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2/1'22
[楽しむ研究]

 楽しむ力なんですが,とにかく楽しもうとするのは大事なんですが,それだとふつーというか,もっと先の話がないのかと思いますよね.

 それが何かなんですが,楽しむことを研究するってことかもしれません.実のところ,そういうことをちゃんと「研究」したりはしませんよね.つまり,とにかく頑張ろうとしても厳しいのと同様,やみくもに楽しもうと思っても,つまんないものはつまんないし,やりたくないときはやりたくないし,じゃあ,具体的にどうするのかってことです.

 一つ言えるのは,一般論だけではなく各論もあるってことでしょうか.具体的には,ここのところピアノについて,そういうことを研究しているのですが,食事のメニューのようにリストを作っておくのもそうですが,ピアノを弾くということの特質として,飽きたら弾く曲を変えるということができるわけで,でも,つまみ食いばかりしていてもまともに弾けるようにはならないわけで,それをどうマネージメントするかなわけです.

 そして,同じようなことは,それが何でも,その特質を生かして(一般論に加えて)各論的に研究できると思うんですよね.

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 で,そのピアノのメニューというかぐるぐるリストですが,どんどん「増殖」してきました.理由としては,同じ曲をしばらく弾いてると飽きるってことなんですが,じゃあ,これまでと変わらないじゃん,ってことじゃなくて,最後に弾いた日を記録してリストに入れて,(ほぼ譜読みからまたやり直しという)元の木阿弥に戻らないように,もうそろそろ一度弾いとかないと,ってやってると,存外間隔が空いても,具体的には,1か月くらい弾かなくても何とか弾けるんですね.

 これが何を意味するかですが,1日1時間弾くとして,もちろん,通しでもテンポでも弾けないし,弾けないところを何回か繰り返し練習もするので2倍とか3倍くらいの時間がかかるとすると,10とか15時間分くらいの曲群は,それなりにキープできることになります.ベートーヴェンの32のピアノソナタ全曲で10時間なので,だいたい同じで,中学の時に,老後はベートーヴェンの32のピアノソナタを1日1曲弾いて過ごして行くと言っていたのが割といい線行ってたことになりますね(笑).

 とは言え,ちょっと練習するのも含めて通しでテンポで弾く時間の2倍とか3倍でその曲が弾けるというのは,そこそこの仕上がり具合なので(2倍ならまさに50%くらいの仕上がり具合か.そっか,練習も含めて通しでテンポで弾く時間の何倍かかるかの逆数で仕上がり具合を指標化できますね.まさに研究(笑)?),そこまでの曲を10時間分フルにもつのは,まだまだ先というか,今がその「増殖」の最中で,しかも,このまま増殖を続けるのか,どこかで数的にはもうこれで充分となって収束するのかも含めて,どうなるかってことですかね.

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 今現在リスト入り?した曲をテンポで弾いた場合の総演奏時間をざっくり計算してみたら,僅かに2時間ちょっとでした.これが意味することとしては,「まだまだ全然行ける」のか,フルで10とか15時間はやっぱり厳しいというか,新曲もやるだろうし,そこまで必要ないってことなのか,ですが,そんなことはどうでもいいというか,とにかく弾く気になることを最優先で,どうなるかを「観察」ってことなんですが,言えることとしては,一度弾いて途中でほったらかしになってた曲とか,いつかは弾こうと思っていた曲とかを(その気になれば)ほぼほぼ全部?ある程度弾ける状態でキープできるってことで,まさに一つの楽しみが広がってる感覚にはちょっとなりました.

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 ちなみに,新曲をどのくらい弾いてると飽きるかですが,直近では,メトネルの悲劇的の場合,10分くらいの曲で30分ずつくらい弾いて,3か月半でもまだ大丈夫でしたが,この辺ではもう怪しくて,でも,このときは,弾けるようにならなくていいというマネージメントが割とはまってかなり「もった方」なので,10分くらいの曲で3か月がせいぜいだとすると,3分くらいの曲なら30分ずつで1か月ってことでしょうか.

 でも,それで何とか「リスト入り」するので,1か月6分ずつリストの曲が増えて行くので1年で1時間とすると,フルに埋まるには10年かかることになりますね.

 というか,そういうことが目的ではなくて,まだまだ安心して,増殖させればいい,つまり,(月一でリストの曲をキープしつつ.と言っても,現状は,まだ2時間分しかないので,1か月で4とか6時間だけ弾けばいい)飽きたら弾く気になる曲にどんどん乗り換えて行けばいいってことですね.

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2/2'22

 ものは試しにこれまで演奏会で弾いた曲やある程度のところまで弾いて放り出した曲やいつか弾いてみたい曲,つまり,全部ひっくるめて弾きたい曲というか,これ全部弾いたらお腹いっぱい(笑)って曲[は既にリストアップしてるので,そ]の合計演奏時間を計算してみたら,なんとほぼほぼ10〜15時間くらいになりました.

 このことが意味することとしては,やっぱり「いい線行ってる」ってことですね.具体的には,今のやり方,つまり,できる範囲でその気になる範囲で練習はしていくけど,飽きたら弾く気になる曲に乗り換える(ただし,月一くらいで弾いて譜読みから状態に戻らないようにはする)を繰り返して行くので行けるということになりますし,最終形?としては,1日1時間くらいしか弾かないとしても,この曲群(100曲以上ある)を1か月くらいで「回して行ける」ということになります.

 もちろん,この膨大?なリストの中にも,その日に弾く気になる曲が見つからない場合もあるでしこのリスト以外で「新曲」を見出すこともあるでしょうが,そんなに大きくはずれはないような気がします.いずれにしても,こんな感じでどのくらい持続的にやって行けるか試しにやってみるということですかね.

 ちなみに,すぐ上で「大きくはずれはない」と書きましたが,大きく,はずれはない,というつもりで書いたのですが,大きくは,ずれはない,とも読めることに気づきました(なかなか珍しいケース).でも,中身に大差ないですね(笑).

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[I原さん]
(政治, 世の中)

 I原さん亡くなったんですね.彼のことについてはいろいろ書いてきたので,何か書かないといけないですかね.でも,亡くなった直後に悪くは言えないわけで,それはまさに今のメディアの報道もそうで(これまたメディアの言うことは嘘ばっかりの一例),でも,それは,事実を歪曲することになるので注意が必要です.

 少なくとも,私は何に忖度することも,彼と直接面識があるわけでもお世話になったわけでもなく,何度か書いているように政治家とか芸能人とか公衆の面前に出ることで利益を得ている人間は,その分,批判もされることを受け入れないといけないので(いわゆる有名税.それが嫌なら有名になんかなってはいけない)思ってることを(亡くなった直後ではありますが)書いておこうと思います(このサイトの主旨でもあるし).

 でも,まず言えるのは,少なくとも今の政治家連中よりは遥かにまともで有能な人だったということでしょうか.しかしながら,その一方で,非常に問題もあったとも思うんですよね.そもそも,今のメディアの報道では,彼はいろんな仕事をしたとか功績を上げたと言ってますが,一体彼が何をしたんですかね? ディーゼル車の排気ガス規制はともかく,新銀行東京,築地市場の豊洲移転,東京五輪招致,尖閣諸島を買収して中国との軋轢を生んだ問題,どれをとっても負の側面が大きいのでは?(身近?なところでは,東京都立大学を首都大学東京とか訳のわからない名前にしたのも)

 この人も,結局,世の中のためというよりは,自分の自己実現のために政治をやった的なところはあるわけで,具体的には,国政で目がないことに見切りをつけて都知事になったのがわかりやすいですが,K池さんとかに比べれば,まだ少しは世の中のことを考えていた感じはしますかね.

 でも,彼がやったことに関しては,それがプラスであれマイナスであれ,大したことはなくて(でも,とばっちりを食った人はほんといい迷惑),結局,一人の人間ができることはたかが知れてるってことでしょう.つまりは,世の中のためとか世の中を変えようとか言ってる奴は,甚だ怪しいというか,結局,自分のためってことですかね.

 実際,こうして彼が亡くなっても世の中,何が変わるわけでもないし,まさに人生所詮退屈しのぎというか,だったら,やりたいことをやるというか,思うように生きたらいいんじゃないですかね.そういう意味では,彼は,彼なりに思うように生きたんだと思うので,それは,彼自身にとってはまあよかったんだと思いますが,回りを巻き込んで迷惑をかけるのは,いただけないですね.

 でも,最初に書いたように,まともで有能な人だったとは思うので(そう言えば,このサイトで3位以上を同じと見なすメダル数という手前勝手な指標をずっと批判してきましたが,彼もそういうことを言ってました),今の政治の惨状というか,もう全く何も期待できないわけで,そのうち必ず来る重大かつ危機的局面のとき一体どうなるんだろうかとは思いますね.

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[哲学が足らない]

 人間,80を過ぎると否応なしに死というものを意識するようになるとI原さんが言ってました.そして,そういうことを言う人は多いですね.でも,それってどういうことですかね?

 統計的に見て,平均寿命に近づいたから? あるいは,急激な身体的な衰えを感じるから?

 でも,前者なら,他の人は関係ないというか,自分がどうかなわけで,原理的には120までは生きるわけですし(病気になったということなら80という年齢は関係ない),後者なら,これまた自分の問題というか,80とか90過ぎてもぴんぴんしている人もいるし,でも別に飛んだり跳ねたりする必要はなくて,日常生活がちゃんと自立的に送れればよくて,実際,誰だったかな,90過ぎても何ともなくて,なんか私って死なないような気がする(笑)って言ってた人もいましたからね.

 そもそも,80を過ぎると否応なしに死というものを意識するようになるというのも,えー?今頃?ってなもんですよね.だって,人間いつか死ぬことは小学生だって知ってるわけで,そういう人は,哲学が足らないというか,死ぬ準備ができてないんじゃないですかね.

 ですから,ちゃんと「死ぬ準備」をして,体も心も整えて,120まで生きてしまうかもしんないというか,いつ死ぬとかそんなことを考えず,その日その日を生きて,気づいたら死んでた(笑)(ていうか死ぬなら気づかないか)というのがいいんじゃないですかね.

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2/3'22
[できる範囲でできることをやる]

 もちろん,そんなに↑うまく行くもんでもないですが,できる範囲でできることをやるということでしょう.

 もちろん,できる範囲でできることをやっても,病気になったり事故に会ったりするかもしれませんが,そうなったらそうなったで,その時点でできる範囲でできることはやればいいわけですし,そもそもできることとしての「死ぬ準備」もあるわけですからね.

 そして,思い返してみると,これまでもまさにそうだったと思うんですよね.そこそこできた気もしますが,若い頃は,うまく行かないこともあったというか,「できる範囲でできることをやる」という極めてシンプルなことがどういうことが実はよくわかってなかったというか,このサイトで「できる範囲でできることをやる」と書いても,そんなの当たり前じゃんと思う人も多いと思うのですが,それがどういうことかどのくらいわかってるかはわからないと思うんですよね.

 じゃあ,どういうことかもっと詳しく説明してくださいと言われても,これ以上は説明のしようがないというか,ものすごく感覚的なものだし(でも,そういうことに関係した記事を全部読めば何となるわかる?),おそらく,人によっても違うので,結局,やっぱり,各人が自分で考えるしかないんだと思います.

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[全てが死ぬ準備]

 最近よく?「死ぬ準備」と書いてますが,何だかんだ全てが死ぬ準備のような気もしてきます.愛し合って子孫を残す,仕事をする然りですね.でも,もちろん,死ぬ準備をするために生きているのではなくて,死ぬ準備をして安心して生きる,つまり,生きるために死ぬ準備をしておくということですね(禅問答的).

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[順番が違う]

 楽しむ力というか,楽しむ研究ですが,根底にあるのは「順番が違う」ってことなんじゃないですかね.ピアノなら何かの曲を弾きたいと思ったら,ただ弾けばいいだけの話で,弾けるようになったら演奏会とか人前で弾こうとかなってくると,それがいつの間にか,演奏会で弾けるようにならないといけないに化けて,しんどくなって弾きたくなくなってくるわけです(おーこわ).そして,ピアノに限らず何でもそうでしょうし,仕事とかやらないといけないこともそういうことが大事だと思うんですよね.

 もちろん,ピアノなら弾いてるのならただ弾いてるわけはなくて,弾けるようになるように弾くのは当たり前で,人前とか演奏会で弾けるようにならないといけないとか考えなくても自然と弾けるようになるように弾いてるわけですから,全く以て余計な目的なんか無用ということで,まさに目的と手段が逆というか,順番が違うわけです.

 そして,ただ(弾けるようになるように)弾くだけを楽しむのでもいいんですが,こうやったらうまく行くんじゃないかとかの創意工夫をすれば,もっと楽しめると思います.でも,これも目的化しないように注意が必要なのは同様ですね(とにかく楽しく蝶を追いかけてればいつの間にか頂上に着く).

 でも,若い頃は(というかついこの間までは,というか,そういう曲があれば今でも)知られざる近現代曲を開拓して紹介したいとか,人前で弾くこと自体が動機付けになったこともあったので,やる気三要素じゃないですが,動機付けになるものは何でも利用したらいいとは思いますが,報酬とか評価とかに,益々釣られなくなったというか,歳をとったというか,少しは仙人?に近づいた?ということかもしれません(笑).

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2/4'22
[億劫]

 楽しむ研究的に言えば,スキーをするのは,純粋に動きを洗練して上手くなることは楽しめるのですが,いかんせん,どーにも出かけるのが億劫で,これを何とかすることを考えないといけません.もちろん,やりたくないのならやめればいいわけですし,どこかで書きましたが,これも「有能なセンサーが働いている」じゃないですが,こんな歳になってスキーなんかして大怪我したら大変なことになるぞとDNAが警告しているということもあるのかもしれません.

 でもじゃあ,やめるかと言われるとそうは思わないのがなかなか厄介で,やるのなら,行くのが億劫なのを頑張って行くのは面倒というか,しんどいので,何とかしたいというか,これも研究ですかね.でも,一体何が億劫なんですかね?

 自分で車で運転していくのが面倒? じゃあ,電車ならOK? 確かに,例えば,熊谷とか大宮駅近くに住んでて新幹線で1時間とかで行けるのならかなりハードルは下がる? しかも,行き先がガーラとかなら,駐車場から重い板を担いでてくてく歩いて行く必要もない.

 そうですね.今は車でしか行けないのですが,運転自体は,1時間とか1時間半でどうってことはなくて,でも,駐車場から歩いて行くのがめんどうですね.びわ湖バレイは,かなり急で滑りやすい階段を上っていかないといけないし.でも,そんなことが大きな障害になる?

 歳をとったからかどうかはわかりませんが,全体としていろんなことが億劫になってるのは確かですが,全然億劫でないこともいくらでもありますからね.だったら,結局,スキー,あるいは,出かけることが億劫になってるのなら,スキーなんかもうやめればいいし,出かけるのも(できるだけ)やめればいいってことなんですかね.

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2/5'22

 いずれにしても,やらないといけないことではないわけですし,私の場合,やらないといけないと思うとだめなので,とにかくやらないといけないとは思わないことにします.

 でも,もちろん,やらないといけないことはやらないといけないし,やらないでいいことも最低限やらないといけないレベルというのはあるわけで,まあそのくらいなら何とかという気もするので,そうやってやり過ごしながら,妙な億劫さがとれるのを待つというか,もしずっとこのままなら,それはそれで仕方ないことでしょう.

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(スポーツ, 世の中)

 オリンピック始まったんですね.でも,退屈しのぎというか楽しめることがあるのはまあいいんですが,日本頑張れとか,日本人がメダルがとれそうなものだけやるとかいうのは辟易ですかね(せめてアルペンはやってちょ).

 私個人的には,日本人選手に頑張って欲しいってことはもうそんなになくて,でも,メディアが3位以上はみな同じという手前勝手なメダル数とかいう指標を持ち出すのは厳しくチェック,というのももうどうでもいいですかね(笑)(まあ一応見るとは思うけど).でも,実際,金は獲れなくてもメダルは獲れそうという種目が多い感じがしますから,そうなれば,またメダルラッシュとか言って騒ぐんでしょうね.

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(日記)

 睡眠のその後ですが,就寝して4, 5時間して一度目が覚めて,そこで起きずに1時間くらい布団の中でこのサイトの過去の記事を読んだりとかして,また寝て,就寝から〇時間してから起床するというのが定着してしまったような気がします.

 時々,続けて長い時間眠れることもあるんですが,じゃあ,そういうときは調子がいいかというとそういうわけでもなくて,結局,「二度寝」した方がいいような気もします.

 なので,何がいいのかよくわからなくもなってきたのですが,言えるのは,活動する気になったら活動するし,しんどくなったら休むでいいんじゃないかということです(なんて自堕落).

 もちろん,仕事をしている間は,そうも行かないわけで(今日は朝から修士の発表),そういうときはしんどいんですが,できるだけ借金はせずにその日のうちに休んで疲れをとるってことですかね.

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(このサイト)

 それで,今は,2018年6月の記事を読んでるんですが,転換点?とも言えるようなかなり重要な記事がいくつかありました.あとは,これは何度か書きましたが,今考えていることが多いというか,もう書いてある(から今はもう書かなくていい)とかいうことが結構ありますね.

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(日記)

 修士論文の発表が終わって,帰ってきてピアノを弾こうと思ったんですが,何だか疲れてそんな気にもならず椅子の上で寝て,その後は,筑波大バドミントン部のインカレ女子団体6連覇や佐川のシングル優勝などの個人戦,そして,藤原のパラリンピックミックスダブルス銅メダルの報告会でした.こういう状況でオンラインになってしまったのですが,私からするとオンラインだから参加できたということになります.

 その後は(4年生がなかなか発表練習動画を送ってこないし),オリンピックの男子モーグルを見ました.準々決,準決,決勝と立て続けにやっててびっくりしました(昔は違ってたと思う).結果はキングズベリーが負けたんですが,堀島さんは,見てて,第一エアの後,正直「終わった」と思いましたが,あそこからリカバリーするのはちょっと神がかってましたし,思ったほど減点されなかったのも意外でした.優勝したスウェーデンの選手も(結果的に?)タイムが出た堀島さんもそうですが,タイム点が出るような雰囲気はありましたね(タイム点は機械換算だと思うし,割合は決まっているので,相対的なターン点評価の問題).

