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11/1'10
[34]
(バスコレクション)

 久々のバスコレクションです.もう集中力?がなくなってきたのか,もう出尽くしたのか,単に飽きてきたのか,「新種」と感じることもなく,時は過ぎ...そして,今日,23の写真ゲットと思ったのですが,床は樹脂製でした,ということで新種です(34).

↑(34)小型で,床は樹脂製,座席の色は2に近い.前半分は座席が横向きで,一番後の席が背もたれがとても大きくソファーみたいになってるのが特徴的.

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11/2'10
[中身がわからないのに売れる]
(世の中)

 M嶋ヒロことS藤智氏がポプラ社小説大賞を受賞したことが話題になっていますね.私がまずびっくりしたのは,こんなに高額の賞金(2000万円)がある賞があったことです.芥川賞でも100万円ですからね.その昔(^^;は,20万円だったと思います.父(詩人,小説家)とそういう話をしたとき,賞金はおまけみたいなもので,原稿執筆依頼が来るからそっちの方が大きいと彼は話していました.

 で,もっぱら噂になっているのは,出来レースなんじゃないか,ということです.何ヶ月か前,彼が執筆家になるために事務所も俳優もやめたときも話題になっていましたが,筋書き?としては,出来過ぎてると見る向きもあるでしょう.でも,真相はわかりません.ただ,言えるのは,こういう形になれば,彼も出版社もメディアも嬉しいというウィンウィンウィンということです.

 小説の中身については,ほとんど明かされていないのですが,50万部はかたい,100万部も行けるとの報道です.50万部売れれば,定価1500円として,印税が7500万,100万部売れれば1億5000万ですから,賞金の2000万円を辞退することで好感度を高めて部数上乗せという計算が働いてもおかしくありません.でもこれは,人気商売の芸能人なら,受け取るわけにはいかないということでしょうね.そのくらいは充分稼いでるでしょうし.

 いずれにしても変な話です.だって,中身がわからないのに売れるわけですから.言い方を変えると,「売れる」ということが「評価」と対応しない典型例とも言えます.ポプラ社小説大賞という「評価」を受けたという人もいるでしょうが,著者がM嶋ヒロ氏でなければ,ここまでは売れないでしょう.いずれにしてもこの本を買って読む人は,自分でよしあしの判断をしない人,できない人ということになります.

 ただ,読めば評価を下すことはできます.つまり,問題は「その後」ということですね.いずれにしても「売れる売れない」というレベルの話です.真に価値あるものは「そんなに売れない」ものです.

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02b
[生きて償う]
(世の中)

 裁判員裁判で,死刑が求刑された件ですが,予想通りの結果となりました.自らその道を選び,社会的保証もされた,即ち,社会的責任もある司法関係者ではなく,無理矢理強制的に選ばれた一般市民に死刑の宣告をさせるのは,酷な話でしょう.メディアがそういう風に誘導すれば,尚更です.

 裁判員制度の問題もありますが,既に書きましたが,一番の問題は,死刑と無期懲役の大きなギャップでしょう.どうして,未だに終身刑の議論がなされないのでしょうか? そして,終身刑は,「これなら死んだ方がまし」という過酷な懲罰であるべきです.「自らの命をもってではなく,生きて償う」というのは,そういう意味です.軽々しく言えるような言葉では断じてありません.

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02c
[人間関係]
(生き方)

 今日,あるコミュニティでとても不愉快なことがあり,今回に始まったことでもないので,そのコミュニティからの離脱という選択をしました.これで,1つの人間関係を失い,生活の一部すら失ったことになりますが,不快で嫌な思いをする人間関係ならない方がいいです.

 人との繋がり,と言うように,人間関係って,生きていく上でとても大事だし,大いに人生を豊かにしてくれるものでしょう.でも,その反面,嫌なことや面倒なこともあります.それでも,メリットの方が大きいからつき合うのでしょうが,最近の私個人の考え方というか傾向としては,メリットがあっても,嫌なことや面倒なことがあれば,もうさようなら,という感じです.そういう負の感情に耐えられなくなってるのかもしれません.

 でも,こういうことを続けて行くと,人間関係も含めていろんなものを「畳んで」行くことになるんでしょうね.そして,最後は「おひとりさま」ということになるのでしょう.そして,それはそれで悪くないとも書きました.

 そう考えると,これから何か風呂敷を広げる,とかいうのはとても億劫になってきました.これからいいことなんかないんでしょうし,だったら,せめて悪いこと嫌なこと面倒なことはシャットアウトしたいということでしょうか.気分よく生きていくには,リスクをとっていいことを求めるより,悪いことが起こらないようする,ということかもしれません.

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11/3'10
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 さすがに昨日から悲しくて残念で仕方ありません.比較的「近く」にいたと思っていた人達がいっぺんにあっと言う間に向こう側に行ってしまったわけですからね(もちろん「該当」するのはその中の極一部の人間ですが).

 でも,嫌な思いをしてでもつき合うメリットがあるのなら,お願いしてでもしがみついてでもつき合うものですから,そうしなかったということは,私にとってそのコミュニティがそれだけの魅力はなかったということなんでしょうから,これでいいんでしょう.

 いずれにしても,昨日書いたように,不快な思いをするとか面倒なこととかは,ほんとに嫌になってきました.そういうことがそれ以外のいろんなものよりどんどん優先するようになってきたように思います.

 今回の件に限らず,いろんな嫌なことありますよね.自分勝手な奴,非常識な奴,約束を守らない奴,ちゃんと仕事しない奴,メールの返事もしない奴,最低限の社会的ルールも守れない奴,一言で言ってちゃんとしてない奴,枚挙にいとまありません.これからは,そういう人達は,(私の中で)どんどん「向こう側」に行ってもらうことになると思います.私には,(幸い?日本にとっての中国のように?)それなくしては,生きていけない,お願いしてでもしがみついてでもつき合わないといけない,というようなことは一切ありませんからね.

 逆に,つき合って気分がいい人やメリットがある人(という言い方は語弊があるが)とは,どんどんつき合って行きたいと思います.私にメリットがなくても,相手にとってメリットがあるのなら(それは即ち私にとってもメリットですから),もちろん,喜んでつき合います(でもこの場合は,つき合う上で,ちゃんとしてることは,上で書いたように最低限必要です).つまり,これも相手次第ということですね.

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11/4'10
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 ↑と,書いたのですが,ちょっと違いますね.「不快な思いをしないとか面倒でないということがそれ以外のいろんなものより優先する」ようになってきたわけですから,たとえ,メリットがあったとしても,もう無理してしがみつくことはない,ということです.要は,もういろんなことがどうでもよくなってきた,というと言葉は悪いですが,拘りがなくなってきた,ということでしょう.とにかく,自分が正しいと思うことに従う,つまり,自分の感情も含めて自然の流れには逆らわず生きていきたいと思います.

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04b
[つき合いやすい]
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 あと,1つ気づいたことがあります.それは,「この人はつき合いやすい」とか「いい人」と思われるのも良し悪しということです.私が周りからどう思われているかは,もちろん,ほんとのことはわかりませんが,ちゃんと話したことがある人は,気むずかしくてとっつきにくいというよりは,きさくで話しやすいと思ってる人が多いと思います(多分).そして,普通は,そう思われた方がいいと多くの人が思ってるわけですよね.でも,そういうのって,実は「あぶない」と思うんですよね.

 それは,つき合いやすい→気軽に接する→軽く見られる となることがあるからです(仕事は仕事ができる(と思われる)人間のところに集まる,と似てますね).今回の件も,おそらく,先方も悪気はなかったんだと思います.でも,これもおそらくですが,この人だったらこれで大丈夫だろう,というところがあったんだと思います.でも,私自身は全然大丈夫じゃなかった.つまり,私は,一見は,きさくでつき合いやすく見えるかもしれませんが,もともとは,結構,気むずかしくとっつきにくい人なんです(ってわざわざここで書くのも...).

 学生に対しても,割ときさくに接してると思いますが,それを真に受けて,てきとーなことやってると...間違いなく後でひどい目に会いますよ.

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11/5'10
[その後]
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 離脱表明のその後ですが,多くの反応があり,申し訳なかったということと,そのどれもが考え直して欲しいというものでした.ありがたい話です.どうしてああいうことになったのかについても,詳しく状況説明などがあって実際のところがわかり,正直ほっとしました.

 ただ,じゃあ戻ります,という具合にも行かず,あのときのことを思い出すとやはり辛くて,「あの場所」にしばらくは足が向きそうにもないというのが正直なところです.このくらいのことで,とも思うのですが,歳をとって?精神的に弱くなってしまったんでしょうかね?

