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12/1'20
[自分は天才]

 この記事を書いて思ったんですが,前半と後半の矛盾というか,要は,マラドーナには圧倒的なフィジカルがあったのか?ということです.

 答えはNoでしょう(でもアジリティーとメンタルの強さはあったと思いますし,人間が止められるレベルを遥かに超えるような何かがあった).つまり,そんなにフィジカルがなくてもスーパースターになれるってこと?

 これも答えはNoですね.つまりは,マラドーナはそういう一般則を超越するほどの天才だったわけで,だからこそスーパースターになったんだと思います.でも,そんな超天才は,何十年に一度現れるかどうかなわけで,そんなものを基準に考えてはいけませんし,何度か書いているように,超天才であれば成功するかというとむしろ逆のことが多いので,原理原則に従うのが原則でしょう.

 じゃあ,自分は天才だと思うのと,凡才だから地道に努力するしかないと考えるのとどっちが成功するかですが,どっちとも言えませんし,敢えて言えば,両方必要でしょう.でも,後者はやればできることなので,意外と重要なのは前者だと思います.

 じゃあ,マラドーナが自分のことを天才だと思ってたかどうかですが,そりゃあそうだとは思いますが,プレーしてるときはそんな感じじゃなくて,とにかくがむしゃらにディフェンスを突破してゴールに向かってる感じでしたね.

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[あんまりそういう感じがしない]

 これも既にどこかで書いたような気もするのですが,こうして既に内的熟達的生活ができてるということは,もういつリタイアしても大丈夫という気がするのですが(めんどくさい仕事もなくなるし),あんまりそういう感じがしないのはどういうことでしょうね?

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[成果を公表しておきたい]
(研究)

 自分がやってきた研究をそれなりにまとめておきたいと書きましたが,ちょっと違いますかね.別にまとめる必要はなくて,「成果を公表しておきたい」と言った方がいいですかね.ですから,別に論文でなくてもウェブサイトでもいいわけです.

 つまりは,未だ公表されてない成果があるということなんですが,それは,まだちゃんと成果になってないものもあって,つまりは,まだ研究して明らかにしたいってことですかね.

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 あんまりそういう感じがしないというか,そもそも,現状これ以上望むものがないってのが果たしてそうなのか?ということかもしれませんね.それが何かは何となくはわかってるような気もするのですが,そうなったらなったでめんどくさい気もするし,これも結局,自分でどうこうしようということはなくて,外部要因的にそういうことになるのか,ならないならならないでそれはそれでOKってことでしょうか.

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12/2'20
[よくわからない]

 成果を公表しておきたいってことなんですが,どういうことでしょうね?(と考え始める)

 単純に面白い結果が出たら知らせたいってことなんですが,それは研究に限らず,例えば,このサイトに文章を書くのも何かに気づいたら知らせるってことなんですが,でも,ほんとに知らせたいのなら,もっと大々的に知らせればいいんでしょうが,そうはしないわけですよね.

 極一部のわかってもらえる人に知らせればいい(大多数の話してもわからない人に話してもしょうがない)ってことはあるんですが,「知らせる」のが本質的目的ではないような気がします.

 喩えて言えば,画家が絵を描いて残しておくように,とにかくどこかに残しておけばって感じですかね.

 でも,研究に関しては,注目してもらえる現役のうちに公表したいと思ってるわけだから,知らせたいってこともあるのかな.いや,だから,このサイトの文章を書くようには進まないというか,そんなに知らせたいと思ってるわけではないのかもしれません.

 ですから,結局,何か知らないけどやりたいからやるというか,その気になればやるけどならなければやらないというだけの話で,結局よくわからないですね.

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[調整]
(日記)

 想定通り「調整」が入って来ました.山高ければ谷深しで,10月下旬から11月上旬の山の高さは半端ないですから(でも,自分の中では,10/31〜11/2の3日間を除けば,バリバリ活動しているというより淡々と作業している感じ)しょうがないですし,もっと下押す可能性もありますね.

 でも,無理してそういうことに逆らうことなく,回復するまで待っていれば,また直に上向くでしょう.

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12/3'20
[単純な話だけど]

 よくわからないってことですが,もっと言えば,ピアノを弾いたり,バドミントンやスキーをしたりというのは,何も残らないわけで,だから結局,やりたきゃやる,そうでなければやらないという単純な話なんでしょうね(評価されたいとかそういうのはもうとっくにないし,お金は始めからない).

 でも,じゃあ,どうしてやりたくなるか,その気になるかってことなんですが,これはやっぱりよくわかりません.だから,結局,やっぱり,よくわからないのか(笑).

 結局,好き嫌いみたいなもので,そういうことはもう「決まってる」ってことなんでしょうね.そして,それはずっと一定ではなくて,時と場合によって変化するということで,それはちょっと厄介ですが,逆に言えば,それに従えばいいってことですかね.

 もちろん,仕事とかやらないといけないことの場合はそうも行かないんですが,この歳になると,もうそういうのもどんどん削げ落ちてかなり自由な感じです.

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[京都府の天気]
(日記)

 テレビなんですが,東京近郊とそんなに変わらないと書きましたが(そんなに見てるわけじゃないですが),結構違う感じもしてきました(どうでもいいけど).でもまあ8割くらいは同じかな.

 関東ローカルの番組が結構あるとは書きましたが,その分,関西ローカルの番組もあるんですが,共通する番組も,あれ?これ見たような気がするなというか,要は,東京より遅れて放送されるものもあるような気がします(どうでもいいけど).

 あとは,全国ニュースの後に地方ニュースが入るってことですが,関東だって一地方なので,それは関東ローカル関西ローカルと同じ話ですね.

 天気予報も全国→地方というのは同じなんですが,京都ローカルだと京都府の天気になって,北から京丹後,宮津,舞鶴,福知山,美山,園部,京都,京田辺みたいな感じ(宇治は京都市に接しているので,京田辺よりは京都に近いのかな)なんですが,北と南で天気が全然違うんですよ.

 で,気づいたというか,当たり前なんですが,京都府の北部は日本海側なわけで(福井もすぐ隣だし),地図を見ればわかりますが,このあたりって日本列島というか本州が一番「えぐれてる」ところで,太平洋側と日本海側が近いんですね.兵庫に至っては,たった一つの県で,日本海側と太平洋側の両方を有しているわけです(青森から山口まで行くのに絶対通らないといけない県はどこでしょう?).

 どこかで意外とスキー場が近いと書きましたが,こういう地理的な背景があるってことですね.

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[因果な感じ]

 片付けというか,引っ越し荷物のセットアップですが,今の状態で仕事も生活も何とかできるので全然やらないですね.結局,プライオリティの問題ですが,これもその気になったらやるってことですかね.

 でも,どこかで既に6年半後の引っ越しの準備が始まってると書きましたが(でも,引っ越しの準備ということなら,今の多くの荷物がダンボールに入っている状態の方が準備できてるとも言えるが),こっちに来たことで,タイムリミットというか,そういう線引きをより意識するようになったかもしれません.

 具体的に言えば,前のところにいたら,もちろん,つくばに永住する気はありませんでしたが,定年で大学を辞めてもしばらくいることはできて,そこからゆっくり引っ越しの準備を始めてもよかったし,めんどくさければずっといることもできたわけですが,今いるところは職員宿舎なので,定年で辞める時点で退去しないといけませんからね.

 そして,何よりそのときにどこに住むかという問題があるわけです.高崎線沿線の熊谷とか籠原とか上毛高原とかいろいろ候補はあるのですが,ここに6年半住んで,このあたりにずっと住み続けたいと思う可能性もなくはないし,要は,不確定要因が増えたということでしょうか.

 更には,そのとき家をどうするかということがあります.私は大学に受かって東京に来てからずっと家を借りて住んでて,家を買ったことがないし,でも,大学を辞めた老人に貸してくれるところがあるかというか,そうするのがいいのか,損得勘定関係なしに家を買った方がいいのか,どこか施設のようなところに入るのがいいのかとか,いろいろめんどくさい感じもしてきます.

 もちろん,いろいろ考えて準備はしてきてるんですが,ずっと大学という組織に所属している状態から,突然,無所属になって,心理的に実質的にどういうことになるのかというのもその実なかなか想像しがたいというか,なんか急に不安になってくる感じもします.

 もし,(経済的には大きな損をしていたとしても)どこかに家を買っておいたら,そういうことはないってことなんでしょうか?

 でも,じゃあ,今どこかに家を買うかというと,それはさすがにないわけで,そうだとしても6年半後ということなんですが,引っ越し荷物の片付けというかセットアップも全然やらないような感じで,6年半後に「やらないといけないことがある」というのはなんかちょっとめんどくさいですね.

 でもまあこれは,めんどくさいけど変化や面白さを求めるのか,めんどくさいから退屈を受け入れるのかということですかね.でも,こう書くと,私がめんどくさいけど変化を求めているように見えますが,実際のとこころは,私はめんどくさがりなわけで,でも,結果としてそうなってしまってるというか,自分で選んでいるわけで,なんか因果な感じはしますね.

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(世の中)

 新型コロナ感染再拡大ということなんですが,既に書きましたが,言ってることもやってることもぐだぐだ過ぎて,結局何の対策もしてないのに税金使って借金だけ増やしてるようにしか見えません.感染を抑えることと経済を回すことを同時にしたければいくらでも方法はあるのに外出は自粛と言う一方でGoToキャンペーンはやってるわけです.

 そもそも,どうして感染が拡大するかを考えれば答えは明らかで,人と人がマスクをしないで対面でしゃべるからですよね.だったら,それさえやめればいいだけの話では?

 つまりは,外出を自粛する必要もなくて,飲食店に行って一人で食事をするのは何の問題もないし,それは旅行とか移動するのも同じです.何人かで飲食店に行ったり,旅行する場合もマスクをしないで対面でしゃべることを控えればいいだけの話です.

 マスク会食がめんどくさいというのならアクリル板くらい設置すればいいと思いますが,そんな店なんか見たことないし,結局,本気で対策するつもりなんかないわけで,国民は○カでそれができないから外出を自粛しろってことなんでしょう.つまりは,そうやって税金を浪費して自分達に返ってくるってことですが,巻き添えにしないで欲しいとは思いますかね.

 とは言え,私個人的には(何度か書いていますが),内的熟達的に生活しているので,感染が拡大して世の中の動きが止まっても関係ないというか,余計な仕事とか移動が減ってむしろそっちの方がいいくらいなので全然OKです.でも,それじゃあ困る人もいるわけで.だったら,もっとちゃんとやったらどうですか.

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[寝室]
(生活)

 寝室にしようと思っていた部屋はダンボールで埋まっていて,どうしたものかと思ったけど,居間のすぐ隣の防音室を入れた部屋の「残り」のスペースを見つけて,そこで寝ていると書きましたが,それでいいじゃんというか,そもそも寝室って何なん?と考え始めました.

 人が寝るスペースは,まさに畳一畳で(座って半畳寝て一畳),それを六畳とかいう一部屋のスペースをとるのは無駄なわけで,怪我の功名じゃないですが,そういうことに気づかせてくれて,しかも,居寝隣接にもなって効率もいいわけです.

 そうすると,必要なスペースはどんどん削ぎ落とされて行くわけで,そういう無駄というか,経済を回すじゃないですが,そういうものっていろいろあるんだと思います.

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[このままずっと行っちゃう?]

 京都というか京大防災研に来たという実感がないという不思議な感覚ですが,変化を感じないのではなく(変化は感じているので),やはり,一瞬にして慣れたというか適合したということのような気がします.実際,仕事も生活も最初から何の違和感もストレスも感じてませんからね(荷物のセットアップ云々はまた別の話).

 でも,じゃあ,どうして一瞬にして慣れたというか適合したのかですが,よくわからないです.それに(慣れて違和感は全くないのに)実感はないという不思議な感覚はそのまま続いていますから,それはやっぱり不思議ですし,下手したらこのままずっと行っちゃうってこともあるんですかね?

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12/4'20
[何がめんどくさい?]

 6年半後の憂鬱というか,家があれば,研究室の荷物を引き上げて終わりですが,私の場合,どこに住むかの検討も含めて家の引越しまでしないといけないってことなんですが,だったら,京大防災研の話も断って,つくばに永住することにして家を買えばよかったというだけの話で,でもそうはしないわけで,結局,自分で選んでるってことなわけです.

 なので,それが理由で憂鬱というのは変な話で,じゃあ何が理由かというと,やっぱり,いろいろ準備をしてきているとはいえ,リタイア後の生活にまだ不安があるのかもしれません.問題はそれが何なのかということで,具体的には,大学という組織に所属しなくなること,学生の研究指導ができなくなること(自分の研究活動はできるけど),めんどくさい仕事がなくなること,大学から給料がもらえなくなることですが,一番大きいのは,やはり,学生の研究指導ができなくなることで,それ以外はどうってことないというかメリットもあるくらいで,学生の研究指導ができなくなることもとっくにわかってることなので,あらためて不安になるのもよくわからない感じです.

 で,思ったんですが,引っ越しをしないといけないというよりは,どこに住むかを決めないといけないというのがめんどくさいんじゃないですかね.大学という組織に所属するとかしないとかはどうでもいいんですが,職業をもっていれば,職場の近くに住むとかで住むところが否応なしに決まってくるわけで,今回の移籍に伴う引っ越しもまさにそうだったわけです.

 つまりは,「人間自由になればなるほど不自由になる」じゃないですが,そういう「制限」がなくなって,どこに住むかを選んで行動しないといけないのがめんどくさいってことなんですかね?

 でも,私個人的には,とにかく不自由なのは嫌で,とにかく自由なのがいいわけで,何か変というか,そっか,自由がいいけど,めんどくさいのは嫌ってことなんですね(笑).

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 じゃあどうしたらいいかですが,どこに住むかの検討をこれからも続けて行くってことなんでしょうね.いろいろ検討して「ここに住みたい!」と思うところが見つかれば,それは純粋に楽しみなことですし,検討自体も楽しめることですからね.

 めんどくさいのがどうしても嫌なら,例えば,URという制限の中から選ぶとか,マンション買うのが嫌なら,土地買ってHーベルハウス建てるくらいのことならどうってことはないでしょう.

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 でも,リタイアしてしばらくはいいでしょうが,更にその先を考えておくということはあるかもしれませんね.具体的には,もちろん,死ぬ直前まで自活できればそれが理想ですが,そうでなくなることだってあり得るわけですからね.

 もしそうなったら,どこかの施設に入るんでしょうが,施設にいるのは朝夕食と夜寝てる間だけで昼間は仕事場的なところに通うという逆デイサービス的な使い方でも,もし家を持っていて,家と施設が離れていれば家は売却しないといけなくて,それはそれで面倒です(もちろん,無理に売却しなくてもいいというか,二束三文でいいということなら単なる経済的な問題).

 そうすると,これまでのように賃貸が小回りがきいていいとは思いますね(賃貸なら引き払って施設の近くに仕事場的なところをまた借りればいい).年寄りに貸してくれるところがあるのかってことですが,URなら大丈夫ですし(ピアノも入れられるし),こういうご時世ですから何とかなる気はします.

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[普通の飲み会のように]

 現状にほぼほぼ満足しているのですが,敢えて言えば,「一人時々みんな」の「みんな」の部分ですが,こういう状況でもZoomでOKってところはあるのですが,もう少し友人とか家族と会えたらとは思いますし,どこかで書きましたが,実質的にコミュニケーションをとるのならZoomは4, 5人が限界なので,その人数を超えると,不完全燃焼感が残りますかね.

 じゃあ,どうしたらいいかですが,人数を4, 5人に絞るというのも一法ですが,例えば,10人くらいで集まっても,普通の飲み会のように,いくつかのグループに分かれたり(そういう機能はZoomにもあるけど,そういうのじゃなくて飲み会的に自然に),話す相手を変えたり,誰かとひそひそ話をしたり,横で話してるのをきいて割って入るとか,普通の飲み会のように対応できるツールがあればとは思いますね(技術的にはできそうな気がする).

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[そういう問題なのか?]

 2つ上の記事ですが,そもそも,そういう問題なのか?という気がしてきました.

 具体的には,これまでは何かに向かって,何かを成し遂げようと思って生きてきたわけです(そのために最大限の努力をするかはともかくあくまでメンタリティとして).でも,いつしか人生の峠を越えて下り坂というか,これまで広げてきた風呂敷を畳んで行かないといけなくなって(家を買うというのもそれに逆行する),それはそれで仕方ないのですが,生き方まで変えていいのかというか,そもそも変えられるのかということです.

 そう考えると,どう考えても生き方は変えられないわけで(こんなに怠け者なのに),だったら,どこに住むかも同様で,これまでできるだけ職場の近くに住んでいたのは,仕事(研究)をすることを中心に考えていたからに他ならないわけで,でも,仕事をやめたときに,中心に考えていた仕事に代わるものは何かということになるわけで,それは,今仕事以外にやってることではないと思うんですよね.

 だとすれば,今の仕事を続けるか,今の仕事に代わる何かを見つけるしかないわけで,ふりだしに戻るじゃないですが,少なくとも言えるのは,どこに住むかの前にそういうことをどうするか,どうにかするのだったらまずはそこを何とかしないといけないということです.

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 これってまさに生き方問題なわけで,多くの若い人達がこれに苦しんでいるというかやりたいことを見出せないでいるわけで,私は何とか見つけられてここまでは何とかやって来られたけど,定年が近づいてきて,それがまさに「賞味期限切れ」というか「期限付き」だったことに愕然としてるということで,事は重大なわけです.

 なんかほんと今更って感じですが,これがまさに準備であって,それは単なる老後対策ではなく,私自身の生き方問題なわけで,ほんとはお前は何がやりたいのか,どういう生き方がしたいのかが問われているということでしょう.

