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12/3'10
[○○好き]
(仕事, 生き方)

 今日は,地盤震動シンポで1日東京でした.昨日は委員会で,その後飲んで,で,当然今日も飲んで,2日続くとちょっとしんどいです(もう歳).

 で,総合討論司会ということだったので,一応,ずっときいていたのですが,面白かったです.でも今回は,短周期がテーマだったのですが,強震動予測となるとなかなか難しいですね.今日飲んだときT村さんとも話したのですが,耐震設計に使ってもらおうというよりは,好きなことやってますよ,というのが正直なところでしょう.

 そう,今日の話の中で一番面白かったというか,考えさせられたのは,T村さんが理学系の地震屋さんはみんな地震好きと言っていたことです(そこかよ).それを受けて,K大防災研のI田先生が「T村さんから地震好きと紹介していただきましたI田です,正確には,地震好きというより地震動好きなんですが」といい掴みをしたのですが,そうはっきり言えるのは,やっぱりいいなーと思っちゃいました.私は何好きなのでしょうか? 地震動と構造物被害の関係好き?(長い)

 というようなことを,今日の2次会でT電のU竹さんと話していたのですが,この辺のことをちょっと思い出しました.別に地震動と構造物被害の関係でなくてもよくて,何かある現象があって,その因果関係を論理的,物理的,力学的に解明することが好きなのかなあ,という気がしています.でも,そうすると対象は無限にありますよね.その中でなんで地震動と構造物被害の関係なんでしょうか? ちなみに私は地震好きでも建築好きでもありません(問題発言?).

 これは,ここで書いたようにいろんな紆余曲折があって,なんとなくそうなってきたということなのでしょう.だから,地震動と構造物被害の関係でなくてもよかったと思うのですが,残念ながら,人間「たった1つのこと」しかできません.ですから,結論的には今やってることをやるしかないとは思うのですが...

 例えば,何か知らんが,地震屋さんが地震が好きなように(でも「地震が好き」ってそれだけですごいと思いません?),RC屋さんって,コンクリートというか,構造実験室のあの独特の臭いというか雰囲気が好きなんだと思うのですが,そういう意味も根拠もなく好きというのは,扁桃体で決まってることなんで,そういうのには逆らわない方がいいし,もし,そういう意味もなく好きなものを見つけられたら,もうほんとにハッピーだと思うんですよね.

 私もそういうことを感じることはあるのですが,何というか,興味があること,面白そうに思えることが多すぎて,どーも,directivity(指向性)が低いというか,これだ! 自分にはこれしかない! とまでは絞り込めないんですよねー.

 ということで,だんだん,いやーな感じになってきたんですが,それも私の(扁桃体的)特質なんでしょうから,これにも逆らわない方がいいですね.(無理矢理)いいことを考えると,何でもそれなりに面白いと思えるので,何やってもそこそこ楽しいというのはありますし,理系,文系,芸術系,運動系といろんなことをやるとそれぞれに他にはない独特の面白さはあるわけですし,それらの中のアナロジーで異分野のことがヒントになって問題が解けることもありますし,そのどれもに(それなりのレベルで)接することができるのは,それはそれでハッピーなこと,と思うことにします.

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12/5'10
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(調子)

 調子よくないですねー.でも,評価的にはそんなに悪くないです.でも,気分としてはあまりよくないです.一言で言うと生きていくのに疲れた感じですかね.そういうときは,人生に限りがあってよかったなーと思います.というか,そういう風にプログラムされているので,安心ということでしょう.しんどいと思ってももうちょっとです.でももうちょっとは頑張らないと気分よく老後を過ごせないと思いますから,もうちょっとは頑張りますよ.*

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05b
[福岡国際マラソン]
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 福岡国際マラソンやってますね.今でも思い出すのは,駿台の東大模試というのが英数学館で必ずこの日(12月の第一日曜)にあって(確か代々木の奴がその次の週だった),スタートとかゴールの号砲が会場まで聞こえていました.

 マラソン中継ってその街の様子がよくわかります.福岡は私が育った街ですし,懐かしいのですが,福岡に帰りたいと思うことはそんなにないです.去年,我々の学年が幹事で高校の大同窓会があって,地元で頑張ってる大勢の同級生達がいることをあらためて認識して,その辺の意識がちょっと変わったかなと思ったりもしたのですが,やっぱりリタイアしたら帰りたいとは思いませんねー.なんでですかね?

 第一の理由は,人間関係などがこちらで構築されているということでしょうが,それ以外にもいろいろあるでしょうね.1つは,福岡が変わってしまったというのはあるかもしれません.今日もマラソン中継を見ていて,大分変わっちゃったなーと思いました.スキーに行きにくいというのも昔はあったと思うのですが,今はもうそんなに行ってないですから,これもうあんまり関係ないかな.

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05c
[東京]
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 Jリーグの優勝争いより盛り上がる?残留争いですが,奇跡的大逆転でFC東京が降格となって,J1から東京のチームがなくなることが話題になってるようです.ヴェルディ川崎も東京に本拠地を移して降格しずっとJ2でぱっとしません.くしくも東京ヤクルトにも身売り話が出ているようです.ジャイアンツ人気だって下降の一途です.

 首都からチームがなくなっていいのか?という声もきかれますが,これは当然の流れですよね.地域密着とか地元のチームという言葉がありますが,こういうのは,地方の話でしょう.東京には,多様な人達が多様な考えをもって生活していますし,退屈しのぎには事欠きませんから,野球とかサッカーとか特定のスポーツを人生をかけてサポートする,なんてこととは相容れないでしょう.

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05d
[考えない人達]
(世の中)

 ベストセラーときけば飛びついて読むとか,考えない人達が多くて辟易ということを何度も書いてきました.大河ドラマで坂本龍馬をやれば高知に出かけ,この店が旨いと評判だと行列を作り,メディアが長周期地震動を取り上げれば,そればっかり注目するとかなんでそうなんですかね? でも,見方を変えると,そういう人達ばかりなら,世の中を変える,例えば,景気をよくすることなんか簡単なはずですよね.それでも変わらないとすると,世の中を変える人達,特に,政治が無能ということになります.

 確かにそういう面,特に,政治の無能さは目を覆うばかりですが,考えない人達はまだまだ多いものの,確実に減りつつあるとは思います.例えば,本が100万部以上売れることはもうほとんどありませんし,100万部売れたとしても日本国民の100人に1人以下です.東京ドームをいっぱいにしてコンサートをしたと言ったって,高々数万人ですから,全体からすればごくごく僅かです.ですから,だんだん,世の中を変えにくくなっているとは思いますね.

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05e
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 今日は,おととい地盤震動シンポで,正確には,その後の飲みで練習できなかったので,東京までプーナの練習に行きました.東京に着いたくらいで昼飯になるのですが,あまりそういう気分でもなかったんですが,博多ラーメンの店が御徒町にできていたので,(使命感から)食しました.

 でも最近,「とんこつ」がブランド化していて,とんこつでも何でもないので,とんこつって謳っている店がほんと多くてひどいです.今日も新御徒町で降りて歩いてくる途中に何軒もありました.背脂ちゃっちゃ系はとんこつじゃないですよ!

 で,食した店は博多中の字という店で,一応とんこつでした.

 ラーメン650円,替え玉100円ですが,点数的には6点くらいですかね.味は塩辛系で,チャーシューにそういう味付けがしてあるのも特徴かな.一応替え玉もしたんですが,2,3口で終わりです.替え玉のとき,足すだしがなくて,大丈夫ですか?と店員さんにきいたら,大丈夫ですって言うんで,どうかと思ったんですが,大丈夫でした(それくらい塩辛いということ).どうしてもとんこつラーメンが食べたければ行くでしょうが,わざわざ行くほどのことはないですね.

 プーナの練習は,やっぱり面白かったですね−.でも,疲れた.最後,ちょっと休憩と思ってミックスやったんですけど,トップ&バックでやったので,これも疲れた.でもその後飲みに行って,これもやっぱり楽しかったですね.月一では行きたいところです.

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12/6'10
[一日に喩えると]
(生き方, 調子)

 やっぱりなんか疲れてますねー.生きていくのがしんどいというのもありますが,体も疲れてるようです.体が疲れているのは,あることを始めたこともあるかもしれません.いずれにしても一時的なものでしょう.

