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8/1'22

 と書いたのですが,早速,そうでもないかもという気もしてきました(いい加減).なので,別に結論みたいなものを出す必要もなくて,その時その時,ある意味,てきとーにやって行けばいいんでしょう.

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[関西の方が「恵まれてる」]
(大学)

 なぜか最近受験の話題が多いのですが,「なんだかんだで学歴社会なのでいい大学行っておいた方がいい」くらいで大学行くなら,東大なんか行く必要はなくて,早慶とか旧帝くらいがいいんじゃねと書きましたが,早慶とか旧帝行くのは大変という言う人もいそうです.

 じゃあ,その次ってことなんですが,出身大学をきいて「いい大学」と世間が思う(学歴社会的考え方なので,実質ではなく,世間のイメージが重要)はどこかなと考えました(全く以てどうでもいい話).

 でも,私立文系ということだと,早慶の次はどこなんですかね? 明治? でも,明治って「いい大学」ってイメージなんですかね?(最近は人気あるみたいだけど) 少なくとも早慶とは,大分差があるんじゃないですかね.明治でそうなんだから,MARCHのそれ以外の大学はもっとですよね(私の頃の中央の法学部は割と有名だったけど,最近はあまりきかない).青学は駅伝が強い大学って感じだし,立教や法政はあまりいい評判はききませんね(ディスリまくり).

 上智というのもあるんですが(昔は外国語学部は有名でしたが(今でも?)),うーん,なんかびみょーな感じが..(私がよくわかってないだけかも).偏差値が高い的には,国際基督教大ってのもありますが,やっぱ,マイナーですよね.

 それで,気づいたんですが,関西の私大,具体的には,同志社,立命館,関西,関西学院ってイメージよくないですか? 少なくとも,明治よりは,イメージは全然上な気がします.でも,今は,偏差値は,明治より下なんですかね? てことは,これらの大学は,「なんだかんだで学歴社会なのでいい大学行っておいた方がいい」的に「お買い得」ってことになりませんかね.

 でも,関東の人間がわざわざこれら関西の私大に行くのも変だし,でも,関西の人間なら全然自然だし,関西に京大があるのもそうですが(しかも,阪大も神戸大もあるし),なんか関西の方が「恵まれてる」感じがしませんか?

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 (既に書いたと思いますが),これは私立文系に限らないわけで,国公立も関西は,京大,阪大,神戸大,大阪公立と「綺麗に揃ってる」のに対して,関東は,東大の次は,東工大と一橋と医科歯科なんですが,やっぱ,世間の知名度が低いですよね.それは,筑波,横国もそうですし,都立大に至っては,一時期,名前まで変えられちゃったわけで,どうしてそんなことになってんの?って感じですかね.

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[私には,そういう「チャンス」があった]

 立て続けに受験の話題ですが,福岡(市内)に進学校があったらと何度か書きましたが,灘とか筑駒とか御三家とか言われる中高一貫校から東大に入るのが王道だとは思いますが,逆の見方をすると,そんなところに行かずに,普通の地元の公立から行けるのなら,その方が理想というか,もっと言えば,格好いいとは思います.

 まず,言えるのは,やっぱ,中高男子校,女子校ってどうですか? 単純に共学の方が楽しくないですか? 私は,中学は私立の男子校ですが,高校は共学で,そんなにいろいろあったわけではないですが,それでも女子がいるというだけで楽しかったです.

 授業料も全然違いますよね.学校が何かしてくれるわけではないというのは,中間一貫校も公立も似たようなものですが(ただし,受験に対してで,そうではない教育指導の何かを期待するのはまた別の話),だったら,授業料が安い方がいいに決まってます.

 でも,普通の公立ってことは,遊びまくるわけで,東大に行くのは,最上位の極一握りなので,高校時代をどう過ごすかは,非常に難しいと思います.「敗者復活」と書きましたが,自分で選んだところもあるわけで,でも,そういう厳しい条件でやって行くわけですから,回りが遊んでるのを尻目に帰宅部で勉強一本というのはしんどいでしょうし,できたとしても,あまり格好よくはないですかね.

 でも,今にして思うのは,私には,そういう「チャンス」があったわけで,もっとうまくやれなかったかなあということでしょうか.でも,ブラスは楽しかったんですが,授業を受けないといけないのが苦痛で,放課後のブラスの練習のために学校に行ってたようなもので,でも,ブラスも途中でやめちゃったわけで,かと言って,勉強するわけでもなく,ピアノも含めて,音楽はいろいろやってましたが,そればっかりってわけではなかったでしょうし,ほんとに一体何をしてたんだろうと思いますね.

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 でも,そんなどうしようもない奴だったってことで,まあしょうがないってことですね.そして,それは,なんと今に至るまでずっと変わらないわけで,こんなどうしようもない奴が何とかここまで何とかやってこられたわけで,よしとしないといけないということでしょう.

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 高校時代,ほんとに一体何をしてたんだろうと書きましたが,ブラスをやめた後は(も),ピアノを弾いたり,いろんな音楽を聴いたりしていましたが,いろんな本を読んでいたことを思い出しました.ぱっと浮かんだ情景?としては,高一の真冬(1月くらいか)で,一番左の窓際の列の前から何番目くらいの席で,左の窓からすきま風が入ってくるような感じで,窓から外を見るとどんより曇っていて(福岡の冬はそんな感じ),授業中,安部公房の砂の女を読んでいたのがフラッシュバック?しました.

 砂の女ということは,その後,安部公房のいろんな(退廃的な)小説(箱男とか密会とか)を読んだわけで,大江健三郎とか,当時の最前線の(訳のわからない)ものをいろいろ読んだと思います.

 本を読むのは,結構,時間がかかりますし,そういう意味では,音楽を聴くのもそうですね.そして,そんなことしても,受験には何の役にも立たないわけで,でも,ピアノを弾いたり,音楽を聴いたりするのは,そうしたいからするんですが,本を読むのは,読みたいから読むというよりは,読まないといけないから読むという感じで,それは,父親に本を読めと言われていたということはありますが,そんなの無視すればいいわけで,どうして(勉強そっちのけで)そんなに本を読んでいたのかは,今となってはよくわからないですね.

 でも,本を読むというのは,当時の私にとっては,勉強しないといけないということと同等か,それ以上のやらないといけないことだったわけで,それがその後の私に大きな影響を与えたと言いたいところですが,全く以てそんな感じはしません(が本人がそう思ってるだけかもしれません).

 この「本を読む」というのは,30くらいまで続いたと思いますが,ある時期から,逆にほとんど本を読まなくなったことは何度か書きました.というか,読まずに書くようになったってことで,てことは,40くらいからってことですかね.

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8/2'22
[そんなの過去の話]

 どうしようもない奴なので,しょうがないってことだけど,何とかここまで何とかやってこられたので,よしとしないといけないというのは,そうなんですが,そんなの過去の話で,これからもそんなにうまいこと行くとは限らないわけで,でも,この期に及んで人が変わるわけでもなく,これで何とかやって行くしかないんですが,そんなに生い先ないかもしれないことも含めてもうこのまま何とか最後まで行けちゃうかもしれないわけで,そうがどうなのかってことですかね.

 これまでは,働かないと食べて行けないとか,それなりの責任があればいい加減なことはできないとか,いろんな人間関係の中でそれなりに行動するとか,必要とされれば応えたいと思うとか,いろいろ縛りはあったわけで,でも,そういう縛りが一気に解けるとどうなるんやってことでしょうか.

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[エチュード考4]
(ピアノ)

 10-5まで来たんですが,次は10-6ではなく,「エチュード考」ということで,エチュードについて考えてみると,単なる技術練習を超えた音楽を作るってことなんですが,それでもそういう要素はあって,それを逆に利用して音楽を作るということがあるわけです.

 具体的には,10-1は,10度とかのアルペジョで曲を作ったってことですし,それは他の曲もそうで,そういう意味では,10-3とか10-6とか10-9とか25-7とか表現の練習をする曲もそうですが,10-4とか25-5とかもエチュードっぽくないと言えますかね.

 じゃあ,どういう技術練習要素を使うかってことですが,そういうことの一つに「○度のエチュード」というのがあります.つまりは,○度離れた音程の2つの音の連続で音楽を作るとともに,その音楽を演奏する技術練習ということで,具体的には,25-6(三度),25-8(六度),25-10(八度)ですね.

 八度は,オクターブなので,取り立てて取り上げる斬新さはないですが(リストの多くの曲はまさにオクターブのエチュードだし.例えば,こういうのとか↓),

 三度と六度は,やはり,特徴的で,しかも,これらは難曲,特に,25-6の三度のエチュードは,ショパンエチュードの中の最難曲でしょう.

 でも,技術練習の汎用性という観点から行くと,25-6が弾けるようになっても三度が弾けるようになる以外にそんなにメリットはない気がしますし,そもそも,25-6自体が他の曲より圧倒的に難しいわけで,順番が逆ですよね(25-6が弾けるようになるための練習曲が必要?).

 そういう点では,25-8は,汎用性があると思っていて,それは,345の練習にもなるし(そういう意味では,三度は,12と45の二重トレモロ的だが,手をかなり小さく畳まないといけないのでちょっと特殊),スケールとかアルペジョのように一定方向ではなく指を動かすことの非常に高度な練習になると思うからです.実際,ビューローだったと思いますが,この曲を「練習曲」として絶賛していて,演奏会前に必ず○回(8回だったと思うけど忘れた)弾くようにしているとどこかで読んだような気がします.

 超難曲として何度か紹介したブラームスのパガニーニヴァリエーションも,最も難しいとされる第1, 2変奏は,左右の六度や三度のエチュードなわけです.

 そして,この「○度のエチュード」ですが,ドビュッシーのエチュードにしっかり引き継がれてるわけで,具体的には,三度,四度,六度,八度のエチュードが書かれています.

 三度のエチュードは,ショパンのそれと比較すると断然弾きやすい感じがしますが,まあ,それはテンポの問題かな.

 番外編?としては,何度か紹介したプレリュード第2集の交互三度ですが,これは,三度の練習ではなく,腕の動きですね.

 三度のエチュードという意味では,カプースチンのOp.40の8つの演奏会用練習曲の7番の後半もそうですね.

 カプースチンは,Op.40以外に「○度のエチュード」を書いていて,具体的には,Op.68の異なる音程によるエチュードで,第1曲と第4曲は,何と二度のエチュードですが,二度はジャズでよく使われるので,音楽的なことも技術的なこともありますかね.

 「○度のエチュード」は,ラウタヴァーラも書いていて(Op.42のエチュード),これは,第1, 4, 5, 6曲をファミーユで弾きましたし,第1曲はレパートリーというか,今でもいつでもどこでも弾けると思います(ただし,その場でいきなり弾くと少し長いので中盤をカット).

 でも,このラウタヴァーラの「○度のエチュード」は,ちょっと変わってて,というのは,「三度のエチュード」は,三度離れた2つの音を連続して弾くのではなく,三度のアルペジョや和音を弾くというもので,それは,「四度のエチュード」もそうです.

 でも,「二度のエチュード」は,二度のエチュードなんですけどね.と言っても,これも二度の響きを使って曲を書いたという感じですかね.ていうか,三度や四度のエチュードのコンセプトで,二度のエチュードを弾くとスケールとかクラスターになっちゃうし(笑).

 この「○度のエチュード」ですが,はっきりそう明記してなくても,よく出てきて,例えば,スクリアビンだと,Op.8の6番は六度,9番はオクターブ,10番は,三度と四度のエチュードですし,Op.65の1, 2番は,何と九度, 七度のエチュードで(3番は一応六度),スクリアビン後期の独特の響きがします.

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(野球)

 ヤクルトの村上は今日も打って,5打席連続本塁打で,何と新記録だそうです.

 そうだっけ? なんか意外ですよね.王とかバースとかホーナー(現役バリバリのメジャーリーガーが来たと大騒ぎになって,実際,打ちまくった)とか打ってそうですけどね.

 「四球を挟まずに」とあるので,じゃあ,「四球を挟んだ」場合はどうか調べてみたら,これも4連続がこれまでの最高らしいです.

 益々以てすごいですね.

 ライオンズは,今日も勝って,2位と少し差が付きました.このまま独走して優勝してもらえませんかね.いや,実質「1位通過」に成り下がった優勝はもういいので,シリーズに出て日本一ですかね.

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[合格者平均偏差値]
(受験)

 大学や高校ランキングの実情ですが,偏差値とかのデータというか数字だけ見ているから実情と乖離していると書きましたが,一方では,やっぱり,データとか数字は大事と言う人もいるでしょう.

 ということで,「合格者平均偏差値」というのがあるそうです.予備校が出しているのは「ボーダー偏差値」で,偏差値がいくつなら合格できるかなんですが,これは,実情を現してなくて,なぜなら最下位学生のレベル「だけ」を見ていることになるからです.

 でも,大学のレベルとしては,学生全体を見るべきですし,もっと言えば,世に出て活躍するのは,最上位層なわけですからね.でも,最上位はデータがないので,せめて全体,つまりは,「ボーダー偏差値」より「合格者平均偏差値」で見るべきということでしょう.

 そうするとどうなるかと言うと,ボーダー偏差値では,千葉大は九大より上らしいですが(というのも驚きですが),合格者平均偏差値だと,やはり,九大が上で,それは,九大より偏差値が上の東京近郊の大学に行ける学力があっても,地元にあるということで九大に行く人間は結構いる(仮に千葉大が九大より偏差値が上だとしても,千葉大に受かる学力の学生が九大ではなく千葉大に行くことはまずない)わけですからね.

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8/3'22

 そもそも,予備校が出す偏差値って,要は,自分の予備校が実施した模試の結果と合否の追跡調査から出してるわけですよね.じゃあ,模試の実施時期は? その予備校の模試ってどういう問題?ってことになるわけで,入試本番の1年とか半年前とかでは,現役で直前に急激に成績を伸ばす場合も多いわけですし,そもそも,全ての大学をその予備校の模試という全く同じ(易しい)問題の点数を基に評価するのでは話になりません.

 だったら,センター試験(旧称)で比較すればいいやんってことになって,そしたら,各大学で2次試験(旧称)やる意味なんかないわけで,でも,実際は,東大は,センター試験は,ほとんど無視で,ほとんど2次試験で決まるわけで,でも,半分とれば合格というバリバリの記述式の難問なわけで,しかも,偏差値自体も自前の易しい模試を基にして,かつ,入試より大分前に実施されたもので,さらに,合格平均偏差値ではなくボーダー偏差値なわけで,ここまで来るともうほとんど意味のない数字に近いわけです.

 でも,データとか数字がなければ「分析」はできないわけで,逆に言えば,どういうデータや数字にするかが超重要なわけなんですが,少なくとも各予備校が出す大学ランキング?にほとんど意味がないのは明らかでしょう.

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[不都合なほんとのこと]

 相変わらず,YouTubeが受験ネタ動画をお薦めしてきてうざいのですが,例えば,さっき見たら「東工大 vs 早慶理工」というのが出てるんですが(タイトルは見えるけど動画は見ない),おそらく,予備校が出した偏差値とかを使った後,研究費とか論文数出して偏差値は近いけど研究レベルはとかやるんでしょうが,実情がわかってる人間からすると,そんなの東工大の方が全然上にきまってるやんてなわけです.

 でも,それを明確に示すデータはない.でも,一つ思ったのは「取り組み」は使えるかもしれませんね.「取り組み」というのは何かと言うと,「東工大 vs 早慶理工」なら,東工大と早慶理工に両方受かった人間がどっちに入学したかという「データ」です(東工大と早慶理工と両方受かって,早慶理工に行く奴なんかほとんどいないでしょう).

 これは,時々見ますが(筑波大時代に見たことある.その時見た感じだと,早慶理工と筑波大工シスがほぼイーブンだった.でも,こういうのは授業料の関係で景気の影響も受けるけど,景気はずっとよくないので国公立優位の状況が続いている),あまり大々的に取り上げられることはなくて,それは,やはり,大きく取り上げられると困る人がいるからでしょう(予備校からすると自分達が出してるランキングがおかしいことを露呈することになる).

 今でも鮮明に憶えているのは,もう大分前ですが,東大と京大と両方受けられる時期が何年かあったんですよ(確かN工大のU村先生がそうだったような).そして,「取り組み」の結果は..(新聞の一面に東大理一と京大理の取り組みがでかでかと出た).そういう「不都合」もあって,僅か数年で終わったということもあるんでしょうね.

 何度も書いてますが,メディアの言うことは嘘ばっかりですし,世の中には,そういう「不都合なほんとのこと」がいっぱいあるわけです.

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[とにかく地道に働くこと]
(経済)

 今朝のMーサテでやってましたが,とある先進国の話で,新型コロナ対策で散々借金をして,新型コロナ明けでインフレになって金利が上がって,財政が火の車なんだそうです.これは,その国に限った話じゃないわけで,まさにここで書いた通りになって来たわけです.

 じゃあ,日本は?ってことなんですが,借金は,その国どころの話じゃないわけで,つまりは,金利が上がったらもう財政破綻するしかないわけで,なので,N銀は,いろんな変な理屈を付けて,とにかく必死でがんがん国債を買って金利を抑え込んでるわけです.でも,そんなことしても,いずれは弾切れになって力尽きる?

 そうならない方法が一つだけあって,それは,とにかく地道に働くことです.観光とかで左うちわで儲けようとかもってのほかで,経済効果とか言って,国内で目先の経済を回すのでは全然だめです.日本にはエネルギー資源がないわけですから,少なくともエネルギー資源を輸入する分,しっかり「もの」を作って輸出して外貨を獲得して行けば,円安はどこかで止まります(そういう意味では,観光も外国人を呼べば,外貨を落とすのである程度は効果がありますが,新型コロナを見ればわかるように,そういうことに大きく経済を依存するのは非常に危険).

 でも,金利は上げられないので,経済成長もしませんし,給料も上がりませんし,世界の中でも先進国とは言えなくなるでしょう.でも,物価も(そんなに)上がらないのですから,それでいいじゃないですか.

 給料が2倍になっても,ラーメン一杯3000円,都心のワンルームマンションが1億するのなら同じことなわけで,でも,円安になって,ものを作って輸出すれば儲かるわけで,そういう乖離も(しっかり働いてものを作って輸出して行けば)自然と解消されて行くものです.

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 何となくですが,そうやって地道にものを作って輸出していく一方で,諸外国はバブルとかインフレで経済破綻するわけで,もちろん,そうなったら日本も巻き込まれますが,意外と傷は浅くて済むかもしれないというか,先進国として生き残る道もあって,楽観的シナリオかもしれませんが,諸外国に比べれば,勤勉な国民が多い感じはしますからね.

 とにかく地道に働いて,ほんとに世の中に必要なものを作って輸出して行くのが大事なことに変わりありません.

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[「取り組み」]
(なんでも)

 両方受かったらどっちに入学するかという「取り組み」ですが,これでランキング作れるんじゃないですかね.具体的には,TOCKYとか言ったって,千葉大と横国と両方受かったらどっちに行くか考えれば答えは明らかなわけで,それを同じ分類にむりくり入れ込むのがどうかしてます(旧帝はランキング的な分類ではなく,単に戦前帝大だったということ).そして,「取り組み」から決まるランキングが,東大,京大,東工大一橋,東北阪大名大,九大北大筑波横国神戸早慶ということでしょう.

 そして,この「取り組み」ですが,いろんなものに使えると思います.例えば,ピアノで弾く曲リストを作ったとき,これを使いました.つまりは,弾く曲を何曲とかいう感じで選ぶのは難しいですが,この曲とこの曲だったら,曲の中身とか難易度とか練習効果とかを考えてどっちを弾くかと考えると割とすんなり答えが出るんですね.

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[納得した?]

 なぜ最近,(過去のことを振り返ってもしょうがないのに)受験のことを書いてるか考えてみたんですが,単にうまく行かなかったというだけではない何かがあるような気がしてきたということでしょうか.

 今の私にとって重要なのは,過去ではなく,これからの人生というか,これからどう過ごして行くかで,何度か書いたように,第一の人生で成功すると(仕事以上の生き甲斐を見出せず)第二の人生がうまく行かないということがあるわけです.で,私が仕事で成功したとするのなら,もうすぐ仕事を失うのは大問題なわけです.

 でも,私って仕事というか,第一の人生で成功したのかというと,大学4年で研究室に入って研究に出会うまでは全然だめだめで,たかが受験にすら失敗してるわけで,研究者になってからも30代は何をやっていいかわからず迷走したわけですし,全然第一の人生で成功してないじゃんってことでしょうか.

 でも,逆に言えば,第一の人生で成功すると第二の人生がうまく行かない的には,第二の人生,つまり,仕事を失った後,うまくやって行けるかもしれないと思うわけです.

 最近,時々見る受験動画ですが,中身はしょうもないものが多いのですが,しょうもないなりに得るものはあって,というのは,受験で成功した人,例えば,中高一貫の進学校や地方の普通の公立から現役で東大とか理三に受かった人の話とかきいてると,何か違和感があるんですよね.

 彼らは,東大に受かるという目標設定をして,そのために何をしたらいいかをちゃんと分析して実行してるわけで,やりたいことならやるけど,やりたくないことを自分を律してやることができない自分とは雲泥の差なわけです.

 でも,そういう彼らが社会に出てどうなったかですが,受験の時の成功体験から抜け出せないというか,要は,何かの問題を目の前にしたときに,自分で考えて何とかしようとするのではなく,調べれば答えがどこかにあるというような感じに見える人が多いんですね(逆に,社会に出て成功している人を見ると,むしろ受験で成功してない人や何か失敗してる人が多い感じがする).

 つまりは,第一の人生で成功すると第二の人生がうまく行かないように,第一の人生も成長期でうまく行くと活動期でうまく行かないようなことがあるのかもしれないということでしょうか.

 もちろん,成長期も活動期もうまく行ってる人もいますが,私のようなやりたいことならやるけど,やりたくないことを自分を律してやることができないような人間にそれは無理で,だったら,成長期にうまく行って,活動期で今一になるより,成長期はうまく行かなくても活動期でうまく行く方がいいわけで,結局,今以上の結果は望むべくもなかったということで納得したということでしょうか.

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 でも,中高時代,音楽とか本を読んだりとか部活とか,勉強以外にやることはいろいろありましたが,勉強が嫌でしょうがないということはなかったし,中一の冬のあたりで英語が面白くなって,参考書買ってきて,あっという間に中学の内容を自分で勉強しちゃったわけで,だったら,数学とか物理とかも,どうして,そうしなかったのかなあと思いますね.

 問題は,高校時代ですよね.中学の時のように塾に行ってたわけでもないし(そもそも,当時福岡にはそういうものはなかった),一体,どうやって勉強していたのかよく憶えてないんですよね.ていうか,勉強してなかったのかな(ただ,数学だけは,教科書の内容を見てもらってる人はいた).

 でも,年に何回か学年全体のテストがあるんですが,そこではそこそこ上位で,テスト前だけ勉強してたのかな.あー何となく思い出して来た.そのテストで手っ取り早く上位に入るには,英語とか数学とか国語じゃなくて,理科とか社会を勉強した方が簡単で,でも,そんなことやってたら,全然アウトですよね.

 これも思い出したんですが,高二くらいまでは,中二までの貯金で食ってる感じでしたかね.つまりは,貯金を食いつぶしてたわけで,高二の冬に,そろそろ勉強しないとまずいと思い始めた頃,父親が亡くなって,という巡り合わせで,でも,こうして見るとまさに自業自得という感じで,こんなことでは,成長期がうまく行かなかったから活動期がうまく行ったなんてことじゃなくて,活動期がうまく行ったとしたら,それが奇跡みたいなもんですね.

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 まあいいです.過去のことはどうでもいいというか,どうしようもないわけですし,問題はこれからですからね.

 でも,こういう自堕落な性格はこの期に及んでどうしようもないわけで,じゃあ,それでどうやって行くかですが,仕事を失うということは,仕事をしなくていいわけで,これって願ったり叶ったりってことじゃないですかね.

 でも,食べて行くというか,経済的なことは何とかしないといけないわけで,来るべき経済危機にも備えないといけません.

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8/4'22

 自分を律してやりたくないことができるかということはありますが,その人にとって何がモチベーションになるかってことは大きいですよね.

 受験について言えば,医者になりたいと思ったら医学部医学科に行かないといけないとか,直接的に結びついてるものもありますが,単に「いい大学に入る」みたいなこともあるんだと思います.実際,東大に入る,理三に受かるということがモチベーションになる人もいるわけで,どうして東大に来たのかときかれて,東大が日本で一番だからと答えるような人もいましたからね(それはそれで潔い?).

 受験に限らず,例えば,実力テストみたいなものがあって,成績上位者は貼り出されたり,模試とかもそうで,そういうので上位に入ることがモチベーションになる人もいると思います.

 私に関して言えば,研究者(大学の先生)になりたいとは思ってましたし,研究者(大学の先生)になるなら九大ではなく東大に行けと父親に言われてましたから,そういうのはあったと思います.でも,何の研究がしたいかは明確に決まってなくて(理系という確信はあったし,力学は面白いと思ったけど,力学以外の物理や素粒子とかの最先端の物理がすごく面白いというわけではなかった),そこが原動力になる感じではなかったですかね.

 「東大に行く」ということに関しては,九大でもいいやとは全く思ってなかったですが,コツコツ勉強するタイプじゃないというか,学校の成績で最上位にいなくても,最終的に受かればいいんでしょという感じで,なめまくってたんじゃないですかね(そして,手痛い目に会う.まさに自業自得).

