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4/1'21
[新年度]
(日記)

 新年度ですね.と言っても何が変わるわけでもありませんが,昨日,いろんな方から退職とか異動とかの,今日は着任とかの連絡が来て,年度が変わるんだなとは思いました.

 私個人的にも,定年まであときっかり〇年ということですかね.

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[ちょっとわかった?]

 この記事ですが,少し書き直したんですが,ちょっとわかったというか,この記事で書いたことじゃなくて,つくばに行って,ずっと東京に帰りたいと思っていたのが何だったのかってことです.

 それは,東京で20年以上暮らしてる間,楽しくて,いろんな友人とかできて,また彼らといっしょに遊びたかったんじゃないですかね.そして,これについても,そういうことがあるような気がします.

 つまり,一人でも大丈夫なんじゃなくて,(上毛高原じゃなくて大宮周辺なら)ひょっとしたらそういうことがまたできるのかもしれないってことがあるんだと思います.

 でも,実際はわかんないですよね.私も彼らも歳をとったわけですし,私はともかく向こうがどう思うかもわからないわけですからね.

 ですから,腹をくくるということについては,変わりないのだとは思います.

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[東京に帰りたい?]
(仕事)

 東京時代が楽しかったということなら,ずっと地震研にいればよかったじゃん,とも言えますよね.個人的には,助手(助教)のままでもよかったし,筑波大に行く時は,既に1999年台湾集集地震や1-2秒応答などの研究はしていたので,業績もあげられたと思います(社会的地位とかはどうでもいいけど,研究して成果を出すことは大事).でも,実際のところは,行き先がないならともかく,あるのに居座るのは問題なので(やろうと思えばできたとは思いますが),やはり,架空の話ですかね.

 逆にいえば,東京にいたかったし,楽しく過ごしていたのに,居座ろうと思えば居座れたのにつくばに行ったというのは,やはり,自分にとって研究が大事だった,自分がやりたい,やるべきと思う研究がしたかった,そういうことがよりできるところなら他の何を差し置いても移って行くのが研究者なわけです.実際,助手(助教)のままでは(当時は)学生もとれなかったですし,それこそ一人でしこしこ研究するしかなかったわけですからね(でも,これに関してはそれはそれで研究できたとも思うけど).

 そうすると,(東京に帰ることより研究できることが大事なので)東京に帰ることはなく,しかも,気づいたら,東京近郊のつくばどころか,京都にいるわけで,なんかどんどん自分の希望?から離れたところに来ているんですが,これもまさに研究のためなわけで,東京に帰りたいなんてことは,研究の前では,一瞬で吹っ飛ぶような話なわけです.

 でも,定年で大学をやめれば,そういう条件がはずれるわけで,そうすると,東京(周辺)に帰りたいということになってくるのは自然の流れかもしれません.でも,研究が大事というのは変わらないので,研究できるところがあれば,またどこにでも行くんでしょうね.

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 でも,実際のところは,どうなるかはその時になってみないとわからないですよね.もう充分やり尽くしてお腹いっぱいになってるかもしれないし,やっぱり学生がいなくなったらつまんないと思っちゃうかもしれない一方,一人でしこしこできることをやって行くことはできるわけですからね.

 でも,定年で大学をやめるとき,(来た話を断ったりして)一旦やめてしまえば,その後,その気になっても社会の中で仕事をしていくのは,難しいでしょうね.でも,だからとりあえず続けるということはないような気がします

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[幼児教育]
(世の中)

 幼児教育で,うちではこんなすごいことやってますよ的なことを時々メディアでやってます.ものすごい量の情報をものすごいスピードで暗記したりとか,絶対音感がどうとか.こういうのって昔からあるし,それこそ何十年も前からあったんじゃないかな.

 でも,そういう教育?を受けた子供たちがその後どうなったかはとんとききません.もちろん,追跡調査なんかしてないってことでしょうが,それじゃまずいんじゃないですか?

 例えば,塾とか予備校なら東大に何人受かったとかの評価がされるわけですが,幼児教育はやりっぱなしでOK? それとも,幼稚舎(小学校のこと)の合格実績とかで評価されるんですかね? でも,幼児教育の目的って,本来的には,もっと根幹的な能力開発のはずで,幼稚舎に受かるとかそういうことじゃないですよね.

 でも,東大に来た人とか,社会で成功した人で小さい頃,そういう特別な教育を受けていたという話はきかないわけで,結局,そういうのは...ってことなんじゃないですかね.

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[父の遺言]

 私の父は(仕事のし過ぎ酒の飲み過ぎで体を壊して),私が高二の冬に48で亡くなったんですが,彼が私に宛てた「遺言」を書いていたことを思い出しました.と言っても,亡くなる間際に残したものではなく,小学生か中学生くらいのときに怒られた(ていうか怒られてばっかりで怒られた記憶しかないくらい)というか,ちゃんとやれみたいなものです.

 と言っても,全部は憶えてないのですが,憶えているものは,一万冊の本を読め,音楽と愚図が命とり,人の気持ちをよく考えろ,というようなものでした(あといくつかあったけど憶えてない).

 一万冊の本を読めに関しては,全然そんなに読んでないと思います.音楽と愚図が命とりについては,私が勉強もせずに音楽に夢中になっていることと,ぐずぐずしてなかなか(勉強とかに)取り掛からないことを戒めたものですかね.人の気持ちをよく考えろについては,小さい頃からずっと言われ続けていて,でも,今にして思えば,考えても全然わからなかったというか,人の気持ちを考えるというのがどういうことかわかったのは,30過ぎてからじゃないですかね.

 ということで,彼の遺言,全然守れてないですね.でも,今は全然本を読まないですが(読むより書いてる(笑)),30くらいまでは,かなり本は読みましたし,音楽はかなりやったし愚図なのは相変わらずですが,命とりになるほどじゃなかったし,今では人の気持ちを考えるというか,少なくともそういうことを常に考えるようにはなりました.

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[いきなり孫?]

 駒場のときのクラスの同期から連絡が来て,そしたら,なんと数年前に子供が生まれて子育て三昧なんだそうです.すごいですねー.まさにいきなり孫みたいなもん?

 彼が言うには,(体はしんどいかもしれないけど)20代より今は時間に融通がきくので三昧なんだそうです.なるほどねー.これまたいきなり孫みたいなもん?

 でも,これから20年は頑張らないとですね.そしてそれはそれで悪くないでしょう.

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[いい歳のとり方をしている]

 「いい歳のとり方をしている」と言いますよね.実際,そういう人とそうでもない人はいるので,何となくわかりますが,どういうことでしょうね?

 いい生き方をしていると,それが自然と顔とか表情とかにも現れて,歳をとっても「いい歳のとり方をしている」感じ?

 じゃあ,私はどうかですが,少なくとも今の自分の顔を見ても「いい歳のとり方をしている」感じはしませんね.いい生き方をしてないから?

 でも,40くらいのときは,全然いい生き方をしてなかったと思いますが,顔とか表面的には,割と「いい歳のとり方をしている」感じは(勝手に)してました.じゃあ,今は何が問題なんですかね? 今の方がいい生き方をしていない?

 そう考えてみると,ある意味,そうというか,思い当たる節はないでもありません.やっぱり,人間苦労しないといけないということなんですかね? でもしてもしょうがない苦労してもしょうがないとも思いますけどね.それがだめってこと?

 でも,そもそも「いい歳のとり方をし」ないといけないってこともないわけですし,自分の思うようにしか生きられないので,どのみちどうしようもないんですけどね.

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4/3'21
[楽しくない]
(バドミントン)

 競技力云々ということもありますが,本質的にもっと大事なこととして歳をとっても体が動くというプリミティブなことに繋がるということで,何とか頑張って週二で練習に行くようにしてるんですが,かなりしんどいというか,ダブルスのゲームやってても楽しくなくて,頑張らないと練習に行けない感じです.40代半ばに一度やめたときのようなバドミントンそのものがしんどいということはないのですが,とにかく動けないし思うようなショットも打てないし何でこんな球もとれないんだ?という感じで,情けないということが大きいですかね.

 もちろん,加齢もありますし,昨年はほとんどプレーしてなくて,最近も1, 2月はそうだったので,しょうがない面もあるんですが.行っても楽しくないのなら,プリミティブなことを考えても,他のやり方,例えば,相手がいないスキーやゴルフならそこまで情けない感じはしないような気もしますし,それは,トレーニング的なこともそうですかね.

 でも,考えてみたら,柳田先生が60代の全日本のシングル優勝者だった頃の年齢に近づきつつあるわけで,当時の彼のプレーを思い返すと,ダブルスは一中で打ってる一番上のレベルの若い連中の中に混じれば,スピードとかは全然違ったわけで,ましてや今の私は同年代の中でも全日本レベルに程遠いわけですから,まあしょうがないんですかね.

 じゃあ,どうするかですが,結局,どのみちトレーニング的というか体を整えることはやるのなら,それを続けてみるってことですかね.そして,半年くらい経ったときにどうなるかってことで,それでもだめなら,バドミントンはやめて他の種目とかトレーニング的なことに変えるってことですかね.

 今の自分ができる範囲でプレーすればいいということもあるのかもしれませんが,動けないとどうなるかと言うと,運動にならないんですよ.それだったら,相手が必要な種目ではなく,自分の意志だけで動ける運動の方が運動になる気がします.

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 相手が必要なくて,自分の中でできる運動としては,ボウリングもありますね.実は,時々行く近くのショッピングモールにボウリング場あるんで(まだ一度も行ってないけどゴルフ練習場より全然近い),やるなら今の環境はいいと思います.でも,一人でやったことはないのでそれはどうかなと思いますが,そんなこと言ったら,スキーも一人で行くことなんかなかったんですが,今では全然へっちゃらですからね.

 でもボウリングってどうなんですかね? どこかで書いたと思いますが,年に1, 2回程度ですが,小学校くらいからやってて勘はあると思いますし(そういう意味ではバドミントン以上.でももう20年くらいやってない気がする),5, 6ゲーム投げれば1回は200アップする感じでしたが,競技レベルでマイボールマイシューズでプロテクター付けてみたいなのは何か違うというか,卓球やゴルフもそうですが,娯楽的なところがあって,運動強度もそんなに大きくないですよね.

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[そういうことにしちゃう]

 そういうことにしちゃうってことはあるかもしれませんね.つまり,大学をやめても研究は(一人でしこしこできる範囲で)続ける,ピアノの練習はする,バドミントンやスキーやゴルフは続ける,仕事みたいにやりたいやりたくない関係なくやらないといけないことにしちゃうということです.実際,今からボウリングやったっててんで大したことにはならないでしょうし,でも,研究もピアノもバドミントンもスキーもかなりの水準にあるわけですし,それどころか,できるできないは別にして,自分だけが気づいている(かもしれない)こうやればできるはずみたいなものはあるわけで,そこまで行くのって実はかなり大変なことだと思うんですよね.

 もちろん,他に興味をもったこと,やりたいことが出てきたらやると思いますし,これまで同様,やり始めたら相当やるんでしょうが,こんなレベルでやっててどうすんだ?ってことでやる気をなくすとすると,今既にやってることの方がそうならない可能性の方が高いと思いますからね(でも,バドミントンの場合,年代別の大会に出てそれなりの結果を残さないと,こんなレベルでやっててどうすんだ?ってことになっちゃいますね).

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 これって,やりたいことをやるのか得意なことをやるのかってことですよね.そして,上で書いたことは,やりたいことではなく,得意なことをやるってことなわけで,それを「そういうことにしちゃう」ってことですね.

 まあそれが全てじゃないけど,一理以上はあるってことですかね.

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[昔の時代に戻りたくない]
(世の中)

 自分の人生の中で過去のどこにも戻りたくないと何度か書きましたが,そういう意味では,過去のいかなる時代にも戻り(行き)たくないですね.今はひどい世の中だとは思いますが,人類の歴史の中で最高の時代なのは間違いないでしょう.

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[vs民主主義]
(世の中)

 米中,あるいは,それぞれを中心とした勢力の対立を民主主義 vs 専制主義だと言ってる人がいました.既にこのサイトに書いたことですね.

 普通に考えれば,民主主義なんでしょうが,既に書いたように民主主義は民主主義でかなり危ういものでもあって,わかりやすいのは衆愚主義になりやすいことでしょう.中国がアメリカのことを民主主義とか言ってるけど,新型コロナで50万人以上死んで,銃で毎年4万人も死んでる社会が何ほざいてるというようなことを言ってましたが,一理あるわけです.日本だって,こういう状況で感染対策もせずに夜の街でどんちゃん騒ぎする○ホをどうすることもできないわけですからね.

 だからと言って,言論統制がまかり通るような社会はとんでもないですが,資本主義の弊害と同様,民主主義の負の側面も考えないといけないというか,そこを何とかしないとほんとに(言うことをきかない民主主義民より従順な兵隊の方が明らかに強いので)中国にやられてしまいますよ.

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[読んで行く]
(このサイト)

 寝る前にこのサイトを読み返しているんですが,単に面白いというより,自分で書いたことなのに学ぶことがとてもたくさんあって,でも,これまた自分で書いたのに結構忘れていることもあって,ここで書いたことを全て体現できればすごいことになるんじゃないかと思い始めました(って自分で言うのもどうかと思うが).

 具体的には,書いていくのはもちろんですが,読み返すことももっとやった方がいいと思ったということです(またやることが増えた).

 そして,最終的には,全て頭の中に入っている状態というか,それは難しいと思うので,今よりもっと洗練されてシンプルな何かに近づいていければってことなんですが,それは永遠に辿り着かないので死ぬまで退屈しのぎできるとも言えて,読み返したことも含めてまた考えてここで書いて,そういう感じで何かに近づいて行ければということですかね.

 そんなことして何のためになるのかってことは関係なくて,やりたきゃやる,書きたきゃ書くってことで,評価みたいなものも無用ですし,でもそれでもやるのなら,それだけやる価値があると思っているということでしょう.

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4/4'21
[考えれるものは総動員]

 周期的なものもあるのかもしれませんが,何か体調がよくないです.

 ずっと以前から書いていますが,50を過ぎたあたりから,ちょっとその気になると,そんなのやめとけと急激なブレーキがかかる感覚があります.実質もう人生は終わってるのでしょうがないってことなんですかね.

 そもそも,30を過ぎたあたりからなかなか自分のためには頑張れなくなるわけで(プログラム的には,子供を作って人類の繁栄のために頑張る仕組み),それを内的熟達とか知的好奇心とか言って,持ち上げるのがそもそもむりくりというか,逆に言えば,自分のために頑張れる20代でどれだけ頑張れたかってことなんですが,それは何とかできたので,まあいいんですが,歳をとっても(多分)まだまだ生きては行かないといけないので,それはなかなか大変なことです.

 そうすると,自分のために頑張れないのなら,誰かのためってことで(でも,これも結局,自分のためなんですけどね),例えば,研究室に学生が来てくれれば,彼らのために頑張るというか,実際,そうやってきた面は否めなくて,それはありがたい話だったんですが,それも定年までの話なので,それ以降どうするかなわけです.

 それで考えたこととして,何歳になっても回りに迷惑をかけないように要介護にならないように体脳心の機能を維持する,そのためにいろんな活動をしていくってことなんですが,それならそんな高いレベルでやらなくても,呆けない程度にやればいい話で,むりくり感は否めないわけで,やっぱり,内的熟達とか知的好奇心の助けは必要というか,もう考えれるものは総動員して持ち上げるのに必死って感じで,でも,それは相当しんどいことでもあるので,そんなのやめとけと急激なブレーキがかかるってことなんですかね.

 じゃあ,もし自分に子供がいたら,あるいは,パートナーから必要とされていたらってことですが,誰かのために(ということにしてその実自分のために)頑張るとしても頑張らないといけないことに変わりはなくて,それはそれで大変だったと思うので,どのみち同じことか.

 じゃあ,どうしたらいいかですが,やっぱり,これもソフトランディングなんでしょうね.つまり,そんなに無理することなく,できることをできる範囲でやって行けばいいし,そのくらいでも体脳心の機能を維持するくらいはできるでしょう.

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 こうしてみると,私ってほんとつくづく怠け者というか,とにかく頑張りたくないというか,やりたくないことを我慢してやるのがだめなどうしようもない奴で,そんなことでなんとかここまでやってこられたのがほんと不思議ですが,時々,その気になってやりたくなったときはやるってことだったんですが,これからは,そうなってもブレーキがかかるってことなので,ほんと大したことはできないと思いますが,まあできることをできる範囲でやって行けばいいってことでしょう.

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[どこか他の国に]

 自分の人生で過去に戻りたくない,世界の歴史の中でもどの時代にも戻り(行き)たくないとすると,今の時代でどこか他の国に行きたいか(その国で生まれ育ちたかったか)ということもありますかね.そう考えると,そういう国や地域もないですかね.

 アメリカには1年くらい住んでましたが,いろいろ問題はあってそんなに暮らしやすい感じではないですし(今は25年前よりもっと大変になってる感じ),ヨーロッパだと北欧は幸福度は高いみたいですが,大きな政府で高い税金払って悪平等的にいろいろ面倒見られるのは嫌ですし,そもそも寒いし,ヨーロッパのイギリスとかフランスとかドイツもどうかなあ.ヨーロッパっていろんな国がひしめき合って,いろんな黒歴史があって,宗教的なことも含めてそういう影が色濃く残ってる感じがするんですよね(そういう意味では,アメリカはあっけらかんとしてる).

 そっか,オーストラリアとニュージーランドがありますね.ここは悪くないかな.でも,南半球ってどうなんですかね? でもそんなこと言ったら,極東の日本も似たようなもんか.

 てことで,ほんとにひどい世の中ではありますが,日本って世界的に見ても暮らしやすいのは事実でしょう.でも,相対的な話ということでしょうし,これも一種の「現状肯定」なのかもしれません.

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[達成感を感じられない]
(バドミントン)

 過去の記事を読んでいたら「達成感を感じられるかどうか」と書いてありました.

 そうですね.多少しんどくても,やりたくなくても,そういうことがあれば,何とかやって行けるということはあるかもしれません.そういう意味では,ここのところのバドミントンの練習の後,動けなくてあまり練習にも運動にもならずに達成感を感じられないというのがあるんだと思います.そういう意味では,スキーの後の方が自分で動けるだけ動けるので達成感はありますかね.

 あと,達成感と似たものに解放感があるんですが,これは要注意だと思います.単にしんどい思いをしてるだけで,自分の中に何も残らなくても感じるものですからね.それに,達成感も勝手に感じてるだけ(錯覚してるだけ)ってこともありますからね.

 でも,それでも一番下がって「退屈しのぎ」はできたとは言えるかな.そして,それは,例えば,練習に行く前に,めんどくさくて行くのをやめて,じゃあ,他に何するの?と考えて頑張って行くというのと同じですね.

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4/6'21
[予言?]
(世の中)

 2018年の記事を読んでるんですが,観光とかインバウンドとか言って目先の経済を回してるけどそんなことでいいわけない,景気が悪くなったらイチコロと再三出てきます.そして,今の状況です.

 もちろん,新型コロナを予言していたわけではありませんが,まさに言った通りになりました(自分で言うのも何だけど,他にもそういう記事が非常に多い.招致のときから東京五輪なんかやるべきじゃないと書いてきたことについても然り).そして,それは,新型コロナが終息すればOKというものでないことも明らかです.

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[非常に難しい]

 何度か書いていますが,人生が終わって行くんだなと感じます.

 と言っても,実質もう(50くらいで)終わってるわけですし,人生が終わること自体は別にどうということはありません.でも,人生がなかなか終わらず,かつ,何もすること,できることがない退屈な日々が続くのは耐えられないと思います.

 それで,定年後問題ってことなんですが,定年で仕事を奪われて,楽しく気分よく過ごしていくのは,非常に難しいのが実態で(そう思ってないとしたら足元をすくわれるかも),体脳心の機能維持もありますが,それだけでは厳しくて,でも体脳心の機能維持ですら非常に難しいわけで,ものすごくハードルが高いということを肝に銘じて準備しないといけないということでしょう(のんびり過ごせばいいと思っているとしたら認知症にまっしぐら).

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[怖かった]

 都立大の北山先生のサイトに,このサイトの父の遺言という記事を受けて?彼のお父様のことが書いてありましたが,私の父親同様,とても怖かったみたいです.