 ということで,しばらくは,離脱というかお休みということにさせていただきました.これからどうしましょうかね? 別の活動場所を探せばいいとも思うのですが,そういうのもなんか億劫になってしまいました.つくばに来た時は,一人で全く知らない人ばかりのところに平気でどんどん入って行ったんですがねー.活動そのものが低下することは避けられないような気もします.

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05b
[この人なら大丈夫]
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 今回のことで気づいたことがいくつかあります.「つき合いやすい」と思われるのもよしあしと書きましたが,もちろん,一般的にそういうことはあると思いますが,今回の件は,そういうことではなかったようです.「この人なら大丈夫だろう」と思われるということには違いないのですが,別に軽くは見ているわけではなくても「この人なら大丈夫」と思われてしまうことってあるわけですよね.

 例えば,この人は強い人だからほっといても大丈夫とか,この仕事はちょっと大変だけど,この人なら大丈夫だろうとか,要は,やっぱり,仕事は仕事ができる(と思われる)人間のところに集まる,と似てるわけです.ほんとに大丈夫ならそれでもいいでしょうが,大丈夫でなければ,今回のようなことが起こるわけです.逆に,こいつは頼りないとか,面倒見ないとだめだとか思われると,周りも気にして手を貸してくれるわけです.

 でも,頼りないとかだめな奴とかはやっぱり思われたくないわけですよね.つまり「なかなか難しい」わけです.でもこれは,前から思ってることなので,今更,気づいたというほどのことはないですね.でも,今回は,それがうまくできなかったとも言えるわけで,やっぱり「なかなか難しい」ということになるわけです.もともとそんなに要領よく立ち回れる方じゃないですしね.

 あとは,やっぱり,嫌なことや不快なことに耐えられなくなってるということでしょうか.誰でもそうだよ,と言われるかもしれませんが,その優先順位が上がるとどういうことになるでしょうか? 結構やばいことにもなりかねません.

 今回は,私のいくつかの仕事以外の活動の1つでしたが,そこを離脱すると活動場所をいきなり失うわけです.つまり,同じことは,他の活動についても大いに起こりうることだし,それは,仕事についても同じということです.

 例えば,雑事がどんどん増えていって,研究ができなくなって,やってられないとなったら,やめてやる,となることは大いに起こりうるということです.ただ,仕事の場合は,やめてしまうと食べて行けないので,思いとどまる人が多いと思うのですが,上で書いたように,そういうのを度外視して不快なことや嫌なことに耐えられなくなってるということですから,そんなの関係なくやめてしまうこともありうるわけです.

 まあ,今の世の中,食べて行けないことはないですから,なんとかなるでしょうが,そうなっても大丈夫なように,対策を立てておく必要があるかもしれませんね.繰り返しになりますが,そんな対策したら,却って,そういう状況になりやすくなっちゃうじゃん,というのは,違います.そういう状況を度外視して,不快なことや嫌なことに耐えられなくなってるってことですからね.

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05c
[ピアノプロジェ26]
(ピアノ)

 そうそう,M木さんがピアノプロジェのちらしを送ってくれた(ありがとうございますm(_ _)m)ので載せておきます.相変わらず,コアな選曲が...でも,私は...

 もう今月末なんですね.ただ,いつもは,やばい練習しなきゃなんですが,今回はちょっと違いますかね.

 このサイトでも書いてきたんですが,もう1年以上前くらいから,ピアノが「弾けなくなって」しまいました.「弾けなくなる」というのは,どういうことかというと,物理的に弾けなくなるということではなく,弾く気がなくなる,弾きたいという曲がない,というような状況です.去年のピアノプロジェのときも弾く曲がなく,でも,ピアノを弾かないとどんどん下手になるので練習メニューを無理矢理組んでいて,ピアノプロジェにも出る気はなかったのですが,説得?され,なんとその練習メニューをそのまま弾きました.

 その後も症状?は改善せず,弾く曲探しをした挙げ句の果てにたどり着いたのが,シューベルトの最後のソナタでした.この曲なら技術的にそんなに難しくて,初見で一通り通るくらいですし,なんとか弾く気になることができました.そして,弾いてみるとほんとに美しくも儚くて苦しくすごい曲でした.まさに救世主のようなものですね.

 ただ,この曲を練習した,というよりは,ただ弾いていたという感じです.演奏時間40分ととても長大なので,「練習する」のは至難の業とも言えました.だって通して1回弾くだけで40分もかかっちゃうわけですからね.

 ですから,これから本番までも「ただ弾く」だけですし,本番も「ただ弾く」だけだと思います.でも,何というか,ピアノを弾くってそういうことかもしれませんね.自分の技術の限界に挑戦するのもいいですが,というか,これまではそういう感じでやってきましたが,そういうのは,もうしんどいですし,そもそも弾けないものが練習して弾けるようになるというのも変な話です.そう言えば,妻(プロのピアニスト)が「初見で弾けない曲は,結局,弾けるようにはならない」って言ってました.その通りかもしれません.

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05d
[35?]
(バスコレクション)

 昨日,帰りのバスでK子先生といっしょだったとき,34かと思ったのですが,座席が前まで前向きでした.ですから,新種と思ったのですが,34の写真を見ると,右側の座席がどうなってるか確認できません.文章で横向きと書いているので,横向きだったんだとは思いますが...

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11/7'10
[メジャーとマイナー]
(生き方)

 メジャーとマイナーとかマジョリティとマイノリティとか言いますよね.日本語だと主流かそうでないか,多数派か少数派かと言ったところでしょうか.では,あなたはメジャーとマイナーとどっちになりたいですか? ときかれると,大多数の人は,そりゃーメジャーになりたい,と答えるような気がします.でもなんか変じゃないですか? なぜなら,成功者は全体の割合から行けば,ごく僅か,即ち,マイナーだからです.つまり,メジャーとかマジョリティというのは,普通で平凡ということなのです.

 いや,それは言葉の定義の問題だろう,例えば,アメリカのメジャーリーグのように,メジャーというのは,単に多数派ということではなく,主要とか一流という意味を含んでいる,ということでしょう.その通りです.でも,やっぱり何か変じゃないですか? メジャーは一流,でも,一流はマイナー(少数派).つまり,全く正反対の意味が一つの言葉の中に含まれているまさに一律背反になっているわけです.

 なんで,そんなことになってしまったのかはよくわかりませんが,背景には,このサイトで再三書いてきている「多くの人が支持する,即ち,多数派が支持するものは一流」という大誤解があるという気がしています.ベストセラーとかヒットしたもの=優れたものである,という大誤解ですね.そして,そうなってる一因がお金という形で評価がなされる資本主義社会のひずみによるものであることも書きました.

 真に価値あるものの価値は,凡人にはわからないものです.つまり,本質的にマイナーなものです.そういうものは,最初は認められず,変わり者扱いすらされるでしょう.実際,(真に)成功した人が小さい頃どうだったか,というと,メディアなどでは,かなり美化?して報道してると思いますが,実際には,相当の変わり者で,嫌われ者ですらあったんじゃないかと思います.だって,人に好かれ支持される人気者ということは,多くの人と同じマジョリティなわけで,そんなことでは,マイノリティである成功者になんかなれるわけないからです.

 でも,最近の世の中を見ていると,マジョリティを是とする傾向がますます強くなっているような気がします.ほんと辟易していますが,世論に迎合する政治もそうですね.これは,政治の世界に有能な人材が集まらなくなってしまってるということもありますが,メディアが視聴率を獲るために世論受けする方向に世論を誘導するまさに資本主義社会の弊害でもあります.

 周辺を見ても,空気を読むとか協調性とか周りに合わせるといったことが過剰に意識されているように思います.かく言う私自身も面倒なことは嫌いだし,人間関係はできるだけ良好に保ちたいと思っています.でも,今でも譲れないことは譲れないし,実際,若い頃はもっと尖っていて,周りと衝突もしていました.

 ただ,注意しなければならないのは,逆は必ずしも真ならず,ということです.これは2つの意味があって,1つは,一流はマイノリティだが,マイノリティだからと言って一流ということにはならない,ということです.これは,当たり前ですよね.偏差値80も20もマイナー度は同じです.ですから,とにかく人と違うことをする,では,話になりません.

 もう1つは,これが一番厄介なことですが,売れたものは一流でないことが多いのですが,そういうものの中に一流のものがあることもある,ということです.これは,例えば,一流の人が超一流のものを見出して,それを世の中にうまく伝えられた場合とか,それそのものの価値は凡人にはわからなくても,その副産物が評価される場合などいろんなケースがあります.ですから,注意が必要ですが,「売れたから価値がある」とはならないことにかわりはありません.

