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6/1'21
(日記, 大学)

 記録を付けているのでわかるのですが,研究関係以外の仕事の時間が増えています.理由はいくつかあって,学部の授業を一つやることになって(でも3人で分担.私の担当箇所をちょうど今やってる),パワポを作ったりして準備をしているとか,新年度になって,いろんな委員会の委員とか部門長(は1年交代で部門に教授は今3人しかいないのでローテーションで回ってくる)とかになったりして,ということがあるかもしれません.

 でも,授業の準備はそれなりに楽しめますし,お仕事的なものもこんなことやってどうすんだ?とそんなに感じないというか,しょうがないと思ってあきらめがついた?というか,そういうことに対する耐性がついた?のか,まあ何とかなってる感じでしょうか.

 ですから,現状何も問題ないし,気分よく楽しくもやってるのですが,うーん,どうなんでしょうか,現実的には,もう定年までそんなに時間があるわけじゃないので,とにかくそれまではこれで行くということでしょうし,むしろ,こういうタイミングで環境が変わったのは,やはりラッキーということですかね.

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[本来は55歳が定年]

 関連するのかもしれませんが,とあるFBに本来は55歳が定年ということが話題になってました.再三,このサイトで書いてきたことです.実際,私自身,そのくらいがちょうどいいと思いますし,リタイアすることもできたと思います.

 もちろん,ここで言うリタイアというのは,仕事をやめるということで,私の場合,研究とか学生の研究指導は,仕事とは思ってないので,ここで言う仕事とは,研究関係以外の仕事のことで,それで給料もらえなくなってもOKってことです.

 でも,実際には,大学をやめれば,学生の研究指導ができなくなるので,やめることはないのですが,感覚的には,55歳が定年というのがしっくりしますし,メンタリティとしては,実際そんな感じです.

 でも,そういうタイミングで話があって,大学を移るという,そういうことと正反対に事態は動くわけで,まあでも,これも自然の流れに従うというか,もう一仕事(ただし,ここで言う仕事というのは,研究関係のこと)というか,上で書いたようにラッキーということなのでしょう.

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 ちなみに,とあるFBで紹介してあった55歳が本来の定年という記事ですが,私が言っている,(ただ稼ぐためだけに働くのなら支出をしっかり制御して)55歳でリタイアすりゃいいじゃん,ということではなく,年金は65歳からしかもらえないけど,本来の定年は55なので,まだまだ頑張らないといけないというもので,私の考え方とは真逆のものです.

 実際,多くの会社では55くらいで役職定年とか,給料頭打ちとか減額とかになるわけですよね.それでも,多くの人が55でリタイアとか(経済的に)絶対無理って感じみたいです.

 ほんとですか? ていうか,(本人的には)ほんとなんでしょうけど,経済を回す仕組みじゃないですが,いろんな余計なものに出費するようにはめられて体よくこき使われてるってことはないですか?

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(日記)

 大腰痛になったんですが,あっという間に(2, 3日で)回復しました.なんなん?ってことですが,体を動かしていたのに大腰痛になったというより,体を動かしていたからすぐ回復したのかもしれません(でも,こういうのの因果関係はほんとわからないのだが).

 で,体を動かすというか,座り過ぎないってことなんですが,メンタル的にも少し回復してきた感じもするし,よぼよぼにはなりたくないし,よぼよぼになれば,そこで踏みとどまって要介護にならないのは難しいような気もするので,少しずつやり始めました.まあ単純に体がすっきりするってこともありますしね.

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[うまく表現できた]

 こっちに移ってきて,すぐ慣れたというか,ずっと実感がないとか,変化を感じないとか書いてきましたが,なんかうまく表現できてない感じがしていて,でも,うまく表現できる表現を見出しました.それは,「違和感を感じないことに違和感を感じる」です.

 ですから,何か変な感じはしてるんですが,違和感は感じてないわけで,でも,そういうことに違和感を感じているってことですかね.でも,だから何?ってことですが(笑).

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6/2'21
[リセットされた]
(大学)

 (研究関係以外の)仕事は増えてるけど何とかやってるってことなんですが,なんでかなと考えて,一つの考えに思い至りました.それは「リセットされた」んじゃないかってことです.

 最近,2018〜2020年くらいのこのサイトの記事を読んでるんですが,(大学の研究以外の)学生にも教員にも全くメリットがない,こんなことやってどうすんだ的な仕事のことがかなり書いてあります.でも,大学を移ることでそういうことが全てリセットされたわけです.

 いやいや,同じ大学なんだから,こっちはこっちでそういう仕事あるでしょ,ってことなんでしょうが,あんまりそんな感じがしないというか,もちろん,研究所なので,そういう仕事が少ない,〇長が暴走してることもないということもあるかもしれませんが,研究所は研究所でいろいろ仕事はあるわけで,でも,なんかやっぱり「リセットされた」感じがするんですね(条件がいいところに移ってこられたんだから,その分,やらないといけないこともあるってこともないことはないかもしれませんが,それじゃあ,±0というか,条件がいいところに移ってきたことにならないわけで,そこは騙されないように注意).

 思い返すと,地震研から筑波大に行ったときもまさにリセットされて,そこからしばらくは,こんなことやってどうすんだというようなことを感じることはそんなになかったと思います(その頃は,まだ大学の状況がよかったとか,昇進前で,責任ある,でも,その実,しょーもない仕事がそんなになかったとか,〇長が暴走してなかったということもあるでしょうが).

 逆に言うと,こっちに移ってきてリセットされたとしても,しばらくするとまた同じことになってくるということなんですが,おそらくその前に定年なわけで(笑),そういうこともあると思います.

 つまりは,何度か書いたように,10年くらいを目処に大学を移るとかして「リセットする」のがいいんじゃないかと思いますし,逆に言えば,ずっと同じ大学にいて頑張っておられる先生はすごいなあと思うわけです.

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(スポーツ, 世の中)

 テニスの大坂さんが全仏の試合後の会見を拒否して罰金を科せられて,うつ状態になっていたことを告白して全仏を棄権ということで,彼女を擁護する報道が多いのですが,どう思いますか?

 最初,彼女が会見を拒否したとき,私は,彼女が世の中の仕組みがわかっていないと思いました.だって,試合という場を提供している主催者側からすれば,会見という責務も含めて莫大な報酬をもらってるわけですからね.試合に負けた後のいわれのない質問をされる会見も,それが嫌ならテニスなんかやめてしまえばいいだけの話です(芸能人とかも同じ).トップアスリートなら高いレベルの相手と試合はしたいのは当然ですが,報酬はもらうが会見はしないというムシのいい話はありません.

 でも,莫大な報酬なんか要らないから会見もしない,その代わり,試合だけはやらせてくれという選択肢はあっていいと思うんですよね(私がいつも書いてる,給料を半分とか1/4にしてもらって研究以外の仕事も半分とか1/4にしてくれというのと同じ).

 でも,現実には,そういう選択肢はないわけです(大学も同じ).それは,彼女というか,テニスを利用して金儲けしようとする奴らが群がってるわけで,まさにプロスポーツというか資本主義の根幹的な問題なわけです.

 そういう意味では,会見拒否の罰金なんか彼女がもらっている報酬に比べたら微々たるものなので,罰金を払って試合に出続けるという確信犯的なこともできるとは思うのですが,スポンサーとの関係的には人気商売的なところもあるので,人間的な素養が疑われるのは避けたってことでしょうか.

 彼女はしばらくツアーを離れると言ってますが,(苦手なクレーコートの全仏を回避して)五輪で戻るとも言われていて,たったそんだけ?とも思いますが,どうなりますかね? うつ状態を告白し,トップアスリートはサイボーグではないとか言われて同情を集めて(でもメディアも選手もこれで金儲けしてるわけだから擁護するのは当たり前),莫大な報酬はそのままに会見が免除されるようなことになれば,そこまで行かなくても,これで会見でされる質問の内容に制限がかかるようなことになれば,うまいことやったってことになるのでしょうが,それはおかしな話で,本来的には,バブルが崩壊してスポンサーが撤退して報酬が減るというのが筋でしょう.

 でも,スポンサーも金儲けに乗っかってる側で,じゃあ,誰が騙されてるんや?ということです.答えは書きませんが,それは明らかで,でも,そうやって経済を回して金儲けして,ぐるぐる金を回すだけでみんな儲かって左うちわになることは(エネルギー問題を抜本的に解決して,自動化を進めて人が働かなくていいようにならなければ)ないので,どこかで必ず行き詰ります.

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[経済力]
(経済)

 (人の)経済力ってなんでしょうね.どれだけ稼げるか?

 そうじゃないと思うんですよね.再三,書いてるように,どれだけ稼げるより,余計で無駄なものに散財しない,ものやことにどれだけの価値があるのかを適正に判断できる経済感覚の方が遥かに重要です.これがなければ,いくら稼いでもその分散財してしまうわけで,それは,破産してる人の多くが「金持ち」であることからも明らかでしょう.

 以上の2つというか,実質1つ(経済感覚)が経済力を決めると思っていたのですが,もうすぐ定年で仕事を失うことを目の当たりにして,別の能力が重要な気がしてきて,それは,運用力です.

 どんなに稼いでも,定年がなくても,死ぬまで働くことができない以上,どこかで仕事はやめないといけないわけで,でも,単なる貯蓄では非常に危うくて,それを何とかできるものは,今のところ,運用しか思い当たりません.それは,運用して資産を増やすというよりは,経済危機や経済破綻などの経済情勢の激変から資産を守るということが大きいです.

 つまりは,必要十分な生活をして行くためのキャッシュフローを得ることが重要で,まずは,しっかり働く,でも,必要以上に稼ぐ必要はない,でも,必要な分しか働かずに全く貯蓄がない,あるいは,稼いだ分,全て散財してしまうのは問題外で,でも,仕事をやめるまでにある程度貯蓄ができたとしても,それを食いつぶすのは危ういので,運用力が必要になるということでしょうか.

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6/3'21
[運用することによる副次的効果]
(経済)

 付け加えると,運用することによる副次的効果があるような気がするんですね.

 何度か書いたように,私はいくら稼いだからいくら使うというお金の使い方はしません.単純に必要なものや欲しいものに使う,そして,それだけの価値があるかどうかを判断するということなんですが,そうすると,普通に考えれば,赤字になることだってあるわけですよね.

 でも,今の世の中,それだけの価値がないもので溢れている分,経済は回って,必要以上に働かされて,必要以上に稼いでしまうことになってるわけです(いやいや,いくら頑張っても必要な分だけ稼ぐのがやっとという人は,経済感覚が欠落してる場合がほとんどです).

 そうするとどうなるかと言うと,(大した額ではないですが)それなりの貯蓄はできてくるのですが,使い途のないお金があっても仕方ないわけです.もちろん,働けなくなったときの老後の蓄えということでもいいのですが,貯蓄を切り崩して行くのには抵抗がある.

 でも,運用するとすると,お金がお金を産むことになるわけです.いやいや,運用とかしても,うまく行くとは限らないし,切り崩す以上に減って行くことだってあるんじゃない?

 そうなんですが,どこかで書いたと思いますが,これも一つの「金の使い途」だと思うんですよね.つまりは,運用することで,お金がお金を産むとかじゃなくて,お金を使っている感覚になるというか,そうすると,冒頭で書いた「いくら稼いだからいくら使うというお金の使い方はしない,単純に必要なものや欲しいものに使う,そして,それだけの価値があるかどうかを判断する」という感覚になりやすい,平たく言えば,無駄なものにお金を使わない,でも節約して貯蓄するとか,貯蓄するために節約するとかいう感覚にならない(ていうか,実際,節約なんかしてないし)副次的効果があるような気がします(この感覚,伝わるだろうか...).

 でも,運用自体は,やはり,リスクがあるので,お薦めはしません.つまり,私自身の(感覚の)話ということですかね.

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6/4'21
[ピアノをどう弾いていくか]
(ピアノ)

 ピアノをどう弾いていくか,具体的には,演奏会とかで人前で弾くということではなく,普段の日常の練習でどうしていくか,つまりは,今もそうですが,リタイア後も想定して,どう持続させていくかということについて,何度か書いてきました.

 要は,なかなか弾く気にならない中,どうやって行くかということなんですが(弾く気にならないのなら弾かなきゃいいじゃんとはならないことは既に書いた通り),演奏会とかで人前で弾くことではなく,普段の日常の練習を中心に考えるのなら,自ずと弾き方も変わってこようと言うものです.

 単純に考えれば,まずは「ちゃんと弾けるようにならなくてもいい」ということがあります.そうすると,曲選びで知られざる近現代のいい曲を紹介する(そういうことを期待されてる)とか,この曲をこう弾きたいというのがあるかとか,練習したら人前に出せるまでになりそうとか,演奏効果とか受けそうとか,弾けるように練習しないといけないとかいうことは考えなくていいわけで,その日その時弾く気になる曲を弾けばいいわけで,これは,持続性に繋がるでしょう.

 でも,弾けもしない曲を弾いて途中で投げ出すということを繰り返したり,いろんな曲を初見でかじりまくるよりは,ある程度は弾ける曲,そして,何より(その日その時というよりそもそも)弾く気になる(弾きたい)曲ということはあるでしょう.

 そう考えた時,これまでの私の演奏活動としては,まだ弾いたことがない曲の中から再発見も含めて「新曲」を練習して,演奏会などで弾いてきたのですが,開拓しつくしたとは言いませんが,もう限りなくそれに近づいてるとは思いますし,演奏会とかで人前で弾くことを想定しないのであれば,これまで弾いた曲の方が「新曲」よりは弾けるでしょうし,そもそも,一度弾いてるということは「弾きたい曲」ということになるのではないかと思いました.

 既に弾いた曲よりまだ弾いてない曲を弾きたいものだと,これまでは当然のように思っていたのですが,それが変わってきたというか,限られた「ほんとに弾きたい曲」をちゃんと練習してちゃんと弾けるようになることに効力感を見出せるのではないかと思い始めたということです.

 そういうことを考えるようになったきっかけは,既に書いたかもしれませんが,スキーで,スキーって実は,非常に単調な運動の繰り返しなのですが,ターン1つとっても,その動きを洗練することは,非常に奥が深くて,そう思うようになって,効力感が戻ってきたことがありました.

 とは言え,同じ曲を毎日弾いても飽きるわけで,でも過去に弾いた曲は,結構な数で,これをもう一度ちゃんと練習するだけで,死ぬまで大丈夫なくらいですし,全く同じものをそもままやることはないわけで,要は,あらためて,既に弾いた曲を含めて「繰り返し練習する気になる曲群」を集めてみたらどうかというようなことでしょうか.

 イメージとしては,おなかが空いたらご飯を食べるのですが,どんなにおなかが空いていても毎日同じものだと飽きるので,いろんな「メニュー」を用意しておくような感じでしょうか(中学のときに老後はベートーヴェンの32のピアノソナタを1日1曲弾いて過ごしていくと友人に話したことにも通じる).

 ということで,そういうものを作り始めて,ぼちぼち弾き始めました.飽きないようにというか,それなりにバラエティーをもたせるために古典からロマン,印象派,近現代から満遍なくとか,同じ作曲家からは1曲だけとか,短いものにしないと曲数が稼げないとか,そもそも弾く気になるかとか,いろんな制限を付けると割と自然と決まってくるのが面白いです.

 でも,実際に弾いてみると,同じ曲をしばらく弾いてると飽きてくるわけで,でも,曲群の曲数があれば,その中からその日弾く気になる曲を弾けばいいわけで,そんなことでは,いつまで経っても弾けるようにならないのかもしれませんが,人前で弾くことを前提としていないので(日常的に弾く気になればいいので),それはそれで構わないわけです.

 とは言え,もしこれがうまくはまれば,結果的にレパートリーというか,いつでもどこでも弾けるみたいなことになるのかもしれません.実際に人前で弾く機会はないと思うのですが,そういうのはあまり関係ないというか,ひょっとしたらそういうことがあるかもしれないというくらいでも「行ける」気がします.

 先日,研究室の(オンライン)飲み会で,ピアノを弾いてる人がいて,いつかストリートピアノで弾くのが夢と言っていて(最近,駅とかに置いてあって時々テレビとかでもやってますよね),そういうのでもいいというか,夢ってことは,実際に弾かなくても,そういうことを想像するだけでもいいのかもしれません.

 とは言え,私の場合は,少なくとも年に1回は人前で弾く機会があるわけですし(増やそうと思えばもっと増やせるけど,今は年1回で手一杯),そうすると「メニュー」だけではなく,「新曲」もやらないといけないのですが,それはそれでまた別にやればいいでしょう.

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 ちなみに(ほんとはネタばらし?はしない方がいい気もするけど)今のところはこんな感じです.

バッハ/フランス風序曲〜エコー
ショパン/エチュード Op.25-8
シューマン/クライスレリアーナ第1曲〜
リスト/超絶技巧練習曲第6番
フォーレ/即興曲第3番〜
ゴドフスキー/ジャワ組曲 第2集第3曲
プロコフィエフ/4つのエチュードOp.2〜第1曲
ラウタヴァーラ/ピアノソナタ第2番〜第1楽章
カプースチン/8つの演奏会用エチュード〜第3曲
サイ/ブラックアース(黒い大地)

 バッハは,最初は,イギリス組曲第4番のプレリュードだったんですが,ちょっと長くて,短いものということだと,パルティータ第5番のプレリュードもやったんですが,ちょっとしんどくて,フランス風序曲のエコーになりました.なので,これは「新曲」ですね(でも,昔から好きだった曲です).

 ショパンエチュードのOp.25-8は,どこかで書きました.どういうわけか,今この曲を弾く気になって,今でも(1日10分くらいですが)弾いてます.確かビューローが「練習曲」として絶賛してたんですが,確かにショパンのエチュードの中で珍しく左右のバランスがとれてますし,めっちゃ「練習」になります.でも,ちゃんと弾けるようになる気はしないですね.

 シューマンのクライスレリアーナ第1曲(のABAのAだけ)は,右の34のいい練習になるんですが,ちょっとしんどいので,最近はほとんど弾いてないです.

 リストの超絶技巧練習曲の6番は,10年以上前ですが,ピアノプロジェで弾きました.でも,この曲もしんどいので,弾くのはその気になった時だけですかね.

 フォーレの即興曲の3番(のABAのAだけ)は,左の練習(になる)曲ということで辿り着いて,最近,よく弾いてるのですが,めっちゃ弾きにくいです(が練習にはなるということかな)。

 左の練習曲としては,ショパンのエチュード Op.10-12,いわゆる革命を時々弾いてたんですが,ちょっとしんどいんですよね.ちなみに「しんどい」と何度も書いてますが,意味としては,弾けるとか弾けないとかいうことではなくて,精神的にしんどくて弾く気にならないということです.

 ゴドフスキーのジャワ組曲第2集第3曲の「夜明けのブロモ火山と砂の海」は,何年か前にピアノプロジェで弾きました.とにかく跳躍がすごくて大変な曲ですが,壮大で演奏効果も高いってこともありますが,ゴドフスキーのジャワ組曲自体がそうですが,難曲なのになぜか弾く気になる(私にとって)不思議で貴重な曲です.

 プロコフィエフは,候補満載で(ピアノソナタの2, 3, 6, 7番とかトッカータとか.特にソナタ6番の第1楽章は,何度か演奏会で弾いてますが),短い曲がなくて,4つのエチュードの第1曲になりました(つまり「新曲」).これもかなりの難曲というかパズルというか頭の体操なんですが,練習にはなりますかね.

 ラウタヴァーラのピアノソナタ2番の第1楽章は,得意曲というか,ずっと昔から弾いてて,人前でも何度も弾いたと思いますが,これもかなりしんどいので,弾く気になったときだけですかね.

 カプースチンについても候補曲満載なんですが,多分,一番弾きやすい8つの演奏会用エチュードの第3曲をとりあえず弾いてます.でも,一番弾きやすいと言っても...なので,これもかなりさぼりがちです.

 最後のサイのブラックアース(黒い大地)は,これもピアノプロジェで弾いたんですが,そのときプリペアードできずに嫌な思い出?はあるのですが,いい曲ですし,プリペアードするのも面白いし,弾きやすいし,一応,いつでも弾けるようにという感じでしょうか(この曲は,いつでも弾けると思います).