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2/6'22
[過去の記事を読んでいて,書こうと思っていたことが(たまたま)書いてあると]
(このサイト)

 過去の記事を読んでいて,書こうと思っていたことが(たまたま)書いてあると,書いてあるから書かなくていいやと思ってしまいます.でも,書いて残しておく的にはそれでもいいかもしれませんが,もう莫大な量なので,大事なことが埋もれてしまうかもしれず,何より,「書こうと思っていたことが書いてある」というのが問題で,つまり,ある意味,忘れていて実践できてないってことなわけですし,究極的には,このサイトで考えたことがどんどん煮詰まっていって,何かに収束することなわけで,ということで,やっぱり,「その日に思ったことを書いていく」ということなんだと思います.

 それで,2018年6月の記事で,「孤独と退屈を受け入れる」というのが出てきていて,孤独を受け入れるというのは,まあいいんですが,退屈を受け入れるというのも同じような意味で書いてありました.でも,それは違いますよね.最近,孤独は受け入れるけど,退屈は受け入れないと書きましたが,まさにそういうことです.

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 2018年6月に重要な記事がいろいろあると書きましたが,その中の1つがこれですかね.「小谷先生に「震度は木造が対象だから」と言われたこと」がキーワード?だったんですが,うまく見つけられなくて,読み返していてようやく見つかった感じでしょうか.

 でも,今読み返してみると,今考えていることとは少し違う感じで,「私の中での最上位のプライオリティーは,自分がやりたいと思うこと,やるべきと思うことをやる」と書いてあると「やりたいことをやった」感じですが,そういうわけでもなくて,やっぱり,「やるべきと思うことをやった」ということなんだと思います.それは,その記事の一番下に書いてある「私があのままRCの世界にいたら,例えば,大きな震度を記録しても被害が少ない理由をちゃんと説明できる人間がいなかったかもしれないわけで,そう考えると,ぞっとする」というのが近いですかね.

 でも,これも何度か書いていますが,「やるべきと思うことをやる」のも,結局は,「やりたいことをやる」ということだと思うので,結局,同じことなんですが,これは,言葉で表現することの限界という問題ですかね.

 なので,上の例もそうですが,過去の記事を読んで既に書いてあると思っても,実際はそうでもないわけで,やっぱり,「その日に思ったことを書いていく」ということだと思いますし,それは,このサイトを読んでくれる人からすると,過去の記事までは読まないでしょうからなおさらでしょう.

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[どいつもこいつも]

 もう卒論発表間近なのに,4年生がなかなか発表練習動画を送ってこないというのもそうですが,どいつもこいつもというか,他にもそういう感じのことが多いです.もちろん,ちゃんとやってる人もいるんですが,一体どうなってるんだ?というか,まだ若くてこれから長い人生を生きていかないといけないのに,こんなんでやって行けるのかというか,やって行けないわけで,ほんとやばいんじゃないですかね(何度も書いてるけど,日本という国が生き残るには優秀な外国人をどんどん受け入れるしかないし,ということは,無能な日本人は彼らにこき使われるだけということ).

 もちろん,私にできることはしたいと思いますし,こんなんでやって行けるのかと思うということは,私から見て,彼らは「圧倒的に」しょぼいわけで,私が彼らの能力を高めるためにできることは莫大なんですが,首に縄をつけてまで何とかしようとは思わないし,頼まれれば考えるけど,私からどうこうすることはないとは再三書いてる通りです.

 見方を変えると,そういうのは定年までで,つまりは,あとちょっとで終わりで,それはそれでほっとするわけで,もっと言えば,どんどんひどくなって行く世の中とも距離をとって,やって行くこともできるというか,そういう道を模索できるわけです.

 もちろん,ちゃんとした人とは,ずっとつき合っていきたいと思いますが,そうでない人と付き合っても,デメリットの方が大きいわけで,孤独を喜んで受け入れて,でも,退屈は受け入れずにやって行きたいというか,そうできるように着々と準備を進めて行きたいと思いますね.

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[訃報に対する感じ方が変わって来た]

 これもどこかで書いたとは思うのですが,いわゆる訃報に対する感じ方が変わって来ていて,最近,益々そんな感じがします.具体的には,もちろん,どのくらいその人のことを知ってるか,付き合いがあったかにはよるんですが,亡くなって悲しいとか,喪失感ということはあるんですが,非常に若くして亡くなったということでなければ,そういう感情はだんだん減ってきていて,それより,あーこの人は,人生を卒業できたんだな,お疲れさまでした,という感情の方が増えてきた感じです.そして,もうすぐ私の番ということでしょうか.つまりは,私もだんだん死ぬ準備ができてきたということですかね.

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(日記)

 今日は,女子モーグルと男子ジャンプのノーマルヒルでした.川村さんは残念だったんですが,上村さんは,彼女ができる滑りはしたと言ってましたが,セカンドエアの着地で少しバランスを崩したのが大きかったと思います.昨日の男子モーグルの時も思ったんですが,配点は,ターンが60%で,エアとスピードは20%なんですが,ターンはレベルが上がって差が付かなくなっていて,そうすると,多少ターン点が低くなっても攻めてスピードを出した方が全体の点が出るということになってきた感じがしました.あとは,エアは比重は低いんですが,これも技が高度化して差が付くようになってきたんじゃないですかね.

 でも川村さんはランク1位だったわけで,金メダル候補だったのにとれなかったということだと思いますが,裏で同時にやってた男子ジャンプのノーマルヒルは,小林陵侑が優勝しました.ラージヒルでは優勝候補だったと思いますが,ランク1位の選手が不調だったようで,ノーマルヒルで勝っちゃった感じですかね.

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 あと,前回のピョンチャンのときもそうだったんですが,コンディションがよくないですね.雪は人工雪だし,モーグルは昨日は氷点下20度と言ってました.ジャンプもすごく風の影響があるみたいで,確か前回のピョンチャンのときもそうでしたよね.アルペンは大丈夫かなあ(前回のヒルシャーのコースアウトが思い出される).

 思うのは,今回も前回もあまり実績のない国が会場を作ってるわけですし,自国にトップレベルの選手もいないわけで,何か余計なことが目的で無理くり招致するとこうなっちゃうわけです(選手が気の毒).次はミラノとコルティナダンペッツォみたいだから大丈夫かな.あれ? イタリアって2006年にトリノでやりましたよね.

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2/7'22

 北京五輪ですが,アルペンやって(放送して)欲しいと書きましたが,今日,女子のGSはやってましたが,(一番面白い)男子のダウンヒルはやらなかったみたいですね.

 女子のGSは,日本人選手が出るということでやったのかもしれませんが,GSは意外と単調で見ててもあんまり面白くないんですよねー.せめて,SLはやって欲しいものです.

 でも,放送は日本人選手が活躍しそうなものしかやらないんですが,みんなそういうことにしか興味がないんですかね? 世界のトップレベルのパフォーマンスがどういうものか見たくないの? だとしたら,しょっぼい話だと思いますが,普段スポーツなんか観ない人に見せて視聴率を稼ぐわけですから,結局,そうなっちゃうんですかね(まさに資本主義の弊害).

 あれ? 女子スピードスケートの高木さんですが,鉄板と言われていた1500mで金獲れなかったんですね.

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[SDカードが突然書き込み禁止に]
(PC)

 久しぶり?にPC関係の話ですが,とある事情で家にあるノートPCを変えた(新しく買ったわけではなく,とある事情で使ってない性能がいいものに変えた)んですが,大学のデスクトップとのデータのやりとり,かつ,バックアップも兼ねているSDカード(厳密には,microSD+アダプタ)が家のノートPCで書き込み禁止になりました(読むのはできる).

 これはよくあることで,だいたいは,書き込み禁止にするスイッチが動いているのですが,今回はそこをどういじってもだめですし,大学のPCでは問題なく書き込めるので,ノートPCのSDスロットの問題ではないかと普通は考えますよね(買ったのは,随分昔).

 でも,そうだとしたら,どうしようもないので,USBを使うことにして,でもSDカード同様,毎日抜き差ししていたら,あっと言う間にSDカードの(アダプタの)接触部分がやられるならUSBも同様で,microSDをアダプタにさして,アダプタをまめに交換するように,USBもオスオスのアダプタと極小のUSBメモリーを買って,とかやってそれはできたんですが,ひょっとして,毎日読み書きしているmicroSDの寿命が来たのではないかと気づいて発注したら,家のノートPCでも書き込みできるようになりました.

 つまりは,microSDの寿命ってことなんですかね.でも,大学のPCでは大丈夫なのはなんなん?

 でも,1つ気づいたんですが,毎日抜き差ししていたら,あっと言う間にSDカードの接触部分がやられるのなら,PC側も同様じゃないかということです.そうすると,(ここからはまさにパズルですが),SDカードなら,アダプタを抜き挿しするのではなく,microSDを抜き差した方がいい? でも,そうすると,接触部分がだめになってもアダプタなら数百円だけど,microSDなら数千円.でも,ノートPCの接触部分がだめになったら,数万円なわけですよね.

 でも,これは経験則ですが,ノートPCのSDスロットがだめになったことはこれまで一度もないので(対照的にSDカードの(アダプタの)接触部分は数ヶ月でだめになる),やっぱり,現状の方法ですかね(SDカードの方は真ちゅうみたいなのがメッキしてあるだけだけど,ノートPCの方はステンレスとかのしっかりしたものだと思う).

 でも,USBは,結局,使わなそうなんですが,どうなんでしょうか.金属と金属なので,どっちもどっち? でも,USBは,抜き差し(たった)1000回がリミットときいたことがあるので,やっぱり,microSD+アダプタで行けるのなら,それが安全ですかね.

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2/8'22

 そっか,USBの場合は,オスオスのアダプタを「3つ」使えば,PC,USBメモリの接続部を劣化させない(アダプタのみを交換)で行けますね.具体的には,デスクトップPCとノートPCとUSBメモリのUSBコネクタに常にアダプタをさしておけば,何度も抜き差しするのはアダプタのコネクタ部分だけになって,ここが劣化してだめになったらアダプタ(700円くらい)だけを交換すればいいわけです.

 一方,SDカードとアダプタは,これはできないです.将来,microより更に小さくなったSDカードができて,これにアダプタを付けるとmicroSDになるとかなったらできるかもしれませんが...(マトリョーシカみたい(笑)).

 でも,USBアダプタを使う方法ですが,PCに常にアダプタが付いて出っ張りが出てる状態で,そこにUSBメモリ+アダプタを付けると更に長く出っ張るのが邪魔くさいので,やっぱり,microSDカード+アダプタで行って,もし,ノートPCのSDスロットがだめになったらUSBでってことですかね.

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(日記, 大学)

 卒論発表が何とか終わりました.でも,今年は大変だった.

 とにかく研究が進まないし,結果は出ないし,結局,発表前日までこれで発表できるのかというか,これまでと全く違う感覚になりました.

 二人とも優秀だとは思うのですが,卒論というか,そういうもの対する考え方がこれまでと全然違う感じがして,とにかく疲れました.

 一方の筑波大の方は,残っていたM2のうち3人が修了で,こちらもちょっとばたばたしたんですが,先日,発表も終わって,これで学生はもうほとんどいなくなります.

 つまりは,これまでは,学生達にどんどん来てもらって大所帯でがんがん研究して成果を出してきたんですが,そういうのを定年という「ゴール」に向かって,徐々に畳んで行く段階に入ったということなのかもしれません.

 もちろん,この研究室に来て,がんがん研究したい,そういうことを通して自分を成長させたいということなら,これまでのように万難を排して指導して行きますが,そうでないのなら,もういいかなという心境です.

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[やりたくなけりゃやらなければいいでいいんじゃないか]

 という感じで,卒論発表が終わって,その後,学外の仕事がオンラインであって,家に帰ってきたら,ピアノを弾く気にもならずにぐったりで,でも,ここ数日,忙しかったということもありますが,しばらくピアノは弾いてません.

 というか,明らかに弾く気がなくなってきていて,何だよ,楽しむ研究とか言ってて,結局,このざまかよという感じなんですが,ちょっと違う感覚になってきたんですね.

 それは,楽しむ研究というか,ピアノという各論について言えば,ぐるぐるリストを作ってわかったこととしては,1ヶ月に1回弾けば,ある程度,キープできるってことは,逆に言えば,弾きたくなかったら,最低限,1ヶ月に1回(今のぐるぐるリストならせいぜい1ヶ月に数時間)弾けばいいってことなわけで,だったら,弾きたくなかったら弾かなくていいやってなってきたんですね.

 さすが怠け者の真骨頂という感じですが,これってピアノという各論ではなく,全てに通用する総論で,スキーならシーズン数日行けば,多分,「スキーをやめる」ことにはならないし,ていうか,実際もう10年以上,そのくらいしか行ってないし,体を整えることについても,何となくこれで行けるんじゃないかというやり方が見えて来て,でも,それは,ほんとにちょっとしたことで,でもそれさえやって行ければ,そんなに困らないレベルはキープできて,その気になったらバドミントンだってできるような気もするんですよね.

 つまりは,この期に及んでやりたくないことをやる必要もないわけで,自分の「その気」に従って,やりたくなけりゃやらなければいいでいいんじゃないかということです.

 その一方では,研究はまだまだ続けていきたいですし,それは,いろいろ考えてこのサイトの文章を書くことや相場研究や運保などもそうで,誰かが会って話がしたいということなら,ほいほい出かけるとは思いますが,そうでなければ,自分でわざわざどこかに出かけて行ったり,体を(激しく)動かしたりすることは何だかもう億劫で,でも,生活して行く上でやらないといけないことや,家の中で(時々適度に体を動かして整えながら)やりたいときにやりたいことをやって行けば(疲れたら無理せず眠る),充分楽しくやって行けるというか,(しっかり死ぬ準備をして)そういう風にやって行きたいと思うようになってきて,これってリタイア後に自分が置かれる状況に対する「適合」だとも思うんですよね.

 とは言え,今はそんな感じがしていても,実際にどうなるかはわかりません.でも「退屈(という感覚)に助けられる」じゃないですが,ピアノが弾きたくなったら,バドミントンがしたくなったら,スキーに行きたくなったら行けばいいわけで,でも,そうなったときのために最低限やっておかないといけないことはあるわけで,でも,それは存外大したことではない(ピアノなら1ヶ月に数時間弾けばいい)ということがわかってきたということでしょうか.

 そして,やりたくなきゃやらなくてもいいと思うとやりたくなるのが人間(私)でもあるので,これもメンタルコントロールなんですが,そう認識するとだめ,つまり,ほんとにやりたくなきゃやらなくてもいいと思うことが必要で,そのためには,ほんとに(最低限しか)やらないことも必要だとも思うんですよね.

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2/9'22
[やりたいことってなんなん?]

 (やらないといけないことはやりつつ)やりたいことやったらいいと思いますし,個人的にはもうやらないといけないことはどんどんなくなりつつあるんですが,やりたいことってなんなんでしょうね?

 例えば,今日なんですが,夕方まで仕事で(当たり前か),それが終わって家に帰ってピアノを弾きたいとも思わず(もうこうなったら「期限の1ヶ月」までは弾く気になるまで弾かないというのもありかも),じゃあ,何がやりたいと思ったかですが,明日〆切の報告書があって,それを「やりたい」と思ったんですよ(でも,寒いし,今日は,研究室に戻らず,家で仕事した).

 いや,仕事なんだから「やりたい」じゃなくて「やらないといけない」なんじゃないの? いや,「やりたい」と思ったんですね.

 もちろん,〆切を抱えたまま明日を迎えたくないので,今日のうちに片付けときたいというのはあるとは思うのですが,仕事なんだから,やりたくなくても,やるのが苦痛でも,やるのを我慢してやらないといけない,ではなく,今一番何がしたいかというと報告書を書くことだったわけです.そして,こういうことってよくあるんですよね.

 なので,こういうことも含めて「やりたいことをやって行けばいい」ってことで,「やりたいことをやる」的にはそれでいい(やりたくないことを我慢してやってるわけではないので苦痛でもストレスでもない)と思うし,おそらく,多くの仕事人間はこんな感じで,ピアノ弾いたりバドミントンしたりスキーしたりするより,仕事をしてたいってことだと思います.

 うーん,でも,どうなんですかね? それでいい気もするし,仕事で成功するとも思うのですが,仕事だけの人生になってしまうというか,それはそれでもいいんですが(でも仕事をリタイアしたらどうなる?),私はそうではなかったということですかね.

 でも,適合してきてると思う反面,ピアノもバドミントンもスキーも,仕事以外にやってることに対する意欲のようなものが(もうすぐ仕事はリタイアなのに)なくなりつつあるとしたら,よくない巡り合わせなんですが,やりたくないものはやりたくないので,しょうがないというか,結局,これも「やりたいことやる」(やりたくないことはやらない)で行けばいい(行くしかない)ってことですかね.

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2/11'22
(日記)

 北京五輪ですが,仕事が忙しいということもありますが,あんまり見てません.それこそ他のスポーツと同様,スポーツニュースで結果だけ見てる感じですかね.これまで見たのは,男女モーグルとその裏で同時にやってた男子ジャンプのノーマルヒルですかね.今日は,朝起きたら男子のハーフパイプをやってたので見て,その後,アルペンの女子スーパーGは見ました.

 メディアは,ジャンプ団体の失格処分とか,羽生の4回転アクセルとかを一生懸命やってるみたいですが,視聴率がとれるって話でしょうし,そもそも,中継のほとんどは日本選手中心で,頑張れ日本とか,彼らの活躍?を見て,勇気と感動をもらったとかいうのがほんとにうざいですし,いい大人(メディア)が若者に媚びへつらってご飯食べさせてもらって恥ずかしくないんですかね.

 そもそも,スポーツもそうですが,学術にしても,芸術にしても,世の中の役に立たないやりたいことをやらせてもらってるわけで,それでいい成績を出したから偉いとか,ものすごい努力をしたから見習えとかいうのは変な話で,そういうことを利用して,○ホな国民を騙してこき使おうとしてるわけです.

