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6/1'23
[こんなもんか こんなもんやろ]
(ピアノ)

 これ関連の動画になると思いますが,今度は,「芸大生が2時間練習したら、どのくらい弾けるようになるの!?【英雄ポロネーズ編】」というのがありました.参考になります!(笑)

 正直,こんなもんかと思いますし,こんなもんやろとも思いますね(でも,スケールとかの定型音形は,練習しなくてもいきなり弾けるのはさすがです).

 私だったらどうかなあ.この曲は,ちょっと弾いたことはありますが,全くの初見だとしても,この時点では,似たようなもんかもしれません.

 つまり,問題はここからということです.「ピアノが上手い人」は,ここから時間をかけて練習してしっかり仕上げていくんですが,私にはそれができないわけで,私は,「ピアノが下手」ということになるわけです.

 なので,しょうがないんですが,ちょっと考えてることはあって,それは,長時間の練習は無理でも,基準化練習時間の割に練習できる曲を弾けば,何かが起こる(かもしれない)ということです.まあ,何でも実験ってことですね.

 あと,この動画を見て気づいたこととしては,家のピアノは,防音室の中にあるんですが,防音室外にも,ある程度,音はします.それって,夜中は弾けないということだけじゃなくて,自分のピアノが回りには聞こえてるってことで,そうすると,変な曲は,弾けないってことなんですが(でも,変な曲は,弾いてるか(笑)),それは,英雄ポロネーズみたいなベタな曲(を下手くそに弾くこと)も然りということで,でも,電子ピアノを入れたので,そういう曲は,電子ピアノで練習するというのは,ありかもしれません(こうやって「弾く理由」を見つけていくのは,結構,重要).

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[ベタな曲]
(ピアノ)

 ベタな曲というキーワード?が出てきたのですが,どういう曲ですかね?

 ショパンだと,英雄ポロネーズもそうですが,Op.9の2のノクターンとか幻想即興曲ですかね.エチュードならOp.10の12の革命かな.ベートーヴェンは,月光(14番のソナタ)の第1楽章とか悲愴(8番のソナタ)の第2楽章でしょうか.

 シューマンは,子供の情景のトロイメライ,リストは,パガニーニ大練習曲のラ・カンパネラですかね.ドビュッシーは,ベルガマスク組曲の月の光とかアラベスクの1番? バッハは,意外とないなと思ったんですが,編曲物も入れれば,トッカータとフーガですかね.モーツァルトは,きらきら星変奏曲は,その実,意外とニッチなので,トルコ行進曲(K.331のピアノソナタの終楽章)でしょうか.

 こうして書いてみると,結構,ありますね.これらも一応練習してレパートリーに入れておこうかな,とは,全く思いませんが(笑),弾いたことあるし,弾いてもいいかなと思う曲は,何曲かありました.

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[次の世代に命を繋ぐ]

 死んで全て消えてなくなるということでいいんですが,少し前(私の親の世代くらい)までは,次の世代に命を繋ぐのが当たり前で,そのために結婚して,子供を作って,大家族で親戚付き合いがあって,という感じだったんですよね.「死後の世界」という意味では,そういうこともあったんだと思います.

 でも,そのために生きてる間,いろいろ大変で,いろんなものを犠牲にしてたわけですよね.生きてるうちは,そんなこと気にせず,好き勝手に生きた方が楽だとは思いますが,死期が近づいてくると何か変化があるのでしょうか.それとも,単なるDNAの刷り込みでしょうか.

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[体調]
(体)

 今の体調は,40代の時よりはいいのですが,じゃあ,「体調がいい」かというと...

 6時間は,続けて眠れていますが,6時間すると一度目が覚めますし,夢をはっきり見るので,熟睡してる感じではなくて,日中,何度かしんどくなりますし,夕方,一度家に帰ってくると,少し寝てしまいます.

 基本的には,楽しく過ごしていますが,効力感的には,今一な感じです.

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(野球)

 野球は,交流戦が始まって,ライオンズは,最近だいたい最初は,阪神とやってて,やられてるイメージが強いのですが,今年は,(相手は首位独走なのに)勝ち越したんですね.これで嫌な流れが変わったりしませんかね.

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[ベタでも編曲物ならニッチ?]
(ピアノ)

 でも,ベタな曲を人前で弾くのは,結構,大変で,というのは,「ピアノが上手い人」には勝てないからです.そういう意味では,私は,「ピアノが上手い人」があまり弾かない近現代物で勝負?してきたというところはあって,でも,一般ピープル(侮蔑用語)の前でそんな曲弾いても???なわけで,でも,ピアノプロジェのようなそういう音楽が受けるレベルの高い人にきいてもらえればそれでよかったんですが,一つの対策?として,編曲物はあるかなとは思っています.

 編曲物も,その実,ニッチな世界ではあるんですが,一般ピープルに受けるという意味では,ベタな「ピアノ曲」から更に対象が広がるわけで,バッハのトッカータとフーガはそうですよね.

 すぐに思いつくのは,ベートーヴェンのシンフォニーの5番(運命)の第1楽章ですかね.ストリートピアノでこれ弾いたら,すげー人が寄ってきそう(笑).リスト編が有名ですが,意外と弾きやすいと思うんですよね(体力勝負?).そっか,6番(田園)は,ピアノプロジェで弾きましたね.つまりは,ベタでも編曲物ならニッチということで,ピアノプロジェのようなところでも受け入れられるってことですかね.英雄ポロネーズとか幻想即興曲とかは,ピアノプロジェとかでは,恥ずくて弾けないでしょうが,いや,ぐるっと回って逆に受ける(笑)?

 うーん,カツァリス,ちょっと脚色が...

 この編曲は,元々,グールド演奏が有名なので(多分,LPもってる),それも貼っておきます.

 時間的には,提示部を繰り返すと7分半,繰り返さなくても6分と(人前でちょちょっと弾くのには)ちょっと長いのですが,例によって,提示部の途中(今回の場合は,転調の関係で第2主題の前か)から再現部に飛ぶ短縮版なら3分くらいでしょうか(でも,ベートーヴェンのコーダ長いから半分くらいコーダになっちゃうな).

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 そもそも,(一般ピープルにとっての)クラシックの有名な曲ってどういう曲なんだろうと思って調べてみたんですが,ベートーヴェンの運命,全然出てきませんね.そうなん?

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[黒鍵のエチュード編]
(ピアノ)

 芸大生が2時間練習したら、どのくらい弾けるようになるの!?ですが,【黒鍵のエチュード編】もありました.

 でも,これは,ちょっとひどいな.基準化練習時間からすると,英雄ポロネーズの3倍くらいは,練習してることになりますしね.

 私もこの曲は,弾いたことがないですが(でも,「白鍵」のエチュード,更には,右が黒鍵,左が白鍵,あるいは,その逆がどうなるか,最初の部分だけ弾いてみたけど),2時間練習すれば,もっと弾けるようになると思いますけどね.

 でも,こういう企画は,「ほんとのこと」が確認できて,ありがたいっちゃありがたいです.

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 右が黒鍵,左が白鍵,あるいは,その逆がどうなるかですが,7年経ったので,動画ないかなと思ってちょっと探したんですが,ないですね.自分で弾くしかない?

 すぐできるのは,右白鍵で,左黒鍵ですね.つまり,左はそのままで,右だけ半音上げればいいわけで,これって,いわゆる「白鍵のエチュード」と同じ練習効果も得られるってことですよね.

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 ベートーヴェン−リストの5番の1楽章の短縮版(電子ピアノで)弾いてみました.だいたい,予想通りですかね.そんなに難しくないですが,弾いてて効力感みたいなものも感じられるので「条件」は,満たしてますね.コーダが半分なんですが,この曲の場合,コーダに入っても第一主題というか動機が何度も出てくるので,コーダっぽくないし,(例によって)展開部は,ちょっと退屈なので,ありですかね.でも,時々,面白半分で弾くならともかく,この曲,ほんとにレパートリーにする?

 右白左黒鍵のエチュードも弾いてみましたが,今回は,気持ち悪かったです...

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6/3'23
[運命の短縮版とか]
(ピアノ)

 運命の短縮版,作ってみました(何やってんだか(笑)).

 

 正確には,提示部の第2主題の前の和音が下がってくるところで,再現部に飛ぶのですが,編集点が難しいので,少し前で飛んでますが,実際は,そこまでは,提示部で弾くことになります(そのポイントであれ?で気づいたら大したもん).3分くらいですかね.

 で,思ったのは,7年前に全曲弾いた田園の第1楽章も短縮版が作れるのではないかということです.で,作ってみました(何やってんだか(笑)(再)).こっちは,グールドの演奏がめっちゃ遅いので,カツァリスのものを使っています.それでも,5分近くかかりますね.それに,この曲(の第1楽章)の展開部は,結構,好きなので(しつこく同じフレーズを繰り返すところとか),そこを切るのはちょっと...

 

 で,更に,そう言えば的に,「のだめ」でブレーク?した7番の第1楽章の短縮版もあったのでした(こっちは,もう15年前ですが,提示部と再現部の被りがないというか,ベートーヴェンが再現部を提示部から結構変えていて,飛ぶところが難しくていきなり転調している).でも,序奏,めっちゃ長いんで(でも,この曲の序奏のオクターブのところ,かなりはまってて,弾いててめっちゃ気持ちいい),6分以上かかってしまいますね(一般の人に6分以上は,厳しい.せいぜい3分,長くても5分がせいぜいか).

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 でも,そもそも,こんなことやってどうすんだってことなんですが,単純にやってて面白い(内的熟達)ということはありますね.それは,練習も然りで,それで完結でもいいんですが,人との繋がりまで行くとすると,人前で弾くということになります.

 でも,こういう一種,受け狙いのような曲をピアノプロジェとかの演奏会で弾くことはないです(弾くなら全曲ちゃんと弾くし,実際,田園はそうした).じゃあ,どこで弾くかですが,「いつかどこかでそういうこともあるかもしれない」でも全然行けると思いますが,その気になれば,そういうところは,いくらでもあります.

 かつて行っていたファミーユもそうですし,関西にもそういうところは,いくらでもあります.でも,そういうところで,弾くこともないですかね(そういうところで弾くのなら,ピアノプロジェ同様,もっとちゃんとした曲).

 じゃあ,弾くことないじゃん,ってことですが,そうですね.でも,もし,(一般の人がいる前で)ちょっと弾いてみてということがあれば,弾くかもしれないですが,そういうことは,もうほとんど起こらないし,起こったとしても,いきなりなので,事前の準備ができず,相当仕上がってないといけません(暗譜も必須).

 なので,今の心境としては,結局,弾かないってことですが,将来のことはわからないというか,例えば,今の仕事をリタイアして,毎日が退屈で,ピアノの練習いっぱいして,曲が仕上がって,一般の人に受けたいと思ったとしたら,それこそ,ストリートピアノで弾くというのもありでしょうか.

 調べてみると,全国にものすごい数あるので,全国を旅しながら渡り歩く,そこまで行かなくても,東京近郊に住んでいたら,関東圏を渡り歩いていろんなところで弾いても,「運命おじさん」とか言われて有名になるかもしれませんね(爆笑).

 もちろん,それは,冗談というか,そうすることはないと思います.そもそも,練習する動機がそういうことになることはもうなくて,動機があるとしたら,内的熟達,即ち,単純に練習してて,弾いてて楽しいということなわけで(でないと,もう練習する気になんかならないのは,何度も書いてる通り),でも,その結果,仕上がって,人前で弾いてもいいかなと思うかどうか,ということでしょうか.

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[一種の「その人にしかできないこと」に近い]

 でも,こういうことをしていると,人生所詮退屈しのぎと思う一方で,何をして退屈しのぎするかが重要とも思いますね.運命の短縮版を引っさげて,ストリートピアノを渡り歩く,なんてことはないと思いますが,そういうことをして,SNSとかで評判になるとかいうのはどうでもいいことで,でも,ちょっとした存在意義というか,一種の「その人にしかできないこと」に近いことに気づかされます.

 私よりピアノが上手い人は,いくらでもいるし,それは,ストリートピアノレベルでもそうでしょう.でも,ベートーヴェンの運命をピアノで(しかも,聴いてる人が退屈しない3分という短い時間で)弾くことを思いついて,実際,それが弾ける人は,そうはいないと思いますし,それは,私がいろんなピアノ曲を研究してきたからということはあるでしょう.

