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9/1'22
[その気になるか]

 寝る前にそんな気になって変なこと書いたなと思いました.よく言われるんですが,寝る前は,ちょっと精神状態が違うらしく,あとから読むと,余計なこと書いたかなと思うことが多いです.

 なので,いつものようにここで訂正というか,フォロー記事を書いてるってことですが,今回については,どうして昨日はそんなこと思ったんだろう? 今はもう全然そうじゃないのに,とは思いませんでした.

 なので,やっぱり,何かやりたいのかもしれませんね.でも,冷静になって考えてみると,ちょっと危ない話だとは思うんですよね.

 「うまい話」に引っかからないようにということはともかく,このまま行けば(おそらく)大過なく過ごせるのでしょうし,体や脳が衰えて行くのに何か余計なことをしてそれを棒に振るというか,全てを失うかもしれませんからね(でも自分で行動を起こしたことなら,それはそれで悪くないと思いますが).

 でも,その気になったらそんなの関係ないんですが,やっぱり,ポイントはその気になるかですね.そういう意味では,単なる「うまい話」ではその気にならないでしょうから,その気になるかならないかは,そういうフィルタの役割も果たしてるってことですかね.

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[福岡地下鉄七隈線の延伸]
(その他)

 福岡地下鉄七隈線の延伸(博多駅まで)開業日が決まったとのことで,令和5年3月27日だそうです.令和5年? いつ? 大分先? 来年やん(笑)(やっぱ,元号はわかりにくい).てことは,東横線,相鉄線の相互乗り入れと同じ頃ですかね(今の私にとっては,こっちの方が重要).でも,6年前の博多駅前の巨大陥没事故の影響はどのくらいあったんですかね(調べたら2年遅れたそうなので,本来ならもうとっくに開業してたんですね).

 

 てことは,かつて住んでた梅林から博多駅まで何分? 今は天神南まで19分とあるので,(間に一駅しかないので)20分ちょっとってことですね.つまり,京都から新幹線で博多まで行って,そこで1回乗り換えるだけで3時間くらいで,昔住んでたところに行けるってことか.

 でも,もう行くことはないと思いますし,福岡に行くとしても,七隈線沿線に何があるかを考えるともうあんまり関係ない気はしますかね(福大はあるけど,もう学会とかで行くこともないと思うし).でも,これでまた博多駅が福岡の中心になって行って,天神の地盤沈下が進むんですかね(どうでもいいけど).

 ちなみに,福岡地下鉄の七隈線の規格はロンドンの地下鉄と同じだそうです.うーん,どちらも乗ったことがありますが,気づかなかったですね.そう言えば,端っこがちょっと丸くてチューブ状でちょっと狭い感じはしましたかね.規格が同じってことは,相互乗り入れができるってことですが,福岡とロンドンの地下鉄が相互乗り入れすることはないですよね(笑).

 そっか,てことは,空港線や箱崎線とは,規格が違うということで,そっちとの乗り入れができないってことで,天神で繋がずに(天神南という変なところを通って)博多駅に繋いだってことですかね.

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[賞味期限が短い防災食]
(生活)

 今日は,防災の日(1923年大正関東地震が起こった日)ということで,そういう関係の番組をやってるのですが,防災食を取り上げてました.東日本大震災以降開発が進んで,今では,普段おいしく食べられるものも多くて,普段も食べながら一定量を備蓄するようにしてくださいとのことでした.でも...

 普段もおいしく食べながら一定量を備蓄するのなら,普通のレトルト食品でいいのでは? 具体的には,防災食は,5年とか10年とか賞味期限が長いんですが,普通のレトルト食品でも1〜2年は大丈夫のようですからね.

 もちろん,単なるレトルト食品ではなく,防災用というか,そういう状況のことを考慮したものも多いんですが,要は,おいしく普段から食べながら備蓄したいので,賞味期限を頑張って5年とか10年にしない防災食を開発して売って欲しい(そうすることで,無添加になるとか,もっとおいしくなるとか,安くなるとか)ってことでしょうか.

 でも,だったら,普通のレトルトとか,賞味期限が長いものでそういうものを探す方が現実的か.

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[体にいい感じがあまりしない]
(体)

 定年で仕事をやめて悠々自適な生活を送っている人もいますし,何か仕事以外のことに打ち込んでいる人もいます.そして,普段の散歩や運動やトレーニングを欠かさないというような人もいて,すごいなあというか,私には,無理かなあと思うわけです.

 それは,私が自堕落で怠け者ということもあるんですが,そういうことが「体にいい」感じがあまりしないということもあるんですよね.

 一つの経験として,40を過ぎてバドミントンの競技力が低下して行ったとき,それを何とかしようと練習やトレーニングをしたんですが,競技力が回復するどころか,怪我や故障に繋がって何もいいことがなかった気がするんですね.

 その時は,スポーツをする目的は,練習することで競技力が向上すること,その過程を楽しむことであって,それがないのであれば,スポーツをする意味なんかないと思ったんですが,今は違っていて,スポーツは,まだ続けたいと思っているんですが,高頻度で高強度の練習やトレーニングをしないと意味がないとは思ってなくて,むしろ,そんなことしないで,競技力を(体を痛めないで)維持できれば,そっちの方がいいじゃんって感じです.

 なので,どのみち,もう高頻度で高強度の練習やトレーニングなんかする気にならないし,やってもまた体を痛めるだけだろうし,競技するのは,月に数回とかでもいいので,普段から無理しない範囲で体を動かして整える感じで(こっちにいる間は,競技せずに体を休めて)やってみようかなと思っています.

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[いかに恵まれているかの実感]

 こっちに来て,T波大時代がいかに恵まれていたか実感したと書きましたが,そういうことってありますよね.ほんとは,すごく恵まれているのにそこにいるときは気づかないというか,失ってみないとわからないというか.

 でも,じゃあ,ずっとT波大にいればよかったかと言うとそんなことはなくて,そもそも,出ないとそういうことはわからないわけですし,こっちに来たら来たでT波大にないよさがあるのは当然のことです.

 なので,非常に単純に言えば,やはり,職場や環境を変えることができれば,ってことなんじゃないですかね(めんどくさいけど).

 実際,民間企業から大学に移って来た先生を見てると,みんなすごく精力的に仕事してますよね.それは,民間企業より大学の方が自由にやりたいことができるってことはあるでしょうし,実際の経験があるので,そういう違いがわかるってことはあるかもしれません.

 逆に言えば,ずっと職場や環境が変わらなくても,想像力の問題というか,そういうことを想像できればいいとも言えますね.

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9/2'22
[まさに衆愚]
(世の中)

 性暴力を犯した香川照之のトヨタのCMようやく放映中止になったんですね.何やってんだか.

 要は,世論の様子を見て,やばくなってきたら対処,そうでもなかったら継続ということで,自分達の信念も考えもなくて,全く自分で判断できないってことですね.

 民間企業なんだから,お客さまがどう考えるかが大事? しょぼい話ですね.政治もそうですが,まさに衆愚で,こんなことでは,世の中どんどんやばくなって行く一方です.

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[無添加のレトルト完全食]
(生活)

 賞味期限が短い防災食ですが,ついでに無添加の完全食ならなおよしですね.あとは,手間なしということだと(湯煎は結構めんどうだし,電子レンジで容器に移し替えるのもそう),そのままスタンディングパウチで食べられるものがいいですね(私は,暖めなくても平気な方).で,探してみたらいろいろ出てきたんですが...

 いろんな味の無添加の玄米リゾットはいいなと思ったんですが,たんぱく質の量が5gくらいと今一ですね(15gは欲しいところ).完全栄養食カレーは,添加物やビタミン剤使ってるし,カレー粉自体が添加物まみれだし...

 ということで,現状でレトルトで無添加完全食と言えるものはないですね.使えるとしたらいろんな味の玄米リゾットですが,たんぱく質やビタミンミネラルを補わないといけないので,主食代わりですかね.

 でも,そのまま食べられれば手間は大分減りますし,冷凍食品だと冷凍庫がパンパンになっちゃいますが,常温でたくさん保存できるのは大きいかもしれません.

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[楽しみがない]

 日々淡々とそれなりに楽しく過ごせているとは思いますが,学生は研究しないし,誰かと会って話をすることもそんなにないし,「楽しみがない」という感じはしますかね.

 ていうか,こういう状況でも(内的熟達的に)楽しくやって行けるようにしないといけないってことなんですが,こんなんでやって行けるんですかね?

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9/3'22

 楽しみなことはないとしても,ご飯は毎食,食べたいものをおいしく食べられるし,夜寝るときは,適度に疲れて心地よく眠りにつけるし,生きて行くために苦痛で辛くてしょうがない仕事をしないといけないわけではないし,雨露や暑さ寒さをしのげる家はあるわけで,何の不満もありません.

 それだけで充分幸せですが,さらにちょっとした幸せを感じるためのちょっとした不幸としては,生きて行くためにやらないといけないこと,具体的には,(研究以外の)仕事,食事の支度や生活に必要な身の回りのこと,体を整えることなどがありますし,それで時間を持て余すとしても,退屈しのぎには事欠かないでしょう.

 でも「楽しみはない」.でも,それで充分というか不満はないというか,不満を言えるような立場にはないということですかね.

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[楽しみと楽しさ]

 「楽しみ」という言葉の問題のような気もするのですが,例えば,研究をしていたり,ピアノを弾いていたり,この文章を書いていたりするとき,あるいは,日常生活のちょっとしたことの中に「楽しさ」というか,そういうものを感じることもあります.でも,それは「楽しみ」とは違うということですかね.

 それでも,ご飯は毎食,食べたいものをおいしく食べられるのなら,ご飯を食べるのを「楽しみ」にとか,やらないといけないことがあるのなら,それをやって休息をとることを「楽しみ」にとか,やりたいことはいつもやりたいわけではないけどやりたいと思ったときはやることを「楽しみ」にすることはできるかもしれません.

 なので,「楽しみ」が全くなわけではないとは思うのですが,「楽しさ」,あるいは,楽しくなさの解除による相対的な「楽しみ」だけでは,「楽しみがない」感じがしてしまいます.

 人との繋がりについては,もちろん,楽しいことが多いですが,めんどくさいこともありますし,一番の問題は,「相手がある」ということ,つまり,自分はよくても相手がどうかわからないので,無理やりどうこうしようとは思いません.

 でも,楽しく気分よく生きて行ければいいので,要は,「楽しみ」はなくても「楽しく」生きて行ければいいというか,「楽しみ」がない状態でどうやって「楽しく」生きて行くかということでしょうか.つまりは,まずは,現状を受け入れて,その中でどうするかということですね.

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 別の言い方をすると,楽しみはなくても楽しければいいってことですかね.

 もちろん,やりたいことのやりたい度の変動とともに楽しさは変動するわけで,やりたいことのやりたい度が低くなるときは,楽しさがなくなり,楽しみがない感じがしてしまうのですが,そういうときを何とかやり過ごして行きながら..ってことですかね.

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 何となくですが,(一人とみんなのように)楽しみと楽しさは,トレードオフがある気がしてきました.

 問題は,どちらを選ぶかということになりますが,これは,何とも言えないですね.でも,楽しさは,自分で何とかなる側面があるけど,楽しみは,どうしようもないですね.

 でも,逆に言えば,そういうことも起こりうるとは言えて,でも,そんなことは当てにならないので,やはり,現状の中でどうするかということですね.

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9/4'22
[楽しみがないといけない,楽しくないといけないと思うからいけない]

 もっと言えば,楽しみがないといけない,楽しくないといけないと思うからいけないというか,別にそんなに楽しみがなくても,そんなに楽しくなくてもいいと思えばいいとも言えますかね.実際,楽しみや楽しさには,めんどくささ付いてくるわけで,そんなことなら面倒なことがない方がいいという考えもあるわけですし,実際,だんだん楽しさより面倒さが勝つようになってきてるわけですからね.

 具体的には,例えば,学生の研究指導は楽しいし,彼らが成長していくのは楽しみなんですが,研究しない学生もいるわけで,そういう学生を無理くり研究させてまでどうこうするのは疲弊するし,向こうも余計なお世話くらいにしか思ってないとしたら一体何やってんだって話なわけです.

 とは言え,学生の研究指導については,大学にいるうちは,面倒だからやらないというわけには行きません.なので,どうしてもやらないのなら,面倒を見るということになりますが,それでもやらなければ,不合格ということでやるしかないということですね.

 そして,定年で大学をやめれば,学生の研究指導という楽しみや楽しさを失うのですが,同時に研究しない学生を何とかする大変さからも解放されるわけで,楽しみや楽しさを失うという負の側面だけではなく,大変さから解放されるという正の側面もある,学生の研究指導に限らず,楽しみや楽しさはそんなになくても,大変さや面倒さもそんなにないという悪くない状態を受け入れて,そういう中で,(楽しみを制御することは難しいので)どれだけ楽しさを最大化するかってことですかね.

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[を]
(その他)

 何回か前の夜ふかしを見たんですが,「を」って「お」と発音するように(愛媛県以外は)辞書に書いてあって,そう教育もされてるそうです.ほんとですか?

 私は,少なくとも「「を」って「お」と発音するように」言われたことはないし,そういうことを意識したこともないです.とは言え,わざわざ「wo」と発音してるつもりもないですが,少なくとも「を」と「お」の発音が同じという感じではないですね.

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(このサイト)

 このサイトの記事の最初の方(今は2005年くらいか)を(寝るときに30分くらい)読んでるのですが,まだまだ毒舌が足らない(笑)というか建前的というのは書きましたが,今と比べると長いというか冗長だし,顔文字がうざいですね(でも,当時は,それが標準というようななところはあった).

 でも,書いてることはよくわかるし,中身的本質的には,今とそんなに変わらないんですが,文章は書き換えたい気分ですね.でも,めんどくさいのでやらないと思いますけど.

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[年寄りハラスメント]
(世の中)

 ある高齢者の人が,人と話すと気分が悪くなると言ってました.

 そうだと思います.既にどこかで書いたと思いますが,世の中の「年寄りハラスメント」がすごいですよね.年寄りというだけでもう否応なしに年寄り扱いです.

 もちろん,ちゃんとしゃべれない高齢者の人が多いからそうなってるんだと思いますが,そうでない人もいるわけで,年寄りというだけで十把一絡げに扱うのは大問題です(免許返納とかもそう).

 一つの方法としては,「すみませんが,ちゃんと話せるので,普通に話してもらえませんか」と言うことでしょうか.でも,めんどくさい話ですね.

 あるいは,歳をとってからは,もう新たな人間関係を作らないことですかね.昔から知ってる人なら,(自分がちゃんとしてれば)年寄り扱いすることはないと思いますからね.

 私はまだそういう歳ではないですが,バドミントンとかで新しいところに行くと,そこでは,「いきなり年寄り」なので,プレーは関係なくそういう扱いを受けて嫌な思いをしたことは何度もあります.なので,昔から知ってる人がいるところに行くしかないというか,それは,ほとんど不可能なので,もうバドミントンもまともにできないってことですかね.

 こうしてみると,長生きしてもあまりいいことなさそうですね.それこそ,「一人でも大丈夫」になって,誰とも関わることなくやって行くしかないってことでしょうか.