 私の父親については,折に触れて書いてきましたが,コンサートとか登山とか昆虫採集とか魚獲りとかに連れて行ってもらった反面,普段は,とても厳しくて,いつも怒られてて,心を鬼にして叱るというよりは,感情的に怒りをぶつけるようなところもあって,正直,好きではなかったですね.

 でも,子供というのは,何かそういう恐れをなす対象がないと,とんでもないことをしでかすところはあるわけで,そういうことが必要だったような気もするのですが,今はそういう父親は皆無なんですよね.

 でも,子供というか,若い人達は,みんなおとなしくて,何かとんでもないことをしでかすような雰囲気はないし,一方では,何かとんでもない「すごい」ことをしでかす雰囲気もないわけで,そもそも,どうしてそんなことになってきてしまったんでしょうね(高度経済成長が終わって,とかいうプロトタイプなことだけではないと思う).

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[大会論文と卒研配属]
(大学, 研究)

 今日の昼12時が建築学会大会論文の〆切でした.大学を移るということで,新M1の学年は学生をとることができなかったのですが,まだ5人の学生(うち1人は研究員)が筑波大にいますからね(昨年度の段階では6人だったが,M2が1人卒業).でも今回はかなりぎりぎりまでで厳しかったです.

 それで,こっちの卒研配属ですが,ようやく決まって,2名の枠に2名来てくれることになりました.1人はかなり早い段階から話をききにきてくれたんですが(こういう状況なのでZoomでしたが),それ以外は,音沙汰なしで,筑波大では,大勢話をききに来て,その中で何名か来るって感じで,こんな感じで学生が来るのかって感じでしたが,回りの先生に話をきくといつもそんな感じらしいです.

 ちなみに卒研配属ですが,このサイトで何度か書きましたが,筑波大では「壮絶な駆け引き」があってものすごいことになるんですが(それに懲りて何年か前からウェブになった),こっちでは,学生間の調整で割とさくさく決まる感じで,そんなもんなんですかね(そう言えば,東大もそんな感じだったかな).

 一つには,学生数に対して枠にかなり余裕があるということがあるみたいです.そうすると配属0の研究室もぽつぽつ出る感じで,そういうことが起こると,それは困るから何とかしてくれと言う(うざい)人が出て来るんですが,防災研は(学務的なことの多くを建築学科にやってもらってるので),そういうことを強く言えないわけで(でも地震研だと大学院生からしか来られなくて,しかも,ほとんどの学生は,卒論を書いた研究室に進学するわけで,4年生が来てくれるというだけでありがたい話なんですけどね),でも,学生から見ると,緩衝材的な役割も果たしてるってことですかね.

 ということで,来年以降,私の研究室も配属0になる可能性もあるわけですが,そうなったらそうなったで,「準備」的なこともありますし,そういう状況の中でやって行けばいいんでしょう.

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4/7'21
[普通に考えれば]

 定年で会社とかをやめてどうするか,つまり,私がどうこうと言うよりは,一般的な話ですが,必要以上のお金は要らないし,仕事以外にやることないんかいってことなんですが,普通に考えれば,まだまだ体も脳も動くし,働く気もあるのなら,仕事を続けたいってことなんでしょうね.だって,大学を卒業して以来,ずっとそうしてきたわけで,こんなことやってどうすんだ?というしょーもない仕事ならともかく,ある程度,やり甲斐をもって仕事をしてきたのなら,(まだまだ体も脳も動くし,働く気もあるのなら)それが定年という節目を過ぎて,急に変わるわけではないですからね.

 あとは,再三書いてることですが,持ち家も含めてある程度の財産があるとしても,月20万のキャッシュフローには勝てなくて,働くということは,まさにそれを得ることなわけですし,(多分)年金はもらえますが,一人頭月20万に届く人はそんなにいないでしょう.

 問題は,定年までやってきた,ある程度,やり甲斐のある仕事が定年後も続けられるかってことで,やはり,そこに向けて,就職先を探したり,起業したりとか準備をして行くということで,でも,これは,何とも普通というか当たり前の話でちょっとつまんないですね.

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 でも,仕事をすればお金が得られるわけですが,お金のためだけに働くわけではないし,必要以上のお金は要らないし,要は,退屈しのぎというか,ある程度のやり甲斐をもって活動できればいいわけで,そうすると,そこを切り離すというか,例えば,お金は何とかしてお金にはならないけどやる価値があることや,ボランティア的なことをするとかでもいいわけです.

 じゃあ,お金はどうするかですが,貯蓄ということになるのかもしれませんが,月20万のキャッシュフローに匹敵する額ってどのくらいなんでしょうね?

 例えば,65でやめて95まで生きるとすると30年分で20*12*30万=7200万必要になるんですが,モデルケース?として,平均年収550万の夫と専業主婦が国民年金と厚生年金を合わせてもらえる額が月6.2+9.7+6.2=22.1万で一人頭11.05万にしかならないんですが,これを引いても3222万必要となります(2000万じゃ全然足りない).

 しかもこれって,95まで生きるとした場合,95になった日に貯蓄が0になるわけで,もちろん,もっと早く死ねるのかもしれませんが,どこかで要介護になって,施設に入るお金とか考えると,さすがにこれじゃあ全然不安ってことですよね.

 そうすると,数千万の貯蓄では全然心もとないし,年金もどんどん減額されて行くでしょうし,やっぱり,働けるうちは働こうとなるのは当然のような気がします.

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 一部の高所得者というか,そこそこの貯蓄がある場合はどうでしょうか.例えば,1億くらいの財産があれば,人間の限界寿命と言われる125まで,つまり,定年後60年だと60*12*20万=1憶4400万必要となって足りない,年金が月10万もらえるとしても,その半分の7200万ってことで,感覚的には,1憶でも安心とは行かない,数億くらいはないと,という感じでしょうか.

 いや,数億あったら,運用すれば,かなりのキャッシュフローが得られるんじゃない?と言う人もいるでしょう.その辺のところは,大分前に議論しました.年利数%とすると,1憶あれば,年間数百万の利息が得られますからね.でも,今はもう年利数%は無理ですし,現金では経済破綻が起こるリスクもあります.

 ということで,「資保」ということになったのですが,運用するのは,なかなか簡単な話ではないのですが,一つの案として,大手商社の株をもつというのはどうかということは書きました(つまり,バフェットより先に注目してたことになる(笑)).いやいや,株なんか怖くて...そうですね.

 でも,既に書きましたが,株の何が怖いかと言うと株価が下がることですよね.でも,本来の株式というのは何かと言うと,配当をもらえる権利のことで,配当利回りが3%の株を買うということは,株価×株数の3%の配当が1年でもらえる権利を買うということで,それは株価が変動するともらえる額が変動するだけで,そのまま株を持ち続ければ,不動産を所有していて,家賃収入を得るのと同じで,不動産価値が下がれば家賃収入が減るということです.

 もっと言えば,自宅を所有しているというのは,自分に家賃を払ってるようなものですから(家賃分減価償却して行く),これも同じことで,株価下落が怖いのなら自宅の評価額の下落も怖いはずですが(バブルの崩壊を見ればわかるように株式より不動産の方が下げ方が遥かにえぐい),そういう人はなぜかいなくて,つまり,株を買うより家を買う方がもっと怖い(のに家は平気で買ってる)ってことです.

 あとは,不動産はその時の時価で買わないといけないですが,株式なら長い時間をかけて少しずつ買って行くことで,価格変動リスクを減らすことができます(この辺に書いた).具体的には,例えば,就職して定年までの40年間,給料から必要な分を使って,残りの額を株価が上がろうが下がろうがその額で買える分だけ買って行く(つまり,株価が下がればたくさん買える),あるいは,今から定年に向けて少しずつ株を買って行くと,定年のときに何がしかの株数の株をもってることになって,例えば,その評価額が定年の時点で1億円分あれば,そこから年間300万の配当が毎年もらえるわけです(もちろん,定年前も所有してる分だけの配当はもらえる).

 でも,株価は変動しますし,運悪く定年時点の半値になってしまったとしたら,300万もらえるのが150万になる,逆に運良く株価が2倍になったら,600万もらえるってことで,まあ年金が一人頭月10万くらいはもらえるとすると,現金を食いつぶしていくよりは,現実的な感じはしますかね.

 とは言え,どうなっても責任はとりません(笑)し,私はこういうやり方はしてなくて,余剰資金で一か八かの日運や短運ではなく,自分の資産を守る資保で,大手商社株を「買えると思った時だけ」買うというようにしていますが,これは,買えるかどうか判断が必要になります(ここに記録がありますが,判断して売買するのは,年に数回程度.ここんとこは,買ってずっともってるだけ).

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[ほんとに老後は大変]

 いやー,でも,こうして考えてみると,ほんとに老後は大変というか,お金とか資産とかあっても(経済破綻もありうるし)全然安泰とは行かない感じですね.じゃあ,どうすればいいでしょうか?

 やっぱり,死ぬまで働くしかないってことですかね.そして,そのために必要なのが体脳心の健全性ということでしょうか.でも,多くの人は70で要介護になり,80で死ぬわけで,それは,相当難しいことなわけです.

 ここで気づくのは,じゃあ,子供がいたら,ということでしょうか.これから定年を迎える世代は経済危機が来ると厳しくなるけど,若くて働ける人は,働けばいいわけだから問題ないと何度か書きましたが,ということは,子供がいれば,問題ないということになるんでしょうか

 つまりは,一生懸命働いて稼ぐことなんかより子供を作っておくことが何にも増して必要ってこと? 実際,そういうつもりで子供を作ってる人もいるんですかね?

 でも,個人的には,そういう理由で子供を作ろうとか考えたこともないし,そもそも,子供の世話にならないといけないような親には絶対になりたくないですから,どのみち関係ないことです.

 てことで,自分で何とかするしかないのですが,何とかするしかないのなら何とかするしかありませんし.それはそれで悪くないです.

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4/8'21
[必死こいてやってる]
(経済)

 歳をとっても体脳心を維持して死ぬまで働くのが理想なんでしょうが,ある程度の衰えはあるでしょうし,しょーもない仕事ならしたくないし,その一方で,それなりの蓄えもあるわけで,要は,それを減らさず守って,かつ,幾ばくか,具体的には,何とか年数%の利息的なものを産み出せないかということなわけで,それがまさに資保の目指しているところです.

 でも,これが難しいんですよね.すぐに思いつくのは国債などの債券ですが,日本国債は数%なんか全然行かないですし,アメリカ国債は何とか数%はありましたが,今は1%台ですし,デフォルトしたら元も子もありません(感覚的には,大手商社が潰れるよりデフォルトの確率の方が高い気がする).一方の株式は値動きが非常に大きくて年利数%どころか数10%の可能性もあるけど,数10%マイナスの可能性もあるわけです.

 てことで,個人的には,株式は余剰資金を当て,残りの部分は,大手商社(+建設)や商品先物や外貨を買えるときだけ買うということにしてるんですが,それ以外にもアメリカ株(Nasdaq100先物やVIX指数先物)やマザーズ指数先物もやってて,分散することで調整してるってことなんですが,ただやみくもに分散するんじゃなくて,相場観というか,経済の見通しをもって,それに従った比率にすることは重要です.

 それで,日本や世界が(企業も政府も中央銀行も)やってることはひどいことばかりで,まさにバブルを作ってるようなものだと私は思っているので,株式については,買いだけではなく売りもやるということなんですが,実際は,新型コロナはありましたが,株価は堅調なわけです.

 それには理由があって,ほとんどの人にとって,株価は上がって欲しいわけで,そうなるように日本や世界の企業も政府も中央銀行も必死こいてやってるわけで(企業は金儲け,政府は経済対策,中央銀行は金融緩和やETF買い),それを売り叩くのは,ある意味,非常に厳しい戦いでもあるわけで,折しも新型コロナをきっかけに一度相場が終わって,これからデジタル化などの将来性というか社会の効率化が加速する可能性はあって,そうすると,人々は暇になってその分消費が増えると「経済成長」はするわけで,普通に考えれば,買ってずっともってるのはともかく,買ってるものをやばいと思って売ることはあっても,空売りまではしないというのがバランス的なのかもしれません.

 具体的には,日運や短運の比率を減らして資保の部分を増やした方がってことなんですかね?

 と思ったんですが,そう思った時が転換点というか,長期的には,社会の効率化が加速するとは思いますが,その道は平坦ではないというか,どこかで株価の暴落は必ず起きますし,トータルではパフォーマンスは出ているので,自分を信じて愚直に今のやり方を続けてみますか.

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 こうして考えてみると,今の状況がいかに恵まれているかを思い知らされますね.確かにめんどくさい仕事はありますが,研究とか学生の研究指導ができて,月20万以上のキャッシュフローが得られるわけですからね.それこそ,めんどくさい仕事を半分とか1/4にしてもらって給料も半分とか1/4でずっと働かせてもらえれば天国?

 でも,どこかで書きましたが,それがずっと続くと考えるとしんどくもなってくるわけで,ほんと手前勝手な話だと思うのですが,現実問題としては,とりあえず定年で終わりで,その後,どこかで雇ってくれるかは他力本願なわけで,だとすれば,自分で何とかするしかないってことですね.

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[努力は必ず報われる?]

 競泳の池江さんが白血病を克服し,厳しいリハビリやトレーニング,練習を経て驚くべき回復をして全日本で優勝し五輪代表になり,彼女が「努力は必ず報われる」と発言したことに感動したとか賞賛の嵐の一方で,努力は必ずしも報われるものではないと言う人もいて,そういうことに対してコメントしてる元スポーツ選手とか芸能人みたいな人もいます.どう思いますか?

 言えるのは,彼女が努力したと思ってることは事実でしょうし,こういう形になったのだから,彼女は努力は報われたと思ってるのでしょう.ですから,「私は努力は報われると思いました」というのならともかく,「みなさんも努力すれば報われますよ」ということにならないわけで,結局は,彼女の発言は,単なる「感想」に過ぎなくて,それをどう思うかは,聞く人の勝手ということでしょう.

 でも,誰も言わないけど,まともな人が思ってることとしては,やっぱり「ものが全然違う」ってことですよね.池江さんにしても野球の大谷さんにしても,元々の素材が全然違うわけで,つまり,彼女が「努力は必ず報われる」と言っても説得力がないというか,実際,全然そういうことにはならないわけで,それを真に受けてるようではおめでたい話ということです(対照的に大谷さんのそういう発言はきいたことがない).

 そもそも,水泳にしても野球にしても,本来的には,世の中の役に立たないやりたいことをやってるだけですから(そういう意味では研究もそう),闘病のところ以外は,努力というものではないわけで(いやならやめればいいだけの話),そういうことを美談にするのは,それで飯を食いたい輩の考えることで,そんなことに感動してるようでは,大したことにはならないでしょう.

 じゃあ,どうしたらいいかですが,他人のこととか関係なく,自分は自分で,自分の能力の最大範囲で,できることをすればいいんですよ.努力は報われないと思ってるとしたら,やりたいくないことを我慢してやってるのでしょうから,そんなことはさっさとやめて(それでは食べて行けないのなら食べて行く分だけにして)努力と思わないことをやった方がいいでしょう.

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[それ以前の話]
(世の中)

 また感染が広がり始めた新型コロナですが,マンボウだかなんだか知りませんが,政府や自治体のやってることもぐだぐだで,実態は感染対策もできない極一部の○ホな人間がウィルスをばらまいてるわけで,もっとやりようがあるというものでしょう(むしろ,ちゃんと感染対策をすれば外出してもそれほど問題はない).

 本来的には,感染の主経路は接触感染なわけですが,それどころの話じゃないというか,それ以前の話というか,未だにマスクもしないで向かい合ってつばを飛ばし合ってる輩がいるわけで,でもそれをどうすることもできないわけです.時短要請とかするより,アクリル板の設置や座席の間隔を空けることや換気を義務づける,それをちゃんとやったところに補助金を出すくらいのことがどうしてできないんでしょうか.

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[流浪の旅]

 これの続きですが,見方を変えると,これまで充分な収入があったわけで,お金に無頓着というか,よく考えもせずにやってきたってことなんでしょう.でも,あらためて考えてみれば,定年後のキャッシュフロー(年金)が(一人頭)20万に届かないとすると,それで,家賃10数万の家に住むことはどう考えてもあり得ないですし,7, 8万でもどうよという感じです.

 幸い,無駄なものに散財することはなかったので,それなりの蓄えはあるってことなんでしょうが,貯蓄を切り崩しながら生活して行くというのにはものすごい抵抗があるわけで,貯蓄を運用して得られる分を回すくらいが感覚的にはせいぜいな感じがします.

 てことで,定年後も働くか,何とか運用して行くということになりますね.これも幸い,(単にやりたいことの一つとして)運用(的なこと)はかなりやってきましたから,いい仕事がなければ,そこを何とかするしかないってことですかね.

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 ちなみに,家賃10数万と7, 8万を200倍の法則に当てはめると,それぞれ2500万と1500万になります.買っても住むのは数十年(以下)なので,新築である必要はなくて,築10年から20年くらいの一番お買い得な物件でいいし,それで終の?棲家が手に入るのなら,そのくらいの額は全然ありな気もするのですが,やっぱり,家を買うことには抵抗がありますし,買っても住むのは数十年(以下)なら,このまま賃貸で行くのもありだと思うんですよね.

 いろんな物件をつらつら見てて思うのは,立地や居住性を考えるとマンションは一戸建てより割安だとは思うのですが,感覚的には,やはり「高い」,つまり,本質的にそれだけの価値があるとは思えないということでしょうか.実際,今はかなり価格は上がって来てるわけですし,マンションも家も50年くらい住むのならともかく,せいぜい数十年しか住まないのなら,やはり,賃貸という感じがしてしまいます.

 ていうか,マンションも家も50年経てば(かなりのお金をかけてメンテしなければ)悲惨なことになるわけで,やっぱり,買うより借りた方が得ってことなんですかね.

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 そっか,何となくいつの間にか,というか,東京に帰りたいと思っていた理由がわかった気がして,大宮周辺ということになってたんですが,借りるなら実質URしかないのでしょうがないですが,買うのなら上毛高原は極端としても,新幹線を使えば,東京までの時間が大宮周辺と変わらない熊谷や籠原でもいいわけで,新幹線の特急料金が片道1870円で週一で東京に出て来ても20年で1870*2*50*20=374万ですから(しかも快適だし,終電も23時くらいまであるし,逆方向は近くなるし),価格差を補って余りあるでしょう.そもそも,人や建物がごちゃごちゃあるところじゃなくて,広々としたところに住みたくなったわけですからね(そういう意味では,籠原周辺くらいがちょうどいい).

 うーん,でも,ちゃんと計算すれば,トータルではそっちの方が安いとわかっていても,往復3500円以上余計に出して週一で東京に行きますかね? だんだん行かなくなるような気もしますよね.そもそも,やっぱり,家を買いたくないし,買うとしても定年のときがリミットかなあ.

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 こうしてみると,いろいろ揺れ動くというか,いろいろ考えて楽しんだりもしているんですが,要は,最後の数十年をどう過ごすかってことですよね.そして,仕事ができるのなら仕事をするのでしょうし,そうすると,これまでのように家は決まらないってことなんですかね(一生,流浪の旅).

 そういう意味では,こっちに来るとき,あるいは,来てから,よく行きましたねとか,よく来てくれましたね,と言われます.私の感覚からすると,そりゃ行くでしょ,ってなもんですが,普通の人からすると全然違うみたいです.そういう意味では,Q大のときもQ大(福岡)じゃなかったら行ってたと思いますしね.

 こんな感じだと,ずっと死ぬまで旅なのかなあ.

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4/9'21
[家賃にいくら払ったか?]
(生活, 経済)

 ものは試しに,就職してから定年まで払う家賃の総額を計算してみました.地震研時代は,バークレーに行くまでは学生時代のアパートにそのまま住み続けたり,帰国後は,格安のRC一戸建ての1階に住めたり,つくばや京都では職員宿舎に入れたりとかのラッキーはあったんですが,それでも,住居手当(月2.7万)分を除いて(ただし,当然のことながら職員宿舎に入った場合は住居手当は出ないので,民間で借りたときだけ),つまり「私が」支払った額は,2000万近くになりました.そんなことなら買った方がよかった?

 じゃあ,買ってたらどうなったかですが,過去にも似たような記事はあったと思いますが,いい例題だと思うので,それなりにきちんと?計算してみます.物件としては,最初の学生時代のアパートを除けば,そこそこの物件ですが,価格は立地と築年数によります.

