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12/1'21
[死ぬのがめんどくさい]

 死ぬときのことですが,自分で何とかする方法はないものでしょうか.誰かに気づいてもらうようにしておくとしても,その人に迷惑がかかるわけですし,それは,事後処理も同様です.

 非常に極端なことを言えば,全てを始末した状態で死ねばいいわけですが,全てを始末したら生きていけないので,その時点で死なないといけないわけですが,自死はだめなので,これは難しいですね.

 全てを始末まで行かなくても,極限まで,生きて行ける限界まで荷物を減らしてということなら現実的ですし,これは,これからの生き方そのもの,つまり,死ぬときではなく,今からでも荷物はどんどん減らして行けるわけですし,実際に既にそういうモードに入っています.

 荷物は何とかしたとしても,問題は自分の遺体の処理,つまり,どこで死ぬかですよね(ほんと生ごみで捨ててもらえるのならいいのに).自宅で死ねれば最高ってことなんでしょうが,本人が最高な分,回りには迷惑をかけることになります.一番,回りに迷惑をかけないのは,やはり,病院とか施設なんでしょうね.具合が悪くなって,救急車を呼んで病院に運ばれて死ぬってのが現実的ですが,具合が悪くなって,自分で救急車を呼べるかってこともありますし,具合が悪くなるってことは,穏やかな死というか,寝てる間にいつの間にか死んでたという最高の死を放棄しないといけないんですが,どのみち,そんなこと制御できないわけですから,議論しても意味ないですよね.

 つまりは,リタイアした後,「どういう状況で生活して行くか」ってことなわけで,施設とまでは行かなくても,見守りというか,そういうサービスが付いた高齢者住宅に入居する,少なくとも,夜寝るときはそこで過ごすのが現実的なんですかね.

 あるいは,セキュリティー会社の見守りサービスとかですかね(例えばこれ).でも,これは,具合が悪くなった時にボタンを押すと駆けつけてくれたり,家の中にセンサーを設置して,反応がなければ,家族に連絡が行くようにするものなので,家族には迷惑がかかるのですが,家族なんだから迷惑かけてもいいじゃんという考え方は私は嫌いです.でも,考えてみたら,私が死んだら家族には何某かの遺産は残るわけで,つまり,「そういう側面」もあるわけです.

 なんだよ,結局,お金の問題かよってことですが,だったら,逆に家族でなくても,例えば,遺産の1/10あげるから(遺書にそう書いておけばいい),何かあったときによろしく,という契約も成立するわけですよね.

 とかいろいろ考えると,ほんとめんどくさいですよね.まさに「死ぬのがめんどくさい」という心境です.でも,必ず死ぬので,そのめんどくさいことを必ずやらないといけないわけです.あーほんとめんどくさい.

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 もし,私に子供がいたら,あるいは,配偶者と同居していたら,こんなめんどくさいこと考えなくてもいい?

 でも,配偶者は,どちらかが先に逝くわけですし,だったら,先に逝けばいいというのは,まさに自分勝手な話でしょう.

 子供がいたとしても同様で,つまり,子供がいるから安心ということは,その分,子供に負担をかけてるわけで,頑張って育ててやったんだから恩返ししろなんてのは,これまた自分勝手な話です.

 そもそも,誰かと同居していたら,もちろん,楽しいこともあるでしょうが,めんどくさいこともあるわけで,私の場合,「一人,時々,みんな」がいいので,基本一人で生活したいわけで,死ぬときのことを考えて,それ以前の何十年になるかもしれない時間を快適に過ごせないのは本末転倒です.

 もっと言えば,誰かと同居したいのだとすれば,その理由は,自分に何かあったときのためではなく,いっしょに住みたい,生活したいからであって,それなら,同居人は,別に家族でなくてもいいわけで,要は,問題が全然別ということですね.

 つまりは,本来は,死ぬのは非常にめんどくさいことなわけで,もしめんどくさくない状況にあるとしたら,それは,誰かに負担をかけてるということで,そんなことするくらいなら,めんどくさいことを引き受ければいいということになります.

 ただ,自分が死ねば,配偶者や子供に負担はかけるのですが,遺産は行くわけで,そこで(非常にドライな)give&takeは成立してるんですが,そうは考えたくないですよね.逆に,業者に何某かのお金を払って,あるいは,家族でない人に遺産が行くようにして頼んでおくという方が現実的な感じはします.

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[批判的に考える]

 自己啓発本なんか読んでも意味ないと書いたと思いますが,イチローがこういうことを言ったとか,大谷がこういうことをしてるとかいうのも同じですね.そもそも,どうしてみんな人の真似をしたがるのでしょうか? 成功した人の真似をしたら自分も成功すると思ってるわけ? そんなことで成功するなら,簡単な話で,みんな成功するってことじゃん(そんなことだから,ほとんどの人は成功しないってことですよ).

 結局,その人の話なわけで,同じことをしても成功するとは限らないし,そもそも,既に存在する,「有限」な人をお手本とかにして,そういうのを目指すというのがしょぼすぎませんか? だって,100%うまく行ってもその人は越えられないのですから.

 もっと,自分の頭で考えましょうよ.

 でも,人が言うことを「材料」にして自分で考えるのは,まあ何とかありですかね.でも,そういう場合は,「批判的」に考える必要があります.つまり,イチローはこう言ったけど,それは違うんじゃないかとか,彼はそれでうまく行ったかもしれないけど,自分はそれではうまく行かない,自分はこうしたい,みたいなことでしょうか.

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[愛とは許すこと]

 愛とは許すことと言った人がいました.なるほどねー.

 つまりは,自分の好みのタイプはこうとか,こういう人が好きとか,結婚の条件はこうとか言ってるってことは,「愛がない」ってことですね.

 全然好みのタイプじゃないし,結婚相手の条件も満たしてないけど,なんか気になるというか,こうあって欲しいという条件を全然満たしてなくても,欠点だらけでも好きってことが愛してるってことなんですかね.

 もしほんとにそういう人がいたら,ある意味,ほんとに無敵ですよね.だって,その人の本性があらわになっても,それがどんなにしょぼくても,許せちゃうわけですからね.

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12/2'21
[一度は通る道?]

 自己啓発本を読んだり,成功者の言うこときいたり,行動を参考にしても意味ないと書きましたが,一度は通る道かもしれませんね(とどこかで書いた気もするが).実際,私も大学1, 2年の駒場時代,渋谷の(昔の)東急プラザにあった紀伊国屋に行って自己啓発本みたいなものを買ってよく読んでましたからね.でもまあ,何かの役に立つというよりは,単に読むと面白いという趣味みたいなもんだったかなあ.

 で,思い返すと,ほんとに何の役にも立たなかったと思います(なので,まさに趣味).つまりは,一度通る道とも言えますが,通るのならさっさとクリアして,早い段階で「気づく」こと,そして,通らないで済むのなら,それに越したことはないということでしょうか.

 でも,そんなこと言ったら,このサイト自体も自己啓発的な要素はあるわけで,言ってることが矛盾してるじゃないかということなんでしょうが,その通りです.つまり,このサイトも含めて「批判的に」,つまり,鵜呑みにするのではなく,とにかく自分の頭でよく考えることだと思います.つまりは,考えるきっかけになるというくらいのことでしょうか.

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[本郷バレー]

 これからは優秀な人は,大企業に就職するのではなく,スタートアップを目指すべきということが最近よく言われています.要は,日本を代表する大企業なんかより,アマゾンとかグーグルとかのスタートアップの方が全然すごいことになってるじゃないかということなんでしょう.

 今朝のMーサテでも東大の先生が東大周辺の本郷でスタートアップが増えていて非常に活気がある状態になってると言ってました(本郷バレーと呼ばれてましたが,本郷ってバレーじゃなくて,台地の上なんですけどね(笑)).でも,上の話じゃないですが,そのまま鵜呑みにしていいわけはありません.

 最終的には,個を犠牲にして社会や人類を繁栄させる仕組み(罠)まで行くのですが,そこまで行かなくても資本主義というか,投資家目線で言えば,極めて優秀な東大生が100人起業して,そのうちいくつか成功すれば御の字なわけですからね.

 つまり,起業する側からすると,まさに使い捨てされる立場なわけで,もちろん,一度失敗しても再チャレンジすればいいんですが,そういう(何度も書いてる)「相手の都合」「社会の都合」があることをちゃんとわかった上で行動しないといけないということです.

 でも,もっと重要なのは,やりたいことが何かってことですよね.例えば,研究者ならどうでしょうか? 研究で飯が食って行けるように,金になる研究テーマを選んでいろいろめんどくさいことをして事業にすることがやりたいこと? それって研究じゃなくてビジネスじゃないですか? 同じことは,芸術でもスポーツでも言えて,反田さんがピアノを弾くこと以外にやりたいことはそういうことなんでしょうし,プロスポーツの枠組みを作るのも然りです.

 もちろん,やりたいことは人それぞれなので,そういうことをやりたい人,やり甲斐を見出せる人なら(大きな報酬が得られる可能性も含めて)それでいいと思いますし,そういう人がいるから,学術や芸術やスポーツで何とか食っていけるというありがたい話なんですが,研究がしたい,ピアノが弾きたい,プレーがしたい人がそういうことに手を出すと,ほんとにやりたいことができなくなるということを肝に銘ずるべきということです(そう思わないのだとしたら,やりたいのは,研究や芸術やスポーツではなく,ビジネスだということ).

 そして,特にやりたいことはない,あるいは,あるけど,それで飯を食っていけるわけではないという場合も同様ですね.

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[私のやり方]
(ピアノ, それ以外)

 ピアノなんですが,新しい?取り組み方でまだ何とかある程度弾いていますが,弾いてる曲は,大分変化してきました.具体的には,ここで書いた曲はもうあんまり弾いてなくて(ほんと三日坊主),違う曲を弾いてます.具体的には,スクリアビンのプレリュードの最初の曲とトゥールのソナタの第1楽章の短縮版とヴィラ=ロボスの野性の詩の最初の部分と春祭の最後の部分ですが,理由としては,なぜかこれらの曲を弾く気になったからです(どれも過去に弾いた曲で,スクリアビン以外は演奏会に出したこともある).

 なので,これらの曲も弾く気がなくなったらまた放り出すんでしょう.でも,ここで書いた曲も含めて,「リスト入り」はしたので,どのくらいの期間弾いてないかの管理をして,時々,忘れない程度に,月一くらいでは(ここは少し頑張って)弾いて行こうと思っています.あと,メトネルの悲劇的は頻度は少し落ちましたが,まだ弾いてます(でも,聴く方は,メトネルのピアノソナタ熱は冷めつつありますし,Op.22のソナタも今の感じだと悲劇的に加えて弾こうという気にはならないですかね).

 こんな感じで,弾きたいと思う新曲がなくてもう厳しいということなら,既に弾いた曲も対象にして,そうすると全くの新曲よりは技術的ハードルが下がるわけで,そういうことも全部含めて,結果的に相対的に弾く気にならない度が低い曲が多く弾かれることになって,何となくレパートリー化して行けばってことでしょうか.

 でも,こんな三日坊主的なことでは,ものになる曲なんかないでしょうし,ほんと大したことにもならないと思うのですが,まず,ピアノを弾く気にならなければ話にならないわけで,そういうことから,結果的に結果最大になる「私のやり方」でやってるってことですかね.究極的には,演奏会で弾かないといけない,ピアノが上手くならないといけないということもなわけですし,それは,ピアノ以外の全てのことについても言えることです.

 そして,基本的にそういう感じでやってきたわけで,実際,大したことにはなってないんですが,自分の中では充分に楽しめたし,幸い評価してもらったところもあるわけで,こんなんでうまく行くなんてうまい話があるわけないというよりは,やはり,やり方は人それぞれで,成功したいのかそんなことどうでもいいのかも含めて自分で考えるってことですかね.

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[片付け再開]
(生活)

 こういうことを考えたのがきっかけかどうかはわかりませんが(でも,そうだとすると,こういうことを考えるのも悪くない),少し片づけ始めました(でも,前の引っ越しの時もそうだったけど,引っ越して1年くらいして,ようやくまた片付ける気になったので,そういうことかも).片付けは,引っ越す前に相当やりましたし,引っ越した時も体制作りも含めてある程度はやったのですが,まだまだですし,気づいたら次の引っ越しまでもう〇年もないわけですからね.

 問題は,やはり,持続性でしょうか.その気になったとき一気にやるのでもいいですが,それより,少しずつ持続的にやった方が進みますからね.実際,こっちに来る引っ越し前はそうでした(1年以上かけて少しずつやった).そのために必要なことは,そういう「システム」を作ることでしょう.

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[急に面白く]
(このサイト)

 このサイトの読み返しですが,今は2016年の真ん中あたりで,あんまり面白くないと書きましたが,急に面白くなりました(笑).要は,新しく面白いことを思いつくときとそうでないときがあるってことでしょうが,まあそれはそういうもんですよね.

 でも,問題は,別段新しくもない,既に書いたことをどうしてまた書くのかですが,日記なら,その日に思ったことを書くわけですし,その時,読む人が(そして,私も)過去の記事を全部憶えてるわけじゃないので,ということなわけで,まあしょうがないんですかね.

 でも,多分ですが,記事の多くが既出ということでも,どこかに少しでも新しいことはあるんだと思いますし,だから,わざわざ書くんだとは思います.

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[陣取り合戦]

 次にどこに住むか,そして,終の棲家はどこになるかですが,そんなことより,そもそもが陣取り合戦だったような気がします.具体的には,これもどこかで書きましたが,例えば,都心の駅近に住みたいと思っても(いくら金を積んでも)物件がないわけで,それこそ,全く資産価値のないタワマンが関の山なわけです.

 じゃあ,私の「陣地」はどこだったかというと,元々は大牟田の明治町の家で,ここはかなり大きくて,西鉄大牟田線の特急が停まる駅(新栄町)にも近いし,バス停は真ん前だし(そこからバスに乗る夢を今でもよく見る),なかなかの物件だったんだと思います(ちなみに父も私も長男).

 でも,私が小二のときに父が福大に移籍して,家を建てて引っ越し,ここが次の陣地になりました.ここは,当時は,天神までバスで40分以上かかる郊外の住宅地だったんですが,今は地下鉄が通って天神まで20分かからないし,駅にも近いし,便利なところなんでしょう.

 でも,ここも高速道路がかかって立ち退きということになりました.それは,普通に考えれば,残念なことだったんでしょうが,結果として,バブルの最高値で売り抜けたわけで,うまいことやったわけです.実際,同じようなところに今家を建てても当時より全然安いでしょうからね.

 こんな感じで,経済的にはうまくやってきたんだと思いますが,気づいたら自分の「陣地」がなかったわけです.どうしてこんなことに,というよりは,そういうことがわかった上で「実」をとったということですが,問題は,じゃあこれから「陣地」を得るのか,このまま行っちゃうのかってことです.

 心境としては,このまま行きたいですが,いろんな事情から,そうも行かないかもしれません.じゃあ,どこに「陣地」をと言っても,決め手がないというか,どこでもいいという変ですが,まあそういうことです.でも,何かどうも落ち着かない感じはありますかね.

 でも,実家があっても,親がいなくなったら空き家同然みたいなことが多いことを考えると,負の遺産がない方がいいってことなんでしょうから,「何かどうも落ち着かない感じ」という本能的なことに惑わされないってことなんですかね.

 実際,都心の駅近物件はないとしても(でも都心の駅近に住みたいとも思わないけど),そこそこの,例えば,都心に電車で30分の駅近物件なら何とかありそうですし,タワマンはだめですが,普通のマンションならいくらでもあるでしょう.でも,タワマンはもちろんですが,普通のマンションも買いたくないし,土地を買って家を建てるのもめんどくさいなあ.

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[野党が再編]
(政治)

 R憲M主の代表が決まったようですが(でも,代表=総理のJ民の総裁選とは全然違ってほんとどーでもいい感じ),この政党どうするつもりなんですかね? 今の左寄り路線では政権なんかとてもとれないと思いますけどね.O沢さんが目指した二大政党制は,アメリカのような保守の二大政党で,今の日本に社会主義はありえないし,ましてやK産党と組むなんて問題外でしょう.

 そういう意味では,I新の方が可能性はあると思いますが,大阪色が強いのがねー.J民党は割れそうにないし,こうなったら,野党が再編して保守勢力を中心にまとまるしかないですかね.

 そうするとJ民との対立軸は何ですかね.個人的には嫌ですが,北欧のような高福祉高負担はどうでしょうか.でも,今の与野党総バラマキの衆愚状態では,とてもじゃない感じですよね.

 じゃあ,逆に低福祉低負担? 個人的には,これがいいですが,最後はお上が何とかしてくれるというどうしようもない国民感情からすると,選挙で勝つのは難しいでしょうね.

 だとすると,国会議員や政府も身を切った上ての,財政健全化路線でしょうか,これって,I新が言ってることですよね.つまりは,無責任に口当たりのいいことだけ言うのではなく,ない袖は振れないという正直ベースでどうかってことですかね.

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12/3'21
[見いだせてない]

 報酬より人との繋がり,人との繋がりより内的熟達とずっと書いてきましたが,多くの人は,全く逆,つまり,内的熟達より人との繋がり,人との繋がりより報酬なんですよね? それの意味することとしては,やっぱり,興味がもてること,やりたいことが見いだせてないってことなんじゃないでしょうか.

 例えば,ピアノを弾いてて楽しいからピアノを弾きたい,弾きたい曲を弾きたいからうまくなりたいと思ったとします.野球とかサッカーとかバドミントンとかのスポーツでも,研究でも同じですね.

 でも,練習しててしんどい,研究しても思うような結果が出ないとかなると,こんなに頑張って練習とか研究してるの何か意味あるの? ピアノがうまくなっても,バドミントンが強くなっても,研究成果出しても,(そんなに)金になるわけじゃないし,みたいなことになってくるわけです.

 そこが分かれ道なんですが,だったら,最初から興味がもてることじゃなくて,報酬とか評価とか,見返りがあることをやるよってなる人が多いってことなんですかね.それはそれでありだと思いますが,それだと,やりたいことをやってるわけではないってことですね.ほんとにやりたいことなら無報酬でも無評価でもやるわけですから(食べて行くのにお金は必要だけど,それ以上は要らない).

 そして,そういうことを見つけることが(愛する人がいることとともに)最大の喜びというか,人生の成功だと私は思うのですが(リタイア後もまさに無敵),まあ,人それぞれですかね.

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[運用する元手は必要]

 次にどこに住むか,そして,終の棲家はどこになるかですが,今のところを定年でクビになった後,何かいい仕事があれば,ホイホイ受けるでしょうから,その場合は,職場の近くなど,その仕事がしやすいところということで,今までと何も変わりません.でも,そこもいつかまた定年?でクビになるわけで,時間の問題なわけですし,そもそも,そんないい話がそうそうあるわけありません.

 そうすると,結局,〇年後の定年でどうするか考えておけばいいわけで,何となく,とりあえず,(家族や友人の多くがいる)東京から電車で1時間以内のURか民間の賃貸マンションに入って,そこでよければずっとそこでよくて,もっといい環境がよくて,かつ,その気になれば,似たような条件のところで,家を建てるってことなんですかね.

 この歳になって家を建てるなんて,と思いますが,現金抱えて死んでもしょうがないわけで,そうすると,結局,お金の問題というか,いくら手持ちがあるかということになってきます.

 でも,私の場合,年金と合わせて今の生活をキープできるお金を生み出せる元手は必要で,つまりは,それ以上の「余剰金」があるかってことですね.そして,それは,まさに運用結果次第ということです.つまり,運用して年金と合わせて今の生活をキープできるお金を生み出せる以上の資金が得られたら考えればいい,そうでなければ,ない袖は振れないでいいってことですかね.

 もちろん,家を買えば,家賃は要らなくなるので,そういう「やり方」もあるとは思いますが,私の場合は,そういう「やり方」はしない,つまり,経済的なことが理由で家を買うことはないということです(資産の一部を長期的に価値が低下して行く持ち家ではなく,もっと効率的に運用できるものにするということ).

 じゃあ,年金と合わせて今の生活をキープできるお金を生み出すための資金はいくらかですが,それは割と明確なイメージがありますし,既にそのくらいの額はあります.もちろん,運用なので資金が減ることもありますが,そういうことも考えた上での数字です.

 逆に言えば,今のままでは,それ以上の「余剰金」はないので,家は建てられないということになります.そして,それはそれでありでしょう(逆にどこかほっとする).でも,今から〇年の間に運用で資金が増えたら,家を建てることも考えていいってことですが,そうでなければ,(運用する元手は必要なので)家は建てられないということでいいと思います.

