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3/1'21
[つくばに来て〇年]
(大学)

 3/1ということは,つくばに来て〇年ということなんですが,京都に来たからもう関係ないか.いや,つくばに来て〇年ということなら,つくばに〇年いるということではないので,それはそれでそのまま継続?

 まあ,そんなことはどうでもいいのですが,思うのは,これまでなら今日が実質新年度の始まりということです.具体的には,新4年生にはもう研究室に来てもらって,3月に卒業するM2から研究の引継ぎを行ってもらっていました.

 でも,今年は,まだ新4年生も決まってないし,そもそも来るのかどうかもわからないし,何だかなあとは思いますね.実際,いろいろ話をきくと,4年生は,研究室配属になっても,しばらくはお勉強とか,院試を受ける人は院試の勉強とかで,研究を始めるのは,夏以降ってところも多いみたいです.

 うーん,勉強なんかするより,早く研究したいと思いませんか? 勉強なんか,研究しながらすればいいというか,この研究するのにこの知識や技術が必要だからという感じで勉強した方が断然意欲が湧くし効率的だと思うんですよね.

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[めんどくさい]
(IT)

 なんかスマホの調子が悪いです.ずっと以前からですが,systemが反応しませんというのが出てきて,でも特に問題はなくて,でも,京都に来てからくらいからバッテリのもちが悪くなった感じがして(というか,バッテリーそのものというよりは,管理プログラム),でも,これもそれほど問題なかったんですが,昨日,いきなりテザリングが繋がらなくなりました.と同時に,突然,電源が切れたり,いきなりカメラが立ち上がったりして,明らかにおかしいです.

 今のスマホを買ったのは,13年12月なので,7年ちょっとですね.使いすぎ? でも,何の問題もないし,ずっとこれでいいんですよね.

 スマホの乗り換えもそうですが,bmobileのSIMもmicroからnanoとかへの交換になるし,めんどくさいです.

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[今までで一番]
(生活, 仕事)

※昨日寝る前に書いて,スマホのテザリングができなくて昨日のうちにアップできなかった記事です.

 明日(というか,3/1なのでもう今日)論文の〆切なのですが,被害調査に行ったりしたので,結構,ぎりぎりです.でも,あることから生活のリズムが変わって,夕食後も研究室に戻るようになって,夜遅くまで仕事するようになり,逆に余裕が出てきたというか,これまでだとしんどかったことが割とストレスなくできるようになった気がします.

 それは,ある意味,時間を非常に有効に使えているというか,仕事をできる時間が純粋に増えてるわけで,それが可能になったのは,もちろん,家が近いからです.そして,感覚的には,「今までで一番」じゃないですかね.

 距離的には,大学4年から博士の3年までの本郷時代が近いとは思いますが,0時で正門が閉まって,そのすぐ横の塀を乗り越えるのが面倒でした.地震研に就職してからは,少し距離ができましたし(と言っても500mくらいか),バークレーに行って帰って来て住んだ西片も500mくらいはありましたし,つくばに来てからは,車で15分,バスなら30分って感じでしたからね.駒場時代も近かったですが,これも500mくらいありましたし,そもそも仕事場というか研究室みたいなものがあったわけじゃありませんからね.

 実際,つくばにいたときは,22時くらいになると,夜遅くまで仕事してる感が出てきて,帰るのがしんどくもなってくるんですが,こっちに来て,こういう生活リズムになってからは,もっと遅くなっても(今の寒い季節でさえ)すぐ帰れると思うと,大分気楽で,半分家にいる気分で作業することができます.

 ということで,仕事をするというか活動する「時代」ということになるのかもしれませんが,もう歳なので,そこのところは気をつけないといけませんね.でも,やりたいのならやるのでしょうから,まあなるようになるってことでしょうか.

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[スマホなし生活]
(IT)

 スマホですが,SIMのサイズ変更に3000円かかるみたいです.だったら,他社で続々新プランが出てるし,この際,MNP使ってキャリアを乗り換えるかな.問題は,新プランが出そろうまで何とか今のスマホがもつかでしょうか.でも,テザリング使えないのなら,20GBなんて全然行くわけないし(使ってもせいぜい5GB),何かやっぱりめんどくさいです.

 でも,考えてみたら,7年が長いかどうかはともかく(ていうか長いんでしょう),何十年も使えるかと言うとそんなことはないでしょうから,これも,結局,ちゃんとリスクマネージメントができてんのかってことですかね.

 実際,PCについては,5年くらいで動かなくなって買い替えてるわけで,データのバックアップもとってますし,動かなくなったときは,ノートPCが代替の役割を果たしてますからね.乗り換えるときも,単なるお引越しソフトではなくて,かなり(めちゃめちゃ)複雑なインストールというかカスタマイズをしてるわけで,それに比べたら,スマホの乗り換えなんて屁みたいなもんでしょう.

 じゃあ,スマホはどうしたらいいかですが,常時もう一台というのは現実的ではないですかね.ていうか,PCと違ってそんなに必要なのか,そもそも何に使ってるかってことなんですが,よくよく考えてみたら,テザリングとメールとウェブと○○○くらいのもので,この中で一番重要なのは,テザリングだったりします.

 それなら,WiFiでもええやんてなことですが,Nexus5を買った時,これでWiFiとスマホを統合できたってことだったわけで,だったら,半径200mで生活してるのなら,インターネットに繋がるのは大学にいるときだけでええやんとも言えるわけです.

 まあ,それは極端としても,スマホが動かなくなったからと言って,そんなにじたばたする必要もなくて,いずれ買い替えるとしても,しばらくはスマホなし生活でもいいのかもしれません.

 じゃあ,ちょっと出かけるときはスマホがあった方がいいかですが,dropboxでスケジュールとかメモとかをPCと共有できるのは便利ですがないとだめということはないですし,メールとかウェブならフリーのアクセスポイントはやめといた方がいいですが,ホテルに泊まるのなら,今時,WiFiがないところはないでしょう.

 あーそっか,一つだけスマホがないと,ちょっと厳しいことがありますね.それが何かは書きませんが,dropboxを使ってのデータ同期が必要になります.

 仕方ないので発注しますか.シャープのAQUOS sense4かOPPOのReno3 Aなんでしょうが,バッテリのもちを考えるとIGZOのAQUOSすかね.あれ? bmobileは,両機種に対応してないんですね.そうすると,sense3になっちゃう? バッテリ容量がちょっと小さくなるけど,その分,軽くて小さくなるからそれはそれでOK?

 あーそっか,dropbox使わなくてもメールでできるかも.いや,テザリングが使えないからだめか(笑).何かパズルですね.どこかに昔使ってたWiFiなかったかな.

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 あっ,そう言えば,昔,SIMをさせるタブレット買ってちょっと使ったことあったな.ごそごそ探すと...Miix 8.2じゃなくて..YOGAタブレットですね.ありました.SIMをさして設定(が消えていたので)し直すと...繋がりました! これにdropboxをインストールすれば,急場はしのげますかね(ブラウザは入ってるのでメールも使える).

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 タッチパネルなので,変なところ触ると,途中からすぐやり直しになってしまって,dropboxをインストールするのにかなり手間取りましたが何とかできました.これで急場はしのげるでしょうか.

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3/2'21
[スマホ]
(IT)

 スマホどうしましょうかね? SIMをさしたタブレットは,画面がでかいので快適なんですが(でも,繋ぎっぱで使ってると通信量があっという間に1GBくらい行く),入力のことを考えると,ノートPCの代替にはならないし,やはり,ノートPC+スマホ(テザリング)がベストのコンビネーションだと思います.

 sense4がいいとは思うのですが,bmobileでは動作確認を(まだ)してないようで,やっぱり,怖いですよね.sense3でもいいとは思うのですが,やっぱり何かちょっと...

 画面がでかい方が快適ってことならsense3 plusならあり? でもそれならsense4 plusがもっといいってことになりますよね.

 あっ,sense4 plusってディスプレイがIGZOじゃないんですね.だとすると,画面がでかいIGZOということなら,sense3 plusしかないってことになりますし,重量もsense4 plusより大分軽いし,前機種なので1万円くらい安い(笑)みたいです.

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[若者向け?]

 ドコモのアハモが値下げをしたみたいで,でも,手続きはネットで自分でやんなきゃいけないので,若者向けとメディアでは言ってます.いやいや,若者とか年寄りとかそんな問題じゃないでしょ.

 そもそも,手続きをネットでできれば安い方に乗り換えるのなら,もうとっくにbmodileとかIIJmioとかのMVNOに乗り換えてるわけで,それができてないのなら,アハモにも乗り換えられないってことじゃないですか?

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[数字が出ました]
(世の中)

 新型コロナですが,たったこれだけの感染者数,重症者数で医療崩壊が起こるのはおかしいと何度も書いてきましたが,昨日のモーサテで具体的な数字が出てました.

 全体の何%の病床が新型コロナに使われているかですが,イギリスでは2割以上,アメリカでは1割以上なのに対して,日本では何と0.87%です.原因について,いろいろ解説してましたが,要は,グダグダってことです.

 感染者が増える前に医療崩壊するということにして脅かして○ホな奴らの動きを止めるとかいろいろ思惑はあるんでしょうが,正直者は○カを見る的なところは多分にあるわけで,お上やメディアの言うことをきく「いい子」でもあかんということですよ.

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[PC+スマホの組み合わせ]
(IT)

 昨日,タブレットにdropboxをインストールしたときもそうですが,文字入力は当然として,タブレットでウェブサイトを見たりするときもPC用のサイトは,マウスで操作することを前提に設計されていて,タッチパネルでは厳しいです.

 逆に,スマホサイトは,タッチ操作で入力することを前提に設計されているので,それはそれで問題ありません.

 こういう点からしても,やはり,PC+スマホの組み合わせがベストってことですね.

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 アハモなんですが,(家族割は適用されるみたいですが)要は,ドコモのMVNOってことですよね.だったら,アハモは全然安くありませんし(bmobileは通話とかもっと条件がよくて1980円),従来のMVNOがドコモより安く価格設定をするのは明らかでしょう.

 つまり,アハモ安くていいな,乗り換えようと思ったら,全く同じ労力でもっと安いMVNOに乗り換えられるってことですよ.そこに気づくか,そのまま(バカ高い)ドコモを使い続けるかですが,アハモはドコモだから安心みたいな変なブランド志向みたいなものがある人もいるんですかね?(実際,MVNOの中でも高いYmobileを使ってる人も結構いますからね)

 逆に言えば,ドコモをお使いの方でアハモに乗り換えられたい方はその旨お知らせいただければ手続きはドコモでやります,と言わなければドコモは逃げられるってことですが,更に逆に言えば,これまでMVNOに乗り換えられない○ホ(は失礼か(笑))がいっぱいいることを考えると,アハモの敷居をわざと高くして,乗り換えられないようにして,国に対して値下げしましたよというポーズだけとってるってことですかね.

 問題は,アハモとそれ以外のMVNOの通信速度などの条件が同じなのか,多少違うのかでしょうか.これは,現段階では全くわからないのですが,しばらくしたらわかるでしょう.

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[そんなところ]

 半径200m生活がめっちゃ快適ってことですが,何か変な感じもしてきました.だったら,半径200mどころか半径0m,つまり,ずっと家にいればもっと快適ってこと?

 いや,家はそんなに広くないから,ってことなら,広い家に住めばいいってこと? いや,距離の問題ではなくて,大学というか職場という社会と繋がっているところと繋がっていることが重要ってこと?

 まあ,そんなところでしょうね(何度も書いたこと).

 ですから,大学を定年でクビになった後も何らかの形で社会と繋がっていることが必要ってことなんですが,それは,仕事とか職場でなくてもいい感じはしてて,もっと言えば,こっちが勝手に繋がっていると思えればいいとも思うんですよね.

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[建築→地震→力学→防災]
(研究)

 先日,筑波大バドミントン部の(オンライン)総会でしゃべったときに,1年生は,年度始めに挨拶に来てくれたっきり(しかもオンライン)だし,簡単に自己紹介みたいなのをしたときに,経歴のところで,東大建築を出て,東大地震研に就職して,筑波大に来て,今は京大防災研にいると言った(パワポにもそんな感じで書いてある)ときに,はっとしました.

 どこかで書きましたが,私って,建築にも地震にも防災にもそんなに興味なくて(でも,防災研にいるのに防災に興味はないはまずいか.でも,後述しますが,防災って防災のためにやるもんじゃないとも思うんですよね),パワポの「東大建築→東大地震研→筑波大→京大防災研」にそれが綺麗に現れてると思ったわけです(「東大建築→東大地震研→筑波大→京大防災研」).

 じゃあ,私が興味があるのは何かと言うと力学なわけで,じゃあ,力学はどこにあるかと言うと,筑波大(の構造エネルギー)だと思うんですよね.構造エネルギーというのは,木に竹を継いだような訳の分からない名前ですが,中身は,エネルギー,環境,流体,熱流体,宇宙,防災,材料といった分野の集合体で,その共通項は,まさに力学です(英語名は,Engineering of Mechanics and Energy).

 私は,結局,ここに17年いたことになるのですが,まさに私が興味がある力学をベースをしたところに一番長くいたってことになるわけです(地震研は12年で,東大建築は,大学2年の駒場時代から数えると7年半.合計すると東大が21年で一番長いとは言えるが).

 だから,まあ,それはそれでよかったのかなってことなんでしょうが,だったら,ずっといればいいじゃんとはならないというか,結局は,どこにいても何をやるかなわけだし,そもそも,建築とか地震とか防災とか力学とかいうより,知的好奇心なわけで,力学(的なこと)に興味があるのなら,どこにいても,そういうことをやればいいし,それが結果的に防災に繋がるということです.

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[結果を求めなかった]

 30年以上もこれだけはずっと飽きもせず,楽しく仕事をしてきたと言ってる人がいました.

 すごいですね.そういうものに出会えただけでもう大ラッキーじゃないですか.

 私は,全然そんなことはないです.もちろん,何度かやらずにおれないというか,打ち込んだときもありましたが,もう飽きたと思ったことも何度もあったし,趣味の一つに過ぎないとも思うわけで,そんなんで,よくここまでやって来られたもんだと思います.

 でも,何て言うのかなあ,いろんなものの中で一番興味はあったというか,一番ましだったというか,絞り出したというか,仕事として食べて行けるものの中から,自分ができることと興味があることをうまいこと選んだというところはありますかね.

 こんなことを書くと,結果も出てるし,んなわけねーじゃんと言う人もいるかもしれませんが,ほんとそんな感じで,運がよかっただけだと思うんですが,敢えて言えば,「結果を求めなかった」ということはあるかもしれません.

 結果を求めるのなら,やりたくないときも我慢してやらないといけないわけですよね.でも,私はそういうことができないというどうしようもない奴で,でも,それで何とかやりたいという気持ちをそこそこキープできたというか,結果とか評価とか気にしないということで逆に何とかなったのかもしれません.

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 でも,こんなこと書くと,これまで運よくうまいことやって来られたからもうこれでOKみたいですが,実際は全く逆で,過去のことはどうでもいいわけで,問題はこれからというのは再三書いてる通りです.

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3/3'21
[やりたいことやっただけやん]

 なんかいろいろ書いてますが,私は運がよかったとか,うまいこと行ったとか自慢したいわけじゃなくて,ただやりたいことをやったってだけで,それは,私に限らずみんなそうというか,そうすればいいというか,それを一生懸命努力して成功したとか,いやいや,やりたいことやっただけやんってことで,だったら,結果なんか求めなくていいはず(結果はついてくるもの)ってことです.

 いや,やりたいことをやってたわけじゃない,成功したくて一生懸命働いてきた,出世して偉くなりたくて,社会的に評価されたくて頑張って来た,自分を犠牲にして世の中の役に立つことをやってきた,家族を養うために身を粉にして働いてきた,とか言ったって,それは自分が選んだ道,つまり,やりたいことやってきたってことなわけで,だったら,こんなに頑張ってるのに結果が出ない,評価されないのはおかしいとか言うのはお門違いで,やりたいことをやらせてもらってるだけで感謝すべきで,(分不相応に)結果を求めるのではなく,やりたいことを一生懸命やってれば,それで充分というか,そうすれば(あくまで結果的に)結果が出る(こともある)ってことでしょう.

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[自堕落にだらだらと]

 大学をリタイアした後,どうして行くかで,何をするでもなくだらだらと自堕落に過ごしていくのも悪くないというか憧れると何度か書きましたが,よくよく考えたら,これまでもずっと(何をするでもなくってことはないけど),やりたいときにやりたいことをやって,だらだらと自堕落に過ごして来たと思うんですよね.

 もちろん,仕事をしている以上は,責務としてしっかりやらないといけないことは,しっかりやらないといけないし,そうしてきましたが,それはただそれだけの話というか,私にとっては,取るに足らないとは言いませんが,そんなに比重が大きいことではなくて,だったら,リタイア後問題は,リタイアするとかしないとか関係なく生き方問題であるように,リタイア後も別段何かを変えることなく,これまでのように(ある意味)自堕落にだらだらと生きて行くということでいいというか,そういう生き方しかできないんだと思います.

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 でも,それでも,「大学の研究室」という「行くところ」がなくなるのが怖いというか,とにかく怠け者の私は,これまで以上に自堕落になってしまう気がします.

 それでいいと思えばそれでもいいんですが,体調とか気分が悪くなってしまうのは嫌ですし,そのために頑張って何かするのは(例えば,1日1時間散歩するとか)怠け者の私には無理だと思うんですよね(ほんとどうしようもない奴).

 じゃあどうしたらいいかですが,一つは,何度か書いているように,自分が社会から必要とされていないということを素直に受け入れることでしょう.これは,大分できるようになったとは思いますが,「「大学の研究室」という「行くところ」がなくなると考えると」とか言ってるってことは,まだまだってことですかね.

 定年までまだ時間はあるので,これからもソフトランディングに向けて徐々にそういう「心の準備」を進めて行くってことなんでしょうが,移籍したことで外部環境的には,そういうことが難しくなってしまった,ハードランディングになりやすくなってしまったとは思います.

 でも,どうなんですかね? こっちに来る来ない別にして,組織の中に身を置く以上は,やらないといけないことはしっかりやらないといけないことに変わりはないですし,定年までそんなにないってことはわかった上で呼ばれたというか来たわけですから,次に来る人までの繋ぎ的というか,そんなに期待されてない(笑)ってことはないですかね.

 ていうか,実際に期待されてるかどうかは,私にはあまり関係なくて,何度も書いているように,やりたいこと,やるべきと思うことはやるし,それで結果が出て評価してもらえるのなら嬉しいし,実際,これまでそうやって結果も出して来たと思いますが,そのために頑張るということはないわけですからね.

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ここで表現して(勝手に)社会と繋がる
(このサイト)

 定年で仕事を失った後のことを考えると,「一人でも大丈夫」が無敵ではあるんですが,私にはちょっと無理そうで(あきらめが肝心),やっぱり,「一人,時々,みんな」が理想ってことで,じゃあ,多くの一人の時間をどう過ごすかですが,やっぱり「こっちから勝手に人との繋がり」なんじゃないかと思います.

 まさに,今この文章を書いてるときがそうで,人前でしゃべったり,誰かと会って話をしたりするのは,相手に依存したり相手を拘束したりして(老)害の危険性もありますが,勝手に人との繋がりを感じながら,ここに好き勝手に文章を書くことは,読みたくないなら読まなければいいわけですからね.

 じゃあ,具体的に何をして行くかですが,これもだんだん見えて来ていて,中心的なものから行くと,まずは,生きて行くというか,生き方について考えて行くというか,哲学的なことですかね.その次に来るのが,世の中というか社会のことで,仕事をやめても社会の中で生きて行くわけで,そういうことで思ったり考えたりしたことをこのサイトで書いていくということでしょう.

 その次に来るのが生活関係ですかね.生きて行くということは,具体的には,日々生活をして行くわけで,生きるという抽象的なことは,生活するという具体的なことの上に成り立っているわけで,生活の質の向上は,重要なテーマでしょう.

 そして,その後に来るのが,研究とかピアノとかバドミントンとかスキーとか運保とかの「仕事以外にやってること」というか活動で,研究は,今は仕事(の一部)で,今はそこに注力していくのは当然ですし,リタイア後も要請があれば,できる範囲でやって行きたいと思いますが,意識としては,趣味というか数ある柱の一つなわけで,それは,そうでないと,定年でクビになった瞬間にハードランディングになってしまうということもあります.

 運保については,他の柱と大きく違うところがあって,それは,経済というか,今の資本主義社会と直結しているというか,世の中や社会と深く関係してるわけで,社会や経済がおかしい,こうあるべきと考えて,それを運保という形で「表現」することもできますし,私が考える通りになれば,収益を上げることもできるのでしょうし,そういうことも社会と繋がってる感覚になるのかもしれません.

 実際,世の中の多くの人は,給料をもらうとか金を稼ぐことで社会と繋がってる気がするということがあるのでしょうし,確かにそういう側面はありますが,ボランティア活動に注力してる人もいるわけですから,本質的には関係ないのかもしれません.

 こうして,これらのこと(+それ以外の日々思った他愛もないことや日記的なこと)をこのサイトに書いて行けば,私の活動がこのサイトに集約されて,社会と繋がってる(と勝手に思える)ということで,このサイトが活動の中心になって行くというか,階層的にいろんな活動をして,それを「表現」する場になるってことですかね.

 そして,こうして書いてみて気づくのは,今やってる全ての活動が(研究も含めて)定年で大学をクビになってもほとんどそのまま続けて行けるということです.一番大きな影響を受けるのは,学生の研究指導ができなくなる研究ですが,数ある柱の一つと考えると逆にどこかほっとするわけで,これも他の柱と同様にできる範囲で続けて行けばいいわけです.

 重要なのは,定年でクビになって大学という組織に身を置かなくなっても,研究者としては,何ら変わることはないということで,もし変わるのであれば,それは,研究の中身ではなく社会的地位が評価されていたってことで,そうであれば,まさに自分が社会から必要とされなくなったことを潔く受け入れるしかないし,そうすればいいってことです.

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(日記)

 生活のリズムが変わって,使える時間が増えたってことで,活動度が上がってたんですが,予想通り,ちょっと疲れてきました.

 でも,「疲れたら休め」で行けばいいってことです(自堕落).

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3/4'21
[次に来る人]
(大学)

 次に来る人までの繋ぎ的と書いて思ったんですが,だったら初めからそういう人をとっていればいいわけですよね.

 具体的には,私よりもずっと若くて,同じ講座の准教授の先生とも年齢的にバランスする人(50くらいか)ということでしょうか.でも,そういう人がいなかったから私になったということなわけです.

 そうすると,「次に来る人」は,今の准教授の先生(がしっかり業績を上げて教授になってそ)の下でバランスする人ということで,じゃあ,その年齢はいくつくらいかと言うと20代前半以下ということになって,これから来る学生ってことになります.

 具体的に言えば,私が定年までにそういう人材を育てられるかということになるわけです.

 そういうことを期待されているとするとプレッシャーも感じるんですが,こればっかりは,どうしようもないというか,そもそも,私の研究室に来てもらって,更に,研究者になりたいと思ってもらわないといけないわけですし,もちろん,私はできる限りのことはしますが,本人の能力というか素養みたいなものは大きいですからね.

 もちろん,私が育てなくても,勝手にどこかで育ってもらえばそれでいいんですが(そもそも,優秀な人って育てるものじゃなくて,勝手に自分で育つもの),私がやっているというか,この講座が対象とする「都市・生活空間を対象とした地震の揺れによる建物被害に物理,力学的にアプローチして防災に結び付けること」をやって人はほとんどいないわけで(実際,私が呼ばれたわけですし),私がやるしかないのかもしれません.

 と言っても,上述したように,私の力だけではどうしようもないわけですし,私はいなくなるので,誰にするかを選ぶのは,残された人達なんですが,私がやっているようなことに興味があって能力があれば,これから来る学生にはものすごく大きなチャンスがあるとは言えるでしょう.

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[優秀(な人)]

 このサイトで,何度か「優秀(な人)」という用語を使っています.それは,文字通り優秀ってことなんですが,単に優秀なのか,それを超えて,自分で考えて自分で何とかできるかの違いが大きいのは明らかです.

 でも,そういうほんとに優秀な人は,非常に少ないのが現状で,そういうのって,まさに素養というか,育ててどうなるもんでもないというか,実際,そういう人って,育てるものじゃなくて,勝手に育つものですからね.

 でも,じゃあ,そういう人なら,ほっときゃいいかというと,まあそうなんですが,というか,余計なことをあれこれ言うんじゃなくて,わざとほっとく「方がいい」んですが,全くほったらかしでいいというわけでもなくて,そこが難しいんですが,でも,もっと難しいのは,そういう素養が本質的に変化することはないのですが,こいつはいいと思っても意外と伸び悩んだり,逆に,こいつはあかんかなと思っても,後から大化けしたりもするわけで(でも,私個人的には育てる側からするとあまりそういうことはないかなあ),重要なのは,絶対に見捨てないというか,とにかく可能性を信じてあげることでしょう.

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[不思議な感じ]
(大学)

 半径200m(そう言えば,半径200mって強震観測点回りの被害調査と同じ範囲ですね(笑))で生活していると,普段はほとんど意識しないのですが,今日は,そこを少し出て郵便局に振り込みに行ったんですが(と言っても数百m先),戻って来て防災研の建物を正面から見ると,防災研だなあと思って不思議な気分になります.

 どこかで書きましたが,私が初めて防災研に行ったのは,工藤先生が関係されていた研究会で話したことに入倉先生に興味をもっていただいて,防災研に来て講演してくださいと言われたときで,1995年兵庫県南部地震の数年後くらいだったと思います.

 そのとき,黄檗の駅で降りててくてく歩いて行くと,偶然(多分,昼ご飯を買いに行こうとされていた)入倉先生とばったり会って,中まで案内してもらったと思います.そのときの防災研は,まだ手前におうばくプラザとか木の桟橋とかはなかったんですが,建物のイメージは今のままで(でも今より緑ぽかった感じがする),私の中では,防災研と言えば入倉先生というイメージなんですね.

 ですから,防災研の建物を正面から見ると,入倉先生を思い出すというか,そこに今自分がいるのが不思議な感じはしますね.

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[東大に21年]
(大学)

 建築→地震→力学→防災を書いて思ったのは,筑波大に17年もいたのかということもありますが,そっか,東大の21年の方が長いんだなということです.

 東大に21年もいたというのが今となっては信じられないというか,ほんまか?という感じです.学生時代の9年を引いても地震研に12年いたことになりますからね(その間,1年,UCバークレーに行ったということはありますが).

 ていうか,ひょっとしたらもっと長く,ちょっと何かが違うことになって,ずっといたかもしれないわけですよね.そう考えると,もっと信じられないというか,もしそうだったらどうなったんでしょうね.

 もちろん,そういう外的環境とは関係なく内的に研究に打ち込んでいれば,どこにいるかは関係ないんですが,私の場合は,しんどかった感じはします.10年に1回は環境を変えたいと思ってるくらいですからね.実際,地震研時代の最後あたりは,かなりしんどくなってましたし,それは,筑波大に来て10年近く経ったあたりもそうでした.

 でも,そんなにうまい具合に10年くらいで環境を変えるのは難しいわけで,でも,私の場合は,多少誤差はあっても(今にして思えば,〇大から話があったときに行っていれば,ほぼほぼぴたりだったけど,やっぱり,それはなかったかなあ),何とか結果的にそうなった感じはしますかね.まああくまで結果論というか,そういう風に考えるってこともありますけど.

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[スマホ発注]
(IT)

 スマホですが,自分で調べたり,山形大の汐満先生にきいたりして,この際,IIJmioとかOCNとかにキャリアも乗り換えようか(そうすると,端末割引とかもあるし,sense4にも対応してる)と思っていたのですが,bmobileは今月いっぱい契約してる一方で,他社の新プランは4月以降で,3月いっぱいでかいタブレットで過ごすというのもどうよというところに,年度末で今年度中に使わないといけないお金があるということで,sense3 plusをお願いしました(ずっと大学から半径200mにいるならスマホなしでも行けるとしても,そこから出るときは,仕事でバリバリ使ってますからね.実際,被害調査中というタイミングでスマホが壊れなくてよかったです).

 これだとスマホが来たらSIMをさせばすぐ使えるわけですが(でも,SIMがmicroなのでnanoにしないといけないけど,これはポチっとやれば終わり),いろいろ調べたのはそれなりに楽しかったですが,結局,最初に考えたものになったというか,金が降って来た(笑)ということもありますが,それを蹴ってめんどいことまでしようとは思わなかったということですかね.

 こんな感じだと,MNPとか端末割引とか新プランとか,めんどくさいと思う人が多いんじゃないですかね.実際,MVNO(格安スマホ)普及してませんから.つまり,ahamoとかもどうなるかわかんないというか,既に書きましたが,ドコモがほんとに客を囲い込みたいなら,ahamoも格安スマホと同じことにならないようにということですが,ポーズだけって感じもしますよね.

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[老人]

 歳をとったなとは思うのですが,考えてみたら,もうすぐ老人になるわけですよね.いや,既に老人?

 老人の定義は,いろいろでしょうが,老人のイメージ(見かけというよりは,どういうことができなくなるとか)というか,こうなったら老人というようなことはありますよね.そして,それは...

 もちろん,人によって何歳から老人(のイメージの老人)になるかは,大きく違うのでしょうが,「途中」で病気とか事故で死ななければ,必ずいつかは老人になるわけで,何だかなあって感じですね.

 そして,それは,若い人も同じなわけで,まさに「時間の問題」なわけです.

 でも,何というか,老人が似合ってるというか,不自然じゃないというか,しっくり来てるような人もいるわけで,それが何なのかはよくわかりません.

 何となくですが,人って1年に1つずつ「歳をとる」んじゃなくて,何段階かに分けて歳をとる感じがしていて,それが人によって全然違ってて,そういうことと関係あるのかもしれません.

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3/5'21
[自分だけ(先に)歳をとってしまった?]

 じゃあ,私の場合,段階的にいつ歳をとったかですが,それは明らかで,40代前半あたりからでしょう.逆に言えば,40代前半までは本質的に歳をとってなかった,少なくともそう感じたことはなかったということです.

 それまでとそれからの決定的な違いは,わかりやすい例としては,バドミントンで言えば,練習やトレーニングしても強くならないどころか怪我するだけになったということで,これは参ったというか,ほんとどうしたらいいかわからなくなりました.

 もちろん,バドミントンに限った話ではなくて,体調も悪かったですし,見かけも相当老けたんじゃないですかね.実際,その頃,痩せた?と(実際は全く痩せてないのに)よく言われましたから.

 その頃と比べれば,今は体調はいいと思うのですが,そうなったのは,いつ頃からでしょうか.添加物排除生活を始めてからだとすると,数年前ということになりますね.

 でも他の人を見ると,見かけで言えば,もちろん,変わり果てた(笑)人もいますが,若い頃とそんなに変わらないじゃんという人も結構いて,なんか自分だけが歳をとってしまったような感じもしてしまいます.

 でも,「人は段階的に歳をとる」説?によれば,どこかでみんな歳をとるわけですよね.だって,70とか80になっても若いときのまんまってわけはないでしょうから.

 だとすると,私が先に歳をとってしまっただけで,どこかで追いつく?というか,私の場合,「もう歳をとった」ので,このままずっと70とか80まで行ける?ってことはないですかね?

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[正しい歯の磨き方]
(体)

 どこかで既に書いたと思いますが,私は,いろんな「いい習慣」(と言っても具体的に何かと言われると困るけど)を親に付けてもらったと思うのですが,歯を磨くことは全くで,それこそ,相当の年齢になるまでまともに歯を磨いてなかったくらいで,虫歯の治療痕がかなりあります.

 でも,いつからか,それなりに磨くようにはなったのですが,ようやく最近になって,正しい歯の磨き方がわかったような気がします(今頃?).

 それは,歯医者さんが推奨する磨き方とかは関係なくて,考えればわかるというか,具体的には,歯茎に並んで埋まっている歯のようなものを磨くときにどうしますかってことで,電動歯ブラシとかで表面の歯垢とかとっても意味なくて,重要なのは,歯間,そして,歯と歯茎の隙間でしょう.

 要は,食事の後,「歯を磨く」のではなく,歯ブラシで歯間と歯と歯茎の間の食べカスを掻き出すということで(歯間ブラシとかフロスとかは使わない),実際にやってみると,ちょっと何か食べただけで,驚くほど大量の食べカスが出てきます.