 ただ,本質的なこともあると思います.残り時間がなくなってくると,寂しい気持ちもある一方で,ゴールが見えて来てほっとする面もあるわけです.マラソンで言えば,もう折り返してるんでしょうから,疲れても来ますし,しんどいのも当然なわけです.

 元首相の小渕さんが一日一生と思って懸命に生きた(らしい)ということは,どこかで紹介しましたが,一生を一日に喩えると,1日の中盤を過ぎるとだんだん疲れてくるわけですよね.そして,夜になり,就寝時間が近づけば,眠くなってきて寝る,つまり,人生で言えば,死ぬわけです.つまり,自然な流れということですね.

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12/7'10
[あること]
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 あることですが(何かはまだ秘密(^^;.でも多分,何を当たり前のことをというようなことで,でも当たり前のことを当たり前にやることがいかに重要,かつ,難しいかということでしょう),これかなあという気がしています.これをすると足裏が床を常に感じていて関節も曲がっていて,イメージ的には関節で繋がったbody同士がしっかり緊結されていて,なおかつ,反力をとる床ともコンタクトをとれていて「いつでも動き出せる状態」になっています.スキーで言えば,切り換えではなく舵取りの状態ですね.

 「骨盤の傾き」を取り上げたこともありましたが,これをすると自然と骨盤も傾きます.スキーの準指に受かったとき「骨盤の傾き」を意識するだけで滑りが劇的に変わったと思ったのですが,「骨盤の傾き」ではなく,これだったのかなあという感じです.

 股関節についても,これをやらないと,足を引っ張りあげる動きになるので,動きも遅くなりますし,痛めやすくもなります.でも,これができれば,股関節を押しつぶすようにな動きになるので,痛めにくいと思います.

 ただ,めっちゃ疲れます.つまり,それをするには脚力が必要ということです.でも,ということは,意識するだけでトレーニングになって,脚力もついてくるということになります.意識づけ+トレーニングということですね.「あること」が何かは成果が出てからご報告します.でも,言葉で書くのは簡単ですが,「イメージ」ですから,なかなか伝わらないかもしれません.

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07b
[あること]
(バドミントン)

 あることですが,実戦に結びつけるには,なかなか時間がかかりそうです.もちろん,意識するようにはしていますが,気がつくとできていません.ゲームでこんな基本的なことを意識しなければいけないようでは話になりませんから(でも「調子が悪い」と思うときは,だいたいこういう超基本的なことができてないのですが)無意識に意識ではなく,無意識までもっていく必要があります.でもそれには大分かかりそうです.

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07c
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(バドミントン)

 総合が始まったようです.今日は予選で,奥井・住田と村松が1回戦突破とMLで流れてきたのですが,その後,音沙汰なかったので,次で負けたのかな(次勝てば本選出場)と思ってたんですが,そうだったみたいですね.残念.

 総合なんで,予選でも出るだけですごいんですが,若くて強いのはどんどん出てくるし,やっぱり厳しい世界だなーと思いますね.でも,早坂は,ダブルで突破したみたいですし,脇田,磯下,土江・佐藤など本選から出る選手もいるので,期待しましょう.

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12/8'10
[C鉢さん]
(バドミントン?)

 昨日の練習でO形君が「H鳥会にいらっしゃった気象研のC鉢さんって憶えてますか?」とききます.私: 「うん? C鉢さん?」 O形君: 「何か明日,オゾンホールを最初に発見したということで,所ジョージの笑ってこらえてに出るらしいですよ」 私: 「えー!そんなすごいことした人なの? それなら有名人のはずじゃん」 O形君: 「いや,実際はそうだったんですけど,論文を出すタイミングとかで認められなかったみたいで...」 私: 「そっかー,そういうことってあるんだよねー」

 で,見ました.昨日,C鉢さんの名前をきいたときはぴんと来なかったんですけど,本人がテレビ画面に出てきた瞬間にすぐわかりました.もちろん,そんなすごい人とはつゆ知らず,バドミントンをいっしょにしただけだったんですが...つくばってそういう人が多分その辺にごろごろいるんでしょうね.今は,C葉科学大におられるそうです.

 話の中身は感動的でしたね.C鉢さんの真摯な研究姿勢,実直な人柄がにじみ出ていて,まさに人それぞれに人生ありと思いました.こういう話をきくと,人に対する評価って何なんだ?とつくづく思います.そして,そんなものは,その人の生き方とか考え方にとっては,別にどうでもいいというか,大した問題でもないんだな,とも思いました.

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12/9'10
[歌舞伎]
(世の中)

 E老蔵騒動についても書いておきますか.何をそんな騒いでんの?って感じですが,ワイドショーの類が取り上げるというのは,やれば視聴率が獲れるからで,見る方の問題でもあるというのは再三書いてる通りです.梨園という庶民からかけ離れたところのスキャンダルは大衆の最も喜ぶところでしょうからね.

 でも,中身は単なる酔っ払いの喧嘩ですから,それ自体をどうこう議論するようなことではありません.では,なんでこんなに騒いでるかというと,酔っ払いの喧嘩をしたのが浮き世を流した歌舞伎役者というだけの話です.言った言わない,やったやってないというところとか,事情はA青龍のときと同じです.でも,A青龍は実質クビになりましたが,彼はクビになりそうな雰囲気はありません.なぜでしょうか?

 歌舞伎が伝統文化だから? でも,相撲だって立派な伝統文化でしょう.A青龍が外国人だから? でも双羽黒(って憶えてます? 北尾と言った方がいい?)は日本人でしたがクビになりました.じゃあ,歌舞伎と相撲の違いは何でしょうか? それは,歌舞伎が世襲制だからでしょう.歌舞伎が世襲でなければならないのなら,換えはいませんから,クビにするわけにはいきません.

 では,なぜ歌舞伎が世襲でなければならないのでしょうか? これについては,いろいろ議論があるところでしょうが,自由競争にした方がレベルの高さが維持できるのは明らかです.そうしないのは,レベルの高さではなく,とにかく「残す」ことに重きを置いていると見ることもできます.自由競争にしても魅力がなければ,誰も参入せずに廃れてしまいます.これが実態でしょうね.実際,ごく一部の歌舞伎ファン?の人達が支えてるようなものですからね.少なくとも私は歌舞伎が面白そうだから見に行きたいな,とは思いません.世襲にすれば,子供さえできれば,何とか繋がって行くわけです.小さい頃から無理矢理やらせれば,才能がなくても何とかなるものでしょう.

 そういう意味では,E老蔵さん(いきなりさん付け)に限らす,歌舞伎役者って,やっぱり気の毒だと思いますね.自分がやりたいことを全て犠牲にして,日本の伝統芸能を守るために人生を捧げてるようなものですから.だから,ストレス溜まりまくりでしょうし,少々のやんちゃは許してやれ,ということはあるでしょうね.

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12/12'10
[電子書籍]
(世の中)

 iPadが発売になって電子書籍元年とか言われ,その後,次々と端末が発売になっていますが,予想通り,なかなか書籍の電子化は進みません.いくら「箱や仕組み」ができても,コンテンツがなければ話になりませんからね.原因は,はっきりしていて,再三このサイトで書いているように,今の世の中を変えたくない人が抵抗するからです.

 書籍が電子化されれば,CDショップがどんどんなくなっているように本屋さんは要らなくなりますし,本を作る出版社もそうです.あとは作家自身も「抵抗」しているのかもしれません.現在は,印税は基本的に10%ですが,書籍が電子化されると売り上げがどうなるのか,印税がどうなるのかといったことが読めず,電子出版にGOを出せずに様子見をしているのかもしれません.というか,そもそも,その辺の権利の出版社との関係も曖昧のようです.

 書籍というほぼ完全に電子化できる媒体で「印税10%」ってどう考えてもすごすぎませんか? もし,誰でも自由に電子書籍を作れて,YouTubeのように自由にアップロードできて,著作権や不正複製にも対処できるシステムさえできれば,印税100%ですよ.

