そっか,3月なんですね.2月は,28とか29日とかで終わりなのでいつもそんな感じで,調べると古代ローマ云々というのが出てきますが,その後,いろいろ変更もあったようで,だとすると,31日の月を減らして30日にすれば,30日と31日の月だけにできるんじゃないですかね? 例えば,31日の月を5つ,30日の月を7つとすれば365日で,閏年は,30日の月を31日にすればいいですよね.でも,現代社会では,合理的でもそういう変更をする方が逆に混乱しますかね.
私が筑波大に移ったのは,3/1なので(今井先生から採用になったよと連絡があって,4/1が区切りがいいけど,3/1から来られるけどどうする?と言われて,じゃあ,3/1に行きますという感じ),あのままずっと筑波大にいたら,東京にいた年月を超えて,生涯で一番多くの時間を過ごした街ということになったんですね.だとすれば,やっぱり,防災研に来てよかった?
あと10年でやっておかないといけないことは特にないというか,いっしょにいたい人,過ごしたい人と過ごすってことですが,荷物は,お金を残して全部処分してくださいでもいいのですが,片づけるというか整理したい気分にはなりますね.なので,やりたくなったらやるということですかね.
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あと10年くらいで人生が終わるとすると,振り返ってどういう人生だったかなとは考えます.
まず思うのは,あっという間だったなということでしょうか.小中高大,いや,その前の大牟田時代もついこの間のような感じですからね.
あとは,「なかなかよくできたゲーム」だったなということでしょうか.
20代くらいまでは,何を仕事にして食べて行くかということに向かって過ごして行くのですが,勉強とか受験は,私はあまりうまく行きませんでしたが,それなりに面白かったと思います.でも,やっぱり,勉強以外の音楽とかスポーツをしてた方が楽しかったかな.
20代で何で飯を食うか決まったら,そこからは,仕事で実績を上げてキャリアアップするということでしょうか.好きな人ができて結婚して家族をもつこともあるでしょう.私は,研究者になったので,研究すればよかったんですが,これもうまく行かなかったですね(でも,この時も,仕事以外にいろんなことをして,楽しんだけど).でも,こういうのもゲームとしては,よくできてるんじゃないですかね.
そして,50になった時,結果的になんとかなった気もしましたが,そういうゲームが終わったとも思いました.あっという間でしたね.
じゃあ,それからどうやって過ごしてきたかですが,私の場合は,研究すればよかったのは,ラッキーでしたが,むしろ,それを阻害するいろんな仕事が問題でしたかね.
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こうして書いてみて気づいたんですが,あと10年とかじゃなくて,とっくに実質人生は終わってるわけで,何を今さらってことですよね.でも,振り返っていい人生だったとは思いますね.
いやいや,それは,お前に何某かの能力があったからだろというのは関係なくて,「なかなかよくできたゲーム」で高得点を出さないといけないということはないですし,それぞれのレベルで楽しめると思うんですよね.
一つは,やりたいことを見つけることですが,これを仕事と重ねるには,能力が必要ですが,そうでなくても,必要最低限の仕事をしながらやりたいことをやることはできますし,やりたいことまで行かなくても,何かちょっとした楽しみと生活に必要な分稼げるそんなに辛くない仕事を見つけて,経済感覚を発揮して余計なものに散財しなければ,充分楽しく過ごして行けるでしょう.
あとは,好きな人ができるといいですね.結婚とかはしなくてもいいと思いますが,そういう人がいればとは思います.でも,そこまで行かなくても,話ができる(同性,異性問わず)大事な人(その人がいない人生はあり得ないという人)が何人かいれば充分だとも思います.
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でも,こうしてみると,上の上で「なかなかよくできたゲーム」と書きましたが,そういう(パワー)ゲームに参加しなくてもいいわけで,私自身,そこそこ結果は出たと思いますが,そういうゲームに参加しているという感覚はなく,やりたいことをやってただけで,それがよかったというか,何より楽しかったですね.
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右脚ですが,そう言えば,やってすぐに効果があったこと(右にひねりながら沈み込む)あったなと思ってやったら,効果があって,でも,しばらくすると元に戻る感じで,そう言えば,その時もそうだったわけで,その時は,効果がないということで,やめてしまったのですが,やった方がいいに決まってることと合わせて,やり続けると,どうなるか,ですかね.
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「あと5年か10年くらいして具合が悪くなって病院に行って,ステージ4の癌であと半年の命」ですが,私はそれでよくても,そうではない人がいるのか,ということはありますよね.具体的には,子供がいて,まだ小さい場合は,そうは行かないですしね.私には,子供はいませんが,子供以外にそういう人がいるのかということでしょうか.
自分の実体験からすると,私は,人生で2回,そういう非常につらい思いをしていて,最初は,高二の時に父親を亡くしたことです.でも,これは,「子供がいてまだ小さい」に該当しますかね.
2回目は,地震研時代,上司だった南先生が亡くなった時です.この時のショックというか喪失感というか絶望感も大変なものでした.その時,私は,30代後半で,「子供がいてまだ小さい」の「子供」にも「まだ小さい」にも該当せず,つまり,そういう年齢で親でなくても,大きなショックを受けることはあるということですね.
じゃあ,今の私にそういう人がいるかというと,思い当たる人はいます.なので,そういう人のために生きるということはあると思います.でも,これも,10年後はどうですかね.
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振り返ると人生なんかあっという間というのは,そうですが,それは,振り返るのは「一瞬」だから,とどこかで書きました.なので,人生が200年でも1億年でも,振り返れば,やっぱり,あっという間ということで,70年とか80年という時間の長さがどのくらいかという問題ではないのでしょう.
