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1/1'22
[年賀状]

 あけましておめでとうございます.今年の年賀状です.

 と言っても,紙で出したのは3割で,7割は電子メールで出しました.

 bccによる一斉送信ではなく,それぞれちゃんと宛名を書いて一通ずつ出すということで,サンダーバードのアドオン(Mail Merge)を使って下書き保存で準備しておいて,今日,出すだけにしておこうと思ったのですが,昨年の記事を読むのが年末ぎりぎりになったり,下書き保存がうまく行かなくていきなり送信になったらまずいということで,今日のお昼くらいに一言添える文言を考えて,一度下書き保存して,一斉に送信ではなく,一通一通,相手の顔を思い浮かべながら送りました.でも,それでも1時間くらいですかね.

 エラーで返って来たものもあったのですが(私の入力ミス),すぐに対応できるのも電子メールのいいところです(紙だと,宛先にたずね当たりませんって返ってきて,また出すと1週間くらいかかる).

 アドレスがわからず紙で送った方からアドレスの連絡も既にいくつかありました.来年の年賀状でもOKと書いているので,来年になるかもしれませんが,それでもお知らせがなければ,(一部の目上の人を除いて)ある意味,正々堂々と?年賀状をやめることもできますし,何となくですが,紙で出すのは,10枚以下になる気がします.

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1/2'22
[今年の目標とか抱負]

 新年ということなんですが,「「一人,時々,みんな」で,内的熟達的に日々淡々と(楽しく)過ごして行く」ということなので,今年の目標とか抱負なんかありません.でも,いくつまで生きるかわかりませんが,今の年齢というか位置によって置かれた状況(例えば,あと〇年で今の大学の定年とか)はあるわけですから,そういう中で,ある程度,行動が規制される,と思ったんですが,基本的な生き方が変わらないのなら,そんなの関係ない気もします.

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[新4パターン]

 とは言え,定年後のことは,やはり気になります.いい話があれば受けると思いますが,なければ,自分で何とかするしかないし,何をするかによっては,準備が必要ということになります.そして,それは,何パターンかあって,

1つは,何らかの形で仕事を続ける,つまり,やりたいことと経済的なことを兼ねる場合で,もう1つは,経済的なことは,それまで準備しておいて,やりたいこと中心で行く場合(新パターン1.新が付いているのは,生き方の3パターンと区別するため),

そして,前者は,2つに分かれて,1つは,今の仕事の延長上で考えるか(新パターン2),何か新しいことを始めるかです.新しいことにも2通りあって,今の仕事を活かして起業するか(新パターン3),今の仕事とは関係ないことでそういうことをするか(新パターン4)です.

 つまり,4通りあるわけで,それぞれによって,今から〇年の行動(準備)が変わることになります.

 まず,新パターン1ですが,これは,まず,リタイアまでに経済的なことを整えておく必要がありますが,逆に言えば,もう大丈夫なら,特に準備は必要ないことになります.でも,定年で空く仕事をしていた時間の穴を埋めるやりたいことが必要なので,それが全部埋まらないのならそういう準備が必要ですね.

 新パターン2は,かなり現実的ですが,そういう話が来ないといけないという他力本願なのが問題です.もちろん,売り込むというか営業活動?みたいなことをしておくこともできますが,稼ぐというのは,やはり,大変なことで,そんなしてまで仕事なんかもうしないということなら,新パターン1を目指すということですかね.

 新パターン3, 4は,いずれもそれなりの準備が必要でしょう.そして,新パターン1も捨てがたいですが,何らかの形で社会や人との繋がりを維持するのなら,新パターン2もいずれは,また次の定年が来ることを考えると,やっぱ,新パターン3, 4かなという気がします.

 私の場合はどうかと言うと,まず,新パターン3は,例えば,研究所を作るとかコンサルをやるというようなことでしょうね.そういうことを考えたこともありましたが,めんどくさいかなあ.もっと現実的に,研究グループみたいなのでやって行ければとも思うのですが,これも私が必要とされるかという意味では,他力本願的なところはあります.

 新パターン4だと,私の場合は,現実的に○○しかありません.そして,年々,その可能性は感じています.ただ,一人でしこしこやる的なところはあるので,そこのところをどうするかですね.会社作って,人を雇ってってことまでやるのは,研究所やコンサル同様,やっぱ,めんどくさいし,ちょっと危ないかなあ.

 でも,ここまで書いて気づいたのですが,私の場合,この4パターン全部行ける(かもしれない)ことがわかります.つまり,今の大学を定年でやめて,大学の仕事は,大きく減ると思いますが,その分,やりたいことをやればいいし(新パターン1),がっつりフルタイムでないいい話が来れば,受ければいいし(新パターン2),そういう中で,人との繋がりをもちながら研究も続けて行けるかもしれないし(新パターン3),それは○○も然りなわけですからね(新パターン4).

 これですかね.でも,そんなうまい話ある?

 でも,新パターン4つ全部制覇?しなくても,少なくとも,どれかが引っかかればいいわけで,これって,まさに私の生き方ですかね.

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[額ではなく率]
(運保)

 ○○に可能性が,ということで,去年は,これまでで最大の利益になったと思うんですが(ただし,含み益も含めてなので,確定申告でどうなるかはまだわからない),日運と短運という一部の余剰資金から資保という全財産にまで元手が広がったのなら,利益が最大になるのは当たり前で,そんなことで調子に乗んなというか,ちゃんと検証しておく必要があるでしょう.具体的には,額ではなく率ということですね(これも基準化問題).

 利益の多くは,VIX指数先物と商品先物ですが,これらの利回りをざっくり計算してみました(いずれも含み益もコストも含む).そしたら,VIX指数先物は年利80%,商品先物は40%でした.ちなみに,日運と短運は2%のマイナス,大手総合商社株が年利36%,Nasdaq100先物が31%,マザース先物は-21%,FX(外貨)は,元手をいくらと考えるかですが(建玉だけならしょぼいもん),そもそも半分くらいしか玉が建ってないこともあって(今は米ドルと加ドルとユーロだけ),レバレッジ3倍としても年利10%くらいのものです.

 商品先物は,やはり,原油の高騰が大きいのでたまたまという感じですが,VIX指数先物をどう捉えるかですね.こちらは,売りも買いもやってますからね(でも,買いのときのファンディングコストはえぐい).そして,去年は,ほぼ負けなしだったと思うんですよね(でも,一昨年は大敗というか,判断は間違ってなかったんですが,玉を維持できなくてロスカットになってしまったので,その点を見直した).でも,だから,やっぱり,これもたまたまですかね.

 でも,ほぼ負けなしは,たまたまだと思いますが,漠然とした言い方ですが,何となく「見える」感じはしていて,自分のそういう能力?を信じてやって行くしかないですね.

 いや,そんな危ないこと,やって行くしかないってことはないやろということなんでしょうが,そんなこと言ったら,家を買って何もせずに年金暮らしが一番安全なわけで,でも,それじゃあ,つまらないなら,やるってことでしょうし,それは,何か事業を起こすのも同じですよね.

 そして,そもそも,資保は,来るべき経済危機に備えて,自分の資産を守ることが目的なわけですから,「やらないといけないこと」なわけで,逆に言えば,資産を守れれば,別に儲かる必要はないわけです.

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1/2'22
[結局,やっぱり]

 でも,新4パターン全部というのは,いくら何でもやり過ぎで,どれもそこそこバランスよくというか,具体的には,「一人,時々,みんな」でやりたいことをやりながら,受けられる仕事は受けて,研究も運保もできる範囲でやって行くというのが現実的でしょうね.

 問題は,人との繋がりなんですが,「一人,時々,みんな」がいいので,限られたわかり合える友人や家族と時々会って話ができれば充分なんですが,歳をとって行くと,同世代は,だんだんいなくなって行くでしょうし(自分が先にいなくなるのなら,それはそれで問題なし),下の世代の人は,年寄りと付き合いたい人なんかそんなにいないでしょうから,結局,やっぱり,「一人でも大丈夫」を目指すってことなんですかね.

 いや,それだと最初に戻るわけで,新パターン3, 4,即ち,研究や運保で(例えば,研究所とか会社を作るとかして),人との繋がりが作れないかってことですよね.つまりは,これも結局,めんどくささと寂しさのせめぎ合いってことですかね.

 でも,寂しいからと言って回りに迷惑をかけるのは避けたいわけで,でも,こんな私でも話をしてみたいということなら喜んで付き合うので,結局,私という人間がどれだけ必要とされるかってことで,でも,それを是として行動することはないというか,それはそれでめんどくさいわけで,結局は,やっぱり,「一人でも大丈夫」になっておいて,それでも,こんな私でも付き合いたいって人がいれば喜んで,ってことですかね.

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1/3'22
[いつから資保?]
(運保)

 昨年末,今年を振り返って,という記事を書くために昨年の記事を読んでたんですが,それが終わって,2017年に戻りました.今,4月なんですが,面白いです(笑).

 でも,面白くないところもある.でも,面白くないところは,繰り返し同じようなことを書いてるところで,そういう記事がわかるようにすればいいってことですかね.

 それで,一つのポイントとして,いつから資保が始まったか,つまり,一部の余剰資金でハイリスクハイリターンではなく,来るべき経済危機,経済破綻に備えて資産を守らないといけないと思って,検討を始めたのがいつかってことなんですが,この2017年4月あたりから(外貨はその少し前から)そういう記事が出始めます.

 この頃は,日本が財政破綻して,通貨の価値が1/10になることを想定して,米ドルを買えると思ったときだけ日本円の1/10だけ買うということをしているみたいですが,それじゃあ,世界経済の破綻には対応できないということで,商品先物の検討をしているとこですね.

 そっか,このファイルを見ればわかりますね.これを見ると,少なくとも2019年8月には始まってます.でも,これは,こういう形で記録して,公開を始めたときですから,正確には,これより早い段階からですかね.

 そっか,売買の記録を見ればいいのか.で,見ると,商品先物は,2017年の5月から,大手総合商社株も11月から記録がありますね.外貨(FX)は,2016年11月に米ドルを買ったのが最初です.

 一方,資保と同時期に始めた日運,短運以外の売りもやる取引(Nasdaq100指数先物,VIX指数先物,マザース先物)ですが,Nasdaq100指数先物は2020年3月から,VIX指数先物は2019年6月から,マザース先物は2020年3月からですね.

 ですから,資保は,せいぜい4, 5年,しかも,資保は,買いしかやらなくて,この間,上げ相場だったので,たまたまの可能性もありますね.それは,結果的に,買いしかやってない(売りになれば売るけど売りにならない)Nasdaq100指数先物もそうですし,マザース先物は,かなり負けてるわけで(先日売買基準を見直しました),売りも買いもやってるのは,VIX指数先物だけで,でも,これは,一昨年,玉の維持ができなくて大敗した後,見直しをして,その後は,順調なんですが,高々1年半くらいなので,まだ実績があるとは言えませんね.

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[「100%」疲れがとれているか]
(体)

 箱根駅伝(が一地方大会に過ぎないのに,正月の暇なときに大々的にテレビ中継するから注目されて過大評価されているというのは置いておいて)なんですが,もちろん,全然見てないのですが,青学が圧勝したんですね.

 で,思い出したのは,青学の練習方法というか,選手たちの生活です.具体的には,朝練2時間の後,ご飯食べたら2時間休憩(睡眠)で,昼練の後,また飯食って寝るというのを一日中繰り返すんですね(C.ロナウドも確かそんな感じ).監督の原さんは,寝るのも練習と言ってましたが,ほんとそう思いますね.

 私も疲れたらとにかく寝るようにしていて,入眠はあっという間なんですが,最近は,続けて長い時間,眠れなくなっていて,自然に目が覚めたときに起きると調子が悪いので,床に就いたら〇時間は(途中で目が覚めても)起床しない(二度寝三度寝をする)ということにしてから調子は悪くないです.

 じゃあ,具体的に,どのくらい寝たらいいかですが,〇時間とかいうのはあまり意味がなくて(私の今の床に就いたら〇時間は起床しないというルール?も〇時間ということに拘っているのではなく,朝早く短い睡眠時間で目が覚めても起床しないということ),じゃあ,何が基準かと言うと,「100%」疲れがとれているかです.もしそうでなければ,そういう状態で練習しても仕事しても効果や効率は激減します.

 つまり,とにかく寝るってことなんですが,実際に仕事や生活をしているとそうも行かないこともあるんですが,そういう場合も,とにかく借金を繰り越さず早急に返済することでしょう.

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1/4'22
(日記)

 今日から仕事始めなんですが,個人的には,特に何もなかったはずなんですが,例の?英語で一日講義するやつを何も考えずに入れてしまって,ちょっと後悔してます(もうちょっとのんびりしたかった).明後日もあるし.

 年賀状の電子メール化ですが,メールなので手軽に返事できるってことで,何人かあらためて返事をくれた人がいて,ずっと年賀状の交換だけだったのに,久しぶりにやりとりできたのは,予想外の収穫でした.でも,アドレスがわからない人のその後の反応は今一ですかね.来年知らせてくれるのかな? でも,来年,今年のことなんて憶えてないのでは? そうなったら(目上の人でなければ)やめちゃうって手もあるんですが,やめないとすると,紙の年賀状を2割くらいは続けないといけないってこと?

 そういう意味では,この人はもう来ないかなと思ってた人からまた来たりして,そういう行き違いもいくつかありますね.いずれにしても,くれた人には返事をしないといけません.

 でも,年賀状やめたって人もちらほらいるんですが,ちゃんと今年でやめますって言って,やめてるんですかね? 向こうから来ても無視するだけ? それでは,やっぱり非礼なのでは? それとも来たものにだけ返事をしてだんだん減って行くのを待つ? でも,それはそれで面倒では?

 そっか,私の場合の(2割の)紙の年賀状もアドレスを教えてくれなかったら,こっちから出すのはやめて,来たものにだけ返事をすれば,少なくとも年末にばたばたすることはないですね.どのみち,年が開けてこっちが出してないけど来たものに返事はしないといけないわけですからね.

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[面白くないところは重要]
(このサイト)

 過去の記事を読み返していて,何度も同じことが繰り返されてるところが面白くないってことですが,逆に言えば,重要なところってことですよね.基本的には,このサイトは自分のために書いているので,自分としては,何度も確認しているということがありますし,その日の記事を読む人のことを考えて,過去の記事を読んで憶えているとは限らないので,その日の記事だけを読めばわかるようにということもあります.

 なので,まあ,これまでのスタイルで書いていくんですかね.でも,私自身が忘れてる(笑)こともありますし,あまり冗長なのは何なので,できるだけ短く書くようにはします.

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[別に何も変わらない]
(生活)

 これも過去の記事ですが,日運とか短運の前の,30代の頃,複利の原理に基づいて,シンプルに株式相場の研究をしていた頃,年利26%で回せば10年で10倍なので20年で100倍,30年で1000倍とか考えていたのを思い出したと書いてありました.

 まさに取らぬ狸の皮算用(笑)って感じですが,じゃあ,思惑通りに年利26%で回して巨万の富?を得ていたら(例えば,元手500万で30年で50億)どうなってただろう? 今の,あるいは,これまでの私の生活に何か変化があったかな?と考えました.そしたら...