 でも,これは簡単ではないですね.「仕事に代わるものは何かということになるわけで,それは,今仕事以外にやってることではない」と書きましたが,中にはそうなる可能性があるものもなくはないですが,今のままではだめでしょう.

 でも,見方を変えると,今は「状況としては」現状にほぼほぼ満足しているわけですから,今の「状況」をできるだけ維持する,もちろん,大学をやめることはどうしようもないので,そういう中で,ということになるのでしょうか.

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 もちろん,要請があれば,ある程度は仕事もするんでしょうが,何か新しい仕事を始めるとか,自分で事務所とか研究所を開くとか,そういうことはないというか,めんどくさいですかね.

 お金は要らないですし,どちらかというとまさに「内的熟達」的に思索や研究を続けて行って,それを発信していくということでしょうか.

 発信しても誰にも注目されなければ,そんなことやってどうすんの?ということでしょうから,ある程度は,そういうものも必要かもしれませんが,フォロワー何百万人とかは気持ち悪いというか,そんな万人受けすることに価値はないですから,数は少なくても非常にレベルの高い人に読んでもらえれば充分ですかね.

 でも,そうすると,それこそどこに住んでもOKで,でも,それだと住む場所を決められないので,東京から電車で1時間くらいで,スキーとかゴルフに行きやすいとかどうでもいいようなことで決めるということでいいのかもしれません.

 てことで,ちょっとあらためて考えたけど,結局,今まで考えたことに戻ったってことですかね? だとすれば,何か今一ですね.でも,そういうことを忘れていて,考えることであらためて思い出したということならありか.

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12/5'20

 相変わらず(まだ)実感はないのですが,定年まで6年半しかなくてtentativeというか,仮住まい的な感じがするからかもしれませんね.

 大学に受かって東京に来た時,大学4年で研究室に入った時,卒業して地震研に就職したとき,筑波大に移籍したときは,そういう感覚は全くありませんでしたからね.

 でも,そんなこと言ったら,大学は4年で終わりだし,研究室も6年だし,バークレーに行ったときは1年だけだし,筑波大に行ったときは10年以内にどこかに移籍しようと思ってたし,全然,辻褄が合いませんね.

 でも,若い頃は,未来が永遠に見えて(それが逆にしんどいところもあった),定年とか人生に限りがあるとか,そういうことは考えもしなかったし,それで逆に期限を設定する必要があったところもあって,でも,今はそれが全く逆なわけです.

 もっと言えば,定年まで6年半しかなくて仮住まい的な感じがすると書きましたが,これまでずっとそういう感じで生きてきたと思うので,今頃,そう感じるどうこうというのも変な話ですし,仮住まいだから仮住まい的なことしかしないとはならないわけで,こうして書いてみると,そんなの関係ねーって感じですかね.

 だから,結局,この不思議な感覚の原因はよくわからないのですが,だからどうこういうことは全くないので,別段気にすることもないんだと思います.

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[やりたいことやったらいい]

 やりたいことやったらいいと再三書いてますが,そうじゃない人もいるんだと思います.

 やりたいことをやるなんてとんでもない,人生は辛くしんどいもので,苦しい思いをして働いて,そのストレスから解放されることが幸せなので,苦しみや辛さがなければ,幸せもないと考える人もいるでしょうからね.

 いいと思います.こういうのは人それぞれなので,自分がどうしたいかをよく考えることが大事で,いろいろ勉強して人の言うことをきいてもしょうがないと思います.

 でも,すぐ上の文章を読んで気づいた人もいると思いますが,「自分が『どうしたいか』をよく考えることが大事」と書いてあります.つまりは,「苦しみや辛さがなければ,幸せもない」ので,敢えて辛くてしんどいことをやると言う人も,その実「やりたいことをやってる」ってことです.

 つまりは,そういう広い意味で,やりたいことやったらいいってことです.

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[80代とか90代]

 どこかで書いたと思いますが,自分が80代(まだ生きていれば)90代になったときのことをよく考え(想像し)ます.

 そのとき,どういう体と脳の状態かはわからないのですが,もういつ死んでもおかしくないというか,少なくとも今よりは期限は迫ってるわけですよね.でも,10年と20年,20年と40年が本質的に違うかと言えば,大して変わらない気もするし,だったら,今とそんなに変わらないじゃんとも思うのですが,じゃあ,50代60代と80代90代が同じかと言うと,そんなわけねーじゃんというのが普通なんでしょう.

 もちろん,体と脳は違うでしょうが,体は衰えても脳がしっかりしていれば,別段問題ない気もするし,だとしたら,やっぱり「残り時間」の問題?

 2つ上の記事でも書いてますが,「残り時間」を意識して生きるのかそうでないかの違いは大きいと思うんですよね.そして,それを意識し始めるのが(論理的には)40代で(私の場合は30代から残り時間を意識したが,逆に残り時間が多すぎてしんどくなった),問題は,それが歳を重ねるとどう変化して行くかということでしょうか.そういう意味では,40代と50代はそんなに変わらない気がしますが,50代になるとその前に来る定年に意識が行くということはありますかね.

 じゃあ,定年後はどうかですが,何となくですが,病気とか事故がなければ,とりあえず10年とか20年の悠々自適的な時間を与えられて,もちろん,仕事を続けることもできて,という感じで,そこまでは何となく想像できたとして,その先の80代,90代がどうかということでしょうか.

 そんなこと考えて(想像して)も仕方ねーじゃんというのは全然違ってて,それはそのときどうしていたいか,どういう生活を送っていたいかによっては,今から準備しないといけないことがあるかもしれないからです(例えば,孫に囲まれて過ごしたいのならもっと前から準備が必要だが,孫がいても囲んでくれるかどうかは孫次第).

 そういう意味では,一番大事なのは,やはり,体と心と脳の健全性で,それさえあれば,大概のことはできる気はしますね.

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12/6'20
[ほぼほぼ人生が終わったな]

 でも,80になったら「ほぼほぼ人生が終わったな」とは思うでしょうね.

 でも,そんなこと言ったら,50になった時,既に人生終わったなと思ってるわけですし,それでも実際の人生は続くわけだし,あとはおまけの人生で何でもありというか,期限が来るまで楽しませてもらえばいいという点では同じわけで,つまりは,50で一度人生が終わったと思ったことが80になった時に何か威力を発揮するのかもしれません(しないのかもしれません),

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(バドミントン)

 活動度も(ある意味順調に?)落ちて来ていて,疲れてもいるんですが,疲れてるのには他にも理由があって,それは,バドミントンの練習に週2で行き始めたということがあります.と言っても,先週は練習が休みだったので,今週,中3日で2回練習に行ったってだけなんですが,半年以上全く練習してなかったわけですし,その前も,もう何年にも渡って,2週1とか週1がせいぜいだったわけで,それがいきなり中3日ですから,体には結構負担がかかってると思いますし,実際,練習翌日と翌々日くらいまで体が痛いというか疲れが残ってる感じです.

 どうして急に週2で練習に行き始めたのかですが,よくわからないです.正直,行きたくて行ってるって感じじゃないんですが,ここ数年,いや10年以上?ずっと感じていた練習に行きたくない感というか,少なくとも中1週間は空けないと行く気にならないって感じではないです.

 なので,とりあえず,練習には行くんだと思います.でも,週2で練習に行くのなんか10年以上ぶりでしょうし(藤原と練習してたときは,週2くらいで練習してたときもあったけど,それは自分の練習というよりは藤原の相手をしないといけないというか,藤原に相手をして欲しいと言われればスイッチが入った),それ以前に半年全くプレーしてなかったわけですから,しばらくは体は結構しんどいと思います.でも,行く気になるのなら行くんだと思います.

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[忘れないように]

 この日いろいろ考えて結局元に戻ったってことなんですが,要は「忘れる」ってことなんですよね.「初心忘るべからず」というのは,本来は,初心者のみっともないときのことを忘れるなという意味で,バドミントンの練習がしんどくなったときにバドミントンを始めたときの楽しさを忘れるなというのとは違うのですが,ここでもそのようなことなのでしょうか?

 なんか違う感じがします.いずれにしても,忘れるなってことなんですが,人間忘れる生き物というか,忘れないと生きていけないので,でも,忘れない方がいいものもあるわけで,その区別が難しいのですが,なので,忘れないようにというか,忘れても思い出せるようにこのサイトに書いておくということがあるわけです.

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[ここに住みたい]

 内的熟達的に生きて生活していれば,どこに住んでも関係ないし,こっちに来るのも何の抵抗もなくすんなり来れて一瞬にして慣れたというか,実際,もう何の違和感もストレスもなく生活しているのですが,逆にそれってどうよ?という感じもしてきました.

 それって逆に言えば,帰るところとか故郷のようなものがないというか,実際,私が生まれ育ったのは福岡ですが,福岡に帰りたいとは全然思わないし,つくばに行って10年くらいは東京に帰りたいと思っていましたが,そういうのもなくなってしまって,じゃあ,どこに住みたいか,帰りたいかと言われると別にないわけです.

 何か仕事をしていれば,その仕事をするのに便利なところということなんですが,リタイアして仕事をやめてしまうとそういうのもなくなるわけで逆に困るというか,東京に住む必要もないのに高い住居費を払うのはばかげているので,何となく東京から電車で1時間で,南よりは北というか,そんな感じでしょうか.

 てことで,何だかちょっと寂しい感じにもなってきたのですが,この問題?を解決する唯一の方法は,住みたいと思えるところを見つけることでしょうね.そして,実際,いろいろ探してきていくつか候補はあるんですが,まだ見つけ切れていないってことかもしれません.

 つまりは「ここに住みたい」と思えるところに出会えると信じてこれからも探し続けるってことですかね.

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 それがもし今住んでいるところということならそれはそれでありでしょう.でも職員宿舎は大学をやめれば出ないといけないので,今住んでるあたりに住み続けたいのであれば,近くで物件を探すということになるのですが,どのみち引っ越さないといけないわけで,それでも今住んでるあたりに住みたいと思うかどうかってことですね.そう考えるとよほどの何かがなければという感じはしますかね.

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12/7'20

 一つの考えとしては,どこかで書きましたが,8tトラックを改造するみたいなことをして家にしちゃうというか,要は,住むところを決めないというか,その時住みたいところに住むってことですが,実際の引越しは引っ越し屋がやるわけですから(グランドピアノ+防音室が厄介だが業者がやるという点では全く同じ),だったら「いつでも引っ越しできる状態」(一日やそこらで梱包作業が終わる状態)にしておけばいいということになったわけです.

 で,それは,今回の移籍を機に大分進んだんですが(一日やそこらは厳しかったけど,家と研究室と合わせて3日あればできたことになる),最後の詰めがちょっと甘かったというか,まだまだというところもあったので,今度は6年半あるので,それをしっかり進めて行くということですかね.

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12/8'20
[ダンボールのままで]
(生活)

 引っ越しして1か月余りが経ち,もう普通に仕事も生活もしていますが,(家も研究室も)ダンボールを開けて荷物を棚などに収納する作業は一向に進んでいません.持ち前のめんどくさがりということもありますが,仕事とか生活とか優先してやらないといけないことや,もっとやりたいことがあるってことの方が大きいですかね.

 でも言えるのは(どこかで書きましたが),荷物の95%はダンボールに入ったままで問題ないってことです.つまり「いつでも引っ越しできる状態」的には,このままでOKというか,それこそダンボールのまま棚に収納するようにすればよかったってことですね(単にダンボールが積み重なってる状態だと下のものを取り出せないので,中に何が入っているかわかるようにして棚に収納する必要はある.積み重ねられる引き出し式のダンボールにしたこともあったけどかっこ悪いしそのまま運んでもらえるかわからなかったのでやめた).

 実はそれに近い状態というか,荷物の半分は棚にそのまま収納できるダンボールに,あと半分はファイルボックスに入っていて,引っ越しのときはファイルボックス4つがちょうど入るダンボールに入れるだけなので,ダンボールを開けると言っても,ファイルボックスを取り出して棚に並べるだけなんですが,いっそのこと全部ダンボールにしても問題なかったってことですかね.

 でも,もっと荷物は減らせると思いますし,そのためにはダンボールよりはファイルボックスの方がやはりアクセス性は高いと思うので,そういうのも含めて6年半かけてぼちぼちやって行きます(何か次の引越しが楽しみだなあ(笑)).

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[もう一つ防音室]
(生活)

 上毛高原から車で10分くらいのところで見晴らしがよくて水害とか崖崩れの心配もなくてスーパーとかホームセンターも近くにあって街の雰囲気もいい土地を見つけたりもしたんですが,この期に及んで,家を買うというか建てるのもめんどくさいし,リスクもあるし,でも歳をとると賃貸は賃貸でそれなりにめんどくさいし(グランドピアノ+防音室もあるし),どうしたものかという感じですが,そういう条件下でどうするのがいいかを考えるということですね(「制限」がアイデアを生む).

 内的熟達的に一人時々みんなで生きて行くのなら,どこに住んでもOKってことなんですが,仕事をやめると一日の多くを家で過ごす(仕事場みたいなところを借りるのならそれも同様)ので,家(仕事場)の環境はより重要になります.

 どこに住んでもOKなら,(出かける先もなくなってきたのに)わざわざ住居費が高い東京に住む意味はないですし,でも「一人時々みんな」の「みんな」のことを考えると,やはり,東京から電車で1時間が現実的でしょう.それでも,絞り切れないのなら,遊びに行きやすい北西の方,そして,歳をとっても問題なく借りれてピアノも入れられるということだとURということになります.

 ただ,URは都市部にしかないので,群馬の山奥(上毛高原)はなくなりますね.東京から1時間ということだと,多少は気候がいいということで,静岡はどうかとも思ったんですが,URはあることはあるんですが,実質的にはないようなものでした.

 つまりは,埼玉県北西部のURを研究するってことなんですが,これは既にしていて,候補もいくつかあります.でも,URってことは集合住宅ですから,山の中の一軒家と違って上下左右の生活音とかはありますよね.前住んでたところは,近くに幹線道路があったので車の音は多少しましたが,上下左右の生活音はほとんどなかったので非常によかったんですが,これは運次第で,そううまく行くとは限らないわけです(今のところは家族で住んでる人が多いのでそれなりに生活音はするけど,今は職場があるので,静かなところで作業がしたいと思えば研究室に来ればいいだけの話).

 一つの考えとしては,ピアノを入れるために防音室を入れるのなら,自分が静かな環境で仕事とか生活をするために防音室を入れるというのもありかもしれません.値段的には六畳でも2, 300万ってところですから,家を建てることを考えれば,どうってことない値段ですし,引っ越す場合もピアノを入れる防音室と同様,解体してもって行けるので問題ないでしょう.

 もっと言えば,「座って半畳」的には,音を排除して作業したいと思ったときだけ入れる1畳とか2畳の「作業スペース」的な防音室でもいいかもしれません.

 こうやって考えれば,アイデアは出てくるってことですかね.

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 そっか,こんなこと書いてると,金ないわけじゃないんだし,もっと立派な家に住めばいいじゃんって言う人が多いんでしょうね.

 まあ知ったこっちゃないですが,お金もそうですが,住む家は,もちろん,快適に便利に過ごしたいとは思いますが,立派?な家とか,そういうのに興味ないんだなと思いますね.

 でも,興味があることはいろいろあるし,そういうものにお金が必要な場合は躊躇なく使いますが,実際のところは,お金がかかることってそんなにないと思うんですよね.

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12/9'20

 うーん,でも,お金が無限大にあれば,無限大は極端でも,今の10倍とか100倍あれば,違ってくるんですかね.

 うーん,でも,それでも,例えば,スーパーで全く同じものが100円と110円で並んで売ってて,敢えて110円のものは買わないですし,100円と1000円でちょっと違ってても1000円のものを買うことはないですよね.

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[メンタリティの問題]

 どこに住むかとか,お金の使い方とか,そんなことより重要なのは,やはり,どう生きて行くかということです.

 今の仕事を失ってどうするかとか言っても,そこさえしっかりしていれば,その実,何の問題もないはずです.

 生き方というよりは,メンタリティの問題かもしれませんね.つまりは,人生を楽しく生きて行きたいと思っているかということでしょうか.

 具体的に言えば,今の仕事を選んだのは,人生を楽しく生きて行きたい,それには,多くの時間を過ごす仕事が楽しい方がいいということで選びましたしそれで大正解でした.でも,それは定年までの「期限付き」だったんですが,だとしたら,定年後の人生も楽しく生きて行きたい,そのためには,と考えればいいってことですよね.

 でも,仕事に,面白いからやりたいからではなく,報酬(お金)とか評価とか,そういうものが強く結びついていると,そういうものに固執しないといけないことになって,でも現実には定年でクビになる,多少の延長はあっても,報酬も評価もダダ下がりなわけですから,非常に厳しいことになると思います.

 つまり,ここでもやる気三要素の内的熟達の優位性が際立つことになるわけで,内的熟達の源泉である知的好奇心(+脳心体の健康)さえあれば,何とでもなるというか,やはり,そこなんだと思います.

 ただ,これが安定しないとか,めんどくささがそれに勝ってしまうとかの問題があるんですが,リタイアすれば,つまんなかったり,めんどくさかったりすればやらなきゃいいだけの話で,そうするとどんどん自堕落な生活になって行くってことなんでしょうが,それならそれでしょうがないし,そうなるかならないかは,自分次第というか,自分を信じるというかあきらめるというか,そういうことでいいような気がします.

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12/10'20
[その気問題]

 そもそも,その気になったりならなかったりってなんなんですかね?

 あることをやっていて,面白いと思うこともあるけど,つまらなくなってしまうこともある.やり甲斐的なことについても同様です.報酬とか評価されるとか外部要因もないこともないですが,(特に私の場合は)内部要因が大きいです.

 じゃあ内部要因とは何かということになるんですが,これって要は「説明がつかない」ということで,そうすると対策のしようもないということになります.