 でも,いろんなピアノ曲を研究するという点で私より勝ってる人もいるわけで,じゃあ,結局,何かというと,「その人にしかできないこと」というのがそんなに単純な話じゃないというか,一種の総合力的なところがあるわけで,そういう意味では,今回の運命の件は,大した話ではないんですが,仕事でも研究でも,そんな感じで取り組んで来た,つまりは,自分にしかできないことは何かを模索し続けてきたような気がするんですね.

 野球やサッカーが上手いとか,勉強ができるとかいうのは,「一次元」の話で,極端な話,世界で一番上手い奴や勉強ができる奴には勝てないというか,なるのは,大変ですが,誰かがなれるとも言えるわけで,そんな効率の悪いことするくらいなら,うまく組み合わせて,自分にしかできないことを考えた方が早道というのは,安易にきこえますが,何かを生み出す一つの方法だと思うんですよね.

 でも,成功することが目的ではないし,だとすると,そういうことが楽しくないといけないわけで,そうすると,逆に難しくもなってくるのですが,そういうことも含めて楽しめるかということでしょうか.

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[結局,最後に何が残るか]

 関連するのかもしれませんが,もうすぐ人生が終わるというか,実質,既に終わってるというか,そういう状況で思うこととしては,「結局,最後に何が残るか」ということです(なお,ここで言う「最後」とは,死ぬ時のことではなく,仕事をリタイアした後くらいのイメージ).

 最初から何となくわかってて,50くらいで実質人生が終わった時に,確信したこととしては,仕事とかで社会的に成功しても,結局,何も残らないということです.実際,仕事でどんなに成功しても,仕事をリタイアしてしまえば,「ただの年寄り」ですからね.

 でも,仕事で成功していれば,幾ばくかのお金は,残っているかもしれません.でも,生活して行くために,ある程度のお金は必要ですが,それ以上あってもしょうがないことは,何度も書いている通りです.

 じゃあ,最後に残るというか,仕事をリタイアした後に必要なものは何でしょうね? 家族や友人などの人間関係?

 もちろん,そういうものもあった方がいいと思いますが,お金とちょっと似てて,そんなにあってもしょうがないというか,何度か書いているように,人間関係って両刃の剣だと思うんですよね.

 つまり,寂しい時や困った時は,あった方がいいですが,一人で過ごしたい時間も多いわけで,そういう時は,却ってめんどくさいと思うんですよね.でも,一人で楽しく過ごすには,退屈しのぎ,しかも,ただ退屈しのぎができればいいのではなく,何をして退屈しのぎするかが重要.つまり,「退屈しのぎ力」が必要ということです.

 ここまで来ると,最後に残るというか,仕事をリタイアした後に必要なものは,何度か書いているように,「退屈しのぎ力」と少しのお金ということになりますかね.そして,それを支えるのが心身の健全ということでしょうか.

 もちろん,これまで,仕事を通して,ほんとに楽しく「退屈しのぎ」させてもらってきましたし,それは,仕事を通しての人間関係も然りですが,そういうものは,リタイアして仕事が終われば,基本的に終わるということです.

 でも,大学をやめても付き合いが続く仕事というか研究関係の人間関係もあると思いますし,それは,仕事以外もそうですが,そういう人間関係は,社会的なものとは関係なくて,純粋にこれからもいっしょに研究して行きたい,付き合って行きたいというようなことで,そういう人間関係は,ほんとに貴重だと思います.

 でも,人間関係というのは,「相手次第」で,いつ私が捨てられるかわからないものなので,やはり,「退屈しのぎ力」をつけて,「一人でも大丈夫」になっておくに越したことはないですし,そういう状態であれば,フラットに付き合えて,人間関係にもいい影響があると思うんですよね.

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[刑事とか医者とか研究者とか]
(世の中)

 刑事とか医者とか研究者って何の話ですかね(笑)? でも,勘のいい人なら何となくぴんと来た?

 私は,テレビドラマとかは,ほとんど見ないのですが,サスペンスとか刑事ドラマみたいなので,よく出てくるパターンとして,警察組織 vs 現場の刑事みたいなことがありますよね.

 実際にどうかはともかく,構図としては,現場の刑事の中に,とにかく現場主義で正義感に溢れていて,仕事もできて,いろんな難事件を解決する,でも,そういう人は,出世しないみたいな(そして,そういう人が主人公).

 でも,仕事もできて,いろんな難事件を解決するのなら,出世しないわけはないのですが,もし,ほんとにそういう人がいるのなら,そういう人は,現場を離れたくないから,そういう話を断ってるってことですよね.医療ドラマ(は,昔,時々見た.振り返れば奴がいるとか)も似たような構図があります.

 で,研究者の話です.研究者も業績を上げれば,昇進して行きます.でも,昇進すると,研究以外の仕事が増えて研究できなくなって行くのは,何度もこのサイトで書いた通りです.一体,どうなってんの?ってことですが,昇進するのは,研究者としてではなく,大学の教員としてなので,給料も増えるし,大学の仕事が忙しくなるのは,当たり前と言えば当たり前です.

 なので,研究していたいのなら,昇進を断ることもできるわけで,でも,そんな人は,ほとんどいません.でも,昇進すれば,研究室がもてて,学生の研究指導ができるというメリット(大変なこともありますが)はありますし,講座制なら,准教授や助教を雇って,自分の研究をさせることもできるでしょう(私は,そういう状況になったことはありませんし,なっても自分の研究をさせるなんてことはありませんが).

 刑事だって,昇進すれば,一つの現場の一つの担当ではなく,事件を大所高所から考えて解決に導くこともできるでしょう.医者は,どうなんですかね.手術とか診察は,患者と一対一だし,結構,「昇進が悩ましい」のかもしれませんね.

 逆に言えば,生涯一医者でいる理由もあるわけで,開業とかすれば,どのみち昇進もないわけですよね.フリーランスというか,組織に所属しないやり方もできるでしょうし,そうしてる人もいるんだと思います.その点,刑事は,難しいですよね.

 研究者もフリーランスの人もポツポツ出てきてはいるんですが,現実には,まだ難しいですね.どのみち,食べて行くために稼がないといけないわけで,だからと言って,金になる研究をするのは,本末転倒だし,じゃあ,食べて行くために稼ぐのは,別にやるということなら,大学の教員は,非常に効率が(時給が)いいとは思います.

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6/4'23
[やっぱり,内的熟達]

 運命の短縮版ですが,その人にしかできないことに近いとかじゃなくて,やっぱり,内的熟達なんだと思います(少なくとも今の私にとっては).

 つまりは,人前で弾いたら受けるとかは,もうモチベーションには,ならなくて,じゃあ,何かというと内的熟達,即ち,その曲を日々弾いて行くことに効力感を見出せるかということです.

 そういう意味では,この曲は,弾いていて気持ちいいし,そんなに難しくないので,それなりに仕上がるかもしれないし,3分に短縮したことは(音楽的には問題ありますが),基準化練習時間的に意味があるということでしょう.

 あとは,練習は,電子ピアノでするので,それである程度弾けるようになった状態でグランドピアノで弾いたらどうなるかの実験という側面もありますね.

 でも,逆に言えば,それなりに弾けるようになるまでに弾く気がなくなったら,はいそれまでよ,ですし,弾けるようになっても,継続的に弾いて行く気にならなくなっても同様で,それは,他の全ての曲も同じで,でも,それはそれでしょうがないし,それでいいんだと思います.

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 仕事で社会的に成功しても何も残らないと書きましたが,それは,定年などで仕事をリタイアした時の話で,それまでは,大変ながらも大いに楽しく過ごせた人も多いでしょうし,何も残らないというのも極論で,実際には,一仕事できたという充足感や幾ばくかのお金や仕事を通して得られた人間関係は,残るんだと思います.でも,そのくらいの状態で,そこから何十年も続くかもしれない残りの人生を生きていくのは,あまりに心許ないということでしょうか.

 何とかして仕事を続けるということがありますが,定年があるサラリーマンは,難しいですし,医者や弁護士や職人などの定年がない仕事も(何度か書いたように,)死ぬまで続けることは難しくて,実質,定年がサラリーマンより少し伸びるというくらいのことで,そこでやめると逆に残りの人生が難しくなったりします(サラリーマンとかで再就職したりして仕事を続ける人も同様).

 なので,逆に50代半ばくらいで会社をやめて起業するなどして次の人生にシフトする人も多いのですが,何か別の仕事をするのなら,定年がない仕事と同じことになるとも思うんですよね.

 それなら,何とか食べて行けるのなら,「退屈しのぎ力」を身につけて,仕事なんかしないで,やりたいことやって行くのもありってことなんですが,じゃあ,何をして退屈しのぎをするかが重要となるわけです.

 ちなみに,私にとっての研究は,今は仕事ですが,実質的にはピアノやバドミントンやスキーやこのサイトや相場研究と同様に,やりたいからやってることと同列です.じゃあ,研究を定年でやめても続けるかですが,それは何とも言えなくて,というのは,ピアノやバドミントンやスキーや相場研究だって,今はやりたくてやってても,いつやりたくなくなるかはわからないわけで(実際,バドミントンもスキーもそんなにしてないし),それは,研究も同様ということです.

 ただ,研究とそれ以外と違うのは,今は,それで飯が食えてるというか,やらないといけないという側面があることで(そういう意味では,相場研究もそういうことになってきた),それが大学をやめて,それで飯は食えない,やらなくてもいいとなることで,やらなくなるか,逆に,変なしがらみがなくなってその気になるのか,わからないってことでしょうか.

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[老後の生き方を説く本とか動画]

 YouTubeもそうですが,老後の生き方を説く本とか,そういう情報,いろいろありますよね.どう思いますか?

 「こうやったら億万長者になれる本」がたった1000円で買えるか(笑)というのと同じというか,YouTubeに至っては(広告を見るだけで)只なわけで,そんなもんで,ということなんですが,別の観点からすると,本とか動画の目的が何かを考えれば明らかですよね.

 本や動画の目的は,売れることや再生回数なわけで,ということは,多くの人に読んでもらったり,見てもらったりしないといけないわけで,そうすると,中身的には,万人受けするものになってしまうのは当然で,でも,実際は,人によって,事情やどういう老後を送りたいかは様々なわけで,そんなものに「答え」がないのは,明らかでしょう.

 じゃあ,どうしたらいいかですが,自分で考えるしかないってことですね.

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[メンタルケアを何とかしないといけない?]
(世の中)

 新型コロナが終息?して,世の中が普通に?動き始めて,オンラインに慣れてしまって,人混みとか満員電車とか学校とか会社とかで教室とか仕事場とかに大人数で集まるのが辛い,人と直接接するのもしんどいという人が結構いるそうで,中には不登校みたいになってる人もいるらしく,メンタルケアを何とかしないといけないというようなことが言われてるみたいです.でも....

 それって,メンタルがどうこうなんじゃなくて,そもそも,人混みとか満員電車とか教室とかの狭い場所に多くの人を押し込める方がどうかしてる,つまり,それが普通なんじゃなくて,新型コロナ前が異常だったってことなんじゃないですかね.そして,それを正常ということにして,むりくり異常に戻すことは,もっと異常ってことになりませんか.

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6/6'23
[結局,自分で考えるしかないというのは,変わりない]

 老後の生き方を説く本とか動画ですが,もちろん,そんな単純な話でもありません.中には,有用なことを言ってるものもあるわけで,でも,それが有用かどうかは,受け手の判断になるので,結局,自分で考えるしかないというのは,変わりません.

 ただ,何度も書いているように,ベストセラーやバズった動画は,注意が必要です.万人に受け入れられたということは,「平均的レベル」の内容ということで,平均以下の人達には,有用かもしれませんが,このサイトを見ているような人には,「そんなことわかっとるわ」というようなことでしょうし,中には,騙して作り手が得しようというものも多いので気をつけないといけません.

 なので,結局,自分で考えるしかないというのは,変わりないわけです.

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[人生に限りがないとしたら]

 このサイトに,再三,出てくる「人生所詮退屈しのぎ」ですが,別に私がそう思うとかいったものではなく,古今の哲学者が導いた結論というか,哲学の世界の常識です.

 背景にあるのは,人生には限りがある,つまり,いつか終わるので,何かのために,将来のために何かするとしても,結局,最後はチャラということで,人生が終わるまでの「退屈しのぎ」の域は出ないというようなことでしょうか.

 でも,実際のところは,若い頃,少なくとも20代くらいまでは,人生に限りがあるという実感はないですよね.私もそういうことを考え出したのは,30代でしたし,人生に限りがあることを実感したのは,40代だったと思います(でも,20代の頃から,そういうことを言ってた奴もいたので,今にして思えば,大した奴だなあと思いますね).

