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3/1'20
[夢にも思わなかった]

 あれ? 3月なんですね.てことは,つくばに来て○年経ったってことか.

 来たときは,正直,○年つくばにいることになるとは,夢にも思わなかったと思うんですが,考えてみたら変な話で,移ってくる前は,いろんな話が来る中で,どこでもいいからとにかく一度外に出るようにと言われて,でも,私はそれに懐疑的というか,行くならそこに骨を埋める覚悟というか,少なくともそうなってもいいところでないとと思ったわけで,それでここに来たということもあるわけで,つまり,実際に骨を埋めることになったとしても想定の範囲内なわけで,もちろん,もっといいところがあればいつでも移るつもりですし,実際,移籍話が来たこともあったんですが,ここよりいいと思うところはなかったわけで,自分の意思で今までここにいたわけですからね.

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(運保)

 経済というか相場は大荒れで,運保的には,うまく切り抜けているとは思うのですが,VIX先物の建玉の関係で,いろいろ再検討が必要になってるんですが,別にお金が欲しいわけじゃないし,嫌ならやめればいいわけで,つまりは,単純にやりたいからやってるわけで,そういうことがあるのは,やっぱりラッキーだと思います.

 VIX先物の建玉を割り当て資金の1/3にしたはずだったのに忘れたと書きましたが,つらつら思い返してみたんですが,忘れたってわけはなくて,今の玉を建てるとき1/3にするのか1にするのかで,まだそんなに資金が増えてるわけではなくて,損失が資金の3倍まで行っても全然大丈夫ということで,1倍建てたのを思い出しました.

 なので,一度そう決めたのなら,相場が反転したと判断するまでは,今の玉は維持するべきということになりますね.どんどん含み損が膨らむとしても,それは自分の見通しが間違っていたということで,甘んじて受け入れればいいし,そもそも必要以上のお金は要らないわけで,これも一つの金の使い道ということでしょう.

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3/2'20
(運保)

 日本株は久しぶりに上昇し,短期的には流れが変わったと判断して,短運と日運を買決済し,短運は8割くらい買玉を建てました.久しぶりにびっくりするくらいの利益になったんですが,VIX先物で同じか少し多いくらいの含み損があるのでトントンくらいですかね.つまりは,空売りで儲けることはできなかったけど,資保も含めて暴落前に買玉は全て売り抜けることはできたので,まあまあといったところでしょうか(BrexitとかTランプ当選のときもそんな感じだった).

 でも,こんなことなら,VIX先物になんか手を出さなきゃよかったとなりそうですが,それは違ってて,というのは,去年半年で,VIX先物は2.2倍,つまり,120%の利益が出てて,一方で,日運と短運はぱっとしなかったわけで,ある意味,うまい具合に相殺というか,(結果的に)うまく分散できてるんですね.

 でも,日運を手仕舞い,短運で買い玉を建てたということは,現状としては,VIXも短運も一方向の玉が建ってることになるので,そこはちょっと不安ですが,リスクをとる(リスクをとらないとリターンはない)というのはそういうことでしょう.

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3/3'20
[一番近い県庁所在地]
(地理)

 思い立ったら吉日ではないですが,ちょっと行ってみたくなったら,全国どこでも(それこそ世界中どこでも)google mapで「行って」みたりしています.で,最近気づいたというか,発見したのですが,一番近い県庁所在地ってどことどこだと思いますか?(意味はわかりますよね.例えば,愛知と静岡なら名古屋市と静岡市の距離ということになり,それが一番近い組み合わせはどこかということです).

 驚いたのは,その距離,何と10kmなんですよ.別の都道府県というより,市町村レベルでもまさに「隣」です.でも,関西の人なら常識なのかな.言われてみれば,って感じもするし.

 答えは,京都府と滋賀県の京都市と大津市です.JRでも京都の次が(京都市山科区の)山科で,その次が大津ですからね.何年か前,琵琶湖大回りをしたときは,通らなかったので,気づかなかったんですが,小回り?だったら,京都を出て,2駅で大津で,ええー?と思ったと思いますからね.

 この10kmという距離ですが,逆に関東の人にはイメージが湧かないと思いますが,例えば,東京駅を起点にすると,埼玉,千葉の川口駅,市川駅まで15km,川崎駅までは,20kmで,10kmというと,東京駅からは,北は東十条,東は新小岩,南は大井町,つまりは,東京駅が京都だとすると,大津は,東十条とか新小岩とか大井町にあるってことです.びっくりじゃないですか?

 じゃあ,ひょっとしてもっと近いところもあるのかも(でも,私の地理的感覚ではこれ以上のところは思い当たらない)と思って一応調べてみましたが,やはり,ここが最小のようです.

 でも,地理好きとしては,今まで気づかなかったのが不覚ですかねー.

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[何がめんどくさい?]
(生活)

 ずっと話題にしてる「いつでも引っ越せる状態」ですが,家は何年か前から既にその状態で,研究室も着々と,ということだったんですが,まだまだという気がしてきました.

 「いつでも引っ越せる状態」というのは,比喩的な表現で,いつでも引っ越せるということは,どこに何があるかわかっている状態で,ほとんどのものが「収納されている」ということで,「いつでも引っ越せる」というよりは,普段の生活や仕事がしやすいという方が主眼です.

 ですから,どんなにものが多くても,しっかり整理されて収納されているのならそれでもいいのですが,要らないものをとっておいてもしょうがないし,実際に引っ越すことになって要らないものをわざわざ運ぶのはばかげているわけで,しかも,昔だと一応とっておいたものも,今はほとんどが無用の長物となっていることに気づいたわけで,せっせと廃棄しているわけです.

 ポイントは「収納」で,ただ整理収納されているだけでは,「いつでも引っ越せる状態」とは言えないわけで,「(ほぼほぼ)そのまま運べる」状態で収納されてないといけないわけです.

 具体的には,既に書きましたが,私は,A4のFB(ファイルボックス)を使っていて,これが4つちょうど入るダンボールがあるので,全てのものをFBに整理収納しておけば,原理的に「いつでも引っ越せる」わけです.

 でも,全てのFBがいっぱいになってるわけではないので,そういう場合は,FBをダンボールに入れるときに壊れ物ならささっと緩衝材を詰めればいいと思ってたのですが,それって無駄なスペースですよね.

 ということで,半分のサイズのFBも大分前から用意したりはしてるのですが,何かめんどくさいんですよね.こういうのって,こうやったらいいというのとめんどくさいの綱引きなわけで,どんなにいい方法でもめんどくさくないことが重要ですからね.

 でも,考えてみたら変な気がしてきました.何がめんどくさいのだろうということです.

 整理収納は,大きく2つのポイントがあって,1つは「既にあるもの」,もう1つは「新たに生じるもの」です.そして,一度整理収納してもちらかる原因は,圧倒的に後者です.つまり,「新たに生じるもの」が生じたときにどうするかなわけです.

 今までのカテゴリーに入るのであれば,既に用意してあるFBに入れればいいでしょう.問題は,今までにないカテゴリーの場合です(でも,そういうことがないようにカテゴリー分けをしておくことが重要なのだが).

 新規なので,あらたにFBを作るのはいいんですが,当然のことながら,そのFBはすかすかになります.それが何とも嫌で,持続性がなくなってたんですが,だったら,半分のサイズのFB,あるいは,FBの下の階層のA4の書類袋から始めて,量が増えてきたら,上の階層に「昇格」していけばいいのではないかと考えました.

 問題は,一番下の階層の書類袋なんですが,FBがA4を横にした状態で収納されるのに対して,書類袋は立てるので,そこが問題だったのですが,そっか,書類袋もFBと同じように横にすればいいじゃんと思った次第です.

 そうすると,階層的には,FBに入らないものは,直接ダンボールに入れるので,ダンボール>FB>半分のサイズのFB>A4の書類袋となり,これらがスチール棚に,並んで「コル目地」みたいになって,見た感じもちょっと芸術的になりますかね(笑).

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 あとは,これは大原則なんですが,「全てのもの」に収納場所が決まってるってことですかね.つまりは,収納されず「表に出ている」ものなくすということです.よく使うものは,表に出ていてもいいとは思いますが,よく使うものそんなにありますか? そんなに使わないのに表に出てるものがあるんじゃないですか,ということでしょうか(自戒の念も込めて).

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 上の上の記事の地図です↓.やっぱ近すぎませんか?

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(運保)

 昨日は,NYダウが大幅高(史上最大の上げ幅と言っているが,率で見るとそうでもない)だったんですが,日本株は下げ,結局,また日運も短運も全面売りで,そう簡単に収束とは行かないみたいですね(そりゃそうだ).

 でも,今回の暴落ですが,新型コロナの影響ということになっていますが,それ以外の要因もあると思うんですよね.つまり,いろんな要因が複合してるんですが,じゃあ,どうしたらいいかですが,(確率5割強で)相場の流れを読むしかないってことですかね.

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[人を好きになるということ]

 人を好きになるというのはどういうことかということについて何度か書いてきました.それは,当然のことながら,このサイトが開設されてからのことなので,そのときの考えが書いているのですが,もっと前の子供の頃のことを考えると,もっと本能的なもので,かわいいとか,自分の好きなタイプとか,優しくされたとか,向こうから好きだと言われるというか,それとわかるようなことをことをされるとか,そんな程度のことだったと思うんですよね.

 でも,大人になると,そんなことでは,そうそう好きにはならないわけで,でも,外見だけではなく,話をしてみて惹かれるというか,そういうことで始まって,その人のことをもっと知りたいと思って(その時点でもう好きってことなんですが),更に話をしたり,付き合ったりして,中身がわかってきて,どんどん好きになるか,逆に冷めてしまうかということだったんですが,何かそういうのとも違ってきた感じがするんですよね.

 変な話ですが,中身はあまり関係なくなってきたというか,ネガティブなことがあっても,それもひっくるめてというか,じゃあ,どこが好きかと言われると何だかよくわからない,好きだから好きみたいな,昔に戻るじゃないですが,そんな感じがするんですよね.そして,好き嫌いって,本来そういうものですよね(好き嫌いに理由はない).

 と言っても,もう何も起こらないでしょうし,それはそれでめんどくさい話でもあるので,頭の中だけのことなんですが,人を好きになるって,まさにそういうことなので,それはそれで問題ないわけです.

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(バドミントン)

 スキーに行って,小腰痛になったり,練習日に予定があったり,入試で練習がなかったりとかで気づいたら,1か月ぶりの練習でした.ここ1,2週間は,少しまめに体を動かしていたんですが(と言っても,しばらく座った時に数分程度を1日数回程度),思ったより動けたと思います.

 感覚的には,フィジカル云々ってことじゃなくて(そりゃそうだ),体の動かすときに無意識に働く障害的なものが少し解除されたような感じでしょうか.

 じゃあ,もう月一でいいじゃん,とはなるわけはなくて,実際,今日も後半は疲れてきて,腰もしんどくなって来ましたし,でも,今のところ,週一がやっとなんですが,こうやって,普段からまめに体を動かすというか,感覚的に常に動いているのは無理としてもできるだけ緩まないようにしてというのは,やって行こうと思います.

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[マスク不足とか]
(世の中)

 マスク不足らしいんですが,何なんですかね? これは,メディアでも言われてると思うのですが,マスクに感染を防ぐ効果は,ほとんどありません(それより嚥下の方が遥かに効果的.あとは,とにかく唇とかの粘膜を触らないこと).効果があるのは,咳とかの症状がある人が,他人にうつさないようにすることで,つまり,咳とかの症状がない人は,マスクをする必要ないんですよ.

 私は(症状はないので)してません.ただ,突然症状が出る可能性はあるので,持参はしてます.でも,こういう雰囲気だと,マスクしてないとマスクしろみたいなことになるのは,勘弁して欲しいですね.

 トイレットペーパーの買い占めは,もっとひどいんですが,これはどこかで書きましたが,トイレットペーパーって「必需度」がめちゃめちゃ高いんだと思います.それこそ,食料の次くらい(笑)? だから,万が一にもなくなったら大変ってことで恐怖にかられるんだと思います.

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 あーそっか,これもマスクをすると感染予防になるということにして,症状があるのにマスクをしない不届き者にマスクをさせるのが目的ですね.結局は,(残念ながら)民度が低いというか,「大衆は○カ」ってことなんですかね.

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[クロームブック]
(PC)

 さかんにテレビCMを流してるクロームブックですが,何か変というか,メーカーは,ASUSとかHPとかいくつかあるし,で,調べてみたら,OSがChrome OSとあります.つまり,WindowsでもMacでもないんですね.びっくり.

 でも,そうすると,問題は,ソフトウェアをどうするかですよね.Googleが提供するものだけでは,さすがに(少なくとも私は)無理でしょう.

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3/4'20
[自分のことを好きな人]

 学生時代,どういうタイプの人が好きかという話になったとき,自分のことを好きな人と言った奴がいました.そんなばかな,好きかどうかは自分の感情であって,それが他人の感情で決まるなんてことはありえない,ということにそのときはなったと思うんですが,今は(一周か二周くらい回って)何となくわかるというか,そもそも「好き」って何ぞやってことなのかもしれません.

 実際,本能的には,ここで書いたように,優しくされたり,好意を持ってると思われるようなことをされると好きになることもあるわけですからね.

 でも,大人になって理性が働くようになると,本能的なことは,薄れてくるんですが,別の要因が出てきます.それは,「自分のためではなく誰かのため」です.私の場合,30を過ぎてくらいからだったと思いますが,だんだん自分のためには頑張れなくなってきて,誰かのためだったら頑張れるみたいなことになってくるんですね(でも,これも再三書いてるように,誰かのためと思えば頑張れるということは,結局,自分のためなんですけどね).

 これを「人を好きになる」に当てはめると,自分が誰かを好きになったとしても,その人が自分のことを何とも思っていないのなら,自分が好きでも放置しておいた方がその人のためなわけです.そうすると,その人のことを好きでいる意味はだんだんなくなってきて,そういう感情がだんだんなくなってくる気がするんですね.

 逆に自分のことを必要としてしてくれる人がいるのなら,その人のためにできるだけのことはしたいと思うわけで,そうすると,その人のことを好きになるというか,好きにならないとその人のためにできるだけのことをすることはできないわけで,そういうメカニズムもあるのかもと思った次第です.

 でも,実際のところは,この期に及んで,何かが起こることはないわけですし,起こったとしてもめんどくさいことになるわけで,それはそれでOKというか,これも実質人生が終わって,寂しい気もするけど,ほっとするところもあるということでしょうか.

 でも,何かが起こることはないとしても,(どこかで書いたとは思いますが)いろんな形があるとは思うんですよね.例えば,時々会って話をするとかなら別段何の問題もないでしょうし,その方がいい関係が続けられるってこともあるかもしれません.

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[表に出ている]
(生活)

 じゃあ,よく使うものの「よく」は,どのくらいの頻度かと言うと,収納されてて取り出すのがめんどくさいと思う頻度ってことで,1日1回ってことはないにしても,表に出ているほとんどのものが「意味なく」表に出ていることに気づかされます.

 つまり,具体的にどうしたらいいかと言うと,極一部を除いた「表に出ているもの」を片っ端から(できればほぼほぼそのまま運べる形で)収納して行けばいいってことですね.

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(体)

 思ったんですが,できるだけ緩まないようにだと,持続性がないので,緩みっぱなしにならないように,ということなんだと思います.つまり,これも「活動と休息」ってことですね.

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(経済)

 アメリカのFRBが緊急の利下げをして,日本もとか言ってる人もいるんですが,そういうことじゃないんじゃないですかね.

 金利を下げるというのは,もっと経済活動をしてくださいってことですよね.でも,今は,いかに人の動きを止めて,経済活動をさせないかの方が重要なわけで,たった2週間経済を止めることに二の足を踏んで,何年もの間,悲惨な経済状況になるってことになりませんかね?

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[原点]
(芸能)

 去年のM-1で史上最高得点を出して優勝したミルクボーイの漫才ですが,どう思いますか? ダウンタウンの松本さんは,あのシステムを考え出したのがすごいと言ってましたが(ネタも無限にできる),それもあるとは思いますが,漫才って,本来,シンプルというか,ベタというか,そういう原点的なところがあるんじゃないですかね.

 でも,同じネタを別の漫才師がやっても,あそこまではうけないわけで,突っ込みの絶妙な間とか,キャラクターというか,突っ込み方というか,そういうのが大きいわけで,はっとさせられた人は多いんじゃないですかね.

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(スキー)

 スキーですが,まだ2回しか行けてないし,越後湯沢には一度も行ってないんですが,ガーラの下山コース(がなければ,ちんけなスキー場)は,やっと開いたと思ったら,もう閉まったみたいです.

 今年は,激烈な雪不足で,新型コロナもあってと,行かない理由はいくらでもつけられるのですが,そんなことでは,ほんと大したことないというか,リタイアしたら晴耕雨読なんてと思いますね.

 確かに今は,仕事をしてて,車でも電車でも3時間かかるわけで,それが障害になってるとは思うのですが,じゃあ,(想像力的には)新幹線とか車で1時間だったら行くんでしょうか?

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[本業]

 何か変な感じがしてきました.

 リタイアしたら冬場は晴耕雨読でスキーとか言ったって,それはあくまで余暇の話で,じゃあ,「本業」は何をしてるのかってことです.でも,リタイアしてんだから,仕事じゃないし,大学もやめてるわけだから研究でもない? じゃあ何?

 やっぱり,何か「そういうもの」が必要なんじゃないですかね.それとも「本業」なんかなくても「趣味」だけでのんびりやって行けばいい?

 それは,やっぱり,難しいんじゃないですかね.だとすれば,必要なのは,やはり「準備」ですよね.

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 一方の話として,晴耕雨読でスキーとか言ったって,何歳までできるんやってことですよね.80まではできたとしても,じゃあ,80からはどうする? これもやっぱり「準備」が必要?

 こうしてみると,大分,「準備」ができてきたと思う反面,肝心なことがまだというか,全然準備できてないような気もしてきます.

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3/5'20
[もう一つのソフトランディング]

 いや,ずっと「準備」と言ってきたのは,定年後に対する準備で,それは,大分できてきたと思うのですが,定年とともに,あるいは,それ以上の「ポイント」というか転換点と言えるのは「死」ですよね(正確には,死ねばそこで全てが終わるので「転換」点とは言えないが,一番重要な「点」とは言える).

 つまりは,定年である日突然仕事を失うというハードランディングに対してうまくソフトランディングするように,死に対してもソフトランディングが必要で,そこまで考えが及んでなかったということでしょうか.いや,考えてはいたが不十分だったということですかね.

 具体的に言えば,「座して死を待つ」でもいいとは思うのですが,そこまで精神修養が足らないとすると「退屈しのぎ」は必要なわけで,でも,死ぬ直前までできることは,非常に限られるわけです(ピアノはともかく,バドミントンやスキーは無理).

 いろいろ考えてこのサイトに文章を書くことはできそうですが,脳力的にどうなってるか,老害にならないかということもありますし,それは研究や運保も然りです(でも,勝手にウェブサイトに載せるだけなら,誰も読まなくなるだけで,老害にはならないですが,誰も読まないのに書いてもしょうがない気もする).

 具体的に言えば,誰とも関わらず,誰に迷惑をかけることもなく,体が動かなくても,脳力が衰えても一人でしこしことできるようなこと(やはり,手仕事系か)が必要ということでしょうか.

 でも,私の場合,興味がないことはできないし,興味がないことを無理してやっても意味ないし,やっぱり,なかなか難しいですね.

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 ただ,定年と死ぬのが決定的に違うのは,死ぬのは,ハードランディング(ピンピンコロリ)になってもいいというか,むしろ,それが理想ということでしょうか(でも,そうなったとき,回りに迷惑がかからないようにしておく必要あり).でも,そんなにうまく行くとことはなかなかないので,やはり,準備が必要ということですかね.

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[本業とは]

 関連すると思うのですが,そもそも本業って何ですかね? 今の私は仕事以外にいろんなことをしてますが,本業は間違いなく研究です.そして,本業があるから,仕事以外にいろんなことをしていても楽しいところはあると思うんですよね.でも,それが定年で大学をクビになるとできなくなるわけです.

 「本業」にはいくつか要素があって,一つはそれで収入を得るということです.必要以上のお金は要らないのですが,貯蓄なんかいくらあってもだめで,それより生きていくのに必要な月20万のキャッシュフローを得ることが遥かに重要です.リタイアすれば,年金がもらえるってことなんでしょうが,そんなのどうなるかわからないですし,年金ではなく,収入を得るということは,何らかの形で社会と関わってるということにもなりますからね.

 でも,それ以上に重要なのは,自分の存在価値というか,自分にしかできないことかでしょう.そして,研究は私にとってまさにそういうものです(どこかで仕事をリタイアしてゴルフやっててもつまらないと言ってる人のことを書きましたが,それには,ゴルフを本業にしないといけないわけです).あとは,収入とかの条件を除いて純粋にやりたいこと,興味があることならなおよしということですかね.

 そういう観点からすると,今の仕事は,これらを全て満たしていて,まさに「本業」ということになるんですが,じゃあ,定年後は,何が本業になるんだということです.10年後のことはわかりませんが,しばらくは,ちょこちょこ仕事はあると思うので,定年後へのソフトランディングはできるとしても,死ぬまでは厳しいかもしれません.

 でも,脳力を維持できて,まだまだやりたいと思うのなら,やればいいとは思うんですが,老害的なことは避けたくて,それもまさに脳力的な問題で,なかなか難しいと思うんですよね.

 そういう意味では,他者評価より自己評価が重要なんですが,そこは目をつぶって,素直に他者評価に従うというのも一つの方法かもしれません.偉い先生が言ったら逆らえないということはあるかもしれませんが,だんだんそういうことはなくなるでしょうし,しゃしゃり出なければ,自然淘汰されると思いますしね.

 収入という点では,「研究所」というやり方もありますが,私にとって研究は収入を得るためにやるものではないので,それはないかなあ.「研究グループ」というやり方の方がしっくり来るんですが,ここでも老害には気をつけなければなりません.でも,これも私から出しゃばらなければ,自然淘汰されるというのは同じですかね.

 収入を得る方法は,運保もあるんですが,これもやりたいからやってるだけで,これで食べて行こうとは思いませんが,当然のことながら,儲かれば収入は得られるので,実のところ,(定年後は)重要な柱になるのかもしれません.でも,これこそどうなるかわからないんですが,「客観的な結果が出る」ので,老害的な心配はないですね.

 あとは,ただ純粋にやりたいことってことですが,それは,すぐ上で書いたことが関係して来る話になります.

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 興味がないことはできないってことなんですが,体が動かなくなれば,できないものはできないので,できることから選ぶしかありません.そういう意味では,バドミントンが一番厳しいとは思うのですが,運動はやめられないと思うので,強度が低い運動を開拓しておいた方がいいですかね.スキーやゴルフは,バドミントンに比べれば,遥かに強度は低いですが,80を過ぎれば,それでも高いかもしれません.

 卓球なんかどうですかね.スペースもそんなに要らないし,ノックマシンもあるので,家で一人でもできそうです.出かけることの敷居の高さを考えると,一人でしこしこ家でできることがいいですね.ピアノもそれで何とか続いてるようなもんですからね.ゴルフもドライビングレンジとかシミュレータとかを家に置いたら結構遊べる?

 ゲームは,意外といいかもしれません.でも,指先だけなので,もう少し体を動かせるものがいいですかね.任天堂からそういうのも出てますが,まだまだ子供だまし的な感じなので,それがもっと進化すれば,使えるというか,経済的にもヒットするんじゃないですかね.

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 思ったんですが,これ(本業が必要)って,大学を定年でクビになっても研究を続けるモチベーションになりませんかね? もう十分研究してきたし,定年を一つの区切りとして,一線から身を引くというのはありだと思うし,悠々自適な老後でもいいとは思うんですが,やっぱり,何かが足りない気がするんですよね.そもそも,何十年にも渡って過ごしてきた「状況」を簡単に変えられるとも思えませんしね.

 でも,研究によっては,いろんな設備とかかなりの研究費が必要な場合もあるわけで,事情はいろいろだとは思うんですが,だからこそ「準備」が必要というか,やりようはあるというか,それこそ研究テーマは何でもいいとも思うんですよね.

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 あとは,重要なことは,死ぬことに向かってソフトランディング行けるということでしょうか.単純に言えば,体力と気力の低下に従って,徐々に減らしていけるということです.定年がなくても,多くの職業は,これが難しいわけで,でも,研究というか,何らかの思索活動ならできると思うんですよね.