 私が実際に借りた物件は,バークレーから帰ってきてからの地震研時代が都心(文京区西片)の戸建RCの1階の50平米で家賃10.5万(これはかなり格安で相場は15万くらいか),つくば時代が2階建て戸建RC100平米の職員宿舎で家賃?万(ここは物議を醸す?ので家賃は秘密),宿舎取り壊しで引っ越したマンションが80平米で家賃7万,宇治の職員宿舎がRCで60平米弱です(ここも家賃は秘密だけど,改修したばかりなので法外に安いというほどではない).築年数は,西片は不明ですが当時20〜30年くらいかなあ.つくばの職員宿舎はかなり古いですが100平米と広いです(でも筑波大ができたのが1973年なのでそれでも入居時は築30年くらいか).つくばのマンションは20〜30年くらい,宇治の宿舎は古いですが,5年くらい前にリノベ済みで中はほぼ新品です.

 ということで,だいたい対応する物件として,東京郊外で築20〜30年の60平米くらいで駅から徒歩10分以内くらいの築20年くらいのマンションを想定するとして(西片の家はちょっと狭いけど都心なので本来的にはもっと高いけど払った家賃はだいたい対応),これで大宮周辺で調べてみると,2〜3000万といったところでしょうか.

 それで,計算するのに必要な情報は,住宅金利,管理費,修繕積立金,固定資産税,そして,築年数と評価額の関係(老朽化曲線)になります.

 まず,住宅金利は,バブルが崩壊した後は,だいたい2.5%前後で推移しているのでこの値,管理費が月1万,修繕積立金が2万固定資産税が1万(かなり低めの設定)とします.築年数と評価額の関係は,ここのデータを基に20年で半値,そこから20年で更に半値の二折れ線とします.

 

 まず,上の築年数と評価額の関係から築20年で2000万の物件だと新築で4000万なので,これを新築で買った場合ですが(消費税込みだと今は4400万ですが,消費税がかかるかかからないかはケースによって変わるようですし,住宅ローンを組むと税金の控除があるし,昔の税制のことはよくわからないのでここでは相殺と考える),金利2.5%だと35年ローンで支払金利が1804万で,これらに管理費,修繕積立金,固定資産税を加える総支払額が7484万となりました(まさに倍近く).そして,35年後の評価額は1250万なので,これを7123万から引いて,買った場合の実質支払額は6234万にもなって,私が支払った2000万近くと雲泥の差です.

 いやいや,それは,お前が格安の職員宿舎に入れたり住居手当がもらえたからだろうということはあるでしょうから,じゃあ,本来,家賃はいくら払うべきだったかですが,200倍の法則に従って家賃設定をし(新築時の家賃は20万ですが,当然老朽化して家賃は下がって行く),管理費も払うとすると,合計は5565万となって,買った場合の6234万より安いのですが,買った場合に大分近づいていて,でも,これは200倍の法則(価格が家賃の200倍のとき,買うのと借りるのがイーブンになる)を基に計算しているので当然です(ある意味,200倍の法則が目安になることを証明したに過ぎない).

 ですから,4000万の新築物件を家賃20万以下,2000万の築20年の物件を家賃10万以下で借りれるのなら,借りた方が得ということになりますが,そんな物件,ゴロゴロあるというか,平均的に見ても評価額/200より家賃の方が安い感じがしますし(例えば,大宮周辺なら築20年,60平米,駅から徒歩10分以内だと買えば2500万くらいするが,家賃は10万以下),会社とかから少しでも手当てが出れば,その分,借りる方が優位になります.

 ローンを組まずに現金一括で購入する場合は,金利は払わなくていいので,7484万のうち金利分の1804万を引くと(諸経費が1680万)4430万になりますが,ローンを組まないと控除が受けられないので,消費税分を加え(4430*1.1=4873万),住居手当もつかないのでそれを加味すると(2.7*12*35=1134万)合計6007万となり,35年後の評価額1250万を引くと実質支払額は4757万となりますが,35年前に現金一括は無理でしょう.

 じゃあ,新築ではなく築20年の2000万の物件を購入した場合ですが,これは考えればすぐわかりますが,評価額と家賃,あるいは,管理費,修繕積立金,固定資産税が線形の関係にあれば,結果は変わりません.でも,古い分,修繕積立金が増えるのは明らかなので,より借りた方が得になるのは明らかでしょう.

 ちなみに,管理費,修繕積立金,固定資産税は変わらない(買う場合に有利な設定)として計算してみると,金利が893万,諸経費が1680万で総支払額は4573万(倍以上)で,評価額625万(老朽化曲線は20年で半分の三折れ線)を差し引いても3948万となり,これでも私が払った家賃2000万(本来支払うべき家賃は2573万とかなり近づく)より遥かに高くなります.現金一括の場合,中古物件は消費税はかからないので,住居手当分だけを足して,評価額625万を引くと実質支払額は3564万で,それでも本来支払うべき家賃2573万より高いです.

 ただ,借りる場合,老朽化して評価額が下がって行く時にちゃんと家賃も下がって行くかということでしょうか.実際,私が住んでいる間に,そういう理由で家賃が下がることはありませんでした.でも,これは,10年以上住んだことがなかったということがありますし,引っ越せば自動的にリセットされるわけで,ちゃんと周辺の相場と老朽化曲線を見てチェックしていればいいことでしょう(長い間住んでて,老朽化してるのに家賃が下がらなかったら大家と交渉して,だめだったら市場原理的に安いところに引っ越せばいい.

 話が「買う vs 借りる(例題)」みたいになったので,最初に戻ると,私の場合は,定年までに家賃に2000万払うことになるけど,同等の新築物件を買ってたら7484万,定年時の評価額1250万を差し引いても6234万,実際に住んだ物件と対応する築20年の中古物件でも買ったら3948万が消えたわけで,どう考えても借りて得だったということです.それに,例えば,大宮周辺に買っていたら,地震研時代は電車でぎゅうぎゅういいながら通わないといけなかったわけですし,つくばには通えないとすると,人に貸すか売り払うかとか,京都に行くことになったときは...みたいなことになったわけです.

 一般的にも借りて住めば,職場の移動に従って機敏に引っ越せるわけですし,子供の学校とかの事情て引っ越せない場合も,借りた場合と買った場合の支払額の関係が変わらないのは言うまでもありません.

 でも,これはあくまで経済的な話で,新築の一軒家なら自分が住みたいようにデザインできるわけですし,賃貸には住みたい物件がない場合もあるでしょうし,持ち家ということに拘りたい人もいるでしょうし,住むところを決めて定住したい人もいるでしょうし,そういうことに+αのお金をどれだけ払うかは人それぞれでいいと思います.

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[仮住まい感]

 上と関係するのかもしれませんが,(私の場合)「仮住まい感」があった方がいいような気がします.それは,どういう家に住んでるかということもありますが,身分というか,置かれた立場みたいなものもありますかね.

 実際,自宅で過ごして身分的には不自由でまだまだ先が長い小中高は概してよくなかったですし,大学,大学院生時代は,アパート暮らしになったんですが,入学してしばらくは将来が見えなくなってしんどかったですが,将来が見えて来るとだんだんよくなって,研究室時代はよかったと思いますし,地震研に就職してしばらくはよかったですが,ずっとここにいると思うとしんどくなってきましたし,筑波大に行ってからは10年以内に東京に帰ろう,あるいは,どこかに移ろうと思っていて,その間は,よかったですが,それを過ぎて,定年までここにいると思うとしんどくなってきましたからね.

 じゃあ,今はどうかですが,さすがにもう定年前にどこかに移ることはないでしょうが(でもわからなかったりして),定年までもうそんなにないわけですから,定年までずっと仮住まい感で行けると思うんですよね(そういう意味では,ほんとにありがたい話だった).

 そして,人生そのものが仮住まいみたいなものなわけで,最後までそれで行けたらいいとは思うのですが,仕事をやめるとなかなかそれは難しいんですかね.

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 実質的には,どういうことかと言うと,結局,やりたいこと,やるべきと思うこと,やらずにおれないこと,何か成し遂げたいというようなことがあるのかどうかってことなわけで,そういうものがあれば,どういうところに住むか,どういう立場にあるかとかは二の次ってことでしょう.

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[責任を果たす]

 やりたいことをやったらいいと再三書いていますが,もちろん,やりたいことをやるだけではだめというか,それで大丈夫な人もいるんでしょうが(それはそれで無敵ですが),私も含めて,多くの人はそれだけでは厳しくて,それは「責任を果たす」ということでしょう.

 仕事をしていれば,めんどくさいけど誰かがやらないといけないことはあって,そういうことをしっかりやってある程度責任を果たすことは大事だし,それで自分が達成感や解放感を感じるということもあるわけです.そして,それは仕事に限ったことではなくて,いろんな人間関係とか,社会の中でもそういうことはあります.

 でも,これは反面,危ないところもあって,会社の利益のためとか,組織を守るためとかでも,必要なことは必要なわけで,そういうことをやることで,達成感や解放感を感じることもあるので,それに任せて仕事をしてると,気づいたら実質的なことは何もできてなかった,みたいなことにならないように注意する必要はあると思います.

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[何となく考えていた線]
(生活)

 この検討ですが,あらためて思うのは,普通に買ったりすれば,住居費は莫大ということでしょうか.もちろん,評価額の1/200以下の家賃で借りれれば,借りた方が安いのですが,それでも結構なコストです.

 あとは,(私が)これまでどうだったかというと,買うより借りた方が得だからということはありましたが,そんなことより,やることがあって,住むところに無頓着というか,とりあえず職場の近くのそこそこの物件を借りとけみたいな感じで結果オーライ的なことはあったわけです.

 そして,定年後どうするかの参考にもなります.具体的には,買うか借りるかということで,例えば,キャッシュフローが20万なら普通の経済感覚なら,家賃7, 8万がいいところでしょうし,同等のものを買うのなら,200倍の1500万程度,ある程度の蓄えがあるとか,もう住居手当が付かないとか,年寄りには貸してくれないとかいうことを加味しても2〜3000万がせいぜいといったところで(住んでも数10年だろし),これは,これまで何となく考えていた線とだいたい対応していて,やはり,経済感覚は大事だなと思います.

 金がないわけじゃないんだから,もっといい?物件買ったら?と言う人もいると思うんですが,(実際,どうなるかはわかりませんが)そんなことより,これまでのように家なんかどうでもいいというか,そのくらい何かやることがあるっていうのがいいと思いますが,もし家に拘りだしたとしたら,そういうものが見出せなくなってきたときってことかもしれませんね.

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 うーん,でもどうなんでしょうね? どこかで書きましたが,真っ当な経済感覚としては,住居費も何もかも含めた生活費は1日5000〜1万円(年300万)がいいところで,その分働いて消費するってことで,それ以上は,バブルというか危険な感じがするわけで,月20万のキャッシュフローとか家賃7, 8万というのはだいたいそれに対応します.

 でも,仕事をすればそれ以上稼いじゃうというか,資本主義社会の中でそうなってしまうところはあるわけですし,お金があれば,それに正比例はしなくても,多少は快適になること(例えば,駅までの距離が近い物件が借りられるとか)はあるわけです.

 経済感覚にしても,若い頃はもっといい加減だったというか,物欲も多少あったというか,実際,今の半分くらいの年収で今より全然高い家賃のところに住んでたわけで,でも,それは,職場がたまたま都心にあって職場の近くに住みたかった,つまり,そういうことにお金をかけたということはあったわけです.

 あるいは,若い頃と今では収入は倍くらいしか違わないわけで,それが1オーダー,つまり,10倍違ってくれば,何かが変わるのでしょうか? 例えば,1割則的に10億の資産があれば,その1割の1億は,とりあえず使っちゃう的に使っちゃえるのでしょうか.

 でも,定年で大学をやめて,やりたいと思える仕事もなくて,自分でやりたいことをやって行くということだと,いくらお金があっても,出かける場所との位置関係とか回りの環境を考えると都心に住みたいとは思わないし,広い家に住みたいとも思わないし,そうすると,それこそ多少駅に近いとか,借りた方が安いとわかっていても,より快適なところに住むために買っちゃうとか,100平米くらいの家を建てちゃうくらいしか考えられなくて,それでもたかがしれてると思うんですよね.

 あるいは,何かとてもお金がかかることがやりたくなったりとかも考えられる?

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4/10'21
[買う vs 借りる のまとめ]
(経済, 生活)

 この記事ですが,かなりの長文になったので,簡単にまとめておきます.要は,私が就職して定年までに支払うことになる家賃と,仮に購入してた場合を比較したものですが,格安の職員宿舎に入れたという私の特殊事情を排除するため,民間で評価額/200で賃貸した場合も計算しました.想定する物件は,築20〜30年くらいの東京郊外で駅から徒歩10分程度の60平米くらいのマンション(新築で4000万,築20年で2000万)ということです.

 それで,この記事は,新築と築20年の2ケースを計算しているのですが,私が住んだのが築20〜30年の物件ということで,検討したのが,新築が0〜35年,築20年が20〜55年と築年数が対応しないので,ここでは,築10年の物件を購入した場合と比較します(築10〜45年なので,平均すると築27.5年)

 結果は以下の通りです(単位: 万円).

 結果はさほど変わりません.つまり,評価額/200の月家賃で借りられるのなら,ローンを組んで買うより借りた方が圧倒的に安いということです.現金一括で購入しても借りた方が安いですが,住居手当がないとするとほぼトントンになります.

 ここで見えてくるというか,本質的なことは,200倍の法則(評価額の1/200で借りられるのなら借りた方が得)とは何かということです.

 まず,想定物件(築20〜30年くらいの東京郊外で駅から徒歩10分程度の60平米くらいのマンション(新築で4000万,築20年で2000万))は,さほど関係ありません.なぜなら,200倍の法則は,評価額と家賃を紐付けたもので,評価額が変われば,家賃も自動的に変わり,借りる vs 買うに与える影響はないからです(諸経費の影響は多少あるが,これも本来的には評価額と連動するもの).

 とすると,200倍の法則の意味することとしては,ローンを組まず現金一括で購入し,会社などから手当が出ない場合の借りる vs 買うの中立ポイントということになります.つまり,こういう物件に住みたいと思ったとき,ローンを組んで購入するなら,購入額の1/200で借りれるのなら文句なしに借りた方が得で,現金一括ならトントン,でも,会社などから住居手当が出るのなら,現金一括でも借りた方が得となります.

 どうしてそうなるかの理由としては,マンションは(家も)老朽化して評価額はどんどん下がっていく(20年で半値)ということで,購入時の価値がずっと続くと錯覚しないようにということでしょうか(結果的に値下がりしなかったとしたら,それは,全体の不動産価格が上がっている,つまり,莫大な買い玉を建てて相場に勝ったということですが,逆に全体の不動産価格が下がることもあるのでまさに博打).

 私個人的に言えば,これまでずっと賃貸で来て,それは大正解でしたが,定年で大学をやめた後は,住居手当も出ないし,防音室+グランドピアノも置けて年寄りに貸してくれるところを探すのは大変なので(URくらいしかないので),ほんとは買いたくないけど購入しないといけないとすると,借りようと思ってる物件の家賃の200倍で買えるのなら買ってもいいということになります.

 なお,繰り返しになりますが,ここで言う,買う vs 借りるというのは,経済的な面の話で,買う,借りる,双方に金銭面以外のメリット,デメリットはあるわけで,それは人それぞれでいいと思います.

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 でも,何か変な気がしませんか? 具体的には,200倍の法則というのも変な話で,というのは,本来,家賃というのは,貸主が利回りを確保できるように設定するものだからです.でも,実際は,評価額の1/200以下の月家賃で借りられる物件がゴロゴロある.

 つまりは,マンションとかアパート経営って,現状全然ペイしてないわけで,コストを払って先祖代々の土地を守って行くとかならともかく,銀行から借金してそういうことをするのは,まさに自殺行為ということでしょう.

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[何とかして年利数%で]
(生活, 経済)

 定年まではいいんですが,そこから先が急に不安になってきました.ずっと書いてる「何して過ごして行くか」ではなく,単純に経済的なことで,要は,キャッシュフローを失うということです.何かいい話が来てしばらく仕事できたとしても,それもどこかで終わるわけですし,やっぱり,年金だけでは心許ないですよね.

 いや,家を買わずにうまいことやったんだから,それなりの貯蓄はあるでしょというのはそうなんですが,貯蓄を切り崩しながらというのは,やはり,不安ですよね.そんなこと言ったら,世のほとんどの人はアウトなんじゃない?というのは,その通りで,そういうことも何度か書きました.

 経済危機とか経済破綻,最悪の場合は,お金が紙切れなわけで,その対策として「資保」が始まったわけですからね.ですから,対策はしているのですが,その守る資産を切り崩して行くのがどうよということです.

 昔だったら,銀行に預けておけば,数%の利息が付いて,1億なら2, 300万になったわけで,ほんと夢のような話ですが,でも,そんなこと言ったら,銀行だって潰れるかもしれないわけですからね(ペイオフだって国が潰れるかもしれないし).

 要は,何とかして年利数%で「確実」に回す方法はないかということでしょうか.大手商社株をもつというのは,一つの考え方ですが,「確実」とは言えません.せめて家賃分,具体的には,月7, 8万として年間80万くらいは何とかならないかと考えると,じゃあ,家を買っちゃえばいいじゃんというのは,あるかもしれません.すぐ上の検討だと,住居手当もなくなって現金一括なら家賃7, 8万の物件が1500万で買えるのなら買った方が得になるわけですし,経済破綻した場合のヘッジにもなる(この場合は損はするけど損を限定することになる)わけですからね.

 あ,いや違いますね.家賃7, 8万というのは,老朽化して行く中での平均家賃なので,東京郊外の60平米の駅から10分以内の築10年の物件なら3000万必要になりますし,最初の家賃を7, 8万に抑えたいのなら,もっと狭いとか東京から遠いとか駅から遠いとか条件を下げる必要があります.それは可能ですが,いずれにしても2, 3000万は必要になりますし,いきなりそれだけの額をぶっ込むのは,やっぱり,ちょっと抵抗がありますね.

 てことで,何とか年利数%で「より確実」に回せないかということですかね(2, 3000万ぶっ込んだら,回す元手もその分減ってしまいますしね).資保に近いとは思いますが,これをもっと研究してみますか.

 うーん,でも,これ以上はどうかなあ.というか,現状,資保はうまく行ってるし,むしろ,日運と短運をやめて資保一本にした方がいいくらい? でも,少なくとも定年まではキャッシュフローがあるわけですし,とりあえず,現状のものを定年までは続けてみますか.

 でも,いろいろ研究はしてきましたが,「年利数%」を目指したことはないので(日運と短運は,余剰資金でハイリスクハイリターン,逆に資保は,資産を減らさないのが目的),そういう観点から研究してみるのも面白いかもしれません.

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4/11'21

 あらためて定年後どうするかは非常に難しい,逆に定年前は一生懸命仕事をすればいいという簡単な話だったと感じています.お金は(多分)何とかなるだろうから,どう過ごすかの問題という認識だったのですが,そもそもお金もどうよってことなわけです.

 一つは,体脳心を維持して死ぬまで働くってことでしょう.死ぬまで働くかどうかは別にして,体脳心の維持は不可欠で,でも,現実には,大半の人がそれができてないわけです.いや,いざとなったら子供が何とかしてくれる? でもそれでいいわけ? 自分も介護が大変だったから自分も介護して欲しいじゃあ負の連鎖は止まりませんよ.

 お金はあるから,施設に入ればいい? でも,そんなところに行きたいですか?(私は嫌です) そもそも,ずっと書いていますが,少子化で人手が足りなくなって沈みゆく国で,お金さえ払えば何とかなることはどんどんなくなって来てますからね.

 こうしてみると,定年はソフトランディングが必要ですが,死ぬのはハードランディング,つまり,ピンピンコロリが理想ってことで,それは,定年後は人生が続くのに対して,死ねばそこで終わりだからなんですが,これも現実には,非常に難しいわけで,でも,死ぬまで働くかどうかはともかく,体脳心を維持して要介護にならないことを目指すしかありません.

 そして,それができれば,働くこともできて,それなりのキャッシュフローも得られるでしょう.いざとなったら,誰でもできるけど誰かがやらないといけない時給1000円のしんどい仕事をしてもいいというか,するしかないわけですからね.でも,年老いてそれは辛いと思います.夜遅く大学から家に帰るとき,守衛さんの前を通るんですが,夜中詰めるのはかなりきつそうです(もしそういう状況になったら,私だったら,田舎に引っ越してとにかく支出を極限まで切り詰めた半自給自足的な生活を送りますかね).