実際,10年前のことが,それ以上前のようにも感じるわけですし,先日,学部試験の監督だったのですが,何もできない3時間は,永遠のようにも感じるわけで,時間の感じ方は,時と場合によって,いろいろなわけです.
でも,(光速に近い速度で移動しない限り)時間の進み方は,完全に一律で,感じ方の問題というよりは,そんなこと考えても,あまり意味がないってことですかね.
でも,ある長さの時間をどう過ごすかは重要で(何もできない3時間は非常に苦痛),時間の長さなど関係なく,どう過ごして行くかだけ考えればいいわけで,そういう意味では,時間をどう使うかを自分で決められることが重要ということでしょう.
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TランプがUクライナそっちのけで停戦協議をしているってことですが,どう思いますか?
彼の考えていることは,自分が手柄を立てたいってことなんでしょうが,Rシアと話をしなければ,話はまとまらないと思いますし,AメリカがRシアに近づくというか,今の対立構造がなくなるのは,悪くないと思います.
もちろん,侵略戦争を仕掛けたのはRシアで,それは断じて許されることではないですが,このサイトで当初からずっと書いてますが,そういう状況にRシアを追い込んだのはOBで(Uクライナは,そそのかされて,ババをつかまされた),いくら何でもRシアをコケにし過ぎたと思うんですよね.
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FBを見ていたらすごい動画がありました.モーグルの選手目線の動画です.
どう思いますか?(と言っても,スキーをかなりやる人しかわかんないと思うけど)
思ったのは,ほとんど直線的に滑っていて,何度も書きましたが,コブは横滑りが基本(そこをベースにどのくらいずれを抑えてターンするかの勝負)ということと,仕掛けのタイミングが一瞬早いということですね(音楽で言えば,アフタクト的な感じ).でも,個人的には,(もちろん,ここまで上手くも速くもないですが)まさにこういう感じで滑ってるので(溝のどこを滑るのかというのも),ほとんど違和感はなくて,この動画から得られるものは何もなかったというか,確認したということでしょうか.
でも,本来のモーグルは,こういう滑りなんですが,一般のゲレンデでは,もう10年くらい前からでしょうか,バンク滑り(左右に移動しながらコブをバンクのように滑る)がメインになっていて,コブの形状もそうなってしまって,本来の滑り方では滑りにくくなってるのが難点ですね.
と書いて思ったんですが,もうスキーはできないかもしれないので,関係ないですかね.
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昨日は,研究室の追いコンでした.追いコンにしては,早いのは,卒業生で今週引っ越す学生がいたからで,でも,卒論や修論の打ち上げもまだだったので,それも兼ねるというか,まあいっかって感じですかね.
いつものことですが,とにかく元気で頑張ってくれればというか,過ごして欲しいということに尽きますね.寂しいというのもありますが,そういうのもあと〇年で終わりなので,そういう感覚は,なくなってきた感じがします.
いろんな話をしたんですが,大学は,昔は,どこに行くかは,先生が決めたという話になりました.そうですね.そうでした.いや,今でもそういうところもあるんじゃないですかね.
でも,その時も話したんですが,私って,全然言うことをきかなかったんですね.全く以てとんでもない奴です.
まず最初は,D3の夏にQ大の話があったんですが,断りましたし(言い訳をすると,当時は,まだインターネットもなかったし,最前線にいるには,首都圏を離れたくなかった.横国の壁先生のところの助手のポストが空きそうということもわかってて,壁先生のところに行きたかったというのもあります),次は,地震研に就職して,数年して,筑波大の話があって,それも断ったというか,難色を示していたら決まったということでした.
次が南先生が亡くなった時,某工大の話をもらって推薦書まで書いてもらって,近くに住むために不動産屋の下見までしましたが,どうしてもだめで断りました.この時は,さすがに「終わった」と思ったのですが,その数年後,筑波大の話があって,この時は,逆に止められたんですが,言うことをきかずに行きました.
その後,またQ大からお誘いがあって,またまた断ったんですが,これは,誰かから行けと言われたわけではないので,該当しませんかね.
最後が防災研ですが,こんな感じなので,ばれないようにというか,筑波大の時のように妨害されないように(私の知らないところでなんかいろいろあったらしい)注意していて,何とか移って来ることができたんですが(移る数日前に,お世話になった先生方にだけ連絡しました),知ってる人は知ってたみたいで,まあ,でも,もうこんな歳ですからね.
という感じで,ほんとに親不孝というか,とんでもない奴なんですが,それでどうなったかですが,結果的にうまい具合に行ってるわけで,そりゃー自分勝手すればそうやろってことなんでしょうが,普通は干されるわけで,でも,私には,やりたいことがあったので,余計なこと(という言い方はよくないですね.自分がやろうとしていること以外のことですかね)に巻き込まれず,却ってよかったんでしょうが,まあ例外中の例外ってことでしょうね.
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つくばに17年もいたわけですが,結果的に,よかったと思うのですが,つくばに行ってしばらくは,東京に帰りたいと思ってたわけで,じゃあ,東京の大学からお誘いがあったら,どうしたかなと考えたら,行ったような気がします(笑).Q大の話を断ったのは,やはり,首都圏から遠く離れるということが大きかったと思いますからね.
じゃあ,具体的に,どういう大学だったら行ったかですが,東大なら行った(帰った)と思いますが,そういうことは(RCをやらないといけないので)最初からなかったわけですし,そういうことになったらそれはそれで大変なことになったでしょうし,それ以外だと,東工大とか早慶とかなら行ったんですかね? そう考えると,つくばに行って10年以内なら行ったような気がします.
じゃあ,実際に行ってたらどうなったかですが,あまりいいイメージは湧かなくて,(建築ではない)筑波大(の工シス)にいたようには行かなかったと思うんですよね.そうそう,実際,慶応出身の筑波大の先生が慶応に移籍して,筑波大の方がよかったと行って筑波大に戻ってきたこともありました.
