旧道というのは,国道263号線の少し東の小高い丘の尾根にあたる場所を国道263号線とほぼ平行に走る「裏道」なのですが,小学校の頃からよく使っていたので,その情景は今でも夢によく出てきます.旧道は(多分)荒江四つ角近くの鶴亀薬局のところから始まるので,最近よく歩いていることもあり,西新から旧道を通って家の近くまで行ってみることにします.おそらく5kmくらいだと思うのですが,当時はそれを歩いて行くなんてことは考えられませんでしたね.

西新をスタートしたのですが,先日,修猷のブラスで調布で飲んだとき,昔からある果物屋さんが無くなったときいていたの行ってみました↓

ほとんど同じアングルで撮れてびっくり.でもやっぱりちょっと寂しいですね.荒江四つ角までは国道263号線に沿って南下します.この辺は,昔から渋滞がひどいのですが,今日も渋滞↓

祖原を過ぎても渋滞は続く↓

今回,同級生と森田のことを話していて,今は「えいしん」というのもあるというのはわかったのですが,荒江にありました↓(多分いろんなところにある)

「実績」を見るとすごいですね.修猷の半分以上はここですし,灘に26人,ラサールに166人,久留米付設に223人というのは桁違いです(まあどういう「数え方」をしてるのかということもありますが).でもこれじゃあ森田ももう苦しいですね.

荒江四つ角に来ました↓2005年福岡県西方沖地震の被害調査の時は,通り過ぎても全く気づかなかったのですが,そこに立ってみるとやっぱりと昔の雰囲気はちゃんと残っています.

ここから少し東に行くのですが,その途中に中学のときからあるスポーツ店(多分)がまだありました↓

中学の時,授業が始まる前に,毎日硬式テニスボールを使って野球をしていたのですが(そのために朝7時4分の西新行きのバスに毎日乗っていた),新しくボールを買おうということになり,200円くらいのボールを20人くらいで折半して,つまり,一人10円くらいずつ集めて私が買いに行ったのを思い出しました(なつかしー).硬式テニスボールを使うとグラブも要らず,つまりバット1本あればできるということなんですが,これで野球するとどうなると思います?めっちゃ打球が速くなって,レフト前に打っても肩がよければファーストに投げてもアウトになっていました.

旧道の入り口にあった鶴亀漢方はまだありました↓

旧道の入り口です↓雰囲気は当時のまま

少し入って北の方を見る↓

高校のときは自転車で行くときは真っ直ぐ突っ切って行っていたと思います

もう少し南下すると左に城南中学の方へ降りていく道があります↓

ほぼ当時のままです.この情景をなぜか夢でよく見るんですよねー.

ここからずっと住宅地の中を車がやっとすれ違えるくらいの道幅の道が続きます↓

シュウシュウをもらったH多江君ちがあった飯倉2丁目へ降りていく道↓

(多分当時から)旧道唯一の信号があります.

住宅地がずっと続き,左に「林」が見えるともうすぐゴールという目印の家が見えてきます.でも「林」というのは,実際は生け垣なんですが,これもよく夢に出てくるんです.

ここを過ぎて少し行くと,七隈小へ降りていく道↓

と,唐木へ降りていく道↓

がある交差点↓に来ます.

ここでやっと油山が見える↓この辺にFち君ちがあったのですが,今はもうないみたいでした.

379

C竈君やしのPが行っていたという剣道場(はもうないみたいだった)を過ぎると西南分校があったところへ行く二又(旧道のゴール)まで来ました↓

380

予想通り,歩いてみても40分くらいであっと言う間でした.小学校のときなんかは遠い遠い道のりに思えたんですけどねー.ここで左折し,これも前からちょっと気になっている七隈小の方に行ってみます.七隈小は,このときも行ってみたのですが,正面から見ただけで,実はその「裏手」の様子が気になっていました.

東の方から見た現在の七隈小です↓

383

384

運動場の雰囲気とかはかなり当時のままです.正面の校舎はRCになっていますが,よく見ると5,6年のときの教室があった後ろのRCは当時のものが残っているように見えます.

正門を出て北の方の文房具屋さんがあった方を見る↓

385

そこを西に曲がったところ↓この辺の情景もよく夢に出てきます.

386

5,6年のときの校舎は,増築はされてましたが,やはり当時のもののようです↓

381

すぐ脇に流れる七隈川↓

382

そして,北の方に流れる七隈川の情景です↓

388

同窓会前にメールとかでいろいろやりとりがあって,小学校の時もいっしょだったUちゃんから,当時は人口がどんどん増えてるときで新設校がどんどんできて,城南小学校ができて別れていく友人達を姿が見えなくなるまで見送った情景,という話がでてきて,それをきいた瞬間に私もその情景が突然浮かんできて,それが(今では)この写真ということになるのかなー.でも,今は家がいっぱい建っていて,「姿が見えなくなるまで」は見送れないけど,当時の雰囲気はやはり残っていると思います.

南下して住宅地を抜け↓

389

干隈まで戻って,今回の旅?の目的の1つである,何人かの地元の人から推薦があった,一心亭↓で本場のラーメンを食すことにします

391

390

さすがに旨かったと思います.系統としては,ちょっと説明しずらいんですけど,スープの透明度が高くて,でもコクはしっかりある系(じゃいっちょんわからん?)でした.チャーシューも旨い.うーーん,でも,かつての「しばらく」のラーメンを口にしたときのような何とも言えない至福感までは行かなかったし,これなら栄ちゃんラーメンの方が旨いかな.これも今回,話題になったのですが,福岡の地元のラーメンの味もどんどん「東京化」していて,ほんと嘆かわしい限りです.まだ,本場の味をしっかり守ってるってとこないの?でも,一心亭は,東京からの観光客が来るような店ではないですから,やっぱりこのレベルの店は東京にはないですね.

さて,西南分校のところの二又まで戻り↓,今日は昔の家へ行く右ではなく,左に行ってみます

392

当時は,うっそうとした林の中にけもの道が通っているようなところでしたが,今は公園になっていました↓

393

395

でも,林の面影は残っていましたね↓

394

この林を抜けると開発が進んだ新興住宅地になっていて↓

396

397

そして,また,いきなり開けて?高速道路(5号線というらしい)のところまで来ます↓

398

家があった方角(西)↓

399

東↓

400

そして,地下鉄七隈線梅林駅と梅中↓

401

梅中のグラウンドのすぐ南を走る高速道路↓

402

うーん,やっぱり,当時のイメージからすると違和感ありますねー.

 ということで,2時間くらいの旅?は,あっという間に終わりました.でも3年前と同様に,よく夢にも出てくる情景の中を「現実」に歩いていて,とても不思議な気分でした.福岡にいたのもたった数日だったのですが,それ自体が夢を見ているような不思議な感覚でもありました.

上のページへ