前の月へ
1/1'21
[年賀状]

 あけましておめでとうございます.今年の年賀状です.

 いつもは感想的な変なこと(笑)を書くんですが,今年は転居のお知らせというか,やっぱりまあこれですかね.感想的なことを書くなら,大学を移ったことなど関係なく,これからもこれまでのように内的熟達的にやって行きます,とは,さすがに年賀状には書けませんしね(笑).

 今年の抱負とかはない(これからもこれまでのように内的熟達的生活をして行く)んですが,折角,京大防災研に来たので何かを変えるというか,環境を活かしたいとは思いますが,あまりそう考えない方がいいと思うので,やっぱり,これからもこれまでのように,ですかね.

                 ----------------------------------

[70と80と90]

 新年早々なんですが,瀬野先生が70で亡くなったからというわけではないんですが,このくらいの歳で亡くなる人も結構いますよね.どこかで書きましたが,だいたい平均80で±σが10年というイメージだと充分あり得るということですからね.

 つまり,モデルケースというか,大まかに,70で亡くなる場合,80で亡くなる場合,90で亡くなる場合の3パターンくらい考えられるわけです.そして,この3つでリタイア後の生き方というか過ごし方が大分違ってきます.

 まず,70の場合は,実はほとんど問題ないことに気づかされます.具体的には,定年の65まで働いて,何年かの延長戦を過ごしてということで,リタイア後どうするかも何もないわけです.そして,ある意味,これを「目指してる」人も結構いるような気がします.

 逆に,90の場合は,そこから20年あるわけですから,なかなか大変で,まさにいろんな準備が必要となります.でも,そこをしっかりできれば,有意義というか楽しい新しい人生になると思います.

 問題なのは,意外と80の場合ですかね.中途半端というと何ですが,それはそれで難しいわけで,しかも平均なので,このパターンが一番多い(統計的にはおそらく80+数年が一番多い)わけですからね.

 でも,一番問題なのは,やはり,何歳で死ぬかわからないということでしょう.ピンピンコロリで70で死にたいと思ってもそうは問屋が卸さないわけです.

 じゃあ,どうしたらいいかですが,やっぱり,90,あるいは,それ以上まで生きて「しまう」ことを想定して準備しておくということでしょう.

                 ----------------------------------

[年賀状のペーパーレス化]
(生活)

 年賀状ですが,こちらが出したものについて返事をしている感じで向こうもやめたがっていると判断されるとか,この人はもういいかなという場合は,来たら返事を出すとかしていたら,それとなく気づいて向こうも出さなくなるとかして(年賀状減産計画),数はそこそこ減ってきましたが,何年か前から,そもそも年賀状をやめるか,せめてペーパーレス化,つまり,メールにしたいと思っています.

 やめるのは簡単で,例えば,今年の年賀状に,今年をもって年賀状を出すのは最後にしますと書けばいいわけですし,そういう人もぽつぽついます(でも高齢の人が多いかな).でも,それこそ,年賀状のやりとりだけだけど何十年も続いている人もいるので,年に1回消息くらいは知りたいとは思うんですよね.

 とすると,現実的にはやめるのではなく,メールということになるんですが,全員のアドレスがわかるわけではありません.そして,メールにするなら全部そうしないとあんまり意味なくて,というのは,50枚出すのも200枚出すのも手間はそんなに変わらないからです.そんな感じで,今年は住所が変わったこともあって,結局出しました.

 うーん,何かいい方法ないですかね.部分的にでもメールにするのは上記のように手間的にはそんなに変わらないし,普段からメールのやりとりをしてるならいいですが,年賀状に印刷してある場合はアドレスを打ち込まないといけないのもめんどいですしね.

 でも,そうやって少しずつ電子化していけば,年賀状減産計画と合わせて,紙の年賀状は徐々に確実に減って行くとは思うので,とりあえず,どのくらいの人がアドレスがわかるか調べてみますか.

                 ----------------------------------

1/2'21
[後には引けない]

 いくつかのMLで,年賀状は電子メールで,というのが来て,私も便乗することにして,そのMLに年賀状を電子メールで出すと宣言して送信しました(今年は紙でも出してるけど).

 つまりは,もう後には引けないということです.

 どういうことかと言うと,一部でも電子化することが決定したわけで,自炊を始めたときと同様,電子化されたものと紙ベースが混在するのはうざいので,出来る限り電子化を進めないといけないということです.

 ただ,自炊と違うのは,全てを電子化できない,具体的には,メルアドがわからない人もいるってことですが,それは自炊の場合も僅かですが紙ベースのままのものあるわけで,つまり,着々とできる限り電子化を進めて行くということですね.

                 ----------------------------------

(日記)

 正月というか,三が日なんですが(まだ2日だけど),午前中家でのんびりして,午後遅くから研究室に出てきてという感じで過ごしていて,昨日の午後は,家族とzoomで会って話をした以外は,会議とか委員会とか打ち合わせもないので,研究室のダンボールを開けてファイルボックスを棚に収納する,あるいは,ダンボールのまま収納するというのを「ちんたらでもやっていたら進んでいつか終わる」でやっていたらあっという間にほとんど終わりました.

 結局,棚の組み立てとファイルボックス,ダンボールの収納と合わせても,時間的には,一日くらいで終わるわけで,こんなんならさっさとやれよって感じですが,それでもなかなかその気にならないってのが...(特に不自由はないとか,他に優先してやることがあるとかもあるけど)

 でも,次の引っ越しは,棚の側板は分解せずにそのまま運べるし,解体と組立も勝手がわかってるし,引っ越し後の段取りも考えれば,今回よりも更に省力化できる(更にいつでも引っ越せる状態に近づく)と思います.

 それまで更に荷物を減らすことと,ダンボール3つくらい棚に収納できない荷物があるのでそれをどうするかですが,まあぼちぼちやったり考えたりして行きます.

 あーそっか,今度は,家でも同じことをやらないとですね.どうやってハードルを下げるかですが,これもまあ「ちんたらでもやっていたら進んでいつか終わる」で少しずつやればいいのかな.

                 ----------------------------------

 前住んでるところでは,シャワーだけで,浴槽にお湯をためてはいることはなかったんですが(一度やったけど,バスタブが結構大きくて足を伸ばして入れるのはよかったけど,時間がかかるし自動ではなかったので温度調整がうまくできずめんどくさかった),今のところは,浴槽がそんなに大きくなくて,お湯張りも全自動なので,結構入っています(そして入れば,やっぱり気持ちいい(笑)).

 で,思ったのは,そういうほんのちょっとしたことでハードルが下がるわけで,そして何より「やるかやらないか」の差は大きいわけで(0か100),上で書いた荷物の収納も,多分,ほんのちょっとしたハードルの高さの問題だと思うんですよね.

 これは全てのことに言えて,歩いて5分のところに研究室があれば,出てきて仕事するとか,隣の部屋に防音室付きのグランドピアノがあれば弾くとか,早起きして3時間かけて行くのはめんどいけど,のんびり起きて1時間で行けるのならスキーに行くとか,パソコン開いてキーボード叩くだけならこのサイトの文章を書くとか,歳をとって,いろんなことがどんどんめんどくさくなって行くと思うのですが,めんどくさいからやらないということだと,どんどん体も心も脳も退化してつまらない人生になって行くわけで,でも,頑張ってやるのはしんどいので,そんなに頑張らないでもやれるようにハードルを下げる,お金があるのなら,ある程度,それで解決する,ということはあるんだと思います(どこかで書いたと思うけどあらためて).

                 ----------------------------------

[人生70年くらいがちょうどいい]

 とあるMLに,去年仕事がほんとに大変で,年末年始はステイホームを満喫していて,仕事が忙しいときは家でのんびりに憧れたけど,リタイアしたあと毎日これだと俺たち仕事人間はどうするんだろね? 人生70年くらいがちょうどいい気がする,という投稿がありました.投稿したのは,日本を代表する企業の代表取締役,つまり,成功者と言える人です.

 何度もこのサイト書いてることで,全く以てその通りだと思うのですが,70で燃え尽きて死ねればいいんでしょうが,そうは行かないわけです.じゃあ,定年でクビになる会社なんかさっさとやめて次の段階に行く,例えば,自分で何かビジネスを始めるとかも考えられるのですが,代表取締役まで来てしまうともう勝手なことはできませんよね.

 だとすると,もう腹をくくって会社で定年でクビになるまで働くしかないのですが,そうすると心配なのは,やはり,ハードランディングです.どんなに仕事をしたくても,社会の要請があっても,人間,歳をとれば衰えていくわけで,それに従って働く量を徐々に減らしていければいいんですが,定年を境にいきなり仕事を失うのが問題なわけです.

 ですから,定年後も,例えば,週の半分くらいは働けるようなところで働ければいいとは思うのですが,そういう仕事があるかどうかは,まさにどういう仕事というか職種によるわけで,大会社の事務系は,一番難しいかもしれませんね.

 働かなくても金にならなくても仕事以外にやりたいことがあればいいと思うのですが,仕事で成功した人ほど,そういうものがなくて,あっても仕事以上のやり甲斐は感じられないのが最大の問題なわけです.

 ということで,なかなか正解は難しいのですが,じゃあ,70で死ねればいいけど,死ねなければ,孤独と退屈を受け入れて絶望するのも一つの考えでしょう.そして,人生所詮退屈しのぎというゼロベースから,どうするかと考えれば,見えてくるものはあると思うのですが,やっぱり,それが難しいんでしょうね.

 こうして書いてみると,私が成功者かどうかはともかく,彼の状況はまさに他人事ではないわけで,でも,そういうことはもう大分前から考えてますし,いろいろ想像も準備もしてきました.実際,10年前は,途方に暮れる思いでしたが,今はそうでもないですからね.

 でも,まだ準備万端というわけじゃなくて,まだまだ準備を進めていこうと思うのですが,着陸態勢に入ったと思ったら,もうちょっと飛べと言われたりして,なかなか予定通りには行かないのですが,どうなっても大丈夫という意味では,やはり,外部要因に依存せずに内的熟達的に生きて行くことだとは思います.

                 ----------------------------------

[やりたいことがあればいい]

 何度も書いてますが,究極的にはやりたいことがあればいいと思うんですよね.そして,私にはやりたいことが(普通の人より)たくさんあると思います.でも,そのやりたい度は安定せず,加齢とともに低下するとともに,心身が衰えることでハードルも上がってくる,つまり,やりたいことはやりたいけど,めんどくささがそれに勝つようになってきてしまうわけで,それはみんなそうみたいです.

 じゃあ,どうしたらいいかですが,ハードルが下がるように(少しお金を使って)環境を整えるのは一法だと思いますが,やらないといけないように追い込むとか頑張るのは(若いときはいいですが歳をとると心身を壊すので)厳しい気がします.

 だとすれば,ある意味,怠け者になって,できる分だけやりたい分だけやればいいと開き直るのも一法なんじゃないですかね(私は元々怠け者だし).もちろん,仕事とかそんなこと言ってられないこともあるのですが,原則はそうというか,実質既に人生終わってて何でもありなわけで,ほんとに嫌になったらもう仕事なんかやめてしまえばいいわけですからね.

 まあでも,そこのところをうまくマネージメントして,何とか勤め上げたい,責任は果たしたいと思うわけですし,学生の研究指導とか,研究に関するところは,まだまだやって行きたいと思えるわけで,そこで何とかやって行ければということでしょうか.

                 ----------------------------------

1/3'21
[生活というか身の回りのこと]

 やりたいことまで行かなくてもそんなに嫌じゃないやることがあればいいと思うんですよね.これってまさに仕事を選ぶ重要な条件の一つで,つまりは,死活問題なわけです.

 そして,そういう「やること」を定年前に徐々に開拓して行く必要があるってことでしょうか.「やりたいならすぐやる」的に言っても,定年過ぎてからじゃなくて,徐々にやって行く必要があるのは,ハードランディングを避けるということがあります.

 私について言えば,リタイア後問題について真剣に考え始めたのは,もう10年以上前だと思うのですが,その後,やることを徐々に開拓してきたんですが,その中で一番大きいのは,生活というか身の回りのことですかね.

 それまで,家族と一緒に住んでいたこともありますが,そういうものの多くを家族に依存していたと思います.そして,それがものすごく不安というか違和感があったんですね.

 でも,故あって,一人暮らしをするようになり,生活とか身の回りのことを自分でやるようになったんですが,それまであった不安とか違和感がなくなって,自分のことは自分でやると気分がいいというか,いざとなったら一人でも大丈夫というか,そういうことは大きかったと思います.女性が何事もなく老後を過ごしているのに対して,男の多くが情けない老後を送るのは,そういうことがあると思うんですよね.

 もちろん,身の回りのことだけで時間が潰れるわけではないですが,生きて行くために必要なことですし,奥が深いというか,極めようとするといくらでも極められるわけで(いつでも引っ越せる状態とか),いくつかある柱の一つとしていいというか,哲学と同様,中心にさえ来るものかもしれません.だって,人間誰しも仕事する以前に,生きて(哲学)生活している(生活とか身の回りのこと)わけですからね.

                 ----------------------------------

 研究室の荷物の収納ですが,午後,研究室に来て,1時間くらいやったらほぼほぼ終わったと思います.これであとは,6年3か月?かけて少しずつやって行けば,更に「いつでも引っ越せる状態」に近づくでしょう.こんなにすぐできるのならさっさとやれってことですが,結局,(やらないと不都合がないので)その気になるかってことですかね.

 上で書いたことと矛盾するように見えますが,そうではなくて,今は(まだ)仕事をしているので,そちらを優先ということで,でも,何とか時間を見つけてやってるということは,「すぐやる」的には,できる範囲で徐々にやっているということになります.

                 ----------------------------------

[1か月住んでみて]
(生活)

 今,2019年の記事を読み返してるのですが(でも寝る前に読むとすぐ眠くなるのでなかなか進まない),住むところがどういうところかのリスクの記事があって,前回の引越しのときのように,冷蔵庫とか洗濯機とか3万円で最低限必要なものだけ運んでもらって,1か月住んでみて,というのをやればいいと書いてありました.

 そうそう,そうだった(こういうのがあるからやっぱり読み返しは必要かも).でも,これはそこそこ近くないと難しいですね.具体的には,例えば,つくばから小山に引っ越すのなら,車で1時間ですから,例えば,定年前の3月に引っ越して,1か月,小山から(時々)つくばに通うということならできると思います.

 でも,その時は,想像もしなかったのですが,京都に来ることになって,例えば,宇治から上毛高原に引っ越す場合は難しいですね.でも,宇治から米原なら行けるかな.

 あるいは,東京近郊なら,(その時どうなってるかはわかりませんが)以前のように仕事で東京に行くことがしょっちゅうなら何とかできるのかもしれませんね.

                 ----------------------------------

[変わらない]

 そっか,70で死ぬとするとあと10年ちょっとしかないんですね.そう考えると,もう残り時間がそんなにないというか,もうすぐ人生が終わるんだなと思いますね.まあでもやりたいことやって来たし,何とか一仕事できたし,それはそれでありかもしれませんね.

 ですから,そうだとわかっても,生き方を変えることはなくて,例えば,仕事をやめて自由な生活を満喫して散財するなんてことはありえなくて,だって,研究というやりたいことをみすみす手放すわけはありませんから,特に何も変わらず,大学にいられるうちは,学生達とやりたい研究をするってことですね.

 90とかそれ以上まで生きてしまうことに対する準備についても,変わらないですかね.どこかで書きましたが,例えば,いつでも引っ越せる状態にするというのは,身辺整理というか死ぬ準備とも言えるわけですし,そもそも,「今の」生活の質を上げることですからね.

 ということで,何も変わらないってことなんですが,これって,ある意味,いつ死んでも大丈夫というか受け入れると言えるわけで,自画自賛的には,割といい生き方ができてるとは思いました.

                 ----------------------------------

[乗り越えないといけない壁]

 「準備」を始めたのは10年以上前と書きましたが,人生が所詮退屈しのぎであることに気づいて絶望したのは30代ですから,既にそのときから(心の)準備が始まっていたとも言えますね.

 いつ気づくかは人それぞれで,早い人は10代とか0代とかで気づく人もいるみたいで,早過ぎるのはさすがにしんどいと思いますが,遅すぎると手遅れで,でも最後まで気づかないめでたい?人もいるんですかね(薄っぺらい人生ですね).

 普通は(人生が実質終わる)50代のような気がしますし,私は30代とちょっと早くてちょっとしんどかったんですが,今にして思えば,その分,早くから準備できたとは言えますね.

 いずれにしても,一度絶望して思い直すということで,いつか乗り越えないといけない壁だと思いますし,乗り越えれば新しい人生が始まるわけで,でも結構時間はかかると思うので,あまり思い詰めないことも大事だと思います.

                 ----------------------------------

1/4'21

 乗り越えないといけない壁としては,歳をとると,それまで上り坂だったものが下り坂になる,具体的には,いろんな面で衰えて行くということもありますね.

 これも何歳のときにそういうものを感じるかは人それぞれで,一番早いのはトップレベルのスポーツ選手ですかね.でも,普通は30代なんでしょうか.私はちょっと遅くて40代でしたが,スポーツをしていたのが大きくて,そうでなかったら,もっと遅かったかもしれません.つまりは,体に不可逆的にガタが来るというか,もうどうやっても若いときのようには行かないとなるのは50代なんでしょうか.

 そして,これについても潔く受け入れて,そこからどうするかという点では,人生所詮..と同じですし,これに関しては,歳をとって体は衰えてもまだまだ上っていけるものもありますからね.

                 ----------------------------------

(日記)

 11:45からオンラインで新年会?とどこかで見た気がするので,一応,大学に出てきたのですが,結局,URLが送られて来ず(多分),何だったんだ?って感じですかね.まあ何かあったら来たばかりで知らなかったということで許してもらいましょう(こういうのはほんと気にならなくなった).

                 ----------------------------------

[逆防音室]
(住むところ)

 とりあえず1か月住んでみるってことなんですが,賃貸の場合,数年で上下左右の住民が入れ替わる場合もあるので,これで万全ではないですね.でも,購入の場合,住民の入れ替わり頻度は低いですが,1か月住んであかんと思ってもどうしようもないわけで,しかも,住民の入れ替わり頻度が低いことが逆に仇になるわけです.

 お金がいっぱいあったら,上下左右も借りちゃう(笑)ってのもありえますが,そこまでするかってこともありますし(引っ越した方が安い),そもそも,URとかだとできないんじゃないですかね(よく知らない).

 とすると,東京から電車(新幹線)で1時間で,駅から車で10分の回りに家がない土地に家を建てるというのが現実味を帯びてきますが,うーん,めんどくさいなあ.

 やっぱり「いつでも引っ越せる状態」にして,あかんと思ったらさっさと引っ越しというのが現実的ですかね(でも,今まであかんと思ったことは一度もないけど).問題はやはり防音室+グランドピアノで,でもお金払って業者がやるんで,少々のお金があればいいってことですかね.

 つまりこれも一種の「お金で解決」ってことで,少なくとも上下左右も借りるより安上がりでしょうし,逆防音というか,静かな環境で作業をしたい時用にもう1つ防音室というアイデアもありましたね.

 つまりは(今のように)内的熟達的生活をすれば,どこに住んでも世の中がどうなっても関係ないわけで,一番重要なのは,そういう生活を仕事を失った後もできるかですね(それこそ「逆防音室」さえあればいいことになる).

                 ----------------------------------

 じゃあ,仕事を失った後,どうやって内的熟達的生活をして行くかですが,何度か書きましたが,まずは研究ということでしょうか.研究というと大変そうですが,まだわかってないことを自分なりに探求して行けば何でもいいと思うんですよね.

 例えば,どうやったらピアノが上手くなるか,今練習している曲をどうやったら弾けるようになるか,バドミントンの運動を洗練して競技力を上げるには,スキーやゴルフの動きの洗練するにはどうしたらいいか考えるのも研究でしょうし,生き方とか世の中のこととかいろんなことを考えて文章にすること,世の中や経済の動きを見て,自分で考えて世の中や経済がどうなるかを予測して相場を張るのもそうですし,要は,何でもありってことでしょう.

 仕事で成功した人は,そういうことしても仕事と比べたらてんで大したことないレベルでその気にならないとしても,してきた仕事がもうできないのなら,それを除外したところから選ぶしかないですし,どうしても仕事に拘るのなら,起業でもどういう形でもやればいいし,内的熟達的に仕事をすることもできるでしょう.

 研究まで行かなくても,世の中の動きとか歴史とか地理とか何でもいいので興味をもって,いろいろ調べたりするのは,いわゆるインプットですが,そういうのも結構楽しいんじゃないですかね.

 そして,そういうことなら(バドミントンは打つ相手は必要だけど),ほとんど一人で内的熟達的にできる,その多くは,それこそ机と椅子とパソコン,つまり,畳一畳のスペースがあればできるわけで,一日中それだとしんどいのなら,時々ぼーっとテレビを見たり,ちょっと散歩とか買い物に出かけたり,食事の準備とか洗濯とか掃除とか片付けとか身の回りのことをしたり,バドミントンの練習に行ったり,スキーやゴルフの練習場に行ったり,時々,家族や友人に会ったりすれば,「一人,時々,みんな」でやって行けるんじゃないですかね.

                 ----------------------------------

[自然とそうなってる]

 定年の日を境にいきなり100から0というハードランディングではなく(でも大学教員の場合,いろいろ学外の仕事もしているので100から0にはならない),何とか徐々にソフトランディングということですが,自然とそうなってる気がします.

 具体的には,加齢とともに若い時のような活動度で活動することはできなくなってますし,無理をすれば確実に体調を崩します.それでも(余計な)仕事が増えて来てるのが問題なんですが,現実的に活動能力は落ちてるわけですから,できること以上のことはできないわけで,自然と活動量は落ちてると思うんですよね.

 じゃあ,仕事が増えてるのにどうやってんの?ってことですが,一つは仕事の処理能力や判断力の向上,そして,自分が動くより,人を動かす仕事が増えてきているということでしょうか.

