とある委員会でごいっしょさせていただいている(東北大におられた)和泉先生ですが,90になられたそうです.もちろん,高齢なのはわかっているのですが,そんな御年とは思っておらず,正直驚きました.
委員会ではそんなに多く発言されるわけではないですが,みながひとしきり発言した後,大所高所から非常にもっともで重要なことを言われますし,もちろん,毎日バリバリ働くというわけには行かないのでしょうが,まだまだ現役とも言えるわけで,そう考えると,私にもまだ30年以上の時間が残っている可能性はあるわけです.
それで,気づいたんですが,今年90ということは,昭和5年生まれて,私の父と同期ですね.父は9月生まれですから,ほぼほぼ同い年です.
そう考えると,益々すごいですし,人によってどういう人生を送るかは全然違うわけで,やはり本人次第ということですね.
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アメリカ大統領選の討論会ですが,(予想通り)ひどかったみたいですね.でも,こうなるのはわかっているのに見る人がいるっていうのがようわからん.
日本に限らずアメリカも,あるいは,他の国も,国のリーダーというか政治家の劣化がすごいです.それは(何度も書いていますが)人材が劣化しているというよりは,有能な人が政治なんか志さなくなってきたわけで,つまり,国とか政治とかがもう終わりかけてるんだと思います.
でも,その一方で,一応選挙は行われるわけで,まさにこの国民にしてこの政治家ありなわけで,そういう意味では,全体としての人材の劣化も進んでるんでしょうね.そして,無能な政治家が無能な国民に媚を売る衆愚政治に終始するわけで,ほんともうどうしようもないのですが,方法はただ一つ,彼らに期待したり頼ったりせず,自分で何とかするしかありません.
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記録として書いておくと,今日,東証の株式市場の取引システムが動かす,一日中取引停止になりました.丸一日止まったのは,システムができた1999年以来初めてだそうです.デジタル化デジタル化と言われてますが,こういう危うさもあるわけです.
でも,個人的にはどうってことないというか,それこそ海外市場が開いているのに日本だけ祝日で取引できないようなもので,今日のようなことで大騒ぎするのなら祝日,特にGWとかの連休の取引を何とかしろと言いたいです.
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研究室のサイトの研究者としてのこれまで(とこれから)を公開したとき,ざっと読み返してみたんですが,あの頃は苦しかったというか大変だったなあと思うのですが,じゃあ,実際のところというか,当時はどう過ごしていたかなんですが,もちろん,南先生が亡くなったときや,その後,見捨てられて独りぼっちになったと思ったときは辛かったですが,じゃあ,30代はずっと辛かったかというとそんなことはなくて,結構楽しく過ごしていたと思います.
確かに仕事というか研究が評価されずにしんどかったとは思いますが,研究しているときは楽しかったですし,バドミントンとかスキーとか相場研究とか,仕事以外のこともいろいろやってましたし(バドミントンは,40になったとき全日本に出ることを目標に(少なくとも今より)頑張ってましたし,スキーは準指を受けてて菅平に通い詰めてましたし,相場研究も今より遥かにやってました),壁研や工藤研の学生や仕事以外にやってることで仲良くなった人達と楽しくやってましたからね.
でも,仕事というか研究しかなかったらやはり辛かったと思います.ですから,いろんなものやいろんな人に助けられたということですね.
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ピアノプロジェの曲目提出で,クリムゾンをやるという人がいて盛り上がってる?のですが,そう言えば,その昔(15年前),「ポピュラーかつ古典的ハードロックをアルカン的超絶技巧ピアノ曲に編曲」というコンセプト?で,何曲か弾いたのを思い出しました.
でも,やったことは大したことなくて,バンド譜を買ってきてMIDIで打ち込んで譜面を印刷して自分で弾いただけです.さまになる曲とならない曲があるんですが,ボンジョビのBad Medicine,ディープパープルのBlack Nightは,そこそこさまになったと思います.で,音が多くてきたなく?重なる感じがアルカンぽい(笑)ということで上のようなタイトルになってるわけです.
でも,人前で弾いたことはほとんどなくて,ピアノプロジェでも弾いてませんが,一度だけ,高校のクラブ(ブラス)のメンツで,ピアノが置いてある貝を自分で焼いて食べる店に行ったときに弾きました.
で,気づいたんですが,このサイトの記事を検索したらこれなんですが,リンク切れになっていました.つまり,ひょっとしたらこの記事,ずっと埋もれてて,初公開になるのかもしれません.
ということで,思わぬ形で再発見ということでしょうか.
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今ちょうど荷物を整理していて,たまたま譜面が出てきたので,貼っておきます(笑).当然ですが,所々,手直ししてるみたいです.雰囲気はアルカンぽいですが,超絶技巧というほどでもないですね.
※クリックすると2ページ以降が開きます↓.
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父と和泉先生が同い年だったってことですが,もちろん,和泉先生がすごいんですが,48で亡くなった父がもしまだ生きていたらというか,彼に亡くなった後の40年以上の時間,言い方を変えると,私が高二から今に至る時間を与えたら,どうなったのかなと考えてしまいました.
そう考えると彼が失った時間はやはり大きくて,やるせなくなってしまいます.
でも,親だから敢えて書かせてもらえば,自業自得とは言いませんが,そんなに無茶で無謀な生き方をして壊れないのかと思っていたのも事実で,そういう彼を見て,私はそんな無茶なことはしないとなるかと思いきや,全くならないわけで,まあどうしようもないですかね.
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その気になったら自分を全く抑えられないという点では,私と父は非常によく似ていて,今いろいろ荷物を整理というか廃棄しているのですが,よくこんな大変なことしたもんだな,こんなエネルギーがどこにあった?というものがゴロゴロ出てきて唖然とするわけです.