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[言葉の威力]

 言葉の威力を実感しています.具体的には,上のいくつかの記事が関係するんですが,これまでずっと「仕事」という言葉を使っていたと思います.定年で仕事をやめることには抵抗がなくて,むしろ,研究以外の仕事がやめられてせいせいするくらいな感じでした.

 でも,どこかに違和感があったんですよね.そしてそれは「本業」という言葉で見事に説明できた気がします.つまりは,仕事はやめても,本業は残るというか,そういうものは,必要ということでしょうか.言葉に対するイメージは,人それぞれで,言葉と概念が紐づいてると思うのですが,普通は,言葉に概念が付いてるんだと思いますが,今回の場合は,言葉が概念に先行した,つまりは,言葉に助けられた気がします.

 ただ,問題は(まだ)解決していません.つまりは「問題を発見した」に過ぎないということですが,これは大きな進歩でしょう.

 そして問題は,(定年後)何を本業とするかです.研究を続けてもいいですが,その場合は,死へのソフトランディングも含めて,やり方を考える必要があります.一方で,全然違うことを本業にしてもいいですが(これも死へのソフトランディングも考える必要あり),それはそれで大変で,いずれにしても,準備が必要ということになります.

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 少なくとも,(自分にしかできないというレベルかと考えると)ピアノ,バドミントン,スキー,ゴルフは,本業にはならないでしょうし(でも,何らかの側面では,そういうレベルを目指しているけど),そういう意味では,何か新しく始めることはもっと難しいですよね(でも,突然興味を持ったり,その気になったりしたらどうなるかわかんないけど).だとすると,残るは,研究と運保とこのサイト(考えること)しかありません.これらは,どれも単純にやりたいことだし,研究と運保は,収入を得る可能性はあるし,どれも自分にしかできないと思ってやってるし,この3つが柱になるんですかね.

 あとは,レベル的に関係ないものとしては,生活のことは,例えば,片付けなら何が必要で何が要らないかは自分にしかわからないし,その時食べたいものを食べることも自分にしかできないことだし,要介護にならないとか,お手伝いさんを雇わなくて済むと考えると,収入を得るようなものだし,これも大事な柱ですね.

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 こうしてみると,自画自賛的には,結果的に?かなり準備が進んでる気もしてきたのですが,3つ+1つの柱の中で一番準備が進んでいないのは,圧倒的に研究であることに気づかされます.研究グループ的なことは,できたらいいなとは思いますが,自分でどうこうするものではない(自分が必要とされなければ話にならない)ので,「一人でも大丈夫」になっておく必要があります.

 具体的には,設備やお金がそんなにかからず,コンピュータがあれば,一人でしこしこできる研究テーマというか,研究のやり方を模索して行くということですかね.

 そっか,運保とかこのサイトってまさにそういうこと(設備やお金がそんなにかからず,コンピュータがあれば,一人でしこしこできる)なんですね.つまり,そんな感じで研究もできればってことですかね.

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[いい加減にしろ]
(大学)

 今,建築学会大会論文を学生が書いているのですが,学位プログラム化による組織替えで,またまたまたまた所属が変わります.この大学に来てもう何回目かわからないほどです.一言,「いい加減にしろ」ですね.

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3/6'20
[何が一番大事か]

 何が本業かというのは,要するに,何が一番大事かってことですかね.

 家族が大事というのもわかるんですが,子供は成長したら離れて行きますし,パートナーは,どちらかが先に逝きます.孫に会えるのだって,1年に何日あるかでしょうから(そんなネガティブに考えるなと言う人もいると思いますが,そういう状況のことを考えておくのがリスクマネージメントです),要は,「普段の生活」の中で具体的に「どう退屈しのぎして行くか」だと思うんですよね.

 人間関係,友人関係が大事というのもわかるんですが,一長一短というか,楽しい反面,めんどくさいこともありますし,年寄りが傷をなめ合うように(毒)集まって何かしてるのって,個人的には,好きくありません.

 じゃあ,何が大事なんだということなんですが,仕事で成功した人なら,仕事は大事だったと思うんですが,定年後どうするかなわけです.つまりは,定年後も(仕事が大事なのなら)続けられるような仕事なのかということです.

 サラリーマンというか,会社とか官庁とか組織に所属していた人は厳しいですよね.それは,私の場合(大学)も同じです.でも,仕事の種類はいろいろです.

 例えば,営業とか経理とか人事とか総務とか,事務系の仕事は,組織あっての仕事なので,厳しいでしょうが(でも,そういう経験とか人脈を活かして起業する人もいる),研究は,本来的には,大学とかの組織に所属していなくてもできるはずのものです(フリーの研究者だっているし).つまり,折角そういう仕事をしていたのなら,そして,それが大事なのなら,続けることを考えるべきということでしょうか(続け「たい」ではなく,続ける「べき」ということ).

 もちろん,他に大事なものがあるのなら,もう仕事なんかしてなくても,例えば,人生の達人というか,哲学とか思索(≒このサイト)が大事ということでもいいし,それは,仕事をする以前に人生を生きてる以上,確かにそうなんですが,哲学者ではないわけで,「本業」(という言い方がやっぱり一番しっくりくる)は別にあった方がいい気がするんですよね.

 具体的には,今ここで文章を書いてますが,今は研究者という本業があるわけで,でも,リタイアして研究しなくなったら,こういう気分でここでこういう文章を書けるのか,心がニュートラルでなくなるというか,変な方向に行ってしまいそうな気もするんですよね.

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 やるべきかどうかよりやりたいかどうかが大事という考えもあるでしょうが,「本業が必要」という考えは,これに反駁するものということになるでしょうか(逆に言えば,そうでない考え方もありということ).

 例えば,かなりピアノが弾けるとしても,トップレベルには程遠いですし,そもそも,そういう人達は,ものすごい量の練習をしてるわけで,それができないのでは話になりません.バドミントンやスキーの運動原理がわかったとしても,もはや体は動かず,運動原理なんか全然わかってないけど体は動く若い人にすら勝てない惨状です.

 指導者という道もあるのかもしれませんが,プレーヤーでありたいと思うのなら,スポーツは(本業としては)選択すべきではないということでしょう.シニアの世界でトップを目指すのはいいと思いますし,私もそうすると思いますが,「本業」にはならないと思うんですよね.

 でも,実際,どのくらい研究してるかどうかはともかく,少なくともトップレベルにはいるわけで,考えてみたら,これってすごいことだと思うんですよね.

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 でも,この「本業」という考え方ですが,食べて行かないといけない以上,「仕事になること」の中からやりたいことを選ばないといけなくて,しかも,大学とかに就職して,研究以外の仕事もしなくちゃいけなくて,みたいなことだったんですが,この感覚に近いことに気づかされます.

 つまり,ただ単にやりたいかやりたくないか,ではなく,どこかに「やらないといけない」という感覚があって,そして,リタイア後も,そういうものが必要なのかもしれないということでしょうか.

 そもそも,リタイアして,もう働かなくてよくて,やりたくないことをやらず,やりたいことだけやって,精神が保たれるのかということでしょうか(認知症になったりしない?).

 例えば,会社の社長とか重役まで勤め上げて,あるいは,官僚なら次官級とか局長くらいまで行って,リタイアして,充分な貯えがあって,悠々自適にゴルフしたり,旅行したりして,気分がいいのかどうかはともかく,リタイアすれば,ただの老人なわけで,昔は○○だったではなく,今はどうなんやっていうのはあるわけで,「昔は○○だった」で何十年も生きて行くのは...

 でも,生来の怠け者の私としては,もう働かなくてよくて,やりたくないことをやらず,やりたいことだけやるでも全然行ける(笑)ような気もするわけで,でも,実際のところは,そのときになってみないとわからないわけで,それなら,リスクがある方を想定して準備をしておく必要があるとは思うんですよね.

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 リタイア後,一人になっても研究を続ける方法ですが,考えてみたら,今研究室で取り組んでるテーマの多くは,(いつの間にか)「パソコンがあればできる」ものになってますね(強震動の計算は,少し大きなサーバが必要).もちろん,机上の話ではなく,自分たちで汗水たらして集めた強震観測点回りの被害データや実際に観測された強震記録を使ってるわけですし,これから発生する地震の被害調査については「研究グループ」で対応できるでしょう.

 実験系のものとしては,木造の実大振動実験やRCの縮小模型があるのですが,木造の実大振動実験は難しいとしても(でも,これも科研費獲ればできる),縮小模型なら頑張ってできるかもしれないし,これをやめても,多くは「実データ」を使った「パソコンがあればできる」ものなので,一人でもしこしこやって行けると思います.

 もちろん,学生達がいなくなればマンパワーは落ちますし,学生達というか若い人達を成長させる絶好の材料と機会を失うことになりますが,それはまあしょうがないですかね.

 それより,問題なのは,今のように次々に面白い研究テーマを思いつくかでしょうか.でも,研究テーマを思いつかなくなったら,それはそれでしょうがないというか,潔く第一線から身を引けばいいってことですよね.

 でも,実際のところは,いろんな研究テーマが貯まりに貯まってる状態ですし,非常に単純かつわかりやすくかつ膨大な研究として,日本全国の震源から伝搬経路,表層地盤,地震動,(相互作用),建物の非線形特性までを考慮にいれた地震リスク評価というのがあって,これをコツコツやって行く(どんどんリバイスして行く)だけでも行ける気がしますし,商売にしようとは思いませんが,どこに建つどのマンションや家の安全性(もっと言えば,どの部屋がまで)がピンポイントでわかるわけですから,需要はあるでしょう.

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[老害]

 老害ってどうして起こるんですかね? というか,起こるメカニズムは明らかで,脳力が衰えているのに,偉いとか社会的地位があって,それはおかしいということが通ってしまうということでしょうか.

 逆に言えば,どんなに歳をとっていても,さすが,なるほどその通りということなら,問題ないわけで,結局は,当人次第ってことなんですが,それを判断するのも当人というのが問題を難しくしてるわけです.

 ですから,できることとしては,とにかく脳力が衰えないようにということですかね.社会と関わらなければ,関係ない気もしますが,そうすると認知症にまっしぐらな感じもしますし,結局,社会と関わる関わらないに関係なく,脳力の維持が重要ということで,そのために必要なのは,やはり,考え続けることですかね.

 そして,考えるには,材料が必要で,その多くは,問題意識なわけで,やりたいことだけやる悠々自適な生活だと危ない気がするんですよね.つまりは,「やらないといけない」本業はあった方がいいし,不平不満も大歓迎?ということでしょうか.

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[みっともない]

 いろいろ書いてますが,体も気力も脳も衰えて行くのを何とかしようと必死というか,みっともないというか,そんなことすっぱりあきらめてしまった方が格好いいというか楽になるとは思いますし,そう考えたこともあるんですが,自分のことはともかく,回りに迷惑をかけてしまうのがどうにも耐えられないんですよね.

 世の中や人と(あまり)関りを持たず,社会の片隅でひっそりと心穏やかに暮らしていければそれでもいいんですが,認知症になったり,要介護になったりすれば,自分が苦しいこともありますが,やっぱり,回りに迷惑をかけてしまいますからね.

 でも,結局,回りに迷惑をかけたくないとか言ったって,その実,自分のためってことかもしれません.つまりは,自分で生きてるなんてことはなくて,結局,回りに助けられて生きているということです.

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3/7'20
[自分が自分でなくなる]

 多くを語らずが格好いいと思うのですが,だらだらといろいろ書いてしまいます(ほんとみっともない).

 やっぱり,自分が自分でなくなるのが怖いんですよね.歳をとって,体が動かなくなり気力もなくなり物覚えも悪くなって,でも,何とか自分で生活できて,社会の片隅でひっそりと暮らすのは全然OKです.でも,自分が自分でなくなるというか,本当はこう考えていたはずなのにそうでなくなるというか,要は,自分って何なんだ?ということです.

 性格みたいなものはあるでしょうが(私は自分の性格が好きではないし),そういうのにはあまり拘りはないのですが,これはこうあるべきというか,信念みたいなものでしょうか.そして,それを支えるのが脳力だと思うんですよね.

 研究して行くのにも必要ですし,数理解析力的なものもあるんですが,それが衰えたとしても,絶対必要なのがこれです.もっと広い意味での分析力とか論理思考力と言ってもいいかもしれません.いや,もっと大きく「考える力」かな.研究で言えば,それは,何を研究するかというセンスに関わってきて,要は,研究のための研究なのか,そうでないのかということでしょうか.

 そして,それは,生きて行くのに不可欠だと思うんですよね.いや,特に何も考えずに,時々痛い目に会いながらもそれなりに幸せに生きている人も多いと思うのですが,私にはそういう生き方ができないというか,それが自分ということなのかもしれません.

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[耳が痛くても]

 老害ですが,そんな単純な話ではないですよね.

 具体的には,「どんなに歳をとっていても,さすが,なるほどその通りということなら,問題ない」と書きましたが,そんなわけはなくて,若い人達がそれはおかしいと思っても,実際は正しいことはあるわけですし,耳が痛くても正しいことを言うのが年寄りの役目ということはあるわけで,まさに「他者評価ではなく自己評価」なわけです.

 でも,現状を見ると,年寄りは若い人達のご機嫌をとってばかりで,耳の痛いことを言えば邪険にされたり,精神的に脆弱な若い人達はすぐにメンタルがやられるわけで,年寄りもめんどくさいことは嫌なので,耳が痛いほんとに大事なことは言わなくなって,そうやって,世の中はどんどんグダグダになって行ってるわけです.

 じゃあ,どうしたらいいかですが,どうしようもないですね.でも,(あと何十年か)生きては行かないといけないので,こういう状況の中でどうやり過ごしていくかでしょうか.プロトタイプ的に言えば,できる範囲でうまくバランスをとるということなんでしょうし,私個人的にはそれで何とかやってきたし,これからもやって行けると思いますが,なんだかなあとは思いますね.

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[自分にしかできないこと]

 「自分にしかできないこと」というキーワードがよく出てきます.でも,自分にしかできないことなんかあんのか?と言う人も多いと思います.でも...

 大昔,人が集まって生活するようになったときは,村みたいのがあって,その中に役割分担があったと思うんですよね.この人はこれが得意でその担当とか,このことはこの人がいないとわからない,みたいな.でも,文明が発達して人口が増え,都市ができ,それが国,そして,全世界へと広がって,「その人しかできないこと」なんかないというか,あるとしても,極端な話,ある分野に世界で一人だけみたいなことになってきました.

 でも,大昔の村ではないですが,例えば,会社の部署とか,大学の専攻とかは,未だに村的というか,その中で役割分担があるのは,大昔の村のようなものでしょうか.ただ,問題は,この人はこれが得意で,あるいは,その仕事をやりたいということでその担当とはなってないってことですかね.大学の専攻で言えば,研究以外の仕事は(公平性ということで)単なる持ち回りですからね(というか,講義はともかく,研究者にとって,研究以外の仕事に得意とかやりたいとかはあまり意味がない).

 逆に研究なら,この研究は,自分にしかできないというところはあるわけで,やっぱり,どうしてもそういうものを求めてしまいます.

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[東大バドミントン部とのかかわり]
(バドミントン)

 駒羽会報という東大バドミントン部OBOG会の会報が送られてきていて,今回は,シングル選手権(現役とOBOGが混じって年1回トーナメントをやる)の話だったのですが,何だかみょーな感じがしてきました.

 私も卒業してからずっと出てました.当時は,1〜3部(今は1〜4部)に分かれていて,一度2部に出たらあっさり優勝したので,それ以来,ずっと1部に出てたと思います.1部は,現役の男子レギュラー選手が出てくるので(女子のレギュラーは2部に出る),1, 2回勝つ(とだいたいエースと当たる)のがやっとでしたが何とか1部でも通用してたと思います.

 最後に出たのは,いつだったかなあ.もうつくばに移った後で,筑波大の田澤君とか森安君を連れて行ったときかな(田澤があっさり優勝).その時は,もうピークを過ぎていて(年齢だと40代中盤くらいか),いいところなく負けたと思いますが,結果的にそれが最後ってことですかね.

 その後は,志村に誘われて,シングルではなく,ダブルス選手権に出て(もう10年くらい前か),しかも3部に出て(一応資格は満たしていた)顰蹙を買った(笑)んですが(確かそれで4部ができた),何が言いたいかというと,私と東大バドミントン部のかかわりは,実質,それが最後ということに気づいた次第です(その後,何度か東大バドミントン部の選手が筑波大に練習に来たいということで,仲介をしたくらい).

 理由としては,40代中盤あたりを境に急激に競技力が落ちたり,大きな怪我をしたりで,シングル選手権とかダブル選手権に行かなくなったということもありますし,東京六大学OBOG戦というのには,しばらく出てたんですが,怪我をしたとき何回か行かなかったら,誘われることもなくなりました(でも,今の競技力では戦力にならないと思うのでそれでOK).

 あとは,やはり,東大バドミントン部より,筑波大バドミントン部とのかかわりが大きくなったということはありますかね.どこかで書きましたが,筑波大の試合結果を気にしていて,そっか,東大もリーグ戦出てるんだみたいな(ごめんなさい).

 でもまあしょうがないですね.私が東大バドミントン部に対して何ができるかということもありますし,大した事もできないのに自分からしゃしゃり出ることはないですし,昔シングル選手権に出てたのは,自分が出たいから出てたわけで,そういうことでいいんだと思います.

 私のバドミントンもこのままだめになって行くのかもしれませんが,いろいろ考えてやっていることが奏功して復活すれば,60になったときに4部に出るというのは,可能性がありますかね? また顰蹙を買う? でも,そのくらいでないと出る意味はないと思いますけどね.

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[看板に偽りあり]
(大学)

 例年のことなんですが,受験シーズンということで,予備校のCMがよく流れていて,私は,この予備校でこうしてもらったから,この(一流)大学に合格できましたみたいのがあります.そして,そういう大学として出てくるのは,東大,京大が多いのですが,それ以外だと,早慶が出てくる感じです.

 実際のところは,理系なら東工大,文系なら一橋の方が,早慶より全然格上なんですが,世間の人は,そう思ってないというか,早慶は,東大京大と並ぶ一流大学だと思ってるんでしょうね.ましてや筑〇大(なぜか伏字)では,全然話にならないんでしょう.

 でも,予備校なんだから,東大京大はともかく,東工大とか一橋とか早慶を受けるくらいの学生なら,その辺の事情は,わかってるはずですよね.ですから,ターゲットは,もっと下のレベルってことですかね.実際,そういうCMを流してる予備校は,東大京大とかに多数の合格者を出してるようなところではないわけで,まさに看板に偽りありってことですかね.

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 そもそも,筑〇大(なぜかまだ伏字(笑))ってどういうイメージなんですかね? 世間的には,つくばにある一応国立大学くらいなんですかね.少なくとも,旧帝大と並ぶ研究大学と思ってる人は,そんなにいない気がします.

 個人的には,研究環境が重要なので,大学のイメージとかは別にいいんですが(大学の偏差値レベルとしては,早慶と同じくらいですが,研究環境は,筑〇大の方が遥かにいいでしょう),どこかで書きましたが,学生がどう思ってるかは気になりますね.

 要するに,最先端でトップレベルの研究をしているという自覚があるのかということです.もちろん,そう思って頑張ってる学生もいますが,そうじゃない感じの学生もいるわけで,これまたなんだかなあでしょうか.

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[日本語がなくなる]
(大学)

 組織替えがあるということは,名前が変わるということです.それで,システム情報学研究科は,システム情報学研究群になるらしいのですが(ほんとどーでもいい),群というのは,学部というかアンダーで使っているので,文〇省からとにかく違う名前にしろと言われたところを何とか使い回したということでしょうか.

 でも,こんなペースで組織替えをしていたら,そのうち,使える日本語がなくなると思うんですよね.実際,他大学を見ると,何これ?みたいな奇異な名前のものが結構あって,どこも苦労なさってるみたいです.

 で,さっきテレビで京大の先生が出てきたんですが,その所属を見たら,地球環境学堂となってました.学堂? なんやそれ?

 ここにありますね.学堂以外にも学廊とか学舎とか???みたいな感じです.京都大学地球環境学大学院(通称)と書いてあって,まさに地球環境学大学院でいいと思うのですが,文〇省がだめだと言うんでしょうね.研究組織としての「地球環境学堂」,教育組織としての「地球環境学舎」というのもここと同じで,ここの場合は,研究組織としての「システム情報系」,教育組織としての「システム情報工学研究科→システム情報工学研究群」ということになります.

 学位プログラム化ですが,ここの大学が先陣を切ってということで,来年度から,つまり,あと1か月でそうなるのですが(もうほんとばたばた),ということは,これから他大学もこの変革?に巻き込まれることになって,組織替えが行われるんでしょうね.

 一体何やってんでしょうね? 研究大学じゃないの? 研究レベルを上げたいのなら,研究以外の余計なことをさせずに研究に専念させることが一番大事ということがどうしてわからないんですかね?

 要は,研究レベルを上げようなんてことは全然考えてなくて,余計な仕事を作らないと,自分たちの存在意義がなくなるという最悪のパターンで,まさに入試改革?と同じなわけです.

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3/8'20
[とにかく怖かった]

 老害ですが,社会とか組織の中での話で,会社なら年寄りの偉い人,学界とかなら偉い先生というイメージですが,その最たるものは,親子ですよね.

 つまりは,ここで書いたように,親が子供に嫌われたくなくて,ご機嫌をとって甘やかして育ててるのが最大の元凶なわけで,メンタルが脆弱なのもそういうことが背景にあるわけです.

 見方を変えると,現代社会において,子供にとって親ってどういう存在なのでしょうか? 優しくて友達みたいな感じ?

 私が子供ときは,全然違いました.親はとにかく怖かったです.父親も母親もそうですね.とにかく何かおかしなことをすれば,ものすごく怒られましたし,否応なしというところはありました.もちろん,いつも怖いってことではないですが,基本的にはそうだったと思います.

 でも,あとになって考えると,親の言うことは,すべて正しかったし,そのおかげで,怠け者でわがまま勝手な性格の私でも何とかここまでやってくることができたと思うんですよね.

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[国立vs私立]
(大学)

 筑波大は早慶より研究環境はいいと書きましたが,どういうことですかね? というか,ほんとにそうなんでしょうか?

 情報としては,早慶の先生とか移ってきた人と話をしてということもありますが,基本的には,私立か国立かということはあるでしょうね.

 じゃあ,私立と国立と何が違うかと言うと学生の数です.つまり,私立は国立と比べて圧倒的に学生の数が多いです.理由は単純で,私立は補助金はありますが,税金の割り当てが相対的に少ないので,教員一人当たりの学生を増やさないと「経営」が成り立たないわけです.

 逆に言えば,学生として大学に行って,より大きいリターンを得たいのなら,私立より国立ということになります.授業料も違いますしね(でも,昔より差は縮まってる).教員サイドからすれば,より多くの学生の面倒見ないといけないので,私立の方が大変ということになります.

 でも,研究室単位で考えれば,学生がたくさん来てくれるわけですから,マンパワー的にたくさん研究できるはずでは?という考えもあります.学力的には,早慶なら筑波大と変わらないでしょうしね.でも,実際は,そんな感じはしません.学会で早慶の学生がいっぱい発表したり,どんどん論文出してるという印象はありませんからね(多いのは,圧倒的に旧帝大や東工大).どういうことでしょうか.

 学生の気質みたいのがあるんじゃないですかね.私立大学って研究室の学生の数がすごくて,早慶は違うと思いますが,二人一組で卒論みたいなところもありますし,中身的にも...ということが多いです.大学院の進学率もそんなに高くない感じです(私がいる専攻は大学院進学率は8割以上).

 でも,教員がその気になって,10人でも20人でも一人ずつ最先端の研究テーマを与えて,しっかりやらせれば,すごいことになると思うのですが,そこまでできないってことは,研究以外の仕事が大変ってことでしょうし,学生からしてもどのくらいやれば卒論になるかという相場が全然違っていれば,教員がその気になっても,なんでうちの研究室だけこんなに大変なんだとなって学生が集まらなくなって,みたいなことになるのは,容易に想像できます.

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[研究が一番?]
(研究)

 研究なんですが,もちろんまだまだやることはあるんですが,私個人的には一仕事できたと思いますし,そういう意味では,「仕事としては」もう充分満足してるんですね.でも,私の研究室で研究したいとか,もっと研究して成果を出して欲しいというようなことがあれば,もう一仕事して頑張ろうかなとは思います.

