてませんでした.

 問題はこれからです.今,EUでは,Rシアから石油を買うのを止めるかどうかでもめてるような有様で,ましてや天然ガスを止めるのは無理という感じですが,ほんとにそうですか? もう大量のエネルギーを消費するようになっちゃったから,30年前には戻れない?

 いやいや,○ホな奴を騙して目先の経済を回して,楽して生きて行きたいだけ,世の中でほんとに必要なきつくてしんどい仕事をしたくないだけですよね.でも,戦争で命を落としている人がたくさんいるのに,そんなことでいいんですか?

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 というのは,表の話で,裏の(ほんとの)話としては,経済を回すために戦争をしてるわけです.

 でも,何度も書いているように,金持ちが○ホな奴を騙して目先の経済を回そうとしても騙されなければ,経済は回らないわけで,多くの人が○ホでなくなれば,戦争を止めることはできるということです.つまりは,あれも欲しいこれも欲しいとか,いっぱい旅行したいとか,もっといい暮らしがしたいというのが戦争を引き起こすわけで,自国がそれに巻き込まれれば,いい暮らしがしたいどころの話じゃないわけで,どうすればいいかは明らかじゃないですかね.

 でも,ということは,事態は,いい方向には行かないってことなんですが,そういう中で,できることをするしかないってことですね.

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[社会というものは,子供から年寄りまで幅広い世代がいて成立する]
(世の中)

 社会というものは,子供から年寄りまで幅広い世代がいて成立する,と言った人がいました.どう思いますか?

 子供は,成長して社会を支える担い手になる準備をするとして,年寄りの役割は? それこそ,親が困ったときに孫の世話をするくらい? じゃあ,孫がいない人は? 年金もらって働きもせず,社会から面倒を見てもらうだけでいいわけ? いやもう働けないなら仕方ない?

 でも,まだまだ(働ける範囲で)働ける人はいくらでもいますよね.でも,定年が来れば否応なしにクビなわけです.そんなことでいいわけ?

 要は,「社会というものは,子供から年寄りまで幅広い世代がいて成立する」のなら,年寄りにも何か役割があるわけですよね.そして,それは(定年でクビなのなら)働くことではないわけで,じゃあ,何かってことです.つまりは,「定年後問題」としては,どうやって自分が退屈しのぎをして行くか,ではなく,社会に対して何ができるか,ということなのでしょうか.

 でも,定年でクビになって,お前はもうこの社会には要らないと言われているのに,社会に対して何ができるか考えないといけないわけ?

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 でも,そんなこと言ったら,じゃあ,就職するときに自分が社会に対して何ができるかで仕事を選んだのかってことで,実際は,やりたいことやって行きたい,それで食べて行きたいったことだったわけで(多くの人も自分がどうしたいかで決めてるわけで),結局は,とやかく言うようなことではないわけです.

 つまりは,「社会というものは,子供から年寄りまで幅広い世代がいて成立する」のは,詭弁というか建前なわけで,社会の役に立たない年寄りは,さっさといなくなってくれってことなんでしょうが,そう言われても,はい,わかりましたとは行かないわけで,結局,元に戻る的には,「社会が」もっとうまくちゃんとやる方法を考えた方が社会のためなんじゃないですかね.

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[考えればわかること]

 立花隆さんが亡くなって,彼の莫大な蔵書が彼の遺志によって全て処分されたと言ってました.でも,蔵書のほとんどは,勉強というか調べものをするために買った資料のようなもので,何か文学的価値があるようなものではないでしょうから,とっておいてもしょうがないと思いますけどね.

 番組では,そういうことを彼の死後の世界に対する考え方と結びつけようとしていたんですが,彼は,死後は人間は無になるという結論に達したと言ってました.それは,いろんな最先端の研究者を取材して到達したということなんですが,このサイトで何度も書いてますが,そんなことしなくても考えればわかることじゃないですかね.

 彼のことを知の巨人とメディアは言ってるようですが,彼は知というものに対して何か新しいものを生み出したわけではないし,彼自身が言ってるように,いろんなことに興味をもって,でも,多岐に渡るいろんなことを最先端のレベルまで研究することはできないので,「勉強した」というだけの話でしょう.

 でも,考えればすぐにわかることでも,証拠というか,論理や物理を積み上げないと研究にはならないわけで,めんどくさい話なんですが,実は,その論理や物理を積み上げるところが研究の本質で,一番面白いところで,研究をする意味があるとしたらその一点だし,そこが勉強とは全く違うところです.

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[もう腹をくくってあきらめるしかない]

 別に長生きしたいとは思いませんが,死に方は極めて重要で,要は,苦しまずに穏やかに死にたいですよね.でも,前者と後者は,無関係ではありません.というか,密接に関係してるわけで,つまりは,苦しまずに穏やかに死にたかったら,(安楽死を選ばないのであれば)結果的に長生きするしかないってことなんだと思います.

 理由は単純で,人間,病気や事故がなければ,長生きしてしまうからで,つまり,長生きしないということは,病気や事故で死ぬことを意味していて,それは,苦しまずに穏やかに死ぬことにならないからです(まさに論理).

 いや,病気によっては,苦しんでも一瞬だからそれが理想? そんなにうまく行かないことは,多くの人が死に損なって長く苦しい時間を過ごしていることから明らかですよね.

 つまりは,もう腹をくくってあきらめるしかないってことですかね.そして,長生きしてしまうのなら,それこそ,心穏やかに楽しく過ごして行きたいわけで,でも,それは非常に難しいことでもあるわけで,しっかり,準備して行かないと,ということでしょうか.

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[普段そういうことを話さなくて済むように,ここでそういうことを書いている]
(このサイト)

 人生とか生き方とか世の中のこととかをこのサイトでよく書いています.そして,このサイトを読んでるけど,私とあまり話をしたことがない人は,私が話をするときもそういうことを話すことが多いと思ってるかもしれません.

 でも,実際は,私が普段,人と話をするときに,そういうことを話題にすることは,ほとんどありません(話すとしても,そういうことを話せる一部の人だけ).

 つまりは,普段そういうことを話さなくて済むように,ここでそういうことを書いているということかもしれません.

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5/6'22
[安楽死では「苦しまずに穏やかに死ぬ」ことにならない]

 苦しまずに穏やかに死にたかったら長生きするしかないとあきらめるしかないってことなんですが,「(安楽死を選ばないのであれば)」というのは,後から追記しました.逆に言えば,そういう選択肢もあるということです.

 実際,穏やかに眠るように死ねる「薬」も開発されてますし,日本では,法的にできませんが,認められている国もあります.でも,そういう「薬」の使用が想定されているのは,病で苦しんでいて助かる見込みがない場合で,だとすれば,もうその時点で,苦しまずに穏やかに死ぬことにはなりませんよね.

 もっと言えば,こういう世の中ですから,病気でなくても,そういう「薬」を入手する方法はあるかもしれません.でも,それって「苦しまずに穏やかに死ぬ」ことになりますか? 心も体も健全で,でも,死にたくなって,そういう薬を服用するってことは,心が健全と言えるのかってことですし,その時点でもう「苦しまずに穏やかに死ぬ」とは言えないんじゃないですかね.

 つまりは,安楽死では,「苦しまずに穏やかに死ぬ」ことにならないわけで,じゃあ,どうすればいいかですが,やっぱり,苦しまずに穏やかに死にたかったら長生きするしかないとあきらめるしかないってことで,そのためには,心と体の健全もそうですが,長生きしたいと思う「何か」が必要ということでしょうか.

 でも,そういう「何か」があって,かつ,長生きできたとしたら,今度は,いつかは死なないということが悩ましくなるわけで,何とも矛盾する話なんですが,そうすると,やっぱり,再三書いてる「ニュートラル」というのがいいんじゃないですかね.

 つまりは,プライオリティーの一番は「苦しまずに穏やかに死ぬ」なので,その結果,長生きしてしまうことは受け入れるし,そのために日々楽しく気分よく生きて行くことを目指す.でも,それでもいつ死ぬかはわからないので,それはそれで受け入れるってことなんですが,日々楽しく気分よく生きて行くことを目指してもそんなうまい具合には行くとは限らないわけで,まさに「ニュートラル」ってことでしょうか.つまりは,何をどうしたいとか,夢とか目標とかじゃなくて,できる範囲でできることをして(内的熟達的に)日々淡々と過ごして行くってことですかね.

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[見えて来過ぎると]

 別に歳をとったということは,関係ないと思いますが,人生が終盤というか,実質終わって,いろいろ考えて行くうちに,人生がどういうものだったか見えてくるというか,それは,世の中のこともそうですし,でも,そういうのが見えて来過ぎるというか,達観しすぎると,価値観がなくなるというか,全てのことに意味がなくなるような感じがして,それはそれで危ういことだと思うのですが,逆に,どうでもいいようなしょうもないことにも意味というか,興味のようなものを見出せるようなところも出てきて面白いのですが,これって,ニュートラルってことに繋がってるような気がします.

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5/8'22
[歳をとると感情の起伏がなくなって感動しなくなる]

 歳をとると感情の起伏がなくなって感動しなくなる(のは問題だ)と言ってる人がいました.どう思いますか?

 私は,歳をとると感情の起伏がなくなって感動しなくなるのは事実としてあるし,それで問題ない(それがいい)と思っています.理由は,何度か書いたように,いいことがあって嬉しいより,よくないことがある方が精神的に耐えられないと思うだからです.そして,歳をとると,いいこととよくないことのどっちが起こるかは明らかで,いいことと言えば,孫ができるくらい?で(それも子供がいて子供が子供を作る場合に限られる),じゃあ,よくないことは,歳をとってできていたことができなくなるとか,定年で仕事を奪われてお前は社会には必要ないと言われるとか,大事な人を失って行くとか,圧倒的に後者が多いわけで,感情の起伏がなくなるというのは,理にかなってるというか,そういうことにうまく心理的に対応してると思うんですよね.

 そして,この感情の起伏がなくなって感動しなくなるというのは,年寄りに限らず,若い人にも見られる傾向で,リスクを冒して冒険しないとか,頑張って出世するより仕事はのんびりやって,やりたいことをやって行きたいとかいうのは,そういうことでしょう.これの意味することは,年寄り同様,今の世の中とか,これからのことを考えると,いいことよりよくないことの方が多そうってことで,それが問題だと言う人もいるんでしょうが,世の中は変わらない(例えば,少子高齢化は当分止まらないし,金持ちが圧倒的に有利な資本主義経済は変わらないし,騙されない賢い人間が得するのも変わらない)というか,そういう世の中でどうやって行くかなわけで,そういう意味では,これまた「問題ない」ですし,しかも,金持ちが目先の経済を回すため人々を騙して働かせて消費させようとしてるのが実態なわけで,そういう世の中の中で,どうやって,(回りも含めて)自分が楽しく気分よくやって行くことが,結果的に世の中をよくするんだと思うんですよね.