つまりは,そういう話がなくてよかった,結果オーライってことですかね.
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右脚なんですが,昨日は,追いコンで,途中一度,トイレに行きましたが,話も結構いろいろ盛り上がって4時間以上座ってて(当初は2時間の予定),そうすると,痛くなってしまいます.出かけて歩くというのもありますが,電車移動も含めて,ずっと座ってるのがよくないと思うんですよね.
じゃあ,どうするかですが,動き続ける,つまり,マグロのように生きるしかないってことでしょうか(あるいは,もうあきらめて,カレイのようにじっとして生きるのもありか).現実には,動き続けるのは無理なので,30分に1回は立って,体を動かす,座ってる時もできるだけ脚を動かすということですかね.でも,だとすると,出かけることは難しいことになってしまいますね.
でも,寝る時は,どうしようもないですし,実際,朝起きた時が一番痛いので,これをどうするかですね.
あるいは,出かける時や寝る時,少し後退するのは,仕方ないとして,それ以外をできるだけ「マグロのように」過ごして,それで少しずつにでも快方に向かうかでしょうか.
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でも,痛いのを我慢して動かすと(当然)痛いので,それは苦痛です(なので怠ける).少し大げさに言うと,痛みを感じるたびに命を削られる感じもします.
もし私が若かったら,まだまだ人生は長いので,治すように頑張ると思うのですが,あと5年とか10年の命なら,まあいっかというところもあるわけですし,あと〇年で大学をクビになれば,家に引きこもればいいわけですからね.
でも,起きてる時は,多くの時間を座って過して,できるだけ動かないようにすればいいですが,夜寝ている時に痛いのは,どうしようもないですね.つまり,それを何とかすることが動機付けになるかということでしょうか.
あとは,右脚が痛くなくなれば,バドミントンもスキーもかなりのレベルで(ゴルフも練習すれば,そこそこのレベルで)できると思うので,それを勿体ないと思うのかってことですが,それは,もうだんだん,まあいっかという感じになってきました.
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Vァンスというのは,Aメリカの副大統領のVァンスのことです.彼のこと,どう思いますか?
大統領のTランプが受かって間もないですが,もうかなりの存在感ですよね.このことが意味することとしては,このまま行けば,次は,彼ということです.つまり,ここでも書きましたが,Tランプの任期中の4年を何とかやり過ごせばいいということではなく,へたしたら10年以上,こういう状況が続くということです.
でも,それを止める方法があります.それは,Aメリカ株が暴落することです(これもここで書いたか).そして,今後10年以内に,その可能性は大いにあるでしょう.でも,今の状況が10年以上続いても,Aメリカ株が暴落しても,大変なことになることに変わりはないか.
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と書いたのですが,一概にそうとも言えないですかね.
いくら環境に恵まれてるとは言え,17年半も同じところにいるよりは,違うところに行った方が単純に面白かったと思いますし,だからこそ,防災研に来たわけですからね.
そういう意味では,つくばに行って7年目に来たQ大の話は,いいタイミングだったと思いますが,どこに移るにせよ,そこに骨を埋める気があるかは重要で,実際,筑波大に行った時も,もしそういうことになっても,ということはありましたからね.
そういう意味では,私の場合,Q大に行くことは,F岡に帰るということで,じゃあ,F岡に骨を埋めるかと言われると,それはちょっと...ということだったので,まあしょうがないですかね.
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でも,会社から命令されれば仕方ないですが,大学の場合は,自分の意思で決められるわけで(でも,昔は違ったということですが),家族がいる場合は,自分の仕事の都合だけを考えればいいわけではないですし(実際,私の場合も,Q大の時は,家族が反対した),回りを見ても,まだ独身の若い頃は,割と頻繁に大学を移ってるけど,家族をもったりすると,一つの大学に落ち着く,移る場合も単身赴任的な人が多いですかね,
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私の場合,家族(妻)はいましたが,子供は作らなかったですし,家を買ったりもしなかったのですが,そういうことがあったら(でも,家を買うことはなかったと思うけど),具体的には,子供を作ったら,あるいは,そういう人と結婚していたらどうしたんでしょうね(妄想の世界).
まず,筑波大に行くときは,単身赴任的な感じだったんでしょうか? あるいは,東京から通った? 最初の数年は,TXは未開通だったんですが,週に数回,東京で仕事でしたし,仕事以外のいろんなことは東京でやってましたし,全然ありだったかもしれませんね.
というか,家族がいなくても,どうしてそうしなかったんですかね? ずっと職住接近でやってきたので,通うのがめんどくさかった? でも,週数回東京で仕事なら関係ないですよね.そもそも,つくばは,住みたい街でもないですし.
はっきりは憶えてないのですが,やっぱり,覚悟を決めてというか,これまでのことをリセットするつもりで行ったということはあったかもしれません.そして,それは,よかったんじゃないですかね.
いや,どうですかね.仕事(研究)については,そうだったと思いますが(後は,経済的なことも),それ以外については,何とも言えませんね.でも,全て過ぎたことですし,全ては138億年前にきまっているので,それが唯一ベストの結果に違いはありません.
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先日,助教になった人が大勢の人の前で挨拶をしていて,見ていて,これから頑張るぞという感じで嬉しそうで,防災研の助教になって,しっかり業績を上げていけば,ずっと研究して飯が食って行けるわけで,私の時は,どうだったかなと考えました.
私の場合,やりたいことを見つけて,それで飯を食いたいということだったので,地震研の助手になった時は,もちろん,嬉しかったんですが,ここでしっかり業績を上げていけば,ここでやって行けるという感じではなかったですかね.