 と,ここまで書いて思ったのは,怠け者ということもありますが,不遜というか,やればできると思っていてやらないというか,やっぱり,どうしようもない奴なんですが,実際,ものの見事に失敗するわけで,今の私から見てもざまーみろって感じですかね.

 でも,何となくですが,できるできないというか,やるやらないということも含めて自分の限界を思い知ったということはあるわけで,それは悪いことではなかったと思います.

 でも,それで謙虚になったかと言うと,何年かしてやりたいことを見つけると,そんなことはコロッと忘れて,懲りずに何度も失敗するわけで,結局,性格は変えられないってことで,そこはもうあきらめて,そういう中でどうして行くかを考えた方がいいってことですかね.

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 でも,逆に勤勉なことに対する憧れのようなものはあって,ちゃんと自分を律して計画的に勉強できていたらとは思いますし,それは,30代もそうで,自分のやりたい研究については,何をしたらいいかわからなくなったんですが,お仕事的な研究をしっかりやってそれなりの業績を積んで行くくらいのことがどうしてできなかったのかとは思います.

 でも,結果的に思ったような人生が送れたわけですから,ほんとに何がどうなるかわからないわけで,でも,そういうことだから,何かのために自分を律して何かをする意味を感じられないというか,結局,やりたいことやればいいじゃんってなっちゃうんですよね.

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 再三,失敗したと書いてるけど,(浪人したけど)東大入ってるし,研究者としても成功してるじゃんって言う人もいるかもしれません.

 うーん,でも,もっと成功できたというか,だめな時期が多すぎるというか,普通にちゃんとやってれば,もっと全然違ったと思うんですよね.

 と思う一方で,普通にちゃんとできないのが自分だったりするわけで,しょうがなかったと思うんですが,じゃあ,もっと成功したかったかと言うと全然そんなわけじゃないし,めんどくさいことはめんどくさいので,結局,まあOKってことですかね.

 でも,受験で成功したり,社会的に成功することは,大したことではなくて,それより,ちゃんとできなかったこと自体が心残り,ちゃんとできてたら結果が出たかもしれないというよりは,ちゃんとやった方がもっと楽しかったし,気分もよかったと思うんですよね(高三は,ほんとに暗澹たる気分で一年を過ごした感じ).

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[いい大学]
(世の中)

 最近の受験ネタで「いい大学」というフレーズが出てきますが,どの辺が境目なんですかね.世間的なイメージもありますが,「いい大学行って大企業に就職していい生活を送る」のなら,実質的なものも必要です(これからはそういう時代じゃない気もするけど,意外と変わらなかったりもするので,とりあえず「いい大学」くらいは行っとくか的なこと).

 さすがに旧帝,東工大一橋は入るとすると,九大北大と同じかやや上くらいの筑波横国も入れないといけないでしょうし,さすがに早慶ははずせないでしょうから,旧帝,東工大一橋,筑波横国神戸早慶までは問題ないですかね(でも,東工一橋筑波横国神戸の世間的イメージは微妙だったりする).

 単科系としては,医科歯科や東京外語もありますし(音大なら芸大,桐朋,国立かなあ.東京音大は躍進してるけど,武蔵野まで入れるとなると..),私立なら,国際基督教とか国際教養とか,名門というか「いい大学」ということなら,お茶の水も入れていいでしょう(女子大ということでは,奈良女子や津田塾や東女や本女もそうだったけど,近年は没落したみたい).

 公立トップの都立大も「いい大学」ですし,同志社,立命館,関西,関西学院もイメージ的に入るとすると,大阪府立と市立が合併した大阪公立大も入るのかな(でも,合併大の名前は,これ以外に選択肢はなかったとは思いますが,何か今一ですよね).

 この辺まで来ると,どこか忘れてないかな(笑)的なことになってくるんですが,大阪公立を入れるのなら,広島とか千葉とか金沢とか名工大とか横浜市立とか名古屋市立とかも入れないとまずいですかね.

 問題は,東京の私立です.上智はよくわからないんですが,入れないと怒られるのかな(早慶に並ぶと言う人もいるんですがほんとかなあ).逆に理科大は,入れていいんじゃないですかね.でも,受験産業は,MARCH推しなんですが,これらが「いい大学」というところまでのイメージがあるかと言うと..(中央はそんなにイメージ悪くないし.明治も立派な大学で,近年躍進してるということでギリ入るくらいかもしれませんが,青学,立教,法政は..).

 あとは,知られざるということでは,気象大学校とか自治医大とか産業医大とか電通大とか農工大とか東京海洋大とかもありますよね.芝浦工大は,ほとんど無名だと思うのですが(ごめんなさい),個人的に出身者で優秀な人をたくさん知っているので,一体,この大学どうなってんの?と思うくらいですが,たまたまなんでしょうし,個人的理由で入れるわけには行かないですかね(笑).

 こうしてみると,やっぱり,関西の四私大がお買い得な感じがしますよね.

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 ここまで範囲を広げると,逆に,大学行くならこのくらいの大学には行っとかないと,ということはありますよね.もちろん,大学というか勉強とか関係ない仕事をする人は関係ないですが,(超具体的に言えば)首相とかになる人がこういうレベルの大学にすら行ってないと,何か事情か問題があるというか,実際,言動とか見てても,水準に達してないというか,ちゃんと物事を考えられない感じで,そんな人間が首相になる国ってなんなんって感じですよね(でも田中角栄は例外かな).

 あるいは,また別の考え方で,Fラン大(受験用語もいろいろ憶えてきた(笑))はどうかと思いますが,大学行くならどこでもいいから行っとけということもあるわけで,だったら,日大がお買い得(難易度が低い割に知名度が高い)とはどこかで書きました.でも,逆に言えば,日大より上の大学はゴロゴロあるわけです.

 でも,究極は,大学なんか行かなくていいってことでしょう.先日,研究室の学生が言ってたんですが,(東大でも京大でもハーバードやスタンフォードでも)大学に行くのは,企業とかに就職するしかないしょぼい奴で,能力があれば,自分で起業すればいいので,そういう人は大学なんか行かなくていいですよねって言っていたのはその通りです(こういうことを言うのをきくと,京大生も見所はあるなとは思う).

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 研究者だとどうですかね.研究者になろうと思ったとしても,大学なんか行かなくていい?

 そうですね.例えば,理論物理学者や数学者なら,自分で勉強して研究して論文を発表していけばいいですからね.文系もそうかな.これ以外にもPCがあればできる研究はいくらでもあるでしょうしね.どうやって飯を食うかってことはありますが,それこそ時給1000円の仕事を週休2日でやれば,食べては行けるでしょうし,文系なら著述とか評論で稼いだり,理系なら研究のスキルを活かしてデータ解析とかのもっと時給が高くて在宅でできる仕事もあるでしょう.

 でも,だったら,大学の先生になった方がよくね? そのためには,大学に行っといた方がよくね?となるわけで,研究設備とか,研究にお金がかかる場合もありますからね.それに研究者でなくても,最近は,大学でもアントレプレナーシップとか言って,起業を支援しているところも多いですからね.

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[もっとすごいところが]
(鉄道)

 JR奈良線の京都市内に単線区間があるのに驚いたというか,気づかなかった(笑)と書きましたが,もっとすごいところがあるみたいです.

 場所は川越線なんですが,埼京線は川越まで直通で,埼京線はりんかい線まで乗り入れいるので,新宿や渋谷などの都心を通る電車が単線になるわけで,しかも,がっつり10両編成で(奈良線は5両くらい),10両編成の電車が単線を走るのは壮観(笑)?

 時刻表を見ると運転本数は奈良線とそんなに変わらないですが,朝夕は相当混むでしょうし,ちょっと驚きですね.理由としては,奈良線もそうだと思いますが,普通の単線とは事情が逆で,市街地での用地買収の問題があるみたいです.

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[勤勉に生きる]

 思ったんですが,勤勉なことに対する憧れがあるのなら,勤勉にやればいいじゃんって気もしますよね.いや,そう思ってもできないのが怠け者なんですが(笑),何度か書いてるようにリタイアしたら,違った生き方をしてみたいと思ってるわけで,それは,必要とされ評価される生き方ではなく,必要とされず評価もされない生き方もありという感じだったんですが,振り返ってみると,基本的にやりたいことをやりたいときにやるという自堕落な生き方をしてきたので,リタイア後は,逆に勤勉に生きるというのもありかもしれません.

 リタイアして仕事を失えば,規制するものがなくなって,やらないといけないことも激減するわけで,そういう中でまともに生きて行くことは難しいとすると,逆に勤勉に生きるということでしょうか.

 対象は何でもよくて,でも,やりたくないことして小金稼いでもしょうがなくて,多少でもやりたいことや,やる意味を感じることの方がいいでしょうから,研究でもピアノでもスポーツでも何でもよくて,でも,「多少やりたくなくてもとにかくやる」ということでしょうか.

 そして,これって,今すぐにでもできることですよね.もちろん,生来の怠け者なのでそれが難しいんですが,やるべきことをちゃんとやることで気分がよくなるのなら,それが目的化するのもありでしょうし,できる範囲でできることをすることはできるでしょう.実際,受験時代に失敗したのも無謀なことをしようとしたこともありましたからね.

 でも,こうして書いてみると,そのくらいのことなら,(少なくとも学生時代よりは遥かに)既にやってる感じもします.つまりは,学生時代や30代の失敗をちゃんと活かせているということですかね.

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8/5'22

 高三は,ほんとに暗澹たる気分で一年を過ごしたと書きましたが,暗澹たる気分というのとはちょっと違いますかね.確かに高二の1月に父がなくなって,しばらくは暗い影を落としていたようなところはありますが,受験までもう1年でまったなしなわけで,そんなこと言ってられないわけですからね.

 なので,勉強しようとはしてたと思うんですが,とにかく思うように進まなかったと思います.それは,勉強するけど成績が上がらないというより,勉強する気にならない,でも,どうしようもないみたいな感じでしょうか.同じようなことは,30代の一時期にもあったと思います.

 でも,そんなこと言ったら,基本的にずっとそんな感じもするんですよね.でも,その気になってやることもあるし,その気にならなくてもやらないといけないことはやらないといけない.

 そういう意味では,学生時代は,勉強する気にならなくて勉強しなくても自分に返ってくるだけでしたし,30代の「自分の研究」もそうでしたが,仕事はそうは行かないので,そういうことは,その気にならなくてもちゃんとやるわけで,まあ何とかやってきたのかな.

 それに,「本業」がその気にならないときも「本業」以外のことにその気になってたりするわけで,それは,高三とか30代の一時期とかもそうでしたし,だからだめなわけで,成功しなかったと思うんですが,成功することよりやりたいことやることが大事ならしょうがないですかね.

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 うーん,勉強する気にならない,でも,どうしようもないというのとも違いますかね.

 他に楽しいことはいっぱいあるけど,勉強自体が嫌いなわけじゃないし,受験も迫ってるしやろうとはする,でも,東大だと高校の授業じゃ話にならないので,(これは書いたと思いますが)物理は傾向と対策,化学は重要問題集が筑駒に伝わる理科必勝法というような情報を集めて,問題集や参考書を買ってきてやり始めるわけです.でも,実際にやり始めると中身がしょぼいことに気づいちゃうわけです.

 一番気になるのは,内容に穴があることですし,この内容を理解するのにこの問題を採用するのはおかしいとかそういうのを見つけると,この問題集とか参考書をやってもだめだと思って途端にやる気をなくすわけです.そして,今にして思えば,当時は,まともな参考書や問題集なんかなかった気がします.

 でも,そういう中でもできる範囲で何とかしないといけないわけですし,これも既に書きましたが,だったら,参考書はともかく,ちゃんとした問題集を自分で作ればよかったわけで(今だったら絶対そうするしめちゃめちゃ楽しそう),でも,当時は,そういうことを思いもしなかったのが問題だったということですかね.

 じゃあ,結果的にどうなったかですが,まともな参考書や問題集探しを続けたんですが,現役の時は間に合わず,浪人してようやく物理なら難問題の系統とその解き方,英語なら英文解釈教室のような「これは」というものに何とか出会えたということもありますし,そういうものがなかった科目についても,何とか折り合いをつけたということでしょうか.

 そもそも,私にとって勉強する目的は,その中身を本質的に理解することだったわけで,何か知らんけど言われるがままに勉強していい点数とって東大に受かってもしょうがないというか,そういうやり方がどうしてもできなかったんですね.

 でも,こうして書いてみると,だめだめだったというよりは,回りの言うことをきかないわがまま勝手な人間だったってことですが,これは明らかに研究者に向いてるわけで,もっと言えば,社会に出て成功する人間って基本的にそうなんじゃないですかね(ただし逆は成立しない).だって,回りの言うことをきいてやって成功するなら(頑張れば)みんな成功するわけですから(でも,ビジネスくらいのレベルだと最新の経済理論を勉強するくらいで成功するらしい).

 でも,そういうこともわかった上で,受験は受験で割りきって,そこでも成功して,社会に出たら出たで,ちゃんと自分で考えることもできて,という人もいるわけで,そういう人はほんとに優秀なんだと思いますね.

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[エチュード考5]
(ピアノ)

 エチュード考ですが,次は何ですかね.「左」かな.

 ちなみに前回のエチュード考4の最後は,スクリアビンのOp.65のエチュードで終わってるんですが,第3曲はリスト入りしていて,練習しましたし,スクリアビンの後期がどういう音楽か手っ取り早く紹介するのにいいと思うんですよね(ソナタの7番とか9番だと長いし,「炎に向かって」もちょっと長いし,しばらく静かなところが続くので普段から弾いておくような曲じゃない).

 でも「六度」のエチュードというか,練習になるかという「取り組み」で,ショパンの25-8に敗れました(笑).実際,六度が出てくるのは一部ですし右だけですからね.

 で,「左」なんですが,何度か書いたように,ショパンエチュードの問題点の一つとして右偏重というのがあって,それに対する一つの提案?として,ゴドフスキーが書いたショパンエチュードがあるんですが,使えるものは...というのも何度も書いてる通りです.

 でも,ショパンエチュードの中に左右のバランスがとれたというか,左も使う曲もいくつかあって,具体的には,10-4, 11, 12, 25-1, 8, 10, 11, 12あたりですかね.こうして書いてみると結構ありますね.でも,10-11は,両手のアルペジョ,25-10は,既に出てきましたがオクターブというある特定の音型を使った練習曲ですからね.

 そういう中で,「左のエチュード」と言えるのは,10-12のいわゆる「革命」だけで,そして,左のエチュードは,非常に貴重で,私も大学時代から30代くらいまではよく弾きました.でも,果たしてこの曲が左の練習になるのかは,ちょっと疑問で,それは,音の動きがかなり特殊,つまり,こういう音型は他の曲にはほとんど出てこなくて,でも,それが10-12の音楽としての個性になってるんですが,エチュードとしてはどうなん?ってことです.

 で,「左のエチュード」探しの旅?は続くわけですが,エチュードというか,左が大変な曲としては,ラフマニノフのモーメントミュージカルの第4曲があります.

 でも,この曲をテンポで弾くのは大変ですし,でも,テンポで弾けなくても練習になるなら弾けばいいんですが,この曲も難しさは,左というよりは,動きながら右でオクターブを掴むことでしょうし,左も革命同様,特殊で,でも,この曲もそれがこの曲たる所以的なところがあるわけです.

 あとは,これも既に出しましたが,ショパンのOp.28のプレリュードの第3曲もありますが,これまた変わった音の動きで,かつ,それしか出てこない非常に特殊なケースです.

 あとは,左を使い続ける曲ということだと,シューマンの交響的練習曲の10番(10番なのに第8変奏)や

 バルトークの戸外にての終曲「狩」

 とかもありますが,動きが一方向で練習になるかというと...でも,あらためて聴いて思ったのは,この曲と第4曲の夜の音楽,斬新ですよね.

 左右のバランスがとれてるということだと,既にあげたモシュコフスキーの72-11の他には,意外なところだと,カプースチンのOp.40のエチュードの4番

 もあるんですが,うーん,エチュードとしては長いし,そんなに好きな曲でもないんですよね.

 左右のバランスがとれてるということだと,やはり,バッハなどの古典がそうなんですが,手を大きく広げることはないし,バランスがとれてるということは,逆に言えば,左を使い続けることはないので,「左の練習」にはならないということでもあります.

 ラヴェルのクープランの墓のプレリュードも左右使うので,これもしばらく弾いてたこともあったんですが,あまり「練習になる」感じはしませんでしたね.

 てな感じで,なかなかこれはというものがない中,なんとか辿り着いたのがフォーレのアンプロンプチュの3番(のABACのAだけ)です(でも,これも「今のところ」なので,これからどうなるかはわからない).

 そんなに難しくは聞こえなくて,実際,弾いてみるまでわからなかったんですが,めっちゃ弾きにくいですし(でもフォーレはそういう曲が結構ある.あのリストも苦労したらしい),左がかなり疲れます.

 でも,関係ないですが,この曲のこの部分,よくないですか.それ以外のBとか,BからAに戻るところとかCとかは,あまり好きじゃないんですが,この部分だけは秀逸な感じで,左の音型も独特ですし,主旋律の1回目がレミファラソシラと来て,2回目がファソラと来てミに飛ぶのが斬新というか,フォーレらしい感じがします.爽やかさ?もベートーヴェンの春に匹敵しますかね(笑)(個人的感想).

 で,この曲(フォーレのアンプロンプチュの3番のA)ですが,結局は,手をかなり広げた状態で,掴むように弾くということなわけで,そういうパッセージは,カプースチンのエチュードでもよく出てくるし,そういうところが出てきたところでひたすら部分練習するというのでもいいのかもしれません.でも,その「ひたすら部分練習」というのは,非常に重要なんですが,私はほとんどやってこなかったので,結局,それをやれってことですかね.

 それに,そもそも左を取り立てて練習すべきかどうかということもあって,要は,左右非対称でいいというところもあって,というのは,弾くのは音楽なわけで,ということは,右が主旋律で左が伴奏になるようなことも多いし(バンドだと,左がベースとドラムで右がヴォーカルとギター),じゃあ,どうしてそうなるかと言うと,どうしてピアノの鍵盤は左の音が低く右の音が高いのか,どうして人間は低い音より高い音に敏感なのか,どうして人間は右利きの方が多いのかというようなところまで行くわけで,逆にあまり深く考えてもしょうがないのかもしれません.

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[今やるべし]

 どうしていまさら受験時代のことが気になってきたかですが,自分を律してやるべきことができなかったとか,もっとうまくやって成功したかったとかじゃなくて,大いに楽しむことができたかもしれないのにそういう絶好の機会を活かせなかったから,という感じがしてきました.

 じゃあ,あの頃に戻って,もう一度やり直したいかというと,そんなことは全然思わないわけで,それは,今は今で楽しめる状況にあるし,今の方があの頃より全然楽しいからです.つまりは,あの頃,もっと楽しむことができたんじゃないかと思うのなら,それは今やるべしということですね.

 具体的には,大手を振って研究できるのは,あと○年しかないかもしれないし,何の抵抗もなく論文が書けるのもそうかもしれないし,あと○年して仕事をやめたら,めんどくさくやりたくないことをしなくてよくてやりたいことができるのにやりたいことをやらない手はないわけですよね.

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8/6'22

 その時の状況によってやることが変わるのは当たり前で,例えば,今の私が完璧な物理や数学の問題集を作れる,そういうことを大いに楽しめるとしても,今さらそんなことやってもしょうがない,やるなら「その時」やるしかなくて,そういう楽しめるチャンスを逃してしまったことに今頃気づいたということでしょうか.

 でも,過去は変えられない一方,今できることはあるわけですし,それは将来も然りです.でも,過去も今も将来も同じ人間なので,そうそう性格や勤勉性が変わるわけでもなく,まあできる範囲でということなんですが,そういうことを意識をすることはできるので,それで多少なりとも行動が変わればということでしょうか.

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 あと気づいたのは,やはり「報酬はやばい」ってことでしょうか.

 思い返すと,勉強した小五とか中二のときって,受験とか関係ない時期で(高二の時は,勉強はしなかったけど力学に興味はもった),純粋に勉強が楽しかったわけで,でも,受験が迫ると,それが「やらないといけない」に化けてやる気がなくなってしまうわけですからね.

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[楽しむ]

 何度も書いたことですが,再三「楽しむ」と書いてるけど,そんなことより,世の中の役に立つとか,社会の中で責任を果たすとかの方が大事だと言う人もいるでしょう.

 まずは,私は他の人にとやかく言うつもりは全くなくて,楽しむことよりそういうことが大事だと思うのなら,どうぞそうしてくださいということです.逆に言えば,私は(社会の中で果たすべき役割は果たした上で)楽しみたいと思ってるし,そうした方が結果が出るので結果的に世の中の役に立つとも思っているし,社会の中で果たすべき役割も果たしていると思うのでとやかく言われる筋合いはないということですかね.

 でも,楽しむというか,やりたいことをやる的に言えば,世の中の役に立つことがしたい人は,やりたいことやって広い意味で楽しんでるわけで,結局,同じことのような気がしますけどね.

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[エチュード考6]
(ピアノ)

 エチュード考ですが,今回が(多分)最終回です(多分というのは,思いつくままにだーっと書いていくので,書き終わってどうなるかはわからないから).

 エチュード考ということですが,エチュードってなんなん?てことで,何か特定の(一つの)技術練習が目的なんですが,逆にそれを利用して音楽を作るというようなことを書きました.

 それは,いろんなパターンがあるんですが,似た音型を繰り返すことが多くなると思います.例えば,10-1なら10度以上の高速のアルペジョということだったんですが,まだ言及してないものとしては,10-7は,同一音連打が入ってますし,10-8は,右の高速のアルペジョを弾きながら左で歌う,10-10は,1と25あるいは35などの分散和音(メトネルの悲劇的に頻出),25-3, 25-4は跳躍というようなことがあるわけです.

 似た音型を繰り返すということでは,25-12はわかりやすいですね.

 25-11は,ちょっと変わった音型で,練習したことはないですが,かなり独特というか,ランダム性のある音型なので,弾きにくいのかな(最難曲の一つとされてるのでそうなんでしょう).

 この曲もショパンエチュードの中では珍しく左右のバランスというか,同じ音型が右にも左にも出てくるので,ひょっとしたら弾いたら「練習になる」んですかね?

 でも,この曲の「ゴドフスキー版」(左版)はなかなかいいと思いますが(でもちょっとラフマニノフっぽいか),難いのが更に難くなってるのが(笑).

 いずれにしても,何かのコンセプトをもって曲を書くというのはいいんですが,弾く方からすると練習になるかというのが気になります(この辺は,受験時代の問題集話と通ずるものがある).

 例えば,跳躍のエチュードって意味あるんですかね? ドビュッシーのエチュードの終曲もそうで,曲としては,いい曲ですが,

 その曲が弾けるようになったから,他の跳躍のある曲が弾けるようにはならないわけで,だったら,その都度,練習をすればいいのでは? より厳しい条件で練習しておけば,ということなら,これなんかどうですかね?(笑)

 そして,これは全てのエチュードに当てはまるわけで,例えば,10-1は,この曲を弾けるようにというよりは,弾くことによって手の形を整えたり,広げたり,345の結合をとったり,ピアノを弾くということが腕の移動と指を動かすことの組み合わせであることを理解するというようなことがあるわけで,25-8も六度のパッセージが弾けるようになることはあまり意味がなくて(そんなのほとんど出てこないし),それよりは,手の中での(主として345の)指の運動というか柔軟性というか,そういうことが目的なわけですよね.

 でも,そうすると,ショパンエチュードだけとっても,全24曲の中で練習になる曲は限られてるわけですが,曲としてはいい曲が多いので,そんなの関係なく弾くということならそれもありということでしょうか.

 逆に言えば,練習になるということなら,エチュードに拘らなくてもいいわけで,シューマンのクライスレリアーナの第1曲のABAのAは,右の345の練習になるということは,既に書きましたし,他にエチュードっぽい曲だと,ブラームスのパガニーニヴァリエーションも(超難ですが)そうですし,リストの2つの伝説の第2曲の波を渡るパオラの聖フランチェスコや

 ベートーヴェンの32の変奏曲もそんな感じがしますよね.

 同じ音型を繰り返すということでは,ラフマニノフのモーメントミュージカルの第6曲は,25-12のような雰囲気があります.

 あとは,いくつか補遺的に感想?を書いておくと,最易曲の一つとして,課題曲からはずされることが多い25-2なんですが,解説とかには,三連符の練習とか書いてあるんですが,この曲が三連符に聞こえる人なんかいるんですかね? あるいは,三連符のように弾くことが求められる曲? だったら,めっちゃ難くないですか?

 こぼれ話的なこととしては,10-5と25-9のカデンツ(コードのようなもの)が同じなので,重ねて弾くことができるということは,既にどこかで書きましたし,ゴドフスキーのショパンエチュード(変な日本語)では,実際,そういう曲が書かれていますが,この組み合わせ以外にもあります.

 これでエチュード考は終わりですが,思いつくままにだーっと書いているので,いろいろ抜けがあるのはご愛敬ということで.

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[ベースフード]
(生活)

 ベースフードですが,変なものを使うのではなく,食料が原料ということで試しに発注してみました.で,来てみてパッケージの裏の詳しい成分表を見ると,香料などの添加物が使われていました.味もあんまりおいしくないですね.

 てことで,だめかなと思ったんですが,プレーンは,ほとんど添加物は使われてないし,それ以外もまあ食べられるってことで,時々,簡単に済ませたいとき(外で食べないといけないときとかめんどくさいとき)ならありですかね(変な店で外食するよりはましってこと).