 つまりは,自分がどうこうというよりは,回りに生かされているということなんですが,回りのそういう期待とか要請がなくなれば,それはそれでしょうがないし,むしろ,ほっとして,安心して(でも,回りに迷惑はかけないようにして)のんびりやって行けばいいんだと思います.

 でも,何か「本業」のようなものはあった方がいいとは既に書いた通りです.つまり,仕事としてはもう充分だけど,本業としてはどうかということですし,仕事をするしないに関わらず,「とにかく頭を使うこと」は重要で,そうすると,興味がもてるかどうかということもありますし,やっぱり,研究が一番?ってことですかね.

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 関連するのかどうかわかりませんが,今年度というか来年度の卒研配属は,研究室始まって以来の0になりました.つまり,上で「私の研究室で研究したい」ということがあれば,と書きましたが,そういうことがなくなってきたということでしょうか.

 これは,ここのところの傾向で,うちの研究室は大変だけど,頑張ればものすごく成長できるとずっと言ってきてるんですが,昔はそれで優秀な学生がどんどん集まって来たんですが,そういうことが敬遠されるようになって来てるんですね(それでも優秀な学生は来るんですが,昔より数は少なくなってる).もちろん,それで,方針を変えようなんてことは全く考えませんし,それで学生が来ないのなら,そんな学生には来てもらわなくて結構ということです.

 そして,今年は(既に書きましたが),そういうことをこれまでより全面に押し出したというか,かなりハードルを上げたんですね.そしたら,ある意味,想定通り0になったわけで,実は,1月の時点では単位数が足らなくて追加で進学が決まる学生が来る可能性はまだあるのですが,ここで実質終了ということにしました.

 とある事情はあるのですが,こういう形で,そういうことを確かめられたのは,ある意味収穫で,たくさんの学生の面倒を見るのがめんどくさい,やる気のない学生には来て欲しくないと思うのなら,割と簡単にコントロールできるんだなと思った次第です.

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[公平性vsわかりやすさ]
(世の中)

 東京五輪の代表が次々決まっているようですが,選考過程は,一発勝負とか1年間のポイント数とかいろいろのようです.一番わかりやすいのは,一発勝負とか,直接対決だと思うのですが,それが適切かどうかは疑問です.

 例えば,柔道ですが,男子66kg級の阿部と丸山の決着がついてなくて,4月の全日本体重別で勝った方ということなんですが,それはそれでわかりやすいですが,オリンピックで金メダルが獲れるかどうかなら,直接対決よりは,外国人に強いかどうかでしょう.つまり,例えば,直近1年の国際試合のポイント数とかの方が適切なわけです(バドミントンはそうなってる).

 もちろん,そういう場合,出る試合数とかいろんなことを公平にしないといけないわけですが,それはできると思いますし,自由に選べるとしても,どの試合に出てどの試合には出ないというようなことも戦略の一つでしょう.

 マラソンのMGCも瀬古さんは大成功と自画自賛ですが(東京五輪という本番では勝てないので,盛り上がりを代表選考にもってくるという意味では,確かに「興行的には」大成功ですが(皮肉)),何と世界選手権を実質シカトすることになりましたし,結局,3人目は,これまでのやり方と大差ないわけで,だったら,最初から,きっちり条件を出してやればいいと思うんですよね.

 レースによって,条件が違うということなら,世界選手権の上位者でいいと思うし,怪我とかで,たまたま,世界選手権に出られなかったとしても,MGCと同じように3人目の救済をすればいいということでしょう.

 でも,これは,理由は明らかで,これまでは,確か世界選手権で(金)メダルを獲れば内定だったと思いますが,今はもう日本のレベルは地に落ちていて,メダルなんか厳しくて,例えば,8位と15位で2名内定とかだと格好悪いってことで,強い海外選手を排除して日本人だけで同時期にMGCやって(騙くらかして)盛り上げて,ってことですね(しょぼいな).

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[仕事としての研究]

 あらためてなんですが,「仕事としての研究」って何なんでしょうね.

 研究というのは,本来は,仕事になるとかならないとかは関係なくて,やりたいから知りたいからやるものです.でも,いろんな研究の中で,仕事になる,それで飯が食えるものがあります.

 世の中の役に立つものとか,研究成果がお金になるものというのとは違ってて,非常に具体的に言えば,「それで大学の先生になれるもの」と言えます.文学とか理学とかの純粋学問を考えればわかりますよね.

 そして,私は,そういう「仕事になる研究」の中から(紆余曲折を経て)今やってることを選んだことになります.つまりは,何度か書いていますが,単にやりたいから知りたいからやってるのとはちょっと(大分)違うんですね.

 ということは,論理的に考えれば,定年で仕事をやめれば,仕事ではなくなるので,やらなくなるということになります.すごいシンプルな話です.

 でも,そう簡単にそうはならないので,ここでいろいろ考えていろいろ書いてるのですが,論理を崩さないとすると,大学は定年で辞めても仕事は辞めないのなら続けるということになります.

 じゃあ,仕事って何かとなると,最初に来るのは,生活して行くために稼ぐことですが,定年になったとき,もう仕事をしなくても充分食べて行けるとしたら,無理して仕事をしなくてもいいわけです.

 それでも,仕事を続けるとすると,生活して行くために稼ぐ以外のことが必要になるのですが,それが承認欲求とか単に面白い(やる気三要素で言うところの人との繋がりと内的熟達)ということになるのでしょう.

 つまりは,定年で大学を辞めても,そういうものがあれば続ける,なければ,続けないということですね.何とも当たり前の話ですが,具体的には,「単に面白い」のところは,やりたきゃやればいいし,もうやりたくなければやめればいいだけの話ですが,意外と難しいのが承認欲求のところなんだと思います.

 定年で大学を辞めると,研究する大義名分がなくなるというか,具体的には,大学に籍があるわけでもないのに,研究して論文書いて発表するというのが基本的に受け入れられてないというか,そういうことをしてる人がほとんどいないってことですかね.でも,研究して論文書くのは勝手なわけですから,そんなこと気にしないでやりたきゃやればいいんだと思いますが,ほとんど誰もやってないってことは,やっぱり,そういう意欲を削ぐ何かがあるんでしょうね.

 もちろん,今議論してるのは「仕事としての研究」なので,仕事とか関係なく,研究したいのならやればいいし,研究本来的には,論文なんか書かなくてもいいとは思うのですが,やっぱり,独りで勝手にやる研究でなければ,論文書いてナンボだとは思うんですよね(ウェブ公開でもいいじゃんと思ったこともありましたが,論文にしておかないと「盗まれる」).

 つまりは,「仕事としての研究」とは,「研究して論文を書く研究」と言えばわかりやすいですかね.実際,論文書いて業績積めば,大学に就職できて,昇進もできるわけですから,辻褄も合ってます.

 そして,「仕事としての研究」を定年後も続けて行きたいのなら,論文を書いていくということになります.ただし,それで飯を食う必要はないというか,金にならないのなら,「本業としての研究」と言ってもいいかもしれません.

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 ここまでは(何と)前振りです.本題というか,問題は,私が「仕事あるいは本業としての研究」を定年で大学をクビになった後も続けていくかです.そんなのその時に決めればいいとは行きません.なぜなら,続けるためにもう今から準備しないといけないかもしれないからです.

 具体的には,定年後,大学に籍がなくなっても,研究して論文を書くということをやって行くのかということになりますが,そう考えると,やはり,ハードルが高い感じがしてしまいます.そういう論文は,いくつか見たことがあるんですが,もちろん,素晴らしいというか,すごいことだと思うのですが,うーん,何て言うのかな,研究のための研究とは言いませんが,なんか違和感を感じてしまうんですね.

 そんなこと言ったら,定年前の現役の研究者が書く論文だって,ほとんどは,研究のための研究なんですが,現役だとそれが許されるというか,よく考えると変な話なんですが,飯食っていくためには仕方ないというか,そういうところがあるんですよね.

 そうすると,単に論文を書くだけではなく,研究のための研究ではない論文を書かないといけないことになって,益々ハードルが上がるんですが,私自身は,ずっと研究のための研究ではない論文を書いてるつもりなので,それは,これまで通りやればいいってことですかね.問題は,自分はそのつもりでも,そういう風に受け取られるかでしょうか.

 具体的には,他者評価より自己評価ってことなんですが,リタイア後は,そんなこと言ってられないってことでしょうか.そうすると,何だかちんけな話ですね.

 でも,やりようはあるとは思ってて,「論より証拠」ってことでしょうか.具体的には,私自身,経験してきたことなんですが,20年前,震度ではなく1-2秒応答の方がより正確に地震被害を推定できるということを言い出したときは,全く受け入れてもらえなかったと思います.こいつ何言ってんだみたいな.

 でも,その後,多くの大地震が起こって,1-2秒応答が見事に実際の被害を言い当てたことから急速に受け入れられるようになりました.まさに「論より証拠」ってことです.

 つまり,リタイアして,年寄りの冷や水とか思われても,「論より証拠」というか,研究のための研究ではなく,マニアックな極一部の人にしかわからないものではなく,実際の地震被害に直接繋がるような汎用的なことをすれば,何かが起こるのかもしれません.

 もちろん,1-2秒応答のときのように,他者評価にめげずに自分を信じて自分の道を突き進むのでもいいとは思うのですが,そこまでのエネルギーがあるとは思えないというか,実際,リタイア後も研究して論文を書き続けている人はほとんどいないわけですからね.

 じゃあ,実際の地震被害に直接繋がるような非常に汎用的なことは何かと言えば,やはり,地震被害推定とか,将来発生する地震のリスク評価ですかね.具体的には,これらをどんどんリバイスしていって,それを論文にして行って,実際に地震が起こったとき,どこでどのくらいの被害が出ているか正確に推定できれば,注目を集めるというか,興味をもつ人は多いと思うんですよね.

 逆に言えば,どこに建つどのマンションや家の安全性がどうかがピンポイントでわかるわけですから,需要はあるでしょうと書きましたが,そういうことを商売にするのではなく,研究して論文という形で公開するということです.

 でも,こうして書いてみると,これってやっぱり,とてつもないことというか,普通は,リタイアした後,そんなことしませんよね.怠け者の私なら尚更です.

 ですから,実際にそうするかどうかはわからないのですが,万が一にでもその気になるかもしれないので,一応準備はして行こうとは思います.

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 さすがにそこまでは,ハードルが高いということなら,研究とは言えないかもしれませんが,仕事というか本業とは言えることとして,大学以外の委員会とかの活動を続けていくということはあるでしょう.そして,これはそうしてる人も多いと思います.

 でも,話が来ないといけないし,しばらくはいいとしても,徐々に減っていって,そのうちなくなるとは思うんですよね.それはそれで,その後,やることがあるのなら,それでOKですが,何か「本業」のようなものが必要だとすると,少なくとも「仕事としての研究」は「使えない」ことになります(「本業」なので「趣味」ではだめです).

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[失敗だった?]

 全く違う話題ですが,私の人生って失敗だったのかもしれませんね.

 具体的に言えば,仕事とかやりたいことをやるとか,そんなことより,愛する人と家族というか家庭をもってということが大事というか,そういうことが幸せというものだったのかもしれません.

 そうしようとしてもできなかったというよりは,そういう道を選ばなかったということなので,人生やり直せるとして若い頃に戻れたとしても同じ道を辿ると思うんですよね.

 だから,どうしようもないというか,私の人生が失敗だったとすれば,どのみち失敗することになってたってことですからしょうがないですね.

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3/9'20
[もうだいたいわかったかな]
(研究)

 仕事というか,本業としての研究は続けていくというか,そういうつもりで準備はして行くってことなんですが,どうなんですかね? 今はその気でも10年後はわかりませんよね.

 その気になるかどうかが最大の問題なんですが,そんなことより,歳をとれば,体とか脳とかが衰えるのを完全に防ぐことはできないしでしょう(でも,それを何とかするというのが「準備」でもあるんですが),

 でも,やっぱり,一番は「その気」の問題かなあ.

 これまでを振り返ってみても,ずっと「その気」になってやって来たわけではなくて,30代のようにやりたいこと,やるべきことを見失ったり,40代はそこそこ頑張ったとは思いますが,学生達がどんどん研究室に来てくれて,それに応えるために頑張ったってことはありますからね.

 そして,50を過ぎて「人生50年」的に「実質人生が終わり」,振り返ると,こんな怠け者の私でも一仕事できたと思えて,ほっとしたところはあったわけで,でも,学生達が来てくれる以上は頑張らないと,ということはあるわけです.

 つまり,回りからの要請があるからそれに応えるというところはあったわけで,でも,定年で大学を辞めると,そういうことがなくなるわけで,そこで,体や脳が衰えて行く中で「その気」をどのくらい維持できるかと言うと...

 そうすると,残るは,内的熟達というか,やりたいからやるということなんですが,それが「研究」と「本業としての研究」の最大の違いなんですよね.回りからの要請なんかなくても,やりたければやるんですが,研究のための研究なら,こんなことやってどうすんだ?ということになるでしょうし,一番の障害は,「もうだいたいわかったかな」と思ってしまうことです.

 これは初めて書くと思いますが,過去に何度かそう思ってしまったことがありました.最初は,博士をとって東大地震研に就職したとき,次が1-2秒応答で建物被害を説明できたときです.今から思えば,「もうだいたいわかった」と思っていても,実際は「まだ全然わかってない」んですが,「もうだいたいわかった」と思ってしまうと,「その気」は萎えてしまいます.そして,30代はそうですし,40代は上記のように,回りの要請に応えることでやってこられたと思うんですよね.

 つまり,これから研究して行く上で,いつまた「もうだいたいわかった」と思ってしまうかもしれず,というか,そういう感覚というか恐怖は常にあって,それは何を意味するかと言うと,平たく言えば,研究テーマがない,見つからないということで,やることがなければ,話にならないわけです.

 もちろん,「もうだいたいわかった」と思っても,それは未熟さゆえの錯覚なんですが,これは,非常に難しい問題です.だって,本人はそう思ってしまってるわけですからね.

 そして,これが研究者に必要な最大の才能なのかもしれませんね.もうやることないと思っていても,実際はそんなことはなくて,まだまだやることがある,つまり,いつも書いてるように,いかに研究テーマを見出せるかが勝負の分かれ目で,結局は,10年後も,歳をとっても,それができるのかってことでしょうか.

 でも,それができなくなったら,潔く研究者を引退すればいいとも言えますね.そうすると「本業」がなくなることになりますが,そういう中で,数十年どう過ごして行くかを考えて,そういう「準備」もしておくということですかね.

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[研究のための研究]
(研究)

 上の続きです.

 最近,研究のための研究というワードがよく出てきますが,はっきり言って,世の中の研究のほとんどは「研究のための研究」です.つまりは,それで飯を食うための「仕事としての研究」ということですね.世の中の役に立つ研究とか言ったって,今現在世の中は回ってるわけですし,問題があるとしたら研究以外のところなのは明らかです.そして,その傾向は,I.F.などの業績の定量的評価によって,益々ひどいことになってきました.

 逆に言えば,どんなにつまらない研究でも,それで論文が書けて査読が通れば,飯を食って行ける,つまりは,大学に就職できるし,昇進もして行けるということです.

 私個人的には,そういう世の中の悪しき風潮に流されることなく,「研究のための研究」でない研究をしてきたつもりですし,それは,これからも変わりません.いや,そういう中でも査読論文はいっぱい書いてるわけですから,ある程度,要領よく対処してきたということかもしれません.

 でも,定年で大学をやめて,研究が仕事でなくなったら,食べて行くために研究する必要はないのですから,「仕事としての研究」はやらないということになります.そして,これは,即ち,「研究のための研究」ということです.

 つまり,論文を書くのなら,それは「研究のための研究」という側面があるのではないかということで,非常に明確に言うのなら,定年で大学をやめて,研究が仕事でなくなっても続けて行くのなら,論文を書いたりせず,純粋な「自己満足」でやって行かないといけない,そこまでやりたいと思えないといけないということです.

 いつもこのサイトで書いてますが,仕事がやりたいことって言うのなら,その仕事,無償でもやりますか?ってことで,それは,金銭的なものだけではなく,社会的評価のようなものも含まれるわけです.

 そう考えると,なかなかハードルが高いと思いませんか?

 もちろん,ある程度,割り切って,論文を書くための「研究のための研究」をして行くことも考えられますし,社会からそういう要請があるかもしれませんし,「研究のための研究」なら,いくらでも研究テーマは考えられますからね.でも,そこまでしますか? する意味ありますか?ということでしょうか.

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 でも,こうして書いて考えてみると,変な話ですよね.

 再三,目先の経済を回して飯を食ってると言っておきながら,研究の世界も似たようなもんじゃないかとも言えます.

 否,研究自体はそうでも,研究テーマを考えて,学生達に研究してもらうことを通して人材を育てているとは言えるでしょう.この効果は絶大で,工学系なら,卒論,修論をやってなければ,使い物にならないでしょうし,ここで「考えられる人材」になれば,間違いなく成功します.でも,それなら,研究ではなく教育でしょうし,それこそ,定年で大学をやめれば,研究を続ける意味はなくなってしまいますし,実際,ほとんどの人がそうなってるわけです.

 ですから,そういう大勢の中で,「研究のための研究」でない研究ができるか,あるいは,自己満足でも研究ができるかという「突出したこと」が求められるわけで,ハードルは非常に高いと思います.

 じゃあ,私がそのハードルを越えようとするかですが,自分でどうこうできるものではないです.平たく言えば,その気になるかということで,「研究のための研究」でない研究なら,そんな稀有なテーマを思いつくかということですし,自己満足でも研究ができるかというのも自分でコントロールできるものではないです.

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[人に迷惑さえかけなければ]

 でも,逆に,そこまでハードルを上げることないんじゃない?という気もしてきます.純粋にやりたいだけで,自己満足だけでやりたいと思えることなんかそうそうないでしょうし,研究に限らずどんなことでも,何らかの形での社会性というか,そういうことで,自分がやってることは,社会の役に立ってる,やる意味があると錯覚というか,思いこんでやってるところは,大いにあるわけですし,そう思い込んだ方が幸せというか,頑張れるというか,成功するとも思いますしね.

 こうなってくると登場するのはやはり「人生所詮退屈しのぎ」です.つまり,いろいろ考えてもしょうがないというか,最終的には「人生所詮退屈しのぎ」なので,人に迷惑さえかけなければ,何やってもいいってことです.

 でも,そうすると,リタイアしたら,やりたいことだけやればいいとなって,無理してハードル上げて「研究のための研究」でない研究やらなくても,となるのですが,問題は「人に迷惑さえかけなければ」のところで,のんびりやりたいことだけやっていて大丈夫ですか?(要介護とかになって人に迷惑をかけることになりゃしませんか?)ということでしょうか.

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(運保)

 今日も相場は大荒れで,でも,日運と短運を売っているので,問題ないというか,下がれば下がるほど利益が出る状態なのですが,VIX先物の方が値動きが大きくて,ロスカットになってしまいました.しかも,ぼーっとしてて,同じ取次会社のFX(外貨)もそうなってました(VIXに証拠金を移したのを忘れてた).

 その上,当日の動きを見て1日10分だけ考えて,その日どうするかを決めているのですが,勘違いで日運で余計な玉を建てたりして,相場の読みとしては,割とうまく行ってたのですが(原油先物も暴落前に売り抜けたし),それ以外のマネージメントのところで,結果的に相場観と違った投資行動になってしまったのは問題ですね(このファイルは括弧書きにしました).

 ちょっと考え直した方がいいかもしれません.仕事も大変だし,仕事以外にもいろんなことをやってるし,生活というか身の回りのことも全部自分でやってるのに,日運と短運だけならまだしも,資保ということで,いつの間にか,ものすごい広い範囲の取引をしてるわけで,いくら何でも無謀すぎるのかもしれません(私の場合,無謀なことをするのが趣味みたいなところはあるんですが(笑))(でも,時間的には,いろいろ合わせても1日せいぜい30分くらいなんですけどね).

 でも,VIXはやっぱり怖いですね.既に何度も書きましたが,売りは理論上損失無限大まであるわけで,しかもVIXの場合は,売り買いが反対方向なので,二重にやばいわけで,その上,逆張りの場合,反対売買の目処がないわけですからね.

 ですから,これも既に書きましたが,資金を複利でしこしこ1000倍に増やした,例えば,100万を10億にしたとしても,一瞬にして,損失が20億になることもあるわけで,今回は,余剰資金の範囲でやってるので,もちろんそんなことにはなってないのですが,そういうことが起こる資金が少ないうちにそういうことを経験して,相場の読みが当たったとしても,ロスカットにならずに玉を維持することが必要なわけで,そのためにどうするかということですかね.

 そうすると,やっぱり,既に考えたように,売りは割り当て資金の1/3とか1/4ってことですかね(あるいは,リターンは下がるけど買いだけやるとか).あとは,損失無限大にならないように,最低でも0,つまり,割り当て資金を全て失うところで抑えるということと,VIX先物は完全別枠にすることですね.そしてこれは,まさにロスカットの考え方なので,それはそれで問題ないし,今回も然りということでしょう.

 とにかく,VIXは完全別枠で,しかも時々0になるくらいのつもりでやった方がいいかもしれません.

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[いい子]
(芸能)

 乃木坂を卒業(ってなんや?)した白石さんですが,もちろん,売れていくためにはしょうがないんでしょうが,なんだか「いい子」になってしまって,ちょっとつまんないですね.

 もう大分前だと思いますが,寝るくらいの時間にちょうどやってて,時々ちらっと見たくらいですが,昔は,白石から「黒石」になって毒舌を吐いたりしてて,ちょっと面白かったんですけどね.

 卒業して生き残った人は,ほとんどいないんですが,生き残ってる人は,何かもってるってことなんでしょうが,白石さんの場合は,正統派の美形で押すってことなんですかね(もっとも,毒舌キャラで行けるとも思えないが).

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[何を目指してる?]

 それにしても,仕事も仕事以外もいろんなことをやって,そのどれもを趣味とかじゃ全然ないわけで,普通は,「たった一つのこと」に打ち込むものなのに,コイツ一体何を目指してるんだ?と思う人もいるんでしょうね.

 別に何も目指してませんよ.ただ,やりたいことをやってるだけです.

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[何も解決してない]
(経済)

 これからどうなるかはわかりませんが,このまま行けば,リーマンショックかそれ以上のことになってしまいます.このサイトで,リーマンショックは100年に一度ではなく10年に一度の出来事と再三書いて来ましたが,現実味を帯びてきました.

 いやいや,今回は,経済の問題ではなく,感染症の影響だから特殊事情なんじゃない?と言う人もいるかもしれません.

 いやいや,世界経済がどうやってリーマンショックから立ち直ったかわかってますよね.中国の劇的な経済成長です.それにおんぶにだっこでここまでバブって来たわけです.つまり,本質的には何も解決してないんですよ.そして,この惨状です.

 中国の工場が止まれば何も作れない,中国人のインバウンドでバブっていたところは,中国からのウィルスの侵入を止められなかった.全てリーマンショック以降のツケを払ってるようなものです.

 リーマンショックのときも書きましたが,何が必要で何が要らないかよく考えてみましょう.何度も同じことを書きますが,目先の経済を回すのではなく,その仕事がほんとに必要かどうかをよく考えましょう.リーマンショックのときもそうでしたが,今回のことで,仕事が激減したものは,ほんとは,要らないものだということを肝に銘ずるべきでしょう.

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[何でも研究]

 そうですね.それでいいような気がします.

 何でもいいから,その気になることや,やりたいことがあればいいし,いろいろ考えてやらないといけないことなら,脳力が衰えることもないような気がしますし,これについても自分を使っていろいろ人体実験というか,研究して行くこともできますしね(ていうか,既にいろいろやってるけど).

 研究については,確かに仕事というか,本業的側面はあるのですが,ということは,社会との繋がりとか評価されるとか必要とされるとかいうことがあるわけで,だったら,自分ではどうこうすることではなくて,そういう話があって,面白そうかやり甲斐があるか自分にしかできないことなら受ける,そういう話がなくても自分でやりたいのならやる(そこまでやりたくないのならやらない)ということでいいんだと思います.

 そして,自分でやるのなら準備は必要ということですが,最大の準備は,今研究することでしょう.一人でもしこしこできるようにというのは,そこそこ準備できてるとも言えますし,それこそ,「卒業」間近になってからでも間に合うでしょう.