 じゃあ,そういう中でどうやって生きていくかですが,やはり,自分でしっかり考えて判断する,に尽きると思います.つまり,どうやったら売れるか,受け入れられるか,評価されるか,ではなく,自分が正しいと思うことに従うということですね.それは,辛くてしんどいものですが,(間に合えば)最終的には評価されるものでしょう.

 でも,そう信じること,即ち,広い意味で「世の中を信じる」ことは,確かに重要ですが,実際には,見出されず評価もされないままになっている真に価値あるものは,ものすごい数に上るでしょう.それこそ,人類の損失だと思うのですが,彼らが「不遇の人生」を送ったかどうかは,彼ら次第だと思います.つまり,評価されなかったから不遇と思うのか,周りはわかってくれなくても,自分が正しいと思うことを貫き通せたと思えたかということですね.

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07b
[学校では教えてくれない○○]
(世の中)

 よく,メディアとか本とかで「学校では教えてくれない○○」というのをやっています.例えば,答えは1つじゃないとか,生きていく上で必要な知識とか,人の道とか,それこそ重要なことばかりです.でも,学校が教えてくれなくて誰が教えてくれるのでしょうか? 家庭? 地域社会?

 でも,そんなものがどんどん機能しなくなってきているのは明らかでしょう.バカな親からはバカな子供しか育たないという負の連鎖は断ち切らなければなりません.そういうケースは,決して少数派ではありませんし,極端な話,ごく僅かな犯罪者が世の中を壊してしまうこともあります.

 つまり,生きていく上で一番大事なことを教育するシステムが全くできていないということです.いったい,何をしてきたのでしょうか? そういうシステムを整備することが必要なのではないでしょうか?

 学校は(現時点では),国語算数理科社会を教えるところ,即ち,子供に学力をつけさせるところです.実際,時間割のほとんどはそうなっています.週に1回の「道徳」の授業や国語算数理科社会の授業中,あるいは,授業の合間では大したことはできないでしょう.そういう状況で,学校の先生に人間教育まで押しつけるのは無理だし酷な話です.

 悪評高くあっというまになくなった「ゆとり教育」は,そういうところを目指したのかもしれません.でも,失敗の一番の原因は,その分,学力の部分を削ってしまったことです.これは,どういうことかというと,学校は学力をつけさせるだけでもういっぱいいっぱいということです.つまり,人間教育を行うシステムは,学校以外に必要ということです.

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07c
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(野球)

 中日vsロッテというカードで史上初の地上波中継なし(1,2戦)という日本シリーズですが,第6戦が延長15回引き分けの史上最長試合となり(確か夜中の0時くらいまでやってた.中継も),ちょっと面白くなってきました.でも,ミス連発みたいで,前回の延長のときもそうでしたが,ハイレベルなしのぎ合いというよりは,どんぐりの背比べというまさに今シーズンを象徴したような試合?

 日本シリーズの引き分けというと,すぐ思い出すのが,1986年のライオンズvs広島で,ライオンズが9回裏,山本浩二(はこの年引退)のホームランで追いつかれて初戦で引き分け,その後,ライオンズが3連敗して4連勝したシリーズです.確か,それ以来,引き分けというのは,記憶にありません.

 第8戦まで行けば面白いとは思うのですが,第8戦まで行くということは,今日,ロッテが負けるということですから,そうすると中日ですかね.つまり,ロッテは今日勝ちに行かなければいけないということですね.

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 終わりましたね.ロッテがあの状況から追いついて逆転し,9回裏で中日が追いついて2試合連続の延長戦はすごいと思いましたが,7戦で終わりました.でも,対戦成績は4-2ですが,ロッテは今日負けたらやばかったと思うので,実質は僅差でしょう.7戦まで行ったので,興行的にはOKでしょうしね.でも,昨日もそうですが,中日がホームで延長に入って再三のサヨナラのチャンスをものにできなかったということでしょうね.でもロッテの日本一は,5年ぶりということですから,ほんと一昔前からすると考えられませんね.

 5年前というと,今抑えをやってる小林宏之の肘の「3D」がすごいと思った(確かこのサイトでも書いた)のですが,今見るとそうでもないです.フォームを変えたのか,歳をとって関節の柔軟性がなくなったのか,どっちかだと思いますが,フォームなんかそんなに大きく変えられるもんじゃないですから,やっぱり,歳をとったんでしょうね.でも,5年でこんなに変わるもんなんですねー.

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11/8'10
[改正貸金業法]
(世の中)

 今朝,付いてるテレビの某国営放送で,貸金業法が改正になって,年収1/3までしか借りられなくなり,また,収入がない主婦は配偶者の同意が必要になり,生活できなくなって困っているという放送がなされていました.

 この類の放送はよくあるんですが,一体何がやりたいのでしょうか? 困ってる人がいるから改正貸金業法は改悪,だからやめるべきと言いたいわけ? この法律でばかな借金をしないで済んで,結果的に助かっている人は取り上げずに,全体の割合からして多いか少ないかも述べずにそういうケースをことさら取り上げて批判をするのは,単なる視聴率稼ぎか揚げ足取りと言われても仕方ありません.

 改正貸金業法ですが,施行されたときに書こうと思って書くのを忘れたのですが,やるべきことをやったという印象です.そもそも,自分の収入と全く釣り合わない借金をしてまでものを買うということがどうかしています.これをやると経済は停滞すると思いますが,そんなことより大事なことがあるでしょう.

 そもそも生活費を借金でまかなうというのにびっくりですが,もっと驚いたのは,借金できないことによるこういう生活苦?に陥る大きな原因は,住宅ローンなんだそうです.はあ?てなもんですよね.生活もできないのに借金して家を買うなんていう大贅沢をするというのは,生活力が決定的に不足しています.いや,給料が減った,こんなに景気が悪くなるとは思わなかったというのも,あまりにも見通しが甘すぎます.

 これも結局,このサイトで再三書いてる教育の問題ですね.まず,そういう生活力のない人をちゃんと教育するシステムを構築することでしょう.でも,それには時間がかかります.ですから,とりあえず,お金の計算もできないあまりに生活力がない人が野放図に借金できないようにするのは,仕方ありません.入口が住宅ローンならこれも審査を厳しくすべきでしょう.景気をよくするという大義名分?でじゃぶじゃぶお金を貸し付けるのは,バブルやサブプライムローンと同じで,詐欺をやっているようなものです.

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08b
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 さっき,食堂で110円の牛乳を買ったとき,10円玉がなかったので100円玉2枚出したら,店員が10円ありませんか?とききます.こっちだって90円(50円玉+10円玉4枚)がじゃらじゃらするのは嫌に決まってますから,10円玉があったら出すに決まってます.こういう意味ないことをきく奴よくいるんですが,なんか最近,そういうのにストレス感じるんですよねー.

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08c
[いつでも引っ越しできる状態]
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 本や書類のpdf化(自炊)ですが,機会があるたびにやってますが,そんな感じだとなかなか進みませんね.それに,本を裁断機にかけてスキャンしたら,廃棄できるかというとやっぱりそこまでは...だとすると,ものは全然減らないわけで,pdf化の目的は,ものを減らすというよりは,ノートPCに入っていていつでも参照できる,ということでしょう.

 これに関しては,別に個人のPCに入っている必要はなく,どこかのサーバに入っていれば,インターネットでアクセスできるので,それでいいわけです.学会の論文集なんかほとんどそうなってきました.ですから,去年だったか,インターネットでまだ公開していないここ1年くらいの論文集を除いて,過去のものを全部廃棄したのですが,ちょー気持ちよかったです.

 で,話を本や書類のpdf化に戻すと,pdf化しても,本を捨てなければ,ものは減らないのですが,本棚のようなアクセス性のよさは必要ないでしょうから,番地を付けてダンボールにしまっておいてもいいわけです.裁断機にかけたら本棚には並びにくいですしね.

 私の理想の整理状態は「いつでも引っ越しできる状態」と書きました.少々ものは多くてもダンボールに整理して入っていれば,いつでも引っ越しできますから,このやり方でも私の理想の整理状態に近づくわけです.ものを減らそうとすると,減らすことに労力がさかれてしまってなかなか進まないのですが,電子化してどんどん「しまえれば」「いつでも引っ越しできる状態」には近づきます.もちろん,要らないものはどんどん捨てて,これからできるだけ新たにものを増やさないことを敢行するのは当然のことです.そうやって,どんどん「畳んで」行けたらと思っています.

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08d
[学校の責任?]
(世の中)

 いじめによる子供の自殺が後を絶ちません.ほんとにあってはならない悲惨なことですし,なんでいじめなんかするのかとつくづく思いますが,いじめは,いじめないといじめられるので自己防衛的にいじめざるを得ないといったかなり根が深く難しいところもあって,とても厄介な問題です.

