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6/1'19
[内的熟達の持続性]

 内的熟達の難しさですが,あとは,やっぱり(何度も書いているように)興味というかその気の持続性ですよね.これについては,未だによくわかりません.やる気三要素は,他に2つあって,そういうときは,人との繋がりとか報酬とかを併用するってこともあるんでしょうが,あくまで内的熟達的にやって行くためには,ということですからね.

 でも,これも研究対象ってことですかね.もちろん,仕事とか仕事以外でも人の道的にちゃんとやらないといけないことは,やらないといけないのですが,仕事もリタイアして,内的熟達生活をして行くのなら,そういうことは,必要なくなるわけですから,持続的に内的熟達生活をして行くための研究というか創意工夫もして行くということでしょう.

 もっと大きく敷衍すると,何事についても,うまく行けばそれはそれでいいとして,うまく行かなければ,うまく行くにはどうしたらいいか考えて,研究して,創意工夫して行けばいい,それはそれで楽しめるというか,そういう風にやって行けたらということでしょうか.

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6/1'19b
[ということではありません]

 再三,内的熟達的に生きて行きたいと書いていますが,もちろん,人間関係を絶って一人で生きて行きたいということではありません.つき合って行きたい人とはつき合っていきたいし,私にできることなら,できる限りのことはできる範囲でしたいと思っています.

 でも,内的熟達的に生きて行けるというか,一人でも大丈夫なことに越したことはないというか,私ができることはできる範囲でしたいと思いますが,私自身は,社会や人に迷惑はかけたくないし,ましてや,助けを求められたり,必要とされてもいないのに,自分からしゃしゃり出て行くことはないですし,一方で,そんなことやってどうすんだ的なことに巻き込まれるのももう勘弁ですかね.

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6/2'19
[適応]

 でも,以前は,今ほど内的熟達的に生きて行きたいという風には,考えてなかったと思うんですよね.仕事もそうですが,仕事以外にもいろんなことをしているので,いろんな人とのつき合いがあって,それは,とても楽しかったですからね.

 じゃあ,私の何が変わったのでしょうか?

 というか,私の何かが変わったというよりは,回りの状況が変わって,それに適応してきているということかもしれません.具体的には,もうすぐ今の仕事はできなくなる,というか,それ以前に,頑張って活動して評価されて(でもその実,やりたいことやってただけだけど)という人生が終わる,あるいは,既に終わってるわけで,でも,それは,別に悪いことばかりでもなくて,やりたくもないしやるべきでもないことしてまで働く必要がなくなるということでもあるわけで,でも,当然,そういう状況の変化に対応はしないといけないわけです.

 多くの人は,働き続けようとするというか,「成功する競争」をする人生を続けようとするのですが,私は,そういうのに興味はないし,やりたいことをやって来ただけなんですが,やりたいことをやる中で,未解明のことを解明したい,自分の技術を向上させたいということでやってきて,そういう本来の自分が生きたい生き方に戻るというか,ようやくそれが実現するということかもしれません.

 でも,もちろん,それ以外のことを排除するということではなくて,近く時々遠く,のように,一人時々みんな,ということですかね.

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6/2'19b
[適応性と持続性]

 でも,回りの状況が変わることもあるし,私自身の心境が変わることもあるわけで,今は,内的熟達的に生きて行きたいと思っていても,またいつか,人との繋がりが欲しくなるかもしれませんし,そういう意味では,適応性とともに持続性も重要で,例えば,内的熟達的に生きて行きたいと思って,人との繋がりを一切絶ってしまって,いつか,人との繋がりが欲しくなったときにそれを取り戻すのは大変でしょうし,今やってて面白いことがそうでもなくなることだってありうるわけです.あるいは,もう働かなくていいし,研究以外の余計な仕事もしたくないということで,今の仕事をやめてしまって,また,今の仕事に戻りたくなっても後の祭りです.

 ですから,結局,あんまり極端な思い切ったことは,難しいわけで,でも,それだと大したことにはならない気もするのですが,そもそも,何かにその気にならないと話は始まらないわけで,しかも,今やってる研究より面白くて高いレベルでできることなんかないわけですからね.

 でも,その一方で,面白いこと,やりたいことなんかいくらでもあるし,もう働かなくても何とか食べて行けるのなら,レベルは関係ないし,学生の研究指導とかの研究活動以外のやりたくないことなんかやらないという選択肢もあるとは思うんですよね.

 結局は,生活して行くためのお金とやってて楽しいことさえあれば,生きて行けるわけで,どんどんおかしな方向に進む世の中からさっさと離脱して,無意味なパワーゲームに関わらずに心穏やかに生きて行きたいとも思うのですが,将来の心境の変化を考えた持続性を考えると,難しいかもしれませんね.

 でも,そうは言っても,何があるかわからないのが人生だし,心のどこかで「そういうこと」が起こるというか,何かにその気になることを期待しているようなしていないような妙な心境なのですが,確率的には,このまま何となく時が過ぎていくのでしょうか(やっぱり,それは何だかなあとは思いますかね).

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 別の考えとしては,まさに今までがそうだったのですが,やりたいことは何でもやりたい私としては,当然,研究もやりたいわけで,だとしたら,今の仕事をしながら,研究は当然として,それ以外のやりたいことも全部やるってのが理想とも言えるのですが,若いときのようには行かないし,研究以外の仕事をとにかくできる限り○○するのが最大の課題ということでしょうか.

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6/2'19c
[サンウルブズ]
(スポーツ, 世の中)

 確かラグビーの前回のWCの後くらいから,世界のトップレベルのリーグであるスーパーラグビーにサンウルブズという日本代表を中心としたチームが加わりました.でも,世界とのレベル差は歴然で,ほとんど勝ててないんじゃないですかね.

 で,今年は,日本でWCということなのか,夜寝るときに時々試合が流れてるんですが,ぱっと見,ほとんど日本人が出てないんですよ.ていうか,日本代表ということなので,厳密には,日本人でなくてもいいんですが(特にラグビーは,その辺は緩い),外国人のチームに向かって日本頑張れってとか言ってるのを見ると,なんか違和感があります.

 そもそも,再三,書いてるように,私は,日本人とか外国人とかは,どうでもいいんですが,都合がいいときだけ,外国人を利用して,日本人?は,すごいみたいな国威発揚的なことは,ほんと辟易しますね.

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6/3'19
[他者評価]

 どんどんおかしくなる世の中ですが,その根底にあるのは,やはり,他者評価で,それを助長しているのが資本主義経済,そして,メディアやSNSなどのインターネットです.つまり,多くの人が自分がどう思うかではなく,他人がどう思うかばかり気にしているわけです.視聴率至上主義,売れるにはどうしたらいいか,業績を積むために査読に通る(つまらない)論文を書く,全てがおかしくなって来ています.

 他人に評価されようと頑張って評価されてそんなに嬉しいですか? 評価されても別にいいことなんかないし,その実,評価というエサをぶら下げられて,こき使われてるだけってことですよ.

 他人の評価など意に介さず,自分がいいと思うことをやる,それで,評価されなくても,気にすることなんかないし,結果的に評価されれば,ありがたく受け入れる,でいいじゃないですか.

 でも,多くの人は,自分の考えがないというか,自分の頭で考えられなくて,何がいいのか判断できないんでしょうね.それはそれで仕方ないし,まさに「素養の問題」ということでしょうか.

 でも,そういう人が大勢を占め,衆愚主義的に世の中がどんどんおかしなことになって行くのは,まずいでしょう.でも,こういう流れは,誰にも止めることはできなくて,どうしたらいいかと言うと,そういう世の中と距離を置いてやっていくしかないわけで,これも内的熟達的にやって行きたいということの動機にもなってますかね.

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6/4'19
[どこに行った?]
(世の中)

 でも,その一方で,世のほとんどの人が,自分がどう思うか,自分がいいと思うことに従って行動したら大変なことになりますよね.つまりは,世の中は,極一部の優秀な人間が進むべき道を決めて,残りのほとんど人は,それに従うことで回って来たということです.

 でも,それがどんどんおかしくなって来ています.具体的には,極一部の優秀?な人間が決める進むべき道が迷走しまくりということです.背景にあるのは,やはり,人口増加の終焉に伴う資本主義経済の行き詰まりがあるでしょう.

 極一部の優秀な人間と言うと,きこえはいいですが,かつては,貴族や王族のような単なる既得権者なわけですし,現代においても,オーナー社長とか二世政治家など,似たようなものです.もっと広く言えば,親から莫大な財産を譲り受けたお金持ちで,彼らが考えることは,いかにしてその財産を減らさず,増やして,なおかつ,自分は片手うちわで庶民をこき使ってのうのうと暮らすかです.

 つまりは,頑張って働いたら誰でも小金持ちになれるとか,経済が行き詰まって来たら,今度は,お金じゃなくて,いいねとかで評価してあげるとかのシステムを作るとか,太古の昔から一貫して言えるのは,とにかくいかにして,(自分は働かずに)庶民を(騙して)こき使うかなわけです.

 経済が右肩上がりだったこれまでは,何とかそれで回って来たのですが,人口増加の終焉に伴う資本主義経済の行き詰まりによって,どうにもならなくなってきました.そうすると,単なる既得権者に智恵はありませんから,これまでやって来た経済の拡大を前提としたことを続けるか,どうしたらいいかわからず右往左往するだけなわけです.

 じゃあ,ほんとに優秀な人間は,どこに行ったんでしょうか?

 さあどうでしょうね? でも,答えは,もうしばらくしたら出るんじゃないですかね? でも,ほんとに賢い人は,行き詰まる経済の中でのパワーゲームや成功する競争には,興味はないでしょうから,世の中の表舞台には,出てこないと思いますけどね.

 ここまで来ると明らかですが,ほんとに優秀な人が,表舞台に出てこなくなってきた,というのが今の世の中の問題ということですかね.具体的には,優秀な人で日本の首相になりたい人なんかほとんどいないでしょうし,身近なところでは,○○長とかも然りなわけです.既得権者は,何とかして引っ張り出そうとするのですが,ちゃんとした人は,お金なんかでは動きませんし,最近は,(表面的な)評価でも動かなくなってきていて,まさにどん詰まり状態ですが,道はあって,それは,やはり,内的熟達でしょう.

 つまりは,優秀な人にやりたいことを好きなだけやってもらえる環境を提供することだと思うのですが,世の中は,全くそういう方向には行ってません.その理由は明らかで,そういうシステムを考える上層部が無能だからです.

 つまりは,結局,どん詰まり状態で,賢い人は,そういう泥船からいかにして脱出するか,どうやってそういう世の中と距離を置くかと考えるでしょうし,そうすると,世の中を動かす人間は,無能な人ばかりになり,世の中は,どんどん沈んで行くことになりますね(日=短+04280608).

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6/4'19b
[忘れないように時々書いておくと]
(このサイト)

 何度も同じことを書いていますが,忘れないように時々書いておくと,このサイトで世の中や経済に対して批判的なことを書くことが多いですが,私自身の気分は悪くありません.

 もちろん,世の中がいい方向に行くのならそれに越したことはないですが,もはやそれは望むべくもなく,誰にもどうすることもできないわけで,だとしたら,そういう中でどうするかなわけで,それをいち早く察知して,自分や自分の回りの人間だけでも何とかサバイブするしかありませんし,そうできれば,それはそれで悪い気分ではありません(ごめんなさい).

 気がかりなのは,やはり,これからそういう世の中を生きて行かないといけない若い人達ですが,私の回りにいる人達には,ことあるごとにそういう話をしてますから,きっと何とかサバイブしてくれるでしょう(このサイトを読んでくれてる人も?).

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6/4'19c
[歳をとって衰えること]
(バドミントン, その他)

 練習だったんですが,何とか週一に慣れてきた感じでしょうか.でも,右股関節は痛いというか動かないし,パフォーマンスはまだまだだめだめです.でも,そういう中でどうすべきか,何をすべきか,何を意識すべきかはわかっていますし,そうすれば,劇的にパフォーマンスは上がります.でも...

 それが難しいです.どういうことなんでしょうね?(と考え始めた) 意識すべきことを意識することが持続しないし,「無意識に意識」なんか夢のまた夢という感じです.

 要は,集中力がないんですよ.どこかで書きましたが,学類の同僚の先生が昔より英語は格段にできるようになってるし,今なら英検の1級くらい楽勝で受かるだろうけど,試験を受けて長時間集中することがもうできないと言っていたことを紹介しましたが,まさにそういうことですね.

 つまり,歳をとると,体力とかフィジカルが衰えるということもありますが,そういう体力というか集中力とか持続力が衰えるんですね.それは,バドミントン以外にも顕著に見られますし,感覚としては,何かしてるんだけど,どこかぼーっとしてるというか,集中してない感じです.

 じゃあ,どうしたらいいか,ですが,わかりません.でも,できることとしては,やはり,とにかく意識することでしょう.

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 あとは,バドミントンはそうでもないのですが,普段の生活の中というか,仕事をすると,とにかく疲れます.研究以外の仕事は特にそうですが,最近は,学生の研究指導も,もうほんとちゃんとやれよという場合は,疲れます.

 でも,疲れても休めるうちは大丈夫です.というか,疲れるのは,意味があって,休みなさいということですし,そこを無理して頑張ると,後で大変なことになります.

 つまりは,疲れても休めなくなるときは,仕事をやめるときで,何とか定年までそういう状態でもってくれれば,ということでしょうか.

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6/5'19
[練習してなかった]
(ピアノ)

 ピアノですが,演奏会に向けてというよりは,弾く気になった曲を弾いてみては,途中で放りだして,という感じで,まさにちんたら弾いてるんですが,年末には(一応)演奏会がありますし,エントリーするのが9月ということで,例年だと,7月とか8月に演奏会で弾く曲を決めて練習を始めるという感じでしょうか.でも...

 気づいたんですが,それって練習ですかね? ただ,譜読みしてその曲が弾けるように弾いてるだけじゃん.ていうか,一昨年だったか,ジャワ組曲の1,2集をやったときは,練習どころか,まさに通しで弾くだけだったわけですからね.

 ピアノが上手くならないと食べて行けないわけじゃないし,それでもいいっちゃいいんですが,ちっとは練習した方がいいんじゃないか,ということで,でも,それでもうまく弾けないところを注意して3回くらい繰り返すくらいのことを去年はしたんですが,それでも,その曲が弾けるように弾いてるに過ぎなくて,これって,ピアノが上手くなるための「練習」ではないですよね.喩えて言えば,バドミントンで,ゲームばっかりやってて,トレーニングやパターン練習をやってないようなものです.

 つまり,これまで私って,ピアノは,全然「練習してなかった」ってことになります.

 ということで,すこーしだけ,「練習」することにしました.と言っても,30分くらいですけどね.と言っても,以前は,全体の練習時間が30分くらいだったわけですから(笑),格段の進歩ですかね.

 と言っても,練習だけのための退屈な曲は,弾きたくありませんから,いろんな条件を勘案して「練習」する曲を決めました.こういう作業もちょっと面白いものです(短+2413160709).