 つまり,何より重要なのは,何でもいいから,その気になることや,やりたいことがあることで,そのために必要なのが,既に書きましたが,知的好奇心です.問題はこれをどうやって維持しかき立てるかで,これまた脳力と体力が低下しないようにするには(認知症や要介護にならないようにするには)どうしたらいいか,とともに,研究対象ということで,要は,「何でも研究」ということです.

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3/10'20
[いろんなことをやる]

 一つのやり方は(既に書きましたが),いろんなことをやることでしょう.でも,私の場合,そういうことでいろんなことをやってるわけではなくて,いろんなことに興味がある,つまり,いろんな興味があることに手を出していたら,こんなことなったってことなんですけどね.

 でも,仕事でも仕事以外でも,その興味は常に一定ではなくて,むしろ,そうでもないことの方が多いくらいで,でも,いろんなことをやってると,どれか引っかかるということですし,それ以外のことも,例えば,スポーツならある程度はやってないとどんどん競技力は落ちていくわけで,そうすると,適度に「埋まる」ってことなんですが,リタイア後は,仕事のところが大幅に抜けるので,それを埋めるのにもう少し種目を,あるいは,今もってるものを少しずつ拡充するということでしょうか.

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[生きて行く楽しみ]

 単純に考えれば,食べて行くために必要なそんなに嫌じゃない仕事と,何でもいいので,生きて行く楽しみがあれば,生きて行けると思うんですよね.

 リタイアすれば,仕事の代わりに年金が(多分)貰えるわけで,そうすると,孫に会うことでも,家庭菜園でも,アイドルの追っかけでも,生きて行く楽しみは,何でもいいのかもしれません.

 でも,それじゃあつまんないと言う人もいる.仕事をして稼ぐことに存在意義を見出す人や社会的に繋がっていたいと思う人もいる.それならそれで,そうすればいいわけで,ある意味,単純な話です.

 私はどうなんでしょうか? 仕事をして稼ぐことに存在意義を見出してるわけでも,社会的に繋がっていたいと思ってるわけでもない.

 何だか厄介な話で,やっぱり,よく考えて準備しないと,ということなんですかね.

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(運保)

 日記的なことですが,アメリカ株が(ここに来てようやく)売りになったと判断して,Nasdaq100の先物を売ってみました.VIXが1枚だけ?Gに残っていたので(このファイルの括弧はVIXはとりました),建玉的には相殺というか両建てみたいなもんですしね.

 VIX先物のロスカットに巻き込まれた?MOですが,何かものすごく手前で線を引いてるみたいで,使いにくいので?Gにしました.VIXも(ロールオーバーはちょっとめんどくさいけど)?Gを使った方がいいですかね.

 でも,FXは?MOの方が使いやすいですかね.こちらもタイミングを見て再開したいと思います.

 相場が大荒れってことは,稼ぎ時とも言えますしね.

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3/11'20
[自分にとって]

 要は,「自分にとって」どうかということでしょう.死ぬまで働けたら幸せとか孤独はダメとか社会との繋がりが大事とかいろんなことが言われていますが,そんなものは全く参考にならないわけで,自分のことなんですから,とにかく自分で考えるしかありません.

 結局は,私という人間の特性だと思うのですが,三つ子の魂..じゃないですが,過去のことが参考になりますかね.

 人付き合いについては,いろんなことをやってることもあって,一頃は,かなりの数の人との付き合いがあったし,それが楽しかったし,声がかかるといろんなところにホイホイ出かけて行って,飲みながら楽しくいろんな話をしていたと思います.その頃の私しか知らない人は,私のことを社交的だと思ってるかもしれませんし,私のことを昔から知ってる人には,昔と全然違ーうとよく言われました.

 でも,私って,元々そんな人間じゃないんですよ.若い頃は,わがままで自分勝手で尖ってて,全然協調性のある人間ではなかったし,それは,今でも本質的に変わらないと思います.でも,仕事をして行く上で,あるいは,仕事以外のいろんなコミュニティーでもちゃんとやって来たということなんでしょう.

 でも,もう無理してやりたくない仕事をしてまでしがみつく必要がなくなったりして,本来の自分に戻るじゃないですが,無用な人間関係が苦痛になってきたんですね.もちろん,無用でない人間関係,つまりは,付き合いたいと思う人は,これからも付き合って行きたいと思いますが,そういう人間関係って,そんなに必要ないと思うんですよね.

 一方で,何をやるかについては,お金はもちろんですが,社会的地位とか,夢とか目標とか目的とかは,ほとんど動機づけになりません.評価していただけるのであれば,それは嬉しいことですが,それが目的になることはないですし,評価してこき使われるのは勘弁です.逆に言えば,こんなことやってどうすんの?ってことでもやってて面白ければやります(ここで文章書いてるのだってまさにそう).

 じゃあ,どういうことが面白いかと言うと,研究とかピアノとかスポーツとかがそうですが,やると何かがわかってくる,何かを作り上げて行く,上手くなる,強くなるというようなことでしょうか(まさに内的熟達.でも,そういうものなら何でも面白いというわけではない).

 逆に言うと,人と関わるとか,世の中の役に立つとかいうことには,そんなにその気にならないんですが,学生達はかわいいし,研究室の門を叩いてくれたのなら,できるだけのことして「仕事ができる人間」にしてやろうと思いますし,世の中の役に立つということに関しても,興味があることをやってたら,結果的に世の中の役に立つことになるしそれが近道だと思ってやっています.

 でも,こうして書いてみると,自分で言うのも何ですが,私は自分のことをよくわかってて,だったら,それに従ってやって行けば何の問題もないんじゃないの?ってことなんでしょうが,そう簡単には行かないわけで,というのは,私ってとにかく怠け者で(これも自分でよくわかってる),その気になったときはものすごい勢いで研究するけど,そうでもない時も多いし,今日はピアノ弾きたくないなと思う日なんかしょっちゅうですし,練習に行くのはめんどくさいんですよね.

 じゃあ,リタイアしたら,特に何をするでもなく,自堕落にだらだらと過ごしていくというのもありというか,憧れみたいなものはあるんですが,それだと(多分)気分よくは生きていけないような気がするし,要介護になって回りに迷惑をかけるのは避けたい.だとすると,いろんなことをやってれば,どれか一つは「その気の網」に少しは引っかかって,残りも何とか維持する程度に続ければ,時間も埋まるしそれなりに気分よく生きて行けるとも思うけど,やはり,何か「本業」のようなものはあった方がいい気がするし,今は一人でも大丈夫だけど,ずっとそれでいいのかどうかわからない,というようなことが現状の見解?ということでしょうか.

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[現状で(ほぼ)OK]

 見方を変えると,現状でOKというか,環境的にはほぼ満足しているんですね(あくまで環境の話で,もっと知りたい上手くなりたい強くなりたいということには全く満足していない.ただし,大学の研究関係以外の仕事は正直やりたくないけど,給料もらってるので仕方ないし(理想は,そういう仕事を半分とか1/4にしてもらって給料も半分とか1/4),責任を果たすという意味では,しっかりやるのはもちろんだが,ほんと無用というかしょーもない仕事が増えて来てるのには閉口してる).そして,今くらい(から大学の余計な仕事を除いた分くらい)のことはやって行かないとどんどんだめになって行く気がするんですね.

 つまりは,大学をやめた後も,今の環境をどうやって維持するのかと考えればいいことになります.仕事以外の部分は,そのまま続ければいいので,問題は研究のところですね.具体的には,学生とか若い人達を育てながら研究活動を続けて行くにはどうしたらいいかということでしょうか.

 一つは,再三書いてる「研究所」ですね.要は,コンサル的なものを自分で立ち上げるってことなんですが,稼ぐことには興味ないし,いろいろめんどくさそうなので,現実的ではないですね.どこかに雇ってもらって,それに近い仕事をすることは考えられますが,少々の延長戦ってところでしょうから,解決策にはなりませんね.

 「研究グループ」でもいいんですが,これがどのくらいの「ウェイト感」になるのか,「本業」と言えるくらいになるのかってことですが,そこまでは行かない気がします.

 こうして見ると,UCバークレーのEERC(今はPEERなのかな)のベルテロ先生みたいなのが理想ですね.具体的には,定年後も居室があって,何人かポスドクの学生がいてみたいな感じでしたからね.やはり,アメリカと日本では全然違うというか,国土の面積という資源の違いということですかね.

 でも,居室くらいは,自分で何とかなると思いますから,そういう問題ではない気がします.具体的には,東京のどこかに部屋を借りて,そこを研究所とか研究室にして,私が仕事(研究)をするというのもありますが,一番重要なのは,私に就いて研究したい,研究して行くことで,研究の進め方とか考え方とかいろんなことを学びたいというポスドクとかの若い人達が来てくれるかということですが,今の枠組みだと,ポスドクの受け入れ先は大学とかで,民間?の一研究室ではだめなんですよね?

 でも,ポスドクは,学振から給料もらってることもありますし,そうでなければ,どこで何するかは自由というか,結局は,研究して成果を出して査読論文を書いて,大学の公募に応募するわけですし,私のところに来れば,いい研究できるし査読論文もばんばん書けるので,本質的には,全然ありだと思うんですけどね.

 別にポスドクでなくても,研究者になって,大学に教員として就職したい,そのために研究指導して欲しいということなら,修士とか博士は,大学院に行かないととれませんが,もっと本質的な「研究する能力」を身につけるという点では,私にできることは,大学をリタイアした後もいくらでもあると思うんですよね.

 でも,私がやっているようなこと(震源から構造物被害に至る壮大な物理パズルを解くこと)をやりたい,それで研究者としてやって行きたいと思う人がいたとして,どこかの大学か大学院を出てから来るってことは,なさそうな感じがします.なぜなら,私がやってるようなことをやってる研究室ってほとんど(全く?)ありませんからね.それこそ,落語家になりたいから弟子入りしたいみたいなもん?

 うーん,どうなんだろ? 逆に大学院入試とかがあるわけでもないし,もちろん,数学とか物理とかプログラミングとかの基本的なスキルは必要なんですが,全国に何人というくらいは,いてもよさそうな気もしますけどね(でも,これも結局,来てもらうという他力本願).

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[そういう国]
(世の中)

 C国の国家主席がB漢入りして,画面を通して,現場で治療に当たっている医師たちを励ますという映像が流れていました.雰囲気的にどこかで見た光景だと思ったのですが,そうまさにK朝鮮です.C国って,そういう国なんですよ.

 世界最大の人口を抱え,ものすごい勢いで成長して,アメリカを凌いで世界を支配しようとしていて,もはや打つ手なしという雰囲気ですが,まずいんじゃないですかね.

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(世の中, 経済)

 何十兆円というETF買いをしてきたN銀ですが,日経平均で19500円が損益分岐なんだそうです.ほーら言わんこっちゃない.

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[引っ越しが面倒なわけ]
(生活)

 「いつでも引っ越せる状態(が理想)」ってことなんですが,理想には届かないとしても,実際に引っ越すことはあるわけで,そして,引っ越しは面倒なわけです.でも,「ただの引っ越し」なら,とにかくものをダンボールに詰めて,重たいものも含めて引っ越し屋さんに頼めばいいわけですよね.

 じゃあ,どうして引っ越しが面倒なのかと言うと,引っ越すときについでに要らないものを捨てようとするからです.だって,要らないものを運ぶのはばかげてますからね.そして,要るか要らないかを判定するのに時間がかかって大変なわけです.

 でも,これは,本来的には,引っ越しとは関係ないわけで,要は,普段からものを整理して,要らないものは捨てておく,あるいは,要るものと要らないものを分けておいて,引っ越すときに,要らないものは,がばっと捨てられるようにしておけばいいということです.

 まあ,それが面倒ということなんでしょうが,少なくともそこまでやっておけば,「いつでも引っ越せる状態」と言えるでしょうし,「いつでも引っ越せる状態」の本来の目的である普段の生活の快適性も格段に違うと思います.

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[がっかり]
(ピアノ)

 ビデオテープの整理(おそらくほとんど要らない.結構かさばるので,要らないものを廃棄すれば身軽になる)をしてるんですが,ほとんど中身が何かわからないので,いちいち再生しないといけません(棚に並べて,アドレス管理はしてたと思うけど,ちょうど9年前の今日の地震で棚が崩れてわからなくなった.もっとも,棚と言っても,積み重ねただけだったので,崩れて当たり前だったけど).時々,張り付いて動かないのがあって,そういうのも捨ててもいいんですが,インターネットで調べたら対処法があったので,一つ動かしてみたら,ピアノの演奏風景が出てきました.

 曲は,ショパンのポロネーズ6番です.いわゆる英雄ポロネーズですね.結構上手い.ミスタッチもそんなにありませんし,ちゃんと弾いてるし,こんだけ弾けたら大したもんじゃん.うん? 自分?(画質が悪い)

 英雄ポロネーズは,ちょこっと練習したことはありますが,演奏会とかで弾いたことはありませんし(でもこの曲を演奏会で弾くわけないけど),ここまで弾けたという記憶は全くありません.つまり,自分みたいに見えるけど,自分じゃないんじゃないかと.じゃあ誰? テープを巻き戻して,最初から見ると...

 ハチャトゥリアンのトッカータの演奏が入ってました.私ですね...弾き方もそうですし,背格好とか,ビデオカメラのスイッチの操作をするために舞台から降りたりするときの,のそのそっとした動きとか見てもそうですかね.場所は,多分,東大の工学部11号館の1階の講堂で,この建物は,学生時代の研究室(青山・小谷研)が7階にあったんですが,それはたまたまで,東大ピアノの会の五月祭の演奏会をそこでやっていて,その前日とかに忍び込んで,録画したんでしょうね(全く憶えてないけど).ですから,大学院生時代ですかね.

 まあそれはいいとして,ハチャトゥリアンのトッカータも上手い.この曲は,今でもいつでも(多分)弾けるんですが,今より上手いんじゃないかな.少なくともフィジカルとか指の動きとかが全然違う.それは,英雄ポロネーズもそうで,演奏会とかで弾いてないってことは,自分ではそこまで仕上がってないと思ったからでしょうが(でもこの曲を演奏会で弾くわけないけど),それでもここまで弾けてるわけで,今の感覚だと,全然ここまで弾けずに演奏会で弾いてるわけで...

 思ったことを正直に書くと,ピアノも下手になったんだなあってことです.もちろん,音楽的云々ということはあるでしょうが,今このくらい弾けと言われても厳しい気がします.バドミントンは遥かに悲惨なんですが,ピアノもそうだとすると,ほんとがっかりですね.一体,この30年,何をやって来たんでしょうか.

 でも,スポーツは当然として,肉体を使うということでは,ピアノも然りで,若い頃は,バドミントンが強かった,ピアノが上手かった,ということで,それを証明?するには,こういうビデオテープとかを見せるしかないというか,そんなことしても何の意味もなくて,問題は,今どのくらいできるか,これからどれくらい上手くなって行けるかなわけで,でも,こんなことでは,ほんと話にならないというか,これからやって行く意味あんのかと思ってしまいます.

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 うーん,でも,何か違和感ありますね.上で書いたことは,その通りなんですが,私の中では,昔より上手くなってるという感覚はあって,それは,音楽的なこともありますが,実際,若い頃,弾けなかった曲が弾けるようになってるとも思うわけで,この違和感は何なんですかね?

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[これ以上はやばい]

 歳をとるのは自然の流れなので,特段抗おうとはして来なかったんですが,これ以上はやばいと感じるようになってきました.

 具体的には,今より脳力が衰えれば,最先端のレベルで研究することに支障が出てくるかもしれませんし,体が動かなくなれば,バドミントンもスキーもできなくなります(そして,上で書いたようにピアノも).そして,その先には,認知症や要介護が...

 じゃあ,どうするかですが,アンチエイジングとか,そんなことではなくて,やはり,食事と適度に体を動かすことじゃないですかね.適度に体を動かすというのは,週何回運動をする(アクティブカウチ)とかいうことじゃなくて,文字通り「体を動かす」ことです.具体的には,座ってるでも立ってるでも歩くでも走るでも,同じ体勢をとり続けると,どんどん体が錆び付いて動かなくなっていく感覚があるんですよ(例えば,いくら歩いても歩く以外のことができなくなるイメージ).

 最初は,バドミントンの競技力向上というか回復のためにやり始めたことですが(と言っても全然大したことはしてないんですが),もっと広い意味で大事なのかもしれません.やってることは,全然大したことではないんですが,大したことだと持続性がないので,できることをできる範囲でやるということでやってみて,10年後どうなってるかということでしょうか.

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3/12'20
[メリット?]
(生活)

 家とかマンションは,(不動産価格が右肩上がりでなければ)買うより借りて住んだ方が得と何度も書いてきました.それは,単純に経済的なことなんですが(計算はかなり複雑で,一見すると家賃払うより買ってローン払った方が得に見えるように巧みに仕組まれている),それ以外のメリット?があることにも気づきました.それは,引っ越さないといけないということです.

 いや,本来的に持ち家だろうが賃貸だろうが,引っ越す引っ越さないは関係ないんですが,持ち家を売り払って引っ越すのと,賃貸を引き払うのとでは,敷居の高さが全然違うでしょう.つまりは,多分もう一生引っ越さないと思うから家やマンションを買うんですよね.

 そうするとどうなるかですが,少なくとも「いつでも引っ越せる状態」にしようとは思いませんよね(私だったら思いません(笑)).そうすると,家の中は,要らないものでどんどん溢れて,快適な日常生活は..ってことになりませんかね?

 それは,賃貸でも同じかもしれませんが,少なくとも引っ越さなくてはいけなくなったときに整理や処分をすることになります.つまり,そういう機会が(強制的に)あるってことで,そういうのがないと,何十年も積もり積もると大変なことになるような気がします.後は野となれ山となれだと,先に逝く方がいいかもしんないけど,残された人は大迷惑ですし,自分の持ち物を掘り返されるのも嫌じゃないですか?

 要は,要らないものが溢れた中で過ごすのではなく,快適な日常生活を送るために,時々(10年に1回くらいは)半強制的にそういう機会があった方がってことですが,そんなのなくても,しっかりできてる人は問題ないですし,整理や処分ができないで着の身着のまま?で引っ越して,引っ越すたびに物がなくなる(笑)と言う人もいるので,結局,本人次第ってことですかね.

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 自分に関してですが,そんな几帳面ではないんですが,そんながさつでもないし,実際,家や研究室の散らかり具合は,平均か少し片付いてる方くらいだと思うので,整理・処分的なこともそのくらいということでしょうか(でも,何に関しても自分が「平均」というのは気分よくないですね(笑)).

 でも,そういうことを重要な柱の一つとして認識してからは,いろいろ考えたり創意工夫したりするようになりましたし,やり始めると奥が深くて,これも持続性や自分の特性も含めて「自分にとって何が最適か」なので,誰かが書いた断捨離の本の通りにやればいいとか,その道のプロ?に片付けてもらえばいいとかいうのとは全然違うし,そう簡単には行かないというということは,逆にライフワークとも言えるもので,ピアノとかバドミントンとかスキーとかと同様に「熟達」して行ければ,そして,生活がどんどん快適になれば,ということでしょうか.

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3/13'20
[ブラックマンデー以来]
(経済, 運保)

 大変なことになってきましたね.NYダウの下落率(値幅は当然史上最大なので,率で言うのは正しい)は,ブラックマンデー以来ということですが,ということは(多分,敢えて言ってないんだと思いますが),リーマンショック以上になってしまったということです.

 個人的には,日運と短運の利益がどんどん膨らんでるのですが(先日売ったNasdaq100先物も),VIX先物が1枚だけ残っていたのと,資保もゴールドとプラチナが残っていて,こっちは下げてるのですが,収益的にはかなりのプラスです.先日,?MOでVIXがロスカットになって文句を言ったんですが,これも結果的に助かったと言えますね(でも,そんな結果オーライではだめ.そうそう,日運で手違いで建ててしまった余計な建玉も結果大幅なプラスになりましたが,これもそんなんではだめ).

 でも,VIXとNasdaq100は,同じ口座ですが,日運と短運と商品先物は,口座が別で,当然相殺してくれないので,日運や短運の利益を商品先物の口座に移さないといけないというか,そういうマネージメントをしないといけないのが面倒です.

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 リーマンショックのときも,今回も書きましたが,こういうときに何が必要では何が要らないかがわかる,こういう状況で仕事が激減する人は,自分の仕事がほんとは要らないものだと認識すべきと(かなり手厳しいことを)書きましたが,実際のところはどうなんでしょうか?

 メディアでは,どこの旅館が廃業とか,企業の決算がやばいことになるとか言ってますが,多くの人は,人混みを避けながらも普段とそんなに変わらない生活を送っていて,どこか他人事と思ってるのでは?

 でも,それはリーマンショックのときもそうだったと思います.株価は,将来の経済の鏡ですから,この状態が続けば,半年後,1年後は,相当やばいことになるということです.

 でも,今回の場合,リーマンショックのように金融システムそのものがやられたわけではなくて(「まだ」ですが),原因はわかっているので,感染拡大が止まれば,急速に回復する可能性はあります.でも,感染拡大は,人間の手ではもう止められなくなってて,インフルエンザウィルスと違って,温かくなると鎮静化するものではないらしいし,でも,こういう世界的流行って,「なぜか」どこかで止まるものらしいので(原因はよくわかっていない),要は,どうなるかわからないってことですかね.

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 うーん,でも,何度か書きましたが,今回の原因って新型コロナ「だけ」なんでしょうか? 何度も書きましたが,経済は明らかにバブっていましたし,一つのきっかけに過ぎなかった感じもします.そうだとすると,ウィルス拡散が収束しても,元には戻らないことになります.

 でも,全く違った見方としては,これだけ相場が大きく動いた後は,絶好のチャンスとも言えるわけで,つまり,ものすごく予想の変動幅が大きいわけで,どっちにつくかで天と地ほどの差になるということです(ブラックマンデーの後,日本はバブルの絶頂に向かって驀進した).

 じゃあ,どうしたらいいかですが,どっちに行くかを現時点で予測するのは不可能ですし,予測すると言っても実際は単なる博打でしょう(でも,博打なので勝つ人はいる).

 私は,予測なんか誰にもできないと思ってますし,そんなことはしません.「今日どっちに流れているか」を(1日10分だけ)見ているだけです.つまりは,今日は,左に流れていると思っても,明日は右に流れてると思うかもしれません.

 しかも,それは,せいぜい確率5割強でしか当たらないわけで,その中で複利で収益を上げるという数理モデルの妥当性の検証をしてるわけです(まさに研究).

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[とにかく使う]

 体も脳も「とにかく使う」ということなんだと思います.でも,歳をとるとそれがとにかく面倒になってくるんですよね.

 メカニズムとしては,生物学的人生50年的には,もう生きてる意味がないのですから,体も脳もどんどん退化して,極端な話,死んだ方が世のため人のため(笑)なわけです.

 でも,当人からするとそんなわけにもいかないし,現代社会で50までに子育てまで完了してる人は,そんなにいないでしょうし,子育ても終わったし,仕事もリタイアして何もやることがないとしても,生きてる以上は何か退屈しのぎが必要だし,どうせ生きるのなら,楽しく気分よく生きて行きたいわけです(でも,こうして書いてみると,これって若い時も歳をとっても同じ気がします).

 それには,そういうプログラムに逆らわないといけない,つまりは,面倒でも体と脳を「とにかく使う」ということになります.でも,面倒過ぎることは持続性がないし,逆にやり過ぎると体を壊してしまうし,てことで,そこのところのマネージメントですかね.要は,方法論的なことや創意工夫と,できることをできる範囲でということでしょうか.

 ただ,体の使い過ぎは問題ですが,脳の使い過ぎってことはないような気がするので,やっぱり,「とにかく考える」ことで,考えるのがめんどくさいと思ったら,認知症にまっしぐらと思いましょうってことですかね.

 体に関しては,とにかく座り続けないことですし,体を動かすときには,(立つとか歩くとか走るとかではなく)体のあらゆる部分を大きく動かすことだと思います.

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[役になんか立たない]
(世の中)

 プロスポーツだけではなく,いろんなスポーツの大会が中止になっています.オリンピックもどうなるかわかりません.そこに向けて必死で頑張ってきた選手のショックは大きいと思います.

 でも,東日本大震災のときも書きましたし,すぐ上でも,あるいは,しょっちゅうこのサイトでも書いてきましたが,スポーツってそういうもの,つまりは,こんな状況になっても不可欠なものではなく,はっきり言えば,世の中の役になんか立たないものなのです.