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12/4'21
[なっておかないといけない]

 内的熟達で「一人,時々,みんな」でやって行きたいと再三書いています.(私は)それがバランス的にちょうどいいってこともありますが,あと〇年すると定年で仕事を失うので,その準備をしないといけないということもあります.でも,今は仕事をしているので「一人,時々,みんな」でやって行きたいとと思うくらいでちょうどいいですが,仕事がなくなると,もっと「みんな」が必要になるのかもしれません.

 そもそも「みんな」ってどういうことでしょうね? 職場だと誰かと仕事をしていれば「みんな」なんでしょうが,そういう仕事ばかりではないでしょうし,ずっと「みんな」でもしんどいと思うんですよね.

 家だと誰かといっしょに住んでるのが「みんな」なんですかね? でも,四六時中いっしょにいるわけじゃないというか,それだとしんどいと思いますし,それこそ,仕事とか用事とかで出かけているとか,家にいても自分で何かしている時間も多いでしょうし,晩ご飯とその後の何時間かで話をするくらいがせいぜいというか,そのくらいがちょうどいいんじゃないですかね.

 そういう意味では,私は今はちょうどいいですが,仕事をやめれば,「一人,時々,みんな」の「一人」の時間が今より増えるでしょう.つまりは,今は「一人,時々,みんな」でいいけど,〇年後は,「一人でも大丈夫」になっておかないといけないってことなんですかね.

 うーん,それはちょっとしんどい気もしますが,背に腹は代えられないというかやるしかないってことなんですかね.

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[決定的に何かが足りない]

 でも,こうしてみると,仕事を失うというのは,やっぱり,大変なことで,しかも,年老いて,心も体も衰えて行くわけで,あたらめて厳しく過酷な状況になって行くことを思い知らされます.ここまでそこそこうまくやって来たというか,正直,出来過ぎだとも思うのですが,これからはそうは行かないというか,少なくともこれまでのような考え方ではだめなのは明らかです.

 人生にはいろんな節目があるんでしょうが,やっぱり,一番大きな節目は,定年というか仕事をやめることなんでしょうね.ちゃんと就職した人は,就職も大きな節目なんでしょうが,私の場合,学生の延長みたいなものですし,ちゃんと就職した人にしても学生時代は,社会に出て働くための準備を考えれば,それらは一貫したもので,それが突然終わるわけですからね.

 もちろん,今の仕事を失った後も,他の仕事でも仕事以外にやってることでも,社会とか人との繋がりとか,心とか体の状況とかをできるだけ何とかするということはあるかもしれませんが,それで解決するわけではなくて,例えば,もし私に子供や孫がいて,昔のように大家族でいっしょに暮らしているとしても,あるいは,自分の会社をもっていて死ぬまで働ける状況だとしても,それは,必ずしも私の望む状況ではないわけで,要は「解がない」というか,どうやっても厳しいというか,八方塞がりな感じがするんですよね.

 いや,別に多くを望んでいるわけではなく,何とか自活できる心と体を維持して,普通に生活して行ける経済力,何でもいいのでやってて楽しいこと,そして,「時々,みんな」程度の人との繋がりがあれば,ってことなんですけどね.

 こうして書いてみると,何とかなるような気もするのですが,やっぱり,決定的に何かが足りない感じがしてしまうのは何なんですかね?

 まあでも,人生所詮退屈しのぎで,どう生きて行ってもいいし,いつかは終わるわけで,相対的にその気にならなくはないことをできる範囲でやって何とか過ごして行けばってことですかね.

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12/5'21

 何が足りないかは明らかでしょう.でも,これは自分ではどうしようもないので,そういう中でどうするかというか,現状を受け入れて何とかやって行くしかないということでしょう.

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[そういう練習に効力感]
(スポーツ)

 日ハムの新庄監督が毎日地道でつまらない練習を我慢して続けることと言ってました.そうなんですが,そういう練習をつまらないとかただ辛いと思って我慢してやるのではなく,そういう練習に効力感を見出せるかだと思いますけどね.

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[そういう練習]
(スポーツ)

 というわけで,ではなくて,そういう練習をして行こうというか,既にそんな感じでやっています.バドミントンについては,日常生活は問題ないのですが,少し走ったりフットワークをしたりすると右膝が痛いので,今は練習に行くのは無理ということもありますし,練習に行く気にならないということもあります.

 なので,動かせる範囲で動かす「そういう練習」になると思いますし,感触としては,バドミントンは基本的にもうやらずに,体を整えるというか「そういう練習」中心でやっていくというか,またプレーできる機会が得られたときのための準備という感じにしようかとも思っています.

 ゴルフは,こっちに来て,やる機会が全くなくなったんですが(でも,向こうにいても今はまだこういう状況なのでどのみちできなかったか),いっそ腹をくくって,(練習場にも行かず)とにかくフォーム作りをしてみようかと思っています.そんなつまらない練習,ってことはなくて,とにかく安定して球にヘッドを当てるために多次元的にいろんなことを同時にやらないといけませんからね.

 スキーは,出かけないとどうしようもないのですが,これはもう既に「そういう練習」になってると思います.

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[一体何しに来た?]
(研究)

 ○暦というのは,何の感慨もないのですが,気づいたら定年まであと○年余りという方が圧倒的に大きいです.こっちに来て1年以上が過ぎて,もうそんな状況なんて,一体何しに来たんだ?って感じです.

 筑波大の研究室は,今年で終わりなんですが,修了がやばい学生もいるし,こっちの卒論も全然進まないし,一体なんなんでしょうか.こんなんじゃもう研究も「一人でも大丈夫」に向かって準備して行けってことですかね.

 でも,まだ○年はあるとも言えるので,できるだけのことをするしかないのですが,やることは,研究しかありません.ていうか,研究するために来たんですからね.あとは,とにかく論文を書くことですかね.

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[一番難しい]

 仕事を失うとかそんなことより,人生の最晩年をどう過ごすかってことですよね.死ぬ直前まで何とか自活して暮らすのが理想なんでしょうが,それは,非常に難しいのでしょうし,それができたとしても,回りに迷惑をかけないことを考えれば,死ぬ直前まで何とか自活して暮らしていて死んで誰も気づかないより,具合が悪くなって入院して死ぬという方がいいんでしょうしね.

 何とかするしかないんでしょうが,やっぱ,どう死ぬかが一番難しいですね.

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[完全に蚊帳の外]
(世の中)

 メディアとかインターネットとか見てると,ありとあらゆることがまさに今世の中で活動している人向けなわけで,当たり前のことかもしれませんが,リタイアしたらもう対象外というか,完全に蚊帳の外なわけで,そして,私ももうすぐそうなるわけです.

 でも,そういう人が全体の何割というの実情なわけで,それでいいんですかね? 金儲けしたいのなら,金もってる年寄りをターゲットにした方が儲かるってことはないの? でも,年寄りって金使わないんですかね? 孫には使うから,孫をターゲットにした方がいいことか.

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12/6'21
[「一人でも大丈夫」が基本]

 リタイア後に加えて,最終的には死ぬときのことなんですが,多くの人はそこまで考えてないんでしょうか.いや,何となくは考えてるけど,自分の方が先に逝くとか,子供がいるから大丈夫とか,そんな感じ? でも,自分の方が先に逝くとは限らないし,子供がいても負担はかけなくないですよね?

 いや,他の人のことは関係ありません.私がどうかなわけで,私には今はまだ家族がいますし,子供はいませんが,もし同世代の中で生き残ったのが私だけになってしまって,私に何かあったときに連絡が行くであろう下の世代の親族もいますが,余計な負担はかけたくないと思ってしまいます.

 いや,負担をかけたくないのなら,さっさとそういう施設に入ることで,そう考えている人も多いんだと思いますし,それはそれで立派というか,ちゃんと考えてるということでしょう.でも,私はそういう施設には入りたくないわけで,要は,わがままってことですかね.でも,迷惑はかけたくないので,何とかしようと考えてるわけです.

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 やっぱり,(非常に難しいとは思いますが)「一人でも大丈夫」が基本なんでしょうね.それは,リタイア後,一人でも退屈しのぎができるということもありますし,死ぬ直前まで要介護んならずに自活できるということもあります.もちろん,「一人,時々,みんな」がいいので,「みんな」を排除するわけではありませんし,完全に「一人でも大丈夫」は不可能でしょう.

 でも,基本的に「一人でも大丈夫」でないと「みんな」に迷惑をかけることになると思うんですよね.それは,要介護にならずに自活できるということもありますが,自分が会いたいと思ったときに相手も会いたいかどうかはわからないし,もっと言えば,夫婦も従属し合うのではなく,それぞれ自分のことは自分でやるのが原則の上で助け合うというのがいいと何度も書いてきましたからね.

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 あと思うのは,どうして家族や親族じゃないといけないのかってことです.それが選択の幅を著しく狭めてると思うんですよね.信頼できるのなら,別に家族や親族じゃなくてもいいと思いますけどね.遺産が行かないということなら,遺言書に書いておけばいいと思いますしね.でも,家族や親族以上というところまで近しい関係になる人はそうそういないってことなんですかね.

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 関連するのかもしれませんが,「引き継いでおきたいこと」があります.研究については,研究に対する考え方とかいうことはないこともないですが,何をやるかは,当人がやりたいと思うことをやることが大事なので,こういうことをやって欲しいというようなことはないとどこかで書きました.

 ですから,それ以外のことなんですが,具体的に何かはちょっとここでは書けませんかね.というか,引き継いでもらえるだけの価値があるかどうかもまだよくわからないところはありますが,それだけの価値があるのなら,できれば,誰かに引き継いでもらえればとは思っています(が,これも誰も引き継いでくれなけば,それまでの話ですね).

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12/7'21
[そうすることで心穏やかに]

 「一人でも大丈夫」を目指すってことですが,もちろん,「みんな」を排除するわけではなくて,「一人で「も」大丈夫」になっておく,そして,そうしておくことが「みんな」との関係をいいものにすると思うんですよね.

 いくつか段階があって,まずは,リタイア後ですが,これは,一人でも楽しく退屈しのぎできるようにしておくことでしょう.上で書いたように,「みんな」を排除するものではなく,むしろ,「みんな」を大事にしたいと思いますが,そういうことに固執して回りに迷惑はかけたくないってことですかね.

 次の段階は,いきなり死ぬ直前というのは早い気もしますが,基本的にはそういうことです.つまりは,いくつか段階があって,と書きましたが,段階なんかないってことですね(そういう意味では,リタイア前後も基本的には変わらないはず).

 でも,歳をとって衰えて行くわけですから,それによって状況は変わります.一番大きいのは,自活できるかどうかですが,死ぬ直前まで自活することを目指すので,それができれば「段階」はないことになりますし,もし,自活できなくなったら,それが「段階」になる,具体的には,施設に入るか,経済的に余裕があれば,自宅で過ごしながらサポートを受けて,いつ死んでも迷惑をかけない体制を構築するとかですかね.

 でも,自活と言っても,どこかで書きましたが,何とか自力で食事,排泄,着替え,シャワーを浴びることができればいいと思うんですよね(買い物とかは宅配でまかなえる.最初に来るのは,どこかで書きましたが足の爪を切ることだったりして(笑).しっかりストレッチしないとですね).

 あとは,やはり,何と言っても脳力の維持でしょう.

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 要は,いろんな意味で「一人でも大丈夫」という中で「一人,時々,みんな」で内的熟達的に淡々と生きて行けばいいわけで,こうして考えてみると,死ぬ準備ができた気もして,気分もよくなってくるものです.

 でも,死ぬ準備ができてるというのは錯覚で,実際,ほんとに死ぬ間際まで自活できるのかどうかも,苦しまずに心穏やかに死ぬことができるかもわかりませんが,そういうことに向けてどうすればいいかを考えて,できる範囲でできることをして行くしかないし(できなかったら,潔くあきらめて施設に入るとかすればいいしそうするしかない),そうすることで,心穏やかに生きて行けるのかなとは思います.

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[人生なんかあっという間]

 どこかで書きましたが,たまたまちらっと見たことで,いくつか深夜ドラマを見ています.その中の一つに「じゃない方の彼女」というのがあって,これは,濱田岳と山下美月が主演なんですが,山下美月を売り出してる感じで,最近ちょこちょこ見るんですが,乃木坂のメンバーで,でも,今まで全然気づかなくて(と言っても,そんなに見てるわけではないが)そんなことで,たまたまですが第1回から見てます.

 中身は,不倫コメディー?みたいな感じで,妻子あるぱっとしない大学の准教授(濱田岳)に女子大生(山下美月)が恋をするという,現実にはちょっとあり得ない(もてない男に希望をもたせる)よくある設定で,話の中身はどうということはありませんが,山下美月がなかなかの熱演?です.

 で,昨日は,彼女が「人生なんかあっという間じゃないですか」(だからやりたいことをやる)と言ってました.どう思いますか?

 この歳になって思うのは,ほんとに「人生なんかあっという間」ということです.でも,(もちろん,ドラマ設定ですが)二十歳そこそこで,そう思いますかね? 私は全然そうは思いませんでした.30代もそうだったかな.永遠とは言いませんが,人生に限りがあるという感覚はなかったですね.

 でも,40を過ぎて何年かしたとき,突然そんな感じがしました.まさに人生のほぼ半分が終わった頃で,何度か書いているように,これまで生きてきた時間から残り時間が想像できて,実感が湧いたときですが,突然という意味では,まさに浦島太郎だったわけです.

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[不倫]

 ちなみに,このドラマですが,不倫「コメディー」ということなので,結末がどうなるかは,だいたい決まってるってことですね.でも,不倫って何なんでしょうね?

 不倫と言うくらいですから,倫理に反しているということで,それは,一夫一婦制という法的枠組みもありますが,付き合っていても浮気とか二股という言い方をするわけですから,「付き合う相手は一人」というのが大原則ということです.

 背景としては,世の秩序を保つためのルール的なところはあるわけですが,喩えはどうかと思いますが,殺人が罪になるのと同じで,つまりは,自分が殺されたら嫌だから人を殺してはいけないのと同様に,自分が浮気されたら,つまり,裏切られたら嫌だから人を裏切ってはいけないと考えれば,わかりやすいですかね.

 でも,人を好きになるのにそんなの関係ないわけで(そこが人を殺すのとは違う),そういう人を好きになったらどうしましょうね.実際,女子大生の怜子(山下美月)は,妻子ある小谷(濱田岳)を好きになってしまって,昨日は,「好きが止まらない」と言っていて,どうしたらいいかわからないとも言ってました.ドラマとは言え,せつないですね.

 でも,道は二つしかなくて,一つは小谷をあきらめること,そして,もう一つはあきらめないことです.じゃあ,あきらめないとどうなるかですが,それは,小谷次第ですが,小谷にとっても道は二つしかなくて,それは,怜子と別れるか,今の家族と別れて怜子といっしょになるかです(不倫はいけません).

 つまり,組み合わせ的に三つしかないというか,当人にとっては,右か左かの二つしかないわけで,実は,意外とシンプルというか,当人が決断すればいいことに気づかされます.

 でも,このドラマはコメディーらしいので,どうなるかは...ってことですかね.

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 あとは,これも昨日のとあるシーンだったんですが,全然関係ないことで(確か季節で好きな食べ物の話で),小谷が「好きだけど一番じゃないから」という言葉を発して,それに怜子が激しく反応して落ち込むところがあります.どう思いますか?

 まさにそういうことですよね.上で「「付き合う相手は一人」というのが大原則」と書きましたが,言い換えると,お互いに一番じゃないといけないということです.

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12/8'21
[答えは明らか]

 でも,このドラマって不倫がテーマなんですかね? 確かに不倫ドラマにありがちな,ばれそうになってのドタバタシーンが出てきて,コメディーということで,そこが面白おかしく描いてあるのですが,小谷はさえない真面目な男なんですが,彼には出来過ぎとも言える妻の麗(小西真奈美)がいて,経緯としては,彼女が本命の彼に振られて付き合い始めて結婚したということで,彼が麗に好きだと言っても,麗はありがとうと言うだけなんですね.

 つまりは,小谷は,自分が麗にとって「一番」ではないことがわかっていて,それがずっと引っかかってるわけです.小谷が季節の食べ物のことで「好きだけど一番じゃないから」という言葉を発して,怜子が激しく落ち込んだ時に小谷も泣いていたのはそれを自分にも重ねたからでしょう.

 そこに「あなたが一番」という怜子が現れて心が動いたわけで,「じゃない方の彼女」というタイトルからもわかるように,不倫というよりも小谷の心の葛藤がメインというか,人を好きになるということがどういうことか,そして(このサイトで何度か書きましたが)それは相手が自分のことをどう思っているかが関係するのかってことですかね.

 でも,「付き合う相手は一人」が大原則で,「お互いに一番じゃないといけない」のなら答えは明らかで,だとすれば,このドラマの結末も明らかですが,果たしてそうなるか(秋元康がどう考えてるか)ですかね.

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[家を買った方がいいのかも]

 死ぬ準備シリーズ?ですが,とか,いきなり書くとぎょぎょって感じかもしれませんが,大事なことですし,俄かに現実味を帯びてきたわけで,でも,そんなに深刻に考えてるわけではなく,これまでリタイア後の生活について考えてきたように,そういうことを考えてしっかり準備していくということで,そうすると,心が落ち着いてほっとします.

 それで,家なんか死ぬまで買いたくないとずっと書いてきましたが,死ぬときのことを考えると,買った方がいいかもと考え始めました.それは,URとかマンションとかの集合住宅で孤独死すると(賃貸でも,持ち家でも)回りに迷惑をかけるからです.

 理由は,一軒家なら「被害」はその家だけで済みますが,集合住宅なら棟全体に「被害」が及ぶかもしれませんからね.一軒家だって,借りて住めば大家さんに被害が及びますし,持ち家でも隣近所には迷惑をかけるかもしれませんから,住宅密集地ではなく,ポツンと一軒家まで行かなくても,それに近いところがいいですね.

 でも,そこで生活しないといけないわけですから,やはり,東京から電車で1時間以内ってことになるんでしょうが,駅近だと住宅密集地のことが多いですから,ずっと書いている駅から車で5分とか10分というのが現実味を帯びてきます.ただ,あまり田舎だと生活もしにくいし,大きな病院もないでしょうから,そういうことも考える必要がありますし,リスクヘッジとして,最期まで自活できなくて施設に入ることも考えると,そういう施設も近くにあった方がいいですね.

 もちろん,家族がいるうちは見守りサービスとか使えば,賃貸でも集合住宅でも行けるかもしれませんが,家族がいなくなってから慌てて,家を建てるわけにも行かないわけで,あと何年生きるか的な期限としては,今の仕事を定年でやめるときがぎりぎりな気がします.

 もちろん,再三書いてきたように,家なんか買わない方が経済的には得なんですが,金を抱えて死んでもしょうがないし,死ぬ直前まで自活するというわがままなことをするにはコストがかかるということで,これも一種の金の使い道ということでしょうか.それに,自分が暮らしやすいようにカスタマイズできますしね.

 こうやって,これ以外のこともいろいろ含めて,いつ死んでも大丈夫にしておいて,「一人,時々,みんな」で内的熟達的に日々淡々と過ごしながらその時を待つということでいいと思いますし,それに向けて準備して行こうと考えることで,とても安心できて心が落ち着きます.

 でも,何と言うか,まさに「人生なんて」ってことですが,死ぬ準備をして行くと考えることで,なんかまた一つ何かに近づけた感じもしないではないです.

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[勝ち目がある戦争だったら]
(世の中)

 真珠湾攻撃から80年ということで,メディアで戦争のことが取り上げられています.でも,その多くは,どうして日本は勝ち目のない戦争に突入したのかという感じで,いやいや,だったら,勝ち目がある戦争だったらしてよかったってことですか?

 そもそも,日本が勝ち目のないアメリカに戦争を仕掛けたのが問題なのではなく,朝鮮,中国に侵略戦争を仕掛けたのが問題だったわけで,そこを総括しないでどうするんですか.イギリスやフランスがやってたことを日本もやっただけ? 悪いことしてる人がいたら自分もしてもいいんですか?

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[言葉の定義の問題]
(バドミントン?)

 今,筑波大バドミントン部のFBがすごいことになっていて,バドミントンに限らず,もっと広く社会的なことについて問題提起して議論するというのが行われています.とてもいいことだと思うのですが,その数が半端なくて,こんな感じでずっと続いていくのか,つまり,一時で終わってしまって,持続性があるのかというのが逆に心配です(でも,繰り返しになりますが,こういうことを議論するのはとてもいいこと).

 でも,私からすると,突っ込みどころ満載(笑)ではあるんですが,これだけ夥しい投稿に全部コメントしてたら,大変なことになりますし,それより,こういう場に出ていって自分の意見を言うというか,押しつける感じになるのが嫌なんですよね(何度も書きますが,このサイトは,自分の意見を押しつけてるのではなく,違うと思うのなら読まなければいいだけの話).