 例えば,引っ越す前は片付けもそれなりに効力感をもってやっていましたが,こっちに来てからはほとんどさっぱりで,でも,何か状況が変わったわけでもありません.

 と思ったのですが,引越す前は引っ越しというデッドラインがあったけど,引っ越してそれがなくなったということですかね.つまりは,そういう「外部要因」なのでしょうか?

 確かにそれはあるような気もしますが,結局,その気にならないものはならないわけで,もちろん,仕事とかやらないといけないことは否応なしですが,そうでないものは,やはり「その気になるものからやる」ってことですかね(その気にならず,やらないといけないわけではないことはやらない).

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[帰る]

 「帰る」ってなんかいいですよね.仕事で疲れても帰ってきて休むところがあればということはあるわけですし,東京に出てきて頑張ってるけど帰る故郷があるみたいな.

 でも,気づいたら,もう帰るところがなくなっていました.でも,「チャンス」は何回かあったと思います.

 私は大学に受かって東京に出てきたんですが,自分の中でそれ以外の選択肢は全くありませんでした.

 理由はよくわかりませんし,単なる思い込みだとも思うのですが,東京に行って頑張って何事かを成し遂げるつもりだったんだと思います.そして,結果として,一仕事できたかなとは思えているので,まあ何とかなったんでしょう.

 でも,夢破れるではないですが,一仕事できたと思えるところまでは行かない人も多いのでしょうし,そうすると故郷に帰るということもあるのかもしれません.そういう意味では,私も東京で頑張るのに疲れて福岡に帰る「チャンス」もあったのかもしれませんが,そうはなりませんでした.

 次の「チャンス」は,つくばに行ってからです.つくばに行って10年くらいはずっと東京に帰りたいと思っていました.でも,それは叶わず,そして気づけば,東京に帰りたいという気持ちもなくなっていました.つまり,帰るところを失ったわけです.

 そしたら,今度は京都です.どこかで東京から半分福岡に帰れたと書きましたが,それは単に地理的距離的な話で,心理的には,「帰る」の逆というか,更にどこか遠くに来たようなものでしょう.

 もちろん,全部自分で選んでそうしているのですが,「帰る」というどこかほっとすることの全く正反対の方向にどんどん進んでいて,こんなんで大丈夫なのかというか,変な話,どこかで行き倒れるじゃないですが,自分では大丈夫だと思っていても,しんどくなるときが来るのかもしれませんね.

 でも,私にはもう帰るところがありません.つまりは,行き倒れるまでひたすら歩いて行くしかないということなのでしょうか.

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12/11'20
[波]

 内部要因ってことは「説明がつかない」ということというのは違いますね.内的要因,つまり,私にとって何がやりたいのか面白いと思うのかはかなり明確にわかっています.でも,それが安定しないというのが厄介なわけです.

 でも,そんなもんとあきらめる(明らめる)ことも大事ってことでしょうね.つまり,調子の波があるようにその気になったりならなかったりするのは当然のことで,でも,重要なことは,よくないときいやめてしまわないこと,そして,いいときにとことんやることでしょう.

 そして,こうやって書いてみると,たまたまかもしれませんが,何事についても何とかそうやってきた,そうできてきたことに気づきます.つまり,これからもこれまでのようにやって行けばいいってことですかね.

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(日記)

 昨日は,帰るところはないけど,ソフトランディングに向けて準備をしているところにそれに逆行するようなことが起こり,もちろん,ありがたい話ですし,自分で選んだ道なんですが,一体何をやっているのか,頑張って行けるのかとか考えると,結構しんどくなってしまいました.

 でも,椅子の上でちょっとうとうとして目が覚めたとき,そういう嫌なイメージが大分消えた感じもしました.

 つまりは,これも上で書いた「波」の一環というか,よくないときを何とかやり過ごせば,ということなんですかね.

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12/12'20
[解決できない状態で]

 人生には限りがあるわけで,でも若いときはそういうことは特に意識するでもなく,でもある時期から意識し始めるってことなんですが,そういう中で生きて行くのって,実はなかなかのことで,でもどうしようもないわけで,結局は「解決できない」状態で生きて行くということですよね.

 でも,こういうのって,割と最近の話なのかもしれません.

 昔は,と言っても,つい何十年か前までは「家」というものが大事にされていて,「家」を絶やさないように結婚して子供を作ってということが最重要視されていたわけで,もっと昔,例えば,戦国時代なら,武士なら自分は戦で死んでも子孫を残せばというか,そういうことを前提に自分の命を投げ出したところもあったわけで,つまりは,昔の方が本人は死んでも子孫は続くという形で存続し続けるという動物本来的な生き方をしていたわけです.

 でもだから昔の方がよかったってわけじゃないのですが,そういう本能に逆らえば,いろいろ難しいこともあるわけで,生きて行くには働かないといけないとかいうこともだんだん崩れつつあるし,やっぱり,難しい時代ってことなんでしょうが,本能を越えるのは知能しかないので,やっぱり,考えるということでしょうね.

 ちなみに,私個人的には,人生に「限りがある」というのは一長一短だと思ってて,つまりは,その点に関してはニュートラルなんですが,割と微妙なバランス状態なので,時々どちらかにぶれることはあります.でも平均するとだいたいニュートラルです.

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12/13'20
[解決してる]

 知能というのは,即ち,哲学で,これに関しては何度も書いているように結論が出ているわけで,それは「人生所詮退屈しのぎ」で,でも,どうせ退屈しのぎして行くのなら楽しく気分よく生きて行きたい,そのために(ここからは人それぞれ)ということで,結局,これに帰着するというか,これ以上の答えはないわけで,そういう意味では,「解決できない状態」ではなく,「解決してる」ということかもしれません.

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 そう言えばなんですが,何度かリタイアしたら今までと違う生き方をしてみたい(とも思う)と書いたと思います.つまり,これまでは,何かを成し遂げようとかいう上り坂の人生だったものを下り坂というか,何をするでもなく自堕落にだらだら過ごすとか,そういう生き方にどこか憧れのようなものがあるとかいうことですかね.

 でも,実際にやってみてつまんなかったら,元に戻るというか,そういう余地も残しておかないといけないわけでなかなか難しいんですが,仕事を途中でやめてそうするのならともかく定年後なら関係ないか.

 いや,例えば,定年後,仕事の話があったら受けるかとかそういうことはありますから,そうとも言えませんね.そして,そういう(いい)話があったら,普通は受けるものなんでしょう.

 だから,結局,自分がどうこうじゃなくて,外部要因というか,自分が社会から必要とされるのかってことで,自分が社会から必要とされずにお気楽にやって行ける状況をどこかで望んでいるようなところがあるってことでしょうか.

 そのためには,無能なふりをするのがいいんでしょうが,これってなかなか難しくて,私の場合,せいぜい怠け者とかめんどくさがりのふりというか,実際怠け者でめんどくさがりなんで,それは大丈夫(笑)なんですが,変なことをするのはやはり難しいですね.

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[大学の仕事がなくなった分だらだらする]

 リタイアしたら違う生き方をするかどうかはともかく,年齢によってある程度生き方は変わってくるとは思うんですよね.

 0代10代は成長して大人になる過程ですし,20代は何をやるかを決めてそれに打ち込む最も重要な時期でしょう.30代40代はキャリアアップして行くということなんでしょうが,私自身は大分違ったことになって,30代は何をやったらいいかわからなくなって迷走したんですが,何とかやることに辿り着いて40代で一仕事することはできたと思います.

 でも,50代になった途端にそういうことが突然終わってしまったんですが,終わったということはまた何かが始まるというか,30代があったから40代があったように,50代があったから60代があるようにということでしょうか.

 そして,70代,80代と(生きていれば)続くのですが,今までと違うのは,(今の)仕事を失うということと,歳をとって行くということでしょうか.仕事は失っても何とか食べては行けると思うので,食べて行くために働く必要はなくて,つまりは,真にやりたいことができるってことなんですが,反面,歳をとって体や心は衰えて行くわけです.

 私の場合は,やりたいことを仕事にしたってことなので,食べて行くために働く必要はなくなっても,それでも仕事をして行くのかってことですかね.というか,はっきり言えるのは,学生とかの若い人達を育てながら研究して行くことなら間違いなくやるでしょう.でも,大学をやめると,そういうことは難しくなりますね.

 一人でしこしこやってもいいんですが,学生とかの若い人達を育てながら研究して行くことの面白さや楽しさを知ってしまうとどうしてもつまんなく思えてしまいますし,それならもういいやと思っちゃうような気がします.

 こうして考えてみると,だんだん答えは見えて来て,定年で大学をクビになっても,そういうことに近いことができるのなら仕事(研究)を続けて行くでしょうが,それが叶わないとすると,何か代わりのものを見つけないといけないってことになるんでしょうが,自堕落とまでは行きませんが,仕事以外にやってることはいろいろありますし,学外の仕事もちょこちょこはあるでしょうから,歳をとって体と心も衰えて,大学の仕事がなくなった分だらだらするというのでもいい気がします.

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[自分を信じる(あきらめる)]

 でも,これって何か普通というか,特に何も準備とか対策をしないとそうなるって感じでちょっと面白くないですね.でも,そう思うのなら,何かやんなよってことで,結局,自分次第というか,そういう「心」がどれだけ残ってるかってことですかね.

 つまり,まさに自分を信じる(あきらめる)ということで,そういうことに従えばいいってことでしょうか.今から準備しないといけないこともあるのかもしれませんが,その気にならなければ始まらないわけで,そういう意味では,自分を信じる(あきらめる)というのは,今も然りということですね.

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 学生とかの若い人達を育てながら研究して行くのが理想なんですが,それに近いものとしては,顧問みたいな仕事もありますね.

 でも,「学生とかの若い人達を育てながら研究して行く」場合は,自分で研究テーマを設定できますが,顧問の場合は,その会社とかがやってることの相談に乗るってことなんですが,今学外でやってる委員会とかの仕事もそういうものですし,今まで自分が培ってきた知見を活かせるものならやってて楽しいですし,有益なアドバイスもできると思いますから,話が来れば受けると思います.

 そして,そういう仕事がそこそこあって,東京から電車で1時間ではなく,都心に住んだ方がいいと思うのなら,東京に住む意味も出てくるというか,「東京に帰る」ことができる,そこが東京でなくても,そこに住む意味が出て来ます.

 でも,これも現実的というか,今やってる仕事の延長上って感じもしますが,実際のところは,そういう話があるかどうかもわからないわけで,そういうことにならなくても大丈夫にしておくことが(大学の仕事がなくなった分だらだらすることを受け入れることも含めて)やっぱり大事な気がします.

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12/14'20
[そんな戯言が言ってられるのは]

 自分を信じる(明らめる)というのは,結局,その気になるかならないかってことで,(仕事とかやらないといけないことでなければ)その気にならなければ,無理せずできる範囲でやればいいということになります.

 逆に言えば,その気になればとことんやるってことなんですが,そういうことはそうそうあるものではないでしょう.そんなことでは大したことにはならないと思うのですが,別に大したことにならなくてもいいわけで,結局,それだけの話ということになるんですが,(私の場合)まあそんな感じで,何とかここまでやってくることはできました.

 でも,そんな戯言が言ってられるのは,この歳になって何でもありになったからとか,何とか一仕事できたと勝手に思ってるからということもあるわけで,じゃあ,何とかここまでやってくることができたのは何かというと,それはたまたまその気になることを見つけて(それなりに)とことんやったからということもあるんですが,若い時,「その気にならなければ,無理せずできる範囲でやればいい」とかの戯言なんか言ってられなかったときに,その気にならなくてもやらないといけないことをやったというか,やらされたということはあると思うんですよね.

 ですから,ここで書いていることをあまり額面通りに受け取らないで欲しいと思うのですが,そもそも,ここで書いてることは,別にえらそーに若い人に向けて人生のアドヴァイスをしてるわけじゃなくて,勝手に今の自分が思うことを自分のために書いてるだけですからね.でも,だからこそ逆に「えらそーに若い人に向けての人生のアドヴァイス」以上の何かはあるとは思いますけど.

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[無策で無能]
(世の中)

 支持率急低下で慌ててGoTo中止で,まさに衆愚政治の最たるものなんですが,ここで記事を書こうと思ったんですが,ふと思って過去の記事をちょっと見たら,ここで書いたことそのまんまですね.

 一体何やってんですかね? 政府もそうですが,メディアはニュースでずっとこのことを報道していて,でも,視聴率を稼ぐ以上に何の意味もなくて,まさに世の中全体が無策で無能で,でも私個人的には,そういう世の中から距離を置くというか,ここまで来たらもう隔絶して内的熟達的に生活しているので,今は何の影響もありませんが,国は今年だけで100兆!という莫大な借金を抱え込むという惨状で,将来的には何の影響もないとは言えないでしょうが,それに対する対策もしていますので(もちろん,うまく行くかどうかはわからないけど,対策をしているということが重要),まあ高みの見物ですかね.

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12/15'20
[全員東大か京大]
(研究)

 今日,とある委員会が(オンラインで)あったんですが,この委員会というのは,この委員会のことです.で,気づいたんですが,山田先生が東工大から東大に戻られ,私が京大防災研に移籍したので,現役の大学教員の委員は,全員東大か京大になったことに気づきました.私が言うのも何ですが,すごい委員会ですねー(笑).

 でも,問題はそんなことではなく,ここで書いたこと,つまりは,東大とか京大とかじゃない大学に所属しているから,研究の中身で評価される,それが真の評価ということなんですが,じゃあ,京大に移ったから,そういう形でちゃんと評価されたからOK? なわけありませんよね.

 そもそも,東大とか京大の先生とか言っても誰かがなるわけですし,誰にも解明できなかったことを解明するというのとはわけが違います.ですから,私個人的にも京大に移ったからと言って,そういうことは何も変わらず,未だ解明されてないことを解明していくということです(と既にどこかで書いたような気がするけど).

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 なんかしょーもないというか,当たり前のことを書いてしまったと思うのですが,今日の委員会でそういうことに気づいて,かつ,この記事を書いたことを思い出してしまって,そうすると(ずっと筑波大にいれば問題なかったんですが),このままでは辻褄が合わなくなる(ことはないけど,そう曲解されるのは嫌な)ので,一応,書いときましたということですかね.

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(このサイト)

 時々書いていますが(だいたいがほんとは書かない方がいいというか公開しない方がいいことを頑張って書いたとき),ここで書いていることは,多くの人に読んでもらおうとか,いいねと言って欲しいとか,私の好感度を上げようとか,そういうことは一切考えてません.理由は明白で,そんな他者評価基準では,真に正しいというか価値あると思うというか,要は,書きたいことが書けないからです.

 でも,私がどう思われようと全く問題ないですが,人が傷つくようなことは書かないですし,これは書かない方がいいと思って書かないことはいくらでもあります.ですから,ここで書いていることに嘘は全くないですが,ここに書いてあることが全てではありません.

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[売れるものは]
(世の中)

 プロテインブームってことなんですが,?BSでランキングをやってました.そして,上位に来るのは,売れるようにいろんなものを加えた「添加物まみれ」のものです.このサイトで「売れるものは..」と再三書いて来ましたが,この場合も然りというか,わかりやすい話なわけです.

 でも,企業からすると売って儲けないといけないわけで,結局,騙し合いというか,(○ホな)消費者の問題というか,これも結局,資本主義経済の歪みってことですかね.

 じゃあどうしたらいいかですが,実は簡単な話で,しっかり考えて,そういう罠に引っかからないことで,そうすれば,企業も変なことはしなくなると思うのですが,実際は真逆のことばかりしてるってことは,衆愚政治と同様に,国民は(消費者は)..ってことでしょうか(だったらまあ自業自得か).

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[京都の冷え込み]
(日記)

 今日は寒かったですね.京都は盆地で冬寒く夏暑いと言われていて(どうしてそういうところに1000年以上も都があったんでしょうね),京都の冷え込みはどう?ときく人もいるんですが,こっちに来てからずっと暖かかったんですけどね.

 でも,今日寒かったのは,全国的になんですよね(そう言えば,今日の委員会で,東大の腰原先生が青森は寒いですと言ってましたがこれも全国的にということかも).ですから,これで京都が寒いのかどうなのかは何とも言えません.でも,つくばも冬はかなり冷え込むのでそれより寒いってことはないんじゃないですかね.

 むしろ,夏暑いという方が気になりますかね.でも,個人的には,寒いより暑い方が平気というか,寒い方が堪えますし,一日のほとんどは空調が効いた部屋の中にいるので,あまり関係ない気がします(半径100m以内で生活するのなら尚更(笑)).

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12/16'20
[単純な計算]
(世の中, 経済)

 今年度の国債発行額が過去最大の112兆円になったとの報道です.112兆円と言われてもぴんと来ないという人もいるかもしれませんが,国民一人当たりで割り算すると,今年1年で何と88万円,この中には,まだ働いていない子供や年金受給者もいますから,それらを除いた労働人口(6886万人)当たりだと160万以上になります.たった1年で,ですよ.

 原因はもちろん新型コロナ対策ですが,リーマンショックのときでも50兆くらいですから,その法外な額がわかろうというものです.

 問題は,ちゃんと額に見合った対策になっているか?ということでしょう.答えは明らかにNoで,あまりにぐだぐだ過ぎて,莫大な借金をしてそのほとんどをドブに捨てているようなものとは何度も書いている通りです.

 単純な計算をしてみます.

 東京五輪でバブることを見込んで,観光とか宿泊とか飲食とかそれに付随することで事業を拡大しておいてこういうことになって助けてくれというのはムシがよすぎると思いますが,ちゃんと地道にやってるところもあるでしょうし,首をくくらないといけないほど追い込まれているのなら,まずはとりあえず助けることは必要です.

 問題はそういう人がどのくらいいるかでしょう.

 いろんなデータがあるんですが,多く見積もっても10人に1人という感じでしょうか.つまり,単純計算で残りの9人で1人を助ければいいことになります.