 別に何も変わらないことに気づくわけです.例えば,つくばに行ったとき,(ちょっと古いけど)格安で充分に広いRCで一軒家の職員宿舎があるのにそれを使わない手はないわけですし,取り壊しで退去になったときも,防音室付きのグランドピアノが入れられる物件は一つしかなかったですし,つくばに永住するつもりはないのに家を買うとかあり得ないし,京都に来たときも大学のすぐ横に格安で(外は古くても中は新品の)充分広くて防音室付きのグランドピアノが入れられる職員宿舎があるのにこれまた使わない手はないわけで,他にも車然り,食べるもの然りで,結局,何度も同じことを書きますが,必要以上のお金なんか要らないんだなと思いますね.

 ただ,これまでは大学で働いてそこそこのキャッシュフローがあったので,それで充分でしたが,これからはそうも行かないかもしれません.でも,どういう形にしろ,キャッシュフローを稼ぎ続ければいいわけで,でも,その元手は,あるに越したことがないので,運保は続けて行くってことですかね.

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[東電の犯した大罪]
(世の中)

 気づいたら,いつの間にか地球温暖化とかゼロカーボンとかエネルギー革命とか,おかしなことになってるんですが,考えてみたら,全ては東日本大震災の原発事故に始まってるわけですよね.具体的には,福島原発があんなずさんな安全対策をしていなかったら,想定を越える津波高さはしょうがなかったとしても,少なくとも安全に運転を停止することができていたら,非常用電源が使えなくなるなどという大失態を犯さなければ,原子力という資源を安全に有効に使うことができて,今のようなおかしなことにはなってなかったと思うんですよね.

 東電には知ってる人も多いので,あまり言いたくはないのですが,まさに東電の犯した大罪が全世界を巻き込んでおかしなことになってしまったわけで,でも,そういうことをどのくらい認識してるのかと言うと...

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1/5'22
[これで食って行けるじゃん]
(世の中)

 今朝のモーサテだったか,新型コロナで仕事をやめた(解雇された)労働者が戻って来なくて人手不足で,分析としては,これを契機に生き方を見直した人やそのままリタイアした年寄りもいるとのことですが,それだけですかね?

 昨日もNYダウは,最高値更新で株価は好調なわけで,これで食って行けるじゃんと思ってる人もいるんじゃないですかね? 実際,日本のバブル崩壊前もそういう人はちらほらいましたからね.でも,その後どうなったかは...で,アメリカ株もこのままずっと順調に上げ続けることはないでしょう.

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[資保がいつ始まったか]
(運保)

 来るべき経済危機に備えて資産を守ることが必要で,そのための資保がいつ始まったかですが,2017年4, 5月あたりですね.特に5月にそういう記事が多くて,でも,最初の方は,やり方的に間違ってて,方針が決まったのは5月で,外貨と商品先物を買えるときだけ買う(空売りはやらない)ということにして,でも,その時は,買える状況にないものが多くて,実際に多くの玉が建つのは,それから大分経ってからってことですかね.そっか,大手総合商社株もこの段階ではまだですね.

 でも,その頃は,まだVIX指数先物は「使えない」と書いてありますし,Nasdaq100先物やマザーズ先物もまだ先の話ですね.でも,これらは,買いも売りもやるのでは,正確には「資保」ではないですね(性格的には日運や短運).

 あとは,日持ちして「在庫を抱えられる」生活必需品のことも書いてあるのですが,これについては,未だにそういうものが見出せていません.

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[めんどくさい]

 もうなんかいろいろめんどくさいんですが,なんなんですかね.でも,めんどくさいと思うのには,何か理由があるのでしょうから,それに従った方がいい? でも,津波警報が出てるのに避難するのがめんどくさかったら避難しなくてもいい? 要は,本能的なものだけど,個を犠牲にして種を繁栄させるものなら従わない方がいい?

 でも,もう歳で心身とも衰えているのなら,従ったがいいんですかね.逆に言えば,めんどくさくない状態を作ればいいってことでしょうか.例えば,よく寝て疲れをとるとか,食事に気をつけるとか.

 あるいは,めんどくさいと思っても頼まれればやるとか,好きだと言われたら心が動くとか,うちの大学に来て欲しいと言われたらめんどくさいと思っても移籍するとか,(2017年の記事を読んでるのですが)練習相手になって欲しいと言われたら這ってでも練習に行くとか,研究室に学生が来てくれたら頑張って研究するとか.

 でも,これらは全て他力本願なので,自分ではどうしようもないですね.もちろん,自分が必要されるようにということなんでしょうが,それが目的化することはありません.

 なので,やはり,よく寝てちゃんと食べて,心身を整えて,めんどくさいと思うハードルを下げるってことですかね.そして,それでもめんどくさいことは,それこそやらない方がいいってことでしょう.

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1/6'22

 そっか,めんどくさいと思えば,ハードルが高くなって,余計なことに手を出さずにリスクを回避できるということもありますね.具体的には,幸せになろうとして,頑張って幸せになったとしても,その幸せを失って不幸になるリスクもあるわけですからね.

 もちろん,そんなこと言ってたら,人生はどんどんつまらなくなって行くので,何でもめんどくさいと言ってやらないというのはありえないのですが,人生も終盤というか,実質もう終わってるわけで,だったら,現状充分幸せなら,リスクを冒してことさら今より幸せになろうとするより,今より不幸になることは避けたいという心理が働くということで,来るものは拒まずですが,去る者は追わずで,自分から行動を起こすことはそうそうないってことですかね.

 なんだかなあとは思うのですが,そういう「心」を動かすのは容易なことではないわけで,やっぱり,「一人でも大丈夫」が無敵というか,そうなるために,寂しいと思ったときに,それは本能という個を犠牲にして種を繁栄させる罠であることを思い出すとともに,人と繋がることの「めんどくささ」をしっかりを想像するということですかね.

 うーん,でも,正直,それでいいのかとも思うのですが,その気にならないのに無理やりその気を起こすのはやっぱり変で,つまりは,その気になる範囲で,来る者は拒まずで,できる範囲でできることをやって行けばいいってことですかね.

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 そっか,そういうことが外に向かうか内に向かうかってことですね.外に向かえば,人との繋がりになり,内に向かえば内的熟達ということなわけです.ですから,心身を整えて「その気」のレベルを上げるのはいいとして,それを外に,つまり,人との繋がりに向けるとめんどくさいことに,というか,回りに迷惑をかけるかもしれないので,それを内に向けて内的熟達的にやって行くということですかね.

 問題は,そのバランスですが,やはり,内的熟達が中心で,でも来る者は拒まずで,結果的に「一人,時々,みんな」になればってことですかね.

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1/7'22

 何か変ですね.なぜなら,「一人,時々,みんな」は,私の望むところで,一人の時に寂しいと思うことなんかほとんどないからです.でも,ほんとにたまにですがそう思うということは,「時々」のバランスポイントが少しずれてるってことなんでしょうが,それこそ他力本願なのでどうしようもないし,「時々」のバランスポイントが逆向きにずれるとめんどくさいので,やっぱり,「一人でも大丈夫」を目指して,内的熟達的なところは,めんどくささをできるだけ低下させる方向で,一方で,人との繋がりは,特にそういうことはせず,でも基本的には,来る者は拒まずで,バランスポイントをできるだけ下げるようにってことですかね.

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[一発逆転?]

 昨日は,防災研の建築系の新年会だったのですが(いつも思うのですが,防災研の建築系って和気あいあいとしていてものすごく雰囲気がいいです),独身の先生で面白いことを言ってる先生がいました.それは,子連れと結婚したら一発逆転だと言うのです.確かにー.

 結婚もありますが,大変な子育てをしないで濡れ手に粟?で子供ができるわけですからね(もちろん,子育ても楽しいことはたくさんあるとは思いますが,大変なのは間違いないでしょう).それじゃあ血が繋がってないとか言う人もいると思うのですが,そんなの関係ないというか,わかり合えるかけがえのない存在かということですからね.

 でも,更に言えば,別に結婚して戸籍上どうこうということも関係なくて,血縁の有無に関わらず,わかり合えるかけがえのない存在の人がいるのかってことなわけです.

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1/8'22
[長いタイトルにしてそこだけで見ると記事の中身をすぐに思い出せるようにしておく]
(このサイト)

 今は,2017年6月下旬あたりを読んでるのですが,かなり面白いです.ずっと準備とかその周辺の記事なんか,なかなかいいんじゃないですかね(自画自賛(笑)).最近「死ぬ準備」をしていると心が落ち着くと書きましたが,繋がるところはありますね.

 でも,こんな感じで寝るときに過去の記事を読むことはできるんですが(最近は明け方目が覚めたときも読んでる.そうすると1時間くらいでまた眠くなる),やっぱり,「通り過ぎる」だけというのが勿体ないですね.とは言え,「これ使える」(自分が書いたことなのに)と思えるものはメモしていて(公開はしないけど),折に触れて見るようにはしていて,大分いい感じで煮詰まってきた感じはします.

 で,記事のほとんどにタイトルが付いてるんですが,これを(この記事のタイトルのように)長くして,そこだけ見ると記事の中身をすぐに思い出せるようにすると読み返すとき便利かもしれません.つまりは,過去の記事を読みながら,これはと思った記事は,タイトルだけ書き変えて行くってことでしょうか.

 でも,こういうのって,思いついてもだいたいやらないんですけどね.それに書いて忘れてるようじゃ,ってこともありますよね.

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[めんどくさいということを忘れないように記録しておく]
(このサイト)

 この辺から始まった,もういろいろめんどくさいってことなんですが,別に今に始まった話じゃなくて,でも,昔と違うのは,めんどくさくてもやらないといけないということがなくなってきた,具体的には,やりたくないことまでして必要以上のお金を稼ぐ必要もなくなったということもありますが,歳をとって社会や回りから必要とされなくなって行くのにまだまだできるとか言って回りに迷惑をかけないようにめんどくさいと思うようになってるということもあるかもしれないわけです.

 でも,そういうめんどくさいということをついつい忘れがちで,例えば,一人だと寂しいとか思った時は,一人じゃないときのめんどくささを忘れてる,定年で仕事をやめて莫大な空白の時間ができて退屈だと思ったときも,仕事はめんどくさいことはいくらでもあったわけで,でも,そういうことを忘れてるわけです.

 じゃあ,どうしたらいいかですが,そういうめんどくさいということを,例えば,このサイトに書いておいて読み返すということですね.具体的には,50を過ぎて,責任は重いけどめんどくさい仕事が増えて辟易ということがかなり書いてありますが,仕事をやめた後,そういう記事を読むと,そういうことから解放されたポジティブな面を確認できるとも言えるわけです.

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[やったことを無駄にしないために細々とでもとにかく続ける]

 内的熟達的なことについてのめんどくささのハードルを下げる方法の一つとして,「やったことを無駄にしない」ということはあるかもしれません.昨年あたりからピアノについて,いろいろ「実験」しているのですが,その一つに過去に弾いた曲のリストを作っておいてそれを食事のメニューのように眺めて弾く気になる曲を弾くってことがあって,いつ弾いたかを記録しています.

 それで,1か月くらい弾いてないと,ちょっと頑張って弾くようにしています.そうすると,まあ何とか弾けます.でも,それが1年とか数年するとほとんど弾けなくなるわけで,それどころか,ずっと「新曲」を練習して演奏会で弾いて終わりだったわけです.それを1か月に1回くらい弾くくらいで何とか弾ける状態をキープできるなら,大量に(それなりに)弾ける曲があることになるわけで,譜読みに近い状態からまたやらないといけないよりハードルが下がるかもしれないわけです.

 同じようなことは,何にでも言えて,バドミントンだってスキーだって,全くやらなければ,どんどん思うようなプレーはできなくなって行きますが,少しでも何とか続けていれば,それなりにプレーできる状態は維持できると思いますし,実際,何とかそういう感じでやってきたとも言えるわけで,それは,もっとプリミティブな体を整えるということもそうだし,ピアノだって,「新曲」を練習して演奏会で弾いて終わりだったとしても,ピアノを弾くこと自体は,細々と続けてきたわけですからね.

 そっか,このサイトだって,書く時間は,平均すると1日1〜2時間ですが,20年近く続けてきたことでとんでもない?ことになったわけで(量が半端ないこともありますが,確実に何かに近づいているということが大きいですかね),相場研究も30年くらいやってますが,最初の15年くらいはぱっとしてなくて,その後も,浮き沈みが結構あって,でも,しつこくやり続けた結果(でも,その実,やりたくてやってただけですが),昨年一年で,それまでの状況を全部引っくり返すようなことに(多分)なったわけですからね.

 そして,どれ一つとっても,どこかでやめてしまえば,そこで全てが終わった,つまり,やったことが無駄になってたわけです.もちろん,全てが無駄ということはないですが,少なくともそのことをやることに関してはそうで,例えば,今後一切ピアノを弾かないのなら,これまでピアノを練習してきたことは,ピアノを弾くということに関しては,全くの無駄ということになるわけですからね.

 そして,これまでやって来たことを細々とでも何とか続けるというだけでも,それなりに大変というか,充分退屈しのぎして行けそうな気はします.

 でも,意外と難しいのは研究で,ピアノやスポーツのように少しずつでもやってないと「腕が落ちる」という感覚がないのが逆に厄介ではあります.でも,これもやめてしまえば,全て無駄になるとは言いませんが,過去の栄光?というか,昔はこうだった,若い頃はバドミントンが強かったというだけでは,退屈しのぎはして行けないわけで,どういう形でもとにかく続けるということでしょう.

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1/9'22
[とにかく弾く気になる度を優先]
(ピアノ, それ以外)

 ピアノなんですが,食事のメニューのように眺めて弾く気になる曲を弾く一方で,メニュー以外の曲を過去に弾いたことがある曲でもそうでない曲でも弾く気になることもあって,とにかく弾く気になること優先なのでそれはそれでOKです.そして,その曲をある一定期間持続して弾く気になれば,ある程度弾けるようになって「リスト入り」するわけで,そうすると「リスト」がどんどん膨らんでいくんですが,ある一定数以上になると,キープすることは難しいでしょうから,どこかで収束するってことですかね.

 つまりは,弾く気になるというフィルタで全てのピアノ曲をフラットに評価?選別しているということかもしれません(もちろん,単に自分にとってってことですけど).人前で弾くことは前提とはしないのですが,こういうのも(自分にとっての)一種の「レパートリー」と言えるのかもしれませんね.

 でも,弾く気になるかどうかの基準って,よくわからないですよね.既にある程度弾けるから弾く気になる(なら演奏会に出してもずっと弾き続けるはずなのでそういう)わけでもないし,全く弾けない「新曲」でも弾きたくなったら譜読みからやってでも弾くわけですからね.

 でも,(これからの)私の場合,ピアノが弾けるようになることより,とにかくピアノを弾くことなので,弾く気になる度を最優先ということです.「リスト入り」した曲はちょっと頑張って1か月に1回くらいは弾くと言っても,「やったことを無駄にしたくない」ことも含めて弾く気になるかってことなわけで,やったことが無駄になっても弾きたくないのなら「リスト落ち」もあるのかもしれません(相対的にもっと弾く気になる曲と入れ替わるということ).