 でも,プリペアードするには,グランドピアノでないとだめですし,プリペアードしないでも,弾けることは弾けるんですが,アップライトで弾くと(曲の音が薄いので)なんかぱっとしないんですよね(確か,修猷のブラスのメンツでピアノがある茅場町の「貝の店」で飲んで弾いたときそうだった).

 いつでも弾けるという意味では,ハチャトゥリアンのトッカータもそうなんですが,これを普段から練習しておこうとは思わないですかね.でも,逆に言えば,弾く気になったときは弾けばいいのか.だとすれば,革命のエチュードも(1人1曲じゃなくなるけど)一応入れとくか.

 キーボードで弾いてと言われたとき用というわけではないですが,中音域だけで弾けるものとして,バッハの他に近現代ものとして,バルトークのミクロコスモスというか,ブルガリアのリズムによる6つの舞曲の第2曲も弾いてたことがあったんですが,これはちょっと退屈な感じで,でも,これも弾く気になったときは弾けばいいのか.

 そうすると

バッハ/フランス風序曲〜エコー
ショパン/エチュード Op.10-12
ショパン/エチュード Op.25-8
シューマン/クライスレリアーナ第1曲〜
リスト/超絶技巧練習曲第6番
フォーレ/即興曲第3番〜
ゴドフスキー/ジャワ組曲 第2集第3曲
バルトーク/ブルガリアのリズムによる6つの舞曲〜第2曲
プロコフィエフ/4つのエチュードOp.2〜第1曲
ハチャトゥリアン/トッカータ
ラウタヴァーラ/ピアノソナタ第2番〜第1楽章
カプースチン/8つの演奏会用エチュード〜第3曲
サイ/ブラックアース(黒い大地)

となって,結構な量になります(でも,やっぱり,半分が近現代になっちゃうか(笑)).

 しかも,まだ未完というか,具体的には,ベートーヴェンもモーツァルトもシューベルトもブラームスもアルベニスもドビュッシーもサティーもスクリアビンもラフマニノフもラヴェルも入ってないし(でも,ベートーヴェン,モーツァルト,シューベルトあたりは,短くて弾きたい曲はないかなあ),まだまだ増える可能性はあるのですが,その日に弾く気になる曲は,一部でしょうから,それはそれでいいのかな.

 でも,そうすると,当初の目論見からずれてきてしまうような気がするので,最初は,できるだけ曲数を絞っておいて,その中にその日弾く気になる曲がどうしても見つからなければって感じでしょうか.そうすると,とりあえずは,こんな感じですかね.でも,そうすると,ゴドフスキーとサイ以外は「新曲」ってことですね.

バッハ/フランス風序曲〜エコー
ショパン/エチュード Op.25-8
フォーレ/即興曲第3番〜
ゴドフスキー/ジャワ組曲 第2集第3曲
プロコフィエフ/4つのエチュードOp.2〜第1曲
サイ/ブラックアース(黒い大地)

 そうそう,大事なことを書くのを忘れていましたが,これらは全部暗譜しようと思っています.だって,暗譜しないと,いつでもどこでもになりませんし,それ以前に,動きを洗練する(ことによって表現したい音楽を表現する)というような練習をするには,暗譜することが大前提だと思うからです.

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 こうして書いてみると,結局,多くは新曲で,何も変わってない感じもしてきたのですが,違うのは,(持続性を優先して)曲が短いということと,演奏会で弾くわけではないので,弾けるようにならなくてもいいってことでしょうか.

 でも,うまくはまれば,いつでもどこでも弾けるレパートリーになればってことはそうでもないのかな.でも,ここのところ,ずっと,30分とか1時間とかの長い曲を(譜面を見ながら完成度をそんなに求めずに)弾いてきたので,やっぱり,何かが違うのでしょうか.

 いずれにしても,とにかく弾く気になれば何でもいいというか,それが最優先で,逆に言えば,そのために必死で創意工夫というか,何ともしょぼい話ではありますね.

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6/5'21
[その日弾きたい曲を弾く]
(ピアノ)

 寝る前にだらだら書いたので,簡単にまとめておくと,なかなかピアノを弾く気にならない中で,とにかくピアノを弾く気になるにはどうしたらいいかってことで,ご飯のようにいろんな曲のメニューを用意しておいたらどうかということです.でも,何でもありだと食い散らかすだけなので,弾けない曲よりは弾ける曲,弾く気になる曲という意味では,過去に弾いた曲中心にある程度絞る必要もあって,ご飯のように,その時食べたい(弾きたい)曲を選んで弾けばいいのなら,ご飯のように毎日おいしく食べられるのではないか,ということです.

 そして,その日に弾く気になる曲が一つでも引っかかるようにするためには,より多くのバラエティーに富んだ曲をメニュー入れる必要があり,曲が長いと限られた練習時間の中でローテーションしないので,短い曲にする必要があり,曲が短くなれば,敷居が下がるということもあります.

 ただし,弾けるようにならないといけないと思って弾く気にならないのは本末転倒なので,弾けるようになることにはこだわらず,とにかく,その時弾く気になる曲を弾くということで,でも,そうやって,少しでもピアノに向かえば,結果として,ある程度,弾けるようになって,暗譜してていつでもどこでも弾けるレパートリーのようになるかも,ということがあります.

 もちろん(これも気が向けば)まだ弾いてない曲を弾くということも続けて行きますが,それとは違った動機付けとして,限られた曲を繰り返し弾いて洗練して,自分の中にある音楽を表現する,そして,これからは,これが中心になって行く(かも)ということでしょうか.

 まあでも,うまく行くとは限らないし(でも,ここ数か月そんな感じでやってきて行けそうな気もしてきていて),とりあえず選んだ曲群もどうなるかはわかないというか,弾く気にならなくなったら,さっさと放り出してよしということで,どんどん入れ替わり(ながら収束していく)ような気もしますし,大原則は,(演奏会で弾くことを第一義としないので)弾けても弾けなくても,とにかくその日弾きたい曲を弾くってことですね.

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 折しも,ピアノプロジェのミーティングを(オンラインで)ということになって,今年の日程のところに予定が入っていることがわかりました.つまり,今年は出られないということで,しばらく,演奏会で弾くことはないということで,ある意味,チャンス?というか,今考えているようなことでどのくらい「行ける」か試してみ,ということかもしれませんね.

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 でも,去年は,新型コロナで流れて,その時,弾くつもりだったシューベルトのOp.120のソナタは,まだ何とか「キープ」してて,時々,弾いてますが,また「繰り越し」になると,あしかけ3年になってしまいますね.でも,そのうち飽きるというか,3年間,弾き続けることなんかムリーですが,前から思ってるんですが,例えば,演奏会で出すくらい弾けるようになった曲を「キープ」するには,どのくらいの頻度で弾けばいいんですかね.

 そっか,シューベルトのOp.120で実験すればいいんですね.とりあえず,週一くらいで弾いて,どんな感じになって行くか見てみますか.でも,週一でも3年は無理かなあ.だとしたら,二週一か月一くらい? さすがにそれじゃキープできない? でも,もしそんなんで行けるとしたら,演奏会で出したものをそうやってキープしていけば,膨大な数の曲をキープできることになりますね.でも,これも弾く気になるかが問題か.

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6/6'21
[必死]

 こうしてみると,別にピアノに限った話ではなくて,私って,生来の怠け者で,めんどくさがりで,たまにその気になってやったりはするけど持続性がなくて,やりたくないことはやりたくないし,そういう中で,どうやって行くかということなわけです.

 多くのものに興味がない中,興味をもったものは貴重で,いろんなことやってるのは,そういうこともあるんでしょうし,人生所詮退屈しのぎというのは,まさにその通りで,どうやって退屈しのぎしていくかに必死ということでしょうか(やること自体には必死になれないけど,どうやったらやりたくなるかを考えることには必死になれるってことか).

 大きな要素として,社会とか誰かに必要とされるというか,要請されるってことがあって,これまでそれに大いに助けられてきたと思うのですが,もうすぐ定年,つまり,社会から必要とされなくなる,あるいは,プライベートも然りということで,そういう他力本願では心もとないわけで,そういう意識が強くなってきたということもあると思います.

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 もっと言えば,食べることですら必死というか,どこかで書きましたが,おなかは空くけど何でもいいわけじゃなくて,その時食べたいものを食べたいんですが,それを「メニュー」の中から見つけるのもやっとなわけで,まさに事情はピアノも似ていて,ピアノ以外の全てのこと,つまり,その日その時何をやるか,何ならやる気(「やる気」ではなはく「やる」気)になるのかを探して見つけるのに必死で,これまでずっとそんな感じで何とかやってきたけど,これからもそんな感じでやって行かないといけないってことですかね.

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[逃げ遅れ?]
(防災)

 ?HKで時々東日本大震災のことをやっています.つまり,津波のことなんですが,今日の昼だったか,高齢者の逃げ遅れをどうするかというのをやってました(一瞬しか見てない,つまりは,中身は見てない).でも,彼らって逃げ遅れなんですかね?

 津波警報が出ても,実際に津波が来るのは8.2回に1回ということは何度か書きました.つまりは,正常化の偏見が起こって,津波警報が出ても津波なんか来ないってことで避難しない人が多くて,実際,避難率は30%くらいです(東日本大震災でも50%ちょっと).

 そういうこともありますし,高齢者の場合は,足腰が不自由な人も多くて,ほんとに逃げ遅れてということもあるでしょう.でも,私も歳をとってきたのでわかるんですが,もし津波が来てそれで死んでもいいって思っちゃう人もいるんじゃないですかね.死にたいというわけではないけど,社会とか誰かから必要とされてるわけでもなく,毎日が楽しくて充実してるわけでもなく,もう充分生きてきたし,これで死ぬのならそれでもいっか,みたいな.

 わかるんですが,よくよく考えるとそれはまずいわけで,具体的に言えば,津波で流されて行方不明になれば,捜索とかでものすごく大変なことになるわけですし,本人は構わないかもしれないけど,回りでものすごく悲しむ人もいるわけですよね.

 ですから,自分がどうこうじゃなくて,回りに迷惑をかけないようにというか,結局は,生きているのは自分のためというよりは,(社会から必要とされなくても,悲しんでくれる人がいなくても)回りのためというか,結局は,そういうことなんだと思います.

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[拘らない]
(ピアノ)

 こんな感じでピアノは(そして,ピアノ以外も),リタイア後というか将来的なことも見据えて,人前で弾くことに拘らず内的熟達的にやって行くということなんですが,心境は変化するわけで,また人前で弾きたくなったりするかもしれないわけです.

 でも,そうなったらそうすればいいだけの話ですよね(そこが仕事とは違う.もう仕事なんかしなくていいと思ってやめてしまって,また仕事したくなっても再開するのは至難).

 それで,ちょっと調べてみたんですが,当然ですが,関西にもそういうところいくらでもあるみたいです.サークルとかじゃなくて,イベント形式というか,12分枠で3000円だけ払って,その場で10数人で集まって弾き合いをするだけみたいなのもありました(ファミーユは,東京文化の視聴覚室で500円(笑)だったけど(しかも,スタインウェイのフルコン),あれは,長谷川さんが台東区民で格安で予約できたからかな).

 ですから,人前で弾かないことに拘る必要もなくて,でも,人前で弾くには,それなりに仕上げないといけないし,それ以前に,練習する気にならなければ話にならないわけですからね.

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[若いな]

 やりたいことが見つかって,それを仕事にまですることまでできた,うまい生き方を見つけることができて自分は運がよかった,と言ってる人がいました.

 わかるんですが,若いな.

 若いな,というのは,若くて未熟だなというのもないことはないですが,単純に若いなってことですかね.だって,まだ若いからそんなことを言ってられるからです(私もそうだったけど).

 そのやりたいこと,その仕事,死ぬまでずっとやって行けますか?

 そこまで考えてない? 老後のことなんか考えてない?

 まさに「若いな」ですかね.

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6/7'21

 生来の怠け者で,めんどくさがりで,どうやって退屈しのぎしていくかに必死ってことですが,振り返ってみると,退屈でつまらないどころか,めっちゃ楽しくやってきたわけです.つまりは,人生所詮退屈しのぎがデフォルトというか,興味をもてるものがなかなかない中,それらを何とか見つけて,でも,一つとか二つじゃ全然足りなくて,そういうものをかなりの数掘り起こすことで,何とかやってきたってことですかね.

 もちろん,仕事とか勉強とか,やりたくなくてもやらないといけないことはあるわけですし,そういうこともただやりたくないのを我慢してやるのではなく,何とか面白さとかやり甲斐を見出すことでやってきたんですが,受験とか30代とかうまく行かないこともあって(そういうときは,仕事とか勉強以外のことをかなりやってたりして),でも,総体的にはまあ何とかやってこられた,そして,これからもそんな感じでやっていければってことですかね.

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[なかなかいい考え]
(経済, 生活)

 賃貸に近いですが,我ながらなかなかいい考えだと思い返しています.家を買いたくない中,買わないといけないとすると,賃貸に近い状態を作るってことなんですが,要は,初期投資(家を買うこと.つまり,家を買うのは「投資」ってこと)を減らして,家賃のようなキャッシュフローに近づけるってことで,具体的には,都心から離れることで初期投資を減らすけど,その分,不便になるのを新幹線を使うことで,家賃のように少しずつ払うってことですね(そして,賃貸同様,経済的にも遥かに得).

 だったら,ローン組めば同じじゃない?というのは違ってて,ローンは組めば,買ったときからの経済状況の変化に対応できなくて,経済状況が悪くなれば大変なことになりますが,賃貸なら引っ越せば,その時の状況に合わせて支出をコントロールすることができますし,引っ越しもめんどくさいということなら,このやり方で,新幹線を在来線にするとか,東京までじゃなくて大宮までにするとか,逆にプラス側としては,グリーン車に乗っちゃうとかで調整できるわけです.

 要は,考えうる最低条件,具体的には,経済破綻が起こって,資産が紙くずになって,年金が大幅に減額になったときを想定すると,都心から在来線で1時間の新幹線停車駅から車で5分とか10分のところってことなんですが(スキーとかゴルフは逆に行きやすいし,環境的にもいい),経済破綻が起こらない,あるいは,運用がうまく行って資産を守れれば,それは最低条件からの+αで,新幹線を使えば,実質,大宮付近からと時間的には変わらないし,移動も快適ということで享受すればいいわけです.

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 経済感覚的にも,一人の人間が本質的に働いて得られる対価として1日5000〜1万円,つまり,月15〜30万,年200〜300万がせいぜいで,でも一人の人間が普通に生活していくには充分な額で(それ以上はバブルってこと),そうすると,住居費に充てられる額は,月5〜10万程度で,買うとすると200倍の法則によると1000〜2000万,一軒家なら200ヶ月で減価償却しない土地が付いてるとしても2000万ちょいがいいところということになります.

 つまり,それ以上の値段で家を買うのは何らかのバブルで危ない話ということで,じゃあ,東京から電車で1時間の駅から車で5分とか10分ではどうかと言うと,土地が100平米で500万くらいなので,充分可能ということになり,経済感覚からしても妥当ということになりますね.

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[弾けるようになっていく過程と弾く気の関係]
(ピアノ)

 ピアノなんですが,なかなか弾き気にならないので,その時,弾く気になる曲を弾くということなんですが(そう言えば,ジャワ組曲のときは,練習する気にならない中,練習しないで「ただ弾くだけ」ということを試みたってことでした),ピアノを弾くというか,弾けるようになっていく過程と弾く気の関係ってどんな感じでしょうか.

 最初,つまり,この曲弾いてみようかなと思って(でも,そもそも,そういう気になる曲がないのが問題なのだが),譜読みしているときは,結構,弾く気がある状態です.そして,そこからしばらくは,どんどん弾けるようになっていって,弾ける度の変化率が高い段階ですね.

 でも,ある程度,弾けるようになって,弾ける度が頭打ちになってくるとしんどくなってきます.演奏会で出すのなら,そこで頑張って練習しないといけないのですが,怠け者の私は,練習できずに弾けるようにならないまま出しちゃってるわけですし,演奏会で出さないのなら,そこで放り出すことになります.

 つまりは,演奏会で人前で弾くことを前提とせず,その時,弾く気になる曲を弾くということだと,ちょっとその気になって練習しても途中で放り出すだけということになることが容易に予想されるのですが,それでも弾かないよりはましということで,そういうことにしたわけです.

 でも,それじゃあどうよというか,創意工夫の一つとして,過去に弾いたことがあってある程度弾けるものを中心に短い曲からなる「メニュー」を考えたわけで,短い曲(中には曲の一部もある)にしたのは,「メニュー」にバラエティをもたせるということもありますが,過去に弾いたことがあるとか,短い分,練習しなくていいってこともあるわけで,つまり,「できることをできる範囲で」的にハードルを下げて,弾けない曲が弾けるようになっていくことではなく,動きを洗練して弾ける曲の完成度を増すをことに効力感を見出すことを試しにやってみるということでしょうか.

 もしこれがうまく行けば,それぞれは短いけど,何とか弾ける状態のいろんな曲をレパートリーとしてもてるというおまけも付いてるんですが(でも,人前で弾くことは前提としないので,あまり意味はないけど,いつかそういうことがあるかもくらいでも少しは効力感に繋がる),そうなってもそれはあくまで結果で,目的とはせず(目的としたらしんどくなるので)ってことなんですが,そうならなくても,とにかく弾く気になれば,どんどん途中で放り出しても,それはそれでOKということにするということです.

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(スポーツ, サッカー)

 昨日,今日は,100mで山縣さんが9秒95の日本記録を出したり,笹生さんが畑岡さんとのプレーオフを制して全米女子オープンに勝ったり,体操の内村さんが五輪出場を決めたり(他にも何かあったような気もする),スポーツの大きなニュースがいろいろありましたね.でも,いろいろあると相対的にそれぞれの取り上げ方が小さくなるのはしょうがないとは思いますが,笹生さんのことは,渋野さんとか松山さんのときほどは騒がれてない感じがするのは気のせいですかね? もしかして彼女が半分フィリピン人で東京五輪はフィリピン代表で出ようとしてるから? それとも,プレーオフの相手が日本人の畑岡さんだったから?

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 最近,よくサッカーの試合をやってるのですが,日本がいつも「死の組」に入るわけを思い出しました.要は,日本を(世界ランク20位以内で実力通りならグループリーグを抜ける)強豪国じゃないのに強豪国にカウントするから,日本がいつも「死の組」に入る(とメディアは言う)ということなんですが,そんなこと言ったら,日本は,過去のWCで3回グループリーグを抜けて決勝トーナメントに行ってる(から強豪国)じゃないかと言う人もいるかもと思いました.

 いやいや,それがまぐれというかラッキーってことなんですが(だって,決勝トーナメントに行くのは16カ国で日本の世界ランクはそれに程遠いわけですからね),具体的に見てみると,最初の2002年の日韓の時は,日本,ベルギー,ロシア,チュニジアという組み合わせで,ベルギーは今は強豪国ですが,当時はそうでもなくて,つまりは,組み合わせと地の利に恵まれたってことですね.

 次の2010年の南アのときは,徹底的に守ってカウンターという下位国がやるサッカーが奏功したんですが,組み合わせは,オランダ,カメルーン,デンマークで,この中の強豪国は,オランダだけですから,やはり,組み合わせに恵まれて,何とかカメルーン,デンマークに勝って決勝トーナメントに行けたってことですね.

 そして,2018年のロシアは,記憶に新しいですが,組み合わせは,コロンビア,セネガル,ポーランドで,ここは,コロンビアが強豪国で,ポーランドも強くて結構厳しい組でしたが,コロンビア戦で開始わずか数分で相手が一発退場でPKゲットという奇跡が起こります.ポーランドには負けてるわけですから,まさにそのおかげってことですね.

 ですから,やはり,日本が(世界ランク20位以内で実力通りならグループリーグを抜ける)強豪国なわけはなくて,WCで決勝トーナメントに行けたときは,地の利とか組み合わせに恵まれるとか奇跡が起こってるってことで,それをデフォルトとと考えてはだめってことですが,見方を変えると,運の良さも含めて,日本は,強豪国でない割に,WCでは結構,結果を残してるとは言えますかね.

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 東京五輪,だんだんやりそうな雰囲気になってきましたね.というか,最初からそう決まってるんでしょう.そして,国民の洗脳も含めて,いろんなことが仕組まれてるわけです.ロンドン五輪のとき(東京に招致するとき)も,みんなコロッと騙されたわけですからね.

