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4/1'20

 新年度なんですが,別段普段と変わることなくってことなんですが,そっか,大学にいられるのがちょうどあと〇年ってことですね.そう考えると,もうあまり時間はないなと感じるのですが,まさに新年度じゃないですが,大学をやめるという「崖」があっても,次の日,別段普段と変わることなく,となるようにしっかり準備して行きたいですね.

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 この件ですが,全く以てその通りで,一体どうしていたのかなという感じです.ただ,開いた蓋はもう閉じないと思うので,それは仕方ないですかね(これに関しては,蓋が開く前,一体どうしてたのかという感じ).

 じゃあ,一人で生きていくのかと言うと,もちろん,そんなことはなくて,親兄妹とか(卒業生も含めた)学生達とか友人達とかはいるわけで,でも,そんなに顔を合わせることがあるわけじゃないんですが,彼らは常に心の中にいるというか,勝手に人との繋がりを感じるというか,それでやって行けると思いますし,実際,そうやって来たわけですからね.

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 話を敷衍すると,極端な話,全く会うことができなくても人との繋がりって(勝手に)感じることができると思うんですよね.好きな人ができたらその人のことを想うだけでそういうものが感じられますし,どこかで書きましたが,既に亡くなった人だって,いつか会える(死んだら会える?)みたいな不思議な感覚があります.

 でも,これって一般的ではないんでしょうね.ですから,会いたいと言われれば,会いたいと思いますし,こんな私でもできることがあれば応えたいと思いますが,これも一種の「要請に応える」ってことで,要請もないのにどうこうしようとは思いませんかね.

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[ライフワーク]

 片付けはライフワークとか,最近,ライフワークという言葉をよく使っていますが,そもそも,ライフワークって何なんですかね?(この言葉を何らかの意味で使っているのは私自身なので,広辞苑とかで調べても意味がない.つまり,自分で考える必要があるということ)

 ここでライフというのは人生ですから,生涯にわたって続けて行くものということですかね.そう考えると,仕事は定年で(やめるのなら)終わりですし,意外とそういうものは少ないのかもしれません.でも,研究なら(続けて行きたいのなら)続けて行けるかもしれないし,ピアノもそうですかね.バドミントンやスキーやゴルフは死ぬまでは厳しいかもしれないけど,できる限りそうできるようにということも含めてならありか.あとは,このサイトとか運保とかもそうですね.

 そう考えると,意外と少ないどころか結構多い?(私が特殊?) でも(研究以外の)仕事が真っ先にはずれたのは,一つの気づきですかね.

 そして,ポイントは,やはり「持続性」でしょう.つまり,少しずつでもいいので,一日1,2時間くらいでもいいので続けるというか,そういう気になるものということで,そうすると,バドミントンとスキーとゴルフ以外は,全て当てはまってると思いますし,バドミントンとスキーとゴルフも競技力向上のために体を整えることを日々やって行くのであれば,含めてもいいかもしれません.

 つまりは,片付けはライフワークと言うのなら,原則毎日1,2時間くらいは片付けろよということになるわけで,そうすると,まだまだなんですが,ほんとに片付けはライフワークと思うのなら,そのくらいやれよってことですし,実際,そのくらいやらないと片付かない気もします.

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[体を整える]

 これもライフワークなんだと思いますが,ほんとにできる範囲でなんですが,体を整えることをやっています(でも,時間にすると一日1,2時間どころか合計しても10分くらいかも).やってることは単純で,ずっと座っていたり,立っていたり,歩いていたり,要は,同じ姿勢をとり続けたときに体をストレッチ的にかつ少し負荷をかけて動かすというだけです.

 そんな程度で効果のほどは,ということなんでしょうが,まさにライフワークというか,10年,20年経ったときにどうなってるかということでしょうか.どこかで書きましたが,人間の体って目に見えないほどゆっくりなスピードで老朽化して行ってて,気づいた時には..ってことなんですが,どういう時に老朽化するかと言うと,座り続けたりして体を動かさないときです(若い時は気づかないけど,歳をとるとよくわかる).

 じゃあ,ずっと立ってればいいか,歩いていればいいか,体を動かしていればいいかというと,それもだめで,結局は,そこのところの絶妙なバランスなんですね.でも,これはこれでラッキーで,ずっと動いてろと言われたらしんどいわけで,まさにできる範囲でできることをすることがバランスするところということでしょうか.

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 でも,結構厄介なのが「忘れる」ことです.仕事してたらいつの間にか何時間も座りっぱなしだったみたいな.

 タイマーかけておくみたいなやり方もあるとは思うんですが,そういうのはあんまり好きじゃなくて,じゃあ,どういうのがいいかと言うと「自分で気づく」ことです.

 つまり,何時間も座り続けると「体が感じる」というか,座ってられなくなって,体を動かしたくなるというか,そういうセンサーを磨きたいと思うんですよね.

 だって,タイマーが鳴ったらやりたくないのを無理して我慢してやるということだと持続性がないというか,体を動か「したく」ならないとやらなくなると思いますからね.

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[人と人が接しない状態で]
(世の中)

 緊急事態宣言ですが,もう完全に時機を逸した感じで,先にデマまで流れて,益々出しにくくなって,一体何やってんでしょうか? というか,今更出してもまさに今更で,それこそ出す意味がありません.つまり,これからやるならもうロックダウンしかないってことですが,やるならさっさとやった方がいいですよ.

 事態を収束させるのに一番効果があるのは,2週間完全に人の動きを止めることだと書きましたが,それが(経済的理由で)できないのなら,できる範囲でできることをするしかないですが,それだと収束するのにかなりの時間がかかります.

 つまりは,持続可能でないといけないわけで,原則人と人が接しない状態で1年とか2年とかどうやって生活して行くかを考えないといけません.

 でも,これもできるんじゃないですかね? ほとんどのことはオンラインでできますし,人がワイワイ集まることがむしろ異常というか,できないことの多くは,無駄というか非効率なことだと思いますからね.

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 全く反対の考えとして,何をそんなに騒いでるの?(とも書きました)とも思います.確かにインフルエンザより致死率は高いしワクチンも治療薬もまだないのですが,肺炎で死ぬ人は一定数いるわけで,それを今日は感染者が何人とか死亡者が何人とか報道するから大変なことになってると思うわけです.

 でも,こんな状況で集まってワイワイやったり夜の街に繰り出す○ホがいるわけですから,とにかく怖がらせるとかロックダウンして動きを封じるしかありません.

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 一方では,感染者数が増えて来て,医療崩壊寸前と言ってる人もいます.え?たったこれだけの数で医療崩壊?

 よくきいてみると,現状では感染者は,症状が軽くても入院しないといけないんだそうです.一体何やってんですかね? 入院が必要な人は重度の肺炎を発症してる人だけで,症状が軽い人は,隔離して安静でいいんじゃないの?

 いずれにしても,何かいろいろおかしいというか変ですね.つまり,感染防止法も含めて,そういうおかしな情報に惑わされることなく,しっかり考えて行動すべしってことですね.

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 大学は,授業は原則オンラインとなったようです.いいんじゃないですかね.これを機に授業なんか意味ないじゃんって気づいてもらえませんかね?

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[確かめたい?]

 仕事でも個人的なことでも「要請があれば」と再三書いていますが,もちろん,要請があれば考えますが,変な話,要請がないことを確かめたいのかもしれませんね.「蓋をしていたものが開いた」と書きましたが,蓋は自然に開いたわけはなくて,開けたのは私自身ですからね.

 じゃあ,そんなこと確かめてどうすんの?ってことですが,要請がない,私が必要とされないのであれば,それを受け入れ,潔く諦めて次に進めるわけですからね.

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4/2'20
[ほんとは必要のないもの]
(世の中)

 観光とか外食業界だけでなく,自動車業界も新車販売台数激減でピンチと言ってます.でも...

 (何度も書いてますが)車これ以上必要ですか? 新車をそんなにばんばん作る必要ありますか? その車まだ乗れるんじゃない? 中古車屋さんに行けば,車いっぱい売ってますよ.

 (何度も書いてますが)景気が悪くなるとほんとは必要のないものが如実に表れますね.

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[やっぱり持続性]

 ポイントは,やっぱり「持続性」だと思うんですよね.じゃあ,その持続性を支えるものは何かというと目標とか目的(報酬)ではなく,内的熟達でしょう.平たく言えば,やってて楽しければやるってことです.

 でも,それが難しかったりするんですが,要は,今日もやりたくなるとしたらそれは何かと考えることでしょうか.スポーツだったら,たた漫然と練習するのではなく,課題やテーマをもつとかですかね(バドミントンとスキーはそれで何とか続けられてる.ゴルフは何が問題?).

 でも,これも人とか状況によるわけで,ただ単純に体を動かしたい,ストレス解消したいという人もいるというか,人は同じでもそういう日もあるわけだし,人との繋がり的には,誰かと練習するのが楽しみということがあったり,何かの大会で優勝するとかいう目標をもった方が効力感が感じられる時もあるでしょう.

 ですから,そういう引き出しをたくさんもってて,その日その日で使い分ける,あるいは,組み合わせるってことで,そのよりどころとなるのは,やる気三要素(ただし報酬に注意)なんですが,基本は,やはり,内的熟達(報酬の次に評価に注意)だと思うんですよね.

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[ゴミ屋敷]
(生活)

 片付けてて思うのですが,そのほとんどは要らないということです.でも,片付けないと何となく(特に整理整頓されて収納されてると)そのままになってる.10年前は必要だったかもしれないけど今は要らないものの方が圧倒的に多い.

 つまりは,定期的に少なくとも10年か5年に1回くらいは,片付けるというかチェックしないと,そのまま20年,30年経ったときにとんでもないことになってるわけです.

 これってまさに「ゴミ屋敷」ですよね.つまり,多かれ少なかれそういうことがあるわけで,「いつでも引っ越しできる状態」は極端としても,ゴミ屋敷の中で生活するのは,快適ではないでしょう.

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[これでいい?]

 年度が開けて気づいたんですが,例えば,この話ですが,その時は,尾鷲で(私が勝手に)盛り上がった?んですが,このときMと会うの最後だったんですね.もっとちゃんとした言葉かければよかったな...

 でも,こういう時考えるのは,私がどう考えてるかではなく,彼女がどう考えてるかです.そうすると,おそらく私の存在というのは,別にどうということはないというか,バドミントン部に関わってはいるけど,そんなに大した存在ではなくて,だから,別にこれでいいんでしょう.

 同じようなことは,研究室の卒業生達にも言えて,私が彼らのことを思ってるほど彼らは私のことを思ってないのでしょうし,それはそれでしょうがないというか,彼らの人生がこれからなのに対して,私は明らかに去り行く人間で,これでいいんだと思います.

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[結婚って]

 あらためてなんですが,結婚って何なんですかね? お互い好きになって結婚するというのは自然な流れのように見えますが,結婚となるといろいろ問題が出てくるわけです.

 一番大きいのは「結婚生活」を送らないといけない(ということになってる)ってことでしょうか.平たく言えば,新居を構えていっしょに住むってことなんですが,そこで生じるのが家事の分担をどうするかです.ていうか,多くの場合,女性の負担が大きいわけですよね.

 男が稼いで女が専業主婦というのは,一見問題ないように見えますが,今時そんな夫婦どのくらいあんのかと思いますし,有能な女性なら仕事して自分の食いぶちくらい自分で稼ぎたいと思うのは当然でしょう.

 でも,そうすると家事をどうするかとなって,女性からすると仕事するのに加えて自分だけではなくもう一人分家事やらないといけないのは明らかに負担増ですし,男からすると,給料召し上げられて小遣い制になったのに,家事までやらなくちゃいけなくて何なん?てなもんでしょう.

 つまり,そういうやり方だと結婚は1+1=2どころか1+1=0.5みたいなことになってるわけです.

 じゃあ,どうしたらいいかですが,何度か書いたと思いますが,1+1=2になるようにすればいい,つまりは,自分のことは自分でやればいいだけの話だと思うんですよね.

 具体的には,結婚する前,多くの人は,一人暮らしをしていると思うのですが,快適だし全然問題ないんじゃないですか? だったら,結婚してもそれを続ければいいだけだと思うんですよね.いっしょに住んでもいいとは思いますが,シェアハウス的というか,夫婦というよりは,同居人というか,そんな感じですかね(愛し合ってるかどうかはまた別の話).

 問題は子供ができたときでしょうか.でも,考え方のベースが対等な独立した人間なら,じゃあ,どう分担して行こうかとなるわけで,要は,そういう考え方の問題だと思います.

 でも,実際のところは,そう考える人は少なくて,男だけ稼いで女が専業主婦とまで行かなくても,男が多く稼いで,女がその分多く家事を負担するという感じでやってるところが多いのでしょうが,そうすると自分の方が負担が大きいと思いがちだし,うまくバランスさせるのは難しくて,だいたい女性の負担が大きくなってると思うんですよね.

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 と書いて思ったんですが,これってずっと書いて来たことですよね.ほんとは,こういうことになって,私自身が結婚相手としてどうだったんだ?ということを書いていたんですが,相手のこともあるので,書き直したら,何度も聞いたわという記事になってしまいました.

 じゃあ,私自身が結婚相手としてどうだったかですが,上で書いたような考えなので,仕事とか仕事以外でも何かやりたいことがある人にとっては,いいんじゃないかと思うんですよね(笑).でも,そういうことも気づいたらもはや全て終わってしまったわけで,結果として結果を出せなかったということなんですかね.でも,相手も私もやりたいことは思う存分できたとは思うので,それでよかったってことでしょうか.

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[既に]

 今日は晩ご飯を食べて家に帰ってきて,なんかしんどいというか,何もする気にならず,ピアノを弾こうとしてもそういう気にもならず,持続性がないなあと思うわけで,そうすると,結局,やりたいことなんかなくて,やらなければいけないことがあるだけで,その中から多少なりともやりたくない度が高いものを選択してるだけという気もしてくるのですが,「やりたいことなんてない」で検索したら,既にそういう記事を書いていました(131005, 181230, 191025).

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4/3'20
[良識を問う]
(世の中)

 あれ? 国は緊急事態宣言は出せてもロックダウンはできないと言ってますね.じゃあ,先日の何ちゃら特措法の改正って何だったの?

 ここは法的縛りではなく,国民の良識が問いたいとか言ってます.

 いやいやいや,良識がない奴がいるからこんなことになってるわけで,そういう奴らを有無を言わさず取り締まるのが法律じゃないの? 国会というのは立法府ですから,法的縛りではなくじゃ意味ないじゃん(学級委員じゃないだし).

 良識を問うてあとは自業自得ということもあるんですが,良識を問うと良識のある人が割を食うこともあることで,今回のケースはまさにそうでしょう.

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 この話ですが,既に書いてたから済みってことじゃなくて,折角なので,もう少し考えてみると,「やりたいことなんかない,やらなければいけないことがあるだけで,その中から多少なりともやりたくない度が低いものを選択してるだけ」だとすると,じゃあ「多少なりともやりたくない度が低いもの」は何かとなるわけです.

 そうすると,どうせならお金がもらえる仕事ということになりそうですが,もちろん,食べて行く分稼ぐ必要はありますが,それ以上稼いで大して意味のないことに散財するのがどうよということです.つまりは,三要素的に言えば,報酬よりは,人との繋がり,更には,内的熟達ってことですね.

 問題は「その時その気になる」ものがあるか,選択肢があるかということで,何でもいいから,お金なんかもらえなくていいから,多少でも「その時その気になる」ものがあればということですね.そういう意味では,たった一つでも「常に」やりたいことがあるのは大きいですし,そうでなければ,いろんな選択肢を用意しておくということですかね.

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[この難局を乗り切っていきましょう]
(世の中)

 「この難局を乗り切っていきましょう」.世の中もそうですし,大学もそんな雰囲気になってきました.でも,何度か書いたように,私自身は,別段普段とそんなに変わらないというか,難局を乗り切るというような気合が入った?モードではありません.強いて言えば,授業がオンラインになるので,コンテンツの準備がちょっと面倒なことですが,授業自体は楽になるので±0ですかね.

 このことが意味することとしては,世の中が普段いかに無駄で余計なことにエネルギーを費やしているか,対照的に私自身は,そういうものから距離を置いて,普段から快適に過ごせているんだなと確認できて,悪い気分ではないです.

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[割に合わないこと]

 今回の件で,医療現場が大変なことになってるのは間違いなくて,激務ということもありますが,危険と隣り合わせということがあります.そして,それは,今回の件に限った話ではありません.

 医者の給料が高いのは,なるのが難しいとか,高度な技能を有しているということもあるけど,そういう「危険手当」的なことが大きいと言った人がいました.

 でも,そうだとすると,医者の給料は安いと思いますね.もちろん,儲かる商売をしている医者もいるんですが,真面目にちゃんと働いてる人は,そんなに法外な額を貰ってるわけではありませんからね.

 つまり,多くの医者は,お金のために働いてるわけではなくて,見方を変えると,お金がそんなに貰えなくてもやるってことは,やり甲斐がある,やりたいこと,やるべきと思うことができてるってことで,どこかで書きましたが,回りから割に合わないことよくやるなと思えることをやれてる,そう思えるものがあることはすごくラッキーなんだと思います.

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[冷たかった?]

 東京五輪とパラが1年延期になったけど関係ないと書きましたが,それはちょっと冷たかったですかね.関係ないというのは,私が関係ないということで,選手達はそうは行きませんからね.

 正直に書くと,藤原のことは,やはり心配です.でも,私から連絡しようとは思わないですかね.私に何かできることがあるのなら連絡があるのでしょうし,ないということは,大丈夫ということだと思うので,だったら,それはそれでいいと思いますからね(連絡して来いという意味ではない).

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[解決?]
(大学)

 懸案の期末試験をどうするかですが,学類のWGが開かれ,レポートにしてよいということで解決したそうです(JABEE的にも問題なし).解決?

 レポートってことは,結局,カンニングし放題ってことですよね.つまり,解決にも何にもなってないと思うのですが,それでいいということならそれでいい(ズブズブ)ということですね.

 まあ,ちゃんとやる学生はちゃんとやるでしょうし,他力でやる学生は,高い授業料払って自分の能力向上ではなく卒業証書だけを買いに来るってことですから,まさに自業自得ってことなんでしょうが,大学としては,「性能保証」をしないといけないわけで,そういう学生を卒業させるのはやはり問題だと思いますね.

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4/4'20
[無敵]

 少し書き換えました(でも主旨は変わらない).回りから割に合わないことよくやるなと思えることをやれてる,そう思えるものがあることはすごくラッキーってことなんですが,逆にこんな大変なことやらされて割に合わない,もっと見返りが欲しいと思うのなら,さっさとやめた方がいいということです.

 スポーツだって芸術だって研究だって何でも同じです.こんな苦しい練習して結果が出なかったら割に合わないと思うのならさっさとやめればいいし,こんなに世の中の役に立つ研究をしているのに評価されないと思う場合も同じです.

 逆にこんなに役に立たないこと,ただ自分がやりたいからやってることをやらせてもらってありがたいと思えれば無敵で,どんなに大変なこともやるでしょうし,結果として結果も付いてくると思います.

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 この件ですが,そもそもこういうことを考えないといけないことが煩わしく鬱陶しい話で,まさに「こんなことやってる暇なんかない」わけですし,「性能保証」と言っても,私だけが頑張っても,他の科目が「ざる」では意味ないわけですからね.ですから,レポートにしてテキトーにやればいいのかもしれません.

 でも,何というか,明らかに何やこれ?というレポートが出てきて,それを看過することはできないですかね.つまり,やるならもっと賢くやれってことなんですが,そういう奴に限って○ホなわけで,まあそしたらばんばん落とせばいいだけの話か.

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[何かが前に進むこと]

 結局,哲学的には人生所詮退屈しのぎってことなんですが,じゃあ,何して退屈しのぎして行くのかってことです.生きては行かないといけないので,ある程度は働かないといけないのですが,どうせ働くのなら多少なりともやってて楽しいこと面白いことやり甲斐があることとなります.

 この辺から「分かれ道」になってくるんですが,やってて楽しいこと面白いことやり甲斐があるよりは,給料がいいところ,あるいは,残業が少なくて自分の時間がとれるところという人も出てきます.後者については,仕事以外にやりたいことがあるのでしょうから,それはそれで問題ないようにも思えますが,やりたいことがどういうことかというのは仕事と同じです.

 要は,仕事を選ぶとき,あるいは,余暇というか仕事をしていないとき(リタイア後の時間もこれに含まれるか)にどういうことをして退屈しのぎをして行きたいと思うかですね.

 最初の仕事を選ぶとき,給料で選ぶ人は,どうせ何かやるのならお金になることと考えるのでしょう.そうするとどうなるかと言うと,後に残るのはお金です.そして,お金を残してどうするんの?ってことです.

 この辺からだんだん見えて来るんですが,人生所詮退屈しのぎだけど,じゃあ,退屈しのぎに何をやろうとするかがその人の素養というか人生を決めるってことですね.

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 じゃあ,私はどうかですが,素養があるかどうかはともかくとして,お金で決めることはありません(もちろん,生きていくのにお金は必要だけど,生きていくこと+やりたいことをやる要以上のお金は要らない).じゃあ,どうせやるならどういうことかと言うと,やってて楽しいこと面白いことやり甲斐があることってことなんですが,じゃあ,どういうことに楽しいとか面白いとかやり甲斐があると思うかなんですが,単に楽しいことには興味がないですね.

 例えば,海外旅行ですが,若い頃は,海外出張のついでに観光ぽいこともしたことはありましたし,それで満足しているということもあるかもしれませんが,また行きたいなとは思わないですね.それは,自分の中に何かが残るというか,それを通して自分が成長した感じがしないからですかね(仕事とか仕事以外でも休息は必要だが,それにはひたすら眠るのが最も効果的というか,本質的に休むには眠るしかない).

 いやいや,日本とは違った海外に実際に行ってみることは「経験」という何かが残るんじゃない?と言う人もいるかもしれませんが,全く海外に行ったことがないのならそうかもしれませんが,ある程度,いろんなところに行けば充分でしょうし,海外になんか行かなくても,自分の生まれ育った街から一歩も外に出なくてもそれはそれで充実したいい人生を送っている人もいるでしょう.