 でも,これも何度も書いてますが,人生に限りがあるからと言って,80年とかいう時間を虚無というか退屈に過ごすのは,勿体ないというか,逆に難しいわけで,だったら,最後はチャラになるとしても,少なくとも,それまでの間は,大いに楽しみましょうということもあるわけです.

 で,思ったんですが,じゃあ,人生に限りがないとしたら,例えば,不老不死を獲得したら,「人生所詮退屈しのぎ」でなくなるのか,ということです.

 少なくとも,今の私の感覚からすると,そんなの関係ないですかね.つまりは,人生が永遠に続く(のは,やっぱ,ちょっとしんどいな)としても,「人生所詮退屈しのぎ」ということです.

 その背景としては,内的熟達的に生きている,生活しているということがあるような気がします.なぜなら,内的熟達的というのは,その日その時を生きる,楽しむということですからね.やる気三要素というか内的熟達には,そういう「効能」もあるんだなと思いました.

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 とは言え,もうこんな歳なわけで,若い頃のように,やりたいことは何でもやるというわけには行きません.体調は,そんなに悪くないというか,少なくとも,40代の頃より全然いいと思いますが,調子がいいと思って活動してるとすぐ疲れるというか,しんどくなってしまいます.

 でも,(仕事をリタイアしたら)しんどくなったら休めばいいというだけの話です.仕事をしているうちは,そうも行かないんですが,もうゴールは見えていて,何とか滑り込めると思います(多分).

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[20年以上,どうやって「退屈しのぎ」をしていたのか]

 上岡龍太郎さんが(81歳で)亡くなったんですが,パペポTVのことは何度か書きましたが,彼の現役時代の活動は,そんなに見たことがあるわけではありません.

 じゃあ,どうして,書いてるかというと,まだ活動中の60歳前くらいに引退して,そこから20年以上,どうやって「退屈しのぎ」をしていたのかということです.

 で,ちょっと調べてみたんですが,「プロゴルファーを目指して米国にゴルフ留学したもののプロにはならず。自腹を切って好きな落語や芝居に通い、悠々自適で優雅な隠居生活を送っていた」とのことですが,そんなことが悠々自適で優雅な隠居生活だとしたら,それだけの話ということですかね.

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 じゃあ,私がどうしたいかですが,まだまだ仕事がしたいとは思いません.ただし,ここで言う仕事とは,研究関係以外の大学の仕事ですかね.つまり,学生の研究指導も含めて,研究は仕事とは思ってないってことで,そういうことをしていけるような話があれば,喜んで受けると思いますが,そんなうまい話あるわけないとも思っています.

 となると,何とか自力で稼いで行くとともに,退屈しのぎもして行かないといけないので,大変と言えば大変ですが,何とかするしかないですし,それはそれで楽しめるとも思います.

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6/7'23
[中学の時の学年1位がその後どうなったか]
(受験)

 YouTubeで,中学の時の学年1位がその後どうなったかきいてみましたというのをやってました.結果は,東大とか京大とか医学部に行ってるということで,頭がいい?奴は,昔から頭いいってことだったんですが,そうなんですかね?

 私の場合だと,まず,小学校で学年1位とかはわからないのですが,IQが一番高いと(担任の先生がばらした)子は,その後,どうなったかわかんないですね.中学の時,中間,期末でずっと学年1位だった子も,進学塾で2年くらいまでずっと1位だった子も,その後,どうなったかわかんないです.

 高校は,さすがにわかりますが,何度か書いているようにトップは女子で,でも,2人いて,どっちが1位だったかは憶えていませんが,二人とも九大医学部に行きました.

 なので,私の中のイメージは,小中の時の成績は,あんまり関係ないって感じです.私自身,学年1位になったことなんかなかったと思いますし,そもそも,そういうことを目指してなかったと思うんですよね.

 学年1位とかいうのは,中間,期末のような学内のテストの結果なわけで,そんなのができても東大の入試問題は,全然違うわけですし,もっと言えば,東大入ったからと言って,別に大したことじゃなくて,真価が問われるのは,そこから先でしょう.

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[アクティブ vs インデックス]
(経日)

 今日は下げたみたいですが,日経平均は,連日,バブル以来の高値の更新を続けてて,日本株は,好材料目白押しとか言ってますが,どうなんですかね.個人的には,資保(大手総合商社五社+中堅建設)は,買い玉をもったままで,含み益が膨らんでる状態ですが,日運は,玉が建ってませんし,アメリカ株は売りスタンスです(こっちは,含み損が膨らんでて,VIXの値動きが大きいので,やや弱含み).

 

 これまたYouTubeですが,アクティブ vs インデックスってことで,ここ10年で見ると,パッシブの圧勝らしく,ファンドマネージャーは何やってんやというか,そんなことだったら,インデックス買って放置が一番儲かるという感じなんですが,これまた,ここ10年の話であって,これからもそうなるとは限りません.でも,アクティブというか,投信は,手数料で稼ぐのが目的ですからね.

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[調子]
(日記)

 体調は,そんなに悪くないんですが,確かに40代の一番しんどかった時よりはいいとは思いますが,今が調子がいいかと言うと...大したことできてないとは,再三,書いてる通りですし,実際,最近,しんどくなることが多くて,やらないといけないことはいくらでもあるのに,活動度が急激に落ちる日も出てきました.

 単なる調子の波なんでしょうか.それとも多少の波がありながら,どんどんじり貧な感じ? でも,40代もそういうことを書いているので,また持ち直すこともあるんですかね.

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 調子云々もありますが,やっぱり,何して過ごすかですよね.

 今は,もちろん,仕事はありますが,研究関係以外の仕事は,研究関係の仕事をするためにしているようなものですし,そういうこともあと○年で終わりです.そして,それは,やっぱり,何だかなー感はありますよね.

 もし,今の大学の定年後も,研究関係の仕事が続けて行ければ,そう思うこともない? でも,だったら,今の大学の定年後も研究を続ければいいだけの話? でも,少なくとも今のような形で続けて行くことはできないわけで,それなら,定年とか関係なく,ずっと続けて行けるようなことをやった方がいいとか考えるわけです.

 でも,そういうことは,これまでも散々考えて書いて来てるわけで,何を今更ってことなんでしょうが,やっぱり,安定しないというか,これも波のようなものなのでしょうか.

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6/8'23

 そんなことわかってるというか,究極的には,雨露と暑さ寒さをしのげる家と(安全な)食料があればいいわけですし,それに加えて,心身の健全といくばくかのお金と退屈しのぎがあれば充分なわけで,どうしてそれでは何かが足りないと思ってしまうんですかね.

 本能ということなら,従った方がいいとはならないので(本能に従って頑張り過ぎると体を壊して苦しい思いをすることになる),本能を乗り越えるというか,ここでこういうことを書いてマインドコントロールというか知性で解決するしかないってことですかね.

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 やはり,承認の欲求というか,仕事に限らず,何十年にも渡って刷り込まれてきた「成果をあげて評価される」ことを由とする「悪い癖」がなかなか抜けないということですかね.実際,本質的にこんなことやってどうするんやというようなことでも,それが仕事ということになった途端,やること自体に意味がある感覚(錯覚)になってしまうところがありますからね.

 とは言え,そういう現実の中で,そこそこうまくやってきたわけで,仕事を続けるなどして,それで最後まで行くというのもありかもしれないのですが,それはもうしんどいというか,この期に及んで本質的でないことやってもしょうがないわけですし,そもそも,もうお前なんか要らないと言われるのが定年なわけで,「一人,時々,みんな」で内的熟達的にやって行けたらとは思うのですが,まだまだ修行が足りないってことですかね.

 でも,以前に比べたら,大分できるようにはなってきてるので,もう少しというか,定年までには,そういう境地に達することができれば,ということですかね.

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[何事かを成し遂げるもの]

 なぜだか理由はよくわからないのですが,何度か書いたように,私は「何事かを成し遂げる」つもりでやって来ました.「何事かを成し遂げる」というのは,漠然としていますが,何か今までにないものを生み出すとかいうことでしょうか.そして,世の中の職業が「何事かを成し遂げる」ものとそうでないものに二分されることも書きました.

 いや,「何事かを成し遂げる」ものは,職業ではないですね.つまり,職業とは,何事かを成し遂げるものではないということでしょうか.

 そういうものにどういうものがあるかですが,学術,芸術,スポーツといったものがそうなのかもしれません.そして,これらは,本来,いずれも職業たり得ないものです.逆に,ビジネスの世界でどんなに成功して巨万の富を築いても,「何事かを成し遂げる」ものではありませんし,医者とか弁護士や教師などの社会的に非常に重要な職業もそうですね.つまりは,「何事かを成し遂げる」のは,いいとか悪いとかいうことではないということです.

 政治家は,本来的には,「何事かを成し遂げる」ものだったと思いますが,今や単なる職業というか家業というか,それ以下に成り下がった感があります(政治家になんかなっても,何も成し遂げられない).官僚は,そういう○ホな政治家を使って,何事かを成し遂げることができたと思いますが,これも今や厳しいことになってきました.

 そういう意味では,研究者も本来の何か今までにないものを生み出すというよりは,職業研究者で溢れていますし,商業芸術,金儲けが目的のスポーツもそうですね.

 でも,繰り返しになりますが,「何事かを成し遂げ」ようとするのか,そうでないのかは,いいとか悪いとかいうことではないし,「何事かを成し遂げ」ようとして,実際に「何事かを成し遂げ」たかどうかは,大した問題でもなくて,でも,なぜか,そういう意識がある人とそうでない人に二分されるというか,そういう意識がある人は,ほとんどいないような気がします.

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6/9'23
[やらないといけないこと探し]

 うーん,何と言うか,「やることがない感」がよくない気がします.

 実際は,仕事を始め,「やることがない」なんてことはなくて,やること,やらないといけないことは,いくらでもあるんですが,すぐにやらないといけないわけじゃないとか,本質的にやる意味あるのかとかいうことだと,「やることがない」感じがしてしまいます.

 じゃあ,仕事をずっと続ければいいじゃんとはならなくて,もちろん,仕事をしないと食べて行けないのなら否応なしですが,そういうわけではないし,そもそも,本質的にやる意味あるのかという仕事をして小金稼いでもしょうがないし,いつまでも働けるわけではないですからね.

 なので,結局,「やらないといけないこと探し」というか「やる本質的意味があること探し」ということになる気がします.

 そんなものなくても,単純にやりたい,やってて面白いのなら,それはそれでいいですが,そういうものがないというか,あってもそう感じられない時どうするかということですね.そして,それは,「生活の質の向上」かな,とは思います.

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 別の側面としては,やるやらないのバランスもありますね.

 どんなにやらないといけないこと,やる意味があること,やりたいことだとしても,全く休めないのでは,疲弊してしまいます.逆に,ずっと休みでも,やりたいことをやってるだけでも何かが足りない.

 「やらないといけないこと」が必要というのは,そういうことで,でも,仕事をしているうちは,それが多すぎるし,リタイアすると逆に少なすぎる(多分).それが急激に起こるのがハードランディングで,じゃあ,どうしたらいいかですが,それをできる範囲でマネージメントして,ソフトランディングに持って行くということでしょう.

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[職業という概念がない]

 何事かを成し遂げるですが,側面的に言うと,職業という概念があるかないかと言えるかもしれません.

 多くの人には,職業という概念があって,できれば,高収入や社会的地位があった方がよくて(あるいは,起業したりして),そのために勉強していい大学に入るみたいな.そして,その結果として,「いい暮らしがしたい」んですよね.そういう感覚が,私にはありません.

 とにかく,何か面白いものを見つけて,それで何かを成し遂げるというか,何か新しいものを発見するというか,やりたいことをやるという感じで,でも,食べてはいかないといけないので,職業として,研究者というか大学の教員を選んだけど,それが職業という感覚は,あまりないです.つまり,私には,職業という概念がないんですね.

 でも,お前が一体何を成し遂げたんだと言われると,大したことはしてないと思いますし,そのための努力みたいなこともしてないですかね.なので,単なるメンタリティーの問題だと思いますし,繰り返しになりますが,いい悪いの問題ではないというか,むしろ,そんな酔狂なことやるよりは,(例えば,医者とか弁護士とか教師とか会社員とか公務員とかの)ちゃんとした職業に就いて,地道にしっかり世の中の役に立つことをやる人の方が偉いと思います.

 ただ,職業という感覚はないですが,今の仕事の中で,学生の研究指導は,人材育成という意味では,世の中の役に立つというか,非常に大きな効果を上げている(上げられる)と思っています.でも,学生が研究しなくて,非常に高度な思考力の養成というレベルまで行かなければ,どうしようもありませんけど.