 いやいや,人々に勇気と感動を与えられる? この状況で本気でそう思ってますか? そんなに大事なら,中止になんかならないはずですよね(論より証拠).

 何が言いたいかというと,そういう本質的に世の中の役に立たないものをやらせてもらってる,ましてや,プロスポーツ選手なら,飯まで食わせてもらってるわけで,こんなありがたくラッキーなことはないということを肝に銘ずるべきということです.

 これは,私がやってる研究も同じです.いやいや,地震災害を減らすことに繋がるじゃないですかと言ってくださるのはありがたいですし,めんどくさいので,一応そういうことにしてはいますが,それはあくまで結果であって,私は研究したいからしてるのです.

 もちろん,それが結果的に地震災害軽減に繋がれば嬉しいですが,それを前面に押し出して,自分のやってることは,世の中の役に立ってるとは言いませんし,逆に知的探求という本質的に世の中の役に立たないことをさせてもらって,ありがたい話だと思っていますし,そうやって,研究に打ち込むことが大きな何かを生んで「結果的に」世の中の役に立つと思いますし,それは,スポーツも同じでしょう.

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[体のあらゆる部分を大きく動かす]
(体)

 じゃあ,体のあらゆる部分を大きく動かすには何がいいでしょうね.

 手前味噌かもしれませんが,(競技レベルの)バドミントンってそうですよね.でも,動かし過ぎ(笑)で,年寄りには厳しいというか,週何回とかではだめで毎日どころか一日中できることでないいけないので,それは無理ですよね.

 そういう意味では,他のスポーツも同様ですね.しかも,例えば,スキーは,下半身主体でそんなに大きくは動かないですし,陸上,水泳は同じ動きを繰り返すだけですし(それはゴルフもそう.スイングは当然として歩くのもそう),卓球は,明らかに動きが小さいですしね.太極拳がいいんじゃないかと書きましたが,これも週何回じゃなくて,一日中やればですかね.

 あっ,ボルダリングとかいいかもしれませんね.でも,これも一日中やればですし(自屋の壁にホールドとか付けちゃう(笑)?),ちょっと強度が高いかな.

 要は,スポーツをしてもだめってことなんですが,じゃあ,何かと言うと,ストレッチとか体操みたいなことでしょうか.ストレッチは,「大きく」動かすことにはなりますが,強度がないかな.てことは体操?

 そうですね.体操はいいかもしれませんし,これがいいって人は結構います.

 でも,例えば,ラジオ体操第一ではだめな気がします.いや,やらないよりやった方がいいんですが,体を「大きく」動かすまでは行かないし,強度も足らないかな.つまりは,体操とストレッチとトレーニング的なことを組み合わせたものってことですかね.

 てことで,これも自分で考えるしかないってことですね(何でも考える).そして,実際,今は,そういういろんなことを勘案して自分で考えたことをやっています.でも,結果が出るのは,10年後かな(笑).

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[客目線]

 先日のKンブリア宮殿の横川さんの回?は,面白かったと言うか,彼がずっと言っていたのは,とにかく「客目線」ということで,この人は,商売が何なのかがよくわかってると思いました.横にいたいきなりステーキの社長とは対照的でしたね.

 でも,「商売は客目線」って誰がどう考えても当たり前ですよね.でも,多くの人がそれができない.何とも不思議です.

 似たようなことに,研究室の学生が論文を書いたり,プレゼンしたりするときに,何度も何度も論文は読む人の身になって,プレゼンはきく人の側に立って,と言うんですが,何度も何度も言ってるってことは...

 でも,できる人はすぐできる.でも,そういう人は,とても少ない.どういうことですかね?

 結局,当たり前のことでも,それがどういうことか本質的にわかる人は,極々僅かってことで,それに気づくか気づかないかでものすごい差になるんだと思います.

 ちなみに商売にしてもプレゼンにしてもまさに自己評価ではなく他者評価ということになります.ですから,私は商売には全く興味がありません.でも,プレゼンはそうは行きません.だって,自分が(自己評価で)やったことがちゃんと伝わらないのは嫌ですからね.

 でも,文章を書くのは好きだし,どうプレゼンするのか考えるのも嫌いではないです.

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[行き過ぎた?]
(世の中)

 今回のことで,いろんな人がいろんなことを言ってるのですが,行き過ぎたグローバル化が問題だと言ってる人がいました.どういうこと?

 グローバル化というのは,世界中の人とかものとか情報とかが自由に行き来できることですから,行き過ぎて問題ということはないでしょう.

 じゃあ,何が問題だったのでしょうか?

 それは,何度か書いたと思いますが,国と国の間に(経済)格差があるからですよね.格差があるのに垣根がなくなるとおかしなことになります.具体的には,賃金が安い中国にみんなこぞって工場を作るわけです(EUがうまく行かないのもこれが原因で,典型例がギリシャ問題).

 でも,人の労働力に本質的な差はないわけですから,おかしなことが起こってるわけで,そういうおかしなことの弊害が今回一気に吹き出したということですかね.

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3/14'20
[プレゼンは他者評価?]

 他者評価ではなく自己評価が大事ということなんですが,プレゼンはそうは行かない.だって,自分が(自己評価で)やったことがちゃんと伝わらないのは嫌だからというのなら,結局,他者評価とは言わないけど,他者評価も大事ってことじゃない?と言う人もいるかもしれません.

 うーん,確かにそういう側面はあるんですが,ちょっと(大分)違うかな.大事なのは,自己評価,つまり,他人の物差しではなく,自分の物差しで判断するってことなんですが,そうやってできたものは,できるだけわかりやすく他人に伝えようとはするってことですかね.

 でも,他人にどう思われようと構わないのなら,そんなことする必要もないというのはそうなんですが,そこまで極端なことはしないってことですかね(やっぱり,うまいことバランスとってる?).

 つまり,何をやるかとどうプレゼンするかは,別の話で,重要なのは前者で,これは自己評価,後者は,他者評価になるけど,これも大事ってことなんですが,どうすればわかりやすくなるかを考えること自体は,内的熟達的なところはあるので,実は,ここも自己評価的な要素もあるわけです.

 そして,それは,商売もそうかもしれませんね.一度客目線という基準を設定した後は,それをいかに実現するかを内的熟達的に創意工夫して行くということなんでしょうし,それができる人が成功するんだと思います.

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[致し返し状態]
(世の中)

 新型コロナ騒動ですが,何度も書いてますが,新型コロナウィルス自体は,ちゃんと対処すれば,そんなに怖いものではありません.もちろん,感染すれば,死ぬことはありますが,そんなこと言ったら,新型コロナでなくても肺炎になることはありますし,肺炎による死亡者数は,がん,心疾患に次いで第3位ですし,どのみち,そういうリスクはあるということです(新型コロナを殊更,例えば,インフルエンザより怖がるのはおかしいし,死ぬのが怖いのなら,新型コロナを怖がるより生活習慣を改めるべきなのは明らか).

 でも,残念ながら,世の中ちゃんと対処できない人がいっぱいいて,まさに大衆は○カということでしょうか.今日,山手線の新駅がオープンということで(ほんとにあの変な名前のままオープンしてびっくり),大勢の人が集まったそうですが,一体何を考えてるんでしょうか? そうすると,メディア報道とか,非常事態宣言とかで,怖がらせて無理矢理行動を制限しようとするしかないわけです.

 でも,世界的に株価の暴落が続き,そうも言ってられなくなって来たようです.このことが意味することとしては...

 そう,経済って(何度も書きますが)そういうものなんですよ.つまり,大衆は○カってことなんですが,そのことと見事に繋がってて,○カな大衆を騙して金儲けするのが経済の大部分を占めてしまってるわけで,全くもって致し返し状態になってるわけです(まさに踊る阿呆に見る阿呆状態).

 私個人的には,そういうことに極力関わらないで生きてきましたし,これからも益々そうして行きます.

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 いずれにしても,客商売というか,他力本願は危ないと思うんですよね.要は,ほんとに必要なものは何かをよく考えるということでしょう.観光なんか景気が悪くなって人が来なくなったら終わりと再三書いてきましたが,今回のことがまさしくそれを証明することになりました.

 比較することに意味はないですが,(世の中の役に立たない)学術,芸術,スポーツという三大内的熟達的活動(と勝手に命名)の中では,スポーツは,大きな影響を受けてますから,スポーツよりは学術の方がまだ必要度が高かったとは言えるんですかね?

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 運保は,経済と連動してるんだから,そうも行かないんじゃない?という人もいるかもしれません.

 確かに「買い」しかやらないのなら,○カな大衆を騙して商売する阿漕な商売人に乗っかるってことなんですが,そんなことやるのはおかしいし,破滅するタイミングを見計らって売りを仕掛けるのなら,むしろ逆というか,世直し的な意味合いもあるとはどこかで書きました.

 でも,(限りなく高みの見物に近いですが)「関わる」ことには,変わりないかもしれませんね.ですから,「関わらない」ではなく「乗っからない」と言った方がいいかもしれません.

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[ホワイトデー]
(世の中)

 3/14ということは,ホワイトデーなんですね.ホワイトデーがあるということは,バレンタインデーがあるということで,これもまさに○カな大衆を騙して商売の典型なのですが,そういうのが嫌なので,こんな私にもチョコレートをくれる人がいるんですが,話をして,今年からやめることにしたので(形式的なチョコレートとかお返しをすることをやめて会って食事をするとかにした),お返しも必要なくなって,精神的負担が減って,やりたいことをする時間ができてよかったと思います.

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[観光]
(世の中)

 今回のことで,何が必要で何が要らないかがわかると書いてますが,一番わかりやすいのは,観光ですよね.観光が要らないとは言いませんが,効率的にはどうですか?

 普段の日常生活は,仕事がしんどくて,観光という非日常があるから頑張れると言う人が多いんですが,これも何度も書いてますが,だったら,圧倒的に割合が大きい日常をどうして充実させないんですか?

 しかも,観光って,例えば,海外旅行なら相当のお金がかかるわけで,そのために働くと言う人もいるんですが,まさに経済を回す罠にはまられてて,無駄に稼いで無駄に散財の典型でしょう.そして,経済の多くがそういう「余計なもの」を占めるようになってて,今回のようなことが起こると(ほんとは大したことじゃないのに)大変なことになってしまうわけです.

 日本は,観光立国を目指してるらしいんですが,もちろん,観光するなとは言いませんが,外国人で溢れる今の東京の街ってどう思いますか? なんかおかしくないですか? そこまでして,金儲けしたいですか?(東京に帰りたいと思わなくなったと書きましたが,こういうこともあるかもしれません)

 ちゃんと考えた方がいいんじゃないですかね.でも,多分ですが,騒ぎが収まればあーよかったとか言って,元に戻るんでしょうね.でも,今回のようなことは,これからも何度も起こりますよ.だって「おかしな」ことをしてるんですから.また感染症が起こるということだけではなく,いろんな形が考えられます.

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 ちなみに私自身ですが(既に書いたと思いますが),世界中いろんなところに行ってますし,アメリカ(バークレー)には1年くらい住んでましたが,「海外旅行」は一度もしたことがありません.

 国際会議とかワークショップとかがあれば,いろんなところに行きますし,そのついでにその周辺を見て回ったりくらいはしますから,それで充分満足してるってことはあるとは思いますが,自分でわざわざ出かけようとは思わないですね.

 そして,最近は,普段の日常生活が益々大事になってきたので,むしろ,どこにも行きたくないくらいです.

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[取り込まれていく]
(大学)

 研究関係以外の大学の(余計な)仕事がうざいと再三書いてますが,例えば,教員会議で議論が変な方向に行きそうになると,黙ってられなくて,思わず意見を言ってしまいます.ものすごい数のメールが飛び交ってますが,その場合も同じです.

 いやいや,黙ってりゃいいじゃんと言う人もいるかもしれませんが,学生達の不利益になることを黙って見過ごすわけには行かないし,この専攻が変な方向に行って,将来,若手の先生方に不利益になることも避けなければなりません.

 でも,ふと我に返ると,何やってんだ? こんなことしてる場合なのか,他にやるべきことがあるのではないかと思ってしまいます.でも,こうやってどんどん「取り込まれていく」んだなあとも思います.どうしたらいいんでしょうね?

 見なければいいということはあるかもしれませんが,教員会議に出ないわけには行かないし,メールを見ないというわけにも行きません.結局は,仕事をやめてしまうか,そういうことが(少)ない職場に移るしかないということでしょうか.

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[全然快適ではない]
(生活)

 三人暮らしの一軒家から荷物を出すと,とんでもない量に,というのをやってました.部屋の状態はものすごいし,はさみだけで20個くらい出てきたのかな.ああいうのを見ると,私は全然片付いてると思いますね.つまりは,平均より少し上じゃなくて,遥かに上ってことなんでしょうか?

 そう言えば,何年か前,初めて研究室に来た人(確か環境省の人)が,いろんな研究室を見てきたけど,こんなに理路整然と片付いてる部屋は初めてと言ってました(ほんとかなあ).

 でも,人と比べてどうこうじゃなくて,自分が快適かどうかですよね.そういう意味では,私自身は(何とかやり過ごしてはいますが),全然快適ではないです.

 と書いて驚いたんですが,これってやっぱまずいですよね.だって,気分よく快適に過ごして行きたいですもん.

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 と思って,片付けてはいるんですが,できる範囲で少しずつなので,やっぱり,なかなか目に見えて進んでる感じはしません.でも,やってはいるんですから,確実に前には進んでるってことですよね.

 つまりは,まさしくこれも,「近く,時々,遠く」ってことで,ライフワークというのもそういうことでしょう.

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[世の中のどこかにあればいい]
(生活)

 あとは,既に書きましたが,昔は必要だったけど,時間が経てば要らなくなるものは多いと思います.今整理廃棄してるのは,ビデオテープなんですが,昔,スキーを始めたころ,「SKI NOW」という番組があって,その中に「Technical Instruction」というのがあって,ものすごく貴重な情報源だったんですよ(初回に近いと思いますが,茂野裕子さんが綺麗に内足を上げて外足ターンをしている映像は何度も見ましたし,今でもよく覚えています).

 そういうのを編集して集めたものが出てきたりするんですが,今はそういう情報はたくさんあるし,そもそも滑りが全然違うし,画質も悪いし,もう要らないですかね.

 私はほとんど見ないのですが,いくつか見たアニメとかドラマとか(タッチとか高校教師とか)も画質が悪いし,インターネットにあるかもしんないし,DVDも出てるだろうし,でも,そこまでして見ようとは全然思わないわけで,だったら,要らないですかね.将来,見たくなるかもしんないけど,だったら,その時でいいというか,要は,「世の中のどこかにあればいい」という感覚になってきたんですね.

 じゃあ,一応とっておくものは何かと言うと,自分の演奏を録画したものとかくらいで(でも,これも気づかずに廃棄した方が変に落ち込まずに済んだかも),あとは,イカ天ですかね.イカ天は,何度かこのサイトで書きましたが,そのとき,YouTubeとかのインターネットで検索もしたんですが,意外とないんですよね.

 後は,むかーしの全日本総合のビデオとかも出てきたんですが,これも要らないと言いたいところですが,昔のトップ選手は,今と比べてどういうプレーをしていたかは興味があるので,一応とっときます(一度見たら捨てるかもしんないけど).

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 何をとっておくか何は要らないかは,即決のことが多いんですが(それでも数が多いので時間はかかる),じゃあ,その境目は何かと言うと,よくわからないです.

 例えば,理論物理をやろうと思って東大に入ったのに,最初のゼミで失望して進路を見失って迷走したことは何度も書きましたが,進振り間近になって光を当ててくれたというか,建築に建築構造という分野があることに気づいた「東京大学工学部紀要」(だったかな)という黒い本があって,それが研究室の荷物を整理しているときに出てきたんですが,中身を見ることもなく即廃棄でした.

 とM2の学生に話したら,驚いてたんですが,私は過去のことはどうでもよくて,大事なのはこれからだからと話したんですが,それだけじゃない気もするんですね.

 例えば,過去のものだからと言って,父親が撮ってくれた小さい頃の写真を捨てようとは思いませんし,本棚に50年くらい前の地図帳があるんですが,これは,小学校のときの地図帳がしょぼいというか,中学校や高校の地図帳の方が遥かに充実していて(当たり前),母親が買ってくれたものなんですね(つまり,私は,小学生のときに高校の地図帳を使ってたってこと.ほんとませがきですね).そういうものは,捨てられないですね.

 そっか,自分に関係した過去のことはどうでもいいけど,親が愛情をかけてくれたものとかは捨てられないってことなんですかね?(やっぱり,ここに記事を書くとわからないことがわかることが多いなあ)

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[高校教師]

 全然関係ないんですが,記事を書いていて,思い立ったというか,「高校教師」をインターネットで探してみたんですが,あっさりありました(でも,最終回の最後のシーンはカットされてたかな).第1回だけですが,思わず見ちゃいました(笑).

 見たことある人はわかると思いますが,なかなかすごい状況設定なんですが,要は,これって何なんだ?ってことです.もちろん,ドラマなので,単なるエンターテインメントとは言えるんですが,それだけなのか,それだけじゃないのかってことでしょうか.

 でも,作者が何を言いたいとかいうのは,どうでもよくて(というか,そういうのは大したことないと思うので),作り物でも何でも,それを見て,見た人間が何か思ったり考えたりするのであれば,そこで何かが動くかもしれない(何も動かないかもしれない)ということでしょうか.

 第1回で二宮繭(桜井幸子)がいきなり「心配要らないよ.私が守ってあげるよ」と言うんですが,30年前に見たときは,特に何とも思わなかったんですが,今そんなこと言われたら心が動いてしまうかもしれません(大分弱ってる?).

 私は,男はこうで女はこうという考え方は嫌いですが,一般的には,女性には母性本能があるとか言われてて,ということは,男性には,逆母性本能みたいなものがあるってことなんですかね?

 まあでも,そういうのは,本能だとしても,所詮人類を繁栄させるプログラムなので,そう考えて,頑張って抵抗することにしますか.

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[選ぶのは女]

 男と女って何なんでしょうね? 私個人の考えとしては,再三書いているように,男とか女とか言う前に同じ人間ということです.男はこうで女はこうと言う人間は,自分にとってそれが都合がいいという勝手な人間だと思います.

 一方で,生物学的に男と女という区別があるのは厳然たる事実で,本能というかいろんな制約はあります(例えば,女は子供が産めるけど男には産めないとか).それ以外にも,生物学的に,つまりは,人類を繁栄させるために本能といういろんなプログラムが仕込んであって,例えば,女は子供が産めるけど男には産めないということは,男は所詮種馬ということになるわけです.

 そうなると,男は本能的にいろんな女に手を出すわけで,社会的に問題が出て来ます.それを律するために,先進国では一夫一婦になってるんですが,人類を繁栄させるためには,まさに種馬のように有能な遺伝子をもった男が多数の女に種付けをした方が有能な子孫を残すことになるわけで,社会は秩序を優先して人類の繁栄を阻害している悪平等と考えることもできます.

 何か話がずれてきましたが,何が言いたいかと言うと,選ぶのは男ではなく女なんじゃないかと言うことです.つまり,男は女に選んでもらうために自分の能力を高めて選ばれるのを待つことしかできないってことですかね.

 とか書くと,男とか女とか言う前に同じ人間ということに反するような気もするんですが,どうしてそう思うかと言うと,単に私自身の感覚に過ぎません.感覚ですから,本能なのかもしれないですし,女に言い寄る男もたくさんいますから,私の特性なのかもしれません.

 でも,なんかそんな感じがするんですよね.動物の世界を見ても,実際そんな感じがしますし,この話とも繋がってくるんですよね.

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[5つ以上ある]

 今週のHンマでっかで,80くらいになって人生を振り返った時,幸せだったと言う人の特徴として,夢中になったものが5つ以上あるということがあったそうです.つまりは,「たった一つ」のことに打ち込むよりも,そういう人の方が幸福度が高いってことらしいです.

 これってまさに私のことじゃん(笑)と思ったのですが(ていうか,5つじゃ全然足りないし.ていうか,まだ80にはなってないけど),だからどうってことは全然ないです(当たり前).自分がやりたいようにやってるだけですからね.

 そして,私が幸せというか成功したとすれば,自分がやりたいようにできる状況を作ったということでしょう.もちろん,何でもかんでもやりたいようにやってるわけではないし,そんなことすれば,逆にあっという間に,自分がやりたいようにできる状況を失うわけで,そんなに簡単な話ではないのは言うまでもありません.

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[スチール棚]
(生活)

 片付け研究(とうとう研究になっちゃった(笑))ですが,3年くらい前に家の荷物を整理して一気に「いつでも引っ越せる状態」にしたとき,どうしたかと言うと,荷物がダンボールに入ってる状態なら「いつでも引っ越せる」わけで,だったら,全部ダンボールに入れちゃえってことです.

 でも,ダンボールを積み重ねると中のものが取り出せないので,引き出し式のダンボールにして,積み重ねてもすぐに取り出せるようにしたということです.数にして40くらいですが,その1つ1つに何を入れるかの大まかな分類をして,そのダンボールにどんどん荷物を入れていったら,あっという間に片付きました.でも...

 このダンボールって,実際に引っ越すときに(今の家は快適だけど,死ぬまで住むつもりはない,少なくとも,(定年で)大学を辞めるときは,高崎線沿線とかに引っ越す)そのまま運んでもらえるのだろうかと考え始めました.隙間は緩衝材で埋めればいいと思うんですが,なんか間抜けな話なんですが,引越屋に,素材はダンボールだけど,収納ケースみたいなものだから,普通のダンボールに詰め替えてくださいとか言われたらもう最悪ですよね.

 で,思ったのが,この話です.ダンボール>FB>半分のサイズのFB>A4の書類袋という階層でスチール棚に入れて並べておけばいい,引っ越すときは,FBがぴったり4つ入る書類ダンボールにささっと詰めればいいのなら,家でもそうすればいいってことです.ていうか,FB+スチール棚は,実際使ってたんですが,引っ越すときに大変だったんですよ.何が大変って,スチール棚の分解と組立,そして,その重量です(鉄くず屋に500円で売り払った奴).

 重かったら,引越屋に運んでもらえばいいのかもしれませんが,分解と組立がありますし,それも業者に頼めるかもしれませんが,引越屋と業者に来てもらう順番を段取りしないといけないのが面倒です.

 で,考えたのは,耐荷重200kgとかでなくてもいいので,軽くて簡単に組み立てられる棚がないかということです.で,探したんですが,これが意外とないんですよね.業務用のめっちゃがっちりした奴か,家庭用のしょぼい奴かどっちかという感じです.

 でも,一応何とか見つけました.これで行けるんじゃないですかね.重さは,1/3とかなので,分解せずにそのまま(引越屋が)運べるかもしれません.研究室は,業務用のがっちりした奴が入ってるんですが,研究室もこれで行けるのかもしれません.

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3/15'20
[そう簡単な話ではない]

 この話ですが,当たり前ですが,本能に従って行動すればいい,男は種馬なんだから,有能な男は,有能な遺伝子を残すために多くの女に種付けした方がいい,なんてわけはなくて,再三書いてるように,本能とは,個を犠牲にして人類を繁栄させるプログラムなので,注意が必要ということです.そういう意味では,一夫一婦制は,人類の繁栄を阻害してるかもしれないけど,個人の幸せをある程度確保する知的手段とも言えるわけです.

 たまたまですが,高校教師にペンギンの話とか利己的な遺伝子のことが出てくるんですが(でも,利己的な遺伝子は当時のベストセラーだと思うので,生物学者の卵が読むような本ではないと思いますけどね),皇帝ペンギンが種として存続するために個としての犠牲者を出すということなんですが,犠牲になる個は,たまったもんじゃないわけです.

 ですから,再三書いているように,本能とは,個を犠牲にして人類を繁栄させるプログラムなんか無視すればいいし,そこまで行かなくても,人類全体より個の幸せを追求していいと思うのですが,プログラムなのでそれに逆らうことは難しくて,実際,男は子供が産めないわけで,だとしたら,自分の遺伝子を残したいと思ったら(でもこれも本能なんですけどね),女にひれ伏してでも自分を選んでもらうしかないわけですし,もっと言えば,生きること自体が本能なので,本能に逆らうのなら,さっさと死んだ方がいいとなってしまうわけで,そう簡単な話ではないわけです.