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9/5'22
(このサイト)

 このサイトの最初の方(筑波大に移ってしばらくした頃なので20年近く前)を読んでるのですが,ものすごく忙しくてとても大変そうです.確かに週に2, 3回は東京で仕事でしたし,学内外のいろんな仕事がありましたからね.

 でも,そんなにしんどかったかというと,当時はそれが当たり前というか,こんなんじゃやってられんとは全然思わなかったですかね.

 じゃあ,今はどうかと言うと,新型コロナでオンラインになってるので,東京に出かけることはほとんどないですし,新型コロナでなかったとしても週に2, 3回ということはないです.でも,今は今で違った忙しさというか大変さはありますかね.

 そして,こんなんじゃやってられんとは思わないのは,今も同じですかね.つまりは,基本的にずっと変わらず何とか楽しくやってるってことですかね.

 でも,もちろん,いつも一定ではなく,この20年で,最も「こんなんじゃやってられん」に近づいたのは,やはり,(人生が実質終わったと思った)50あたりですかね.外部環境的には,昇進して何年かして,学内の仕事が大変なことになって,と同時に,内的には,もう人生が実質終わったわけですからね.

 このときは,5年後リタイアすることにして,何とか切り抜けた?んですが,やはり,想像力の問題というか,そういう意味では,ほんとにリタイアすることにしたんだと思います.

 そういう意味では,今はもうあと○年で,ほんとにリタイアなので,そういうことが「込み」になってる可能性はありますね.

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[年寄りハラスメント?]

 年寄りハラスメントですが,じゃあ,自分が衰えてしまって,体が思うように動かなくなったり,耳が遠くなったり,ちゃんとしゃべれなくなったり,物事を理解するのに時間がかかったりするようになったらどうでしょうか.それなら,年寄り扱いされるのはしょうがない?

 それでも,年寄り扱い,半人前扱いされるのは嫌ですよね.そんなことなら,やっぱり,社会や他人と関わらずに生きて行きたいと(私は)思います.

 でも,それには「一人でも大丈夫」,即ち,何とか一人で自活できること,そして,一人で何とか退屈しのぎできることが必要です.なかなか大変なことだと思いませんか.

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 こうしてみると,60代の自殺についてどこかで書きましたが,そういうことを考えてしまう気持ちもわからないでもないですよね.

 高齢者の自殺は,結構,多いのですが,若い人の自殺とは,決定的に違っていて,若い人の自殺は,未来に絶望するんですが,高齢者の自殺は,未来がないことに絶望するんだと思います.

 でも,未来が(もうそんなに)ないんだから,慌てて死ぬ必要もないんですが,「もういいや」と思っちゃうんでしょうね.実際,実質もう人生終わってますから.

 でも,それでも多くの人は,何とか生きて行くと思うのですが,それは「人間死ねないから生きている」ということはあるわけで,これは,老若関係ありません.じゃあ,どうして死ねないのに死ぬかですが,突発的なものが多いと言われています.

 つまりは,感情に起伏があって(そういう精神疾患もある),谷の時に(場合によっては山の時に)行動に移してしまうということでしょうか.そして,一度,行動に移してしまうとそこで全てが終わってしまいます.なので,感情に起伏がないことは,結構,大事で,歳をとると,そういうことはだんだんなくなっては来るとは思います.

 でも,自殺は死にたいと思って死ぬものなので,そういう死に方はしたくないですね.つまり,死にたいと思わないように生きて行くということなんですが,そのため必要なことは,やはり「準備」ということでしょうか.

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9/6'22

 こうしてみると,歳をとっても衰えずにちゃんと一人前の状態を維持していても社会から年寄り扱いされ,衰えれば半人前以下の扱いしかされないわけで,どのみち社会の風当たりは強いということで,やはり,できるだけ社会と関わらず,「一人でも大丈夫」せめて「一人,時々,みんな」でやって行けるように,具体的には,体と脳の健全を維持し,経済的なことを何とかして,一人でも楽しく退屈しのぎして行けるようにしっかり準備して行くということですね.

 そして,再三,今の世の中のひどい状況について書いてますが,そういう中でやって行くには,そういう世の中と距離を取るしかないわけで,そういうことは,歳をとるということとは関係ないんですが,リタイアすれば,世の中との距離もとれるので,それはそれで理にかなってるとも言えます.

 逆に言えば,ちゃんと付き合っていけるちゃんとした人達の存在はやはり大きくて,そういう人達は大事にしないといけないということですね.でも,老害もそうですが,歳をとって衰えたんだから面倒を見て欲しいでは,ちゃんとした付き合いとは言えないでしょう.

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[若かった]
(このサイト)

 このサイトの初期のものですが,最初は,重要な記事目白押しだったんですが,そこを過ぎるとあんまり面白くないですね.たわいもない記事も多いですし,長いし,今の私からするとどれも当たり前のことだし(でも,それは,最初のところの目白押しの重要な記事も同様),それでいて建前的なことも結構あります.

 やっぱり(20年前なので)「若かった」ってことですかね.世の中の役に立つことをしたいというフレーズが結構出てきて,ちょっとうざいというか,確かにこのときは,そういう気持ちだったと思うので,建前というだけではないとは思うのですが,まだまだというか「若かった」とは思いますね.

 でも,「若かった」ということで,考え方が違って然るべきとも言えるわけで,その時点では,まだまだこの世界で生きて行かないといけなかったので,そういうことが今とは全然違うと思うんですよね.

 例えば,トイレ共同風呂なし家賃3万のアパート暮らしですが,気持ちはよくわかりますが,今となってはもうそんなことはできないわけで(でも,いざとなったらできるし楽しめるとも思う),この記事に限らず,「修行」という言葉が時々出てくるのですが,そういう「未来に向かって何かを積み重ねていく」にはもう時間がありません.

 でも,一方では,今でも変わらないところはあって,トイレ共同風呂なし家賃3万のアパート暮らしは,極端としても,しっかり経済感覚を発揮して余計で無駄なものには支出しないというのは,ずっと変わりませんし,仕事を失うこれからはなおさらでしょう.そして,そういう生活自体が気分がいいわけです.

 「修行」についても,社会的には,もう終わりというか,既に終わってるのですが,研究でも何でも,そういうものには,終わりはないわけで,そういう意味では,ずっと「修行」なんですが,今は「修行」という言葉はなじまないというか,そんなに気合いが入っていないというか,気合いを入れても逆効果というか,今の私にできることがあるという感じでしょうか.

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[物事には必ず言っていいほど正負両面あるので]

 ニュートラルとずっと書いてますが,物事には,必ず言っていいほど正負両面あるので,どうなって欲しい,どうあって欲しいとか考えてもしょうがなくて,やりたいというか,やるべきと思うその気になることを淡々とやって,結果を全て甘んじて受け入れるということでいいんだと思います.

 上の上の記事で書いたように,年寄りになって社会の風当たりが強くなるのなら,これ幸いとそういう社会と距離をとればいいわけですし,定年で仕事を失うことも,めんどくさいことをやらなくてよくなるわけですし,それは死ぬことだってそうだと思うんですよね.

 でも,やりたいというか,やるべきと思うその気になることを淡々とやって,結果を全て甘んじて受け入れるということなので,もし社会に必要とされるのなら(変な話でなければ)受け入れるということでしょうし,生かされるのならそれも受け入れて淡々と生きて行くということです.

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9/7'22
[簡単な計算方法]
(野球)

 MLBの大谷とヤンキースのジャッジのどっちがMVPかという論争が起こってる?ようです.もしジャッジが60本に達すれば,普通に考えれば,ジャッジだと思いますがどうですか? 大谷は,ピッチングもバッティングも両方やってるから,定量的な比較が難しい?

 でも,簡単な計算方法があると思うんですよね.具体的には,どこかで書きましたが,ピッチングもバッティングもやってるってことは,二人分なわけで,じゃあ,これを一人分に換算するのなら,ピッチングなら勝利数,バッティングならホームラン数を2倍すればいいんじゃないですかね.つまり,大谷が10勝したら20勝相当,ホームランを30本打ったら60本相当で,それを両方満たせばってことで,そうするとMVPは大谷になっちゃう?

 でも,そうならないのが普通というか,結局,ここでも結果を出したかったら「たった一つのこと」に打ち込むべしとなるわけです.でも,大谷は,MVPがどうこうなんかどうでもよくて,ピッチングもバッティングもやりたいからやってるってことで,それでいいんじゃないですかね(回りが騒いでるだけの話).

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[全然わかってない]

 何度か書いている「例の件」ですが,相手が全然わかってないと思ったので,はっきり言いました.どうなるかはわかりませんが,どうなっても受け入れるだけの話ですし,今のおかしな状態のままというのは,やはり,まずいと思いました.

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 はっきり言ったらどうなるかと思ったのですが,やはり,何もわかってなかったんだなと思いました.なので,言ってよかったと思いますし,自分自身は,もやもやしていたのがすっきりしました.

 これでどうなるかはわかりませんし,どうなっても受け入れるということですが,元に戻ることはないと思います(そうでなければ,言ったりしない).

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[元に戻った]
(野球)

 2005年くらいのこのサイトの記事を読んでて,野球のことがちょこちょこ書いてありますが,例えば,2004年は,ライオンズは,レギュラーシーズンは2位で,プレーオフを勝ち上がって「優勝」,そして,日本シリーズで勝って日本一とあります.

 つまりは,このときは,まだCS(クライマックスシリーズ)は始まってなくて(パリーグのみプレーオフという形でに導入),リーグ優勝をレギュラーシーズンの順位ではなく,その後のプレーオフで決めていたということなんですかね(調べたらそうみたいです.つまり,2004〜2006年の3年間だけは,プレーオフで勝ったチームが「優勝」だった).

 今はレギュラーシーズン1位がリーグ優勝で,CSで勝ち上がれば,日本シリーズ出場ということなんですが,リーグ優勝は,形骸化していて,CSに勝って日本シリーズに出たチームが実質優勝なようなものなので,元に戻ったってことですかね.

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9/8'22
[やりたいことをやってるだけ]

 野球は,もうシーズン終盤で,MLBの大谷とかジャッジとかNPBのヤクルトの村上の活躍がすごいんですが,(かつてのイチローもそうですが)それを偉いとか礼賛するのは違うと思うんですよね.メディアは,それで飯を食ってるので,そうなってしまうんですが(商売),それにまんまと騙されるのは滑稽です.

 何度も書きましたが,彼らはやりたいことをやってるだけですよ.しかも,元々運動能力やフィジカルが桁違いなわけで,彼らと同じことをしても世のほとんどの人は全く結果は出ないわけですからね.つまりは,自分を犠牲にして身を粉にして働いたとか,多くの人がやりたがらないことをやったとか,世の中の役に立ってるとかいうことではないわけで,それは研究者も然りです.

 でも,いわゆる「偉人」と言われる人達ってみんなそうなんじゃないですかね.ただやりたいことをやってるだけなのに,何か知らないけど偉いとか言われるわけです.つまりは,やりたいことを見つけることがいかに重要かってことなんですが,やりたいことを見つけてやっても結果が出る人は極僅かです.でも,(何とか生活に必要な分だけ働いて)やりたいことができるのならそれで充分でしょう.

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[カプースチンの難しさ]
(ピアノ)

 今年のピアノプロジェですが,2年前に弾く予定だった(2年前は新型コロナで中止になり,去年は仕事と重なって出られなかった)シューベルトのOp.120のソナタを(月一でキープして)弾くだけというのはどうよということで(でも,最近になって,あらためてまた練習してるんですが,練習すればするほど難しいというか弾けなくなる感じがします),一昨年(新型コロナで)亡くなったカプースチンをいくつか練習しています.でも,これがほんと難しい.

 カプースチンの難しさは,音の構成やリズムの複雑さとかいろいろあると思うのですが,一番難しいのはテンポです.例えば,一番有名なOp.40のエチュードの1番ですが,

 このテンポというかリズム感で弾くと絶対遅くなるんですよ.じゃあ,メトロノームを使って,このテンポで弾くと,まさに「全力で早回し」で弾いてるような感覚になります(最初は,家のメトロノームが壊れてるかと思ったくらい).つまり,通常の2割増くらいの感覚で弾かないといけないわけで,そうするとM.M.144ならM.M.172ですから,これはとんでもないテンポです.

 でも,上のカプースチン自身の演奏を聴けばわかるように,別に全力で早回しで弾いてる感じはしなくて,つまり,実際は,全力で早回しで弾いてるのにそうでないように(余裕を持って)弾かないといけないということで,もうとんでもない話で,多分,無理です.

 これは,この曲に限った話じゃなくて,じゃあ,どうして彼の曲はそうなってしまうかですが,やっぱり,リズムや音が複雑ということですかね.普通に走れば100mを12秒で走れるとしても,間にハードルなどの障害物が,しかも,ランダムに置かれていたら12秒なんかではとても走れないのは当然ですからね.

 じゃあ,どうやって練習するかですが,普通だと2割減のところから徐々にテンポを上げていけばいいんじゃない?という人が多いと思いますが,それでは難しい気がしています.なぜなら,テンポが上がると途端に「世界が変わる」からです(跳び箱理論).

 つまり,いきなりテンポ,せめて1割減くらいで練習しないといけないわけで,そうすると,「できることを繰り返す練習論」的には,テンポで短く区切って,ですかね.でも,これは,別にカプースチンに限った話ではないかもしれません.

 つまり,カプースチンの曲を弾くことで,練習とは何かというか,どう練習すればいいかがわかるということがあるのかもしれません.

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 全く別の見方をすると,そもそも,曲にとってテンポがどのくらい本質的な意味があるのか,ということはあります.

 例えば,上のカプースチンのエチュードですが,もちろん,テンポで聴けば違和感はないですが,じゃあ,「最初から」2割減のテンポで聴いたらどうかということです.そして,「最初から」そういう曲だと思ってしまえば,それはそれでありのような気もしてきます.

 実際,カプースチンに限らず,作曲者が指定したテンポを忠実には守らないというか,それも一つの演奏者の解釈というか表現ということもあって,演奏者によってテンポはかなり違うことが多いです(ポゴレリッチの異常に遅い演奏とか,逆にブーニンの高速のショパンのワルツとかは,ちょっと極端だが).

 でも,上のカプースチンのエチュードを実際に2割減で聴いてみると...やはり,違和感ありますね.なので,曲によるということはあるでしょう.でも,1割減ならそれほどでもありませんし,弾き方によっては,そっちの方がしっくり来ることもあるような気がします.

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[遂にここに来て逆転]
(バドミントン)

 筑波大バドミントン部のFBに卒業生の香山が全日本社会人で準優勝とありました.結果を見てみると,決勝はA代表の高橋ですね.で,注目すべき?は,準決勝で仁平に勝ったんですね.確か高校時代は,インハイとかで負けてたと思うので,遂にここに来て逆転というか,「結果が出た」ということで,代表入りも近づいて来たってことじゃないですかね.

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[頭痛]
(日記, 体)

 私は,頭痛持ちではないのですが,時々,頭が痛くなります.1ヶ月に1回あるかないかくらいですかね.でも,市販の頭痛薬を飲むとだいたい治まります.使ってる頭痛薬はずっと同じもので,あまり好きなメーカーのものではないのですが,これで治まるので変えることができず,数年に1回,一箱買う感じでしょうか.薬なんか飲まない方がいいに決まってるんですが,月一くらいならまあいっかって感じでしょうか.