 でも,ちょこちょこ気になることはあって,例えば,今日の投稿で,平等と公平について問題提起したものがありました.これについては,このサイトでもどこかで書いたと思います.でも,平等であるべきか,公平であるべきかを議論することにはあまり意味がなくて,それは単なる言葉の定義の問題だからです(この問題についても何度か書いた).区別と差別もそうですね.

 具体的には,平等と公平を以下の図を使って説明しているのですが,これを見たら誰でも平等はだめで公平がいいと言いますよね.つまり,そこで議論が終わってしまうのですが,実際は,そんな単純な話ではなくて,そもそも,左が平等で,右が公平なんでしょうか? 右が平等だと言う人も多いんじゃないですかね?(私はそう思います) つまり,平等と公平をこういう図を使って(わかりやすく?)説明するのは危険ということです.

 問題は,社会がどうあるべきかであって,社会が平等であるべきか,公平であるべきかではないですよね.そして,私の意見は,どこかで書きましたが,結果平等ではなく,機会平等であるべきということです(シンプル).機会平等が公平のイメージですが,それは,単に言葉の定義の問題です.

 じゃあ,機会平等と結果平等を上の平等と公平の図で説明しようとすると,いきなり破綻します.上の図で言えば,明らかに平等が機会平等で公平が結果平等になってますよね.でも,機会平等と結果平等は,子供も含めて背が低い人には,その分,台を高くすればいいという単純な話ではないのは明らかで(それなら共産主義社会にすればいいだけ),努力をした人がその分報われるべきという重要な要素を排除してしまうことになるからです.

 でも,冒頭で書いたように,こういうことを議論するのは,とてもいいことなので,是非,続けて行って欲しいと思います(今のペースだと続かないんじゃないかというのが逆に心配).

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12/9'21

 あとは,投稿はものすごく活発ですが,レスポンスがそうでもないのがちょっと気になりますかね.でも,連日のように膨大な投稿がされているので,それらの全てに全ての人がレスポンスするとそれはそれで大変なことになります.

 持続性を考えて,投稿を制御する,例えば,誰かが投稿したらある程度(一日か数日くらいか)時間をかけてみんなで議論して,それが収束したら次の投稿をするみたいなのも一法かもしれませんね.

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[自分はもう関係ない]

 いろいろ話題というか,考えることはあるんですが,自分はもう関係ないというか,蚊帳の外というか,そんな感じはしますかね.それは,どこかほっとするところはありますが,退屈になるんだなというか,だから,何とかしないといけないってことですかね.

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12/10'21
[厄介]

 自分はもう関係ないとか,蚊帳の外とか書くと寂しいように聞こえますが,めんどくさいことから解放されてほっとするところもあって一長一短なわけです.じゃあ,どっちがいいんや?と言われると,どっちでもいい,自分では決められないので,外部状況というか,自然の流れに従うということなんですが,どっちでもいいのではなく,どっちも嫌という側面もあるわけで,それは厄介なことです.

 でも,これには解があって,それは「一人でも大丈夫」になることで,それを(できる範囲で)目指すということなんですが,それは難しくて,ても,目指すことで何とかやって行けるというか,行けそうな感じがしないでもないということでしょうか(非常に緩い表現).

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[境目]

 この話ですが,じゃあ,不倫かそうでないかの境目はどこだと言う人が必ずいます.でも,これは明確だと思うんですよね.友人(以外の言い方もあると思うが,簡単のため「友人」で代表)かそうでないかということを考えればいいわけですからね.

 具体的には,(例えば,同性の)友人とは○ックスはしないし,○スもしないし,手も繋がないわけで,つまり,そういうことをすればアウトということです.逆に,(例えば,同性の)友人なら,二人だけで会って飲みながら話したり,いっしょにどこかに出かけたりはするわけですよね.

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[ひょっとしたら]

 「一人,時々,みんな」で,内的熟達的に日々淡々と過ごすということなんですが,それだけだとしんどいかもしれませんね(でも,そう思ったとき,まだまだ修練が足りないと考えるということだが).つまりは,将来,ひょっとしてそういうことがあるかもしれないと思えるかということでしょうか.

 例えば,ピアノなら,もう人前では弾かないということなんですが,どこか心の片隅でひょっとして(ストリートピアノでも)人前で弾くことがあるかもしれないと考えるだけで何か違う感じがしますし,バドミントンはもう厳しいとは思いつつも,しばらく養生してるうちに股関節や膝の調子がよくなって,またトレーニングする気になるかもしれないとか,定年後も研究を続けて行けるかもしれないとか,あなたが一番と言ってくれる人がこの世のどこかにいるかもしれないとか,あり得ないことだとしても,ひょっとしてそういうことがあるかもしれないと(勝手に)思えるかということでしょうか.

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 いや,解は「一人でも大丈夫」なので,やはり,それを目指すんでしょうね.もちろん,外部状況というか,何かが起こるかもしれませんが,「一人でも大丈夫」は,「一人「でも」大丈夫」なので,それも包含してるわけですからね.

 例えば,研究に関して言えば,「何も起こらなかった」と思っていたところに,まさに「何かが起こった」わけですが,「何も起こらなくても」前の大学で定年まで楽しくやって行けたと思いますし,もっと言えば,「一人でも大丈夫」になって,大学なんか辞めても研究して行けるようになって,さっさとリタイアして,今頃,悠々自適だったかもしれず,それはそれでありだったと思うんですよね.

 でも,こういうことが起こって,でも,起これば「お断りします」とはならないわけで,何が起こるか,どうなるかはわからないのですが,「何も起こらない」可能性の方が圧倒的に高いわけで,「何も起こらない」ことを前提に「一人でも大丈夫」を目指すということですね.

 まあでも,何かが起こるかもしれないと思えるのなら思ったもん勝ちってところはありますかね.宝くじと違って,当選番号が発表される(ある日,当選していないことがわかる)わけでもないですからね(死ぬまでわからない).

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[到達することはない]

 いろいろ考えてこのサイトに書いて,いや,このサイトに書くことで,いろいろ思いついて,何かに近づいてる感じはするのですが,毎日のように書くことがあるということは,到達はまだまだということですよね.

 でも,何かに到達したら,書くことがなくなるわけで,つまりは,何かに近づきつつも到達することはないということで,それはそれでいいのでしょう.

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12/11'21
[行動が変わらなければ意味がない]

 でも,ひょっとしたら何かが起こるかもしれないと思ったとしても,それで行動が変わらなければ意味がありません.

 ピアノなら,内的熟達的に日々音楽と向き合い続けるのが基本ですが,しんどくなったとき,ひょっとしたらいつかどこかで人前で弾くこともあるかもしれないと考えることで弾く気が増すのならそう考えるということで,弾きたくないのに我慢して弾くというのは違っていて,要は,どうやって効力感を高めるのかということですね.

 そういう意味では,バドミントンは,ひたすら養生するだけではだめで,ストレッチとか動かせる範囲で体を動かすとか,体を整えることはしっかりやって行かないといけません.ゴルフについても,当面できないとしても,いつかまたやる機会があるかもしれないと思って,そういう練習を(その気になる範囲で)して行くということですかね.

 研究については,シンプルに研究して行けばいいのですが,あなたが一番と言ってくれる人がこの世のどこかにいるかもしれないについては,どうしようもないというか,そういうことを目的に行動が変わることはないので,敢えて言えば,ちゃんと生きて行くということですかね.

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[また一人に戻る]

 思い返してみると,若い頃は,エネルギーが余っていたと思うんですよね.もちろん,いつもそうだったわけではなく,高校の時,父が亡くなったり,大学に入って進路を見失ったり,30代で何をやったらいいかわからなくなったりしたことはあったんですが,そういう時も,本来やるべきこと以外のところにエネルギーが向かったというところはあって(でも,高三のときは,そういうのもなかった感じでほんとどうしようもなかった),トータルとしては,「収支はプラス」だったと思います.

 でも,いつの頃からか,エネルギーが足りないというか,「収支がマイナス」的な感触をもつようになりました.40代のどこかのような気もするし,50を過ぎてからかもしれません.このサイトに,こんな感じじゃもう大したことできないと書くようになった頃と対応しているような気がします.

 でも,40代になると,自分の研究室をもって,それこそ若くてエネルギーが余ってる学生達が頑張って研究を進めるようになって,もちろん,10人を超える学生全てにそれぞれ最先端の研究テーマを考えてマネージメントするのは大変なことですが,それはそれでうまく回って,実際,研究成果が出ていたわけですからね.

 そして,気づけば,そういう「体制」はもうすぐ終わるわけで,つまり,また「一人に戻る」ということです.でも,若い頃と決定的に違うのは,若い頃のようにエネルギーは余っていないということです.つまり,ほんとにもう大したことはできなくなるわけで,もちろん,リタイアしたら年金貰って悠々自適でもいいんですが,それで果たして楽しくやって行けるかってことですね.

 いや,それで楽しくやって行けるのならそれでもいいし(でも,要介護や認知症に注意),やって行けないのなら,それはまだエネルギーが(少しは)あるということなので,できる範囲でやればいいだけの話か.

 でも,必要な「体制」というのはあって,例えば,研究して行きたくて,その研究が予算や設備が必要なものなら,定年のタイミングでそういう話があったら,その場で決めないといけないので,その時その時できる範囲でというわけにも行かないのですが,「一人でも大丈夫」になっておけば,研究については,一人でしこしこできる研究テーマなら,また一人に戻っても,それでやって行けるとも思うんですよね.

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[70,80,90,100になったときのこと]

 〇歳(〇暦)になったとき,何の感慨もなかったのですが,最近になって,いろいろ考えるようになりました.それは,定年までもう〇年しかないということに愕然としたということもありますが,もっと先のこと,具体的には,70,80,90,100になったときのことです.もちろん,そこまで生きていればの話ですが,生きてしまう可能性というかリスクはあるわけで,自死を選ばない以上,生きてしまえば生きないといけないし,生きるのなら,楽しく気分よく生きて行きたいのは,言うまでもありません.

 そして,70,80,90,100になったときに「こんな感じならまあいいかなあ」というイメージは割と明確にあります.ていうか,何歳になっても何とか自活できるのならそれで充分なのですが,ほとんどの人ができてないことを考えると,非常に難しいことなんでしょうね.

 でも,普通にやるべきことを普通にやっていれば,事故的なことがない限り,できそうな気もするんですよね.具体的に言えば,やりたくないしやるべきでもない仕事をストレスを溜めてまでやらない,ストレスを解消するために過食,飲酒などの明らかに体に悪いことをしない,そういう状況が続くのならさっさと仕事なんかやめる,そんなにやりたいことでもないのに,老後が不安ということで,稼ぐために流されてとりあえずそんなにやりたくもない仕事をするようなことをしないとか.

 でも,一番重要なのは,仕事をやめて,社会から必要とされなくなっても,一人で勝手に楽しく過ごして行けるか,何の役に立たなくてもやってて楽しいことがあるのかってことで,これがやっぱり難しいんだと思います.私はそういうものを既に沢山もってると思いますが,それでも感触としては「足りない」感じです.

 それで,70,80,90,100になったときの「こんな感じならまあいいかなあ」というイメージですが,「絶対的」には何とか自活できるのならそれで充分なのですが,「相対的」には,どうなんでしょうか.90とか100で何とか自活できていたら,それは「非常に稀」ということなんですよね.

 じゃあ,70,80,90,100になる前の40とか50とか60ではどうだったかと言うと,まず40のときは,体力的には抜きん出ていたと思います.それまで「歳を感じる」ことなんかなかったわけですからね.具体的には,そんなに練習しているわけでもないのに,バドミントンの年代別の全国大会で勝ち上がったりもしましたが,別に私が強いというよりは,プレーしていると相手が勝手にどんどん疲れて行くような感じでしたからね.その頃は,正直,私は歳をとらないのかもと思ったりもしました.

 でも,実際は,そんなわけはなく,40代は悲惨なことになりました.バドミントンもそうですが,とにかく体調が悪く,と書いて思ったんですが,それまで「歳を感じる」ことなんかなかったわけですから,「歳を感じる」ことがどういうことかわからず,それを体調が悪いと思っていただけかもしれませんね.

 でも,「歳を感じる」感覚は,今でもわからないので,「体調が悪い」という状態は,50代後半まで続いたと思いますが,その頻度は,明らかに減ってきました.なので,やっぱり,「体調が悪かった」のかな.でも,それが何だったかはよくわからないですね.

 じゃあ,「歳をとる」感覚ですが,このサイトで「歳をとった」と書いてますが,実は,今でもよくわかりません.具体的には,体が硬くなって動きに少しキレがなくなった感じはしますが,股関節を痛めたこととかを除けば,体力的にはそんなに変わらない気もするんですよね.でも,上で書いたようにエネルギーが足りないというか,練習とかトレーニングしようという気力が湧かないというか,めんどくさいというか,そんな感じでしょうか.そして,これが「歳をとった」ということなんですかね?

 つまりは,実際には歳をとっていて,でもエネルギーが余って気力があって,体を動かすと体が壊れてしまうので,そうならないようにエネルギー不足にしているというか,制御がかかってるってことですかね.

 でも,こんな感じで,10年,20年,30年経って行っても,特に大きな変化はなくって感じもするんですが,実際は,そんなことはあり得なくて,どこかで大きな変化があるってことなんでしょうか.

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[できなくても気にしない]

 若い頃はできなかったけど,歳をとって,いつの頃からかできるようになったことがあります.それは,できなくても(そんなに)気にしないということです.

 若い頃は,例えば,大学受験で勉強しないといけないのに,どうしても勉強することができなくて,でも,どうすることもできなくて,30代のときもそうでしたかね.そして,その時は,やらないといけないのに(その気にならずに)できないことを思い悩んで,でも,できないものはできないわけで,どうしようもなかったと思います.

 でも,いつの頃からか,そんなに気にしなくなったというか,その気にならなければその気になるまでやらなくていいやと思うようになって,でも,結果として,何とかなった感じもするんですね.

 いや,結局,その気になる分しかやらなかったというだけかもしれません.でも,それはそれでしょうがないし,やらないと人に迷惑をかけることでなければ,自分に返ってくるだけのことで,甘んじて受け入れればいいわけですからね.

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[家を買うタイミング]
(生活)

 この期に及んで家を建てるのか,ってことですが,じゃあ,過去,家を買うタイミングはあったのかと考え始めました.

 最初のタイミングは結婚した時でしょうか.でも,結婚してバークレーに行って,帰ってきたときに家を買うということは全く考えなかったですね.彼女といっしょに住むことはなかったわけで,私は私で自分の部屋を借りました.時期的には,バブル崩壊後で家の値段がどんどん下がっているときで,福岡の家が立ち退きになってたまたま高値で売り抜けた頃から何年かしたくらいでしたしね.

 でも,あの時は,どんな心境だったのかなあ.バークレーから地震研に戻ってきたんですが,壁先生がいらっしゃった年で,自分がこれからどうなるか,ずっと地震研にいるのかどうかもわからなかったですから,家を買うなんてことは考えもしなかったと思います.

 たらればですが,それから数年して昇進話があったときに昇進していたらどうだったですかね? 市況的には,日本経済が真っ暗のときで,タイミング的にもちょうどよかった? でも,やっぱり,ちょっと想像できないですかね.買うより借りた方が得なのはわかってましたしね.

 次のタイミングは,つくばに行ったときですかね.でも,つくばに行った時は,しばらくしたら,少なくとも10年以内には,東京に帰りたいと思ってましたから,つくばで家を買うことはあり得ないことでした.でも,結局,東京に帰ることはなく,というか,最初からそういうことはなかったわけで,でも,つくばに骨を埋めるつもりもなく,時間が過ぎていって,結局,リタイアする時にどこかに定住?するのかなという感じでしたかね.そして,それは今も変わらないです.

 そもそも,皆さん,どういうタイミングで家を買うのかってことですよね.そして,それは割と明確で,大学教員なら「この大学で勤め上げるんだな」という時でしょう.実際,つらつら知り合いの先生方を思い浮かべると,そういう感じのことが多いですが,じゃあ,私はそれがいつだったかですが,そういうタイミングが全くなかったことに気づかされます.敢えて言えば,つくばに行って,東京に帰ってきたらそういうタイミングだったかもしれませんが(リーマンショック後くらいならちょうどよかった?),そういうことは最初からなかったわけですからね.

 でも,じゃあ,どこかの段階で「この大学で勤め上げるんだな」という感じになって,家を買っておけばよかったってことではもちろんなくて,結果として,それぞれの時点において自分にとって最高の環境とも言える大学に身を置くことができたわけですし,経済的にも「買うより借りた方が得」に実際になって,今家を買うのは全然楽勝なわけで,それはそれでいいんですが,やっぱり,この期に及んで家を建てるっていうのが抵抗があるんですよね.

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(日記)

 今日は,長々書いたんですが(でも,記録を見ると時間にして2時間くらい),中には大事なこともあったとは思いますが,多くは,大して意味がないことをだらだら書いたような気もして,何だか変な気分です.まあでも別に(そういうことは)どうでもいいですかね.

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[結婚って何?]

 結婚って何?ときかれて,社会の制度と即答したアイドルがいましたが,まあそういうことですよね.でも,確かにその通りですが,そういう関係になって,いっしょにいたいと思えば,結婚することもあるでしょう.私の場合もそうでした.

 具体的に言えば,付き合っていて,私が海外に行くことになり,いっしょにいるには結婚するしかなくて,でも,私は私の都合で彼女のキャリアを中断させることには抵抗があったのですが,それを提案したのは彼女だったので,そういうことになりました.

 でも,いっしょに暮らしたのは,海外にいた1年だけでした.でも,別れたわけではなくて,日本に帰ってきて「付き合っている」という状態に戻ったというか,そんな感じでした.そして,それが何と今に至るまで続いています.

 もちろん,その間,いろいろあったわけで,詳しくは書けませんが(でも,既に少し書きましたが),今はどういう状態かと言うと,まさに「仲がいい友人」ということだと思います.彼女は,とても頭がよくて話もできるし,彼女から学んだことは計り知れないです.そもそも,彼女の提案というか,彼女が彼女のような人でなかったら結婚してないでしょうし,結婚して結婚生活をして,結婚がどういうものかわかったわけですからね.

 籍は入っているので,法的には夫婦ということになりますが,夫婦生活はしていないので,実質的には,夫婦とは言えないですね.実際,もうそんなに会ってないですし,そういう意味では,つくばに行く時も,こっちに来る時も何の問題もありませんでした.

 そして,そういう関係というか,そういう状況が悪くないというか,だから,そういう関係が続いているのかもしれません.でも,実情をよく知らない人から見ると,やっぱり,夫婦なんでしょうね.実際,法的にはそうですし.そして,それでいろいろめんどくさいことにならなくて済んだ側面もあるのでしょう.

 でも,何年か前にそれとなく書いたと思いますが,一つの重大なことに気づいたのも確かで,それで何かが変わる気もしたのですが,実際は何も変わらなかったわけで,ということは,もう何も変わらないのでしょうし,それはそれでありというか,もうめんどくさいことはめんどくさいし,結局は,全ては「人類を繁栄させるためのプログラム」だと思うので,このまま朽ち果てていくのでもいいかなという感じです.

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12/12'21

 どうして突然こういうことを書いたのかはわかりませんが,私の中では突然ではなくて,ずっと思ってることを書いたという感じです.つまり,ずっと前から,特に重大なことに気づいた数年前からもやもやしているというか,考えていることがあったということですかね.

 でも,何かが変わるわけでもなく,つまりは,そういう現状を容認しているというか,「一人,時々,みんな」がいい私としては,むしろ,これでいいと思ってるところもあるわけで,そのためには,(多少の?)「重大なこと」(変な日本語)にも目をつぶるというか,それが無理なら別れればいいわけで,そういう話をしたこともありますし,何かあればいつでも(法的に)別れることもできると思いますが,「仲がいい友人」なので,何か事情がない限りは,わざわざそうすることもないわけです.

 ですから,これで何がどうなるということはないと思うんですが,こういうことを書いたということは,何か意味はあるんでしょう.

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[最高の環境とも言える大学に身を置くことができた?]
(仕事)

 それぞれの時点において自分にとって最高の環境とも言える大学に身を置くことができたと書いたんですが,そうなんですかね?(と思った人も多いんじゃないですかね?)

 例えば,ずっと地震研にいられたら,そこで順調に昇進して行けたら,そっちの方がよかったんじゃない?と思う人もいるかもしれませんし,私自身,そういうことになったら,それを「断る」ことはなかったと思いますからね.

 うーん,でも,どうなんでしょうか.東大の先生は,学外の仕事がいろいろ大変で,どのくらい自分のやりたい研究ができただろうかと思いますし,地震研は,学生は大学院生からしかとれなくて,学内の学生は,ほとんど学部の研究室に進学するし,筑波大のときのように常時10人以上の学生がいるのに比べるとマンパワーは全然少なくて,少なくとも筑波大時代にやった研究の一部しかできなかったことは明らかでしょう.