 じゃあ,首をくくらずに済むというか,生きて行くのに必要な額はいくらでしょうか.例えば,生活保護者だと単身者で10〜13万,夫婦二人で15〜18万ということなので,一人頭10万といったところでしょうか.

 じゃあ,どういう対策をするかですが,何度も書いていますが,感染を止めるのに最も有効な方法は,人の動きを完全に止めることです.これを1か月やったとして,被扶養者も含めて関係する人が10人に1人として1200万人に10万ずつ配るとたったの1.2兆となり,赤字国債発行額の何と1/100で済むわけで,112兆という額がいかに無駄なものか,ドブに捨ててるかわかろうというものです.

 いやいや,止めてる間も家賃も払わないといけないから10万でも無理ということなら,家賃を棒引きにして,その分,貸主にも10万支給すればいいし,いやいや,貸してる方も銀行から借金してるから,10万では無理ということなら,そこの金利も1か月だけ棒引きにして,それで銀行員が首をくくらないといけなくなるのなら彼らにも10万円支給しましょう.そんなこと言ってると対象がどんどん広がって10人に1人じゃなくて,10人に3人になっちゃうとしても(でも,こうやってぐるぐる経済を回していることがいかにやばいかとも言える),1.2兆が3.6兆になるだけの話です.

 いやいや,それ以外にも医療関係者とか物流とか生活に不可欠な仕事をしている人にも補助をということなら,彼らにも支給するとして,10人に3人が10人に5人になってもたったの6兆です.つーか,国民一律に10万配っちゃったわけで,それがいかに的外れで○ホな政策だったかがわかろうというものですが,それでも12兆で済んだわけです.

 その間,緊急事態宣言が出て,ある程度,人の動きを止めて感染は一時的に収まったわけで,でも,その後,第二波,第三波が来たんですが,その度に迅速に緊急事態宣言を出して,国民一律に10万配ったとしても,3回分で36兆,対象を絞れば18兆で済んだわけです.

 いやいや,月10万ではどうしようもないと言うのは,まさに「贅沢」なわけで,書き入れ時に儲けそこなったなんてのは論外ですし,国というよりは,国民の皆さんから濡れ手で粟で助けてもらうということを忘れてはなりません.

 もちろん,実務的にはそんな簡単な話ではないし,国債の使い途は新型コロナ対策だけではありませんが,それにしてもオーダーが違い過ぎるわけで,GoTo何とかも含めて政府がやってることがいかに非効率で関係ない人間に余計な金が流れる「ざる」であるかがわかろうというものです.つまりこれで(働かずに補助金だけもらった奴やGoToキャンペーンでいつもより贅沢な宿に泊まったり只飯食った奴も含めて)「ボロ儲けして散財」してる奴がいるわけで,それはまさに「金をドブに捨てている」,そして,それは国民の借金として厳然として残るということです.

 ここまで来ればわかりますが,結局,支持率や選挙目当ての衆愚政治に終始しているわけで,でもそれを作り出しているのも困ったら国が何とかしてくれると思っている愚かな国民なわけで,まさにどいつもこいつもってことなんですが,数兆で済むものを112兆も借金して散財してしまうわけで,でも,借金取りは必ずやって来ます.

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[夢がある?]
(世の中)

 プロ野球選手の契約更改の季節ですが,大幅アップで年俸○億とか,ユーチューバーになって○億稼ぐとかとか夢がある?

 夢って何ですか? 有名になっていっぱいお金稼ぐこと? しょっぼい夢ですね.

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[差が付く]

 哲学的には人生所詮退屈しのぎなんですが,言い方を変えると,人生には限りがある,どんなに成功しても不遇でも最期はみんな死ぬ,だから,所詮そこまでの退屈しのぎってことで,それはまさにその通りです(議論の余地なし).

 でも,限りはあるけど,そんなに短い時間でもないし,その間,つまんないよりは楽しく退屈しのぎした方がいいじゃんってことなんですが,時間の長さは人によって異なります.つまりは,長生きする人もいれば,そうでない人もいるということです.

 でも,どのみち限りがあるのなら,結局「時間の問題」ってことなんですが,具体的にどのくらい違うのかなと考え始めました.

 もちろん,若くして夭逝する人もいますが,大きな事故や病気がなければ,平均寿命近くまでは生きるわけで,問題はそのばらつきです.寿命がどういう分布になっているのかは知りませんが,正規分布とか対数正規分布だとして,±σがどのくらいかってことでしょうか.

 そもそも,ばらつきの定量的評価がσでいいのかどうかもわかりませんが,全く感覚的には,±10年,つまり,平均寿命が80くらいだとして,70〜90でだいたいの人は死ぬというのは何となくしっくり来ます(こういう感覚は大事).そうすると,長生きする人とそうでない人の差は20年ということになります.

 つまりは,この20年が大きいのかそうでもないのかということですね.

 例えば,自分が30から50までの20年で何をやったか,できたかを考えると,20年は決して短くないと思います.もちろん,30から50と70から90では,同じ20年でも全然違うという人も多いでしょうが,20年は20年ですし,そこをどう過ごすかはまさに本人次第ですよね.

 でも,70から90という年齢をどう過ごすのかが非常に難しいのは確かで,それは,30から50の間は,ただ仕事とか子育てとか頑張ってればよかったというのとは訳が違います.

 でも,だからこそ大きな差が付くとも思うんですよね.人生の終盤で未来もないのに差なんか付けても意味ねーじゃんと言う人も多いと思うのですが,未来のためというよりは,「その日その日をどれだけ楽しく気分よく過ごすか」の差が付くのなら,それはとてつもなく大きいと思うんですよね.

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 そして,最大の問題は,もうつまんないから70で死にたいと思ってもそうは問屋が卸さないわけで,ピンピンコロリがいいと思って不摂生してると,死に損なって要介護になって自分では何もできなくなって尊厳まで失うような人生を送らないといけなくなってしまうかもしれないわけです.

 ですから,長生きしたいからということではなく,長生きしてしまうことを考えてのリスクマネージメントとして,体と脳と心の健全が重要なのは言うまでもありませんし,その日その日を楽しく気分よく過ごして行くために必要なのはやはり準備ということでしょう.

 お金はあった方がいいと考えがちですが,体と脳と心が健全なら働いた方がいいということもあるでしょうし,孫といっしょに過ごしたいと思っても,孫がどう思うかはわからないし,それは,伴侶とかいっしょに過ごす人もいっしょだし,どっちかが先に逝くわけで,やっぱり,一人でしこしこやってて楽しいこと(+体と脳と心の健全)があるのが無敵な感じがしますし,その上に「一人時々みんな」なら言うことなしじゃないですかね.

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 準備と言ってもいろいろあると思うのですが,リタイアする前にやり切っておくというか,ある程度の結果を出しておくことも大事だと思うんですよね.

 定年で仕事をクビになって張り合いがなくなるというのはわかるんですが,見方を変えると,定年までというか,それこそ生まれてからずっと競争社会というか,そういう状態に置かれて,(より)いい大学に入らないといけない,会社に入ったらそれなりに出世しないといけないとかいうことがずっと続いてきたわけで,そこである程度の結果を残したかそうでないかは,リタイアした後に「いい気分で過ごせるか」にそれなりに影響するような気もします.

 かく言う私は,出世とかそういうことは意に介さずやって来ましたが,そういうのと関係なく「一仕事できた」と勝手に思えるのは,ほんとにほっとするというか,危なかったというか,実際,30代後半の段階では何もできてなくて暗澹たる気持ちだったわけですからね.

 つまり,この点に関しては,私はもう準備ができてるわけで,もういつやめてもいいんですが,実際はなかなかそうならないというか,むしろ逆のことになってるわけで,でもまあこれも自然の流れというか,そういうものに従うしかないし,そうすればいいってことでしょう.

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12/17'20
[京都で雪]
(日記)

 大雪らしく,何と関越道で車が1000台立ち往生だそうです.それで,京都でも雪という報道なんですが,この辺(宇治)は何ともなくて,でも京都と言ってもこんな感じで↓,京都「府」の北の方はバリバリ日本海側ですし,京都「市」の北の方も相当北なので,まあそういうことだとは思いますが,嵐山でも積雪があったようですから,ほんとの?市内でも降ったのかな?

 

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[すっかり忘れてました]

 そっか,もう年末間近なので,例年に従うと「今年を振り返って」という記事を書かないといけないですね.てことは,今年1年の記事をざっと読み返さないといけないということです.なんかめんどくさいな.

 まあでも,この記事を書いておくと,この記事だけ読んで行けば日記的出来事的心境的なことを手早く辿れるということなので頑張って読みますか.

 わざわざ読まなくてもってことなんでしょうが,印象的には,今年も特に何もなくという感じですかね.

 えー? 大学を移ったし,新型コロナで大変だったんじゃないの?と言う人が多いと思うんですが,そっか,そう言えばそうでしたね,そんなことすっかり忘れてましたって感じです(笑).でも,これはまさに割と平穏に(外的なものに左右されず)内的熟達的に生活できてたってことなので,悪くないことだと思います.

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 1月からちょっと読み始めたんですが,(自分で言うのも何ですが)面白過ぎる(笑).一体こいつ何者?って感じですね(爆).でも...

 そういう新鮮味を感じるってことは,書いて忘れてるってことで,それはあんまりよくないですね(新型コロナや大学を移籍したことを忘れても何の問題ないけど).でも,書いたことを全部覚えてるのは不可能ですかね.

 でも,何度か書いたと思いますが,各論は無理でも総論はあるわけで,左脳で箇条書き的に覚えるのではなく,右脳でイメージする感じですかね.そして,それは何となくできてる感じもしますし,まだまだと思うこともあります.

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[医療崩壊寸前?]
(世の中)

 東京での感染者数が800人を越えて過去最多だそうです.春頃は200人を越えたらやばいって感じで緊急事態宣言に至ったわけで,でも,検査数が増えれば見つかる感染者が増えるのは当たり前ですから数字だけ見てもしょうがないでしょう.

 医療崩壊寸前というのも...そもそも,東京に重症者用のベッドがたった150床しかないってのも...どこかで書きましたが,アメリカでは,日本の何十倍とか100倍とかの感染者が出てるわけで,たったこれだけの感染者数,重症者数で医療崩壊が起きるとしたらほんとに大問題です.

 その実,新型コロナに対応している病院が全体の極僅かってことなわけで,これが何を意味するかってことですかね.まあわざわざ手を挙げる人がいないのもわかりますが,そこを何とかしたいのなら,GoTo何とかに無駄金使ってないで,ここにもっとインセンティブを与えるとか国もやりようがあるとは思いますけど.これ以上は書きませんが,実際,ほんとにやばいのなら緊急事態宣言を出すべきだし,多くの人は何となく実情がわかっちゃってるんじゃないですかね.

 まあそれでも,無用に出歩く意味はないわけですし,とるべき行動はとって感染しない方がいいに決まってますから,メディアが騒ぐ騒がない関係なく,淡々と日々過ごせばいいわけで,そういう意味では,無用なことが減るのは歓迎ですし,こういう状態がむしろ続いて欲しいくらいです.

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12/18'20
[いろんな立場から]
(世の中)

 医療関係者の立場からするとどうでしょうね.

 まず言えるのは,世の中的には「医療関係者に感謝しましょう」とか言ってますが,新型コロナに関わっている医療関係者は全体の中の極一部ですから,既にそういう「嘘」というかとんちんかんなことが起こっているわけです.

 で,新型コロナに関わっている医療関係者の立場からすれば,自分の病院の重症者用のベッドが埋まってきたら,そりゃあ「医療崩壊する」と言うでしょうし,大部分の新型コロナに関係していない医療関係者は自分達にお鉢が回って来ないようにと思ってるでしょう.でも,最終的には選択権は彼らにあるわけですし,これ以上は無理と思えば受け入れを拒否すればいいというか,実際,救急車のたらい回しみたいなことは新型コロナに限った話ではないわけですからね.

 でも,現実問題そうは行かないというか,むしろ良心が働くのなら,このままでは医療崩壊するから緊急事態宣言を出してくれと言うわけで,でもそうすると,観光とか飲食業とかが反発するわけです.そこを調整するのがまさに政治なんですが,ここが無能で無策なのが最大の問題なわけです.

 そうすると,結局,自分の身は自分で守るしかないとなるわけで,そうするとどうなるかというと,(一部の)医療関係者が受け入れ拒否をする→重症化しても入院できず死者が続出する→そうなって初めてやばいことになったと国民が気づく→その時はもう手遅れ って感じですかね.

 でも,実際のところは,重症化しても入院できず死者が続出する までは,まだ大分あるとは思いますけど(医療関係者はそうは言わないでしょうけど).

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 感染しても重症化しない若い人達の立場からすると,多くは深く考えてないんだと思いますが,このサイトで何度か書いたことが起こり始めているってことはないですかね?

 つまりは,年寄りが金とか権力にものを言わせて若い人達を奴隷のようにこき使うという社会の構図に対する反発,つまりは,自分達は重症化しないからいいとしても年寄りに感染させたら大変なことになるとか言っても言うこと聞かないという一種の姥捨て山が始まってて,年寄りからすると,金とか地位とかあってもだめで,自分のことは自分で面倒見られることが必須になってきたってことです.

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[首相の会食]
(世の中, 政治)

 首相のSさんの会食が問題になってるみたいです.突っ込みどころ満載なので,順番に行くと...

 まずは,国民に会食するなと言っておきながら自分が会食してるのはなんなん?ってことでしょう.それはメディアが指摘してる通りなんですが,やっぱり「自分達は特別」だと思ってるんじゃないですかね.

 つまりは,国民は○ホだから大分手前に線を引いて会食するなとなるけど,自分はもっと賢いから会食しても大丈夫みたいな.でも,それを見て国民がどう思うかがわからないとしたら賢くないですね.

 次に会食の目的は,いろんな分野の第一人者??に直接話をきいて勉強するということらしいですが,それだったら別に会食なんかしなくても,それこそオンラインでやればいいのでは? (公費で美味い飯を食いたい?)

 更に言えば,いろんな分野の第一人者??に直接話をきくのは勉強じゃないですよね.人から話をきいて勉強してる気になっても,結局,自分では大したことしてないわけで,何度か書きましたが,そんな受け身ではなく,自ら獲得しに行くのが勉強でしょう.忙しくて時間もないから手っ取り早くということなんでしょうが,手っ取り早いものは手っ取り早いだけのものしか得られませんよ.

 でも,Sさんは勉強が苦手なんでしょうね.そういう人が総理大臣でいいのかと思いますが,最近は東大卒の首相が減ってきてて,別に学歴なんか関係ないとは思いますが,自分で勉強することすらできないというか,こういうところに弊害が出てると言えるかもしれません.

 何より重要なのは,やはり,大所高所からの高度な政治的判断でしょう.でも,手っ取り早くいろんな話をきいて,訳わかんなくなって,今のグダグダ状態になってるってことなんじゃないですかね?

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12/19'20
[30年ずれてる]

 とある人がテレビに出てたんですが,90なんだそうです.とてもそうは見えない.見かけがどうというよりしゃべりというか頭の回転というか,昔から知ってる人ですが,昔と全然変わらないじゃないかと思えるほどです.

 その人は,感覚的には今が60くらいと言ってました.それで,今,今年の記事を読み返してるんですが(やっぱり量が多いし長い),この記事に来ました.今感覚的に40くらいな感じもしますし,40で10年か20年ずれてるなら,90で30年ずれてるってことになりませんかね?

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12/20'20
[感覚的に今が40(とか60)]

 でも,「感覚的に今が40(とか60)」というのはどういうことでしょうね?

 それは,自分の中に40とか60だったらこんな感じだろうというイメージがあるわけで,それは,そのときの自分の中で初めて到達している年齢なので,あくまで想像上の話で,じゃあ,何から想像しているかと言うと,「自分ではない他の人」ということになります.

 具体的には,自分の祖父母とか世の中の年寄りとかですかね.

 例えば,私の場合は,祖母のイメージというのはあって,私が子供の頃,だいたい60代だったと思いますから,その頃のイメージですかね.そうすると,私がもうすぐそういう年齢になるというのは,やっぱり相当ずれがある感じがしてしまいます.

 じゃあ,感覚的に今40くらいというのは,何が基準になってるんですかね?

 これがよくわかりません.もっと言えば「40代がどういう感じなのか」というイメージが全くないんですよ(自分が通り過ぎた40代は「ずれた40代」なので参考にならない).

 でも,今40というか30代後半くらいのイメージというか,ずっとそこで止まってるので,そういうことというか,ある意味,当然なんですかね? あるいは,浦島太郎のようにある日突然,おじいさんになってしまうのでしょうか?

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[「新作」かどうかわかるように]
(このサイト)

 「今年を振り返って」という記事を書くために,今年の記事を読み返していて,随所に面白いというか,そうかそうかそうだったと思うことがあるのですが,同じことの繰り返しも多くて(実際,何度も同じことを書きますがと書いてるので,既に書いたということを忘れてるわけではない),後から読み返すのはちょっとしんどいですかね.でも,それでも読み始めると,他のことをほっといてもどんどん読んじゃうのは何なんですかね?(棚の組立の続きをやって,ダンボールから荷物を出して収納というのをやろうと思ってたけど,結局,こっちをやった).

 まあ日記的にそのとき考えることを書く(読む方からすると読んでもらう)のはいいと思いますが,読み返すことを考えると「新作」かどうかわかるようにしておいた方がいいかもしれません.

 でも,同じことが繰り返されるということは,考え的にはだんだん煮詰まって来た(正しい使い方)とも言えるわけで,実際,それは何となく感じます.