 具体的には,「いいこと」「よくないこと」が何かということで,一般的には,これらは(孫ができるとか,定年で仕事を奪われてお前は社会には必要ないと言われるとか,大事な人を失って行くとか)ほとんどが外部要因です.逆に言えば,内部要因で考えればいいわけで,外的によくないことが起こっても,内的にいいことが起こり続ければいいわけで(例えば,何か少しでもできなかったことができるようになったり,わからないことがわかったり,作品のようなものができて行ったりとか),内的熟達的に生きて行くというのは,そういうことです(歳をとってできていたことができなくなるのは,内的要因もありますが,歳をとる以上はある程度は仕方ないという意味では外部要因ですし,できる範囲でできることをやればいいし,そうすることで,できることができなくなって行く程度も抑えられるし,逆にできなかったことができるようになることもあると思うんですよね).

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 でも,それでも,もういいことなんかないとわかっていても,何かいいことないかなあって思いますよね.まだまだ修練が足りないってことなんでしょうが,じゃあ,修練ってなんやってことです.それは,何かいいことないかなあって思わないようにするのではなく,いいことなんかなくても大丈夫になるってことで,それが,即ち,「一人でも大丈夫」に近づくというか,内的熟達的に生きて行ける対象を見つけてそれを維持することなわけです.

 でも,「一人でも大丈夫」はさすがに無理で,「一人,時々,みんな」が現実的ってことなんですが,問題は「時々」の頻度で,でも,それを極限まで高めるというか,それこそ,いつかどこかで会えるかもしれない,まで行ければ,実質,「一人でも大丈夫」になるのかもしれません.

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 そもそも,「いいこと」ってなんですかね.それは,私の場合は,大きく2つあって,1つは,自分にしかできない仕事ができるというか,させてもらえることで,そういう意味では,もういいことなんかないだろうなと思っていたところにそういうことが実際に起こったということかもしれません.

 でも,もういいことなんかないだろうなと思って,でも,それでも大丈夫なようにある程度できていたので,そんなに「感動する」こともなかったというか,ありがたい話ではあるけどめんどくさいことに巻き込まれそうという正負両面から冷静に考えられたと思うんですよね.

 もう1つは,私のことを必要としてくれる人がいる状況になるということですかね.でも,これについても,もちろん,万が一そういうことが起これば真剣に考えますが,この期に及んでそれはそれで大変なわけで,でも,実際のところは,そういうことが起こることはないでしょうし,だとすれば,それでも大丈夫なように(自分のために生きて行けるように)しっかり準備して行くということでしょう.

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[三省堂書店の本店]
(ニュース)

 東京の神保町の三省堂書店の本店が一時閉店というニュースが流れていました.ここは,東京に住んでいたとき,何回行ったかわからないほど何度も行きましたし,どこに何の本があるのかほとんど憶えているほどです.

 それで,一時閉店の理由ですが,店の老朽化に伴う建て替えなんだそうです.でも,私の中のこの店のイメージは「新しい」です.ていうか,新築間もないくらいな感じです.で,ニュースでは,1981年築と言ってました.つまり,私が大学に入る少し前で,実際,よく行ってた当時は「新しかった」ということですね.

 でも,考えてみたら,その時から,40年以上が経ったわけで,隔世の感というか,三省堂書店本店の建物が老朽化するだけでなく,私自身が老朽化するのも当然ということですかね.でも,逆に言えば,私自身は,その頃から,「新しい」から「建て替えが必要なほど老朽化」している感じもしないので,建物よりは,老朽化してないとも言えるんですかね.

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5/9'22
[眼鏡をした顔の不可逆性]
(?)

 ずっと以前から思ってるんですが,眼鏡をした人の眼鏡をはずした人の顔って想像できませんよね.でも,眼鏡をしてない人が眼鏡をしてもその人だとわかる.つまり,そういう「不可逆性」があると思うのです(どうしてそうなのかはよくわからないがちょっと不思議で興味深い).

 これを利用する方法としては,メディアとかインターネットで面が割れるのが嫌なら眼鏡をして出ればいいことになります.眼鏡をはずして街中を歩いていてもその人だと気づかないわけですからね(でも,顔が命の芸能人は難しい.というか,彼らは,面が割れたいんでしょうし).

 逆に言えば,普段,眼鏡をしてない人が眼鏡をして変装してもあまり効果はないことになります.つまり,眼鏡をしてない顔がちょっとでも公になれば,もうどうしようもないってことですね.

 でも,今はこういう世の中なので,眼鏡をした画像データを加工すれば,簡単に眼鏡をはずした顔を再現することができるんですが,そういうことをしてネットに晒すということまでされないのなら一つの方法かもしれません.

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[解決すべき問題があって,その解決が自分にしかできないと思ったらやるでしょ]

 2020年の6月にこういう記事がありました.要は,どうして私がRCの研究室出身なのに,RCをやらなくなったのかってことですが,ぐだぐだ書いてますが,結局は,「解決すべき問題があって,その解決が自分にしかできないと思ったらやるでしょ」ってことなんだと思います.つまりは,そういう問題をRC以外の分野に見出してしまった(逆に言えば,私が無能でRCの分野にそういう問題を見出せなかった)ということですかね.

 実際,何かの研究分野で,未だ解決されてない問題があって,それを自分が解決ができそうだと思ったらやりますよね? でも,そんなんてことは,なかなかないとも思うんですよね.

 ただ,何かの研究分野で,未だ解決されてない問題があって,と書いたんですが,実際のところはそうでもないというか,多くの問題は,大した問題でなくて,そうすると「問題発見能力」が必要になってきて,これが最大の問題だったりします.つまりは,その時は,まだ「問題」と認識されてないことをいち早く問題と認識して取り組むことが必要なんだと思います.

 じゃあ,それにはどうしたらいいかというと,よくわかりません.でも,興味がないことはできないというか,エネルギーを注力することはできないので,結局,やりたいことやったらいいと思いますし,そういう中で結果的に先見の明があったことになるってことで,結局,運次第ってことですかね.でも,先見の明なんかなくても,やりたいことを思う存分できたら,それで充分だと思うんですよね.

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 と思ったんですが,どうなんですかね? 別に先見の明とかは,どうでもいいと思うんですが,何に興味をもつかは重要ですよね.極端な話,金儲けにしか興味がない人もいるし,とにかく世の中の役に立つことをやりたい人もいるし,問題解決というか,その本質というか,物理や論理に興味がある人もいるわけですからね.

 でも,何に興味をもつかは,制御できないわけで,結局は,興味をもったこと,やりたいことをやればいいってことですが,それで社会的に成功するかどうかは別問題で,でも,社会的に成功することなんかより,やりたいことをやれたということの方が遥かに大きな成功でしょう.

 でも,何に興味をもつかがその人の素養というか才能という意味では,やはり,重要なことで,でも,制御できないんでどうしようもないですね(これまたあきらめが肝心ってこと).

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[自分のために生きて行けるように]

 何気なく自分のために生きて行けるようにと書いて,はっとしました.そういうことですよね.

 これまでは,社会の中で,あるいは,家庭を持って子供を育てるなどして,社会や家族のために生きてきたとしても,ある年齢に達すると,社会からはもう必要ないと言われ,子供は一人前に育って親元を離れ,もう社会や家族のために生きて行くことはできないわけで,そしたら,もう自分のために生きて行くしかないわけです.

 正直,なかなかしんどいことだと思うのですが,状況が変えられないのなら,これまた潔くあきらめて,どうしたらいいかを考えるしかないってことですかね.というか,ポジティブに考えれば,ある意味,正々堂々と,自分のために自分勝手に生きて行けると考えるってことですかね.

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[一人暮らしに分があるとすれば]

 もう大分長いこと(10年くらいか)一人暮らしをしているのですが,最近,時々,違和感というか,何か変な感じもするようになってきました.でも,じゃあ,誰かといっしょに暮らすかというと,そもそもそういう人はいないし,いたとしても,やっぱり,ちょっと怖いですね.

 怖いというのは,いっしょに暮らしてうまく行くかどうかってことじゃなくて(ちゃんと話ができる人ならうまく行くと思います),いっしょに暮らして楽しかったら,それを失うのが怖いってことでしょうか.

 一人暮らしと誰かと暮らすのは,一長一短なんですが,一人暮らしに分があるとすれば,それを維持できるということで,誰かと暮らしていれば,そこから一人になる可能性もあるわけで(歳をとれば,配偶者を失うとか),そういうハードランディングは,やっぱり,怖いですね.

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5/10'22
[他者に依存しない幸せ]

 あなたにとって幸せとは何かときかれて,他者に依存しない幸せと言ってる人がいました.質問の意図に対する答えかどうかはわからないのですが,要は,他者に依存する幸せは危ういので,他者に依存しない幸せが欲しいということなんだと思います(例えば,一人でこれやってれば幸せとか).このサイトでもよく書いてることで「一人でも大丈夫」(を目指す)というのがまさにそうですね.

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[「一人,時々,みんな」の中に「一人でも大丈夫」が存在する]

 でも,実際は,「一人でも大丈夫」は無理で,現実的には,「一人,時々,みんな」なんですが,「一人,時々,みんな」の中に「一人でも大丈夫」が存在するような気がしてきました.

 どういうことかと言うと,例えば,ピアノの練習は,一人でするものですが,人前で弾くことを想定して練習するのなら,それは,「一人でも大丈夫」ではなくて,でも,人前で弾くことを想定しても,年に1回しか人前で弾かない,あるいは,いつか人前で弾くことがあるかも,という程度なら,それはもうほとんど「一人でも大丈夫」ですよね.

 つまり,「いつかどこかで会える」じゃないですが,限りなく0に近い「みんな」を想定,想像しながら,「一人でも大丈夫」で過ごして行くことなら何とかできそうな感じもするのです.

 そういう意味では,バドミントンはちょっと厳しい気もするのですが,今はそんな感じというか,またバドミントンができる,いっしょに打ちたいと思う人と打てることを想定,想像しながら何とか体を整えて行くということでしょうか.ゴルフもそれに近いですが,こっちは,何もできてないですかね.スキーはどうなのかなあ.もちろん,いっしょに滑りたい人といっしょに滑る方が楽しいですが,割と内的熟達的に取り組めていて,でも実際は,全然行ってないわけですからね.

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[ちょっとしたネガティブなイメージ→「将来に視点がある」ことがポジティブに働く]

 じゃあ,どうしてスキーに行けてないかですが,もちろん,忙しいということはありますが,ほんとに行きたければどんなに忙しくても行くわけで,でも,もう歳なのでハードルが上がってるってことはあるんですが,ちょっとしたネガティブなイメージがあると途端にめんどくさくなるってことがあります.

 具体的には,朝出かける時に寒いとか,車を運転していくのとか,スキー場で駐車場からスキーを担いで歩いて行くのが面倒とかですかね.どうしてそう思ったかと言うと,つらつら調べていたら,びわ湖バレイも奥伊吹も最寄りのJRの駅からバスが出てることがわかって,そうすると,そこまでは電車で行けばいいし(時間はかかるけど,その方が心理的には楽なことに気づいた),そこからセンターハウスまで直で行けるので,大分,心が軽くなる感じがしたんですね.