 でも,時々の時々,頭痛薬を飲んでも治まらないほどひどい頭痛になることがあります.今日がそうでした.頭痛薬を飲んでも効かず,どんどんひどくなっていって吐き気もするようになってきました.でも,お腹は空いていて,でも,まともなものは食べられず,流体状のものを流し込んで,というようなことをしているうちに大分治まってきました.

 この時々の時々の頭痛ですが,どういう時に起こるかですが,憶えがあります.もう10年近く前ですが,ある人との同居状態が解除されて新生活が始まったときですね.そして,今回も状況が似ていることに気づかされます.

 昨日のことは,それ自体はよかったと思います(向こうにとっては青天の霹靂だったでしょうが).でも,これで「また一人になるんだな」とは思いました.でも,新生活が始まったときもそうでしたが,自分で選んだ道ですし,その後,時間はかかりましたが,結果的には,いい方向に行ったと思うので,今回もそうなんだと思います.

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(野球)

 中日(→カブス→阪神→中日)の福留やめるんですね(ていうか,まだやってたのかって感じ?).プロ野球選手と言っても,いろいろなんですが,そういう中で一流選手と呼べるのは極一部で,彼はそれに属すると思います.

 中日やカブス時代の往年の活躍のシーンをやってたんですが,阪神時代が意外と印象に残ってますし,一番は,やはり,WBCでの韓国との決勝での試合を決めたホームランですかね.

 ジャイアンツ(に移った)中田ですが,最近は打ってるみたいでよく出てきます.でも,それでいいんか(いいわけない)とは思いますね.でも,明らかにバッティングフォームというか構えが変わりました.そして,それは,なりふり構わずとにかく打つんだというようには見えました.

 じゃあ,これから彼がばんばん打って大活躍したら,賞賛され偉いと言われるわけ?

 違いますよね.もしそうだとしても,大谷や村上と同様,彼もまたやりたいことをやってるだけです.つまり,そういうことで無条件に評価されるものではないということが,ある意味,わかりやすく現れているわけです.

 そういう意味では,そういうことになったとき,メディアがどう報道するかは重要なんですが,桃田の時もそうでしたが,おそらく節操なし(金儲け優先)なんでしょうね.全く以て,ひどい世の中です.

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 似た事例としては,性暴力を犯した香川照之を擁護というか,CMはともかく,ドラマ出演は認めるべきということになっているのにも驚いています.

 市場原理としては,CMは不特定多数に見せるものだから,彼を見たくない人にむりやり見せるのはまずいけど(でも実際は,CMを打つ企業が自分達のイメージを下げたくないだけ),ドラマなら嫌なら見なけりゃいいじゃんってこと?

 でも,ということは,性暴力を犯した人間を見たいというとんでもない人間がこの国にはまだまだいっぱいいるというどうしようもない状態ってことですね(さすが男女差別大国).

 いやいや,仕事を全て奪ったら食って行けない? いやいや,仕事なんかいくらでもあるでしょ.性暴力を犯したわけですから,普通なら彼を見たくないと思うのが当然であって,それなら,多くの人前に出る仕事はもうできない,それだけの話です.

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[ようなことはしない]

 今回のことですが,あることをきっかけに,このままではよくないと思って行動に移したってことなんですが,これ以外の生き方全体としても同じで,自分の信念を曲げてでも何かにしがみつくとか,一人になることを恐れてもっと大事なものを犠牲にするようなことはしないということだと思います.

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[韓国に抜かれた]
(世の中)

 日本が韓国に(一人当たりのGDPで)抜かれた(ので何とかしないといけない)というのをやってました.どう思いますか?

 何度も書きますが,こういう「国単位」の話って意味あるんですかね? 日本人の平均が韓国人の平均より下回ったとしても,ただそれだけの話で,これまた何度も書きますが,そういう国単位ではなく,各個人の話なわけです.

 そもそも逆転した原因は,韓国が急成長したというよりは,日本経済が停滞したということですが,所得は増えなくてもデフレなら暮らしぶりは変わらないわけで,だったら特に問題ないでしょう(逆に韓国は,不動産が大変なことになっていて,日本のバブル期みたいにもう家とかマンションなんか買えない状態になってる).

 ということで,こういう「国単位」の議論?に意味はないのですが,一つ意味があるとすれば,それは「仕組みの問題」でしょう.デジタル化が二周遅れというのはそうですが,要は,そういう仕組みを作る政治がしょぼ過ぎるわけで,これは,政治に有能な人材が集まらなくなってるということがあるわけです.

 でも,だったら,どんどん小さな政府になってもらえればいいんですが,無能なのに余計なことばっかするのがほんとに最悪です.

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9/9'22
(バドミントン)

 YouTubeが(なぜか)19歳の時,これから日本,そして,世界を獲ろうとしてる頃の桃田と佐々木との試合をお薦めしてきたので見ました.でも,普通というか,この頃は,すごかったという感じではなくて,でも,攻めるべき時は攻める,守るべき時は守るということが自然にできてた感じはしました.

 今はそこがおかしいですよね.調子はいいと言っていたと思うのですが,結局,世界選手権,ジャパンオープンと惨敗で,事故で怪我する前には戻らないとも言ってたんですが,そういうことじゃなくて,なんでここで打たないの?というときに打たないし,そういうバランスがおかしい気がします.

 繋いで相手が打ってきてもそれをしっかり返せるのならそういうやり方もあるでしょうが,そうでないとしたらやり方を変えるべきですし,それがわからないとしたらプレー以前の問題でしょう.

 今の主流としては,どんどん打っていくことなわけで,こういうのは,流行廃りがあるわけではなく,例えば,シャトルの飛び具合とか道具とか,そういうほんのちょっとしたことで有利不利が大きく変化するわけで,それでも圧倒的な競技力があるのなら関係ないですが,そうでないのなら,自ら不利な状況でプレーしているのでは,勝つことは難しいと思います.

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9/10'22
[エディタが壊れました]
(PC)

 長年使ってるエディタ(WZ Editor)が壊れました.アンインストールしてインストールし直しても,PCをリセットしてもどうやっても「設定が多すぎます.拡張子等の設定を減らしてください」という意味不明のメッセージが出てきます.インターネット検索をすると,同じ症状はあるようですが,解決できないようです.壊れたのは,大学のデスクトップ上だけなので,OSからインストールし直せば,行けるのかもしれませんが...

 こんなこともあるのかという感じですが,エディタなので,他のを使えばいいじゃんってことなんでしょうが,バリバリにカスタマイズしていているので,同様なことが他のエディタでできるとは限りません.

 プログラミングはもちろんのこと,この文章を書くのすら不自由ですし,いろんなものをテキストファイルで管理してるわけで,たったこれ(エディタがカスタマイズした環境で使えない)だけで,著しく作業効率が落ちるわけで,ある意味,非常に危ういことだと思いました.

 同様のことは,ブラウザやメーラーとかもそうですが,Orchisとかrealsyncとかdropboxとか,普段使っている膨大かつ不可欠なソフトについても同様なわけです.

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9/11'22
[サクラエディタ]
(PC)

 エディタが使えないと仕事,仕事以外,ほとんど全く何もできないので,意を決してエディタを探してインストールしました.でも,これが面倒.

 当然のことながら,エディタと言ってもいろんなものがあるんですが,何ができるか,具体的には,どのくらいキーカスタイマイズができるか,タグジャンプができるかとか,詳しい中身まではわかりません.なので,とにかく一度インストールして,できるかどうか試して,とかやってると大変なので,インストールする前の段階でできるだけ情報を集めないといけないわけです.

 それで,何とかこれで行けるんちゃうかと思ってインストールしたのが,サクラエディタというものです.そして,目論見通り,まあ何とか行ける感じでしょうか(1行挿入とか一部できないものはあるんですが,それほど大きな問題ではないし,使っていくうちに見つかるかもしんないし).

 でも,キー設定とかを0からし直さないといけないし,カスタマイズとか行番号やルーラーの非表示とかわかりにくいものも結構ありましたし,Orchis(ランチャ)の再設定も必要で,なかなか大変でした.あと問題は,大学のデスクトップ以外のPCをどうするかですね.それらは,WZが動いてはいるので,そのままでもいいんですが,そうするとランチャの共用はできなくなるし,微妙にキー設定が違うのが問題になるかもしれません(ほとんど本能的瞬間的に指が憶えているので).

 でも,思わぬ副産物もあって,IMEのON, OFFについては,どこかで書きましたが,新しい方法(IMEのONとOFFのキーを別にする)でしばらくやっていたのですが,なかなか慣れなくて,結局,これまで通り右下のClockpodをちらっと見るというのでやってるんですが,サクラエディタって,IMEのON, OFFの状態がカーソルの色でわかるので,これはいいかもしれません.

 ※1行挿入は,やはり,頻繁に使うし,どうやらサクラエディタにはないようなので,とりあえず,外部マクロで設定しました.

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(相撲)

 相撲が始まったんですが,逸ノ城の相撲はよかったんじゃないですかね.左上手をとれれば強いのですが,とれないときどうするかと書きましたが,押し相撲に対しては,体を活かして今日のような相撲がとれれば(あとは組んで左上手が取れないときどうするかはあるが,当たって体を活かして押し込めば,左上手をとる確率も上がる)無敵になるかもしれません.正代も先場所の勢いが続いているような感じがしました.

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[弾けない曲は練習しても弾けるようにならない]
(ピアノ)

 ピアノなんですが,もうピアノプロジェまで3ヶ月を切ってるのでぼちぼち練習してるのですが,今までにない感覚になってきました.それは「弾けない曲は練習しても弾けるようにならない」ということです.

 そんなの当たり前? でも,大学時代以降,そういう感覚になったことはなかったんですよね.もちろん,どういう曲でも弾けるようになったわけはありませんが,それは練習が足らないというか,練習してないだけで,ある程度の時間をかければ,よほどの超難曲でなければ,その気になりさえすれば,まあ何とかそこそこは弾けるようになると思っていて,そう思うようになったのは,東大ピアノの会時代にヴィラ-ロボスの野性の詩や春祭をピアノソロに編曲して弾いたり,リストの超絶技巧練習曲を弾いたりしたときくらいからですかね.

 でも,実際のところは,充分な練習などしてないわけですし,大学卒業以降は,意欲そのものがずっと低迷していて,ほとんど練習などしなくなったわけですし,じゃあ,そこそこ練習していた大学時代は,弾けてたかというと,全然なわけで,少し練習するようになった今頃になって,ようやく自分の技量というか,弾ける曲の限界がわかったということかもしれません.

 そこで思い出したのは,K子さんの「初見で弾けない曲は最終的に弾けるようにはならない」という言葉です.それはまさにその通りというか,納得するところはあって,でも,「初見で弾けないと」というのはさすがに極端で,じゃあ,具体的にどのくらいかと言うと,「その場で練習して8割くらいのテンポで弾けない曲は,どんなに練習しても弾けるようにはならない」という感じでしょうか.

 もちろん,曲と言ってもいろいろで,30分を超えるような長い曲は,その場で練習して弾けるようにはなりませんが,2分とか3分の曲なら,あるいは,言い方を変えると長い曲もフレーズというパーツの集まりと考えれば,「その場で練習して8割くらいのテンポで弾けるようにならない「フレーズ」は,どんなに練習しても弾けない」ということでしょうか.

 そして,この条件をいろんな曲に当てはめてみると,練習したら弾けるようになるだろうと何となく思っていた多くの曲が「練習しても弾けるようにならない」ことに気づいて愕然とします.でも,「練習しても弾けるようにならない」のなら,どうしようもないですね.

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9/12'22

 問題はこれをどう捉えるかですね.考えられるのは,加齢によって「練習しても弾けるようにならなくなってる」のか,若い頃,いい加減に弾いていたのをちゃんと弾かないといけないと思うようになった,つまり,ハードルが上がったかですが,どのみちできることをするしかないですかね.

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[トラブルや対応しないといけないことが頻発]
(日記)

 エディタが壊れたのもそうですが,そういうトラブルや対応しないといけないことが頻発していて,ほんとにやりたいこと,やるべきことが全然できません.具体的には,書かないといけない論文があるんですが,着手できない状態です.

 サクラエディタも(予想通り)ちょこちょこ不便さが出てきました.具体的には,カーソルの加速の設定がおかしくて修正できないことや,キーワード指定したタグジャンプができないことや,ショートカットキーに1つの機能しか割り当てられないことや,windowを移るとき,いきなりマウスカーソルのところにカーソルが移動してしまうことなど,その他いろいろ細かいことが変わってかなり不便さを感じてしまいます.

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[覚悟と報酬がなくなった]

 覚悟と報酬がなくなったんだと思います.どういうことかと言うと,若い頃というか,50くらいまでは,とにかく働いて食べて行かないといけなかったわけで,腹をくくってやるしかなかったわけです.

 でも,50を過ぎると,もう何とか食べて行ける.少なくとも,生活費を稼ぐためだけのやりたくない仕事をするくらいなら,支出を切り詰めれば仕事をやめることもできると思うんですよね.

 でも,実際は,(私の場合は)生活費を稼ぐためだけに仕事をしているわけではないので,やめることはなかったのですが,とにかく働いて食べて行かないといけないという「覚悟」のようなものはなくなり,と同時に,働くことに対する「報酬」もなくなったということになります.

 じゃあ,何のために働いているかですが,それは,もちろん,研究をするためです.でも,学生が研究しないのなら(研究は大学にいなくてもできるので)大学にいる意味なんかないですね.

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[絶望と希望]

 弾けない曲は練習しても弾けるようにならないってことですが,やっぱり,弾けなくなってる気がします.つまり,「練習しても弾けるようにならないし上手くもならない」ってことで,40代の頃,バドミントンに対して感じたことが蘇りました.

 原因は,やっぱり,加齢なんですかね.バドミントンの時は,体というかフィジカル的なことだったと思いますが,ピアノの場合は,指が動かないというよりは,脳の問題のような気がします.つまり,弾ける状態を憶えられないということです.

 そして,脳の問題ということは,ピアノに限らないわけで,そう言えば,ここ1年くらい何か変な感じはずっとしてます.夢をはっきり見て現実との境目が曖昧になるというのもそうですし,脳が働かなく時があるというか,脳の中で何かが起こり始めている感じでしょうか.

 それが何かはわかりませんが,あまりいい感じはしません.そして,これが認知機能の低下の始まりだとすると絶望的ですよね.

 でも,ピアノなら,どうやっても弾けないと思っていると,突然,弾けたりもする.研究とか,脳を使うときも,何かおかしな感じがするときもあるけど,ものすごく複雑なことができたり,閃いたりすることもある.

 つまりは,そういう絶望と希望の間を行ったり来たりしているわけで,でも,絶望する瞬間があるということは,やはり,何かが始まってるんでしょうか.

 こうしてみると,やはり,残された人生は,そんなに長くないと思いますね.もちろん,まだまだ生きる可能性もあるのかもしれませんが,やりたいことができない状態で生きててもつまらない気がします.

 でも,そんなつまらない人生ももうすぐ終わるとも言えるわけで,これまたまさに一長一短ってことでしょうか.

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9/13'22
[希望の光?]

 「弾けない曲は練習しても弾けるようにならない」「その場で練習して8割くらいのテンポで弾けない曲は,どんなに練習しても弾けるようにはならない」ですが,反例があるじゃないかと言う人もいるかもしれません.それは,佐賀の漁師の話です.