 まだ最後(今)のところまでは来てないのですが,結局,やりたいことやればいい,できることをできる範囲で,その気になった時にその気になったことをやりゃあいいんじゃない?(そうできるようにいろんなものを整えて行く)ってことなんですが,ここだけ読むと自分勝手みたいですが,実際はそういうわけではなく,このフレーズは氷山の一角で,でも,そこからその背景にある膨大なものが頭の中に概念的にイメージできるようにということですかね.

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(日記)

 今日は,高校のクラブ(ブラス)のZoom飲み会というか,AけどんがFさんとY本と私の4人がブラスで3の8ということにめざとく気づいて(というか,どうして今まで気づかなかった?)というか,4人で私が移籍したことのお祝いというか,そういう会を開いてくれたんですが(とても楽しかったです),M-1をやっていたので,後で見ようと思って録画していたのですが,Fさんのところから(マイクが高感度?で家族が見ていたのが入って)「きゃーマジカルラブリーすごい」ってのが聞こえてきてネタバレしてしまいました.

 まあでも,1本目のネタはおいでやすこがの方がよくて,その勢いで行くかとも思いましたが,決勝のネタはマジカルの方がよかったですから,ネタバレというか違和感はないですかね.

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12/21'20
[防音してない]
(ピアノ)

 昨日のZoom飲み会で話題に出たのですが,今年のピアノプロジェは中止というか延期になったのですが,当日はZoomで繋いでリハーサルというか,演奏できる人はオンラインで演奏しました(全体の8割くらいか).つまりは,他の多くのメンバーの家でのピアノ環境を見ることができたわけです(私は演奏せず).

 で,ちょっとびっくりしたのは,多くの人がリビングとかにグランドピアノを置いてるんですが,みんな特に防音とかしてないんですよ.それで,どうしてるん?ときくと,夜20時までとか,そういう決まりがあるというか,何となくそういうことでやってるってことでした.

 一軒家ならそれでも行ける気もしますが,マンションとかだと大丈夫なのかなあ.私だったらちょっと厳しいかもしれませんね(音量が全然違う(笑)?).

 今は21時から22時半のどこかで弾いてる感じですから,20時までだとちょっときついです.前住んでるところは,23時から0時とかでも弾いてましたしね(それはほんとに助かった).

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[役割分担]

 これも昨日のZoom飲み会で出た話ですが,私とFさんが話してることが多かった気がしますが,彼が世の中には役割分担があって,キャベツを作る人もいればニンジンを作る人もいるとか言ってたんですが,どういう話題かというと,私のことというか,私個人的には,このサイトでずっと書いてますが,やりたいことをやってきたというか,要は研究してきたわけです.

 もちろん,大学の中,あるいは学外でも,役割分担的にやらないといけないことはやってきたと思いますが,出身研究室というかRCの世界というか,そういうところを飛び出したというか離れて,新しい分野を開拓したというか,そういうこともあって,研究以外の業界とか学界関係の仕事をそんなにやらずに済んで自分の研究をすることができたというのは否めなくて,後ろめたいとまでは言いませんが,そういう気持ちはあるわけで,そういうことに対して,Fさんがそういうことを言ってくれた,つまりは,研究以外のとりまとめをする仕事をする人もいれば,研究する人もいるという役割分担があるってことなんですが,やっぱり,ちょっと申し訳ないというか,ありがとうございましたということですかね.

 問題は,そういうとりまとめ的な仕事をしている人が,ほんとは研究がしたいのにそういうことをしているのか,研究よりそういう仕事をしてる方が楽しいのかってことで,後者であれば,まさに役割分担というか適材適所ということで,それでいいと思うんですよね.で,Fさんも言ってましたし,私もそんな感じがしますが,そういう仕事をしてる人は,そういうのがまんざらでもない感じがするのは確かにそうで(大学の中で偉くなって行って○長とかになる人もそう),ですから,まあこれでいいのかな.

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 あと,私が大学を移ったことを青山先生,小谷先生,工藤先生,壁谷澤先生に手書きの葉書を出した(纐纈先生にも出そうと思ったが自宅の住所を知らなかった.大学は今年の3月で定年と思い込んでた)以外には基本的に知らせていない,仕事とかのメールのやりとりで知らせる必要があるときだけ知らせていると言ったら,結構驚いていました(でも,このサイトで全世界に公表してるんですけどね(笑)).

 もうすぐ年賀状を出すので(あーめんどくさい),年賀状のやりとりがある人にはそこで知らせますし,メールは転送されて来るので,音信不通になることはないってこともあるんですが,私の中では,そんなに大々的に知らせるようなことじゃないというと語弊があるかもしれませんが,やっぱり,これまでのようにやって行きたいというか,余計な変なことが起こらないで欲しいということがあるんですね.

 でも,相手の立場に立てば,本人からではなく人づてで知れば「自分にはお知らせがなかった」と思うでしょうから,あんまりいい気はしないかもしれません.メールの一斉送信ということも考えられたのですが,住所同様,メールアドレスを知ってる人と知らない人がいるわけで,どのみち全員に知らせることはできないし,年末も近いので年賀状でと思ったこともあります.

 でも,一番の理由は,やっぱり,そんなに知られたくないというと語弊がありますが,そういうことですかね.

 こういうのは「自分の感覚」に従うのが結構大事で,もしこれで何か不都合なことがあっても,それが悪い方向に行くとは限らなくて,それとは逆に「余計なことに巻き込まれる」可能性もあるわけで,今までもそういう「感覚」に従ってやってきたので今回も然りということでしょうか.

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(日記)

 何とか今年の記事を読み終わりました.と言っても,ここ数ヶ月の記事は,読まなくても憶えているので大分読み飛ばしましたが...でも,何かちょっと疲れました.思ったほど,そうそうそうだったというようなことはなかった感じですが,もう読み返さなくても頭の中に入ってるということかもしれません.

 詳しくは,ではなく,ざっくりまとめて「今年を振り返って」という記事に書きたいと思いますが,既に書いたように読み返すことを考えて「新作」,つまりは,何か新しい気づきがある記事か,既に書いたことを最近起こったことに照らし合わせて日記的に書いた記事かわかるようにしておいた方がいいかもしれません.

 あるいは,全く逆の考えとして,定期的に読み返しを行う,つまりは,このサイトの記事を書くのに1日平均1時間くらいかけるのなら,平均30分をそういう時間に当てれば,「やること」がまた一つ見つかったと考えることもできるのですが,うーん,今は他にやることがあるって感じかなあ.

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12/21'20
[ユーチューバーになる]

 昨日のZoom飲み会のときにFさんから定年で大学をやめた後の一つの具体的なオプションの提案(というか,私が○○ってどうなの?ときいた)がありました.

 まあそれはそれで一つのオプションということでいいのですが,実は,Zoom飲み会の前にまた違ったオプションを思いつきました.それはユーチューバーになることです.

 ええ?って感じですよね(つかみはOK(笑)).

 もちろん,いわゆるユーチューバーになるわけじゃなくて,いや,やっぱり,ユーチューバーになるってことになるのかな?

 既に何度か書きましたが,自分で研究してその成果をウェブサイトで公表していくとか,研究じゃなくても,例えば,震源,伝搬経路,表層地盤,構造物被害を全て加味した建物の地震危険度評価をする(超具体的には,誰かがあるマンションを買おうとしたときそのマンションの危険度(安全度)を定量的に評価してあげる)とかいうことは考えられるのですが,こういうご時世で,発信媒体として,文章とか図表の「ウェブサイト」ではなく,それが動画になれば,まさにユーチューバーってことですよね.

 もちろん,いわゆるユーチューバーのように私が顔出しして出演するわけはなくて,例えば,パワポを使ったわかりやすい動画を作ってアップして行くってことです.ヒントとしては,オンライン講義がうまく行ったということもありますし,経験的には,一般の人向けの講演はかなりの数やって来ましたから,ネタもたくさんありますし,わかりやすく面白いものも作れると思います.

 で,ユーチューブってことは,閲覧数に応じて(僅かばかりの)収入もあるってことになると,一種の職業ってことにもなるわけで,まさにユーチューバー?ってことになるんでしょうか?(この動画を見て計算すると自分が買おうとしてるマンションの安全性が簡単にわかるのなら見る人は結構いる?)

 でも,もちろん,ユーチューバーになるということじゃなくて,要は,発信媒体として,動画もありってことで,そういう意味では,地震防災的なことだけじゃなくて,学部とか大学院の講義とか,このサイトで書いてる的なこととか,コンテンツはいくらでもあるわけで,もちろん,それで稼ごうってことじゃなくて,あくまで発信媒体としてということです.

 そういう意味では,動画じゃなくて,他の媒体がいいのかもしれませんし,10年後はそういう何か新しい媒体が出現してるかもしれないわけですからね.

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[琵琶湖沿岸]

 将来住むところですが,海の近くってやっぱりいいですよね.人間は元々海の生物だったらしく本能的に海に惹かれるらしいです.

 でも,津波のことを考えると,海のすぐ近くに住むわけには行かないですね.波の音や潮風も一時はいいでしょうが,恒常的にはちょっとしんどいかもしれません.

 それで思ったのは,琵琶湖沿岸なんかどうですかね? 行ったことある人はわかると思いますが,「ほとんど海」ですからね(笑).しかも湖なので津波はありませんし,波も潮風もありません.

 北の方なら,スキー場も近いし(琵琶湖バレーのすぐ下ならロープウェイで上がるだけ),米原なら新幹線の駅も近いです.

 まあ,ちょっとした思いつき程度のことかもしれませんが,一つの考え方というか,そういう意味では,琵琶湖でなくても,でっけー湖ならありってことですかね.でも,新幹線という条件が加わると,そんなにない気がします.

 田沢湖はぱっと思い浮かぶけど,やっぱり,ちょっと遠いし寒いかなあ.浜名湖は海に近いしな.猪苗代湖もでかいけど,郡山からはちょっとあるか.あーでも,どこかで書きましたが,磐梯山が見える猪苗代湖畔というか,あの辺って何か広々してて好きなところの一つです.

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 そうそう,2022年に北陸新幹線が延伸して敦賀まで来て,いずれは京都を通って大阪まで繋がるらしいんですが,そうすると,東京から新幹線でスキーに行けるように,大阪や京都からもそうなるってことですかね?

 でも,敦賀から先(こっち)は,まだまだ先でしょうし(いっそのこと,琵琶湖の西岸ではなく東岸で米原に繋げば手っ取り早いと思うのですが,新幹線の「相互乗り入れ」は難しいのかな?),越後湯沢のように沿線にあるスキー場はないのかなあ.あーでも,長野に(逆方向から)繋がりますし,妙高はもっと近いわけです.でもそれだったら福井のどこかで降りて山の方に行った方が早い?

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12/22'20

 とか書いてたら,19時のニュースで,北陸新幹線が延伸工事が遅れて2024年になるとのことで,しかも,報告を怠ったということで,なんちゃら機構の社長?がクビになったとのことでした.

 どんどんグダグダな世の中になっていきますね.

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 一方で,東京五輪パラの運営費が1年延期されたこともあり1兆6千億を越えるとのことです.でも,今年1年で100兆借金したことを考えると大したことないように見えるのは...もちろん,錯覚というか,借金の額がいかにとんでもないかってことでしょう.

 いずれにしても(政府の)そういう感覚が麻痺しかかってるってことで,それはほんとにやばいことだと思いますし,それは国民も然りでしょう.

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[私が特殊]

 役割分担ですが,やっぱり,私が特殊なのかもしれません.

 経緯的なものをざっと書くと,博士を出て東大地震研に就職してしばらくは,来る仕事を引き受けて,しっかり結果も出していたと思います.というか,既に書きましたが,研究室OBの大先輩方から来る仕事を断るなんて滅相もありません.

 でも,向こうから見ると私は一人でも私から見るとそういう人はたくさんいるわけで,つまり,私にそういう仕事がどのくらい集まっているかは私しかわからないわけです(同じようなことは,例えば,研究室の学生達にも言えて,〆切間際に論文の原稿を送ってきても,向こうから見て私は一人だけど,私から見ると10人くらいいるわけで,〆切間際に一辺に10人分の原稿なんか見られません).

 そんな感じでどんどんしんどくなって行ったと思います.そして,何が最初かは憶えてませんが,これ以上は無理となったときに何かの仕事を断ったんだと思います.でも,それが何かだったかはよく憶えてないというか,正直,断った記憶もないのですが,何となく私がそういう仕事を断って,そういう雰囲気になったというか,私は仕事を断る(ことがある)という情報?みたいなことが何となく広がった感じはしました.

 普通だと,それはまさに危機的状況で,というのは,世の多くの研究者,特に30代とかの若い研究者は,自分で研究テーマを考えられる人なんかほとんどいない(いても多くの場合とんちんかんな)わけで,それこそ偉い先生とか国とかのプロジェクトとか学会とか業界とかのレベルでテーマが決まり,それが降りてきて,研究テーマをもらうということで研究を進める人が大半だからです.

 もちろん,中には自分で研究テーマを考えてやる人もいるんですが,その多くは,そういう世の趨勢からはずれたもので,独りよがりの研究をやってるという評価しかされないわけです.

 30代後半の頃の私は,実際にどうかはともかく,そう見なされていたのかもしれませんし,そういう研究者の多くがぱっとしないまま研究者人生を終えるということなわけです.

 でも,私としては,それでもいいというか,回りにどう評価されても,自分がやりたいこと,自分がやる価値があると思うことをやればいいという感じで,今にして思えば,仕事が来なくなったことが逆に幸いだったのですが,やってることは当初は全く認められず,まさに研究者として(社会的には)このまま終わるという感じでしたが,1999年台湾集集地震や1-2秒応答を境に回りの評価が一変したわけで,でも,こうして書いてみると,私は別段何かやることを変えたわけでもなく,ただやりたいことというか,自分が興味があるというか,やる価値があると思うことをやってただけなんですね.

 そうすると,いろいろ仕事の話は来るわけで,そう言えばなんですが,40代の頃は,かなりそういう仕事があったと思います.具体的には,週の半分以上は東京って感じでしたからね.

 つまり,役割分担的に自分の研究以外に,学内はもちろん,学外の仕事もちゃんとしてたわけですが,自分の研究テーマがあったら,そんなことしてるよりも自分の研究がしたいわけで,でも,そういう「自分の研究」が独りよがりでなくちゃんと認めてもらえるところまで行くことは非常に稀なわけで,やっぱり,私が特殊だったと思います.

 じゃあ,私が非常に優れていたかと言うとそんなことはなくて,自分がやりたいと思ってやっていたことがたまたまはまった(例えば,1999年台湾集集地震が起こったり,強震観測網が整備されたり,震度が被害と対応しなかったり,大地震が連発したり)だけだと思うのですが,評価されないからやることを変えるとか,評価されるために上から降って来たことをやるとか,そういうことは全く考えなかったし,やりたいことやったらいいというのはそういうことですが,そうすると,大概は認められないというか,(回りから見て)ぱっとしない人生になるとは思いますが,やりたいことやれたのならそれでいいじゃんとも思うんですよね.

 でも,こんなこと書くと,そういう人が増えたら困るというか,もっと大所高所的観点から見てやるべきことがあって,そういうことをしっかりやって欲しいという偉い先生は多いでしょうね.そして,それは正しいと思います.つまり,「独りよがり」のやりたい研究やるのなら結果を出せってことで,でもそれは並大抵のことじゃないし,ほとんどの人にとっては不可能なので,だったら(こんな私が言うのも何ですが(笑))素直に言うことをきいといた方がいいよということです.

 言い方を変えると,私はたまたまうまく行ったけど,そんなラッキーはそうそうないし,実際,ほんとに危ない橋を何本も渡ったというか,これで終わったと思ったことも何度もあったし,もっと無難にやって行った方がいいよってことですが,そんなこと言われても(私みたいに)無謀なことをする奴はいると思うし,そういう奴が出て来て欲しいとも思うのですが,やっぱり,やめといた方がいいよって感じですかね(笑).

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(日記)

 相変わらずあまり調子はよくなくて,荷物の収納とか全然進んでないのですが,仕事とかやらないといけないことはあるわけで,それはもちろんちゃんとやってますし,荷物もほとんどダンボールのままでもほとんど問題ないってことなんですが,さすがにずっとこのままってわけには行きませんよね.

 もちろん,波というか変動の範囲内なのでそのうち回復すると思うのですが,こんな感じだと定年で大学をやめて(研究とか学生の研究指導とかも含めた)仕事を失う分を埋めないといけないと考えなくてもいいというか,それこそその分自堕落に,でも全然行けそうな気もしてきます.

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[今年を振り返って]

 例年に従って,今年を振り返ってという記事を書いておこうと思います.

 今の印象としては,特に何もなかったという感じだとしても,記事を読み返すとそうでもないってことなんですが,全体としては,世の中があまりにひどくグダグダで,そういう世の中と距離をとってやって行くということで,世の中的には,新型コロナの流行があって,でも,私個人的には,何も変わらないかむしろ快適に過ごせたわけで,それは一つの成果というか,内的熟達的生活ができているということを確認できたことになりました.

 もちろん,ずっと一人がいいってことじゃなくて,理想は「一人,時々,みんな」なんですが(Zoom飲み会,結構やったなあ(笑)),「一人でも大丈夫」になっておけば無敵なわけで,でも,それにはまだまだ修行?が必要なのですが,つらつら読んでて,例えば,自分が寂しい思いをすれば,その分,誰かが寂しい思いをしないで済む(具体的には例えば,バートナーに先立たれて,辛い思いをしたら,相手にそういう思いをさせなくてよかったと思えばいい)と考えると,ものすごく気が楽になるというような考え方をして行くことかなとは思いました(あとは寂しいとめんどくさいとか).

 それは,定年後問題と同時にまさに生き方問題であるわけで,そういう記事も多かったのですが,同じことの繰り返しというわけではないのですが,何となく収束してきたというか,大分何かに近づいて来た感じはしますね(でも,読み返すことを考えると,新作というか,読み返すべき記事には何かマークを付けた方がいいかも).