 でも,こんな電子書籍の議論自体,なんか後退してる気がします.だって,既にどこかで書きましたが,本を書く第一義が人に伝えることなら,もうインターネットでいくらでもできるからです.なんで「書籍」という形に拘るんですかね? それこそ,本屋や出版社の生き残り策?

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12b
[研修会]
(スキー)

 スキーの指導員研修会@丸沼が終わりました.雪はまあ充分ですかね.ゴンドラがかかる前の「昔の丸沼」はほぼ全面滑れる状態でした.今年のテーマは,内足の股関節を緩めて上体を内側に傾けてターンを始動し,正対して外スキーを送り出していくというものでした.

 でも混んでましたねー.でももちろん,こんな混んだスキー場に行くのは,この研修会だけです.でもこれでもリフト待ちは10分以内,最大でも15分といったところでしょうか.バブルの頃のリフト待ち30分というのは,いったいどういう状態だったんでしょうね?

 スキーは,ここ数年は,あまり行けていないのですが,今年は,ガーラの下山コースがオープンして,南エリアが再開することもありますし,そこそこは(十数日くらいは)行きたいものです.でもやっぱり,一人では行かないので,いっしょに行く人次第ということですね.

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12/13'10
[教養]
(人生, 生き方)

 地盤震動シンポの後の懇親会で,T村さんが理系の人は教養がないから,と言っていたのがずっと気になっています(というか,単にこのことを書こうと思ってもすぐに書かず,ずるずると今日になったというだけの話だが).そうなんですかね? 彼は元文系だったらしく歴史などに造詣が深いのは有名です.でもそういうことが教養なんでしょうか? そもそも教養って何? (また例によって)広辞苑にはこうあります.

きょう‐よう【教養】ケウヤウ
@教え育てること。
A(culture イギリス・フランス; Bildung ドイツ) 単なる学殖・多識とは異なり、一定の文化理想を体得し、それによって個人が身につけた創造的な理解力や知識。その内容は時代や民族の文化理念の変遷に応じて異なる。「人文主義的―」

 該当するのはAでしょう.つまり,単なる知識ではないのは明らかです.例えば,歴史的なことにしても,史実を知っているということにあまり意味はなく,なぜあのときああいうことになったのかということに興味を持ち,いろいろ調べたり勉強していくうちに自然と身についてくる知識ということです.つまり,知識は単なる結果ということですね.

 でも,テストとかクイズとかにすると単なる結果しかわからない.それは,酒の席で「〜ということを知ってるか」というのも同じです.蘊蓄や豆知識の類もそうですね.でも,興味をもっていろいろ調べれば,自然と知識は身につくのである程度の相関はあります.でも,それを「お勉強」したのでは意味がありません.

 じゃあ,何が教養か,教養のある人と言えるかというと,やはり,どういうことに対しても自分なりの考えをもち,議論ができるということでしょう.つまり,再三,私がこのサイトで「話ができる人」という表現を使っていますが,話というのは,いろんなことを話題にできるわけで,ある特定の分野で話ができるだけではなく,いろんな幅広い分野で「話ができる人」が教養がある人ということになるのかもしれません.そういう場合,「単なる知識」はそんなに必要ありません.

 そして,様々な分野の中で最も普遍的かつ重要な「話題」は,やっぱり,人生や生き方だと思います.歴史や音楽やスポーツに興味がない人はいるでしょうが,これに無関係に生きてる人はいないわけですからね.どんなに「教養」があって,いろんなことを知っていても,これについて議論ができない人,プロトタイプな意見しか言えない人は,教養がある人には(私は)見えません.

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12/14'10
[○○好きのつづき]
(生き方)

 ○○好きですが,なかなか難しいですね.「地震動と構造物被害の関係でなくてもよくて,何かある現象があって,その因果関係を論理的,物理的,力学的に解明することが好き.そうすると対象は無限にある」と書いたのですが,私がこれまで接してきたことで言えば,静的荷重下の鉄筋コンクリート造部材の挙動とか強震動シミュレーションなんかは,まさにそうですが,正直,それほど食指は動きませんでした.単なる好き嫌いですから,「どういうことが好きなのか」と分析することにはあまり意味はなく,食指が動くものに本能的に取り組んで行けばいいんだと思います.つまり,やっぱり自分探しなんですね.

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14b
[消去法のつづき]
(生き方)

 上の続きです.自分探しですが,「過去の事実」が参考になると思います.今でもよく憶えているのは,1993年釧路沖地震の被害調査のことで,私は建築よりは地震動に興味があるんだなと思いました.博士の2,3年では高強度コンクリート柱の部材実験をしていましたが,これだ!という感触はなかったと思います.地震にも,地震動そのものにもそれほど興味はない.いわゆる「防災屋」でもない.と,ここまで書いてきてこれってまさに消去法ですよね.消去法については,このとき初めて書いたと思ったのですが,検索するとこことかこことかで既に書いていますね.

 消去法というととても消極的なイメージがあるし,よく使われるので,これも再三書いているようにこの言葉を使うとそれでわかったような錯覚に陥りやすいですが,実はかなりクリエイティブで高度な作業であるのは明白です.だって,消去するにはまず莫大な範囲のものを全てチェックしないといけないし,その中からめっちゃメジャーなものでもこれは違うって切って行くんですからね.そう,そうやって,誰もが思いつくようなことや誰もがやるようなことを削っていくことによって,オリジナリティーに富んだ独創的なものが残るわけです.それが自分がやりたいこと,好きなことなら無敵じゃないですかね.

 私の場合,仕事に関しては,おそらくそういう消去法によって,今までまともにちゃんと取り組まれていなかった今の分野に辿り着いたんだと思います.1999年台湾集集地震が起こったり,強震観測網が整備されたりというタイミング的なラッキーもありました.だから,やっぱり大事にしないといけないですね.

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14c
[裾野]
(世の中)

 東京にいた頃のことですから,もう大分前の話です.確か冬季オリンピックをやっていて,一中でのバドミントンの練習の後,スキーのジャンプでメダルが獲れるとか獲れないとかそういう話になって,確かN嶋君がオリンピックでメダルって言ったって,スキーのジャンプをやったことある人なんてごくごく僅かだから,野球とかサッカーとかで世界のトップレベルに来るのとは訳が違いますよね,というようなことを言っていました.要は,メダルは3個ですから,1万分の3か1億分の3かでは,全然(このケースでは何と1万倍)難しさが違うということです.

 その通りですね.一番になることの難しさ,競争の激烈さは,競技人口,即ち,いわゆる裾野の広さに依存します.競技人口が多くなる理由は,いろいろあるでしょうが,例えば,国技みたいなもののように,単にみんなやるからやるということもあるでしょうし,サッカーがこれだけ広がったのは,お金がなくても道端で誰でもできるからということもあるでしょう.

 裾野が広いということは,興味を持つ人が多いということですから,プロスポーツとして成立し,そうすると,それを目指す人が出てきて,ますます競技人口が増えるという好?循環になります.

 世界的に見れば最も裾野が広いのは,やっぱりサッカーでしょう.日本では,野球だったと思いますが,今やサッカーの方がメジャーかもしれません.それに続くのは,ゴルフ,テニスといったところでしょうか.この辺のことについては,スポーツメジャー度ランキングで議論?しました.これを見ると,最上位に来るものにはプロがあり,それに続くものは,実業団などで何とか食べて行けるもの,下位のものは,食べて行けない,というようになっていますが,ボーリング,オートバイレース,ボクシング,競輪のようなやや特殊なものもあります.スポーツで飯を食うなら競輪というのは,有名な話です.

 これは,競輪選手の「平均年収」が高いというところから来ています.つまり,トップになるのと「何とか飯が食える」のは違うということです.サッカーや野球で世界のトップレベルに来るのは大変ですが,プロ野球,プロサッカー選手になって何とか飯が食えるというのと,例えば,プロボクサーになって飯が食えるというのとどっちが難しいかは,なかなか判断が難しいところかもしれません.ボクシングなんか,それこそ,まともに飯が食えてるのは世界チャンピオンくらいという話もあるくらいですからね.