 でも,現実問題として,いろんなことを勘案すると,政治判断としてはしょうがないのかなあ.まあ,個人的には関係ない話というか,関わり合いのないことで,お金の話もありますが,信念とか信条とかどうあるべきか的なことを曲げまくるような世界とかかわらずに済んでよかったなと思いますね.

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6/8'21
(ピアノ)

 ぐだぐだ書いてますが,要は,新しい曲を開拓するのも長い曲もしんどい曲ももうしんどいってことですかね.

 で,ベートーヴェン(中学の時,32のピアノソナタを毎日弾いていくと言ってたのに)どうするかなとつらつら考えていたんですが,一つ思いつきました.関連する?感じで,モーツァルトも.もちろん,これが「代表」ってことはないんですが,1, 2分,長くても数分という制限が付くと逆に絞り込めるというところはありますかね.

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[やっぱり終わった]

 人生50年というか,50で実質人生が終わったと何度か書いて来ました.終わったということは,何かが始まるとも書きましたが,やっぱり,終わった,少なくとも峠を越えて下り坂にはなってるんですよ.

 でも,実際には,人生は(多分)まだまだ続くし,仕事もまだやらないといけないし,それは,働かないと食べて行けないということではなく,要請に応えるというか,社会の中で役割を果たさないといけないということがあります.実際,そういう話があって大学を移ってきたわけですからね.

 でも,センチメントとしては「そんな感じ」で,ソフトランディングというかリタイア後に向けて着陸態勢に入ってる感じなんですが,不思議なのは,じゃあ,研究も仕事ももう適当でいいやとは全然ならなくて,むしろ,以前より仕事してるような気もするんですよね.

 これが何なのかよくわからないのですが,簡単に言ってしまえば,悪くない感じです.でも,まだまだ頑張って仕事するぞという感じでもなくて,うまい具合に力が抜けてるというか,だから,まあこれでいいんでしょうし,そうでないようにもできないと思います.

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6/9'21
[失われた]
(ピアノ)

 ベートーヴェンは何かという言うと,ピアノソナタの32番,つまり,最後のピアノソナタの一部分なんですが,そう言えば,何年か前,いや,もっと前か(「最後のピアノソナタ」で検索したらかかった.もう10年くらい前ですね),この曲,特に第2楽章(ちなみにこの曲は2楽章しかない)を弾きたいと思って,でも弾けなくて,でも,いろんな有名ピアニストの演奏を聴いて彼らも全然弾けてなくて,ということを書きました.でも...

 あらためて聴いてみたんですが,今は全然そんな感じがしないんですよね.弾きたいという気持ちはないことはないです.でも,「いろんな有名ピアニストの演奏を聴いて彼らも全然弾けてなくて」とは思わないです.でも,当時はそう思った,具体的には,自分なら(そう弾けるか弾けないかは別にして)こう弾くという明確なイメージがあったと思います.

 でも今はそれがありません,つまり,こう弾くというイメージが完全に失われてしまったということです(この曲がことさら特別な曲にも見えなくなったということもあります).でも10年前はそれがあったわけで(そんなことはないとは思いますが),世界中の誰も気づいていないこの曲の魅力に気づいていたかもしれなくて,でも,今となってはもう跡形もないということでしょうか.

 そういう意味では,今「この曲は私ならこう弾く」というイメージがあるのは,シューベルトのOp.120のソナタです.ブレンデルとかシフの演奏を聴いても全く気に入らない.もちろん,私の独りよがりなのかもしれませんが,少なくとも(技術のことはさておき)私にしかできない演奏ができると勝手に思って弾くことはできるわけです(でも,全然こう弾きたいというようには弾けないけど).

 でも,この曲も昨年,ピアノプロジェが流れ,今年も出ないということで,ベートーヴェンの32番のピアノソナタと同様,そういうものが失われてしまうのかもしれませんね(と言っても,私ごときが勝手に思ってることなので,てんで大したことじゃないんでしょうが).

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 と書いたんですが,この記事をちゃんと読み返したら,当時の感覚というか心境が少し蘇った感じはしました.でも,じゃあどこをどう弾くというところまでは記憶にないですかね.

 でも,こうやってここに記事にしておく意味が大きいとは思いました.つまり,今日書いてるこの記事も,シューベルトのOp.120のソナタをどう弾きたいということが失われた後,読み返すことで,少しはヒントになるのかもしれません.

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[お金があったとしても]
(生活, 経済)

 なかなかいい考え,つまり,家を買いたくない中,賃貸に近い状況を作るってことなんですが,じゃあ,仮の話ですが,お金が腐るほどあったとしてもそうするのか,そうじゃないなら,結局,お金の問題じゃないかと言う人もいるかもしれません.

 でも,そうじゃないんですよね.それは,お金がいくらあるかでいくら使うということをしないということもあるのですが,お金が腐るほどあったとしても,もう東京の都心に住みたいとは思わないからです.

 もちろん,大学をやめた後も仕事をして職場が東京にあったら,(お金が腐るほどなくても)職場の近くに住むと思いますが,そういうことがなかったら,いくらお金があっても高い住居費を出して東京に住む意味はないし,むしろ,東京から少し離れたところの方が住みやすいですからね.

 じゃあ,(時々行くけど住むほどじゃない)東京から時間的に一番近いところはどこかと言うと,新幹線沿線ということになり,住みやすさ的には,駅前よりは,少し離れた(車で5分とか10分の)ところということになるわけです.こうしてみると,何度も書いてますが,ほんと必要以上のお金は要らないと思いますね.

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 それでも,敢えて言うのなら(お金がいくらでもあるのなら),新幹線沿線という意味では,東京と反対方向にも行くことを考えると,東京(駅),上野,大宮は候補になりますかね.でも,駅前は,それなりに便利でしょうが,その分,ごちゃごちゃしてるし,今は生活していくのに,スーパーとか定食屋とか買い物できるとか便利である必要はもうありませんからね.

 東京,上野,大宮つの中で,駅から多少離れれば,ひらけた住みやすいところがあるのは大宮ですが,そうすると大宮から数駅ということになり,それなら新幹線を使えば,東京までの時間は熊谷とほとんど変わらないし,土地価格を考えるとトータルコストは熊谷の方が安いし,快適さは新幹線利用の方が勝るわけですからね.

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6/10'21
[やっぱりもう終わってる]

 こういう風に書くと,結構いい感じに見えますが,まあ確かに悪くはないですが,タイトルにあるように「やっぱりもう終わってる」という感じの方が強いですかね.でも,そう考えると,どこかほっとするところもあるわけで,そういう意味で「悪くない」ってことでしょうか.

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(ピアノ, 全般)

 ベートーヴェンは,32番のソナタの第2楽章の一部にして,ドビュッシーは,月の光というのも何なので,これはやっぱりエチュードの1番かなあとかだんだん「メニュー」が埋まってきたんですが,そうすると,逆にちょっと大変というか,弾きたい曲がない状態から弾きたい曲が多すぎて追いつかない状態(実際には,そんなに弾かないので,不完全燃焼感が残るだけ)になって,そういう感覚になったのは久しぶり(何十年ぶり?)な感じがします.

 でも,思うんですが,これってピアノに限った話じゃなくて,モチベーションのコントロールというか,そういうのって極めて不安定で変動が大きくて(具体的には,ピアノの場合,昨日までは弾きたかった曲が今日はもう弾きたくなくなったりする),それをどうマネージメントするかは極めて繊細,かつ,重要ってことですね.

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[税率1%]
(経済, 世の中)

 今朝のモーサテだったかな,アマゾンとかグーグルのベゾフとかピチャイとかがほとんど税金を払ってない,具体的には税率にして1%くらいしか払ってなくて,でも,なんか悪いことしてるわけじゃなくて,資産のほとんどが持ち株で,給料でさえも多くを株式でもらってて(いわゆるストックオプション),株式は売却しなければ所得にならないから,つまり,株価がどんどん上がって資産もどんどん増えてるのに税金をほとんど払ってないのはそういうわけだと言ってました.どう思いますか?

 私が思ったのは,なるほど,それで配当があるのか,ということです.配当というのは,株主還元ということなんでしょうが,どこかで書きましたが,大量に株式を保有している創業者は,株を売るに売れないわけで,そうすると,事業に成功して上場して株価がどんどん上がっても数字が増えるだけなんですが,配当という形で一部を現金化すればいいってことです.

 もちろん,配当には税金がかかります.でも,配当利回りを3%,税率を20%とすると,全体に対する割合は,0.6%なので(現金でも給料はもらってるでしょうし)一番上に書いた税率1%とほぼ対応しますね.

 見方を変えると,(我々が)資産運用をするときも,どこかの会社の株を売らずにもち続けて,配当だけを受け取れば同じことができる(ほとんど税金を払わないで済む)ということです.

 でも,売らずに持ち続ければ,値下がりリスクはあるわけですが(でも,信用のつなぎ売りとかすればいい),創業者と同様に,その会社と心中?するつもりなら,そういうやり方もあるということです.でも,本質的に考えれば,節税というのも変な話で,資産が増えれば,その分(少なくとも2割程度の)税金を払うのが筋だとは思いますけどね.

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 じゃあ,株式の含み益についても課税すべきという人もいるかもしれませんが,それはちょっと難しいですかね.具体的には,株価が値下がりしたときはどうすんだ?ってことです.例えば,株式売買によるキャピタルゲインと同様に課税するとして,損益通算ができるのは3年までで,先に儲けて後から損しても払った税金が返ってくるわけじゃないですからね.

 つまりは,税務署としては,税金はとにかくとれるところからとろうとするわけですし,逆にとにかく税金を払わないようにと考えるのが企業です.税金払うくらいなら,社員にいっぱい給料あげたり,設備投資というか,何かものを買ったりとかして,見かけ上の利益を減らしたり,赤字にしたりとか,いくらでも方法はあるでしょう.

 本来的にはおかしな話ですが,そもそもの目的が金儲けなわけですから,彼らにとっては,税金も単なるコストの一つなんでしょうね.

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[どこかに余裕がある]

 やっぱりもう終わってるに付け加えると,もう終わってるから変な拘りがないというか,めんどくさいことがあっても,しょうがねーなやってやるかとなるというか,それで変なことになってもどうでもいい(笑)というか,いざとなれば,もう仕事なんかやめればいいんだし,でも,そう考えると,逆にちゃんとやらないとというか,やっぱり,力が抜けてるというか,どこかに余裕がある感じはしますね.

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 あーでも,やっぱり,ちょーめんどくさいというか,うっとうしいと思うこともありますね.でも,そういうのもあと少しで卒業と思うと,気が楽になるというか,ですから,単にそういうことなんですかね.

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[まさにその通りになりました]
(世の中)

 今,2020年,つまり,昨年の新型コロナが流行しだした4月あたりの記事を読んでるのですが,このままじゃ,感染拡大→緊急事態宣言→解除→感染拡大を繰り返すだけで,少なくとも1年以上は収束しないと書いてあって,まさにその通りになりました.

 別に私の言った通りになったでしょ,というわけじゃないですが,どうして政府も国民も○○なのかなあってことでしょうか.これも何度も書いてあるのですが,こんなことになるのなら,さっさと短期集中でやれば,経済とかの影響も全然違ったと思うのですが,〇〇なので無理か.

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 あとは,この頃は,移籍というか人事の話が進んでる最中で,もちろん,そういうことは,このサイトには書けないのですが,ちょこちょこそれらしいことが書いてあって,でも,それが何かはわからないのですが,このサイトを読んでくれてる人で,何となく変な感じがしていた人はいるんですかね?

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[食事の実態]
(生活)

 その時食べたいものを食べているということなんですが,正確には,用意しているメニューを見てより食べたくなくはないものを(栄養のバランスを考えて)食べているということですかね(つまりは,食べたいものを食べたいというよりは,その時,食べたくないものを食べたくないということ.だって,今日の夜は,肉食いたい気分だなというときに魚は食べたくないでしょう?).そして,ピアノもそれと似たような状況を作ろうとしてるってことでしょうか.

 実際のところ,15分くらいで作れる簡単なものってことで,それで大丈夫かという気もしないでもないですが,栄養的にはしっかり考えてます(特にたんぱく質をかなり多めに摂ってる).でも,食材が限られてる感じもするんですね.

 いや,食材の数的に充分な気がします.実際,今使ってる以外の食材が何があるかと言うと,そんなにない気もしますからね(例えば,野菜なら,キャベツ,サニーレタス,ブロッコリ,ほうれん草,たまねぎ,ピーマン,もやし,海苔,乾燥ワカメ,ニラ,ねぎ,レンコン(粉),人参(ジュース),トマト(ジュース),白菜(キムチ),ごぼう(きんぴら),たんぱく質なら,牛肉,豚肉,鶏肉,魚(煮干し,さつま揚げ,塩鯖),魚粉,ウィンナー,牛乳,ヨーグルト,チーズ,卵,焼売,味噌,ソイプロテイン,ホエイプロテイン(何か抜けてる気がするけど).あとは,レーズン,アーモンド,チョコレート,コーヒー,緑茶,エゴマ油,黒酢,バナナ,りんご(ジュース),オレンジ(ジュース)という感じでしょうか(どれも限りなく無添加,無香料)).

 ですから,食材が足らないのではなく,メニューのヴァリエーションが足りないということでしょう.でも,炭水化物的なものは,白米,餃子,水餃子,そば,うどん,パスタ,ラーメン,焼きそば,オムライス,ピザ,ドライカレー,ガーリックライス,石焼風ビビンバ風炒飯,ドリア,チヂミ,お好み焼き,たこ焼き,いなり寿司,太巻き,ライスバーガー..とかいう感じで,こうして書いてみると,メニューのヴァリエーションが足りないって感じもしなくて,これらがほとんど生活クラブの宅配で入手できて15分くらいで作れるのは,やはり大きいですね.

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 でも,ほとんど毎日摂ってる食材も多いし,疲れてるというかめんどくさくて,簡単なもので済ませる(でもちゃんと栄養は摂る)ことも多いし,炭水化物以外は,割と短いローテーションで回ってると思いますし,これで大丈夫なのかな?とも思うんですが,たんぱく質と野菜のメニューがいろいろでも,食材的には意外と限られているのが実情だとすると,これで飽きずにうまく回して毎日おいしく食べてるわけで(しかも安全な食材で),実はうまいことやってるってことなんですかね?(よくわからない)

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[メニューからよりやりたくなくはないことを]

 話がそれたんですが,言いたいことは何かというと,食事のことじゃなくて,こんな感じで「メニュー」を作っておいて,その中から,より食べたくなくはないものを食べるように,よりやりたくなくはないことをやって行けばいいんじゃないかということで,ピアノはそれに取り組んでいこうとしてるってことですが,考えてみたら,これって全てについて,これまで私がずっとやってきたことですね.

 具体的には,いろんなやりたいことを開拓してきて,それを「メニュー」として用意しておいて,その時々で,その中からやりたいことというか,よりやりたくなくはないことをやってきたということですし,仕事についてもtodoリストを作って,その中から,よりやりたくなくないことをやってきたわけですからね.

 そして,それは,これからも然りで,やることメニューもそうですし,食事やピアノのように,各種目の中で,そういうやり方もできるということですかね.

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[のらりくらり]
(政治)

 国会の党首討論で,野党がこういう状況で五輪を強行しようとしてるが,それでいいのか,五輪をやるための感染状況の条件を具体的に明示しろとか,Sさんに迫るんですが(そんなの示したら五輪できなくなるから言うわけないじゃん),彼は1964年の思い出話を始める始末で,でも,まさにのらりくらりというか,官房長官時代もそうでしたが,失言をしないというか守りが固いというか,全然相手にならない感じです.

 でも,失言をせず,守りが固くて,で官房長官としては評価されたかもしれませんが,それで首相が務まるかと言うと...

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6/11'21
(このサイト)

 毎日のように,今日は特に書くことないかなあと思うのですが,気づいたら結構書いてて(と言っても,かけてる時間は1日1〜2時間程度だが),なんなんでしょうね?

 気づきのようなものも多いですが,私にとって大事でも読む人にとってはどうでもいいようなことも多いのでしょうし,書くのはともかく,このサイトで公開することに意味あんのか?とは思います.

 何度も書いてるように,私はこう考える,ということはあるのですが,それを他人に押し付けようとは全く思いませんし,そういう意味では,しゃべるとかメールを送るというのは,そういう側面があるので,あまり気分がよくないのですが,ウェブサイトなら,読まなきゃいいだけの話なので,押し付けてることにはならないと思うのですが,それでも,最近は,気分がよくない感じもしてきました.

 まあでも,自然の流れに任せるというか,書きたきゃ書く(書いて公開する),気分がよくないのなら書かない(公開しない)ということでいいんでしょう.実際,この記事もこうして書いてるわけですしね.

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[「やる」気になるか]

 よりやりたくなくはないことをやってきたってことなんですが,もちろん,やりたくて,やらずにおれなくてやってきたことも多いですし,その一方で,よりやりたくなくはないことではなく,やりたくないこともやってきたと思います.

 問題は,やりたいこと,よりやりたくなくはないこと,やりたくないことの割合ですが,うーん,どうなんだろ.直感的には,7, 8割がやりたいことをやってきたという感じだったのですが,この記事を書き始めて気づいたのですが,やりたいことと,よりやりたくなくはないことの境目は,意外と微妙ということでしょうか.

 具体的には,何度か書いているように,やりたいことの基準は,無報酬でもやるかってことなんですが,報酬と言っても,給料だけじゃなくて,例えば,バドミントンの練習をして強くなったら試合で勝てるってことや,ピアノの練習して人前で弾いてうまいと言われるのも一種の報酬ですし(やる気三要素的には後者は人との繋がりになるが),私は,やりたいこと(研究)を仕事にしたんですが,仕事になることの中から一番やりたいことを選んだということはあるわけです.

 つまりは,やりたいかどうかはあまり問題じゃないというか,そういうものは持続性がないというか,よりやりたくなくはないくらいでもいいというか,やる気になるか(「やる気」になるか,ではなく,「やる」気になるか)くらいがちょうどいいのかもしれません.

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[論理的には同じ?]
(生活)

 食事なんですが,要は,超手抜きってことですかね(それで栄養はがっつり摂って,添加物とかの余計なものはできるだけ摂らない).

 朝はほとんど固定(野菜も蛋白質もそれ以外のいろんなものが入ったIUJと自家製R-1と海苔一枚と煮干し10g(はプリン体が気になったけど,調べたらこれで1日摂取量の1/10)を電子レンジでチンしたものとレーズンと牛乳をたっぷり入れたコーヒーと有機粉茶を溶いたお茶)ですし,昼は学食に行くこともありますが,無塩トマトジュースとアーモンド30粒+カマンベールチーズ+おかき(をいっしょに食べるとめっちゃうまい)とバナナとチョコレートということも多いですし,夕食は,ここで書いたような感じで,肉なら焼いて塩胡椒と(叙々苑の)焼肉のタレが一番うまいし,魚粉を入れて(だしはそれで出る)野菜とか卵とか入れた味噌汁とか,卵を溶いて野菜とコンソメを入れたスープとか,オムライスなら卵の中に野菜をたくさん入れて作れば,栄養のバランスもとれるし(でも見かけは..でも食感は意外といい),蛋白質は,生活クラブの冷凍総菜で,暖めればすぐに食べられるものがいろいろあるし(炭水化物系も),要は,炭水化物をいろいろ変えながら,蛋白質と野菜をがっつり摂れて(炭水化物も摂るけどそんなには摂らない)その時,おいしいと思って食べられれば何でもいいという感じなんですね.

 こんな感じで,もうほとんど外食もしなくなったんですが(学食に週に2, 3回行くくらい.会議が長引いて,家に帰って作るのがめんどいとき夜行くこともある),私的にはこれでいいっちゃいいんですが,これでいいのかなあというか,同じ食材を繰り返し使ってる気がして,何か弊害みたいなものがないのか気になるんですが,でも,メニューをいろいろ変えても食材が変わるわけじゃないし,論理的には同じことのような気がするんですよね.

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[もてるには]

 もてるにはどうしたらいいかと説いてる人がいました.要は,相手を褒めて自分の話をせずに相手の話をきいてあげることなんだそうです.