 ということで,次回は,中身を少し変えて,プレーンを中心にして,パスタも頼んでみました.

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(野球)

 先日,野球のオールスターをやってて,お祭りなのでまあいいんですが,バッターはMVP(お金)狙いの一発狙いで,ピッチャーが速球派だと直球勝負を(暗に)要求するわけで,おかしな話なんですが(ロッテの佐々木なんかは,まだぺーぺーなので従わざるを得ない),やりようはあって,具体的には,ストライク投げなきゃいいじゃないですか.高めに160kmのボール球を投げれば,空振りしますよ.

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[「クラシック」]
(音楽)

 これは初めて書くと思いますが,いわゆるクラシック音楽のことを「クラシック」と呼ぶことにずっと違和感をもっています.それこそ,子供の頃からかな.なんか「クラシック」と呼ぶと,それが数ある音楽の一つのジャンルみたいな感じですが,実際は「クラシック」は,それ以外の音楽とは全然違います(ちなみに私は,「クラシック」以外の音楽も聴きますし,ハードロックは,かなり聴いたと思いますし,何曲かピアノソロに編曲して弾いたこともあります).

 少なくとも「音楽をやっている」と言うのなら,ちゃんとそのくらいは勉強しておくべきですし(喩えるのなら,科学系の研究者をやってるのに基本的な数学も物理もわからないようなもの),レベルが違うのは明らかなのにその違いがわからない,「クラシック」はつまらないと思うとしたら,自分の音楽の能力を疑った方がいいでしょう.

 でも,好き嫌いがあるのは,「クラシック」も同じです.つまり,「クラシック」音楽の全てが好きである必要はないし,そんなわけもありません.なので,この曲は好きだけど,この曲は...ということでいいと思いますが,どの曲も同じようにしか聞こえないとしたら,音楽の才能はないと思います(厳).

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 その辺のことで思い出したことがあって,中高時代に「クラシック」以外の音楽をやってた奴はかなりいました.いわゆるバンドをやってた奴等ですね.もちろん,いろんな奴がいたんですが,その中でちゃんと音楽やってる奴は,「クラシック」というか,音楽理論のことも勉強していましたし,演奏のレベルも全然違いました.そして,そういう奴ほど「クラシック」が自分達がやってる音楽とは全然違う別格のものであるということが嫌というほどわかってる感じでした.

 でも,そんなの当たり前の話で,音楽でも美術でも学術でもスポーツでも,ただ何となく感覚的にやってできるレベルはたかがしれてるわけですからね.

 それに,音楽の才能があるのなら,「クラシック」はそれ以外の音楽と全然レベルが違うわけですから,自然とそっちに興味が向かうんじゃないですかね.でも,レベルが高いということは,それだけ難しいわけで,易しいものに流れてしまうということはあるでしょうし(趣味ならそれで全然問題ない),それは,金儲けしたい場合も同様でしょう(趣味の人が金を払う).

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 そもそも,どういう人がいわゆる「クラシック」以外の音楽(いわゆる商業音楽)の世界で成功(社会的成功,つまり,ヒット曲を出して売れること)するんでしょうか.ちゃんと音楽理論も勉強した人が成功する?

 そうとは限らないですよね.そもそも,商業音楽と言ってもいろいろで,実際に音楽を作っているのは別の人で,自分はただ表に立ってるだけというような人もいっぱいいますからね.

 でも,そういう場合も誰かが作ってはいるわけで,じゃあその人は,ちゃんと音楽理論も勉強した人かと言うと,そうでもない人もいるでしょうが,ちゃんと音楽理論がわかっている人は何らかの形では関わってはいるでしょう.

 でも,その辺のところは,才能というほどのことではなくて,それは,ヒット曲を書けばいいわけで,「クラシック」の世界のように,今までにない音楽を生み出さないといけないというのとは,全然レベルが違いますからね.

 つまりは,別に音楽に限った話ではなくて,一流半とか二流くらいのものが一番社会的に成功するわけで,それは,一流のものは,大衆にはわからないからで,でも,ヒットするには,大衆にわかってもらわないといけないという,これまで再三書いて来たことなわけです.

 じゃあ,金が儲かるから一流を捨てて一流半とか二流を目指すかというと,少なくともちゃんと音楽をやる人間ならそうはならないわけで,これまた素養の問題というか,そういう人間は,そういう音楽に興味をもつということはあるわけです.でも,ヒット曲を出して売れることが続けば,ちゃんと音楽に向き合えなくなる一方,そんなことは意に介さず音楽に向かい続ければ,(金は儲からなくても)何かに近づいて行くわけで,なるようになってるとは思います.

 そういう側面は学術にもある(業績を上げると余計な仕事が増える)んですが,スポーツは,更に難しいですね(上に行けば行くほどいろんな試合に出ないといけなくなって疲弊する).

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8/7'22

 少し補足をしておくと,「クラシック」は,今の大衆音楽よりずっと昔から存在していて,音楽の基礎となっているものだから,クラシック音楽がなかったら今の大衆音楽はないというのは違います.

 実際,音楽自体は,太古の昔から存在してますし,バッハとかショパンとかドビュッシーの時代も,そういう音楽とは別に大衆音楽は存在していましたからね(例えば,フランスのシャンソンとか).むしろ,音楽の原点は,大衆音楽であって,それを初めて体系化というか,整理して音楽を作ったのがバッハということでしょう.

 そして,そういう音楽は,貴族などの一部の階級の人のもので,大衆音楽はまた別に存在していたわけで,つまりは,最初に書いたように,これらは「別のもの」というのに近いと思います.

 じゃあ,どっちが優れているか,レベルが違うかということについては,優れているかどうかは,(わかりやすい方がわかりやすいという点で優れているという人もいるでしょうから)何とも言えないですが,レベルという点では,クラシックの方が遥かに綿密に作り込まれているのは間違いありません.

 でも,その分,難解というか,そのよさがわかるのに勉強も必要ということなんでしょうが,勉強なんかしなくても,いいと思う人はいいと思うわけで,結局,才能というか能力というか素養のようなものと言ってしまうと身も蓋もないですかね.

 つまりは,音楽が好きという人がいたとして,でも,どういう音楽を聴くのかでその人の知的レベルがわかってしまうのは怖い話なんですが,音楽になんか興味がない人もいるでしょうから,そういう人は,逆に無敵かもしれません(でも,あまりに無知だと教養はないということにはなる).

 でも,音楽をやってる「風」だと,その辺気をつけないと恥ずいということはありますが,そもそも,クラシックでなくても,音楽に興味をもったら,クラシックに興味をもたない方が素養としてどうかしてるし(でも商業アーティストなら金儲けのためにそんなことやってる暇はないというのはある),実際に聴いてみて,その圧倒的レベルに愕然としないとしたら,やはり,音楽の才能はないということですが(厳),圧倒的なレベルの差を認めた上で大衆音楽やってますというのは全然ありでしょう(そういう人は結構いるし,結構,いい曲を書く).

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[ふと我に返ると]

 今やるべしとか言っても,ふと我に返ると,もうとっくに実質人生終わってるわけで,今さらじたばたしてもしょうがないというか,あまりいいことない気がするんですよね.

 現役の時に活躍して,歳をとってもまだまだ頑張ってて,自分の体にむち打ってとか,何度も死に損なって,そこから何度も立ち上がって,ってしんどくないですか.

 もちろん,頑張らないといけない理由がある人もいると思うんですが,個人的には,私がいないとだめとか困るという人もいないし,だったら,死に損なって壮絶に立ち上がったりせず,そこですぱっと終わりにしたいと思うんですよね.

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 上の上の記事に付け加えると,じゃあ,クラシックをやってる人間がそれ以外の音楽をやってる人間より偉いかというと,そんなことはありません.なぜなら,レベルが高いのは,音楽そのものであって,そういう音楽をやってる人間がレベルが高いということにはならないからです(下手でもピアノは弾けるわけですし,上手くても先生の言う通りに弾いてるだけの人もいる).

 でも,どういう音楽をやってるにせよ,音楽をやっているのなら,音楽そのもののレベルの違いがわかるかどうかは,非常に重要なことでしょう.

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[違和感]
(世の中)

 ニュースとか天気予報の前に都心を引きで見たような映像が映ることがあります(こんな感じ↓).

 こういうのを見て思うのは,こんなにいっぱい足の踏み場もないように建物が建っているのに「自分の取り分は」ということでしょうか.

 この辺のことについては,既に書きました.単純に頭割りしても数百坪程度の「割り当て」があってもということですが,もちろん,都心か田舎かにもよるわけですが,感覚的な違和感はあるわけです.

 でも,一方で,全然不自由はしてないわけで,でも,そのギャップにも違和感を感じるわけで,いずれにしても何かおかしいというか,おかしいということは帳尻合わせのようなものがあるのかもしれませんしないのかもしれません.

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[学歴社会が一番やばいところ]
(世の中)

 また受験ネタです.いや,実質はそうじゃないかも.

 YouTubeはちらちら見てて,でも,ほとんどはしょーもないのですが,中にはちょっと面白そうというか,中身はしょーもなくても有益?な情報が得られるものもあります.動画なので,しょーもないところはばんばん飛ばせますしね.

 一つ目は,理三で面接で落ちた奴がいたって話ですが,びっくりしたのは,理三って面接やってるんですね(有益な情報?).もちろん,そんなことやってるのは理三だけで,理一とかで面接やるのは不可能ですからね.

 理由も何となくわかるわけで,要は,一番難しいから受けたというような変な奴を排除するってことで,医者になるわけですからね.でも,思ったのは,東大の先生も大変だなあってことでしょうか.

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 学歴社会の闇(笑)というのもやってました.なんだかんだで学歴社会だからいい大学行っておこうってことなんですが,なんだかんだで学歴社会だからというよりは,結果的にそうなってるというか,偏差値が高い大学の方が有能な人が多い(勉強ができるだけではなく仕事もできる)のは事実でしょうからね.もちろん,例外はありますが,例外は例外ということでしょう.

 そういう中で,一般企業,官公庁,研究者という三分野で,一番学歴社会的にやばいのは,研究者だと言ってました.

 確かに「結果」だけ見るとそうですかね.でも,これも結果的にそうなってるってことでしょうが,実際,調べてみると,大学教員の出身校は,東大京大が圧倒的で,それ以外でも旧帝,早慶くらいまでという感じらしいです(あとは,筑波,横国,神戸くらいか.ていうか,研究者になるということなら,早慶より国公立の方が強いでしょう).

 最近は,出身者が教員になることも増えてますが,確率的には,東大出て東大の先生になるのと同じだし,そもそも,たまたまポストが空かないと話にならないわけだし,東大,京大とか旧帝とかからも降ってくるのと競わないといけないわけですからね.

 でも,これをもって研究の世界は学歴社会というのは,どうなんですかね.まさに結果的にということなわけで,研究という学力がものを言う分野ならそうなってしまうのは当然な感じもします.

 でも,一方で,今は,原則公募なわけで,もちろん,実質はどうなんやということはありますが,原則とか実質とかに関わらず,研究実績がある人が選ばれることには変わりなくて,つまり,研究して実績をあげれば,出身大学なんか関係ないわけです(でも,逆に言えば,非常にシビアな世界).

 でも,そこら辺の大学に行って,研究実績があげられるのかってことですよね.でも,言えるのは,研究実績があげられるのかどうかに大学は関係なくて,じゃあ,何が関係してるのかと言うと,どういう先生の研究室に行くかです.

 旧帝や早慶の先生でなくても,第一線で研究をしていて,ばんばん実績をあげてる人もいますからね.でも,高校生がそれを見極めるのは難しいかなあ.でも,ちゃんと調べれば意外とわかるんじゃないですかね.そして,それって,実は,めっちゃ抜け道というか,効率がいいのかもしれません.

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 大学群間のランキングというのもやってました.それによると,旧帝は,東大,京大の次は阪大で,名古屋,東北と来て,九大と北大が同程度と言ってました.もちろん,「ボーダー偏差値」の話なんでしょうが,実情は大分違ってきていて,実質は,東北がもう3番に来てますし,せいぜい,東北,阪大,名大は同格といったところでしょう.

 TOCKYも序列化されていて,一番は神戸なんだそうです.その次が筑波,横国で,千葉,お茶女という順番ということでした.

 ここまで来ると何となく見えてくるんですが,TOCKYという新しい大学群?を提唱したとき,関西では旧帝に匹敵すると言われている神戸大が可哀想というものすごい不満があがったらしいんですね.そして,これは,旧帝の3番手が阪大というのとも通じるものがあるわけです.

 要は,声のでかい関西人(関西人が声がでかいという意味ではない)の言うことを無視できないというか,所詮,受験産業なわけですから大衆の意見に迎合しないといけないわけで,そんなところが出してるランキングなんかそんなもんということでしょう.

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8/8'22
[思考実験]
(世の中, 大学)

 そもそも,神戸大が旧帝大に匹敵すると言ってる人は,どういう根拠に基づいてそう言ってるのでしょうか(テーマ自体はどーでもいいことだが,こういう思考実験はちょっと面白い).

 そう言ってるのは関西の人間なわけで,もし,神戸大と九大や北大だったら,自分なら神戸大に行くかもしれないからというのが根拠なわけですよね.もうこの時点で,おかしなことが起こってるわけで,旧帝=九大,北大になってるわけです(いやいや,阪大も旧帝やろ.でも,阪大と神戸大だったら,阪大行くよね).

 そして,自分ならそうするってことなんですが,それは,自分が関西に住んでるからですよね.でも,九州や北海道の人間だったら,九大,北大と神戸大なら間違いなく九大,北大に行きますよ.てか,関東の人間だってそうでしょう.

 阪大は旧帝の3番手で,東工大に匹敵すると主張する人も同じで,わざわざ東京の東工大に行くくらいなら地元の阪大に行くってことでしょうが,関東に住んでる人なら,阪大と東北のどっちかなら東北に行く人の方が全然多いし,ましてや,東工大に行けるのにわざわざ阪大に行く人なんかいないでしょう.

 つまりは,神戸大が旧帝大に匹敵するとか言ってる奴は,「自分はそうだから」ということが理由で,著しく第三者視点が欠けてるわけで,それで客観的評価なんかできるわけがありません.

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[建築]
(世の中, 大学)

 これは,受験ネタなのかな.何度かこのサイトでそんなに知名度はないけど,自分の回りに出身者で優秀な人が多いと書いている芝浦工大ですが,受験産業によると芝浦の中で建築は別格なんだそうで(有益な情報?),MARCHより全然上なんだそうです.

 なるほどって感じはしたんですが,そもそも,建築って難しいんじゃないですかね.もちろん,現状,一番難しいのは,情報系でしょうが,その次くらいという話はぽつぽつききます(京大もそんな感じらしい).

 理由としては,建築が「世の中に不可欠なもの」ということ(に多くの人が気づき始めたってこと)があるんじゃないですかね(あとイメージもいい).実際,建築学科が建築学部になったり,地方に私立大学ができても学生が来たり,あるいは,大学教員の公募も建築系はかなりありますからね.

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[理三って難しい?]
(受験)

 そうそう,これも理三に面接で落ちたという動画にあったんですが,今って点数開示がされるんですね(もういろいろびっくり).で,その中で理三の合格ラインは,6, 7割って言ってました.で,思ったのは,最難関と言っても,そんなに大したことないなってことでしょうか.実際,浪人して受かった時は,8割くらいはとれてたと思いますからね.

 いやいや,それは浪人したからやろというのはその通りです.でも,やればできるのとどうやってもできないのは,全然違うと思うんですよね(まさに怠け者の言い草(笑)).実際,勉強すれば,誰でも理三に受かるということはあり得ないわけですし(物理的に100人くらいしか受からないからというのはまた別の話),ピアノとかスポーツでトップまで行くのも同じでしょう.

 具体的には,高校時代,音楽もピアノも部活も本を読むことも遊ぶこともしないでもっと勉強したらというのは,浪人して勉強した時間が高校時代にシフトするだけの話ですし,しょぼい問題集や参考書しかないのなら,自分で作ったるわと思って実行していたら,全然行けたと思うんですが(でも,物理がやりたいのに理三に行くなんてことはありえない),実際のところは,音楽とかいろんな勉強以外のことを排除することはできなかったと思いますし(それは今もそう),結局,何が本人にとって大事かってこともありますが,まさに身の丈というか,なるようになってるとも思うわけです(所詮それだけの人間ってこと).

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[研究者は稼げないから目指さない]
(大学)

 理三ということだと,理三というか東大医学部医学科卒の人の動画があって,その人は,「研究者は稼げないから目指さない」と言ってました.金儲けがしたいみたいなので,お勉強はできてもそれだけの素養しかないのなら,目指さない以前に研究者になれもしないし,なっても成功もしないと思うのですが,話をきいてみると,研究者は稼げないけど知的探究ができてそれはめっちゃ楽しいのでほんとはなりたい,でも,回りを見るとバイトとかしてて,さすがにそこまでするのは厳しいので目指さないと言ってました.どう思いますか?

 いくらなんでも無知すぎますよね.そもそも,バイトしてるってどういうこと? まだ学生なんじゃないの? 研究者は,一生学生だと思ってる?(ある意味,そうとも言えるが(笑)).

 もちろん,分野にはよりますが,優秀なら学生時代から学振の研究員になって,そこそこの給料はもらえますし,奨学金だってありますし,しっかり研究して査読論文書いて卒業してどこかの大学の助教になれば,年収500万近くにはなるんじゃないですかね.20代後半で年収500万は,大手総合商社とかと比べれば安いですが,大企業の平均より全然高いですし,しかも,準公務員でクビにもならないし(今はテニュアトラックですが,普通にやってれば問題なくテニュアはとれる),何よりやりたいことができるわけで,何度も書きますが,どうしてみんな研究者にならないのかなと思うんですが,こういう無知というか,実情がわかってない人が多いんでしょうね(しかも,そんな滅茶苦茶な情報をYouTubeで垂れ流す).

 でも,研究者になろうとする人間にとっては,こんなうまい話はないわけで,でも,そういうことが知られると競争になっちゃうので,大きな声では言わないわけで,そういう事情もあると思いますが,これも結局,どれだけ情報を集められるかということですかね.

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 そっか,指導教員の先生と議論してると,あまりの実力差に唖然として,とても研究者になんかなれないと思うんでしたね(すぐ忘れる).

 まあ,それなら仕方ないと思いますが,一回り上くらいならともかく,20も30も年上の先生だったら,実力差があるのは当然でしょうし,自分が通う大学の先生になるのは(東大生がみんな東大の先生になれるわけないので),非常にハードルが高いわけで,言い方を変えると,そうでもない大学の先生もいっぱいいますし,最先端の研究ではなくて職業として研究者をやってるような人もたくさんいますから,研究者になること自体は,実は,そんなに難しくないと思います(逆に,東大とか京大の先生になっちゃうといろいろ大変).

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[どんどんネタがなくなって来て見るものがなくなって行く]

 ちらちら,YouTubeは見てるんですが,受験でも鉄道でもどんどんネタがなくなって来て見るものがなくなって行く感じがします(ただ,受験は毎年行われるので,今年の傾向みたいな薄い企画は毎年できる).つまり,YouTuberになってちょっとバズってしばらくは稼げても,継続的に稼いで行くのは至難なんじゃないですかね.

 逆に言うと,継続的というか,半永久的に稼げるというか,退屈しのぎできることはあって,それはどこまで行っても終わりがないというようなものでしょう.何が稼げるかはここでは書きませんが,何が退屈しのぎになるかは,それこそいくらでもあるわけで,例えば,音楽に興味をもって,古今東西あらゆる音楽を聴いていくだけでも途方もない道のりですし,ピアノを弾くのなら,非常に限定された範囲でも一生かかっても弾ける曲は限られますし,しかも,同じ曲を聴いたり弾いたりしても再発見があるわけです.

 学術や文学とかもそうだと思いますが,だったら,映画とか大衆音楽とかでもいいんじゃない?というのは,そうかもしれませんね.何に興味をもつかは,人それぞれで,それこそ素養によるとは思いますが,素養は簡単に変えられないし,無理して背伸びすることもないでしょう.

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[何の根拠をもって]
(世の中)

 野球ほど素晴らしいスポーツはないというフレーズがきこえました.どういうことでしょうね?

 私はあらゆるスポーツの中で野球が一番好きだとか,私にとっては,スポーツの中で野球が一番面白いとか言うのならともかく,一番素晴らしいスポーツなんてことが何の根拠をもって言えるんでしょうか?

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[情報収集能力というよりは情報処理能力]
(世の中)

 メディアの言うことは嘘ばかりと再三書いてますが,YouTubeとかインターネットはさらにひどいのは言うまでもありません.でも,全てゴミかと言うとそういうわけでもなくて,ゴミのような情報も利用の仕方によってはゴミでなくなる場合もあるわけで,結局は,情報収集能力というよりは,情報処理能力の問題かもしれませんね.

 でも,メディアやインターネットでほんとにいい加減な情報?を無責任に垂れ流すのは,ほんとにひどい話で,視聴率や再生回数を稼ぐために情報操作をするのもそうですが,本人は,ほんとにそうだと思ってる場合もあるわけで,どちらも全く以てたちの悪い話です.

 でも,中には得るものがあることもあるというか,この人がこう言うということは,ほんとはこうなんだなということが逆にわかったりもしますし,こういう世の中の惨状を見ると,そういうことと無縁の世界にいる自分が幸せに見えたりもするわけで,でもまあ,まさに所詮退屈しのぎという程度のことですかね.

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[これまた愛情]
(大学)

 いやいや,研究者ならいいけど,大学の先生になったら学生の面倒見ないといけないし(東大医学部の先生も入試で面接しないといけないし(笑)),ちゃんとやる学生ばかりじゃないだろうから,いろいろ大変なんじゃないの?と言う人もいるでしょう.

 そうですね.確かにそういうところはありますが,基本的に学生はかわいいですし,愛情をもって接するというとちょっとくさいですが,少なくとも研究室の門を叩いて来てくれた学生にはそういうつもりで接しています(こっちがそう思ってるだけで,まさに親の心子知らず).

 でも,それでもみんなちゃんとやるかというとそういうわけではないわけで,でも,そういうときは卒業させない,ただそれだけですし,これまた愛情です(そういう状態で卒業させても決して本人のためにならない).

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8/9'22
[理三というか東大医学部医学科ってどうですか?]
(受験)

 なぜか受験ネタが多いのですが(でも一時的なものでしょう),理三というか東大医学部医学科ってどうですか?

 人生を大きく左右すると言われる,そして,ほぼ「全員参加」の「勉強」というカテゴリーの最終決算である「大学入試」という「評価するシステム」の最高評価というか,まさに「最高のブランド」で,それゆえ,それが理由で目指してしまう○ホもいるんですが(つまりは,本来的には,大学入試は「評価するシステム」などではなく,自分が何をやりたいかによるものということ),逆に言えば,「そこがピーク」ってことですよね.実際,東大理三が東大医学部医学科になった瞬間,ちょっと色褪せる感じさえしませんか.

 彼らがその後どうなったかは,よくわかりませんが,よくわからないってことは,大学入学時に最高の評価を受けたにもかかわらず大したことにはなってない人が多いんじゃないですかね.

 とは言え,個人的に知ってる人も結構いますが,みんなちゃんとした人で,普通にお医者さんをしている人も多いです.でも,知ってる人ではなく,自分が調べて○○医院に行こうと思って,調べたら東大卒だったってことがあって,その時の印象は,大丈夫かな?とは言いませんが,普通のお医者さんにとって東大卒は,決して100%ポジティブではないと思うんですよね.

 医者というのは,まさにそういう職業で,学歴が高ければ,いい医者ってわけではないし,もちろん,低い方がいいってことはないですが,医者になろうと思って,ちゃんと頑張って勉強したちゃんとした人という意味では,変な話,東大京大以外の旧帝とか医科歯科とか筑波とか千葉とかくらいが「ちょうどいい」感じすらするわけで,東大,京大の医学部卒だと,それ以外の余計な邪念(笑)を(勝手に)感じるのは,余計なお世話ですかね.

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 でも,これは,理三というか東大医学部医学科に限った話じゃないかもしれませんね.中央省庁とか一部の限られた大企業とか大学とか研究所とかじゃない「普通のところ」に東大卒がいると,逆に奇異の目で見られる(いわゆる「東大君」(笑))ことはあるみたいで,それは,そういうところに行く東大卒はしょぼい奴ってことはあるんですが,それが世間の目ってものでしょう.

 実際,中学か高校か忘れましたが,数学の教育実習で京大の学生が来たんですが,ちょっと変な人で(少なくとも全然社交的ではなかった),そういうのを見ると一般人は,京大の人は変な人だと思ってしまうわけです(いや,教育実習ではなく,教師としてだったかも.なので京大卒ってことか).

 これは,今,ふと思ったんですが,どこかで書きましたが,バドミントン部の同期で,薬学部卒で薬剤師してるのがいるんですが,考えてみたら,彼女って「東大卒」なんですよね.もちろん,私は何とも思わないですが,どこかの薬局で,新しい人が来るってなって,履歴書を見て東大卒だったらびびるというか,東大卒でこんなところに来るなんて,一体何があったの? ていうか,この人で大丈夫?とか思っちゃうかもしれませんよね(でも,彼女の場合,実際来てみるとすごいちゃんとした人で一瞬で打ち解けるとは思いますが).

 こういうことを考えると,既に書きましたが,東大,京大は(行くこと自体が目的なら),全然割に合わないと思いますね.それこそ,(東大,京大以外の)旧帝とか早慶くらいがちょうどいいんじゃね.