 でも,実際は,ほんとにそうするなら,スキーとかブーツとかの荷物を持っていかないといけないし(荷物を送るという手もあるが,そうすると何日か前から行くことを決定しないといけなくてそれはそれでしんどい),家から駅まで荷物を担いで歩いて行かないといけないし,だったら,やっぱり,車で行った方が楽ってことになって元に戻るんですが,ちょっとしたネガティブ要因を除去すればいいとは言えるわけです.

 そうすると,今はハードルが高くてあまり行けないけど,将来,例えば,大宮とか熊谷に住んで,そこから新幹線で40分とか1時間ちょっとで,荷物はシーズンロッカーに置いておいてほとんど手ぶらで越後湯沢とかガーラまで行ければ行くんじゃないかというか,今は,そういうことを,これまた,想定,想像して,でも,何とか技術や体力を維持するということですかね.

 こうしてみると,どこかで書きましたが「将来に視点がある」ことがポジティブに働くことがわかります.今はうまく行ってないけど,将来はうまく行く可能性があるというだけで大分違う感じがします.でも,そのためには,年寄りは,体と心と脳の健全性を維持することが不可欠で,でも,これまた「将来に視点がある」ことに繋がります.

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 でも,ちょっと不思議なことがあって,それは,つくば時代のことなんですが,越後湯沢にしろ,ハンターにしろ,電車や車で3時間かかったわけで,つまり,今よりハードルが高かったわけです.実際,その頃もあまり行けてなかったのですが,今想像すると,何となくですが,ハードルの高さは,今とそんなに変わらないか,むしろ低かった気がするんですね.

 一つはかかる時間の長さではなく,やはり,心理的ハードルの高さってことですかね.電車で3時間と言っても,ずっと座って何かしてればいいわけですからね.じゃあ,ハンターはどうかと言うと...よくわからないですが,びわ湖バレイに行くときに京都市内のごちゃごちゃしたところを抜けていくよりは,って感じもするのですが,そんなこと言ったら,奥伊吹は,すぐに高速に乗れるわけですからね.

 そういう意味では,高速を運転するのがあまり好きではないってことはありますかね.でも,信号とか遅い車に引っかかりながら下道をトロトロ行くのもうざい.そういう意味では,つくばからハンターへの下道は,割と快適というか,ドライブ感覚的なところはありましたかね.

 そういう意味では,びわ湖バレイへの下道はごちゃごちゃしてるし,奥伊吹は米原から先はいいんですが,高速乗ってる時間が苦痛ですかね.あとは,スキー場自体の違いもありますね.

 こうしてみると,ほんのちょっとしたことが実は大きな違いというか,心理的ハードルの高さになってるわけで,逆に言えば,そのほんのちょっとしたところを何とかできればってことですかね.

 でも,ということは,今はどうしようもなくて,次に住むところは,そういういろんな微妙なことを考えて選ぶ必要があるということですし,それまでは,「将来のことを考えて」できるだけハードルが低いことをできる範囲でやるってことですかね.

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[成長? あきらめ?]

 バドミントンは,40くらいが競技力のピークだったと思うのですが,スキーは,準指に受かった頃(40代半ば)なんですかね.でも,動きの洗練というか本質的な理解は進んでいると思いますし,それは,バドミントンもそうですかね.でも,バドミントンは,フィジカルの低下というか,怪我というか故障の影響がいかんともし難くて,スキーはそうでもなかったのですが,何年か前くらいからそういうことも感じるようになりました.

 それで,ピアノなんですが,自分の中ではまだ上手くなってると思っていたんですが,京都に引っ越す前に若い頃(大学院生時代)のビデオを見つけて見たら,かなりバリバリ弾けててショックを受けたことはどこかで書きました.で,考えてみたら,もう大分前から,「バリバリ弾く」というのがしんどくなってて,それって実はそういうことだったんじゃないかと今頃気づいた次第です.

 つまり,音楽的なことはともかくフィジカル的なことは,ピアノももうとっくにピークアウトしてるってことですかね.ピアノに関しても,どうやれば弾けるようになるかというか,練習の本質が大分わかってきた気もするのですが,それを実行できるフィジカルがもうないのは,バドミントンやスキーと同じ(わかったのが遅かった)ってことでしょうか.

 なんだかなあという感じですが,じゃあもうピアノもバドミントンもスキーもやめるとはならないですかね.例えば,今まで弾けてた曲がどんどん弾けなくなっていったとしても弾ける曲があればピアノは弾けるわけですからね.具体的には,今弾いているのは難曲ばかりで,それは,そうではない曲が弾いてて退屈だからなんですが,難曲が弾けなくなったら,難曲ではない曲を弾くのが退屈ではなくなると思うんですよね.

 バドミントンも相手になる人がいれば打つことはできるでしょうし,スキーも滑れる斜面があるうちは滑れる,具体的には,今は緩斜面を滑るのは退屈ですが,緩斜面しか滑れなくなったら,緩斜面を滑るのが退屈ではなくなると思いますしね.

 とか考えられるようになったのは,成長なんですかね? それともあきらめ? でも,もちろん,できる範囲で衰えて行かないようにはしますが,ある程度そういうことが起こるのは避けられないし,そういう中で,楽しく退屈しのぎをして行くことの方が大事ですからね.

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 そういう意味では,研究も含めて脳力的なことは,まだ全然ピークアウトした感じがしないので,これから益々やるべきことは,そういうことだと思うのですが,大学で研究できるのは,もう何年もないわけで,一体どうなってんだ?って思いますね.

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5/11'22
[半島の先]
(地理)

 西九州新幹線が9月に開業と言ってます.(延期になったけど)北陸新幹線の敦賀延伸もそうですが,知らない間にそういうことが進んでるんだなと思いますね.でも,中央リニアもそうですが,西九州新幹線も,かなりすったもんだがあったようで,佐世保回りをどうするかもそうですが,結局,長崎−武雄温泉間だけということで,何と従来の新幹線と繋がっていない「離れ小島」なんですよ.理由としては,佐賀県が難色を示したってことですが,費用対効果がなければそうなりますよね.

 でも,そんなこと言ったら,新幹線は,東海道新幹線以外は赤字だし,新型コロナで気づいた人は気づいたわけで,もう「人が大量移動する時代」じゃないと思いますけどね.でも,西九州新幹線があるなら,東九州新幹線(大分,宮崎)もあるわけで,更には四国新幹線なるものもあるみたいです.

 話を西九州新幹線に戻すと,長崎−博多間が2時間から1時間20分に短縮されるとのことです.北陸新幹線の金沢延伸のときも書きましたが,そんなに劇的に変わる感じはしませんよね.でも,金沢が首都圏から心理的に近くなったのは事実のようで,まさに乗換という「ほんのちょっとの障害」が大きいということなんでしょうが,西九州新幹線は,逆に乗換が必要になるわけですからね(これで,中央リニアが開通したときに,人々が東京から大阪に行くのに名古屋で乗り換えるか,新幹線で乗換なしで行くかがわかる?).

 思ったのは,長崎のことは,どこかで書きましたが,私にとっては,幻の街というと語弊がありますが,どこかそんな感じで,でも,現状,博多から2時間で行けるというのは意外というか,結構,近いんだなと思いました.

 で,どうして長崎がそんな感じがするのかというと,端っこという言い方はどうかと思いますが,地理的にそういう位置にあるということはあると思います.尾鷲もそうですしね.もっと言えば「半島の先」ということでしょうか.

 土佐清水もそうですし,他には,下北半島,大隅半島の先もそんな感じがします(薩摩半島の先には,鹿児島で地震学会があった時に行った(開聞岳)).離島より「半島の先」の方がそんな感じがしてしまいます.そして,それは,「割といい感じ」です.

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[(逆)懲役○年]

 60代の自殺って多いらしいです(でも,逆に言えば,ここを抜けて70代,80代になれば,何かが変わるとも言える).もちろん,自殺は絶対にだめですが(理由は何度も書きました),そういう気持ちになるのはわかります.定年などで仕事を失って,お前はもう社会には要らないと言われ,子供は一人前になって,これまたお役御免で,しかも体の不調もいろいろ出てきて,あとどのくらい生きられるかもわからないし,これからどうやって,何のために生きて行けばいいんだ?てなもんです.

 でも,何度も書いているように,哲学的には,人生所詮退屈しのぎで,そもそも人間が生きてる意味なんかないわけで,本来の人生に戻ったということでしょう.そして,退屈しのぎという意味では,数ある退屈しのぎの中で仕事と家庭がなくなっただけとも言えます.つまりは,これら以外にどれだけ退屈しのぎをもってるか,そういう準備を(経済的なことや体のことも含めて)してきたかってことですかね.

 でも,特にそういうものがなくても,雨露と暑さ寒さを凌いでゆっくり休める家があって,三食おいしくご飯が食べられて,何とか自活できれば,それだけで充分幸せですし,哲学的には,生きてる意味なんかないんですが,同時に,生きてるだけで意味があるとも思うんですね.

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 少し変わった考え方としては,人間生まれながらにして皆死刑囚じゃないですが,「(逆)懲役○年」というのはどうですかね?

 もちろん,何かの罪を犯すというのは問題外ですが,「懲役○年」とかになったら嫌ですよね.懲役5年とか10年とかもそうですが,懲役1年だってめちゃくちゃ長くないですか?

 これを逆に考えれば,「(逆)懲役○年」というか,例えば,あと1年生きられる(1年しか生きられない)というのは,(逆)懲役1年,つまり,懲役1年を免れて,1年という自由な時間を得たということになると思うんですよね.

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5/12'22
[子育てに関する情報]
(世の中)

 時々,子育てに関する情報が流れていて,例えば,幼児がぐずった時にこうしてはいけないとか,反抗期の対処方法とか.でも,そんな大事なことを今頃って感じですし,中には,親はみんな「初心者」なんだから仕方ないみたいなことを言う始末で,そんなことでいいわきゃないですよね.

 三つ子の魂百までではないですが,子育て,特に幼少期はとても重要で,これだけ進んだ時代で,いろんなことがわかって来ているのに,そういう極めて重要な情報が浸透してないどころか,虐待まで起こっていて,一体どうなってるんですかね.

 昔は大家族で,おじいちゃんやおばあちゃんがいろいろ教えてくれたというのは違うでしょう.今はそんな時代ではないということもありますが,おじいちゃんやおばあちゃん(も結局,親の時は初心者なので)言うことが正しいわけではないし,そもそも,そんな言い伝え的なアバウトなことでいいわけがありません.

 それこそ,講習会みたいなものをしっかりやって,子供ができたら出ないといけないとか(そういう講習会の講師の育成も必要),子供が小さい間は,そういうところに定期的に顔を出すなどすれば,育児で追い詰められていくようなことも回避できると思うのですが,これも一種の専制主義 vs 自由主義ってことなんでしょうか.

 でも,こういう時代なので,いろんな情報は手に入るわけで,そういうことをしっかり勉強する人はいるでしょう.逆に言えば,そうでない人もいるわけで,どんどん二極化が進んでしまうことになっています.