 でもまあいろいろ考えはするんですが,結局は,その気になるかならないかなわけで,もう既におまけの人生だし,その時々でその気になることをやって行けばいいというか,そういう自分を信じるというかあきらめるというか,何ともお気楽な話で,でも,そういうところから何か新しいものが生まれる感じもするし,生まれないなら生まれないでOKというか,そんな感じですかね.

 あとは「片付け」というか「いつでも引っ越せる状態」ですかね.大学を移籍することは実際に移籍するまでこのサイトには書けないので,このサイトにはそういうことは書いてありませんが,当然のことながら,つくばから京都に行くことをきっかけとして,荷物の整理がかなり進みました(「これ,京都までもっていく?」というのは非常に明確な判断基準で,そうすると多くの荷物はもって行かないとなった).

 そんなことより大学を移ったことが大きかったんじゃない?と言う人が多いと思うのですが,私の中では,そんなに大きな変化ではないというか,むしろ,何も変化がないというか,でも,それでいいというか,これからもこれまでのようにやって行く(でも,強震動や木造の研究者がすぐ近くにいるというようなメリットは最大限に活かす)というか,そういうことでいいんだと思います.

 個別に書いていくと,まずは仕事というか研究ですが,M2が面白い結果を出して,査読論文を書いてもらおうと思ったのですがだめでした.以前もそういうことがあって,でも今年は行けるかと思ったんですが,結局,同じでしたね.

 でも,目的は成果を公表することなので,別に査読論文に拘りはなくて,ウェブ公開でもいいと思っていて,それに向けて研究室のサイトを整理して,ぼちぼち始めました.そして,これは定年で大学をやめた後の準備(現役のうちに成果を出してサイトをしっかり認識してもらうこと)にもなるわけです.

 ピアノは,割と淡々と練習できて,しかも,ずっと「ただ弾くだけ」しかできなかったのが少しは「練習」できるようにもなって,少し前進というか,何かに近づいた感じはします.でも,年末のピアノプロジェは,中止というか延期になり,でも,それもそんなに関係ないというか,人前で弾くために弾いてるわけじゃないというか,これも内的熟達的にできるようになってきてるということでしょうか.

 バドミントンは,相変わらずだめだめなんですが,4月から新型コロナで練習できなくなり,そのまま京都に来てしまったので7ヶ月も練習しなかったことになるのですが,その間,怪我というか体の不具合がちょっとよくなった感じもして,こっちで近くで練習できるところを見つけて行き始めました.でも,やっぱり,あんまりぱっとしないのですが,しっかりトレーニングというか,最低限やるべきことをやればという感じはしているので,そうなればとは思いますが,これもまだ「その気」にならない感じですかね(それはそれでしょうがない).

 スキーはあまり行けませんでしたし,スキーでは今までそんなに感じなかったフィジカルの衰え的なことも感じたりしたのですが,こっちに来て,意外と行きやすい(車で1時間とか1時間半)ので,どんな感じのスキー場なのか,滑り応えがどのくらいあるのかとか,とりあえず,様子見には行くと思います.

 運保については,新型コロナで暴落,急回復という荒れた相場だったんですが,まず,日運,短運については,暴落を空売りでしっかりいただき,急回復局面でも結構とれたと思います.でも,それ以降は,持ち合い状態になってよくなくて,年を通してはマイナスになりました.

 でも,それを補ったのが資保で,それと合計すると(現時点では)プラスになりました(特に底値で買ったNasdaq100が暴騰したし,商品先物もかなり益が出ている).でも,VIXは相場観は間違ってなかったのですが,変動が大きくて玉を維持できずに(というか?MOのロスカットの設定がひどすぎて)ロスカットになってしまい,そこでかなりの損失が出たのですが,その後,それを全て埋めるだけとれてこれもプラスになりました.

 でも,全体として言えるのは,これだけ大荒れだったのにあまりとれなかった,いや,VIXがロスカットにならないように,しっかり管理できていたら,そこそことれたわけで,これは今後の教訓ということですかね.

 あとは何かな? 生活の質の向上的には,やはり,片付けでしょうが,それは既に上で書きました.引っ越しをして,職場と住む場所が変わったんですが,内的熟達的に生活しているので,ほとんど影響はなくて,でも職場が歩いて数分というところに住めたので,これはよかったというか,ほぼほぼ半径100mの中で生活できてるのですが,荷物のセットアップがまだ全然なので,まずはそこからですし(でも特に不自由はないし,その気にならないとやらない),6年4ヶ月後?の引っ越しに向けて,片付けというか,いつでも引っ越せる状態に向けてぼちぼちですかね.

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12/23'20
[一仕事終わった]

 後から読み返せば,この1年のことがだいたいわかるように「今年を振り返って」という記事を書くために今年の記事を読み返して,記事を書いて,なんか一仕事終わった気分です(でもなんか疲れた).

 でも,これって仕事でもなんでもないわけで,でも,一「仕事」終わった気分なら仕事なわけで,こんな感じで仕事がなくなっても「仕事」はいろいろあるんだなとは思いました.

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[全日本総合]
(バドミントン)

 全日本総合(今日はシングル)をライブで見ました(と言っても,Zoom研究室会議をやっていたのでちらちらという感じでしたが).

 (テレビじゃなくてインターネットだけど)付けたときは,牧野の試合が終わったところでした.何ラリーか見ただけですが,実業団の選手っぽいというか,しっかり溜めたしなやかな動き(ぽい動き)になってる感じはしました.

 佐川はよくなかったですね.どうしちゃったのかな.ほんとはあんなんじゃないと思うのですが...エラーが少なくて動きにもっと余裕があるというか.でも,ほんのちょとしたところで,そういうのが微妙にずれてるだけだと思うんですけどね.

 香山は悪くなかったと思います.少なくとも3年前とは全然違うし,対等と言うか堂々と試合できていて,この3年の成長は大きいと思いました.簡単に言ってしまえば,ほんのちょっとエラーが減れば,もうそれだけでトップレベルに来るんじゃないですかね(まあそれが難しいんだが).

 漆崎は(もちろん,対戦相手がどうということはありますが)さすがですね.とにかく落ち着いているというか,プレーに集中できてるというか,やっぱりさすがですね.

 とまあ勝手なことを書いていますが,全日本総合ですから出るだけですごいことで,でも,そこで満足してる人は誰もいないわけで,「勝っていく」というのは,ほんとに大変なことだと思うのですが,そういうことだけだとなかなかしんどいというか,「バドミントンをプレーする」という本来的なことを忘れないことが大事だと思うんですよね(でもこれも難しいんだが).

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[2980円]
(世の中)

 ドコモに続いてソフトバンクも20GBで2980円ってことで(それだったら,bmobileから乗り換えようかと思うほどですが,おそらく格安スマホも値下げをするんでしょう),料金が安くなるのは結構な話という雰囲気ですが,大丈夫ですかね?

 そもそも,一月20GBってどんな使い方してんねんってことで,ドコモの場合は,20GBの契約をしていても数GBしか使ってない人がほとんどで(なにやってんねん),じゃあ,20GB近く使う奴って,動画見まくったりしてるわけですよね.

 つまり,値下げをいいことにばんばんそういう使い方をすると,通信速度が遅くなるとかして,安かろう悪かろうってことになりやしませんかね?

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12/24'20
(日記)

 先日は桂キャンパスに行ったのですが,今日は,とある用事で吉田(本部)キャンパスに行きました.先日,桂に行ったときもそうでしたが,吉田(本部)⇔桂⇔宇治の間で(無料の)シャトルバスが走っているので,行きはそれで行きました.桂までは(高速を使って)30分くらいですが,吉田までは50分くらいということですが,ずっと混んでて1時間以上かかりました.

 で,吉田でバスが着く場所は,いわゆる時計台?(これ↓)があるところで

 

初めて見ました(笑).京大というか吉田キャンパスには何度も行ったことがありますが,学生時代は体育館がある百万遍の方ですし,学会とかがあったのもちょっと離れたところだったと思います.

 でもこれ(時計台?)って京大のシンボル?なんですかね?(よく知らない) じゃあ,東大の安田講堂はどうなん? まあどうでもいっか.

 ちなみに東大の安田講堂は,(多分)シンボル的なものだったと思いますが,東大紛争以来ずっと「はりぼて」状態で(あーでも,裏のところに生協のトラベルセンターみたいのがあって時々行ってた),でも,確か私が博士を修了するときにようやく内部の講堂が使えるようになって,そこで何かの式(修了式?)が何十年ぶりくらいに行われて,内部見たさに出席したと思います.

 で,帰りもシャトルバスでと思っていたのですが,中途半端な時間で(1時間に1本しかない),そっか,みよしに行くかと思って,(電車とかバスとかでも20分以上かかるので)30分以上歩いて行ってきました.久しぶりだな.いつ以来かな.

 店はすぐわかったんですが,何となくイメージ的にちょっと小さくなって小綺麗になった感じがしました(多分錯覚).早速,かためで頼んで,スープを一口,うまっ.本物です.辛めのメンマも美味くて昔のまんまですね.でも...

 麺,こんな細かったっけ? あと,二口目以降,スープが熱すぎてちょっと味がわからないというか,こんなんだっけ?という感じでした.替え玉をすると,スープも冷えて味がわかるようになったんですが,うーん,ちょっと味が変わったというか,少し甘く(辛さが薄くなったという意味ではなく,まさしく甘く)なった気がしました.

 でも,うまいです.でも,以前は優位に由○より上(というか現存する店の中では,私が知る限り福岡にある店をおさえて一番)でしたが,今日の感じだと,上は上だけどいい勝負というか,やっぱ,ちょっと味が落ちたとは言わないけど,本場度がちょっと落ちたのかなあ.

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[どんどん乖離]
(世の中)

 新型コロナですが,メディアと政府と医療関係者と国民の意識がどんどん乖離して行ってる感じがします.メディアは感染が拡大してやばいを連呼してるみたいですが,国民は気が緩んでいるというよりは,そんな脅しにはもう動じないというか,実情がわかってきたってことでしょうか.今日,京都の街中に行きましたが,みんな普通に出歩いてるし,でも,ラーメン屋のカウンター席でラーメン食べるのは何の問題もないし,人と人が近づく場面ではみんなちゃんとマスクしてるし,別にこれでいいんじゃないですか?

 ただ,接触感染もそうですし,マスクをせずに対面で話をすれば感染するわけで,時短営業とか緊急事態宣言とかそういうことじゃなくて,店とか電車の中でマスクをしないで騒いだりするのをやめればいいだけの話だし,それなら感染を抑えることと経済を回すことをある程度両立できると思うんですよね.

 でも,マスクをせずに対面で話をしたり騒いだりすることがやめられないのなら,ロックダウン(緊急事態宣言)するしかありません.

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[漫才?]
(芸能)

 M-1から何日か経ったんですが,優勝したマヂカルラブリーってどうなんですかね? 確かに野田のあの動きは笑っちゃいますが,あれって漫才なんですかね?

 そういう意味では,おいでやすこがの方が漫才ぽい感じもしますが,あれも要は,小田のつっこみ(絶叫)が笑っちゃうってことですよね.

 あと,インディアンズが敗者復活からトップバッターだったのが話題になってますが,決勝でのネタが敗者復活のときと同じですよね.いつもそうでしたっけ?

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12/25'20
(日記)

 別にこれでいいんじゃんと思うのですが,私個人的には,用もないのにわざわざ出かけようとは思いませんし,年末年始もこういう状況で母親のところに行こうとは思いません.

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 A倍さんがSくら問題について,国会での虚偽答弁を修正し謝罪したそうです.不起訴になるみたいで,メディアはさらっと報道してる感じですが,それで済む話なの? というか,首相を突然のように辞めたのもこういうことがあったってことですかね(ひどい話ですね).

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[翻弄?]

 今年を振り返ってという感じの番組がちらほらあるんですが,新型コロナに翻弄された1年だったという感じです.でも,新型コロナに翻弄された人って全体の何%くらいいるんですかね?

 そんなに多くはないと思いますし,(一部の医療関係者を除いて)ほんとに翻弄されたのなら,新型コロナという外部要因より,どういう生き方をしているかという内部要因を見直した方がいいというか,そういうことを考える機会と考えるべきだし,そうでなければ,また次に何かが起こったときに同じ目に会うことになると思います.

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[次は何が起こる?]

 じゃあ,次は何が起こるの?と言う人もいるかもしれません.

 リーマンショックのときは,100年に一度の出来事と言われましたが,10年くらいして新型コロナショックです.そして,リーマンショックのとき,次は,新型コロナショックが起こると思った人はいないわけで,つまり,次に何が起こるかは,誰にもわからない,何が起こるかわからないってことですし,また10年,あるいは,10年もしないうちにそういうことが起こると考えるべきでしょう.

 でも,形は違っても,経済危機というのは大いに考えられるでしょうね.

 じゃあ,どうしたらいいかですが,何度も書いているように,目先の経済を回すことをやめることですし,そういう仕事をしているのなら,そうでないほんとに世の中にとって必要な仕事をすべきということでしょう.

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[やりたいことないんですか?]

 理系の優秀な人の受け皿がない,そういう人材が医学部に流れているということでしたが,今回のこともありますし,デジタル化が進むということで,そういうこと関連ということで工学系に人気が戻りつつあるとのことです.

 全くもって節操のない話ですね.そんなことじゃなくて,やりたいことないんですか? ないんでしょうね.

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12/26'20
[全日本フィギャー]
(スポーツ)

 年末恒例?になってる全日本フィギャーですが,そう言えばというか,一頃に比べると期待感が薄れてきた感じで,具体的に言えば,若手の成長株というか,そういう選手がいなくなったというか,もっと具体的に言うと,本田さんがあんな感じで,ノービスとかジュニア時代に本田さんと競ってた選手も然りでという感じでしょうか.

 で,気づいたらショートやってて,昨日は一応,録画して練習に出かけたんですが,そのときは永井さんが出てて現役最後とか言ってるし,順位を見ると,この時点で本郷さんとか横井さんが下位に沈んでいて,いやー厳しいですね.

 でも,これはある意味当然というか,浅田さんがいなくなって,でも多くの若手選手は彼女を見て競技をしていたわけで,でも,次の世代が今一ということはないんですが,やっぱり,浅田さんがすごすぎたんでしょうね.

 じゃあ,今のトップはどうかと言うと,紀平さん,坂本さん,宮原さん,樋口さんあたりなんでしょうが,紀平さんは,一時期,世界のトップに来ましたが,ロシアの若手が出てきて,あっという間に霞んだというか,今のままでは非常に厳しいわけですからね.

 あと,びっくりしたのは,三原さんが体調不良から復帰ということで.久しぶりに出てきたんですが,ものすごく痩せてていわゆる少女体型に戻ったというかガリガリで,一体何があったんでしょうか(その次に出てきた元々そういう体型の宮原さんが太って見えたくらい).でも(冗談にならないとは思いますが)その分,慣性モーメントがめちゃめちゃ小さくなって,ジャンプは楽々跳んでた感じではありました.

 という感じで,見てる方としては,もうあんまりという感じなのですが,競技する方はそんなの関係ないというか,別に自国にスター選手が不在でも,自分の競技力向上というか,自己実現的内的熟達的にやって行けばいいと思いますし,そういうことができる人の中からすごい選手が出てくるのかもしれません(でもそういうことができる人はほとんどいないので普通に考えればやっぱり期待薄かなあ).

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[やりたいことがない]

 やりたいことやったらいいと再三書いてますが,多くの人はやりたいことが特にないんでしょうね.もちろん,それなりにやりたいことはあるのかもしれませんが,めんどくさいとか,他にやらないといけないことがあるとか,そんな感じでしょうか(でも,そうすると,リタイアしてやらないといけないことが突然なくなっておろおろする).

 でも,私もめんどくさがりですし,やらないといけないこともあるので,それはよくわかります.そして,やらないといけないこともあるということと関係するのかもしれませんが,「自分が」やりたいかどうかって,あまり関係ないというか気にしてない人も多いのかもしれません.

 具体的に言えば,家族がいるから,子供がまだ成人してないから働かないといけない,職場でもちゃんと仕事しないといけないし,業界とか学界とかでもある程度の役割は果たさないといけない,いろいろめんどくさいけど,家族が喜んでくれるのなら,あるいは,社会や組織の中で役割を果たすために(そんなに)やりたいことができなくてもそっちを優先するみたいな感じでしょうか.そして,前者を満たすには後者を満たす必要があるわけで,そうすると,「自分が」やりたいかどうかが二の次になってくるのもよくわかります.

 でも,私個人的には,前者については,そういう人は(幸か不幸か)いないので,その手が使えないというか,寂しい気もするけど気楽なところもあるわけで,まあこれも一長一短ってことですかね(ある意味,どっちもOK).

 でも,そういう点では仕事をやめるというか,大学を定年でやめる前からそういう状態とも言えるので,ある程度,ハードランディングは免れるということはあるかもしれません.

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[何歳の時に出会ったか]

 人間,歳をとって行くのは仕方ないと思うのですが,外見というかそういうもので最初から扱いが違うのは,やはり違和感があります.でも,仕方ない面もあるわけで,というのは,例えば,自分がある人に初めて会ったというか知り合ったときは,それがデフォルトになるわけですからね.つまりは,何歳の時に出会ったかが重要ということになるのでしょうか.

 具体的に言えば,私がどこか全く知らないところに練習に行けば,年寄りが来たと思うわけですよね.もちろん,プレーをすれば,普通の年寄りとは全然違うとは思うのですが,そうだとしても「年寄りの割には」ということなのでしょう.

 でも,若いときから練習してるところなら,若い頃を知ってるわけで,そうはならないというか,具体的に言えば,1年に1%ずつ歳をとってもキャリブレーションができてるわけで,ある日突然,年寄り扱いとはならない気がします.