 いじめによる子供の自殺があると,必ず報道されるのが「学校の責任」です.もちろん,子供を預かっているのですから,責任を問われるのはわかりますし,いじめの存在をわかっていて放置したのなら問題ですが,1日中立ちっぱなしで言うことをきかない生徒を相手に授業をして,それ以外の時間も授業の準備やテストの採点,会議,研修などに追われる学校の先生に,先生に見つからないようにこそこそやるいじめを把握できなかったとして,どのくらい責任を問えるのでしょうか? 校長は機関の長ですから,何かあったとき謝るのが仕事みたいなものですが,こんな感じじゃ,偉くなんかなりたくないっていう人が増えるのも当然の成り行きです.

 そもそも悪いのは,先生や学校ではなく,いじめる生徒であり,生徒が未成年というのなら,まず責任をとるべきはその保護者でしょう.遺族のやり場のない怒りはよくわかるのですが,その向かう先がまず学校というのは違和感を感じます.このままでは,学校の先生はどんどん疲弊して,なり手もいなくなって,人材も集まらなくなってしまいます.

 子供の人間教育には,まず,保護者が責任をもつべきです.それが難しいなら,そういうシステムを整備すべきでしょう.学校は,国語算数理科社会を教えるところ,即ち,子供に学力をつけさせるところです

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11/9'10
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(世の中)

 学校がいじめの存在を認めた,と報道されてました.給食を一人で食べていたのを目撃していたんだそうです.でも,これでいじめがあったということになるんですかね? 生徒達の間にも人間関係はあるでしょうから,いろいろ問題はあるでしょう.でも,それが「いじめ」というところまで行ってるかどうかの判断はなかなか難しいと思います.誰が見ても明らかに「いじめ」であるのを見て注意も対処もしない教師がいるのでしょうか? いたらほんと世も末ですけど.

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09b
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(調子)

 どうも調子がよくありません.先週,嫌なことはあったのですが,結果的に人間関係的には,思い過ごしというか,本質的には問題になるようなことではなかったと思います.でも,後から,そういうことがわかっても,一度受けたショックは残るものかもしれませんね.実際,離脱しようと思ったときは,他の活動場所を探せばいいと思っていたのですが,実際は,なかなかそういう気分にはなりません.しばらくお休みですかね.

 ただ,因果関係的にはやはりよくわからないというのが真実でしょう.10月はまあまあ好調で(単に忙しかっただけかも),で,先週の出来事あたりを境に調子を落としていて↓(2本の線は1週と2週の移動平均),

結果的に「その通り」にはなっているのですが,10月の終わり頃,結構調子がいいという記事を書こうと思ってやめたのを憶えています.やめたのは,そういうことを書くとだいたい調子を落とすからなんですが,それは,そういうことを書く頃には,だいたい調子がピークアウトしてきて,そろそろ調子を落とすという周期というだけかもしれません.

 逆に言えば,調子を落としたという記事をここに書く頃には,これから調子が上向く,とも言えるわけで,だから,ここに調子がよくないという記事を書いてるわけです.というわけでもないですが(^^;,要は,ここに書いたからどうなる,ということはないんだと思います(そりゃそうだ).もし,そうだとしたら,ここには,調子が悪い,ということしか書けなくなってしまいますしね(^^;.

 ちなみに,久々?の調子グラフですが,なかなか周期的という具合には行かないですね.まあ,いろいろ外部要因もありますし,それは仕方ないでしょう.要は,ずっと好調を維持するのは,難しいので,それは「あきらめて」,調子が悪いときに無理して頑張りすぎないことも肝要ということですね.でも,80を中心に70と90の間を周期的に変化する,つまり,悪いときも70くらいで抑えるのが「現実的理想」ですかねー.

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09c
[TPP]
(世の中)

 TPPでもめてるようですね.輸出産業にはプラスだが,農業にはマイナスという,いつかどこかできいた議論を繰り返しているような気がします.思えば,米に700%!もの関税をかけ,農家を保護してきてどうなったでしょうか?

 これも,結局,自然の流れに従う,損得勘定なんかしないで,正しいと思うことに従うことだと思います.そう考えれば,自ずと道は見えてきます.

 農業が重要なものなら,農家を単に保護するのではなく,みんなが農業をやりたいと思って,どんどん新規参入できるような仕組みを作るべきでしょう.輸出産業は,そういう自由競争の中で勝ち抜いて来ました.どうして農業だけ例外なのですか?

 単に保護するだけでは,人間どんどんだめになっていきます.安い輸入品に対抗できるように必死になって創意工夫するべきですし,それが「楽しむ」ということですから,それは農家のためでもあると思います.

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11/14'10
[疲れた]
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 先週のこと以外にもなんかびみょーに人間関係でめんどくさいことがいろいろあって,やっぱり疲れたみたいです.だいたいは,私が誰かと誰かの間に入っているというケースですね.ちょっとしたことなんですが,ほんとめんどくさいし疲弊します.

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14b
[国とか民族とか]
(世の中)

 TPPですが,農業関係者はやっぱり大反対みたいで,APECが行われている近くの横浜駅の前でビラを配ってる人が「関税が撤廃されて安い輸入品が入ってきたら食の安全が危ない.高くても安全で安心できるものを食べたいという声が多い」と言ってました.じゃあ,「高くても安全で安心できるもの」を作ればいいじゃないですか.それこそ,競争に勝つということでしょう.

 あるいは,ちらっと見ただけですが,某国営放送で,日本のメーカーで競争に敗れた分野の技術者がリストラされて海外に流出するのが問題とか何とかやってました.

 何度も書いてますが,国とか民族とかいう境目とか区別ってもうやめませんか? 別に世界全体でみんなで手分けしてやればいいことじゃないですか.

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14c
[トライアスロン]
(スポーツ)

 なんかトライアスロンが気になっています.別にやろうってことじゃなくて,今やってるアジア大会とかオリンピックとかのトライアスロンってなんか2時間ちょいくらいでゴールしてるんですよ.

 もともとは,スイム3.8km,バイク180km,ラン42.195km(フルマラソン)というアイアンマン(鉄人)で行われていたはずです.でも今は,ショートディスタンス,あるいは,オリンピック・ディスタンスという,スイム1.5km・バイク40km・ラン10kmがメインみたいです.もちろん,もともとのやつだと時間かかってしょうがないんで運営上こうなってるんでしょうが,距離が変われば「種目」が変わります.つまり,持久力というよりはスプリント系の種目ということになってしまいます.

 でもまあ,オリンピックなどの世界のトップレベルでは,フルマラソンすらもうスプリント系になってきてしまってるので,まあいいか.逆に言うと,真に持久力を競う競技がなくなってきてるので,そういうものが必要かもしれませんね.元祖,アイアンマンはそうでしょうし,マラソンにも150kmくらいのものがあったような気がします.

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14d
[一人でできるスポーツ]
(スポーツ)

 今回のことで思ったんですが,一人でできるスポーツというのもやっといた方がいいかもしれませんね.一人でできるスポーツって何でしょうか.

 ゴルフは一人でも練習できますが,コースに出るのは一人というのはなかなか厳しいですよね.スキーやボーリングも練習も一人でできるし,一人でプレーもできますが,やっぱり一人だとつまんないかな.

 そう考えるとランとスイムくらいですかね.走るのは,短距離から長距離までありますから,自分に一番合ったものを選ぶことができます.でも,私ってどの距離が一番得意なんだろう?

 短距離もそこそこ速いですし,中距離もそこそこ速いですし,長距離もそこそこ速いです.どの種目が得意かは,速筋と遅筋の割合で決まりますから,私の場合は,よく言えばバランスがとれてる,言い方を変えると,中途半端で得意な距離がないということですから,練習してもトップレベルに行けるものはない(T_T)ということになってしまいますね.

 敢えて言えば,400か800くらいでしょうか.でも,この距離は,練習も競技も「死ぬ」ので,正直,あんまりやりたくないですねー.

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11/15'10
[3回目だった?]
(生き方)

 何度か書いたと思うのですが,昔に戻った夢を見て,目が覚めてほっとするということがよくあります.夢分析的にはよくわかりませんが,少なくとも言えるのは,私の場合は,自分のこれまでの人生を振り返って,あのときはよかったとか,あのときに戻りたいとか,ということは全くなくて,昔より今の方がいいんだと思います.というか,実際,タイムマシーンで,いつでもお前の好きな時期に戻してやるからいつがいいか,ときかれたとしても,いや今のままでいいです,と答えると思います.

 もちろん,失敗や挫折は何回も繰り返していて,順風満帆の人生というには程遠いし,あのときああしておけばよかったとか,もっと頑張っておけばよかったというのは,数えればきりがありません.でも,昔に戻っても同じことを繰り返すと思うんですよね.だったら,そういうしんどい思いはもうしたくないから,戻りたくないというのが本音です.