でも,私が父と違うのは,そんな無謀というか無茶なことをしてきたにもかかわらず,何とか無事に生きてきてるわけで,じゃあどこが違うのかと言うと,単にラッキーなだけかもしれませんが,ストレスというか,そういったもののはけ口的なものが全然違うということと,何度か書いていますが,どこかで帳尻が合うというか,ほんとにやばくなってくると,自動的に調整が入るところはあって,それで何とかもってるんですかね.
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上の話とも関連するのですが,(ゆえあって)自炊とか荷物の整理とか活動度が上がっていて,ちょっと疲れ気味で,今日,学生達に大事な話をしたらどっと疲れて,家に帰ってきてご飯を食べたらぐーぐー寝てしまいました.
でも,これはこれでしょうがないというか,こんな感じで調整が入るというか,そんな感じで「疲れたら休め」でやって行けばいいのでしょう.
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仕事とかいろいろあるのですが,自炊というか片付けというか,淡々粛々と進めています.その気になってるうちにやっておきたいというのもありますが,「ワンウェイ」ってこともありますかね.
どういうことかと言うと,途中でやめるわけには行かないということです.例えば,本の電子化を途中でやめてしまったら,中途半端に電子化されたものとされてないものがあるわけで,その境目が明確でなければ,逆に非常に面倒なことになるわけで,やり始めたらもう全部やるしかないわけです.
で,思い出したのは,つくばから東京まで自転車で行ったときのことです.まさにワンウェイで,引き返すわけには行かないわけですからね.
でも,1日何時間て決めてやってますし,そんなにしんどくもないし,目処もついてきたので,多分「ゴール」できると思います.
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ヴァンヘイレンのギタリストのエディ亡くなったんですね.65ということですからまだ若いですが(がんだったらしい),私の彼の印象は「ギター小僧」ですから,小僧がいつの間にか65になってたわけです(私も歳をとるわけです).
私がヴァンヘイレンをよく聴いていたのは,1980年代後半で,当時聴いていたもので好きというか気に入っていた曲でぱっと浮かんだのは,5150のGet Upですかね.検索して久しぶりに聴いてみました.
でも,「ポピュラーかつ古典的ハードロックをアルカン的超絶技巧ピアノ曲に編曲」のヴァンヘイレンの曲は,1984のJumpでした(譜面もあったと思うけどすぐは出てこない).ポピュラーじゃないといけませんし,ピアノで弾いても様になるかということがありますからね.でも,この曲は,キーボードがかなり前面に出てて,ギター,ベース,ヴォーカルと重ねて弾くのは至難だったと思います.
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日経500種平均についてはここで書きましたが,その日経500種が遂にバブルの最高値を抜いたそうです.これをどう見るかですね.
もうバブルなのか,それとも日経275(仮称),500と来て,次は225と来るのかでしょうか.
でも,そんなの誰にもわからないわけで(わかって売り抜けたと言う奴はいるけど,いろんな人がいろんなことをする中でたまたまうまく行った奴がいるだけ),だとすれば,その日その日の流れを見ていくしかないし,それでも当たるか当たらないかは半々強という中で数理的にどうやるかしかないというのが私の考えです.
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淡々と進めていますが,今日も家に帰ってきてご飯を食べたらぐーぐー寝てしまいました.でも,何日かおきにそんな感じで時々休めということでしょうか.でも,この日以来だと思うので,1週間近くはもったというか,週一で休めばいいのなら,まあまあのペースじゃないですかね.
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今週はノーベル賞ウィークだったようですが,日本人受賞者が出ずに平和で静かでよかったです(笑).文学賞は相変わらず村上さんをネタに盛り上がる人々がいるんですが,ずっと受賞しない方が毎年やれていいんじゃないですか?(笑)
でも,誰だったか,学者というか研究者が世間の注目を集めるのはノーベル賞くらいしかないので,もっと注目が集まる機会があれば,それを見た子供達に夢を与えるんじゃないかとか言ってる奴がいました.○ホですねー.
日本人が晴れ晴れしく?ノーベル賞をもらってるのを見て私も研究者になりたいというような人は研究者になるべきではないし,なっても大した研究はできないのは明らかでしょう.
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なんか日本学術会議がすげー話題になってますね.私からしたら知ったこっちゃない話ですが(構造工学の発表で何回か行ったことがあるくらい.場所的には,千代田線の乃木坂駅ほぼ直結ですごい好立地),政府から予算もらってる政府の機関なら,任命拒否されようが何されようが文句は言えないのでは? ていうか,独立した立場で意見したいのなら,政府の機関ではなく,予算なんかもらわずにまさに独立すべきでしょう.
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誰得とか何得とか言いますが,そもそも得ってなんでしょうね.
「得した」というときは,大概がお金の話ですよね.安売りで安く買えて得した,ふるさと納税で得した,GoToキャンペーンで得した,給料が高い会社に就職できて得した,お金持ちの家に生まれて得した,宝くじが当たって得した,みたいな.
お金は生きて行くのに必要なものですし,お金で解決できることも多いので,ないよりあった方が,少ないより多い方がということもありますが,何度も書いているように,必要以上あっても仕方ないものですし,何より必要以上のお金を得ようとすることで失うことの方が大きければ,それは「得」ではないと思うんですよね.
有名になるとか偉くなるとかも多くの場合,お金と結びついてるので同じことが言えますし,そうでないとしても,そういうものを得ようとして失うものが大きければ得ではないというのも同じです.
じゃあ,何が得なんでしょうね.それはやっぱり,やりたいことができるのが得なんじゃないですかね.例えば,生きて行くのに必要な分だけ働いて,あとはやりたいことやるというのがいいと思うのですが,実際の社会はそうはさせないようにがんじがらめになってるわけで,でも,そういう中でどうやって行くかということでしょう.