 そんなの百も承知なわけで,そんなことしてまでもてたいのかってことでしょう.それじゃあ,もてるために媚びへつらってるようなもので,それはもてるとは言わない,いや,もてるというのは,本質的にそういうことなわけですからね(どこかで書いた気がする).

 でも,純粋に褒めたいときはあるし,自分の話なんかするより,その人のことを知りたい,話をききたいと思うことはあるわけです.つまり,どういう行動をとるにしても,もてることが目的化することは(少なくとも私は)ありません.

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[ぐるっと回って]
(経済)

 株式の配当ですが,もっと言えば,株価なんか上がらなくてよくて,下がりさえしなければいい,例えば,1億の資産があって,配当が3%あって,1億はそのままに毎年300万ずつ配当がもらえればいいわけです(実際は,日本の場合は,権利落ちがあるので,その分株価が上がらないといけないのだが).でも,実際には,株価は値下がりリスクがある.

 昔は,国債がまさにそういうものでした.でも,今は3%なんか程遠いですし,米国債でも1%ちょっとで,為替リスクもあるし,もっと言えば,デフォルトリスクだってあります(利回りが高いところほど,為替リスクもデフォルトリスクも大きい).

 不動産というか,アパート経営というのもまさにそういうものだったんですが,これも値下がりリスクがありますし,上物は老朽化して行くし,維持管理とか空室とか住民の問題とかかなり大変でしょう.

 こうして見ると,資産を守りながらキャッシュフローを得る方法として,ぐるっと回って,まず潰れない企業の株式をもつことが意外とありなことに気づかされます.売りたくなったらすぐに売れますしね(不動産はそうは行かない).

 問題は,まず潰れない企業というか,株価が下がらない企業をどうやって見つけるかでしょうか.株式投資は,値上がり益を狙うことがメインですが,そうではなく,値下がりしないという観点で研究するのもありかもしれません.

 でも,それは難しいかなあ.値下がりしないということは,結局,値上がりするってことと同じってこともありますし,そういう意味では,業績がよくて株価が値上がりしてる会社と業績が悪くて株価が値下がりしてる会社の株価のどっちがこれから値上がりして行くかは,どっこいどっこいだからです.

 でも,一番簡単な方法は,どこかで書きましたが,毎月に一定の額だけ(潰れない会社の)株を買っていくことで,いわゆる平均単価法と言われる奴ですかね.じゃあ,潰れない会社はどこかですが,これも,リスク分散的にいろんな会社の株を買っていくこともありかもしれませんね.

 うーん,でもどうかなあ.ずっと持ち続けるのは,やっぱりリスクはあるわけで,やばいと思ったときは,売る必要があって,でも,それが可能なのも株式ではありますけどね.

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6/12'21

 ※昨日の最後に書いていた記事ですが,少し書き換えました.

 うん? 何か変ですね.それは,資産を守りながらキャッシュフローを得る方法の話ではなくて,どうして配当があるかですが,結局,配当分だけ株価は下げるわけですから,例えば,年3%の配当を得るには,配当落ちを埋めて実質年3%株価が上昇しないといけないわけです.つまり,配当というものがなかった場合,3%上がったら,上がった3%だけ売れば,3%の配当をもらったことと同じで,税率も20%と変わりません.でも,創業者の場合は,3%ずつでも株を売っていくわけには行きませんから,どうして配当があるかと整合しているわけです.

 つまり,資産を守りながらキャッシュフローを得る方法については,配当は関係なくて,値下がりしない会社の株じゃなくて,ほんの少しずつ,生活に必要なキャッシュフローの分だけでも株価が値上がりして行く会社ってことで,これは別に当たり前の話ってことになりますね.

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 ちょっと調べてみたんですが,高配当利回り銘柄を推奨するような記事が多いですね.中には,何十年にも渡って優良銘柄をコツコツ買い続け,暴落時も売らずに持ち続け,むしろ暴落時に買って,今では資産1億で配当だけで300万という人が紹介されてました.

 でも,それは違うんですよね.

 何度も同じことを書きますが,どんなに高配当でも,権利落ち翌日には,きっちり配当分株価が下げるわけですから,配当は関係ありません(日本の場合は,権利落ち日に一気に下げるが,アメリカ株も少しずつ下げるという意味では同じ).つまり,配当利回りが5%なら,権利落ちで株価が5%下げる,逆に無配なら全く下げないわけで,結局,配当狙いで株をコツコツ買って持ち続けるというのは,長期的に株価が配当分上昇していくという相場観をもつということで,そうでなければ,そういう行動はとるべきではないということになります.

 てことは,ずっと前から書いてることに戻ったってことじゃなくて,配当というのは,株主還元ではなく,株を売れない創業者のためにある,ということですね.

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 とか書いてたら,今週のHンマでっかは株式投資をやってました(さっき録画で見た).でも,ひどい中身だったな.まさに配当のことを言っていて,銀行に預けても金利は0.001%だけど,株の配当なら5%くらいあるところもあると言ってました.

 それをきいた人は,でも株には値下がりリスクがあるじゃないかとはみんな気づくと思いますが,たとえ値下がりしないとしても,配当分は必ず値下がりするので,その分「上昇」しないと配当はとれないとは誰も言わないわけです.

 そんなことより驚いたのは,来年から高校で「資産形成」という授業が始まることです.こうやって,カモをどんどん取り込んでいくんですね.

 でも,私の中の何となくの予想は「まだまだこれから」です,なぜなら,新型コロナで一度相場が終わってるからで,10年とは言いませんが,これからどんどんカモを取り込みながら2020年代後半にかけて大相場になって,どこかで大暴落,そして,世界恐慌ですかね.つまり,100年前と同じパターンということでしょうか(ほんとは30x30=90年周期だったが,新型コロナで少しずれた).

 ただ,これは「私の中の何となくの予想」であって,それに基づいて取引することはありません.方法論的には,その日その日の流れを見て10分だけ考えて,ということです.

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(日記)

 今日は,ずっと調子悪かったです.ピアノを弾こうと家に帰ってきても(どの曲も)弾く気にならず,ずっと椅子の上にいて,大半は寝ていて,やっと起き上がって,手抜き夕食(今日は,オールイン味噌汁とピザとキムチ.牛乳レーズンコーヒーと粉緑茶は毎回飲む)を作って食べた感じです.

 時々,10日か2週間に1回くらいは,こうなる感じで(6月頭にもちょっとあったし,その前は,大腰痛のとき),要は,疲れてて休めってことですかね.でも,何度も書きますが,大したことしてないのに一体何に疲れてるんだ?って感じです.

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[水準に達していない]
(ピアノ, スキー, バドミントン)

 私のピアノなんですが,明らかにある一定の水準に達していないと思います.じゃあ,そこに到達するために練習するかというと,そんな気はないわけで,ほんとどうしようもないのですが,これまでは,あまり弾かれることがない近現代物を弾くことで誤魔化してきたとも言えます(そのためにそうしてきたわけではないが).

 でも,ピアノが上手いかどうかは,結局,どれだけ練習するかどうかってことはあるわけで,あまり練習しないのなら,弾く曲を絞れば,その分,その曲に関しては,少しは練習したことにはなるというか,そういうことになるかどうかということはあるでしょうか.

 水準に達していないという意味では,バドミントンもスキーもそうですが,スキーは上手いか下手かのどちらかと書いたことがありますが,そういう意味では,ある水準に近づいたというか,どのくらい滑れたらという明確なイメージはあります.でも,これもシーズン数日ではどうしようもありません.

 バドミントンについては,同年代での全日本の試合に出ても何回か勝てるくらいまで行ったことはあるので,ある水準に達したこともあったのでしょう.今は見る影もないのですが,運動原理は大分わかってきた気はします.でも,これも練習しないと話にならないのは当然ですね.

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6/13'21

 でも,想定する水準が全然違うということはあるでしょうね.スキーは,明らかにその水準が最も低い(どんな斜面でも安全に止まらずにある程度のスピードで降りてこられればいい)わけで,例えば,全日本の技術選とか競技のトップレベルには程遠いわけですし,バドミントンだって,同年代の中の,しかも,歳をとってからの話で,20代の現役のトップレベルとは全然違うわけです.

 じゃあ,ピアノはどうかですが,これもトップレベルには程遠いとは思いますが,近現代物をバリバリ弾いて,音大卒の人達をドン引きさせてた(笑)こともあったわけで(でも,そうやって誤魔化してただけですけどね),この3つの中では一番ましなんでしょうが,それでもある一定の水準には明らかに届いてません.

 平たく言えば,ちゃんと練習したことあんのか?ってことです.音大入った人なら,一日何時間も練習してたわけですし,そういう意味では,バドミントンなら部活で練習はしてたわけで,スキーも準指を受けてた頃は,それなりに滑ってました.

 そういう意味では,一番ちゃんと練習してないのは,意外とピアノだったりするのかもしれません(でも,一番小さいころからやってるってことはあるかな).

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(バドミントン)

 バドミントンというか,筑波大バドミントン部ですが(私はまだスタッフ),とある事情で,リーグ戦が先週,今週に延期になって,今日が最終日でした.ライブ配信は,つくばのときよりネットや機材の調子があまりよくなかったみたいですね.

 女子は優勝(普通だと打ち切りなのに染谷の第3シングルまでやってたので,ポイント差だったということか),男子は,これまた事情があって,一部のレギュラー選手が出られないこともあって,6位で入れ替え戦になります.でも,入れ替え戦には全員出られるとすると,大丈夫なんじゃないですかね.

 女子は明治に負けたんですが,香山がインカレで唯一1ゲームとられた上杉にやられた感じです.香山はもう卒業したわけですから,彼女の天下,とならないようにですかね.

 その卒業した香山ですが,ランサーでは優勝した佐藤と1回戦で当たってファイナル負けのようです.その後,佐藤は1ゲームも落とさず優勝ですから,善戦した? うーん,でも点数を見ると..試合を見ないとよくわからないですね.

 あ,ダイジェストだけどありました(でも,ユニフォームが変わると別人というか何か変な感じですね).でもやっぱりこれじゃあわからないなあ.でも1ゲーム目はまぐれでとった感じではなく,むしろ,圧倒してる感じで,でもそれ以降は何でもないエラーがいくつかありました.

 彼女を初めて見たとき(入学前のクイーンズサーキット)も思った(書いた)んですが,彼女の運動能力はすごくて,自分でも制御しきれずにそれがエラーに繋がってしまうようなところがあって,それさえ何とかなればとは思うんですよね.でも,そこがだんだんバランスしてきてるとも思うので,だんだん結果が出てくるといいなと思います(あまり無責任なことは言わない方がいいとは思うけど).

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[ある程度ミックス]

 今日(目覚ましをかけずに)起きたら結構な時間でした(でも,昨日寝てからずっと眠り続けたわけではなくて,何度か目は覚めたと思うけどすぐ寝た).やっぱり,疲れてたんですかね(でも,一体何に疲れてるんだ?という感じだが).

 ほんとに大したことはしてないのですが,タイミングとしては,やらないといけない大事な仕事の一つが一区切りということはありますかね.でも,やらないといけないことではあるのですが,それなりに楽しんでるところもあって,でも,そういうものが一区切りということになると,やらないといけなくてそれなりに楽しめるものが一つ失われるとも言えるわけです.

 じゃあ,その仕事,無償でもやるかと言われるとやらないわけで,ということは,ほんとにやりたいことではないわけです.でも,それが仕事ということで,やりたいというだけではなく,やらないといけないという要素がある程度必要とも言えるわけです.

 そういう意味では,このサイトで,やらないといけないこととやりたいことについて再三書いてきましたが,やりたいというだけでは厳しいというか,そんなことそうそうないわけで,そういう要素がある程度ミックスされることが必要で(ホッファー的),私は,やりたいことを仕事にしたんですが,仕事になることからやりたいことを選んだとも言えるわけで,それは,ある意味,正解だったということです.

 ですから,これまでというか,定年まではそれでいいと思うのですが,それから先は,そうは行かない,つまり,やらないといけないという要素がなくなる中で,純粋にやりたいことでないといけないわけで,そう考えるとなかなか厳しいのですが,やりたくなかったらやらないという,ある程度,自堕落にやっていくのも一つですし,例えば,ピアノなんか弾かなくてもいいんですが,ピアノを弾きたいと思うこともあるのなら,そのとき思うように弾けるように,そんなにピアノを弾きたくないときも何とか練習する,最近書いているように,そういう「その気」をうまくコントロールするということですかね(ピアノ以外でもバドミントンとかスキーとか研究とか何でも同じ).

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[片付け]
(生活)

 2019年から2020年の記事を読んでるんですが,片づけてます.それは,片付けがライフワークってこともあるのですが,大きな理由は,話があったからで,その時点では,どうなるかわからなのですが,そうなる可能性があるということは,引っ越さないといけないというか,備えないといけない,でも,本格的に片づけるとすると相当な時間(半年とか1年とか)がかかるわけで,ある意味,片付けるいい機会をもらったということですね.

 そして,実際,相当片付けたと思います.家,研究室ともに大量にものを処分しましたし,学生の部屋にあった,地震研からもってきた膨大な荷物もほとんど処分しましたし,本もほとんど電子化したし,いろんな媒体も処分したり圧縮したりしました.

 そして,〇年後には,また引っ越しです.今回,相当片付けたのですが,まだまだ行けると思います(少なくとも今の半分までは行ける).でも,〇年後ということは,今すぐというわけではないので,最近はほとんど片付けてはいません(でも,荷物が増えないようにはしてるし,気がついたとき,処分したりはしてる).

 つまりは,やっぱり,〇年おきに引っ越さないといけないってことですかね(笑).

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[弾くのではなく聴く]
(ピアノ, 音楽)

 疲れているというか,何もする気がしないとき何をしていることが多いかと言うと,YouTubeで近現代曲を開拓してること,要は,いい曲ないかなあと,まだ聴いたことがない曲を探していることが多いです.たかがYouTubeで?と思う人も多いと思いますが,その充実ぶりはすごいですし,譜面付きのものも多数アップしてあって,その昔,音源も譜面もなかった頃とは隔世の感があります(こんなの↓も普通に譜面付きでアップされてる).

 でも,あらかた開拓しつくしたということもあって,昔のように「おっ」と思うような曲に出会うことはもうほとんどありません.つまりは,時間の無駄なのかもしれませんね.でも,何もする気がしないときにすることがそういうことということは,私にとってピアノはやはり重要なものなのかもとは思うわけです.

 それで,先日,研究室というか講座でzoom飲み会をしたときに,昔,バンドをやってたけど,今はやってないという学生がいました.私は音楽は聴くものではなく,やるものだと思ってるのですが(スポーツも同じ),その人は,やるより聴く方がいいと言ってました.バンドで音楽の方向性でもめるというのはよくある話で,つまりは,バンドならやりたい音楽ができるとは限らなくて,でも,聴くなら聴きたい音楽が聴けると言うのです.

 ちょっと面白いと思ったのですが,私が音楽を聴くのは,聴くことが目的ではなく,自分が弾く曲探しが目的と何度か書いたと思いますが,上で書いたようなことに(今は)はなってるわけで,だったら,「私がまだ知らない」ということに拘らず,知ってる曲を再発見的にぐるぐる聴いてもいいというか,それだけでも膨大な曲があるわけですし,更に言えば,弾くのではなく聴くのなら,ピアノ曲に限らないわけで,その範囲は一気に広がるわけです.

 うーん,でもどうなのかなあ? 何もする気がしないときはそれでもいいかもしれないけど,そうでないのなら,やはり「やる」方を選びますかね.でも,まだ開拓してないところにいい曲はないとしても,開拓したところにはいくらでもあるわけで,人前で弾くことを前提としないのであれば,弾けるようにならなくてもよくて,そんな感じでそれらを弾いていくだけでもでもものすごい量というか,残りの人生全てをかけても無理でしょうからね.

 でも,弾く(練習する)のはやはり大変なので,問題なのは,やはり「その気」になるかで,でも,そうならないとしても,聴くことに「何か」を見出すことができれば,やることはいくらでもあるとは言えるでしょうか.

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6/14'21
[研究の中身の問題?]

 やりたいだけじゃ厳しくて,やらないといけない要素もある程度必要ってことですが,ピアノとかバドミントンとかスキーとかの技術を要するものは,練習しないと思うようにプレイできなくなりますから,元々そういう要素ももってることになります.

 いろいろ考えてこのサイトに記事を書くことは,ただやりたいからやってるという面が強くて,それだけでこれだけ続いているのは,我ながらすごいと思うのですが(笑),これも,より気分よく楽しく生きていくには,ということがあるわけですからね.運保というか運用もただやりたいからやってる面が強かったのですが,定年で仕事を失うとか,来るべき経済危機から資産を守るということから,だんだんとやらないといけない要因も出てきました.これ以外には,生活の質を高めるとか片付けとか体研究もやらないといけないところがあります.

 問題は研究ですね.これは,やりたくないときに多少さぼってもそれで「腕が落ちる」感覚はそんなにないですからね.いや,考え続けないとやっぱり「腕が落ちる」?(そう言えば,ピアノもしばらく弾かなくてもそんなに問題ない気がしていたんですが,最近は,ちょっと弾かないと途端に弾けなくなる感じがするようになってきました)

 あとは,やはり,社会性ですかね.要請があればってことですが,そんな他力本願は当てにならないとすると,自分が研究して出した成果を社会に還元する責務みたいなものを感じで,自分から情報発信していくみたいなこと?

 うーん,どうなんでしょうか? 研究のための研究なら,そんな気にはならないでしょうが,地震災害軽減に大きく繋がる成果が出れば,自分の中に抱え込んでおいていいとは思いませんから,情報発信はするでしょうね(論文なんか書かなくてもウェブ掲載でもいいし).

 つまりは,そういう研究ができるのかってことでしょうか.ハードルが上がった? いや,研究の中身の問題?

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[ドビュッシーは何を?]
(ピアノ)

 ドビュッシーは,エチュードの1番かと思ったんですが,ちょっと変化球過ぎますかね.要は,短くて(少なくとも3分以内で),毎日とは言わなくてもメニュー的に時々継続的に弾く気になる曲ということになりますし,ある程度は,ドビュッシーを代表する曲の方がいいんですかね.

 有名なのは,月の光でしょうが,中身的には,やっぱり,沈める寺でしょう.この曲は,高校の時に弾いてて(人前で弾く機会があるとショパンのOp.28のプレリュードの22番かこれを弾いたと思う),今弾いてもすぐにある程度は弾けると思いますが,ちょっと長いですし,継続的に弾く曲ではないですよね.そういう意味では,月の光も,亜麻色の髪の乙女とか月の光の下で法廷の開かれるテラスとかも,時々,弾く気にはなるかもしれませんが,継続的に弾いていくものではないですよね.

 技巧的ということでは,花火はありだと思いますし,何とか弾けるとは思いますが,ちょっとしんどいかなあ.アナカプリの丘とか西風が見たものとか雨の庭とかもそうですかね.

 てことで,変化球かもしんないけど,やっぱり,エチュードの1番ってことなんですかね.でも,この曲もちょっとしんどい(しんどいというのは弾ける弾けないということではなく,弾く気になるか的にしんどいということ)気はしますけどね.

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 うん? なんか変ですね.弾く気になるかどうかが最大の問題ですから,逆に言えば,弾く気になれば何でもいいわけですよね.そういう意味では,多少長くても,沈める寺が1か月とか2週間に1回とかなら弾く気になって,それで弾ける状態を維持できれば(あるいは維持できなくても)それはそれでOK?

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 全然関係ないんですが,ドビュッシーで何を弾くかということで,中学か高校の時迷って父親にきいたことがあって,彼はそんなの人に聞くなって感じだったんですが,子供の領分の雪は舞ってるはどうだと言われたのを思い出しました.でも,そう言われたけど,その曲は,弾く気にならなかったわけで,やっぱり,そんなの人に聞いてもだめだなと思ったのを覚えています.

 ちなみに,子供の領分と映像ですが,当時,擦り切れるほど聴いたミケランジェリのLPの演奏があまりにすごすぎて,この2つについては,今でもあまり弾く気にならないですね.