 じゃあ,どういうことを多少なりともやりたいと思うかですが,平たく言えば,そのことを通して,何かが前に進むことですかね.そのことを通して,自分が成長すると言ってもいいですが,例えば,片付けなら,片付けが進むということでもいいです.

 研究は,わからないことがわかって行く上に,自分にしかわからない見識や考える力も得られますし,ピアノやスポーツも自分の技能や音楽性や競技力が向上するわけですし,運保なら経済や世の中を見通す力を磨いて行きたいわけですし,このサイトに文章を書いていろいろ考えることで,究極の生き方に近づけていると思うんですよね.

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 あとは,創意工夫というか,いろいろ考えることができることでしょうか.上で書いたものは全てそうですし,片付けだって,誰かに頼んでやってもらってもつまんないというか,どうやったらうまく片付くかを工夫するのが面白いわけですし,ある意味,(自分にとって)世界中の誰よりも効率よく一番生活しやすい状況にしたいわけで,だったら,自分で考えてやるしかありませんし,それが楽しいわけです.

 でも,こういうのって人それぞれなんですよね.何度も海外旅行に行きたい人は行きたいし,考えることがめんどくさい人,自分が成長すること,何かに近づくことに興味がない人もいるわけですからね.

 でも,海外旅行に行くにはお金がかかるわけですし,それには,仕事しないといけないわけで,もちろん,仕事と言ってもいろいろですが,給料の多くは「しんどくてつまんないことさせてごめんね」料なわけで,つまり,つまんないことして働いて,自分の中に大した何かが残るわけでもない海外旅行に行って,という人生を送って行って,何十年後にどうなってるかということでしょうか.

 とは言っても,そういう人生でもいい,いや,そういう人生がいいと言う人もいるでしょうから,やっぱり,人それぞれですかね.人生所詮退屈しのぎってことは,究極的には(他人に迷惑をかけなければ)何して退屈しのぎしてもいいわけですからね.

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 でも,現実的には,必要な分だけ働きたいからフリーランスや派遣でというのは大変だし,逆にフルタイムだと,必要な分だけ働くというやり方はできないし,そうやって「はめられてる」わけで,なかなか難しいですね.

 選択としては,フルタイムで働くことを選ぶ人が多いと思うのですが,そうすると,必要以上にお金が得られて,使い道が必要になって,ストレスも溜まって,夜の街とか海外旅行とか買い物とかで散財しないとやってらんねーとなって,見事に目先の経済を回す仕組みにはめられて行くわけです.

 じゃあどうしたらいいかですが,単純に言えば,いかにしてそういう罠にはまらないようにするかでしょう.でも,現実には,多くの人がはめられてるわけで,これも簡単なことではないのですが,自分がどうしたいかとかどういうやり方があるかとか考えて行けば,道はあると思うんですよね.

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4/5'20

 偉そーなことを書いてますが,このサイトの記事の多くは,誰かに向けてというよりは自分に向けて,つまり,自戒の意味も込めて書いてることもあります.

 例えば,海外旅行は,一度もしたことがありませんが,海外出張のついでにそういうことをして,そのときは,ツァーとかじゃなくて,「地球の歩き方」を買ってきて,自分でプランを立てて,それに合わせて自分でホテルに電話して予約してみたいにやって楽しんでましたし,そうやっていろんなところに行って,本棚にずらーっと「地球の歩き方」が並ぶのを見て,いろんなところに行ったなあと眺めていたこともありました(先日,ばっさり捨てたけど).

 ですから,一度は通る道ということかもしれません.

 でも,最初からそんなことに興味がない人もいるし,何かが前に進むわけじゃないのですぐにつまんなくなる人もいるわけです.

 今の私はそうなんですが,じゃあいつ頃からかと言うと,割と最近のような気もするんですよね.

 今は,何かをした後,何かが前進するとか,何かを達成するとか,自分の何かが成長するいうことがないとつまらないのですが,若い頃も基本的にそうだったと思うのですが,「ただ楽しいだけ」ということやって「楽しかった」と思うこともあったような気もするんですが,そうでもない気もするというか,正直言うと,よく覚えてないんですよね.

 でも,昔どうだったかは,今の私にとってはどうでもいいことで,問題はこれからなので,そうすると,何かして退屈しのぎをして行かないといけない,そして,退屈しのぎとして,どうせやるなら,どういうことがいいか,単に楽しいことよりは,何かが前に進むものということになるわけです.

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 とは言え,何かが前に進むわけですから,それなりの大変さはあります.加えて,私は怠け者なので,今日は(も)やりたくないなと思うこともしょっちゅうです.

 でも,じゃあやらないとなると,他に何やるの?ということになり,疲れているのなら休めばいいわけですが,そうでないのなら,何かしないと退屈なわけで,じゃあ,何をするのが一番ましかとなって,そうやって,最初に戻って,思いなおして毎日何とか食いつないで行くって感じでしょうか.

 実際のところは,今は,仕事とか否応なしにやらないといけないことでいっぱいいっぱいってこともありますが,それでは解決にならないというか,定年が来たら終わりなわけで,ハードランディングにならないように心の準備も含めて準備を進めていくということですね.

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[両立]

 もう大分前のものだと思うのですが,PロフェッショナルのR天のM木谷さんの回を朝ご飯を食べながらついでに見ました.

 番組では,彼のことを問題児と言ってましたが,そうなんですかね? 問題児というのは,H江さんのような人のことを言うんじゃないの? 私からすると,彼はとても保守的に見えます(私が問題児ということかもしれないが(笑)).

 彼がどうして世の中をよくしたいと思うのか?ときかれて,人間は社会的動物なんだからそんなの当たり前じゃんと言ってたんですが,そうなんですかね? 彼は,このままでは日本という国はだめになっていく,GAFAにやられる,R天をそれらに対抗する日本生まれの企業にしていきたいと言ってたんですが,それって考え方が古くないですか?

 このサイトで何度も書いてますが,国という考え方がもう古いし,いいサービスが受けられる,つまり,いい世の中になるのなら,それを提供する企業は,日本生まれでなくてもいいし,実際,私はAmazonをよく使いますが,それは,R天より圧倒的に使い勝手がいいからで,R天頑張れとは全然思いません(日本という国というか,この国で暮らしていくことに危機を感じるのなら,今何とかすべきなのは食料自給率でしょう).

 実際,彼がやってることは,モールとかスポーツ関係とか携帯とか,別段新しいことではなく,むしろ後追いというか,単に事業を拡大しているだけのようにしか見えないし,新しいことやって行くんだから他の人の言うことは気にしないと言ってるのに,世界を飛び回っていろんな分野のビジネスの人の意見をきこうとするし,なんかよくわからないですね.

 ただ,最後の方で,彼がまだまだこれからと言っていたのは印象的というか,番組の最初の方で,彼が尊敬する父親に人生の価値は,死ぬ時にやり残したことがないと思えることと言われたことと対応していて,彼はまだまだ長生きするつもりなんでしょうが,そうではなく,いつも書いてるように,一見矛盾する物事の二面性ということがあるわけで,まだまだこれからやることいくらでもあると思う一方で,もういつ死んでもやり残したことはないということを両立させるように生きて行きたいと私は思っていますし,今のところ,何とかできてる気もします.

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 でも,そういう生き方ができるようになったのは50を過ぎて,まさに実質人生が終わってからですし,それまでに何とか一仕事できたと思えたのは,40代に「駆け込んだ」からとも言えるわけで,かなり際どかったと思います.

 でも,一番そう思えたのは,おそらく50代前半の頃で,今はまた少し変わりつつあるというか,例えば,仕事なら研究できる(定年)まではまだまだ思う存分研究したいと思ってますし,片付け始めると究極の片付けられた状態(いつでも引っ越しできる状態)を目指したいと思いますし,それにはまだ程遠い状況ですから,近く,時々,遠くで,全体の流れを見ながら,今どうしたいかということなんだと思います.

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[パズル]
(生活)

 片付けなんですが,まさにパズルだと思うんですよね.

 原則がいくつかあって,まずは荷物をできるだけ減らすというか,明らかに要らないものはさっさと廃棄することです.これは,何が要るか要らないかは自分にしかわからないので自分にしかできないことですが,パズル的要素はあまりありません.

 次にできるだけ荷物を圧縮することです.CDを中身とライナーノートだけにして袋に入れたら1/4になったのが典型例ですが,ビデオテープは,大量に廃棄して1/5にくらい(ダンボール箱1つくらい)になりましたが圧縮は難しいです.カセットテープもケースを廃棄して圧縮したいと思いますが,これも1/2強ってところですかね.

 あとは,「ほとんど全てのもの」をアクセス性を考えて収納することなんですが,これがまさにパズルですかね.紙袋<半分サイズのFB<FB<ダンボールを規格のスチール棚にコル目地のようにはめ込んで行くということですね.

 よく使うものは,「外に出て」いてもいいんですが,よく使うものって実はそんなにないし,あったとしても,それこそダンボールにささっと詰めていつでも引っ越しできるくらににできるといいですね.

 そして,問題は,そういう状態にどうやって移行して行くかで,スペース的にそんなにバッファがあるわけではないし(なのでまず荷物を減らすということ),片付けは少しずつしか進まないし,実際に仕事とか生活をしながら,どういう順番でどういう風にやって行くかというパズルなわけです.

 つまりは,これも段取り8分9割5分ってことですね.

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 パズルの一つですが,縦収納と横収納があります.

 よくアクセスするものは,横収納,即ち,トレイのようなものに横にしてパッパッと入れていくので楽ですし,中身が見えるので取り出しやすいですし,分類のところにも書きましたが,量が少なくても縦収納のように自立しないということがないです.

 でも,当然のことながらスペースをとるわけで,書類も大分デジタル化が進んで,そんなに頻繁にアクセスが必要なこともなくなってきたと思うんですよね.

 ということで,机の脇の横収納を階層型の縦収納にしてみました.そしたら,スペース的には1/5くらいになったんじゃないですかね.これで行けるならこっちの方が遥かにいいと思います.

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[閑散?]
(世の中)

 先週末,今週末と外出の自主規制で,渋谷や銀座などの街中は,閑散としているとの報道で,実際のスクランブル交差点とかの映像も流れています.でも,結構,人歩いてるじゃないですか.ていうか,これくらいがちょうどいいんじゃね?

 いかに普段の東京とかの都心が異常かがわかろうというものです.地方から東京に出てきた人がお祭りかと思ったという話をよくきくのですが(最初にきいたときは意味がわかんなかったけど(笑)),毎日がお祭りというのは,やっぱり異常じゃないですか?

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[今は何が中心なのか]

 いろんなことをやってるんですが,いろんなことをやっていながら,いろんなことは同時にはできないとも思うんですよね.どういうこと?

 それは,同時にいろんなことをやってる中にも濃淡はあるし,もっと言えば,中心になるものは,やっぱり一つなんですよ.そして,それは,割と目まぐるしく変わるし,じゃあ,その間,他のことは(そんなに)やらないというわけにも行かないわけで,なかなか難しいんですが,重要なのは「今は何が中心なのか」をしっかり意識することなんだとさっき気づきました.

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4/6'20
[今更]
(世の中)

 ようやく今頃になって緊急事態宣言が出るようですが,まさに今更ですし,しかも法的拘束力も罰則もないので結局自粛してもらうしかないとか言ってます.だったら,逆にもっと早期に出さないといけなかったってことですよね.

 感染防止のためにどうすべきかいろいろ報道されてるのですが,不要不急とか耳慣れない単語がいきなり出て来るし,三密とか言って,三つの円の図が出てきて,重なるところがやばいとか言ってるんですが,じゃあ,一つなら大丈夫ってことなのかとか,カタカナがやたら出てくるとか,要は,本気で感染を止めようとしているというよりは,やることやってますよという責任逃れにしか見えません.

 雰囲気も益々もってみょーな感じになってきました.世の中全体もそうですが,大学も本来的には感染防止のはずが,うちの大学で感染者が出たときやばいから,しっかり対策してることにしないと,みたいな感じで,これも行政と同じってことですかね.マスクは,症状がない人がしても(近距離で会話をしなければ)あまり意味はないんですが,しないとやばいみたいな感じになってきましたね.

 私自身は,普段とほとんど変わらない生活を続けているのですが,徐々に変化は出て来ていて,学内の体育館が使用禁止になって,今週から練習ができなくなります(市内の体育館はとっくに使用禁止になっている).でも,今は週一でしか行けてないし,なんだかんだで1か月くらい練習に行けないこともありますし,普段から体を動かすというか整えることはしているのでそんなに影響はないですかね.

 大学には今は車で来ているので行き帰り誰とも接しないし大学の部屋は個室なので,何の問題もないのですが,研究室を閉鎖する大学も出て来てるみたいですし,外を歩いているときに(花粉症でもないのに)マスクしても意味ないし,そういう変なことを強要するのはやめて欲しいですね.

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4/7'20
[かなりやばかった]
(大学)

 昼の12時〆切の日本建築学会大会の原稿提出が何とか終わったのですが,今年は5人と去年より大分少なかったんですが,かなりやばくて,いつもとは相当違う感じでした.なかなか実験や解析が進まない学生もいましたし,原稿も赤を入れる段階に行かないというか,論文とか文章の書き方とかから指導するんですが,何度同じことを言っても伝わらないというか,そんなこと考えればわかるやろというか,どうしたらいいかわからないという感じで,とにかくしんどかったです.

 今日の朝になって,ようやく提出できる水準になってきたという感じですが,こんなんだと,研究以前の話という感じもしてしまいます.何が問題なんですかね?

 何人かの学生には話したんですが,普段からどのくらい論文読んでるんでしょうか? 論文読んでいれば,わかりやすい論文,わかりにくい論文があるわけで,そうすると,自然と論文の書き方もわかってくると思うんですよね.というか,そもそも,そういう風に論文を読んでないってことですかね.

 あとは,普段のコミュニケーションですかね.文章を書くということは,表現なわけで,自分の言いたいことをどれだけわかりやすく伝えられるかです.おとなしい学生が多くて,そういうことを普段からあまりやってないような気がします.

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[今は有事?]
(世の中)

 今日にも緊急事態宣言ということで,メディアでは騒ぎが続いているのですが,思うことをつらつら書いておくと...

 専門家?とかコメンテーターとかいろんな人がえらそーにてきとーなことを話してるんですが,一体何なんですかね? 専門家?については,その人がどのくらいの見識をもってるのかは不明ですが,別に肩書で判断するわけではないのですが,よく知らない大学の特任教授とか,この人ほんとに第一人者?という人がよく出てくるというか,そういう人しか出てこないですよね.

 でも,これは当然で,ほんとに第一人者なら,こんな状況でテレビに出てくる暇なんかないわけで,でも一般市民は,こんな状況でも暇な人の言うことを信じるわけで,これもメディアの言うことは...の一環ですかね.どこかの病院の一医師が専門家のような顔をして出てくるのも同じで,彼らが出てくるのは自分の病院を宣伝したいわけで,もう何をかいわんやでしょうか.

 このサイトで,こういう状況で,ほんとに必要なもの,ほんとは要らないものがわかると何度か書きましたが,今回のことで,世の中がリセットされるとか,人類が曲がり角に来たと言う人もいるみたいで,気づいてる人もいるのかと思ってよくきくと,全然違うというか,全く反対の意味で,何だかしょぼい話だなあと思ってしまいます.

 今は耐えるときと言ってる人もいるんですが,何を耐えるんですかね? 一体普段どういう生活をしてる? 意味のない余計なことばっかりしてるから,こうなったときに耐えないといけないってことじゃないの?

 今は有事だと思ってる? これが本来的には平時なんじゃないですか? つまり,こういう状況でまともに生きていけない,生活していけないのなら,あまりにも生きる力,生活力が足りないのでは?

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[キムチの味]
(生活)

 どこかで書いたと思いますが,食欲はあるというか,食べること自体は何よりの楽しみですが,食べるものに拘りはないというか,その時,食べたいものを食べたいということには拘るけど,高級料理とかには興味がなくて,その時食べたいものを安全な食材を使って自分で作るとか,添加物が使われていないふつーの定食を食べるとかで大満足ということで,手軽に摂れる食材を活用していて,そういうものの中にキムチがあります.

 キムチはものすごく好きというわけではないですが,乳酸菌というか発酵食品がそこそこの野菜とともに摂れるので,自炊のときには食べることが多いです.以前は「こくうま」を食べてたのですが,何年か前,添加物排除生活を始めたとき調べたら,そこそこの添加物が使用されているので,名前はよくわかんないけど,いつも行くスーパーで一番添加物が少ないものにしていました(結構高い).

 最初は,こくうまの味に慣れていたのか,味は少し落ちるなと思って食べていたのですが,だんだん慣れてきたというか,美味いと思うようになってましたし,2日に1回くらいは食べたいと思うようになってました.でも...

 先日,その製品が棚から消えました.なんで? 仕方ないので,ものすごい種類のキムチが並んでいる中で添加物が少ないものはないかと探したのですが,驚いたことに全滅です.ひどい話ですね.

 しょうがないので,味は一番いいこくうまをとりあえず買ってきて(しばらくすると復活するかもしんないので)食べてみたら...美味くない.どういうこと? 食べてたキムチに味が慣れてた?

 よくわからないのですが,仮説としては,「食べてたら美味くなる」(相対的にそれ以外のものは美味くなくなる)のかもってことです.つまり,最初は,美味くないと思っても(実際,添加物が少ないキムチはそうだった)食べてて美味くなってくるのなら,ちょっと食べて美味くないからと思っても,しばらく食べた方がいいってことですかね.

 こういうことって,キムチ以外では,あまり考えられないのですが,キムチが特殊ってことなんでしょうか?

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(運保)

 運保ですが,その後も割と順調に推移しています.VIXも元に戻ってきて,まさに予想通りだったんですが,ロスカットに会ってしまったのは,痛かったですね.でも,ロスカットの後,80くらいまで行ったと思うので,相場観が当たっても玉を維持できなければ意味がないということは勉強になりました.というか,事前にちゃんと検討してわかっていたのにそう行動できなかったのは問題ということですね.

 でも,それ以前にかなり益が出ていたし(でもそれで複利で建玉が大きくなったのだが),大分戻して来てもいるし,日運と短運ではかなり益が出てるので,まあまあってところでしょうか.

 あとは,相場はやはり面白いというか怖いというか,今の世の中や経済がどうあるべきかということではなく,○ホな奴らが○ホなことをすれば,あるべき方向と逆向きに動くわけで,これもわかってはいるんですが,やっぱり難しくて,でも,そういう中でまあまあパフォーマンスは出せてるとは思います.

 もう世の中というか経済は,新型コロナが収束した後を見ていると思うのですが,これもまさに然りですよね.これを機に「おかしさ」に気づいて,来るべき(新型コロナどころではない)経済破綻を回避するのか(今回は現金化の動きだったが,ほんとにやばいときは,現金が価値をもたなくなる),全く気付かずに再びまっしぐらなのかってことなんですが,今の風潮を見てると後者のような気がしますが,これも上で書いたように「どうあるべきか」ではないところで決まってしまうってことですね.

 まさに「しょぼい世の中(世の中はしょぼい)」で,これからもそういうところとできるだけ距離をとって,やって行こうと思います.

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(日記)

 今日はさすがに疲れて(というか疲れたという自覚症状はあまりなかったのですが)少し早く帰って来て,晩ご飯を食べたらしんどくなって横になってしまいました.学生から見たら私は一人ですが,私は大会論文なら5人同時に相手にしてるわけで,でも学生はそんなこと関係なく論文原稿を送ってくるわけで,締め切り間際にどどどーと送って来るし,どのくらいその辺のことを考えてるんだろうかと思ってしまいます.

 緊急事態宣言が出たようなんですが,今更というか,特段今までと変わりはないのですが,個人的影響としては,練習がしばらくできないことくらいですが,実はあることが先延ばしになっていて,それは正直痛いのですが,本質的には関係ないはずなので,淡々とやって行くということですかね.

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[必要なもの]
(世の中)

 こういうことがあると何が必要で何が要らないかがわかると書きましたが,(どこかで書いたとは思いますが),じゃあ何が必要で何が要らないでしょうね.

 緊急事態宣言が出てもロックダウンが起こっても食料,日用品や医薬品を売っているところは,ってことは,これらを生産,流通させることに関わるところは必要ということですし,医療関係も然りで,あとは生きて行くために必要なのは,建設業やライフラインくらいじゃないですかね.

 毎日自炊してると大変なので,外食産業もあった方がいいとは思いますが,夜の街的なことも含めてほんとに必要なものは,今あるもののごくわずかだと思いますし,そういう意味では,食料品を提供すると言っても,添加物まみれにして金儲けしてるところは要らないです.

 少し長い目で見れば,社会をコントロールする行政や人材育成をする教育も必要ですね.私が影響なく過ごせているのは,研究が必要だからではなく,大学が教育機関だからでしょう.実際,ここんところは大変でしたが,学生達は論文というか文章の書き方とか人に何かを伝える術や考えるということを劇的に学んだはずで,それを活かせば,社会に出たとき非常に大きなことになりますからね(実際にどれだけ学んだか,そして,それを活かすかどうかは本人次第だが).

 自動車や交通機関も必要と言いたいところですが,これ以上は要らないというか,企業としては,まだ成長余地がある新興国に攻勢をかけて行くんだと思いますが,先進国はそれこそもう単純再生産でいいと思うんですよね(本質的成長余地があるとすれば,自動運転くらいか).PCとかスマホとかIT技術も必需品になった気もしますが(このサイトもそれがないと書けないし公開もできないし),これももういいところまで来てるんじゃないですかね.

 こうして見ると,ほんとに必要なものってそんなにないというか,ちゃんと計算したわけじゃないですが,GDPに占める割合はごく僅かだと思うんですよね.

 それだけじゃつまんない,遊興的というか文化のようなものも必要と言う人も多いと思うのですが,それは確かにそうですが,それを経済に乗せるというか,それで金儲けするのが本来的におかしいわけで,そして,本来的に必要なものでもそれで金儲けすることも含めて,そういうことが膨らみに膨らんで今回のことで一種のバブルの崩壊が起こったわけで,リーマンショックのときと同様に仕事が激減した仕事は,本質的に要らないと思うべきというのはそういうことがあるわけですし,それは事態が収束しても変わらないわけで,今回のことを教訓にできなければ,ほんとのバブルの崩壊は近いうちにやってくると思います.