 そして,弾く気になる度優先,つまり,やりたい度優先というのは,ピアノ以外も全てそうですかね(ピアノで具体的な方法論をいろいろ検討しているとも言える).もちろん,仕事ならそうも行かないこともありますし,それは,人間関係の中での人の道的にも同様ですが,将来,仕事をリタイアして,内的熟達的に「一人でも大丈夫」を目指してやって行くのなら,やりたい度優先でいいということですし,基本的には,これまでも仕事も含めてできる範囲でそうしてきて,そこそこうまく行ったわけですし,仕事をやめれば,益々そういう生き方ができるということですね.

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1/10'22
[みんな元気]
(スキー)

 先日の防災研建築系の新年会で,先生はどこから戻られたんですか?ときく先生がいます.意味がわからなかったのですが,その先生は,志賀高原から「戻られた」とのことです.要は,年末年始どこにスキーに行かれたんですか?という意味だったようです(笑).

 年末,奥伊吹には行ったので,そう言ったら,そんなしょぼいとこみたいな感じでした.スキーをやる先生が結構いるみたいで,勝山のスキージャムいいよとか言ってる先生もいました.勝山?

 勝山って,筑波大バドミントン部OBOGの綿矢や牧野や鈴木の出身校(山口茜さんも)がある福井の勝山ですよね(確かに雪深い(笑)).で,調べてみると3時間くらいで行けるみたいです.でも,3時間はちょっと...(でも,つくばからハンターと同じくらいってことか).でも,志賀高原に行ってた先生にどのくらいで行けるんですか?ときいたら6時間!だそうです.

 みんな元気ですね.

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[家建てますか]

 仕事をやめても,死ぬまでずっと賃貸で行きたい,でも(防音室付きの)グランドピアノはキープしたいとか,年寄りに貸してくれるところはURくらいしかないとかいろいろ制限はあって,家を建てれば,仕事をやめて「一人,時々,みんな」で内的熟達的に多くの時間を家で快適に過ごせるようにカスタマイズできるんですが,あと何年生きるかわからない状況でペイしないかもってことなんですが,なんか違う感じがしてきました.

 先月あたりでいろいろ議論したんですが,これからどうやって生きて行くかは,いつ死んでもいい準備をしっかりした上で,「一人でも大丈夫」で穏やかに死ぬことを目指すんですが,そうすると,120とかまで生き(てしまう)ことを前提にしないといけないわけで,でも,それなら,家を買うのも全然ありで,むしろ,30とかで家を買って120とかまで生きてしまったら,それこそ買い替えを検討しないといけないわけです.

 でも,120までを前提としても,実際は,もっと早く死ぬわけで,それはそれでOKなんですが,じゃあ,折角家を建てたのが無駄になるかというとそういうわけでもなくて,家を建てなかったらその分現金が残るんですが,現金抱えて死んでもしょうがないわけで,結局,どっちもどっちってことです.

 残された人にとっては,家なんかより現金ってことなんでしょうが,私にはそういう人はいなくて,でも法的には一番血縁が近い人のところに行くので,できる限り回りに迷惑はかけたくないとは思いますが,家だって売れば何某かのお金にはなるでしょうし,自分のお金なんだから自分で使っていいというか,そこまで気を遣わなくてもとも思うんですよね.

 てことで,家建てますか.もちろん,不動産市況を見て買うタイミングをはかる必要はありますが,東京から電車で1時間くらいの駅から車で5分とか10分ってところだと関係ない気もします.でも,財産の多くを家につぎ込むとキャッシュフローを得るための運保の元手が減ってしまうので,全財産の極一部(1/10とか1/5くらい)で買える物件って感じですかね.

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[寂しいのではなく退屈]

 「一人,時々,みんな」は,私の望むところで,一人の時に寂しいと思うことなんかほとんどないけど,ほんとにたまにそう思うということは,「時々」のバランスポイントが少しずれてると書いたのですが,違う感じがしてきました.

 確かに時々寂しいというか,何とも言えない感情になるんですが,それは,寂しいのではなく退屈なんじゃないかと.実際,やりたいことをやってるときは「寂しい」とは思いませんからね.退屈というのは,やることがないということで,それは忙しいということは関係なくて(忙しくても,こんなことやってどうすんだ?ってことをやってると「退屈」になる),やることがないというよりは,やりたいことがないということです.

 「退屈」なときは,何もする気がしないわけで,それを「寂しい」と脳が勘違いするというか,実際,感情が似てる気もするんですよね.

 じゃあ,どうすればいいかですが,これは単純で,やりたいことを用意しておくことでしょう.つまり,単純に「一人でも大丈夫」を目指せばいいことになります.

 もちろん波はあって,何もする気がしないときはあるわけですが,そういうときは,「寂しい」のではなく,何もする気がしないだけで,しばらく休んでやり過ごせばいいということをしっかり認識しておくってことですかね.

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[すぐに慣れたのは当然のことだった]

 一昨年,こっちに移ってきたときにすぐに慣れて,でもすぐに慣れたことに違和感を感じるってことだったんですが,今となっては,もうそういう違和感もなくて,結局,どこにいてもやることは変わらない,どこに住んでるか,どこが職場とかも関係ないので,すぐに慣れたのは当然だったわけです.

 つまりは,「一人,時々,みんな」の内的熟達的生活が既にかなりできてるってことで,それは,大分,準備ができてきたと言えるかもしれません.

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[やってることを全部続けるなら仕事をやめても退屈ってことはなさそう]

 そっか,やったことを無駄にしないために細々とでもとにかく続けるってことは,研究もピアノも音楽もバドミントンもスキーもゴルフもこのサイトも相場研究も体研究も生活の質の向上も(他にも何かあったかな)とにかく続けて行くってことで,それなら仕事をやめてもさすがに退屈ってことはなさそうですかね.

 でも,別に無駄になってもいいやと思えばそれまでですけどね.なので,続けることを後押しする理由の一つということではあるんですが,そういうことを普段の生活の中でどのくらい意識できるかと,あとは,ピアノでいろいろ研究してますが,「やる」気になるようにとにかく創意工夫をすることですね(「やる」気にならないのならやらないとは考えないということ).

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1/11'22
[今やっているやりたいことを持続させるための創意工夫を続ける]

 やりたいことを用意しておくってことなんですが,やりたいことがたくさんある私の場合,特にやることはないような気もするのですが,そうではなく,やはり,準備をして行かないといけないということでしょう.

 具体的には,最近の「ピアノを弾く気になるようにするための研究」(もうほんと「やる」気にするのに必死(笑))がわかりやすいのですが,単にやりたいことだとしても,それを持続させるのは,容易なことではなくて,そのための創意工夫が不可欠ということです.でも,これは,仕事をやめる前に準備しておく必要があるというよりは,やりながらずっと継続してやって行くということでしょう.

 やりたいことを新たに開拓して行くというのもあるんですが,やはり,既にやっていることを続けて行くのがいいと思っています.理由は,既にやりたいと思ってやっていて,曲がりなりにも続けてきたことなので,興味があって持続するという実績があるわけですし,水準的にもある程度以上に達していて,やって来たことを無駄にしないということが,「やる」気の一押しになることで,持続可能性が高いとも思うからです.

 もちろん,新たにやりたいことがあれば,やりたいと思いますが,ほんとにやりたいことはすぐやるはずなので,仕事をやめたらやりたいということのは,そんなにやりたいことではないと思います.

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[出かける先が必要というのも脳が誤解しているだけ]

 2017年の記事でも再三出てくるのですが,ずっと議論?している大学の研究室のような「出かける先」が必要ということについても「脳が誤解」しているような気がしてきました.今も前任地でも大学の研究室という出かける先があって楽しくやってるけど,仕事をやめたらそれがなくなるってことなんですが,何度か書いているように大学の研究室に出てきても別に誰かに会うわけではなく,基本一人なわけで,だったら,家にいても同じじゃんってことです(人との繋がり的には「一人,時々,みんな」,つまり,時々,会いたい人に会えればOK).食事についても,今はほとんど自炊で,外食するために出かけたいと思わなくなりました.

 でも実際は,つくばのときも今もずっと家にいるのはしんどくて,でもそれは,研究室の環境と家のそれが違うからで,だったら同じにすればじゃんってことです.じゃあ,家はどういうなってるかというと,仕事というか作業は研究室ですることにしているので,それこそ帰って寝るだけとは言いませんが,居間は食卓とテレビのノートPCが置いてあるだけで,作業的なことは,食卓の上でノートPCを広げてこのサイトの記事を書くくらいのことです.それで,一日中過ごすのが厳しいのは当然で,でも,じゃあ,研究室と同じ環境を家にセットするのが大変ということはなくて,研究室にある机や椅子やPCなどをそのまま家に置けばいいだけの話,それも,わざわざ別の部屋にする必要もなくて,食卓の横のスペースに置けばいいだけの話でしょう.

 ただ,ある程度のスペースは必要で,今の家では難しいですし(逆に別の部屋ならありだけど,なんかあんまりしっくり来ない),つくばのときのマンションならスペース的には大丈夫でしたが,これもしっくり来ないですかね.竹園の職員宿舎もそうでした.

 だとすると,一日中家で過ごせる快適な環境を構築するということで,ここでも家を建てる意味が出てきます.でも,賃貸でも間取りを見て,ここをこうしてとか考えてしっくり来ればそれでも行ける気はします.

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[現状に適合するように洗脳すればいい]

 ずっと考えてきた結果なのか,いろんなことが急速に煮詰まってきた感じもするのですが(気のせいかも),脳が騙されているというか誤解していたということなのなら,それを逆に利用して,現状に適合するように洗脳すればいいわけですよね.

 具体的には,定年で大学をクビになるのが腹立たしいとか思わずに,自分が社会から必要とされないと思ってそれを受け入れる,仕事のめんどくさい面ばかりを思い浮かべてせいせいすればいいわけです.そして,そういう社会的,経済的なことを排除して真にやりたいことをやって行けばいいし,退屈なのが嫌なら,そんなにやりたくなくても,よりやりたくなくはないことをやればいいし,やると決めたら,それこそ洗脳してでも創意工夫をしてやるようにすればいいということでしょうか.

 もちろん,何でも自分の都合のいいように考えてひたすら自己肯定するのではなく,自分の考えを信じるというか曲げないことが肝要で,社会から必要とされると言っても,そのほとんどは,社会の都合,つまりは,あなたが必要だと言ってこき使われることが多いわけで,そんなことに巻き込まれてやりたくもないしやるべきでもないことをやらされるくらいなら,自分がやる価値があると思うことをやればいいわけです.

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[コブ斜は横滑り]
(スキー)

 インターネットやゴープロやドローンのおかげで,従来では不可能だったアングルからの撮影,そして,動画が見られるようになりました.で,女子モーグルWCで勝ってる川村さんの左斜め下アングルからの滑りを見ることができました.

 まさに「コブ斜は横滑り」でした.世界トップレベルですらそうなんですから,一般レベルは言わずもがなです.具体的には,もう大分前に書いたと思いますが,コブの向こう側を横滑りで削ることが基本で,そのためにはコブの手前で抱え込んむと同時に一瞬で切り換えて横滑りに入る(感覚)ということです(短い切り換え,長い舵取りがスキーの基本).

 もちろん,モーグルのトップレベルでは,これを基本に板をどれだけ滑らかに回して行けるかなんですが,これが基本ということです.

 私もこの感覚を掴んでコブ斜を制覇したと思った時期がありました.もう20年以上前だと思いますから,まだ準指に受かる前です.そのときは,どんなコブ斜面もスイスイ滑れたと思います.

 でも,その時だけでした.シーズン終盤だったということもありますが,次のシーズンになったときは,すっかり忘れてしまったというか,少なくともどんなコブ斜面もスイスイ滑れる状態ではなくなっていました.

 これが何なのかはわかりませんが,そういうことがよくあります.「コブ斜は横滑り」ということはわかっているのに,つまり,そういう言語化までできているのにできなくなるんですね.

 でも,川村さんの滑りを見て,20年以上前の感覚が少し蘇りました.気のせいかもしれませんが.

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[生まれて初めて家で飲みました]
(日記)

 今日は,京大の研究室の(zoom)飲み会(新年会)でした.で,いつもは,回線の安定性を考えて研究室で飲むんですが,今日は,雨降ってるし,寒いし,飲んだ後,帰るのがめんどいし,家でスマホで繋いでも全然行けるので(実際,今日の午前中も家からスマホで繋いで委員会でした),家で飲みました.

 で,気づいたんですが,家で飲むの生まれて初めてかもです(笑).私は,一応は飲むんですが,飲むときは,外というか,飲み会でしか飲まない,つまり,普段家で飲むことは全くありませんからね.

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1/12'22
[家で一人で飲むことはない]
(日記)

 と書いたのですが,さすがに「生まれて初めて」ってことはないですかね(笑).学生時代は,家に友人が来て飲んだこともありましたからね.

 でも,家で「一人で」飲んだことはないと思います.そういう意味では,昨日もzoom飲み会なので一人ではないですね.つまり,家で一人で飲むことはないってことですかね.

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1/13'22
[この歳で曲がりなりにもまだ続けているって]
(バドミントン)

 年賀状を電子メールにしたことで,結構な数の人と久しぶりにやりとりができてよかったんですが,そういうものの中に東大バドミントン部OB(後輩)とのやりとりで,バドミントンはまだ一応はやってるけど,競技力の低下は悲惨(泣),でも考えてみたら,この歳で曲がりなりにもまだ続けているってすごいかもと自分で気づいてそう書いた(笑)ということがありました.

 で,思ったのでは,どうしてまだ続けてるんだろう?ってことです.逆に言えば,やめると「決断」しなければ,続くわけですよね.始めることは簡単だけど,続けることは難しいとはよく言われるんですが,続けることは意外と簡単なのかもしれませんし,そうでないとしたら何か理由があるはずです.と言っても「続けるだけ」ですが,続けるだけでも,やめるのとは大きな違いがあるなのは確かでしょう.

 じゃあ,どうしてここまで続いたかですが,最初の岐路は,D1のときにプーナに入って,文京区大会で全日本シニア優勝者の松井さんのプレーを見たことは何度も書きました.そして,その後,彼にどれだけシングルの相手をしてもらったか数え切れないほどです.

 次の岐路は,筑波大に行ってバドミントン部の練習に混ざり,いろいろ関わることになったことですかね.でも,バドミントン部の練習に出ていたのは3年くらいで,その後は,職員のクラブというか,当時は,普段の練習では,和所さんと私しかいないような感じで,二人で大分練習したので,彼の存在は大きかったですね.つくばでは,いろんなサークルがあって,いろんなところに練習に行きました.

 でも,つくばに行ってからは,競技力は,どんどん低下して行きました.でも最初は,バドミントン部で練習してたわけですし,和所さんともいい練習ができてたのですから,つくばに行ったからというよりは,そういう年齢というかタイミングだったということなのでしょう.そして,40代半ばにどうしても耐えられなり,バドミントンをするのが苦痛になって一度完全にやめてしまいました.

 半年くらいで復帰するんですが,だめなのは相変わらずで,そして,右股関節を痛めて,まともに動けなくなってさらに厳しいことになりました.全日本教職員の開催地で言えば,東京の時(2014年)が最悪期なので(そんな状態で全日本の試合に出るなんて),50を少し過ぎたあたりですね.つまりは,体調的にも最悪期と重なりますね.

 で,記録を見るとそのあたりから藤原と練習するようになっていて,つまり,やめたきゃ勝手にやめるわけにも行かなくなったわけで,それは,彼が卒業して何年かして練習拠点を東京に移すまで続いたので,5年くらいはやったのかな.