 つまり,私は,「今の結果」にかなり満足してるんだと思います.一言で言えば,「よくここまでたどり着いたなー」という感じでしょうか.子供時代,大学院生時代,あるいは,何をしたらいいかわからなかった30代の苦しい時期のことを考えると,もちろん,こうなったらいいなとは思ってましたが,ほんとにこうなるとどのくらい思っていたでしょうか.

 ただ,「こうなる」ために自分でも相当頑張った(時期があった)とは思います.1回目は,大学に受かる年で,その1年だけ(^^;は相当頑張りました.2回目の大学4年から大学院の6年間も相当頑張ったと思います(でもこの時期は,頑張ったというよりは,研究というものが面白くて頑張っちゃってたという感じかな).1回目の「結果」としては,大学に受かり,2回目の「結果」としては,大学の教員になることができました.つまり,小さい頃からの夢だった「自分のやりたいことで飯を食う」を実現したわけです.

 夢を実現して,「次」がなかなか見つけられず苦しんだということは再三書いてきました.そして,未だ「3回目」は訪れずとも書いたのですが,40代も終わりに近づき,この10年くらいを振り返ってみると,「3回目」だったのかなー,という気がしています.そして,3回目の「結果」というのが何かというと,「仕事をした」ということでしょうか.

 何を今更,というようなことですが,まさに「振り返ってみると」という感じです.つまり,私自身は,そういう意識はほとんどありませんでした.ただ,30代に何をどうしたらいいかわからず苦しみ抜いて,そういう中で南先生が亡くなってしまい,絶望的な心境の中で1999年台湾集集地震が起こり,纐纈先生に誘われていっしょに台湾まで被害調査に行って,全てが変わりました.自分のやるべきことがやっと見つかったというようなことでしょうか.

 それ以来,大きな地震が起こる度に被害調査に行って強震観測点周りの調査を行い,そのデータを基にするなどして地震動と構造物被害の関係について研究してきました.そういう取り組み方をした人は誰もいませんし,被害と対応した震度算定法を提案するなどして,この分野で認められるようになったと思います.つまり,「こうして振り返ってみると」,この世に生を受けて,何らかの貢献はできたのかな,研究者として身を立てて,一応最低限の仕事はできたのかな,と思うわけです.

 今の心境としては,どこかで書いたと思いますが,やるべきことはだいたいやってきてそれなりにお腹いっぱい,寝るときにこのまま目が覚めないでもいいかな(という幸せ?な気分にもなる),ということになります.

 そうなると,例えば,30代のときのように,これからが心配ということにもなりそうですが,そんな感じでもありません.もし,お前の命は今日で終わりと言われれば,それはそれで仕方ないし,それなりに頑張って来て結果も残せたし,ここで「終わって」も,とりあえずは道筋はつけたので,誰かがやってくれるとは思うので,まあいっか,という心境です.でも,やることはいくらでもありますし,まだまだ頑張れと言われれば,喜んでやらせていただきます.でも,ここから先は,おまけの人生というか,いつ「はいー,ここで終わりー」と言われてもいい,まさにサドンデスという心境です.そして,それは,ここで何度か書いている「いつ死んでもいい生き方」ですから,悪くない心境です.

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15b
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 白鵬負けましたね.双葉山の69連勝が目標だったとしたら,こんなもんでしょう.

 それにしても稀勢の里(牛久出身)はやってくれましたね.彼は「萩原」のときから注目していますし,朝青龍の八百長疑惑が流れたときもほとんど唯一?の「真っ白」でしたが,期待されながらもどーもぱっとしません(今は平幕).上位には闘志を燃やすが下に取りこぼすと言われていますが,やっぱちょっと真面目すぎるのかなー.

 今日の勝利も歴史に名を残す大金星だと思うのですが,そんなことで満足して欲しくはないですね.

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11/16'10
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 とか書いたんですけど,ほんとに満足していたら,こんなこと書くわけないですよね.要は,まずは,現状は現状として受け入れることから始めるということでしょうか.

 ただ,昔の自分のことを客観的に考えると今の自分が出来過ぎというか幸運だったと思うのは,事実です.でも,その一方で,自分の能力はこんなもんじゃない,もっとできるし,もしほんとにそうなら,その能力を発揮して,もっと世の中の役に立たなければいけないと思ってるのも事実です.

 でも,これは,私が決めることじゃないですね.ですから,私は,自然の流れに逆らわず,できることをできる範囲で精一杯やっていくしかありません.そもそも,それ以上のことはできませんし,それで充分だと思います.

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16b
[]
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 あとは,「お腹いっぱい」とも書いたのですが(それはそうなのですが),やっぱり,ちょっと疲れてるのかもしれませんね.実際,「お腹いっぱい」になったとしても,何時間かしたらまたすぐお腹が空くわけですからね.

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16c
[マネージメント准教授]
(大学)

 予想されていたことではあるのですが,今年に入っての大学の内外での雑事の多さにはちょっと辟易しています.仕事の多さなら淡々とこなせる側面もあるのですが,びみょーな行き違いとか人間関係みたいのが絡んでくると疲弊しますねー.

 でも,前から思ってる,というか,みんな思ってると思うのですが,例えば,大学なら,講義はともかく,それ以外の,例えば,広報とか入試とか就職とか学務とかの「お仕事」って,仕事の内容的に大学の「教員」がやる,というのはやっぱり不自然ですよね.役割分担的に去年は広報,今年は就職,来年は入試みたいに毎年,役割が変わるので毎回引継引継になってかなりめんどくさいです.

 どうしても教員でなければいけないというのなら,例えば,こういう大学の管理運営をやる「教員」,例えば,「マネージメント准教授」みたいのを作って雇えばいいと思いませんか? 広報を専門にするアウトリーチ准教授というのは,大学によってはいるみたいですが,広報だけでなく,そういう仕事は全部任せればいいわけです.そもそも管理運営にド素人の教員ではなく,そういう能力に優れた人は他にいくらでもいると思います.全体の枠が1つ減ったとしても,みんな大喜びでは?

 もっと言えば,研究と教育だって,役割分担していいと思います.ご存じのように大学の教員は,教員免許が要りません.つまり,教えるのはド素人の人達が教えているわけです.大学の学部の講義の内容は,最先端の研究からは程遠いものですから,研究してないと講義できない,ということはありません.むしろ,技術的には,予備校の先生の方が教えるのは上手いんじゃないですかね.研究教授,教育教授,運営教授の3つに分けて,公募する際も研究教授は業績や博士が必要だけど,運営教授は必要ないみたいに考えてやればできるんじゃないですかね?

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16d
[]
(世の中)

 死刑が求刑された裁判員裁判ですが,今度は死刑になったようです.でも,メディアの報道も含めて,明らかに前回の結果の影響が見られます.そんなことでいいんでしょうか? 裁判長が控訴することを勧めるというのもわけがわかりません.

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16e
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(スポーツ)

 女子体操の田中理恵さんいいですね.何がいいかと言うと,体の大きさが「普通」ということです.体操やフィギュアスケートなど体の動きを見せるものは,体が小さい方が圧倒的に有利です.実際,世界トップレベルの女子体操選手の体は,みんなまるで子供のように小さいです.

 もちろん,身長や体重によって階級別になっているわけではないので,それはそれで仕方ないのですが,田中さんを見てるとなんだかほっとします.実際,演技もとてもダイナミックですし,純粋に単位慣性当たりの体を動かしてコントロールする能力は,世界一と言ってもいいかもしれません.

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16f
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()

 今度は,いじめられた生徒ではなく,学級崩壊で苦しんだ教師の自殺がメディアで取り上げられていました.自殺をするほどのことだったのだから,よほどのことというのはわかります.でも,とにかく,自殺だけは絶対にしてはいけません.どんなにいじめられても,どんなに苦しくてもです.敢えて,厳しいことを言うのなら,苦しさから逃げているだけです.

 自殺してしまえば,死人に口なしになってしまうので,何も解決しないどころか,多くの部分は不明のままになってしまいます.本人は,死を以て抗議するつもりでも,死んだ本人は何も主張できませんから,全く抗議になんかならないですよ.残された人をものすごく苦しめることになりますし,周りにも多大な迷惑をかけることになります.絶対に自殺はだめです.

 注意を要するのは,やはり,欝病などの精神疾患です.これは病気なので,治療が必要です.言い方を変えれば,「病気」ですから,「治療」すればいいだけの話です.それ自体を気に病むことは全くないのです.でも,気に病む「病気」なので,そこがとても厄介です.ですから,周りが気づいてあげて,病院に連れて行ってあげる必要があります.でも,精神疾患の人も,とにかく自殺だけは絶対にしてはいけないことに変わりはありません.