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[結局は,最初から決まってる]

 結局は,最初から決まってるような気がします.

 具体的には,何が好きか嫌いか,得意か不得意か,やりたいかやりたくないかは,(扁桃体的に)決まってるわけで(好き嫌いはどうしようもないわけで),そういう中で,何が好きか嫌いか,得意か不得意か,やりたいかやりたくないかに気づけるか,そういうことに出会えるか,そして,そういういろんな要素をどうバランスさせるかなわけで,実は,後者が非常に重要だったりします.

 つまり,冒頭で,最初から決まってると書きましたが,確かに前者(何が好きか嫌いか,得意か不得意か,やりたいかやりたくないか)は,決まってるのですが,それだけでは,何も起こらなくて,成功するかどうかは,後者(何が好きか嫌いか,得意か不得意か,やりたいかやりたくないかに気づけるか,そういうことの出会えるか,そして,そういういろんな要素をどうバランスさせるか)ということです(これも138億年前に決まってはいるけど,それは,ここで言う「決まってる」とは,別次元の話).

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(日記)

 なんか変な感じです.疲れるというか,疲れが溜まってる感じでしょうか.人と接していろんな話をすることは,楽しいのですが,疲れてしまう感じがします.

 仕事だけではなく,いろんなことをしているので,それもあるかもしれません.運保もマザーズ先物がSQであることを忘れて,決済になってましたし(ていうか,そもそも,SQが近いのに期近の建玉するのがおかしい),VIX先物も,結構,含み損が出ていて,それ自体は,他のところで益が出ているので問題ないのですが,まだ全然余裕あるのにロスカットが設定されていて,なんかぼーっとしてる感じです(週末なので対処もできないし).

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6/10'23
[林先生の退職記念講演とパーティー]

 今日は,林先生の退職記念講演とパーティーでした.

 林先生とのことは,ここで書いた通りで,若い頃は,学会とかでやり合ったりしてたんですが,いつの頃からか,そういうことがなくなった感じで,それがどういうことかはわかりませんが,まあ,お互い丸くなったということですかね.でも,その数年後に同僚というか,同じ京大建築ということになるとは思いもしませんでしたけど.

 定年は,来年の3月だったのですが,1年を残して京大を辞められたということで,かなりびっくりして,行き先をきいて更にびっくりした感じですが,どうしてそういうことになったかは,今日もちょっと話が出ていましたが,ここで書くようなことではないですね.

 講演会では,学生時代に始まって,清水の大崎研時代,京大時代と40年間,ほんとに多くのことに取り組まれてきたんだなと思いました.で,講演の最後の方で,40年間,長かった,でも,大いに楽しませてもらいましたとおっしゃってたのが印象的でした.

 で,気づいたら私もあと○年なんですが,私は,やっぱり,こういう盛大なことはやりたくないというか,やるほどの○ではないと思いますね.ほんとは何もせずにひっそりと消えたいと思うのですが,防災研に来てしまって,2月くらいにある講演発表会で定年で辞める教授(なぜか教授だけ)は,しゃべらないといけないので,それが精一杯でしょうか.そっか,今気づいたんですが,例えば,1年早く辞めたりすれば,それも免れるってことかもしれません.

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6/11'23

 「やるほどの○ではない」というのは,どういうことですかね? 学界や学会でいろんなとりまとめ的な仕事をしたというわけではないというのは,そうかもしれませんが,と書きましたが,そういうこともそこそこはやってるわけで,実際,この業界でそれなりの実績がある人で知らない人は,そんなにいない感じもしますし,それは,向こうからしてもそうというか,むしろ,私が知らなくても私のことを知っているという人は多いと思いますからね.

 とは言え,私がよく存じ上げていない人を退職記念講演とかパーティーに呼ぶわけには行かないので,そういうことをやるとしたらどんな感じかなという名簿みたいなものを思いつくままにざーっと書き出してみました.そしたら,あっという間に100人は超えたので,最終的には,200人近く行くのかもしれませんし,実際に来ていただける歩留まりがどのくらいかはわからないのですが,100人は超えるとすると,そこそこの数にはなるのかもしれません.

 うーん,でも,こっちが来てくれるだろうと思っても実際にはどうかはわからないし,来てくれると思って来てくれなかったらショックでしょうし,そもそも,そういう負担をかけたくはないですし,そもそものそもそも,やっぱり,こういう会は,性に合わないですかね.

 もちろん,こういう形ではなく,お世話になった人には,ちゃんと挨拶というかお礼は言いたいですし,久しぶりに会いたい人もいっぱいいるので,何かそういうことができればとは思います.そういう意味では,全部まとめていっぺんにそういう会をやるというのが楽な気もするのですが,そうすると,個別に話す時間はそんなにないわけで,そういう本来の目的に反するとも思うんですよね(OBOG会的側面もあるということなら,そういう会をやればいいし).

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[まだまだ若い?]
(体)

 昨日ですが,講演会は桂で,四条に移動してパーティーということだったんですが(でも,土曜の午後ということもあり,街中は,すごい数の人が),桂からバス+電車移動だったんですが,バスは長蛇の列で,タクシーのお誘いもあったのですが,少し時間があって,街中を歩くのが好きだし,途中で買い物や探し物もしたかったので,阪急の桂駅まで30分くらい歩いて行きました.普通は,バスとかタクシーで行くところを歩いて行くというか,そういう気になるなんてまだまだ若い? でも,なんか変なんですよね.

 歩いていて,しんどいってことは全然ないんですが,なんか思うように体が動かないというか,脚もちょっと痛い感じです.で,四条でも,結構,歩き回ったし,パーディーは,立食で,3時間ずっと立ちっぱなしだったんですが,考えてみたら,それって,電車で立っていることを考えると,結構な時間ですよね.

 それで,家に帰ってきたら,結構,疲れていて,椅子に座って眠っていたら,足がつりました.しかも,ふくらはぎではなく,その逆の脛の方で,足首が痛くて伸ばせない状態になったのです.

 それは,しばらくしたらおさまったのですが,まだまだ若いどころか,もう全然だめってことですよね,そう言えば,昨日もそうですが,以前も,私が歩いているのを見て,どこか脚が悪いのかと言われたことがあります.どこも悪いところはないのですが,そう見えるってことですよね.確かに右股関節は,ずっと悪いのですが,普通に歩いてる分には,何ともないですし,バドミントンやスキーも普通にやってるのですが,脚力自体は,かなり落ちてると思いますし,確実に衰えて来てるんだと思います.

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[まさに幸福論的な話]

 仕事をリタイアした後,本人は,充実した第二の人生を過ごしているつもりでも,その実,大したことしてない場合が多いってことなんですが,まさに幸福論的な話ですよね.つまりは,自分は幸せだと思ったもん勝ちで,幸せになりたかったら○ホになればいいというのと同じなわけです.でも,回りからどう思われようと構わないとは言え,尊厳や信念のようなものまで失いたくはないですし,幸せになれるなら認知症になってもいいということにはなりません.

 でも,体も脳も確実に衰えて行くわけで,なかなか難しい問題ですよね.回りに迷惑をかけたくないとか,醜態をさらしたくないということなら,とにかく何とか自活できるようにして,極力社会や回りと関わらないようにするということなんでしょうが,そのために必要なのがやはり退屈しのぎ力ですかね.

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[仕事をリタイアした後,充実した第二の人生を送りたいというのがおかしな話]

 そもそもなんですが,仕事をリタイアした後,充実した第二の人生を送りたいというのがおかしな話なのかもしれませんね.

 実際は,社会からもう必要ないと言われて,年金もらって社会のお荷物になるわけで,それで充実した第二の人生を送ろうなんてことが厚かましいというか,人生の終わりに向かって,どんどん衰えて行くのであれば,ちゃんと惨めな生き方をすべきということかもしれません.

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 でも,そう考えると,逆に安心もしてくるんですが,じゃあ,逆にしっかりちゃんと生きて行こう,ともならなくて,結局,自分がやりたいようにやって行くしかないし,そうしかできないわけですが,やりたいようにやってどうなるかは,自分の素養次第なので,それでいいというか,そうしかならないことを受け入れればいいってことでしょう.

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6/13'23
[世論の誘導]
(世の中)

 先日のテニスの全仏オープンの女子ダブルスで,日本人選手が打った球がボールガールに当たって失格処分になった件ですが,かなりの騒ぎになりました.

 日本のメディアは,日本人選手を擁護する報道が多かったと思いますが,日本人だから肩を持つということはあってはならないことで,彼女のしたことは,ジョコビッチが失格になったときと同様,かなり強い球を打っているのに,球が飛んでいく方向を全く見ておらず,極めて危険な行為です.本人は,故意ではないと言ってるようですが,まさに未必の故意そのものです.この選手は,いろいろ「前科」もあるようですが,そういうことも,ほとんど報道されていません.

 思ったのは,やはり,メディアやSNSによる世論の誘導ですね.世の中の多くの人は,自分で考えることができず,メディアやSNSの言うことに簡単に誘導され,騙されてしまうんだなと思いました.これでは,戦争も起こってしまうわけです.

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(運保)

 LINE証券がFXだけを残して証券業務から撤退との報道です.調べてみたらCFDもそうですね.ロールオーバーは必要ですが,買い建ててもFCがかからないという非常に貴重な存在だったので,残念ですね.

 ということで,また代替を探さないといけません.IGか1552かと思ったのですが,楽天がCFDを始めたみたいなので,お試しで使ってみますかね(でも,資金移動も必要だしめんどくさい).でも,やっぱ,FCはかかっちゃうのかな.

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[とにかく体を使わない]
(体)

 なんか,あまり調子よくないですね.相変わらず,夢をはっきり見て,熟睡できてる感じじゃなくて(でも,全然違う2つの世界を生きてるみたいで,それはちょっと楽しいというか不思議な感じ),仕事とかが一息つく,昼とか夕方とかになるとしんどくなってしまって,夕方は,ピアノを弾いたり,練習に行ったりするので,ピアノも弾かず,練習にも行かないということになってしまってます(でも,電子ピアノを買ったおかげで,少し回復した夜にちょっと弾くこともあるんですが,電子ピアノを弾いてもあまり練習した感じはしない).

 先週末,かなり長い距離を歩いた時,脚部がなんか変な感じで,その後,ずっと立っていて,下肢の脛側が痙攣した件ですが,もう歳ということで衰えて来てるということだとどうするのがいいのでしょうか? 普段から(1日1万歩とか)しっかり歩いたり,トレーニングみたいなことをしたりとかした方がいい? でも,そんな感じがしないんですよね.

 40代の時によく書きましたが,バドミントンの競技力が落ちて来て,何とかしようとして,練習とかトレーニングとかしたんですが,全く効果がないどころか,やればやるほど体が痛んで競技力は落ちて行ったんですよね.そして,今度は,バドミントンの競技力どころか,日常生活レベルの話なんですが,それも同じような感じがするのです.

 じゃあ,どうしたらいいかですが,とにかく体を使わないってことですかね(結局,体も消耗品ってこと).そういう意味では,先週末,かなりの距離を歩いて,ずっと立ちっぱなしだったというのは,やってはいけないことをしてしまったということですね.

 そんなことだと,益々衰えて行くと普通は考えるのでしょうが,もちろん,全く動かさないのでは,そうでしょうが,「適度」に動かすのがちょうどよくて,でも,その「適度」は,普通に考えられるより非常に強度が低いような気がします(ずっと座ってるのはよくないので,時々,立ち上がって体操をする程度).

 でも,そんなことでは,バドミントンもスキーもすぐにできなくなるということなんでしょうが,意外とそうでもないと思っていて,具体的には,ここ数年,ほとんどバドミントンは,していなくて,それこそ,1年とか半年に1回とかいう感じで,でも,そこそこ動けるわけで,それは,スキーも同様です.

 でも,何時間もぶっ続けで打ち続けるとか,上から下までノンストップで高速で滑り降りるとかは,できなくなるんでしょうが,そこまでできなくてもいいし,そういう意味では,日常生活でも,何時間も歩き続けるとか立ち続けるとかも同様で,そこまでできなくてもいいと思いますからね.

 とは言え,スポーツの最大の面白さは,練習やトレーニングをして競技力を上げることで,でも,もうそれは無理ってことですね(そういうことがあるのは,若い時だけってこと).40代からずっとそれに抗ってきたということなんでしょうが,ようやくあきらめがついたというか,それが逆効果であることに気がついた,つまり,これも結果最大になるように敢えてセイブするってことなんですが,気力が衰えて,セイブしなくても自然とそうなるようになったってことですかね(つまり,先週末は失敗した).