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6/5'19b
[手仕事系]

 (リタイア後の)内的熟達的生活ですが(もちろん,本来的には,内的熟達にリタイア前も後も関係ありませんが),やっててそこそこ楽しいことなら何でもいいとも言えます.例えば,ゲームでもテレビとか映画を観ることでも,音楽を聴くことでも,本人がそれでいいと思えれば(人生所詮退屈しのぎ的には)それでいいわけです.

 仕事で成功した人は,それじゃつまんないって言う人が多いんですが,必要とされ評価されなければならないという(余計な)拘りを捨てれば,いいだけの話なわけです.実際,自分がやって来たことを振り返ってみて,ほんとにそんなに評価に値することやって来たって胸を張れますか?

 少し話がそれましたが,拘りを捨ててやってて楽しいことして過ごせればいいと思うのですが,そういうことに向いてることと向いてないことはあるとは思います(と書いたものの,実際のところは,やってて楽しくないといけないので,やっぱり,それが最優先ではあるんですが).

 具体的には,「手仕事」系がいいような気がします.「仕事」とありますが,実際は,仕事ではなくて,例えば,刺繍とか編み物をしたり,プラモデルを作ったりとかですかね.少し高尚なものだと,美術とか工芸ということでしょうか.そんなにお金をかけず,出かける必要もなくのんびり家で過ごせますし,手仕事をしていると,そこに集中するというか,他のことが忘れられて,しかも,とにかく時間がかかるので,退屈しのぎにはもってこいでしょう.それに類するものなら手仕事系でも美術でなくてもいいと思います(農作業とかもそれに近いのかも).

 でも,私自身は,そういうものは,やっていません.ですから,そういうものを探してもいいとは思うのですが,やってないってことは,興味がないのかな(小さい頃は,折り紙とか道具を使って図形を描くものとか電子工作とか,そういうことに夢中になったことはありましたが).

 ピアノは,練習するのに,というか,曲を弾けるようになるのに,すごく時間がかかるので,手仕事系に近い気もしますが,体への負担がかなりあるので,一日中は,無理です.そういう意味では,スポーツも厳しいですよね.

 ということで,というわけでもないですが,私の場合,種目を増やすことで対応しようとしてるわけですが,手仕事自体は,嫌いではないので,何かそういうものが見つけられたらとは思いますが,美術とか手仕事ができる人を何人も見てきて,彼らの才能とか器用さとか単調な作業を長時間続けられる能力を考えると,私のレベルでは,てんで大したことにならないのは明らかですが,リタイアしたら,レベルは関係ないし,まだ誰もやってない新しい何かを考案?できたら面白いかも,とは思います.

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6/6'19
[お前はどうなんや?]

 ほんとにそんなに評価に値することやって来たって胸を張れますか?と書いたのですが,じゃあ,お前はどうなんや?ということになりますかね.これについては,再三書いて来ましたが,一仕事できたとは思ってます.もっと言えば,地震動の性質と建物被害の関係という一点において,世界中の誰よりも真理に近づいたとさえ思ってます.幸い,評価もしていただきました.でも...

 そんなことは関係ありません.だって,そう(勝手に)思ってるのは,自分自身であって,評価は他人がするものだからです.私の場合は(幸か不幸か)ある程度評価もしていただきましたが,それはたまたまであって,結局,重要なのは,自己評価であって,他者評価はどうでもいいと思うんですよね(でも,大したことない奴が自分はすげーと言ってもしょぼいだけだから,結局,これも本人の素養とか能力の問題).

 裏を返して言えば,「ほんとにそんなに評価に値することやって来たって胸を張れますか?」というのも,「仕事で成功した」ってことは,結局,他者評価であって,そういう意味では,「評価に値することやって来たって胸を張れる」人は,(ある程度,世の中に迎合して)他人に評価されることをやって来たってことで,むしろ,恥ずべきことでしょう.

 私自身について言えば,何度も書いているように,基本的にやりたいこと,「自分が」やる価値があると思うことをやってきただけの話ですから,「評価に値することやって来たと胸を張れる」とも「仕事で成功した」とも思ってません.もちろん,評価していただけるのなら,それはそれでありがたい話ですが,そういうものには,(評価してやるから仕事しろみたいな)いろんなよからぬ思惑があるわけです.

 私がある程度評価されたと言っても,かなり怪しい話で,地震が起こって,被害状況を建物と地震動の性質からちゃんと説明できる人間が私しかいないので,私のところに話が来るというのは,ともかく,大学での昇進とか,いろんな責任が重い仕事とか,○○長の話とか,多くは,「いろんなよからぬ思惑」ってことですよね.

 実際,大学からは毎年,早期退職しませんか?という連絡があるわけで,つまり,大学からしたらさっさとやめて欲しいわけで,実際,定年になればクビになるわけですし,私が大学をやめたら,専攻や学類は困ると言っても,研究以外のいろんなめんどくさい仕事をしてくれる頭数が減るというだけの話で,結局は,社会とか大学にとって,私という存在は,吹けば飛ぶようなものなわけで,それは,私に限らず,全ての人がそうなわけです.

 ですから,「評価に値することやって来たって胸を張れる」なんて人は一人もいないわけで,そういうことを潔く受け入れることが重要というか,評価してやると言われてこき使われる他者評価より,自己評価に基づいて,自分がやる価値があると思うことをやればいいだけの話だと思うんですよね(日-短-全).

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6/6'19b
[余計な拘りを捨ててニュートラルに]

 極端に言えば,評価されないどころか,お前は社会に必要ないと言われたらどうですか?

 今の世の中の風潮としては,これ以上,本人を傷つけることはなくて,それがいろんな社会の歪みとなって現れているというような感じですが,ものは考えようだと思うんですよね.

 社会に必要ないということは,社会に対して果たす責務がないとも言えるわけで,じゃあ,自分が食べて行く分だけ働いて,あとは好き勝手にできてラッキーとも言えるわけです.

 逆に,ものすごく評価され必要とされて,引っ張りだこになって,「こき使われて」,めんどくさい人間関係に疲弊して,そんなことなら,評価なんかされない方がいいとも言えるでしょう.

 死ぬことだって,充分楽しんで生きてきてお腹いっぱいになって,やっと卒業できるとも考えられるわけですし,不遇の人生を送ってきたのなら,そんな人生とおさらばできると思うかもしれません.

 逆に自分の好きな人と思いが通じ合って結婚できたとしても,そこから幸せな人生が始まるかどうかはわかりませんし,実際,結婚生活は,人生の中で,肉親の死に次ぐストレスということですからね.

 なんか,いろいろ書いて来ましたが,結局,幸不幸とか,何がいいとか悪いとかは,わからないわけで,だったら,そんなこと考えてもしょうがないでしょう.

 ですから,余計な拘りを捨ててニュートラルに,何かを目的とするのではなく,やりたいこと,やる価値があると思う目の前のことを,結果など意に介さず,近く時々遠く,一人時々みんなで,日々淡々とやって行けばいいと思うんですよね.

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 でも,実際のところは,そういう風に考えられる人がほとんどいないってことなんでしょうね.まさに,こき使われるために騙されてる状態だと思いますが,そこが「成功」するかしないかの分かれ道ということでしょうか.

 でも,世のほとんどの人は,やりたいこと,やる価値があると思うことをやっていたのでは,食べてさえ行けないのが実情なわけで,結局,素養とか能力の問題ということになりそうですが,どっちが先かと言うと,やはり,しっかり,自分で考えられるかどうかだと思います.

 それが素養とか能力の問題と言ってしまえば,それまでですが,勉強とかスポーツができるとか,仕事ができて世の中で成功するとかと,しっかり,自分で考えられるかは,関係ないと思うんですよね.

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6/6'19c
[危ないサイト(笑)]
(このサイト)

 やりたいことやったらいいと書いてるわけですから,このサイトって,そこだけ表面的に読むと,危ないサイト(笑)に見えるのかもしれませんね.でも,そんな表面的にしか読めない人は,このサイトを読んでもよくわかんない,というか,そもそも,読む気にならないでしょうから,まあ大丈夫ですかね.

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6/6'19d
[猛暑?]
(日記)

 先月から今月にかけて,5月,あるいは,6月初旬というのに連日30度を越える猛暑という報道です.でも...

 そんなに暑いですか? 朝夕は,まだまだ涼しいし,私はまだ半袖を着る気にはなりません.感じとしては,まだ「熱が溜まってない」ようなイメージでしょうか.実際,太陽が最も高いのは6月で,でも,一番暑いのは8月ですからね.

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6/6'19e
[何も望むものがない]

 余計な拘りを捨ててニュートラルに,何かを目的とするのではなく,やりたいこと,やる価値があると思う目の前のことを,結果など意に介さず,近く時々遠く,一人時々みんなで,日々淡々とやって行くと,感覚的には,何も望むものがないということになります.一見するとつまらないようにも見えますが,現状に100%満足しているとも言えます.

 というか,何かを望むとかいう概念がないということでしょうか.だって,何かを望んで,その通りになったとしても,それが幸というか,真に望むものとは限らないわけですからね.

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6/7'19
(日記)

 日記的には,ここのところ,あんまりぐっすり眠れた感じがしません(少し前は,そうでもなかったんですが).毎年,この時期は,そうなんですが,明け方に一度目が覚めるんですよ(遮光カーテンなので,夜明けが早くなることは関係ないはず).早く寝ると,その一度目が覚める時間が早くなって,益々しんどいです.

 歳をとったと言う人もいるでしょうが(それはそうなんでしょうが),歳をとると早く目が覚めるのは,活動量が落ちるからなんですが,例えば,練習日は,活動量が多くて疲れてるんですが,却ってよく眠れない感じです.

 多くの年寄りの人は,朝早く目が覚めて,そこで起きるみたいですが,私は,そこで起きるとしんどくて全然だめだし,そもそも,そこで起き上がる気になりません.で,いつも起きる時間までまた寝るんですが,そこでもよく眠れた感じはしないです(日=短+0424131628060809).

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6/7'19b
[歳をとったから何かが変わる?]

 突然変なこと書くような気もするのですが,自分がもう50代後半で,つまりは,「いい大人」で,それどころか,もう定年まで10年を切ってるわけで,でも,そういう実感が全くないんですよね.感覚的には,30代後半あたりで「止まってる」ような感じです.

 で,30代後半は,どんな感じだったかと言うと,これも気分的には,学生時代とそんなに変わらないわけで,ですから,基本的には,20代からそんなに変わらないんですね.

 というようなことは,既にどこかで書いたと思いますが,新しく書くこととしては,じゃあ,20代とか30代のときの50代後半のイメージは,どうだったかということです.その頃の,50代後半というと,身近なところでは,南先生とか小谷先生ですかね.

 言うまでもなく,二人とも大先生ですから,そういう彼らの年齢に,今自分が達しているとは,益々違和感があります.しかも,私も,一応一流大学の教授という立場でもあるわけで,これまた益々違和感ありありですね.

 一方では,四捨五入すれば,もう60ですから,還暦というか,20〜30代のイメージからすると,もう立派な老人です.でも,そういう実感もないんですよね.このサイトで,再三,歳をとったと書いてますし,もちろん,バドミントンの競技力は衰えたし,日常生活でも疲れやすくはなってるんですが,実際のところは,20〜30代の頃とそんなに変わらない気もするんですよね.

 ここで,ふと思ったのは,今の学生達から私はどう見えているのだろうか,私が南先生や小谷先生に対してもっていたような印象なのだろうかということです(多分,大分違うと思うけど).と言っても,そういうことを気にすることは微塵もない(笑)のですが,何が言いたいかと言うと,歳をとっているからと言って,中身は,本質的にそんなに変わらないってことです.

 もちろん,この数十年の間,仕事というか研究してきて,あるいは,いろんなことをしていろんなことを考えてきて,その間の成果というか,学生達がもってないものは,たくさんもってると思いますが,それは,歳をとったからではなく,研究したり考えたりしてきたからなわけで,繰り返しになりますが,歳をとったから何かが変わるということは,ないと思うんですよね.

 ですから,歳をとるということなど,気にせずに生きて行けばいいんだと思います.私もそうやって生きてきましたし,だからこそ,気づいたらもうこんな歳で,ものすごく違和感を感じるわけで,ですから,これでいいんだと思います.

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6/8'19
[過ごす能力]

 どういう能力が欲しいですか? めちゃめちゃ頭がよければ,研究者にも医者にもなれるし,大企業に就職しても,ビジネスを起こしてもいいし,トレーダーになってボロ儲けできる? あるいは,スポーツとか芸術とか一芸に秀でて,世界のトップレベルの能力があれば,それで食べて行ける?

 もちろん,そういう能力は,ないよりは,あった方がいいかもしれませんが,私が一番欲しい能力は,違います.それは,「過ごす能力」です.

 具体的には,例えば,何かやりたいことがあって,それさえやっていれば楽しいのなら,まさに無敵だし,人生薔薇色ですよね.やりたいことまで行かなくても,手仕事系のような心穏やかに過ごせるものがあるのでもいいし,一日中,テレビや映画を観たり,音楽を聴いたり,本を読んだりして過ごして,気分がいいのなら,それはそれで無敵でしょう.

 もちろん,食べて行くために必要なお金は稼がないといけませんが,やりたいことをやるための時間を最大限確保しようと思えば,無駄なお金は一切使わず,必要最低限だけ働けばいいし,少々しんどい仕事にも耐えられるでしょう.

 この能力?さえあれば,定年で仕事を失っても全然へっちゃらですし,むしろ,余計な仕事しなくてもいいので,リタイア大歓迎てなものでしょう.

 この過ごす能力ですが,やりたいことが人それぞれであるように,何をして過ごすのがその人にとって気分がいいかも人それぞれだと思います.具体的には,社会の中でバリバリ仕事をすることや家族や友人達とわいわい過ごしたい人もいる一方で,一人でできることをして過ごすのが好きな人もいるわけです.

 私は,「一人,時々,みんな」がいいのですが,「一人で過ごせる」のと「みんなで過ごせる」のと,どっちが「能力として高い」かは明らかで,それは,「一人でも過ごせる」方が(一人で過ごせるのなら)実現可能性が高いからです(みんなで過ごすには,自分以外の他人の都合に依存しますからね).

 「過ごす能力」欲しいですねー.いろんなことをやってるし,一人でできるものも多いので,ある程度は,もってるとは思うのですが,これさえあれば,何も要らないというまでのものはないですし,手仕事系のことは,やってないし,まだまだ修行というか,やること探しは続くということでしょうか.それとも,もう大分いい線まで来てる?

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6/9'19
[単純にやってて楽しい]

 過ごす能力が欲しいってことなんですが,実は,簡単なことですよね.テレビでもインターネットでもゲームでも映画でも音楽でも本でも,今の世の中,退屈しのぎには事欠きませんからね.でも,(ちゃんとした)人間には,承認の欲求や自己実現の欲求があって,だらだら遊んで暮らすだけでは,満足は得られないわけです.でも,定年になると,突然,もうお前は要らないと社会から言われ,どうしたらいいかわからなくなる.