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[運がいい]

 人生の中で,あるいは,日々の生活の中でいろんなことが起こるんですが,どういうわけかわからないですが,「運がいいな」と思うことが多いです.

 ただそれだけの話(笑)なんですが,多分ですが,ほんとに運がいいかどうかはともかく,そう思えることが大きいような気がします.

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[オンライン]
(世の中)

 こういう状況なので,会議とか学生とのやりとりとか,いろんなことがオンラインになってるんですが,これで全然問題ないんじゃないですかね.というか,個人的には,むしろこっちの方が快適なくらいです.

 そして,これって「あること」の予行練習というか,準備になってることに気づきました.これで行けるのならほんとに楽です.

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4/8'20
[国が何とかしてくれる]
(世の中)

 そっか,日本でロックダウンができないのは,休業補償ができないからですね.じゃあ,どうして日本で休業補償ができないかですが,国にそんな金ねーってことですかね(欧米と比べて桁違いの借金).

 つまりは,単なる要請ってことですが,休業補償がないんじゃ店閉めないよと開き直ってるところも多いみたいですが,そんなことやって感染拡大が止まらなかったら,困るのは自分ってことがどうしてわからないんでしょうか?

 自分の店一軒くらい開いていても関係ない? みんなそう思ったらどうなりますか?

 今回の件もそうですが,国が何とかしてくれるというお上頼りでは厳しいことになりますよ.そして,視聴率が獲れるという理由で,それを是とするような報道を繰り返すメディアも,結局,他者依存という点では変わりません.

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[考えてこれ?]

 タクシーとかコンビニで接触感染を防ぐため,お釣りとかを手渡しではなく,トレーに置いてとってもらうようにしているとのことです.

 いやいやいや,小銭やお札にウィルスが付くじゃないですか.

 握手はだめだから,代わりにグータッチしている人がいます.

 いやいやいや,手を組むとかして,片方の手の平でもう片方の手の甲を触ったら終わりじゃないですか.

 ちょっと考えればわかるのに,どうして考えないんですかね? それとも(まさか)考えてこれ?

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4/9'20
[ピンチではなくチャンス]

 こういう状況で,世の中全体としては,戦時中とか,耐え忍ぶ時とかいう感じなんですが,どうですか? 私自身は(授業がオンラインになるのでその準備とか,学位プログラムが始まるとかばたばたしてるところはありますがそれ以外は)普段とほとんど変わりないし,東京に行かないといけない仕事がごっそりなくなったり,会議がオンラインになって,むしろ快適なくらいですが,皆さんはどうですか?

 いろんな人とやりとりをしてる感じだと,私の回りにはネガティブにとらえてる人はあまりいなくて,むしろ,(余計な仕事で忙しくて)書けなかった論文がかけるとかいう感じで,つまりは,どういうことがその人の活動の中心にあるのかが問われているというか,余計なことして経済を回していずれはじけるバブルを膨らませてるだけだったのか(ものやサービスを提供する方だけではなく消費する側としても),もっと本質的なことに取り組んでいるのか,ということだと思うんですよね.

 つまりは,今の状況は,ピンチではなく,むしろチャンスなわけで,ここをどう過ごすかで何年後かが全然違ってくると思いますし,願わくば,多くの人がそういうことに気がづいて,事態が収束した後,元の木阿弥にならないことですかね(無理か).

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 あるいは,全く逆に,仕事がなくなったのなら,日頃の疲れをとるというか気分転換として(できるのなら)思い切って休むというのも一つの考えかもしれません.

 要は,外部要因に流されるのではなく,どういう形でも逆に利用するというか,一つのきっかけと考えればいいと思うんですよね.

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4/10'20
[日本人なんだから]
(世の中)

 こういうときに必ず出てくるのが「日本人なんだから」です.規律正しい日本人なんだから,こういう状況でも規律を守って外出を控えましょう,みたいな.

 いやいや,日本人でも規律正しくない奴はいくらでもいますし,だからこそ感染拡大が止まらないんじゃないですか.逆に外国人で日本人より規律正しい人もいるわけで,外国からどんどん日本に来てもらって何とかなってるのに,言ってることが滅茶苦茶ですし,外国人に失礼でしょう.

 そもそも,(何度も書きますが)日本人とか外国人とかどうでもいいじゃないですか.日本人でもだめな奴はだめだし,そういう日本人はどんどん増えてるし今後も増えて行くし,行政の長がいつまでも前時代的なこと言っててどうするんですか.

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[感染防止パズル]

 感染防止パズルですが,基本的には,そんなに変わらない(嚥下と手にはウィルスが付着していることを前提に行動する)のですが,一応,その後の検討?を書いておくと...

 パズル的には,顔の粘膜を触らないってことですが,少し気になっていたのは,食事です.と言っても,食事の一番のリスクは,人と対面でしゃべりながら食事をすることなので,それは一人で食べてればいいので問題ないのですが,外食とか内食でも,食材や料理にウィルスが付着していた場合ですが,これも嚥下と同様,「通過」するだけなので問題ないのですが,気になるのは食べ物が唇に触れる場合です.口をあんぐり大きく開けて食べればいいのですが,麺類とかは難しいですよね.

 でも,これも嚥下の原理から行くと,食事の後,唇を洗うというか拭くというか,しっかり舐めて嚥下で流し込むとかですかね.

 あと,マスクですが,自分への感染防止にはあまり意味がないのですが,今回の場合,症状がなくても感染している可能性があるわけですし,咳が出なくても突然むせたりすることもあるので,人と対面するときはした方がいいですね.

 あとは,嚥下で口から喉に付着したウィルスは流し込めても,鼻の内側に付着した場合はだめですね.鼻うがいが効果があるとは思いますが,これもうがい同様,20分おきにやるのは無理でしょう.まあ,鼻には鼻毛があるので多少は違うのかな.

 そういう意味でもマスクは少しは違うかもしれませんが(なので,口よりは鼻を覆うべし),感染の原因は,人が密集したところに行かなければ,接触感染(感染した人が触れたドアノブとかに触れて,その手で唇とか目とかの粘膜を触る)に気をつけるということだと思います.

 結構やばいのは,手洗いをしていれば大丈夫みたいな「何も考えない」ことで,それこそ20分おきに手洗いしたとしても,その20分の間に,ドアノブとかに触れた手で唇とか目を触ったらアウトです.

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[カセットテープ]
(片付け)

 ビデオテープのほとんどを廃棄してダンボール1つにしたので,次は,カセットテープですかね.1500本くらいあると思うんですが,これもほとんど要らないと思うんですよね.

 でも,一応それなりの歴史が詰まってる(笑)んですが,最初は,どこかで書きましたが,小中高の頃,LP1枚が2500円とかで,それでいろんな音楽を集めて聴くのは子供には厳しくて,高校の時,FMのエアチェック(と当時は言われていた.要はFMを録音すること.2週間に1回出るFMfanという雑誌を土曜日に買って帰ってチェックするのが楽しみだった)を始めて,西新のベスト電器で90分録音で1本1000円するTDKのSAのという高級カセットテープを店頭1割引,クーポン使って1割引の810円で購入しては録音してて(それでもテープの片面でLP1枚入るとすると1/6くらいの値段)そういうのがかなりあります.

 あとは,大学院の博士の学生のとき,ハードロックにはまったときがあって,そのときは,千駄木のYou&Iに行って,CDを借りてきてこれもカセットにダビングしてましたから(当時はまだCDに焼くことはまだできなかったと思う)これも大量にあります.

 あとは,友人からLPやCDを借りてダビングしたものや,ビデオテープみたいに自分の演奏とかもあるのかな.自分の演奏とかは,とっておくのでしょうし,FMで録音したものも単にLPをかけたものじゃなくて,当時のライブというか,要は,それしかないような貴重なものもあるので(例えば,フェルツマンだったか,プロコフィエフの6番のピアノソナタのライブ演奏があって,それが秀逸で,それ以上,自分のイメージに合う演奏に未だ出会えていない),そういうの以外は要らないってことなんですが,うーん,どうなんだろ.ビデオテープと違ってそんなにかさばらなくて,詰めればダンボール3つくらいで,ケースを捨てて袋に入れて圧縮すれば,1つ半くらいにはなると思うので,要らないけど捨て甲斐がない(先に捨てるべきものがある)気もしますかね.

 そういう意味では,MDもかなり大量にあるのですが,これはほとんど圧縮できないし,車のオーディオがMDだし(もう大分乗ってるので買い替えてもいいけど,まだ全然乗れるし,欲しいと思う車全然ないし,先日,タイミングベルトを取り換えた),きっちり整理されてケースに収納されてるので,これはまだ捨てないのかな.

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[大事なこと]

 仕事でも日常生活でもそうですが,めんどくさいというか,こんなこと自分でなくてもできるのにと思うことありますよね.仕事なら秘書とか雇って,そういうことは全部やらせてる人も多いと思います.でも...

 量にもよりますが,そういうことを自分でやるのって,結構,大事なことじゃないですかね.だって,そんな状態で大学をリタイアして「普通の人」に戻ったら,そういうことは全部自分でやらないといけないんですからね.

 家族が出かけて,父親が一人で留守番することになって,ビールを飲もうと思ったら栓抜きがどこにあるかわからなくて幸せみたいなCMが昔ありましたが,まさに半人前以下の何者でもないわけで,先立たれたらそれこをほんとにのたれ死ぬしかないわけです.

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4/11'20
[論文を書くための研究]
(研究)

 研究のための研究という言葉を使いましたが,ちょっと概念的な表現で,もっと平たく言えば「論文を書くための研究」でしょうか.

 面白いことを思いついて研究して成果が出たら,それをみんなに知らせたいから論文を書くというのが本来的ですし,私はそういうつもりでやってきましたが,世の中を見ると逆の場合がほとんどと言うか,食べて行くために,業績を積むために,ポストを得たり昇進したりするために論文を書くみたいなことにどんどんなって来てて,その結果,つまんない研究ばっかしになってると思うんですよね.

 どうしてまたそういうことを考えたかと言うと,自分の論文を整理していて,査読論文をずらーっと見てみたんですが,いろいろ思うところはあるわけです.上で「論文を書くための研究」はして来なかったと書きましたが,若い頃というか,何をしていいのかわからずに苦しんだ頃(30代)は,それでも論文書かないといけないわけですから,「論文を書くための研究」みたいな感じもしないでもないです.

 やることに辿り着いてからは,様相は一変しますし,(自分で言うのも何ですが)斬新でいろんな内容の論文が並ぶのですが,「論文を書くための研究」ではないので,業績として見るとこんなもんかと言うか,客観的に見たらどうなのかなという感じです.でも,業績を作ろうと思って書いた論文ではないので,それは当たり前ですかね.

 あと思ったのは,査読論文になってるものは,私や研究室の学生達がやってきた研究の極々一部に過ぎないってことですかね.実際は,もっと大量の面白い,あるいは,有益な研究成果があるわけで,そういうもので大会論文止まりになってるものが結構あって,そういうものをどうするかでしょうか.

 つまり,査読論文のところが業績だとすると,実際には,その何倍もの業績を作れたわけで,何だか勿体なかったような気もする一方で,業績を作るための研究してるわけではないし,みんなに知らせるということなら,ウェブ公開というのでもいいんですが,それもなかなか進まないし,そんなことしてる暇があったら,新しい研究テーマに取り組みたいとも思うわけで,何だか落ち着かないというか,これでいいのかと思ってしまうというか,だったら,さっさと査読論文書いちゃえばいいような気もしてきます.

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4/12'20

 上の続きです.「何をしていいのかわからずに苦しんだ頃(30代)は,それでも論文書かないといけないわけですから,「論文を書くための研究」みたいな感じもしないでもないです」と書いたのですが,逆かもしれませんね.

 当時は,研究をして行くということがどういうことか,誰かが決めてどこかから降ってくる仕事を淡々とこなして業績を上げて行くことに疑問を感じていたわけで,自分は何のために研究するのか,何がやりたいのか,何をやるべきかを模索していたわけですからね.

 そして,その頃の論文は,それが何かがわからない中で,そういうものを絞り出して無理くり書いたというか,多くの「ちゃんとした論文」とは全然毛色が違うもので,おそらく全然評価されなかったんだと思います.

 でも,それが1999年台湾集集地震を期に,強震観測点回りの被害調査を行って実データという「証拠」が付いてくると一変したわけです.ですから,当時と今と本質的には変わらないと思うんですよね.

 でも,そうは書いてみたものの,明らかに何かが違うとも思うんですよね.実際,30代の頃は「よくわからない」ことが多かったのに対して,40を過ぎたあたりから「いろいろわかる」ようになったことは確かで,それは,どうすれば評価されるかとかいうことも含まれていて,企業秘密というかここでは書けないのですが,その差は大きかったとは思います.

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[何かを解明しようとしている]

 ただ,30年以上前からの論文をつらつら眺めて思ったのは,一貫して「何かを解明しようとしている」とは思いました.世の中,こうやってこうやったらこうなりました(だから何?)という論文が多いと思うのですが,それで業績は積みあがるかもしれないけど,それじゃあ何のために研究してるかわからないと思うわけで,でも,一方では,「何かを解明する」ことは容易ではないわけで,だから(食べて行くためには)しょうがないとも言えるんですが,それでも30代の頃は何とかしようとしてもがいて,結果,認められず「何だこれ?」となっていたような気がします.

 でも,もがいていれば,何とかなるというか,実際,1999年台湾集集地震を境に何とかなったわけで,やっぱり,とにかく考え続けることだと思いますし,それは,仕事とか研究とかに限らないことでしょう.

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 上で書いたことと関係するのかもしれませんが(あまり関係しないのかもしれませんが),結局,自分がどうしたいのか,何に興味があるのか,何にだったら持続的に取り組んで行けるのか,何が得意なのか,何が評価されるのかをどれだけわかってるかだと思うんですよね.

 一番大事なのは,自分がどうしたいかで,それは,やりたいことなら持続的に取り組んで行けるでしょうし,結果,成果も出て評価される(ことが多い)と思うからです.

 でも,それがなかなか見つからないということもあるでしょうし,これがやりたいと思っても,あまり得意でなくて結果が出ない場合もあるでしょうし,だったら,得意なことを仕事にして,そこで生活して行く分だけ稼いで,あとはやりたいことをやるとか,いろんなやり方があるし,一方で,やりたいことを見つけたとしても,それ以外のことを排除することで,自分の可能性を限定してしまうこともあるわけで,要は,そんな簡単な話じゃないんですよ.

 もちろん,そういうことを綿密に分析して自分なりの結論にたどり着く人もいるとは思うのですが,多くの人は,行き当たりばったりで,まさに「運」というのはそういうこともあるのでしょう.

 かく言う私も自分が何をやりたいのかについて真剣に考えたのは,大学に入って理論物理から建築構造に至った時と,30代の鉄筋コンクリート造から地震動の性質と建物被害の関係に変わって行った時だけで,でも,確実に言えるのは,その後,事態は著しく好転しているわけで,やっぱり,そういうことを真剣に考えることは大事なんだと思います.

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 そして,今まさにそうだと思うんですよね.もちろん,大学とかで研究させてもらえるうちは,がんがん研究して行きますが,その後,何十年と続くかもしれない人生をどう生きるかは非常に重要で,しかも,その大方向転換具合は,理論物理から建築構造,RCから地震動の性質と建物被害の関係どころの話じゃないというか,仕事というか研究ということを越えた生き方の問題ですからね.

 でも,大学入学後(駒場時代)や30代と全然違うのは,今はそういうことを考えて,何かを見出して実行に移していくのが楽しいんですよ.若い頃は,これから生きていく上で何とかしないといけないという悲壮感があったと思うんですが,今は失うものがないというか,何でもありというか,+αしかないわけで,それは,もう既に実質人生が終わっていて,これからの人生が+α(と思える)ということがあると思います.

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[プロスポーツ]
(世の中)

 こういう状況で,真に必要なものかほんとは要らないものかがわかると書きましたが,目先の経済を回すだけのものはともかくとして,プロスポーツが悲惨なことになっています.野球やサッカーもそうですが,ゴルフは,(スポンサーが付いてる一部のトップ選手以外は)試合がなければ収入0なのでほんとに厳しいですし,野球やサッカーもこのまま行けばどうなるかわかりません.てことは,プロスポーツは,ほんとは要らないものってことなんでしょうか?

 敢えて言えばYesです.つまり,何度も書きますが,そういうもので金儲けしようというのがそもそもおかしいんですよ.

 でも,これはスポーツが要らないということにはなりません.つまり,スポーツってそもそも何なのかということをしっかり考える必要があるということです.

 何度か書きましたが,やりたいからやるのがスポーツですよね.つまり,苦しい練習に耐えてオリンピックで金メダルを獲ったから,CLで優勝したから偉いとか,そういうものではないわけです.

 じゃあ,どうしてやりたいかと言うと,例えば,文明が発達して,仕事がデスクワークになって,本来動物である人間の体や精神の安定のために必要というか,体を動かしたくなるということがあるわけで,ただ走ったり,泳いだりするだけではなく,球技のようなゲーム的要素があった方が楽しいということになり,ゲームなので勝敗が付いて競技力という概念ができて,練習したりトレーニングしたりすることで競技力が増すと自己実現的要因も出て面白さや奥深さも出てくるわけです.そして,上手い,強い選手は,こいつすげーなと注目を集めるわけですが,それは,本来的には,ただそれだけの話で,それが何かの役に立ったり,報酬を得たりするものではないわけです.

 つまりは,ひたすら競技力を磨いて,例えば,野球で170kmの球を投げられるようになったとしても,バドミントンで多くの球をネットインさせる技術を身につけたとしても,ゴルフでカップまで30yまで近づいたらチップインさせる技術を身につけたとしても,それ自体は,何の役にも立たないものだということを自覚すべきということです(だって,ほんとに実用的には何の役にも立たない技術ですからね).

 むしろ,競技をして行く中で,運動原理やスポーツの面白さ,更にはスポーツをする意味を理解して,人間的なことも含めて,自分が指導者になったとき,多くの人がスポーツを楽しめるように導けることの方が遥かに世の中にとって必要なことで,そういうつもりで選手時代を送ることが大事で,それは,結果的に競技力向上にも確実に繋がると思うんですよね.

 ただし,逆は必ずしも真ならずで,トップ選手(まさにほとんどのプロスポーツ選手)がみんなそういうことを考えているかというとそうではないわけで,つまり,そういう選手をいくら見てもしょうがない,自分で考えるしかないということです.

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 そして,これは学術や芸術も同じです.つまりは,研究や芸術なんか,本来的には何の役にも立たないものなわけで,大学の教員が飯が食えるのは,大学が教育機関だからなわけで,実際,学生が最先端の研究に取り組むことは,問題解決能力を養う最高の方法なわけです.

 でも,これはスポーツもそうですが,何の役にも立たないけどやりたいということに大きな意味があるわけで,問題は,ただ何の役にも立たないだけなのか,役には立たないけど「何か」があるのかということで,それが果てしなく重要なわけです.

 でも,何がやりたいかをコントロールすることは難しくて,結局,その人が何がやりたいかはその人の素養で決まるし,その人の人生さえも決めてしまうってことなんですが,幸せかどうかはまた別の話なので,結局,やりたいことやればいいということになるわけです.

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[失敗とか挫折するには]

 生きていれば,嫌なことがあったり失敗したり挫折したり失恋したり大事な人を失ったりして落ち込んだりすることもあるでしょうし,そういうことがなくても,人生がつまらなく思えて絶望することもあるかもしれません.

 かく言う私も何度失敗したり挫折したり失恋したり大事な人を失ったかわからないほどですし,そういうことがなくても人生がつまらなく思えたり絶望したりしたことも何度もあります.

 でも,ここまで無事に?生きて来たということは,そういうことをくぐり抜けて来たということですし,時間が解決したというよりは,そういうことを通過するたびに精神的にタフになったということもあるかもしれませんが,乗り越えたというよりは,やり過ごす術(例えば,人生所詮退屈しのぎとか)を憶えて行ったということはあると思います.

 つい先日も,あることに気づくことで大事だと思っていた人を実質失うという絶望的なことが起こって,もうこれからは生きる屍として生きて行くのかと思いましたが,哲学的には人生って元々そういうものだということを再認識したことで,立ち直ったというよりは何とか生きているというか,それでいいと思えたということはあるわけです.

 ですから,逆境というかそういうことが起こったら,人間的に成長するチャンスということなんでしょうし,そういうことでなくて気分が沈むことがあっても,うまくそれをコントロールする術を身につけるというか,憶えて行けばいいんだと思います.

 逆に特にそういうことがない方が免疫がなくて危ないと思うんですよね.最近の若い人達(年寄り言葉)のメンタルが脆弱というのはそういうことがあるわけで,ちょっと心配ですね.

 でも,今からでも遅くないというか,どんどん失敗とか挫折すればいいんですよ.歳をとると,どんどんそういうことができなくなって益々やばいことになって行きますからね.いや,失敗とか挫折しようと思ってできるもんでもないし,と言う人もいるかもしれませんが,失敗とか挫折するのなんか簡単ですよ.

 それは,途方もないこと,できそうもないことにチャレンジすることです.つまりは,失敗とか挫折がないというのは,格好いいように見えて大したことしてきてないってことなわけで,だめ元でがんがん無謀なことにチャレンジすればいいんだと思います.

 逆に言えば,失敗とか挫折するということは,そういうことにチャレンジしているということなので,それでいいというか,失敗とか挫折すること自体をそんなに気にすることないと思いますよ.

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 もっと言えば,失敗したと思っても,結果的にそれで事態が好転することもあるし,うまく行ったと思っても,逆にそれが裏目に出ることもあるわけで,要は,失敗も成功もないというか,そういうことを考えてもしょうがないわけです.

 ですから,結果なんか気にせずに,その時その時,その日その日,やるべきことを淡々とやって行けばいいんじゃないですかね.

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[どうしてそんな簡単なことができない?]
(世の中)

 緊急事態宣言が出て,外出の自粛を要請ってことなんですが,夜の街は言うに及ばず,パチンコ屋が閉まったら隣りの県の開いてる店に押しかけ,地元の商店街は大賑わいで(予想通り)あまりうまく行ってないみたいです.でも,どうしてそんな簡単なことができない?