 でも,これもよからね背景はあるわけで,つまりは,勝ち組(金持ち)が勝ち組でい続けるためには,負け組は負け組のまま,勝ち組に虐げられてこき使われ続けないといけないわけです.全く以てひどい世の中なんですが,それが世の中というものでもあるわけです(しっかり考えて自ら行動を起こす人間とそうでない人間に二極化して格差が広がっていくということ).

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[浪人時代とリタイア後]

 大学受験の浪人時代のことを何度か書きました.浪人というと,暗くて辛いというイメージなんでしょうが,私は楽しかったです.むしろ,現役の高三のときの方がしんどかったですかね.

 浪人の何が楽しいかって,とにかく自由なんですよね.高校時代までは,一日の多くを机と椅子に縛り付けられて授業を受けさせられるわけで,何なら早く大学に落ちて自由な浪人生活を送りたいと思ってたくらいでした.

 いや,浪人でも予備校に行けば,高校と同じじゃんってことですが,そういうこともあって,私は最初は予備校に行かず,家で自分で勉強してましたし,それで快適でした.そして,これも何度か書いてますが,そういう生活がリタイア後と重なるんですね.

 でも,当時は,一人暮らしではなかったですね.あとは,自転車で結構出かけていました.若かったというのはありますかね.それに,そういう生活をしていたのは,半年くらいで,結局は,予備校に行くようになったんですが,それは,予備校に勉強を教えてもらいに行くのではなく,友人達といっしょに勉強したかったわけで,そうすると,リタイア後も然りということなんでしょうか.いや,でもそういうことをちゃんと認識して,そこのところを何とかしないといけないんでしょうね.

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 でも,一番大きな違いは,浪人時代は,勉強しないといけないってことがあるんですが,リタイア後は,それがないってことでしょうか.でも,体と脳の健全を維持して,経済的なことを何とかして,身の回りのことも全部自分でやった上で,やりたいことをやって行くだけでも結構大変な気もしてきます.

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[経済が正常に戻りつつある?]
(世の中, 経済)

 今年のGWは,ものすごい人出で,経済が正常に戻りつつあると言ってる人がいました.

 いやいや,ものすごい人出で,道路は大渋滞のどこが「正常」なの? これに加えて外国人観光客が戻ってきたらどうなる? まさに「異常」では?

 というか,そういうやり方がいかに危ういか,新型コロナで嫌というほどわかったのでは? いや,何もわかってないんでしょうね.

 「持続可能な社会」というのがキーワードになりつつありますが,まさに「持続可能な経済」にしないといけないのでは?

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[脳力的なことは,まだ全然ピークアウトした感じがしない]

 脳力的なことは,まだ全然ピークアウトした感じがしないと書きましたが,これは,単なる記憶力とかの話ではありません(でも,記憶力とかもそんなに落ちてる感じはしないけど).

 つまりは,研究者として,あるいは,一人の考える人間としてどうかってことで,例えば,20年前の1-2秒応答を提案したあたりと比べても,明らかに研究者としては優れてる,具体的には,現状を見た中で,何が問題なのかを見出して,それをどう解決していくかの問題解決能力も,それをどういう形で具体化して表現するかという能力も今の方が格段にあると思いますし,教育者としても,学生達により大きなものを与えられると思います.

 でも,あと○年もすればクビなわけです.

 でも,何と言うか,まあいっか的なところもあって,一番大きいのは,やっぱり,もうめんどくさいことはめんどくさいってことですかね.研究や学生の研究指導は,いくらでもやりたいですが,そういうこととは関係ない学内外のいろんなめんどくさい仕事はもういいかなと思いますからね.

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(運保)

 世界的に年初から株が大きく下げている状況ですが,運保の方は,ここのところ少し下げてますが,年初からまだかなり利益が出ていて,そんなに悪くないです.状況としては,資保の大手商社,建設株は,既に全て手仕舞ってますし,日運,短運もマザーズ先物も売りで,買い玉が建ってるのは,もう外貨とアメリカ株と商品先物だけですかね.最近,始まった個運は,あまりよくないんですが,こちらは,半分くらい売り越しになってる感じですし,全体としても,もうかなり売り越しにはなってる感じはします.

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5/13'22
(経済)

 (投資会社に成り下がった)SフトバンクGがなんちゃらファンドで損して,1.7兆円の巨額の赤字を計上との報道です.ほーら言わんこっちゃない,というようなことを何度も書いてますが,今回はちょっと違う見方をしていて,というのは,今期は1.7兆円の赤字ですが,その前は(新型コロナ以降の金融緩和バブルで)5兆円の黒字なんですよね.メディアはそれをまるでジェットコースターのようだと言ってたんですが,そうではなく,5-1.7兆なら3.3兆のプラスってことですよね.

 じゃあ,これからどうなるかですが,これからも大きな波はあってもトータルでプラスになるとは限りません.逆に言えば,彼が投資するなんちゃらファンドの会社の株価が大きな波はあっても上がっていくならプラスだけど,そうでなければマイナスということです.

 そして,私個人的には,個運にこの会社を組み込んだので,そういう大きな波を捉えられればということですかね.つまり,この会社が儲かろうが損しようがどっちでもよくて,でも,とにかく上へ下へと大変動してもらえればありがたいです(悪).

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[楽しみという感覚がなくなった]

 いつ頃からでしょうか,「楽しみという感覚がなくなった」感じがするんですよね.

 具体的には,子供の頃は,学校から帰って野球をするのが楽しみ,昼休みにドッジボールをするのが楽しみ,遠足が楽しみ,運動会が楽しみ,夏休みが楽しみ,七隈祭(福大の学園祭)に行くのが楽しみ,という感じで,楽しみだらけで,中高大も子供の頃ほどではなかったとは思いますが,そういうことはありましたし,大人になってからも,ピアノを弾くことやバドミントンの練習に行くことやスキーに行くことが楽しみという感覚はありました.

 でも,いつの頃からか,そういう感覚がなくなっていって,今はほとんどないですかね.つまり,やれば楽しめるようなことでも,それを「少し先の未来でやる」ことを楽しみにする感覚がないので,かなり「頑張って」行動を起こさないといけないというハードルの高さがあるということです.でも,こういう「少し先の未来に起こることが楽しみ」という感覚はなくなった代わりに「今やってることが楽しいとか,今の状態が幸せ」という感覚にはなりますし,そういう感覚は,若い頃より強くなってる感じがします.

 どっちがいいんですかね? でも,言えるのは,「少し先の未来に起こることが楽しみ」という感覚がないと,例えば,スキーに行ったり,出かけることは減って行きますし,実際,そうなっています.でも,それで楽しいとか幸せならOK?

 あとは,(歳をとると)どうしてそうなるかですが,単にめんどくさくなるってこともあるのかもしれませんが,未来がなくなってきて,本能的に未来より現在を重要視するようになって行くということがあるのでしょうか.内的熟達と何か関係があるのかとも思ったのですが,内的熟達というのは,近い未来ではなく,その時やってるそのものを楽しむという要素はありますが,それそのものを楽しめるのなら,少し先にそういうことをすることを楽しみに思うことにも繋がるはずなので関係ないような気がします.

 うーん,でも,やっぱり,全体に「熱」のようなものは下がってると思います.と書いたんですが,確かにピアノやバドミントンやスキーはそうですが,研究とか思索とか,そうでないものもありますし,でも,そういうものは,内的というか,どこかに出かけて行くとかの行動を起こさなくていいものが多くて,たまたまそうなのか,関係があるのかはわかりませんが,そういう気になるものがあれば何でもいいんですかね.

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[とんでもないというか,とてもじゃない]

 それが何かは書きませんが,もしそういうことになったら(いいな)というようなことも考えないでもなかったのですが,冷静になってみると,とんでもないというか,とてもじゃない気がしてきました.そして,そう思うと,がっかりするというよりは,やはり,どこかほっとするところはあるわけで,これからはもう何も起こらず,「一人,時々,みんな」で内的熟達的に過ごしながら,その時が来るのを静かに待つだけというのも悪くないというか,実際のところは,人生最初からそうだったような気もしてきます.

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5/16'22
[定年前後で生き方を変えない]

 どこかで仕事をリタイアするまでの第一の人生で成功した人は,仕事をリタイアした後の第二の人生ではうまく行かず,逆に第一の人生がうまく行かなかった人は,第二の人生が楽しくなる(ことが多い)と書きました.これは当たり前の話で,逆に言えば,どちらも成功することは非常に難しいわけです.

 でも,どちらもうまく行く方法はあって,それは,仕事で成功したのならリタイアをしないことでしょう.でも,定年がある仕事はそうは行かないですし,体力や脳力が衰えれば,定年がない仕事も続けるのは難しいです.

 でも,もっと言えば,仕事をリタイアするとかしないとかもほんとは関係ないわけで,つまりは,やりたいことをやって行けばいいってことですよね.例えば,やりたいことを仕事にしたのなら,仕事を続ければいいし,大学は定年があったとしても研究は続けられるわけですし,やりたいことが仕事以外ということなら,仕事で生活費を稼ぎながら,やりたいことをして,仕事をリタイアすれば,(経済的なことを何とかして)大手を振ってやりたいことをやればいいわけですからね.

 ですから,結局,やりたいことがあるのかってことですかね.

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 もっと言えば,定年前後で生き方を変えないということでしょう.つまりは,定年前後に関わらず,やりたいことをやってるか,思うような生き方をしているかということです.

 もちろん,定年まではうまく行かなかったけど,定年後は楽しく過ごしていきたいというのはありでしょう.でも,定年まで何とかうまく行っていたのなら,それを変えるのはおかしな話というか,今までの人生を否定することになるわけで,もちろん,否定してもいいですが,そうすると,定年まで何とかうまく行っていたのではなく,定年まではうまく行かなかったけど,定年後は楽しく過ごしていきたいということになります.

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 でも,やりたいことがあるのかってことですが,少なくともこれまではそうでしたが,定年後というか,将来はちょっとわからない感じがしてしまうのは何なんですかね.具体的には,ピアノとかバドミントンとかスキーとか,今まである程度効力感をもってやってきたことのやりたい度がどんどん低下してきている感じがするんですよね.

 まあでも,研究とかそうでないものもありますし,何か他にやりたいと思うことも出てくるかもしれないし,そうこうするうちにピアノとかバドミントンとかスキーもまたやりたくなるかもしれないし,その時やりたいことをやればいいってことですかね.

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5/16'22
[「正の側面」ではなく「負の側面」を重点的に見てる]

 やりたい,やりたくないに関して言えば,既に書いたと思いますが,やりたいことをやりたいより,やりたくないことをやりたくないという方が強くなって来てる感じがします.そして,それは,定年で仕事をやめることに適合しているとも言えます.

 関連することとして,「一人でも大丈夫」を目指すというのも,「みんな」は楽しいけど,めんどくさいこともあって,そうすると,やりたいことをやりたいより,やりたくないことをやりたくないが勝つように,楽しいにめんどくさくないが勝っちゃうということがある気がします.