 もちろん,たった1つの5分くらいの曲の練習を1日8時間とか10時間,7年間続けられるかという時点で例外中の例外なんでしょうし,彼は初心者だったということは,その間に,ピアノの技量そのものが向上していったとも思いますからね(そもそも,彼の演奏では「弾けてる」とは言えないし).

 でも「希望の光」とは言えるかもしれません.どんなに練習しても弾けるようにならないのなら,練習を続けることは非常に難しいと思いますが,それでもとにかく練習し続ければ,可能性は0ではないとは言えるかもしれませんからね.

 でも,そう思って辛いのを我慢して頑張るのは,やはり難しいです(私には無理です).じゃあ,どうしたらいいかですが,どんなに練習しても弾けるようにならなくても,練習してて楽しいなら練習するわけですよね.そして,それこそが無敵だし,そう思って練習してるうちに気づいたらいつの間にか弾けるようになってたというのは,ピアノに限った話ではないわけです.

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[将来のことを考えて何かを我慢して頑張ることができなくなって来てる]

 関連するのかもしれませんが,将来のことを考えて何かを我慢して頑張ることができなくなって来てると思います.歳をとって将来がなくなってきてるので(やりたくないことを我慢して頑張ってもしょうがないので)当然な気もしますが,例えば,将来のことを考えて,頑張って体を動かすために散歩しているとかいう人も多いと思いますが,私には無理です(やっぱり,超怠け者.つまり,今に始まった話ではないってことですが,益々そうなってきたということ).

 じゃあ,どういうことならやるかというと,とにかく(何か知らないけど)その気になることや,今すぐ何かいいことがあることですかね.体を動かすことも体を動かすことで「すぐに」体の調子がよくならないとだめですし,ピアノも「今すぐ」,少なくとも,昨日より今日,少しでも弾けるようにならないと練習を続けることはできません.

 でも,これって,幸福論的には,自ら一旦不幸になり甲斐のある不幸になって(例えば,生活して行くために働いて,あるいは,体を動かしたくはないけど頑張って動かして)それを解除することで幸になることはできないということですね.

 つまり,20年前に書いた幸福論はもう使えなくなったということなんですが,それがまさに(社会的)人生が終わったということでしょう.そうすると,やはり,もう内的熟達しかないのですが,内的熟達は「熟達」が必要,つまり,ピアノなら自分の中で弾けるようになっているという感覚が必要で,これすら使えないとすると,更にコアの部分,つまり,ただ弾いてるだけで楽しい,研究してるだけで楽しい,体を動かしているだけで楽しいということが必要になってきます.

 なかなか,ハードルは高いと思いますが,そうするしかないのならそうするしかないですし,いざとなれば,幸福論的には,幸になんかならなくてもいいわけで,この点は,20年前と変わりません.

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[それが限界]

 やらないといけないのにやる気にならないことってありますよね.もちろん,ほんとにやらないといけないというか,やらないと誰かに迷惑がかかるようなことは否応なしなんですが,何度か書いているように,やらなくても自分に不利益なことがあるだけとか,今すぐやらないといけないというわけではないものは,その気にならなければなかなかやりません(でも,私の場合,「定量的管理」をしているので,それである程度は歯止めはかかる).

 思うのは,そのメカニズムは何なんなのかなということでしょうか.勝手な解釈をすると「それが限界」(それ以上は無理)ってことなんじゃないですかね.つまり,自分のキャパというか,能力以上のことをしようとすると,脳がブレーキをかけるみたいな.歳をとって将来がなくなればなおさらなんですが,私の場合,若い頃からそうだったような気がします(例えば,勉強しないといけないのに勉強できなかった高校時代とか,研究しないといけないのにできなかった30代とか).

 なので,メカニズムはともかく,しょうがないってことですかね.でも,「それが限界」説?が正しければ,それに従っているうちに(限界まではやることはできるので)その気になることもあるってことですよね.つまり,その気にならないときは(ほんとにやらないことをやりながら),その気になるのを待ってればいいってことですかね.

 実際,高校大学時代と勉強にその気になることはなかったのですが,大分長い間待った甲斐あって?,研究室に入ったときは,スイッチが入ったわけですし,30代と40代もそういう関係だったのかもしれません.でも,歳をとると,もうずっとスイッチがはいらないのかもしれませんが,これまた「それが限界」,つまりは,もうリソースを使い果たしたということで,それはそれで仕方ないでしょう.

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[ご褒美は危ない]
(世の中)

 「ご褒美は危ない」と思うんですよね.

 例えば,昇進というのは「ご褒美」なんでしょうが,実際はどうなるかと言うと,ちょっと給料が上がって単なる肩書きが変わるのと引き換えに,めんどくさい責任が重い仕事が増えて,研究とかやりたいことができなくなるわけです.

 今いるところに移ってきたのも「ご褒美」に近いものだったと思いますが,もちろん,いろいろいいこともありましたが,そうでもないことも多いのは,再三書いてる通りです.

 こういうのって,「ご褒美」の仕組みを考えれば,わかりますよね.つまり,「ご褒美」をあげるから,その分,頑張れってことで,まさに「評価するシステム」なわけで,でも,実際は「一長一短」「ニュートラル」なわけですから,「ご褒美」の分,何かマイナスがあるのは当たり前なわけです.

 でも,それでも,何か(部分的にでも)いいことがあるのなら,やはり,変化を求めるということなんですが,注意しないといけないのは,いいことばかりではないということですかね.

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[「なるように」と「なるようにならないといけない」は違う]

 ただ弾いてるだけで楽しい,研究してるだけで楽しい,体を動かしているだけで楽しい,なんてことは,そうそうあるもんじゃない,若いときならそういうこともあったけど,歳をとるとそういうことはなくなってくるということはあります.

 でも,それなら,無理してやらなくていい,若いときは,やらないといけなかったことも歳をとるとやらなくてよくなるということはあるわけですからね.

 でも,ただ○○してるだけで楽しいってどういうことでしょうね.ピアノならどんどん弾けなくなっていっても弾いてて楽しい,研究なら結果が全く出なくても楽しいなんてことがある?

 実際は,ピアノなら弾けるようになるように,研究なら何か面白い結果が出るようにやってるわけで,それは当たり前のことでしょう.でも,その時に弾けるようにならないといけない,結果を出さないといけないと思ってしまうと楽しくなくなるということはあるかもしれません.

 つまりは,「なるように」と「なるようにならないといけない」は違うということでしょうか.なかなか微妙ですが,その差が大きい気がします.

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[異次元過ぎる?]
(世の中)

 ネットニュースに「「高校生クイズ」の問題が異次元すぎる」と出ていました.どういう問題かと言うと,品詞だけが表示された状態から、問題文を推測して答えを求めるというもので,問題文は「形容詞、形容詞、形容詞、形容詞 助詞名詞助詞動詞助動詞助動詞 名詞助詞名詞助詞名詞?」で,これを「あかい、まるい、おおきい、うまい の頭文字から名付けられたイチゴの品種は何?」と推測して,「あまおう」と答えるというものです.これを「異次元過ぎる」と言ってるわけです.

 そうですか? そんなに難しい問題ではないのでは?

 彼らは,別に頭がめちゃめちゃいいわけではなく,クイズという競技をしているだけですよ(司法試験の勉強をしている人に日本の法律に詳しくてすごいですねとは言わないでしょう?).そして,クイズの世界で「あかい、まるい、おおきい、うまい の頭文字から名付けられたイチゴの品種は何?」は鉄板なので,クイズをやっていれば,これを「形容詞、形容詞、形容詞、形容詞 助詞名詞助詞動詞助動詞助動詞名詞助詞名詞助詞名詞?」から推測するのは,割とすんなりできるんじゃないですかね(多分,冒頭の形容詞4つでピンと来る).

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(野球, 相撲)

 ライオンズは,宿敵ソフトバンクと最後の3連戦なんですが,連敗なんですね(しかも今日は高橋で大敗).どうしてもソフトバンク相手だとこうなっちゃうんですよねー.レギュラーシーズンで優勝しても,こんな感じでは,CSを抜けるのは厳しいですよ(実際,何年か前も2年連続でそうなってるし).ていうか,3位以内も危うい.

 逸ノ城と正代は,その後,連敗なんですね.逸ノ城は,元に戻っちゃった感じもしないでもないですが,先場所の途中でそうなったこともありましたからね.正代は,先場所前半のように覇気がない感じではなく,体は動いてる感じですが,ちょっとばたばたし過ぎですかね.

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 ヤクルトの村上が王貞治のもつ55本という日本選手記録に並んだということなんですが,もちろん,それ自体は,結構な話なんですが,いろいろ突っ込みどころがあるんですよねー.

 まず,王貞治の時代とは,試合数が違います.つまり,基準化違いです(でも,当時の後楽園はとても狭かったということはあるが).あと,王さんは,日本人ではないですよ(日本国籍ではなく,中国,正確には,中華民国籍).

 もちろん,彼は日本生まれの日本育ちですし,そもそも,日本人とか日本人じゃないとか,どうでもいいんですが,都合のいいときだけ日本人にするのはムシがよすぎるのはメディアの常套手段ってことですね(日本選手記録に並んだのは,52本打って野村と落合の記録に並んだときというのが正しいのですが,そのときそういうことを言わなかったのは,偉大な王貞治を日本人ということにしておきたいということ).

 つまりは,日本選手記録に並んだのではなく,日本人とか関係なく2位になったということなんですが,そういう意味では,日本人とかそんなの関係なく,試合数も(多分)今と変わらないバレンティンの記録を目指して欲しいですね.もちろん,日本人に外国人の記録を抜いて欲しいとか,そんなことは関係ありません.

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 日本人選手ではなく,日本選手だから問題ない? じゃあ,日本選手の定義は何ですか? 国籍は関係ない? でも,サッカー日本代表は日本人(日本国籍)選手ですよね(メッシが日本国籍を取得したら日本代表になれる).ラグビーの日本代表は違うから関係ない?

 そう言えば,稀勢の里のことを(白鵬が日本国籍を取得していて日本人なので)日本出身力士と呼んでましたし,イギリスのイシグロがノーベル文学賞をとったときも日本人にカウントしてました.日本が付けば何でもいいのか(笑).

 全く以て節操なしですが,メディアがしょぼいということはは,それで視聴者が喜ぶ(視聴率が獲れる)ってことで,日本人がしょぼいってことですよね.何度も書きますが,人の応援をしたり,同じ日本人が頑張って喜んでる暇があったら自分が頑張りましょう.

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9/14'22
[もうほんと余計なことすんなって感じ]

 なんかまだいろいろ対応しないといけないことがあって,なかなか落ち着きません.

 仕事もそうですが,仕事以外のことも多くて,それは,いろんなことをしてるからではあるんですが,そういう私の問題というよりは,それに関わる不具合もありますし,いろいろ勝手に変更されることもあって,もうほんと余計なことすんなって感じです.

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[諦念?]

 定年後のことを考えて,「諦念」(奇しくも定年と読みが同じ)を身につけるべしと言ってる人がいました.定年で仕事を失うにあたって,自分が社会から必要とされなくなることを受け入れるべしとこのサイトで再三書いて来たので,そういうことをちゃんと考えてる人もいるのかと思ったら全く逆でした.

 実際は,定年後もマンションの理事会や学校や地域のボランティアでも何でもいいので,人との繋がりを大事にして行くのがいい,でも,そういうところに首を突っ込むとトラブルの連続で,ストレスがすさまじいので,全然思い通りにならないと諦めるのが肝心ということらしいです.何じゃそりゃ.こうやって○○しようとするんですかね.

 私だったら,そんなめんどくさいことに巻き込まれるくらいなら,一人(時々,みんな)で悠々自適にやって行きますけどね.

 でも,それに不可欠なのが何度も書いてる「退屈しのぎ力」です.いろんなことをやってはいるのですが,めんどさい,やりたくないと思うことも多くて,どうやってその気にさせるかもう必死って感じです.

 人との繋がりは,もちろん大事ですが,めんどくさいことに巻き込まれるのは勘弁というか,ストレスフルなことはもう体も精神ももたないと思います.「例の件」もそうですが,「どんどん一人になっていく」感じなので,もう否応なしってことですね.

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[ワルトシュタインの八度進行]
(ピアノ)

 ワルトシュタインの終楽章の最後の部分の八度進行なんですが,こんな動画がありました.

 この人は,これ以外の曲でも譜面と演奏動画を同時に載せていて,いろいろと発見があります.で,八度進行のところですが,こんな感じです.

 上手いですね.この部分をグリッサンドで弾く人を何回か見たことがありますが,こんなに上手くは弾けてなかったです.

 で,思ったのは,そっか,演奏動画を見れば,どうやって弾いてるかがわかるわけです.で,いくつか見てみたんですが,もうびっくりです.以下は,バレンボイムとキーシンですが,

 両手でとっています.そして,これ以外にいろいろ見ましたが,ほとんどの人が両手でとっていて,それ以外の人はグリッサンドでした.つまり,ちゃんと片手でオクターブで弾いてる人は,少なくとも動画で見る限りは,一人もいなかったのです.もうほんとびっくりです.

 もちろん,両手でとる弾き方があるのは知っていました(確かヘンレ版にも載っていた).でも,あくまで例外的というか,素人用というか,少なくとも世界的ピアニストは,ちゃんと片手でオクターブで弾いてると思ってた,いや,そう思い込んでで,この部分が弾けないとワルトシュタインは弾けないと思ってたんですね.

 思い返すと,この曲を最初に聴いたのは,小学生のときのケンプのLPでした.

 懐かしい.でも,ほんと久しぶりに聴いた.で,最後の八度進行なんですが

 こんな感じです.当時は,これがちゃんと片手でオクターブで弾いてると思っていたんですが,今聴くと両手でとってる感じですね.

 こんなことなら,とっくにワルトシュタインを弾いてた思うわけで,でも,今となっては,もうそういう気にもならず,人生を棒に振ったとは言いませんが,何か大きなものを失ったような喪失感を感じますね.

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9/15'22
[衝撃的な告白]
(このサイト)

 寝るときのこのサイトの読み返しですが,今は2006年1月あたりですが,「いい子」で今とは違う感じもしますし,半ば忘れていたような嫌なことも思い出したりして,あまり面白くないです.それで「衝撃的な告白」というのがありました.

 もちろん,その中身については書いてないのですが,記事の内容から(私なら)思い出せるかと思ったのですがはっきりとは思い出せなくて,当時のメールを見てみましたが,「告白」自体は,口頭だったようで,メールはその後のやりとりだけで,核心には至りませんでした.でも何となくはわかったというか思い出してきた感じでしょうか.

 最初は,「例の件」と関係してるのか,つまり,20年前からそうだったのかとも思ったのですが,そうではない感じです.うーん,でも,関係ないこともないか.

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[何かに騙されている]

 これからのことについていろいろ書いてますが,哲学的には,最初から人生所詮退屈しのぎだったわけで,別段これまでと何も変わらないと思う一方で,若いとき(50くらいまで)は,先のことを考えることはそんなになく,「何かに騙されている」ようなところもあって,よくそんなに頑張れたもんだとも思うんですよね.

 とすると,考え方的には,別段これまでと何も変わらないとしても,実際の生き方は変わって然るべきということになります.そして,それは,なかなかしんどいことだとも思うんですよね.