 じゃあ,(もちろん,現実にはありえない話ですが)東大の学部の研究室はどうかと言うと,東大の先生ということで,学外の仕事がいろいろ大変なのは同様ですし,RCの研究室はRCの研究をしないといけないわけで,これまた自分のやりたい研究はできないわけです.ていうか,そもそも,筑波大の公募が出た時,自分のやりたい研究ができる唯一解ということで移籍を決断したわけですからね.

 じゃあ,最初から筑波大に行けば,具体的には,地震研に就職して,1年くらいしてそういう話があった時,行ってたらどうだったでしょうか.その時の話は,園部先生の後だったので,これもRCですし,そもそも,当時の私は,RCの枠組みの中で仕事をしている時ですから,「自分のやりたい研究」がまだなかった時ですからね.

 つまりは,地震研時代の30代,何をやるべきか迷走した末に1999年台湾集集地震をきっかけに「自分のやりたい研究」に辿り着き,そういう状態で,自分のやりたいことができる筑波大に行ったからこそ,爆発的に仕事ができたと思うんですよね.

 じゃあ,そのままずっと定年まで筑波大にいたらってことですが,うーん,どうですかね? 一つの職場には10年が限界と何度か書いてますが,その通りというか,実際,10年を過ぎたあたりから(昇進して研究以外の仕事が増えたこともありますが)閉塞感というか,煮詰まって(正しくない使い方)は来ていて,意味のない仕事の増加などの大学の中の状況の悪化と相まって厳しいことにはなってたと思います.

 それで,こっちに移る話があって,ホイホイ来たんですが,もちろん,それはありがたい話だったんですが,万事が好転したわけでもなくて,具体的には,筑波大でずっと続いてきたいろんな研究の多くが一度断ち切れることになりそうで,それは,防災研は,地震研と違って,学生は4年生からとれるんですが,枠が2人だけで,つまり,今は4年生が2人いるだけで,彼らが全部を引き継ぐのは厳しくて,京大は院試が非常に厳しいので学外から来る学生はほとんどいないので,何年か経ったとしても,おそらく,5, 6人がせいぜいだと思うんですよね(私の研究室は講座制ですが,准教授の先生が火災が専門なので,研究については,一教員一研究室体制).

 でも,考えてみたら,私自身,もう定年まで〇年なので,そんなに風呂敷を広げるわけにも行かないというか,むしろ,畳んでいく時期でもあるわけで,それはそれでいいというか,定年後に備えて,「一人でも大丈夫」にソフトランディングして行く一環と考えれば,これはこれでありな気もします.

 と,ここまで書いて来て思うのは,やはり,たらればには意味がないというか,全ては137億年前に決まってるわけで,つまり,与えられた条件の中でやるしかないし,それが唯一無二ということは「ベスト」なわけで,そして,そう考えることが重要ということでしょう.

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[人間関係がめんどくさく]

 どこかで書いたかもしれませんが,いつの頃からか,人間関係がめんどくさく感じるようになりました.それは,私の回りの人間関係に問題があるのではなく,というか,今も含めて人間関係には,ずっと恵まれてきたと思うのですが,それでもめんどくさいというか,要は,良好な人間関係を維持するには,相手の立場に立って,いろんなことを考えないといけないし,だからこそ,良好な人間関係を維持してやって来られたと思うのですが,そういうのがめんどくさくなって来たってことですかね.

 でも,定年で仕事をやめれば,そういうことからは大分解放されると思いますし,「一人でも大丈夫」なら尚更,「一人,時々,みんな」でも,かなり行けると思います.

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(日記)

 とにかくできるだけ寝るようにしてから,具体的には,途中で目が覚めても就寝してから○時間は起床しない,つまり,二度寝も三度寝もするようにしてからは,調子は悪くないと思います.もちろん,活動時間がその分減るんですが,起きてる時間を有効に使える方が断然効率がいいと思います.

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[睡眠と食事]

 70,80,90,100になったときのことですが,何だかよくわからないことを書いたような気もするのですが,要は,40くらいまでは,全然歳を感じなくて,でも,40代半ばから50代半ばまでは,調子が悪いことが多くて,でも,ここ数年は,具体的には,添加物排除生活を始めたあたりからは,明らかに回復傾向で,こんな感じで行けば,70,80...となってもってことですかね.

 で,40代半ばから50代半ばは,ほんとに調子が悪くて,体重は全然減ってないのにやつれたと言われたこともありましたし,実際,老け込んだ感じもしました.で,気づいたら○暦で,でも,そんな感じがしないというか,若返ってるとは言いませんが,少なくとも40代半ばから50代半ばの一番調子が悪かった頃よりは,全然いいと思うんですよね.

 こうしてみると,重要なのは,やはり,睡眠と食事ですかね.あとは,ストレスを溜めないことでしょうか.

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12/13'21

 「一人,時々,みんな」で内的熟達的に日々淡々と過ごすために種目を増やすということで(あとは,とにかく寝ることの重要性を認識したので,(リタイアしたら)それはそれでその分活動時間が減って種目の増加と同じ効果がある?),最近,また一つ始めたことがあるんですが,問題は持続性です.5年か10年前にもやったことがあって,今年の前半もやっていたのですが,続きませんでした.

 もうこんな歳なので,将来のためにということは動機付けにはならず,それそのものに効力感を見出せないといけなくて,ただやってて楽しいというだけでなく,何某かの達成感が必要で,そう考えると,そういうものはなかなかありません.

 でも,これまた消去法で考えると,何とか絞り出せたりもするもので,でも,やりたくないことを我慢してやることはしないしできないので,果たしてどこまで続くかですかね.

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 ピアノについては,まだ何とか持続的に練習できてますが,綱渡りって感じです.今日は,最近弾いてる曲がほとんど弾く気にならず,過去に(ちょろっと)弾いた曲の中から何とか数曲(モシュコフスキーのOp.72-11のエチュードとラフマニノフのOp.32-12のプレリュードとカプースチンのブラジルの水彩画によるパラフレーズ)引っ張り出すことで弾くことができました.もちろん,もう全然弾けなくなってるんですが,30分くらい弾いてるとそれなりに弾けるようになって,変な話,初見からそれなりに弾けるようになる一番「おいしい」段階を短い時間で辿れるので,効力感がないときに使えるかもしれません.

 過去に(ちょろっとも含めて)弾いた曲リストを作っているとどこかで書きましたが,こんな感じで「ぐるぐる」弾いて行けば,何とかなる気もしてきます.そんなことでは,人前に出せる状態にはならないのですが,もう原則,人前では弾かないのでこれはこれでいいわけです.

 でも,思ったんですが,あらためて過去に(ちょろっとも含めて)弾いた曲リストを見てみると,かなり膨大で,これらは,曲がりなりにも弾きたいと思って一度弾いた曲で,私にはもう残り時間がそんなにないことを考えると,再発見も含めて「新曲」を開拓してる暇はないというか,もちろん(本能的に)「新曲」の開拓はして行くとは思いますが,これから見つかる「新曲」より,既に発見した「弾きたい曲」を弾く方が理にかなってるというか,やるべきことのような気もしてきました.

 そして,その量が膨大ということは,おそらくベートーヴェンの32のピアノソナタより多いわけで,それこそそれでぐるぐる回せば,持続的にピアノを弾いて行けるような気もしてきました.

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 「一人,時々,みんな」で内的熟達的に日々淡々と過ごすための種目ですが,どこかで書いたと思いますが,美術とか工芸がいいような気がします.理由としては,すごく時間がかかる(退屈しのぎになる),作品ができるので達成感が感じられる,そんなに肉体を使わない,などでしょうか.

 でも,私は手先は器用な方だと思いますが,ほんとに器用な人はどのくらい器用かとか,美的センスがある人がどういうレベルかとかは嫌というほどわかってて,美術とか工芸は,いろんな分野の中で一番遠いというか,そもそも,全くやって来なかったことですし,そもそも,その気にならないことはできないので,やることはないと思います(どこかで書きましたが,一つだけアイデアはあって,でも,ド素人の考えることなので,てんで大したことではないのでしょう).

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 「一人,時々,みんな」で内的熟達的に日々淡々と過ごす(ことを目指す)ってことですが,それで行けるんでしょうか? ていうか,それで行けるも行けないも関係なく,それを目指すしかないのですが,時々,ものすごく何とも言えない気分になるというか,まだまだ精神修養が足りないというか,人類を繁栄させるプログラムということはわかってるのですが,本能を克服するのは容易ではないということですかね.

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[総事故物件?]

 一軒家を買った方がいいのかもってことですが,一軒家を買っても,そういうことになれば,やはり,回りに迷惑をかけますよね.じゃあ,どうしたらいいかですが,せめて見守りサービスが付いた住居に入居して,夜はそこで寝て,昼間,仕事場的なところに通うということですかね.買っても借りてもよくて,ピアノは,そこに置くというのが現実的でしょうか.

 でも,見守りサービスが付いた住居って考えてみたら,そういうことが日常茶飯事的に起こってるってことで,つまりは,総事故物件ってことになるんじゃないですかね.逆に言えば,それはそうではないのなら,(買っても借りても)自宅で死んでもすぐに発見してもらえれば問題ないことになる?

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 なんかもうほんとめんどくさいですよね.こんなことなら,リタイアなんかせずに死ぬまで働く方がよっぽど楽な気がしてきます.

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12/14'21
[死ぬのってほんと大変]

 ここまで来ると,死ぬのってほんと大変というか,めんどくさいですよね.でも,リタイアと違って,死ぬのはどうしようもないので(それに「ちゃんと」死ねるのかも心配)できる範囲でできることはしないといけません.

 でも,究極的には,「一人」と「みんな」のいいとこどりはできないということでしょうね.「みんな」は楽しいけど,めんどくさいところもある,だったら(少なくともリタイアしたら)内的熟達的に一人でも退屈しのぎできるようにして「一人(時々みんな)」がいいと思っても,歳をとるといろいろ不都合なこともある.

 でも,いいとこどりはできないけど,絶妙なバランスポイントはあると思いますし,「一人でも大丈夫」なら,「みんな」でも行けるので(逆は無理),とりあえず「一人でも大丈夫」を目指すのはいいんですが,果たしてそれを自分が望んでいるのかどうかは,よくわからなかったりします.

 結局,私といっしょにいたいと言ってくれる人がいないというだけの話で,そういう現状の中でどうするかということのような気もしないでもないですからね.

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 じゃない方の彼女ですが,昨日は,THE Wの放送による夜ふかしの放送時間の微妙な変更?かなんかわかりませんが,最後の数分が録画できてなかったんですが,不倫がばれて麗が出て行って雅也がおろおろして(みっともなかったですね),元の鞘に収まって終わりだったんですかね? まだ続く?

 あ,ネットで無料配信してるんですね.で見てみたら(なにやってんだか)まだ続くみたいですね(山下美月が出てるから見てるけど中身はしょぼいのでそろそろ終わって欲しい).まあテレビドラマなんで,視聴率が獲れればいいわけで,中身は意味がないというか,秋元康次第ってことなんですが,不倫が麗にばれて雅也がどうしたらいいかわからないと言ってたのはさすがにしょぼかったですね.

 ここでも書きましたが,雅也がとるべき道は,今の家庭を守りたいのなら怜子と別れる,あるいは,家庭を捨てて怜子と付き合うのどちらかしかありません(二股,つまり,不倫はだめです).でも,不倫が麗にばれたわけで,怜子と別れて麗に土下座して謝っても,麗にも捨てられる可能性もありますし,そうなったら,じゃあ怜子というわけにも行きませんから,全てを失うかもしれず,それはまさに自業自得ってことですね.

 でも,不倫「コメディー」なので,元の鞘に収まるんでしょうね.でも「じゃない方」が嫌なら麗と別れて怜子と付き合えばいいじゃないですか(でも,ドラマとしては,それでは視聴率が獲れない.でも,最終回なら来週も見せる必要はない).

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[人々の心はずっと不安なまま]
(世の中)

 それで,じゃない方の彼女の録画時間をずらした犯人?のTHE Wですが,録画で余計なところを飛ばしながら見ました.でも,優勝したオダウエダは,奇をてらってるだけな感じで,私はあんまり面白くなかったかなあ.普通に考えれば,Aマッソか天才ピアニストだったと思いますが,Aマッソは,既に売れてますし,決勝の1000万の掴みはあんまりよくなかったかな.天才ピアニストも面白かったと思いますが,よく見ると,所々あれ?と思うところもありましたかね(暗転でばたばたするのがわかったし,カレーにネギは使わんやろ).

 で,今頃,気づいたんですが,優勝者に日テレの番組出場権が与えられるということで,この手のお笑い賞金レースって,民放の縄張り争いになってるんですね.具体的には,M-1がテレ朝で,R-1が関テレ(フジテレビ),そして,キングオブコントがTBSです.なーんだって感じですよね.しかも,THE Wって,明らかに逆差別番組ですしね.

 あと,お笑いブームがもうずっと続いていて,もう文化として定着したのかってことですが,単に不景気が続いている(景気が悪いとお笑いブームになる),Aベノミクスとかやっても一般庶民には全然関係なくて,人々の心はずっと不安なままってことかもしれませんね.

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12/15'21
[〇代の総括]

 〇暦には何の感慨もないのですが,そう言えば,これって〇代が終わったってことですよね.てことで,〇代を総括しないといけないのかなとも思ったのですが,考えてみたら,50になったときは,鐘が鳴って人生が実質終わった印象が強烈で,40代の総括もしてなかったと思います.

 40になったときのことは,よく憶えていて,30代,一体何をしていたんだろうと暗澹たる気持ちになりました(でも,今にして思えば,研究は何をやったらいいかわからず迷走しましたが,それがその後の研究の土台になりましたし,仕事以外にいろんなことをやりました).じゃあ,あらためて,50になったときというか,40代の総括ですが,一言で言えば,一仕事できたんじゃないかと思います.でも,忙しかったし,体調はよくなかったし,しんどかったですかね.

 ついでに,10代,20代は,どこかで書いたと思いますが,10代はだめだめでしたが,20代は,研究というものに出会って,研究して,やりたいことで食べて行くことを実現したわけですから,よかったんだと思います(研究以外にもいろんなことやったし).

 で,50代ですが,振り返ってみると,体調はよくなかったのは相変わらずでしたし,あんまりよくなかったですかね.でも,ちゃんと仕事はしてましたし,人生が実質終わったということで,いろいろ考えて,何かに近づいた感じはしますかね.

 で,今なんですが,体調は悪くないと思います.イメージとしては,40くらいに戻った,そして,40までは歳を感じなかったわけですから,即ち,若い頃に戻った感じでしょうか.もちろん,フィジカルとかは落ちてて,無理は効かないと思いますが,(無理しなければ)普段の生活にそういうのは関係ないですからね.そういう意味では,自分が〇暦というのは,ものすごく違和感を感じますね.

 ごく最近のこととしては,やはり,布団に入ったら(途中で目が覚めても)〇時間は起床しないのがいい感じがします.あとは,数年前から続けている添加物排除生活ですかね.こんな感じで,(フィジカルは落ちて行っても)体調というか,そういうものが維持出来たらいいなあと思います.

 でも,こうしてみると,10, 30, 50代はだめで,20, 40代はよかったわけですから,60代はいいということになります.でも,そうすると,70代はだめになってしまうので,そうならないようにということですが,まあ,まずは60代ですかね.でも,自分が60代? やっぱ,違和感ありますねー.

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 あーでも,もういろいろめんどくさいというのはありますかね.でも,それは,歳のせいなのか,もうやりたくないことして働いたりしなくてもいいという状況のせいなのかはわからないですね.なんたって怠け者ですからね(笑).

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[東京に帰る]

 2016年の記事の後半に入ったんですが,また面白くなくなってきました(笑).でも,それでも,所々,面白いところもあるので,難しいですね.

 で,思ったのは,この頃は,まだ東京に帰りたいというか,東京に住みたいと思ってるってことです(例えば,161013).ほんの5年前なんですけどね.

 あと,この記事には「何も起こらなかった」「もう何も起こらない」と書いていますが,実際には,その数年後に「何かが起こった」わけで,やっぱり,わからないもんだなあとは思いますね.

 ここで「東京に帰る」と書いていますが,それは,いろんな意味があって,東大に帰るということもありますが,それは最初からなかったわけで,だとすると,東大以外のどこかの東京に大学に移るということですかね.実際,東工大とか早慶とかなら話があれば移ったと思いますからね.

 あとは,住む場所を東京にするってことも考えましたし,引っ越すときは,そのチャンスでもあったんですが,実際はそうしませんでした.でも,新型コロナでこういうことになって,仕事の多くがオンラインでできるのならありだったかもしれませんね.

 でも,今はもう東京に帰りたいというか,住みたいとは思ってないわけで,しかも,京都にいるわけで,結局,東京に帰らなくて正解だったというか,やっぱり,何がどうなるかわからないものですね.

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12/16'21
[誘われると断れない?]

 上で「東工大とか早慶とかなら話があれば移ったと思います」と何気なく書いたのですが,(自分で言うのも何ですが)あれ?って感じです.東京に帰りたいと思っていたけど,やりたいことをやるために筑波大に来たわけだし,やりたいことがどのくらいできるかということを考えると,東京に帰るとしても異動の敷居の高さを考えると,実質,東大しか考えられないと多分どこかで書いたと思いますからね.

 でも,直感的には,「東工大とか早慶とかなら話があれば移ったと思」うんですよね.つまりは,「話があれば」ってことでしょうか.具体的には,毎日チェックしているJREC-INにこれらの大学の公募が出ていたとしても,自ら進んで応募はしなかったと思うので,「話があれば」ってことですかね.

 実際,こっちに来たのも,まさにそういうことだったわけで,これも公募を見ただけだと自ら応募することはなかったと思いますからね.そう言えば,筑波大に移った時ももそうでした.こうしてみると,私って,結局,自分では動かないというか,誘われると断れないってことかもしれませんね.

 いや,Q大は(タイミングとかいろいろ条件的な問題もあって)断ったので,そうとも言えないか.でも,やっぱり,声がかかるかそうでないかの差は,やっぱり,大きいと思います.でも,これは,誰でもそうですかね.

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 じゃあ,筑波大の話がなかったら,あるいは,断っていたらどうなっただろうかと考えました.

 あの時は,地震研の防災系は,当面,昇進枠なしと言われてましたから(ひどい話ですが,地震研というよりは,防災は京大防災研があるからという文科省の方針ということでした)そのままずっと助手(助教)だったということでしょうが,1-2秒応答とかの成果は既に出てましたし,その時から10年くらいして枠が付いたようなので,その時点で昇進できたのかもしれませんし,できなかったのかもしれませんし,それはわかりませんが,いずれにしても,ずっと地震研にいる(居座る)ことはできたと思います.

 で,今さらながら思ったんですが,それはそれでありだったかもしれませんね.居座るのは問題ですが,やるべきことを見つけてからは,研究者として,しっかり仕事をして成果を出して行けたとは思いますからね.

 そうすると,ずっと東京にいて,多分,あの西片の家に住み続けたのかな.でも,引っ越すタイミングでちょうど息子さんが帰ってくるということだったので,追い出された? それはともかく,東京というか,あの辺に住み続けて,バドミントンは,文京区で練習を続けて,スキーも東京のクラブで活動して,ピアノもファミーユに出て,30代は仕事(研究)は,迷走しましたが,仕事以外のことは楽しくて,40代は,仕事(研究)も順調になって,全てが楽しくなったのかもしれませんね.

 と,一瞬思ったのですが,やっぱり違いますね.地震研にいたら,やっぱり,筑波大のようにやりたいことはできなかったと思いますからね.ですから,まあいいんでしょう.

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12/17'21
[よくわからなく]

 うーん,でも,東京での生活が楽しかったのなら,職場が筑波大になっても東京に住み続けることもできたと思うんですよね.当時は,まだTXは開通してませんでしたが,2時間くらいで(数年後にTXが開通すれば,1時間半)で通えたと思いますし,週二とかで東京で仕事だったので,大学に行くのは,講義とか会議がある週二くらいで東京中心の生活で行けたと思いますし,2016年に職員宿舎が退去になったとき,東京に帰ることもできたと思いますからね.

 でも,そういうことは,2016年に職員宿舎が退去になったときは,ちょっと考えましたが,地震研から筑波大に行くときは,全く考えませんでした.それは,心機一転,新天地でということもあったと思いますが,東京から筑波大に通えるのなら,つくばに住んで,東京に遊びに行くこともできるし,「頻度」を考えると,さすがに通勤の方が多いわけで,だったら,職場の近くに住んだ方が効率がいいと思ったことはありますかね.2016年に職員宿舎が退去になったときは,講義や会議がある日は,週二では済まなくなってましたしね.