 でも,こうしてみると,ものごとの「正の側面」ではなく「負の側面」を重点的に見てる感じで,それは,「いいことがある」より「よくないことがある」方が耐えられなくなって来てるからで,そうすると,いいこともないけどよくないこともないというフラットなつまらない人生になって行くと思うんですが,外的にはそうでも,何とか内的に充実させられないかということでしょうか.

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[やりたい気持ちはあっても,ちょっとしんどいってことは,もうやりたくないってことかも]

 やりたい気持ちはあっても,ちょっとしんどいってことは,もうやりたくないってことかもしれませんね.それは,気力が衰えるというよりは,例えば,バドミントンなら,さすがにもう体力的に厳しいってことでしょう.

 じゃあ,どうしたらいいかですが,そういうことも含めてやりたいことをやればいいってことですかね.それはやりたいことなんかないから,よりやりたくなくはないことをやるというよりは,「そういう条件」も考えてやりたいことをやると考えればいいってことでしょうか.

 そうすると,ハードルが低いというか,めんどくさくないというか,出かけなくていいとか,体をそんなに使わなくていいとか,アウトプットよりはインプットということになってくるのかもしれませんが,いろいろ衰えて来てるのに無理しても続かないし,そもそも楽しくないし,結局,これもできる範囲でできることをするってことですかね.

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5/18'22
[どんどん考えなくなって来てる]

 このサイトを読んでると,いろいろうだうだ考えてるように見えますが,実際は,どんどん考えなくなって来てる気がします.どういう感じかと言うと,各論的なことがどんどん総論的になっていって,言葉というよりは概念というかイメージみたいなものになって行くというようなことで,何かに近づいているというのはそういうことですかね.

 各論から総論というのは,対象は違っても,一つ,あるいは,いくつかの最大公約数的な法則みたいなもので説明できるというようなことで,どういうことについても判断に迷いがなくなるというようなことでしょうか.

 まあ,結局は,なるようにしかならないし,現状を受け入れた上で,やりたいようにやって行けばいいってことですかね.

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(日記)

 日記的なこととしては,睡眠の状態は悪くはないのですが,明け方というか起きる前あたりに夢をかなりはっきり見る感じで,それと現実の境界が曖昧になるというか,何か妙な感じです.見る夢はいろいろですが,なぜかバドミントンの練習には行くけどコートには入れず打てないというのが多いですね.

 夢をはっきり見て現実の境界が曖昧になるというのを別の表現をすると,逆に毎日一度死んでるというか,三途の川のほとりまで行って帰ってきてるような感じでもあります.それは,起きて現実に戻って,そのギャップを感じるということで,それなのに現実の境界が曖昧になるというのが不思議というか,何か変な感じです.

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(野球)

 プロ野球(NPB)ですが,今シーズンは,佐々木の完全試合や東浜のノーヒットノーランもそうですが,全体に,特にパリーグで投高打低と言われていて,実際,パリーグは防御率1点台(オリックスの山岡は1点以下)が目白押しで,でも,憶えている人は憶えていると思いますが,何年か前は,ものすごい打高投低で,このサイトにも書きましたが,規定投球回数に達している投手がほとんどいないという惨状でした(今年は現段階でパリーグは14名).

 考えるのは,一体何が起こっているのかってことですね.こっそりボールが飛ばない仕様に変えられた?かどうかはともかく,思うのは,プレーのレベルが非常にクロースということですかね.

 わかりやすいのは,盗塁が成功するかしないかが紙一重であるように,何かちょっと条件が変わるだけで結果がドラスティックに変わるということで,でも,塁間の変更はできませんが,ボールやバットの仕様は割と簡単に変えられるわけですし,技術的なことは簡単ではないですが,そこがほんの少し変わるだけで結果が大きく変わるということでしょうか.

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 ちなみにライオンズは,山川が復帰してから打ちまくって,何とか5割で3位をキープしてますが,首位の楽天とは7ゲーム差,2位のソフトバンクとも4ゲーム差なので,上位に食らいついてる感じではないですかね.

 そういう意味では,開幕当初は悲惨だった阪神は,気づけば,5位のDeNAと3.5ゲーム差,4位の中日と6.5ゲーム差で,そこから首位までは,4ゲーム差なので,ここからじりじり上がっていけば,面白いかもしれませんね.

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[生き方を全く変えることは,生き方を変えないということ]

 定年前後で生き方を変えないと書いたのですが,その一方で,全く変えるというか,違う生き方もしてみたいというか,要は,もう実質人生は終わっていて,おまけの人生なので,特に何をするでもなく日々淡々と過ごしながらその時を待つというもありだと思うんですよね.

 そして,やりたいようにやるという意味では,これもまた,ある意味,生き方を変えないということになるのかもしれません.

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5/19'22
[多くの人々の心を掴んで,世の中を変える]
(世の中)

 多くの人々の心を掴んで,支持を集めて世の中を変えるって言いますよね.でも,多くの人々の心を掴むというのは,ヒット曲やベストセラーや商業芸術と同様,その実,中身的には大したことないことが多いので注意が必要です.

 例えば,感染症が流行って,ロックダウンして,大衆の不満が爆発しそうなところで,ロックダウンを解除すれば,あるいは,とにかく減税すれば,大衆からは熱狂的な支持を得られるわけですからね.

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[もう滅茶苦茶]
(経済)

 今朝のMーサテで,日本のデフレマインドはひどい,経済にとって物価と賃金がともに上昇する好循環が重要と言っていたT大の先生が,昨今のインフレでアメリカやイギリスの物価上昇率が9%とか7%に達していて,一方では,人手不足で賃金の上昇率も7%にもなっていて,というところで,何と言うのかと思ったら,悪い循環になってると言ってました.もう滅茶苦茶ですね.

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[戦争と経済]
(経済)

 戦争をすると経済はどうなるのでしょうか? すぐに思いつくのは,朝鮮戦争時の日本の好景気で,儲かるところはあるわけです.実際,今回のUクライナ戦争でも軍事産業は儲かってるでしょうし,エネルギー関係もそうですよね.

 でも,トータルとしてはどうですか? 戦争をするということは,多大な労力をかけた上に人の命が失われるわけですし,建物やインフラなども破壊されます.つまり,トータルでは絶対マイナスなんですよ.

 軍事産業やエネルギーもそうですが,建物やインフラが破壊されると建設業が儲かるとしたら(トータルでは絶対マイナスなので)必ずどこかにしわ寄せが行きます.これは,経済原理ではなく,単なる算数です.

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5/20'22
[単なる算数]
(経済)

 単なる算数ってことですが,これを経済に敷衍すると,アイドルのコンサートを地方に誘致?して移動や宿泊で金を使わせるとか,プロスポーツのグッズ販売とか,いわゆる「経済効果」というのも同様で,もちろん,戦争と違って,旅行や観光や観戦を楽しんで気分転換して仕事を頑張るというのは多少はあるでしょうが,非常に効率が悪いわけで,こういうことをしてると無駄が溜まって経済はだいたい10年に1回くらいは行き詰まり,30年に1回は経済危機になり,100年に1回は,それこそ戦争しないといけないことになってしまうわけです.

 そういう意味では,技術の進歩やアイデアなどで効率を上げることは,いいんですが,無駄で非効率なことをすれば経済効果があるということは,効率を上げれば,経済は停滞するわけで,話を経済から,更に,世の中をよくするというか,人々の幸福みたいなものに敷衍すれば,経済なんかよりそういうことを基準に考えればいいことは明らかでしょう.

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5/21'22
[本当のことは絶対言わない]
(世の中, 経済)

 週末のワイドショーで時々やってますが,日本の国の借金問題です.そして,だいたい言われることは決まっていて,日本は莫大な借金をしてるけど,それを上回る資産があるから大丈夫という論理?です.でも,このサイトで何度も書きましたが,資産と借金があるのなら,「何かあったとき」どうなるかと言うと,国債を買ってるのは銀行なわけですから,銀行が潰れてあなたの預金が消えるわけです.

 でも,それは何度も書いたので,ここで書くのは,また違うことなんですが,それは,メディアでは,本当のことは絶対言わないということです.だって,ほんとはやばいからやばいですと言ったらどうなりますか?

 多くの人がそれを信じて銀行に殺到して取り付け騒ぎが起こりますよね.そうすると,あっという間に銀行は潰れてしまいます.つまり,今の経済のシステムって,それほど危ういものなんですよ.リーマンショックがわかりやすいですが,ちょっとでもやばい感じになっただけでものすごい経済の減退が起こるわけで,そうならないように騙して誤魔化して恐る恐るバブルを育てているのが現実ってことですかね.

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[どういうときが一番幸せか]

 もう大分前の話,それこそ,私がまだ大学院生だった頃の話ですが,どういうときが一番幸せかということになって,その人は少し上の先輩でもう社会人だったのですが,土曜か日曜か,仕事が休みの日に洗濯して天気がいい中,洗濯物を干してるときが一番幸せだと言ったんですね.どう思いますか?

 まさに「純粋な喜びの一つは勤労後の休息である」(カント)なんですが,それが一番というのは...実際,多くの時間を仕事に費やすわけで,ほんとは,仕事をしているときが一番幸せというのが理想? でも,そうだとしても,幸せは「変化率」なので,仕事をしているときに幸せは感じにくい?

 ちなみに,当時,私が幸せを感じたのは,何度か書きましたが,夜遅くまで研究室で研究していて,0時を過ぎて正門が閉まって,その横の塀をよじ登って飛び降りる瞬間だったんですが,幸せなのは,もちろん,その日の研究が終わったからではなく,研究というやりたいことに辿り着けたということでした.

 そして,それは,今も変わりませんが,そういう幸福感は,ずっと持続的に続くものではないし,「活動と休息」というか,楽しくてしょうがないってことはないけど,嫌でしょうがないというほどでもなく,それなりにやり甲斐のある仕事をして,週末は休んでの繰り返しでもいいとは思うのですが,問題は,やっぱり,リタイア後で,でも,考え方としては,そういう「仕事のようなもの」がやはり必要ということでしょうか.

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[実践してくれている]

 先日,中学からの友人が京都に来てるということで会って話をしたんですが,仕事は定年後も再雇用で続けていたけど,退職したとのことでした.事情としては,話が違うということで,よくあることなんですが,それに対して彼はきっぱりやめたってことです.

 経済的なことはどうしてるのかってことですが,このサイトで何度も書いてますが,支出をしっかりコントロールして無駄なものに支出しなければ何とでもなると思うんですよね.それどころか,彼は旅行というか鉄好きで,年間100万くらいそれに費やすんですが,それでも,何とでもなるわけで,こうやればいいのにということをまさに実践してくれている感じすらしました(私の場合は,研究というやりたいことを人質にとられているので大学をやめるわけには行かない).

 また働きたくなったら働けるようにもしているみたいですし,必要以上に働いて余計な金を稼いで疲弊するより,しっかり支出をコントロールして,多くの時間をやりたいことに費やすのがいいと思うんですよね.