 ですから,まあなるようになってるというか,それで何とかなってると思うのですが,そういうバランスが崩れそうになるときもあるのですが,できる以上のことは物理的にできないわけですから,自然とそうなってるはずですし,仕事をやめて退屈になったら何かしようとするのでしょうし,そういう気がないのなら特に何もしない,つまり,自分を信じるというかあきらめて,第三者視点から客観的にどうなるのか観察するという感じでいいんだと思います.

                 ----------------------------------

1/5'21
[人生やり直せるとしたら]

 私は今が一番幸せというか,もう一度人生やり直せと言われても,またここまで来られるとはとても思えないので,過去のどこにも戻りたくないと再三書いていますが,それは今に限らずずっとそう,少なくとも40くらいからはずっとそうなんですが,(これも何度も書いていますが)一方では私の人生の大半はだめだめで,それでほんとによくここまでやって来られたと思いますが,もしどこかからやり直せるとしたらと考えました.

 もちろん,全ては137億年前に決まっているので,やり直しても全く同じ結果になるだけなんですが,そこは架空のありえない話として妄想してみるということです.つまりは,ただやり直すのではなく「何かを変えたら」どうなるかということです.

 問題はその「何か」が何かということですが,そういう最大公約数を炙り出すためにやり直せるならどこで,どうやり直したいかを考えてみることにします.

 一番はだめだめだったのはどこかなあ.そう考えると特にない(多すぎる)気もしてきますが,それじゃあ話が終わってしまうので,特にだめだめだった時期としては,小学校時代の福岡に引っ越してきてからの数年間,高校受験前,大学受験前,駒場時代,30代ですかね(やっぱり多すぎ).

 そして,これらの時期に共通して言えるのは,まだ人格的なものが未形成の小学校時代以外は,やらないといけないのにその気にならない,やる気にならなかったってことですかね(そういう意味では,一番ダメージが大きかったのは,父親を亡くした大学受験前でしょうが,またああいう思いはしたくないですね).

 じゃあ,やる気ありの状態にしてやり直せばってことかもしれませんが,それはそれで違う結果になったかもしれませんが,ずっとやる気満々というのも変な話で,要は,そういう低調なときにどうするかというマネージメント能力なんだと思います.

 そういう意味では,やらないといけないけどやる気にならないという状態で,そのときのエネルギー以上のことをしようとして失敗したとは言えるわけで,逆に無理せずできる範囲でできることをやっていたら,もっといい結果が出ていたような気はします.

 そして,これ(無理せずできる範囲でできることをやる)って,このサイトでずっと書いてることですよね.そして,そういうことを心掛けるようになって,具体的には,最後のだめだめの時期は30代なわけですから,それ以降は,何とかやって来られているということでしょうか.

 うーん,でも,それ以降もだめだめな時期はあったと思いますし,逆に若い時にとても無理と思えるようなことに挑んで成し遂げたことも何度もあったわけで,結局,そんな単純な話じゃないんですが,言えるのは,「いい時期とそうでない時期」があって,それをある程度見極めて,今は頑張る,今は無理せずできることをやる,というメリハリというか,やはりこれもマネージメントということでしょうか.

 そういう意味では,だめだめのことが多かった人生ですが,振り返ってみるとそこそこそういう風にできたというか,やる気を失うことで結果としてそうなったとも言えるんですが,高校受験,大学受験,進振り前という大事な時期にそうなってしまったのは,まさにだめだめなんですが,結果としてどれも何とかくぐり抜けた(危なかった)ので,まあよしですかね(やっぱり,やり直したくない).

                 ----------------------------------

 特にだめだめだった「小学校時代の福岡に引っ越してきてからの数年間,高校受験前,大学受験前,駒場時代,30代」のうち,小学校時代以外は,やらないといけないのにその気にならない,やる気にならないってことなんですが,じゃあ,30代はどうなんですかね?

 30代というのは,何度も書いていますが,小さい頃からの「やりたいことを見つけてそれを仕事にする」という夢を叶えて,幸せになったのもつかの間,大失恋をしたということもありますが,学内外のいろんな仕事をこなして行くうちに自分の研究を見失った,何をやったらいいのかわからなくなったってことなんですが,この時期の「やらないといけない」重要性としては,世間一般的には,しっかり成果を出して昇進するということなのでしょう.

 そういう話は(既に書きましたが)何度もありましたが,いろんな事情があってそうはならず,でも,自分の研究を見失った,何をやったらいいのかわからなくなったということは大した業績はなかったわけで,まさに自業自得ということでしょう.

 でも,結果として,他大学に移籍することになり,そこで自分の研究を見出し(正確には,移籍前に見出していたけど),それを思う存分やることで成果を出したわけですから,人生ほんとわからないものです.

 これを敷衍すると,30代以外のだめだめな時期も,それはそれで意味があったわけで,結果オーライじゃないですが,なるようになってるわけで,やっぱり,今が一番幸せですし,過去のどこにも戻りたくないですね.

                 ----------------------------------

[関西での暮らし]
(生活)

 こっちに来て2か月余りが経って,関西での暮らしはどう?とかきかれるのですが,別にどうということはないというか,大きな変化はなくて,でもこれは,内的熟達的生活をしているということはあるでしょうね.

 人と話すときも仕事ではほぼ標準語ですし,盛り上がった時にちょろっと関西弁が出て,「関西弁出た」と思うのがほんとに時々あるくらいですかね.

 テレビは,関西ローカルが結構あるんですが,その多くはお笑い番組,あるいは,お笑い芸人がやる情報番組で,でも,お笑いでは関西弁は標準語みたいなものなので,違和感はないですしね.

 あと,こっちに来たら,新喜劇とかナイトスクープとか,昔時々見ていたものが見られると思ってちょっと楽しみで,何回か見たんですが,今は見てもそんなに面白くないというか,特に新喜劇のあのベタな笑いはちょっと...ですかね.

                 ----------------------------------

(世の中)

 一都三県に対して緊急事態宣言出すんですね.だったら休業補償しろという人もいるんですが,その金誰が出すんや?ということです.もう国にお金なんかないどころか,今年度だけで100兆も大借金した状態ですよ.もうここまで来たら,いくら借金しても後は野となれ山となれ?

 ほんとにひどい話ですが,何度も書きますが,飲食店に一律に休業や時短要請するのはおかしな話で,外食自体に感染リスクはほとんどないし,向かい合ってしゃべるときにマスクをするとかアクリル板を設置すればいいだけの話なんですが,そんなこともできない○ホな国民や飲食店ばかりなのなら,しょうがないということでしょう.

 でも,そんなことより,一番の問題は医療体制で,欧米の何10分の1という感染者数や重症者数でほんとに医療崩壊が起こるのなら,そっちの方が大問題ですし,ほんとにそうなら(ほんとは全然そんなことないと思いますけど)敢えて医療崩壊させるというか,もうこれ以上,受け入れられませんとケツをまくるのも一法(そうすれば○ホな国民も少しは怖がる?)かもしれません(無理か).

                 ----------------------------------

[乗り越えるのではなく]

 乗り越えないといけない壁とは言っても,実際は,乗り越えるのではなくあきらめて受け入れるということでしょう.そこが大きなことなんですが,受け入れたからと言って全てが薔薇色になるわけじゃなくて,でも,何かが変わる感じはします.

 でも,それでも波はあって,いいときもそうでもないときもあるのですが,それは単なる変動で,実際「外的状況は何も変わらない」わけで,だとすれば,調子の波みたいなもので,よくないときは,休息するなり活動をセイブするなりしてやり過ごせば,じきよくなりますし,そう思えば,そういう気分のときも大分違ってきます.

                 ----------------------------------

[星生山]
(地理)

 大学から帰るとき,PCをロックすると世界のいろんな風景が出てきます.で,今日は,パタゴニアのフィッツ・ロイ山だったんですが(でも,時々,生き物のドアップが出てきて「気に入らない」を押すと切りかわるんですが,何度も出てくるのは全く学習してないってことか),

 

こういう幻想的な山ということで,小学生の頃,よく父に連れられて行った九重の星生山を思い出しました(沓掛山を越えて久住山に行く途中に左に間近に見える.星生山という名前は,まさに星が生まれるような山ということから来ているときいた).でも,いろいろ画像を探したんですが,イメージ通りのものは見つかりませんでした.

 

 幻というわけではないですが,あのときの鮮烈なイメージがイメージとして残ってるのかもしれませんね.

                 ----------------------------------

[最大のラッキー]

 家に帰ってきてテレビを付けたら,エジプトのピラミッドがどうやって建設されたかの謎に迫るみたいのをやってて,研究者がそれこそ必死こいてあーでもないこーでもないとやってるわけです.

 こういうのを見ると,やっぱり,人ってどういうメカニズムで何かに興味をもつのかなあと思いますね.

 この人にとっては,ピラミッドの謎に圧倒的に興味があるわけで,言い方を変えると,それ以外のことにはほとんど全く興味がないわけですよね.それってあまりにピンポイントで,やっぱり不思議ですし,更には,その興味が持続することがすごいと思います.

 というか,そういうものに出会える人は,そうそういないわけで,やっぱり,そういうものに出会えることが最大のラッキーじゃないですかね.

                 ----------------------------------

[転居届]
(生活)

 年賀状ですが,転居届を出しているので,ちゃんと来るはずですが,まだ半分くらいしか来てない感じです.新住所に出してくれてる人もいるのですが,新住所を知ってる人を除いて,私のものが届いてから出してるってことがわかるわけです.

 でも,そういうものが届いているのに転送されてくるものがまだ届かないってことは,転居届って,そもそもどういう仕組みなのかなと考えました(ちょっと調べたけどわからなかった).

 旧住所に届けたら宛てどころに訪ね当たらず,そこで転居届が出てるかどうかをチェックして,出てたら転送,ではないと思います.そんなことしたら大変だし効率が悪すぎますし,以前の引っ越しのときはもっと早く転送されてきましたから,実際に届ける前のどこかで判断してるんだと思います.

 それが投函した近くの郵便局か,配送先近くの郵便局かってことですね.以前の引っ越しは近隣で転送が速かったけど,今回は遅いことを考えると,配送先の郵便局ってことですかね?

 いずれにしても,それ以外の膨大な数の転送の必要がない郵便物といっしょになってるわけですから,仕組み的には,結構大変なんじゃないかと思った次第です.やっぱり,まさか一度配送?

                 ----------------------------------

[目標?]
(IT)

 bmobileですが,1980円で16GBにしたので,湯水のようにというか,パケットを気にすることなく使ってますが,1ヶ月で16GBなんか全然行かない感じです(今まではせいぜい2〜3GB).錯覚かもしれませんが,使った通信量の割に,パケットが増えない感じもしています.

 頑張ってわざと使っても意味ないですし(スマホのバッテリも減るし),動画なんかほとんど見ませんからね.まあ,目標?5GBくらいにしときますか.

                 ----------------------------------

1/6'21
[勉強の仕方の研究]

 人生をやり直せるならを書いて考えていたら,一番うまく行かなかったというか,やり直したらうまく行くと思えるのは,大学受験という気がしてきました(でも,また父が亡くなったときに受けたショックとか,その後のしんどい状況に戻るのは嫌だけど).

 父が亡くなったという影響はあったんですが,それとは別に私の勉強の仕方に問題があったことはどこかで書いたと思います.こんな将来役に立たないことを勉強することに意味を感じられない,受験と割り切って勉強できないという人は多いと思うのですが,私はそれはそうでもなくて,じゃあ,何が問題だったかというと,勉強しないで「勉強の仕方の研究」ばかりしてたんですね.

 英語でも数学でも物理や化学でも,勉強しようとすると(高校の授業では話にならないので)参考書や問題集を買ってきて自分でやるわけです.どういう参考書や問題集がいいかは,例えば,エール出版の私の東大合格何とか作戦とかいう本とかで紹介されている情報(例えば,当時は,筑駒の東大理科の必勝法は,物理は旺文社の傾向と対策,化学は数研の重要問題集とか書いてあった(笑).これ以外にもそれぞれの科目で鉄板と言えるものはいくつかあった)を基に買ってきてやり始めるんですが,すぐにあら捜しを始めるんですね.

 具体的には,この問題集は,この部分の内容が抜けてるとかバランスが悪いとか説明が間違ってるとか.そうすると,途端にこの問題集や参考書で勉強してもだめだとなって,他を探すわけですが,私を満足させるものなんかこの世に存在しないわけで,結局,いろんな参考書や問題集をつまみ食いするだけになってしまってたと思います.

 もし当時の私に好調時のようなエネルギーがあったら,というか,今の私なら,厳選され,かつ,網羅された完璧な問題集を自分で作ることもできた,そして,そういうことを大いに楽しめたと思うのですが,当時はそこまでやらなかったということですし,あちこちつまみ食いするくらいなら,多少不備があっても,盲目的に1つの問題集をしっかりやればよかった(例えば,物理なら傾向と対策,化学なら重要問題集とか)と思うんですよね.実際,現役のときは,点数的にはほんのちょっと足りないくらいでしたからね.

 で,その後,どうなったかですが,浪人するんですが(笑),完璧な参考書というか問題集探しの旅は続くわけで,でも,何とか辿り着いたんだと思います.全部は憶えてませんが,英語は,駿台の英文解釈教室(1ページ目の英文をどう読むかという解説は衝撃でした),英作文は何かの難問題集,英文法は忘れた,あと,試験に出る英単語と英熟語,物理は難問題の系統とその解き方,化学は駿台の必修化学(でもこれは完璧ではなかった),現国は憶えてないですが,古文と漢文は,何か見つけてたと思います.数学だけは,結局,そういうものが見つからず,でも,どうにかしたとは思います.

 あとは,いわゆる赤本の活用法ですかね.当時の私は,東大に受かればいいというよりは,各科目の中身をしっかり理解することが重要と考えていて,赤本は,本番直前の練習にとっておいて,過去問の研究は敢えてしなかったんですが,受かることを考えれば,やはり,過去問の研究は重要だったと思います.

 でも,こうして書いてみると,確かにほんのちょっとしたことで,結果が全然違ってた感じもするのですが,じゃあ,そこがうまくはまって,現役で東大に合格したらどうなってたかと考えると,今のところに来てない気がします.具体的には,鉄板と言われる問題集を買ってきてざっと見て,いろんな不備が見えないようでは大したことないと言えるわけですし,見えても不備があるものを平気でやれるのも問題ですし,何よりとても「研究熱心」(笑)なことが当時は裏目に出たけど,研究者になってからは間違いなくプラスに働いてるでしょうからね.

 つまり,結局,なるようになってる,人生一本道で,それがベストの結果ということでしょう.

                 ----------------------------------

 同じことは,やることを見失った30代にも言えて,当時,与えられるがままに(しっかり)仕事をこなしていたら,順調に出世というか,社会的にはもっと成功したんでしょうが,そうはならず,迷走というか,自分がやりたいことは何か,やるべきことは何か,他の人にはできない自分にしかできないことは何か,自分の能力が最大限に発揮されることは何か,といったことを考え続けて,今やってることに辿り着いたわけですからね.

                 ----------------------------------

 とまあ,過去を肯定するのは,私も歳をとったということなのでしょう.

 でも,過ぎ去った過去はどうでもよくて,問題はこれからなわけですし,若いときなら,過去を肯定せずに過去の失敗を将来に活かすのがいいと思いますが,歳をとると活かす未来がないというよりは,やり直しがきかない過去を悔やむより,過去を肯定して前向きに考えた方がいい結果に繋がるというか,これまでとは「生き方」が違うので,過去のやり方が参考にならないということが大きいと思います.

                 ----------------------------------

[団塊の世代まで?]
(世の中, 経済)

 人生70年くらいがちょうどいいという投稿に対して,いやいや,リタイアしてのんびり過ごせるのは,団塊の世代までで,我々の世代は,まだまだ働き続けないといけないという投稿がありました.どう思いますか?

 普通に考えれば,日本を代表する企業の代表取締役なら,リタイアしてのんびり過ごせるだけの資産はあるでしょうし,人並程度の経済感覚があれば(そう言えば,その会社の代表取締役5人くらいでゴルフに行って,他の連中は高級車三昧の中,彼だけ大衆車(〇ンダの?itのハイブリッド)で,大顰蹙(笑)?だったらしいが,彼だけまともな経済感覚をもってると言える),リタイアしてのんびり過ごすことはできるでしょうから,まだまだ働き続けないということにして,むりくりやることを作ることで退屈しのぎをしようとしているとも言えます.でも...

 彼が言うことにも一理あって,それは,このサイトで再三書いている経済破綻です.具体的に言えば,お札が紙切れになり,株や不動産価格が暴落して,国民の資産が消滅するということです.そうなれば,年金も破綻しますから,まさに死ぬまで働き続けないといけないということになります.どうしますか?

 そうなったらそうなったで,死ぬまで働くぜ,というのはありでしょうし,定年で会社をクビになって,やることない状態からある意味解放されるのは,仕事人間にとしては,むしろ朗報かもしれません.でも,どんなに成功した人でも,会社で偉くなった人でも,定年でクビになったら「ただの年寄り」ですから,時給1000円のきつくてしんどい仕事になってしまうでしょうし,それは,再雇用で会社に残れた場合も然りでしょう.

 それが嫌なら,必要なのは,やはり「準備」ということになります.具体的には,例えば,定年でクビになる会社なんかさっさとやめて,自分で事業を起こすとかして,死ぬまで働ける状況を作るとかですかね.実際,我々の世代は,まだまだ働き続けないといけないという投稿をした人は,そういう行動を起こしています.でも,経済破綻したら,仕事ありますかね?

 そうすると結局は,経済破綻に備えて,資産を守るということですかね.バブルの崩壊のときもそうでしたが,みんな大損するのならまあいっか的なところがあって,経済破綻しても,国の借金と国民の資産はほぼ釣り合ってるのでチャラになるだけとも言えますが,私は○ホな政治家や国民の巻き添えをくらうのは絶対嫌というか,自分だけは抜け駆けしてやろう(笑)と思ってますから,いろいろ対策というか準備はしています.

 でも,みんながハッピーというか,スムーズなシナリオは,今は定年65ですが,それが徐々に伸びて行くということでしょうか.それが一番平和だし,働き人間にとっても,最も歓迎すべきことかもしれませんが,うーん,どうですかね?

 会社からすると,経済破綻まで行くかどうかはともかく,厳しい状況になって行くのは間違いなくて,そういう状況で,真っ先にリストラの対象となるのは,使えない年寄りということになるでしょう.否,使えるのならそうではないということで,結局,ほんとに世の中にとって必要なのか,自分に何ができるか,自分にしかできないことがあるのか,ってことに尽きるわけですし,それは,自分で事業を起こす場合もそうでしょう.

                 ----------------------------------

[息が詰まる?]

 また緊急事態宣言で,ステイホームだと息が詰まるという人が多いみたいです.ほぼほぼ半径200m以内で内的熟達的生活している私からすれば,と言いたいところですが,毎日,それこそ休日も研究室に来ているわけで,大学に来るな,ずっと家にいろと言われたら,しんどいと思います.

 逆に言えば,ここに(リタイア後の)大きなヒントがあるというか,どこかに出かけなくても,ちょっと移動するだけでそういうスイッチが切り替わればいいということでしょうか.それは,単に場所を変えるということなのか,何か社会的繋がりが必要なのかということもあります.

 具体的には,例えば,図書館(の自習室)とか,スタバやコメダ珈琲みたいなところでもいいのか,自分で借りたワンルームの仕事場でもいいのか,少し広い家に仕事部屋みたいなのを作るだけでいいのか,やはり,何か社会というか人との繋がりが必要なのか,ということでしょうか.でも,少なくとも場所については,数百mの移動で充分ということは確認できたことになります.

                 ----------------------------------

 既に書きましたが,「逆デイサービス」はありかもしれませんね.

 具体的には,施設に入って,でも,そこにいるのは,朝食夕食と寝るまで過ごす時間と寝ている間だけで,昼間は,自宅に行って作業をする,ピアノもそこで弾くみたいな感じでしょうか.つまりは,人との繋がり的なものは,仕事場ではなく,逆に,家というか,住んでるところで,ということです.

 でも,それは,もう一段階先というか,介護が必要とまでは行かなくても,寝たらいつ目が覚めないでもおかしくないというか,そういう年齢になってからでしょうから(でも,ある意味,それは年齢は関係ないのだが),その前の段階をどうするかですね.

                 ----------------------------------

[ダンボールの山が]
(生活)

 研究室のダンボールの山が一瞬にして消えてなくなって(墨俣の一夜城(笑)?),部屋に来る人は「すっきりしましたねー」と言うのですが,その実,ダンボールの山のダンボールをそのまま,あるいは,ダンボールの中に(4つ)入っていたファイルボックスを出して棚に入れて並べただけで,要した時間は,1, 2時間ってとこでしょうか.

 そして,その逆,即ち,次に引っ越すときの梱包も同様ななわけで,まさに「いつでも引っ越しできる状態」に近づいたということでしょうし,棚に整然とダンボールやファイルボックスが並んでいて,普段の快適性も確保できているということですし,ここからの荷物減らしもやりやすいと思います.

 今度は,家もこんな感じにしようと思います.

                 ----------------------------------

1/7'21
[紙の年賀状は]
(生活)

 年賀状ですが,昨日,かなり届いて,だいたいの状況がわかってきました.

 結果から言うと,紙の年賀状は,だいたい半分くらいには減らせそうです.

                 ----------------------------------

[脳を騙せばいい]

 リタイア後,どういうスタイルにするかですが,その次の最終?段階が「逆デイサービス」だとすると,そこまでの繋ぎということで,ある意味,「未来がある」とも言えるので,それはどこかほっとします(そういう「未来がある」状態で,一人で何とかできる状態を維持できて,最後まで施設に入らないで済むのならそれに越したことはないし).

 それで,想像力の問題なんですが,今朝,家を出て大学に来るときに,途中にマンションが見えるんですが,リタイア後,今の家は大学の宿舎なので住み続けることはできないけど,もし住み続けられるとして,そのマンションの一室を借りて仕事場的なものにして,そこに通うとしたらどうだろうと考えました.