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 何を食べる気になるか的に言えば,2週間に1回というのはしっくりきますね(何度も書くけど,ベートーヴェンのピアノソナタ32曲を1か月で回すのなら月に1回だし).問題は,それである程度弾ける状態を維持できるかですが,短い曲なら2週間に1回でも弾くときに繰り返し弾ける(練習できる)ということはあるわけです.でも,少し長くても技術的にそんなに難しい曲でなければ,それでも行ける(かも)ということでしょうか.

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[どうしてピアノを弾く気になるのか]
(ピアノ)

 そもそもなんですが,人は,というか,他の人のことはどうでもいいので,私はどうしてピアノを弾く気になるのでしょうか?(どうしてピアノを弾くかということではなく,どういう曲だったら弾く気になるかということ)

 具体的には,例えば,近現代で知られていなくて自分がいい曲と思う曲を発見したら弾いてみたい,そして,それを演奏会で弾いて,知られざるこういういい曲がありますよということを知らせたいということだったわけです.でも,もうそんな曲は見つかりそうもありません.

 もう一つは,よく知られた曲でも,この曲はこういう風に弾くべきというか弾いてみたいと思って,それが世の多くの演奏と全然違ってたら,こう弾くのはどうでしょう?という感じで弾いてみたいということです.でも,これもそんなことそうそうあるわけではありません.

 で,行き詰ってきてるわけですが,そういうこととは別の側面というか,練習して動きを洗練して単純に音を並べ(て音楽を表現す)ることに効力感を見出せるのではないかということで,試みが始まったわけで,でも,そんなに練習できるわけではないし,人前で弾くことに拘らなくなってきているので,短い曲なら基準化的に練習できて,でも一方では,飽きるのでそれらを集めて,食事のメニューのようにしたらどうかということなわけです(近現代の知られざる曲ではなく,もっと優れた名曲の中から選ぶこともできる).

 その一方で,曲を練習していく過程とも関連があって,最初の方のどんどん弾けるようになっていく段階では,効力感が保てるけど,弾ける度がだんだん収束してくると,しんどくなってくることがあるわけです.

 それなりに練習して(いや,実際はそんなに練習しないで)演奏会で弾いた曲のほとんどは,二度と弾かないわけで,それは,弾ける度が収束してしまったことがあるわけで,でも,しばらく弾かないと弾けなくなるのですが,もう一度練習しても,同じようなところまでしか行かないし,そもそも新鮮味はもうないわけです.でも,一方では,それも勿体ない話だと思うんですよね.

 ここで気づくのは,ここまで書いてきたことの中に相反するところが存在していて,それは,動きを洗練することに効力感を見出すところと,弾ける度がだんだん収束してくるとしんどくなるというところです.つまりは,弾ける度がだんだん収束してきても動きを洗練することに効力感を見出せれば,そこを突破できるはずなのにできないということですかね.

 でも,そこを短い限られた曲にすることで突破できないか,短い故,いろんな曲,しかも名曲を集められて,飽きが来ないメニューが作れないかということなんですかね.

 もう人前で弾かなくてもいいので,弾けるようにならなくても,弾く気にさえなればいいわけで,つまり,しんどくなったら放り出せばいいのですが,そのとき,短い曲の集まりの中でぐるぐる回ることができたら,うまいこと行くかもしれない(行かないかもしれない)ということなんですかね.

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6/15'21
[モチベーションコントロール研究]

 最近,ピアノというか,曲目メニュー化の記事が多いですが,これって,ピアノというよりは,もっと一般的なモチベーションコントロール研究みたいなもんですよね.実際,食事のメニューとか,スキーの動きを洗練することとかから来てるわけですからね.

 つまり,ピアノに限らず,対象は何にでも広がるわけで,こういうモチベーションコントロール研究をもっとちゃんとやった方がいい(特にやる気にならないとやらない私の場合は)と思うんですよね.

 考えてみたら,ピアノの場合,そういうことをあまり考えてなかった,具体的には,演奏会が終わると,次何弾こうかなと思っていろいろあさるけど,ほとんどものにならず,演奏会前数か月になって,何とか絞り出して練習するというか,練習というには程遠いもので,本番でもぱっとせず,というのを繰り返してきたわけですからね.

 そして,それ以外の多くのものがそれに近いことに気がついて愕然とします.もちろん,モチベーションコントロールなんかしなくてもその気になるものならいいんですが,そんなものというか,そんなものでもいつもそんなわけはないし,じゃあ,そういうときはどうするかというと(やらないといけないこと以外は)やらないわけで,やっぱり,そんなことで,よくやってこられたもんだと思いますね.

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[ベートーヴェンの32のピアノソナタの斑模様]
(ピアノ)

 中学(森田がまだ田島の丘の上にあったときだから1年生)のとき,友達(多分,安部)に老後はベートーヴェンの32のピアノソナタを1日1曲弾きながら過ごしていくよと言ったことは,何度か書きましたが,そのときは,ベートーヴェンの32のピアノソナタに夢中というか(勉強しろよ),いろんな曲を開拓していく中でそのときたまたまベートーヴェンの32のピアノソナタの段階だった(その後は,ショパンやシューマンなどのロマン派,そして,ドビュッシー,ラヴェルの印象派,プロコフィエフなどの近現代と進んでいく)ということだと思うのですが,それでもベートーヴェンの32のピアノソナタは特別というか,それは,音楽史的に言ってもそうです.

 でも,ベートーヴェンの32のピアノソナタと言っても,いろいろですよね.具体的には,ソナチネアルバムに乗っている19, 20番と29番(ハンマークラヴィア)も同じ1曲ですからね(笑).

 てことで,全くの余談ですが,ベートーヴェンの32のピアノソナタの斑模様を(ここで少し書きましたが)思い出話的なことも含めてつらつら書いてみようと思います.

 最初に出会うのは,上で書いたソナチネアルバムに載ってる19, 20番ですよね.でも,ソナチネアルバムの中では最難曲ということなんでしょうが,あらためて見ると32のソナタの中では断トツに弾きやすいです.今ならほとんど初見でも弾けそうなくらいですが,こういうのを弾くと意外と技量的にどうかがわかる気もするのでそれはそれで怖いですよね.

 その次に出会うのは,ソナタアルバムに出てくる曲でしょうか.これは,はっきりは覚えてないのですが,1, 8(悲愴), 9, 10, 12, 14(月光), 25番ですかね.難易度的にも19, 20番の次に弾きやすい曲群って感じでしょうか.でも私がソナタアルバム時代?にやったのは,8番と10番だけですかね.8番は,中学時代,よく弾いてた,実際,中2の文化祭みたいなものの開幕初っ端で全校生徒の前で1楽章を弾いたことはどこかで書きましたかね(自分で言うのもなんですが,すげーってかなり評判になりました(笑)).10番は,人前で弾いたことはないと思いますが,ブラスの部室の横の音楽室のグランドピアノを音楽の中村先生に許可をもらってよく弾いてたんですが,そこで弾いてたのでよく覚えてるのはなぜかこの10番です.

 25番はちょっと思い出があって,時間は飛ぶのですが,東大に入って,東大ピアノの会に入ろうかどうしようかと思ってるとき,五月祭でこの曲を弾いた人がいて,紹介文を見ると,彼女は,自分のことを東大ピアノの会の底辺と公言していて,それを見て何か安心したというか,入る決心?をしたのを覚えています.そういう意味では,この曲とF田さんに感謝ですかね.

 でも,19も20も25もそうですが,こういうソナチネ的というか,ちっちゃくて技術的に易しくてという曲って,なんかベートーヴェンぽくないですよね(エリーゼのためにとかトルコ行進曲とかも).そういう曲を書くのが苦手とは言いませんが,なんか彼のよさが出てない感じがする(僭越)のは私だけでしょうか?

 時間を戻すと,19番には(苦い)思い出があって,小2の春に大牟田から福岡に引っ越してきて,しばらくして,小3のどこかくらいから,またバイエル(の15番くらい)からピアノを習い始めたんですが,最初の発表会がバイエルの76番(小3),次がソナチネアルバム1の17番(小4)で,その次がこの19番で(てことは小5か),でも,私はこの曲が好きじゃなくて,本番で止まってしまって,どうしたらいいかわからず袖の方を見たら先生が少し前から弾き直してとアドヴァイスしてくれて,何とか最後まで弾いたのですが,それ以降,怖くて暗譜ができなくなり,なんと現在に至っています.

 そのくらいトラウマってことなんですが,すぐ上の曲目のメニュー化というか,モチベーションのコントロールの話ではないですが,暗譜する意味が少しわかってきた気もしていて(自分の中にある音楽を表現する感覚になる),それは,モチベーション的に言っても,暗譜した方が弾く気度が上がるような気もしています.まあ,高田の話じゃないですが,暗譜するくらい練習しろってことなんでしょうけどね(笑).

 ちなみに,小3, 4, 5の発表会で弾いた曲は上で書いた通りですが,その後は,最後の発表会の中2で8番を弾いたのは覚えてますが,小6,中1は覚えてないですね(小5のときのことがトラウマになって出てない?).ていうか,レッスン的には何をやってたんだろう? ソナタアルバムが終わってからというか,全部はやらなくて,何曲かやった後は,モーツァルトとかベートーヴェンのソナタから先生がじゃあ次はこれって感じで選んでやってたのは覚えていて,例えば,モーツァルトのK.333とか331(はソナタアルバムにも載ってるか)とか627(正しくは547a)を弾いたのは覚えてますし,中2で先生につくのはやめたんですが,最後の曲がベートーヴェンの2番だったのは覚えています.

 ちなみに,中学のときよく弾いていた8番(悲愴)ですが,今では,というか,もう50年くらい弾いてないと思います.つまり(なぜか)弾く気にならないってことですね.でも,弾いたらいいとは思うんですよね.

 ちなみに,この8番(悲愴)ですが,確か木下が東大ピアノの会に入ったときに新「観」で弾いた曲で,私はその場にいなかったんですが,すごい演奏をしたらしく,こいつを絶対逃がすなと誰かが言ってたのを覚えています.でも,彼って東大ピアノの会に入るために東大に入ったわけで,逃げるわけないんですけどね(笑).

 ここまで出てきた以外の割と弾きやすい曲としては,あとは,何がありますかね.24は,短いけどそんなに弾きやすくはない? というか,この曲,23の後の作品ということなんですが,ベートーヴェン自身が23以上の傑作と言っていて,んなわきゃねーだろというようなことをきいたことがあります(恋は盲目?).

 23(熱情)については,ここで書きましたが32のソナタの中で一番好きなのかな.実際,高校から浪人時代,そして,大学に入ってからもずっと弾いてたと思います.でも,いつからか,それこそもう何十年も弾いてなかったんですが,先日,ちょっと弾いてみました.でも,今は昔ほど思い入れはないかもしれません(今は32の方に惹かれる?).

 こうしてみると,というか,今気づいたんですが,中1のときに友達に老後はベートーヴェンの32のピアノソナタを1日1曲弾きながら過ごしていくよと言ったにもかかわらず,32あるベートーヴェンのピアノソナタで一応一通り弾いたのは,8, 10, 19, 20, 23くらいしかないですし,人前で弾いたことがあるのは,それこそ,8の第1楽章と19くらいで,ちょっと弾いたのも,1, 2, 4, 7(の第1楽章), 14, 21, 28(の第2楽章)くらいのものです.まあ,大学以降はずっと基本的に「新曲」を開拓してきたわけですからね.

 弾きやすい弾きにくいは別にして,斑模様ということでは,メジャーかマイナーかということはありますかね.具体的には,8(悲愴), 14(月光), 23(熱情)が三大ピアノソナタというのは(世の中的に)鉄板だと思うのですが,それに続く六大?七大?ピアノソナタというのは,17(テンペスト),21(ワルトシュタイン),26(告別),29(ハンマークラヴィア)あたりなんでしょうか(一応名前付いてるし(笑)).名前が付いてるということでは,15の田園もそうなんですかね.あとは,後期の28-32番の5曲もよく取り上げられます.

 逆にあまり弾かれないマイナーな曲というのもあって,具体的には,11, 13, 16, 18, 22, 27番あたりですかね(でも,個人的には18番は結構好き.記憶としては,中2のとき沖縄に(返還後,本土から初めて)修学旅行に行ったんですが,そのときに聞いていたのが18番でした.つまり,その頃,ケンプの全集集めも終盤だったってことですね).

 残るは,2-7番の前期のものということになり,ということは,こういう形?で見事?に斑模様を分類できた?ってことですかね(笑)?

 まとめると,学習者向けの易しい曲が19, 20, 25,その次のレベルが1, 8(悲愴), 9, 10, 12, 14(月光),代表作的なものとしては,8(悲愴), 14(月光), 23(熱情),そして,17(テンペスト),21(ワルトシュタイン),26(告別),29(ハンマークラヴィア)と後期の28-32番,少しマイナーになるけど15(田園),あとは,前期の2-7番とマイナーなものとして,11, 13, 16, 18, 22, 27番ということで,こういう分類でほとんど重なりがない(重なってるのは8と14と29くらい),つまり,割ときれいに分類できたってことなんですが,12番は,学習者向けの次のレベルというよりは,結構メジャー(第1楽章がヴァリエーションで第3楽章が葬送行進曲とかなり特徴的で,15の田園くらいメジャー)というくらいですかね.

 ちなみに,32のソナタを1日1曲ですが,実際にやるとすると(やらないけど),32なので1つ多いんですが,短くて易しい19と20をまとめれば31になりますね.でも,29を1日では厳しいかな.そうすると,24と25をまとめるのかな.1か月30日の場合や2月もあるので,次にまとめるとすると,9と10ですかね.

 そっか,別に月の初日に1番を弾く必要はなくて,とにかく1日1曲弾いていけばいいんですね(笑).

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[ドビュッシーの沈める寺]
(ピアノ)

 ドビュッシーの沈める寺(正式にはプレリュード集第1巻第10曲)を弾いてみました.

 あらためてなんですが,すごい曲です.自分で弾いてるのに壮大な音楽が目の前に広がって圧倒されますし,その音楽を自分が奏でているのが信じられないというか,まさにピアノを弾く意味みたいなものすら感じました.

 技術的にはそんなに難しくなくて(跳躍とか音の分厚さはあるんですが,ゴドフスキーのジャワ組曲のブロモ火山に比べたら..),30分くらい弾いてたら一通り弾けるようになりました(でも暗譜するのは少し時間がかかるし,何より表現を磨くのが容易ではない).音楽的には,大胆というかシンプルというか斬新というか,そういうのが奇跡的にはまってて,よくこんなもの作ったもんだと思います(天才).

 ということで,ドビュッシーで何か一つということなら,やっぱり,これですかね(エチュードの1番でドレミファソファミレドとかやってる場合じゃないかも).

 でも,やっぱり,毎日,弾くものではないですね.つまりは,2週間か月に1回くらい弾くとして,それで暗譜して弾ける状態,つまり,自分の中に表現する音楽がある状態を維持できるかということでしょうか.

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6/16'21
[うっせぇわ]
(芸能, 世の中)

 「うっせぇわ」という曲がヒットしているのはなんとなく知っていました.もちろん,興味なんかなかったのですが,奥伊吹にスキーに行ったとき,かかっていたので,その時初めて聞いて,最近は,テレビとかでも流れるようになってきました.

 タイトルが「うっせぇわ」で,サビで「うっせぇわ」と連呼するわけですから,反逆的なものと思っていたのですが,断片的に歌詞をきくと,どうやら優等生らしく,社会の規律も守り,流行とか経済の動向もチェックしていて健康というかなり「しょぼい人間」で,なのに凡庸な人間ではないと言ってて(どういうこと?),メロディーもそんなに過激じゃないし,拍子抜けというか,何が言いたいの?という感じですかね.

 でも,こういう曲の歌詞って,だいたい意味不明ですよね.つまりは,何となく音の感じで言葉を並べてるだけで,主義主張もなく,音楽的に目新しくないのも当然で,一体何が受けている?というか,ヒット曲なんてそんなもんなんですけどね.

 でも,好意的に解釈すると,歌詞の内容は支離滅裂なんですが,今の若い人達って,表面的には優等生的だけど,内面はそんなわけなくて,じゃあ,反逆的かというとそういうわけでもなくて,つまり,内面が支離滅裂になってて,自分でも何が何だかわからなくなってて,そういう状態を表現したってことなんですかね.

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[もう一周回って]

 中1のときにベートーヴェンの32のピアノソナタに夢中ってことだったんですが,一体何に夢中だったんですかね? 何かに夢中になったら最初は通る道だとしても,しばらくすると飽きてくるというだけの話?

 そうじゃないですよね.その時は,こんなすごい曲があるんだ,じゃあ,他の曲はどうなんだろう?というまさに「発見」の連続だったわけです.そして,ベートーヴェンのピアノソナタの次は,ショパンとかのロマン派,ドビュッシーとかの印象派,近現代とどんどん食指は広がり,飽きるどころかずっとその間,発見の連続だったわけです.

 でも,ということは,長い時間をかけて一通り開拓が終われば,そこで終わりということです.もちろん,開拓が終わるということはないんですが,そういうのが粗方終わったのが,まさに東大ピアノの会を卒業したあたりで,それ以降は,何とかニッチな近現代曲の掘り起こしを続けながらも,(カプースチンというミニバブル?はあったけど)何十年も頭打ちというかじり貧状態?が続いたわけです.

 次々に発見があるときは,夢中になるものですし,そういうことは,ピアノ音楽以外にもいろいろあったと思います.例えば,高校時代は,ピアノ以外の音楽をFMで集めて聴いていくことに夢中だったし,大学院のある時期に,ハードロックにはまって,これを大分開拓したことも書きました.研究もそうですが,バドミントンやスキーやゴルフや相場研究にもそういう時期はあったと思います.

 てことは,何かそういう未開拓のものを開拓して行けばいいわけで,そういう意味では,まだ聴いてない音楽は膨大にあるでしょうし,読んでない本,見てない絵画も映画もあるとは思うのですが,問題は,やっぱり,興味があるかですよね.具体的には,バッハのよさがわからない奴は,膨大な楽しみが残ってるとか言われても,バッハを聴いても退屈でつまんないと思えばどうしようもないわけです.

 近現代ピアノ音楽の開拓にしても,もう「おっ」と思うものはないわけで,じゃあどうしたらってことなんですが,別分野を開拓するより,既分野の「再発見」ということはあると思います(未開拓の近現代曲より優れた曲も多いですし).具体的には,シューベルトのD.960のソナタはまさにそうでした.でも,こういうこともそうそうないんですよね.

 だとすると,もう一周回って,既発見のものを深く掘るというのが,現在進行中?のメニュー作成計画ということかもしれません.そして,これはピアノに限った話ではないってことなんですが,こういうことを考えると,歳をとったというか,人生が終わるというか,そういうことともどこかで繋がってる(言い方を変えると,自分の人生の中で開拓できる興味のあることはほぼほぼ開拓し尽くして,人生があまり長く続きすぎるともたない)感じはしますね.

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[暗譜と効力感]
(ピアノ)

 暗譜することが効力感に繋がる感じがするってことですが,自分の中にある音楽を表現する感覚になるってことが大きいんですが,練習というか譜読みから始まってだんだん弾けるようになって,でも,どこかで頭打ちになるんですが,暗譜してないと「まだやることがある」というか,そういう「余地」が残っているわけで,じゃあ,暗譜するかとなって暗譜すると,頭打ちになったところから,もう一段進めるかもしれないというようなこともあるでしょうか.

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[食事の合理性]
(生活)

 食事なんですが,しっかりバランスよく栄養も食材的にも充分な数も摂れてると思うのですが,どこか違和感はあって,思い出したのは,美味しんぼのとある回の話です.

 どういう話かと言うと,若手の非常に優秀な経営者の食事というのが3つのメニュー,具体的には,確か,召使いさんにカレーとハンバーグととんかつを3日周期で回してくれ,足りない栄養はサプリメントで摂るからっ感じで,そういう食生活を続けた結果,カレーとハンバーグととんかつ以外は食べられなくなって(でも,食事自体は毎回おいしいと思って食べる),でも,それじゃあ,いくら何でも食生活的に貧しいから,せめて,とんかつをかつ丼にして食べてもらうということをきっかけに,そういうことを克服するという話です.

 もちろん,今の私の食生活はそれとは全然違うんですが(メニューはたくさんあるし,食材的にもいろいろ摂ってるし,今はサプリメントは摂ってないし),合理性を追求というところと,毎回おいしく食事するところは似てるんですよね.