 と,ここまでは前置き(が随分長くなってしまった)です(^^;.ここで何を議論したいかというと,じゃあ,裾野が広く,トップレベルに来るのが一番難しいのは何か?ということです(そんなこと議論してもしょうがないが,一応考えてみるという程度のことです).例えば,野球は,私が小さい頃は,男の子はほぼみんなやったと思うので,裾野の広さは相当のもんですが,女の子はやりませんよね.そもそも,野球やサッカーがすげー上手かったらみんなプロを目指すというものでもないでしょう.実際,空き地でやる野球やサッカーと,ちゃんと指導者についてやる競技は違うものです.そういう意味でちゃんと才能の発掘ができているかどうかはかなり疑問です.

 と考えてくると,勉強は,みんな学校で(一応ちゃんと)やらされますから,これができるかどうかは,裾野の広がりとしては,最大であることに気づかされます.でも,勉強で「トップレベル」ってなんでしょうね.全国模試でトップになることや東大や難関医学部に入ること?

 すぐに気づくのは,それだけでは「まだ何も成し遂げていない」ということです.つまり,勉強(だけ)でトップレベルに来たってしょうがないってことですね.いや,ノーベル賞をもらうとかいうのが勉強のトップでは?と言う人もいるかもしれませんが,それは全然違います.勉強と研究は全く違うものですからね.

 裾野が広いものとしては,勉強の他には何があるでしょうか? この世の中(の多く)は資本主義社会ですから,金儲けは,裾野が広いと言う人もいるかもしれません.つまり,世界一のお金持ちになることが一番難しい? でも,これも再三書いてきましたが,金儲けに興味がない人は,実はかなり多いと思います.ノーベル賞もらった人なんかはみんなそうでしょう.もちろん,あったらあったでいいと思ってる人は多いでしょうが,金儲けに全精力をつぎ込んで,その一点で勝負してる人は僅かでしょう.

 じゃあ,少し漠然としますが,有名になることはどうでしょうか? これも金儲けと似ていて,有名になりたいと思い,それを第一義と考えて頑張ることなんかしょっぼい話ですよね.つまり,有名になりたいと思い,それを第一義と考えて頑張ってる人で実際に有名になれる人なんかほとんどいないでしょう.そもそも,金儲けにおける年収のように有名に順位を付けるのはちょっと難しいかな.

 じゃあ,もっと漠然としますが,(どこかで書きましたが)「成功する」こと? でも,これも金儲けや有名と似たようなもんかなー.成功したいと思って,それを第一義に頑張る人で実際に成功する人は僅かなのは,有名と同じことです.金儲けだってそうです.

 だんだん,ばからしくなってきたので(^^;,この辺でやめますが,要は,競争とか相対評価なんてその程度のものということですね.つまり,結局,一番より独創性を目指すべしということです(となることは最初からわかっていたことですね).

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12/18'10
[毎コン]
(音楽)

 日本音楽コンクール,いわゆる毎コン(のドキュメント)をテレビでやってたのを偶然見たので,やっぱり見ちゃいました(でもこんな感じでだいたいいつも見てるような気がする).コンクールはやっぱり大変だなーといつも思うのですが,出演者の誰かが「自分の演奏を聴いてもらえる貴重な機会」と言っていました.その通りですね.そういう風に考えればいいと思います.

 一方で,優勝を狙っていて優勝できなくて悔しいと言っていた人もいました.でも,コンクールなんで相対評価なわけですから,自分がどんなに素晴らしい演奏をしても,それを上回る演奏をした人がいたのでは優勝はできません.そして,コンクール当日の他の人の演奏を聴くことはありませんから,自分の演奏が相対的にどうだったかはわからないわけで,それで,自分が一番だったはずとか何とか言うのはおかしな話です.

 ですから,結局,自分ができる演奏を精一杯やるしかないわけで,「自分の演奏を聴いてもらえる貴重な機会」と考えるのがやっぱり自然なことです.そもそも,「演奏する」という行為に「他人と競う」という考えが入り込む余地はないはずです.

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18b
[最近の「演奏家界」]
(音楽)

 先日のピアノプロジェの後で,T久先生とも話したんですが,ピアノも含めて最近の「演奏家界」ってどうなんですかね.私はもう「聴く」ことはほとんどなくなったので,最近の動向はよくわからないのですが,注目すべき演奏家が出てくればちらほら漏れ聞こえてくるものです.

 私が一番よく聴いていたのは,中高大の学生時代で,もう30年くらい前ですが,その頃は,ポリーニ,アルゲリッチといった(当時は)新進気鋭のピアニストが出現し,一方では,ミケランジェリ,グールド,グルダ,ブレンデルといった中堅も健在で存在感があり,巨匠と言われたケンプやルービンシュタインやホロヴィッツもまだ存命で演奏活動をしていました.当時と今を比べると何だかぱっとしないと思うのは,私が知らないだけなんでしょうか?

 T久先生は,当時が異常だったんじゃないかとおっしゃってました.確かにそうかもしれません.ただ,最近の演奏を聴いていると,確かにみんな上手いんですが,何か個性がないというか,みんな「同じように」上手い感じがしてしまうんですよ.

 例えば,上で挙げたポリーニ,アルゲリッチ,ミケランジェリ,グールド,ケンプ,ルービンシュタイン,ホロヴィッツなどの演奏は,聴けばすぐ誰が弾いているかわかります.それは,どういうことかというと,単なる個性というよりは,私はこういう風に弾きたいという「意志」があったんだと思います.最近の人達はどうなんでしょうか? 先生の言われる通り,あるいは,この曲は,こう弾くべしというように上手く弾くことはできても,それでは「演奏家」としては,どうかと思いますし,第一,本人がつまらないんじゃないですかね?

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18c
[筆頭著者]
(仕事)

 先日の日本地震工学シンポの1日目だったかの夜,飲んだとき,T橋技科大のS田先生が私の業績をチェックした(^^;みたいで(こういうのってやっぱりちゃんと見られてるんだなーと思いました),黄表紙(日本建築学会の最も権威あるジャーナル)が全部筆頭著者なのがすごい,というようなことを言っていました.そう言われたときは,意味がよくわからなかったのですが,要は,学生を指導した研究ではなく,全部,自分でやった研究ということのようです.

 その通りです.黄表紙(全部で8編ある.さっき数えた(^^;)は,もちろん,いろんな共同研究者の人達といっしょにやったものですが,データを集めたりとか分析したりとかプログラムを書いたりとか,基本的に私自身が中心となってやり,当然のことながら,論文も自分で書きました.それは,当たり前のことのように思っていたのですが,よく考えると当たり前ではないかもしれません.

 というのは,どういうことかと言うと,研究室をもって学生を指導するようになると,やっぱりそっちが大変ですから,研究は学生を指導して行うということになるんですよ.そうすると,論文は学生に書いてもらうのが当然ですから,指導者は,筆頭著者ではなくなるわけです(中には,学生が書かずに卒業してしまって,(仕方なく)自分で書くこともあるでしょうが).

 私の場合,研究室をもって7年ですが,その間に書いた黄表紙は,全て学生の指導とは別に自分で解析して書いたものということになります.そういう意味では,それなりに頑張ったのかな,という気もしないでもないです.と,同時に,これからはどうなんだ?とも思います.

 研究室としては,今は,「地震動の性質と建物被害の関係を構造動力学を用いて探求し,それを地震災害軽減に結びつけるための研究」という枠組みの中で,地震被害推定を中心に学生達には,いろんなテーマに取り組んでもらっています.成果もどんどん出てきていて,学生達には,論文もどんどん書いてもらっています.それはそれで続けて行くのですが,問題は「私がやる研究」ですね.

 「やり残している」ことがあるので,そこまでは何としてもやりたい,ということは,年初に書きました.でも,考えてみれば,「自分でやる」ことに拘らずに,このテーマも学生にやってもらって,学生に論文を書いてもらう,というやり方もあるわけです.でも,そうしないというのは(そうするのもありというのは別に今気づいたわけじゃないので),何かがあるんでしょうね.

 それは,どんなに忙しくなっても一研究者ではあり続けたいということかもしれませんし,これだけは自分の手でやり遂げたいという拘りかもしれません.でも,結局は,今年は(他のほとんどの大学の先生と同じように)ほとんど手を付けることができませんでした.状況は,どんどん厳しくなるでしょうから,このままではまずいと思います.ですから,もう一踏ん張りしないといけないということでしょうね.でも,もう一息だとは思います.