 正直,なんだかなあと思いますが,まあしょうがないんですかね.

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6/14'23

 でも,あまり調子よくないと言っても,じゃあ,調子よくなって,仕事でも仕事以外でも,まだまだいろいろやりたいかというと,現状でできることができればいい,むしろ,仕事でも仕事以外でも,(調子よくても)いろいろめんどくさいことがめんどくさいわけで,つまり,現状でいいってことなんですが,退屈よりめんどくさいが上回ってる感じでしょうか.

 結局は,私がどういう風に生きて行きたいかってことなんですが,それは,何度も書いているように,「一人,時々,みんな」で内的熟達的に,ということです.でも,現状は,仕事をしているので,「一人,時々,みんな」の「みんな」,即ち,人との繋がりや社会的なことが結構あって,それは,量的なこともありますが,中身の問題もあるわけです.

 でも,仕事を(定年で)やめれば,基本的には,付き合いたい人とだけ付き合って行けばいいので,それはいいですね.ただ,仕事の付き合いでも楽しいものもたくさんあって,それがどうなるかですし,付き合いというのは,相手あってのことなので,「一人でも大丈夫」になっておいた方がいいとは思います.

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6/15'23
[徒歩10分]
(体)

 先日,京大の桂キャンパスから阪急桂駅まで,普通はバスかタクシーで行くところを30分歩いて行ったってことなんですが,そんな人は,ほとんどはいないわけです.でも,30分歩くって,そんなにたいそうなことでもなくて,距離にして2〜3km,歩数にしても3000歩くらいなもので(1日1万歩歩きましょうとか言ってるのに),まさに散歩というくらいのことでしょう.

 じゃあ,どのくらいの距離なら歩くかですが,「駅から徒歩10分」じゃないですが,10分,1kmくらいが上限って感じでしょうか.ていうか,このくらいの距離でもバスやタクシーに乗っちゃう人も多いわけで,でも,考えてみたら,それって,結構,やばい話ですよね(1km以上歩けないと,いざという時どうなる?).

 一方では,1日1万歩歩いてる人や,走ったり,運動したりしている人もいる.そういうことをしてない人も満員電車で1時間くらい立っていたりする.大学教員なら1時間以上立ちっぱなしで講義をすることもある.でも,新幹線とかで移動する時に何時間も立っていく人はほとんどいない.

 何か変な話ですよね.同じ歩くのでも,健康のためのウォーキングと徒歩移動は違う? いや同じですよね.そう言えば,車でジムに行ってバイクを漕ぐんやったら,自転車でジムに行けばいいやん,いや,ジム行く意味ないやんという川柳ありましたね(笑).

 でも,体は消耗品なので,できるだけ使わないというのが正解で,だとすれば,徒歩10分の距離も歩かないということでいいと思うのですが,そうすると,満員電車も,ずっと立ちっぱなで何かするのもやめた方がいいことになります.もっとも,ずっと座っているのもよくないので,「適度」に体を動かすことが必要ですし,それは,歩くとかではだめで,太極拳のように大きく動かすことが必要です.

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[どういう風に生きて行きたいかではなく,何をしたいのか,何に興味があるのか]

 どういう風に生きて行きたいかではなく,何をしたいのか,何に興味があるのかってことですよね.○○に興味があって,そのことについて研究して行きたくて,研究活動が「一人,時々,みんな」で内的熟達的なものになるなら,そういう風にやって行きたい,でも,○○の研究がいろんな人を巻き込んで「みんな」でやって行くことなら内的熟達的とは行かないということでしょう.

 でも,そういうことだと,私が興味があってやりたい研究は,「一人,時々,みんな」で内的熟達的な感じはしますし,そもそも,研究ってそういうものだと思います.ピアノもそうですね.バドミントンやスキーもそんなにやらないのなら,そういうことになるでしょう.相場研究やこのサイトに至っては「一人」です(でも,このサイトは,「みんな」のことを想像しながら書いていますが).

 なので,結果的に,「一人,時々,みんな」で内的熟達的ってことなんでしょうし,何か興味があることが出てきて,それがいろんな人を巻き込んで「みんな」でやって行くことなら「一人,時々,みんな」で内的熟達的には,ならないってことなんでしょうが,そうはならないような気はします.

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[人生の成功とは]

 人生の成功とは何かについていろいろ書いたと思います.私の中での人生の成功は,社会的に成功して有名になるとか金持ちになるとかいうことではなくて,やりたいことがどれだけやれたかなわけで,そういう意味では,私の人生は,成功だったと思います(独りよがり).

 でも,何が成功かは,人それぞれなわけで,実際,社会的に成功することが人生の成功と考える人は,多いのでしょうが,そんなことより,自分が与えられた立場でしっかり責任を果たすこと,平凡でも暖かい家庭を築いて愛する人と過ごすこと,あるいは,楽して遊んで暮らすことという人だっているわけですからね.

 でも,そういういろんな考えがある中で,共通というか最大公約数的なところはあるわけで,例えば,病気で痛いのや苦しいのは辛いでしょうし,やり甲斐がないやりたくないことをやるのは,誰でも嫌だと思うんですよね.

 で,そういうものを一言で言うと,やっぱり,やりたいことをやるってことになると思うんですよね.社会的に成功して有名になるとか金持ちになった人も,自分が与えられた立場でしっかり責任を果たした人も,平凡でも暖かい家庭を築いて愛する人と過ごした人も,楽して遊んで暮らした人も,結局,やりたいことをやったということですからね.そして,何をやりたいと思うかは,その人の素養で決まるわけで,それは,どうしようもないことでもあるわけです.

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 ここまでは,前振りというか,もっと極論的に話を進めると,やりたいことをやるとか言っても,やりたいことってなんやってこともあるわけで,「やりたいことなんかない.でも,やりたくないことはいくらでもある」的に言えば,補集合的に「やりたくないことをどれだけやらずに済んだか」が人生の成功という(極論的な)ことも言えるってことはないですかね.

 そういうことからすると,社会的,経済的に成功した人は,いろいろやりたくないこともやらないといけなくて,成功した人生とは言えないかもしれません.逆に,楽して遊んで暮らした人は,成功と言えるかもしれませんが,実際は,経済的なものがなければ,そうは行かないわけで,宝くじに当たるとか,家が金持ちとかいう場合も,それで楽しいと思える素養の低さが必要で,それはそれでなかなか難しい気がします.

 でも,やりたいことをやるにしても,やりたくないこともくっついてくるわけで,簡単な話ではないのですが,やっぱり,やらないといけなくてもやりたくないときは,誰でもあるわけで,そういう時に体と心にむち打つのは,大変なことで,でも,そういうことをしなければ,大したことにならないということなんでしょうが,そんなことより,やりたいと思う時だけやりたいことができた(やりたくないときはやらずに済んだ)というので何とかなれば,それでOKとも思うわけです.

 とは言え,普通は,なかなかそうは行きませんよね.民間企業や省庁などでは,そうは行かないでしょうし,大学だって,やりたくないときはやらずに済んだという単純な話でもなくて,ある程度は,そういうこともやらないといけないわけで,そこのところの勘どころというかバランス感覚なんでしょうが,非常に危うく際どい話なので,やっぱ,地道に普通にやった方がいいと思いますが,私には,それができなかったということですかね.

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6/16'23
[そんなことどうでもいい]

 上で言う人生の成功というは,第一の人生のことだったんですが,これって,そのまま第二の人生にも当てはまることに気づかされます.

 具体的に言えば,社会的に成功することが人生の成功と考える人の場合,定年とか引退で仕事を失ってしまうと,多少の経済的なもの以外,何も残らないということになりかねないですし,それは,自分が与えられた立場でしっかり責任を果たしてきた人も同様かもしれません.要は,仕事などを通して社会との関わりの中で生きてきた人は,それがなくなることは,まさに人生が終わることなわけで,それでも社会と関わろうとすることが得てして老害に繋がってしまうわけです.

 平凡でも暖かい家庭を築いて愛する人と過ごすことも相手次第で,しかも,家族の数は非常に少ないので,リスク分散的には,かなり危ういと思います.対照的に,楽して遊んで暮らしたい人は,第二の人生に強い?とも言えますが,そんなことでどういう第一の人生を送ってきたんだ?ってことですよね.

 ここまで来ると明らかですが,そもそも,人生の成功とか,そんなことどうでもいいってことに気づかされます(爆).でも,多くの人は,何かに騙され,何かに操られてそういうものを目指してしまうわけで,やりたいようにやって行けばいいとは言え,それほんとにやりたいの?ということをよく考える必要はありそうです.

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 もっと言えば,人生の成功とか,人生とは何ぞやとか,何様?というか,ほんと思い上がりというか,不遜な話なわけですよね.

 人間とか言っても,その中で,多少,成功?した部類とか言っても,蟻一匹と本質的に何も変わらないわけで,この世に,一瞬,生を受けて,あっという間に死んでいくだけの話で,うだうだ考えてもしょうがないというか,まさに所詮退屈しのぎということでしょう.

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[AIによる「産業革命」が起こるかもしれない?]
(世の中, 経済)

 株が強いですよね.背景的なものは,新型コロナでジャブジャブにして,それが終息?して,急速に景気が拡大してインフレになって,金利を上げても抑えられずに(日本に至っては,低金利のまま)ということがあるのですが,もっと本質的なこととして,AIによる「産業革命」が起こるかもしれないというか,そういう期待感があるのかもしれません.

 要は,自動運転などの技術が進めば,生産性が上がって,企業やそこに勤める社員は儲かる一方,そこからはずれると,逆に仕事を失って,物価も上がって路頭に迷うという激烈な二極化が起こるわけで,実際,株が上がっても儲かるのは,そういう会社の株主や会社や社員だけなわけですからね.

 いくら一部の会社が儲かっても,消費する人間が増えなければ,どうしようもないということはありますが,宇宙旅行とか,莫大な金を短時間で消費(浪費)するようなものも出てきて,要は,極々一部の金持ちの経済圏と大部分の貧民の経済?圏に二分していくということですかね.

 じゃあ,どうしたらいいかですが,庶民は,株を買っておくくらいしか手段はなさそうです.でも,究極のゼロサムの世界なので,うまく行くとは限りません.でも,ほんとにAIによる「産業革命」が起こるのなら,少なくとも
向こう数十年は,株価は強含むのかもしれません.

 でも,そういう雰囲気は,2000年頃の「ITバブル」でもありましたし,「ITバブル」と言うくらいですから,まさにバブルでした.なので,今回もどうなるかはわかりませんし(その時,高値掴みをしたとすると,そこに回復するまで20年を要したわけで,今が高値だとすると,同じようなことになることもあり得る↓),最近の世界情勢を考えると,一本調子で上げて行くこともないと思いますが,産業革命のようなことが起こるのなら,ただ指をくわえて見ているだけでは,どんどんじり貧になっていくとは思います.

 

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[大学を辞めないとできないことがある]

 定年で大学をクビになってどうしていくかというか,何をやりたいかってことですが,ほんとにやりたいことなら今すぐやるので,「定年後」やりたいことは,ほんとにやりたいことではない,と書きました.でも...

 「大学を辞めないとできないことがある」ことに気づきました.それが何かは具体的には書きにくいのですが,要は,京大とか権威ある?大学の教授という立場では,できないけど,定年で大学をクビになったら,そういう足枷がなくなって,できることとしては,ちまたに嘘が溢れる中,地震や津波の「ほんとの話」という感じで,(夜道を歩ける範囲で)情報発信することは,できるかもしれません.

 でも,問題なのは,今は○年後にそういうことがやりたいと思ったとしても,○年後もそうかどうかはわからないということですね.素材は今のうち作っておいて,○年後に一斉公開ということも考えられなくもないですが,○年後になってみたら,そういう気分じゃないかもしれないし,今は,いろいろ仕事があるので,そんなことやってる暇はないということもあります.

 でも,「大学を辞めないとできないことがある」というのは,一つの大きな気づきで,そういうことは,他にもいろいろあるような気もしますし,要は,やはり,その時やりたいこと,その気になることをやればいい,そういうことがなければ,特に何もしなくてもいい,そういう気になるものが出てくるというか,その気になるのを待てばいいということでしょうか.

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[なんでRCをやらなくなったかという記事がありました]
(このサイト)

 今は,2016年の3月あたりを読んでるのですが,この年は,つくばの職員宿舎が立ち退きの知らせが来ていろいろ検討して引っ越した年で,そういう中,熊本地震が起こって大変だったとか,ベートーヴェン−リストの田園全曲!を弾いたとか,割と明確なイメージがある年です.