 そしたら,行けそうな気もしてきました.実際,大学に来てると言っても,そんなに人と接するわけでもないし,でも逆に,内的熟達的生活をしてると言っても,インターネットとかでいろんな人と繋がってるわけですからね.いやいや,仕事をやめたら,仕事関係のやりとりはなくなるじゃんってことですが,研究関係以外のやりたくないめんどくさい仕事関係のやりとりなら,なくなった方がいいです(笑).

 そもそも,本質は違うところにある感じもしていて,要は,脳を騙せばいいのかもしれません.社会や人と繋がってるとか言っても,その実,どうなのよというか,勝手にそう思えればいいわけですからね.このサイトが一番わかりやすくて,ここで何か書くと,数は多くないけど,友人とか家族とか非常に知的水準が高い人達が読んでくれてると思うと,それで充分人との繋がりを(勝手に)感じられますからね(逆に数多くの不特定多数の人に読まれるのは気持ち悪い).

 あるいは,世の中や経済の動きを見て,思うことをここに書くこともそうですし,それに基づいていろんな相場を張ることは,よくも悪しくも今の世の中の中心である経済ともろに関わってると言えるのかもしれません.

 そうすると,大学というか研究室に来るとなぜか「そういう気になる」というのも怪しい感じがしてきて,だって,研究以外の仕事はできればしたくないわけですし,研究関係なら大学に出てこないといけないというわけでもないですからね.

 つまり,場所を変えることで,何かのスイッチが切り替わったと脳が勝手に思い込むのなら,逆にそれを利用して,近くのマンションの一室とか,URになら少し離れたところにもう一部屋借りるとかして,場所を変えて脳を騙してそう思い込ませればいいのかもしれません.

 そうすると,もっと進めて,自宅の一室を仕事部屋にということも考えられますし,小説家とか家で仕事をする人でそうしている人は結構いますが,それだと脳が騙されないというか,ある程度,「環境が違う場所」にする必要はあるかもしれません.

 大学の研究室というのは,そういう意味では,「環境が違う場所」ではありますし,URの場合,同じURだと部屋の環境が似ていて,脳が騙されないかもしれませんね.

 つまりは,そこの線引きというか,騙されるか騙されないかの境目を見極めるということになるのですが,ある程度,訓練によって,より「手前に」線引きすることができるようになる気もします.

                 ----------------------------------

 逆に,大学をやめた後,研究をどうやって続けて行くかは,別の問題というか,本質的な問題という気がしてきます.

 一人でしこしこやればいいのなら,逆に場所なんか関係ないわけですし,それは,何らかの形で組織とか誰かと仕事をすることになっても同じなわけです.

 翻ってこれはどういうことかというと,大学をやめたら,もう研究なんかしないということなら,「単なる場所の問題」ということになり,上で書いたように脳を騙せばいいということになります.

                 ----------------------------------

[新しい戦争]
(世の中)

 このサイトでも既にどこかで書いたかもしれませんが,新型コロナですが,中国が仕掛けたのではないかということが一部でまことしやかに言われてますが,こういうのはほとんど都市伝説なんですが,今回に限ってありえない話ではない気がしています.だって,動機的にも,事の進み方もあまりに出来過ぎてますよね.

 感染しても多くの場合,軽症ということは,対策は難しくなる一方で,死亡者もそこそこ出て,中国みたいな統制下にあるところでは止められても,それ以外の国では厳しいという見事にチューンされたウィルスなわけで,実際,その通りになってるわけですからね.

 問題は,中国は何をしたいのかということです.そりゃあ,世界制覇でしょってことなんでしょうが,制覇してどうすんの?ということはあるわけです(でも権力者はそんなことは考えないか).

 ものすごく中国寄りの言い方をすると,もっといい世の中にしたいと思ってるってことはないでしょうか.具体的に言えば,民主主義の問題です.

 このサイトで何度も書いていますが,民主主義の問題としては,衆愚政治になりやすいってことで(ていうか,実際なってて,世の中どんどんグダグダになってる),中国的には,○ホな国民を賢い上層部が統制して,もっといい世の中にしてやるぜと思ってるのかもしれません.ですから,ソ連のときと似ていて,イデオロギーの問題ということですかね.

 つまり,新型コロナは,戦争でも冷戦でもなく,中国が仕掛けた「新しい戦争」ってことかもしれません.実際,化学兵器みたいなものですし,死者も出ているわけで,でもそれを戦争ではないように見せかけるのも非常に巧みで,そういうことも含めて戦争ということでしょうか.

 そして,実際の戦争と違うのは,無作為に上から爆弾が降ってきたり,一律に赤紙が来て戦場に送り出されれたりするのではなく,ちゃんと対策をする人ほど感染リスクは低くなるし,経済的に必要なものではないところが打撃を受けるわけで,ある意味,理ににかなってるとも言えます.

 もちろん,中国が仕掛けたということがほんとだとしたら,まさにあるまじきことですが,ほんとの戦争をするよりはましということでしょう.問題は,この新戦争をすることでほんとの戦争を回避できるのかってことですが,それは何とも言えません.でも,今のこの新戦争なら,アメリカは中国に勝ち目はないでしょう.

                 ----------------------------------

[売れるというのは]
(世の中)

 YouTubeに動画が上がってたんですが,GLAYってイカ天に出たんですね.

 そのときは完奏すらできず,イカ天以外のコンテストに出てもつまらないと酷評され続け,彼らがそんな時期をめげずに耐えて頑張って,その後,爆発的に売れたということなんでしょうが,音楽自体はつまらないじゃないですか.

 イカ天に関して言えば,他にもっと面白いバンドはいくらでもあったし,売れるというのは,その程度のことでしょう.

                 ----------------------------------

[更にその先?]
(世の中)

 緊急事態宣言が出たらしいのですが,飲食店とかに時短要請をしたり,不要不急の外出を自粛とかいうだけみたいで,これじゃあ何が変わったの?というか,一体何なんですかね? 特措法の採決をこれから(今頃?)やるらしいですが,緊急事態宣言の更にその先があるってことなんですかね?

                 ----------------------------------

 「一人,時々,みんな」がいいと書いてますが,「逆デイサービス」もそうですが,誰かといっしょに暮らしていて,仕事は一人ですることが多いのなら,昼間は仕事で出かけていて,夕方には家に帰ってくるというのがまさに「一人,時々,みんな」ってことなんですかね.

                 ----------------------------------

[初夢]
(?)

 小さい頃からの刷り込みだと思うのですが,毎年「初夢」を意識してしまいます(笑).いわゆる,一富士,二鷹,三茄子ですね.小さい頃は,今年こそ富士山の夢を見るぞって感じだったんですが,いつの間にか何十年も経って,気づいたら富士山はおろか鷹も茄子の夢も見たことがありません(でも,富士と鷹はともかく,なんで茄子?).

 つまりは,私の人生,「今年はいい年」と言える年が全くなかったってことになるんですが,実際は,全然そんなことないですし,それどころか,かなりラッキーな人生だったわけで,こんなの全然当てにならないってことですね(当たり前(笑)).

                 ----------------------------------

[年寄りとして]

 そっか,突然鐘が鳴って人生が終わったってのは,(実質人生は終わってるのでまだ生きるのなら)もう「年寄り」として生きて行けってことなんでしょうね.

 それならそれで仕方ないと思いますが,「年寄り」として(どこかでひっそりと)生きて行けってことなのに,実際はそうは行かないってのは何なんですかね.年寄りってことなら,もう好き勝手やらせてくれよって感じですが,そう言われると,もうそこそこ好き勝手やってる感じもしてきたのでまあいっか(笑).

                 ----------------------------------

[実際にそこがどうか]

 脳を騙すってことですが,仕事場というか,出かける先が何らかの「社会の中」にあればってことでしょうね.大学の研究室然りですし,(私はしないですが)スタバとかファミレスで作業する人はそうなんでしょう.図書館の自習室は,浪人時代に使ったことがありますが,若いときはともかく,今はしんどいですかね(シェアオフィスとかも).

 せめて,ワンルームの個室くらいは,ということだと,そういうところを「社会の中」,例えば,どこかで書きましたが,商店街の中にマンションがあるとか.そう言えば,大阪のなんばあたりで何日かホテルに泊まったときも,そのホテルは商店街の中にあって,エレベータを下りると何でも揃ってて,とてもいい感じでした.

 ですから,仕事場がそういうところでもいいし,住んでるところがそういうところならそれだけでいいのかもしれません.熊谷の駅ビル直結のマンションは,それに近いのですが,部屋の中にいるときにそういうことが感じられる感じはあまりしませんでした.

 つまり,「条件」ではなくて,「実際にそこがどうか」ってことで,そういうところを探せばいいのかもしれませんが,なかなかなさそうな気はします.少なくとも東京では思い当たるところはないですし,東京から電車で1時間なら尚更でしょうか.

 これって,結局,にスーパーとか食事できるところとか,生活に必要なものがすぐ近くというか,そういうものの「中に」住むところや仕事場があるってことですかね(駅はなくてもいい).

 ですから,意外とない気がしますが,実際に「社会の中」でなくても,そんな感じがするのなら「脳を騙せる」ってことなんでしょうから,そういうところも含めて,探すってことですかね.

                 ----------------------------------

1/8'21

 なんか変な感じがしてきました(堂々巡り?).やっぱり,場所がどうこうじゃなくて,社会と繋がってると思えるかってことですよね.いずれにしても,「脳を騙す」ということに変わりはないと思いますが...

 具体的には,例えば,朝,昼,夕方,夜のニュースとかインターネットで世の中の動きを見て,社会と繋がってる気がするのなら,それでもOKということでしょう.そんなことで?という気もしますが,街中に部屋があったり,スタバやファミレスで仕事たりするのも,「社会の中」というのは(実際は,回りには無関係な人しかいないので)錯覚なわけですからね.

 むしろ,これから世の中,今にも増してグダグダになって行くと思いますが,そういうものと関わることなく社会と繋がりがある(と勝手に思う)というのは,いいとこどりと言えるでしょうし(高みの見物),見るだけなら単なるインプットですが,いろいろ調べたり,自分で考えて(勝手に)アプトプットして行けば,もっと(勝手に)社会との繋がりを感じられるかもしれません.

                 ----------------------------------

 研究については,何度か書きましたが,大量の研究成果が大会論文止まりになっていて,ウェブ公開でもいいんですが,査読論文を書くというのはありかもしれません.そこが結構大変で,(卒業した)学生達はそこで頓挫してしまうんですが,そういうものをしっかり追解析,更には,新たな検討も加えて査読論文にしておくのは意味あることでしょう.

 でも「やりたいなら今すぐやる」的には今やる,つまり,そんなにやりたいことじゃないんじゃないの?というのはその通りで,今は新しい研究テーマにどんどん取り組みたいですし,学生達もいるので,彼らを育てながら彼らにやってもらうのがいいと思いますが,大学をやめたら学生達もいなくなりますし,新しい研究テーマを思いつかなくなれば,あるいは,思いついてもその気にならなければ,相対的にそういうことが「その時」やりたいことになる可能性はあるということです.

 つまり,大学をやめた後も新しい研究テーマを思いつくなら,そっちをやるかもしれないってことですが,10数年前に,1年で10編近くの査読論文を書いた時もそうでしたが,業績を積むとかじゃなくて,重要な研究成果を世に出しておかないといけないというのはあって,つまりは,やりたいことというよりは,やらないといけないことということですかね(まあこれも思い込みに近いんだが,思い込めたら思いこんだもん勝ち).

 年寄りの冷や水的に見られるのかもしれませんが,問題は中身というか,業績を積むためのつまらない論文とか極一部の人しか興味がないニッチなものとか自己満足的なものとかではないことが重要で,でもそれでも他者評価ではなく自己評価に従うということなんですが,自己満足と自己評価は紙一重で,やっぱり,ここが大きい気がします.つまりは,他者評価ではなく自己評価に従うでいいと思うのですが,それは往々にして自己満足に陥りやすくて,結局は,当人の能力次第ってことなんですが,そういう意味では,自分を信じるというかあきらめるということですかね(そういう意味では,他人から見てつまらなくても自己満足でもニッチでもいいとも言えるが).

 まあでも,これもその気の問題というか,その気になったらやればいい,ならなければやらないでいいということでしょう(何ともお気楽な話).

                 ----------------------------------

[収束しても]
(このサイト)

 このサイトを読み返していて,数年前から同じような記述が増えていて,考え的に大分収束してきた(煮詰まって来たと書くと正しい意味を知らない人が誤解するので「収束」という表現にした)感じがすると書きました.

 でも,読んでる人の中で,過去の記事を読み返してくれる人はそんなにいないでしょうから,最近の記事というか,日々の記事を読むだけで過去のことも含めて私が考えていることがわかるという意味では,これでいいんじゃないかということなんですが,私にとっても意味があるんじゃないかと思い始めました.

 つまりは,その時考えたことをその時書き残すことに意味があって,その時はそう思っても今は違う,でも,そのときは間違ってて今が正しいというわけではなくて,世の中とか自分が置かれた状況とか年齢とかによって考えることは変化して然るべきだと思うからです.

 ということで,今のやり方でやって行こうと思うのですが,私個人的には,過去の記事を(頑張って)読み返すことは続けたいと思っています.私が完璧な人間なら,過去の記事を全て憶えていて,それを「今日の」記事に全て反映することはできるんですが,さすがにそんなことは不可能ですからね.

 でも,すぐに忘れてしまうようなことは,大したことないとも言えるわけで,そういう意味では,「今日の」というか,日々の記事を読めば,だいたいのことはわかるとは思います.

                 ----------------------------------

[驚いた]
(大学)

 年賀状にもいくつか書いてあったんですが,私が移籍したことについて,驚いたという反応が結構あります.まあそうなのかな.だって,私自身も驚きましたから(笑).

 でも,何に驚いたんですかね? この歳になって大学を移ったこと? 東大ならまだしも,よりによって(一番ありえない)京大だったこと? 私のような(しょぼい)研究者が京大に行ったこと?

 3つ目はともかく,だいたいこんなところですかね.3つ目については,逆に私のような(優れた)研究者が京大に行ったということなら驚きはないはずで,でも,そういう場合に驚きがあるのなら,1つ目と2つ目の要因ということでしょうか.

 とか書きましたが,どう思われるかは別にどうでもいいですかね.

 でも,私自身が驚いたのは事実で,だとすれば,回りが驚くのも当然で(しかも,この分野の事情に詳しい人ほど驚きが大きい),私が気になるというか,未だに違和感があるのは,まだ実感がないってことで,それがこういうことと関係してるのかってことです.

 でも,それも別にどうってことはないですかね.実感があろうがなかろうが,何かが変わるわけでもないし,そもそも,この件に限らず,全てのいろんなことの実感がなくなってきてるので,この件についても,そういうことなのかもしれません(全てのことの実感がなくなってきてる理由はよくわからないけど,人生が終わりかかっていることと関係している気はする).

                 ----------------------------------

[両極端]

 このサイトを読んでいただいている方はお気づきだと思いますが,このサイトは事の本質を考えるために書かないといけないときは,自分が損してもいいので,謙遜せずに不遜なことを書く一方で,全く正反対の,自分は大したことないということを書くことも多くて,一体,どっちなの?って感じですよね.

 私もよくわかりません.

 ここでも敢えて頑張って不遜なことを書くと,例えば,まだ誰も考えてないようなことを思いついたり,研究の話とか委員会とかで,ここはこうなってうまく行かないけど,どうしたら?というときに,こうすればいいんじゃないですかって,ぱっと打開策が浮かぶことは多いですし,会議とかでどうするか迷走したり,変な方向に行きそうになったときに,私が発言してあるべきところに落ち着くようなことも何度もあったと思います.

 でも,その一方では,私はほんとにめんどくさがりで怠け者で,やりたくないことはやりたくないし,実際,過去を振り返っても,そんな感じで,ここまで何とかやって来られたのが不思議というか,ラッキーだっただけというのは言い過ぎとしても,少なくとも出来過ぎとは思ってるし,これからのことを考えても,(やりたいことはやりたいけど)バリバリ仕事してくぜとか思ってなくて,さっさとめんどくさい世の中と決別して,好き勝手に自堕落にやって行きたいと思ってるところもあって,ほんとに大した奴じゃないとも思うんですよね(これはまさに本音).

 この両極端の人間が同時に成立してるというか,かと言って,二重人格というわけではないし,一体何なのかわからないのですが,じゃあ,どっちがほんとの自分が知りたいとはあまり思わないというか,自分に興味がないというか,でも,どっちがほんとかと言われれば,後者なわけで,ほんと大した奴じゃないんで,(評価も対価も要らないので)あんまり仕事回さないでねって感じですかね(ほんとどうしようもない奴ですね).

                 ----------------------------------

 とは言え,驚いたというか,普通だとありえないことが起こったということは,そういう評価をしてもらったということでしょうし,嫌なら断ればいいわけで,受け入れたということは,それに応えないといけないんだと思います.

 でも,私の場合,そうしないといけないと考えるとだめなので(そういうことは自分でもわかっているので),30代の二の舞にならないようにというか,このサイトで書いてることもそうですが,いろいろ考えていろんなことがわかっては来たので,何とかうまくやりたいと思います.

                 ----------------------------------

[京都の冷え込み?]
(日記)

 昨日,今日と寒いですね.これじゃあつくばより寒い気がする.これが京都の冷え込み?

 でも,実際のところは,つくばより寒いかなんてわからないわけで,例えば,夏,北海道に来たら暑くて,なんだ,温暖化で北海道も暑いじゃんとか言っても,そのタイミングでたまたま全国的に暑かっただけかもしれないし,つまりは,今は大寒波が来ていて,京都は寒いと思ったときに,つくばはもっと寒いかもしれないわけですからね.

 てことで,数年過ごしてみたらわかるということなんでしょう.

                 ----------------------------------

[実情]
(世の中)

 緊急事態宣言が出たんですが,人出とかはあまり変わらないようです.そりゃそうでしょ.実際,何か行動制限的なことが大きく変わったわけではないですからね(それにしても,Sさんですが,国のリーダーなのならもっと堂々としゃべれというか,学生が発表練習するときに,ビデオで撮って自分の発表してるところを見てごらんと何度も言うのですが,彼も発表練習(笑)した方がいいんじゃないですかね).

 政府やメディアは,しきりにこれまでの最多感染者数と言って驚かすのですが,検査数が劇的に増えてることが一因なのは多くの人はわかってるし,そういうことを言わずに,○カの一つ覚えみたいに最多感染者数と連呼しても狼少年みたいなものでしょう.

 医療が崩壊しかかってるというのも,このサイトではずっと以前から書いてますが,ようやく最近になってデータが出るようになってきたんですが,新型コロナ用の病床は全体の僅か数%,つまり,ほとんどの医療従事者は,新型コロナと関係ないわけで,そこを何とかしろよと思ってる人も多いでしょう.

 そもそも,これは最初から書いてますが,感染して死ぬ確率はかなり低い,例えば,インフルエンザと比べても低い(新型コロナの前はインフルエンザで年に何千人も死んでた)のは事実で,交通事故で死ぬから車の運転はやめましょうとは言わないわけで,一貫性がないんですよね.

 つまりは,そういう実情がもうわかって来ちゃってるわけで,でも,政府やメディアは国民は○カだからわかってない,あるいは,多くの人はお利口さんで政府の言うことをきいてくれると思ってるのかもしれませんが,感染を拡大させてるのは一部のお利口さんじゃない奴なのは明らかですし,何ともちぐはぐというか,どこかで書きましたが,国民と政府の意識がどんどん乖離してる感じがします.

 でも,じゃあ私はどうするかというと,確率は低くてもリスクはあるわけですし,そもそも,内的熟達的に生活して行きたいし,寒いし(笑),無用に出歩こうとは全く思いません.

                 ----------------------------------

[二酸化炭素が増えると]
(科学?論理?)

 ちらっと見ただけですが,○コちゃんに叱られるで,どうして二酸化炭素が増えると温暖化が進むか,の答えが,温暖化ガスの一番は水蒸気で,二酸化炭素が増えると水蒸気が増えるから,なぜなら,二酸化炭素が増えると温暖化が進んで,海水などが蒸発して温暖化ガスの一番の水蒸気が増えるから,という説明?はひどかったです.なんやこれ? こんなめちゃくちゃな論理?で,なるほどって思う○ホいるの?(この番組はそういうのとか嘘が結構多い)

 このサイトを読んでる人で,この論理?の破綻に気づかない人はいないと思いますが,一応書いておくと,説明の中に「二酸化炭素が増えると温暖化が進んで」って入っちゃってるわけで,でも,質問はどうして「二酸化炭素が増えると温暖化が進むか」なわけですからね.

 答えは,もちろん,二酸化炭素自体が地表で反射される赤外線を吸収するからなんですが(でもそれだとエンタメとしてつまんないから変な脚色(今回はデタラメ)をする),話はそれますが,このサイトで何度も書いてますが,直近,例えば,この100年,地球温暖化が進んでいるのは事実ですが,その原因が人間が排出する二酸化炭素であるという証拠はなくて(一部の人間がそういうことにして,全世界を騙してよからぬことをしようとしてるだけ),ましてやこのまま行くと今世紀末にどうなるかなんか全くわからないわけで,単なる気候変動の可能性も大いにある,逆に寒冷化する可能性もあるということです.

                 ----------------------------------

1/9'21
[発達障害]

 いつかのKンブリア宮殿だったと思いますが,ニトリの社長さんが出てて,自分は発達障害じゃないかと言ってました.理由としては,小学生の時に自分の名前がなかなか書けなかったそうですし,今でも靴下が脱ぎっぱなしとか片付けとか普通の人が普通にできることができない(けど,経営手腕はある)とのことです.どう思いますか?