 でも,今更ってことかもしれませんが,今までのひどいメンテナンス状態にも関わらず,親知らずを除けば,まだ1本も歯を抜いたことはないので,何とかこれでずっと行ければとは思います.

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[何歳でがくんと]
(体)

 これからどんな感じで歳をとって行ってしまうかですが,段階的というか,要は,どこで「がくん」と来るかです.

 例えば,若い時,100mを12秒で走れていたものが15秒くらいになっても,日常生活的にはどうということはないでしょう(今はまだそう).でも,20秒以上もかかるとなると何らかの支障というか,少なくともがくんという大きな変化にはなってると思うんですよね(でも,究極的には100m走れるだけでOK?).

 それで,参考になるかもということで,例によって,陸上マスターズの日本記録です.下図は,横軸が年齢で100mと5000mの男子の日本記録の推移です.

 これを見ると,100mでは,80代半ば,5000mでは80くらいまでは,緩やかに変化しているのに対して,それ以降は「がくん」と大きく変化するトレンドになっていることがわかります.つまり,このくらいの年齢が目安になるということですかね.

 いやいや,これは,日本記録だからトップレベルの話でしょというのは,そうですが(確かに80で100mを15秒,5000mを20数分で走れたら化け物ですよね),人間のもつポテンシャルとしてはありうるということですし,「過去の記録」なので,いろんな知見を基に「これから」ケアして行けば,もっと伸びる可能性もあるわけですよね.

 そういう意味では,50年前の日本記録の年齢に対する推移と比較できたら面白いと思うのですが,おそらくがくんと来る年齢は伸びてるんでしょうし,これから伸びる可能性はあるんだと思います.

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[何の役にも立たなくてもやる価値があるもの]

 再三,やりたいことをやったらいいと書いてきましたし,先日の筑波大バドミントン部の総会の後でも,こういう状況になって,スポーツは,世の中にとって必ずしも必要なものじゃないことがわかったとしても,自分がやる価値があると思うならやったらしいいと話しましたし(ただし,ただバドミントンをやるのではなく,バドミントンをやることに価値を見出さないといけないということ),何の役にも立たなくてもやる価値があると思うものこそやる価値があると思うのです.

 それで,「何の役にも立たなくてもやる価値があるもの」って具体的にどういうものか,最大公約数的なことは何か,と考えたんですが,ぱっと思ったのは,「人間の知性に関わること」ということです.学術や芸術は,知や美の探求ですし,スポーツは,例えば,人間はチーターより走るのは遅いですが,少しでも速く走るために人間がそれを知性で何とかしようとするから価値があるわけです.

 でも,すぐに反例が見つかって,例えば,登山というか,そこに山があるから登るというのは,別に知性に関わることってわけじゃないですよね.と思ったんですが,登山もただ山に登ればいいわけじゃなくて,綿密な計画とか判断とか,やっぱり,知性が必要ってことですよね.

 じゃあ,学術,芸術,スポーツなら何でもいいかというとそうではなくて,役に立つ(儲かる)研究とか商業芸術とかプロスポーツは価値がないとは言いませんが,「何の役にも立たなくてもやる価値があるもの」ではないということは,逆に言えば,「何の役にも立たなくてもやる価値があるもの」ほどやる価値はないということです(見事な論理!).

 もちろん,金になること,役に立つことは,即ち,価値がないことというわけではありませんが,金にもならないし,役にも立たないけどやる価値があると思うことは,そういうことを度外視してもやる価値があるということだし,金になるとか役に立つという条件をはずすことで,対象が無限に広がって,何から何が生まれるかわからないというか,それこそ無限の可能性があると思うんですよね.

 なんか,だんだん話が抽象的になってきましたが,もっとわかりやすく言えば,消費ではなく,無形でも今までにない何か新しいものを産み出すことと言えるかもしれません.タワマンに住んでいい車に乗って旅行に行きたい(消費)から働い(て経済を回す)のではなく,必要な分だけ働いて社会の中で責務を果たしたら,あとは「(何の役にも立たなくても)やる価値があるやりたいこと」をやって行けばいいと思うんですよね.

 学術,芸術,スポーツ,どれをとっても,そんなにお金はかからないものです.中には,スーパーカミオカンデとか,スポーツの世界大会で海外に行くとか,お金がかかるものもありますが,真に価値あるものは,誰かが(例えば,国が)お金を出してくれるものですし,そうであるかどうかは,まさに国民の素養といったレベルの話になりますが,お金を出すのは,儲かったり役に立ったりするからだということになると,逆におかしなことになってしまうと思うのです.

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3/6'21

 消費ではなく生産ということなんですが,役に立たないのに生産してどうするんや?と言う人は,資本主義的浪費社会に飼いならされているわけで,生産しても「消費してもらわないといけない」ものではなく,「消費されない」ものを生み出すことに価値がある,役に立つものは消費される,つまり,消えてなくなる程度のものということです.

 大分前に,勉強とかのインプットではなくアウトプットということも書きましたが,これも同じことですが,何をアウトプットするのかということで,役に立つとか評価とかは関係ないということです.有形,無形ということについてもそうで,登山とかスポーツのどこがアウトプットかというのも考えればわかるというか,そういう風に取り組まなければ,大した価値はないということになりますし,それは,学術,芸術も同じです.

 でも,こうして書いていくと,ハードルがどんどん上がって,そんなことできる人なんか,どのくらいいるんや?ということなんでしょうが,そういうことはあまり気にしなくてよくて,自分ができる範囲でできるだけのことをすればいいし,それだけのことしかできないとも思います(かく言う私もそう).

 それはまさにどういうことに「何の役にも立たなくてもやる価値がある」と思うか,平たく言えば,どういうことをやりたいと思うかは,当人の素養のようなもので決まってしまうわけで,しょーもないことをやりたいとしか思わない人間には,しょーもない人生が待ってるってことですが,ほんのちょっとしたことで,そういうことが大きく変わって人生が激変することもあるので,そういうことを考えて行くこと,勉強とかではなく,自分の頭で(できる範囲で)考えるということなんだと思います.

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[日運と短運]
(運保)

 がらりと話題は変わりますが(でも,それもこのサイトの特徴か(笑)),運保でどういう売買をしたかを書いたこのファイルを追いかけている人は(多分)いないと思いますが(追従して損しても責任はとりません),昨年末にも書いたと思いますが,ここ半年くらい,つまり,新型コロナに伴った相場の大暴落と大暴騰ではうまくとれましたが,その後の日運と短運,特に,日運の成績がよくありません.

 昨年末時点では,それ以外の資保がそれをカバーしてプラスになっていて,今年に入ってからは,資保は,更にパフォーマンスが出ていますが,日運と短運は,ちょっと持ち直した感じもあるのですが,相変わらずぱっとしません.

 問題は,ここでどうするかです.まだまだ研究が足らないからもっと研究して,その結果に基づいて,方針転換すべき? あるいは,今のやり方を信じて愚直に続けるべき?

 現実問題としては,研究する時間もないし,その気にもならない? いや,時間とかは関係ありませんし,こうやればというのが見つかれば,その気も関係ないというか,やるしかないとも言えます(もちろん,やめるという選択肢もあるのですが,それはないかなあ).

 でも,日運や短運,あるいは,それ以外の資保もそうですが,私の数理モデルは,「機会を増やして複利で回す」ものであって,コロコロ方針を変えては意味がありません.過去を見ても,今のやり方で半年,いや,2年くらい低迷したこともあって,それでも「機会を増やして」,つまり,長い目で見れば,パフォーマンスは出ているわけで,しかも,私に残された時間は,もうそんなにないわけで,だとすると,今のやり方に賭けるというか,信じて愚直に続けるということでしょうね.

 資保は,そうも行きませんが,日運と短運は,余剰資金をぶっこんだ一か八かなわけで,成績が振るわず資金がどんどん減って行っても大したことはないですし,むしろ,全体の資産に占める割合は減って行くわけで,資保とのバランスを考えると,なるようになってる気もします.

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[得難い経験]
(このサイト)

 またまた話題は変わるのですが,ここで表現して(勝手に)社会と繋がるですが,当時このサイトでも書きましたが,今にして思えば,得難い経験というか,自分が正しいと確信をもって思ったことは,言いたくなるわけで,でも言えなくてもやもやしていたんですが,ここで書いたらすっきりしてそれで満足したんですね.

 このサイトに書いたところで,と思う人も多いでしょうが,問題は「私が」どう思うかですし,誰かが読んでくれている,読んでくれてなくてもいつかは目に留まるかもしれないというだけで全然違うということもありますし,それ以上に,非常に知的レベルが高いある一定数の人がこのサイトを読んでくれてることはわかってますからね.

 でも,そういうことさえも必要なくなったら理想で無敵なわけで,そこを目指したいとは思うんのですが,正直,そこまでは難しい感じはしていて,でも,修行の結果,そうなって,このサイトに(あまり)文章を書かなくなった時はそういう領域に到達したということかもしれません(笑).

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[最終講義]
(大学)

 私は定年退職パーティーとか最終講義とかやりたくないしやらないと何度か書いてきました.ずっと筑波大にいたら,もちろん,やる人もいますが,やらない人もいて,やるやらないは自由って感じで,やらずに済んだと思うのですが,こっちに来ると,みんなやってる感じで,まずいですね.

 しかも,京大とか防災研で何十年を過ごして来て,みたいな感じで,でも,私の場合,たった〇年に過ぎないわけで,でも,それは,研究人生を振り返ればいいとは思うのですが,逆に言えば,そういうことなら(波乱万丈の?)研究人生とか研究にまつわるいろんな裏話をしゃべったら(聞く人も)面白いのかもとは思いました.

 でも,やっぱり,定年退職パーティーとか最終講義とかは,やりたくないですね.でも,今はこういう状況で,最終講義は,みんなオンラインなんですが,そういう形でならやってもいいかもしれません.そうすれば,遠方の人も見れるし,何より,義理で来てもらうのではなく,見たい人は見るけど見たくない人は見なければいいわけですからね.でも,〇年後も今の状況が続いてるとは思えないし(そうだったらいいなとは言いませんが,オンラインで済むものはオンラインで,というのは続いて欲しい),そういう状況で,オンラインでやったらまずいですかね?

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3/6'21
[内的に少しでも上達すれば]

 夢とか目標なんか要らないと書いてきましたが,最近,益々そんな感じで,それは,もちろん,もう歳で,夢も目標もないってことではなく,そんなものなくてもへっちゃらということです.

 それは,内的熟達的生活をしているってことなんですが,例えば,ピアノなら,昨日より今日,少しでも今練習している曲が弾けるようになっていればOKというか,充分,効力感をもってやって行けるってことで,それは,体とかトレーニングのことでも,バドミントンやスキーについても同様です.特にピアノの場合は,昨日より今日「うまくなってる」ではなく,弾けるようになってるってところは,他のものと違うというか,条件的に「有利」な気がします.

 もちろん,少しずつでも「毎回」上達するのは,至難でしょうが,うまく行かなければ,次どうしようかと考えて,こうやってみようかということがあれば,それを繰り返して三歩進んで二歩下がるでも全然OKですし,これは結果を求めないということに通じますね.

 もちろん,やりたいからやる,やってるだけで楽しいのなら無敵ですが,そんな状態が持続することはそうそうないわけで,でも,一方では,夢とか目標は要らないということもありますが,(私の場合)そういうものに向けて頑張るとかいうのはしんどいので,自分の中で少しでも,内的に「熟達」している感じがするという方が何とか行ける気がしますし,そっちの方が結果につながる感じもします.

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[今すぐにでもそれでいいじゃん]
(仕事)

 定年後ですが,何らかの形で社会とのつながりを,ということだと,どんな形でもいいから,何らかの組織に所属して「行く場所がある」というのが現実的なんでしょうか.

 実際,いろんなものがあって,○○○○研究員とかいう肩書で研究室というか「部屋」(行く場所)があるけど,無給のものもあるみたいです.無給はどうかということなんでしょうが,無給ってことはオブリゲーションも(そんなに)ないってことでしょうし,クビにもならない(なりにくい)ってことですかね.

 でも,それで充分だと思いますし,定年後とかじゃなくて,今すぐにでもそれでいいじゃんってな気にもなってきます.もちろん,現実的にはそんなわけには行きませんが,私のセンティメント的にはそんな感じで,でも,そんなことより,自分が(めんどくさい仕事を押し付けるということではなく)本質的に必要とされているかということで,一番大きいのは,やはり,私の研究室で研究したいという人がいるかってことですかね.

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3/7'21
[体と脳]

 (とある事情によって,補遺的な記事が多いのですが),内的に少しでも上達すればですが,歳をとってフィジカルが衰えて行くとそうも行かないところも出てきますよね(特にバドミントン.スキーもだんだんそんな感じに).

 でも,内的熟達という意味では,動きを洗練するとか,運動の本質に迫れれば,フィジカルの衰えを補うこともできますし,それこそ上達もできるというか,そう思っているところはまだあります(あきらめが悪い).

 でも,研究とか,生き方とか世の中とか経済についてというか,「考えること」全てにおいては,フィジカルは関係ないので,そっちをやった方が,ってことはあるとは思うのですが,そんなこと関係なくやりたかったらやるってことでしょうし,心技体じゃないですが,体と脳ってやっぱり繋がってて,体が衰えれば,脳も然りなわけですからね.

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 内的に少しでも上達すればですが,そう思って何とか効力感を感じるように,ということなんですが,そう思えるときもあれば,そう思えないときもあって,やっぱり,難しいというか安定しないんですが,究極的には,やりたくなきゃやらなければいいわけですし,そういう自堕落な生き方しかできないってことでしょう.

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 次に来る人ですが,私自身がどうこういう話じゃなくて,私がやっているようなことに興味があって,私の研究室で研究したいという人がいれば喜んで受け入れて,私ができるだけのことはするし,それは,研究者になりたいという場合も然りということに尽きるわけで,「次に来る人」を育てないといけないということはないし,私自身,ずっと書いているように,自分の後継者を育てないといけないとは思ってないというか,そういうことは,私が判断することではなくて,そういうことがやりたいという人がいれば,私ができることはするというのは,上で書いた通りですし,学内外関係なく,いっしょに研究したいという人がいれば,これも喜んでいっしょにやるし,そういう人がいなければ,それはそれで仕方ないというか,ある意味,楽ちんというか,一人でのんびりやりたいようにやって行けばいいし,もういいやと思えば,もうそんなに頑張ってやらないでもいいってことでしょう.

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[実情と全く違う]
(世の中)

 何度か書いていますが,相変わらず,世の中は(実情と全く違う)建前で溢れていて,新型コロナとか東京五輪とか震災から10年とか,いろんなことが重なって,益々もっておかしな雰囲気になってきました.

 みんなしんどい思いをして頑張ってるとか,世の中の役に立つことをして頑張ってますとか,スポーツ選手は厳しい練習に耐えて頑張ってるとか(やりたいことやってるだけじゃん),要は,結局,そういうことを言う人間が得したい(しかもほとんどお金のこと)ってだけの話で,でも,メディアとかインターネットとかでのことなんですが,思うのは,一体,どのくらいの人がそういうことを真に受けて(騙されて)るんですかね?

 言い方を変えると,賢い人は,そういうことが全部建前(嘘)ということがわかっているんてすが,騙されるか騙されないかの差は大きいわけで,結局は,それが世の中ってことなんですかね.

 でも,自分が得すればそれでいい? 他人のことなんか考えてる余裕なんかない? ほんとですか? ていうか,そんなことでいいわけ?

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[人生の楽しみ]

 これもずっと昔に読んだ何かの小説かドラマだったと思いますが,ある青年というか,もう30くらいなのかな,(多分まだ)独身で,アパートで独り暮らしで,仕事が終わって,時々買って帰るちょっとうまいサンドイッチ屋で何とかサンドを買って,家に帰って巨人戦を見ながら食べるのが楽しみというのがありました.どう思います?

 人生の楽しみってそんなもんだとも思うんですよね.そして,それ以上何を望むの?ということでしょうか.

 もちろん,やりたいことを見つけられて,更に,仕事とある程度重ねられたらもっとハッピーでしょうし,更に更に,その世界で最先端というか,まだ誰も到達していないところに行ければ,もっともっとハッピーなんでしょうが,それはあくまで結果というか,そういうことを「目指す」のは何か違うというか,「目指し」ても大したことにはならないことが多いというか,結局は,やりたいことがあれば一生懸命やればいいし,そうでなければ,そういうことでいいんだと思います.

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 いや,やりたいことを見つけるとか,それを仕事にするとか,それで最先端に行くとかより,好きな人と出会って家族と楽しく暮らして行くとか,ゲームでも旅行でもアイドルでもフェスでも(そんなにお金がかからない)楽しみがあった方がいいと言う人も多いと思います.

 そうですね.成功?して稼いでタワマンとか高級車とかブランド品に散財するより百倍ましというか,これもそれで充分だと思いますね.

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[長野]
(生活)

 将来住むところとして,長野はどうでしょうか.とか言うとまたスキーかよという感じですが(笑),もちろん,それで決まるわけはないのですが,基本的にほとんどのことはどこにいてもできるので,東京に1時間くらいで出られればということで,長野は,1時間半かかるのですが,いろいろ条件はいいと思います.

 スキーに関しては文句なし(志賀,野沢,八方に1時間くらいで行けて,しかも,長野駅からバスも出てて楽ちん)ですし,大きいと思うのは,志賀,それも,奥志賀とかまで行けば,休日でもそんなに混んでないということでしょうか.スキーは確かに平日がいいんですが,休日も滑れれば,天候とか体調とか気分とかも含めて選択肢が広がります.

 でも,長野駅周辺ですが,何度も行ったことがありますし,バドミントンの全日本教職員が長野であったとき,泊まって何日か過ごしたこともありますが,あんまり生活しやすい感じではなかったですね.長野駅から離れると,東京からの距離が遠くなってしまいますしね.

 で,気づいたのは,熊谷なら長野まで新幹線で1時間じゃんってことです.例えば,8時の新幹線に乗れば,10時過ぎくらいには,志賀に着くってことですね(上毛高原だと高崎で折り返さないといけない.ていうか,上毛高原からわざわざ長野に行く?).2時間はちょっと長いけど,新幹線とバスなら自分で運転しなくていいしあり?

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[これも,結局,記憶]

 英語は膨大な量の記憶で,知らない単語や表現が聞き取れるわけがないってことなんですが,知ってる単語や表現なのに聞き取れないこともあると言う人もいるでしょう.でも,それもその単語やそれが連なって文章になったときに,どういう風に音が省略されて発音されるかということを記憶しているか(実際には,既に聞いて憶えてそう認識している)ということなので,これも,結局,記憶だと思います.

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[準備万端?]

 半径200m生活ということで,更に,生活のリズムが変わって,今までで一番職住接近で活動度が上がってということなんですが,何か変な感じがしてきました.

 だったら,職住接近を究極までやれば,「行くところ」なんか必要なくて,ずっと家(を研究室並みの環境にしてそこ)で仕事というか活動すればいいわけで,定年で大学をクビになって仕事を失っても全然平気ということになります.

 いや,大学に籍がある,所属している組織があって,そこから研究室を当てがわれていることが重要なのなら,そうは行かないことになりますが,それはどうしようもないことなので受け入れるしかないですし(でも,これもめんどくさくやりたくない仕事から解放されるという側面もあるので,一長一短というところもある),その上で,「行くところ」が必要かということなので,だとしたら,それは必要ないということになるんじゃないかということです.

 もちろん,何らかの社会との繋がりは必要なんでしょうが,ここで表現して(勝手に)社会と繋がればいいわけですし,こちらからの一方通行だけではなく,誰かかから連絡が来ることもあるでしょうし,実際,休日に研究室に出てきて何かしてる時,組織に所属することで当てががわれている研究室で活動しているから社会と繋がってると感じるわけではないですし,リアルな人との繋がりも「一人,時々,みんな」で,時々会えればいいと思うんですよね.

 てことは,もう「準備万端」で何も心配することないってことなんですかね?

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[上田,佐久平,安中榛名]

 長野ですが,ちょっと調べたんですが,駅周辺は,(そんなに生活しやすいわけでもいい雰囲気でもないのに)結構お高いですね(そりゃそうか).

 うん?待てよ.だったら,新幹線の各停しか停まらない穴場的なところということで,上田,佐久平,安中榛名はどうかということになりますね(東京にも近づくし).調べてみると...上田は安いですね.上毛高原より安いんじゃないですかね.

 上田は,東京で準指を受けていた時,菅平に通ってたので,何度も行ったことがありますが,駅前は,それなりというか,全然大したことないですが,車で10分行けば田園風景ってわけじゃない気がします.

 佐久平は,駅前はそれなりに便利みたいでそこそこしますが,車で10分の物件はあまり出てきません.安中榛名は,駅前はなーんもないんですが,すぐ近くに住宅地があって,かなり安いのですが,そこには住みたくないですね.

 上田,佐久平なら,長野まで新幹線で10分とか20分だし(ていうか,上田なら菅平まで車で30分だし),東京までも長野と同じ1時間半くらいなので(各停しか停まらないということは鈍行ということになるので),こっちの方が現実的ですかね.

 でも,思ったより今一な感じですが,「東京から1時間(+α)くらいで新幹線の各停しか停まらない穴場的なところ」の選択肢が広がったとは言えますかね.

 でも,こうしていろいろ調べて考えたり,妄想(笑)したりするのは,楽しいのですが,何となく,考えたようにはならないというか,全然違う要因で全然違うことになるような気もします.

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3/8'21
[人生は長いか短いか]

 人生は長いか短いか,ですが,振り返ってみるとあっという間というか,若い頃のことがついこの間のように思い出されますし,私の中の気分としては,若いときのままってところが多分にあるんですが(昨日も東大から京大に(移籍するんじゃなくて)転校する夢を見て,目が覚めると,実際は学生ではなく,教授とかいう立場になっていてそのギャップに愕然とした),逆に若い頃は,人生は無限というか,とても長く感じましたし,30代のときのように,それがしんどく思ったこともありました.

 ですから,人生は長いか短いかと言われれば,長くもあり,短くもあるってことでしょうか.でも,言えるのは,長いとしても時間は確実に過ぎて行っていつか必ず人生は終わるわけで,つまりは,哲学的には,人生所詮退屈しのぎなんですが,どうせ退屈しのぎなのなら,楽しく気分よく過ごして行きましょう,ということですね.

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[1日24時間は24時間]

 生活のリズムが変わって,今までで一番職住接近で活動度が上がってということなんですが,別の意味で変な気もしてきました.

 仕事をできる時間が純粋に増えてるとも書きましたが,そんなわけないというか,1日24時間は24時間で変わるわけありません.じゃあ,何が変わったかというと,活動度が上がったというか,「活動と休息」に占める活動の割合が増えたということでしょう.

 それでずっと行けるのならめでたしめでたしでしょうが,(もう歳だし)そんなわけはないというか,これまでの経験というか,客観的記録によると,必ず「帳尻が合う」ことになります.実際,疲れて来てる気もしますしね.

 ということで,あまり調子に乗らない方がいいってことで,少し自制というか,少なくとも○○○ようにしようと思います.

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[佐久平]
(生活)

 佐久平ですが,長野行新幹線(今の北陸新幹線)が開通して駅ができたときは,周辺はなーんもなくて,その後,大型商業施設などができて,普通なら駅前がシャッター街化して,郊外が栄える?ところを駅近が大型商業施設などで栄えるという珍しいというか,一種の開発モデル的なところらしいです.近くに幹線道路も走っていて,いわゆるチェーン店街道みたいにもなってますね.

 ですから,一般的に言えば,暮らしやすくてとても便利ということなんでしょうが,うーん,個人的には,なんかちょっと...って感じですかね.

 あとは,上田に菅平があるのなら,佐久平には,パラダがありますね.人工雪スキー場ですが,逆に言えば,非常に高い晴天率ということです.ゲレンデは...って,ことなんですが,見てみるとそこそこな感じもしますし(だんだんハードルが下がって来た?),車でぶらっと15分くらいで行けるのなら,悪くないかもしれませんね.

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[ヘッジになってる]
(経済, 運保)

 日運と短運がぱっとしないってことですが,(日運と短運は,売り中心なので)資保(は買い中心)のヘッジになってる感じもしてきました(既にどこかで書いたかも).本来的には,日運と短運が中心だったというか,数年前まではこれしかやってなかったのですが,世の中というか経済がどんどんおかしくなって,来るべき経済危機や経済破綻に備えて資産を守るということで資保が始まったのですが,思いのほか資保の方が成績がよくて,しかも,日運と短運は余剰資金なのに対して,資保は全資産が対象ですから,玉の大きさも違います.

 じゃあ,日運,短運と資保がどっちが大事かと言えば,そりゃあ,資保なわけで(余剰資金が消えてなくなっても路頭に迷うことはないが,全資産がなくなるのは,路頭に迷うことはないとしても結構まずい),ですから,まあ現状でそれほど問題ないのかな.

 逆に資保がうまく行かなかったときはどうするかですが,そのとき日運と短運がうまく行けば,逆ヘッジというか,ヘッジが効いたということなんでしょうが,両方うまく行かなくなることも考えられます.

 でも,それがいわゆる「リスク分散」ということですし,資保は,買いしかやってなくて,資産が0になることはないので,まあいっかって感じでしょうか.

 もちろん,何もしなければ,損も得もない,ってことはなくて,経済危機や経済破綻が起これば,何もしてないとほとんど資産を失うことになるわけで(家を買っていれば老朽化して資産価値のない自宅だけが残る感じ),でも,そんなことより,私自身が,今のままでは,経済危機や経済破綻になりかねないという見通しをもっていて,それを回避する術ももっているのに(うまく行くかどうかはわからないけど,具体的にどういうことをすればいいかはわかっている),みすみす何もしないというのは,ありえないということでしょう.

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3/9'21
[もうこんなんでいいかな]

 何となくですが,もういいかなとか,こんなんでいいやとか思っていたことがちょっとやってみるか,という感じになって来てるものもあるというか,いろんなことをやってる中で,長い間,低迷というか,不調だったもの,あるいは,ほっておいたものとかにもそういうものがあるというか,一時的なことかもしれないのですが,まあ(ちょっと)その気になってる間は,やるだけやってみますか.

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[2ヶ月近くぶり]
(バドミントン)

 (京都は)緊急事態宣言が解除されたということで,昨日(と言っても書いてるのは当日だけど),久しぶりの練習でした.いつ以来かな.

 1/15以来みたいですから,2ヶ月近くぶりですね.でも,少しだけ体を動かしていたというか,整えることをしていたためか,そんなにだめだめな感じではなかったんですが,この日以来,そういうことをイメージして素振りとか,ちょっとしたフットワークとかしたりしてたんですが,最初はちょっとできた気もしましたが,ゲームになると元に戻るというか,意識し続けるのは難しいですね.

 でも,とにかくやり続けるということで,それがモチベーションにも繋がるでしょう.

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 一晩明けて,2ヶ月近くぶりということで,疲れは少しあるんですが,思ったほどではなくて,筋肉痛も大したことありません.やはり,ほんの少しでも体を動かしておくのは大事ということでしょうか.

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[体を整えることと動きの洗練]
(バドミントン)

 でも,上の上で書いたようなことはずっとやってきたというか,例えば,今,2018年の記事を読んでるんですが,同じようなことが書いてあって,つまり,いつの間にか忘れるというか,やらなくなるというか,意識できなくなってるんですね.

 じゃあどうしたらいいかですが,一番大事なことは何か(を忘れない)ということでしょう.そしてそれはやはり体を整えることと動きの洗練だと思います.もちろん,フィジカルも重要ですが,バランスの問題というか,少なくとも今の私の場合は,まずはこれということでしょう.

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 でも,この歳になって,フォームを抜本的に変えることは難しいでしょうし,フィジカルを上げようとしてトレーニングすると怪我するし,八方塞がりというか,だからこそずっと低迷してきてるわけなんですが,やはり,体を整えて「より」○○を無意識に意識を目指して体の動きを洗練(脱力と集中)ということなんでしょう.

 それは,それが今の自分のその気に適合する(トレーニングは,やっても効果が感じられないし怪我するってこともあるけど,単純にもうしんどいってこともある)ということもありますし,自分で考えて自分で導き出した理論を実践して証明したいということもありますかね.

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[「より」]

 夢とか目標なんか要らないと何度か書いてますが,そもそも夢とか目標って何なんですかね?

 仕事とか勉強とか練習してて,苦しかったり辛かったりしても,夢とか目標のことを思い浮かべれば頑張れるってこと? そんなに苦しいとか辛いとかならやめればいいじゃないですか(仕事なら食べて行くのに必要な分だけやればいい.つまりは,こういうのは,やりたくない辛くて苦しいことをやらせるための手段).

 そもそも,例えば,何かの研究成果を出すとか,ピアノがうまくなるとか,バドミントンが強くなるとかって,実際の行動は,その場その場で,問題を解決するとか,より強くなる,よりうまくなるように研究したり練習したりすることなわけで,山に登るときに頂上を目指すように何か目標があってそこに向かうわけじゃないですよね.いや,山に登るのだって,頂上を見てそこを目指しているというよりは,一歩一歩でしょう.

 つまり,何事において,常に「より」うまくなる,強くなる,研究を進める,だけやってればいいわけで,その結果として,何かが生まれる(かもしれない),それだけのことでしょう.

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[これから人生が始まる]

 別に長生きとかはいいんですが,人生,だいたい80年くらいで,40になったからあと40年くらいの人生ってことじゃなくて,これから40年の人生が始まるってことなんじゃないですかね.だって,過去は関係ないですもん.

 しかも,(ちょっと矛盾するけど)40年生きて来て,0歳の赤ん坊とは違って,いろいろ得たものはあるわけで,歳をとって体が衰えて行くことを考えても,過去の40年よりは,もっと面白い40年になる可能性もあるというか,当人次第なわけですよね.

 これは,60になって,あと20年くらいでも同じで,20年という人生は,決して短くはないし,それはあと10年でも5年でも1年でも同じというか,長さに関わらず,どうせなら楽しく退屈しのぎして行ったらいいんだと思います.

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3/10'21
(日記)

 何かあまり調子よくないですね.でも,記録を見るとピークアウトしかかってる感じなので,まあ「そういうこと」ですかね.

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[スマホが来ました]
(IT)

 SIMが来たのでスマホが来るまでYOGAにさして使おうと思ってたんですが,スマホ(aquos sense3 plus)が来ました.でもやっぱ何かめんどくさいなあ.まあセットアップするか.

 で,箱を開けたんですが,思ったほど大きくありません.SIMをmicroからnanoにカットして(でもnanoって言うからどんだけ小さいかと思ったら,microとそんなに変わんねーじゃん)さして電源を入れると,何の設定もなくすぐ繋がりました.ほんとに?

 で,google playからアプリをインストールしようとしたんですが,wifiに繋いでくださいと言ってきます.しばらく調べたんですが,よくわからず,どうやらLTEに(なぜか)繋がってなかったみたいです.

 あとは,サクサクDLしてインストールして割とすぐ使えるようになったんですが,nexux5でいろいろ慣れてたところが結構違ってて,カスタマイズしてたことも多いし,nexus5では使えたけど使えない機能とかアプリとかもあって(ワイヤレス充電とかテザリング一発ONOFFとか)慣れるのにしばらくかかるかもしれません.

 でも,指紋認証は便利ですし,dropboxはエディタが付いてましたし,「設定」はよく使うものをアイコン化していたんですが,今回は長押しするとよく使う?ものがサブメニューで出て来るのでそれで行けますし,いろいろチューンして行けば,使いやすくなるのかな.大きさは思ったほどじゃなくて,でもその分,片手でも操作できるんですが,ちょっと中途半端というか,片手ではちょっと不安な感じで,だったら,もっと大きいか,sense3か4(多分,nexus5も同じくらいの大きさ)の大きさでもよかったかもしれません.

 でも,私の場合,こういうのは,「〜しておけばよかった」とは全く考えないというか,そういうことが起こるたびに,それをメリットに変えてきているので,多分問題ないでしょう.

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[実情]
(防災)

 東日本大震災から10年ということで,当時を振り返るとか,今なお苦しんでいる人がみたいな番組というか報道が多くて,悲惨な災害を繰り返さないために記憶を風化させてはいけないってことなんでしょうが,何度も書きましたが,それだけでは,また同じ惨事が繰り返されます.