 それで,なんでRCをやらなくなったかという記事がありました.でも,今,読み返すと何か違う感じがしますし,実際,この後,何年かして,この時,書いたことは,何か違うということも書いたと思います(例えば,小谷先生の「震度は木造が対象だから」は,RCをやれということだったんだと思います).

 じゃあ,今はどんな感じかと言うか,ほんとは,どうだったかですが,私自身は,RCに興味がなくなって,他にやりたいことがあって,RCの世界を出て行きたくて出て行ったわけではなく,ずっとRCの世界でやって行こうと思っていました.でも,自分がやっていることがなかなか認めてもらえず,居場所がなくなったというか,もう必要とされていないと思ったことはあると思います.

 それを強烈に感じたのは,何度か書きましたが,南先生の葬儀の翌日にとあるポストを紹介されたことで,もちろん,ポストを紹介されたわけですから,面倒を見てもらったということなんですが,全然そんな感じはしなくて,お前にはもう期待しない,これからは,一兵卒として働けと言われたような気がしてしまいました.もちろん,一兵卒でも立派なことですが,思い上がりかもしれませんが,自分には,それ以上の何かができると思っていましたし,やらないといけないとも思っていました.

 とは言え,三行半を突きつけられた(と思った),RCの世界をクビになった(と思った)わけですから,何とかしないといけないわけで,必死になって,何をするかを模索したわけで,でも,捨てる神あれば拾う神ありではないですが,まさにその直後に1999年台湾集集地震が起こって,全てが変わったわけで,ほんとに何が起こるかわからないものです.

 でも,こうして書いてはみたものの,今となっては,というか,もう全てとっくの昔に終わってしまってたことなんだなあと思いますね.

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[競技力だけあっても,結局,そういうことになる]
(野球, スポーツ)

 プロ野球の交流戦は,もう最終カードなんですね(でも,対戦チームは6で,一週で2チームとやるので,僅か3週間で終わるってことですね).ライオンズは,最初は,おっ,とも思ったんですが,やっぱ,全然だめで,山川問題というか,嫌な流れは止まらず,リーグでも交流戦でも最下位という体たらくで,とうとうファンと揉めたりしています.

 全仏で失格になった選手は,初戦負けのようですし,思い返せば,バドミントンのM田もチャラチャラしたところから凋落したわけで,競技力だけあっても,結局,そういうことになるわけで,でも,何とも当たり前の話と言えば,当たり前の話です.

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6/17'23
[どうして私の中では学術優位なのか]

 このサイトの記事は,何となく結論というか,言いたいことがあって書き始める場合と,何となく書き始めて,考えながら書いていくうちに考えがまとまって,何らかの結論みたいなものに到達する,あるいは,予想外の結論になることがあるのですが,この記事は,前者ですかね.

 で,どういうことを書こうとしてるかと言うと,もし私に学術以外の才能があったら(学術には才能あったんかい?というのは,とりあえず置いておきます(笑)),どうなったのかなということです.具体的には,例えば,ピアノとか野球の才能がめちゃめちゃあったらってことですかね.

 ピアノについては,結構,弾けて,小学校低学年くらいのときにピアニストになりたいと言って,父親に,○カ者,モーツァルトは,6歳で作曲したんだぞと言われて,けんもほろろに却下されたんですが,それでもやることはできたとは思うんですよね.でも,「オーケストラがやって来た」で毎コンの小学生部門の優勝者がショパンのスケルツォの2番を弾くのを見て,ちょっと厳しいなと自覚したのは憶えています.

 野球については,全然大したことなくて,でも,野球に限らず,スポーツは,そこそこできたと思いますが,これで飯を食うというか,全国の上位を目指すなんてことは,考えたこともなかったです.でも,そういうのって,環境の問題で,そういう場がなかったということはどこかで書きました.

 ていうか,そういう実情は,ここでは関係なくて,「仮に」私が音楽やスポーツがめちゃめちゃできたら,その道に進んだかです.で,冒頭で書いたように,結論から言うと,そういうことはなかったと思うわけで,それがどうしてなのかってことです.

 具体的には,どんなにピアノが弾けても,1日10時間でも練習できたとしても,ピアニストにはならなかったと思いますし,それは,スポーツもそうだと思うんですよね.ピアノという演奏家ではなく,作曲家でも同様です.

 もっと具体的に言えば,例えば,自分がアルゲリッチやポリーニのような世界的なピアニストに,メッシや大谷翔平のように世界的に大活躍できる選手になれたとしても,そういうことに夢(という言葉は好きではないが)のようなものを感じないってことでしょうか.

 理由はよくわかりませんが,学術,芸術,スポーツを人間の(やるべき)三大活動とするのなら,私の中では,学術がもっとも上位に来るもので,その中で成功というか,今までにないものを生み出すことに夢(という言葉は好きではないが)のようなものを感じるということです.

 じゃあ,どうして,そう思うのかですが,よくわかりません.でも,上の方の父親の言動からわかるように,そういう風に洗脳された可能性はありますね.それなら,しょぼい話ですが,そうでもない感じもしていて,自分の中でも,やっぱり,学術優位なんですよね.実際,学術の道に進んだわけですし,想像力を働かせて,芸術やスポーツの分野でものすごい才能をもった状態で,幼少期に戻れるとしても,学術の道に進んだ気がします.

 でも,学術の才能が全くなくて,芸術かスポーツの才能がものすごくあれば,そうは,行かなかったでしょうし,結局は,学術にそこそこの才能があったからなんじゃないかとも思うんですが,学術の才能が全くなくて,芸術かスポーツの才能がものすごくあった場合,ほんとはやりたい学術に憧れながら,仕方なく芸術やスポーツの世界に行ったわけで,それはそれで精神的に大変だったと思うんですよね.

 ということで,最初に結論ありきで書き始めたんですが,意外な結末になってきて,結局,やりたいことと得意なこととどっちをやるべきか論になってきて,それがある程度重ならないと厳しい,私の場合は,それがある程度重なってラッキーだったというありがたみ?のない結論になってしまいました.

 でも,どんなに才能がなくても,やりたければやったらいいと思いますけどね.それを仕事にすることはできませんが,ただそれだけのことのような気もします..

 ちなみに,芸術,スポーツ以外の活動,具体的には,ビジネス,金儲け,芸能,政治とかならどうかですが,これは,言わずもがなということですね.でも,官僚というのも考えなくもなかったわけですから,世の中をよくするというか,そういうことには,興味はあったんだと思います.

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6/18'23
[私の中での最上位に来るもの]

 私の中では学術優位と書きましたが,そういうことじゃない気がしてきました.

 そもそも,「学術」って何ですかね? 大学教授に代表される研究者? ノーベル賞を貰うような偉い学者さん?

 世間のイメージは,そうなんでしょうが,私は,全然違います.このサイトでも何度か書いていますが,研究ができれば,大学教授である必要なんかないし,ノーベル賞が欲しいと思ったこともありません.

 じゃあ(私にとっての)学術は何かというと,知的探究というようなことです.最初は,真理の探究と書こうと思ったのですが,それともちょっと違う感じです.ただ,既にあるものを勉強することには,あまり興味がなくて,まだわかっていないことを解明することに興味があります.

 つまり,学術優位というよりは,そういうことなわけで,だとすると,芸術やスポーツにもそういう要素はあるわけですから(例えば,どうやったらピアノが上手くなるか,バドミントンが強くなるか探究する),学術優位というのも変な話で,実際,音楽もスポーツもやってるわけで,でも,音楽やスポーツでは,飯が食えなかったというだけのことかもしれません.

 いや,飯が食えるかどうかは,関係ないですね.なぜなら,そういうことは,資本主義の枠組みの中での話なわけで,私は,ピアノが上手い,バドミントンが強いという点では,てんで大したことないですが,ピアノ音楽そのものについて,ひょっとしたら,何かに到達しているのかもしれませんし,それは,バドミントンやスキーの運動原理や競技論についても同様です.

 でも,少なくとも研究以外のことについては,全く評価を受けてないわけで,でも,そんなことはどうでもよくて,それこそが探究というものでしょう(探究とは,知りたくてするのであって,評価を受けるためにすることではない).

 じゃあ,探究とは何かとなってくるのですが,それって,結局,考えるということですよね.つまり,私の中での最上位に来るものは,「考えること」なわけで,芸術,スポーツ界の頂点に夢(という言葉は好きではないが)を感じないのは,そういう人達がどのくらい考えてそこに到達したのかという実態を見ると,ということかもしれません.

 そういう意味では,学術分野も同様で,ノーベル賞受賞者など,いろんな分野でその道を極めた人達を見ても,なんか違う感じがしてしまいます(僭越).ポアンカレ予想を解くことは,確かにすごいことですが,じゃあ,私にその力があって,私が解きたいかというと,別にー,と思ってしまいます.

 じゃあ,何がその対象ですかね? すぐに思いつくのは,やはり,哲学です.でも,現代哲学は,他の学術分野と同様,非常に細分化していて,まさにポアンカレ予想を解くことと同じようなことになってると思うんですよね.

 ということで,なんなん?という感じになってきましたが(笑),何となくそういうものはあって,一言で言えば,人生や生き方の達人的なことですかね(そういうことは何度か書いてる).つまり,ある特定の分野に長けるというよりは,総合力というか,どうやって,人生を楽しく気分よく退屈しのぎして行けるかの達人ということで,その実践の場がこのサイトということでしょうか.

 そして,そういうことは,社会的評価とかとは全く関係ないので,そういう人って,実は,結構いたりすると思うんですよね.でも,自分が幸せだと思ったら幸せというのとは,全然違うので,結構いたりすると思っても,意外といないのかもしれません.

 でも,「たった一つのこと」に愚直に打ち込むことがその人にとっての人生を楽しく気分よく退屈しのぎして行けるってこともあるわけで,まさに人それぞれなんですが,人それぞれってことは,各自が自分で考えないといけないわけで,結局,結論は同じというか,要は「考えること」ということです.

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[異次元?の少子化対策]
(政治, 世の中)

 K田内閣の異次元?の少子化対策ですが,ほんとしょぼいというか,屁の突っ張りにもならないというか,こんなんで「異次元」と言ってるのがどうしようもないですね.

 背景にあるのは,やはり,財源問題でしょう.このサイトで再三書いて来ましたが,私は,経済対策と称して目先の経済を回すために借金するのは大反対です.でも,少子化対策って「先行投資」ですよね.つまり,少子化が止まって人口が増えれば,目先の経済を回すことではなく,本質的な経済成長に繋がるわけで,そういうものには,ばんばん借金すりゃいいじゃないですか.

 でも,そんなことすると,目先の経済を回す経済対策と一緒くたにして反対する人が必ず出てきます.それを調整すること,国民を説得することがリーダーの役目ですが,K田さんにそれを期待することは難しそうです.

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[うまく行かない方がやることがあって楽しめる?]

 運保ですが,Nasdaq100先物がどうも芳しくないので,少し見直しをしました(と言っても,ちょちょっと数時間くらいですが.ついでにマザーズ先物と日運も).

 一方,うまく行ってる資保(大手総合商社五社,商品先物,FX)は,ほとんどすることがないというか,むしろ,退屈なくらいで,思ったんですが,うまく行かない方がやることがあって楽しめるってことはあるのかもしれませんね.

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[大学ってこれからどうなりますかね?]
(大学)

 私はもうすぐ関係なくなりますが,大学ってこれからどうなりますかね?

 そもそも,多くの人は,どうして大学に行くのでしょうか? 大学で学ぶため? ではないですよね(爆)(でも,多くの場合そうでしょうが,私の研究室に来れば,仕事をして行く上で必要なことが学べますよ).

 それは,「就職に有利」だからでしょう.単に大学に行くということではなく,一流大学に行きたい人が多いのも,そういう大学出身だと就職に有利だからです.

 このことは,裏を返せば,企業が出身大学ではなく,その人の能力をしっかり見極められるようになれば,大学に行く必要なんかなくなるわけです.方法としては,インターンとかは,以前よりはさかんになってますし,それこそ,半年とか1年とかの試用期間を設ければ,だいたいのことはわかるんじゃないですかね.

 いや,それでも,一流大学出身者には優秀な人が多いので,一つのフィルタにはなり得る? そうですね.でも,以前と比べると,そういうことは,どんどんなくなってきてて,実際,東大,京大出身者だから,みんな優秀ってわけでもないし,他大学に仕事ができるという点でもっと優秀な人はいくらでもいます.