 そうならないように定年前までにしっかり稼いで蓄えておくってことなんでしょうが,何度も書いているように,それは非常に危うくて,経済危機,経済破綻が来ればひとたまりもありませんし,それは時間の問題と思いますからね.

 家を買えば,借りるよりコストはかかっても多少はリスク回避にはなりますが,考えてみたら,これまで一か所に10年以上住んだことはなくて,しかも,仕事中心の生活で家で多くの時間を過ごしたことはなくて,そんな私が家を購入してへたしたら何10年もそこで過ごすことなんかできるんでしょうか? いや,だからこそ,多くの時間を過ごすことになる自宅ににコストをかけるべき?

 こうして考えてみると,体脳心の維持していざとなったらどんなことをしてでも働ける状態をキープすることもそうですが,しんどい仕事をしたくなかったら,「運用力」を磨くしかないという気がしてきます.そして,幸いそれは,既にかなりあると思いますし,若い時と違って,元手もそれなりにありますからね.

 家を買うか買わないかについては,しっかり,コスト計算ができましたから,どちらでもいい気はしてきました.具体的には,家賃の200倍なら買ってもいいってことなんですが,そこにずっと住まなくてもよくて,つまりは,例えば,10年後に売却してもいいわけで,でもそうすると,駅近とかの需要がある物件の方がいいかもしれませんね.

 でも,気になるのは,やはり,莫大な買い玉を建てることになることで,不動産市況が悪化すれば大損することになり,これも運用力の一つと考えれば,不動産が買いでないときは買えないことになるので,やはり,賃貸ですかね.でも,年寄りだと実質URになっちゃうと思いますが,逆に言えば,その中から選べばいいということでしょう.

 でも,それには,運用力が必要ということなんですが,それは非常に大変で難しい.でも,難しいことにチャレンジするのは私は全く苦になりませんし,むしろ,大いに楽しめそうです.つまり,やりたいことやったらいい的というか,苦労を苦労と思わないことをやるべし的にも(私には)これがいいのかもしれません.

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 とは言え,そういう研究は(たまたまですが)大分してきましたから,それは幸運でしたし,それがベースになるとは思います.でも,よく考える必要はあって,普通なら,日運や短運から資保に軸足を移していくってことなんでしょうが,経済危機,経済破綻を想定しているのは,日運と短運で,実際,この1年半を見てみると,新型コロナの暴落暴騰に日運と短運は見事に対応できた一方で,それ以降の上昇相場では,よくなくて,一方の資保は,上昇相場でよかったわけで,両者は相補い合うというか,資保中心で日運と短運がヘッジというのがいい気がします.

 でも,現状は,ヘッジの割には,日運と短運の割合が大きくて,定年まではキャッシュフローもあるので,とりあえずはそれでいい気もしますが,その辺のところのバランス感覚を磨くことも必要ですかね.

 あとは,より確実に数%で回す方法を考え出すということもあるのですが,資保も含めて,世の中とか経済の動きを見て流れを読んで相場を張るのは単純に面白いので,例えば,裁定取引とかサヤ取りとか,債券を買うとか優良株を見つけて保有するとかだとあまり面白くないので,やっぱり,これを定年後も続けて行くんだと思います(でも,非常に複雑,かつ,大局的で高度な判断が必要なので,脳の機能維持は不可欠).

 いずれにしても,研究というか,考え続けて行くってことで,それは結構大変なことなんですが,それはそれで楽しめるとも言えるでしょう.

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[内的熟達度 vs お金]

 こうしてみると,定年後,どうやって過ごしていくかとお金の問題は,相互に関係していて,具体的には,やることがあって内的熟達的に過ごして行ければどこに住んでも関係なくて,研究や思索や執筆や運用も含めた知的活動で多くの時間を過ごせるのなら,テレビやインターネットを観たりということを含めて,それこそ机と椅子とパソコンがあればいいわけで,ご飯を作って食べたり,買い物,掃除,洗濯とかの生活に必要なことをしたり,体を動かしたり,近所を散歩したり,時々,友人や家族に会ったり,ということを加えても東京から電車で1時間の家賃3万以下のワンルームで行けちゃうわけです.

 でも,これに加えて,ピアノを弾いたり,バドミントンやスキーやゴルフをしたりということが加わると,と書いて思ったんですが,住居費のコスト増に繋がるのは,ピアノだけですし,いざとなったら電子ピアノでも行けるわけで,じゃあ,一体何が問題なんだという気がしてきます.実際,今でも「研究や思索や執筆や運用も含めた知的活動+テレビやインターネットを観たり,ご飯を作って食べたり,買い物,掃除,洗濯とかの生活に必要なことをしたり,体を動かしたり,近所を散歩したり,時々,友人や家族に会ったり,ピアノを弾いたり,バドミントンやスキーやゴルフをしたり,ということで充分楽しく過ごせてるわけですからね(しかも,スキーは年数日しか行ってないし,ゴルフはほとんどやってない).

 ですから,お金の心配してるけど,だったら,60平米とか全然要らないし,ワンルームはともかく,荷物を減らして40平米くらい(東京から電車で1時間なら家賃5万)でも全然行けるわけで,一体何の心配をしてたんだ?というか,結局,運用で稼げなくて貯蓄を切り崩していくのが不安なのなら,年金だけで住めるところに住めばいいだけの話なわけです.

 問題は,物件があるかどうかですが,家族向けのものが多いURには意外とないんですが(家賃が安いところは,どこも古くていつまで住めるかわからない),それでも家賃5, 6万で60平米(も要らないけど)ならありますし,コストをちゃんと計算して買った方が安いとか,新幹線利用頻度と価格差を考えれば,もっと田舎でもよくて,ある程度,稼げれば,そこから+αということでいいような気もしてきました.

 つまりは,これも定年後問題というよりは,もっと本質的なこと,具体的には,「さほどお金をかけずに退屈しのぎをして行けるか」と「無駄なものに散財しない経済感覚」が重要ということで,私はそれがある程度できてるわけで,心配無用ということかもしれません.

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 ただ,基準は必要というか,具体的には,定年の時にどういう家に住むのか,買うのか借りるのかということで,大宮周辺の60平米の物件なら,築年数や駅からの距離によって,家賃7, 8万から15万,買えば1500〜3000万で,年金が一人頭20万に届かず,年金だけで貯蓄を取り崩さないのなら,バランス感覚的に家賃7, 8万がせいぜいだと思います.

 でも,運用による収益や,ある程度の取り崩しによる+αが出れば,水準が上がるってことなんですが,そんなことを見込むくらいなら,水準を上げずに内的熟達度を上げて,もっと狭くても,駅から離れてもいいという方が現実的だと思いますし,もっと田舎に行って,新幹線の各停しか停まらない駅から車で10分の土地が安いところに格安で家を建てれば,自分がピアノを弾くことも含めて近隣の騒音も気にしなくてよくなります.

 基準という意味では,定年の時点での貯蓄がどのくらいあるかということもありますね.それは,そこから〇十年で取り崩して行くというよりは,年利〇%で運用するといくらの収益になるかということです.例えば,1憶を3%で回せば300万になるんですが,逆に言えば,そのくらいはないと厳しいということになりますかね.

 いずれにしても,定年までまだ時間はありますし,それまでどのくらい資産を守りながら増やせるか,あるいは,逆に減らしてしまうかの結果次第で,どういうところに住めるのかということかもしれませんが,不安を感じるというか,やりたくない仕事をしないと暮らせないということなら,住居費も含めて支出をコントロールすればいいだけの話ですし,もし資産が増えたとしても,その分,無用に水準を上げることもないような気がします.

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 今はお金の心配をすることがないのに,定年を過ぎてキャッシュフローを失うのが不安ってことで,まさに多くの資産より月20万のキャッシュフローということなんですが,だったら,死ぬまで働くか,資産をキャッシュフローに変える運用という形でやるしかないというか,運用自体は,これまでやりたくてやって来たことでもあるので,これも一つの仕事というか,そういう割り切りが必要なのかもしれません.

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 家を買うことに関しては,できれば避けたいですが,200倍の法則で買った方が得になる場合とか,自宅を快適にカスタマイズしたくなって資産の1/10くらいで買えるのなら買っちゃうかもしれませんし,市況的なことについても,例えば,不動産管理会社みたいなところに売って自分に貸してもらう(その場合は,価格が上がればその会社が得するけどそれは全然問題ないし,逆に下がれば,その会社が損をして私がリスク回避できたことになる)ようなこともできるような気はします.

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[結論?]
(このサイト)

 ここ数日,なぜか急に定年後の経済的なことが不安になって,いろいろ考えたり計算したりしてこのサイトに書きながらまた考えたりしたんですが(でも,記録を見ると,このサイトに文章を書いた時間は2〜3時間といつもより少し多いくらい),何となく結論のようなものに辿り着いた感じで,でも,ぐるっと回って戻って来たというか,何となく思ってたことの裏付けができたということのような気もしますが,やはり,このサイトに文章を書きながら考えることの自分にとっての重要性を認識した次第です.

 何度か書いていますが,このサイトに文章を書くということは,読んでくださる方に話すように書いてるわけで,まさに相談があると言って話しているうちに自分で解決するじゃないですが,そういうところが大きいんだと思います.

 ただ,経済的なことについては,結論というか,実際どうなるかはともかく割り切れた感じはするのですが,どう過ごして行くかについては,社会的な繋がりがどのくらい必要なのかとか,まだ掴み切れてないところもあるので,これはまだ考えて行く必要があるかもしれません.

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[人材がいない]
(大学)

 そう言えば,(余計なこと書かない方がいいかもしれないけど)地震研の防災系の准教授ってどうなったんですかね? 確か金沢の建築学会の時,三宅先生といろいろ話したので,もう大分前ですよね.

 公募が出た時は,(毎朝,大学に来たらJREC-INを見てるので(笑))私も見ました.細かい文言はよく憶えてませんが,誰がどう見ても「これ俺やん」とは思いました.もちろん,准教授なので応募するわけはないのですが,その時思ったのは,「これ俺やん」ということは,他に誰がいるの?ってことです.つまりは,適任者がいないってことはないのでしょうか?

 でも,20年前は,私がやっているようなことは見向きもされず,防災系は当面昇進枠なしとなったんですが,20年後の今は,その分野の人材が全然いないわけで,これ以上は書かない方がいいですかね.

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4/12'21
[無頓着だった]

 定年後,どうやって過ごしていくかは,いろいろ考えていましたが,経済的なことについては,何も考えてなかったというか,何とかなるやろとしか思ってなかったわけで,お金に対する執着がないというか,無頓着だったんだなと思います.

 もちろん,普通に考えれば,心配はないんでしょうが,現実にじゃあ大学が定年になったときにどこのどういうところに住むか,借りるのか買うのか,どういう家賃とか価格のものにするのかと考えたとき,何がしかの蓄えがあるとしても,年金が一人頭20万に届かないのに,これまでのように何となく(住居手当もないのに)家賃10数万の物件を借りることは,経済感覚からしてありえないわけで,急に不安になるというか愕然としたわけです.

 あるいは,蓄えの中から家を購入すれば,住居費は月数万程度になるので,年金だけでも暮らせるんでしょうが,ずっと書いているように家を買うこと自体に抵抗がありますし(長期的に値上がりして行くという相場観をもっていないのに莫大な買いの玉を建てることになってしまうとか,何か問題があったときに簡単に移れないとか,借りた方が安いとか),ずっと,少なくとも数十年そこに住むと決められるのかとか,そもそも,もう数十年生きるかどうかもわからないわけです.

 そうすると,現実的には,とりあえず借りて住むとすると,(貯蓄を切り崩さないのなら)年金以外にキャッシュフローが必要になるわけで,働くか,運用するかしかないわけです.働くことについては,やり甲斐があることならやると思いますが,そうでなければ,働きたくないですし(怠け者),そうすると運用しかないわけで,たまたま私の場合は,ずっとそういうことをやって来たということがあるわけです.

 もちろん,運用ですから,うまく行く保証はないのですが,それは自己責任なわけで,うまく行かなければ,やりたくない仕事をするのではなく,もっと家賃が安いところに引っ越せばいいわけで(そういうことに対応できるのも賃貸のいいところ),このやり方が私にとって,しっくり来たということです.

 ですから,どこのどういうところに住むかは,運用次第ってことなんですが,うまく行っても必要以上に高いところ,例えば,大宮より東京よりとか,80平米以上のところに住むことはないとは思いますが,より快適に過ごせるようにカスタマイズしたいとか,ずっとここに住んでもいいかとか,経済感覚的にこのくらいなら買ってもいいかとかのいろんな条件がうまく重なったら,買うこともあるかもしれません.

 あるいは,定年後,何かやり甲斐のある仕事ができて,職場が都心にあるのなら,これまでのように都心に賃貸で住むと思いますが,どういうところに住めるかはこれも収入次第ということになります.でも,そういうことになれば,ラッキーですが,残り時間を考えると家を買う可能性は更に低下する感じはしますね.

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 生きてもあと数十年くらいのものだから,蓄えを切り崩して行けばいいんじゃない?という人も多いと思うのですが,私としては,そういう後退するやり方というか,生き方に抵抗があるんだと思います.もちろん,蓄えがどのくらいあるかにもよるんですが,それを元手に運用して得られた分なら使ってもいいくらいがせいぜいでしょうか.

 そういう点では,家を購入することは,元手が減ることになるので,借りる方優位に働きますが,逆に言えば,元手にほとんど影響がないくらいの値段で買えるのなら買うこともあるかもしれません.

 あとは繰り返しになりますが,うまく行っても行かなくても自分に返ってくるというか,自分が引き受ければいいというのも性に合っていて,やりたくない仕事をして稼ぐより,経済感覚を発揮して支出を制御するのが(私は)遥かに楽ですし,どこかで書きましたが,究極的には,やりたいことをやるために六畳一間の生活をするというのに憧れさえもっています.

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 ということで,定年後,ある意味,運用で食っていく決心をしたってことなんですが,何を今更と思う人もいるかもしれません.でも,私の中では,運用というか運保と生活費は全く別枠で(機会を増やして複利で回す数理モデル自体がそれが前提),別にお金が必要だからではなく,やりたいからやってたわけで,それを変えるというのは,背に腹は代えられないというか,自分にとって大きなことだと思います.

 そして,そういう決断をしてみると,今やってる運保の取り組み方というか,気合の入れよう(笑)も変わってくるというか,同じものを見てるのに「景色が変わった」感じもするんですが,それはよくなくて,やること自体はこれまでと変わらないというか,これで食って行くんだから頑張らないと,と思うとだめで,これまでのように「やりたいからやってる」でいいし,その方が結果も出るんだと思います(人生訓).

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(スポーツ)

 ゴルフの松山さんのマスターズ優勝,やりましたね.最近は,あんまり,上位に来る感じではなかったと思いますが,チャンスはいつ来るかわからないわけで,それをものにしたことは大きいでしょう.

 思い返すと,彼がブレークしたというか,注目を集めたのは,アマチュア時代(まだ19の大学生)にこの大会でローアマをとったときで,大会との相性もあるのかもしれません.当時は,同期の石川さんの方が圧倒的に注目を集めていて,でも,結果的には(現状では)松山さんの方が上に行ったわけで,体の大きさとかフィジカルはあるとは思いますが,そんなに体が大きくない選手で世界のトッププレーヤーもいるわけですからね(今大会の決勝で松山と同組のシャウフェレもそんなに大きくない).

 あと,マスターズでは,観客のことをパトロンって言うんですね.でも,マスターズに限らす,プロスポーツの場合は,実質,みんなそうなわけで,言ってる意味はわかりますよね?(皮肉?)

 でも,いつも書いてますが,日本人初とかアジア人初とか騒ぐのは,メディアの思惑ってことなんですが,それに乗せられてるようでは,というのも何度も書いた通りですね(他人を応援したり他人から何かをもらうよりお前が頑張れってこと).

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 なんかゴルフブームが来るとか言ってますね.うざいな.そろそろ練習場に行こうかと思ってましたが,やめときますか.

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(バドミントン)

 バドミントンですが,日常のトレーニングというか動的ストレッチ的なものの中で,床を蹴る動き出しの動きを覚え込ませることをやるようにして,練習のときもそれを意識するようにすると,少しずつ動けるようになってきました.でも,すぐに意識できなくなるのは相変わらずで,一体何なんだって感じですが,こんな感じで,少しずつやって行くしかないですね.

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4/13'21
[究極的には]
(バドミントン, 体)

 でも,タイミングをとって沈み込んで(沈み込む量は少ない方がいいけど,それにはフィジカルが必要.でも,骨盤を立てると沈み込む量は減らせるので今はそれを意識)床を蹴る動き出しの動きとか,そんな超基本的なことが意識しないとできないなんてどういうこと? というか,既にもう「終わってる」のかもしれませんね.思い返してみれば,若い頃は,そんなことを意識することなんかありませんでしたからね.

 でも,それはできてたというよりは,フィジカルがあって,何とかなってたってだけで,実際,そこのタイミングがずれると思うように動けないこともあるし(それはトッププレーヤーもそうですし),ただ何となくやってただけかもしれません.

 つまり,フィジカルが衰えることによって,運動原理の本質に近づけたのかもしれなくて,でも,フィジカルがある程度なければ話にならないので,現状,今のやり方を続けて行くということですかね.

 でも,こんな情けない状態なのですが,練習に行けば,「球を打ち返してくれる人がいる」のは,やはり,ありがたい話で,究極的?には,いくつになっても要介護にならないように体を整えて行く,そして,それがちゃんとできてるかを,バドミントンというトレーニング的なことよりは効力感を感じることによって確認する(トレーニング的な体を整えることだけではしんどいので,それを確かめるものが必要)ということでもいいんだと思います.

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[3本立て]
(ピアノ)

 ピアノは,割といい感じです.一つは,弾く時間を決めたので,まずはとにかくその時間になったらピアノに向かうってことですね.もちろん,仕事とかでその時間に弾けない場合は,しょうがないというか,ある意味,正々堂々とお休みにできます.つまりは,ピアノを弾く意欲が戻ってきたってことでは全然なくて,そういう中で,何とかやって行く術を見出しつつあるという感じですかね.

 具体的には,練習はするけど,弾けるようになることには拘らない,つまり,弾く気になる曲を弾くってことですかね.それは,ちょっと思い立って弾く気になって譜読み的にちょろっと弾いてみるってことも含みます.

 正直,「この曲を弾きたい」と思うことはもうほとんどなくて,喩えて言えば,今日の晩ご飯何にしようかなと思った時,これを食べたいということはそんなになくて,でも,食材的なものも含めて,数多くのメニューが並ぶ中で一番ましというか,この中で選ぶならこれというものは選べるわけで(それでも食べることは最大の楽しみだし,おいしいと思って食べてる),弾く曲もそんな感じで,でも,その曲が難曲なら弾けるようにはならないわけで,それがちょっと思い立って弾く気になって譜読み的にちょろっと弾いてみるならなおさらです.でも,それでも練習にはなるし(譜読み的にちょろっと弾くのなら脳トレにもなる?),そんなに弾きたくない曲を頑張って弾くより多少は効力感も感じるわけです.

 ちなみに今ほとんど唯一弾く気になって弾いてるのは,ショパンのOp.25-8の6度のエチュードで,どうしてこの曲だけ今弾く気になるのかは,正直,全くわからないのですが,弾く気になるので練習してます(と言っても30分くらいだが).でも,ショパンエチュードの中でも難曲なので,多分,まともに弾けるようにはならないし,弾けても演奏効果はそんなにない曲だと思いますし,そんなことより,多分弾けるようになる前に弾く気がなくなって弾かなくなると思いますが,それでも弾く気になるうちは弾くということです.

 そういう曲は,譜読み的にちょろっとは言うまでもなく,人前に出すことはないってことなんですが,そういうことにもう拘りはなくて,演奏会の何百倍もの時間の普段の練習の方が遥かに重要ですし,思い返せば,ジャワ組曲ってそういうことだったわけです.でも,そんな(そこそこ)弾く気になった曲がそんなに難しい曲でなければ,それなりに弾けるようになって,そういうものを出せばいいってことですよね.