 私個人的に言えば,実のところは,これまでは,そんなに意識することはなかったんですが,結果としては,割と非本能的には生きて来られた感じはします.でも,本能と非本能のせめぎ合いというか,そういうものはあって,なんだかなあということでしょうか.

 でも,これも「一人でも大丈夫」に繋がるのかもしれませんが,一つの精神修養かもしれませんね.そういう域に達するように精神修養するというよりは,そう考えることで,そういう域に少しは近づくというか,気持ちが少しは楽になるということですかね.

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 こうしてみると,男と女って不思議ですね.

 世の中にはいろんな人間がいて,背が高い人もいれば低い人もいる,肌の色が黒い人や白い人もいる,走るのが速い人も遅い人もいる,でも,その境目は曖昧です.これに対して,男と女は,その境目は極めて明確で,例えば,スポーツで女子の試合に男子が出ることはできません.

 でも,それでも男と女は同じ人間です.少なくとも私はそう思っています.

 確かに,子供が産めるか産めないかとか,決定的に違うことはあって,それは,人類存続という根幹的なことに繋がってはいるんですが,それは極々一部に過ぎないというか,もっと根本的には同じ人間だと思いますし,そう考えて付き合った方が,男にとっても女にとっても遥かにいい人生になると思います.

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[最長?]
(このサイト)

 昨日なんですが,たくさん書いたなあとは思っていたんですが,記録を見たら,このサイトに文章を書いていた時間は,累計で3.8時間でした.もちろん,週末ということはあったんですが,今までで最長なんじゃないですかね? そんだけ考えることや書くことがあるなら,老後も心配ない(笑)?

 でも,普段は,せいぜい1〜2時間ってところですから,昨日は,たまたまでしょう.でも,既に一つの大きな柱であることには間違いないですし,研究する以前に仕事する以前に生きているわけですから,どう生きるかについて考えるのは,一番大事なことでしょう.

 でも,大事だからやるんじゃなくて,ただやりたいからやるってことなわけで,逆に言えば,その気がなくなったら,いつ下火になってもおかしくないんですが,もう20年近くは続いてるわけですし,下火になっても続けることは重要なんだと思います.

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[ほんとにいつでも引っ越せるように]
(生活)

 「いつでも引っ越せる状態」ですが,普段の生活が快適になるとか,いろいろメリットを書いてますが,それ以外にも,ほんとに「いつでも引っ越せる状態」にしておきたいということはあると思います.

 具体的には,研究者である以上,もっと研究できるところがあれば,いつでもどこでもホイホイ行くとずっと書いてますが,だったら,ほんとに「いつでも引っ越せる」ようにしっかり「準備」しとけってことはありますよね.

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[考えない]

 新型コロナで陽性の男がフィリピンパブ(だったかな?)に行って,そこの店員が感染したというとんでもない事件ですが,感染したのは,接客した店員ではなく,男が座ったソファーにたまたま座った店員ということで,そんなことで感染するのかと衝撃が走ったとメディアが報道しています.

 いやいやいや,それが接触感染じゃないですか.座ったときに男がソファーに触って,ウィルスが付着して,そこに座った店員がそこを触って,その触った手で,自分の目とか口を触れば,簡単に感染しますよ.

 こういうのを「考えない」っていうんですよ.

 まめに手洗いと消毒すれば大丈夫? ○カじゃないの?

 その店員がソファーに座る前と座った後,しっかり,手洗い消毒していたら,感染を防げたと思いますか? ソファーに座っている間に,ウィルスが付着しているところに触った手で自分の口や目を触ったらアウトですよね.

 要は,いつも書いてますが,単なる知識を身につけてもだめで,よく考えることです.そして,よく考えれば,どうすればいいかわかるはずです(何度も書きますが,嚥下と口や目などの粘膜を触らないこと).そして,これは,感染を防ぐことに限らず何でもそうです.

 でも,世の中がこんな感じだと,感染を防ぐのは非常に難しいでしょうね.だとすると,(経済を犠牲にしても)過剰に怖がらせて,動きを止めるってことになってしまうんですかね(一種の自業自得か).

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[複雑な感覚]

 50を過ぎて(人生50年的に)実質人生が終わったと書いていますが,実際は,(多分)まだまだ人生は続くわけで,でも,そうであっても,人生の残り時間がそんなにないというか,終着点に近づいているという実感はあります.

 それは(何度か書いているように)寂しいと思う反面,どこかほっとするところもあるわけで,正負両面あって差し引きゼロなんですが,差し引きってことは,アクセルとブレーキを同時に踏んでるような妙というか複雑な感覚はあって,でも,そういう中でどう過ごしていくかは重要で,だからこそ(考えずに蓋をするのではなく)考えるわけなんですが,確かに○カな考え..ってところはあるんですが,考えずにおれないのなら,考えるしかないし,考えること自体は,とても楽しいので,これも立派な「そういう中でどう過ごしていくか」の答えなのかもしれません.

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[よく出てくる情景]

 夢に出てくるというわけではないのですが,何気ない時,昔行ったところの街並みというか情景が頭の中に出てくることがあります.そして,よく出てくるのが(1年くらい住んでたバークレーやよく行ったサンフランシスコではなく)なぜかスロヴェニアのリュブリアナ(とその郊外)なんですよ.

 行ったのは,何かのワークショップで,ちょうどそのとき,2000年鳥取県西部地震が起こったので,もう20年前ですね.出てくる映像はかなり鮮明で,なぜスロヴェニアのリュブリアナ(とその郊外)なのか,理由はよくわかりません.何なんですかね?

 そっか,リュブリアナの中心地なら場所は特定できるし,Google mapで「行って」みることができますね.で,「行って」みました.

 うーん,大分「うろうろ」したんですが,見覚えがあるようなないような...それとも,ここも20年経って変わってしまった?(でも,ヨーロッパの街並みって古い建物が多いので,そんなに変わらないと思うんですけどね)

 あとは,強震観測点回りの何でもない情景ですかね.JMA涌谷がよく出てくるのは,何度も行ってるからかな.あとは,新潟のどこかの高台にあって,茶色い役場建物のところにある観測点周辺ですね.

 観測点の名前ですが,何となく2004年新潟県中越地震のときの高柳だと思ってたんですが,これも調べたら,2007年新潟県中越沖地震の柿崎ですね(地震も観測点も違う(笑)).左脳的文字情報の記憶はいい加減なんですが,右脳的イメージの記憶はすごいなと思いました.

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[生物学的には]

 高校教師ですが,やっぱ見ちゃいますね(笑).もう30年近く前ってこともありますが,憶えてるところもありますが,憶えてない場面が多いです.でも,テレビドラマということで,視聴率獲得のために毎回見せ場を作らないといけないとしても,いくらなんでも「有事」が多すぎます(笑).

 このドラマの主人公は,生物学者の卵(羽村という高校教師)ということで,このサイトでよく出てくる生物学的な話が出てきます.その中で「生物学的には愛は意味を持たない概念に過ぎないと考えられてる」というのが出てくるんですが,それは確かにその通りです.

 でも,生物学的には確かにそうですが,それが種を繁栄させるプログラムだとしても,私は人を好きになるし,その時の何とも言えない感情は(ちょっと苦しいけど)嫌いではありません.

 それこそ,好き嫌いとか本能的なものかもしれませんが,人間が動物と違う要素を無理やり見つけるのなら,それはやはり知性でしょう.ここでこんなこと書いてるのがそうですし,単なる本能なら,異性なら誰でもいいってことになりますが,そんなことはありませんからね.

 羽村は,大学の研究室の助手だったのですが,一時的にということで高校の生物講師として女子高に赴任して,二宮繭と出会い,二宮は羽村のことを好きになります.でも,羽村は研究室の教授の娘と婚約していて,春には結婚して大学の研究室に戻るはずだったんですが,故あって結婚はなくなり,研究者になるという道までも閉ざされ,彼自身の言葉を借りれば,全てを失います.

 彼はそのことを二宮繭の前で打ち明けて「僕は何もかも失ってしまった」と号泣するのですが,それを見た二宮繭はいっしょに泣いていました.人を好きになるというのはそういうことだと思いました.

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[錆がとれる]
(体)

 体操のようなストレッチのようなちょっとしたトレーニングのようなことですが,やると「錆がとれる」というか,体が動くようになる感覚があるのですが,だんだんその感覚がなくなってきました.だとすれば,もうやらなくていい,とはなりません.

 年寄りは,体操すると気持ちいいからやれと若い人達に言うんですが,若い人達は体操しても気持ちよくなんかならないんだと思います.それはまだ体が錆びついてないからで,上のパラグラフの「だんだんその感覚がなくなってきた」というのは,そういうことかもしれません.

 でも,年寄りは,やらないとまたすぐ錆びつくので,もうやらなくていいとはならないわけです.じゃあ,若い人はどうかと言うと,これもまだ錆びついてないからやらなくていいだと,そのうち錆びつくわけで,やった方がいいとは思うのですが,年寄りのように目に見えて効果があるわけじゃないし,予防のためにやるといっても,長続きしないでしょう.

 でも,そうやって,いつの間にか錆びついて,年老いて行くってことですよ.

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3/16'20
[こんな生活続けられない?]
(世の中)

 特に緊急事態宣言が出てる北海道はそうなんですが,世の中全体に出かけるなモードで,とてもこんな生活続けられないと言ってる人が多いとのことです.

 ほんとですか? 私は,普段とほとんど何の変りもなく過ごしていますし,学外の仕事がなくなって,東京に行かなくてよくて,むしろ快適なくらいです.

 何度も同じことを書いてる気がしますが,目先の経済を回すために(正確には,目先の経済を回して金儲けしたい奴らに騙されて)みんな普段から余計で無駄なことをし過ぎじゃないですか?

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[たった2週間]
(経済)

 今朝のモーサテをやってる最中に(でも私が見るのは録画だけど),FRBが緊急利下げ(ゼロ金利)と量的緩和の再開を発表し,立て続けに,日米欧の中央銀行が協調してドル資金枠組拡充の合意と速報が入り,そこにいた専門家?達は,これで金融当局は,やれることは全てやったとみんな満面の笑みだったんですが,そんなことで収まりますかね?

 (既に書きましたが),経済が動かないのではなく,動かせないわけで,お金をジャブジャブ供給しても意味ないのでは?

 じゃあ,どうしたらいいかですが,これも既に書きましたが,2週間完全に(食料や医薬品などほんとに必要なものを除いて)人の動きを止めればいいと思うんですよね.いやいや,そんなことしたら,経済が破綻する? ほんとですか?

 たった2週間ですよ.そのたった2週間を我慢できなくて,何年にも渡って,経済が低迷することとどっちがいいか,そんなこともわからないんですか?

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[破滅への道]

 高校教師ですが,ぼちぼち見てるんですが,当時と違って,最後どうなるかわかってるわけで,見ててだんだんしんどくなってきました.

 第8回は,体育教師の新庄(赤井英和)が裁判に負けて,一人息子を離婚した元妻にとられるんですが,その裁判所として使われた建物が当時の東大生産研なんですよ(なので,その場面はよく覚えている).

 東大生産研は,今は駒場にあるんですが,当時は,六本木というか乃木坂にあって,よく行ってました.日本学術会議もありましたしね(ここで,構造工学の講演会もよく行われてた).戦前からの建物で馬が通れるように,廊下の天井がすごく高かったです.

 で,今はどうなってるんのかな?と思って,Google mapで「行って」みたんですが,日本学術会議は,まだありますが(梅村先生の葬儀が行われた青山墓地も),生産研があったところは,国立新美術館になってました.つまり,高校教師のロケで使われたあの東大生産研の建物は,跡形もなくなくなってしまったってことですね.

 話を戻すと,高校教師は,二人はどんどん破滅へと転がり落ちて,最後は心中するんですが,多分,リアルタイム?で見てた当時もそうだったと思いますが,どこかの架空の話という感じがしないというか,他人事とは思えなくて,そのときの気持ちと重なって,今見ててもしんどくなってしまいます(でも見ちゃうけど).

 それで,高校教師が放送されたのは,いつだったのかなと思って,調べてみたら1993年ということで,はっとしました.私もまさにそういう状況とは言いませんが,とある女性とそういう状況になりかねないというか,結局は,私が捨てられて不発に終わるんですが,どうして見ててこんなにしんどいのかと思ったら,そういうことだったことに気づいた次第です(逆に言えば,ずっと気づかず無意識に蓋をしていたとも言える).

 でも,今にして思えば,危なかったなあとも思うんですが,このときに限らず,破滅への道とは言いませんが,そういう方向に行きそうになったというか,実際「終わった」と思うようなことは何度もありましたし,何か自分の意志とは関係なくそういう方向に行ってしまうというか,ほんと危なっかしいというか,でも,全て結果オーライというか,そんなんでよくここまでやってこられたなと思うわけで,でも,今でもそういうところはあると思うので,まだ油断は禁物ですかね(でも,ここまで来たらもう何でもありか).

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[ノーロブ]
(バドミントン)

 ダブルスは,ここのところずっとノーロブと言われてるんですが(もちろん,トップレベルの話),筑波大バドミントン部のFBにユニシスから来てくださってる中村監督のノーロブのイメージという動画が吹田先生からアップされてました(確か,遠藤・渡辺の試合).

 ノーロブというのは,文字通りロブを上げないということですが,問題は,ロブを上げざるを得ないような状況でどうするかです.で,遠藤・渡辺のプレーを見ていると,とにかくタッチが早くて,全てのショットをしっかり溜めて打ってて,もちろん,打てるときは打つんですが,そのほとんどは前に落としています.つまりは,これってどこかで書きましたがダブルスの基本なんですよ(なので,トップレベルでなくても同じ,つまりは,上げるより前に落とすことを優先するということ.でもみんなほんと簡単に上げちゃう).

 打てるときは打つ(でも,定石と定石外しで,時々前に落とす),打てないときは上げるのではなく,これも前に落とすということですね.でも,そんなことしてたら,前に詰められる?

 そこがポイントですかね.一つは,前に落としますよーという感じで絶対に抜いて打たないこと,もう一つは,叩かれないようにネットぎりぎりにシャトルをコントロールすることでしょう.そして,それを実現するのに必要なのがやはりフィジカルですし,ネットぎりぎりにシャトルをコントロールするのは,そういう技術の練習だということをしっかり意識してひたすらノックですかね(めっちゃ楽しそう).

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 あっ,全英で優勝したんですね.すごいことです.大快挙ですよ(オリンピックの金メダルより).

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[なんで今ここにいるんだろう?]

 何度か書いたことがあると思いますが,ふとしたときに,なんで今ここにいるんだろう?という違和感を感じることがあります.

 少し前は,東京にいたはずなのにと思ったこともありますが,今は違いますね.

 じゃあ,どこ? どこにいたら,そういう違和感を感じない? 私がいるべき場所はどこ? どこにもないとしたら?

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[変]
(日記)

 何となく自覚はあるのですが,何か最近(私が)変だなあと思います.このサイトを読んでてそう感じられる方もおられるかもしれません.

 理由はわかりませんが,自覚はあります.でも,理由がわからないので,どうすることもできませんね.

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[全てを失う]

 高校教師,最後まで見ました.見たくて見たというより,見ていてあまりにしんどいというか辛いので,早く終わりにしたかったという感じです.でも,どうして辛いのか,話の内容なのか,当時の自分のことを思い出すからなのかはよくわかりませんでした.

 そもそも,どうしてまた30年前の高校教師を見ようと思ったかと言うと,ビデオテープを整理していたら出てきて捨てたくて,インターネットにあるかどうか確認したことがきっかけで,たまたまなんですが,たまたまじゃないような気もします.

 最後,羽村が二宮の父親を刺して新潟の方に逃げるときに,見送る新庄に,どうしてこないなことになってしもたんやろなと言われて,紙一重じゃないですかと言うんですが,ほんとそうだと思うんですよね.ほんのちょっとしたことで,結果は全く違ったりするわけです.

 羽村は二宮繭を巻き込まないようにと思って一人で逃げるのですが,繭は同じ電車に乗って追いつき,警察の追っ手が迫る中,というところで,動画は切れてるのですが,当時のドラマは,電車の中で二人が心中する(ことを示唆する)場面で終わります.

 つまり,二人は死んでしまったわけで,どんなに愛し合っていたとしてもそこですべてが終わってしまったわけですよね.もし私が同じ状況だったらどうしたかなあ.

 人を刺して犯罪を犯すことは,どんな理由があろうとも絶対あってはならないことですが,世の中に取り返しがつかないことなんてないと思うんですよね.だから,済んだことは仕方ないので,ちゃんと罪を償えばいいというか,そうするしかないということでしょう.

 まさに「全てを失った」ということかもしれませんが,「全てを失う」なんてこともないと思うんですよね.少なくとも,二人は愛し合っているのなら,それだけで充分じゃないですか.

 そういう人と出会って,一生添い遂げられたら,それ以上,望むものなんかないと思うし,どちらかが先に逝ったら,残された方は,最愛の人に辛い思いをさせずに済んだと思えばいいし,(書いてることと矛盾しますが)残された方もそこで死ねばいいというか,死ななくても生ける屍として,ただ死ぬのを待って生きるという生き方もあると思うんですよね.

 だって,生きるってそもそもそういうことですからね.

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3/17'20
[めんどくさがりでよかった?]

 と言うか,単純に寂しいのかもしれませんね.

 振り返ってみて,楽しい人生だったと思うのですが,結局,誰かに必要とされることはなかった,少なくとも私でないといけないということはなかったわけで,そんな張り合いのない状態で,よくここまでやって来られたもんだと思います(さすが内的熟達?).そして,誰かに必要とされるとかされないとか,そういう人生すらもう終わってしまったわけです.

 でも,寂しいというのは,ネガティブなイメージだと思うのですが,何度か書いてるように,全ては一長一短で,つまり,悪いことばかりでもないということです.じゃあ,寂しいのメリットは何かと言うと,めんどくさくないってことでしょうか.

 言い方を変えると,めんどくさがりでよかった?とも思うわけです.もし,私がめんどくさがりでなかったら,多分,寂しさに耐えられないというか,ネガティブな面しか見いだせないわけで,それはとても苦しかったと思いますからね.

 何かが起こるかもしれないし起こらないかもしれない.何かが起こって欲しいと思う反面,めんどくさいので,もう何も起こらないで欲しいとも思う.つまり,自分では何も決められないわけで,何も決めずに生きてきた結果が今の状況ということで,ある意味,なるようになってるとも思います.

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 こうして考えることで,寂しくなくなるということはないとしても,仕方ないというか,受け入れるしかないとは思えるわけで,やはり,考えることは重要だと感じます.そして,最終的に辿り着くのは,やはり人生所詮退屈しのぎでしょうか.そして,そう考えると楽になるというか,何度これに助けられたかわからないです.やはり,考えるとこと,哲学の力は大きいですね.

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[自転車操業]
(経済)

 金融緩和してお金をジャブジャブにしても,人が動かないんじゃなくて動かせないんだから意味なしと書きましたが(実際,相場もそう反応してますが),客が来なくなって,日々の運転資金もやばいところは助かるということはありますかね.実際,銀行に融資を止められて,潰れて行く会社いっぱいありますよね.でも...

 それってそもそもどうなんですか? 運転資金を金利を払いながら日々調達しないとやって行けないって,まさに自転車操業ってことですよね.そんな危なっかしいことよく平気でやりやりますよね.

 一方で,どんどん暴落して行く株価を見て呆然としている人が多いとのことですが,それもどうかと思うんですよね.

 一定の株式を資産としてもっていたとして,例えば,1億円分をそういう形にしていて,配当利回りが3%とすると,年に300万円の配当があるわけで,もちろん,権利落ち日にその分株価は下げるのですが,それを埋める分だけ上がって株価をキープできるのなら,300万円が得られるわけです.

 でも,その1億円が株価の暴落で3割減って,その分配当も減るとすると,資産と配当という+αの所得が3割減るだけってことですよね(でも,実際は,株価が下げる以上に配当は下げるので,そういう計算以上の暴落になってる).

 何が言いたいかと言うと,借金して自分の資産以上の取引をしなければ,別にどうということはないわけで,逆に売りの場合は,逆張りだと損失無限大まであるのですが,そうなっても玉が維持できる分だけの玉しか建てなければいいし,リスクをとって売ったとしても,損失が膨らむ前に手仕舞う基準を決めておけばいいだけの話だと思うんですよね.

 つまりは,損したとかじゃなくて,資産が減っただけなわけで,借金というマイナスにならなければ,そんなに気にすることもないと思うんですよね.

 でも,これだけの大騒ぎになってるってことは,世の中の多くの会社が借金まみれの自転車操業ってことですよね.つまり,何度も書きますが,今の経済って,かくも危うい状況にあるわけで,今回のようなことが起これば,ひとたまりもないということです.

 そして,10年前のリーマンショックのときも書きましたが,こういうことは,しょっちゅう起こる,少なくとも10年に1回は起こるわけで,そのたびに経営危機になるようでは,経営そのものを見直すべきというか,そもそも一体何のために何をやってるんだ?ってことでしょう.

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3/18'20
[蓋をしていたものが開いた]

 何となくおかしいとは思いつつも,深く考えないようにしていたというか,今の状態を壊したくないというか,正当化するというか,それでいいことにしていたけど,何となく蓋をしていたものが開いたということかもしれません.そう言えばですが,体というか心が本能的に反応しないというようなこともあったと思います.

 これからどうなるかはわかりませんが,元に戻ることはないというか,「元」と言ってもいつのことかという感じなので,なるべくしてなるというか,本来あるべきところにということでしょうか.

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 うーん,でも,ずっと蓋をしたままの方がよかったんですかね.蓋をしたままの方が何事もなく心穏やかにやって行けたかもしれませんからね.でも,開いてしまったものはどうしようもないですかね.

 でも,ずっともやもやしていたものがとれた感じはしますかね.それがいいことなのかどうかはわかりませんが,というか,いいも悪いもどうなるかはわからないというか,なるようにしかならないので,それは自然の流れというか,なるようになるってことでしょうか.

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3/19'20
[大きな穴]

 さすがにしんどいというか,何か大きな穴が空いてしまったような感じですかね.でも,元には戻らないと思うので,これから何とかやって行くしかありません.というか,やって行けますかね?

 研究はもうしばらく続けさせてもらえそうだし,学生達もいますから,定年までは,なんとかなるでしょうか.研究以外の仕事もありますし,こんなことやってどうすんだ?ということも多々あるでしょうが,隙間を埋めることには寄与するかもしれません.でも,そんなことに時間と労力をかけるのはばかげてますかね.

 仕事以外にもいろいろやってることはあるし,ささやかな楽しみというか,そういう点では,心の支えにはなりますかね.

 でも,逆に言えば,勝手にそう思っていただけだとしても,これまで大きな心の支えになっていたんだなあとは思いますね.

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[執着がない]
(運保)

 こんな状況では,まさに吹けば飛ぶようなことですが,相場がどんどん下げる中,何とか対処できていると思うのですが,いろいろ問題というか,結構,いい加減にやって来たことも見えてきました.

 何年か前までの日運と短運だけなら問題なかったんですが,その後,資保が始まり,対象が外貨,商品先物,大手商社,外国株価指数,VIXと広がり,1日10分では厳しいというか,平常時は何とか大丈夫だったものの,こうも変動が大きいと取りこぼしが出てくるというか,各銘柄への割り当ての計算がいい加減だったり,そういうことはあってはならないのですが,判断は正しいのに,ちゃんと対処できてないことがあったり(ほんとお金に執着がない),マネージメントができてないというか,どうでもいいというか,ちょっとよくないですね.

 もちろん,対策もしてるんですが,なぜか忘れるというか,メモを書いておいてもメモを見るのを忘れるというか,お金に執着がないんでしょうが,やっぱりちょっとよくないですね(もちろん,なくなってもいい余剰資金でやってるってことはありますけど).

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[三連休?]
(日記)

 明日からの三連休? 明日休みなんですか?

 全くノーマークで,危うくいつも通り大学に行くところでした(別にそれでもいいけど).ぼーっとしてる? 呆然としてる?

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3/20'20
(日記)

 祝日ということなんですが,いつも通り起きたのですが,どうにもしんどくなりしばらく横になってました.

 寂しい気持ちはあるのですが,考えてみたら,実生活が何か変わるわけでもないし,これまでのように日々淡々と過ごしていけばいいということなんでしょう.一人のメリットもいろいろあるわけで,例えば,今日のようにしんどくなって横になりたいと思ったら誰に気兼ねすることなくやりたいようにすることができるわけですからね.