 先日,福島沖の地震の被害調査に行ったとき,東日本大震災で甚大な津波被害を受けたところを通りましたが,どうなってたと思いますか? 当時は,家屋は全て流された「焼け野原」状態でしたが,もう大分家が建っていて,復興が進んでよかった?

 いやいや,津波が来たところに家を建てたら,また津波で流されますよ.

 個人の家なんだから,元の自分の土地に家を建てるのは自由? その通りです.でも言い方を変えれば,そんなことをしてまた津波に遭って被害を受けてもそれは自己責任ということです.それをまた被災したから助けてくれでは,ムシがいいとは言いませんが,あまりに考えが足りないのではないですか?(堤防を整備したり,多少かさ上げしたとしても想定以上の津波が来たらどうなるか,というか,「想定」というものがどういうものかいやというほどわかったのではないのですか?)

 ということを書くと,SNSなら炎上するんでしょうね.でも,そんなことだから,建前(嘘)ばかりが溢れて,どんどんおかしな世の中になって行くわけです.

 こういう状況は,メディアではほとんど報道されてないし,それこそ現地に行ってみないとわからないことで,でも,地元の人はみんなわかってるわけで,例えば,先日の地震も,メディアでは,大きな被害としか報道しないのですが,実際は,大きな被害なんかほとんどなくて,ほとんどの人は,ほとんど変わりなく過ごしているわけで,まさに世の中は嘘で溢れてるってことです.

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[震災ビジネス]
(世の中)

 いつまで被災者をやらないといけないんですか?と言った人がいたそうです.

 わかります.いつまでも被災者をやってたい人もいれば,そういうことから抜け出して,ちゃんと普段と変わらない生活を送っている人も多いはずです.

 つまり,メディアが震災を(必要以上に)取り上げるのは,視聴率を稼ぐとか,好感度を上げるとか,やらないと叩かれるとかいう側面があるわけで,それは,ボランティア活動のようなことをしてそれを公表するような人も然りで,「震災ビジネス」的なところがあるわけです.

 そういう人達にとっては,いつまでも復興してもらわない方が都合がいいわけで,そういうことにしているというか,これもまたテレビとかインターネットとか見ていても嘘ばっかりということになるわけです.

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 関連するのかもしれませんが,これも先日の被害調査で浪江町に行ったとき,途中で街中を通るんですが,まさにゴーストタウンという感じだったんですが,役場に着くとそこは栄えているというか,ビジネスホテルが建っていたりして,これも一種のビジネスでしょうか.

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3/11'21
[新しい受け皿?]
(世の中)

 官僚叩きとかメーカーの没落で(特に理系の)優秀な人の受け皿がなくなってきたと何度か書いてきましたが,スタートアップ,いわゆる,ベンチャーがその受け皿になりつつあると言ってました.

 昔は,東大出たら,官僚か大企業に就職という感じだったけど,今は,1, 2割がベンチャーで,学生時代から起業する人も多いんだそうです.背景としては,大学もサポートするし,回りにそういう人が増えてきて自分にもできそうだという雰囲気があるんだそうです.どう思いますか?

 まず,自分にもできそうだからというのは今一ですね.私だったら,まだ誰もできてないことをやりたいと思いますけどね.

 あとは,アンケート調査によると,お金とか経済的なことよりやりたいことがやりたいと言う人が多いみたいで,官僚になったり大企業に入っていろんなしがらみの中でやりたいことがなかなかできないより起業してやりたいことをやるってことらしいですが,起業ってことは稼がないといけないわけで,所詮金儲けとは言いませんが,少なくとも,金になることしかできないでしょう.

 わかりやすい例としては,GAFAとか,日本だったらSフトバンクとかなんでしょうが,彼らはそこを目指してるわけですよね.まさに金儲けじゃん.

 つまり,金儲けまで行かなくても稼がないといけないというのが最大のしがらみであって,それこそやりたいことなんかできないでしょうし,それでも起業したいということなら,やりたいことは金儲けということでしょう.

 ほんとにやりたいことをやりたいのなら(ほんとにやりたいことは金なんか儲からなくてもやりたいこと)そういう資本主義から遠いところに身を置かないといけないわけで,そういう意味では,官僚はそうですし,(手前味噌になりますが)研究者はそうだと思いますけどね.

 どうして優秀な人がみんなこぞって研究者(≒大学教授)にならないのか,不思議で仕方ありません.やっぱり,やりたいことよりお金ってこと?(しょぼいな)

 でも,研究者(≒大学教授)の給料はそんなに高くはないですが,生活して行くには充分ですし(博士を出て助教になったときで年収500万くらいで,教授になると1000万ちょいくらいですが,副収入はそこそこある),潰れることも(少なくとも企業やスタートアップよりは)ないですし,やりたいことができますし,研究対象も文系から理系まで千差万別で,自分が興味があるものが選べますし,時間的な拘束もほとんどないですし,研究以外の「お仕事」もありますが,全体の半分を超えることはありません.

 いや,それはお前がトップレベルの大学を渡り歩いたからだろと言われれば,そうかもしれませんが(でも,給料は大学のレベルによる違いはほとんどない),だったら,そうでない大学の助教からスタートして,研究して業績を上げてそういう大学に行けばいいわけで,ちゃんと競争原理が働いてるってことですよ.

 でもまあ,優秀な人がみんなこぞって研究者(≒大学教授)になろうとしたら,私なんかがなるのはとてもムリーだったでしょうし,こんな私でも何とかやって来られたのは,そのおかげってことなんでしょうね(笑).逆に言えば,そういう「超お買い得」なところを見つけたことが一番の成功要因ってことですかね.

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[どっちもOK]

 禍福はあざなえる縄のごとしで,どういう結果になってもそれがどっちに転ぶかわからないのでどっちもOKで,結果なんか気にしてもしょうがないと何度も書いてきました.でも,結果が出る前は,なかなかそうは思えないものです.

 今心配なのは,研究室に学生が来てくれるかどうかです.私は昨年11月にこっちに来たばかりで,まだ授業もしていませんし,ましてや研究所ですし,そんなに認知されてないと思うんですよね(講座制ではあるんですが,准教授の先生とは専門が違ってて別枠の募集なので,そういうところを学生がどう見るかということもある).筑波大には,まだ5人くらいの学生がいますが,あと1年で終わりです.

 つまり,今年学生が来ないと研究の連続性が途切れることになります.私の研究室は今膨大というか,震源から構造物被害に至る多岐に渡る研究テーマに取り組んでいて,それが一度途切れてから,再開するのは大変だと思います.

 でも,学生が来てくれれば問題ないのですが,もしそうならなかったとしても,それはそれでものは考えようというか,もうお前は社会から必要とされていないということを潔く受け入れて,徐々に研究室を畳んで行くというのも一つの考え方だと思うんですよね.

 実際,定年が来れば否応なしなわけで,そこに向けて,一人でも何とか研究を続けて行ける体制づくりをして行けるのは悪くないですし,学生はいなくても,他大学や他機関でいっしょに研究している共同研究者はいますから,彼らといっしょに私ができる範囲でやって行けばいいんだと思います.

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[ありがたい話]
(仕事)

 上で書いたことと関連するのかもしれませんが,こっちに移って来て,実感がないというかすぐなじんだというような面もある一方で,ここにいるのが不思議な感じもするんですよね.

 ずっと筑波大にいたら,あるいは,東大にいたらというか,何かの拍子でそういうこともあったかもしれないわけですし,それはそれでありだったかもしれませんが,実際は,縁あってこうして移って来てるわけで,不思議だけど必然というか,そうするとそれは何かとも思うわけです.

 比較しやすいのは,ずっと筑波大にいたらということですが,これは何となく想像がついて,学生達と楽しく研究をして行きながら定年を迎えるということでしょうし,研究室に学生が来なくなって行ったらそれはそれで一人体制にフェイドアウトというかソフトランディングにもなったでしょう.

 でも,こっちに来ることでそうは行かなくなったというか,道は大きく2つに分かれたわけで,1つはこっちでまた学生に来てもらって,今までとはまた違った新たな展開ということで,それが当然だと思っていたのですが,よくよく考えてみると,学生が来るとは限らないわけで,そうするともう1つの道,即ち,逆に一人体制へのフェイドアウトが早まるということもありうるわけです.

 そして,それは私の力ではどうしようもないわけで,だとすると,どっちになっても受け入れるしかないんですが,普通に考えれば,後者より前者ということなんでしょうが,よくよく考えると,後者は後者で,早めの準備ができていいとも言えるわけです.

 いずれにしても,こっちに来ることで「何かが動く」ことに間違いはなくて,それは,どっちに動いてもOKで,まさにありがたい話なんだと思います.

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[めんどくさがり]
(自分)

 こうしてみると,私って自分から行動を起こすというか,しゃしゃり出るようなことはしないで,要望があれば(応じられれば)応じるということなんですかね.研究室に来たいという学生がいれば喜んで指導するし,話をして欲しいと言われればするし,誘われればホイホイ出かけるけど,そうでなければまあいいや,みたいな.大学を移ったときもそうだし,仕事全般についてもそうですし,プライベートなことでも,好きな人がいても,向こうから声がかからなければ,そのまんまって感じですしね.

 じゃあ,何でも受け身というか待ってるだけかと言うと全然そんなことはないし,そっか,相手が人だとそうなんですかね? つまりは,自分の考えを押し付けたくないとか,行きたくないのに誘ったら,必要とされてないのに押しかけたら,好きでもない人に好きだと言われたら相手も迷惑なんじゃないかとか考えるってことですかね.

 いずれにしても,相当のめんどくさがりですよね.でも,その気になるときはなるわけで,なんかよくわかんないですが,めんどくさいことはめんどくさいし(笑),そういう風にしかやって行けないのでしょうし,もう何とかゴールできそうなので,まあいっかって感じですかね.

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3/12'21
[一人体制]
(研究)

 研究室がどうなって行くか,やっていることは面白い(と自分では思ってる)し,研究の進め方も,学生に楽しく自由にやってもらって学生自身も大きく成長できるし,筑波大のときのように学生がどんどん来てくれて,研究もどんどん進むと何となく考えていたんですが,学生が来てくれるとは限らないわけで,でも,それはそれでやりようはあるわけです.

 それは,研究室を畳んで行くとか,活動度が落ちて行くということではなく,学生がいなくても,極端な話,一人でも研究して行ける体制にするということで,地震研時代に戻るようなものですし,考えてみれば,1-2秒応答の根拠を地震記録と強震観測点回りの被害データの組み合わせから示してどんどん論文を書いていた頃は,学生はまだいなくて(筑波大に移ってからは学生がどんどん増えてるときは,彼らには別の新しいテーマに取り組んでもらっていた),データを集めたり調査に行ったりするのに,東大地震研の纐纈先生や千葉大の中村先生や九大の神野先生に協力してもらって,ほとんどの場合,分析とか計算とかは自分でやって論文を書いてたわけですからね.

 そして,この「一人で研究して行ける体制」は,定年後も研究を続けて行くのなら,いずれやらないといけないことで,まさにいい「準備」になるということです.

 もちろん,これまでのように学生がどんどん来てくれれば,それに越したことはないですが,そんなのどうなるかわからないし,もちろん,宣伝?とかできるだけのことはしますが,それで来なければどうしようもないわけで,だったら,しっかり,リスクマネージメントをしておくことも大事ということですし,それはそれで(「準備」になるとか)メリットもあるわけです.

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 でも,これまでは学生がどんどん来てくれたので,それに慣れ過ぎたというか,そういうことを前提に研究体制を構築してきたので,いろいろ見直しをしないといけないということでしょう.具体的には,研究テーマは,ある程度,限定されるかもしれません.

 例えば,HPFRCCを使った超縮小模型とか実大在来木造の振動実験とかは,ある程度のマンパワーが必要ですし,それは,強震観測点回りの被害調査もそうかな.でも,超縮小模型は,20年くらいやってきて,ようやく試験体作成方法と実験方法に目処がついて,誰でもできるように(共同研究者の国総研の福山さんや建研の諏訪田さんの了解を得て)ウェブに情報を公開する予定ですから,興味をもった人がやってもらえればいいですし,実大在来木造については,どのみち大型の科研とかの研究費を当てないとできないですし,当てたら金はあるのでそれはそれで何とかなるかもしれません.

 強震観測点回りの被害調査は,続けて行きたいですが,私が個人的に続けて行きたいというよりは,何十年,何百年にも渡って続けて行かないといけないことなので,どのみち若い人に託さないといけないですし,それはできつつあると思います(でも,私も(現場を見たいので)体が動くうちは付いて行きます(笑)).

 地震が起こった時の地震動レポートとか被害推定については,学生が運用しているのですが,(学生はいずれ卒業していなくなって,私が大学を定年でやめれば研究室自体もなくなるので)これもどのみち私がやらないといけないわけですし,定年で大学をやめた後,どのくらい研究する気になるかはわからないのですが,大地震が起こった時に何もしないということはないでしょうから,このくらいのことは,一人でもできるようにしておきたいです.

 研究テーマは,これ以外にもいっぱいあるんですが(どういう震源や地盤構造の組み合わせで大きな被害を引き起こす地震動が発生するかとか,建物被害を推定するための被害関数とか非線形建物群とか,それを結びつける等価線形化手法とか,現存する建物の耐震性能の解明とか),あとは解析系なので(その気になれば)一人でも何とかなるでしょうし,研究室の卒業生で研究者というか,そういうことをやってくれている人も何人かいますので,彼らがある程度はやってくれるでしょうし,大いに期待もしています.

 でも,そういうことを押し付けるつもりはないですし,彼らは彼らでやりたいことをやってもらえばいいんですが,私がやってきたようなこと(地震動の性質と建物被害の関係を探求し,その成果を地震災害軽減に結びつけるための研究,あるいは,震源から構造物被害に至る現象を物理的に解明すること)は,他の人がやってなくて独創的というか専売特許的なところがあって,やらなきゃ損というか勿体ないというところは大きいとは思いますけどね.

 こうしてみると,まさにものは考えようというか,例えば,私の下に私がやっているようなことをやっている准教授とか助教の先生がいれば,私が定年で大学をやめても研究室はそのまま存続して,私は「あとはよろしく」とだけ言えばいいのかもしれませんが,そうすると,逆に私はやることがなくなるというか,やることを取り上げられて寂しい思いをすることにもなるわけで,でも,自分でやらないといけないのなら自分でやるしかないわけで,定年で大学をやめた後,どういう形で研究を続けて行くのかを考えるいい機会になったと思います.

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 でも,こんなこと書くと,学生に来てもらわなくていいみたいにきこえますが,もちろん,そんなことはなくて,是非来てもらえればと思いますし,来たら楽しいとも思います.

 でも,まさに「準備」ではないですが,私も自分の手を動かしてプログラミングしたり計算したりして,あーでもないこーでもないってやって結果を出して論文を書いたりしたいというか,そういう気になってきたというと変ですが,現実には,ほんとはそういうことをしたいけど,いろいろ忙しくてなかなか厳しいってことだったんですが,「準備」と考えると,「やる理由」が一つ増えて,ハードルを乗り越えられるかもしれないってことでしょうか.

 具体的には何やりますかね.ていうか,ネタはそれこそ膨大にあるわけで,学生にどんどんあげてきたんですが,あげるのが勿体ない(笑)というか,自分で楽しみたいみたいなのがいいですかね.そして,そういうことから考えるのも楽しいものです.何にしよっかなあ.

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(日記)

 でも,もう歳ですし(笑)あんまり無理しない方がいいとは思いますから,できることをできる範囲で,ということですかね.

 今日は,夕方から雨で,寒くなって,夜遅くなると風も出てきて,竜巻注意報?みたいなのも出たみたいなんですが,こういう日は,雨露や暑さ寒さをしのげる家があるだけで幸せという気分になります.

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 スマホなんですが,指紋認証は便利ですし,gmailのメールの移動が(なぜか)できなかったのができるようになったとか,dropboxの反応がよくなった一方,テザリングとか機内モードは,タッチ数が増えて少し面倒になったとか,画面が大きいのもそんなに違いは感じないとか,期待したほど使用感は大きくは変わらないですかね(持ち上げると自動的にオンになるのは,手に持って使うときは便利だけど,机の上に置いたまま使うときは関係ないし指紋認証もしにくい(ので結局持ち上げる)).

 バッテリのもちも,初日にだーっと減って,そんなもんかよと思ったんですが,これは,アプリをばんばんインストールしたからで,その後は,かなりもってる気はします.

 あと,寝る前にこのサイトの記事を読んでるんですが,あっという間に眠くなってすぐ寝てしまうので,なかなか進まない(笑)のも相変わらずですが,眠くなって我慢できなくなって寝るのって気持ちいいですよね(泊まりでスキーに行って,宿に帰ってきて風呂に入って,夕ご飯までの時間,眠くなって寝るときもそんな感じ).死ぬ時もそんな風に眠るように気持ちよく死ねたらいいですね.

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3/13'21
(日記, IT)

 スマホですが,ようやく?バッテリがなくなってきたので,充電したんですが,2時間でほぼフル充電できたのは早いような気がします(というか,nexux5がやっぱり老朽化してた?).でも,2時間でフル充電だと充電しっぱなしにして過充電にならないように注意しないとですね(そうならないようにはなってるみたいですが).

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[2つの条件]
(研究)

 これからの研究の進め方について,何かに一歩近づいたのは確かだとは思うのですが,急に今日から何かが変わるというわけでもなくて(やっぱり怠け者),でも,昨日,新たな仕事みたいなことがあって疲れたってこともあるので(疲れたら休まないと後で大変なことになるので),まあしょうがないか.

 でも,あらためて思ったのは,私にしか見えてないものがあるとか,もってるアイデアとか,これからもいろいろと生み出せて行けることを考えると,そういう宝の山を学生が来ない(かもしれない)とか定年で大学をクビになるくらいのことでみすみす手放すのは勿体なさすぎるし,そう思うのなら自分でやるしかないとは思いました.

 もちろん,自分で勝手にそう思ってるだけかもしれませんが,仕事以外にやってることと違うのは,大きな実績はあるわけですし,現に今もどんどんアイデアは浮かぶし,学生や他の人の研究を見ても,ここはこうしたらいいとか,こうすれば結果が出るとかもわかるわけですからね.

 でも,学生がどんどん来てくれるのならともかく,そうでない状況や定年後のことを考えると,あれもやんなきゃこれもやんなきゃじゃなくて一度全てをリセットしてゼロベースから考えることも大事で,それには,2つの条件が付いてきます.

 1つは,一人でも何とかやって行けるってことで,大きな実験設備や研究費を必要とせず,極端な話,パソコンがあればできるようなことになるでしょう.ここで注意すべきは,机上の計算になってはいけないことで,でも,それは,20年以上かけて集めて来た強震観測点回りの被害データという,いかなる実験結果より貴重なデータがあるわけで,まさに宝の山ということでしょうし,それは,強震記録も然りで,両者を組み合わせることで私の研究が始まったとも言えるわけですからね.

 もう1つは,研究のための研究にならないことでしょう.世の中には,夥しい数の研究があるのですが,非常に厳しいことを言えば,そのほとんどは,研究のための研究です.具体的には,研究室の学生に卒論や修論を書かかせるための研究とか,査読論文を書いて業績を作るための研究で,研究者が食べて行くための研究ということでしょうか.

 もちろん,研究者も食べて行かないといけないし,研究室の学生に研究をさせて卒論や修論を書かせることは,最高の教育なので(実際,大学から給料がもらえるのは研究ではなく教育)そういうことも必要ですが,大学をやめれば,そういう研究は見向きもされなくなります(ある意味,非常にシビアな世界).

 実際,ほとんどの研究者は(少なくとも私が関係する分野では),そういうことがちゃんとわかっていて,定年で大学をやめると研究しなくなりますし,論文も書かなくなります.つまり,研究のための研究でない研究をするのは至難ということですが,じゃあ,お前にそんな研究ができるのか?ってことなんですが,もちろん,自分ではそういうつもりでやっていますが,だったらそう思ってる研究者もいるんじゃないのと言われるかもしれません.

 でも,他の多くの研究者にはないものは確実にあると思うんですよね.例えば,地震が起こって,大きな震度を記録してもそれほど被害がないとき(が全体の80%以上と非常に多い)に注目されるのは私の研究ですし,実際,問い合わせが殺到します.今は仕事が忙しいので,正直それが面倒ですが,地震が起こり続ける限りは,定年で大学をやめた後も注目され続けるということですし,それは強震観測点回りの被害調査も然りです.

 もちろん,注目なんかされなくても,研究のための研究でも,本人が楽しいと思って続けられれば,それはそれでいいんですが,実際のところは,それでは厳しいのが現実であることを考えると,やはり,注目されて社会と繋がっていることは必要ということなのでしょう.私の場合,そういう他者評価が理由で研究することはないですが,学生もいなくて一人になって,あれもこれもやりたいというわけには行かなくて,いろいろ思いつく膨大な研究テーマの中から選ぶとしたら,そういうこともフィルタとしてありうるということです.

 具体的には,地震発生直後の被害推定に関わることになりますかね.でも,それには,震度算定法とか被害関数とか非線形建物群とか現存する建物の耐震性能とか,膨大な裾野が存在しますし,地震発生直後だけではなく,将来発生する地震も対象にすると強震動予測もしないといけないので,全て一人でカバーするのは難しいとすると,とにかく,地震が発生した時,どこでどのくらい被害が生じているかいないのかを情報発信することだけでも続けて行くということでしょう.

 でも,実際に大きな地震が発生するのは,(過去20年を振り返ると)1年に1回くらいで,それじゃあ,強震観測点回りの被害調査を含めても,1年のうちの1, 2週間程度しか埋まらないじゃんってことなんですが,そういう地震に備えて,あるいは,来るべき首都直下とか南海トラフの地震とかに備えて,地震被害推定精度を磨いて行く,体制を整えて行くというのでも(例えば,年1回の演奏会のために練習するみたいに)全然行ける気がします.

 地震被害推定精度を磨くということだと,その根幹に来るのは,やはり,地震動強さ指標とか震度算定法になると思います.既に提案しているものもありますが,もっと精度が上がるというか,検討余地はまだまだありますし,地震動強さの本質にもっと迫れるとも思っていて,地震動レポートや地震被害推定システムを管理しながら(研究以外のいろんなこともやって行きながら),そこを日々磨いて行くことはできるでしょう.

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 でも怠け者の私ですから,実際にどうなるかはわかりません.でもそれはそれでしょうがないというか,別の問題です.

 つまり,学生が来なくて,あるいは,定年で大学をやめてどうすれば?という問題に対しては,何とか解を見出せたわけで,でもそれをやらないとすれば,それは,単に(私が怠け者で)めんどくさいとか,他にやりたいことがあるとかで,他にもやりたいこともないとしたら,自堕落にだらだらと過ごしていきたいということなので,それはそれで仕方のないことです.

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[スマホのバックアップ]
(IT)

 そっか,スマホが壊れたらどうするかですが,壊れてから慌てて買い換えるのではなく,何年かしたら買い換えるというか,動くものが2台ある状態にしておくのがいいですね.

 そういう意味では,Nexus5の前は(何と)iPhone3G(だったかな?)で,動くことは動くと思いますが,前過ぎてもうようわからんというか,互換性もないし,なので,何年かしてこれはというものが出たら,もう1台買っておくのがいいかもしれません.

 具体的には,5Gが使えるようになったらってことですかね.で,調べてみたら,もうすぐこの辺でも使えるようになるみたいなので,意外と早いかもしれません.まあ,5Gがどのくらい速いかもありますし,大手キャリアも含めてMVNOの動向を見てからですかね(5GのSIMが4Gのスマホで使えるかってこともある).

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[好き]

 好きな人がいても,向こうから声がかからなければ,そのまんまってことですが,そもそも,人を好きになるのってどういうことですかね? もちろん,生物学的なことはあるんですが,人間の場合,それだけでもないと思うんですよね.

 でも,生物学的なこと,つまりは,(結婚して)子供を作りたいとか,いっしょにいたい(というのもいっしょにいるとそういう気になるというメカニズム)とかいうことなら,好きということを伝えないとそうはならないでしょうが,ただ好き,というだけの話なら,好きということを伝えることに意味はないので,まあ別にいいんですかね.

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[わからないことがわかっている]
(世の中)

 ある番組で,若くしてベンチャーで成功した人が出ていて,自分が金儲けするんじゃなくて,とにかく顧客目線で必要とされないと成功しないし持続性もないと言ってたんですが,それって,結局,金儲けだと思うんですよね(実際,その人は,SフトバンクのSさんのことを尊敬してるみたいですし).

 彼に限らず,世の中をよくするためにちゃんとやってる(ように見える)人もいますが,なんだかんだで,結局,最後はお金の話になるわけで,だって儲けないとやって行けないのがベンチャーですからね.そして,そういうことは,経済的に成功した人のほとんどに共通しています.

 そういう人達の言い分としては,世の中の役に立つことをしてるんだから,それに見合った対価(お金)をもらって当然で,それのどこが金儲けなんだ?ってことなんですが,その考え方が非常に危うくて,だって,ほんとに世の中の役に立ちたいのなら,あるいは,やりたいことなら,(必要最低限のお金さえあれば)対価なんて要りませんから.

 でも,そういう人とは,おそらくわかり合えないというか,別の世界の人間というか,もっと言えば,世の中の大部分はお金中心で回っていて,世の多くの人がそっち側の人間で,私がいる世界の方が異端なのでしょう.実際,そういう世の中からとにかく距離をとってやって来ましたし,これからもそうやって行きたいと思ってますからね.

 でも,お金なんかでは測れないもっと大きな価値があるわけで,でも,そういうことは,世の多くの人はわからないわけで,そういうわからないことがわかっている,知らないことを知っているのは,やはり,大きいことでしょう.

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[究極的には]
(研究)

 2つの条件というか,(その気になれば)そういうことで何とかやって行けそうってことなんですが,究極的には,社会との繋がりなんかなくても,対外的に全く評価もされず見向きもされなくても,純粋な探究心だけで(例えば,考えて思いついてやってみて検証してまた考えて)というだけでやって行けるのが一番すごいし無敵だと思います.

 ですから,私もまだまだということですね.でも,まだ時間はありますし,そういう高みを目指していきたいとは思いますし,それは,研究に限らないことで,そして,それは,研究ではないのかもしれません.

 でも,地震が起こったら情報発信はして行くし,被害が出たら現地にも行くと思いますから,そういう本能?というか,その気に従ってやって行けばいいし,そうするしかないってことかもしれません.

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3/14'21

 いろいろ考えるんですが,まあ,そのときの気分とか状況とかに合わせてできる範囲でやって行けばいいんでしょう.若い頃は,これから食べて行けるようにならないといけない,やりたくなくてもやらないといけないこともあると思いますが,もう何とかそういうところは脱したと思いますし,ずっとそんな感じでやって来られたわけですからね(もっと頑張ればもっと成功したかもしれないけど,そういうことも含めて身の丈ってことでしょうし,それでも充分成功できたと思いますしね).

 もちろん,何も考えず,準備もしないということではなく,そういうことも含めてということで,でも,それでうまく行くとは限らないのですが,だったら,また考えればいいし,それこそ結果なんか気にせず,(どうしてもやらないといけないこと以外は)やりたくなかったらやらない,その気になったらやるでいいんだと思います.

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[せいぜい1, 2割]

 とは言え,何度か書いていますが,これまでの人生でその気になったことが何度かはありました.学生時代は,中二の英語と高二の力学,受験の時は,タイミング悪くその気にはならず(そういう意味では,大学に受かった年は「頑張った」),でも,大学4年の春,研究室に入って,研究という勉強とは全く違うものに出会って,いきなり視界が開けてやっとスイッチが入りました.でも,その次が1999年台湾集集地震をきっかけに1-2秒応答とか震度算定法の検討をしてバリバリ論文を書いてたときなので,時間的には,短くて数か月,長くても数年ってとこでしょうか.

 ピアノは,東大ピアノの会時代でしょうから,これも数年ですし,バドミントンは,プーナに入って文京区大会で松井さんを見て,40で全日本教職員に出て勝ち上がるまでなので,10年くらいは続いたことになりますが,せいぜい週2, 3回の練習で,練習に行けない時はトレーニングをしてたくらいです.

 スキーは,一番行ってたのは,東京で準指を受けてたときでしょうが,その気になったというよりは,いろんな講習を受けないといけなくて,自分で創意工夫をする感じではなくて,あんまりその気になった感じではなかったですね(それがあまりよくなかったとも思う.そういう意味では,今の方が自分で明確に課題設定ができるが,そうなったときはもう..ってことか).

 ゴルフは,始めたときは,山本と月一でコースに出てて,練習場にも週2くらいで行って半年ちょいくらいで100を切ったんですが,彼が転勤になって,それで終わってしまったので,1年くらいですかね.

 相場研究は,30代に結構やってて,でもずっと結果が出なかったんですが,「あること」に気づいて,そこから大きく変わったと思います.それは,地震研の何かの集まりが箱根の強羅のKKRであったときで(WBCの放送をやってたので3月で,確か高橋さんの退職祝いだったかなあ),その帰りに電車の中でノートPCを開いて解析してたときだと思うのですが(このサイトで検索しても出てこないから書いてない?),もう筑波大に移っていたと思いますから(記録があった.2009年の3月ですね),これも結構長くやってることになりますが,ずっとやってるわけじゃなくて,かなり濃淡はありますし,最近では,数年前に資保が始まったときもちょっとやりましたが,やるときは,がーっとやりますが,せいぜい1, 2週間といったところです(でも,運用自体はずっとしてる).

 そういう意味では,このサイトは,もう15年以上,続いてますから,それは驚くべきことで,これがこれからとかリタイア後の活動の中心になって行くんじゃないかと思うのはそういうこともあります.でも,ほんと毎日,どうしてこんなに書くことがあるんだ?と自分でも驚くんですが,時間にすると1日1, 2時間ですし(これも記録を付けているのでわかる),書くことがなくなったら終わりですし,それは,書く気がなくなっても同じです.

 てことで,私がその気になって頑張ったというか,そういうときは,単にやりたいことをやってるだけなので,頑張ってるという感覚は全然ないというか,実際,頑張ってなんかいないのですが(今この文章を書いてるときもそう),それは,時間にすると,全体の中の極僅かだと思うのですが,いろんなことをしてるので,トータルするとそこそこなのかな.でも,それでも,せいぜい1, 2割って感じじゃないですかね.

 じゃあ,残りの8, 9割は何してたんや?ってことなんですが,まさに何をするでもなくだらだらと自堕落に過ごしてきたってことなんでしょうが,もちろん,それだけのわけはなくて,当然のことながら,仕事はしないといけませんし,研究とか仕事以外にやってることも,その気にならないときも何とか続けてはいるわけで,そこは逆に「頑張ってる」という気もしますが,だんだん,もうそういうのがしんどくもなって来たんですよね.

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[一番優先すべきは]
(生活)

 上田とか佐久平ですが,単なる思い付きの域は出ないというか,現実には,どうかという感じですよね.志賀,野沢,八方に新幹線で長野まで10〜20分でそこからバスで1時間と言っても,バスの時間に縛られるし,結局,2時間近くはかかるでしょうし,だったら,車で行けば1時間半だし,そうすると逆にハードルが上がるというか,土日も空いてるスキー場なら,例えば,上毛高原からノルンなら車で15分で行けちゃうわけですからね.

 そういう意味では,上毛高原は,越後湯沢まで新幹線で15分というのもありますが,関越を使えば,数多ある湯沢のスキー場にも30〜40分で行けますし,みなかみ方面にも40分くらいなので,休日でも空いてるところはあるでしょうし,天神平も近いので,11月下旬から5月下旬まで滑れます(天気のいい日にレストランから見える谷川岳は絶景で,一日中,それを見ながら(時々滑りながら)ぼーっとしててもいいかも(笑)).

 そもそも,東京に1時間(ちょい)くらいで出られれば,どこに住んでも同じなので,これしか拘束条件がないとは言え,スキーに行きやすいかどうかで決めるのもおかしな話で,今だってそんなに行ってるわけじゃないのに,10年後,どのくらい行く気になるかもわからないわけですからね(でも,だからこそハードルを下げないと,ということなんですけどね).