 これについては,社会から必要とされてるなんてことは,実は幻で,その実,目先の経済を回したり,誰かの思惑で体よくこき使ってるだけで,代わりはいくらでもいるわけだし,だからこそ,定年でクビになるわけで,だったら,変な拘りを捨てて,やりたいことやればいいとは,再三書いてる通りですが,そうすると,重要なのは,承認の欲求ではなく,自己実現の欲求ということになります.

 つまり,社会から必要とされるとか,評価されるとか意に介さず,やりたいことやればいいのですが,それは,ちゃんとした人間なら,自己実現に繋がることでないといけないわけで,でも,そんなもの仕事以外にもってる人は,そうそういないってことでしょうか.

 この「自己実現の欲求」ですが,久しぶりにこのサイトに登場した気もしますが,一体何なんでしょうね? 一頃,よく使われたワードですが,実は,あまり明確な定義なしに使われているような気がします.私がよく使う内的熟達と似てる感じもしますが,内的熟達の方が意味は明確でしょう.

 内的ということですから,他人や社会は関係ないわけで,自分の中で熟達していくということ,社会の中での位置とかレベルは関係なくて,自分の中で,熟達していけばいいってことですね.熟達というと,技術的なものを連想させますが,研究してわからないことがわかってくるとか,何かを作っていて徐々に完成していくとかでもいいと思います.

 つまり,これをやって熟達すると何かいいことがある,例えば,研究成果を出したら,評価されるとか,業績積んで昇進して偉くなって給料が上がるとか関係なく,純粋に研究してて楽しいってことです.ピアノなら,この曲が弾けるようになって人前で弾いたら格好いいとかもNGで,一切人前で弾かずに,自分だけで弾いていて,でも,弾けない曲が弾けるようになったり,こう表現したいということができたりすることに喜びを見出せるかですかね.

 つまり,熟達していくから,わからないことがわかってくるから,だんだん完成していくから,楽しいし,やる気になるということでしょうか.

 でも,それ以前に重要だと思うのは,ただピアノを弾いてるだけで楽しい,ただ羽を打ってるだけでバドミントンが楽しいという感覚が必要ということでしょうか.

 これは,なかなか難しい気がしますが,ピアノにしろ,バドミントンにしろ,何をやるにしろ,そういう要素は必ずあるわけで,それを忘れないことが大事というか,そういうものを見つけるということでしょうか.でも,私の場合は,怠け者というか,持続性がないので,やりたくないときは,やらない,いろんなことをやってる中で,その時,やりたいことを何とか見つけて乗り切ってきたというか,だから大したことにならなかったとも言えますが,過ごす能力的には,私の場合,そこに何とか活路を見出そうとしてるのかもしれません.

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6/9'19b
[怪我]
(ピアノ)

 怪我したみたいです.と言っても,バドミントン関係ではなく,ピアノです.

 ちょっとですが,練習するようになったんですが,指に負担がかかるみたいで,具体的には,左手の小指が痛いです.突き指したような感じですが,突き指は,軸方向への負担というか荷重で痛いのですが,それが軸方向ではなく,曲げに対してという感じです.つまりは,左の小指で弾くと痛いんですね.第一関節が少し腫れてるようにも見えます.

 なんだかなあって感じでしょうか.これも加齢ってことですかね.でも,まさかピアノで「怪我」するとは思いませんでした.右手だったらバドミントンでグリップを握るときに影響があったと思います.

 どうするかですが,今は痛いのを我慢しながら,抑え気味に弾いてますが,なかなか治らないとすると,治療が必要かもしれませんね.

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6/9'19c
[嘘で溢れている]
(世の中)

 私はそれなりにテレビを見る方だとは思いますが,見ていて思うのは,(何度も書いてますが)嘘で溢れているというか,見ていて見苦しいというか,ほんとにひどいもんだなあと思いますね.

 理由は明らかで,何とかして国民を騙して,極少数の誰かがいい思いをしようとしてるってことです.その一点で見てみると,見事に全ての辻褄が合っていて,どうしてこうもまあ明白な嘘にみんな騙されてしまうんだろうと不思議なくらいです.

 だったら,テレビなんか見なきゃいいじゃんとも思うのですが(笑),嘘とか本当とか関係ないものもあるし,そういうものは,単純に楽しめるということもありますが,そういうものの中にも,ちらりちらりそういう嘘が垣間見えるのは,やっぱり,ちょっとひどいですね.

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6/10'19
[デフレが終わった?]
(PC, 世の中)

 SDカードのアダプタですが,あと数個になってきたので,注文しました.前回から3年ですね.価格は,199円(前回と同じものは242円だったけど,質は変わらないもっと安い199円のものにした)なので,推移としては,1個480円→(6年)→355円→(2年)→147円→(3年)→199円(242円)です.

 こうして見ると,デフレが終わって,値上がりに転じたということでしょうか,それとも,一時的な騙しでしょうか.

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6/11'19
[年金2000万不足?問題]
(世の中, 政治)

 年金2000万不足?問題ですが,ひどいですね.何がひどいって,議論が全くとんちんかんになってることです.

 事の顛末は,金融庁が年金だけでは,足りない,95まで生きると夫婦で2000万不足すると言ったことで,その意図は,足りない分を資産形成するなりして補ってください,ひいては,資産運用に消極的な日本人を投資に促すというものだったのですが,まず,反発したのは野党(K産党)です.

 2000万足りない? 年金は100年大丈夫じゃなかったのか? はぁ?

 金融庁は,年金が危ないと言ってるのではなく,年金だけでは足りないと言ってるわけで,全く議論がずれています.でも,これに一斉にメディアが乗っかり,年金が危ないとは,みんな何となく思ってたけど,パンドラの箱が開いたという○ホまで出てくる始末です.

 金融庁にしてみれば,「え?そこなの?」って感じでしょうし,国民がそこまで○ホとは思ってなかったんじゃないですかね? 与党は,その辺の事情がわかってるみたいで(笑),ちゃんとした説明はあきらめて,誤解を招いたとひたすら平身低頭です.おかげで衆参同日選挙が吹き飛んだという向きもあります(ほんとにひどい衆愚政治だ).

 一体,この国(国民)は,どうなってるんでしょうね? まさか仕事をリタイアして一銭の蓄えもなくても年金だけで食べて行けると思ってる? それとも,野党やメディアが単に揚げ足をとって政争の具にしたり,視聴率を獲ろうとしてるだけ?(短+07)

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6/11'19b
[医者バブル(崩壊)]
(世の中)

 このサイトで,有能な人材の受け皿がなくなってきて,特に理系の場合,(官僚叩きやメーカーの没落によって)医学部への人材集中が起きていてると書きました.実際,一種のバブル状態になってるとの向きもあります.

 もちろん,医者は必要ですし,やり甲斐のある職業でもありますが,理系の優秀な人材が,特に物理ができる人間がこぞって医者になるというのは,どう考えてもおかしなことです.でも...

 最近,医者人気に翳りが出てきたというんですね.その理由が...

 医者の勤務実態が伝えられるにつれ,過酷で大変な仕事ということがわかって,敬遠する若い人達が増えてきてるんだそうです.世も末ですね.

 でも,給料がいいから医者になるとかいう不届き者が駆逐されて,それはそれでいいんじゃないですかね.そもそも,条件がどうとか,勉強ができるからとか,そんな理由で医者を志す方がどうかしてます.

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6/11'19c
[結果的にどう行動しているかで]

 過ごす能力は欲しいけど,自己実現の欲求は満たしたいとか,何か変な感じがしてきました.もっと単純なことなんじゃないですかね.

 まず最初に来るのは,食べて行かないといけない,そのためには,ほとんどの人は,仕事しなければならないということです.そして,どうせ仕事をするのなら,楽しくてやり甲斐があって得意なものがいいということでしょう.

 仕事をリタイアすると,食べて行くために仕事をしないといけないという前提が崩れるのが問題なのですが,だったら,やりたいことやればいいわけです.でも,仕事で成功した人や素養が高い人は,ただだらだら過ごすことには抵抗があるのですが,だったら,そうでないことをやればいいってだけの話でしょう.

 具体的には,仕事が続けられるのならそれでもいいし,ボランティアやっても,何かのとりまとめ的なことやってもいいわけで,でも,年寄りの冷や水じゃないですが,自分がほんとに必要とされてるかに注意すべきでしょう.そうでなければ,自分が社会からもう必要とされてないことを潔く受け入れればいいだけの話で,それはそれで責務を果たさなくていいというラッキーな面もあるはずです.

 それができないという人も多いと思うのですが,過去の栄光(笑)にすがって生きて行くことしかできないのなら,まさに素養の問題で,否応なしにそういう濡れ落ち葉的人生を受け入れるしかありません.

 つまりは,全ては,全てを甘んじて受け入れることから始まるってことでしょう.

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 やりたいことやればいいってのも,別にやりたいことを探す必要もなくて,その場その場でやりたくなったことをやればいいだけの話かもしれません.例えば,基本的には,ピアノが弾きたいけど,今日は,弾きたくないなと思えば(ピアノが上手くなりたいから,演奏会があるから,弾きたくない日も練習しないといけない,ではなく)弾かなければいいだけの話だし,でも,そうやって,だらだら過ごして,気分が悪くなって来たら,それを解消するために,ピアノを弾けばいいんだったら,弾けばいいみたいな感じでしょうか.

 ピアノのところを仕事とか研究とか運動とかいろんなものに置き換えれば,全ての人に当てはまるでしょうし,私の場合は,そういうものをたくさん用意しておいて,どれか引っかかれば,ということでしょうか.

 もし,なーーんもする気がしないとしたら,疲れてるんでしょうから,休んでればいいわけだし,テレビとかゲームとかインターネットとかでも,何かする気になるものがあるのなら,それで過ごして行けるでしょう.

 そんなことで過ごして行くことで自己実現的に満足できるのであれば,それだけの素養しかないということなので,それを受け入れればいいし,もし受け入れられなければ,そうでないもっと自己実現に繋がることをやればいいだけの話です.

 つまりは,繰り返しになりますが,全ては,自分の素養(の低さ)を(ほんとはどうどかじゃなくて,結果的にどう行動しているかで)甘んじて受け入れるってことでしょう.

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 リタイア後は,それでいいと思うのですが,若い人達は,仕事をしないと食べて行けないので,そうは行かないかもしれません.でも,同じだとも思うんですよね.

 どうしても,その気にならなければ,それはそれでしょうがないし,それを甘んじて受け入れて時給1000円の辛くてしんどい仕事をすればいいだけの話です.それが嫌なら,頑張るしかありません.でも,何度も書いてるように,その気になることを見つけるのが一番いいとは思いますけどね(そして,それは,年寄りも同じ).

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 逆に言えば,その気になったらとことんやるってことですし,私はこれまでそうやってここまで何とかやって来ました.でも,これからは,どうなのかなあ.

 でも,上で書いたように,どんなことでもその気になることをやればいいってことは,その気になったらやるってことですね.でも,そのメカニズムがわからないとか,その気になるように何とかしようとはしないってことですかね.

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6/12'19
[テレンス・ジャッドのヒナステラのピアノソナタ1番の動画と譜面]
(ピアノ)

 テレンス・ジャッドのヒナステラのピアノソナタ1番の動画が譜面付きでアップされたので貼っておきます.

 やっぱり,いいですね.でも,今あらためて聴いてみると,所々,ん?と思うところもあります.ですから,「私だったらこう弾く」的にこの曲をやることがいつかあるのかもしれないとは思いました(これまたその気になるかどうかの問題).

 ここから先は,思い出話になりますが,ここで書いたように,この曲は,大学に入って,東大ピアノの会に入り,最初の演奏会(11月の駒場祭)で何を弾こうか考えていたとき,FM放送で流れて,衝撃を受けて,(今はなき)渋谷のヤマハに走って譜面を注文したものの届くのは数ヶ月先という状況で,どうしたものかと思っていたら,ピアノの会の会室に楽譜が「転がってる」ことを発見して驚喜して,所有者だった田上さんの許しを得て弾いたものです.

 で,この曲を聴いて連想するのは,大学1年の夏休みのことで,まずぱっと思い浮かぶのは,バドミントン部の千葉の検見川での合宿ですね.というのは,この曲の譜面を「発見」して,でも,バドミントン部がすぐ合宿に入って練習することができず,譜面のコピーとカセットテープをもっていって,合宿が終わって,京大戦が終わった後,福岡の実家に帰省して練習することを楽しみにして,合宿の練習の合間に聴いていたからです.

 技術的には,非常に難しいというほどではないのですが,当時の技量的には,変拍子がかなり厄介で,ピアノに向かって練習していてもなかなかうまく弾けなかったんですが,何かの用事で天神に出かけるとき,玄関のところで,頭の中でイメトレというか,リズムをとっていたら「できた」気がして,実際にピアノに向かったら,すぐ弾けたということも,今はなき福岡の家の玄関先から見えた風景とともに憶えています.

 大学1年のときは,理論物理に失望して進路を見失い,でもそれでも,進振りがあるので,勉強しないといけなくて,でも,そんな気にもならなくて授業にもあまり出ず,バドミントンもやってて楽しいというよりは,練習がきつくて,しんどかったと思うのですが,こうして思い返してみると,ピアノというか,ヒナステラのピアノソナタに大分助けられた感じはしますね.

 つまり,何か1つでもそういうものがあれば,何とかやって行けるということでしょうか(日-短-全).

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6/12'19b
[その都度対応]

 内的熟達生活とか,一人時々みんなとか書いてますが,だんだんそうなって来た理由としては,もうすぐ仕事を失うという状況に適合して来ているということもあるとは思いますが,じゃあ,仕事を失わなかったらどうかとか,回りに人がいてわいわいやるのがどうかと言われると...

 例えば,家に帰ると家族がいて,子供がいて,あるいは,子供がもう大きくなってて,孫がいて,大家族でわいわい楽しく,ってのがちょっと想像できないというか,家では,基本一人がいいなあとか思っちゃいます.

 でも,わかり合える親しい友人達とか家族と会って話をするのは,楽しいし,30代,40代の頃は,ピアノとかバドミントンとかスキーとかいろんなことを通して,非常に多くの人と知り合って,結構仲良くなって,そういうところでわいわいやるのも楽しかったと思いますが,今は,ある程度,相手に話を合わせる必要があって(そんなに)わかり合えない(話ができない)人と話をするのは,面倒という方が先に来るんですね.

 でも,30〜40代でそうだったのが,今は変化したということなら,これからまた変化することもありうるってこともあります.でも,だからと言って,何かを担保しておこうとは思わなくて,今は今でより快適な生活を求めてしまいますかね.

 つまりは,「その気問題」と同様に,そういうことも,その都度その都度,対応するしかないというか,そうなっちゃうわけで,もちろん,ある程度「準備」が必要なものもありますが,あんまり気にすることはないかもしれません.

 今でも憶えてることに,確か,まだ20代だったと思いますが(どこかで書いた気もしますが),結婚するかどうかって話をしていて,「60になって,ある朝目が覚めたら,部屋で独りぼっちだった,ということを想像してごらん」と言われて,その時は,そんなの嫌だと思ったんですが,今は全然平気というか,むしろ望むところなわけで,将来,自分の心境がどう変化するかはわからないってことです.