もちろん,やりたいことと言っても人それぞれで,それはたぶんにその人の素養によるのでどうしようもないところもあるのですが,やりたいことを見つけられて,それがどれだけできたかがどれだけ得したか,いい人生を送れたかだと思うんですよね.
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最近,ピアノを弾いていて「弾けない」と思います.どういうことかと言うと,ほんとはこう弾きたいけど弾けないということを強く感じるようになってきたということです.ピアノも下手になってきた?
そこのところがよくわかりません.実際,下手になってるのかもしれませんし,こう弾きたいということに対する達成度の基準が上がってるのかもしれません.今弾いているのは,シューベルトのソナタですが,ブレンデルとかシフが弾いてる演奏を聴いても全くもって気に入らないというか,私だったらそうは弾かないと思うわけで(何様?),でも,こう弾きたいと思ってもそう簡単には行かないわけです.
そりゃそうだろとも思うのですが,私がピアノを弾く意味は,(知られざる近現代曲の紹介と)私だったらこう弾くという音楽をできる限り再現することで,でも,それは非常に難しいことでもあるので「弾けない」となってしまいます.
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今日も疲れて寝てしまいました.おととい以来なので,今回は僅か中一日ということですね.でも「疲れたら休め」ということでこれでいいんでしょう.
でも,結局,睡眠時間(どの時間に寝るか)が「移動」してるだけで,睡眠時間(寝る時間の長さ)自体はそんなに変わらないわけで,要は,晩ご飯を食べていつも寝る時間までもつかもたないかってことなんですが,だったら,これはこれでいいというか,やりたいときにやるのがいいというのと同様,寝たいときに寝るのがいいってと考えればいいってことですかね.
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ヴァンヘイレンのエディが亡くなった件ですが,思った以上にショックというか,いろいろ考えてしまいます(有名曲はYou Tubeで簡単にヒットするが,そうでないものは自分のものを聴くしかないか.ちなみに自分が気に入った曲を集めて編集したのはヴァンヘイレンとディープパープルだけ).
でも実際のところは,1990年代半ば以降くらいから,ヴァンヘイレンも含めてハードロック自体をほとんど聴かなくなったというか,アルバムを買ったというかCD屋で借りてきたのは,1988年のOU812が最後だと思いますし,その次の次のバランスくらいまで何とか記憶にあるくらいで,あとは,「ポピュラーかつ古典的ハードロックをアルカン的超絶技巧ピアノ曲に編曲」でJumpの編曲をしたとき(2003年くらい)に接点があったくらいで,20年くらい私の「視界」から消えていたわけです.
それがエディの死によって,私の中では「ギター小僧」のままだったエディが突然,65の老人になって目の前に現れたわけです.それで,調べてみると1990年以降は,そんなにアルバムを出してるわけでも,活動してるわけでもないわけで,考えてみてれば,ロックというのは,基本的には若い人の音楽というか,つまりは,ロックバンドってスポーツ選手のように「寿命」があるというか,スポーツ選手だったら,引退して指導者としての道もあるけど,ロッカーはどうする?というか,エディも含めて彼らのそういう葛藤がすごかったんじゃないかと思うとやるせなくなってしまいます.
もちろん,作詞作曲とかプロデューサーみたいなことはできるのかもしれませんが,それはスポーツ選手が指導者になるのと同じで,でも,エディはとにかくギターが弾きたかったんだと思うんですよね.そういう意味では,スポーツ選手も指導者になれるからそれでOKってわけじゃなくて,やっぱり,プレーして行きたいというのが本音なわけで,そういう道がないこともないんですが,パフォーマンスは落ちて行くし,葛藤はあると思うんですよね.
でも,若い頃,ロックバンドに目覚めて,あるいは,何かのスポーツにはまってこれをやりたい,これで食って行きたいとなったときに老後のことなんか考えませんよね.ていうか,考えてやめとこうとなるくらいなら,全然ものになんかならないわけで,「何にその気になるか」は重要だけどどうしようもないわけで,極端な話,登山にはまって若くして命を落とす場合もあるわけで,でも,それはそれで仕方ないというか,それはそれでいい人生だと思うんですが,「長い老後」になってしまうのは,やっぱり辛いんじゃないでしょうか.
でも,そうこともひっくるめてしょうがないというか,それが人生ということなんでしょうが,歳をとって衰えて行くことに抗うだけではなくて,そこにどう折り合いを付けるというかあきらめるということではなく,そういうことも含めて結果最大になるようにマネージメントするということなのでしょう.
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ヴァンヘイレンの(私にとっての)「空白」の20年を調べていたら,ウォール・ストリート・ジャーナルの「史上最も人気のある100のロックバンド」というのが出てきました.ヴァンヘイレンは17位だそうで,そんなもんかなと思うんですが(世間一般にはそんなにメジャーではないのにエディが亡くなったことをメディアが結構報道しているのが意外),こういうのは得てして怪しいものなんですが,私が好きなバンドがどれかな的に上から見て行くことはできます.
まず,トップ10に好きなバンドはないですね.古典的ブリティッシュロックならツェッペリンよりディープパープルが好きとはどこかで書きましたし,スラッシュメタルも好きですが,メタリカはあまり好きじゃないです.AC/DCもエアロスミスもそんなに好きじゃないかな.10位以降だと,ボンジョビ,U2,ヴァンヘイレン,サンタナって感じですかね.
で,63位にやっとディープパープルが出てきます.TOTOも64位ですね.そうなの? スラッシュメタルのアンスラックスとかメガデスが出てこないのはしょうがないとしても,やっぱり怪しいですね.
あーでも「人気」だから,どうでもいいというか,少なくとも私にとっては,とるに足らない情報です.