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 東大理三は(入ることが目的なら),大学入学時がピークと書きましたが,じゃあ,私のピークは,どこだったかなと考えました.

 少なくとも言えるのは,大学入学時は,ほっとはしましたが,そんに感慨はなくて,ピークには程遠かったと思います.直後に素粒子物理がリアルに(私にとって)面白くないのに絶望してどん底に突き落とされたんですが,進振り前に建築に構造という分野があることを見つけて建築学科に進学して,大学4年の春に研究室に入って研究というものに出会ったときは,一気に目の前が広がったわけで,つまり,そこから始まったということで,ピークではないですね.

 その後,博士まで行って,大学の教員になって,やりたいことを見つけてそれで飯を食うことを実現したわけですから,一つのピークだったとは思いますね.実際,その後,30代は低迷するわけで,でも,30代後半に,やるべきことを見つけて,大学を移籍して仕事した40代前半は,一つのピークだったんですかね.

 でも,何度も書いたように,やっぱり,今が一番幸せというか,それはだいたいいつもそうで,逆に,過去を振り返って,あの頃はよかったとか,あそこがピークだったとは思わないというか,そういうのはちょっと考えられないですね(脳天気すぎ).

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 でも,あのときこうしておけばよかったというか,失敗したなあということは数限りないですかね(でもそういうことも含めて受け入れることが重要なんですが).

 具体的には,大学受験なら,ちゃんとした問題集や参考書がなくて,あれもだめこれもだめって感じで勉強しなかったってことなんですが,だったら自分で完璧な問題集や参考書を作ればよかったんじゃんってことに今頃気づいて,受験に失敗したというよりは,ものすごく楽しめたのに,そういう絶好の機会を逃してしまったとは思いました.

 今思い出したんですが,そういうことしてた奴いたんですよね.M田君といって(外科医になりたいという非常に明確なビジョンをもってて,確か自治医大に現役で受かった),結構,仲よかったと思いますが,英語の重要例文集のようなものを自分でタイプライター使って作っていて(当時はPCとかワープロもない),つまり,そういう「ヒント」はあったわけで,でも,あろうことか,私は,それめっちゃいいじゃんとかて言って,コピーさせてもらったりしていたわけで,結局,その程度の奴だったってことですかね.

 30代については,あのときああしていれば,というのは,今でもよくわからないですね.自分の研究テーマはうまく行かなかったとしても,しっかり言うことをきいてお仕事して論文書いていれば,社会的評価的には違ったことになってたかもしれませんが,それが自分にとって,よかったことになったかは甚だ疑問というか,逆に裏目に出たかもしんないというか,そこでうまく行かなかったから,逆にその後いろいろうまく行った感じもするんですよね.そういう意味では,大学受験がうまく行かなかったのもそういうところがあるとは思います.

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 でもなぜか,ここのところ,受験とか(私にとっては)過去のことを書いてますが,何度も書いてるように,過去のことはどうでもよくて,問題はこれからです.それは,将来どうしたいとかでもなく,今日のこの時間をどう楽しむかの一点です.

 でも,過去のことは参考にはなるわけで,思ったんですが,医学部志望の学生がよく勉強するのって,もちろん,難関ということはありますが,医者になりたいという動機が明確だからってことはあると思うんですよね(理三は動機が不純なのもいるが,それも,ある意味,動機が明確).

 私の場合,高校時代,何となく物理をやりたいと思っていて,ブルーバックスのような本もかなり読んでいましたが(勉強以外にやってたことをまた思い出した.ほんとちゃんと勉強しろって感じですが,これは将来やりたいことに繋がることなので結構大事かな.でも,結局,繋がらなかったけど),何か今一というか,これだという感じではなかったんですよね(そして,その予感は,大学入学直後に的中する).

 30代も研究自体は面白かったですが,業績を上げて昇進するとかは,動機付けにならなかったし,そうすると,研究がうまく行かなかったり,自分では面白い結果が出たと思っても周囲の反応が今一だったりして,だんだんめげて来たと思うんですよね.いや40代は全然そんなことなかったので,当時はしょぼかったってことですかね.いや,40を過ぎてからは,研究がうまく行かないことも評価されないこともなくなったので,そういうことではないですね(でも,これってよく考えたら驚くべきことかも).

 でも,逆に,B4から大学院時代は,動機付けなんか必要ないというか,ただ研究が面白いからやってたわけで,それは,40代前半も同様で,そして,一番,結果が出てるのもその頃なわけです(でも,40代前半以降もずっと研究はしてるし結果も出てる).

 そもそも,過去のことはどうでもよくて,問題はこれから的にいえば,もうすぐ社会からクビになるわけで,もう「動機付け」なんかできないわけですよね.だったら,やっぱり,とにかく内的熟達しかないし,それは,過去を振り返ってもそうだったわけで,特に何かを変えることもない(やりたいことやってればいい)ってことでしょうか(何ともお気楽).

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 とは言え,内的熟達は「難しい」です.それは,過去を振り返っても,それでうまく行ったときもあったけど,そうではない,つまり,やりたいことが見出せなかったり,見出せたとしても持続しなかったりということだからです.

 でも,そういう中でやって行くしかないということでしょう.具体的には,いかにやりたいということを持続させるかというか,うまいこと騙し騙しやって行くかってことですかね.

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 その一環として?というか,ここ数年は,ピアノでそれを実験してるところがあって,でも,なかなか大変でうまく行かないことも多くて,実際,1ヶ月くらい全く弾かなくなったこともあったわけですからね.

 でも,非常に単純に言えば,「飽きてくる」のをどう制御するというか,ごまかすかという感じはしてきていて,記録を見ると,だいたい1ヶ月半くらいになると飽きる感じなので(これまた7の法則),そうなったらその曲はやめて放り出せばいいんですが,これまた実験結果として,1ヶ月に1回弾けば,そこそこのレベルは保てるので,そのくらいしたらまた弾くというか,飽き的にも少しはまた弾く気になってるというか,そういうマネージメントをして行くってことですかね.

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(ピアノ, 日記)

 ピアノなんですが,ここんとこ1ヶ月半弾いてきたパッケージ的なものに飽きてきたということもあるとは思いますが,「どういう曲が弾きたいというか弾く気になるか」が変化するような感じはしてます.

 この1ヶ月は,「練習になる曲」を弾いてきた感じなんですが,今度は,どういう曲が弾きたくなって来たかというと,弾いてて気持ちいいというか安定的に弾ける曲が弾きたくなってきました.

 安定的に弾けるというのは,難易度はそんなに関係なくて,例えば,跳躍が多かったり,引っかかりやすい曲とかは,安定的には弾きにくいですが,難しい曲でも弾けるようになってしまえば,安定的に弾けるような曲もあると思うんですよね.

 まあでも,ぐだぐだ説明しなくても,弾く気になったら弾けばいいし,弾く気がなくなったら放り出せばいいだけの話で,でも,そろそろピアノプロジェのことも考えないといけないので,両睨みということでしょうか.

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8/10'22
[内的報酬と外的報酬]

 いろいろ書いてますが,結局,「その気になるか」ってことだと思うんですよね(また,既に書いたようなことを書いてる気もしますが,少し違ったことになるとは思う(ので書いてるんですが)).

 私自身は,大した人間ではないと思いますが,その気になって何か知らんけどやらずにおれない状態になったときは,それなりのことができたと思う一方で,その気になることなんかそうそうなくて,結局,大したことになってないわけです.

 じゃあ,どうやったら「その気になるか」で,それこそまさにこのサイトの最重要テーマなんですが,何度か出てきたのが「やる気三要素」です.もはや説明は無用だと思いますが,やる気三要素は,内的熟達,人との繋がり,報酬の3つで,この順番にやる気に繋がる,そして,最下位の報酬は,逆効果になることもあるというものです.

 それは,私も実感していて,なぜなら私がその気になったのは,評価とか報酬ではなく,それそものが面白いと思ったときだったからです.そして,今の状況としては,もうすぐ社会からいなくなるわけですから,人との繋がりや報酬もなくなってくるわけで,何とか内的熟達で楽しく退屈していけないかと思ってるというか,具体的にいろいろ考えたり準備したりしているわけです.

 でも,内的熟達は「非常に難しい」とも言えるわけで,それは「面白いと感じる」ことは制御が難しいからです.逆に言えば,評価や報酬は,面白くなくても頑張ったらそういうものが得られる(かもしれない)という意味では,ある程度,制御可能とも言えます.

 で,思ったというか,これは,既に書いたと思いますが,「使えるものは使う」ということで,人とのつながりや報酬も排除しないということです.

 で,この辺から,今日考えたことなんですが,人との繋がりと報酬って別のものなんですかね? 人との繋がりは,ちょっと漠然としてますが,しんどい仕事でも誰かといっしょにすると楽しくなるからやる気になる,いい仕事をすると評価されると嬉しいからやる気になるというようなことで,一方の報酬は,この仕事をしたらお金がもらえるとかなんですが,いい仕事をすると評価されるというのも報酬ですよね.

 いや,そんなこと言ったら,内的熟達だって,ピアノである曲を練習して弾けるようになったのも報酬じゃんとなってしまうのですが,そうすると全て報酬になってしまって分析ができなくなるので(でも,世のやる気論は,だいたいそうなっていてグダグダ),要因を分ける必要があるのですが,じゃあそれは何かと言うと,「内的か外的か」だと思います.実際,内的熟達には,内的って付いてますしね.

 つまりは,やる気三要素は,全部報酬ってことにするとすると,それには,内的なものと外的なものがあるということでしょうか.

 そうすると,人との繋がりと報酬が「外的報酬」にまとまって,これはどういうメリットがあるかと言うと,お金なんか興味がない人でも,仕事が評価されるのは嬉しくてやる気に繋がるというのも,結局,同じというか,それも(ある意味,大手を振って「使える」ということでしょうか.

 具体的に書くと,下手なピアノやゴルフをやっても,それで飯が食えるわけでもないし意味ねーじゃんというのは,やる気三要素の報酬がないだけで,ピアノやゴルフをやることで,人付き合いができたり,演奏会とかコースに出たときにいいパフォーマンスができれば,上手くなりましたねーとか言われて評価されることもあるでしょうし,内的熟達的には,日々の練習の中で,少しでも上達してるとか,弾けない曲が弾けるようになれば,それが効力感に繋がるということになります.

 と,だーっと20分くらいで書いて来ましたが,思ったほど新しいことはなかったですね(笑).なぜなら,私は,元々報酬には興味がないからで,当たり前のことを確認しただけだったかもしれません.

 ただ,○年後に向けて,これまで以上に内的熟達に重きを置いていたのですが,そこに拘りすぎなくてもいいのではとは思いました.

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[木枯らしと暴風雨?]
(ピアノ)

 なぜかわからないのですが,思い立ってショパンエチュードのOp.25-11(いわゆる「木枯らし」)と対応するゴドフスキーのショパンエチュード(42番)を弾いてみました.理由はよくわからないのですが,ショパンエチュードの中でも最難曲の一つとされてるけど,弾いてみたら意外とそうでもないかもという感じがしたのと,ゴドフスキーの方が(この曲集の中では珍しく)よくできてる感じがしたからです(両方弾けば左右のバランスもとれる).

 で,結果?ですが,予想通り,(超高速で弾かなければ)思ったほどではなかったです.てか,これが最難曲? Op.25-6は別格として,Op.10-1や10-2の方が全然難しいんじゃない? まあでも,しばらく弾いてると,ほんとの難しさがわかったりするんですけどね.

 でも,手が大きくないときついとか,逆に詰まってて弾きにくいとか,(超高速でなければ)指がもつれるとか,大きな跳躍があるとかいうようなところもないし,常に一定範囲で動いていて,それこそ「いい練習曲」なんじゃないですかね.

 でも,ゴドフスキーの方は大変です.木枯らしじゃなくて大嵐というか暴風雨(笑)? でも,これも思ったほどではなかったかな(ジャワ組曲でこういうのは慣れてる? ていうか,譜面を見ただけで戦意喪失はしないというだけかも).で,ゴドフスキーの方を弾いて,オリジナルのショパンの方に戻ると,スカスカ(笑)というか,弾きやすく感じるのは,一種の効果ですかね?

 でも,不思議に思ったのは,この曲を弾くの,全くの「初」なんですよ.どんな曲でもちょっと触ったりはするものですが,これまでどうして全く触りもしなかったんですかね? 嫌いな曲ってわけでもないし.

 でも,練習を続けるかどうかはわかんないです.でも,それこそ弾く気になるうちは弾くのかな.でも,ピアノプロジェもあるし,練習するとしても30分くらいがせいぜいでしょうか.

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 うーん,でも,両方やるのは,さすがにしんどいというか効率悪いですかね.ショパンのオリジナルの方は(みんな弾いてるので)普通に弾いてもつまんないし,やるならゴドフスキー版でしょうが,これだけだと逆に左偏重になっちゃうし.

 ゴドフスキー版の左右両方版を作っちゃう? ヒントは,ゴドフスキー版の再現部というかABACの2つ目のAにあって,左主体から一瞬右主体になるし,最後の方は,ほぼ両手全開ですからね.

 うーん,でも,こういうの思いついたら,若い時なら(大学2年の春祭をソロに編曲したとき,あるいは,40くらいのときもハードロックをアルカン的超絶技巧に編曲というのみたいに)やっちゃうんですが(でも,だったら,やっぱり,どうして高校時代に自分で問題集作っちゃうことを思いつかなかったんでしょうね),もう歳というか,これも,結局,「その気になるか」ってことですね.

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 とか,書いていたら,急速に萎えてきました.理由はよくわからないんですが,いろいろ忙しいのにそんなことしてる暇なんかないし,もう歳なんだし,やめとけと本能的にブレーキがかかる感じで,いつの頃からか,こういうことがよく起こるようになりました.やっぱり,もう実質人生終わってるってことですかね.ていうか,そういうことはわかってるのに,どうしてすぐ忘れてしまうんでしょうか.

 でも,ピアノは何とか弾きました.そして,思ったのは,やはり,外的報酬というか変な邪念?は無用で,ただ純粋に弾くのを楽しむのが無敵だし,0から練習して行くことを考えれば,ある程度弾けるようになっても,そこからなかなか弾けるようにならないことに固執することもないというか,弾ける範囲で淡々と弾いていけばいいということで,そういう意味では,時々0の曲を弾いてみることも必要ということでしょうか.

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[非常につまらなくなってくる]

 ピアノ一つとってみても,そもそも,何のためにピアノを弾くのかと考えれば,目的なんかないわけで,そして,それは,ピアノに限った話ではなくて,なんだか,非常につまらなくなってくるんですが,生きて行くのであれば,何か退屈しのぎは必要で,ピアノなら,うまく弾けない曲があるのなら弾けるようになるように練習することが退屈しのぎになるのなら,それは,ピアノに限った話ではなくて,そう考えると,退屈しのぎには事欠かないとはなるわけで,人生所詮退屈しのぎという哲学にかろうじて救われるということでしょうか.

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8/11'22
[生きて行くのであれば]

 生きて行くのであれば,ということは,そうでない選択肢もあるということになります.実際,60代の自殺は多いみたいですし,一頃,芸能人のそういうことが続いたこともありました.理由は,体調問題,経済問題などいろいろなんでしょうが,そういう問題がなくても,定年とかで会社や大学などからクビと言われ(芸能人なら仕事が減り),子供も成長して自分が必要とされなくなって,これ以上生きててもいいことなんかないし生き甲斐もないと考えるのは,むしろ自然なことで,50くらいで実質人生が終わるというのもそういうことです.

 そして,20代,30代の若い人達も,2, 30年すれば,つまり,生まれて今までくらいの時間が経てば,みんなそうなるわけで,人生はほんとに短いと思いますね.頑張って勉強したりとかしていい大学に入って就職して働いて結婚して子供を育てたら実質人生は終わりで,あとは,年に何回か孫の顔を見るだけが楽しみみたいな(ていうか,孫や子供もいない人も多いでしょうし).

 でも,それでも「生きて行くのであれば」生きて行かなくてはいけません.そして,どうせ生きて行くのなら,少しでも楽しく気分よく生きて行きたいとは思いますよね.そして,それが人生所詮退屈しのぎという哲学なわけです.

 ものは考えよう的に言えば,頑張って(やりたくないことして)勉強したり働いたりしなくてもいいわけですし,要介護にならない程度,体と脳が動いて,何でもいいのでちょっとした楽しみ,せめて退屈しのぎがあれば,何とかやって行けそうな気もするのですが,年に何回か(孫の顔を見るとか)では厳しくて,日々の生活の中でそういうものが必要で,それは,自分で「作り出す」しかないんですが,なかなか大変なことだと思うんですよね.

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[全然練習なんかしてなかった]
(ピアノ)

 今日も(うまく弾けない曲があるのなら弾けるようになるように練習することが退屈しのぎになるのならと考えたら)何とか弾けました.そして,思ったのは,ちゃんと弾けるようにちゃんと練習するのは大変ということです.それこそ,1日6時間とか8時間とか練習しないとだめなんじゃないかな.そして,ちゃんと弾いてる人は,そのくらい全然普通に練習してるわけです.

 そう(ちゃんと弾けるようになるには1日6時間とか8時間とか弾かないとだめ)思ったのは,おそらく,生まれて初めてで,一体,今まで何をやってたんだというか,全然練習なんかしてなかったってことですね.

 でも,1日6時間とか8時間練習するのは,(当然ですが)無理です.それは,今は仕事をしているからということもありますが,じゃあ,仕事をリタイアしたら,あるいは,リタイア前も休日ならどうかですが,やっぱり,ちょっと無理ですかね.

 一つの考えとして,例えば,1分くらいの短い曲に集中してやれば,密度的には同じになるということはあるんですが,1分くらいの短い曲だけを毎日1時間弾き続けることもできないと思うんですよね.

 つまりは,何度か書いたように,人間,結局,「たった一つのこと」しかできないってことですかね.でも,私は,「たった一つのこと」以外にもいろいろやりたいことがあって,なので成功しないのは当然なわけです.

 でも,成功したいわけでもないので,それはそれで構わなくて,そんなことより楽しく気分よく過ごして行きたいし,そういうことが結果的に違った意味での本当の成功に繋がったとも思うので,それはそれでいいのでしょう.

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[何して退屈しのぎして行くか]

 問題は,これからどうしていくかで,要は,楽しく退屈しのぎをして行ければいいので,ピアノを1日何時間も弾くことでそれができればそれでもいいのですが,ピアノ以外にもいろいろやることはあるので,ピアノだけに何時間もかけられないということですかね.

 なので,退屈しのぎには事欠かないとは思うし,やることは何でもいいとは思うのですが,どういうものがいいかというのはあって,(海外旅行とかブランド品の購入とか)法外なお金がかからない方がいいということもありますが,何かに依存するものは危ういと思います.

 一つは,そこに人が介在するものですかね.もちろん,誰かといっしょにやるから楽しいってことはありますが,そういうものは,いっしょにやってくれる人がいないとできないという問題があります.

 何かに依存するものとしては,他人が作り出すものというのも危ういですね.新型コロナでできなくなったものは,まさにそういうもので,そういう状況で,簡単になくなってしまうものということですからね.

 既にあるものかこれから生み出されるものかというのもありますかね.例えば,商業音楽とか商業芸術というか,例えば,大衆音楽や映画が趣味だとすると,新作を作ってもらわないといけないわけですよね.

 でも,既にあるものが半無尽蔵にあるのなら,それでも行けるかもしれません.でも,商業音楽とか商業芸術って,どうなんですかね? まだそこまでストックがないというか,既にあるものだけでは,満足できないというか,商業なわけですから,新作を作ってお金を払ってもらわないと回らないわけで,まさに「そういうこと」なわけですし,新作が駄作なことも多いです.

 そういう意味では,商業芸術でない真の芸術なら,ストックは,半無尽蔵にあるわけで,それで充分楽しんで行けると思いますし,駄作は淘汰されていいものしか残っていないということも大きいでしょう(そういう中で,まだ評価されてないいいものを発見できるレベルまで行けば相当なもの).

 既にある真の芸術ということでは,文学の世界もありますよね.本を読むのは,音楽を聴くより大変ですが,その分,退屈しのぎになるとも言えます(それは,音楽を演奏するのもそう).

 高校時代,いろんな本を読んでいたのを思い出したってことなんですが,じゃあ,どうして(勉強もしないで)本なんか読んでたかなんですが,単純に読みたかったんじゃないですかね.読んでいたのは,当時の最先端のもので,安部公房とか大江健三郎とか,少し古いものだと三島由紀夫とかだったと思いますが,まさに最先端の幻想の世界でしたし,夢の世界というか,退廃的な狂気の世界というか,そういう世界に導かれるという感覚があったと思います(近現代音楽や近現代美術もそういうところがある).

 今はどういうものが最先端なんでしょうか? まさか,村上春樹? ていうか,そういうことなんですよね.なんかつまんないですね.ていうか,そういうことが本を読まなくなった最大の理由かもしれませんね.

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8/12'22
[既にある真の芸術としての文学]
(文学)

 既にある真の(大衆迎合しない)芸術としての文学ということなんですが,音楽と違うのは,やはり,描写の中に時代背景が色濃く出て,昔のそういう作品を読んでもしっくり来ないところがあるわけです.

 例えば,漱石のこころのことをこのサイトで書いたときに書いたと思いますが,この小説自体はあまり面白くない一方,非常に重要なことを提起しているとは言えるんですが,やっぱり,今とは時代が違う感は否めません.

 そういう意味では,三島だって「仮面の告白」とか言っても,当時はセンセーショナルだったと思いますが,LGBT的に言えば今はもうそういう点での新鮮味はないわけで,松本清張の「点と線」だって,種明かしが電車ではなく飛行機を使った,では,今の世の中,始めからネタバレしてるようなものでしょう(実際,私が読んだ50年前くらいでさえ,途中でわかっちゃった).

 そういう意味では,いわゆるクラシック音楽にそういう「時代の問題」を全く感じないのは,ほんとに驚かされます.

 そうすると,現代のものということになるんですが,もう何十年も読んでないので,今の状況はよくわからないのですが,読みたいと思うような作品がないということですかね.もちろん,「いい作品」はあると思うのですが,学術や芸術と同様に「これまでにない」という観点からすると,形骸化したとは言いませんが,従来の枠組みの延長上のものしか提供されていない感じがしてしまいます.

 そういう意味では,私が一番本を読んでいた1960年代から80年代くらいまでは,「これまでにない」作品がどんどん提供されていたときで,すごい時代だったと思いますし,そういうタイミングを(受験で失敗しても)逃さなかったのは,よかったのかもしれません.

 でも,当時,そういう前衛的な作品ばかりだったかと言うとそうではなくて,ノーベル賞をとった川端康成とか,安部公房とともにノーベル賞候補と言われていた井上靖とかは,全然前衛的ではなくて,でも,私はそういうものには興味がなかったので,読んでませんでした.

 でも,遠藤周作とか北杜夫とかは,結構読んだと思います(高校受験に失敗した帰りの新幹線の中で北杜夫の幻想的な小説をずっと読んでたことはどこかで書きました).いわゆる大衆小説的なものも多いのですが,「沈黙」とかちゃんとした小説も書いてますし,そういうものは,前衛的とまでは言えなくても,読むに値するとは思いました.

 もちろん,そういう純文学的なもの以外のものをいろいろ読んでた(畑正憲のムツゴロウシリーズとか遠藤周作にもそういうのがあったと思う)と思いますし,漱石とかの古典も読んでましたし(自分の部屋に文学全集があったのでそういうものはすぐに読めましたし,父の書斎に行けば「ない本はない」感じでした),今にして思えば,とにかくいつも何か本を読んでる感じでした.

 そして,今の印象としては,前衛的で今までにないものを生み出すことに挑むような作品が消えて,川端康成とか井上靖とかの従来の枠組みの延長上のものだけが(どういうわけか)残って,つまり,そういう本しか売れなくなったわけで,これも衆愚主義というか,全体的な知的レベルが低下してるのかもしれませんし,それは,学術や音楽でも強く感じますね.

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[私にとって本を読むというか文学って]
(文学)

 今はもうほとんど本を読まないのですっかり忘れていた感じですが,私にとって,本を読むというか文学って,両親ともに文学者で,家中に本があるような環境だったことを考えると,両親がバドミントンプレーヤーで小さい頃から体育館に連れて行かれて気づいたらバドミントンしてたみたいなものだったのかもしれません.

 実際,父親にずっと本を読めと言われ続け,一万冊の本を読めとかいう遺言?まで書かれたわけですからね.なので,読みたくて読んだというよりは,読まないといけないから読んでたという感じですが,何を読むかは自由だったので,読みたい本を読んでましたし,本は,家の中にありました(安部公房や大江健三郎の小説を読み始めたとき,父の書斎に行ったら,全部初版本でありました).

 つまりは,本を読むことが半ば義務みたいなもので,その上,音楽にはまって,部活もあるし,そんなんで,一体いつ勉強してたんやって感じです.夕食後は,自分の部屋にいたと思いますし,一応勉強してた体ではあったと思いますが,記憶に残ってるのは,勉強をさぼって,本読んだり音楽のことを調べたりしてたことで,まるで授業中内職してるような感じでした(学校の授業中も).

 でも,国語の成績は全然だめで.英数理で稼いでも国語で吐き出してしまうような惨状でしたが,父が亡くなって,突然,国語が大得意になったのは,何とも不思議な現象で,東大は,理系でも2次試験で国語があるし,英語は半分国語の試験のようなものなので,それは大きかったですかね.