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6/12'19c
[自分が他の人とどこが違うか]

 自分が他の人とどこが違うか,多少なりとも非凡なところがあるとしたら,それは何なのかを徹底的に考えるというか,実際にいろんなことをやってみて「調査」することだと思うんですよね.

 私の場合,勉強ができるとか,やらないといけないことを真面目にしっかりやるとか,やりたくないことを我慢してやるとかいうことがてんでだめだったわけで,こんなだめ人間が何とかここまでやってこられたのは,研究なら,建築構造という当時ほとんど認知されていない分野を見つけて建築学科に進んで,実際,ほとんどの学生は,建築家志望の中で,構造をやることで,更には,研究者になった後も,地震動の性質と建物被害の関係というほどんどやられていないことをやることで,競争なしにここまでやってこられたからでしょう.

 それ以外には,ピアノなら,技量的にはてんで大したことなかったわけですが,近現代物をやることで,多少なりとも存在価値があると思えましたし,バドミントンだと,バターン練習でもラリーでも,打って疲れることに苦痛を感じないというか,むしろ,快感を覚えるということで,ひたすら繋ぐバドミントンで,年代別の全国大会で何回か勝つことができたわけです.

 でも,世の中を見てると,そういう風に考える人は,ほとんどいないように見えます.具体的には,例えば,入試の面接では,AIとかロボットやりたいという人が大半で,でも,みんながやりたいと思ってることやって,激烈な競争して,サバイブするのは,大変でしょうし,そもそも,本来,多種多様な人がいるはずなのに,大半の人間の興味が特定の分野に集中するわけがありません.

 バドミントンの練習だって,みんな同じ練習をしてるわけで,でも,やりたい練習とかやるべき練習って,個人個人によって違うと思うんですよね(そこまで考えてないってことなんでしょうけど).

 つまりは,冒頭で書いた「自分が他の人とどこが違うか,多少なりとも非凡なところがあるとしたら,それは何なのかを徹底的に考えるというか,実際にいろんなことをやってみて調査すること」をほとんどやってないんだと思います.

 人の能力っていろいろだとは思うのですが,足が遅い奴は,どうやっても足が速い奴には,勝てないし,遅い足を速くすることより,何が自分は得意で,しかも興味がもてるかを探した方が早いし,そうすることができる能力というのが重要なんじゃないですかね.

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6/12'19d
[お金に縛られないように]

 お金に縛られないようにしないといけないと思うんですよね.

 お金はたくさんあった方がいいと思いがちですが,天から降ってくるのならともかく,ある程度のお金を稼ぐには,ある程度の労力が必要なわけで,中には,そのことを通して,自分が成長できるとか,単にやりたいからやってるとか,某かのメリットがあることもあるかもしれませんが,多くの場合は,お金を得るのと引き換えに,ただ時間を浪費するだけとか,疲弊して体や心を削ることなわけですからね.

 例えば,既得権益的に高い時給の仕事のポストを得ているとして,そういうものをみすみす手放すのは勿体ない,あるいは,めんどくさいし,自分でなくてもできる仕事だけど,このくらいのお金がもらえるのならやるか,とか考えがちですが,必要以上のお金は要らないわけで,だったら,無駄なお金を稼いで,その分,大事なものを失ってることになります.

 要は,自分にとって何が大事かをよく考えるということでしょうか.

 ただ,意外と厄介なのは,必要以上のお金は要らないと書きましたが,自分が死ぬまでにいくら必要かがよくわからないということでしょうか.

 例えば,私の場合,今の生活を続けるのにいくら必要かは,だいたいわかります.でも,今の仕事を定年でクビになって,そこから何年生きるか,いつまで今と同じ健康状態を維持できるのか,あるいは,経済状態の激変(例えば,インフレ)が起こらないのかってことがあるわけです.

 そうすると,冒頭の「お金はたくさんあった方がいい」となっちゃうんですが,それでも言えるのは,(持ち家とか高級車とか)要らないものは要らないということです.つまりは,お金がいくらあるからいくら使うという使い方はしないわけで,その都度その都度ではないですが,これもこれでいいってことですかね.

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 でも,どういう形でもいいので,今の仕事を失っても(年金以外に)キャッシュフローが得られるように,とは考えますよね.

 既に書いたと思いますが,いろいろ条件があって,一つは,財産や貯蓄ではだめということ(キャッシュフローというのはそういう意味),そして,社会から必要とされなくなってもできるってことでしょうか.

 前者は言うまでもないことですが,インフレなどの経済状態の激変があったら一巻の終わりですし,後者も景気がいいときだけ通用するバブリーなことではだめということです.

 でも,そういうものって,実は,非常に限られることに気づかされます.しっかり,健康状態を維持して,いざとなったら時給1000円のアルバイトでも,ということはあるかもしれませんが,景気が悪くなったら,そういう仕事すらなくなるかもしれません(AIとかロボットもあるし).

 私の場合,現状を考えると,経済の流れを読んで運用すること(日運や短運)しか思いつきません.というか,これが何とかなれば,景気に左右されないというか,経済状態が激変するときにこそ威力を発揮するし,社会から必要とされるされないも関係ないし,頭脳がキープできれば,体が弱ってもできるし,余計な人間関係とも無縁だし,まさに無敵だと思うんですよね.

 そういう意味では,このスキルを磨き続けることは,やはり,重要ですかね.でも,私の場合,そういう風に考えるとだめなので,単にやりたいからやってるってことでしょうか.

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6/13'19
[そんなことしてどうすんの?]

 いろいろ考えてこのサイトに好き勝手なことを書いてるのですが,そんなことしてどうすんの?って思う人も多いと思います.ていうか,既に書きましたが,そんなことしてどうすんの?って思う時点でアウトだと思うんですよね.逆に言えば,そんなことしてどうすんの?って思うことができるのが最高なわけです.だって,損得勘定を超越してもやりたいことやってるわけですから.

 いやいや,もっとちゃんと社会の役に立って,評価されて,お金になることやった方がいいんじゃないの?と言う人は(その答えは何度も書いてますから),今はじめてこのサイトの文章を読んでる人でしょう.

 でも,それでも,世の中のみんながやりたいことやってたら世の中は回りません.そこで,出てくるのが(何度も書いてる)素養の問題なのですが,単に遊んで暮らしたいとかつまらないことがやりたい素養が低い人は,結局,やりたいことはできないし,素養が高い人は,結果的に世の中の役に立つことをやりたいもの,ということでしょうか.

 じゃあ,私の素養が高いのかどうかですが,そんなことは,どうでもいいことです.だって,私もそうですが,多く人は,結局,その人の素養に見合ったことしかできないと思うからです.

 ですから,私も(ある程度責務を果たしつつも)やりたいようにやってきたし,やりたいようにやって行くとも言えますが,自分の素養というか能力の額面通りのことはやってきたしやって行くとも言えるわけです(-ol).

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6/13'19b
[もう利下げ?]
(経済)

 しばらく前からFRBが利下げすると報道されてます.世界の中で一人勝ちのアメリカ経済ですが,少し翳りも見えるみたいで,経済が失速する前に予防的に利下げするんだそうです.

 でも,そんなことやって大丈夫ですか? 人間に活動と休息が必要なように,経済も景気の拡大と後退が必要なのでは? それをゴルディロックスとか言って,巡航速度で,全く休むことなく走り続けたら,どこかで壊れるんじゃないですか?

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6/13'19c
[体調が悪くなるのは健康な証拠]
(日記)

 体調的には,今はそんなによくないです.1年前くらいに食生活を変えて,そこから右肩上がりで体調はよくなってたんですが,ピークアウトした感じで,でも,食生活を変える前の体調が悪いときとは,全然違うとは思います.

 つまりは,単なる好不調の波で,でも,その振動の中心が上がったということでしょうか.上で書いたように,人間,活動と休息が必要なように,好不調は,必ずあるわけで,つまり,不調のときにしっかり休めることが大事なわけです.

 そういう意味では,上で書いた「予防」じゃないですが,体調とか調子が悪くなってきて,そこで無理して頑張る,あるいは,(何かのセンサーが麻痺して)疲れを感じなくて体調がずっといいというのは,危ないことなんだと思います.

 つまりは,疲れたり,体調が悪くなったりするのは健康な証拠で,そういうときにしっかり休むことが重要ということですかね.

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6/13'19d
[秋山宏先生]

 秋山宏先生が亡くなられたとの知らせがありました.具合がよくないことはきいていたのですが...最後にお会いしたのは,いつだったでしょうか.何かのパーティーのときで,確かその時,シューベルトのソナタの話をしたので,D.960を弾いた後ですかね.先生は,その時,Op.120もいいよね,とおっしゃってました(検索したら,岡田先生の会のときですね.ですから,D.960を弾く直前ですね).

 秋山先生のことは,何度もこのサイトで書いたと思います.青山先生とか岡田先生とか秋山先生とか小谷先生とか,巨星というか,世界的な大先生がおられる中,何と言うか,一番「研究者」という感じがする先生でしたかねー.彼が10年したら研究テーマを変えるんだよとおっしゃってたことが一番印象に残ってます.

 最初の出会いは,弾性論の授業だったと思います.ティモシェンコがテキストで,数式がずらずらずらーっと並ぶ難解なものでしたが,とてもわかりやすくて楽しかったです.その後,研究室を決めるときに,秋山先生の研究室も候補だったのですが,その年,たまたま先生が浅野の総合試験所におられて,人があまりいなくて寂しそうだったので,ということは書きました.

 11号館の6階に戻られてからは,よく遊びに行ってたと思います.先生は,ピアノを弾かれて,電子ピアノが置いてあって,ということも書きました.つまりは,研究を通してというよりは,ピアノ仲間みたいな感じでしたかね.それがきっかけだったか,銀座に飲みに連れて行ってもらって,そこにピアノが置いてあって,いろんな曲を弾いたんですが(ラウタヴァーラのソナタの2番を弾いたことは憶えてる),その時,女性を紹介してもらった(K子さんと出会う前のことです)ことも書きました.

 先生は,S系統の先生ということで,分野が違うので,委員会とか仕事とかでいっしょになることは,そんなになかったと思うのですが,その割には,いろいろつき合いがあって,思い出もたくさんあります.

 でも,もう先生にお会いすることも,音楽の話をすることもできないと思うと,やっぱり,寂しいですね.

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6/14'19
[全てが終わる]
(世の中)

 年金2000万不足?問題ですが,まだやってますね.というか,払った分が返ってこないとか,積立方式とか賦課方式とか,ここで書いたように完全に問題がすり替わってます.でも,野党もメディアも(多分)そんなに○カで無知ではないでしょうから,始めから野党は与党の揚げ足をとる,メディアは,視聴率を獲るのが目的で確信犯的に問題をすり替えてる,つまり,彼らの見立て通り,国民は○カで無知だったってことですかね.

 なんでこんなことになってるか,ですが,自分がいくら年金がもらえるのかよくわからないってことでしょう.これには,理由があって,いくら払いますって事前に知らせておくと,その額を払わないといけなくなっちゃうけど,知らせてなければ,減らせるってことです.仕組みをわざと複雑にしているのもそのためです.

 つまりは,今いろいろ言われている額よりは減るとは思っておいた方がいいでしょう.ていうか,実際,どんどん(こっそり)減らされてますからね.

 なんで減るかの理由も明らかで人口が減って,年寄りが長生きするようになったからです(単純な話).少子化には歯止めがかからないのですから,年金支給開始年齢を引き上げるとか,今もらってる高齢者の年金を減らすとかしないとこの問題は解決しません.何度も同じことを書きますが,ない袖は振れないのです.

 でも,年金が破綻してしまうと自分が歳をとって働けなくなったときに,全く保証がないことになってしまうので(貯金なんかしておいても,経済破綻したら水の泡),保険のように,自分が払った分が返ってこなくても,制度自体を維持することは必要でしょう.

 でも,N銀がやってることと同様に,?PIFがやってることも非常に危ういことで,そっちの方が問題でしょう.それとも,日本経済のみならず世界経済が破綻すれば,全てが終わるからしょうがない,一蓮托生って考えてるんですかね? これじゃあ,制度を維持するどころか,リスクマネージメントのかけらもないわけで,まさに無責任そのものってことですね(短+01+28=06)

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6/14'19
[サイクルヒット]
(野球)

 エンジェルスの大谷翔平さんがMLBで日本人初のサイクルヒット打ったって騒いでるんですが,日本人初とかは,どうでもいいんですが,そんなことより,サイクルヒットってどうですか? 何か変じゃないですか?

 例えば,ホームラン4本とサイクルヒットのどちらが価値があるかは明らかですよね.あるいは,ホームラン,三塁打,二塁打を打っていて,二塁打の当たりを打ったら,わざと一塁で止まる?

 あるいは,確かソチ五輪で,高木美帆さんが金,銀,銅と1個ずつ獲ったと思いますが,金3つより価値がある? ていうか,サイクルメダルとか言って評価するべき?(んなわけないじゃん)

 ただ,野球のサイクルヒットの場合は,ちょっとニッチな事情があって,というのは,三塁打を打つには,足が必要で,いわゆるホームランバッターには,サイクルヒットは難しいと言われてるからです.大谷さんには,足があるからサイクルヒットが打てたということもあるでしょう.

 でも,サイクルヒットを記録した選手は,必ずしもその時代を代表する名選手とは限らないような感じがあって,要は,サイクルヒットって,偶然綺麗に揃ったというか,単に確率が低いことが起こって珍しい,というようなことなんだと思います.

 それを日本人初の快挙とか偉業達成とか言って,囃し立てるのは,何かよからぬ企みがあるということでしょう.

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6/15'19
[一抹の不安]
(バドミントン)

 バドミントン部の総会だったんですが,総会自体は,そんなに悪くはないというか,毎年よくなってきてるとは思うのですが,何か違和感というか,今の体制になって,もう5年以上になるんですが,だんだん慣れてきて,ちょっとマンネリ化もしてきて,でも,仕事は増えてきて,いっぱいいっぱいにもなってきて,ピークアウトしかかってるというか,曲がり角に来てしまってる印象を受けました.

 実際,春リーグは,結果が出なかったし,でも,あまり危機感がなくて,というか,どうして結果が出なかったのかの総括ができてなくて,事務的なところでは,連絡の不徹底とか雑なところも出てきてしまっています.

 そういうことを言おうかとも思ったのですが,幸か不幸か発言の機会がなかったので,言いませんでしたが,それでよかったのかどうかはわかりません.

 その後の懇親会も似たような雰囲気で,私は,どちらかと言うと,細かいことではなくて大所高所的な観点から,こうした方がいい的なことを言ってきたんですが,そういうことが求められなくなってきてる感じもして,そうであれば(必要とされなければ),それはそれで構いません(私の言うことをきけとか言うつもりは毛頭ありません).

 でも,過去,そういうことが何度かあったのですが,そういうときは,戦績的にも雰囲気的にも低迷しました.今は,戦力的には,揃っているので,そうならないかもしれませんが,一抹の不安が杞憂であればいいなとは思います.