 企業も○カじゃないというか,優秀な人材を確保することは,死活問題ですから,そこのところは,血眼になって研究してるでしょうし(してない会社は没落して行く),そういうことにとっくに気づいてるんじゃないですかね(気づいてない会社も没落して行く).

 そもそも,もう会社に就職して終身雇用という時代じゃないし,優秀な人は,どんどん起業してるわけで,じゃあ,必要なスキルは,どうやって学ぶかというと,優秀な人は,大学なんか行かなくても,自分でどんどん獲得できるわけで,大学の未来は,そんなに明るくないと思うのは,私だけですかね?

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 じゃあ,研究者になって,研究して行きたいと思った時の「就職先」としての大学も然りということですかね.そうですね.実際,大学は,以前ほど研究者にとって天国ではなくなりつつあります.

 じゃあ,研究して行きたい人は,どうしたらいいでしょうね.国や民間の研究機関の方がいい? でも,何をやるかの自由度は,やはり,大学が突出してますし,まさに上で書いた「会社に就職して終身雇用という時代じゃない」が当てはまることで,結局,大学だろうがどこだろうが,どこかの組織に所属することで安泰なんてことではなくなるわけです.

 でも,逆に言えば,「その人に何ができるか」なわけで,大学や会社や日本がどうなろうと,しっかり考えて行動できる人は,何も恐れることはないというか,やり甲斐のある時代になっていく(そうでない人は,どんどんじり貧になっていく)ということですね.

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 とは言え,今の世の中,資本主義社会ですから,食べて行くには,ある程度,金になることをしないといけません.そういう意味で,研究者にとって,大学は,天国だったというか,今でも相対的には,そうだと思いますが,これからもそうかどうかはわからないということですかね.

 まあでも,今の学歴社会が数十年で崩壊するとも思えないですし,なんだかんだ言って,大学の教員に優秀な人は,(まだ)多いので,学生からしても大学に行けば,得られるものは,多いでしょう(授業を受けるだけとかでは,ほとんど意味ないですが,理系なら研究室に入って最先端の研究をすることは,得るものが非常に大きいと思います).

 でも,何か食べて行けるスキルを身につけておくことは,いいかもしれませんね.具体的には,工学系なら,研究する際にプログラミングとかいろんなツールを使うわけで,しかも,最先端の研究をしてるわけですから,片手間に金になる研究をするくらいのことは,造作ないかもしれません.

 最近,研究の中でAI使ってる人も多いのですが,(私は興味ないですが)そういうことしてると,その気になれば,いくらでも稼げるのかもしれませんね.もちろん,そんなことして金儲けしてもしょうがないですが,そういう形で効率よく稼いで,残りの時間で,研究とかやりたいことをやれば,雑務で埋もれていく大学に固執する必要もなくなるかもしれません.

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 私はどうしましょうかね.というか,もうすぐ大学をクビになるわけですし,資本主義の世の中で食べて行くには,ある程度,金になることをしないといけないのは同じです.でも,必要な分だけ稼いで,やりたくないことはできるだけやらずに,できるだけ多くの時間をやりたいこと,やるべきと思うことをして過ごすというのも同じですね.

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6/19'23
[経済危機を技術革新が救う?]
(経済, 世の中)

 2016年4月にこんな記事がありました.

 そうですね.基本的な考えは今でも変わりませんが,その後,資保が始まって,資保は,買いしかやらないので,「売り中心」ではなくなり,結果的にパフォーマンスも向上し,それどころか,「全てをひっくり返す」ようなことまで起こりました.

 てことは,「売り中心」ではなく「買い中心」で行くべきということ? 実際,そういう世界で勝つには,自分がどう思うかではなく,他人がどう思うかなわけですからね.

 自分がどう思うかについても,日本や世界の政治経済界がやってることは,めちゃくちゃで,このままでは,経済危機は避けられないと何度も書きましたが,その一方で,これもどこかで書いたと思いますが,そういう危機的状況を技術革新が救う可能性はあって,実際,ここのところのAIなどの進歩は,凄まじいものがあります.そもそも論として,人間,何か活動をして何かを生み出すわけで,時々,がくっと落ちることはあっても,長期的に見れば,少しずつでも成長はして行くと考えることもできるとも書きました.

 まあでも,今の方針は変わらないですかね.「売り中心」と書いていますが,実際は,そうではなく,資保以外は,(空)売りも買いもやる,資保は,買いしかやらないということなので,実際は,売りより買いの方に比重があるということで,その辺がいいバランスだと思います(結局,これもバランス感覚).

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6/21'23
[思い出させてくれた]
(生活)

 今は,2016年5月の記事を読んでるのですが,熊本地震の被害調査に行ったりする中,自分引越をした時で,今思うと,よーそんなことしたな(笑)という感じです.

 で,その中でよく出てくるのが,荷物をどんどん減らして,保有する荷物もうまく収納して「いつでも引っ越しできる状態」にしたいということです.実際,当時の引っ越しの際に,大量の荷物を処分しましたし,その後も,そういうことは続け,何と4年半後に,ほんとに引っ越しすることになったわけで,その時は,荷物の処分やコンパクト化,そして,新型コロナで会議がオンラインになったりしたことで,書籍などの電子化もしました.

 でも,現状,まだまだという感じがしています.そして,また○年後にまた引っ越しをしないといけないわけで,こっちに来て,気づいたらもう3年近くが経っていて,その間,そういうことは,ほとんどしてないわけで,そういうことを進めないといけないことを思い出させてくれたという感じでしょうか.

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6/22'23
[「いつでも引っ越しできる状態」どころか]

 思い出させてくれたということでは,「いつでも引っ越しできる状態」どころか,○備というか,「いつ死んでもいい状態」にしておかないと,ということもあったわけで,我に返ったというか,こんなことしてる場合じゃないということでしょうか.

 でも,思うのは,そう思うことはあっても,いつの間にか忘れるというか,日常(の忙しさ)に埋もれてしまうわけで,何か理由があるのかもしれませんが,本能的なものだとすると,本能に従えばいいというわけではないので,そうならないようにしないと,ということでしょうか.そういう意味では,過去のこのサイトの記事を読み返すのは,いいのかもしれません.

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[「世の中全体が廃れていくことの象徴」のような感じ]
(世の中, 生活)

 今週の月曜で,家に近くのスーパーが閉店になって,不便になったというよりは,少し大袈裟に言うと,「世の中全体が廃れていくことの象徴」のような感じもしていて,あまり気分がいいものではないですね.建物は残ってて,「空き家」になったものが毎日,見えてしまうわけですしね.

 で,線路の向こう側のスーパーまで買い物に行ったのですが,帰り道にあるのと比べると,やっぱ,面倒ですね.長い踏切を渡るのも好きじゃないし.でも,アフリカ奥地の村じゃないですが,毎日,水汲みに往復3時間歩いて行かないといけないよりは楽か.

 必要なものがあるか,一通り見てきたんですが,グリーンリーフとか舞茸とか,ここにしかないものもありますし,与えられた環境でやって行くしかないってことですかね.

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[こいつらほんと大丈夫かな]
(世の中)

 世の中全体が廃れて行くというか,世の中とか学生とかの若い人達を見ていると,こいつらほんと大丈夫かな(全然大丈夫じゃない)と思ってしまいます.そもそも,みんなどうしたいんですかね? いい大学に入って,いい会社に入って,いい暮らしがしたい?

 そんなことでは,「やられる」と,再三書いて来ました.でも,そういうことが全然わかってないわけで,もっとちゃんと,自分に何ができるか,そのためにどうしたらいいか,しっかり考えた方がいいんじゃないですかね.

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6/23'23
[気概が足りない]
(世の中)

 「いい大学に入って,いい会社に入って,いい暮らしがしたい?」(のがやばい)というのとは,ちょっと違いますかね.

 研究してまだわかってないことを解明したいって感じじゃ全然ないですし,一つのわかりやすい例をあげると,東大出身の官僚が激減していて,理由としては,無能な政治家が人事権を握ってしまったとか,メディアの官僚叩きとか,中央省庁の働き方改革が進まないとかがあるんでしょうが,そういうのは「条件面」であって,自分が何をしたいのか,何にやり甲斐を感じるのかという本質的なことがあるわけで,そういうものがあれば,「条件面」なんか関係ないと思うんですよね.

 じゃあ,今の一番の人気就職先は,外資系コンサルとかなわけです.別に外資系コンサルがだめということではなくて,どういう理由で,そういうところに行くのかということです.給料とかの「条件面」ということだとすると,それって,自分のことだけ考えてるってことですよね.

 そりゃー,自分の就職先だから自分のことだけ考えるのは当たり前? でも,優秀な人なら,自分に何か能力がある,できることがあると思ったら,自分とか自分が所属する組織ではなく,社会全体の利益のためにそれを活かそうとは思わないのか,何事かを成し遂げようとは思わないのかと思ってしまいます.そして,そういうことが効力感に繋がるものだし,結果的に大きな仕事ができると思うんですよね.

 でも,今の資本主義の枠組みの中で,自分の「条件面」を求めてしまうと,結局は金儲け,そして,限られたパイの食い合いになってしまって二極化が進み,社会全体の利益に繋がりませんし,実際,世の中は,どんどんそういう方向に進んでしまっています.そして,そういうことを止めることができるのは,(東大京大卒に限らず)能力の高い人達のはずですが,逆にそれをどんどん助長することになってるわけです.

 いやいや,二極化が進むのなら,自分は勝ち組に入ればいいとか思っていると,結局,痛い目に会うことになると思いますよ.世の中が破綻してしまったら元も子もないわけですからね.

 そんなこと言われても,背に腹は代えられないというか,世の中は,急には変えられないので,そういう中でやって行くしかないというのはわかるのですが,とにかく何か「気概が足りない」というか,物足りなさを感じてしまいます.

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 まあでも,昔は,そういう「気概をもった」人間が多かったかと言うと,そんなわけはなくて,極一部だったわけで,逆に言えば,今の時代も,そういう若い人は,極少数ながらもいるのでしょうから,昔と比べてどうこうということではないですね.

 でも,昔と今では,時代が違うわけで,それは,世の中がやばい方向に進んでいるってことで,でも,そういう世の中にしたのは,年寄りなわけで,それを若い人達に何とかしろと言っても,お門違いってことで,痛い目に会うのは,年寄りで(姥捨て山),何とかしないといけないのは,年寄りの方ってことですかね.

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6/25'23

 実際のところは,気概を持つというか,何かを成し遂げようと思う人間なんかほとんどいないわけで,「いい大学に入って,いい会社に入って,いい暮らしがしたい」というのは,極々普通の考えってことなんでしょうし,むしろ,そうなれば,成功した部類に入るわけです.

 逆に言えば,今の世の中,「いい大学に入って,いい会社に入って,いい暮らしをする」というわかりやすい「ルート」がなくなってきたとも言えて,それは,自分とか一企業とかではなく,広く大所高所から国に関わる仕事がしたいということで官僚になって,という「ルート」もなくなってきたのも同様で,非常に難しい時代になってきたということなんでしょう.

 個人的には,研究者は,残された数少ない「ルート」だとは,思うのですが,そういうことに興味を示す若い人は,そんなにいない感じで,昔と比べても,むしろ,減ってる気がします.でも,これは,昔も今も,気概を持つというか,何かを成し遂げようと思う人間なんかほとんどいないってことなんでしょうが,昔より減ってるというのは,ポストの数は,変わらないのに少子化によって優秀な人間の物理的な数が減ってることで説明できますかね(てことは,昔より,なりやすくなってるってことですし,実際,こんなんでなれちゃうの?というケースも多いですからね).

 日本という国がこれからどうなる?ってのは,どうでもいいんですが,今の若い人達は,これからどうやって行くんだろうとは,思いますかね.ていうか,「いい大学に入って,いい会社に入って,いい暮らしをする」というわかりやすい「ルート」をなくしてしまった年寄りの責任?

 でも,「いい大学に入って,いい会社に入って,いい暮らしをする」,少し範囲を広げて「いい大学に入って,いい会社に入るとか,医者とか弁護士とかになって,いい暮らしをする」とかいうわかりやすい「ルート」が設定されて,多くの人がそれに盲目的に従うのも何とも気持ち悪い話で,どうしたらいいか,本人がしっかり考えるというのは,悪くないのかもしれませんね(でも,コンサルとかに行って,スキルを身につけて起業するというルートができつつありますが,それが正解かどうかは何とも言えません).

 そして,その選択によって,その後の人生が劇的に変わってしまうというのは,どうかと思いますが,そういう二極化の流れは,止まらないでしょうし,少なくとも,とりあえずは,一流大学に入ればOKということは,どんどんなくなっていくということですね.