 これは,若いときから知っていてずっとつき合ってきた人はそんない歳をとって見えないけど,歳をとって初めて会った人や若いときから知っていても何十年も会ってなければ,年寄りに見えるということとも対応しています.

 じゃあどうしたらいいかですが,歳をとったら新しい,あるいは,久しぶりのつき合いはしないというのも一法かもしれません.まあでもこれは,そういうのが嫌ならの話ですし,始めから年寄り扱いが平気なのならそれはそれで何の問題もありません.

 ただ,私の場合は,そういうのは(まだ)違和感がありますし,でも,例えば,バドミントンなら,それでも練習に行きたいと思うのなら,結局は,外見ではなく中身というか競技力の問題なので,そういうことが伴ってないのなら,それはそれで仕方のないことです.

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[20GBで1980円]
(PC等)

 ドコモの2980円で20GBですが,予想通り,bmobileから20GB+70分通話無料で1980円というのが出たので乗り換えました(何回かクリックしただけ).20GBなんか使わないと思いますが,今のプランだと5GBで1790円という感じなので,だったら,乗り換えるかとなりますよね.

 でも,やっぱり,こんな感じだと使う人が増えて通信速度が遅くなるんじゃないかという気もしますが,それは乗り換えなくても変わらないので,とにかく乗り換えるというのは変わりません.

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 そっか,やりたいことが特になくて誰か,あるいは,社会や組織のために働くという場合もそういうことが「やりたい」ってことでしたね.でも,積極的にそういうことを選んでるのか,何となくそうなってるのかは違うような気がします.

 あと,私の場合,誰かのためにというのでもOKではあるんですが,そのためには「誰か」が必要なので,そういう人がいなければ,「自分が」やりたいことをやらないといけない,むりくりにでも探さないといけないということはありますかね.

 それは,(定年で)仕事をやめたり,そういう人がいなくなったりした場合も同様で,つまり,いつかはそうなるので,今のうちにしっかり練習しておくということでしょうか.

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[乖離してきた]
(バドミントン)

 全日本総合ですが,そんなに見てるわけじゃないのですが,A代表というか海外で実績を残している選手が順当に残っているというか,そういう選手とそれ以外の選手の差が開いたというか乖離すらしてきた感じがします.

 そりゃあ,厳然とした競技力の差もあるでしょうし,世界と戦っているのに国内でなんか負けられないとか,今年は試合がなくて連戦の疲れとか怪我がないってこともあるとは思いますが,はっきり言えるのは,いろんな意味で彼らにはアドヴァンテージがあるわけで,それをひっくり返すのはとてつもなく大変というか,生半可なことではとてもじゃないってことでしょう.

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(将来住むところというか住み方)

 将来住むところというか,住み方ですが,できれば賃貸(+いつでも引っ越せる状態)がいいんですが,そうも行かないとなると家を買うってことになるんでしょうが,いろいろリスクもあるし,それは避けたいということで,8tトラックを改造とかもあるんですが,トレーラーハウスというのはずっと前から考えてるというか,どこかで書いたかもしれません(ここで書いてますね).

 で,やっぱり,めんどくさいんですが,トレーラーハウスというか,移動可能なもののメリットに一つ気づいたんですが,それは,家を建てるとなると土地を買わないといけないけど,移動式なら借りればいいってことで,売りはしないけど貸すならいいよってこともあるかもしれない,つまり,住みたい場所の選択肢が増えるってことですかね(例えば,上毛高原から車で10分という条件を満たすところとか).

 うーん,でもやっぱめんどくさいというか,いつでも引っ越せる状態で賃貸が一番楽ですかね.でも,それこそ上毛高原から車で10分という条件なら,マンションとかの賃貸物件はないでしょう.

 で,また一つ気づいたんですが,私は時代劇はほとんど見ない(というかドラマ的な番組自体見ない)んですが,昔の家ってものがほとんどないですよね.お城の中もそうだし,屋敷とかもそう.時代が違うってことなんでしょうが,現代の家の中が無駄なもので溢れてるのは間違いないでしょう(ある意味,みんなごみ屋敷に住んでるとも言える).

 ですから,ものはもっと全然減らせると思いますし,そしたらトレーラーハウスも可能かもしんないし,そしたら,荷物をダンボールに詰めなくていいからいつでも引っ越せる状態じゃなくなるかと思いきや,家ごと引っ越せるのでいつでも引っ越せる状態とは言えますかね(笑).

 それは,いつでも引っ越せる状態で暮らすのが快適ということとは相反するんですが,要らないものを排除して,コンパクトな家に住むことも一種のいつでも引っ越せる状態と言えるのかもしれません.

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12/27'20
[8tトラック改造 vs トレーラーハウス]

 8tトラック改造とか,トレーラーハウスですが,どっちに分があるんでしょうね.

 8tトラック改造と言っても,別にトラック改造するわけではなくて,荷台部分にトレーラーハウスみたいなものを乗せるんでしょうから,要は,8tトラックという「動力」があるのかどうかということでしょうか.

 だとすると,動力がないトレーラーハウスの方が安上がりで済みそうですが,実際は,牽引して引っ越しすると,100万くらいかかるらしいです.一方の8tトラックですが,1000万近くはするみたいですが,トレーラーハウスの荷台部分は含まれてるし,引っ越しの回数によっては,そっちの方が安くつく場合もあるかもしれませんが,引っ越し10回分が車体代と考えると,よほどしょっちゅう引っ越しというか,住むところを変えない限りは,トレーラーハウスの方が安上がりなんでしょうし,実際,トレーラーハウスに住んでる人は少数でもいるけど,8tトラックを改造して住んでる人はきいたことないというのはそういうことなんでしょう.

 でも,どのみち荷物を減らしてコンパクトにしないといけないわけだから,それなら荷物を減らしていつでも引っ越しできる状態で賃貸というのが一番リーズナブルかつ快適ということになりそうで,ですから,条件を満たす物件が賃貸にない場合ってことですかね.

 じゃあ,それはどういうところかと言うと,(新幹線の駅から車で10分でも)山の中というかド田舎なので,だとすれば,土地を買ってもたかが知れてるでしょうから,まあ何とでもなるんでしょう.

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[どうでもいい]
(芸能)

 マヂカルラブリーのネタが漫才かってことですが,ネットとかでそういう論争が起きてるんだそうです.ということで,あまりいい気分ではないですが,まあでも,これは,多くの人が普通に思うことですよね(まあ,普通に考えれば,あれはコントかなあ).

 だから,別にどうでもいいんですが,これに対してダウンタウンの松本さんとか,主催者側に立つ方,更にお笑い芸人全般としては,そういう論争に否定的なわけで,それは,彼らにしてみれば,M-1やお笑い業界,つまり,自分達の食いぶちを守るために,下した裁定に問題がないと言うのは当然のことです(なので額面通り受け取ってはいけない).

 彼らの言い分としては,その日一番受けたコンビが(中身や構成に関わらず)優勝でいいじゃないかという主張なんですが,だったら,審査員なんか要らないわけで(視聴者投票とかで決めればいいわけで),言ってることは矛盾してるし,そもそも,そういう所詮他者評価をよりどころにするのなら,自分達の存在すら否定していることになります(でも,お笑い界は,売れてナンボなので実際にそういう世界なんですけどね).

 まあでも,マヂカルラブリーのネタが漫才かどうかとM-1で優勝かどうかは別の問題で,M-1が(従来の)漫才に拘らないということなら別にそれでいいんじゃないですかね(別にどうでもいいってこと).

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[ジャンプアップ]

 「ここまで来られた」と何度か書いてますが,それは評価されたとかそれなりの社会的地位を得たとかいうことじゃなくて,やりたいことを見つけてそれに(ある程度)打ち込んで一仕事できた(と自分で思えるところまで来た),自分がやりたい,やるべきと思うことができたということです.

 私の小さい頃というか若いときの夢は,やりたいことを見つけてそれを仕事にすることでしたから夢を叶えることができたわけですが,小さい頃,若いときからするとまさに途方もないことで,よくここまで来られたもんだと思いますし,もう1回やれと言われてもここに来られるとはとても思えません.

 ここまでの道のりは,もちろん,平坦ではなくて,紆余曲折というかやばいことも何度もありましたが,「ここまで来た」のですから,(崖から何度も落ちそうになりながらも)登ってきたということなるんでしょう.でも,一歩一歩登ってきたというより,何度かジャンプアップというか,突然景色が変わったというようなことがあったと思います.

 最初はいつなのかなあ.小学校のときは勉強はできましたが,そんなに飛び抜けてできるというほどではなかったと思います.でも,中二の時,突然,成績が上がって,市内で何番というくらいになったのは憶えていますし,そのときは,勉強がちょっと面白くなって勉強したときで一瞬のことでしたが,感覚的に階段を上った感じはしました.

 高校のときもぱっとせず,勉強が面白いと思ったのも高二の物理の力学のとき(一瞬)だけでしたかね.そして,高二の冬に父が亡くなったことをきっかけに大分長い間やる気を失って,受験なので勉強しないといけないと思ってもその気にならない感じで,成績も落ちていって浪人しました.

 浪人してもしらばくはぱっとしなかったんですが,いきなり東大理一がA判定になって,でも,それは優秀なのが現役が合格して抜けたというだけの話で,実質何も変わらなかったと思います.ただ,最終的には,どこかで腹をくくって勉強して,成績も全国の上位まで行って,東大理一に滑り込みました.

 このことについては,東大に受かったと言っても浪人してるし,ジャンプアップしたとは全く思ってなかったのですが,その気になって勉強すれば誰でも全国の上位まで行けるわけではないので,その気になればそのくらいはどうってことないんだなと最近気づきました.

 大学に入って,理論物理に失望してやりたいことを探しをして建築構造に辿り着いたことは何度も書きました.駒場時代は,確かに回りに優秀というか勉強ができる奴はいっぱいいましたが,所詮既にわかっていることを勉強するということだし,とてもこいつらには敵わないとはあまり思わなかったですかね(脳天気なだけかも).

 でも,勉強しないのは相変わらずでしたし,勉強することで勝負してはだめというか,社会に出たら勉強ができることなんか関係ないと思ってましたし,自分がどうやったら,どういう道に進んだら成功するかというか,やりたいことを仕事にできるかはずっと考えていたと思います.

 そして,研究室に入って研究というものに出会って,まさにずっと探し求めていたものに辿り着いたわけで,ここが大きなジャンプアップであったことは間違いないでしょう.

 そして,ろくに勉強しなかった奴が研究室の6年間,その気になって研究を続けて博士をとって大学の研究者の職をゲットしたわけで,まさにやりたいことを見つけてそれを仕事にするという夢を叶えたことになるので,ここでも大きなジャンプアップがあったことになりますね.

 つまり,20代の短い間に大きなジャンプアップが何回もあったわけで,その前後では,浪人して何とか東大に滑り込んだしがない学生が研究者になったわけで,その差は大きいと思うんですよね.

 その後はしばらくは順調に研究者の道を歩んでいたと思いますが,そうは問屋が卸さないというか,またまた紆余曲折ではないですが,何をしたらいいかわからなくなってやること探しが始まるわけです.

 そして,30代後半にようやくそういうものに辿り着き,そこから40代にかけて大きなジャンプアップをすることができたということになります.そして,これが一番大きかったというか,大変だった(でもめっちゃ楽しかった)というか,まさに一仕事できたということになりますかね.

 こうして振り返ってみると,ジャンプアップというか,そういうことがあったのは,中二,浪人時代,駒場時代,研究室時代,30代後半から40代とたった5回しかなかったわけで,そこでその気になったから何とかなったというか,それを活かすか活かさないかの差は大きいと思うんですよね.

 でも,実際は,少ないチャンスをものにしたというよりは,チャンスは何度もあって,でも,チャンスを目の前にしてもその気にならずにみすみす取り逃がしてることの方が圧倒的に多いわけで,やっぱり,そんなことでよくここまで来られたもんだと思いますね.

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 でも,中二,浪人時代,駒場時代,研究室時代,30代後半から40代と並べて書いてみると横並びではないというか,違和感がありますね.

 例えば,駒場時代は,何をしていたわけでもなく(バドミントン部の練習に出てるか東大ピアノの会でピアノを弾いてた),でも,理論物理に代わる何かを探していて,進振り直前に何とか建築構造に辿り着いたわけで,そういう意味では,迷走?した30代と似ています.つまり,駒場時代を入れるのなら,30代を入れないといけなくなるわけで,つまり,ジャンプアップしたのは,中二,浪人時代,研究室時代,30代後半から40代の4回だけってことで,でも,研究室時代の前の駒場時代,30代後半から40代の前の30代にジャンプアップするための重要な準備期間があったということでしょうか.

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 そういうことからすると,今(50代)ってまさに重要な準備期間なのかもしれません.つまりは,もうすぐまたジャンプアップできるということなのでしょうか?

 それが何なのかはわかりませんが(薔薇色の老後(笑)?),このサイトで再三書いているように,今まさにいろいろ「準備」しているのは確かなので,ちゃんとそういう巡り合わせになってるとは言えますかね.

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12/28'20
[やりたいことを仕事にするには]

 でも,やりたいことをやるとか評価とか関係ないとか言っても,やりたいことを仕事にするにはある程度評価されないといけないわけですよね.

 まあそこが難しいというかまさにバランスの問題なんですが,既に書いたと思いますが,まずは評価とか関係なくやりたいことを見つけるってことなんですが,仕事と重ねるには,そんなことしてどうすんの?ってことでは厳しいわけで(仕事は仕事,やりたいことはやりたいことと分けるパターン2ならそれでも行ける),何とか仕事になることから選ぶ必要がありますし,それは私もそうでした(具体的には,大学の研究者になれるものの中から選んだ).

 そして,20代の「最大瞬間風速」で何とか大学の研究者になって,それでもう,やりたい研究をして行けば食べて行けるわけです.

 いやいや,そこから研究業績を積んでキャリアアップして行かないといけないんじゃない?ってことなんでしょうが,別にキャリアアップしなくても研究はできますし,研究やりたくてやってれば,研究業績もできて,評価されれば,結果的にそうなる(かもしれない)ってだけの話です.

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[崖から落ちそうに]

 逆の見方として,崖から何度も落ちそうになったということですが,具体的に書くとどうなりますかね.でもこれは数えきれないというか,基本的にジャンプアップしたとき以外はずっとそうだったような気すらしてきます.

 まだ大牟田にいた頃は,祖母に甘やかされて育てられて,性格的にかなりやばいというか,小二のときに父親が福大に移ったことを機に福岡に引越すんですが,私と祖母を引き離すのも目的の一つというのはきいたことがあります.実際,小学校受験のときも久留米の福岡教育大付属というのに行きたくなくて,わざとてきとーに解答するような感じでしたからね.

 福岡に行ってからもずっとだめだめだったと思います.子供は勉強するのが仕事みたいな感じで少しは勉強させられてましたが,面白いと思ったことはそんなになくて,でも,勉強以外の勉強的なことというか,要は,学校でやることではなく,自分が興味をもったことは勝手にいろいろ調べるとかいうことは相当やってましたかね.

 上述のように中二のときにちょっと勉強が面白くなってジャンプアップするのですが,一瞬のことでしたし,そこから大学受験で浪人するまで,つまり,高校の間もずっとだめだめだったと思います.大学に入って,駒場時代もずっとだめだめですし,建築学科時代はちょっと勉強してた気もしますが,出てた授業は構造系だけでした.

 こんな感じで,ずっとだめだめだったのが,研究室に入って,研究というものに辿り着いて研究したんですが,もちろん,ずっと研究してたわけじゃなくて,結構遊んでたとは思うんですよね.

 博士をとって,幸い職をゲットしてしばらくはよかったんですが,すぐにまた迷走というかだめだめになって,でも30代後半にようやくまたやりたいことというか,やるべきと思えることを見つけて何とかなったということでしょうか.

 こうしてみると,ほんとにひどいというか,基本的にずっとだめだめで,崖から落ちそうになったのはいつかというと,それこそ,いつそうなってもおかしくなかったと思うのですが,具体的には,あのまま大牟田にいたらとか,小学生時代もだめだめで,中二でジャンプアップしなかったらとか,高校受験のときは森田に行けなくなって脱落したし,高校時代もだめだめで大学受験も危なかったし,大学2年の秋に建築構造に辿り着かなかったらどうなってたのかとか,30代の迷走がずっと続いたかもしれないし,南先生が亡くなって,葬儀の翌日に来た話を断ったときは,もうこれで終わったと思いましたし,その後,筑波大に移るまでも危ない場面は何度もあったと思います.

 でも,こうして書くとほんとひどいなと思うわけで,やっぱり,よくここまでやって来られたもんだと思いますが,じゃあ,その時はどう過ごしていたかというと楽しくやっていたと思いますし,ほんとに終わることはなかったわけで,やらないといけないことはやってたと思いますから,なんかよくわからないですね.

 でも,確かにラッキーはいっぱいありましたが,やることやってたってことはあるでしょうし,なるようになってるというか,まさしく「額面通り」という感じもするのですが,小さい頃,若い頃の自分のことを考えると,やっぱり,出来過ぎな感じはするんですよね.

 でも,一方では,専門や専門外のいろんな人と話したり,世の中の動きを見ていたりすると,専門でも専門外の一般的なことでも,私には他の人に見えないものが見えているのかもと思うことは確かにあって,どうしてというか,いつからそんなことになったのかわからないというか,やっぱり,何か不思議です.

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[その気になるかどうか]

 仕事は一応今日までで(と言っても,別にそんなの関係ないですが),何とか年賀状を出して,今年中にやっておかないといけないことは終了ですかね(今年中とか関係なく他にやらないといけないことはいくらでもあるが).

 と言っても,荷物の多くはまだダンボールのままですし(でもそれでほとんど不自由はない),これで新年が迎えられるとかいう感じはしません.