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6/15'19b
[人が亡くなると]

 あまり,適切でない記事かもしれません.でも,このサイトでは,できるだけほんとに思ってることを書くことにしているので,敢えて書くと...

 家族とか親族とか親しくしていた人が亡くなると,悲しいというか,残念という気持ちになるのは,当然のことです.そういうことの最初の経験は,高校2年のときに父を亡くしたときですが,ショックが大きすぎて,それから長い間,やる気のようなものをなくして,大学受験にも失敗しました(もちろん,大学受験に失敗した原因はそれだけではないでしょうが).

 その次は,南先生でしょうか.このときも,ショックが大きかったです.たまたまですが,その直後に1999年台湾集集地震が起こって,私の研究人生の大きな転機になったことは,何度も書きましたが,それがなかったらどうなってたかと思うと,想像もつきませんし,実際,2000年くらいに非常に低迷したというか,厳しい状況になったこともありました.

 でも,いつ頃からか,家族とか親族とか親しくしていた人が亡くなっても,悲しいというか,残念という気持ちにならないということは,もちろんないのですが,そういう負の感情を割と抑えられるようになってきた感じがします.

 例えば,小さい頃,自分をほんとにかわいがってくれた祖母が亡くなったときは,もちろん,悲しかったのですが,90を越えてたし,ある時期から,もうちゃんと話ができなくなっていたし,何となく心の準備ができていたのかもしれません.

 つまりは,負の感情を抑えられるようになってきたというよりは,ちゃんと天寿を全うしてもらえれば,それはそれでしょうがないと思えるというか,長生きしてもらえることは,残される人間にとって,ほんとにありがたいということでしょう.

 あとは,人はいつか必ず亡くなるものだし,自分自身も歳をとり,誰かが亡くなっても,もうすぐ自分の番というか(三木清の人生論ノートの,死ねば死んだ人に会えるかもしれないという考えは,科学的にはありえないが論理的には面白い),そういう意味では,そんなに非日常的なことでなくなってきてるってこともあるかもしれません.

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6/16'19
[いやーな雰囲気]
(世の中)

 これから大変なことが起ころうとしているのに,今が楽しければいいじゃん,みたいな,よくないことに目をつぶって,脳天気に過ごす,更には,そういう雰囲気に便乗して,金儲けしたり,よからぬことを企んだりというようないやーな雰囲気を感じますね.世の中全体だけではなく,身の回りでもそいう感じがします.

 私としては,そういうことに巻き込まれたくないし,尻ぬぐいさせられるのは,勘弁ですから,とにかくできるだけ関わらないようにして行きたいですし,しっかり,準備もしておきたいと思っています(そうしています).

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6/16'19b
[見直すことに]
(短運)

 短運ですが,どうもぱっとしない一方で,日運はまあまあで(でも,両方合わせると年利10数%程度と,やっぱりぱっとしない),見直すことにしました.具体的には,短運も日運と同様の売買方法にするのと銘柄の追加です.ぱっとしないながらも,資金は徐々に増えていて,一方で,株価自体はどんどん下がっていて,資金を埋める銘柄数が足りなくなってきたこともありますし,最近,非大手証券株の値動きがよくないこともあります.

 具体的には,伊藤忠(8001),丸紅(8002),新生(8303),三菱UFJ(8306),三井住友トラスト(8309),三井住友(8316),ジャフコ(8595)を追加することにしました.下2桁だと三井住友トラスト(8309)が岡三(8609)とかぶるので三井住友トラストを「0Q」と表記します(でも,多分,徐々に追加して行くので,三井住友トラストが入るのは,しばらく先かも).

 なお,短運は(日運も)売り買い両方やるし,どちらかと言うと,売りが中心なので,資保で使ってる商社を除けば,証券とか銀行などの将来性を買っているわけではありません(むしろ逆).

 正直,ちょっとめんどくさかったんですが,いろいろ分析するのは,楽しいものです.つまり,これも来たるべき経済危機に備えているというよりは,単純にやりたいから,やって面白いからやってるってことですね.

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6/16'19c
[近況]

 ある人から久しぶりにメールが来て,近況を尋ねられました.すると...

 私には,「近況がない」ことに気づきました.どういうことかと言うと,最近どうとか,どういうことがあったとか,そういうことがないんですね.

 日々淡々と過ごしていると言えばそれまでですが,何かのためとか何かを目標として過ごすのではなく,俗世間から距離をとり,その日その日を内的熟達的に,何がいいとかそうじゃないとかではなくニュートラルに,拡大志向ではなく,みんなから一人へ,外的から内的に,複雑からシンプルに,ストレスフルからストレスレスに,生き方的にニュートラルに収束してきている,そう過ごせるようになって来ているのかも,と思いました.

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6/16'19d
[それこそがやりたいこと]

 やりたいことやったらいいと再三書いてますが,そんな自分勝手なこと言ってないで,やりたくなくてもやるべきことをちゃんとやれと言う人もいるんでしょう.でも,やるべきことって何でしょうね?

 会社でも大学でも学界でも,上の人間とか国が決めたことをやるべき? でも,これが組織を守るためとか,誰かを騙して金儲けするためとか,上の人間の承認の欲求を満たすためだったりするわけで,そんなこと,やるべきことでも何でもないでしょう.

 つまりは,何をやるべきか決めるのも自分自身なわけで,それこそがやりたいことということです.

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 でも,会社の言うことには逆らえないので何をやるべきかを自分では,決められない? あるいは,生活費稼ぐためには,そんなこと言ってられない? ていうか,何をやるべきかわからない?

 じゃあ,しょうがないですね.でも,私だったら,まずそこを何とかしようと思いますけどね.だって,やるべきじゃないと思うことやるの嫌じゃないですか.

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6/16'19e
[忙しいっていいこと?]

 「お疲れですね」「最近,忙しくて」「忙しいっていいことじゃねえか.だって,必要とされてるんだから」というようなCMが流れてました.そうですかね?

 私も昔はそういう風に考えたこともありましたが,今はかなり懐疑的です.だって,「必要とされてる」とか言ったって,実際のところは,「あなたのことが必要だ」と言って,体よくこき使ってるだけってことが多いからです.そもそも「評価」自体にそういう側面があります.

 ですから,「必要とされてる」からではなく,それがほんとに必要なことなのかをよく考える必要があります.もっとも,そんなこと関係なく,単に面白そうでやりたいのならやればいいでしょうし,何か知らないけど,その気になった場合も同様です.

 でも,そうではないのに「必要とされてるから」という理由でやりたくないしやるべきでもないことを体と心をすり減らしてまでやるのは,やめた方がいいしょう.

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6/17'19
[余計なこと言うな]

 でもそんなこと言っても,現実には,がちがちに「はめられてる」わけですし,うまいことはめて若い人達をこき使ってやろうと思ってる悪い年寄りからすると,このサイトで書いてることは,「余計なこと言うな」ということなんでしょう.逆に言えば,うまいこと丸め込まれてこき使われるのか,そこを何とかするのかで,莫大な差が生じるわけです(短-01).

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6/17'19b
[報酬で回ってる]

 やる気三要素的に見れば,世の中のほとんどは報酬で回ってるってことなんでしょうね.給料とかのお金はもちろんのこと,昇進とか,試合で勝つとか,評価ですらそうです.これは,一見効率がいいように見えて実は非効率で,それは,報酬をぶら下げられて頑張るのは,しんどいからです.

 でも,しんどいより楽しい方がいいし,そっちの方が頑張るに決まってますよね.やりたいことやったらいいというのは,そういうことで,まさに内的熟達なんですが,現実問題としては,みんなそんことしたら世の中回らないわけです.ということで,実際は,極少数の有能な人間がやりたいことやって,大部分の人間は報酬という人参をぶら下げられてこき使われているわけです.

 どっちに入りたいですか? 何も考えずに言われたことをしこしこやる方が楽ということなら,それだけの素養しかないってことなので,それはそれで仕方ないというか,ご自由にどうぞということですかね(私は嫌です).嫌だったら,何とかするしかないし,それには,どうしたらいいか,考えるしかありません.

 いずれにしても,報酬で動いているうちはまだまだってことでしょう.人参ぶら下げられて走るってことなら,馬と同じで,動物並みってことですからね.

 やる気三要素のもう一つ,人との繋がりについては,内的熟達に匹敵すると考えたこともあったのですが,個人的には,大分懐疑的になってきました.具体的に言えば,リターンもあるけど,リスクもあるということでしょうか.ということで,私は,「一人時々みんな」くらいがちょうどいいと思っています.もうすぐ今の仕事を失うという状況にも適合してますしね.

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6/17'19c
[考えると考えない]

 先日,バドミントン部の教職員会議の後,飲んだときや,昨日のバドミントン部の総会でも出たんですが,部長の齋藤先生(東大バドミントン部の同期だと,筑波大戦で出てた小石川高校出身で1つか2つ位下のかなり強くて生意気な奴(笑)って憶えてるかも)が出された話なんですが,娘さんが学校から持って帰ってきた論語の一節というのが面白かったです.

 正確な文言は,憶えてないのですが,要は,自分の頭でしっかり考えることが大事.でも,それだけではだめで,しっかり学ぶことも大事,ということだったと思います.前半については,再三書いてることですが,問題は,後半ですね.

 これに関しては,私は耳が痛いというか,自分で考えたり研究したりすることは好きだけど,勉強することは嫌いですからね.でも,多くの人は,後半はある程度はできてても,前半ができてないわけで,ですから,自分の頭でよく考えろと言われるのですが(私は,バドミントン部と関わり始めた10数年前から言ってることですが),最近は,随分言われるようになってて,今や耳タコの感もあります(でも,それでも,自分の頭で考えられてる人は非常に少ないけど).

 逆に言えば,人の行く道...というか,ここまでみんな言うようになった状況で敢えて逆を行くというか,考えてよくわからなくなっちゃうくらいなら,考えずに頑張った方が早い(人もいる)ということもあるかもしれません.大学受験なんか,その典型例でしょうし,バドミントンなら,とにかくがんがんトレーニングして,徹底的にフィジカルを上げるという考え方もあるとは思うんですよね.

 結局は,「自分で考える」と「学ぶ」の究極のバランスってことなんですが,それは,人によって違うし,状況によっても違うし,そういうことを考える必要があるということは,結局は,まずは考えるべしってことなんですが,(どこかで書きましたが)論語の時代から言われてることが現代にも当てはまるというのは,究極に難しいということでもあります.

 これに関係することとしては,現実には,年寄りみんな悪い奴ってわけでもなくて,上の人間の言うことが全部でたらめというわけでもありません.ですから,何でも自分勝手に判断すればいいというわけでもなく,でも,何でも上の言うこときけばいいってっわけでもない.

 ですから,そういうことも引っくるめて(やっぱり)考えるということだと思います.

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6/17'19d
[何と言えばよかった?]

 年金2000万不足?問題,まだやってるんですが,もちろん,完全に問題をすり替えてるのは,再三書いてる通りなんですが,そこは置いておくとして,じゃあ,何と言えばよかったんですかね? 年金だけでは厳しいというほんとのことではなく,老後は年金だけで楽々暮らして行けるので,貯金なんかしないでぱーっと使っちゃってください,とでも言えばよかった?

 これって,まさにずっとこのサイトで書き続けてることですよね.未来は明るいとか,耳当たりのいい脳天気なことを言うより,現実は,厳しいことを述べて,じゃあどうするか,という方が,よほど生産的だし,前向きでポジティブなことでしょう.

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6/17'19e
[銀行って]
(経済)

 短運の取引銘柄を入れ替える,具体的には,証券だけでなく,銀行や商社も入れるってことなんですが,商社については,既に書いたので,銀行ってどうなんですかね? 私の世代だと,人気があったというか,有能な人材が結構行ってると思います.

 でも,これだけ長い間,低金利で,しかも,何度も書いてるように,単に低金利ということではなくて,もう経済成長は厳しいってことですから,一時的なものではないわけで(ていうか,日本の場合,金利を上げると日銀が破綻する),実際,今では,メガバンクは,就職したい企業ではないようです.

 でも,有能な人材が集まってるのなら,そういう中でどうしようとかは,考えるわけですよね.実際,三菱UFJもみずほも三井住友も今や銀行ではなくFG(フィナンシャルグループ)なわけで,銀行以外のいろんなことをしてるわけです.

 そもそも,銀行の他の企業にない強みってなんでしょうね.って,それは明らかで,莫大な資金を(低金利で)集めることができることでしょう.これを貸し出して,利ざやで儲けるというビジネスモデルだったのですが,それは厳しくなっていて,じゃあ,その資金をどうするかってことですかね.

 でも,そもそもなんですが,短運の対象として,銀行(FG)を入れるというのは,FGの将来性を買ってるわけではなくて,経済の短期的な流れを読んで売買するのが短運ですから,経済の流れに連動してもらうことが重要で,つまりは,経済が低迷するときは,FGも低迷してもらわないといけないわけで,それがどうかってことですね.

 証券なら,株が上がれば儲かるし,下がれば低迷するので,連動するのは,当然のことですが,銀行というかFGがどうかというか,ある程度は,連動しそうってことですかね.

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6/18'19
[機関投資家]
(経済)

 あとは,いわゆる「機関投資家」というのがありますね.要は,会社レベルで取引を行ってるところで,ここも経済がよくなって株が上がれば収益が上がり,下がれば下がるでしょうからね.

 株式を公開している主なものは,生保,損保で,証券も自己売買部門をもってます.いわゆる投資会社は,日本では,大きいところはそんなにないのですが,ジャフコは,そういうところということですかね.そういう意味では,同じ銀行系の中でも信託銀行は,そういう要素が強いことになりますね(でも,大きいところで株式を公開してるのは,それこそ,三井住友トラストくらいしかないかな).

 投資会社と言えば,このサイトで何度か書いたソフトバンクも最近はそんな感じで,ちょっと見てみたこともあるのですが,他にもいろいろ変なことをしてる会社なので,あまり,連動性はないみたいです.

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 ただ,問題としては,生保や損保は,大地震などの有事に左右されるってことですかね(理由はわかりますよね).同じ理由として,建設も,経済との連動性が高いのですが,こちらは,大地震時に,他の銘柄と逆行して暴騰するので,問題があります.

 最後の手段としては,指数先物を使うってことなんですが,値動きが悪いので,パフォーマンスは,今一なんですよね.後は,非先行性的なこともあるかもしれません.

 ですから,ぼちぼち探しては行きますが,しばらくは,今のpfというか,(短運は,日運のようにpfのようなパッケージで売買するわけではないので)銘柄でやって行くってことですかね(短-28-06).

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6/18'19b
[かなり楽しめそう]

 定年で今の仕事を失うとか,いろいろ状況の変化はあるとしても,ある程度,するべき準備をすれば,その都度その都度生きたいように生きていけばいいとは思うのですが,定年まで一生懸命働いた(でも,私の場合,基本的にやりたいことをやってただけだけど)ので,もうのんびり過ごして行く,でもいいと思うんですよね.

