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11/1'20
[引っ越し(続き)]
(日記)

 引っ越しの日になりました.段取り9.5分じゃないですが,しっかり段取りしてきたはずなんですが(膨大で複雑なパズルをずっと解いてきたような感じ),前日は,ばたばたというか,最後の梱包作業を家と大学と併せて1日とか2日でやってしまう(ように段取りする)のは,やはり,ちょっと無謀というか,段取りもまだまだってところでしょうか.でも,一番の原因は,大学の部屋の「バッファ」が全くないことですかね.

 でも,何とか終わって,後は引っ越し屋が来るのを待つだけとなり,でもまだ来ないので突然怒涛に暇(笑)になって,この文章を書いています.

 正直,まだ全然実感がないというか,そういうことになって,荷物の整理をしたり,段取りをしたり,いろいろやってきて,そういうことに集中というか,そのものを楽しんでて,何のためにやってるのか忘れてる(笑)という感じで,学生達とも今はオンラインなので,これからも状況はほとんど変わらないし,突然,そっか,ここを去るんだなということでしょうか.

 思うのは,ほんとにここに来られてよかったなということですね.

 既に書きましたが,ここに来る前,南先生が亡くなったり,防災系は当面枠なしとか,いろいろ難しい状況にあって,でも,ここに来ることで,自分がやりたい研究というか,やるべきと思うことが優秀な学生達に恵まれて思う存分やれて,彼らも成長させることができたというか,そういう経験をさせてもらってほんとに感謝しかありません.

 ですから,ここにずっといることに何の問題もないのですが,そういう話があると直感的にこれは行くんだなというか,そういう意味では,ここに来たときと非常によく似ています.つまりは,自分がどうこうしようというよりは,自然の流れに従うというか,必要とされれば赴くということでしょうか.

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 引っ越しですが,何とか荷物を送り出すところまで終えて,私自身も移動を開始しました.で,今どこにいると思います? 多分,絶対当たらないと思います.

 今いるのは,豊川というところ(豊橋の隣かな?)のインターのすぐ近くのホテルです.どうして,そんなとこにということは後ほど?ということで,引っ越しというか,荷物を受け取っていないので,まだ半分しか終わってないのですが,最大の山の荷物を梱包して送り出すところまでは終えたということです.

 業者は,前回,つくば市内の引っ越しで使ったところで,とてもよかったので,今回もそこにしたんですが(実際は,他にも見積してもらったけど全然話にならない),予想通りとてもよかったです.

 みんな若いのですが,とにかくものすごい体力とスピードと正確さです.私は見ているだけなんですが,あんなことを一日何回も繰り返す(一日に何件も回るらしく,それで時間に追われてスピードに繋がっている)なんて今の私には絶対に無理ですし,若い頃もだめだったんじゃないですかね.息が上がってて,ずっと全力疾走してるような感じでした.

 でも,引越代から考えると,今日は4人来てたんですが,一日何件も回るとしても,彼らにいくら行くのかと考えると,割に合ってるんですかね? それとも,体力自慢でいろいろ技術的なこともあるし,結構楽しんでるのかな.

 梱包も見事ですね.私は今回,段取りというか,ダンボールを数種類オーダー発注して,いろんなものを入れられるようにしたんですが,当然のことながら,全てぴったりにはならないので,隙間を埋める緩衝材が必要なんですが,それもくしゃくしゃにしたらこれだけ体積が増すということまで計算して発注したんですが,結果的に全然足りず,こんなことなら,大物だけではなく,中物まで彼らに任せればよかったと思いました.

 今回は,家と大学のダブルというか,同じ業者に頼んで(もちろん,引越代は,きっちり分けて公私混同しないようにして),まず,大学に来て積み込み,そして,家に来てもらってということで,その間,お昼の時間になったんですが,大学から家に移動するとき,昼ご飯挟まなくて大丈夫ですか?ときくと,スケジュールがぱんぱんなので,すぐに移動しましょうという感じです.

 で,家の荷物を運び出して,清算をしたんですが,ざっと見に来て問題ないですねと言うので,いつものように敷金が全額返ってくるのかと思ったんですが,というか,一旦,返ってきたんですが,その後,経費がかかると言います.それは,クリーニング代とかクロスや襖の張り替えで,敷金以上かかるけど,不足分はこっちで被るんで敷金分でどうですかと言います.

 この件については,裁判で争われていて,経年劣化によるものは含まれないことになったという判決が出たことは知っていて,そのことを話すと,でも,契約書に現状回復の義務とありますと言います.確認すると確かにありました.例えば,職員宿舎は,それが求められていて,退去時にかなりの額になるので(私の場合は,取り壊しに伴う退去だったのでかからなかった)自分でやるという人もいるくらいですが,そっか,この物件はそういう契約だったんだと思いました.

 まあ,一月の家賃にすると数千円ですし,不動産屋を介さずに直接契約してくれたので,2年ごとの更新料もかからなかったし,実は,契約時にインターネットにはこの値段でしたよと言ったら家賃を1割くらいまけてくれたし,そもそも,ピアノを入れられる物件はここしかなかったし,何よりとてもいいところだったので,契約時に敷引きになりますけどいいですかと言われてもここを借りたと思いますからまあいっかという感じでしょうか.

 でも,さっき調べたら,そうでもないみたいで,要は「現状回復」の定義なんですが,,そこに当人の過失によらないものを除くということが明文化されたようで(例えば,ここ),だとすると,やはり,敷金は全額返ってきて然るべきということになります.

 でも,大家さん,というか,契約したときのおじいちゃんとおばあちゃんはいなくて,若いあまり見たことない人で(息子さんはよく見る),姓は同じなので,孫かなんか?),その人は,上のサイトの相談者のようにそれが当然と思ってるみたいで,明文化されたのは今年なので,知らないんでしょうね.

 裁判になって最高裁の判決が出た話はしたんですが,私もそこまできっちり調べてなかった,例えば,上記のサイトを印刷してもっていけばよかったんですが,そこまで準備してなかったってことで,もちろん,これから連絡をとって,裁判をするというか,そうしたら,相手も,いろいろあら探しをして,ここの傷は5年前はなかったとか言ってくるだろし,私の下調べ不足ということで,上で書いたように,住んでてとてもよかったし,今回のことがなかったらずっと住んでいたいと言ったら,向こうもずっと住んでて欲しいと言ってて,そういう意味では,私のような家賃の滞納もしないし,トラブルも起こさずきっちり家賃を払ってくれる上客に出て行かれるのはかなり痛いでしょうし,最後はちょっとなんだかなあ的なところはあったんですが,まあしょうがないですかね.

 と,話が長くなったので,今日はここまで.明日朝一で荷物が届くということで,ここを7時くらいには出ないといけないし,インターネットをすぐに繋いで手続きをしないといけないとかあって,なんか,引っ越しが終わった気分でしたが,実はまだまだ全然なので,話の途中で(どうして豊川にいるのかとか)終わります.

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11/2'20
(日記)

 昨日のことをざっと書いておくと,車を京都まで運んでもらうと結構かかるし,車を運ぶというだけではなくて,自分で運びたいPCとかぎりぎりまで使うものとか引っ越してすぐ使うものとかも自分で車で運びたいというか,そういうものが車一台分くらいはあるので,車で行くことにして,でも6時間くらいかかって,それはしんどくて,だったら,荷物が1泊で行くのに合わせて私も1泊すればいいわけですが,問題はどこに泊まるかです.荷物が届く翌日の朝9時には行かないといけないし,10時には辞令交付式もあるので,7時に出るとすると,1日目に4時間分行けばいいわけです.

 名古屋は大都会で混雑を避けるとすると名古屋の少し手前あたりということで,地図をつらつら眺めていたら,豊川インターからすぐのところの宿を見つけてここにしました.ちなみに宿代ですが,たまたまGoToキャンペーンやってて,Pontaポイントを併せて使ったら70円でした(笑).

 それで,自宅をたたんで,掃除機とか最後まで残った荷物を乗せて大学に行って,PCや大画面モニターなどの自分で運びたい荷物を積み込んで,少し廃棄して欲しい荷物があったので,学生に頼んでいざ出発です.この時点でもう18時半くらいで,お腹が空いたので最後?につくばセンターでステーキを食べて19時出発.つくばから京都ということは,首都高を通るんですが,ここを渋滞なく通過できるかがポイントですかね.

 使ってるナビは,もう20年近く前に纐纈先生に買ってもらった被害調査でももって行けるように着脱式のゴリラ(当時の最高機種で20万近くしたと思う)なんですが,さすがに載ってる情報が古くて,新しい高速は出てきません.出発するときも桜土浦から乗れと言ってくるんですが,スマホでやると当然つくば中央となるわけです.

 で,つくば中央から乗って首都高に行くんですが,ナビ通りに北を回って行くとほとんど渋滞はなかったですね(日曜ということもあるか.そうそう,日曜なので高速代も割引(笑)).首都高をぐるぐる自分で運転したのは久しぶりだと思いますが,ジェットコースターみたいで面白いですね.首都高バトルじゃないですが,モナコのようにF1は無理でもここでレースやったら面白いかも.でも,クラッシュ続出かな.

 で,用賀から東名に入るんですが,東名も自分で運転して行くのは久しぶりな感じです.物流の大動脈ということで,トラックばっかりで運転しんどいよという話をきくんですが,思ったほどじゃなかったですね.でも,トロトロ追い越し車線を走るなというのは一般車と同じですかね.東名と言えば,新東名ですが,行けども行けども出てこず,どうなってんの?と思った頃に出てきました.

 興味本位で行ってみようかなとも思ったんですが,東名をほぼフルで走るので,まずはこっちを楽しみたいという感じで,一度はパスしました.でも,東名,今工事していて,度々一車線になって,そうするとのろいトラックが律速段階になるんですね.それ以外は(おそらく新東名より)空いてるんでそこでリカバーするんですが,こりゃあ新東名にしときゃよかったな,帰りは新東名だな,と思ったら,「帰りはない行きっぱ」なのでした...(しみじみ...とは来ない(笑))

 どこかで乗り換えれるポイント出てこないかなと思ってると清水あたりで出てきたので,トラバースしてみました.でも,東名と新東名が交わってるのではなく,南北に走るほとんど車が走らないくらーい高速が通ってるところで繋がってる感じですかね.で,新東名に入ったんですが,思ったほど新品感はなかったんですが,ずっと三車線で快適で,特にトンネルは広くて明るくて,体感で10kmは違うんじゃないですかね.で,80と120という数字が見えるんですが,おそらく,走行車線と追い越し車線の速度制限で,つまり,追い越し車線は正々堂々と120kmで走れるわけです.

 でも,120kmで追い抜いて走行車線に戻ると途端に40kmオーバーで一発免停(笑)なわけで,隣り合う写真の速度制限がいきなり40km違うのは実質的にはおかしな話です.このまま名古屋までかっとんで,と思ったんですが,そっか,豊川は名古屋の手前で東名のインターなので,また東名に戻らないといけないのでした(笑).

 しまったなー,どこかでまたトラバースできるところ出てこないかな.浜松あたりで出てこないかなと思ってたら出てきたので乗ったのですが,今度はトラバースというより,ほぼほぼ西に進んでる感じはしましたね.で,東名に戻ると,ただいまって感じですが(笑),さすがに古さは否めない感じですかね.で,すぐ豊川インターで,古いナビはホテルが登録されてないので,スマホナビを立ち上げたんですが,これがどうにも使いにくい.

 実は,ちゃんとホテルの横まで行ったのですが,違うホテルの看板が出ててここじゃないと思って通り過ぎた(そのすぐ横にあった)んですが,リルートを始めると右だ左だと立て続けに指示してきて,結局,使い物にならず,単なる地図として使って何とか到着しました.

 実は,道中,昨日(10/31)梱包がなかなか終わらなくて2, 3時間しか寝れなかったので,睡魔との闘いというか,眠いのならSAに止めて仮眠をとればいいのですが,眠いのか眠くないのかよくわからないというか,なんか変な感じでした.

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 で,今日というか,引越2日目というか,荷物の到着です.9時から11時の間に荷物(今回は宿舎と大学と同じ業者で続けてもってくる)が来る,即ち,早ければ9時に来る,防音室の組立にも9時に来るということで,豊川インターのすぐ近くのホテルを7時前に出ないといけなくて,でもホテルの朝食が6時半からなので準備万端整えて10分で食べて出発です.

 昨日チェックインするときGoToキャンペーンで1000円のクーポンをもらったのですが,隣県で今日中に使わないといけないので,1000円という貴重な税金を返還ということですね.

 で,東名に乗るんですが,ナビが古いので伊勢湾道が出てこず,スマホのナビを使ったんですが,使いにくくて,声も機械的で不快だし(気づいたんですが,古いナビの声,日高のり子ですね.そりゃあトップ声優と比べたら話にならないか),仕方なくスマホナビを併用したんですが,ちゃんと伊勢湾道の分岐で指示が出ました(このまま東名で行くと30分余計にかかる).慣れれば使えるのかもしれませんね.

 と思ってたら,次の分岐の京滋バイパスでは無反応で,路面に指示があったので入れましたが(そういう意味では,伊勢湾道もしっかり路面に指示があった),うーん,使えるのか使えないのかようわからんですね.

 で,豊川から1時間ほどして(珍しく)休憩したのですが,そっか,隣県ということは,ここ(三重)で,クーポン使えるんちゃう?ということで,SAのパン屋さんできいたら使えますということで,使いました(現金(笑)).

 宇治東インターで降りてそこを右折して北に少し行くと,もう黄檗の駅前の道で,まだ9時少し前ですが,引っ越し屋さんから着いたと連絡が入って,まず大学で荷物を搬入して,宿舎に行くと,防音室の業者がもう来てて,管理人さんに鍵をもらって(先日既に下見に来ていた)計測とかをしてて,管理人さんのところに行って正式に鍵をもらって,宿舎の荷物を入れて,ガスの人が来たり,スチール棚が大学と宿舎に届いたりという感じで,大学と宿舎は300mくらいしか離れてないのですが,行ったり来たりです.

 でも,逆に言えば,両者が近いので,同時搬入という離れ業?ができたとも言えるわけで,結局,今日一日でほぼほぼ終わったことになります.あとは,明日ピアノが来るのと,エアコンの工事に来るくらいですかね(生活クラブの人も明日来る).

 ということで,荷物を開けて収納するのはこれからですが,引越自体は,一気に今日でほぼほぼ終わった感じです.いつでも引っ越しできる状態にしておくということで,段取りしてきて,直前まで順調に行ってたと思うのですが,最後の最後でばたばたしちゃった感じでしょうか.いや,順調に行ってたと勝手に思っただけで,結局,段取りが充分じゃなかったってことですかね.