 ほんとは世の中の役になんか立たないのに,勇気と感動を与えることで役に立ってるとか訳のわからないことを言うのもそういうことですし,やってる側からすると,やりたいことをやってるだけなわけで,でも,それで飯を食っていくために,そして,それに乗っかる奴らが自分が金儲けするためにそういうおかしなことを言って騙そうとするわけで,でも,騙される方も騙される方ですかね.

 似たようなこととして,今受験シーズンということで,受験生頑張れというのもおかしな話です.だって,自分のためにやってることでしょう? 辛いならやめればいいじゃん.別に(いい)大学なんか行かなくても充分食べて行けますよ.

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 就寝してから途中で目が覚めても○時間してからしか起床しないことにして調子は悪くなかったんですが,ちょっと変化が出てきて,しんどかったら休む,眠くなったら眠るというのもやってみたんですが,やっぱり,それだと効率がよくないですね.

 ということで,就寝してから途中で目が覚めても○時間してからしか起床しないで行こうと思うんですが,そうも行かないことも多いので,記録を付けてどっちがいいのか確認することですかね.

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 「就寝してから途中で目が覚めても○時間してからしか起床しない」とかあまり関係ない気もしてきました.つまりは,そうするようにして調子は悪くなかったのはたまたまで,実際,最近はそうでもないですからね.

 そもそも,「就寝してから途中で目が覚めても○時間してからしか起床しない」と言っても,途中で目が覚めた時点で起きて何かしたいのなら起きるだろうし,そうしないということは,疲れたら休むのと同じで,だったら,単に「疲れたら休む」で行けばいいってことですからね.

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[天然ガスはクリーン?]
(世の中)

 緊迫するウクライナ情勢ということですが,背景にヨーロッパで使用する天然ガスの多くをロシアに依存していて,それにロシアがつけ込んでいるということがあると言ってます.そして,更にその背景に,原発の廃止や地球温暖化対策でCO2排出量が少ない天然ガス依存度が高まってるということがあると言ってます.

 石油や石炭は燃やしちゃだめだけど天然ガスは燃やしていい? じゃあ,CO2排出量が少ないってどのくらい少ないの? せいぜい石油の7割,石炭の6割ってとこですよね.そんな程度だったら,天然ガスで発電した電気で走るEVより,ハイブリッド車の方がトータルで見ればよっぽどCO2排出量が少ないんじゃないですか? ほんともう滅茶苦茶ですよね.

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[安心を買う]
(経済, 生活)

 必要以上のお金は要らないと再三書いていますが,やりたいことをやっていたら儲かるというか,ある程度,稼いでしまうこともあるわけで,それは社会全体から見ると非常に効率が悪いことなんですが,(無駄に)稼いだお金の使い途というか,どう使うかは,稼ぐことより,その実,非常に難しいことです(豪邸とか高級車とかブランド品とか宇宙旅行とかは最低の金の使い途).

 私は,もちろん,使い途に困るほどお金があるわけではないので,余計な心配は無用ですが,少なくともこれまでは,研究というやりたいことをやりながら必要なお金以上の給料をいただいてたわけで(でも,もらってた給料は,研究ではなく教育に対して),何の問題もなかったわけです.

 でも,もうすぐ仕事を失うということで,あらためて給料というキャッシュフローがいかに貴重かを思い知るわけです(年金というキャッシュフローでは足りない).いやいや,それなりの貯蓄はあるでしょうと言う人もいると思いますが,貯蓄なんかキャッシュフローに比べたら吹けば飛ぶような存在で(それこそインフレが起こればイチコロ),1億という貯蓄より月20万のキャッシュフローとは何度も書きました.

 でも,そんなこと言ってもしょうがないわけで,何とかするしかないですし,何とかしようとしてるわけです.でも,月20万のキャッシュフローといくらの貯蓄が釣り合うかはわかりませんが,1億じゃ足りないのなら結構大変なことですよね.でも,何事もなければ,それこそそんなに無駄に貯め込んでもしょうがない.でも,何事もないなんて保証はないし,むしろ,経済危機とかの何事かが起こる感満載なわけです.

 そう考えてくると,無駄に貯め込んでもしょうがないわけじゃなくて,安心を買う,金の心配なんかしなくていいということはあるかもしれません.元手があれば,金に金を生ませることができるということもありますが,そんなにうまく運用できる保証もないし,取り崩していくとしたらいくらあったらいいかと考えると,それこそいくらあっても足りない感じもしてきます.

 つまりは,元々私はいくらあるからいくら使うというお金の使い方はしませんし,それは,貯蓄(もちろん,現金のみではなくいろんな形で分散)がいくらになっても変わらないわけで,更に言えば,もうすぐキャッシュフローを失うので,なおさらということで,これも一種の「お金の使い途」ということかもしれません.

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2/12'22
[定年後はそれまで以上に稼がないといけない]

 ということで,というわけでもないのですが,定年で仕事を失って,キャッシュフローを失っても,定年前と変わらず,必要なものには使うし,そうでないものには使わないということでやって行きたいと思うのですが,と書いて思ったんですが,キャッシュフローを失うわけですから,定年後は,少しは節約しないといけないんじゃない?ってことなんでしょうが,いくら稼いだから,いくら貯蓄があるからいくら使うというお金の使い方をしないということは,定年後も節約なんかしない(でやって行きたい)ってことです.

 でも,定年後は安定的に得られるキャッシュフローを失うわけですから,安全率的なことを考えると,これまで以上に稼がないといけないし,キャッシュフローと釣り合う的には,相当の額の資産が必要ということなるわけで,でも,それはそれで悪くない感じです.

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[「残す人がいる」という安心感がある]

 あとは,やっぱり,家をどうするかですね.資産の1/10で買えるくらいならリスク分散的にも買ってもいいんですが(そういう意味でも相当の額の資産が必要),定年後,安定的にキャッシュフローが得られる(やり甲斐のある)仕事のオファーがあれば仕事を続けることも考えるでしょうが,そうすると,職場がどこかにも寄りますが,定年が延びるみたいな感じで,家を買うタイミングも先になってしまって,あと何年生きるかわからない的には,家を買う可能性は下がりますよね.

 でも,回りを見ると,歳をとってから家を建てる人は結構いるんですが,そういう人達ってだいたい「残す人がいる」んですね.つまり,自分自身は,そんなに生い先はないかもしれないけど,自分がいなくなっても子供とかに住んでもらえばいいってことでしょうか.でも,どこかで書きましたが,子供からしたら,(いくら金を積んでも手に入らない好立地の物件でなければ)家なんか残されるより,現金とか現金化しやすい資産の方がありがたいと思いますから,親が勝手にそう思ってるだけってところはあると思いますが,残す方からすると「残す人がいる」という安心感があるというのはわかります.

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[助け船の許容範囲は]
(大学)

 そうそう,何日か前の,都立大の北山先生のサイトに「助け船の許容範囲は」という記事がありました.要は,卒論とか修論とか学会発表で学生が立ち往生したときにどのくらい助け船を出すかということです.

 このことについては,このサイトで何度か書いたと思いますが,昔は,助け船を出してたときもありましたが,今は原則として出さないことにしています.そして,京大に来てわかったんですが,少なくとも建築では,指導教員は一切助け船を出しません.それは,暗黙のルール的なところもある感じで,それはそれで明解ですし,本来そうあるべきだと思うんですよね.だって,発表してるのは学生自身なので,教育的なことも考えれば,全ての質疑は学生自身が責任をもってやるべきだからです.

 でも,昔,具体的には,筑波大時代は,助け船を出していたこともありました.本来的には,そうすべきではないと思ってるのですが,他の先生が助け船を出してるのに自分だけが出さないと不公平な感じがしてしまうということもありますし,学生が(質問者の無理解によって)研究そのものを否定されるようなことを言われてるのに反論できないと,どうしても,口出ししたくなっちゃいますよね.

 でも,少なくとも卒論,修論では,指導教員は口出ししないのが原則だと思いますし,そういうことが(暗黙的にでも)「決まって」いれば,安心して口出ししないで済むし,発表や質疑応答がしょぼくても,研究そのものがしょぼいのではなく,学生の問題ということもみんなわかってる的なところもあります.

 質問者の意図を学生が理解できなくて,こういうことだよというようなちょっとしたことに関しては,助け船を出してもいい気もしますが,学生の立場からすると,質疑で困ったことがあったら先生が助けてくれるということでは,やっぱり,教育的によくないと思うんですよね(最終的には,自分で何とかするしかないという意識をどれだけもてるようになるかが教育的には最重要).

 ただ,対外発表となると少し事情は違ってて,よく見かける光景としては,学生がうまく答えられなくて「共著者の○○ですが」と言って,教員が答えてる場面がよくありますし,昔は私もそうやって手を挙げることもありました.これも学生の教育的見地からすると,あまりよくないとは思いますが,学会というのは,成果やその意義を伝える場なので,ある程度は,しょうがない気もしますし,学生の教育にそういう場を利用するなと言う人もいるでしょうからね.

 でも,それでも,私は今は原則として,助け船は出さないようにしています.それは,社会全体の利益を考えれば,研究成果や意義が伝わることより,学生の教育というか,これからを担う人材の育成の方が大事だと思うからです.でも,ちゃんと答えられてないのを見ると,やっぱり,口出ししたくなっちゃいますよね.ですから,そこは「我慢」ってことでしょうか.

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[カーリング]
(スポーツ)

 北京五輪ですが,そんなに見てはいないのですが,頑張れ日本とか,勇気と感動をもらったとかいうのがうざいってこともありますが,やっぱり「国別対抗戦」というのが違和感ありますかね.今時,男女に分かれて紅白歌合戦みたいな時代錯誤ということもありますし,「何か」に向けて準備しているみたいな不穏なものも感じます(平和の祭典なのに).別にどこの国の代表とか関係なく世界のトップレベルで競技するってことでいいじゃないですか.

 そんな感じなので,ご飯を食べてるときとかにたまたまやってればちらちら見るくらいですが,カーリングは,見ていて面白いと思います.

 と言っても,試合の最初から最後まで見るわけはなくて,場面場面をたまたまちらちら見るだけですが,それでも,今何対何で何エンドでストーンの位置がこうなってて何投目だからこうしてこうすればそのエンドで何点獲れそうかとかはすぐにわかりますし,ショットの難易度と選手のもつ技術のバランスというか,リスクとリターンを考えてそこをうまくマネージメントできるかというスポーツの特質がものすごく端的に現れて面白いです.

 氷上のチェスとか言われていますが,それはおかしくて,チェスならどう駒を動かせばいいかだけですが,カーリングの場合は,そう駒を動かせるかどうかまで考えないといけないので,近いのはチェスよりはビリヤードでしょう.でも,氷上のビリヤードと言っても,何だか当たり前なので,かなり脚色して氷上のチェスとか言ってるんでしょうね.

 で,ちらっと見ただけですが,初戦のスウェーデン戦で「やっちゃった」瞬間は見ました.リードしていて,ちょっと難しいドローショットだったんですが,もし失敗すると相手に大量得点が入って流れが変わるシーンで,リードしていることや失敗のリスクを考えれば,選択すべきではないと思って見ていたのですが,案の定?失敗して,そこで大逆転されて,そのまま負けたんですかね(試合全体を見てないので何とも言えないが).

 今日のデンマーク戦は,割とちらちら見てたんですが,ずっと押されてて,最後の最後に起死回生のスーパーショットで大逆転という報道なんですが,最後のショットは,ダブルテイクアウトなんですが,ショット自体はそんなに難しくないわけで,これを「スーパーショット」というのは,メディアお得意の脚色で,それまで有利に試合を進めていたデンマークの最後の最後のミスに助けられたというのがほんとのところだと思います.そう言えば,前回のピョンチャンで銅メダルが確定した最後のショットもイギリスのミスショットによる棚ぼたでしたよね.

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[今の感覚からすると少しずれてる]
(このサイト)

 2018年の記事ですが,重要な記事が多いんですが,今の感覚からすると少しずれてるものもあります.例えば,この記事ですが,ここだけ読むと東大地震研にいて,いろいろ厳しい状況の中で筑波大の公募が出たので応募して行ったという感じですが,実際は,かなり違っていて,ここにありますが,実際のところは,声をかけてもらったことが大きかったわけで,逆に言えば,そうでなかったら移ってなかった気がするんですね.

 そして,それは,京大防災研に来るときも同じで,JREC-INのサイトは毎日見てましたが,そこに公募が出ていても,自ら応募することはなかったと思いますし,それは,筑波大に行ったときもそうだったと思います.

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 あとは,過去の記事を読んでいて,重要だと思うことが多いのですが,夜寝るときに読んでてそのまま寝てしまうので,そのままになってしまうことが多くて,これは何とかした方がいいですかね.本なら印みたいなものを付けておくことができるんですけどね.

 すぐに思いつくのは,ブラウザのアドオンでそういうものを探すか,ブラウザではなくエディタとかで開いて書き込みができるようにするってことですかね.でも,前者はちょっとめんどくさそうだし,後者は,タグが表示されるのがうざいし,リンクに飛べないのが難点ですね.

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(日記)

 休日ということもあるとは思いますが,あまり調子よくないですね.疲れたら休む,ってやってると,しょっちゅう休むことになって,結局,活動時間が減る気がします.やっぱり,就寝して○時間は起きない方がいいのかな.

 今は仕事をしてますし,身の回りのこととかも全部自分でやってるんですが,一般の人?から見ると,これって「ご主人,単身赴任で大変で,体を壊してしまわれたんですね」のパターンなんですかね?

 でも,実際のところは,全然そんなわけはなくて,楽しく快適にやりたいようにやってるのですが,仕事をする以外のことを全て誰かがやってくれたら,やっぱり,楽なんですかね.でも,そうはしたくないというか,自分のことは自分でやりたいからやってるってことなんですが,大変っちゃ大変なので,やっぱり,負担はかかってるのでしょうか?

 もっと言えば,リタイアして,どこかの施設に入って,上げ膳据え膳状態になったら超楽? でも,そんな状況になって,一体何して一日過ごす?

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2/13'22
(日記)

 修論,卒論が終わって,ということもあるのでしょうが,あまり調子がよくないので,今日は,いっぱい寝てみました.そうすると,やっぱり,体は楽になる感じです.でも,気持ち的には今一ですかね.ピアノももう1週間くらい弾いてないですし,やりたいことをやりたいというより,やりたくないことをやりたくない方が勝っちゃう感じでしょうか.

 オリンピックは,今日は,男子GSを見ました.GSは面白くないと書きましたが,面白かったです.世界のトップレベルでコースアウト続出の厳しいコースで,スターしていきなりガリガリの急斜面ですからね.あのレベルでもスキーを走らせるというよりは,スキーを横にして落下を止めるスキッド系の滑りになっちゃうわけで,なかなかない見ない光景なんじゃないですかね(でも,あのスピードでスキーを押さえるフィジカルはほんととんでもない).

 でも,シードが30番までというのは,ちょっと多いんじゃないですかね(SLは確か15番くらいまで).30人あんな感じで滑ったらもう相当掘れてて厳しいのでは? そんな中,ヒルシャーというスーパースターがいなくなっての大混戦を制したのは,1回目トップで,2回目30番スタートだったスイスのオデルマットだったんですが,次のスター選手は誰になりますかね?

 上位30人が滑った後も少し見てたんですが,初心者と上級者くらい違うとは言いませんが,もう滑りが全然違ってて唖然としますね.でも,日本人選手は,出場すらできてないわけで,いやー世界との差は大きいですね.アルペン競技は日本でも結構行われてるんですが,このどうしようもない差は何なんでしょうか?

 全然関係ないのですが,女子のスーパーGのときもそうだったんですが,ブーツのパワーベルトをひらひらさせてる選手が結構いて,昔からそう? 今流行ってる?

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2/14'22
[怖すぎる]

 何かの記事で80代後半の老夫婦のことが紹介してあって,夫の方は,かなりまめで年金などの収入がいくらで貯蓄でいくらあっていくら使えるとかをかなりきちんと計算していたらしいのですが,貯蓄がとうとう底をついてきて,どうしてかと言うと,まさか自分が90近くまで生きるとは思わなかったんだそうです.どう思いますか?

 このサイトで90とか100まで生きてしまう「リスク」と再三書いてますが,まさにそういうことですよね.ていうか,90近くになって(もう働くこともできず)貯蓄が底をついてきたって怖すぎませんか? でも,多くの人が想像力がないというか,これも正常化の偏見ってことでしょうか.

 じゃあ,いくつまで生きてしまうリスクがあるかってことですが,90とか100じゃ済まないかもしれません.理論上は120まで生きてしまうかもしれませんし,ひょっとしたらもっと行っちゃうかもしれないわけで,安心を買うという金の使い途じゃないですが,いくら稼いでも稼ぎ足りないし,無駄なものに支出してる余裕なんか全くないと思います.

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2/15'22
[一人暮らしと単身赴任]

 「ご主人,単身赴任で大変で,体を壊してしまわれたんですね」のパターンと書いたのですが,どういうことですかね? そもそも,一人暮らしと単身赴任は何が違う? 「一人暮らしが大変で,体を壊してしまわれたんですね」とは言わないわけでしょう?

 でも,これは明らかですね.上げ膳据え膳状態でやってきて,自分で身の回りのことは何もできない半人前の人間が単身赴任すれば,食事も乱れて体を壊すということなわけで,一人暮らしでもちゃんと身の回りのことや食事の管理ができれば何の問題もないわけです.

 でも,世の多くの人はそうは思わないわけです.結婚してなければ何か問題があるんじゃないかとか,会社で出世してないとお気の毒にとか思うわけですよね.ほっとけって感じですが,これも結局,個を犠牲にして人類を繁栄させるプログラムってことですかね.

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[人間関係がフラットではない]

 関係するのかもしれませんが,「人間関係がフラットではない」感じがするんですよね.具体的に言えば,「社会が」家族とか血縁のあることを過剰に重視しているというか,そういうシステムになっていたり(子孫には遺産を残せるとか),刷り込みが行われているということです.

 もちろん,家族は大事ですが,それは,家族が大事だから大事なんじゃなくて,そもそもどういう人間関係かってことですよね.つまり,この人とつき合って行きたいからつき合って行くというだけの話で,家族だから,ではないというのが本来的だと思うんですよね.