 仕事で成功した人は,のんびりなんかできないってことなんでしょうが,だとしたら,定年までにやり切ってないとも言えるわけで,逆に言えば,定年までにやり切ったと言えるところまでやれってことでしょう(その点に関しても,私はもう充分にやった感はあります).

 でも,のんびり過ごして行くとしても,何して過ごすってことなんでしょうが,やることなんかいくらでもあるわけで,やることをわざわざ探さなくても,その時その時「降ってくる」やりたくなったことをやればいいし,特に何もやりたくなかったらだらだら自堕落に過ごしてもいいわけです.

 一つの大きな興味としては,これから世の中がどうなって行くかでしょうか.あまり,楽観的には見てないのですが,自分はしっかり準備して,高みの見物的なところはありますかね.

 具体的にはどうなって行きますかね? 遠い未来のことはわからないので,例えば,これから30年とか.

 どこかで書きましたが,比較対象として,30年前(1989年)は,まさにバブルの絶頂で,そこから何が変わったかというと,本質的には,そんなに変わってない気もしますが,生活に影響を与えたところでは,インターネットの普及とPCの発達と小型化(スマホの普及)でしょうか.

 これからの30年ということですが,現状だとAIとかロボットってことなんでしょう.要は,AIとかロボットでもできることは,AIとかロボットがやるようになるってことですかね.そこで起こることは,人間は(そんなに)働かなくてよくなるってことですが,一気にそこに行くことはなくて,その過程で起こるのは,経済の縮小とか失業者の増加でしょう(しっかり準備しておきましょうね).

 あとは,この30年,あるいは,100年,目先の経済を回して来たツケをどこで払うかというか,経済危機がいつ起こるか,どういう形になるか,でしょうか.

 こうして見ると,まさに激動の時代になりそうで,自分がしっかり準備しておけば,まさに高みの見物というか,かなり楽しめそうです(悪い奴(笑)).

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6/18'19c
[ラウタヴァーラのピアノコンチェルト1番の動画]
(ピアノ)

 ここで紹介したラウタヴァーラのピアノコンチェルトの1番ですが,いいですね.それで,第1楽章のクラスターの動画ですが,もっとわかりやすいのがあったので,リンクを貼っときます.

提示部↓

譜面↓


再現部↓

譜面↓

 もちろん,どの音を弾くかはちゃんと譜面に書いてあるわけで,てきとーに叩いてるわけではありません.でも,出だしの提示部はともかく,再現部もどれだけ「ミーレードシーラー」という旋律が聴き取れるかでしょうか(笑).

 でもこの曲,第3楽章も軽快ですごくいいんですが,この演奏は,テンポも遅くてもっさりしててあまりよくないですね.第3楽章は,譜面が乗ってるこっち↓の演奏の方が断然いいです(私だったらこう弾く).

 でも,このラウタヴァーラがよく使ってる3+2+3のリズムですが(私は弾きやすいですが),弾きにくい人は弾くにくいのかもしれませんね.



 私が好きなピアノコンチェルトは,どこかで書いたかもしれませんが,プロコフィエフの3番,バルトークの2番,そして,ブラームスの2番ですが,ラウタヴァーラの1番も入れていいかもです.そして,一番まともに弾けそうなのは,このラウタヴァーラの1番ですかね.

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6/18'19d
[一人『でも』大丈夫]

 こういう気ままな生き方ができればいいと思うのですが,というか,できると思うのですが,普通の人?は,難しいというか,いろいろ条件があるような気がします.

 一つは,家族とか誰かと住んでいたら難しいんじゃないですかね.今日は,何か疲れてるし,一日だらだら過ごしたいと思っても,粗大ゴミ扱いというか,邪険にされちゃうわけですよね?

 つまりは,一人暮らしが気ままでいいと思うんですが,多くの人は,ずっと一人だと寂しいとか,一人で退屈しのぎができず,誰かと会いたいとか思っちゃうんですよね? そもそも,歳をとって,要介護になっちゃうかもしんないし.

 ですから,まさにいろんな意味で「一人でも大丈夫」になっておくことが最高の「準備」ということですかね.もちろん,「一人『でも』大丈夫」ということは,誰かと暮らしたり,会ったりもできるわけですしね.

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6/19'19
[しくった]
(地震防災)

 山形県沖の地震で震度6強を記録したんですが,発生した地震動を見ると1秒以下の短周期で,震度は大きくなるけど,大きな被害はないといういつものよくあるパターンということなんですが,しくったというか,朝起きてみると,メディアなどから大量の問い合わせのメールが...

 問い合わせに対する答えは,同じことを繰り返すだけなので,去年の大阪府北部の地震のときのようにこんな感じでサイトを作っておいて,そこを見てください,ってやることにしたんでした.

 で,ささっと(10分くらいで(笑)),作って,そこ見てくださいってことにしました(ほぼ使い回し(笑)).

 これでほぼ事足ります(日=短+040616090Q24139528010803=16060207).

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6/19'19b
[長いー]
(短運)

 短運の対象銘柄を見直して,早速,短期的に流れが変わったと判断したので,いつものようにすぐ上に記録を書いたのですが,長いー.ちょっとめんどくさいし,どうしますかね.

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6/19'19c
[ラウタヴァーラ考]
(音楽)

 ラウタヴァーラ考というほどのことではないのですが,ラウタヴァーラってどうなんですかね? 一般的評価はよくわかりません.結構取り上げられてるので,それなりに評価されてるってことでしょうか.でも,現代を代表する作曲家というほどではないんだと思います.というか,他人の評価はどうでもよくて,私個人的には結構好きです.実際弾いてるし.

 じゃあ,ラウタヴァーラのどこが好きかというか,どこがいいかってことなんですが,音楽的に新しいところは,特にないと思うんですよね.クラスターは,カウエルが始めて多くの現代音楽に使われてるし,無調的なクラスターではなく,クラスターで旋律を奏でるのもよくあります.

 これ以外,全般的に言っても,音楽的には,そんなに新しくはない.でも,ラウタヴァーラ独特の響きとか音楽だとは思うし,それがたまたま私の好みに合うというだけかもしれません.

 他にこういうものって結構あって,例えば,カプースチンも音楽的に別に新しくないんですが,単にジャズとの融合という以上の新鮮味が感じられるし,ゴドフスキーのジャワ組曲も(別に新しくはないし,そんなに評価もされてないと思うけど)なんかいいし(超難しいのに)弾きたくなるんですよね.

 どこかで書きましたが,十二音で行く着くところまで行ってしまって,「終焉」というか「ゴール」を迎えてしまった現代音楽ですが,もう新しい音楽を生み出すことは,不可能にさえ思えるのですが,新しいとまで行かなくても,「独特の音楽」なら生み出して行けるってことだし,そこから何か新しい音楽が生まれるってことはないですかね?

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6/19'19d
[究極のバランスポイント]

 一人でも大丈夫というか,退屈しのぎ力が大事ってことなんですが,歳をとって体と心が衰えると,退屈しのぎができる対象が少なくなってくるわけですから,体と心の維持も重要です.とは言え,若いときと同じようにバリバリ活動すると,むしろ体と心を消耗して逆効果なわけで,歳をとるとそこが難しいわけです.

 50を過ぎたあたりから,頑張ろうとすると急激に心理的ブレーキがかかるようになったのは,そういうセンサーが働いているのかもしれないとどこかで書きました.でも,若いときの癖というか,怠けるとどうしても気分が悪くなってしまうのですが(それでも怠けるのが怠け者の真骨頂ですが(笑)),そこをある程度克服することも大事で,これは,大分できるようになってきました.

 要は,体がしんどかったり,やる気にならなかったりしたら,それに従って休んで,それが体と心にとっていいことだと思うということですね(でも,その気になったらやっちゃうのは,今でも相変わらず).問題は,それで,どこまで体と心を維持できるかでしょうか.怠けてばかりいたら,体も心も衰えてる一方でしょうからね.

 具体的には,何をどこまで維持するか,ですかね.体で言えば,例えば,80まで競技レベルでバドミントンをするには,80過ぎてもスキーに行けるようにするには,ってことでしょうか.

 もっと平たく言えば,80とか90過ぎても,普通に体が動いたら,すごいことだと思うんですよね.問題は,それをどうやって実現するかってことで,なかなか難しい気もしますが,歳をとったら,とにかく練習とかトレーニングすればいいってわけじゃないのは,明らかで,しかもその気になったらやり過ぎたり,逆に怠け心もある中で,どうするのかってことでしょうか.

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 要は,どこがバランスポイントというか最適解かってことなんですが,何となく少しずつ見えて来た気はするのですが,それが正解かどうかは,わかりません.だとしたらどうしたらいいでしょうか?

 もう自然の流れに任せるというか,やりたいときにはやるし,やりたくないときはやらないで行くしかない? でも,そんなんでうまく行ったら,こんな楽な話はない?

 でも,言えるのは,やりたくないし,やるべきとも思わないのに無理してやって,体を壊したり,挙げ句の果てには,社会の利益にもなってないことになったら,ほんと目も当てられませんよね.

 だったらもう,ほんと自由気ままにやって行くのが,ある意味,正解かもしれません.

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 それにしても,ただ頑張ればいいのなら,ある意味,簡単な話で,(そんなに)頑張らない方がいい,なんてことになるなんて,思いもよりませんでした.でも,そこは,考えようというか,現状に適合するというか,だったら,頑張らない方が楽でいいじゃんって考えればいいってことですかね.

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6/20'19
[現実問題]

 でも,現実問題,仕事をしてる間は,頑張らない方がいいとか言ってられないし,やりたくないことも,やるべきでないと思うことすらやらないといけないわけで,一体,世の中,どうなってんだ?って思いますよね.

 でも,そういう中でも,できるだけそうならないようにはできますし,成功とかそういうことじゃなくて,どう生きるかというか,その人の人生にとって,大きな違いになると思うんですよね(VIX+短-09).

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6/20'19b
[逆張り]
(相場)

 VIX指数(というか,実際には,その対象となるSP500)をウォッチしていたのですが,なかなか買いになったと判断できなかったのですが,今日,ようやくそう判断して買いました.使ったのは,CFDの先物です(ファンディングコストがどのくらいかかるか確かめる意味でも).

 それで,このとき分析してしばらくして気づいたんですが,これって逆張りなんじゃないかと思うんですよね.なぜなら,相場が強いと判断してVIX指数を買うということは,相場が下がると判断してることになるからです.

 何度か書いているように,(ほとんどの人ができてないけど)相場の基本は,順張りだと私は思っています.実際,日運や短運や資保は,全て順張りを基本にしています.ですから,順張りなら相場が強いと思う時は,VIXを売らないといけないのですが,買うわけですから(結果的に)逆張りということになるわけです.

 なんで,そういう基本に反することをするのか,ですが,なぜかよくわからないけど,結果的にVIX指数がそう動く(と思う)というだけの話なんですが,これって(結果的に)リスクヘッジになってることに気づきました.

 例えば,今は,短運は,半分くらい買ってるんですが,ここで相場が急落すると損になるんですが,その場合は,VIX指数が上がって損を相殺できることになります(逆に相場が上昇すると,VIX指数が下がって,そっちで損が出るけど,短運で益が出る).

 ですから,順張りという基本とはずれたことをちょっとするけど,リスクヘッジにもなってるし,SP500(アメリカ株)と連動するとも限らないけど,まあいっかって感じです(実は結構いい加減).

 でも,何度も書いているように,アメリカ株はそろそろやばいと思ってるので,VIX指数を買うということは,そういう信念?に従うというか,主義主張を通せる?ということが大きいですかね.

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6/20'19c
[見事に浮き彫りに]
(世の中)

 そんなに見てるわけじゃないですが,年金2000万?問題まだやってるみたいです.で,言ってることは,もう滅茶苦茶で,A生さんは,年金だけでちゃんと暮らして行けると思ってもらっていいとか全くのデタラメまで言い始める始末です.

 でも,年金2000万?問題ですが,問題の本質は,全然別のところにあるのですが,図らずも,今の与野党含めた政治全体というか,日本という国そのものの大問題が見事に浮き彫りになったと思います.

 要は,都合の悪いことに蓋をして,どんどん先送りにして,次世代に借金を残す衆愚政治の最たるもので,衆愚というくらいですから,まさにこの国民にしてこの政治家ありということです.少子高齢化は,どんどん進むわけですから,このままでは,年金が足らなくなるのは,誰がどう考えても当たり前の話で,それを(何度も同じことを書きますが),目先の経済を回して税収とか給料が増えたら問題が解決する,なんてうまい話あるわけないじゃないですか.

 じゃあ,どうしたらいいかですが,高福祉なわけですから,高負担,即ち,何らかの形で国民自身が負担するしかありません.つまり,政治家は,現在の危機的状況を正直に話して国民を説得するべきなのに,与党はおろか野党まで(自分達が選挙に受かりたいために),うまい話しかしないわけで,このままでは,年金も国家財政も破綻するしかありません.

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6/21'19
[ピアノコンチェルト]
(音楽)

 私が好きなピアノコンチェルトは,プロコフィエフの3番,バルトークの2番,そして,ブラームスの2番と書きました.

 ピアノコンチェルトというものを意識しだしたのは,父が買ってきてくれたルービンシュタインのベートーヴェンの5番(皇帝)でした.当時は,ケンプのベートーヴェンのピアノソナタを集めてるときなので,中学生だったと思います.皇帝という壮大な曲,そして,ルービンシュタインの演奏が素晴らしかったこともあって,何度も聴いたと思います.

 その後,いろんなピアノコンチェルトを聴いたと思いますが,最初に気に入ったのは,ブラームスの2番ですかね.高校の時だったかな,FMのエアチェックをしていたことは書きましたが,確かポリーニとベルリンフィルの演奏が出たときだったと思います(FMではだいたい新盤が紹介される).ホルンのソロで始まる出だしも印象的ですが,全体を通して,とてもブラームスらしく力強くて,ブラームスの曲の中でも一番好きかもしれません.第1楽章はもちろんいいですが,第2,3楽章もいいです.第4楽章は,ちょっと軽い感じなんですが,4楽章の曲の第4楽章ってだいたいそんな感じですよね.

 今でもよく憶えてるのは,私がブラームスの2番のコンチェルトが好きということを早田が憶えていてくれて,高校の時,彼が家族でアメリカ旅行に行ったとき,お土産で楽譜を買ってきてくれたことです.

 プロコフィエフの3番は,どこかで書きましたが,アルゲリッチのラヴェルのコンチェルトとのカップリングのLPでした.これも高校のときかな.ひょっとしたら,ブラームスの2番より先かもしれません.でも,第1楽章(クラリネットのソロで始まる)は,文句なしに超coolですし,第2楽章も好きですが,第3楽章は,そんなに好きではないです.この曲は,何度かフィギャースケートの曲に使われているのを聴いたことがあって,てことは,今は意外と結構メジャーなんですかね?