 そういう人って結構いるんじゃないですかね? 部屋が片付けられなくてものすごいことになってる人,かなりいますからね.例えば,ここにセルフチェックがあるんですが,

・物事を行うにあたって、難所は乗り越えたのに、詰めが甘くて仕上げるのが困難だったことが時々ある。
・計画性を要する作業を行う際に、作業を順序だてるのが困難だったことが時々ある。
・約束や、しなければならない用事を忘れたことが時々ある。
・じっくりと考える必要のある課題に取り掛かるのを避けたり、遅らせたりすることが、頻繁にある。
・長時間座っていなければならない時に、手足をそわそわと動かしたり、もぞもぞしたりすることが頻繁にある。
・まるで何かに駆り立てられるかのように過度に活動的になったり、何かせずにいられなくなることが頻繁にある。

どれもそこそこ当てはまる気がする(笑)というか,障害というより性格というか,いや医学的には性格じゃなくて障害なので治療しましょうということなんでしょうが,うつ病が取り上げられ始めたときもそうですが,明確な線引きは結構曖昧です.治療と言っても,薬物療法もありますが,カウンセリングとかトレーニングみたいな方法がとられることもありますからね.

 じゃあ,こういう障害名を付けることにどういう意味があるかと言うと,やっぱり,安心するということはあるんでしょうね.自分はだめな性格だと思っていたけど,そっか,障害なんだ,だったらしょうがないか.でも,治療できるのなら頑張って治療しようか,みたいな.

 でも,治療と言っても,カウンセリングとかトレーニングなら,性格を変えるというか自分を変えることに近いわけで,つまりは,とっかかりみたいなもので,結局は同じことなんですが,障害ということは,支障があるんでしょうから,変えた方がいいってことなんでしょうね.

                 ----------------------------------

 ここまでは前振りというか,発達障害かどうかはともかく,片付けられないというか部屋が「すごいこと」になってる人って結構いて(部屋を見て唖然とする場合もあるし,すごい状況だからと言って部屋に入れない,最近だとzoomで頑なに背景をバーチャルにするとか),しかも,非常に優秀というか仕事ができる人の中にかなりいる気がします(ニトリの社長さんもそうなんですかね).片付けなんかしてる暇があったら研究とか仕事してたいってこともあるとは思うのですが,それにしてもって感じです.

 私も片付けられない方だと思いますが(でも,いろんな人の部屋を見ると私なんかちょろいもんだと思ってしまう(笑)),それをいろんな創意工夫で何とかしてる感じでしょうか.

 平たく言えば,人には得手不得手があって,片付けられるかどうかと仕事ができるかどうかは関係ないってことなんでしょうが,片付いていれば,仕事の効率は上がるとは思うので,片付けた方がいいんでしょうが,じゃあ,片付けが得意な人にやってもらえばいいとは行かない(どこに何があるかわからなくなる),つまり,自分でやるしかないというのが最大の問題なわけです(だから,結局,片付かない(笑)).

                 ----------------------------------

[繋がられたい?]

 人との繋がりですが,勝手にこっちが繋がりを感じられればいいのですが,繋がられたいというか,必要とされたい,愛されたいってこともありますよね.そこまで行かなくても,誰かから連絡が来ると,それはそれだけで単純に嬉しいものですし,必要とされるのなら,頑張ってみるかとなることもあるわけです.

 でも,必要だと言われて,その実,めんどくさいことを押し付けられるだけとか,あまりにそういうものが多すぎると逆にしんどくなるわけで,結局はバランスの問題なんでしょうが,歳をとるに従って,しかも,定年で仕事をやめたりすれば,そこが急に崩れるわけで,そうすると,「一人でも大丈夫」が無敵ではあるんですが,やっぱり,それは難しいのかなあ.

 うーん,でも,こういうのも一時的な気の迷いというか,まだまだ精進が足らないと思って修行しますか.

                 ----------------------------------

1/10'21
[対処法]

 一人でも大丈夫になるには,修行が必要というよりは,やっぱり「やることがある」ってことですよね.いや,やることもやらないといけないこともいくらでもあります.でも,やるのがめんどくさい.仕事とかやらないといけないのなら,めんどくさくてもやらないといけないけど,切羽詰まらないとなかなかやらないし,リタイアしたら仕事もなくなる,だとすると,めんどくさくてもやりたいことが必要ってことで,でも,それが(歳とっていろいろしんどくなってくると)難問なわけです.

 そうすると,何をするでもなく,ぼーっと考えてるというか,余計なことを考えて,寂しくなったりというようなことでしょうか.

 どうしたらいいかですが,一つはとにかく何でもいいから何かすることでしょうね(遠くよりは近く).やりたくもないし,やらないといけないこともないけど,相対的に一番,やりたくなくはないもの,やらないといけないこともないことはないことからやっていくということでしょうか.でも,これは,一応,実行してるかな(でも,今は仕事をしているので,やらないといけないことはいくらでもあるけど,それだけではつまらない).

 それに,寂しいと思うのは,本能というか錯覚で,寂しくない状態だといろいろめんどくさいことも伴うので,そういうことを知的にしっかり想像することと,心境的なものは単に変動するので,何とかしばらくやり過ごすということでしょうか.

 あとは,これも実行してるけど,何をするでもなく,ぼーっと考えてるというか,余計なことを考えたら,それを「やること」にするというか,現に今こうして,そういうことを文章に書いてますしね.

 それでもだめなら,ちょっと休めということで,そうすれば,じきに回復するということですし,究極的には,人生所詮退屈しのぎなわけで,何をするわけでもなく自堕落にだらだらと過ごして,その時が来るのを待てばいいとも言えるわけですからね.

 ということで,一時的に少し感情的になることはあっても,対処法はいくつかもっているので,それで何とかやって行くというのと,そういう対処法をこれからも開拓して行くということですかね.

                 ----------------------------------

[天気の子]
(世の中)

 天気の子というアニメが地上波で放送されていたので,この時みたいにヒット(したんですかね?)作品には興味はないけど,只ならご飯を食べるときに少しずつ見るかという感じで見ました(田端駅のあの改札と坂道は行ったことある気がする).

 中身自体はどうということはないですが,作者のメッセージみたいなものは感じました.人柱というか,個が全体の犠牲になることはないというのもそうですが,最後のところで,(温暖化で)雨が降り続いて東京が水没しても我々は大丈夫,そんなこと関係なく生きて行くということで,まさに今の状況なわけです.

 (このサイトでも再三書いてますが)政治も経済も世の中もグダグダで,将来に対して明るい見通しなんかもてないけど,そんなの関係なく「自分」が頑張って行けばいいし,それが結果として,明るい未来,いい世の中に繋がるということです.

 新型コロナも然りで,早く収束して欲しいという他力本願ではなく,この状況でできること,この状況だからこそできることをやるべきでしょう.

                 ----------------------------------

[無趣味]

 先週?のKンブリア宮殿のパン屋さんは,ちょっと面白かったです.

 ビジネスの話はどうということはないですが,理解力が違う大人数を集めて一律に授業をするのが非効率で苦痛(で授業なんかきいてなかった)というのは全く同感ですし,最終目標は世界平和というのもその通りで,そのために(政治とかボランティアとかじゃなくて)自分ができることをするということですし,無趣味というのも,仕事が一番楽しいしストレス解消にもなるわけですからね(村上さんもそんな感じだった).

 私はいろんなことをやっていますが(何度か書きましたが),趣味と思ってやってることは一切ありませんから,私も完全に無趣味と言えます.

 でも,ちょっと面白かったけど,そんなことわかってるというか,別段得るものはなかったということですね.

                 ----------------------------------

[京都,奈良]
(地理)

 京都に来たということで,いろんな有名な寺社仏閣がすぐ近くにある(宇治なので奈良にも行きやすい)ということで,そう言えば,小さい頃,父がよく「学校を1週間くらいサボって京都,奈良に行こう」と何度も言ってたのを思い出しました(そんな感じで,父は,単に遊びに連れて行くとかじゃなくて,見たり聞いたりすることに意味があるいろんなところに連れて行ってくれた).

 父は,私が高二の時に亡くなったので,結局,それは叶わなかったというか,考えてみたら,その時点でもう高二なので,結局,(中学に入ると私が受験とかで忙しくなったり,父が東京に行ったりとかで)そういうことには至らなかったということなんですが,今ならいくらでも行けるんですが,京都には過去に何回も来てるわけですから,行きたいのならもうとっくに行ってると思うんですよね.

 つまり,私はそういうものにあまり興味がないというか,興味がないというよりは,少し抵抗があって,それが何かは書きませんが,見るべきだから見るとか,みんな行くから行くということはないですね.

                 ----------------------------------

[誰かといっしょに住む]

 寂しいのなら誰かといっしょに住めばいいんじゃない?と言う人も多いと思います.

 そうですね.私も大学に受かって東京に出てきた以降も何度か誰かといっしょに住んだことはありました.そのときの経験で言うと,いっしょに住むことにメリットはあるけど,デメリットもあるということでしょうか.でも,重要なのは,ただ何となくいっしょに住むんじゃなくて,「どういう風に」いっしょに住むのかってことだと思いますし,そういう意味では,誰かといっしょに住んでもうまくやって行けるとは思います(どこかで書きましたが,相手に何かを要求するのではなく,うまくやって行こうという意識をもつことが重要だし,それさえあれば,うまく行くと思います).

 そもそも,誰かといっしょに住むとしても,四六時中いっしょにいるわけではなくて,昼間は仕事に行ったり,夜も自室で一人で過ごす時間は必要でしょうし,いっしょにいても,それぞれ何かしているということも多いと思いますし,それなら全然行けるでしょう.

 でも,それなら別にわざわざいっしょに住まなくても,例えば,近所に住むとかでもいい気がしますし,インターネットとかでいつでもどこにいても繋がれるのなら,いっしょに住むことに拘らなくてもいい気もしてきます.

                 ----------------------------------

[日本一近い?]
(日記, 地理)

 日本海側は大雪で,今度は福井で車1000台以上が立往生と言ってます.どうして学習しないんだ?とも思いますが,1000台が立往生と言っても,先頭の一台が立往生したら,後ろの999台は巻き添えを食らうわけで,だったら出かけないことだと思うのですが,仕事とかでそうも行かない人もいるんでしょうね(ご苦労様です).

 でも,何年か前,京都に行った帰りに琵琶湖大回りをしたときに気づいたんですが(検索してリンクを貼ったら3年前ですね,あの時,3年後京都に来るとは思いもしなかったなあ),福井ってすぐ近くで,てことは,日本海もすぐ近くで,距離にしたら京都駅から50kmくらいで,それこそ,東京とつくばくらいしか離れてないんですよね(実際,京都駅から敦賀駅まで電車で1時間もかからない).

 でも,福井とか京都(府)も日本海側は大雪でも京都(京都市とか南接する宇治市)は,何ともないというか,普通に晴天で,やはり,このあたりは,太平洋側と日本海側が非常に近い,ひょっとしたら日本一近い?感じはしますね.

                 ----------------------------------

 ハードルの低さという意味では,大学から家まで200mくらいしかないのですが,更にその途中にスーパーがあるのは大きいですね(一応電子マネーにも対応).と言っても,普通のスーパーなので,添加物まみれのものが多いのですが(惣菜とか弁当とかもあるけど全部アウト),食材とかそうでないものもあるので充分使えますし,ここには置いてないと思っていたのですが,うまかっちゃんもありました(添加物ありだけどたまにならいいでしょう(笑)).

 毎週月曜が1割引きなので,定期的に必要なものはそのときまとめて買うのですが,今日は何食べようかなと思って,肉の場合は,生活クラブを(週一なので)使ってないので,ここで買って帰ればいいわけで,肉はスーパーによって,善し悪しがあるのですが,ここのは悪くありませんし,細かく見て行くと,結構,私が使うもの(例えば,叙々苑の焼肉のたれとか(笑))がちゃんと置いてあることもわかってきました.

                 ----------------------------------

[調整?]
(世の中)

 少子化の原因なんですが,核家族化や女性の社会進出が進んで,それに政治や社会が対応できてないとか,性欲を手軽に処理できるようになったとか,生きて行くだけで精一杯というわけでなくなって,いろいろ考えるようになって,昔からの決まり事に縛られなくなったというようなところなんでしょうが,人口が増えてリソースが足りなくなって,賢い?人類のDNAが調整してるのかもとはどこかで書きましたが,地球のリソースのことまでDNAはわからないでしょうから,だとすると,20世紀に子供を作りすぎた調整ということはないですかね?

 例えば,私の父は7人,母は5人兄弟で,この世代はそれが当たり前だったんですが,これでは人口が爆発するのは当然で,せいぜい2〜3人くらいがちょうどいいところでしょう.

 生物学的メカニズム?を勝手に想像すると,子供を作りすぎた人の子供のDNAがどうなるかですが,一人目,二人目あたりまでは,その後,何人子供を作るかわからないので,影響はないとして,それ以降の子供のDNAがどうなるか,そうすると,そういう人達がどのくらい子供を作ったかとかのデータとかあるんですかね?

 いずれにしても,影響が出てくるのは,次か次の次の世代なので,まさに今なわけでタイミング的には整合するような気もしますし,逆に言えば,今は少子化なので,その次とか次の次の世代になれば,自然とまだ元に戻るってことはないですかね?

                 ----------------------------------

1/12'21
(日記)

 今朝起きたら,雪交じりの雨(みぞれ)でした.でも,積もるほどではないし,ほどなくやみました.原因は,いわゆる南岸低気圧で,これがそのまま東に行くと,関東も雪ということになりそうですが,せいぜい雪交じりというくらいみたいです.

                 ----------------------------------

(バドミントン)

 年末年始休みだったので,昨日,久しぶりの練習(2週間以上ぶり)だったんですが,右股関節が痛くなってしまいました.でも,また痛めたというよりは,久しぶりだったので,股関節回りの腸腰筋とかが弱ってた感じで,そこを普段からちゃんと調整するということですかね.

                 ----------------------------------

(住むところ)

 朝起きて,みぞれだったら,外に出たくないと思いますよね(むしろ,雪なら犬は喜び庭駆け回る?).夏の猛暑も同じでしょう.

 つまりは,行くところが必要どころか,家にいたいわけで,でも,ずっと家にいるのはしんどいということなら,基本的に家の中で過ごして行けるような家に住めばいいってことですよね.

 そうすると,集合住宅とかじゃなくて,やっぱり,そこそこの広さの一軒家ってことになるんですかね?(回りに家がないのならなおよし) でも,リタイアしたら都会に住む必要はなくて,それこそ,都心から電車(新幹線)で1時間で,駅から車で10分くらいでも行けるでしょう.

 一軒家ということで気になるのは,防音室+グランドピアノですが,これは床を補強すれば大丈夫でしょうし,回りに家がないのなら防音室もいらないですかね.でも,もっと気になるのは断熱性です.ここに来る前,初めていわゆるマンションに住んだのですが,保温性が高くて快適でしたし,今住んでるところもそうです.でも,一軒家でもコンクリート系のものもありますし,木造でも断熱性が高いものもいくらでもあるでしょう.

 基本的に家の中で過ごすとしても,気候がいいときは,散歩くらいしたくなるでしょうから,周辺はそういう感じのところがいいでしょうが,これも電車で1時間で,駅から車で10分でも全然行けるというか,むしろ,そっちの方が条件を満たしそうです.

 それじゃあ,社会や人との繋がりが,ってことなんでしょうが,zoomとかインターネットで繋がれば行ける感じがしますし,これからもっとリアルに近い形で繋がれる環境もできてくるでしょう.

 つまりは,社会や人との繋がり方の問題じゃなくて,本質的に繋がっているかということなんですが,そういうものがなくても大丈夫というところまで行ければ,まさに無敵ということですね.

                 ----------------------------------

[当たり前]
(大学)

 こっちに来て2か月以上が経って,相変わらず実感がなくてなんなん?と再三書いていますがが,考えてみたら当たり前のような気がしてきました.だって,ほとんど何も変わってないですもん.

 学生達とは,ずっと変わらず毎週zoomで研究室会議(研究報告と指導)を行ってますし,毎日,多くの人と様々なやりとりはありますが,ほとんどインターネットなのでこれも以前と変わりませんし,直接接する人は変わりましたが,そんなにしょっちゅう会うわけじゃないし,変わったのは,それこそ,目に入る「景色」くらいですが,そんなもの本質的に何の影響もないですからね.

 ですから,ずっとこのまま行くんだと思いますし,これからいろんな外的環境が変化しても内的熟達的に生活して行けば,基本的にほとんど何も変わらずにやって行けるんだと思います.

                 ----------------------------------

[そういうこともある]

 基本的には,気分よく楽しく過ごせてますし,過去のどこにも戻りたくないってことは,これまでの人生の中で今が一番幸せで,これから益々そうなって行けばってことなんですが,もちろん,いつもずっとそういうわけではなくて,しんどくなったり,寂しくなったりもするわけで,問題はそういうときにどうするかってことで,対処法もあるんですが,基本的には「そういうこともある」,つまり,単なる変動と思って(というか実際そういうことですしね)やり過ごすってことでしょう.

 でも,本能にはなかなか逆らえないというか,必要だと言われれば何とかしたいと思うわけですし,(めんどくさいことになるとわかっていても)必要とされたいと思ってる節もどこかにあって,それは仕事に限らずプライベートなこともそうなんですが,仕事については,思いがけずそういうことが起こったんですが,プライベートについては,さすがにもうないと思うんですよね(でも,仕事もそう思ってたんですけどね).

 なので,現実的には,寂しいを受け入れるというか,一人は一人のメリット,寂しくないには寂しくないのデメリットもあるわけで,そういうことをしっかり想像して(対処法),更には,寂しくなったときは,「そういうこともある」(基本的には,気分よく楽しく過ごせている)と思って何とかやり過ごすということでしょう.

                 ----------------------------------

(運保)

 そう言えば,運用的なことで,東京五輪の5年くらい前に東京五輪あたりで,一応の結果が出るとどこかで書いたと思います.で,結果はどうなったかですが...

 うーん,ぱっとしませんね.収益的には年利10数%といったところでしょうが,日運,短運だけ見れば,去年はかなりのマイナスですし,逆に言えば,数年前から資保が始まって,これは,一部の余剰資金ではなく,資産全体を守るためのものなので,額も大きくて,しかもここがかなりのプラスで,結果,日運と短運のマイナスを埋めたんですが,それでもせいぜい年利10数%といったところです.

 でも,これがずっと続くのなら,食べて行く分には楽勝でしょうし,そもそもお金はそんなに要らない,例えば,東京から電車で1時間以内のURとか集合住宅,あるいは,駅から車で10分の回りに何もない一軒家に住む分には全く問題ないでしょう.

                 ----------------------------------

[別に何も変わらない]
(世の中)

 関西の三府県にも緊急事態宣言が出されるみたいですが,昨日の練習のときに言ってる人もいましたが,どうしたらいいんですかね?という感じでした.

 別に何も変わらないってことでしょ(でも,変な余計な通達みたいなのが来て体育館が使えなくなれば練習はできなくなるけど).

 何度も同じことを書きますが,ちゃんと感染対策をすれば(対面でマスクをしないで話したり,顔の粘膜を触ったりしなければ),まず感染しないわけですし,感染しても命を落とす確率は低くて,多くの人はそういうことがわかってるし,感染が広がっていると言っても感染しているのは極一部の人だけだし,現状,ほんとに困ってる人もそんなにいないわけで,政治やメディアがいくら騒ごうが,国民の意識はどんどん乖離して行く感じですかね.

 でも,そんなもんいざとなったらいらんやろということで飯を食ってた人間はともかく,極一部の医療関係者とか困ってる人はいるんですが,極一部ってことで,そんなことなんか気にかけない人が多いというのはどうかと思いますが,こういう世の中ですから,そんなもんかなという気はしますね.

 そういう意味では,極一部の医療関係者だって,できないことはできないわけで,これ以上は無理ってケツまくっていいと思いますし,結局は,国とかが面倒見てくれるわけじゃなくて,自分のことは自分で面倒見るしかないってことですし,感染が爆発したら,それはそのまま国民に返ってくるということでもあります.

                 ----------------------------------

[当分]
(世の中)

 新型コロナですが,ワクチンができたとか言っても,(予想通り)それで感染が収まるとかいう簡単な話じゃないわけで,国も緊急事態宣言とか出しても,実質ほとんど何もできてないわけで,そうこうしてるうちにウィルスが変異して,みたいな感じで,早く収束して欲しいとか言ってても,当分,こんな状態が続くってことはないですかね?

 私個人的には,全く構わないというか,余計な移動とか手間が減って,むしろ続いて欲しいくらいですし.それこそ,定年まで続いてもらえれば,変な?行事みたいなのもやらなくていいし,半永久的というか,死ぬまで続いてもらっても別段問題はありません.

 それじゃあ困るという人もいるとは思いますが,何度も書いているように,その仕事,ほんとに必要かよく考えることでしょうし,今の状態が半永久的に続くことを前提というか,これまでのように無理くり経済を回してリソースを無駄に浪費するのではなく,要らないものは要らないということで,BIのようなことも考えるのも一法ですが(休業補償は一種のBIとも言える),パチンコ屋に人が溢れるだけかな.

                 ----------------------------------

1/13'21
[どっこいどっこい]
(日記)

 緊急事態宣言が出て,首相が会見して,それに対してあーだこーだというニュースが流れてたみたい(見てない)ですが,ニュースではない(新しいことは何もない)ので,やってることとか,ニュースとか会見自体が全くの無駄にしか見えないです.

 で,これもどーでもいい話題ですが,都道府県魅力度ランキング(ほんとどーでもいい)というのがあって,茨城県が何年連続最下位を脱したとか言ってて,ちらっと見ただけですが,○ンマデッカでやってました.

 で,茨城から京都に来たので,茨城はもう関係ないし京都は上位だし,というか,そもそも,私って茨城出身でも何でもないわけで,元々関係ないわけです.じゃあ,どこ出身なのかなと考えてみたら,そう言えば(ほんとそう言えばって感じ),福岡なので,ここも確か上位ですよね.

 ていうか,そもそものそもそも,都道府県魅力度ランキング自体がどーでもいいというか何の関係もないのですが,緊急事態宣言もどっこいどっこいというか,そのくらいどーでもいいというか,グダグダ度ではいい勝負って感じですね.