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カプースチン亡くなってたんですね.それも新型コロナでだそうです.
彼の音楽と出会ったときの衝撃はここに書いてあります(最後の方です)し,その後,彼の曲も結構弾きました(エチュードとかプレリュードとかバガデルとかソナタとか).8つのエチュードの1番と3番は,ファミーユで弾いたかな.
もうかなりの高齢でしたが,割と最近まで曲を発表していたと思うので,亡くなったということは,もう新曲が出ることは未来永劫ないということです.それは残念なことなんですが,人はいつか死ぬものだし,少なくとも私が弾いてみたいと思うのには充分な曲を既に残してくれましたから(8つのエチュードを全部弾くだけでも大変)そういう点では充分です.
あと思ったのは,彼のような作曲家がまた出てこないかなということでしょうか.何度か書きましたが,作曲の最先端というか,バッハから古典,ロマン,印象派,近現代と新しい音楽を生み出してきた音楽界ですが,もうどん詰まりというか,新しい音楽を生み出せなくなっていて,それは,今の世の中に天才がいないということではなくて,現実的にもう新しい音楽などありえないということかもしれませんが,そういう中で,カプースチンは,一つの答えを出したとまでは言いませんが,ちょっと風が吹いたというか,こういうのもありというか,そういう音楽が出てきたらとは思います.
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いつだったか何かの番組で,洋式の公衆トイレで「する」前に備え付けのトイレットペーパーで便座を拭く人がいるけど絶対にやめた方がいい,なぜなら,流すとき菌が空中に舞って,便座にもトイレットペーパーにも付くけど,つるつるの便座よりふわふわのトイレットペーパーの方が菌の生存数が多くて,それで便座を拭くのは,座る前に便座に菌を塗りつけてるようなものだと言ってる人がいました.どう思いますか?
でも,じゃあ,そういうことをしないで,「した」後に,トイレットペーパーであそこを拭いたらどうなりますか? それこそ菌まみれのトイレットペーパーをあそこ,つまり,粘膜に擦りつけるようなもんですよね.
そんなことなら,「する」前にトイレットペーパーを一皮剥いて便座を拭いて,便座に菌が付いたとしてもおしりは粘膜ではないので大したことないですし,あそこを拭くときは,一皮剥けて菌の量も減ってると考えれば,どちらがましかは明らかだと思うんですよね.
この場合はたわいもない話ですが,こういうのって,専門家?が言ってるから正しいのか,そうでないのか,ということもありますし,結局,ちゃんと考えられるかってことだと思うんですよね.
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久しぶりに東京に来て,と言っても通過しただけですが,車窓から見える乱立した超高層建物群を見ると,長周期地震動が発生するところにわざわざそんなものをいっぱい建てて,タワマン=高級みたいな虚構のイメージまで作り上げて,何かあったときに(というか何かある)建築構造界も含めて一体誰が責任をとるのかというか,そのときは,責任者はもういないってことなわけで,ひどい話だと思ってしまいます.
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出張や被害調査などで地方に行くといつも思うのは,地方にも,どんなに田舎でも人は住んでいるということです.何を当たり前のことをってことなんですが,何十年も東京(近郊)に住んでいると,そういう当たり前のことがどこかおかしくなるというか,確かに東京は日本の中心かもしれませんが,それは日本の中の極々一部に過ぎなくて,むしろ,圧倒的に地方の方が広くて東京より遥かに多くの人が暮らしてるわけです.
折しも新型コロナでこういう状況になって,別に東京(近郊)に住んでなくても仕事はできるわけで,これからは地方の時代になるのかもしれませんし,少なくとも東京の地盤沈下というか,一極集中が是正される方向に行くのかもしれません.
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カプースチンがジャズを融合して音楽的に新しくはないけど,どこか新鮮に聞こえるこれまでになかったような音楽を作ったとすると,そういうのってどういうのが考えられますかね?
ぱっと思いついた(ので全然大したアイデアではないけど)のは,ポピュラーな素材をデフォルメするというか,そういうのは(そんなに音楽的ではないかもしれないけど)個人的には結構好きです.
具体的にはジェフスキが(ちょっと政治的なものもあるけど)そういう曲を書いてますね.でも,純然とポピュラーなところとかなりデフォルメされたところが交互に出てくる感じで,融合してる感じではないですかね.
そっか,民謡を集めたバルトークもそういうことになるんですかね.もっと遡ればリストのハンガリアンラプソディーとかショパンのマズルカとかポロネーズとかもそうか.そういうのものを現代の手法とセンスでということでしょうか.
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違った視点なんですが,ポップスとかの軽音楽といわゆるクラシックって,音楽構成とかの要素を全部除いてメロディーラインだけにしたとしても明らかに違いますよね.具体的には,ジェフスキでポピュラーな旋律が出てくれば,ポピュラーだと思うわけですが,何を以てポピュラーなのかということです.
何が違うんですかね? もちろん,私が不勉強なだけでちゃんと研究されてるとは思うのですが...いや,実は何も変わらなくて,作り方が違うだけ?
でも,両者の融合というか,どっちの旋律を使ってどっちの曲の作り方でってやると明らかに変な感じになるわけで,そこに何かがあるような気もするんですよね.
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今年のプロ野球(NPB)って何か変ですよね.セリーグはジャイアンツが独走してるんですが,強いって感じはしなくて,でも何か勝ってるし(何度も書いてるようにセリーグはレベルが低いってことか),菅野は今日は負けたみたいですが開幕から13連勝で,でもそんなすごいピッチングをしてるようにも見えないし,パリーグもソフトバンクとロッテが優勝争いをしてるんですが,ソフトバンクも憎たらしいような強さはなくて,ロッテも(ソフトバンクには強いけど)なんで勝ってるの?みたいな感じで,去年,おととしのライオンズは,打ちまくって優勝したんですが,何度も書いてるようにそんな野球じゃだめなんですが強いというか,負けててもひっくり返す強さはあったと思います.