いや,何年かして,そういうことも言われたんですが,やったー,頑張るぞという感じでもなくて,どうしてそういうことになったんですかね.やっぱり,やりたいことを見失ったということなんでしょうか.
でも,やりたいことはあったし,でも,そういうことをしてもあまり認められなくて,どうしたら,という感じでしたかね.でも,やりたいことではなく,「やること」はあったわけで,今までの延長線上で,そういう「やること」を淡々と続けることがどうしてもできなかったということですかね.
でも,結果的に,やることではなく,やりたいことを何とか続けて,認めてもらえるようにもなったので,これでいいんですかね.でも,なんか回り道をしたというか,紆余曲折があったということですが,そういうことがなければ,どうなったんですかね?
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そういうことがなければ,というのは,2通りあって,1つは,私がやりたかったことがすぐに認められた場合ですが,それは,何の問題もなかったでしょう.やりたいことができるわけですから,がんがん研究して,がんがん論文書いて,業績もできて,ずっと順調にやって来られたんですかね.
もう1つは,やりたいことではなく,当時の立場というかポジションでやる(べき)ことをしっかりやっていった場合ですが,これはこれで,何とか順調にやって行けたのでしょうか.
と書いて思ったんですが,当時の状況としては,とにかく学外の仕事が大変で,こんな感じでは,とてもじゃないと思ってたわけで,やっぱり,私には無理だったというか,なるようになってる気がします.
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先日,東京での報告会で(毎度のことだが,前日,翌日ともに学内の仕事があって日帰り),建研に行った伊藤さんと話した時,研究学園よりつくばセンターの方が住みやすいというか,雰囲気としてしっくり来るという話になりました.
そうですね.私もそう思います.実際,センター近くの竹園に10年以上住んでましたし,研究学園は,TXが通って駅ができて,市役所もそこに引っ越して,センターにあまりスペースがないということもあり,急速に発展したんですが,なんか人工的に作られた感じがして,それは,つくば自体がそうなので,なおさらです.
で,思ったのは,つくばに住むとしたら,どこがいいかです.
これは,つくばに住んだことがある人の間では,よく話題になることで,センター近くか研究学園の2つに分かれる感じがします.
まず言えるのは,つくばは,車街なので,基本的には,どこでもOKです.主たる道路は2車線で,平均時速60kmで移動できるので,どこに住んでいても不便はないですし,逆に言えば,車で10分とか20分くらいで,必要なものは全部そろいますが,点在しているので,車があれば,ということになります.
でも,それでも,自分がどこに住んでるかは重要で,それは,周りの雰囲気もありますし,生活に必要なものが一通り徒歩圏にあるようなところがいいな,とは思います.そんなところつくばにあるんか,ということなんですが,私が知る限りでは,大穂がそれに近い感じがしています.
ホーマック(には,よく行った)とかカスミとかがあるショッピングエリアで,一通り,生活に必要なものが揃いますし,そのすぐ南には,住居エリアがあって,その辺の雰囲気も私は好きなので,その辺に住めば,割と快適かもしれません.筑波大から建研に行くときに,よくそこを通ったのですが,老後をこの辺で過ごすのも悪くないかなと思ったことを憶えています.
でも,つくばセンターからは,かなり離れているので,車はやはり必要ですが,バスがかなりの頻度で走ってるので,なんなら車なしでも行けるかもしれません.そして,たまたまですが,建研のすぐ近くなんですね.
例えば,勤務先が建研で大穂に住むと,基本的に徒歩圏で完結するわけで,時々車で出かけたり,センターに出て,TXで東京に行くとかもできますし,大穂で内的熟達的生活を送るというのも悪くない?
でも,年寄りならともかく,若い人には,やっぱり,しんどいというか,そもそも,勤務先が建研ということは,しょっちゅう東京に行くわけで,だったら,センターとか研究学園の方が全然便利ですよね.
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と思って,ストリートビューで大穂周辺に行ってみました.
でも,以前感じたような雰囲気のよさは感じられなかったです.どういうことですかね?
なんかもう心が離れた? あるいは,ストリートビューでは,臨場感が足りない?
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じゃあ,(リタイア後)どこに住むかですが,昔は,東京に住みたかったですが,内的熟達的生活を送る今となっては,関係ないというか,東京から電車で1時間の高崎線沿線とかいうのは,東京に時々出てくるとか,スキーとかゴルフとかに行くことを考えてということだったんですが,脚が治らずにそういうこともなくて,リタイアして引きこもるのならどこでもいい気がします.
でも,「周りの雰囲気もありますし,生活に必要なものが一通り徒歩圏にあるようなところ」というのをちょっと思い出したわけで,でも,そういうところなら,いくらでもあるような気がするし,でも,そういうイメージはあっても,実際には,なかなかない気もしてきます.
すぐに思いつくのは,大阪の難波とかの商店街ですが,ちょっと現実的ではないし,大宮周辺は,候補だったんですが,その後,人気沸騰みたいで(竹ノ塚もそうだったし,だいたいそうなる),でも,駅近ではなく駅遠でもいいのなら,大穂みたいなところは,いくらでもあるような気はします.
でも,つくばと関係ないのに,わざわざ大穂に住もうとは思わないので,何か理由(付けできるところに住むこと)は必要ですかね.
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なんか最近疲れてるんですが,「右脚が痛いことに疲れてきた」感じがします.
痛みを感じると命を削られる感じがするというのもそうですし,効果がありそうなことでも,すぐに効果が出るわけではないので,地道にやり続ける必要があるのですが,効果が感じられない状況で続けるのは疲弊しますし,基本的には,痛いのを我慢して動かすということなので,命を削られる感じがします.