 「何かに騙されている」という状態から目が覚めて,いろんなことが見えるのはいいんですが,そうすると生きてる意味なんかないじゃんというある意味本質的なことに辿り着いたりするわけです.でも,そんなこと最初からわかってたことじゃないかと言えるのは,やはり,哲学の強みですかね.

 とは言え,退屈しのぎには,体力も気力も必要で,歳をとって体も心も衰えて行く中で退屈しのぎして行くのは,なかなか大変です.まあでも,無理せずできる範囲でやって行けばいいのかな.

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[そういう自死が受け入れられている]

 私は映画を観ないのでその人のことは知らないのですが,とある有名な?映画監督が亡くなったとの報道で,でも,病死や老衰ではなく,スイスでは合法とされる薬の処方による自死なんだそうです.病気の痛みや苦しみに耐えかねてというのではないので安楽死とは違うと思うのですが(本人は,もう疲れ果てたと言ってたそうですが),そういう死に方もあるということですね.

 それで思ったこととしては,その自死自体を取り上げることはそんなになくて,他の普通の死と同様に,その人の作品とか生涯とかを紹介してる感じで,そういう自死が「受け入れられている」と感じました.だとすると,今は日本ではまだだめですが,将来,そういう選択肢もあるかもしれないということですよね.

 問題は,どういう状況なら許されるというか受け入れられるかでしょうか.一つは状況で,病気で苦しい場合の安楽死は問題ないと思いますが,今回のようにそうでない場合です.一つは年齢ですかね.その人は,91だったので,90くらいまで生きればOK? じゃあ,80なら? 70なら?

 でも,やっぱり,一番重要なのは,自分が死んだら困る人,悲しい人がいるのかってことですかね.そういう意味では,親が生きているうちは死ねないですが,逆に言えば,子供がいないということは,そういうこともないわけで,自分だけのために歳衰えながら生きて行くのは,やっぱりちょっとしんどいですね.

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[人がやらないこと,できないことをやりたいけど]

 ワルトシュタインの八度進行ですが,人がやらないこと,できないことをやりたい私としては,じゃあ,片手オクターブで弾いたるわと考える,というのは,若いときの話(若気の至り)ってことなんですが,気持ちとしては,今でもそういうところはある一方で,もうこの曲そのものを弾く気にならないわけです.実際に弾けるかどうかの問題というよりは,その気になるかどうかが全てだと思います(弾けるようになろうと思って練習する気になるだけでいい).

 そして,何度か書いているように,こういう両極端の気持ちが混在する分裂状態がずっと続いてるんですよね.もう人生は実質終わってるし,いろいろめんどくさいのでさっさと離脱したいと思うと同時に,まだまだやりたいこと,やらないといけないことがあるような気もするし,人との繋がりについても,面倒なことに巻き込まれるのは勘弁と思う一方で,こんな自分でできることがあるのなら頑張りたい気持ちもある.

 でも,気持ちだけではどうにもならないわけで,そういう期限が迫ってるような気もします.そして,自分では選べないというか,ニュートラルとか言ってるうちに期限が来てしまうんでしょうね.

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 この分裂状態ですが,今の時期の特殊事情というということなんですかね.

 お前はもう必要ないということならそう言ってもらえればそれはそれでいいんですが,そうでもない可能性もあるのが悩ましいってことでしょうか.でも,だったら自らさっさと離脱するということもあるんですが,そこまでは割り切れないということでしょうか.実際,こうやってこっちに移ってきたわけですし.

 まあでも,定年前にやめることは,よほどのことがなければ(こんなところでもうやってられないと思うか,もっといい話が来るとかがなければ)ないんでしょうから,定年間際になったら考える,それまでは,淡々とやることやってやって行くということですかね.

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[物理的に弾けないものを練習したら弾けるようになることはある?]
(ピアノ)

 ワルトシュタインの八度進行もそうですが,ショパンエチュードのOp.25の6の三度というか二重トリルとか,物理的に弾けないものを練習したら弾けるようになるというのはどういうことでしょうね? というか,そういうことってあるんでしょうか?

 幻想かもしれませんが,どんな難曲でも,根気強く練習して,どの音をどういう順番で押さえていくかを憶えていけば,原理的には弾けるようになるはずなんですが,そのスピードで指や腕が動くかというフィジカルに依存するものは,フィジカルがなければ弾けないわけで,それこそフィジカルトレーニングが必要? あるいは,究極の脱力というか,そういう技術が必要?

 一つの事例として,小学生の時,ショパンの英雄ポロネーズに憧れて(子供というかガキですね),楽譜やレコードを買ってきたことは書きました.それで,弾いてみようとするんですが,全然弾けないわけです.特に中間部の左の八度進行は全く弾ける気がしませんでした.

 そして,時は流れ,大学時代だと思いますが,もう英雄ポロネーズに対する憧れなんかなかった(大人になった(笑))と思いますが,何気なく弾くと弾けちゃうわけです.中間部の八度進行も楽勝でした.これって何なんですかね? 小学生と大学生ではフィジカルが違う? いや,単にピアノが上手くなった?

 よくわからないのですが,「結局は同じこと」かもしれませんね.高速の八度や三度は,動きが単純で難しいので「すぐに結果が出る」だけで,例えば,カプースチンの高速で複雑なパッセージも正確に憶えたとしても,そのスピードで指を正確に置いていくことができなければ,弾けないわけですからね.

 いや,それでも後者の方にまだ可能性を感じる? いや,前者が絶望的なだけか.

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9/16'22
[脱ぎ捨てられた運動靴]
(日記)

 私の通勤?は,高々数百mの徒歩で,職員宿舎と大学の敷地以外のいわゆる公道というか歩道を歩くのは50mくらいのものです.そして,2, 3週間くらい前のある日,その途中の歩道と車道の間の縁石にスニーカーというか運動靴が片足だけ脱ぎ捨てられていました.酔っ払いが脱いだのか何なのかはわかりませんが,まあそういうこともあるのかなという感じでしょうか.でも...

 2, 3週間前ということは,それからずっと置きっぱなしなんですね.誰かの敷地ではない公道だとそういうこともあるのかもしれません.別にどうということはないのですが,一日何往復かするので,そのたびに「あーまだあるな」と思うわけです.だったら,お前が始末しろよと言う人もいるかもしれませんが,それはちょっと違うと思うわけで,そして,誰も始末しないということは,みんなそう思ってるってことですよね.

 そして思ったのは,ひょっとして,半永久的にこのまま,10年後,100年後,1000年後もこのままってことはないか(笑).でも,逆に,どのくらいこのまま放置されるのか観察したくなってきましたし,そう考えると,見るたびにほんの少し不快に思うこともなくなるものです.

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9/17'22
[ものは考えよう]

 今日大学に来るとき,まだあるかな?と思っていたら,まだありました.逆にちょっと楽しみなってりして(笑).

 でも,これってまさに「ものは考えよう」ってことですよね.

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[過去に比べる例がないほどのスーパー台風]
(生活)

 過去に比べる例がないほどのスーパー台風が来ているとの報道です.

 中心気圧は910hPaで,戦後最大の被害を引き起こした室戸台風や伊勢湾台風より中心気圧が低くて強力ということで,最大瞬間風速は70m/s!にも達するとのことです.

 でも,私の記憶によると私が中学のとき,つまり,1970年代に中心気圧が900hPa(当時はミリバールと言っていた)以下の台風あったんですよね(天気図の等高線の本数がやばすぎた).その大きさは日本全体がすっぽり入るくらいでした.

 その台風は幸いそれて,日本に大きな影響を与えることはなかったと思いますが,今回は,直撃する可能性が高いとのことで心配ですね.

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 ちょっと調べてみたんですが,史上最低気圧を記録したのは,1979年の台風20号で,870hPaだそうです.この台風のことは,このサイトでも書きましたが,日本を直撃して福岡にも来て,雨戸を閉めていてもサッシがしなるような強風でした(福岡での最大瞬間風速は50m/s近く).

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9/18'22

 問題は,単なる最低気圧ではなく,日本に上陸したときの最低気圧で,普通は,北上するに従って衰えて気圧は上昇するんですが(1979年の台風20号はそうだった),今回の台風は,そういうことがあまりなさそう(930hPa程度までしか上がらない)というのがやばいってことなんでしょう.でも,930hPaくらいなら,(第二)室戸台風や伊勢湾台風もそのくらいなので,過去に比べる例がないというよりは,最大級ってことじゃないですかね.

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[健康や体にいいことをしても全く意味なし]
(体)

 昨日の何かの番組だったかな,とある有名な医者の一日に密着していて,その人は,こうすれば体にいいとか長生きできるとかいう本をたくさん書いていてそれがどれも売れていて,それを実践している様子を見せたわけです.でもひどかったですね.

 健康のために実践していることをいろいろやっていて,それは別にいいんですが,その一方で,体に悪いことをしっかりやっていて,もう台無しです.ていうか,自室を映した瞬間,ワインの空き瓶の山だし,彼自身,お腹がぽっこり出ているわけで,これじゃあどんなに体にいいことをしても全く意味がありません.

 実は,こういう「健康法」って非常に危なくて,健康にいいことをしてるから少しくらい不摂生してもいいとなって,却って体を蝕むことになるんですよ.電車の中で二人分の席を占有して座ってる(ほど太った)男の人がビタミン何とかという飲料を,これを飲んでるから大丈夫という感じで飲んでたことはどこかで書きました.

 健康というか,体を大事にしたかったら,健康や体にいいことをするのではなく,健康や体によくないこと(平たく言えば,酒と煙草と悪食)をしないことです.どんなに健康や体にいいことをしても,体によくないことをしたら,全く意味ないどころか逆効果です.

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2≒10である理由]
(数学?)

 いつしか気圧の単位がミリバールからヘクトパスカルに変わったということですが(多分)いわゆるSI単位系への統一ってことですかね.でも,ヘクトというのは聞き慣れないですが,100倍なので,それまでの数字に合わせるためにわざわざこういうものをくっつけたということですね.

 そういう意味では,力の単位のN(ニュートン)ですが,未だにピンと来ません.具体的に言えば,昔は,コンクリート強度が300kgf/cm2というのは,1cm2あたり300kgの力が加わると(小錦が乗っかると(笑))壊れるってことですが,今はそれを30N/mm2と言うんですが,10倍に換算してイメージしてるような感じです.

 そして,この換算ですが,単なる作業でイメージが湧かないので,かけるのか割るのかを間違えると大変なことになります.実際,300kgf/cm2が30N/mm2というのは,単位面積の大きさが違うわけで,そこを揃えると,3000N/cm2になるわけで,おそらく数字が大きくなるよりは小さくなる方がいいってことなんでしょうが,300が30か3000ってことは,まさに10で割るか,かけるかどっちや?ということが起こってるわけです.

 要は,1kgf=9.8N≒10Nというのが背景にあるんですが,だったらhPa(ヘクトパスカル)のようにdaN(デカニュートン)を使う,具体的には,Fcが300kgf/cm2なら300daN/cm2というのもありだったかもしれませんが,接頭語が「da」という2文字というのがねー.ちなみに,これ以外は,k(キロ)とかM(メガ)とかm(ミリ)とか「全て」一文字なんですよ(dは,1/10のデシで使用.小学校のとき,デシリットルというのが出てきた).

 もっと言えば,重力加速度がたまたま9.8m/s2という10に近い数字だったからまだましだったというか,これが3とか5とか中途半端?な数字だったもう大混乱になったと思うんですよね.

 ここで思うのは,重力加速度が9.8という10に近い数字なのは,たまたまかということです.で,調べてみると,昔,1mを定義するときに1mの振り子の周期が2秒になるように決めたということなので,そうするとT=2π√l/gからg≒π2となるようになってるってことです(ちなみに秒というか時間は,(昔は)地球の自転周期,つまり,単なる偶然から決まってることは自明.あと,重力加速度にgを使うときは,ほんとはフォントを変えないといけない).

 じゃあ,π2が10に近い数字になるのは,たまたまなのか,これにも何か理由があるのかですが,これも調べてみましたがわかりませんでした.ていうか,そういう問題意識そのものがあるのかどうかも不明な感じです(上のg≒π2でみんな思考が止まってる.でも,じゃあ,次は,π2が10に近い数字になるのはどうして?となるんじゃないの?).

 でも,π2ってどういう数字でしょうね.その数学的意味は,なかなか難しいと思いますが.

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[大学をやめたい]
(大学)

 もうほんとに大学をやめたくなってきました.理由はただ一つ,とにかく学生が研究しないからです.私が大学にいる理由は,学生の研究指導をすること,そのことを通して学生達を成長させ,ついでに研究を進めることですが,後者はどうでもいいというかおまけみたいなもので,大学にいる理由のほとんどは前者ですし,それができるのなら,いろいろめんどくさい仕事もやりますよ.

 学生は,バイトや部活や就活とかいろんなことで「とても忙しい」ようで,全員が集まってやるゼミも全く日程調整ができず,個別に打ち合わせをしようとしても,なかなか都合がつかないという惨状です.

 もちろん,バイトや部活や就活も自由ですが,その合間の余った時間で研究してるというか,研究なんかほとんどしてないわけで,つまり,研究活動の優先順位が彼らの中で非常に低いわけです.でも,何度も書きますが,研究は,情報収集力,分析力,思考力などの問題解決能力やプレゼンテーション能力を最先端のレベルで修得できる最高の方法であって,それを適当にやって他のことばかりやってるのは,ほんとに○ホというか,どうしようもないんですが,何度話してもそういうことがわからないのは,まさに意識も素養も低いってことですよね(そして,社会に出てから気づいて後悔する).

 そもそも,研究しなければ卒業できないわけで,このままでは卒業できないってことになりそうですが,これもまた立派な教育的指導ということですかね.そして,そういうことを言うと,渋々しょうがないからやるみたいな感じで,ほんとにこんなに意識が低いとは思いもしなかったというか,ほんとどうしようもないレベルの話です.

 他の研究室の先生の話もいろいろききますが,似たり寄ったりですね.つまり,京大(建築)全体がそんな雰囲気なわけです.もちろん,中には優秀な学生もいるんですが(先日,ある会議で1年で20本の論文を書いた学生が紹介されていた),多くの学生はそんな感じということなんでしょうか.

 彼らは京大の学生なんですが,それが何だと思ってるんですかね? 京大卒業しましたってだけで社会でやって行けると思ってる? ○ホじゃないの.私が知る限り,他大学の学生の方が遥かに優秀だし,今のままでは,自分達がいかに仕事ができない無能な人間かを思い知るだけですよ.ていうか,研究しなければ卒業できないのに研究そっちのけで就活やってどうすんの?

 でも,やる気のない学生の尻を叩くのは,もうめんどくさいだけですし,そんなことならさっさと大学なんかやめてしまうことも考えようと思います.どのみちもうあと○年ですしね.

 こうして考えてみると,筑波大時代がいかに恵まれていたか,そして,そこに長い間いられたことがいかにラッキーだったかを痛感しますね.もし,ここに若い頃からずっといたとしたらとほとんど何もできなかったんじゃないかとすら思ってしまいます.