 なので,私の場合,家族や親族の中でつき合って行きたい人とはつき合っていってるというだけの話で,それは,家族以外の人も全く同じ,つまり「フラット」で,でも,社会的に見れば,家族とそれ以外の人は,全然扱いが違うわけで,それがすごく違和感があるんですよね.

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[大学によっていいところとそうでもないところがある]
(大学)

 いくつか大学を渡り歩いていると,大学によっていろいろ違うわけで,それは面白いというよりも,問題点が見えてくるというか,他の大学がこうしていてそれがいいのならそうすればいいと思うのですが,自分達はこれでいいと思ってて,でも,ずっと同じ大学にいる人が多い場合は,他大学がどうなってるのか知らないこともあるのかもしれません.

 それで,卒論が一通り終わって思ったことなんですが,うーん,正直に書くと...と書き始めたのですが,ここでは書かない方がいいですね.

 でも,思うのは,大学によって,いいところとそうでもないところがあるわけで,それは,事情があってそうなってるというよりは,なぜか伝統的に?そうなってるという感じで,だったら,まさにいいとこどりができると思うんですよね.

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[衆愚的全体主義]
(世の中)

 今やってるオリンピックもそうですが,メダルを獲った選手もそうでない選手もマイクを向けられると何かしゃべるわけですし,中には記者会見まで開く人もいるんですが,こういうのってどうですか? 競技の話をするのはともかく,生き方というか,どうあるべきか的なことまで話す人もいて,でも言ってることは,努力は報われるとか報われないとか,ほんと大したことないわけで,でも,多くの人が夢や希望や感動をありがとうって感じで傾倒して行き,メディアも乗っかるわけです.

 そんなことで夢や希望や感動が得られるのなら,ほんとお安い話なんですが,問題は,それが大多数になっていくと,世の中全体がどんどん○ホになって行くわけで,これは,別にオリンピックに限った話じゃなくて,大した考えもない芸能人とかの有名人?がメディアとかSNSとかでしょうもないことを言うとそれに盲目的に従うのがいっぱいいて,それを利用して国民を洗脳してよからぬことを企んでいる人間がいるわけで,○ホな人間が騙されてこき使われる分にはほっときゃいいんですが,こうも世の中,衆愚的全体主義になってくると(地球温暖化とか経済を回すとかワクチン接種とか)それに巻き込まれないようにするのはなかなか大変な気がします.

 わかりやすい例で言えば,ワクチン接種しちゃった人ですかね.コロッと騙された人が多いのでしょうが,打ちたくないのにいろんな事情からやむを得ず打った人もいるわけで,でもそれがまさに全体主義なわけで,いやーな雰囲気は,どんどん出てきてますね(こういうことを書いている奴は非国民だと思ったとしたら,既に洗脳されるってこと).

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 でも,ワクチンはそうですが,マスクは全然違うのに,反ワクチンと反マスクを一緒くたにして攻撃してるわけで,ほんとにたちが悪いというか○ホなんですが,重要なのは,やはり,ちゃんと考えることですし,考えればわかることです.

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 そっか,ワクチン接種って,自分やその家族を守るためとか言っておきながら,実際は全く逆で,まさに個を犠牲にして種を繁栄させる仕組みってことですよね.つまり,本能なわけで,コロッと騙される人が多いということなんでしょうが,逆に言えば,益々以てやばいということですよね.

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 現状の世の中の行く末を考えると,長生きなんかしたくないと思っちゃいますね(姥捨て山に捨てられるどころか,年寄りは世の中のゴミとか言われてナチスドイツのユダヤ人のように虐殺されるかも).でも,自分のことはともかく,これからがある若い人達のことを考えると,今のままではまずいわけで,でも,私に何ができるわけでもない.

 でも,できることがあるとすれば,このサイトもそうですが,私の回りにいる私と話がしたいと言ってくれる人達に「ほんとのこと」を伝えていくことですかね.でも,ひっ捕まえて私の言うことをきけとは全然思わないので,そういう人がいればの話ですが,全くいないとするともうほんとやばい状況(既にみんな洗脳済み)ってことですよね.

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[IMEのON, OFF]
(PC)

 みなさん,IMEのONとOFF,要は,日本語と半角英数字の切り換えってどうしてますか? まさか,左上の半角/全角ってことはないですよね.多くの人が変換キーとかにIMEのON, OFFを割り当ててると思うのですが,入力しようとした時,IMEがONかOFFかというか,全角か半角かどっちかわからないことがありますよね(全角だと思って売ってみたら半角で打ち直しとか,その逆とか).

 Windowsだと何かのキーを押すとどっちの状態かが真ん中に一瞬出るというのがありますが,うざいし,私はどうしてるかと言うと,ClockPodというソフトを常駐させておいて,そうすると画面の右下とか特定の位置を見るとわかるようになっていて,つまり,入力する前に一瞬画面の右下を見ることになります(アクティブなウィンドウのバーに張り付くようにもできるしそれがデフォルトで一番わかりやすいけどちょっとうざい).

 でも,ブラウザのアドレスのところに直接打ち込んで検索する場合とかに対応してないとか,そもそも,入力する前に一瞬画面の右下を見るとか,余計な手間がかかるわけで,そういう折,秀逸なアイデアが紹介されている記事がありました.

 記事自体は,MS-IMEを使う場合を想定したもので,使いものにならなかったのですが,秀逸だと思ったのは,そのアイデアです.どういうアイデアかと言うと,IMEのON, OFFを1つのキーでやるのではなく,別のキーに割り当てるということです.具体的には,変換キーでON,無変換キーでOFFとかしておけば,今IMEがONかOFFか確かめる必要がなくて手順が最小限になります(ATOKのキーカスタイマイズでできる).

 要は,IMEのONとOFFを同じキーに割り当てるのが問題だったということで,言われてみれば当たり前のことで,まさにコロンブスの卵的なことでしょうか.

 ただ,私の場合,無変換キーには,左コントロールを割り当てて,コントロールキーを使ったキーカスタイマイズをバリバリやってるので,無変換キーは使えなくて,どうしたものかと思ったのですが,変換キーのすぐ右にカタカナキーがあったので,これにIMEをOFFを(変換キーにIME ONを)割り当てました.でも...

 これまでの癖がなかなか抜けないのと,変換キーとカタカナキーの位置がびみょーでまだ慣れません.でも,慣れれば,快適になるんじゃないかと思っています.

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 PC関係ということでもう1つ.Windows10の自動更新,ほんとうざいんですが(中にはプレゼン中に突然始まった(笑)という話も),みなさんどうしてますか? 私は昨年くらいまでは,無理矢理止めていたんですが,いつしかそれもすり抜けるようになり,何が問題かと言うと,勝手にいつの間にか自動更新されると再起動になり,パスワードを入力するところで止まって,スケジュールしているプログラムが走らないというとんでもないことが起こるんですね.

 ということで,あきらめました.でも,35日更新を「正式に」止められるので,35日に1回手動更新すればいいってことで,最近はそうしてます.

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[給料が減った?]
(大学)

 先日,源泉徴収票が来たのですが,何となくですが年収が少し下がってる気がします.毎月の給与明細もそうですね.「つくば手当」もあるし,京大の方が筑波大より給料が安いってこと?

 でも,実際のところは,大学のすぐ隣の職員宿舎に入ってるから住居手当も通勤手当もないですし,それどころか宿舎代は天引きなわけで,実質的には,給料が減ってるってことはないんでしょうが,思ったのは,「年収」ってそういう手当も入ってるんですかね? だとしたら,変な話ですよね(遠くに住んでたくさん通勤手当もらった方が給料が上がるみたいな).

 調べてみたら,通勤手当は,年収に含まれませんが,住居手当は,含まれるみたいです.やっぱり,なんか変な話ですね.

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[30年やってきて30年目のたった1年でこういうことが起こる]
(運保)

 確定申告しないといけないので(ほんとめんどくさ),去年の運保の集計をしたのですが,去年の「今年を振り返って」で,たった1年で,30代とかでいろいろやってだめで出した損失とかも全部ひっくり返すことになったかもと書きましたが,やっぱり,そうなったみたいです.30年やってきて30年目のたった1年でこういうことが起こるというのは,(資保になって,対象が全財産になったということはありますが)すごいことなんでしょうが,あんまりそんな気がしないというか,これでようやく振り出しに戻っただけというか,去年がたまたまかもしれないし(でも,今年もこれまでは割と順調↓),問題はやはりこれからということでしょう.

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(ピアノ)

 ピアノなんですが,まだ弾いてません.もう10日くらい弾いてないのかな.

 頑張れば弾けるとは思うのですが,ものは試しに弾きたいと思うまで待ってみようと思っています(元の木阿弥には戻らない1ヶ月は待てる).

 リストを作ってモチベーションのコントロールに成功した気もしたのですが,リストの中から弾く気になる曲を無理矢理見つけていた,つまり,単に「頑張って」たのかもしれなくて,そうすると,どこかでこうなっちゃうってことで,だったら,やっぱり,頑張り過ぎないってことですかね.

 でも,たった1日1時間やそこらなわけで,ほんとどうしようもないレベルなんですが,それが私のピアノに対する「その気」なのだとしたら,受け入れるしかないでしょう.

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[鉄道のバスに対する優位性]
(世の中)

 何かのニュースで地方の赤字路線の大半が廃線対象になってるとのことでした.代替バスにした場合の10倍のコストがかかるということで,むしろ,どうして存続しているのか不思議です.地元住民の貴重なインフラというのならバスでもいいじゃないですか.

 ニュースでは,一人でも使う人がいるのなら存続させて欲しいと言ってる人がいましたが,一体何を考えてるんですかね? あまりにも自分勝手過ぎるのでは? 鉄道がなくなったら足がなくなると言ってますが,代替バスが走るわけでしょう? それじゃどうしてだめなの?

 そもそも,鉄道のバスに対する優位性は何かと言うと,一度に大量輸送できるってことですよね.つまりは,一両とか二両とかで走ってる鉄道は,もうそれだけでアウトということです.テッチャンもそうですが,どうしても走らせたいのなら使う人や走らせたい人が費用を負担するのが筋でしょう.

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[フライパン]
(生活)

 2018年の記事を読んでて,いろいろ気づきというか変化があった年だなあと思ってるのですが,添加物排除に大きく動いたのもこの頃のようです.それで,最近あったこととしては,「フライパン」です.

 自炊してるとフライパンめっちゃ使うんですが,テフロン加工のものを使ってる人が多いと思うのですが,注意して使っていても1年くらいでだめになりますよね.で,どうせだめになるんだったら,安いものを買ってどんどん買い換えていけばいいと思ってました.でも...

 フライパンってめっちゃ危ないんですよ.特にテフロン加工のものはそうで,食べ物を作るときに毎日のように使うのならなおさらです.考えてみたら,こびりつかないように怪しい化学物質を使ってるわけで,だめになるってことは,それが剥がれて料理の中に入ってるってことですよね.やばすぎる...(こんなんばっかし.ほんとにひどい世の中),

 で,調べました.そして,バッラリーニに辿り着きました.そんなに高くないです.で,使ってみると,めっちゃ使いやすい.ご参考までに(笑).

 

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(スポーツ)

 スピードスケートの女子パシュートがいつの間にか終わってて,ニュースで結果だけ見たんですが,決勝でずっとリードしていて,最後のコーナーで転倒して負けたんですね.こんな形になって,選手達はショックが大きいでしょうし,表彰台で泣いているのはさすがに見てて気の毒になりました.

 でも,しばらくは落ち込むでしょうが,そんなに気にすることないですよ.WCはずっとカナダが勝ってて,実力通りとい言えば実力通りですし,最後のコーナーで転倒したのも,ミスしたというよりは,カナダに猛烈に追い上げられてという感じがしました.そもそも,他のスピードスケート競技で転倒したら記録なしですが,パシュートはトーナメントなので,2位にはなれたわけで,力は発揮できた,それで負けたんだから仕方ないということですし,もっと言えば,試合の結果なんて,単なる一つの結果ですよ.

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 ワリエラのドーピング問題は,もちろん,ルールはルールというか,完全にアウトなんですが,北京五輪は,そんなに見てないんですが,ワリエラの演技は,正直に書くと,見たいと思いました(節操なし).ワリエラ以外にもROCからは,トゥルソワ,シェルバコワというROC以外の選手とは全く別格というか飛び抜けた選手もいますしね.

 で,見ました.見ようと思って見たのは,今回初めてですね.冒頭のトリプルアクセルでミスが出たんですが,やっぱり,すごいというか,この世のものとは思えないというか,他の選手とは,もう全然違います.それが何かですが,やはり,あの手足の長さと細さと柔軟性と表現力というか,彼女のもつ「体」なわけで,つまり,もうどうしようもないわけです.

 坂本は,ノーミスの会心の演技で3番に入ったんですが,ROC勢は,フリーでは4回転ばんばん跳んでくるし,やっぱり,ちょっと厳しいかなあ.でも,それより,ワリエラの演技をまた見たいですね.

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 考えてみたら,オリンピックに出てる選手のほとんどは若い人達ですよね.つまり,まだまだこれから長い人生を生きていかないといけないわけです.もうそれだけで応援したくなってしまうというか,自分は何とかここまで楽しくやってこられて,でも,彼らはそうは行かないかもしれないわけで,やっぱり,このままじゃまずいと思います.

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[家でスマホでzoomに繋ぐ]
(PC)

 最近,家でスマホでzoomに繋ぐことが多くなりました(月20GBまでなので使用量的にも楽勝).これだと午前中会議でも家のことをしながらでも行けるんでめっちゃ楽です.でも,今日は,途中で最後に京大アカウントで投票みたいなことがあることがわかって,まだ家のPCには,インストールしてなかったので,会議中に研究室に出てきたんですが,スマホなんで移動中もOKなわけです.

 いやー,もうずっとこれで行ってもらえませんかね.ていうか,今の状況が収束して元に戻るのがほんとに怖い.ていうか,もう社会復帰できない?

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(スキー)

 ピアノもそうですが,スキーも行ってないですね(と行っても,修論,卒論でそれどころじゃなかったけど).でも,これも行きたくなけりゃ行かなくていいでいいと思うんですが,何で行く気にならないかと言うと,寒いからかも(笑).

 つまり,少し暖かくなったら,具体的には,3月になったら行く気になるのかもしれません.

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2/16'22
[ワリエラのドーピング問題]
(世の中, スポーツ)

 ワリエラのドーピング問題ですが,もちろん,既に書いたように完全にアウトで議論の余地はありません.でも,彼女の演技を見たいという人は(私も含めて)多いと思います.これをどう考えるかです.

 彼女のドーピングの意図はわかりませんが(意図的ではないと主張する人もいるみたいですが,意図的でなくてもアウトなのでそんなことは関係ありません),持久力の向上にあるのではないかと思います.シニアはジュニアより演技時間が長くて,それに苦労する選手も多いですからね(羽生も若い頃は最後までもたなかった).それを薬物で何とかするというのはもちろんアウトですが,彼女のような演技ができるのは彼女以外にはいないので,そういうことに価値を見出せるのかということでしょうか.

 ドーピングといっても違法薬物かそうでないかはあるわけで,もちろん,オリンピックなどの競技会では違法薬物でなくてもだめですが,例えば,アイスショーとかで演技前に元気を出すためにコーヒー(カフェイン)を飲むことが認められるかということなら大きな問題はない気もしてきます.

 でも,アイスショーがオリンピックのように世界中で放映されることなんかないですし,ワリエラの演技が見られるのがオリンピックしかないのなら,競技会なので順位は付かなくて失格だけど,演技が見られるのなら見たいということがあり得るのかということでしょうか.

 でも,やっぱり,アウトですね.でも,彼女がオリンピックで演技できるかどうかを決めるのは,私ではないし,私が見ないことによって彼女が演技できなくなるわけでもないし,それが理不尽なことだとしても,彼女の演技が放送されるのなら見ると思います.でも,ドーピングをしたことが不問にふされて彼女が金メダルをとるようなことはあってはなりません.ていうか,彼女がオリンピックで演技することもあってはなりません.でも,やるなら見る,見ることと彼女のドーピングを認めたこととは関係ないということでしょうか.

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2/17'22
[日本人の好きなクラシック作曲家のランキング]
(音楽)

 またまた北山先生のサイトにあったんですが,朝日新聞に日本人の好きなクラシック作曲家のランキングが載っていて,第一位はモーツァルト,第二位はショパン(一位と二位とは僅差),第三位はベートーベンだったんだそうです.北山先生も書いておられたようにショパンが上位に来てるのはショパンコンクールの影響もあると思いますが,モーツァルトが1位? そうなの? じゃあ,彼のどの曲が好きなの?

 で,検索をかけてみたんですが,このランキング自体は出てこなかったのですが,ナクソスのページがあって,そこではショパンが1位で,でも,上位3つは変わらないですね.でも,モーツァルトの代表曲が交響曲第40番? つーか,ショパンの代表曲が雨だれの前奏曲?

 最もポピュラーってこと? そうなん? でも,ポピュラーかもしんないけど,モーツァルトの代表曲が交響曲第40番じゃないと思うんですよね.好きな作曲家は誰かときいてるわけで,彼の書く明るい曲をイメージした人が多いんでしょうからね.

 でも,じゃあ,彼の代表曲は何かというとなかなか難しいのは,ここで書いた通りで,あ,ポピュラーで彼らしい曲ということなら,セレナーデK.525(いわゆるアイネ・クライネ・ナハトムジーク)があるじゃん.ショパンも雨だれの前奏曲より革命のエチュードとか,小犬のワルツとか,英雄ポロネーズとかの方が有名なんじゃない?

 で,もう少し検索していくと音友のサイト(に言及したもの)がありました.ベートーヴェン生誕250年の年の調査ということで,ベートーヴェンが1位ですが,普通そうなんじゃない?(ジャジャジャジャーン).でも,2位がチャイコフスキー? てか,3位がブラームス?

 マーラーやブルックナーといった後期ロマン派で壮大なシンフォニーを書いた人が上位に来てるのはさすがですが,このサイトでは,それでもそれをR.シュトラウスも含めて「低迷している」と言ってるのが...(笑).