 でも,最大の問題は,やはり,「やりたいことがあるのか」ってことでしょう.そして,それがあるのが彼の最大の強みでしょう.第一の人生と第二の人生(の成功)的には,いい第二の人生を送れるんじゃないですかね.

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[建設業界のDX]
(世の中)

 東大建築の同期で建設業界のDXを頑張ってる人がいるんですが,彼が言うのは,建設業はDXやらないとやばい,なぜなら,DXで負けると優秀な人材が来なくなってしまうからということでした.どう思いますか?

 世の中の流れとしては,建設業に限らず,とにかくDXという感じで,それはデジタル化した方が格段に効率が上がるからで,それをどれだけ進めたかで勝負が決するのは当然のことでしょう.

 じゃあ,建設業全体のDXが遅れたらどうなる? こんなんじゃどうしようもないから建物もインフラも建設できないってなっちゃう? でも,建設業は,世の中に絶対必要なものなので,それ自体がなくなることはないでしょうし,実際,大学の建設系学科の需要は堅調で,教員の公募が結構あることはどこかで書きました.

 でも,建物やインフラは建設業者しか作れないのかというと,そうではなくて,3Dプリンタとか使えば,DXの技術があれば,誰でも作れるようになって,既存の建設業者が駆逐されることはあり得る話です.彼が言ってるのは,おそらくそういうことで,実際,このままではまずいということで,大手ゼネコンで精力的にDXを進めているところもありますからね.

 じゃあ,大学の建設系学科はどうしたらいいかですが,まさにそういうことに対応すればいいってことで,建設業自体がなくならないのと同様に,建築学科がなくなることもないってことですが,これも対応を疎かにすると,情報系の学科に持って行かれることになるかもしれないってことですかね.

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[5億以上を消費した]
(経済)

 とある芸能人が世田谷の7億の豪邸を売却したというニュースが出ていました.でも,買ったときは7億だったけど,売れた値段は1/3だったそうです.築30年近くでよく1/3の値段が付いたなとも思うのですが,世田谷ということで土地代ですかね.でも,維持費も相当かかってるでしょうし,ざっと5億以上を「消費した」ことになるわけで,やっぱり,家を買うことは経済的には割に合わないと思いますね.

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[歳をとると差が縮まる]

 歳をとると差が縮まるとは言われますよね.具体的には,小6と高2は5つ差ですが大人と子供くらい違ってて,でも,23と28なら差はぐっと縮まり,53と58ならもう同い年みたいなもん?

 例えば,私と学生の年齢差は,筑波大に行ったときが20くらい違っていて,今は40くらいで,平均すると30くらい,つまり,親子くらい違うわけですが,今から30年すると同い年とは言いませんが,どっちも年寄りというか,そういう感じになるってことはないですかね.

 要は,長生きしてしまうと生じる問題の一つとして,同世代の人間がどんどんいなくなるってことですが,下の世代との実質的な差が縮まってくるってことはあるのかもしれません.

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[人生が楽しかった人ほど人生を短く感じる]

 何度も書いているように,私の人生は,もう実質終わってしまってるんですが,ほんとあっと言う間というか,人生は短いと思いますね.だって,東京時代も学生時代も子供時代もついこの間のことのようですからね.

 でも,人生が楽しかった人ほど人生を短く感じると言ってる人がいて,それはそうだと思いました.つまり,人生が短かったというのも悪くないということでしょうか.

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5/22'22
[違う人生もあった]

 振り返ってみて,人生,楽しくてあっという間だったんですが,楽しいということでよかったのかというか,違う人生もあったというか,いや,私にとって違う人生はなかったと思いますが,私のような人生ではない人生もあったとは思うんですよね.それは,平たく言えば,好きな人と多くの時間を過ごす人生というようなことでしょうか.

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[変化率でない幸福]

 幸福は変化率ということなんですが,そういうのは,もうしんどい気がします.なぜなら,幸せになるためにしんどいことをするとかして一旦不幸にならないといけないからです.あと,幸せになってもそれを失って不幸になるのにももう耐えられそうにないですね.

 そうすると,どうなるかというと,そんなに起伏がない,でも,ほわーっとした幸福感というか,とにかく今やってることを結果に拘らずに内的熟達的に楽しむということでしょうか.そして,その実,これまでもずっとそんな感じでやってきたような気がします.

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[損をするより儲ける機会を逃すことの方が耐えられない]
(世の中)

 山口県阿武町の新型コロナ給付金4630万円の誤送金問題でもちきりですが,どう思いますか? 役所や金融機関のしょぼさとか,メディアで言われてることは繰り返しませんが,確信犯に間違いないでしょう.

 もちろん,やってることは許されることではありませんが,一か八かオンラインカジノにぶっ込んで,当たれば丸儲け,はずれても罪に問われるかどうかは微妙なわけで,リスクとリターンを考えれば,こういう行動に出る人間がいてもおかしくありません(法治国家と言えばきこえはいいが,逆に言えば,法を犯さなければ何をしてもいいと考える輩もいる).バブルの崩壊やリーマンショックのときだって,やばいと思っても行け行けどんどんで取引して,失敗しても公的資金で救済されちゃうわけですからね.

 思い出したのは,いわゆるジェイコム男(B・N・F)で,証券会社の入力ミスに乗じて1日に何十億という巨額の利益をあげたんですが(当然,その分,証券会社は大損害),今回のケースと似ています.このときは,単なる証券会社のミスで,当然,彼には何の問題もなかったわけで,じゃあ,今回は,それとどこが違うのかと言うと,意外と違わない気がします.

 そして,B・N・F氏自身が言ってたことですが,損をするより儲ける機会を逃すことの方が耐えられないということらしく(それで,彼はそれ以降も株式投資をやめられず,結果として,巨万の富を築いた),それは,人間心理の本質に近くて,今回のケースもまさにそういうことがあったということじゃないですかね.

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[短運を個別株でやったらどうなるか]
(運保)

 個運は,中期の流れを見る日運(正確には,日運は,売りもやる資保と短運を組み合わせたものなので,日運ではなく,売りもやる資保)を個別株でやるということなら,短期の流れを見る短運を個別株でやったらどうなるかと考えました.で,やってみました.結構行けそうです.でも,これ以上やったら大変なことになる?

 まあでもやるんでしょうね.でも,パズル的には,もう相当大変なことになってきました.と言っても,1日15分だけというのは,変わらないのですが,相当集中力を発揮して判断しないと間違えそうで,頭の体操ってことですかね.

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5/23'22
[アイデアを思いついたらとにかくやってみたい]

 そっか,損をするより儲ける機会を逃すことの方が耐えられないという以前に,もうすぐ仕事を失う身としては,背に腹は代えられないわけで,やるしかないってことですね.

 でも,「損するより儲ける機会を逃すことの方が耐えられない」を拡大解釈すると,面白そうなことがあったらスルーできないとか,その気になったらやっちゃうとか,研究なら面白いテーマを思いついたらこれまたスルーできないのもそうですし,解決できそうなアイデアを思いついたらとにかくやってみたいというのもそうですね.

 運保についても,もうすぐ仕事を失う身としては,背に腹は代えられないというよりは,研究に近くて,「損するより儲ける機会を逃すことの方が耐えられない」というよりは,アイデアを思いついたらとにかくやってみたいという感じですかね.

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[平和だった]
(世の中)

 RシアのUクライナ侵攻で,突然,我に返ったというか,日本だって,C国,Rシア,K朝鮮の脅威にさらされてるわけで,ずっと平和ボケと言われてたところに,気づいたらこんな状態なわけです.

 思い返してみると,戦後はずっと冷戦状態だったわけで,ソ連が崩壊した後の30年って平和だったんだなと思いますね.まさに夢のような話というか過去の話ということでしょうか.

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[めんどくさいと思ったけど]
(大学)

 講義は,昨年度はオンラインだったのですが,今年度から対面になってめんどくさいなと思いました.一つは,桂まで行かないといけないということがあります.京大はキャンパスが分かれていて,本部は吉田にあるんですが,工学部は西の方の桂に移転してて,しかも,桂は交通の便がよくなくて,キャンパス間の連絡バスで行くんですが,宇治⇔桂間は1日3本しかないので(宇治⇔吉田はもっとたくさんあるけど,渋滞で時間が読めないので吉田へは電車で行く),それに合わせる必要があります.

 今やってるのは学部の授業なので,しょうがないと思いますが,大学院の授業も桂に行かないといけなくて,でも,思い返すと,東大もキャンパスが分かれてるんですが,岡田先生とか半谷先生とか生産研の先生の授業は,生産研で行われいて,学生からしても気分転換になったというか,私の頃は,生産研は六本木にあって,授業の後,六本木の街中に繰り出したり?してましたからね.

 ちなみに,筑波大は,キャンパスが分かれてないのはよかったんですが,キャンパス自体がでかいので,中での移動はちょっと面倒でした.入試の説明会とか健康診断とかがある学生会館もちょっと離れてましたし,バドミントン部関係でよく行った体専があるところも結構遠かったですしね.

 話を戻すと,あとは,オンラインで済むものはオンラインでええやん的なこともありますかね.ということで,めんどくさいなと思っていたのですが,実際に授業が始まってみるとそうでもないですね(笑).

 まず,移動ですが,連絡バスだと高速に乗って30分で着きますし,時間的には,少し余裕があるのですが,控え室で朝ご飯を食べるとちょうどいいです.帰りも少し時間をもてあますのですが,先週は,食堂で昼ご飯を食べたんですが,今週は,昼ご飯ももっていって控え室で食べれば,これもまあちょうどいいですかね.

 そして,授業そのものですが,やっぱり,学生の顔が見られるのはいいというか,対面だと理解度も何となくわかりますし,演習だと直接見て回ることができますから,やっぱり,対面の方がいいのかなあ.授業がオンラインから対面になって,テンションが上がったと言ってた学生もいましたしね.

 ということで,行く前はめんどくさいと思ってたけど,行ってみたらそうでもなかったというのは,いつものことって感じでしょうか.

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5/24'22
[どうしてめんどくさいと思うのか?]

 でも,やってみたらそうでもないのに,どうしてめんどくさいと思っちゃうんでしょうね.上の記事のこともそうですが,これ以外にも最近いくつかそういうことがあって,でも,これまたやってみたら大したことなくて,そんなことならさっさとやれってことですよね.元々,めんどくさがりではありますが,益々そんな感じです.スキーとかに行きたい気持ちはあっても行かないのはそういうこともあります.

 でも,何でもめんどくさいかというとそうでもない.声がかかったりすれば,割とホイホイ付き合ったりしますし,やらないといけないことでなくてもその気になりさえすれば,そんなめんどくさいことようやるなということもやるわけです.

 そっか,だからそれでいいんですかね.要は,そういう形で何らかのフィルタがかかってるわけで,でも,やらないといけないことはやらないといけないので,そういうことは,さっさとやれ,じゃなくて,やらないといけないことはやらないといけないけど,ちゃんとやるならさっさとやる必要はないので,単に「めんどくさい」と思わなければいいってことですかね.