 でも,まともに弾ける状態の曲がないというのもどうよということで,レパートリー的なこともやり始めて,具体的には,過去弾いたものの中から,多少は弾く気になるかとか作曲年とか演奏効果とか弾けるようになるかとかいろんなことを勘案して,とりあえず10曲くらいのリストを作って,これをぐるぐる弾いていくということです.どこかで,中学時代,老後はベートーヴェンのピアノソナタを1日1曲ずつ弾いて過ごしていくと言っていたと書きましたが,それに近いイメージですかね(でも,今のところ,リストにベートーヴェンのピアノソナタは(長いので)1曲も入ってないけど(笑)).

 そして,それだけでも結構大変で,でも,これもその時,より弾く気になるものを弾く,弾く気にならないものもしばらく弾いてないなと思ったら,多少頑張って弾くということを繰り返しているうちに,その10曲がいつも何とか弾ける状態にならないかという目論見です.

 つまり,1. 弾ける弾けない関係なく一番相対的に何とか弾く気になる曲を弾く,2. 演奏会が近づくと現実的に弾ける曲の中からこれも一番相対的に何とか弾く気になる曲を弾く,3. レパートリー的な曲群をある程度の周期でぐるぐる弾いていく の3本立てということですかね.

 以上は,何とか効力感をもってピアノの練習をして行く術ってことなんですが(効力感を感じないのならやめればいいじゃんとならない理由は何度も書いた通り),練習方法というか練習の仕方や意識にも変化が出て来ていて,一つは暗譜するようにしています.それも音で覚える(というか音は覚えているので,その音から絶対音感で判断できるようにする.つまり,絶対音感が使えるのはその程度のこと),譜面を視覚的に覚える,視覚的に鍵盤の位置で覚える,相対的な音移動で覚えるというような脳トレ的?なことを意識してます.あと,これまでのように,ただ何となく弾いて,弾けないところを放置すると練習論的に弾けない状態が定着するだけなので,そういうことをしないというか,ある程度,ちゃんと練習するというか,ようやく今頃,普通の練習が少しできるようになった感じはしています.

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[定年までの実績]
(経済, 生活)

 定年後,(やりたい仕事ができればするけどそうでなければ)運用で食って行くというか,運用枠とキャッシュフロー−生活費の完全独立を解除するってことなんですが,少なくとも定年まではやることが変わるわけではありません.でも,それまでの実績で定年後どうするかは影響を受けることになります.

 具体的には,定年時の資産額とそれまでの実績で,いくらの家賃の家が借りられるか,より快適な環境を整えるために損をしてでも購入することも考えられるか,ということでしょうか.

 もちろん,得られる見込みのキャッシュフローを全部使う必要はないというか,要らないものは要らないのは何も変わりませんが,運用実績が悪い(マイナス)なら,抜本的に考え直さないといけないと思います.

 それは,いろんなことが考えられて,現実的には,資保と日運,運保の比率を見直すということもありますが,まだまだあきらめずに研究を続ける,それでもうまく行かなくて,でも,そこに拘り続けるのなら,家賃の安いところに移って支出を制御して研究を続けるということもあるかもしれません(うーん,でも,そこまではどうかなあ).

 あるいは,すぱっとあきらめて運用から撤退し,損をしてもそれ以上の損をしないように家を購入して年金だけで何とか食べて行ける状態を確保する,家を買わないとすると,例えば,大手商社株を保有するなどである程度のキャッシュフローを見込む(ただし,この場合は,相当の安全率が必要)ということでしょうか.

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 でも,こうして書いてみると,結構な大勝負ですよね.特に定年後,給料というキャッシュフローを失って,運用がマイナスでも何とかしようとして研究を続けて行くというのは,普通に考えるとちょっとありえないでしょう.そうすると,定年までに結果を出さないといけないわけですし,結果を出しても,それ以降どうなるかもわからないわけです.でも,人生ってそういうものですし,そういう人生が定年後も送れるのは悪くないのかもしれません.

 一方で,定年までに実績をあげられず,あきらめて運用から撤退する場合,それはそれで,経済的には問題ないと思いますが,運用に関しては負けが確定するわけで,それを受け入れられるかってことがありますかね.あとは,経済的なことが全てではないですが,冒険的なことがなくなって,ちょっとつまらなくなるかもしれませんね.

 ですから,これも経済感覚というか,何とか食べて行ける状態を確保しつつ,どれだけリスクをとれるかというか,そういうバランス感覚が必要になるということですね.

 つまりは,そんな大勝負ってわけでもなくて,定年を境にキャッシュフローが激減するという状況の中で全体のバランスを考えながらやって行くということなんだと思います.

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[それでOK]

 でも,こうしてみると,仕事も仕事以外も,そして,定年後,どうするか考えることも含めて,生活というか,食べて行くということ,つまり,生きて行くこと全体としては,うまく行く行かないにかかわらず,大いに楽しんでる感じはしますね.ですから,何とか食べて行けるのなら,それでOKという気がします.

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[ワクチンを打たない自由]
(世の中, 自分)

 ワクチンですが,科学的にいろいろ問題もありますが,世の中全体のことを考えれば,多くの人が打った方がいいのでしょうし,打ちたい人もいるわけで,それはそれで問題ありません.でも,民主主義社会においては,打つか打たないかは個人の自由でもあるわけで,私個人としては,何度も書いているように打ちたくありません.

 でも,感染を広げないという社会的責務はあるわけで,ワクチンを打たないのなら外出するときや,人と数m以内で会話をするときは,マスクをしろということならそれは一向に構いません.

 でも,ほとんどの人がワクチンを接種してしまうと,例えば,会議や打ち合わせがオンラインから対面に戻って,ワクチンを接種した人はマスクをせずに以前のように普通に対面で会話してよいとなると,私が感染リスクにさらされます(マスクは飛沫を飛ばすのを防ぐ効果はあるが,感染を防ぐ効果はそんなにないし,飛んでくる飛沫を防ぐにはゴーグルもしないといけない).なぜなら,現行のワクチンは,感染したとき重症化を抑えるもので,感染自体を防ぐものではないからです.

 そうなったら,私はワクチンを接種していないので,対面の会議には出席できません,飲み会に出席することはできません,海外に渡航することもできません,ということが認められるかってことです.ていうか,認められないとしても,自分の命を守るために,顰蹙を買ってもやるしかないってことですよね.そして,それはそれで(めんどくさいことに巻き込まない大義名分が立って)悪くない気もしてきます.

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[関係ない人には関係ない]
(世の中)

 松山さんのマスターズ優勝ですが,私はそんなにゴルフをやるわけではないですが,それがどれだけすごい大快挙かはわかります.でも,国民をあげての大フィーバーというのは違うというか,実際,そんなことはないわけで,便乗したいメディアやゴルフ関係者が騒いでるというのが実態でしょう(視聴率が高いと言っても見てるだけですからね).

 そもそも,マスターズ優勝自体,松山さんの個人の出来事で,同じ日本人だから自分もできるんじゃないかと思うのも,そういうレベルでプレーをしている選手ならともかく,何も関係ない一般市民が勇気づけられるというのも変な話です.

 でも,松山さんは,ゴルフがやりたくてうまくなりたくて一生懸命練習してきて,夢を叶えたってことで,彼のことをよく知る人が「英樹,よくやった.頑張ったな.おめでとう」とか言うのはよくわかります.でも,関係ない人には関係ないことでしょう.

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4/14'21
[極々一般的な人間?として]
(経済)

 こんなこと書くと,そこそこの給料もらってるのに何がそんなに心配なの?と言う人が多いんですかね.経済危機や経済破綻は大いにありうる話ですが,そんなこと言ったらほとんどの人はアウトなわけで,それはそれでしょうがねーじゃん,というのが一般の人の考えなんでしょうか.

 私の場合,経済危機や経済破綻が起きても何とかサバイブしてやろうと目論んではいるのですが,そういうことは置いておいて,つまりは,世の中がひっくり返るようなことはないと仮定して,一方で,運保(日運や短運や資保)のようなことも特にせず,極々一般的な人間?として,私が定年を迎えたとき,どうするかってことをちょっと考えてみます.

 まず,参考になるのは,就職して株式取引を始める前の一般人?だったときのことですね.そのときは,バブルができてはじけているときで,金利はかなり付いていましたが,どこに預けるかでかなり違っていて,私は,定期預金ではなく,一時払い養老保険というのを使っていました.年利7%はあったんじゃないですかね(確か5年と10年があって,10年だと2倍になった).

 つまりは,運保のようなことはしなくても,それなりに研究して,安全な範囲で運用はしていたんだと思います.家を買わずに借りたというのも,ずっとここに住む続けると思えなかったということもありますが,借りた方が安いということがわかってましたからね.福岡の家を売却した後,母親にずっと賃貸に住んでもらったことも然りです(目論見通り,経済的には,大きなメリットがありましたが,それ以外のところで,彼女にとってどうだったかですが,私や妹が住む場所を変えるときに近く,あるいは,いっしょに住んでもらうことはできて,それは彼女にとって悪くなかったと思います).

 ですから,運保までやらなくても,それなりの運用的なことはしていたんだと思います.問題は,そういう状況で,それなりの資産を有して,キャッシュフローが給料から年金へと激減する定年のとき,どうするかです.

 一つは,家を買っちゃうことでしょうね.現金一括で住居手当がなくて,数十年住み続けるつもりで,家賃の200倍で購入できるのなら借りた場合と同額くらいですからね(でも,現状は家賃の200倍はかなりきつい.つまり,借りた方が得).もちろん,不動産価格が下がって行けば,借りた場合よりも出費が増えることになりますが,不動産価格が上がれば逆になりますし,そもそも,相場を読むことをしないということだと,現状の価格で手を打つということでも問題はないですし,住むところを確保するという意味で経済危機や経済破綻に対するリスクヘッジにもなります.

 借りて住む場合は,不動産価格変動に対するリスクを回避できますし,金銭的に得なのは変わりませんが,蓄えを切り崩して行く不安のようなものはあります.でも,ちゃんと計算して計画的に使って行けば大丈夫ですかね(家を買った場合だって,老朽化して資産価値はどんどん下がっていくので同じこと).でも,資産を現金のみでもつと経済危機や経済破綻が起こった時はひとたまりもありまぜん.

 ですから,運保的なこと,具体的には,商品(先物)や外貨や優良株をある程度保有しておくことは必要でしょう.でも,何の研究もしていない状態では,それはなかなか難しい気がします.つまりは,日運や短運はともかく,資保的な研究はしたということなんでしょうし,実際,そういう研究をしたのは,数年前ですからね.

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[ちょー大変なこと]
(世の中)

 金儲けというか,お金を稼ぐのって,やっぱり,大変なことだと思いますね.本質的には,何度も書いているように時給1000円ちょっとで1日1万稼ぐのが精一杯なわけで,それ以上となると,普通の人ができないことや,やりたがらないことをやるしかないわけですからね.

 金儲けの才覚があれば,とはよく言われるのですが,その実,ちょー大変なことで,何度も書いているように,商売の基本は安く仕入れて高く売ることなわけで,わかりやすく言えば,隣のスーパーで100円で売ってるものが,今いるスーパーで110円で売ってるのなら,隣のスーパーで100円で買ってきて今いるスーパーの前で109円で売れば,9円儲かるってことなんですが,隣のスーパーと今いるスーパーを行ったり来たりとか,売り場の開設とか,隣のスーパーとか今いるスーパーとの交渉とか,たったこれだけでもとてつもない労力やコストがかかるわけです.

 つまりは,金儲けというのは,めんどくさく疲弊することをどれだけやるかってことなわけで,かつ,その多くの実態は,サヤ取り的で何かを生み出すものではなくて,素養のある人はそういうことには興味がないので,一流半の人間が一番儲かってるわけです

 でも,無駄はあってもビジネス的なことも必要っちゃ必要なので,素養の低い人達がめんどくさいことや疲弊することして金儲けしてもらう分には一向に構わないですし,むしろ,自分としては,やりたいことやって必要十分な収入を得られて,ありがたい話だと思いますね.

 そりゃあ,お前は,普通の人ができないこと(研究)ができたからだろを言われればそうかもしれませんが,そうでなくても,時給1000円ちょっとの誰でもできるけどめんどくさく疲弊するわけでもない仕事を淡々とやって(週5日8時間ずつ働けば年収200万になる.時給1500円なら300万),経済感覚を発揮して無駄なものに金を使わず,やりたいことをやるということでも全然やって来られたと思いますからね.

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[結局,問題の本質としては]

 いざとなったら六畳一間は極端でも,家賃10数万ではなく7, 8万,あるいは,5, 6万のところ(でも東京から電車と徒歩を合わせて1時間以内で60平米のURはあるし,築年数は行ってても中は充分綺麗)に住むとしても全然平気な気もする一方で,不安なのは,そこで多くの時間を楽しく過ごせるかです.

 防音室付きのグランドピアノは60平米あれば大丈夫でしょう.体を動かせるスペースってことなら,少々広いくらい(80とか100平米)では厳しくて,そこにコストをかけるより,体育館とかジムとか公園とか秘密の場所(笑)を見つけるとか,外で体を動かせるところを探す方が現実的です.

 スーパーもだいたいありますし,生活クラブを使うようになって,定食屋も必須ではなくなったし,スーパーですらなくてもいいかもしれません.

 ここまで来ると明らかなんですが,結局は,経済的な問題じゃなくて,ずっと書いてる「どう過ごしていくか」の問題なんですよ.家賃10数万と5, 6万の差も,築年数と東京からの距離の違いで,そんなもんは大した違いはなくて,だったら,やることがあって家で楽しく過ごして行けるのなら家賃5, 6万でもいいじゃんってことです.

 自分がピアノを弾くことも含めて周囲の騒音についても,ユニット式の防音室をピアノと作業スペースの2つ,あるいは,大きな部屋があれば,まとめて1つ入れればいいわけですし(今の防音室は,次の引越しを入れるともう5回解体運搬を繰り返していて遮音性が落ちて来てる感じがするので)新しく買うとしても全部で数百万くらいのものでしょう.

 てことで,結局,問題の本質としては,「何して過ごしていくか」ってことなわけで,これさえあれば,どこに住んでも大丈夫というか,お金の問題なんか吹っ飛ぶってことですね.

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 ここまで来ると,逆に家賃10数万のところに住む意味がないというか,5,6万のところでいいと思うくらいですが(古くなって取り壊しになって引っ越すとことになったとしても,防音室+グランドピアノの解体運搬組立で30万かかるとしても家賃差4か月分で賄える),やはり,不安なのは,今の大学の研究室のような「出かけるところ」がなくても大丈夫なのかってことです.これが未だによくわかりません.

 今の状況としては,半径200mの中で家と大学を往復するのがほとんどで,時々,買い物に行ったり,バドミントンの練習に行ったり,シーズンはスキーに行ったり,京都の街に出かけたりくらいで,いろんな人とのやりとりはメールとかZoomでできますし,何の問題もなく楽しく過ごせてますし,大学に来てやってることのほとんどは家でもできますし,PCの前に座ったら,それこそ気温とか騒音の問題がなければ,関係ないはずです.

 ですから,原理的には,定年後も内的熟達的にやることさえあれば,全然OKのはずですが,今大学の研究室にいる時間も家にいると思うと,何か厳しそうな気がするというか,時々,実験的にそういうことをしてみると,(周囲を散歩とかしても)しんどい感じがするのは何なんですかね? 単なる錯覚というか思い込み?

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 やはり,やりたくないめんどくさいことも含めて,定年を境になくなる仕事の穴をまだ埋め切れてないんでしょうか.でもこれはかなり難しくて,何度か書いたように,定年で仕事をやめたらやりたいことがあるとか言っても,ほんとにやりたいのなら今すぐやるはずで,つまり,それはほんとはそんなにやりたいことではないわけですからね.

 でも,一方では,仕事をしているうちは,やりたくても物理的に難しいところはあって,つまり,両立はしないわけです.そこを徐々に移行する,即ち,ソフトランディングと言っても,定年前に仕事を徐々に減らして行けるわけではないので,どうしてもある程度はハードランディングになってしまって,定年で心にぽっかりと穴が空くということになってしまうのでしょうか.

 一つは,大学を定年になった後,フルタイムではないそこそこの仕事をして,そしてそれを徐々にという形で,定年「後」にソフトランディングしていくということで(いい話が来ればですが),実際,実績がある人の多くがそうしてるんですが,それが現実的というか理想なんですかね.

 ただ,そうすると,確かにソフトランディングにはなるんですが,定年を先延ばしにしたようなものなので,ほんとの定年後の準備が遅れるという面はあって(逆に,定年どころか,定年前に退職して次のステージに移行してる人もかなりいる),でも,そこをしっかり進めておくということですかね.

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[準備は要らない?]

 具体的に考えてみると,例えば,今はゴルフは全然してないです.でも,やりたいとは思ってて,でも,やりたいなら今すぐやる的にはそんなにやりたくないんじゃんってのはその通りなんですが,仕事をやめて時間ができて,練習場とかゴルフ場が近ければ,やるような気もするんですね.

 スキーも今はシーズン数日なんですが,仕事をやめて時間ができて,朝起きて(スキー場が)天気がよくて,シーズンロッカーに道具が置いてあって手ぶらで電車で1時間くらいで行ければ,行くと思うんですよね.もっと言えば,家の中にドライビングレンジがあったら毎日練習するでしょうし,広いスペースとノックマシンがあったら,バドミントンだってすると思うんですよね.

 こんな感じで,やりたいなら今すぐやる的にはそんなにやりたくなくても,時間があると相対的にやりたくなくはないものが順繰りに降りてきて,仕事をやめて生まれた時間を埋めるってことはありそうな気もします.

 じゃあ,それでOKかと言うと,そうはならなくて,やはり,必要なのは「本業」でしょうか.つまりは,一人でしこしこ研究をして行くかってことです.そして,これまたよくわからないんですよね.

 今は学生がいっぱいいて,研究以外の仕事もあって,彼らの指導をするのに手一杯なんですが,学生達は成長して,研究は進んでるわけでこれはこれでいいんですが,定年でそれがすっぽり抜けて,どうなるかってことです.うーん,わからん(正直).

 研究は進めていきたいので,学生がいなくなったら自分でやるしかないのですが,多くの人がそうであるように,一人でしこしこやるのはきつい感じもするんですよね.いや,他の人は関係ないので,自分がどうかってことでしょうか.全然行ける気もしますが,学生達といっしょに研究して行く方が楽しいのは間違いないので,結構揺らぐというか,確信まではもてないです.

 でも,「本業」は何でもいいわけで,生業という意味では,運保も必要で,その研究をしてもいいでしょうし,「地震動の性質と建物被害の関係を探求し,それを地震災害軽減に結びつけて社会に還元すること」を越えてもっと広い世の中全体や生き方的なことを研究テーマとするというのでも行けるんでしょうか?

 ここで,一つ気づくのは,これらを本業とするのなら準備は(ほとんど)要らないってことです.だって,研究も運保も世の中や生き方研究も既にやってますからね.つまり,定年になって仕事をやめて時間ができたら,本業や本業以外も,そのときよりやりたいというか,やりたくなくはないことをその時の気分でやればいいってことなんですかね? ひょっとして,そんな簡単というか夢のような話?

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4/15'21
[退屈とかやる気とかやりたいやりたくないの相対性というかバランスの問題]

 上の続きですが,(相変わらず,考えながら書いているので長文になってしまいますが,つまり,自分のために書いているのですが)そうすると,結局,何の心配も,それどころか,準備すら要らないってことになって,ほんとにそうならそれでもいいんですが,それがどういうことか考えをまとめておく必要があって,そうでないと,また(無用の)心配とか不安でぐるぐる回ることになってしまいます.

 で,思ったのは,「退屈とかやる気とかやりたいやりたくないの相対性というかバランスの問題」ってことじゃないかということです.

 今は,仕事があるし,学生達と研究できるし,仕事以外のことも何とかできてるし,「退屈とかやる気とかやりたいやりたくないのバランス」が何とかとれているということでしょうか(理想としては,やりたくない仕事はしたくない一方,仕事以外のことをもっとやりたい).

 じゃあ,定年で今の仕事をやめたらどうなるかですが,時間ができて一気に退屈になります.やりたいことがあるのなら,やりたいことをやればいいんですが,やりたい度とかやる気が仕事で空いた時間を全部埋めるほどじゃないんじゃないかということです.でも,退屈は苦痛ですから,何とかしようとするわけで,それを埋めるために,そんなにやりたくはないけど,やりたくない度が低いものが相対的に降りてくるとも思うわけです.それで何がしかの収入が得られるのなら,それもプラスに働くかもしれません.