 とか書いてたら,今度は,Nスペで地球温暖化(多分,再放送)をやってました.これも一体何やってんだかという点ではどっこいどっこいでしょうか.

                 ----------------------------------

[京都府]
(地理)

 京都に来たってことなんですが,寺社仏閣とかよりは,地理的なものの方が興味があります.で,「京都府」って何なん?って考え始めました.「府」って付いてるからちょっと偉い(笑)?

 京都(市)は,古の都ですから何も説明は要りませんが,京都府って何なん?ってことです.このサイトで何度か書いてますが,北の方は日本海に面してるわけで,兵庫もそうですが,一つの都道府県で太平洋側と日本海側(の気候)を有してるわけですよね(山口と青森も一応はそうだけど,太平洋側と日本海側で,そんなに大きく気候が違うとは思えない).

 要は,京都府の北の方に興味がある(行ってみたい)ってことなんですが,昔の名前で言えば,丹後とか丹波ですよね.どんなところ? 観光名所的には,やはり,天橋立でしょうか.観光名所にもあまり興味はないですが,天橋立は地理的に珍しい地形(砂州と言われてるみたいだけど,繋がってないから砂嘴なんじゃないの?)なので,見てみたいですね.そういう意味では,兵庫県の日本海側にも興味がありますね(琵琶湖の回りも興味があったので,3年前にぐるっと一周してきたけど,もうちょっとゆっくり見てみたい気もする).

                 ----------------------------------

1/14'21
[世の中の縮図]
(世の中)

 ちゃんと見てるわけではないですが,20時までの時短要請ってことは,20時までに帰りなさいってことですよね.でも,○ホな奴らは,じゃあ,昼から飲めばいいじゃんってなって,事の本質が全然わかってないわけで,結局,外出自体を自粛してくださいってなってるみたいですが,外出や外食自体は,そんなに問題ないし,会食も対面でマスクなしでしゃべったりしなければいいわけで,でも,一部の○ホがそんなこともわからない,できないということなら,ロックダウンするしかないってことでしょう(現に欧米はそうなってる).

 つまり,一部の○ホのために大多数のちゃんとした人達が巻き込まれてるわけですが,これって世の中の縮図で,別に新型コロナに限った話じゃないわけです.

 問題は,じゃあどうするかですが,そういう奴らは,犯罪者を牢屋に入れるみたいにBI(生活保護)を与えて,社会から切り離すというのは,パチンコ屋とかが溢れるだけで,いい世の中にはならないでしょう.だとすれば,やはり教育なんですが,これはかなりの時間がかかるし,そもそも,そういう教育が全然できてないからこういうことになってるわけですから,世の中は変わらない,どんどんグダグダになって行くということで,そういう中で,(そういう世の中から距離をとって)うまくやって行くということですね.

                 ----------------------------------

[外部要因関係なく]

 今,寝るときにこのサイトの2019年の前半あたりを読んでるんですが(でも,目が疲れてすぐ眠くなる),その頃,結構,調子よかったみたいです(例えば,190622とか).でも,何かいいことがあったわけでもなく,そういう外的要因に左右されず内的熟達的に気分よく生活できていたということですかね(ずっとそうならほんとにいいと思う).

 で,ある人に言われたことを思い出しました.その人には,公募に応募するときに「ご意見をうかがえる人」をお願いしたのですが,つまり,かなり早い段階で,そういうことを知っていたわけで,かつ,その人は,このサイトを読んでくれていて,そういうことを伝えると,サイトを読むと最近調子よさそうに見えたけど,そういうことだったのかなみたいなことを言われたと思います.でも...

 調子がよかった2019年前半で,そういう話が来る前なんですよね.ですから,そういうこととは関係ないわけです.でも,こういうことってよくあるような気もしています.つまり,いいことがあるとかないとか関係なくいい感じで過ごしていると,実際にいいことがあるみたいな.でも,じゃあ,そういう話があったことが「いいこと」かと言われると...

 もちろん,とてもいい話なので,断ることはなかったと思いますが,正直に書くと,ちょっとめんどくさいことになったなとは思いました(すみません).変な話,いい状態のときでなければ,すんなり受け入れることはできなかったかもしれません(それでも断ることはなかったと思いますが).そして,受けると決めたらもう前に進むしかないわけですからね.

 でも,これは理にかなっていて,外部要因関係なくそこそこいい状態で過ごしていたのなら,外部要因的にいい(と思われるような)ことがあっても,喜びが爆発する(笑)ようなことはなくて,そうなの?って感じで,つまりは,起伏が小さいわけで,でも,その分,外部要因的によくない(と思われるような)ことがあっても,へっちゃらなわけで,じゃあ,どっちもどっちじゃんってわけなじゃくて,トータル的には,やっぱり「いい」んだと思います.だって,ずっと「いい」んですからね.

 爆発的な「いい」が欲しいのならそうは行かないでしょうが,そういうのって一瞬だし,その後,深い谷が来ることも多くて,それはとても辛いので,ゴルディロックスではないですが,内的熟達的に日常生活を快適に過ごしていくというのが(特に歳をとったら)いいですね.

                 ----------------------------------

[何となく楽しみなイメージ]

 どこかで,人生は,前期,中期,後期の3つに時期に分かれると書いたと思います.具体的には,成長して,活動して,○○する,それぞれ30年くらいが目安だが,後期は途中で終わるかもしれないという感じでしょうか.後期の○○するには,退化するとか,衰えるとか,余生を過ごすとか,活動はするけど徐々に減らして行くとかなんでしょうが,ここは,明確な答えがないとも言えます.

 (3つに)分かれるということの一つのポイントは,生き方を変えるというか変わるということで,リタイアしたら,成長期,活動期とは違った生き方をしてみたいとも何度か書きました.

 もちろん,実際にどうなるかはわからないし,(体よくこき使うのではなく,ほんとに)必要とされるのであれば,できる範囲で頑張りたいと思いますし,研究ができるのなら続けて行きたいですが,もうお前は必要ないということなら,それはそれで受け入れて,これまでと違った生き方をしてみたいとも思うんですよね.

 でも,これまでの経験からすると,そういうことは,得てして想定通りにならないのですが,これもどこかで書きましたが,「将来に視点がある」というのは,何となく希望に繋がるというか,もちろん,内的熟達的にその日その日を過ごしていくのですが,近く,時々,遠くの,遠くも何となく楽しみなイメージであった方がいいですからね.

                 ----------------------------------

[完全食]
(生活)

 完全食というのがあるんですね.たんぱく質,ビタミン,ミネラル,炭水化物などの栄養素が必要な分全ては入っていて,プロテインみたいに溶かして飲むだけみたいです.でも..

 それって,多分,プロテインにサプリメントを混ぜたみたいなものですよね.だとしたら,ビタミン,ミネラルは,サプリで摂ってるのと同じなんじゃないですか(でも,錠剤を成型するのに使う変なものを排除はできるか).

 私が朝食で使ってるIUJは,原料は全て食料ですし,IUJだけ飲んでるわけではありません.それに,炭水化物は,いろんな食事や食材から摂った方が単純においしいですしね.

                 ----------------------------------

[一気に]
(IT)

 プラン変更したbmobileのデータ使用量ですが,一月で16GBなんて全然行かない感じだったんですが,今日,しばらく(と言っても10数分くらい?)繋いでいろいろ調べものをしていたら,一気に4GBくらい跳ね上がりました.一体どうなってるんですかね?

 4GBは極端でも,これまでも時々そういうことがあって,でも,どう考えても変な感じです.これがほんとならWiFiとかで常時接続していたら,一体どうなる?

 でもまあ,プラン変更しといてよかったということですかね.

                 ----------------------------------

1/15'21
[嬉しかったのは]
(振り返り)

 喜びが爆発することなくってことなんですが,振り返ってみると,これまでの人生もそうだったと思います.中学,高校受験は,確実に受かるところに受かっただけだったし,大学も浪人して滑り込んだ感じでしたからね.

 喜びが爆発というほどではないですが,嬉しかったのは,大学2年の秋,建築に構造という分野があることを見つけた時,大学4年の春,研究室に入って研究というものに出会った時,D3の12月に南先生から電話がかかって来て,うちに来ないかと言われて,研究というやりたいことで飯を食って行けることになった時で,20代という短い間に集中してますね.

 30代は,仕事(研究)は,やることを見失って迷走したんですが,仕事以外にいろんなことをやっていていろんなことがありました.バドミントンは,松井さんを見て考えが変わって,40になったとき全日本の試合に出ることが目標になって,それなりに頑張ったと思いますし,実際,40になったとき全日本教職員のシングルに出てシード選手に勝って16まで行ったときは,嬉しかったと思います.

 その後,つくばに来て,プレー自体は,どんどんだめになって行ったんですが,バドミントン部の練習に混ぜてもらって,阿部先生や吹田先生や選手達とかいろんな人に出会って,バドミントンという競技の本質に迫ろうとするようになったことは大きかったと思います.でも,怪我とか加齢の影響は大きいですが,自分のプレーは凋落の一途で,例えば,30代のときのように,大したレベルじゃないけど,それなりに頑張ってた方が結果が出たような気もするのですが,まだあきらめてないというか,どこかでそれを活かして大逆転したいとは思っています.

 スキーは,30代は,東京で準指を受けてて,なかなか結果が出ずしんどかったんですが,つくばに移って茨城で受けたらあっさり受かって(確かに水準の違いはありますが,滑りが変わった感触はありました),そのときも嬉しかったと思います.

 ピアノは,これも一番弾いてたというか,情熱的なものがあったのは,20代の東大ピアノの会時代ですが,30代前半にファミーユに行って,K子さんに出会ったのは大きかったですね.ピアノに関しては,ずっと低迷してるとも言えるのですが,何とかやって来られたのは,ピアノプロジェのおかげ(というか伊東さんのおかげ)とも言えて,そういう意味では,東大ピアノの会の創立20周年行事のときに宮田が誘ってくれたんですが,それが1994年なので,これも30代前半ですね.

 仕事(研究)に関しては,何度も書いているように,1999年台湾集集地震が非常に大きなターニングポイントだったんですが,嬉しかったのはいつかと言われれるとよくわかんないですね.

 こうして見ると「嬉しかった時」というのは,20代の3回(建築構造に出会った時,研究に出会った時と就職した時)と,40のとき全日本教職員のシングルで16まで行った時とスキーの準指に受かった時くらいですね.

 まあでもこれは,例えば,スポーツでオリンピックに出るとか,金メダルをとるとか,喜びが瞬間的に発生するようなことではなく(でも,バドミントンとスキーは,それに該当するし,受験はうまく行かなかったけど,進学とか就職が決まるのもそれに近い),研究とか,瞬間的ではなく持続的に結果が出るというか,そもそも外的ではなく内的なことをやってるということですかね.

 そういう意味では,そういうことの一つの結果として,昇進とか異動とかは嬉しくなかったのか?と言う人も多いと思うのですが,筑波大に行ったときは,昇進(助手→助教授)だったんですが,もちろん,新天地で頑張って行こうというのはあったんですが,都落ちとは言いませんが,そういうのもあって,ややポジティブくらいな感じでしたかね.

 筑波大で昇進(准教授→教授)したときも,嬉しいというよりは,いろいろ大変な仕事が増えそうというのがあって,これもややポジくらいで,それは,京大防災研への異動もそうですかね.

 でも,逆に言えば,瞬間的に嬉しいことはなくても,ややポジくらいのことが続いていくのがいいとも思っていて,そういう意味では,これでOKですかね.

                 -----------------------------------

 うーん,でも,研究は,何か新しい結果やアイデアが出た時は,瞬間的に嬉しいわけで,でも,それなら,そういうことは,いっぱいあるというか,そういうことの連続なので,そういう意味で持続的ということですかね.

 そういう中で,一番の発見は,(対外的には)やはり1-2応答なんでしょうが,具体的には,このサイトの図1

を描いて,見事に1-2秒にピークが出た瞬間ってことなんですかね?

 その瞬間のことは,よく憶えてませんが,そういう結果が出るという確信はあったし,これで説得力のある証拠ができた,というような感じでしたかね.

 そうそう,1-2秒応答で建物被害を説明できるということで,被害調査に行く前に1-2秒応答が大きいところは事前にわかるわけで,そういうところに行って,実際に大きな被害があると,嬉しいというと怒られると思いますが,そういう感覚はありますかね.

 でも,嬉しいということなら,こうやってみたらどう?と学生に言って,うまく行った時もそうですが,学生が考えて何か面白いアイデアをもってきたり,学生が自分で考えて問題解決できたときの方が嬉しいですかね(なかなかそういうことはないけど).

                 ----------------------------------

[ほっこり]
(地理)

 京都府ですが,例えば,全国の天気予報の後の地方の天気で,京都府の天気予報を見て,この辺は晴だけど,日本海側は雪かーとかだと,何かほっこりするんですよね.東京とかつくばにいたとき,関東甲信越の天気予報とか見ても何とも思わなかったわけで,これって一体何なんですかね?

                 ----------------------------------

[ここからどうして行くか]
(バドミントン)

 練習だったんですが,緊急事態宣言を受けて,来週から20時以降は体育館が使えなくなるということで,とりあえず2/7まで(でも多分,延長される気がする)練習できないことになりました.それは想定されたことだし,逆に(練習に行かない大義名分ができて)どこかほっとするところもあるのですが,今日は,全く動けず,股関節も痛くなってだめだめで,とにかく動けないという一番ひどかったときのような感覚になりました.

 それで,一体いつからこんなにひどい状態になったんだろと思ったんですが,もちろん,右股関節を痛めたのは大きかったとは思いますが,考えてみたら,それこそ1年に1%ずつ歳をとるように衰えて行って,気づいたときは唖然とする状態にということでしょうか.

 歳をとって衰えるのは誰しもそうで,でも,私の場合,40くらいまでは,そういうことをほとんど感じず,回りの同年代だけが歳をとって行くような感じだったのですが,40代半ばくらいから急速にだめになって行って,それは同年代の競技者に対してもそうだったと思います.

 でも,それは競技レベルの話で,一般的な同年代の人達と比べると,それでもまだ全然動けるんだとは思います.ていうか,他人と比較してもしょうがないし,まずはそういうことを受け入れて,ここからどうして行くかですね.

 幸か不幸か練習できなくなったので,まずはちゃんと体を整えることから,ということでしょうか.うーん,でも,それ以前に股関節が硬くなって,痛くてしゃがむのもしんどい状態を何とかしたいですかね.

                 ----------------------------------

1/16'21
[筋肉痛?]
(バドミントン)

 加齢でどんどん衰えて行ってるとか言ってますが,実際のところは,練習もトレーニングもろくにしてないわけで,それじゃあ,同年代の全日本レベルの人達より相対的に競技力が落ちていくのは当たり前です.問題は,どうして「練習もトレーニングもろくにしない」ようになってしまったのかということです.

 何度か書いているように,基礎打ちしてダブルスのゲームという感じの練習しかできなくて,文京区にいたときのようにシングルの練習ができなくなったから? つくばに来てから,つまり,40くらいからどうだったかを振り返ってみると,最初は,筑波大バドミントン部で,そして,その後は,和所さんとシングルのいい練習ができていたと思います(実際,和所さんは強くなったし).つまり,その点は「問題なかった」と思うんですね.

 でも,だんだん体調が悪く,体がしんどい状態になって,練習やトレーニングをしても強くならなくなり,試合でも40までは体力勝負に持ち込めば勝てたのに,逆に自分の方が先に疲れるようになって,全日本教職員とかの試合でも結果が出なくなりました.それでも,何年か食らいついてしばらく頑張りましたが,どうしても耐えられずに一度バドミントンをやめてしまいます.

 半年くらいして復帰するのですが(その間,ほぼ毎日5km走り,ゴルフも始めた),体調が悪い状態は変わらず,バドミントンは当然のことながらひどい状態になっていました.でも,それでも今の状態に比べたらまだましだったのかな.

 その後,ぱっとしないながらも続けてはいたのですが,体調が悪いとか,練習とかトレーニングしても効果がないということで,どうすることもできず,その気にもならないんですが,とにかく練習に出るだけは出ていたという感じですかね.

 そうこうするうちに,決定的な怪我というか,右股関節を傷めることになります.一番最初は,40代後半あたりに記述があって,一番ひどかったのは,藤原の相手をすることになった翌年,東京で全日本教職員があったときで,痛くてまともに動けない状態だったのですが,それでも試合には出たのは,今からするとちょっと信じられないです.

 結局,なんだかんだ書いて来ましたが,ずっと体調の悪さと怪我でパフォーマンスはもちろんのこと,普段の練習もトレーニングもまともにできず(やらず),転げ落ちてきたということですね.

 でも,体調に関しては,ここ数年,添加物非摂取生活を始めてからよくなって来てるので,あとは怪我というか,とにかくまずは右股関節ですね.で,その右股関節ですが,股関節なのかな?という気がしてきました.

 一番ひどいときは,整形外科に行ってレントゲンを撮ってもらったんですが,変形性股関節症とかではなくて,炎症が起きてるという診断で,薬を塗って数ヶ月安静で,でもよくならずに,プレーを再開して,プレーしながら徐々に,でも一番ひどい状態ほどひどくはないけどずっと痛くて動けないという感じです.

 新型コロナで半年練習してなくて,ちょっとよくなった感じもしていたんですが,昨日痛くなって,今日もまだ痛いんですが,炎症というか,筋肉痛みたいな感じもしてきました.つまり,股関節周りの筋肉をしっかりトレーニングすればってことです.でも,そういうこともやったことはあったんですが,あまり効果はなかった気がします.

 それで,今日は,共通テスト(帰ってきてニュースでは,新しい入試が始まったとか言ってますが,結局,何にも変わってない.そもそも,40年前からほとんど変わってないわけで,一体何やってんだ?)の監督だったんですが(でも今日一日だけで,もう終わったのでここに書いてる),痛くなる姿勢をいろいろとってみて,逆に言えば,そうなるときにその筋肉を使ってるってことで,それをやってみてはどうかと思いました.

 あとは,半年やってなかったってこともありますが,回内回外の筋力がかなり衰えていて,スマッシュが当たらないとかもありますが,クリアやロブがしっかり飛ばないとか,相手のスマッシュが返らないのではラリーにならないので,そこのところも(折角,1ヶ月(以上)練習できないので)調整したいと思います.

                 -----------------------------------

 話は前後するのですが,今は40代までのように,バドミントンとか運動をしないと体調維持できないということはないので,やりたくないのなら,やめればいいだけの話です.でも,やめないのならやればいいとも言えるわけで,でも,自分の思うようなプレーがあまりにできないのがもどかしいわけです.

 もちろん,歳をとればある程度はしょうがないのでしょうし,ひたすら競技力を求めなくても,それなりに体を動かすというか,そこまででなくても,できる範囲でできるプレーをすればいいというか,そう考えることで,心が安定して,少なくとも練習に行くのがしんどくはなくなるでしょうし,結果的にパフォーマンスがよくなることもあると思うんですよね.

 確かに40くらいまでは,練習やトレーニングをすれば強くなったし,年代別の全日本の試合に出ても勝ち上がることができて,同年代相手なら,体力勝負に持ち込めば,相手が先に疲れた,バドミントンを始めるのは遅かったし才能も大したことなかったかもしれないけど,歳をとっても怪我をせず,人並み外れた体力やフィジカルの強さはあったと思っていたのが,40代半ばを境に崩れ去ったわけで,だったら,そんなの幻だったとあきらめて現状を受け入れてそこからどうするかということなわけです.

 つまり,このサイトで何度も書いてるように,結果を求めず,目先のプレーの集中するということなんですが,そういう内的熟達的なことが(どういうわけがバドミントンだけ)できてないとも言えるわけです.

 ですから,そういうことも大事だとは思いますが,現状でいいと思って,パフォーマンスの向上を目指さないというのとは違うので,そこのメンタルのもって行き方はなかなか難しいとは思います.

 でも,まずはゲームの勝ち負けではなく,ラリー1本,ストローク1本を大事にして,その物理的パフォーマンスを評価し課題を出して解決法を考え実行してプレーに還元していくことからということでしょうね.

                 ----------------------------------

1/17'21
[あきらめる]
(バドミントン)

 でもまあ,これも「あきらめる」ということでしょうね.

 こんなどうしようもないプレーしかできないくらいならもうやめるということならやめればいいし,それでもプレーするのならすればいいし,せめてもう少しまともにプレーしたいと思うのなら,それなりのトレーニングは必要で,でも,それができないのなら,どうしようもないプレーしかできない状態を受け入れて,その状態でやるしかないわけです.

 つまりは,これもできる範囲でできるだけのことをするということでいいんだと思います.

                 ----------------------------------

[阪神・淡路大震災から26年]
(地震防災)

 阪神・淡路大震災から26年が経ちました.でも思うことは毎年変わりません.

 それは,このままでは,あの時と同じとは言いませんが,あの時のように多くの尊い命が失われることになってしまうということです.

 地震防災と言っても非常に多岐に渡りますが,私が関係したところで言うと,建物の耐震化はそれほど進んでませんし,防災システム,例えば,震度算定法は,ずっと被害と対応しないままですし,それは津波警報も同様です.

 精度の低さを安全率でカバーしている,即ち,震度は大きめに出るし,津波警報も然りですが,そうすると,震度6とかの大きな震度を記録しても被害がそれほど出ない,津波警報が出ても大きな津波は来ないということが10回中8回も起こることになり,そうすると,人々は,震度6でもこの家は(ほんとは大丈夫でないのに)大丈夫と思ったり,津波警報が出ても津波は来ないと思って,避難しなかったりで,結果的に被害を拡大させることになってしまっているのです.

 どうすればいいかは明らかでしょう.少なくとも,震度については,被害と対応する算定法が20年前から提案されています.でも,逆に言えば,20年もの間,変わらなかったわけですから,変わらないということなのでしょうが,それでいいのでしょうか.