 こうしてみると,ここまで続いたのは,まさにいろんな人のおかげですね.ですから,私が頑張って続けたというよりは,そういうことが大きかったんだと思います.

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[孤独は受け入れるけど退屈は受け入れない]

 これからどうして行くかとかが急速に煮詰まってきた,つまりは,いい感じ?に定まってきた感じがするんですが,結局は,外部環境的なことを全てを甘んじて受け入れ,ある意味,全てをあきらめて,そういうものとは無関係に内的に自分でできることをやって行くということでしょう.

 どこかで「孤独と退屈を受け入れさえすればいい」と書いたと思いますが,そうではなく,孤独は受け入れるけど,退屈は受け入れないってことですかね.なぜなら,孤独は自分ではどうしようもないけど,退屈しないことは自分次第なわけですからね.

 もちろん,人との繋がりについては,来るものは拒まずというか,真に必要とされるのならできるだけのことはしたいと思いますが,回りに迷惑をかけてまで自分からそれを求めることはありません.そうすると,結局,社会から,あるいは,個人的にも誰からも必要とされなかったということになるのかもしれませんが,その分,いろいろめんどくさくないとも言えるので,どっちもどっちというか,どっちもOKというか,ということで,しっかり死ぬ準備をした上で,やりたいことをやって退屈しのぎをして行くってことですね.

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1/14'22
[「孤独と退屈を受け入れさえすればいい」が「孤独は受け入れるけど退屈は受け入れない」になった理由]

 「孤独と退屈を受け入れさえすればいい」というのは,どういうことかと言うと,一つは,内的熟達で「一人でも大丈夫」になれれば,孤独を受け入れられる,あるいは,孤独を受け入れさえすれば,いいこともあるけど自分では制御不能で面倒なこともある人との繋がりを断つまで行かなくても,余計なものは排除できるということでした.

 更には,内的熟達のその先,つまり,何かしていないと退屈しのぎができないということさえも乗り越えられたら退屈が受け入れられる,あるいは,退屈を受け入れれば,必死でやりたいことを探すとか,やりたくない時にやる気をモティベートすることも無用になるということでした.

 前者はともかく,後者は仙人の領域(笑)だとも思いますし(でも,仙人まで行かなくても,ぽつんと一軒家に一人で半自給自足で悠々自適に過ごしている人もいますよね),前者はともかく,後者は非常に難しいとは思うのですが,目指すことはできると思ったわけです(でも,ぽつんと一軒家に一人で半自給自足で悠々自適に過ごしたいわけではない).

 でも,前者はできても後者は厳しいと思ったのは,プリミティブな問題です.つまり,何もせずぼーっと過ごすことができたとしても,それでは,認知症や要介護にまっしぐらというか,少なくとも,後者を目指すことで前者が危うくなるわけで,だったら,退屈は受け入れず,孤独だけ受け入れるのが現実的ということでしょうか.

 結局,仙人は遠い(笑)ってことなのかもしれませんし,孤独を受け入れることすら難しいと思いますが,排除したい人との繋がり以外の人との繋がりを排除することはないので,まあ現実路線ってことですかね.

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1/15'22
[一人と孤独]

 孤独を受け入れるとか,「一人,時々,みんな」がいいとか書いてますが,そもそも,孤独とか一人ってどういうことですかね?

 一人というのは,文字通り一人ということでしょう.つまり,回りに物理的に誰もいないってことですね.でも,メールとかzoomとかインターネットで繋がっていれば,一人でも孤独ではないでしょう.今この文章を「一人で」書いていますが,読んでくれる人に話すように書いているので,孤独ではないです.

 実際,「一人,時々,みんな」で,物理的に一人のことが多いですが,家族や友人やいっしょに仕事をしている人やいろんな人と繋がっているので,時々しか会えなくても孤独を感じることはありません.

 じゃあ,どうして(極たまにですが)孤独を感じるかと言うと...これがよくわからないんですよね.多分,単なる(個を犠牲にして種を繁栄させる)本能なんだと思います.だから,こういうのは,気にしなければいいだけの話だとは思うんですよね.

 でも,今は大丈夫でも,定年で仕事をやめてリタイアしたら,社会から必要とされない,あるいは,家族や友人関係も同様で,もしそうなら,回りに迷惑をかけてでも社会や人と繋がろうとは思わないので,孤独を受け入れるということですし,それには「一人でも大丈夫」なように準備をして行くということですかね.

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1/16'22
(防災)

 トンガの火山噴火で津波警報が発令されたのですが,噴火当初は,津波の恐れなしということだったと思います.どういうことですかね?

 海底火山の噴火ということで前例とかデータがなかった? でも,それなら津波の恐れなしではなく,わからない,津波が来るかもしれないと言うべきでは?

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[退屈を受け入れられるようになってきたけど]

 「一人でも大丈夫」になるためには,退屈は受け入れないってことなんですが,実際のところは,大分,退屈を受け入れられるようになってきたんですよね,具体的には,例えば,昔は電車に乗るのにノートPCがないと退屈しのぎができないほどでしたが,今はそんなことないですし,何もせず何も考えずにぼーっとすることも大分できるようになってきたと思います.

 なので,リタイア後に適合してきているとは思うのですが,それでいいかというと,それじゃあ(多分)認知症や要介護にまっしぐらで,それでは「一人でも大丈夫」でなくなって本末転倒なわけです.

 だとすると,やりたいことはないけど,相対的にやりたくなくはないことを頑張ってやって行くってことでしょうか.なんだかめんどくさいですね.

 そもそも,特にやりたいことも楽しみなこともないし,社会,あるいは,誰かから必要とされないとしたら,一体何のために生きて行くんでしょうね.まさに「死ねないから生きている」ってことで,生きて行くのなら,とにかく何とかして退屈しのぎして行くしかないってことでしょうか.やっぱり,なんだかめんどくさいですね.

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 でも,そんなことより遥かに重要なのは,認知症や要介護にならないことですよね.でも,何となく流れてくることをきいてると,認知症はともかく,年老いて要介護になるのは前提というか,仕方ないという感じで,それが私には信じられません.

 いや,他の人がどう考えるかは関係ありません.少なくとも,私は,何を差し置いてもそれだけは避けたいと思っているのですが,これって特殊なことなんでしょうか? いや,他の人がどう考えるかは関係ないので,そんなこと関係ないですね.

 でも,要介護にならなかったとしても,何かして退屈しのぎはして行かないといけない.やっぱり,なかなか大変ですね.

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 でも,一方では,経済的に何とか食べて行くことができて,雨露や暑さ寒さをしのげる家があって,心身ともに健全で要介護にならず,毎食おいしいと思って安全な食事ができて,何でもいいので楽しいと思えることがあれば,何とかやって行ける気もするわけで,というか,これ以上,望むべくもないということですかね.

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1/17'22
[社会問題という以前の話]
(世の中)

 やはり,東大の共通テスト会場での殺傷事件のことがいろんなところで取り上げられてますね.

 まず,事件とは全然関係ないですが,あの辺り,具体的には,農学部正門のあたりとか南北線の東大前駅は,20年くらい前まで私の生活圏だったので,とここまで書いて,この次が思い浮かばないですね.懐かしいとは全然思わないし,20年前と言っても,ついこの間というか,その時の時間がまだ続いているような,何とも言えない感じです.

 で,事件ですが,犯人は,医者になるために東大に入ろうと思っていたけどうまく行かなくなって,とか言ってるみたいですが,どういうことですかね? 医者になるのなら東大なんか行かなくてもいいのでは? 東大に行って医者になるのなら理三志望ってこと? でも,理三志望でそれが叶いそうもないから殺人事件を起こして自殺ってどれだけ自己中で視野が狭いの?(でもほんとの自己中ならこんなことはしない)

 最近の風潮としては,こういう事件が起こると受験とか新型コロナとか,社会の問題とすることが多いですが,そういう中でもほとんどの人はちゃんとやってるわけで,やはり,本人の問題が大きいと思います.オレオレ詐欺をする犯罪者を社会の問題だからと擁護したりはしないでしょう?

 一方で,DNAをランダムにかけあわせて突然変異を起こして人類の発展を促す仕組みである以上,逆にこういうことも起こってくるわけで,社会問題という以前の話かもしれません.

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[1995年兵庫県南部地震から27年]
(防災)

 1995年兵庫県南部地震から27年ということですが,書くことは(もう毎年)変わりません.当時の記憶を風化させないようにというのはいいんですが,それだけでは,また同じことが繰り返されます.

 くしくも昨日,それを象徴するようなことが起こりました.AIが世の中を劇的に便利で豊かにするという風潮ですが,AIは過去に起こったことを学習することしかできませんから,トンガの火山噴火についても前例がないので何の判断もできなかったことになります.

 でも,人間には想像力があるので,海底火山が大規模に噴火したのなら,津波が起こってもおかしくないとは容易に想像できるはずです.

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 ほんとの自己中ならこんなことはしないと書いたのですが,そうじゃないかもですね.どういうことかと言うと,まず,「ほんとの自己中ならこんなことはしない」というのは,情けは人のためならずということで,ほんとの自己中で自分がいい思いをしたいのなら,回りまわって自分に返って来ることを考えて他人に優しくした方が得ということです.

 でも,そんなところを通り過ぎて,自殺して死のうと思ってる人間には,「回りまわって自分に返って来る」未来はないわけで,短絡的に回りを巻き込んでやろうと思うかもしれません.

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[>過去の自分]
(このサイト)

 今は2017年の記事を読んでるんですが,いろいろと興味深いです.

 一つは,中身的には,今書いてることとそんなに変わらない(笑)んですが,同じことを何度も書いてるわけではなくて,少しずつ,でも確実に洗練されて何かに近づいている気はします.つまりは,だいたい合ってるけど,細かいこと言うと,そこはちょっと違うかなみたいな.

 生き方的には,そういう感じですが,運保もそういうところがあって,具体的には,この頃は,Aベノミクスの第一の矢の後,更に大規模な金融緩和とともに,N銀のETF買いとかの株価の買い支えをやっていて,やってることはとんでもないことで,あるべき論的には「売りで」実際に売ってるんですが,戦績はこのあたりから低迷して行きます(でも,資保が始まってそれをカバーして余りあり).

 でも,再三書いてるように,相場で勝つには「あるべき論」ではなく,どんなにしょぼくても多くの人がどういう行動をとるか,つまりは,買うのか売るのかを判断すべきで,買うべきではないけど回りが(これから)買うのであれば,買わないといけないわけです.

 でも,不思議なのは,そういうことがわかっていても,どうしても「あるべき論」に動いてしまうってことでしょうか.正義感が強すぎる? でも,それじゃあ,相場には勝てないよ>過去の自分.

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[あまりに節操がない]
(世の中)

 トンガ沖の海底火山の大噴火で1991年フィリピンのピナツボ火山噴火のような太陽光の遮断による地球寒冷化が起こって太陽光発電などの再生可能エネルギーの開発に大打撃という報道ですが,どういうことですかね?

 そもそも,何のために(急いで)再生可能エネルギーの開発をするんですか? 地球温暖化防止じゃないんですか? だったら,寒冷化が起こるのなら,再生可能エネルギーの開発なんか(急いで)しなくていいってことになりませんか?

 もちろん,長期的には化石燃料の枯渇という問題はありますが,そんなことは全く言われず,今や地球温暖化防止の一辺倒なわけで,今回の寒冷化は(もし起これば)一時的で急激なものということはあるかもしれませんが,都合のいい(悪い)ところだけ取り上げて報道するのは,あまりに節操がないのでは?

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[人生は退屈でつまらない]

 やっぱり,人生って退屈でつまらないものですね.つまり,人生は退屈でつまらないのがデフォルトってことで,そうでないものにするには自分で何とかしないといけないということです.でもなんだかめんどくさい話ですね.

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1/18'22

 もちろん,楽しいことや面白いこともあるんですが,それがずっと持続するわけはなく,めんどくさく,やっても楽しくないときはいくらでもあるわけで,それならやらないということだと人生はどんどん退屈でつまらないものになって行くわけです.

 仕事とかやらないといけないことは,めんどくても,やりたくなくてもやらないといけないんですが,それが面白くないし楽しくもないしやり甲斐もないのなら,退屈でつまらないことに変わりないですし,もうすぐ仕事をしなくてもよくなります.

 でも,生きては行かないといけないし,どうせ生きて行くのなら,やっぱり,退屈でつまらなくない方がいいので,相対的によりやりたくなくはなく面白くなくはないことを必死で絞り出してやるんですが,なんだかめんどくさいなあと思うわけです.

 一つは,人生は退屈でつまらないものであることを受け入れるということですかね.もちろん,100%受け入れてしまうと認知症や要介護にまっしぐらな気がするので,そう思う時は,無理せずやり過ごすということでしょうか.それがずっと続いたとしても,社会の片隅でひっそりと暮らして行けるとは思いますしね.

 でも,やはり(もうとっくに)実質人生が終わってるんだなとは思いますね.と書いて思ったのは,人生は退屈でつまらないものであるのなら,そう(実質人生が終わってる)ではなく,「実質人生が終わる」前が異常というか,バブルのようなものだったということですね.

 だとすれば,(化けの皮がはがれた)本来の退屈でつまらない人生をこれからどうやって生きて行くかということで,なかなか大変なんですが,あまりそういう風には考えず,でも,プリミティブなところは死守して,つまり,最低限やるべきことはやって,あとは自由に,ということですかね.

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 見方を変えると,人生所詮退屈しのぎなら何やってもいいわけで,(多少)こんなことやってどうすんだ?ってことでも退屈しのぎにはなる,今の大学や会社や役所を定年でクビになってもどこか働き口があるのなら,まあやるかってことなんですかね.

 ていうか,それが普通だと思うし,普通≒無難ではあるんですが,普通ってことは何か他にあるんじゃないかと思ってしまって,やっぱり,普通はつまらないかなあ.でも,(普通≒無難なので)それがいい方向に行くとは限らないわけです.

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[Nasdaq100指数先物やVIX指数先物をやってるわけ]
(運保)

 資保はどういう経緯でスタートしたかと言うと,資産を守るためで,リスクとしては,日本経済の破綻,資本主義経済の破綻で,前者は,外貨を買えると思ったときに買う,後者は,商品先物をこれも買えると思ったときに買うということです.

 でも,いつの間にか?Nasdaq100指数先物やVIX指数先物もやっていて,なんでかな?と思っていたら,ここに書いてありました(アメリカ経済の破綻対策ということ).こういうのって忘れるんですね.

 でも,その後,どうなったかですが,Nasdaq100指数先物は買ってることが多い(というか,新型コロナの始めの時に何回か売買した後は,底値で買って買い玉をもったまま.だいたい2倍になった)ですし,VIX指数先物も売ってる(ことがSP500を買うことに対応)ことが多いわけで,アメリカ経済は堅調ということなんですが,それは日本株も同様で,でも,必ずどこかで,一瞬というか,気づいたらという感じで流れは変わると思いますし,その時がほんとの勝負だと思います(今は誰が何を買ってもそこそこ儲かる状態).

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 うん? じゃあ,大手総合商社株(+中堅建設株)を買えると思ったときだけ買うというのはどういうこと?(やっぱり忘れる)

 検索をかけるとこの辺ですかね.つまりは,生き残る会社として買えるときだけ買うという「ふつーの株式投資」もやるってことなんですが,これは,資保的にどういうことかと言うと,例えば,インフレになったとき現金ではやばいわけで,じゃあそれを何に変えておくかということで,外貨,商品先物,そして,株式となったときに一番したたかに生き残りそうなところということで,大手総合商社株(+中堅建設株)ということですかね.