 でも,じゃあどうするかと言われても,準備に15分以上かけるのは無理だし,時々は調理に時間がかかるものを,ということで外食することはできると思いますが(というか,時々,外食もしてますし),それだったら,自分で作った方が栄養のバランスもとれておいしいし,うーん,どうなんだろ? よくわからないですね.

 でも,多分ですが,食生活の豊かさというか,満足度の問題ですね.具体的には,15分では準備できないものということになると食べられないものはあって,具体的には,カレーとかハンバーグとかとんかつはそうですし,寿司とかもそうですかね(魚もそうだけど,これは,毎朝,煮干しを10g食べるようになってから,魚を食べたいと思わなくなった).ですから,そういうものを食べたくなったときは,外食をすればいいというだけの話なのかもしれません.

 でも,わざわざ出かけていくくらいなら,これでいいやと思うものを自分で作って食べた方がと考えてしまうのですが,それがあんまりよくないなと思ってるだけということですかね.

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6/17'21
[何でもありになった]
(ピアノ)

 今日もまた?ピアノの話からです.なんか,ピアノ日記みたいになってきましたね(笑).まあ,今だけでしょうけど.でも,最後の方で,ちょこっとピアノ以外の一般的なことに敷衍する話になると思います.

 実際,大きな転換点に来てるとは思っていて,それは,人前で弾くことに拘らないということで,でも,それはもう何年も前からそうだったんですが,実際は,年に1回はピアノプロジェで弾いてきたわけで,でも,実際のところは,人前で弾かないことを前提としないと言っても,大きく何かが変わったわけでもなくて,じゃあどうしたら?ということだったのですが,その答えが少し見えてきたということでしょうか.

 これまでは,人前で弾くことが前提で,それは,私の場合は,2つの意味があって,1つは,知られざる近現代曲の紹介,もう1つは,この曲をこう弾いてみるのがいいと私は思うけどどう?だったわけです.でも,それがなくなるとどうなるかと言うと...

 何でもありになるわけです.具体的には,近現代曲でなくてもよくて,この曲はこう弾くのがいいと思うというのがなくてもよくて,要は,弾きたければ,弾く気になればなんでもよくて,更には,人前で弾かないのであれば,ある程度仕上げる必要もないわけです.つまり,ピアノを弾くことに対する意欲が低下する中で,リタイア後の退屈しのぎに向けての準備の一環につながってきたわけです.

 で,これがピアノ以外の一般的なことにどう広がるかですが,少し前に書いた記事で,やりたいというだけではだめで,やらないといけないという要素も必要,仕事は,仕事になることからやりたいことを選んだけど,それは,ある意味,正解だったと書きましたが,ピアノでもそういうことが起こってたってことですね.

 つまり,近現代曲をやってきたというのは,もちろん,近現代曲が好きってことはあるのですが,「私にしかできない」的に言えば,やりたいというだけではなく,得意なこと,やらないといけないこと的なところがあったわけで,仕事と同様,それはそれで正解だったわけです.

 でも,仕事と同様に,でも,仕事のように定年があるわけでもないのに,人前で弾くことを前提としないことになって,知られざる近現代曲とか,自分なりの表現できる感じがする曲とか,もっと言えば,何とか弾けそうとか,演奏効果が高いとか,やったら受けそうとか,そういうことを考えなくてよくなって,何でもありになったわけです.

 でも,何でもありだと,逆に何やったら?となるとも言えるので,敢えていろいろ制限を付けて,食事メニューのように弾く曲リストを作ってやり始めたということです.

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 それで,ここのところは,割といい感じだったんですが,今日は,午後,ずっと会議で,いつもなら,長引いてピアノが弾けないことが多いのですが,少し早く,何とか弾ける時間に終わったので,弾こうと思って家に帰ってきました.でも...

 弾く曲リストを眺めても,どれも弾く気になりません(沈める寺も).どれか1つくらいは引っかかると思ってリストを作ってるわけですが,1つも引っかからないわけで,食事で言えば,何も食べたくないわけで,早くも目論見違いというか,でもまあ,そういう日もあるってことで今日は無理せず素直にお休みかなと思ったんですが...

 弾く曲リスト以外の,そこら辺にある譜面をぱらぱらと見ていたら,一つだけ弾いてみようかなと思う曲がありました.それは,ドビュッシーの子供の領分の第1曲「グラドゥス・アド・パルナッスム博士」で,つい何日前か,ミケランジェリの演奏がすごすぎて弾く気にならないと書いた曲です.

 どうして,他のどの曲も弾く気にならない中,この曲だけ弾く気になったのかはわかりませんが,とにかく弾く気になったので,弾くことができました.この曲が弾けるようになっても人前で弾くことはないでしょうし,(ミケランジェリの演奏を基準にするなら)ちゃんと弾けるようになる気は全くしませんが,ほんとだったら,今日はピアノを弾かずにソファーに上でゴロゴロしていたところを何とか弾くことはできたわけで,ピアノが弾けるようになる的に言えば,プラスはあってもマイナスなことはないわけで,早速?何でもありの恩恵をこうむったような気がします.

 ちなみにこの曲ですが,高1の入学当初の頃に弾いていたのを思い出しました.でも,それなりに弾いてたとは思いますが,今にして思えば,ミケランジェリの演奏云々は言うまでもなく,どう弾くか的には全然アウトだったわけで,でも,今は全然違う弾き方ができる,いや,できるできない的にはできないのは変わらないのですが,向かおうとするところは明確に違っていて,この曲の私の中の理想の演奏は,ミケランジェリのそれですが,それに近づくために高校のときは,どうしたらいいか全くわかってなかったけど,今は,できるできないは別にして何とかわかるというか,どう「弾こうとするか」があるとは思いました.そして,それが今日唯一この曲を弾く気になった理由かもしれません.

 そういう意味では,この曲も「こう弾きたい」というのがある曲とも言えて,でも,ミケランジェリという他人の演奏ではしょぼい話なんですが,私のこの曲の「こう弾きたい」は,ミケランジェリの演奏そのままではなく,そういうイメージというか,ミケランジェリがヒントをくれたというか,つまりは,それはそれで,「私の」「こう弾きたい」のような気もしますし,何でもありなので,弾く気にさえなればそれはそれでいいわけです.

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 あらためて,ミケランジェリの子供の領分の演奏を聴いてみました.やっぱり,うまい.ていうか,すごい.それで...なんとドビュッシー自身の演奏がありました.でも...

 ミケランジェリの方が全然うまい.というか,作曲者をさしおいて何ですが,ミケランジェリの演奏が本来のあるべき演奏かどうかはともかく,というか,おそらく違うと思いますが,私は,ミケランジェリの演奏の方が全然いいと思いますし,私も(弾けないけど)そう弾きたいと思いますし,ある意味,演奏者というか,ピアニストの存在意義を感じました.

 でも,この子供の領分ですが,技術的な高度な表現を用いずに,少ない音の中に音楽がものすごく凝縮されてて,これもすごい曲ですね.

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[近くを電車が走る]
(生活)

 今住んでるところですが,近くを電車が走っています.そして,それって何か悪くない感じです(それを感じるのは,だいたい夜,大学から家に帰るとき).

 で,いつ以来かなと思ったら,何と大学1, 2年の駒場時代以来(正確には4年の冬まで住んでた)ということに気づきました.というか,駒場時代だけですね.

 そのときの記憶としては,なぜか早朝というか,夜が明けてすぐくらいで,遠くで井の頭線の始発が走って行くというものです.徹夜で試験勉強してて,夜が明けたときのこと? 眠れずに夜が明けたときのこと? 年寄りじゃないから,朝早く目が覚めたわけでもないですね.

 つまりは,どれも違う(徹夜で試験勉強したことも,眠れずに夜が明けたこともなかったと思うし,年寄りでもなかった(笑))と思うので,どうして,そういうイメージが残ってるのかわかりませんが,おそらく,たった1回?の鮮烈?な記憶が残ってるんでしょうね.

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[(ドビュッシーの)生涯]

 なんかドビュッシーに興味が出てきたので,彼の生涯をあらためてざっと見てみました.と言っても,だいたいのことはわかってるんですが,作曲家として独自のそれまでにない音楽を作り始めたのは,ピアノ曲で言えば,ここで書きましたが,1903年の版画あたりからです.その後,海,映像第1集,子供の領分,映像第2集,前奏曲集第1集,前奏曲集第2集,練習曲集と傑作を生み出すのですが,練習曲集が1913-15年ですから,その間,僅か10年ということになります(そして,1918年55歳で逝去).

 そう考えると,短い活動期間というか,短い人生というか,ドビュッシーの人生が短いのではなく,人の生涯が短いという感じがしてしまいます.

 でも,ドビュッシーには,黄金の10年というか,多分,一体自分に何が起こってるのか本人もわからないくらいすごいことがたった10年の間に起こったわけですよね.そして,そんなことが起こった人は,この世に生を受けた何千億という人間の中でも僅かしかいないわけです.

 私はどうなのかなあ.もちろん,レベル的にどうこうということはおいておいて(笑)(でも,こういうのってレベルは関係ないし,関係あるとしても,自分が取り組んでるテーマについては,誰も到達していないところまで来たと勝手に思ってるし),本業の研究で私にそういうことがあったとすれば,それは,強震観測点回りの調査をして,1-2秒応答を提唱した40代の10年だったような気もして(そっか,ドビュッシーの10年とだいたい同じ年齢ですね),それは,私にもそういう時期があったと言いたいわけじゃなくて,人生ってそんなもんなのかもなってことですかね.

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[せいぜい10年くらい]

 言いたいことを言うために自分のことを書くと,正直,気分がよくないのですが,何が言いたいかというと,人生何十年あったとしても,ほんとに仕事したと言えるのってせいぜい10年くらいなんじゃないかってことです.

 じゃあ,残りは何してたかというと,もちろん,何もしてないわけはなくて,でも,敢えて言えば,「準備」みたいなもんだと思うんですよね.でも,準備と言っても順調に準備が進むわけじゃないというか,準備してるわけでもなくて,単に結果が出なくて悶々としてるだけかもしれません.

 でも,人生ってそういうものというか,つまりは,腐ることなく,というか,結果を出そうと遠くを見るのではなく,近くを見て,今やるべきことをやって行けばいいというか,それで結果が出るかどうかは二の次というか,出たとしてもせいぜい人生全体の中で10年くらいのものなので,それ以外のところを楽しみましょう(でも,そうやってると結果が出たりする)ということですかね.

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6/18'21
[自分のことを書く]
(このサイト)

 ほんとは自分のことなんか書きたくないのに,言いたいことを言うために頑張って書くと気分がよくないんですが,じゃあ,どうして,そんなしてまで自分のことを書くんですかね? やっぱり,言いたいことを言う方が勝っちゃう?

 でも,何度か書いてるように,ウェブサイトの場合,話したり,メールを送ったりするのと違って,読みたくなければ読まなければいいだけの話なので,敷居が下がるということはありますかね.

 でも,普段,人と話すときとかメールするときとかは,自分のことを話すことは(きかれたりしなければ)ほとんどないわけで,いくら話をしたりメールしたりとかではなく,ウェブサイトだとしても,そのギャップが大きいというか,それが何なのかなと.

 で,気づいたんですが,ウェブサイトというか,ブログとか日記って,自分のことを書くところですよね.だから,当たり前というか,むしろ,自然?

 でも,これも何度も書いていますが,このサイトは,ブログとか日記じゃないと思ってるわけで,そこのところギャップが何とも気持ち悪いんですが,日記的なところは,ないこともないので,そういうところと何となくこっちゃになってるところはあるんですかね?(結局,よくわからない)

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[変な日]
(日記)

 今日は何だか変な日です.というのは,大学の創立記念日なんですが,それをきいたときは,ふーん,てなもんなんですが,何とお休みなんですよ.つまり,授業も勤務もなくて,大学は休日のように閉まってるので,IDカードがないと入れないわけです.

 ですから,今朝,目覚めたときは,「今日はお休み」という感覚なのですが,世の中は普通に動いてる,例えば,モーサテはやってるし,相場も開いてるし,こういう感覚って今までなかったというか,何とも変な感じです.

 そもそも,創立記念日ってお休みなの? 小中高はそんなことなかったし,東大も筑波大もそんなことなかったですね.でも,京大の教員のほとんどは京大出身だし,学生時代からそれが当たり前なんでしょうね.

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[考えてみたら当たり前]
(このサイト)

 どうして自分のことを(このサイトで)書くかですが,考えてみたら当たり前ですよね.

 それは,このサイトの目的が「人生や世の中などいろんなことについて考えること」,つまりは,哲学というか,生き方研究,世の中研究(+その他諸々(笑))なわけで,世の中のことはともかく,生き方は,「私の」生き方というか,私がどう気分よく楽しく生きていくかなわけで,結果的に自分のことを書くことになるのは当然なわけです.

 私が気分よく楽しく生きていける方法に汎用性があれば,他の(読んでる)人の役に立つこともあるかもしれませんが,そうとは限らないと思いますし,むしろ,そうであるべきというか,考えるきっかけみたいなものになればということで,でも(いつも書いてるように)自分のために書いてるわけで,でも,他人のために書くより自分のために書いた方が(これも結果的に)よほど参考になると思いますからね.

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[始めから終わってる]

 (ドビュッシーの)生涯ですが,彼が55と若くして亡くなったってことがあるんじゃない?と言う人もいると思うんですが,モーツァルトとかシューベルトとかショパンとかは30代で亡くなってるのでそういうこともあるかもしれませんが,何度も書いてるように「人生50年」なので,ドビュッシーの場合は,あまり関係ない,つまり,若くして亡くなってほんとならできたことができなかったことはそんなにないと思うんですよね(そして,モーツァルトとかシューベルトとかショパンとかが生前に残した作品を見ても,やり残したことがあるとは思えない).

 そういう意味では,48で亡くなった父も然りで,もしかしたら,ちょっと早かったくらいだったのかもしれません.実際,相当精力的に仕事してましたからね.

 そんなこと言ったら,お前はもう人生終わってるやないかというのはその通りで,ていうか,ずっとそう書いてますよね.じゃあ,これからどうやって生きていくんやってことなんですが,有体に言えば,生ける屍というか,その時が来るのを何とか退屈しのぎをしながら待つということなんですが,これも何度か書いているように,人生って最初からそういうものなわけで,そうすると,人生が(50で)終わったとか言っても,そうじゃないというか,始めから終わってるとも言えて,ちょっと面白いというか,少し本質に近づいた気もしてくるわけです.

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 じゃあ,(黄金の)10年なしに50を過ぎてしまったら? ご愁傷様?

 そうかもしれませんが(多くの場合そうかもしれませんが),逆に言えば,まだ人生が終わってない(でも,本質的には最初から終わってるけど)かもしれなくて,これから(黄金の)10年が来るのかもしれません.

 もっとも,そもそもそういうことを望んでないというか,何かを成し遂げようと思ってなければ,そういうことは起こりようがないとは思いますが.

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 私の場合は,これも何度も書いてますが,自分の能力とか勤勉さ(怠惰さ)とかやる気とかいろんなものを総合的に考えると,(しょぼい割に)上出来だったと思いますが,一方では,こんなもんかと思うところもあって,よくわからないのですが,自分の能力とか勤勉さとかやる気以上のものは無理というか,そんなしんどい思いまでして欲しいとは思わないので,まさに身の丈というか,そもそも,そういう評価自体,意味がない気がします(結果はあくまで結果的についてくるもので目的ではありませんから).

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[どうしても見劣りする]
(ピアノ)

 (近現代の)新曲ではなく,既往の曲の再発見というか,深堀していくということなんですが(今日は何とかいつも通り弾くことができました),最近,近現代曲探求?も(結果的に)結構やってて,というのは,YouTubeの学習?がここに来てようやくはまってきて(でも,既に聴いたものを何度もおすすめする○ホなところもあるけど),結構,近現代曲をいい感じでおすすめしてくるんですよ(ある意味,余計なお世話?).

 でも,かなりの数聴いてますが,やっぱり,いい曲はそうそうないですし,既往の傑作達と比べるとどうしても見劣りするわけで,労力をかけて練習することを考えると,よほどのことがないとやらない気がします.

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[時代背景]
(音楽, 世の中)

 近現代曲が好きと言ってますが,具体的には,20世紀前半の曲が多いです.音楽史的には,ドビュッシーやラヴェルを境に音楽が歪んで崩れていった時代です.そして,ある意味「完全に」崩れたのが十二音ですが,私が好きなのはそこまでじゃなくて,適度にデフォルメしたものです.

 で,20世紀前半って,二度の世界大戦や世界恐慌があった大変な時代ですよね.そして,これは書いたと思いますが,そういう時代背景があって,音楽などの芸術も歪んでいったということはあるでしょう.

 もちろん,そういう時代が好きってことはないのですが,平穏なだけからは大したものは生まれないところはあって,そういう意味では,100年後の今も難しい時代ではあるわけで(実際,雰囲気は100年前に似ているところがある),生きにくいとか言ってるだけでは何も起こらないですし,とにかく何かすることでしょう.

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[調子が悪い?]
(日記)

 ある人から来たメールに(このサイトを見てると)調子が悪い?と書いてありました.そうなんですかね?

 確かに時々しんどいときはあって,そういうときは,疲れてるので休めということだと思ってるのですが,そういうことを書いても,そうでないときは,調子がいいとは書かないので,そう見えるだけ?

 でも,そうでないときが「調子がいい」かと言うと,そうでもないというか,悪くはないという程度でしょうか.だから,やっぱり,あんまり調子はよくないんですかね.

 でも,活動度を見るとそこそこで,それは,仕事とかやることがいろいろあるってこともあるんですが,じゃあ,何やってるのかと言うと,大したことやってない気もして,あんまりよくないのにそうでもないと思ってるとしたら,よくないですね.

 じゃあ,しんどいのに頑張るかというと,それはもうしんどいので,できることをできる範囲で,ということですし,それが結果的に結果最大に繋がると思うので,今の感じで何とかやっていくしかないってことでしょうか.

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6/19'21
[何の後悔もない?]

 スポーツ選手とかが引退するときに全てやり尽くした,何の後悔もないと言ってる人が結構います.スポーツ選手とかじゃなくても,そういうことを言う人も結構いるのかな.

 すごいですね.私は全然そんなことないです.

 小さい頃は未熟だったのでしょうがないとしても,大牟田から福岡に転校したときに急にだめだめになった感じでもう少し何とかできたんじゃないかと思いますし,高校受験は中3で大失速して塾に行けなくなりましたし,大学受験も高2の冬に父親を亡くしてからずっと無気力で,ほんとだめだめでしたし,駒場時代も進路を見失って勉強しなかったし,研究室時代は順調だったと思いますが,自分勝手でいろいろ迷惑をかけたこともあったと思いますし,就職してからも研究の方向性を見失ったとは言え,そういう中でももっとできたんじゃないかと思いますし,壁先生が来られてからうまく行かずに,でも,もっとやりようがあったというか,少なくとも迷惑をかけないようにできたんじゃないかとか,筑波大に行ってからは順調だったと思うんですが,もっと全然できたような気もするし,やることやったとか何の後悔もないとか全然思わないです.

 でも,何度か書きましたが,じゃあ,やり直せるから昔に戻るかと言われても,結局,同じことを繰り返すだけのような気がするんですよね.つまりは,今の私も昔の私もまさに身の丈というか,それだけの人間でしかない,つまり,これまでもこれからもできないことはできないわけで,全てを受け入れるということでしょうか.

 でも(私の場合は,能力云々以前にその気になるかどうか的に)できないことはできないんですが,できる範囲でできることはやってきたというか,その気になったことしかできませんでしたが(ほんと大したことしてないと思う),その気になりさえすれば,できることはやって行きたいとは思ってます.それでは大したことにはならないでしょうが,全て自分に返ってくる話で,甘んじて受け入れればいいし,そうするしかないでしょう.

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[何だかほっとする]

 こうしてみると,こんな自分勝手で怠け者で,やるべきときにやるべきこともできないどうしようもない人間なわけですから(極たまにその気になってやったこともあったけど,その実,やりたいことをやっただけ),大したことにならないのは当然なわけで,そう考えると何だかほっとします.