 もちろん,筑波大にも優秀な学生もそうでもない学生もいるのは,ここと同じですが,私の研究室は人気があって,ずっと優秀な学生が来てくれていた(時々そうでもない学生もいたけど)ということが大きかったということですかね.ここは,研究所なのでどうしても敬遠されるということもあるのかもしれませんが,それにしてもちょっとひどい状況です.

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 そもそも,筑波大時代は,研究室の人気があったというか,優秀な学生が来てくれていた(のに今は違う)のはどうしてだろうかと考えました.

 もちろん,研究所かそうでないかというのはあると思いますが,建築かそうじゃないかということはあるでしょうね.そういう意味では,筑波大(の工シス)は特殊で,建築ではなく,エンジニアリング志向の学生しかいないわけで,そういう学生が(建築のように意匠崩れではなく)第一志望で来てくれていたのは大きかったですね.

 でも,今の時代(私の頃と違って)構造はみんな意匠崩れってわけでもないでしょうし,少なくとも防災に興味をもてば,私の研究室でやっていることが面白そうだと思う優秀な学生がいてもおかしくないと思いますけどね.

 逆に言えば,そういうことも素養という意識の問題ってことですかね.つまり,人気が出るように学生に迎合するなんてことは全くないってことです.

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 でも,そう言えばなんですが,学生が研究しないというか,それが普通みたいな話は,他大学の先生からもききます.つまり,京大(の建築)が異常なんじゃなくて,これが普通ってこと? 実際,学会とかで他大学の学生がいい研究をしてるなと思うことなんかそうそうなかったですからね(特に最近はそう).てことは,筑波大というか,私の研究室がむしろ異常だったってことなんですかね.

 だとすれば,まさに日本は沈んでいくということですし,やっぱり,そういう「異常な」環境に長い間いられたのは,超ラッキーだったってことでしょうか.

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 でも,こんなことになるくらいなら,ずっと筑波大にいればよかった,こんなところに来るんじゃなかったとは思いません.少なくともここに来なければ,そういう環境に長い間いられたことがいかに恵まれていたかわからなかったわけで,極端な話,それだけでも移ってきた意味があったと思えるほどです.

 最後の○年,研究が停滞してしまうかもしれない,もしかしたら少し早めに研究生活が終わるとしても,まあいいですかね.もう思う存分,研究して来ましたし,京大がどういうところかもわかりましたし,いい気分転換になったと思いますからね.

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(相撲, 野球)

 相撲ですが,逸ノ城も正代も全くだめですね(どうでもいいけど).

 野球もライオンズもあっという間に4位です.こっちはどうでもいいとは言いませんが,どっちにしろ所詮他人事です.

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9/19'22
[大学をやめる必要はない]
(大学)

 学生が研究しないのなら,指導のしようもないわけで,だったら,そんな学生ほっとけばいいじゃんって人もいるかもしれません.

 そうですね.もちろん,放置はできませんが,ちゃんとやることを指示をして,それでもやらなければ,本人の責任だし,卒業させなければいいだけの話ですからね.

 ていうか,そうしてますし,特に問題はありません.実際,これまでも卒業させなかった学生も少なからずいますからね.

 でも,学生の研究指導ができないのなら,何のために大学にいるんですかね? 研究以外のめんどくさいことをして生活費を稼ぐため? 学生が研究しないんだったら,自分で研究すればいいし,それには大学にいた方がいい?

 うーん,どうなんですかね? でも,学生が研究しないからと言って,大学をやめる必要はないかもしれませんね.

 でも,理想としては,学生が研究することの重要性に気づいて,自分の将来のために研究することでしょう.なので,できる限り,そういう方向にもって行くのがいいとは思いますし,これもそうやってきました.でも,それでも,どうしょうもなければどうしようもありません.

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(日記)

 脱ぎ捨てられた運動靴ですが,(書いた途端に?)なくなってました.逆にちょっとがっかり?(笑)

 まだ台風が来る前でしたが,昨日の夜は風も吹いてたし,どこかへ飛ばされた?

 でも,ものは考えよう的には,これはこれで問題ありません.でも,どこかへ飛ばされたのなら,単に場所が移って見えなくなっただけですけどね.

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[無気力とか怠け者とか]

 2005年頃の記事ですが,ずっと無気力に悩んで来たし,それは今でも変わらないと再三書いています.でも,その頃は,仕事や研究や仕事以外のことにめちゃめちゃ精力的に取り組んでますし,それ以前の30代も,研究は今一だったけど,それでも毎年査読論文は書いてたし,仕事や仕事以外のこともめちゃめちゃ精力的にやってたし,無気力に悩んでたとか何言ってんだかって感じです.

 じゃあ,今はどうかですが,基本的に,ずっと変わらないんですが,最近の書き方は,無気力ではなく生来の怠け者ってことで,もうとっくにあきらめたってことですかね.でも,多分,客観的に見たら,やっぱり,何言ってんだかって感じなんでしょうね.

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[イライラする]

 とにかくイライラすると言ってる人がいました.もちろん,イライラする理由はいろいろでしょうが,世の中や自分の回りにいる人間ががしょぼ過ぎてイライラするのなら全然問題ないというか,むしろ,今のひどい世の中やどうしようもない人間が増えてきた現状にイライラするのは,非常にまともというか有能ってことでしょう.

 こんな惨状では,日本は沈んで行くと言う人もいますが,多分,大丈夫ですよ.それは,日本人がだめでも,外国人が(円安になって日本が売りたたかれて)どんどん入って来て日本を乗っ取ってくれるからです(ありがたや).

 つまりは,これから日本人がどうなって行くかなんかどうでもよくて,有能な外国人が無能な日本人をこき使ってちゃんと暮らして行ける日本にさえしてくれれば,それで全く問題ありません.

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9/20'22

 でも,イライラするのは気分がよくないですし,そこまで行くと体調に影響するかもしれません.だったら,そんなどうしようもない世の中や人間達に迎合してやって行く?

 そんなことはしたくないですよね.私はイライラすることはないですが,今の世の中の惨状やどうしようもない人達には辟易しています.じゃあ,どうしたらいいかですが,そういうのとできるだけ関わらないことでしょう(と何度も書いてきました).

 でも,全く関わらないというわけには行かないし,だとすると,そういうストレスのようなものを解消する必要はあって,私の場合は,このサイトで毒を吐くことですかね(笑).

 でも,考えてみたら,今の世の中,競争社会というか,騙すか騙されるかというか,誰かが幸になれば誰かが不幸になるという(どうしようもない)社会ですから,どうしようもない人間が虐げられて苦労する分,そうでない人間がいい目を見てるわけで,そう考えれば,心も落ち着くってことなんでしょうか.

 でも,そんな簡単な話なら(イライラも)辟易もしないわけで,一体何なんですかね? しょーもない奴等はほっときゃいいじゃんって思えればいいんですけどね.

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[いいこともそうでないこともいろんなことがあるのがいい]

 でも,何と言うか,いいこともそうでないこともいろんなことがあるのがいいとも思うんですよね.

 ひどい世の中になって来てしまいましたし,ちゃんとやれよって奴がいたとしても,ちゃんとやってる人もたくさんいるわけですし,世の中も何とか回っていて,生活して行く分には何の不自由もないわけですからね.

 幸福論でも書きましたが,平穏で何の悩みもない状態だと,幸を感じる(ちょっとした)不幸がないので「自然落下」的に不幸になっていきますし,高齢になれば,それこそ認知症になってしまかもしれません.

 もちろん,何もいいことなんかないのではしんどいと思いますが,何もいいことがないってことはないでしょうし,ちょっとした幸を感じられなくなってるというか,それこそ,ちゃんと生活できて何とか食べて行けるだけで幸せなはずですからね.

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[一本足打法]
(野球)

 ナイターの阪神対横浜でちらっと見えたんですが,横浜で一本足打法で打ってる選手がいました.久しぶりに見たな−.王はもちろんそうですが,ライオンズにいた片平以来?

 でも,王も片平もそうでしたが,足を上げるのは,打つ少し前(ピッチャーがモーションに入ってから)です.でも,その選手は,なんとピッチャーが投げる前から片足を上げるんですよ.そうすると,ピッチャーはなかなか投げないとか策を講ずるわけで,そうすると,一旦降ろしてとかいう感じで,でも,かなりの長い時間片足で立ってるわけです.

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[子供扱い]
(世の中)

 これもちらっと見えたんですが,H道ステーションで,マスターズ陸上で90歳以上のマイルリレーの世界新記録というのをやってました.タイムは9分台だったかな.なので,普通?の倍以上はかかってるわけですし,さすがに体が動かない感じですかね.

 でも,90過ぎて生きてるだけでもすごいのに,走れるというのはほんとにすごいんですが,メディアの取り上げ方もそうですが,こういうことに対する世の中の扱い方がなんか気に入らないんですよね.

 お年寄り「なのに」すごいという言い方は,はっきり言って思いっきり上から目線ですし,このケースに限らず,年寄りに向かって「お元気ですね」とか言うのも,ほんとばかにしてると思うんですよね.

 まるで子供扱いというjか,そういう意味では,子供だって,子供扱いすべきではないし,そんな扱いを受けるくらいなら,そういう世の中とは関わりたくないと思いますね.

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9/21'22

 でもじゃあ,歳をとってからもスポーツをしたい人,それも健康のためというよりは,競技として,具体的には,マスターズ陸上やバドミントンなら全日本シニアに出て勝てるレベルでプレーしたい人はどうしたらいいんでしょうね.

 別にプレーすればいいだけの話でしょう.でも,それを「お年寄りなのにすごい」とか回りがとやかく言うのがうざいだけで,そんなのほっときゃいいわけです(逆に言えば,「お年寄りなのにすごい」と言われて嬉しいのなら,もう立派な年寄りってこと).

 でも,実際のレベルは,若い現役選手には遥かに及ばないわけで,でも,そんなこともどうでもいいんじゃないですかね.じゃあ,結局,自己満足じゃんってことですが,それでいいじゃないですか.何度も書いているように,他者評価なんかより自己評価が大事なわけですからね.

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[ようやく(今頃)名刺を作りました(笑)]
(大学)

 こっちに来て2年近くになるんですが,ようやく(今頃)名刺を作りました(笑).

 この2年間,新型コロナの感染が広がってる状況で,仕事はほとんどオンラインだったので,対面で誰かに初めて会って名刺を渡すこともそんなになかったということもありますが,単にめんどくさかったのかな.

 実際,何度かそういうことはあって,すいません,今切らしてましてって感じで乗り切ってきたんですが,さすがにそろそろ作らないとやばいって感じになってきました.でも,ロゴをダウンロードして,前任地のものをちょちょっと修正しただけですけどね.

 うーん,でも,名刺を見ると,京都大学防災研究所教授って書いてあります(当たり前か).でも,ほんとかなーというか,客観的に見れば○○○のかもしれませんが,正直,何か違和感ありますね.ていうか,単なる肩書きの話で,ほんとどうってことないわけで,私自身そういうことはもうどうでもいいです(そういうこともあって,今まで名刺作らなかったのかも).

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[東京近郊の大学のどこに行きたい?]
(大学)

 昨日,寝るときに,何となく「東京近郊の大学」について考えました.もちろん,東京には東大があるわけですが,東大に行けるのは,ものすごく限られるわけで,じゃあ,それ以外だとどういう大学があるのかということです.

 でも,ここでは,受験の話ではなく,研究者の就職の話です.つまり,博士を出て,あるいは,(今はもうほとんどいないですが)修士や博士の途中で就職するとして,東京近郊の大学に行きたいと思ったらどこがいいかってことです.

 これは,私の実体験で,実際,東京近郊の大学がいいなと思いました.もっと具体的に言えば,当時,壁谷澤先生がおられた横国に行きたいと思ってましたし,助手をしておられた李さんがやめてポストが空きそうなことも何となくきいていました.

 そういう個別事情的なことをフラットにすると,東大以外だと東工大,横国,筑波,都立,千葉といったところでしょうか.でも,東工大は,やっぱり,ちょっと別格というか,少なくとも当時は,東大出身でも東工大の牙城は崩せないというか,東工大出身者しか行けない感じでした.早稲田もそうですかね(慶應にはまだ建築はなかった).逆に言えば,横国,筑波,都立,千葉は,東大のテリトリーで(こうしてみると,やはり,研究者になるなら東大に行くべしってことか),要は,この中のどこでも行きたいところに行けるのならどこに行く?って話です(笑).

 まずは,立地ですが,東京にあるのは都立だけです.これはやはり大きいんじゃないですかね.ただ,都立は,私が学生のときに東横線沿線のいわゆる「都立大学」から八王子(南大沢)に移転したんですが,それはそれでありというか,(当時は)キャンパスも綺麗で,京王線一本で新宿に出られるし,都心の生活費が高いごちゃごちゃしたところよりいいくらいでしょう.

 これは余談?ですが,都立は都立なので,当時は,国家公務員ではなく地方公務員,それも,(お金持ちの)東京都の職員なので,給料が国立より1, 2割高かったという話はきいたことがあります.でも,石原改革(改悪)のときくらいにそういう差はなくなってしまったというような話もきいたような気がします(真偽はよくわからない).

 そういう意味では,千葉も総武線一本で東京に出られるので(でも,実際は,総武線の鈍行で乗り換えなしで東京に来る人なんかいないと思いますが)立地は悪くないですね.横国は,何度か書いてますが,ちょっと不便です.最寄りの駅は(当時は)相鉄の駅で大学はそこから坂を登った山の上にありますし,東京に行くときは,その駅から一度横浜駅に出てという感じなので,大学から直接タクシーとかバスで横浜駅に行っちゃう感じですかね.

 そして,立地が最悪?なのは,やはり,筑波でしょう(実際,物理的に他の3つより遠いし,そもそも茨城だし).当時は,TXも来てないわけで,つくばに行くとしたら,東京駅から高速バスの一択でしたし,建研の講義とかで行くときは,建研が荒川沖からのタクシー代を出してくれるので,常磐線で行くって感じでしたかね.それに,つくばには,学生時代から何度も行きましたが,正直,あまり住みたい街ではなかったですからね.

 こうして書いてみると,当時,横国に壁先生がいらしゃったというような個別事情を除けば,行きたい順番は,都立→横国→千葉→筑波ですかね.でも,実際は,個別事情の方が重要なわけで,でも,都立には,当時は,西川先生,芳村先生,千葉には,村上先生,野口先生,筑波には,園部先生,松島先生,今井先生がいらっしゃいましたから,そういう意味では,どこもそうそうたるメンツで,結局,立地の話というか,そもそも,東京近郊の大学に行きたかったというのがそうですからね.

 ただ,これは,当時(30年前)の話で,具体的には,つくばにTXが来たことは大きかったんですかね.私がつくばに行ったのは2003年で,TXが来たのはその2年後なんですが,TXが来ることがわかってなかったら,つくば行ってないかもしれませんからね(笑).

 でも,そんなことより,やはり,一番重要なのは,学生の質ですよね.何度か書いていますが,こっちに来て,筑波大の(私の研究室に来てくれた)学生の質の高さをあらためて認識しています.じゃあ,都立,千葉,横国の学生がどうかですが,それは(実際に指導したことはないので)わかりません.でも,ちらちら漏れ聞くところによると...ていうか,京大でこんな感じなわけで,推して知るべしということでしょうか.