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11/19'10
[日本地震工学シンポジウム]
(仕事)

 昨日から日本地震工学シンポジウムというのをやっていて,と言っても,会場が家から歩いて10分なので,何か変な感じです.でも,運営委員なので,ほとんど出ずっぱりです.今日も自分がとりまとめたスペシャルテーマセッションで1日中大ホールに張り付いていました.でも,昨日は(久しぶりに)ちょっと飲み過ぎました.明日まであります.何事もなく無事に終わってくれることを願っています.

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19b
[J民党が2つ]
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 J民党(のような政党)が2つでもいいから,失政をしたら政権交代できる枠組みとしての二大政党制が必要と書いたのですが,ほんとに「政権から陥落する前の」J民党が2つみたいになってきましたね.これも再三書いてきましたが,要は,政界にまともな人材が集まらなくなってるということでしょう.ほんとO沢さんがいなくなったらどうなってしまうんでしょうか.早く小さな政府になってください.

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19c
[再開]
()

 今週から活動を再開しました.以前,ずっと行っていたところ(厳密には違うが)に久しぶり行ったのですが,暖かく受け入れてくださって嬉しかったです.でもほんと久しぶりでとても懐かしかったです.考えてみれば,つくばに来て,しばらくは,主にここで活動していたのですから,元に戻ったような気もしないでもないです.でも,しばらく休んでいたのでプレー自体はだめだめですね.ちゃんとトレーニングもして徐々に戻していくしかありません.

 と書いたのですが,どうも記憶と照合しない感じがしてきました.この記述だと,ここで活動してたのは,つくばに来て,筑波大バドミントン部で学生達といっしょに練習するようになる前ということになってますが,今でもはっきり憶えているのは,2004年新潟県中越地震の被害調査に行ったとき,確か,大学のスポーツデーでバドミントン部監督の吹田先生の代わりに学生の前で話をして(だから,そのときバドミントン部でいっしょに練習してた),テレビ朝日の車で被害調査に行って,帰ってきてヘロヘロだったんですが,頑張って練習に行って,でもなぜかとても足が動いて,M本君から1ゲームとった(これが最初で最後)のを憶えてるんですよ.だから,なんか「順番」が違いますね.

 つまり,筑波大バドミントン部の練習に混ざっていたときからW所さんと練習するようになる間に,ここで活動していたことになりますね.2004年新潟県中越地震が起こったのは,2004年の10月ですから,時期的にも符合します.まあどうでもいいっちゃいいことですが(^^;,「元に戻った」ことには違いないですね.

 確か人がすごい増えてきて,あんまり打てなくなって,M本君とシングルもできなくなって,練習に行かなくなったような記憶がありますが,今はそのときほどは人がいなくて,またM本君がシングルの相手をしてくれるので,ちょー嬉しいです.でも,今の調子だと全然相手にならないので,ちゃんとトレーニングしないといけないですね.

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11/21'10
[日本地震工学シンポジウム終了]
(仕事)

 日本地震工学シンポジウム無事大きなトラブルもなく終わりました.でもやっぱり疲れました.私自身はほんと大したことはしてないんですけど,やっぱ,ただ参加するだけと運営するのとでは全然違いますね.

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11/24'10
[不便だから]
()

 不便と書きました.便をするのに不便(^^;というのも日本語的にちょっと面白いですが,人間が社会を作ってしまったから不便になった,というよりは,ものすごい密度で集まって生活するようになって,社会というものを作らざるを得なくなった,ということでしょう.動物なら,したくなったらその場ですればいいと書きましたが,たとえ社会的にそれが認められたとしても,街中でみんなそうし始めたら臭くて不衛生で仕方ありません.でも,荒野や草原や田畑にぽつんぽつんとしか人が住んでなければ,したくなったらその場でする,でOKですよね.

 まあこれはこれで別にいいのですが,社会の中で生活をしていくのに便をしなくてよくなったらどうでしょうか? あるいは,食事すらとらなくてよくなったとしたら?

 食べることは生きていく中で大きな楽しみの1つ,というか最大の楽しみでしょうし,便をするときには,アルファ波が出てとてもリラックスするので,いろんなアイデアをそういうときに思いつく,つまり,そういうときに考える癖をつけることが大事ということも書きました.そういうことの他に,「わざわざしなければいけない」ことが大事という気がしています.

 もし,そういうことを「わざわざしなくていい」ようになったらどうでしょうか? それこそ,寝たきりみたいなもんですよね.実際,世の中の仕事の多くがデスクワークになった今となっては,ずっと座りっぱなしということになりそうです.でも,それってとても体に悪いでしょう.腰なんかすぐ痛くなりそうです.

 私は,東京で仕事という日でなければ,一度夕飯を食べに帰って,また,大学に出てくることにしているのですが,そういうことを考えて,わざわざそうしているということもあります.

 つまり,1日3回の食事,数時間に1回の排泄で席を立って体を動かすように「なっている」んじゃないか,不便だから助かってる,と思うわけです.そういう事情から,スポーツがこれだけ繁栄しているとは思うのですが,社会人だと毎日のようにという具合には行かないでしょうし,やっぱり,普段の生活の中で適度に体を動かすのがいいと思います.ですから,そういうことも含めて,世の中の便利にしすぎるのは,やっぱりどうかと思うんですよねー.どこでもドアとかができて,瞬間移動できるようになったら,体なまりまくりで,そうすると人間ですから精神的にもおかしくなるでしょう.

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24b
[]
(調子)

 あんまり調子はよくないのですが,結果的にはV字回復?で調子は悪くないです(意味不明).

 つまり,効力感や幸福感はあまりないけど,結果的に行動はしてるという変な感じです.単に忙しいだけってことでしょうか? でもそういうわけでもないんですよね.

 私って未だに早起きは得意じゃないんですが,それは仕事以外のことで特にそうなんです.例えば,被害調査で早起きするのは,全然苦にならないのですが,スキーとかに出かけるのに早起きするのがとても苦手なんですよ.苦手というか,精神的にとても苦痛なんです.なんでなんでしょうか?

 30代の精神的に苦しい時期,準指を受けていたこともあって早起きしてよくスキー出かけたのですが,新幹線の中から日の出を見て,人生の虚しさのようなものを感じていたのを今でもよく憶えています.

 昨日も,朝から,とあるバドミントンの講習会というのに誘ってもらって出かけたのですが,出かける朝って,何とも行くのが憂鬱なんですよ.会社に行くのが憂鬱な人ってこういう感じなのかな,みたいな(^^;.ちなみに,私は大学に行くのが憂鬱と感じたことはないです.

 でも,そこを何とか乗り越えて出かければ,楽しいし,来てよかったと思うので,まあ一時的な感情なんだと思います.でも,早朝って,やっぱり「危ない時間」だとは思いますね.

 不思議なのは,こういうことを感じるのは,仕事以外のことが多くて,仕事では全くそういうことは感じません.やっぱり,仕事が一番好きってことですかね.だとしたら,仕事以外のことなんか全部やめて,仕事だけしていたらもっと幸せになれる?

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24c
シューベルト ピアノソナタ第21番 D960
(ピアノ)

 こんな記事を書くのにどういう意味があるのか,ほんとは,文章になんか書かないで弾いて表現しろ,てなもんでしょうが,こう弾きたいと思っても弾けないかもしんないし,弾いた後に書くと言い訳がましくもなると思うので,私はこの曲をこう弾きたい,という記事?を書いておこうと思います.要は,書きたくなったから書いてるというだけの話です.

 ちなみに,(書いてみないとわからないが)書きぶりは曲の解説ぽくなると思いますが,全くその類ではありません.私がこの曲を目の前にして,独断と偏見で,私が感じたまま,そして,どう弾きたいと思ったかをありのままに書きます.ちまたに溢れる解説書も全く見てませんので,業界の常識から著しくはずれてることも多々あると思います.

 当然のことながら,他人の演奏は,ほとんど聴いてませんし,楽譜も弾くならやっぱウィーン原典版でちゃんと勉強しなきゃ,とも思ったのですが,店頭で手にとってぱらぱら見たら,ものすごく細かく演奏方法が指定してあって,久しぶりにこの曲を目の前にしたときの衝撃というか,直感的印象から離れてしまう感じがしたので,最初ぱらぱら弾いていたとき使っていたインターネットでフリーでダウンロードできるものをそのまま使用することにしました.

 この曲の昔からの印象は,退屈でちんたらしてて(いきなり問題発言),世間的な表現だと天国的に長いというものでした.でも,久しぶりにブレンデルの演奏を聴いたとき,全くそんな感じはしませんでした.早速,譜面をダウンロードして一通り弾いてみたんですが,あっという間に最後まで行ってしまいました.そして,既に書いたようにその美しさ,そして,美しさの中にある苦しさとか不安といったものがとても印象的で,弾きたい曲が全く見出せない中,この曲なら弾ける,弾いてみたいと思いました.