 そりゃできないでしょう.目先の経済を回すために庶民を騙くらかして無駄なお金をいっぱい使うように仕向けてきて,それをこんな事態になったんだから自制してくださいなんていうムシのいい話はないわけで,シャブ中にやめろと言ってもだめなのと同じです.

 どうなりますかね? 私個人的には,何の問題もないし,むしろ快適なくらいですが,世の中全体のことを考えると,このままではまずいでしょうね.

 そして,こういうことは,これから何度も起こると思います.つまり,経済をどうするかというか,社会をどうするかをちゃんと考えないといけないということですが,元に戻そうとするんでしょうね.

 そうすると,どうすればいいかですが,そういうどうしようもない世の中や社会から距離を置くというか,こういうことが起こっても巻き込まれないようにしておくということで,実際,今回のことで,私はほとんど実害を受けてないわけで,やってきたことは間違ってなかったんだと思います.

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4/13'20
[まさにリタイア後問題]

 「やってきたことは間違ってなかった」と書きましたが,具体的にはどうして来たかというと,報酬とか評価とか意に介さず,内的熟達的に一人時々みんなでやってきたということでしょうか.

 ただ,まだまだと思うところもあるわけで,「一人でも大丈夫」というところまでは来てませんし,全くの一人で生きていこうとも思ってません.

 あとは,今は快適なんですが,大学に来るなと言われるとしんどいかもしれません.つまり,リタイア後問題で何度か書いた「行くところがあるか問題」ですね.

 つまりは,今の状況で何とかやって行けるかどうかは,まさにリタイア後問題であることに気づかされます.要は,家に引きこもれと言われてしんどい人は,リタイア後やばいことになるってことです.

 そう考えると,今は大丈夫だけど,大学という行くところがなくなるとしんどい(だろう)というのは,まだまだってことですかね.家の中でも体を動かせるようにということは,ある程度,お金をかければできると思いますが,問題は「行くところがあるか問題」ですかね.

 でも考えてみると,体を充分に動かせれば,「行くところ」って必要ですかね.人との繋がりが感じられるということは,重要だと思いますが,そういう意味では,誰かに話しているように書いているこのサイトの存在は大きくて,つまりは,インターネットの存在が大きいわけで,今回のことで,zoomとかteamとか使って,使い勝手的には全然問題ないし,慣れれば,人との繋がり的にもこれで行けるような気もするんですよね.

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[淡々と]

 この話と関係するのかもしれませんが,嫌なことや悪いことがあっても,いいことやいい話があっても,それでどうなるかはわからないということです.例えば,何かいい話があったとして,いい話なので受けるとは思うのですが,それでほんとに「いいこと」になるかどうかはわからないわけです.

 でも,そうなるとどうなるかと言うと,いい話が来ても手放しでは喜べないというか,逆に不安なところもある,つまり,いつも書いてる全てのことに二面性があるということで,感情的には中立ということになってきます.

 いやいや,いいことには喜び,悪いことには悲しむという波乱万丈の人生がいいんじゃない?と言う人もいるとは思うのですが,それだとしんどいというか,あまり成功しないんじゃないですかね.

 実際はいいことばっかりじゃないでしょうし,悪いことが起こった時,活動の停滞が長引いたり,下手したらそこで終わってしまうかもしれません.そういう大きな起伏を小さくすることは重要で,それには,何度も書いてますが,いいことが起こるとか起こらないとかの結果を気にせず,日々やるべきことを淡々とやることだと思うんですよね.

 そんなことしてたら,感情のないつまらない人生になるかと言うとそんなことはないし,いいことがあったときはやっぱり嬉しいし,悪いことがあったときは落ち込みますが,それは一時的なもので,割と早期(今の私の場合は数日くらいか)に日常に戻りますし,それは「波乱万丈」の人生もそうなんですが,爆発的な喜びと引き換えに,破滅的な落ち込みが起こることの方がやばいと思いますし,手放しに喜んでしまうといろいろおかしなことになる(例えば,若い頃なら天狗になるとか)とも思うんですよね.

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[アルファード]
(生活)

 今更なんですが,欲しい車はないと書きましたが,敢えて言えば,ないことはないです.それは,アルファードです.

 ん? 高級車じゃん.そうですね.でも,高級車だからじゃなくて,実用的なことですかね.

 理由は,何度か書いてますが,例えば,災害が起こった時とかに「住める」ってことですかね.それを理由に普段からキャンピングカーを所有しておこうとは思いませんが(どうせやるなら大型トラックを改造するところまでやった方が面白い),居住空間が充実してるし,フルフラットにできるアルファードくらいがちょうどいいのかもしれません.スキーに行くときに前乗りすれば体も大分楽ですしね.

 キャンピングカーで一番懸念されるのは,トイレなんですが,それは,トイレが付いているということは,処理をしないといけないわけで,それが大変なんですが,考えてみたら,携帯トイレがあるので,それを使えば「燃えるゴミ」として出せるので,そっちの方が全然現実的だし,だったらキャンピングカーでなくてもいいわけです.

 自動運転に対応しているのも大きいですね.燃費もワゴンなのに今乗ってる車とそんなに変わりません.高級車ということになってますが,300万くらいなので,その実,全然高級車じゃないですしね.

 でも,デザインはあんまり好きではないです.車の形は悪くないですが(でもワゴンならだいたいこういう形),今の主流ですが車高短ですし,鼻がでかいフロントのデザインも好きくないです.

 そして,何より非常時,せいぜいスキーとかで出かけて行くときのことを考えて,普段からでかいワゴン車に乗ろうとはやっぱり思わないですかね.完全自動運転がせめて高速だけでも実現したら買ってもいいですが,鼻の下を伸ばしたスケベ親父のようなフロントのデザインは何とかして欲しいですね.

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[時々書いておくと]
(このサイト)

 時々きかれますし,そう思ってる人も多いと思うので(時々)書いておくと...

 (ほぼ)毎日,こんなにも大量の文章を書いて,ちゃんと仕事してるの?と思われる人もいると思いますが,何度も書きますが,このサイトに文章を書くことにかける時間は,1日平均1〜2時間程度です(週末は少し増えるので,平日は1時間くらいか).

 信じられないと思う人もいるかもしれませんが事実ですし,いつの頃からか,何か書くことを思いつくと,しゃべるように文章にすることができるようになりましたし,タイプスピードも(おそらく)異常に速いので(ピアノ弾いてるし(笑)),それが可能なのかもしれません.

 ていうか,1日1〜2時間以上の時間をかけるのは無理だし(今日はここまでで45分).

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(日記)

 一つ記事を書いていたのですが,個人名が出てくるということもありますし,今はまだ公開しない方がいいと思って,とりあえず延期ということにしました.

 夜更かしで優待生活を送る桐谷さんが出てましたが,今回の株価暴落で1億が吹き飛んだそうです.優待については,大分前に書きましたが,優待をとるのが目的なら,権利付き最終日に信用で繋ぎ売りして翌日品渡しをしないといけないわけで,まあ素人ということですね.

 Sフトバンクは,なんちゃらファンドで1兆8000億もの損失が出たそうです.ほーら,言わんこっちゃない.

 そのうち戻ると思ってる人が多いと思うのですが,どうですかね? 今の感じだと結構時間がかかる気がしますけど.

 人と人とが距離をとれば感染は広がらないと言ってますが,接触感染は,ただ手洗いをするだけではだめ(と何度も書きました)なんですが,あまりそういうことが言われてないのが気になりますね.

 私個人的には,大学に来れさえすれば,今の状況で全然大丈夫ですが,ずっと家にいて,時々買い物に出るだけとかだとしんどいと思います.

 これが結構不思議なことで,大学に出てきても必ず学生達とか誰かと会って話をするわけでもないし,つまり,どのみち一人なわけで,でも「場所を変える」だけで家にいるのとは明らかに何かが違うわけで,じゃあ,単に場所を変えるだけでいいかと言うとそういうわけでもなくて,やっぱり不思議なんですが,この辺のところにリタイア後問題の一つの解がある気もするんですよね.

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4/14'20
[得策]

 外出自粛ってことなんですが,行政の長とかは,ほとんどが年寄りなわけで,そういう年寄りは,若い人達に活動するなと言うんですが,年寄りは平気かもしんないけど,若くてエネルギーがあれば,やっぱりしんどいと思います.

 私個人的には(大学にさえ来られれば)大丈夫で,それは,一人時々みんなで内的熟達的生き方ができてるということもありますが,若い時だったらしんどかったと思いますからね(例えば,40過ぎまでは週に2, 3回練習できないと体調維持ができなかったし,東京に住んでた時は気分転換にしょっちゅう出かけてた).

 じゃあ,どうしたらいいかですが,(いつも書いてるように)状況が変えられないのなら,この状況でできることをやるしかありません.そして,この状況でできることは2つあって,それは,家に引きこもってもできることをやる,もう1つは,こういう状況でどうやって引きこもらないかというか,感染を防いで外出するかです.

 いずれにしても,創意工夫が必要で,ということは,ここをどう過ごしたかで劇的に差が付くことになります.このような状況は,いつまで続くかわかりません.1か月どころか,1年,あるいは,数年続くかもしれません.

 つまり,ただひたすら我慢するのではだめというかもたないわけで,そうすると,状況は変えられないとさっさと「あきらめる」ことが肝心で,こういう状況に持続性をもって適合する必要がある,そうした方が得策ということです.

 そして,そういうことをむしろ楽しむ,どうしたらこういう状況でも楽しく気分よく生きて行けるか考えることを楽しむことができれば,それだけでもうそれは一つの過ごし方ですし,こういう状況に限らず,これから生きていく上で非常に大きな何かを手に入れたことになると思います(リタイア後問題を考えることを楽しむこととも然り).

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[一点]

 こうして書いてみると,まさに今の状況がどうとか,若いとか年寄りとか関係なく,まさに生き方問題という極めて汎用的なことだと思いますね.自分自身について言えば,今の状況でも全然大丈夫ということよりは,大学に来られなくなっても大丈夫なのか,つまり,まさにリタイア後問題なわけで,でも,これについてもいろいろ楽しみながら考えて準備を進めているわけですし,それも一つの過ごし方ということは,どういう状況になろうと,その状況を受け入れて,その中でどうやって楽しくやって行くか考えるという一点さえできれば(そういうことを忘れなければ),大丈夫なんだと思います.

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[同じことだから]
(世の中)

 休業要請を受けて,行くも地獄戻るも地獄で同じことだから行くしかないと言って店を開けると言ってる人がいましたが,それって,どうせ死ぬんだから他人を巻き添えにしないと気が済まないということと同じじゃないですか? 行くも地獄戻るも地獄で同じことなら,これ以上感染を拡大させない方を選ぶべきではないですか?

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[そこまでせんでもええやろ]
(大学)

 当面やらないといけないことは(期限が4/17に延びた確定申告もありますが),オンライン授業の準備です.特に製図は,完全にオンラインにはできないので,却っていろいろやらないといけないことがありますし,大学院の振動学は,コア科目ということで(今年から留学生も受講できるように)一部英語化もしないといけません.

 授業は,4月下旬開始なので,そろそろやらないとまずいかと思って,とりあえずパワポに音声を入れるというのをやってみたんですが,目の前に学生がいないのにしゃべるのって何か変ですね.で,再生すると音が小さくてマイクの感度を変えたり,レーザーポインターも記録するにはどうするかとか調べたりみたいな感じで,講義ノートをアップするだけという先生もいるみたいですが,なんかいろいろやってしまうのは何なんですかね.

 試験をどうするかについても,レポートにしちゃえばいいじゃんとか,持ち込み可だから関係ないと言う先生も多いのですが,レポートはカンニングし放題ですし,持ち込み可の試験でも「結託」は防げないわけで(まさに知恵比べ? でも知恵比べなら負けるわけには行かないなあ),学生の自覚の問題とか,性善説とか性悪説とかそういうことではなく,責任をもって学生を社会に送り出せる人材にしないといけないということだと思うんですよね.でも,やっぱり,そこまでせんでもええやろという感じもします.

 もちろん,どうせやるなら少しでも学生にプラスになるようにということなんですが(人との繋がり),こういうこと自体がそれなりに楽しめるということもあるわけです(内的熟達).でも,ふと我に返ると,他にやるべきことがあるとも思うわけで,なんだかなあってところでしょうか.

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[何か意味がある]
(世の中)

 こういうことになって,世界恐慌以来の景気後退になるとも言われていて,新型コロナウィルスさえ出て来なければ,C国が初期対応さえ誤まらなければ,ってことなんでしょうか?

 どういうことにも何か意味はあると思うんですよね.つまり,単に誰かが失敗してこうなったというよりは,なるべくしてなったみたいな.

 具体的には,何度か書いてますが,やっぱり,今の経済というか社会のシステムに問題があると思うんですよね.でも,そういう話はほとんど出てこない.もちろん,今は大変な時で,現場で対応している医療関係者やとにかく今日を凌がないといけない人は,そんなこと言ってる場合じゃないでしょう.

 でも,ただ元に戻すだけだと,今回のことが何の教訓にもならないというか,また同じことが何度も繰り返されると思うんですよね.それは,感染症とは限らず,災害かもしれないし,何か他の予想だにしないことかもしれません.

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[そう思えるように]

 生活の質の向上の一環としての片付けですが,少しずつやってるのですが,目に見えて片付いてる感じは全くしないのですが,少しずつでもやってるということは,確実に少しずつは片付いているのでしょう.というか,そう思えるようになってきました.

 そして,そう思えるのって,何事においてもとても大事ですよね.研究してても目に見えてどんどん進むわけじゃないし,生き方研究や「準備」もうそうだし,ピアノ弾いてても,バドミントンとかスキーの練習をしてても,日々上手くなったり強くなったりするわけじゃない.

 でも,やり方を間違えずに日々ちゃんとやってれば,山を登るように気がづいたらいつの間にかということなわけで,それを支えるのは報酬(は日々見えない)ではなく,やはり,内的熟達ということでしょう.

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4/15'20

 何か意味があるってことで,今の経済とか社会のシステムに問題があるのはそうですが,それを急に変えることはできないでしょう.

 じゃあどうしたらいいかですが,やっぱり,重要なのは教育で,学校で勉強を教えるだけじゃなくて,どう生きて行ったらいいかというようなことを話すべきだし,優れた先生は折に触れてそういうことをしてるとは思いますが,現状,この体たらくなので,そういう人は少ないってことですかね.

 人は何のために生きて行くのか,勉強していい大学入って給料が高いところに就職していい生活することとか,ビジネスで成功したりスポーツとか一芸で頑張って有名になって大金持ちになることなどではない,というとても簡単なことなんですが,じゃあ,人は何のために生きて行くの?となったときにどう答えるかです.

 最近の傾向としては,経済的に成功することではなく,世の中や人の役に立つことという感じなのですが,これは三要素的に言えば,報酬よりは人との繋がりということなので百倍ましですし,若い人達を見るとかなり浸透してきてるとは思います.

 ですから,○ホなのは,バブルで浮かれた年寄り達で,今の若い人達が世の中の中枢に来れば,変わってくるような気もしますが,メディアとか芸能界とかは,相も変わらず何かと言えばお金の話ですし,そういう悪影響はかなりあって,実際,お金が中心のまま人生を終える人が大半ということでしょうか.

 でも,最大の問題は,やはり「資本家と労働者」という構図ですかね.既に「もってる」人間は,いかにして労働者と消費者を騙してこき使って浪費させて自分が楽をするかと考えるわけで,目先の経済を回すシステムもこういう背景があるわけです.

 これが非常に大きな問題で,資本主義という枠組みが変わらない限りは,もたない者は,もてる者に絶対に勝てません(そういう中で,スポーツとかで大大大成功すれば金持ちになれるという極々々一部のスケープゴートまで作って夢をもてとか言ってガス抜きをしてまさに抜かりなし).そもそも,自分が勝てる仕組みを資本家を作ったわけですからね.

 ですから,冷静かつ客観的に考えれば,世の中は変わらないと考えるのが妥当でしょう.実際,もう2000年くらい基本的にずっとこの枠組みで来てるわけですからね.

 そうすると,何度も書いてますが,現実を受け入れて,そういう中でどうやって生きて行くのかということで,そういう(しょぼい)世の中とある程度距離をとって(楽しく気分よく)生きて行くということですかね.

 方法論的には,簡単というかシンプルで,金儲けしようとする奴らに騙されて余計なものやことに散財することなく,必要な分だけ働いて,やりたいことをやって生きて行けばいいと思います.資本主義は,上で書いたように金持ちが庶民を騙してこき使って搾取するシステムで,つい数十年前までは,身を粉にして働かないと生きて行けない人がほとんどだったのですが,今は実はもうそんなことではなくなってて,それで庶民を騙してむりやり目先の経済を回してるんですが,ということは,騙されず賢く利用すればいいってことです(年200万程度稼げば充分食べて行けるし楽しんでも行けるので).

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[関の山]
(世の中, 経済)

 新型コロナが終息した後ですが,元には戻らないんじゃないかと言ってる人がいました.きいてみると...

 今回のことで都市の脆弱性とか,オンラインでもできることがあるじゃないかということで,技術革新が進んで,より効率のいい社会になるかもしれないし,そうすれば,経済の回復も早いと言ってました.うーん...

 わかるし,それはそうなって欲しいと思いますが,そんなこと誰でも考えると思いますし,私が考えることとは違います.でもまあ,その程度のことが関の山ってところですかね.

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[自分がじゃなくて相手が]

 自分がじゃなくて相手が自分のことをどう思ってるか(が重要)ってことですが,なんとなくわかってきました.

 自分が誰かのことを好きになったとしても,それは自分の勝手な感情であって,相手には関係ないし,迷惑なことすらあるでしょう.でも,誰かが自分のことを必要としてくれるのであれば,何かが成立する可能性があります.というか,それに対して自分が応えたいと思うのであれば,それでもう成立してしまいます.

 なんて簡単な話なのでしょうか.

 でも,視点を相手というか,誰かの立場に置くと,そう簡単な話ではないのは明らかです.相手も同じように考えているかもしれないからです.でも,それはそれでしょうがないかな.

 でも,言えるのは,相手が自分のことを必要としていないのなら,私が相手のことをどう思っていようが,何も成立しないということです.そして,そう考えると,もはや私の相手に対する感情がなくなるというか,そういう対象ではなくなってしまいます.

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4/16'20

 「視点を相手というか,誰かの立場に置くと,そう簡単な話ではない」ということですが,それでも,いいと思ったらとにかく意思表明をすると言う人がいました.当然のことながら「お断り」されることもあるのですが,そうすると,自分のその人へのそういう感情もなくなるということで,まさに,相手が自分のことを必要としていないことがわかって冷めるという上で書いた理論?通りなわけです.

 その人は,そういうメカニズムがとてもよくわかっていてすごいと思うのですが,普通はわかっていてもなかなか理論?通りには行動できないものですよね.

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 でも,このメカニズムって何なんでしょうね? と考えてみると...

 自分の気持ちより相手の気持ちが大事ということですから,まさにそういうことですよね.つまり,そういう風に考えられるかということでしょうか.

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[ストレス解消法]

 テレワークというか在宅勤務で家に閉じこもってストレスが溜まってどうしたら?ということで,メディアとかインターネットにストレス解消法というか,いろんな情報が流れています.でも,どれもしょーもないというか,役に立たないものばかりです.なぜなら...

 事情やその人の性格や状況はいろいろなわけですから,各人が自分に合った方法を考えるしかないからです.つまり,まさに「考える力」が問われているということです.

 私個人的には,何度も書いているように,何の問題もないので,ストレス解消法も何もないというか,普段からそういうことができてる(のかも)という感じでしょうか.

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[そういう覚悟]
(大学)

 オンラインで試験をどうするか問題ですが,結局,教育とは何かという本質的な問題であることに気づかされます.

 自分の本分は研究者なので,講義は二の次で,試験も(カンニングし放題の)レポートにしたり,試験をするとしても学生はやりたい放題で,学生の自己責任というか自覚の問題とすることはできるし,そうする人も多いと思うのですが,やっぱりまずいと思うんですよね.

 そういうことにすると,ちゃんとやる学生が不公平だと思って効力感を失うかもしれませんし,そもそも,勉強したくない学生をその気にさせてちゃんと一人前にして卒業させるのが本来の教育のはずです.

 つまりは,カンニング防止とか,知恵比べというか,そういうことではなくて,いかにして学生に不正行為はできないとあきらめてもらって,しっかり勉強してもらうか,その気になってもらうか,ということなわけです.

 研究活動については,そもそもカンニングなんかできないので問題ないのですが(やっぱり,研究することそ最高の教育だと思いますね),頑張る学生もいれば張らない学生もいるわけで,頑張らない学生も何とかその気になってもらうようにやってきましたし,それは確かに大変で,正直,やばい学生もいたんですが,みんな何とか成果を出して,これならOKというところまで行ってくれたのでよかったんですが,もしそれでも水準に達しないということであれば卒業させないという選択肢をとる覚悟でずっとやっています.

 でも,明らかに水準に達していなくても就職が決まっているとか何か他の理由で卒業させてしまってるところはあるんだと思います.それは,私の制御できる範囲ではないのでどうしようもないですが,(最近,教員会議とかで事あるごとにずっと言ってるのですが)もうそろそろ,「そういう覚悟」をしないといけないのではないでしょうか.

 というか,それの何が問題なのでしょうか? あの大学は,ちゃんと勉強しないと卒業できないから行かないとなって志願者が減る? そんな学生なら来てもらわなくていいじゃないですか.就職が決まっているから卒業させないといけない? いやいや,卒業できない学生を卒業させてその会社に送ったら,そっちの方が問題じゃないですか(学校推薦で翌年の学生に迷惑がかかるというのなら,そういう学生を学校推薦することが問題.つまり,学校推薦が欲しいならちゃんと勉強して厳しい条件をクリアしないといけないと入学時に周知して,その条件をクリアした学生にしか学校推薦を与えないようにすべき).

 何を恐れてるんですかね? 国際教養大のように厳しいことを売りに(何と半分の学生が4年では卒業できない)学生を集めていて,企業からも引く手数多の大学もあるわけですし,自分たちの教育に自信があれば,何の問題もないと思いますけどね.