 ですから,一番優先すべきは,やはり,住みやすさで,それは気候もありますが,重要なのは,周辺の状況でしょう.要は,駅から車で10分で田園風景が広がってて,広い土地を確保できて隣家との距離を確保できるかとか,ほとんどのものはインターネットで手に入るとは思いますが,肉とか魚とかその日食べたいものをその日買いたいと思うと,近くにスーパーとか生活に必要なものがあるかとか,生活クラブが配達してくれるかとかですが,そういう意味では,上毛高原は(生活クラブは配達してくれないけど,そこはインターネットで何とかするとして)悪くないですし,雰囲気的には籠原も悪くないです.

 うーん,でも,やっぱり,一番のネックは,土地を買って家を建てないといけないことですかね.もうほんとめんどくさいんですが,そうすると,URがあるところという別のフィルタが登場して,拘束条件としては,それはそれで悪くないんですが,何か問題があってもいざとなれば引っ越せばいいし,いつでも引っ越せる状態にもなってるとは言え,グランドピアノ+防音室という大物があると,そう簡単にも行かないですし,リタイアすると家で過ごす時間が増えて,家の中で過ごせる体制を整えないといけないということもありますからね.

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 まあでも,何でも楽しんじゃえ的に言えば,いろいろ調べて行くのもそれなりに楽しいめるのかもしれませんね.具体的には,一軒家だと,寒いところなら高断熱,高気密の家がいいでしょうし,それは防音もそうだし,いざというときのことを考えると,エネルギーを自給できるとか,家の中で体を動かせるスペースを確保するとか,でも,あまり細々したところからやるとめんどくさいので,プロトタイプ的なものからちょちょっとオプション的に選べるものがないかとかいう感じですかね.

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 いや,考えてみたらとても重要なことかもしれません.

 今は,半径200mというか,帰って寝るだけとは言いませんが,多くの時間を研究室で過ごしているわけで,でもリタイアすれば,逆に家でほとんどの時間を過ごすわけで(家と仕事場と2つ借りるのはやはり非効率で現実的ではない),しかも,何とか自活できる状態を維持できれば,何十年という時間をそこで過ごすわけですし,快適に過ごせるところであること,そして,自活できる状態を維持するためにも,その環境は非常に重要で,それはURとかの賃貸よりは自由にカスタマイズできる持ち家の方が理想解に近づくでしょうし,リタイアに向けて「準備」して行くと再三書いてますし,そうしてるんですが,これもその一環と考えるべきということですね.

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 ということで,早速ちょっと調べ始めたんですが,ここ10年くらいマンション価格は右肩上がりなのに,戸建はほぼ横ばいというのはちょっと驚きました.これが何を意味するかですが,答えは明らかで,マンション価格がバブってるわけです.

 まあ,そんなことはどうでもいいのですが(マンションを買うことはないので),今すぐ買うわけではないので,戸建価格がこのまま値上がりしないで欲しいとは思うんですが,新型コロナで郊外志向とか,ちょっと変化がありそうなのは気になりますかね.

 でも,一方で資保で運用はしているので,戸建価格(≒土地価格)が上がれば,それ以上の資産上昇があるでしょうから,ちゃんとリスクヘッジできてるってことですかね.

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 ということで,どうやら(リタイア後に)家を買うことになりそうですが,そんなことならもっと早く家を買っておけば,無駄に家賃を払うこともなかったんじゃない?とはなりません.それは,何度も書いてますが,買うより借りた方が得だからです(なので,これからも本当は買いたくない).その上,つくば,京都時代は,格安の職員宿舎ですしね.

 具体的に言えば,何十年か前に家を買って,その時の土地価格が今と同じなら(上がってるのならそれは単に相場を張って勝ったということ),建物は老朽化して減価償却してる(何十年も経ってるなら資産価値0,あるいは,維持管理費が投入されてる)わけです,

 それにこれまで,東京→つくば→京都と大学を移ってきたわけで,もし,東京,あるいは,つくばで家を買っていたら大変なことになってたわけで,そういうこともあろうかと,ではないですが,話があったときに躊躇することなく大学を移れたわけですからね.

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[あっさりしている]
(大学)

 先日の教授会の後,この3月で定年で辞められる先生方の挨拶がありました.

 ちなみに,防災研の教授会ですが,30人以上という大人数で,毎回重要審議事項があるので原則全員出席ですし,今は新型コロナ対策で同じ方向を向いて座ってるんですが,前には所長,副所長という執行部の先生がこっち向いて座っていて,人事案件はiPadで電子投票で,筑波大構造エネルギー時代の10人くらいの懇談会(その名もまさに教授懇談会,なぜなら,教授会は意志決定機関ではなくなったから)とは大分雰囲気が違います.

 話を戻すと,定年で辞められる先生方は,専門は違うのですが,その分野の第一人者であるのは間違いなくて,でも,定年になるとこうして大学を去らないといけないわけで,これは,別に防災研に限った話ではなく,どこでもそうなんですが,雰囲気的にも去る者は追わずというか,あっさりしていて,何だかなあと思ってしまいます(でも,送り出す方としても,制度で決まっちゃってるのでどうしようもない).

 そして,私も○年後には,そういうことになるわけで,もうほんとぼやぼやしてる場合じゃないというか,そんな感じで放り出されてもへっちゃらになっておかないといけない,しっかり準備して行かないといけないと思いますね.

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[いよいよ]

 でも,こうしてみると,それこそ青山先生の最終講義とか退官記念行事以来,ずっと頭のどこかに引っかかって来た「定年」がいよいよ自分にも近づいて来たわけで,もちろん,そこまでは与えられた状況でしっかり仕事をしていく,学生が来てくれれば,全てに優先して彼らの面倒を見るのは当然ですが,私自身についても,そこに向けて,それ以降,楽しく気分よく過ごして行くための準備をしていかないと,と思いますね.

 そして,これまで何度か人生の節目(研究室に入ったときとか,就職したときとか,筑波大に移って自分の研究室をもったときとか,50になって実質人生が終わったと思ったときとか)があったんですが,これまでにない大きな節目というか,全てがひっくり返る(例えば,世の中の役に立つとか評価されることをよしとすることから,世の中の役に立たず評価もされないことを受け入れることに変わるとか)わけで,相当の覚悟というか準備が必要なんだと思います.

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[別荘]
(生活)

 家を建てることなったので(多分),どこにどういう家を建てるかを徹底的に研究して行くことになると思いますし,それはそれで楽しめるでしょう.

 まずは「どこに」ですが,これは既にかなり検討してきました.東京から1時間(+α)で,新幹線の各停しか停まらない駅から車で10分が穴場ということなんですが,熊谷や(籠原)や本庄早稲田や小山ならともかく,上毛高原とか佐久平とか上田はやり過ぎ?ってことなんですが,「別荘」と考えればありでしょう(それこそ軽井沢でも).そして,別荘で暮らしてたらそれが快適になって,本宅を引き払ったみたいな.

 「どういう家」については,これからですが(そっか,長年,建築設計製図Iで木造住宅の設計を教えてきたのでそれが結構役に立つかも(笑)),大きな家は必要なくて,でも,隣家と距離をとるために土地は広くて(あるいは,回りに何もないのなら狭くてもいい),できれば,平屋がいいですね.日当たりについては,トップライトがあったらいいなと思うんですが,どうなんでしょうか.あと,中庭もあったらいいなと思いますが,それだと大きな家になっちゃうか.

 必要な部屋は,いつもいるリビングと寝室というか寝るところが繋がってる部屋(両方合わせて12畳くらいで充分)とピアノを入れる部屋と物置部屋(どちらも6畳くらいでOK.物置部屋は荷物を減らせば2畳くらい,あるいはなくても行けるかも)に生活に必要な水回りが付いていればよくて(洗い物をするシンクは広い方がいい.バスタブも大きい方がいいと思っていたけど,前住んでたところは大きくて逆にお湯を溜めなかったので,今住んでるところよりほんの少し大きいくらいがいい.意外と重要なのは,脱衣所に洗濯物を干せるスペースがあることで,でも広すぎると除湿機が効かないのでそこそこの広さがいい),今住んでるところがその間取りですが(60平米弱),これにプラスして,天井が高い体を動かせる大きなスペース(20畳くらいか)があればいいですかね.そうすると,せいぜい80平米ってところで,坪単価(は平屋なら当然高くなる)50万なら1200万,100万なら2400万てとこですね(これを月5万ないし10万ずつ20年で減価償却ってことか).

 あとは土地代ですが,新幹線の各停しか停まらない駅から車で10分なら,相当広くても1000万なんか全然しませんが,考えてみたら,音の問題(自分が弾くピアノと隣家の生活音)で隣家と距離をとるために広い土地を買うくらいなら(持ち家なので)防音工事しちゃった方が全然安上がりでしょうし,選択肢も広がる(駅近もOKになる)ので,そっちの方が現実的ですかね.

 そうすると,平屋じゃなくてもよくて,2階建てで,2階がいつもいる部屋+水回りで,1階がそれ以外って感じですかね.あーでも,マンション(を借りて住むの)が快適なのは日当たりや保温性もありますが,「平屋」ってこともあって,そのくらいは拘ってもいいですかね.

 まあでも,建ぺい率60%の100平米くらいの土地に2階建てを建てて,2階をメインに生活する(そうすると,1階が防音室6畳と体を動かす部屋20畳と物置6畳で53平米,2階がいつもいる部屋12畳と水回り6畳で30平米)とすると,費用的には全部でせいぜい2〜3000万ってとこで,あとは,そこからどれだけお金をかけて(土地を広く取って平屋にするかとか)快適性を増すかということですかね.

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3/15'21
[家を買うのか]
(生活)

 でも,あと何年生きるかも,いつまで自活できるかもわからないのに(子供とか家を残してあげる人がいないというのは関係ないかな.実際,勝手に残されて困ってる人いっぱいいるし),リタイアしてから家を建てるというのもどうよって思いますよね.めんどくさいし,やっぱり,ずっと借りて住むのがいいかなあ.

 20年住めば何とかペイするとは思いますが,平均-σの70なら全然ですし,平均の80でもだめで,90くらいまで(生きるだけではなく)自活できないといけないってことになるわけで,ハードルは高いですね(でも,普通にちゃんとやってれば,そのくらい全然行ける気もするけど).

 そういう意味では,定年まで待たずにさっさと区切りをつけて,次の段階に行くということも考えられるのですが,こっちに来ちゃったし,さすがにそれはないですかね.あるいは,新幹線の各停しか停まらないところということなら米原とか,この近所とかならもう行動に移せる? でも,定年後,どうなるかもわからないし,さすがにそれもないですかね.

 でも,現金抱えて死んでもしょうがないわけですし,来るべき経済危機に備えるという意味で,最低限,住むところを確保しておくということはありますし,やはり,家にいることが多くなるので,より快適に過ごすためということでしょうか.

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 要は,外部環境次第ってことですかね.実際,大学を移った時も話があってそれに応えてということでしたからね.つまり,定年後もどういう話があるかはわからないわけで,私が必要とされて,それに応えられるのなら応えたいと思いますからね.

 そして,仕事をする以上は,より快適な環境で仕事をしたい,具体的には,職場のそばに住みたいと思いますから,私が社会から必要とされて話がある間は,家を買ったり,どこかに定住することはできないというか,そうする気もないということで,実際,これまでそうしてきましたし,それはこれからもそうということです.

 でも,発想を変えて?別荘ということならありかもしれませんし,新型コロナが収束してどうなるかはわかりませんが,オンライン主体ということになって行くのならありなのかもしれません.

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 他の人のことは関係ないのですが,実際のところは,多くの人は,家を買うわけですよね.もちろん,事情は人それぞれで,奥さんが専業主婦とかパートで家にいることが多いのなら,(まさにリタイア後の私と同様)多くの時間を過ごす家で快適に過ごしたいということで,家を買うことをせがまれるということもあるでしょうし,何となく家賃払うよりローン払った方が得と考える人もいるでしょうし(でもそれは違うんですけどね),見栄を張りたい人もいるでしょうし,条件に見合う物件が賃貸ではない場合もあるでしょうし,先祖代々の土地を守らないといけない場合とか,不動産市況の値上がりに賭けて投資する人とか,様々でしょう.

 でも言えるのは,そういう状況は,(定年で)仕事をやめると変わるということです.例えば,職場がつくばにあって,定年までずっとそこに勤めるし,つくばの街も気に入ってるし,リタイアした後もつくばに住もうと思って,家を買うというのはありな気がしますが,厳密に言えば,リタイアしたら職場はもう関係ないし,子供がいても彼らは巣立っていなくなって,そういう条件がはずれて,他にもっと住みやすい街や家があるかもしれないわけです.

 でも,この場合は,わざわざ家を売って,住み慣れた街を離れて違う街に住もうとは思わないわけですし,そういうことも見越して家を買ってるとも言えるわけです.でも,ずっとつくばにいるつもりだった,リタイア後もそうするつもりだったとしても,研究者でいい話が来たら行きたいと思うでしょうし(そういう場合は,だいたい単身赴任になる),リタイアしたら何か新しいことをやりたいと思って,例えば,それが何か事業を起こすことだったら,東京に住んだ方がいいってなるかもしれません.

 要は何が言いたいかというと,私の場合,やりたいことがやりたいし,それを妨げる要因は極力排除しておきたいし,やりたいことがあるのなら,どういう街に住むか,どういう家に住むかは大した問題ではないので,仕事なら職場の近くで雨露や暑さ寒さをしのげればいいというのは極端としても,グランドピアノ+防音室が入れられるそこそこの家があればいいってことですかね.

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 逆に言えば,社会からもうお前は必要ないと言われれば,ある意味,安心して家を買ってどこかに定住できるわけで,定年というのは,まさにそういうことなわけです.ですから,大学の定年でそういうことになれば,それはそれで問題ないんですが,そうならない可能性もあって,もちろん,どんな話が来ても断ればいいんですが,社会と繋がって研究して行けるのなら,断ることはないと思います.

 ですから,定年に向けていろいろ「準備」はして行きますが,それは目論見通りにならないかもしれなくて,でも,いつかは「もうお前は必要ない」という日は来るでしょう.でも,その日が先に延びれば延びるほど家を買ってもペイしなくなるわけで,でも,そんなことより,もっと大事なことがあるということでしょうか.

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 「別荘」ということになるのなら,逆に条件がかかってくるというか,具体的には,熊谷とか籠原とか小山ではなく,上毛高原とか軽井沢とか佐久平とか上田になってきたりするわけです.でも,別荘って,そもそも何なんでしょうね.

 起源的なものはよくわかりませんが,一つは避暑地ということで,標高が高い軽井沢(1000mくらい)がその代表的なものというのはそういうことでしょう(標高100mで0.6度気温が下がる).そういう意味では,佐久平は,かなり標高が高いですが(700mくらい),上毛高原や上田はそうでもありません(450mくらい).でも,その分,冬は寒いってことなんですが,私の場合,スキーをするので,それがメリットにもなるわけです.

 でも,スキーをやらないのなら(私も10年後はどうかわからない),冬はただ寒いだけ(笑)って感じですが,雪がそんなに降らないのなら(軽井沢の冬の晴天率は90%),家にいれば関係ないし(でも,高断熱+強力な暖房+家で体を動かせるスペースは必要かな),その分,夏は涼しいし,地球温暖化じゃないですが,北に移動するより,上に移動する方が効率的で,ありかもしれませんね.でも,冬水道管が凍るほどの寒さはやっぱしんどいかなあ.

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 非常に具体的なイメージというかありそうなこととしては,特にどこからも話がなくても,委員会とかの学外の仕事はちょこちょこあるとして,そういうものは東京開催ですから,週に1回くらいそういうことで東京に出て来るのなら,まさに別荘生活が始められる,そういう学外(大学をやめたら「学外」じゃないけど(笑))の仕事はそのうちなくなるとしてもそのままソフトランディングってことですね.

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 これって,ひょっとして単なるお金の問題なんですかね?

 具体的に言えば,もし仮に数十億という資産があったら,家を買うための数千万という出費は,資産全体の1/100,つまり,資産数千万の人にとっての数十万なわけで,資産数億としても1/10,つまり,資産数千万の人が数百万の新車を買うくらいの感覚ってことですよね.

 うーん,どうなんだろ? 運用している限りは,可能性は0ではないんですが,そんなもの,海の物とも山の物ともってことでしょうが,どのみち運用はして行くし,家を買うとしても定年後の話なんで,結果は気にせず,定年になったときどうなってるかってことですかね.

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[○○をやめる時は死ぬ時]

 ○○をやめる時は死ぬ時と言った人がいました(○○にはその人がやってる仕事がはいる).

 そうですね.それもありだとは思います.定年がない仕事もありますし,今やってる仕事に定年があるとしても,次の仕事を探して,体と脳が動き続ける限りは働き続ける,働けなくなるときは,体と脳が動かなくなった時,即ち,死ぬ時,そこまで行かなくても寝たきりになるとか,病院とか施設に入るときってことですかね.

 問題は○○がそこまでやりたいというかやる価値があるというかしがみつく価値があるのかってことですかね.でも,怠け者で自堕落に生きて行きたい私には無理かなあ.

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[キャッシュフローがあるか]

 そっか,お金の問題というか,資産がいくらあるかってことより,(月20万の)キャッシュフローがあるかってことですよね.

 今の私は仕事をしていて,正直,お金のこととかどういう家に住むかとかほとんど考えないのですが,それはやりたいことを仕事にしたので,金を稼ぐために働いてるという感覚がないということが大きいのですが,実際のところは,仕事をしてキャッシュフローがあるわけで,でも(定年で)仕事をやめれば,そこが全然違うわけです.年金はもらえるとしても(多分一人頭)20万には届かないと思いますし,将来的に年金自体どうなるかわからないわけですからね.

 死ぬまで働けっていうのは,そういうこともあるわけで,でも,どんな仕事でもってことなら仕事はあるでしょうが,やり甲斐というか,自分にしかできない仕事をしたいと思いますが,それは誰でもそうで,でも,現実には,全然そんなわけには行かないわけで,非常にシビアというか,そういうことが如実に試されるってことですかね.

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[あと○年と○年前]

 定年まであと○年ということで,でも○年という時間の長さの感覚がよくわからないので,そうだ,○年前のこのサイトの記事を読んでみようと思って読んでみたんですが,意外と前のような感じがして,つまり,○年って結構長いのかもと思いました(よかったです).

 で,つらつら周辺の記事を読んだんですが,そこから更にリンクを辿ると何者でもなかった高校時代というところに行き着いて,よくここまで来られたもんだと思うと同時にここまでしか来られなかったということにもリンクが貼ってあって,前者(内的なこと)については,最近もよく書いていますが,後者(外的なこと)については,当時からすると,起こりえないことが起こったんでしょうが,ちゃんと評価してもらえたとも言えるし,やっぱり,ちょっと不思議な感じです.

 でも,その記事でも書いていますが,そういうことは大したことじゃないというか,誰かがなるものですから,重要なのは,やはり,前者で,そういう意味では,私にしか解明できないことはゴロゴロあると思うので,まだまだ研究して行かないとと思いますね.

 あとは,記事にも出てきたんですが,もし官僚になっていたらどうなってたかなとは思いました.ていうか,考えるまでもなく,激烈な競争の中で(受験のように)全然大したことにはなってないと思うわけで,やっぱり,よくここまで来られたというか,ラッキーだったと思いますね.

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3/16'21
死ぬまで働く

 うーん,何がきっかけか,きっかけなんかあったのかさえ忘れてしまいましたが,今の心境としては「死ぬまで働く」ことに急速に傾いています.もう実質人生終わってるんやし,定年で大学をクビになったらめんどくさい仕事から解放され,世の中から必要とされないことを潔く受け入れて,私本来の怠け者全開?で自堕落にやりたいときにやりたいことやって生きて行くのも悪くないと思っていたんですけどね.

 何かわからないけど,そう考えた方が元気が出る感じで,結局,人間って社会的動物というか,私もそういうことを超越できない平凡な人間というか,まだまだ精神修養が足らないってことなんですかね.

 でも,仕事と言ってもいろいろで,社会と繋がっていれば,対価に拘る必要はないと思いますが,資産ではなく「月20万のキャッシュフロー」は確保したいとは思いました.

 これは結構大きな転換で,対価なんかより自分にしかできないことだとは思いますが,自分にしかできないこと,例えば,大学を定年でクビになった後の研究に対価が発生するとは限らず,というか,研究には対価は発生しないでしょう.もし,発生するとしても,例えば,大学での研究活動を通した学生指導のような「それに関係すること」で,具体的には,例えば,コンサルとか企業の顧問とか委員会の委員とかですかね(大学もありうるか).

 でも,こればっかりは,話がなければ話になりません.これまでは,社会から必要とされなくても大丈夫なように準備をして行くということだったんですが,社会から必要とされるように「も」準備して行くという「両にらみ」になるということですかね.

 そうすると,いろいろ学外の仕事をしてそういう繋がりを作っておくということなんでしょうが,うーん,どうなんでしょうか.一番重要なのは,しっかり研究して行って,それを通して,構造物の地震被害という物理の本質に対して知見を深め,洞察力や判断力を磨いて,それを還元できる能力やバランス感覚をもつってことですよね.

 「自分の中」だけで内的に高まっていても,それは外からはわからないので,情報発信は必要ですが,それはこれまでもやってきましたし,これからもやって行くので,別段何か新しい準備をしないといけないということはありません.

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 でも,それでも話があるかどうかは他力本願ですし,話があったとしても,受けられないものもあるでしょうから,それでも大丈夫なようにという(これまでの)準備もして行く必要があります.それは,定年前後関係なく(これまでやってきたことの再発見も含めて)「やること探し」だったんですが,「月20万のキャッシュフロー」を得るには,やりたけりゃ何でもいいというわけには行きません.

 道は2つあって,1つは,私の専門を活かして自分でコンサルとか研究所を立ち上げるってことで,これは,既に何度か考えてこのサイトにも書きました.でも,その目的は,大学を定年でクビになっても研究を続けて行くことだったんですが,それだけではなく,ある程度稼ぐことも目的として加わったってことでしょうか.

 でも,これについては,大学をやめてから準備を始めても,何年かかかるとしてもその間くらいは食いつなげるでしょうから,大丈夫な気がしますし,そもそも,そんな「箱」なんかなくても,個人事業主として,仕事を請け合えばいいんだと思います.

 そうすると,まさに一人でも研究して行ける体制にするというのがその準備ということになりますね(もちろん,大学にいる間は,学生が来てくれたら,彼らを成長させながらいっしょに楽しく研究して行きますが,学生が来るかどうかも他力本願).そもそも,外からの仕事を請け合う以前に,自分がやりたいこと,やるべきこととして,一人でも研究を続けて行けるということで,研究テーマがフィルタリングされるんですが,更に「稼げる」というフィルタもかかってくるということでしょうか.

 そんなものあるん?と言う人も多いでしょうが,いろいろあると思います.むしろ,そういうフィルタがかかった方がやることが絞り込みやすい気がしますし,そういうことをアイデアからどう具現化するかも含めて考えて行くことも楽しめるんじゃないですかね.

 もう1つの道は,研究と全く違うことで稼ぐということでしょうか.すぐに思いつくのは運保ですね.私がやってることは,単なる小遣い稼ぎや運用ではなく,世の中や経済の動きについて,世の専門家の言うこととは異なる考えをもってやっていて,もちろん,うまく行くとは限りませんが,自分の考えや数理モデルが正しいことを証明したいという自己実現的なこともあって,どのみちやって行くわけですから,これも別に何か準備が必要というわけではありません.

 どっちの道にしても,実際に稼げるかどうかはわかりませんが,稼げるように何とかしようとするってことでしょうし,それが商売ってものですし,少なくとも,大いなる退屈しのぎにはなるでしょう.

 全く新しいことを始めるのも面白いかもしれませんが,これは相当の準備が必要です.あるいは,誰でもできるけど世の中に必要な時給1000円の仕事も悪くないかもしれません(でも,怠け者の私には無理か).そこまでじゃなくても,ホッファーにとっての沖仲仕のような(自分にとって)バランスのとれた仕事を探すのもいいかもしれません.

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 そういう「仕事」で稼いだ上で,研究も含めて,金にならなくてもほんとにやりたいこと(いろいろ考えてこのサイトの文章を書くこととか,ピアノとか,バドミントンとか,スキーとか,ゴルフとか.相場研究も本来的にはここ)もあるわけですし(これらの中に稼げるアイデアがないでもないですが,これらでは稼ぎたくないですかね),更には,生活して行く上でやらないといけないこととか,体や脳の管理とかもありますから,大学を定年でクビになっても,まあ何とかなりますかね.

 とは言え,怠け者の私が急に勤勉になるはずもなく,できる範囲でできることというか,その気になったときにやりたいことをやるという感じでやって行けたらと思いますし,それは,定年で大学をクビになった後の方がやりやすいとは思いますが,月20万のキャッシュフローを稼ぐのは簡単なことではないわけで,定年前後に関わらず,そのくらいはしっかり働かせていただきますってことですかね.

 まあでも,定年後も月20万のキャッシュフローを稼がないといけないと考えると,私の場合,だめなので(実際のところは,やりたくないことはやりたくないし,やりたいことやりながら何とか食べて行ければそれでいいわけですし),引き受け仕事も含めて,いろんな仕事や仕事以外のことも含めて,その気になることをやっていたら結果的にそうなるってのがいいんですが,そのための体制作りというか準備をして行くってことでしょうか.

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 でも,いろいろ考えるんですが,(ほんとは働かなくてもいいのに)死ぬまで働かなければならないってことはないと考えると,今度はしんどくもなってくるわけで,そうすると,人生所詮退屈しのぎなんだから,別にどうでもいいじゃんと考えると,逆にほっとするわけで,何ともいたしかえしなんですが,「活動と休息」ではないですが,うまくバランスをとってやって行ければってことですね.

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3/17'21
やらないといけない理由のプライオリティー

 何らかの形で社会との繋がりが必要なので死ぬまで働くってことなんですが,なんか違うような気がしてきました(二転三転).

 社会との繋がりじゃなくて,やらないといけないことが必要なんじゃないですかね?

 働かないといけないのは,食べていかないといけないからで,まさにやらないといけないことなわけで,でも,実際は,例えば,リタイアして年金や充分な資産があれば,そうではないわけで,もちろん,いくら資産があっても「月20万のキャッシュフロー」には勝てないのですが,経済危機でも起きない限り(でも起こると思いますけどね),リタイアして莫大な資産があるのに(私のことではないですよ)月20万のキャッシュフローを得るためにしこしこ働く人はそうそういないと思います.

 じゃあ,私はなぜ今働いているかですが,研究をするため,学生が研究室に来てくれる以上は,彼らの研究指導をして成長させて論文を書かせて社会に送り出さないといけないから,大学という組織にいる以上,しっかり応分の役割を果たさないといけないからでしょう.

 でも,大学を定年でクビになれば,そういう「やらないといけないこと」がなくなってしまいます.もちろん,「やらないといけないこと」がなくても「やりたいこと」があればいいんでしょうが,例えば,研究して行きたい,ピアノの練習をして行きたい,バドミントンやスキーやゴルフをやって行きたいと思ったとしても,やらないといけないわけじゃないから,めんどくさいしまあいいやと思っちゃったら終わりです.

 どうしましょう?

 論理的には,「やらないといけないこと」を作る,「やらないといけないこと」にするということになります.例えば,敢えて稼いだら散財して宵越しの金はもたないようにしていると言ってる人もいました.でも,少なくとも私は,要らないものは要らないし,そんなことしてたら体を壊すだろし,病気になって苦しい思いをするのは嫌ですかね(これはまた後から出てくることの前振り).

 私が既にやってることとしては,生活の質の向上とか,身の回りのことを自分でやるってことなんですが,これは(一人暮らしなのなら)やらないといけないことですし,気分もいいので,「やらないといけないこと」としては結構いいです.いろいろ考えてこのサイトに文章を書くことや運保も(今のところは)単純にやりたいことなので(運保については,「月20万のキャッシュフロー」というか,経済的な効用の可能性もあるので)やって行くと思います.でも,リタイアしたらこれだけでは埋まらないでしょう.

 問題は,(めんどくさいけど一応は)やりたいこと,ピアノとかバドミントンとかスキーとかゴルフとかですね.ピアノの腕が落ちるから,バドミントンが弱くなるから,スキーが下手になるからやらないといけない,というのも考えられるのですが,ピアノなんかうまくならなくていいし,バドミントンも弱くなっても,スキーも下手になっても,まあいいやと思っちゃったら終わりですからね.研究も大学をやめて「やらないといけない」わけじゃなくなったら,どうなるかわからないというか,実際,多くの人がやめちゃうわけですからね.

 で,思ったのは,例えば,体を動かすことは,体の管理に必要なことですから,「「やらないといけないこと」にする」ことができるんじゃないかということです.例えば,バドミントンとかスキーとかゴルフに行くのは,正直,めんどくさいんですが,週に何回かしっかり体を動かして,体が動く状態を維持するのに「やらないといけない」と思うと(ただし,歳をとると大きな負荷をかけないことも必要),少なくともやる理由が一つ加わることになります.

 もちろん,バドミントンとかスキーとかゴルフとかまどろっこしいことしないで,走るとかジムに行くとかトレーニングするとかしてもいいんでしょうが,そんなことするよりバドミントンとかスキーとかゴルフした方が(少しは)楽しいわけで,そういうことを利用するってことですかね(具体的には,行くのがめんどくさいなあと思ったら,体を動く状態を維持するのにも必要なことで,トレーニング的なことするよりはまだ楽しいと思うようにするってこと).

 私が憶えていることとして,父のことがあって,彼は,体を壊して48で亡くなったんですが,亡くなった時だったか,彼の友人の一人(誰だったかは憶えていない)が,(父はよく登山をしていたんですが)山に登らなくなって体を壊したよね,とおっしゃってたんですよね.

 仕事が忙しくなって,あるいは,山に登るより仕事をしてた方が楽しくなって,そうなったのか,山に登らなくなったから体調を崩したのか,体調を崩したから山に登らなくなったかはわかりませんが,少なくとも,山に登っていれば,体調を崩していないことになるというか,とにかく山に登ることは,体を維持するために「やらないといけない」ことにしておけば,山に登るために体調管理もするでしょうし,そういうこともあると思うんですよね.

 ここまで来ると,だんだん見えてくるんですが,要は,「やらないといけない」理由のプライオリティーってことなんじゃないですかね?

 まず最初は,生きて行かないといけない,そのために働かないといけないわけです.それを(リタイアして)「卒業」したとき,次に来る大事なものは何かということです.

 もちろん,人それぞれなので,各自が考えればいいと思いますが,私の場合,上で書いたように,病気になって苦しんだり,体が動かなくなって要介護になったりするのは,避けたいです.そうすると,バドミントンとかスキーとかゴルフをやるのに,そういう理由が加わることになります(ただし,歳をとったらあまり負荷をかけずに).

 そして,体が動かなくなる以上に重要なのは,脳力ですよね(平たく言えば,ボケ防止).体が動かなくなって車椅子になっても脳力が維持されれば,尊厳が保たれるというか,何とかやって行ける気がします(でも,体と脳は,密接に繋がっていて,体が動かなくなって車椅子になると脳も衰えやすいとされているので,両方重要).

 これは何がいいでしょうか? 脳トレとかパズルとか? ゲームなんかもいいのかもしれませんし,どこかで書きましたが,クイズ番組が増えてきたのはそういう背景があるんだと思います.

 でも,私の場合は,とにかく「考えること」ですかね.つまり,いろいろ考えてこのサイトに文章を書くこともそうですし,日々の経済の流れを見て相場を張るのもそうです.

 そして,何と言っても,やっぱり,研究ですかね(でも,ボケ防止に研究する(笑)?).今は学生と研究打ち合わせをしていて,その場でいろいろ考えるんですが,非常に高いレベルで脳が動いているのが手に取るようにわかります.でも,大学をやめるとそれもできなくなるのですが,一人でもできることを続けて行くことはできるでしょう(委員会とかに出て,話をきいて理解して,いろいろ問題点を指摘したりどうやったらいいかを提案したりするのもある程度はできる).

 結構いいんじゃないかと思うのは,プログラミングですね.これは,一人でしこしこ研究して行くのに必要なので,必然的にやることになると思います.そっか,ピアノも非常に高いレベルの脳トレですね(指も動かすし).そっか,指を動かすという意味では,このサイトに文章を書くのもキーボードを高速で叩いていて,キーカスタマイズしたショートカットキーもそうですが,AとかSとかEのあたりとか,ピアノで言う左の345なので,かなり技巧的(笑)です.