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[起業 vs 就職]
(世の中)

 最近,優秀な人は,起業するという流れなんですが,どうなんですかね?

 サラリーマンは,気楽な稼業と来たもんだではないですが,一度,どこかの会社に就職して終身雇用を是とするようでは,大したことにならない? でも,会社の中で出世競争というか,どれだけ仕事をして成果を出せるかということはありますし,社会の中と会社の中とどちらかで競争してるかの違い? いやいや,会社の中の競争に敗れても食いっぱぐれることはないなんて甘甘?

 そういう意味では,研究者の多くは,大学とか研究機関に所属している「サラリーマン」なわけで,でも,競争は激烈とは言いませんが,成果を出せなければ,クビにはならないとしても,かなり厳しい状況が待ってるわけで,でも,それは,会社も同じなのかな.

 でも,何かおかしな話で,「起業 vs 就職」ということではなくて,やっぱり,「何をするのか」ってことですよね.研究がしたい,そのために大学という組織に所属した方がいいのならそうするということで,大学にいて思うように研究できなくなって,起業した方が研究できるのなら起業すればいいというだけの話で,それは,会社というかビジネスの場合も同じでしょう.

 でも,「いい大学に入って,いい会社に入って,いい暮らしがしたい」だと,「何をするのか」がないわけで,でも,「何をするのか」がある人なんか,そうそういないわけで,そういう多くの「普通の人」に,これからは起業の時代だとか言っても,厳しいわけで,ほとんどを占めるそういう人達のために,普通にちゃんとやれば何とかちゃんとやって行けるというルートを残しておいてあげないと,というのは,甘いですかね.そんなこと言っても,そうでなくなって来てるのは,どうしようもないってことですかね.

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(野球)

 交流戦が終わって,ライオンズは,楽天に3連勝したみたいですが,どうなんですかね.

 一方の阪神は,横浜に3連敗で,交流戦前は,確か6.5ゲーム差くらいあったのが,首位陥落です.監督が岡田やから,一昨年みたいなことはないやろと書きましたが,10何年か前にジャイアンツに10ゲーム以上差をひっくり返されて優勝できなかった時の監督が岡田だったみたいで,一昨年みたいなことはないやろとも言えんってことですかね.ていうか,横浜のホームでずっと負けてるらしくて,そんな感じで優勝する感じはしませんよね.

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6/26'23
[素人相手の商売だとそうなっちゃう]
(世の中)

 昨日のJ熱大陸は,庭園デザイナーの人ということだったんですが,中身自体は,相変わらず,どうということはないのですが,その人は,イギリスのコンテストみたいなのに出続けていて,そこでゴールドメダルを獲ることが仕事に繋がるので,ずっと出続けて,結果を出したいと言ってるのが気になりました.

 でも,多くの場合,そんな感じなんですよね.建築家がコンペに受かったり,賞をもらったりすることで実績を積んで仕事が来る,若手のピアニストがコンクールに出るのもそういうところがあるわけです.

 つまり,クリエイティブな要素がある職業も,飯を食って行くには仕事が来ないといけないわけで,でも,素人だと,誰に依頼するのがいいかよくわからない人が多くて,中身的にその人がどういう仕事をしてるかではなく,コンテストとか賞みたいなものでその人の能力を判断しちゃってるわけです.ベストセラーとかも同じメカニズムで,要は,素人相手だとそうなっちゃうってことですかね.

 研究者は全然違うと言いたいところですが,そうでもないところもあって,賞はいろいろあって,人事でそういうものが重要視されたり,査読論文数とかI.F.とかどんどんしょぼいことになって来てるわけで,でも,そういう形的なもので全て決まるわけはなくて,最終的には,研究の中身をしっかり精査して評価されるのがまだ救いですかね.

 でも,職業というか,仕事って,所詮,そういうところはあって,結局は,資本主義の枠組みの中で評価されないと給料はもらえないわけで,逆に言えば,何とか食べて行けるのであれば,仕事のそういう要素は,度外視して,本来やるべきと思うことをやればいいんだと思います(が,多くの人は,社会という枠組みの中での評価に走る).

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[纐纈先生の退職記念パーティー]
(大学)

 先日は,東大地震研におられた纐纈先生の退職記念パーティーでした.退職されたのは,2年前で,新型コロナで延期されて,ということです.東大地震研時代のメンツとか,いろんな人達と久しぶりに会えて話ができて,楽しかったです.何か一言ということで,以下のようなことをお話しさせていただきました.ものまねを入れてください(笑)というような注文が出るくらいのとてもアットホームな雰囲気でした(冒頭の古村先生の挨拶がその雰囲気を作った). 話したことは...

 纐纈先生とは,いっしょに研究というか,共著の論文もかなりあるのですが,考えてみたら,共同研究というよりは,私がやりたいことに彼を巻き込んだというか,お声がけいただいてという感じで,そういう意味では,実は,彼は,恩人とも言える人で,思い出話的なことをいくつか紹介させていただきたいと思います.

 彼のことを初めて知ったのは,私がまだ学生時代で,東大工学部の建築の青山先生と小谷先生の鉄筋コンクリート造の研究室で,大型計算機を使って地震応答解析をしている頃で,当時の計算機環境は,PCは既にありましたが,大きな計算は,大型計算機を使っていて,プログラムの編集は,まだエディタがなかったので,とても大変だったんですが,ある日,ASPENというエディタが使えるようになって,ものすごく便利になったんですが,その開発者(の一人)が,纐纈先生で,プログラマーかと思ったら,何と地震研の研究者ということで,この世には,とんでもなく優秀な人がいるんだなあと思ったことを憶えています.

 そして,無事博士をとって,私の就職先が地震研の南先生の研究室だったので,纐纈先生と同じ職場になったのですが,部門は違っていて特に接点はなかったと思います.ただ,就職した年に組合の行事で常磐ハワイアンセンター(今のハワイアンズ)に行った時,誰かが「あれが纐纈さんだよ」と教えてくれて,なんか頭よさそうな人だなあと思ったのは憶えています.

 その後,改組があって,六部は,災害部門となって,纐纈先生がそこに来られることになって,研究会とかいろんな場面で話をするようになったと思いますが,いっしょに研究するというようなことはなかったと思います.

 いっしょに仕事していただけるようになったきっかけは,1999年台湾集集地震で,当時,私は,ぱっとしないというかくすぶっていて,どういう地震動が建物に大きな被害を与えるかに興味があって,いろんな解析をして研究会とか学会とかでしゃべってたんですが全く評価されず,そんなことやってどうするんだ?とか言われてどんどんめげていってたんですが,そういう中,上司であった南先生が亡くなってしまわれて,茫然としているところに,纐纈先生が私の部屋に来られて,「境君,台湾に被害調査行くことになったんだけど,いっしょに行かない?」(ここはものまね(笑))と誘ってくださいました.

 それまで,いろんな地震の被害調査に行ってたんですが,被害調査に行くように言われることはあっても,いっしょに行かない?と言われたのは,初めてで,何かとても新鮮で嬉しくて一つ返事で行きますとお返事したんですが,これが私の運命を変えたわけで,具体的には,この地震で,いろんな周期特性をもった地震動が発生して,周辺の被害レベルも様々で,どういう地震動が建物に大きな被害を引き起こすかの格好の実データが得られたわけで,これを基にいろんな分析をして,その後,日本でも同様のことを続けて,いわゆる1-2秒という周期成分が多い地震動が建物の大きな被害を引き起こすということを提唱させていただくことになり,それまでやっていた解析では見向きもされなかったことに実データという証拠が付いてきて,幸いにも評価していただけるようにもなったと思いますし,そういう自分のことはさておいて,地震防災や社会全体から見ても,震度6以上の大きな震度でも被害がない場合とそうでない場合があって,それを説明できたことは,大きな意味があったと思うんですよね.

 そんな感じで,私にとって,纐纈先生は,まさに恩人なわけで,そういうことは,いろんな人に話したりしているんですが,考えてみたら,ご本人にそういうことをお伝えすることはなくて(そりゃまあそうなんですが),でも,ここで,そういう機会をいただいたので,あらためて,お礼申し上げたいと思うわけです.

 纐纈先生,どうもありがとうございました.そして,40年以上の東大での研究生活を全うされたということ,おめでとうございます.一つの区切りだとは思いますが,研究は,まだまだ続くと思いますので,今後ともどうぞよろしくお願いします.

というような感じでしょうか.

 その後,本人からフォローがあって,ASPENについては,彼が関わったのは,ASPEN本体ではなく,それを繋ぐEtermだったことや,台湾の話は,(これは,そうだろうと思ってましたし,このサイトでも書きましたが)元はと言えば,東京都の宮崎さんからの話ということで,でも,これも既に書きましたが,「恩」ってそういうものだと思うんですよね.

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[どうする?退職記念パーティー]
(大学)

 林先生や纐纈先生の退職記念パーティーとかに出て思ったこととしては,そういうことは,私はやらないというのは,変わりないのですが,人知れずひっそりいなくなるのは,やっぱり,まずいというか,お世話になった人達にちゃんとお礼は言わないといけないと思うんですよね.で,ほんとは,一人一人にちゃんとお礼を言いたいけど,それは,大変だから,退職記念パーティーとかやって,全部まとめてやるということなんでしょうか.

 と思ったんですが,待てよという気もしてきました.これまでお世話になった人達にちゃんとお礼は言わないといけないというのは,どういうことなんでしょうね.なんか,もう研究やめるみたいですよね(なんか生前式みたいな感じ).つまり,まだ研究を続けていくのなら,これまでありがとうございましたとういうのは,ちょっと変ですよね.

 私が長い間,京大にいたのなら,大きな区切りという感じもしますが,京大にいた時間は,東大や筑波大より短くて,お世話になった人は,もちろん,京大時代にもいますが,東大時代や筑波大時代の方が多いわけで,やめる時,京大にいたから京都で退職記念パーティーと言っても,何か変な感じがします.

 というか,そもそも,ほんとは,一人一人にちゃんとお礼を言いたいということなら,退職記念パーティーで全部まとめてやるより,一人一人は難しくても,ある程度,少人数で,それこそちゃんと一人一人の顔が見える形でやった方がいいと思いますし,こういうのは,私がやるというよりは,そういうことをやりたいという人(グループ)がいて,そういう申し出があったら,喜んで受け入れるというようなことだと思うんですよね.

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 なんか違いますね.退職記念パーティーは,パーティーに参加する人が退職する人におめでとうございますと言う会なので,そんなのやらなくていいよと私が言えば,それで済む話ですからね.

 一方で,私がこれまでお世話になった人にお礼が言いたいのであれば,お礼行脚をしてもいいですし,手紙とかメールを出すこともできるでしょう.そういう中で,一つの大きな区切りなので,こういうメンツでちょっと集まって飲みませんかということなら,喜んで受ければいいし,その時にお礼を言うこともできるということでしょう.

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6/27'23
(日記)

 うーん,なんか気分が晴れませんね.でも,その原因はよくわかりません.

 今の大学で研究できるのは,あと○年だとしても,もう充分やったというか,大学をやめても研究は続けていけるわけですし,大学内外のいろいろ面倒な仕事をしなくてよくなるわけですし,仕事をやめたとしても,研究も含めて,やることはいくらでもありますし,仕事をやめても「一人,時々,みんな」程度の人との繋がりはあると思いますからね.

 単なる周期的なものだとすると,しばらくやり過ごすってことなんでしょうし,DNAの刷り込みだとしても,そう考えればいいってことなんですが,DNAの刷り込みは,本能的なものなので,なかなか厄介で,でも,それを知性で乗り越えてナンボということですかね.

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[悪女]
(世の中)

 悪女(あくじょ)って言いますよね.でも,悪男とは言わない.立派な男女差別じゃないですかね.なんか女はこうあるべきというのがあって,そうじゃないのが悪女みたいな.どうして,女だけそう言うの?

 そして,最近,メディアとかあちこちで悪女って言ってます.それに違和感を感じる人はいない(から平気で悪女って言う)わけで,一体,どうなってるんですかね? そういうことは,他にもいっぱいあります.こんなんじゃ,男女差別がなくなるわけないでしょう.

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6/28'23
(日記)

 あまり調子はよくないのですが,夜ぐっすり眠れた感じがしない(入眠は一瞬だが,だいたい6時間で目が覚めて,そこで起きると,眠り足りない感じ)ということはありますかね.なので,眠れる時は,とにかく眠るってことでしょうか.

 あと,いろんなことをやっていると,そのうち何か引っかかるものがあるということはあるわけで,それで大分助かってる感じはします.

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6/29'23
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