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[どこにも出かけず,ずっと家とか研究室で仕事とか作業しているのが一番楽]

 今日は,ぐるぐるリストを見ても,あるいは,それ以外のいろんな曲のリストを見ても,弾きたいと思う曲がどうしても見つからず,会議とか仕事が入ってて弾けないというわけでもないのにピアノを弾くことができませんでした.もしこれが食事のメニューなら何も食べる気がしないということで大問題なんですが,ピアノを弾かなくても生きては行けるので問題なし,ではなく,やっぱり,問題ですね.

 別にピアノに限った話ではなく,スキーに行こうかな(というか,意識的気分的には行かなきゃ,に近い)と思っても,出かけないといけないと思うと,途端に億劫になります.バドミントンの練習とかもそうですね.ていうか,家の中に置いてあるピアノですらそうなんですからね.

 それこそ,どこにも出かけず,ずっと家とか研究室で(要介護にならないように時々体を動かしながら)仕事とか作業しているのが一番楽というか,もうずっとそうやって行きたいとさえ思ってしまいます.

 もちろん,調子の波的にそう思う時もあるってことで,そういうときは,しばらくやり過ごすってことなんでしょうが,そう思う時の割合は増えてきているというか,調子の波云々ではなく,それが定常になってきているような気もするんですよね.

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[老人ホームに行きたい人もいる?]

 ここでも出てきましたが多くの人は,歳をとると介護を受けるようになるのが当たり前だと思っていて,そうなったときどうするかについては,大きく2つに分かれて,1つは子供とか配偶者とかに面倒を見てもらって自宅とかで過ごしたい,もう1つは,家族に迷惑はかけたくないから老人ホームとかの施設に入るということみたいです.

 私からすると,どっちも避けたいというか,そもそも要介護にならないようにってことなんですが,前者はともかく後者については,理解できるというか,そうなったら仕方ないってことかもしれませんが,ひょっとしたら,そういうところに(要介護にならなくても)行きたい人もいるのかもとは思いました.

 私は「一人,時々,みんな」がいいので,ずっと「みんな」のそういうところには行きたくないのですが,家で一人で暮らすより,ずっと「みんな」がいい人もいるわけですよね.

 うーん,でも,年寄りばっかりのところに行って楽しいんですかね? 面倒を見てくれる人には若い人もいる? でも,面倒見てくれるってことは,対等ではないわけで,そんな人間関係は,やっぱり,嫌ですかね.

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1/19'22

 もちろん,老人ホームといってもいろいろで,ちゃんと尊厳を保てるようなところもあると思います.でも,そういうところは,やっぱり,お高いんでしょうね.

 てことで,やっぱり,お金はあった方がいいってことになりそうですが,お金はそんなになくても要介護にならない方がもっといいに決まってますよね.

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1/20'22
[リタイア後,更にその先の生活に適合してきてる?]

 どこにも出かけず,(適度に体を動かしながら)ずっと家とか研究室で仕事とか作業しているのが一番楽と思うことが多くなってきたってことですが,ある意味,リタイア後,更にその先の生活に適合してきてると言えるかもしれません.それで充分楽しく過ごして行ければ,無敵のような気すらしてきます.

 気持ちとしては出かけたいけど,要介護になったりしてそれができないとしたら,辛いと思いますが,出かけたいと思わないのであれば,要介護になってもいいというか,家の中で自活できればOKなわけですからね.

 でも,どうなんでしょうか.適合してきていると言えば,言葉はいいですが,鶏と卵というか,どっちが先じゃないですが,単に意欲的なものが低下してきてそう思うようになってるのかもしれません.

 ですから,重要なのは,出かけたくないということではなく,出かけるより家の中でやりたいことがあるのかってことでしょう.そう考えてみると,いい線行ってる気もしますが,うーん,どうなんですかね.今はそんな感じでも,これからずっとそうとは思えないし,要介護になってもいいとは全然思ってないので,自分の気持ちがどう変わっても大丈夫なようにしておくということでしょう.

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[絶対に同時に得られないもの]

 一人でも寂しくはないんですが,やっぱり,つまらないとは思いますね.つまりは,一人は寂しいのではなく退屈ということですね.なので,結局「一人,時々,みんな」ということになるんですが,それは「みんな,時々,一人」でもいいでしょうが,ずっと一人は無理だし,それはずっとみんなも同じで,一人の時間は必要でしょう.

 でも,一人のときは,会いたい人に会いたいと思うし,みんなでいるときは一人になりたいと思うこともある.ないものねだりというか,手前勝手な話ですが,こういう「同時に得られないもの」って結構ありますよね(一人とみんなは,絶対に同時には成立しない).

 寒い時は,早く暖かくならないかな,暑い時は,早く涼しくならないかなとかもそうですし,じゃあ,一年中暑くも寒くもなかったらそれもつまらないわけです.幸福論で書きましたが,ずっと幸せだと自然落下的に不幸になって行くわけで,幸せを感じるには,(多少の)不幸が必要なわけです.

 同時には無理ということでは,男と女もそうですよね.男になりたい女,女になりたい男はいると思いますし,今の世の中,ある程度,それができるようにもなってきましたが,「同時」は無理です.

 なので,結局,全ては幻というか,今ないものを求めて,そして,それが得られたら得られたで,また,違うものを求めたり,得たことで失ったことがまた欲しくなったり,一体何やってんだかって感じですが,それが人生というものでしょうし,そうやって季節が巡るようにぐるぐる回っているうちに人生が終わるということでしょう.

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[(存在しえない)「もし」を考えるのであれば,ちゃんと考える必要がある]

 最近,もし高校のときにもっとちゃんと勉強して大学受験に失敗してなかったら,30代の時,もっとちゃんとやって,ずっと地震研にいたら,というようなことを書いたと思います.何度も書いているように,全ては138億年前に決まってるというか,人生一本道なので,「もし」はないんですが,どうして,突然?そういうことを書いたのかなと思いました.

 過去は変えられないということもありますが,変えられる(と思ってるが決まってるけどわからない)未来が残り少なくなってきたということで,自己肯定したいのかもしれませんが,なんか違うというか,大事なことを忘れていたような気がするんですね.

 それは,もちろん「もし」はないんですが,「もし」そうなったらの人生をちゃんと考えてないんじゃないかということです.なぜなら,全ては138億年前に決まってると思っているので,そんなこと真剣に考えないというか,過去のことはどうでもいいからです.

 でも,(存在しえない)「もし」を考えるのであれば,ちゃんと考える必要があります.で,ちゃんと考えると,もし,大学受験や30代でもっとちゃんとやってたら,というか,結果が出ていたらどうなったでしょうか?

 ていうか,ちゃんとやらなかったのは,私の問題というかまさに自業自得なわけですから,それは変えられないので,うまいこと結果的にそうなってたらということでしょうか.実際,大学受験も30代も際どかったというか,どっちに転んでもおかしくなかったと思うんですよね.

 でも,ちゃんとやりもせずに結果だけ出ても,いい方向には行かなかったと思います(とちゃんと考えてそう思いました).なので,いろいろ大変ではあったんですが,なるようになってるというか,結局,自己肯定かよという感じもしますが,結果的に一番いいようになってると思った次第です.

 でも,これは,全ては138億年前的には至極当然な結論で,結局,最初に戻っただけのような気もしますが,そうではなく,ほんとにそう思えるかという意味で,それを更に後押しする何かに気づいたということでしょうか.

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1/21'22
[「こんなもんか」と思ってしまう]

 ちゃんとやりもせずに結果だけ出ても,いい方向には行かなかったと書いたのですが,具体的には,どういうことでしょうか?

 あくまで私の場合ですが,「こんなもんか」と思ってしまうというか,結果が出るとだめなところがあります.具体的には,博士をとって地震研に就職したときもまさか東大に残れるとは思ってなかったので,最初は嬉しかったんですが,だんだん変な感じになってきたというか,「こんなもんか」と思ってしまったような気がします(今にして思えば,思い上がりも甚だしくてほんとしょぼい).

 他にもそういうことはいろいろあって,例えば,バドミントンで40になって全日本に出て勝ち上がった時も嬉しかったんですが,やっぱりどこかで「こんなもんか」と思ってしまってたところがあって,でも,その後,競技力はそこをピークにどんどん転がり落ちて行ったわけです.

 1-2秒応答が認められたというか,それで地震被害が説明できちゃったときもそう思ったんですかね.でも,研究に関しては,大学を移って,研究室をもって学生がどんどん来てくれるようになって,新しいテーマをどんどん考えないといけなくなって,それどころじゃなかった,つまり,大学を移って,研究室に来てくれた学生達に助けられたと思うんですよね.

 ですから,もし,大学受験がうまく行っていたら,「こんなもんか」と思ってしまって,入学後だめになって行った可能性が高いと思いますし,それは,30代も同様で,もし昇進して残れたとしても,そこから下り坂というか,1-2秒応答止まりというか,実際,大学を移らなければ,学生がどんどん研究室に来るようなこともなかったわけですからね.

 もちろん,結果が出ても「こんなもんか」と思わない人もいるわけで,それはすごいというか,私がしょぼ過ぎるんだと思いますが,そんな奴なのでしょうがないわけで,でも,そんな奴なりになるようになったということでしょうか.

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1/21'22
[いつ死んでも回りに迷惑をかけない状態にしておいて]

 リタイアしたら,いつ死んでもいいというか,いつ死んでも回りに迷惑をかけない状態にしておいて,寝るとき,このまま目が覚めなくてもいいと思って就寝して,翌朝目が覚めて生きてたら,ありがたくまた一日の命を頂戴して,って感じで生きて行けたらと思うんですよね.ていうか,心境としてはもうそんな感じです.でも,今死んだら回りに迷惑をかけるだろうし,いつ死んでも回りに迷惑をかけないという準備がまだなので,それも進めて行かないとですね.

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1/22'22

 でも,「こんなもんか」と思ってしまうとだめになるってどういうことですかね? ていうか,そういうことですよね.

 例えば,大して勉強しなくて東大に受かったら,そんなに練習もしてないのに全日本に出て勝ち上がったら,大したこともしないで評価されたら,「こんなもんか」と思ってしまうでしょう.そして,実際,大して勉強も練習も研究もしてなかったわけですからね.

 でも,私の場合,そういう何かの形になるという結果のために勉強やバドミントンや研究をしてたわけではないですから,「こんなもんか」と思うはずはないんですが,それでも結果が出ると,そう思ってしまうというか,妙な錯覚を起こすのは,「評価するシステム」の恐ろしさを感じますが,まあ若くて未熟だったってことですかね.

 でも,いつの頃からか,本質的なことに気づいてからは,そういうことに全く動じなくなったというか,関係なくなったと思います.もっとも,バドミントンに関しては,結果は全く出てないのでどのみち関係ないですけど.

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[ただ続けているだけで気づいたら何かが起こるってことがあるのかも]

 全く実感はないのですが,もう○歳なわけで,そう言えば,東京で準指を受けていた頃(なので30代の頃ですが),学科の養成講習会で,ものすごくトレーニングとか体のメンテをしている講師の人がいて(確か40代か50くらいだったか),私はそういうことをちゃんとやってるから,60を過ぎてもスキーをすることができると言ってました.

 何が言いたいか,というと,私もそういう年齢,つまり,普通だともうスキーなんかまともにできないはずの歳ということですね.でも,ものすごくトレーニングとか体のメンテをしているわけではないですが,まだやってますけどね(行くのはめんどくさいけど).

 バドミントンもまだ何とかやってるわけで(でも,こういう状況でもう1年近く練習には行ってないけど),気づいたらこんな歳なんですが,ただ続けているだけで気づいたら何かが起こるってことがあるのかもしれません(ないのかもしれません).

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[行くのが億劫だと思っていても行けば100%来てよかったと思うので行くことにしている]

 先日,ようやく2日目のスキーにびわ湖バレイに行ったんですが,雪はあるしチャンピオンは開いたし天気も悪くないし,行くしかないやろという状況だったんですが,やっぱりめんどくさいというか億劫で,でも,ある人が,行くのが億劫だと思っていても行けば100%来てよかったと思うので行くことにしていると言っていたのを思い出して,頑張って行きました.

 そして,なんとか行けば,やっぱり,来てよかったと思うわけで,でも,それがわかっているのに行くときとにかくめんどうで億劫になるのは何なんですかね?

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[とにかく弾く気になることを最優先]
(ピアノ)

 ピアノは,弾く気にならずに3日空いたんですが(スキーと違ってピアノを弾きに「出かける」必要はないので,弾く気にならないときは,ほんとに弾く気にならないとき),ぐるぐるリスト以外の曲を弾くことで何とか弾くことができました.メトネルの悲劇的ももうそんなに弾いてないし(でも,ぐるぐるリストには入ったので月一くらいは頑張って弾くと思うけど),こんな感じではどうしようもないと思うのですが,とにかく弾く気になることを最優先で,何とか続けて行って,何かが起こればということですかね.いや,別に何も起こらなくてもいいのか.

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1/23'22
[京都という一地方都市に京大という全国レベルの大学が]
(大学)

 先日(感染が拡大する前に)飲んだ時に,京都という一地方都市に京大という全国レベルの大学があるのが特別というかラッキーだったと言ってた人(京大出身者)がいました.なるほど,そうですね.

 各地方には,いわゆる旧帝大というものがあって,その地方のトップ校なんですが,あくまでその地方のトップ校ですからね.そういう意味では,関西のトップ校は阪大で,それに加えて全国レベルの京大があるわけで,それは,やはり,関西の人にとって特別なことでしょう.

 京都出身で,東大に来ていた人も言ってたんですが,東大生とか言っても東京じゃてんで大したことないというか,別段特別扱いされることはないのですが,京大生は京都では特別扱いというか,少なくとも東京での東大生の扱いとは全然違うんですよ.例えば,京大には,K野寮というのがあって,そこの学生が街中に出てよく悪さ(笑)をするんですが,京都市民はそれを温かい目で許してくれるんですね.東大生が東京でそんなことしたら大変です.

 話を少し敷衍すると,じゃあ,他の旧帝大とその地方の人口や規模とかが釣り合っているのかということはあるでしょうか.具体的には,名大とか阪大は,旧帝大でも上位校なので,まあ釣り合ってるのかな.

 一方,同じく上位校(になった)東北大は,仙台という都市の人口や東北地方を他の地方と比べると,大学の方が上に来る,つまり,仙台や東北出身の人からすれば,東北大という旧帝大の中でも上位校が(決して都市や地方の人口や規模が上位ではない)地元にあってよかったという京大に似たことになってるわけです.

 逆に九大は,福岡という都市の人口とか背景的なことを考えると(例えば,新幹線が博多に来たのは東北より先だし,高度成長期は,北九州工業地帯は京浜,阪神,中京と並んで四大工業地帯の一つだったし,福岡という都市も今日まで躍進を続けている),もっと上位に来てもいいと思いますが,現実にはそうなってなくて,福岡出身の優秀な人で,地元の九大ではなく東大や京大に行く人の割合は,他の旧帝大より多いと思います.