 でも,実のところは,どの作曲家が好きかときかれても返答に窮しますよね.好きなのは曲であって作曲家ではないですから.ですから,こういうランキングはあまり意味はないと思うんですが,好きというかメジャーという意味では(私じゃなくて,世間でクラシックを聴いている人の場合ですが),上位3つは,ベートーヴェン,モーツァルト,ショパンというのは,そうなのかな.その次がバッハ,シューベルト,シューマン,リスト,ブラームス,ドビュッシーってとこですかね.

 でも,音楽をやってる人ならバッハの偉大さは嫌というほどわかるので,どういうランキングであるにせよ,彼がベートーヴェンとかモーツァルトとかショパンの下に来るのは違和感がありますね.そもそも,ベートーヴェン,モーツァルト,ショパン自身がそのランキングを見たら,いやいやそんなのありえんと思うでしょうからね(ショパンが雨だれが入ってるOp.28のプレリュードを書いて,それをバッハの平均律に比べたらゴミとしか思えなかったとか言ってるわけですし).

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[決して見捨てられたわけではない]

 この記事と関連するというか,2018年のときの記事ですが,その後,捨てられたという記事が出てきました.

 そうですね.そう思ってしまいましたし,もうRCの世界ではやって行けないので自分で道を切り開くしないとも思いました.

 でも,これも今はそうは思わないというか,南先生が亡くなった直後は捨てられたと思ったんですが,葬儀の日の翌日(当日だったかも)に○○工大の話をいただいたわけで,決して見捨てられたわけではないですよね.

 そして,その話を受けなかったのは,私なわけですから,見捨てられたのではなく,自ら出て行ったということかもしれません.でも,その時のことは,今でもよく憶えていて,話を受けようと思ってその大学を見に行ったり,不動産屋に行って部屋を探したりもしたんですが,どうしてもだめでした.そして,それで「全てが終わった」と思いました.

 でも,実際は「全てが終わる」どころか,そこから「全てが始まった」わけで,ほんとに何が起こるかわからないと思うのですが,これまた,たらればですが,あの時,ちゃんと言うことをきいて,○○工大に行っていたらどうなってたんでしょうね? そこで業績をあげればまた別の展開も考えられた?

 それはわかりませんが,今にして思えば,それが私にとってよかったかどうかはわからないというか,そうとは思えないんですよね.つまりは,お世話になったRCの世界でしっかり仕事をするというのは,もちろん,大事なことですが,その後,私がやった仕事は,RCの世界にいてはできなかったというか,じゃあ,できないからやらないというのはありえないので,どのみち出て行くことになったというか,だったら,(親不孝をしたことにはなりましたが)○○工大に行かなかったのは,しょうがなかったのかもしれません.

 でも,最近,あのときどうだったら的なことを時々書いていますが,こんな私でもものすごい数の岐路があったわけで,しかも,その時選択を間違えると,間違いなく今いるところ(場所とかポジションのことではなく,どれだけ思うような仕事ができたかということ)までは来てないわけで,ほんとに危ない橋を何本も渡ってきたと思うのですが,逆に,全然そんなことはなくて,ずっと一本道で全ては決まっていた感じもするわけで,やっぱり,何だか不思議ですね.

 でも,たとえ一本道で,今いるところに来られるとしても,若い頃に戻りたいとは全く思いません.やっぱり,今が一番幸せですし,過去のことはどうでもいいというか,どうしようもないわけで,問題はこれからどうするかです.

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[「スポーツを観る」っていうのがどういうことか]
(世の中)

 オリンピックやってるんですが,今回はあんまり見てなくて,でも,見て面白いのなら見たらいいじゃんとは思うんですよね.じゃあ,なんで見てないかというと,日本頑張れとか,夢や希望や感動をありがとうとかいうのがうざいわけです.

 ここまで来ると見えてくるんですが,そもそも「スポーツを観る」っていうのがどういうことかということです.日本人選手に頑張って欲しいから? 夢や希望や感動をもらいたいから? んなわきゃないですよね.単に見て(面白いと思うのなら)面白いからでしょう.

 つまり,「単なるエンターテインメント」なんですよ.そして,それは,芸能とか(商業)音楽,(商業)芸術も同じです.それを世の中に必ず必要なものとか,夢や希望や感動を与えるとか,幾多の困難を壮絶な努力によって克服して栄光を掴んだとか言ってるのは,それで金儲けしたい奴等や国民をこき使いたい輩の企みなわけで,それにコロッと騙されて夢や希望や感動をありがとうとか言ってるようではみっともなく情けない話なわけです.

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 女子スピードスケートの高木さん,やっと(個人で)金メダルとれましたね.大本命の1500ではとれなかったんですが,専門外の500で突然2位に入って,俄然1000で可能性が出てたんですが,一つの大会の中で中距離選手が中短距離選手に化けたような不思議な現象でした.

 でも,勝った後,日の丸を掲げてウィニングランというのは,ちょっと違和感ありますかね.勝ったのは彼女(であって日本ではない)ですからね.みんなやってるしやらないといけないからやってる? つーか,何も考えてない?

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 女子フィギャーフリーを見ました.まさに衝撃というか,ああいうことになるとは言葉もありません.ワリエワは,ジャンプでミスや転倒を連発したのですが,最初から明らかに体の動きに切れがなくて,以前,手を挙げて一本の(美しい)細い棒になっていると書きましたが,今日は,全くそうなってなくて,見る影もなかったです.でも,自分で巻いた種とは言え,今のこの状況では仕方ないですかね.

 坂本はショートで3番に入ったけど,フリーで4回転をばんばん跳んでくるROC勢の圧倒的な強さを考えると厳しいと書きましたが,シェルバコワとトゥルソワはまさにその通りになりましたが,まさかワリエワがあれほど崩れるとは考えられなかったです.でも,ワリエラはドーピングで失格になるでしょうから,どのみち3番には入ったってことですけどね.そういう意味では,IOC的には,セレモニーもできたし,ある意味,理想的?な結果になったってことですかね(まさかそう仕組まれていたってことはないですよね).

 でも,3番に入ったとは言え,1, 2番のシェルバコワ,トゥルソワとの差は,やはり,圧倒的でした(それなのに1, 2番の彼女達の演技そっちのけで,3番の坂本の演技ばかり取り上げる日本のメディアはほんとうざい).でも,ワリエワの(今日以外の)演技は,更に圧倒的でしたし,おそらく,もうそれは見られないとすると,何か大きなものが失われた感じはしますね.

 そもそも,どうしてドーピングなんかしたんでしょうね(回りの悪い大人が,という雰囲気ですが,本人がわからないわけないでしょう).彼女の演技は,圧倒的だし,持久力が足りなくて後半息切れしても,彼女の演技は見るのに値するし,でも,シェルバコワやトゥルソワに勝って一番になりたかったってことなんですかね.

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2/18'22

 ワリエラのドーピング問題ですが,彼女自身ではなく,回りの悪い大人の問題という論調が強いようで,日大アメフット問題のときもそうでしたが,そういうことにすればわかりやすくて視聴率がとれるということがあるわけで,つまりは,そんな簡単な話ではないと思います.

 一つの問題としては,彼女が未成年ということはありますが,それなら,そもそも未成年を成年と同じ土俵で競技し,かつ,大きな注目を集めるオリンピックという舞台に上げていいのかというところから議論しなければなりません.

 それは,未成年は未熟なので,多少の過ちは大目に見るというよりは,保護者が責任を負うということなわけで,そういう意味では,彼女の母親が薬を服用している祖父のグラスを彼女が使ってしまったと言っているのはひどいです.それは,即ち,彼女がドーピングをしたということを認めているわけで,ドーピングが何かが全くわかっていません(故意か故意でないかは全く関係ない).

 そもそも,そういうことから彼女を守るのが親の責任ですし,もしそういうことに関わっている可能性があるなら,ちゃんとした親なら,フィギャースケートなんかさっさとやめさせるべきでしょう.つまり,そうしなかったというのは,子供を利用して自分が何かを得ようとしているとしか思えません.

 でも,15歳なら何もわからないわけはないし,それは日大アメフット問題のときもそうでしたし,結局,全部自分に返ってくるわけですからね.もしわからないとしたら,そういう風に育てた親の責任はやはり重いということになります.

 国家ぐるみでドーピングが行われていて,ワリエワやその周辺の関係者は犠牲者というのも変な話です.だって,シェルバコワとトゥルソワは,ドーピングに引っかかってないですからね.つまり,ロシアの問題(はもちろんありますが)というよりは,今回は,やはり,ワリエワの問題ということでしょう.

 あとは,ドーピングそのものの問題ですね.ドーピング=悪いことというイメージが強いと思いますが,そう簡単な話ではありません.例えば,今回の薬は,ドーピングの禁止薬物ですが,違法薬物ではないし,実際,心疾患の治療に使われているもので,組み合わせて使われたL-カルニチンは,サプリメントとして一般に売られています(でも,最近はドーピングはほんとに厳しくなっていて,サプリメントの摂取もかなり気をつけないといけない).

 持久力の向上というだけではなく,疲れをとる効果もあるとされていますが,例えば,プロ野球選手が疲労回復によく使っている「ニンニク注射」というのがあって,実態は,ニンニクではなく,ビタミンB群が主成分で,もっと言えば,疲労回復には,ビタミンB群を豊富に含む豚肉を食べましょうと言われて,実行もされてると思いますし,他には,トレーニングの後に効率的にアミノ酸を摂取できるプロテインはどうか,高地トレーニングとか低酸素トレーニングはどうか,とか,実は,「科学的トレーニング」と「ドーピング」の境目は,かなり曖昧です.人工的に合成されたものか食物のような自然由来のものかということなら,添加物まみれの日本の加工食品はほとんどアウトということになりますし,自然由来なら安全というわけでもありません.

 じゃあ,実態はどうなってるかと言うと,摂取することによる効果や効率性,副作用など様々なことを勘案してWADAが「禁止薬物」を指定している,つまり,明確に境目を引いてるわけで,禁止薬物が検出されたら一発アウトということです.でも,一方では,「禁止薬物」に指定されていない薬物を探してくるということも行われているわけで,そういう「新薬」の開発だってできるわけですからね.

 でも,やっぱり,思うのは,一体何のためにスポーツをしてるのかってことですよね.やってみたら面白くて,一生懸命練習していたらどんどん強くなって,試合に出たら勝てるようになって,でも,負けたときは悔しくて,どうやったら強くなれるか考えてまた練習して,食事や普段の生活もしっかりコントロールして,試合に出てそれを試して,それを繰り返して,成果が出たら嬉しいというのが本質なんじゃないの? それを安易で簡単な方法で強くなってそれでいいと思うとしたら,何か他に目的があるということで,そんなんでスポーツなんかやってても苦しいだけで,一体何のためにスポーツをしてるのかって思ってしまいます.

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[とにかくいい仕事がしたかった]

 決して見捨てられたわけではないですが,これも何か違う感じがしてきました.見捨てられたとか,自分から出て行ったとか,そういうことじゃなくて,私としては,とにかくいい仕事がしたかった,ただそれだけなんですね.つまり,RCの世界にいるとかいないとかいうことを意識したことはなくて,つまりは,RCの世界を出て行ったつもりもなくて(実際,青山小谷研では地震動の破壊力の研究をしていましたし,南先生もそういうことをやられてましたからね),ただ単に,自分ができること,興味をもてること,まだ誰もやってないこと,(社会全体の利益を考えて)やるべきと思うことをやってきた,そして,話があってそれがいい仕事をすることに繋がるのなら職場を変えてきた,繋がらないと思うのなら断ってきた,ただそれだけなんだと思います.

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[見捨てる]

 でも,関連するのかどうかわかりませんが,当時,自業自得ではあったんですが,「見捨てられた」(と思った)のは事実で,それはあまりに辛いことだったので,それ以降,若い人達を指導する立場になったとき,心がけたこととしては,とにかく絶対に見捨てないということでしたし,それは,今でもそうです.

 でも,今更気づいたのですが,じゃあ「見捨てられた」私がその後どうなったかと言うと,そこから這い上がったというか,まさに全てがひっくり返ることが起こったわけで,見捨ててくれてありがとうございました,ではないですが,何が起こるかわからないわけです.

 なので,私もこいつはもうあかんと思ったら,見捨てればいいんですかね.と思ったんですが,人によって,見捨てても大丈夫か,大丈夫じゃないかということはあるでしょうし,おそらく,今の若い人達のメンタルを考えると,やっぱり,見捨てれば,非常に高い確率でだめになってしまうんでしょうから,やっぱり,見捨てることはできないですかね(でも,自分は見捨てられたのに,自分は見捨てることができないなんて何だか割に合わないなあ.でも,これも少子化,つまりは,自分の世代が子供を作らなかった責任ってことですかね).でも,どこかで書いたと思いますが,こういうのって,結局,自分を守ってるだけのような気もしていて,結局は,当人にとって何が一番いいかを考えるということなんだと思います.

 そういう意味では,「見捨てる」というのがどういうことかということもあります.例えば,ろくに研究もしないで,成果も出せていないのに,卒業,修了させるというのは,決して本人のためにはならないし,それでも卒業,修了させるとしたら,それこそ見捨てるということでしょう.

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[まさに退屈を受け入れるということ]

 依然として,ピアノを弾く気にはなりませんし,スキーに行く気にもならないわけで,もちろん,仕事とかやることはいくらでもあるんですが,例えば,ピアノを1日1時間弾いていたのなら,これまでより単純に1日1時間,時間ができるわけで,じゃあ,そこで何をするかということになるわけです.そして,そういう中で,よりやりたくなくはないことをやると言っても,それでもやろうと思わなければ,まさに「退屈」という感覚になるわけです.

 でも,それを受け入れるというか,退屈でもいい,例えば,ぼーっとオリンピックでも見てればいいと思えるのなら,それはまさに退屈を受け入れるということかもしれません(こういう時に誰かといっしょに住んでて話し相手がいればとも思うのですが,相手も同じ気分かどうかはわからないし,相手がそういう気分のときに自分がそういう気分かどうかもわからないので,これはまさにどっちもどっち).

 そんなことでは,今は仕事があるから大丈夫でも,リタイアしたら要介護にまっしぐらということかもしれませんが,体や脳を適度に動かして,そういうことを防ぐことは,(いろいろ検討した結果)そんなに時間と手間がかかることでもないことがわかってきて,そうすると,より退屈になってくるわけで,でも,それも受け入れられればそれでもいいけど,受け入れられなければ(退屈という感覚に助けられて)よりやりたくなくはないことをやるということになるのかもしれませんが,感覚的には,そこまでして無理してやることを絞り出さなくても,という感じはします.

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 ということで,このサイトの過去の記事を読みながら,カーリング女子の準決勝を見ました.いい試合だったし,楽しめたと思いますが(昨日で終わったと思った,つまり,一度死んでるわけですから強いと思いますし,続けて同じ相手ということでスイスは嫌な感じはしたと思うんですよね),やっぱり,人がやってるのを見るだけじゃつまんないですね.でも,何するかってことなんですが,もちろん,今は仕事とかやらないといけないことはいくらでもあるんですが,○年後は,そうは行かないわけで,でも,こういうときは,やっぱり,無理に絞り出さなくても,こんな感じで少し待ってみるということでしょうか.

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2/19'22
[インプットしてアウトプットする]

 ピアノを弾く気にもバドミントンの練習にもスキーにもゴルフの練習場に行く気にもならなくて,まさに人生所詮退屈しのぎではないですが,そういう気分になります.でも,仕事とかやらないといけないことはあるし,研究も学生が連絡してくれば対応しますし,仕事以外で何もする気にならないかというとそういうわけではなくて,実際,今この文章を書いてるわけですし,1日15分だけですが運保もありますし,食事の準備とか日常生活でやらないといけないこともあります.あとは,将来どこに住むか研究も時々してますね.

 ただ,退屈というか何かが足りない感覚はあって,リタイアして仕事がなくなれば尚更で,もちろん,このままピアノもバドミントンもスキーもゴルフもやらないということはないと思うのですが,そういうことも想定しないといけないとすると,どうなるのかなと考えました.

 いろんなことを考えてこのサイトの文章を書くことはもう20年近くほぼ間断なく続いていますし,ハードル低さ(家でPCを開いて指先を動かすだけ)的に歳をとってもできそうという意味では,これを中心にすることはどうでしょうか.今は1日せいぜい1〜2時間程度ですが,これを3時間くらいにできれば考える時間も含めれば可能性はある?

 うーん,でも,どこかで書きましたが,今くらいがちょうどいいというか,物理的に時間を増やしても意味がないというか,要は,その日思ったことを書いてるだけなので,「思うこと」が仕事をやめて急に増える気はしませんよね(むしろ,仕事をやめれば,ネタが減る).

 あるいは,テレビでもインターネットでも,あるいは,本とか音楽とか,いろんなものをインプットして,それに対して思うことを書くのならあり? でも,これもやらないといけないからやるのは変な話だし,結局,その気になる範囲でということが大事で,それを逸脱すると持続性がなくなる気がするんですよね.

 そうすると,ずっと書いて来たように「種目」を増やさないといけないのですが,それこそ,その気にならないことはその気にならないわけで,新規に開拓するよりは,これまでやってきたという「実績」があるものということになると,これまでやって来たピアノを「頑張って」弾くとかいうことになって,元に戻るわけです.

 でも,1つ前のパラグラフに戻ると,まずはハードルが低いインプットをするというのはありかもしれません(と書きながら思いました).どういうことかと言うと,何かインプットしてそれで終わりではなく,インプットすれば,何か思うし考えるわけですよね.私の場合,いやいや,それはちゃうやろということが多いのですが,だったら,そういうことを書けば(アウトプットすれば)いいわけです.

 そういう意味で,大事なのは,やはり,人と話すことですよね.実際,これまでもいろんな人といろんな話をして,いろんなインスピレーションをもらってきたと思いますし,重要だと思ったことは,このサイトに「議事録」としても残してきたと思います.

 今は,こういう状況ということもあって,そういう機会が少なくなっていて,自分が話したいことはこのサイトで(書ける範囲でですが)書けますが,人の話をきくことがあまりできてませんからね.