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[現状維持が精一杯]
(世の中)

 緊急事態宣言が全国に対して出されるんですね.都市部とか一部で出しても,県境を越えてパチンコを打ちに行ったり,地方に大量に脱出しているようでは,本末転倒ですから当然だと思いますが,そうなることは容易に想像できたわけで,想像力がないというか,後手後手に回ってる感は否めません.

 国民一人当たり一律10万円給付もまさにどたばたですし,K明党の代表が言ってましたが,30万円を一部だと一部の人にしか届かず支持が得られない(全員に配れば全員から支持が得られる)ってことで,まさに国民に迎合する衆愚政治の最たるものです.

 でも,これで収まりますかね? 結局,お願いベースなわけで,人との接触を8割減らすところを半分とか6割程度しかできてないわけですから,北大の西浦先生の数値解析が正しいとすると,拡大が続くか現状維持が精一杯ということですよね.つまり,今の状態がずっと何年も続くということです.

 もう何か月も前から書いてますが,一番効果があるのは,2週間「完全に」人の動きを止めることです.もちろん,食料とライフラインと医療関係は,止められませんが,99%は止められるんじゃないですかね.

 そんなことできない? いや逆にみんないっしょにやれば却ってできたんじゃないですかね?

 その間,どうやって生き延びれば,ということなら,ここでまさに国民全員に10万円給付の意味が出てくるわけで,これをやるなら,完全ストップとセットでなければ意味がありません.

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 テレワークで在宅勤務だとストレスが溜まるという人が多いみたいです.でも,満員電車でぎゅうぎゅういいながら朝早くから会社になんか行きたくないって言ってませんでしたか(笑)?

 要は,ないものねだりというか,どういう状況にしろ,自分で選択するのではなく,誰かから強制されるのがだめってことなんでしょう.

 だったら,自分で(ある程度)自由に決められる状況を作るしかないってことですよね.

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[行くところがあるか問題]

 リタイア後問題の一つというか,おそらく一番大きな問題である「行くところがあるか問題」ですが,今は大学という行くところがあるから大丈夫ってことなんですが,考えてみたら,大学に行ってもほとんど一人なわけで,しかも今はほとんどオンラインで,だったら,在宅でもいいじゃんってことですが,やっぱり,大学に行かないとだめで,ここに考えるヒントがあるかもしれません.

 単に場所を変えるってことかということで,これは既に議論していて,例えば,家と同じマンションの違う部屋とかだとだめだけど,大学をやめて大学と関係なくなっても,例えば,今の部屋をそのまま使っていいですよと言われたら行ける気がすると書いたんですが,うーん,そうなんでしょうか? あるいは,家から少し離れた街中に自分でオフィスを借りるとかだと?

 これがだめだとすると,やっぱり,大学という組織に所属しているとか,仕事をすることで社会と繋がっているという安心感ということになって,問題の解決にならないことになります.

 逆転の発想としては,「行くところなんか要らない」状況を作るというか,そういう内的状態を作るというか準備をするということも考えられます.体を動かしたいのなら,そういうところを家の中に作ればいいし,そうすると単なるお金の問題ということでしょうか.

 内的状態を作るというか準備としては,やはり(家にいても)やることがあるということでしょうね.ということで,結局,やっぱり,そういうことですかね.でも,そういうことを考え続けて行けばいいとは思います.

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4/17'20
[大会中止]
(学界)

 正式発表はまだですが,毎年夏に行われる建築学会大会が中止になるそうです(今年は千葉).何となくはきいていたんですが,まあしょうがないですかね.でも,教育的観点からは,学生の大きな修行の場が一つなくなったのは痛いですね.

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 茨城県も特定何とか県に指定され,学群生(学部生)は,原則大学の立ち入りが禁止となりました.今年は,研究室にB4はいないので(たまたま,そうなるように仕向けていたので),それは問題ないのですが,製図の授業は,難しくなりました.

 大学院生や教員はまだ大丈夫ですが,そのうち立入規制となるかもしれません.でも,そうなったら,まさに(リタイア後に向けた)いい練習というか,いろいろそういうことを試すチャンスかもしれません.

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[ずっと続けば]
(世の中)

 大会が中止になったり,練習ができなかったりとか痛いこともあるのですが(でも,大会が中止になっても,研究成果を伝えるという論文としての目的は大会が開かれなくても果たせてると言える.練習は,私は1か月くらいは大丈夫だけど,バドミントン部の選手達が心配),今のような状態がずっと続けばいいのにと思ってしまいます.不謹慎ですかね.

 もちろん,新型コロナが収束しなければいいということではなく,ずっと書いているように,ほんといろいろ余計で無駄なことが多すぎて,そういうものが今はかなり削ぎ落されてて,仕事とか生活してて気分がいいんですよね.

 つまりは,新型コロナが収束して,でも元には戻らず,余計で無駄なことはやめて効率よくやって行きましょうとなるのが一番いいのですが,おそらくそうはならず,なっても少しだけなわけで,だったら,医療関係も充分に対応できる範囲で,余計で無駄なことして目先の経済を回して金儲けしようとする奴ら(そしてそれにまんまと騙されて浪費する人達)を抑え込み続けて欲しいと思ってしまいます.新型コロナで亡くなる人もいるので不謹慎かもしれませんが,そんなこと言ったら,他の病気で亡くなってる人も大勢いるわけですし,まさに何か意味があると思うというか,そう考えないといけないと思うんですよね.

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 でも実際のところは,こういうことになって,多くの人は,目先の経済を回す仕組みに乗っかってた人はともかく,そうでなくても在宅勤務とか,出かけられなくてやることがなくてストレスが溜まりまくって辛いという感じみたいで,でもだとしたら,やっぱりやばくないですか?

 具体的には,(若い人達は遠い将来のことなんでしょうが)リタイアして今の仕事を失ったら,今と同じ状態になりますよ.というか,実際,そういう人が多いということは,ちゃんと整合してるわけです.

 つまり,今回のことを契機として,しっかりそういうことを考えた方がいいと思うんですよね.

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 やっぱり,やることがないんでしょうね.やること,やりたいことなんかないけど,何かしないと退屈しのぎができないわけで,だったら,少しでも金になることやるか,ということなんでしょうか.

 でも,よくよく考えてみれば,お金はそんなに要らないはずなのに,金儲けしたい奴とか,左団扇で楽していきたい金持ちに騙されて,いろいろ余計なものを欲しがらされて,お金が必要という状態にはめられてるわけです.

 そういう呪縛から逃れる方法は,やっぱり,やることを見つけることじゃないですかね.やることがあるのなら,余計なことして余計な小金稼いで余計なものに散財してる暇なんかないですから.

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[主婦は強い?]

 リタイア後問題というか,女性の方が大丈夫というか,長生きというか,そういうことの背景の一つとして,(昔は)主婦とかで,元々家にいたってことはあるかもしれません.つまりは,定年退職という崖というかハードランディングがないわけです.でも...

 最近は,女性で定年までしっかり働く人も多いですし,主婦だとしても,男が定年で仕事をやめて家でゴロゴロし始めて,昔はさっさと死んでくれたものをいつまでもそんな状態が続いたんじゃってことでしょうか.

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[気持ち悪い]

 雰囲気が震災のときにほんと似て来ていて気持ち悪いんですが,「被災者」なんだから助けてくれ,国に何とかして欲しいでは「復興」は厳しいです.まずは自分にできることはないかよく考えることですし,こんなことになって何か問題はなかったか,たった数か月やそこら収入がなくなるだけで餓死しないといけないような自転車操業でいいのか,これを機会にこれもよく考えることだと思います.

 というようなことを言うことがはばかられるという雰囲気があるのが震災のときにほんと似て来ていて気持ち悪いです.

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4/18'20
[強者と弱者]

 でもこんなこと書いてると,それは強者の論理で弱者の立場に立って考えろって言う人もいるんでしょう.でも,それが落とし穴というか罠だと思うんですよね.

 そもそも,強者と弱者ってどういうことですかね? 金持ちと貧乏人? 資本家と労働者? 能力がある者とない者? そして,資本主義社会では,もてない者はもてる者に勝てないし,能力がなければのし上がって行くこともできない? だとすると,貧乏人で能力もない人間は,一生虐げられて苦しい生活を続けるしかない?

 確かに数十年前まではそうだったというか,そう思ってあきらめてしまう人はそうだったと思うのですが,今は違うと思うんですよね.

 具体的には,バブリーなことではなく,世の中にほんとに必要なものを見極めて,そういう仕事を高くない時給でも地道にやって行けば,普通に生活していける分は稼げるし,そのために一番重要なことは,金儲けしたい奴らに騙されて,余計なものに浪費しないことで,それなら年収200万以下でも楽勝だと思います.

 いやいや,年収200万以下じゃあ家ももてないし飲みにも行けない? いやいや,それが騙されてるってことですよ.日本の持ち家率は何と60%ですが,てことは,強者と弱者的には,強者が60%もいるってことで,自分の家をもってる人間が,こういう状況で助けてくれというのはおかしくないですか?

 いやいやい,持ち家と言っても30年ローンでがちがちでって,それがまさに騙されてるってことじゃないですか(利息を払ってるってことは,その分,誰かが左団扇ということ).

 でも,特にやりたいことというか,自分にとってやる価値があることがないと,その罠に割と簡単にはまってしまうと思うんですよね.

 罠はいろいろ仕掛けられていて,一つは競争社会という大義名分で,収入とか社会的地位で格差を付けて,他人と比較させることで見栄を張らせることや,働くとしたらフルタイムが基本で,そうすると必要以上に働くことになって,ストレスが溜まって夜の街が栄えてそこで目先の経済が回り,じゃあ,派遣とかパートで必要な分だけ働こうとすると,すぐ横に待遇が全く違う正社員がいて,格差を感じさせて,やってられるかと思わせたり,そこを踏ん張って必要な分しか働かないと時間が余って,やることないと退屈で,結局,余計に働いて,そのお金を使うためにまたまた目先の経済が回るというような感じです.

 まさにがちがちでどうしようもない感じもしますが,変な見栄を張らず,物事の本質をしっかり見極めて行けば大丈夫だと思いますし,やっぱり,自分にとってやる価値があると思うことを見つけることが重要だと思いますね.

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 でも,これは,弱者の論理というか,パターン2とか3の場合で,パターン1,即ち,やる価値があると思うことが仕事とある程度重なった場合の方が難しいかもしれません.

 具体的には,お金は必要な分しか要らないとしても,仕事が自分にとってやる価値があると思うのなら,お金なんか要らなくても働くでしょうからね.

 でも,だったら,それはそれでいいんだと思います.もちろん,どういうことを仕事にしたか,つまり,どういうことに自分にとってやる価値を見出したかは,人それぞれというか,それこそ素養で決まってしまうところはあるのですが,注意するのは,仕事を選ぶときに騙されてないかということは,上の弱者の論理と同じだと思います.

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[どうでもいい]

 とか,だらだら書いて思ったのは,じゃあ,お前は,そういう世の中を変えたいのか?ってことです.そう言われると,別にーというか,どうでもいいというと言葉は悪いですが,そういう中でやって行くしかないわけで,だったら,つべこべ言うこともないわけで,人それぞれ,みんなやりたいようにやればいいし,それでどうなっても,自分のケツは自分で拭けってことですね.

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[10万円]
(政治)

 国民一人当たり10万円ずつ配るということは,私ももらえるということですね.でも,特段困ってるわけでもないのにもらうべきではない? というか,A生さんは,(困っていると)手を上げた人だけもらってくださいとか言ったみたいです.

 全く以て,自分達の無策を棚に上げたひどい話で,これも騙されてはいけないということですかね.おそらく,震災復興税のような形で後から累進課税で高額所得者には10万円以上「返してもらう」ということですから,10万円だけでも貰っておかないと,みすみす無能な政府に余計な税金をとられるのは目に見えています.

 そもそも,私が10万円をもらわなければ,その分,困った人のところにその10万円が行くわけでもないわけで,ほんとに無策というか無能というか,一体何なんだ?としか言いようがないですね.

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[元には戻らない]
(世の中)

 こういう状況で,テレワークとかオンラインになって,それで全然行けるやんと気づいて(飲み会もzoomで全然行ける),今の状況が落ち着いても元には戻らないと思ってる人も結構いるみたいです.ほらほらー,ずっと以前から言ってることです.

 そのとき書いたのは,究極的には,リアルの人間は(実際は存在していても)存在する必要がなくて,つまりは,インターネットの中にいるだけで,そうすると,性別も年齢も外見も関係なくなって,その人の知力というか中身が全てになって,それでいいじゃんってことです.

 そこまでは極端としても,日々のメールのやりとりとか,このサイトに文章を書くこととかで,人との繋がりは感じられますし,zoom飲み会が浸透すれば,飲み屋とかは新型コロナが収束しても,元には戻らないってことになります.

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[リアルと非リアル]
(世の中)

 リアルと非リアルというか,非リアルでも行けるものが多いとすると,逆にリアルでないとだめなものは何でしょうね?

 まずは,食べ物ですね.農業や流通は必要不可欠ということで,外食(ただし中食も含む)も生き残るかもしれませんが,飲み屋はどうなりますかね.zoom飲み会で行けるということに気づいて,そうすると,何千円も飲み代払ってたのは何だったんだってなると思いますからね.

 これはずっと書いてることで,居酒屋三軒成功させたら年収1億って言われてるんですが,要は,ぼったくりということです.だって,普通に晩ご飯食べたら500〜1000円くらいで済むものをアルコール付いて店がちょっとおしゃれになったらいきなり10倍の値段になるわけで(1杯350円のチューハイの原価がいくらかだいたいわかりますよね),本来的には,そんなことがまかり通ってることがどうかしてるわけです.

 そもそも,アルコール自体,ほんとに必要なものか甚だ疑わしいというか,体にいいことは全くないわけで(酒は百薬の長ではない),実際,若い人達で飲む人がどんどん減ってるのは自然の流れでしょう.つまり,zoom飲み会と言っても,飲まなくてもいいわけで,みんなで「集まって」わいわいやればいいわけです.

 あとは,日用品とか生活するのに必要な物品,医療関係,住むところは必要なので建設業(仕事するオフィスは要らなくなる?),エネルギーインフラ関係といったところでしょうか.

 性欲関係については,リアルでないと子供ができないということはありますが,性欲を処理するだけなら,既にかなり非リアル化は進んでいて,(あまり言われないけど)それが少子化の大きな要因とは既に書きました.

 こうしてみると,ほとんどは,非リアルで行けるということになり,あおりを食うのは,やはり,輸送関係でしょうか.旅行とか観光はGoogle Earth(が進化したもの)にとって代わるとずっと以前に書きましたし,自動車は,食料や必要なものを運ぶトラックとかは必要ですが,乗用車の需要は減るでしょうし,公共の交通機関も残るとは思いますが,これも需要は減りますし,一番やばいのは航空機でしょう.

 こうして書いてみると,今の状況でやばいことになってるところがそのままやばいことになるわけで,この状況で仕事が激減したところは,ほんとは世の中にとって必要なものでないことを自覚すべきと何度も書いてますが,リアル非リアルの観点からも同じということですね.

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4/19'20
[貧乏]
(世の中)

 久しぶりに貧乏という言葉が出てきたんですが,貧乏ってどういうことでしょうね? 「うちは貧乏だから」というのは,どういう状態なのでしょうか?

 お隣さんは,毎週のように家族で外食に行ってるし,学校の友達が海外旅行に行ったけど,うちは貧乏だから行けない? それのどこが貧乏なんですかね? 貧乏というのは,食べて行くにも困るということじゃないですかね.

 こうしてみると,貧乏というのは,「他人と比べて」貧乏だから貧乏と言ってるだけで,その実,貧乏でもなんでもないわけで,それは,年収200万以下の人をワーキングプアと言ってることからも明らかです(当初は300万と言っていたがさすがにまずいと思ったのかいつの間にか200万になってる.でも,年収200万のどこがプア?).

 要は,そうやって余計なものを欲しがらせて,金儲けしたい奴らが金儲けしたいってだけなんですが,騙される方も騙される方ということです.

 思い返すと,私の場合,高校2年のときに父が亡くなりましたが,自分が貧乏と思ったことは一度もありません.財産と言えば,家が傾くほどの本と持ち家くらいで,母が小学校の教師として復帰して働いてくれたんですが,産代という今で言う非正規社員のようなものですから,収入は多くなかったと思います.

 でも,ほんと「何不自由なかった」です.それは,やはり,母がすごかったんですが,彼女も私も妹もみんな何が必要で何が要らないかよくわかっていたと思うんですね.ですから,他人と比較することなんか全くなかったですし,自分にとって何が必要で何が要らないかをちゃんと考えれば,よほどのことがない限り貧乏なんてことは,今の日本にはないと思うんですよね(最低時給でも,完全週休二日で働けば年収200万近くになり,家賃5万,食費3万としても8万以上余る).

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[情けは人のためならず]
(バドミントン)

 バドミントン部の練習ができないということで,FBにコンセプトビデオが次々と上がっていて面白いです.何が面白いかというと,とてもわかりやすいものとよくわからないものがあるということです.

 プレゼンの鉄則である見る人の立場に立って作れているかということもありますが,そもそも,どういうことを考えてプレーしているか,考えているようであまりよく考えずにプレーしているかがわかるということもあります.そして,それは,必ずしも競技力と比例しているわけでもない(フィジカルがないとわかっていても物理的に動けないので)のも興味深いです.

 そして,言えるのは,コンセプトビデオは見る人に伝えたいことがあるから作るのですが,作ってる本人が一番勉強になってると思うんですよね.これもまた一つの情けは人のためならずでしょうか.

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[群れるリスク]

 今回のようなことになって,いろんなことが見えて来るってことなんですが,世の中とか経済とかもありますが,(これに関しては異論がある人が多いと思いますが)家族とか家族でなくても複数の人間がいろんなものを共有していっしょに暮らす,あるいは,群れることのリスクも露呈することになったと思うんですよね.

 でも,何度も書いているように起こっていることは現実ですし,起こっているということは何らかの意味があると謙虚に考える必要もあると思うんですよね.

 私個人的には,「一人時々みんな」ということで,図らずもそういうことができていて,そのおかげで今回のことでほとんど影響がなかったんですが,それは結果としてとかたまたまではなくて,そういうリスクを排除していたということはあると思います.

 もちろん,人間は一人では生きて行けませんし,それは私もそうですが,家族とか誰かと「常に」いっしょにいる意味はあまり感じてなくて,むしろ,ずっといっしょにいるとありがたみがなくなるというか,ほんとはとても大事な人なのに,ずっといっしょにいるとなぜかそういう感情が薄れてきたりということがあるわけです.

 そして,実際,例えば,夫婦がいろんなことで依存し合うことで,一人の人間としてはどんどん半人前になって行って,どちらかがいなくなったとき,何もできなくなるわけで,それはやはり健全な状態ではないし,いっしょに生活していても,どこかで何かが怖いと思うんですよね.

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[方法論]
(生活)

 どこかで何かが怖いという意味では,何度か書いていますが,一人で自活できなくなることが一番怖いですね.家族の誰かに依存してる場合もそうですし,お金なんかあってもどうなるかわかったもんじゃありません.

 先日の母親の引越の時に,妹と話したんですが,お任せパックというのがグダグダで,でも,これは自然の流れというか,一昔前は,お任せパックでたくさんお金を払えば,プロがびしっとやってくれたものが,今はバイトがやるという体たらくで,これがあと10年とか20年したら,いくらお金出しても誰も何もしてくれない姥捨て山状態になるかもしれないとは,何度か書いた通りです.

 つまりは,小金なんか貯めこんでもしょうがないわけで,とにかく体と脳の機能を維持して,自分のことは自分でできる状態をキープしておくことが一番必要なことだと思うんですよね.

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 とは言え,歳はとるわけですから,今の状態を80とか90になってもキープするのは難しいんだと思います.そうすると,方法論的なことを考える必要があって,例えば,引っ越しなら,いつでも引っ越せる状態にしておくということで,それならお任せパックにしなくてもいいわけですし,4年前引っ越したときは,一部自分引越をしたこともあって大変だったんですが,引越一つとっても方法論があるってことです.

 例えば,前の住居では,収納力が高いということで,スチール棚にFBを並べて収納していたのですが,解体も運搬も大変で,結局,組み立てて使用することなく廃棄することになりました.そういうこともあって,積み重ねて引き出せるダンボールにしたんですが,見栄えもよくないし,そのまま運んでもらえるかという問題も出てきたわけです.

 それで,前の住居で使っていたスチール棚が重くて大変なら,軽い棚ならそのまま運べるかと思ったんですが,組み立てるとドアを通らずにそのままは運べないとか,だったら,簡単に組立分解ができる棚はないかとか,要は,棚一つとっても創意工夫の余地があるわけです.

 そして,そうやって,いろんなことをパズルのように考えて行くのは(私は)楽しいですし,自分の機能の低下を抑えながら,そういう方法論的なこととの組み合わせで,何とかやって行ければと思っています.

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4/20'20
[楽したいだけ]
(世の中)

 既に何度か書いてますが,こういうことになって,有事だからしょうがないとか,新型コロナとか初期対応に失敗したC国が悪いとか,そういうことじゃなくて,そもそも,Aベノミクスとかに浮かれて,バブリーなことで経済を回してきたこと,そして,それに騙されてまんまと乗っかってきた消費者の問題は大きいと思うんですよね(子供ならともかくいい歳した大人がどこにも出かけられなくて,近くの商店街くらい行かせてくれって).

 そんな形で無用に経済を拡大しておいて,こういう状況になって,助けてくれと言われてもというか,そうやって来たのはAベノミクスなんだから,国に責任をとらせるのが筋ということ?(まさかね).

 今は緊急事態なんだから,国はいくら赤字国債を出しても救済すべきという論調ですが,何度も書いてますが「国」ってなんですか? 結局,国民というか,自分達自身ですよね.つまり,ここで莫大な借金をしたら,それはそのまま国民に返ってくるということです.

 じゃあ,どういう形で返ってくるかというと,本来的には増税ですが,インフレもありうるでしょう.だって,赤字国債刷ってジャブジャブお金垂れ流すわけですからね.卵1個100円になったらどうしますか? そんなことになるくらいなら,こういう状況でやばくなる仕事は本来要らない仕事なので,退場,あるいは,大幅縮小してもらうという考え方もあるんじゃないですか?