 つまり,都立,横国,千葉,筑波の中では,筑波が一番行きたくない大学(笑)だったんですが,結果的にラッキーなことになったというか,何がどうなるかわかんないってことなんですが,何となく予感はあったというか,正直,つくばの街には住みたくないけど,筑波大自体は,やりたいことできそうだし,結構いいんじゃないかという感じはあったと思います.

 でも,学生に関しては,ボーダー偏差値と平均,上位偏差値の話ではないですが,そういうことかもしれませんね.つまりは,各大学の学生の質というよりは,自分の研究室に優秀な学生が来るのかってことなわけで,そういう意味では,筑波大の工シスは「建築」ではないので,構造にも優秀な学生がどんどん来るというのがやっぱり大きかったんですかね.

 でも,京大でも結果を出してる研究室はあるわけで,つまりは,「建築」でも構造に優秀な学生が来る研究室もあるってことですよね.てことは,やっぱり,研究所ってのが問題ってことなんですかね.でも,優秀な学生が来る分,学務関係の仕事は大変で,それは筑波大時代もそうでしたから,結局,いいとこどりはできないってことですかね.

 そういう意味では,地震研も同じで,しかも,大学院からしか学生は来ませんからね.でも,他大学から優秀な学生が来ることもあるわけで,一方,京大は,院試のハードルが高いので,他大学からほとんど来ないのは問題だとは思いますね.

 とか言っててもしょうがないので,与えられた条件下でやるしかないのですが,学生だって少なくとも京大には受かったんですから,無能ってことはないというか,ほんとは優秀なんでしょうし(そう信じることも大事),できる範囲でできるだけのことをするしかないし,それでだめならしょうがないってことでしょう.

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 じゃあ,いっそのこと東大だったらどうでしたかね.ていうか,実際,博士を出て地震研に就職したわけですからね.でも,何度か書きましたが,東大の先生って,やっぱりいろいろ大変だと思うんですよね.

 私がいたのは助手時代ですが,それでもいろんな委員会に入れられて(入れてもらって),毎月のように〆切があって,その度に計算して報告書作ってって感じでしたからね.

 偉い先生になると,実働部隊ではなくなりますが,委員会の数は半端ないですし,学界全体のとりまとめとか,業界との付き合いとか大変で,私にはとても務まらなかったと思います(やっぱり,なるようになってる).

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[確定した]

 自分の正直な気持ちというか,ほんとはどう思っているかを伝えたのはよかったと思いますが,何か大きなものを失った感じはしますね.いや,既にどこかの時点で失っていたけど,それを何となく先送りにしてきて,ようやくそういうことに気づいたというか,「確定した」ってことですかね.

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[全然弾けてなかった]
(ピアノ)

 ピアノなんですが,最近,あらためて思うことが多くて,それは,簡単に言ってしまえば,結構弾けるつもりでいたけど,その実,全然弾けてなかったってことですかね.ていうか,よくこんな状態で人前で弾いてたもんだと思うくらいです.

 でも,じゃあ,これからはちゃんと練習して弾けるように,とは思わないわけで,ほんとどうしようもないんですが,弾く気になるのなら,まあ弾くんですかね.

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9/22'22
[大躍進?]
(大学)

 東京近郊の大学で,行きたい順番は,都立→横国→千葉→筑波だったと書きましたが,これは,30年前の話です.しかも,「東京近郊」という立地から考えた場合で,いろんな個別事情も入っていません.でも,そういうのを全部含めても,横国→都立→千葉→筑波ですかね.

 つまり,筑波の最下位(笑)は変わらないのですが,そもそも,当時は,つくばは東京近郊という感じじゃなくて,地方に近いというか,しかも,陸の孤島って感じでしたよね(陸の孤島というのは今でもそうか).

 じゃあ,今ならどうかですが,TXが来てるということもありますが,そういうことを除いても,学生の質とかいろんな条件とか考えると,筑波→横国→都立→千葉ですかね.つまり,筑波がこの30年で大躍進?したことになりますが,これって何なんですかね.

 もちろん,実際にいたので実情がわかったってこともありますが,やはり,「建築」じゃないので構造に優秀な学生が来るとか,講座制じゃないのでやりたいことができるとか(ただし,これは准教授時代はいいけど教授になると...),東京から(距離は)離れているので余計な仕事に巻き込まれにくいとかいろいろあって,そのどれもが筑波大の特殊事情ということに気づかされるわけで,一種「特別なところ」なのかもしれません.

 まあでも,住めば都じゃないですが,勝手にそう思ってるだけかもしれませんね.でも,それはそれで大事なことだとは思いますけど.

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9/23'22
[祝日取引開始]
(運保)

 今日は祝日なんですが,いつもと違うというか,具体的には,大阪証券取引所と東京商品取引所での祝日取引が始まりました.日本は祝日でも海外の市場は普通に開いてるわけで,日本は祝日が多くてほんとうざいというか,GWなんか最悪で,何とかしろとずっと書いて来ました.

 と言っても,株式市場が閉まってるじゃ話にならないんですが,資保で商品先物は,がっつりやってますし,大阪証券取引所でもマザーズ先物をやってますし(でも,マザーズ先物は,日本株の状況で売りか買いかを判断しているので株式市場が開いてないと意味ないがマザーズ先物自体は売買できる),海外でもVIX指数先物やNasdaq100指数先物もFXもがっつりやってるので,気づいたらあとは日本株だけってことで,祝日も大分(めでたく)平日に近い感覚になった感じはします.ていうか,こんな感じじゃ,日本株,どんどん取り残されていきますよ.

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[誰とも関わることなく一人で生きて行きたい,そして,それが楽しい]

 誰とも関わることなく一人で生きて行きたいというかそうしてる,そして,それが楽しいという人がいました.まだ20そこそこで,もちろん,どうやって食べて行くかということはあるんですが,それは何とかしてるみたいで,つまりは,それが何とかなるのなら,本質的にそうしたいってことです.そして,若い人にそういう人,増えてるんですよね.

 その人がそういうことを言った時,回りにいた人は,驚きというか,考えられないって感じだったんですが,私は,もちろん,そこまでではないですが,わからないでもないというか,定年で仕事をクビになれば,否応なしにそうなってしまうので,そういう状況に適合しないといけないというか,そうだったら(誰とも関わることなく一人で生きて行きたい,そして,それが楽しかったら)いいな,つまり,羨ましいとも思いました.

 うーん,でも,どうですかね.退屈しのぎ力じゃないですが,一人で自活できて,一人で楽しく退屈しのぎできれば,無敵だとは思いますが,付き合って楽しい人とは付き合いたいとは思いますよね(凡人).

 でも,逆に言えば,付き合いたくな人とはもう付き合いたくないとも思うのですが,こっちが付き合いたい,付き合いたくないと思っても向こうがどう思うかはわからないわけで,なかなか難しいんですが,私がつき合いたくて向こうも付き合いたいと思ってくれる人とだけつき合って行けば,結果的に「一人,時々,みんな」になるんですかね.

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[よかったんじゃないですかね]
(政治)

 A倍さんのK葬ですが,結果的にはよかったんじゃないですかね.

 もちろん,A倍さんがああいう形で亡くなったのは,ほんとに痛ましいんですが,それとこれとは関係ないわけで,じゃあ,なんでK葬までやるかというと,生前の彼の偉大な?実績を評価してってことなんですよね.

 でも,蓋を開けたら,彼のK葬に反対の人の方が圧倒的に多い,つまり,彼のことを評価してない人の方が圧倒的に多かったわけで,J民党は,彼は偉大だと思っていたけど,とんでもない思い違いだったわけで,それが白日のもとにさらされたというのは,よかったんじゃないですかね.

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[また滑り込もうとしてる]

 (仕事に関しては)30代に思うように行かなくて,30代後半になって,その後,筑波大に移って何とか一仕事できて,人生が実質終わる前にぎりぎり滑り込むことができたと何度か書きました.そして,また「滑り込もうとしてる」気がします.

 どういうことかと言うと,何度かこのサイトに書いているように,学生は研究しないし,いろいろめんどくさい仕事もめんどくさいし,もう大学をやめたいという感じで,もちろん,別にやめなくてもいいんですが,それってもうあと○年ってことがあると思うんですよね.

 つまり,こういう状況でまだまだ先が長かったらしんどいというか,ほんとにやめてたかもしれませんが,あと○年ということで何とか頑張れるかもしれませんし,ほんとにやめたとしてもまあ何とか格好は付くというか,またまた何とか滑り込めそうって感じでしょうか.

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 関係するのかもしれませんが,とにかく学生が研究しないので,だったら,ばんばん落とすしかないのですが,落とすのにも証拠が必要なので(私の指導不足ということにならないように),ほんとにめんどくさいのですが,こうなったら,がっつり管理するしかないと思いました.具体的には,毎週報告させてそれを毎回評価して,その累計が最低基準に達しなかったら落とすということです.

 そんなことしなくても,普通にやるくらいはやるだろと思っていたのですが,ほんとに考えが甘かったというか,京大生を買いかぶり過ぎてたというか,とにかくあまりにスタンダードが低くて,そういう雰囲気が(学生にも教員にも)蔓延してるのに正直驚いています.

 もちろん,落とすことが目的ではなく,そうすれば少しはやるかというか,ほんとめんどくさい話なんですが,いつまで経っても全然研究が進まなくて,〆切間際になって,しんどい思いをするくらいなら,普段からめんどくさいことやった方がましってことですかね.そして,やるならもう徹底的にやるしかありません(でもほんとめんどくさい).

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[いいことがあるとかうまく行くというのも危ない]

 更に関係するのかもしれませんが,ご褒美は危ないということもありますが,もっと言えば,いいことがあるとか,うまく行くというのも危ないと思うんですよね.

 すぐに思いつくのは,大学院を出て地震研に就職したときで,小さい頃からのやりたいことを見つけてそれを仕事にするという夢を実現したわけで,でも,その後,どうなったかということなわけです.

 ここに来たのもそうだとすると,まさに危ない話だったわけで,実際,学生が研究しないとかいうことになってるわけで,でも,逆に言えば,そういうよくないこと,うまく行かないことが起こってるってことは,もういいことがあるとか,うまく行ってるという危ないことではないのですから,今のこの状況でどうするかってことなわけです.

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[いろんな催眠状態が解ける]

 50くらいのときに実質人生が終わり,あと○年で定年,そして,そこから○年で完全に人生が終わるという段階に来て,いろいろ気づくというか,目が覚めるというか,いろんな催眠状態が解ける感じはしていて,逆に言えば,そういうものがなかったらここまでやってくるのは難しかったとも思うわけで,そういう意味では,最近の若い人達の中には,気づくのが早い人も多くて,なかなかしんどそうな感じもするのですが,見方を変えると,若いときからもっと実質的な人生が送れるような気もします.

 いろんな催眠状態というのは,いろいろあって,私は,そういうのはなかったんですが,お金とか社会的地位とかの報酬的なものもありますし,自己実現とか向上心とかいうのも,その実,なんなん?って感じもするんですよね.食欲とか性欲とかも,結局,人類繁栄のためってことですしね.

 じゃあ,結局,何が残るのかですが,やっぱり,やりたいこと(して死ぬまで退屈しのぎする)というか,そういうものしか残らないんですかね.

 愛はどうなんですかね? 性欲は,上で書いた通りですが,それを超える愛というか思いはあるとは思います.でも,これも人間関係と同じで,自分が思っても相手に思いがなければどうしようもないというか,愛としては成立しても,相手に思いがなければ,相手にとってはいい迷惑なわけですからね.

 でも,こうして考えてみると,催眠状態の方がよかった気もしてきますが,覚めたものはしょうがないというか,そういう中でやって行くしかないですね.

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[退屈しのぎを見つけた]

 それが何かは書きませんが,退屈しのぎを見つけた感じがします.再発見的なことではあるんですが,定年で仕事を失ってもずっとやって行けるような気がします.

 でも,「それが何かは書きませんが」とか書くと,あとで読み返した時に何のことかわからなくなることが多いんですが,そういう場合,思い過ごしだったってことで,逆に言えば,そうでなかったら,ほんとに退屈しのぎを見つけたってことでしょう.

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[そんなに好きならずっといっしょにいたいかというと]

 これも何かで誰かが言ってたんですが,好きな人がいて何とかしたいってことで,じゃあ,何とかなったらどうするかってことで,そんなに好きなら(結婚とかして)ずっといっしょにいたいかというとそうじゃないみたいで,週一でも多くて,月2, 3でいいと言ってました.

 そう思いますね.どんなに好きでもずっといっしょにいたらそうじゃなくなるというか,「家族」にはなっても,「好き」ではなくなると思いますからね.

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[悪食]
(体)

 健康や体にいいことをしても体によくないことをしたら全く意味なしってことで,体によくないことを,平たく言えば,酒と煙草と食べ過ぎと書きましたが,食べることは,食べ過ぎだけではなく,添加物まみれのコンビニ食とかインスタント食とかチェーン店食とかファミレス食とか,寝る前に食べるとか,栄養のバランスの問題とか,血糖値が急上昇する食事とかいろいろありますよね.

 でも,これじゃあ長いのでそういうのを短く言うとどうなるかなと思って「悪食」と呼ぶことにしました(この記事も書き換えました).

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[運動は体に悪い]
(体)

 健康のために運動しましょうとか言いますけど,ほんとですかね?

 私がスポーツをしていたのは,健康のためではなく,スポーツをしたかったからで,健康のことを考えたら,スポーツなんかしない方がいいでしょう.

 いや,適度なスポーツや運動なら体にいい? 具体的には,1日1万歩歩きましょうとか言いますが,そんなに歩く必要ありますか? 体は消耗品なわけで,無理してあんまり動かさない方がいいのでは?

 いろいろ,データはあるんですが,どれも怪しいというか,運動以外の部分を基準化できてるとは思えないんですよね.ていうか,これも健康や体にいいことをしても体によくないことをしたら全く意味なしと同様,運動なんかするより,体によくないことをしない方が重要でしょう(運動してるから大丈夫と思って,体に悪いことしたら逆効果).

 人間も動物なんだから,体を動かした方がいいって論理もおかしくて,今時,歩き回って狩りをしたり,敵から走って逃げる必要なんかありますか?

 年寄りだと普段から歩いてないと,足腰が弱って歩けなくなるというのも変な話というか,別に1万歩も歩けなくてもいいわけで,それこそ,自分の家の中を安全に移動できて,近くに買い物に行ける(遠くに行くときは車や電車が運んでくれる)くらいで充分でしょう.

 でも,全く動かさない,具体的には,一日中座りっぱなしなのは,体にいいわけありません.実際,体調も悪くなるわけで,盲目的に体にいいと言われていることをするのではなく,そういう「実現象」が重要だと思うんですよね.でも,だったら,時々,立ち上がって体操すればいいわけで,その時,どのくらいの負荷をかけるのがいいかってことはありますかね.

 例えば,無重力下に長時間いた宇宙飛行士が地球に帰ってくると,自力で立ち上がれなくなるってことはあるわけで,筋力を維持するには,ある程度の負荷は必要でしょう.そういう意味では,歩くのは,負荷が小さいということもありますが,関節を大きく曲げないので,筋力の維持には,そんなに効果はないと思います.

 なので,しばらく座っていたら,時々立ち上がって,関節を大きく曲げてある程度負荷をかける体操のようなことをするってのがいいんじゃないですかね.