40を過ぎて,バドミントンの競技力が急速に落ちて,練習やトレーニングをしても全く効果を感じられなくなった時と似ていて,その時は,耐えられなくなって,バドミントンそのものをやめてしまったのですが(結果,半年後に再開はしましたが),右脚もどこまで続けられるかですね.
右脚も何かするのをやめてしまうということも考えられるのですが,というか,そうしたこともあったのですが,何もしないでよくなるはずもなく,つまり,何かするのをやめると,今より悪くなることはあってもよくなることはないので,そういうことを受け入れる必要があって,それは,何とかあと〇年,できるだけ出かけずにやり過ごして,その後,家に引きこもるということで,それが受け入れられるかということですが,夜寝ている時に痛いのは何とかしたいですし,家の中でも動けなくなることは避けたいです.
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右脚が痛いことに疲れてきたということですが,右脚が痛いことだけではなく,いろんなことが重なってるんでしょうし,それがストレスになって右脚の痛みに繋がってるということがあるんだと思います.
具体的には,2月はいろいろ忙しくて,というのもありますし,副所長になって,そのタスクが大変で,その積み重ねもあるんでしょうし,もっと言えば,何でも一人でやらないといけない単身赴任というか一人暮らし疲れとか,もっともっと言えば,50になった時に,実質人生は終わってて,その後は,第二の人生ということで,やりたい研究だけやってればいいのならともかく,それ以外のいろんな仕事があるわけで,そう考えると,よくここまでもった感じもするくらいです.
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3/11ということで,東日本大震災から14年ということですが,あの日は,私は,ニュージーランドにいたので,日本にいなくて,纐纈先生や飯塚さんと被害調査をしていて,とか思い出すと,随分前のような気がします.
そっか,上の50になって,人生が実質終わったということだと,この時は,まだそういう感覚ではなかったですね.リタイアという記事を書いたのは,2013年の2月なので,それから2年後ということか.
実際は,その時(正確には,それから研究室の学生達を全員卒業させて4年後に)リタイアすることはなかったのですが,リタイアしてたらどうだったかなあ.おそらく,2017年の3月ということなので,全然ありだった感じはしますね.
でも,そうすると,その後,研究室に来てくれた学生達とは,出会ってないことになり,そう考えると,全然違ったことになるわけで,なんとかここまで引っ張って来られた意味もあるということですかね.いや,その後も多くの学生達が研究室に来てくれたおかげで,なんとかここまでやって来られたわけで,辻褄は合ってるということですね.
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右脚ですが,効果がありそうなことでもすぐに効果が出るわけではないので,とにかく地道に続けるということですが,やると痛いことは,痛いことに(命を削られて)疲弊して行くので,やっぱり,続かないです.
なので,やっても(そんなに)痛くないことにしようと思います.動かすというよりは,マッサージ系ということでしょうか.
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今日,とある会議の中で,ある理論の分野で,ChatGPTに研究テーマを考えさせて,研究させて論文書かせた人がいるって言ってた人がいました.実験とか観測とかが必要なくて,理論だけなら,もうそういうことができるようになってるらしいです.
ChatGPTには被害調査はできないですし,自分の分野では考えられないですが,過去の最先端の論文を学習させれば,斬新で面白い研究は無理でも,査読に通って業績を積めるくらいの研究テーマなら考えられるでしょうし,実験とか観測とか調査だけして,結果を放り込んだら,論文も書いてくれそうです.
なんかつまんない世の中になって来ましたね.お前は,もうすぐ大学をやめるからもう関係ない? いや,大学をやめるのと研究するのは関係ないです.
でも,使えるものは使うというか,使わないと,ということはあるでしょう.今だって,コンピュータを使わずに応答解析するのは無理ですし,手書きで論文書こうとは思わないですからね.
被害調査や振動実験は,ChatGPTには(当分は)無理ですし,自分でテーマ考えて,調査とか実験とか解析とか,おいしいところだけ食べて,論文を書くとか,めんどくさいところは,ChatGPTがやってくれるのなら,むしろ朗報かもですね.
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折しも,東大入試の数学の問題をChatGPTに解かせてみたという記事がありました.結果は,どうだったと思います?
5年くらい前,つまり,ChatGPTなどの生成AIが出て来る前は,センター試験とか偏差値が低い私大の問題なら何とか,という感じでしたが,今回は,東大の数学の問題も受験者の上位1%くらいの点数を叩き出したそうです.
このことが意味することとしては,AIの進化はすさまじいということで,まさに加速度的で,それは,とにかくがんがん学習すればいいという「単純さ」から来るのは,明らかでしょう.
でも,東大の入試とは言え,「答えはある」わけで,じゃあ,最先端の未解決の数学や物理の問題,例えば,ポアンカレ予想(は,ペレリマンによって解決済み?)とか,P≠NP予想とかをAIが解いちゃうのは,時間の問題でしょうし,何なら宇宙や生命の謎もAIが解いちゃう?
でも,やっぱり,最大の問題は,AIは「学習することしかできない」ということでしょう.上の記事で,最先端の論文を学習すれば,と書きましたが,その論文を書いたのは,もちろん,人間です.でも,AIが研究と論文執筆をするようになると,過去の論文もAIが書いたものになり,それを学習すると,自分がやったことを学習するしかなくなり(AI自体が進化するのは,学習能力が上がるということなので,また別の話),ある一定の空間の中をぐるぐる回るだけになる? それとも,(人間だって学習するわけだから)AIも学習することで,それまでにないものを生み出すことができるようになる?
つまりは,学習とは,一体どういうことなのか?ということですね(それが本来の,AI研究だったはず).
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痛いからやらないというのは,よくないですね.痛いから動かさない→筋肉が硬くなる→痛くなる の悪循環ですからね.