 でも,人と話すことは大事だし,話をしたいとも思いますが,相手次第,つまり,私が話をしたいと思っても,相手もそう思うかどうかはわからないし,仕事をリタイアして年老いていけばなおさらでしょうから,難しい問題ですね.

 ですから,現実的には,一人でも大丈夫というか,せめて,一人,時々,みんなということなんでしょうが,インプットする先として,最近気づいたのは,このサイトの過去の記事です.もちろん,自分で書いたことなんですが,今読み返すと,そうそうその通りというものばかりではないので,それも一つの「ネタ」になるとは思いました(量的にもどんどん増殖していくし(笑)).

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 あと思ったのは,やっぱり「考える」ということですかね.つまりは,退屈だなあとか,会って話がしたいなあ,とか思ってるだけではしょうがないというか,どうしたらいいか考えるということですかね.

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(スポーツ, 世の中)

 ワリエワのドーピング問題ですが,彼女の回りの「悪い大人達」の責任という雰囲気ですし,そういうことになりそうです.でも,そんな簡単なことじゃないと思うんですよね.

 例えば,諸悪の根源という言われようのコーチですが,オリンピックが始まる前までは数々の名選手を育て上げた名コーチと言われていたわけで,もちろん,指導が厳しいことでは有名でしたが,選手達は強くなりたくて彼女の指導を受けたわけで,それを一転して虐待したとか言うのは節操がないし,ワリエラがああいう滑りをした後,どうしてトリプルアクセルを失敗した後,諦めてしまったのかと問いただしたというのは,一度失敗しても途中であきらめてはいけないという,ある意味,指導者として,真っ当なことを言ったと言う人もいると思います.

 つまりは,ワリエワが可哀想とか,そういう感情論的な話ではなくて,ドーピングについては,粛々とルールに乗っ取って裁定を下すということでしょうし,(例えば,体罰のような)行き過ぎた「指導」があったということなら,それも是正すべきことでしょう.

 ただ,ワリエワのコーチの「行き過ぎた」指導ばかりがクローズアップされてますが,世界のトップというのは,そんなに甘いものじゃないし,それこそ自分の体を削ってでも,というか,そうしなければ,そこまでは行けないわけで,でも,それは不健全だからやめさせるというのなら,ドーピング同様,何かルールが必要でしょう.でも,普通の人が普通にできることだけやって世界のトップに行けるわけはないですし,本人がそこまでやりたいというのをやめさせるのでは,どんどんつまらない世の中になっていくと思います.

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[筑波大附属]

 次の天皇候補が進学ということで,話題になってる筑波大附属ですが,最近は,ぱっとしないんですよね.でも,ぱっとしないというのは,東大合格者数の話で,中身的にどうなのかはまた別の話なわけです(確か武蔵もそんな感じ).

 メディアの論調としては,面倒見がいい私立が躍進して,そうではない国立が没落したという感じですが,(少なくとも私の頃は)面倒見がいいところなんてなかった,高校の授業さえやっておけば東大に合格できたなんてところはどこにもなかったわけで,つまり,自分で何とかするしかなかったわけで,でも,今は誰かが何とかしてくれるということなら,これは,正直,あまりいい話ではないと思いますね.

 話を筑波大附属に戻すと,確か一度だけ行ったことがあると思いますが,何の用事で行ったかは全く憶えていません(バドミントン関係だったかなあ).でも,行ったときの情景というか雰囲気は何となく憶えてるんですね.いや,行ったのは夢の中で,実際には行ってないのかも(笑).

 筑波大附属出身者は,回りに結構いて,バドミントン部に何人かいたと思います(同期ではなく少し上の学年).もっと身近なところでは,青山先生と小谷先生はそうですね.南先生もそうで,壁先生(寿海先生ではなく寿一先生の方)もそうだったと思います.でも,青山先生,南先生,小谷先生の頃は,東京教育大附属ですから,そうそう,小谷先生が寿一先生に,君は東京教育大附属じゃなくて筑波大附属だから後輩じゃないとか心ない(笑)ことを言われたとか(もちろん,ジョークでしょうが).

 でも,今は東大合格者2〜30人という感じみたいですが,少なくとも私の頃は,もっと上位でした.開成,麻布,武蔵が私立の御三家で,国立の筑駒,筑附,学芸大附属が国立の御三家,それに,灘とかラサールがという感じだったと思います.

 で,どこかで書いたと思いますが,私が高校受験の時,父親が東京の大学に単身赴任していて,一つだけものは試しに的に東京の高校を受験して落ちたんですが(で,今頃思い出したんですが,その高校に行ったときめっちゃ古くてがっかりしてここには来たくないなあ的にめっちゃテンションが落ちたことを思い出しました.そういう時ってだいたいだめなんですよね),今となっては,どうして筑附を受けなかったのかなあと思いますね.またまた,たらればですが,もし受けて受かってたらどうなってなんですかね?

 一家で東京に引っ越して,でも,その2年後に父親が亡くなって,あるいは,一家で東京に引っ越してたら父は亡くならずに済んだ?(この辺の話は既に書いた気がする) いずれにしても,私は東京の高校出身ということになって,それって東京出身ってことになっちゃう? そして,東大に受かったら自宅から東大に通った?

 なんか想像つかないですね.やっぱり,なるようになってるってことですかね.

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[謙虚?と不遜が同居]

 これもどこかで書いたと思いますが,高いところにいて恐る恐るという夢をよく見ます(昨日も見ました).別に気にするようなことではないと思うんですが,そっか,夢判断?みたいなものはあるんやろなと思って(こういうのは全然信用しないんですが)見てみました.そしたら,現状維持に困難さを感じていて将来に不安をもってるとのことです.(やっぱり)全然当たってないやん.いや,当たってるところもある?

 でも,こういうのって,だいたい「全員に当たる」ようになってるんですよね.現状維持に困難さを全く感じてない人も,将来に全く不安がない人なんていないでしょうから,だいたいの人は,思い当たる節があるとなるわけです.

 ですから,夢判断?とかはどうでもいいんですが,そういう夢を見るというのは何かあるというよりは,自分は自分のことをどう思ってるのだろうかとは思いました.

 何度か書きましたが,こんな怠け者でどうしようもない人間がよくここまでやってこられたもんだと思うのですが,その一方で,もっと全然できたし,これからだって何が起こるかわからないとも思うわけで,この謙虚?と不遜が同居する分裂状態は何なん?と思うんですよね.

 でも,確実に言えるのは,小中高時代は,ほんとに大したことなかったし,あの頃に戻ってやり直せるとしても,結果は変わらないと思います.それは「勉強」という既にあるものを習得するというしょぼい話だから,と何度か書きましたが,逆に言えば,そんなしょぼいことなら楽々クリアしないとお話しにもならないわけで,やっぱり,ほんとに大したことなかったと思います.

 でも,大学4年の春,研究というものに出会って全てが変わったというか,ようやくスイッチが入った感じでした.でも,研究は楽しかったし,成果も出したと思いますが,その時点では,あるいは,卒業して就職してからも「研究とは何か」はわかってなかったと思います.実際,それで30代は苦しむのですが,そういう人は少なくて,じゃあ,そういう人は「研究とは何か」がわかっているということではなく,言葉はどうかと思いますが「しっかりちゃんと仕事をしている」ということなんでしょうし,それはそれでいいと思うんですよね.

 私も最初の頃はそんな感じでしたが,いつの頃からか,そういうことにものすごい違和感を感じるようになってきたんですね.全く余計なこと考えなくても,という感じなんですが,性分?なんでしょうがないですかね.でも,そういう他の人とは全然違う変な?ところに何か可能性があるような気もするのですが,これまた全く以て不遜な話ですかね.

 話が高いところにいて恐る恐るという夢をよく見るというところから,あらぬところに来てしまったので,元に戻すと,現状維持に困難とか将来に不安というのはともかく,そういう夢でよく見たのは,(そう言えば,最近は,見ないですが)エレベーターが暴走する夢で,かつ,東大工学部11号館のエレベーターが舞台になることが多かったので,それが関係しているとすると,まさに研究というものに出会って以降ということで,そういう(幸せな)状態が「高所」であり,そこから転落するのを恐れているとすれば,何となく話は繋がりますかね.

 でも,もっと言えば,これも何度も書いているように,今が今まで生きてきた中で一番幸せなわけですから,単純にそういうことかもしれませんね.

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2/20'22
[リスクとリターンのマネージメント]
(スポーツ)

 カーリング女子の決勝ですが,結果は惨敗で(でも,一度死んで開き直ってスイスに勝った後なので巡り合わせ的にはこうなる),解説者とかは今日はイギリスの出来がよくて日本が今ひとつだったということですが,そんなの誰が見てもわかるやろって感じで,それ以外のことで気になったこととしては,もちろん,ちらちら見た程度なんですが,やっぱり,リスクとリターンのマネージメントが..という感じがしました.

 後半4点取られて事実上試合を決められた時も,後攻のイギリスがハウス内にばんばんストーンを入れてきてるのに一生懸命ガードとか周辺に置いてる感じで,リードされてるので大量得点を狙ってるのかもしれませんが,先攻は相手の得点を最小限に留めて,後攻で大量得点を目指すのが鉄則なんじゃないですかね.解説の人も途中まではいいですよとか言ってて,でも最後の1, 2投で突然まずいですね,とか言い出すし,この場面に限らず,そういうことがよくあって,そう言えば,初戦のスウェーデン戦でやっちゃったときもそんな感じでした.

 まあ私がド素人なんで全然わかってないんでしょうが,カーリングには,いろいろ定石のようなものはあると思うのですが,チェスと違うのは,そう投げられればいいけど,そうならないことの方が多いわけで,ミスすることを前提にやらないといけないというか,そういう意味では,昨日の男子の決勝は,これもそんなに見たわけではないですが,そんな感じでやってる気がしました.

 でも,そうすると,後攻が1点取って,攻守交代しての繰り返しになってロースコアになることが多いと思うのですが,野球はピッチャー的に言えば,カーリングも然りということでしょうか.でも,世界のトップレベルで,これだけミスというか,思う通りにストーンを置けないとすると,一般レベルってどんな感じなんでしょうね?

 どこかで,全てのスポーツの「舞台」は,トップレベルに合わせて作ってあると書きましたが(例えば,野球の塁間とか,バドミントンのコートの広さとか,ゴルフのコースとか),カーリングも然りというか,トップレベルでもこんな感じだと非常に厳しい感じはしますね.

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[「これでいいのか」という感覚]

 「退屈という感覚に助けられる」というのもあるんですが,もっと言えば「これでいいのか(これじゃだめだ)」という感覚なんでしょうね.リタイア後もそうですが,何をするでもなくだらだら過ごして「これでいい」と思えれば,それでもいいんでしょうが,そう思わなければ,退屈同様,何か行動を起こすわけですからね.

 そうすると,どういう状況に「これでいい」と思うか思わないかということで,結局,これまた素養の問題ということになりそうですが,まあそういうことですかね.つまり,そういうものに従うしかないということなんですが,これでいいと思って過ごしていたらどうなるかという想像力は重要ですし,自分にとって何が大事かということになるんですかね.

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 じゃあ,どういうことに「これでいい」と思うか思わないかですが,それは,各人(の素養)によって違ってくると思います.でも,仕事とか仕事以外でも人間関係の中でやらないといけないことをやることは,ちゃんとした人ならまず最初に来ることでしょう.リタイアすると仕事がなくなるのが問題なんですが,何とか食べて行ければ,それ以外の部分の多くは,ほんとにやらないといけないことではないわけで,他にやること,やるべきと思うことがあれば,それでもいいわけで,逆に言えば,特にそういうことがなければ,仕事があるうちは働くかとなるんでしょうね.

 私は,仕事の中の研究は,大事だし,定年で大学をやめても何らかの形で続けて行きたいと思ってますが,研究(+息抜き)だけやって行ければいいと思ってないのは,定年前も後も関係ないですし,研究以外の仕事以外にやってることは,息抜きなどではなく,重要ななくてはならないものであって,どれも研究同様,続けて行きたいと思っていますが,やりたくないという時もあるわけで,そういうことも含めると,仕事がなくなった後できた隙間が埋まらないんじゃないかという感覚があるわけです.

 でも,実際にどうなるかはわからないですが,そうなったとき,「これでいいのか」と思うのか思わないのかってことなんですかね.そして,「これじゃだめだ」と思うのであれば,多少「頑張って」やるのか,それとも,「これでいい」と思って,(多少)だらだら過ごすのかってことですが,そう俯瞰的に見ていくと,どっちでもいい感じもしてきますし,そういう感覚も大事な気がします.

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[今の若い人達は少子高齢化でも将来そんなに心配することないのかも]
(世の中)

 少子高齢化で今の若い人達は,一人当たりで支えないといけない高齢者の数が多くなって,年金が減って将来大変なことになりそうで不安と言いますよね.でも,ほんとにそうだろうかという気がしてきました.

 「一人当たりで支えないといけない高齢者の数が多くなって,年金が減って」というのは確かにそうなんですが,高齢者って単なるお荷物なんじゃなくてそれなりの資産をもってるわけですよね.

 つまりは,親が死ねば,資産を相続できるわけで,少子化なら原理的にその分取り分も増えるということです.もちろん,資産がある親ばかりじゃないでしょうし,下手したら負債がある場合もあるでしょうが,そういう場合は,相続放棄すればいいわけですし,少子高齢化で自分の子供が将来厳しい状況になることはわかってるわけですから,ちゃんとした親ならそれなりの資産を残しておこうと思うんじゃないですかね.

 ただ問題は「均せば」ということです.具体的には,自分が一人っ子とか,親の兄弟にあまり子供がいない場合は取り分が増えるということで,逆に自分や親の兄弟の子供の数が多い場合は,関係ないですね.

 あとは,いつ親が死ぬのかですが,平均的には,だいたいリタイアする頃ってことになるでしょうし,それより少し早くなってしまった場合は,早めに資産が手に入るわけです.タイミングが遅くなった場合は,親が長生きしてくれるってことでそれはそれで嬉しいことでしょうし,高齢になればもうそんなに使い途はないでしょうし,生前贈与じゃないですが,(資産があれば)何とかなるんじゃないですかね.

 てことで,少子化ってことは,競争相手も減るとかで±0とどこかで書きましたが,結局,そういうことなのかもしれません(ので,そんなに心配することないのかもしれません).でも,この場合は,親がちゃんと資産を残してくれてるかとか,親ガチャ的なところはありますかね.

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[繰り返し何度も読み返す]
(このサイト)

 インプットしてアウトプットするのインプットする先としてのこのサイトですが,過去の記事をインプットして,それに対して記事を書くということもありますが,ずっと書いてるように一度考えて気づいたことでも忘れたら意味ないわけで,つまり,このサイトに書いたこと,少なくとも,自分が気づいたことは,全部身につけるというか実行するというか,そういう意味では,繰り返し何度も読み返すことは重要かもしれません.

 愛読書じゃないですが,少なくとも,ドラゴンボールの第何巻の第何話のどういう場面で,ベジータが何と言ったか即座に答えられるとかいうよりは,遥かに繰り返し何度も読み返す意味はあるでしょう(笑).

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2/21'22
(世の中, スポーツ)

 北京五輪が終わって,メダルランキングが確定したんですが,元々の目的は,3位以上はみな同じという「メダル数」という指標がおかしいということで,ほんとのランキングを載せてたんですが,それ以前に日本人選手大活躍とか騒ぐのがうざいわけで,別にどうでもいいですかね.でもまあ,一応載せておきますか.

 

 これを見るとわかるように金もそこそこ獲っているので,メダル数でも金メダル数を優先したほんとのランキングでも評価はあまり変わらないわけで,メディアとしては,東京五輪を招致するためにロンドン五輪のときにわざわざ作り出した「メダル数」という指標をむりくり使う必要もなかったってことですかね(全く以て手前勝手な話).

 あーでも,何日か前に史上最多メダル数と言ってたのは,基準化間違いです.だって,競技数が増えてますからね.1998年の長野では,今より全然競技数が少ないのに金5個(今回は3個)ですから,長野のときより日本人選手が活躍したとは言えません.でも,「史上最多メダル数」には違いないので,確信犯的にそういう「嘘」をつく(都合のいい数字だけを出す)わけです.

 で,日本頑張れとか,夢と希望をありがとうとか騒ぐのがうざいのであまり見てなかったのですが,途中からは,単なるエンターテインメントととして見て面白いと思うものでやってたら見たという程度のことですかね.

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 そっか,日本頑張れとか,夢と希望をありがとうとか,他人を応援してる暇があったらお前が頑張れと書いてますが,メディアって,まさに「そういうこと」を頑張ってるんですね.いやー,まさに何を仕事にするのか,人生で何をするのかが極めて重要ってことですね.

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2/22'22
[それが仕事ってもんだよ]
(世の中)

 でも,メディアというか,報道関係に就職した人の多くは,世の中の真実をしっかり伝えたい,伝えないといけないと思ってその世界に入ったんですよね.でも,実際に入ってみると,それは違うと思っても番組の主旨と違うことは言えないし,オリンピックなら「事実報道」としては,誰が何の競技で何位に入ったとだけ伝えればいいものを(実際はそう思わなくても)感動しましたとか,報道とは関係ない余計なことまで言わないといけない.そして,それは,メディアに限った話ではないわけです.

 「それが仕事ってもんだよ」と言う人が多いと思いますが,ほんとですか? そこで「思考停止」してませんか? 金もらうためなら仕方ない? そんな人を騙して搾取するようなことして楽しいですか?

 でも,現実にはどうしようもないというか,そういう世の中ってことですよね.まさに余計で無駄なことをして経済を回してるわけですし,それは庶民をこき使って左うちわで楽する奴の仕業でもあるんですが,もっと言えば,個を犠牲にして種を繁栄させるプログラムってことなんですかね.

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2/23'22
(日記)

 なんかあんまり調子よくないですね.卒論,修論が終わった後もいろいろ仕事があって,一昨日,昨日は,防災研の研究発表講演会で,昨日は,午前中自分の発表の後は,午後ずっとプレナリーの司会で,なんかやっぱり疲れましたかね.で,今週,来週も結構忙しいし,もちろん,どれも,こんなことやってどうすんだという仕事ではなく,重要な仕事なんですが,うーん,なんだかなーという感じでしょうか.