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3/21'20
(日記)

 三連休ということなんですが,多くの場合,月曜が休みなので,金曜が休みだと何か変な感じです(今日が日曜みたいな感じ).

 調子はよくないですね.でも,しばらくすると(調子は)回復するのかな? でも,状況は元には戻らない(というか,元々そういう状況だったことに気づいた)ので,そういう状況でやって行くしかないってことですね.

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[こんなことやってどうすんだ?]

 こんなことやってどうすんだ?(ということをやりたくない)と再三書いていますが,何でもそうなのかもしれませんね.目先の経済を回してどうすんだ? 大学が生き残るために見かけだけ改革のようなことをして,その実,学生の利益にならないことしてどうすんだ?ということなら,ピアノが上手くなってどうすんだ? バドミントンが強くなってどうすんだ? 研究して成果を出してどうすんだ? どう生きて行くかについて考えてどうすんだ? 世の中の役に立つことしてどうすんだ?と考える人もいるわけで,まさに人それぞれということでしょう(その人の素養の問題).

 むしろ,こんなことやってどうすんだ?ということこそやるべき,なぜなら,回りからそう見えても本人はそう思わないってことは,ほんとにやりたいことってことですからね(逆に言えば,何をやりたいかは,その人の素養で決まるので,どういう人生を送るかもそれで決まるというものすごくシビアな話).

 つまりは,回りから見てこんなことやってどうすんだ?ということでも,「自分は」そうは思わないことこそやるべきだし,逆に「自分が」こんなことやってどうすんだ?ってことはやるべきではなくて,再三,やりたいことやればいいと書いてるのはそういうことですし(でも,繰り返しになりますが,何をやりたいと思うかが重要ということ),そういう状況をどれだけ作れるかということでしょう.

 むしろ,問題は,「(自分が)こんなことやってどうすんだ?とは思わないこと」があるのかということで,そういうことが何でもいいので一つでもあれば,生きて行けると思うのですが,そういうことがなくなると,厳しいですね.

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[20代をどう過ごしたか]

 ノーベル賞を受賞した研究の多くは,20代,遅くても30代の成果と言ってました.それは別に当たり前の話というか,ノーベル賞を受賞するとかしないとかは,大したことじゃなくて,要は,「20代をどう過ごしたか」は非常に重要,もっと言えば,人生って20代で決まるんですよ.

 いやいや,その後どう過ごしたかも関係あるでしょと言う人も多いと思うのですが,その後どう過ごすかは,当然,それ以前の20代の影響を受けるわけで,平たく言えば,ものを遠くに投げるのに,投げ出す角度とか方向が重要で,投げた後じたばたしても遅いということです.

 でも,私がつらつら見てる感じだと,そういう20代の過ごし方をしてる人はとても少なくて,でも,成功する人は,極々一部なので,全くもって「その通り」ということですね.

 私自身について言えば,人生の大半が「スイッチオフ」だったにも関わらず,20代は「スイッチオン」になって,ほんとにラッキーだったんですが,「スイッチオン」にしてくれた青山先生,小谷先生には,感謝してもし切れないです.

 今はもう鉄筋コンクリート造は,あまり(ほとんど)やってないんですが,研究というのは,対象は関係ないわけで,要は「研究は楽しい」ということと「研究はどうやってやって行くのか」に尽きるわけで,これがあれば,研究でも研究以外の仕事も同じことだと思うんですよね.

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 めんどくさがりでよかった?ってことなんですが,そうなんですかね?

 話を敷衍すると,例えば,やり甲斐のある私にしかできないことがあるとして,でも,どんなことにもある程度のめんどくささはあるわけで,でも,たとえオファーがあってもめんどくさいからやらないとなると,どんどんつまんない人生になって行きますよね.

 じゃあ,今回の件は,どうなんでしょうか? めんどくさがりでよかった?というような話でもない?

 問題は,「やり甲斐のある私にしかできないこと」だったのかということでしょう.そして,そこがまさにそうではなかったということなので,どうしようもないってことですね.

 これからどうするかですが,そういう状況でやって行くしかありません.もちろん,これから何が起こるかわかりませんが,自分がどう思うかではなく,オファーがなければ話にならないわけで,そうすると,結局,今の状況でやって行くしかないってことですかね.

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[オファーがなければ話にならない]

 「オファーがなければ話にならない」と書いてはっとしました.そういうことですよね.仕事でも仕事以外でも人間関係でも個人的なことでも,まさに,オファーがなければ話になりません.そして,今回の件は,まさに「オファーがなかった」ことに気づいたということでしょう.

 いや,オファーなんかなくても,自分から積極的にどんどん行くんだよ,と言う人もいるとは思うのですが,私は,自分が必要とされてないのにそんなことをする気はさらさらないし,それがめんどくさがりというのなら,そういうことかもしれません.

 いや,そんなことだと,どこからも誰からもオファーがなくて,寂しい人生になるんじゃない?というのはそうかもしれませんが,だったら,自分が誰からも必要とされてないことを潔く受け入れて,のんびり楽しくやらせてもらいますよ.

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[結構間抜け]

 今回の件もそうなんですが,私って結構間抜けなんだと思います.いろいろ考えてやってはいるんですが,どこか抜けてるというか,気づいてないというか,そういうことにしているというか.

 最近,「片付けパズル」をしてるんですが,さっきあることに気づいて,どうしてそんなことに気づかなかったのかと思って,ちょっとびっくりしました.

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[尾鷲]
(地理)

 先日の練習の時,バドミントン部OGで大学院生のMが修了後,地元に就職ということで,赴任地が決まったと言うので,どこ?ってきいたら,尾鷲ということで,思わず反応してしまいました.

 尾鷲ってわかりますか? 小学生の頃,年間降水量の分布図を見て「真っ黒」のところがあって(要は,日本一雨が多いところということ),私の中では,変な言い方ですが,ずっと憧れの存在?というか,長崎みたいな架空の町というか,そういう不思議なところなんですよ.

 ということを彼女に話したら(当然のことながら)怪訝な顔をしていて,だったら来て下さいよ,熊野古道もありますし,とか言うんですが,私は,熊野古道というか,そういう観光資源的なものには興味がなくて,もちろん,雨が好きなわけでもないわけで,実際に行ったとしても,特別変わったところではないだろうし,だったら,憧れは憧れのままにしておきたいと思うんですよね.

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 オファーがなければ話にならないと書いたのですが,(当たり前ですが)それは,仕事とか人間関係とかの話です.

 具体的には,仕事なら,例えば,震度が被害と対応しないから算定法を変えたいので協力して欲しいと言われれば,喜んで協力するでしょうが,震度が被害と対応しないのはけしからんから変えさせろとは言いません.でも,地震が起こって大きな震度を記録しても被害が小さいとき,どうしてかとメディアなどにきかれれば(オファーがあれば)答えます.

 人間関係なら,私のことが必要だとか,○○して欲しいとか言われれば考えますが,私からそういうことを言うことはありません.既に書きましたが,もし好きな人ができたとしても,その人の気持ちが大事なので,自分の気持ちを押しつけてそれを壊すようなことはしたくないということです.

 じゃあ,仕事とか人間関係とかじゃない,オファーがあるとかないとか関係ない単純にやりたいことはやるってことなんでしょうが,それも微妙だと思うんですよね.

 例えば,研究ですが,やりたいからやってるんですが,学生達が研究室に来て研究したいと言ってくれるから,つまり,オファーがあるからということは大きくて,そういうことがなくなったら,つまり,定年で大学をクビになったら,どうなるかわからないとも思うんですよね.

 そう考えると,研究に限らず,何でも基本的に一人でやっていくのは,やっぱり非常に難しいというかハードルが高いと思いますし,だからこそ準備が必要ということでしょうか.

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3/22'20

 この話なんですが,じゃあどうしてスイッチが入ったかですが,どこかで書いたと思いますが,卒論のテーマが決まって,小谷先生に「どれも世界最先端のテーマなのでしっかりやるように」と言われたときのことは鮮明に覚えています.心が震えるという言葉がありますが,まさにそんな感じでした.

 それまでは,ずっと「勉強」,つまりは,「既にわかっていること」「答えがわかっていること」をどれだけ勉強して高い得点をとるかだったわけで,全国模試で何番になるとか,東大に入るとか,しょっぼい話で,そんなことにどうしてもスイッチが入らず,ずっと悶々と過ごしてきたのが突然一気に視界が開けたというか,ずっと求めていたものにやっとたどり着けたと思いました.

 ということで,自分が研究室をもつようになって,私も最初にそういう話をするのですが,うーん,なんかそんなに反応がないというか,スイッチが入る感じがしないというか,そんなもんなんですかね.

 結局は,その人の意識の問題というか,未知なるものを開拓していくよりは,既知のものを使ってのんびりやって行けばいいじゃんってことなんでしょうか.そこまでではないとしても,未知なる最先端のことをやって行きたい,そういうことにスイッチが入る人はなかなかいないってことなんですかね.

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 この話ですが,実質的にそういう人を失ったということなので,生ける屍として生きて行くということなのですが,哲学的には生きるということは本質的にそういうことですし,既に人生は実質終わっているわけですし,それでも,日々楽しく過ごしていたわけで,気づいただけで何か事態が急変したわけでもないので,これまで通り過ごして行けるはずですし,定年で仕事を失った後,一人でも大丈夫なようにしっかり準備していくということですね.

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[内的]

 一人でも大丈夫なようにということを具体的に考えて行くと,外的よりは内的,人との繋がりよりは,内的熟達ということでしょう.

 もちろん,人との繋がりを排除することはありませんが,自分からしゃしゃり出ないのならオファーがなければ話にならないわけで,そういうことに依存せずともやって行けるようにするしかありません.

 そんなことできるのか?という気もしないでもないですが,やるしかないならやるしかないわけですし,そうやって腹をくくることからしか始まらない気もします.

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[無観客]
(世の中)

 新型コロナですが,ヨーロッパで爆発的流行,そして,ヨーロッパだけでなくアメリカでも外出禁止令が出て,街はゴーストタウンと化して,これから世界はどうなって行くのかとメディアは報道してるのですが,逆に言えば,(何度も書いていますが)人の動きを止めれば,もうこれ以上は,感染は広がらないということですし,たった2週間我慢すればいいということです.

 実際,それで中国は収束に向かいましたし,日本もある程度は機能してると思うのですが,日本の場合は,外出禁止まではやってないので,これからどうなるかは微妙なところです.

 スポーツは,中止とか無観客とかいう感じなのですが,私個人的には,無観客でも全然違和感ないというか,野球なら,あの同じフレーズを繰り返す耳障りでうざい応援歌が流れないのはせいせいします(やってないけどサッカーも同じ).

 そもそも,これだけメディアが発達して,莫大なお金をかけてスタジアムを建設して,何万人も観客を集めることに意味がありますか? 野球場に行けばわかりますが,臨場感なんかないし,外野で応援してる人間は,ストレス発散してるだけで試合なんかまともに見てませんよ.

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(日記)

 この三連休は,とあることに気づいてしまったということで,ずっと調子が悪いというか,それでもこういう状況で何とかして行かないといけないので,それなりに活動してたんですが,今日は,とうとうダウンというか,どっと疲れが出たみたいな感じでした.

 それで,最近,こういうことあったなと思って,ぱっと思い出したのは,壁先生の会の後の状況です.あのときもいろいろ考えて寂しくなって,しばらく調子悪かったのですが,ちょうど1年前ですね.最近のことだと思ってたんですが,あれからもう1年経ったのか...

 でも,その時と違うのは,状況自体が変化した(というか,そういうことに気づいた)ということで,そこが戻らないと戻らないというか,そこは戻らないので何とかしないといけない,つまりは,休んで回復するのを待ってるだけではだめということです(しんどいな).

 でも,図らずも,そういう準備はしてきたわけで,それを淡々と続けて行けばいいということかもしれません.でも,今はかなりダメージを受けてる状態なので,あまり無理はしない方がいいですね.

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 どうしてこういうことになってしまったんだろう?と思って,今月の記事を読み返していたのですが,所々誤字脱字がありますね.あと,この記事が明らかに論理的におかしかったので,少し書き換えました.こういうのを見ても,脳力の衰えは感じますね.

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 こうしてみると,そういう人も実質いなくなって,一体何のために生きているのかと考えてしまうのですが,哲学的には,生きることに意味はないので,そっかそれでいいのかと助けられるわけです.

 でも,それでも生きては行くので,具体的に日々どう過ごしていくのかは重要で,働かないと食べて行けないとか,そうでなくてもこんなことやってどうすんだ?というような仕事でもとりあえずやらないといけないというのは助かってる?

 でも,それが通用するのもせいぜいあと10年ですし,こんなことやってどうすんだ?というようなことやって時間と労力を浪費するのはばかげてるわけですし,やっぱり,何でもいいので,こんなことやってどうすんだ?と思わない「やること」が必要です.

 仕事と同様に,何らかのオファーというか要請があれば,ということなんですが,そんな他力本願では心もとないし,そもそもそういうことはないと思うので,とにかく一人でも何とかやって行くにはどうしたらいいか考えるしかないですね.

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3/23'20
[もう大丈夫?]
(世の中)

 ちらっと見ただけですが,この三連休は,街中は大賑わいだったそうです.勝手にもう大丈夫と思った人間もいるでしょうし,自分くらいは行ってもいいかという自分勝手な人間が出かけて,そういう人間がいっぱいいたことに面食らったというのもいるでしょう.いろんな大規模イベントも行われたようで,欧米のように緊急事態宣言が出たらやめるけど自粛ならやるとの言い分です.

 やばくなってから緊急事態宣言では間に合いません.つまり,やばくなる前にやらないといけないのですが,防災対策と同じように,正常化の偏見で,もう大丈夫と思っちゃうんでしょうね.

 観光業界や外食産業は,自粛で客が来なくなって,売り上げが減った分を補填してくれと国に泣きついてるみたいですが,逆に,これ以上,新型コロナウィルスが拡散したら大変なので(自粛以上の大損害を被るので),緊急事態宣言を出してくれと直訴した方がいいんじゃないですか.

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[違和感]

 で,肝心のどうしてこういうことになってしまったんだろう?ですが,読み返してみると,気づいたポイントは3/18ですが,その前にも雰囲気はあって,今月初旬くらいには何となくそういうことを書いています.

 ですから,3/18になって突然ということではなくて,もう少し前から,あるいは,それこそ何年も前から,ずっと違和感は感じていたのかもしれませんね.

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[自粛]

 自粛ってことなんですが,私個人的には,普段とほとんど変わりなく快適に過ごしています.でも,それはもう年寄りだからで,若い人達はエネルギーが有り余ってて自粛なんかしてられない?

 だったら,集まってワイワイやるんじゃなくて,もっとやるべきこと,自分の成長に繋がることにそのエネルギーを注ぎ込んだらどうですか? 人生は20代で決まりますよ

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[すごいことかも]

 こんなことになってしまって,普通ならまさに生ける屍として生きて行くしかないところを何とかちゃんと生きてるというか生活してるわけで,これってすごいことかもしれないと考え始めました.

 準備が必要と再三書いてきましたが,それは心の準備というところが大きくて,自分が世の中とか周りの人から必要とされないということを受け入れるということで,今回のようなことが起こって,まさに私は必要とされてなかったわけで,気づいたときは落ち込みましたが,そういう中で生きて行くしかないわけですし,そんな過酷な状況でも何とか生きて行けるとしたら,もう準備ができているということかもしれません.

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3/24'20

 と思ったんですが,どうなんですかね?

 何とかちゃんと生きてるというか生活してると言っても,何とかちゃんと生きてるというか生活してるだけとも言えるわけです.

 でも,それでいいと思えばそれでいいというか,そもそも,生きるというのは,哲学的にそういうことなわけですからね.

 あとは,精神的に過酷だとしても,そういう中でどうするかというか,精神修養というと大げさですが,心の準備の一環と言うか,そういう風に考えると気持ちが少しは楽になるというか,活動的に行動できないとしても,できる範囲でできることをして行こうという気にはなります.

 実際の精神修養というか修行というのは,遥かにもっと過酷なものですし,そういう道に入る人もいるわけで,でも,そういう行動をとらないとしても,ある意味,そういう機会を与えられているとも言えるわけで,それこそ準備というか,非常に難しいとは思うんですが,孤独と退屈を受け入れられれば,無敵になれるとも思うんですよね.

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 逆にこういう感じで過ごしていると,世の中は大変なことになっているのですが,大騒ぎすればするほど,どこか別の世界の話という感じがしてしまいます.例えば,現実に都市封鎖というか,食料品などの調達以外で外出するなと言われても,私は全く困らないというか,既にそういう生活を送ってるとも言えるわけで,仙人?に近づけたと思えば,悪い気分ではないです.

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 東京五輪とパラ,1年延期になったんですね.でも,上の話じゃないですが,関係ないですかね.

 藤原と練習してた時はまさに当事者だったんですが,どこかで書いたかもしれませんが,彼は練習拠点を東京に移していて,今はもうほとんど連絡もありませんからね.

 関係あるとすれば,むしろ経済の流れですかね.

 本来的に言えば,もう少し行けばバブルが崩壊したところをこういうことになって,新型コロナのせいみたいになってますが,ほんとは違うと思うし,東京五輪も延期になって,いろんなタイミングがずれるというか,おかしなことになってくると思うんですよね.

 とは言え,もちろん,そういう長期的な流れもあるとは思いますが,実際の運用は,日々の動きを見てますから関係ないですかね.ですから,運用に影響を与えるのではなく,経済とか世の中がこうあるべき的なことがうやむやになるのが気に食わないというくらいですかね.

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 明日は修了式で,もちろん,ちゃんと社会に巣立ってくれるのは嬉しいことなんですが,ここのところ年を追うごとに寂しいというのがどんどん強くなってて,今年は特にそうですね.4人いたこともあるんですが,最初は大丈夫かなと思っていた学生とか,どうしてもこの研究室に来たいと言ってくれていた学生とか,1年生の時に担任をしてその時から知ってる学生とか,四者四様で,研究もみんなよく頑張って,このチームでずっと研究して行けたらいいのにと思ったりもしました.

 でもしょうがないですね.私がどうこうとかより,彼らのこれからが大事ですから,喜んで送り出さないと,ですね.

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3/25'20
[修了式の日]
(日記)

 今日は修了式の日で,研究室の外の店でやる追いコンは中止にしたのですが,広い会議室にみんなで集まって,話をしたり,毎年やってる色紙とか記念品を渡すというのだけやりました.その後,修了式だったんですが,式自体は中止になり,でも何とかできる範囲でできないかということで学務委員会で話し合って,いくつかのグループに分けて,換気をした広い教室に(自宅待機とかで来られない人を除いて)20人程度ずつ来てもらって,学位記授与だけやるという形で何とかできました(様子もネット中継した).

 研究室の追いコン(を簡単なものにしたもの)で話したんですが,2011年のときは,修了式は完全になくなったし(大学構内への立ち入りが制限されている状況だった),そのときと似ているのですが,逆に言えば,ずっと記憶に残ると思うんですよね.

 でも,やっぱり寂しいですね.今日は,学務的な仕事でばたばたしてたんですが,明日になったら寂しくなるのかな.でも,彼らが頑張ってくれたおかげで成果が出て,それを査読論文に出そうとしていて,そのやりとりはもうしばらく続くと思いますし,その後も時々は会えますかね.

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3/26'20
[まだまだ修行が足らない?]

 孤独と退屈を受け入れられれば無敵だと思うのですが,学生が卒業して行くのが寂しいとか言ってるようではまだまだ修行が足らない?

 そうですね.でも,寂しいと思ったとしても,そういう状況(孤独)を受け入れられればいいと思うんですよね.つまりは,人生とはそういうものだと悟った上で,その中でどう過ごして行くか,生きて行くかなわけです.

 実際,ここ数週間は,ある気づきによって,寂しい思いをしたのですが,動かしがたい事実を目の前にすれば,それを受け入れざるを得ないし,だったらその中でどうするか,どうせ生きて行くのなら楽しく気分よく生きて行った方がいいわけですし,そう考えると,やや調子を落としながらも,普段と大きくは変わりなく過ごせてるわけで,少しは修行?の成果が出てきたということかもしれません.

 もちろん,私が必要とされることがあれば頑張りたいと思いますが,自分からしゃしゃり出ることはありませんし,だとすれば,自分が(仕事でも仕事以外でも個人的なことでも)もう必要とされないことを想定した修行?は続くということでしょうか.

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 でも,なんかいろいろ繋がって来たような気もするんですよね.

 すぐ上で,「何らかの形で私が必要とされることがあれば頑張りたいと思いますが,自分からしゃしゃり出ることはありませんし,だとすれば,自分が(仕事でも仕事以外でも個人的なことでも)もう必要とされないことを想定して」(コピペ)と書いたのですが,まさにその通りで,仕事については言うまでもないですし,個人的なことについては,この辺の話と何となく繋がってくるわけです.

 つまりは,自分がどうこうじゃなくて,自分のことを必要としてくれているか,あるいは,こんな私でも何とかしてやりたいと思ってもらえるかなわけで,でも,冷静に現実を見れば,この期に及んで,私が必要とされたり,誰かが助けてくれるというようなことはもうないわけで,だとしたら,孤独と退屈を受け入れてやって行くしかないし,しっかり準備して行ければ,それはそれで悪くないとも思うんですよね.

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 準備の一つとしては,やることがあるかってことなんですが(だから,孤独は受け入れるけど退屈は受け入れないってことか),今は仕事もありますし,最近,いろいろ片付けてるんですが,ある意味,片付ける必要があってよかったなあとも思うわけです(きっちり片付いてしまうとやることがなくなる).

 つまりは,何か問題があれば,それを解決していけばいいってことで,じゃあ,何も問題がなくなったらそれで終わりってことなんですが,それはないと思うんですよね.

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 でも,人間なかなか諦められないんでしょうね.でも,諦めが肝心というか,諦めるというのは,明らかになるというのが語源らしく,決してネガティブな言葉ではなくて,冷静に現実を見て自分ではどうしようもないことなら潔く諦めて受け入れることが重要ということでしょう.

 つまりは,もし諦められたら,多くの人に先んじて明らかになってないことがわかったってことですから,それも悪いことではないですね.

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[鏡の中の私]

 生活しているといろんな人と出会うというか,例えば,電車に乗っていても老若男女いろんな人がいるわけです.

 でも,そういう中で自分の姿は見えません.

 では,そういう人々の中で私はどう見えているのでしょうか?

 そういうとき,たまたま鏡があったり,夜だと正面の窓ガラスに自分の姿が何となく映っているのを見ると愕然とします.

 つまりは,電車に乗っている老若男女いろんな人の中の私は,私の中にある何となくのイメージとあまりにかけ離れているのです.

 このギャップは一体何なんでしょうか?

 もちろん,そんなことはないのですが,私だけが歳をとって,どんどん年老いて行ってるような感覚になりますし,どこかで書きましたが,ある日突然,年寄り扱いをされて愕然とするようなこともあるわけで,これもまた受け入れざるを得ない現実ということでしょうか.

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3/27'20
[修了式の日の写真]
(大学)

 修了式の日の写真です.

 簡単な追いコンのようなことの後で↓
 

 学位記授与の後で↓

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[諦める]

 諦めが肝心ということなのですが(当然のことですが),諦めた方がいいことと絶対に諦めてはいけないというか,諦めるべきではないことがあると思うんですよね.「自分ではどうしようもないことなら潔く諦めて受け入れることが重要」と書きましたが,ポイントは,「自分ではどうしようもない」かどうかです.世の中には成功する人とそうでない人がいるんですが,この判断がそれを分けると言ってもいいかもしれません(このサイトに,できることをできる範囲で,とよく書いてますが,まさにそういうことです).

 具体的な例だと,国際試合で環境が劣悪とかバドミントンなら空調で風が吹いてる状況でどうしますか? こういう自分ではどうすることもできないものは,さっさと「諦める」ことが肝心で,その中でどうするか,あわよくば利用してやろうくらいの気持ちが重要でしょう.

 でも,実際は,そんな簡単なことばかりでもなくて,「自分ではどうしようもないか」どうかの判断は難しいことが多いです.全体的な傾向としては,若い頃は自分を過小評価しがちで(できるのにできないと思ってしまう),逆に歳をとると成功した人は若い時の成功体験が残っていて過大評価しがちです(もう年老いて衰えてるのにできると思って無理して体を壊してしまう).