 まあでも,これは,どこかで書きましたが,やはり,東京からの距離ということはあるでしょうね.実際,私が受験する頃は,東北大は,旧帝大の中で下位だったと思いますが,東北新幹線の開業によって,東京からの実質的な距離が近くなって,優秀な人材が流れるようになったということはあるでしょうからね.

 北大も東京からの距離とか,札幌という都市の人口とか,九大と似ているところはありますが,似ているようで大分感じがするのは,何度か書きました.結局,北大だけ指定国立大学になってない,つまり,旧帝大の最下位であることが何と文科省に認定されたのですが,そんなの関係ないというか,実際,優秀な研究者も出身者もたくさんいるわけで,実は一番お買い得なんじゃないかとも何度か書きました.

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[一日(実質)一食]
(生活)

 そう言えばというか,気づいたら,ほとんど外食をしなくなりました.するとしたら,夕方の会議が長引いて,家に帰って作るのがめんどくさいときに学食に行くくらいで,でも,それも月に何回あるかという感じです.

 朝は,相変わらずいつも同じもの(キャベツとIUJ(生活クラブの野菜,フルーツジュースをベースにブロッコリーなどの粉末やソイプロテインやエゴマ油や黒酢やゴマやたまねぎ粉が入ったオールインワン飲料で結構うまい)とR-1子孫ヨーグルトと煮干し(電子レンジでパリパリにする)と海苔(火であぶる)とレーズンを入れて牛乳と1:1で入ったコーヒーと粉緑茶)なんですが,昼もだいたい同じものを研究室で食べるようになって来ました.具体的には,アーモンドとカマンベールチーズとゴマ煎餅(を同時に食べると「チーズアーモンド(せんべい)」みたいでうまい)と無塩トマトジュースとバナナとチョコレートと「ホエイプロテインカプチーノ」という感じで,つまり,朝昼はほぼ同じメニュー(というか,どれも食材をそのまま摂取しているようなもの)なんですね.

 つまり,ヴァリエーションがあるとすれば,夕食だけで,しかも,たんぱく質や野菜は,これも手軽にとれるもの(たんぱく質なら肉を焼くとき以外は,卵とかさつま揚げとか魚肉ソーセージとか鯖缶とかチキンナゲットとかフライドチキンとか飲むヨーグルトとかオールインワン味噌汁とか,野菜なら冷凍ほうれん草とかもやしとかブロッコリーとか乾燥ワカメとかきくらげとかキムチで,これらはいずれも生活クラブのもので,それ以外は,スーパーで週一で買ってくるサニーレタスとキャベツくらいでしょうか)で摂ることが多いので,変化するのは,炭水化物のところだけなんですが,これがかなりヴァリエーションがあるので,変化的には一日(実質)一食って感じですが,今のところはこれで充分と言えば充分です.

 今2018年あたりの記事を読んでて,全部自炊で行くには50くらいのメニューが必要と書いてありますが,そんなに要らない感じもしますし,いろいろ入れるとひょっとしたらそのくらいあるのかもしれません.

 でも,一食十品的に言えば,ひんそーってことなんでしょうが,毎食おいしいと思って食べられるというか,そのとき食べたいものが食べられますし,これで充分必要な栄養をバランスよく摂れますし(食材の種類は一日で30以上になる),作るのに15分くらいしかかかりませんし,一食十品とか言っても食材のヴァリエーションはそんなにないし,これで行けるのなら死ぬまでこれでいい,つまり,食事については,もう「準備ができた」のかもしれません(これでずっと飽きないで行けるのかなとは思うけど,今のところは大丈夫).

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[自分にご褒美]

 テレビとかインターネットとか見てると,よく「自分にご褒美」という言葉が出てきます.頑張った自分にご褒美ってことなんでしょうが,少なくとも私にはそういう概念?はありません.だって,ご褒美を,しかも自分にあげるほど頑張ってないというか,何をやるにしても基本的にはやりたいことをやってるわけですからね.

 逆に言えば,みんな自分にご褒美をあげるほと頑張ってて偉いなーと思いますし,そんなしてまでどうして自分にご褒美をあげないといけないことをするの?と思ってしまいます.

 いや,必死で自分にご褒美をあげるくらい頑張らないと食べて行けない? ほんとですか? ご褒美をあげられるのならそんなことはないですよね.

 つまりは,「自分にご褒美」とかテレビやインターネットで流すのも,余計に働かせて余計に消費させて目先の経済を回す罠ということです.そんなことに騙されずやりたいことを見つけてやりたいことをやりましょう.そうすれば,「自分にご褒美」なんか要らないはずです.

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1/24'22

 でもまあ,余計に働くことはしないとしても,生活して行く分は稼がないといけないわけですし,仕事ならいろいろ大変なこともあるでしょうから,「自分にご褒美」まで行かなくても,休息は必要ですし,やりたいことが仕事以外にあるのなら,そういうことをするのも一種の「ご褒美」なのかもしれません.

 ですから,問題は,「自分にご褒美」がそういうところを逸脱して,例えば,高級品とか贅沢品を自分にプレゼントとか海外旅行とか,金を使わせて経済を回す仕組みに騙されないってことですかね.

 でも,実際のところは,必要な分だけ働くというのは難しいのが現状で,まさに「はめられてる」わけですが,そういう中でできることをして行くということでしょうか.

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 まあでも,こういうのは,人それぞれというか,推し活するためのお金を稼ぐために必死で働いて,アイドルの追っかけをしているときが幸せでそれが生き甲斐なのなら(それ以外に生き甲斐がないのなら)それでもいいのかもしれませんね.

 東大に入るために必死で勉強するのも,会社で出世するために必死で働くのも,金儲けするために起業して死ぬほど働くのも,オリンピックで金メダルと獲るために厳しい練習やトレーニングをするのも,未解明なことを解明するために一心不乱に研究するのも,今までにない音楽を表現するために死ぬほど練習するのも,どれもどっこいどっこいかもしれません.

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 もっと言えば,どんなことでもやってて楽しいことがあるのならそれでよくて,それがお金がかかるのなら働けばいいわけです(でも,年老いて体に鞭打って働いて体を壊せばやりたいこともできなくなる.死ねればそれでいい気もするが,死に損なって要介護になる可能性も大きい).

 かく言う私ですが,内的熟達的にやって行くとか言っておきながら,ピアノにしてもバドミントンにしてもスキーにしても,その気を引き起こすのに必死なわけで,そんなことなら,そんなことしないでもその気になるものがあれば,そっちの方がよほど無敵な気がします.

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[どうして人生があっという間だと思うのか]

 気づいたらこんな歳で,ほんとに人生なんてあっという間だと思うのですが,よく考えたら変な話です.だって,ほんとに「あっという間」(1秒くらい?)なわけはなくて,50年の人生なら50年,100年の人生なら100年の人生ですからね.

 じゃあ,どうしてあっという間だと思うかですが,それは過ぎ去った過去を振り返るからでしょう.つまり,過去を振り返れば,あっという間ということで,振り返ってみて,楽しかったとかしんどかったとかいう感じならまさにあっという間ですし,具体的な過去のいかなる瞬間にもあっという間に移動できますからね(過去が1秒に圧縮されてるイメージ).

 逆に言えば,未来というか,これからの人生は,あっという間ということはなくて,それは,若い人はもちろんですが,年寄りも同じでしょう.

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1/25'22
(経日, 運保)

 最近の世の中というか経済の状況としては,年明けから日本株もアメリカ株も大きく下げていて,原因としては,オミクロン株の流行もあるのかもしれませんが,それよりは,インフレ抑制のためにFRBの金融引締めが前倒しされるのではないかということと,最近は,ウクライナ情勢の緊迫化もあるみたいで,昨日のNYダウは一時1000ドル以上も下げたようです(が,その後,急速に戻して,ややプラスで引けた).

 運保の収益もよくはないのですが,このくらいの変動は去年も何度もありましたし,全体から見ると(まだ)それほどではないです.買いを持続と判断しているNasdaq100先物とかのアメリカ株関連は下げてますが,短運は売ってることが多いのでそこそこプラス,日運はほとんど玉が建ってないですが,マザーズ先物はよくないです.でも,商品先物はかなりよくて,大手総合商社もそんなに悪くないのかな.ただ,VIX指数先物の含み損はかなり膨らんでて,これが下げの多くを占めてますかね.でも,全体としては,(まだ)それほどではないです.

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[長い]

 もう実質人生は終わってしまってるんですが,あと何年生きるかはわかりません.でも,120は極端としても,あと30年生きる可能性は充分にあるわけですよね.そして,30年という年月は就職して今までくらいの時間なわけで,そう考えると「長い」と思ってしまいました.

 それをどう捉えるかですが,30代のときのように先が長くてしんどいというよりは,その時間をどう過ごすかが重要というのが最初に来る感じで,それはそれで悪くない感覚ですが,あと何年生きるかわからないのに家なんか建ててもしょうがないとは言えないと思いましたし,いろんなことを残り時間が少ないことを前提に考える必要もないとも思いました.

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1/26'22
(経済)

 年明けから日本株もアメリカ株も大きく下げていているのですが,日本株(日経225)とアメリカ株(NYダウ,Nasdaq100)がどんな感じか見てみました.期間は1年で,上↑のグラフ(今日少し戻した)の1年分も一番下に付けています.

日経225↓

NYダウ↓

Nasdaq100↓

運保↓

 まずは,日本株ですが,今回の急落に限らず,この1年低迷してたんですね.一方のアメリカ株は右肩上がりのところ年始で急落で,去年の上昇分の半分くらいが吹っ飛んだ感じでしょうか.そういう点からすると,運保の成績は(今のところ)結構いい線行ってる感じはします.

 ちなみに,運保の縦軸は,2020年半ばくらいからの運保の益なので,一番下の軸は0ですが,値そのものは伏せてあります.

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[横浜駅直結のタワマン]
(経済)

 今朝のMーサテか昨日の?BSだったか,マンション相場がうなぎのぼりで,例として,建設中の横浜駅直結になるタワマンが1〜6億の価格設定で(ちなみに最安の1億だと60平米弱)既に完売なんだそうです.買ってるのは,投機目的ではなく,富裕層がセカンドハウスとして買ってて,その多くは現金一括で,実需なのでバブルではないので当面は価格は下がらないとの解説?です.どう思いますか?

 ありそうな話ですよね.そもそもバブルとは何かということになるのですが,目先の経済を回せば儲かる奴はいるわけで,そういう奴らは金の使い道がないわけですから,向かう先は,宇宙旅行,プライベートジェット,タワマンとかになるわけです.6億とか言ったって,資産がその10倍以上あれば,はした金みたいなもんですからね.

 でも,タワマンそのものには資産価値はないですが,横浜駅直結という立地は,一軒家では無理だし,タワマンというか上に集積することでそれを実現するのなら,多少なりとも生産性や利便性の向上に繋がってると言えるかもしれません.実際,もし,私に有り余る資産があって,その1/10で大宮駅とか熊谷駅直結の中層マンションが買えるのなら買ってもいいかなと思いますからね.

 こうやって「再配分」が行われるとも言えるのですが(おこぼれをもらっているのは,不動産会社や建設会社),無駄に稼いで無駄に消費して一体何やってんだかとは思いますよね.

 じゃあ,バブルとは何かですが,株や不動産価格が法外なところまで値上がりすることというよりは,目先の経済を回して儲かる奴が儲かって,そういう奴がいろんなものを買いあさるから価格高騰が起きるわけで,景気が減速してそういう奴らが儲からなくなれば,バブルは崩壊することになります.そして,残されるものは...ということでしょうか.

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[人生の中でやることって,結局,3つしかない]

 人生の中でやることって,結局,3つしかないと思うんですよね.やらないといけないこと,やりたいこと,そして,人間関係に関したことです.

 1つ目は,働くとか,働けるようになるために勉強するとかもそうですし,ご飯を食べるとか寝るとか,要は,生きて行くのにやらないといけないことです.2つ目は,説明不要でしょうが,裏を返して言えば,やりたくないことをどれだけやらずに済むかということはありますかね.

 3つ目は,人間関係ということですが,中心に来るのは,恋愛とか,家族愛(後述)とかで,これ以外にも,仕事をしたり,いろんな社会活動の中での人間関係もありますし,これらは人生を豊かにするものですが,逆になってしまうこともあります.

 この3つは,独立ではなくて,やりたいことと仕事をある程度重ねることもできますし,やりたくないと思っても,人間関係とか,社会の利益になるとか,自分がやらないと世の中がおかしくなると思ったときはやることもあるでしょう.

 だから何なの?ということですが,これをやるかやらないか,やるべきかやるべきでないかということになったとき,こういう風に考えるとやるかやらないかの答えが割と自然に出るとは思います.

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 応用編としては,例えば,やりたいことがないとしても,働かないと食べて行けないのなら働けばいいとなります.言い方を変えると,食べて行く以上に働くのは無駄とも言えるのですが,やりたいことがないのなら,とにかく働くという考えもあるということでしょうか.

 逆にやりたいことがあれば,食べて行ける分だけ働いて,やりたいことをやればいいとも言えます.更に言えば,人間関係も最小限に留めて,内的熟達的にやって行けるのなら無敵かもしれません.人間関係は正負両面あって,それは,他人を制御できないということがありますからね.

 人間関係の中で,「家族愛(後述)」と書きましたが,家族というのは,結婚という社会制度に基づいたものですから,ほんとはそういうことじゃなくて,子供とか孫とか,あるいは,そうでなくても,年寄りが若い人達を育てたり,いろんな知恵を授けるために感じる愛情ということですかね.これも恋愛同様,人類が繁栄するための本能ではあるのですが,本能なので逆らうことは難しいと思います.

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[最も簡単な方法]
(経済)

 年金2000万円問題じゃないですが,若い人も年寄りになるわけですし,少子高齢化で年金なんかもらえるのかとか,来るべき経済危機とか考えると,今は働けばいいけど,30年後のことは気になりますよね.貯金して行くとか言ったって,インフレになったり,財政破綻してお金が紙くずになるかもしれないわけで,もちろん,年寄りになっても働けるように心身ともに健康を維持することだと思いますが,目先の経済を回して金儲けする奴らや国の無策のとばっちりで,自分が稼いだお金が水泡に帰すのは腹立たしい限りでしょう.

 対策については,何度か書きましたが,現金(日本円)だけではリスクが大きいので,外貨,株式,商品などに分散しておくのが基本だと思います.相場を見て売買するのではなく,毎月給料日前(後ではありません)に一定額を日本円からこれらに変えて「ずっともっている」ということですかね.

 そうすると,例えば,月10万ずつ買って行けば,30年後は,買値で3600万になります.別に月10万と決める必要はなくて,必要なものに必要な分だけお金を使って,残った分をそのまま日本円にしておくのではなく,外貨,株式,商品に変えておくということですかね.なので,30年の総計が3600万とは限らず,2000万かもしれないし,1億くらいになるかもしれません.いずれにしても,これが老後の「元手」になります.

 そして,これを「年金2000万円問題」のように切り崩して行くのではなく,これを元手に運用するということです.でも,運用すると言っても何をするでもなく,そのまま持ち続ければいいとも言えます.具体的には,もちろん,30年後どうなってるかはわかりませんが,外貨にはスワップ金利が,株式には配当が付きます.もちろん,どちらも金利分だけ価格は目減りして行くのですが,その分「現金化」されるわけで,そういう形で切り崩す「ように」使って行けばいいことになりますし,外貨や株価が上昇して目減り分を埋めれば,それは「儲け」ということになります.