 でも,今にして思えば,小さい頃,大量の本を読んだことがその後の私にどういう影響を与えたかはよくわかりません.卒論で初めて論文を書いたとき,文章書くのうまいねと南先生には言われましたが,うーん,関係ある感じはしませんかね.

 このサイトを開設したときも,最初は,全然筆が進まなくて(多分,今の1/10くらいのスピード),でも,ある日,突然,ものすごいスピードで文章が書けるようになって,それがなんと20年近く続いてるわけで,それが何かもよくわからないですね.

 でも,論文はともかく,このサイトについては,まさに「何の役にも立ってない」ってことですが,このサイトに好き勝手なことを書くことでそれなりに楽しく過ごして行けるのなら「大いに役に立ってる」ということになりますね.

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[日差しが強い]
(世の中, 気候)

 暑いですね(言うなってか).とは言っても,何度も書いてますが,個人的には,一日のほとんどを空調が効いた室内で過ごしているので,実際は,どうということはありません(でも,「外が暑い」ということについて,微々たるものだとは思いますが,50年前と比べると,経済活動の活発化も含めて,室内でがんがん空調を効かせてる分,外気がその分上昇する(室外機から暖気をがんがん出している)ということもありますよね.実際,ヒートアイランドというか都市部では気温高いし).

 でも,大学と家との一日数往復の計10分くらいは,外に出て外気に触れますし,時々,昼ご飯を食べに家に帰ったり,大学の食堂も離れた建物にありますので(距離にすると家に帰るのと変わらない),そういう時は,午後1時とか2時の最も暑い時間に(数分だけですが)外に出ることになります.

 で,その時思うのは,とにかく「日差しが強い」ということです.そして,明らかに自分が小さい頃より日差しが強い感じがするんですよね(歳をとってそう感じるようになったということはあるかもしれませんが(笑)).これってどう思いますか?

 地球が温暖化してるのは,二酸化炭素などの温室効果ガスの影響ということになってるんですが,これって日射量は変わらないと言ってるってことですよね.でも,日射量が増えてきているのなら,地球温暖化というか,気温が上昇して来ているのは当たり前で,でも,そういうことは全く言われないわけです.

 ということで調べてみました.出典は気象庁とあるので,データは信用できるとすると明らかに日射量が増えてきてませんか? つまりは,これが気温上昇の主たる原因で,二酸化炭素の影響なんかより全然こっちの方が大きい,ましてや,人間が出す二酸化炭素が原因なんていうのは,作り話ってことはないですか?

 

 じゃあ,どうして日射量が増えてきてるかですが,考えられるのは,太陽活動と晴天率でしょうか.

 太陽活動については,黒点数と関係があるとされていて,それと気温との関係を見ると

 

 このサイトでは,黒点数(太陽活動)と気温上昇の間に明確な関係は見られないとありますが,明らかに1980年以降,黒点数がそれ以前に比べて多い,つまり,数十年スパンで見て減少傾向というよりは,1980年以前に比べて太陽活動が活発な状況が続いていて,それに伴って気温も上昇しているように見えます.

 私は,この分野の専門家ではないので,大きなことは言えませんが,近年の気温の上昇が人間が排出する二酸化炭素のせいであると断定するのは,どう見ても無理があると思う一方で,日差しが昔より強くなってると感じるのは,まさに実感です.

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8/13'22
[一体いつ勉強しとったんや?]

 最近,なぜか,受験というか,高校時代というか,若いときのことを書くことが多いのですが,高校時代,ピアノとか音楽とか本を読むとか部活とか,一体いつ勉強しとったんや?(ていうかしてない)ってことなんですが,そんなこと言ったら,今もそうやろと言われそうです(笑).

 実際,このサイトに毎日のように大量の文章を書いてることで,ちゃんと仕事してるの?と思う人もいると思いますし,実際,そういうことを言われたこともあります.

 でも,何度も書きますが,このサイトの文章を書いてるのは,1日平均1〜2時間で(データをとってて,今日現在の過去1年の平均は1日1.5時間),休日は増えることを考えると,平日は1時間程度でしょう.信じられないかもしれませんが事実です.

 でも,これ以外にもピアノとかバドミントンとかスキーとか運保とかもあるし,身の回りのことも自分でやってるし,一体どうなってんの?ってことでしょうが,今は,バドミントンとスキーはほとんどやってないですし,食事は20分くらいで作れるものしか作らないし,洗濯は週に2回くらいだし,掃除なんか時々すれば充分でしょう.

 ここで,思ったのは,30代です.ピアノは今よりは弾いてなかったと思いますが(いや,ファミーユに行ってた頃だからそこそこは弾いてたかも),バドミントンは,週2, 3回練習に行ってトレーニングもしてましたし,40になったときに全日本に出るつもりでやってました.スキーもクラブに入って,シーズン20日くらいは行ってましたし,準指も受けてましたからね.結果は出なかったんですが,相場研究は,一番やった時期じゃないですかね(でも,食事はほとんど外食(学食)だった).

 研究は,迷走した時期ではあるんですが,毎年,査読論文は書いてましたし,当時は,学生はいないので,いろんなテーマに取り組むことはできなかったですが,計算して図を描いて論文を書くまで全部自分でやってましたし(でも,テーマが一つか二つならそっちの方が早い),でも,研究より,学外の仕事が大変でした(若手の実働部隊で委員会に入って,計算して結果を出して説明する).

 そういう意味では,今より30代の方がすごかったと思いますし,だったら,もっと若かった20代,10代は,もっとすごかったと思うんですよね.なので,高校時代,勉強以外にいろんなことをしていたと言っても,勉強もしてたのかな,と一瞬思ったんですが,そうは行かなくて,それは,授業があるからです.

 つまり,1日何時間くらいだろ,それこそ6時間とか8時間という長時間を机と椅子に縛り付けられるわけですよね.いやいや,授業だから勉強してるでしょ.いやいや,学校の授業なんて...(ほとんど聴いてないか,本読むとか内職.今にして思えば,内職して勉強すればよかったと思うけど,高校時代は,そういう意欲はなかった(中学時代は,内職して自分で勉強してた)).

 てことで,やっぱり,勉強してなかったんでしょうね(笑).でも,20代というか,研究室に入ってからは,そういう「縛り付けられる」時間が激減し,博士に行ってからはほぼなくなり,それは,就職してから今に至るまで続いてるわけで,それが仕事をしながらもいろんなことができた最大の要因であることは間違いないですね.

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 でも,20代,30代はそうでしたが,50代は,学内外の会議とかいろいろ「縛り付けられる」仕事が増えて,それは問題だったと思います.そういう意味では,40代は,学外の仕事はかなりありましたが,一番,バランスがとれてた気もしますし,仕事も一番できたと思います.

 ここ数年はどうかというと,何と言っても会議の多くがオンラインになったことで非常に助かっています.あまり大きな声では言えませんが,どんな会議でもCPUの占有率100%ってことはなくて,でも,対面だと会議以外のことはできませんが,オンラインなら,会議にはちゃんと参加しながら,それ以外のこともできますからね.

 でも,委員長とか○○長とかになるとそうは行かないので,そういうのが増えるとやっぱりちょっと大変ですね.でも,もうあと○年なので,もう何とかなるというか,何事もありませんようにということでしょうか.

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[どうして高校時代勉強しなかったのか]

 でも,考えてみたら,どうして高校時代,あんなに勉強しなかったんでしょうね.中学時代は,もっとしてたと思いますからね.音楽とかに夢中だったと言っても,それは中学時代もそうだったし,私の場合,音楽とかに夢中だった分,本業が疎かになるということはないですからね.

 なので,授業はともかく,世の参考書や問題集の中身の不備を見つけてというのも言い訳というか,だったら,自分で完璧なものを作ればよかったわけで,そうしなかったというのは,思いつかなかったのではなくて,勉強そのものに興味を失っていたってことなんだと思いますし,興味を失うと全くやる気にならないですからね.

 じゃあ,どうして興味を失ってたかですが,よくわからないです.そういうものは周期的に変化するということだと,タイミングが悪すぎる感じもしますが,数年とかもっと長い周期でそういうものは変化するし,たった3年という高校時代が「谷」になってもそんなに不思議なことではないですが,やっぱり,タイミングが悪いとは思いますね.

 まあでも,何とか志望校には滑り込んだわけだし,研究室時代が「谷」になっていたら,研究者にはなってないので,よしとしないといけませんかね.

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[人に喜んでもらうこと]

 人に喜んでもらうことこそが(自分の)喜びだと言ってる人がいました.

 そう思いますね.親が子に何かするのもそういうことが理由でしょうし,教員と学生にもそういうところがあります(学生を喜ばせるというか,とにかく学生のためになることをと教員は考える).

 でも,人に喜んでもらいたいと思っても,「そういう相手」がいなければ話になりません.私には今学生はいますが,あと○年で終わりですし,親の心子知らずというか,よかれと思ってもそれが学生にはわからないんですよね.

 じゃあ,うざがられても嫌われてもよかれと思うことを,とまでは思いません.そして,それは,最近の親子関係もそうなんでしょう.そして,そういうことが近年の人材の劣化に繋がっていると思うんですよね.

 でも,これって,実は「人に喜んでもらうこと」を実行しているのかもしれませんね.つまりは,人に喜んでもらうことをすることで自分も喜びを感じるけど,それだとそうなっちゃうってことですね.

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[0から何かが生まれた]

 生まれる前は0だったんだから0に戻るのが自然と書きました.でも逆に言えば,0から何かが生まれたわけで,それはすごいことなのかもしれませんし,そういうことを残しておくことは必要なことかもしれません.でも,何もかも残せるわけじゃないし,これから生み出して行くけど,まだ私の頭の中にしかないこともあるわけですよね.

 でも,そういうことを考えると,変なことになりそうなので,余計なことは考えず,おとなしく0に戻ることにします.

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[と言ってる人がいました]
(世の中)

 虫歯だらけの歯医者は信用できないと言ってる人がいました.そうなんですかね.いい歯医者というのは,虫歯を適切に治療できる人のことで,自分が虫歯かどうかは関係ないんじゃない? 医者の不養生って言うし.

 そう言えば,頭の体操で,村に一軒しかない散髪屋に二人の散髪職人がいて,一人は,ぼさぼさ,一人は,きちんとしてて,どっちに散髪してもらうのがいいかって問題がありましたね.

 食料自給率なんかいくら低くてもいい.だって,食料はどこの国でも作っていて,どこかの国と戦争するとしても,全ての国と戦争するわけではないので,戦争してない国から買えばいいから.でも,石油は,特定の国からしか出ないからそうは行かないと言ってる人がいました.

 じゃあ,戦争になって海上封鎖されたらどうなりますか?

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[解がない]

 うーん,やっぱり,これからのことを考えるとあまりいいイメージはもてないですね.

 じゃあ,定年がなくてずっと仕事できればいいかと言うとそういうわけでもないし,それは,世の中が平穏で無病息災どころか不老不死でずっと仕事もやりたいこともできるとしても然りです.

 つまりは,こうだったらいいなという「解がない」感じがするんですよね.

 じゃあ,どうしたらいいんでしょうね.生きて行くしかないのなら生きて行くしかないですが,生きて行くのなら解がない中でも一番ましというか,少しでもましにってことなんですかね.

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8/14'22

 でも,何か変ですよね.

 というのは,現状には満足してるわけで,でも,それがずっと続くことは望まないというのは,どういうことかということです.

 つまりは,(満足してる)今の状態がずっと続くことには満足できないということなわけで,そうすると,今の(満足している)状態がどこかで終わることが「解」ということになり,これは,即ち,人生が終われば,解決することになり,そして,実際,もうすぐ人生は終わるわけで,なるようになってるとも言えます.

 ただ,それが「もうすぐ」かどうかはわからないし,思った以上に長いと(たとえ不老でも)それはそれでしんどい感じがするし(不死ならなおさら),今すぐは,まだ○備ができてない,ということで,しっかり○備をしていつでもOKにすることが「解」だったりするのかもしれません.

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 言い方を変えると,全てを受け入れることが肝要と何度も書いていますが,まさにそういうことで,全てを受け入れればいいわけで,そのためにどうするかということはあるわけです.

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 「解」かどうかはわかりませんが,しっかり○備を進めて,その時がいつ来ても大丈夫になっておくというか,そういう準備を進めていくことが大事な気がしてきました.そう言えば,○備のこと書いてから,どういうわけか,そういうことが疎かというか,全く進んでなかったと思います.

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[笑い者]
(世の中)

 ちらっと見ただけですが,平成生まれの若い人達に昭和の時代に流行ったりバズったりしたものを見せて,信じられなーい,○カじゃないの?とか言わせて笑い者にするというのをやってました.どう思いますか?

 今の時代に流行ってるものとか,バズってるものとか,バエるとか,カリスマとか言ってるのも,そのうち笑い者になるってことですよ.

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[陰謀論とか都市伝説]
(世の中)

 陰謀論とか都市伝説ってありますよね.最近だとVクチンにマイクロチップが仕込まれてるとか人類滅亡計画だとか(笑).

 もちろん,そのほとんどは,まさに陰謀論とか都市伝説なんですが,今の世の中の仕組みを帰納的に考えると,中には辻褄が合うものもあるわけで,全てを否定するのもそれはそれで危ういと思いますし,敢えて突拍子もない都市伝説を流して,それと一緒くたにすることで真の情報を見えなくすることも行われてると思います.

 今の世の中の仕組みというのは,何度も書いているように,一部の大金持ちが目先の経済を回して庶民をこき使って搾取してのうのうと暮らすという仕組みで,それは,貴族と奴隷という太古の昔から基本的に変わっていません.そして,その体制を維持するために何でもするのが現代の貴族である○○資本なわけです.

 例えば,世界の人口が増えすぎてリソースが足らなくなってきたと思ったら,何らかの形で人口を減らそうとするでしょうし,そのために手段を選ばないわけで,戦争やVィルスやVクチンを使うということはあるかもしれません.そこまで行かなくても,発がん性のある添加物を使って,がん発症率を上げてがん保険を売りつけるとか平均寿命を短くするくらいのことは平気で行われてるわけです.

 でも,そういうことが目的でそういうことを直接やってるとしたら,まさに○○論ってことなので,もっと現実的に考えれば,やはり,経済優先主義の中でそうなってる,つまり,経済が一番大事ということを浸透させればよくて,そうすると自然に上に書いたようなことになって行って,○○資本の思うつぼということです.

 実際,経済効果があるとか,とにかく頑張って働いて(目先の経済を回してでも)経済成長するとかいうことに異論を挟む人はほとんどいないという惨状で,そうすると,儲けるために(おいしくなって日持ちする)危ない添加物をいっぱい入れるとか,経済を回さないといけないから(怪しい)Vクチンをみんな打ちましょうという流れになるわけで,まさに「全ては繋がってる」感じがしてしまいます.

 じゃあ,どうしたらいいかですが,そういう(ひどい)世の中とできるだけ距離を置いて関わらないことでしょう.そして,よく考えることが重要で,テレビとかインターネットで言われていることを真に受けて,回りがそうしているから大丈夫というのが一番やばいということです.

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[日本は一体これからどうなる?]
(世の中)

 相変わらず,少子高齢化で人口も減少していく日本は一体これからどうなる?ってやってますよね.世界を席巻した?バブル時代はよかった?

 何度も書きますが,日本がどうなるかなんか関係ないでしょ.つまり,国がどうこうではなく,自分がどうするかですよ.そして,何をすべきかをよく考えてしっかり働くことです.

 いやいや,いくら働いても給料上がらないし? でも,給料上がらなくても物価も上がらなければ全然問題ないじゃないですか.実際,世界を席巻した?バブル時代も,給料が上がったのは限られたところだけでしたし,家とかマンションはあり得ないくらい値上がりしてほとんどの人は家を買うのをあきらめたわけですからね.

 いやいや,円安になって物価上がり始めたし.そうですね,ちょっと悪い方向に動き始めてますね.でも,何をすべきかをよく考えてしっかり働いて行けば大丈夫ですよ.

 要は,目先の経済を回すのではなく,しっかり地道に働いて,世の中に必要なものを作って,輸出して外貨を稼ぐことです.国が沈んでも自分が頑張ればいいからと言って,自分の回りから搾取するようなことをしていると,円安になって物価が上がって生活はどんどん苦しくなりますよ.

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[ピアノが上手いって]
(ピアノ)

 あらためてなんですが,ピアノが上手いってどういうことでしょうね.ピアノが上手い人は,多くの時間練習する人と何度も書いてますが,そうは言っても,私がソナチネアルバムくらいの曲を弾いたらほとんど初見で弾けるでしょうし,一方,アムランと私がまだ弾いたことがない(かなり難しい)同じ曲に取り組んだら,彼の方が短い時間で弾けるようになるでしょうからね.

 でも,それでも,結局,どれだけの時間練習してきたかだとは思うんですよね.実際,ソナチネアルバムやってる人よりは,私の方がこれまで多くの時間練習してきたと思いますし,私よりアムランの方が遥かに多くの時間練習してきたと思いますからね(おそらく,私とアムランの練習時間の差の方が圧倒的に大きい).

 じゃあ,どれだけの時間練習してきたかというのは,どういうことかと言うと,どれだけ多くの曲を弾いて来たかということでしょう.曲と言ってもいろいろで,いろんな指の動きがあるわけで,でも,多くの曲を弾いていれば,いろんな指の動きというか,動かし方を覚えているわけです.

 わかりやすいところでは,スケールはそうでしょうし,八度進行も然りです.でも,三度のエチュードは,そうは行かないし,ショパンの10-1のエチュードも少なくともその時代においてはそれまでにない動きだったということですかね.

 なので,どれだけ多くの曲を弾いたか,つまりは,結局,どれだけ練習したかってことなんですが,効率の良し悪しはあるとは思いますし,そういうことを研究するのも面白いです.でも,弾く気にならなければ,話にならないので,効率だけ考えればいいというわけでもありません.

 でも,結局,どれだけ練習したかと言っても,限られた時間しか練習できないのですから,何も考えずに弾いていては,どうしようもないでしょうし,少なくとも私はこれまでまともに練習なんかしていなかったわけで,これまでのようにやっても上手くはならないってことですね.

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8/16'22
[現実的な理想]
(世の中)

 再三,目先の経済を回してもしょうがない,そんなことするからどんどんおかしくなって経済危機や戦争が起こると書いてますが,じゃあ,どうしたらいいでしょうね.

 もちろん,「理想」はあるんでしょうが,「理想と現実」というか,理想は必ずしも理想ではないわけで,「現実的な理想」ということでしょうか.

 理想ということでは,世界中の経済格差がなくなって,国境というか国という概念もなくなって,通貨も言語も共通化されるというのはあるんでしょうが,すぐには無理というか,時間的な現実性もあるわけです.

 でも,世の中の流れとしては,目先の経済を回しながらも不便から便利になってはいるわけで,その多くは金儲けに繋がるんですが,現実的には,そういうことは,まあやったらいいとは思いますし,誰も止められないとも思います.

 つまりは,極一部の世の中を変えていく人間と,大多数の庶民に二極化して行って,庶民はBIもらってそれなりの暮らしをして行くということでしょうか?

 でも,経済面ではそうかもしれませんが,金儲けなんか興味がなくて,学術や芸術やスポーツがやりたくて,そういうものに打ち込む人もいるわけですし,対象を広げれば,そういうものは他にもいろいろあるでしょう.

 つまりは,多くの人が「生きて行くのに何かがある状態」というのがいいんでしょうし,そういう意味では,BIもらったら朝からパチンコ打って一日潰すのではなく,何らかの形で働いて,何らかの形で社会に貢献する(午前だけとか午後だけとかでもOK)のがいいとも思うんですよね.

 だとすると,このくらいのことは,すぐにでもできそうな気もするのですが,現実には,できないわけで,それは,やはり,今の世の中(目先の経済を回してでも)金儲けすることを中心に回ってて,世の中を便利にしていくことやほんとに必要なことならまだしも,そうでない目先の経済を回すことで金儲けしようとしてる人間が大半なわけですからね.

 ということで,「現実的な理想」と言っても,所詮絵に描いた餅なんですが,道はあって,世の中は,そんな惨状でも,自分だけは,ある程度,そのように生きて行くことはできるからです.

 具体的には,何かやりたいことや打ち込みたいことを見つけて,それを仕事と重ねるか重ねないかはありますが,目先の経済を回して金儲けするために仕掛けてくる罠に騙されて散財することなく,自分がやりたいことをしていくために必要な分だけ働いて行けばいいというだけの話だと思うんですよね.

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 でも,そういう風に幸せに生きて行けるのに,どうして,多くの人にそれができないのでしょうか.

 一つは,やりたいことや打ち込むことが見つけられないってことなんでしょうね.でも,やりたいことで食べて行くのは難しいでしょうが,仕事にできなくてもいいのなら,やりたいことはいくらでもあると思うんですよね.

 ただ,そこで注意しないといけないのは,やはり,金儲けしたい奴に騙されないことです.やりたいことが海外旅行とかお金がかかることだったりすると,その分,余計な(やりたくないことして)働かないといけないことになってしまいますからね.

 そういう点では,家が欲しい,タワマンに住みたい,いい車に乗りたい,うまいもん食いたい,海外旅行に行きたい,ブランド品が欲しい,夜の街で飲んだくれたいというのも,ものの見事に騙されてはめられてるわけで,でも,逆に言えば,そういうことに騙されず,そんなにお金がかからないやりたいことを見つけられたら,充分幸せに楽しく生きて行けると思うんですよね.

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[自分に返ってくる]

 でも,こういうことを書くと「自分に返ってくる」気がします.

 具体的には「やりたいことや打ち込むことが見つけられないとか言うけど,そういうものはいくらでもある」のくだりなんですが,そのままリタイア後の私に返ってくるわけです.

 つまり,そういう文章を書くことで,自分自身が気づかせてもらってるわけで,なんともありがたいというか,人に教えるつもりが自分が学んでいるというのは,まさにそういうことですね.

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[これからはどういう人が有利か]

 優秀な理系の人間の受け皿が(メーカーの没落や官僚叩きで)なくなってきたと何度か書きました.でも,そういうものかもしれませんね.

 太古の昔は,頭がよくて仕事ができる人間より,狩りができたり,外敵から逃げられるように足が速いとかの肉体的なことの方がものを言ったでしょうし,そういう社会の変化によって有利不利は変化するものでしょう.

 じゃあ,これからどうなって行くかですが,今の流れとしては,デジタル化ということで,そういうことが得意な人が有利になってくるって感じですが(でも,そういうのが理系かと言うと大分違う),そういうことそのものが関係なくなってくる気もします.

 だって,BIもらって働かなくてよくなるのなら,仕事そのものに意味がなくなるわけで,今の価値基準とされている社会的地位とかやお金とか経済的なことなんかどうでもよくなるわけですからね.

 じゃあ,そういう時代になって,一番有利というか,幸せなのはどういう人かというと,やっぱり,(そんなにお金がかからない)やりたいことがある人なんじゃないですかね(理系というか,数学や物理がやりたいのなら金にならなくてもやればいいだけの話).そして,そういう時代になったら,じゃなくて,(必要以上のお金は要らないわけで)既にそうなんじゃないですかね.

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8/17'22
[バックアップシステムの重要性]
(PC, 日記)

 今日は,PC回りでトラブルがあって大変でした(早くやらないといけない仕事もあったのですが全くできず).京大とか言っても,そのシステムは脆弱,かつ,何かあったときの対処もなおざりなわけで,全く以てあてにならないということですね.

 でも,先日のauもそうですが,こういうことは起こり得るわけで,そういうことがあったときのために,しっかり,バックアップシステムを整えておかないといけないということでしょうか.

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 それで,事態に気づいたときは,一体どうしたら...という感じだったのですが,歳をとると反応が遅いというか慌てなくなるというか,歩みは遅くても着々とめんどくさいことを淡々とこなせる感じで,まあ何とかなった感じでしょうか.

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 いろいろ調べていたら,こうすればよかったというか,どうして思いつかなかったんだろうということに至りました.

 でも,今回はそれで行けたと思いますが,もっと根本的にPC自体がやられる場合もあるので,やはり,バックアップシステムを整えておくことは必要ですね.

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[スポーツビジネスの第一人者?]
(世の中)

 スポーツビジネスの第一人者という見出しが見えました.スポーツビジネスの第一人者? どういうこと? 単なる金儲けに「第一人者」というような言葉を軽々しく使うべきではありません.

 何度も書いて来たように,スポーツは,断じて金儲けの対象ではないし,そもそも世の中の役に立つものではありません.つまり,金儲けなんか度外視しても打ち込むことに値するもので,それで金儲けをしようという輩に第一人者も糞もありません.

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[意識が低い]
(大学)

 定年まであと○年なんですが,そんなことより,こっちに来て,研究がほとんど進んでいません.理由は,(身内の恥を晒すようで情けない話ですが)学生が研究しないからで,こんなことになるとは思いもしませんでした.筑波大の卒業生達が頑張ってくれてるのが救いですが,こんなことなら,さっさと次の段階に行くことを考えた方がよさそうです.

 じゃあ,どうして学生が研究しないかですが,一言で言えば,「非常に意識が低い」ということでしょう.研究という自分を高められる格好の材料があるのにそれを活かそうとせず,研究に比べれば,大して自分を高めることにならないことを優先する.そんなことで社会に出てどうなるかは明らかなのに,何度言ってもそれがわからないようでは,どうしようもありません.