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 もちろん,やらないといけないことはいくらでもあるのですが,そういう気にならないときは,リタイア後,どこに住むかをいろいろ調べながら考えてることが多いです.最近は,熊谷とか籠原から車で10分くらいのところであまり家が建ってないところにちょっと頑張って家を建てるかとも思ってたんですが,何かいろいろめんどくさそうな気もしてきました.超具体的な例としては,そういうところだと,ゴミ出しに行くのとかも面倒そうですよね.

 一番楽なのは,駅の近くのマンションを買っちゃうことですよね.防音のことが気になりますが,防音室を入れれば何とかなるのでしょうか(ピアノとかで自分が出す音もありますが,防音室って周囲からの音に対しても同様の効果があるのでしょうか).マンション買うのは,経済的なことを考えると「あり得ない」と何度も書いて来ましたが,一番楽ではあるので,多くの人が,やっぱり,楽な方に流れるってことなんですかね.

 でも,リタイアしたら,駅近とかじゃなくて,スーパーとか食事ができるところとかに近い方がいいんですが,そういうのって意外とないんですよね(例えば,ショッピングモール(はあまり好きじゃないけど)直結マンションとか).

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 やっぱり,何か足りない感じがしますね.「一人,時々,みんな」で内的熟達的にやって行けたらと思っていても,それじゃあ,やっぱり,厳しいんですかね.

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2/24'22

 いや,違いますね.「一人,時々,みんな」で内的熟達的にやって行きたいと思っているんですが,仕事が忙しくなってくると,それができてない感覚があるんだと思います.つまり「みんな」が多すぎるってことでしょうか.

 でも,その一方で,仕事が忙しいだけなわけですから,「みんな」とは言っても仕事での話であって,ほんとに欲しい人との繋がりが得られてるとは限らないわけで,それを「厳しい」と感じてるということでしょうか.

 そうすると,この問題は,仕事が忙しくなくなれば,もっと言えば,定年で仕事をやめれば解決するということなんですが,一方では,ほんとに必要な人との繋がりはまた別の話ということですね.

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[一体何をやってるんだ?]
(世の中)

 遂にロシアの侵攻が始まったウクライナ問題ですが,一体何をやってるんだと思いませんか?

 ロシアがウクライナに侵攻すれば,欧米は経済制裁を課すと言ってるんですが,そんなことすれば,ロシアも対抗策としてヨーロッパへの天然ガスなどの資源の供給を止めるということになって,それでは困るから欧米は強く出られないし,ロシアはそれがわかっていて足元を見られてるわけです.

 そもそも,どうして,ロシアが天然ガスなどの供給を止めると困るということになってしまったかと言うと,ゲームチェンジをするために(地球温暖化防止などではありません)EVシフトとか訳のわからないことをやり始めたからですし,もっと言えば,無駄で余計なことをして経済を回そうとするからでしょう.

 いやいや,スマホやSNSがない生活なんか考えられないし,うまいもん食って大きな家に住んで高級車乗り回して,ブランド品買って,新型コロナが収まったら,海外旅行にも行きたいし,夜はどんちゃん騒ぎをしたい? 自分は金持ちじゃないから,そんなことしてない? いやいや,そういうことにぶら下がって飯食ってますよね?

 戦争が始まろうとしてるんですよ.日々食べるものと雨露をしのげる家があるだけでも充分幸せなのに,それ以上の余計なものを欲しがって経済を回そうとすることで,日々食べるものと雨露をしのげる家を失うどころか,命さえも危険にさらされる数多くの人を生み出して,一体何をやってるんですか?

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 でも,欧米も含めて,世のほとんどの人にとって,遠く離れたところでの話なんでしょうね.極端な話,ウクライナがロシアに併合されても大した問題ではない?

 でも,ヨーロッパには,シリアのときの何倍もの膨大な難民が押し寄せるかもしれませんし,エネルギーや食料価格は暴騰して生活は困窮しますし,それは日本にも及ぶことになるでしょう.でも,そのくらいで済むのなら全面戦争するよりは遥かにましってことでしょうか.

 あと思うのは,やはり(欧米の)国のトップの無能さですよね(アフガニスタン撤退時のグダグダは記憶に新しい).対照的に,中国やロシアのトップは,非常に問題はありますが,欧米のトップより遥かにしたたかです.このままではやられるんじゃないですかね.

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 でも,メディアの報道は,欧米の立場のものなので,中立的な立場に立つことは重要で,ロシア側の立場に立てば,ソ連の時に比べると,NATOの勢力範囲は圧倒的に東に広がってるわけで,このままではまずいというのはわかります.もちろん,それで軍事侵攻が許されるわけではありませんが,ロシアはウクライナがNATOに加盟しないことを確約するのなら侵攻はしないと言ってたわけですからね(それが信じられないという疑心暗鬼ってことなんでしょうが).

 でも,もっと言えば,ずっと書いてることですが,そもそも国とか国境とか東と西とか全く以て余計なことだと思うんですよね.NATOって元々ソ連を中心とした共産主義圏に対するもので,でも,もうソ連はないわけだし,変な話,ロシアもNATOに加盟しちゃうみたいな笑い話というか,もちろん,それだと中国が黙ってないとは思うのですが,中国だって経済システムは,共産主義ではないわけで,もちろん,いろいろ問題はありますが,イデオロギーが全く違う東西冷戦とは異なるわけで,どうして,無理くりにでも違いを見つけて対立構造を作るのかと思いますね.

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[私は社会主義者でも共産主義者でもありません]

 今更ながら気づいたのですが,このサイトで資本主義に対して批判的なことを書くことが多いのですが,もちろん,私は,社会主義者ではありませんし,ましてや共産主義者なわけありません.ちゃんと読んでる人はわかると思いますけど.

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2/25'22
[自分で自分の首を絞めてる]
(世の中)

 ロシアのウクライナ侵攻で,「噂で買って事実で売る」的には,相場としては「終わった」(底を打った)ことになるのですが,今回は,西側諸国のロシアへの経済制裁の西側諸国自身への影響がどうなるかということはあるので,「まだ終わってない」のかもしれません.

 でも,何度か書きましたが,EVシフトみたいな○ホなことやってるからロシアにやられるわけで,天然ガスのCO2排出量が石油や石炭の6, 7割ってことなら,石炭火力の性能や自動車の燃費を上げたりするのがどう考えても現実的なわけで,つまりは,ヨーロッパは,天然ガスの4割をロシアに依存してるからそれが来なくなると厳しいってことじゃなくて,そういう中で,どうするか考え直したらいいんじゃないですかね.と書きましたが,EVシフトの目的は,CO2削減などではなく,ゲームチェンジなわけですから,まさに自分で自分の首を絞めてるわけですね.

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[街中に住む]
(生活)

 先日の防災研の研究発表講演会で,プレナリーセッションの会場係と司会をやったので,3月で定年退職される先生方の講演を会場できくことができて,その中で,職員宿舎を追い出されて京都の街中に住むことになって,おかげで京都ライフを満喫できたとおっしゃってた先生がいらっしゃってはっとしました.

 今私がリタイア後どこに住むかを検討していることは再三このサイトで書いていて,何となくのイメージとしては,熊谷とか籠原とか,あるいは,大宮周辺とか,東京から電車で1時間といったところなんですが,なんか決め手がないというか,そこに住んで暮らしたら楽しいだろうなというイメージがなかなか湧かないんですね.

 で,「街中に住む」というキーワードを思い出したわけです.ずっと東京に帰りたかったというのは,そういうこともあったわけですからね.でも,いつしか東京に帰りたいという思いはなくなったわけですが,それは,東京だと「街中に住む」ことができない,そういうところがないということがあるんじゃないかと思いました.

 具体的には,まさに京都の「街中に住む」ことをイメージすればわかると思いますが,東京ってそういう街がないんですよ.でも,じゃあ,東京から電車で1時間のところにはあるかというとそれもないわけで,もちろん,そういう「観点」でまだしらみつぶしに探したわけではないのでわかりませんが,つらつら考えてみても思い浮かびません.

 じゃあ,どこかというと,京都はそうでしょうし,どこかで書いたと思いますが,大阪の難波あたりは,そんな感じがするんですよね.でも,それ以外はちょっと思い浮かばないですね(敢えて言えば,大宮とか仙台とか広島はちょっとそんな感じがするかなあ).でも,イメージとしては,どこにでもある感じはするんですけど,現実には意外とないわけです(東京にないんですから).

 あくまでイメージですが,アーケードがある商店街の中に住むみたいな感じでしょうか.そういう商店街は,もちろん,東京にもあるんですが,なんか違うんですよね.それは,いわゆる地元の「商店」だけではなくて,そこで生活に必要なものが全部揃う感じでしょうか.つまりは,スーパーや定食屋や惣菜屋や本屋やドラッグストアや大手電機店とかが全部あるってことですかね.業態としては,ショッピングモールが近いですが,ショッピングモールにはチェーン店しかない,つまり,定食屋や惣菜屋の類がないのが問題です(スーパーの総菜コーナーは添加物まみれ).

 なので,また別の観点ということで「そういうところ」を探すのも面白いかもしれません.

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 と書いたんですが,そこが終の棲家になりますかね?

 リタイアして「街中に住む」のは楽しいと思うんですが,最終的には,外を出歩くこともままならず,でも,家の中で自活しながら内的熟達的にということだと,家の中で過ごせるように家を建てることも,ということだったわけで,でも,リタイアして「街中に住む」と,家を建てるタイミングが遅れてしまうとも思うんですよね.

 それに,こういう時代ですから,別に商店街(のようなもの)の中に住まなくても生活に必要なものは宅配で揃うし,食物については,生活クラブがありますからね.

 でも,こうやっていろいろ調べて考えるのは楽しいので,検討?は続けて行きます(笑).

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2/26'22
[同じところに何十年も住むことになる?]
(生活)

 でも,次に住むところが終の棲家になるとすると,下手したら同じところに何十年も住むことになって,しかも,家での生活が中心になるわけで,そうするとちょっと考えられないというか,でもだからこそ家を建てるとかしてそれに耐えられるものにしないといけないってことなんですかね.

 思い返すと,これまで同じところに住む続けたことはなくて,ここにありますが,一番長くても十数年ってことで,しかも,これまでは仕事中心で家は帰って寝るだけとは言いませんが,研究室というもう一つの生活空間があったわけで,そう考えると,数十年はちょっと厳しいですかね.

 でも,これまでずっと賃貸で,職場を変えるごとに住むところも変えればよかったのですが,これからは年寄りに貸してくれるところは限られるわけで,数十年同じところに住むことに耐えられる環境を整備することもそうですが,やっぱり,「一人,時々,みんな」で内的熟達的に日々生活して行ける生活スタイルを確立することが先決ですかね.

 そういう意味では,そうなりつつあるわけで,つまり,環境ではなく自分が変わるというか,自然とそうなって行ってるところもあるわけで,意外と行けるような気もするんですが,厳しくなったらまた家を建てて引っ越せばいい的には,必要なのはお金ってことなんですかね.

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 商店街ですが,調べてみたんですが,東京だと十条とか武蔵小山にあるみたいですが,うーん,こういうのじゃないかな(まさに「商店街」).その昔,候補だった三ノ輪にもあるんですが,似たようなもんですね.

 対照的に,大阪難波の商店街は,やっぱり,すごいです(ほんと何でもあるし,空間としても心地いい).そして,そういう商店街,大阪にはいっぱいあるんですね.うーん,でも,それが理由で大阪に住むってことはないですよね.

 関係ないですが,こっちに来て,こういう状況ということもあるんですが,大阪に行く機会は全然ないんですが,吉田に行って帰るとき,中書島で乗り換えるんですが,そこで降りなくてそのまま乗ってれば,大阪(淀屋橋)まですぐなんだな(京橋まで特急で30分)とは思いますね.

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 そもそもなんですが,自分が社会から必要とされないことを受け入れて,社会の片隅で「一人,時々,みんな」で内的熟達的に楽しく気分よく,「その時」を待ちながら何十年も過ごして行けるのでしょうか? 今は「一人,時々,みんな」で内的熟達的に楽しく気分よく過ごして行けてるけど,それは仕事をして社会と繋がってるからってこと?

 確かに仕事をしていれば,いろいろめんどくさいことはあって,リタイアすればそういうことはなくなるし,やりたいことをやりたいより,やりたくないことをやりたくない方が勝ってきてはいるのですが,失ってみないとわからないとことはあるので,実際どうなるかはわからないですよね.

 内的熟達的にやることはいくらでもありますが,ピアノが弾きたいと言っても弾きたくないときも多いし,実際,今はもう1ヶ月近く弾いてないし,何をやるにしてもやりたいことだけやるわけには行かない,つまりは,ある程度,やりたくないこともやらないとやりたいことはできないわけで,こんな感じだと,どんどん退屈になっていってしまう気もするんですね.

 でも,退屈だと感じるのなら,何とかしようとするでしょうし(退屈という感覚に助けられる),これではだめだと思うのも同様で(これではだめだという感覚に助けられる),そうなったらその時考えればいいんですかね.そういう意味では,どこかに家を買うとかして状況を固定化するのは,やはり,リスクを感じますね.

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 こうしてみると,仕事を続けるのが一番簡単というか,それは今やってる仕事でなくても違う形もあるかもしれませんし,実際,これまで何十年にも渡ってそうやってきたわけで,それがある日を境に突然なくなるのは,まさにハードランディングで危ういと思うんですよね.

 でも,一人(時々,みんな)は寂しいからと言って回りを巻き込みたくはないですし,どのみち何らかの与えられた状況下で何とかするしかないわけですから,それでやって行くと腹をくくる,もしこんなはずじゃなかったと思っても,その中で何とかするしかないということのもありでしょうか.

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2/27'22
[建前を本音にせず解決しない問題は棚上げにして騙し騙しやるしかない]
(世の中)

 ロシアによるウクライナ軍事侵攻ですが,中立的な立場に立って,ロシアがNATOの勢力拡大に危機感をもっていたとしても,力による現状変更,つまり,戦争は絶対にだめなのは言うまでもありません.でも,そんな単純な話ではないのも事実です.

 実際,ロシアは,NATOがこれ以上勢力拡大しないように,具体的にはウクライナがNATOに加盟しないように再三に渡って要請していたものを全く聞き入れてもらえなかったわけで,でも,独立国家であるウクライナがどうするかを決めるのはウクライナ自身で,ウクライナがNATOに加盟したいというのをNATOは拒否することはできないわけですからね.

 じゃあ,どうしたらいいかですが,まさに本音と建前の話であって,この区別が付かなくなるとおかしなことになります.つまりは,解決しない問題は,棚上げにしておくことが重要なんですが,尖閣問題のときにこれを表面化させてしまったのがI原さんでしたし,台湾問題も同じことが言えます.

 つまりは,ウクライナ問題については,建前上は,ウクライナがNATOに加盟することはできるけど,本音ベースでは,それを棚上げにするとか,実質的な利益をロシアとウクライナ双方に供与するとか,やりようはあったわけで,でも,これは世の中全体の流れですが,建前と本音は別だったはずが,全て建前ベースで事態を動かそうとしていて,ものすごく効率が悪く生きにくい世の中になってきてしまってると思うんですよね.

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 話を敷衍すると,力による現状変更,つまり,戦争は絶対にだめですが,自由競争社会であるのなら,現状変更そのものが否定されてるわけではないってことですよね.でも,実際のところは,国境は,既にほぼ固定されてるわけで,現状変更はできない,つまり,第二次世界大戦終了時の状態で世界の勢力図はほぼ決まってしまってるわけで,戦争がない世界平和を実現するには,今の勢力を維持するのがいいみたいな大きな矛盾があるわけです(それを主導しているのはもちろん大きな既得権益をもつアメリカ).

 じゃあ,自由競争の中で力によらない現状変更ができないかと言うと,そういうわけでもなくて,国境の変更という意味では,戦後,多くの国が独立をしたわけで(ソ連とかユーゴスラビアとか),もちろん,戦争になってしまったものも多いですが,そうでないケースもありました(でも,全体の流れとしては,併合ではなく分離独立).

 国境は変更できなかったとしても,敗戦国であった日本やドイツが経済成長して国際社会の中で大きな役割を果たすようになったのはそうですし(でも,沖縄などが返還されたのは一種の国境変更),最近だとやはり中国の躍進があります.でも,国境というか領土は変わらないわけですが,経済成長すれば,金を稼いで軍備を増強して戦争はしなくてもカードとして使えるという側面はあるわけです.

 でも,じゃあ,中国が経済力というか戦力にものを言わせて台湾を無血で併合できるかというとそう簡単な話ではないわけで,結局,現状変更するには戦争しかない,それを抑え込むには,今の勢力バランスを維持すること,具体的に言えば,アメリカが唯一の超大国であり続けることが必要というような自由競争社会と矛盾することが起こるわけで,じゃあ,どうしたらいいですが,やっぱり,いろいろ問題があるのは承知の上で,建前ではなく本音ベースで問題を先送りするしかないわけで,そうこうするうちに国と国の間の経済格差がなくなって,再三書いているように国境とか国とかが有名無実化するというか,そこまで何とか騙し騙しやって行くしかないと思います.

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 ロシアもNATOに加盟したらいいじゃんと半分冗談で(でも半分本気で)書いたら,そういうことを言ってた人がいました.でも,その人は,ロシアも西側に取り込んで,中国と対峙する,今の勢いの中国を抑え込むにはそれしかないと言ってましたが,それだと別の対立構造を生むだけですよね.

 でも,そもそも論として,どうして対立構造が生じるのかってことです.歴史的に見ても,というか,人間の本能的なことから言っても,必ずどこかで対立構造はできるわけで(同盟とか派閥とか),地球に世界平和が来るには,世界共通の敵,つまり,宇宙人が攻めてきたりしない限り無理だと言ってる人もいます(でも,それはそれで「平和」ではないわけで,つまり,世界平和は永遠にやってこないということ).