 仕事は他にいくらでもありますよ(介護とか農業とか肉体労働とか,要は,外国人頼みになってる職種).みんな楽したいだけですよね.汗水垂らして,生きて行くのに必要な食料を作ったり,満員電車でぎゅうぎゅういうより,店やって一国一城の主?になりたいとか,原価〇円のチューハイを〇倍の値段でぼったくる飲み屋をやりたいとか.

 でも,うまい話なんかないわけで,それがこういう形になって露呈しているわけで,今起こってることは,一時的な有事ではなく,起こるべくして起こってると思うんですよね.

 でも,楽しないで楽する方法はあって,それは,これならいくらやってもいくら大変でも大丈夫ということを見つけることで,それがやりたいことを見つけてやりたいことをやるということです.

 でも,こんなこと書いてると,ふざけるな,お前は何様だ?という感じでどんどん嫌われて行くんでしょうが,そういう世の中とは距離を置きたいわけですから目論見通りですかね.

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[命の危険があっても]
(世の中)

 理系というか,理数系の優秀な学生の受け皿がなくなってきていて,医学部(は本来は理数系とは言えない)に流れていたけど,医者が激務で大変ということが伝わるようになって,志望者が頭打ちになってる(しょぼいな)ということを何年か前に書きましたが,今回の件で,更に影響があるかもしれません.

 いいんじゃないですかね.勉強ができるから,給料がいいから医学部に行くというのがおかしいわけで,激務でも命の危険があってもやりたいという人が医者になるべきですからね.

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[理数系]
(世の中)

 そもそも,理系とか理数系って何でしょうね?

 例えば,理数科目には,高校レベルだと,数学,物理,化学,生物,地学があって,物理の中にも力学,電磁気学,熱力学とかが(大学入学レベルでは)あって,同じ理数科目でも,その中身は全然違っていて,興味をもてるか得意か不得意かも全然違ってきます.

 私が理論物理から建築構造に転身したというか,本来的には,力学を応用したことがやりたかったのに,それを理論物理と「間違えた」のもそういうことがあるわけで,逆に言えば,そこがほんのちょっとずれるだけで,大変なことになるというか,結果にものすごい差が生じると思うんですよね.そして,それは,医学部に行ってる学生にも,理数系の学生の受け皿的にも言えることです.

 ですから,理系とか理数系と言っても,その中身は千差万別なわけで,そこに注意しないといけないということなんですが,医学部が頭打ちだとすると,それにとって代わるというか,そういう風潮なのが,AIとかデータ解析とかいったところでしょうか.

 でも,これもかなり特殊なんですよねー.天才プログラマーが理数系かと言うとそういうわけでもないし.それは,医者が理系とは言えないことともちょっと似ています.

 でも,言えるのは,ピンポイントで,自分の興味と得意が重なるところを見つけられるかが重要ということに間違いはなくて,注意を要するのは,「だいたい」じゃだめで,ピンポイントじゃないといけないわけで,喩えるなら,グリーンの端にピンが切ってあって,べたピンからちょとずれるとバンカーの奈落の底みたいな感じでしょうか(ホームランと外野フライも紙一重だし,ネットインとフォルトもそう).

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[ただいっしょにいたい]

 群れるリスクと相反するようなことかもしれませんが,ただいっしょにいたいということもあると思うんですよね.いっしょにいて,何をするということもなく,何もせずただいっしょにいたいみたいな.ほんとに好きな人ってそういうことかもしれませんね.

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[いい迷惑]
(世の中)

 こういうことになって,繁華街は店を閉めて閑散としていても,近くの商店街は大賑わいで,スーパーとかの店員は,忙しくて疲弊してみたいな報道ですが,だったら,営業時間を短縮じゃなくて,逆に延長して,休業して暇になってる人を雇ったらいいんじゃないですか.

 プロトタイプに外出するなと言うのも変な話で,接触感染に気をつけることと人に近づかなければいいわけですから,いくらでもやり方はあると思うんですよね.

 でも,そんなことも考えられない人間が多いということで,一律に外出するなと言ってるわけですが,そうすると,考えられない人間ほど何も考えずに外出して,そういう人間が感染を広めて,実質ロックダウンとか,事態の長期化は目に見えてるわけで,(私個人的にはそれでも全然OKですが),多くのちゃんとした人にとっては,これも「いい迷惑」の典型でしょうか.

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[中三の冬]
(自分)

 あのときああなっていたら(でも,その実,全ては137億年前に決まっているのであのときそういうことはないのだが)シリーズ?第*段ということなんですが,中三の冬のことがフラッシュバックしました.

 既に書いたと思いますが,私は高校受験に失敗しています.ん?地元No.1の進学校(修猷館)なのに? そうです.ラサールや久留米附設は受けていませんが,一つだけ東京の学校を受験しました(とは既に書きました).

 事情も書いたと思うのですが,当時,父が東京の大学に単身赴任していて,もし私が東京の高校に合格すれば一家移住ということだったと思います(妹はまだ小学生だったので,転校の問題はなかったけど,名門私立女子中にうんちゃらかんちゃらという話はしていた).

 でも,結果は不合格だったわけで,あのときああなっていたら的には,あのときもし私が合格して,東京に一家移住していたらということになります.

 どうして,そういうことを考えたかと言うと,その2年後に父は体を壊して亡くなってしまったわけで,もしみんなで東京で暮らしていたら,そうならなかったかもということです.もうそう考えるだけで苦しくなってくるのですが,全ては137億年前に的には,もしもはないわけで,そう考えるしかないということでしょうか.

 忘れられないのは,新幹線で福岡に帰るときに東京駅まで見送りに来てくれて,手を振った後,向こうを向いた父の背中が寂しそうに見えて申し訳ない気持ちでいっぱいになったことは書きましたが,もう一つは,(不)合格発表の夜のことです.

 私は,なかなか眠れず,ずっと泣いていたと思うのですが,しばらくして父の声が聞こえてきて,私がもう眠ったと思ったのか,私のことをとても心配しているようなことを母と話していて,ものすごく愛情を感じてほっとして,何とか眠りにつくことができたのを覚えています.

 もしもあのとき的には,私自身については,自業自得というか,自分のケツは自分で拭けってことですが,父には申し訳なかったというか,もちろん,父には父の人生があるわけですが,死ぬということは,そこで人生が終わってしまったわけで,小さい頃からずっと叱られ続けて,最後の最後まで愚息だったんだなあと思いますね.

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 こうして書いてみると,いつものことですが,中三の冬と言っても,ついこの間のような気もするし,父の姿も今でもはっきり浮かびますし,でも,ふと我に返ると,当時とはまさしく「かけ離れた」状況にいるわけですし,今父に会ったとしても,私は父が亡くなった時より10こも歳くってるわけで,やっぱり,なんか不思議ですね.

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[頑張らないといけないときに頑張れるか]

 頑張らないといけないときに頑張れる人とそうでない人がいると思うんですよね.

 頑張らないといけないときはいろいろあると思うのですが,受験はその典型でしょう.そして,その受験で失敗している私は間違いなく頑張らないといけないときに頑張れない人間です.

 それは,受験のときに限らず,10代はずっとそうでしたし(ちょっとその気になったのは,小5と中2の一瞬だけ),30代もそうで,そういうことの方が多かったと思います.でも,頑張らないといけないとかそういうこととは関係なく,その気になった時も時々はあったわけで,それで何とかなってるんですが,そんなことで,よくここまで来られたというか,やって来られたのは,ほんと不思議です.

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 と書いたのですが,不思議ということは,この世にないわけで,つまりは,私は私なりに考えてやって来たわけで,じゃあ,それがうまく行ったってことかと言われると,たまたまというか,運がよかっただけのような気もするし,やっぱり不思議なんですが,一つだけとても大事なことがあるとは思っていて,それは,このサイトに何度も書いてることですかね(なので,敢えてもう書かない).

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[更にもう一つの崖]

 主婦は強い?ということですが,(既にどこかで書いたと思いますが),主婦に限らず女性は,男性ほどキャリアに拘りがない人が多いですし,専業主婦でなくても,家のことを男性よりやってる(のが現実な)わけで,男が定年で仕事をクビになってのこのこ家に戻って来ても,家の主は実質女性なわけですし,パートとかの仕事に定年がないことも多いわけで,崖というかハードランディングにはなりにくいんですが,そういうことがあるとすると,ある日突然,家でだらだら過ごし始める男だったりするわけです.

 このことにメールで反応してくれた人がいたんですが,その中にはっとさせられるところがありました.それは,そういう女性にも崖(ハードランディング)があるし,男性には,更にもう一つの崖があるということです.

 それは,自活できなくなって施設に入る時です.というか,ここで書いているように,それは嫌というほど認識しているのですが,これに失敗すれば,これから2回ものハードランディングが訪れる(崖から2回突き落とされる)ということです.しんどくないですか?

 やっぱり,何とかしないとまずいですし,それには今からもう準備していくしかないですね.

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4/21'20
[価格がマイナス]
(経済)

 マイナス金利というのはあるんですが,価格がマイナスというのはすごいですね.

 何の価格がマイナスになったかというと,NY原油です.正確には,NY原油先物の5月物の価格がマイナスになり,しかも20ドルくらいから-40ドル以下まで行ったというのです.要は,1バレル20ドルで売れていたものが,逆に40ドル払っても引き取り手がないということです.

 背景にあるのは,経済の停滞による需要の著しい落ち込みですが,掘った原油はどこかに保管しておかないといけなくて,しかも危険物なので,その辺にほっとくわけにはいかず,そのスペースがなくなって,保管料が急騰してるということがあります.

 こういうことがあると,売りは理論上損失無限大ですが,買いも無限大というか,元手をすべて失うだけでは済まないことがあるということですね(今回の場合,もし20ドルで買っていたらその20ドルを全て失って,更に40ドル以上払わないといけない).

 ただ,NY原油ということは,要はアメリカのシェールオイルのことで,保管場所を確保せずにばんばん掘り過ぎたということもあるでしょうし,同じ先物でも6月物とかドバイ原油(≒東京原油)とか北海原油は,さほど変わらず推移してますから,このケースはかなり特殊ということかもしれません.

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[似たようなもん]
(世の中)

 いや,楽したいんじゃなくて,ばんばん働いてばんばん稼いで,いい家に住んでいい車に乗っていい暮らしをしたり,偉くなったり有名になったりして評価されたいんだよ,という人もいるんでしょう.

 別にどーでもいいんですが,私から見れば,どっちも似たようなもんですけどね.

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[消費した]
(片付け)

 少しずつですが,でも着々と片付けを進めています(でも,依然として全くゴールは見えない).パズル的には,収納棚が...高さがあって収納力があって,FBなどのサイズと対応していて,簡単に分解するなどして運搬が容易という条件を満たすものがなかなか見つかりません.

 片付けてて思うので,学生部屋に置いていた荷物のときもそうだったのですが,「今はもうほとんど要らない」ということです.電子化とかインターネットの普及とか時代的にそうなったものもありますが,ほんとに今は要らなくなったものもあります.

 CDとかカセットテープとかMDとかのメディアの量もすごいんですが,これらは全て電子化可能ですし,多くはインターネットにあるんですが,そうでないものもあるし,圧縮すれば,かなりコンパクトになるので,まだ全部廃棄とはならないですかね.

 ちなみにカセットテープはいくつか聴いてみたんですが,テープがもう伸びてるのか,音が揺れるものが多くて,観賞用としてはもうだめなんですが,例えば,フェルツマン?のプロコフィエフのソナタ6番の演奏は,雰囲気はイメージのままで,「資料」として残しておく感じでしょうか.

 これ以外にもかなり多くの物品があるんですが,私はそんなにものを多く買う方ではないとは思うのですが,こうして見ると,長年の蓄積は大きいというか,ほんとよくいろんなものを買ったもんだなと思います.

 そして,今は要らないということは,消費したと言えるわけで(全く使わずにというものはほとんどない),何十年にも渡って,こんな私でもよく「消費した」もんだと思うわけです.

 今では考えられないので,昔は若かったというか,未熟だったということですかね.そういう意味では,歳とっても若いときのまんまというのは成長がないということですし,今の若い人達は若いときから消費欲もそんなにないわけで,結構な話じゃないですかね.

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[とっくに気づけよ]

 こういうことになって,いろんなことに気づいたという人が多いみたいです.それは結構な話なんですが,とっくに気づけよということですし,まだまだもっと気づいてないことがあるんじゃないですかね.

 外出自粛で家の中でも体を動かせるようにということで,売名とか好感度アップを目的でいろんな人が動画をアップしてるんですが,これも今更ですし,どういう運動をどうやるかが非常に重要なので,そんな簡単な話でもないと思いますよ.

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 価格がマイナスってことですが,何か変ですね.

 先物の最終売買日ぎりぎりの話で,もし買う人がいたとしてもその日にうちに売らないといけないわけで,でもそんなぎりぎりまで玉もってる人なんかそんなにいないでしょうし,そんな状況で買う人が一人もいなかったら,価格は全く付かないわけで,いるとしてもその日のうちに売らないといけないということは単なるマネーゲームなわけですから,実際の経済を表してるとは考えない方がいいかもしれません.

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[共倒れ?]
(経済)

 休業してると家賃などの固定費が重くのしかかり,大家に家賃の減免をということらしいですが,大家は大家でローン組んで不動産買ってたりとかでそんな簡単には行かなくて,このままでは共倒れになる(から国が補助を)と言ってました.でも...

 国が一時的に助けてもそれは回り回って返ってくるということもありますし,そもそも共倒れというか,大家が今度はローン組んでる銀行に泣きついてという連鎖は続くわけで,つまりは,ぐるぐるお金を回して経済を回してるわけで,何度も書いてるように,一旦お金の流れが止まると途端に「全滅」するという非常に危うい経済システム(まさに総自転車操業状態)になってることが大問題なんですよ.

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4/22'20

 でも,どうしても必要なものなら国民全体で負担して救済するのが税金です.

 つまり,助けてくれと言ってる商売がほんとに必要なものかということですね.そういう意味では,多くはAベノミクスというバブルに浮かれてまさしくバブルのように出現したもの,あるいは,無用に事業拡大したものですから,ほんとに必要なものは一部でしょう.

 いや,このお店はほんとに必要だと思う人がいるのなら,クラウドファンディングでも何でもやって,ほんとに必要だと思う人が救済すればいいわけで,関係ない国民を巻き込むのは筋違いというものですし,お店や事業はそうでも働いている人が,ということなら,さっさと廃業して(楽しないで)ほんとに必要な仕事をしたらいいんですよ.

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[正論?]

 でも,それって正論だけど,正論を振りかざしていても問題は解決しないと言う人もいるんでしょう.

 でも,「正論を振りかざしていても問題は解決しない」ことこそが一種の正論だと思うんですよね.つまり,そういうことでほんとの正論を封印して,その場凌ぎのことしかできないわけです.

 ある意味,いい機会ですから,何が必要で何が要らないかをよく考えてみましょう.よく考えないで,何でも十把一絡げでやっていたら,あとになってとんでもないことになりますよ.

 今起こってることは,一時的な有事ではなく,これから何度も起こるようなことで,大衆の圧力に負けて,選挙目当ての衆愚政治を繰り返すのなら,次は今以上に悲惨なことになりかねません.

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[引越の記憶]
(自分, 生活)

 片付けをしていて思うのは,いつの間にこんなに荷物が増えてしまったんだろう?ということです.普段は気づかないものですが,片付けをしたり,引越をしたりするときにそういうことを思い知ることになります(つまり,引越すことがないといつの間にかとんどもないことになっていたりする).

 ということで,いつ荷物が増えたのかを検証?するため,引越の記憶を辿ってみようと思います(笑).

 最初の引越は,小二の春に大牟田から(親が)家を建てて福岡に引越した時ですね(でも,まだ子供なのでここは荷物がいつ増えたかは関係ないのだが).記憶としては,何か月も前から居間というか食事をする部屋の奥の仏壇がある部屋で母親がずっと荷造りをしていたことですかね.私は子供だったので関係なかったんですが,一家をあげての新居への引越は大変だったんだと思います.

 次は,大学に受かって,福岡の家から東京に引越すときですかね.でも,このときの引越の準備の記憶はほとんどありません.覚えているのは,引越当日,向かいの米田さんのお父さんが向こうの家からこっちに向かって「有紀君,おめでとう」と言ってくれたことですかね.でも,引越先のアパートというか下宿は,六畳+共同の台所とトイレだったので,荷物はそんなになかったんだと思います.

 このときは,親元を離れるのも初めてでしたし,いきなり東京で一人暮らしということでとても不安だったのも覚えています.私って結構間抜けというか,想像力がないというか,例えば,大学に落ちて浪人したらどうなるかとか,受かって東京に行くことになったらどうなるかとか,そういう将来のことを全く考えなくて(少なくとも当時は),引越当日になっていきなり不安になったわけです.

 次は,駒場から本郷への引越なんですが,バドミントン部の練習が駒場だったので,引越したのは大学4年の12月です.このときの荷物は大したことなかったと思うのですが,引越の準備が全然できてなくて,午後に引越屋が来るというのに朝から準備を始めるみたいな感じで,岸野と途中から加々美が手伝いに来てくれたんですが,引越屋が怖いおっちゃんで,こんなんで引越せるかと怒られたのを覚えています.

 本郷のアパートは,六畳+台所とトイレで,少し広くなったくらいなので,荷物もまだそんなに大したことなかったと思います.このアパートは,本郷郵便局のすぐ横で,東大の正門まで歩いて百歩,でも,本郷通りを少し入った静かなところで,しかも,表のかなり古いアパートを通り抜けた奥にある割と新しいアパートで,とても快適でしたし,今でもよく夢に出てきます.

 そして,このアパートに大学院を修了して,地震研に就職して,バークレーに行くまでの10年くらい住むことになります.地震研は,本郷キャンパスの北の弥生キャンパスの北の端にありますが,500mくらいなので,自転車で行けばすぐですから,わざわざ引越すほどのことはなかったということもありますね.

 風呂はついてなかったのですが(引越してしばらくはすぐ近くに銭湯があったけど潰れた),当時は,週に2. 3回バドミントンの練習をして体育館とかでシャワーを浴びてましたし,それ以外にも御殿下の体育館で練習やトレーニングをした後とか,地震研の秘密の場所(笑)でトレーニングをした後も地震研のお風呂でシャワーを浴びることができたので全く問題なかったです.

 次がバークレーに行くときですね.覚えているのは,荷物を当時相模大野に住んでいた母親のURというかマンションの一室に入れてさせてもらったことで,六畳弱くらいの部屋が天井まで一杯になったのですが,逆に言えば,そのくらいの量ってことですね.

 バークレーでは,グリズリーピークのゴールデンゲートブリッジが見下ろせる2ベッドルームの一軒家を借りましたが(当時の家賃は1600ドルで1ドル80円台だったので,そんなに大したことない),もっていった荷物はそんなに多くはありません.むしろ,向こうでいろいろ買いそろえた感じですが,日本に帰るとき,まとめて処分したので,そんなに荷物が増えた感じはしません.

 日本に帰ってきて住んだのが,西片のRCの3階建一軒家の1階で,50平米くらいですかね.東大の先生ということで(笑),特別物件かつ家賃で10万くらいでしたかね.ここは,広いリビングと六畳+水回りということでしたが,このとき防音室+グランドピアノを入れたので広いリビングにでんと防音室が入って,実質の生活は,六畳の部屋とベッドを広いリビングに防音室を入れて残った隙間(笑)に入れてました.ですから,この段階での荷物も大したことないと思うんですよね.

 次がその7年後くらいにつくばに移るときということになります.このとき覚えているのは,研究室の荷物の多さです.ダンボールに詰めて廊下に並べて行ったんですが,隣の古村先生の部屋のところまで行ってしまって,平謝りでした(先生は全然いいですよってニコニコしてらっしゃんですが).

 研究室の荷物のことがいきなり出てきたんですが,地震研に行く前は学生で荷物なんかそんなにないわけですから,地震研時代の12年くらいで,荷物が爆発的に増えたということですね.それは,つくばにももってきていて,来た時はダンボールが部屋いっぱい天井まで積みあがってましたからね.その荷物は,私の居室には入りきらず,長らく学生部屋に置いてあったのですが,先日,整理というかほとんどを処分しました.

 話を家の引越に戻すと,次の引越しは,もう4年前のものということになって,そこでものすごい大変だったということで,普通に考えれば,荷物が増えたのは,つくばでの最初の10年ということになりますかね.でも,このときは同居人がいて,その荷物がかなり残っていたので,それもあると思います.

 でも,それも今の家に来るときに多くを処分しましたから,今はそんなに大したことないと思うんですよね.でも,少しずつではありますが,処分をしていても全然減ってる気がしない...

 なんなんですかね? 一歩一歩山を登っていたら,いきなり開けて山頂が見えるってことなんですかね?

 でも,全体でどのくらいの量があるのか把握できてるのか?ということがあるとは思います.

 何年か前,ざっくり分類して,一応「いつでも引越せる状態」にはしたのですが,まさにざっくり分類して(アクセスできる)ダンボールに入れたというだけで,必要なものも不要なものも入ってしまってるわけですからね.

 つまりは,片付けの道は,まだまだ続くということでしょうか.

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[片付けの本質]
(生活)

 なんか長々書いて(でも,引越をキーワードに人生を振り返る(笑)みたいなのも悪くない感じですが),書いてるうちに何か発見があるかと思ったけど,特に大した発見はなく,と思ったのですが,何か変な気がしてきました.

 引越自体は「ただ荷物を移動するだけ」なら大したことないはずですよね.じゃあ,何が大変かというと,荷物を整理しようとするからです.

 ということは,既に何度も書いてるのですが,じゃあ,普段から整理しとけよとなって,結局,引越問題ではなく片付け問題となるわけです.

 なので,特に引越す予定があるわけでもないのにせっせと片付けをしてるわけなんですが,逆に言えば,もしほんとに引越すことになったとき,この片付けをしようとすると,とてもじゃないと思うんですよね.

 じゃあ,片付けの本質は何かということになります.