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 不思議なのは,どうして(京大の建築の)学生の意識がこんなに低いのかですが,何となくそういう雰囲気はありますし,実際,そういうことを言われる先生もいます.何とかしないとまずいんじゃないですかね.

 筑波大では,自分がやりたいことができる研究室に行くのに学生はみんな必死でしたし,研究室に入ってからは,京大の学生の何倍も研究していましたし,研究を通してみんな劇的に成長して社会に出てきました.

 もし私が会社の就職担当なら,どちらの学生をとるかは明白ですし,インターンシップは言うまでもなく,プレゼンでもさせれば一発でしょう.(東大とか)京大だからとか言ってても,こんな感じでは,他大学の学生の方が全然優秀で仕事ができて,社会に出てからこんなはずじゃなかったってなりますよ.

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[まだまだ甘かった]
(生活)

 添加物排除生活を始めて4年くらいになるのかな.もちろん,それ以前に比べると格段に体調はいいと思いますが,まだまだ甘かった感じはします.

 一つは,排除すべきは,添加物だけではないということもありますし,添加物自体もまだまだというようなことが最近ちょこちょこあるんですね(生活クラブだから大丈夫というわけではない).

 でも,そんなことしてたら食べるものがなくなって来る的なことはあるわけで,できる範囲でってことなんですが,食べるものがなくなる感じはしないというか,もうあれも食べたいこれも食べたいってわけじゃないですからね.

 ということで,また一段と進めたいと思います.別に長生きしたいとは思いませんが,心穏やかに苦しまずに死にたいとは思いますからね.

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8/18'22
[何事もなかったかのように「復旧」]
(大学)

 朝,大学に来てみると,何事もなかったかのように「復旧」していました.連絡も何もありません.

 月曜から昨日まで夏季一斉休業だったのですが,休みなんだから大学に出てきて仕事してる人もいないし,コンピュータを動かす人もいないから問題ない?

 何とも茶色い話ですね.

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(高校野球)

 あれ? 大阪桐蔭負けたんですね.

 ここまで大阪予選も含めて全く危なげなくというか圧勝で勝ち上がって来て,圧倒的な優勝候補だったと思いますが,それだけにちょっと競ると歯車が狂うというか,いろんなミスや偶然が重なったりしてこういうことになった感じでしょうか.

 でも,スポーツなので,こういうこともあります.野球って,結構,番狂わせがありますからね.

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8/20'22
[集まるわけ]
(世の中)

 大阪桐蔭が負けるまでは,あまりに強すぎてつまんないと言ってる人もいたみたいです.そうですね.実際,大阪桐蔭が優勝すると決まってる(ほど強い)のなら,勝負を見ていてもつまらないわけですからね.

 そもそも,どうして大阪桐蔭は,そんなに強いのでしょうか? それは,甲子園に出たい,そして,プロに行って活躍したい(稼ぎたい)と思えば,強いチームや練習環境がいいところに行った方がいいに決まってるわけで,強い選手が「集まる」のは,当然ということでしょう.

 でも,プロに行くほどのレベルではないけど,甲子園に行きたいというくらいなら,逆に地方のレベルが低い県に行けば,出場できる可能性は高まるわけで分散もして行くのですが,県の中での集中化は進むわけです.

 こうして考えてみると,「チーム」の強弱にあまり意味がないことに気づかされます.だって,強い選手を集めれば,強いチームができるわけで,大阪桐蔭が強いとか言っても,それだけの意味しかないわけです.

 じゃあ,筑波大バドミントン部はどうなんやということになります.強い選手が集まれば,女子がインカレを何連覇もするのは当然? でも,吹田先生が出してたんですが,個人の成績の累計だと龍谷の方が上というデータもあって,チームとしての+αがあるとは思います.

 でも,そんなことより,筑波大バドミントン部が目指しているのは,強い選手を集めて勝つことではなく,筑波大バドミントン部で練習したり競技以外の活動をすることで,学生達が(競技力だけではなく広い意味で)成長できることなわけで,そうなれば,自然と強い選手も集まるわけです.

 そして,強い選手が集まること自体にも実は大きな意味があって,具体的には,バドミントンなら,レベルの高い人と打てるわけですし,野球ならいいピッチャーがいればバッターのレベルも上がるでしょうし,バッター同士でも相乗効果的なことはあるでしょう.

 同じようなことは,進学校についても言えるというか,進学校に行く意味は,ほぼそれしかない(学校の授業には期待できない)というのも再三書いた通りです.

 そういう意味では,高校時代は(正直)もの足りなかったですが(学力的な話.それ以外の学生生活はめっちゃ楽しかった),東大に行ってそういう欲?がやっと満たされた感じはしました.でも,こんなもんかというようなところもあって,でも,研究者になって,同僚の大学教員と話をすると,更に人材のレベルが上がって安心するようなところはありますね.

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[久留米付設が躍進?]
(受験)

 進学校ということで,何度も書いてる話題ですが,九大の先生が修猷の学生のことを「かしこ」と言ってました.そうなん?(でも,「かしこ」って福岡弁? きいたことないけど)

 修猷と言っても,優秀なのは一部で,九大に入るのだって,450人中100人ちょっとくらいで,旧帝,早慶合わせても上半分がせいぜいじゃないですかね(データがあった.東大18人,京大15人,旧帝一工124人,早慶42人なのでだいたいそんなもん.感想?としては,やはり,京大志向が強くなって東大合格者数が減ったのと,阪大に行く学生が結構いました.あと,早慶は,思ったより少なかったです.医学部は数名ということですが,そんなわけないでしょう).

 そもそも,九大に来る学生の中で修猷出身なら賢いってわけじゃないですからね.でも,高校生の段階で修猷だったら,1/2の確率?で九大に来られる程度の学力をもってる可能性はあるってことか.

 まあいいです.思ったのは,そういうことじゃなくて,今現在,福岡市在住で優秀な学生はどうしてるんだろ?ということです.修猷がそこそこ優秀なので修猷でいいと思えばいいんでしょうが,最上位の学生には,正直,もの足りないと思うんですよね.

 私の頃は,ラサールや久留米付設に行く人もいたんですが,ラサールは遠いし,久留米付設は微妙というか,修猷とそんなに変わらない感じでした.

 で,今更,気づいたんですが,久留米付設が躍進したってことなんじゃないですかね.東大合格者は,40人を超えていて,数としてはそんなに多くはないですが,関東,関西圏以外ではトップですし(つまり,医学部進学校になったラサールより多い),1学年200人もいないので,率的には,全国でも10位以内に入るくらいですからね.

 つまり,少なくとも,私の頃より,今の方が遥かに久留米付設に流れてるんじゃなんじゃないですかね.西鉄大牟田線沿いなら全然通えるでしょうし,西の方でも今は地下鉄があって,1時間ちょっとで行けるし,少ししんどいなら,平日は寮で,週末は帰宅してもいいでしょうしね.

 でも,どうして久留米付設が躍進したかですが,孫正義,堀江貴文のツートップ?の存在は大きいんですかね? でも2人とも単なる実業家なんですけどね(毒).

 でも,男子校ってのがねー,って書いて調べたら,なんと今は共学なんですね.びっくり.全然知らなかった.これじゃない(笑)?(西南も共学になって,毎年東大合格者を複数人出す「進学校」になった)でも,福岡で,いや,九州で,いや,関東,関西圏以外でNo.1の進学校が久留米にあるってのはどうなんですかね.

 まあでも,単に久留米付設にあまりいいイメージをもってないってだけかもしれませんね(私の世代はそうかも).当時の塾の先生が言ってたんですが,昔はてんで大したことなくて(実際,Sさんは,修猷に落ちて久留米付設に行った),でも,ここに行けば,久留米大学の医学部に推薦で行けるという噂が流れたことで,学生が集まるようになったということでした.

 でも,そんなこと言ったら,灘だって最初はそうですからね(遠藤周作は,灘出身だけど,その頃は,てんで大したことなかった).なので,今行ってる人や私より下の世代の人は,もうそんなの関係ないんだと思います.

 そっか,もし,父親が福大に移らずに,私もずっと大牟田にいたら,普通に自然と久留米付設を目指したかもしれないというか,そうするしかなかったような気がしますし,修猷に行くより,そっちの方がよかったような気すらしてしまいます.

 ちなみに私の回りに久留米付設出身者は,結構いて,ぱっと思いつくのは,筑波大のS司先生,バドミントン部の先輩のMさん,バドミントンのサークルの同期のY田(いずれも東大),あとは,中学時代,仲良くて久留米付設に行ったN田ですかね(今は開業医).他にもいたような気がしますし,単に気づいてないってこともあると思います.

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 何て言うのかな.(こんなこと書くと顰蹙を買うと思うけど)福岡(市内)出身で,ラサールとか久留米付設出身だと,小さい頃から東大とか医学部とか行くのに必死な感じがしてちょっと格好悪くないですか(あーでも,知ってる人いっぱいいるし,こんなこと書くと,ほんと顰蹙買いそう.実際は,そんなわけでもなく,勉強ができて受けたら受かったので行ったとかいう感じの人も多いですしね).

 そういう意味では,東京出身で,筑駒とか開成とか麻布とか地元の進学校に行くのは,(実際は違っても)自然な感じがするし,福岡なら,やっぱり,修猷から東大に行くのが一番格好いいとは思うんですよね(単に「格好」の問題).

 でも,実際は,修猷から東大に行くのは大変なわけで(でも,今にして思えば,そういう「チャンス」はあったのに,それをみすみす逃したのはほんとに○カ),だとすると,福岡市内にもっとレベルが高い進学校があればとは思うんですよね.

 あーそっか,浪人したけど東大入ったんだから,修猷から東大に行ったんですね(笑).でも,全然そんな感じがしないのは何なんですかね? やっぱり,どうしようもない自堕落な高校時代がってことなんですかね.

 いや,高二の父が亡くなるまでは,楽しかったし,高三で頑張ればよかったと思うのですが,頑張らないといけないのに頑張れなかったのがしょぼかったというか,でも,そんなこと言ったら,30代もそうだったし,やっぱ,どうしようもない奴なので,しょうがないってことですかね.

 でも,そんな昔のこと,今頃,どうして気になってきたのか不思議というか,そもそも,人生終わってるわけで,何とも変な感じです.

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 でも,30代に関して言えば,しっかり仕事をしてあのまま東大にいたら,いろいろ大変で,今のような仕事はできなかったと思うんですよね.そういう意味では,高校時代,しっかり勉強できていたら物理の世界に行ったかもしれなくて,そうすると(多分)全然大したことになってない可能性が高くて,これも然りですかね.

 やっぱり,何か不思議なんですが,なるようになるというか,「身の丈」って大事なのかもしれませんね.

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 うーん,でも,なんかよくわからなくなってきました.

 個人的には,「うまく行った」と思ってるし,そんなことより,やりたいことやったので満足なんですが,もっと成功できたとか言われたり,自分でそう思ったりするとなんかもやもやするんですよね.

 そもそも,どれほどの人間なのでしょうか.大したことないとは思うのですが,しょぼい世の中を見てると,そうでもない気もしてくる.研究に関しては,いろんなアイデアは浮かぶし,それは,解決が難しいような問題が生じたときも然りです.

 でも,数学や物理を駆使するようなことは,私よりもっとできる人がいるのは確実なので,そういう分野では,大したことにならなかったと思いますが,そうでない分野なら違ったかもしれません.ていうか,今いる分野がそうか.

 そもそも,そんなに研究したんかというか,それ以外のことをかなりやってきたわけで,もちろん,音楽とかスポーツとかで学術以上に成功することはなかったと思いますが,それ以外というか,もっと世の中全体とか生き方的なことというか,総合力的なことを活かしていればということはあるんですかね.

 でも,そういうものを活かす対象は,まさにどう生きるかなわけで,そういう意味では,思うように生きて来られたわけですから,まさに成功というか,これでOKということでしょうか.

 ていうか,過去のことはどうでもよくて,問題はこれからなわけですから,そもそも,これでOKも何もないんですが,どうして,これまでのことがちょっと気になりだしたかが何か気になるというか,もやもやするってことでしょうか.まあ,一時的なことだとは思いますが.

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[家族がいるから○備が必要になる]

 これからということだと,最大の課題は,どう死ぬかで,そのために必要なのが○備で,とにかくこれを進めないと,ということでしょうか.

 でも,何か変な感じがしてきました.○備というのは,自分にそういうことがあったとき,周りに迷惑をかけないようにしっかり準備しておくってことなんですが,周りというか,家族がいるから○備が必要になるという何とも矛盾することになってる気もしてきました.

 どういうことかと言うと,もし私に全く身寄りがいなかったら,逆に迷惑をかける人もいないわけで,それこそ,業者に何某かのお金を払って後始末をしてもらえばいいってことですよね.

 あーでも,業者だと(本人は死んでもういないので)金だけもらって何もしないかもしれないですね.だとすると,業者と契約して,この業者とこういう契約をしてるということだけを家族に伝えておくということですかね.

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[多くの優秀な人と決定的に違う]

 やりたいことをやってきたわけですし,(ちゃんと責務を果たした上で)やりたいことをやればいいと思うのですが,何がやりたいと思うかは人それぞれで,でも,それを制御することは難しいので,結局,その人なりの人生ということになるんだと思います(じたばたしてもしょうがない).

 私自身については,いろんなことに興味があって,成功する鉄則である「たった一つのこと」に打ち込むことができず,従って,大して成功することもなかったんですが,私にとっては,(社会的に)成功することなんかより,やりたいことをやることが大事というか,それを制御する(やりたいことをやらないことも,やりたくないことをやることも)できなかったできなかったわけで,まさに私という(どうしようもない)人間なりの人生だったということですが,ただやりたいことをやってたわけではなくて,(どこかで書いたと思いますが)「何事かを成し遂げる」という意識は常にありましたし,それは,仕事(研究)に限らないですかね.

 「何事かを成し遂げる」というのは,漠然としていますが,何か今までにない新しいものを生み出すとか見出すというようなことでしょうか.でも,多くの優秀な人が勉強していい大学に行って大企業に就職するとか,医者とか弁護士になるとか,あるいは,研究者になっても,職業研究者みたいな人,あるいは,もっと広く,世の中でビジネスとかスポーツとか芸能界とかで成功した人を見ると,私の意識がそういう多くの優秀な人達と決定的に違うのを感じます.

 それが何なのかというか,どうしてそういうことになっているのかはわかりませんが,そういう意識は,小さい頃からあったと思いますし,実際,回りの人達の行動規範にものすごく違和感を感じていました.でも,そのためにやりたくないことを我慢してやることはなくて,結局,意識だけの(しょぼい)話だと思いますが,それが何かに繋がっているのかもしれませんし,繋がってないのかもしれません.

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 なんか変なことを書いたと思うのですが,多くの優秀な人と決定的に違うということは,私は優秀ではないということになって,それはそうだと思います.

 でも,「何事かを成し遂げる」とか言っても,意識だけでは,どうにもならないわけで,かと言って,何とかしようとするわけでもないし,でも,冒頭に戻ると,結局,やりたいことをやればいいわけだし,何をしようと,人生所詮退屈しのぎなわけですからね.

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 でも,「何事かを成し遂げる」ってどういうことでしょうね.

 喩えて言うなら,ポアンカレ予想を解いたペレルマンは,数学だけではなく物理学にも長けて極めて優秀だったんだと思いますが,既にある問題を解いたという感じで,じゃあ,今までにない新しいものを生み出すとか見出したのは,ポアンカレ予想をしたポアンカレでしょう.

 ノーベル賞を受賞するような研究の中にも今までにない新しいものを生み出すとか見出いだしたと言えないものはたくさんありますし,逆にノーベル賞を受賞していない研究に今までにない新しいものを生み出すとか見出いだしたものもたくさんあると思うんですよね.実際,アインシュタインは,ノーベル賞をもらってるんですが,それは,相対性理論ではありませんからね.

 その辺に転がってる研究だって,何か今までにない新しいものを生み出すとか見出す(ようなこと)があるものはいくらでもありますし,それこそ,研究だけではなく,ピアノとかバドミントンとかスキーにだって,あるいは,日常の中の些細なことの中にだってあるんじゃないですかね.

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8/21'22

 やっぱり,変な余計なことを書いたなと思うのですが,繰り返しになりますが,私はそうだというだけで,他人にどうこう言うつもりはありません.

 実際,時給1000円の世の中にほんとに必要な仕事もそうですし,そういう仕事を束ねてマネージメントする会社や優秀な人間も必要で,いい大学に行ってそういう企業に入って,自分の能力に見合ったいい給料もらっていい暮らしがしたいとか,起業して一山当てたいというのも,とやかく言うことではないでしょう.

 中高の時,理系で成績がよかったら医者になるのが当然という雰囲気にものすごく違和感を感じていたのですが,医者は絶対に必要,かつ,大変な職業で,やってくれる人がいるだけでありがたい話なわけです.

 なので,結局,人それぞれなわけで,ということは,私は私でいいということにもなるわけです.

 そして,私としては,世の中の多くの人と価値観が違っていて,お金とか社会的地位とかには興味がなくて,やりたいことがやれて何とか食べて行ければよかったんですが,仕事以外にもいろんなことに興味をもって,でも,浅く広くでいいとは全然思ってなくて,しかも,誰かから教えてもらってもつまんなくて,自分で考えて,何か新しいというか,これまでにないものに辿り着きたかったということでやってきたんですが,そのために努力するようなことはなくて,ここがどうしようもなかったってことですね.

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[どんどんシンプルになる]

 なぜか最近,中高とか受験時代とか若いときのことを思い返すようになったのですが,感覚としては,昔に戻るというか,成長して活動して来て,それが終わりに近づいて元に戻るというようなことがあるのかもしれません.

 でも,終わりに近づくとか言っても,実質,もう終わってるわけで,もちろん,それでもやりたいことはやりますし,自分に役目がある間は,やるべきこともしっかりやりますが,余計なことは,もうめんどくさいので,どんどんシンプルになるというか,やりたいこと,やるべきことだけやって,日々淡々と過ごして行きながら,「その時を待つ」という感じで行ければと思っています.

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[まだ生きる「何か」がある?]

 ○備ですが,業者と契約して,この業者とこういう契約をしてるということだけを家族に伝えておくと書いたんですが,だったら,全ての荷物やその他諸々について,どれをどうするのか決めて,わかるようにしておけばいい(業者に頼むのなら,それをそのまま業者に指示すればいい.お金も残された資産から出せばいい)ってことですよね.

 そして,それなら,それなりにできてる気もします.でも,まだまだではあるので,やはり,○備を進めていくということですね.あとは,生きれば生きるほど,いろんなものが「終了」して行くとともに荷物やその他諸々も減って,○備が必要なものも減って行くと思います.

 逆に言えば,○備が必要ということは,まだ生きる「何か」があるとも言えますかね.

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8/22'22
[長生きしないといけない理由がまた一つ]

 ○備を進めるというか,どうすればいいか考えると,いろんなことに気づかされて興味深いです.そして,今回,また一つのことに思い至りました.

 それは,別に長生きしたいとは思いませんが,長生きする理由というか,しないといけない理由が,また一つ見つかったということでしょうか.

 もうすぐ社会からお前はもう要らないと言われ,自分のことを必要としてくれる人もいない中で,生きてる意味なんかあるのかと思うのですが,逆に,だからこそ(それが何かは書けませんが)生きないといけない理由もあるということでしょうか.

 とは言え,実際にどうなるかはわからないので,○備を進めていくことに変わりはありません.

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[順番が逆]

 でも,自分が必要とされているわけでもないのに(書けないそういう理由で)長生きしないといけないのはしんどいですね.というか,順番が逆です.

 そういう意味では,○備を進めるというのは,理にかなっていて,運良く痛いとか苦しいとかなく逝くことができたらラッキーなわけで,いつそうなってもいいように○備をしておくわけですからね.

 つまりは,(自分が必要とされているわけでもないのに)長生きしないといけない理由が見つかったのなら,それを除去しておくのが○備ということですね.

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(日記)

 今日は久しぶりに一日中ずっと体調がよくなかったです.

 「自分が必要とされているわけでもないのに(書けないそういう理由で)長生きしないといけない」と思うとしんどくなったのかもしれないと思ったのですが,それとは関係ない別の要因のような気もしてきました.

 でも,そうだとすると,もうほんとどうするか考えないといけませんかね.

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[残された人の立場に立って考えてみると]

 ○備と書いてますが,具体的にどうすればいいか,残された人の立場に立って考えてみると,何をどうすればいいか具体的に書いて残しておくということでしょう.

 荷物については,残された人にしてみれば,膨大な荷物を前にして,どこに何があるかわからないのでは話にならないわけで,でも,事細かにどこに何があるかというよりは,廃棄してもらうものと,使えるものがあれば使ってもらえるものがどれかわかるようにしておくことでしょうか.

 こうしてみると,意外とそんなに手間はかからない気がします.でも,これをやるのとやらないのでは,残された人の手間は雲泥の差だと思うんですよね.

 それは,荷物以外の銀行や証券会社口座やPC内のデジタルデータも同様で,つまりは,ほんのちょっとした手間を惜しまずに○備をしておくだけで,全然違ってくるということですね.

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8/23'22
[○備とデジタル化]

 ○備ですが,キーワードは,デジタル化でしょうね(これもDXの流れ?).

 まず,デジタル化すれば,物理的に荷物が減ります.そういう意味では,こっちに来るときに本はほとんどデジタル化したのは大きいですね.

 そして,デジタル化したものは,PCというか,HDDなどに格納されるのですが,これも整理してどこに何があるのかわかるようにしておくことですし,掘り返して欲しくないものは,パスワードをかけてロックしておけばいいでしょう.

 残された人にしてみれば,別にいろいろ掘り返したいわけじゃなくて,でも,どこに何があるかわからないといろいろ掘り返さないといけないわけで,そういう中で,余計なものが見つかってしまうのは,逝く人間,残る人間,どっちにとってもいいことないと思うんですよね.

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[夢が結構楽しい(笑)]

 最近は,睡眠は悪くないと思いますが(体内時計的にも1時間くらい早くなった気がする),相変わらず(特に明け方)夢をはっきり見ます.

 そして,夢が結構楽しい(笑)というか,それこそ現実世界より楽しいくらいで,目ざめたとき現実に戻ってちょっとがっかりするくらいです.

 そうするとどうなるかと言うと,夢の世界と現実の世界の2つの世界を生きてるようで,何とも不思議な感じです.

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[ベースフードとかフラクトオリゴ糖とか]
(生活)

 ベースフードですが,発注して使ってみました.

 まず,これは予想通りですが,あんまりおいしくないですね.シナモンが一番食べられるとは思うのですが,プレーンのもの以外には,添加物が使われていました.それに,「完全食品」とは言え,1日最低必要量の1/3ですから,これだけでは,栄養面は足りないので,これを主食として,ヨーグルトを足すとかしてたんぱく質やビタミンミネラルの補充は必要ですかね.

 ベースフードには,パンだけではなくパスタもあるのですが,これもあまりおいしくないのはパン同様ですが,栄養面は,パンより多く含まれてるようですし,ソースもありますから,こっちの方が使い出があるかもしれません(ただし,2分ほど茹でる必要あり).

 ベースフードが出してるソースも使ってみましたが,別に純正?のものでなくてもいいと思いますし,ソース次第で,味も整うので,検討の余地ありでしょうか.

 そういう意味では,プレーンのベースブレッドも無添加の塗るソースを研究したらいいかもしれません.

 いずれにしても,時々,補助的に使うのがせいぜいでしょうか.

 ちなみに,同じようなコンセプトのものとして,N清食品から「完全メシ」なるものが出ているようですが,こっちは,当然のことながら添加物まみれです.

 あと,完全食品としては,IUJ(無添加の野菜ジュースにブロッコリーなどの野菜粉やソイプロテインなどを混ぜたもの)ですが,野菜ジュースにそこそこの果糖があるのが気になっていて(無添加の100%フルーツジュースにホエイプロテインも同様),いろいろ調べていたんですが,フラクトオリゴ糖に辿り着き,ニチガの無添加のものを発注して使用してみました.

 野菜ジュースやフルーツジュースの果糖の問題として,すぐに吸収されるので,血糖値が上がりやすいということなんですが,フラクトオリゴ糖は,大腸まで吸収されないとされています.

 それで,使用感ですが,10gくらいでは,甘さが足りないですね.加えて5gの素精糖を使えば何とかって感じでしょうか.

 でも,フルーツジュースの果糖は1回分200mlで20g,野菜ジュースでも12gですから,このくらい(5g)なら何とか行けますかね.てことで,これもいろいろ調合を変えて研究ですかね.栄養面だけでなく,おいしくなければ続きませんからね.

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[ずっと夏でもいい]
(生活)

 今年の夏は暑かったということなんでしょうが,個人的には,大学以外,ほとんど出かけることもなく,1日のほとんどを空調の効いた部屋で過ごしているので,どうということはありません.電気代も大したことないです(でも,大学は大変なことになっていて,何とか基金を取り崩すらしいですが,これは,部屋の空調ではなく,実験機器の使用料).

 こんな感じなので,個人的には,夏暑いことより冬寒いことの方が堪えるので,変な話,ずっと夏でもいいやんとか思ってしまいます(スキーのことは置いておいて).

 で,思ったんですが,東南アジアとかは,1年中こんな感じってことですよね.いっしょに暮らす人もいないし,定年後は,シンガポールとかに移住する? ていうか,そうしてる人も結構いるんですよね(マレーシアがいいと言う人もいる).

 外国はちょっとということなら,せめて沖縄? でも,これもそう考える人は多いみたいで,沖縄の地価や家賃はうなぎ登りなんですよね.そうすると,勝浦なら現実的?