 その背景にあるのは,やはり,社会的には自由競争,本能的には成長拡大志向なわけで,どうしようもないのですが,まあこれも騙し騙し先送りするしかないんでしょうね.そうこうするうちに,核融合とかのエネルギー革命が起こって,経済的問題が解決,つまり,わざわざ戦争しなくても何とか生きて行けるようになれば,ということですが(実際,100年前と比べればその状況に近づきつつある),人間の本能は変わらないわけで,つまりは,どこかで競争しないと気が済まないわけで,スポーツとかはその受け皿になる気はしますが,学術や芸術もそうですが,その活動の本質は,内的熟達なので,競争という概念には相容れないと思ってるんですが,そういうことに気づいている人は少ないので,やっぱり,騙し騙しやるしかないんですかね.

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[定年までのあと○年でやることとかできることとか]
(研究)

 今年の年賀状にも書いたのですが,こっちに来て1年以上が経ったんですが,気づいたら定年まであと○年なわけです.でも,定年まであと○年というのは,こっちに来る前からわかってたわけで,でも,間に移籍というワンクッションがはいることで,そういうことを一瞬忘れたというか,でも,それは全くの錯覚なわけで,実際,年齢的にも大台に乗ってまさに第4コーナーを回って,いきなり現実に引き戻されたということでしょうか.

 でも,与えられた(変えられない)条件下でできることをするしかないわけで,それは「今できることをする」ということではなく,○年後に大学をやめないといけないという条件によって何ができるか,何をするべきかということになるわけです.

 分岐点としては,定年後も研究を続けていくかどうかですが,今は続けて行きたいと思っていますが,もし仮に今は定年で研究はやめたいと思っていたとしても,やめるときはまだ続けて行きたいと翻意するかもしれないし,定年で研究はやめたいのなら,逆にそれまでにやっておかないといけないことが出てきたりもするので,そういう点では,やめても大丈夫にしておく必要もあるわけで,なかなか難しいわけです.

 でも,そういう複雑な状況を総合的に考えて何となく見えてくることはあるので,その辺のところをうまくやって行ければということですかね.具体的に言えば,ある程度,論文を書いていくことは必要でしょうし,定年後も研究を続けて行けるような体制作りというか,一人でもしこしこできるような研究テーマを考えて行くとかでしょうか(でも,一人でしこしこだと今やってることとは違うテーマになりそう).

 もちろん,あと○年あるので,その間に新しいテーマにも取り組んで行きたいですし,アイデアというかネタ的にもやりたいこと満載ですが,一番の問題は,頑張って研究したいという学生がどのくらい来てくれるかで,こればっかりは他力本願なのでどうしようもなくて,でも,これまた与えられた(変えられない)条件下でできることをするしかないってことですね.

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[やはり「一人でも大丈夫」を目指す]

 もっと言えば,やはり「一人でも大丈夫」を目指すということでしょうね.

 もちろん,こんな私でも必要としてくれる人がいて,具体的には,私の研究室に来て研究したいとか,話をしたいとか,いっしょに過ごしたいとか言ってくれる人がいるのなら,喜んで応じますが,自分からしゃしゃり出てまでしてやらせろということはないですし,私が必要とされるかどうかは,まさに他力本願なわけですし,もっと言えば,ほんとは私ができることがあるとしても,社会や他の人がそのことに気づかなければ,そういう要求はないわけで,それはそれで問題ないというか,めんどくさいことに巻き込まれずに済むとも言えるわけですからね.

 ただ,「一人でも大丈夫」になるためには,一人でもできる退屈しのぎが必要で,それはしっかり対応して行かないといけないと思いますが,逆に言えば,リタイア後に向けてのいい準備になるとも言えるわけで,現在もリタイア後も含めて,変なことに期待するのではなく,もう自分は必要とされないということを潔く受け入れて,腹をくくることが肝要ということでしょう.

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[自分が受験をしたとき,どうしてもっとちゃんとやれなかったのかなあ]

 昨日,今日と大学入試で,昨日は試験監督だったんですが,最近思うこととしては,自分が受験をしたとき,どうしてもっとちゃんとやれなかったのかなあということです(今頃?).何度か書きましたが,高二の冬に父が亡くなってやる気をなくしてということはあったとは思いますが,そんなのは言い訳に過ぎないと思うんですよね.

 それで,当時の私は,というか,今でもそうですが,それそのものに興味がもてないことを我慢してやることがどうしてもできなくて(でも,興味をもてばとことんやるんですが),ほんとどうしようもない奴なんですが,既に書いたと思いますが,当時よくあったこととして,何かの参考書とか問題集をやり始めるとすぐにその欠陥を見つけて(でも,ある意味,それってすごいなとも思いますが),こんなもので勉強してもだめだみたいな感じだったんですが,だったら,自分で「完璧な」参考書とか問題集を作ればよかったと思うんですよね(今なら間違いなくそうする).

 当時,どうしてそういうことに思いが及ばなかったのか,もし,そういうことを思いついていたらめっちゃ楽しそうで,全然違うことになってたと思うんですよね.

 でも,何となくですが,もしそういうことになって,模試とかも全国でトップくらいまで行って,東大にも現役で受かって,となってたら,今のようにはなってない,今のところまで来てない感じがするんですよね.

 理由としては,人間,というか,私の場合,人生の中でやる気になった「いい状態の時」ってそんなになくて,そうすると,それが人生の中のどこに来るかが重要で,じゃあ,それはいつだったかと言うと,中二と大学4年で研究室に入って大学院を修了して就職してからしばらくまでと1-2秒応答とかでばんばん論文を書いていた40代前半くらいしかなくて,もし,その貴重なタイミングを大学受験で使って,大学4年で研究室に入ってからが不発に終わっていたら,研究者にはなってないわけで,そうすると,大学受験のときのようにまた「完璧な」参考書とか問題集を作ってがっちり勉強して官僚になってる気がして,でも,こんなどうしようもない奴が官僚で成功したとは思えず,研究したいとき研究して成果を出せばいいという研究者しか,こんなどうしようもない奴でも何とかなる職業はなかったと思うからです.

 ということで,自分が受験をしたとき,どうしてもっとちゃんとやれなかったのかなあとは思うのですが,ある意味,それでよかったというか,なるようになってるというか,でもまあ,これも単なる自己肯定ですかね.

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 でも,今にして思えば,大学4年の春,研究室に入った時に突然スイッチが入ったのは,ちょっと不思議な感じもしてきます.もちろん,既にわかっていることを勉強することではなく,まだわかってないことを追究していく研究というやりたいことにやっと巡り会えたと思えたことや,小谷先生の「卒論とは言え,どれも世界最先端のテーマなのでしっかりやるように」という魔法の言葉にやられたということが大きいですが,タイミング的なこともあると思います.

 つまりは,高校時代は言うに及ばず,大学受験もちゃんと勉強したのは最後の1年だけで,大学に入ってからもピアノとかバドミントンとかに明け暮れてろくに勉強なんかしてなかったわけで,大学4年で研究室に入った時がそろそろちゃんとやんなきゃみたいな「タイミング」だったということもあったと思うんですよね.

 だとすれば,大学受験の時にちゃんと勉強できなかったこともそれなりの意味が出てくるってことですが,ほんとにちゃんとした人なら,大学受験も研究室に入ってからもしっかり頑張れるわけで,まあこれは「私の場合」ってことですかね.

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[やりたいことでもやりたくないときはあるという状況を受け入れる]

 「一人でも大丈夫」になるためには,一人でもできる退屈しのぎが必要ってことなんですが,ピアノはもう1ヶ月近く弾いてないし,スキーにもバドミントンの練習にもゴルフの練習場にも行ってないし,こんなんじゃ全然だめじゃんってことなんですが,じゃあ頑張ってやらなきゃ,ではなく,これも「そういう状況」を受け入れるってことかもしれませんね.

 つまりは,やりたいことでもやりたくないときはあるわけで,でも,またやりたくなったらやればいいし,そうなったときのために最低限はやっておかないとということですが,ピアノなら1ヶ月に数時間で何とかなりそうとか,スキーだって,シーズンに数日行けば,あるいは,1年くらい行かないシーズンがあっても何とかなったわけで,バドミントンだって,しっかり体を整えておけば,何とかなる気もするし,存外大丈夫なわけで,あんまり気にすることないのかもしれません.

 そして,そういう中で,退屈と感じるとか,これじゃあだめだと感じるのであれば,そういう感覚に従えばいいわけで,でもそうでもなくて,他にやることがあるのなら,それはそれでいいってことですかね.

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2/28'22

 そう考えると,やはり「人生所詮退屈しのぎ」という哲学の根幹に辿り着きますね.そして,そう考えると,何でもありというか,どういう状況でも何とかやって行けそうな気がしてきます.

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2/28'22
[今自分がいるところの感覚]
(生活)

 どこかで書いたと思うのですが,「今自分がいるところの感覚」が重要だと思うんですよね.今自分がいるところの「ところ」というのは,具体的な場所です.例えば,今は防災研に研究室があって,自宅はすぐ近くの職員宿舎です.そして,一日のほとんどをどちらかで過ごしているのですが,そこにいるときにどういう「感覚」なのかということです.

 それは,部屋の環境もありますし,回りがどうなっているか,あるいは,日本の中でどういう位置にあるかなども関係あります.そういう意味では,今いるところは大学も自宅も悪くないです.でも,一日中自宅で過ごすのはちょっとしんどくて,つまり,自宅と研究室があって成立してるような感じです.

 つくば時代は,既に書いたと思いますが,ずっと違和感がありました.研究室はそうでもなかったですが,自宅でずっと過ごすのは厳しかったです.

 そういう意味で,一番違和感がなかったのは,東京時代ですね.本郷時代,西片時代,いずれもそうです.でも,これも自宅で過ごすというよりは研究室での話で,研究室で過ごすことを中心として,それ以外を過ごすということでの自宅の環境は何の問題もなかったですし,それは,つくば時代もそうですかね.

 で,どうしてそういうことを書いたかというと,リタイア後のことです.大学に職を失って,つまり,研究室という場所を失って自宅を中心に過ごすわけなので,自宅が「今自分がいるところの感覚」としてどうかが非常に重要になるわけです.そして,具体的にいろいろなところを検討して,実際にそこに住むことを想像すると,その感覚がしっくり来るところがないことに愕然とするわけです.でも,どこかに住まないといけない.

 で,すぐ上の記事で,「人生所詮退屈しのぎ」と考えると,何でもありというか,どういう状況でも何とかやって行けそうと書きましたが,ようやくここなら何とか暮らして行けそうかなというところが見つかったと思うこともあるんですが,今一決め手がない感じもしてしまいます.

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 終の棲家かどうかはともかく,土地を買って家を建てるとなるとそれなりの覚悟を以てそこに住むわけですよね.そうすると,どうしてもハードルが上がってしまいます.実際,これまでは,職場というものがあって,その近くに「とりあえず」借りて住めばよかったわけですからね.

 ですから,リタイア後も「とりあえず」というのがいいのかもしれませんし,それで最後まで行ってしまえばいいとも思うんですよね.本質的には,家を買いたくないわけですしね.ただ,歳をとって仕事を失うわけですから,これまでのようには行かないわけで,URを借りるとしても,そこで一日中過ごすのはちょっと厳しい感じもしてきます.

 そうすると,必要なのはお金ということになって来るんですかね.つまりは,「とりあえず」家を建てちゃう,マンションを買っちゃうというくらいのお金が必要ということでしょうか.

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(補遺)

 自分が受験をしたとき,どうしてもっとちゃんとやれなかったのかなあという記事ですが,感覚的にだーっと書いてるので,細かいところに論理矛盾というか,自己肯定的に都合のいいように(でも,既に終わった過去のことについては,そう考えるのも大事なことですが)書いているところがありますね.

 まず,大学受験時に「いい状態」になるという貴重なタイミングを使ってしまって,大学卒業時にそういうタイミングにならなかったということなら,「また「完璧な」参考書とか問題集を作ってがっちり勉強して官僚になってる」ということもないことになります.じゃあ,この場合,どうなったかと言うと,大学時代ずっとぱっとせず,公務員試験にも受からず,就活もうまく行かなったということになりますね.

 でも実際は,そうなるよりは,大学受験の成功体験,つまりは,「勉強が面白い」ということになって「しまった」可能性もあったということでしょうか.これは,大学入学時に極めて優秀だった人によくあるパターンで,それが講じて予備校講師になっちゃったとか(林修先生はそんな感じ),資格マニアみたいになって,司法試験とか公認会計士とかを総なめにするとか,いくつかのパターンがあります.

 あるいは,大学受験の時の成功体験を活かして公務員試験で上位合格して官僚になるとかで,そうすると,「こんなどうしようもない奴が官僚で成功したとは思えず」ということになりますね.

 でも,やっぱり,想像つかないですね.つまりは,「大学受験時に「いい状態」になるという貴重なタイミングを使う」ことはあり得なくて,それは,やっぱり,既にわかってることを勉強することなんかにスイッチが入ることはなかったというか,それは,大学受験の時に限らず,小中高とずっとそうだったわけですし,大学4年の春に研究というものに出会って,そこで生まれて始めてスイッチが入るというのは必然だったんだと思います.

 でも,研究というものに出会うというところに何とか辿り着く必要はあったわけで,小谷先生の魔法の言葉もそうですが,東大以外の,あるいは,青山小谷研以外の研究室に行ってたら,あるいは,その年にたまたま卒論に(南先生が地震研に来られて)「地震動の破壊力に関する研究」というテーマがなかったらそうなってなかった感じも大いにするわけで,やっぱり,いろんなことがたまたま重なってうまいこと行ったという感じがします.

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 あとは,自分のことを,それそのものに興味がもてないことを我慢してやることがどうしてもできないどうしようもない奴と再三書いてますが,まあその通りなんですが(笑),額面通り受け取ってもらっても困るというか,実際は,最低この位はやらないとまずいというくらいはやってたんでしょうし,そもそも,最低この位はやらないとまずいの「最低」がどのくらいかってこともあるでしょうし,最低どころか研究以外の大学の仕事をしっかりやり過ぎて○○長の話が来て困惑したこともあったわけですからね.

 「人生の中でやる気になった「いい状態の時」は,中二と大学4年で研究室に入って大学院を修了して就職してからしばらくまでと1-2秒応答とかでばんばん論文を書いていた40代前半くらいしかなくて」というのもあくまで「私の中での感覚」なわけですし,実際,30代中盤で迷走した時を除けば,今に至るまで,精力的に研究して成果を出し続けてきたわけで,そして,それは,これからもそうだと思うんですよね.

 と書くと,昨日の記事と全く違うやんってことになると思うんですが,その通りですね.つまり,この巨大なギャップは何かということです.つまりは,自分の中では大したことしてないと思っても,客観的に見れば,全然そんなことないってことでしょうか.

 やはり,やりたいことやってるから,頑張ってるとか努力してるという感覚がないということはあると思います.そして,これは大きいです.でも,それだけでもない気がするんですよね.

 ほんとに大したことやってなくて,それでも何とかなってて,こんなんでいいんかなというのは確かにあるし,でも,その一方で,やったことを客観的に見ると,よくやったもんだと思う一方,もっと全然できたとも思うし,この相反する感覚が同時に存在する分裂状態はなんなん?ってことでしょうか.

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[どうしてこんなことになってしまったのだろうか]

 ロシアのウクライナ侵攻ですが,どうしてこんなことになってしまったのでしょうか.ウクライナは元々ソ連の一部で(例えば,チェルノブイリの原発事故が起こったのはソ連だと知っていても,ロシアではなくウクライナだと認識してる人はそんなに多くないはず),ロシアとウクライナは民族的にも文化的にも親戚みたいなものでしょう.

 今回のことで,ウクライナとか首都のキエフとか,ロシアとの位置関係を詳しく知った人も多いと思いますが,ウクライナはそんなに馴染みがなくても,キエフは非常に馴染み深いというか,例えば,ムソルグスキーの展覧会の絵の最後の曲である「キエフの大きな門」は,題名は知らなくても,聴いたことありますよね(ナニコレ珍百景).

 そして,言うまでもないですが,ムソルグスキーは,ロシアの作曲家です.これが何を意味するかは説明不要でしょうし,そのロシアがキエフに侵攻するなんてことは考えられないし,ありえないことでしょう.

 でも,そんなこと言ったら朝鮮半島はどうなんやということになるわけで,まだ世界平和は遠いと思うのですが,それでもはっきり言えるのは,力による現状変更,即ち,戦争は絶対にだめということです.つまり,何度も書いているように,解決しない問題を解決しようとするよりは,棚上げして先送りする方が戦争なんかするより百倍ましということです.

 でも,その越えてはいけない一線をロシアというかPーチンは越えてしまったわけで,まさにトリガーを引いてしまった以上,そう簡単に事態が収束することはないわけで,やっぱり,どうしてこんなことになってしまったのだろうかと思ってしまいます.

 どこでここまでこじれた? 西側というかNATOもそうですが,ウクライナ自身ももっとやりようがあったんじゃないですかね.今となってはもう...ってことなんでしょうが,中国とか朝鮮半島とか,日本も他人事ではないと思います.

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 もっと言えば,ロシア国民はどうだったんでしょうか.暴走しているのはPーチンですが,C国と違って彼を選んだのは自分達ですよね.こんな形で兄弟のような隣国を侵攻することをロシア国民は支持している? 今回は反戦ムードもあるみたいですが,2014年のクリミア併合のときは,支持率が跳ね上がったんですよね.それが今回の暴挙に繋がってるとは思いませんか?

 Pーチンが支持されているのではなく,ソ連崩壊後の悲惨な経済状況のことを憶えている年寄りがあの頃に戻りたくないだけという話もききますが,今の経済状況を作ったのは,ソ連崩壊後のゴルバチョフやエリツィンの成果で,Pーチンはその果実を享受してるだけなのでは?

 似たようなことは日本でもありますよね.他に選択肢がないからということで,A倍一強でAベノミクスとかやって莫大な借金を作って,これまた日本も他人事じゃないと思いますね.

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 全く別の見方としては,Pーチンは人が変わってしまった,狂ったという人もいますが,侵攻という暴挙に出たのは,ある意味,追い詰められていたということもあるわけで,そして,そういう人間が核のボタンを握ってるわけで,もちろん,やってることはとんでもないことなので,制裁などで追い込んで行くんでしょうが,追い込み過ぎて破れかぶれにならないかとは思ってしまいますね.

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