平たく言うと,全体にレベルが下がってるというか低調というか盛り上がらないというかそんな感じですかね.
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「自炊」なんですが,単にその気になったというか,思い立ったということなんでしょうが,よく考えたら不思議ですよね.デジタル化できるものは中身がほぼ全てであって,本とか楽譜という実体は要らないというのなら,もうとっくにやってるはずで,どうして今頃その気になったのかということでしょうか.
一つは事情があって身軽になりたいということはありますが,それも同様で,やるならさっさとやっておくこともできたわけですからね.
結局,いつも書いてる「なんか知らんがその気になるときがある」ってことかもしれませんが,それだと話が終わるので,敢えて分析?すると,だんだんものというか実体への執着がなくなっていって,それと必要性とのバランスの臨界点に達したということはあるかもしれません.
でも,実体への執着も必要性も単調増加減少ではないでしょうから,一度臨界点に達してもまた少し戻るようなこともあるのかもしれません.でも,電子化して廃棄してしまえば,元には戻らない,しまったやっぱり実体もとっておけばよかったと思っても後の祭りなわけで,でも,だからこそ廃棄できるとも思うんですよね.
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今いろいろ立て込んでて結構大変な状況なんですが,これまでだったら,頑張ってテンションを上げるという感じだったと思うのですが,今回は何か違うというか,結果的に活動度は上がってるんですが,テンションは落ちるというか,いっぱいいっぱいになってくると逆にやる気がなくなる感じです.
何度か書いているようにそういう形でうまく「調整」がはいってるとみることもできるんですが,よくわからないですね.でも,言えるのは,一時的にテンションが落ちることはあっても,どこか心が落ち着いているという感じなんですが,これが結果的にどうなるのか,のんびりしてて自分の首を絞めて益々やばいことになるのか,その辺をうまくマネージできて結果最大になるのかでしょうか.
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相変わらず,芸術やスポーツは不要不急ではない,人の心を豊かにするものだとか言ってますね.いやいやいや,芸術もスポーツも学術も(やる側ではなく金を払って鑑賞する側からしたら)不要不急ですよ.つまり,それ自体,世の中の役に立たないものです.大学というか国からのうのうと給料もらってるお前が言うなということかもしれませんが,私が給料をもらっているのは研究してるからではなく,世の中にとって必要な教育とか人材育成をしてるからですし(でも高度な人材を育成するには最先端の研究が必要),もっと言えば,食料,それもブランド物とかではなく,ごく普通の米や野菜や畜産品を作ってる農家とか,それを我々のところまで届けてくれる物流関係とか,建設,エネルギー,インフラとか関係の現場での肉体労働とか生きて行くのに不可欠な仕事こそ不要不急ではない世の中に必要なことです.
でも,これも何度も同じこと書いてますが,学術とか芸術とかスポーツとか世の中の役に立たないけど,やる本人がやる価値があると思うのならそれはほんとに価値あることで,私もそういうことをしているのでそれは痛いほどわかるし,でも,そういうことをやることができて,それで(バイトしてでも)何とか食べて行けるのならこんなありがたいことはないわけで,今回のことでそういうことに気づければ得るものは大きいと思いますが,芸術やスポーツは不要不急ではないとか言ってる,言うだけ言っとけということならともかく,ほんとにそう思ってるとしたら,学術でも芸術でもスポーツでも大したことはできないと思いますよ.
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この大学が「指定国立大学」に指定されたようで,メールにの中におめでとうございますと書いてくれた友人がいました.でも,私は全く知らなくて(笑),指定国立大学って何?って感じだったので調べてみました.ここにありますね.
こういうの何かいろいろあるし(旧帝大とかRU11とか他にもあったけど忘れた),よーわからんというか,どうでもいいんですが,私が思ったのは,これって「大学ランキング」じゃんってことです.具体的には,指定された順番がまさに「今の」しかも「文科省お墨付きの」大学ランキングになってるということです.
上から行くと,最初に東大,京大と同時に東北大が指定されていて,つまり,東北大が遂にNo.3の位置に来たということですね.実際,いろんな話を総合するとそんな感じもしないでもないです.
次が東工大,名古屋,そして,阪大,一橋と来て,今回が筑波大と医科歯科です.東工大,一橋,医科歯科は単科大学なので,その分,差し引いて考えないといけないので(実質No.3は,理系では,やはり,東工大),旧帝大系だと,東大,京大,東北大→名古屋→大阪→筑波大→(北大,九大)というランキングが何と文科省によって「指定された」ということです.
と,書きましたが,まあ妥当というか,偏差値もほぼほぼ対応してるし,番狂わせ的なことがあったとすれば,名古屋と大阪の順番が入れ替わったことくらいですかね.でも,どのくらい影響したかはわかりませんが,阪大はここんとこちょっと不祥事というかいろいろありましたからね.
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うちの大学関係者でテレビに出てる人がいて,たまたまテレビを付けたときに発言していて,それをきいただけなんですが,ものすごく「建前を言う人」だなと思いました.
実情は全然違うし,でも,メディアというか広く一般に情報発信するには,そうなってしまうというか,そういうことがわかっているようにも見えて,こういう人が偉くなるというか,世の中的に評価されるのかもしれませんし,上の話とも関係してるのかもしれません(でも,逆に学内は大変で滅茶苦茶なことになってる).
そして,政治家がまさに「建前を言う人」ですよね.そして,世の中で一番「偉い」のが政治家なんでしょう.