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[会社]

 リタイアしたら「一人,時々,みんな」で内的熟達的に過ごすでいいと思うのですが,やっぱり「一人でも大丈夫」とは行かないでしょうし,一人じゃ,やっぱり,つまんないですよね.もちろん,いろんな人付き合いがあるとは思うのですが,家族がいる人は,やはり,家族が中心ということなのでしょうか.

 でも,それって危ない気がするんですよね.具体的には,配偶者のどちらかが先に逝くわけですし,子供も成人すれば,親元を離れていきますからね.つまり,家族のような少数で深く付き合うよりは,もっと大人数で家族よりは緩くというか,一人一人が独立性をもって付き合って行くのがいいんじゃないですかね.

 そうすると,友人関係ということになりそうですが,多くの場合,友人は同世代でしょうから,これも(自分が先に逝けば問題ないけど長生きすれば)どんどんいなくなります.つまり,同世代だけではなく,幅広く下の世代の人も含めたコミュニティみたいなものがあれば,ということでしょうか.

 そう考えたときに真っ先に浮かぶのは「会社」ですかね.つまり,会社を作って,何かやって行くということでしょうか.もちろん,会社じゃなくても,つまり,稼がなくてもよくて,でも,何か目的がないと人は集まりませんよね.

 私の場合だと,やっぱり,「研究所」ってことになるんでしょうか.でも,別に稼ぐ必要はないので,人が集まれる場所があればいいってこと? そして,これって,ずっと前に考えていたことで,先祖返りじゃないですが,東京のど真ん中のみんなが来やすいところに「箱」を用意しておくってことですかね.

 でも,そうすると,お金が必要になって,稼ぐ必要も出てきますが,それはそれで(稼ぐ理由ができて)OKです.

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5/25'22
[上野や東京から徒歩圏のマンションの家賃]

 でも,稼がないといけないと考えると途端にめんどくさくなるわけで,そんなことするくらいなら,郊外でのんびりと思っちゃうわけです.でも,稼ぐことが目的でなくても,結果的にそうなることもあって,そうすると金の使い途ということにもなるわけです.

 それで,妄想というか,上野や東京から徒歩圏の60平米以上のマンションの家賃がいくらくらいか調べてみたんですが,20〜30万くらいですね.40平米以上で上野なら10万ちょいくらいでもざらにあります.どう思いますか? 存外安いと思いませんか?

 買うとしたらどうでしょうか.200倍の法則に当てはめると5000万くらい,40平米以上で上野なら2000万なんですが,この値段では厳しいです.つまり,買うより借りた方が得というのがここでも確認できますね.

 じゃあ,月に10万とか20〜30万の家賃を払っても全然へっちゃらという収入はどのくらいでしょうね.1割則的にその10倍の収入があるとすると,年1200万,あるいは,2500〜3500万といったところでしょうか.

 こうしてみると,あながち妄想でもない気もしてきますが,まさにとらぬ狸じゃないですが,そんなこと妄想してもしょうがない(「結果的に」稼いでから考えろ)と思いますね.

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[どうして買うより借りた方が得なのか?]
(経済)

 ちなみに,何度も出てくる「買うより借りた方が得」ですが,どうしてそういうことになってるのか,つまりは,その背景には何があるのでしょうか?

 ものの値段は需要と供給の関係で決まります.まず,需要で言えば,借りたい人より買いたい人が多いってことですよね.一方,供給で言えば,売りたい人より貸したい人が多いってことです.これで何となく見えてきますよね.

 つまりは,家を持ちたいという心理が多くの人にはある(中には見栄のようなものがある人もいる),あるいは,相続した不動産を売らずに何らかの事情で所有し続けないといけない,更には,不動産を購入して貸せば不労所得が得られると思ってる(誤解してる)人が多いってことで,でも,実際には,市場原理で「買うより借りた方が得」,つまりは,「所有して貸すのは損」なわけで,家を所有することや不動産を維持しないといけない事情などに+αの需要があるわけで,それがちゃんと価格や家賃に反映されてる(所有や事情にかなりのコストがかかっている)ってことですね.

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[適度な田舎]
(生活)

 山口県阿武町の新型コロナ給付金4630万円の誤送金問題ですがその9割以上が決済代行会社から返金されたとの報道ですがどう思いますか? 返ってきたんだからめでたしめでたし? んなわけないですよね.

 言えるのは,そこまで考えてたかどうかはわかりませんが,というか,考えてなかったと思いますが,まさに確信犯の思惑通りってことです(始めから返すつもりはなかったと思うが,決済代行会社が「建て替えた」ことで,その心配もなくなった※).でも,経済的には思惑通りで,法的にも大したことにはならないと思いますが,顔や氏名が明らかになったことで,社会的な損失は大きい?

 田舎で低収入低支出の暮らしをして行くと言っても田舎は村社会なわけで,逆に都会に行けば,生活にコストがかかりますからね.でも,しばらくしたらみんな忘れるでしょうから,どこか別の田舎に行けば暮らして行けると思いますし,こんな世の中ですから,田舎でも村社会的でなく暮らして行けるような気もしますが,そういう意味では「将来どこに住むか」とも繋がってくるのですが,都会の生活コストと田舎のめんどくささの両方がない「適度な田舎」というのが穴場じゃないですかね.

※決済代行会社が「建て替えた」ことで,今度は決済代行会社が「取り立て」に動くかもしれませんね.かなりグレーな会社でしょうから,「取り立て」もきついかもしれません.でも,そうでなければ,まさに丸儲け(すったとしても無償でリスクをとれたことになる)ってことです.

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5/26'22
[何でも都合がいいように考える]

 思ったんですが,私って何でも都合がいいように考える気がします.

 今住んでるところは,何年か前にリノベーションして中は綺麗ですが,建物自体は古いRC造で,どこかで書きましたが,上の階の床からの音とか,ピアノを弾く人もいたりして回りの生活音がします.でも,最初は少し気になっていたんですが,いつの間にかそんなに気にならなくなってきて,むしろ,回りに生活してる人がいて生活感があってどこかほっとするとか,大手を振って?私もピアノを弾いて音を出せるみたいな.

 ここに来る前のマンションに引っ越した時も,幹線通り沿いで車の音が最初は気になったんですが,そのうち気にならなくなったというか,むしろ,街中にいるみたいで悪くない感じになってきて,夜は,時々車が通るのが小さい頃の大牟田の家みたいで懐かしく感じたりもしました.

 他にもそういうことばかりで,大学に落ちて浪人して自由で楽しかったとか,筑波大に行ったときもこれで何に縛られることもなく大手を振って自由にやりたいことができるとか,こっちに来るときは,京大がどういうところかとか関西に住んだらどんな感じかとか,引っ越しは面倒というよりは,荷物を整理する絶好の機会だと思いましたからね.

 何ともおめでたい奴ってことなんでしょうが,じゃあ,どうして何でも都合がいいように考えるのかってことですが,よくわかりません.でも,そう考えた方が圧倒的にいい感じがします.

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[個短開始]
(運保)

 まだ一部ですが,個短を開始しました.銘柄の一部は個運と重なっています.でも,ここまで来るとさすがに大変なので,1日15分だけ考えて自分の頭の中で判断した後,具体的な発注などは,いくつかの操作をすればできるようにしました.

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5/27'22
[真の世界大学ランキングのトップ校]
(大学)

 時々話題にしている大学ランキング話ですが,その実,どーでもいい話なので単なる四方山話というかばか話(でも,四方山話とかばか話って面白んですけどね(笑))なんですが,世論のミスリードはちょっと問題です(でも,これまたどーでもいいので,結局,四方山話).

 世間?で最近よく出てくるのは,日本の大学ランキングよりは,世界大学ランキングで,その中で日本の大学のランキングが低い,東大とか京大でも下位に沈んでいる(ので,東大とか京大に行くよりハーバードとかスタンフォードとかMITに行く方がすごい)という論調です.でも,それは事実ではありません.

 まず,世界大学ランキングというのは,日本の大学ランキングのような入学時の難易度を表したものではなく,入学後の大学の環境とかいろんなものを総合的に指標化してランキングしたもので,アメリカの大学のように授業料がバカ高ければ,その分,サービスfがよくなるのは当たり前だし,評価項目の中に国際性(平たく言えば英語で授業をしているか)というものがあって,これが低い日本の大学が下位に沈んでいるという事情があるわけです(アメリカやイギリスの大学が上位に入っているのもそういうわけ.つまり,アングロサクソンが作ったランキングってこと).

 じゃあ,日本の大学ランキングのような入学時の難易度で世界大学ランキングを作ったらどうなるかですが,そういうデータはありません.でも,何となくはわかりますよね.ぶっちゃけ言えば,東大(26位)より上位のアメリカの大学は20くらいありますが(つまり,ほとんどアメリカの大学ってこと),それらが全て東大より入学するのが難しいわけありませんからね.

 じゃあ,実際はどうなのかですが,ここで出てくるのも基準化問題です.重要なのは,日本人とアメリカ人とどっちが優秀かというようなことですが,そんなに違いはないでしょう(特に大学入学時).そうすると,アメリカの人口は日本の3倍くらいで,アメリカの場合,留学生比率が高い(4割くらい)なので,それも加味すると,5倍ってところですかね(ちなみにイギリスの留学生比率は2割くらい).

 つまりは,東大より上位のアメリカの大学が20というのは,やはり,過大評価で,実質は,5つくらいがせいぜいでしょう.つまりは,世界のトップレベルの難易度の大学としては,アメリカだと,ハーバード,スタンフォード,MIT,UCバークレー,イギリスだとオクスフォード,ケンブリッジくらいで,東大,京大は,それと同じくらい,あるいは,入学の難しさなら,むしろ,東大,京大の方が上なんじゃないですかね.

 じゃあ,これらの大学がほんとに世界のトップかと言うとそうではなくて,気づいてる人は気づいてると思いますが,中国です.何たって,人口14億と桁違いですからね.単純計算で,清華大や北京大の難易度は,東大,京大の10倍以上ってことで,ここが実質(入学難易度を基にした,つまり,○○大に行ったなんてすごいですね)ランキングトップなんだと思います.実際,清華大出身者で知ってる人がいますが,とんでもなく優秀でした.

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[自分のことをしゃべるのは格好悪い]

 自分のことをしゃべるのは格好悪いと言ってる人がいました.

 そうですね.私も普段は自分のことをしゃべることは(きかれない限りは)ありません.このサイトで,その類のことを書くのは,何か書きたいことがあって,そのために必要な情報だからということが多いですし,そうでない独り言的なことも,誰かに向かってしゃべったりメールしたりしてるわけではないので,嫌なら読まなきゃいいだけの話ですからね(なので,書きたいことが書ける).

 でも,もっと言えば,「格好悪い」から自分のことをしゃべらないというのは,格好悪くないですか? 格好いいとか悪いとか,そんな他者評価なんて関係ないでしょう.どこかで書きましたが,嫌われたくないから自慢話,昔話をしないというのも同様で,必要ならたとえ嫌われてもそういうことも話せばいいじゃないですか.