 一つは,要らないものは捨てるということですね.これを引越の時にやろうとすると大変なことになります.ですから,普段からやっておくということですね.

 もう一つは,収納するということです.そして,すぐに運び出せるように収納しておけば「いつでも引越せる状態」ということになります.これが意外と難しいです.

 またすぐ使うと思ってその辺に置いておくということがありますが,多くの場合,収納する場所が決まっていないんだと思います.そして,収納すれば「見えなく」なりますから,どこに何があるかわかるようにしておかないといけない,つまり,ある程度,分類しておかないといけないことになって,これが結構面倒です.

 そして,一つ目と二つ目には相互作用があって,それは,一旦収納すると見えなくなるので,不要になったから捨てる,というのができなく(やらなく)なることです.随分,長い間,きっちり収納されていつでも引越せる状態でほとんど不要なものが「保管」されていた研究室の学生部屋に置いてあった荷物がその典型ですかね.

 あとは,スペースの問題もありますから,収納はできるだけ圧縮した方がいいですね.アクセス性を考えると分類することは不可欠ですが,あまり細かく分類すると,スペースをとりますから,どのくらいざっくり分類するかが意外と重要だったりします(それで,何年か前,何とかいつでも引越せる状態にできた).

 以上まとめると,まずはとにかく要らないものを廃棄する,そして,原則「全て」のものをどこにあるかわかるようにある程度分類して(できればすぐに運び出せる形で)収納するということですかね.

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 やってもやってもゴールが見えないのですが,逆に言えば,やることがある,具体的には,捨てるものがある,どこに収納するか決める必要があるものがあるのなら,少しずつでもやれば確実に前には進むわけで(これを引越の時にやると大変のことになるし,時間制限に追われてまず終わらない),まさに近く時々遠くでしょうか.

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[好きになった人]

 引越をキーワードに人生を振り返った?ら,なぜか歴代?の好きになった人が浮かんできました.というか,あらためて(覚えている範囲で)好きになった人を列挙?してみたんですが,いろんなことに気づいて面白かったです.

 まず人数的には,思ったほど多くはないです.あとは,どこかで書いたと思うのですが,常に好きな人がいるというか,そうでないと生きていけない?みたいな感じなのですが,この時期は,誰が好きなんだったんだっけ?みたいな空白もないことはないというか,思い出せないだけかもしれません.

 あ,今思い出した人がいて,どうしてその人のことを忘れていたんだろうと考えたら,なるほどというか,そういう不都合な記憶は,本能的に消そうとするのかもしれないと思いました.

 あとはこの時期に好きだったのはこの人と一意に決まるので,(当たり前だと思うのですが)同時に複数の人を好きになるということはないということですね.じゃあ,好きな人が変わる境目が気になってきます.

 と言ってもよくわからないというか,思い出せないですね.でも,会えなくなって,接点がなくなって,何となく冷めて行って,そうこうするうちに好きな人ができてみたいな感じなのかな.

 あとは,私の場合,どこかで書いたと思いますが,人を好きになるとなぜかその人の顔を頭の中に思い浮かべることができなくなるので,そうすると必要になるのが写真です.つまり,歴代?の好きになった人の写真があったというか,あーこの人の写真は,こういう写真だったとかなり鮮明に思い出せることが多い,かと思ったんですが,そういう写真が思い出せない,あるいは,なかった人もいますかね.

 そして,ほとんどの場合に言えるのは,当人たちは,そんなこと知る由もないということです.何人かは向こうの気持ちを確認できたり,付き合ったりしたこともありますが,多くは一方的に私が好きになってるだけのことが多いと思うのですが,と書いたのですが,これも勝手にこっちが思ってるだけかもしれませんが,何となく向こうもまんざらでもないと思ってるようなところもなきにしもあらずという気もしてきて,とか言っても,まさに今更って話ですね.

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[スーパーが三密]
(世の中)

 東京とかのスーパーが三密になってるという報道ですが,どういうことですかね? 別にトイレットペーパーがなくなるというデマが流れて,人が殺到してるわけじゃないんですよね.

 普段必要なものを買うだけなら普段と変わらないはずでは? 出かけるところがなくてスーパーに気分転換に行ってるのなら問題ですが,家にいることが多くて買わないといけない食材とかが増えてる? でも量が増えるだけなら,急にそんなに混むこともないのでは? 営業時間を短くしてるとか,閉めてる店があるというのなら,何やってんの?って感じですけど.

 なんかみょーな感じですね.でも,私が行くスーパーは普段と変わりないですし,やっぱり,東京は異常な街ってことなんですかね.

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[全然違う]

 そっか,昔は想像力がなくて,例えば,大学受験で落ちて浪人することが想像できなくて(勉強しなかった)ってことなんですが,今とえらい違いですね.今は定年で今の仕事をクビになった後のこととか,体や脳が思うように動かなくなって要介護になったらとか想像しまくり(笑)で,実際にいろんな対策というか行動を起こしてるわけですからね.

 そりゃあ,子供といい歳をした大人とは違うということかもしれませんが,成長したというよりは,何かやっぱり,違う人間みたいな気もしてきます.実際,昔と今とでは全然違うというか,正反対みたいなこともいっぱいありますからね(もちろん,昔と変わらないところもあるけど).

 これって何なんでしょうね? 一体,私に何があった(笑)?

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(日記)

 こんな状況なんですが,何度か書いているように,私個人的には,普段とさほど変わらず,というか,余計なことが減ってむしろ快適に過ごせてると思うのですが,何か変な感じというかみょーな感じもしてきました.

 「一人時々みんな」であって「一人」ではないので,やっぱり,時々は「みんな」も欲しい? いやそういうことでもない気もするし,なんだかよくわからないですね.そして,それがなんか変な感じです.

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[私に何かがあったとすれば]

 私に何があったかですが,半分冗談くらいの感じで,そう書いたんですが,重大な事実に気がつきました.それは,このサイトです.

 このサイトを開設したのは2002年なので,もう18年になりますが,爆発的?に文章を書き始めたのは,その数年後です.その頃から,生き方的というか哲学的なことは書いていたのですが,いつの頃からか,そういう記事が増え,かつ,量も増えたと思います.

 このサイトに文章を書くということは,何か考えていて書くことを思いついた,あるいは,何だかよくわからないままに書き始めて,書きながら考えて何かに気づくということで,要は,私に何かがあったとすれば,それは「考えて来た」ということでしょう.

 逆に言えば,このサイトにいろいろ書き始める前は,考えてなかったとは言いませんが,その頻度というか強度が全然違っていたのは間違いないと思うんですよね.

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4/23'20
[バイト数の推移]
(このサイト)

 ↑ということで,このサイトに書く量が年月とともにどうなってるのか調べてみました.月別ファイルのバイト数ならすぐわかるので,それを描いたのが以下のものです.

 

 爆発的に増えたのは,2005年ですかね.そしてそれ以降,変動しながらも徐々に増えて,2014年あたりから増加率が上がってるように見えます.でも,2018年くらいにピークがありますが,2016年以降は,ほぼ収束した感じでしょうか.あと,データは月ごとなのですが,かなり変動が大きいですね.

 ちなみにこの記事を参考に,新書何冊分か計算してみると,先月までで,合計18,220,346バイトなので,18220346/714/200=127.6冊!となりました.

 ほんとかなあ.でも,この時点で9.5冊ならありうる? もちろん,htmlとテキストの違いはありますが,タグが入るくらいなので,8割くらいはテキストだとしても100冊分くらいにはなるってことですよね.

 あれ? 計算がおかしいですね.1文字2バイトなので半分ですね.つまり,この時点で9.5冊ではなく4.3冊で,今が50冊くらいってことですね.

 でも,18年で50冊ってことは,4か月で1冊くらいということで,かけてる時間は,1日1〜2時間くらいですから,やっぱり,ちょっと信じられないですね.でも,百冊くらい本を書いてる人もいるし,ありえない数字ではないかな.

 まさに「近く,時々,遠く」で,足元を見て少しずつ進んでいれば,気づいたらとんでもないことになってるってことでしょうか.

 もちろん,最大の問題は,ここに書いてる中身なんですが,読んでくださる方がどうかはともかく,私自身にとっては,まさに「私に何かあったとすれば」じゃないですが,確実に何かに近づいてる実感はあるので,大いに意味はあるんだと思います.

 というか,書きたくなったら書かずにはおれないので,意味とかなくてもどうしようもない(笑)ってことですし,少なくとも楽しく過ごせている(退屈しのぎにはなってる)ので哲学的にはそれでOKということですかね.

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[必要とされるされない]

 既に書いたと思うのですが,誰かに必要とされるのなら頑張りたいと思うけど,そうでないのならそれはそれでOKで,もうてきとーに生ける屍というかのんびり生きて行きたいとも思うんですよね.

 とか書くと必要とされたいみたいに聞こえますが,そういうわけではなく,どっちもOKってことなんですが,それはそれで何かみょーな感じというか,必要じゃないのならさっさと引導を渡して欲しいとも思うのですが,そういうわけでもなく,何かはっきりしないというか,すっきりしないのが何かみょーな感じなんだと思います.

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 というか,この期に及んで,誰かに必要とされることなんかないでしょうから,そう思ってやって行けばいいんだと思います.万が一そういうことがあればその時考えればいい,じゃなくて,そう考えると元に戻ってしまうので,そういうことはないってことですね.

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[セルフレジ]
(世の中)

 スーパーには不特定多数の人が来るということで,レジの店員の感染リスクがと言ってます.ていうか,そもそもどうしてセルフレジにしないんですか? 人件費考えたらあっという間にペイしちゃうんじゃない?

 私はいつもセルフレジです.それは,セルフレジの方が圧倒的に早いからです.だって,店員がいるところに行くと品物をピッとやって別のかごに入れて行くので,その後,台のところに行ってバッグにつめないといけないのですが,セルフレジなら直接バッグに入れられますからね.

 そもそも,品物をピッとやってかごとかバッグに入れるだけの作業にどうしてわざわざ人を雇う必要があるんですか? そんなの誰でもできるじゃん.

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4/24'20
[犠牲者]
(世の中)

 今起こってることは有事ではなく,起こるべくして起こっていると考えるべきで,仕事が激減した人はその仕事がほんとに必要かどうか考えるべき(逆に医療関係とか食品,流通関係とか忙しく大変になってるところは必要な仕事ということ)というようなことを書いてきました(この辺とか,この辺とか).

 その考えに変わりはありませんが,現状としては,この病気で亡くなる人もいるわけで,それをどう考えるのかということですが,まさに「犠牲者」ということでしょう.金儲けしたくて無用に経済を拡大した奴ら,それにまんまと騙されて乗っかった人間達によってあっという間に感染は拡大したわけで,その当事者なら自業自得でしょうが,そうでないのならまさに犠牲者です.

 私はそういう世の中と距離を置いてやってきましたし,こういうことになっても普段と変わらず過ごせていますし,感染して犠牲になる確率は「当事者」より遥かに低いとは思いますがセロではないわけで,まさにいい迷惑です.

 そして,これは今回のことに限らず,必要以上に欲しがらされて働かされてストレスを溜めて病気になったり,添加物まみれの食べ物?をコンビニで買って摂取し続けて歳とってがんを発症する場合も同様なんですが,騙されず対策をすればかなりの程度で自衛できるというのは,今の状況と同じです.

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(日記)

 明日から実質GWなんだそうです.私個人的にはいつものように過ごすだけで何の問題もないのですが,せっかくの休みで出かけたいのに出かけられない人達は大変?なんですかね.

 休業要請に応じないパチンコ屋の店名を公表するとか言ってますが,そんなことしたら,ここはやってるんだとわかって大○カ者達が逆に殺到するんじゃないですか?

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[粗末?]
(生活)

 何度か書いてますが,食事がだんだん「粗末」になってきました.粗末というのは,15分くらいでちゃちゃっと作れる(全くインスタ映えしない)もので済ませてしまうということですかね.そうなる理由は,仕事から帰ってくると作るのがめんどくさいということもありますが,いろいろやることがあるからで,忙しいに近いですが,やりたくないことで忙しいというよりは,やることがあるので,食事の準備に手間をかけたくなくて簡単に済ませてしまうということですかね.

 思えば,大学院時代,研究が面白くて研究してるときもそんな感じでした(その時は,ほとんど外食で済ませていた).研究以外にもいろいろやることありましたしね.今は研究以外の仕事がいろいろあるので仕事は研究だけというわけには行かないのですが,仕事以外にやることがいろいろあるのは当時と変わりません.

 でも,「粗末」というか簡単に済ませてはいるのですが,栄養のバランスというか,ちゃんと栄養を摂取しているか,特に充分な量の蛋白質とビタミン,ミネラルなどを含んだ野菜などを摂れているかということに関しては,全く問題ないと思います.

 つまりは,簡単ではあるけど実際は全然粗末ではないわけで,そういう「技」を身に付けて来たということですかね.ポイントとしては,蛋白質や野菜類を手軽に摂取できる食材とか方法をいろいろ用意しておくということです(そして,そういうものをこれからも開拓していく).そうするとメニューというか種類は結構な数になりますし,そういう中から「今食べたい」ものを選べば充分おいしくて,正直,これ以上は要らないですね.

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[媚びを売る人々]
(世の中)

 震災のときと雰囲気が似ていると書きましたが,見苦しいのは「媚びを売る人々」ですかね.まさに媚びを売ることで飯を食う芸能人や視聴率しか考えないメディアは言うに及ばず,スポーツ選手や文化人?というような人も含めて,みんな同じようなことしか言わないし,まさに一致団結?

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 でも,そうとわかっていても楽しめるものは楽しめるわけで,でも,そういうものにはテリトリーというか,わきまえることが重要なんですが,今のような状況で,そういうことをわきまえずにもっともらしくきこえることを言ったりしたりしていい気になっているのは,やっぱり見るに堪えないですね.

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4/25'20
[文化?]
(世の中)

 こういう状況で(という書き出しが多いな),ライブとかイベントとかが中止になって,そういうことを主催する人達に国が補助金を出すべき,ドイツではそうだし,文化を守るべきと言ってる人がいます.

 でも,ライブとかイベントって文化ですか? そのほとんどは商業音楽とか,誰かが金儲けしたいってことじゃないですか? パチンコ屋がやり玉に上がってますが,その昔,とあるパチンコ屋が文化は遊びから生まれたというCMを流してパチンコを正当化?してたことを思い出しました.

 こうしてみると,日本ってまだまだ文化的には後進国なんだなと思います.もちろん,文化を呼べるものもあるのですが,そういうものがそうとは呼べないものといっしょにされてしまうと,これまたいい迷惑というか,まさにとばっちりです.

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[ワインパーティー]

 会議とかは全部ZoomとかTeamsなんですが,そろそろ講義が始まるので,オンライン授業の準備をしなくちゃいけなくて,パワポ+音声+ポインタとか動画とかZoomとかを使ったリアルタイムとかいろいろ考えられるのですが,大学のネット環境が逼迫するらく,意外とZoomが安全(セキュリティの問題ではなくちゃんと繋げるか)なような気がしてきて,昨日,主催するテストをしました.

 ZoomはTeamsに比べると使いやすいんですが(その分,セキュリティーは落ちる),ノートPCではなく,デスクトップでやろうとしたこともあって最初ちょっとうまく行かなくて,でも問題なく使えることを確認しました.つまり,いざとなったら,大学のネット環境ではなく,Zoomとか(動画なら)YouTubeとか自分のサーバーを使う手もあるわけです.

 それで,しばらくZoomで研究室の学生達をしゃべっていて思ったんですが,これっていろいろ「使える」んじゃないですかね.

 例えば,研究室とか研究室OBOGとか地震研関係とかピアノ関係とかバドミントン関係とかスキー関係とかそれ以外の友人関係とか家族関係とか,いろんな「部屋」を作っておいて,その部屋は何日の何時にオープンしますということを伝えておいて,来られる人が「こんにちはー」とか言って勝手に入ってきてしゃべるみたいな.

 思い出したのは「ワインパーティー」です.ワインパーティーというのは,私が学生時代を過ごした東大の青山小谷研究室で小谷先生が主催されていたもので,ワインとチーズとフランスパンを買ってきて飲むという,まあいわゆる「飲み会」です(笑)(でも,こういうちょっとしたことでもセンスというかそれこそ文化的なものを感じますね).

 それで,このワインパーティーが画期的というか,よく考えられていたのは,日時が「決まってた」んですよ.具体的には,大相撲の千秋楽の前日(つまり,2ヶ月に1回)だったと思うのですが,そうすると,いつワインパーティーをやりますというお知らせをしなくても,研究室のOBが(来る人は)来るわけで(まあでもだいたいいつも固定メンバー?),Zoomでそういうことをやったら面白いかもとは思いました(例えば,研究室OBOG会は奇数月第1土曜日の19時からで,地震研関係は偶数月第2土曜日の19時からとか).

 実際の飲み会と違うのは,わざわざ出かけて行く必要がないので,ハードルが下がることで,その時間に食べ物や飲み物を自分で準備してPCの前に座るだけでいいわけですし,出先ならスマホで参加することもできるし,そもそも食べ物や飲み物を準備しなくてもいいし(でも,晩ご飯は食べるでしょうからいつも通りの晩ご飯でOK),時間ぴったりに来られなくて途中からでも途中で抜けてもいいわけですからね.

 ただ,指定された日時の都合がつかないことも多いでしょうから,年に1回とかではなく,2ヶ月に1回とか頻度を多くする必要はあって,そのときそのときでメンバーが違ってくるのは,それはそれでいいんじゃないですかね.頻度については,要望があれば,増やせばいいですし,人が集まらなくなれば,頻度が減るか自然消滅みたいなことになりますかね.

 あと,思ったのは,実際の飲み会なら,全体で話しているというよりは,隣とか向かいとかの数人で話していることが多いですが,Zoomだとそれができないというか,常に全体で話をしている状態になるわけで,それはそれでいいと思うんですが,そうすると「議長役」みたいな人がいた方がいいかもしれません(誰でもいいから話題をふればいい話だが,誰も話題をふらずシーンとなったときのため.まあこれは私がやるのかな).

 そうするとおそらく「適正人数」というのがあって,それは意外と少なくてせいぜい5,6人だったりします(これ以上増えると,リアル飲み会だといくつかに分かれてそれぞれでの会話が始まる).例えば,研究室OBOG会なら世代によってある程度分ける必要があるのか,あるいは,全体に声がけしても5,6人しか集まらないのか,その辺の判断が難しいですね.

 具体的には,日時とURLとコードとパスワードを該当者に知らせて,当日,Zoomに繋ぐだけでいいんですが,いろんな部屋ができたら,自分はこの部屋とは関係ないけどちょっと顔を出してみたいという場合,そういうこともできて,いろんな人と繋がって行くということもあるかもしれません.

 日時を指定しておいて,その時来られる人が来ればいいとは思うんですが,事前にある程度誰が来るかわかった方がいいかもしれませんね.リアル飲み会もそうですが,あの人が来るなら行こうかなってこともあるでしょうからね.

 部屋を開けておいて誰も来なかったら寂しくなるかもしれないんですが,それなら自分が必要とされてないことを確認して,安心して好き勝手やって行けばいいわけですからね.

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[たった数時間]
(生活)

 今日は大学に行ってもよかったんですが,昨日の夜遅くなって少しゆっくり起きたこともあってずっと家にいます.それで,GWというか,家でもできることと言えばということで,片付けをしたり,オンライン授業の準備をしたり,この文章を書いたりしながら過ごしていますが,何の問題もないですね.

 それで,片付けですが,何度か書いているように意味なく表に出ているものをある程度分類して収納ということで,ものの数時間作業しただけですが,見違えるほど片付きました.たったそれだけのことなのにむしろ驚いているくらいです.

 全くゴールが見えないと何度か書いていますが,こんな感じなら,GW中に終わるかもという気もしてきますが,まあぼちぼちやって行きます.

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4/26'20
(日記)

 今日は久しぶりに調子が悪くてほとんど何もできなかったです.こういう状況になって,個人的にはむしろ快適だったんですが,それで活動度はかなり上がっていて疲れたのかもしれませんね.こういう状況でなくても,時々こういうことはあるので,ちょっと休めということでしょうか.

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(スポーツ)

 インハイ中止になったんですね.オリンピックに延期はあっても,(3年生は卒業してしまうので)インハイに延期はないですからね.インカレは秋なんで少し時期が遅いんですが,こんな感じだとどうなるか心配ですね.

 でも,インハイもインカレもオリンピックもそうですが,そういうもののためにずっと頑張って来たと言う人も多いんですが,何か違うと思うんですよね.何度も書いていますが,スポーツというのは本来そういうものじゃなくて,やりたいからやるものだし,練習とかトレーニングしてできないことができるようになるのが楽しいわけですし,試合はその成果を試す場に過ぎないと思うんですよね.

 むしろ,練習とかトレーニングが制限されてるのがしんどいと思います.でも,これもそういう状況でどうするかという能力が問われているわけですし,ここで大きな差がつくんじゃないですかね.つまりは,試合があくまで相対評価である以上,この状況はチャンスとも言えるわけです.

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 でも,トップレベルの選手だと「それで飯が食えるようになるか」は大きいわけで,高三で,この1年で急成長できたとしたら,インハイで上位に入って実業団に入れるとか,有力大学に推薦で入れるとかいうことになってくるわけで,そういう場合はインハイがなくなるのは痛いですし,それはインカレも同じです.

 でも,それでもそんなの関係ないとは言いませんが,そういう「報酬」ではなく,自分の競技力をいかに上げるかという「内的熟達」こそがスポーツの本質だと思いますし,そうやってると結果的に自然と報酬も付いてくると思うんですよね.

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(日記)

 昼間2回くらい横になって寝たので,寝る時間になっても寝れそうにもなく,片付け,具体的には,棚を収納力があるものに一つにまとめました.またまたすっきりしました.

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4/27'20
[いつでも引越せる状態だったけど]
(生活)

 何年か前に「いつでも引越せる状態」になったと書きました.全体の9割を占める普段あまり使わないものを10数種類くらいに分類して,積み重ねてもアクセスできる引き出し式のダンボールに収納して行ったということです.

 そのときは必要なもの要らないものの判断をそんなにせずにとにかく詰めて行きました.なぜなら,必要不必要の判断に一番時間がかかるので,いちいちそんなことをしていたら全然進まないからです.でもそれで一応「いつでも引越せる状態」にはなりました.