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18d
[海外に発信]
(仕事)

 同じ専攻のA部先生が地震時の気液二相流の挙動予測について原子力関係の予算をゲットされて,振動台が必要ということになりました.こういう分野を越えての連携は,構造エネルギー工学専攻ならではのもので,他大学ではなかなか難しいでしょうから,私もいろいろ協力させてもらっています.私自身も振動台が入れば,やりたいことはいろいろあります.

 それで,昨日,中間フォロー(要は審査)というものがあって,私も同席させてもらったのですが,他分野の話は新鮮で面白いですね.将来の参考にもなりそうです(^^;.それで,それはそれでよかったのですが,その審査させる方が最後にぽそっと言われたことがとても気になりました.

 それは,どういうことかと言うと,原子力建屋も含めて日本の耐震技術というのは,世界のトップレベルというのはそうだと思うんですが,海外からはあまりそういう評価を受けていないという話もききますので,このプロジェクトも含めて,どんどん海外に情報発信をするように頑張ってください,というようなものでした.

 そのとき,A部先生が私にコメントを求めるかのように私の方を見られたのですが,私はあえて何も言いませんでした.そう言われたとき,いったいこの人は何を言ってるんだ? 例えば,世界地震工学会議では,日本から出される論文が圧倒的な数でトップですし,実際,海外のジャーナル読んでも,おっと思うような論文はそんなにないし,私がバークレーにいたとき,EERC(今のPEER)のディレクターだったJ.Moehleがどこかに国際会議から帰ってきて,1995年兵庫県南部地震が起こった直後で日本からの参加者が少なくてつまらなかったと言っていたのをはっきり憶えていますから,日本の耐震工学に関する研究が評価されていないなんてことは専門外で単に認識が足らないだけだとそのときは思いました.でも,審査を受ける立場なので,私が全否定するようなことを言って,気分を害されるとまずいとのとっさの判断(^^;が働いて,敢えて何も言わなかったわけです.

 私としては,とても気分を害したけど,よく大人の判断で我慢したとも思ったのですが,よくよく考えてみると,そういうこともあるかもしれないという気もしてきました.少なくともその人(調べたら東大の原子力の先生のようです)がどこかでそういう話はきかれたのは事実でしょうし,耐震工学の分野って,確かに研究レベルは,世界のトップかもしれませんが,それをどんどん海外に発信するということにあまり熱心ではありません.自分自身に胸を当ててみても,私自身,最近は,海外のジャーナルは,あまり書いてません.

 でも,それは,ある意味,当然で,というのは,例えば,ある研究をして論文を書こうと思ったときに,英語で海外のジャーナルに書くよりも日本国内の,例えば,黄表紙に書いた方が多くの日本人のトップレベルの研究者に読んでもらえるんですよ.これは,もう随分前の話ではありますが,医学がドイツがトップだった頃は,お医者さんは,英語ではなくドイツ語を勉強したものですが,それは,主要な論文が全てドイツ語だったから,というのと同じことです.

 つまり,日本が耐震工学が世界のトップであるのなら,アメリカやヨーロッパの研究者が日本の研究者のトップレベルの論文を読みたいという理由で日本語を勉強する,というのが筋なわけです.でも,実際にはそうなっていません.日本人の英語下手は今更言うまでもありませんが,裏を返せば,外国人が日本語,特に,その読み書きを勉強するのは,それより遙かに至難なのは容易に想像がつきます.

 問題は,じゃあ,これはこれでしょうがない,でいいのか? ということです.やっぱり,ちょっとまずいかもしれませんね.海外のジャーナル書きますか.というか,書かないといけないとは,思ってるので,今回のことがその引き金になってくれれば,つまり,そう言われたときは,気分を害したが,それを素直に受け止めて,いい方向にもって行けたらとは思います.

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18e
[調子]
(ピアノ, バドミントン)

 最近の調子ですが,可もなく不可もなくといったところでしょうか.でも,そのくらいで定常的にやっていくのがいいのかもしれませんね.ただ,仕事に関しては,上で書いたようにもう一踏ん張りしないといけませんね.

 ピアノについては,ピアノプロジェ終了後,弾くとしたらシューベルトのD960のソナタじゃなくて,全体を考えるとD894だったかなと思ったこともあり,これの終楽章をちょっと弾いていたのですが,確かに純粋に美しいのですが,D960(の1,2楽章)のように明と暗があるという感じではなくて,ちょっともの足らなくなってしまいました.というか,D960ってやっぱりすごい曲だと思います.

 これ以外にもいろいろ物色はしているのですが,なかなかこれだという曲に巡り会えないのは,D960に到達したときと同じです.ということで,意外にもモソロフのピアノソナタを(ちんたら)弾いています.

 バドミントンは,活動場所を変えてもう1ヶ月くらいになりますが,結果的にとてもよかったと思います.まず練習開始時間が20時なのがありがたい(^^;.いつもと同じ時間に帰って同じ時間に夕食を食べて,一息ついて出かけられます(でも帰ってくるのが23時過ぎることもあるが,風呂に入って寝ればちょうどいい?).O形君かM本君がちゃんと仕切ってくれているので,「変なこと」もありません.何よりプレーのレベルが高くて面白いです.あんまり高すぎるのもしんどいですが,何とかついて行けますし,時々,息抜き(^^;できるレベルの人もいてちょうどいいです.何よりみんな大人ですしね.考えてみたら,筑波大バドミントン部で練習していた後,いろんなサークルの中から選んだのがここだったわけですからね.

 そして,シングルができるのが嬉しいです.でも,M本君以外は何とかなる感じですが,M本君は何ともなりません(T_T).前からずっと思ってるのですが,彼って何者(というのも変だが)ですかね? いや,もちろんずっと前からよく知ってるんですが,何とも不思議なプレーヤーなんですよ.ある意味,天才かもとも思います.

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12/21'10
[総合の中継]
(バドミントン)

 総合の中継(の録画)を見ましたが,いくら何でもミックスだけっていうのはひどすぎます.オグシオのときも女子ダブルスしかやらなかったし,要は,単なる人気取りしか考えてないってことですかね.

 競技として見れば,あの広いコートを縦横無尽に駆け回るシングルや男子ダブルスの目にもとまらないものすごいスピードを伝えることは重要でしょう.そもそも,オグシオが1人だけになり,イケメンの信太郎君に目を付けて,層の薄いミックスで人気ペアを作った時点で魂胆が見え見えですよね.

 もちろん,潮田さんや信太郎君には何の責任もありません.むしろ,彼らを見ているとそういう「大人の事情」を,新しいことにチャレンジする機会と自分たちなりに前向きに捉えていて,彼らには頑張って欲しいです.でも,他の選手達はどう思ってるんでしょうか?

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21b
[ピアノプロジェの録音]
(ピアノ)

 T村君がピアノプロジェの録音をサーバに置いてくれたので,ダウンロードして聴いてみました.うーーん,思ったよりよくなかったですね.終楽章は,明らかに疲れてます.もちろん,「録音」ということはあるとは思うのですが,こう弾いたつもりでもそう聞こえていないところもありました.あー,でも,そういうギャップは,以前よりは格段になくなってきた気はします.ただ,以前は,あとで録音を聴いてみると,意外といいじゃん,って感じでしたが,今回は,意外といい,というところはあまりなかったですね.そういう意味では,認識通りということです.

 そもそも,週に何回か通して弾くくらいの練習量では,曲を表現するのに最低限必要なレベルまでもっていくのは,難しいです.ですから,今の私の状況では,こんなもんってことでしょうね.ということで,恥を忍んで一応乗せておきます.ファイルはm4aで,最新のWMPで再生できるようですが,だめならiTunes無料ダウンロードで.

第1楽章 第2楽章 第3楽章 第4楽章

 追記: 当日来られなくて演奏会全体の録音を聴いたM田から,ピアノプロジェのMLに「意外な(笑)選曲の境氏のシューベルトのソナタの2楽章、もちろん何度も何度も聴いている曲ですがこれまで余りピンと来なかったのですが、初めてああ良い曲だなと感じさせてくれる演奏で良かったです。」とありました.思いが通じた思いです(変な日本語).ありがとう!