 実際,思い返すと,バドミントンは,TXが開通してからは,時々,東京のときのクラブにも練習に行って,その後,飲みに行ったりしてましたし,ファミーユ(ピアノ)にも時々行ってたかな.スキーもよく一緒に滑ってたメンツと会って飲んだり,滑りに行ったりしてました.でも,いつの頃からか,そういうことはなくなって行きました.

 ということで,よくわからなくってきました.最初,この文章を書き始めた時は,やっぱり,自分にとっては,仕事(研究)が大事で,それを最優先した,地震研から筑波大に移って,心機一転,それまでのものをリセットして,新天地で頑張りたかったということだと思ったのですが(それはそうだと思いますが),書いているうちに,そうでもない感じもしてきました.

 でも,よくわからなくてもまあいいですかね(笑).だって,何度も書いてますが,全ては137億年前に決まっていて,こうなったのは必然,かつ,唯一無二のベストの道だったわけですからね.

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 でも,これまでのことはどうでもいいというか,変えようがないのでどうしようもないのですが,これからどうするかということはあります.そして,そういうことは考えますし,このサイトでもよく書いてますが,趣味みたいなもんで(笑),その実,これまたよくわからないというか,実際,全く以て考えたようにはなってなくて,なので,自然の流れに身を任せてってことですかね(でも,いろいろ考えるのは好きなので考えますけど).

 で,考えると(笑),もう東京に帰りたいとは思ってなくて,でも,帰れば,少なくとも電車で1時間くらいのところに住めば,昔よくいっしょに遊んだメンツでまた遊べるのかなと思ったこともあったんですが,みんな歳をとっていろいろ状況は変わってるわけで,そうも行かないんだろなとはどこかで書きました.

 てな感じで,一人,時々,みんなで内的熟達的にということに(今のところは)なってるってことですかね.でも,これまたどうなるかは全くわからないんですけどね.

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 でも,何と言うか,人生一本道なので,あのときああしていればというのは,全くナンセンスなんですが,想像というか,妄想はできるわけで(これまた趣味みたいなもの(笑)),筑波大の話があったとき,筑波大に行かなかったら,あるいは,筑波大に行っても,東京に住み続けたらどうだったかなあとは思いました.それは,そうしておけばよかったということではなくて,あくまで,そうしてたらどうなったかなあってことなんですが,これまでそういうことすら考えたことはなかったので,どうしてそう思ったのかな,とは思いました.

 そして,そう思ったとき,それがどうしてかがちょっとわかった気もしました.それは,筑波大に行ってなければ,あるいは,東京に住み続けたら「100%」起こらなかったことが起こったか,というようなことでしょうか.もちろん,そういうことは,たくさんあるのですが,「100%」かと言うと,そうとも言えないわけで,逆に言えば,そういうものが欲しいのかもしれませんね.

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[少しずつ死んでいってる]

 何となくですが,「少しずつ死んでいってる」感じがします.

 感覚的には,脳細胞の一部が実際に少しずつ死んでいって,心や体や脳が衰えて行って,ということでは「なく」,もっと概念的というか,実際には,生死は1か0なわけですが,そうではなく,1から少しずつ減っていて,突然,0になるのではなく,ある臨界値に達したときに死ぬ,そして,確実に少しずつそこに近づいているという感じでしょうか.

 違う表現をすると,生きているという実感がだんだんなくなって行くというか,何度か夢と現実の境目が曖昧になってきたと書きましたが,そんな感じで,つまりは,夢が死で,現実が生で,つまりは,寝ているときは,死んでいて,目が覚めても,生の世界に戻るのに少し時間がかかるというか,だんだん戻れなくなっていくというか,そんな感じでしょうか.

 これが何かはわかりませんが,死ぬことに向けて,体や脳が準備をして行ってるような気もしますし,単に,やっぱり,衰えて行ってるだけなのかもしれません.

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12/18'21
[夢の世界(空想の世界)]

 上で書いた夢の世界というのは,いろいろあって,それは,寝ているときに見る夢だけではなく(でも,以前よりはっきりリアルな夢を見るようになっていて,そういうことで夢と現実の境目が曖昧になってることもある),もっと広く,空想の世界といったものです.そして,この空想の世界と現実の世界の境目が曖昧になってきてる感覚があるわけです.

 例えば,昔のこのサイトの記事を読んでると(今は2016年が終わったところ),そのときの世界も私の中に「存在する」ことになり,これもまた夢の世界(空想の世界)の一つということになります.

 あるいは,いつの間にか何気なく考え事をしているようなことが多くなって,これまた一つの夢の世界(空想の世界)です.つまりは,今この文章を書いている時もまさにそうなわけです.

 そして,これらの夢の世界(空想の世界)と現実の世界が混在するというか,境目が曖昧になって来てる感じがして,そう言えば,もう大分前から(40代半ばくらいからか)ピアノを弾いていても,自分が弾いてるのではなく誰かが弾いている,学会とか講義でしゃべっていても,自分じゃなくて誰かがしゃべっているような感覚になる非現実感もそうだったのかもしれません.

 でも,その頃は,「少しずつ死んでいってる」という感じではなくて,「非現実感」というものだったのですが,最近は,それを「少しずつ死んでいってる」と感じるようになったということでしょうか.

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[筑波大に移っても東京に住んでいたら]

 筑波大に行ってなければ,あるいは,筑波大に移ったとしても東京に住み続けたら「100%」起こらなかったことが起こったかですが,筑波大に行ってなければ,に関しては,自分の研究室をもって数多くの学生達といっしょに研究して多くの研究成果を出せたというか,そういうことを大いに楽しめた,彼らに考えるということ,これから生きて行く上で何が大事かを伝えられた(どのくらい伝わったかどうかはともかく)ということはあります.

 もちろん,地震研にいても,研究はできたと思いますが,助手(助教)のままだと自分の研究室はもてずに自分で研究するだけだったでしょうし(でも,それでも楽しく研究はできて成果も上げられたとは思いますが),時間はかかったかもしれませんが,昇進して研究室をもてたとしても,地震研は大学院生からしか学生は来ないし多くは学部の研究室に行くので,筑波大のように多くの学生が来ることはなかったと思います.

 一方では,東大ならプロジェクトや学界や業界などのとりまとかとかいろんな委員会活動などの仕事はできたと思いますが,私が辿り着いた「やりたい研究」は,そういう枠組みにないものなので,そういう活動をするとすると,「やりたい研究」以外の分野の仕事ということになって,それはしんどかったと思うんですよね.

 なので,筑波大に行ったこと自体は,よかったと思いますが,問題は,「筑波大に行っても東京に住み続けたら」のところです.この可能性に最近(今頃)気づいたわけです.

 まあでも,片道1時間半通うのは大変だったでしょうし,週の半分しか大学に行かない状態でどのくらい学生達と関われたかとは思います.あとは,下世話な話ですが,経済的には,ちゃんと計算したことはないですが,家賃などの生活費や昇進したことなど全部入れると,おそらく数千万,いや,それ以上,つまり,丸々家一軒分の「プラス」にはなったでしょう.

 でも,なんか決定打がないですね.昔のことについて,こういうことを考えることは全くなかったんですが,どうして考えるのかが不思議というか,何かあるのかというか,そういうことの方が気になりますね.

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 非常に具体的に言えば,研究とか仕事に関しては,筑波大に行ってよかったと思ってるのは間違いなくて,だとすれば,筑波大に行ったとしても東京に住み続けた場合,それ以外のところ,具体的には,ピアノやバドミントンやスキーについては,その方がよかったんじゃないかということでしょうか.

 バドミントンについては,やはり,筑波大バドミントン部と関われたことが大きな反駁要因ですが,それを自分のバドミントンの競技力に繋げることはできなかったと思います.でも,それは,怪我や加齢や自分のやる気や練習環境も含めて自分の責任なので,結果論ということなんでしょうが,バドミントンという運動の本質には迫れたとは思うので,これから活かすこともできるのかもしれません.

 スキーに関しては,現実に全然行かなくなったわけで,東京にいたらもっと行ってたとは思うので,やはり,マイナスということなんでしょうが,そういう中で,これまたスキーの運動の本質というか,滑る面白さの本質に迫れたとも思うので,これまたこれからなんでしょうか.

 ピアノに関しては,ファミーユとかに気軽に行けたら,もっと弾いたかというと,実は,そんなに変わらなかったというか,これまた,人前で弾くことではなく,もっと大事な本質的なことに気づけたわけですからね.

 あとは,ゴルフについては,つくばに住まなければ,やらなかったと思うので,これは明らかにプラスですかね.

 ということで,しっかり考えてみると,東京に住んでた方がよかったというわけでもない感じもしてきて,それは,何かというと,今日考えてあらためて気づいたのは,環境は東京の方がよかったかもしれないけど,それだと,そのまま流れるだけという気もして,逆に,つくばに移って,環境的にはよくなくなったかもしれなけど,じゃあ,どうするかと考えるわけで,そうすることで,得られたものが大きかったことにあたためて気づくことができました.

 でも,何かを得るだけでは,結果には繋がらないので,それを(これから)どうして行くかですね.

 でも,一方では,もう「時間切れ」的なところはあるわけで,なかなか難しいんですが,まあ,これもできる範囲でできることを,ということですかね.

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[一体何が問題なの?]

 再三書いてる定年後問題ですが,それの一体何が問題なの?という気もしてきました.ということも,再三書いてると思うのですが(笑),これもよくよく考えてみる必要があると思うんですよね.

 いろいろぐだぐだ書いてますが,やっぱり,経済的な問題はあるんでしょう.とは言っても,普通に考えれば,もう大丈夫だとは思うのですが,持ち家や貯蓄があっても,やはり,給料という形でのキャッシュフローを失うことは大きいと思うんですよね.

 でも,だったら,何とかするしかないわけで,幸い私には,そういう可能性があるので,これに本気で取り組んでいくということですかね.と言っても,これまでは単にやりたいからやってただけですが,それは本気で取り組んでなかったわけではないわけで,つまりは,別段何も変わらないということですかね.

 そんな危なっかしいことと思う人も多いとは思うのですが,そんなこと言ったら,起業とかこれから何か始めるのも似たようなものですし,大学とか会社に籍があって,それなりに仕事してれば,給料がもらえるというのもそんなに甘い話じゃなくて,やりたくもないめんどくさい仕事もしないといけないわけですからね.

 あとは,仕事をやめると世の中とか人との繋がりがなくなるってことですが,これも一長一短で,世の中,どんどんグダグダになって行く中で,そんな世の中から離脱できるのは,メリットも大きいと思うんですよね.学生の研究指導ができなくなるってことについても,もちろん,楽しいことの方が多いですが,ちゃんとやれよ的なそうでもないことが増えてきているのも事実ですからね.

 もちろん,仕事をやめても(やめなくても)繋がっていたい人とは(向こうもそう思ってくれるのなら)繋がりを持ち続けたいと思いますが,そういうのって,そんなにたくさんなくてもいいと思うんですよね(一人,時々,みんな).

 そうすると,残るは,やはり,何して退屈しのぎするかってことですが,これもいろいろ考えてきて,内的熟達的に一人でもできることを中心にそういうものを再発見も含めて開拓して行くということでいいんだと思います.

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[目標ではなく想定]

 関連するのかもしれませんが,どこかで120まで生きる(生きてしまう)ことを前提に生きて行くってことなんですが,まあ,そういうことなんでしょう.

 でも,120ともなると逆にゴールが遠くなるわけで,これは,即ち,若い頃のように,人生に限りがあるとは(あまり)思わないってことですかね.でも,遠くに目標設定をすると逆にしんどくなるので,それは目標ではなく想定ということでしょうか.

 つまりは,120まで生きてしまう可能性はあるので,そのリスクをしっかり考えた上で,そうなっても大丈夫なように,その日その日を生きて行くということですかね(まさに「近く,時々,遠く」).

 例えば,80までは現役でバリバリ仕事がしたいという人はいるんですが,じゃあ,80になったらどうすんの?ってことです.そこで死ねればいいのかもしれませんが,そうなるとは限らず,そこから生ける屍のように生きるのは嫌ですよね.

 つまりは,80でさえ通過点に過ぎない,90になっても100になっても,仕事かどうかはともかく,何らかの活動はして行くということで,でも,それは,並大抵のことではないので,そういうこともちゃんと「想定」して,(要介護とかにならないように)今からやって行かないといけないということです.

 そして,結果的に80とか90とか,あるいは,もっと早く死ぬとしても,それはそれでOKというか,しょうがないわけで,そういうことは,歳をとっても,どんなに若くても,誰でもありうることで,つまりは,歳なんか関係ないってことです.

 要は,いつか死ぬけど,それがいつなのかわからないのが最大な問題なわけで,だったら,いつ死んでも大丈夫というのと同時に,逆に120まで生きてしまっても大丈夫にしておくしかないってことでしょう.

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[一曲だけ選ぶとしたら]
(ピアノ)

 ピアノなんですが,弾きたいときに弾きたい曲を弾けるようにならなくても弾けばいいんですが(なんて自堕落),過去に弾いた曲を中心にぐるぐる回すとか,それなりに創意工夫はするんですが(でも,すごい久しぶりに,あるいは,数週間とか空けて弾くと,なんか弾きやすくなってるとか,弾けなかったところが弾けるようになってるとか,ちょっと不思議なことが起こったりしてます),過去に弾いた曲リストをつらつら眺めていて,一曲だけ選ぶとしたら何かなと思いました.

 いろんなフィルタがあるんですが,私の場合,まずは近現代ということでしょうね.そして,弾きたくなって少しでも弾いたことがあるということでしょうか.代表曲というか,私にしか弾けない的には,ストラヴィンスキーの春の祭典なんでしょうが,長いしまた編曲からと考えるとすぐには無理ですね(でも,始まりと終わりの部分は,大分弾けるようにはなりました).

 ヴィラ=ロボスの野性の詩も重要な曲ですが,これも長いですね.ヒナステラのピアノソナタの1番も好きですし,ラウタヴァーラのピアノソナタの2番の第1楽章は,その気になれば,いつでも練習するつもりなんですが,なかなかその気にならないというか,しんどい曲ですし,一曲だけ選ぶとしたらの曲ではないですかね.

 カプースチンは,8つのエチュードの1番とか3番とか6番とか,プレリュードの1番とか,バガデルの1番とか3番とか,ソナタの1番の終楽章とか,ブラジルの水彩画によるパラフレーズとか,好きな曲はたくさんあるんですが,一曲だけ選ぶ曲がカプースチンってことはさすがにないですかね.

 いつでもどこでも弾けるという意味では,ハチャトゥリアンのトッカータとサイのブラックアースはありますが,最近,ちゃんと弾くようになって,存外きちんと弾くのは難しい感じはしてきて,つまり,いつでもどこでも弾ける感じではなくなって来ていて(変な感じだけど,今までいい加減に弾いてたんでしょうね),ハチャトゥリアンは,ハチャトゥリアン節だし,ブラックアースは,プリペアードしないといけないし,これらも一曲だけ選ぶ曲ではないですかね.

 最近弾いた曲だと,ゴドフスキーのジャワ組曲があって,ブロモ火山はリストに入っていて,二週間に一回くらいは弾いてるのですが,音楽的には,近現代と言えるかということもありますし,そういう意味では,ラフマニノフやスクリアビンの初期(後期は独特ですが,近現代というのとはちょっと違う)もそうですかね.

 こうやって,消去法で行くと,どんどん消えて行くわけですが,作曲家で言えば,好きで近現代のど真ん中という意味では,やっぱり,プロコフィエフですかね.そして,彼の代表作ということでは,ソナタのどれかということになるでしょうか.そういう意味では,6番(の第1楽章)は,いろんな意味で,自分にとって重要な曲で,それは,近現代音楽に入って行くときに最初に弾いた曲だし,この曲を何とか弾けたので東大ピアノの会に入れたようなものです.

 でも,結構長い(8分)ので,しょっちゅう弾くのは難しいですかね.というか,この曲,そんなに好きってわけでもないかもしれません(笑).好きということでは,第4楽章の方が好きですし,今なら何とか弾けそうな感じもしますが,目まぐるしい曲で難度的には相当厳しいですし,これもちょっと長いかな(7分くらい).

 好きというか,すごい曲と言えば,やっぱり,7番ですよね.20世紀最高のピアノ音楽に間違いありませんし,いつか弾かないといけないと思っています.もちろん,全曲弾けば,これも長いわけですが,第3楽章は,3〜4分くらいですし,この曲のクライマックスでもありますし,自分に合ってる感じはします.でも,しょっちゅう弾くという意味では,「練習になる」曲ではないですかね.

 ちょっとマイナーなところでは,4番の第3楽章は,結構好きで,こっちの方が「練習になる」感じはします.でも,一曲だけ選ぶという意味では,7番の第3楽章の圧倒的な存在感に比べるとってことはありますかね.

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[朝型になるのは,脳が高齢化しているということ]

 今週のHンマデッカで,脳時計というのがあって,19歳のときが最も夜型で,それ以降はどんどん前に進んで朝型になっていく,朝型になるのは,脳が高齢化しているということと言ってました.そういうことなんですか?

 確かに年寄りは朝が早いと言いますが,私は,そういうことは全くなくて,ずっと夜型で,むしろ,朝型にしたいくらいですが,どうやってもそうはなりません.でも,脳が高齢化してないってことなら,それはそれでいいってことか.

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12/19'21

 あとは,この回は,年の差夫婦が話題だったのですが,年の差夫婦と言っても,男が女より10以上上という組み合わせの話で,中身のほとんどはたわいもないことだったんですが(そういうのは字幕でわかるので早送りで飛ばす),最後の方で,男が10以上年上で,かつ,女の方が長生きなので,男が先に死ぬってなったとき,泣き出した女の子がいて,それはせつなかったですね.どこかで書きましたが,最愛の人がいるのなら,その人より先に死んではだめですよね.

 でも,いつものように?I田さんがいい突っ込みをして,死ぬことなんかより怖いのは,認知症だと言ったのは,その通りだと思いました.自分が自分でなくなるわけですからね.でも,もちろん,できるだけのことはしますが,治療法が確立されていない病気なので,100%避けることは難しいわけで,そうなったときのことも考えておかないといけないことになります.

 そして,死ぬことより認知症が怖いのなら,論理的にどうすべきかは明らかです.問題は,それに自分で気づけるかですね.必ず兆候はあると思うのですが,単なる加齢による認知能力の低下はあるので,それをどう解釈するかは難しいと思います.

 ていうか,これも,どこからが認知症でどこからが単に加齢によるものなのかは,線引きが難しいというか,認知症は病気ではなく,加齢が進んだものと考えることもできるわけですよね(身体的には,がんもそういう側面がある).つまりは,認知症になるかならないかの1か0ではなく,自分で自分の面倒が見られるか,つまりは,認知症も含めて,やはり,要介護になるかどうかが境目ってことでしょうか.

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[凡人だった]
(スポーツ)

 イチローが女子高校選抜との草野球に9番ピッチャーとして登板というのが話題になってました.結果は,完封ということなんですが,それはそんなもんでしょう.問題はバッティングで,3タコだったんですよね(ちなみに草野球と言ってたけど球は硬式).高校生女子ということで,球が遅すぎて逆にタイミングが合わなかったってことはあると思いますが,それにしてもというか,3打席目だけVが流れてましたが,見る影もなかった感じはしましたかね.

 年齢を見ると48とありました.もちろん,練習とかトレーニングしてないってことはあるでしょうが,50までメジャーでやるとか言ってたけど,そんなの夢のまた夢だったということで,そういう点では,イチローも凡人だったんだなと思いました.

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 逆に言えば,彼と同じくらいの年齢で,彼以上の競技力をもつ人は,ゴロゴロいるんだと思います.野球にはシニアの世界がないのでその辺のところがわかりにくいですが,バドミントンとか陸上とか,シニア競技があるところを見れば,それは明らかで,そういう意味では,その年代のトップ選手は,違った意味で,非凡なんだと思います.

 だって,今やったらイチローに勝っちゃうわけですし,いやいや,実績が全然ちゃうやろとかほざいたって,そんなの立派な「過去の栄光」なわけで,問題は「今がどうか」ですからね.

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 更に逆に言えば,女子高生相手に3タコという醜態をさらしてもプレーしているイチローは大したもんだとも思います.でも,今回悔しい思いをした,情けないと思ったのなら,もっと練習して頑張れって感じですかね.

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 でも,女子高生というか,そのくらいの年代の人にとって,イチローってどのくらい偉大なんでしょうか? 彼らが生まれたのは,イチローがメジャーに行った後ということなので,彼が活躍していたのは見てないってことですよね.