                 ----------------------------------

1/18'21
[耐震補強は進んでない?]
(地震防災)

 建物の耐震化はそれほど進んでないと書きましたが,いやいや,自分の学校や大学の建物は,ブレースが入って耐震補強が行われたし,他にもそういう建物は結構見るし,大分進んだんじゃないの?と言う人もいると思います.

 そうですね.そういう建物(主としてRC造)はそうだと思います.でも,そういう建物は元々耐力が高いですし,潰れても人はそんなに死なないと思います.やや専門的になりますが,例えば,学校建物なら,腰壁,垂壁という非構造部材が付いているので,柱が潰れても生存空間が残ることが多いからです.

 ↓は,1993年グアム島地震で,コンドミニアムの2階の柱が潰れた部屋の中の写真ですが(思わずもぐりこんで撮りました),腰壁の分,生存空間が残っていて,実際,地震の時,人がいて,見る見る天井が下がってきて,死ぬと思ったそうですが,ここで止まって,揺れが収まった後,抜け出したそうです.

 街中のオフィスビルもそういうものが多いです.実際,1995年兵庫県南部地震のときに三宮の多くのオフィスビルが潰れましたが,腰壁垂壁は付いていたものは,生存空間は残ったので,地震が起こったのは早朝で,中には人はほとんどいなかったと思いますが,もしいても多くの人がそこで亡くなることはなかったと思います.

 ↓は,JR三ノ宮駅のすぐ北にあるNビルの震災直後の様子で,4階が潰れていますが(窓の部分が完全になくなっていて,その分看板もずれている.このようなビルが他にも多数あった),↑の建物のように,腰壁,垂壁の分だけ,中に生存空間が残っています.

 じゃあ,建物が倒壊すると生存空間が残らない建物は何かと言うと,木造ということになります.↓は2004年新潟県中越地震で潰れた木造住宅ですが,生存空間もほとんど残っていないのがわかります.

 もちろん,木造建物も1995年兵庫県南部地震以降,研究や技術が進んで,耐震性が高い建物が造られるようになりましたが,問題は,今の基準を満たしていない既存不適格建物(要は,古い建物)で,そういうものが大量に放置されたままになっていて,何と未だに1000万棟以上存在するという試算もあり,これらの耐震補強が一向に進んでいないのが現状です.

 しかも,その多くは住宅ですから,まさに1995年兵庫県南部地震のように,寝ているときに地震が来れば,下敷きになって命を落とすことになってしまいます.

 耐震補強できるのならした方がいいに決まってますが,いつ来るかわからない大地震に対してそこまでしないというのが人の性(さが)なのでしょう.でも,安い大衆車くらいの値段で耐震補強はできるわけで,車検が何回か来れば車は買い替えるのに,自分の命を奪うかもしれない家の耐震補強はしないのは,バランス的にどうかとは思います.

 抜本的な解決法ではないですが,寝室は2階にする(1階では寝ない)というのは,一つの考えです.1995年兵庫県南部地震のときもそうでしたが,多くの場合,潰れるのは1階だからです.↓は,2007年新潟県中越沖地震で1階が潰れた木造建物ですが,2階はほとんど何ともありません(もちろん,2階で寝れば必ず大丈夫ということではありません).

                 ----------------------------------

[関西]
(生活)

 大学入学から東京に出てきて,そこから40年近く(にもなるんですね)東京近郊で暮らして来て,(この歳になって?)いきなり関西で暮らすことになって大丈夫?と時々言われます.でも...

 関西って,そんな特別なところですかね?(実際,そういうイメージをもってる関東の人は結構いる) 別にそんなにというか,ほとんど変わらないと思いますけどね.実際,ほとんど何も違和感なく,普通に暮らしてますから.

 でも,元々私は,福岡出身で,東か西かと言えば西なので,そういうことも関係してるんですかね? つまりは,元に戻ったってこと?

 それもあるような気もしますが(うまかっちゃんもふつーに売ってるし(笑)),だったら,東京にいる間,違和感を感じてたはずで,でも,それもそういうことは全くないので,やっぱり,ほとんど変わらないということだと思いますけどね.

 でも,これはこっちに来てから思ったんですが,違和感が全くないのは想定通りでしたが,それ以上に,なんかほっとするというか,こっちの方が性に合ってるような気もしないでもないです.

 もちろん,まだたった2ヶ月半なので,どうなるかはわかりませんが,リタイア後,どこに住むかで,関東の方に帰るのが既にちょっとめんどくさくなってきたというか,こっちもありかなと思うようになってきました.

                 ----------------------------------

[どうして男と女が]

 (歳をとったら)爆発的な「いい」がなくても,ゴルディロックス的に緩やかに「いい」のがいいと書きましたが,あまりに平坦すぎるのもつまらないですかね.うーん,でも,爆発的な「いい」を求めるのなら,爆発的な「悪い」も併せ飲まないといけないのは,もうしんどいですかね.

 で,話は飛躍するのかもしれませんが,どうして男と女がいるんだろう?ってことです.そりゃあ,遺伝子をできるだけランダムにかけ合わせて,人類全体としてサバイブするようにってことなんですが,個々の人間としては,恋愛とかそういうことが起こって,実際,人生の中で非常に大きなウェイトを占めるわけで,まさに男と女がいるから大恋愛も大失恋もあって人生が平坦じゃなくなるわけで,もし,「性」というものがなかったら,(同性愛者でなかったら)平坦でつまらない人生になったような気もします.

 逆に言えば,歳をとると,そういうのがもうしんどいということなら,大恋愛も大失恋もしんどいということなわけで,それは,大失恋がしんどいように,大恋愛もしんどいってことかもしれません.

 もちろん,実際のところは,もうそんなことはないと思いますが,そういうことは全て繋がっているわけで,てことは,爆発的な「悪い」がしんどいから爆発的な「いい」を求めないのではなく,もう爆発的な「いい」を求めてないってことなんでしょうか?

 そう言われると,そんなことはない気がしてきますが,そう言われると,やっぱりそんな感じもしてきて,結局は,歳をとったってことなんですかね.

                 ----------------------------------

1/19'21
[直感的に]

 うーん,でもどうですかね? こっちに来た件についても,まさに「そういうこと」が起こったわけで,(めんどくさいと思いつつも)それを受け入れて,でも,判断に迷うことはほとんどなくて,実際に移って来たわけで,でも,こういうのは,そういうことがほんとに起こってみないとわからないというか,その瞬間に,直感的にどう思うかなんですよね.

                 ----------------------------------

[「貯蓄」する方法]
(経済)

 再三,貯蓄ではだめで,何億という資産ではなく,月20万のキャッシュフローが大事と書いてきました.それは,確かにそうなんですが,歳をとって月20万のキャッシュフローを稼ぐことができなくなるかもしれないわけで(年金だってどうなるかわからないし),そうすると何とかして「貯蓄」する方法はないかということになります.

 これについては,来るべき経済破綻に備えるということで,ずっといろいろ考えていて,例えば,日持ちがしてかさばらない生活必需品を貯蓄できれば最強なんですが,そういうものが見いだせなくて,現状「資保」という形で運用して資産を守ることを実行していますが,もっとプリミティブというか,現実的なところを考えてみると...

 最も簡単というか安易な方法は家を買うことでしょう.でも,不動産市況の影響を受けるのが最大の問題で,景気が悪くなって市況が悪化すれば,資産を守るどころか大幅に失うことになってしまいます.

 ここで論理的に考えると,そういう市況の影響を受けない不動産ならどうかということになります.具体的に言えば,田舎ですね.額的にも数百万も出せば,家一軒建てられる土地は楽勝で手に入りますから,それこそ,上毛高原とかの都会から新幹線で1時間くらいの駅から車で10分くらいのところに家を建てれば,数千万くらいで住居費を「貯蓄」できたことになり,上屋が経年劣化して価値が下がって行くのは,都心と同じですが,土地は元々二束三文ですから,値下がりのしようがないというか,0になっても数百万程度です.

 食料は,保存がきかないので,どうしようもないですが,田舎なら少なくとも都会よりは,いざというときに食料が枯渇することは,人口が少ない,食料を生産しているという二重の観点から都会より遥かに少ないでしょう.エネルギーについても,ソーラーパネルや蓄電池を購入して,自給できるようにしておけば,資産の一部を「貯蓄」できることになりますね.

 ということで,別の理由で考えていた「都会から新幹線で1時間の駅から車で10分」ですが,「資産を守る」という点からも優位性があるということになりますかね.

 具体的には,関東なら,上毛高原,本庄早稲田,熊谷,小山,関西なら,米原,岐阜羽島あたりでしょうが,気候を考えると,静岡(三島,新富士,静岡)もありかもしれませんね.

                 ----------------------------------

1/20'21
[京都のスキー事情]
(スキー)

 京都のスキー事情ですが,こっちに来る前に調べてあって,意外といい,具体的には,車で1時間とか2時間以内で行けるそこそこの大きさのスキー場があることはわかっていました.具体的には,びわ湖バレイグランスノー奥伊吹です.びわ湖バレイは,夏季のびわ湖テラスで有名ですが,冬はスキー場,夏はびわ湖テラスと商売上手ということですかね.

 特にびわ湖バレイは,ほんとに近くて,高速(湖西道路.しかも只)を使って1時間で行けちゃいます(奥伊吹は高速(有料)を使って,1時間40分).ここが滑りでがあるのならほんとに楽です.

 ということで,行ってみました.結論から言うと,かなりいいです.大きさ的には,ガーラの下山コースを除いた上の部分よりは全然大きい,というか,下山コース含めた全体でも実質ガーラくらいかも.20〜30度くらいの練習になるバーンもいくつかあります.雪質的には,結構固くて,ハンターに近くて,晴天率も高いようです(だから,そういう雪(氷?)質になる).

 

 

 なんで,京都の近くにこんなスキー場があるかですが,一つは,何度か書いてますが,京都が実は日本海側に近いということと,びわ湖バレイの特徴としては,琵琶湖の際に山があって,そこからロープウェイで一気に1000m上がったところにスキー場があるということです.ということは,景色的には,こんな感じ↓で,眼下に琵琶湖を見下ろすということになります.

 で,考えてみたら,そこそこちゃんとしたスキー場に車で1時間で行けるところって,札幌とか仙台とか長野とかはそうですが,北の方とか標高が高い寒いところ(ごめんなさい!)じゃなくて,雪のない都会から1時間で行けるということだと,ひょっとしてここくらいしかないのかもしれません.

 ていうか,高速の入口近くの山科(京都駅からJRで東に一駅.京都市山科区)からだと30分で行けちゃうわけで,びわ湖バレイの異常さ?が際立ちますね.

 ということで,いつも起きる時間に起きればいいし,最後まで滑ってもいつもの夕食の時間には帰って来てるわけで,(確か,今年度中に有給を何日とらないといけないとかいうのもあったし)ちょくちょく行ければと思います.

                 ----------------------------------

 それで,肝心?のスキーですが,初滑りでしたし,雪質が似てることもあって,去年,学生達と行ったハンターのときの悪いイメージというか,最初はとにかく全然乗れなくて,それも技術とかフィジカルの問題ではなく,力学的真上に乗るには,この位置まで体を動かさないといけないのに,体が硬くなっててそこまで動かせないという感じで,もう歳と言ってしまえばそれまでですが,そういうことを感じてしまいました.

 昔からではあるんですが,左回り(右外足)が乗れなくて,腰が回らないと思っていたんですが,これも股関節かもしれませんね.実際,いつの頃からか,(特に右の)ブーツのバックルを締めたりはずしたりするのも一苦労ですし,力学的真上に体をもって来れないのも,バドミントンのように球が来るまでの間に(動的に)動けないのではなく,静的に物理的にそこまで動けない,しゃがめなければものが拾えないような感じでしょうか.

 更に言えば,すぐに疲れてくるというか,腰や股関節がしんどく痛くなって来て(そんな感じなので,リフトに座っててもしんどいし,リフトの椅子が硬くて痛いと感じたのは初めてかも),フィジカルの問題もありありなわけです.バドミントンもそうですが,スキーもそろそろやばいのかなあとも思いました.

 まあでも,いろんなことを考え,試しながら,動きを洗練することを意識して滑っているうちにだんだん乗れるようになってきたというか,基本に立ち戻ると,スキーの技術の基本は,やはり,(角づけと回旋より)荷重だと思うんですよね.なぜなら,スキーで一番重要なことは,スキーをコントロール下に置くことで,荷重した状態でないとスキーをコントロールできないからです.

 つまり,舵取りの時にしっかり荷重して「押し回す」(伸ばし回しも,曲げ回しも,いずれも押し回し)ことで,そのために早い段階で切り換える必要があるわけですが,その一つの方法として内足始動ということがあります(東京の時のクラブで,全日本に出てるレベルの人で「内足で外足を蹴る」と言ってる人がいました).

 内足から始動すると上体が早い段階から谷側に移動するので,外足を踏めるようになるわけで,簡単に言えば,内足ターンをすればよくて,そうすると途端に楽に滑れるんですね(ついでに足も揃う.でも,私は足を揃えるという意識は全くないし,そういう意識はいい滑りに繋がらないと思っている).

 でも,それじゃあ単なる内足ターンなわけで,ターン弧を描くに従って,徐々に外足にも荷重して行かなくてはいけなくて,それがまさに押し回しなわけです.つまり,ターンの最初が内足100外足0なら,その比率が徐々に外足に移っていくということなんですが,ターンの最後が内足0外足100になるわけじゃなくて,内足40外足60くらいな感じがします(要は両足で滑る,しかも,最適化された状態で).

 そんな細かいこと...ってことなんでしょうが,上手い人はそれを無意識にやってるんでしょう(バドミントンも同じ).つまり,そういうことを意識してひたすら練習するというのが動きを洗練するということなわけです.

 意識の仕方はいろいろありますが,重要なのは,やはり「リズム」だと思います(これもバドミントンも同じ).つまり,頭の中で,そういうリズムが流れていて,それに合わせて「そういう風に動いてる」ってことなんだと思います.

                 ----------------------------------

1/21'21

 一日経って,昨日は,筋肉痛というか体のあちこちが痛い感じでしたが,今日は大分おさまった感じです.でも,バドミントンもスキーもどうするかというか,(今のところ)やるのはやると思いますが,このままではやはりパフォーマンスの低下は免れないというか,それでもやるのか,トレーニングなど何か対策を講じるかですね.

 バドミントンにもスキーにも共通する問題は,やはり,右股関節でしょう.怪我というか老朽化だからしょうがないと言ってしまうと,そこで話が終わるわけで,でも,6年くらい前のの一番ひどい時よりは大分よくて,それは,単に時間が経って傷が癒えたというよりは,トレーニングまで行かなくてもストレッチなどの対策をしたことが大きいと思います.

 ですから,そういうことは続けた方がいいと思いますし,現に続けていますが,効果がだんだん頭打ちというか,これ以上は,よくならない感じで,だとすると,何かを変える必要があるわけです.

 でも,ひどい時は,日常生活にも支障をきたすほどで,さすがにこのままではまずいと思って始めたわけですが,今は日常生活はほとんど問題ないのですが,例えば,ブーツのバックルを締められなくなったら,スキーはもうできない(少なくとも誰かといっしょに行ってもらって介助してもらうことが必要)ってことですし,6年前から歳をとってるわけで,今やってることを続けて,現状を維持できるとも限らないわけですからね.

                 ----------------------------------

 びわ湖バレイで少し補足というか,もちろん,難点はあるわけで,一つは,リフトが遅い(高速リフトは一本だけ)ことですかね.まあのんびり滑ればいいってことですが,一番右の下のペアは長くて椅子が硬くて座ってるのもしんどいので,座布団(笑)というか,太ももの裏,特に板の重みがかかる膝裏の近くに何か仕込むとかした方がいいですかね.

 あとは,車で1時間ではあるんですが,そこからロープウェイで登って,帰りは降りるわけですから,実質,それも含めての移動時間ということになりますかね(そういう意味では,下山コースが開いてないときのガーラも同じ).まあでも,ロープウェイは15分おきに出ていて,所要時間は5分くらいのものです.

 値段的にもリフト券は(ロープウェイ込みで)5000円と高いですし(でも前売りで買えば4000円でシーズン中有効),駐車場代も1000円は高いです.スキー場のご飯もカレーが1000円という感じで,これもちょっと高いですかね(でも,片道40kmちょいなので交通費はガソリン代だけで往復1000円くらいしかかからない).

 あと,これはどこのスキー場もそうですが,車で行くと,(寒い)駐車場でブーツを履いて,そこからスキーセンターまで板を担いで歩いて行くんですが,私はそれがあんまり好きくないんですよね.だとすると電車で行くしかないんですが,調べてみたらそれも可能で,最寄りの駅から1時間ちょい(運賃は770円(笑)),そこからバスで10分でした.

 うーん,でも,スキーと荷物を担いで最寄りの駅まで歩いて行くのも電車に乗るのももうしんどいかなあ.そういう意味では,こっちに来るということで撤収しましたが,スキー場のシーズンロッカーにスキーとかブーツを置いておけるガーラはやっぱり楽でしたが,いつからかシーズンオフは一旦荷物を引き上げないといけなくなったのが面倒でした.

 そういう意味では,ずっと置きっぱできる越後湯沢駅のロッカーはまだキープしていますが,場所が駅の構内の隅っこなんで,ガーラのシーズンロッカーみたいに部屋の中じゃないのが難点と言えば難点ですかね.

 そっか,バスが出るJR志賀駅の駐車場に車を停めるというのはどうかな.調べたら駐車場代は1日330円ですね.そこからバス代が板持ち込み料込みで往復920円,スキー場でのロッカーが400円なので,合計1650円ですね.一方,スキー場の駐車場代は1000円なので,差額にして650円となり大したことありません.まあでも,バスは1時間に2本くらいで,うまく時間を合わせないといけないし,これはこれでちょっとめんどうか.

 そう言えば,ゴルフ場って,まずクラブハウスに行って荷物を降ろして,駐車場に車を置いて手ぶらで歩いて行くわけで,スキー場もそうしてもらえるとありがたいんですが,人数も全然違うし,ゴルフ場は年寄り(の金持ち)中心ってことなんでしょうね.

                 ----------------------------------

[スイカのオートチャージ]
(生活)

 スイカというか,正確にはビックカメラスイカカードですが,スイカはこっちでも使えるのでそのまま問題なく使っていたんですが,クレカの期限が来て新しいカードが来て,それを使おうとしたらだめで,どうやらチャージ額を古いカードから新しいカードに引き継がないといけないようです(ICタグだからそういうことか).

 で,どうやってやるかと言うと,多機能券売機がある駅まで行ってということで,それだけでめんどいのですが,それだけじゃなくて,その端末はJR東日本管轄内にしかなくて,要は,東京まで行かないといけないってこと?

 更に言えば,スイカは関西でも使えるけど,オートチャージ機能は使えないらしいです.いよいよもって面倒で,それじゃあ(クレカが付いてない)単なるスイカじゃん.

 まあでも,電車にそんなに乗るわけじゃないし,単なるスイカとして使う,時々ウェブに繋いで手動でチャージするってことですかね.古いカードの残額は,まだ1万円以上ありますが(私の設定は1万を切ったら1万チャージ),これを使い切ったら新しいカードを使うってことですが,問題は,クレカの期限が切れてもスイカとしては使えるかってことですかね(問い合わせました).

 でも何というか,DXじゃないですが,まだいろいろ不具合があるというか,JRもそうですが,電力やガスもそうですが,高速道路とか民営化して分割したものの不揃いというか不具合が結構あるような気がします.

                 -----------------------------------

 回答が返ってきたんですが,

@駅のATM「VIEW ALTTE」での払戻し
AJR東日本の「多機能券売機」にて、旧カードから新カードへSuica情報の移し替え(※)
B旧カードを弊社までご返送いただき、ご登録口座へのご返金

※上記Aのお手続きは定期券機能付きカードのみ可能なお手続きとなっており、お申し出いただいている ビックカメラSuicaカードではお手続きいただくことができません。

とのことです.つまり,引っ越さずに東京近郊にいた場合もAはだめで,@しかなかったわけです.VIEW ALTTEは,こっちにはないのでBしかないのですが,ウェブ上でチャージするというのもできなくなってるみたいで,なんかもうグダグダですね.

                 ----------------------------------

[やめた方がいい?]
(運動, スポーツ)

 いつの頃からか,多分,40代中盤くらいからだと思いますが,トレーニングしても効果が全く感じられなくなり,やっても効果がないということでトレーニングもしなくなったと何度か書きました.それもあるんですが,これもいつからか,効果がなくても数年は頑張ってトレーニングしてたと思いますから,40代後半くらいからだと思いますが,トレーニングすること自体に効力感を感じないというか苦痛というか体が嫌がるようになりました.

 いやいや,トレーニングというのは辛いのを我慢してやるものでしょというのは私は違うと思っているというか,少なくとも若いときは全然違ったし,今はそのときとは明らかに何かが違います.

 これも平たく言えば,DNAにそう書いてある,人生50年,つまり,実質人生が終わったということなんでしょうから,そういうことに素直に従った方がいいということだと,トレーニングもそうですし,そもそも,スポーツとか運動とかもやめた方がいいのかもしれません.実際,バドミントンにしてもスキーにしても,行くのはかなりのハードルの高さを感じるわけで,大分無理して頑張ってる気がします.

 そうなんですが,まあちょっとでもその気になるのなら,できる範囲でやって行くということですかね.逆に言えば,そんなに無理することはないと思います.

                 ----------------------------------

[自分はもうだめだ]

 運動やスポーツは(ピアノも)それでいいと思いますが,きいた話で前から気になってることがあって,(随分前のことなのでうろ覚えというか正確ではないのかもしれませんが),ある研究室の卒業生で研究者になった人が研究室時代の恩師の先生と久しぶりに会ったら,その先生が(もう歳で)研究に対する意欲をなくした,あるいは,脳力が低下して研究していけなくなった,あるいは,研究に限らず気力を失ったかで,自分はもうだめだと弱音を吐いたと言うんですね.どう思いますか?