 そして,元手が3600万で金利や配当が3%なら年100万くらいになりますし,1億なら300万で,その元手が大きければ,取り分も増えるわけで,そう思えば,(単に貯めて切り崩して使うのとは違うので)せっせとそういう形で「貯蓄」しようという気になるし,未来に少しは希望がもてるかもしれません.

 もし,資産を持ち家という形にしてしまうとこういうことができませんし,家自体も老朽化してどんどん価値が下がって行きます.土地神話も人口が減って行くわけですから,普通に考えれば,これまでのようには行かないでしょう.

 じゃあ,具体的に,外貨と株式と商品の何を買ったらいいかですが,外貨は米ドル,豪ドル,加ドル,株式は大手総合商社五社,商品は金(ゴールド)でいいんじゃないでしょうか.もし,私が運保から一切手を引いて,今の資産をどうするかとなったら,日本円(もある程度は必要)とこの3セクタを均等割り(つまり,1/4ずつ)で購入すると思います(あるいは,自分の目利きを信じれば大手総合商社株?).

 ただし,これで大丈夫ということを保証しているわけではないので,あくまで自己責任ということで.

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 あるいは,アメリカ株を買えば,外貨と株式を兼ねられるということはあるかもしれません.銘柄としては,アマゾンとかアルファベット(グーグル),マイクロソフトとかなら鉄板?

 うーん,でも,どうなんですかね? アメリカ株は既に最高値圏にありますからね.アマゾンとかアルファベットはともかく,アップルとかは,これからも成長して行けますかね? かつてのソニーのようになるかもしれない? フェイスブック(メタ)とか,テスラとかもどうなるかわかんないですよね.

 そういう意味では,Nasdaq100の銘柄に分散して買っていくのはありかもしれませんね.そういうことをしているうちに,自分の目利きというか,そういうことも楽しめるかもしれません(でも,リスクは増えるけど).

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1/27'22

 うーん,でもどうなんですかね.今日も大きく下げましたが,そういうときに平然としていられるかというか,下げてるからバーゲンセールで安く(たくさん)買えるなくらいに思えるかってことですかね.

 あとは,どれだけ世の中や資本主義を信じられるかということでしょうか.目先の経済を回すのでも何でも,人間が頑張って活動する限りは何かを生み出して,年数%くらいは成長できる,全体としては無理でも,他人を騙して搾取するのでも何でもありで,自分が見込みがある(金儲けがうまい)と思った(アマゾンとかグーグルとか大手総合商社とかの)会社に乗っかれるかってことですかね.

 自分の目利きに自信がないのなら,多少のコストを払ってでも積み立てNISAとかイデコでひふみ投信でも買っとけってことかもしれませんが,それで失敗すれば,他人のせいになってしまうわけで,でも,自分で選べば自分の責任で,つまり,そういうことに腹をくくれるかってことでしょうか.

 そういう意味では,私は,資本主義を信じていないというか,少なくとも長期的に右肩上がりが続くとは思ってないので,そういうやり方はしない,具体的には,買うだけではなく売りもやるってことなんですが,「最も簡単な方法」では,外貨や株式だけではなく商品(金)を買うというのは,一応そういうことにも対応してることにはなりますかね.

 ですから,最も簡単な方法と書きましたが,簡単ってことは,簡単な話ではないというか,そういうことはあるわけです.

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[人生で成功するかしないかの大きな分かれ道]

 でも,これ↑は運用の話ですが,こういうたった一つのことについても,人生で成功するかしないかの大きな分かれ道があることに気づかされます.具体的に言えば,他人に任せるのか自分で何とかするかです.

 運用だったら,プロに任せた方が成功する? ほんとですか? それこそそんなに簡単な話ならみんな成功するのでは? でも,成功するのは全体の中の極僅かですよ.

 じゃあ,自分でやって失敗したらどうする? いや,自分でやって失敗したのなら仕方ないじゃないですか.

 つまり,そう思えるかどうかが分かれ道ってことですかね.そして,これは,運用に限らず何でもそうなんだと思います.

 でも,それって要は,自分の能力を信じてるってことですよね,と言う人もいるでしょう.だって,失敗するとわかっててチャレンジする人はいないでしょうからね.実際は,能力が高い人もそうでない人もいるわけで,自分の能力が高くないと冷静に判断できたら,能力の高い人に任せることも必要?

 でも,そんな人生つまんなくないですか? そもそも,「自分の能力が高くないと冷静に判断できたら」ってどういうことですかね? やってみないとわからないのでは? そして,何でもやってみた方が(失敗しても)楽しいでしょうし,失敗したらまたチャレンジすればいいし,楽しめたのなら,それで成功じゃないですか.

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[寝たきりでもそれでいいならそれでいい]

 この話,つまり,「どこにも出かけず,(適度に体を動かしながら)ずっと家とか研究室で仕事とか作業しているのが一番楽」なのが「リタイア後,更にその先の生活に適合してきてる」のかもってことですが,例えば,スキーに行くことは(肉体的に)できるし,行けば(肉体的に)滑れるのなら,鶏と卵ではなく,肉体より精神の方が先行しているとも言えて,それは,やはり,適合かもしれません.

 だって,気持ちとしては出かけたいけど,要介護になったりしてそれができないとしたら,辛いわけで,でも,出かけたいと思わないのであれば,要介護になってもいいというか,家の中で自活できればOKなわけですからね(再掲).

 もっと言えば,寝たきりでもそれでいいならそれでよくて,でも,介護を受けるのが嫌なら,一日中ベッドの上にいても,自分で何とかトイレに行って排泄したりシャワーを浴びたり食事できる状態さえ維持すればいいわけですからね.じゃあ,一日中ベッドの上にいてどうやって退屈しのぎするかですが,それはそれでできることはあるでしょうし,別にベッドの上じゃなくても,座ってできることでもいいわけです.

 もちろん,それでは,トイレまで移動することもできなくなって要介護になるでしょうから,最後の砦というか,家の中を移動できるだけのフィジカル?は死守するために(それよりやや負荷が大きい)体を動かすことはやるってことですかね.

 こういうことを書くと,夢も希望もないって思う人がいるかもしれませんが,私は全く逆で,人生の最終盤で体が思うように動かなくなっても,充分楽しく過ごして行けると思えて,とても安心します.

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 でも,安心はするんですが,(精神が先行して)それでいいと思えば,もう寝たきりになってもいいというのは極端としても,定年で大学をやめたら,ほとんど出かけずに家で内的熟達的に過ごすというのでもいい気になってきます.もちろん,出かけたくなれば出かければいいんですが,出かけたくなければ出かけない,つまり,やりたくないことはできるだけやらないってことですね.

 そんなことでは,要介護にまっしぐらってことなんでしょうが,そこは家の中で適度に体を動かすことで死守するというか,そのくらいのことは,大したことないというか,少なくともバドミントンの練習とかスキーに出かけるよりは遥かに楽でしょうし,身の回りのことを自分でやるだけでもそこそこ大変なので,それでいいと思えばそれでもいい気もしてきます.

 要は,バドミントンとかスキーとかゴルフとか,出かけて行くことも含めてやるのがめんどくさいと思うのなら,さっさとやめてしまえばいいという単純な話かもしれませんね.

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 見方を変えると,多くの人が要介護になっていくのがよくわかるというか,もうそんなに生い先があるわけじゃないし,やりたいこともないし,あってもめんどくさいし,もういいやって思っちゃうのかもしれませんね.私は要介護にはなりたくないので,そこは死守しますが,要介護になってもいいやって思ったら,それこそあっという間のような気がします.

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[これからは老人として生きて行く]

 関係するのかもしれませんが,これからは老人として生きて行くんだと思います.と言っても,何か大きく変わることはないのですが,一つだけ注意しないといけないことがあるとすれば,自分から行かない,しゃしゃり出ないことでしょうか.

 もちろん,来る者は拒まずですが,こちらから行くというか,押しかけることはしないということですかね.でも,そうすると,自然と社会との繋がりはなくなって行くんだと思いますが,それはそれで悪くないですし,そういうことに対応できるように準備して行くということでしょうか.

 でも,これって,別にこれからの話じゃなくて,既にそんな感じですし,でも,結果として,自分からは「行か」なくても,向こうからいろんな人が「来て」くれているという状態で,それはとてもありがたい話なのですが,それがずっと続くと思うなというか,続けるために自分から「行く」なってことですかね.

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[駅直結とかショッピングモールとか商店街とか]

 でも,そういう状況で,具体的にどういうところに住むかですね.いわゆる終の棲家でしょうか.

 そういう点で,横浜駅直結のタワマンは(タワマン,つまり,超高層じゃなくて中高層以下の方がいいけど)悪くない気がします.駅直結ということなら,家の中を移動できるのなら駅までも何とか行けて,そこからは電車が運んでくれるわけですからね.でも,横浜駅には新幹線は停まらないので,横浜駅より新横浜の方がいいですかね.

 でも,横浜駅構内というか,駅ビルがどんなだったかはよく憶えてないのですが,買い物とか食事ができるところがあれば,ずっと家の中にいるよりは,多少の気分転換にはなるでしょうね.

 もっと具体的に言えば,東京駅は極端としても,大宮駅,熊谷駅直結のマンションがあればってことなんですが,熊谷にはあって,でも,一度行ってみたんですが,熊谷の駅ビルは巨大ですが,あんまり使えない感じでした(特にスーパーがしょぼかった).

 でも,リタイアしたら電車に乗って出かけることはそんなにないでしょうし,最終盤ならなおさらなので,駅直結である必要はなくて,郊外でも買い物や食事ができるところがコンパクトにまとまっていて,そこに直結してればいいわけですよね.ショッピングモールはあまり好きではないのですが,そこに直結したマンションってことですが,どっかで書きましたが,そういうの意外とないですよね.車を買わせるのが目的の一つですからね.

 そういう意味では,これもどこかで書きましたが,商店街の中に高齢者向けマンションとかがあるというのが現実的ですかね.確か高松にはあるんですが,イメージとしては,大阪とかにもありそうな気がします.

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1/28'22
[重大な岐路]

 寝たきりになってもいいというのは極端としても,行くのもやるのもめんどくさいならバドミントンとかスキーとかやめちゃえばいいし,家の中で要介護にならないように適度に体を動かしながら内的熟達的に生活して行けばいいというのは,重大な岐路のような気もしてきました.

 老後の生活に適合するために「精神(心)が先行している」のかどうかはともかく,疲れたら休め(体や心を壊さないように休むために疲れさせて休むように仕向けている)とか,50を過ぎて体調が悪くなったのも,病気になる前に無理をさせないように有能なセンサーが働いていたのかもというのと同様に,こんな歳になって,バドミントンとかスキーとかやってると大怪我して,それこそ一瞬にして要介護になるぞとこれまた有能なセンサーが信号を発しているのかもしれませんし,それならそれに従った方がいいのかもしれません.

 実際,バドミントンもスキーももうそんなにやってるわけではなくて,やめることで仕事のように莫大な空白な時間が生じるわけでもないので,適度に体を動かしさえすれば,やめても実質的な支障はそんなにない気がしますし,細々とでも続けようとすると,頻度が落ちて却って怪我する確率が上がる気もするので,やめるのならすぱっとやめた方がいいのかもしれません.

 うーん,でもどうなんですかね? バドミントンもスキーもようやく運動原理の本質がわかってきたところでもあるわけで,それを身をもって試したい気持ちもあるんですが,体も心ももたないのならしょうがないというか,結局「間に合わなかった」ってことなんですかね.

 でも,少なくとも言えるのは,体や心が嫌がるのを無理くりやる気を起こしてまでやることはない,逆に言えば,その気になれば,その気になった分だけ(怪我に注意して)やればいいってことでしょうか(そういう意味ではピアノもそうか).

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 一方では,一般的に言えば,若さを保つ秘訣(笑)は,より活動することだったり,人との繋がりだったりするわけで,もちろん,自分自身の問題なので,一般的にどうかとか,ましてや若さを保つ秘訣(笑)とかはどうでもいいんですが,どんなことでもいいから欲を感じるのは大事な気がします.

 プリミティブなこととしては,食欲や性欲や睡眠欲は,やはり,重要です.次に来る報酬やお金あたりはどうでもいいんですが,その次に来る,人との繋がりや評価はある程度はあった方がいいんですかね.でも,一番重要なのは,さらにその次に来る内的熟達で,これがあれば,最初の食欲や性欲や睡眠欲,そして,これもプリミティブということで,体や脳がちゃんと動いて要介護にならなければ,何とかやって行けると思うんですよね.

 問題は,内的熟達のところ,つまり,何をやるにしても,それ自体を(報酬とか評価とか人との繋がりとか関係なく)面白い,やってて楽しいと思えるかで,このメカニズムが未だによくわかりません.具体的には,面白い,やりたいと思うことがあっても,そう思わない時もあるし,気持ち的にバドミントンやスキーをしたいと思ってもめんどくさいが勝ってしまうわけです(そういう意味では,ピアノはすぐ弾けるので,気持ち的に弾きたいと思わないことも多いってことか).

 これを「適合している」あるいは「一種の脳の衰え」と判断するかはなかなか難しいところですし,後者だとしても,じゃあどうすればいいのかというのは難しくて,一番最初の食事と睡眠のところは必須でしょうが,脳を鍛えるではないですが,考えることはバリバリやってるわけで,やっぱり,難しいですね.

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 でも,ピアノもバドミントンもスキーもやめてしまったら,ほぼ一日家にいて何して過ごすんでしょうね.研究やこのサイトや運保に加えて,準備も含めた食事や買い物とか身の回りのこととか,適度に体を動かしたりとか,テレビやインターネットを見たりとかでやって行けるでしょうか.

 でも,じゃあ,ピアノやバドミントンやスキーにどれだけ時間をかけているかと言うと,てんで大したことなくて,そういう「実害」はないわけです.

 なので,退屈を受け入れないのであれば,その時その時で,身の回りのこととかやらないといけないことに加えて,よりやりたくなくはないことをやって行けばいいってことで,それにピアノやバドミントンやスキーが入らなければ,やらないというか,自然にやらなくなるってことですかね.

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 何か違うような気がしてきました.「バドミントンもスキーもようやく運動原理の本質がわかってきたところでもあるわけで,それを身をもって試したい気持ちもある」と書きましたが,そういうことじゃないんじゃないかと.じゃあ何かというと,純粋に単純にやりたいか,やってて楽しいかってことで,これは,研究やピアノも何でも(やらないといけないこと以外のことは)同じです.つまりは,やりたきゃやる(やりたくなければ無理してでもはやらない)ってことですかね.

 でも,ただ,バドミントンやスキーをしてて楽しいならそれでいいですが,運動を洗練することでパフォーマンスが上がるのが楽しいのならそれもありですが,それが目的になるとしんどくもなるので,なかなか難しいところです.でも,私の場合,やらないといけないと思うとだめなので,ハードルを下げて,「純粋に単純にやりたいか」がいい気がします(そうでなければやらなくていいと考えるということ).