 つまりは,脳トレ体操とか,そんなレベルじゃなくて,最先端の研究というか,そういうレベルであることが重要で,スポーツというか運動は,レベルが高すぎると,却って体を痛めてしまいますが,考えることは,レベルが高くても問題ないというか,その方が明らかに脳が動いている(血流がものすごいことになってる)実感がありますし,そもそも,ボケ防止とかではなく,そういう非常に高いレベルで知的活動をすることに大きな価値があるということです.

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3/18'21
[やらないといけない対象がやりたいことではなく]

 書きながら考えているので,だらだらと長い文章になっていますが(つまり,読んでもらうためというよりは,自分の考えをまとめるために書いています(すみません)),結局は,当人が何をやりたいと思うのかもありますが,何をやらないといけないと思うのかってことが大きいんだと思います.

 やりたいことというのは,何度も書いているように,そのメカニズムがよくわからないし(多分,単なる好き嫌いなのでどうしようもない),何より安定性がなく持続性もありません(少なくとも私は).ゴルフに興味をもってそこそこ練習したときもあったけど,しばらくしたら飽きるとか,昨日はピアノを弾きたいと思ったけど,今日は弾きたくないとか.

 でも,やらないといけないことは,割と安定してることに気づいたということでしょうか.昨日はピアノを弾きたいと思ったけど,今日は弾きたくないけど,ピアノがうまくなりたいなら,今日も頑張って弾かないといけないでは,ピアノなんかうまくならなくてもいいやと思ってしまえば,そこで終わりというのは,昨日書いた通りで,つまり,やらないといけない対象がやりたいことではだめということでしょうか(私の場合は).

 じゃあ,その対象は何かということで,もっとプリミティブなもの,具体的には,生きていかないといけないとか,病気とか体を壊したりして苦しい思いをしたくないとか,歳をとっても普通に日常生活を送れるように体も脳もしっかり機能する状態を維持したい(けど,そのためにストイックなことはしたくない)とかでしょうか(世の中の役に立つことをするとか,社会の中で役割を果たすということもあるとは思うのですが,定年でクビになって,お前はもう要らないと言われれば,どうしようもないわけですからね).

 逆に言えば,ピアノがうまくなりたいとか,普通に生活できて一日中手仕事的なことをして過ごせればいいと安定的に思えれば無敵で,羨ましくすらありますが,もっと言えば,金儲けがしたいとか,リタイアしたら旅行とか好きなことして過ごしていくとか,だらだら何をするでもなく楽して生きていきたいとか,何の疑問もなく思えれば,本人的にはそれでOKなんでしょうが,そこまで来るとまさに素養の問題で,私の場合は,そうは思えないということでしょうか(でも,だらだら何をするでもなく楽して生きていきたいの誘惑は大きいかな).

 私の場合に話を戻すと,やらないといけない対象として,歳をとっても普通に日常生活を送れるように体も脳もしっかり機能する状態を維持したいってことなんですが,ほんとはそんなことでは全然物足りなくて,非常に高いレベルで知的活動はして行きたいというのはありますし,体だって,人並くらいでは,というのはありますかね.

 ただ,この辺になると,やらないといけない対象がやりたいことかそうでないかの境目がだんだんなくなってくるんですが(非常に高いレベルで知的活動はして行き「たい」なので),これは,言葉の問題かもしれませんが,問題の本質は,安定しているかどうかなので,安定しているのであればOKと言えるかもしれません.

 とは言え,やらないといけないことだけでは(特に私の場合は)しんどいので,やりたいことをやるを中心にやって行きたいし,そうやって来たんですが,そういうものがちょっと揺らいだ時に「プリミティブな」やらないといけない理由を後押し的に付加する感じですかね.

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[奥伊吹]
(スキー)

 スキーですが,びわ湖バレイが(もう大分前に)クワッド下のコースも閉まってしまい,タラタラのコースが4つだけ開いてるだけという惨状で,1時間で行けるってことだったんですが,雪があるのは短い期間というか,今シーズンは,当初は雪はあったんですが,その後,暖かくて急速に雪がなくなったみたいです.

 いずれにせよ,このままでは,2日日帰りでびわ湖バレイに行っただけでシーズン終了となってしまうので,福島沖の被害調査が日曜にかかっていて代休をとってくださいということもあり(出張でそんなこと言われたの初めて),京都の近くにあるもう1つのまともなスキー場ということで,奥伊吹に先日行ってきました.

 時間的には車で1時間半で,家のすぐ近くが高速の入口(なのは便利)で,高速で米原まで50分,そこから下道を40分なんですが,びわ湖バレイの1時間に慣れるとちょっと遠く感じますね.今から考えると,つくばから那須塩原とか越後湯沢に3時間かけて行ってたのが信じられない感じで,またハードルが上がった?

 もう完全に春スキーで,土が出て閉まってるコースも多くて,3月下旬〜4月上旬のイメージで,中級レベルのコースが数本開いてて何とかなった感じでしょうか.でも,上級コース(46度!の斜面もあるらしい)も含めて全部開けばそこそこ大きくて楽しめると思います.

 

 世界最高速リフトというのもあって,確かに今まで乗ったリフトの中で一番速いと思ったんですが,その下のコースがタラタラなので,上への連絡リフトみたいなもんですかね.でも,急斜面が多い上の方は空いてる感じで,このスキー場,休日の混雑はすごいらしいですが,上の方はそうでもないのかもしれません(ハンターもそんな感じ).

 春スキーは,しっかりスキーを踏まないといけないので技術の差が出るというか,練習になるし,コブ斜面もがんがん攻められるので嫌いじゃないんですが,開いてるコースが限られるのがちょっと..

 こんな感じなので,今シーズンは,これで終わりですかね.なんとたった3日ってことなんですが,もうずっとこんな感じです.でもまあ,こっちに移って来て,びわ湖バレイと奥伊吹に何とか行くことができて,京都のスキー事情が悪くないことを確認したんですが,事実上この2つだけなので,やっぱ繋ぎ的な感じ?

 でも,シーズン3日じゃあいくら何でもなので,もっと行きたいですね(と毎年書いてる気がするが).有給休暇は20日ありますし(しかも,未消化分は翌年に繰り越しなので最大40日),そのうち何日かは取得mustらしく,せめて20日の〇割はという目標?を立てたこともあったんですが,目標達成には程遠いです.

 やっぱり,仕事とか天気とか,そもそも行く気になるかという条件が揃う日が非常に限られるのが大きいですが,行く気になるかについては,こういうことも後押しというか,実際,先日,奥伊吹に行く時,正直,めんどくさいと思ったんですが,定期的にスキーに行くくらい体を動かさないと,と思うと行くことができた,もっと具体的には,滑ってて,こんなことやってどうすんだ?と思いかけても,体を動かして体の健全性を維持向上させることにも寄与している,走ったりするより技術的なこともあって内的熟達的要素も大きいと考えて意味を見出せたということがあります.

 ちなみに,途中通った(新幹線の駅まで車で10分くらいの)米原の街のはずれですが,将来,ここに住むとしても全然ありという感じで,どこに住むかはあまり関係ないというか,やりたいこと,やらないといけないことも含めて,やることがあるのかってことなんだと思います.

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[高いレベルで知的活動]

 やらないといけない対象が,やりたいことではなく,もっとプリミティブなことということで,まずは生きて行くこと,生活して行くこと,そして,体と脳の健全性を維持向上させるってことで,この辺までは,割と万人共通に近いと思うのですが,更に私の場合,どうかと言うと,やはり,高いレベルで知的活動をして行きたいってことなのかもしれません.

 多くの人が求める,お金とか社会的地位とか評価とかには,そんなに興味がない一方で,高いレベルで知的活動をすることに対する拘り(正しくない使い方)は強いと思います.要は,見栄と言うか形的なものより実質的中身ということでしょうか(そして,仕事をリタイアすれば,多少のお金は残っても,それ以外のものは残らない).

 ただ,そういうことを内的にやって行くだけではなくて,何らかの形でアウトプットしたいとは思っていて,それは,研究なら論文という形でなくてもよくて,そういう意味では,研究室のページも含めたこのサイトの存在意義はやはり大きいと思います.

 「一人,時々,みんな」で,実際に顔を合わせるのは,「時々」でいいというのも,このサイトに文章を書いているときは,勝手にこっちから人との繋がりを感じているということも大きいというのも何度も書いた通りです(でも,私はそうやって,勝手に繋がりを感じてるんですが,逆に,このサイトを読んでくれている人は,どうなんですかね?).

 そういう意味では,このサイトで書けば,ある一定数の知的レベルが高い人が読んでくれて私が言いたいことをわかってくれる,私の知的活動の痕跡を残しておけば,いつか誰かがそれに気づいてくれるというか,そういう意味では,やっぱり,世の中を捨てたもんじゃないはずというか,(ある程度)信用しているのかもしれませんね.

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 「そして,仕事をリタイアすれば,多少のお金は残っても,それ以外のものは残らない」と書きましたが,そうでないものとして,人間関係はありますね.

 と言っても,ただ仕事をするだけの人間関係なら,これもリタイアすれば終わりですが,そうでない人間関係は残るでしょうし,そういうものがほんとに重要な人間関係ってことでしょうね.

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[みっともない]

 いろいろ考えるんですが,「ほんとの卒業」というか,「次がない」という今まで起こったことがないことが起ころうとしているわけで(やらないといけないことがなくなるかもしれないというのもそう),もう大丈夫な気もするけど,全然だめな気もする.実際,いろいろやりたいことがあると思う一方で,やりたいことなんか何もない気もしてくる.

 準備すると言えばきこえはいいですが,全く以てみっともない話ですね.

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[無添加の惣菜]
(生活)

 こっちに来てからの食事ですが,生活クラブの食材での自炊(と言っても,冷凍した主食系を解凍して,たんぱく質や野菜系などを自分で作って栄養のバランスを整える)がメインで,時々,肉を買ってきて焼いたり,学食に行ったりという感じなのですが,今週から学食の夜メニューがなぜか定食のみ(3つくらいから選ぶ)になったりして,時々,出来合いの惣菜とか使いたいなと思うようになりました.

 帰り道にあるいつも使ってるスーパーに惣菜は結構置いてあるのですが,どれも添加物まみれです(なので,ここで買うのは,牛乳と肉と野菜とチーズと無添加トマトジュースくらい).ここにいる間はしょうがないとしても,将来的に無添加の惣菜が置いてあるスーパーが近くにあるところに住むというのもフィルタの一つになり得るかもと考えました.

 それで,調べてみると,成城石井の惣菜って無添加ということを売りにしてるみたいですね.でも,成城石井って都会にあるってイメージです.調べてみるとやはりそうで,長野にはなくて,群馬には,高崎だけ,埼玉も大宮以南で,高崎線沿線にはないですね.京都にはあるんですが,一番近いところでも電車で数駅という距離です.

 でも,添加物を使わずに惣菜を出してるところは,成城石井だけじゃないでしょうし,それこそ,地元のスーパーみたいなところを探していけばあると思いますが,探すのは大変そうですね.

 と,ここで,近所にもう一軒スーパーがあることを思い出しました.下見のときに行ったんですが,惣菜も置いてあって無添加に近かったと思います.でも,線路の向こうなので,行くのがちょっとめんどうって...半径200m以内ですね.そのくらい行けってか(笑).

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3/19'21
原点に戻って

 原点に戻って考えれば,哲学的には人生所詮退屈しのぎなわけで,でも,どうせ生きて行くのなら楽しく気分よくということなんですが,でも,楽しく気分よくということに拘り過ぎるとしんどくもなるので,単純に生きて行くということでもいいんだと思います.

 つまり,楽しく気分よく生きて行かないといけないってことも,ましてや高いレベルで知的活動しないといけないということもないし,プリミティブなところ,例えば,体と脳の健全性を維持するようにくらいでも充分で,そういう中でやりたいことがあればやればいいし,私が社会から,あるいは,誰かから必要とされるのならできる範囲でそれに応えるということでいいんだと思います.

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[地元で大人気]
(生活, 世の中)

 添加物を使わずに惣菜を出してる地元のスーパーとかがあればと書いていたら,今週のKンブリア宮殿は,湘南にある地元密着スーパーでした.コストをかけてもいいものを提供して地元で大人気で,お弁当や惣菜がおいしくて,○年連続でコンテストで賞をもらってるとのことです.でも...

 その弁当がアップになって成分表を見ると...香料をはじめとした添加物のオンパレードでした.そんなもんですよね(おいしいと安全は違う).つまり,実際に行って確かめないといけないわけです.

 あと,スーパーなら成分表を貼ってあるのでわかりますが,惣菜屋さんみたいなのだとわからないかもしれません.やっぱり,自分で作るのが一番安全か.

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3/20'21
[めんどくさい]

 昨日,線路の向こうのスーパーに行ってみました.あまり時間がなかったこともありますが,帰り道にあるスーパーにはサニーレタスしかないけど,グリーンリーフも置いてあるとか,惣菜や弁当もざっと見た感じでは,自家製で添加物は使われなかったとかはありましたが,惣菜もそんなに種類があるわけじゃなくて,思ったほどじゃなかったです.でも,時間があるときにもう一度行ってみますかね.

 でも,ほんのちょっと歩いて行くだけですが,めんどくさいっちゃあめんどくさいわけで,こんなことなら生活クラブの食材で自分で作った方が楽なら(体と脳の健全を維持するというプリミティブな条件は満たすので)それでもいいわけです.

 そういう意味では,バドミントンとかスキーとかゴルフに行くのがめんどくさい,そんなことするくらいなら,家の中でしっかり体を動かした方が楽だと思うのなら(体と脳の健全を維持するというプリミティブな条件は満たすので)それでもいいっちゃあいいわけです.

 でも,現状,家の中でしっかり体を動かせる環境にはないし,それはそれでめんどくさいし,バドミントンとかスキーには,こうしたら競技力が上がるんじゃないかということを試して検証したいということもあるので,当面は続けると思います.

 ゴルフは,こっちに来て,いっしょにコースに出る人もいないし,近くに練習場はあるのですが,入場料とかがあって時間制で,つくばのときみたいに30分くらい行って50球だけ打ってくるみたいに手軽でもないので,まだ一度も行ってませんが,バドミントンのときもそうでしたが,その気になったら行ってみます(その気にならなかったら行かないってこと).

 こんな感じで,(体と脳の健全を維持するというプリミティブな条件を満たせば)めんどくさいことはやらなくてもいいんでしょう.そんなことだと,どんどん退屈になってしまうってことなんでしょうが,今は仕事もあるし,研究とか考えることとか,やりたいことはあるわけで,定年で仕事がなくなっても,やらないといけないこと,やりたいこと,その気になることはやるでしょうし,それでも時間が余ったら,よりめんどくさくないことで退屈しのぎをすればいい,具体的には,練習に行く時間になってめんどくさいと思ったら,じゃあ,その時間,他に何するの?と考えて,練習よりやりたいことがあって,体の健全を維持できるのなら,練習に行くのをやめればいいわけですし,そうでないのなら,練習に行けばいいわけで,それは,今も既にそんな感じです.

 こんなことを書くと,何とも自堕落ということなんでしょうが,今までもずっとそんな感じでやってきて,それなりに結果も出てというか,自分の中では充分満足できる人生を送って来られたので,それが性に合ってるというか,そういう生き方しかできないんでしょうから,しょうがないですね.

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(相撲)

 相撲やってるんですが,あんまり面白くないですね.白鵬が休場して,また横綱不在になって,と言っても,白鵬の相撲が見たいわけじゃなくて,彼が負けるところというか,どういう引き際になるかということですかね.大関3人についても,ここから誰かが抜け出して横綱にという感じじゃないし,若手で勢いがあるのもいないし(琴勝峰にはちょっと期待したけどまだまだで,しかも,今場所休場しちゃったし),炎鵬とか宇良とか技を見せる力士もいなくなったし,先場所の大栄翔のように頑張ってる力士がいるわけでもないし,敢えて言えば,照ノ富士が大関に戻れるかくらいですが,まあこれは大丈夫だと思いますが,今場所は以前の脇が甘くてさされて強引に振り回す相撲が多いのが気になりますね(また怪我するよ).

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[理想の老後?]

 相撲と言えば,(元)北の富士が時々解説してるんですが,彼もう78なんですね.まだまだ元気で,話がちょっと面白いのか(でも実際は解説というよりは感想みたいなもんだと思いますけど),相撲関係の仕事もまだまだあって,こういうのが理想の老後ってことなんですかね?

 彼の現役時代のことは,どこかで書いたと思いますが,私が相撲を見始めた小学校低学年の頃は,大鵬の最後のあたりで,彼が引退したとき,確か横綱が北の富士だけになって,友人たちと北の富士で大丈夫かよと言い合っていて,その後,輪島や北の湖が出て来るんですが,それまでの繋ぎ的というか,要は,横綱だったけど,そんなに大したことない感じでした(ごめんなさい).

 でも,今になってみると,大鵬も北の湖も輪島も千代の富士も亡くなってしまいましたし,彼だけが生き残って,しかも,まだ社会と繋がりをもって,体と脳も(一応?)健全で,どっちが人生の勝者?とかいうのはともかく,少なくとも今は(多分)それなりに楽しく過ごしているわけですよね.

 でも,相撲取りなら,やっぱり,現役時代の実績が一番でしょうし,それは,北の富士もよくわかってるんだと思います.このサイトで,第一の人生と第二の人生は二律背反(現役時代にうまく行くと老後がうまく行かない.逆も然り)ということを何度か書きましたが,まさにそういうことかもしれません(でも一応?横綱まではなったわけですし,ほんとに強い時もあって,全勝優勝したこともあった).

 でも,個人的には,そこを何とかしたいと思って,いろいろ考えたり,準備?をしたりしているんですが,結局は原点に戻るというか,生き方を変えることは難しくて,つまりは,人生を通して通用する生き方をすることで,そういう意味では,割と(結果的に)そうなって来てる感じもしてるというか,最初から(成功を是とせず,やりたいことをやるという)第二の人生的な生き方をしてきたわけで,それで,ここまで何とかなったのがラッキーだった(結構危ない橋を渡って来た)ということでしょう.

 でも,逆に言えば,これまでは何とかなった反面,これからが心配ってことですが,原理的には,これまでの生き方は,第二の人生の方に適合してるはずで,でも,意外とわからないので注意しないといけないんですが,どのみち,生き方は変えられないので,どうしようもないですかね.

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[実はすごいシンプル]

 でも,北の富士だって,いつ声がかからなくなるかわからないわけですし,究極的には,やはり「一人でも大丈夫」が無敵だと思うんですよね.そんなの無理って思う人が多いと思うんですが,そんなこともないというか,実は,すごいシンプルで,たった一つでもそれさえやってれば楽しいものがあればいいわけです.

 そして,今の世の中,そういうものは枚挙にいとまなくて,例えば,本を読む,音楽を聴く,映画を見る,テレビやインターネットを見る,ゲームをする,何かの勉強をするといったそんなにお金も労力もかからないインプット的なものはいくらでもありますし,アウトプット的なものとしても,研究,(一人でもできる)芸術やスポーツ,少しお金があれば旅行とかいう感じで,たった一つでなくても,いくつかあってもいいでしょう.

 そういうものがあれば,家もほんとはどうでもいいはずで,音楽なら防音室(外のスタジオとかカラオケボックスでもOK?),美術なら作業部屋とかがあればよくて,後は,日常生活に必要な水回りと寝るスペースと食事やテレビやインターネットが見られる机と椅子があればいいわけで,体の健全性を維持するのに必要な体を動かすスペースだって,トレーニング的なものであれば2畳あれば行けると思います.

 私の場合だと,日常生活に必要な水回りが6畳,寝るスペースが2畳,収納が2畳,防音室が6畳,食事をしたり,テレビやインターネットを見たり,パソコンで作業したり,体を動かしたりする6畳の部屋があればいいわけで,合計で40平米にもなりませんし,防音室がなければ,それこそワンルームとか1LDKでも行けるでしょう.

 でも,リタイア後は,一日の多くを家で過ごすから,より快適なところに住みたいとか言ってるのは,そういうものがないというか,例えば,体を動かすスペースが2畳で足りないのは,トレーニング的なものじゃなくて,もっと楽しんでできることがしたいってことなんですが,そういうものがあるのなら,体の健全性を維持することが目的と割り切って効率よく(2畳のスペースで)トレーニングできると思うんでうしょね.

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[シーズンが短い?]
(スキー)

 スキーなんですが,今年の冬は,後半暖かくて急速に雪がなくなってきて,ということなんですが,上越とか信越のスキー場を見ると,例えば,ガーラの下山コースはまだ開いてるみたいで,そうでもないみたいです.

 つまり,関西のスキー場のシーズンは短いってことなんですかね?

 でも,標高が低いわけじゃないし,なんでですかね? 雪がなくなる一番の原因は雨なんですが,結構,雨が降った?

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[ある範囲内の話]

 うーん,でも,何か違うというか,実はすごいシンプル(な生き方)だと,理想のようで何か普通というか,折角なので,これまでと違った生き方をしてみたいと何度か書いていますが,それは,多分,両極端で,一つは,ほんとに自堕落というか,何をするでもなくだらだらと過ごすというか,つまり,実はすごいシンプルで理想的?な生き方と正反対で,そのまた正反対の死ぬまで働くというのにも傾くこともあって,ということは,私はこれまでそのどっちでもなかったということになるんですかね?

 確かに,基本的にはやりたいことを仕事にしてやりたいことやってきたと思うのですが,その一方で,ちゃんとやるべきことはやって働いて,それなりの結果も残してるわけで,一体何だったんだ?というか,よくわからなくもなってきます.

 でも,これまでの生き方も,実はすごいシンプルで理想的?な生き方も,死ぬまで働くのも,自堕落にだらだら生きるのも,ある範囲内の話というか,これまでと違った生き方とは言えないんでしょうね.

 じゃあ,ほんとにこれまでと違った生き方というのは,例えば,全く新しいことを始めて会社とか作って金儲けに走るとか,突然,時給1000円の誰でもできるけどほんとに世の中に必要な仕事を始めるとか,ボランティア活動にいそしむとか,誰かと恋に落ちて駆け落ち同然で最果ての地で暮らすとか,そこまでは極端でも,家族をもってずっと「みんな」の暮らしをするとか,そんなレベル?の話なんでしょうか.

 でも,どれもものすごく「めんどくさい」ことに気づかされるわけで,逆に言えば,これまでも,そういうめんどくささをとにかく避けて生きて来たし,それは,多分これからも然りということで,あんまり変わり映えしないってことになるんですかね.そう考えると,何かつまんない感じもしてきます.

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 何かが変わるとすると,やっぱり,何かの外部要因ですかね? とにかくめんどくさがりで,しかも今の生き方に満足しているのにわざわざ何かを変えようとはしないでしょうからね.

 実際,大学を2回移ったのも,結婚したのも外部要因ですからね.ですから,結局,自分で何かしたのではなく,流されただけという感じもしてきて,結果的にそれで何とかなってきたのは,やっぱり,ラッキーだっただけということでしょうか.

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[衰えぬ情熱]

 「衰えぬ情熱」というワードが見えました.要は,いくつになっても衰えない情熱を持ち続けて頑張っていて偉いってことなんでしょうか.でも,情熱があるってことは,やりたいわけで,だったら頑張るのは当たり前で簡単な話で,偉くも何ともないと(私は)思うんですよね.

 問題は,どうして「衰えぬ情熱」を持ち続けられるのかってことですよね.何か知らないけどそうだとすれば,ほんとに偉くも何ともないというか,ただラッキーってだけですが,情熱を持ち続けるために何か努力していることがあれば,偉いってことになるんですかね.

 でも,問題の問題は,どうして情熱を持ち続けるように努力する必要があるのかってことでしょう.それが例えば仕事で,食べて行かないといけないからというか,稼がないといけないからとか評価されたいからだとしたら,これもやっぱり,偉くも何ともない話だと思いますけど.

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3/21'21
[全くわかりません]

 原点に戻るのはいいんですが,それだけだとほんとにただ生きて行くだけになるので(でもそれでいいっちゃあいいんですが),+αというか,私が個人的にどうしたいのか,どうありたいのかということはあるわけです.でも,それって実はよくわからないので,こうだったらこうとか,結果としてどうなったかを列挙して考えてみます(ほんと読んでる人にとってはどーでもいい話).

 まずは,やりたくないことはやりたくないです(いきなりこれ?(笑)).でも,私も○カではないですし,社会や組織の中でやって行かないといけないので,やらないといけないことはちゃんとやっていると思います.でも,これって,よほどだめな奴じゃなければ大概そうですよね.やることを強要されるとか,やらないといけないというのがだめなんですが,そういう人も結構いますよね.

 社会的地位とか評価とか要らないというのは,ちょっと珍しいんですかね? でも,そうすると,定年で大学をクビになっても(自らやめるのならともかくクビになるのは腹立たしいですが)何ら問題はないはずですよね.でも,研究は定年後も続けて行きたいですが,自分の中だけで純粋な楽しみとしてやって行くことは難しそうな感じがします.

 そうすると,地位とか評価は要らないけど,何らかの社会性が必要ってことで,大学での学生の研究指導のように若い人達を育てながら研究を進めていくことならやって行きたいと思いますし,一人でも.何らかの社会との繋がりがあれば,やって行けるってことでしょうか.

 あるいは,社会的地位とか評価とか要らないと言ってますが,結果的にそういうものをある程度得ているわけで,ほんとは社会的地位とか評価とかも必要なのでしょうか? それならそれでシンプルで,死ぬまで働くことに拘ればいいってことですよね.

 でも,とにかくめんどくさがりなので,自分から何か行動を起こすことはなくて,声がかかったり誘われたりしないと動かないし,そういうものの中でその気になった場合にだけ行動を起こすって感じでしょうか.いや,そうでなくても,その気になったときは(そんなにないけど)ものすごいエネルギーを発揮して打ち込んだり,積極的に自分から動いたこともあったと思います.

 やりたいことをやって行きたいとは思いますが,大したレベルでないことを独りよがり的にやって行ってもなんだかなあと思います.でも,とにかくめんどくさがりなので,やりたくないことを我慢して頑張ってやろうとまでは思わない(どうしようもない奴).

 こうして列挙してみると,益々よくわからないというか,全く正反対の要素が混在していて,支離滅裂というか,まるで多重人格みたいですね.

 他にも,他人と同じであることを忌み嫌う一方で,ものすごく常識的で平凡なところもあるし,このサイトでは結構批判的なことを書いているけど,普段人と接するときは全然そんなことはないし,自分の考えがある一方で,それを回りに押し付けたりはせず,要領よくうまく回りにあわせることもできるし,自堕落で怠け者ですが,その気になれば,どんな大変なこと(に回りは見えるかもしれないけど,本人は全くそうは思っていない)でもやりますし,やっぱり,いろいろ書いてきたんですが,自分で自分のことが全くわかりません.

 なので,プリミティブなこと以外は,あれこれ考えてもしょうがないってことですかね(爆).というか,その場その場で,これはOK,これはNGというのは,割と明確に判断できますから,その時になって判断ってことですかね.

 問題は(ある程度時間がかかる)「準備」が必要な場合ですが,例えば,定年に向けて,お前はもう社会に必要ないということを受け入れる(心の)準備を進めて行っても,その時,何が起こるかわからないし,だとすれば,それに付随すること,例えば,どこに住むかとかもそうだし(でも,いろいろ調べて考えるのは楽しいけど(笑)),何か新しいことを始める準備もそうですかね.でも,一人でも(社会との繋がりをもって)研究を続けて行ける方法は,模索して行った方がいいですかね.

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 でも,自分で自分のことが(プリミティブなもの以外は)全くわからないのですが,何をやるにしても,趣味レベルじゃつまんないというか,そういうものがあってもいいけど,そうじゃないレベルの「本業」みたいなものは必要だとは思いました.そして.それは,今から何か新しいこと,あるいは,ピアノやバドミントンやスキーやゴルフも,例えば,ピアノなら近現代とか,自分独自の曲の解釈と演奏とか,バドミントンやスキーやゴルフなら,これも自分独自の運動理論とかも考えられなくはないですが,よほどその気にならなければ無理でしょうし(その気になればできると思っているところが結構とんでもない),現実的には,やはり,研究でしょうし,可能性がある(と自分で思っている)のは,このサイト,そして,運保だと思うんですよね.

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[送別会]
(バドミントン)

 今日は,筑波大バドミントン部の送別会でした.と言っても,こっちに来ちゃったので,出席することはできないのですが,こういう状況で,会場(体育館)に集まったのは,一部の関係者だけということで,それ以外は,Zoom参加なので,逆に参加できたとも言えるわけです.

 送別会(追いコン)については,このサイトで何度か書いてきました.具体的には,あまりいい印象がなくて,筑波大の「強豪校」としての負の面が出やすいというか,「品のない会」になってしまって苦言を呈したこともあったのですが(そういうことが言えるのは私くらいだとも思ったので),最近はよくなっていて,戦績的なものもそういうものとちゃんと比例しているわけで,そういうことって,やっぱり,大事なんですよ.

 話は単純で,吹田先生のノーベル賞受賞者とオリンピアンが共存する日本で唯一のところじゃないですが,筑波大バドミントン部のそういう唯一無二のアドヴァンテージを活かさなくてどうする?というか,推薦生にしてみれば,ただバドミントンが強いだけじゃない何かを獲得する絶好の機会だし,それは,社会に出て,あるいは,バドミントンをやめてから大いに役立つと思うし(選手でいられるのは人生の初期の間だけですよ),逆にそうでない選手は,トップレベルのプレーの直接接することができるし,そういうことの運営にも関わることができるわけですからね.

 参加したのは,途中からですし,途中で音声が聞こえなくなって何度か入り直したりしたので,全部は聞けてないのですが,卒業生がいろいろ話をしていて,結構,長い間,しゃべってたんじゃないですかね.いくつか印象に残った話としては,山田が不本意な達成感ということを言っていて,これって,要は,やりたいことと得意なこととどっちをやるべきかってことですよね.

 彼は,スパーリングパートナーとして,女子のインカレ五連覇に多大な貢献をしたんですが(何度か見たことがありますが,ほんとに見事なスパーリングパートナーでした),でも,ほんとは競技者として成功したかったんだと思いますが,達成感を感じていて,まさに,やりたいことより得意なことをやって成功したんだと思います.つまりは,成功したかったら,やりたいことではなく,得意なことをやれってことなんですが,そんなに単純な話でもなくて,でも,それを学生のうちに体験できたのは,社会に出て必ず役に立つと思います.

 佐川(加)がかなり長い時間しゃべってて,突然,私の名前が出てきてびっくりしたんですが(笑),私がいろいろ話したことが印象に残ってるらしくて,その中で,「究極の自己中」のことを言ってました.多分,これのことだと思いますが,話をきいてくれてたことは嬉しかったですし,このことは, 世の中を渡って行くのにとても大事なことなので,それがどういうことかわかって実践できれば,彼女にはいい人生が待ってると思います.

 香山の話も面白かったですね.彼女がしゃべったことは,とてもシンプルなんですが,かなり大事なことで,〇〇〇くてバドミントンが強いだけじゃなくて,更に,筑波大だけがもつアドヴァンテージで得たものが加わればもっとすごいことになると思うんですよね.

 実際,卒業にあたって,振り返るのはまだ早いと言ってて,それはその通りで,もちろん,これからのことを見据えているということもあるでしょうが,筑波大時代というか,練習とかの成果が出るのは,早くても半年,普通は,数年後で,でも,多くの人がそれが待ちきれないわけで,でも,それを我慢するというよりは,目先の結果に拘らずに,バドミントンそのものにしっかり向き合い続けていれば,いつの間にか気づいたら結果が出てたってことで,それって何でもそうだと思うんですよね.

 そういう意味では,卒業を機にバドミントンを離れると言っていた人もいたんですが,成果が現れるのは,数年後ですし,実際,そういうOBOGを沢山見て来たので,できれば,続けて欲しいとは思いますね.

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[大上段に構えると]

 定年で大学をクビになっても研究を続けていきたいけど社会との繋がりが,とか,死ぬまで働くとか,そういうことじゃないんじゃないですかね.研究をしたいからするというよりは,何のために研究するかってことで,もちろん,「何のために」がないのがほんとにやりたいことではあるんですが,研究したいのは,ただ研究したいんじゃなくて,何かを解明したいわけですからね.