 卒業生とか学生からしてみると,それはショックなことだし,そんなこと口が裂けでも言うべきではないとずっと思っていたんですが,考えてみたら充分にありうる話で,学生はともかく卒業生なら,ちょっと寂しくはなるかもしれないけど,そんなものかと思うのかもしれません.

 幸い,私はまだまだ研究意欲はありますし,アイデアもどんどん浮かびますし,問題解決能力もあると思いますが,むしろそれが普通じゃないというか,いつそういうものを失うかもしれないわけですよね.

 でも,それは誰にでもありうることだし,歳もあまり関係ないのかもしれません.実際,どんなに若くても興味を失うことはありますからね.逆に,歳ならある程度「逃げ切れる」とも言えるので,そっちの方が怖いかもしれませんし,そういう経験もないこともないので,やっぱり,よくここまでやって来られたもんだとは思いますね.

                 ----------------------------------

(日記)

 今日は(やっぱりちょっと)疲れてる感じです.こういうときは,疲れたら休めということで,無理せず回復するのを待つということですかね.

                 ----------------------------------

[やめればいいだけの話]

 別に無理してスポーツなんかしなくても,ピアノなんか弾かなくても,めんどくさくてやりたくなきゃやめればいいだけの話ですよね.

 研究したり,テレビを見たり,インターネットを見たり,世の中とか経済の動きを見て取引をしたり,考えたことをこのサイトに書いたり,本を読んだり,音楽を聴いたり,体を動かしたくなったら動かしたり,わかり合える家族や友人と(今はzoomでも)話をしたり,メールのやりとりをしたり,食べたいときに食べたいものを(作って)食べたり,お風呂に入ったり,夜はぐっすり寝たり,買い物とか洗濯とか掃除とか生活するのに必要なことをやったり,片付けとか生活の質を向上させることをするだけでも充分楽しくやって行けると思いますからね.

 体が思うように動かなくなって右外足のターンでうまく乗れなくても,スキーをしないのならスキーのブーツのバックルが締められなくてもいいわけですし,それこそ何とか自分で靴下がはけて,足の指の爪が切れれば,自分の足で歩いてトイレとか買い物とかに行ければ,別段問題ないでしょう.

 でも,やりたくなきゃやめればいいだけの話ということは,やりたきゃやればいいだけの話でもあるということです.

                 ----------------------------------

1/22'21

 (仕事や生活に必要なことでなければ)やりたくないのならやらなきゃいいだけの話だと思うのですが,それだとどんどんつまらない人生になって行くということなら,ある程度,自分をコントロールすることが必要ということなるのでしょう.

 例えば,ピアノがうまくなりたい,バドミントンが強くなりたいと思っていて,でも「今日は」練習やトレーニングしたくないなと思ってサボると,うまくなりたいとか強くなりたいに支障が出るので,練習やトレーニングしたくないと思ったときも頑張ってやるわけです.

 でも,そういう日が続いてしまうと,毎日やりたくないことを我慢してまでピアノがうまくなりたい,バドミントンが強くなりたいのか,ピアノが弾きたくないのにピアノがうまくなりたい,バドミントンがしたくないのにバドミントンが強くなりたいのってどういうこと?となって,そもそも,ピアノが弾きたいのか,バドミントンがしたいのかが怪しくなってきます.

 そこで出てくるのがここでもやる気三要素で,やりたくはないけど(内的熟達はないけど),これで飯を食って行ける,金が儲かる,大会で優勝できる(報酬),応援してくれる人の期待に応えられる,ここでやめると回りに迷惑がかかる,人前で弾いて評価される(人との繋がり)とか考えるわけですし,人はそれを「努力」と言うわけです(こうして書いてみると「努力」って俗的なものなんですね).

 でも,別にもう食べては行けるし,誰に迷惑をかけるわけでもないしということになると,報酬とか人との繋がりは「効かなく」なってくるわけで,結局,最後は内的熟達,即ち,やりたいかどうかしか残らないと思うんですよね.

 つまり,何度も書いてるように,内的熟達さえあれば無敵とも言えるわけですが,じゃあ,どうやったら「持続的に」やりたいと思えるかがわからないんですよね.もちろん,どんなことでも奥行きはあるし,面白さや奥深さを見出すことはできると思うのですが,だったら,何でもやりたいかというとそんなことはないわけで,ここまで来るともう「好き嫌い」なわけです.

 ですから,結局,やりたくないのならやらなきゃいい,逆に言えば,やりたきゃやればいいってことなんでしょう.

 ただ一つ言えるのは,心身が健全というか,心も体も「元気」というか,ある程度のエネルギーがあることは重要で,そのためには,無理せず休息をとることと食事ということになります.つまり,無理せず休息をとるってことは,やりたくないときは,無理してやらない方がいいってことと一応は繋がってることになります.

 そんなことでは大したことにならないし,成功もしないというのは,その通りですが,そもそも,成功する必要があるのか? 成功ってなんや?ということもありますし,私はずっとこんな感じで何とかやってくることはできました.それは,やりたいときはやったということなんでしょうが,そんなの全体からすると僅かだったような気もしますから,単にラッキーだっただけなのでしょう.

 なので,成功したい人は真似しない方がいいと思いますが,私は私のやり方があるというか,(これまでもこれからも)そういうやり方しかできないし,その結果,成功なんかしなくても甘んじて受け入れればいいし,でも,自分の中では,充分成功できたと思うのでこれでOKです.

                 -----------------------------------

 とは言え,若い頃は,やりたくないことを我慢してやったこともあったと思います.ですから,こういう境地に到達?したのは,割と最近のような気もするのですが,じゃあ,歳をとって何でもありになったからそんな戯言が言えるのかというとそういうわけでもなくて,若い時から,こういう境地にいられれば,無理して頑張ろうとせずにもっとうまく行った気もするんですね.

 でも,そんなこと今更だし,何度も書いているように昔に戻りたいとは思わないし,これからが大事で,こういう境地になってこれからどうなって行くか,おそらく,これまでよりもっとよくなるわけで,それは楽しみということになります.

                 -----------------------------------

 あとは,人生所詮退屈しのぎなわけで,何とか食べて行ければ,何でもいいからやることがあればいいわけで,そういう意味では,こうやってどうやって生きて行くか死ぬまで考え続けるというのもありでしょう.

                 ----------------------------------

[何かが変わる何か]

 でも,やりたくないのならやらなきゃいい,やりたきゃやればいい,だと,何をやりたいのかでその人の人生が決まる,つまり,何度も書いてるように,その人の素養で決まるわけで,でも,それはまさにその通りだと思うんですよね.

 じゃあ,素養は何で決まるかですが,先天的なものもありますし,大きいのはやはり,幼少期から成人するまでをどう過ごしたか,どういう環境で過ごしたかですかね(一番重要な20代をどう過ごせるかがそこで決まるとも言える).そして,それは,(どの学校に行くかも含めて)ほぼ家庭環境で決まってしまうわけです.

 そして,子供は親を選べないわけで,親もその親を選べないわけで,そうやって行くと,結局,全ては137億年前に決まってるまで行っちゃいますかね.

 まさに身も蓋もないってことなんでしょうが,まずはそういうことを受け入れる,そして,そこからどうするかってことなわけで(でも,そう思えるかどうかも決まっちゃってる気もしますが),そこに何かが変わる何かはあるような気もするんですよね(でも,これも決まってはいるのですが).

 私自身に関しては,幼少期から成人するまでは,「そこそこ」だったとは思いますが,ほんと大したことなかったと思います.でも,研究室に入って研究というものに出会って明らかに何かが変わりましたし,それは,1999年台湾集集地震のときもそうでしたし,人間的にも,幼少期から父親にずっと人の気持ちを考えろと言われ続けたけどずっとわからず,でも,いつの頃からか,それがどういうことか大分わかるようになったと思います.

 でも,何かに出会ってその時変わったというよりは,ずっと何かを探していたから出会ったときに変わったんだと思うんですよね.ですから,今がパッとしなくてもあきらめる必要はなくて,でも,探し続けるというか考える続けることは必要で,そうでないと何かが変わる何かに出会っても何も変わらないと思います.

                 ----------------------------------

[自堕落というかシンプルに]

 ぐだぐだ書いてますが,私としては,やりたいときにやりたいことをやる,やりたくないことは(できるだけ)やりたくないし,やりたいこともやりたくないときはやらないという自堕落というか,でも,ある意味,シンプルに生きて行きたいんですよね.

 そんなことでは大したことにならないとしても,それは甘んじて受け入れればいいし,でも,そんな感じでここまでやって来られたし,これからもやって行くということでしょうか.

 もちろん,実際はそんなにシンプルというか簡単な話ではないので,そのまんま真似してもうまく行くわけはないですが,私としては,その辺の勘どころは大分わかってきたので,何とかうまくやって行きたいとは思います.

                 ----------------------------------

1/23'21

 とか書いたんですが,そんな簡単にうまく行くわけないですよね.

 もちろん,仕事とかやらないといけないことでなければ,やりたいことをやりたいときだけやるというのでもいいのかもしれませんが,研究はもちろんのこと,仕事や仕事でなくてもやらないといけないこととか生活のことを何とかうまくやって行くだけで大変なことなんだと思います.

                 ----------------------------------

[これからはそうも行かない]

 関連するのかもしれませんが,確かにこれまではいろいろ運がよかったと思うんですよね.でも,これからもそうという保証なんかどこにもないわけです.

 例えば,最近起こってることでも,既にどこかで書きましたが,こっちに来る前,いろいろうまく行き過ぎてる感じがして,でも,こっちに来るあたりを境にして,そういう感じが反転したというか,今まで単にラッキーだったことがそうじゃなくなって,今まで単にラッキーだったことを思い知るということが実際に起こってて,好事魔多しというか,調子に乗んなというか,逆にこれまでより気をつけないといけないと思っています.

 正直,ちょっとしんどいんですが,まずは現状を受け入れて,そこからどうするかしっかり考えて,ということですね.

                 ----------------------------------

[普通の人間の体に戻ってしまう]
(体, スポーツ)

 Pロフェッショナルの元バレリーナの吉田都さんの回を見ました.彼女は何年か前に現役を引退して日本のバレエ団の監督になったんですが,最初の顔合わせのところで,日本のトップダンサー達相手に基本が大事,基本ができてないと言っていたのが印象的でした.

 その通りだと思います.どんなにレベルが上がって行っても,いや,レベルが上がれば上がるほど基本が大事だし,でも,多くの場合,そういうことがおろそかになってると思うんですよね.

 バドミントンの場合だと,再三書いている「そういう風に動く」ってことですが,そういうことが意識しないとできなくなった,トップ選手はそれが無意識にできてるってことなんですが,そうじゃなくて,トップ選手もできてるわけじゃないし,ましてや,歳をとって体が思うように動かなくなって来てる私がそういう意識をして動きを洗練しないといけないのは当たり前のことで,そういう意味では「それでいい」んだと思いました.

 吉田さんは,私達は選ばれた人間ではないので,基礎をしっかり毎日教え込まないと普通の人間の体に戻ってしまうとも言っていて,これもまさにその通りで,バドミントンやスキーとかのスポーツもそうですが,もっと広い意味で,加齢で体が動かなくなっていくのもそういうことで,つまり,何もしないと体はどんどん老化して錆び付いていくわけで,単に体を動かすというだけではなく,しっかり「体を整える」ことが必要なんだと思います.

                 ----------------------------------

[単純な話ではない]

 少し前になりますが,筑波大バドミントン部のFBに卓球の全日本で解説の福原さんの,相手がいる競技なので,自分のプレーをすることより,相手とのことをよく考えたプレーヤーが勝ち上がっている,というようなコメントが紹介されていました.確かにそうなんですが,そう単純な話でもないと思うんですよね.

 もちろん,相手が明らかにストレートを待っているのにストレートを打つのは○ホかということなんでしょうが,重要なのは「定石と意外性」の組み合わせなので,意外性という意味では,ストレート待ちのところに敢えてストレートを打つ意外性も必要なわけです(そういうことをちゃんと考えて打ってるのかってこと).

 それに相手が何を待っているのか,何を打とうとしているのかを考える分,自分のプレーに集中できなくなることもあるわけで,だったら,自分のプレーのパフォーマンスを上げることに集中して,極端な話,バドミントンのシングルなら相手のことなんか考えずに四隅にしっかり甘くない球をランダムに返すとか,自分のプレーに集中していたら,もっとラリーを続けたかったのに相手が勝手にミスするという感覚もあるんですよね.

 ですから,結局,単純な話ではないわけで,相手がいるから相手とのことを考える一方で,考えずに自分のプレーに集中することも大事で,定石と意外性のように,相反することが両立するというか,そのバランスが重要というか,だからこそ簡単ではない,奥行きがあるということだと思います.

 話を広げると,人生もまさにそうで,もちろん,他者評価より自己評価なんですが,これもそんな単純な話ではなくて,やりたいことをやってたら評価されることもあるわけで,でも,だからこそ面白いというか,よく考えることが必要だし,そういう人が成功するんだと思います.

                 ----------------------------------

1/24'21

 まあでも,何度か書いていますが,トッププレーヤーとそれ以外の違いは何と言っても「フィジカル」で(どんなに考えてプレーしても物理的なフィジカルな差があれば絶対に勝てない),逆に言えば,トッププレーヤーだからと言って,上で書いたようなことができているかと言うと全然なわけです(考えずにできちゃうことを「センスがある」とも言うが,考えてないってことなので,優秀な指導者にはなれない).

 ですから,そういう「考えること」ができていないのなら,まずはそこをやるべきなのは言うまでもありません.でも,それだけでもだめ,つまり,フィジカルがなければ話にならないわけで,両方必要ってことなんですが,トッププレーヤーが更に上に行くのに必要なことは,フィジカルが既にあって,考えることができてないのなら,もっと考えてプレーしろよってことだとは思います.

                 ----------------------------------

[じゃあ何するの?]

 もちろん,仕事とかやらないといけないことは否応なしですが(でももうやりたくないというかやり甲斐のない仕事をしてまで働く必要はないけど),仕事とかでなければ,やりたくないならやらなきゃいいわけです.

 例えば,今日はピアノ弾きたくないなとか,練習の日に今日は練習行くのめんどいなとかいうことはいくらでもあるわけで,でも,そういう時に考えるのは「じゃあ何するの?」ってことです.

 例えば,練習の日に練習に行くのをやめれば,その分,3時間くらい時間が空くわけで,じゃあ,代わりに何するの?ってことです.もちろん,他にやること,少なくとも練習に行くよりやりたいことがあるのならそれはそれで問題ないですが,元々その日は練習に行く予定だったわけで,他に何かする予定があったわけではないですよね.そうすると,じゃあ練習行くかとなるわけです(ピアノも同じ).

 そう,これってまさに「人生所詮退屈しのぎ」ですよね.つまり,そういう「使用法」もあるというか,やっぱり,結構「使える」と思います.

                 ----------------------------------

[既にもってるものを]

 久々?の(定年などで仕事をクビになった後の)「準備」についてですが,社会からお前はもう要らないと言われても大丈夫(それはそれで気楽にやって行けばいい)という心の準備とか,「一人,時々,みんな」が理想だけど,「一人でも大丈夫」なら無敵で,でも,そのためには,「やること」の準備ってことで,少しずつその「柱」を増やしてきたんですが,新しく開拓するより,既にもってるものを深掘りする方がいい感じもしてきました.

 一つは,既に興味をもって,その多くは,長年取り組んで来たものが多いので,そういう実績がある,つまり,「私にとって」よくわからない何か惹きつけるものがあるわけで,多少の変動はあっても,興味を持ち続けられるんじゃないかということがあります.

 そして,その多くは,既にかなりのレベルに達していて,だからこそのしんどさもあるのですが,真の面白さというか奥行きもわかってると思います.つまり,その多く(おそらく全て)はどれも奥行きがあることなので,どこまで行っても終わらないということもありますかね.

 そして,そう考えると,やることを開拓しないといけないってことがなくなって,心が落ち着くというところが大きい気がします.

 もちろん,興味があることが出てきたらそれを避けることはないですし,これまで通り,何か面白いことはないかなと探し続けることは続けて行きます.でも,これまでの経験からすると,そんなこと,そうそう見つかるものでもないし,感触的には,あといくつかがせいぜいという感じでしょうか.

                 ----------------------------------

[上毛高原と変わらない]
(生活)

 宿舎のポストに売土地の広告が入っていました.71平米と猫の額なのですが,すぐ近所で何と850万です(解体更地渡し).建ぺい率60%,容積率184%なので,3階建てなら128平米まで行けるし,1階を車庫にしても85平米なので充分ですし,坪単価50万としても1300万で,土地代と合わせても2000万ちょいです.

 何度か書いていますが,今住んでいるあたりは,生活するにはかなり便利で(生活に必要なものは近所にほとんどあるし,最寄りの駅まで7分くらいでそこから京都駅まで20分.スキーにも1時間で行けるし(笑),高速の入口も近い),変な話,このあたりにずっと住むことを決断すれば,すぐに叶うことになります.

 もちろん,実際にそうすることは(まだ)ないと思いますが,思ったのは,もちろん,土地の広さは全然違いますが,850万って上毛高原から車で10分の土地とそんなに変わらないんですね.でも,住むのにそんなに広い土地は必要ないし,やっぱり,お金ってそんなに要らないわけで,逆に都心のタワマンが○千万もするというのがいかにぼってるかってことです.

                 ----------------------------------

1/26'21

 少し前ですが,沼田で雪下ろしで死亡というニュースが流れていました.今年は豪雪でそういうニュースをよくきくんですが,沼田ってそんなに雪降るんですかね?(まあ沼田と言っても広いが) 上毛高原もそこそこ降る? でも,新幹線で何度も通ってるけど,そんなに降る感じじゃないですよね.

 そこそこは降るのかな.電車で10分は魅力(笑)だけど,もっと南,せめて,熊谷とか籠原とかが現実的ですかね.

 そうそう,びわ湖バレイにもシーズンロッカーあるみたいです(値段もだいたいガーラと同じ).だとすると,(ほぼ)手ぶらで電車で1時間ちょいも可能ってことですね.

 でも,駅までは歩いて行かないといけないし,向こうではバスにも乗らないといけないし,車でも1時間なので(往復2000円て書いたけど1000円だった),新幹線が使えるガーラほどの優位性はないですかね.

                 ----------------------------------

[ある人のこと]

 ある人のことなんですが,いろんな集まりがあるのですが,そういう集まりの一つで,でも,その人は,ある時を境に全く顔を出さなくなりました.その集まりの中で割と仲がいい奴とは時々会ってるみたいで,どういう状況かきくと,そういう集まりに顔を出すのがもうめんどくさいらしいです(うーん,わからんでもない).

 で,どういう生活を送っているのかというと,平日は仕事(研究者)なんですが,週末も自室に籠って研究というか勉強してるらしいです.どう思いますか?

 普通の人からすると,そんな生活のどこが楽しいんやってことなんでしょうが,本人はそれが一番楽しいというか,そうしたいからそうしてるわけですよね.そして,何よりまさに「一人でも大丈夫」状態なわけです.羨ましいとまでは言いませんが,少なくとも彼はハッピーなんだと思いますし,定年で仕事を失っても全然平気で準備万端ってことです.

 うーん,私は(まだ)そこまでの領域には明らかに到達してないですね.ていうか,そこまでは難しいかなあ.やっぱり,「一人,時々,みんな」くらいがちょうどいいですかね.でも,そこまで行けたら無敵だと思います(やっぱり,羨ましいのかも).

                 ----------------------------------

[右脚の内旋]
(体)

 右股関節ですが,内旋に痛くて動かないことに気づきました(今頃?).つまり,スキーの右外足ターンで乗れないのは,腰が回らないのではなく,右脚が内旋に(痛くて)回らないということです.左脚と比べると全く違います(ほんと今頃気づくか?).

 そうすると,膝を曲げてしゃがんだ時,右膝が内側に入らないので,右足の甲やくるぶしの外側にあるバックルに手が届きにくいことになりますね.

 バドミントン(のフットワーク)はどういう影響がありますかね.膝が内側に入るのはあまりよくないのですが,膝が外側に逃げると力がはいらなくて帰って来られないですね.

 どうしたらいいかですが,内旋のストレッチをして可動域を広げるってことでしょうか.

                 ----------------------------------

[高度はもう上がらない]

 ある時(歳)を境に峠を越えて人生が下り坂になるってことなんですが,それがどういうことかというか,どうしたらいいかがまだわかってないような気がします.具体的には,まだどこかで練習したらうまくなる,強くなると思ってるふしがあるんですね.

 もちろん,何もしなければ,ただ老い衰えて行くだけなんですが,ソフトランディングというか,徐々に高度を下げて行かないといけなくて,でも,高度を下げて行くのにもエンジンの稼働は必要で,問題はその按配ということでしょうか.

 重要なのは,時間が逆行しないのと同じように,高度はもう上がらないということです.それを高度を上げようとして機首を無理に持ち上げようとすると墜落するわけで,高度が下がって行くことを前提に(そういうことを受け入れて)やるべきことをやって行くということで,でも,これが限りなく難しいわけで,実際,飛行機の操縦で一番難しいのは着陸ですからね.

                 ----------------------------------

[夢がない?]
(大学)

 何度かこのサイトで書いてますが,優秀なのに研究者になろうとしない学生が結構いるということですが,先日,若手の先生と話をしたとき,(優秀で頑張れば研究者になれる)学生が「夢がない」と言ったそうです.夢がないというのは,給料がいいとか俗的なことではなくて,もっと本質的なこと,平たく言えば,先生が楽しそうに仕事しているように見えないということらしいです.

 そうなんですかね? やりたいことができるし,何を研究するかは自分で決められるし,結果さえ出せばいつ仕事するかも自由だし,給料もそこそこだし,職業としても安定してるし,こんないい商売ないと思いますけどね.

 でも,実際のところは,いろいろ大変になってきてるのは,このサイトでも再三書いてる通りです.でも,それでも民間企業に就職するよりは,遥かに自由だと思いますけどね.でも,民間企業の仕事がどうかは,就職しないとわからないので,比較できないんでしょうね(実際,企業から大学に移ってくる人はたくさんいるけど,逆はほとんどいない).でも...