 そして,今度は,積み重ねて引き出せるダンボールをそのまま運んでもらえるかとか,見栄えもよくないということで,再構築しているのですが,その際,明らかに不要なものは廃棄しています.そして思ったのは,何年か前のときより明らかに要らないと思うものが急増してるんですね.ていうかほとんど要らない感じ.

 研究室の学生部屋にあった荷物を整理したときもそうでした.ここの荷物もきっちり収納されていてまさしく「いつでも引越せる状態」だったんですが,整理してみるとそのほとんどは20年前のもので,今やほとんど不要だったわけです.

 こんな感じで行くと相当荷物減るんじゃないですかね.

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[段階を踏む]

 あと思ったのは,「段階を踏む」ということです.もし,必要不必要を判断しながら分類収納していたら,ものすごい時間がかかるし,必要不必要の判定も難しかったと思うんですね.でも,先にざっと分類してまとめておくと,重複しているものはすぐわかりますし,分類して収納した後,必要不必要を判断するときも,今日は台所関係をやるとか少しずつできるわけで,少しずつやって気がついた時には的にも理にかなってる気がします.

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[薔薇色?の状況]

 今の状況に8割以上は満足していますが,もっと薔薇色?の状況というか,ここがこうだったらもっといいのにというのは何かなと考え始めました(過去に似たようなことを書いたことあるとは思うけど「今」の状況を書いておく).

 仕事については,言うまでもないですが,研究だけできたらいいというか,研究以外の余計でめんどくさい仕事がなかったらいいとは思います.こんなこと言うと,自分勝手にきこえますが,最先端の研究活動以上の教育はないですから,高度な人材育成という大学教員としての仕事もこれで充分果たせると思うんですよね.

 でも,そんなこと言ったら,講義はともかく,入試とか学務とか総務とかカリキュラムとかFDとか広報とかPDCAとか就職とか人事とかそれ以外にもいろいろある仕事(やっぱ多すぎない?)はどうすんの?ってことなんでしょうが,何度も書いているようにそういうことをする教員を雇ったらいいと思うんですよね(その分,自分の給料が半分になってもOK).

 あとは,学生達はほとんどはちゃんとそれなりにしっかり研究してるのですが,中にはそうでもないのもいるので,そこんところをもう少しちゃんとやってくれたらとは思いますかね(でもそういう学生もどこかかわいいというか,何とか少しでもその気にさせて頑張ってくれればという感じでやってきてはいるんですが).

 そして,こういう状況が定年後も続くというか,別に大学とかじゃなくても,若い人達を指導し育てながら最先端の研究を続けられたらいいなと思います.

 仕事以外にやってることについては,もちろん,もっと上手くなりたい,強くなりたいというのはあるんですが,それは状況の問題ではなく,自分の問題なので,それは置いておいて,そういう意味では,ピアノに関しては何も問題ないですし,バドミントンについてはもっとシングルの練習ができたら,スキーはもっと短時間でスキー場に行けたらいいなとは思いますね.でも,そういう意味では,ゴルフは申し分ない環境にあるのですが,全然行かないわけで,結局,状況は関係ないってことですかね.

 生き方研究とか生活の質の向上とか体研究とか運保については,うまく行ったり行かなかったりですが,これまたピアノやスポーツと同じで,そういう中で自分で考えて何かに近づいていくことですし,そういう実感はあるので,これも現状で全く問題ありません.

 でも,やっぱり,一番大きいのは,「そういう人の存在」というか,自分のことを必要としてくれて,その人のために自分ができることをできるという状況ですかね.

 これに関しては,ある気づきによって実質そういう人がいなくなってしまったので,大きな穴が空いた状況だと思うのですが,考えてみたら,そもそもそういう関係だったのかどうかもわからなくなってきて,ということは論理的に大きな穴が空いたわけでもないというか,脳が混乱して逆に危機的状況を回避してる感じもして,よくわからないんですが,何とかやって行けてるのでこれでいいんでしょう.

 それに「そういう人の存在」というのも,そもそも生物学的には,人類存続のプログラムの延長上にあるものなんでしょうし,幸せを得るということは,それを失うかもしれないという恐怖という不幸を同時に抱えることでもあるので,現状でOKというか,薔薇色の状況ではなく,8割ちょっと満足くらいでちょうどいいのかもしれませんね.

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[目に見えない]
(世の中)

 新型コロナウィルスは目に見えないから怖いと言ってる人がいました.そういう意味では,何度か書いてますが,震災後とよく似てますね.あのときも放射線は目に見えないから怖いと言われてましたし,実際の放射線量は,例えば首都圏では大したことない(岩盤浴とか飛行機に乗るより低い)のにそういう恐怖に過度に怯えている人は結構いました.

 今の状況もよく似ていて,何度か書いているように,多くの人はちゃんと行動できないので過度に怖がらせて動きを止めるしかないので,お上がそうしてるのですが,ちゃんと行動できれば,よほどのことがない限り感染は防げるものですし,これも何度か書きましたが,数というか率的に言っても,日本で1万人感染,あるいは,死亡したとしても1万人に1人以下という率なわけで,これも震災で2万人亡くなった(でもほとんどは津波で放射線で亡くなった人はもっと全然少ない)んですが,オーダー的にもそのくらいということです(世界全体だと20万人死亡で3.5万人に1人).

 もちろん,1人亡くなったとしてもそれは尊い命なので,率の問題ではなく数の問題とは言えるので,あくまで確率的な話ですが,非常に低い確率に怯えていたら何もできなくなるわけで,しっかり対策をしてできることをすればいいと思うのですが,それを一般的にしてしまうと,ちゃんと行動できない奴らがウィルスをまき散らすので,過度に怖がらせて動きを止めるという今のやり方でしょうがないですし(未だにうがいと手洗いとか言ってるし),私個人的には今の余計なことが削ぎ落された状況が気に入っているのでいいんですが,そうでないちゃんとした人はいい迷惑というかとばっちりだと思いますね.

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4/28'20
[勝手な言い分]
(世の中)

 観光とかで飯を食うのはやばいとずっと書いてきましたが,今回こんなことになってしまいました.そして,これまではずっと「来てください」と言っていたものが一転して「来ないでください」です.ずっと「来てください」とか言っていたから感染が広まってこんなことになってしまったとは思わないんですかね.

 満員電車に乗って会社になんか行きたくないと言っていたのに,在宅勤務になると息が詰まると言い,めんどくさいから運動なんかしたくないと言っていたのに,家にこもっていると体がなまると言い,随分勝手な言い分ですよね.

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[何の研究をして行きたいのか]
(研究)

 このサイトは「仕事以外にやってること」の一つなので,基本的には,仕事(研究)のことは書かないのですが(そういうことは研究室のサイトに書く),今回(研究室のサイトで書くようなことではないので)少し書いておこうと思います(でも,ここで書いても誰が読む? というか,読んでその真意がわかる人がどのくらいいいる?).

 まだまだ研究して行きたいのですが,じゃあ何の研究をして行きたいのかってことです.地震動の性質と建物被害の関係を探求し,それを地震災害軽減に結びつけるための研究? 震源から構造物被害に至る物理を解明すること?

 そうですね.それはそうなんですが,だんだん残り時間が少なくなってきて,最後に一仕事するとしたらプロジェクトとしては何?と考えたとき,かなり明確なイメージがあります.

 それは震源から構造物までを「物理的に」モデル化して地震が発生した直後,あるいは,将来発生する大地震に対して,どこでどのくらいの被害が生じるかをずばり言い当てるシステムを作ることです.地面より下は地下構造ということになりますが,地面より上には「物理特性」をもった建物群が構築される,あるいは,物理的に決められる被害関数が使われることになります.

 なんだそんなことか,それなら既にあるじゃんと言う人もいるでしょうが,そういうものと決定的に違うのは,経験的に決められる被害関数ではなく,一方では,計算機にものを言わせて作った仮想都市でもなく,ベースシア係数や固有周期や非線形特性といった物理量をもった建物の集合体,あるいは,物理的な被害関数が使われるということです.

 どうしてそういうものが必要かと言うと,それは「物理が必要」だからです.物理がなければ,過去の地震被害は説明できても将来発生する地震被害は説明できないですし,それは,計算機にものを言わせたブラックボックスでも同様で,実際,そういうシステムは,実際の被害を再現できていません.

 このシステムは,物理量を書き換えることでリバイスして行くこともできます.それは,地震が起こるたびに被害関数を書き換えるという後追いではなく,建物がリプレースされても逆に老朽化しても対応できるもので,それは建物それぞれが物理量をもっているからです.

 これが一つのポイントで,私が残された時間でできることは,そのプロトタイプというか,たたき台のようなものを作ることです.それでも膨大な作業が必要になると思いますが,一番肝心な「どうやって物理量を決めるか」は(これが最大の難問だと思いますが),長年研究してきてようやく何らかの形で決められるところまでは来たと思います.つまり,まさに「そういうタイミング」でもあるし,まさに私にしかできないことだと思うんですよね.

 でも,それだけでもかなり壮大なプロジェクトなので,どのくらいできるかはわかりません.でも,私が何かそういうことをやるとしたらこれしかないでしょうし,そういうことができないとしても,これまでのようにそれを実現するためのパーツ的な研究をしこしこやって行くというのでもそれはそれで構いません.

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4/29'20
[チャンス]
(世の中, 経済)

 このサイトでは顰蹙を買っても(誰も言わない)正しいと思うことを書くことにしているので敢えて書くと,ここで書いたこととも関係するのですが,リーマンショックのときも書きましたが,こういう状況で仕事が激減したところは,本質的に必要ないことと認識すべきということもありますが,今回の場合,それ以上に,パチンコ屋とかイベンターとか夜の街とか観光とか飲み屋とか(余分な)輸送とか今やばいことになってるセクターは,どうしてそんなことになったかと言うと,まさに自分達が人を呼び寄せたり運んだりすることでウィルスを拡散させた張本人なわけで(そういう意味では,まんまと騙されて乗っかってた人間も同罪),自業自得どころか,昔なら切腹してお詫びするべきところをやばくなったから助けてくれというのはムシがよすぎるということです.

 それでも,1人10万円とか休業補償とか,莫大な税金が投入されてるわけで,バブルに浮かれて好き勝手やってる人間達が痛い目に会うだけでは済まずに,ちゃんとやってる関係ない人達を巻き込むことが起こると何度も書いて来ましたが,まさにその通りになってしまってるわけです.

 世の中の風潮としては,困ってる人がいるんだから助けよう,この難局をみんなで力を合わせて乗り切って,また元の楽しい生活に戻ろうという感じですが,そんなことにはなりません.つまり,元には戻らないし,戻ってはならないのです.もし戻るようなことがあるとしたら,今回以上の大惨状を招くことになります.

 今回のことで退場してもらうべき人にはしっかり退場してもらわないといけないし,そのためには,心を鬼にして助けない,潰れる会社には潰れてもらったり大幅に事業縮小してもらうことが必要です(仕事はいくらでもあります).そうでなければ,国全体が莫大な借金を抱えることになりますし,それを返すために今まで以上のバブルを作ろうとして,どうしようもないところまで行ってしまいます.

 実は,既にもうそういうところまで行ってしまってるのですが,そういう意味では,今回のことは,そういうことに警鐘が鳴ったというか,後戻りするチャンスと捉えるべきでしょう.

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[物理]
(研究)

 じゃあ物理って何でしょうね.それは(私の中のイメージは),これは間違いなく正しいと思えるシンプルな法則でしょう.F=maが一番わかりやすいと思うのですが,たった一つの運動方程式で世の中の運動の99.99%以上は説明できてしまうわけです.すごくないですか?

 もっと単純に建物が強いほど被害は小さい,地震動が強いほど被害は大きいというのでもいいです.でも,この場合は,じゃあ,建物の強さとは何だ? 地震動の強さとは何だ?となって,まさに物理的な探究は続きます.

 私が現代の理論物理に失望したことは何度も書きましたが,それは,最先端の理論物理はあまりに複雑で,このシンプルさが失われてしまったことがあるんだと思います(アインシュタインにような大天才が出現して,シンプルな法則を見出してくれると期待しています).

 そして,このシンプルさは何かと言うと「直感」だと思うんですよね.つまり,直感的に正しいか正しくないか判断できないことは,(私は)気持ち悪いし,AIとかブラックボックスとか経験的にこうなるとか,そんなことには人生はかけられないというか,(私は)その気にならないってことでしょうか.

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4/30'20
[巻き込まれたくない]
(世の中)

 今朝のどこかのワイドショーで京大のレジリエンス何とかの先生がこうやれば感染を防いで経済活動を徐々に再開できると熱弁されてました.中身的には,このサイトで書いてること(手にウィルスが付いてることを前提に顔の粘膜を触らないとか,人と近くで対面で大声でしゃべらないとか)で,至極もっともなことだったんですが,それができない人間がいるから今のようなやり方になってるわけで,そういう反論を受けて,それでもめげずに一生懸命力説されてたのは健気(笑)でした.

 ああいうのを見ると,個人的には,研究者はああいうところに出て行ってはいけないというか,言ってもわからない世間一般を相手にするのは疲弊するし,できればそういうことに巻き込まれたくないと思ってしまいます.

 私個人的には(何度も書いてますが)今の状況はとても気に入っているので,ずっとこのままでもいいくらいですが,世の中全体としてはそうは行かないんでしょうから(でも,ほんとはそんなことなくて,そこを再考すべきと思うんですがまあ無理かな),やるならそういうことしかないんでしょうが,それだとやっぱり,一部の○ホな人間がウィルスまき散らして感染拡大→自粛を何度か繰り返すんでしょうね.

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[講義動画]
(大学)

 明日から振動学のオンライン講義なんですが,効率を考えて動画をアップして毎回小テストということにしたんですが(動画を事前にアップすることで,講義時間中だけでなく,小テストに向けて予習というか多くの時間を学習に充てることを促すということもあるし,そうした方がいい点がとれるというインセンティブにもなる),パワポに音声とレーザーポイントを付加するのがうまく行かず(なぜか所々抜ける),結局,デスクトップ録画(AGDRec64)にしたんですが(こっちの方がポインターとかは使いやすいし直に録画してるので確実),これもマイク音声をAGDRec64に認識させるのに少し手間取ったんですが何とかできました(多分).

 具体的な手順を書いておくと,Windows10だと設定>システム>サウンドで入力デバイスをステレオミキサーにして,サウンドのコントロールパネルを開き,録音タブのマイクの聴くタブの「このデバイスを聴く」にチェックです(なんでこんなにややこし).録音するときマイク音声がスピーカーから流れるので,スピーカーの音量を絞っておく必要がありますが,それでもちょっとエコーがかかります(笑).

 結局,パワポで2回トライしたので計3回講義した(笑)んですが,だんだんうまくなるので無駄ではなかったとは思いますが,次回から1回にしようと思います.

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[人に依存している]
(世の中)

 こういう状況で,いろんなところに影響が出てるみたいなんですが,介護業務が半分に減ってるんだそうです.つまりは,介護を受ける年寄り側は免疫がなくて,介護する側が若いので感染した場合の重症化リスクが高いということらしいです.なるほどね.

 もちろん,介護を受けないといけない状態になってしまった人は何とかしないといけないと思うんですが,今回のことを教訓にする的に言えば,介護に限らず,要は,人と人との接触に問題があるということですから,いざとなったら誰かに助けてもらおうとは思うなという,いつもこのサイトで書いてることになってきますね.

 つまりは,「一人でも大丈夫」まで行かなくても,何とか介護を受けないで自活できるようにしておくことが非常に重要ということです.物理的に人がいなくなれば,お金にものを言わせることもできなくなるでしょうし,今回のようなことも起こりうるわけですからね.

 これは,年寄りに限った話ではなくて,今痛い目に会ってる人達って,何らかの形で「人に依存している」人達ってことですよね.パチンコを打ちに来てくれる人がいないと商売にならないし,夜の街も飲み屋も観光業も然りです.

 早く元に戻って欲しい,政府に助けて欲しいじゃなくて,ちゃんとよく考えた方がいんじゃないですかね.

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 でも,そんなこと言ったら大学だって,学生が来てくれなくなったら終わりじゃんって言う人もいるでしょう.じゃあ,来なくていいですよって言ったらどうなりますか? じゃあ代わりに私が行くよってなって出し抜かれてしまいませんか?

 世の中まだまだ学歴社会ってこともあるでしょうが,来なくていいと言われても大学に行きたい人がいるのなら,それは行く価値があるからでしょう.文系はよくわかりませんが,理工系なら大学で最先端の研究をやって,卒論や修論を書いたりプレゼンしたりディスカッションした経験があるかないかでは,社会に出て使える人材かどうかに天と地ほどの差があるのは明らかですからね.

 もちろん,大学なんか行かなくてもいいほど有能な人なら行く必要はないし,これからそうなっていくと思いますが,そういう人はまだまだ全然少なくて,結局,賢い人間がよりレベルの高い大学に行ってるのが現状なわけで,今の世の中,騙すか騙されるか的に言えば,賢い人間とそうでない人間とどっちに分があるかは明らかで,別に人を騙して成功しろとは言いませんが,賢い人間が世の中を動かすのは至極当然のことですし,その近道が大学であるのなら,それは必要なものということでしょう(でも,大学に何かしてもらおうと思って来ても全然大したことにはならないんですけどね).

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[悪平等?]
(世の中)

 違った観点から見ると,今の状況は「悪平等」と言えるかもしれません.だって,ちゃんと行動できない一部の人間のおかげでそうでない人達まで外出を自粛させられて困ってるわけですからね.

 と思ったんですが,どうですかね? ほんとに困ってますか? 私は別に困ってませんよ.

 つまりは,悪平等で巻き込まれたと思ってる人間も同じ穴のムジナというか,ちゃんと行動できない一部の人間を騙して経済を回して来た側の人間とも言えるわけで,今の状況にどれだけ困ってるかどうかでそういうことがわかるってことですかね(ただし事情的に医療関係は別かな).

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 学校の休校が続くのがやばい,学業に遅れが出ると言ってるのも変な話ですね.じゃあ,学校でみんなそんなにちゃんと勉強してたんですか? そんなわけないですよね(でなきゃ分数の足し算ができない大学生なんかいないはず).そういうことにして,何となく授業してただけでは?

 震災後とよく似ていますが,この話に限らず,みんな一斉に建前だけを振りかざし,被害者面をして,とれるものはとっとこう,もらえるものはもらっとこうってのは,おかしいとは思いませんか?

 こういうことがあると,いつもにも増して世の中の汚い部分が一斉に出てきて,そういう世の中と関わりたくないと思うんですが,今の状況は,まさにそういう世の中と関わらずに済むわけで,個人的にはこれはこれで問題ないです.

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[計算ドリル]
(教育)

 「分数の足し算ができない大学生」で思ったんですが,そもそも小学校教育って何なんでしょうね? 読み書き算盤じゃないですが,基本的な学力を身につけるってことなんでしょうが,実態としては,「分数の足し算ができない大学生」なわけです.

 で,思い出したのが「計算ドリル」です.思い出?としては,夏休みのくそ暑い日にやらされてたってことなんですが,ほんとつまんなくて苦痛でしかなかったし,今にして思えばどういう意味があるのか全くわからないというか,こういうやり方が「計算のやり方を憶えるだけ」で,分数とは何なのかの理解を却って遠ざけると思うんですよね.

 具体的には,どこかで書きましたが,1/3+1/2の計算を分母の3と2を足して1/5とする大学生ということなんですが,明らかに「計算のやり方を憶えるだけ」という弊害が現れています.

 分数が何かを理解すれば,1/3というのは1つのホールケーキを3等分したものだから,6等分したものが2つと同じで2/6,1/2は,6等分したものが3つと同じで3/6,そして,それを足せば5/6になるわけで,これが理解できれば,もう分数は卒業でいいし(引き算も同じだと掛け算,割り算はもっと簡単),計算ドリルなんかやる必要ないと思うんですよね.

 でもそれだとあっという間に終わっちゃって先生の仕事がなくなるから,余計な仕事作って時間を埋めてるってことないですか? そして,それは大学の講義も同じです.

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[勿体ない]

 世の中は大変なことになってて(でもほんとにそうなのかなあ.医療関係は別として,一部のそういうところをクローズアップして,○ホな人間がウィルスをまき散らさないように抑え込もうとしたり,逆にうまいこと利用しようとしてるだけのような気もするけど),一方で,個人的には,ほとんど変わりなく,むしろ快適に過ごせていると思うのですが,それだけでは勿体ない気がしてきました.

 余計な仕事が減って,こんな絶好の機会はないわけで,もっと有効活用しないと,と思うんですよね.一つには,論文が書けるんじゃないかとどこかで書きましたが,あんまりそういうテンションでもないんですよね.

 逆にオンライン授業の準備とか増えてる仕事もあるわけですし,片付けはライフワーク的に少しずつ着々と進んではいるんですが,これをこの機会に一気に進めるというのも何か違う気がするし,要は,今やるべきは何?ってことですかね.

 それとも,普段通り過ごせているのならそれでOK?

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 関係するのかどうかわかりませんが,Zoom飲み会(ただし飲まなくてもOK)ですが,これはリアル飲み会の代替などではなく,間違いなくこれからの中心的イベントになるというか,これを機会にそういうことをやっておけば,どこに住んでるとか関係なく定期的に集まれるようになると思いますから,これは今のうちにできるだけやっておいた方がいいと思うんですよね.

 でも,誰が言い出すかってところはあるわけで,これはリアル飲み会と同じですかね.

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[頑張って行ってた]
(バドミントン)

 普段と変わりなく過ごせているのですが,違うというか問題があるとすれば,練習がなくなったことくらいですかね.でも...

 個人的には,練習したくて,バドミントンがしたくてうずうずするって感じじゃなくて,これも全然問題なくて,逆に言えば,練習に行ってた時は,週に1回くらいは練習に行かなきゃって感じで「頑張って行ってた」んだと思います(スキーもそういうところがあるし,ゴルフに至っては全然行ってない).

 うーん,ちょっと考えた方がいいかもしれませんね.でも,練習が始まったら,やっぱり行くのかな.でも,まだしばらくはだめそうですね.

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