なので,できる範囲で動かすとか,よくないはずはないことを続けて行くってことですかね.でも,そうやってきて,よくならないということなんですが,やってるつもりでも,その実,できてない感じもするし,なかなか難しいです.
もうあきらめる,でも,右脚とか関係なく,よくないはずはないことは,淡々と続ける,つまり,気にしないというのがいいかもしれません.
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よく知る先生の息子さんが私の出身校である修猷に受かったということで,それは,とてもよかったというか,おめでとうございますなんですが,修猷って(今はそうでもないかもしれないけど私の頃は)とにかく遊ぶというか全然勉強しないんで,ということなんですが,どうしてかなというか,どんな感じだったかなと考え始めました.
まず部活はブラスに入ったんですが,毎日かなり遅くまで練習があって,でも楽しかったです.でも,授業がほんとにつまらなくて(ごめんなさい),部活が始まる時間までひたすら我慢というか辛かったのを憶えています(でも,だいたい本を読んでた気がする.高校に入って最初に読んだのは,ロマン・ロランのジャン・クリストフだったかな).
でも,ブラスは途中でやめてしまって,理由は,疲れて帰って来て寝ているのを見た父親にブラスかピアノかどっちか選べと言われてピアノを選んだからなんですが,じゃあ,そんなにピアノの練習をしていたかと言うと...
思うのは,その時,どういうつもりだったかですね.ピアノ以外にも音楽に夢中だったのはよく覚えてますが,勉強の方は,どういうつもりだったかです.楽しそうに仕事をする父親を見て,自分も何か興味をもてることを見つけて大学の先生になろうと思ってたわけで,そのために東大に行かないといけなかった(九大だと苦労すると九大出身の父親に言われてた)わけですからね.
当時は,修猷から20人くらいは東大に行ってたので,そのくらいのところにいて,最後追い込めば何とかなると思ってたんですかね.でも,これから追い込もうと思ってた矢先に父親が亡くなって,ということか.
でも,高校の授業だけじゃ話にならないことはわかってたわけで,でも,中学の時のように自分で参考書を買ってきて,どんどん勝手に勉強するということは全然しなかったわけで,やっぱり,どうして高校の時にあんなに勉強しなかったのかなあと思ってしまいます.
中学の時に福岡市内のトップクラスの生徒がみんな集まるような塾に行って(高校ではそういうのには行ってなかったし,そもそもなかった)勉強して疲れてた? そうですね.そういうところはありましたかね.実際,高二くらいまで,中学の時の貯金で食ってるような感じでしたからね.
でも,修猷に入るくらいなら中学時代にあんなに勉強する必要もなかったわけで,ペース配分を間違えたってことですかね.でも,それなら,高一高二と休んで高三で追い込めばよかったのを父親が亡くなってできなくなったってこと?
でも,いくら父親が亡くなったとは言え,どうして高三の時にあんなに頑張れなかったんでしょうね.いや,そういうことは,私の場合,よくあるので,結局,それだけの人間ということですね.
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でも,考えてみたら,もう50年近く前の話なんですね.信じられん.ついこの間のことのような感じなんですけどね.
でも,どうしてあんなに勉強しなかったのか?というのと,楽しかったということで,戻ってやり直せるとすると,それは,やはり,高校時代かもしれません.
とは言え,同じことを繰り返すだけのような気もするわけで(というか,全ては138億年前的にはそうなわけで),そうでないとすると,ということなんですが,やっぱり,ブラスには入ったと思います.そうすると,勉強するのは,なかなか大変だったと思いますが,考えてみたら,ブラスは途中でやめたので,それ以降はできたわけですよね(でも,やらなかったけど).
でも,あの時,あの状況の父親の死をまた経験するのは辛すぎますし,結局,浪人して何とか東大に入ったわけで,やり直して現役で受かるという保証もないですし,下手したら浪人しても受からないかもしれないし,やっぱり,現状でOKですかね.
高校時代以外に,やり直せるとしたら,高校時代と同様,(仕事とか勉強に)無気力になった30代ですが,考えてみたら,そこを首尾よく切り抜けてたら,おそらく筑波大には行ってないわけで,そうすると,一仕事できてない可能性も大いにあって,やっぱり,なるようになってるんですかね.
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右脚もよくないし,腰も痛くなってきて,ここのところ調子がよくありません.毎日のように,いろんな会議とかがある一方,次から次へといろんな仕事が降ってきて,おまけに,今日は,非常にヴァイタルなプログラムが動かなくなって,ほんとやばい状況なのですが,こんな状況でも,いや,こんな状況だから,目の前のことを一つずつ片付けていくしかないわけで,それはそれで定常運転というか,よくこんな状況でテンパることなく過ごしてるなという感じです.
あとは,右脚に腰痛のダブルパンチということですが,腰痛は,反るストレッチをするようになって,克服していたのですが(なので,今回も「大腰痛」までは行ってない),それと同時に,右脚が痛くなったわけで,つまり,そっちにしわ寄せが行ってると考えると,腰痛が治まったら,右脚の痛みもいい方向へ,と考えるのは,都合よすぎますかね.
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右脚なんですが,あまりに情報が溢れていて,やみくもにいろいろやってみてもらちがあかないので,整理というか,論理的に考えてみました.
元はと言えば,右脚の股関節というか付け根の痛みなわけで,長年にわたってそれをかばってきたツケが右太ももの痛みになってると考えるのが妥当で,ということは,右太ももの痛みをとろうとしてもだめで,右脚の付け根の問題なわけです.
じゃあ,右脚の付け根の痛みは何かと言うと,股関節を動かす筋肉,具体的には,腸腰筋が硬くなって全然使えてないわけで,ここを何とかしないといけないわけです.