思うのは,そういう人って何を考えて生きてるのかというか,私には全く想像もつかない(笑)というか,興味もないのですが,建前というか,本音じゃないことを平気で多くの人の前で堂々としゃべってでも,偉くなりたいというか,権力を握りたいというか,そういう人もいるわけで,人それぞれだし,そういう人もいないと世の中が回らないのでまあいいんですが,そういう人が有能とは限らなくて,逆に世の中を滅茶苦茶にするわけで,それはほんと勘弁して欲しいというか,でもどうしようもないので,とにかくできるだけ関わらないということでしょう.
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現在,とある「準備」をしているのですが(いつも書いてるリタイア後に向けた「準備」ではなく,もっと具体的な準備),何か不思議な感覚です.
それは,基本的にはとても楽しみなことなんですが,不安というかめんどくさいというようなこともあって,それは「準備」自体もそうで,実際,とても順調に進むこともある一方で,いろいろ困難というか,大変なことも起こります.そして,それが入り混じるというよりは,交互にやって来て,外的なことだけではなく内的な状態も,変動というか振れ幅が結構あって,それが何とも不思議な感じです.
でも,基本的には楽しみというか,何でも楽しんじゃえってことなので,大変な状況でも,心の余裕はもつようにしてますし,基本的には楽しくやってます(笑).
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この記事の
の「字面」を見ていたら,「筑波大」だけって何か変というか,バランスが悪いですね.
「東京大」,「東京工業大」はほぼ左右対象だし,「東北大」もだいたいそんな感じ.「京都大」「名古屋大」「大阪大」「一橋大」とかは,そうじゃないんですが,これはこれでちゃんとおさまってる感じがするけど,「筑波大」だけ何かみょーに変な感じがします.
あーでも,この記事の「筑波大」はそれほど違和感はないから,上の画像で使われているフォントの問題? 特に「筑」の字のバランスが何か変ですね(どうでもいいけど).
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歳をとることについて何度か書いていますが,いつ頃からでしょうか? それこそ歳をとってから?
つまりは,20代とか30代のときまでは,歳をとることなんか考えもしなかったし,自分が40代とか50代になってからのことなんか想像もしませんでした.どこか遠い世界の話みたいな感じ.そして,それは,今20代とか30代の人もそうなんでしょう.
でも,いつ頃からか,歳をとるということというか,自分が歳をとったときのことを考えるようになりました.歳をとるということを意識したのは40代半ばくらいが最初だったと思いますが,そのときは,50代とか自分が歳をとったときのことは考えることはまだなくて,そういうことを考えるようになったのは50を過ぎてからですかね.
そして,今は自分が70代とか80代になったときのことを考えますし,かなり明確に想像します.でも,想像した通りになるとは限りませんけどね.
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そうそう,IUJじゃないですが,最近またオールインワンに近い新しい「お手軽メニュー」を考案?しました.それは「味噌汁」です.うん? 味噌汁のどこが新メニュー?
経緯としては,たんぱく質が豊富(80%がたんぱく質)な無添加の魚粉をたんぱく質をお手軽に摂取できる食材として使いたかったということがあります.具体的には,小さじ2杯で10gなので,これだけで8gのたんぱく質が摂れるわけです.でも..
野菜炒めとか卵野菜炒めとか,いろいろ試したんですが,どうしても「粉々」して美味くないというか食感がよくありません.じゃあ,炒め物じゃなくて汁物だと? 具体的には,単にお湯でといてというか,水に魚粉を入れてあっためてしょう油とかで味付けしたらどう?ってことなんですが,そっか,魚粉でばりばり出汁は出るから味噌をといたら味噌汁じゃん,しかも,味噌は,出汁入りとか添加物入りとかじゃなくて,これも無添加の「ただの味噌」でいいわけで(めっちゃ安いし),それに冷凍したほうれん草とかもやしとかそこら辺にある野菜を入れれば,お手軽オールインワンになるんじゃね,ということで作って食べてみたんですが...
これが美味い! 当然ですが,めちゃめちゃだしが効いてます(笑).そして,入れた魚粉もそのまま全部摂るので,味噌と合わせると10gくらいのたんぱく質(卵を入れれば更にプラス)と野菜がたったこれだけで摂れることになります.
レシピというほどじゃないですが(笑),水200cc弱に魚粉を小さじ2杯(好みで量は変えていい.味的には小さじ大盛1杯くらいがちょうどいいかも)入れて,火にかけて大さじ1杯の味噌をといて,野菜を入れるだけです.
これを一品足すだけで,10g近くのたんぱく質と野菜が摂れるわけです.
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筑波大が指定国立大学に指定されたってことなんですが,実情を知る人にとっては,特に驚きはないと思うのですが,世間一般のイメージからすると,旧帝大の北大や九大より先に,つまり,大学ランキング的には筑波大の方が上というのは,意外というか,そういう認識はないでしょうから,筑波大としては,指定国立大学に指定される(指定が2回出てきてうざい)ことで,そういうことを大いにアピールできたということなのかもしれませんが,世間一般からすると指定国立大学って何?って感じでしょうし(ていうか,私も知らなかったというか忘れてたし(笑)),メディアとかでは報道もされてませんから,ほとんど意味なしってことですかね.
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片付けているのですが,何か「死ぬ準備」をしてるような気もします.意味はわかる人はすぐわかりますよね.終活みたいなもんだけど,ちょっと違うかな.
もし明日死んだら,いろいろ要らないものがあったり,ちらかっていたり,どこに何があるかわからない状態で死ぬことになるわけで,困る人もいると思いますし,私自身気分がよくありません(死んだら気分も何もないけど(笑)).
もちろん,まだ死ぬつもりはないというか,でもそれは自分ではどうしようもないので,いつでも引っ越せるというか,いつ死んでも大丈夫なようにしておく,でも,まだまだなので,少しずつでも準備して行くということでしょうか.