 順調に行ってるときというか,こんな大変な作業をよくもまあコツコツとというときによく思い出すのは,つくばから東京に自転車で行ったときのことですかね(笑).そのときは,結構しんどかったんですが,一漕ぎ一漕ぎでも前に進んでいたらいつかはたどり着くという感じでしょうか.

 でも,10/31の夜中の0時を過ぎて日付が変わって11/1になったあたりからは,久しぶりに,間に合うのかな?というかなりしんどい思いをしました.「〆切」が目前に迫ってるわけで,「一漕ぎ一漕ぎでも前に進んでいたらいつかはたどり着く」ではだめなわけですからね.

 流れ的にも,10月までは順調で,でも,月が変わると途端にしんどくなって,敷金のことでちょっと嫌な感じがしたり(やっぱり,このままではどうかと思うので,ちゃんと連絡だけはしようと思ってますが,まあ,民度が低いところに住んで却って快適というところはあったんですが,そういうのが最後に出ちゃったってことでチャラだとは思いますが),ずっと天気がよくてよかったのに,こっちに来たら雨で,何かが変わってしまった...これからのことに暗雲が...なんてことはないでしょうから,まあ淡々とやって行くということですかね.

 でも,引越当日,2, 3時間しか寝れなかったのは(高速を4時間運転するのに)問題でしたが,逆に言えば1, 2日で家と大学の荷物を全部梱包しちゃったとも言えますかね.でも,ずっと段取りしてきたという意味では,荷物を整理して減らすことは,去年の夏くらいからやってるわけで,体感的には,8割くらい減らしたつもりでしたが(これ京都までもっていくか?と考えると,ほとんどもっていかないとなってわかりやすかった)実際に引っ越すとこんなに荷物があるのかという感じで,まだまだですかね.

 でも,筑波大に来た時は,部屋いっぱい天井までダンボールが積まれた状態で,しばらく(1か月くらい?)畳一畳の上で作業してた感じですが,今回は,部屋が広いということもありますが(多分,筑波大のときの3倍くらいある),もう普通に作業してますし(でもなかなかインターネットに繋がらず,あーだこーだやってたんですが,前住民の川瀬先生に来てもらったら,差し込み口が違ってたというオチ),棚は今日来たので組み立てて収納すればあっと言う間にできるんですが,さすがにちょっと休憩したいかな.

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[なんかしらんけどめんどくさくないと思ったときがチャンス]

 なんかしらんけどめんどくさくないと思ったときがチャンスだと思うんですよね.確かに個人による能力差はあるとは思いますが,こんなめんどくさいことよーやるなということがやれなければ大したことはできない(研究にしても,芸術にしても,スポーツにしてもまさにそう)のは確実だからです.「確実」ですよ.

 でも,めんどくさいことはめんどくさいのでやらないですよね(まさに凡人).でも,とーきどき,どうしてかわからないけど,その気になるというか,(そんなに)めんどくさいと思わない,いっちょやったるかと思う時があるわけで,そういうときがチャンスということで,私の場合,そういうとき,まさにとーきどき,そうやって何とかやってきた(笑)ということでしょうか.

 で,今なんですが,そういう状態で,例の活動度のグラフですが,ちょっととんでもないことになってきました.

 被害地震が起こるとこういう感じなるのですが,今回はそれより行っちゃってるかもしれません(縦軸の最大値を変更した).このままじゃ壊れるというか,どこかでしっぺ返しが来るってことなんでしょうが,11/1を除けば,無理をしてる感じは全然なくて,ばりばり精力的に活動しているというより,淡々とやるべきことをこなしてるという感じですかね.まあ,結局は,仕事をしている上に,片付けとか引越準備とか家のこととか全部自分でやるとこうなるってことかも.

 でも,最近の考えとしては,結果最大になるようにしっぺ返されないようにセイブするのはやめたということでしょうか.だって,やりたいときにやりたいことをやりたいですからね.

 ということで,その気になっているうちはやりますし,その気がなくなったら素直に従って(しっぺ返されて)やめます(笑).

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[移籍]
(大学)

 事情があって,話が前後することになるのですが,一応,ちゃんと書いておこうと思います.

 こういうのは多くを語らないのがかっこいいと思うのですが,このサイトのポリシー?としては,(できるだけ)本音を書くということなので,ある程度のことは書いておかないといけないのかな,ということで(もちろん書けないこともたくさんありますが)とりあえず書ける範囲で書けることを書いておきます.

 11/1に筑波大学システム情報系から京都大学防災研究所に移籍しました.

 移籍した理由ですが,私は研究者なので,単純にもっと研究できそうなところがあれば移ると再三書いてきましたが,それを実行したということです.大学入学から(1年間のバークレーを除いて)40年近くいた首都圏を離れて地方に行くのも(研究できる方が遥かに大事なので)何とも思いませんし,むしろ楽しみです.この歳になってまさかこういうことが起こるとは思わなかったのですが,もう一仕事しろ(してよし)ということなんでしょう.

 一番気になったのは,やはり,研究室の学生達のことです.でも,そんなこと言ったら移籍なんかできないわけで,そこは仕方ないというか,私には私の人生があるわけですからね.でも,当然のことですが,もし彼らが引き続き指導を受けたいということなら,これまでと何も変わらず指導は続けて行きます.こういう状況で研究指導も全てオンラインになってますので,私がどこにいても関係ないですしね(それはほんとに逆に好都合だった).

 ただ,いろいろ不都合があったのも事実で,最初に来たのが卒論生の募集でした.移籍が確定するまでは,募集を停止するわけにも行かず,でも来てもらってもいなくなるかもしれないわけで,最初はメール連絡を必須にしたりしてハードルを上げて,そしたら意外と簡単に学生が来なくて,途中からは3年担任の先生に頼んでこっそり募集停止にしてもらいました.あとは,学外生から大学院入学の問い合わせも何件かありましたが,これも何とかうまく他のところへ行ってもらうことができました.

 ということで,無事何とか移ってくることができましたが,研究して行く上でもいいことばかりではないかもしれません.でも,私自身は大学を移っても何も変わらないし,これからもこれまでのように(これまで以上に)研究して行きたいので,大学を移ったことは,正直,あまり知られたくなくて,実際,極一部の人にしか知らせてません.

 ここで書いてるじゃないかということなんでしょうが,これも一部でしょうし,このサイトを読んでくださる方はそういう意味で私にとって特別ということかもしれません.でも口外するなとは言いませんが,あまり広めないでくださいね(笑).

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 と書いたのですが,もっと研究できそうなところに移ったというか,自分がどうしたいというよりは,自分が必要とされるのならそれに(できる範囲で)応えるという方が大きいかもしれません.つまり,既にここの最初の区切りのところで書いたようなことですかね.

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[実感がないのではなく,変化がない]

 ということで,移って来たんですが,来る直前までずっと実感がなくて,移ってきたら実感が湧くかと思ったら,これまた全然で,どういうことでしょうね?

 でも,これからどうなるかはわかりませんが,実感がないのではなく,変化がない,ということかもしれません.だって,大学を移っただけの話で,私自身が変わったわけでもないし,どこの大学にいても,どこに住んでいても,やることは変わらないわけで,だったら,そもそも「大学を移る」そして「住む場所を変える」実感がない,実質的変化がないのは当然なのかもしれません.

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11/4'20
(日記)

 11/1と2の記事を時系列的に元に戻しました.でも,完全には戻ってないけど,まあいいか.

 昨日は,防災研の建築系の先生方が歓迎会を開いてくださって,とても楽しかったし,いろいろ○○○な話もきけたんですが,上で書いたように実感がないというか,変化を感じない感覚は変わらないですね.研究室にいても今までと違う場所にいるのはそうなんですが,違和感は全然ないですし,外を歩いていても,遠くからここまで来たった感じも全然しないし,このままずっと行っちゃうんですかね?

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 でも,なんかいろいろごたごたしていて,「まともな生活」が全然始まらない感じです.

 そもそも,生活クラブの食材で食事が成り立ってたわけで,とりあえず外食するところもよくわからないし,これがないと途端に行き詰まります.今度の部屋は前の部屋より狭いので寝室がダンボールでいっぱいで寝るところを何とか確保するとか,洗濯機がうまくセットアップできてなくて,干すところも確保できてなくて洗濯できないし,テレビやビデオもまだセットしてません(でも,テレビもビデオも,ないならないで全然大丈夫な感じもする).

 それでも,ピアノはもう弾ける状態なので,今日,久しぶり(2週間ぶり)に弾きました.

 引っ越すとき,防音室の解体が1週間前しか空いてなくて,そうすると玉突き式にその前にピアノを取りに来て,しかも,解体したけど運べないということで,これも引越屋に頼んで,荷物が着いた日に組み立てに来て,翌日にはピアノを入れに来てという感じで,スチール棚も,引っ越しの荷物が着いた日に届いて,つまりは,たった2日で家も大学も全ての荷物の搬入は終わったわけです.

 そこは見事というか,かなりアクロバティックにパズルがはまったのですが,荷物を出して搬入するところまでは段取りしてたけど,荷物を解くところの段取りが全然できてなかったと思います.いや,スチール棚を組み立てれば,それもあっという間に進むのですが,いろいろやることがあって,そこまでできないということでしょうか.

 今日は,桂に行くはずだったんですが,朝起きたら10分おきにトイレに行くような状態でキャンセルさせてもらったんですが,宿舎の手続きとか,メールの設定とか,洗濯機のことで近くの電気屋に行ったりとか,科研費の申請とかで(所属が変わったので,こっちに来てから最初からやり直しで,何と明日の朝〆切),気づいたら20時になってて,近くのスーパーが閉まってしまいました.

 家にまだガスコンロがないのでお湯も沸かせないし(大学にはTifalがあるからそれを毎日もって返ればお湯くらいは沸かせるけど),ガソリンはつくば→京都でほぼほぼ空になって,どこか探して入れに行かないといけないし,という感じです.

 でも,食事は「オールインワン」メニューをもってるので,炭水化物でカロリーを確保すれば,何とか凌げる感じでしょうか.でも,熱処理してなくて無香料のオレンジジュースとか,いくつか必要な食材が近くで手に入らないのはちょっと痛いですね.

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 それで,久しぶりのピアノなんですが,ピアノプロジェの本番が近いのですが,こういう状況,つまり,2週間くらい弾けなくなる前は,弾けなくなってたというか,音楽を表現できなくなってたというか,どう表現したらいいかわからなくなってた感じで,そういうときは,しばらく離れるのも一法ですが,結果的にそうなったということです(というか,そう考えるということも重要).

 で,今日弾いてどうだったかですが,弾き始めは,ピアノが全然変わってるというか,調律が滅茶苦茶になってる感じがして,このピアノじゃ弾けないみたいな感じで唖然としました.でも,弾いてるうちにだんだん慣れてくるというか,そういう感じがしなくなってくるのは不思議でした.

 それで,音楽を表現できるように戻ってるかですが,これは,ある程度,目論見通りだったと思います.初見のときが一番音楽を新鮮に感じるのですが,少しそういう状態に戻った気がします.でも,技術的にも戻ってしまった,つまり,こう表現したいと思っても指がそう動かないわけで,いたしかえしなんですが,それはこれから練習するということですかね.

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 でも,活動度が高い状態はまだ続いてる感じです.

 活動度が高いというか,要は,何年か前から,初夏くらいから朝方目が覚めるようになったと書いて来ましたが,今年はそれがずっと続いていて,要は,4.5時間しか続けて眠れなくなってしまいました.でもそこで目が覚めても起き上がる気にはならないのですが,最近はやること山積なので,起きて活動するようになったということもありますかね.

 でも,バリバリ活動してるというより,淡々とやることをこなしてる感じですが,それだとあまり進まない感じもしてて,なんか活動度の数字だけがうなぎ登りになってるだけのような気もします.

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11/5'20
(日記)

 今日はメールの(筑波大も含めて全てのアカウントをgmailに一本化する)再設定したり(かなり複雑),明日の予備審査のオンラインのテストとか,生協に行ってみて加入手続きをしたり,防災研内の挨拶回り(は最初は面倒だと思ったんですが,実際に対面で会うとそれなりに人となりが伝わるというか行ってよかったと思いました)とかで過ぎていき,懸案の洗濯ですが,洗濯機の注水口が目詰まりしてるということで,調べるとフィルターを取り出して洗えと書いてあるのですが,どうしても取り出せず,でも明らかに錆とかがこびりついてるので,フィルターを取り出すために大学から探し出してもって帰ってきたニッパーでそのままごしごし削ったら,大分水が出るようになって,物干しはもってきんですが,部屋が狭くなって何とか入るかと思ったけど入らず,いろいろパズルをして何とか解を得たので,解を満たす物干しを買うために近くのホームセンターに車で行って,途中で見つけたすぐ近くのガスステーションで給油して,ホームセンターで該当する物干しを買って,すぐ横のショッピングモールのフードコートのリンガーハット(があった)でご飯を食べて,帰ってきて洗濯して,ピアノを弾いて,物干しを組み立てて,パズルの解を検証して,という感じです.

 こんな感じじゃなかなか...という感じですが,まあぼちぼちやって行くしかないですかね.でも洗濯機の注水の問題は,前からあったので,引っ越しとは関係ないというか,これを機に解決したとも言えるかな.

 ショッピングモールは,1kmくらいのところ(車なら数分だし歩いても行ける)にあって,大きなスーパーが入っていて,食べるところもいくつかあって,すぐ横にホームセンターもあるし,ガスステーションもすぐ近くに結構安いところがあったし,眼科も歯科もスーパーもすぐ近くにあるし,いろんなものが近くに一通り揃ってる感じがしますし,まだまだ開拓できるような気もします.

 とにかく「街の作り」がつくばとは全然違いますね.つくばはやはり車街で,生活に必要なものはかなり離れて点在していて,でも車でびゅーって行けるのに対して,この辺は,もっとコンパクトに集まってるんですが,道は狭くて車街じゃないですね.でも,感覚的には,私はこっちの方がいいかな.

 でも,スーパーは,近くのものもショッピングモールのものも,普通のスーパーで,普通のものしか置いてないですし,値段も結構高いです.そういう意味では,無香料のオレンジジュースやチョコレートとかが置いてあって,食塩無添加のトマトジュースとかも安かった竹園のヨークベニマルはよかったとは思いますね.

 とにかく,生活クラブの食材が届くのに2週間あるので,それまで何とか凌がないといけませんし,少々高くても手に入ればいいですが,生活クラブでも手に入らない食材をゲットする方法を考えないといけません.

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 ピアノなんですが,しばらく弾かなかったことで,音楽的感覚が少し戻ったのはいいんですが,明らかにフィジカルが衰えてますね.じゃあどうしたらいいかですが,今回は,仕方なかったんですが,「その曲」を弾かずにしばらく離れている間,(フィジカルは維持するために)違う曲を弾くというのがいいでしょうね.