 つまり,嫌われてもいいっていうのが一番格好いいんじゃないですかね.でも,格好いいとかそうでないとか言う時点で格好よくないですけどね(笑).

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5/28'22
[ジェフスキー]
(ピアノ)

 メトネル熱ももう冷めたんですが(でも,数ヶ月は続いて,悲劇的も一通りは弾いた),再発見も含めた近現代曲の見直しはぼちぼちやってて,最近は,ジェフスキー(一応ここで紹介)をあらためて聞いてて,先祖返りというか,テーマが政治的ではあるんですが,「不屈の民(The United People Never Be Defeated! )変奏曲」がやっぱりいいというか,弾いてみるか,でも,長大で(演奏時間50分)無謀なので(若い頃ならその気になったらやったんですが),東大ピアノの会時代に弾いた4つの小品の第4曲が無難か,とか考えてたり,いろいろ検索していたら,彼,去年,亡くなってたんですね(気づくの遅すぎ).

 そっか,それで高久先生がピアノプロジェで弾いたんですね.テオドラキスが亡くなったのにはすぐ気づいたんですが,そう言えば,ジェフスキーもそういう年齢だったというか,自分が歳をとったということを忘れていたような感じでしょうか.

 そう言えば,我々の学年の東大ピアノの会のデビューというか,1年の時の駒場祭での曲目ですが,高久先生は,ジェフスキーの4つのノースアメリカンバラードの第4曲「ウィンスボロー・コットン・ミルズ・ブルース」でした(私は,ヒナステラのピアノソナタの1番).宮田は何だったかなあ.ムソルグスキーの展覧会の絵の古城を弾いたのは憶えてるけど,駒場祭じゃなかったような気がする.多賀谷とか高田は?


(↑You Tubeで見るをクリック)

14年前からすると,簡単にリンクを貼れるようになったし,譜面付きの動画も格段に増えた.

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[変わったことと変わらないこと]

 再三,50を過ぎたあたりで,実質,人生が終わったと書いていますが,じゃあ,その前後で何が変わったのかってことです.具体的に言えば,変わったことと変わらないことがあります.

 変わらないことは,やらないといけないことはやらないといけないということと,やりたいことは,そんなの関係ないってことですかね.そして,変わったことは,その間というか,やらないといけないわけじゃないけど,やりたいけどめんどくさいというか,それでもやると何かいいことがあるというか,そういうことをやらなくなったというか,そういうことをやる気にならなくなったってことですかね.

 つまりは,変な縛りがなくなったというか,多くのことがどうでもよくなって,シンプルにやらないといけないこととやりたいことが残ったってことですかね.もちろん,そこまで単純ではないとは思いますが,そこは大きく変わったところだと思いますし,今の仕事をリタイアすると,また一段とそうなる気がします.

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[そんなに心配することない]

 これも何度か書いてる話題ですが,人生は旅のようなもので,それは,どこかに行って帰ってくる感じもしますが,どこかからどこかへ行くという方がしっくり来て,学生時代,東京から博多まで新幹線で6時間以上かけて帰っていた感じということも何度か書きました(そっか,東京から博多までであって,博多から東京までじゃないから,やっぱり,「帰る」という感覚があるんですかね).

 旅ですから(新幹線の中でいろんなやりたいことをしたり,時々,ぼーっと車窓から景色を見たり,寝たりして)楽しいんですが,途中でトラブルというか大変なこともあるかもしれませんし(でも,東京から博多までの新幹線では,トラブルはまず起こらないけど),全体としては6時間以上は,長くてしんどいところもありました.

 そして,人生と似ているのは,前半と後半の違いで,前半は,楽しいけどこれから長いなという感じで,でも,後半は,ちょっと疲れて飽きてきて,でも,目的地が近づいて来てほっとするところもあるわけで,そういうところも似てますかね.そして,後半については,この歳まで生きてみてわかったことです.

 でも,人生に博多という終点は決まってなくて,途中で降りてくださいと言われるかもしれないし,九州新幹線ができて,鹿児島中央まで行ってくださいと言われるかもしれない.ひょっとしたら(現実にはないけど)沖縄まで新幹線が開業するかもしれないけど,(現実にはないけど)と書いたようにそれは現実には(多分)ないわけです.

 何が言いたいかと言うと,要は,「そんなに心配することない」ってことですかね.

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[逝きやすくしておくと生きやすくなる]

 関係するのかどうかはわかりませんが,最近,あることをきっかけに終活というか,要は,そういうことになったときのことを想定して,いろいろ整理というか,迷惑をかけないようにというか,そういうことを(また)始めました.

 そして,「いつでも引っ越しできる状態」と同様に,そういうことをしておくと,逆に生きやすくなるわけで,変な話,逝きやすくしておくと生きやすくなるってことですかね.

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[創意工夫]
(ピアノ)

 ピアノなんですが,最近は,割と効力感をもって弾けていると思います.でも,こういうのは波があるというか,またどうなるかはわかりません(1ヶ月くらい全く弾かなかったこともあったし).でも,そういう中での創意工夫を続けて行くということで,そういう方法論的なものをまた一つ見つけました

 でも,そうやって何とか続けていると,何となくですが,今までにない何かを見出せている感覚はあって,そういうことがあれば,何とか続けて行けるような気がします.

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[個短の銘柄入れ替え]
(運保)

 細かいことですが,個短の銘柄を入れ替えました.具体的には,1888は出来高ができないので,これを8111に入れ替えました(偶然だけど,数字の1と8が入れ替わっていて足すと9999になる(笑)).まだいずれも建玉はしてないので影響はないので,開始時に遡って修正しました.

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[どういう理由で嫌われるか]

 嫌われてもいいと思うのですが,どういう理由で嫌われるかは重要で,具体的には,人の気持ちを考えないで,傷つけるようなことを言ったりしたりするべきではありません.一方で,嫌われたとしても,どうすべき,どうあるべき的信念を通すというか,それが自分が嫌われるだけで,他人には関係ないことなら,別に構わないと思います.そして,そういうことなら,嫌われることは,その実,そんなにない気がします(でも,そこのところが難しいんですけどね).

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5/29'22
[一体何のために金儲けしてるのか]

 M澤さんが62億で買ったバスキアの絵を109億で売却したというニュース?が流れていました.どう思いますか?

 109-62=47億の儲け? つまり,いろいろ能書きをたれても,結局,金儲けが目的だったということですよね.

 でも,思ったんですが,この人は,金儲けがうまいってことですね.身から出た錆ということで,ZOZO株はピーク時の半分になってしまったんですが,そこで売ったのも金儲け的には正解だったでしょうしね.

 でも,何度か書いてますが,金儲け自体には意味はなくて,重要なのは,儲けてどうするのかってことです.芸能人と自家用ジェットでWCの決勝を見に行ってSNSで自慢したり,宇宙に行ったりするのでは,一体何のために金儲けしてるのかってことでしょう.

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[情報番組]
(世の中)

 情報番組なるものがあるのですが,例えば,I上さんが免震は安全だけど,超高層は耐震構造なので長周期地震動に対して危ないと言ってるのを見て,滅茶苦茶だということはどこかで紹介しました.最近の話題だと新型コロナですよね.どこかの医者が専門家と称して感染対策などについてしゃべってるんですが,医者は感染やウィルスの専門家でも何でもありませんからね.そして,今度は,お金とか運用の話をしている人がいたんですが,ほんとにひどい話ばかりでした.

 つまりは,この手の番組で言ってることの多くはいい加減な情報なわけで,でも,私の場合,建築とか地震防災とか,あるいは,経済のこととか,おかしいとわかるものもありますし,新型コロナとか「考えればわかる」こともありますが,そうでないものは,わからないですよね.

 と言いたいところですが,そういうものもわかるというか,やっぱり「考える」ってことですかね.

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 いつ死んでも回りに迷惑をかけないようにしておくってことですが,別に歳は関係ないですよね.だって,どんなに若くても,誰でも死ぬ可能性はあるわけですからね.ただ,若いときは,自分がいつか死ぬとわかっていてもどこか実感がないわけで,でも,それは,まさに実感がないだけの話ですからね.

 歳をとると死ぬ確率は上がると言ってもたかが知れてるわけで,実際,100を過ぎてるのならともかく,今の私が明日死ぬ確率が今の学生とか,40年前の私より圧倒的高いかというと大して変わらないような気がします(むしろ,活動度が高い若いときの方が事故に遭う確率は高い).

 そういう意味では,老若関係なく,いつ死んでも回りに迷惑をかけないようにしておくことは重要だと思うのですが,若いときは,そういうことはあまり考えないわけです.理由としては,上で書いたように実感がない,つまり,誤解なんですが,だとすると,歳をとるとどうして(確率は変わらないのに)実感が出てくるかですが,よくわからないですね(残り時間は,また別の話).

 長年生きてきて冷静な判断ができるようになったということはあるでしょうし,残り時間は,別の話ではあるんですが,それが近づくことで「実感」が出てくるということはあるかもしれませんね(そういう意味では,残り時間は,間接的には関係してることになるか).でも,その一方で,これまで生きてきて満足というか,そういうことと「釣り合ってる」気もして,トータルとしては,そんなに悪くない感じです.

 いずれにしても,「いつ死んでも回りに迷惑をかけないようにしておく」気になったので,その気になってるうちに,とにかく進めておこうと思います.そして,それが整ったときにどういう感じになるのかちょっと楽しみです.

 逆に言えば,今の状態は,「いつ死んでも回りに迷惑をかけないように」はなってないので,ちょっと気持ち悪くて,今はまだ死ねんなーという感じですが,準備が整えば,多分清々しい気分になる(逝きやすくしておくと生きやすくなる)んじゃないかなと期待しています.

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[うまく行ったかどうかは,あまり関係ない]

 実感が出てくる一方で,これまで生きてきて満足で,「釣り合ってる」と書いたのですが,それは,お前の人生がうまく行ったからだろ,と言う人もいるかもしれませんが,うまく行ったかどうかは,あまり関係ない気もするんですよね.

 たとえ,そんなにうまく行かなかったとしても,ここまで生きてくることができたとは思うでしょうし,ちゃんと生きてきたのならそれだけでも充分と言えますからね.それに,うまく行ったとしてもそうでなかったとしても,どのみち,もう過去の話ですし,過去を振り返れば,概ね楽しかったとなるわけで,これまた,そんなに心配することはないと思います.

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5/30'22
[他人には関係ないことなら]

 嫌われても構わないんですが,だからと言って,人の気持ちを考えないで,傷つけるようなことをしたり言ったりするのは,問題外ですし,「他人には関係ないことなら,嫌われても構わない」ということは,多少でも関係あること,具体的には,迷惑をかけたり,不快な思いをさせることも言ったりしたりするべきではないでしょう.こういうのって,自分が嫌われたくないから言ったりしたりしないというようなことじゃないと思いますしね.でも,これって,極々当たり前のことですよね.

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