 思い返してみると,私が学生だったときの先生は,青山先生と小谷先生ですが,私が研究者になろうと思ったのは,彼らが楽しそうに仕事をしていたからではないわけで(もちろん,彼らが楽しそうに仕事をしてなかったということではありません),単純に研究がして行きたい,そのために研究者になりたいと思っただけなんですよね.

 そして,研究がしたいのなら,研究者になったら楽しいに決まってます.

 つまりは,先生を見て楽しそうとか大変そうとか,そんなの関係ないわけで,研究がしたいかどうかなわけです.

 でも,学生から見て楽しそうに見えないというのは(そういう学生にとっては)そうなんでしょう.どう見えるかは別にどうでもいいんですが,私も含めて,大学の教員って(ほんとはそんなの民間企業と比べると大したことないのに)大変なふりをするようなところはあって,それで学生が(優秀で頑張ればなれるのに)研究者になる機会をみすみす逃してしまうのは勿体ないですね.

 かく言う私も,上で研究がしたいから研究者になったと書きましたが,研究室に入って研究というものに出会ったときはそうでしたが,子供の時に大学の先生になりたいと思ったのは,父親が楽しそうに仕事をしていたからというのは何度も書きました.

 でも,今から思い返してみれば,いろいろ大変だったと思います.私立大学で授業負荷も大きかったと思いますし,○○大学に一週間集中講義に行かないといけないとか,そういうこともしょっちゅうだった記憶があります.

 ですから,楽しそうに見えるかどうかなんて関係ないというかし,そもそも,ほんとのところはわからないわけで,その人が楽しくても自分はつまんないかもしれないし,逆にその人が辛そうでも自分は楽しいかもしれないし,結局は,自分にとってどうかなわけで,つまりは,自分が「研究がしたい」のかどうかだと思います.

                 ----------------------------------

1/27'21
[股関節のストレッチ]
(体)

 右股関節の内旋ですが,無意識に反対の回外に逃げるというか,歩いてるときもそうですし,寝ているときもそうなってる気がします.そうすると,股関節の形というかホームポジションがどんどんそっちの方に行って,逆向きの内旋に回らなくなる気がします.

 でも,股関節のストレッチって基本的には回外にしますよね.つまり,股関節のストレッチをしているつもりが(私の場合は)どんどん逆方向というか逆効果になってたわけで,この期に及んで厳しいかもしれませんが,「これ以上はまずい」的には,今からでも逆方向の意識とストレッチはやった方がいいのは間違いないでしょう.

 そして,こういうことがまさに「体を整える」ってことなんだと思います.

                 ----------------------------------

[結果最大]

 高度はもう上がらないってことなんですが,いやいや,どんなに歳をとっても高度は上がるし,そう考えることが重要なんだと言う人もいると思います.私もそういう考えでした.

 でも,それでは,(ある年齢を境に)結果としてそうならないわけで,それは努力が足りないと言う人もいるかもしれませんが,それでは墜落する危険性もあるわけで,結果が全て的には,どこかに最適解があって,それは,もう高度はもう上がらないことを受け入れて,その中で,どうするのが結果最大になるのかということです.

                 ----------------------------------

(世の中)

 新型コロナの感染者数が世界で1億人を突破したとの報道です.でも,全部で70億人(35億(笑)の2倍)いるわけですから1/70ですし,日本に至っては,37万人ですから,1/350といったところ(学校で学年に1人というイメージか)です.

 でもこうして書いてみると350人に1人なら結構いるなあという感じですが(世界全体と5倍しか違わない),その大部分は,マスクもせずに会食とかして対面で話をしたり,手指消毒もしないで顔の粘膜を触りまくるという人達なので,普通にちゃんと気をつけていれば,確率は遥かに小さいのですが,0ではないので,気をつけるに越したことはないでしょう.

 あと,ワクチンの接種が始まっていますが,やはり,思うようには進んでいないようです.でも,日本ではまだ始まってすらいないわけで,思うこととしては,日本は先進国とか言ってるけど,実際は全然なんだなということでしょうか.

 具体的には,自国でワクチンをいち早く開発できるレベルのメーカーとか大学はなかったわけで,もちろん,こういうのは,分野によっていろいろだとは思いますが,たったこれだけの感染者数で医療崩壊?してしまうということも含めて,少なくとも医療の分野では,まだまだ二流国ということですね.

                 ----------------------------------

[家を買ったら永住]
(生活)

 筑波大から京大に移って来たんですが,自宅はつくばですかと結構言われます.東大から筑波大に行った時も東京から通われるんですかとよく言われました.

 多くの人は持ち家があって,家族というか子供がいて,お父さんの職場が変わっても単身赴任,一度家を買って住むと基本的にそこに永住するもの,家を売るのも引っ越しも大変だから滅多なことではしないってことなんですかね.そして,実際,そういう人が多い気がします.

 もちろん,多くの場合は,家庭の事情ってことなんでしょうが,そういうことがなければ,一時的な大変さより,日常の快適性の方が遥かに重要なわけで,そういう意味でも「いつでも引っ越せる状態」にしておく(そうすると引っ越しも全然大変じゃない),そしてそういうことが(大なり小なりゴミ屋敷状態で生活するのではなく)日常生活の快適性に繋がると思います.

                 ----------------------------------

1/28'21
[全体の1%以下?]
(世の中)

 ワクチンの接種計画をちらっと見たんですが,まず,国立大学病院などの指定病院の医療従事者1〜2万人,その次が,それ以外の医療従事者370万人だそうです.どう思いますか?

 ここに端的に現れてると思いますが,何度も書いてますが,新型コロナに対応している医療従事者は全体の極々僅かで,それ以外の医療従事者は「関係ない」,むしろ,関わりたくないというのが実情で(実際,去年の夏頃,ある人が民間の「総合」病院に入院したので何度か行ったのですが,入口で体温を測るのと手指消毒をするだけ,つまり,デパートとかと変わらない状況),これじゃあ,欧米の数十分の1という感染者数で「医療崩壊?」するわけです.

 もちろん,眼科とか整形外科とか「科が違う」人も多いと思いますが,内科とか呼吸器科とかが全体の1%以下ってことはないでしょう.

                 ----------------------------------

 じゃあ,そういう民間の総合病院も新型コロナ患者を受け入れろってことかと言うと,もちろん,いざとなったら否応なしでしょうが,それはそれで感染拡大に繋がるわけで,つまりは,現状の非常に限られた病院で何とかなるのなら,それに越したことはないわけで(でも,受け入れる病院に負荷が集中するので何らかの手当は必要),でも,それを「医療崩壊」と言うのは(例によって)政治家とかメディアがつく「嘘」ということなんですが,ろくに感染防止策もとれない○ホな奴がいる以上は,仕方ない面もあるのですが,巻き込まれる大多数の人間はいい迷惑(でも,この件に関して,個人的には全然OK)ということでしょうか.

                 ----------------------------------

[マスク会食]
(世の中)

 仕事に関して言えば,会議とかがオンラインになって,むしろ大歓迎なのですが,直接会って話したい人とは,直接会って話したいとは思いますよね.この状況でそんなこととんでもない?

 でも,食べるときは黙って食べて,話をするときはアクリル板越しにマスクをして,ということなら,別段問題ないと思うんですよね.でも,それすらも「会食」ということになってご法度という雰囲気です.

 実は,こういう状況になる前に何度かやったことはあるんですが,(私はできても)うっかりマスクをしない状態でしゃべったりする人もいて,そういう時に,いちいち注意するのも無粋だし,やっぱり難しい,つまり,一律に自粛ってことなんですかね.

                 ----------------------------------

1/30'21
[普段の意識から変える必要がある]
(体)

 右足の内旋ですが,回内と書いていたのですが,股関節ということは上腿の軸方向の回転なので内旋に修正しました.で,調べてみると脚の内旋のトレーニングは重要なようです.

 ただ,寝ているとき,いつの間にか外旋してることが多いです.実際,一番ひどかった時,痛めたと思ったのは,担任になって新入生オリエンテーションの宿で寝てるときでしたからね.

 でも,寝てるときだからどうしようもないってことではなく,普段の意識から変える必要があるってことですかね.

                 ----------------------------------

[逆によくなる]

 これまではいろいろ運がよかったけどこれからはそうも行かない,実際,今まで単にラッキーだったことを思い知るということが起こってるってことなんですが,じゃあ,どうするかってことですよね.

 当然のことなら,運頼みってわけには行かないわけで,だとすれば,そういう状況を受け入れて,そういう中で何とかするしかないわけです.

 で,どうしようかいろいろ考えて,行動を起こしてみると,これも当然のことなんですが,これまで単に運がよかっただけのときより,状況が打開するというか,逆によくなるわけで,結局,そういうことなんだと思います.

                 ----------------------------------

[本能を克服すれば]

 ちょっとまだ考えがまとまってはいないのですが,本能というか欲望というか,そういうものを制御するというか克服するというか,そうするといいことがあるというか,でも,本能なのでそれが難しいんですが,克服しようとすることが効力感に繋がるということでしょうか(修練して生きる達人に近づくイメージ(笑)).

 もちろん,本能とか欲望と言ってもいろいろで,あまりそういうことをしない方がいいというか,する必要がないものもあるので,その選別も重要でしょうか.

 例えば,何度も書いていますが,評価とか対価といったものは,体よくこき使うための手段という側面が強いですし,性欲も子孫を残すことですし,コト消費も含めた物欲も経済を回すことですから,要は,個を犠牲にして人類を繁栄させるもの,言い換えると「社会的なもの」には注意ということですね.あとは,寂しくなって人と会いたくなる(人と繋がっていたいという本能は得てしてめんどくさいことに巻き込まれることに繋がる)のもそうでしょうか.

 その一方で,食欲とか睡眠欲は,個を働かせて,それが人類全体の繁栄に結果として繋がるものですから,制御する必要はないでしょう(ただし,ストレスによる食べ過ぎや栄養のバランスに注意).

 そういうことを論理的補集合的に考えれば,本能ではないこと,即ち,人間が動物と違うところに価値が出てくることになり,それは何かと言うと知的な部分で,やる気三要素的には,報酬や人との繋がりではなく内的熟達ということになります.面白くて楽しくてやってたら,結果として人類全体の繁栄に繋がるという点でも食欲や睡眠欲と共通しています.

 でも,これも人それぞれですかね.つまりは,人間なのに動物に近い人もいて,評価や対価が大好きな人もいるわけで,それが素養と言ってしまえばそれまでですが,素養は変えられないというかどうしようもないところもありますからね.

 私個人的には(こういうことを書いてるわけですから)(「一人,時々,みんな」で)そうではない生き方をしたいと思ってますし,そういうことを大いに楽しみたいと思っていますが,意外と単純というか,本能に負けるところもありますし,でも,そうなったらそうなったときの話というか,そういうことはあまり深く考えてはいないんですけどね(笑).

                 ----------------------------------

[安定性と持続性]

 (「一人,時々,みんな」で)内的熟達を中心に生きて行くということでいいんですが,最大の問題は,何度も書いているように安定性と持続性でしょう.でも,そういうものなのかもしれませんね.例えば,5kmを何分で走れるかはその日によってかなり変動しますからね.

 ですから,「そういうものだ」と思えばいいし,毎日やるのが苦痛なのなら,もう興味を失ったということでやめればいいし,それで時間が余って退屈になるのなら,他の相対的にやりたいことを探せばいいし,そういうものがなくて,相対的に今やってることがまだましなのなら,退屈しのぎと思って続けるのもありでしょう.

 安定性と持続性については,上で書いたこと,例えば,寂しくなって人に会いたくなったときも同じようなことが言えるでしょうか.だって,会えないから会いたいというよりは,そういう状況が変わらなくても,寂しくなることもあれば,大丈夫なこともあるわけですからね.

 もっと一般的に言えば,特に外的要因に変化がないのに,やる気になったりならなかったり,気分が落ち込んだり大丈夫だったりするのも単にそういう変動なわけで,だとすれば,調子がよくないときは,できるだけ休んでやり過ごせばいいだけの話なわけです.

 そんなこと言ってられるのは,もう人生をある意味「卒業」したからではあるのですが,昔から割とそんな感じでやってきたと思いますし,だからこそ大したことにはならなかったとも思いますが,まあまあいい人生でしたよ.

                 ----------------------------------

[単純 整える 丁寧]

 とは書いたものの,内的熟達に関して,少し前進というか,効力感を高める方法というか考え方に近づいた感じはしてます.言葉にするのは,ちょっと難しいですが,シンプルというか単純に考えるということでしょうか.

 きっかけはスキーなんですが,何年か前から書いてますが,とにかく動きを洗練することに集中するというか単純化するということで,効力感が少し戻ってきた感じがするんですね.そして,動きを洗練するということなら,バドミントンも同じですし,ピアノも指を動かすというフィジカルに関しては同様で,極端な話,例えば,1日1時間練習するのなら,弾くのに合計1時間かかる曲を選んで,それをより弾けるようになることに集中してそれを延々と続けるというか,そういう極端なことにも効力感を見出せるくらいそういうことに集中するということでしょうか(中学のときに老後はベートーヴェンのソナタを1日1曲弾いて過ごして行くというのとちょっと近い).

 もちろん,実際は,そこまでのことはしないしできないと思うのですが,イメージ的には,そういう感じで,そういう目的というか,そういうことを考えると,多少は,練習しようか,練習に行こうかという気になる(ような気がする)ということですかね.

 あとは,生活の質の向上もそうですが,仕事でも何でもいろんなものを「整えて行く」ことに効力感を感じるようになってきましたし,何かを丁寧にやる,例えば,スキーの1ターンを洗練することもそうですし,バドミントンの1ラリーも集中して丁寧にやることもそうですかね(でもこれはそうできると劇的にパフォーマンスが上がるけどなかなかできないことが多い).

                 ----------------------------------

[選集]
(このサイト)

 今は一昨年の記事を寝るときに読み返しているのですが(でもあっという間に目が疲れてすぐに眠くなるのでなかなか進まない),最近の記事の多くは,(最近の記事だけ読めば過去に書いてこともある程度わかるように敢えてそういう風に書いているので)似たようなことに繰り返しっぽいんですが,時々,新しいことも書いてあるので,悩ましいんですが,だったら,そういうものだけを集めた「選集」を作っておけば(自分が読み返すのに)楽かなと思いました.

 実は,そういう記事は,サブタイトルではなくメインタイトルを付けるなどして,区別していたのですが,最近はあんまりそういうことはしてないですね.

                 ----------------------------------

1/31'21
[徐々に]

 効力感を高める方法に加えて,とにかく始めることが大事,そうすれば,側座核が刺激されて自然と効力感が増してくることがわかってるんですが,なかなか取りかかれないことが多いですよね.

 例えば,練習に行くときも(この歳になると)激しい運動をすることをイメージするとなかなか足が向かない.でも,そしたら,いきなり激しい運動をするのではなく,徐々にやればいいというか,ちんたらやってもいいのでとりあえず行く(と思う)ということですかね.トレーニングとかもまずは負荷が低いものから始める,ピアノもそういう曲から弾くみたいな.

 スキーに関しては,とにかく行くしかないんですが,ハードルが低いという意味では,ほぼ手ぶらでぶらっと電車で行けるという意味ではガーラは大きかったと思うのですが,(東京からならともかくつくばからだと3時間かかるところを)車で1時間で行けるようになったので,それでしばらくちょっと頑張ってみるということでしょうか.

                 ----------------------------------

 でも,思うんですが,こうやっていろいろ考えないと効力感が感じられなくなってきてるわけで,何だかなあとも思うんですが,(そういうことでも)やりたいことがあってやりたいことがやれればってことですかね.

 そういう意味では,研究とか運保とかいろいろ考えて文章を書くこととか,PCの前に座ってできるやりたいことなら,そういうことも必要ないので,それだけで行けるのならそれで問題ない気もしますが(体的には時々立ち上がって軽く体を動かせばいい),まあもう少しは,ちょっと頑張ってみるってことですかね.

                 ----------------------------------

[緊張しないためには]

 試合とかで緊張するのは,結果を求めるからと言ってる人がいました.結果を求めると,失敗したらどうしようとなって緊張に繋がるんだそうです.

 じゃあ,どうしたらいいかですが,結果を求めないことだそうです.そういうことはこのサイトでも書いたこともありますが,結果を求めないと言われても,じゃあどうしたらってことですよね.

 そう,内的熟達です(だいたいこれになる).つまり,勝ち負けではなく,それこそ相手も関係なく,自分のプレーに,いいパフォーマンスをすることに集中するということです.具体的には,動きとかフォームで気をつけていることでもいいですし,ラリーの組立とかでもいいでしょう.

 ピアノだったら,とにかく自分の演奏というか,とにかくその曲を表現することに集中することですね.私は,あらゆる場面で緊張することはほとんどないのですが,唯一ピアノだけは緊張すると書いたと思います.でも,それは,いい演奏をしようとしていた時の話で,もう大分前から人前で弾くことに拘らなくなってきていることもあって,その曲を表現することに結構集中できているので,実際,あまり緊張しなくなってきてると思います.

                 ----------------------------------

[脱炭素社会?]
(世の中)

 何度も書いた地球温暖化問題の嘘(高々100年という非常に短いスパンで地球の平均気温が上昇しているのは確かだが,その原因が人間が排出するCO2という証拠は全くない)ですが,何度か紹介した駒羽会報(東大バドミントン部OBOG会報)で,T田さんも同様のことを書かれていました.

 実情がわかっている人もいることに安堵はするのですが,ちゃんとそういうことがわかっている知的水準が高い騙されない人もいるのに,世界が一気に脱炭素社会に大きく動いているのはまさに驚きで,それは,まさに世の中がどん詰まりに来て世の中を無駄にひっくり返しても金儲けしようとする奴らの仕業なわけです.

 そして,こういうことは,有史以来,これまでもずっと行われて来ていて,世界の歴史は黒歴史と言ってもいいくらいです(言い過ぎ?).つまりは,何度か書いていますが,「世の中がひどい」というよりは,「ひどいのが世の中」ってことですね.

 じゃあ,どうしたらいいかですが,何度も書いていますが,そういう(黒い)世の中と(できるだけ)関わらないことでしょう.何度も書きましたが,やり方はいろいろあると思います.

                 ----------------------------------

 でも,おそらくですが(そう思いたいところですが),多くの賢い人はみんな気づいてて,でも,抵抗して消耗するくらいなら,長いものに巻かれて「そういうルールの中でゲーム」をすると割り切って,生活に必要なお金を稼いだり評価されたりすればいいと考えてるんでしょうね.

 まさに生きて行くためには,そんなことやってどうすんだ?というようなこともやるってことなんでしょうが,(そうしないと生きて行けないのなら)生きて行くためには仕方ないんですかね.

                 ----------------------------------

[リンク集]
(このサイト)

 選集ですが,そう言えば,昔,こういうリンク集を作っていました.でも,当時と今では分量が全然違うので,こういうのはさすがにもう無理ですね.ですから,定期的に読み返して,貴重?と思ったものをピックアップして,日付のリンク(場合によってはコメントを付ける)を作って行くくらいですかね.

                 ----------------------------------

[働かないと食べて行けないようにしてる]
(世の中)

 金儲けのために無駄に世の中をひっくり返してでもってことですが,経済を回すって,結局,そういうことですよね.そんなことするくらいなら,生きて行くのに必要な分だけ働いて,それ以外は,学術とか芸術とかスポーツとかやりたいことやればいいと思うのですが,そんなことは,一部の人間にしかできなくて,多くの人間は,そんなことになったらやることがなくて,パチンコ屋に通い詰めるのはまだしも,飲んだくれたり,引きこもったり,心身が病んだり,悪いことする奴も出てきたりして,そんなことになるくらいなら,無駄なことしても無理くり経済を回して仕事を作って,必要のないものを欲しがらせて,働かないと食べて行けないようにしてるってことですかね(どこかで既に書いた気がする).

 だからしょうがない気もしてくるのですが(ほんとはそこのところからしっかり教育すべきとも言えるけど),私は,そんなことやってどうすんだ?というようなことはやりたくないですし,そういう世の中からは距離をとってうまいことやって来ましたし,これからもそうやって行きますよ.

                 ----------------------------------

[苦しかった頃]

 テレビとかで有名人が成功する前とか売れる前の苦しかった頃の思い出というか,その時を思い出す場所に行ってみるとかいうのをやってますよね.(有名人でもないし成功もしてないし売れてもいないけど)私が苦しかった頃というのは,いつかなあと考えました.

 まず思いつくのは,30代の中盤から後半ですかね.何度も書いてますが,仕事(研究)でやることがわからなくなって苦しかったと思いますが,1999年台湾集集地震をきかっけに事態が一変したことは何度も書きました.

 高三のときも苦しかったですね.これも何度も書いてますが,高二の冬に父が亡くなり,やる気をなくして,受験をひかえていて勉強しないといけないのにやる気にならなくて,正直,その頃,どうやって過ごしていたかあまり憶えていないほどです.

 あとは,大牟田から福岡に引っ越してきてからの数年(小二,小三のあたり)も苦しかったですね.人間的とか学力的とかいろんな意味で,人生の中で自分が最も「評価されない」というか,実際,評価するに値しない時期だったと思います.

 そっか,大学に入って理論物理に失望して,進む道を見失った駒場時代(大学1, 2年)も苦しかったですし,中三の秋くらいにしんどくなってずっと通ってた進学塾(森田)に行けなくなったときもそうか.

 こうして書いてみると,苦しかった頃は,結構あるんですが,大概は若い頃に集中してるし,苦しかったというよりは,通らないといけない道だったような気もします.ですから,そういうことの思い出の場所に行って感慨深くなるような感じもしないし,そもそも,苦しかったと言っても自業自得というか,身の丈という感じで,やっぱり,今が一番幸せなんですが,それは,基本的にはやりたいことをやりながらも,やることはやってきたというか,いろいろ考えてやってきたので,ラッキーということもありますが,やっぱり,それだけじゃないとは思います.

次の月へ
上のページへ