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[下見]
(日記)

 またまた話は前後するんですが,採用が決まったということで,一度,研究打ち合わせを兼ねて下見に来たんですが,その時のことを書いておきます.

 部屋はまずは民間で探したんですが,つくばのときは,インターネットで「楽器相談」にチェックを入れるとすぐに見つかってすぐに決まったんですが,今回は,なかなか見つからずというか,「楽器相談」と書いてあってもそうじゃなかったりとか,情報がぐだぐだで,六地蔵の不動産屋に直接電話して探してもらって何とか一つは見つかりました.

 民間だと大家がだめと言えばだめなんですが,URや職員宿舎ならそういうことはないわけで,いざとなったらURや職員宿舎ってことなんですが,URは六地蔵にあるんですが,ちょっとあんまり評判がよくない感じで(洪水マップにもどっぷり浸かる),職員宿舎はすぐ横にあって,ここに入れればすごくいいと思ったんですが,どういうところかわからず,大学に問い合わせて希望を出したら紹介されたので下見に行ったわけです.

 外はオンボロ(笑)のいわゆる団地建物で,外から見た瞬間,こりゃだめかなと思ったんですが,入ってみると中はほぼ新品で,何年か前に大規模改修をしたとのことでした.60平米弱とちょっと狭いんですが,まあ何とかなるでしょうし,防音室も入れられそうです.家賃も?.?万と格安なんですが,家賃補助を足すとほぼほぼ同じ物件が民間でも借りられるのですが(つまり,このエリアは家賃相場的にはかなり安くて相場観的には前住んでたところと変わらない),宿舎は駐車場代が圧倒的に安いですし,やはり,大学に近いのがいいですね.敷地はすぐ隣で,距離にしてD2Dで300mもないです.

 大学の部屋も見せてもらったんですが,とにかく広くて,筑波大のときの部屋の3倍はあるんじゃないですかね.宿舎は細かく寸法を測ったんですが,大学の部屋は,天井が高くて,逆に棚が突っ張れるか的に天井高を測っただけでした.

 近くにスーパーが2軒あって,1つは宿舎からものすごく近くて大学に行く途中にあるのでものすごく便利です.でも,置いてある品物は,普通のものしかないですかね.少し離れたもう1軒の方が手作りの総菜とかが置いてあっていいんですが,なんとうまかっちゃんが普通に置いてありました(笑).

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[次の引っ越しの準備]

 という感じで,下見の時は,ものすごくいい感じというか,こんなにうまく行っていいのかみたいな感じでしたかね.

 で,実際はどうなったですが,基本的にはいい感じですし,引っ越しも前日というか,当日の明け方まで梱包にかかった以外は,いろんなパズルがはまってうまく行ったと思います.むしろ,今の方がちょっともたもたしてるというか,思ったよりいろんなことがあって,新生活がなかなかうまくスタートしない感じですかね.

 でも,ぼちぼちやって行けばいいのでしょう.京都行きが決まってからというか,そうなるかもしれないとなってから,それこそ1年以上かけてぼちぼちやって大分荷物を減らせたわけですし,ここにもずっといられるわけではなくて,大学は定年が来ればクビですし,宿舎も出ないといけないわけですから,それまでぼちぼちやって行く,つまり,既に「次の引っ越しの準備」が始まっているとも言えますし,それは悪くない感覚です.

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11/6'20
(日記)

 今日は,午前中が博士の予備審査で,続いて部門会議,その後,何人かの先生のところに挨拶というか話をしに行ったり,(先週と何ら変わらず)研究室会議を(Zoomで)やったりという感じで,夜にようやくガスコンロが来たんですが,接続ホースが付いてなくて結局まだガスが使えずという感じで,なかなか「普通の生活」が始まりません.

 思い返すと,前回の引っ越しの時は,冷蔵庫とか洗濯機とかの大物だけ引越屋に運んでもらって,生活に必要なものを自分で車で運んだらもう普通に生活できましたし,余計なものがなくて却って快適でした.この違いは何なんだろうと考えました.

 一つは,前回は近場の引っ越しだったので,すぐに必要なものを車に積んでもってこられましたからね.今回もそうするつもりだったんですが,PCとか大画面モニタとかクーラーボックスに食材を入れて運んだりしたので,充分に運べなかったこともありますし,最後の一日というか,引っ越しの直前にばたばたしたので,とりあえず梱包してすぐに出てこなくなったということはありますかね.

 あとは,やはり,前回は,大物以外は自分引越をして,引っ越し元は大学に帰り道の途中にあったので,何を運ぶか選びながら少しずつ運べたということですかね.

 でも,その後,2tトラックを借りた自分引越当日は大変でしたし,その日で荷物を運びきれず,引っ越し終わるのにかなりの時間がかかってこれも大変だったと思います.

 ですから,引っ越し直後というか,前回のときは,大物と必要なものだけ運んだときは快適でしたが,その後は苦労したし,荷物を運び終わったときは,要らない荷物もかなりあって前のところは広かったので物置部屋にしてそこに押し込んでたんですが,そういうのってあまり気持ちよくなくて,今回はそういうのはほとんど処分したし,今回もまだ少し残っているけど処分して行きますし,もうちょっとすれば逆転というか,一通りのことが終われば,以前より快適になると思います.

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[只働き?]
(大学)

 今日,Zoomで(筑波大の研究室の学生と)研究室会議を先週と何も変わらずって感じでやったのですが,今回の移籍についていろんな人と話すときに,筑波大に残した学生はをどうするんですか?ときかれると,これからも全員修了するまで,これまでと変わらず面倒を見ていくって答えるんですが,それって只働きじゃないですか?と言う人が結構います.実際,筑波大からはもう一切給料というか手当はもらってませんからね.でも,そんなこと言われるまで考えもしなかったというのが正直なところです.

 じゃあ,なんでそんな只働きなんかしてるのかってことなんでしょうが,もちろん,ちゃんと責任を全うしないといけないということもありますが,単に私がそうしたいってことが大きいと思います.学生の研究指導に対価は要らない(対価に値するかは別問題.というか実際は大いに値する)とずっと書いて来ましたが,図らずも,それを実際に証明?することになったというか,それって只働きじゃないですか?と言われるまでは,そんなこと考えもしなかったわけで,そういうことをずっとやってこられた,そして,これから(しばらく)もやって行けるとしたら,やっぱり,こんなラッキーなことはないですよね.

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11/7'20
[織り込み済み]

 目覚ましをかけずに寝て目が覚めたら結構な時間で(笑),久しぶりにそれなりの時間眠れた気がします.やっぱ,気が張ってたというか疲れてたのかな.

 でも,実感がないというか「変化がない」というのは変わりませんね.やっぱ,このままずっと行っちゃう?

 でも,この件の始まりというか,○が○○,そうなるかもしれないとなったのが去年の7月,公募が出たのが12月で,当時は,こんなことがあるのかと正直驚いたというか戸惑いもしましたし(東大出身で京大に行くことは非常に稀というか私の分野では皆無で,しかももうこんな歳だし(笑)),私の実績が評価されたんだろうとは思いましたからそれは嬉しかったんですが,そういうのは1年以上をかけて既に織り込まれているわけで,株式相場じゃないですが,実際に移ると「材料が出尽くし」で,相場が下げるというか,特に何も感じないということになるのかもしれません.

 でも,株式相場の場合は下げるのかもしれませんが,このケースについては,そうは行かないというか,単なる私の中の実感という感情だけの問題なわけで,これからもこれまでと同様,何も変わることなく,仕事もそれ以外も淡々とやって行けばいいんだと思います(が,まずは,日常生活のセットアップですね).

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[栄転?]

 関連するのかもしれませんが,今回のことで「栄転おめでとうございます」ともよく言われます.もちろん,そう言っていただけるのはありがたいことなんですが,教授から教授なので昇進したわけでもないし(ていうか,これ以上,昇進なんかしたくないし(笑)),私の中での感覚は,ずっとそう表現してますが「移籍」なんですよね.

 確かに客観的に見れば,大学ランキング的には京大の方が筑波大より上なんでしょうし,研究所なので,研究以外の負荷が少ないとか,防災研究の一大拠点なので,より研究できるようになる(かも)とかはあるんですが,筑波大だって立派な大学だし,私自身,ほんとに筑波大に来られてよかったと思ってるし,筑波大というか,工シスというか構造エネルギー専攻にいたからこそ,自分がやりたい,やるべきと思う研究ができて成果をあげることができたと思うんですよね.

 でも,そう言っていただけるというのは,一種の祝意ということでしょうから,それはもちろん,ありがとうございます,ということですね.

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 あとは,この歳で移籍するエネルギーがすごい(自分だったらこの歳になったらもう移籍なんかしない)ともよく言われるのですが,単純に「京大防災研に移ろうと思えば移れる」となったとき,もちろん,移籍したらしたでいろいろ大変なこともあるのはわかってるのですが,断るという選択肢は私の中にはなかったというか,直感的に「これは行くんだな」と思いましたし(そういう意味では,筑波大に移った時と似ている),つまり,船が来て乗るか乗らないかという判断だったわけで,だったら,乗ると決めたらもう前に進むしかないわけで,大きなエネルギーを使って移籍したという感じではないんですよね.

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[ありがたいこと]

 これ(只働き)って,例えば,海外の医療体制が不十分なところに自腹を切ってまでして行く医者と似てるのかもしれませんね.いや,私の場合,そんな高尚というか,ボランティア精神があるわけじゃなくて,単にやりたいってだけなんですが(でも,何度も書いてますが,「ボランティア精神」というのは非常に危うい概念で,やってあげるじゃなくて,やらせてもらうであるべき),例えば,地震防災やってると,世の中の役に立つことをやっておられて偉いですねとよく言われるのですが,実際は,やりたいからやってるだけの話なわけで,これも何度も書きますが,やっぱり,そういうものがあるというか,やらせてもらえるのはほんとにありがたいことだと思います.

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 私の実績が評価されたんだろうとは思いましたからそれは嬉しかったんですがと書いて,何か違和感というか,何なのかなと思いました.

 実績があるのなら,こんな歳になってからじゃなくて,もっと早い段階でそうなって然るべきなわけですよね.確かに○大の話はありましたし,大学ランキングというか,世間一般的には,筑波大より○大の方が上なんでしょうが(実際,何人かの人にどうして断ったんだ?と言われた),昇進したばかりというタイミングとか家族に反対されたとかもあったんですが,私にとっては,筑波大にいた方が研究環境的にいいと思ったんですよね.

 逆に言えば,私の中では,筑波大よりいいところってほとんどないわけで,例えば,首都圏にあるとか,いわゆる建築ではなく工学系の中の防災という組織になってて,学生はみんなエンジニア指向だとか,そういうことを考えると,(東工大は,筑波大より上なんでしょうが「移る」というハードルの高さを考えると)移るとしたらそれこそ東大くらいのものだと思っていました.

 でも,地震研に帰るということは,実際のところは,地震研を出たときからなかったと思いますし,東大はいろいろ大変で研究できるとは言えないところもあるし,東大にしてもどこにしても,ポストがなければ話にならないわけですし,更には,私がやっているようなことに適合したポストなんかほとんどないわけで,(実際にどうかはともかく)私にどんなに実績があったとしても,それがそういう形になるとは限らないわけで,それはそれで仕方ないというか,そんなことより,どこの大学にいても,自分が実績というか成果を出すことが大事だし,更にそんなことより,思うような研究を学生達と楽しくやって行けることが何より大事だと思ってやって来ました.

 そういうところに今回のことがあったわけで,確かに分野的には適合しているんですが,まさか京大というか,そういうことは全く想定していなかったわけで,でも,逆に言えば,そんなことはありえないと思ってたけど,ありえるのなら移るならここしかないとも言えるわけで,何年か前から首都圏という拘りもなくなったというか,多分,そういう拘りがあったとしてもそれも乗り越えたでしょうから,実際,こうやって移ってきたということになります.

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(日記)

 まあぼちぼちやってるのですが,なかなか進みませんね.

 今日は,ガスホースを買ってきてやっとガスコンロが使えると思ったんですが,ガス栓にガスホースが入らなくて,調べるとガス栓にはホースエンド型とコンセント型があって,コンセント型の場合は,ゴム菅用ソケットが要るんだそうです.もうなんなん?

 テレビとビデオは見られるようになったんですが,チャンネルが違っててどれがどれかまだ慣れないのはしょうがないとしても,地方ニュースとかを見たら地方に来たことを実感するかと思ったけど,別にーって感じですかね.

 スマホでちらちら見てはいましたが,アメリカ大統領選挙があって,予想通り大もめとか,ライオンズがロッテに並んで2位,つまり,CS圏内にはいって,でも,今日はライオンズは引き分けてロッテが勝って,明日直接対決で負けたら終了ってことなんですが,CSに残ってもソフトバンクに勝てるのかってことですよね.普通にやったらダメなんでしょうが,去年,一昨年の借りを返すじゃないですが,ここでひっくり返したら気持ちいいとは思いますけどね.

 ソフトバンクとの相性的には,ロッテの方が分があるので,ロッテが残ったら残ったで,何とかひっくり返してくれませんかね(もうアンチソフトバンクになりつつある).

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11/8'20
[東大出身が京大に→東大とか京大とかどうでもええやん]
(大学)

 東大出身で京大に行くことは非常に稀というか私の分野では皆無と書いたんですが,どういうことでしょうね? これは逆のケース,即ち,京大出身で東大に行くことについても同様です.

 まず言えるのは,東大,京大の教員のほとんどは,それぞれ,東大,京大出身です.数十年前までは「全員」だったと思います.これは,最適格な人をとったら,たまたま東大京大出身者だったというのはいささか詭弁な感じがしますか,両校の出身者に優秀な人が圧倒的に多いのは事実でしょう.

 でも,当然のことながら,東大京大出身じゃなくても優秀な人はいるわけで,実際,ここ数十年,他大学出身者の教員もポツポツ出てくるようになって,これは当然のことでしょう(そんなにちゃんと見たわけではないですが,京大防災研の場合,京大出身がほとんどですが,そうでない人も少数ですがいます.逆に東大地震研は他大学出身者が多いですが,これは,所の方針で,私がいたときは,東大出身ということは逆に不利に働くくらいでした.ちなみにアメリカのCivilはもっと極端で,私がUCバークレーにいたときは,そことイリノイがツートップで,イリノイ出身者はイリノイには残れないのでUCバークレーに,UCバークレー出身者も同様でイリノイにという感じで,地震研もその頃はそういう背景があったんだと思います).

 でも,東大に京大出身者,京大に東大出身者は,非常に少ないというかほとんどいないわけです.

 でもまあ,これは,東は東大,西は京大というテリトリーというか縄張りが昔からあって,そういうことが今でも残ってるってことですかね.つまりは,東大が京大出身のこの人をとりたいと思っても,京大が東大出身のこの人をとりたいと思っても,そうは行かないというか,妨害する何かがあるわけです.