でも,腸腰筋を使うのは難しいというか,足を引っ張り上げるのに使うのですが,ここを使わずに太ももで上げることもできるわけで,これがまさに太腿の痛みに繋がってるわけですね.
つまり,太腿を使わずに大腰筋で脚を引っ張り上げるようにすればいいので,その状態を作って,でも,硬く弱くなっているので,マッサージをしながら徐々にということになります.
もちろん,これは,論理的に考えた仮説なので,「実験」して,それを検証するということになります.
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ちらっと見えただけですが,マーラーの5番をやってました.で,考えてみたら,この曲って「思い出の曲」なのかもしれません.
高校に入って,ブラスに入って,本田さんや上野さんと話すようになって,ピアノ曲だけではなく,オケ曲も聞くようになって,というか,高校時代は,FMを使って,そこのところの開拓に夢中だったわけで(勉強しろよ),そういう中,ショルティとシカゴ響が福岡に来て,みんなで聞きに行って,上野さんに連れられて,楽屋まで押しかけて,サインやシカゴ響のバッチまでもらったのですが(でも,バッチは,今思い出すと,黄色に黒字で「日本語で」シカゴ響とか書いてあって,なんで日本語なん?),その時,演奏されたのがマーラーの5番だったんですね.
もちろん,すごい演奏だったんですが,それでこの曲を好きになって,何度も聞いたというわけでもなくて,単なる「思い出の曲」ってことですかね.
マーラーのシンフォニーは,壮大で,はまる人は,結構,いるんですが,私は,5番のLPは買いましたが,あと買ったのは,2番くらいかな(いずれも演奏は,ショルティ/シカゴso).1番は,ワルターのLPが父親の部屋にあったのと,FMで何曲か聴いたくらいですかね(確か,カラヤンの6番か7番の新譜が出た時.と思って,聞いてみたけど,4番だったみたい).
で,5番ですが,印象的なのは,やはり,出だしのトランペットのソロですよね(出だしだし).それが終わると突然tuttiになって,そこで圧倒されるのですが,私がずっと印象的だと思っているのは,スコアの3ページ目の1小節目から2小節目の全音符で半音上がるところなんですが,いろいろ調べても,そこのことを書いてるものは,全然ないので,別にどうってことないところなんですかね.
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久しぶりにマーラーの5番,聴いてみました.うんうん,こういう曲だった.いい曲じゃないですかー(でも,やっぱ,長いな).
ちなみに,ピアノソロ編もあったので,貼っておきますが,全然,様になってないわけで,まさにオケ曲って感じですかね.
で,今頃気づいたのですが,マーラーの5番の作曲年って1902年なんですね.ちょっとびっくり.ラヴェルの水の戯れから2年経ってるし,まさに音楽がドラスティックに変化している時で,そういう中,頑なに後期ロマン派の曲を書き続けたということなんですかね.
でも,シェーンベルクと親交はあったようで,お互いを認め合ってたということですかね(大人ですね.いいと思います).
で,出だしが印象的ということで,そういう曲というか,出だしというか最初の部分が格好いい(笑)曲って何があったかなと考えました.マーラーのシンフォニーだと2番の出だしも格好いいと思うのですが,
ポピュラーなもので,ぱっと浮かんだのは,R.シュトラウスのツァラトゥストラはかく語りきとチャイコフスキーのピアノコンチェルトの1番ですかね.
チャイコフスキーの1番は,派手に弾いてるランランの動画にしたんですが(でも,こんなに手を上げなくても(笑)),目に留まったのは,アルゲリッチのもので,
2014年,つまり,彼女が70過ぎの時のもののようです.彼女は,ソロでは,もうほとんど弾いてないらしいのですが(でも,この場合,コンチェルトなのでソロではないけど),技術と力強さは健在で,あらためてすごいなと思いました.
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ほんと無粋というか,どうでもいい話ですが,上で,アムステルダムコンセルトヘボウの動画を貼った時,ふと思ったのですが,世界のオーケストラの勢力図として,ベルリンpoとウィーンpoが双璧をなすとして,それ以外の国のトップオケ(ロンドンsoとかパリoとかアムステルダムコンセルトヘボウとか,アメリカのシカゴso,ニューヨークpo,ボストンso,クリーブランドoとか)とか(でも,私の中の40年くらい前のイメージなので,今は違うかも)って,いわゆるランキングみたいのがあるのだろうかと(いまさら)思いました.
大学ランキングじゃないですが,日本の大学の場合だと,東大と京大が双璧をなすなら,それがベルリンpoとウィーンpoみたいなもので,各国のトップオケが旧帝大で,アメリカのオケが東科大とか一橋とか早慶みたいな感じ? そう言えば,音大で双璧をなす芸大と桐朋を東大と京大みたいと言った人がいました.
でも,ほんとどうでもいい話なんですが,思ったのは,人々は,ランキングというか,こういう格付けが好きなんだなということと,トップは,(どういうわけか)1つではなく,2つというケースが多いのかなということでしょうか.
他に何がある? 野球だと巨人と阪神?(でも,これは,実力というよりは人気か) サッカーなら,レアルとバルセロナ? でも,今はプレミアが熱くて,最近だとマンCとリヴァプール?(でも,最近,ずっと強かったマンCは,今シーズンは,今一というかリヴァプールが独走).
MLBの去年のワールドシリーズは,ヤンキースとドジャースという黄金カート゛でしたが,この2つがツートップという感じはあまりないですね.
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調子悪いです.昨日,飲みに行ったのですが,飲み屋にいたのは,3時間くらいだったと思いますが,その間,一度もトイレに立たず座りっぱなしで右脚が痛くなったのと,飲んだことで体調もよくないです.