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いろんな人の訃報を聞きますよね.有名人の場合,多くは天寿を全うしたかどうかはともかく,80代とかだと若い頃とか現役時代の業績とか活躍が紹介されることが多いです.つまり,そういう頃から,もう何十年か経っていて,亡くなったという知らせが来て,そう言えばそういう人いたなみたいな感じで,思うのは,この何十年は何して過ごしていたのかなということです.
人それぞれというか,第一線から退いても,悠々自適に楽しく過ごしていた人もいるでしょうし,仕事とか成功したこと以上の楽しみを見出せず悶々と過ごしていた人もいるのかもしれません.
ただ,言えるのは,やはり,(80過ぎまで)第一線であリ続けた人は非常に少ないということでしょうか.別に第一線とかじゃなくても,つまり,そういう外的な評価が伴わなくても内的に最先端というか,そういう域に達していればそれでいいと思うんですが,それは,悠々自適に楽しく過ごすというのとは全然違うと思うんですよね.
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こういう状況で,教職員の練習もなくなって,というか,メンバーの人は少し前から学外の体育館で練習し始めたみたいですが,ビジターの私には声がかからず,市内の他のサークルもそんな感じで練習するところがなく,というか,その気になればこちらから連絡すればいいので,結局は,その程度の「バドミントンやりたい度」ってことで,それはそれでいいですし,逆に半年やってないおかげで,怪我というか体の調子は却ってよくなった感じなんですが,体育館に行ってないってことは,バドミントン部の練習もずっと見てないので,吹田先生に連絡をとって,昨日,見に行ってきました.
昨日は,ダブルスの練習だったんですが,久しぶりに見たということもありますが,やはり,スピードを感じました.でも,しばらく見てるとスピードにも慣れてきて,そうするといろいろ見えてくることもあるわけです.
吹田先生が久しぶりに見てどうですか?ときくので,答えたんですが,スピードがあってもそれは慣れるので,単調にならないようにというか緩急が大事ってことなんですが,やっぱり,エラーが気になります.もちろん,どうしてもエラーは出るものなんですが,なんでここでこういうエラー?というエラーも多いと思うんですよね.
ヒューマンエラーというように,エラーは避けられないというか,どういうメカニズムでエラーが出るのかわかってないところも多いのですが,何度も書いてますが,「原因がない結果はない」と思うんですよね.少なくとも,エラーをしたとき,あーエラーしちゃったじゃなくて,どうしてここでこういうエラーをしたのか,それを減らすにはどうしたらいいか考えてるのかということです.
具体的に言えば,世界のトップレベルと比べると,技術とかフィジカルの違いはあると思うんですが,心の落ち着きというか,いっぱいいっぱいじゃないというか,そういうメンタル的なところもあるような気がします.もちろん,フィジカルに余裕があると心の落ち着きも生まれようというものですが,それだけでもないというか,鶏と卵じゃないですが,心の落ち着きから入るという方法もあると思いますし,そうすると無駄な動きも減って自然と緩急もつくような気がします.
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今日,専攻(正確には学位P)の先生方が昼食会を開いてくださいました.その時に話が出たんですが,指定国立大学の話,かなり大々的に報道されてたそうです(私があまりテレビを見てないってこと?).だとすれば,よかったんじゃないですかね.
私としては,教員の研究レベルの高さとかいい教育をしてるところとか学生の優秀さとかを考えると,筑波大はもっと評価されていいとずっと思っていて,でも,世間のイメージが今一付いて来てなくて,今回,指定国立大学に(北大や九大より先に)指定されたことで,少しでもそういう方向に行けばと思います.
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うーん,でもやっぱり何か違うかな.指定国立大学になったというのは「評価」されたってことなんですが,要は大学の上層部が文科省に尻尾振るために学内では,何でこんなしょーもないことをというようなことをさせられて疲弊してるわけで,それで本来やるべき研究とか教育が疎かになったら一体何やってんだってことですよね.
つまり,このサイトで再三書いてる「評価というのは所詮そういうもの」というのがここでも見事に当てはまるわけで,そんな他者評価なんかには目もくれず,自己評価というか,自分達でちゃんと考えて真にやるべきことをやるべきだと思いますね.
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ソフトバンクが10連勝ということで,最後に強さ発揮という感じですが,気づいたら,2位のロッテに2日連続サヨナラ勝ちで今日も勝って3連勝で3ゲーム差ということで,CS(は今年は2位まで)がほんの少しだけ見えて来ました.何度も書いたように今年はピッチャーがだめな上に打てなくなった惨状だったんですが,これも既に書きましたが,ピッチャーが少し安定してきてて,打つ方も少しずつ上向いては来てるのですが,まあ期待せずに(笑)見ていきます.
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この件,即ち,大学の上層部が文科省に尻尾振る一方,学内は大変なことになって,研究や教育が疎かになって本末転倒ってことなんですが,そんな単純な話じゃないというか,結構根深い問題なのかもしれません.
○長などの大学上層部としては,指定国立大学もそうですが,この大学の地位を向上させて,優秀な学生が来てもらうとか,少子化に伴う生き残りとか,文科省に尻尾振るのも運営費減らされたらかなわんとかあるわけですよね.
文科省は文科省で,日本人学生が先細りの中で優秀な海外からの留学生を獲得するために大学の国際競争に勝たないといけないと考えてるわけで,そのためにいろいろ注文を付けてくるところもあるわけです.
もちろん,大学上層部にしても文科省にしても,自分が実績を残したいとか,仕事をしたことにしないといけないみたいなところは大きいと思うのですが,上で書いたようなことはあるわけで,でも問題は,組織の中の合意が得られているのかということでしょう.具体的には,大学の地位が低下して運営費や給料が減っても研究や自分達がいいと思う教育ができることを選ぶというやり方もあるわけですからね.