 だったら,イチローなんかより,現役のプレーヤー,大谷は別格としても,田中マー君とか,ダルビッシュとか,オリックスの山本とか吉田とか,ヤクルトの山田とか村上とか,ソフトバンクの柳田とか千賀とか,広島の鈴木誠也とか菊池の方がキャーキャー言うんじゃないですかね.

 そういう意味では,イチローが若い人達にとってそういう存在になるには,過去の実績ではだめで,ここから何かを積み上げていかないといけないということで,それは,プレーヤーとしてではないでしょう.そういう意味では,サッカーの三浦カズもそうだと思いますが,彼らが目指しているのは,そういう存在になることではなく,単に野球やサッカーがやりたいということなら,それはそれで何の問題もありません.

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[20世紀最高のピアノ音楽]
(ピアノ)

 プロコフィエフのピアノソナタの7番が20世紀最高のピアノ音楽と書きましたが,異論ありますか?(強気) 異論はなさそうな感じはするのですが,一応,ちゃんと検証しておく必要はありますかね.

 つらつら眺めてみると,候補としてあがるのは,作曲家としては,ここであげたスクリャービン,ラフマニノフ,シェーンベルク,ラヴェル,バルトーク,ストラヴィンスキー,プロコフィエフ,ショスタコーヴィッチ,メシアンってところでしょうか.これ以外にも近現代の作曲家はものすごい数ですが(時間が近いのでまだ多くがサバイブしてるということもある),少なくとも現段階でこのくらいの数に入ってないと,ということはあります.一方では,20世紀という線引きでは,ドビュッシーの晩年の作品も入ってきますね.

 でも,スクリャービンの作品のどれかが,例えば,ソナタのどれかか後期の作品のどれかが20世紀最高のピアノ音楽ということはないでしょうし,ラフマニノフの音楽には新規性はないし,逆にシェーンベルクは新規性の最先端ですが,組曲,Op.25が20世紀最高のピアノ音楽かと言うと...ストラヴィンスキー,ショスタコーヴィッチは,ピアノ曲をそんなに書いてないですし,メシアンは,たくさん書いてますが,まなざしとか,鳥のカタログとかが20世紀最高のピアノ音楽かと言うと...バルトークもかなりピアノ曲を書いてて,優れた作品も多いですが(でも,つらつら見てて,新規性という意味で,はっとする作品をいくつか再認識しました),プロコフィエフのピアノソナタの7番に比べると...

 そういう意味では,対抗馬となりうるのは,ラヴェルの夜のガスパールとドビュッシーの晩年の作品ですかね.ドビュッシーは,何だろ? やっぱり,プレリュード? エチュードってことはないですよね.

 やっぱり,プロコフィエフのピアノソナタの7番なんじゃない? 異論ありますか?

 でも,プロコフィエフのピアノソナタの7番は,あまりにど真ん中過ぎる感じもして,変化球的には,そんなに評価されてないけど,意外とこれってすごいんじゃない?というのは,いろいろあると思うんですよね.

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[遥かに恐ろしい]

 最愛の人より先に死んではだめと言っても,もちろん,できる限りそうするとしても,100%確実にできることではないですよね.そう考えると,やっぱり,「一人でも大丈夫」が無敵ってことなんでしょうか?

 でも,その時は,彼女は,そうなったら私も死ぬと言ってましたが,それもありかもしれませんね.ていうか,この人がいないと生きて行けないという人がいるだけでどれだけ幸せなんだと思いますしね.

 でも,現実には,パートナーが死んで後を追って死んだという話はききませんし(後を追うように,とは違う),現実には,なかなか死ねるものではないし,やはり,生きていくしかないわけで,でも,それは辛いと思うんですよね.

 まさにどこかで書きましたが,危うい幸福(幸福は危うい)ということで,そういう意味では,「一人でも大丈夫」は,幸せではないけど,危うい幸福(幸福は危うい)を避けているというか,逃げているということかもしれませんね.だって,幸福になったとしても,それを失うことの方が遥かに恐ろしいことですからね.

 でも,好きになっちゃったらどうしようもないわけで,厄介なことですね.

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 うーん,だからやっぱり「一人でも大丈夫」は無理だとしても,過剰に依存し合わないというか,それぞれが独立した人間で,その上でということで,それは,普段からのいい関係にも繋がることだと思うんですよね.

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(芸能)

 M-1は,錦鯉が勝ったんですが,ネタ的に一番よかったのは,オズワルドの1本目だったと思います.でも,他の組もそうでしたが,今回は,2本目が1本目よりかなり落ちてて,落ち具合が一番少なかったのが錦鯉ということでしょうか.まあ,2本目に行かないとそこで終わるので,1本目にいいネタをもってくるのはしょうがないとは思いますが.

 でも,錦鯉の長谷川もある意味そうですが,誰かが天才と言ってましたが,インディアンズの田渕は,初めて見たとき(もう5年以上前か)から,ずっとすごいと思っています.ランジャタイは,面白かったと思いますが,去年のマジラブの漫才論争のあおりを食ってついてなかったですね.

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[18, 19世紀最高のピアノ音楽]
(ピアノ)

 20世紀最高のピアノ音楽がプロコフィエフのソナタの7番なら,19世紀,18世紀はどうかなと考えました(妄想の世界).

 19世紀と言えばロマン派で,一曲選ぶとすると,やはり,ショパンでしょうか.でも,これは難しい.バラードの4番? ポロネーズ−ファンタジー? いや,個人的には,Op.10と25のエチュードは,すごいと思うんですよね(でも,さすがにこれは変化球か).

 うん? 待てよ.ベートーヴェンは,1770年生まれですから,彼の後期のソナタは,19世紀の作品ですよね.だったら,やっぱり,そうなりますかね.そうすると,ソナタの23番(アパッショナータ)かなあ.

 てことは,玉突き式?に18世紀は,バッハということになって,これも平均律になるんですかね.

 てことで,結構悩むかと思いきや,意外とあっさり決まる感じでした(笑).

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[時間切れ?]
(ピアノ)

 で,「20世紀最高のピアノ音楽」である(と書くとやっぱちょっと仰々しいか(笑))プロコフィエフのソナタの7番の第3楽章,久しぶりに弾いてみました.以前,弾いた時もそうでしたが,(私は)意外と弾きやすいです(でも,今ちゃんと弾くと,右の和音を均等に当て続けるのは神経を使う.つまり,昔はいい加減に弾いていたということ).

 最後は,跳躍の嵐で爆発的に盛り上がるんですが,こういうのは,結構,得意ですし,ちゃんと暗譜して練習すれば,そこそこ弾けるようになるような気もします(でも,中間部が意外と弾きにくい).ポリーニのスピードは厳しいとしてもソコロフとかリヒテルくらいのテンポなら充分行ける?

 でも,何と言うか,「今弾く気分じゃない」ですね.そして,これをレパートリーにして,いつでも出せるようにするのは,もうしんどいかなあ(そういう意味では,ソナタの4番の第3楽章の方がまだ弾く気になる).実際,「19世紀最高のピアノ音楽」であるアパッショナータも昔はよく弾いてましたが,今はもう全然弾いてませんしね.

 なんかもう「時間切れ」って感じですかね.

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[全く以て余計な心配?]

 幸せを得ることより,それを失うことが怖いってことですが,誰かを好きになったとしても,相手次第,つまり,私のことを何とも思っていなければ何も起こらないわけで,それは,今のパートナーもそうで,何も起こらなければ,依存し合うことも幸せを得ることもない,つまり,それを失うこともないわけで,全く以て余計な心配ということでしょう.

 うーん,でも,仕事を失ってから(へたしたら)何十年も一人(時々,みんな)でやって行けるかなあ.やはり,いろいろ準備も必要ですが,精神修養というか,心の準備ですかね.ポイントは,やはり,誰かといっしょにいる楽しさではなく,めんどくささをしっかり想像することでしょうか.あるいは,丁度いい距離感でいられるパートナーを探すことですかね.

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12/20'21

 でも,丁度いい距離感ってどういうことでしょうね? お互い独立した一人の人間というのは大前提として,だったら,いっしょに住んでいても,そうでなくてもうまくやって行けると思いますからね.

 なので,重要なのは,お互い独立した一人の人間ということに加えて,お互いにお互いが一番,そして,唯一無二ということでしょう.そういう意味では,今のパートナーは,そうではないということになりますね.

 でも,パートナーは,一人が大原則ですが,「時々,みんな」の「みんな」は,そうではないわけで,つまり,パートナーではないけど,わかり合える友人は,何人いてもいいわけで,そういう人達と,まさに「一人,時々,みんな」でやって行くってことですかね.

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 芸能人夫婦のご息女の急逝が報道されています.幸せを得ることより,それを失うことが怖いんですが,最愛のパートナーもそうですが,もしそれが自分の子供だとしたら...想像しただけでとても耐えられそうもないです.そんなことになるくらいなら,幸せになんかなりたくないとすら思ってしまいます.

 そして,これを敷衍すると,最愛のパートナーを得て幸せになることすら恐ろしいとなり,「一人でも大丈夫」を目指したいとなるわけです.でも,そういう意味では,今のパートナーとの「ある重大な問題」に気づいたときは,まさにそういう幸せを失ったということになりますが,後になって気づいたというのは,一種のソフトランディングになったのかもしれません.

 もちろん,誰かを好きになるとか,いっしょにいたいと思うとかは,制御できるものではないですが,現実的には,もうそういうことは起こらないわけで,それはそれで,幸せになってそれを失うこともなくてほっとするところもあって,だったら,ひたすら「一人でも大丈夫」を目指すということでいいんでしょう(いいんですかね?).

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[現実逃避?]
(ピアノ)

 現実逃避?じゃないですが,内的熟達的なことを考えると,例えば,プロコフィエフのソナタの7番の第3楽章をレパートリーにして,いつでも出せるようにするのは,もうしんどいってことですが,そういうことじゃないですよね.

 レパートリーにして,いつでも出せるようにするというのは,内的熟達ではなく,人との繋がりで,そんなの関係ねーわけで,要は,弾く気になれば弾けばいい,弾く気にならなければ弾かない,でいいんだと思います.

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 とか書きながら,結局,今日も(メトネルとか最近弾いてる曲を弾かずに)プロコフィエフのソナタを弾きました.で,なんでかなと思ったんですが,弾く曲リストとか作っていろいろぐるぐる弾いてるけど,近現代のど真ん中というか,個人的にも思い入れがあるプロコフィエフの,それも彼の代表作であるピアノソナタを弾かないとか,20世紀最高のピアノ音楽をスルーするとかあり得ない,それ以外の曲とか弾いてる場合じゃないと思ったってことですかね.

 とか言いながら,弾く気がなくなったら弾かないんですが,弾く気になるうちは弾くってことですかね.

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[腹をくくる]

 でも,「一人でも大丈夫」を目指して,現実的には,「一人,時々,みんな」でやって行くしかないと腹をくくると,逆にちょっと落ち着いてくる感じもします.もちろん,今のパートナーもそれ以外の人も含めて,「何かが起こる」可能性は0ではないですし,それを排除することはありませんが,実際のところは,今のパートナーも含めて,もうそんな可能性はないわけで,だったら,危うい幸福なんか目もくれず,内的熟達的にその日その日をその時が来るまで淡々と生きて行くということでいいんだと思います.

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[パートナー]

 でも,パートナーと言っても,いろいろだとも思うんですよね.もちろん,狭義の意味としては,夫婦とかステディってことで,それなら,一対一が原則で,不倫や浮気は裏切りってことですが,広義の意味で,いっしょに人生を生きていくパートナーということなら,それこそ何でもありかもしれません.

 異性でなくても,〇体関係なんかなくても,年齢が近くなくても,いっしょに住んでいてもいなくても,一対一でなくてもいいでしょう.それじゃあ,単なる友人じゃんってことかもしれませんが(まあそうですが),大きいというか違うのは,「いっしょに人生を生きていくパートナー」ということでしょうか.

 でも,そんなのこっちの勝手な話というか,付き合っていくうちに自然とそういう関係になるかってことですから,結局,すぐ上の「危うい幸福なんか目もくれず,内的熟達的にその日その日をその時が来るまで淡々と生きて行く」に戻るってことですね.

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 お金があれば,マネージャー(みたいな人)を雇うってことも考えられますね.瀬戸内寂聴さんにも若い女の人がずっと付いてましたからね.そういう人がいれば,何かあったときに身内とかにすぐ連絡してくれるとは思います.

 でも,仕事もしないのにマネージャーは要らないですし,最初はよく知らない人をお金で雇うのは,やっぱり,抵抗がありますかね.何かあったときについては,見守りシステムで大丈夫だと思いますしね(お手伝いさんとかも,よく知らない人を家には入れたくない).

 人間,やっぱり,give&takeで(どんなに上下関係があっても,ていうか,人間に本質的に上下関係なんかない),つまり,私と付き合う人は,私と付き合うことにメリットがないといけないわけで,それがお金というのは,逆に寂しい感じがしてしまいます.

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[年賀状]
(生活)

 年末が迫ってきたということで,年賀状をどうするかを考えないといけません(あーめんどくさい).考えないといけないというのは,電子化して行くことは決定したので,どのくらい電子化するのかということです.

 最初は,目上の人には失礼かなとも思ったのですが,受け取る方からしても電子メールの方が楽だと思うので,アドレスがわかっている人は,電子メールにすることにしました.でも,調べてみたら,全体の3割は,住所しかわからないんですよね.問題はこれをどうするかです.

 一つは,紙で出して,電子化したいので,よろしければ,アドレスを教えてくださいと書き添えることですかね.それで,教えてもらえなければ,それはそれで「終了」すればいいわけです.

 でも,そうすると,今年は,3割は出さないといけません.だとしたら,来た人にだけ出せばいい? でも,つらつら名簿を見てると,だいたい来ると思うし,五月雨式に来てその都度返事するのもめんどくさい.

 ていうか,こういうのは,一気にやらないといけません.ということで,この文章を書きながら考えた結果としては,今年までは,3割の人には紙で出して,よろしければ,アドレスを教えてくださいと書き添えて,教えてくれなかったら「今年で終わり」とすれば,来年から,原則電子化ということになりますね.

 ただ,いくつか例外はあって,一つは,喪中の葉書が来た人ですが,アドレスがわかる人は,去年のように寒中見舞いを出すんですかね.数名だけですが,うーん,この人は,紙かなあという人もいないことはないです(理由はいろいろ).

 あとは,この人は,来た日付を見ると,来たものに返事を書いてるっぽい,つまり,やめたがってるみたいだからもうやめると,向こうから来たりすることもあるってことですかね.そうすると,喪中の葉書が来た人も来年でいいか.よろしければ,アドレスを教えてくださいと書いても教えてくれず,でも,これまで通り紙で送る人もいるかもしれませんしね(何事にも例外は存在する).

 いずれにしても,来年から原則電子メールだけど,少し(おそらく10枚以下)は,紙が残って,まあ,そのくらいはしょうがないかってことですかね.

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[選ばれたい]

 じゃない方の彼女,ようやく(来週)終わるんですね.山下美月も見飽きたとは言いませんが,充分堪能?しましたし,いい頃合いでしょうか.

 で,今日,そういう場面が出てきたのか,何かの場面で連想したのかはよく憶えてないですが,要は,どうして男は不倫とか浮気をするのか(ていうか,こうやって,男をひとくくりにすんなと思いますけど)ってことで,何度か書いているように,種の保存的には,男は所詮種馬で,つまり,少数の有能な雄が多くの雌に種付けすれば,種(人類)は繁栄するってことなんですが,そのためには,少数の有能な雄を選ばないといけないので,雄の立場としては,「選ばれたい」んじゃないかと思いました.

 このドラマも「じゃない方の彼女」ということですから,「じゃない方」,つまり,選ばれなかった方ということがテーマになってて,雅也が不倫したのも自分が「選ばれた」(妻には選ばれてなかった)からなわけですよね.

 実際,動物の場合,雄同士で戦ったり,自分を大きく見せたりして,雌に選ばれるということが多いですよね.人間だって,勉強やスポーツ頑張ったり,バンドとか音楽やったり,一生懸命仕事したりするのは,雌に自分を選んでもらいたいからという側面もあるわけです.

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 で,私なんですが,結婚した時,いや,正確には,結婚する前に,相手から声をかけてもらったときは,選ばれたんだと思います.もちろん,私も彼女のことが好きだったこともありますが,そういう図式が成立していたわけです.というか,その時点では,そうでした.

 でも,気づいたら,というと変ですが,実は,選ばれてなかったということだったわけで,一体何だったんだ?という感じですが,気づいたらもうこんな歳で,つまり,そういうことも全部引っくるめて「終わってる」わけで,まさに一体何だったんだ?って感じですが,彼女がいなければ,結婚すらしなかったかもしれないし,そうすると結婚生活もしないで,いっしょに暮らすということがどういうことかもわからなかったわけで,それはまあよかったんじゃないかと思いますし,これからのことも,「一人でも大丈夫」を目指して,現実的には,「一人,時々,みんな」でやって行くしかないと腹をくくれば,いいわけですからね.

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12/21'21
[汎用的規範的概念]

 腹をくくるというか,そうなっても大丈夫なようにしておくってことですかね.それで,何かが起こればそれはそれで受け入れるし,何も起こらなくても然りということでしょうか.

 そして,これってまさに内的熟達ですよね.自分が何かすることによって,報酬や評価を求める,あるいは,そういうことを目的とするのではなく,自分がやるべきことを淡々とできる範囲でやって行くということで,あらためて汎用的規範的概念だなと思いました.

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[消去法の人生]

 で,具体的にどうやって生きていくかですが,基本的には「消去法」だと思うんですよね.

 お金が必要なら働くしかないし,でも,やりたくないことするくらいなら,そこのところのバランスを考えて支出を制御すればいいし,そうすると,どうやって退屈しのぎするかってことですが,よりやりたくなくはないことを消去法でやればいいわけです.

 歳をとるとやりたくてもできないことも出てくるわけですが,これまた消去法ということで,でも,究極的には,何とか自力で食事,排泄,着替え,シャワーを浴びることができればいいわけで,できることなんか山のようにあると思います.

 ただ,重要なのは,やはり,脳力ですかね.これがなくなれば,自分が自分じゃなくなるので,身体的なことより,遥かに重要だと思います.

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[〇刀流]

 何かの番組で,大谷は二刀流だけど,反田さんは,ピアニスト,指揮者,音楽教育の三刀流を目指していると言っていました.うーん,そういうことじゃないと思うんですよね.〇刀流というのが流行り言葉みたいになっていて,背景としては,労働力が不足して副業を促して,こき使って経済を回すといういやーな感じもしますよね.

 うーん,でも,どうなのかなあ,大谷ならピッチングかバッティングかどちらかに専念した方が大きな成果が上げられると言う人は多かったと思いますが,成果とか関係なく,どっちもやりたきゃやりゃあいいじゃんと書きました.そして,結果として,大きな「成果」になったわけですし,どこかで書きましたが,彼が肘の手術を受けてピッチングができないとき,彼にバッティングがあることは,大きな助けになったと思うんですよね.

 反田さんの場合はどうでしょうか.指揮は,音楽的に得るものはあるような気もしますし(でも,アシュケナージとかバレンボイムとかはそうでしたが,彼らも単にやりたくてやってた感じで,相乗効果的なものがあったとは..),音楽教育も教えることで得ることもあるとは思いますが,学校を作るとかマネージメント的なことは,音楽そのものには,いい影響はないと思うんですよね.

 それは,やっぱり,ピアノを弾くとかの芸術というのは,「精神というか内面の世界」で,俗世間的な外的世界にまみれて疲弊することは,プラスにならないと思うからです.

 まあ,でも,やりたい気持ちを抑えることはできないし,彼がピアニストとしてどこまで行けるのかというようなことも含めて,結局,これもやりたきゃやりゃあいいじゃんってことですかね.まあ,二刀流,三刀流どころじゃないお前が言うなってことなんでしょうが(笑),だから,私は大して(社会的には)成功しなかったわけで,でも,社会的成功とかどうでもいいことなので(やりたいことをどれだけやれたかが私にとっての成功なので),やっぱり,やりたきゃやりゃあいいじゃん,ですかね.

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12/22'21
[ちゃんと向き合うべき]

 うーん,でもなんかやっぱ違うかな.少なくとも,大谷とは違う.

 大谷の場合,MLBという世界最高の舞台で,バッティングとピッチングの双方で結果を残したわけですが,反田さんの場合は,まだ全然そんなところまで行ってない,ショパンコンクールで2位とか言ったって,若手の登竜門的な話で,サッカーのワールドカップで2位になったのとは全然違います.

 つまり,ピアニストとして,まだまだ駆け出しなわけで,アシュケナージやバレンボイムのような世界的なピアニストが指揮にも取り組んだというのとはわけが違います.