 じゃあ,どうしたらいいかですが,考えるしかありません.それは,その人の能力とか状況とかどうありたいとかそういうものはみんな違うからで,ビジネス書とかハウツー本とか読んでも答えは書いてありません.

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[髭]

 髭ってどう思いますか? 男と女は同じ人間だけど,生物学的に(子供は女にしか産めないとか)明確な違いはあるってことなんですが,男にあって女にないものはほとんどない中,髭は割と男特有のものかもしれません(でも,実際のところは,女の人にも髭は生えるので(笑),髭=男ってことにしてるだけかも).

 私個人的には,髭を生やそうと思ったことは一度もないですし,髭なんか生えてこない方がめんどくさくなくていいとすら思っています(やっぱり,女性的かも).でも,それは,自分のことであって,髭を生やしている人に嫌悪感を感じることはないですし,それはそれでいいと思います(私の業界だと,K藤先生(はもう剃っちゃったけど)とかU竹さんとかM黒先生とかがすぐ頭に浮かびますが,みんな素敵です).

 で,どうして,突然,髭のことを書き始めたかというと,何とか髭ダンディズム(正式表記は多分違う)とかいうバンドの名前をよくきくからです.こういう変なバンド名を付けたのは,明らかに売れるためだと思いますが,髭と付くからには,男性的(な音楽)なのかなと思うわけですが,ちらっと聴いただけですが,実際は,全然違ってて,どちらかというと甘ったるくいかにも売れる商業音楽という感じでした(ていうか興味なし).

 つまり,名前なんかいい加減ってことです.わかりやすいのがお笑いのコンビ名で,海砂利水魚がクリームシチューにしたら売れたとか,そもそも,海砂利水魚もクリームシチューも全く意味なんかないわけで,それは他のお笑いコンビも芸能人の芸名も同じなわけです.でも,名前を変えたら売れたってことは,売れる売れないってその程度のことなわけです.

 じゃあ,中身で勝負かと思うと,髭ダンの音楽は別にどうという音楽ではないわけで,要は,「とにかく売れること」が全てというか,そういうことが行動規範になってるわけで,まあ人それぞれでいいんですが,「売れる=成功」という世界には,私は全く興味がないです.

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 見方を変えると,いい曲ができたから多くの人に聴いて欲しい,そのためには,自分達のことを知ってもらわないといけないので,変な名前のバンド名にする,というのは,わからなくもないです.問題は「いい曲ができた」のところです.

 「いい曲」って何ですか? そこが「今までにない新しい音楽」なのか「売れる音楽」なのかってことです.そして,自分達は「今までにない新しい音楽」と思ってるけど,その実,「売れる音楽」になってしまってるってことが大きな落とし穴だと思うんですよね.

 これは,まさにこのサイトで再三書いている自己評価と他者評価の問題で,始めから他者評価を目指すのもそうですが,自己評価と思っているのに,実際は他者評価になってしまってることに注意しないといけません.

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 具体的には,どういうことになりますかね?

 お笑いなら,売れるためではなく,今までにない笑いを追求して行きたいということなら,漫才ならとにかく漫才をやることで,売れてテレビのバラエティーとか旅番組とかCMに出てる場合じゃないでしょう.

 それじゃあ食べて行けない? ほんとですか? 年収200万あれば食べて行けますよね? そのくらいはバイトをしながらでも続けて行けるでしょうし,家族を養わないといけないというのなら,お笑いよりそっちの方が大事というだけの話でしょう.

 バイト生活は厳しいとしても,極一部のレベルの高い人達に支持されて,何とか漫才だけで食べて行けて(年収200万くらい稼いで),それ以外の時間を新しい笑いを産み出す作業に費やすというのが理想ですかね.

 音楽も同じで.どこかで書きましたが,年2回のコンサートに1万円ずつ払って聞きに来てくれる人を500人確保すれば,何とか食べて行けるわけで,問題はその500人をどうやって獲得するかですが,世界に500人くらいは,つまりは,1000万人に1人くらいは,自分のやる音楽のよさをわかってくれる人がいるかってことなんですが,そのくらいはいると信じるというのもありますが,数が少ない分,見つけるのは難しいかもしれません.

 お笑いなら何とか劇場に出るところまで漕ぎ着けられれば,やりようがある気もしますが,音楽の場合は,そういう仕組みが必要かもしれません.YouTubeには,そういう音楽が溢れてると思いますが,まさに玉石混交ですし,売れる音楽を紹介するのではなく,真にいい音楽を紹介する評論家的な人(もまた食べて行かないといけないのだが)が必要で,クラシックの世界にはもちろんいますし,一頃は,ロックの世界にそれっぽい人もいたんですが,最近はあまりききませんね.

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3/28'20
[どうありたいかが全て]

 でも,自分の能力とか状況とかどうありたいとかを正確に把握するのって難しいんだと思います.

 私自身についても,大学4年の春に「研究」というものに出会うまでは,基本的にずっとやる気なしでしたし,大学院を修了して,やりたいことを見つけてそれを仕事にするという「どうありたい」を達成した後は,やることを見失いましたし,1999年台湾集集地震でやることを見出し,ここに移ってきた後は,ずっと何となく東京に帰りたいと思っていたんですが,まさに「何となく」で,よく考えてなかったような気がします.

 具体的には,どうありたいのか,つまりは,研究をしたいのか,そうでない何かを求めているのかということでしょうか.もちろん,研究をしたいわけで,東京に帰れば,もっと研究できると何となく思ってたんですが,よく考えてみれば,いろいろとりまとめ的な仕事も様々なしがらみもあるでしょう.

 もっと言えば,研究して成果を出せば,いろんなものが自動的に付いてくると思っていたんですが,実情は違ったわけで,そういう判断も必要ってことなんですが,世渡りじゃないですが,そんなのめんどくさい話で,そもそもそういうところから距離を置きたいということが「どうありたい」の一つなわけです.

 と,ここまで書いて気づいたんですが,「能力とか状況とかどうありたいとか」と書いたのですが,能力とか状況のことが全然出てきません.つまり,「どうありたいか」が全てってことですね.

 だって,「こうありたい」と思って,それが自分にできるかどうかなんて関係ないというか,ほんとに「こうありたい」ならやるしかないし,状況がどうこう言っても,状況が変えられないのなら潔く「諦めて」,その中でできることをするしかないわけですからね.

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 でも「どうありたいか」も実のところよくわからないのかもしれませんね.

 でも,例えば,気づいたら勉強ができて成績がよかった,頑張れば芸大とか桐朋に行けるくらいピアノが弾けた,バドミントンが強くて全国トップレベルを目指せそうだったということなら,とりあえずそこで頑張るんですかね.

 勉強の場合は,かなり潰しが効いて,とりあえず一流と名の付く大学に行けば,いろんな道があるし,大学にいる間にどういう道に進むかを考えればいいでしょう.私の場合もまさにそうでしたしね.でも,芸術とかスポーツの場合は「それで飯が食える」ところまで行けるかどうかの判断はかなり難しいですが,まあでも,これもやれるだけやってだめなら次の道でいいんじゃないですかね.

 問題は,これらのどれにも当てはまらない場合で,というか,そういう人がほとんどなわけで,でも,とにかく生きていく,そのためには,仕事をしないといけない,そして,多くの時間を仕事に費やすのなら,やりたくないことより少しでもやり甲斐があることがいいという風に消去法で探していけば,何か見つかると思うんですよね.

 でも,そこで重要なのは,世の中の尺度ではなく,自分がどうありたいのかをよく考えることでしょう.いやいや,それがよくわからないんだよってことなんでしょうが,だいたいはよく考えてないか,世の中の尺度に惑わされてるってことだと思うんですよね.

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[大嘘]
(世の中)

 この4月から大学の無償化(入学金や授業料を免除)が始まるというのをやってました.え?そうなの? 入学者だけでなく在校生も対象なんだそうで,奨学金も返済免除のものができて,日本もこれでようやく欧米とかの先進国並みになったと言ってます.でも,話をきいてみると...

 世帯年収とか親の財産とか学習意欲とかいろいろ条件があって,これって,昔に戻ったってことじゃないですか.実際,私は大学はずっと授業料免除でしたし,奨学金も全て返済免除になりました.つまり,日本もこれでようやく欧米並みに,というのは大嘘なわけです.

 そもそも,この30年,一体何がどうなってたんでしょうか? 30年前と今とでは,日本の経済状態が違うということなら,大学無償化に戻れないはずですよね.

 結局,これも選挙に勝つための国民のご機嫌取りということで,そんなことしていたら,国の財政はどんどんやばくなるわけで,一体何をやってるんでしょうね?

 でも,経済的理由で大学進学を諦めるのはよくないというのはその通りで,一方で財源は必要ですから,大学無償化にするために消費税を1%上げますけどいいですか?と国民に信を問うのが本来のやり方です.

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[シーズン終了]
(スキー)

 こんな状況なので,シーズン終了となりそうで,結局,合計○日しか行けませんでしたし,越後湯沢には一度も行きませんでした.雪もないし不要不急の外出はってことなんですが(越後湯沢に行くには東京を通るし),行こうと思えば,こうなる前に行けたわけですし,やっぱり,その気の問題って気がします.

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 でも,他にその気になることがあればいいってことですよね.実際,スキーに行ってたとしたらの時間,他のことをしていたわけですからね.

 つまり,その時その時,その気になることをすればいいということでしょうか.

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 じゃあ,今は何かと言うと,(研究以外の大学の仕事がいろいろ忙しいのですが)研究については,建築学会大会前でいろいろ準備してますし,それ以外にもM2の学生達が成果を出したので,査読論文に出したいと思ってますし,過去のものにはなかなか手が回らないのですが,建築学会大会に出したものは,盗まれることはないので,とりあえずウェブ掲載しようかなと(また)考え始めました(ついでにウェブサイトのリニューアルもするかな).

 ピアノは,そこそこ弾いてますし,バドミントンも週一では行ってますが,ゴルフには練習場にもコースにも全く行ってないです.

 あとは,片付けですね.これはいろいろアイデアが出ていて,何とか「いつでも引っ越しできる状態」にしたいと思っています(がなかなか進みませんが,ぼちぼちですかね).

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3/29'20
[世界全体が財政破綻]
(世の中)

 リーマンショックを上回る経済危機ということで,補正予算を組んで今までにない大規模な財政支出を行うとのことです.でも,そんなことして大丈夫ですか?

 もちろん,餓死しそうな人が目の前にいるのであれば,とにかく助けることは不可欠です.でも,何度も書いているように,バブルに浮かれて風呂敷を広げてこういう状況になって助けてくれというのはムシがよすぎるのでは? そもそも,国が財政支出するということは税金なわけで,結局,回り回って自分たちに返ってくることですよ.

 何度も同じことを書きますが,リーマンショックのときとか今回,仕事が激減したものは,本質的に必要のないものということを自覚すべきで,そういう目先の経済を回して経済成長しているように見せかけるだけということをやめないと同じ過ちを何度も繰り返して,最後は首が回らなくなって国がそして世界全体が財政破綻しますよ.

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3/30'20
[母性本能?]

 最近,「人を好きになること」についていくつか記事を書いてきました(3/33/43/15).それは,そこで書いたように,最近,「人を好きになること」に明らかに変化があるということで(でもだからどうということはないんですが),相手がどう思ってるかとか,中身は関係ないってことはないんですが,それ以前の単なる好き嫌いというか,それが更に進んで?逆にこいつ大丈夫かよという人が気になるようになってきたんですね(これも一種の母性本能?).

 そんなことは今までなかったと思うのでかなり戸惑ってるんですが,もちろん,(めんどくさがりの)私からしゃしゃり出ることはないですし,別に何が起こるわけでもありません.

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(日記)

 このままではやばいと何度か書きましたが,現実味を帯びてきましたね.個人的には,ほとんど影響はなかったんですが,だんだんそうも言ってられなくなってきました.

 でも,それは(研究以外の)仕事の話ですし,生活に関しては,やっぱり,何も変わらないですね.

 あとは(これも個人的には関係ないのですが),雰囲気が2011年に似てきたことで,本音と建前というか,歯が浮くような嘘が平気でまかり通るというか,なんだかいやーな感じですね.

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3/31'20
[負け惜しみ?]

 こんなこと書くと,まるで私がめんどくさくて行動を起こさないから何も起こらないみたいですが,全然違いますよね.実際は,私が必要とされない,相手にされないからであって,だったらめんどくさくなくていいやという負け惜しみ?といったところで,でも,めんどくさがりなのは事実なので,それはそれで受け入れるというか悪くないと思えるのは大きいということでしょうか.

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[引っ越しは大変]
(生活)

 先日,母親が引っ越ししました.近くに住んでいた妹が既に職場の近くに引っ越していて,その近くのURが空くのを待っていてこのタイミングでということでしょうか.それで転入届で役所に行ったんですが,ハイシーズンということもありますが,まさに激混みで,でも,ほんとにちょっとした手続きなんですが,どうしてあんなに時間がかかるというか要領が悪いんでしょうか? マイナンバー作ったんだし,それこそクリック一つで終わる話じゃない? 世の中どんどんグダグダになって行くんですが,これから益々そうなって行くんでしょう.

 それで,引っ越し自体は,お任せパックなんで(でもこっちもほんとグダグダ.あれなら自分でやった方が早いし楽),ほとんどやることがないはずなんですが,実際は,引越を機に荷物の整理をするわけで,もう高齢ということもありますが,大変だったようです.そして,引っ越しはもう終わったんですが,荷物の整理は,まだまだこれからとか言っています.このことの意味することとしては...

 このサイトで再三書いているように,「片付けはライフワーク」ってことで,私もせっせと片付けてるんですが,一向に進まないというか,何十年という「蓄積」はものすごいんですね.そして,気づいたら私ももうすぐ(既に?)高齢者なわけで,実際,4年前引っ越ししたときは(荷物の整理が)大変で,一日中作業を続けることはもうできないし,体が衰える前にどんどん荷物の整理を進めて,それこそ「いつでも引っ越せる状態」にしておかないと大変なことになる(自分で荷物の整理ができなくなるか,残された人に多大に迷惑をかける)と思った次第です.

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 必要なお金を残しておいて全て廃棄してくださいと遺言しておけばいいと言う人もいるとは思うんですが,ほんとにちゃんとそうしてくれますかね? 家族がいたら,思い出になるものはないかと思うでしょうし,そうするといろんな余計なものも掘り出されてしまうと思うんですよね.

 逆に全く身寄りがなければ,業者ががばっと処理してくれるのかもしれませんが,全く身寄りがないということはないでしょうし,そもそも死ぬときに気分がよくないですし,それまでの生活が快適でないということですから,やっぱり,片付けて行った方がいいですね.

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[志村けんさん]
(芸能)

 亡くなった志村けんさんですが,メディアでは(当然)いいことしか言わないわけで,(このサイトは本音を書くことにしているので)亡くなった直後でなんなんですが,私の正直な印象を書いておくと...

 私が全員集合をよく見ていたのは小学生のときで(でも親が厳しかったので毎週見てたわけではなかったと思う),そのときは,まだ志村さんはいなくて,加藤茶さんが圧倒的な大スターでした.ですから,私の中では,ドリフの看板と言えば,加藤さんですかね.

 でも,ドリフの芸というのは,単純というか,子供向けという感じで,中学になる頃にはあまり見なくなったのかな.志村さんが荒井注さんの脱退後,正式なメンバーになって,全員集合に出るようになったのはその頃でしょうか.でも,時々見てたとは思いますが,志村さんは面白くなかったと思いますし,実際,受けてなかったんじゃないですかね.

 その後,東村山音頭で一躍大活躍するように,ということなんですが,それはそうなのかな.そのときのことはよく覚えていないというか,そんなに全員集合を見てなかったんだと思いますが,私の記憶の中に少年少女合唱隊で彼が変な動きをしながら歌ってるシーンは残ってます.そう,彼って何か変なんですよ(まさに変なおじさん?).

 あとは,ちょうど大学受験のときか,大学に入った頃に,髭ダンスが流行っていて(通産省にいた上福岡の叔父さんの家に行ったとき,甥っ子がやってた(笑)),へー今はこれなんだとは思いましたから,全員集合自体は見てなかったんだと思います.

 つまりは,私は,志村さんがドリフ(全員集合)で活躍してたときのことは覚えているけどあまり見てなかったということですかね.

 その後,ドリフは解散し,志村さんは活動を続けるのですが,あんまり見てはいなかったですかね.いわゆるお笑いの世界というのがあるんですが,そこの中心にいる感じではなかったと思います.

 同世代だとビートたけしさんあたりになるのでしょうか.彼は,ツービートで漫才ブームで知名度を上げてスターになっていったということですから,彼の方が中心にいたのかな.でも,彼が一番活躍していた頃(ひょうきん族あたりか)のお笑い番組も私はあまり見てませんでしたね.当時は,だいたいそうだったとは思うんですが,下品というか,汚いというか,そういうところがありましたからね.

 そういう意味では,ドリフとか志村さんの笑いは,ちょっと下品ではあるんですが,(子供向けということはあるとは思いますが)そんなに汚くはなくて,今にして思えば,嫌いではないですね.

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[静か]
(PC)

 いつも通り仕事していたんですが,何か今日は届くメールの数が少なくて静かだなあ,こんな日もあるのかと思っていました.でも,15時くらいになって,どうやら静かどころが一通も届いてないことに気づきました.そんな日もある?

 いや,何かおかしい,そう言えば,サーバが移転すると言っていたことを思い出しました.でも,教員会議の説明だと,特に何かしないといけないわけではなかったような...

 それで,問い合わせのメールを出したんですが,そっか,返信が届かないか,ていうか,送ったメールも届かないかもと思っていたら,担当のY十島先生が部屋まで来てくれて,このマニュアルに従って設定してくださいとのこと.あれ? やっぱり,何かしないといけなかったんですね(こういう場合,最近,だいたい私がきき逃してることが多い).

 で,ユーザー名がわからなかったり,パスワードの最初のところがプロンプトみたいになってて,そこもパスワードと思わなかったりして,ちょっとばたばたしたんですが,転送設定したのはいいんですが,朝から今までの6時間のメールは転送されないので,webメールで開いてしこしこ100通くらい転送して(つーか,100通くらい届いているのに1通も届いてないと思ってしまうのも能天気すぎ)って感じで,とりあえず何とかなったのかな.

 で,思ったのは,こんなことがあると,メールもウェブサイトと同様に外部に引っ越した方がいいかなということです.大学のアドレスが使えるのは,この大学にいる間だけですし,実際に使ってるのはgmailなので,これにすればいいというだけの話ですからね.

 でも,大学の公式?のメールは,gmailというわけには行きませんし,今使ってるgmailのアドレスは,そろそろ容量がいっぱいになるので,次に取得するgmailが一つのタイミングですかね.

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[脆弱]
(世の中)

 東京は,緊急事態宣言とかロックダウンとか言われてるんですが,そういう噂が流れるだけでスーパーに人が殺到するのを見ると(でも実際のところはどうなんですかね? でも東京の中心部にはスーパーは少ないのでそうなる気もする)やっぱり,東京(の中心部)に住んでなくてよかったなあと思いますね.大地震なんか起こったらほんとどうなるんでしょうか.

 今でもよく覚えているのは,1995年兵庫県南部地震のとき,神戸から大阪に続く「長蛇の列」です.車は大渋滞どころか,ずっと繋がったまま全く動かないし,人々は,食料などを調達するために神戸から大阪方面まで歩いて行くしかなかったわけで(私は自転車を持ち込んで被害調査をした),それがずーっと大名行列のように神戸から大阪まで続いてたんですよ.

 今の経済のシステムがいかに脆弱かということを何度も書いてきましたが,物流というか,そもそも人々が生きていくためのシステムそのものが(特に都市部では)脆弱なんじゃないですかね.

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[福井に新幹線]
(地理)

 今週のネプリーグ(は,晩ご飯食べるときに時々見てる)だったかな,漢字二文字の新幹線の停車駅を答えられるだけ答えるというのがあって,そんなの楽勝だと思うのですが,東大在学中の才媛とかいうのが福井って答えて,○ホ丸出し(毒)って感じなんですが,そのときテロップに2022年開業予定と出て,びっくりしました.そうなの? もうすぐじゃん.

 おそらく,北陸新幹線の延伸だと思うのですが,地理好き地図好きの私の考えることは,東京から福井に行くのに,金沢回りと米原回りとどっちが近いのか,速いのか,ていうか,かなりびみょーじゃないかということです.直感的には,北陸新幹線が(いろんな政治的なことも含めて)ぐねぐねしてるので,米原回りの方が近いんじゃね?と思ったのですが,こんな感じです.

 意外なことに距離は,金沢回りの方が近いんですね(でもほんとかなあ? 下の地図見ても東海道回りの方が近そうに見えるけど).でも,時間的には,米原回りの方が速いです.米原には,のぞみは停まらないことを考えてもこの時間で着くのなら,米原経由で行けばいいじゃんってことです(でも,実際は,小松まで飛ぶのがもっと速い).

 これは,北陸新幹線を金沢まで通した時もそうで,越後湯沢から当時在来線最速のほくほく線で行く場合と比べて,そんなに圧倒的に何時間も速くなったことはなかったと思います.一般的には(飛行機ではなく新幹線を選ぶには)4時間の壁とか言われてるんですが,実際は,3時間切って来ないとってことなんですかね.

 でも,いろいろ政治的なこともあるでしょうし,我が県に新幹線を,というのは,全ての県の悲願なんでしょうね.実際,新幹線が来て,金沢は様変わりしたわけで(まさに4時間ではなく3時間の壁?),でも,その実,観光頼りってことは,今回の件を見れば非常に危ういことなわけで,もっとちゃんと地に足付けてやって方がいいんじゃないですかね.

 

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[ばかばかしい]
(大学)

 こんな状態なので,実験以外の授業は,オンラインということになりそうです.それは,別にどうってことない(パワポに音声付けてオンデマンドにすれば却って楽)んですが,期末試験をどうするかが議論になってます.

 要は,カンニング対策ってことですが,だったら,いっそのこと持ち込み可にして考えさせる問題を出せばいいという人もいるんですが,甘い(笑)というか,それでは「協力(結託?)」防止にはなりません.

 どこかで書きましたが,何年か前,プログラムを書かせるレポートで,同じ研究室の学生がほとんど同じプログラムを出してきて,レポートなんだから相談してもいいでしょという開き直り様で,今の学生の倫理観ってこんな程度なんですよ(それ以来,レポートはやめて全て試験にしている).

 めんどくさいけど,計算問題なら,一人一人違う数値にして,エクセルシートで採点ということも考えたのですが,これも「結託」防止にはなりませんね.

 で,調べてみると「監督機能付き」のオンライン試験ソフト?みたいなのもあるみたいです.要は,試験を受けてるときの不審な動きを察知するんだそうです.そういう意味では,大学院ならそんなに数がいるわけでもないし,学生をウェブカメラで顔だけではなく,机の上も映しておくとかして,オンラインで監視するというのもできなくはないですね.でも...

 こんなこと考えてると,ほんとばかばかしくて,一体何やってんだろ?って思いますね.

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 でも,我々の頃は,もっとひどかったんですが,それはそれでそういうルールだったというか,かつての京大総長の入学式の言葉じゃないですが,大学は何もしてくれなかったというのは極端としても,手取り足取り面倒見てくれるなんてわけはなくて,そういう中で自分で何とかするしかないということを学んで行ったと思います.

 今は時代が違うというか,そうしないと学生は何もできない(ということになってる)んですが,実際は違うと思うんですよね.だから,どんどん自分でやらせればいいと思いますし,授業なんかほんとはやらなくてよくて,勉強は自分ですればいいんですが,そうすると(研究しない)大学の教員の仕事がなくなってしまうわけで,無駄なことして一生懸命仕事を作ってるわけで,結局,一体何やってんの?てことです.

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[何か変な感じ]

 寂しいとか,必要とされないとか書いてますが,何か変な感じがしてきました.実際のところは,私は一日の多くの時間を一人で過ごしてますが,寂しいということは全然ないし,必要とされないことについても,別にどうでもいいというか,必要とされて余計な仕事を押しつけられるのは勘弁ですし,蓋をしていたものが開いたとか言っても,もうずっと年に数回くらいしか会ってないわけですし,そもそも,哲学的には,人間は孤独なわけで,それを群れて誤魔化して生きるのは格好悪いし,今のままで全然いいんじゃないですかね.

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