 年末年始はどこにも行きませんし,会議とかの予定は当然ありませんからやりますかね.と言っても,その気になるかどうかですし,曜日の並び的には,今週が休みってだけなので意外とそんなに時間はないと思いますし,一週間くらい休みたい気もするんですよね.

 やっぱり,その気になるかどうかですかね.こっちに来る前はかなり精力的に片付けてたと思うんですが,こっちに来て,普通に生活できるようにしてからは,さっぱりというか,他にやらないといけないことからやってるということはあるんですが,いつまでもダンボールのままというわけにも行きませんからね.

 でも,(どうしてもやらないといけないということでなければ)その気にならないものはやらないので,その気になってくれればって感じですかね(他人事).

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[瀬野徹三先生]
(研究)

 瀬野徹三先生(東大地震研の先生で専門はプレートテクトニクス)亡くなられたんですね.彼とは専門は全然違うんですが,ちょこちょこ話をした記憶が結構あって,そういう中で,1-2秒応答は,談話会の発表の後,話をしに来てくれて,そのやりとりの中から生まれたというところがあって,まだ未公表ですが,そのことを研究者としてのこれまで(とこれから)の(7) 地震研時代(1999年以降)に書いていました.

 私の中のイメージは,彼は一回りくらい上って感じで(亡くなったのは70),そうすると私に残された時間もそう長くないんだなと思ってしまいます.

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[自分で生み出したものなんかない]
(研究)

 1-2秒応答が瀬野先生とのやりとりの中から生まれたということで思ったんですが,他にも,1999年台湾集集地震の被害調査に行ったのは,東大地震研の纐纈先生がいっしょに行こうと誘ってくれたからですし,日本の複数の地震にまたがって1999年台湾集集地震と同様の解析をすることを提案したのは九大の神野先生ですし,超縮小模型は阪大の真田先生と話していてアイデアが生まれて,どうやって作るかは国総研の福山さんが考えたものですし,非線形建物群も(形にするのは大変でしたが)九大の神野先生と話していて彼が言い出したことでしたし,木造建物の復元力特性を再現する修正Takeda-slipモデルは,武田先生が作られたTakedaモデルを東大の塩原先生がスリップ現象を再現できるように修正したTakeda-slipモデルを更に修正したものですし,こうしてみると,私が自分で生み出したものなんかほとんどないというか,多くの人のおかげなんだとつくづく思います.

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12/29'20

 もっと言えば,強震観測点回りの被害調査は,私の研究室の専売特許になったみたいな感じですが,やり始めた頃,似たようなことをやってる人も何人かいたと思いますし(でも,地震が起こったらすぐに出かけて即日ウェブサイトに被害を受けた建物だけではなく真の様子をアップするということを毎回続けたということはありますが),実大木造建物の振動実験も京大の五十田先生,防災科研の松森さん,建研の荒木さんの協力なしにはできなかったですし,それは,強震動シミュレーションを始めるときの筑波大の八木先生や立命館大の平野先生についても同様で,そもそも,被害調査もそうですが,研究を進めてくれたのは学生達で,お前は何したん?という感じすらしてしまいます.

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[薬学]

 何となく思ったんですが,薬学って面白いかもしれませんね.

 要は,新薬をどうやって開発するかってことなんですが,治したい疾病があって,そのメカニズムと化学物質の作用の組み合わせで,現代薬学では,もちろん,実験もありますが,コンピュータを使った大規模計算も必要でしょうし,メカニズムがあれば因果関係もあるわけで,そういうことを考えることで天文学的な組み合わせをどう絞り込むかということもありますし,まさに壮大なパズルなんだと思いますし,単なるパズルではなく,それを解くことで今まで治らなかった疾病を克服することにもつながるわけです(私は興味ないけど新薬が当たれば金も儲かる).

 じゃあ,これから薬学を志そうとは,さすがにならない(笑)のですが,思い出したというか,今は2019年の記事を読み返しているのですが(今は寝るとき読んでる.ブルーライトなんちゃらでやらない方がいいと言われているが,すぐ眠くなる(笑)のであんまり関係ないけど全然進まない),理二の記事に来て,そっか,理二から薬学に行けるんだっけ(実際,東大バドミントン部同期の畑が理二から薬学に行った)と思った次第です.

 何が言いたいかと言うと,もちろん,人生一本道,つまりは,全ては137億年前に決まってるんですが,何かの拍子で当初の予定と違うというか,思い通りにならないことがあっても,そういう状況の中で道を見出せばいいというか,道はあるというか,結果そっちの方がラッキーということもあるわけで(私はそれを繰り返してる気がする),例えば,大学受験や進振りで失敗して志望する大学や学科に行けなかったとしても,それはそれで楽しめた,何とかなった気もするんですね.

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 「じゃあ,これから薬学を志そうとは,さすがにならない(笑)」と書いたのですが,ものすごい違和感を感じるわけで,やりたきゃやればいいと思うんですよね.

 でも,今から0から始めて,最先端,具体的には,新薬を開発するというところまで来るのは途方もないことですし,それは,これからバドミントン,いや,専門外のサッカーとかで世界のトップレベルを目指すようなもので,そんなことするくらいなら,既にそういうレベルに来ている地震防災を更に究めるのが現実的なのでしょう.

 でも,動かしがたい事実としては,やはり,もう人生が終わりかかってるというか,実質的には既に終わってるわけで,まあしょうがないんですが,上で書いたように,そういう状況の中で道を見出せばいいということになりますね.

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[歳衰えて行くのではなく変化]

 人生が終わって行くというか,残り時間がなくなって行くということもありますが,もう一つの問題としては,体や心や脳が衰えて行くことでしょう.

 これから薬学を学び始めて新薬の開発というところまで到達するのが極めて困難なのは,残り時間の問題というよりは,そういうレベルに来る前に膨大な勉強が必要で,それは,大所高所からの高度な判断というよりは,記憶力とかいう単なる勉強に近くて,でも,それは,長時間勉強できるかという心の体力も含めて,スポーツにおける体力とかフィジカルと同様(どんなにすごい技術をもっていても走れなければサッカーはできない),若い時より明らかに衰えてると思うんですよね.実際,これから勉強して,東大に受かるかと言われると,と思ったんですが,東大に受かるくらいなら行ける気がしますが,最先端の薬学までは厳しいかなあ(でも,その気になりさえすれば行けそうな気もしてきた.でもその気になるかがやっぱり問題).

 でも,これはそんなに悲観する必要はなくて,それは,体や心や脳が衰える一方で,若い時にはないものを獲得しているからです.それは,まさに大所高所からの高度な判断というようなことですし,いろんな若い人達と話をしていても,これで負ける気は全くしませんし,こいつらこれから大丈夫かとほんとに心配になるくらいです.

 でも,薬学でもなんでもそうですが,勉強によって得られるバックボーンなしに大所高所からの高度な判断はできないので,そういう能力が発揮できるのは,私の場合,バックボーンがある地震防災に限られるわけですし,せいぜい最大公約数的な世の中とか経済とか生き方的なことということになります.

 逆に言えば,年老いてそういうものがないと,まさに「老兵ただ消え去るのみ」ということになるわけで,それはそれで一つの生き方ですが,体や心や脳が衰えと引き換えに何かを獲得することができれば,年老いることも衰えではなく単なる変化ということになります.

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[時給的な考え方]

 やりたくないというか,やるのがしんどいときは,つくばから秋葉まで自転車で行ったときのようにどんなにちんたらでもとりあえず漕いでいたらいつか辿り着くということがありました.でもこれって「時給」に近い概念ですよね.

 私は,時給という考え方に否定的で,それは,どれだけの長さの時間働いたかではなく,どれだけ仕事をしたかが重要という当たり前のことで,短い時間で効率よく仕事をすべき,やりたくない仕事なら,短時間でちゃちゃっと片付けるってことです.

 でも,いつも気力で溢れてるとかならともかく,年老いて体力も気力も衰えて疲れてやりたくないと思ったときは,そういう風に順回転しないことも多いわけで,そういう場合は,頑張ってちゃっちゃと片付けようと思うと逆に取りかかれないこともあるわけで,だったら,逆にどんなにゆっくりでもちんたらでもいいからとにかく取りかかると考えた方がましということもあるわけです.

 この質より量的な「時給的な考え方」ですが,実際,世の多くの人がそれで働いていて,しかも,生活して行くためにやりたくない仕事をしているわけで,そういう「過酷」な条件でもやりたくない仕事ができるのは,とにかくある一定の時間働いて時間が過ぎるのを待てばある一定の収入が得られるからなわけで,やりたくないこととかめんどくさいことについては,逆にそういう考え方を利用するというのもありなのかもしれません.

 と思って,今日,棚を組み立て終わりましたが,これも結局,昔のようには行かなくなったというか,そういうことを受け入れてあきらめることが肝要ということですかね.

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 人生所詮退屈しのぎ(という哲学の普遍則)もこれに近い考え方かもしれませんね.どんなに退屈でつまらない人生でも(楽しく充実した人生でも)死ぬまでという限られた時間の中での話なわけですからね.

 ですから,つまらないと思っても,淡々とやるべきことをして(やり)過ごして行けばいいという考え方もあるわけです.

 もちろん,このサイトで何度も書いているように,人生所詮退屈しのぎだけど,どうせなら,楽しく気分よく過ごして行きたいと考えるのがいいと思いますが,それ一本では逆にしんどくなることもあるので,活動と休息,近く,時々,遠く,一人,時々,みんなみたいに正反対のことを使い分けるってことでしょうか.

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[慣れる]
(生活)

 今回の家は,前回のところと比べると民度が高いのは明らかなんですが,家族で住んでるところが多いので,結構,生活音がします.でも最初はちょっと気になったんですが,慣れてきました.

 考えてみたら,前回のところは,生活音はほとんどしなくて快適だったのですが,幹線道路の横で車の音がしました.これも最初はちょっと気になったのですが,割とすぐ慣れました.

 ですから,こういうのって,よほどのことがなければ,慣れてしまうのかもしれませんね.

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12/30'20
[シンプル]

 ある人が歳をとればとるほど人生はどんどんつまらなくなってくると言ってました.その人は,その世界で大成功した人で,それは,そういう人でもそう思ってしまうのではなく,そういう人だからでしょう.つまり,仕事で成功した人ほどそう思うわけですし,仕事を失った後,大きな喪失感に襲われるわけです.

 逆に人生がうまく行かず,こんなつまらない人生なんかさっさと終わって欲しいと思うのなら,歳をとって行くことはゴールが近づくとも言えますし,そこまででなくても,やりたくない仕事を生きるためにやってきたのなら,定年で仕事をやめて何とか年金で暮らして行けるのなら,仕事をやめてからの方が楽しい人生になるかもしれません.

 私が再三「定年後問題」と言っているのは前者のことなので,仕事をしているときもやめた後も楽しく気分よく過ごしていきたいってことですが,それは極めて困難なことなんでしょう.でも,ずっといろいろ考えてきて何となく見えてきたものはあって,一つは生き方を変えることですかね.

 つまりは,「成功する競争」をやめればいいだけの話なんですが,それができないんでしょうね.まあ私の場合,元々「成功する競争」なんかしてなかったので,それは関係ないのですが,若いときと今の生き方というか考え方は違うわけで,うまく変えるというか,自然とそうなって行ってる気もするんですよね.

 ただ,研究というやりたいことの一つができなくなるのは何とかしたいとも思うのですが,やりたきゃやればいいし,定年で環境が変わったくらいでやらなくなるくらいなら大してやりたくないんでしょうからやめればいいし,社会的繋がりがなくなるのはつまらないと思うのも同様で,だったら,他のやりたいことをやったり探したりすればいいということでしょう.

 ですから,結局,自分が置かれた状況を受け入れて,その中でどうするかを考えて行けばいいってことですね(シンプル).

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[エゴサすると]
(仕事)

 私はエゴサーチはほとんどしないのですが,気になるのは,筑波大のサイトが今年度いっぱいで削除されることで(そこに今のウェブサイトへのリンクが貼ってある),でも,自分の名前で検索をかけると未だに筑波大のサイトが一番上に来るので,それを確認するために時々検索をかけます(なかなか今のサイトが一番上に来ない).

 で,エゴサしたことがわかる人はわかると思いますが,Googleだと自分の名前を入れるとそれに続けてワードが表示されます.これって,自分の名前に加えてどういうワードで検索されてるかってことらしいです.

 で,今は何が表示されるのかと言うと「境有紀 京都大学」が最初に出てきます.つまり「境有紀 京都大学」で検索してる人が多いってことなんですかね.ふーん.

 このサイトで書きましたが,お世話になった先生方以外には,移籍したことは(葉書とかメールとかで)こちらからは知らせてません.いや,このサイトでは書いてるので,このサイトを読んでくださってる方,大学とか仕事関係で知らせる必要というか機会があった人,親しい友人の何人か,研究室のオンライン同窓会に来てくれたOBOGとかには知らせましたし,年賀状には書いたので,年賀状のやりとりをしている人には,もうすぐ知らせが行くことになります(住所が変わったので,喪中はがきをくれた人にも松の内が明けたら寒中見舞いを出さないと来年の年賀状が宛先不明になってしまう).

 でも,ちらちら聞こえてくる感じだと,それなりに広まってはいるみたいで,それが「境有紀 京都大学」で検索してる人がいるということなのでしょう.ですから,まあいいのかな.

 そもそも,特に知らせていないのは,私の中で何か大きな変化があったわけではないということですし,メールも郵便も転送されてくるので連絡がつかなくなるわけでもないってことなんですが,やっぱり,「京大に移りました.これからもよろしくお願いします」とか書いてわざわざこちらから知らせると,何か余計な仕事が来やしないかというか,これからもこれまでのように学生達と楽しく研究して行きたい,それを守りたいってことが大きいんですよね.

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(日記)

 月曜(12/28)が仕事納めで,年末年始どこにも行かないということで,どう過ごしているかですが,別に普段と変わらない感じです.むしろ,朝は目覚ましをかけずにゆっくり起きて,研究室に出てきてみたいな感じで,むしろ快適ですかね.

 と言っても,1/4(月)が仕事始めで(でもこれも実質的には関係ないけど),ということは,今週一週間だけの話というか,相場も今日まで開いてて,木金と2日に閉まるだけだし,年末年始という感じがしないというか,こういうのがずっと続いてもOKですかね,

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[京大]
(大学)

 京大に来たからというわけでもないのですが,京大ってどういう大学なんでしょうね.

 世間一般的には,東大と並ぶ日本を代表する大学ということなんでしょうが,やっぱり,東大の方が上なのかなあ(この辺については,東大出身で京大にいる身としてはなかなか微妙な立場).実際,いろんなランキングというかデータを見ても,だいたいが東大が1番で京大が2番ですからね.

 もちろん,分野によっては,京大の方が上というところもあって,わかりやすいのは,自然科学のノーベル賞受賞者数は京大の方が多いですし,手前味噌になりますが,防災に関しては,防災研は日本を代表する研究機関でしょう.

 そもそも,大学のレベルというのは,そこにどれだけ優秀な人が集まるかなわけで,そういう意味では,偏差値は重要なのですが,東大と京大の差はどこから来るのでしょうか?

 一つの参考としては,どの都道府県出身者が多いかで,東大が全国から来てるのに対して,京大は地元出身者が多いですから,京大は,他の旧帝大と同様に「地方大学」的要素をもってるわけです.

 つまりは,関西から東大に行く人は結構いるけど,関東から京大に行く人はあまりいないわけで,でも,関西から京大に行くのは,東大に届かないから京大に行くというわけではありません.

 ですから,関西の優秀な人は,東大か京大に行く,関東の優秀な人は東大に行くってことが差になってるってことですかね.

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 私自身に関しては,ずっと東大志望だったんですが,理論物理を志したときは,京大理学部もありかなとちょっと考えたことはありました.でも,理論物理に今一確信がもてなくて,東大だと理一という大まかに理工系ということで志望できることは大きかったですし,実際それで救われたというか,予感が当たったというか,今やってることに辿り着けたわけですからね.

 あとは,京大に来て,つまり,今いるところは京大で,でも出身は東大ということで,立ち位置がびみょーというか,筑波大にいたときは,純粋に筑波大の肩を持てばよかったんですが,今はそれは変というか,何か変な感じです.

 と書いたものの,どこの大学出身とかどの大学の所属とかは関係ない(自分がどういう仕事をしてるかが全てな)ので,(何か変な感じではあるけど)それでどうこういうことはありません.

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12/31'20
(日記)

 そっか,もう大晦日なんですね.なんかあっという間で(今年がってことじゃなくて年末が)もうちょっとゆっくりしたかったんですが,明日正月というよりは,今日が木曜で,来週月曜はもう仕事始めなんですね.

 まあ,休みたきゃ勝手に休めばいいんですが,1/4は11:45からオンラインで所の新年会があるみたいで(でもまだURLが来てない気がするけど)顔を出した方がいいでしょうしね.

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[ベートーヴェン生誕250年]
(音楽)

 今年はベートーヴェン生誕250年で,こんなことにならなければ,彼の曲がたくさん演奏されたのに彼が気の毒だと言ってる人がいました.

 いやいや,そんなの関係なく,いやというほど演奏されてますから,生誕250年なんて関係ないでしょう.

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[体重と体脂肪率]
(生活)

 そうそう,その後の体重と体脂肪率ですが,65kgと15%くらい(身長は178cm.昔は179cmだったけど縮んだ)で収束した感じですかね.週二(時々さぼるけど)でバドミントンの練習を再開してからも変わらないですね.どのくらい減ったのかな?

 でも,その間(4月から10月まで)ほとんど運動なんかしてなかったですし,やってたことは,食事をたんぱく質と野菜を中心にして,炭水化物をちょっと減らしただけです.体重なんかこんなに簡単に減るのに必死でダイエットしてる人って一体どうなってるんでしょうね.

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