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21c
[]
(バドミントン)

 とか書いていたら,今日の練習でM本君から1ゲーム獲りました.1ゲームだけだったので1-0ということです.でも,病み上がりのせいか,めっちゃ調子悪そうでしたけどね.ただ,何というか,シングルはこういう風に動くというような感覚が少しずつ戻ってきたような感じはします.やっぱり,やらないとだめですね.

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21d
[]
()

 とか書いたのですが,突然,英語の論文書く気になるわけでもありませんね.でもまあそんなもんでしょう.やらなきゃいけないからやるというのではなく,そういう気になるのか,やらずにおれないのかってことですからね.つまり,これも自然の流れに従うということでしょう.

                 -----------------------------------

21e
[]
()

 最近,年をとる=衰える,というよりは,人生というマラソンの中で(多分)折り返し点を過ぎてゴールが近づいている,という感覚が強くなってきました.「歳をとった」というよりは,また一歩ゴールに近づいた,という感じでしょうか.「残り時間が少なくなってきている」ことには,正負両面あると書いたのですが,いい?面というか,ほっとするというような感じが強くなってきたということでしょうか.たとえ,人生つまんないなー,と思ったとしても,もう少しの辛抱です.

 と書くと,(特に若い人は)ネガティブなイメージをもたれる人もいるかもしれませんが,そんなことはありません.私に与えられた残り時間がどの位かはわかりませんが,(137億年前に)決まっています.その決まってる(でもわからない)ゴールに向かって,できる範囲で精一杯,気分よく楽しくやって行こうと思っています,という感じですかね.

 そして,ゴールが42.195km地点ではなく,いきなり30km地点になることもあるわけで(自殺すれば途中棄権ですが,そうでなければ「ゴール」ですよ),30km地点でもゴールと思えるように日々過ごして行ければと思っています.

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12/22'10
何かを成し遂げなければならないのか?
(生き方)

 ということを最近考えます.今のままではまずい,少なくともこのままでは,心穏やかな老後を過ごせないと書きました.それは,Seismic Intensity Measureについて,自分なりに納得できるところまでまとめておきたいということです.でもどうなんですかね?

 そこまで頑張らなくても,少なくとも生きては行けます.大学の教員は,よっぽどのことがない限りクビにはならないわけですし(それはそれで非常に問題だが),そこまで落ちなくても,そんなにがむしゃらに頑張らなくてもそこそこやるくらいでも,ちゃんとある程度の業績はあげていけると思います.「Seismic Intensity Measureについて,自分なりに納得できるところまでまとめておく」ということに拘らなければ,大分気が楽になるのになあとは正直思います.

 実際,教授になってもがんがん業績あげ続けてる人ってほんの一握りですよね.それは,研究以外のことが忙しくなり,そういう役回りが多くなってくるということもあるとは思いますが,やっぱり,そういうメカニズム?もあるんじゃないかと思います.

 もっと範囲を広げて,「何かを成し遂げる人」ってどの位いるでしょうか? もちろん「何かを成し遂げる」ってそもそも何?って話になりますが,それこそほんのほんの一握りですよね.じゃあ,「何も成し遂げていない」人が価値がないかというとそういうことは全然なくて,まさに職業に貴賎なしなわけです.もっと言えば,仕事なんかするより,子供を作って家庭を大事にしたり,子育てや家事をしっかりやることで,子孫を残すことの方が社会に貢献していると見ることもできます.

 ですから,結論的に言ってしまえば,「何かを成し遂げる」必要なんかないんだと思います.そもそも人生所詮退屈しのぎですからね.ですから,「何かを成し遂げたい」とは思うかどうかではなくて,例えば,Seismic Intensity Measureについて,自分なりに納得できるところまでまとめておきたいと思うかどうか,ということでしょう.つまり,私自身の気持ちに素直に従えばいいということですね.

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22b
[弾きたい曲]
(ピアノ)

 弾きたい曲探しですが,これは,という曲に出会いました.もちろん,昔から知ってる曲なんですが,今改めて聴いてみると,寂しくて情熱的で美しくも退廃的ですごい曲です.曲は,アルベニスのラ・ベーガです.でも...めっちゃ弾きにくい(T_T).アルベニスと言えば,イベリアですが,イベリアといい,なんでこんなに弾きにくいんですかね(^^;? つーか,要は難曲ということか.ですから,今の私のモチベーションというか練習量では,ちょっと厳しそうです.少なくとも,初見ではとてもとても.でも,ほんといい曲なんで,ラローチャの演奏を貼っておきます.ついでにいくつか譜面も貼っときます.

 

 静かに寂しくも美しく始まります.でもこんな単純なフレーズですが,結構弾きにくい.

 静かにあがるアルペジオ.美しい.

 しかし,このまま行くはずもなく,だんだん音が多く,譜面上は黒ーくなっていって,3度や超高速パッセージを経て情熱的に.

 中間部は,再び静けさを取り戻し,けだるい時間が過ぎるも

 冒頭に戻るまでの部分は...付点あり,装飾音ありで再び真っ黒に.

 この後,冒頭の部分に戻り,再現をやや省略した後,最後は,静かに終わります.いい曲です.

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22c
[ケージのプリペアドピアノのためのソナタとインターリュード]
(ピアノ)

 全っ然関係ないですが,つらつら見ていたらケージのプリペアドピアノのためのソナタとインターリュード全曲(多分)の譜面付きの演奏があったので,貼っておきます.この曲を初めて聴いたのは,高校3年のときで,高橋悠治さんのLPでしたが,当時聴いた印象とは大分違います.

 

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12/23'10
[Musica Ricercata]
(ピアノ)

 初見ですぐ弾けるということなら,LigetiのMusica Ricercataならすぐ弾けると思います.どういう曲かというと,最初は,使う音を限定して書かれていて,第1曲は,何とずーーっとAしか使われていません(最後の最後にDが出てくる).

 で,進んで行くに従って,その限定を少しずつはずしていって,最後の第11曲で,ようやく全部の音が使われる,という寸法です.譜面も部屋に転がっていました(確か,バークレーにいたときですから15年前に買った).

 頑張って全曲弾いてる人がいたので貼っておきます.

 第1曲 第3曲 第7曲

 第8曲 第10曲 第11曲

 こうしてCDじゃなくて,弾いてるのを聴いて(見て)みると,意外と様になってるように聞こえます(めっちゃ弾きやすいんですけどね).ですから,めっちゃ「コストパフォーマンス」は高いと思います.うーん,でも「そういう理由で」ピアノを弾くことはもうないですかねー.

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23b
[36?]
(バスコレクション)

 そうそう,先日,帰りのバスでS原先生といっしょだったとき,「違和感(^^;」を感じました.座席の色は1や15と同じですが,一番後の座席がソファーみたいになっていてでかく,その前の柵も違う形で,何よりこのタイプの座席はおそらく一番古いのですが,座席が「新しかった」です.多分,座席だけ入れ替えたような感じです.これも一種の新種?

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23c
[寝る力]
()

 そうそう,朝方目が覚めると書いたのですが,最近は全ーーくそういうことはありません.休日の前の日に目覚ましをかけずに0時頃寝ると目が覚めたら10時なんてことはしょっちゅうです.ですから,「寝る力」はまだ衰えてないってことですかね.そうなるのは,5月くらいの日が長くなるときと対応してますから,部屋の明るさが関係あるんだと思います.

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12/25'10
[本や論文集の自炊]
()

 本や書類のpdf化(自炊)ですが,意を決してどんどんやることにしました.まず,自炊以前に学会のサーバに公開されている論文集をまだ未公開のここ1年のものを除いて全部廃棄したと書きましたが,大会論文やJCIなど学生の部屋のものもそうしてもらうことにしました.そして,学生の部屋用のScanSnapも買って,地震工学シンポや教科書類など,どんどんスキャンして研究室のサーバ(リンクステーション)に置くことにしました.そうすれば,世界中どこからも見られますから,学会サーバに置いてあるのと同じ状態になります.裁断した本は一応とっておきますが,インデックスをつけて段ボールに入れておけば,いつでも引っ越しできる状態には変わりありません.