右脚対策としては,せめて1時間に1回は,トイレに行くなどして,脚を動かさないと,ということもあるのですが,昨日の店は,掘り炬燵形式で,脚が痛いと,立ち上がりにくいというのがあったかもしれません.
飲むことに関しては,飲んで話してるときは楽しいのですが,体調のことを考えると,もう飲まない方がいいのかもしれません.そう言えば,もう10年以上前からそんな感じだったと思いますが,誘われるとやっぱり飲みに行っちゃうんですよね.
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でも,考えてみたら,「人生50年」ということなので,いろんなことがまともにできないことは,もうとっくの昔に受け入れてないといけないわけで,何を今さらということでしょうか.
「人生50年」については,何度か書いてきましたが,生物学的に生物が生きる意味は,種の存続なので,人間の場合,子供を何人か作って育てたらお役御免で,それがだいたい50年ということもありますし,実際,私の場合(子供は作りませんでしたが)50を過ぎたあたりで,「はい,おわりー」と鐘が鳴ったことも何度も書きました.
それは,社会的意味もあって,50くらいまでで,ほぼほぼ,当人の社会的な結果は出ているわけで,そこから先は,やりたいことはもうできない,せいぜい,偉くなって,若い人達が仕事をしやすいように身を粉にするしかないということなわけです.
でも,やりたいこととは書きましたが,まだまだアイデアは浮かぶし,いろんな人のいろんな研究を見ても,そこはこうすればいいのにということはとても多くて,自分にできることは,まだまだあると思うのですが,そういうことは,社会的に許されないという何ともおかしなことになってるわけです.
でも,そうじゃないんですかね.
そう思ったのは,マーラーの5番が1902年に書かれたものということで,彼は50で亡くなっていて,つまり,多くの仕事を30代,40代,主として40代でしてるわけで,そう言えば,ドビュッシーもそうで,もっと言えば,モーツァルトとかショパンとか30代で亡くなってる大作曲家も多いですし,じゃあ,長生きした人はどうかと言うと,フランクみたいな人もいますが,ほとんどの人は,大きな仕事は,若い頃にしてるわけで,それは,研究者の場合なら,ノーベル賞をもらうような研究がほとんどの場合,若い頃にされているということで,結局,そういうことなわけです.
なので,やっぱり,結局,「人生50年」ということで,じゃあ,50をもうとっくに過ぎた自分には,もう何もできないかというと,上で書いたようにそんなことはなくて,でも,社会的には,そうなってなくて,一方では,やりたいことではないことに多くの社会的責務が課せられてて,何ともちぐはぐなんですが,そういう社会的枠からはみ出さないといけないということなのかもしれません.
とは言っても,もうここまで来てしまったので(定年まであと〇年),ここで離脱しても実質最後まで行くのと変わらないというか,それ以前に,学生がいるのにやめるわけには行きませんし,執行部にいる状態でやめると回りに大迷惑がかかりますし,それはないので,問題は,定年後なわけです.
折しも,アルゲリッチの演奏を見て思ったのは,70を過ぎて衰える技術や体力に打ち勝って頑張って弾いてる感じではなく,楽々弾いてるということです.そりゃあ,アルゲリッチなんだから,ということはあるでしょうが,例えば,自分なら,ピアノは,もちろん,全然そうは行きませんが,研究ならそうなわけで,結局は,自分の得意なことをやれということなんですかね.
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でも,定年後って,やっぱり難しくて,自分にはまだまだできることがあると出しゃばれば,老害になりかねないですからね.
でも,その昔,人々が集まって,村で暮らしていた時,そこには,長老みたいな人がいて,若い人だけでは解決できない何か難しい問題があると,その長老のところの相談しに行ってたわけですよね.
つまり,ポイントとしては,自分から出しゃばらずに,相談があれば相談に乗るということですかね.そして,相談に乗っても問題を解決できない無能な長老のところには,相談に行かなくなるということでしょう.
でも,若い人が,自分達は正しい方向に進んでいると思っていても,間違った方向に行ってることもあるわけで,それを長老が見た時どうするかですね.それに口出しすれば,煙たがられる可能性はあるわけで,なかなか難しいですね.
でも,少なくとも私の場合は,相談されれば,答えますが,口出しすることはないですかね.そして,それは,若い頃からそうだったと思うので,性格みたいなものでしょうか.
今も若い人達も含めていろんな人と共同研究していますが,それは,あくまで共同研究で,共同研究なので意見は言いますが,私があーせいこーせいと指示してるわけではありません.そして,私が今の大学を定年でやめても,そんなの関係ないことに気づかされます.だって,私が今の大学に籍があるから共同研究してるわけじゃなくて,いっしょに研究することでお互いにいろんなメリットがあるからですからね.
つまりは,どうして共同研究しているか,いっしょに仕事しているのかが重要ということでしょうか.
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年度末ということで,いろんなご挨拶や連絡が来るのですが,当然のことながら定年退職もあって,ほとんどの場合,長年勤めてきたところをということで,そっか,私も〇年後には,ということなんですが,私の場合,「長年勤めてきたところを」ではないんですよね.そして,これって,かなり特殊なことに気づきました.
少なくとも言えるのは,そういう「感慨にふける」的なことにはならないわけで,これって,結構,いいんじゃないですかね.
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でも,それもちょっと不思議ですね.
40年以上いたら40年以上分の「感慨」があるんでしょうが,じゃあ,私の場合は,東大に21年,筑波大に17年半,京大に6年半ということだと,東大を去る時には,21年分の,筑波大を去る時には,17年半分の感慨があったかというと,そういうわけではなく,それは,「次があった」からでしょう.
じゃあ,「次がない」定年退職の時は,6年半分の感慨しかないわけで,うーん,やっぱり,なかなかうまいこと行くことになる?というか,これも一種のソフトランディング?
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