 で,ここで気づくというか,実はこの件が始まってそういうことに気をつけていたんですが,私の場合はどうだったかです.

 普通というか昔なら,人を勝手に引っこ抜くことなんかできなかったわけで,例えば,その人のかつての指導教員というか親分にお伺いを立てないといけなかったわけです.じゃあ,今なら大丈夫かというとそんなことはなくて,でも私の場合,そういう世界を飛び出したというか,もちろん,お世話になった先生方はいますが,もうそういう傘下にはいない,具体的にはRCの世界にはいないわけで,引き抜きやすかったとは言えるかもしれません(もうこんな歳だし(笑)).

 とは言え,そういう体質が残っているのも事実で,実際,筑波大に移るときもいろいろ妨害されたというか,そういうことがあったわけで,今回もそういうことがないようにというか,変な話,気づかれないように注意したということはありました.

 でも,ほんと変な話ですよね.適材適所じゃないですが,変な拘りを捨てて,もっと自由に人が行き来できるようにした方がいいと思うのですが,なかなかそうならないというのは,(この国の場合)大学に限った話ではないってことですかね.

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 でも,↑と書いて思うのは,自分が東大出身で京大に来たという実感は(まだ)全然ないということです.織り込み済みというよりは,そもそも,東大とか京大とかどうでもええやんというか,そんなことより,どういう研究をしてどういう結果を出すかが重要なわけで,つまり,移籍して職場は変わっても,本質的には,やはり,変化がないということなんだと思います.

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[半分だけ帰れた?]
(日記)

 テレビのチャンネルですが,意外と大丈夫というかすぐ慣れるというか,どういうことかなと思ったんですが,(昔の)福岡に近いことに気づきました.

 NHKは1と変わりませんし(教育は2じゃなくて3だったと思う),TBSというか毎日系は,(昔の)福岡はRKBで4で同じですし,日テレというか読売系は,(昔の)福岡はFBSで,チャンネルは忘れましたがUHFで端っこに追いやられてて(40いくつだったと思う),それはここでは10ですし,産経というかフジテレビは8と同じなんですが,(昔の)福岡はTNCで9でした.テレ東系は7と変わりません.

 唯一,朝日系だけ記憶にないのですが,消去法で行くと6しかないわけで(昔は電波の関係でチャンネルとチャンネルの間は一つ空けないといけなかった),これが朝日系の6と対応しています.

 で,テレビのチャンネルに限らず,うまかっちゃんが普通に置いてあるとか(笑),そんな細かいこと言わんでええやんみたいな雰囲気とか,東京に来たとき,冬の日暮れが異常に早く,逆に夏の夜明けが無用に早いことに驚きましたし,福岡に帰る気は全然ないけど,変な話,図らずもうまい具合に福岡に「半分だけ」帰れたというか(実際,新幹線で3時間ちょいで行けちゃう),西の方に戻って来られたというか,みょーな安心感があって,それは,私の話をきいた妹も同じようなことを言ってました.

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 福岡の今のテレビチャンネルを調べてみたんですが,3がNHK総合で,1はKBCでこれが朝日系でした.そうそう,昔もそうだった,つまり,上で書いたことが思い違いで,昔と今と違うのはFBSが40いくつから5に,TNCが9から8に,TVQが新しくできて7になったことですかね.

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 今日は,全所停電で,筑波大でも年に2日あって,それが先々週で引っ越し1週間前でちょっと痛かったんですが,こっちに来てタイミング悪くダブルかと思ったんですが,1日だけですし,メールとかは普通に届いてる(筑波大ではメールもウェブも止まる)のでそんなに問題ないですね.

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 ライオンズはロッテに負けて「終了」となったようです.まあしょうがないか(昨日もそうですが,やっぱ,ピッチャーが...).

 でも,ソフトバンクにしてみれば,ライオンズよりロッテの方が嫌でしょうから,ロッテ頑張れ!

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 「コンセント型のガス栓にガスホースを繋ぐためのゴム菅用ソケット」を買ってきて,コンロ回りをセットアップしてようやくコンロが使えるようになりました.

 でも,ちょっと疲れが出てきてしまった感じで,急激に活動度が落ちてきました.まあ疲れたら休めってことでいいんですが,まだ日常生活が軌道に乗ってないので,最低限というか,一通りのところまではやりたいのですが,引っ越し前日にバタバタしてしまったことで,何がどのダンボールに入っているか細かくはわからなくなってて,プライオリティが高い順にセットアップして行けないのが問題ですね.

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 スキーに行くのに車が必要なので,車はもってきたんですが(事前に調べたところ,そんなに大きくはないけど車で1時間以内とか,1, 2時間で行けるスキー場がいくつかあって意外といい),普段はそんなに使わないかなと思ったんですが,結構,使います.今は,1kmくらいのところにあるホームセンターとショッピングモールにしょっちゅう行ってます.歩いても行けるんですが,10分以上かかるし,荷物のことを考えると車で行っちゃいますね(でも,道はめっちゃ狭いし,電柱とか人とか自転車も).

 こんな感じで車で5分以内で行けるところでほぼほぼ用が足りるという感じになればいいというか,そうなりそうというか,結構暮らしやすい感じがします.

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 そっか,ここで「つくばから東京に自転車で行ったときのこと,即ち,一漕ぎ一漕ぎでも前に進んでいたらいつかはたどり着く」んだと思って,片付けというかセットアップをそれこそちんたら少しずつやったら結構進んで,でも,まだ「日常生活が一応軌道に乗る」にはまだですね.

 で,思ったんですが,じゃあ,引っ越す前はどうだったかと言うと,それなりにちゃんとやってたとは思いますが,一度リセットしてセットアップすると,いろいろ不備が見えてくるというか,もっとできるところがあるわけで,でも,とりあえずはまずは「日常生活が一応軌道に乗る」ですね.

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11/9'20
[最後の一つ]
(日記)

 まだ「軌道に乗る」には程遠いのですが,最低限というか,一応何とかというか,具体的には,ヨーグルトメーカーとかレーズンとか(職員宿舎には照明が設置されてなくて一つはもって来たけど,寝室というか今はダンボールが入っている部屋の照明に使う)引掛ソケットとかがどうしても見つからなくて,そしたら,どうしてここに?という一番下のわかりにくいところにあった「最後の一つのダンボール」が見つかって,一応何とかということです.

 ダンボールは,もちろん,台所とか洗面とかのラベルが貼ってあるんですが,荷物を入れたとき,防音室の組み立てもしていて,その部材が部屋をかなり占拠していたので,寝室にまとめて入れてもらったんですが,引越屋は,ちゃんと分類してラベルが見えるようにダンボールを置くわけじゃないのでこういうことが起こります.

 スペースに余裕があれば,家具とかだけじゃなくて,ダンボールも「その場所」に置いてもらうのがいいんでしょうが,今回はそれができなかったということですね.

 R-1は,今は買って食べてるのですが(近所のスーパーは,どこもほぼ定価と高い),これでようやく自作できます.実は,種菌もクーラーボックスに入れてもってきたので,子孫は繋がるはずだったんですが,ヨーグルトメーカーが見つからず少し時間が経ってしまったので,お家断絶ですね(笑).

 それにしても,いろんな事務手続きがとにかく膨大です.共済なんか,前の大学での情報をそのまま引き継げばいいと思うのですが,一度脱退して再加入ということみたいですし(そういう意味では,大学も移籍ではなく辞職して就職ということみたい),住所変更に伴う手続きも一体いくつあるのかという感じで,DXには程遠いですね.

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11/10'20
(日記)

 今回の部屋は,(中は)新しくて綺麗なのですが,単純な問題として,前のところより大分狭い(前のところは80平米あったが今回は60平米弱)ということがありますね.

 普通だと60弱あれば充分なんでしょうが,私の場合,防音室で一部屋占拠されて,防音室は,6畳の部屋では入らないので(今回は7.5畳の部屋に入れた),実質,45平米くらいということになりますからね.

 それに洗面,脱衣所などの水回りがそんなに広くなくて,前のところは,洗濯機置き場が脱衣所にあったので,そこに物干しを組み立てて乾燥機を置いて,洗濯したらそのまま干してそのままそこからとって着ていましたが(タンスいらず),今回それが難しいので(何とかタンスいらずにはしたいので)ちょっとしたパズルが必要です.

 あと,前のところは流しが大きくてよかったんですが(食器や調理器具を全く重ねないで並べて洗えた),今回はかなり小さいのでこれもパズルが必要です.でも,お風呂も前のところの方が大きかったんですが,大きすぎてほとんどバスタブにお湯をためることがなくて,今回はそんなに大きくなくて,今回の方がお湯をためることが多くなりそうです.

 ということで,いろいろ制約はあるんですが,前回同様,実質,ここしか選択の余地がなかったわけで,与えられた条件下で創意工夫をするというか,そういうことも楽しむということですかね.

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[学食が何時までやってるかで]
(大学)

 生協(食堂)なんですが,結構いいと思います.味も悪くない.雰囲気としては,東大だと農学部の食堂に近くてカフェテリア形式になっています.生協なのでさすがに安いですが,カフェテリア形式なので,いろいろとっていくと,そこそこの値段にはなります(でも,せいぜい500円くらいだし,何より栄養のバランスがとれる).ただ,味噌汁を豚汁にするのに筑波大の二食は+30円で済んだんですが,ここのは高級?な感じで+70円くらいします(笑).

 支払いは,生協の電子マネーで,それはよかったんですが,申し込みがアナログというか,後日シールが送られてきてチップが埋め込まれている職員証に貼るだけみたいなんですが,だったら,その場で職員証かざして終わりってできるんじゃないの?

 それで,どこかで書いたと思うんですが,学食が夜何時までやってるかでその大学のレベルがわかるってことなんですが(要は,晩ご飯を食べた後も大学で研究するのかってこと),ここは20時まで開いてるみたいで,昨日,行ってみたんですが,結構,食べに来ていて,東大の中央食堂も確か20時までだったので,正直,ほっとしました.

 筑波大は19時くらいまではやってるのですが,まばらな感じで(妹が九大出身で,きいた感じだと似たような感じ),やっぱり,東大京大には負けてるなってことですかね.つーか,大学のレベルとかそういうことじゃなくて,いっぱい研究した方が成果が出るって単純な話で,東大京大の学生が夜遅くまでがんがん研究してるのに,それ以外の大学の学生がそこまで研究しないとしたら,太刀打ちできるわけないじゃないですか.

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 でも,よく考えてみたらこれってどういうことでしょうね? 東大京大の学生は頑張り屋さん?

 まあそれはあるとは思いますが,やっぱり,研究でも何でも面白さを見出すというか,別に夜遅くまで研究しないでも卒業,修了はできるだろうし,じゃあ,なんで研究するかというと,研究するのが面白い,面白いからやるという学生が多いってことですよね.

 そして,そういうのが大きいというか,研究に限らず,何でもそうだと思うんですよね.

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[日本の原風景?]
(日記)

 今日,転入届と免許証の住所変更に宇治市役所と宇治警察署に行ったんですが,その途中の宇治川を渡るときの宇治橋からの風景です(自分で撮ったのではなくGoogle map).

 何か日本の原風景というか,いい感じです.

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11/13'20
(日記)

 一応最低限というか,食べる寝るシャワーを浴びる洗濯するみたいなことはできるので何とかやっていますが,会議とか人と会うとか手続きとかいろいろあって,なかなかちゃんとならない感じですかね.ダンボールのほとんどはまだダンボールのままなので,スチール棚を組み立てないとそこが動かないのですが(でも,そこを突破すれば一日で終わる),そこまでプライオリティが降りてきません.

 食事も生活クラブの食材が来るのは来週からなのでまだ外食が中心ですが,学食が夜もやってて結構使えるので助かってます.細かい話ですが,ドレッシングにシーザーサラダがあるのもいいです(笑).

 でも,一週間経つと段々様子がわかってきて,具体的には,最初に行った次の日にまた行ったらメニューが前日と同じなんですね.で,次の日も同じ.で,どうやら,一週間同じらしいです...まあ何とか10種類くらいのメニューはあるので,一週間の中でそれをローテするってことですが,生活クラブの食材が来るようになれば,毎日使うことはないでしょうから,まあいいかな.

 あと,家の寝室がまだダンボールで埋まってて居間で寝てたんですが,そのすぐ隣の防音室を入れた部屋のクローゼットの横に少しスペースがあって,クローゼットのドアをはずすと,そこにぴったり寝るスペース分空いてることがわかりました.こういうのあったなと思ったら,地震研時代,バークレーから帰ってきてつくばに行くまでの西片の家がそうでした.

 個人的には,居間と寝室が分かれていて,冬に寒い廊下を通って移動するのが嫌で居寝隣接がいいんですが,これでそれも実現しますし,寝室はそのまま物置というか,バッファ的なスペースになりますね.

 てな感じで,徐々にパズルを解いていくというか,創意工夫をして行くってことで,これは別に引っ越し云々関係なく続けて行くってことですかね.

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11/14'20
[姥捨て山どころか]
(世の中)

 我々の世代,具体的には,団塊から団塊ジュニアくらいまではうまい汁を吸ったけど,どこかで帳尻が合う,具体的には,姥捨て山になる可能性が高い(金なんかいくら積んでも人手がいない)ので,(さっさと死ねればそれはそれでいいかもしれないけど,実際はそんな簡単には行かないので)とにかく要介護にならないように,何とか自活できるようにと何度か書いてきました.

 で,昨日のモーサテだったと思いますが,国の財政状態ということで北欧のことを取り上げてました.日本が借金まみれなのに対して財政的には健全な状態で,それは税金が高いから当たり前ってことなんですが,福祉も厚いので国民も納得しているという背景があります.

 いわゆる高負担高福祉ということで,それがいいかどうかはともかくバランスはとれてる(日本は低負担高福祉で借金が膨らむ一方)ってことなんですが,ここまでは当たり前というか既にわかってることなんですが,例としてスウェーデンのことを取り上げていて,具体的には,自分で食事をとれなくなった人に対して延命治療はしないとか,今回の新型コロナで重症化した場合,若い人を優先して,80歳以上の人はなかなかICUに入れないという(シビアな)実情があるそうです.どう思いますか?

 これって,既に「姥捨て山」状態になってるってことですよね.高負担のスウェーデンですらそうってことです.ましてや低負担の日本はどうなりますか?

 番組ではそういうドライなメンタリティーは日本人にはそぐわないと言ってましたが,低負担高福祉では,借金は膨らむばかりですし,そんなことやってたら,姥捨て山どころか財政破綻にまっしぐらなわけで,総討ち死にということになってしまいます.