 まず,全体として,ですが,「この曲」と書いていますが,私の中では,1,2楽章が全てで,3,4楽章は,おまけのようなものです(またまた問題発言).長いし,2楽章で終わっていてくれたらとすら思ってるくらいです.でも,3,4楽章も好きですよ.4楽章は,1,2楽章と違ってちょっとピアニスティックですから,演奏効果的にはいいかもしれません.美しいという点では,3楽章は,ほんとに美しいです.ただ,中間のTrioが最初どう弾いたらいいか全くわかりませんでした.最近,ようやくこう弾こうかな,というのが少し見えてきた感じです.

 全体としては,ゆっくりのんびり弾きたいです.でも本番はどうしても少し速めになってしまうので,そこがまず注意点ですね.他人の演奏はほとんど聴いてないと書いたのですが,いくつかはざっと聴きました.この曲に限らず,最近の演奏ってみんなそうなんですが,多くはスピード違反じゃないかと思います.ピアニスティックに弾いて技術をひけらかしたいというのもあるのかもしれません.でも,少なくともこの曲はそういう曲じゃないですよね.では,順番に行きます.

 第1楽章の冒頭の第1主題は,この曲全体を象徴するような,とてものんびりとした天国的な超有名なフレーズです.でも,このフレーズをppできれいに弾くのは,かなり難しいです.ちなみにちゃんと測ったわけじゃないですが,この曲の80%は,ppだと思います.それはそれで結構疲れますし,ちゃんと弾くのは難しいです.

 しかし,この平和で幸せ?なフレーズの最後に一抹の不安というか,穏やかな日差しの中で遠くで雷鳴が聞こえるというか暗雲が立ち込めるような低音のトリルが挿入されます.そういう明暗の対比というような表現は,この曲の随所で見られます.

 あとは,あれ?というようなフェイントというか,おっとっとというようなちぐはぐさもこの曲の特徴かもしれません(と私は勝手に思ってる).例えば,第1主題の2小節目の左のEにナチュラルが付いてるのですが,あれ?って感じですよね.それを隠すような演奏が多いと思うのですが,私は敢えて強調したいです.最後の低音のトリルもあれ?って感じですよね.

 第1主題がfて再提示されるまでの部分は,ほんとに美しいです.でもやっぱりずっとpp(^^;.

 それは,消え入りそうな第2主題もそうですね.でも,ここもppで難しいです.

 こんな感じで提示部は,ずっと美しいです(^^;.ただ,やっぱりあれ?っていうか,ここをこう行くか?というところが随所にあって面白いです.でも,提示部には繰り返しが付いてるのですが,「一抹」の不安が爆発したような感じで私はものすごく違和感を感じます.ですから,私は繰り返しません.繰り返している演奏が多い中で,確かブレンデルも繰り返してなかったと思います.

 展開部は,よくある第1主題の短調なんですが,提示部ほどの美しさはないですかね.でも,展開部ってだいたいそうですから,ソナタ形式ってそういうものかもしれませんね(問題発言連発).

 ただ,最後の第1主題が現れるところですが,ものすごくシンプルになっていて,どう弾いたらいいか的には逆に難しいです(ここもppないしppp).

 そして,再現部に戻るんですが,提示部とびみょーに違うところがあって,ところどころ地雷が埋まってる感じですね.そういうところは,全曲を通して結構あって,面白いのですが,弾く方は,結構神経使って疲れます(間違い探ししてみてください(^^;).

 再現部は,途中で転調してることと,ところどころにある地雷(^^;(も面白いが)以外はほぼ提示部通りですが(でも第1主題がfで再現されるところは,無理矢理?元のB-durに戻していてそれはそれで面白い),それが終わってコーダに入るところがものすごく印象的です.たった,1小節の和音で一発で次の違う世界に引き込まれるのはすごいです.この曲の中で一番好きなところかもしれません.それだけに,演奏はめっちゃ気を使います.でも,一発勝負なんでやっぱり難しいですね.

 そして,最後は,第1主題を断片的に再現して静かに,そして,穏やかに終わります.

 第2楽章は,相変わらずppですが,一転して,とても張り詰めた緊張感の中で始まります.左のオクターブの複付点は,極度の緊張の中の脈打つ心臓の鼓動のようで,明と暗というか,穏やかさと苦しさで言えば,苦しさの中から始まるということでしょうか.しかし,徐々にその苦しさや不安が高まっていくと同時に,ふっと緊張がほぐれ,力が抜けてほっと心穏やかになります.そういう中で,左手の「鼓動」はずっと続いていて,その表現力は見事です.

 そして,心穏やかであり,でも,その中で人生の虚しさを悟り,あきらめ,そして,それに満足するという何とも言えない境地を見事に表現したような3度のフレーズ(勝手な解釈)が現れます.私がこの曲の中で一番好きなところです.でも,うまく弾けるかなあ.

 この楽章は,そういう揺れる心をあまりに見事に表現していて,弾いてて苦しいほどです.

 中間部は,対照的に堂々としていて,ちょっと格好いいです.でも,あれ?そう行くの?というフェイント?は随所に入ってますね.

 最初の主題に戻り,左手は複付点なくなり(でも,右手で最初の1箇所だけそのリズムが示される),オクターブの上昇に変わりますが,緊張感を違った形で表現していて素晴らしいです.揺れる心の表現は,終盤に近づくにつれ,ためらいながらも一方に収束していきます.最初のC-durへの転調,そして,最後のC#-durへの転調は見事ですね.これがこの曲のクライマックスでしょうか(でもppp).そして,最後は,ちょっとためらった後に,意外にも天国に登るようにとても心穏やかに終わります.シューベルトの願望でしょうかね?

 (私にとって)1,2楽章が全てと書きましたが,ここで,こういう形で終わってるからこそ,3,4楽章に続くような気もしないでもないです.実際,よく40分もの長大な曲を通して弾けるものだな,と自分でも思いますが,(私の中で)1,2楽章で実質「終わって」るからこそ,2楽章が終わった時点で,あらためて3楽章に進める気もします.

 3楽章は,純粋にとてもかわいらしく美しいです.でも,この楽章は,Allegro vivaceですが,ものすごいスピードで「ぶっ飛ばす」のは,やっぱり違うかなー.でも,ゆっくり弾くと却って難しいかもしれません.

 冒頭で書いたように,Trioは,かなり唐突で(でもTrioってそういうもんですけどね),どう弾くのかなかなか難しいところです.

 終楽章は,遮るようなオクターブでいきなり始まります.そして,何度も何度も出てきます.いろいろ考える中で,ちょっと待てといきなり立ち止まって考え直してるような感じでしょうか.

 これも,この曲を通して現れるあれ?という意外感というかフェイントの一環ですかね.6小節目の左手に出てくる和音もかなり唐突ですよね.でもそれは作者の意図でしょうから,敢えてそういう風に弾きたいです.この楽章もぶっ飛ばさずにできるだけゆっくり弾きたいです.ma non troppoですしね.

 あれ?そう行くの?というところも随所にあります.そして,結構弾きにくいです.ここの右の跳躍(特にfzの和音の2回目)なんか,なんでそうなるの?っていうか,きちんと当てるのは至難ですね.ブレンデルでも「当てに行ってる」感じですが,私は玉砕覚悟で(^^;敢えて譜面通り弾くことに拘りたいです.

 最後は,意外にもとても華やかに普通に?終わります.第4楽章全体の流れからすると自然な感じもしますが,曲全体からするとどうなんでしょうね? よくわかりません.

 だーっと思いつくままに書いたのですが,こんな感じでしょうか.3,4楽章が手薄になってるのは,(私にとって)1,2楽章メインということもありますが,だんだんめんどくさくなってきた(^^;というのもあります(演奏はそうならないようにしなくては).

 でも,新しい試み?として,こういう記事を試しに書いてみたのですが,別にわざわざ書くほどのことはなかったかな,という感じですね.やっぱり,弾いて表現すべきだと思います.折角,書いたので一応載せておきますが,ちょーいい加減なことを書いたような気もします.この記事を読んで,かつ,実際に演奏を聴いてくださる方はいらっしゃらないとは思いますが,もし,いらっしゃったら,なんだか,先にネタをばらして弾くみたいなものですしね.でも,そういう人はいないと思いますし,折角書いたので,一応アップしておきます.