 スポーツをピアノより下に見てるわけではありませんが,ピアノというか音楽の世界というのは,まだまだ先が長い,それこそ生涯をかけて取り組んで行くようなもので,高々ショパンコンクールで2位になったくらいで,三つのうち一つを制したなんてわけはなくて,自分は,2位だったけど,ショパンコンクールで優勝する日本人ピアニストを育てたいというのもとんちんかんな話で,もっとちゃんと音楽と向き合うべきだと思うんですよね(そういう意味では,大谷は,野球とちゃんと向き合っている).

 とか言っても,これまたいろんなことをやってるお前が言うなってことで,ここから先は,すぐ上の記事の最後のパラグラフと同じなんですが,私は,いろんなことをやってますが,どれもちゃんと向き合ってると思ってるし,どれも趣味で片手間にやってるとは思ってないし,でも,どれもやりたくてやってるので「趣味」だとも思ってます.

 いや,それは,反田さんもうそうだということかもしれませんが,何か違うというか,ピアノは上手いかもしんないけど,その先に何がある?というか,何を求めてる?というか,そもそも,そういうことを求めてないというか,価値観がどこか根本的に違うような感じがするんですよね.

 まあでも,人それぞれだし,そういうことは変えられないというか,素養で決まってくるところはあって,(私も含めて)当人の思うような生き方しかできないというか,それでいいんでしょう.

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[大事なものを失わないように]

 「一人でも大丈夫」を目指して,現実的には,「一人,時々,みんな」でやって行くしかないと腹をくくると書きましたが,そうじゃないですよね.「現実的には,「一人,時々,みんな」でやって行くしかない」んじゃなくて,「「一人,時々,みんな」でやって行きたい」ですよね.それがどうして,いつの間にか?「やって行くしかない」(と腹をくくる)に化けたんでしょうか?

 パートナーとか,選ばれたいとかいうのもそうですが,そういう(個を犠牲にして人類を繁栄させる)本能に負けないように,本能に負けて大事なものを失わないようにしないといけないってことですね.

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[弾く曲がないどころか]
(ピアノ)

 20世紀最高のピアノ音楽をスルーするとかあり得ないのなら,19世紀最高のピアノ音楽(ベートーヴェンの23番のソナタ)も同様ですよね.じゃあ,18世紀は?(でも,平均律ってのはどうかなあ.ゴルトベルクにしとく?) ロマン派や印象派は?(でも,印象派ってドビュッシー以外に誰がいるの? ラヴェルは印象派? でも,そもそも,(音楽の)印象派って何?)

 とか考えていくと,弾く曲がないどころか,あり過ぎて困るわけで(新曲なんか開拓してる場合じゃない?),まさに退屈しのぎには事欠かないってことなんですが,逆に何でもかんでもは弾けないわけで,これがどこで飽和するのかってことですかね.

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12/23'21
[白日の下に晒される]

 反田さんの場合もそうですが,何か結果を出して注目されて,インタビューを受けたり,J熱大陸とかに出たりするのは,怖いことです.その人の「中身」が白日の下に晒されるわけですからね.中身があればいいのかもしれませんが,薄っぺらいとかなり恥ずいことになります(そういう点では,大谷はちゃんとしている方).そもそも,きかれたら答えるのはしょうがないとしても,そういうところに進んで出ていくだけで素養としてどうよという類のものです.

 でも,素養の低い人達(見下した言い方)には,その方が受けることもあるでしょうし,ピアニストとか音楽家としてやって行くのではなく,芸能人としてやって行くのならそれでいいんでしょうが,そうでないのなら,一体何やってんだ?ってことですが,まあこれも,結局,素養の問題で,そういう意味では,なるようになってるわけです.

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[自分がどうしたいのかちゃんとよく考える]

 大事なものを失わないようにですが,実際のリタイア後の生活を想像して,自分がどうしたいのかちゃんとよく考える必要がある気がします.

 ここでも,内的熟達,人との繋がり,報酬のやる気三要素が基本になると思うのですが,まずは,報酬,つまり,経済的に何とかなるかってことですが,これがないと生きて行けないので,何とかするしかないですが,必要以上のお金を稼ぐためにやりたくないしやるべきでもないことをやるのはばかげているので,そういうことはもうやらないということで,もちろん,そういうことをやらないと食べて行けないのならやるしかないですが,よほどのことがなければ,そこのラインはもう何とかクリアしてると思いますし,幸い,やりたいことの中にそういうことに繋がることもやっているので,これをやって行くということですかね.

 一方で,内的熟達は,やはり,これが基本で,一人でもできて内的に熟達して行けることを日々淡々とやって行くということでしょう.もちろん,やりたくない日や時もありますが,そういうときは,やらなくてもいいし,消去法的に,よりやりたくなくはないことをやってもいいでしょう.

 問題は,人との繋がりです.私の理想は「一人,時々,みんな」なので,限られた,でも,大事な人との繋がりがあれば充分なのですが,それでは足りないような気もするというか,パートナー(のような人)がいた方がいいのかとか,揺れるときもあるのですが,人との繋がりの最大の問題は,「相手次第」ということで,つまり,この人とパートナーとしてやって行きたいとこっちが勝手に思っても,相手が嫌だと言えば,それまでの話なわけです.

 そう考えると,やはり,どうしても「一人でも大丈夫」が無敵に思えてしまいます.実際には「一人でも大丈夫」は無理でも,それを目指すこと自体には何の問題もないわけで,それは,「一人「でも」大丈夫」だからで,人間関係を排除することではないからです(去る者は追わずだが来る者は拒まず).

 でも,それには,やはり,内的熟達の「種目」の充実ですよね.それは,種目の数もありますが,やはり,それぞれを充実させることでしょう.最近,ピアノの記事が多いのもこれを種目の一つとして,持続的に内的熟達的に(人前で弾かなくても)どうやって取り組んでいくかの研究ということです.

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 何とかしないといけないと思っているのは「運動」です.バドミントンについては,いつまでできるかということもありますが,一人ではできないというのが大きな問題です.もちろん,練習に行けばいいんですが,何か楽しくないんですよね.

 思い返すと,一番練習に行ってたのは(東大バドミントン部時代を除けば),東京の文京区時代だったと思いますが,強くなっている時で,全日本に出るという目標があったということもありますが,プーナとか,文京区の練習場所の雰囲気がよかったと思うんですよね.

 と書いて気づいたんですが,果たしてそうなんですかね? 筑波大バドミントン部の練習に混ざった時は,ほんとに快く受け入れてもらえましたし,それは,職員のクラブもつくばのサークルもそうで,じゃあ,何が違ったかというと,私の競技力ということに気がつきました.

 つまりは,文京区で練習していた頃は,強かったので,どこでも行けば歓迎されたというか,一目置かれたということなわけで,それが40を過ぎてあたりから,つまり,つくばに行って何年かしたあたりからそうではなくなったというか,もちろん,それでも,どこに行っても温かく受け入れてもらえるのですが,何となくそういう「雰囲気」ってわかるんですよね.そして,それは,競技力が凋落した今ならなおさらです.

 じゃあ,どうしたらいいかってことなんですが,それでもめげずに強くなるために練習に行く,というのは,もうしんどいですかね(若くてまだ全然強くなかった頃は,強くなるためだったらそんなの全然へっちゃらでしたけどね).でも,バドミントンをやめてしまおうとはまだ思ってなくて,そうすると,そこのところ何とかしないといけないわけで,考えているわけです.

 で,何となくの今のところの感じとしては,普段から体を整える,動かすことを中心にして,ほんとに時々,月に数回くらい練習に(頑張って)行くということですかね.でも,今は難しいですが,仕事をやめたら,自宅で何とか一人でバドミントン(のようなもの)ができるようにとは思っています(そうすると,家を建てるしかない?).

 スキーについては(もちろん,誰かといっしょに滑るのが楽しいですが),一人でも滑れるのですが,やっぱり,出かけるハードルをどれだけ下げられるかですかね.これについては,新幹線で1時間で行けるところに住むとかも考えられるのですが,今は,車で1時間とか1時間半で行けるという環境にあるので,これでどのくらい行くかですが,こういう環境でも行くのにハードルの高さを感じるようでは(有給休暇取得が足りないということで,今日から年末までもう休みなので(でも普通に大学に来てますが(笑))行こうと思えばいつでも行けるんですが行くのが億劫),リタイアしてどのくらい行くのかと思いますね.

 ゴルフについては,一人でできる的には,一番いいと思いますが,こっちに来て,練習場に行くのが億劫になってしまいました.これもある日突然,思い立って,バドミントンの練習に行ったように,思い立つのを待つ感じですかね.でも,これも基本的なことは,できるので,そういうことにどれだけ効力感を見出せて持続的にできるかでしょうし,仕事をやめたらバドミントンと同様に自宅にそういうことができる環境を整えることはできるかもしれません.

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[一体何を恐れてる?]

 極端な話,リタイアしたら,東京から電車で1時間くらいのところに住んで,出かけるのは,買い物とか時々外食するのと(あるいは,回りがいい雰囲気のところに住んで散歩するとか),月に数回くらい誰かと東京で会うくらいで,基本的にはどこにも出かけず,家の中で(体も適度に動かして行きながら)内的熟達的に過ごして行くってのはどうなんでしょうか? 想像するとしんどそうな感じがするのですが,果たしてそうなんでしょうか?

 よくよく考えると,今と大して変わらない気もしてきて,違うのは,仕事をしてるのかそうでないのかってことですが,仕事は,こういう状況で,直接顔を合わせることはそんなにないし,でも,それで全然大丈夫だし,むしろ,めんどくさい仕事ならそっちの方がいいし(あー元に戻るのが怖い),一体何を恐れてる?という気もしてきます.

 これも単なる本能的なことなんですかね? だとしたら,逆に何の心配もないというか,何も問題ないのに問題があると考えてしまう本能の問題というか,やはり,そこを克服?するってことですかね.

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[穏やかな死に繋がって行く]

 仕事をやめた後もそうですが,最近は,死ぬときのことも考えるようになって,どういう風に死にたいかというと,何度か書いているように,回りに迷惑をかけることがないようにいつ死んでもいいようにしっかり準備しておいて,「一人,時々,みんな」で内的熟達的に日々淡々と過ごして行く中で,眠るように穏やかに死ねたらと思っています(でも,これは非常に難しいので相当の準備が必要だし,準備したとしても100%は無理).

 そして,少しずつ実際に準備を始めていると心が落ち着いてくるというか,一時の感情かもしれませんが,社会から必要とされず,誰からも選ばれないとしても,それを潔く受け入れると,どこかほっとするというか,そういうことが穏やかな死に繋がって行くような感覚になりました.

 もし,自分を必要としてくれる人や愛するパートナーや家族がいれば,この世に未練があるというか,そういう人のためにもっと生きたいと思うのかもしれないわけで,そういうものがないのは,それはそれでありということでしょうか.

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[たった数年の間に]
(スポーツ)

 今日は,あちこち出かけるところがあって,家に帰ってきてピアノを弾いてご飯を食べてとかやってたら,ここ数年,毎年見ている全日本フィギャー(今日は,女子ショート)が終わるところでした.最終滑走は,ずっと昔に何度か書いた(本田さんと同世代の)青木さんで,大きくなったね(笑)と思ってしまいました.

 でも,全日本フィギャーがあるのは,知ってたわけで,つまり,いつものように見ようとは思わなかったってことですかね.だって,ワリエワのパフォーマンスからしたら,もうほんと一地方大会くらいのレベルなわけですからね.

 もちろん,将来有望な若手の演技をってこともあるんですが,ロシアからこうも次々ととんでもない選手が出てくると,もう絶望感しかないですよね.紀平さんが世界のトップだった時からたった数年の間に,どこがどうなっちゃったんですかね?

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12/24'21
[使命?]

 ちらっと見ただけですが,男子フィギャーの羽生さんが4回転アクセルに挑戦するようで,自分にしかできないと言っていただけるので使命と思ってやりたいというようなことを言ってました.どう思いますか?

 もちろん,着氷したら世界初の大技ということですが,使命と思ってやることじゃないですよね.でも,そう思うことで頑張って練習するとか気合が入るということはあるでしょうが,それは,自分で勝手にそう思えばいいだけの話で,公言するようなことじゃないと思いますけどね.

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[超越する]

 自分が必要とされないことを受け入れて,そういう状況で淡々と生きていくための準備,回りに迷惑をかけることがないようにいつ死んでもいいように準備をして行くことが穏やかな死に繋がって行くとか書くと,ネガティブなイメージをもつ人もいるんですかね? でも,私としては,全然そんなことはなくて,むしろ,死ぬというネガティブ?なものがポジティブに変わるというか,もっと言えば,死ぬとか死なないとか,社会から評価されて必要とされるとか,誰かから選ばれて,そして,私も選んでそういう関係になるとかならないとか,いろんなことが全てニュートラルになるというか,ネガティブとかポジティブとか超越するような感覚ですかね.

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12/25'21
(スキー)

 有給とってるし(無理やりとらされたし),びわ湖バレイはまだ開いてないけど,奥伊吹はなんともうほぼ全面滑走可で,天気もよさそうだし,来週は大寒波みたいだし,シーズン〇日は行くのなら年内に一度行っとかないと思ったのですが,めんどくさいというか億劫で,明日はスキーに行こうと思うと憂鬱なので,起きた時に決めようと思って寝ました.で,最初に目が覚めたときは,億劫だったのですが,寝て〇時間は起床しないルールの時間になったときは,まあ行くかと思えたので行きました.

 でも,そんな時間に出かけたので,着いたのは,午後券が買える時間で,そしたら,この日は「イケメンデー」ということで,男性は2000円ということでした.別にイケメンじゃないんですが(笑),こういう逆逆差別的なサービスに遭遇したのは初めてで,悪い気分じゃないんですが,来月にはレディースデーがあるらしく,その時は,女性は只らしいので,逆差別というか,まだまだ女男差別の状況ということですね.逆に言えば,こういうのがなくならないと男女差別は根本的にはなくならないわけで,女性からしても,今までの女性としての既得権はキープしたままで,男女差別を撤廃しろと言っても,それは,ムシのいい話でしょう(と思ってる男性も多いでしょう).

 で,滑り始めたんですが,何か変な感じです.初滑りなので,乗れないのはしょうがないんですが,そんな感じでもなくて,感覚は割とすぐに戻ったんですがうまく滑れない,特に苦手の右外脚ターンが全然乗れません.バーンの状況はかなり厳しくて,ガリガリのアイスバーン状態だったんですが,それにしても何か変.

 最近,特に,ここ数年,スキーについても競技力の低下を実感していて,それは技術的なことというよりは,やはり,フィジカルで,何年か前,研究室でハンターに行ったとき,いつもがんがん入ってるアイスバーンのコブ斜面に全く入る気にならなくて,その前の年に研究室で舞子に行ったときは,そんなでもなかったと思うので,その辺が境目でしょうか.つまりは,スキーもそろそろ潮時というか,少なくとも,これまでのようには,滑れないってことなのかなあとか思いました(今日もかなり疲れが残ってるし).

 それならそれで,滑れる範囲で滑ればいいとは言えるんですが,何度か書いてる動きを洗練してパフォーマンスが向上するという感覚がなくて,要は,滑ってても全然面白くないんですよ.そうだとすれば,競技力の低下という問題ではなく,スキーをやめるというようなことなわけです.

 でも,考えて動きを洗練する的に考えたところ,まず,気づいたのは,準指の養成講習でブロック技術員の坂本さんに教えてもらった,いつもやってる「骨盤を入れる」ルーティンをやってませんでした.で,それをやるとポジションが下がることに気づきました(今までは気づいてなかった).

 要は,ポジションが高かったということなんですが,どうしてそうなるかというと,やはり,脚力が衰えているということですね.逆に言えば,脚力があれば,高いポジションで滑れるのですが,脚力がないとそれでは,スキーを踏めないので,ポジションを低くする必要がある.でも,それにも脚力が必要なわけです.

 で,そういうことを意識して滑ると,大分乗れるようにはなりました(でも,エッジを研いでない状態でのアイスバーンは厳しいし,最後の方は,大分土が出てきて,それも気持ちよく滑れなかった要因の一つかも).で,何とか夕方まで滑って,帰る時は,それなりの充足感は感じることができました.

 でも,言えるのは,やはり,フィジカルというか脚力が衰えているのは,間違いなくて(バドミントンもしてないし),これをどうするか,楽しく気分よく滑りたいのなら,そういうことも考えないといけないということですね.

 と言っても,トレーニング的なことをどれだけやるかってことだと,これ自体がその気になるかどうかということなわけで,そういう意味では,できる範囲でその気になる範囲でやるしかないのですが,最近,有酸素的なことは(ほんのちょっとですが)できる範囲でやっていて,でも,無酸素的なことが疎かになっていて(なので脚力が衰える),でも,両方やるのはめんどくさいので,両者を兼ねる方法を思いついたのでやってみますか.スキーどころか,大分先の話かもしれませんが,日常生活に支障をきたすようになるとまずいですからね.つまり,スキーができるくらいの「安全率」を確保しておけば,日常生活とか要介護的にはまだまだ大丈夫ということもあるでしょうか.

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 以上のことが記録的なことですが,問題は,これからどうするかですね.

 スキーに行くのが億劫で,滑ってても楽しくないのなら,やめればいいだけの話でしょう.実際,スキーなんか行かずに家や研究室でぬくぬくとデスクワークしている方が遥かに快適です.でも,感覚的には,まだ,スキーをやめるとまでは思わないですかね.

 それがどうしてかはよくわからないのですが,やめないのなら,嫌々行くのではなく,楽しく行った方がいいし,そのために創意工夫をするということでしょうか(まさに人生と同じ).

 まず,行くまでのハードルですが,明日スキーに行くと思うと憂鬱になるのなら,朝起きてから決めればいいというのもありますし,今回,スキーに行くというよりは,いつも過ごしている日常生活の場所が家とか研究室からスキー場に変わるだけと考えたとき,大分気が楽になりました.具体的なイメージとしては,スマホやPCがあれば,普段とそんなに変わらず過ごせるわけで,レストハウスでそうやって過ごしながら,時々その気になった時に滑るみたいな感じでしょうか.

 もちろん,実際は,そんなことはないのですが,滑る気にならなければ,そんな感じでいいやと思って,現地に行けば,せっかく来たんだから滑ろうとなればそれはそれでOKということでしょうか.

 あとは,やはり,スキー場に行くまでのハードルをどれだけ下げられるかですね.そういう点では,今は結構恵まれていて,びわ湖バレイなら車で1時間,奥伊吹なら1時間40分です.少なくともつくばの時(車でも電車でも3時間)と比べたら雲泥の差ですが,あんまりそんな感じがしないんですよね.

 やっぱり,自分で車を運転して行くのが面倒ってことですかね.1時間とか1時間40分と言っても,それなりの時間ですからね.そういう意味では,やっぱり,電車が楽かなあ.電車の中ならやりたいことができますしね.車で行くと,車まで荷物を運ばないといけないし,スキー場では,駐車場の車のところで着替えて(でも着替え自体はウェアの下を履くだけ)ブーツ履いて,重いスキー板かついでてくてく歩いて行くのも(帰ってくるときも)かったるいです.

 そういう意味で,一番楽だったのは,ガーラのシーズンロッカーに板もブーツも置いておいて電車で行くことですかね.これだと,例えば,大宮とか熊谷駅の近くに住んでいれば,ほとんど手ぶらで1時間とか1時間半で行けて電車の中ではやりたいことができるわけですし,駐車場から重いスキー板かついでてくてく歩いて行く必要もありません.

 でも,こっちに来て,ガーラのシーズンロッカーは手放してしまいましたし,ある時期から,シーズンごとに一度荷物を撤収しないといけないのが問題でした.そういう意味では,置きっぱにできる越後湯沢駅のロッカーは,まだキープしていますが,駐車場とは違いますが,駅構内の端っこの暖房とか入ってないところなので,ここで着替えてブーツを履いてというのは,ちょっと気が重いですかね.

 だったら,ここで荷物だけとって,スキー場に行って,スキー場のレストハウスの着替えるところで着替えてロッカーに荷物入れておけばいいのか.つまりは,そういうちょっとしたこと(500円くらいのロッカー代もかかるし)ってことですかね.でも,だったら,越後湯沢駅で着替えちゃうかなあ.

 でも,一度そういうことを想像して,また戻ってくるというのは,一つの考え方というか,どこかで書きましたが,めんどくさいからタクシーで行こうかなと思ったとき,お金のこともありますが,そんなことしてたら,どんどん体は衰えていくし,歩くとか自転車とかにして,将来に「逆借金」しておくと考えるということと同じでしょうか.

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[だんだん実感が湧いてきた]

 ○暦になったときは何の感慨もなかったのですが,だんだん実感が湧いてきたというか,それは,既に書いたように,急に定年がまた近づいて見えたってこともありますが,なんだかんだ言って,実際もう○歳なわけで,それはほんとにもう愕然としますし,実際,いろいろ衰えても来てるわけですからね.