 いや,やりたくない仕事をするくらいなら,支出を制御して働きたくないということなら,やりたくない仕事よりは相対的にやりたいこと(ならいくらでもあるはずです)をすればいいわけです.いや,下手なゴルフなんかやってもしょうがないと思うのなら,働けばいいわけで,いや,年寄りにやり甲斐のある仕事なんかないと言うのなら,やり甲斐のない仕事をして何がしかの収入を得て退屈しのぎをするのか,やり甲斐のある仕事をするために起業とかまでするのかというやりたい度との相対的な問題なわけです.

 働かずにやりたいことをする場合も,めんどくさいなと思うくらいのやりたい度なのなら,やらずに退屈を受け入れればいいわけで,いやいや,それじゃあ,退屈で精神の安定が保たれないし要介護にまっしぐらなのは嫌だと思うことなら,やりたいことが仕事のようなやらないといけないことに変化するので,多少なりとも頑張ってやればいいわけですし,そこまで行かなくても,経済的に何とかなるなら,定年前にやっていたやりたくない仕事よりはましと思えばやるかもしれません.

 下手の横好きでは,やってもしょうがないと思うのなら,何でもいいので本業というか生業のようなものをやることで,これは,2つ上のパラグラフに戻るのですが,経済的に何とかなるなら,それが収入に繋がらなくてもいいと思いますが,そういう支えのようなものが必要ということなら,単にやりたいことではなく,仕事のようなものなので,これも多少頑張ってやる,そこまでやるのがめんどくさいのなら,退屈を受け入れればいい,受け入れられないのならやるしかないということでしょう.

 社会的責務を果たさなくていいのかということについては,そもそも,定年でクビってことは,お前はもう要らないってことですし,その後,社会的責務が果たせるようなやり甲斐がある仕事がなければ,社会的責務は完全に免除されて,喜んでやりたいことやればいいですし,そもそも回りに迷惑をかけなければどう生きようが自由なわけですからね.

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 私の場合ですが,上の記事の3つ目のパラグラフに

 今は,仕事があるし,学生達と研究できるし,仕事以外のことも何とかできてるし,「退屈とかやる気とかやりたいやりたくないのバランス」が何とかとれているということでしょうか(理想としては,やりたくない仕事はしたくない一方,仕事以外のことをもっとやりたい).

 とありますが,だとすれば,話は非常に単純で,定年後は,研究以外のやりたくない仕事を仕事以外のやりたくてやってることに置き換えればいいわけで,ただ,まだ全部置き換えられるほど準備ができてないのなら,準備をしていくということでしょう.それは,種目を増やす(今やってること以外で何か面白そうなことはないか探す),今やってることの持続性を高める,やりたい度がさほど高くなくても実行に移せるように住む場所や家の環境などでハードルを下げる,そのためにお金が必要なのなら(単に働いて稼ぐのではなく定年後の持続性も考えて)運用の研究をするというようなことでしょうか.

 あるいは,全部埋まらなくても,埋まらない分の退屈を受け入れるというのも現実的な選択かもしれません.

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 総論から各論に降りて来ると,大学の研究室のような「行くところ」が必要かですが,これってやっぱり錯覚というか思い込みのような気がするんですよね.私の場合,大学に在籍している,社会的地位があるということで社会と繋がっている感じがするというのは元々ないですし(そんな形的なことじゃなくて,やってる仕事の中身の問題),あったとしても,定年でそれを失えば,「行くところ」を確保しても意味ないわけですし,経済的なことを考えると,そこまでするかということもあるわけです.

 通勤でスイッチが切り換わるというのもまさに錯覚で,だったら,散歩して戻って来て,例えば,作業室の防音室に入ればいいような気もしますし,そんなことするくらいなら,散歩なんかしなくて(体を動かす的には散歩よりもっと効率のいい方法がある.ただし,散歩するのが単純に気持ちよければ散歩すればいいだけの話で,それはスイッチとは関係ない),そのまま防音室に入ればいいし,なんなら,そのまま作業を始めてもいいわけで,そういうトレーニングをちょっとすればいいような気もします.

 そんなことより遥かに重要なのは,内的熟達的に「相対的にでも」やることがあるのかってことで,そういうものが(本業として)あれば,スイッチの切り替えすら必要ないですし,実際,私にとって研究というのはそういうものだったので,むしろ,オフがない(それこそ食べてる時とテレビやインターネット見ているときと寝てるときくらい.でも,食べるのと寝るのはちょー重要),日常生活の中に研究があったようなものですからね.

 ですから,そういうものを(今すぐやりたいというほどではなくて,相対的にやりたくない度が低いものでも,やらないといけない度の助けも少しは借りて)確保していくのがまさに準備ということなのでしょう.

 あとは,これまた各論的な話ですが,どうやって運用でリスクを抑えて持続的にキャッシュフローを得るかですが,例えば,大手商社株を保有する→買えると思った時だけ買う→その対象を商品や外貨にも広げる(資保)→空売りなどもして積極的に値動きの大きい非大手証券株や金融株などを売買する(短運,日運)ってことですが(Nasdaq100先物,VIX指数,マザーズ指数は資保という位置づけですが,これらは売りもやるので性格的には日運に近い),普通に考えれば,後に行くほど,リスクが大きく一か八かで持続性がないってことなんでしょうが,実は,逆で,大手商社株を保有するだけなら,経済危機や財政破綻が来れば,大打撃を受けますが,資保の場合は,保有するのは,買ってるときだけなので,リスクは減るわけですし,更には,短運や日運で,何度も空振りしながらも,少しでもやばい雰囲気になったときに売れば,損をしても保険金を払ってるようなもので,経済危機や財政破綻で痛手を被るリスクは減らせるってことです.

 つまりは,資保で資産を守るというか,運用をしつつも,その一部で短運や日運で売りを仕掛けてリスクヘッジを行うというのは,割とバランスがとれてる気がします.

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[マンションを買うのは怖い]
(生活)

 建設ラッシュだった頃に建てられたマンションが築50年近くになって,耐用年限が近づいて,更には,旧耐震ということもあって,耐震補強とか大規模補修するより住民で話し合って建て替えを選択するケースも多くて,というのをやってました.どう思いますか?

 こういうのをきくと,やっぱり,マンションを買うのは怖いですよね.例えば,私がリタイアして築20年のマンションを買ったとして,そこから20年生きたとすると築40年で,どうするかみたいなことになってきて,でも,そこから何年生きるかわからないのに,建て替えってなったら,そんなん要らないとか駄々をこねて迷惑をかけたくないというか,実際,そういう高齢者は多いってききますし,だったら,そういうことまで考えてマンション買えよってことなんですが,そんなこと全然考えてない人がほとんどなんですよね.

 別に高齢者に限らず,30で新築マンションを買っても,50年住んだら,全く同じことが起きるわけで,いろんな住民が集まって住んでて,話し合いとかもめることも多いでしょうし(1995年兵庫県南部地震で被害を受けたマンションの補修や建て替えでもかなりもめたケースがあった),やっぱり,マンション買うのは怖いですよね.買うとしても,築3, 40年で「消費する」,つまり,売却して引っ越すってことでしょうか(値段が付けば,ですが).

 もっと言えば,タワマンってどうやって(取り壊して)建て替えるんですか? 赤プリの解体は見事でしたが,あれはS造で,RCだったらああは行かないでしょうし,コスト的にはどうなん? ていうか,自分が住んでる間に耐用年限が来るとか考えてないのでは?

 じゃあ,どうしたらいいかですが,借りるか,買うとしても一軒家ということになるでしょうか.そして,借りるのなら,キャッシュフローがないと,ってことで,運用頑張らないといけない? いや,そんなのどうなるかわからないので,ちゃんと計算して,問題ない範囲で住めるところに住めばいいんでしょう.

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[とても懐かしいけど]

 とある番組で,つくばが出てきました.よく知る情景で,とても懐かしくて何とも言えない気持ちになりました.でも,戻りたいとかいうのでは全然ないし,それが何なのかよくわかりませんでした.

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[落ち着くとだめ]

 ここのところ,いろいろ考えて何となく見えて来て,大分落ち着いて来た感じもします.でも,落ち着くと「なんかだめ」というか,効力感がなくなる感じがするんですね.思い返すと,地震研時代にもそういうことがありました.

 なんなんですかね? 落ち着いて今やるべきこと,やりたいことに打ち込むってわけには行かないの? それとも,たまたま周期的にそういうタイミングってだけ?

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4/16'21
[これもバランスの問題]

 やっぱり,問題を解決して落ち着くとだめなんだと思います.具体的には,適度な問題やストレスや悩みがないといけないってことでしょうか.実際,今回に限らず,いろいろ考えて結論のようなものが出ると,逆になんか調子がよくなくなることはよくあります.

 一般的なケースとしては,仕事をリタイアして,経済的問題もなくて,やらないといけないこともなくてってなると,要介護とか認知症にまっしぐらなわけですからね.もちろん,過度のストレスや悩みはもっとだめなので,バランスの問題ってことで,難しいですね.

 でも,心配無用かな(笑).だって,問題やストレスや悩みがないなんてことはあり得ないからです.でも,いろいろ考えて,何かに近づいて行くと,そういうものは減って行くはずなんですが,それは幻想ってことなんですかね.それとも,まだまだ仙人の領域には到達していないってことですかね(そりゃそうだ).

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 問題やストレスや悩みがないなんてことはあり得ないってことですが,仕事をしているときはそうですが,仕事をやめた後も,やらないといけないことがないという状況の中で,それを問題ととらえるか,単に働かなくてよくてラッキーととらえるかが大きな分かれ道ということなんでしょう.

 ですから,私の場合は,多分,大丈夫なんでしょう.全ての問題を解決するということはあり得ないでしょうしね.

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 要は,問題やストレスや悩みとかと,やり甲斐や気分のよさとかのいいとこどりはできない,ある程度,正負両面受け入れる必要があって,なおかつ,歳をとって,体脳心も衰えて行くわけで,そこのところの非常に繊細なバランスを保たないといけない,それは,体脳心が衰えて行く中で,できるだけそれを維持,場合によっては,向上させるということも含めて非常に高度なマネージメントが必要ということで,なかなか大変なんですが,それができるかできないかで,特に定年後の人生というか生活がどうなるかが大きな違いになるってことなんだと思います.

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[選挙はずるい]
(世の中, 仕事)

 建築学会のとある委員会で委員長をやることになってしまいました.そういう仕事は何度もしたことはありますが,だいたい,事前に打診があるとか,メンバーで話して合意形成してって感じですが,今回は決め方がちょっと変わって?いて,選挙なんですよ.

 具体的には,委員会名簿が送られてきていきなり投票するわけです.で,名簿をつらつら眺めると,なんかまずいなという嫌な予感はあって,それが的中してしまった感じでしょうか.分野バランス的なことを考えると,私がやるのは必ずしも最適というか公平ではないと思うのですが,選挙という民主主義の大原則なので,否応なしなわけです.

 逆に言えば,「選挙はずるいわ」とも思いました.立候補して争うのならともかく,喩えて言うのなら,京都市長を選ぶのに京都市民の成人全員が候補者になって,本人の意志に関わらず投票で決めるみたいなものですからね.

 でも,選挙結果なので,どうしようもありません.それで思い出したのは,高二の時の学級委員長選挙です.そのときの記憶によると,1年のとき同じクラスだった女子が多くて,嫌な予感はしていたのですが,投票結果は私になり,でも,あろうことか,私は嫌だと言って抵抗したのですが,説得されてしぶしぶ引き受けました.

 でも,高二の学生生活は(父が亡くなるまでは)とても楽しかったし,結果的にはよかったと思いますが,選挙って立候補が大原則なんじゃないですかね(もちろん,誰も立候補しない場合もあるので,そういう場合は,打診とか話し合いになる).

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[銀行の数]
(経済)

 普通に生活して行くのに年300万のキャッシュフローをどうやって得るかですが,年利3%なら1憶,0.3%なら10憶が必要になります.つまり,現状では10憶でも足りないってことなんですが,たとえ10憶あったとしても,それをどうやって守るかは重要で,具体的には,一つの銀行に預けてその銀行が潰れれば,ペイオフは1000万なので,9憶9000万が消えます.

 つまり,10憶を銀行が潰れても守るには,100行に分けて預ける必要があるのですが,日本にそんなに銀行があるのかってことです.で,調べてみると,東証一部に上場している銀行は87行ですね(厳密には,この中に日銀とかも入っているので87もないことになります).しかも,その多くは地銀なので,(今はインターネットがあるので大丈夫かもしれませんが)いろいろ面倒そうです.

 もちろん,東証一部に上場してない銀行も銀行以外の金融機関もありますが,オーダーとしてはそのくらいってことです.どういうことかと言うと,せいぜい数10憶くらいが安全に守れる資産の上限ってことですね.と言っても,国が財政破綻してペイオフの1000万もアウトになったらアウトですけど.

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[そういう時代は終わった]
(経済)

 久しぶりに現状の銀行の定期預金金利についてちょっと調べてみました(5年前にちょっと調べたときは,0.2〜0.3%くらいはあった).

 と言っても,調べるまでもないんですが,悲惨ですね.だいたい0.02〜0.03%ってとこでしょうか.つまり,総額10憶預けても年間30万にしかならないわけです(キャンペーン的に0.5%くらいのところはあるけど,一時的なものだし100行揃えるのは無理).

 みんなどうしてる? それこそ,貯蓄を切り崩して行くしかない?

 でも,考えてみたら当たり前というか,経済成長しないのに銀行に預けて金利だけで左うちわでぬくぬくとやって行こうという方がどうかしてるってことで,金利が高かった頃は,物価も上がったわけですからね.

 でも,過去30年は,かなり特殊な時代で,景気はずっと低迷して経済成長も止まったけど,金利はそこそこ付いてて,何よりずっとデフレだったわけです.ある意味,天国だったんですが,そういう時代は終わったということでしょう.

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[リスクを減らして年利3%]
(運保)

 こうして見ると,リスクを減らして年利3%を目指すというのが現実的な感じがします.でも,これまでいろいろ研究というか分析をしてきましたが,そういうことを目指したことはないですし,正直,逆に非常に難しい気がします.

 これまでは,どうやっていたかというと,とにかく「最大の結果を目指す」ということです.それは,日運も短運も資保も変わりません.リスクを減らすのなら,一番簡単なのは,資金を減らすことで,でも,それだったら,資金を0にする,つまり,一切運用をしなければ,リスク0ですが,それでは,年利3%にはなりませんし,資産の多く,あるいは,全てを現金でもつことは,資産を守る的には,逆にリスクが大きくなります.

 漠然とした言い方ですが,フィルタをきつくすると,玉を建てる機会は減ってリスクは減るように見えるのですが,勝率はそんなに変わらないのに成績は低下して,それで確実性が上がることにはなりませんし,機会が減るのは,確率の再現性に対して問題です.

 ということで,なかなかの難問なんですが,現状の日運+短運+資保は,結果的にそこそこのバランスになってる気もしますので,これを続けながらぼちぼち考えて行きますか(解決していない問題があるという状態は悪くないことですし).

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[カードを引く]

 残り時間がだんだん少なくなってきてるのですが,そういうことじゃない気がしてきました.つまり,人生,あと残り(だいたい)何年ってことじゃなくて,喩えて言うと,0代,10代,20代...70代...というカードが用意されていて,めくっていくというか,それは,その順番とは限らなくて,でも,長さは全部同じ10年で,でも,結果的にその順番になっていて,つまり,本来独立だけど,当然のことながら,過去は未来に影響を与えるわけで,でも,「今」から過去は変えられないので,例えば,今60なら,60代のカードを引いて,60代を過ごす,そして,どこかでカードがなくなる,あるいは,今引いてるカードが途中で期限切れになるみたいな(意味不明?).

 そして,60代のカード,70代のカード,(あれば)80代のカード,90代のカードがそれぞれどんな10年になるかは,これまでとさほど変わらず楽しめるのか,要介護になったり認知症になったりするのか,人によってものすごい差になるわけで,それは単なる運ではなくて,40代とか50代のカードをどう過ごしたかで決まるわけです.

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[ありがたい]
(バドミントン)

 バドミントンですが,動けないとか,なんでこんな球がとれないとかこんな球しか打てないとか言っても,実際そうなら,それを受け入れるしかなくて,むしろ,こんな老いぼれた人間の相手をしてくれるだけでありがたいってことですよね.

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4/17'21
[120を前提]

 カードを引くとはまた違うというか,似たような考え方として,事故とか病気とかなければ,人間120くらいまでは生きる(生きてしまう)ので,それを前提として考えるということもあると思います(途中でお迎えが来るとしてもそれはそれでOKだが,痛いのや苦しいのは避けたい).

 そして,そう考えると逆にかなりしんどいわけで,しかも,生きたとしてもどういう状態なのかもわからないし,だから,できるだけいい状態をキープしとかないとやばいし,先のことを考えるとしんどいので,今を生きるとなるわけです.

 つまり,結局は,ずっと書いてる「近く,時々,遠く」ってことですね.

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[関東リーグ]
(バドミントン)

 バドミントンの大学関東リーグが始まりました.今回はつくば開催なんですが,こういう状況なので無観客です.関係者は会場に入れるんですが,さすがにつくばは遠いし(K池さんは東京に来るなと言ってるし),でも,学生達が頑張ってYouTubeのライブ配信をしてくれたので,女子のvs日体大を(途中からですが)見ることができました.

 まず,YouTubeのライブ配信ですが,素晴らしかったです.ちゃんと左上にゲーム得点経過が逐次示されるだけでなく,全体の経過も出ていて,見てる人がどういう情報が欲しいかがちゃんとわかってるし,最初に自己紹介みたいなのが出て来るのもよかったし,アングルも上から全体だけではなく,適宜フロア面からの映像にも切り換わって,すごいじゃん.でも,画像の解像度がちょっと低い感じがしたのは気のせい? カメラの性能?

 結果は,5-0と圧勝でした.香山という大エースや大関も抜けたし,とある事情があって,4年には,推薦生はいないのですが,戦力は充分というか,もっと上を目指してると思うので,こんなところでは負けられないくらいのつもりでやって欲しいですね.

 男子は配信はなかったんですが,早稲田に3-2で勝ったようです.でも,何と全部ファイナルなんですね.

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[父のほんとの遺言]

 父の遺言について書いたんですが,これは何というか,私があまりにふがいないので怒られたというか,ちょっと悪乗り的なところもあって,じゃあ,ほんとの遺言(最後の言葉)はなんだったかと言うと,これもどこかで書いたと思いますが,亡くなる1週間くらい前に(でも,このときは1週間後に亡くなるとは夢にも思ってないのですが),クラスのいつも遊んでる友人達とG藤んちでどんちゃん騒ぎをしてボーリングに行く途中で父の病院に様子を見に行った時,怒られたというか,何と言われたかというと,やるべきことを先にちゃんとやりなさい,というようなことでした.

 それで,そのとき,父の具合がよくない感じがしたこともあって,私はボーリングに行くのをやめたんですが,この言葉は,ずっと引っかかってて(現にこうして今も憶えているわけですから),じゃあ,それを守ってきたかというと,これも全然守れなかったんですが,でも,そういうことがなかったら,もっとできなかったとは思います.

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(野球)

 野球(ライオンズ)はまあまあかな.打ち勝つというよりは,投手もある程度は計算できるようになってきましたしね(昨日は首位).今日は負けたんですが,ソフトバンクに4連勝で,ここの苦手意識がなくならないと,優勝はできてもCSは抜けられませんからね.鍵を握るのは,やはり,高橋ですが,ソフトバンクに勝てる投手がもう1人欲しいですね.

 あとは,こっちでは,阪神戦をやってるんで,ちらちら見てますし,こっちの人間になったので,応援してます(現在首位).佐藤輝明も楽しみですしね.ライオンズがCSでソフトバンクに勝って,ライオンズと阪神で日本シリーズやってもらって,1985年のお返しをするってなったら最高ですかね.

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4/18'21
[何十年もできてなかった]
(バドミントン)

 再三書いている,しっかりタイミングを合わせて沈み込んで(ただし沈み込み量は少ない方がいいがそれはフィジカル次第)床を蹴るという動き出しの動きですが,先日の練習で,若くてサークルの中で強い人達のプレーを見ていたのですが,ほとんどできてません.一方,例えば,筑波大のレギュラーとか,トップレベルの選手は,例外なくできています(男子は,フィジカルがありすぎて沈み込み量が非常に小さいので女子の方がわかりやすい).