 もっと大きく言えば,何事かを成し遂げたいということでしょうか.そういう意味では,一仕事できたとは思いますが,たった一仕事しかできてないとも言えるわけで,やらないといけないというか,解明できてないことはまだまだあります.

 そして,そこが「研究のための研究」なのかそうでないのかなわけで,定年で大学をクビになったらやめてしまうような研究は「研究のための研究」ということになってしまうのかもしれません.

 そして,「何かを解明したい」のは,生き方研究も運保も体研究も生活研究も同じなわけで,そういう意味では,ピアノもバドミントンもスポーツもゴルフも然りということで,研究なわけですから,誰かに教えてもらっても意味ないわけですし,そもそも,未だに誰も解明していないことを解明するのが研究ですからね.

 でも,私の場合,何事かを成し遂げたいとか,何かを解明したいとか,大上段に構えるとあんまりいいことはないので,やりたきゃやる,「何のために」がないやりたいことをやりたい,というのが(結果的に)いいんですが,それだとプリミティブなものも「何のために」になってしまうので,そのくらいはOKにしておきます(笑).

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[卒業と定年]

 今日の筑波大バドミントン部の送別会(そっか,こういう状況で飲み食いができないから追いコンじゃなくて「送別会」になったのか)で思ったんですが,かたや卒業してこれから社会に出ていく人で,かたや私は,あと○年したら社会から出て行くわけで,まさに対照的なんですが,これから社会に出ていく人が羨ましい,とは思いませんかね.

 一つは,社会でやって行くのは,やっぱり大変ですし,そういうところからすごく離れたところでぬくぬくと?やってきた私でさえも,非常にきわどいところをくぐり抜けてきたというか,何度も書いているように,もう一度やれと言われても,また今のところに来られるとは思えないので,それは勘弁って感じですからね.

 でも,そんなことより,私と彼らの何が違うって,別にそんなに大きな違いはないとも思うんですよね.確かに年齢は全然違って,平均余命,つまり,これから与えられる時間の期待値は違うんですが,それは確率の問題というか,誰だっていつ人生が終わるかわからないし,だから,いつそうなってもいいように,その日その日を生きるということだと思いますからね.

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[4%ルール]
(経済)

 N経何とかに「4%ルール」なるものが述べられていて,それは,「資産が年間生活費の25倍に達すれば,95%の確率で毎年4%を取り崩す生活を30年続けられる」というものらしいです.例えば,年間生活費が300万なら,その25倍の7500万の資産があって,今60だと90まで95%の確率で毎年資産の4%を取り崩して生活して行けるからもう仕事をやめてリタイアしてよいということになります.どう思いますか?

 「4%ルール」とか言うと,もっともらしくきこえますが,これって全然当たり前の話で,単純計算で年間生活費の25倍の資産があるなら,25年分ってことなわけで,実際は,少し細かい計算で95%の確率で30年というか,取り崩せば,資産は減るわけですが,ミソ?は,4%を取り崩せるってところで,つまり,資産が減れば,その4%の生活費もどんどん減って行ってしまうわけですし,そもそも,一番肝心な物価変動も経済危機も想定してないことになります.

 こんな子供だましみたいなことにホイホイ納得する人なんかいるんですかね?(いるんでしょうね)

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 あまりにいい加減なので,ちょっと調べてみたんですが,物価変動を考慮に入れてないわけではなくて,でも,資産は,現金ではなく,株式や債券で運用して,その結果,過去の実績では,そうなったということらしいです.

 益々,いい加減というか,ひどい話ですね.これじゃあ,NYダウは,過去100年基本的には右肩上がりだったんだから,これから100年も右肩上がりと言ってるようなものです.

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3/22'21
[今のところに来る確率]

 何度か若い頃に戻りたくない,なぜなら,もう一度やり直したとしても今のところに来られるとはとても思えないからと何度も書いてきました.それは,今まで生きて来た中で今が一番幸せ(どこかできいたセリフ(笑))だからなんですが,よく考えるとちょっと変な話ですよね.

 全ては137億年前に決まってるので,やり直しても同じ結果になる,というのは置いておいて,サイコロを振るように同じ結果が出ないとすると,今よりもっと幸せになった可能性もあるわけで,でも,今の結果に充分満足しているし,今以上の結果が得られる確率は非常に低い感じがするから,ここで「手を打つ」ってことなんですが,そもそも今の状態に満足というのはそうなんですが,何に満足しているのかというか,よくよく考えると変な気もしてきます.

 岐路と思えるところはたくさんあって,例えば,大学受験で東大に滑り込めずに他の大学に行っていたら,東大に入ってもそのまま理論物理の道へ進もうとしていたら,建築構造という分野に辿り着かなかったら,研究室に入って研究が面白いと思えなかったら(そういう研究テーマと出会えなかったら),研究者ではなく官僚になっていたら,大学院時代に思うような成果を出せなかったら,就職先が東大地震研ではなく他大学だったら,最初に結婚しようと思った人と結婚していたら,地震研時代にやりたいことを見失うことなく順調に成果を出せていたら,南先生が亡くならなかったら,地震研でそのまま昇進していたら,南先生が亡くなった時,ちゃんと言うことをきいて〇〇工大に行っていたら,纐纈先生から1999年台湾集集地震の被害調査に誘われなかったら,筑波大の話に乗らなかったら,K-NETなどの強震観測網が整備されなかったら,21世紀初めに大地震が連発しなかったら,震度が被害と対応していたら(まだまだ他にあるけど,ここには書けない).

 ざっと思いつくものを書いただけで,これだけあるわけで,しかも,そのほとんどが結果的に吉と出ているわけで,もしそのたびに「サイコロを振る」ことで人生が決まって,どっちに行くかが半々なのなら,ざっと書いたものを数えたら17個あったので,今のところに来る確率は,(1/2)**17=1/131072となり,そりゃあ(直感的に)もう一度やり直したとしても今のところに来られるとはとても思えない,ラッキーだったと思うのは当然なんですが,よく見てみると,例えば,地震研時代にやりたいことを見失うことなく順調に成果を出せていたら,とかは,そっちの方がよかったんじゃない?とか,筑波大の話に乗らなかったら,とかも,筑波大に行ったことで,やりたいことが思う存分できてよかったと思いますが,そのまま地震研にいて,ずっと助手(助教)でも,それはそれで今とは違ういい人生になったかもしれないわけですよね.

 もっと言えば,東大に入れなくても,建築構造に辿り着かなくても,研究者にならなくても,1999年台湾集集地震がなくても,今ほど結果は出せなかったかもしれないけど,それがナンボのもんというか,それはそれで,別の幸せないい人生を送ってるかもしれないわけです.

 ですから,あのときこうすればよかったとか,過去のことを考えてもしょうがないし,それは,満足の行く結果が出たと思っている今の状態も,結局はそういうことなんでしょうし,何度も書いてますが,問題はこれからなわけです(どんなに歳をとっても).

 なお,この記事に限らず,何度か「今のところに来られた」とか「今いるところに来られた」と書いていますが,念のため書いておくと,言うまでもないですが,それは,ある特定の組織やポジションを表しているのではなく,「やりたいこと,自分にしかできないことを見つけ,それを思う存分やって,自分の中である程度満足できる「ところまで来られた」」という内面的なことをさしています.外的にも評価されたとしても,それは,あくまで結果に過ぎないってことですが,もちろん悪い気はしませんし,ありがたい話だと思っています.

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[何が怖い?]

 定年後問題ですが,一体何が怖いんでしょうね? 私の場合は,大学という組織に所属するとか,社会的地位を失うとかは,全く関係ありません.キャッシュフローを失う(給料が年金に大幅に減額される)のは,ちょっと不安ですが,?PIFとかN銀とか国家財政が破綻しなければ大丈夫でしょう(つまり,大丈夫じゃないってことですが,対策はしてます).

 じゃあ,何が不安かというと,どうやって退屈しのぎするかなわけです.本を読んだり,音楽を聴いたり,映画を見たり,テレビやインターネットを見たり,ゲームをしたり,時々,旅行に行ったりして,楽しく過ごせれば,それでもいいんですが,私の場合,そんなんでは,退屈しのぎできないと思うんですよね.

 いやいや,研究だって続けられるし,仕事以外にもそれだけいろんなことやってるんだったら,心配ない? そうですね.普通に考えたらそうですよね.でも,全く安心できないというか,何が怖いかというと,そういうものに興味を失うかもしれないってことです.

 実際,研究だって,多くの人は,リタイアして社会との繋がりがなくなれば,やらなくなるわけですし,ピアノでもスポーツでもどんどんハードルが上がっているというか,めんどくさいという感覚が勝ってきてますからね.

 逆に言えば,興味さえ維持できれば,社会との繋がりなんかなくても全然行ける気がします.でも,興味をもつメカニズムがどうにもわからないというか,もちろん,そういうものを見出そうとはするんですが,見出そうとするってことは,そういうものを感じるのに必死というか,なかなか難しいことだと思うんですよね.

 一つの方法は,ハードルを下げるってことなんですが,ピアノは,防音室付きのグランドピアノをもっているので,これ以上は下がらないと思いますが,体を動かすことは,家の中にそういうスペースを作るとか,スキーとかゴルフだったら行きやすいところに住んじゃうってことなんですが,スペースを作ったり,そういうところに住んで,興味を失ったら目も当てられませんよね.

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 でも,もっと怖いというか,一番怖いのは,痛かったり苦しかったりするのに,体が全く動かず意思表示ができなくなることですが,その次は,体と脳が衰えて,自活できなくなることですかね.いや,体は衰えても,脳がしっかりしていれば,何とか自活はできますかね.

 てことで,興味が多少なくなっても,そういうプリミティブなことを目的化することで,やりたいことをやらないといけないことに部分的に転化させるってことを考えたりしてるわけです.

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[社会性が必要?]
(研究)

 やはり,重要なのは,研究だと思うのですが,多くの人がやめてしまうところを見るとこれが一番難しいのかもしれません.でも,どういう研究かによるとは思うんですよね.

 「研究のための研究」という用語を使いましたが,例えば,学生を指導するために考えた研究とか,論文を書いて実績を作るための研究なら,大学をやめれば目的を失うわけです.でも,「研究のための研究」でも本人がやりたければやるでしょうから単に興味の問題だとは思いますが,実際には厳しいところを見ると,何らかの社会性が必要ということでしょうか.

 つまりは,社会(の一部でも)から注目される研究,平たく言うと(金儲けでも)役に立つ研究ってことになるんですかね.実際,金になるのなら,企業から声がかかって研究を続けさせてもらえるかもしれませんし,自分で会社を作ってもやって行けるってことですからね.

 うーん,でも,それがやりたい研究かってことですよね.少なくとも金儲けの手段としての研究はしたくないというか,興味もないですかね.でも,興味がある研究が「たまたま」金になるってこともあるでしょうし,いろんな興味があるものから「多少」そういうものを選ぶことはできるかもしれません.

 金になるまで行かなくても,例えば,地震が起こったときに注目を集めるというようなことはあるわけで,やっぱり,そういうものが必要なんですかね?

 そうだとすると,大したことないなあ.

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[大したことない]

 でも,大したことないのを認めた上で,ということはあるかもしれませんね.

 ここで頭に浮かんだのは,大学に入って理論物理に失望してさまよって建築構造に辿り着いた時のことです.それは,単純に理論物理に興味を失い,建築構造が面白そうに思えたってことなんですが,それって,どうしようもないというか,まさに上で書いたように何に興味をもつかは制御できないわけで,平たく言ってしまえば,私って所詮その程度の人間ってことで,でも,それを認めて受け入れることで,ある程度,少なくとも理論物理の道に進むよりは成功したんでしょうし,それは,もちろん,結果に過ぎないのですが,まさに身の丈を知るというか,できることをやったってことかもしれません.

 でも,やっぱり,大したことないなあ.でも,ほんとに大した奴じゃないんだからしょうがないですよね.

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3/23'21
[しょうがない]

 自分が大したことなくて,社会的にも大して成功してないことを認めた上でなんですが,そもそも,社会的に成功すること自体,大したことないわけで,わかりやすい例としては,大金持ちとか有名人とかがそうなわけですよね.もちろん,そうでない人もいますが,それは極々僅かです.

 ほんとにすごい奴は,社会的成功とかそんなことには目もくれず,それこそ全てを犠牲にして,というか,そういう感覚すらなくて,ただやりたいこと,やらずにおれないことをひたすらやってるわけで,でも,それでも,そのほとんどは,大したことにはならなくて,大したことになったものも日の目を見ないものが多いんだと思います.

 私もそんな感じになることは,ほんとに時々ですがありましたし,そんな感じがずっと続けばすごいことになったのかもしれませんが,全く持続性がなくて,しかも,いろんなことに興味がありすぎて,でも,その割には,ある程度,社会的成功みたいなものも得られて,それは結果に過ぎないんですが,まさに私が大したことなかったことを表してるとも言えるわけです.

 でも,しょうがないですね.だって,ほんとに大したことないわけですし,まさに潔くあきらめて,できることをやるということでしょう.

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[いろんなことに興味があるということは]

 「いろんなことに興味がありすぎて」と書いたんですが,その一方で,興味を失うことが怖いわけです.どういうこと? 矛盾してる?

 そうじゃなくて,いろんなことに興味があるってことは,「たった一つのこと」に興味をもつことができないわけで,つまり,知的好奇心が旺盛なようで,その実,そういうものが薄いってことでしょう.

 益々もって,心配な話になってきますが,これも制御することは難しいので,あきらめてそういう中で何とかするしかないですね.

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[必要とされることはなかった]

 やりたいことをやりたいとか言ってるけど,それが散乱しているわけですから,そうするとどうするかが何で決まってくるかというと,結局,そういう内的要因ではなく,外的要因ということになってくるのかもしれません.つまり,ずっとこのサイトで書いてきたことが全くの嘘だったとは言いませんが,自分はそう思っていても,実際は違ったというか,そうできなかったということかもしれません.

 いや,そこまでは言い過ぎですかね.興味があることがものすごく広範囲に散らばってはいるのですが,それは面的ではなく点的で,そこから少しでもはずれると途端に興味を失いますからね(ほんとに厄介).

 内的要因ではなく外的要因に話を戻すと,仕事(研究)に関しては,大学院時代と1999年台湾集集地震以降は,基本的には,興味をもって続けてこられたと思いますが,学生がたくさん来てくれたという外部要因は大きかったと思いますし,2回大学を移れたのも外部要因だったわけで,何らかの形で「必要とされた」という社会性は大きかったと思います.

 一方で,プライベートというか,個人的生活?については,普通の人とはかなり違う形ではありますが,問題なくうまく行ってると思います.でも,「必要とされる」ことはなかったわけで,結局...ってことですかね.

 こうして考えてみると,いろいろめんどくさいとは思っていても,仕事でもプライベートでも「必要とされる」ことを求めているとは言いませんが,そういうことがないと(それが幻想でも)やっぱりなかなか厳しいってことなんですかね(やっぱり,大した奴じゃないですね).

 でも,だからこそ,そういうものに憧れるというか,実際,これからの人生を考えると「一人でも大丈夫」が無敵だと思いますし,それを目指したいとも思うのですが,大した奴じゃないし,険しい道のりってことなんですかね.

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 でも,外的要因の最大の問題は,他力本願ということですから,それを前提にするわけには行かないわけで,できるかどうかはわからないけど,というか,できないと思うけど,できる限り「一人でも大丈夫」を目指して,結果的に「一人,時々,みんな」になれば御の字ということでしょうか.

 でも,いろいろ考えていると逆にわからなくなってくるというか,興味を失うのが怖いと言っても,興味を失ったらやらなきゃいいわけですし,それじゃあ,退屈しのぎできないと言っても,今の世の中,退屈しのぎには事欠かないわけで,でも,誰でもできる凡庸なことをやってもつまらないと思うのなら,興味を失ってないってことになるわけで矛盾というか,堂々巡りになるわけです.

 一つは,歳をとると興味はあってもめんどくさくなってくるってことがあるので,ハードルを下げるか,ハードルが低いものをやるということはあるというのは何度か書きました.

 あとは,プリミティブな話ですかね.「一人でも大丈夫」だとしても,凡庸なことをやって,それで楽しいのなら無敵とも言えないこととしては,それでは,体や脳が維持できないってことがあるでしょうからね.

 でも,そこはちょっとだけ頑張ってジムに行ったり,それさえめんどくさければ,家の中で体を動かしたり,脳については,ゲームが意外といい気がしますし,脳トレとかパズルとかもインターネットにいくらでもあるでしょう.

 でも,そう考えると,私の場合,そこまで平凡でも勤勉でもないので,今やってることをうまく活用して何とかできればということでしょうか.

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 具体的にはどんな感じでしょうか.体に関して言えば,何とかバドミントンやスキーができるうちはやるということでしょうかね.既にかなり頑張らないと行けなくはなっているんですが,これが体維持の主体というよりは,バドミントンなら週二くらい,スキーなら(リタイアしたら)シーズン中は週一くらいは行ける体を維持するために普段から体を整えて動くようにしておくという感じでしょうか.

 意外と難しいのは脳ですかね.研究を続けられれば一番いいんですが,外的要因は他力本願なので,そういうものがなくても大丈夫なように準備を進めて行くということですかね.あとは,いろいろ考えてこのサイトに文章を書くことと,運保でしょうか.

 ピアノは結構使える気がしますが,感覚的に弾けて,音楽的なレベルになると逆に脳を使わない感じがするので,あまりうまくなり過ぎないというか,脳トレ的なことも必要ってことですかね.

 そういう意味では,私が今まで一番やってこなかった暗譜とか機械的な練習は,意外といいかもしれません(うまくなるとも思うし).あとは,初見というか「新曲」を弾いていくのもいいかもしれませんね.

 その点に関しては,最近は,レパートリーというか,曲を限定して,弾いて行こうという感じだったので,少し見直すというか,そういうものは暗譜と機械的な練習にあてて,新曲も弾くというハイブリッドですかね.

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3/24'21
[ボケ防止]

 年寄りの人が何かやってて,何のためにやってるかというと「ボケ防止」って自虐的に言うことありますよね(ちなみに,ボケることを認知症と言うようになったんですが,差別用語的なものがあるんですかね).

 もちろん,半分冗談なんでしょうが,半分ほんとなのかもと思い始めました.そうすると,まさに体と脳の健全性を維持するというプリミティブなものに繋がってくるわけで,例えば,大学をやめて社会との繋がりもなくなって,研究なんかしても,と思っても,ボケ防止と思えば,一つの理由にはなる? いやいや,研究なんていう非常にハイレベルに脳を使うことがボケ防止というのはおかしい?

 でも,認知症というか,脳の衰えというのは,程度問題でもあるので,研究を続けて非常に高いレベルで脳を使っていれば,そういうレベルで脳機能を維持できるということになりますよね.そして,そもそも研究する目的は,未解明のものを解明することなんですが,もっと手前のものとして,知能をもった人間である以上,高いレベルで知的活動をするということがあるわけで,「ボケ防止」というと言葉は悪いですが,それって知能をもった人間が生きて行く意味ってことかもしれません.

 研究する対象は,「地震動の性質と建物被害の関係を探求し,それを地震災害軽減に結びつけて社会に還元すること」でもいいですが,要は「考える」ってことなので,何でもよくて,世の中のことでも経済のことでも相場のことでも,体や生活のことでも,ピアノやスポーツのことでもいいというか,何でも研究対象ってことで,これって,まさに今やってることですね.

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 一般的には,人と話をするのがいいとは思いますが,人と話をするということは,話し相手がいるわけで,外部要因ということになりますし,どれくらい「考える」ことになるかというと,話が合うというか,高いレベルで話ができればいいんでしょうが,当たり障りのない世間話をしても大したことはないでしょうし,自分が一方的にしゃべっても,ききたくない話をきかされてもストレスでしょうし,意外と難しい感じがします.

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 そして,人間は動物でもあるので,やはり,体がある程度は動くことも大事で,しかも,脳とも連動していて(体が弱れば脳も衰える),そのために何かやるには心も必要で,心技体ではないですが,生活の中で脳と体と心をしっかりケアしていく(のが生きて行く)ということですね.

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[教えてあげる責務]
(研究)

 昨日は,川瀬先生の(本来の)定年祝い,と言っても,3年前に特定教員になられていて,今回は,有期雇用教員になられる(でも今日また連絡が来て,兼業の関係で時間雇用教員になる.ややこし)ということで部門の教授4人で祇園で飲んだ(でも,事情があって一人急遽来られなくなった)んですが,楽しかったですね.こういうレベルで話ができれば,まさにボケ防止になる(笑)?

 いろんなことが話題になったんですが,その中で研究成果を社会に還元すること,世界に向けて発信して行くこと,そもそも,何のためにそういうことをするのかということがありました.

 これについては,このサイトでずっと書いてきましたし,私にもいろいろ考えることがあるわけです.一番わかりやすい例は,やはり,震度算定法を変えるということでしょう.これについては,40代前半に,研究会を立ち上げて議論したり,気象庁の担当者と話をしたり,長官の山本さんに直談判したこともありました.

 意外だったのは,気象庁の人も含めてだいたいは好意的な中で,それ以外の関係ない(でも実際は関係ある)人でものすごく抵抗するというか,頑なな人が結構いたことで,要は,震度算定法が変わったら「自分が」困る人です.もう何をか況やですね.

 で,どうなったかですが,これもこのサイトに書いたと思いますが,世の中がなかなか変わらないことにめげたというわけではないですが,震度算定法を変えること自体は,私の役割ではないというか,私は研究者なので,より正確な被害と対応する算定法を示して,しっかり情報発信は続ける(研究発表もそうですが,Nスペとか,地震が起こるたびにメディアからの取材に応える形で多くの一般の人にも(ここに一覧があるけど2017年で更新が止まってる))ということでやってきたということなんですが,何とか気象庁で震度に関する研究会を立ち上げてもらって議論が始まったんですが,東日本大震災が起こって,立ち消えになってしまったことも書いたと思います.

 あと,世界に向けて発信して行くってことなんですが,これもずっとこのサイトで書いてきました.とにかくまずは「seismic intensity measure」のジャーナルを書くってことなんですが,「seismic intensity measure」で検索すると2006年11月からヒットして,その後も2010.1,3, 6, 12, 2011.12, 2015.10, 2016.3, 2018.6にも記述があるようですが,結局,書いてないわけで,それは,昇進して忙しくなって自分で解析して自分で論文を書く時間がなくなったということもあるでしょうが,その気になれば,どんなに忙しくてもやるでしょうから,そこまでその気にならなかったということでしょう.

 日本の耐震工学とか地震工学は世界のトップレベルにあるのに,世界に向けての情報発信が全然足りなくて,世界の中で評価されていないというか,そういうことよりも,我々から見ると,世界の枠組みの中心的なところが「それじゃ全然あかんやろ」というレベルなわけで,そういう状態を放置していいのか,看過できないのではないか,ちゃんと「教えてあげる」責務があるのではないか,ということなわけです.

 うーん,わかるんですが,これも,結局,そういうことにその気になるかどうかなわけで,そういうことにその気になる人もいれば,(そんなに)ならない人もいるわけで,そういうことがうまくはまらないとなかなかうまく行かない気はします.

 とは言え,私はその気にならないってことではなくて,実際,例えば,震度算定法なら40代前半は,その気になったわけですし,seismic intensity measureについても,ずっと頭に引っかかっていて,折しも,一人でしこしこできるじゃないですが,将来的なことを考えて,自分で計算して自分で論文書くことをまたやりたいということで,少し可能性は出て来たとも思うのですが,私の場合,やらなきゃいけないと思うとだめなので(とにかくめんどくさがりなので),その気になったらやります,というのが一番その気になる近道のような気がするんですよね(つまりは,その気になるのを待つしかないってことで,やっぱり,怠け者ですね).

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 うーん,怠け者というのは,確かにそうですが,やっぱり,研究がしたいですし,それが私のやるべきことだと思いますし,何度か書いていますが,要請があるのならともかく,自分からしゃしゃり出て行くのは性に合わないというか,それで評価されなくても,やっぱり,研究が(私の場合)その気になることで,それが結果として評価される(こともある)し,その成果を使いたいということであれば,喜んで協力しますし,結果として,世の中の役に立つと思うんですよね.

 じゃあ,研究対象としての「seismic intensity measure」はどうかってことなんですが,なんかしっくり来ないというか,具体的に言うと,これもどこかで書いたと思いますが,1-2秒応答は,おそらく私の成果の中で対外的に最も評価もされてるし有名だとは思うのですが,私の中では(というか,多分,有能な建築構造の研究者なら)「合うのが当たり前」の話で,震度という日本特有の対比する指標がない海外に対して,これを「発見した」みたいに堂々と?ジャーナル書くのに違和感もあるんですよね.

 でも,研究して今わかっている以上の何か面白いアイデアというか発見があったら,「知らせたい」と思うでしょうから,そういうことの方が大事な気がします.

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3/25'21
[全てこれに照らし合わせて]

 ぐるっと回って,人生所詮退屈しのぎに来るのは,いつものことですが,今回は更に「認知症予防まで降りて来た」わけで,でも,認知症予防というとそんなレベルの話かよってことなんでしょうが,それは単なるレベルの問題で,体脳心を維持する,高めるということなわけで,これって生きることの基本というか大前提であるとともに非常に難しいことでもあるわけで,そこさえできれば,いろいろ細々とした生きる目的(成功するとか評価されるとかはもちろん,責務を果たすとか気分よく生きて行くとかも)なんか超越するというか,目的なんか要らないというか,全てこれに照らし合わせて考えていればいいというか,一番大事な根幹のような気がしてきました.

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[こうでなければならないがない]

 あとは,やはり,内的熟達的に粛々淡々と,ということですかね.昨日の記事ではないですが,世の中がこうじゃないといけないとかは,もうどうでもいいと語弊がありますが,どうしようもないところもありますし,自分自身についても,こうでなければならない,例えば,成功しないといけないとか,評価されないといけないとかいうのは,言うまでもなく,頑張らないといけないとか,気分よく生きて行かないといけないとかもなくて,でも,他人に迷惑はかけないようにプリミティブなところは,ちゃんとおさえた上で,そこからその気になれば,ということですかね.

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[やりたいこと]

 自分がやりたいことをやるのではなく,人のためになること,世の中の役に立つことをやる(から偉い)と言ってた人がいました.

 いやいや,だから,人のためになること,世の中の役に立つことをやりたいんだから,それもやりたいことですよ.少なくとも,私はこのサイトの中で「やりたいこと」をそういう意味で使っています.

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[纐纈先生の最終講義]
(研究)

 今日は,東大地震研の纐纈先生の最終講義(Zoom)でした.こっちに来るまで,ずっと昨年の3月に定年だと勘違いしてて(確か一昨年の金沢での建築学会で三宅先生と話をしたとき,そういう話になって,どういうわけかそのときそうだと私が思ってしまった),こういう状況ということもあってか,知らない間に過ぎちゃったと思ってたんですが,こっちに来た時,先生からメールが来て,それで私が間違えていたことがわかった次第です.

 最終講義のタイトルはシンプルに「地震動の研究」なんですが,中身的には,もちろん,地震動がどうやって生成されるか,の研究です.でも,そういうことを「地震動の研究」と言うわけです.確か岩田先生が地盤震動シンポで,自分のことを「地震動好き」と言っていたのもそういうことですよね.

 じゃあ,それ以外に何があるの?ってことなんでしょうが,私の中での感覚としては,「地震動の研究」は,地震動をいろいろ分析して,その地震動がどういう性質をもっているか,私の場合は,構造物に被害を与えるのか与えないのか,の研究です.

 つまり,思ったのは,地震動をこっちから見ている人と向こうから見ている人がいて,全然見え方が違うんだなあということでしょうか.私としては,それを何とか繋ぎたいと思っているのですが,そんなことを考える人は,ほとんどいないんでしょうね.

 話の中身的には,最初の方の地震学をやるようになった経緯というか,彼が若い頃の話で,知ってることが多かったんですが,知らないことも結構ありました.それ以降は,ずっと「地震動の研究」の話で,かなり数学的な話が多くて,でもそりゃあそうですね.

 そうそう,彼は,ずっと東大にいたことになるんですが,47年ということでした.18から65までいると,そういう年月になるんだなと思いましたが,もちろん,その間,いろいろあったとは思いますが,同じところに47年というのは,すごいというか,私には無理だったかもしれません(でも,やることに集中してれば,そんなの関係ない気もしますが).

 で,また一人,よく知る先生が東大を去るということなんですが(でもプロジェクトが残っててしばらく地震研にも籍はあるようですが),そうこうするうちにもうすぐ自分の番なわけです.

 定年でやめるのは,しょうがないというか,どうしようもないんですが,最終講義はやりたくないなあ.Zoomならありかなとも思ったんですが,動画だと個人的というか(面白い)内輪話をインターネットで公開するわけには行かないでしょうからね.

 うん? そう言えば,先日の教授会で定年でやめられる先生方が挨拶されたんですが,防災研で最終講義をされたということはきいてない気がしますね.てことは,やらなくてもいいってこと?

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[マンションは楽]
(生活)

 将来どこに住むかもありますが,賃貸か購入か,一軒家かマンションかということもあります.もちろん,購入より賃貸の方がいいのですが,年寄りだと(割と新しい)URでないと厳しいでしょう(民間であったとしてもずっと住めるかどうかわからない).

 一軒家かマンションかについては,前のところで初めてマンションに住んでみて快適だったんですが,借りて住めばの話です.私の場合,一軒家を借りることは難しくて,それは防音室+グランドピアノがあるからです(床の補強工事が必要).

 とすると,URを借りるか,一軒家かマンションを買うかなんですが,URだとある程度都市部でURがあるところに限られますし,一軒家を買うなら建て売りということはないでしょうから,土地を買って家を建ててということになってめんどくさいし,ご近所づきあいもありそうで,ご近所がない田舎ならよそ者になるわけで,益々めんどくさいです.

 それに少し調べてみると,駅の近くには,土地自体の物件がそんなになくて,駅近にある物件は,マンションが多いですし,値段を比較すると,マンションはやっぱり安いです.そして,マンションは買えば終わりですから,やっぱり,楽ですよね.

 世の多くの人がどうして資産価値がないマンションを買うのかと思ってたんですが,楽だからじゃないですかね.そして,それはよくわかります.駅から近いし日当たりはいいし保温性というか居住性もいいし買うのも楽だし.

 つまり,マンションは資産価値はない,つまり,土地代や実建設費の割に高いんですが,集積させている分,同じ居住空間を得るのにかなり割安にはなっていて,そこで差し引きがあるんですが,儲けるために結構な上乗せがあって,でもそれでも(法外に上乗せをしているタワマンとかを除けば)安いってことでしょうか.

 気になるのは,やはり,壁一つ隔てたところに他人が住んでることですが,もちろん,普通のちゃんとした人なら問題ないですが,確率は低くてもそうでない場合もあるわけですからね.でも,騒音なら,購入すれば少しお金をかけてピアノの部屋もひっくるめて全部丸ごと防音工事しちゃうって手もありますよね(あるいは,ピアノの部屋と普段いるリビングだけでも).

 まあでも,耐震性をチェックするのは当然としても,資産価値はないですから,せいぜい資産の10分の1くらいで買えればって感じでしょうか(でなきゃ,買わずに借りるってことか).

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3/26'21
[未来志向]

 纐纈先生が東大に47年ということですが,そこまででなくても私も21年いたわけで,そして,最後の方は,結構しんどくなっていたのも事実です.理想?としては,博士を出て,他大学に就職して,10年くらいして戻ってくるということなのかもしれませんが,それでもそこから30年近くあるわけですし,うまく10年くらいで大学を移れればいいとは思うのですが,実際は,そういう具合には行きません(妄想ですが,10年以上同じ大学に在籍できない,つまり,10年の任期制というのは,どうですかね.せめて部署を移るとか.でもそうすると,建築学科⇔地震研⇔生産研とか建築学科⇔防災研のローテーションになる? でもそれはそれで悪くない?).

 でも,官公庁とか民間企業の場合は,そのくらいの周期,あるいは,もっと短い周期で勤務先や部署を移るわけで,それはそういうことも考えられているんだと思います.そういう意味では,大学の研究者は特殊で,逆に言えば,どこかに職を得て,例えば,博士を出て就職して,定年までそこにいようと思えばいられるわけです(でも,研究者ならもっといいところから話があれば移るものだとは思いますが).