 でも,空調は必須で,だったら,逆に言えば,冬も同じというか,1日のほとんどを空調の効いた部屋で過ごせば同じってことですかね.

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 つらつら,(世界)地図を眺めてみました.

 台湾は,いいところなんですが,今の情勢だとさすがに厳しいですよね(そういう意味では,沖縄も安全とは言えない).

 で,意外とありだと思ったのは,フィリピンですかね.英語圏ですし,東南アジアの中では一番近いし,マニラは大都会ですからね.

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[住む街に依存しない生活]

 将来,実際に住むかどうかはともかく,住んでいて気持ちいいというか自然というか,そういう街は,東京やその近郊には,ほとんどないと何度か書きました.

 でも,こっち(関西)には,いくらでもある気がするんですよね.大阪(の難波)がそうだと書きましたが,難波以外の大阪にも,京都にも神戸にもいくらでもありそうな気がします.

 この違いは,一体何なんですかね? それは,やはり,昔から人が住んでいて自然にできた街かそうでないかがあるような気がします.

 でも,逆に言えば,だからこそ探し甲斐もあるとも言えますし,一日のほとんどを家で過ごすのなら(買い物もネットで大概済む),住んでる街なんか関係ないというか,そういうことに依存しないやり方もあるかもしれません(これも一種の「一人,時々,みんな」?)

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[5年を目処に]

 私が地震研で助手をしていて,バークレーに行って帰ってきた1996年あたりから5年くらいでしょうか,南研や工藤研や壁谷澤研に学生がたくさんいて,よくいっしょに遊んで楽しかったんですが,彼らの多くは,研究者になって,今ではみんな偉くなって活躍してるわけです.

 彼らは,だいたい私より一回りくらい下なんですが,てことは,もうすぐ50で(もうなった人もいる),そろそろ「人生が実質終わる」というか,そういう時期なわけで,もちろん,当時の私のように「人生が終わった」と思う人はいないかもしれませんが,なかなかしんどい時期だとは思うんですよね.

 具体的には,昇進したらいろいろめんどくさい仕事も増えますし,教授まで来るともう上はなくて,あったとしても,○○長といった雑用係というのはどうかと思いますが,まあそんな感じですし,もちろん,研究を頑張って行けばいいんですが,いろいろ忙しくて思うように研究できなくなりますからね.

 当時の私を思い返すと,「人生が実質終わった」と思ったのですが,実際は,まだまだ生きて行かないといけないわけで,でも,定年までは,15年以上あるし,長い道のりに見えましたね.

 まあでも,忙しいってことは,そういう仕事や業務に忙殺されて日々を過ごしていくというか,そうこうするうちに時は過ぎていくってことですかね.なので,それでいいと思えばそれでいいと思いますが,それじゃだめだと思うのなら,何か行動を起こすこともできるでしょう.

 私の場合は,5年を目処にリタイアすることにしたと思います.15年は長いですが,5年なら何とかというか,実際,その時点で在籍していた研究室の学生を全員卒業させるのにそのくらいかかりますからね.

 そして,実際に5年経ったときは,そんなことケロッと忘れてたとは言いませんが,何とか大丈夫になって,そうこうするうちに防災研の話が来て,みたいな感じでしたかね.

 そして,5年を目処にということでは,私もそうで,それは,今度はもうほんとのリタイアです.なので,私も5年を目処に何とかやって行くということですかね.

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[日本は労働生産性が低い?]
(世の中)

 ここ数年,経済関係者がよく言う話として,日本は労働生産性が低い,これを何とかしないと,どんどん世界の中で経済的に取り残されて行くということがあります.

 でも,その背景に何があるのかは,ちょっと考えればわかることですよね.

 具体的に言えば,多くの人は仕事が好きで,でも,そんなにあくせく効率的でなくてもマイペースで楽しく働きたい,必死こいて就業時間までに終わらせるより,家に帰ってもやることないし残業代も付くし残業でもするか,営業回りにしても,時々,喫茶店とか入って休憩したいって感じなんじゃないですかね.

 それじゃだめだとか言われても,それで何とか食べて行けて,何とか思うような生活ができるのならそれでいいじゃんって思いますし,そういう気質をむりくりどうにかしようとしてもうまく行かないでしょう.

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[コンビニは,もはや,生活に欠かせないインフラ?]
(世の中)

 コンビニは,もはや,生活に欠かせないインフラと言ってる人がいました.

 でも,みんなコンビニで何を買ってるんですかね? おにぎりとかパンとかコンビニ弁当? そんな添加物まみれのものを摂取し続けたらどうなりますか?

 いや,基準値以下なら大丈夫と言う人もいます.でも,何十年にも渡る人体実験など行われてませんし,繰り返しになりますが,摂らないで済むなら摂らない方がいいに決まっています.

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[いろいろもうなんかいいかな]

 もちろん,やらないといけない仕事はきっちりやりますし,こんな私でよければ(その気になれば)できることはしたいと思いますが,「いろいろもうなんかいいかな」って思うんですよね.

 いつその時が来てもいいように○備をして,その時その気になることをして日々淡々と過ごして行く.それ以上は,もう望むべくもないし,望まないようにということでしょうか.

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[物理学者になりたかった?]

 こんな大したことない奴の割には,うまく行ったと書いてますが,そうなんですかね?

 最近,中高の頃のことを思い出すんですが,このサイトで,やりたいことを見つけてそれを仕事にしたかったとずっと書いてますが,その頃は,そんな感じではなかったような気もしてきました.

 じゃあ,どうだったかと言うと,やっぱり,物理学者になりたかったんじゃないですかね.そして,その分野で「何事か成し遂げよう」と思ってたと思います.

 でも,そう思うのに,いわゆる現代物理に今一興味がもてないという???な状態で,そして,それは,大学に入って確信に変わってしまいました.そういう時って人間どうするんでしょうね.

 私は,興味がもてるものを必死で探しました.そして,建築構造に辿り着いて,やっと自分が興味がもてることを見出せたと思ったんですが,ほんとにそうだったんですかね?

 そもそも,物理学者になりたいのに,現代物理に今一興味がもてないってどういうこと? 単に自分の能力に限界を感じてあきらめただけでは?

 でも,頑張って物理に行ったとしても,私の能力では「何事か成し遂げる」ことはできなかったと思いますから,結果的には,よかったんだと思いますが,ていうか,そんなことでいいわけ?

 でも,まさに今さらなわけで,それこそ,もう終わってしまった話ということですね.

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 でも,ほんとに物理がやりたかったのなら,物理に行こうが行くまいがやってるはずですよね.実際,ピアニストになりたいと思ったこともありましたが,ピアノは今でもやってるわけですし.

 なので,やっぱり,そこまで興味がもてなかったということですかね.でも,興味がもてないというのも一種の才能がないってことなんですけどね.

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8/25'22
[反世の中]
(世の中)

 Vクチンを打たないというかVクチンに反対の人のことを反Vクと言うみたいですが,繰り返しになりますが,私は,Vクチンは打ちませんが(ちゃんと感染対策できるのなら,変なものは体に入れない方がいいに決まっている),他人にVクチンを打つなとは言いません.でも,Vクチンを打つ人は,Vクチンを打たない人に打てと言うわけで,それこそ全体主義というものでしょう.

 でも,他人にとやかくは言うことはありませんが,「私はそうは思わない」というのを「反」というのなら,私は,反Vク,反地球温暖化,反ゼロカーボン,反SDGs,反反原発どころか,反目先の経済を回す,反メディア,反政治,反世の中ですらあるかもしれません.

 なんか,ここだけ見るとコミュニストみたい(笑)ですが,その実,正反対の超現実主義者なわけですし,ここでこういうことを書いていても,普段,(一部の話せる人以外に)こういうことを話すことはありません.でも,今の世の中のひどい状況がわかるのなら,それと反対の行動をとるのは,当然のことだと思いますけどね.

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8/26'22
[ちゃんと伝わってない]
(このサイト)

 このサイトを読んでるある人が「よく定年後のことを書いてるけど,どうしたいと思ってるのかよくわからない」と言ってました(こんなに明確に書いているのに).

 思ったのは,このサイトでいろいろ書いてるけど,そのほとんどは,ちゃんと伝わってないんだなということですかね.そして,それは,そういうものでしょう.

 繰り返しになりますが,このサイトは,読む人に話をするように書いてはいますが,自分の言うことをきいてくれとか,わかって欲しいというより,「単に自分のため」に書いています.なので,わかってもらえなくても,まあいっかって感じですかね.

 ちなみに,私が定年後どうしたいかですが,何度も書いてますが「ニュートラル」です(でも,こういうやや高度というか,概念的なことは,伝わりにくいんでしょうね).

 ニュートラルというのは,いい話が来て仕事を続けることも,いい話が来なくて仕事を辞めることもどっちもOKってことです.なぜなら,どっちも一長一短で,自分では選べないからです.

 でも,いい話が来るかどうかは他力本願ですが,仕事を辞めて,「一人,時々,みんな」で内的熟達的に楽しくやって行くことは,自分次第なので,そうなっても大丈夫なように準備をしておく,その上で,いい話が来れば,それはそれで考えるということです.

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[どういう人が灘に行くべきか]

 ある先生と灘出身の学生について話をして気づいたというか,思い出したことがあります.

 灘と言えば,超進学校というか,実質,日本一だと思うのですが,その出身者というとどういうイメージですか? もちろん,優秀な人が多いですし,とんでもなく優秀な人もいます.

 でも,当然ですが,灘だからみんな優秀ってことにはなりませんよね.もちろん,優秀とは何かということはありますが,それを時間的に彼らが最も高く評価される大学入学時の学力だとしても,灘出身で東大に入れないのもいるわけですからね.

 それで,思い出したのは,小学校か中学のときに何かの本で読んだのですが,その中で「どういう人が灘に行くべきか」について説いていて,優秀な人というよりは,凡庸な人ほど行くべきと言ってました.

 どういうことかと言うと,人間にはいろんなタイプがいて,どういうところに行ってもその中でトップレベルに行ける人もいる一方,どういうところに行ってもトップには行けず,真ん中くらいになっちゃう人もいて,割合的には,圧倒的に後者が多く,そういう人こそ灘に行けと言うわけです.なぜなら,普通の中高に行っても真ん中程度では,とても東大なんか行けないけど,灘で真ん中なら東大に行けるわけですからね.

 でも,そんな凡庸な人間が灘に入れるかってことなんですが(笑),そこを何とか最大瞬間風速で突破すれば,その後,いいことがあるってことで,一理ある的には,環境は人を作るというようなことでしょうか.

 でも,それでうまく行って,東大に入れたとして,そういう人って,その後,どうなるんですかね? 結局,大したことにはならないと思いませんか? だって,どういうところに行っても真ん中くらいになっちゃうわけですから.

 なので,結局,どうしたらいいとかいろいろ言っても,全ては素養とか資質で決まってる感じはするわけで,だったら,じたばたするだけ大変というか,無理に背伸びしてもいいことはない気もしますが,才能や資質が眠ってるケースもあるので,何とも言えないところはあります.

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 いや,東大行って,東大でも真ん中くらいで,一流大企業に就職して,そこでも真ん中くらいで,そつなく普通に仕事すれば,(中小企業で真ん中の人より多い)そこそこの給料はもらえるってことか.

 なので,大したことはなくても,大したことない割にいい目を見られるというか,自分の能力が最大限発揮されて評価されるということはあるんですかね.

 とにかく人がやらないことをしたい私の感覚からすると,あり得ないのですが,人それぞれというか,そういう生き方もありかもしれませんね(他人のことはとやかく言わない).

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[そもそも成功って何や]

 でも,こういうことを考えると,やっぱり,「そもそも成功って何や」って思いますよね.もちろん,人それぞれでいいと思いますが,人類を繁栄させる罠や世の中の金儲けしたい奴にはめられないようにということはあると思うんですよね.

 何度も書いてると思いますが,私にとっての成功は,「やりたいことができる」「やりたくないことを(そんなに)やらなくていい」「必要充分な収入がある」ですかね(そうすれば,結果的に世の中の役にも立てる).そして,研究者(大学教員)は,これらを(100点ではないけど,数ある世の中の職業の中では)一番バランスよく満たしていると思うわけです.

 他人のことをとやかく言うつもりはないですが,多くの場合,(そんなにやりたいことがなくて)「やりたいことができる」をあまり満たさず(そこそこ満たし),「やりたくないことをかなりやって」「必要以上の収入がある」を目指してしまうような気がします.

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[研究者(大学教員)のリアル]
(大学)

 大学教員の同僚の先生達と話すことが多いのですが,研究者(大学教員)ってどうよということになると,ネガティブなことを言う人が多いです.

 実態としては,やりたいことやらせてもらって,そこそこの給料ももらって,自由になる時間も多いし,こんなにいい商売はないと思うのですが,少なくとも仲間内では,そうは言わないってことです(だって,民間に行けばよかったと思ってるのなら民間に行ってるわけですからね).

 具体的には,出来の悪い学生の面倒を見るのが大変とか,しょーもない会議や雑務が増えてきて辟易とか,要は,教員が集まると,そういう愚痴を内輪で言い合うってことで,それは,大学に限らずどこの職場も同じ(笑)ってことでしょう.

 でも,中には,そういうことを対外的に話す人もいて(私も時々話すし,このサイトでも書いてる),そうすると,大学は天国だと思ってたけど,そうじゃないんだなと思うんでしょうが,民間と比べてどうという話ではないわけです.

 じゃあ,民間と比べてどうかですが,これは,両方を経験した人しかわからないわけで(でも,ちょっと考えればわかると思いますが),何度か書いているように,民間から大学に来る人はいっぱいいるけど,その逆はほとんどいないことが全てを物語ってるということでしょう.

 この辺までは,たわいもない話というか,特に問題はないのですが,学生がどう思うかはちょっと問題というか,これも何度か書きましたが,(優秀な)学生から見て研究者(大学教員)が楽しそうにしてないと,博士に行って研究者になろうと思わないということがあるわけです.

 つまり,これから就職しようとする学生は,研究者(大学教員)を直接見ることはできますが,民間企業のリアルはわからないわけで,研究者(大学の教員)のネガティブな面だけが見てしまうと(民間企業と比べてどうかはわからないので)敬遠してしまうかもしれないというか,そういう話は,ちらほらきくんですね.

 てことで,それは問題かなあと思ったんですが,そうでもないですね.

 というのは,研究者になろうと思うのなら,条件面がどうとかほざいてるようでは,話にならないというか,とにかく研究がしたいので何がなんでも研究者になる,博士を卒業して職がなかろうがお構いなしというくらいでないと厳しいと思うからです.

 私が博士に進学するときも,別にいいけど,卒業しても職があるとは限らないよ,と小谷先生にはっきり言われましたし,でも,それでひるむなんてことは,1mmもありませんでしたからね.

 でも,今の若い人達のメンタリティを考えると,それじゃあ,研究者になろうという人はほとんどいない感じもしてきます.でも,それはそれでしょうがないんじゃないですかね(職業研究者ばかり作ってもしょうがないし).

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[四工大]
(受験)

 もう受験動画は(あっという間にネタ切れで)ほとんど見てないのですが,「四工大」というのがあるらしいです.中身は,芝浦工大,東京都市大(旧武蔵工大),東京電機,工学院らしいです.でも,この4つなら,芝浦一択なんじゃないの?(よく知らない)

 それで,都立大の北山先生のサイトに書いてあったのですが,東京都立大と東京都市大を間違える人が結構いるんだそうです.ほんとに? 信じられん.東京都市大関係者には申し訳ないですが,雲泥の差じゃないですかね.でも,東工大と東京工科大を間違えるというか,東工大なんか知らない人もいるくらいですから,それが世間一般ってもんか.

 そもそも,武蔵工大が東京都市大になったときも書いたと思いますが,東京都市大って名前どうですか? 格好いい名前付けて学生集めようって魂胆とは言いませんが,ちょっとどうかと思いますよね.

 武蔵工大が東京都市大になったときは,都立大は,首都大学東京という名前だったらしいので,問題はなかったんでしょうが,明らかに東京都立大かぶりというか,そういう意図もあったんじゃないかと勘ぐってしまいます.

 もっと具体的に言うと,都立大の英語名って,Tokyo Metropolitan Universityなんですよ(大学院生時代に,めちゃめちゃ格好いいって坂本と言ってた).そして,これを和訳すると東京都市大ですよね.

 うーん,ここまで来ると,都立大が首都大学東京になったのをいいことに,その座を乗っ取ろうとしたというのは言い過ぎか.ちなみに,東京都市大の英語名を調べると,Tokyo City Universityでした.

 なんか,四工大の話じゃなくなっちゃいましたね(笑).

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(このサイト)

 このサイトの読み返しですが,再び,現在に辿り着きました.でも,どの辺から読み始めたかは憶えてないんですけどね(笑).

 前回もそうだったんですが,不思議だったのは,1ヶ月くらい前になっても現在と繋がらなくて,1年前や5年前の記事と感覚的に変わらなかったことです.

 てことで,次は,どこから読み始めるかですが,ものは試しに最初から読んでみますか.それで,どのくらい時間がかかるかみてみますか.

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8/27'22

 昨日の夜,寝るときから,最初(2002年くらい)から読み始めました.とは言え,最初の頃の記事の多くは,逆に憶えていて,何が書いてあるか読まなくてもわかるところや,ここはいいやというところは,飛ばすんですけどね.

 でも,最初の頃は,重要?なところは赤文字になっていて,そこだけ読めばだいたいわかるようになっていたのは(今更ながら)秀逸で,そうすればよかったというか,これからはそうしますかね(時々,太字とか下線とかは使ってるけど,赤字の方が断然目立つ).

 あとは,最初の頃は,まだおとなしいというか,優等生的というか,建前的な感じはしますし,文章の書き方もまだそんなにこなれてないというか,話題が飛んで「話を元に戻すと」を多用しているというか,これを使うと,全体の組立をそんなに考えないでもどんどん書けることに気づいたってことなんですが,今はこれをそんなに使わなくてもどんどん書ける(というか書いちゃってる)感じですからね.

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[やっぱり,伝わってない]

 ちゃんと伝わってないってことですが,そうではなく,ニュートラルということはわかるけど,それだとニュートラルとは読めない,定年後は仕事はしないというように読めるとのことでした.

 でも,これって,やっぱり,伝わってないってことなんじゃないですかね.だって,ほんとはニュートラルですから.

 つまりは,どう書いても,読む人によって受け取り方は変わるわけで,それこそどうしようもないというか,それはそれでいいんじゃないですかね.

 まあでも,話をすればわかると思うので,それは,やはり「文章の限界」ですかね.つまりは,何度も書いてますが,ここで書いてあることに全く嘘はありませんが,ほんとのことの極一部ってことですかね.

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[vs民間の研究所]
(大学)

 研究者(大学教員)のリアルですが,超具体的に,研究が面白くて研究者になりたいと思ったとき,大学教員になるか,民間や国の研究所に行くかということを考えてみます.

 まず,大きな違いは,大学教員は(今は)博士まで行かないとなれないですが,(非常に優秀であることが条件ですが)民間の研究所なら修士卒でも行けるということはあります(国の研究所も行けないことはないですが,建築構造の分野は非常に厳しい).なので,現実的に考えれば,全然ありだと思いますね.

 もちろん,民間なので,大学ほど自分がやりたい研究テーマができるわけではないですが,うまく行けば,興味をもてることができるかもしれませんし,研究なら何でも楽しい的なところはあるので,テーマに拘らなければ,結構,いいんじゃないですかね.

 ただ,研究者としてやって行くということだと,どこかで博士をとることになると思いますが,会社に勤めながら博士をとるのはなかなか大変だと思います.そういう意味では,経済的に何とかなるのなら,修士から博士に行った方が急がば回れ的なことはありますかね.

 あとは,ずっと最後までいられるかってこともあります.実際,多くの人がある年齢を過ぎると,民間の研究所から大学に移ってくるわけですからね.だったら,それはそれでいいじゃんって感じもしますが,うーん,どうなんでしょうか.

 民間で実績を積んで,教授として大学に来る人が多いんですが,もちろん,人によって全然違いますが,教授って「一丁上がり」のポジションで,そこにいきなり入っても,いろんなことに巻き込まれて,なかなか思うように研究が進められないケースが多い感じはしますかね.

 つまりは,大学に移るのなら,40くらいまでに准教授で移った方がいい感じがしていて,そうすると,30代で実績をあげないといけないので,それはそれで大変な気がします.

 こうしてみると,このサイトで再三書いてる「人生50年」というか,そこで実質終わるので,そうすると,30代,40代が勝負ってことで,私の場合,30代は,大したことはできなかったわけで,40代で駆け込んで何とかなったというか,危ないところだったとは思いますね.

 まあでも,人それぞれというか,50で人生が実質終わるどころか,始まる人もいるのでしょうし(そういう意味では,私も然り),それは,定年後も然りです.つまりは,そういうのは「社会的な話」で,やりたいことはどんな状況にいてもできるわけですからね.

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 30代,40代をどう過ごすかが重要ってことですが,具体的に言えば,多くの研究する時間がある助教,准教授時代は重要ということでしょうか.そして,それは,民間の研究所も同じですかね.

 とは言え,どういう研究室かによりますかね.がちがちの講座制で,教授が上からどんどん仕事を降らせるようなところだと厳しいでしょうし,それは,民間も同じです.

 そういう点では,私の場合,とても恵まれていたんですが,30代は,それをあまり活かせず,でも,40代は,フルに活かした感じですかね.

 でも,30代,40代は,重要ってことですが,そんなこと言ったら,何で飯を食っていくかを決めてそれで一人前にならないといけない20代はもっと重要だし,10代だって,受験戦争を勝ち抜かないといけないわけですから,結局,ずっと重要ってことか.

 50代は,どうなんですかね.もう,実質,終わっていて,でも,それなりに偉くなっていろんなことに巻き込まれて忙しくしてるうちに何となく過ぎてしまいがちだと思うんですが,だからこそ,そういうことに流されない的に重要という気もしますよね.

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[東大は別格]
(大学)

 変というか,おいおいというタイトルなので,書きだしが難しいですね.でも,大学ランキングとか偏差値とかそんな話でないことは,このサイトをお読みの方はおわかりだと思います(笑).

 京大に来て,吉田キャンパス(時計台があるいわゆる本キャンパス.そこを「吉田」と呼ぶのは,来るまで知らなかった(笑))によく行くようになって思ったことがあります.それは,キャンパスの雰囲気です(学生時代,バドミントンの京大戦や学会で,京大には何度も来たことがありますが,吉田キャンパスの中を歩くことはなかった).

 京大なんだから,厳かとは言いませんが,東大みたいな感じかというとそうではなく,こういう雰囲気のところ他にもいろいろあったなと思ったんですが,いわゆる旧帝大ですね.東北大とか名大とか(移転前の)九大とか北大の雰囲気とよく似てると思います(そう言えば,阪大は,旧帝大の中で唯一行ったことないですね.移転後の九大も).

 つまりは,キャンパスの雰囲気は,「東大は別格」ということですかね.もちろん,本郷の話ですが(駒場はそうでもないし,本郷と「ドーバー海峡」で繋がってる地震研や農学部がある弥生キャンパスもそうでもない).

 そして,その雰囲気を一番享受?できていたのは,大学4年から博士3年までの青山・小谷研時代ですかね.研究室は,正門(赤門ではない)近くにある工学部11号館の7階にあって,全フロア一研究室で,東側がほぼ全面ガラスで,眼下に本郷キャンパスの緑が一面に広がっていて,初めて行ったときはすごいと思いましたし(その後,研究室で何度も徹夜したと思いますが,夜明けのときに見える浅草ビューホテルのシルエットは目に焼き付いている),安田講堂の前の広場の地下にある学食によく行ったのですが,銀杏並木のすぐ横ですし,上野とか秋葉とかに自転車で行くとき池之端門に繋がる道は石畳で,バドミントンの練習に文京区総合体育館に行くときは,三四郎池や図書館のところを通過して龍岡門から行くんですが,独特の雰囲気はありました.

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[30代の成果]
(このサイト)

 このサイトを最初から読み始めて,正直,驚いています.重要な記事,目白押しじゃん.ていうか,それからもう20年以上,このサイトは続いているのですが,その時,書いたことを実践してるだけのような気すらしてきます.

 具体的には,「全ては150(138)億年前に決まっている」「やる気三要素」「人生所詮退屈しのぎ」「幸福論」とかですかね.

 これらの記事は,もちろん,「その時思いついた」ものではなく,長くしんどかった30代で思い悩んだ末に辿り着いたもので,まさに「30代の成果」なんじゃないですかね.そして,それを活かして40代で驀進したような気がします.

 つまりは,研究のことについは,既に書いたと思いますが(30代で成果は出なかったけど,その研究に強震観測記録+実被害データという証拠が付いてきて40代で成果となった),生き方的にも30代は無為に過ごしたわけではなく,ちゃんと「成果」があったということでしょうか.

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 ということで,それはそれでいいんですが,「それからもう20年以上,このサイトは続いているのですが,その時,書いたことを実践してるだけ」というのは,問題ですよね.ていうか,そんな訳はありません.

 じゃあ,40代の成果は何かと言うと,まずは,研究成果はあるでしょう.1999年台湾集集地震をきっかけとして,強震観測点回りの被害調査をして,地震動と建物被害の関係を検討することを始めて成果をあげたということですかね.

 あとは何かな.やはり,このサイトが始まったことは大きいですね.それこそライフワークになったと思いますしね.バドミントンは低迷したんですが(今でも),その代わりにはなってないとは思いますが,ゴルフを始めました.これも今は全然やってないんですが,何かきっかけがあれば,またできる水準には来てるとは思います.