 バルトークの2番は,大学に入ってからだと思います.打楽器的でバルトークらしくて好きなのですが,大学3年の時,製図室でいろんな人がいろんな曲をかけるんですが(確かマドンナがブレイクしたときで,マテリアルガールとかがかかってた),バルトークの2番をかけたら,めっちゃうざがられました(笑).

 譜面付きの動画を貼っておきます.

ブラームスの2番(再生ボタンではなく上部の白地の曲名のところをクリックしてください)↓

プロコフィエフの3番(再生ボタンではなく上部の白地の曲名のところをクリックしてください)↓

バルトークの2番↓

 こうして並べて聴いてみると,ブラームスの2番がやっぱりいいですね.しかも,割と弾きやすそうです(でも,50分くらいとかなり長い).対照的にバルトークの2番は,めちゃめちゃむずいですし,聴く方からしたら音楽的にかなり厳しそうです.

 ちなみに,ラウタヴァーラの1番もちょっと弾いてみました.弾きやすいかと思ったんですが,意外と弾きにくかったです(日-短-040616030Q2413169501).

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6/22'19
[ポピュラーで聴きやすいピアノコンチェルト]
(音楽)

 ベートーヴェンの皇帝のことを書いたら,懐かしくなってちょっと聴いてみました(だいたい憶えてるので,全部聴かなくても思い出せる).

(再生ボタンではなく上部の白地の曲名のところをクリック)↓

 で,思ったんですが,この辺からピアノコンチェルトが変わり始めたというか,派手に?なってきた感じはしますよね.ベートーヴェンは,5番(皇帝)の前は(当然ですが(笑))4曲のピアノコンチェルトを書いていて,でも,4番は,Op.58ですから,熱情(Op.57)とかワルトシュタイン(Op.53)と同時期,

(再生ボタンではなく上部の白地の曲名のところをクリック)↓

 つまり,既に音楽的には,そういう時期に入っていたことになるのですが,ベートーヴェンの1〜4番は(3番は,ベートーヴェンぽくて結構好きだが),モーツァルトのピアノコンチェルトの延長線上だと思うんですよね(でも,あらためてこうして聴いてみると,やはり,モーツァルトのピアノコンチェルトはすごい...).

(再生ボタンではなく上部の白地の曲名のところをクリック)↓

 でも,5番の皇帝で,突然,化けた.皇帝ナポレオンの影響という説?はともかく,ちょっと悪のりというか,調子乗りすぎた感じ(笑)はするのですが,その後のピアノコンチェルトに大きな影響を与えたことは間違いないでしょう.

 その後のピアノコンチェルトというか,よく聴かれるポピュラーなものだと,どういうものがありますかね? ロマン派だと,ショパン,シューマン,あとは,グリーグでしょうか.

(再生ボタンではなく上部の白地の曲名のところをクリック)↓

(この2つは,再生ボタンをクリックしてOK)↓

 あとは,やっぱり,チャイコフスキーの1番とラフマニノフの2番ですかね.

(再生ボタンではなく上部の白地の曲名のところをクリック)↓

(再生ボタンではなく上部の白地の曲名のところをクリック)↓

 まさに壮大な音楽ですが,考えてみたら,ベートーヴェンの5番の延長線上って感じはしますよね.

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6/22'19b
[吹っ飛びます]
(防災)

 今ちらっと見ただけですが,19時の?HKのニュースで,スリットの施工ミスが問題になってると報道していました.要は,スリットを入れなさいってことなんでしょうが,とんでもない.

 詳細は,ここで書いた通りです.建物は,設計基準強度では,絶対に強度が足りません.じゃあ,なんでもってるかと言うと,非構造部材による余剰耐力です.つまり,実質,全然「設計」になってないんですよ.

 それでも,何とかもってきたのは,たまたま非構造部材が付いてたからで,それをスリットを入れて,効かないようにしたら,全然強度が足りず,1995年兵庫県南部地震や2016年熊本地震の益城町レベルの地震動が来たら,吹っ飛びます.

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6/22'19c
[テクニカル・カンファレンス]
(バドミントン)

 今日は,筑波大バドミントン部のテクニカル・カンファレンス(講習会)でした.去年までは,監督○○会(名前忘れた(笑))という座学だったんですが,今回から体育館で動画を見ながらの座学の後,(今日は)日本ユニシスの中村監督と清水コーチが話をした後,実際に動いたり,打ったりしてみるというものです.内容は,最初がダブルスにおけるフォアハンドの有効性,次がシングルスのスマッシュレシーブの練習方法で,とてもよかったと思います.

 今年から来てもらうようになった清水コーチは,今日,初めて会ったんですが,話をしてみて有能で優れた人というのがわかりましたし,彼がノックをしているときの様子が非常に印象的で,阿部先生のノックを思い出したほどです.

 最後に(吹田先生も齋藤先生も次の仕事でいなくなったし)総括的な話をしたのですが,最初に言ったことは,すぐにでもできることとして,清水さんのノックを見習えということでしょうか.ノックはまさにノッカー次第で,とれるかとれないかというところに投げられるかとか緩急を付けたりとかもありますが,機械のようにぽんぽん球を出せばいいわけじゃなくて,人間対人間ということです(内容によっては,逆に機械的に出す必要があることもある).

 どこかで書きましたが,そういう風に心を込めてというか,ラリーのように集中して球を出せば,出してる方も練習になって,どのくらいの球だととれるかとれないかがわかってくると,実際のゲームの時も,無駄に厳しい球を打ってサイドアウトになることも劇的に減らせると思うんですよね.

 あと,これは,いつも言ってることですが,今日の講習会で学んだことを今日だけで終わらせないということです.例えば,今日やったことだと,フットワークで,返ってくるときの左足の使い方とか重心の位置ですが,みんなで実際にタイムを測ったんですが,そういうことを意識するだけで劇的に変わるわけです(かつ,人それぞれで,その人の骨格や体つきによって,最適なやり方は変わるので,ストロークと同様,トラヴェリングも「フォーム研究」をすべし).

 でも,今日できてもそれが定着するには,2万回の繰り返しが必要で,明日からずっとそれを意識し続けられるかとか,途中でめげないこととかが必要で,最低でも半年はかかるわけです(藤原のフォームを変えるときは,1年くらいかかったと思うけど,彼はそれをやってのけた).

 後は,いろいろ情報は入ってくるけど,それを自分の中でどう整理するかですね.例えば,ダブルスのフォアハンドの有効性を学んだとしても,フォアハンド一辺倒でだめなのは,言うまでもありません.それ以外にも,ダブルスは,ノーロブというか,あげないことが原則だけど,それに拘りすぎると,プレーに幅とか引き出しがなくなって,相手にしてみれば,返ってくる球が限られるということはあるわけで,時々,エサをまくというか,敢えて反対のことをすることも必要なわけです.

 こういうのは,球技というかスポーツの大原則である「定石と意外性」に集約される(そして,定石と意外性のバランスをどうするかをその時の状況で考える)んですが,そういう基本的概念を忘れないようにして,そういうことの中に各論的なことを収納して,実践できるようにするということでしょう.

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6/22'19d
[略号]
(運用)

 短運の銘柄を見直して記号が長くなった件ですが,長いというより,めんどくさい(笑)ので,もっと簡単な略号にすることにしました.具体的には,流れに変化があって売買したとき,対象銘柄(8001, 8002, 8303, 8306, 8309, 8316, 8595, 8604, 8609, 8613, 8616, 8624, 8628, 8706, 8707, 8708)のコード順に買い(+),中立(_),売り(-)を並べるというものです.

 具体的には,6/21のものを書くと「日-短-_----------+__+_」となります.これまでの変化したものだけを書くのではなく,全体を書くので,現在「どういう状態」かもわかると思います.

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6/22'19e
[衆愚]
(世の中, 政治)

 再三,衆愚とか衆愚政治がひどいと書いてますが,見方を変えると,世の中の大部分の人間が「愚か」なおかけで,そうでない人間がいい思いをしてるわけですし,私自身,その恩恵にこうむってるわけですよね.ですから,それでよしとすべき?

 まあ,前向きというか,何でもいいように,自己中に考えれば,それでもいいんでしょうが,何か看過できない感じがするのは,何なんですかね?

 でも,まあ,そういうのも,ここで書けば,大分すっきりもするんで,ほーら言わんこっちゃない,じゃないですが,そうすればいいというか,そういう感じでやって行くしかないということでしょうか.

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6/22'19f
[違う幸せ]

 最近の心境としては,結構,幸せな感じです.

 ん?何かいいことあったの? うーん,別に...ていうか,いいこと,よくないことなら,どっちかと言うと,(一般的に見地からは)よくないことの方が多いんじゃないですかね.

 でも,もうそういうのを超越してきたというか,例えば,お前はもう必要ないとか,大した価値がないとかいうことなら,責務を果たさなくてよくて,それはそれでラッキーで,他人の評価とか意に介さず,自分がやりたいこと,自分がやる価値があると思うことをやればいいわけですからね.

 もちろん,必要とされるのなら,(その気になれば)できるだけのことはしたいとは思いますが,何度も書いてるように,自分からしゃしゃり出て,私にやらせろ,なんてことはありません.

 つまり,(一般的に見地から)状況がよくてもそうでなくても,どっちでもいいというか,そういうことに依存しないわけで,これって,「いい状態」だと思うんですよね.言い方を変えると「違う幸せ」を見つけた感じでしょうか.

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 じゃあ,やりたいことが,例えば,社会の様々な問題を解決して世の中を変えることだったり,医者だったら,発展途上国に行って無償で医療活動を行うことだったら?

 それがやりたいことならやるってことです.でも,そういうのは(そういうのでなくても)やりたいからやるのが大原則で,誰かにやれと言われたからやるものじゃないし,私の場合,何度も書いてますが,私にしかできないことがあると思ってるし,そうでなくて,私でなくてもできることなら(私は,お金とか評価とかは要らないんで),喜んで他の人に譲ります,ということです.

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6/23'19
[これでいいと思えばいい]
(日記)

 今日は,何も予定がなかったこともありますが,昼間は,ほとんど休んでる状態でした.何もできていないと気分が悪くなるものですが,体がしんどいのなら休めということでしょうし,休んで疲れがとれたのなら,意味はあるわけで,これでいいと思えばいいわけです.

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6/23'19b
[こういう状態がずっと続くのか]

 いろんな拘りがなくなってきて,感覚としては,いろんな催眠術が次々と解けて行ってるような感じでしょうか.もちろん,仕事でも仕事以外でも人付き合いは,ありますし,そういう人間関係は,うまくおさめたいとは思ってますが,何かのために自分から行動を起こしていくようなことはないような気がします.

 ということで,なかなか気分がいいというか,こんな感じでやって行ければと(今は)思うのですが,果たして,こういう状態がずっと続くのか,ってことでしょうか.

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6/24'19
[覚悟が必要]

 でも,実際のところは,やりたいことがあっても,できない人がほとんどなんだよ,と言う人が多い気がします.食べて行くためには,働かないといけないし,家族や子供がいたら尚更で,家のローンもあるし,みたいな.

 いやいやいや,「食べて」行くためにいくら必要ですか? 年200万も要りますか? 家族や子供がいるというのなら,やりたいことよりそういうことを選んでるということですし,家のローンも然りです.

 つまり,やりたいことやるというのは,相当の覚悟が必要ということです.というか,それだけ(他のことを排除してでも)やりたいのかってことでしょう(短+_----------+__+ol+)(何か顔文字みたいですね(笑)).

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6/24'19b
[3つの条件]

 リタイアした後にやることを「準備」しておくってことですが,いくつか条件があります.

 まずは,やりたいかどうか,どれだけやりたいかですが(当たり前),それ以外に重要な条件として,以下の3つが重要な気がします..

1. 歳をとってもできる(けど)

2. 一人でもできる

3. (そんなに)お金がかからない

 1.については,スポーツ,例えば,バドミントンのような激しいものは,厳しいですが,家に籠もって体を動かさないのもよくないので,ある程度は,体を動かすことも必要でしょう.(けど)となってるのは,そういう意味です.

 2.については,一人でできないと,他人の都合に左右されたり,余計な人間関係に巻き込まれたりするってことがありますが,これもずっと一人ってのも何なので,やっぱり,「一人,時々,みんな」ですかね.

 3.については,お金があるのなら,そんなに拘る必要はないですが,内的熟達というか,インプットよりアウトプットの方がお金がかからないものが多い気がします.つまり,お金が(そんなに)かからないことを選んでいくというやり方もあるということですね.

 で,私の場合ですが,まず,研究については,どれもある程度満たしていますが,一般的には,体力勝負で,成果を社会に発信して,研究費がかかるとなると,全くアウトということになります.つまり,研究テーマ次第ってことですね.

 スポーツについては,バドミントンは,体的に厳しいし,一人でもできませんが,ある程度,割りきってやることはできるでしょうし,そんなにお金はかかりません.スキーやゴルフは,ちょっとお金はかかりますが,そんなに大したことはないし,一人でもできるし,体の負担もそうでもないです.

 ピアノやいろいろ考えてこのサイトに文章を書くこと(生活研究や体研究も含む)や日運や短運は,どれも満たしていて,まさに無敵ですが,どれも1日1,2時間がせいぜいだし(日運や短運に至っては,今は1日10分だけ),そもそも,ずっと座りっぱなしとなると,体によくありません.いいなとも思う手仕事系も同様ですね.

 こうして見ると,何か一つで全ての条件を満たすことは難しくて,というか,1.の場合は,歳をとってもできるというのは,体に負担がかからないってことなんですが,ある程度,体を動かすことも必要だし,例えば,今の歳だと,スキーとゴルフだけでは強度的にまだもの足りないので,歳をとるに従って,ということもありますし,やはり,いろんなものを組み合わせるのがいいってことになりますかね.

 そして,結果的にそういうことになって来てもいるわけで,いろんなことに興味をもてば,自然とそうなるってことでしょうか.

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6/24'19c
[G・D・P]
(経済)

 今日の昼サテで「G・D・P」というのやってました.GDPではなく,Global Debt Problem(世界債務問題)の略で,世界の債務は,2018年の時点で,何と247兆ドル(約2京7000兆円)と過去最大に達したと言うのです.借金ですから,担保があるわけで,日本のバブルの時のように,ひとたび資産価値の下落が始まると逆回転が起こり,経済は縮小均衡へと向かってバランスシート型不況になると解説してて,話をきいてる女の人は,怖いと言ってました.解説者は,今はまだ大丈夫と言ってましたが,どう思いますか?

 無限に借金することはできないわけで,いずれ必ずやばいことになるってことですよね.実際,アメリカ株は,最高値圏にあるわけで,ここから更に上げて行くのか,下落するのかってこともありますが,どこかで調整したとしても担保不足になるわけで,つまり,一旦下げ始めると止めどなく下げるってことです.

 そもそも,何度も書いてますが,今の経済のシステムは,脆弱過ぎます.具体的には,ものすごいレバレッジをかけて,身の丈どころか,何倍,何十倍,何百倍という取引をしてるわけで,相場が大きく動けば,ひとたまりもありません.