でも,いちいち教職員全員の意見をきくことはできないですから,具体的にどうなってるかと言うと,専攻→系→全学というようになっていて,全学→系→専攻というように「命令」が降りてくるわけですが,そのどのレベルで意見集約というか,教職員の意見を吸い上げるかです.
専攻長(今は学位プログラムリーダー)は,専攻の意見代表になってると思います.逆に,系長は上層部の言いなりです.てことは,専攻長が集まる系の会議で意見がぶつかるわけで,そこで意見集約というか,吸い上げがうまく行ってないってってことになるってことなんですが,実態はそうじゃなくて,系長が専攻の意見を集約して上層部にもっていっても全然きいてもらえなくて,結果的に系長が上層部の言いなりになってるわけですから,結局,上層部が組織全体の意見を全然聞かずに独裁好き勝手状態になってるってことですね.
上層部はそれでいいと思ってるんでしょうが,組織論的に言えば,上からのトップダウンで組織を動かすのは,もう昔の話で,今は現場のことは現場に任せるのが常識ですし,その方が遥かにうまく行くことがわかっています.というか,大学は昔からそれができていて,それでうまく行ってた,具体的に言えば,ばんばん研究成果が出て,それが今のノーベル賞ラッシュに繋がってるわけです.
でも,今の大学の上層部はそれと逆行することをしていて,大学の教員は世間知らずで自分達が何とかしてやると思ってるのかもしれませんが,どちらが世間知らずなのかというか,少なくとも専攻のことは専攻に任せるというか,社員のことを信じられない会社がうまく行くはずもありません.
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粛々と進めていて,久しぶりに,具体的には,4年前に「(一部)自分引越」をしたとき以来,クリーンセンターに行ってきました.とある委員会で,東工大のM岡先生が粗大ごみをもって行けば格安で引き取ってくれるのはつくばだけみたいなことを言ってて,じゃあ,つくばにいるうちにそういうものは処分しとかなくちゃということもあります.と言っても,今回は,2tトラックを借りるとかじゃなくて,自分の車で積めるだけ積んでという感じです.
こういう状況ということもあるのかもしれませんが,4年前と比べるとがらーんとしてて,粗大ごみの場所も変わってて,人も減って,でも以前よりちゃんとしてるというか,以前は,わちゃわちゃやってる感じもしましたが,大分効率化した感じもしました.
でも,1回では終わらず,2回目は断熱材とかをもって行ったんですが,クリーンセンターでは受け付けてないということで,産廃処理場を紹介されてそこに行きました.以前スチール棚を処分というか,買取にそういう業者のところには行ったことがありますが,雰囲気的にはそれのもっと大規模な感じで,産廃業者がばんばん来ていて,4年前の活気?があったクリーンセンターみたいな雰囲気というか,まさに現場って感じですね.
何度か書いてますが,こういう現場で働いてる人が世の中にとって必要というか,いなくなると大変なことになるわけで,まさにありがとうございますって感じですかね.
でも,4年前は2tトラック一杯分を処分して,帰り道はとても清々しい気分でしたが,今回はあんまりそんな感じはしませんね.まだ残ってるってこともありますが,4年前といろいろ全然違う感じがします.
具体的には,4年前は,段取りが悪かったというか,もちろん,かなり段取りはしていたのですが,今の私から見るとまだまだというか全然で,つまり,このたった4年でそういう能力?みたいなものが格段に向上してるというか,この歳になっても成長してる?というか,何だかみょーな感じです.
ただ,今は段取り8分ならぬ段取り9.5分って感じでやってますが,どこかで段取り通り行くか不安というか,なかなか達成感がない,清々しい気分にならないのはそういうことかもしれません.
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この件というか,「大学の地位が低下して運営費や給料が減っても研究や自分達がいいと思う教育ができることを選ぶというやり方もある」と思うんですが,現状というか,特に(数学や理論物理とか以外の)理系ではそんなのとんでもないという人が多い気がします.
それは,「研究するのにお金がかかる」からです.
そんなの当たり前? ほんとに? 現実はそうかもしれませんが,研究ってそもそもそういうものですか? これも,結局,資本主義というか,その悪しき側面が大学というかアカデミックな世界にも色濃く影を落としてきているということですかね.
でも,研究は本来そういうものじゃないし,研究を大事と考えるのなら,国が税金をあてがって何とかしてきたということですが,少子化で人口増加,経済成長,税収が頭打ちというか減って行く中でこういうことが起こってるわけです.
でも,武士は食わねど..じゃないですが,やはり,研究とお金は相いれないものですし,研究してるんだか申請書書いてるんだかでは,それこそ何やってんだかですし,そういう意味では,私は,ずっと研究費が(そんなに)かからない研究をしてきましたし,そういうところで創意工夫するのも研究対象みたいなもので,でも,私は研究費(そんなに)要らないつってんのに,科研費獲得額=実績みたいなとんちんかんなこと言うわけです.
そういう意味で,一番割を食ってるのは,文系の研究者で,実際,この大学では,彼らの大迫害と大脱出が起こっていて,知の拠点だったものが世の中の役に立つとか金になるとか学生が集まるとか目先の流行りものとかに特化して行く様は,まるで民間企業,それも,急成長して潰れる会社みたいに見えてしまいます.
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先日,誕生日だったんですが,それ自体はもうどうということはないのですが,年齢的には,南先生が亡くなった歳になりました.父が亡くなった歳になったときもそうですが,一つの区切りというか,節目という感じはしますね.
ここから,即ち,南先生よりどれだけの時間が与えられるのかはわかりませんが,与えられるものは有効に活かしたいとは思います.
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