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9/24'22

 「運動する」弊害としては,運動すれば,それなりに体を痛めるということもありますが,問題は,それが「短時間」ってことだと思うんですよね.

 例えば,毎日1時間ウォーキングをしてるとか,週に3回,2時間ずつジム通いをしてると言っても,前者なら残りの1日23時間,後者ならジムに行く日は,残り22時間,行かない日は,24時間丸々何してんのかってことです.そこで,だらーっとしてたり,体に悪いことしてたら本末転倒ですよね.

 そうすると,毎日一日中体を動かすようなことになるんですが,運動はもちろん,歩くこと,あるいは,立ってることさえ厳しいので,もっと強度が低いことということになります.宇宙飛行士が自力で立てなくなる的には,地球にいれば重力は24時間かかっているわけで,そういうようなことでしょうか.

 ただ,ドラゴンボールのように重力はコントロールできないので(笑),人為的にそういう状況を作り出す,つまり,しばらく座っていたら,時々立ち上がって,重力の何倍くらいの負荷がかかって関節を大きく曲げるようなことをするというのがいいような気がします.家事とか仕事で毎日一日中歩き回ってるのなら,それでもいいと思いますが,関節が大きく曲がってある程度の負荷がかかってるか(例えば,しゃがむとか,肩関節を大きく動かすことがあるかとか)に注意する必要があります.

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[どれだけ手間暇をかけて面倒を見るか]
(大学)

 「学生が研究しない」の件ですが,考えてみたら,毎週報告してもらうというのは,筑波大時代にもやってたわけで,それがこっちに来て(回りがそういう感じなので)月2になって,でも,月2だと今回は進んでませんってなるともう翌月になってという感じで,いつの間にか数ヶ月もの間,ほとんど進捗がないということになってたわけです.

 もちろん,やることをちゃんと指示してもやらないのなら落とすということでもいいのですが,どうしようもない内容でも卒業させるということは絶対にしないので,それなら,私自身がやるだけのことをやったのかとは言えるわけで,結局,これって「どれだけ手間暇をかけて面倒を見るか」ということなわけで,大学4年生や大学院生にもなってそこまでしないとやらないのかとは正直思いますが,それが実態ってことでしょう.

 つまりは,学生に研究してもらいたかったら,ちゃんと面倒見ないといけないってことなんですかね.もちろん,私は,私がやりたい研究を学生にやらせているのではなく,研究するのは学生自身の成長のためだと思ってやってますが,面倒を見るのがめんどくさいなら,学生をとらなきゃいい(実質的にそうすることはできる)わけで,逆に言えば,学生を受け入れた以上は責任はあるわけで,ほんと普通にちゃんとやれよとは思いますが,私自身もある程度以上のことはしないといけないということでしょう(それでもやらなかったら落とすしかない).

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[不快なことがあっても何か意味はある]

 先週,アマゾンから荷物が大学に届くはずだったのですが,休日で届かず,そしたら,再配達の設定がまた休日で,大学なんやから休日開いてないのはわかるやろという感じですが,しょうがないので,平日に再配達の指定をし直したら何と届かず,とうとう返品処理になってしまいました.

 アマゾンの配送は他の配送会社よりもいい加減ではあるんですが,こんなことは初めてです.でも,こういう不快なことがあっても,何か意味はあると思うんですよね.

 一つは,クリック一つで荷物が届くなんてことがどうかしてるというか,そんなことがいつまでも続くと思うなということはあるかもしれませんね.アマゾンだって,AWSで儲けるんでもうECやめますってなるかもしれませんしね.つまりは,こういう便利な世の中になったんだから田舎に住んでもOKと安易に考えない方がいいということかもしれません.

 あとは,頼んだ品物ですが,ほんとに必要なのかなとも考え始めました.それが何かは書きませんが,もうやめろってことかもしれませんね.

 ということで,只では起きないのは,いつものことですが,考えるきっかけをもらえるのは,それはそれでありがたい話なわけです.

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[集中力がない 感覚的にできない]
(ピアノ, バドミントン)

 ピアノですが,やっぱり,弾けなくなってる気がします.

 指が動かない(どこかで書きましたが,左の小指を痛めてから左の345がうまく動かせない)ということもありますが,それより集中力というか脳的なことの方が大きい気がします.具体的には,感覚的に弾けないというか,すごく集中して意識しないとミスタッチがなくならなくて,でも,集中できないのでミスタッチがなくならないという感じです.暗譜しているのに突然わからなくなることも増えた気がします.そういう状態で音楽的なことに集中するのは難しいです.

 そして,こういうのあったなと思ったのは,バドミントンです.こう動けばスムーズに動けるということはわかっていて,実際,そういうことを意識すると劇的に動けるのですが,集中力がなくてその意識が持続しないので動けない,つまり,そういうことを感覚的にできなくなったということとよく似ています.

 こんな感じでどんどんだめになって行くんですかね.でも,うまく弾けなくても,プレーできなくても,やりたいのならできる範囲でやることはできるってことなのでしょうか.

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9/25'22
[何を今更]

 歳をとって,いろんなことができなくなって,こんな感じだと,もう人生なんかつまらないと(普通だと)なるんですが,哲学的には,人生所詮退屈しのぎ,即ち,もともと人生なんかつまらないものだったわけで,何を今更ってことでしょう(若い時は,いろいろ楽しいこともあったんですが,たまたまというか,バブルみたいなもんだったってことでしょう).つまりは,そういう状況を受け入れて,できる範囲でつまんなくなくするってことなわけです.

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 ピアノに関して言えば,弾ける曲を弾ける範囲で弾けばいいんですが,じゃあ,技術的に易しい曲を弾けばいいかというとそんな単純な話でもなくて,それはそれでつまらないし,技術的に易しければ,ミスタッチは減るとは思いますが,なくなるわけではないし,易しい曲をはずしながら弾くくらいなら,どうせはずすなら,弾く気になるし弾いてて達成感もある難しい曲弾いた方がいいじゃんとも思うんですよね.

 でも,そんな感じだと人前で弾くことはもうできないと思うんですが,別に人前で弾かなくてもいいというか,そんなことより全体の99%を占める練習というか,自宅で普段弾くときの方がまさしく100倍(99%/1%)重要で,つまりは,弾けようが弾けまいが弾く気になる曲を弾けばいいってことですね.

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 ということで,もう人前では弾かないということでもいいんですが(そこにピアノあるのでちょっと弾いてみてというようなのに対応できるものはいくつかある),現実的には,ピアノプロジェはあるし,はっきり言って,ピアノプロジェのおかげで何とかここまでピアノを弾いてきたところはあるので,もうピアノプロジェには出ませんとは行かないですね.

 じゃあ,どうするかですが,難しすぎず易しすぎず,かつ,弾く気になるという微妙というか絶妙なバランスの曲を探すというのもあるんですが,もともと弾く気になる曲がそんなにない中でそれは至難な気がしますね.

 だったら,これまでのように難しい曲を弾けないまま弾いちゃうしかないってことですが,こういういろんな条件を考えて何を弾くかを考えるというのは,それはそれで楽しいものですし,ピアノプロジェだって,別に弾けるようにならないと弾いちゃいけないってことはないわけですからね.

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[「でなければならない」と思うからおかしなことになる]

 結局,「でなければならない」と思うからおかしなことになるってことでしょうね.

 人前で弾くのなら,それなりにちゃんと弾けるようにならないといけないというのもそうですし,スポーツだって,試合に勝たないといけないってことはなくて,それで普段の練習がしんどくなるくらいなら,そんなことより楽しく練習して,でも,楽しかったら練習するから結果的に試合に勝つってことですよね.

 学生が研究しないことだって,そうでなければならないと思う必要はないわけで,そんなの彼らの自由でしょう(でも,研究しなければ卒業はできないけど,それも彼らの自由).

 でも,彼らを預かった以上,できるだけのことをしたいと思うし,そうやって手間暇かけて面倒見れば,何かが変わると思いますし,それでも変わらなければ,落とすしかないし,それが彼らのためでしょう.重要なのは,そういう手間暇というか,学生の研究指導が私にとって楽しいかですが,それは楽しいので,だったらやればいいってことですよね.

 つまりは,結局,「やってて楽しいか」なわけで,ピアノだって,弾けるようになるとかならないとかは関係なくて,弾いてて(何とか)楽しければ弾けばいいし,楽しくなければ,やめればいいだけの話です.学生の研究指導も同じで,それ自体が楽しければ,やればいいわけで,大学をやめるときは,学生の研究指導が楽しくなくなる,あるいは,できなくなる時ってことでしょう(やめると食べて行けないのならやめることはできませんが,もうそういう状況ではないですからね).

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9/26'22
[現実的には]
(ピアノ)

 ピアノという各論的な話ですが,そもそも,練習すれば(でも実際は練習しないんですけどね)どんな難曲も弾けると思ってるのがどうかしてるんでしょうね.もちろん,そういう思って取り組むことは重要だし,無謀にも難曲を弾くことで上達もしたとも思いますが,現実には,練習すればどんな難曲も弾けるなんてことは(1日何時間も練習しないと)あり得ないことでしょう.

 なので,結局,人前で弾くのなら弾ける曲を弾くってことなんでしょうが,自分にとって弾きやすい曲とそうでない曲はあって,自分にとって弾きやすいのなら多少難曲でも弾けるかもしれない,そういう曲で弾く気になる曲を探す(のは大変だけど)というのが現実的ってことですかね.

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9/27'22

 あとは,やはり,指の柔軟性が落ちてる気がします.ピアノというか,指に限らず,しばらく座っていると関節というか体がこわばってストレッチというか体操的なことが必要なように,指も然りということでしょうか.

 対策としては,指のストレッチというのもあるんですが,フォーレのアンプロンプチュとかショパンの25の8のエチュードとかをさぼらずに弾いていくということですかね.というか,もっとそういうことに特化した曲を探した方がいいかもしれません.

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 そっか,これも体同様,一日中,中頻度中強度で動かし続ければいいんですね.

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(日記)

 気分が悪いということはないんですが,どうもなんか落ち着かない感じです.

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[専門外のものには手を出さない方がいい?]
(ピアノ)

 久しぶりにプロコフィエフのソナタを弾いたんですが何か違う.平たく言えば,よくわかんないけどなんか弾けるというか,弾いてて安心感が全然違う感じがしました.

 最近,弾けなくなってると感じているのですが,弾いてるのは,シューベルトやシューマンやショパンやフォーレやカプースチンとかで,カプースチンは,一応は近現代ですが,音楽自体は全然そうじゃないし,考えてみたら,ずっと近現代を専門というかそれを中心にやってきたわけで,弾ける曲を弾くではないですが,専門外のものには手を出さない方がいいということかもしれませんね.

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9/29'22
[東西格差]
(世の中)

 ぼちぼち出かける機会も増えてきたので,これまた今頃ようやくJR西の予約サイトに行ってみたんですが驚きました.めっちゃ不便やん.

 まず,サイトが3つに分かれてるんですね(JR東は,えきねっと1つ).会員制のEXPRESS予約を除いたとしても2つに分かれていて,問題なのは,どこに行くかによって使い分けないといけない(包含関係になってない)ということです.

 そして,なんと,東京より東,具体的には,東北,上越方面はネット予約ができないんですよ(福島に被害調査に行った時は窓口で購入).これに対して,JR東のえきねっとは,全国どこでも予約できるわけで,まさに東西格差なんじゃないですかね.

 じゃあ,えきねっとで予約すればいいじゃんとは行かなくて,えきねっとで予約した切符は,JR東管轄内でしか受け取れないので,京都から福島までの予約をしても切符を受け取れないのでは,事実上,予約できないということです.

 そもそも,JR東も西も東海も別の会社というのはわかるんですが,予約システムを別々に立ち上げるという非常に効率が悪いことになってるわけで,一体何をやってるんですかね.

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9/30'22
(このサイト)

 このサイトの読み返しですが,今は2006年あたりですが,めちゃめちゃ忙しくて体調も悪くてとにかくしんどそうです.バドミントンの競技力の低下に耐えられなくてやめてしまったのもこの時ですね.

 今はその時に比べたら体調は悪くないと思いますが,どうなんですかね.例えば,当時の私とバドミントンやったら,当時の方が全然強いんでしょうし,バドミントンやってないから,体がどうこうというのがわからないということもあるのかもしれません.

 あと,人生訓というか生き方的な記事もちらちらあるんですが,あんまり面白くないですね.今の私からしたら何を今更ということも多いですし,それはちょっと違うかなと思うこともかなりあります.

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[ノープラン(笑)]

 (若い頃の)私の人生プラン?としては,やりたいことを見つけてそれで飯を食っていく,つまり,やりたいことやって楽しく人生を過ごして行きたいということだったと思います.20くらいまでは,やりたいことを見つけるのに苦労して,何とか見つけて,それで飯を食っていくということをこれも何とか実現したと思います.

 でも,そこから先はノープラン(笑)というか,やりたいことやって楽しく人生を過ごして行ければよかったんですが,しっかり仕事をするというか,既存分野の研究をやればよかったのかもしれませんが,それがどうしてもできなくて,それは2つの意味があって,心理的にできないということもありますが,既存分野の研究というか,勉強とか受験と同様,「問い」が決まっているものに対して答えを出すという能力が低かったとも思うわけで,自分で「問い」を作り出す研究をしたということなんですが,それは,決まった「問い」に答えるより難しいとは思うんですが,私の能力というか特性がたまたまそうだったというだけのことでしょう.

 で,ノープラン(笑)という意味では,人生プランについてもそうで,定年後どうするかとかも全く考えてなくて,就職した後,お世話になった先生方の退職記念パーティーとかに出て愕然とするみたいな感じでした.でも,だからどうこうするということもなく50くらいまで行ってしまうのですが,若い頃,大学の先生になろうと思った時は,何となく定年で大学を辞めても私立とかに行ってずっと働けるという感じではありました.実際,まだ10代で,楽しく仕事をする父を見て大学の先生になりたいと思った時は,父の大学(福大)は,定年は75というか,あってないようなものだったと思いますからね.

 でも,就職した後,そういう状況は急速に変化して,国立大学の定年が65に伸びると同時に,私立の定年も65に縮まって,いつの間にか,ずっと働けるという大学教員のアドヴァンテージがいつの間にかなくなってしまったんですね.そして,50くらいになって,人生が実質終わったと思うと同時に,定年後,どうやって過ごして行くか考えないといけなくなったわけです.

 でも,これって10代のときにやったことをもう1回やるだけの話で,つまり,やりたいことやって行きたいなら,そうすればいいだけの話で,しかも,働かないと食べて行けないという条件もはずれるのなら,願ったり叶ったりなはずです.でも,それはそうなんですが,あんまりそんな感じがしないというか,なんかしっくり来ないんですよね.

 研究を続けて行きたいとは思うのですが,社会との繋がりもなく,一人でやってもしょうがないというか,なんかつまんない感じがしてしまいます.

 でも,そうすると,10代のときにやったこと(やりたいこと探し)をもう1回やるということだと,他にやりたいことがあればということにはなりますね.そして,それはそれでやって行けそうな感じもしますが,それはそれで何かつまんない感じもするんですよね..

 まあ,現実的には,何らかの形で研究は続けていく一方で,それ以外のやりたいこともやるということで,これって今と大して変わらない気もして来るわけで,やっぱり,今の状態をどれだけ維持できるかってことなんですかね.

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