 もちろん,ずっと同じところにいようが,やるべきことをやることに変わりはないのですが,私も含めて多くの凡人は,なかなかそうは行かないということでしょうか.実際,30代に何をしたいのかわからなくなって迷走したと書きましたが,きっかけはいろいろあったと思いますが,一つには,南先生に後はお前に任せるというようなことを言っていただいて,それは,もちろん,嬉しかったんですが,先があまりに長く感じたこともあったと思います(凡庸).

 そういう意味では,結果的に何とかなったということかもしれません.具体的には,筑波大に移って,もちろん,定年までここにいることになるかもしれないというか,そうなっても大丈夫な大学だから移ったんですが,移った当初から10年くらいを目処に大学を移ろうとずっと考えていましたし,そういう意識が研究活動にポジティブな影響を与えたのは間違いないと思います.

 で,(途中,移籍の話はあったので,移ろうと思えば移れたことになるのですが)予定より大分長くいたことになりますが,結果的に移ってくることができました.じゃあ,今はどうかってことなんですが,気づいたらもう定年まで10年切ってるわけですから,「次の移籍先」どころか,「次の人生」を考えないといけないわけで,つまり,今は今で研究活動にポジティブに影響を与える状態だと思います.

 こうしてみると,「次の移籍先」とか「次の人生」というような「未来志向」があった方がいいんでしょうね.もちろん,そんなのなくても平気な人もいるでしょうから(凡庸な)私の場合ですけど.

 でも,その一方で,これも何度も書いていますが,外部環境なんか関係なく内的熟達的に粛々淡々とやってればいいとも言えるわけで,私もようやく少しそれができるようになってきたと思うのですが,若い頃は,そうも行かなかったということですかね.

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 そう言えば,秋山先生は,10年ごとに研究テーマを変えるとおっしゃってました.そういうやり方もあるでしょうし,自然と変わることもあるわけで,そういう意味では,私は最初の10年,RCをやって,次の10年迷走して,次の10年,今やってることに辿り着いて,次の10年が実大木造の振動実験や強震動予測を始めたりということで,なるようになってる感じはしますね.

 あと,秋山先生ということで思い出したのは,私が研究室を決めるときに,彼が11号館ではなく,総合試験所におられたことで,これも一種の部署移動というか気分転換になる側面もあるのかもしれませんね(数年間だとは思いますが).そう言えば,地震研の古村先生や三宅先生も情報学環に所属が変わったこともあったんですが,これは環境的にはどうなんですかね?

 あとは,10年に1回くらいサバティカルで海外に行くというのもそういう面があるんでしょうね.でも,今はインターネットで仕事は追いかけて来るし,Zoomなんかになったら日本にいるのと変わらない? でも,気分転換にはなりますよね.

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[謝辞]
(研究)

 昨日の纐纈先生の最終講義をきいて思ったのは,最初の部分のこの道に辿り着いた経緯的な話はやはり面白いと思いましたし,その辺のことについては,私はかなり話すことがあります(笑).このサイトで書いてることもありますが,インターネットで公開できないこともかなりありますからね.

 あとは,自分がどういう研究をして来たかですが,これも紆余曲折的なことも含めてストーリー的なものはかなりあると思いますし,昨日の話をきいてて思ったのは,共同研究者へのお礼というか,感謝の意味も込めてというのは大事だと思いました.これについても私はいろいろあって,このサイトでも少し書きましたが,自分が何かやったというよりは,いろんな人達といっしょに研究したり,話をしたりしてアイデアをもらったりひらめいたりして出た成果がほとんどだと思いますからね.

 でも,最終講義やらないのなら,そういうこともないわけですが,謝辞ではないですが,何らかの形でそういうことをしておこうとは思いました(インターネット公開になるので,公開できる情報に限られますが)

 実は,昨年書き始めた研究室のサイトの「研究者としてのこれまで(とこれから)」というシリーズ記事ですが,そういうことがありました.でも,そういうことを書くならやめるときという気もしてきて(最終講義やるのならネタバレにもなっちゃうし)途中でやめたんですが,定年までには完成させるってことですかね.

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[収入とか資産がいくらあるとか関係なく]
(生活)

 資産の1/10くらいなら買うとかいう問題ではないですね.買うのか借りるのか,駅前に住みたいのか,駅から少し離れても一軒家に住みたいのかということでしょう.

 借りるのならURでしょうから,その家賃が参考になります.いろんなところに行くことのバランスを考えると,場所は,大宮周辺ということで,東大宮,桶川あたりで,70〜80平米で7〜8万といったところです(ただし,桶川は築年数が30年を越えててちょっと古くて20年住めるかどうかわからない.東大宮も築20年は越えてる).

 そうすると,200倍の法則だと,1500万くらいなら買ってもいいとなるのですが,築年数が浅いとか駅に近いとかでどのくらい+αで払っていいか判断ということになります.駅近は,価格に換算するのは難しいですが,築年数は,つらつら見てると20年で半値という感じなので,限りなく新築(築数年)なら3000万,10年くらいなら2000万ちょっと(この辺の築年数が狙い目)でしょうか(ここをしっかりデータを集めて分析するのが重要だけど,とりあえず今はこうしておく).

 これに駅近分をプラスしたり,物件もいろいろあるでしょうから,70〜80平米も要らなくて60平米くらいでもOKということであれば,もう少し安く上がることになります.いずれにしても相場的には,数千万という感じで,やっぱり,安いですね.

 でも,家賃7, 8万,買えば数千万って,収入とか資産が(ある程度あれば)いくらあるとか関係なく,リーズナブルというか,バランスがとれた線だと思いますし,それ以上は,(収入とか資産がいくらあるとか関係なく)高いというか,何かどこかで余計な出費をしている感じがします.

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3/27'21
[駅近マンション vs 駅遠一軒家]
(生活)

 経済感覚的に家賃7, 8万,買えば数千万というのはいいんですが,そもそも,どうして,一軒家を買うことを考え始めたかというと,リタイアすると多くの時間を家で過ごすことになるので,そこを快適にしたいということがあったわけです.駅近は電車に乗って出かけるときは便利ですが,リタイアしたらせいぜい週一くらいだと思いますし,寒い中暑い中10分くらいてくてく歩いて行くより車で10分の方が快適(出かけるハードルが下がる)だと思うんですよね.

 そうすると,例えば,桶川や東大宮から車で10分くらい(徒歩30分,2〜3kmくらいか)の建ぺい率60%で延べ床面積80平米の家を建てるとして100平米(70平米でもぎり行ける)土地の値段がどうかということですが,ざっと見た感じ1000万くらいではありそうで,建物を合わせて,これも数千万で行けそうです.

 これが駅近になると土地の値段は何倍にも跳ね上がりますし,徒歩5分以内の物件はほとんど存在しないので,駅近マンションは,やはり,安いと思います(いざというときに売れるとも思うし).

 つまりは,同じ値段で駅から車で10分と駅近マンションとどっちを選ぶかということになって,まさに一長一短ということでしょうが,リタイアすると電車に乗って出かけることはそんなにないだろうし,多くの時間を過ごす家を快適にしたいということなら(ちょっとめんどくさいけど)前者ということになるのでしょうか.

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[何かトレーニング的なこと]
(体, バドミントン)

 練習が再開して,週二で行き始めて,当初は思ったほど悪くはなかったと思うのですが,ここのところはよくなくて,「体が動かない感覚」にもなってきました.これまでの経験から言っても,長い間やらずに再開してしばらくするとだいたいこうなるんですが,じゃあ,それでしょうがないってわけでもないと思うんですよね.

 そもそも,歳をとるとどうして体が動かなくなるんでしょうか? 調べるといろいろ出ては来るんですが,はっきり言ってどれもゴミのような情報とは言いませんが,そういうことじゃないとも思うんですよね.

 バドミントンに限って言えば,例えば,心肺機能ですが,動けず球に届かなければ,そんなのあっても意味ないわけです.つまりは,まずはアジリティーだと思うのですが,これは筋力とは違っていて,特に球技の場合は,反応というよりは,タイミングを合わせることだと思うんですよね.

 柔軟性は重要だと思います.でも,動的ストレッチ的なことはずっとやっていて,一番ひどかった時よりはいいですが,最近は頭打ち傾向です.

 バドミントンの場合は,球が一定以上飛ばなければ話にならないので,レシーブも含めてストローク力(特に回内回外内旋外旋)は重要なのですが,これも40代半ばくらいからずっと右肩下がりで,もう長い間「一定以上」をずっと割り込んでる気がします.

 こんな感じでは,練習に行ってもそれこそ単に体を動かすくらいにしかなってない,いや,動けないので,体を動かすことにすらなってないし,シングルとかちゃんと練習できれば,体を動かすことになりますが,ダブルスのゲームではそういうことにもならないので,ほんとやっててどうすんの?という感じですが(でも,練習翌日は体が痛くなるので,一応は運動にはなってるのかな),道は2つあって,すっぱりやめて他の体を動かすことになることをやるか,バドミントンを何とかするかですね.

 後者なら,やはり,何かトレーニング的なことということになるのでしょうが,少し「その気」にはなってきました.そして,前者になるとしても,トレーニング的なことということになるのでどのみち同じことですかね.

 問題は,どういうトレーニング的なことをするかです.いろいろ考えられますが,まずは心肺機能は要らなくて(動けるようになってからの話だし,走ったりフットワークをやったりすればいいので簡単な話),どこかで書きましたが,ある程度の負荷をかけて,関節を大きく動かすような動的ストレッチ的なことをもっととか,タイミングを合わせる練習とか,回内回外内旋外旋といったところでしょうか.

 あとは,日常生活というか,長時間座り続けないで,まめに体を動かすこと(これが一番難しかったりしますが),怪我しないように負荷を大きくし過ぎないこと(これも難しい),持続性がないと意味ないので,できる範囲でということもですかね(いろいろ難しい).

 もう歳なんだからしょうがないんじゃない?ってことかもしれませんが,あくまで感覚的にですが,体をちゃんと整えられさえすれば,「このくらいはできるはず」というのはありますし,それを確かめたいというのはありますかね.

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 と書いたのですが,そういうことというか,日常生活で意識することは既にやってるわけで,でも,いつの間にか,できてないこともかなりあって,どうしてそうなってしまうのかということなんですが,そういう意味でも,練習に行って動けないことを確認すれば,あらためて必要性を思い出させてくれるということはあるわけです.

 あとは,しばらくやっても効果がないと途端にやる気がなくなるというか,よく考えることが大事で,そういう意味では,(持久力目的ではなく)フットワークやっても負荷が足りないし,それは動的ストレッチも同じで,床を蹴る力が足りないと思うので,そういうこととか,ストロークはもっと負荷をかける必要があるということで,中身的に見直すことにしました.

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[全てあきらめれば楽にも幸せにもなる]

 別にバドミントンに限ったことじゃなくて,何でもそうですが,全てあきらめれば楽にも幸せにもなるとは思うんですよね.そんなことでは,要介護や認知症にまっしぐらだとは思いますが,本人はそれで幸せかもしれないわけです.確か,夜ふかしでマツコが歯がない人は,みんな幸せそうと言ってたんですが,これもそういうことだと思うんですよね.

 でも,ここでも自分の中で何が大事かというプライオリティーに立ち戻る必要があって,自分が幸せならいいわけはなくて,要介護や認知症になって回りに負担や迷惑をかけるのは耐えられない,そのためには,プリミティブな体脳心の機能を維持することが必要,その中の体について言えば,普段から体をしっかり動かすことで,それを確認するために週二で練習に行くという「順番」になるわけです(実際,上記のように,練習で体が動かないことを確認すると,何とかしないとと考えるわけですからね).

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[慣性モーメント]
(スポーツ)

 女子フィギャーの世界選手権をちらっと見ました(紀平さんと優勝したシェルバコワ).トゥルソワとかシェルバコワがばんばん4回転を跳んでるってことだったんですが,そんな感じじゃなかったですね.でも,シェルバコワを見てすぐ思ったのは,身長が伸びたということです.調べてみたらそうみたいですね(トゥルソワもそうみたい.でも紀平さんはそうでもない).

 やっぱり,そういうことになるんですね.まさに力学というか慣性モーメントの話なわけです.来年はオリンピックということですが,絶望的などうしようもない状態から可能性は少しは出て来た?(でも今回はロシア勢が表彰台独占)

 関係ないですが,紀平さんが日本の商業ピアニストの全く何の印象も残らない曲を使っていたのに対して,その直後のシェルバコワがフィリップ・グラスの曲を使っていて,もう曲で負けてるやんというか,音楽のことも少しは勉強したらどうですかね(商業ピアニストの曲をいい曲だと思うのなら,もっと感性を磨くべき).

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[賃貸 vs 購入 残り時間]
(生活)

 駅近マンション vs 駅遠一軒家もありますが,賃貸 vs 購入もあります.家賃7, 8万と数千万の物件を購入がだいたい対応するってことですが,経済的なことやリスク回避を考えれば,やはり,賃貸です.でも,リタイアすると,賃貸なら実質URになりますから物件が限られますし,一軒家を購入すれば自分が快適なようにカスタマイズすることもできます.

 でも,そんなことより思ったのは,残り時間です.大学の定年は65ですが,その後(多少の学外的な仕事はあるとしても)そこでリタイアしてしまうのなら,そこから平均余命,あるいは,+σとすると20年くらいしかないわけです.言い方を変えると,次の住むところが終の棲家になる可能性が大きいということで,そういうことも賃貸 vs 購入に影響してきます.

 あるいは,何かいい話があるか,自分で何かするかとかで大学が定年になってもまだリタイアせず仕事をするのなら,延長戦ということになるんですが,そうすると,今の賃貸優位の状況が続くわけで(例えば,話を受ける場合は,その職場に行きやすいところに賃貸で住むだろうし,自分で何かするのなら,仕事をしやすい東京になるかもしれない),でも,延長戦なので,いつまでかわからないというか,それこそ,20年が15年とか10年になるだけで,そうすると,残り10年じゃあ,家を買ってもしょうがないとなるわけです(そうなったらURを借りるしかないってことか).

 つまりは,買うなら定年で大学をやめる65がぎりぎりということなんでしょうね.でも,仕事をしているうちは,仕事がしやすいところに住みたいわけで,それは,大学を定年でやめる時になってみないとわからない.つまりは,今いろいろ考えてもしょうがないってことですかね(もちろん,いろいろ調べて,そのとき判断できる材料を揃えておいた方がいいとは思いますが).

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 これって,家どうこうという以前に,定年後,あるいは,リタイア後,どうするか,どういう生き方をしていくかってことですよね.

 もちろん,要請があって,それに応えられるのなら応えたいとは思うのですが,そうすると,「次の段階」に行くのが遅れて,それはそれで難しいことになるかもしれないわけです.もちろん,どんなにいい話でもすぱっと断って,次の段階に行くこともできるんですが,それは話が来てみないとわからないですし,いい話なら断らないと思うんですよね.

 つまりは,そういうことに臨機応変に対応できるように,これまでずっと賃貸というか,定住せずにやってきたわけですし,それでこっちに来ることもできたわけですし,それはこれからも然りということなら,それでやって行くということですが,年寄りに貸してくれるところがあるかってことで(でも仕事してるのなら民間でも物件はあると思うけど),そういう意味では,やはり,URの存在は大きいですが,考えてみたら,私自身は,まだURに住んだことはないですね.

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3/28'21

 あらためて思うのは,やはり,定年後の過ごし方というか,生き方は難しいということでしょうか.私の場合,他の人のことは関係ないんですが,多くの人はどうしてるんでしょうか?

 成功したとかしないとか,そういうことではなく,割と何事もなく人生を送ってる人の場合,結婚して子供ができて家を買ってということなんですかね? そうすると,どこかに持ち家があって,でも仕事の都合で転勤があると単身赴任で,それはそれで大変かもしれないけど,リタイアすれば,持ち家に戻るってことでしょうか.でも,それでリタイア後,うまく行きますかね?

 そうでない人,例えば,結婚してない人の場合も持ち家というかマンションを買って住んでる人は多いですし,そういう人は転勤がない人が多い気がしますが,そういう場合は,仕事をやめてもそのままそこに住み続ければいいってことですよね.

 あるいは,家やマンションを買わない,あるいは,買えなくてずっと賃貸で住んでる人もいるとは思うのですが,そういう人達は,歳をとったらどうしてるんでしょうか.URもありますが,低所得者向けの公営住宅は結構ありますから,既得権者としてそういうところに住む続けるってことなんですかね.

 私の場合を振り返ってみると,東大に就職して,ずっと東大にいる可能性もなくはなかったとは思いますが,じゃあ,家を買おうかとは考えたこともありませんでした.理由としては,何度も書いているように,買うより借りた方が得なわけで,特に当時(1990年代)は,バブルが崩壊して不動産価格は下落の一途で,長期的に見ても経済の低迷とか人口減少とかデフレとかで明らかに資産を不動産ではなく現金でもつのが正解で,実際その通りになりましたからね.

 そういう意味では,ちょうどその頃,福岡の実家が高速道路で立ち退きになって,まさにバブルの最高値で売り抜けることができたんですが,その後,母親がどうするか,具体的には,家を買うのか,賃貸にするのか,福岡に住むのか,東京の方に出てきてもらうのかですが,どう考えても家は買わないのが正解でしたし,東京の方に出てきてもらって賃貸で住んでもらうということに(もちろん,彼女の了解を得て)したんですが,これも大正解でしたからね(その後10年の家賃なんか,当時の一時払い養老保険の利息だけでまかなえたほど).

 もちろん,そういう私の判断というか,そういうことに母が対応してくれたことはありがたかったんですが,彼女が当時言っていたのは,私はいいけど,(妹も含めて)あんたたちは,福岡に家がなくなって帰るところがなくなるのは寂しくないの?ということです.当時は,そんなの全然だったんですが,今になってみると,その意図はわからないでもないです.実際,中高の同級生とかで,ぼちぼちリタイアして福岡に帰ってる人もいますからね.

 でも,私個人的には,リタイアしたら福岡に帰りたいとも帰ろうとも思ったことはないですし,どこかで書きましたが,むしろ,福岡にだけは帰れない(私自身の勝手な思い込みですが,夢破れて故郷に帰るというイメージがある)というところもあるので,やっぱり,関係ないですかね.

 話を私が住む家に戻すと,そもそも私は仕事中心の生活で家になんかほとんどいないわけで(家にいる家族もいませんし),そんな私が家を買う意味なんか全くなかったと思います.

 つくばに行くことになったときも,10年くらいを目処に(当時は)東京に帰りたいと思ってて,つくばに永住するつもりもなかったですし,100平米の格安の職員宿舎があったので,何も迷うことはなかったですね.それから10年余り経って,職員宿舎が取り壊しになったときは,もう東京に帰りたいとは思ってませんでしたが,つくばに永住する(筑波大に定年までいたとしてもその後もつくばに住む)つもりはなかったですし,そもそも買うより借りた方が得だし,当然のように民間のマンションを借りました.

 そして,京都の話があったときも何の問題もなく移ってくることができましたし,今回も快適な職員宿舎に入ることができたので全く何の問題もないです.つまり,ここまでは,何の問題もないというか,迷う要素すらなかったというか,非常に順調というか,経済的にも大成功だったと思うのですが,気づくともう定年まで10年を切ってるわけで,その後,どうするかはなかなか悩ましいことになってるわけです.

 でも,うまく行ったがゆえの贅沢な悩みなんでしょうね.家を買っておけばよかったということなら,今すぐにでもどこかに買えばいい話ですし,今でなくても少なくとも定年のときにそうすればいいだけの話ですからね.それはURとかの公的物件を借りる場合も同様(どこもいっぱいで空きがないということはない)ですからね.

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 現実問題としては,大学が定年になったときにどうするかですね.そこから平均+σの90くらいまで生きるとしても25年しかないわけですから,家を買うことが何とかぎりぎり視野に入るってことですかね.ほんとは買いたくはないのですが,リタイアすれば,借りられるのは実質URだけになっちゃうし,そんなことより,リタイアして家にいることが多くなれば,そこをより快適にしたいと思いますからね(うーん,でもどうなのかなあ.それこそ,内的熟達的にやりたいことがあれば,URの賃貸で全然大丈夫な気もするけど).

 大学を定年でクビになっても仕事を続けて行けるということなら,賃貸生活が続くんでしょうが,どこかからいい話が来たとしてもそれがそこから何十年も続くことはないわけで,それはそれで悩ましいんですが,セミリタイアじゃないですが,例えば,大宮周辺に定住して,その条件下で受けられる話なら受けるってことも考えられるでしょうか.

 でも,こっちに来たばかりて,まだこっちでの学外の仕事の実績はないのですが,こっちでそういう話があったらどうするでしょうね? そうすると,大宮周辺に定住することはありえないし,いい話であれば,こっちで賃貸物件を探すんでしょうね.でも,そうすると家を買うタイムリミットはもう過ぎてしまいますね.あるいは,こっちで大宮周辺みたいなところを探して定住しちゃう?(別に関東近郊に戻らないといけないということはない)でも,友人や家族はみんな東京近郊にいますから,やっぱり,それはないですかね.

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 そもそも,大学が定年の時に来る「いい話」って,どういうものが考えられるんでしょうか.

 まずは大学ですが,講義をいくつかしてもらって,研究室をもって学生の面倒を見てください,雑務的なことは(そんなに)しなくていいですって感じなら「いい話」ですよね.民間企業で,いろいろアドヴァイスしたり若い人達を育てながら研究して行けるというのもそうでしょう.

 でも,そんな話はないとは思いますが,大学の上層部に入って,大学行政のとりまとめ的なことをしてくださいということなら,(私にとっては)全然いい話ではありませんし,そもそも私にはできないので受けられないと思います.

 企業の顧問的な仕事ならどうでしょうか? 例えば,週に一回,あるいは,数回会議的なものがあって,そこでいろいろ(有益な)意見やアドヴァイスをお願いしますということなら全然できるでしょうし,悪くない話だと思います(ていうか,学外の委員会とかがそんな感じ).

 でも,いずれにしても他力本願(話が来るかどうかも,いつまで雇ってもらえるかも)なので,それをあてにすることはできないわけで,やっぱり,「一人でも大丈夫」ではないですが,持続的に,それこそ死ぬまで,活動できるというか,少なくとも楽しく退屈しのぎできるようにしておくことでしょうし,そうであれば,どこに住んでもURの賃貸でも全然大丈夫だと思います.

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 でも,一人でも楽しく退屈しのぎをして行くために多くの時間を過ごす家の環境を整える(例えば,周囲の雑音を気にすることなく研究や思索活動にいそしみたいとか,気兼ねなくピアノが弾けるように防音された部屋にグランドピアノを置きたいとか,体を整えるためにハードルを低くしてめんどくさくなく体を動かすために家の中にそういうスペースを設けるとか,東京に友人や家族に会いに行ったり,逆方向に遊びに出かけるハードルを低くするためにそのバランスがとれた場所に住むとか,駅からの距離と居住性の関係とか)ことを優先するのなら,家を買ってカスタマイズするしかないし,それは,あと10年だろうが5年だろうが関係ない(お金の問題じゃない)と思います.

 でも,その一方で,それは,URの賃貸でもある程度充分実現できて(例えば,ユニットタイプの防音室を2つ入れればいいし,場所的にも物件はあるし,体を動かすことも工夫次第だと思う),いつでも引っ越せてその方が融通もきくわけで,結局,どっちもOKというか,どうとでもなる感じもしますね.

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 要は,今までやってきたようにやって行けばいいってことですかね.いい話があれば,延長戦もあるかもしれませんが,どのみちどこかで,定職がなくなるけど,違うのはそこだけの話とも言えて,経済的なことは問題ないでしょうから,余計な雑務的な仕事がなくなるのはプラスで,学生の研究指導とかができなくなるのはマイナスってことですが,定職という制限がはずれて,活動するのにバランスがとれたところに住めるし,賃貸ならURの中から選べばいいし,お金はあると思うので,経済的なことを度外視しても快適性を求めて家を建てたくなったらそうすればいいってことですかね.

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 でもなんとなくですが,そうそういい話が来るとは思えないというか,今いる大学の定年で一区切りというか,そういうことを前提に準備を進めて行くってことじゃないですかね.いい話と言っても対価が生じるものはそれなり大変でしょうし,でも必要以上のお金は要りませんからね.それで受けられる話は受ければいいし,週一で東京というくらいなら大宮周辺なら全然大丈夫でしょうからね.

 むしろ,いずれ必ずやってくる社会から必要とされない状態に向けて,持続性のある「一人でも大丈夫」になっておくために,しっかり準備をしておくということが大事な気がします.

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 あとは,こうしてここで書いておくことが大事だなと思いました.いろいろ考えるだけだとぐるぐる回って考えがまとまらないことが多いですが,こうして書いておいて,時々読み返せば,ぐるぐる回ることも含めてそれがわかりますし.全く同じところを回って元に戻るだけってことはなくて,確実に何かに近づいてる感じはします.

 こんなにきっちり?記事にせずにメモ書きでもいいんじゃない?という気もしますが,それだとだめな気がします.つまり,人が読んでわかるように,未来の自分に書いておかないと後から読んでもわからないし,何よりちゃんと文章を書くことで考えがまとまって行くことが多いです(でも,ちょっと長いけど(笑)).

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 ここで書いていいのかどうかわからないのですが,今の状態でいいのかということもありますし,何か奥歯に物が挟まった感じで記事を書いていくのも気持ち悪くて,でも何となくわかる人はわかると思いますし,知ってる人は知ってるのですが,「一人でも大丈夫」(を目指す)と言ってるけど,家族がいるんじゃないの?と思う人もいると思います.

 そうなんですが,もうずっといっしょに住んではいません.それは,私が東京からつくばに行ったからとかそういうことではなくて,ずっと以前から,東京にいるときからそうです.でも,不仲で別居しているというわけではなく,そういうスタイル?を選んでいるということです.

 でも,家族なんだから,週末婚じゃないですが,しょっちゅう会ってはいるんでしょということなんでしょうが,そういうわけでもなく,とある事情もあって,会うのはほんとに時々ですかね.

 じゃあ,なんで籍が入っているの?ということでしょうが,そうですね,特に意味はないと思います(そもそも,結婚という形態に意味はないと思っていますし).敢えて言えば,多少(彼女の)経済的な理由はあるでしょうか.

 でも,繰り返しになりますが,不仲ということではなくて,でも,家族というよりは,友人ですかね.

 一人で寂しくないの?と思う人もいるでしょうし,知ってる人でそういうことを言う人もいますが,私は「一人,時々,みんな」がいいので,それは問題ありません.じゃあ,向こうはどうかということですが,これも知ってる人は知っていますが,半分いっしょに生活しているパートナー(のような人)がいるので,それも問題ありません.

 じゃあ,そういうことで「私が」いいの?ってことですが,よくよく考えると,あまりよくないですね.でも,今の状況は悪くないので,そういうことに目をつぶって何となく流されているだけかもしれません.

 こんなこと書いて,読まれたらどうするの?ということでしょうが,彼女はこのサイトを全く読んでいないと言っているので大丈夫でしょう.というか,書いてまずいことは書いてないと思いますしね.

 でも,このままだと何となく流れていくんでしょうね.それはそれでしょうがない気もしますし,それはそれで大きな問題はないのでしょう.でも,やっぱり,何か引っかかるというか,違う感じもしてきていて,やっぱり,おかしいと思ったのは,去年そういう記事を書いたときだったと思うのですが(だから,もう既にそれとなく書いてるってこと),でも,何が変わるわけでもないと思うのですが,記録として,一応ここで書いておくことにしました.

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(相撲)

 相撲は,唯一注目していた照ノ富士が優勝しました.最初の頃は,強引で危ない相撲も多かったんですが,終盤はそういうこともなく強かったですね.序二段から戻ってきたのはもちろんすごいんですが,怪我と病気で休んでる間に落ちて,しっかり治して土俵に上がってということだと,上がってくるのは当然という気もします.

 彼はずっと元の位置(大関)に戻るとしか言ってないんですが,どう考えても今一番強いし,白鵬は限界に近いし,横綱にだってなれるでしょう.でも,心配なのは病気もありますがやはり怪我で,前半のような相撲をとってるとちょっと心配になります.

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[大宮周辺]
(生活)

 上毛高原とか新幹線の各停しか停まらないところから車で10分が狙い目とか言ってたのに,いつの間にか大宮周辺になってるんですが,まあいろいろ分析してそうなったってこともありますが,やっぱり,田舎で「一人で大丈夫」では厳しくて,田舎と東京の間あたりで「一人,時々,みんな」が現実的ということですかね.

 具体的には,仕事とか友人とか家族に会うために週一くらいでは,東京に出て来たいということでしょうか.

 と書いて思ったんですが,今は全然そんな頻度で東京には行ってないわけで,それでも全然へっちゃらなわけで,やっぱり,こうして書いてみることが大事ですね.

 それは,大学に勤務してるからということもあるかもしれませんが,うーん,あんまり関係ない気もするんですが,大学をやめて仕事もしないでこっちで「一人でも大丈夫」で暮らせるかと言うとそれはしんどい気がします.

 それに,東京近郊に住んだとして,昔,東京にいた頃,いっしょにバドミントンしたりスキーに行ったりした友人達とまたそういうことができるのなら,あの頃は,ほんとに楽しかったし,また行くと思いますからね(でも,彼らも私ももう歳をとったか).

 あとは,家を買ってしまうとやり直しは難しいので,それなら賃貸(UR)ってことなら,大宮周辺ということになります.それでも防音室があるので引っ越しは簡単ではないですし,大宮周辺で家かマンションを買うこともありうるんですが,上毛高原でこんなはずじゃなかったと思うことはあっても,大宮周辺でそう思うことはあまりない気がします(要は無難ってこと).

 土地の値段的には思ったほど変わらないというか,100平米もあれば充分だし,上毛高原が圧倒的に有利と思われるスキー場への近さについても,大宮から越後湯沢まで新幹線で1時間で,電車の中で朝ご飯を食べられるし,車より電車が楽なことを考えると,そんなに大きな違いはない気がします(逆に電車で10分だと朝ご飯も食べられない(笑)).

 大宮「周辺」というのは,大宮じゃないってことですが,大宮は巨大ターミナルなので,大宮駅周辺に住むのは現実的ではなくて(でも調べてみたらタワマン以外はそんなに法外に高いというほどではなかった.少なくとも東京駅よりは現実的),だったら,大宮駅からJRとか野田線で数駅というのが狙い目だとは思いますし,東京へ行って帰るときのことを考えると,乗り換えがないJRの方が楽ということはあります.

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3/29'21
[過去の自分から今の自分が影響を受ける]
(このサイト)

 このサイトの記事をできるだけ読み返すようにしていて,今は2018年の夏頃の記事を読んでいます(でも寝る前に読むことが多くて,すぐ眠くなる(笑)のでなかなか進まないんですが,さすがに書くよりは進むので,いつか「追いつく」のでこれでいいんでしょう).

 で,最近は,大分煮詰まってきた(正しい使い方)感じはするのですが,そうそうそうだったということはやっぱりあって(なので,まだ血と肉にはなってないということなので読み返す必要があるということ),そうするとどうなるかと言うと「過去の自分から今の自分が影響を受ける」ことになります.面白いですねー.

 実は,最近書いた記事のいくつかはそうなんですが,私が「そうそうそうだった」なので,気づいた人はいないとは思いますが,そういうことを繰り返して,いろんなことが血と肉にはなって何かに近づいていけばということですかね.

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[今高校生]

 昨日の夜もそうだったんですが,よく高校時代の夢を見ます.と言っても,自分が高校生だった頃の再現というよりは,自分が今高校生という立場で,当時とは違う状況の中ということなんですが(でも何となく父が亡くなるまでは一番楽しかった高二のイメージに近い感じはする),要は,意識としては「自分は今高校生」ということです.

 普段の自分の(起きているときの)今のイメージは,30代くらいとはどこかで書きましたが,潜在意識?としては,それどころか高校生ってことなんですかね? で,目が覚めて,現実に愕然とするわけです.起きて活動しているときも,自分がもうこんな歳だということにものすごくギャップを感じるわけで,なんなんですかね?

 でも,高校時代や30代に戻りたいってわけじゃない.じゃあ,その頃から成長してないかというとそういうわけはない.