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6/20'21

 ほんとにそうかどうかはともかく,とにかく自分が大したことないと考えるとなんだかほっとするんですよね.例えば,東大の同期とかだと,大半の奴は,東京や近郊の中高一貫とかその地方のNo.1のの進学校から現役で受かってるわけで,就職も国家公務員上級職(今の国家一種)に受かって中央官庁とか大企業とかに行ってるわけで,私はと言えば,浪人してるのは言うまでもなく,そもそも,その前段階として,勉強しないといけない大事な時期に自分を律して勉強することすらできなかったどうしようもない奴で,実際,当時の私は彼らの足元にも及ばなかったわけで,それが本来の私だとすれば,ほんと大したことない奴だと思うんですよね.

 それがどこでどう間違ったか,気づいたら何となくそれなりのことになってて,なんか違和感もあるわけで,でも,そういうときに東大時代の同期とかがそれを気づかせてくれるというか,昔の話かもしれないけど,それが本来の私ということなら,私ってほんとは大したことない奴なわけで,ラッキーだったというか,なんだかほっとするんですね.

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 でも,その一方で,勉強とか優秀さでは大したことないけど,そうじゃない違った何かが私にあるとは思ってて,でも,だからそれがどうしたというか,それで何か得したかというと,というか,得したいとか評価されたいとも思わないわけで,一体なんなん?って感じですが,まあ楽しくやって来られたんで,それでOKってことですかね.

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[#あかん阪神優勝してまう]
(野球)

 こっちに来て,阪神を応援してるからというわけではないでしょうが,阪神が首位を独走しています.で,こっちでは「#あかん阪神優勝してまう」が合言葉?みたいになってて,どういうこと?と思ったんですが,阪神ってもう大分長いこと(2005年から)優勝してないんですね.そう言えば,最近は,巨人が勝ってるし,その前は,広島が強かったし,その前は,原巨人や落合中日が強かった頃ですね.

 一方のパリーグですが,ライオンズは,ピッチャーがちょっと安定してきたと思ったんですが,今井は頑張ってるみたいですが,高橋が交流戦で阪神に打ち込まれて元に戻った感じなんですが,それでも首位までそんなに差はありません.

 そんな中,出てきたのがオリックスで,ここは,山本とか宮城とかピッチャーがいいところで,やっぱそうなるかという感じです.でも,オリックスが行っちゃうとシリーズは,阪神とオリックスの関西シリーズということになっちゃう?

 でも,こっちに来て阪神を応援するようになったんですが,さすがにパリーグもライオンズからオリックスに,というわけには行きませんからね.

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(日記)

 何となくですが,やっぱり,ちょっと疲れてる感じがします.そんな大したことなんかしてないのになんで疲れる?とも思うのですが,長いスパンで見ると,2年くらい前から準備を始めて相当片付けをしてこっちに移ってきて,すぐに慣れたと言えば,いいことのように思えますが,逆に言えば,ちょっと一息つくこともなくとも言えるわけですからね.

 でも,やっぱり,そんな大したこともしてないのに,とも思うわけで,でも,そういう原因ではなく,疲れてる(みたい)という結果を見るべしということなんでしょうかね(もう歳).

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[よくわかる]

 こうしてみると私がどうしたかったがよくわかりますね.

 東大に行ったのは,研究者(大学の先生)になるためで,どうして研究者になりたいと思ったかは,いろんな分野の中から自分が興味がもてることを見つけて,それを仕事にしたら,やりたいことやって食べて行けるということだったわけです(ほんとわかりやすい).

 ですから,研究業績を上げて偉くなるとかは,どうでもよかったんですが,研究者ですから,研究は進めたいし,自分にしかできない研究をしたいと思うわけで,結果として今までにない成果が出て評価されるのなら,それはそれでありがたい話ってことなんですが,そういうことで余計な仕事が増えて研究できなくなるのは,まさに本末転倒なわけです.

 必要以上のお金は要らなくて,余計な仕事して余計なお金を稼ぐくらいなら,研究とか研究以外のやりたいことをやりたいわけで,そういう意味では,時間が自由になる大学の教員になってよかったと思いますが,仕事ならいろいろ大変でめんどくさいこともあるわけで,でも,全体として見ればOKでしょう.

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6/21'21
[人類全体の利益]
(世の中)

 あっという間に65歳以上が「終了」して,職域何とかで一般の人にも接種が「加速」してきたワクチンですが,私の周辺でも既に接種したとかいつ接種するとかいうのがちらちらきこえてきました.結構,驚くのは,みんな割と「素直」に接種するんだなあということでしょうか(戦時中みたいで気持ち悪い).メディアの報道もワクチン接種を勧めるものが多いのですが,「(個ではなく)人類全体の利益」を考えればそうなるってことですかね.

 実は,厚労省のウェブサイトに接種した人がどうなったかの情報が(こっそり)出ているのですが,そういうことがメディアで報道されることはありません.メディアの言うことは嘘ばっかりなのですが,都合が悪い情報は報道しないというのもまさにそういうことですね.

 もうこれ以上は余計なことは書かない方がいいと思いますが,結局は,自己責任ということでしょう.上で戦時中みたいと書きましたが,まだそこまでは行ってなくて,接種するのも自由だが,しないのも自由とは一応まだ言われていますからね.でも,そこが崩れるようなことになれば,ほんとにやばいということでしょう(でも,入り口に差し掛かってる気もするけど).

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[順調だったことなんかない]

 学生の(B4〜D3の)研究室時代や筑波大に行ってからの40代は,順調だったと書いてますが,果たしてそうなのかと考え始めました.確かに10代とか30代に比べたらそうかもしれませんが,実際,どうだったかと言うと...

 そんなでもないと思うんですよね.でも,だとすると,私の(これまでの)人生で順調だったことなんかないってことになるんですが,ここで言う順調というのは,順調に結果が出ているとかいうことじゃなくて,怠惰にならずにどれだけやるべきと思うことができてたかってことなんですが,そう考えると,そんなことほとんどなかった気がします.

 つまり,若い頃もそうですが,それ以降も今に至るまで,私ってやっぱり大したことない奴なんですよ.ですから,大したことにならないのは当然のことで,でも,そういう人間なんですからどうしようもないというか,甘んじて受け入れるしかないということでしょう.

 でも「怠惰にならずにどれだけやるべきと思うことができてたか」って,人それぞれというか,人によってスタンダードが違うということはあるとは思います.でも,私のスタンダードが高いということはなくて,どう客観的に見ても「怠惰」なのは間違いないでしょう.

 その分,普通の人よりは多少能力が高いということはあったとは思いますが,それだけではどうしようもないわけで,大したことになるかどうかの差は,どれだけ労力をかけたかなわけですからね.もちろん,どれだけ労力を労力と思わないかと,労力をかける方向性(考える力),そして,運は大きいと思いますが,これらに恵まれた感じはします.

 でも,言えるのは,大したことになるかならないかというのは,私にとって大したことじゃなくて,結局,私がどうしたかったかということについては,やりたいことを見つけてそれを仕事にするってこともありますが,やりたいことは仕事以外にもいろいろありますし,やりたいことでもやりたくないときはやりたくないわけで,そういうことも含めて楽しくやって行ければそれでよかったわけで,そういう意味では,大したことない奴なのに,そこそこうまくやって来られたとは思います.

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[食材の豊富さ]
(生活)

 食事なんですが,あらためて検討?してみて気づいたのは,普通に使える食材はその実かなり限られていて,メニューの豊富さと食材の豊富さは,ほとんど関係ないということです.これは,正直,驚きました(どのくらいの人が気づいているのだろうか?).つまりは,毎回の食事でいろんなメニューを考えて作ったとしても,食材レベルでは,ほとんど同じものを繰り返し食べてるということです.

 もちろん,毎回,同じようなメニューを食べていたら飽きるということはあります.でも,ヴァリエーションがそうでもないたんぱく質や野菜でもある程度は回せますし,主食系のヴァリエーションはものすごく豊富で,簡単にいろいろ用意できるので,飽きることはありません.

 てことで,これでいいのかな?

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[耐えられない]

 この期に及んで,何がどうなったらいいというのはないことはないんですが,そんなことより,辛いとかしんどいとかめんどうとかを避けたいという方が強くなってきた気がします.それは,感覚的なことなんですが,単純にもうそういうことに耐えられないと思うんですよね.なので,どうしてもそういう方向に行動しがちではあるんですが,実際はどうなるかわからないというか,そういうことが起こるとしたら何ですかね?

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6/22'21
[自分の都合]
(世の中)

 新型コロナというかワクチン接種とか東京五輪とか,益々もっておかしな世の中というか,グダグダな感じになってきましたね.

 ワクチン接種については,様々なデマとか都市伝説が出てきてて,それはいつものことなのですが,科学的根拠はない,ワクチンは安全なのでそういうことに惑わされないようにと言う専門家もいるんですが,ワクチンが安全だという科学的根拠もないわけです.

 こういう状況で,どうして東京五輪を強行するのかってことですが,お金の問題でしょう(放映権料とかで莫大な違約金が発生する).でも,お金の問題が問題というのなら,新型コロナが蔓延する中で,経済を回すのだって,お金の問題ってことですよね.

 つまり,どいつもこいつも言ってることは支離滅裂で滅茶苦茶なんですが,どうしてそういうことになってるかと言うと,みんな自分の都合しか考えてないからに他なりません.

 じゃあ,そういう中でどうしたらいいかですが,他の人の言うことではなく,しっかり,自分がどうすべきか考えることでしょう.でも,多くの人がそれができないからグダグダになってるってことで,世の中的には非常にまずい状態なのですが,そういう中でサバイブするには,(いつも書いてるように)そういう世の中とできるだけ関わらないということでしょう.

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 確かにワクチンは安全とは言えないけど,感染して重症化するリスクもあるわけだから,両者を天秤にかければ,接種するという選択肢もあるという人もいるでしょう.

 でも,それは人によるわけで,感染するリスクをしっかり抑えられるのなら,ワクチンを打たない方を選ぶ人もいて然るべきで,逆に,ワイワイ集まってどんちゃん騒ぎしたい人はワクチンを打てばいいんじゃないですかね(どうぞご自由に).

 今回のワクチンは,かなりやばいということもあるのですが,それ以前に抵抗があるのは,何ともないのに異物を混入するということですかね.そういう点からすると,万が一感染してしまって一か八かの変な治療薬を投入するのとは本質的に違うわけで,少なくとも治療薬が開発されるまでは接種しない,つまり,ワクチンは接種しないと思います.

 問題は,同調圧力というか,ワクチンを接種しろとは言われなくても,世の中の活動が以前の状態に戻って,ワクチンを接種していることを前提にいろんなものがセットされることですね.飲み会とか人が多いところには行かなければいいだけの話ですが,講義や会議が感染対策をせずに対面になったりしたときにオンライン参加が認められないのは困るというか,そうなったら,そういう仕事はやめるってことですかね.

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[事情がよく似てる]
(世の中)

 今回のワクチンですが,FァイザーとかMデルナのものは,mRNAが使われていて,これってすごい技術で,こんなことができるんだという感じなのですが,応用化学とかバイオとかそういうことに専門が近い人は,それがいかに高い技術かよくわかるわけです.

 で,私の回りに何人かそういう人がいるんですが,彼らは概して今回のワクチンに肯定的とは言いませんが,そんなに否定的でもないんですね.だったら,専門家の彼らの言うことを信用した方がいい?

 ここで思ったのは,私の専門です.私が同様の立場だったらどう思うか,というか,どう言うかです.

 具体的には,日本という地震大国で,超高層建物を実現した技術ってすごいですよね.これは,私の出身研究室の先代に当たる武藤清先生が一般的な地震動に長周期成分がほとんど含まれていないことに着目して実現したもので,まさに画期的な技術です.

 私はそれがどれだけすごいことかわかりますし,低層の一般的な建物と超高層建物とどっちが安全かと言われれば,そりゃあ超高層建物ということになりますし,それは免震建物も同様です(免震建物は,超高層建物のように周期を伸ばしたもの).

 でも,じゃあ,超高層建物や免震建物が絶対安全かというと,そうとは言えないわけで,確率は高くはないけど,長周期地震動が発生すれば,低層の一般的な建物より大きな被害を受ける可能性はあるわけです.

 これって,まさに今回のワクチンと事情がよく似てると思いませんか?

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6/23'21
[全てはあきらめることから始まる]

 やっぱり,「あきらめが肝心」ってことじゃないですかね.

 世の中が変わらないならそういう中でどうするかということだし,人生なんかつまんないと思えば,どう退屈しのぎしていくか考えることでしょう.

 やりたくないならやらなければいいし,やらないといけないのなら(あきらめて)やるしかないでしょう.試合で勝てそうもないと思ったら,勝つことはあきらめて,その場でできるだけのことをすればいいんじゃないですかね.

 こうしてみると,「全てはあきらめることから始まる」ような気すらしてきます.

 具体的には,あきらめてどうするかってことですかね.試合で勝てそうになかったら,あきらめて棄権しますか? せっかくだから最後までプレイするのでしょうし,だったら,できる範囲でできることをすればいいし,それは人生も同じことでしょう.

 言い方を変えると,人生とか人生の中の全ての活動に目的なんかないし,あったとしても,それはほとんど意味はなくて,とにかく目の前のことを(近く,時々,遠くで)できる範囲でやって行けばいいってことでしょう.それで結果が出るかどうかは知ったこっちゃないわけで,でも,そうやってると結果も出ちゃうような気がします.

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(日記)

 YouTubeの学習?がここに来てようやくはまってきて,未開拓の近現代物を結構聴いてると書いたのですが,あっという間に「終了」したようです(もう「これは」というものは出てこない).それで,今回の間に聴いたものの中に「おっ」と思うものは全くなかったわけで,徒労とは言いませんが,大したことなかったですね.

 もちろん,YouTubeの検索なんか当てにせずに,自分で丹念に探して行けば,まだ何かあるのかもしれませんが,気持ち的には,確率の低い知られざる近現代の名曲より,確度の高い既開拓のものに傾きつつあります.

 YouTubeで勧めてくるのは,知られざる近現代曲ではなく,いろんなものがあって,時々見てるのは,鉄道ヲタク動画ですかね(笑).私は鉄ヲタでもなんでもないんですが,この手のネタは結構面白いし,出かけた気分にもなれるのでいいですね.でも,これもそのうちあっという間にネタ切れすると思います.

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 とは言え,ピアノの「メニュー」ですが,弾く気になる日もありますが,ならない日もあります.最近はさぼり気味ですが,そういう日もメニュー以外の何でもいいから弾く気になるものを何とかしてって感じですかね(今日は,メニュー以外の過去に弾いた曲(ブロッホ,ジョリヴェ,プロコフィエフ)をちんたら弾きました).

 食事の場合は,何か必ず食べないといけないというか,お腹は空くので必ず何か食べたいのですが,ピアノの場合は,いつも弾きたいわけでもなく,弾かなくても餓死はしないので,そこが難しいですね.

 でも,一つ大きな変化があって,その日に何を弾いたかを記録するようにしました(これもどのくらい続くかわからないが).これを見ると,この曲はしばらく弾いてないからそろそろ弾いといた方がいいかも,とかの判断ができるわけです.

 ちなみに,シューベルトのOp.120のソナタですが,昨日,2週間ぶりに弾きました.感覚としては,2週間弾いてなかった分,きっちり弾けなくなってる感じですね.これで何か月も経った時にどうなるかでしょうか.

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 昨日から続いているAndroidのGoogleの不具合(ぴこぴこエラーメッセージが出続ける)ですが,なかなか収まりませんね.対処方法として,履歴を全部削除するということが示されてるのですが,履歴を全部削除したら,いろいろ不便なこともあると思うんですよね.

 でも,そんなことより,Google自体を無効にしたら,不具合は収まるのですが,Google自体を無効にしても何の不具合もなく(私が使っている)全てのアプリが動いてるってのがなんなん?(なのでとりあえずこれでOK)

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[インテグレイト]

 立花隆さん,亡くなってたんですね.彼のことを「別に何かを生み出したわけではない」と批判的に書いたと思って検索したんですが,出てこなくて,ここにあったんですが,一部伏字になってました(どうして? 批判してるから?).

 今日もニュースで「知の巨人」と紹介していて,でも,それは全く当たらないと思うのですが,紹介されたVで彼自身が自分がやったことを「勉強」と言ってました.つまり,彼は彼自身のことをよくわかってたわけで,それを「知の巨人」とか言って,崇め奉ってるのは,メディアの勝手な言い分だったわけです.

 でも,今の私の心境としては,彼のことをそんなに批判する気にはならないですかね.彼は,いろんなことが知りたかった,それを自分で解明するのではなく,「勉強」という方法をとったということで,彼は彼なりに自分のやりたいことをやりたい方法でやったんでしょうから,それはそれでいいと思うからです.

 もちろん,勉強なんかより自分で研究して生み出すことの方が遥かに難しいし価値があると思いますが,人一人が最先端のレベルで取り組めるテーマには限りがあるので,広い範囲のいろんなことを知りたいのなら,勉強という方法あるでしょう.

 そして,そういうものに研究より優位性があるとすれば,それは,いろんなことをインテグレイトすることでしょう.でも,私が知る限り,彼はそこまでは行けなかったような気がします.

 でも,やりたいことを見つけてやりたいようにやったんでしょうから,楽しいいい人生だったんじゃないですかね.

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[何か違った方策]

 ピアノもそうですが,スポーツにしても何にしても,やはり,意欲の低下は否めないと思います.それは,やらないといけないということがないということもあるわけで,だとすれば,結局,何度か書いている「やりたいことなんかない.やらないといけないことがあるだけ」ということになってしまいます.

 思い返すと,若い頃は,そんなことはなかったし,純粋に単純にやりたかったと思います.今のこの(新型コロナ感染に伴う)状況が平気なのも,どこかに出かけたいとか誰かに会いたいとかいう意欲が低下しているだけかもしれません.

 でも,そういう中で,やりたいことがなくても,仕事とか生活のこととか,やらないといけないことはあるわけで,何とかそれでもってるというか,それなりに楽しくやってるわけですが,それだと今の仕事をやめた後,どうなるんやってことです.

 仕事は,ある程度は続けることもできるかもしれませんが,それもいつかどこかで終わるわけで,そうすると個人的な人との繋がりだけになってしまうわけですが,私には家族は(実質)いないわけですし,必要とされるわけでもないのにしゃしゃり出るのは性に合わないし,だったら,「一人でも大丈夫」が無敵だとは思うのですが,実際のところは,なかなか難しいというか,何か違った方策を考えないといけないのかもしれません.

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(世の中)

 夫婦別姓,まだすったもんだやってるんですね.だめだな,この国は.ほんと,どうしようもないですね.

 でも,世の中,結局,変わらないというか,もうどうでもいいいですかね.ていうか,もう関係ないし.

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[途方に暮れる感じがしない]

 意欲が低下してるってことなんですが,そういうことになるとこれまで感じてきた「途方に暮れる」感じがしないのは何なんですかね?

 歳をとって意欲が低下するのは,しょうがない,仕方ないということなら,受け入れるしかないし,その中で,できる範囲でできることをすればいいってことですよね.

 まずは,仕事とか生活のこととか,やらないといけないことはやらないといけません.そして,やらないといけないわけじゃないことに対して意欲が低下していることとは対照的に,やらないといけないことに対する意欲の低下はないというか,むしろ,やらないといけないことはしっかりちゃんとやらないといけないという感じです.

 それじゃあ,リタイア後アウトじゃんってことなんですが,逆に言えば,今は大丈夫ということです.

 じゃあ,リタイア後どうするかですが,これもできる範囲でできることをすればいいってことだと思います.生活のこととか,やらないといけないこと以外何もする気にならなければ,それこそ認知症とか病気にならない程度に体や脳を動かせばいいってことでしょう.

 でも,生活のこととか,資産を守るための運用とか,いろいろ考えてこのサイトの文章を書くこととか,そこそこやることはあると思います.ピアノとかスポーツは,やりたくなければやらなくてもいいし,ピアノは,人前で弾くことを前提としないというのもそういう流れなんでしょう.

 人前で弾かないのであれば,弾けるようにならなくてもいいし,初見で弾けるような曲でも,昔弾いた曲でも,とにかく弾く気になればいいというか,ハードルを下げれば,多少は弾く気になるかもしれません.