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 各論ですが,ピアノについては,出かけて行くというハードルがないんですが,逆に言えば,それでも弾く気にならなければ,ほんとに弾き気がないってことで,だったら,弾かなくてもいいってことなんですが,弾く気になることもあるわけで,じゃあ,どういうときに弾く気になるかを分析すると,演奏会前とかに弾けないところを弾けるように練習するのはだめで(ほんとにどうしようもない怠け者),逆に,最初の頃というか,譜読みをして,どんどん弾けるようになっていく,つまり,純粋に単純に指を動かすことで音楽が奏でられていく段階は,効力感が高い気がします.

 だったら,ずっと譜読みというか,演奏会とかに向けて弾けるようにならないといけないとか思って練習しなければいいわけですよね.実際,人前で弾かなければ,弾けるようにならなくてもいいわけですから.でも,そうやってちんたら?弾いてたらいつの間にかというのが目論見だったはずで,いつの間にかそういうのを忘れるというか,やっぱり難しいんですが,忘れないようにここに書いておくってことですかね.

 そして,バドミントンもスキーも同じように考えればいいってことで,それは,やはり,「純粋に単純にやりたいか」でしょうか.

 でも,最初の方で書いたように,「バドミントンとかスキーとかやってると大怪我して,それこそ一瞬にして要介護になるぞとこれまた有能なセンサーが信号を発しているのかもしれ」ないわけで,上手くなろうとガツガツやるなってことで,そう考えると,ハードルが下がる気がして,ピアノと同様,やっぱ,これですかね.

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1/29'22

 続きですが,歳をとってハードルが上がるということはありますが,そういうこと以前に,面白い,楽しいと感じるのはどういうことかという本質的なことですよね.

 よく言われることとしては,ピアノとかバドミントンとかスキーとか,それが何であっても何かを始めた頃は,どんどん上手くなったり強くなったりして,単純にやってて楽しいけど,レベルが上がって,上達が頭打ちになってくるとしんどくなってくるってことなんですが,そういうときにどうするかなわけです.

 報酬とか評価とか結果を是として辛くてしんどい練習に耐える人もいるとは思うのですが,(怠け者の)私はそれができないというか,報酬とか評価なんかより,それそのものを楽しむことの方が大事で,だとすれば,それそのものに面白さを見出すしかないわけですし,練習と試合とか演奏会とかの本番の比率を考えれば,前半が大半なわけで,そこを楽しくするのが効率がいいのは明らかです(仕事と余暇も同じ).

 でも,そこか上記のような理由で難しいわけですが,まずは,そういうものを見つけることで,それは,単純に面白い,やりたいということもありますが,やって苦痛に感じないということはあるでしょう(多くの時間を費やす仕事は特にそう).でも,それでも長くやってると面白さや楽しさを感じなくなってくることもあるわけで,その原因は,大きく2つのような気がします.

 1つは,最初に書いたようにレベルが上がってきて上達の実感が得られなくなってくることですかね.上達というような技能系でなくても,例えば,何かを収集したり,旅行に行ったりすることでも,前者なら,コレクションはそのうち収束するし,後者も行ったことがないところも減って行きます.

 でも,これは,それが何かに大きく依存していて,収集とか旅行なら終わりがありますが,学術とか芸術とかスポーツは,どこまで行ってもゴールがないところはあるわけで,要は,そういう奥行きがあることをやるべしということですかね.

 そして,もう1つは,やっぱり「飽き」じゃないですかね.生まれて初めて焼肉を食べて超美味いと思っても,それから毎日は食べ続けられませんからね.つまり,そういうことを創意工夫をすることでしょうか.ピアノは,ここ数年,そういうことをやっていて,でも,なかなかうまくは行かないのですが,客観的に見てみれば,例えば,5年とか10年前よりは,効力感をもってできてるとは思います.

 でも,ピアノなら,人前で弾くことを前提とせずに,飽きたら弾く曲を変えるとかすることができますが,スポーツはそういうことが難しいかもしれません(これも体育の授業のようにいろんなことができたらいい?).スキーならいろんなスキー場に行くとかはできますが,これも数に限りはありますし,遠くなれば,逆にハードルが上がります.

 結局は,何のためにやってるのかってことじゃないですかね.弾けるようになるため,上手くなるため,強くなるためにやってるのなら辛くてしんどい練習をしないといけないですが,そんなことが目的ではなく,純粋に楽しむためなら別に辛くてしんどい練習をしないといけないわけじゃないし,でも,そうやって練習してたら,結果的に上手く強くなるわけで,そこのところの意識の持って行き方というか,考え方なのかもしれません.

 じゃあ,どうやったら純粋に楽しめるかですが,非常にシンプルに指を動かしたら音楽が奏でられるとか,シャトルをインパクトしたり,板を自在にコントロールして滑る快感とか,そういうものだと思いますし,そのパフォーマンスを上げるためにシンプルに動きを洗練する練習を楽しいと思えるか,そして,少しでも何らかの形でも何かに近づいていると感じられるかということでしょうか.

 でも,これをよく忘れるんですよね.なので,何のためにやってるのかというか,そういうことを忘れないということでしょうか.

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[二刀流が評価されたわけではない]
(野球)

 今は2018年の4月あたりを読んでるのですが,こういう記事が目に留まりました.そして,まさに予言通り(笑)じゃないですが,昨シーズン,この記事で書いた通りになりました.うん? 何が?

 どうして,昨シーズン,大谷があれだけ注目されて評価されたのでしょうか? バッティングだけではなくピッチングや走塁でも非常に高いパフォーマンスをしたから?

 違いますよね.それは,ホームラン王争いをするくらいホームランを打ったからでしょう.逆に言えば,まさに,この記事で書いているように,ピッチャーとして15勝,バッターとしてホームラン20本,打率3割だったら,ここまで評価されてないのは明らかで,結局,二刀流が評価されたわけではなく,ホームランが評価されたわけです.じゃあ,彼はもうバッティングに専念した方がいい?

 そうは思いません.一番大きな理由は,何度も書いてますが,彼は,別に二刀流を目指しているのではなく,ピッチングもバッティングもやりたいからやってるだけの話で,結果とか評価なんかより,そういうことの方が遥かに重要だからです.

 それに,もし来シーズン,バッティングは,昨シーズンの後半のように警戒されて結果が出なかったとしても,今度は,ピッチングでブレイクしてサイヤング賞ということになれば,(二刀流なんかではなく)ピッチャーとして評価されるわけで,それはやはりすごいことでしょう(ホームラン王とサイヤング賞の両方を同時にとればもっとすごいですが).

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 こうしてみると,成功するには「たった一つのこと」に打ち込むべきというのが大原則ではありますが,大谷は,そうではなかったわけですし,それは,単に彼がそうしたいからそうしてるというのは,すごく理解できるというか,よくわかります.

 私個人的に言えば,評価とかはどうでもいいんですが,ただやりたいからやってるという意味では,いろんなことをやってるわけで,それで大して成功しなかったとも言えるのですが,成功したいとも思ってないので,それはそれでいいんですが,「たった一つ」的なことで言えば,評価されたものがあるとすれば,それは,やはり,研究なんでしょう.

 実際,研究成果に比べれば,それ以外のものは吹けば飛ぶようなレベルで(少なくとも現状ではそうかもしれないけど,これからどうなるかはわからない),だったら,成功したかったら研究だけに打ち込めばよかったというのは,確かにそうでしょう(いろんなことをやるにしても,気分転換的な趣味程度にしておくべき).

 と書いたのですが,そうなんですかね? そもそも,全ては138億年前から決まってるというか,人生一本道的に言えば,私が研究だけに打ち込むことはなかったわけですし,だとすれば,今出てる成果がある意味マックスというか,それ以上は,望むべくもなかったんじゃないかと思います.

 もっとわかりやすく言うと,やりたいことをとにかくやったらいいんじゃね,ってことでしょうか.だって,やりたいことをやることがその人間の最大のエネルギーや能力を引き出すことは間違いないと思いますからね.

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 もっと言えば,私がやったことで一番評価されたのは,研究なんでしょうか? というか,評価ということは,社会的というか,他人の客観的評価のことでしょうから,そういう意味ではそうなんでしょうが,私個人的には,違和感があるというか,少なくとも私が目指しているというか,近づこうとしているものは,そういうことではありません.

 それは,いろんなことをやる多刀流でもなく,むしろ,一刀流というか,じゃあ,その「たった一つのこと」は何かというと,やっぱり,人生を楽しむことでしょう.それが大前提にあって,そのためにいろんなことをやってるのでしょうし,いろんなやりたいことをやってる中で結果が出たものがあれば評価されることもある,ただそれだけの話です.

 でも,人生を楽しむという「たった一つのこと」は,結果に拘るというか,とにかく楽しみたいと思いますし,評価という点では,他人の評価は全く関係ない,つまり,自分が楽しいと思えればそれでOKというか,それこそ最高の評価というか結果です.

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1/30'22

 「たった一つのこと」は「人生を楽しむ」ことと書きましたが,一日経って読み返してみると,結構,恥ずい(笑)というか,そんな仰々しいことじゃないというか,実際,そんなに「ちゃんと生きてきた」わけでもないし,それは今もこれからもそうでしょうし,やりたいことをやりたいときにやるとか,やりたくないことはできるだけやりたくないとか,でも,やるべきと思ったことはできる範囲でやるとか,まあそんなところですかね.

 そんなんでは,成功しないってことなんでしょうが,別に成功するためとか「何かのために」やってるわけでも生きてるわけでもないし,でも,何とかここまで楽しくやってくることはできましたし,これからも何とかなりそうだし,こうでないといけないとか,あんまり難しく考える必要もないってことですかね.

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 でも,「やりたいことをやりたいときにやるとか,やりたくないことはできるだけやりたくないとか,でも,やるべきと思ったことはできる範囲でやる」とかだと,おそらく多くの人が「とんでもないことになる」わけで,結局,その人が何をやりたいと思うのか,やるべきと思うのかという「素養」の問題になるわけで,それじゃあ,どうしようもないじゃんってことなんですが,まあその通りですかね.

 と書くと,身も蓋もないんでしょうが,それを何とかしようと思うのかということでしょうか.

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(日記)

 途中で目が覚めてしばらく眠れずに(布団の中で)起きていても,就寝してから○時間以上しないと起床しないようにしてからもう1ヶ月以上調子は悪くなかったんですが,最近,途中で目が覚めることもそんなになくなって続けて眠れるようになったものの,それで起きるとあまり調子がよくない,具体的には,朝食後や昼食後にしんどくなったり,休日だと実際に寝てしまうこともあります.

 でも,修論とか卒論とかでいろいろ大変で疲れているとか,単なる周期的なものかもしれないわけで,よくわからないのですが,言えるのは,しんどかったら休む,眠くなったら眠るでいいんじゃないかということです.もちろん,会議とか講義とかの仕事が入っているときはそうは行きませんが,リタイアしたらそんなの関係ないわけですからね.

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(世の中)

 みんな一斉にワクチン接種とかオリンピックで国威発揚とかもそうですが,サバゲーとか鬼滅の刃とかフォートナイトとか,そういうものへの抵抗感を減らして若い人達を洗脳して,戦争の準備を着々と進めている感じがするのは私だけですかね?

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[歳をとると]

 歳をとると,いろいろなことがしんどいとかめんどくさいとかなってくる一方で,いろいろ達観もしてきて,嫌なことというか腹立たしいようなこともどうでもよくなるというか許せるというか,要は,そういう起伏がなくなって来る感じがします.

 うーん,でも,どうなのかなあ.考えてみたら,本気で怒ったこととか,ものすごくイライラするようなことは,もう30年くらいないような気もするし,そういうのは,若い頃だけの話ということかもしれませんね.

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1/31'22
[退屈は人生最大の敵ではない]

 人生所詮退屈しのぎと何度も書いてますが(というか,哲学的には,疑いようのない常識ですが),決してネガティブな意味ではなく,人生のデフォルトは退屈でつまらないものなので,それをそうでないものにするのは,自分自身ということです.

 で,もうすぐ最大の「退屈しのぎ」である仕事を失うわけで,そうすると,多くの人が退屈になって,デフォルトである退屈な人生になってしまうってことなんですが,よく考えてみたら,退屈だから(退屈だと思うから)助かってるんじゃないですかね.つまりは,どこかで,(人生の)最大の敵は退屈と書いたと思いますが,そうじゃないってことです.

 もし,仕事をやめて,やることがなくなって退屈になったらどうしますか? 特に何をするでもなく,ぼーっとただ時間が過ぎてお迎えに来るのを待つ? それも捨てがたい(笑)ですが,それで認知症とかになって周りに迷惑はかけたくないですし,やっぱり,退屈だと思うんじゃないですかね.

 そして,退屈だと思うのなら,それを解除するしかなくて,だったら,何でもいいから何かやるしかありません.つまり,退屈だと感じる感情に助けられるんじゃないかってことです.

 もちろん,そこで何をやるかが重要なのは,リタイア前後に関わらずなわけですが,とにかく「退屈だ」と思ったら,何でもいいからやりたいことをやれるというありがたい話なわけで,逆にぼーっとしてても「退屈だ」と思わなくなったら,かなりやばいというか,認知症へまっしぐらってことかもしれません(そういう意味では,究極的には,認知症防止のために何でもいいから(頭や体を使うことを)何かやるってことでもいいのでしょう).

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[楽しむ力]

 このあたりの話ですが,結局,やっぱり,「楽しむ力」というか,楽しもうとすることなんでしょうね.

 もちろん,やりたいことならやるんでしょうが,今日はやりたくないなというときに,とにかく我慢してやるのではなく,そもそも,どうしてやりたいと思ったか,楽しいと思うかをよく考えて,そこに意識を集中して楽しもうとするということでしょうか.そして,これは,やりたいことをやりたくないときだけではなく,(仕事とか人間関係とかで)やりたくないことをやらないといけないときも同じです.

 まず使えるのは,やはり,やる気三要素で,それそのものを楽しめるか(内的熟達),次に人との繋がり(誰かといっしょにやることで楽しめるか),そして,最後が報酬(評価とか,これで給料もらってるんだから仕方ないとか)でしょう.

 やる気三要素がこの順番であることは,何度も書きましたが,やる気になれば何でもいい的には,時と場合によって,使い分けるというか,合わせ技的でもいいでしょう.

 でも,重要なのはやはり内的熟達で(リタイアすれば,人との繋がりは少なくなるし,稼ぐために働く必要もなくなる),ここをよく考えて,とにかく楽しもうとすることなんでしょう.どんなに単純でつまらなそうに見えるものでも,何らかの技能はあるものですし(例えば,封筒に紙を折って入れるのならどれだけ綺麗に早く折れるかとか),そういうことに比べたら,技能系のものは,元々そういう要素はあるわけですからね.

 例えば,ピアノなら,本来は表現したい音楽を表現することなんですが,それがしんどいときは,プリミティブに指を動かして音を並べる,弾けるようにならないといけないと思わずにゲームのようにただ音を並べることを楽しむとかするのも一法でしょうし,それは,バドミントンでもスキーでもゴルフでも同じでしょう.

 体がしんどくてハードルが高いのなら,体調を整えることが先で,それには,まず睡眠と食事でしょうし,しんどいときは,無理しないことも大事でしょう.そういう意味では,座りすぎず,ある程度,体を動かすことも重要ですね(そして,これも楽しむ対象).あとは,やりたいないことをできるだけやらずに疲れやストレスを溜めないことなんですが,どうしてもやらないといけないこともできるだけ「楽しむ」ことができたら,疲れやストレスも軽減するということでしょうか.

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