 なんかよくわかんないですが,なんとなくですが,「悪くない」感じはします.

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[卒業]

 どこかで書いたような気もするのですが,卒業シーズンということで,別れとか期待と不安とか悲喜こもごもとか,いろんな感情が溢れてみたいな感じなんですかね?

 私個人的に言えば,ほとんど何の感情もなかったというと語弊がありますが,少なくともほとんど記憶にないですね(やっぱり変な奴?).

 小中は写真が残っているんですが,それは親が(無理矢理?)撮ってくれたってことですね.でも,高校はもう父がいなかったのでないですし,全く記憶にもないですね.大学も修士もそうかな.博士だけは,これは書いたと思いますが,東大紛争以来,何十年ぶりかに安田講堂が使えるようになって,そこで式があったので安田講堂の内部見たさに式に出て,その後,同期の川口(現東大生研教授.彼は東大出身じゃなかったけど,構造系で博士で同期だったのは彼だけだったと思う)と正門のところで写真を撮りました.

 じゃあなんで,卒業に何の感慨もないかですが,卒業って過去を振り返るってことで,でも過去には興味ないってことですかね.実際,大学院に進学するのに大学の卒業式なんか意味ないじゃんと思いましたしね(多分出てない).

 でも,そんなこと言ってるけど,私ももうすぐ「卒業」です.それも何と「社会からの卒業」なわけです.どうなりますかね? 過去なんか関係ない,その後のことの楽しみが大きくて,何の感慨もわかないってなりますかね? ていうか,(これまでのように)そうなればいいなと思いますし,そうなるように準備して行くってことですかね.

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[なんで動けないか]
(バドミントン)

 なんで動けないかですが,ちょっとわかったような気がします.と書いたんですが,過去の記事を読むとそういうことは何度もあって,でも現状何ともなってないので,結局,わかってないというか,少なくともわかっても解決策は見出せてない,あるいは,それがなかったら加齢でもっと悲惨なことになってるってことかもしれませんが,今度こそという感じで,探究を続けて行くしかないし,そうすればいいんだと思います.

 でも,何度も出てくる「そういう風に動く」というのは間違ってなくて,でも,歳をとるとそれをかなり強く意識しないとできなくて,気がつくと意識できてないという感じです.

 で,どうして(意識しないと)「そういう風に動く」ことができないかですが,やっぱり,フィジカルが衰えてるわけで,じゃあ,若い頃のようなフィジカルに戻すのは,無理というか,トレーニングして戻そうとすると壊れるわけです.

 フィジカルが衰えてる状態で「そういう風に動」こうとすると,ずれが生じて,イメージ通りには動けないどころか最適解からはずれてしまって益々動けないわけです.具体的には,動き出す前に少し沈んで床を蹴らないといけないのですが,蹴る力が衰えているので,動き出すのに必要な力が得られず,動けないとなるわけです.

 それで,動き出すのに必要な蹴る力を得るために(少し遅くはなるけど)動き出す前にしっかり沈むことを意識をする,つまり,フィジカルがもっとあった若い頃より,しっかり沈み込むことを意識すると動けるのですが,それを意識し続けるのは非常に難しいですし,それだけ意識すればいいとも行きません.

 じゃあ,どうするかですが,やっぱり,ある程度のフィジカルは必要で,つまり,壊れない程度にトレーニングしてフィジカルを上げることは必要でしょう.あとは,動き出す前に(少し時間はかかるけど若いときより)これくらい多く沈み込むんだよと体に覚え込ませることですかね.そして,トレーニングと体に覚え込ませることは,やることは同じなので,これをやるってことですかね(あとは,やはり,日常生活の中で,座り続けないとか,動的ストレッチをするとか,動くときに意識するとか,体を整えること).

 あとは,やはり,現状できることをするだけでは全く効果がないのは当たり前ということです.具体的には,動的ストレッチをするのなら,今の可動域を僅かにでも越える(痛い)ところまで動かさなければ意味ないですし(でも壊れないように),トレーニングだって,(壊れない範囲で)少しでもきつい負荷をかけなければ効果がないのも当然のことです.

 要は,ちょっとその気になってやるとすぐ怪我するということで,臆病になりすぎていた感じもするので(そうすると,リミッターがかかってどんどん体が動かなくなる感じがする),壊れない範囲で少しずつ負荷をかける感じでやってみるってことですかね.

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 あとは,回内回外内旋外旋ですが,これまたよくわかんないんですよね.とあるトレーニングというか意識をすることで劇的に効果があったこともありましたが,今それをやっても全く効果がありません(こういうのはほんとにめげる).それで,また違う方法をやってみると,少し効果が見られたりする.でも,こうやって,その時その時,試行錯誤でやって行くしかないんですかね.

 問題というかポイントは,対象が自分の体,つまり,生命体でしかも加齢付きなので,なかなか理論的には行かないってことで,例えば,トレーニングの大原則の超回復ですら「なんか知らんけどそうなる」ってことなわけですからね.

 でも逆に言えば,もう徹底的に経験的というか試行錯誤でやって行けばいいわけで,その引き出しは,結構あると思いますしね.

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3/30'21
[結局フィジカル]
(バドミントン)

 過去の記事を読み返してもバドミントンに関する記事が結構あって,ということは,いろいろ考えるというかわからないことが多いってことなんですが,そういうことでかどうかはわかりませんが,大分わかってきた感じもしていて,でも,それは何度か書いているように結局フィジカルってことなんですよね(わかりやすい例は,昨年,一昨年の日本シリーズ).

 実際,サークルで打ってる若くて強い連中のプレーを見てても「ただ動けるだけじゃん」って感じで,要は,レシーブも含めて速く振れて速く移動できるだけってことなんですが,歳をとるとそこが衰えるのが致命的なわけですが,逆に言えば,そこがある程度何とかなればと思いますし,複雑怪奇でわからなかったバドミントンがすごくシンプルに見えて来た感じはするんですよね.

 でも,若い時ならともかく,歳衰えてトレーニングするとすぐ壊れるのでそんな簡単な話ではないのですが(トレーニングすればいいのならほんと簡単な話で,実際,30代はそれで強くなった),それでもある程度のフィジカルは不可欠で(具体的には,クリアやスマッシュのロングレシーブが奥まで飛ばなければ話にならない),壊れない範囲で(脳との連携の修正も含めて)トレーニングしてフィジカルをあげるということでしょう.

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 逆に言うと,トップレベル,身近なところだと,香山のフォア奥とか,高上のスマッシュとか見ると,あんなのは練習しても絶対できないと思いますし,サークルレベルでもちょっと光るというか,センスを感じるプレーをする人や,ちゃんと考えてプレーしている人もいますし,やはり,バドミントンはそんな単純なものではないとは思うのですが,それを一発でひっくり返すのがフィジカルというところはあるわけです.

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[じゃあ入学は?]

 卒業に何の感慨もないのは過去のことはどうでもいい(でももちろんお世話になった人への感謝は大事なので自分の話)ってことなら,入学はどうなの?ってことですが,卒業ほどではないですが,これもあまり記憶はないですかね.

 一番強烈な印象は高校(修猷館)の入学式で館歌(修猷では校歌ではなく館歌と言う)ですが,それはその大音量にびっくりしたというだけで感情的なものとは関係ないですかね.東大の武道館での入学式も感慨的なものはなかったのですが,憶えてるのは,みんな同じ格好(リクルートスーツ)してて,間違えてどこかの会社の入社式かなんかに来ちゃったのかなと思ったことと,最初の東大オケによるワーグナーのニュルンベルクのマイスタンジンガー第1幕への前奏曲の演奏(結構うまいじゃんと思った(笑))ですかね.

 大学院はそういうものはなかったと思いますし(ガイダンス的なものもなかった気がする.今の学生はほんと手取り足取りだなあ),私の場合,入社式もないんですが,南研に行った初日に部屋で飲んだ時,当時伯野研で学振のPDだった目黒(も同期.現東大生研教授)が一升瓶2本もって来てくれたことはよく憶えています(それ以降,確かその年の秋に彼が片山研の助手になって生産研に行ってしまうまでよくいっしょに遊んだなあ).

 てことで,過去に興味はないから卒業に何の感慨もないのなら,未来に向けた?入学ならそうでもないかというと,あんまり変わらない感じなので,結局,そういうセレモニー的なものとか,人為的?な区切り的なものに意味をあまり感じないってことなんでしょうね(やっぱり変な奴?).

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[解放されるとも言える]
(研究)

 定年で大学をクビになってもまだまだ研究して行きたい気持ちはあるけど,(定年で)大学をやめると社会との繋がりも,成果を出していかないといけない,学生の面倒を見て行かないといけないというようなこともなくなって,一人でしこしこ研究して行けるかどうかわからない(実際,研究しなくなる人がほとんど)ってことなんですが,こういうことはないでしょうか?

 私の場合,食べて行くために仕事をしているわけではなく,研究を進めるためにやってるのですが,10人近くの学生一人一人にテーマを与えて面倒を見るのは大変で(なかなか研究が進まない学生とか,研究以前の話みたいなこともあるし),研究活動は,それでほとんど手一杯ってことはありますが,研究は進んでるので現状それで何とかなってるわけです.

 でも,定年で大学をやめるとそこがすぱっとなくなります.そうすると,マンパワー的なものもなくなって研究できなくなる(一人でしこしこ研究はしていかない)って人が多いんでしょうが,「10人近くの学生一人一人にテーマを与えて面倒を見るのは大変」という状況から解放されるとも言えるわけで,まさに一長一短というか,結局,やらないといけないから研究してるのか,やりたいから研究してるのかということなわけです.

 やりたいかどうかということもありますが,食べて行くためとか学生を指導しないといけないからとか,研究のための研究ではなく,まだまだ未解明のことがあって研究を進めていきたい,そうしないといけないと思うのであれば,学生がいなくなってしまえば自分でやるしかないのと同時に,学生の面倒を見る必要もないので,その分研究できるとも言えるわけです.

 もちろん,大規模な実験施設や莫大な研究費が必要なことは厳しいと思うのですが,私は(実大木造の振動実験以外は)そういうことに依存しないような研究テーマを選んできたというか,開拓してきたので(そういうことに依存すると研究費とることに莫大な労力が必要になって研究できないというジレンマに陥ってしまうので),私がその気になりさえすればできる話のような気もします.つまり,私にとって研究とは何だったのか?が問われるとも思うんですよね.

 と,考えるとだめなので(笑),というか,私にとって研究に対象は関係なくて,大学をやめて「地震動の性質と建物被害の関係を探求し,それを地震災害軽減に結びつけて社会に還元する」研究をやらなくなったら,単に飽きた,それ以外のことに興味をもった,あるいは,何もやる気がなくなったというだけの話で,でも,学生の研究指導ができなくなることのデメリットばかりを考えるのではなく,メリットもあるとは思いました.

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[まだまだ行くのか?]
(経済, 相場)

 久しぶり?の経済というか世の中の話ですが,最近の状況としては,ワクチン接種が始まったもののなかなか思うようには進まず,変異株の出現で予断を許さない,相場も長期金利が上昇して一進一退ということで,一般的な見解としては,判断が難しい局面ということなのでしょう.

 私自身は,売買する際にそういう判断はしない(その日の流れを見て10分だけ考えて売買している)ので関係ないのですが,無責任に何となく考えると,まだ行くような感じはしています.

 理由の一つは,バブルだ,やばいという人もいて,まだ総強気ではないということですかね.何度か書いたように新型コロナの前に総強気的な雰囲気は少しありました.もうそろそろかなとも思いましたが,新型コロナで相場は大暴落して,ある意味は,それが「当たった」ことになります.

 どういうことかと言うと,新型コロナで相場が大暴落したということだけではなく,そういうタイミングでもあったということです.そうするとどうなるかですが,一度相場が終わってまた始まったわけですから,まだまだこれからということになります.

 でも,そういう中,(相場が上がって欲しい人にとっては)嫌なニュースが入ってきました.野村やクレディスイスが取引先のアルケゴスの損失で多額の損害(数千億)を被る可能性があるということで,その取引先が何をやらかしたかというと,莫大なレバレッジをかけた取引をしていたらしいです.これってどこかできいた話ですよね.

 そう,リーマンショックと非常に似た匂いがします.そういうことに懲りて,そういう取引ができないようにシステムをがちがちに固めたはずだったのですが,実はざるだったわけで,そうするとそういうことは氷山の一角というか,まだまだこれから起こる可能性もあって,でも,リーマンショックのときもそういう話が出たのは,割と早い段階でしたが,その後,数年は何事もなく,でも,ある日突然真っ暗ということです.

 ですから,まだまだ行くのかもしれませんが,新型コロナで相場が一度リセットされたとは言え,「勝負の時」は,意外と早い(数年以内)のかもしれません.

 ちなみに,莫大な損失を出した野村やクレディスイスの取引先であるアルケゴスですが,取引の中身はわからないですが,もし,新型コロナの大暴落の後の大暴騰で売りを仕掛けて失敗した(売りは損失無限大)のだとすると,相場が上げてもこういうことが起こるということなわけで,相場を読む方としては,なかなか難しい話ということになりますが,やっぱり,上げても下げても急激な変動よりは,ゴルディロックスが理想ってことなんでしょうが,そうはならないのが相場の世界ではあります.

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[絞り込めてきた?]
(生活)

 定年で大学をクビになった後,どこに住んでどういう生活をするかですが,紆余曲折?はありましたが,何となく大宮から数駅(できれば,東北線の土呂か東大宮,あるいは,野田線の岩槻まで.桶川はちょっと遠いけどURが駅の近くにあるし圏央道も近いのでこれも候補)に絞り込めてきた感じはして,そうすると,具体的なイメージも湧くんですが,これまではなかなかしんどい感じもしてたんですが,ちょっと(かなり)楽しみな感じもしてくるようになってきました.

 借りて住むならURってことですが,東大宮にはあります.でも,駅からかなり遠くてバスで15分くらいかかるのですが,URがあるってことは利用者が多いってことなので10分に1本くらいと本数は多くて終バスも23時くらいまであるので,駅からとぼとぼ10分歩くより車で10分の方が楽なのと同様に楽なのかもしれません.ここの家賃が7〜80平米で7〜8万なので楽勝でしょう.

 桶川は東京から少し遠いのですが,駅から5〜10分くらいで歩いて行ける距離にURがあって家賃は東大宮と同じくらいですが,10年くらい東大宮より古いです.時々,空きが出るビュータワーの方は,新しい(と言っても東大宮と同じくらいで現時点で築25年)んですが,家賃は大分お高いです(でも10数万くらい.でも,住むなら上層階や1階ではなく2〜5階に限られる).

 これらを,定年で大学をやめる時,心が動くような話がない場合,どこに住むかの「おさえ」と考えても充分快適なわけで,その上で,駅前のマンションとか車で10分の一軒家とかも+αで考えられるわけで,何となく見通しも立ってきて,そういうところに住んでどういう生活をするか想像すると,悪くない感じもしてきて,「準備」が進んだような気もします.

 でも,こうのって(これまでの経験からすると)全然予定通りには行かないので(爆),まあいろいろ考えて楽しんでるってこともありますが,まさに「心の準備」ってことで,定年後の不安をできるだけ払しょくして,今に集中したいってことはありますかね.

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 こうして考えてみると,大学をやめて研究室の学生がいなくなると,私を必要とくれる人は(家族も含めて)いなくなるわけで,それは寂しい気もするのですが,めんどくさくなくなるとも言えるわけで,「一人でも大丈夫」は難しいとしても,何とか「一人,時々,みんな」でやって行ければというか,そのように準備して行くということですかね.

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3/31'21
[排泄の話]
(生活)

 何度か書いたと思いますが,排泄の話です(笑).汚い?話だし,そういうことを面と向かって話すことはそんなにないと思うのですが,いつだったか,確か秋山研スキーの夜,飲んでて,山田(現東大教授)が前から拭くか,後ろから拭くかと言いだして大論争?になったときは,結構盛り上がりましたよ(笑).

 実際,みんな関係ある話ですよね.60を過ぎるとほとんどの人が頻尿とか排泄に問題を抱えてるってことらしいですしね.

 私に関して言うと,そうでもない感じもするんですが,振り返ってみると,ずっと何かしらそういうことはあったような気はします.

 小学生までさかのぼるのですが,当時は(今も?)学校で大をするとめちゃめちゃからかわれますよね.でも,私は結構平気でしてて,しかもめっちゃ生意気だったので,からかわれても,なんやそしたらお前は〇んこせんとか?とか言い返してなんやこいつって嫌われる(笑)みたいな感じでしたかね.

 中学生になると,下痢をするというか,するときはだいたいそういう感じというようになりました.そして,その傾向は30くらいまで続いたような気がします.でも中学のときが一番ひどくて,学校でもしてたんですが,小学校のときよりナイーブ?になって,みんながいるところではなくて,教室がある校舎と音楽室や美術室がある校舎の間にある売店(と言っても,西南中出身の奴しかわからんと思うけど)の裏のあまり人が来ない小さなトイレを見つけて,そこでよくしてました(当時,ブラスの部室が音楽室の隣にあって,音楽室にあるグランドピアノもよく弾いてたし,音楽室でサッカー(階段教室の机の間をドリブルしてタイムを競う)とかして遊んだりもしてて,2つの校舎の間の情景も夢に出てきます).

 でも,そんなに気にすることもなく,私は食べる割には太ることがなくて,それはするとき下痢気味な「おかげ」だ,くらいに思っていました.でも,いつ頃から,そういうことはあまりなくなって,でも,それで太ることもなくって感じですかね.

 これも書いたと思いますが,突然ものすごく活動度があがってものすごく頻尿になることがあって,中学の時,森田という福岡市内のトップレベルの生徒が集まる塾の数学で600点満点中600点満点をとったことがあって,そのとき3回くらいトイレに行って,カンニングを疑われたこと(でも数学でどうやってカンニングするん?)はどこかで書いたと思いますが,活動度が上がって頻尿になることは今でもあります.

 その後はそんなに問題なかったと思いますが,つくばに来てしばらくしてから,当時,このサイトに書いたと思いますが,尿意や便意をもよおすと我慢できないということはないのですが,そこからの「靱性能」は明らかに低下したと思います.そしてそれが不安なので,少しでもそれを感じると行くというか行きたくなる感じですかね.

 つくばにいた頃,一時期,竹園の職員宿舎からつくばセンターまで歩いて行く10分間とか,バスに乗ってる15分間も不安なときもありました.今はそういうことはないですが,大学に着いたり,家に帰ってきたり,洗い物をしたりすると,尿意をもよおすことが多いので,身体的というよりは精神的なものだと思います(夜,トイレで起きることはほとんどないし).

 朝ご飯を食べてしばらくすると必ず便意をもよおしますし1回では済まないので,朝早く出かけるときは,出かけて向こうに着いてトイレがある状態を確保してから食べるようにしています.結構困るのは被害調査のときというのは既に書きましたが,最近はどこにでもコンビニがあるので,それは助かりますが(あとは,観測点が役場にあることも多いけど,早朝とか休日とかは使えないし,被害が大きいときは断水してることもある),そういう状態が確保できるまで朝ご飯は食べられないですね.

 テレ東の路線バスの旅というのは,結構好きで,よく見てるんですが(でも,気づいてやってたら見るという程度),見るのはいいけどやるのは絶対(宇宙飛行士と同じくらい)嫌です.

 こうしてみると,普段は何ともないですが,出かけるときとかは排泄の問題はずっとあって,そしてそれは,私の個人的な身体上の問題というより,人間が社会の中で生活するから起こることで(便利なのに不便.便だけに(笑)),定年でその社会から卒業すれば,逆にほとんど問題がなくなることに気づかされてそれはなんだかほっとします.

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[チャイム]
(大学)

 チャイムってありますよね.キーンコーンカーンって奴(起源?は確かビッグベン).これって大学でも鳴ります?

 私の記憶によると,東大では鳴ってなかったし,地震研でもそうでした.でも,筑波大では,毎時限鳴ってたんですよ.しばらくは,何とも思わなかったんですが,そう言えば鳴ってるみたいな.でも,小中高では,だいたい鳴ってると思うので,大学というよりは学校的で,ちょっとチープな感じはします(ごめんなさい).でも,時間を忘れて講義時間を過ぎちゃうなんてことがないようにってことはありますかね(最近の学生は,先生,時間過ぎてますよとか言わなさそうだし).

 じゃあ,防災研はどうかなんですが,何と鳴るんですよ(笑).昼(12:00)と終業時(17:15)の2回だけですけど(でも,時間を忘れて的には,終業時に鳴るのはちょっとありがたい).みなさんの大学では鳴ってますか?

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 今,一つ思い出したことがあります.西南中を受験するとき,チャイム音をきいたんですが,小学校のもの(ビッグベン)と同じで,でも,地元の梅中のチャイムは違ったんですよね(Cで行くとC-gE-CG-EC-.小文字は1オクターブ下(ここで弾いてみて.これって何が起源? ちなみにオリジナルはCではなくEのような気がする.つまり,E-hG#-EH--G#E-.ここでは英語でHをBと書いてるけど,ドイツ語でBはH♭のことをさすのが普通)midiで作ってみた).それで,どこか親近感をおぼえて,ここに来るんじゃないかなと思ったのは憶えています.

 ちなみに,これもどこかで書いたと思いますが,私は小学生まで絶対音感があって(でも音楽の才能と絶対音感は全く関係ない),でも中学に入ってブラスでクラリネットを吹くようになって,CではなくBになって混乱して絶対音感がなくなったというか,あやふやになったところがあります.

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[どういう感じで大学を移って行くのが理想?]
(大学)

 この話,つまり,どういう感じで大学を移って行く,あるいは行かないのが理想ですかね.

 一つの理想は,東大とか京大とか,あるいは,東大京大に限らず,博士を出て将来を嘱望されて出身校で採用されて,そのまま順調に業績をあげて最後まで勤め上げるってことなんでしょうか.同じところに47年というのは,(時々サバティカルとかで海外に行くとしても)それはそれで大変だと思いますが,研究に没頭し続けられれば,そんなの関係ない気がします.

 でも,研究に没頭し「続ける」ことは非常に難しいし,逆に言えば,それができる人がそういう一つの理想の形を体現できるということですかね(私には無理だったと思います).

 じゃあ,私のような凡人はどうかと言うと,10年くらいを目処に大学を移って行くのかなあと思うわけです.もちろん,ポストの問題なので,なかなかそうは行かないのですが,理想としては,「だんだんステップアップしていく」ってことなんですかね.

 例えば,博士を出たときにいいポストがなくて,どこかの(言葉はどうかと思いますが)三流私立大とか地方大学とかに行って,そこで頑張って業績を積んで,旧帝大とか早慶とかの一流大学にステップアップして,そこで更に頑張って,東大とか京大とかに帰ってくるみたいな?

 でも,これだと,10年ずつだと30年にしかならないので,ちょっと「足りない」ですね.そっか,どこかで海外の大学に10年というのも挟めば行けるかもしれません.でも,建築構造というか,地震工学の分野なら研究レベルのこととか,被害地震も頻発してることとか考えると日本にいた方がいいと思うんですよね.

 そうすると,博士を出て,うまくポストがあって,一旦出身校の助手(助教)になって,そこで何年か過ごしてから,下野?してステップアップして戻ってくるなら何とか行けるでしょうか.そして,これってまさに私の場合だったわけで,12年地震研にいたのは,やっぱりちょっと長くて,どこでもいい(という言い方はどうかと思いますが)のでどこかに出た方がよかったってことなんでしょうし,実際,そうした方がいいとよく言われました.

 やはり,大先輩方の言うことはきいた方がいいってことなのかもしれませんね.でも,当時の私としては,そういうのが怖かったというか,我が子を千尋の谷に突き落とすじゃないですが,そういうところに行って頑張れれば戻って来られたかもしれませんが,頑張れる自信がなかったというか,頑張っても戻って来られる保証はないというか,ずっとそこにいないといけないかもしれなくて,そして,そういう人は実際いますし,だったら,ずっとそこにいてもいいと思えるところにしか行けなかったということはありますし,それが筑波大でした.

 なんか,話がずれてきましたが,こういう世界でもやはり競争はあって,我が子を千尋の谷に突き落してみんな崖を登って戻って来られるわけじゃなくて,でも,突き落とされた方はそれじゃあ生きていけないことはないにしても,何とかしないといけないわけで,結構難しい問題かもしれません.

 とは言え,しっかり仕事をしていれば,何とかなるとは思いますし,世の中捨てたもんじゃないとも思いますし,そもそも,一旦大学の教員になってテニュアをとればもう食いっぱぐれはないわけですからね.

 私の場合は,結果的には何とかなったというか,地震研12年は長かったと言ってもだいたい10年くらいだし,筑波大17年は,もっと長くて,10年を過ぎたあたりから正直かなりしんどくて,でももう半分あきらめていたというか,このままここで定年を迎えるのかなあとも思っていて,でも,それでもいいと思って来たのでそれはそれで目論見通りでもあったんですが,もやもやしたところはあったと思います.

 だったら,Q大の話を受ければよかったじゃんってことなんでしょうが,あのときは,まだ筑波大に来て7年くらいでしたし,昇進したばかりとか,福岡に帰るわけにはいかないとか,家族が猛反対したとか,それより,いろんなことを考えると筑波大にいた方がいいと思ったので,やっぱり,無理でしたかね.

 でも今にして思えば,あの時移っていれば,筑波大に7年,Q大に10年なので,計算ぴったり(笑)になったと思いますが,それはあくまで結果論で,Q大に行ったら,そのままずっとQ大だったかもしれないわけですからね.

 話を戻すと,10年ずつくらいでステップアップしていくのが理想ということだと,あんまり早く登り過ぎるのもしんどいというのが一つの注意点ですかね.でも,そんなこと言ったら,ずっと同じところにいるのはもっとしんどいわけで,でも研究に持続的に没頭できればどこにいても同じところにいてもいいわけですし,そもそも,研究することとどういう大学に所属するかは関係ないので,別にステップアップなんかしなくても,気分転換に10年に1回くらい大学を移ればいいってことですかね.

 そういう意味では,人材の流動化じゃないですが,もっとスムーズに(ステップアップじゃなくても)大学を移れるようになるといいとは思います.

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 大学だけではなく,国や民間の研究所も含めれば,ヴァリエーションは広がりますし,実際,建研とか土研とか防災科研とかゼネコンの技研から大学に移るケースは結構ありますし,博士に行くのではなく,修士で民間の研究所に行って,研究して実績を作って社会人博士をとって,助教を経ずに准教授や教授で大学に来る人も結構いますし,助教って結構難しくて,要は,上司次第ってところがあって,いい上司に恵まれればいいけど,講座制でひどい奴のところに行くと下働きばかりさせられるなんてこともありますからね.

 国の研究所の場合は,修士からは難しくて,博士を出てというケースが多いですが,例えば,博士を出て建研に10年くらいいて大学に行くとすると,そこから更に大学を移るケースはそんなにないかな.つまり,10年周期の1つとして考えるのは難しいってことですかね.

 民間の場合も10年くらいいて博士とってどこかの大学の准教授になって,そこから更に大学を移ることはそんなにないかもしれません.具体的には25くらいで修士を出て,40くらいまでに博士とってどこかの大学の准教授になるってことですが,そこからもう1回どこかで大学を移るってことですよね.

 でも,考えてみれば,それもありというか,とにかくどこでもいいので民間,あるいは,国の研究所からできるだけ早い段階で(例えば,40くらいまでに)大学に行って,そこで研究室をもって10年くらいで結果を出して,50くらいを目処にもう一度大学を移るってことですね.そうすると10年周期はちょっと厳しいとしても15年周期くらいで職場を3回変えるのはできると思います.

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[おさえ?]

 今日は書くことないかなと毎日思うんですが,(結果的に)なんでこんなに書くことがあるんでしょうね(笑)?

 絞り込めてきた?というか,定年で大学をやめて仕事をしないとしても大宮周辺で(研究も一人でしこしこ続けながら)悠々自適な生活をするという状態を「おさえ」たってことですが,これって「おさえ」なんですかね? 「おさえ」という割には結構いいじゃんって思います.

 つまりは,ここをおさえておいて,いい話があれば,というよりは,これが基準になって,これよりもっといい話というか,折角考えたこの体制?を振ってでも飛びつくような話があればってことで,そう考えると,現実にはなかなかないというか,この「おさえ」を前提に考えて行けばいいのかなと思いました.

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 でも,大宮周辺の桶川とか東大宮とかは以前も考えたことはあったわけで,でも,以前は,何というか,しょうがなくってわけじゃないけど,リアルな日々の生活を想像すると大丈夫かな?という感じだったんですが,今は割とポジティブに考えられるというか,それは何なのかなと.

 こっちに来て気分が変わって,と書いて思ったんですが,別に気分は変わってないですかね.だって,定年が65というのは変わりませんし,ソフトランディングはむしろしにくくなったと思いますからね(でも気分転換にはなってるかな).それより,この半年でもいろいろ考えて,「心の準備」が前進したことはありますかね.

 あとは,食べ物を少し変えたことは関係あるかもしれません.これは体調にも影響していると思います.そんなことで?と思うかもしれませんが,食べ物ってやっぱり超重要だと思いますね.

 そうそう,生活のリズムが変わったこともあるかもしれません.それにあらためて自分が一人だったことに気づいて,一人(時々みんな)でやって行く覚悟ができたってこともありますかね.

 こうして見ると,複合的にいろいろ要因があるような気がします.

 とは言え,これですんなり行くとは思えず,まだまだ紆余曲折はあるでしょうし,それで結局目論見通りにも行かないんでしょうが,そういうことも含めて楽しんで行こうと思います.

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[理系と文系とどっちが有利か]
(世の中)

 理系と文系とどっちが有利か,というタイトルが見えました(もちろん,中身は読まない).死語とは言いませんが,今でもそんなのあるんですね.

 そもそも,どっちが有利かで理系か文系か決めます? どっちに興味があるかじゃないの? でも,多くの人はそうじゃないんでしょうし,だから成功しないんだと思いますし,それがわからない人も多いんですよね.それどころか,数学とか理科ができないから文系という人が多いっていうし(それはそれでしょうがないか).

 私の頃は,理系に行っても技術者として文系にこき使われるだけだから,文系が有利って言われてましたけど,私はそんなことなんか全く意に介さなかったですし,理系に来ましたが,別に文系にこき使われてるとは全然思いませんけど.

 でも,東大の文一とかは,理系とか文系とか全然関係ないと思います(逆に東大の理一が文系ということはない).東大の文一に行くのは,明らかに目的があって,平たく言えば,(昔なら)官僚になるためで,そして,官僚になるのなら,理系よりは文系(東大法学部)が圧倒的に有利でした.つまり,どんなに数学や理科ができても,官僚になって国を動かす仕事がしたいのなら,文一に行ったわけです.

 ところが,官僚がこんな感じになってきて,そうすると東大文一というか,東大法学部人気にも陰りが見えて来たらしく,優秀な理系の受け皿がなくなってきたと再三書いていますが,それは優秀な文系の受け皿も然りってことなんですかね.

 理系であろうが文系であろうが,優秀な人材の受け皿がない国って...沈みゆく国というのは,まさにそういうことなんですかね.

 でも,国が沈んでも本人が頑張ればいいわけで,受け皿が全くないわけではないし,そういうところを目ざとく見つけて行くことで成功する可能性は逆に大きいとも思いますけどね.

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(スキー)

 あの後,あっという間にびわ湖バレイも奥伊吹も閉まって,否応なしにシーズン終了となったんですが,ガーラの下山コース,まだ開いてるんですね.なんだかなー.まあしょうがないか.

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[腹をくくった]

 どうしてリタイア後を割とポジティブに考えられるようになったかですが,あきらめたというか,腹をくくったというか,仕事をやめたら一人なわけですし,プライベートというか個人的なこともそういうことをあらためて認識して覚悟ができて,人生所詮退屈しのぎじゃないですが,そういう底辺的なところから考えれば,結構薔薇色(笑)ってことはあると思います(たまたまですが,さっき,こういう記事も見た).

 もちろん,一人に拘るわけではなくて,付き合いたい人とは付き合って行きたいし(でも向こうが嫌だと言えばそれはそれでしょうがない),基本的には来るものは拒まずですし,受け入れられるものは受け入れて行くというのは,これまでと変わらないのですが,私からしゃしゃり出ることはないですし,受け入れられないものは受け入れられないということでいいんだと思います.

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