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[あまりいい感覚ではない]
(日記)

 実感がないというか変化を感じないってことですが,そういうこととも違うというか,何か変な感じもしてきました.うまく言えないのですが「現実感がない」という感じでしょうか.思い出したのは,大分前に福岡に帰って住んでた周辺を歩いたとき感じた「現実の空間なのに夢を見ている」感じですが,現実と非現実の混濁という意味ではそうですが,それとも違うというか,もっとはっきり言うと「あまりいい感覚ではない」です.

 少なくとも言えるのは,こっちに来る前まではそういう感覚は全くなくて,でも,こっちに来て,「あー来たなー」という感じが全くしなくて,でも,実際はこっちに来ていて,でも,実感がなくて変化も感じなくて,最初はそれは「いい感覚」だったんですが,時が経つにつれて,逆に「違和感」が出てきて,だんだん気持ち悪くなってきた感じでしょうか.一体何なんですかね?

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11/15'20
(日記)

 なんか妙な(あまりよくない)感じなんですが,一つは,ちょっと疲れてるのかもしれませんね.活動度を見ると異動直前に急上昇して,その後(予想通り),どかーんと落ちてはいるんですが,依然として高水準ですからね.

 正直,こういうことになって,いろいろ思うことはあるというか,それは(ここでは書けませんが)いいことばかりじゃないわけで,でも,過去に戻っても同じ判断をするわけで,じゃあもう前に進むしかありません.

 結局,全ては137億年前に決まってるわけですし,自然の流れというか,まずは現状を受け入れて,その中でどうやって行くかというか,できる範囲でできることをやって行くしかないですし,そうすればいいんだと思います.

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[ジャイアンツ>ソフトバンク,ただし...]
(野球)

 CSですが、ソフトバンクが2連勝であっさり日本シリーズ出場となりました.でも,ゲーム内容としては,昨日も今日も紙一重みたいで,でも,その紙一重が大きいんですけどね.

 これで,日本シリーズは,ソフトバンク対ジャイアンツということになったんですが,どっちに勝って欲しいかと言えば,さすがにジャイアンツということはありません.つまり,アンチソフトバンクになりつつあるけど,まだジャイアンツほどじゃないってことですかね.

 でもまあ,基本的にはどーでもいいっちゃいいけど,普通にやったら,ソフトバンクの方が全然強いと思いますけどね.

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11/16'20
[環境の変化]

 ある人から環境の変化は疲れるのでダウンしないように養生してくださいと言われました.ありがとうございます.

 でも,その環境の変化を感じないわけで,逆にそれが気持ち悪くもなってきたわけです.でも,疲れてるというのは多分そうで,それは引っ越し疲れもありますが,とにかく手続きとかいろんなことがあるのが大変です.

 そもそも,環境の変化ってなんでしょうね.日常生活と職場に分けると,日常生活については,最初は,食べるとかも含めて少し支障があったんですが,数日経って,一応,普通になったと思います.職場については,今までのように部屋に一人ではなくなったのですが(すぐ隣の部屋に事務をやってくれる人が二人いて今はドアが開いている),部屋がすごく広いので大分離れていて,基本的には一人ですし,逆に人の気配があるのは嫌いじゃないのでそれは悪くないです.

 でもやっぱり,これまでずっと「内的熟達的生活」をしてきて,だとすれば,外的環境が変化してもほとんど影響はないわけで,それが大きいと思うんですよね.

 でも,荷物のセットアップはまだまだなので,それは早く何とかしたいと思いますが,疲れてはいると思いますし,他に優先してやらないといけないことがいっぱいあるので,無理せずぼちぼちやって行けばってところでしょうか.

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[そういうやり方で]

 なんか変な感じがしてきました.調子はあまりよくないと言いつつも活動度はそれなりに高くて,でもなんか変というか,疲れているというか.でも,引っ越し疲れは関係ないというか,実際,ちょっと大変だったのはほんの数日だけですし,手続きとかいろいろめんどくさいのもめんどくさいだけの話ですからね.

 じゃあ何かと言うと,こっちに来ていろんな人に会っていろんなことを言われて,なんだか大変そうだなあ,でもとにかく前に進むしかないと思っていたんですが(そっか,それが「環境の変化」なのかも),ここに来るときのことを思い出したというか,私の中では,別に栄転とかじゃなくて大学を移籍しただけだし(そうじゃないやろと言う人が多いと思いますが),私自身は,これまでと変わらず,やりたい研究,やるべきと思う研究をやって行けばいいわけだし,そういうやり方で結果も出してきたわけですから,もちろん,やるべき仕事はやりつつ,そうやって行けばいいってことですよね.

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11/17'20
(ピアノ)

 ピアノプロジェでメールのやりとりをしていて,来週会いましょうと言われて,そっか,もう来週かという感じです.最近の状況としては,なんか弾けば弾くほど(と言ってもそんなに弾いてるわけじゃないけど),弾けてないところというか,ここはこうじゃなくてこう弾きたいというところがどんどん出て来るモグラ叩き状態でちょっとやばいです.

 そうそう,伊東さんにチラシを送ってもらっていたので貼っておきます.

 今回は何とシューベルトです.10年前にD.960を弾いて以来ですね.その前後くらいに,岡田先生のパーディーで秋山先生と話をして,彼がOp.120もいいよねとおっしゃっていたのを思い出したというか,私もいい曲だと思っていて,先生が亡くなってというか,この曲を弾くことにしました.

 でも,(一般的にはそんなに難しくないとされていると思いますが)めっちゃむずいです.例によって,多くの部分がpとかppなんですが,10度が連発で,冒頭の10度がまだちゃんと当たりません.こういう曲は,ミスタッチは致命的で,でも,私の練習量でミスタッチがなくなるわけはなく,途方にくれますね.

 音楽的にも「こう弾きたい」というイメージが次々に湧くんですが(ブレンデルとかシフの演奏は全くもって気に入らない(何様?)),全然「こう弾きたい」という風に弾けないので,結局,口先だけってことになりそうです.

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 亡くなったということだと,7月に亡くなったカプースチンですが,できれば,短い曲を1曲でも弾きたいところですが,ちょっと厳しいかなあ.

 それでネットでいろいろ見てると追悼記事がいっぱい出てくるんですが,うーん,どれも...って感じでしょうか(そう言えば,高久先生もどこかに追悼記事を書かれたということですがそれは読めてないです).

 アムランとか川上さんや辻井さんの名前がよく出てくるんですが,そもそも,彼を発見したのは誰かってことなんですが,最初に出て廃盤になったCDの解説を書いていた高久先生に執筆依頼をしたのは,東大ピアノの会OBの不破さんで,私は高久先生が不破さんからもらった楽譜のコピーを高久先生からもらって弾き始めたわけで(実際は,その前にMIDIの音源から譜面を復元するという裏技まで使った),つまり,川上さんより高久先生,高久先生より不破さんが先というか,不破さんの功績は大きいと思うのですが,そういうことは全然出てこないわけです.

 で,久しぶりに不破さんのサイトに行ってみたんですが,カプースチンが亡くなったことについて特に言及はなくて,要は,誰が最初だからどうだとか,そういうことに拘りがないんでしょうね(いいと思います).

 彼の曲は折に触れてここでも紹介してきましたが,ネットにもいっぱいあがっていて,でも,やっぱり,カプースチン自身の演奏が秀逸で,聴いて欲しいとしたら彼の演奏なので,いくつかリンクを貼っておきます.

 一番有名な8つのエチュード↓

 ピアノソナタ1番.演奏は第4楽章から始まります↓

 24のプレリュード↓

 10のバガデル↓

 私は3番が好きで,どこかで一度弾きました(何かうまく埋め込めない.再生ボタンを押して,左の画像をクリックすると別ウィンドウが開きます)

 実際に弾くとどんな感じかわかるものとしてこんなのも(笑)↓

 割と最近の作品としてはこんなのも↓(何かうまく埋め込めない.再生ボタンを押して,左の画像をクリックすると別ウィンドウが開きます)

 自分が好きな曲を一通り貼ったんですが,気づいたらどれも一通りかじってますね.でも,人前に出したのは,8つのエチュードの第1曲と第3曲と10のバガデルの3番くらいで,それももう大分前の話です.

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 うーん,でも,現実にはそういうやり方ってわけにも行かないんでしょうね.要は,得るものがあれば失うものもあるってことなのでしょうか.

 じゃあ,何が大事かってことになるんですが,それは,地位とか評価ではなく,やりたいことができるということなわけで,だとすると,そういうやり方ってわけに行かないとすると,一体どうしてここに来たんだ?ということになってしまいます.

 なので,やっぱり,そういうやり方にする必要があるというか,何とかするしかないですね.でも,もちろん,自分勝手なことはできないので,うまくバランスがとれればということでしょうか.

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[もういつ死んでも]

 このサイトのどこかで,人生の残り時間を意識し始めるのは,今までの時間からこれからの時間を推測できる半分くらいの40代と書きました(論理的).そして,次にそういう大きな節目というかタイミングが来るのは,変な話,もういつ死んでもおかしくない歳ってことで, 80くらいって感じがします.

 と言っても,どんなに若くても人間いつ死ぬかわからないわけですし,どんなに歳をとっても大きな病気とか怪我とかしなければ,もう死ぬと感じることもないと思いますから,「そういう感じ」がするってだけで,実は今とそんなに変わらない気もします.

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11/18'20
[生きている]
(ピアノ)

 カプースチンの曲のリンクを貼って聴いていたら,彼が亡くなったということで,さすがにちょっと寂しくなってきました.

 私が彼の音楽に出会ったのは,近現代音楽 いまむかし(桃源・東大ピアノの会創立30周年記念誌原稿)を書く何年か前なので,2000年くらいだと思います.それから20年,彼の音楽とともにあったとまでは言いませんが,折に触れて彼の曲を弾いてきましたし,当初はまだあまり知られてなかった彼の曲がいろんな人に弾かれるようになり,楽譜が全音で出版されるなど,どんどん広まって行くのも見てきました.

 でも,リンクを見ればわかるように,私が弾いてきたのは,そのほとんどが1980年代に作曲されたものですし,もちろん,2000年以降,新作もチェックしていましたが,特に弾きたいと思うような曲はなかったわけですし,彼が亡くなっても作品は残るというか生きているというか,そういう意味では,バッハもベートーヴェンもシューベルトもショパンも,もうとっくに亡くなってるわけで,そんなに寂しがることもないのかもしれません.

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[もう1回終わる]

 人生の残り時間を意識し始めるのは40代ってことなんですが,思い起こすと,何度か書いたように,50くらいのときに突然鐘が鳴って人生が終わったと感じました.つまり,残り時間を意識し始めて何年か経ったら人生が(実質)終わったわけです.

 じゃあ,どうして50くらいで人生が(実質)終わったと思ったかですが,何度も書いているので繰り返しませんが,そうプログラムに書いてあるということもありますし,社会的なことを考えても,ほぼほぼ結果が出ている時期だと思うんですよね.

 でも,実際は,今もまだこうやって生きてるわけで(笑),人生はまだまだ続くんですが,基本的なセンチメントはその時と変わらないですかね.つまりは,今はもうおまけの人生で,何でもありというか何でも来いって感じなんですが,それはそれで悪くないです.

 そして,50のときのような節目も,実際に人生が終わる,つまり,死ぬ前にもう1回来るような気がするんですね.つまり,もう1回人生が終わるということでしょうか.

 定年については,確かに今の仕事を失うことは大きいとは思いますが,いろいろ準備をしてきて,だんだんそんな感じもしなくなってきたというか,そうしないといけないというか,なんだかんだでそうなるというか,定年は1つの通過点のような気もしてきていて,そうするとどこかと言うと,体や脳が思うように動かなくなるというか,今まで普通にできていたことができなくなるというか,そうなったときにそう思うのかもしれません.

 そして,これも80くらいなんですかね.でも,それこそ人それぞれというか,90になっても100になっても,全然大丈夫な人もいるし,体は思うように動かなくなっても,何とか要介護にならずに自活できれば問題ないでしょう.

 ですから,問題はやはり脳ですかね.記憶力とかが衰えるのは別に大したことじゃないんですが,考える力というか,そういうものがなくなると厳しいですね.そして,最大の問題は,脳が衰えたときにそういうことに気づけるかですよね.

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11/19'20
[基本的には変わらない]

 疲れている(のかな)と書いたのですが,別にそんな感じもしないんですよね.だからと言って,いろいろ大変だけど気を張って頑張ってるとかアドレナリンが出てるとかいうわけでもないと思います.

 実際,引っ越しの準備とか,引っ越しとか,その後のいろんなことがとか言っても,実際,ちょっとばたばたしたのは,ほんの数日ですし,感覚的にはこっちに来る数日前まで割と穏やかに流れていた時間が(数日の非日常を挟んでまた)そのままこっちでも流れているというか,だから,特に変化を感じないという感じです.

 ですから,やっぱり「内的熟達的生活」をしてきて,どこに住んでも,職場や環境が変わっても,基本的には変わらないというか,そういうことなんだと思います.

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 でも,逆に言えば,そんな感じなので,荷物のほとんどはまだダンボールのままで「元通り」には程遠いですが,何度か書いてるように,ほんとに必要な荷物は全体の極僅かで,荷物のほとんどがダンボールでもそんなに支障がないわけで,でも,時々必要になることもあって,そういうときはめんどくさいので早く「元通り」にしたいとは思うのですが,他に先にやるべきと思うこともありますし,むりくり頑張るのではなく,割と穏やかに流れている時間の中で,その気になる範囲でぼちぼちやって行ければという感じですかね.

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[週休三日]
(日記)

 大学というか防災研というか宇治キャンパスの前はどうなってるかと言うと,芝生になっていて,午後になるとお母さんたちが子供たちを連れてやってきて,子供たちは鬼ごっこをしたり木に登ったりして遊んでいます.そういう雰囲気もそれを放置している大学も悪くないですね.

 で,その前の通りには,喫茶店とか,定食屋さんぽい店もあって,これも悪くない感じなんですが,その中にひと際異彩を放つというか,どう見ても雰囲気が違うというか,要は,店が開くと車が大挙して押し寄せて長蛇の列ができる店があります.

 なんなのかなと思って調べたらパン屋で,京都でも指折り入るような店らしいです.で,今日,昼ご飯のとき,川瀬研のメンバーといっしょになったのできいてみたんですが,メディアで取り上げられて火がついたらしいです.食べたことある?ってきいたところ,まあ美味いことは美味いですが,みたいな感じで,やっぱりというか,そんなもんですよね.

 こういうのって,行列ができてるから並ぶというか,自己評価ができないというか,人が美味いと言うから美味いと思うというか,そういう人達が少なからず存在して,ていうか,実際はそんなにいなくても京都の1000人に1人が来ても長蛇の列にはなるわけで,まあ世の中そんなもんってことですかね.

 で,そんなことよりびっくりしたのは,この店,月,火,水が休みなんですよ.つまり,週休三日で時代の先を行ってるというか,そっちの方が私的には面白いなと思いました.でもまあ,客がうじゃうじゃ来れば,週休三日でも全然儲かるってことか.