 スポーツというか,体を動かすことだって,バドミントンなら,試合に出るのはもちろんですが,練習に出かけて行って人と打つということで,ある程度のレベルは維持しないといけないということでハードルが上がるということなら,家で一人でしこしこ楽しくできるようなものを何か考えたらいいと思うんですよね.寒くて遠くまで出かけないといけないスキーも同様です.

 そして,ピアノやスポーツのように,うまくなる,強くなるためにやってきたことではない,そういうこととは関係ない何か退屈しのぎになるようなものを開拓するってことですかね.これからやっても大したことにならないのは明らかですが,うまくなる,強くなるためにやるわけではないので,それでOKなわけです.

 もちろん,仕事でも個人的にも,何か私が必要とされるようなことがあれば,それはそれでいいですが,そうじゃなくても,元来怠け者の私としては,何をするでもなく自堕落にだらだらと,でもいいわけで,まあ何とかなるんじゃないですかね.

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6/24'21
[変化しているかもしれない]

 上の続きですが,何とかなる気もするのですが,厄介だなとも思うんですよね.それは,価値観というか心境的なものが年齢というか時期によって変化するということで,今はある価値観に従って大丈夫と思っても,その価値観が何十年後かには変化しているかもしれないということです.

 例えば,何度か書きましたが,私の場合,30くらいまでは,(そんなに頑張ってはいないですが(笑))頑張るとしても自分のためにという感じでした.ところが,30を過ぎたあたりから自分のためには頑張れなくなったんですね.そして,そういうことを言う人は結構います.生物学的というか,DNAの刷り込み的には,子供を作って育てる年齢ですから,そういう風にプログラムされてるということがあるんだと思います.

 次の大きな心境の変化は,50を過ぎたあたりでした.これは,そういうことを言う人はあまりいない(笑)のですが,私は人生が実質終わったんだなと思いました.そして,これも生物学的DNAの刷り込み的に説明できることです.

 そして,次はってことなんですが,それは,これからです.つまり,今は今の価値観でこれからどうして行くか考えてるけど,将来的にどうなるかわからないということです.具体的には,今は「一人で大丈夫が無敵」とか「一人,時々,みんな」がいいとか言ってるけど,10年後,20年後は,どう思うか,考えるかなんかわからないってことです.

 うーん,でも,どうなんですかね.死ぬまで働くとか,仕事でも個人的なことでも自分のことを必要としてくれる人がいれば,とか言っても,所詮は他力本願というか,自分ではどうしようもないことですからね.もちろん,そういうことがあれば,排除することはないですが,それは元々そういうつもりですからね.

 ですから,結局,自然の流れに従って,淡々とやっていくということで,それは,ある一つの価値観に硬直的に従って,将来のことを決めてしまわないということも含んでいるわけです.

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[両刀使い]

 要請があれば(自分にしかできないことか,やりたいとか自分が望むことか,そこまで行かなくてもしょうがないやってやるかということなら)やるけど,そうでなかったら,自分が社会や回りの人から必要とされてないことを潔く受け入れて,のんびり自由にやらせてもらうと(考えると)いうのがいいかもしれませんね.

 自分の心境の中がどうなるか想像すると,要請があった場合は,めんどくさいと思いつつもそんなに悪い気分はしないでしょうし,そうでなかったとしても,それはそれでラッキーというか,あーよかったという気分にもなるわけで,物事全てには二面性があるとずっと書いてますが,それらのプラスの面だけを見て,勝手にいい気分になるというか,両刀使いというか,スーパーポジティブ(笑)というか,どっちになっても対応できるし,これがいいんじゃないですかね.

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[ハングリー精神]

 最近はあまりきかなくなっていたのですが,久しぶりに「ハングリー精神」という言葉が聞こえました.でも,ハングリー精神って何なんですかね? ググると「自分の現状に満足せず、高い目標を掲げて努力を続けたいと強く願う気持ちを意味します。 「向上心」と言い換えることもできるでしょう。」とあるのですが,そうなん?

 具体的な使われ方としては,最近の日本の若者にはハングリー精神がないとか,大相撲界は,ハングリー精神がなくてモンゴル人に席巻されてるとか,そんな感じですよね.つまりは,文字通り,ハングリー,お腹が空いてる,要は,頑張ってのし上がって裕福になるといった物質的なことなんじゃないですかね.

 実際,最近の日本の若者にはハングリー精神がないとか言ったって,物質的にはもう食べていけないなんてことはないわけで,ハングリー精神をもてとか言ってもどだい無理な話なわけです.

 でも,じゃあ,最近の日本の若者に夢も希望もないかというとそんなことはなくて,それは,物質的なこと以外のものに対してハングリーになればいい,例えば,相撲とかのスポーツなら(金銭的なものが伴わなくても)競技力を向上させることにモチベーションを見出せばいいわけで,それが冒頭のハングリー精神の定義?ってことなんでしょうが,私はそれもどうかと思っていて,それは,やる気三要素的に言えば,結局,報酬だからです.

 じゃあどうしたらいいかですが,答えはわかってると思いますが(笑),それは,内的熟達,つまり,高い目標を掲げて努力するというよりは,やりたいことを見つけてやればいい,スポーツだったら,創意工夫をして競技力を向上させることを楽しめばいいってことですかね.

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[何も成し遂げていない]

 何だったかな,若くして非常に優秀というか,レベチとか言っていたので,レベルが違うってことなんでしょうが,そういう人を取り上げた番組で,そのときは,東大生で音楽関係で何かすごい才能を発揮してる人を取り上げてました.最近そういうの多いですよね.クイズ番組とか謎解きとかとにかく頭がよくてレベルが違って天才だみたいな.

 でも,その番組では,Bートたけしさんが判定をしていて,彼が言い放ったのは,「何も成し遂げていない」ってことです.その通りだと思いました.

 東大に入っても,どんなに優秀で頭がよくても,あるいは,何かの分野で突出して注目されてても,そんなの全然大したことないですよ.大事なのは,そこから何十年かの間に何を成し遂げたかです.そして,若い頃,注目されて天才とか言われていた人達の末路というか,結局,それだけで終わってしまうことが多いこともどこかで書きました.

 でも,何かを成し遂げるのは,大変だと思います.東大に行くことなんかより遥かに難しいことです.でも,何かを成し遂げるのに東大に行く必要もないし,天才である必要もないでしょう.じゃあ,地道にコツコツやって行けばいいかっていうと,そんな話でもないし,やっぱり,難しいと思います.

 でも,そもそも,別に何かを成し遂げないといけないってこともないわけですよね.でも,何かやりたいことを見つけてやって行けば,何かを成し遂げることもあるかもしれないし,そうならなくても,やりたいことができた人生なら,それでいいんじゃないですかね.

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[パネルクイズアタック25終了]
(世の中)

 クイズ番組で思い出したんですが,パネルクイズアタック25終わるんですね.おそらく残された最後の「普通の」クイズ番組ってことでしょうが,特に思うことはないですかね.

 時々見るんですが,みんなパネルの取り方がひどいし,正解してはいけないときに答えたりして見ててイライラする(笑)というか,そもそも,パネルがもつ根本的問題(みんな本気で勝とうと思うのならパネルが十字で埋まった後,誰も解答しなくなる)についても書きました.でも,そのとき,昼ご飯とか食べてて,たまたまやってたりすると,思わず見ちゃうけど(笑).

 最近は視聴率が落ちてるらしく,後継は若者向けの番組になるんだそうです.そういえば,最近(YouTubeみたいな)若者向けの番組が増えてますね.テレビも生き残りに必死ということなんでしょうが,それで大丈夫ですかね?

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[体を動かす]
(体)

 両刀使いとは言え,おそらく,何も起こらず,社会からも誰からも必要とされないわけで,だとすると,一人でも何とかやって行けるようにしておかないといけません.

 体を動かすことについては,今はどんな感じかと言うと,緊急事態宣言から練習はなくなって,解除されてまん延何とかになったら始まるかと思っていたらまだだめみたいで,つまり,当分は厳しいってことなんですが,やりたくでうずうずしてるってことには程遠くて,練習しない大義名分がたってどこかほっとしてるような感じすらします.

 それで,今やってることは,1日2回くらい合計15分くらい椅子から立ち上がって軽く体を動かすことだけです.でも,何をやるかは結構考えていて,要は,しばらく座っていて歪んだ体をリセットするのと,ある程度強度をかけるってことなんですが,これで結構行ける気もするんですね.

 でも,やっぱり,めんどくさい.そのくらいやれよってことなんでしょうが,1日2回が1回になることもありますし,意欲そのものが低下してるわけで,こんな感じでは,いつまで続くかわかりません.

 てことで,やっぱり,ちょっと考えた方がいいですかね.要は,体を整えたり,運動効果があるものを使って,ゲーム的要素を取り入れて,それそのものをやりたくなるようなものがいいですかね.うーん,でも,だったら,練習に行った方が手っ取り早いかなあ.

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6/25'21
[やりたいことをやりたいのはやりたいことがないから]

 やりたいことをやりたいのはやりたいことがないからという気がしてきました(ひらがなが多い).

 どういうことかと言うと,やりたいことがあってそれができたら最高だと思うのですが,やりたいことがあったとしてもいつもやりたいわけではない,というか,やりたくないときの方が多い,つまり,結局,やりたいことがないというのは再三書いてる通りです.そうするとどうなるかと言うと,やりたいことでもそれ以外でも何でもやりたくなったときは,千載一遇のチャンスなわけで,それを100%活かしたい.そうすると,やりたいことをやりたいとなるわけです(やりたいことは今すぐやるというのもそう).

 つまり,やりたいことをやりたくなったとき,実際にどれだけできるかどうかが肝というか,成功の鍵とも言えて,なぜなら,やりたいことはやるので結果も出るだろうし,何よりやりたいことができたというだけで大成功ですからね.そして,私の場合,割とそれができてきた気はするんですね.

 でも,やりたい(と時々思う)ことはいろいろあるのですが,やりたいときがそんなにない(やりたいことがない)というのが最大の問題なんですが,やりたくなったときは,そのチャンスを逃したくないと思うわけです.

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6/26'21
[YouTube]
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 YouTubeのその後ですが,近現代ピアノ曲はまだいろいろ出てきますね.でも,これはという曲はないですし,今は,近現代に限定せずに,これまで弾いてきた,あるいは,作ってきたいつか弾きたい曲リストの中から少しずつ「メニュー」を厳選しているところなので,そういう曲と比べるとさすがにどれも見劣りするわけで,弾いてみる気になる曲は全くありません.そもそも,意欲自体が減退してるわけですしね.

 でも,特に何もする気がしないときにYouTube見るのがだんだん癖になってきました.そして,テレビなんかより全然面白いんじゃないですかね.「チャンネル」数は,それこそ無限にあるわけですし,自分が興味があるものが見られるわけで,若い人達がテレビなんか見ないでYouTubeばっか見てるのは,ある意味,当然なんじゃないですかね.

 もちろん,そのほとんどは,中身がない,つまらないものなんですが,そうでもないものも結構あって,具体的には,知られざる近現代ピアノ曲の開拓に限らず,よく知られたものが譜面付きでアップされていれば(だいたいある),手軽に譜面を見ながらあらためて聴くことができて,それだけでもかなりの数になるわけです.

 それ以外にも,鉄ヲタ系もそうですが,久住登山の動画が上がってて,懐かしかったし,地理ネタとかもそうですが,自分が興味があるキーワードを入れて探していけば,いろいろ楽しめるんじゃないですかね.

 そういう中で,よく見てるYouTuberの「身の上話」が上がってて,1時間くらいあったのですが,思わず見ちゃいました.で,思ったのは,人の身の上話は面白いということです.世の中,いろんな人がいるんですが,みんなそれぞれの人生があるわけですからね.

 こんな感じで,また柱が一つ増えたとは言いませんが,ほんと退屈しのぎには事欠かないと思いますね.でも,まさに退屈しのぎって感じで,やりたいことがあれば,YouTubeなんか見ててもしょうがないわけで,それこそ,ご飯食べるときに手持ちぶさたで見るくらいのことでしょう.でも,特にやりたいことがない人は,はまっちゃうんじゃないですかね.

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 で,そのYouTuberの身の上話ですが,どういう経緯でYouTuberになったかってことで,大きな挫折があって,でも,それが結果的に今の成功に繋がってるってことなんですが,今はやりたいことで飯が食えてて,しかも,数千万くらいの年収があるみたいなのですが,YouTuberはやっぱり大変みたいで,こんなことずっと続けられるもんでもなくて,でも,まだ一生食べて行けるだけは稼げてないので,それまでは頑張るということでした.

 でも,それ以降はどうするんですかね? 一生分稼いだら遊んで暮らす?> でも(何度か書いているように),それはかなり危ういと思うんですよね.

 銀行に預けても金利なんかつかないし,貯蓄を食いつぶすだけではじり貧ですし,何らかの形で運用しないといけないのですが,ゼロサムの中で収益をあげるのは大変ですし,来るべき経済危機から資産を守ることもしないといけません.

 ですから,結局,重要なのは,(月20万のキャッシュフローを得るために)地道に働くということで,過去の大きな挫折が今の成功に繋がったとしても,今の成功が未来の挫折にも繋がりかねない,まさに禍福は...ということでしょう.

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6/27'21
[行けって言われて行く]
(世の中)

 Yahooニュースとか見てると,なんかドラゴン桜ドラゴン桜ってうざいんですが,ドラゴン桜の何が○○かって,そんなことで東大受かるわけないってこともありますが,何より(よく知らないけど多分)彼らって東大に行けって言われて東大に行くんですよね? だとしたら,しょぼすぎませんか?

 東大って,行けって言われて行くところですか? そんな感じで東大に行ってどうすんの? しかも,手取り足取り,勉強の仕方とかの面倒まで見てもらうんですよね.そんなことで,東大に「入れてもらって」一体彼らに何ができるようになるの?

 まあでも,所詮ドラマなんで,単なる娯楽ということでしょう.でも,それをネタにネットにいい加減な情報を流すのは問題ですし,大きく言えば,何のために東大に行くのか,行かなくてもいいのかとかもっと大事なことをミスリードすることになるわけで,何とも無責任な話なわけです.

 でも,ちゃんとした人なら,そんなの意に介さないわけで,結局,何も問題ないというか,何も変わらないってことですかね.

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(日記)

 なんか調子よくないですね.体調はそんなに悪くないと思うのですが,効力感がないというか,やることはいくらでもあるのにやることがない感じがしてしまって,何か変な感じです.

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6/28'21
[それでいいと思えばいい]

 調子はよくないのですが,それでいいと思えばいいというか,(若い時やこれまでのように)それじゃだめと思わないことが大事なような気もしてきます.もちろん,やらないといけない仕事はやらないといけないのですが,それさえクリアできたら,あとはもう何でもありだとも思いますしね.

 そういう中,ピアノはまあ何とか弾いていて,それは,一種「あきらめた」というか,人前で弾くことを前提にしないとか,弾けるようにならないといけないと考えないとか,そういうことがあるような気もするんですよね.

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6/29'21
[欲がなくなる意味]

 意欲の低下ですが,要は,欲がなくなってきてるということですよね.欲しいものもなくなって来てるし,どこかに行きたいというのもない.お金も必要以上は要らないし,偉くなりたいとか,評価されたいとかもない.

 私の場合,元々そういうのはないのですが,ピアノが上手くなりたい,バドミントンが強くなりたい,スキーやゴルフが上手くなりたいというのはあったと思いますが,そういう欲がなくなってきたということでしょうか.

 でも,欲というのとはちょっと違うかもしれませんが,何か私が必要とされるようなことがあれば,ちょっとその気になるというところはあります.でも,それだと仕事をやめるとそういうこともなくなるので,どうしたもんだかということでしょうか.

 でも,欲がなくなって行くのは,理にかなってる気もしてきました.

 もし,歳をとっても,欲の塊というか,あれも欲しいこれも欲しい,あれもしたいこれもしたい,だとどうなるでしょうか.多くの人は,体を壊してしまいますよね.欲がなくなった状態で生きてるくらいなら死んだ方がましという人もいるんでしょうが,うまく死ねればいいですが,実際はそうは行かず,病気とか要介護になって,辛い思いをしながら生きていくことが多いわけです.

 そう,欲という意味では,仕事をリタイアした後,どう過ごしていきたいかですが,やりたいことを思う存分やっていきたいけど,欲や意欲が低下して,やりたいことがないのが問題という以前に,(生きているのなら)病気とか要介護にならずに,まずは「普通に」生活していきたいという方が「先」なわけで(病気とか要介護になったら,やりたいことなんか全然できない),そういう意味では,欲や意欲がある程度低下して,病気とか要介護になるリスクを抑えているというのは,理にかなってる,まずは,病気とか要介護にならずに普通に生活していく中で,できる範囲で,やりたいことをやればいいということでしょう.

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6/30'21
[昨年の記事]
(このサイト)

 今読んでるのは,昨年の記事なんですが,11月,つまり,京都に来た時のところにさしかかりました.その1年前あたりからそうなんですが,片付けとか「いつでも引っ越しできる状態にする」とか書いてるんですが,実は,1年以上かけて「ほんとの」引っ越しの準備をしてたわけです(でも,そういうことをきっかけに荷物の整理をするというのはほんとのこと).

 ちょこちょこ,それらしいことは書いてあるんですが,どのくらいの人が気づいてたんですかね? もちろん,知ってる人は知ってたんですが,それはほんとに数えるくらいでしたからね.でも,10月になって決まったこともあって,もう少し具体的に書いてあって,なんか変だなと気づいた人は気づいたかも.

 そして,11月になって,いきなり引っ越しの記事で,そういうのが続いた後,種明かしみたいな感じで,我ながらオブラートに包んでうまいこと記録を残せたなってところでしょうか(笑).

 でも,高々半年くらい前の出来事なんですが,随分前のような気もするし,つい先日のような気もするし,やっぱり,何だか不思議な感じですね.つくばでの生活も,もう遠い昔のような気もするし,ついこの間のような感じもします.

 あと,最近の記事を読んでると,普段私が考えていることは,粗方既に書いてあるというか,それも今書くとしても,より的確にうまく書いてあることもあって,だんだん書くことがなくなって来てる,つまり,何かに収束しつつあるような感じはしました.最近,あんまり書いてない気がするのですが,そういうこともあると思います.

 でも,そう思ったときは,まだまだということはあるので,探求の旅は続くとは思うのですが,書いて忘れるということはあるので,読み返しは続けていくんですかね.でも,そうすると,書く量は減るような気はします.

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[溜まり場的なもの]

 10年くらい前までは東京に帰りたいと思ってたけど,そう思わなくなったと何度か書きました.それは,大学をリタイアした後も同様なんですが,これもその昔,大学をやめた後,東京の都心に住んで事務所みたいなものをもってれば,いろんな人が訪ねて来てくれるというか,溜まり場的なものが提供できるかもと書いたことがありました.

 でも,それも今は昔というか,そういうことはもう考えてないのですが,同じようなことは,東京から電車で1時間のところに住んでてもできるんじゃないですかね.具体的には,例えば,このサイトのどこかにカレンダーを作って「OKの日」を書いておいて,それを見て,仕事とかで東京に来るので,あるいは,来てるのてちょっと会って飲みませんか,という感じで連絡くれれば,東京駅とか上野とかで会えばいいわけですからね.

 私は,その頃はもう暇(笑)でしょうから,当日夕方17時くらいに連絡もらっても行けるでしょうし,3時間くらい飲んでしゃべって,電車で帰れば,何の問題もないでしょう.でも,そうすると,東京駅で飲んで,新幹線で帰るのが楽だから,やっぱ,熊谷かなあ.

 でも,駅から車で10分だと飲めないですね.まあ,飲まなくてもいいですが,路線バスを見ると23時くらいまであるみたいですから,そのバス路線沿線,あるいは,在来線で一駅の籠原駅周辺に住めば,東京発22時くらいの電車に乗ればいいですから,全然行けますね.

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 そっか,似たようなことは,今でもできますね.もちろん,今はまだ暇じゃないですが(笑),例えば,新型コロナが収まったら仕事で東京に行く日とか,収まる前だったら,Zoomでなら「OK」の日を示しておくとか.あーでも,東京に行く日を公開するのは,防犯上問題があるか.逆にZoomなら問題ないですかね.

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