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11/25'10
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(ピアノ)

 もう3日後が本番ということで,1日1回は,弾くようにしてるのですが,なんか弾くほどだんだん弾けなくなってくるような気がしてきました.こう弾きたいというのがあるのに弾けないと悔しいというのがあって,こんな記事を書いてしまったのかもしれません.でも実際のところは,よくわからないことでもあります.最初弾き始めたときは,感覚がとても新鮮なので,譜面を見てこう弾きたいと思って,そう弾ければ,「表現できた」と思うのですが,何度も弾いてるとその辺がだんだんわからなくなってきます.これも再三登場している「感覚の慣れ」ですかね.

 これについては,既にわかってることなんですが,じゃあ,弾かないとどうなるかというと,それはそれでやっぱり弾けなくなります.先週のJEESで,昼間は運営委員で夜は飲みで(^^;3日間弾けなかったのですが,やっぱり弾けなくなりました.それ以前も弾かなかった日の翌日と弾いた日の翌日は,やっぱり全然違います.

 ですから,指が動く的には弾いた方がいい,感覚的には,慣れを作らない,ということですね.うーん,難しい.でもやっぱり,原点は,自分の演奏をしっかり聴きながら弾くということでしょうね.

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11/27'10
[だから何なの?]
(調子)

 相変わらずあまり調子はよくありません.何度も書いていますが,調子が悪いというと,一般的には,うまく行かない,ということだと思うのですが,私の場合は,全然違って,どうしたい,どうありたい,というのがなくなるということです.つまり,うまくいくとかいかない,というのは,関係ありません.うまく行かないから調子が悪い,というのは,こうありたいというのがあるのが前提ですからね.むしろ,うまく行っちゃってつまんないと思うこともありますし,逆にうまく行かなければうまく行くにはどうしようか,と創意工夫ができて楽しめる面も大いにあるわけです.

 どうしたい,どうありたい,というのがなくなる,というのは,要は,だから何なの?と思ってしまう,ということです.ここで書いたようなどんなに意義深く,深遠と思われることも,突き詰めて考えれば「だから何なの?」という面は否定できません.これは,人生には限りがある,つまり,どうせいつかは死んでしまうのだから,ということとは違います.そのこと自体に意義があるのなら,人生に限りがあってもやる意味はあるでしょうからね.

 ただ,そういう風に考えてしまうのは,単に「調子が悪い」からだ,ということもわかっています.人間ですから調子の波はあります.私の場合,その振幅が他の人よりちょっと大きい感じはします.ですから,そういうときは,活動度を少し落として調子が回復するのを待てばいいわけです.

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27b
[どう生きるかと考えること]
(人生, 生き方)

 (敢えて前半と後半に分けました)でも,これでは話は終わってしまうので,「だから何なの?」と考えて行って,つまり,いろんなことの意味や意義を考え行って,どんどんそぎ落としていくと最後に残るのは何でしょうか? これはもちろん人それぞれだと思います.金持ちになるとか有名になるとか偉くなるとか俗世間的なことに意味があると考える人もいるでしょうし,そんな結果よりもその過程,即ち,仕事そのものや創意工夫をして練習やトレーニングをしてその結果として,大きな仕事を成し遂げたり,世の中をよくしたり,日本一や世界一になったりすることに意義を感じる人もいるでしょうし,あるいは,そういうものには興味がなくて,好きな人と愛をはぐくんだり,平凡でものんびり穏やかに生きていくことを望む人もいるでしょう.

 ただ,(私が)調子が悪くなるということは,何に対しても意義を感じられなくなるということ,つまり,「だから何なの?」と考えて行くと何も残らなくなる,ということなんですが,当然のことですが,「「だから何なの?」と考えて行く」ことは,残ります.「だから何なの?」と考えてるわけですからね.何か禅問答みたいになってきましたが,要は,最後に残るのは,結局,どう生きるかと考えること(どう生きるか,ではない),ということなのかもしれません.

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27c
[]
()

 と書いたのですが,日々,食べられて,雨露をしのぎ暖をとって夜眠る場所があり,そのために収入を得るための辛くて仕方ないというほどではない仕事があって,健康で仕事ができれば,それ以上,望むべくもないとも思います.

 その上,辛くて仕方ないというほどではないどころか,面白くて楽しいと思えることを仕事にできているわけですし,世間的にどうかはともかく,自分の中では,世界の中でまだ誰もできていない知り得てない解明できていないことを追求できて,そのことを通して人を育てることもできるわけですから,やっぱり,恵まれていると思わなければいけませんね.

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11/28'10
[ピアノプロジェ終了]
(ピアノ)

 ピアノプロジェ無事終了しました.プログラムと当日発表だった田村夫妻の曲目を載せておきます.

 場所は,初台という新宿から一駅のところにあるスタジオで,新宿から歩いて10分とは思えない(でも新宿周辺ってそうなんですけどね)閑静なところで,でも,新宿の超高層ビルが望める,なんともいいところでした.雰囲気としては,好きな方ですが,でも,ここも「私が住みたい街」ではないかなあ.でも,かなりポイントは高いです.

 さて演奏ですが,よく考えてみたら,今回は,いつも弾いてる近現代バリバリというのとは正反対の曲だし,しかも,超有名な名曲だし,一方では,最近弾いてる曲より遙かに長大,というか,多分,私が生涯の中で弾いた曲の中で最長の曲なので,いろんな意味で新しいチャレンジだったと思います.で,どうなることやらと思っていたのですが,何とか完走することができました.

 もちろん,いつもの出来からすると80%くらいなのはしょうがないですが,この曲はこういう曲なのではないか,私はこう弾きたいという弾き方は何とかできたと思います.ピアノは,ボストンというスタインウェイ系のもので,でもスタインウェイとはかなり違って,レンタルスタジオによくあるタッチが硬く「鳴らない」ものでしたが,ホールが結構ライブで,ppが多くを占めるこの曲は却って弾きやすかったと思います.でも,バリバリの近現代物は,このピアノでは弾きたくないかなあ.

 でも,これは予想していたのですが,とにかく疲れました.2楽章の最後の方で息切れしたかなー.こうもppが続くとほんと神経使いますからね−.4楽章はバテ気味だったかも.でも,周りからはとてもよかったと言っていただきましたし,今の私,というか,練習量ではこれが精一杯でしょう.

 さて,問題はこれからですね.ピアノが弾けなくなり,必死の思いで,この曲を見出して何とか食いつないできましたが,他に弾く気になる曲を見出すのは至難の業に見えます.同じシューベルトのD.894(幻想)かOp.120は,弾きたいという気になりますが,また,シューベルトの同じような曲というのもどうかと思いますしね.

 ただ,今回の件で,ヒントはいくつか見出せたように思います.それは,当たり前なんですが,別にピアニスティックである必要も近現代である必要も珍しい曲である必要もないということです.私は,これまで近現代の知られざる(ピアニスティックな)曲を発掘しては紹介してきたのですが,もうそんなエネルギーはないし,そんなことに拘らなければ,技術的にそんなに難しくなくて既に知られている名曲の中に,この曲を弾いてみたい,この曲はこういう曲なのではないか,私だったらこう弾きたい,という曲はあるかもしれません.

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11/30'10
[モソロフのピアノソナタ]
(ピアノ)

 次は何弾こうかとつらつらインターネットを見ていたら,思いがけずモソロフのピアノソナタの譜面が入手できました.出だしの無機質で機械的な雰囲気が譜面にも現れていて面白いですねー.

 弾けということですかね.気分としては,シューベルトのD894かOp.120を弾きたい気分なんですがね.でもあまりにも両極端すぎる.

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30b
[トレーニング?]
(運動)

 トレーニングですが,もう寒くて外を走ったりフットワークしたりというのは,しんどいので(怠け者),あることを始めました.トレーニングを抜本的に変えるというか,そういうもはやめると書いたのですが,やらないのでは話になりません.でも,しんどいことは続かない.続かなければ話にならない.だから,これなら続けられるということをやる,そういうことを創意工夫するということでしょうね.

 でも,楽したんでは大したことにはならないので,いかに楽するかということではなく,つまり,実際に楽かどうかではなく,今の自分が何を楽だと思うか,つまり,他人が楽と思わなくても自分ならどういうことなら何とかできるか,ということも考えるということです.

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30c
[地震?]
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 さっき,D1のI塚君が相談に来ていたときに地震がありました.ゆっくりした遠くで大きな地震のパターンの揺れで,2004年新潟県中越地震のときもそうでした.今年はまだ震度6弱以上の被害地震が起こってなくて,久しぶりに「お休み」かと思っていて,先日のピアノプロジェでもそういう話になって,でもまだあと1ヶ月あるよー,って脅かされていたので,ありゃりゃと思ったのですが,小笠原沖のとても深い地震でした.ほっ.いつかもありましたが,遠くてMが大きくても震源が海の底深くならそれだけ揺れは減衰します.怖いのはやはり直下地震だと思います.

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