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(日記)

 今日ようやく生活クラブの食材が来て,久しぶりに夕食を自分で用意しました.まあこうやって少しずつですかね.

 いや,家も研究室もスチール棚を組み立てれば一気に進むというか,そこをやらないと進まないのですが,毎日いろいろやることがあって(会議が結構多い),一定の長さの時間がとれず,そのハードルをなかなか越えられないってことですかね.ていうか,やる気というかその気の問題かな.

 ちなみにスチール棚は,前の引っ越しの時,分解運搬組立が大変ってことで廃棄したんですが,今回,運搬は引越屋に頼むとして,ボルトレスで分解組立が簡単なものを注文してみました.でも,一番最初の組立はそれなりの手順があるようで,そこでちょっと日和っています(一度組み立てるといくつかの運搬できるパーツに分解できると思う).

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11/20'20
(日記)

 そっか,組立に一定の時間がかかる→一定の時間がとれない→できないってことなんですが,一定の時間をかけない,つまり,少し時間が空いた時に少しずつでもやって行けばいいんですね.研究室にはかなりスペースがあるので,それができるかもしれません.

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(バドミントン)

 おそらく今年度唯一の公式戦である全日本総合の組み合わせが出てるということでざっと見てみました.筑波大関係は,黒田,牧野,香山,佐川,漆崎,加藤,柏原,大関,大石,鈴木という感じですかね(誰か抜けてたらごめんなさい).見始めたときは,もっと出て欲しいとか思ってんですが,こうして列挙してみると,結構な数ですよね.

 香山はまた大堀なんですね.今の状態がどうなのかわからないのですが(最後に練習を見に行ったときもいなかった),3年前とは全然違うと思うし,チャンスはあると思うし,ここを抜ければ上まで行けると思うんですよね.

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[経済を止めると]
(世の中)

 また感染が拡大してきて,金より命が大事と言っても,経済を止めると仕事がなくなって自殺者が増えるから経済もGoToも止められないとの論調です.

 でも,経済を止めると言っても,ほんとに必要なものは必要で,そういうところは逆に人手不足で,仕事はいくらでもあるわけで,つまり,仕事がなくて食べて行けないから自殺するんじゃなくて,一か八か大借金して事業とか起こして,こういうことになって目論見がはずれて借金で首が回らなくなってということなら,手続きに従って破産すればいいわけですし,会社をクビになって,でも食べて行かないといけないということなら,仕事を選んでる場合じゃないでしょう.

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 結局は衆愚政治の最たるものというか,自分で自分のケツも拭けない奴が都合よく面倒見てくれる政治家を選ぶというか,まず自分がするべきこともそこそこに手前勝手に泣きつき,政治家は自分が選挙に受かるためにできもしない都合のいいことを言ったり大盤振る舞いをしたりするの悪循環で,それが積み重なって今の大借金になってるわけです.

 でも,それでずっとやって行けるわけはなく,このまま行けば財政破綻,経済破綻するのは明らかとは何度も書いてる通りです.

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 でも,その一方で,ちゃんとやってる人はやってるわけですし,多くの人はそうなんだと思います.つまりは,一部のしょーもない奴が何とかしてくれとぎゃーぎゃー騒いで,政治家がおたおたしたり,メディアがそういうのばかり取り上げて,みたいなおかしなことになってるんじゃないですかね.

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(日記)

 と書いたのですが,時間なんか全然空かないですね.とにかくいろんなところからいろんなメールが届いて,それに(何日か遅れで)対応している間に会議や打ち合わせの時間になり,という感じです.

 もちろん,今は大学を移ったので,それに関係した手続きがいろいろあるのですが,とにかくそういうのが多すぎます.DXじゃないですが,この情報を有効にするためにこういう作業をしてくださいみたいな感じで,却って手間が増えてるとすら思えます.

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(バドミントン)

 優先順位的に先にやらないといけないことはいくらでもあるんですが,そんなことと関係なく,思い立ってバドミントンの練習に行きました.最後がいつだった憶えてませんが,緊急事態宣言が出された4月くらいだったと思うので7ヶ月ぶりくらいですかね.

 つくばではまだどこもまともに練習してなくて,でも,こっちではもう普通にやってる感じで,サークルはいろいろあるんですが,場所が近くてレベルが高そうなところに昨日メールを出して,早速,今日行ってみました.

 と言っても,7ヶ月ぶりなので今日は様子見というか,とにかく怪我をしないように抑えてという感じですかね.やった感じは,もっとひどいかと思ったんですが,そうでもなくて,でも,エラーは多いし動けないんですが,エラーは多いし動けないことに理由があるというか,ずっとあった「訳もわからず体が動かない」という感じではありませんでした.

 レベル的にはだいたい想像通りですかね.若い人が多いんですが,みんな一定レベル以上ですし,結構強くてちゃんとプレーしてる人もいました.ちゃんと体を整えて体を動くようにすれば,このくらいのレベルがちょうどいいんじゃないかな.

 でも,今日は大分抑えてやったので,全然疲れてなくて物足りないということもあるかもしれませんが(でも7ヶ月ぶりなのでこのくらいでも明日はかなり痛みとか疲れは出ると思う.というか,既に出始めている),なんかつまらないというか,トレーニングとかしてちゃんと体を整えて体を動くようにしようという気には(そんなに)ならない感じです.練習はちょっと基礎打ちしてあとはずっとダブルスのゲームですし,若くて結構強いと言っても,ただ体が動くだけというか,でも,だいたいはそうなんですけどね(ほんとは30代とか40代くらいで,めっちゃうまくてよく考えたプレーをする人と打つのが面白いけどそんな人はなかなかいない).

 あるいは,そんなことじゃなくて,私自身がバドミントンにもう執着がなくなってきたというか,トレーニングして体を整えて,バドミントンの競技力を上げようという意欲がなくなってきたというか,この歳になってそんなことしてどうすんの?ということかもしれません.

 でもまあ,とりあえず練習に行くとは思います(と言っても来週は休みらしいけど,ピアノプロジェがあるからちょうどいいか).

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11/21'20
(バドミントン)

 一晩経って,疲れや体の痛みはそれほどでもないですが,まあこれは大分抑えてやったからかな.というか,動けなければ疲れもしませんからね.でも,朝ご飯を食べたら何をするという気にもならず,結局,午前中は椅子の上で寝ていたような感じです.だから,やっぱり,それなりに疲れてる?

 バドミントンについては,昨日書いた通りで,歳をとって体が動かなくなってきて,健康のためとかじゃなくて,競技力云々という感じでやる意味あるのかというか,それでもやる価値があると思うのならやる,思わないのならやらないってことでいいと思うんですが,普段,打つ相手は,体が動く若い人が相手で,彼らの方が(バドミントンのことは全然わかってなくても)体が動いて強いわけで,それはやってて何だかなあとは思いますね.

 普通なら長いことやっていれば,どんどん熟練してくるものですが,スポーツの場合は,それが全く当てはまらないわけで,それって一体なんなん?というか,それこそやってる意味あるのかとなってしまうわけです.

 それは,今に始まった話ではなくて,もうずっと思ってることですが,40代前半まではそういうことは全然考えなかったというか,だったら,しっかりトレーニングして,体が動くようにすればいいと考えたわけで,でも,40代中盤くらいから,それがうまく行かなくなったというか,トレーニングしても全く効果が感じられなくて,無理をすれば怪我をして却って競技力が落ちるという感じで転げ落ちて行きました.

 そう考えると,もうこんなことさっさとやめた方がいいとも思うのですが,まあそれでも単純にバドミントンをしたい,体を動かしたいと思うのなら,やるということでいいのかもしれません.

 でもそれなら,若くて強いのとやって何だかなあってなるよりは,今の自分と同じか少し下くらいの人とやればいいわけで,それは全然可能というか,人数的にもそういう人の方が全然多いと思うんですが,それはそれでつまんないわけで,なかなか難しいんですが,まあ練習には行くってことは,そこで何か思ってどうするか考えるんでしょうから,それに従って行けばいいってことですかね.

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[環境の変化?]

 相変わらず,住むところも職場も変わって,環境の変化に慣れるのに大変でしょうと言われるのですが,繰り返しになりますが,そんなの全くないです.「全く」です.昨日のバドミントンの練習だって,全く知らないところに行って全く知らない人と打ったんですが,別にーていうか,今までだってそんな感じだったような気もするくらいです.

 職場は以前から知ってる人も多いですが,そうでない人もいるし,でもちょっと話せばどういう人かわかるというか,わからなくてもそういう中で付き合って行けばいいってだけの話ですからね.

 もちろん,職場にしても日常生活についても,視界の中には10月までとは全然違う景色が映っているのですが,単に映像が違うというだけで実質何も変わらないというか,ある意味,新鮮味も感じないわけで,むしろ,そういうことに違和感を感じるという何とも不思議な感覚です.

 原因としては,基本的にずっと内的熟達的に生活してきたからと書きましたが,外部環境というか,人と接することはあるわけで,でもそれも変化を感じないわけで,それだけが原因ではないような気もしますが,環境の変化に慣れるまで大変ということがないのはいいんでしょうからまあいいのかな.

 ただ,いろいろやらないことがあるとか,ダンボールの山もそのままで棚を組み立てて荷物を収納してとかやらないといけないのは面倒ですが,それはまた全然別の話ですかね.

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11/22'20
[ピアノプロジェ中止]
(ピアノ)

 今週末のピアノプロジェですが,感染拡大という状況を受けて中止になりました.発端は,京都,名古屋から行くメンバーから見送りたいという連絡が入り,その後,東京のメンバーもという感じで,私個人的には,そんなに深刻には考えてなかったのですが(京大も宇治キャンパスではまだ一人も感染者は出てないそうですし,政府やメディアが煽るのはいつものことなので),こういうのは皆さんの総意と言うか気持ちの問題というか「やっても楽しめない」というのが全てだと思いますからね.

 せめてオンラインでという話もあるのですが,今年は中止というよりは,様子を見て落ち着いた頃に,例えば,春先とかにできればいいと思うのですが(会場がとれればですが).

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[何を今更]

 こういうことを書いたんですが,考えてみたら,もう実質人生が終わってるわけで,何を今更ってことですよね.思い返してみれば,40代中盤からという話もまさに人生が実質終わったタイミングとほぼほぼぴったりなわけです.

 ですから,もう変な拘りを捨てて(正しい使い方)潔く諦める(明らめる)べきということですね.その上で,実際はまだ人生が続くとすれば,その中でどうするかということで,それは,まさに自分の気持ちに従えばいいってことで,そんなこと書くと他人事みたいですが,まさにそういうことで,おまけの人生というか,なるようになるしなればいいってことですかね.

 つまりは,やらないといけないことがあって,それに向けてむりやりやる気やその気を引き起こすということはもうないというか必要ないわけで,でも,そういうものを感じればやるということで,何とも自堕落というかハッピーな話とも言えますかね.

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[棚の組み立て]
(生活)

 やっとプライオリティが降りてきたというか,荷物を収納する棚がないとここから先に進まないということで,研究室の棚を(四連の)一つだけ組み立ててみました.最初は説明書を見ながらということで少し時間がかかったのですが,もうわかったのでここからはもっと早くできると思います.

 でも,実際に組み立ててみてわかったこととしては,ボルトレスというのは,部材を三角形の穴に差し込んでハンマーで叩き込んで摩擦で固定するというものでした.ですから,かちゃっかちゃっていう感じではなくて,相当強くハンマーで叩き込まないといけません(でも分解するときはそんなに強く叩かなくてもはずれる気がする).

 でも,側板を一度組み立てたらそれはもう分解しなくてよくて,棚を運ぶ時は,側板とビームと棚板に分解すればいいというのは目論見通りなんですが,摩擦で止まってる状態で側板がどれだけ安定してるかってことですかね.

 あと,これは予想していたんですが,これまで使っていた棚より「無駄なスペース」があるというか,具体的には,棚板が無用に厚かったりして,同じ高さでもファイルボックスが7段入れられたものが6段しか入らなかったりして,スペース的にちょっと勿体ないんですが(でも1段のスペースに少し余裕はあるのでダンボールとかは取り出しやすいかも),ボルトレスの棚はこれしかなかったのでしょうがないですかね.

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[これも環境の変化?]
(日記)

 環境の変化ってことですが,職場とか住む場所が変わったのはどうってことないんですが,住む家や研究室が変わって,家ならちょっと狭くなって,家具とか台所とか洗面所,洗濯機の配置とかが変わってルーティン的なことも変わったとか,前より狭くなったのでいろいろ工夫しないといけなかったり,まだ棚が組み上がってなくて,荷物が収納できなくてその辺に置いてあったりとかいうのはちょっとストレスですかね.

 でも,棚が組み上がれば,それはクリアできるでしょうし,家はちょっと工夫しないといけませんが,研究室は格段に広くなったので,棚さえ組み上がれば,前以上の環境になると思います.

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 家が狭くなったということですが,もちろん,工夫すれば何とかなるというか何とかするしかないですが,流しが小さいのと,洗濯機前と洗面のスペースがちょっと狭いですかね.というか,流しは確かに小さいですが,それ以外はこれくらいが普通なんだと思います.つまり,前のところが広かったってことですかね.

 もちろん,もっと高い家賃を出してもっと広いところに住むこともできますが,ピアノを入れられるところはここしかなかったということもありますし,大学に近いというのは大きいですし,部屋の中は新しくて気持ちいいのでこれでOKですが,ちょっと工夫しないといけない感じです.

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11/23'20
(日記)

 今日は四連の棚の増連三連部分を組み立てました.ハンマーで叩き込むときにかなり大きな音がするので休日のうちにやっておきたかったというのもあります.最初はこんなに叩き込まないと入っていかないの?という感じだったのですが,大分慣れてきたというか,簡単に入るようだと逆にすぐはずれるってこともありますからね.

 昨日は一連で1時間半くらいかかったのですが,今日は三連分で2時間くらいでした.そして,側板部分はもう分解する必要がないので(側板部分はしっかり固定されてるようでした),次に分解(運搬)組立するときはもっと簡単で,ビームと棚板をはずすだけなのであっという間じゃないですかね.

 棚自体も一連だけだとなんだかなあという感じでしたが,四つ繋がると結構立派(笑)というか,これで充分じゃないですかね.

 ○大教授たる人がそんなことして,と思う人も多いんでしょうが,そんなこと知ったこっちゃないというか,自分でできることは自分でやるというか,そういうことを創意工夫するのがいいと思いますし,何でも金払って人にやってもらってると,いくらお金払っても誰もやってくれない(姥捨て山状態の)世の中になったときにどうしようもなくなると思うんですよね.

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11/24'20
[どっちを選ぶか]
(世の中)

 感染再拡大で,でも週末は行楽地は大賑わいで,政府はGoTo何とかをどうするかとかもうぐだぐだで一体なにやってんだ?って感じですかね.そもそも,言ってることがめちゃくちゃというか支離滅裂です.