 相場研究について重大な発見があったのも40代ですね.それまで低迷していたものが一転したのもこの発見によるものです.

 50代はどうかな.大きな変化として「人生が実質終わった」ということがありますが,それを克服したというか,その中でどうしていくかということを考えられたのもこのサイトのおかげですかね.

 そういう意味では,定年後のことも考えるようになり,必要なことは,それにしっかり備えるというか,まさに退屈しのぎの準備なわけで,そして,それは,定年前後関係ないわけで,まさに「人生所詮退屈しのぎ」という人生訓に助けられたということですかね.

 退屈しのぎという意味では,一人暮らしをするようになったこともあって,身の回りのことを自分でやるようになり,それは「生活研究」「体研究」に繋がったわけです.相場研究については,定年後に備えて資産を守るという意味での「運保」が始まり,大きな成果をあげることができたと思います.

 ということで,まあOKなんですが,何度も書いてるように,過去のことはどうでもよくて問題はこれからです.でも,生き方的には,特に何かを大きく変える必要はなくて,それは,「それからもう20年以上,このサイトは続いているのですが,その時,書いたことを実践してるだけ」ということではなく「考え続ける」ということでしょう.そして,それ自体が大いなる退屈しのぎにもなるわけで,まさに一石二鳥ってことでしょうか(生きるために生きてる).

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[横浜大学]
(大学)

 またまた大学ネタ(笑)なんですが,大阪府立大と大阪市立大が合併して大阪公立大ができたのなら,横国と横浜市立だって合併できますよね.大阪府立大と大阪市立大が合併しても大阪大学とは行かない大阪と違って,名前も「横浜大学」にすればいいので問題ありません.なんか横浜高校の姉妹校みたいで,「横国」ブランドがなくなる感じもしますが,慣れの問題って気もします(東京高校って高校もあるし).

 横国と横浜市立ですが,以前から合併話は,ちょこちょこあったと思います.具体的には,横浜市立には,医学部や理学部があって,横国にはそれがない一方,横浜市立にはない工学部が横国にあるとか,両者で補完できる要因が結構あるんですね.

 でも,問題は,県と市の関係ですかね.大阪の場合,府と市は,維新が府知事,市長で,府と市の一体化そのものを進める方向ですからね(でも,さすがに横浜都というわけには行かないでしょう(笑).ていうか,ここでは大阪と逆に,神奈川と横浜のどっちにするんだ問題が生じる).

 でも,「横浜大学」として,大々的に売り出せば,東大,東工大一橋に並ぶ第三極というか,東北,名大,阪大という旧帝中位校のレベルになるかもしれないし(横国は既に旧帝下位の九大北大とは同レベルかやや上),少なくとも,大阪公立大以上の効果にはなるんじゃないですかね(筑波大には逆風).

 具体的な問題としては,やはり,環境整備ですかね.不便なところにあるイメージがありますからね.折しも横浜国大駅はできたんですが,実質,そんなに使われてる感じじゃなくて,でも,東横線,相鉄線の相互乗り入れが来年始まるので,便利になるとは思いますが,ここをメインの通学駅にするのは,周辺住民との関係とか,いろいろ大変そうです.

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[ミックスジュース]
(生活)

 今日の朝,何かの番組でミックスジュースのことをやってました.ミックスジュースについては,ここで書きましたが,関西に来たので,その辺にあるのかな?

 番組では,発祥の店(通天閣のある新世界にある)を紹介してましたが,別に発祥の店でなくてもいいというか,発祥の店だから,私の記憶にある「あのミックスジュース」とは限りません.実際,サンマルクカフェの大阪ミックスジュースは,全然違う代物だったわけですからね.

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[競争がない環境]

 どういう人が灘に行くべきかですが,何か変な気がしてきました.具体的に考えてみます.

 まず,どういうところに行ってもトップに行ける人は,少数ですが確実にいますし,そういう人はどこに行っても問題ありません.そして,社会に出て世の中を動かすのはそういう人でしょう.

 でも,灘のような超進学校,あるいは,県No.1の進学校に行くような人もそこに行く前は,トップ近くにいたわけですよね.それが灘とかの進学校,あるいは,東大とかに行くと,自分くらいできる奴はゴロゴロいて,上には上がいると思って挫折するってことなんでしょうが,果たしてそうなんでしょうか.

 私の場合で言うと,東大に入って,理論物理に失望して進路を見失ったこともあって,あまり勉強せず(でも,勉強しないのはずっとそうか(笑)),成績はそんなによくなかったと思います.実際,クラスでめちゃめちゃ勉強ができる奴はいましたが,上には上がいると思って挫折したというようなことは全然なかったですね.

 じゃあ,どんな感じだったかというと,勉強なんか所詮既にわかっていることを勉強するというだけの話で,そんなもんで全てが決まる訳じゃないし,自分の能力が発揮できる何かを見出せばいいと思っていました.

 そして,そういうものを何とか見つけて現在に至るのですが,思うのは,やはり,競争なんかして来なかったということですかね.でも,会社とか中央省庁とかに行けば,出世競争というか,そんなつもりでなくても,そういう「結果」は出るわけですよね.

 そんなこと言ったら,大学だって,助教→准教授→教授と出世して行くわけだし,大学にもランキングあるし.ってことなんでしょうが,何度も書いているように,そういうことには,そんなに興味がなくて,やりたいことをやれて,必要充分な収入があればよかったわけで,研究して面白い結果を出したいというだけでしたかね.そして,結果的に,ということでしょうか.

 で,ここで気づいたのは「大学の環境」です.会社や中央省庁にいたことはないので,よくわかりませんが,同期の中で誰が出世頭かとか,部署の中でもそういう差ははっきり出るわけですよね.

 でも,大学の中には,そういうのないんですよ.みんな一国一城の主で,誰が上とか下とかないんですね.出世もちゃんと普通にやっていれば,ほぼ年功序列で,それは,横並びというよりは,みんな一国一城の主ってことは,やってることが全然違うので,比較しようがなくて,もちろん,どう見ても優秀,あるいは,ちょっと問題という場合は,出世がちょっと早くなったり遅くなったりはするんですが,その程度のことです.

 つまり,そういう競争がないというか,そういうことを考えなくていい環境にいたのは,私にとってよかったのかもしれません.

 なので,一般論的に言えば,大学のような競争がない環境のところに行くのはいいんじゃないですかね(大学以外だと職人的なところはそうでしょうし,みんなで協力して仕事をするようなところとか,いろいろあるような気がします).進学校行って,いい大学行って,大企業とかに行くとずっと競争とは言いませんが,そこでずっと中くらいというのもそれはそれでしんどくないですか.

 話が当初書こうと思ったことからずれたような気がしますが,「どういう人が灘に行くべきか」について言うと,どういうところに行っても真ん中くらいになっちゃう人が大半なんじゃなくて,何か自分の能力が発揮できるものを見つけるべしってことですかね.それが至難なんでしょうが,実社会に目を向ければ,いろんな選択肢があるわけで,勉強とか出世とか平板な尺度で考えずに,いろんなことに興味をもってよく調べることでしょう.

 それができる人が,結局,どういうところに行ってもトップに行ける人やろ,というのは違っていて,それは,どういうところに行ってもトップに行く必要はなくて,何でもいいので,何かたった一つのことで必要不可欠な存在になればいいからです.それでも,そうなれる人ばかりではないとは思いますが,勉強やスポーツや音楽ができなかったからと言って,自分は凡庸な人間と考える必要はないと思いますし,仕事は生活費を稼ぐためで,仕事以外にそういうものを見つけてもいいと思うんですよね.

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8/29'22

 うーん,でも,大学の中ではそう(みんな一国一城の主なので比較しようがないので競争にならない)ですが,もっと広く学界みたいなものの中では,誰が昇進したけど,誰はまだみたいなことはわかりますし,そういうことが話に出ることはよくあって,気にする人は気にすると思います.

 まあでも,そんなの気にしなければいいだけの話だとは思いますが,だったら,民間とか省庁も同じですかね.

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 うーん,でも,やっぱり,それが難しいんですかね.

 私は,そういうのはそんなに気にしなかったんですが,気にしなかったというよりは,30代は,研究は低迷というか評価されなかったので自業自得だったと思いますし,やりたいことやるというか,めんどくさいことやらなくて済む的には,昇進しない方がいいということもありましたし,逆に,40代は,成果を出して評価もされたんですが,昇進は「順番待ち」で(でも,昇進は「やや」飛び級的にはなった),でも,昇進すると忙しくなって研究できなくなることはわかっていたので,それはそれでOKで大手を振って研究する的なところはありました.

 つまりは,ここでも正負両面というか一長一短なところがあるわけで,負の側面ばかり見ないで正の側面を見ることが大事な気がします.何度も書いていますが,昇進とかいう「評価するシステム」自体,非常に危ういもので(誰かがそういうことを利用してこき使いたいだけ),そんなものに振り回される人生はつまらないと思いますからね.

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[いろいろ大変でめんどくさい]
(日記)

 夢が結構楽しい(笑)と書いたのですが,その日はそうだったと思いますが,いつも楽しいわけではないですね.でも,はっきり夢を見て,現実世界との境界線が曖昧なのは相変わらずです.

 じゃあ,どういう夢を見るかですが,もちろん,いろいろなんですが,最大公約数的には,「大変でめんどくさい」ような感じのものが多い気がします.実際,もういろいろ大変でめんどくさいですしね.

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[福山]
(地理)

 YouTubeはもうそんなに見てないんですが,とは言いつつ,時々,何か面白そうなものはないかなと思ってアクセスはするけど,やっぱり,もう見る気になるものはないなという感じですが,タイトルがちょっと気になるというか,見てみようかなというものも時々の時々くらいではあります.

 そういうものの中に「福山市ってどんな街? 芸能人も通う!? 大都会の駅前と広大な郊外商業施設【広島県第2の都市】(2021年)」というのがありました.福山は,鉄系でも一度出てきたことがあって,なんでのぞみが停まるんや?ということで行ってみたら大都会でした,みたいな感じだったのですが,今回もそんな感じですかね.

 実際,広島県第二の都市なんですが,認知度はそんなに高くないんですかね.福山と言えば,東大バドミントン部の後輩のS村がいるところですが(今は四国に単身赴任中みたいだけど),私は行ったことはないです.でも,動画を見た感じだと,道路や歩道が広くて広々としてる感じでいいですが,タイトルから期待されるほどじゃなかったかなあ(YouTubeの場合,だいたいそうですが).

 (将来)住む街的にはどうなんですかね.福山に限らず,瀬戸内って気候も温暖だし,雰囲気的にもなんかいいですよね.広島,岡山なら新幹線も走ってるし(山口はちょっと遠い).スキーについては,S村が言ってたんですが,意外とスキー場は多くて,大山とかには行きやすいみたいです.

 で,調べてみたら,大山は福山のほぼ真北なんですが,(おそらく高速の関係で)倉敷まで行ってから北上して2時間半くらいみたいです.だったら,倉敷ならもっと近いってことで,ここからなら2時間ですね.

 倉敷には,親戚がいた(今でも?)ので,小さい頃,行ったことがあります(でも,瀬戸内って感じじゃなかったかなあ).倉敷と言えば,倉敷中央というか,筑波大バドミントン部にいた加藤や香山の出身地(というか出身校があるところ)ですね.でも,香山は,S村がお母さんと中国シニアで当たったと言ってたので地元出身なんですかね.

 でも,倉敷なら岡山の方が都会だし,ちょっとですが東京にも近いですし,新幹線なら広島は,やっぱり,ちょっと遠くて(おまけに空港も遠い),だとすると岡山くらいが限界ですかね.岡山には,研究室OBのO月さんの結婚式の時に行って,翌日(大雨だったけど)街中を見て回りました.

 だったら,いっそ,兵庫はどうやんってなって来たりします.でも,さすがに神戸だと瀬戸内とは言えませんね(笑)(でも,気候は京都や大阪よりいいみたい).神戸は,何度も行ったことがありますが,何度か書きましたが,好きな街の一つです(でも,やはり,地震のイメージは強いか).

 スキーは,神鍋高原に2時間なので,悪くないですね.で,神鍋高原の真南だと姫路で,ここからなら1時間半です(ハチ,ハチ北というところもあるみたいで,+20分くらいか).姫路なら,少しは,瀬戸内的? でも,大山は行ったことないですが,関西のスキー場よりはでかいんじゃないですかね.

 でも,普通に考えれば,何か(例えば,職場がそこになるとか)理由がなければ,それで将来住むというのは,やっぱり,ちょっとないですかね.

 でも,そんなこと言ったら,東京郊外だって同じで,家族や友人が多いのは,確かですが,そんなに会う訳じゃないし,だったら,新幹線で30分も数時間も(岡山は3時間ちょい)そんなに変わらないというか,それより多くの時間を過ごす居住空間というか,どういう街に住むかが大事な気もします.

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[どうしてそういうことになるのか]
(世の中)

 何回か前のKゴメのKンブリア宮殿を(今頃)見ました.嫌な予感はあったんですが,まあ予想通りですかね.

 でも,出てきた社長さんも社員もみんなちゃんとしたいい人達で,なのにどうしてそういうことになるんですかね.つまりは,こういうのはKゴメに限った話ではなくて,多かれ少なかれ,多くの会社がそうなんでしょう.

 わかりやすい例として,Kゴメの管理栄養士さんがいろんな会社(番組の中ではS友商事)に講演に行って,野菜の重要性や摂り方の説明をするというのがあったのですが,食事の前に野菜を摂ると,血糖値の上昇が緩やかになる,血糖値の急上昇と急低下(いわゆる血糖値スパイク)が一番よくない,なので,私は,食事前30分に野菜ジュースを飲むようにしています,と言っていました.

 でも,野菜ジュースの中にどれだけの糖が含まれてるか知ってますか? そして,それを液体で摂取するとどうなると思いますか? つまりは,食事前の空腹状態で野菜ジュースを飲むと,食事のときの血糖値の上昇を緩やかにするつもりが逆に血糖値が急上昇するんですよ.

 でも,この管理栄養士に悪気はなくて,無知なだけです(管理栄養士なのに).おそらく,管理栄養士という資格をとるために一生懸命勉強したんでしょうが,勉強なんかしてもそんなもんです.

 いわゆる「資格」ってみんなそうですよね.FPだって,FPに相談すれば,儲かるなんてわけないのは当然のことですし,むしろ,鴨ネギにされるのがオチでしょう.でも,FPの人は,一生懸命,親身になって相談に乗るわけで,ある意味,非常にたちが悪いとも言えます.

 もっと広くは,地球温暖化防止のためにゼロカーボンを目指してますとか,EVの開発頑張ってますとか言ってる人も,一生懸命,世のため人のために頑張ってるつもりなのかもしれません.

 つまりは,人が悪いのではなく,世の中の仕組みというか,人々を丸め込んでこき使う○○が問題ということなんですかね.でも,丸め込まれるかどうかは,自分次第だと思いますけどね.

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8/30'22
(運保)

 運保ですが,5月くらいまでは,悪くなかったのですが,ここ数ヶ月はあまりよくないです(私の場合,売り買い両方やるので,相場が下げるのは関係ない).従来の日運や短運もそうですが,新しく始まった個運,個短もよくないです.でも,資保は,大手総合商社とかは,玉が建ってないので関係ないし,商品先物や外貨は,かなり玉が建ってるのですが,これらは悪くないです.

 マザーズ先物とNasdaq100先物は,再検討して1ヶ月くらい前にやり方を変えたのですが,これらも今一です.それで,Nasdaq100先物は,判断に使っているデータが何と1日前だったことに気づきました.早速修正しましたが,間抜けすぎますね.

 まあ,よくないと言っても,まだ大きなプラスですし,年初からもまだプラスなので,日々淡々と30分だけって感じですかね.

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(世の中)

 あれ? 性暴力を犯した香川照之のトヨタのCMまだやってますね.どういうこと? 即退場でしょ(ほんと顔も見たくない).

 和解したとか法的にどうとか,そういうことは,関係ありません.芸能人など自らを晒して稼ぐ人間はみなそうですが,テレビCMなどの公共の電波で(テレビを見るのであれば)半ば強制的に見せられるものなので,見たくないという人がいるだけで出るべきではありません(CMはいきなり見せられるのでなおさら).

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[どうしましょうね]

 人生が終わっていくと感じるのですが,人生が終わることには問題がなくて,問題は変な状態で人生が続いてしまうことです.体や脳が衰えて周りに迷惑をかけるのもそうですが,何とか迷惑をかけないとしても,自分がどうやって生きて行くかということがあります.

 定年でクビになって,社会からお前はもう要らないと言われるのは,一長一短なのでそれはそれで構いません.でも,生きて行く上で退屈しのぎは必要で,それは,社会から必要とされるのなら仕事,そうでなければ,仕事以外でもいいんですが,前者はめんどくさいことも多いし,後者は,どれだけ効力感が持続するかということがあります.

 研究でも音楽でもスポーツでもその他のいろんなこともやりたいと思ってやって来たんですが,やりたいという気持ちがずっと持続するとは限りません.

 効力感については(基本的にはやる気なしなので),これまでもずっと変動があって,その気になるときもあれば,その気にならないときもある,でも,ピアノにしてもバドミントンにしてもスキーにしても,そういう変動の中で全体的な傾向としては,効力感は確実になくなって来てると思うんですよね.

 でも,逆に変動があるので,その気になるときは,何とかできたりもします.つまり,そういう変動の中で,効力感がある一定値を超えたときにやるということで,だんだん頻度が減っていくということでしょうか.

 一方で,研究やこのサイトや運保とか,あまり効力感がなくなって来ないものもあるので,そういうものが多くを占めるようになってくるということでしょうか.でも,そういうものの効力感もなくなってきたらどうしましょうね.

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 そっか,そういうわけで,年寄りと若い人がいるんですね.

 私もそうでしたが,若いときは,いろんなことがやりたいわけで,それをサポートするのが年寄りの役割なわけです.

 でも,学生は全然研究しないし,一体,何がやりたいんですかね.今研究することが将来やりたい仕事をすることに繋がることがどうしてわからないんでしょうね.

 まあいいです.老害とは言いませんが,やりたくないというのを無理矢理やらせるつもりはありません.でも,研究しなければ,卒業も修了もできませんけどね.

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[CMに出る人間]
(世の中)

 そもそも,CMに出る人間ってどういうつもりなんでしょうね.顔が売れてて,企業のイメージアップや製品やサービスの売り上げに貢献したい? その製品やサービスのこと,どのくらいちゃんとわかってますか? ほんとに責任もてますか?

 金が欲しいだけじゃないですか.

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8/31'22
[そういうことが脳で起こったら]

 (加齢による)効力感の問題もあるのですが,脳力的なこともありますよね.

 スポーツなど体を使うものは,ある程度は,しょうがないんでしょうが,脳力的なことは致命的です.それは,単にできるできないということもありますが,ある程度,集中力がなければ,そもそも取り組むことすらできませんし,練習したら(脳が憶えて)できるようになる(はず)なのにそうならなくなると非常に厳しいです.

 そして,そういうことを少しずつ感じるようになってきました.ピアノなら練習すれば,ある程度,練習した分,弾けるようになるのは当たり前と思っていたのですが,練習しても弾けるようにならないというか,逆に弾けなくなるようなおかしなことも感じるようになってきました.

 思い返すと,バドミントンで,40を過ぎたあたりから競技力が急激に低下していったんですが,練習やトレーニングをしても全く効果がないどころか,逆に弱くなる感じで,あまりにしんどいので,一度やめてしまったことがありました.そういうことが脳で起こったらどうなるんでしょうか.

 幸い,研究ではまだそういうことは感じないのですが,運保とかでは,うっかりミスのようなことは,結構,起こってますからね(でも,そういうのは若いときからあるので,加齢とは関係ない気もするが).

 でも,最大の問題は,脳力的に衰えているのに,(脳力的に衰えているために)本人がそれがわからないことですよね.そういう意味では,自覚はあるので,そういう中でできる範囲でやっていくってことでしょうか(でも,このサイトでは,世の中に迎合することはなく自分が正しいと思うことを書きますし,それは,研究も運保も同じ).

 でも,それでどのくらい楽しく気分よくやって行けるかは,よくわかりません.変な話,逆に,脳力的に衰えているのに,本人にそれがわからないことが必要な気もしてきますが,それは,認知症になったら(周りに迷惑はかけるけど)本人は幸せ的な考えなので,私には受け入れられません.

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[好きになる過程]

 「好きになる」ことってありますよね.対象は,人やものなど様々です.

 そして,そのメカニズムがよくわからない(ので悩ましい)と何度か書きましたが,扁桃体にそう書いてあるというか,単なる好き嫌いでどうしようもないとあきらめるしかないんですかね.

 でも,ここではそういうことを議論するのではなく,「好きになる過程」です.

 一目惚れという言葉がありますが,一瞬にして好きになることもあれば,最初はそうでもなかったけど,だんだん好きになることもあるでしょう.人に関して言えば,外見はその人の「極一部」なので,中身を知るに従って,好きになっていくことはあり得ることです.

 でも,「もの」ならそういうことはないはずですよね.でも,ものにもそういうことがあるんですよね.

 具体的に言うと,ある曲を聴いて一瞬にして好きになることもありますが,最初はそうでもなかったけど,何度か聴くうちに好きになることがあるんですね.人とは違って外見と中身があるわけではないので,これは不思議です.

 と書いて気づいたのですが,同じかもしれませんね.つまり,最初に聴いたときは,表面的というか,人で言えば,外見しか見てなくて,何度か聴くうちに中身がわかってきて好きになるってことですかね.

 でも,問題は,そんなに好きでない曲を何度も聴くかってことですよね.同じようなことは,人にも言えて,もちろん,外見で判断してもう付き合わないなってことはないですが,別段興味がない人とは,そんなに積極的につき合おうとしないでしょうから,そういう意味では,「好きな人」や「好きなもの」が潜在的に数多く眠っているのかもしれませんね.

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[樟葉]
(生活)

 少し前ですが,「【なにもないのに特急が全停車!?】なぜか人がいないのに利用客数が多い謎の駅があった!!!!!!」という鉄系の動画をお薦め?してきたので,何気なく(1.75倍速で)見たのを憶えてました(こういう動画はだいたい1.75倍速で飛ばしながら見る).

 動画を見ていただければわかると思いますが,まあそんなことかという感じでしょうか.でも,駅に巨大ショッピングモールが連結というのは,珍しいんじゃないですかね.普通は,車を買わせてガソリンを炊かせる(これからはEV買わせる)ために郊外の立地が多いですからね.

 熊谷もそうなんですが,実際に行ってみると使えない店が多くて,ここ(樟葉)がどうかも行ってみないとわかりません.あとは,居住環境はどうなんですかね.熊谷のように駅ビル直結のマンションがあれば,便利だとは思いますが.でも,すぐ北が淀川ってことは,水害マップは水浸し?(それは,荒川近くの熊谷駅も同じ)

 で,このことは,すっかり忘れていたのですが,先日,院試関係の仕事で吉田に行って帰って来るとき,中書島で乗り換えるのですが,次は樟葉(くずは)とアナウンスしていました.てことは,結構近いんですね.場所は,大阪府枚方市なんですが,枚方と言えば,ハイツ友の会の「ひらかた大菊人形」(笑)?

 うーん,でも,確かに大阪や京都の中心地に行くには便利ですが,京都駅を通ってないので,新幹線のアクセスがよくないですね.

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[いろいろめんどくさい]

 いろいろめんどくさいんですが,一体,何なんでしょうね?

 歳をとるとそうなっていくという話はよくききますし,体力的に衰えて疲れやすくなれば,そうなるのは当然な気もするのですが,気持ち的なこともあるような気がします.

 状況としては,ゴールが見えて何でもありになっていく,具体的に言えば,若いときは,何かしでかしてクビになるとか,やってられんと思ってやめると大変なことになるけど,もうここまで来れば,ちょっとリタイアが早くなるだけでどうってことないってこともあるのでしょうか.

 でも,責任は重くなっているので,変なことはできないし,そもそも一人の人間として,やらないといけないというか,ちゃんとやるべきことはちゃんとやらないといけないということはあります.

 でも,めんどくさいと言っても,何でもめんどくさいわけじゃなくて,全然めんどくさくないこともあるわけです.でも,若いときはめんどくさくなかったことがめんどくさくなってきたことはありますかね.でも,逆に若いときはめんどくさかったことがめんどくさくなくなってきたこともあるかもしれません.

 なので(できるだけ)めんどくさくないことをやるってことですかね.

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[何かやりたい]

 突然なんですが,「何かやりたい」と思いました.

 普通に考えれば,定年まで大学で勤め上げて,いい話があれば,どこかに行って仕事を続ける,そうでなくても研究は続けられるし,研究以外にもいろんなことをやってるし,あるいは,そういうのは全部やめるとは言いませんが,やりたいことをやりたいときだけやる自堕落な生活も捨てがたいという感じなんでしょうが,そういうのとはまた全然違う何かその気になるようなことをやりたいと突然思ったんですね.

 でも,その「何か」が何かはよくわかりません.でも(一瞬そう思っただけですぐ元に戻るかもしれませんが)何かやりたいんだけどそれが見つからないという若いときの感覚に近い感じで,逆に言えば,今現在考えられる(定年後の)選択肢の中にそんなにその気になることがなくて,そういうもの(上の記事で言うと,全然めんどくさいと思わないもの)を探しているのかもしれません.

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