 このことが意味することとしては,私も元々できてなかった,でも,若い時はフィジカルがあったので,それなりに動けてたってだけの話で,フィジカルが衰えると途端に動けなくなるわけです.つまりは,何十年もできてなかったことをやろうとしてもそれはとてつもなく難しいってことですね.

 でも,フィジカルを若い頃に戻すのは不可能でしょうから,これをやるしかないわけで,でも,やれば少なくとも今よりは動けるようになるというか,ある意味,伸びしろがあるとも言えるわけです.でも,とにかく意識しないとできないし,意識するという集中力も衰えてますから,至難なことだとは思いますが,スキーのようにシンプルで明確なテーマがあるのは悪くないです.

 あとは,筑波大の選手は,ある程度はできてるのですが,それは,無意識なのか,無意識に意識なのかってことで,無意識ではなく,無意識に意識ができれば,もっとできて,より動きが洗練されて行くということですね.

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[やる気三要素は循環する]

 オリンピックに出るようなトップレベルの選手とかプロスポーツ選手がよく言うのは,支えてくれた人に対する恩返しとか,見ていただけるようなプレーがしたいとか,要は,やる気三要素で言えば「人との繋がり」です.もちろん,ファンの皆様の応援のおかげです,みたいな「そう言わなきゃいけない」ところもあるのですが,本音としても,自分のためだけには頑張れない,誰かのためと思うと頑張れるというところはあると思います.

 それで思ったのは「やる気三要素」は循環するということです.

 どういうことかと言うと,やる気三要素は,心理学的には,内的熟達>人との繋がり>報酬という順序で効力感を生むということなんですが,逆に言えば,この順番に難しくて,マズローの法則的にも報酬→人との繋がり→内的熟達という順番で高みに登って行くんですが,必ずしもそうではないということです.

 具体的に言えば,いきなり内的熟達から入ることは多いですよね.例えば,バドミントンを始めたらとにかく面白くてどんどん上達するし夢中になって練習した,みたいな.でも,それで最後まで行けるはずもなく,レベルが上がると,上達が頭打ちになってきたり,練習がきつくてしんどくなってきたりして,試合に勝つという報酬が欲しくなったり,上述したように,回りの人達との関りとか,誰かといっしょに練習するとかの人との繋がりが必要になってくるわけです.

 そして,多くの人がここまでってことなわけで,ポイントは,もう一度,内的熟達に戻って来られるかということでしょう.

 思い返してみると,私もそうでした.大学4年で研究室に入った時は,ただ研究が面白くて研究していました.研究さえできれば,報酬なんか要らなかったんですが,それでは食べて行けないわけで,幸運にも地震研に就職できて,やりたいことを見つけてそれで飯を食って行くということが実現して,報酬も得られたわけです.

 でも,そこから何かがおかしくなったわけなんですが,その辺のことは,研究内容的なこともあったとは思いますが,結局,認められない内的熟達ではなく,認められる成果を出したことで展望が開けたという側面もあって,人との繋がりに助けられたこともあったわけですし,震度についても,ただ面白いからやってるというよりは,震度が被害と対応しないのはまずいので変えないといけない,つまりは,世の中をよくしないといけないという「人との繋がり」なわけで,30代後半から40代くらいまでは,そういうことだったと思います.

 しかしながら,結果として,そういうことにならず,それでどうなったかと言うと,そういうことにめげたわけじゃなくて,そんなことが私がやるべきことではないことに気づいたというか,研究者である以上は,そんなことより研究を進めるべき,つまり,内的熟達に戻ってくることができたと思うんですよね.

 ただ,ここからどうなるかはわかりません.循環するってことは,またそういうことになるかもしれなくて,でも,言えるのは,同じところをぐるぐる回るのではなく,らせん階段のように回るたびに上に登って行くということでしょうか.

 でも,(何とか食べて行ければ)報酬は関係ないですかね.つまりは,内的熟達と人との繋がりを行ったり来たりということかもしれません.でも,本音としては,ずっと書いてるように,もう内的熟達一筋で行きたいとは思っています.

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[自分の身は自分で守る]
(世の中)

 第四波というか,感染者がまた増えてきて,まん延防止とか全く意味なしというか,多くの国民は意に介さない感じで,でも,別にいいんじゃないですかね.ちゃんとした人は感染対策はしてるでしょうし,病床がひっ迫とか言ったって,ベッドはほとんど使われてないという実情はばれてるわけですし,こんなんじゃオリンピックできないとか言っても国民の70%は開催に否定的なわけですからね.

 つまりは,いつも書いてるように,国がどうこうというか,何かしてくれるわけじゃないし,どうすることもできないし,自分の身は自分で守るということでしょう.

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 120を前提というのが,なかなかいいと思うのは,例えば,今90だとしても,普通だとさすがにもうそろそろって感じなんでしょうが,あと30年もあるってことですよね.60なら何とあと60年です.

 でも,逆にほんとに120まで生きるのはしんどいというのもあって,だったら,実際はもっと手前でお役御免になるのでそれはそれでOKなわけです.

 そんな歳になって,どんな状態で生きてるんやってことなんでしょうが,だったら,120まで生きてしまうリスクを考えて,ちゃんと準備して行くってことで,それはそれで悪い感じはしません.

 もちろん,実際は,どんな状態になるかはわからないのですが,それは歳は関係ない(若くしてそういうことになるかもしれない)わけで,それはそれで受け入れてやって行くしかないしそうすればいいことでしょう.

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4/19'21
[だんだんが嫌]

 別に120まで(長生き)したいってわけじゃなくて,でも,何と言うか,だんだん残り時間がなくなっていくというか,人生が終わって行くという感覚が何か嫌なんですよね.でもこれもDNAに刻まれた本能なので,そんなの知性で乗り越えればいいんですが,本能なのでそれはそれで難しいわけです.ほんとめんどくさい.

 それで何が嫌かと考えたんですが,「だんだん」残り時間がなくなって行くという感覚が嫌なんですよね(あとは,死ぬのは別にいいけど,痛いとか苦しいとかは避けたい).しかも,長生きするほど残り時間は(確率的に)短くなるわけで,そういうのも何か嫌ですね.

 じゃあ,例えば,あなたの寿命を決めます.80になる歳にいつものように寝たらそのまま目覚めず逝くということにしますから,ここにサインしてくださいと言われたらサインすると思うんですよね.70でもいいかな.

 あるいは,カードを引く的には,70とか80になったときカードを引いて,いきなりそこで終わりだと準備ができないので,例えば,80で終わりってカードだったら,そこから半年とか1年後に終了する(いつものように寝たらそのまま目覚めず逝く)ので準備をしてくださいというのでもいいかな(そうだとすると,例えば,60代なら70で人生が終わるかもしれないと思って生きることもできる.でも,これって120が前提とは真逆の考え方に見えるけど相通ずるところもあるわけ).

 でも,そんなことは不可能なわけで,じゃあどうするかってことで,平たく言えば,先のことは考えないってことで,でも,全く考えないことはできないし,全く考えないのも問題なので,「近く,時々,遠く」ってことなんですが,遠くのときにどう考えるかってことですかね.

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 じゃあ,自分で70とか80とか寿命を勝手に決めて,その歳になったら,安楽死すればいいじゃんってことなんでしょうが,そういうのとも違うんですよね.

 まず,何度か書いているように自殺だけは絶対にしてはいけないと思っていて,理由は既に書きました(でも,痛くて苦しくて何もできずに退屈で何の楽しみもない状態が永遠に続くとしたら厳しい).

 つまりは,そういうのは自分で決めることではなくて,誰かから与えられるもので,与えられたものを無下に放棄せずに,ありがたくいただかないといけないし,一種の責務だとも思うんですよね.

 それに,痛くて苦しくて何もできずに退屈で何の楽しみもないということでなければ,ただ死ぬのを待ってるだけでも,生きてる意味はあって,何とか生きて行けると思いますし,そういう中で,どうせ生きて行くのなら少しでも気分よく楽しい方がいいと思えば,できる範囲でそう行動すればいいと思います.

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 とは書いたものの,2つ目の記事は,その通りだと思いますが,1つの目の記事は,なんかしっくりこない感じもします.でも,それが狙いというか,何だかよくわかんないというのもいいんじゃないですかね(実際,カードを引くのと120までは逆の考え方だけど,私的にはどっちもあり).つまりは,死ぬことには(ほんとうっとうしいけどDNA的に)得体のしれない嫌な感じがする一方で,ずっと生きて来て,お腹一杯になってもう疲れて寝るというか卒業というようなお役御免的な面もあって,つまり,正負両面あって,負の面ばかりを見ないということだとは思います.

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4/20'21
[ツンドラ]
(昔話)

 全くのローカルな話題ですが,福岡の天神(てか,あそこは天神? 私の中のイメージ的には大名に近い)のツンドラというロシア料理店が61年の歴史に幕との情報がFBに流れていました.

 でも,この店には,(多分)一度も行ったことはありません.でも,よく行ったロイヤルホスト(は,その昔,今のようなファミレスではなく高級焼肉店だった)の隣にあったのでよく憶えています.

 つまり,このニュースをきいて私が思い出したのは,昔のロイヤルホストというか,小学生時代の家族との思い出ということでしょうか.

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 グーグルマップで「行って」みました.ツンドラの向こうのビルのところにロイヤルホストがあったんですが,店は道から少し引っ込んだところにあって,店の前にはスペースがあった感じがします.

 

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[うまいことなってる]

 もっと単純な話かもしれませんね.DNAとか人生論云々以前に,単純に生きてて楽しければ,もっと生きたい,まだ死にたくないと考えるのは,自然の成り行きでしょうからね.

 でも,幸か不幸か,生きていれば楽しいことばかりではないし,歳をとって残り時間が少なくなってくると,社会からお前はもう要らないと言われたり,できてたことができなくなったり,しんどくなったり,体や脳の不具合も出てきたりして,生きて行くこと自体がしんどくなってきて,ある意味,うまいことなってるわけです.

 逆に言えば,どんなに歳をとっても,そういうことがあまりなくて,生きてて楽しいのなら死にたくないというかまだ生きていたい,少なくとも生きててもいいと思うでしょうし,そういう状態なら,生きる確率も高いわけで,これまたうまいことなってるというか,自分で自分をちゃんとマネージメントすることもありますが,どういうことになっても,それを受け入れればいいし,そうするしかないってことでしょう.

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 個人的には,そんなに長生きしたいとは思いませんが,痛いのとか苦しいのは嫌ですから,そうならないように(できる範囲で)気をつけるようにはしています.そうすると,結果的に(確率的に)長生きしてしまうってことなのかもしれません.

 それは正直ちょっとしんどい気もしますが,どうせ生きるのなら楽しく気分よく生きて行きたいですし,そのためにやるべきことはできる範囲でやるし,そして,実際,基本的に楽しく気分よく生きて行けてるし,だったら,長生きしてもいいかというか,それを素直に受け入れるってことですし,そうでない場合も然りということですね.

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4/21'21
[ごめんなさい]

 まだ人生は続くのかもしれませんが,ここまでは,思った以上にうまく行ったと思いますし,これからはもう何でもありなわけで,このまま逃げ切れるような感じもするんですが,じゃあ,お前が何をしたんだ?と考えると,別に大したことしてないわけですし,子供を育てたわけでも,そのためにしゃかりきになって働いたわけでもないわけで,何だか申し訳ないというか,ごめんなさいって感じですかね.

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4/22'21
[緊急事態宣言]
(世の中)

 京都でも緊急事態宣言出るみたいですね.ほぼほぼ半径200mで(楽しく何の問題もなく)生活しているので,個人的には全く実感はないんですが,要は,夜の街で飲んだくれてる人達が感染を拡大させてて,それを止めるってことなんでしょうが,バドミントンの練習がまたなくなる(と言っても,今月末は,どのみち練習はないが)とすると,いい迷惑って感じですが,それはそれでどこかほっとするのは何なんでしょうね.

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[ツンドラの光景]
(昔話)

 ツンドラなんですが,この記事の写真は,ツンドラがどの店かわかるように看板が見えるアングルになってるんですが,この光景は,全然記憶になくて,私の中にあるツンドラの光景は,以下のアングルです.

 

 右のビルのところにロイヤルホストがあったんですが,今のビルよりずっと下がったところにあって(手前は駐車場っぽい感じ),行くのはだいたい夜だったので,暗闇の中にぼーっと明かりが付いてるみたいな感じで,ツンドラの店がありました.

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[日本がいつも「死の組」に入るわけ]
(スポーツ)

 日本がまた「死の組」に入ったと報道されてました.何のこと?

 どうやら,東京五輪男子サッカーのグループリーグのことみたいです.見ると,日本の他は,フランス,メキシコ,南アフリカのようです.どこが死の組なん? 他を見ると,ブラジルとドイツが同組とか,スペインとアルゼンチンが同組とか,そっちの方がよっぽど大変じゃん.ていうか,メディアによると日本ってだいたいいつも「死の組」ですよね.

 

 「死の組」の定義はよくわからないのですが,要は,グループリーグを抜けるのは4チーム中2チームで,その中に,本来ならグループリーグを抜ける力をもったチームが3つある場合が「死の組」ということでしょう.そういう意味では,日本が入ったリーグは,本来ならグループリーグを抜ける力をもったチームは,フランスとメキシコなので,死の組でもなんでもないわけです.

 いやいや,日本は?

 ほらほらほらー,それですよ.日本がいつも「死の組」に入るのは,日本が「本来ならグループリーグを抜ける力をもったチーム」にカウントされてるからであって,でも,実情は,全然違うわけで,そういう理由で,「メディアによると」日本はいつも「死の組」に入るわけです(フランスとかメキシコからしたら「いい組に入った」ってことでしょう).

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4/23'21
(このサイト, 日記)

 最近の記事を読んでるんですが(今は2019年),やっぱり,この頃になると(その日の時点で過去の記事を読まないでいいように,つまり,過去を包括するように書いているので)同じようなことが繰り返されてて,読み返すのは面倒ですね.でも,新しいことも書いてあるし,なぜか次が読みたくなるのは何なんですかね.

 でも,読み返すとき面倒だから,「その日の時点で過去の記事を読まないでいいように,つまり,過去を包括するように書」くのはやめようかなとは思いました.

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 この記事も何度も書いたことの繰り返しになっちゃうのかなあ.

 ?ahooに「仕事も勉強もうまくいく アリストテレス哲学「やる気」のススメ」という記事が出てました.どうせ大したことは書いてないやろと思って読んだ(というか,途中からもうわかっちゃったんで読み飛ばした)んですが,未完了で不完全とか,キーネーシスとか,エネルゲイアとか,形而上学とか,ぐだぐだ書いてあるんですが,これって結局,このサイトで何度も書いている内的熟達のことじゃないですか.

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[退化?]
(ピアノ)

 ピアノなんですが,効力感的には,今一なんだと思います(ピアノに限った話じゃないですが).でも,毎日ではないですが,何とか弾いてはいます.それは,やりたいことをやらないといけないことに,ってこともないでもないですが,内的熟達的には,面白さを見つけるということで,今はどんな感じかと言うと,暗譜するようにしていて,そうすると,音楽を表現する以前に音を並べる意識が強くなって,極端な言い方をすると,バドミントンやスキーで動きを洗練するように,あるいは,ゲームのように音を憶えて正確に並べることに一種の効力感を感じるというか,それで何とかもってるという感じです.

 これって,一種の退化ではあるんですが,音がちゃんと並んでないのに,音楽を表現するもくそもないわけですし,練習して音が並べば,その分,音楽を表現できるとも言えるわけで,スポーツで言えば,まさにフィジカルのようなものでしょう.

 ていうか,私の場合,とにかくやる気なしなので,まずは効力感なわけで,ちょっとでもその気になれば何でもいいというところはあります.

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[だめ人間]

 やっぱり,私って,どうしようもないだめ人間だと思いますね.実際,小さい頃は,わがままで自分勝手で怒られてばかりでしたし,怠け者でやる気なしで(やる気三要素とか内的熟達とか言ってるけど,要は,ないやる気を出すのに必死ってこと),やらないといけないことを我慢してやることができないのは,今に至るまでずっとそうです.こんなだめ人間が何とかここまでやってこられたのは不思議とは何度も書きましたが,それはもうどうでもいいことかな.

 問題はこれからなんですが,ずっとこんな感じですから,この期に及んで,もうどうしようもないわけで,このまま行くしかありません.つまりは,これまではずっと危ない橋を落ちずに(というか,何度も落ちそうになったけど)渡ってきたけど,これからもそうとは限らないってことですが,それはそれでしょうがないってことですね.

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 でも,一方では,やりたくないこともそんなに苦痛に感じることなく割と淡々とできるようになってきた感覚もあって,よくわからないんですが,要は,平凡でつまらなくなってきたってことですかね.

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[全然へっちゃら]
(世の中)

 緊急事態宣言が出て,どこにも出かけないでくださいって言ってます.世の中の多くの人は,自粛疲れでもう我慢の限界って感じ?

 個人的には,全然へっちゃらですよ.半径200mで楽しく何の問題もなく生活してるくらいですからね.何なら今の状態がずっと続いて欲しいと思ってるくらいです.

 でも,これも私が自堕落なだめ人間だからってことかもしれませんね.だって,イベントとか旅行とか遊びに行くのとかめんどくさいし,みんな元気があってすごいなあって思いますもん.

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4/24'21
[これもやっぱりすみません]

 思った以上にうまく行ったと書いたのですが,それは確かにそうなんですが,どういう意味かと言うと,自分の能力というか,頭のよさとか勤勉さ(怠惰さ)を考えると出来過ぎということでしょうか.

 じゃあ,どうしてそうなったかなんですが,運がよかったとは思いますが,状況的には決して順風満帆ではなかったわけで,具体的には,大学受験前という大事に時期に父親を亡くして随分長い間やる気のようなものをなくしましたし,研究者になってからも,重要な時期というか,何をして行くかということで追い詰められている厳しいときに南先生を亡くして,いきなり路上に放り出されたわけですからね.

 もちろん,ポストを紹介してもらったりもしたんですが,それは,何をして行くかという点で方向的に逆行するものでしたし,ポストを紹介されるってことは,(自業自得ではありましたが)お前はもう要らないということですから,完全に見放されたと思いました(これが一番きつかった).

 でも,大学受験は,その年は失敗しましたが,浪人して何とか滑り込み,これはたらればかもしれませんが,結果として,今やってるところに辿り着いた感じはしますし,南先生を亡くしたときは,その直後に1999年台湾集集地震が起こって,全てがひっくり返りました.

 だから,結局,(禍福は..的に)運がよかったのかな.でも,確かに頭のよさとか勤勉さは全然大したことないんですが,普通の非常に優秀な人にはない考える力というか,勉強嫌いで自分で考えて何とかするってことはあったと思います.

 でも,私に決定的に欠けているのは,やはり,勤勉さで,わかりやすい例としては,どんなにピアノとかバドミントンの才能があっても,1日1時間とかしか練習できないのでは,絶対にものにはならないわけで,研究にしても,やるときはやるけど,一時的なものだし,社会的に成功するには,学界の中でとりまとめ的な仕事をしないといけないのですが,そういうのがめんどくさくて,そんなんでよくもまあやってこられたもんだというか,別段何をするでもなく,時々その気になったときにやりたいことをやってきただけなわけで,これもやっぱりすみませんって感じですかね.

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[これで行ける?]

 明日から緊急事態宣言ということで,ニュースとかメディアとかは大騒ぎなんですが,一体,どこの世界の話?というか,何だか別の世界のことのような気がしてしまいます.だって,半径200m以内で,誰とも接触しないで生活していたら緊急事態宣言なんか出ても全然関係ないし,そもそもはじめから感染しようがないですからね(でも,接触感染などのリスクはあるので対策はしてる).

 それで気づいたんですが,半径200m以内で,誰とも接触しないで生活していて何の問題もないなら,定年で大学をやめた後もこれで行けるってことですよね.いや,大学という行くところがなくなるやんってことなんですが,誰とも接触しないのなら,200m散歩して帰ってくるのと同じ気がします.

 つまり,そういう錯覚的なことのような気がして来たんですね.そして,ほんとにそうなら,気づけたのは,新型コロナのおかげってことになるのかもしれません.

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 仮にそれで行けるとすると,基本的には,誰と接することもなくそれなりに楽しく過ごすことができるってことで,ある意味,無敵なんですが,そういう生活をしながら,「その時」が来るのを待つということでいいんですかね? いや,それでいいと思えばいいのか.