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6/25'19
[見えてくる]

 歳をとると,体も心も衰えて行くのですが,全ての能力が衰えて行くわけではありません.長く生きてるわけですから,(だらだら生きてるのでなければ)様々な知識を得たり経験したりはしてるでしょう.でも,その知識や経験をキープする脳力が衰えて行くってことなんですが,単純な知識や経験ではなく,何か不思議な能力というか,平たく言うと,いろんなことが「見えてくる」んですよ.

 これが何なのかはわかりませんが,そういう能力の向上があるのは確かです.というか,そうなるように生きて行かなければ,ただ衰えて行くだけということになるわけです.具体的にどうしたらいいかは,明らかで「考え続ける」ことでしょう.本読んだり勉強したりしても知識が増えるだけで大したことにはなりません(短----------------).

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6/26'19
[ピアノって特殊?]
(音楽)

 ピアノコンチェルトを聴いてみて,あらためて思ったんですが,オケ vs ピアノということじゃなくて,ピアノって特殊というか,数ある楽器の中で特に「難しい」ってことかもしれません.

 いやいや,弦とか管とかと違って,鍵盤押せば,音は出るし,同時にたくさん音も出せるので,何とか弾ければ,一応,様になるじゃん,と言う人もいるかもしれません.そうなんですが,そうだからこそ,ふつーに弾いたんでは,つまんないというか,結論から言うと,他の楽器より(超絶)技巧が求められるようになってると思うんですよね(多分,犯人はリスト).

 具体的な例で言うと,ラウタヴァーラのピアノコンチェルト1番の第1楽章ですが,最初の提示部は,ソロだからしょうがないけど,再現部なら,バックでオケが弾いてるわけで,だったら,右手(右腕(笑))のクラスターだけでもちゃんと音楽になる(そういう風にオケを書けばいい)と思うんですよね.でも,それだと「もて余しちゃう」から,左でアルペジョを弾く.そういうところいっぱいあると思うんですよね.

 ただ,ピアノコンチェルトは,既に「そういうもの」になってしまってるので,そうではなくて,単純にピアノとオケで,ピアノが主的役割を果たして一つの音楽を作るということなら,それで充分だし,実際,モーツァルトのピアノコンチェルトまではそうだったと思うんですよね.

 逆に言うと,オケ曲で各楽器が担当するパートは,そんなに難しくないと思います.一定以上の技量をもっていたら,初見でもそこそこ行けるんじゃないですかね?(ただし,合わせる練習や,各パートの演奏を調整してオケ全体として音楽にする作業は必要)

 つまり,オケは,分担率が1/100という以上に(ピアノに比べて)演奏の負担が軽いってことで,でも,100人集まれば,壮大な音楽が奏でられるわけで,効率がいいというか,100人でやってるから当たり前ってことでしょうか.

 ただ,いくつか例外はあって,例えば,ヴァイオリンは,オケでのパートは,技術的に難しくはありませんが,ヴァイオリンコンチェルトのソロは,ピアノ並みに超絶技巧が求められます(これは犯人はパガニーニ?).「ヴァイオリン曲」と言えるのは,コンチェルトだけと言われるのは,そういうことでしょう(いわゆるヴァイオリンソナタは,実際は,ヴァイオリンとピアノのためのソナタ).菅にも超絶技巧が求められる曲はありますが,数的にはそんなにないと思います.

 ということで,ピアノって,ふつーに弾ける曲をふつーに弾いても,ぱっとしないというか,いわゆる「演奏曲目」は,技術的に難しいものが大半なわけで,やっぱ大変だなあと思うわけです(それとも,私がそういう曲ばっか弾いてるというか,弾く気にならないってだけ?)(短------------+_--).

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 具体的には,どの辺から「やばく」なったんでしょうね.

 いわゆる古典は,技術的には,それほど難しくはありません(でも,バッハはバッハなりの難しさはありますが).でも,ベートーヴェンの後期あたりから,だんだんやばくなります.ロマン派になると,ショパンのOp.10のエチュードは,もう相当やばいですし,それ以降は,マズルカとかノクターンとかを除けば,技術的にはどれもそれなりに高度です.シューマンもカルナバル(Op.9)とかクライスレリアーナ(Op.16)とかのいわゆる演奏曲目は,結構難しいですし,リストは言わずもがなでしょうか.

 てことで,これもやはり,ベートーヴェンが境目というか,彼が真犯人なのかもしれませんね.

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 見方を変えると,「そうでもない」曲を丹念に探していくという方法はありますかね.というか,そうしていた時期もありました.例えば,弾いた曲の中で

ヒナステラ/ピアノソナタ第1番Op.22
サティ/3つのジムノペディ
ハチャトゥリアン/トッカータ
ラウタヴァーラ/エチュードOp.42より第1,4,5,6曲
ブロッホ/海の詩
プーランク/即興曲第15番
ボーエン/24のプレリュードOp.102より第1曲
シューベルト/ピアノソナタOp.78, D.894「幻想」より第1楽章
トゥリーナ/セビリアよりオレンジの樹の下で
サイ/黒い大地(ピアノ独奏のための, 1997)
バッハ/イギリス組曲第4番よりプレリュード
バルトーク/ミクロコスモス第6巻のブルガリアのリズムによる6つの舞曲より第2曲
シューベルト/ピアノソナタ第21番 D.960
C.P.E. バッハ/クラヴィーアソナタ W.49/1
バーバー/バラードOp.46
エリッキ=スヴェン・トゥール/ピアノソナタ

は,それほど難しくはありません.最初の頃は,たまたまですが,ブロッホとかトゥリーナあたりは,敢えてそういう曲を選んでたと思いますし,最近だと,C.P.Eとかバーバーとかトゥールもそうです.

 でも,ピアノを弾く意欲が落ちてくると,弾きたくなる曲のハードルが上がって,逆にそういう曲は弾く気がなくなるんですね.ピアノを弾く意欲が落ちてる上に難曲を弾くわけですから,うまく行かないのは当たり前です.

 なかなか厄介な問題ですが,じゃあどうすると言われても,弾く気にならない曲は弾けないわけで,どうしようもないですね(笑).

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6/27'19
[いくらでもある]
(ピアノ)

 もう少し具体的に考えてみると,技術的に難しくない曲でいい曲は,いくらでもあります.例えば,ショパンならマズルカとかノクターンはそうですし,シューマンも蝶々とか子供の情景とかありますからね.でも,こういう曲って,ソナタで言えば,第2楽章(緩徐楽章)なわけですし,子供の情景は,まさにそういう曲なわけで,そのような曲ばかり弾いても何かつまんないですよね.

 つまりは,ソナタで言えば,第1楽章のような「真ん中」に来る曲だと,そのほとんどは(ロマン以降は),技術的に相当難しいものばかりということです(古典は古典で,どう弾かないといけないかが決まっているので,自分で勝手に弾く分には,それはそれで厄介).

 逆に言えば,研究して,そういう「隙間」をうまく探すということなんですが,それは,相当やってると思います.でも,そういう中で更に弾く気になる曲を探すのは,非常に難しいし,何とか見つけて弾いてるうちにだんだん退屈になってくる感覚があって(例えば,ブラームスのOp.10のバラードとかOp.118とか,グラナドスの詩的なワルツとか),だったら,弾く気になる難しい曲弾いちゃえってなっちゃいますかね.

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 見方を変えると,以前は(そんなに練習しないので),人前で弾くんだから,ある程度,ちゃんとした演奏をしないといけないということで,難度を落としていたけど,最近は,人前で弾くとか関係ねーというか,そういうことより,普段ピアノを弾くことを優先しているから,難度とか関係なく,単純に弾きたい曲を弾いてるってことで,それでいい気もしますが,「1/365の憂鬱」をどうするかってことですかね(日=短++++++++++++++_+).

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6/27'19b
[内的熟達のその先]

 やりたいことに「何のために」はないと書きましたが,言い換えると,「何のために」がないやりたいことがあれば,ってことですかね.例えば,ピアノとかサッカーが上手くなったら,賞賛されるとか,それで飯が食えるとか関係なく,ただ純粋にやったら楽しいからやりたいってことです.

 でも,自分の中で,上手くなりたいという意識は,あるわけで,それが内的熟達ってことなんですが,更にその先というか,熟達しなくても,何か知らんがただやってるだけで楽しければ,尚無敵でしょう.具体的には,指を鍵盤の上で動かすことで音楽が生まれるのが単純に楽しいとか,ボールを蹴る感触と蹴ったボールが狙ったところに飛んでいくのがたまらんとか.

 そんなものいくらでもある? お金があれば,ずっと海外旅行してたいし,一日中テレビや映画を見たりゲームをしたりしてても平気だし,パチンコ中毒の人もいるわけですからね.まさに「素養の問題」ですが,そういう人は,お金がなくてあくせく働かないといけないということで,ある程度,世の中うまく回ってるわけですが,そうでない人は,リタイア後,どうしたらいいんだ?ということなんでしょう.

 でも,やっぱり,「何のためにがないやりたいこと」だと思いますけどね.それが仕事ならそれでもいいかもしれませんが,仕事には,お金や承認が付いてくるので逆に注意が必要(ほんとにやりたいことか?無償でも承認されなくてもやりたいのか?ってこと)だと思うんですよね.

 究極的には,朝起きて,ちゃんと自分で朝ご飯を作って食べて,とか,買い物とか掃除とか洗濯とか,生活して行くのに必要なことを自分でしっかりやっていくとか,適度に体を動かすとか,世の中の動向を知るためにテレビやインターネットを見るとか,時々,家族や友人と会って話をしたりとか,遊びに行ったりとか,それだけでも充分楽しくやって行けると思うんですよね.

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 でも,今はそれで大丈夫でも,ずっと何十年もそうかはわからないですよね.自分が何に興味があるのか,自分の素養がどれほどのものかを知るってことなんでしょうが,自分が変化していくのが成長というか,生きて行くということですからね.

 でも,何となくですが,例えば,広げるから畳むみたいな大きな流れは変わらないと思いますから,方向性としては,間違ってないと思いますけどね.それとも,どこかで急に反転するようなことがありうるんでしょうか?

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6/28'19
[ミラーPC]
(PC)

 大学のデスクトップPCですが,このとき修復して,1年くらい普通に使えていたのですが,また立ち上がらなくなりました.データはバックアップしてるし,システムだけまた修復すればいいのですが,もう大分長いこと使ってるので,さすがに寿命が近づいてるのかもしれません.でも,今の奴で充分だし,使えるのならずっとこれでいいんですよねー(ていうか,ものすごいカスタマイズされてるので,セットアップがめんどくさい).

 でも,かなり重大な問題が...それは,修復するにしても,買い換えて再セットアップするにしても,それまでどうするかです.去年だと,同期しているノートPCを使ったと思うのですが,今はノートPCを持ち歩いていないので,今日は,全く作業ができなくなりました.これはまずい...

 ということで,非常用にミラーサイトならぬ,ミラーPCを準備しておく必要があるということですね(日-短----------------).

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6/29'19
[段取り十分]
(PC)

 単にミラーPCを準備しておけばいいって問題ではないですね.具体的には,あるソフトのある追加機能(アドオン)を使ってるのですが,そのソフトがバージョンアップして,アドオンが対応しなくなって,ソフト自体は,古いバージョンを見つけて動かしてるんですが,アドオンは,古いものがなくて,要は,別のPCにインストールすることが難しい状態になってるんですよ.

 同じような機能をもった他のソフトも探しているのですが(あれば,圧倒的に便利な機能だし,使う人も多いと思う.私は,これなしでは,もう作業ができない),代替できるものがないんですね(要は,こんなに便利なものがあるということに世の多くの人が気づいていないということ).

 どうしたものかと手をこまねいていたのですが,古いバージョンのソフトに対応する古いアドオンとその組み合わせを何とか見つけ出して,何とかインストールできる状態にもってきました(ふう).

 あとは,やはり,インストールする手順の整備ですね.前回,大分整理したんですが,今回,やってみて,まだまだだと思いました.ものすごい複雑な作業なんですが,まさに引っ越しと同じで,何をどうするかの段取りというか手順さえしっかりできていれば,意外とささっとできると思うんですよね(まさに段取り八分,というか十分).

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6/29'19b
[いいこととそうでないこと]

 いいこととそうでないこととかを超越してきたってことなんですが,評価されるされないもそうですが(評価されて,あなたが必要だと言われて,体よくこき使われるってこともあって,だったら,必要ないと言われて,責務を免除された方がやりたいことがやれる),他にもいろいろあると思うんですよね.

 例えば,普通は,人に好かれたいと思うんでしょうが,多くの人に好かれて,頼りにされていろんなこと頼まれて,鬱陶しくなるかもしんないし,もっと極端な場合,好きな人と相思相愛になったとしても,そこからいろいろめんどくさいことが始まるかもしれないわけです.

 あるいは,人々は,非日常を求めて,どこかに出かけたり,海外旅行に行ったりするんでしょうが,最近は,非日常より日常が大事だと思ってるし,実際,非日常より日常の方が時間的に多いわけですから,そこが楽しい方がいいわけですよね.

 他には,忙しいより暇な方がいいとか(ないものねだり?),これまでの価値観?がひっくり返ってきてる感じがするんですよね.でも,もちろん,全てがそうってわけじゃなくて,例えば,震源から構造物被害に至る物理を解明したいし,ピアノは上手くなりたいし,バドミントンも強くなりたいし,スキーもゴルフも上手なりたいし,経済の流れを読んで相場では勝ちたいし,気分よく人生を過ごして行きたいとは思ってます.

 でも,これも考えようによっては,震源から構造物被害に至る物理は,解明できない方がまだまだ解明することがあるってことだし,ピアノもバドミントンもスキーもゴルフも下手だったり,弱かったりする方が伸びしろがあるというか,上手くなって行く余地はあるってところはあるわけです.

 さすがに下手な方がいいってことはないにしても,上手いとか下手とか,そんなの関係ねーというか,ただやりたいからやってたら,気がついたらとんでもないことに...ってのが理想だとは思うんですよね.

 生き方だって,気分よくとか,そんなこと超越してしまって,気分がいいとかそうでないとか関係なく生きて行ければ,すごいことだと思うんですよね.

 つまりは,内的熟達のその先ってことで,それは,「何をどう取り組んで行くか」というだけではなく,生き方そのものも然りと言うことでしょうか.

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6/29'19c
(体, 日記)

 数日前,具体的には,木曜の朝から腰痛です.靴下履いてたらぐきってなって,ストレッチしたら,余計痛くなった感じです.いつもの奴じゃなくて,左側だけが痛いです.でも,座ってるときは,大丈夫で,立ち上がるときと,立ち上がってからしばらく痛いというのは,いつもの奴と同じです.日常生活は,そんなに問題ないですが,運動は無理って感じです.

 今年に入ってから,何度かこんな感じになることがあります.日常生活の中で,座り続けないように,できる範囲でまめに体を動かすようにしているんですが,そうするようになってから,逆にこうなるようになった感じで,単なる偶然か,何か関係があるのかはわかりません.

 でも,座り続けないことと,できる範囲でまめに体を動かすことがよくないはずはないので,とりあえず続けるしかないですかね.

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