 でも,若い頃はよかったとか,若い頃に戻りたいとは全然思わないですし,今与えられた状況でやって行くしかないので,いろいろ考えてるってことですかね.

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[回りに迷惑をかけたくない]

 定年で仕事をやめた後とか,死ぬ時のこととか,「一人,時々,みんな」とか「一人でも大丈夫」とか,いろいろ書いてますが,要は,回りに迷惑をかけたくないんだと思います.もちろん,わかり合える,話をしていて楽しい人とは会って話をしたいと思いますが,相手がどうかはわからないし,相手がそうでもないのなら,付き合わせるのは申し訳ないと思うんですよね.

 ていうか,相手の立場に立って普通に考えれば,わざわざ年寄りと話をしたいと思うか,んなわけねーじゃんとも思うわけで,もちろん,話をしたいということなら喜んで付き合いますが,私からどうこういうことはないし,そうすると,自然と話し相手はいなくなって,それはまずいから何とかするというのは,回りに迷惑をかけることになるので,そんなことになるくらいなら,「一人でも大丈夫」になっておこうと思うんですよね.

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[今年の記事を読まないと]
(このサイト)

 そっか,今は2017年の記事を読んでるのですが(この辺になって,ようやく,東京に住みたいと思わなくなったという記事が出てきました),年末ということで,今年を振り返ってという記事を書かないのいけないので,今年の記事を読まないといけませんね(なんかめんどくさい).でも,もちろん,こっちに来たということはありますが,特に何もないというか,何か特筆するようなことあったかなあ.

 あと,今年やらないといけないこととしては,来週,まだ委員会が一つ残ってるのと,ちょっと手続き的なことと,一箇所出かけるところがあるのと,年賀状を3割出さないといけないことと,メールで出すための準備くらいですかね.

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[学生が来ない方が]
(大学)

 もちろん,それが誰かは言えないのですが,研究室に学生が来ない方が研究がはかどると言ってた先生がいました(それも一人ではなく何人か).もちろん,学生と言ってもいろいろで,自分で考えてどんどん研究を進められる優秀な学生もいますが,言われたことしかできないのならまだしも,言われたこともできないしやらない学生も中にはいるわけで,そんなことなら,手がかかるだけでいない方がいいってことです.

 そうかもしれませんね.思い返すと,筑波大時代は,多くの学生達と楽しく研究してきましたし,そのほとんどは,「いない方がいい」学生ではなく,研究指導を通して彼らを成長させるとともに,多くの研究成果を上げることもできましたし,研究を通してほんとに楽しませてもらいましたが,少数ですが,中には手がかかる学生もいて,そして,そういう学生が増えてきていたのも事実です.

 そして,大学を移り,筑波大にはまだM2の学生が残っていますが,彼らが全員卒業すれば,筑波大の研究室は今年で終わりです(でも,全員卒業すれば,というのは,そういう問題があるということ).一方,京大の方も4年生が2人いるんですが,こっちも厳しい状況の学生もいて,手がかかるというか,そういう状況で「そんなことなら」と考える先生がいるのもよくわかります.

 実は,筑波大時代,人気があるというか,優秀な学生が希望してくれる研究室だったということもあって,わざとハードルを上げていて,要は,大変な研究室だけど,一生懸命研究して自分の能力を高めたいのなら是非おいで,という感じにして,優秀な学生に来てもらえるように(そうでない学生には敷居を高くして)ということがあったのですが,いつの頃からか,そうすると学生自体があまり来なくなって,その結果,事情がよくわからない状態で「そうでない」学生も来るようになって,いろいろ手がかかるようになってきたこともありました.

 でも,そんなことなら,来てもらわなくてもいいというのもありなわけで(もちろん,やる気のある学生にはどんどん来て欲しいですが),考えてみたら,もう定年まで○年で,定年後は,一人でしこしこ研究して行かないといけないわけで,それに向けての準備というか,ソフトランディング的に言っても,筑波大に行ったときのように,こっちに来て,まだ全然学生がいないから,頑張って学生を集めなきゃと考える必要もないってことですかね.

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12/26'21
[本音]

 スキーの疲れかもしれませんが,腰痛というほどではないですが,腰の調子があんまりよくないですね.

 回りに迷惑をかけたくないと考えるとすっきりするというか,これなんじゃないかなと思います.ていうか,実際,本音ですしね.少なくとも,精神修養が足らないよりは「行ける」気がします.

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12/27'21

 本音だからしょうがないんですが,回りに迷惑をかけないように「一人でも大丈夫」にならないといけないと考えるとさすがにしんどいですね.それとも一時の感情でしょうか.

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[ドラマの最終回]

 「じゃない方の彼女」ですが,予想通り予定調和の結末で,それにしても,どこかで書きましたが,ドラマの最終回って,ほんといつもグダグダですよね.理由は明らかで,視聴率を獲るために次の週を見せる作りになって,最後に辻褄が合わなくなるというか,それを無理くり合わせるからに他なりません.

 でも,「じゃない方」という言い方がどうかとは思いますが,何度か書きましたが,「一番」かどうかというのは,まさに重大な問題なわけで,それについては,私の中では確信のようなものになってきたと思います.

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12/28'21
(日記)

 昨日から大雪みたいですね.先日,スキーに行くときに通ったときは雪なんか全くなかった彦根では,一晩で70cmも積もって一面雪景色で,高速も通行止めになったようです(これで奥伊吹も積もったかな).名古屋でも積雪があったようですが,この辺は,普通にずっと晴れてて,やっぱり,このあたり(近畿)は,太平洋側と日本海側が近いんだなと思いますね.

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[年賀状の電子化]
(生活)

 年賀状の電子化ですが,メルアドがわからない3割を年賀状(紙)で(その多くによろしければアドレスを教えてくださいと書いて)昨日投函しました.数が減ってもあまり意味ないと思ったんですが,3割に減るとかなり楽ですね.

 でも,問題は,残り7割をメールで出さないといけないことです.名前とメルアドのファイルは既に作ってあるんですが,一通一通出すとそれはそれで大変です.一方で,文面によっていくつかに分けるとしても(友人,仕事関係,目上の人,ピアノ関係,バドミントン関係,スキー関係とか)相手の名前も書かずにbccで送るのはさすがに失礼というか,やっつけ感満載ですよね.

 それで,相手の宛先を入れられるサンダーバードのアドオンを見つけてこれを使うことにしました(普段使ってるのは,gmailですが,裏でサンダーバードを立ち上げてバックアップをとっています.一斉メールはgmailでもスクリプトを使えばできますがかなりめんどくさいです).自分宛てに送ったりしてテストもしました.でも,一斉メールは,やっぱり,不安ですよね.相手に(新年の)挨拶をするものなのに礼を失しては,元も子もないというか,一体何やってんだ?ってことになります.

 で,どうしたものかと思ったのですが,一度,下書きに保存するオプションがあって,そうすると,下書きフォルダの中のメールを開いて編集もできる,つまり,定型文に一言付け加えることもできて,送るときは,一つのメールに対して2回クリック(メールをダブルクリックして開いて送信ボタンを押す.なので,正確には3回クリックか(笑))するだけで送れます.

 つまり,年内に下書きというか,メールを準備しておいて,正月に2xメール数だけクリックして送るということですね.タイマー機能を使えば,1/1の9:00とかに一斉に送れるのかもしれませんが,これも一斉メール的でちゃんと動くか不安だし,一通一通相手の顔を思い浮かべながら2(3)回ずつクリックするくらいのことはしようと思います.

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[腰痛の原因]
(体)

 腰痛の原因ですが,座ってる時間が長いってこともあるんですが,猫背ってこともあるみたいです.要は,座ってる時に猫背になってる(骨盤が入っていない)ってことですね.

 猫背自体は,見かけの問題というか,猫背の方が運動能力は高いくらいなのですが(例えば,短距離のタイムとか),腰痛の原因となると看過できないですね.ほんと一人暮らしで大腰痛になって動けなくなって,ここで餓死するかもと思ったこともありましたし,これからのことを考えると,もっとやばいことになるでしょうからね.

 右股関節の怪我もそうだったんですが,50くらいのときに体の柔軟性がこのまま行ったらやばいことになると思って気をつけ出したんですが,猫背というか,背骨もこんな感じでどんどん曲がって行くとやばい感じがするので,気をつけた方がいいですね.

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[スポーツをする理由]
(体)

 今年を振り返ってという記事を書くために今年の記事を読み返しているのですが,それまでは,2017年の記事を読んでいたので,なんか混乱しますね.2017年の記事を読んでいたときも今と混乱するので,今は,3つの時代?が入り混じってる感じです.

 でも,今3月くらいですが,敢えてそうしているとは言え同じような記事が多くてあんまり面白くないですね.でも,そういう中,新しいというか,忘れてたというか,そういう記事もあります.

 例えば,どうして,バドミントンとかスキーとかするのかってことで,もちろん,バドミントンとかスキーをするのが楽しければそれでいいんですが,いつもそういうわけじゃなくて,そういう中で,これからのことを考えてプリミティブに体が動くということが書いてあってはっとしました.

 要は,何歳になっても自分で自分の面倒が見られる,要介護にならないということなんですが,そこを目指しても全然だめなわけで,例えば,いくつになっても歩けるようにと思って毎日歩いていてもだめで,それだとそのうち歩けなくなるからです.

 理由は明らかで体が老朽化して行くからです.つまり,それだとただ下り坂を下って行くだけで,じゃあ,現状維持,つまり,下り坂を下らないようにするには,そこより「上のレベル」を目指さないといけないわけです(これは,年寄りだけの話ではなく,多くのフィジカルは10代がピークなので若い人も同様).

 つまりは,より大きな負荷をかけないといけないわけで(もちろん,負荷をかけ過ぎて故障しないように),歩くのではなく走るとか,もっと深く関節が曲がる運動をするとか,そういうトレーニング的なことが嫌ならバドミントンとかスキーとかの競技をするということがあるわけです.

 そして,競技をするのなら,よりよい(ましな)パフォーマンスで競技したいと思えば,できる範囲でトレーニング的なこともするとなれば好循環ということでしょうか.

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 でも,現状維持のためには,より大きな負荷をかけないということは別として,健康とか体の維持とかを目的にスポーツをするのって多くの人にとっては当たり前のことなんですよね.でも,私はこれまでそういうことを目的にスポーツをしてこなかったので,逆に思いがけないというか,そういうところがあるわけです.

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12/29'21
[練習と試合]
(体)

 でも,その記事のすぐ後にも書いてあるのですが,わざわざバドミントンの練習とかスキーに出かけるくらいなら,室内でぬくぬくとトレーニングみたいなことをする方が楽ならそれでもいいわけです.

 そして,自分にとってのプライオリティーは何かと考えた時,それは,これからの私にとっては,やはり,いくつになっても体が動かなくなって要介護になることがないことで,もちろん,純粋にバドミントンやスキーをすることが楽しいのならやるのでしょうが,体が動かなくなって要介護になることがないことが目的でやるのは違うということでしょうか.

 でも,先日,スキーに行った時もそうでしたが,少し負荷が大きい運動をすると,フィジカルが落ちてることがわかるわけで,逆に言えば,普段,そんなに負荷をかけずに体を動かすことをしてるくらいでは,そういうことに気づかないし,老朽化による衰えも防げないということで,やはり,大きな負担をかけない範囲でバドミントンやスキーも続けた方がいいということなのでしょう.

 逆にバドミントンやスキーをしていれば大丈夫というわけではなく,普段からしっかり体を整えることが重要で,それは,いくつになっても体が動かなくなって要介護になることがないというだけでなく,バドミントンやスキーをそれなりのレベルで続けて行くのにも必要ということです.

 つまりは,普段からしっかり体を整えることが練習,バドミントンの練習やスキーに行くことが(成果を確認するための)試合というイメージですかね.

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[どうして給料が上がらないのか]
(世の中, 経済)

 どうして働いても働いても給料が上がらないのか,と言ってる人がいました.逆にききたいのですが,じゃあ,どうして,働けば給料が上がるのですか?(年功序列とか経済成長?によって物価が上がって賃金も上がるというのとは別のもっと本質的な話)

 給料が上がるのは,稼げるようになるからですよね? じゃあ,例えば,会社の中で仕事して「稼げる」ようになってますか? 具体的には,どんどん「仕事ができる」ようになってますか? 同じような仕事を続けてるだけじゃないですか? だったら,給料が上がらないのは当たり前では?

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[稼いじゃだめ]
(世の中, 経済)

 金を稼ぐことはできても,それをどう使うかが重要で,世のほとんどの金持ちは,それが(タワマンとか高級車とかブランド品とか宇宙旅行とかで散財するみたいに)全然できてないと書きました.

 でも,もっと言えば,そんな無駄金,稼いじゃだめなんじゃないですかね.だって,「無駄金」ですから.もっと言えば,無駄ならまだしも,そうやって余計に経済を回すことで,余計な二酸化炭素とかいろんな変なものを排出したり,環境破壊とかしてるわけですよね.

 つまり,地球温暖化を止めたいのなら(地球温暖化と人間が出す二酸化炭素の因果関係の議論は置いておきますが,余計なものは排出しない方がいいに決まってます),自動車を電気にすることなんかより,(公共交通を整備するとかして)自動車の数を減らす方が本質的で遥かに効果があるわけですからね.

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 私個人的には,ずっと書いてるように,給料を半分とか1/4にしてもらって,研究以外の仕事も半分とか1/4にして欲しいと言ってるのは,まさにこれに対応していることになりますね.

 運保については,「何も生み出さない」ゼロサムゲームなので,余計な変なものを排出しないことになりますし,非常に微力ながら売ることで相場が下がれば,余計なものを排出する余計な経済活動を抑えることにも寄与しますかね.

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[全日本総合]
(バドミントン)

 バドミントンの全日本総合ですが,筑波大関係は,香山と佐川がまた初戦で当たったみたいで,でも,今回は,社会人になった香山がしっかり勝ったみたいです.一方で,栗原が1回勝って奥原と当たって,1ゲーム獲ったみたいですね.ミックスでは,加藤が4に入ったようです.その他にも牧野とか溝口とか大石・長廻とか加藤・柏原とか奥とか頑張ってて,出てる人数もそうですが,(今回はトップ選手は出てないということもあるかもしれませんが.でも奥原は出てるし)少しずつ戦績も出てきてる感じはします.

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12/30'21
[今年の記事の読み返し]
(このサイト)

 今年を振り返って,という記事を書くために今年の記事を読んでるんですが,気づいたらもうあと1日です.やばい...こんなことは初めてですかね(ここ数年は,面白くてどんどん読み進んで,12/20くらいに書いちゃってるし).

 何かが変わり始めた? 過去の記事を読むことがつまらなくなってきた? 実際,今年の記事を読んでも,そんなに発見がなくてあまり面白くないですしね.

 というか,今年なのでまだ憶えているってことがある気はします.だとすれば,一種の「進化」かもしれませんね.

 つまりは,今年だけではなく,過去の記事を読んで,何の発見もなくなったら,それはもう「わかって」いて全て「憶えている」ってわけで,それはそれでいい気がします.

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 で,読まなきゃと思って読んでるんですが,私の場合,そう思うとだめなんですよね.長いし読んでてしんどいと思ってしまうのですが,今日明日中に読まないといけないというのがなければ,やっぱ,読んでて面白いし楽しめると思います.

 あと,今年の記事なので,まだ憶えてると書きましたが,そんなことないですね.具体的には,昨日書いた練習と試合という記事ですが,ここで既に書いてましたし,この記事の方が感覚的にすっきりしていると思います.

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 所々読み飛ばしながら何とか8月まで来ました.明日までに読み終わらないと,ですかね.

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12/31'21
[今年を振り返って]

 今年の記事を何とか読み終わりました.もちろん,楽しんで読めたんですが,すごい量だし,今日までに読み終わらないといけないということもあって,ちょっとしんどかったし,疲れました.

 記述的なこととしては,最初の方は,こっちに来て,実感がない,変化が感じられないと何度も書いてますね.そして,それは今でもそうですが,これは,どこにいてもやることは変わらないってことで,「一人,時々,みんな」で内的熟達的に日々淡々と過ごすことができてきたということでしょう.つまり,仕事的には,そんなに特筆すべきことはないってことですが,これは,まさに淡々とやるべきことができたってことなんじゃないですかね(と書きましたが,どうなんですかね.じゃあ,何をやったと言われると...).

 定年後問題の話題も何度も出てきますが,感触としては,もう大丈夫なんじゃないですかね.そして,それは,死に方問題にまで来たんですが,これも大丈夫というか,何とかするしかないってことですかね.関連するのかもしれませんが,パートナーとの一つの大きな問題のことも何度か書いてありました.

 でも,そういう議論の中で,特に年末にかけて,何かに近づいた気はしてて(最近のことなのでそう思ってるだけかもしれませんが),いつ死んでも大丈夫な状態にしておいて,その時が来るまで,「一人,時々,みんな」で内的熟達的に日々楽しく淡々と過ごしていけばいいと思いますし,それに向けて準備して行こうと考えることで,とても安心できて心が落ち着くし,穏やかな死に繋がる可能性が高まるということで,「一人,時々,みんな」が理想だけど,「みんな」は相手次第,つまり,回りに迷惑をかけたくないので,「一人「でも」大丈夫」を目指すということですかね.

 本能に逆らうのは,なかなか難しいですが,それを知能で乗り越えるというか,具体的には,個を犠牲にして種を存続させるプログラムとか,「みんな」は楽しいけど,めんどくさいところもある,そういう人がいて幸せだとそれを失うリスクもあって,それは幸せを失う以上に不幸になるので幸福とは危ういものであるということをしっかり想像するということなんですが,正直,これで行けるという自信まではまだそんなになくて,でも,目指すことはできるので,これもできるだけのことをするってことですかね.

 「一人でも大丈夫」ということでは,内的熟達的に過ごして行けるようにということで,ピアノの記事がかなりあって,いろいろ検討して,プリミティブに弾けるようになることに効力感を見出すこともありますが,人前弾くことを前提とせず「曲目リスト」を作っておいて,より弾く気にならないことはない曲を弾いていくということを始めたのですが,効力感的には,効果があったと思います.でも,まともに弾けるようになるまで練習しないことになるので,弾ける曲がない状態になるんですが,人前で弾かないのでそんなの関係ないし,そんなことより,日々(ある程度の)効力感をもってピアノに向かえることを最優先ということですかね.

 そういう意味では,体を動かすこともそういう検討をしないと,ということで,バドミントンは,年の始めには練習に行っていたのですが,新型コロナで練習場所が使えなくなって,でも,多分,もうやってるとは思うのですが,足が向かなくなり,その理由もわかって,そういう中でどうして行くかということで,もっと大事というか,体を整えるということにしたんですが,これもどうなるかですね.スキーは,シーズンが始まったばかりですが,初滑りでいきなりフィジカルの低下を思い知って,これも体を整えることをするきっかけになりました.あとは,最近のことですが,腰痛の原因がわかったので,その対策も始めました.

 体調的には,読み返すと,あまりよくないという記事が多いんですが,最近,寝て○時間は途中で目が覚めても起床しない,二度寝も三度寝もするというルール?を作ってからは,悪くないと思います.やっぱり,睡眠は大事ということなんですが,活動できる時間は確実に減るわけで,でも,数時間減っても起きてる時間を気分よく快適に過ごせる方が全然いいと思います.

 活動度は,こんな感じ↓で,こうしてみると悪くないですね.

 世の中的には新型コロナと東京五輪だったんでしょうが,そんなことすっかり忘れてた感じですかね(選挙というか,首相が代わったことも).

 あとは,これも定年後問題と関係するのですが,日運や短運や資保などの運保にちゃんと取り組んで行くということで(と言っても,実質,やることは変わらないのですが),そういう記事もいくつかあって,今年検討したこととしては,ファンディングコストやCFDのロールオーバーの仕組みも含めたVIX指数先物ですかね.

 そして,今年の戦績ですが,資保で資金が資産全体に広がったこともありますが,これまでの中で一番大きな利益になった↓と思いますし,どこかで書きましたが,30代とかでいろいろやってだめで出した損失とかも全部ひっくり返すことになったかもしれません.

 でも,中身的には,日運や短運はだめ↓で,それを遥かに上回る資保の利益ということですが,大手総合商社株やNasdaq100先物やFXもかなり利益は出ていますが,ほとんどは,VIX指数先物,商品先物ですかね.こんな感じなので,日運や短運は,一度見直しをしたんですが,もっと抜本的に再検討した方がいいかもしれません.そうそう,これもずっと不調だったマザーズ先物は先日見直しました.

 あとは,このサイトですが,今年の記事を読み返して大変だったわけで,ちょっと書く量を減らした方がとも思ったんですが,実際どうなるかは...

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