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[必要としてくれるところに行く]
(大学)

 そっか,いい話だと思ってホイホイ来ましたが,防災研に来たってことは,(地震研を出たときからそういうことはなかったとは思いますが)地震研というか東大に行くことは完全になくなったってことですね.いや,それこそ始めからなかったとは思いますが,防災研に来ることがあるなら,むしろそれよりありだったような気もしますからね.

 じゃあ,東大と京大というか,地震研と防災研とどっちか選べるんだったら,どっちを選ぶかってことですが,もちろん,一長一短なんですが,防災やるなら防災研ってことはあるでしょうし,東大には20年以上いたので,(内部を)知らない方が興味はあるということはあるでしょう.

 でも,そんなことより,やっぱり,声がかかるというか,(こんな私でも)必要としてくれるところに行くってことですよね.

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[終わる]

 それが何かは書けませんが,あることが終わろうとしてる感じがします.それは,寂しい気もするし,どこかほっとするところもある.そして,それが終わるってことですよね.つまりは,そういう正負両面を見て,両方を受け入れればいいということでしょう.

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4/25'21
[結局これになる]

 結局これになるんですが,哲学的には人生所詮退屈しのぎなわけですし,余計なことをできる限り排除して,やりたいとか,本来的にやるべきとかまで行かなくても,その時その時の相対的にそうでなくはないことをできる範囲で淡々とやって行けばいいのでしょう.問題は何を相対的にそうでなくはないと思うかですが,それは私の素養によって決まるわけで,それが何であっても甘んじて受け入れるということでしょう.

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[実情がばれてる]
(世の中)

 緊急事態宣言が出たんですが,人出はほとんど変わらないらしいです.そりゃそうでしょう.

 慣れたとかそんなことではなく,政治家が医療がひっ迫してるとかステイホームをとか言っても,実情がばれてるというか,そもそも政治家自体が全然信用されてないわけで,マスクを外して向かい合って唾を飛ばし合うようなことをしなければ,別に問題ないとほとんどの人は思ってるでしょうし,もし感染しても,そんなに大したことにはならないわけですからね.

 でも,一つ思ったこととしては,重症化する人のほとんどは高齢者で,大切なおじいちゃんやおばあちゃんを大事にしないととか言っても,若い人達は全然聞く耳をもたないわけで,これって,何度か書いた「姥捨て山」ってことなんじゃないですかね.

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[ド素人?の運用]
(運用)

 ド素人の人がどうやって,資産を運用していくかですが(間違っても投信とか買ってはいけないし,イデコも問題外),大手商社株を相場観なくコツコツ,例えば,給料が出たら毎月いくらという感じで一定額(一定株数ではない)買っていくのはどうかとは書きました.もし株価が暴落したらバーゲンセールでたくさん買えると思えば,精神衛生上も行ける?

 でも,やっぱり,下げるのは怖いですよね.つまり,やばいなと思ったときは売ればいいんですが,それで損をすることもあります(それでも,リタイア後にもらえる配当がその分減るだけと思えばいい?).

 つまり,やばいと思ったときにどうするかなんですが,もちろん,一旦売却することもできますし,それができるのが(不動産と違って)株式のいいところですが,別のやり方としてVIXを使うという方法もあります.つまり,やばいと思ったらVIX先物を買うということです.VIXはとても値動きが大きいので,少額でリスクヘッジをすることができます.でも,日本株のVIXは投信しかない※んですよね.

 じゃあ,アメリカ株はどうなん?とはすぐに思いつきます.つまり,大手商社株のようにアメリカ株,それも,Nasdaq100のような成長株,あるいは,指数先物を買って行って(指数先物のロールオーバーがめんどくさいのならCFDがある),やばいと思ったら,VIX先物を買うということですね.

 あとは,やはり,外貨(FX)と商品(先物)でしょうか.外貨については,多くの通貨(米ドル,豪ドル,加ドルなど)で金利が付くんですが,そういう通貨は長期的に値下がりして行きます.でも,少なくともこの10年は,そうはなってなくて,いわゆる丸儲け状態ですが,これがずっと続くとは限りません.商品(先物)には,一切金利は付かないのですが,いわゆる「もの」なので,その分,安全性も高いということですかね.

 でも,つまり,大手商社株,Nasdaq100,VIX,外貨(FX),商品(先物)に分散するってことですが,ここまで来たら,もうド素人の運用じゃないか(笑).

※日経平均VI先物というのが一応あるんですが,対象が日経平均なのであまりよくない(何とファストリが値動きの10%を決めるなど,大手商社以外の上位10社で4割近くを占めている.これは時価総額とかではなく,単なる株価で決まってしまっていて,例えば,ファストリが株式分割を行えば,その分,いきなり寄与度が下がる)ですし,ほとんど出来てないみたいです.

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4/26'21
[全然へっちゃら]

 今朝目が覚めたとき,不思議な感覚になりました.具体的には,今,既に定年後で仕事がないとしたら,と(なぜか)リアルに想像できたんですね.そして,その時の感覚としては,「全然へっちゃら」で,むしろ,やらないといけない仕事がなくてラッキーてなもんでした.つまり,既に「準備ができてる」ということなのかもしれません.

 でも,問題は,何度か書いたように,朝目が覚めたとき,今日はこれをやろうというようなやりたいことがあって,気分よく起きられるかってことなんですが,それはまた別の話なわけです(今は仕事があるので何とか起きる).

 そして,それは,定年前とか定年後とか関係ない生き方問題なわけで,今だって,やりたくない仕事,余計な金を稼ぐためだけのための仕事なら,そんなのさっさとやめればいいだけの話なわけです.

 そういう意味では,今の仕事は,そういう仕事ではないので,それができるうちは続けると思いますが,それがなくなってもやることはあるし,それは,いろんな余計なものが付いている今の仕事と「等価」という感じがして,でも仕事のようにやらなくていいのなら,怠けてやらないことも考えられるのですが,だったら退屈を受け入れればいいし,それが無理なら(生活に必要なこととか体と脳の健全性を保つとかやらないといけないこととともに)その時相対的に一番やりたくない度が低いことをやればいいわけですからね.

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4/27'21
[あきらめた]

 定年後も「全然へっちゃら」で,既に「準備ができている」というのは,結局,「あきらめた」ということかもしれませんね.これも何度か書きましたが,あきらめるというのは,明らかにするというのが語源で,決して悪い意味ではありません(とか言うと,曲解してしまう人もいるんでしょうが).

 要は,社会や誰かと繋がっていたいということへの拘りを捨てればいいわけで,何とか一仕事できたとは思いますし,社会や誰かから必要とされないのであれば,責務を免除されて,いろいろめんどくさいこともなくなるわけですし,それは,誰かと人生を歩んで行くことも同様で,正負の正の面を見て,内的熟達的に淡々と(あるいは自堕落に)やって行けばいいということでしょう.

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[リスクは減らせない?]
(運用)

 そういう精神面?がある程度解決した?となると,意外と気になるのがお金の問題だったりします.実際,定年を境にキャッシュフローは給料から年金へと激減するわけですし,年金なんかどうなるかわからないし,年老いるに従って働くのは難しくなって行くでしょうからね.

 家を買えば,あとは,食料とライフラインがあれば生きてはいけるので,ある程度はリスクヘッジできるでしょうが,それだと何か面白くないし,貯蓄を切り崩すだけでは,まさにジリ貧ですし,経済破綻すれば一巻の終わりです.

 それで,というわけではないですが,定年後はそんなにリスクはとりたくないし,リスクを減らして何とか年利数%で回せないかと思って,ちょっと検討してみました.

 まず(これは検討もしてませんが)債券の類はだめです.例えば,米国債とかいろんな国の債券を買うというのは,多くの人が普通にやってることですが,デフォルトのリスクがあるわけで,たった数%の利回りを得るのに元本がなくなるくらいなら,それこそ配当利回りが数%ある大手商社株を買った方がましでしょう(配当落ちも含めて株価を維持すれば,数%の利回りが得られて,株価が半分になっても,数%の半分の利回りが得られるし,債券がデフォルトを起こすより金儲けに必死な大手商社が潰れる確率の方が低い気がする).不動産投資(不動産を買って家賃収入を得る)なんか(買うより借りた方が得なんですから)もっての他です.

 それで,日運や短運をもっとリスクを抑える形でできないかと思って,いろいろやってみたんですが,これが存外難しいです(と言っても,たかが一週間くらい検討しただけですが).フィルタをきつくすると,成績が落ちて,機会も減るんですが,それでリスクが減ったことにはならないわけで,何もいいことはない感じがするんですよね.

 つまりは,リスクは減らせなくて,そうすると,リスクをとったもん勝ちで,だったら,今のやり方でいいとも言えます.

 そして,いきなり話が大きくなりますが(笑),人生についても同じなんじゃないですかね.一度きりの人生とよく言われますが,その気になったら何でもやったらいいし,それがリスクを伴うとしても,失うものなんかないんだと思います.

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 とは言え,お金というか,運用に関しては,日運や短運といったハイリスクハイリターンの取引は,全体の一部で,それ以外のところは,資保(大手商社株,Nasdaq100,外貨,商品先物を買えるときだけ買う)なので,そこの部分のリスクは元々そうでもないですし(売り買い両方やるVIX先物とかマザーズ先物とかもあるので,これは日運や短運に近い),全体としては,割といいバランスになってるのかもしれません(なので,定年を過ぎてリスクをとりたくないと思ったら,日運と短運をやめて,全部資保にするのもありか).

 でも,このままでいいと思うとつまんないというか,単純に研究はして行きたいので,ぼちぼち考えては行きます.

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[ずっと一人だった]

 誰かと人生を歩んで行くことも(あきらめた)と書いて気づいたんですが,確かに大切な友人の一人には間違いないですし,それは今でもそうですが,考えてみたら,これまでもずっとそうだったわけで,つまりは,これからもこれまでと何も変わらずってことですね.

 こうしてみると,親や兄妹といった家族や友人達や学生達やお世話になった先生方,先輩方や後輩達はいましたし,彼らには大いに助けられましたが,誰かといっしょに人生を歩むというようなことはなかったわけで,私ってずっと一人だったというか,でもそれはそれで楽しくやってこられた一方で,どこかで何かが起こるかもしれないと思っていたところもあって,でも,結局,何も起こらず,それはちょっと残念な気持ちもある一方で,ほっとするところもあるわけで,これも全てを受け入れて,そういう正の面を見てやって行けばいいのでしょう.

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4/28'21
[一人になった]

 と書いたんですが,ずっと一人だったってことはなくて,やはり,大きな支えというか,いっしょに人生を歩んできた感覚はあったと思います.でも,既に書きましたが,何年か前に重大なことに気がついたというか,そのこと自体は,ずっとそうだったんですが,それが意味することというか,そういうことに突如気がついたということでしょうか.

 つまりは,ずっと一人だったのではなく,(数年前に)「一人になった」ということですかね.でも,この期に及んで何が起こるわけでもないですし,状況としては,何も変わらないわけで,これからも(ある意味)これまでのように「一人,時々,みんな」でやって行けばいいのでしょう.

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[急に雨が降る]
(生活)

 こっちに来てから思うのは「急に雨が降る」ということです.具体的には,朝起きてカーテンを開けると雨で,あれ?今日雨なんやという日が多いというか,いつもそんな感じです.

 どうしてそうなるかと言うと,テレビの天気予報は,まず全国,そして,その地方という流れなので,関東に住んでいた頃は,全国の天気で西の方が雨だと明日は雨かなという感じなんですが,こっちだと西がそんなにないので,「急に雨が降る」感じがするわけです.いや,九州があるやろってことかもしれませんが,関西で雨が降る前に九州で雨が降る感じはあまりしませんね(ターゲット?がそんなに広くない?).

 じゃあ,九州に住んでた頃はどうだったかですが,もう40年前なのでよく憶えてませんが,当然のことながら,「急に雨が降る」のは関西以上だったと思いますが,そんなこと思ったことはなかったですから,長年,関東に住んで染みついた?感覚ということでしょう.

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[同じ曲を弾き続ける]
(ピアノ)

 ピアノなんですが,何とか弾いていて,でも,相変わらず,そんなに効力感があるわけではありません.でも,単に音を並べるというプリミティブなことに少し効力感を見出せる感じもしてきて,それで行けるのなら,それこそずっと同じ曲を弾いても,その曲をミスタッチなく弾けるようになるのは非常に難しいわけで,つまり,そこに注力することでずっと弾き続けられることになるとも言えるわけです.

 で,思い出したんですが,中高の時も,そんな時期があった気がします.具体的には,中二くらいのときは,ずっと悲愴ばかり弾いてた気がするし,高三とか浪人時代は,熱情とかプロコフィエフのソナタ6番の第1楽章だったかな.いや,そればかりってことはなくて,でも,他にはドビュッシーの月の光とか沈める寺とか,ショパンのOp.28のプレリュードの22番とかシューマンの交響的練習曲の7番とかラフマニノフのOp.3の2のプレリュードとか,こうやってすぐに書けるくらいですから,極々限られた曲を弾いてたんだと思います.

 でも,東大に入り,東大ピアノの会に入ってからそれが一変するというか,具体的には,5月の五月祭,11月の駒場祭という年2回(学園祭じゃないのでお客さんは少ないけど7月と1月にもあったので,その気になれば年4回)人前で弾く機会ができて,近現代の知られざる私がいいと思う曲を開拓してきて弾くということが始まり,途中からは近現代以外の曲も弾くようになり,それ以降,ずっと「新曲」を弾くようになったんですね.

 卒業してからしばらくは,よく憶えてませんが,その後,ファミーユに入り,ピアノプロジェに出るようになってからも,頻度は落ちましたが,基本的には,ずっと「新曲」を弾いてきたわけで,そのリストがこれになるってことでしょうか(最近は更新してないけど).

 でも,それってどうよというか,ちょっと「新曲」に偏り過ぎというか,レパートリー的なことも考えた方がいいというか,でも,別に人前で弾くわけでもないのにレパートリー作ってもしょうがないんですが,日々ピアノを効力感をもって弾くことの一つとして考えるのなら,限られた曲をより完成度を高めることもやってみるってことで,あとは,気の向くままに弾きたくなったときにいろんな曲を弾いてみるというのも加えて3本立てということで,これって要は「やることが増えた」とも言えるんですが,その分,長い時間弾くことはできないので,まあぼちぼちですかね.

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4/29'21
[それは全く逆]
(経済)

 2022年度,つまり,来春卒業する東大生の就職企業人気ランキングで上位が軒並み大手総合商社になってました.ふーん.

 

 大手総合商社については,何度か書いて来ました.具体的には,何かの技術とか設備とか既得権が必要なわけでもなく,ありとあらゆる分野を対象にその時々で何が一番儲かるかを判断して(今はエネルギーとか資源関係),人がやりたがらないこと,例えば,海外を飛び回っていろんなシビアな交渉をする一方て,給料とかの待遇面はいいし,起業するのではなく安定した大企業でサラリーマンとして大きな仕事をして報酬を得たいという人は行くでしょうし,有能な人材も集まっていると思います.

 つまりは,いろんな企業がある中で,一番金儲けに特化しているということで,株を買って乗っかるのはありなんじゃないかということなんですが,裏を返せば,自分が行きたいかというとそれは全く逆ということになります.

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 じゃあ,大手総合商社が今後も安泰かというとそれは何とも言えません.具体的には,ハイエナのように儲かるところに食らいつくってことで,対象をその時々の状況によって変えられるのは大きな強みですが,今の状況下では,どんどん投資会社みたいになってきていて,そうすると,経済が低迷したり,経済危機になれば,痛手を被るわけで,実際,バブルの崩壊後は低迷したわけですからね.

 ですから,大手総合商社株を買ってずっともっておけばいいという簡単な話ではないわけで,そのときの経済状況を見て売らないといけないと思いますが,これはこれで簡単な話ではないですね.

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 ただ,これは,私個人というか,同世代に限った話ですが,残された時間を考えれば,(120まで生きれば60年以上ありますが(笑))現実的には長くても30年やそこらでしょう.つまり,遠い将来ではなく,せいぜい30年くらいを考えればいいわけで,だとすると,割と明確にイメージできるようになったきたとは思うんですよね.

 具体的には,ほんとのところはそんなことやってどうすんだということ満載ですが,AIとかロボットとかデジタル化とかエネルギー問題というような「枠組み」ができつつあって,少なくとも30年くらいはかかるでしょうから,何をやれば儲かるかが絞られてきた中では,労を惜しまずにやったもん勝ちということでは,世界中にネットワークをもち,有能な人材を抱える大手総合商社に分があるとは言えますかね.

 ただ,何度も書いているように,今の世界経済の仕組みは非常に脆弱で,アメリカ経済,具体的には,NYダウなどのアメリカ株は,どんどんバブル化してて,いつ暴落が起こってもおかしくないので,そこをしっかりウォッチしていくことは必要でしょう.

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[全く響かない]

 J熱大陸とかPロフェッショナルとかKンブリア宮殿とかに限らず,世の中というかメディアの中でそういうことが取り上げられるときの雰囲気としては,どうやって成功したかとか苦難を乗り越えたとか奇跡が起きたとか夢があるとかそんな感じですよね.でも,今の私にそういうことはもう全く響きません.なぜなら,そういう人生はもう終わったからです(そんなことより,リタイアした後,どうやって退屈しのぎして行くかが100万倍重要).

 じゃあ,そういう人生が終わる前というか,若い頃はどうだったかと言うと...元々そんなことには興味がなかったような気がします.つまりは,そういう人生が終わったとかは関係なくて,そもそもそういう人生すら歩んでなかったというか,ただやりたいこと,やる価値があることを見つけてやってきた,それだけでよかったってことで,これからもこれまでのようにやって行けばいいってことですかね.

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4/30'21
[小野さん]
(ピアノ)

 東大ピアノの会の同期の福留さんから桃源会(東大ピアノの会のOBOG会)宛にメールが来てわかったのですが,小野さん亡くなってたんですね.と言っても(定木さんと同様)卒業してから一度もお会いしてないと思いますし,彼とはそんなに親交があったわけではありませんが,当時の記憶は鮮明に残っていますし,ついこの間のことのような感じがするんですよね.

 小野さんの印象としては,とにかくうまいんですが,バリバリ弾く感じではなくて,よくショパンのワルツを弾いておられたと思いますが,まさに彼にしかできない演奏という感じでした.定木さんと同じ豊島寮におられて,そこの食堂のグランドピアノを弾かせてもらいに何度か行ったのですが,定木さんが,小野さんがよく弾いていて,彼に比べると○○なのでなんか弾きにくいんだよねとおっしゃってました.

 演奏だけではなくて,曲もいくつか残しておられて,雪舞の譜面が会室に置いてあったのを憶えています.それで,福留さんからのメールというのが彼を偲んで作品集を出版することになったという案内で,動画もいくつか送られてきてリンクフリーということなので,ここでも貼っておきます.

 邯鄲の夢は,初めて聴いた気がしますが,まさに小野さんのピアノを表現したいい曲ですね.でも,邯鄲の夢を聴くとその切なさと小野さんが亡くなったことがどうしても重なってしまいます.

 邯鄲の夢(第2稿)(本人による演奏)

 邯鄲の夢(第1稿)

 

 雪舞

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[全く響かない]
(世の中)

 GWということなんですが,例年通りとは行かないまでもかなり人出はあるようで,政府や自治体はとにかくステイホームをと訴えるのですが,言ってることが滅茶苦茶というか,国民には全く響かないというか,何言ってんだ?てなもんじゃないですかね.

 そもそも,何が原因で感染が広がっているかをある程度突き止めてそこを封じ込めるのが鉄則で,それはある程度わかってきてるわけで,とにかく人流を止めるでは,全く能がありません.

 具体的には,マスクをしないで対面で唾を飛ばし合ってしゃべれば感染するのは調べるまでもなく当たり前のことで,それが感染拡大の大きな原因なら,とにかくまずはそこを封じ込めるべきで,逆に言えば,それ以外の関係ないところを躍起になってとにかく出歩くなと言っても全く説得力がなくて,国民が言うことをきかないのも当然でしょう.

 でも,これも極一部のルールを守らない人間にそれ以外の人間が合わせないといけないという非常に効率の悪い社会の典型例ってことですかね.

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 別の見方をすれば,政府が国民にステイホームをお願いするというのもおかしな話で,軽率な行動をとって感染して痛い目に会うのは本人で,まさに自業自得なわけです.そして,そういう奴から身を守るのも自分自身しかいないわけで,実際.国も自治体も実質ほとんど何もできてないわけですからね.

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