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25b
[綺麗?]
()

 センターのバス停の所に階段があって,夜になるとその脇に色とりどり?の照明が点灯します.冬の時期は,階段を上ったところのに広場にある木々にもイルミネーションがされています.で,わぁ綺麗,とか言ってよく写真を撮っている人がいます↓.

 でも綺麗だと思いますか? 木々のイルミネーションはともかく,階段脇の照明は色の選択というか配置というか並べる順番がセンス悪いなー,と私は思います.でも,この写真撮った私も端から見たら,綺麗と思って写真撮ってると思われたんでしょうね(^^;.

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12/26'10
[M-1]
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 今年も家にいたので,M-1一応見たんですが,あんまり面白くなかったですね.結果は,M-1も今年が最後ということで,ずっと出ていた笑い飯がとって大団円ということなんでしょうけど,去年の鳥人の方が全然よかったです.でも,笑い飯は去年が最後だと言ってたような気がするんですけどねー,

 ナイツもパンクブーブーもハライチも最初に出てきたときの新鮮さはなかったです.そういう意味では,今年ブレークしたピースが行く年だったと思いますが,2本目が見られなかったのがちょっと残念でした.

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26b
[]
()

 今年を振り返って,みたいな番組がいろいろ流れてるんですが,なんだか随分前のことのような気がします.バンクーバオリンピックって今年だったんですね.もう何年か前のことのようです.

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12/28'10
[一人用?]
()

 昨日,東京での仕事の帰りに何かのアニメの宣伝の車が3台連なって走っていたのですが,よく見ると一人用の車?(後の「顔」を見てどこかわかる人もいるでしょう)

 車運転するのなんか普段はほとんど一人なわけですから,普段はこれでいいんじゃないですかね? そういえば,昔,ミゼットIIってありましたね.光岡自動車からもいろいろ出てそうです.

 あ,なんかこれっぽいですね.電気自動車みたいです.

 値段は...80万くらいするようです.高いと思ったけど,電気自動車だからそうでもない? でも,最高時速50km,走行距離40kmくらいですから,使えるのはお買い物程度ということでしょうが,ゴーカートみたいで乗ったら面白いかもしれません.でも,これで車道を走るのはやっぱりちょっと怖い?

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12/29'10
[閉塞感?]
(世の中)

 年末ということもあってか,今の日本は,将来に希望がもてなくて閉塞感に包まれている,これでは将来ある若者が可哀想だ,何とかしなくては,と,えらそー?な人達がえらそーにメディアでしゃべっています.でもほんとにそうなんでしょうか? 閉塞感なんか感じるのは,単に今の日本の人口の大半を占める年寄りが自分たちが生きてきた高度成長期を基準に考えるからであって,別に経済成長なんかしないでいいし,もっと違うもっと本質的なことに楽しみを見出していけばいいとずっとこのサイトで書いてきました.

 で,おととい,研究室の忘年会だったので,今の世の中,閉塞感に包まれているとか言われてるけど,どうよ?って学生達にきいてみました.答えは...(予想通り)はぁ?って感じですよね,ということでした.そりゃそうでしょ.

 彼らは,高度成長期は知らないし,彼らが生きてきた20年ちょっとは,経済的に停滞していて不幸とか勝手に言われてるんですが,彼ら自身は,それが当たり前だし,別にそれが不幸とは全然思ってないんですよ.つまり,彼らこそ,高度成長期という超特殊な時代ではなく,これからおそらく半永久的に続くであろう,「成長しない時代」に既に適合しているのです.それを新ニッポン人とか,若者の○○離れとか言って,年寄りの価値観を無理矢理押しつけてるだけでしょう.

 ただ,これは,忘年会の時も学生達に話したんですが,問題なのは,若者は,今は「少数派」ということです.これだけ高齢化と少子化が進めば,益々数は少なくなっていきます.つまり,選挙などを通して彼らの意見が反映されなくなっているのです.

 でも,彼らには将来があります.つまり,これから世の中をどうするのかは,年寄りが自分たちの勝手な価値観を彼らに押しつけるのではなく,彼らに決めてもらうのが筋です.何とかしないとまずいでしょうね.

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12/31'10
[バスコレクション]
(36)

 新種だと思います.(34)とほぼ同じですが,座席が全て前向きですから.

それで,デジカメの写真をつらつら見ていたら,35らしき写真を発見?しましたので,これも載せておきます.明らかに左だけ前半分の座席が横向きです.

ついでに,一番後の大きなソファーみたいな座席も.

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31b
[ダビング10]
(世の中)

 個人的には,ようやく,アナログから地デジへの移行が完了した感があるのですが,結構,悩ましいというか,いったいどうなってんの?というのが「ダビング10」です.ダビング10というのは,その名からもわかるように10回まではダビングできますよ,逆に言うと,10回までしかダビングできませんよ,というものです.でも,そんな簡単な話ではありません.

 まず,孫コピーはできません.つまり,オリジナルのものからしかダビングできないわけです.でも,これは仕方ないでしょうね.孫コピーができれば,際限なく同じものが作れて,一部の悪質な人間がダビングを繰り返して違法販売することに繋がるかもしれないわけですからね.でも,これもコピーした先と元でカウントすればいいだけの話ではないでしょうか.

 で,問題なのは,「ムーブ」ができない,ということです.え?ムーブはできるでしょ,って思ってる人もいると思いますが,ムーブってダビング(コピー)と同じ扱いなんですよ.つまり,ムーブしても,ムーブした先は,「コピー」となり,そこからもうムーブはできなくなってしまうのです.

 これに気づいたのは,昨日なのですが,愕然としました.これは何を意味するかというと,最初に録画したところからしか実質ダビングできないということです.つまり,オリジナルタイトルを「ムーブ」できないんですよ.この不便さは,想像を絶します.

 例えば,HDレコーダを買い換えても中身を移すこともできませんし,オリジナルタイトルをまとめて整理することもできません.普通は,HDDに録画してDVDやBDに保存ということなんでしょうが,DVDやBDのメディアがどんどん増えていくのは,もう時代遅れです.そして,DVDやBDのメディアのファイルはもうムーブすらできず,そのメディアからしか再生できないんですよ.

 なんで,こんなことになってしまったのでしょうか? これも要は,このサイトで再三書いている,世の中の一部の悪いことしよる奴がおるから,がんじがらめに規制する,という「とばっちり」でしょうね.でも,こんなにがちがちに規制がかかっているのは,日本だけのようです.そんなことしていたら,「効率の悪い社会」になる一方です.

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31c
[大学教員の対価]
(仕事)

 大学教員への評価について,仕事(研究)は,趣味と思ってやりたいというようにも書きました.まあ,それはそうなのですが,研究の中での学生の指導ということを考えると,それでいいのか?という気もしてきました.

 私が学生達に対してどういう指導をしているのかについても再三書いてきました.それはもちろんいろいろあるのですが,主なものとしては,まず,一人の人間として「ちゃんとしてる」こと,自分を自分でマネージメントできるようになること,とにかく自分で考えて自分で何とかできる人間になること,細かい点としては,ある解決しないといけない問題を前にしたときの問題解決能力,解決したらそれをいかに人に伝えるかのプレゼンテーション能力などで,これらを最先端の研究テーマという格好の材料を通して体得していく,ということになります.

 私は,大学院というか,大学の研究室の役割は,単に研究するというだけではなく,社会に出ていったときに,「使える人材」を育てること,そして,少なくとも私の研究室を出た学生達は,会社のみならず社会をリードしていける人間になってもらえるようにと指導しています.

 もちろん,「自分で何とかする」のが指導の基本ですから,何とかできる場合となかなかそうも行かないケースが出てきてしまうのはしょうがないですが,少なくとも研究室に入ってきてくれたときと卒業するときでは,彼らの中でそういう意識の大きな変化があるのは間違いないと思います.そして,これがあるのとないのでは大違いです.

 もちろん,全ての大学教員がこういう指導をしてるってことは全然ないと思いますが,これってどう思いますか? 私は,研究については,好きでやってるわけだし,別にそれだけの対価がなくてもまあいいやという感じですが,研究室での教育について言えば,相当の評価を受けて然るべきだと思っています.それだけの人材を送り出しているという自負もあります.