 例えば,三密を避けましょうと言う一方で,週末は行楽地は大賑わいで車は大渋滞でけしからんとか言って,いやいや,行楽地,即ち,屋外なら三密じゃないし,それは車で移動するのも同じなんじゃないの?

 結論から言うと,感染を止めたいのなら短期間ロックダウンするのが最も効果的で,それが嫌ならしっかり感染対策をするしかない,つまり,どうしても会食をしたいのなら,マスク会食はめんどくさいからできないじゃなくて,ロックダウンとマスク会食のどっちを選ぶか(どっちも嫌はだめ)ということです.マスク会食ができないという○ホな国民ならロックダウン(緊急事態宣言)するしかありません.

 でも,春先に何度も書きましたが,マスクをしているから大丈夫ということではありません.正面至近距離で話をして飛沫を直接浴びれば感染するのは当たり前で,マスクはそれを防ぐというだけの意味しかありません.逆に言えば,正面至近距離で話をするのでなければマスクをする意味はほとんどないし,エアロゾルが空中を漂って感染するよりは,何度も書いているように接触感染の方が圧倒的にやばいわけで,でもこれも口や鼻や目などの粘膜を触らないなどすれば大丈夫,つまり,新型コロナは無用に恐れる必要はなくて,ちゃんと対策をすれば,感染することはほとんどないのです.

 でも,それができないんでしょうね.だとすれば,政府や自治体が非常に効率が悪くぐだぐだな対策をすることになりますが,GoToや休業補償などの対策をするというのは国が何とかしてくれるのではなく国民の税金(しかも多くは借金)を使うわけで,その莫大なツケは全部国民に返ってきます.

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 あと変だなと思うのは,どこかで書きましたが,たったこれだけの感染者で医療現場が逼迫して来てるということです.もちろん,そこが一番重要なのですが,アメリカとかヨーロッパは,日本の何十倍も感染者が出てるわけですよね? ですから,当然医療現場は逼迫してるんですが,何十倍というオーダーなわけで,何が言いたいかというと,これがほんとなら日本の医療体制は一体どうなってんの?ってことです.

 アメリカとかヨーロッパの何十分の1の感染者数で医療崩壊するとしたら,あまりに脆弱過ぎませんか? だとしたら,早急にそこをてこ入れするべきでは?

 でも,実態はおそらく違うわけで,だとするとほんとは...ってことですよね.まさに政府やメディアが言うことは嘘ばっかりってことですが,そういうことも含めて,ぐだぐだな世の中から距離をとり,よく考えてしっかり行動しましょうってことですかね.

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[いやーな感じ]
(日記)

 棚は四連一つだけ組み立てたんですが,引っ越し後の片付けというか,家と研究室の体制作りですが,まだまだいろいろ手続き的なことは続いてますし,当然のことながら,やらないといけない仕事もありますし,仕事以外にもなんかいろいろあって,なかなか思うように進まないというか,その気になれば進むんでしょうが,そんなにその気にもならないという感じで,あんまりいい感じじゃないですね.

 どこかで書きましたが,10月から11月に変わったときに何かが変わったというか,何かいやーな感じになったというか,それが何かよくわからないのですが,何か知らんがそんな感じです.

 でもまあ,そんな感じでも,その気になる範囲でちょっとずつでもやって行けばいいのでしょう.

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[引きこもりとかニートとか]

 引きこもりとかニートとか,そういう人っていますよね? どう思いますか? ちゃんとやれよって感じ?

 私個人的には,よくわかるというか,何かをきっかけにそうなってもおかしくないというか,まさに紙一重という感じがするんですよね.もちろん,引きこもったこともニートになったこともありませんが,何度も書いているように,私は生来の怠け者で自堕落で,そんなんでここまで来られたのが不思議というか,ほんとにラッキーだったと思うんですよね.

 ただ言えることとしては,時々何か知らんけどその気になったときはスイッチが入ってとことんやるというか,ただそれだけなんですよね.でも,その気になったら誰だってスイッチが入ると思いますから,結局,そういうものを見つけられたか,出会えたかってだけな感じもして,だとすると,やっぱり単にラッキーだったということですかね.

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11/25'20
[不思議な感覚]

 あまり調子はよくないのですが,2か月くらいずっと活動度が高かったし,周期的なものもあると思います.いやーな感じというか,そういうのも周期的に変化する感じがします(つまりは,しばらくすると「いい感じ」になるんだと思います).

 それにしても何とも不思議な感覚は続いています.変化を感じないと何度も書きましたが,変化を感じないのではなく(というか実際は変化してるし,変化も感じているし),変化に一瞬にして慣れた,対応したと言った方がいいかもしれません.

 でも,そんなことある?って感じですよね.少なくとも,私自身はこれまでそんなことは一度もなかった,例えば,大学に合格して東京に来た時,駒場から本郷に引っ越した時,東大地震研に就職した時,UCバークレーに行ったとき,UCバークレーから帰ってきて西片に住んだ時,筑波大に来た時は全く違いました.だから,不思議なわけです.

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 関係するのかどうかわかりませんが,全然そんなことがなかったときと今と何が違うかと言うと,人生が(実質)終わってるってことですかね.実際,そう考えると,どこかほっとするというか,そうだとすると起こっていることはどれも大したことじゃないというか,少々のことには動じないというか,そういうところはあると思います.

 でも,めんどくさいことはめんどくさいし,調子が悪い時は悪いし,いやな感じがするときはいやな感じなんですが,人生が(実質)終わってるというか,人生所詮退屈しのぎと考えると,そういうこともどうでもよくなるというか,もちろん,人生が(実質)終わる前までは何でもそういうわけには行かなかったんだと思いますが,今はもう別にどうでもいいというか,何でもありなわけで,でも,そう考えると,そういうゼロベースからどうしようかとなって,それはそれで悪くない感じです.

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(野球)

 日本シリーズですが,全く以て予想通りソフトバンクの圧勝に終わりました.ちらちら見てた程度ですが,もう力の差が歴然です.1軍と2軍というか,プロと高校生というか,どこかでジャイアンツのことをよくこんな戦力でセリーグで優勝できたもんだというかセリーグとパリーグのレベルが違いすぎると書きましたが,まあそういうことですかね.

 でも,ここまで悲惨だとちょっと考えないといけないんじゃないですかね.と言っても何をどうするんだ?ってことですが,来年からは日本シリーズじゃなくて,パリーグの最下位とセリーグの優勝チームで入れ替え戦やった方がいいんじゃないですかね? 実際のところ,今年のパリーグの最下位はオリックスですが,結構いい勝負になりそうな気がします.

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[関西に来て]
(日記)

 関西に来て,と書いて思ったんですが,正直,関西に来たって感じは全然しないというか,実質ほとんど変わらないと思うのですが,1ヶ月近く経って思うのは,テレビはそんなに変わらないのですが,関東ローカルの番組が結構あるんだなってことでしょうか(例えば,日テレのNFLの番組はやってない.バースデーもやってない).

 その分,関西ローカルの番組があるんですが,ほとんどこっちでしかみない芸人が結構います.でも,それはこっちに来る前からわかってたことですかね.そういう番組は読売(日テレ)に多い気がします(何となく).

 あと,夜明け(のときは起きてないけど)と日暮れが「ちょうどいい」感じがします.何度か書いたと思いますが,大学に受かって東京に来たとき,冬は16時を過ぎると暗くなってくるのがものすごく違和感があって,逆に夏は4時くらいから明るくなるのが無駄な感じで,一方,福岡は,夏は8時近くまで明るいのはいいんですが,冬は朝の7時はまだ暗くて,それがこっちだと多分ちょうどいいんじゃないですかね.

 でも,これは当たり前で,要は,日本標準時子午線である東経135度に近いってことなんですけどね.

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[周期的なもの]

 いやーな感じと書いたのですが,なんなんですかね?

 何か嫌なことがあったのかと言うと,ないこともないですが,いいこともいくらでもあるわけで,この1ヶ月を振り返ってみると,いろいろめんどくさいこともあったけど,いろんな人に会って楽しかったことの方が多いわけで,ですから,そういう外部要因は関係なくて内部要因,つまりは,やっぱり,単に周期的なものってことですかね.

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11/26'20
[思い出した]
(バドミントン)

 筑波大の志田先生(東大バドミントン部OBで,筑波大バドミントン部の教職員メンバー.私が東大地震研にいたとき,彼はまだ現役で御殿下で何回か練習したこともあった)から連絡が来て,彼は筑波大に来る前は京大におられたので,京都とか京大のバドミントン事情というか,私がこっちに来てレベルの高いクラブをお探しでしょうからという感じで情報提供をしてくださいました.

 で,思い出したのは,私が筑波大に行った時のことです.当時は(まだ)かなり強くて(年代別の全日本のシングルに出ても何回か勝てるくらい),それこそ必死でレベルが高いところを探しましたが,これといったところがなく(しばらくは東大バドミントン部OBの後藤が主宰するところに行ってましたがちょっと遠かった.でも今思えば,宮本君や和所さんとずっとシングルができればよかったんですが),行きついた先は,筑波大バドミントン部ということで,そこで練習させてもらえることになり,それが筑波大バドミントン部との繋がりになりました.でもさすがに練習はきつかったですし,トレーニングとかもいっしょにやってましたので,結局,それで怪我してしまったところもあります.

 それで今なんですが,当時から20年近くが経ち,怪我と老化ですっかり凋落してしまって,レベルが高いところを探すという感じではなくなってて情けない限りなんですが,まあしょうがないというか,とりあえず近所でそこそこのところを見つけてそこの練習に行くことにして,そうこうしているうちに何かが起こるか,その気になるかってことですかね.

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[半径100m以内]
(生活)

 こっちに来て1ヶ月近く経ったんですが,家と大学は直線距離だと200mくらいしか離れてないので,ほぼほぼ半径100m以内で生活してる感じです.

 半径100m以内を出たのは,全部列挙できるくらいで,具体的には,来てしばらくは1kmくらい離れたショッピングモールとホームセンターに時々車で行ったのと(最近はそんなに行かなくなった),宇治市役所に転入届を出して警察署に免許証の住所変更に行ったのと,阪大の真田先生が歓迎会をしてくれたので電車で四条まで行ったのと,防災研の建築系の歓迎会は半径100mの円内でしたが,部門の歓迎会で宇治の料亭まで行ったのと,桂まで一度挨拶に行ったのと,先日バドミントンの練習に隣の駅の近くまで行ったくらいですかね.あーそっか,生協の食堂はちょっと離れてるので半径100mの円は出てるかな.でも,+数百mくらいのことです.

 そんな大学と家を往復するだけの生活でつまんなくない?と言う人が多いんでしょうが,めっちゃ快適です.つくばのときは,家と大学は8kmくらいはありましたが,車で往復するだけですから,基本的には同じですし,それが徒歩数分になって「ただ快適」になった感じですかね.感覚的には,西片(地震研時代)のときより近くて,本郷(青山小谷研時代)のときくらいの近さですかね.

 じゃあこんな「単調?な生活」がどうして快適かと言うと,それは何度も書いているように「内的熟達的生活」をしているからに他なりません.学生達もそうですが,いろんな人達ともZoomで会えますし(今週末のピアノプロジェは中止というか延期になったけどZoomで集まることになった),メールのやりとりもありますからね.つまり,見かけは単調に見えても私の中ではいろんなことが起こっているわけで,これで楽しければ,ある意味無敵ってことですよね.

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11/27'20

 グーグルマップで見てみたら,研究室と家の距離は200mくらいですが,研究室と生協食堂の距離は250mくらいありました(笑).イメージ的には,地震研と農学部食堂くらいな感じです(と言ってもわかる人にはわかるけどわからない人にはわからないか).

 防災研が入ってる建物はかなりでかくて,私の部屋は正面の入口近くにあって,一方,食堂は反対側を出た別の建物なので,生協に行く時は100mくらいの長い一直線の廊下(ってなかなかないですよね)を歩いて縦断して行く感じです.

 つまり,生協にご飯食べに行くより家に帰って食べた方が近いってことですね.でも,直線距離はそうですが,道のり的には家の方がちょっとある感じですかね.

 と言っても,どのみち数百mの話なんで,別にどうってことはないんですけどね.

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[所属意識]
(仕事)

 メールの冒頭に○○○(所属)の○○(名前)です,って書きますよね.これは,メールの礼儀の一つとされていて,メールを開いて読む人は,当然冒頭から読んで行くので,まず最初に誰からのメールなのかを知らせる必要があるということです.でも,インターネットが普及し始めた頃はともかく,今はメーラーで差出人が表示されていて,誰からのメールかわかった状態で読み始めることが多いのでもうそんなに必要ないかと思いますが,名前だけだとぴんと来ないこともあるのかな.

 で,「○○○の○○です」ですが,○○○に所属,○○に名前が来るんですが,昔は○○@○○○です,と書いていたと思います.私の場合,地震研時代は「境@東大地震研です」でしたし,筑波大に移ってからもしばらくは,「境@筑波大です」でした.でも,名前が冒頭に来るのは,ちょっとどうかと思って,途中から「筑波大の境です」にしました(わざわざ字下げする人もいますよね).

 そして,また所属が変わったので,今回の場合は,「京大防災研の境です」となるのですが,まだ一度もそう書いたことはない気がしますし,もうそう書くことはあまりない気がします.

 理由としては,冒頭で書いたようにわざわざ書かなくても誰からのメールかわかってるやろということもありますが,所属意識がなくなってきたというか,どこに所属しているかは大した問題じゃないというか,そういうことがあるのかもしれません.

 もちろん,例えば,学内でメールのやりとりとりするときに名前だけより所属を書いた方がわかりやすい場合は「防災研の境です」と書いた方がわかりやすいでしょうし,学会とか外の仕事をする場合もそうかもしれません.

 でも,少なくとも今は,「京大防災研の境です」と言われても???だけど,「筑波大の境です」と言われたらぴんと来る人がほとんどだと思うので,「京大防災研の境です」とは書かないと思いますし,ぴんと来るからと言って「筑波大の境です」と書くわけには行かないので,しばらくは様子見ですかね(「筑波大から京大防災研に移りました境です」と書くのがいいのかもしれないけどさすがにめんどい).

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 もっと言えば,「京大防災研の境です」ということ自体に私が違和感があるような気がします.それは,筑波大に移ったときもそうでしたが,しばらくすると「筑波大の境」になったと思います.でも,今回はもう1か月近く経ちましたが,あまり「京大防災研の境」という感じがしません.

 それはもちろん京大防災研に違和感があるのではなく,やはり,所属意識がなくなってきた,つまり,どこに所属しているかではなく,何をやってどういう成果を出したかが重要なわけで,肩書とか所属とか別にどうでもいいじゃんということなんだと思います.