 とも思ったのですが,これも,まあいいですかね.というのは,学生達が頑張って成果を出して,自分で何とかできたことの喜びを感じてくれたり,それを通して成長してくれるのって,私にとってもとても嬉しいことですからね.だから,(とりあえず)これもまあいっか,と思うことにします.

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31d
[今年を振り返って]
()

 年末ですね.いつもは,年末年始は,長くて鬱陶しいのですが,今年はここまであっという間でしたし,まあ普通に?過ごしています.珍しく,28日まで外の仕事が入っていたこともありますし,バドミントンも昨日が打ち収めでした.しかも,1/2が初打ちなので,打ち納めと初打ちが何と中2日(^^;!.この時期はどうしてもプレーする機会がないのですが,これも活動場所を移したおかげですね.

 さて,例年通り?今年を振り返っておこうと思います.でも,例年だと,この1年のことをつらつら思い浮かべながら,という感じなのですが,今年は,この1年のこのサイトの記事をざっと読み返してみました.そうすると,今,頭にあることと結構違うところもありました.

 まず,思ったのは,今何となく思っているより,結構いろんなことがあったんだなー,ということですね.自分で言うのも何ですが,面白くて,いいこと書いてるなー(^^;というところもかなりありました.そのときは,そう考えて記事に書いても結構忘れるもんですね.そうか,そういうときは,こう考えればよかったんだと気づかされることも多いです.そういう記事をまとめて,こう思ったときはどうしたらいいかどう考えたらいいかというリンク集みたいのを作った方がいいかもしれませんね.

 まず,全体的にですが,何となく大きな心境の変化があったような気がします.人生については,おそらく折り返し点を過ぎて,残り時間をかなり意識するようになってきたのは,何年か前からそうですが,人生に限りがあることに虚しさを感じるというよりは,なぜかそういうことにどこかほっとするというか,そういう風に思うように「なっている」ということに気づけたような気がします.

 そういう中で,人間関係でいろいろなこともあり,人間関係に限らず,これまで広げてきた風呂敷を少しずつ畳んで行くという意識も生まれました.でも,これも別にネガティブなことでもなくて,それはそれで,安心するというか自然な流れという気がします.

 とにかく,残りが多かろうが少なかろうが,生まれたときから「限りある」ことには変わりませんし,与えられた時間を有意義に楽しく(自分だけではなく周りや社会も含めて)過ごす,に尽きると思います.

 体調や調子については,今の印象だとそんなに悪くなかったかなー,という感じなのですが,読み返してみると,2月に体調を崩してますし,股関節も怪我してましたし,5月頃明け方に目が覚めていたようですし,今の印象よりはよくないですね.でも,これは,調子が悪いときは悪いと書くが,いいときにいいと書くと悪くなるような気がしていいときはいいと書かない傾向もあるような気がします.実際,後半はそんなに悪くないと思いますし,この1年の「点数」の平均を出してみたのですが,73〜74点くらいで,目標の74点(平日が80点,休日が60点)をほぼ達成していました(ちなみに去年の平均は70〜71くらいですから明らかに上向いてる?).

 じゃあ,前半と後半とでどうだったかと思って前半と後半の点数がどうなってるか見てみたのですが...ほぼ同じでした...要は,前半は,体調を崩して休むが,回復すると好調になるという山あり谷あり,後半は,あまり山谷なしということでしょうか.つまり,山谷があってもなくても,平均するとあまり変わらないということで,だったら,あんまり体調を崩すような深い谷がない方がいいのかなあ,つまり,あまり無理しないで淡々と過ごして行くことかなあという気がします.

 個別には,まず,仕事ですが,年初で,今年は論文を書く年と宣言?したのですが,結果的には,査読論文が採用決定になったもの1編を含めて6編,既に提出したものが1編ありますから,目標?の10編の7割方は達成?できたことになります.ちなみに,査読無しのものも13編出てますから,全部で20編くらいは出たことになります.今準備中の査読論文も10編近くありますから,来年も査読論文提出ラッシュ?は続きそうです.

 問題は,Seismic Intensity Measureですね.震度算定法の検討を更に進めるということもありますし,海外に発信するということもあります.でも,優先順位から行けば,学生の研究指導や被害調査結果をまとめてちゃんとした形にしておくことの方が上なわけですから,これはこれで仕方ないわけです.ですから,来年,優先順位がそこまで降りてくるか,あるいは,この優先順位が上がる何かがあるか,ということですかね.

 被害調査と言えば,今年は,大きな地震がなく,久しぶりに被害調査に行かない年になりました.おかげで,被害調査報告の「借金」を完済することができました.と,同時に,被害調査方法も大きく変わることになりそうです.その辺に関して,新たな研究テーマも出てきました.いずれにしても,来るべき,首都直下地震,東海・東南海・南海地震にしっかり備えておかないといけないと思います.

 そうそう,そう言えば,仕事的には,4月に昇進したのでした(^^;.もうすっかり忘れていたというか,私の中ではほとんど何の変化もなかったのですが,教授しか関わらない人事関係などの様々な雑事が増え,これは,たまたまですが,講義負担もかなり増えたので,学生指導も含めて研究できる時間は確実に減ったと思います.でも,雑事とは言え,大学から給料をもらっている以上は,最優先すべき仕事には間違いありませんから,要は,時間のマネージメントの問題ですね.

 ピアノについては,「弾く曲がない」状態は相変わらずですが,シューベルトのピアノソナタ21番(D.960)に出会い,ほんとに救われました.そして,40分もの大曲を弾くという多分人生初めてのことにチャレンジ?することになり,何とかそれなりに完奏することができました.その後,曲探しは難航してはいますが,ピアノを弾きたい気持ちは少し戻ってきたような気がします.

 バドミントンについては,前半は,股関節を怪我していて,その後もだめだめでした.冒頭で,今,頭にあることと結構違うところもあったと書いたのですが,その1つにバドミントンの記事が意外と多かった,ということがあります.つまり,いろいろ思い悩んでいたんだと思います.

 ただ,これもあることをきっかけに練習場所を変えることになり,その後は,何とか楽しくやっています.ただ,股関節については,相変わらずあまりよくないです.もう老朽化というか,つき合って行くしかないんでしょうね.

 いずれにしても「50になったときに全日本でもう一花咲かせる」ためには,そろそろ,準備を始めないといけません.でも,これも目標とかそういうことより,まず,それそのものを楽しむことだと思います.そういうことについて,できる範囲で創意工夫や試行錯誤を続けて行こうと思っています.

 スキーも相変わらず低迷していますが,これも,少し頑張ってみようかなという気にはなっています.ただ,いっしょに行く人とのスケジュールの調整がなかなかうまく行かず,行きたくても行けてない感じです.でも,スキークラブでがんがん滑ってる人達は,行きたくなったときに普通に一人で行ってるみたいですから,滑りたきゃ別に一人で行けばいいんだな,という気もしてきました.

 実は,先日の研修会のとき,初日の午前中にはぐれてしまって,班を探しながらずっと一人で滑っていて,昼ご飯も独りぼっちだったんですが,それはそれで結構,楽しかったんですよ(少なくとも研修してるよりは格段に滑れた(^^;).ですから,結構,一人でも行けるかもという気がしています.

 ゴルフは,結局,年初に1回行っただけですね(でもあの「四角ヘッド」は何だったんだろう?).その後,練習場に行ったりしていたこともあったのですが,コースに出る機会がないと,やっぱり行かなくなるものです.これもやる気はあるが,機会に恵まれないということでスキーと似ていますが,スキー同様,一人でもできるスポーツでもあるので,要は,自分次第ということですね.

 あと,これ以外の仕事以外にやってることの「あること」ですが,何とかまだ続いています.でも,始めてまだ1年ちょっとですが,ほんと牛の歩みというか,ほんの少しずつ少しずつという感じです.でも,確実に進んでいる感じもしています.とにかく続けるだけですから,5年くらい経ったときにどうなってるか,ですね.

 ということで,まとめる?と,結局,やはり,途中で出てきた,与えられた時間を有意義に楽しく(自分だけではなく周りや社会も含めて)過ごす,に尽きる,ということですね.

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