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 見方を変えると「どう名乗る」のがいいんでしょうね.名前さえ名乗ればわかるというのが理想なんでしょうが,それで認知してもらえなければ,何か+αの情報が必要になるわけで,それが所属ということになるのでしょうか.

 例えば,音楽関係の人って,やってる楽器を使って「ピアノの○○です」って言うんですが,それっていいんじゃないですかね.私だったらどうなりますかね?

 研究者の境です.地震動と建物被害の関係を研究してる境です(長いな).短く言えることを専門にしているのなら,分子生物学の○○ですとか,鉄筋コンクリート造の○○です,とか?

 もう少し範囲を広げて,建築学科に所属しているのなら,建築の○○ですというのならあり? と,ここで気づくのですが,所属が中身を表しているのならそれもありってことになりますね.

 そうすると,京大防災研は「防災」という中身を表す用語が入っているので,実は結構いいのかもしれません.少なくとも,筑波大の境ですとか,京大の境ですとかよりは,意味があるかもしれませんね.でもまあこれはたまたまですかね.

 いずれにしても,リタイアしたらどこにも所属しなくなってしまうのですから,そうなったときにもちゃんと認知してもらえるようにということで,そういう意味では,名誉教授って大学を辞めた後も仕事するのならなった方がいいような気もしますが,そんなのなくても認知される方がもっといいんでしょうし,更に言えば,別に認知なんかされなくてもOKというところまで行けばもっといいような気もします.

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 ちなみになんですが,筑波大は教授を10年やると名誉教授になれるらしく,私ってその条件を満たしてるんですね.でも,京大の教授をしながら筑波大の名誉教授ってわけには行かないでしょう.

 じゃあ,京大はどうかと言うと7年らしいです.そうすると,定年までいてもギリギリ足りないことになりますね(4月に来れば足りたことになるし,筑波大も多分ちょうど10年なのでダブル(笑)だった).

 つまりは,私はどこかの大学の名誉教授になることは(多分)ないってことなんですが,名誉教授になりたければ,京大に来ずに筑波大にいればよかったってことになるわけで,でも,そんなことが理由で移籍しないなんてことはあり得ないわけですから全然大したことじゃないってことですね.

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[その気になったらやる]

 最近,何度か「その気になったらやる」と書いてます.例えば,ピアノなら弾く気になったら弾く,バドミントンなら一応練習には行くけど,その気になったらトレーニングするとか,片付けもその気になったらするとか.もちろん仕事はそういうわけに行かないんですが,メンタリティーとしてはそんな感じですかね.

 そして,生来の怠け者の私にとってはこれが結構いいような気がします.今頃?って感じもしますが(笑),人生が(実質)終わって,何でもありになってきたってことがあるのかもしれません.

 でも,逆に,じゃあ,今まではその気にならなくてもやって来たのかというと,そんなわけでもなくて,仕事とかでその気にならない場合も,どうやったらその気になるかを考えてやってきたってこともあるので,結局,今になって何かが大きく変わったわけではないと思うのですが,「その気になったらやる」ということは,その気にならないとやらないということではなく,「その気になったらやる」と考えるとその気になるというか,そういうことに気づいてきたという感じはします.

 と書きましたが,「「その気になったらやる」と考えるとその気になる」とすると「その気にならないといけない」となって,その気にならなくなるので,やっぱり,「その気になったらやる」で行くことにします(笑).

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11/28'20
[名誉教授]
(大学)

 京大の教授をしてるのに筑波大の名誉教授ってわけには行かないと思うのですが,京大を定年で辞めたら筑波大の名誉教授になれるというか,そういう大学もあるらしいです(筑波大がどうかは知らない).でも,京大の教授をしてて,定年で辞めた途端に別の大学の名誉教授ってのも変な話ですよね.

 そもそも,名誉教授自体に実質的メリットはほとんどなくて,でも,名誉教授になると現役のときのメールアドレスがずっと使えるときいて,それは便利と思ってちょっと調べたんですが,筑波大というか,前いた専攻はメールはずっと転送してくれることがわかって,だったら別にそれでいいやというか,こういうのはいただけるのならありがたくいただきますが,そうでないのならってことでいいんじゃないですかね.

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 でも,名誉教授がどうこうというより,考えたのは,京大を(定年で)やめるときにどうなってるのか?どうでないといけないか?というようなことです.そういう意味では,そういうことを考える一つのきっかけをくれたとは言えますかね.

 具体的には,京大を(定年で)やめるときに違和感なく筑波大の名誉教授になれるような状況ではまずいわけで,要は,筑波大から京大防災研に来て,京大防災研にいる間に何をしたんや?というか,やっぱり「ここで一仕事しないといけない」ってことです.ていうか,そのつもりで来たわけですからね.

 とは言え,そう考え過ぎると変な力がはいるというか逆効果な感じもするので,「その気になったらやる」で行こうとは思いますけど(マインドコントロール).

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 じゃあ,一仕事って具体的に何ですかね? 震度を変える(本来の震度に戻す)とか,地震被害推定システムを作るとか,国レベルのでかい仕事をすること? あるいは,東大の先生みたいに学界のとりまとめ的な仕事をすること?

 うーん,私個人的にはやはり研究がしたいというか,もちろん,独りよがりの研究ではなくて,地震動の性質と建物被害の関係を探求し,現存する建物の真の姿に迫り,これらを組み合わせて地震被害推定,そして,それを将来発生する地震被害予測にまで拡張したいってことですかね.ずっと書いてるように,そういうことが「結果的」に「でかい仕事」に繋がると思いますし.

 そして,やっぱり,論文を書きたいですかね.それは査読論文を書いて業績を積むってことじゃなくて,自分がやってきた研究をそれなりにまとめておきたいと思うんですよね.ですから,論文じゃなくてもよくて,研究室のウェブサイトで既にそういうことを始めています.

 そんなこと大学をやめてからでもできるとも思うんですが,これは想像力の問題ですが,大学をやめてからではやらない気がしますし,注目もされなくなると思うんですよね.

 あとは,後継者とは言いませんが,研究者を育てたいとは思いますかね.でも,こればっかりは研究室の門を叩いてくれる人がいないと話にならないので,自分ではどうしようもないですかね.でも,もしそういう人がいたら手塩にかけて育てたいとは思います(ていうか,これまでもそうして来ました).

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[最後のチャンス]

 そっか,博士まで行くことを考えると学部と大学院で6年かかるので,実は今年というか来年が最初にして「最後のチャンス」なんですね.こっちに来るのがいろんな事情でずれこんで,いっそのこと来年の4月とかなってたら,もうアウトだったわけで,11月という中途で来たことにも大きな意味があったということでしょうか.

 でもまあ,非常に優秀なら6年かかんないし,今筑波大の学生の面倒を見てるように,京大をやめても実質面倒は見れると思うし,何とでもなる気はしますが,こういうのって何かある感じがするというのは思い過ごしですかね.

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 でも,逆に言えば,もうそういう確率は非常に低いってことですね.つまりは,よほどのことがなければということで,それはそれで仕方ないですかね.むしろ,学部の学生より,ポスドクとか社会人とかの方が可能性があるのかもしれません.

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11/29'20
[「でないといけない」ことなんてもうない]

 やっぱり,「でないといけない」と考えるとだめですね.ということで,そう考えるのはやめることにします.

 実際,「でないといけない」ことなんてもうないと思いますしね.

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 つまりは,「研究したいから研究する」でいいわけで,それで成果が出るのか?と言う人もいるんでしょうが,「研究したいから研究する」から成果が出るってことです.

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[研究者]
(研究)

 何度か書いた話題だとは思いますが,先日,ある人と話してあらためて思ったというか,研究者(≒大学教員)って職業としてどうなんやということです.

 私個人的には,研究者になってよかったと思いますし,もう一度人生をやり直す(のは嫌だけどやり直せと言われたら)やはり研究者になると思います(でも同じ道を辿って今のところまで来るのは途方もない道のりに思える).

 何度も書いているように,大学の教員も少子化に伴う悪しき大学のサービス合戦に巻き込まれていろいろ大変になってきてますが,それでも民間企業に比べたら遥かにやりたいことができると思います.

 いやいや,どうしてお前にそんなことがわかるんや?民間企業で働いたことあるんか?ってことなんでしょうが,民間企業の人で知ってる人はいくらでもいますから,話をすればわかります.

 でも,一番説得力があるのは,大学でも民間企業でも働いたことがある人の言うことでしょう.そして,そういう人が大学の研究者のいいところは,民間企業より遥かにやりたいことができる,やることを自分で決めることができることが最大のメリットと断言していたわけです.

 学生が研究室で先生を見てると,いろいろ大変そうだなあと思うみたいですが,じゃあ,民間企業で働いてる人が働いているところをすぐそばで見たことあるんか?ってことで,民間企業はもっと遥かに大変というか,少なくともやりたいことができる,やりたいことを自分で決めるなんてことには程遠いのが現状でしょう.民間企業をディスってるのではなく,民間には民間のいいところはあると思いますが,やりたいことをやりたいのならということです.

 じゃあ,やりたいことなんかないということなら,会社に行ってやることを指示してもらって生活費を稼ぐために歯車として働くという考え方もあるかもしれませんが,そんなことでは,景気が悪くなったときに真っ先に切られるのがオチでしょうから,結局は,やりたこととというか,これで食っていくということというか,これで勝負するというものがないと,というのはどこに行っても同じということです.

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11/30'20
[1か月経過]
(日記)

 気づいたら月末ですね.つまり,こっちに来て1か月が経とうとしているわけです.その間,何やったかですが,引っ越しとその後の荷物の整理については,一応,普通に生活できるようにはなりましたが,荷物の整理というか収納は進んでいません.仕事はずっと変わらず続いているわけですし,職場が変わったことによる手続き的なこととか,歓迎会的なこともいろいろありましたしね.

 比較できるのは,前回の(つくば市内の家の)引越しですが,前回は住居が変わっただけで,職場はそのままだったし,近距離の引越しでしたからね.それでも,このサイトの当時の記事を見ると,4月下旬に引っ越し屋に冷蔵庫,洗濯機などの大物を運んでもらって,防音室+グランドピアノを移設し(でもその時点でもう生活はできた.しかも余計な荷物がなくて極めて快適だった),5月中旬に2tトラックを借りて残りの荷物の運搬と大量の荷物の廃棄を行い,でも,当日だけでは終わらず,その後,自分の車で少しずつ運んで(旧居は新居の帰り道の途中にあった)職員宿舎退去が完了したのは5/31なので,引っ越しだけで1か月以上かかってるわけで(このときも仕事をしながらなのでそれはしょうがない),その後も多くの荷物は,大分長い間(そして多くは今回の引越しまで),物置部屋に置いてあったわけですからね.

 そう考えると,今回は研究室も移動しましたし,長い距離を移動したので全ての荷物が梱包されてるし,大学を移っていろいろ手続き的なこともあったわけで,仕事をしながらでは,1か月やそこらじゃ無理なのは当然でしょう.

 でも,今の状態で既にそんなに不自由はないですし,年内くらいを目処に少しずつできる範囲でってことでいいんじゃないですかね.ついでに荷物の収納の仕方もバージョンアップすることも考えているので,だったら,今年度末くらいでもOK?

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(スポーツ)

 スポーツ関係の日記的なつぶやき?をいくつか.

 ジャイアンツが日本シリーズで2年連続で0-4でソフトバンクにぼこられたことですが,ダルビッシュが技術云々じゃなくてフィジカルの差と言ったそうです.そう思いますね.私がいつもこのサイトで書いてることです.結局,フィジカルなんですよ.

 もちろん,技術とか戦術もあるんですが,フィジカルあってのことですし,フィジカルの差があれば,もうどうしようもありません.トップレベルとそれ以外,全国レベルとそれ以外,プロと高校生の違いはまさにそこですし,逆に言えば,ジャイアンツとソフトバンクの差はそのくらいあったということで,それで同じプロというのなら,それは大問題でしょう.

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 マラドーナが亡くなったそうです.マラドーナと言えば,やはり,1986年のWCでのイングランド戦の5人抜きと神の手ゴールでしょうか(神の手ゴールについてはどこかで書きました).当時の試合は私も見ていたと思います.

 そんなにスピードがあるわけじゃないし,大きくもないというか小っちゃいし,体型もなんかコロコロしてるし(笑),でも,ものすごくアグレッシブというか,すごい選手で,愛されキャラというか,言動も破天荒だし,スーパースターになるのはわかりますね.

 考えてみたら,私はペレのプレーはリアルタイムでは見ていないというか憶えていないので,最初のスーパースターがマラドーナだったのかもしれません(その次は,大分マイナーかもしれないけど,私の中ではスキラッチかなー).

 なんでもアルゼンチンはマラドーナの死を悼んで国が3日の喪に服すということで,母国での扱いがすごいのですが,確かにマラドーナは英雄だったと思いますが,正直言うと,そんな国に生まれなくてよかったとは思いますかね(王さんや長嶋さんが亡くなった時にまさかそんなことにはならないですよね).

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[京都での生活]

 京都での生活はどうですか?とよくきかれます.ご挨拶的なものもありますが,質問としてちゃんときかれる場合もあります.

 でも半径100m以内で生活してるわけですから,京都での生活も何もない(笑)というか,基本的にはつくばにいた頃とほとんど何も変わらないわけです.

 えー?折角京都に住んでるのに?という人が多いんでしょうが,ほんとは出かけたいのに新型コロナのせいで,引っ越しの荷物の整理がまだで,仕事が忙しいからとかで出かけないってわけではなく,生活したいように生活しているというだけの話です.

 つまりは,何度か書いたように,内的熟達的に生活していれば,どこに住んでいても関係ないってことですね.

 まあでも,気が向いたらというかその気になったら出かけると思いますが,折角京都に来たんだからというようなことが動機になることはないですかね(そんなこと言ったら既に何十回も京都には来てるわけで,そのときにいろんなところに行ってるはずというか,ほんとに行きたいところはもう行ったってことかも).

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 半径100mは極端としても,具体的にどういう生活を送っているかと言うと(どこかで書いたとは思いますが),もちろん,やらないといけない仕事はありますが,学生の研究指導とか自分の研究活動はやりたくてやってることですし,三食おいしいご飯を食べて,夜はぐっすり寝て,いろいろ考えてこのサイトに文章を書いたり,片付けも含めて生活に必要なことをしたり,生活の質を向上させるためにいろいろ創意工夫をしたり,日々の世の中や経済の動きを見て取引をしたり,ピアノの練習をしたり,バドミントンの練習とかスキーとかゴルフに行ったり,仕事仲間や友人達や家族と(Zoomも含めて)会って話をしたりメールのやりとりをしてるって感じですが,これ以上,何を望むの?というか,用もないのにどこかに出かける暇なんかないというか,そんな気はならないですかね.

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